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鏡には異界を映し出す力があるという。 合わせ鏡やスペキュラムを代表とするそれらに纏わる迷信。 それらの成立した背景は不明だが、とかく鏡という存在は古来より神秘のイメージとして見られ続けてきた。 合わせ鏡の数学的無限回廊などその最たる例だが、単純に”対象を正確に映し出す”という特性それだけでも十分神秘の対象として見出すことができる物である。 さて、古代の人間は所謂”映し身”の世界を信仰するだけであったが、近代に入って鏡以外に”映し身”の世界を収めることができる機器を開発するに至った。 それがカメラを初めとする撮影機である。 余りにも正確に現世を写し取る事から、魂を吸い取られるとかつて信じられていたソレらは、この魔都東京においても人ならざる者達の跳梁跋扈するする姿を納めていた。 それはスマホのカメラであったり、マスコミのカメラであったり、 そして、この不動病院の監視カメラもまた、例外ではなく…… ▼ 不動総合病院の病棟の奥に位置する病室に続く廊下。 洛陽の橙色の光が照らすその回廊の奥にセイバーとあやめは佇んでいた。 風貌だけに注視すれば、目立つ組み合わせである。 一人は、コートを着込んだ白人の偉丈夫。 もう一人は、おおよそそんな男が連れ立って歩くには余りにも不似合いな、 臙脂のケープを着た儚さを漂わせる美少女。 彼らの眼前では看護婦や白衣を着込んだ医師達がせわしなく廊下を駆け回っている。 無理もない、何せ、今の東京は非常事態宣言が発動されている異常都市。 魑魅魍魎奇奇怪怪テロリストが暴れまわり、多くの無辜の市民に被害が出ている。 にも関わらず、搬送されてくる被害者が違和感を覚えるレベルで少ないのは、 もう“そうなった状況”になった時点で原型を大きく破損した状態で死亡している者が大多数だからだろう。 それでも、まだ面会時間の終了時刻まで幾ばくかの猶予があり、雰囲気としては慌ただしい。 ほんの十五分前までは警察がすぐそこまで来ていた程だ。 しかし、その悉くの人間が、ただの一人としてこの男女の存在に気が付かなかった。 「……大したものだ」 セイバーが思わず呟きを漏らした。 成程この神隠しの力は正しく規格外だ。 霊体化していない状態でもセイバーごと自分の存在を“隠す“。 人間とは遥かに存在する魂の比重が違う、英霊であってもだ。 サーヴァント間ならば補足はできるが、NPCにとっては霊体化してるも同義だろう。 お陰で人目を憚ることなく、目標を見つけ、見張ることができることができた。 二人の視線の先には、壁一枚隔てた先に白人の青年が眠っている。 「あの」 くいくいと、コートの裾が引っ張られる。 視線を少し下げると、あやめが何か言いたげな瞳で此方を見ていた。 何が言いたいかは言わずともわかる。あの白人のマスターの処遇について相違ないだろう。 少し首をそむけ、セイバーは気だるげに答えた。 「さぁな、この男に利用価値がある用なら生かして、そうでなければ消すだけだ」 この白人の少年が運び込まれてからまだそう経ってはいないが、マスターが行動不能な時に不在、また馳せ参じない事から、サーヴァントは既に敗退したのだろう。 だが、見逃してはぐれサーヴァントと再契約されても面倒だ。 殺すメリットも薄いが、生かしておく理由も無い。 そんな少年の命を危うい分水嶺で押しとどめていたのは、ひとえに彼の右手に宿る特異な令呪の存在だった。 体の中を循環する魔力も、近づいてよく観察してみれば毛色が違う。 これにセイバーが興味を示していなければ、当にこの少年の首と胴は分かたれていたに違いない。 だがそれは、少年の生存を保証するものではなく。 何か彼の意に背く事があれば、間違いなくこのセイバーというサーヴァントは一切の躊躇なく粛清の刃を少年に向けるはずだ。 あやめのキャスターだったヨマとは違い、彼は進んで殺戮を行わない。 だが“考えた”結果、目的のために必要と判断した場合は顔色一つ変えず大量虐殺をやってのける。 あやめは直感的に、それを察していた。 最も、彼女はほとんど人と接したことがないため自分の観察眼に対する自信は皆無だが。 (………) そこまで考えたところで、あやめはある疑問に行き着く。 そう言えば、 彼が聖杯に賭す願いとは何なのだろうか。 キャスターは明快だった。彼は彼の世界を守るために異分子である自分を消して、その障害である者たちの殺戮こそが目的だった。 ならば、この自分の傍らに腕を組んで佇むこのサーヴァントは一体、何を思って……、 あやめはたっぷり一分逡巡したが、ケープの裾をギュっと握り、意を決して尋ねた。 答えてもらえないであろうことは分かっていた。 知ってどうなるものでもない。 だが、セイバーは壁にもたれ掛りながら、あやめの予想に反し、無感情に答えた。 「―――聖杯を使って人類を滅ぼす。と言ったら?」 「え?」 思わずセイバーと目が合う。 何を考えているのか汲み取りにくい、目だった。 だが、この男が下らない小学生染みた冗談を言うとは雰囲気的に思えない。 顔を青ざめさせていくあやめに対し、セイバーは鬱陶しそうに吐き捨てた。 「…………仮定の話だ」 「ご、ごめんなさい」 機嫌を損ねたと勘違いしたあやめは反射的に謝る。 セイバーの方も少し軽率だったか、と思いながらも慮る事はなく、欠伸で返した。 この少女が自分のやろうとしていることを知ったところで、何ができるわけでもなし。 無差別かつ非常に危険な力のお蔭で自分のマスター(アイリス)に腹積もりを話される心配もない。 例えアイリスが知ったところで、彼にとってはどちらでも良いことだが。 それでも、セイバーの一挙一動に目を白黒させざるを得ないあやめを尻目に、 彼は欠伸で歪めた目の端に廊下の隅で蠢く何かを捉えた。 僅かな黙考の後、壁にもたれ掛っていた体を起こし、あやめに告げる。 「少し席を外す。お前は奴を見ていろ」 「……!すみません、おねがい、します」 一瞬驚いた表情をするあやめだったが、セイバーの視線の先にあるモノを見て、申し訳なさそうに頭を下げた。 セイバーは別段に意に介する様子もなく、少女に一瞥もせずに廊下の奥の方にあるトイレへと向かった。 そんなセイバーの背を見送りながら、あやめの脳裏に、ある人物がよぎった。 自分に襲い掛かってきたあの少年。 あの人は、この夜を越せないかもしれない――――、 ▼ ▼ ▼ … …… ……… ギイ、と言う音を立てて扉が開かれる。 セイバー…ナイブズがトイレに入ったのは勿論用を足すためではない。 電気をつけていないため、中は薄暗い。 その中でも、まったく光の指さない闇そのもののポイントがあった。 孤独の王は終始無言で、それを睨む。 すると“闇”がうぞうぞと動き出した。 それは人の気配をしていた。 だが、人ではあり得なかった。 『それら』は這いずり、のたうち、絡み合いながら次々と吐き気を催すような変形を繰り返しているのだった。 あるものは子供ほどの背丈にひき潰され、またあるものは個室のドアよりも高く伸びあがる。 ずるずる、げてげて、うぞうぞ。 ひたすらそう広くはないはずの空間で無限に繰り返される、歪な影絵。 『それら』は、肉で出来ていた。 異形の肉の塊だった。 くすくすくす……… 嘲笑するかのような笑い声が響き、それ以外の音は何も聞こえない。 “無音円錐域”(コーン・オブ・サイレンス)。 UFOやタイムホールなどの異常空間で発生すると言われる雑音が一切消えた無音空間。 今、このトイレの中は正しく『異界』だった。 肉塊は、ぶよぶよと脈打ちながら白い手を伸ばしてきた。 手の持ち主は闇の中。闇の中で陰影だけをさらしている。それは、死人の様に白く、子供のように小さかった。 それは人間であり、"できそこない"だった。 『異界』に取り込まれ、帰ることも変わることもできなかった人間の末路。 そして、ぶる、と肉塊が震え『引き込み』が始まった。 ―――異界へ、 ――――――異界へ。 常人であるのならば間違いなく心胆を凍らせ、悲鳴を上げるであろう光景だった。 いつの間にか、世界は闇一色で覆われ、セイバーはその光景に取り囲まれていた。 世界は闇に覆われ、唯一の異物をその中に取り込もうとする。 しかし、当のセイバーの顔は涼やかなものだった。 超越種たる彼にとってこんな物は脅威になりえない。 そして、興味もまた、無かった。 こんな、彼が嫌悪する人ですらいられなくなった、唾棄すべき敗残者達にいつまでも付き合ってはいられない。 だからセイバーは闇に告げるのだ。 消え失せろと。 セイバーの指先から、高次元にすら届きうる天使の刃が振るわれた。 片手間に撃ったとしても人口千人程度の町一つを切り刻むのは彼にとって容易い。 異界を切り裂いた数秒後にあったのは、夢でも見ていたかのように何事もないトイレだけだ。 ぶぅ……ん、と電灯の明かりが戻り、鏡に映る自分の顔が映った。 ゆっくりと向き直り、自身の頭を仰ぐ。 既に黒髪化は進行しており、彼の頭髪の幾らかは疲弊の黒に染まっていた。 彼がこの地にて全力でプラントの力を使ったのはまだ数回。 生前よりも黒髪化の進行は早いとはいえ、余力はまだ十分ある。 しかしそれは自身の宝具を攻撃にのみ使った場合だ。 数時間前に戦ったアーチャーの様に御しやすい相手ばかりとも限らない。 もし重傷を負って自身の肉体の修復にプラントの力のリソースを裂けばそれだけ現在より苦しくなっていくだろう。 加えて、あの神隠しの童女の事もある。 セイバーは英霊だ。語弊がある言い方を敢えてすれば同じく異界の住人だ。 だからこそ、異界の干渉を跳ね除ける事ができ、その人理を超越したプラントの能力の特性を行使して異存在を返り討ちにするのも可能だ。 だが、自分のマスターは別だ。 直接あやめと出会っていない以上今しばらくの猶予はあるかもしれないが彼女が神隠しの物語に感染しているのには変わりない。 今日の夜は越せても明日は、その先は? 保障などどこにもない。 「保護か」 一人ごちる。 「いつまでそんな傲慢で蒙昧な事が言えるものか、見ものだな」 ▼ ▼ ▼ 息が切れる。 足が鉛のように重い。 もうあと数十メートル程の距離が、英治にとっては余りにも遠い距離だった。 このままではまた倒れるハメになる。 そんなマヌケを晒すわけにはいかない。少なくとも今ここで自分が潰えれば、あの白人のマスターを倒す千載一遇はきっともうやってこない。 (どうした…早く動け、それでも俺を入れる器か!!) 汗を滝のように流しながら、それでも止まることなく英治は進んでいた。 令呪は最後の一画を残し使い切り、魔力を回復させることも出来ない。 こんな有様で本当にあのマスターを殺せるのか、とは考えない。 精神だけは強く持たなければ、肉体が全てを棄てる。 サーヴァントを失った時点で元より絶望的な戦いなのだ。これしきの苦境で折れていては聖杯を掴むことなど不可能だ。 しかし、もう魔力の消費は打ち止めのはずなのにこの倦怠感はどういう事か。 そんな疑問も、今の英治には考える余裕は無かった。 当然のことだが、心が諦めなくとも肉体的な限界は必ずある。 覚束ない足元が英治の命令に背き、地に膝をついた。 四つんばいで荒い息を吐き、力を籠めようと喰いしばった歯はミシミシと軋む。 視界がまるで濃霧がかかった様に霞がかっていく。 「ここまで、なのか……」 どう考えてもおかしい。 バーサーカーは死んだはずだ。なのに何故体調が好転しない。 否、好転どころか自宅を出たときよりも悪化している。 自分が何のためにこんなに苦しい思いをしているのかさえ、分からなくなってきた。 ここまで自分が無力だと思ったのは、あの冷たい死の味がした―――螢子との口づけ以来だった。 (螢子……そうだ、螢子だ) そのたった二文字の言霊が英治の意識を再び現世に引きずり戻す。 自分は誓ったではないか。あの不動高校で出会ったマスターを絞殺した時から、 或いは、もっと前、螢子と口づけを交わしたあの時から。 必ず螢子を救うと。 例え邪魔をする有象無象のカス共と螢子を見殺しにした屑を何百人、何千人、何万人、何億人を犠牲にしてでも救ってみせると。 その為に、自分は悪魔に魂を売り渡したのではないか。 今ここで自分が斃れれば誰が螢子を救える? 誰もいない。 まして使用人の様に螢子は引き取り先の養父母達にこき使われていたのだ。 螢子は自分とともに幸せになる権利がある。 きっと、今も螢子の”救われない魂”は冷たい水面の底を彷徨っているだろう。 それが英治には許せない。 「だから、何人殺そうが…俺は螢子を救うんだ……!」 幸か不幸か、螢子の名前は彼に力を与えた。 アスファルトに転がる小石を喰いこませながら拳を作り、足に力を込め立ち上がる。 すると、頭が何かにぶつかった。 「なん、だ」 ! ? 始め、英治はそれが人であると気付けなかった。 それ程までに英治の頭にぶつかった足は大きく、冷たく、まるで年を重ねた大樹の様に立っていた。 そして英治はそれが何なのか知っている。 「バーサーカー……」 狂戦士ジェイソン・ボーヒーズ。 その威容は朽ちることなく、まるで巌の様に復活を果たしていた。 英治はその名を呆然と呼びヨロヨロと後退すると、 「はっ……はははは」 犯行を名探偵に暴かれ、自暴自棄になった犯人のような様相で笑い出す。 それを見るバーサーカーの醜悪な表情はホッケーマスクによって隠されており伺えない。 「そーだよ、そうこなくっちゃな。それでこそ俺のサーヴァントだよバーサーカー」 掌で顔を覆い、尚も可笑しいのかクツクツと笑い続ける英治。 これで合点が行った。何故こんなに自分の消耗が激しいのかも。 同時に僅かながら希望が湧いてきた。 病院でダウンしているあの白人のマスターは既にサーヴァントを喪っていて、自身も未だ傷は癒えてはいないはず。 引き比べるに、バーサーカーは万全だ。 ―――あとは、魔力の問題さえクリアできれば、 逆境は今も続いている。 だが、その適度な逆境の存在は英治の頭に”冴え”を与えるのだ。 螢子の仇候補がアクシデントで彼が仕掛けた罠に飛び込んでこないと知った時、彼自らが罠から飛び出し標的を殺したように。 「そう言えば、あの時殺したアイツが言っていたアレは……確か、そう、魂喰いだ」 振って湧いた様な希望と未だ続く課題によって冴えた英治の頭脳は、忘れかけていた殺したマスターが言っていた話を思い出していた。 その内容は、魂喰いについてだ。 あの刺青のバーサーカーの大量殺戮は魂喰いを目的としたものではないかと彼女のサーヴァントは語っていたらしい。 彼女は魔力消費の事は教えてくれなかったので、魂喰いとは何たるかは推理するほかない。 だが、バーサーカーは確実に燃費が悪い。理性がないため常に実体化して暴れまわるためだ。 当然魔力もバカにかかる。そのためにやるとするのならば…… 魂喰いとは殺人によって魔力を回復する方法であり、 あの大量殺戮は魔力を回復するために行った事だった? 魔力を知った今の英治だからこそできる推理だった。 単純にその刺青のバーサーカーにとって殺戮は呼吸のようなのものであったのでしただけであり、その推理は大外れなのだが、ここでは関係ないので置いておく。 兎に角英治はその時は魔力消費の事を聞かされていなかったので与太話と思って失念していたが、もしこの推理が的を得ているのならばもうこれに賭けるほかない。 何せ令呪はもう二画使ってしまっているのだ、最後の一画を使ってしまえば事実上の敗退が決まってしまう。 「喰え、バーサーカー。魂喰いだ。ただ殺すだけじゃだめだ。 病院から逃げようとする奴、そしてあのマスターも…!」 だから英治は命じた。己が従僕に。 病院から逃げようとする者に限定したのは逃げられない羊が多い方が、万が一あの白人のマスターが抵抗した場合足手まといになるからだ。 あのバーサーカーを倒したという謎の変身能力も、バーサーカーとの戦闘でケガ人が巻き込まれる可能性を考慮した場合さぞ使い難いだろう。 バーサーカーをマスターの身で打倒するような異能を持つ奴だ、倒した時に得られる魔力も期待できる。 「いけるぞ…あとは病院から奴を逃がさなければ……」 その課題さえクリアできれば、計画を完全に有利に進められると踏み、数十メートル先にある病院を睨んだところで、英治は気づいた。 病院を覆うようにして濃霧が立ち込めている。 さっきまでは自分の目が霞んでいるのかと思ったが、目をゴシゴシと擦っても変化がない。 しかも、マスターである英治からしても何か嫌な気分と予感がする霧だ。 「バーサーカー、まさか、お前が?」 バーサーカーは答えない。 だが英治はそれを無言の肯定と受け取った。 こんなわずかな間に天気は悪いとはいえ湿気はそれほどないにもかかわらず濃霧が立ち込めるとはずがないのだ。 鑑みるに、ここはバーサーカーの狩場なのだろう。 それすなわち、今この病院周辺は殺人鬼(ジェイソン)の檻の中ということになる。 ……本来ならば魔力が底を尽きかけている英治に固有結界の宝具の魔力の供給などできようはずもない。 しかし、彼にとって幸運なことに、今、夜であるこの瞬間の病院付近に限って言えば別だった。 夜とはそれ即ち怪異・悪霊の時間である。 勿論、怪異や悪霊程度では英霊とは余りに魂のレベルが違うため危害を加えることなどできはしない、魔術師ですら不可能だ。 例えば、先ほどセイバーに対し”引き込み”を行った異存在の様に。 だが、異存在は撃退することはできても、元の物語を断たぬ限り消えてなくなる事は無い。 もし…先ほどセイバーが切り刻んだ異存在が消滅していなかったとしたら? 最もそれは細かく切り刻まれ、最早存在するだけだ。本来ならば害はない。本来ならば。 だが、そんな水面下で怪異が蠢く病院の直前で、悪霊とも呼べる殺人鬼が復活した。 そしてその時、悪霊としての性質が近い”できそこない”達が『13日の金曜日』に取り込まれていたとしたら? バーサーカーは復活の際にこのことを霊格に記録していたため魂喰いの概念を理解できたのだ。 加えて、病院という場所。 ジェイソン・ボーヒーズという殺人鬼の最も鮮烈に残っている逸話と言えばクリスタルレイクでの凶行だろう。 だが、もう一つ。病院――正確には精神病院だが、そこは初めて彼の伝説を利用した”模倣犯”が現れた逸話が『13日の金曜日』及び『クリスタルレイク』の宝具に記録されている。 そして、取り込まれた”できそこない”達も元々はとある山の神の眷属であり、内包する魔力は高く、何より『隠し』の性質があった。 もし、昼であるか、『神隠しの少女』がいなければ、或いは場所が病院でなければこうはならなかっただろう。 だが、様々な偶然が噛み合い、本来心象風景の具現化であり、不可侵である固有結界が歪な形で発動し、病院を鬱蒼とした森と湖畔に”隠し”、『奇譚・13日の金曜日』が発動した。 それは彼には知る由もないことだが、これで目下全ての課題はクリアだ。 後は往くのみ。 「いいか、バーサーカーもう一度言うからしっかり聞け」 英治は魂喰いについての計画を懇切丁寧に、細心の注意を払ってバーサーカーに伝えた。 これが彼の最後の賭けだった。 幾ら綿密な計画を立てようとも、バーサーカーが聞き入れなければ全てがご破算。 分の悪い賭けだったが…その時小さな奇跡が起こった。 バーサーカーが首を縦に振ったのだ。 これがもっと複雑な命令や殺し以外の事なら狂化し理性を失っているバーサーカーが聞き入れることは不可能だっただろう。 だが、英治が命じたことはシンプルだった。 ―――病院から出ようとするものを、食い殺せ。 その悪魔のような命令だったからこそ、バーサーカーの耳に届いた。 またそれを命じる英治の表情も一因であった。 彼の表情は、母のような狂った笑みだった。狂笑とでも言うべきか。 ジェイソン・ボーヒーズという殺人鬼は、母にだけは忠誠を誓っている。 そのために、夢魔の殺人鬼に体よく利用されたことがあるという逸話まで残っているほどだ。 英治と狂戦士の作戦は実行段階に移った。 二手に分かれ攻めいる。 つまり挟み撃ちの態勢である。 バーサーカーに派手に暴れさせて、自分は背後から無力なNPCのふりをして背中を狙う。 英治はポケットのSKのキーホルダーを強く握りしめた。 その冷たく堅い感触は、彼の中の何かを不滅のモノへと変えていく。 敵は手ごわく、強い。だが、その強い力を病院で使おうとすれば間違いなく巻き添えでより多くの人間が死ぬだろう。 自分が助かるためなら他人を犠牲にしても構わない…正しくカルネアデスの板ではないか。 「――さぁ行くぞ、正義の味方の喉笛を食い破ってやる……!」 そして、本来傷や病を癒すべき場所である病院は惨劇の檻(クローズドサークル)に相成り、二人の残忍な殺人鬼は迫っていた―――。 【三日目/夜/葛飾区 不動総合病院/???】 