約 24,298 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1135.html
キョン「いでで・・・」 朝倉「あら、ごめんねキョン君。あなたを巻き込むつもりはなかったの」 キョン「なっ!朝倉!」 朝倉「フフ、ずいぶん驚いてるわね」 キョン「な、何しに来たんだ!」 朝倉「誤解しないで。もうあなたを殺そうなんてしないわ」 キョン「っ!!」 朝倉「私がここに来たのは情報統合思念体の裏切り者を消しに来ただけよ。キョン君には何の危害も与えないわ。」 キョン「う、裏切り者?」 朝倉「そ、もう何となくわかるでしょ?」 キョン「・・・長門のことか?」 朝倉「大当たり♪さっすがキョン君」 キョン「くっ・・・」 長門「・・・私は情報統合思念体の意思に反した行動をしたつもりはない」 朝倉「フフ、ならなぜ、この部屋に防壁情報を張っていたのかしら?」 長門「・・・」 キョン「・・・防壁情報だと?」 朝倉「長門さんはね、この部屋を外部から一時的に遮断するようにプログラムしてたの」 キョン「長門が・・・」 朝倉「この情報空間を特定するには相当の時間が必要だったの。で、キョン君に少しお手伝いしてもらったのよ」 キョン「お手伝いだと?」 朝倉「あれ、まだ気が付かない?さっきの電話よ。あれ、私がここの空間を特定する為にかけたコードなの」 キョン「なっ!」 朝倉「助かったわキョン君♪ありがと」 キョン「て、てめぇ・・・ウッ!」 朝倉「ごめんねキョン君、少しの間だけそこでじっとしてて」 キョン「なっ・・・またかっ!」(体が動かない!) 朝倉「さて・・・と」 長門「・・・」 朝倉「長門さん、もうあなたはこの世界に必要とされてないみたいよ?」 長門「・・・」 朝倉「情報統合思念体はあなたを危険視してるわ。だから私がここにいるの。わかる?」 長門「・・・涼宮ハルヒの第一観察責任者はあなたではない。 それにあなたは私を情報連結解除できるほどの権限を持っていないはず」 朝倉「そんなこともうどうでもいいらしいわ。上の人たちはとにかくあなたを消したがってるの」 長門「・・・なぜ」 朝倉「なぜって?そんなこともう分かりきってるじゃないの」 長門「・・・」 朝倉「長門さんらしくないわね。もうあなたの役目は終わったってこと」 キョン「!?」 長門「役目・・・」 朝倉「そ♪だから消えてもらうしかないの」 長門「ここは私の情報制御下」 朝倉「だったら何?」 長門「・・・容赦はしない」 キョン「な、長門!?」 朝倉「・・・残念だわ長門さん。本当に自律神経を持ってしまってたの」 長門「パーソナルネーム、朝倉涼子を敵性と判定。自己情報結合解除を開始する」 朝倉「フフ、本当にやるつもりなのね。あなたには何のバックアッププログラムがないのよ?」 長門「・・・」 朝倉「あーあ、本当は手荒な真似はしたくなかったんだけど・・・仕方ないわ」 長門「・・・大丈夫、すぐに終わる」 キョン「長門!?」 長門「心配しないで」 キョン「おいっ!やめろっ!」 長門「・・・」 朝倉「フフ、いいわ・・・死になさい♪」 続
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1241.html
Report.08 長門有希の操作 今日、すること。この流れなら言える。以前試みて、できなかったこと。 ネット上の、彼女に関する個人情報を消去する。 やはり彼女が日常生活を取り戻すためには、この過程は必要となる。情報統合思念体としても、涼宮ハルヒが世間に妙な注目を浴びて、余計なストレスを受けることは好ましくないと大勢は判断している。対処が難しくなるから。 そしてもちろん、わたしという個体も、彼女が日常を取り戻すことを……強く、願っている。 実現のために必要なことは……彼女、涼宮ハルヒの同意。 どのように話を持って行くか。考える。昨日、わたしは彼女と一緒に帰宅するために、彼女に変装……男装をさせた。 そう。彼女は、そのままでは誰かと一緒に歩くことも叶わない。そして何より、彼女の仲間……SOS団に近付くことさえできない。団長であるというのに。このままで良いのか、彼女に問い掛ける。彼女は否定すると予想される。 そこで、日常に戻れる方法として、ネット上の個人情報を消去することを提案しよう。この線だ。 彼女が同意さえすれば、情報の消去はたやすい。むしろ、彼女に対する偽装工作の方が重要となる。どのように彼女に現象を納得させるか。 あくまで、一般的な人間の理解の範囲から余り外れない方法で納得させるのが望ましい。その方法については、一つ心当たりがあった。少し無理があるかもしれないが。 方針は決まった。 以上のことを、わたしは彼女と抱き合いながら、耳元で囁きあいながら、考えていた。まだまだ彼女とこうしていたいという『願望』はあったが、それは好ましくない。 「……そろそろ起きないと。」 「むふー、残念。」 わたし達はゆっくりと体を起こした。ようやく今日という一日が始まった。 洗面台。わたし達は並んで歯を磨く。彼女は歯磨き剤を使わない。いつまでも口の中に味が残って、食事の味が変わるのが嫌なのだという。 「なんで、歯磨きって、ミント系の味しかないんやろな? 揃いも揃って。他の味、というか、あんまり味がせえへんやつ、味が残らへんやつがあってもええと思うんやけどなー。」 【なんで、歯磨きって、ミント系の味しかないのかしら? 揃いも揃って。他の味、というか、あんまり味がしないやつ、味が残らないやつがあっても良いと思うんだけどなー。】 などと言いながら、わたし達は同じタイミングで同じ動作をしていた。うがいのタイミングまで同じ。 朝食は、昨日買ってきたコンビニエンスストアの弁当その2。彼女もわたしも、Tシャツとパンツだけを身に着けている。 「女同士、気にすることないやろ? 一緒にお風呂入った仲やんか。それに……(ごにょごにょ)」 【女同士、気にすることないでしょ? 一緒にお風呂入った仲じゃない。それに……(ごにょごにょ)】 とは、彼女の弁。なお、不明瞭な後半部分は、あえて記すこともないと判断した。 わたしは、いつもの無表情の裏で、話を切り出す時機を窺っていた。 人間が服装に特別な『思い入れ』を持っていることは、知識としては知っている。 衣服を身に纏うことは、毛皮も鱗も持たない有機生命体である人間が、生命活動を維持するために気温等周囲の環境から身を守る行動。 しかし人間は、衣服に別の情報を付与した。 『おしゃれ』 衣服その他を用いて、人間は自らの身体を装飾することを覚えた。最初それは、他の生命体同様、繁殖のために異性を惹き付けるための行動だった。例えば孔雀のオスの華美な羽や、タナゴやオイカワに現れる婚姻色の代替手段として。毛皮等を持たず、明確な発情期がなく、身体に余り変化が現れない人間にとって、衣服で異性を惹き付けることは、制限から生まれた苦肉の策といえる。 またしても、制限による工夫。 当初は異性を惹き付けるための苦肉の策であったおしゃれ。 これは換言すると、『他者とは違う格好をすることに意味を持たせる』行為。 そこに、新たな情報が生まれた。 人間は、性別、地位、職業その他の様々な属性の違いに応じて、服装を変えることで違いを表示するようになった。例えば『制服』。人間は、一定の職業と性別に合わせて、一様の衣服を着ることで職業と性別を表示する。そうすることで、他の職業の人間との区別を行いやすくし、その職務執行を円滑にしている。 そして涼宮ハルヒが朝比奈みくるに行わせている『コスプレ』や、昨日わたしが彼女に提案した『変装』及び『男装』は、こうした属性を表示する制服の機能を利用した行為。 そういえば、『萌え』という感情は、人間の性的衝動と深い関係があることが分かってきたが、萌えを刺激するコスプレや異性装が、元々は着飾ることの原因だったものの、後に切り離されていった性的衝動に再び繋がるのは興味深い。 わたしは、服装についての情報に重きを置いていない。周囲の環境から身を守るという機能は、わたしにとって無意味。たとえ裸であっても、機能上は全く問題はない。 裸で表を出歩かないのは、身体を覆わないことを禁則事項とする認識が人間社会に共通して存在するから。身体を覆う面積は地域、文化、風習等で差異が生じるが、どれだけ覆う面積が小さい、裸に近い姿で生活している文化でも、生殖器だけは何らかの方法で覆うことは共通している。そこにどのような意味、あるいは『意識』が込められているのか、わたしには実感できない。 ここからは推測になるが、それには『生殖能力』が関係しているのではないだろうか。 わたしには、『生殖能力』は存在しない。『性器』は有するが、『生殖器』としては機能しない。必要がないから。 だが、もしかすると、人間をより詳細に観測するためには、なくても良いと判断できるような機能でも、備えているといないとでは、観測結果に微細な又は重大な差異を生じるのかもしれない。 この点について、現時点では情報が不足している。情報の不足を解消するためには、やはり実験してみる必要があるだろう。わたしを使うのか。あるいは別のインターフェイスを使うのか。どのような手法によるものかは分からない。 長々と服装について考察していたのには理由がある。わたしが立案した計画は、服装も大いに関係がある。わたしは待った。 「ごちそーさまっ。」 「食後はコーヒー?」 「えっ! 淹れてくれるん!?」 【えっ! 淹れてくれるの!?】 「待ってて。」 わたしは台所に行き、お湯を沸かしながらドリッパーを準備する。 「あたしはカフェオレでお願い! 豆乳でー!」 コーヒーを淹れ始めると、すぐにコーヒーの香ばしい匂いが立ち込める。フィルターを外して蓋に差し替え、リビングに向かう。カップセットは二つ。砂糖はなし。 「ブラックはよう飲めへんけど、甘いのもあんまり好き違(ちゃ)うねん。」 【ブラックはとても飲めないけど、甘いのもあんまり好きじゃないのよ。】 甘くないカフェオレが一番具合が良いそうだ。わたしはブラックで飲む。 『ふ――――っ。』 思わず息をつく。一人で飲んでも特に何も感じるものはなかったが、今は二人。これもまた食事と同じく、美味しいものだった。 「さて、今日はこれからどないしよ?」 【さて、今日はこれからどうしようか?】 彼女はぽつりと呟いた。 来た。 「朝の続きする?」 彼女はにんまりと笑いながら言った。 「それは推奨できない。他にやるべきことがある。」 わたしは彼女の瞳を真っ直ぐに見据えて言った。 「わたしに考えがある。」 「あなたは現在、表を普通に出歩ける状態ではない。買い物もできない。この原因は一つ。ネット上に晒されたあなたの個人情報。これを消去しない限り、あなたへの来襲は止まない。でも、ひとたびネット上に掲載された情報は、無限に複製し拡散できるため、完全な消去は困難。」 「ほな、どうすんの?」 【じゃあ、どうするの?】 彼女が食いついてきた。行ける。 「一つ手段がある。」 わたしはそこで言葉を区切る。彼女は続きを無言で促す。 「友人のスーパーハッカーに協力を要請する。」 彼女の目が見開かれた。 「スーパーハッカー!? 何それ!?」 これはとあるネット上でのやり取りに登場する一種のジョークに由来するが、彼女は知らないらしい。 「IT関係にとても詳しい人。この人に任せれば間違いない。」 「すごい知り合いがおるんやなぁ……それで、その人にはどうやって連絡すんの?」 【すごい知り合いがいるのね……それで、その人にはどうやって連絡するの?】 「実はもう、手配済み。」 「早っ!!」 「あなたの同意があれば、すぐに着手できる。よく考えて。」 彼女は真剣な表情でわたしを見ている。 「あなたは今、団長でありながら、活動はおろか、団員にさえ近付くことができない。あなたは今のままで良いの?」 「……ええわけ……ええわけないやんかっ!!」 【……良いわけ……良いわけないじゃないっ!!】 彼女は立ち上がった。両手に握り拳を作っている。 「いつまでもしつこくしつこく、散々付き纏いよって! もううんざりや!!」 【いつまでもしつこくしつこく、散々付き纏って! もううんざりよ!!】 彼女は親指で力強く床を指差す。 「ええわ、有希! やっちゃって! その友達のスーパーハッカーさんとやらにすぐに連絡して!!」 【良いわ、有希! やっちゃって! その友達のスーパーハッカーさんとやらにすぐに連絡して!!】 「わかった。」 わたしは彼女の携帯電話を借りると、あるサイトを表示した。いわゆる『まとめサイト』。 「ここにあなたの個人情報が掲載されている。」 「うわ……ほんまや。住所、電話番号に通学経路から家族構成まで!」 【うわ……ほんとだ。住所、電話番号に通学経路から家族構成まで!】 「分かりやすい指標として、このサイトが今から消滅する。」 わたしは席を立ち、固定電話に向かった。彼女からは見えない角度で、0120…から始まる一連の番号を入力する。電話口から声が聞こえてくる。 『こちらは、NTT西日本サービスガイドです。音声でお聞きになる方は01……』 わたしは通話口に語りかける。 「わたし。……そう。同意が得られた。……そう。……わかった。」 電話を切ると、わたしは彼女の元に戻って座った。 「どう!?」 「すぐに着手する。数分もすれば、すべて終わる。」 そしてわたしは情報介入を開始した。今度は弾かれない。しばらく待ってから、時計を見やる。三分経過。もう良いだろう。 「終わった。」 「早っ!?」 「そのページをリロードしてみて。」 「……!? あれ!? ……!? 嘘っ!? 消えてる……」 当該情報の電網空間からの完全消滅を確認。 「情報発信の中心だったそのサイトが消滅した。見える範囲以外の、バックアップデータ等もすべて消去されたと思われる。」 わたしは、コーヒーセットを片付けながら言った。 「彼女の仕事は正確。」 「女の人なんや、そのスーパーハッカーさんて……」 【女の人なんだ、そのスーパーハッカーさんて……】 念のため、『彼女』にも検証を依頼した。すぐに答えが返ってくる。 『全く問題ありませんよ、長門さん。さすがです。相変わらずいい仕事してますね。』 喜緑江美里からの返答が伝わってきた。 『協力に感謝する……ありがとう。』 『どういたしまして。』 あとは人間に残る記憶の方だが、これは単純に情報に触れた人間を片っ端から操作して、一人一人丹念に記憶を消去していくしかない。これは膨大な情報を処理する必要があるため、情報統合思念体が直接行うことになった。わたしが操作するのは、ここまで。10分もあれば、すべて終わるだろう。 これでようやく、彼女は元の生活を取り戻せる。 そんな異常な生活を楽しんでいるのではないか、という意見も一部にはあったが、今のわたしなら断言できる。 それはない。 これで、彼女の行動に対する制限事項は無くなった。 もしかしたら、これまで考察した通り制限に人間の進化を促すきっかけがあるとしたら、彼女が進化するきっかけを失ってしまったのかもしれない。だが、反省も後悔もしていない。他に方法はなかった。少なくとも今は、これで良いと思う。 物事には順序がある。 今の彼女は、制限事項を受け入れる準備ができていない。それはこれから、彼女が様々な経験を通し、『成長』して獲得するもの。これまでの人間の観測結果から、そのような結論が導き出される。 今後彼女は、自身の持つ力を自覚しても何ともないほどに成長するのかもしれない。まだまだ、精密な観測が必要だと思われる。わたしの任務も続くことになる。 でも、それでも良いと思った。むしろそうなってほしいかもしれない。 任務……観測が続けば、それだけ長く彼女を見続けることになる。見続けていられる。 それだけ――彼女のそばにいられる。 ←Report.07|目次|Report.09→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3623.html
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3918.html
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3683.html
暑い。蒸し暑い。 去年もこんな感じだったが、終わらない夏休みやら何やら、ハルヒのゴタゴタ騒動のおかげで多少は暑さから目がそれていたような気がする。 そんなことを考えながら、俺はいつものように部室の扉を開くのだ。 俺が部室に入ると、既に他の団員は集まっていた。 朝比奈さんと長門はともかく、残り二人がすでにいるってのはちと珍しいな。 ハルヒはネットに夢中のようだ。 ……って、古泉、なにお前は朝比奈さんとオセロに興じてるんだ! 俺と変われ! 「あなたが来るのが遅かったもので、待ちきれず彼女ともう始めてしまいました」 ハルヒもこういうときこそメイド家業を放棄しているメイドになんとか言ってやって欲しいね。お前のクリックの動作からして意味のないカウンタ回しをしているのは明らかだぜ。 「あの……変わりましょうか?」 「あ、いいですよいいですよ! お気になさらず」 ふう…… いつも座っている席を今日ばかりはメイドさんに奪われていた俺は、横にあったパイプイスを一つ組んでテーブルの中央、ハルヒの向かいに腰掛けた。 そう、ここで俺はいつもの部室にはない重大な相違点に感づいてしまったのである。 長門…… そう、長門が眼鏡をかけているのだ。 あのとき以来、『あの騒動』を除いては拝めなくなっていたその顔である。 もっとも、ハルヒと朝比奈さんは余り気にもかけていないようだが……俺にとってはちと気にかかる。古泉は知らん。 何故眼鏡かけてるんだ? なんてことをここで面と向かっていうのもためらわれるので、 俺は視線をはずしてオセロの盤に目を向けた。 あぁ……古泉も朝比奈さんも弱いな……そこはそうするんじゃなくて……いや…… すると不意打ちのように 「有希、今日眼鏡かけてるわよね。コンタクト無くしちゃったの?」 「……」 長門が視線をハルヒに向けた。しかし、その表情には――俺しか分からなそうだが――少しクエスチョンマーク的要素が見え隠れしているような…… 「まあ前からあたしはそっちのほうが全然かわいいと思ってたからいいんだけどね! 有希は眼鏡似合うから!」 その意見には正直同意しかねるぞ、と思ったのもつかの間、長門の顔には長門にはありえない表情の変化がでていた。 長門の顔にちょっと朱が差し込んでいるような……照れてる、のか? 対有機生命体なんとかかんとかインターフェイスの長門が『照れ』? 俺は一瞬目を疑った。 そうそれは、『あのとき』に、別の長門が俺に見せた表情と酷似していた。っていうか同じじゃないか。 やはり今日の長門はおかしいぞ。またなんかのエラーだっていうのか? その表情を観察していたのは俺だけでは無かったようだ。 俺は古泉の一瞬の動作を見逃さなかった。 突然、「ああ、僕今日はバイトの時間でした。勝負も途中になって本当に申し訳ありませんが、この続きはまた今度。」 続き? んなもんは俺が断固阻止。……なんてことも頭によぎらず、部室を早々に出て行った美少年部員の後を追って俺も部室を出ようとした。 あいつは、絶対に何か知ってる。 「ちょっと! キョン! どこ行く気よ!」 「トイレだ! トイレ!」 ハルヒのかん高い声を振り切って部室を出た俺は、すぐに廊下を闊歩していた古泉に追いつき、 肩口を叩いてこちらに目を向かせ、問いただした。 「お前……今日はなんのバイトなんだよ。」 「あぁ、閉鎖空か」 俺は即遮った。 「そんなわけないだろ。ハルヒはいつものように傲慢だが、特別不機嫌な感じでは無かったぞ!」 「……」 「お前が長門にちらりと目を向けたのを俺は見た。お前、今日の長門のこと、なんか知ってるんじゃないか?」 「なんのことでし……」 とまで言いかけると、俺のかなりマジな形相に気づいたのか、古泉は口を閉じ、 「そうです。僕が部室から出たのはそのため。長門さんの突然の変化を機関のお偉いさん方へ報告しなければならないのですよ。」 俺は黙って聞く。 「SOS団の団員に何か重大な変化があるようなら、僕はそれを逐一報告しなければならないことになって。」 「ちょっと待て、お前は長門の『変化』のことをどこまで知っているんだ?」 「……今日の長門さんの変化の訳や影響は僕にも存じかねます。恐らくあなたと同じ程度の認識と思いますよ。」 「それは眼鏡と、いつもの長門には見られない感情的な……」 「そうです。それ以上のことは分かりません。僕も驚いていますよ。……何より……」 「何より?」 「今の長門さんには今までのような超人的な……いやそもそも「ヒト」ではありませんが、そういう能力が無くなっているように感じるのです。」 「……」 どういうことだ? 「まるで普通の、女子高生のような……というより、体の組成が根本的に変化して普通の人間にといいますか。」 なんてこった。それじゃあ、さっきの長門はまるっきり『あのとき』の長門と同じじゃないか。 あの長門が、今度は現実の世界の長門と入れ替わっているのか? でもどういうことだ? 今日の長門はSOS団のいつもの風景を別段変に思っているフシは無かった。 今日の長門の記憶はどうなっているんだ? 「あのとき?」 まずい。口が滑ったか。 「いいや、何でもないんだ。」 「……そうですか。じゃあ僕はさっき申しましたことを実行しなければならないので。命令に逆らって機関のお偉い方の怒りを買うわけにはいきませんし。」 「ああ。」 「では。」 そう言うと古泉は珍しい早足で階段を下りていった。 部室に戻ると俺はすぐにカミナリ様の天誅を食らった 「ずーーいぶん長いトイレね!」 「あぁ、それは」 「全くもう! アンタがいなくて女の子三人じゃ会話にアクセントが無くなるの!」 なんだそりゃ。さっきまでお前は会話も何もマウスをいじり倒してただけじゃねぇか。 ポン。 と、長門が本を閉じる音。いつものSOS団終了の合図である。 「あ、もうこんな時間? じゃ、あたしは帰るから! 戸締まりはあんたが懲罰でよろしくね!」 そう言うとハルヒは真っ先に部室を出て行った。朝比奈さんも。 逆に都合がいい。俺は今日はいろいろあいつとはなしたいことが って! 長門も彗星のように部室から消えていた。 帰るの速すぎだろ……話は明日に持ち越しか。 前編へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5351.html
「…………」 「…………」 「…………」 のっけからすまないな。 訳が分からんだろう。 そんなお前さんの為に今の状況を説明してやろう。 我が家では毎日俺を使う優先権みたいなものが変わるんだ。 使うってのはおかしな表現かもしれないが、語彙力が無いだけだ許してくれ。 でもって、今日は妻の有希の方にその優先権があったわけなんだが、 有希が野暮用かなんかで家を出ている間に娘が俺を使ってたもんだから有希と娘がケンカしているんだな。 無言の応酬がケンカ? って思うかもしれんが、我が家では、 いや、有希と娘のケンカは何時でもこうやって無言で相手を穴が開くんじゃね? って位に見まくるのがデフォなんだ。 そんでもって、俺は何時も二人の間で肩身の狭い思いをしてるってな訳だ。 これでだいたいの状況を理解してもらえただろう。 「……何故、約束を破ったのかを三行で」 おお、有希が喋った。 「……破ったつもりはない」 それって三行か? いや、むしろ何で三行なんだ? 「…嘘、これを破ったと言わずに何と言うの」 「……母さんが居ないのが悪い」 「……私は用事があったから家を空けていた。理由にはならない。…よってあなたはルールに反したと言える。 だから、明日も私の日とする」 「…いやだ」 「…あなたに拒否権はない」 …あの~ 有希さん? 怖いです。 ガチなのか? 頼むから穏便に済ましてくれよ。 「……父さんに決めてもらう」 んな!? 娘よ俺を巻き込むのか!? いやな、確かに俺にもこうなった責任の一端はあるが… 選択次第では命の危機に直面するやもしれないんだぞ。 「……推奨しない。というより拒否する」 よく言った有希。 二人で穏便に決めてくれ。 「…どうして?」 「…彼は優しい。故にあなたと私の主張の中間点の意見を採用するに違いない。 …それでは私の気持ちが収まらない」 「…………」 「…その無言は肯定と証であると見受けた。でわ明日も私の日とさせていt 「なあ、有希?」 「……何?」 「いや、俺が言って良いのか悪いのか分からんような分かるような…」 「…はっきり言って」 …すんません。 だから無表情で怒るな。 何かちびりそうだ。 「流石に可哀想じゃないか? 自分で言うのはこっぱずかしいが、 楽しみを奪うみたいでさ」 「…ルールを破ったのはこの娘。罪には罰を」 「う、まあそうだがな…」 …こいつあテコでも動かんな。 「……もういい。母さんと父さんは一生乳繰り合ってればいい」 「お、おい、何処行くんだ?」 「…何処だっていい」ダッ 「待t「…行く必要はない」 「…あのな有希、お前の気持ちも分かるさ」 一応、高校の頃に比べてたら成長したつもりだからな。 「出来ることなら俺と居たいんだろ?」 首肯。 うん、いつも通りだ。 「だけど、あいつもそうだってのは分かるよな?」 「…………」 無言は肯定なんだよな? そうだよな? 「その中でお前さんが妥協して今のルールを作ったってのも分かる。 だがな有希、お前はあいつの事嫌いなのか?」 「! ……そんなことはない」 「だろ。だったら今回のことは水に流してやろうぜ?」 「……やっぱりあなたは優しい。迷惑なほど優しい。 だけど、そこがあなたの魅力。そこに私が惹かれたのも事実」 そこまで褒めてくれるとはな… ありがとよ。 「…近所の公園にいる、早く行ってあげて。でないと風邪を引いてしまう」 「あいよ」 「……そのかわり」 「ん? そのかわり何だ」 「……今日は寝させない、覚悟するように」
https://w.atwiki.jp/hiroki2008/pages/38.html
エピローグ 新しい朝倉とクラスメイトたち 当初朝倉が帰還する予定だったのだが 三月というタイミングなのでみくるの卒業シーンを採用したほうがいいというkisekiの意向に従った 一度パー速の長門朝倉スレに貼った断片 朝倉の帰還についてはいつか機を改めて書いてみたい 長門有希の憂鬱Ⅲ(帰ってきた朝倉) その後のことを、少しだけ話そう。 次の朝、岡部がいつになく楽しそうに教室に入ってきた。 「あー、みんなちょっと。我がクラスに転校生がやってきた」 もう二年の三学期も終わり、この時期にかよとみんなは不思議がっていた。岡部は廊下に顔を出し、誰かに手招きしていた。 「驚くかもしれんが、朝倉がカナダから帰ってきた」 「ええっ!?」教室全体が歓喜に沸いた。無論、俺は驚かなかったが。 「……朝倉涼子です。よろしくお願いします」 深々とお辞儀をする彼女は、俺たちの知っている元の朝倉とは少し雰囲気が違っていて、みんなもそれに気がついたようだった。だがいきなりいなくなって惜しんでいたのは間違いなく、女子はもちろん、谷口をはじめとする野郎共も喜んでいた。 「ほんとに戻ってきたんだ……」 ハルヒが唖然としていた。あのときの事件はいったいなんだったのかと、いぶかしんでいるようだ。 「あー、空いている席はどこだ。涼宮の隣でいいか?」 俺は自分がいることを目で合図しようと朝倉をじっと見ていた。だが、朝倉は下を向いたまま誰とも目を合わせようとせず、音もなく移動し自分の席に座った。そしてまっすぐに黒板を見つめていた。ハルヒは何と声をかけたものか考えているようだった。 昼休みになっても、朝倉はじっと前を見ていた。あの頃親しかった高遠が話し掛けても、うんとかええとか、曖昧な返事しか返さなかった。俺は弁当を食いながら朝倉のほうをチラチラと気にしていたのだが、いっこうに動く気配がない。 「朝倉、腹減ったろ。学食でメシ食ってこいよ」 「……いいの」 昼飯代持ってないんだったら貸してやろうと、財布を取り出そうとした。それまで黙っていたハルヒが話し掛けた。 「朝倉、あんた変わったわね。なにがあったの?」 「……ちょっと、いろいろあってね」 困ったような照れたような表情で言う。詳しく説明するのは無理だろう。 ハルヒは少し考えて、「まあいいわ。あたしが歓迎会やってあげる」と言った。 そんなことを言うハルヒに俺もちょっと驚いたが、次のひとことでクラス全員が驚いた。 「ちょっとみんな!今日SOS団主催でパーティやるから、来れる人は来て!」 これだけの人数を集めてどこでやるんだと言おうとしたのだが、 「キョン、あんた、放課後までに場所を用意しなさい」の一声に口を封じられてしまった。 「いくらなんでも急すぎんだろ!」また俺の役回りかよ。 こういうときは古泉か長門に頼むしかないだろうな。俺は新川執事と森メイドによるケイタリングを想像した。 ハルヒの突発的イベントに機関を酷使するのもちょっとかわいそうな気もするな。彼らは仕事でやってるわけだし。 俺は長門に相談するべく隣のクラスに行った。 「長門、ちょっと」俺は二年六組のドアの前で手を振った。 「……分かった。うちでやればいい」 「お前んち、2LDKだろ、クラス全員入るのはちょっと無理がないか」 「朝倉涼子の部屋も使う。空間をリンクさせればいい」 「そんなことできるのか」 「接続は可能」 「分かった、じゃあ朝倉に聞いてくる」 俺は自分の教室に取って返し、朝倉に耳打ちした。 「……いいわ。家具もなにもないし」そうか。そうだよな。 というわけで会場は決まった。 「ハルヒ、長門んち借りれそうだ」 「有希の部屋?この人数じゃちょっと狭くない?」 「この突然のパーティにほかにどこを用意しろってんだ」 「分かったわ。まあなんとかなるでしょ」 それから、さして付き合いが深いわけでもない女子を数人集めて買い物に行く算段をしていた。ハルヒがクラスのメンバーを集めてなにか催すというのも、これが初めてかもしれない。 朝比奈さんに連絡を入れ、朝倉の歓迎会をやることになったと伝えた。俺と古泉はケーキを買いに行かされた。 「涼宮さんがクラスで先頭だって歓迎会を催すなんて、非常に珍しいですね」 「前代未聞だな。それに主賓が朝倉だし」 「涼宮さんと朝倉さんって、あまり親しいとはお見受けしませんでしたが」 「ハルヒにしちゃあまり好きなタイプでもなかろう。優等生嫌いだからなあいつ」 「それが今回は突然の歓迎ぶり、と」 「今の朝倉はちょっと頼りなさげというか。苦労したっぽい影が見えるからじゃないかな」 お前の記憶にはないだろうけど。 誕生日用の箱型ケーキを数個抱えて長門マンションまで来た。このケーキ、予約しとかないとふつーは手に入らないんだが。さすがハルヒというかな。 「しょ~ねん」 長門マンションの玄関のドアを入ると声をかけられた。 「は、はい」 「朝倉さんちの娘さん、帰ってきてんだねぇ。昨日お土産を持って挨拶に来てくれたよ」 「ええ、カナダから帰ってきたらしいです」 「今日はめんこい娘さんがいっぱい来てて嬉しいよ」 おっさん、朝倉に手を出したら長門に情報連結解除されかねんから注意しろよ。 長門の部屋のドアは開いていた。いつもの二倍の広さの居間にクラスのメンツのほとんどが集まっていた。 「これはすごいな」 集まっているメンツがじゃない、部屋をリンクさせるという長門の言葉は本当だった。 「どうやってやってるんでしょうね。不思議でなりません」 「まったくだ」 外から見たときと内側の容積が違うことに誰も気が付かないんだろうか。これ、朝倉の部屋のドアを開けてみたら同じ部屋が繋がって見えてるのか。 「長門、ぐっじょぶ」俺は親指を突き出した。 長門もまねをして親指を立てたが、その意味を考えているようだ。 「長門さんっていいところに住んでるだねえ、しかも一人暮らしなんだって?」国木田が妙に感心していた。 「長門の親は外交官で、エルサルバドルにいるんだ」 「へえええ」 国木田がめんたまキラキラさせてるぞ。もしかしてときめいたのかよ。 「ちょっとみんな注目!本日はお忙しい中お集まりいただきましてありがとう!今日は朝倉の歓迎会だから楽しんで行ってね!涼子、おかえり!」 盛大な拍手が沸いた。 「あ、それから。料理を手伝ってる女子以外は会費徴収するからね!」 集まってから言うのって詐欺じゃねえか。 俺は隅にいる長門、朝倉、喜緑さんを見つけて手を振った。 「キョン君、いろいろたいへんでしたね」 「いえいえ。俺はいつもSOS団のパシリ役というか、特殊な能力がないんで足で走り回るしか能がないんで」 「とんでもありませんわ。こうやって涼宮さんを動かしているじゃないですか」 「そ……そうですかね」 俺が照れる番だった。やさしい言葉には弱いんだ。 長門は思うところがあるのか、朝倉のそばから離れなかった。朝倉をこっちに連れ戻すとき、「……わたしが、面倒を見る」そう言って譲らない長門を思い出した。以前の朝倉も、任務さえなければふつうの女子高生として過ごしていたのかもしれない。 「朝倉、たまにSOS団に顔を出せよ。ハルヒがこんなに歓迎するのを見たのは、お前がはじめてだ」 朝倉の少し悲しげな表情がやがて笑顔になり、ひとこと呟いた。 「そう……こっちに来てよかった」 それは俺の知る、あの朝倉の満面の笑顔だった。 END
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2580.html