【バーサーカー(ジェイソン・ボーヒーズ)@13日の金曜日】 [状態]宝具『13日の金曜日』発動 、魔力充実 [装備]無銘・斧 [道具] [所持金] [思考・状況] 基本行動方針:殺戮 1:??? [備考] ?恐らくマスターかサーヴァントを発見すれば、それらの殺害を優先すると思われます。 ?アサシン(カイン)を把握しました。ライダー(ジャイロ)を把握しているかは不明です。 ?バーサーカー(アベル)、バーサーカー(オウル)、アサシン(アイザック)とメアリー、神原駿河を把握しました。 ?ジークがマスターであると把握しました。 ?宝具の発動により再び現界を果たします。次の再臨までにどの程度の時間がかかるか、後の書き手様にお任せします。 ?宝具『13日の金曜日』発動が2回発動しました。 ?怪異達を喰らったため魔力が回復しました。 【遠野英治@金田一少年の事件簿】 [状態]魔力消費(中) [令呪]残り1画 [装備]私服 [道具]携帯電話、睡眠薬(ハルシオン5日分)、アイスホッケーマスク [所持金]並の高校生よりかは裕福 [思考・状況] 基本行動方針:聖杯を手に入れ、螢子を蘇生する。 0:マスターを全員殺す。まずは銀髪の少年(ジーク)から狙う。 1:不動高校の生徒を目立つ形で“眠らせる”事件を起こす 2:学校内にいるかもしれないマスターに警戒。 3:SNSで情報を集めて見る手も…… [備考] ?役割は「不動高校の三年生」です。 ?通達は把握しておりません。 ?体調不良が魔力の消費によるものと把握しました。 ?聖杯戦争については大方把握しております。 ?刺青の男・バーサーカー(アベル)が生存と、新宿区で事件を把握しました。 ?フードを被ったサーヴァント(オウル)と桐敷沙子の存在を把握しました。 イニシャルが『S・K』である桐敷沙子に関する情報を得れば、彼女の始末を優先するかもしれません。 ?銀髪の少年(ジーク)がマスターと把握しました。また何らかの手段でサーヴァントと戦闘を行ったと推測しております。 ?バーサーカーを見直しました。 ?でもそれはそれとして、もっと燃費のいいサーヴァントがいたら速攻で乗り換えようと思っています。 ▼ ▼ ▼ セイバーがトイレから出ると、扉のすぐ前にあやめが立っていた。 彼は何故あの眠っているマスターから離れたと問おうとしたところであやめと目が合った。 その眼の雰囲気は只ならぬもので、何かが起こった、或いは起こっているのは明白だ。 彼女の視線が、セイバーから窓の外へと泳ぐ。 窓から見えた景色は、都会の喧騒を表すようなネオンや車の光などでは決してなく、 「あの、同郷の匂いとよく似た……!?」 あやめが何か言う前に、セイバーは少女の軽い体を小脇に担ぎ上げた。 そのまま窓の淵に足をかけ、一息に飛ぶ。 「――――――!」 少女は声にならぬ声を上げるが、セイバーはまったく気にする様子はない。 そのままグングンと跳躍し、上空にはなった弓矢がそのまま地上に落ちるように、弧を描いてセイバーは病院の屋上に着地。 そしてあやめを下すと、傍らの彼女と共に病院の屋上から霧向ける森と湖畔を見た。 「これは……」 「固有結界、か?風変わりではあるが」 青ざめたあやめの呟きに答えるように、ナイブズはそう判断した。 同時に舌打ちをする。 舌打ちの理由は二つだ。 まずあの病院と切り離された空間である異界の中にいたとはいえ、ここまで後手に回った事。 結界を展開したにも関わらず、まったく気配を感じないということは、敵はアサシンか。 だが、そのアサシンが仮にあの白人の少年のサーヴァントだとすると解せないところがある。 何故、このタイミングで固有結界などはったのか 主人の意識がない状況ならクラススキルである気配遮断を生かしてまず奪還と離脱を選ぶはず、宝具の開帳など存在を知らしめるようなものだ。 ハッキリしているのはマスターの意向はどうであれ、相手方のサーヴァントは此方を獲りに来ているのは間違いない。 そうなるとつくづく後手に回ったのが痛いと感じた。 高ランクの対魔力を有するセイバーの力量ならばどのクラスでも先手を打つことに成功すれば宝具の展開前に鏖殺することすら可能だっただろう。 まぁこれは悔いたところで詮無い話ではあるが。 何にせよ、これで迂闊に外に出るわけにはいかない。 これが二つ目の理由。 セイバーの宝具はこの東京でも文字通り最高クラスの火力を持つ。 だがそれだけにリスクも大きく、黒髪化という代償が常に付きまとう。 そんなセイバーにとって、一番避けたい事態は宝具の無駄撃ちだ。 この視界の悪い中、直感スキルを頼りに宝具を撃つのは愚鈍に過ぎる。 勿論、病院ごと天使の刃で全てを消し飛ばすことも可能と言えば可能ではあるが アサシン一体にエンジェル・アームの全力展開は黒髪化の進行とつり合いが取れないし、確実性に欠ける。 もし離脱用の宝具やスキルを敵が持っていたら目も当てられない。 彼の主であるアイリスの魔力的な問題もある。 加えて、あやめの存在だ。 アイリスはセイバーに彼女の保護命じ、そのためにここへ来たともいえる。 何しろ、野放しにしておくには『神隠し』という存在は余りにリスキーに過ぎる。 この不動病院は戦火の影響が薄く、少女の隠れ家兼、収容場所としては及第点だ。 そんな場所を到着早々に失うのは面白くない。 となれば、彼が取る選択肢は一つだ。 「向こうが仕掛けてきたところで迎え撃つ他ないか」 未だ気配を感知できず行方は様としれぬサーヴァントを迎え撃ち、倒す。 セイバーは淡々とそう宣言した。 それを傍らの少女がそれを不安げに見つめる。 だがやはりセイバーは我関せずといった様相で、屋上と病棟を繋ぐドアへと進む。 そして、ドアノブに手をかけたところで、初めてあやめに一瞥した。 「俺はまずあの白人のマスターを抑える。お前は、好きにしろ」 セイバーが神隠しの少女に選択を迫るのは、これで二度目。 あやめはその言葉に戸惑い、逡巡し、俯いていしまう。 自問する。 セイバーにすべてを任せるのが最善と言えるのかもしれない。 しかし、それで本当に善いのだろうか。 ただ存在しているのではなく、”考え、対決”していると言っても良いのだろうか。 本当は、”道”を拓く事こそが――― だから、 「……行きます、私も」 少女はあの月に散った自分のキャスターは何と言うのだろうと一瞬考え、 次いで何かを決意するように表情を硬くすると、セイバーの背を、小走りに追いかけて行った。 セイバーがそれについて何も言うことはなかった。 【三日目/夜/葛飾区 不動総合病院/屋上】 【セイバー(ミリオンズ・ナイブズ)@TRIGUN MAXIMUM】 [状態]魔力消費(小)、肉体ダメージ(小)、黒髪化進行 [装備] [道具]アダムの免許証 [所持金] [思考、状況] 基本行動方針 人類を見極める。 1:魔力を持つ患者(ジーク)に接触する? 2:あのアーチャー(ひろし)は…… [備考] ?アーチャー(ひろし)のマスターについての情報を得ました。 ?神隠しの物語に感染しました。あやめを視認することができます。 ?アーチャー(与一)のマスターは健在であると把握しておりますが、深追いする予定はありません。 ?アーチャー(与一)での戦闘でビルの一部を破壊しました。事件として取り扱われているかもしれません。 ?バーサーカー(アベル)の宝具について把握しました。 ?ライダー(幼女)の存在と宝具『SCP-682』について把握しました。 ?緊急搬送された少年(ジーク)がマスターであると把握しました。 【あやめ@Missing-神隠しの物語-】 [状態]魔力消費(中)、サーヴァント消失 [令呪]残り1画 [装備]神隠し [道具] [所持金] [思考・状況] 基本行動方針:聖杯戦争が恐ろしい。 0:ごめんなさい…… 1:どこかに身を潜めておきたい。誰も巻き込みたくない。 2:搬送された少年(ジーク)が気になる。 [備考] ?聖杯戦争についておぼろげにしか把握していません。 ?SNSで画像がばら撒かれています。そこから物語に感染する人が出るかもしれません。 ?カラ松とアサシン(明)の主従を把握しました。 ?トド松とセイバー(フランドール)の主従を把握しました。 ?カナエがマスターであると把握しましたが、ランサー(ヴラド)の存在は確認しておりません。 ?役割は『東京で噂される都市伝説』です。 ?セイバー(ナイブズ)とライダー(幼女)のステータスを把握しました。 ?飛鳥とアサシン(曲識)の主従を把握しました。 ?緊急搬送された少年(ジーク)がマスターであると把握しました。 ▼ ▼ ▼ 時は僅かに巻き戻り、セイバーが神隠しの少女を窓から放り投げ、飛び出した頃。 飛び起きる事は無く、静かに最後の役者―――ジークは目を覚ました。 慎重に周囲を伺い、ここが病院だと悟ると、自分に接続された点滴やチューブの類を引き抜く。 まだダメージや消耗が抜けきっていないため、可能ならばもう少し休んでいたかったが、 覚えのある悪寒を感じ取った事でそうもいかなくなった。 「ぐっ……」 俄かにうめき声を上げて、傍らに置かれていた服をとると病室から出る。 幸い遠くにいた患者の老人には見つかったかもしれないが、医師や看護婦に見つかることなく部屋を出れた。 そのまま足早に離れる。 そして、渡り廊下の窓から外を見た。 想定していた通り、そこはあのバーサーカーの固有結界の中だった。 「くそ……」 バーサーカーはこの手で討ったはずだった。 だが、この宝具が発動している以上、バーサーカーの生存は認めざるを得まい。 「だが、あのバーサーカーの宝具だとすると、何故この病院ごとここにある?」 さっきこの湖畔に引きずりこまれたときは自分一人だった。 だが、今回は病院にいたNPCまでここにいる。 異変に気付くNPCも出てきたようで、騒ぎはゆっくりと、だが確実に浸透している。 考える余裕は余り無さそうだ。 それでも、やらなければいけないことはハッキリしている。 あのホッケーマスクのバーサーカーを今度こそ討ち果たす。 「俺は―――『東京』を守ってみせる。彼も…セイバーも、そうするだろう」 それが裏切りも暗闇も恐れず戦った者の代わりに、生き残った者の責務だ。 『正義の味方』は、変わらず、潰えず、魔を断つ剣を執る。 【三日目/夜/葛飾区 不動総合病院/東館一階】 【ジーク@Fate/Apocrypha】 [状態]魔力消費・肉体ダメージ(小)、サーヴァント消失 [令呪]残り2画(令呪の模様は残っております) [装備] [道具](警察に押収されました) [所持金](警察に押収されました) [思考・状況] 基本行動方針:元の世界への帰還、そのために聖杯戦争を見極める。 0:セイバー……ランサー…… 1:あるべき『東京』を取り戻したい。 2:アヴェンジャー、及びそのマスターと接触したい。 3:板橋区で何が起きたか知りたいが…… [備考] ?役割は「日本国籍を持つ外国人」です。 ?バーサーカー(ジェイソン)のステータスを把握しました。 ?葛飾区にある不動総合病院に搬送、入院しております。 ?葛飾区内で戦闘を行った為、多くの人々に『変身』を目撃されております。 →警察が銃刀法違反で聴取をする予定です。ジーク自身はまだ知りません。 ?『竜告令呪』は使用しても令呪は消えません。しかし、残り2回の『変身』を行えば邪竜に変貌します。 ?傷や魔力は『ガルバニズム』で回復しますが、蓄電が満足にない為、時間がかかります。 ▼ ▼ ▼ かくして、この世ならざる異界の者たちは集う。 正義の味方は目覚め。 殺人鬼の片割れは、英雄に突き立てる牙を磨ぎ。 神隠しの少女は畏れながら、それでも進み。 殺戮の天使は粛清の刃を向ける相手を探り。 殺人鬼のもう一人は気配を殺し、ただ殺め続け。 そしてもう一騎、死を操りし主従もこの場所を目指す。 思いは交差し―――― 眠れぬ夜が、始まる。 時系列順 Back ボクらの聖杯戦争 Next 光と闇の童話 投下順 Back until death do them part Next 黒山羊の卵 ←Back Character name Next→ 026 クラレッタのスカートを直せ セイバー(ミリオンズ・ナイブズ) 037 不動総合病院殺人事件 031 Crazy Crazy Crazy Town ジーク 026 クラレッタのスカートを直せ あやめ 031 Crazy Crazy Crazy Town 遠野英治 025 正義の輪舞 悪の祭典 バーサーカー(ジェイソン・ボーヒーズ)
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月と星と柊と それは、百八柱の古代神が、未だ世界の創造に従事していた頃のこと。 「ベッルちゃんっ! あっそぼっ!」 「嫌よ! アンタなんか、顔も見たくないわ!」 ベルは誤解の余地のない拒否の言葉を投げつけて身を翻し、メイオルティスをその場に残して去ろうとしたのだが。 このヤンデレ神は(いつものように)総てを自らに都合良く解釈し、屈託のない笑みを浮かべて歓声をあげた。 「あ、分かった! ベルちゃんは鬼ごっこがしたいんだね! じゃ、まずはあたしが鬼ね!」 「違うわよ! 寄ってくんじゃないわよ!」 そして、メイオの宣言どおり、未完の世界を舞台に神同士の鬼ごっこが始まった。 空間転移と高速飛行、更には次元移動を繰り返し。 地水火風の精霊界の海を泳ぎ、数多の世界を走り抜け。 攻性魔力の塊を背後へとばら撒いて弾幕を張り。 追いすがる天敵から逃げ回ること数時間。 「ふう。どうにか撒いたみたいね。って、ここドコよ?!」 やっとの思いでメイオを振り切ったベルは、見知らぬ世界に身を置いていた。 「今日はアステートとの約束があるから早く帰らないといけないってのに! ったく、もう!!」 憤慨しつつ周囲を見渡せば、眼下には、緑なす沃土が広がっていた。 落ち着いて、ジッと目を凝らしてみる。 其処では大勢の純朴そうな人間達が、或いは田畑を耕し、或いは家畜の放牧をしつつ、敬虔に神への祈りを捧げていた。 「へぇ。なかなか良く出来た世界じゃないの。これなら超至高神も喜びそうね」 ベル達百八柱の神々が世界を創っているのは、人間を繁殖させて愛と安らぎの念に満ちたプラーナを精製させる為だった。 何故なら、超至高神が(後世、俗にエンディヴィエ本体と呼ばれる事となる)超存在から受けた傷を癒すには、それが最も効果的であったから。 つまり、穏やかな人々が静かに安心して暮らせる世界こそが、神々の目指す理想の世界なのだ。 世界の出来栄えに感服するベルの前で、地上から信仰心に満ちたプラーナが大量に立ち昇り、同じ方向に向かって行った。 その流れを何の気無しに目で追えば、雲上に聳える石造りの立派な神殿の、壁に掘り込まれた紋章が、その主が誰であるかを告げていた。 「あれって……確か、エルヴィデンスの紋章よね? てことは、ここはエル=ネイシアなのね」 ベルはエルヴィデンスとは大して親しい間柄ではなかったが、大層仕事熱心で、超至高神の信任も厚いと聞いていた。 また、他の神々や、共に世界創生を行っている精霊王達からも随分と頼りにされているのだとか。 「そうね。エルヴィデンスからメイオの奴に一言言ってもらおうかしら」 彼女なら、きっとメイオの横暴も治めてくれるだろう。 そう、他力本願に考えて、ベルは神殿へと足を向けた。 「―でさぁ、メイオの奴がウザくってさぁ、もう始末に負えなくて困ってるのよ。アンタからも一遍、ガツンと言ってやってくんない?」 「ほう、ほう。其れは困ったものだなぁ……」 黒衣に身を包んだ創造の女神は喋りまくるベルの方を見向きもせず、ガリガリと音を立てて鉄筆で石版に何やら文字を刻み続けていた。 一通り話し終えたベルは、あまりに素気無い態度に眉を寄せ、黒衣の女神の机の前に立ち、フードに隠された顔を覗き込んだ。 「ちょっと、他神(たにん)の話を聞くときは相手の顔を見なさいよ、って、まあ、こんだけ仕事溜まってちゃー、無理もないか」 ベルは一旦抗議の声を挙げかけたが、すぐに思い直し、肩を竦めて周囲を見渡した。 神殿の一角に設けられた女神の書斎は、堆く積み上げられた大量の石版によって足の踏み場も無く。 ベルが愚痴を零し続ける間にも、大勢の下僕モンスター達が絶え間なく部屋を出入りして。 書きあがった石版を何処かに運び出しては、何も掘り込まれていない石版や何かの資料となる石版を彼らの女神の傍らに積み上げていた。 (随分と忙しそうね。ひょっとして、邪魔しちゃったかしら?) 今更ながら、自分の行動を省みてみる。 いや、自分の来訪は、仕事の合間の良い気晴らしになった筈だ。 希望的観測で自分を誤魔化したところで、ベルは――多分、延々と喋り続けた所為だろう――ふと、喉の渇きを覚えた。 お茶を頼もう。 そう思った瞬間、ウーパールーパーのヌイグルミに羽根と角を付けたような外見の精霊が目の前に現れ、スッと紅茶を差し出した。 「ドウゾ」 「あら、気が利くわね。いただくわ」 当然のように受け取り、口を付ける。適度な甘さと豊かな風味が口内を満たし、ベルは思わず口笛を吹いた。 「ヒュウ。アンタんトコの下僕、結構使えるじゃない。ウチの落し子どもより有能そうね」 「そうか……ああ、そうだろうなぁ……」 折角、世辞を言ってやったと言うのに、女神はそっけなく応じて休みなく鉄筆を走らせ続けた。 黒ローブのフードを目深に被っている為、表情を伺う事が出来ないが、声の調子から察するに、どうも機嫌が悪いらしい。 「どしたの? 何か嫌な事でもあった?」 「ああ、それはだな―」 不穏な気配を感じ取ったベルの問いにエルヴィデンスが答えようとした、その時。 「エルちゃーん。ちわわー」 神殿の入り口から厄病神の声が響き、ベルは思わず怖気を震った。 「やばっ! メイオだわ! あ、あたしがココに来たって事は言わないでくれる?」 「ああ、良いぞ」 「恩に着るわ!」 積み上げられた石版の陰にベルが身を潜めるや、否や。 屈託のない笑顔を満面に浮かべたメイオルティスが、勢いよく扉を開けて飛び込んで来た。 乱暴に開けられた扉の金具が悲鳴を上げて壁から外れ、エルヴィデンスは不機嫌を絵に描いたような顔を石版から上げた。 途端、迸った鬼気も、それを避けるべく慌てて主の視界から逃げ出した下僕達をも気に留めず、メイオは無邪気な声を出した。 「エルちゃん、おひさー。ベルちゃん見なかった?」 「見てはおらんな」 嘘ではなかった。彼女はずっと、石版から顔を上げなかったから。 「ふーん。じゃー、ベルちゃんが今ドコにいるかも知らないんだね」 「ああ。知らんな」 嘘ではなかった。ベルが今"この部屋の"何処にいるか、彼女は確認していなかったから。 「ふーん。残念だなー。にしても、すごい仕事量だね。エルちゃんは出来る子だって、超至高神も褒めてたよ」 「ああ、そうか。そんな事より自分の仕事は済んだのか、メイオ」 「もっちろん! 終わったから、これからベルちゃんと遊ぶの!」 「暇なら他の奴を手伝ってやれ。火の精霊王のカーンが、神手(ひとで)が足りんと愚痴っておったぞ」 「そうなの? じゃ、ベルちゃんを見付けたら一緒に行くよ。でも、ベルちゃんったら、一体ドコに行っちゃったんだろ?」 頬に人差し指を当てて小首を傾げるメイオを捨て置き、エルヴィデンスは再び石版に鉄筆を走らせた。 書き終えた石版を山と積まれた石版の上に乗せ、うーんと一つ、大きく伸びをする。 そして、書き終えた石版の山を、訓練された下僕が淀みない動作で運び出すのを見送って。 別の下僕の差し出した石版を受け取り、再び鉄筆を走らせる。 その様子を、部屋の隅で息を潜めたベルがはらはらしながら窺っているとは露知らず。 メイオは暫し無言でエルヴィデンスの仕事風景を見つめた後、一縷の望みを抱いた様子で口を開いた。 「ねぇ、エルちゃんはベルちゃんが行きそうなトコ、心当たりない?」 「ふむ。そうだな」 エルヴィデンスは筆を止め、また別の石版を手に取ってガリガリと何やら書き込んでメイオに向けて突き出した。 「この場所で待っておれば、そのうち会えるのではないかな?」 「ほんと?! 嬉しいなぁ! やっぱり、エルちゃんは頼りになるの!」 メイオは石版を抱きしめて小躍りし、「じゃ、早速行ってみるね!」と叫ぶや神殿の壁をブチ破り、砲弾のように外に飛び出して行った。 再び顔を上げたエルヴィデンスが執務室の壁に開いた大穴に溜息を吐くや、下僕の一人が「心得た」と言った風情で進み出る。 魔道具・逆さ時計の針をキリリッと巻き戻し、破壊された壁を速やかに復元した下僕は、自らの女神の微笑に頬を染めつつ一礼して退出した。 それから暫し間を置いて、ベルは――気配を探り、メイオがエル=ネイシアを去ったのを確信して――石版の山の陰から姿を現した。 「ふう。助かったわ。やっぱり、アンタは頼りになるわね、エルヴィデンス」 「何、私も、お前とは一度ゆっくりと話をしたいと思っておったのでな。