Report.20 長門有希の憂鬱 その9 ~朝倉涼子の抵抗~ それから数日後。 朝倉涼子の辞令が内示された。正式な交付は任務引き継ぎ完了後。 ――長門有希任務代行解除 朝倉涼子 ――有機情報連結解除を命じる。 その週の金曜日。 朝のHRで、涼子が再びカナダに戻ることが発表された。クラスはどよめきに包まれた。涼子は、当初の予定通り日本での用事が済んだので、カナダに戻ることを説明した。つまり、そのような理由で姿を消すという設定。本当は、涼宮ハルヒの事後処置状況を見極めた上で、問題ないと情報統合思念体が判断したため。 涼子はその日の授業がすべて終了すると、帰りのHRで別れの挨拶を行った。挨拶を終えると、またいつでも日本に戻ってきて、顔を見せてほしいと級友達に声を掛けられた。 そしてハルヒは、こう宣言した。 「あんたは今日から我がSOS団の海外特派員や! 北米地域での不思議探索は任せたで!」 【あんたは今日から我がSOS団の海外特派員よ! 北米地域での不思議探索は任せたわ!】 団員ではない涼子を勝手に海外特派員に任命するあたり、実にハルヒらしい行動と言える。 こうして涼子は、クラスの誰からも、そして教師達からも惜しまれながら、北高を後にした。 恐らくはもう二度と足を踏み入れることはない、その場所を。 明けて土曜日、708号室にて。 「明日一日くらいは、余裕あるよね?」 涼子がわたしに言ってきた。任務の引き継ぎは、もうあとわずかで終了する。それが終われば涼子は……また有機情報連結が解除される。現状は、その最後の引き継ぎが遅滞していた。わたしも涼子も、未整理の膨大な情報の処理に手間取っていた。 ……嘘だ。本当の理由は分かっている。 引き継ぎを終えたくないのだ、わたしは。そして、多分涼子も。 この情報の引き継ぎを終えることが、最後の別れの時だとお互いに認識している。それが、嫌。 別れたくない。もっと一緒にいたい。 これは、端末にはありえない考え方。でも、わたし、いや、わたし達は、そのように考えている。人間達と共に過ごしたわたし達に芽生えた、人間のような考え方。今の状態を人間の言葉で表せば、『未練』という言葉が該当する。 わたしは言った。 「今のところ、最終期限は設定されていない。」 「せっかくだしさ、二人でお散歩でもしましょうよ。」 その行為に何の意味があるのか、とは問わない。以前のわたしなら問うていただろうが。わたしは黙って首肯した。 その日の夕食は、わたし達が台所で一緒に作ることにした。 「カレー缶は十分にある。」 「ダメよ、レトルト食品ばっかりじゃ。たまにでも良いから、ちゃんと作らなきゃ。」 「…………」 「食べ物に気を遣うのも、人間にとっては重要な行動なんだから。」 爛れた私生活を送るわたしと、それを窘める涼子。 いつの間にか、かつてわたしが暴走して世界を改変した時のような関係になっていた。 「といっても、冷蔵庫にはキャベツしかないのね……どうしたものかしら。」 涼子は顎に手を当てて考え込んでいた。もとよりわたしは、わざわざ食材から料理を作るという生活は送っていない。諦めるべき。 その時、何の前触れもなく玄関のドアが開いた。このようなことができる者は、限られている。 「勝手にお邪魔しますね。お困りかと思いまして。」 喜緑江美里が、両手に買い物袋を提げて入ってきた。 「どうしたの、こんなにたくさん!?」 「夕食の支度を始める時間ですが、長門さんのことだから、食材の買い置きがないだろうと思って、調達してきました。」 二人は手際よく、食材を仕分け始めた。二人とも楽しそうに見える。江美里はこのような性格設定だっただろうか。 「漫画でも、料理は学べるんですよ?」 結局、三人でそれぞれ料理を分担することになった。 「このキャベツを活用しましょう。」 江美里は回鍋肉。 「今炊けてるごはんは、冷凍した方がおいしさ長持ちね。」 涼子は炊飯器を使っておでん。 わたしはカレー…… 『阻止。』 ……これにはわたしも苦笑い……はしない。それにしてもこのインターフェイス達、ノリノリである。 「わたしも手は空いてるし、一緒に何か作りましょ。」 協議の結局、わたしと涼子は、ひじき豆と、わかめともやしのスープを作ることになった。調理開始。 ひじきとわかめを水で戻す。増えていくわかめ。なんとなく江美里の方を見てみた。 「……長門さん? その視線にはどういう意味があるのでしょうか?」 江美里は笑顔を若干引きつらせながら言った。他意はない。ないが。視線が江美里の方向……主に頭部に向かうことを抑制できない。 その時、江美里の手が動いた、ように見えた。情報操…… 「くしゅん!」 間に合わなかった。江美里の手には、胡椒の瓶が握られていた。 「あ~ら~、ごめんあそばせ。おほほほ。」 顔は笑っているが、額に『怒りの四つ角』が出ているのを、わたしは見逃さなかった。 「い~え~、これは下味を付けるためであって、決して他意はございませんことよ。」 「……二人とも食べ物で遊ばないの。」 やれやれといった面持ちで、涼子が窘めた。鼻の穴に丸めたキッチンペーパーを詰めているので、少しも様になっていないが。 「玉葱が目にしみるのには、これが一番手軽で効果的な対策なのよ。」 まな板には微塵切りにされた玉葱の姿が認められた……もはや何も言うまい。 インターフェイス三人娘の、賑やかな台所。 わたしはかつてSOS団の女性陣三人で夜通し、手作りチョコレートケーキを作った時のことを思い出していた。あれは『楽しい』出来事だった。 三人で手際よく調理に勤しむことしばし。 「なかなかの出来栄えじゃない?」 和・洋・中と、この国で食される代表的な分類の料理が食卓に供された。三人揃って、 『いただきます。』 人間に紛れて怪しまれずに生活するために身に付けさせられた、人間風の生活習慣。人間との接触が極度に少ないわたしは、無用なものと考え、早々にしなくなったが、彼女達は続けていたらしい。 「こら、そんな機械的に食べちゃ変でしょ!?」 「ふふふ、そんなに慌てなくても、料理は逃げませんよ。」 妹の世話を焼く、タイプの違う姉二人。人間の目にはそのように見えるだろうか。あの改変世界のわたしの周囲に江美里はいなかったが、もしいたら、今のような光景が展開されていたのかもしれない。 いつもより『美味しい』食事を終え、各自お茶を飲みながら思い思いの格好でくつろぐ。この行為もまた、インターフェイスの行動には何ら影響を及ぼさない。 「だめよ長門さん。そういう些細なところも正確に踏まえないと、正確な観測とは言えないわ。」 「そうですよ。人間達の間で有名な、パーソナルネーム黒澤明という映画監督は、撮影の際は、画面に映らないタンスの中身まで精密に時代考証をして設置するほどの徹底ぶりだったそうですから。」 ……江美里の解説は、的を射ているのかいないのかよく分からない。恐らく、人間である涼宮ハルヒの観測をするのなら、自らも人間と同じ生活をして、人間の行動を体感する必要がある、という趣旨だと認識した。 「そのためには、見えない所まで手を抜かないことが大切なんです。」 横では、涼子が頷いていた。 休憩が終わったら、後片付け。使用した食器を洗浄する。調理器具は、ある有名な料理人のように、調理中にすべて洗浄が完了している。 「それじゃ、わたしはこれで。」 洗い物を済ませると、江美里は帰っていった。帰り際に、 「……ごゆっくり。」 という謎の言葉を残して。 涼子はわたしの部屋に泊まることになった。今までは江美里の部屋で過ごしていたのに。 ………… ……… …… … 翌朝。 どこまでも晴れ渡る空、眩しく差し込む朝日に照らされて、わたしは涼子の腕の中で目を覚ました。 「…………」 また状況に流されてしまった。懲りていない。反省。 一頻り反省した後、周囲の状況を改めて確認してみる。わたしは涼子の腕枕で寝ている状態。お互いに全裸。至近距離に涼子の寝顔がある。しばらく涼子の寝顔を眺める。起きない。 寝顔を眺めていると、あることを思い出した。ハルヒがわたしの寝顔を眺めていて、したこと。わたしは涼子の顔に自分の顔を近付ける。規則正しい寝息。やはり起きない。わたしは実行した。 涼子への口付け。ハルヒが行っていたことをエミュレートしただけ。……他意はない。 だが行為はそこで終わらなかった。突然、わたしの頭が両手で固定された。わたしの口に侵入してくる舌。わたしはすっかり口中を蹂躙されてしまった。 「んふ。おはよう、長門さん。朝から積極的ね。」 小悪魔のような笑顔を浮かべた涼子の顔がそこにあった。 「……ごちそうさま。」 この台詞は、わたしのせめてもの抵抗。無駄な抵抗であることは分かっている。 「きゃー、食べられちゃったー♪ 長門さんのえっちー♪」 この通り、有効打撃にはならなかった。むしろ重いカウンターを食らった気さえする。 このままの体勢でいると、またハルヒの時の二の舞になってしまう。 わたしは無言で布団から出て、下着を身に着けると洗面所に向かった。人間の言葉で言うところの『情事の跡』を消すために。……いわゆる『キスマーク』だけでなく、『歯型』まで付いているのはいかがなものかと思う。 わたしが洗面所から出ると、涼子は台所で朝食を準備していた。裸にエプロンだけを着けて。 「朝ごはんは、昨日の残り物を活用するわね。」 その服装には何の意味があるのだろうか。 「うふふ。これで長門さんを、の・う・さ・つ♪」 そう言って腰をくねらせる涼子。……わたしを何だと思っているのだろうか。 「きゃー、長門さん、鼻血、鼻血ー!」 ……最近、実感したことがある。 すなわち、『身体は正直である』と。 涼子による、『はい、長門さん、あーん。』などの攻撃を受けつつの朝食も終わり、わたし達は出掛けた。 涼子がする取り留めのない話を聞きながら、わたし達はこの街を歩き回った。不思議探索で歩き回った街。そして、わたし達の唯一の……『思い出』と呼べるものがある、この街を。 街を歩きつつ、買い物をするなどして、わたし達はずっと一緒に行動した。こんなに長い時間、涼子と行動を共にしたのは初めて。 とある雑貨屋の前で、涼子が足を止めた。 「長門さんも、アクセサリーとか身に着けた方が良いんじゃない?」 わたしは雑貨屋の窓から見える棚に並ぶ、安いアクセサリー類を眺めながら答えた。 「アクセサリーは校則違反。」 「……別に学校に着けて行けっていう意味じゃなくて。」 「涼宮ハルヒは、わたしがアクセサリーを身に着けた姿を望んでいないと思われる。」 涼子は溜め息をついた。 「分かってないなぁ、長門さんは。普段飾り気のない娘がさりげなくおしゃれしてる姿は、いわゆる一つの『萌え要素』なのに。」 「涼宮ハルヒの中で、『萌え』という概念は朝比奈みくるの担当。」 わたしは素っ気なく答えた。涼子が苦笑する。 「わたしはそうじゃないと思うんだけどな……。ま、いいわ。せっかくだし、覘(のぞ)いていきましょ。」 涼子はわたしの手を握ると、店に入っていった。 店内には様々な商品が陳列されている。客の九割は女性だった。人間の女性は、このような店舗を好む傾向にあると観測資料にはある。しかしわたしは、見た目こそ女性に設定されてはいるが、あくまで観測者。そのような趣向を理解することはできない。 だから、今、目の前で涼子が、 「あーなたーも~♪ わーたしーも~♪ んーんん~♪ んーんーんーんーん~♪」 鼻歌を歌いながら、とても楽しそうに商品を物色している姿もまた理解できない。 「長門さんは、こういうのに興味は……全くないみたいね。」 「素材も造形も、すべてが甘い。端的に表現すれば『安っぽい』。」 「まあ、ここは基本的にそんな高級品を扱うお店じゃないからね。」 「わたしには、これらの商品の価値が理解できない。」 「……雑貨屋に連れてこられた男のコみたいな台詞よ、それ。」 涼子は苦笑しつつも、一人で店内を隈なく歩き回った。 やがて店内をすべて見終わった涼子が、ある一角で手を振りながらわたしを呼んだ。 「長門さん、ちょぉこっち来てー。長門さんにぴったりのモノ、見付けたでー。」 【長門さん、ちょっとこっち来てー。長門さんにぴったりのもの、見付けたわー。】 実に嬉しそうに手招きする涼子の元へ向かう。そこは主に文房具を陳列してある場所だった。 「ほら、これ。」 涼子の指差す方を見る。そこには『ブックマーカー』、つまり『栞』が並べられていた。 「長門さんは、大の読書好きだもんね。だから、こういうのはどうかなと思って。」 「栞なら、書籍を購入すれば付いてくる。」 「そういう味も素っ気もないものじゃなくて、ずっと使い続けるようなものよ。」 「栞を使用する機会は滅多にない。」 『彼』にメッセージを伝える時ぐらい。 「……まあ、あの読む速度じゃ、読みかけになることは滅多にないでしょうね。」 涼子は栞を物色しながら、 「でも、人間の行動原理は、単なる実用性以外の部分にも、大切な要素があるのよ。例えば……ほら。」 そう言って、ある栞を手にとってわたしに見せた。 「透明な容器に金魚や蛙の形をした物が入ってて、透明な液体で満たされてるの。傾けると、ほら、こういうふうに、中の物がまるで泳いでるようにゆっくり動くのよ。面白いでしょ?」 「ユニーク。」 「それとか、ほら、これなんか、クリップ型なんだけど、掌の形をしてるのよ。それで、実際に本に挟むと、こう、まるでページを手で押さえてるように見えるの。」 他にも、どこかの美術館が建築物の意匠を再現したものや、宝石やベネチアングラスで装飾した華麗なもの、遊ぶ子供をデフォルメした形、着物の布地を使ったものなど、意匠も素材も様々な栞が並んでいる。 「確かに『ページを示す』という目的を果たすだけなら、買った時に付いてくる栞や付箋とか、極端な話、それこそいらない紙の切れ端でも良いわけよ。何だったら、ページの端を少し折り曲げても良いんだし。」 『ドッグイヤー』や『キャットイヤー』と呼称される方法。 「でも、人間はそれを良しとはしなかった。」 様々な工夫を凝らした栞が現にここにある。これでも、この地上に存在する様々な栞の、ごく一部なのだろう。 わたしは楽譜を模った栞を手に取りながら、涼子の話を聞いていた。 「目的達成には関係しない、端的に表現すれば『無駄』な部分。無駄であるにも関わらず、人間はしばしばこのような部分を重視し、わたし達では考えられないほど熱心に、工夫することに情熱を傾けることがある。こういうのを、人間は『ゆとり』とか『遊び心』と表現するわ。」 涼子は遠い目をした。 「……わたし達は、これを『ノイズ』として処理するんだけどね。」 ノイズ。 わたし達にとってそれは、不要なもの、目的達成のための障害として認識される。 しかし、人間は違う。人間はそれを、好意的に捉える。その充実に情熱を注ぐ。 もしかしたら、そのような『空き領域』……『マージン』の存在が、人間を人間たらしめる要素なのかもしれない。 「そんな人間の遊び心を知ってもらうために、長門さんには、こういうものにも触れてほしかった。」 そう言って涼子は、 「だから、わたしはこれを長門さんに贈ろうと思うの。」 と、わたしにある栞を示した。それは紐を主体とした栞で、紐の両端に小さな『本』と『眼鏡』を模った飾りが付いていた。その『本』は革の表紙が再現されており、その『眼鏡』にはプラスチック製のレンズが入っていた。どちらの飾りも、かなり精巧に作られている。人間の言葉で言うと、『いい仕事』をしている。 「本に挟む栞が、本と眼鏡なの。ユニークでしょ?」 わたしは肯いた。確かにユニーク。 「気に入ってもらえたかしら。でもね、これを選んだ理由は、それだけじゃないのよ。」 涼子はわたしに向き合うと、わたしの顔に両手を添えて、わたしの顔をじっと見つめながら言った。 「これが、『わたしが見ていた頃』の長門さんの姿を象徴するもの。」 ハッとした。 わたしが眼鏡を掛けなくなったのは、正に涼子が消滅した時のこと。 涼子の有機情報連結を解除した後、わたしは教室の物品を再構成して、空間封鎖を解除した。しかし、戦闘のダメージが残っていたのだろう。わたしは、戦闘によって亡失した眼鏡の再構成を忘れた。すぐに気が付き再構成しようとしたが、結局再構成はしなかった。なぜなら、『彼』が「眼鏡がない方が良い」と言ったから。 そう。 わたしが眼鏡を掛けなくなった直接のきっかけは、『彼』の言葉。でも、その『彼』がその言葉を口にした出来事のそもそもの発端は、わたしと涼子との戦闘だった。『彼』を殺害し、涼宮ハルヒの出方を見る、という涼子と、『彼』を保護し、涼宮ハルヒの環境を守る、というわたしとの。 そして涼子は、それ以降わたしの姿、すなわち眼鏡を掛けていない姿を見ていない。 戦闘中に眼鏡を失った時、わたしは涼子に背を向けていた。そしてあの改変世界でも、わたしは眼鏡を掛けていた。 もし涼子が、眼鏡を掛けていないわたしの姿を見ていたとすれば、それはわたしが涼子の有機情報連結を解除する時以外にない。 ……人間の言葉で言えば、眼鏡を掛けていないわたしの姿は、わたしが涼子を『殺す』瞬間の姿。涼子にとって、最期に見た光景。 