良い機会だと思っているのだよ」 「へえ? アンタがあたしと?」 礼を述べたベルは、意外な台詞に片眉を跳ね上げた。 自分は何か、この仕事中毒気味な黒衣の女神の注意を引くような真似をしただろうか? お互いに年に数度、遠目に姿を垣間見る機会があるかどうか、と言う程度の間柄でしかない筈なのだが。 「少し待ってくれるか? あと一息で一区切りつくのだ」 「う、うん? 別にいいけど……」 ベルが思い悩む間も、エルヴィデンスは時折資料に目を向けつつ石版に文字を刻み続けた。 脇目も振らずに仕事に没頭し、ベルやメイオの話にも上の空だったのが気になったベルは、眉を顰めてエルヴィデンスの正面に立った。 「あんまし根を詰めすぎると身体壊すわよ? さっきから何をそんなに熱心に書いてるのよ?」 「知りたいか?」 手を止め、幽鬼のような仕草でユラリと席を立ったエルヴィデンスの声は、まるで冥界の腐沼の底から響くかのようで。 呪詛を孕んだ言葉と、敵意に満ちた思念を浴びせられ、ベルは急に胃を冷たい手に捕まれたかのような錯覚に襲われた。 噴き出した憎悪に全身を打たれ、ビクリと身体を振るわせる。 巨大な掌に頭を抑え付けられる幻覚に襲われる。 胸を押し潰されそうな、強烈な圧迫感に苦しめられる。 (なんで? なんで、この女は、こんなにもあたしを憎んでるの?) 思い当たる節は何もない。何もないのだが、目の前の女神が激しく自分を恨んでいるのは間違いない。 混乱したベルの鼻先に、書き上げあげられたばかりの石版が突きつけられ、一読するや瞬時に疑問が氷解した。 そこには、見覚えのある地名が並んでいた。つい先月まで、ベル自身が創世に従事していた世界のものだ。 どうやら、そこで大規模な天変地異が起こり、大惨事になったらしい。 そして、超至高神から災害復旧と原因究明を命じられたエルヴィデンスは、多忙を極めた後、次のような結論に達していた。 即ち、今回の災害は創世を担当したベール=ゼファーの手抜き工事が原因である、と。 「えー……えーと……そのー……」 たった今、紅茶を飲んだばかりだと言うのに、ベルの口の中はカラカラに干からび、舌が上顎に張り付いて動かなくなっていた。 エルヴィデンスは全身からそこはかとない疲労感を漂わせ、予想外の事態に言葉を失ったベルへと静かに歩み寄る。 その様子は、人間で言えば「ずっと会社に缶詰になってて、一ヶ月くらい家に帰ってません」という状態に相当するだろう。 「私はな。自分の割り当て分の仕事は、もうとっくの昔に済ませているのだよ。 エル=ネイシアの土台は一通り出来上がり、後は様子を見ながら微調整を加えるだけなのだ。 そうして、その後は、ゆっくりと下僕達の育成を楽しめる筈だったのだよ。それが、その筈が……」 声が震え、後は言葉に成らなかった。 仕事というモノは、「しない奴」の所から「する奴」の所へ流れていくものなのである。 上司にしてみれば、働かない奴を無理矢理働かせるよりも、働く奴に遣らせる方がずっと楽だ。 が、だからといって一人に仕事を集中させれば、その有能な人材は過労で倒れてしまい、結果、役立たずだけが組織に残る。 そうならないように職場を管理し、適切に仕事を割り振るのが管理職の役目ではあるのだが、超至高神は自分が楽な方を選んだらしかった。 「なぁ、ベール=ゼファー。どうして貴様は何事につけて、すぐに手抜きをするのだ?」 「あー……えーと……そのー」 「どうして貴様は真面目に働こうとしないのだ? なぁ?」 「いや、えと、その……」 鬼気迫る風情で詰め寄るエルヴィデンスの言葉よりも迫力に押され、ベルは思わず一歩後退った。 意味もなくグルグルと回る頭で、大急ぎで対策を講じる。 大きく深呼吸をし、気を静める。同性すら魅了する(と、自分では信じて疑わない)蟲惑的な笑みを浮かべる。 そして、精一杯可愛らしい声で、こう言った。 「働いたら負けかな、って思って」 「くたばれ地獄で懺悔しろ」 冗談の通じない奴だ。 「貴様がダラダラと過ごしている間、私がどれだけ働いていると思っているのだ? 貴様に遣らせるより私に遣らせた方が早いからと、超至高神が割り当てた仕事の配分がどれ程偏っているか分かっているのか? 貴様の手抜き工事が原因で起きた事故の処理を、私が何十件押し付けられたか知っているのか? 貴様は何故、いつもいつも致命的に詰めが甘いのだ? 何故だ? 何故、私が貴様の怠慢のツケを支払わねばならんのだ?」 「う……うう……」 ネチネチネチ。 「個々の仕事はな、別段大した問題ではないのだ。だがな。片付けても、片付けても、すぐにまた次の仕事が来るのだよ。 私だって、私だってな、こんな雑用はさっさと済ませて、可愛い可愛い下僕達を愛でる作業に戻りたいのだよ。 それが、それが貴様の怠慢の所為で、この部屋と事故現場を往復する毎日だ。もう何日も下界の様子を伺う暇も無いのだよ」 「う……うう……」 グチグチグチ。 「貴様がサボった分の皺寄せに私が苦しんでいる間、貴様はと言えば、メイオとじゃれ合ったり、アステートと遊んだり、アチコチ食べ歩きを楽しみおって。 働かずに喰う飯は美味いか? 暴食の女王よ」 「ぐ……ぐ、ぐう……」 エルヴィデンスの舌鋒に胸を抉られながら、ベルは必死で反論の糸口を探し、猛スピードで思考した。 (落ち着いて……落ち着くのよ、ベール=ゼファー……言われっぱなしで済ますなんて、絶対に認められな―) 「一大事だよ、エルヴィデンス!」 ベルが何かしら返す言葉を見つけるよりも、早く。 突如、荒々しく扉が開かれ、上品な雰囲気の老婦人が慌てた様子で飛び込んで来た。 「エデンが、第九世界が自壊を始めていてね。急いで修復しなきゃならないんで、一緒に来てくれないかね」 「がっでむ!」 抑えきれぬ怒りの赴くまま振り回された腕が、偶然にも近くを通りかかった下僕に当たってその場に打ち倒す。 「あ、ちょっと、かわいそうかも」 最愛の女神から謂われない暴力を受けた下僕に同情したベルは、エルヴィデンスに声をかけようとしたが、それよりも一瞬早く、現実を把握した下僕は、慌てて跳ね起きて、もの凄い勢いで部屋を飛び出して行った。 「みんなー、見てみてみてー! 女神様に触ってもらっちゃったーー! ほら、ここ! 痕がついてるだろー?」 「うわーいいなー」「うらやましーなー」 「下僕って……」 廊下の向こうから聞こえる歓喜に満ちた下僕の声が、ベルから、語るべき言葉を奪い去った。 「流石、よく躾けているね。エルヴィデンス」 「煽てても何も出んぞ、ラサ」 「いやソレ皮肉でしょ? 常識的に考えて」 「そんな事よりも、だ!」 ベルの呟きで逸れ掛けた会話を荒々しく断ち切り、後に邪神と呼ばれる事となる女神は乱暴に床を踏みつけた。 次いで、凶報を齎した地の精霊王へと憤怒も露に向き直り、常人ならば死を免れぬほどの殺気を吹き付けて食ってかかる。 「何故、私なのだ? 其処のポンコツに遣らせればよかろうに! 昨晩クィンティと片付けた事故の報告書を、つい今しがた書き終えたばかりなのだぞ! 今朝ラシィに頼まれた仕事には、まだ手を着けてさえおらんと言うのに!」 「どうしても、貴女の手腕が必要なんだよ。 ただでとは言わないよ。地の精霊界からエル=ネイシアへのプラーナ供給量を増やすからさ。 エルクラムを抜いて第三世界になれるくらいにね」 「む、それは一考に値するが」 ラサの申し出に、エルヴィデンスは胸の前で腕を組んで考えるそぶりを見せ、脈ありと見た地の精霊王が更に畳みかける。 (あ、これってチャンスかも?! ) 仕事熱心な二柱の女神が交渉を始めるや、ベルはこっそりと戸口の方へにじり寄り…… 機を見計らい、一気に外へと飛び出した。 「あああああたしは、これで失礼するわ! じゃね!」 「待て、ベール=ゼファー! まだ話は済んでおらんぞ!」 こうして、ベルはエルヴィデンスの怒声を背に受けながら、大慌てでエル=ネイシアを後にしたのだった。 「で、その後アステートと食事に出掛けたら、行った先でメイオの奴が待っててさぁ、折角の一時がダイナシよ。 あの陰険ババァ、あたしのお気に入りのデートスポットをメイオにバラしやがって! おまけにエデンを直すとき、あたしの貯蔵庫から勝手にプラーナ持ち出したのよ? ったく、もう!」 「何故、エルヴィデンス様は、その場所の事をご存知だったのでしょう?」 「何でも、あたしを捕まえて説教かまそうと、あたしが立ち寄りそうなトコを下僕に調べさせてたらしいわね」 「よほど、腹に据えかねていたのでしょうね……」 ベルの思い出話を聞かされたリオンが、鎮痛な表情で首を振った。 ここは、裏界の一角に聳える蝿の女王の居城。 窓の外で巨大な歯車の回転する私室で、ベルはエルヴィデンスとの過去の因縁を振り返っていた。 「ま、あンときの借りは今回の件で返してやったわ。あのババァ、さぞかし悔しがってるでしょーね」 「……他の古代神の計画を妨害して、出てくる台詞がそれですか?」 「にしても、さぁ。アンゼロットが柊蓮司を殺したいほど憎んでたってのは意外だったわねー」 リオンは小さく溜息を吐いたが、ベルはそれに気付かぬまま、小首を傾げて話題を変えた。 冥界の瘴気を吸収し、冥魔王へと変じて柊蓮司を苦しめたアンゼロットの狂態を思い出し、ぶるりと身体を震わせる。 あれ程までの悪意と憎悪の持ち主など、裏界の魔王にも居はしない。 大抵の魔王の脳内は、上位者への恐怖と、それを忘れさせてくれる楽しみの事で埋まっているのだから。 「この書物には、そのような事は書かれていません。 柊蓮司を妬んでいたのはエルヴィデンス様の方で、アンゼロットは操られていただけです」 「はえ? 何でまた、あのババァが柊蓮司を嫌うのよ?」 自慢の書物に目を落としたリオンにしたり顔で否定され、ベルは不審気に眉を寄せた。 「エルヴィデンス様は世界の守護者を三人も倒し、今や世界一つを支配下に置いています。 ですが、あの御方も、今まで常に順風満々に過ごしては来た訳ではありません」 「まあね。古代神戦争に負けたときに『これでもかっ!』ってくらい厳重に封印されたそうだしね。 総ての下僕から引き離されて、エル=ネイシアに唯一柱だけで閉じ込められて、自力で写し身も造れなくされて。 それで仕方なく、エルンシャの娘とか、アンゼロットの姉とかに憑依しようとしてたんだっけ? アンゼロットが仕事サボった隙に復活した過去2回の戦いでも、ロクに力を発揮出来ずに負けたって聞いたわ」 「ええ。そのとおりです。もっとも、敗れたとはいえ、その戦いでアンゼロットとイクスィムを倒しているのですが」 どこかのぽんこつとは大違いです、とは口には出さず、ベルの相槌に調子を合わせ、リオンは書物のページに視線を走らせる。 「あの方は世界を奪うために姿を偽ってエルンシャに仕え、全幅の信頼を得るほどに敬虔に振る舞いました。 あの嫌味な陰険ババァが十年以上もの間、非の打ち所のない聖女を演じ切ったのです。 恐らく、筆舌に尽くし難い精神的ストレスがあった事でしょう」 「嫌味な陰険ババァて。アンタもけっこう言うわね、リオン」 「対する柊蓮司はと言えば、労せずして、幾度となく世界を救う運命に恵まれています」 ベルのツッコミをサラリと聞き流し、リオンはパラリと書物のページを繰った。 「知ってのとおり、アンゼロットは長年に渡り、実に乏しい戦力で裏界を封じ続けて来ました。 それに興味を持ったエルヴィデンス様はアンゼロットの戦果について詳しく調べました。 そして、もしも御自分が同じ立場にあったならばと思索を巡らせて― 馬鹿馬鹿しくなってしまったのです。 碌な訓練も受けておらず、何の思慮もなく、ただただ勢いに任せて暴れるだけで成功し続ける柊蓮司の姿に」 古女王は政治家だ。 政治とは、総てを同時に得られはしないと認め、物事に優先順位を着けるものだ。 言い換えれば、政治とは『何を切り捨てるか』を決めるものだ。 しかし、もしも。 もしも、総てを同時に得られるのなら。 政治なるものは必要がなく、古女王が今まで支払ってきた代償は無駄であった事になる。 つまり、柊蓮司の在り方は、エルヴィデンスの生き様そのものを否定してしまうだ。 「報われない努力家であるエルヴィデンス様にとって、柊蓮司の存在は決して認められるものではなかったのです」 「それはちょっと、幾らなんでも大げさすぎるんじゃない?」 ベルが更に首を傾けると、リオンはまた書物のページを繰り、其処に書かれた記述に目を走らせた。 「そうですね。直接刃を交えてみて、エルヴィデンス様も色々と思うところがあったようで。 もう既に、柊蓮司への憎しみは解消されています」 「まぁ、そうよね。柊蓮司だって、まったくの苦労知らずって訳じゃないんだし」 今までに柊蓮司が味わってきた不幸の数々に思いを馳せ、ベルは腕を組んでウンウンと頷いた。 この世の不運を一身に背負ったような顔をした珍獣を「神からも羨まれる幸運児」と呼ばれても違和感しか感じない。 異世界から結果だけを見れば、或いはそのような勘違いも起こるのかもしれないが。 「それでもさー、やっぱ、アンゼロットを操っていたぶらせるってのは悪趣味にも程があるわ」 「魔王の台詞とも思えない御言葉ですね。 それに、エルヴィデンス様がアンゼロットを操ったのには、実際的な意味もあったのですよ?」 古女王は当初、冥魔王と成さしめたエルンシャにアンゼロットを攫わせ、エンディヴィエ封印の間に共に封じる予定だった。 だが、柊蓮司の尽力によって正気を取り戻したエルンシャがベルの不意打ちを受けて倒れ。 アンゼロットがショックで放心状態になったのを見て、千載一遇の好機と看做した。 アンゼロットを洗脳し、八大神に封じられた自らの本体を解放させようと目論んだ。 だからこそ、アンゼロットを殺そうとしたベルを止める為、より効率良く精神干渉を行う為、ベルの写し身を奪って顕現したのだ。 「現在のエルヴィデンス様は能力の大半を封じられており、そう簡単にはアンゼロットを完全な傀儡にできません。 そこで、エルヴィデンス様は段階を踏んで洗脳を行う事にしたのです」 まずは『アンゼロットには、柊蓮司を憎む"理由"がある』と言う事実を利用して『お前は柊蓮司を憎んでいる』と刷り込む。 次いで、柊蓮司に嗾け、反応を見ながら精神干渉を繰り返し、見事、アンゼロットに柊蓮司を殺させる事が出来たなら― 「アンゼロットの精神は罪の意識によって完全に崩壊し、意思無き人形に成り果てていた筈だったのです」 「うーん、理屈は分かるんだけどさぁ。やっぱ悪趣味だわ、ソレ」 「ベルだって、裏界第二位の実力を持つ大魔王が駆け出しウィザードばかりに手を出しているのですから、趣味が良い方だとは言えませんよ。 手応えのあるゲームがしたいのなら、どうして天界に攻め込まないのです?」 「ふふっ。分かってないわね、リオン」 ベルは哀れむようにリオンを哂うと、教え諭すように持論を述べた。 「いい? ゲームってのはね、難易度が高けりゃいいってモンじゃないのよ。 天界の奴らは戦って面白みのある連中じゃないの。見習いウィザードどもをからかう方がずっと楽しいわ」 「つまり、世界結界の外で直接介入禁止規定のない世界の守護者とガチって雷神王結界陣で動きを封じられて八神魔法を打ち込まれるよりも、 世界結界の内側で手抜きしながら年端もいかない子供にタンブリングダウンとネイティブ絶技符スロウでハメられる方が楽しいのですね。 良く分かりました」 いつか殺そう。 ベルは心に固く誓った。 「それよりも」 リオンは溜息をついて首を振ると、一転、真面目な顔をベルへと向けた。 「エルヴィデンス様と柊蓮司がギリギリの戦いをしているとき、どうして柊蓮司に手を貸したりしたのですか。 あの方に恩を売り、政治的立場を強める絶好の機会でありましたのに。 裏界の魔王が、古代神から世界の守護者を守ってどうします」 「ぐっ!」 痛いところを突かれたベルは思わず呻き声を漏らすと、じっと自分を見つめるリオンから視線を逸らして口の中でモゴモゴと呟いた。 「ああああのババァは、昔っから気に食わなかったのよ……やたらと説教臭いわ、他人の物を勝手に使うわ、それに……それに……」 「そうは言っても、それらはベルの怠慢が原因なのでは? 勝手に使ったというプラーナも、元々、世界を創造するために集めたものだったのでしょう?」 「いや、まあ、そうなんだけど……あ、あたしが集めたんだから一言断って当然でしょう? 今回の件についてだって、その、あのババァの方から縄張りを荒らしに来たんだし……」 「そういうベルだって、エル=ネイシアから神条皇子を攫ってきたではありませんか。 その言い訳はダブルスタンダードになるのでは?」 「そ、そんなの早い者勝ちでしょ! 皇子の件は、あの子の素質に気付かなかったババァの落ち度よ!」 「それなら、エルヴィデンス様がベルからアンゼロットを奪っても早い者勝ち。今まで倒せなかったベルが悪いと言う事ですね」 「うぐっ!」 言い返され、言葉に詰まったベルを見つめる視線の温度を若干下げて、リオンは更に追い討ちをかける。 「どう言い訳するおつもりですか? このままでは『ベルはアンゼロットの下僕になった』と言いふらされるかもしれません。 増してや『裏切り者のベルを討ち果たした者には、後見人となって裏界皇帝となるのを手助けしよう』とか言われた日には。 総ての侵魔が――ひょっとしたら、冥魔王も――ベルの首を取って名を挙げようと、一斉に襲いかかってくるでしょう」 「ま、まっさかぁ。あのババァにそんな影響力あるワケ―」 「本気でそう思いますか?」 リオンは席を立ち、顔を背けたベルの前に回り込んだ。 ベルの目をまっすぐに覗き込み、噛んで含めるように、聞き分けのない幼子に言い聞かせるように、静かに、穏やかに言葉を紡ぐ。 「裏界は力が総ての世界です。 ベル。貴女は輝明学園やダンガルド魔術学校に忍び込んでは、見習いウィザードに見つかって余裕でフルボッコされていますね? 対して、向こうは世界の守護者を3人も倒しています。シャイマールすらも遥かに凌ぐ戦果を挙げているのです。 どちらが強そうに見えるか、わざわざ説明が必要ですか?」 「ぐ……ぐぐぐ……」 「ベル・フライを慕うBFL団は僅か数万人。その内訳は、何の社会的影響力もない男子高校生ばかり。 一方、あの方の表の顔であるセルヴィ宰相の支持者は国民のほぼ総て。もちろん、その中には裕福な貴族や高名な神姫も含まれます。 第八世界と第三世界では色々と条件が異なりますが、それにしても桁が違いすぎるとは思いませんか?」 「ぐ……ぐぬぬぬ……て、あれ? この瘴気は……?」 リオンに畳み込まれたベルが溜まらず視線を泳がせると、部屋の隅に瘴気が蟠り、一人の少女が姿を現した。 その身を包むは、茨のようなレースに飾られたドレス。 右目を覆うは、薔薇の眼帯。 腰まで伸びた紫髪を靡かせるは、全身から立ち昇る瘴気。 満面に浮かべるは、亀裂めく禍々しき凶笑。 冥姫王プリギュラ。エルヴィデンスの盟友たる、冥魔王の一柱だ。 「はぁい、ぽんこつちゃん。遅くなってごめんねぇ。はい、これ。借りてたコンパクト返すわぁ」 「プ、プリギュラ! アンタ今までドコ行ってたのよ?!」 「闇海姫(シャドウ★ネプチューン)ちゃんの具合が悪そうだったからぁ、先にエル=ネイシアまで送ってきたのぉ。 途中でエルンシャに追いつかれそうになっちゃってぇ、撒くのに苦労したわぁ。 マトモに戦っても勝てるんだけどぉ、もしも闇海姫ちゃんを拠り代にされたら堪んないものぉ」 「うんうん! そうよねぇ!」 ベルは話題を逸らすべく、力強くプリギュラの言に同意した。 蝿取り紙のようにネットリとした喋り方といい、何処となく食虫植物を連想させる雰囲気といい、いけ好かない女ではある。 だが、リオンの追求から逃げるのには利用出来そうだ。 「ベル。それでエルヴィデンス様には何と言い訳を―」 「ね、ねぇ、プリギュラ! まだ暫くコッチに居られるの? 何だったら、表界をアチコチ案内してあげようか?」 ベルはリオンの台詞を強引に遮り、不利な話題から逃れる好機とばかりに、勢いよく冥魔王に言葉を掛けた。 このまま話を有耶無耶にして、プリギュラを連れて表界に逃げてしまおう。 (それに、この女があの陰険ババァのお気に入りなら、手懐けておいて損はないわ) 急いで策を組み立てたベルが熱心にかき口説くと、プリギュラは唇に人指し指を当てて思案する様子を見せた。 「アキバとか、一緒に行かない? 美味しいドラ焼き屋見つけたのよ」 「んー、それもいーけどぉ、その前に一つ聞きたい事が―」 「何々なに? 何でも聞いてちょうだい!」 逃げ場を求めて畳みかけたベルに、プリギュラが応じて曰く。 「セルヴィには何て言い訳するのぉ?」 逃げ場は、なかった。 「なななななんであたしが言い訳なんかしなきゃならないのよ! あいつはあたしの獲物を横取りしようとしたんだから当然でしょっ?!」 