「わたしの中では、普段の長門さんは眼鏡を掛けた姿だった。だから、わたしが再構成され、そして長門さんも再構成されて再会した時、長門さんが眼鏡を掛けてない姿を見て少し……そう、『感慨深かった』。もちろん、情報として事前に知ってはいたわ。でもね、やっぱり他所から伝えられる情報と、実際に自分の目で見て経験する現実とは違う。」 涼子にとって、眼鏡を掛けていないわたしは戦闘状態、それも涼子を『消す』時の姿。 わたしは、ふと思った。そんなわたしの姿を、今まで涼子はどんな思いで見ていたのだろうか、と。 「…………」 涼子はわたしの顔を、慈しむように撫で回していたが、名残惜しそうに手を離した。そして本と眼鏡の栞を二つ手に取ると、レジに持って行った。 「両方ともプレゼント包装、お願いします。」 涼子は、わたしと涼子の分、二つの栞を購入した。 雑貨屋を出ると、涼子は今買ったばかりの栞を一つ、わたしに手渡した。 「二人でお揃いね。」 ――もう、二つ買っても意味がないのに―― この言葉は言えなかった。言いたくなかったから。 その後もあちこち散策したわたし達は、海辺に来ていた。 「今になって思うの。わたしは、何だかんだ言って、『人間』としての生活を楽しんでたんだなって。」 既に日没を迎え、辺りは夜の帳(とばり)が下り始めている。 「知ってた? ここって、夜景のきれいな場所なのよ。」 西宮大橋。 歩道には展望スペースとベンチが設けられていて、夜景を楽しむ設備が整っている。 「本格的な夜景も良いけど、わたしはこの日没後すぐ、まだ明るさが残ってて照明も点いてる、そういう時間帯の景色が好きなの。昼でもなく、夜でもない、昼と夜の狭間……」 涼子はわたしに向き合い、言葉を続けた。 「人間でも人形でもない、生物と機械の狭間……今のわたし達みたいだと思わない?」 ドキリとした。 『驚く』という行為自体、端末としてはおかしな動作の部類に入るが、わたしは驚いた。こんなにも的確に、わたしが考えていることを指摘されたこと。そして、『わたし達』と言われたこと。 つまり、涼子もまた、わたしと同じ考えであるということ。 「…………」 わたしは沈黙した。言葉を発しないのは普段通り。それだけではなく、通信でも沈黙した。 「ふふ、驚いてるみたいね。まあ、無理もないけど。」 涼子はわたしから視線を外し、夜景の方を向いた。 「わたしはね、人間で言えばたった三歳。なのに、もう『死』を経験してる。」 涼子の意識の上では何回になるか分からないが、いずれにしても『死』に至らしめたのはわたし。 「人間の三歳って、ちょうど『第一反抗期』に当たるんですって。つまり、『自我』が芽生える時期ってこと。自我が芽生えて、親の言うことに反発したくなる年頃。」 涼子はニヤリと笑った。 「あの冬。長門さんが『コト』を起こした頃も、やっぱり三歳ぐらいよね。」 涼子の意識の上でも、あの事件はあったことになっているのか。だがそれよりも。 「何が言いたいの。」 涼子は満面の笑みで言い放った。 「つまり、あなたもわたしも、反抗期にすることがあるっていうこと。」 反抗期の行動……『親』への反抗。わたしは、『親』を『殺し』た。情報統合思念体の存在を一時的にとはいえ、消滅させた。 「わたしは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス。生きる自由も、死ぬ自由さえも与えられてはいない。生殺与奪の権限は、情報統合思念体が握っている。」 涼子は胸の前で両手を組んだ。それは人間のする『祈り』の姿に似ていた。 「それでも、わたしは反抗してみたい。せめて消え方くらい、自分で選んでみたい。」 何を言っているのか理解できない。 「わたしは、インターフェイスとして消滅するんじゃなく、ヒトとして死んでやるの。」 分からない。理解不能。エラー。 「何でもかんでも情報統合思念体の意のままっていうのは、もうまっぴらなのよ。」 「……何を、言っているの。」 「これはわたしの……ささやかな、『反抗』。」 そう言うと涼子は、欄干に飛び乗った。 わたしは身動きが取れないでいた。どうして良いか分からなかったから。 「……さすがに感付かれたか。」 涼子の視線を追って振り返ると、江美里がいた。 「また独断専行ですか? いい加減にしてほしいですね。」 江美里は微笑を浮かべたまま。涼子も笑顔のまま応じる。 「見逃しては……もらえなさそうね。」 「ええ、それはできない相談ですね。」 なぜなら、と江美里は背筋を伸ばし、手を後ろに組んで宣言した。 「『抵抗する場合は強制的に当該対象の有機情報連結を解除せよ』と言い渡されていますから。」 「なるほど。『抜け忍』の抹殺命令自体は想定の範囲内だけど、まさか穏健派のあなたが実行役とはね。」 「今のわたしは、長門さんのいわば『お目付け役』。ですから、長門さんの任務代行であるあなたに対しても、当然に監督権限は及ぶと解されます。それに長門さんには……『荷が重い』でしょうしね。」 「情報統合思念体も、少しはヒトの心の機微が分かるようになったんだ。感心感心。……できればもうちょっと早く、それぐらいは成長してほしかったんだけどな。」 涼子は眉尻を下げて嘆息した。 「わたしに対しては、未だに扱いが悪いままなのよね。あーあ、やっぱりわたしは『いらない子』だったかぁ。そりゃ確かに意にそぐわない事をしたかもしれないけど、それなりに貢献もしたと思うんだけどな。」 涼子は、やれやれ、と肩をすくめた。 「それじゃあ、ターミネーター喜緑さんに質問。あなたにとって、強制有機情報連結解除を実行するほどの『抵抗』って、定義は何なのかしら。」 「そうですね。端的に言えば、わたしに攻撃することでしょうか。」 涼子はニヤリと、 「ということは、喜緑さん的には、あなたに危害を加えようとしない限り、積極的に強制有機情報連結解除を実行する要件を満たさないと解釈して差し支えないかしら。」 「定義から言うと、そのように解釈して差し支えありません。」 「じゃあさ、例えばの話だけど。ここでわたしが、何か突拍子もないことを始めても、喜緑さんに攻撃しない限り、あなたはそれを邪魔する理由はないということで良いわね?」 「恐らくその場合は、変更命令が下されて、何らかの行動を起こすことになるでしょう。しかし、それでも行動開始までには少し時間が掛かるでしょうけれど。」 「……なるほど。予想通りの回答ありがとう。」 「どういたしまして。」 二人は、何かを確認し合うかのように視線を交わらせた。 「後はよろしく。じゃあね。」 涼子は欄干から一歩踏み出した。 真っ暗な水面目掛けて落ちていく涼子。江美里は動かない。わたしが何とかしなければ。 ……何とか? 一体何をしようというのか。 たとえここで涼子を上に引き上げたとしても、彼女の有機情報連結解除は既定事項。時期が早いか遅いかだけの違いしかない。それでもわたしは何かをしようというのか。何を? 分からない。皆目分からない。 その時、江美里が動いた。 「強制コード受領。 Auto-execution Mode... KILL /ALL SELECT シリアルコード FROM データベース WHERE コードデータ ORDER BY 攻性情報戦闘 HAVING ターミネートモード パーソナルネーム朝倉涼子を反乱分子と判定。当該対象の有機情報連結を解除する。」 『物騒な』コマンドラインスイッチと共に、江美里の口から有機情報連結解除のコードが紡がれる。 その時わたしは、違和感を覚えた。なぜ情報統合思念体は、涼子をここまで目の敵にするのだろうか。所詮は涼子も、情報統合思念体にとっては一端末に過ぎないはず。それはもちろんわたしにも、江美里にも言えること。なのになぜ、涼子だけをこうも執拗に付け狙うのだろうか。 涼子がまた独断専行しようとしていたから? そのような些事、捨て置けば良いはず。たかが一端末に、何ができると言うのか。 確かにわたしは、一端末でありながら、一度は情報統合思念体を消滅させた。でもそれはハルヒの能力を掠め取って利用しただけ。わたし自身の能力ではない。情報統合思念体との接続を断絶してしまえば、たちまち端末は無力化する。なのに、なぜ。 一端末に過ぎないわたしには、情報統合思念体の考えがすべて分かるわけではない。ないが。違和感が拭い去れない。何かが引っ掛かる。 接続を断絶できない理由があった? 断絶して困ること……端末の動向を把握できない? 確かにそう。それはもはや『端末』ではない。……まさか。 涼子が端末でなくなることが困る? 涼子の『変容』を恐れている? ……恐れる? 情報統合思念体が? 一端末を? ありえない。ナンセンス。 「朝倉涼子の有機情報連結の解除を確認。効果空間内、残存反応なし。」 江美里の声が響く。わたしは黙って、暗い水面を見つめていた。そこには何の痕跡も残ってはいなかった。水音こそしたものの、何も浮かんではこない。有機情報連結が解除され、何も残らないのだから当然。 「Mode Release...」 江美里が通常動作に復帰した。 「こういう時、人間は……やはりこうするのでしょうね。」 わたしの後ろに回ると、肩に手を置いた。 「わたしの胸で泣いても良いんですよ?」 そう言って優しく……とても優しく抱き締めてきた。 「わたしにそのような趣味はない。昨夜は状況に流されただけ。勘違いしないで。」 「嘘ばっかり。」 江美里は後ろからわたしの顔に頬を寄せた。 「わたしの頬に感じる、この熱くて冷たい水は何でしょうか。」 それは水じゃなくて、もっと寂しい粒。 「泣いてない。泣いてなどいない。」 「はいはい。」 よしよし、と頭を撫でられる。この感触、嫌いではない。 「わたしも長門さんと同じになりましたね。この手で、同胞である朝倉涼子を……」 江美里がわたしの耳元で囁く。 「でも心配はしてません。あなたも受け取ったのでしょう? 彼女の最期のメッセージを。」 有機情報連結が解除される瞬間、涼子からの通信。 『ここから、わたしの抵抗が始まるの……』 謎の言葉を残して、朝倉涼子は消滅した。 ←Report.19|目次|Report.21→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2671.html
Report.20 長門有希の憂鬱 その9 ~朝倉涼子の抵抗~ それから数日後。 朝倉涼子の辞令が内示された。正式な交付は任務引き継ぎ完了後。 ――長門有希任務代行解除 朝倉涼子 ――有機情報連結解除を命じる。 その週の金曜日。 朝のHRで、涼子が再びカナダに戻ることが発表された。クラスはどよめきに包まれた。涼子は、当初の予定通り日本での用事が済んだので、カナダに戻ることを説明した。つまり、そのような理由で姿を消すという設定。本当は、涼宮ハルヒの事後処置状況を見極めた上で、問題ないと情報統合思念体が判断したため。 涼子はその日の授業がすべて終了すると、帰りのHRで別れの挨拶を行った。挨拶を終えると、またいつでも日本に戻ってきて、顔を見せてほしいと級友達に声を掛けられた。 そしてハルヒは、こう宣言した。 「あんたは今日から我がSOS団の海外特派員や! 北米地域での不思議探索は任せたで!」 【あんたは今日から我がSOS団の海外特派員よ! 北米地域での不思議探索は任せたわ!】 団員ではない涼子を勝手に海外特派員に任命するあたり、実にハルヒらしい行動と言える。 こうして涼子は、クラスの誰からも、そして教師達からも惜しまれながら、北高を後にした。 恐らくはもう二度と足を踏み入れることはない、その場所を。 明けて土曜日、708号室にて。 「明日一日くらいは、余裕あるよね?」 涼子がわたしに言ってきた。任務の引き継ぎは、もうあとわずかで終了する。それが終われば涼子は……また有機情報連結が解除される。現状は、その最後の引き継ぎが遅滞していた。わたしも涼子も、未整理の膨大な情報の処理に手間取っていた。 ……嘘だ。本当の理由は分かっている。 引き継ぎを終えたくないのだ、わたしは。そして、多分涼子も。 この情報の引き継ぎを終えることが、最後の別れの時だとお互いに認識している。それが、嫌。 別れたくない。もっと一緒にいたい。 これは、端末にはありえない考え方。でも、わたし、いや、わたし達は、そのように考えている。人間達と共に過ごしたわたし達に芽生えた、人間のような考え方。今の状態を人間の言葉で表せば、『未練』という言葉が該当する。 わたしは言った。 「今のところ、最終期限は設定されていない。」 「せっかくだしさ、二人でお散歩でもしましょうよ。」 その行為に何の意味があるのか、とは問わない。以前のわたしなら問うていただろうが。わたしは黙って首肯した。 その日の夕食は、わたし達が台所で一緒に作ることにした。 「カレー缶は十分にある。」 「ダメよ、レトルト食品ばっかりじゃ。たまにでも良いから、ちゃんと作らなきゃ。」 「…………」 「食べ物に気を遣うのも、人間にとっては重要な行動なんだから。」 爛れた私生活を送るわたしと、それを窘める涼子。 いつの間にか、かつてわたしが暴走して世界を改変した時のような関係になっていた。 「といっても、冷蔵庫にはキャベツしかないのね……どうしたものかしら。」 涼子は顎に手を当てて考え込んでいた。もとよりわたしは、わざわざ食材から料理を作るという生活は送っていない。諦めるべき。 その時、何の前触れもなく玄関のドアが開いた。このようなことができる者は、限られている。 「勝手にお邪魔しますね。お困りかと思いまして。」 喜緑江美里が、両手に買い物袋を提げて入ってきた。 「どうしたの、こんなにたくさん!?」 「夕食の支度を始める時間ですが、長門さんのことだから、食材の買い置きがないだろうと思って、調達してきました。」 二人は手際よく、食材を仕分け始めた。二人とも楽しそうに見える。江美里はこのような性格設定だっただろうか。 「漫画でも、料理は学べるんですよ?」 結局、三人でそれぞれ料理を分担することになった。 「このキャベツを活用しましょう。」 江美里は回鍋肉。 「今炊けてるごはんは、冷凍した方がおいしさ長持ちね。」 涼子は炊飯器を使っておでん。 わたしはカレー…… 『阻止。』 ……これにはわたしも苦笑い……はしない。それにしてもこのインターフェイス達、ノリノリである。 「わたしも手は空いてるし、一緒に何か作りましょ。」 協議の結局、わたしと涼子は、ひじき豆と、わかめともやしのスープを作ることになった。調理開始。 ひじきとわかめを水で戻す。増えていくわかめ。なんとなく江美里の方を見てみた。 「……長門さん? その視線にはどういう意味があるのでしょうか?」 江美里は笑顔を若干引きつらせながら言った。他意はない。ないが。視線が江美里の方向……主に頭部に向かうことを抑制できない。 その時、江美里の手が動いた、ように見えた。情報操…… 「くしゅん!」 間に合わなかった。江美里の手には、胡椒の瓶が握られていた。 「あ~ら~、ごめんあそばせ。おほほほ。」 顔は笑っているが、額に『怒りの四つ角』が出ているのを、わたしは見逃さなかった。 「い~え~、これは下味を付けるためであって、決して他意はございませんことよ。」 「……二人とも食べ物で遊ばないの。」 やれやれといった面持ちで、涼子が窘めた。鼻の穴に丸めたキッチンペーパーを詰めているので、少しも様になっていないが。 「玉葱が目にしみるのには、これが一番手軽で効果的な対策なのよ。」 まな板には微塵切りにされた玉葱の姿が認められた……もはや何も言うまい。 インターフェイス三人娘の、賑やかな台所。 わたしはかつてSOS団の女性陣三人で夜通し、手作りチョコレートケーキを作った時のことを思い出していた。あれは『楽しい』出来事だった。 三人で手際よく調理に勤しむことしばし。 「なかなかの出来栄えじゃない?」 和・洋・中と、この国で食される代表的な分類の料理が食卓に供された。三人揃って、 『いただきます。』 人間に紛れて怪しまれずに生活するために身に付けさせられた、人間風の生活習慣。人間との接触が極度に少ないわたしは、無用なものと考え、早々にしなくなったが、彼女達は続けていたらしい。 「こら、そんな機械的に食べちゃ変でしょ!?」 「ふふふ、そんなに慌てなくても、料理は逃げませんよ。」 妹の世話を焼く、タイプの違う姉二人。人間の目にはそのように見えるだろうか。あの改変世界のわたしの周囲に江美里はいなかったが、もしいたら、今のような光景が展開されていたのかもしれない。 いつもより『美味しい』食事を終え、各自お茶を飲みながら思い思いの格好でくつろぐ。この行為もまた、インターフェイスの行動には何ら影響を及ぼさない。 「だめよ長門さん。そういう些細なところも正確に踏まえないと、正確な観測とは言えないわ。」 「そうですよ。