「自分が何をしたのか、全然分かってないのねぇ、ぽんこつちゃん」 プリギュラは薔薇の眼帯に覆われていない左目を細め、唇の両端をついっと吊り上げると、蔑みに満ちた瞳でベルを見た。 「アンゼロット一人の足止めも出来ない超☆無能魔王の尻拭いをぉ。 冥界陣営で唯一、守護者殺しと世界の簒奪の両方を達成した最高の戦果の持ち主がぁ、頼まれもしないのに買って出てくれたのよぉ。 泣いて喜んで感謝するところじゃないのぉ? それをダイナシにしておいて、その態度は何ぃ? 縄張りを荒らされた? プライドを傷つけられた? そんな台詞はアンゼロットを倒してから言ったらどうなのよぉ。 悪い事は言わないわぁ。セルヴィから謝罪と賠償を要求する抗議文が届く前にぃ、自分から詫びを入れたほーが身のためよぉ。 条件次第じゃあ、わらわも庇ってあげるけどぉ?」 「……言ってくれるじゃないの、プリギュラ」 冥界の腐沼の底から湧き上がって来たかの如き怨嗟に満ちた声が発せられ、室内が、否、城全体が苛烈な殺気に満たされた。 だが、駆け出しのウィザード程度ならば、それだけで息の根が止まるであろう重圧を浴びて、尚。 少女の姿をした冥魔王は、裂けるような笑みを崩さぬまま、冷ややかに裏界の大公を"見下して"いた。 其の不遜な態度に益々怒りを掻き立てられ、ベルは眉を吊り上げ、頬をヒクつかせて荒々しく椅子を蹴って立ち上がり― 「い、いけません、ベル!」 それまで黙って見ていたリオンが、額に汗を浮かべ、悲鳴のような声をあげてベルの前に割り込んだ。 「エルヴィデンス様の計画を妨害するのに、今回はあまりにも遣り口が露骨過ぎました。 パールの時とは違い、今回は相手の方が遥かに格上。 更に、ルー様の時のように失脚させた訳でもない以上―」 「うっさいわね! アンタはあの陰険ババァをダシにして、あたしをからかいたいだけでしょーが! そんなに心配ならアンタが詫びに行ってきなさいよ!」 「あ、ソレ、いーわねぇ」 「は? え、いえ、それは―」 怯えるリオンに、プリギュラの袖口から一本のリボンが飛んだ。 闇海姫の強大過ぎる魔力を抑える為に古女王が造った魔道具・クラーケンリボンが頭上で蝶結びを象るや、瞬く間にリオンの姿が縮む。 そして、数秒後。ベルとプリギュラの前には、一人の2歳児が佇んでいた。 「あ、あら……?」「こ、これは……ちょっと、かわいい……かも?」 ベルは一瞬呆けた顔になったものの、すぐに気を取り直し、ネズミを見付けた猫のような笑みを浮かべて黒髪の幼女の頭を撫で回した。 あのいけ好かない陰険ババァも、偶には面白い玩具を作るらしい。 「いー格好ね、リオン。この姿ならブラ付けるの忘れても問題ないわね」 「え? え?」 「じゃ、逝ってきなさい、リオン。ご・武・運・を」 「ちょ、まっ、ベル! まさか本気で言って―」 「さ、鉄子ちゃん。一緒にセルヴィのトコに行きましょうか」 「え? いえ、その……ベル!」 逃げようとしたリオンの小柄な体躯を素早く抱き上げた冥魔の王は、蝿の女王に目礼一つするや空間転移で姿を消した。 「フン! いーきみよ。たっぷり絞られてくるといいわ。さって、ゲン直しにアキバのうさぎ屋にでも行ってこよっかなー」 その場に一人残ったベルは誰に言うともなく呟くと、ポンチョを翻し、ドラ焼きを食べに表界へと赴いた。 ← Prev Next →
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聖杯戦争、開戦。 何処に居るとも知れない監督役の大号令により、今朝方聖杯戦争は遂に真の開幕を迎えた。 ――とはいっても、別段何かが劇的に変化した訳ではない。 如何に戦争を銘打っていようと、その在り方は根底から別物だ。 破壊兵器の類が人目も憚らず乱れ飛んで街を蹂躙することもなければ、 無辜の民を芥の如く蹴散らしながら、舞台となったこの戦場を破壊することもない。 ごくごく静かな朝だった。 開戦の告げられた日とは思えない平穏な静寂が、町並みの中には満ちていた。 アサシンのサーヴァント――ゼファー・コールレインは一つ大きな欠伸をしてから、いかにも憂鬱げに嘆息する。 これからは、いよいよもって呑気に安らぐ暇もなくなるだろう。 一体いくつの主従がここまで生き残れたのかは定かではないが、ゼファーの見立てではそう長くは掛からない。 これまでのように数週間単位の長期戦にはならず、長くとも一週間前後で決着する短期戦になる筈だ。 となると、やはりうかうかしてはいられない。 マスターである凌駕が登校していった後、すぐにゼファーは彼の部屋の窓を開け、そこから空中へ身を躍らせた。 行くあてはある。 とはいえ、あくまで目的は偵察だ。 深追いをするつもりはないし、なるべくなら戦わずに済ませたいと考えている。 その理由など、改めて語るまでもないだろう。 アサシンクラスの常套戦術は、気配遮断を施した上での奇襲攻撃だ。 出来る限り少ない手間で、それでいて確実に仕事を完遂する。 更に、戦う回数も可能な限り絞るべきだ。 古今東西、世界線を問わずして英霊の座よりかき集められた無双の勇者たちによる殺し合い、それが聖杯戦争。 一介の暗殺者風情がそれに次から次へと首を突っ込んでいては、命がいくつあっても足りない。 この場合は霊核と言うべきなのかもしれないが、大意では同じようなものである。 「ホント、やってられねえ」 ぼやきながら、アサシンは屋根と屋根を飛び回るように足場としながら駆け抜ける。 既に往来には人の姿がそれなりに見え始めていたが、彼らがゼファーの存在に気付く様子はまるでない。 彼の目指す場所は、予選期間の間から目を付けていたとある森だった。 K市某所、明神山の麓付近に広がる鬱蒼とした広大な森林地帯。 調べてみると、これがどうにもきな臭い。 固有地かと思いきや、登録上の名義は何とも実在の怪しい外資系企業の私有地とされている。 そして、極めつけが。 「……『御伽の城』ねえ」 深い森林の奥底に、巨大な城が存在するという噂話だった。 常識的に考えれば、あり得ない。 人里離れた山奥でもあるまいに、そんな摩訶不思議な建造物があって話題にならないはずがないのだ。 念には念を入れて空撮写真や測量のデータも漁ってみたが、やはり城の存在は確認できず仕舞い。 普通なら、ただの噂話と切って捨てるところだが――しかし今、この地は聖杯戦争の舞台となっている。 もしも下らない与太話ではなく、本当にそんな城が存在するのなら。 そこに聖杯戦争の関係者が居る可能性は、極めて高い。 「よっと」 そこそこな高さのある民家の屋根上から飛び降りて、十数メートル先の地面へ着地。 再び風のごとく足を動かせば、数分もしない内に件の森が見えてきた。 悠長にやっていて、敵に見つかりでもすれば事だ。 速やかに済ませよう――ゼファーは気配遮断のスキルを働かせ、鬱蒼と茂る緑の中へと飛び込んだ。 走る、走る。 一陣の風となって、暗殺者は御伽の城を探す。 ゼファーは決して多芸なサーヴァントではない。 むしろその真逆だ。ただ一点を特化することしか出来なかった、なんてことのない落ちこぼれ。 だが、こういった仕事には長けている。 生前から幾度となく打ち込み、攻略してきた経験を前にしては、城の隠匿結界などは敵ですらない。 ゼファー・コールレインは程なく、御伽の城――アインツベルンの拠点へと辿り着こうとしていた。 事実、彼ほどの隠密性を発揮できるアサシンであれば、霧のヴェールに包まれた城へ至るのは造作もない。 しかし、彼に一つだけ誤算があったとすれば。 「――ッ」 、、、、 鉢合わせという可能性を、軽んじていたことだろう。 ただ、運が悪かった。 タイミングが悪かった。 城を出、これから街へ出撃せんとする城塞の主と鉢合わせる、掛け値なしの不運。 「……驚いたわ。全く感知できなかった」 「アサシンのサーヴァントと見るのが妥当だろう。それで、どうする、イリヤ」 さながらそれは、戦うことを決めた彼を嘲笑うがごとくあてがわれた敵対者。 糞が、と唾を吐き捨てて、ゼファーは踵を返し脱兎の如く逃走する。 まともにやり合う気など端から皆無だ。 目的はあくまで偵察――こんな想定外の事態からは、早く逃れてしまうに限る。 限るの、だが。 「言うまでもないわ。やっちゃえ、マシン」 ――この瞬間ゼファー・コールレインは、自分がどうやら逃げられないらしいことを悟り、足を止めた。 ◆ ◆ 先手を取ったのは、人狼(リュカオン)の牙だった。 目にも留まらぬ速さでハートの懐へ潜り込み、一切の躊躇いなしに殺しの一閃を抜き放つ。 アダマンタイト製の刃は決して過つことなく彼の首筋へ。 サーヴァント相手の戦いなど、長引かせないに越したことはない。 戦いに流儀や信念を持ち込まないゼファーにしてみれば、騎士道だの戦いの美学だのといったものは狂人の理屈だ。 出来る限り迅速に。 叶うならば一撃で。 万一の目などなく、確実に。 仕留め、屠る――ゼファー・コールレインの刃は、その為だけに研ぎ澄まされてきた餓狼の牙だ。 予選の間ならば、これでもどうにかなっていたに違いない。 如何に敵が英霊の座に召し上げられた豪傑といえども、やはりそこにムラはある。 単純なスペックでゼファーを下回る鯖はそう居ないだろうが、彼の『殺す』戦闘論理に適応できなければそれまでだ。 その点で、ハートロイミュードというサーヴァントは完全にゼファーの天敵だった。 第一に筋力値と耐久値で彼を圧倒しており、単純なスペック差の時点で人狼の牙を寄せ付けない。 袈裟の一閃を片手で払い除ける。 弾いた間隙を突かんと十字に重ねた軌跡で刻む。 が、大したダメージにはなっていない。 当然だろう。宝具の域にすら至らない刃でハートを傷付けられるならば、耐久値の概念など飾りに成り果てる。 「ちッ――!」 至近距離から繰り出される豪腕の一撃を刃でいなしつつ、転がるようにして脇へと逃れる。 信じられない話だが、ただあれだけの接触で、ゼファーの腕には痺れが走っていた。 痺れ程度で済んだのは幸運だったと、ゼファーは心からそう思う。 重ねて言うが、このアサシンが担う刃はそもそも宝具ですらないのだ。 彼の虎の子たる星辰光の発動媒体も兼ねていることから、壊されればそれまで。 聖杯戦争が一度だけ戦って終わりの大勝負ならまだしも、長い期間をかけて文字通りの『戦争』に徹しなくてはならない以上は、ここで貴重な得物を失う訳にはいかない。 完全に喧嘩を売る相手を間違えたことを自覚し、自嘲しながら次の一手を打つべく体を動かす。 逃げるのが最も先決なのはわかっているが、今はまだその時ではない。 好機が来るまでは少なくとも戦い続ける必要がある――そしてこいつは間違いなく、守りに徹してやり過ごし切れるような相手でもない。 「終わりか?」 殺気を察知し、即座に飛び退く。 一秒前まで自分が居た地点には、無残な破壊の爪痕が刻まれていた。 安堵するには早い。 震え出しそうな身体を諌め、飛来する光の波動を回避、回避、回避し―― 一気に踏み込んだ。 髪の毛数本を死が掠め取る感覚に肝を冷やすが、ここで怖気付けば間違いなく追撃でお陀仏だ。 姿勢を低く保ち、疾走する様はさながら獲物の首筋へ喰らい付く貪狼。 ただ一つ普通と異なるのは、今狼を迎え撃つ敵は、同じ獣の次元にすらいない怪物だということか。 ゼファーを狼だとするならば、あちらはさしずめ神話の巨人か何かといったところだろう。 端的に言って格が違う。 まともに切った張ったしようと考えれば馬鹿を見る。 彼の宝具を理解せずともそれを悟ることが出来たのは、ゼファー・コールレインという男の単なる、スキルとして持ち上げられるにも値しない直感だ。 ハートも、そのマスターであるイリヤスフィールも、同じことを思っている。 このアサシンは弱い、と。 小技を延々と駆使して戦う、一点に特化しているからこそ万能の資質を前にしては無力。 そしてそれは、この上なく的を射た推察だった。 「死ねッ」 放つ、十重二十重の連撃。 確かにそれは見事な速さ。 だが、速さだけではどうにもならない。 ハートにとっては、腕の一振り程度で押し返せるような微風だ。 特化型では万能型に敵わない。 それは、ゼファーが生前散々直面してきた壁であり、現実だった。 死後も尚立ちはだかるそれを忌まわしい鬱陶しいと断じて――腹部へ走る衝撃に吹き飛んだ。 当然の帰結。 飛び回っている小蝿に一撃を当てる程度のこと。 数を重ねずとも、ハートほどの英霊になれば造作もない。 綺麗に吹き飛んでいったゼファーの肉体は大木へと背中から叩き付けられ、彼は喀血する。 それを見送り、ハートは一歩を踏み出した。一歩、二歩と、ゼファーにとっての死神が迫り来る。 「……何よ。全然強くなんてないじゃない。今までに戦ってきた連中の方が、よっぽど骨があったわ」 イリヤスフィールのそんな台詞を聞き、項垂れたように木へ寄り掛かったままのゼファーは小さく笑う。 まったくその通りだと、そう言っているように見えた。 大地を踏み締めて迫るは機械の怪物。 ロイミュード。 マシンという、存在しない格の英霊。 森の主を護る友誼の鼓動が、死を告げる太鼓となって迫り来る。 「やっちゃいなさい、マシン。そんなネズミ一匹にこれ以上かかずらうなんて、時間の無駄もいいところだわ」 下される死刑宣告。 雪の妖精めいたその容姿が、今のゼファーには悪魔にさえ見えた。 ハートロイミュードは主君の命令(オーダー)に、一つ頷いて右手を真っ直ぐ伸ばす。 そこへ収束するは光――戦いを終わらせる終わりの光。 天霆の閃光を彷彿とさせる眩き死が降り注げば、それに対抗する手段など儚き暗殺者にあろうはずもなく。 実に呆気なく、爆発の音色が響き渡った。 ゼファーの凭れていた大木が音を立てて地へ倒れ、着弾した箇所は大きく抉れて黒煙をあげている。 これが宝具の一つも用いない、ただの固有能力における一撃の結果だとどうして信じられようか。 それほどまでに、彼我の実力差は圧倒的であった。 ジャイアントキリングの可能性すら、真っ向勝負では見出だせないほどに、とある種の王は強大だった。 「……終わりだ。城へ戻ろう、イリ――ッ」 だから、そう。 それをいち早く察知することが出来たのも、彼が強者であるがゆえのこと。 迸った銀色の穿刃は、これまでハートへ放たれてきたものとはまるで異なる気勢を帯びていた。 研ぎ澄まされた殺意。 ハートほどの英霊をしてまでも、戦慄を覚えるほどの正確無比。 『殺す』ということを知り尽くした者でなければ不可能な一閃が、初めてハートに焦りという感情を生じさせる。 これがもしゼファー・コールレインの常套手段。 即ち急所を狙った、とにかく手数に物を言わせた連撃であったならば、ハートは苦もなく対処できた筈だ。 意識の撹乱と心理への揺さぶりなどという小細工が通じるのは精々一兵卒までの話。 英雄だの神星だの、目の前の機人のような相手には藪蚊が飛び回って四苦八苦しているのと何ら変わらない。 だが、ゼファーにはそれしか出来ない。 鋼のような防御力がないから迎撃はままならず。 大した力を持っていないから、人間を両断することさえ出来ない。 そこに加えて意思薄弱。技巧派などといえば聞こえはいいが、それは要するに正面から敵を打ち砕けないただの雑魚だ。 技術でどうこうの理屈が通じるのは数段上までの相手に限定される。 それ以上に実力が隔絶した相手には、ただの前進だけで圧倒されてしまう。 それこそ、奥の手を使わない限り、ゼファーにはどうしようもない。 しかしながらその奥の手を切るのは地獄を見るのと同義であるから、所構わず使えるようなものでも決してない。 となればいよいよ本格的に詰んでいる。 そして、そんなことは百も知っている。誰よりも、ゼファーは知っている。 「死ね」 鉛色の殺意を刃へ宿し、ただ一点を目掛けて放つ、放つ。 斬撃の全てはハートに防がれていたが、逆に言えば、ハートロイミュードをして〝それしかできていない〟のだ。 何故ならば、ゼファー・コールレインが攻撃を加えているその一点とは――あらゆる強さに共鳴して力を増す無窮の鼓動英雄が持つ唯一の弱点。鼓動(ビート)を刻む心臓(ハート)に他ならぬ。 それはハートの霊核であるため、軽い傷ですら容易に致命となり得るのだ。 「おまえ、は――何時ッ」 「答える義理は、ねえッ」 何時気付いたのか、との問いを切り捨て、一縷の光明をただ狙い続ける。 速い。 疾い。 捷い――先程は歯牙にも掛けなかった小技の数々が、今は命を蝕む毒牙としてハートを苛んでいた。 否応なしに焦燥を駆り立てられるハート。 だが焦りに心を乱されているのは、何も彼だけではなかった。 (こいつ――) こうして『殺す気』で戦ってみて、改めて分かる。 このマシンなるサーヴァントは、やはり怪物だ。 そうとしか言いようがない。 ハートの弱点を看破するまでは順調だった。 生前の経験上、ゼファーは戦闘の中で相手を分析するという芸当に秀でている。 本人は意味のないスキルと切り捨ててきた臆病者の癖の一つだったが、ハートのような、明確な弱点を保有する相手にとっては覿面に作用する経験則だ。 しかし、一向に見つけ出した弱点を貫ける気配がない。 敏捷では此方が優っているにも関わらず、まるで岩壁か何かを切り付けているような徒労感が手応えのなかに内在している。まさしく、化け物だ。魔星や英雄を思い起こさせる、存在そのものが規格外の相手。 「――マシン!」 そんな瀬戸際の戦いだからこそ、ほんの些細なイレギュラーで趨勢の天秤は容易く傾く。 今回は数発の光弾だった。 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン――ハートロイミュードを喚んだ少女が状況を見かねて介入を行ったのだ。 アインツベルンが誇る最高傑作のホムンクルスが行使する魔術は、対魔力のスキルを持たないゼファーにとっては見逃せない危険因子だ。喰らえば傷になり、必然的に隙へと繋がる。 だから避けるしかない。そうなれば、ハートロイミュードに自由が戻る。 「お前を弱いと称したことは、訂正しよう」 そんなもんはいらねえ。 俺は弱いんだ――だから精一杯慢心して、せめて勝ちの目をくれ。 ゼファーの声にならない哀願が聞き入れられる筈もなく、豪腕の一撃が眼前で炸裂した。 衝撃波のみで目眩が起こる。脳震盪が襲う。スペックが違いすぎる――真実、絶望的なほどに! 「ここからは、全力だ」 回避を優先。 熱と衝撃波と拳の破壊が同時に降り注ぐ光景は、もはや悪い夢としか言いようがない。 それをどうにか回避して、再び奴の弱点を狙い撃てる間隙を探すが、その前に追撃がやって来た。 逆手で持ったアダマンタイトの凶器を振るって光を断ち、最も優先して避けるべき拳を回避。 敵は全力と言ったのだから、ここからは一発の被弾も許されないと踏んでかかった方がいいのは明らかだ。 「マシン、あなた――」 「大丈夫だ、イリヤ。確かに肝は冷えたが、一発も貰っちゃいない」 遥か格下と踏んでいたアサシンの、予期せぬ猛攻。 誇張抜きにハートの撃破に至りかけた事実に不安げな様子を見せるマスターの頭へと、ハートはその手を置く。 その所作はまるで兄か何かのようであり、とてもではないが、あんな破壊を連打出来る化け物と同じとは思えない。 だからこその、怪物なのだ。 「今から、すぐに片を付けるさ……安心しろ、俺は負けない」 ゼファーは駆け出した。 決して逃さぬと、ロイミュードが追い立てる。 光と衝撃波の炸裂を躱して視界を確保しつつ物陰へ逃れを繰り返す、暗殺者。 完全に今、狩る者と狩られる者の立場は逆転していた。 倒せない。倒せる筈がない――刃をもってその攻撃を防ぐ度に強まる思い。 俺は負けないと啖呵を切り、実際にそれを貫ける強さはゼファーにはないものだ。 彼はあくまでもただの負け犬。強者の影に隠れるだけしか能のない、雑魚なのだから。 隠れ蓑に利用する算段だった木々の密集地が、ハートの放った熱波を前に呆気なく消え失せる。 一瞬だけ動きの止まったそこに、ハートロイミュードが誇る豪腕が叩き付けられた。 肋骨の罅割れる感覚。それだけで済んだのは紛れもなく僥倖だが、しかし状況は最悪の領域へと足を突っ込んだ訳だ。 至近距離で炸裂した衝撃波が直撃して、ゼファーは無様に地を転がる。 「づ……ッ、はぁ、はあ、ハァ――――ぎ」 鉄槌の如きハートの所作全てが、人狼を痛め付ける。 格の違いすぎる剛力はもはや、直撃せずとも相手を苛む強震として機能するのだ。 体勢を立て直そうとしたところへ飛来した熱波をオリハルコン製の義手で振り払い、突貫するも無意味。 刃の刺突は敢えなく止められ、身動きを取ろうとしたところへハートの拳が襲い掛かる。 直撃だけは駄目だ、直撃だけは駄目だ、どうにかして避けろ抑えろ躱せでなければ終わる。 喚き立てる自我に従い回避。 追撃を俊敏な動作でどうにか切り抜け、その脇腹へ一閃。無論、少々の火花が散った程度の損害しか与えられない。 結果は見え始めた。 元から見えていた当然の末路が、とうとう現実味を帯びて漂い始めた。 むしろこれまで戦えたのが奇跡だろうがと、ゼファーは心の中で泣き言を吐く。 これが、ゼファー・コールレインという英霊だ。 光を求めて駆けることを尊べない。 目を背けることは、けれどしたくない。 雄々しく散りたいなんて、思ったこともない。 そんなどうしようもない彼だから――ハートロイミュードは、間違いなく彼にとって相性の悪い相手だった。 「一つ聞かせてくれないか、アサシン」 あと一手で止めを刺せる。 その状況にありながら、ハートロイミュードは問いを投げた。 「お前は、何を願ってここにいる。 お前の戦いからは――熱を感じない。俺はお前という英霊が、分からない」 「……そりゃ、そうだろ」 ゼファーは笑う。 思わず笑みが溢れてしまうほど、それは彼にとって当たり前のことだった。 「聖杯なんざ興味はねえ。 願い? 戦い? 古今東西の英雄様を集めて殺し合わせる? どんな三文小説だよ下らねえ、それなら俺なんぞよりよっぽどいい役者が居るだろうがッ」 吐き捨てた。 聖杯戦争を、彼は侮辱する。 これが心からの本心であることなど、疑う余地もない。 「殺し合いがしたけりゃ勝手にやってろ、そこに俺達を巻き込むな。 こっちは全部終わらせて座で寝てたとこを叩き起こされてんだよ、願いだ大義だと喧しい、知ったことじゃねえ」 「……なによ、貴方」 呟いたのは、イリヤスフィールだった。 その声には、隠そうともしない軽蔑の色が宿っている。 いや――それは嫌悪の領域にすら近かった。 聖杯獲得という大義を抱いてここにいる彼女にしてみれば、眼前の暗殺者は看過できる存在ではない。 誇りだとか、そういうものを度外視してだ。 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、このサーヴァントが気に入らない。 思わず言葉が出てしまう程には、むかっ腹が立っている。 「じゃあなんで、そんなサーヴァントがここまで勝ち上がってきたのよ…… さっさと自害するなり何なりして座に戻ればいいじゃない。意味がわからないわ――貴方」 続けて、ハートが口を開く。 彼の物言いにイリヤスフィールほどの棘はなかったが、疑問の色は多分に含まれていた。 「だが……俺の目にはお前は、何かを求めて戦っているように見える。 聖杯戦争を降りたいのならば、彼女の言う通り舞台を退場する手段は幾らでもある筈だ。 それでも――お前は俺に喰らいついてきた。聞かせろ、アサシン。お前は一体――」 「何者なのか」 その言葉を口にしたのは、ハートロイミュードではない。 もちろん、イリヤスフィールでもない。 ゼファーの声とも、違う。 この場の誰とも違う透き通る音色――この世のものとは思えないような、神鳥の囀る恋歌のような響きがあった。 「そんなの、わざわざ頭を使って考えるまでもないわ。 あなたたちとは明確に違い、そして理解できないもの。 許せない、認められない、栄光の対極にあるもの――それが、私たち」 その少女は、突然現れた。 森の主たるイリヤスフィールが感知出来なかったことから、ただの人間でも、ましてやサーヴァントでもない。 彼女はゼファー・コールレインの宝具だ。 正確には、彼と繋がれた比翼連理。 何の戦闘能力も持たない最弱であり、歪み捻れた骸の惑星。 月乙女(アルテミス)のそれを思わせる靭やかな銀髪を颶風に揺らし、微笑む。 「君は――」 「心配しなくてもいいわ。私が出たからといって、出来ることは何もない―― 正確にはあるけれど、ここで使うつもりはどうやら彼にはないようだから。単なる気まぐれと思ってもらって大丈夫よ」 あどけない外見をしているにも関わらず、その存在はどこか異質だった。 女神のような麗しさと相反する空寒い死の気配を秘めた、何か。 ともすればこのアサシンより余程恐ろしいのではないかと錯覚しそうになる、明らかに特異な存在。 「私たちは、遍く光を破壊する」 乙女は咏う。 憎悪の音色を。 異端の響きを。 心地よい囀りに似た声で、咏う。 「全ての願いに終焉あれ。 聖杯戦争に今こそ亀裂を。 予定調和の歯車を打ち砕き、天上の星を引き摺り下ろす」 どくん―― どくん―― どくん―― そう響くのは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの鼓動だった。 早まっている。早まっていく。女神の囀りが紡がれる度に、間隔を早めていく。 ハートロイミュードは、何も語らない。 ただ、二人の中に共通して募る感情がある。 「私たちは」 「――そうだ。俺たちは」 こいつらは―― 「貴方達が聖戦と尊ぶものを、艱難辛苦の果てに幻視する輝きを――踏み躙るために、ここにいるのよ」 ――こいつらは、あってはならない存在だ。 そう認識したから、ハートロイミュードの行動は速かった。 イリヤスフィールが改めて何かを命ずるまでもない。 この時彼らはまさに以心伝心、完全に通じ合っていた。 乙女は詠った。聖杯戦争を破壊すると。 乙女は笑った。全ての願いが闇へ閉ざされるようにと。 乙女は告げた。我らは光を踏み躙り、聖杯を蹂躙すると。 「ふざけるな、アサシン」 「そうよ――そんなの、ただの八つ当たりじゃない!」 「ああ、そうさ――俺たちは」 「ただ、勝者を滅する弱者であり続ける――」 これは、聖戦などではない。 そんなものに臨むとち狂った神経を、ゼファー・コールレインはついぞ持ち得なかった。 生産性のない弱者の足掻き、八つ当たり、まさしく的を射ている。 下らない八つ当たりの最果てに、光輝く聖杯(キセキ)の惨殺死体を。 ただそれだけのために、彼らはここにいる。 そしてそれを――気高きロイミュードと、アインツベルンのホムンクルスは嫌悪する。 「創生せよ、天に描いた星辰を――我らは煌めく流れ星」 弱者を滅ぼす強者の輝きを相変わらず間一髪で躱し、紡ぎ上げるは凶星の言祝ぎ。 臨界点突破。 純度を増す極限の殺意……感情が限界まで爆発し、才気を喰らう悪逆の選択に心が焦がれ心地良い。 まさに餓狼さながらに四肢が愉悦を求め狂い哭き、断罪の刃を、死を鳴らす。 闇の情動をかき集め、光を踏み砕く星の光が今――発現する。 その刹那、ゼファーは逃げの選択をかなぐり捨てて攻撃へ移った。 狼の如き疾駆は先程までの比ではなく、ハートロイミュードの反応速度をすら振り切っている。 無音のまま、ただ殺気だけを充填して、気配さえ置き去って星の力が駆動する。 ハートロイミュードは、ゼファー・コールレインを前にその弱点を晒した。 ゼファーの力は所詮全能には遠く及ばない、限定状況でしか通用しない劣等。 だが、故に条件が整い、完全に嵌まれば必殺だ。人狼の牙から逃れ得る存在はいない。 今、鼓動の王に潰されるのを待つしかなかった負け犬は真に、格上殺しの人狼へと成った。 ダイヤモンドすら両断する刃の一閃が、ハートロイミュードの体に火花を散らさせる。 これまでとは完全に違う手応えがある。 「ぐ――」 「――反響振(ソナー)」 反撃の衝撃を、熱波を、全てを浮き彫りにし、余裕綽々で回避する。 駆動限界で避け得ないものには刃を直接当て、文字通り微塵とかき消す。 速く、速く速く速く速く――急所狙いの猛乱舞が、再びハートロイミュードの動きを止める! 「づ、ッ――舐めるなよ!」 だが、相手は強大。 ロイミュードの王。 宝具の解放程度で押し切れる容易さでは、彼の歩んだ生涯には役者が足りない。 信じ難いことに、ハートロイミュードは動体視力を置き去るほどの連撃すらも完全に防ぎ続けていた。 「輝く御身の尊さを、己はついぞ知り得ない。尊き者の破滅を祈る、傲岸不遜な畜生王―― 人肉を喰らえ。我欲に穢れろ。どうしようもなく切に切に、神の零落を願うのだ。 絢爛たる輝きなど、一切滅びてしまえばいいと」 歌い上げるは彼固有の詠唱(ランゲージ)。 紡がれる祈りは既存の物理法則を歪め、啼泣する子供のように止めどなく嘆きと呪いを撒き散らす。 一言、醜悪。悲しみを大気を通じ伝導させる、嘆きの波動はとある形を取って顕れる。 すなわち、『振動』。俺を邪魔するあらゆる者共、遍く狂い震えて死ねという、呪いの星光。 「苦しみ嘆けと顎門が吐くは万の呪詛、喰らい尽くすは億の希望。 死に絶えろ、死に絶えろ、すべて残らず塵と化せ」 ――ここで、ハートロイミュードというサーヴァントが背負った一つの不運に触れよう。 ゼファーが弱点と見出し、攻撃を加えていた剥き出しの心臓は、ハートが誇る第一の宝具に他ならない。 『人類よ、この鼓動を聞け(ビート・オブ・ハート)』……その効力は、相手の強さを成長によって上回る破格。 だからこそ、本来ハートロイミュードが敗れることはあり得ないのだ。 必ず相手の強さを受け、上回るのだから、理論上の彼は誰もが頷く無敵である。 しかし、ゼファー・コールレインという英霊の、この宝具に限っては例外だった。 ゼファーは、弱い。 平伏し、雌伏し、泥水を啜るような生き様を持つ英霊だ。 死想恋歌(エウリュディケ)との共鳴を果たした後ならば、ハートの宝具はきっと十全に機能しただろう。 だが、この第一宝具はあくまでゼファー・コールレイン個人だけのもの。 彼の弱さを体現する、嘆きと恨みの星辰光(アステリズム)。 そこに強さはない。他の誰がそう認識しても、彼はいつだとてこの星光を侮蔑する。 雑魚の象徴。役立たず。成り損ない。負け犬の遠吠えと、散々に吐き散らして否定する。 生涯、一度として誇りに思うことなく、ただ『弱く』あり続けた宝具―― その逸話が、ハートロイミュードの鼓動にこの時ばかりは好作用した。 彼の弱さに鼓動は響かない。 上回る力は発動せず、何の強化恩恵も受けられぬままに、貪狼の牙を迎え撃つしかないのだ。 まさしく千載一遇。 ハートロイミュードという、友誼の果てに生涯を閉じた光を引き摺り下ろす闇が、顎門を開けている。 「我が身は既に邪悪な狼、牙が乾いて今も疼く――怨みの叫びよ、天へ轟け。虚しく闇へ吼えるのだ」 加速。 増幅。 鼓動と振動が跳ね上がる。 自壊寸前まで高まった銀牙を、迎え撃つは機人の剛拳。 歓喜はない。 この男を前にして、そんな感情が起こるはずもない。 Metalnova Silverio Cry 「超新星――狂い哭け、罪深き銀の人狼よ」 ――交錯の瞬間、銀の牙は確かに、ハートロイミュードを切り裂いた。 そのまま、ゼファーは走り去る。 敏捷性を維持したまま、星の輝きになど固執せずに森の出口へ一目散に走り抜ける。 その理由は、あまりにも明白。 それでいて、何とも情けないものだった。 ――倒し切れない。 どう計算しても、あの化け物じみた耐久値と戦闘能力を削り切る前にこちらが潰れる。 端から、此方の狙いは偵察だったのだ。 予選期間に偶然耳にした、結界の張られた森の話を確かめるために赴いたに過ぎない。 宝具を使う羽目になったのは、そうでもしないととてもではないが生きて帰れる自信がなかったからに帰結する。 それほどまでに、マシンと呼ばれたサーヴァント――ハートロイミュードは強かった。 正直なところ、単純な脅威度ならば大虐殺の魔星を上回るだろう。 これまで戦ってきたサーヴァントの中でも間違いなく最強。 勝ち逃げのように見えるがとんでもない。 あれで逃げ切れなければ殺られていた――それが頑然たる事実。 負け犬の下克上が通じるのは数段上の相手まで。 あそこまで根本から位相が違う相手にその論を適用するのは、少しばかり自殺行為が過ぎる。 森を飛び出し、追撃が来る前に町並みを駆け抜ける。 人の目がない場所を縫うように走り、人気の絶無なマンションの屋上で、ゼファーは静かに星辰光を解除した。 「が――ごはッ」 吐き出す、血液。 内臓が文字通りひしゃげたことによるこの吐血は、星の光を用いた代償だ。 ゼファーの宝具はその全てに、代償が存在する。 もとい、反動か。 第一宝具ですらこれなのだ。その上にある第二宝具などは、真実筆舌に尽くし難い激痛に苛まれることとなる。 暫く痛みに悶絶した後、口許を拭って壁へ凭れ、久方ぶりに空気をゆっくりと吸った。 実体化を解除させていた月乙女――ヴェンデッタが、再びその姿を見せる。 その口許はどこかからかうように笑っていて、何とも憎らしい。 「……まったく、嫌になるねぇ」 聖杯戦争なんざ、糞食らえだ。 何度目かも分からない悪罵を叩いて、ゼファーは束の間の休憩に浸るのだった。 【A-1/マンション(屋上)/一日目・午前】 【アサシン(ゼファー・コールレイン)@シルヴァリオ ヴェンデッタ】 [状態]疲労(大)、星辰光の反動による激痛と内臓被害、肋骨数本骨折、全身にダメージ(大)、全て回復中 [装備]ゼファーの銀刃@シルヴァリオ ヴェンデッタ [道具]なし [所持金]なし [思考・状況] 基本行動方針:聖杯戦争を蹂躙する 1:今は休む 2:マシンのサーヴァントにはもう会いたくない。割と切実に。 ◆ ◆ 「――マシン、本当に大丈夫なの?」 イリヤスフィールとマシンのサーヴァントもまた森を出、街へと繰り出していた。 彼に手傷を与えたアサシンを追跡したい思いもあったが、本気で逃げに徹したアサシンをこの広いK市の中から見つけ出すのは至難の業だ。 忌々しいが、あれに関しては次に遭遇する時を待つしかないのが現状だった。 しかし、その時は今度こそ逃さない。 イリヤスフィールもハートロイミュードも、心よりそう思う。 聖杯戦争という儀式へ唾を吐きかけ、あらゆる願いを一緒くたに引き摺り下ろして踏み躙ろうとする彼らの在り方は、聖杯獲得という目的を胸にここまで戦い抜いてきた彼らにとって、断じて許せるものではない。 「問題ない。してやられたのは確かだが、これしきで動けなくなる俺じゃないさ」 「……そう。なら」 「ああ。予定通り、このまま街へ出よう」 誇り。 大義。 それ以前の問題だ。 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンにとって聖杯とは、自分の生まれた理由に等しい。 だからこそイリヤスフィールは、ゼファー・コールレインと死想恋歌の少女を許せない。 光を妬み、踏み躙る彼らの在り方は、イリヤスフィールという生命そのものへの最悪の侮辱だ。 そして、故にこそハートロイミュードもその鼓動を怒りの音色に変える。 新たなる友の願いを、その生きる理由を嘲笑い、身勝手な足の引っ張り合いで潰してやると宣った人狼の暗殺者を、彼は決して認めないし、許さない。 友の敵は、己の敵だ。 機人英霊ハートロイミュード、その高潔なる友誼は未だ消えず。 【A-1/アインツベルンの森/一日目・午前】 【マシン(ハートロイミュード)@仮面ライダードライブ】 [状態] 疲労(小)、腹部に斬傷 [装備]『人類よ、この鼓動を聞け』 [道具] なし [所持金] なし [思考・状況] 基本行動方針:イリヤの為に戦う 1:アサシン(ゼファー)への嫌悪。 【イリヤスフィール・フォン・アインツベルン@Fate/stay night】 [状態] 健康 [令呪] 残り三画 [装備] なし [道具] なし [所持金] 城に大量にある [思考・状況] 基本行動方針:聖杯を取る 1:街へ出る 2:アサシン(ゼファー)が理解できない。
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ジリリリ……ジリリリ……。 早朝。黒崎・茜は聞き飽きた電話の着信音に目を覚ました。 ベッドから素早く身を起こすと、何かを考えるよりも早く五感を増幅させ、周囲を目視し、臭いを嗅ぎ、耳を澄ませ、敵が居ない事を確認する。 完全に体に染みついた作業。昨晩の路地裏での死闘の疲れなど微塵もなく。 そこに在るのは80年以上、依頼を達成し続けた傑物。 茜はウンザリした顔で受話器を手に取る。何かを言う前にやかましい言葉が耳に飛び込んでくる。 「俺、俺ですよ姉御、オレオレ!アハハ!この電話を取れるってことは、やっぱり無事だったんですね!」 情報屋の、軽薄で妙に高いテンションに鼻白む。 「アタシを馬鹿にしてんのかい?あれくらいの修羅場、何百と潜り抜けてきたよ」 虚勢ではなく本心。 第三者から見れば壮絶であった路地裏の大立ち回りも、茜にとってはなんでもない日常の一場面に過ぎなかった。 仕留めた相手に多少思うところはあるが、それでも茜にとっては磐石と言っていい戦場だった。 「グラフィティ・カズマ以外に誰を仕留めました?」 「キャンキャンうるさい小娘…ああ、小娘とは呼ぶなって叫んでたっけか。鬼姫殺人。知ってるかい?」 「…姉御は興味ないかもしれないですけど、“裏”では結構な有名人ですよ。どっかの秘密結社を抜けた逸材だとか」 あいつがねえ、と思いながら茜は続ける。 「どうやらソイツがグラフィティ・カズマを仕留めたやつも仕留めたみたいだねえ。『審判』、『悪魔』、『正義』のカードは揃ったよ」 「早っ!流石姉御。…その口ぶりだと他にも?」 「話が早いね。人形遣いも仕留めた。多分ご同業だねえ。カムパネルラとジョバンニ。有名かい?」 「有名もクソも、今一番脂がのってる暗殺者…!いや、のって“た”暗殺者ですよ」 茜と情報屋は互いの知りえたことを交換し、現状を整理し合う。 「いやはや流石姉御!昨日一晩で四人のカード所持者を潰したってことだ!いやー、凄いなー。憧れちゃうなー。年齢を感じさせないなー。ほぼほぼ優勝候補者なんじゃないですか?」 情報屋の分かりやすいお世辞が空虚に響く。 「いやな物言いだね。挑発はもう少し品よくやりな。…“ほぼほぼ”ってのはどういう意味だい?…他に、同じくらい暴れている奴がいる、ワタシにはそういう意味に聞こえたけどね」 「カーッ!分かっちゃうかぁ!そうなんですよー!実は昨晩、一夜で七人のカード所持者をぶっ潰した奴がいまして!いやいや!向こうは現役バリバリ!姉御は御年80越え!比べ合う必要なんてないですよね!最後に総取りすりゃあいいんですから!」 安い、あまりにも安い挑発。 「…ワタシは面倒は御免だよ。サッサと言いたいことを言いな」 「へへへ、じゃあ遠慮なしに。そのもう一人の優勝候補。こっちで調べたんで連絡取れるんですよ。…場ぁ整えるんで、ソイツとやり合ってくれませんかね?ほっといても、いつかぶつかるんだから構やしないでしょう?」 情報屋からの提案に、茜の脳髄が高速回転し、情報を処理する。 「理由は」 「カード持ちは引かれ合う…。万全なら姉御に勝てる奴はいないと信じていますが、誰かとやり合ってるタイミングにコイツに襲われたら?…だったら、先に一番危険な奴を真正面から処理していただきたいな、と」 フッと茜は鼻で笑った。 「坊や。あんまり甘く見るんじゃないよ」 普段はしない坊や呼ばわり。電話越しだというのに、殺気で情報屋の背に脂汗が垂れる。 「そのもう片方の優勝候補とやらにもツテを作って、ヤバい願いの成就する確率を下げたいんだろう?…要するに、ワタシは天秤にかけられてるってわけだ」 「いや…そんな…」 情報屋の喉が急速に乾き、声が出ない。 「渋谷ヒカリエ」 「ヘ?」 「ヘ?じゃないよ全く。チョットした遊びの脅しにビビりすぎだよ。あんたの依頼人に言って、そこの人払いをしな。今夜に決めちまおう。どうせなら派手な場所でやりたいしねえ」 電話越しにすら死を覚悟させる脅しが茜にとってはちょっとした遊び。 その事実に震えながらも情報屋はなんとか自分を落ち着ける。 「分かりました。今晩、場を整えます。…姉御、煽っといて何様だって思われるかもしれないですが…相手、ピカイチに強いですよ」 「へぇ、アンタがそんな風に評価するのは珍しいねえ。有名な奴かい?」 「―――喧嘩屋。我道蘭。“裏”でステゴロ最強じゃねえかって言われている女です」 「知らないし、あまり興味もないねえ」 茜は本心から言う。黒埼・茜が長年殺しの世界で一線を張る事が出来た要因は、この自らを強者と認識し、他を顧みない強靭なまでの傲慢さにあった。 「なんにせよ、そのガドー?とかいう奴を渋谷にご案内しな。キッチリ沈めるよ」 「分かりました。…なんで渋谷なんですかい?」 「なあに、道玄坂には馴染みの台湾料理屋があってね。あそこの腸詰を帰りに食っていこうかと」 勝ち前提の場所決め。名うての喧嘩屋であっても、茜にとっては通貨点でしかなかった。 ◆◆◆ 我道蘭が街を行く。 昨晩の至高の闘争を反芻しながらも、貪欲に次の闘争を求めて街を練り歩く。 肌がざわつく方向、遊園地かビル街にでも足を向けようとした時、携帯が鳴り響いた。 着信表示に映るのは見知らぬ番号であったが、気にせずに我道は取った。 「もしもし、どちらさん?」 「我道蘭さん、初めまして。情報屋といいます。情報屋やってます」 普段茜と喋る軽薄な姿勢は出さず、丁寧に情報屋が話す。 「ハハ!情報屋って名乗るならそりゃ情報屋やってるだろうさ!…“仕事用”の携帯じゃなくてプライベートにかけてくる…ああ確かに情報屋、それも大分優秀みたいだ!!」 「恐縮です。