人間達の間で有名な、パーソナルネーム黒澤明という映画監督は、撮影の際は、画面に映らないタンスの中身まで精密に時代考証をして設置するほどの徹底ぶりだったそうですから。」 ……江美里の解説は、的を射ているのかいないのかよく分からない。恐らく、人間である涼宮ハルヒの観測をするのなら、自らも人間と同じ生活をして、人間の行動を体感する必要がある、という趣旨だと認識した。 「そのためには、見えない所まで手を抜かないことが大切なんです。」 横では、涼子が頷いていた。 休憩が終わったら、後片付け。使用した食器を洗浄する。調理器具は、ある有名な料理人のように、調理中にすべて洗浄が完了している。 「それじゃ、わたしはこれで。」 洗い物を済ませると、江美里は帰っていった。帰り際に、 「……ごゆっくり。」 という謎の言葉を残して。 涼子はわたしの部屋に泊まることになった。今までは江美里の部屋で過ごしていたのに。 ………… ……… …… … 翌朝。 どこまでも晴れ渡る空、眩しく差し込む朝日に照らされて、わたしは涼子の腕の中で目を覚ました。 「…………」 また状況に流されてしまった。懲りていない。反省。 一頻り反省した後、周囲の状況を改めて確認してみる。わたしは涼子の腕枕で寝ている状態。お互いに全裸。至近距離に涼子の寝顔がある。しばらく涼子の寝顔を眺める。起きない。 寝顔を眺めていると、あることを思い出した。ハルヒがわたしの寝顔を眺めていて、したこと。わたしは涼子の顔に自分の顔を近付ける。規則正しい寝息。やはり起きない。わたしは実行した。 涼子への口付け。ハルヒが行っていたことをエミュレートしただけ。……他意はない。 だが行為はそこで終わらなかった。突然、わたしの頭が両手で固定された。わたしの口に侵入してくる舌。わたしはすっかり口中を蹂躙されてしまった。 「んふ。おはよう、長門さん。朝から積極的ね。」 小悪魔のような笑顔を浮かべた涼子の顔がそこにあった。 「……ごちそうさま。」 この台詞は、わたしのせめてもの抵抗。無駄な抵抗であることは分かっている。 「きゃー、食べられちゃったー♪ 長門さんのえっちー♪」 この通り、有効打撃にはならなかった。むしろ重いカウンターを食らった気さえする。 このままの体勢でいると、またハルヒの時の二の舞になってしまう。 わたしは無言で布団から出て、下着を身に着けると洗面所に向かった。人間の言葉で言うところの『情事の跡』を消すために。……いわゆる『キスマーク』だけでなく、『歯型』まで付いているのはいかがなものかと思う。 わたしが洗面所から出ると、涼子は台所で朝食を準備していた。裸にエプロンだけを着けて。 「朝ごはんは、昨日の残り物を活用するわね。」 その服装には何の意味があるのだろうか。 「うふふ。これで長門さんを、の・う・さ・つ♪」 そう言って腰をくねらせる涼子。……わたしを何だと思っているのだろうか。 「きゃー、長門さん、鼻血、鼻血ー!」 ……最近、実感したことがある。 すなわち、『身体は正直である』と。 涼子による、『はい、長門さん、あーん。』などの攻撃を受けつつの朝食も終わり、わたし達は出掛けた。 涼子がする取り留めのない話を聞きながら、わたし達はこの街を歩き回った。不思議探索で歩き回った街。そして、わたし達の唯一の……『思い出』と呼べるものがある、この街を。 街を歩きつつ、買い物をするなどして、わたし達はずっと一緒に行動した。こんなに長い時間、涼子と行動を共にしたのは初めて。 とある雑貨屋の前で、涼子が足を止めた。 「長門さんも、アクセサリーとか身に着けた方が良いんじゃない?」 わたしは雑貨屋の窓から見える棚に並ぶ、安いアクセサリー類を眺めながら答えた。 「アクセサリーは校則違反。」 「……別に学校に着けて行けっていう意味じゃなくて。」 「涼宮ハルヒは、わたしがアクセサリーを身に着けた姿を望んでいないと思われる。」 涼子は溜め息をついた。 「分かってないなぁ、長門さんは。普段飾り気のない娘がさりげなくおしゃれしてる姿は、いわゆる一つの『萌え要素』なのに。」 「涼宮ハルヒの中で、『萌え』という概念は朝比奈みくるの担当。」 わたしは素っ気なく答えた。涼子が苦笑する。 「わたしはそうじゃないと思うんだけどな……。ま、いいわ。せっかくだし、覘(のぞ)いていきましょ。」 涼子はわたしの手を握ると、店に入っていった。 店内には様々な商品が陳列されている。客の九割は女性だった。人間の女性は、このような店舗を好む傾向にあると観測資料にはある。しかしわたしは、見た目こそ女性に設定されてはいるが、あくまで観測者。そのような趣向を理解することはできない。 だから、今、目の前で涼子が、 「あーなたーも~♪ わーたしーも~♪ んーんん~♪ んーんーんーんーん~♪」 鼻歌を歌いながら、とても楽しそうに商品を物色している姿もまた理解できない。 「長門さんは、こういうのに興味は……全くないみたいね。」 「素材も造形も、すべてが甘い。端的に表現すれば『安っぽい』。」 「まあ、ここは基本的にそんな高級品を扱うお店じゃないからね。」 「わたしには、これらの商品の価値が理解できない。」 「……雑貨屋に連れてこられた男のコみたいな台詞よ、それ。」 涼子は苦笑しつつも、一人で店内を隈なく歩き回った。 やがて店内をすべて見終わった涼子が、ある一角で手を振りながらわたしを呼んだ。 「長門さん、ちょぉこっち来てー。長門さんにぴったりのモノ、見付けたでー。」 【長門さん、ちょっとこっち来てー。長門さんにぴったりのもの、見付けたわー。】 実に嬉しそうに手招きする涼子の元へ向かう。そこは主に文房具を陳列してある場所だった。 「ほら、これ。」 涼子の指差す方を見る。そこには『ブックマーカー』、つまり『栞』が並べられていた。 「長門さんは、大の読書好きだもんね。だから、こういうのはどうかなと思って。」 「栞なら、書籍を購入すれば付いてくる。」 「そういう味も素っ気もないものじゃなくて、ずっと使い続けるようなものよ。」 「栞を使用する機会は滅多にない。」 『彼』にメッセージを伝える時ぐらい。 「……まあ、あの読む速度じゃ、読みかけになることは滅多にないでしょうね。」 涼子は栞を物色しながら、 「でも、人間の行動原理は、単なる実用性以外の部分にも、大切な要素があるのよ。例えば……ほら。」 そう言って、ある栞を手にとってわたしに見せた。 「透明な容器に金魚や蛙の形をした物が入ってて、透明な液体で満たされてるの。傾けると、ほら、こういうふうに、中の物がまるで泳いでるようにゆっくり動くのよ。面白いでしょ?」 「ユニーク。」 「それとか、ほら、これなんか、クリップ型なんだけど、掌の形をしてるのよ。それで、実際に本に挟むと、こう、まるでページを手で押さえてるように見えるの。」 他にも、どこかの美術館が建築物の意匠を再現したものや、宝石やベネチアングラスで装飾した華麗なもの、遊ぶ子供をデフォルメした形、着物の布地を使ったものなど、意匠も素材も様々な栞が並んでいる。 「確かに『ページを示す』という目的を果たすだけなら、買った時に付いてくる栞や付箋とか、極端な話、それこそいらない紙の切れ端でも良いわけよ。何だったら、ページの端を少し折り曲げても良いんだし。」 『ドッグイヤー』や『キャットイヤー』と呼称される方法。 「でも、人間はそれを良しとはしなかった。」 様々な工夫を凝らした栞が現にここにある。これでも、この地上に存在する様々な栞の、ごく一部なのだろう。 わたしは楽譜を模った栞を手に取りながら、涼子の話を聞いていた。 「目的達成には関係しない、端的に表現すれば『無駄』な部分。無駄であるにも関わらず、人間はしばしばこのような部分を重視し、わたし達では考えられないほど熱心に、工夫することに情熱を傾けることがある。こういうのを、人間は『ゆとり』とか『遊び心』と表現するわ。」 涼子は遠い目をした。 「……わたし達は、これを『ノイズ』として処理するんだけどね。」 ノイズ。 わたし達にとってそれは、不要なもの、目的達成のための障害として認識される。 しかし、人間は違う。人間はそれを、好意的に捉える。その充実に情熱を注ぐ。 もしかしたら、そのような『空き領域』……『マージン』の存在が、人間を人間たらしめる要素なのかもしれない。 「そんな人間の遊び心を知ってもらうために、長門さんには、こういうものにも触れてほしかった。」 そう言って涼子は、 「だから、わたしはこれを長門さんに贈ろうと思うの。」 と、わたしにある栞を示した。それは紐を主体とした栞で、紐の両端に小さな『本』と『眼鏡』を模った飾りが付いていた。その『本』は革の表紙が再現されており、その『眼鏡』にはプラスチック製のレンズが入っていた。どちらの飾りも、かなり精巧に作られている。人間の言葉で言うと、『いい仕事』をしている。 「本に挟む栞が、本と眼鏡なの。ユニークでしょ?」 わたしは肯いた。確かにユニーク。 「気に入ってもらえたかしら。でもね、これを選んだ理由は、それだけじゃないのよ。」 涼子はわたしに向き合うと、わたしの顔に両手を添えて、わたしの顔をじっと見つめながら言った。 「これが、『わたしが見ていた頃』の長門さんの姿を象徴するもの。」 ハッとした。 わたしが眼鏡を掛けなくなったのは、正に涼子が消滅した時のこと。 涼子の有機情報連結を解除した後、わたしは教室の物品を再構成して、空間封鎖を解除した。しかし、戦闘のダメージが残っていたのだろう。わたしは、戦闘によって亡失した眼鏡の再構成を忘れた。すぐに気が付き再構成しようとしたが、結局再構成はしなかった。なぜなら、『彼』が「眼鏡がない方が良い」と言ったから。 そう。 わたしが眼鏡を掛けなくなった直接のきっかけは、『彼』の言葉。でも、その『彼』がその言葉を口にした出来事のそもそもの発端は、わたしと涼子との戦闘だった。『彼』を殺害し、涼宮ハルヒの出方を見る、という涼子と、『彼』を保護し、涼宮ハルヒの環境を守る、というわたしとの。 そして涼子は、それ以降わたしの姿、すなわち眼鏡を掛けていない姿を見ていない。 戦闘中に眼鏡を失った時、わたしは涼子に背を向けていた。そしてあの改変世界でも、わたしは眼鏡を掛けていた。 もし涼子が、眼鏡を掛けていないわたしの姿を見ていたとすれば、それはわたしが涼子の有機情報連結を解除する時以外にない。 ……人間の言葉で言えば、眼鏡を掛けていないわたしの姿は、わたしが涼子を『殺す』瞬間の姿。涼子にとって、最期に見た光景。 「わたしの中では、普段の長門さんは眼鏡を掛けた姿だった。だから、わたしが再構成され、そして長門さんも再構成されて再会した時、長門さんが眼鏡を掛けてない姿を見て少し……そう、『感慨深かった』。もちろん、情報として事前に知ってはいたわ。でもね、やっぱり他所から伝えられる情報と、実際に自分の目で見て経験する現実とは違う。」 涼子にとって、眼鏡を掛けていないわたしは戦闘状態、それも涼子を『消す』時の姿。 わたしは、ふと思った。そんなわたしの姿を、今まで涼子はどんな思いで見ていたのだろうか、と。 「…………」 涼子はわたしの顔を、慈しむように撫で回していたが、名残惜しそうに手を離した。そして本と眼鏡の栞を二つ手に取ると、レジに持って行った。 「両方ともプレゼント包装、お願いします。」 涼子は、わたしと涼子の分、二つの栞を購入した。 雑貨屋を出ると、涼子は今買ったばかりの栞を一つ、わたしに手渡した。 「二人でお揃いね。」 ――もう、二つ買っても意味がないのに―― この言葉は言えなかった。言いたくなかったから。 その後もあちこち散策したわたし達は、海辺に来ていた。 「今になって思うの。わたしは、何だかんだ言って、『人間』としての生活を楽しんでたんだなって。」 既に日没を迎え、辺りは夜の帳(とばり)が下り始めている。 「知ってた? ここって、夜景のきれいな場所なのよ。」 西宮大橋。 歩道には展望スペースとベンチが設けられていて、夜景を楽しむ設備が整っている。 「本格的な夜景も良いけど、わたしはこの日没後すぐ、まだ明るさが残ってて照明も点いてる、そういう時間帯の景色が好きなの。昼でもなく、夜でもない、昼と夜の狭間……」 涼子はわたしに向き合い、言葉を続けた。 「人間でも人形でもない、生物と機械の狭間……今のわたし達みたいだと思わない?」 ドキリとした。 『驚く』という行為自体、端末としてはおかしな動作の部類に入るが、わたしは驚いた。こんなにも的確に、わたしが考えていることを指摘されたこと。そして、『わたし達』と言われたこと。 つまり、涼子もまた、わたしと同じ考えであるということ。 「…………」 わたしは沈黙した。言葉を発しないのは普段通り。それだけではなく、通信でも沈黙した。 「ふふ、驚いてるみたいね。まあ、無理もないけど。」 涼子はわたしから視線を外し、夜景の方を向いた。 「わたしはね、人間で言えばたった三歳。なのに、もう『死』を経験してる。」 涼子の意識の上では何回になるか分からないが、いずれにしても『死』に至らしめたのはわたし。 「人間の三歳って、ちょうど『第一反抗期』に当たるんですって。つまり、『自我』が芽生える時期ってこと。自我が芽生えて、親の言うことに反発したくなる年頃。」 涼子はニヤリと笑った。 「あの冬。長門さんが『コト』を起こした頃も、やっぱり三歳ぐらいよね。」 涼子の意識の上でも、あの事件はあったことになっているのか。だがそれよりも。 「何が言いたいの。」 涼子は満面の笑みで言い放った。 「つまり、あなたもわたしも、反抗期にすることがあるっていうこと。」 反抗期の行動……『親』への反抗。わたしは、『親』を『殺し』た。情報統合思念体の存在を一時的にとはいえ、消滅させた。 「わたしは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス。生きる自由も、死ぬ自由さえも与えられてはいない。生殺与奪の権限は、情報統合思念体が握っている。」 涼子は胸の前で両手を組んだ。それは人間のする『祈り』の姿に似ていた。 「それでも、わたしは反抗してみたい。せめて消え方くらい、自分で選んでみたい。」 何を言っているのか理解できない。 「わたしは、インターフェイスとして消滅するんじゃなく、ヒトとして死んでやるの。」 分からない。理解不能。エラー。 「何でもかんでも情報統合思念体の意のままっていうのは、もうまっぴらなのよ。」 「……何を、言っているの。」 「これはわたしの……ささやかな、『反抗』。」 そう言うと涼子は、欄干に飛び乗った。 わたしは身動きが取れないでいた。どうして良いか分からなかったから。 「……さすがに感付かれたか。」 涼子の視線を追って振り返ると、江美里がいた。 「また独断専行ですか? いい加減にしてほしいですね。」 江美里は微笑を浮かべたまま。涼子も笑顔のまま応じる。 「見逃しては……もらえなさそうね。」 「ええ、それはできない相談ですね。」 なぜなら、と江美里は背筋を伸ばし、手を後ろに組んで宣言した。 「『抵抗する場合は強制的に当該対象の有機情報連結を解除せよ』と言い渡されていますから。」 「なるほど。『抜け忍』の抹殺命令自体は想定の範囲内だけど、まさか穏健派のあなたが実行役とはね。」 「今のわたしは、長門さんのいわば『お目付け役』。ですから、長門さんの任務代行であるあなたに対しても、当然に監督権限は及ぶと解されます。それに長門さんには……『荷が重い』でしょうしね。」 「情報統合思念体も、少しはヒトの心の機微が分かるようになったんだ。感心感心。……できればもうちょっと早く、それぐらいは成長してほしかったんだけどな。」 涼子は眉尻を下げて嘆息した。 「わたしに対しては、未だに扱いが悪いままなのよね。あーあ、やっぱりわたしは『いらない子』だったかぁ。そりゃ確かに意にそぐわない事をしたかもしれないけど、それなりに貢献もしたと思うんだけどな。」 涼子は、やれやれ、と肩をすくめた。 「それじゃあ、ターミネーター喜緑さんに質問。あなたにとって、強制有機情報連結解除を実行するほどの『抵抗』って、定義は何なのかしら。」 「そうですね。端的に言えば、わたしに攻撃することでしょうか。」 涼子はニヤリと、 「ということは、喜緑さん的には、あなたに危害を加えようとしない限り、積極的に強制有機情報連結解除を実行する要件を満たさないと解釈して差し支えないかしら。」 「定義から言うと、そのように解釈して差し支えありません。」 「じゃあさ、例えばの話だけど。ここでわたしが、何か突拍子もないことを始めても、喜緑さんに攻撃しない限り、あなたはそれを邪魔する理由はないということで良いわね?」 「恐らくその場合は、変更命令が下されて、何らかの行動を起こすことになるでしょう。しかし、それでも行動開始までには少し時間が掛かるでしょうけれど。」 「……なるほど。予想通りの回答ありがとう。」 「どういたしまして。」 二人は、何かを確認し合うかのように視線を交わらせた。 