突然で申し訳ないのですが、貴方の持つタロットの戦いについて情報を提供したく思います」 我道は情報屋の評価をもう一段上げた。 タロットの戦いを把握し、スカイツリーの勝者である自分にコンタクトを取る。 情報屋として紛れもなく一流の所作。 「カード所持者を四人倒した参加者である、とあるババアが今晩、渋谷ヒカリエで待っています。伝言も預かっています。 『パーッと出会ってパーッと殺しあって終いにしようじゃないのさ』 とのことです。人払いもすませます。闘争を望まない人は巻き込みません。是非お越しいただければ幸いです」 情報を高速で処理し、我道は答えた。 「いくつか聞きたいことあるんだけどさ、渋谷ヒカリエの人払いなんて出来るの?」 「…出来ます」 それだけの権力者が情報屋の裏にはいる。 茜からの伝言を預かっている時点で、そもそも情報屋と茜はつながっている。 「私に求める見返りは?」 「優勝した時、世界を滅茶苦茶にする願いだけはやめていただきたいです」 「ハハ!随分とまあ分かりやすいお膳立てだなぁ!お偉いさんは私とそのババア、両方に粉かけとこうってわけだ!」 我道は瞬時に情報屋と茜と依頼人の関係を見抜いた。 「――そして…最高だな!それだけのお偉いさんが最初に依頼するほど強いババア、四人もぶっ倒してるババアが次の闘争相手!滾る、滾るねえ!」 (依頼人と、姉御と、俺の関係性を見抜いたところで我道蘭は反発などしない。むしろ極上の闘争に飛び込んでくる) そう予想し、手の内をさっさと見せた情報屋の判断はこの上もなく正しかった。 「なあ、あんた。もう少し聞きたいんだけどさ、そのババア、私が相手だって知ってる?」 「伝えてあります。ただ、貴方の名前は存じないと言っていました」 我道蘭の名前は“裏”に轟いている。我道自身、不遜な考えだと思いつつその事実を認識している。 そのババアは、この上もない強者でありながら、我道の名に興味すら示さず、それでいて長年一線にいるという事だ。 「…もう一つ聞きたいんだけどさあ、あんたは私の…あー、なんか自分で言うのは照れ臭いけど、私の力は知ってる?」 「存じ上げています。というよりこの商売やってて知らないわけがありません。俺の知る限り、一番の喧嘩屋です」 「世辞でも嬉しいね。で、そんなあんたは、ババアと私、どっちが勝つと思う?」 「ババアです」 情報屋は即答した。一切迷わず、対戦する本人に告げた。 「私はもうタロットの参加者を大分倒しているけど?」 「ババアです」 「知ってるかどうか知らないけど、その倒した相手にはラウンジの格闘王とかいるんだけど?」 「ババアです」 我道はどんどんと興奮していく。 血が沸き立ち、毛が逆立ち、闘争心がこれ以上もなく高まる。 「そんなババア、この世に一人しかいないだろ…!最高…!最っ高だ!」 ごついライターに火をつけ、猛然と煙を肺に吸い込む。 少し溜めてから、ブハッ!と気持ちよく煙の塊を吐き出し、我慢しきれないとばかりに我道は渋谷に向かい駆けだした。 ◆◆◆ Funky sonic WorlD ◆◆◆ 21時。営業時間終了後の渋谷ヒカリエ。 ショッピングスペースやレストランだけでなくギャラリーや劇場を併設した、渋谷再開発の象徴ともいえる複合型商業施設。 普段であれば人でにぎわうその地は今、不気味なほどに静まっていた。 先に待つは喧嘩屋、我道蘭。 駅からの直結した通路の先。渋谷ヒカリエの象徴である、ガラス張りの個性的なファサードに囲まれた吹き抜け空間の根元に我道はいた。 その姿はまさに仁王立ちと表現するのがふさわしいほど、生気と、圧力と、何より闘争心に満ち満ちていた。 眼は爛々と輝き、肌は紅潮し、体全体から湯気が立ち上っていた。 少し遅れてやってきたのは黒崎・茜。 我道とは対照的に、何一つ気負いはなく。 日常の一場面とでもいう風に戦場に乗り込む。 いつも通りの赤シャツ、黒スーツ、くたびれたフェドーラ帽子。 背はぴんと張り生気に溢れ、立ち振る舞いに隙は微塵もない。 我道を捉えた茜は瞬時に聴力と嗅覚を最大限に引き上げ、我道の周囲を探る。 特に罠の気配はない。五感を増幅する必要がないほどにギンギンに伝わる闘争心の塊がいるだけ。 (スーツの内側に何か入れている?重心がやや、ややだけど傾いているね?) 我道をざっと観察し、特段罠がないことを確認した茜は無造作に近づいていく。 その茜に、感無量と言う風に我道が語りかけた。 「嗚呼…本当に、本当にあんただ。紛れもない、黒埼・茜だ!」 ここが戦場でなければ抱きしめたいと言わんばかりの爛々とした笑顔。 両の手を大きく広げ、この場に居合わせた嬉しさを全身で表現する。 「随分とデカい声だね。感激のところ悪いけど、ワタシはアンタに見覚えがないんだけどね」 そっけなく答えた茜に、我道は一瞬だけ悲しそうな顔を見せたがすぐに切り替えた。 「ハハ、確かにあんたにとってはそうかもな」 我道は右の人差し指で自らの顎をピンとはじいた。 「喧嘩屋駆け出しのころ…もう十年近く前か?喧嘩であんたに顎をカチ割られている。いやぁ!完敗だった!!殺しならともかく、ステゴロならババアに負けるわけがないと思いあがった挙句全身複雑骨折さ!」 「覚えてないねえ。小娘の鼻をへし折った回数なんて、それこそ数えているうちに夜が明けちまうよ。で、復讐に燃える小娘が、再び飛んで火にいる夏の虫かい?」 「ハハ、復讐?あんときの私が弱かったから負けた。それだけさ。ただ、あの闘争は本当に楽しかった。もう一度それを出来るのが、楽しい。嬉しい。たまらない!」 そういうと、我道は笑顔で煙草を吸った。茜の強さを理解したうえで、欠片も臆さず、楽しいと言い切り、緊張感もない。 (復讐者(アベンジャー)ではなく戦闘狂(バーサーカー)かい) こういう手合いは思考が読みにくいと茜は内心舌を打つ。 「…アタシを前に随分とまあ余裕があるねぇ。何か策でも用意してんのかい?」 その堂々とした立ち振る舞いに、茜は我道の策を疑う。 ニィと一つ笑い、我道は言葉を返した。 「悲しいねぇ」 フゥと一息紫煙をくゆらせる。 「私はさぁ~、策が無いと余裕もかませない小者だと思われているのかい?(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)」 「ハッ!!」 心から楽しそうに茜は笑った。 「いいねえ。自然体、無手であっても泰然。小娘、胸を張りな。昔のアンタは知らないけど、今のアンタは間違いなく達人さ。ここまでの達人とやり合ったのは何回あったかねえ…」 茜が今までの長い経歴を反芻し、指を曲げていく。しかし指はあっという間に折れ曲がり両の手は握り拳となった。 「…とは言えねえ、そんな奴らでも、アタシは両の手で足りないくらい、ぶちのめしてきた」 ピッと茜は右の中指を突き立てた。 「来な。小娘。アンタも指の一本にしてやるよ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)」 「―――上等!!さあ!闘争しようぜ!!」 笑顔と共に我道が駆け出す。 カード所持数一位と二位の真っ向勝負が幕を開けた。 ◆◆◆ 「ウッダラアアアアアアア!!」 まずは一つ、小細工無用とばかりに我道が真正面から体重の乗った右フックを放つ。 豪快でありながら技術の練り込まれた最上の一撃。 まともに食らえば頭蓋が吹き飛ぶ一撃を前に、茜は少しも慌てない。 神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)発動。 その眼は正確無比に距離を測り その耳は筋肉の軋む音すら拾い上げ その鼻は汗のにおいをかぎ分け その舌は空気中の成分すら舐めとり その肌は僅かな風の揺らぎすら感じとる 要するに、茜は我道の右フックを完璧に見切った。 顔面に迫りくる回転拳を、髪の毛一本分の距離を置き躱す。 我道にとっては、顔面をすり抜けたと錯覚するほどの見切り。 体重を乗せた全力の右フックを完璧に躱されたらどうなるか。 格闘技に詳しくない者でも分かるだろう。 体は流され、あまりにも無防備な姿を対戦者に晒すことになる。 その必然的に出来る隙を狙い、茜の仕込み杖がうなる。 【必然的にできる隙】 それは、【我道蘭でなければ】という但し書きが必要な代物だった。 我道は腰の関節を360度回転させた(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)。渾身の右フックの勢いを全く逃がすことなく、さらに勢いを増した右フックを繰り出す。 全力の右フック二連撃という、格闘のセオリーどころか、人体の構造を完全に逸脱した拳は経験豊富な茜だからこそ覿面に効いた。 「!?」 生じるはずであった隙をついて飛び出た茜を必殺の右フックが襲う。 瞬時にガードを取るがその上から剛腕一閃。茜は大きく吹き飛ばされ、ブティックのこじゃれたショーウィンドウをぶち割って派手に入店した。 初撃が綺麗に決まったわけだが、我道は逆に警戒を高める。 (…吹っ飛び過ぎだ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)。威力を殺すために自分から飛んだか?完璧なタイミングだったカウンターに対して?) 我道の予想通り、何でもないことのように茜は立ち上がり、ブティックから出てくる。 「やれやれ、やっと思い出したよ。確かに昔、クルクル回る小娘を叩きのめした…。あれから大分鍛えたね?一撃の重さが別物だ」 乱れたスーツをさっと整え、真正面から我道を睨みつける。 「いやになるくらいの馬鹿力だ。どうやら殴り合いではアンタに分がある…」 茜は仕込み杖を軽く放り投げ地面に転がした。 「そんなふうに思ってないかい?小娘。戦闘狂(バーサーカー)は完膚なきまでに叩き潰して言い訳できないようにするのがワタシの流儀さ。アンタの土俵でやってやるよ」 稀代の喧嘩屋に。人外の怪異すら殴り倒した戦闘狂に、殴り合いでやってやるという宣言。 これが黒埼・茜でなければ現実の見えていない間抜けのたわごとである。 しかし我道の眼前に立つは黒埼・茜。 齢80を超えて一度の敗北もミスもなく。強者として在り続けた怪物。 その言葉の本気を感じ取り、我道はまた高らかに笑う。 「ハハハ!最高だなあんた!今更だけどよぉ~!私は敬老精神なんて持ち合わせちゃあいないんだ。遠慮なくぶっ飛ばさせてもらうぜ!」 ◆◆◆ 「ッシャラララァ!!!」 殴る。殴る。殴る。蹴る。殴る。蹴る。 我道が猛然と茜に襲い掛かる。 右フック。左ジャブ。貫手。ナックルアロー。上段廻し蹴り。 水月蹴り。右ストレート。掌底。山突き。崩拳。ヤクザキック。手刀。 ラリアット。ジャンピングニー。トラース・キック。猿臂。 我道は特定の流派にこだわらず、ただひたすらにその場で最適と思われる技を全力で繰り出した。 ボクシング・空手・プロレス・中国拳法などに、生まれ持ったフィジカルと当て勘の良さをミックスした野獣じみた猛攻。 それは拳の嵐。蹴りの竜巻。もはや自然災害と評してもいいような、圧倒的なまでの暴の乱舞であった。 この嵐に巻き込まれたが最後、生きとし生けるものは物言わぬ肉塊になり果てる。 そう直感させるような質量、速度。根源的恐怖。 その嵐を、茜は涼しい顔でいなす。 関節の回転による異様な動きにも完全に対応し躱しきる。 常人であれば、否、戦闘訓練を受けた魔人であっても秒で命が吹き消されそうな嵐が、茜には効かない。 的確に技を見切り、躱し続ける。 (ッだ!当たらねえ!マジかこの婆さん!) 「どうしたい小娘。そんな扇風機みたいなぶん回しじゃあ、ワタシを捉えるなんて夢のまた夢だよ」 打ち終わりの隙をついて茜の貫手が我道を襲う。 「ウォ!」 なんとか身をよじるが躱しきれず、頬に一つ傷が付く。 これを散々繰り返した結果、我道は全身に軽微な傷を負っていた。 「どうしたい?喧嘩屋?ババアに喧嘩で負けるようなら、喧嘩屋の看板はしまった方がいいんじゃないかい?」 汗にまみれ、肩で息をしながらも我道は笑顔で答えた。 「ハハ!あんたは強い。とんでもなく強いよ!間違いなく今までやった中でナンバーワンだ!」 宇宙人よりも。怪異の主よりも。格闘王よりも。 我道の闘争の歴史において、数多立ちはだかった猛者よりも。茜は群を抜いた強者であった。 「嬉しいねえ!あの日!私が負けた相手は強かった!どうしようもなく強い相手に敗れた!こんな愉快なことがあるかい!?」 狂喜を見せる我道に茜はため息で返す。 「小娘。アンタがするべきは、喜ぶことじゃない。『昔のワタシは見る目がございませんでした』って嘆くことさ。獅子に対して『獅子は強かったんだね!』って驚く餓鬼は滑稽だよ」 「ハハ!ごもっとも!口じゃああんたに勝てそうにないな!」 ごついライターに火をつけ、深々と煙を肺に入れる。 フゥと一つ息を吐き、告げた。 「それでも、1ミリも負ける気がしねえ。そんな気持ちで戦うつもりはねえ」 煙草を吐き捨てると、再び猛然と襲い掛かった。 躱されるというのならより速く、より重くするまで。 回転数をさらに上げた猛撃を繰り出す。 その単純極まる想いが通じたか。 「…あ?」 一瞬、茜がよろめいた。 連撃を捌くためにバックステップを取った時、自らが投げ捨てた仕込み杖に躓いたのだ。 僅かばかりできた千載一遇の隙をつき、我道が駆ける。 繰りだすはラナンを屠った自身最高の一撃。天へと突き刺さるアッパーカット。 「今だ!!ぶっ飛びやがれぇぇぇぇえええ!!」 ――悲しいことに。 喧嘩屋の自分を支え続けていた猛撃を躱され続けていた我道は、消耗していた。 肉体ではなく、精神が消耗していた。 冷静に考えれば、“あの”黒埼・茜がそんな無様な隙を晒すはずがないというのに。 紅時雨・愛華相手にも用いた、よろめくフリ。 瞬時に体勢を戻し、茜は懐からアルミ製の筒を取り出して放り投げた。 ――瞬間。爆音と閃光が渋谷ヒカリエに広がった。 スタングレネード。猛烈な音と光で突発的な目の眩み・難聴・耳鳴りを発生させる兵器。 「グァ!!」 真正面から爆音と閃光を喰らいつつもそこは戦闘特化型魔人のタフネス。 一時視力と聴覚は失われるが動きは止めず、迷わずに茜がいるだろう方向にアッパーカットを繰り出す。 「いい子だ。小娘。花丸をあげるよ」 …そこまでも、茜の手のひらの上。 神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)は、五感から得られる感覚が茜にとって有害な場合、それを自動で調節し、鈍化させる。 鈍くなった視力と聴力にスタングレネードは届かず。茜はノーダメージで我道のアッパーカットに向きあう。 足元にある仕込み杖を蹴り上げ、瞬時に抜き放つ。 全ては布石。 我道の土俵に付き合うと見せかけ、仕込み杖への意識を薄くした。 よろめくフリをするために仕込み杖を使った。 視力を一時失った我道は、『ステゴロで来るであろう茜』を想定しアッパーカットを放つが、その強靭な一撃は『仕込み杖を握る茜』の前には格好の餌食。至高のカウンターが炸裂し、我道の右の二の腕に大きく穴が穿たれ、薄皮一枚でぶらりと垂れ下がった。 「グアァァァァァァ!!!!」 我道は、利き腕を喪失した。 ◆◆◆ 「ア!ガ!グァぁ!!」 右腕を失い。 視力・聴覚にダメージを負い。 血にまみれた我道が選んだ選択は、“逃げ”であった。 茜と逆方向に猛然と駆ける。 「逃げられるとでも思っているのかい?」 当然黙って逃がすほど茜は甘くない。 一気に間を詰めてとどめを刺そうとする。 しかし我道は、吹き抜けの壁の角を掴むと、能力を全開にした。 「大見解!!!回せ!!回せぇえぇ!!!」 指の関節を超速で回転させる。 モノレールの原理で、あっという間に我道の体が上層に運ばれる。 ヒカリエの吹き抜け構造が幸いし、我道は茜の射程から離れていった。 射程外の上方へ逃げる我道が見えなくなってから、茜は一つ息を吐くと、全身から汗をどっと浮かべた。 (クソ!なんだいアイツ体力馬鹿が!あんだけの猛撃をどれだけ続けるっていうんだい!!) 涼しげに躱しているように見せていたのは、茜の技術の賜物。 現実には命がけの紙一重の見切りであったし、先ほどのカウンターはまさに乾坤一擲の切り札であった。 少しでも気を緩めれば命が吹き飛ぶ連撃を、神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)を発動させ続け、躱し続けた茜も、我道ほどではないが大きく消耗していた。 「しかも、ここで逃げを選択できるかい。手負いの獣の最後の突貫は怖い。だけど手負いの獣が冷静に次の機会を狙うのはもっと怖い…。やれやれだ」 この場に我道がいないからこその言葉を茜は吐いた。 「アタシはこれまで大勢殺してきたが、その中でもアンタは五本の指に入る…いや、虚勢はやめようか…今まででナンバーワンだよ。小娘」 追撃をすぐさまかけようとして、茜は思いとどまる。 我道が逃げた上ではなく、下。 茜が向かったのは地下のワインバー。 ワイングラスの老舗「リーデル」のグラスで提供するワインバーに入る。 【消耗した体力を整えたかった】 【即追撃せずに一旦焦らすことで我道の思惑を乱したかった】 色々と言い訳はあった。 しかし本質は。 茜自身にも意外なことであったが、もう少しだけ。 ほんのわずかな時間でもいいから。 より長く、この夜に浸っていたかったのだ。 自分のことを想い、鍛錬を続け、至高と言っていい領域に至った若者との逢瀬を楽しみたかったのだ。 茜は、上等のワインを開ける。 1990年。歴史に残る世紀のヴィンテージとまで言われる当たり年のボルドー。 かなり値が張るそれを、無造作にグイっと一口飲み流す。 シルクのような喉越しと、しっかりとしながらも軽やかな香りが茜の体を包む。 艶やかでありながら男らしさと女らしさが同居した、奇跡的な甘味。 アルコールが体を駆け巡り、疲労感を吹き飛ばす。 ――心の底から茜は思う。『今』が全盛期だと。 一方の我道。 自信をもって繰りだした連撃は打ち破られ、利き腕は惨めにぶら下がっている。 全身の生傷からは血が溢れ消耗している。 それでも、楽しくて仕方がなかった。 自身をかつて下した化け物とのやり合い。 この場には己と相手しかいない純粋にして苛烈な闘争。 真向勝負で負けたならば、搦め手を打つまで。 茜を討ち果たすために色々と考えて準備をする。その時間がどうしようもなく愛おしかった。 茜はただ我道のことだけを考えた。 カードの因縁だとか自分の矜持だとか、願いの結末だとか。 そういった些細な話は、もはや頭になかった。 我道を打ち倒す策だけに頭を振り絞り 我道が繰り出すだろう策だけを考えた。 我道はただ茜のことだけを考えた。 タロットのことなんて最初から興味はなかった。 我道自身にも驚くべきことであったが、 あれほど焦がれた“純粋なる闘争”ですら、茜との関係の前には蛇足に思えた。 茜を打ち倒す方法だけ考え続け、 茜の技を破る方法だけを想い続けた。 渋谷ヒカリエ。今でも新しい文化が花開く舞台。 今この世界、互いには互いしか存在せず ただただ熱心に想い続ける 歪で 異常で 只管に熱っぽく 土の香りに満ちていて 血潮に濡れた果てなき修羅道 当人同士にしか理解できない胸の昂ぶり あえて一番近い言葉を挙げるとするならば それは 一つの愛であった。 誰にも理解できない狂気ではあっても それは 苛烈な愛であった。 ◆◆◆ ワインを飲み干し、火照る体とともに茜は上階に向かう。 神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)を全開にし、我道の位置を探る。 血の、濃厚な香りが息づく場所。五階の雑貨スペースに我道は陣取っていた。 使い物にならなくなった右腕は自ら引きちぎり止血をしたのだろう。 左腕だけで茜を待ち構えていた。 「…よう、婆さん。…良い夜だ。本当に良い夜だよな」 これから殺し合いをするとは到底思えぬ軽やかな口ぶりで我道は語る。 「…嗚呼。本当だねえ。癪だけど、本当に良い夜だ」 数秒。二人とも言葉を紡がなかった。 行動も起こさなかった。 この夜が終わるのを惜しむように、ただ冷たい空気感に身を任せた。 しかし、そんな時間は長くは続かない。続くはずもない。 先に動いたのは我道。雑貨スペースから拝借した包丁を我武者羅に茜に投げつけた。 刃の弾丸が茜に降り注ぐが、それを冷静に躱す。 その回避行動を見越して、カフェの煮沸器を豪快にぶん投げ、熱湯を浴びせにかかる。 今更熱湯程度何するものぞ。 茜は熱湯をあえて受けながら、手負いの我道に進軍した。 それこそが我道の狙い。 茜ならば、この程度の熱湯など意に介さず突き進む。 そう確信したから用意した三の矢。我道は、警備室から拝借した拡声器を取り出した。 「がぁぁああああああぁぁ!」 戦闘特化型魔人が、フィジカルにものを言わせて全霊の大声を企業用の拡声器に叩きこむ。 