「後はよろしく。じゃあね。」 涼子は欄干から一歩踏み出した。 真っ暗な水面目掛けて落ちていく涼子。江美里は動かない。わたしが何とかしなければ。 ……何とか? 一体何をしようというのか。 たとえここで涼子を上に引き上げたとしても、彼女の有機情報連結解除は既定事項。時期が早いか遅いかだけの違いしかない。それでもわたしは何かをしようというのか。何を? 分からない。皆目分からない。 その時、江美里が動いた。 「強制コード受領。 Auto-execution Mode... KILL /ALL SELECT シリアルコード FROM データベース WHERE コードデータ ORDER BY 攻性情報戦闘 HAVING ターミネートモード パーソナルネーム朝倉涼子を反乱分子と判定。当該対象の有機情報連結を解除する。」 『物騒な』コマンドラインスイッチと共に、江美里の口から有機情報連結解除のコードが紡がれる。 その時わたしは、違和感を覚えた。なぜ情報統合思念体は、涼子をここまで目の敵にするのだろうか。所詮は涼子も、情報統合思念体にとっては一端末に過ぎないはず。それはもちろんわたしにも、江美里にも言えること。なのになぜ、涼子だけをこうも執拗に付け狙うのだろうか。 涼子がまた独断専行しようとしていたから? そのような些事、捨て置けば良いはず。たかが一端末に、何ができると言うのか。 確かにわたしは、一端末でありながら、一度は情報統合思念体を消滅させた。でもそれはハルヒの能力を掠め取って利用しただけ。わたし自身の能力ではない。情報統合思念体との接続を断絶してしまえば、たちまち端末は無力化する。なのに、なぜ。 一端末に過ぎないわたしには、情報統合思念体の考えがすべて分かるわけではない。ないが。違和感が拭い去れない。何かが引っ掛かる。 接続を断絶できない理由があった? 断絶して困ること……端末の動向を把握できない? 確かにそう。それはもはや『端末』ではない。……まさか。 涼子が端末でなくなることが困る? 涼子の『変容』を恐れている? ……恐れる? 情報統合思念体が? 一端末を? ありえない。ナンセンス。 「朝倉涼子の有機情報連結の解除を確認。効果空間内、残存反応なし。」 江美里の声が響く。わたしは黙って、暗い水面を見つめていた。そこには何の痕跡も残ってはいなかった。水音こそしたものの、何も浮かんではこない。有機情報連結が解除され、何も残らないのだから当然。 「Mode Release...」 江美里が通常動作に復帰した。 「こういう時、人間は……やはりこうするのでしょうね。」 わたしの後ろに回ると、肩に手を置いた。 「わたしの胸で泣いても良いんですよ?」 そう言って優しく……とても優しく抱き締めてきた。 「わたしにそのような趣味はない。昨夜は状況に流されただけ。勘違いしないで。」 「嘘ばっかり。」 江美里は後ろからわたしの顔に頬を寄せた。 「わたしの頬に感じる、この熱くて冷たい水は何でしょうか。」 それは水じゃなくて、もっと寂しい粒。 「泣いてない。泣いてなどいない。」 「はいはい。」 よしよし、と頭を撫でられる。この感触、嫌いではない。 「わたしも長門さんと同じになりましたね。この手で、同胞である朝倉涼子を……」 江美里がわたしの耳元で囁く。 「でも心配はしてません。あなたも受け取ったのでしょう? 彼女の最期のメッセージを。」 有機情報連結が解除される瞬間、涼子からの通信。 『ここから、わたしの抵抗が始まるの……』 謎の言葉を残して、朝倉涼子は消滅した。 ←Report.19|目次|Report.21→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5236.html
二 章 Illustration どこここ 「……起きて」 長門の声で目が覚めた。 「おう、おはよう」 俺はこめかみを抑えた。自分の声が頭にガンガン響く。長門が二日酔い用の薬と水を持ってきてくれた。 「すまんな……」 俺は頭をかきむしりながら起き上がり顔を洗いにシンクに向かった。リビングの壁にかかった自分のスーツを見て、言うべきことを思い出した。 「長門、昨日はすまん。俺どうやってここまで来たんだ?まったく覚えてないんだが」 「……午前一時に、電話があった」 「それで俺、なにか言ってた?」 「……意味消失していたが、昔好意を抱いていた女性の話」 ま、まじか。そんなたわけ話をしたのか俺は。 「そ、それから?」 「……会話の途中で意識を失った。わたしが迎えに行った」 長門に抱えられてここまで来たのか。マンションの七階まで。なんて野郎だ。 「あの、俺、なんか変なこといたしました?」 妙に壊れた敬語だが、聞くのも怖い。 「……なにも。そのまま眠った」 よかった。長門の表情をもう一度探ってみたが、どうやら本当のようだ。 「あのさ、俺が酔って変なことしようとしたらブン殴ってくれ。気絶させてもいいから」 「……分かった」 まじめにうなずいた長門はちょっと怖かった。北高の教室で朝倉と戦ったとき長門に蹴飛ばされた、あの脚力を思い出した。しばらく酒は飲まないことにしよう。 顔を洗って鏡を見るが、ふつーのいつもの俺だった。顔色は悪いが。 「あの、長門?」 「……なに」 「このペアのパジャマいつ買ったんだ?」 「……むかし」 長門はそれしか答えず、少しだけ微笑した。かなり前ってことは確かだな。 「シャワー借りていいか」 「……いい。バスタオルを用意しておく」 熱めのお湯を頭からかぶった。これで酒が抜けてくれると助かるんだが、昨日いったいどれだけ飲んだんだ。 浴室の壁にもたれてシャワーの熱をむさぼっていると、少しずつ脳が目覚めた。泡が体を伝って排水口に流れていく。この浴室も、使うのは実は今日が初めてだったりする。 ── ここが、 昨日、鏡の中の野郎が言ったことのそこから先が思い出せない。浴室を出ると棚にバスタオルが置いてあった。その横にカミソリとヒゲ剃り用の泡があった。泡を搾り出して顔に塗った。 なにか分からない、微妙な違和感があった。鏡を見ながら思った。これがいつもの自宅の鏡ならなんでもなかっただろう。横で妹がドライヤをかけていたり足元をシャミセンがうろついて踏んづけそうになったり。だがここは長門の家なのだ。俺は戸惑っていた。神聖にして不可侵な長門空間でヒゲなんか剃っている、ということに。 「あ、痛て」カミソリが横滑りしちまった。 「さっぱりした。ありがとよ」 キッチンをのぞくと、あろうことか長門が……あろうことか長門が……割烹着を着て朝飯を作っていた。その格好はいったいなんなんだと言おうとしたが、振り向いた長門があまりに似合っていたのでドキリとした。こんな朝っぱらからときめいたりして俺も若いよな。 「その割烹着、に、似合うと思うけど」 「……ありがとう」 手ぬぐいを姉さんかぶりにして、おばあちゃんがやるような格好で味噌汁の味を見ている。 「……味、見て」 小皿にダシを注いだ。俺は受け取ってすすった。 「うん。いいんじゃないか?」 俺の推測だが、長門は俺の好みをずっと研究しているようだ。味噌汁の分子構成がどうなっているかは知らないが、長門の作る有機物およびミネラルの化学的配合比は完璧に近い。 それにしても楽しそうだな。ミリ単位で違わぬ長さで刻まれるネギの音がどことなくリズミカルなのは気のせいではあるまい。 「……うん、楽しい」 あうっ、いかん。振り向いた長門の表情にまた萌えた。 味噌汁と卵焼き、焼き魚の純日本の健康的な朝飯が整った。俺と長門は正座して慎ましやかに食卓を囲んだ。長門は茶碗に山のように丸くご飯をよそって俺にくれた。 「……食べて」 「いただきます」 二人は手を合わせていただきますを言った。まずは、青ネギがたっぷり浮かんだ甘味のある白味噌の味噌汁。 「味噌汁がうまいな」 「……そう」 二日酔いの朝には味噌汁がいい。長門はご飯の山を切り崩しながらもくもくと食った。テーブルには箸立てと醤油挿しが並び、窓から射してくる朝日が、二人のお碗からゆっくりと立ち上る湯気を照らしていた。こうして長門と朝の食卓を囲んでいると、ここがまるで──。 「……どうしたの」 「い、いや、なんでもない」 ここがまるで、俺の居るべき場所のようじゃないか。 たいして汚れてないんでいちいち着替えに帰ることもなかろうと、俺は昨日のシャツのまま出社した。昨日電話しそこなったので今朝になって自宅に連絡を入れておいた。飲み会だったんで友達んちに泊まったとごまかしたのだが、妹が邪推して女の人んちでしょ~と歌うようにからかって俺はしどろもどろに否定してしまった。 マンションを出て長門と並んで歩いた。こうやって隣に長門がいるのはいつもならデートなのだが、今日は同伴出勤だ。電車は通勤客でごった返していた。ひとり分空いている席に長門を座らせた。 「……ありがとう」 「いいって。今日は大学はいいのか」 「……学会発表が終わったから、しばらくはいい」 かけもちでご苦労だな。そのうち海外出張とかもあるんだろうけど、博士論文が終わるまではできるだけ支援してやらないとな。 事務所があるビルに入るとき、長門と二人で出社しているところを誰かに見られないかと気になった。別にやましいところがあるわけじゃないんだが、「俺たち同伴です」みたいなところを見咎められたくないような。 長門と付き合い始めた頃にこそこそ隠れたりしてハルヒに怒られたことがあったんだが、かといって堂々と今そこで会いました的な偶然を装って入るのもどうかと。そんな俺の気持ちを察してかどうか、長門は、 「……先に行って」 「分かった」 ああ、内心ほっとしている自分が情けない。 「おっはよ」 「おう。おはよう」 この社長はいつもニワトリ並みに出社が早い。俺が遅刻すると全員にお茶をおごる規則だけはここ八年間変わることがない。後から長門が入ってきた。 「……出社した」 「おっはよ有希、ちょっと待ちなさい二人とも」 「……」 「あんたたち、今日はなんか変ね」 「な、なにがだ」 ハルヒは鼻先をくんくんと俺の顔やらスーツやらに近づけた。 「あんた昨日家に帰ってないでしょ」 な、なんで分かったんすか。 「しかも、シャワー浴びて朝ご飯まで食べてきたわね。そうでしょ、有希」 その鼻は警察犬から移植でもしたんですか。俺と長門は顔を真っ赤にして目をそらした。ハルヒはケラケラと笑った。 「ふーん。お熱いことねぇ」 「い、いや。昨日は酔っててだな。目が覚めたら長門んちにいたんだ」 「ふーん」 「眠ってたから何もなかったんだから」 「あんたなに慌ててんのよ。あたし何も言ってないでしょ。キヒヒヒ」 ううっ。これをネタにしばらくおもちゃにされそうだ。 「あんたたち、いっそのこと一緒に住んじゃえばいいのに」 「お前ったら突然なにを言い出すんですか」 俺は動転している。限りなく動転している。 「家も職場も近いし簡単じゃないの。同棲よ同棲」 「いきなりそう言われてもな」 考えたこともなかったが俺ってウブなのか。俺は長門を見た。長門の表情は、なにかを期待しているような、でもあからさまには言い出したくないような、微妙なところだった。 俺は「それもいいかもしれんな。考えとこう」などと、適当にお茶を濁すような返事をした。たまに泊まってるうちに荷物が少しずつ増えて、なし崩し的に一緒に住んでたりしそうだな。自然発生的でいいかもしれん、なんて甘いことを考えているとハルヒに釘をさされた。 「ただし、ちゃんと相手のご両親に挨拶に行くのよ。隠れてこそこそやっちゃだめよ」 「わ、分かった」 すべてお見通しだった。 古泉と昼飯を食った。 「ハルヒが俺に同棲しろと言うんだが」 「ええっ、あなたと涼宮さんがですか!?」 「俺と長門がだよ」 「考えたらそうですね。失敬しました」 古泉、自分の立場が分かってないだろ。 「まさかないとは思うが、お前同棲した経験は、」 「残念ながら僕にはありませんね」俺が最後まで言い終えないうちに言葉を継いだ。 「じゃあその、未経験ながらどう思う?」 「よろしいんじゃないですか、二人とも大人ですし。自分のすることに責任は取れるはずです」 最近じゃ、ちゃんと責任が取れる大人がどれだけいるかあやしいもんだがな。 「予行演習と思えばいいでしょう」 「な、何の予行演習だ?」 古泉の発した次の言葉が、古代中国宮廷の銅鑼ような音色で俺の脳内に響き渡った。 「結婚ですよ。そのご予定なんでしょう?」 ううっ。考えてもみなかったと言えば嘘になる。ちゃんと計画的に検討していたと言えばそれも嘘になる。いつかはちゃんと考えるつもりだったと言うともっと嘘になる。 俺はいつだって曖昧なのだ。周りが動いているうちはなんとかなると思っている。試験までの残りの日々を数えつつ、まだ大丈夫、まだ大丈夫だと自分を安心させて過ごす。可能な限りのモラトリアムな日々、それが俺の人生だった。 「もうそろそろ考えてもいい時期ですよ。あなたがたは」 ゲームが下手なはずの古泉に、少しずつ攻め込まれて俺は逃げ場を失った。俺は味方だと思っていたチェスの駒が寝返って全部敵になっちまったような気分だった。ポーン一同がこっちを見てニタニタ笑いを繰り広げている。頼みのクイーンもすでにいない。もしかしたら人生のツケがすべて今になって襲ってきているんじゃないだろうか。 「それともあなたは、長門さんがいつまでも待ちつづけるとお思いですか?」 古泉のチェックメイトが、槍のごとく胸に刺さった。 古泉と食った昼飯はまったく味がしなかった。ろくに噛まずにコーヒーで流し込み、打ち合わせがあるからと古泉に千円札を渡して先に戻った。事務所に戻ったが長門ともハルヒとも目を合わせられなかった。俺はなんでもないぞと自分を落ち着かせようと新聞を開いたのだが、そこに印刷された活字がすべて“結婚”に見えて目をしばたいた。めまいがして新聞をゴミ箱に放り込みトイレに駆け込んだ。 顔をザブザブと洗ってペーパータオルを何枚も取り出し、顔を拭いて丸めてゴミ箱に投げ込んだ。鏡に映った自分を見ながらほっぺたをペシペシ叩いた。落ち着け俺。どうってことはない、不用意に長門の部屋に泊まったりしたから動揺してるんだ。そうだ、アレルギーみたいなもんだ、すぐ治まる。 俺は何度も深呼吸して、それだけじゃ足りないかもしれないので風がそよ吹く緑の草原を想像した。それから鏡を見て営業スマイルを作り、ガッツポーズを取った。よし、俺はやれる。なにをだ。 部屋に戻って自分の椅子に座り、開発部に内線を入れてスケジュールの調整を話し合った。なんだぜんぜん平気じゃないか。俺は克服したぞ。俺はメモを渡そうと、受話器を耳と肩に挟んだまま長門のほうを振り向いた。長門の額には大きく結婚の二文字が書かれていた。驚愕に襲われて目をこすったがなにもなく俺は受話器を取り落とした。こいつはいかん、プレッシャーで目がおかしくなっちまってる。 「ちょ、ちょっと下に行ってくるわ」 俺はダッシュで逃げ出した。とくに用事はないのだがほかに逃げ込めるところがなかった。内線で話したのと同じ内容を繰り返すので部長氏は怪訝な顔をしていたが。俺は正直に、ちょっとだけここにいさせてくれと頼み込んだ。 「上で揉めごとでもあったのかい?」 「そういうわけでもないんですが。一時的にちょっと居づらくなってしまいまして」 「はっはは。よくあることさ。好きなだけいていいよ」 「ありがとうございます」 俺はうやうやしく頭を下げた。 「キミもケッコン苦労してるんだね」 「え、今なんと?」 「だから、キミも結構苦労してるんだろう。あの社長のそばにいるのは神経が磨り減りそうだからね」 俺はとうとう耳までどうかしちまったようだ。 「副社長もよく我慢してるね。あんなのと付き合ってたら嫁に行きそびれてしまうだろうに」 くそっここにも伏兵がいたのか。味方が全滅して命からがら逃げのびてたどり着いたところが敵の本拠地だった。誰か助けてくれ。 行く場所も逃げる場所もなく俺はまた自分の机に戻り頭を抱えた。軽くノイローゼになっちまってる。 「キョン、あんたどうかしたの?」 「い、いやなんでもない」 「さっきから挙動がおかしいわよ。熱でもあるんじゃないの」 ハルヒは俺の額に触れようとした。 「俺に触るな」俺はその手を振り払った。 「なに怒ってんのよ、熱を見ようとしただけじゃないの」 ハルヒにぐいと耳を引っ張られた。いかん。完全にどうかしちまってる。 「すまん……ちょっと頭痛がするんで今日は早退するわ」 「具合悪いんだったらちゃんと病院行きなさいよね。最近は若年の脳溢血が多いんだから」 縁起でもないこと言わないでくれ。俺はカバンをひったくって逃げるようにして部屋を出た。 病院には行かず家にも戻らず、俺は電車で終点まで行き映画館で昼寝をしていた。何の映画をやっていたのかすら覚えていない。 最終上映が終わり、掃除に来た従業員に起こされて俺は映画館を出た。時計を見ると七時を回っていた。ふらふらとどこに行くでもなく、腹が減ったのでファーストフード店に入った。