それはもはや音響兵器と言えるほどの一撃。 常人が相手であれば、耳を完全に破壊せしめる音爆弾。 だがそれは、茜には通じない。 神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)が聴力を鈍化させ、茜の耳へのダメージを最小限にする。 欠片もひるまず、茜は音爆弾の効果を期待し無防備を晒しているはずの我道に対し貫手を放った。 しかし我道は、そう来ると分かっていたかのように(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)即座にガードをした。 「…婆さんがさぁ…私のことを忘れていても、私はあんたのことを想い続けていた!調べていた!…音爆弾が効かないことなんて!分かっていた…!」 我道の語りを無視し、茜はさらに攻め立てようとする。 しかし。 体が言う事を聞かない。 気が付いたら、茜の脇腹から夥しい血が溢れていた。 茜は、背後から銃撃を受けていたのだ。 ◆◆◆ (何故!?どうやって!?いつの間に!?) 茜の脳髄が困惑に叩きこまれるが、瞬時に自分を取り戻し、我道との距離を取る。 自身を傷つけた手段を理解しないまま攻撃を続けるのは愚行。 一旦見に回り現状把握に努める。 銃撃の方向を見ると、雑貨が乱雑に積まれた棚から拳銃が一つ、銃口から煙をたなびかせていた。 黒埼・茜は知りえぬことではあるが、それは、遊葉 天虎の忘れ形見。 我道はスカイツリーで討ち果たした彼女の愛銃を、もしかしたら使えるかもしれないとスーツの内側に仕込んでいたのだ。 何故茜はこの銃撃に気付けなかったのか? 神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)の聴力は銃撃音を捉えられなかったのか? 全ては布石。 銃撃の直前に行われた強烈な音爆弾。 それを避けるために鈍化した聴力では、音爆弾にまぎれるように放たれた銃撃に気が付けなかったのだ。 (…そして、火薬の匂いは自らの血の匂いで誤魔化した、ってわけかい) 「これでよぉ…よ~うやく互角なんじゃねえかい?終わりが近いんじゃねえかい?」 我道の言うとおり、此処までしてやっと五分と五分。 全身に切り傷を負い、利き腕を喪失し、大量に血を失った我道と、 能力をフル回転した結果体力と精神を消耗し脇腹に銃撃を受けた茜。 互いに万全の状態であれば、茜は我道の攻撃を捌き続ける事が出来た。 しかし今は互いに手負い。 勝敗の天秤はどちらに傾くかなど、運命の女神でもなければ分かりはしないだろう。 「確かに、間もなくすべてが終わるねえ…最後に一つ聞いておきたいんだけどね、どうやって銃の引き金を引いたんだい?それだけは聞いておきたいねぇ」 「ハハ!冥途の土産にするのかい?」 「馬鹿をお言い出ないよ。このままアンタをぶっ殺してしまったら、謎が残っちまうじゃないかい」 「本当に、口じゃあ婆さんに勝てねえな…単純な話さ。私の『大見解』による間接回転は、切り離されていても使用できる…千切れた腕を使えば、引き金を引くくらい朝飯前、ってね」 「なるほどねえ、喧嘩馬鹿でも、少しは物を考えてる、ってことだ」 「ハハ!その喧嘩馬鹿に殴り合いを挑んだババアは誰だよ!」 「「ハハハハハハハハハハ!!」」 どうしようもなく爽やかで、乾いていて、物悲しい笑い声が渋谷に響く。 数十秒後、どちらかの命は散る。 稀代の喧嘩屋、裏社会に名を轟かす我道蘭か、 80年無敗、伝説的な殺し屋の黒埼・茜か。どちらかの命が潰える。 それを理解しながら、二人は笑った。 どうしようもない屑の殺し合いの果て、どこまでも清らかに笑った。 静寂。 沈黙。 笑いに包まれたヒカリエが一転静謐に満ちる。 互いの身に緊張が走る。 もう両者限界が近い。 我道は頼みとする拳を握った。 茜は仕込み杖を掲げた。 両者言いたいことは星の数ほどあったが、全てを行動で示した。 爆発音が響く。両者の渾身の突進は猛烈な音響となり渋谷中に轟いた。 茜が全身のひねりを加え裂帛の気合と共に突きを放つ。 対する我道は低く地を這うタックルを仕掛ける。 (ここに来て関節技!?) ――それは、九頭竜次郎の得意技。 投極打の鮮やかなコンビネーション。 低空タックルで極めに行くと思わせてからの打撃への移行。 我道はタックルをフェイントに渾身の貫手を放つ。 泡盛司を下した回転貫手を! 勿論、我道は九頭竜ほどの技量は持ち合わせない。 タックルから貫手への移行も、彼に比ぶればお粗末なものだ。 それでも、茜の思考リソースを僅かながらにも割くことには成功した。 互いに全霊を絞り尽くした一撃。 80年の歴史を一手に背負った仕込み杖の一撃と。 当代随一の喧嘩屋のこれまでを詰め込んだ一撃。 眩い光が交差し、只痛いほどの静寂が渋谷を包んだ。 ◆◆◆ ボタリ。 ボタリ。 赤黒い血が、磨かれた渋谷ヒカリエの床に撒かれる。 喧嘩屋。我道蘭の貫手が、黒埼・茜をど真ん中から貫いていた。 それはほんの紙一重の違い。自らが下した相手を覚えていたか否か。 自身が願いを踏みにじった者の想いを背負っていたか否か。 黒埼・茜は紛れもない生まれつきの強者で、だからこそ弱者の気持ちが分からなかった。 敗者の物語を顧みず、ただ強者たる自己を貫いた。 自らが所属していた組織の名も忘れ。 茜の命を狙い続けた紅時雨・愛華の存在すら忘れ。 踏みにじってきた者の想いなど、一切頓着してこなかった。 対する我道。 同じく生まれつきの強者ではあったが、敗者の物語も知っていた。 故に遊葉の忘れ形見を用い、故に九頭竜の技を披露した。 倒した相手を想い、顧み、次につなげた! なんという皮肉。 【倒した相手を想い顧みる】 それは生粋の強者にとっては弱者のたわごと。 自身の弱さに気が付いた者にしか、その想いは宿らない。 生まれつきの強者であった我道蘭は、 黒埼・茜によって敗北を知り。 敗者でも紡いできた物語があると知り。 敗者の想いを一つ一つ掬い上げ自らの血肉とした。 茜に敗れたからこそ生まれた強さが。 十年以上の時を経て、最強の殺し屋、黒埼・茜に突き刺さったのだ。 ボタリ。 ボタリ。 渋谷ヒカリエの床に涙が撒かれる。 それは、我道蘭のものであった。 もしも。 もしも黒埼・茜がもう10年若かったならば、もしも自分がスカイツリーを経験していなければ。 容易く勝敗の天秤は茜の方に傾いたであろう。我道蘭は敗れ去っていたであろう。 それを誰よりも理解していたからこそ、我道は泣いた。 自分でもどうしてかよく分からないまま、ただただ嗚咽した。 それが自身の未熟を呪ってか、 茜の衰えを悼んでかはもうどうにも分からなかった。 「…何を…思いあがっているんだい」 口からどす黒い血を垂らし、どてっぱらに大穴が開いているというにもかかわらず、黒埼・茜は真っすぐ立った。 とうに体からは生命が抜けきっているはずにもかかわらず、怪我など無いかのように凛と立った。 「アタシにとってはいつだって、『今』が全盛期なのさ。アンタは全盛期のアタシを倒したのさ」 茜は両手の人差し指を突き出した。 そうして、ニッ!!と音がすると錯覚するほどの笑顔を見せて楽しそうに言った。 「これで一勝一敗。続きは地獄でだね。どうせアンタもこっちに来るだろう?」 その生きざまに未練はなく。 どこまでも凛とした空気をたたえたまま黒埼・茜は光と共に消えていった。 血と涙にぬれた我道は、しばらくは敗者のごとく地を這っていたが、なんとか立ち上がった。 負けられない。負けるわけにはいかない。 その想いだけを胸に、夜の渋谷に消えていった。 煙草すら吸わずに。 戦場:ショッピングモール 黒埼・茜:死亡 対我道蘭戦績:一勝一敗 Try to the next spread!
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盤面の瀬戸際で ◆UcWYhusQhw ――――有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「……ふぅん。なんだ、零時迷子ってそんなモノだったのか」 「そう、秘宝中の秘宝さ。……ああ、欲しくてもあげないよ? あれは僕のものだからね」 「別に興味ない。勝手にしろ」 「つれないねぇ、和服は」 甘く踊るような抑揚をもった男の声と、逆に心底冷め切った女の声が西日の射す室内に響いている。 声の主は、『王』であるフリアグネと『和服』の式。 偽りの同盟を組む彼らのやり取りを聞きながら『少佐』である僕――トラヴァスは考えをまとめていた。 目的の大きさに反してとり得る手段は極めて少なく、そして非情にデリケートだ。 例えるなら時限爆弾の解体だろうか。 僕は慎重に言葉を選び『王』に質問をする。 「では、その『零時迷子』なるものがミステス――坂井悠二の中にあると考えて間違いないのですね?」 「間違いないと思うよ。そのトーチの現状と和服の証言を信じるならばね」 “トーチ”と“ミステス”。 今と、その前の王との会話によってもたらされた新しい知識だ。 これにより僕が見た白い髪の少女――伊里野加奈。彼女が生きていた理由が判明した。 いや、正確に言えば“生きているように見えていた理由”か。 僕が見たアレはいなくなってしまった彼女自身の代替物でしかないということらしい。 なので、もう“彼女”と呼ぶのも正確ではない。フリアグネはアレをただの“トーチ”でしかないと言った。 彼女から“トーチ”を作ったことに対してフリアグネは王の義務を思い出したからと言った。 しかし僕が考えるにそれは義務というよりかは生理的欲求というものだ。 紅世の王というのは人間の――それと、それ以外のあらゆるものが持つ“存在の力”を糧に生きているらしい。 簡単に言えば、彼らは人を喰って生きている。 人を喰わなければ生きてゆけない。人間が他の生命を食べて生きているように。 彼らが人を喰えばそこに死体は残らない。しかし、存在の力が消えうせた見えない空白が生まれる。 紅世の王に対する者等は、この空白――歪みというものを目印に追ってくるのだそうだ。 そこで生み出されたのが、喰った人間と瓜二つの偽物――“トーチ”を残すという方法。 穴の開いた壁に壁の柄を描いた布を貼り付けて誤魔化すような一時しのぎだが、実に有効なのだという。 ともあれ、そういった彼の食事の過程、または王と追跡者の対立の狭間で彼女はいなくなりトーチが生まれた。 トーチの行く先は知らない。元となった人物と同じように振舞うらしいが、すぐに消えてしまうらしい。 消えてしまうと、彼女がいた痕跡と記憶も丸ごと世界から失われるのだそうだ。 それが――存在の消失ということなのだとか。実に空恐ろしい。 もっとも、この仕組みを知っている者に対しこれは働かず記憶は保持されるらしい。 つまり、僕はフリアグネからこのことを聞かされたから伊里野加奈のトーチが消失しても彼女を忘れはしない。 もしこの先、僕の親しい人が紅世の王に喰われ消失したとしても、その事実を認識し続け忘れることもできないだろう。 …………そして、その“トーチ”の亜種、この場合は異種と言ったほうがいいか。“ミステス”というものがあるらしい。 件の坂井悠二という少年がこれに該当するという話だ。 “ミステス”も“トーチ”ということには変わりない。それが生まれ消え去る過程もなんら変わりない。 一点だけ特別なのは、“トーチ”として生まれた瞬間に“宝具”をその身に宿すということ。 “宝具”とは僕がフリアグネに献上したあの『吸血鬼(ブルートザオガー)』という名の剣のようなものだ。 どうしてそんなことが起こりえるのか、原理は詳しく聞けなかったが、本当に極稀にそういうことがあるらしい。 そして、誰もがそれに気づかずトーチがそのまま消失すると、宿っていた“宝具”は別のトーチへと転移するらしい。 そのことから、紅世の住人からは『旅する宝の蔵』などとも呼ばれているそうだ。 坂井悠二もまた偶然にも、幸か不幸か“宝具”を宿し、ただの“トーチ”ではない“ミステス”になったのだろう。 そのこと自体に対して僕の思うところはない。しかし彼の宿した“零時迷子”に対しては別だ。 「つまり、坂井悠二は零時迷子の効力によって消失を免れているのですね」 「あのトーチがずっと消えずにいるのだとしたらそうとしか考えられないからね」 “トーチ”というものは例え“ミステス”であろうと、残された存在の力をじょじょに減らしほどなく消えてしまう。 しかし、唯一(?)の例外が坂井悠二が宿していると目される『零時迷子』という“宝具”であるらしい。 その効果は名前の通り、毎夜零時に所持している者の存在の力を回復されるものだという。 なので、本来ならすぐに消えてしまう“トーチ”も『零時迷子』があればその効果によりいつまでも存在しえる。 つまり……、“トーチ”が人間と見かけ上変わらないのならば、彼は人間として生き続けているのとなんら変わりない。 実際、僕は彼と直接会っているわけだが、彼が人間ではないなどとは全く思わなかった。 ある意味、彼は死を超越しているのだと言えるだろう。無論、それは『零時迷子』あってのことだが……。 人として死に“ミステス”として存在し、そして蒐集家である紅世の王に狙われる。 あまりにも数奇な運命だ。 羨むべきなのか、それとも同情すべきなのか、どちらとも判断できないくらいに。 「――そう。そして、だからこそ『零時迷子』は秘宝中の秘宝なのさ」 「それはつまり、強力だからというわけですか?」 悪いが彼の境遇に思いを馳せるのは後だ。 重要なのはフリアグネが『零時迷子』を欲していること。そしてそれが渡るとどうなってしまうのかだ。 なので僕は質問してみた。 しかし、彼は優雅に指を立てるとそれは違うと否定した。 「……実はそうでもないんだ。あれは所詮その持ち主の存在の力を一日に一回だけ元の値へと戻すにすぎない。 有用か強力無比かで言うならば大したことはないモノでしかないね。無論、使い道がないわけではないけども」 「では、何故それほどまでに関心を?」 僕の質問にフリアグネは額に手を当て、まるで舞台の上にいる役者のような動きで天井を仰いだ。 「何故と問うかね? 君が。私は『狩人』だよ? そして『零時迷子』は発揮する力はともかくとして時の事象に干渉する極めて珍しいものだ。 その名前も、価値も、知れ渡っている――とすれば見逃す手はないだろう?」 これこそ千載一遇なのだよ――と、フリアグネは大げさに手を広げギラギラと輝く目で僕を見つめた。 喜色いっぱいの表情に気圧され、背筋に寒気が走る。 「ふふっ。早く欲しいなぁ……、僕のコレクションに加われば『零時迷子』もなお一段と輝くというのにっ!」 どうやら、『零時迷子』というものは価値はあれど特に脅威になるような宝具ではないらしい。 とはいえ彼がこれを手に入れようとすれば、その時坂井悠二は間違いなく消失させられているだろう。 できる限り、それは避けたい――が、それはなかなかに難しそうだ。 彼が武器や道具としてそれを欲しているのならば代わりを用意することも状況を変えることもできるだろう。 しかし、彼は蒐集家として、単純な性分としてそれを欲し手に入れようとしている。 まるで我侭な幼児のように一切の聞き分けもなく、ただ貪欲に。 だとすれば、興味の対象を移す方法などはないに等しい。 蒐集家というものはそういう厄介なものなのだ。手に入れるまでは諦めない……。 「さて、説明はこんなものでいいかな? じゃあもう一度考える時間を作ろうか。放送を聞き終わったらまた集まろう」 フリアグネはご機嫌な様子で手拍子を打つと、ふわふわとした軽い足取りで通路の奥へと歩み去っていく。 律儀に最後まで話を聞いていた式ももたれていた柱から背を離すと何も言わずにこの場を去った。 さて、考えなくてはいけないのは今後の方針だ。 見通しの悪さに心の中で大きな溜息をひとつつき、考えをまとめるために僕もこの場を離れることにした。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ さて、まずはいくつか推測できることをまとめておこうか。 “本当のこと”を知ったおかげで、新しく思いつくこともあるからね。 まず、確実に言えるだろうことだが、あの魔術師――ステイル=マグヌスだったか。 間違いなく彼は今現在トーチとなっていることだろう。 フリアグネは伊里野加奈を殺害した際に、初めて思い出したと言ったが、それは考えられない。 あの王が一番最初の魔術師の捕食で、それを思い出さないわけが無い。 どこかふざけた様子の裏に隠されている、冷酷で計算高い本性。 そういったものを持つ彼が、ましてや紅世の王として常時の振る舞いであるトーチを作ることを忘れるわけがない。 故に、王自身がそれを言わなかったとしてもあの魔術師がトーチとされたのは確実なことだ。 対立者であるフレイムヘイズとやらが未だ迫っていないのもその証拠と言える。 人を喰うという世界の歪みが言うほどのものならば、現段階で見つかっていてもおかしくないからね。 しかし、僕は魔術師をトーチにした可能性をあえて王へと追求はしなかった。 これくらいならば話を伊里野加奈の場合の話を聞いた段階ですぐに推測できることだし、 王も明言こそしなくても、ばれてもかまわない。あるいは僕がすぐにでも気づくと考えていたはずだ。 それは置いておくとして、問題はその魔術師だ。 彼のトーチが未だ健在か、または既に消滅してしまっているのか。 それはまだ僕には判断できないけれど、ここは存在しているものとして考えよう。 消えていたのだとしたら別に大きな影響はない。 強いて言うならステイル=マグヌスという存在が忘れ去られるということだが、その程度だ。 それに、彼は殺戮者だった。ならば、僕にとっては好都合だというわけである。 重要なのは存在していた場合だ。 彼が殺戮者だったという点はこの場合でもあまり重要ではない。 なぜならば、消える寸前のトーチは減ってゆく存在の力にそって無気力となってゆくかららしいからだ。 なので、ステイル=マグナス――正確には彼から作られたトーチは無害だと推測できる。 この場合、懸念しなくてはならないのは別のところにある。 ステイル=マグヌス。そして伊里野加奈のトーチが殺し合い否定派の人物と“接触”しているかどうかである。 特に、坂井悠二とシャナ、フリアグネが交戦したというメイド――つまりフレイムヘイズの一派。 彼らは王と同じくトーチの知識があり、それを認識することができる。 ならば、魔術師や少女のトーチを見てどう思うだろうか。 簡単だ。フリアグネか、まだ存在の明らかでない紅世の王が作り出したとすぐに理解できるはずだ。 彼らはフリアグネがこの状況に対して積極的に干渉しはじめたと知るだろう。 そうでなければトーチが生まれるはずもないのだから。 そして、トーチと出合った場所から痕跡を辿り、僕を含めたこのフリアグネの元へと向かってくるだろう。 だとするならば、遅かれ早かれ僕らと追ってきた者が衝突する可能性はある。 尤も、それはトーチとフレイムヘイズが接触できていればの話だが。 ……しかし、僕は接触できている可能性はけっこう高いのではないかとも考えている。 そう考える根拠は、先ほど見かけた金髪の軍人と平凡そうな少年少女のグループだ。 彼らがここに近づいたのは物資補給の為だと僕はその様子から推測している。 最終的に彼らは北の方角に去って行ったが、おそらくはそちらに根拠地があるのだろう。 地図を見るに、病院か飛行場か……、どちらも拠点とするにはふさわしい施設だ。 病院は広いし、何より治療器具や寝室が多数揃っている。 飛行場はその種類によるが、休憩室や一晩を過ごすための施設が併設されていることが多い。 僕の考えが正しく彼らが物資調達に来ていたのだとすれば、根拠地に残った者も相応にいるはずだ。 つまり、少なく見積もっても5人……それ以上の集団ができていると期待できる。 さて、伊里野加奈のトーチはこの百貨店を出て、大通りのほうへと向かって歩き去った。 ちょうど、金髪の軍人達が宙に浮かぶ車で向かって行ったほうでもある。 あの直後、僕からは見えなかったが、彼らは互いの存在に気づいただろう。 そしてその結果……、少女は軍人達に保護され、仲間の下に連れ帰られたんじゃないかと想像できる。 重要なのは、その集団の構成員だ。 まずは金髪の軍人。ごく平凡な少年。もしかすると死んだ剣士と縁者であったかもしれない少女。 ここからは曖昧で願望に近い推測となるが、……リリアと、リリアの傍にいた少年も一緒かも知れない。 あのダンスパーティの再演で、リリアの傍にいた少年は少なからず負傷していた。 死に至るほどの負傷だったとは思わない。かと言って、そこいらで簡単に治療できるほどでもなかったと思う。 リリアには手の施しようはなかったろう。とはいえあの子が彼を見捨てるわけもない。 