四時間は眠ったはずなのになぜかすっきりしないこの目覚め。味気ないハンバーガーをかじりながら俺はぼんやりと窓の外を見ていた。 「あれ、もしかしてキョンじゃないか!?」 後ろから声をかけられビクッとした。こんなところでこんな気分のときに知り合いに遭遇するなんて。振り返ると、ガタイのいい見るからに体育会系のアルマーニスーツ野郎が立っていた。 「ええと、思い出せないんだが。誰だっけ」 「忘れたのか。俺だよ俺」 そいつは地面に膝をついて、右手を脇に抱え、今しもスタートダッシュを切ろうかという格好をしてみせた。 「相撲取りに知り合いはいないが」 「ちがうだろ、アメフトだアメフト」 「ああ、思い出した。中河か」 こいつを忘れることがあろうか。長門にひとめ惚れし、緻密なる人生設計を提出した末、十年後に迎えに行くから待っていてくれと愛を謡ったやつだ。その恥ずかしい恋文を長門の前で読み上げてハルヒに締め上げられたのは俺だったが。 「その節はいろいろとすまんかったな」 中河は体格に似合わず顔を赤く染めた。 「いやまあ、あのときは俺たちも楽しんだ」 「そりゃそうだ。あんなケッタイな手紙は大爆笑モンだ」 中河は大声で笑った。自分の恥ずかしい歴史をすっきり爽快笑い飛ばせるなんて清々しくなったな。思い出して二人で笑った。 「暇なら飲みに行かないか」 「これからか」 「もちろんだ。俺のおごりだ」 おごりってことなら行く。今日はいろいろと忘れたいこともあるんでな。 こいつの通いの店らしい、地下街にあるひなびた居酒屋に入った。 「キョン、あれからどうしてたんだ」 「いちおう会社勤めだ」悲しいことに、ハルヒが社長のな。 「どんなことやってんだ」 「ええと一言で説明するのは難しいんだが、ソフトウェアの開発とかやってる」 「ほう、ってことは同業者か」 中河はポケットから名刺入れを取り出した。俺はうやうやしく受け取った。この両手で小さな紙片をやり取りする日本の習慣が俺には未だに不可思議だ。 「なんと、中河が代表取締役かよ」 「ああ。もう四年になるかな」 「四年ってことは大学には行かなかったのか」 「行ったさ。学生のときに起業したんだ」 すごいな。俺たちがワイワイ遊んでた頃すでに社長だったんだな。 「中河テクノロジーって、そういえばこの会社の名前最近よく聞くな」 雑誌でもよく見る大手グループの傘下だ。 「まあ業界では上昇気流に乗ってるからな。こないだ二部上場した」 こいつの言ってた十年間の人生ロードマップよりすごいじゃないか。軽く五年くらい前倒しだぞ。 「いい人材に恵まれただけさ。俺自身は開発には深く関わらない。いちおう情報工学出だが」 「あのとき言ってた経済学部じゃなかったのな」 「経営者がプロダクツの中身を知らないでどうする」 中河は笑った。そこへ行くと俺は自分がなにを売ってるのかさえ、いまいち理解してない。 「お前んとこはどんなシステム作ってるんだ?」 俺は返答に詰まった。 「ええと、俺はあんまり詳しくないんだが。人工知能を使った他のシステムの統合管理というか」 「ほう。面白いことやってんだな。今度見せてくれ」 「ああ。そういう話は俺より長門のほうが詳しいと思う」 口元まで動いていた中河のグラスがそこでピタリと止まった。その名前を耳にして中河の口元が緩んだ。 「長門有希さんも同じ職場なのか」 「ああ。あの頃つるんでたメンバーはみんないるさ」 「そうか。元気にしているのか、長門さんは」 「相変わらずだ。あのままだな」 俺から見ればだいぶ変わったところもあるが。 それから中学時代の話に戻り、佐々木の一件やらもネタになった後、俺と中河は店を出た。 「いい職場にいるみたいだな、お前」 「そうか?」 「その会社、大事にしろよ。好きなことが自由にやれるってのはシアワセなんだからな」 「ああ」俺はそれなりに苦労してる気もするんだが。 「そのうち挨拶にでも寄るわ。人工知能の構造も見てみたいしな」 「分かった。来るときは電話をくれ」 中河は手を振って夜の町に消えた。その背中が俺なんかよりずっと貫禄があるように見えた。 翌朝、昨日に引き続き頭痛がするからとハルヒに電話して午後出社にしてもらったが、まさか昨日飲んでたなんてことがバレたりしてないだろうな。 昼になってもまだぼんやりとした頭をシャワーでなんとかごまかして、重い体を引きずり電車で出社した。駅前は昼飯を食いに出てくるビジネス街の社員でごった返していた。みんなと同じ時間に出社しないなんてなんとなく後ろめたい気分だ。 いつもより重たく感じる我が社のドアを開けると社長椅子が空いていた。珍しく客が来ているらしくパーテーションの応接室から声がする。 「キョン、ちょっと来なさい。あんたにお客様よ」 「誰だ?」 「おう、キョン」 中河が突然現れた。来るなら電話しろつったのに。 「遅いわよ、あんたを訪ねて見えたのに」 「具合が悪くてな」 昨日一緒に飲んでただろ、という感じで中河はニヤリと笑った。 「ええと、ハルヒ、中河のことは覚えてるよな。アメフトの」 「もっちろんよ。あんたが来るまであのときの話で盛り上がったわ」 中河は体格に似合わず照れた表情をしてわははと笑った。 俺は長門を呼んで引き合わせた。中河は長門の手を取って両手で握った。 「ご無沙汰しております。その節はいろいろとご迷惑をおかけしました」 「……」 かつて惚れられた、というか勝手に熱を上げて勝手に冷めてしまいサヨナラを告げられた相手に、長門もどう応じたものか迷っているようだった。 「羽振りいいんだってね、中河さんのところ」 「ハルヒ、中河の会社知ってるのか」 「当然じゃない。テレビでインタビューに出てるの見たわ」 「いえまあ、仕事内容より名前だけが先走りしてましてね」 中河は体を揺すってはっはっはと笑った。よく笑うやつだな。 ハルヒと中河は同じ経営者同士で話が合うらしく、業界の裏話やらこれから流行るかもしれない技術ネタなんかで盛り上がっていた。ハルヒがIT業界ネタについていけてるとはちょっと意外だったがそれなりに勉強はしているらしい。少なくとも俺よりはな。 「聞けば人工知能を開発されているとか。ぜひ拝見したいものです」 「もっちろんいいわ。キョン、中河さんにうちの開発部を見せてあげて」 「俺は構わんが、部外者に見せていいのか長門」 「……問題ない」 まあうちの商品は簡単にはまねできないようなもんばかりだし、長門の設計をパクれるようなやつはそうそういないだろう。俺は中河を連れて三階の開発部の部屋を案内した。 開発部のドアを開けるとあいかわらず阿片窟のようなありさまで、部長氏に来客を告げるとあわてて雑誌やらパソコンのパーツやら袋菓子やらをロッカーの棚に放り込んでいた。リサーチと称して他社のゲームをやっていた部員はあわててモニタの電源を切った。 「ちょっとあんたたち!昨日までちゃんとかたづいてたのになによこれは」 いや少なくとも二週間はこの状態だと思うぞ。散らかった息子の部屋をかたづけるおふくろのように、ハルヒがイライラとゴミなのか備品なのかわからんクズを段ボール箱にかき集めた。 「部長氏、こっちは中河テクノロジーの中河社長だ。俺の中学のときの同級生だが」 「は、はじめまして。部屋がカオス状態でして恐縮ですが」 「はっはは、弊社も似たようなものです。特にモノが生まれる現場では」 部長氏はウエットティッシュで丁寧に手を拭いてから中河の手を握って振った。 「部長氏、例の人工知能のデモ見せてもらえる?」 「ちょうどいい、次のバージョンをテストしているところだよ」 三十インチはありそうなでかいディスプレイの隅っこに3Dのフィギュアみたいなアシスタントが現れた。メイド服を着て丸いメガネをかけている。 『こ、こんにちわ。あの~、なんなんですか皆さん、その方はいったい誰なんですかぁ、どうしてわたしはメイド服なんですかぁ?』 知ってる誰かに、しかも若い頃にすごく似てる気がするんだが。これ、本人の許可取ってんのか。 部長氏がマイクに向かって話しかけた。 「みちるちゃん、今日の予定教えてもらえる?」 『あ、ちょっと待っててくださいね。ええっと、メモどこやったのかな……んと、んと』 秘書としてはあんまり技能的に秀でてないっていうか、モノ忘れが激しそうっていうか、時間が過ぎてから予定を告げられそうっていうか、これじゃ仕事が進まんだろうけどそれはそれで萌えどころか。 『あ、あった。ありました。ええとですね、今日のスケジュールは、十二時からわたしとお昼ご飯です。ほ、ほんとにわたしなんかでよかったんですかぁ、受付の女の子とかのほうがよかったんじゃ』 飯を食うだけがスケジュールなんてどこの天下りだよ、と苦笑しつつ中河を見ると凝視するほど画面に見入っていた。 ピロリンと音がして画面にメールのアイコンがポップアップした。 『わぁ、誰かからメールが来ましたよ、うふっ』 「みちるちゃん、メール読んでもらえる?」 『えっと、タイトルはですねぇ“十六才の女の子です、お友達になってください”。わあ、女の子からお手紙ですよぅ。きっと学校でお友達ができなくて部長さんにお友達になってほしいんですね。本文はぁ、“夜ひとりでベットでいるのが寂しいの”……こ、これ以上は禁則事項ですっ』 真っ赤になっているミニ朝比奈さん、それは仕事のメールじゃなくて世に言うスパムってやつですよ。 『好青年の部長さんをかどわかすなんてさせさまさせん!わたしが守ってみせまーす。み、み、ミチルビーム』 いつぞやの朝比奈ミクルの変身のテーマがパパララーパパパーと流れ始め、メールのアイコンを目から飛び出すビームで勢いよく燃やした。メイドにしては嫉妬心が強いっていうか怒らせるとファイルを壊されそうで怖いっていうか、どうでもいいくらいに凝った演出の上にセリフを噛んでいるところまで忠実に再現されているようなのだが、いったいどういう技術を使ってるのか実に気になる。 ニヤニヤ笑いの部長氏はCCDカメラのレンズを塞いで中河にメモを渡した。 「中河さん、ちょっとこの番号に電話をかけていただいていいですか」 「え、はいはい」 中河が携帯に耳を当てていると画面の中の電話が鳴ってミニ朝比奈さんが飛び上がった。これ、電話回線と直接対話できるのか。 『キャ、あ、電話だ、どうしましょう』 とりあえず受話器を取ればいいんじゃ、ってダイヤル式黒電話ですか、レトロ趣味にもほどがありませんかそれ。 『あ、あの、もしもし……SOS団開発部です』 デスクトップにペタン座りをして、消え入りそうな声のミニ朝比奈さんが受話器を重そうにしながら耳に当てた。 「中河と申しますが部長さんはいらっしゃいますか」 『あ、あのですね、部長さんは今ご不在で、たぶんそのへんにいらっしゃると思うんですが……もしかしたら机の下でお昼寝中かも』 「じゃあ伝言をお願いしてよろしいですか」 『伝言ですかぁ、伝言なら得意ですっ』 「ではいきますよ、坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」 『ま、待ってください、ええっと坊主がジョーズの映画を見に行った、と』 どんな生臭坊主だよと突っ込まれそうなくらいにいい伝言ゲームになってるな。 「それから、カエルぴょこぴょこみぴょこぴょこ、」 『か、カエルは苦手なんですっ、ヒヨコとかにしてもらえませんかぁ』 中河、あんまり朝比奈さんAIをいじめるな。 「部長さん、これはどうやって動いているのでしょうか?」 「実は僕たちにもよく分かっていないんですが、正確には自律思考型業務支援仮想人格クラスタと言いまして、副社長の設計によるものです」 部長氏は外様向けの仕様書を中河に見せた。ページをめくる中河の手がプルプル震えている。 「これは今までに例のない次世代のプログラム技術ですね。一社独占で国際特許ものだ」 そんなにすごいシステムだったのかこれは。 「すばらしい、ぜひうちにも導入したい。グループ全社にも紹介したい」 ちゃんと仕様を読んだかオイ、こんな秘書システムでいいのか。じっと食い入るようにモニタを見つめる中河の両目にピンク色のゴシック体太字で“萌”の字が写っていた。やれやれ、こいつも同族だったのか。 「今すぐ仮見積もりを出すわ。まいどありぃ」 ハルヒはニヤリと笑って部長氏の肩を叩いた。やれやれ、ミニ朝比奈さんでお得意様一名確保か。中河ならミニ長門のほうがよかったんじゃないのか。 人工知能と簡単に言ってもいろいろあって、全部が全部、ロボット型の男の子がフェアリーテールを探して旅をしたり、人類を発電所の電池代わりにしてしまったりするというもんでもない。最近よく知られてるのが映像から人の顔を識別する画像認識プログラムで、カメラの映像からその人の顔かたちと一致するかを判断する門番の役をしていたりする。カメラに向かって写真を見せられたら本物と区別できないっていう間抜けな門番だが。ほかにも、身近なところでは大手通販サイトなんかでよく“この商品を買った人はこんなモノまで買っています”なんていう、ただ売りつけたいだけじゃないのかと疑わしくなるような商品列挙をしてくるサービスがあるが、データマイニングという一種の人工知能らしい。カーナビに向かってしゃべるとちゃんと反応して道案内してくれるのも、一応は人工知能だ。 この長門が作った人工知能はカメラからの映像やマイクの音なんかのデータを拾うのは同じだが、ごちゃごちゃしたまわりのデータからテーマを決めて意味のあるものに組み立ててから理解するという今までにはなかった造りをしていて、そこが売りなんだとか。作ったというよりは育てたというか、元はウィルスなんだがね。 中河はこの朝比奈さん、じゃなくて人工知能がいたく気に入ったらしく、俺にはよく分からない専門用語を駆使して長門に質問を浴びせていた。 「バックで動いているDBですが、どういう構造なんでしょうか」 「……人の記憶プロセスを模倣し、複数の時間軸を含めた多次元構造を擬似的にリレーショナルに格納している」 「ということはあのキャラクタは黙っていてもデータを蓄積しているということですか」 「……そう。自らの思考プロセスを含めてすべて記憶している。データ加工の工程もまたデータになる」 「主時間は今までの人工知能にはない概念ですね。しかし主時間を二十四時間記録し続けると膨大な量になりませんか」 「……四六時中というわけではない。業務時間以外にはもっぱら過去データの分析と再構築が行われている。通俗的な用語を用いるなら、昼寝」 長門が、画面上でミニ朝比奈さんがうたた寝しているところを再現してくれて、そのあまりのかわいさに野郎三人共にハァとため息をついた。 突発的なデモが終わりハルヒは中河を連れて開発室を出た。部長氏は突然の来客に緊張していたらしく大きな脱力系ため息とともにソファにぶっ倒れてそのままぐうぐうと眠った。 「涼宮さん、これまでの導入実績の件数はどれくらいですか」 「そうね、まだ両手と両足に余るくらいかしら。なんせ人が足りないからね。この先二年は予約でいっぱいよ」 「そうだったんですか、今日中に仮契約をお願いできませんか。必要なら手付けの小切手を切りますが」 「あら気前がいいわね。いいわ、キョンの知り合いってよしみで最優先でやってあげる」 「おいおい中河大丈夫か。コンビニで買い物するのとはわけが違うんだぞ」 「なに言ってんだキョン、こんな業界をひっくりかえすような製品を手に入れられるチャンスはそうそうないぞ。社長決済で役員を説得してみせる」 八桁の買い物を事後承諾でぺろりと決済できるとは、お前のところはワンマン社長っぽいな。まあうちは売る立場だし、まったく構わんのだが。 「今後の事業展開はどのようにお考えですか」 「そうねえ。信頼できる会社に技術供与をして、代理店契約してもいいかもね。この秘書はまだ特許申請中だけど、ライセンスは高いわよ」ハルヒはニヤリと笑った。 「その折には、代理店第一号をぜひうちにご指名ください」 「いいわ。うちはまだ新参だから流通が狭いしね」 中河の目がキラリと光った。驚くべきことをサラリと言った。 「涼宮さん、よろしければうちの傘下になって流通を使いませんか」 アタックオブ中河 Episode_00とでもタイトルを振ってやろうかという勢いで、突如襲来ではじまったソフトウェア販売契約の話が、妙に利害が一致するらしい社長同士の会話の流れで会社の買収にまで発展してしまった。ハルヒときたら野心丸出しで、相手が上場企業なもんだから世界にSOS団の名前を知らしめる絶好のチャンスだなどとのたまっている。 「俺は反対だ」 「あんたが反対しても鶴ちゃんが決めることでしょ。とはいっても、この会社はあたしに一任されてるわけだし、あたしの一存ってことになるわねぇ」 「そりゃそうだが、俺たちは会社を売るために作ったわけじゃないだろう。モノ作りのためだろ」 「別に会社を売るわけじゃないわよ。先方の持ってる顧客とマンパワーを使わせてもらうだけよ」 「それだけじゃないだろ、傘下になりゃ財政も経営方針も握られてしまうぞ。そうやって提携の泥沼にハマって会社を乗っ取られたりするんじゃないのか」 「これが業界ってもんでしょ、あんたは杞憂しすぎよ」 「俺はずっとこの五人で地味にやっていければと思ってたんだが」 「この会社を作るとき最初に言ったわよね。生き馬の目を抜くスピードの今の時代じゃ、ベンチャーしかないって。会社経営ってのは生モノなのよ。いつまでも同じところにしがみついていたら流れに乗り損なってしまうわ。買収なんて会社が成長していくための小さな流れのひとつよ」 まあ言ってることは分かるんだが、それにはちゃんとした方針っていうか目標っていうか経営の方向性があってのことでだな、行き当たりばったりで好きなことをやってる俺たちが言えることじゃないと思うんだが。 「買収ってことは株主が変わるってことだ。つまり今の取締役会は解散ってことだろ、お前は俺たちをクビにしたいのか」 「あたしはクビにはならないわよ。あんたならまあ、部長にでも採用してあげるけど」 「俺は職が欲しくて言ってるわけじゃないんだがな」 「あんたがそこまで言うなら、いいわ。ストックオプション付けてあげる」 「金の問題じゃねえよ!」 俺はハルヒの机をドンと叩いた。ハルヒが言っているのは、中河の会社の株を安く買える権利をくれるってことなのだが、俺はそんな数年分の年収を越すほどの金が欲しいわけじゃない。……いや、欲しいな。 翌日、ハルヒと長門は会社にいなかった。表向きは業務支援ソフトの営業だと言っていたが、たぶん買収の打診に行ったのだろう。企業買収ってのは資本の横槍が入ったり株価に影響したりするんで、極秘裏に進めるのがセオリーらしい。 「あいつらがいないとやけに静かだな」 「そうですね」 「古泉、お前はどう思ってるんだ」 「どうと申しますと」 「中河の買収話だよ」 「ああ、あれですか。よろしいんじゃありませんか」 「聞くだけ無駄だった。お前はいつでもハルヒの味方だからな」 「なにも贔屓目で賛成しているわけではありませんよ。少なくともここは涼宮さんが作った会社ですから、自分が不利になるような買収は受け入れないはずです。ということはSOS団のメンバーにとって不利益になるようなことは起こらない、と考えるべきでしょう」 「そんな悠長なこと言ってていいのかよ。株式会社ってのは資本を掴まれたらおしまいだぞ」 「今回の買収がどういう待遇で行われるのか、それにもよると思います。独立した事業部として編入されるのか、あるいは別の子会社として存在できるのか」 「跡形も残らないくらいに組織に吸収されたらどうするんだ」 「まあ、どうなるか今後の展開を見てみましょう」 機関という本業が別にあるからか、こいつはSOS団の行く末に少し能天気すぎる。グループ内に入ってしまえば子会社やら事業部なんてどうにでも再編されちまうんだが。 前にも話したかもしれないが、うちは簡単に株式を売ることはできない株式譲渡制限会社で登録している。会社を解散するとか売るとかしたいときは取締役会の同意が必要だ。なはずなのだが、不安に思って登記のときに作った定款を見てみると、役員の過半数の賛成が必要ってことになっていた。あんときはテンプレートを多丸さんにもらってそのままコピーして作ったのだが、今になって考えれば全員一致の賛成票にしとけばよかった。そうなれば俺一人ででも阻止できただろう。 反対と言ってるのはまだ俺ひとりなんだがほかのやつはどうするんだろう。長門は元々ハルヒの監視が役目だし、部長氏は意外とハルヒの尻に敷かれてるから賛成にまわるかもしれない。いやまて、それ以前に株主が株を手放す意思がないと成立しないはずだ。まかり間違って鶴屋さんがうちを叩き売ったりはしないだろうが、ハルヒのゴリ押しで売られないとも限らん。先に根回ししておこう。 俺は電話を取って鶴屋さんにかけた。 「キョンです」 『もしもーし、鶴ちゃんだよ』 「どうも株主さん、いつもお世話になっております。今ちょっと話せます?」 『いいよ。もしかして中河くんのことかい?』 「あれれご存知だったんですか」 『ハルにゃんからちょっと相談があるんだけどってメールが来ててね、近いうちに株主総会を開きたいらしいのさ』 鶴屋さんひとりの株主総会か。なんだか寂しいな。 「じゃあ単刀直入にお願いしたいんですが。鶴屋さん、反対票を投じてもらえませんか」 『キョンくんはいやなのかい?』 「なんというか、考え方が古いのかもしれませんが、俺は別に上場企業にならなくても持ち前の技術を売るだけの経営で細々とやっていきたいんです」 『キョンくんは根が職人なんだねえ。分からないでもないさあ』 その割には技術らしい技術は持ち合わせていませんが。 『買収っていうと聞こえが悪いけど、目的地にたどり着くために乗り物を乗り換えるって考えればいいんじゃないのかな。電車から飛行機に乗る感じでさ。うっとこも、会社そのものじゃないけど経営権を買ったり売ったり繰り返しながらきたんだけどね』 いっぱしの経営者らしく、思いのほか鶴屋さんは平然としていた。 「そうだったんですか。でも、自分が手塩にかけて育てた会社を売るのっていやじゃないですか」 『うーん。あたしはその会社が手を離れるのを“卒業”だと考えてるさ。同じ経営者が続けるより業界と景気にもまれたほうが企業としての競争力が強くなるっていうかね、まあモノにもよるんだけど』 「はあ、そんなもんですか」 『今SOS団は流れの速い業界にいるわけでさ、知識がなくてなにもアドバイスしてやれないあたしなんかが株主やるより、動向を知ってる親会社がついてたほうがいいってのはあるよね』 なるほどね。俺もそれくらい割り切ってこの会社をやっていければいいんですけどね。 「まあ株主さんがそうおっしゃるならしょうがないですが」 『いやいや、あたしはSOS団の経営にはタッチしないつもりだから。今後どうするかはハルにゃんの方針次第ってことさね』 電話を切る前に、鶴屋さんはひとことだけボソリと言った。 『でもね、ゼロから育てた、自分の子供みたいな会社が手を離れるのはやっぱり寂しいさ』 「たっだいまあ、みんな朗報よ!」 「……戻った」 「おかえりなさい、社長、副社長」 勢いよくドアを開いて入ってきたハルヒと長門を古泉が出迎えた。 「みんな集まってちょうだい。取締役会を非常招集するわ」 いよいよ来やがったか。多忙な部長氏も呼んで会議室に五人を集めた。 「聞いてるとは思うけど、我がSOS団がIT業界に躍り出る一世一代のチャンスがやってきたわ。大手企業グループの傘下に入るよう誘われてるの。具体的には中河テクノロジーに吸収合併されるんだけど、あたしたちは独立した事業部として活動できるわ。しかも部下が五十人に増えるのよ」 「すっごいじゃないか社長。中河テクノロジーといえばいまや花形だよ」 部長氏が目を輝かせて喜んだ。やれやれ、事業部編入か。ただの歯車だと思うんだが。 「まだあるわ。現在の取締役は起業とこれまでの労をねぎらって、新株購入権付き社債を受け取れるわ。まあ時価にするとひとり当たり二千万くらいだけど、将来は株価に比例して膨れ上がることは確実よ」 「株主の鶴屋さんはどうなるんだ」 「それはまだこれから相談しないといけないんだけど」 「おそらくですが、株式交換になるんじゃありませんか。もちろんレートは高いほうがいいですが」 まあ好意で出資してくれた鶴屋さんがそれで納得するならいいんだが。 「それにしても、二千万はたいした額の報酬ですね」古泉がうなずいた。「勝手ながら先方のIR情報の裏を取ってみましたが、あの会社の経営状態は非常に安定しているようです。まだ二部上場したばかりですが、顧客数も四半期純利益も右肩上がりに上昇。ITベンダーにありがちな株価の急騰急落もありません」 「でしょでしょ、あたしにはピンと来たわ。これは伸びるって」 お前のピンとやらを安全ピン程度に信用してもいいものかどうか迷うところだが、問題はそういうことじゃない。 「中河テクノロジーの決算書なんかどうでもいいんだがな、俺たちが今までやってきたことはどうなるんだ?」 「もっちろん全部ノシつけて持参よ」 「タイムマシン開発はどうするんだ」 全員が黙り込んだ。と思ったんだがひとり部長氏が不思議な顔をしてたずねた。 「あの、タイムマシンってなにかな?」 やべ、ここにひとりだけ秘密を知らされていない内部の人間がいた。 「あー、部長氏。これは守秘中の守秘で、うちでやってる研究事業のひとつなんですが。絶対に漏らしたりしないでくださいね」 「え……キミ本気で言ってるの?」 今にも笑い出しそうな部長氏だったが、この人はまだまだ正常な人間と見えるな。 「本気に決まってるじゃないの。特許申請もしてるわ」 「そうだったのかい」 「部長さん、これは一世紀くらい未来への投資と考えてください」 古泉が苦笑しつつとりなした。どう見ても冗談ではなさそうな四人の真顔を見て急にまじめな顔になり、部長氏はうなずいた。いざってときには記憶を消してしまうとか禁則をかけるとか、長門の手を借りないといかんな。 「で、どうするんだハルヒ」 「タイムマシンねえ……」 ハルヒは古泉を見て言った。 「実はもうタイムマシン開発の目的は達しちゃったのよねえ」 ハルヒが顔を赤く染めてシナを作り、古泉と目を合わせてニコっと笑ってみせた。 「もしかしてジョンスミスか、ジョンスミスだなオイ」 「えへ、じっつはそうなの」 えへじゃないよまったく。お前のタイムマシン願望のために過去に飛ばされたり未来に行ったり散々だったんだからな。 しかし困ったことになったぞ。歴史改変のフォローは過去だけだと思っていたが、このままだと未来にも影響しかねん。つまりハルヒのはじめたタイムマシン開発は朝比奈さんの時代に繋がっているわけで、それが必要なくなってしまうと俺たちの過去も危うくなる。ここはなんとか続けさせないと、俺は朝比奈さんに未来を託されているわけだからな。 「長門とハカセくんにあれだけ仕事させといて今になってやめるってのはどうかと思うぞ」 「今すぐやめるとは言ってないわよ」 「出資してくれた鶴屋さんにも申し訳ないだろ。秘密裏にでも進めてくれ。お前がやめるってんなら俺がやる」 「あんたに言われなくてもやるわよ」 ハルヒの願望とやらは欲しいものを手に入れてしまうと消えてしまうらしい。もしかしたら宇宙人未来人超能力者も消えてしまいかねん。安易に願い事をかなえてやるのも考え物だ。 「長門は買収についてどう思ってるんだ?副社長として」 「……わたしは部下に過ぎない。社長の意思に準ずる」 「お前が主力製品の業務を担当してるんだから、もっと忌憚なく意見を言っていいぞ」 主観での意見を求められて少し迷っているようだったが、やがて口を開いた。 「……十分な資金力のある企業の内部組織として活動することには一定のメリットがある。ただし将来的に二転三転して売却されることも考えておかなければならない」 かなりシビアな見方だが的を得ているな。買収のときに特許権やら技術資産やらが本社に持っていかれるのは必至だ。その後でもし中河の会社の経営がやばくなったら真っ先に売却候補に挙がるのは新参の俺たちだろう。あるいは中河の会社そのものがグループ内でバラバラに分解されるかもしれない。 今どきはグループ内の資産を分割して整理することが多く、子会社の株をひとつの持ち株会社に集めて経営権を集中管理するようになっているからな。そこで働く人たちも資産として扱われるらしく、正社員だと思って働いていたら実は関連の人材会社からの出向だった、なんてこともよくある話だ。 今は鶴屋さんの暖かい羽の下で好きなことをやって暮らしているが、そんな金と数字に分解されてしまう複雑な仕組みの中に入って俺たちが無事生き残っていけるのかどうか。 「ハルヒに古泉、その辺はどうなんだ?俺たち全員がバラバラになって、中河の企業グループの部品として生きていく覚悟があるのか?」 「次のステップに登るためならそれくらいの犠牲は必要でしょ。今までは経営戦略を固めるための予備期間だったけど、そろそろ実力を発揮する段階だと思うわ。目標は市場のシェア一位よ」 「今までが準備運動だったってのか。俺は今の顧客をベースにしてもっと足場を固めるべきだと思うんだが」 「まあまあ、僕たちはまだまだ小さな企業ですし、今だから冒険ができるというメリットを活かすチャンスでもあります。失敗してもまたやりなおせばいいんです。もし中河さんの会社が解散しても、僕たちが失うものはなにもありません」 「そ、そうよね古泉くん。入ってみて面白くなければやめればいいのよ。またみんなで会社作ればいいんだし」 「言うことはまあ、もっともなんだが」 「とにかくあたしはもっとでかいことをやりたいのよ」 「まあお前がそこまで言うなら、平の取締役の俺にはなんとも言えないさ。ただし、」 「ただしなによ」 「今日の議事録には反対票として記録してもらうぞ」 悲しいかな、それが俺のささやかな意思表示だった。 なんだかんだ言って俺はこの会社が気に入っていた。ハルヒが部活をはじめたときもそうだったが、最初は正体不明でなにをするのか分からない集団が、やっているうちにやめられなくなり、次第にそれなしでは生きていけなくなる。あいつの願望を実現する能力とか奇妙な空間や巨人を作り出す能力とは別で、ハルヒには人にわけの分からない生き甲斐を感じさせるという不思議な力がある。 もちろん本人が楽しいからやるんだろうが、飽きてしまうと別のことに目が行ってしまうのはいつものことだ。俺はどっちかというと同じところで同じ幸福を味わっていたい。可能な限りいつまでもそうしていたいと願うんだ。 ハルヒのやりたいことは分かっている。あいつはいつも遥か上を、自分の手の届かない場所を見つめて生きている。宇宙人を呼んだときも未来人を呼んだときも、タイムマシンを作ると言い出したときも。ハルヒの辞書には満足という文字がないのか、休む間もなく願い事を実現している。あいつにとっちゃ願いの星なんていくらでもあるのかもしれないが、俺にしてみればそんなひとつひとつの流れ星が希少すぎていとおしくて、もう二度と手に入らないかもしれないというか、いつまでも手の中で包んでいたい。今じゃそう思う。 ハルヒと長門と古泉は、鶴屋さんを連れて中河の会社に今後の打ち合わせに行った。俺はどうしても留守番すると言って行かなかった。どうせ平の取締役だ、俺の欠席のまま勝手に決議でもすりゃいいさ。 夕方、ハルヒから電話がかかってきた。受話器を取ると笑い声が漏れ出し、やたら上機嫌なようだ。 『キョン、あたしたち飲み会で直帰するからカギかけて帰ってね。暇ならあんたも来なさいよ』 「……」 俺は何も言わずに電話を切った。別にイライラしてるわけではないんだが、生まれては消えるやり場のないモヤモヤしたこれっていったいなんだ。 事務所のドアを閉めて帰ろうとすると、エレベータの前で長門に会った。 「直帰じゃなかったのか」 「……少し、話がしたい」 帰ってきた長門は少しだけ喜んでいるような、でも後ろめたいような複雑な表情をしていた。 「……本社で取締役の椅子を用意すると言われた」 そりゃまたえらい好待遇だな。社員二百人の会社の経営陣か。 「それで、OKしたのか」 「……まだ。株主と涼宮ハルヒが買収に応じれば、そうなるかもしれない」 そうなったら、技術知識の下地がない俺はいつか追い出されるかもしれんな。長門は天にも届きそうなビルの最上階で個室に秘書付き、俺はもしかしたら営業課長くらいにはなれるかもしれんが、どっちかといえば地面に近いフロアでぺこぺこ頭を下げながら働いている。あるいは退職金で食いつなぎながらハローワーク通いか。急に長門が手の届かない雲の上に行ってしまいそうな気がした。 ところが、長門が次に放った言葉の衝撃はもっと大きかった。 「……わたしと、付き合いたい、らしい」 俺は血の気が引いた。長門はじっと俺を見つめていた。一分くらいそうしていたと思う。 にらめっこは俺が負けて目をそらした。 「お前の好きにしたらいい」 ほんとはこんなセリフを言うつもりはなかったんだが。嫉妬とか自己憐憫とか自暴自棄とか、職を失うかもしれないという寂しさやらがぐるぐると渦巻いて、俺はもうどうにでもしてくれという気分だった。 「……」 「俺はお前を束縛なんかしないから。好きなほうを選んでいい」 「……本気で言ってるの」 「もちろんだ」 二人は真正面から見詰め合った。長門の漆黒の双眸は少し潤んで、握っている手が心なしか震えているように見えた。黙ってつかつかと俺に歩み寄り、右手を大きくふって俺のほっぺたをひっぱたいた。ぺっちんと乾いた音が廊下に響いた。 「……もう、いい」 長門はくるりときびすを返してエレベータに乗った。 「な、なが……」 俺が手を上げて呼び止めようとするも、無残にもドアが閉まった。俺は叩かれたほっぺたをなでつつ、そのまま固まっていた。あいつ、こんな意思表示もするようになったのか……。 三章へ