ならば、病院に向かったのではないか。 そして病院の中で軍人達の集団と合流できたのではないか。 もし軍人達の根拠地が病院でないとしても、物資の補給を考えた彼らが病院まで手を伸ばさないわけがない。 リリアと、あの集団との接点はあったはずだ。 そして、これもおそらくだが、僕はその集団にフレイムヘイズのメイド服の女性が加わっているのではとも考える。 メイド服のフレイムヘイズは実に優秀だと僕はフリアグネから聞いている。 遭遇した際に、彼女が足手まといとなるシスターと一緒にいたとも。 保護対象を連れてそう頻繁に移動するとは、戦場を知る人間ならば考えづらい。 すでに半日と四分の一が過ぎているが、だとするなら彼女が拠点とする場所もこの近くではないかと思うのだ。 根拠はもうひとつある。軍人らしき男を調達に向かわせていることから、 彼と同等かそれ以上の立場、実力を持った人間がいるのではと考えられるのだ。 そう考えると、僕の頭の中にはメイド服のフレイムヘイズという候補しかいない。 まとめると……、ここより北の集団にいると確定しているのが金髪の軍人。平凡な少年。小柄な少女。 加わっている可能性が高いのが、伊里野加奈と、リリアと同行者の少年。 そして、メイド服のフレイムヘイズがここに加わっている可能性がある。 フレイムヘイズがいると仮定すると、帰還した仲間からフリアグネがここにいると気づく可能性は高い。 そうなれば、戦力を整えた上でここへと征伐しに来る可能性だってある。もう向かっているかもしれない。 もしそうなってしまえば、双方に少なくない被害が出るはずだ。 リリアやその仲間の安全を考えるならば、僕たちが早めにここから立ち去るのがいいだろう。 さて、そろそろ放送の時間だ。 少し散漫に考えてしまったが、まとめると……、 現在、フリアグネの生み出したトーチがいずれかのフレイムヘイズや、殺し合いを否定する者と接触してる可能性が高い。 その中でもほぼ確実なのが、ここより北の集団が伊里野加奈のトーチを拾っているということだ。 そして、その北の集団の中にはメイド服のフレイムヘイズがいるかもしれない。 その場合、彼らがここへと戦闘をしかけてくる危険があり、それを避ける為にここを早急に離れる必要がある。 ……と、こんなところだろうか。 翻って、坂井悠二はここより西か南にいると推測されている。 もし北の集団を避けて逆へと向かえば、彼と遭遇し被害を与えてしまう可能性があるということだ。 とはいえ、北の集団と坂井悠二……天秤にかけるならやはり、集団の方を優先するのは仕方ないか……。 ふぅと僕が溜息交じりの大きな息を吐いたその時、頭上からあの人類最悪の声が響いてきた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ……………………ああ、参ったな。 …………僕は知らない内に追い詰められていた……という事か。 手詰まり、チェックメイト寸前……か。 ぐしゃりと紙が潰される音が響く。 僕が思い切り名簿をを握りつぶした音だ。 全参加者『59人』と書かれた名簿を。 やられた、やられたとしか言い様が無い。 あの短い放送でここまで追い詰められる事に気付くとは。 人類最悪の放送を要約すると、 彼はやはりあくまでも舞台装置であり、あらゆる意味において下にいるということ。 そして、死亡者が『三人』であったことだ。 下にいる……彼の居る場所が下、立場が下、立ち位置が下……など色々考えられるが今は優先順位が低い。 重要なのは、死亡者が『三人』ということだ。 『シズ』『古泉一樹』『御坂美琴』 呼ばれたのはこの三人だ。 そこにステイル=マグヌス、伊里野加奈の名前はない。 それはいい。トーチの存在を生きているか死んでいるのか判断するのは難しいだろう。 だが、この名簿には“伊里野加奈の名前は無い”。 まるで、最初から存在しなかったように。 当たり前のように、彼女の名前は失われていた。 世界から、忘れ去れたように。 つまり、これは、彼女が消失してしまったと言うことだろう。 彼女に籠めた存在の力は微少だとフリアグネも言っていたし、僅かな時間で消えたのも理解できる。 これで、完全に伊里野加奈が殺し合いから退場したと言えるだろう。 しかし、人類最悪は彼女の名前を放送で呼ばなかった。 伊里野加奈の存在を忘れた人に配慮したという可能性も考えられるが……、 しかし……最も考えられて可能性が高く、且つもっともこちらにとって最悪なパターンは ――――人類最悪が、紅世の仕組みを知らなかったと言う可能性だ。 これは、僕にとっては最悪なケースだ。 突拍子も無い考えに見えるが、彼は今回の放送でも自分を下だと言った。 立場が限りなく下なら、参加者よりも下なら、知らなかった可能性は大いにある。 故に忘却してしまった、伊里野加奈という存在を。 ああ、しまったな、やはりフリアグネは飼いならすと考えるべきでは無かった。 ワイルドカードはワイルドカードでしかなかったということか。 フリアグネがこんな力を持つと言うなら……早々に始末するしか方法が無いかもしれない。 何故ならば、 ――――フリアグネは、主催側の人間に一方的に干渉する力を持っているというのに等しいのだから。 これは、最悪な場合、僕のプランを破綻させるのと等しい力かもしれない。 人類最悪の裏に真の主催者がいるとしても、この力は危険だ。 もし、主催に接触する機会が出来た人物が殺し合いを否定する中にいたとしても、 その人物がフリアグネによって喰われてしまえば、それで完全に終わりだ。 受け皿になる人物最悪が忘却してしまえば、何も出来ないのだから。 勿論接触の機会が出来た人物だけではない、脱出できる決定的な何かを持つ人物が居たとしても、 その者がフリアグネに消されてしまえば一緒だ。 世界の仕組みに取り込まれて、他の参加者が知る由もなくなってしまう。 此方が、主催者や人類最悪の接触の切欠になる人物を置いても、フリアグネに消されれば、それでも終わりだ。 全てが後に続くことなく消失してしまう。 主催側からの接触を望む僕にとって、間接的とはいえ、自分より先に干渉できる力を持つフリアグネはもう邪魔でしかない。 だから、フリアグネを殺す? いや、それも、もう遅い。 殺すならあの剣士との戦闘の最中でなければならなかった。 今は不意を打とうにも、和服がいる。 あの気分屋がいる状況で不意を打てるかなんて……限り無く不可能に近いだろう。 じゃあ、どうする? 考えろ、考えろ。 詰みに近い現状で、それをひっくり返す為に。 考えろ、考えろ、考えろ、考えろ。 考え………… …………ああ、くそっ やはり、フリアグネに張り付きすぎた。 僕がやっていることが、スパイと同じようなことなら、 現状では、情報が不足している。他の参加者の情報が、決定的に足りない。 例えば、今、紅世の仕組みを知っている大きなチームが確実にいると断言できたら。 フリアグネが主催に間接的に干渉できる能力を持っていたとしても。 フリアグネが参加者の存在を忘却させる力を持っていたとしても。 致命的なダメージにならない方法があるだろう。 しかし現実、今、この状況に抗う人間達の中にどんな集団がいるか、僕は全く知らない。 おぼろげに北部に集団がいるらしいぐらいしか知らない。 重要な鍵を持っているフレイムへイズの名前すら僕には解からないのだからね。 もしかしたら、僕らのチームに匹敵するほどの生き残りに肯定的なチームが他にいるかもしれない。 ……けれど、僕はそれを知らない。 ああ、くそっ……押さえ付けることに必死になりすぎて。 大切な、参加者の情報を知らない。 フリアグネに恐ろしい力があると知っても。 それを知らせるべき味方を知らない。 少なくとも内情は知らなければならないのに。 今、判断を求められてる時に、判断を下す情報が ――――圧倒的に足りない。 この場では、僕は ――――肝心な情報を知らない弱者でしかなかったというのか。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「さて、皆揃ったようだね。あの放送への議論は後回しにするとして……」 陽が沈み、窓の外に星が瞬き始めた頃。 放送を聞き終えた僕らは、マネキンが立ち並んだフロアに集合していた。 白に包まれた王、フリアグネはゆっくりと口を開く。 何処か楽しそうな口振りで、集まった僕らに問いかける。 僕は心の動揺と緊張を隠しながら、フリアグネの言葉を聞いていた。 「坂井悠二、つまり零時迷子のミステスを探索することを指針にすることは、先ほど言ったわけだけど」 これは、放送前から言っていたことだ。 フリアグネは抑えきれないように、楽しそうに言葉を紡ぐ。 「このことに、何か異論はあるかい?」 フリアグネはぐるりと周囲を見回して、つまらなさそうにしていた和服を見る。 和服はやはりどこか気だるげそうで、不機嫌そうに。 王の視線にも、興味なさそうに、 「別に、オレは無い。というか、さっさと行こうぜ」 ひらひらと手を振って、異論は無い事を示した。 なんとも淡白な反応だったが、もう慣れたのか王は気にするそぶりもない。 そしてフリアグネはそのまま僕へと何かを期待するような眼で見つめてくる。 まるで、こちらの内心を見透かすように。 「少佐。君はどうだい?」 僕は静かに眼鏡を抑えて、王を真っ直ぐ見る。 王の瞳は何処か楽しそうな割りに鋭利な鋭さを持っていて。 僕を射抜くように見つめて、僕の返事を待っていた。 「そうですね――――」 僕は息を大きく吸い込んで。 決心するように頷き。 心の底から覚悟をして。 そして―――― 「提案があります―――別行動を取らしてもらえないでしょうか?」 僕は、『詰み』の盤面を大きく動かすための賭けに出たのだ。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「へぇ、それは何とも意外な提案だね。どういうことかな?」 フリアグネは、あくまで楽しそうに、踊るような抑揚のまま言葉を続ける。 瞳は全く笑っていなく、こちらを射抜くように。 僕は緊張したまま、言葉を紡ぐ。 「そうですね、まず確認も踏まえて、聞きたい事があります」 「へぇ? なんだい?」 こちらの提案を飲んで貰う為には、気分屋の王を納得させるしかない。 だから、僕はあえて、先ほど黙っていたことを口にする。 「ホテルで殺害した魔術師、ステイル=マグヌスですが、彼も当然、トーチにしましたよね?」 「…………うん、やっぱり解かっていたか。放送で呼ばれなかったし当然だけれども」 「えっ、そうだったのか」 「……君は気づいてなかったのかい? 和服」 くくっとフリアグネは口に手を当てて笑う。 和服はそっぽを向いたが、気にする事はない。 僕は表情を変えずに、握られた名簿を示す。 「名簿を確認しましたが、今『59人』になっています。消滅したのは、伊里野加奈ですね」 「そうだね、僕も確認したよ……まあ、元々トーチに籠める存在の力は微少なものだし」 「……あ、確かに消えてるな」 名簿を興味深そうに確認する和服を尻目に、僕は名簿を手で叩き、言葉を紡ぐ。 そう、ここにおかしい所があり、漬け込む余地がある。 「トーチに籠める存在の力は微少なのですよね? フリアグネ様」 「ふぅん……君も気付いたか、少佐。 ……そうだよ。なら君が不思議に思っている事を、理解できていない和服に教えてあげなよ」 やはり、王も気づいていたか。 気づいていなければ、困るのだが。 僕はむっとしている和服に語りかけるように、言葉を紡ぐ。 「そう、籠められた存在の力が同じくらい微少なら、『先にトーチになっていた魔術師が消えていないのはおかしい』のですよ」 「……あ、そうか」 「この名簿が『58人』になっていなければ、辻褄が合わない……つまり…………」 驚いてる和服に、魔術師が消えてなければおかしいことを告げる。 そう、矛盾が発生しているのだ。 同じぐらい微少の存在の力なら……後にトーチになった伊里野加奈だけ消失しているのはおかしいのだ。 何故このような事態になってしまったのか、説明できるとするなら、 「『存在の力を使えるフレイムへイズが魔術師に接触していた』……君がいいたい事は、こうだろう? 『少佐』」 僕が告げたかった言葉を、王が取り次いで先に述べた。 そう、フリアグネと同じように存在の力を使える、フレイムへイズが接触し、そして魔術師のトーチに何かをしたのだろう。 このことを王も把握してたらしい。考えていたことが一緒で王はとても嬉しそうだった。 「言っていなかったけど、存在の力をトーチに注ぐ事はフレイムへイズも可能だ。 だから魔術師のトーチは存在の力を注がれたと考えていいだろうね」 これで、魔術師が存在している理由が明らかになった。 そして、トーチとフレイムへイズが接触していた事実も。 だから、僕はあえて王の好ましくない事態を口にする。 僕が達成する目的の為に。 「つまり、フリアグネ様がトーチを作成した事がフレイムへイズには理解されていると言っていいでしょう」 「だろうね……仕方ないことだが」 「そして、フリアグネ様が人を狩り始めていると思われてもよい……恐らく優先してフリアグネ様を探そうとするでしょう」 僕が淡々と事実を述べると、少しだけフリアグネの表情が険しくなっている。 それは本心からか、演技かは今の僕には理解できないが。 ここまではあくまで確認事項、解かってることを言ったに過ぎない。 だからこそ、ここからは、僕が告げるべき大切なことだ。 緊張で声が震えそうになるが、それを抑えて、平静を装い言葉を紡ぐ。 「そこで王に提案したいことに戻るのですが……暫く僕に別行動をさせてもらえないでしょうか?」 「魔術師のトーチの話をしたから、そのことに関係するんだろう?」 「はい……まあ、端的に言うと簡単な敵情視察したいと考えています」 そう、敵情視察。 あくまで敵情視察と言う名分で、僕はこの事態を打開しようとする者らと接触を計ろうと考えているのだ。 「幾らフリアグネ様といえど強力なフレイムへイズに同時に襲われるのは難儀でしょう?」 「……まあ、そうだろうね」 「実際に接触を取るかは兎も角、殺し合いに乗らない者達の内情を覗いたりなどをし、戦力を確認したのです。 己を知り、敵を知る事は大切ですし」 「……つまり、スパイみたいなものか?」 黙っていた和服が、こちらに視線を向け、言葉を紡ぐ。 解かりやすい単語を出してくれたが、まあ既にスパイみたいなことを僕はしているのだけれども。 まあ、ダブルスパイになるのだろうか。 「まあ、解かりやすく言えば、そうですね。僕は職業上、こういうものには慣れていますし。 それと、僕が内情視察を行っていれば、その間フリアグネ様は『零時迷子』探索に集中することができると思います。 ですので、フリアグネ様の役に立つと思いますが……どうでしょうか?」 さりげなくフリアグネの蒐集にもメリットがあることをアピールする。 そして、こちらから告げられることを言い終え、僕は王の言葉を持つ。 柄にも無く、鼓動が早まっている気がした。 王は瞳だけこちらに向けて 「――――本当に『それだけ』かい?」 とても、冷たい視線を僕に向け、 そして、王は笑っていた。 何もかも見透かした上で、それでもなお、微笑を崩さないように。 ただ、笑っていた。 背筋が凍りつくような気がした。 「……なんてね、冗談だよ。いいだろう。『少佐』……内情視察の任務を宜しくお願いしたい」 けれど、途端に甘く愉しそうな声をだして、僕の提案を受理しようとする。 冗談とはいったが、それは本心かどうか……僕にはわからない。 わからないが、僕に残された道はもう、それしかないのだから。 冷や汗が噴出したか、拭うことはしなかった。 「『和服』もそれでいいかい?」 王は和服に視線だけ向けて、答えを求める。 和服は一度瞼を閉じ、そして瞼を上げて 「……言ったろ? オレは――――あいつさえ殺せれば、それでいいんだ」 彼女は宙に手を振った。 その瞬間、周りにあったマネキンが断ち切られて、次々と崩れ落ちていく。 「それだけだ……好きにしろ。オレもオレで――――ただ、殺していくだけだ」 興味無さそうに、崩れ落ちたマネキンを一瞥して、彼女はまた瞼を閉じた。 その美しいともいえる光景を僕と王は眺めて、そして、 「ふふっ……和服は変わらないね。ならば『少佐』……一先ず、単独行動を許す」 「ありがたき幸せ」 「そして、そうだな……僕らは南部に向かおうと思うから、24時以降に、天守閣辺りで一度会おう、それでいいかい?」 「構いません。了解しました」 僕にとっては充分な時間だろう。 この間にどれ位、情報を得れるかは、僕の腕次第かな。 賽は投げられた……詰みに近いこの盤面を。 僕はどれだけ動かせる? いや、確実に、動かし、変えて見せよう。 それが、僕の仕事なのだから。 やって見せなければならない。 死んだ彼女の為にも、今を生きるあの子の為にも。 僕は僕にしか出来ない仕事を、遂行するのみ。 「ふふっ……本当……楽しみだねぇ、少佐」 出口に向かって歩き出す僕へと、そんな言葉が聞こえたような気がしたが、気にはしない。 もう、始まっているのだ。 王との戦いは既に、会戦の火蓋が、切られていて。 そして、最後に勝つのは――――僕でしかないのだから。 【C-5/百貨店・1F女性用衣服売り場/一日目・夜】 【フリアグネ@灼眼のシャナ】 [状態]:健康 [装備]:吸血鬼(ブルートザオガー)@灼眼のシャナ、ダンスパーティー@灼眼のシャナ、コルデー@灼眼のシャナ [道具]:デイパック、支給品一式×2、酒数本、狐の面@戯言シリーズ、『無銘』@戯言シリーズ、 ポテトマッシャー@現実×2、10人名簿@オリジナル、超機動少女カナミンのフィギュア@とある魔術の禁書目録(?) [思考・状況] 基本:『愛しのマリアンヌ』のため、生き残りを目指す。 0:???????????????? 1:零時迷子の確保の為、南へ式と共に出撃する。 2:24時以降に、天守閣付近にてトラヴァスと合流する。。 3:トラヴァスと両儀式の両名と共に参加者を減らす。しかし両者にも警戒。 4:他の参加者が(吸血鬼のような)未知の宝具を持っていたら蒐集したい。 [備考] ※坂井悠二を攫う直前より参加。 ※封絶使用不可能。 ※“燐子”の精製は可能。が、意思総体を持たせることはできず、また個々の能力も本来に比べ大きく劣る。 【両儀式@空の境界】 [状態]:健康、頬に切り傷 [装備]:自殺志願(マインドレンデル)@戯言シリーズ [道具]:デイパック、支給品一式、ハーゲンダッツ(ストロベリー味)×5@空の境界、日本酒 [思考・状況] 基本:ゲームを出来るだけ早く終了させ、“人類最悪”を殺す。 1:フリアグネについていく。 2:ひとまずフリアグネとトラヴァスについていく。不都合だと感じたら殺す。 3:幹也の言葉に対しては、今は考えないでおく。 [備考] ※参戦時期は「忘却録音」後、「殺人考察(後)」前です。 ※自殺志願(マインドレンデル)は分解された状態です。 【トラヴァス@リリアとトレイズ】 [状態]:健康 [装備]:ワルサーP38(6/8、消音機付き)、フルート@キノの旅(残弾6/9、消音器つき) [道具]:デイパック×3、支給品一式×3(食料・水少量消費)、フルートの予備マガジン×3、 アリソンの手紙、ブラッドチップ(少し減少)@空の境界 、拡声器、早蕨刃渡の太刀@戯言シリーズ、 パイナップル型手榴弾×1、シズのバギー@キノの旅、医療品、携帯電話の番号を書いたメモ紙、 トンプソン・コンテンダー(0/1)@現実、コンテンダーの交換パーツ、コンテンダーの弾(5.56mmx45弾)x10 ベレッタ M92(6/15)、べレッタの予備マガジン×4 [思考・状況] 基本:殺し合いに乗っている風を装いつつ、殺し合いに乗っている者を減らしコントロールする。 1:詰みの状況を打破する為に、殺し合い否定派と接触し情報を集める。北の集団優先? 2:24時以降に、天守閣付近にてフリアグネ、式と合流する。 3:最悪の場合、フリアグネを殺す。 4:当面、フリアグネと両儀式の両名と『同盟』を組んだフリをし、彼らの行動をさりげなくコントロールする。まずは北に行かせない事 5:殺し合いに乗っている者を見つけたら『同盟』に組み込むことを検討する。無理なようなら戦って倒す。 6:殺し合いに乗っていない者を見つけたら、上手く戦闘を避ける。最悪でもトドメは刺さないようにして去る。 7:ダメで元々だが、主催者側からの接触を待つ。あるいは、主催者側から送り込まれた者と接触する。 8:坂井悠二の動向に興味。できることならもう一度会ってみたい……が……致し方ないか。 投下順に読む 前:CROSS†POINT――(交語点) 次:なんでもなかった話――(SHATTERED MEMORIES) 時系列順に読む 前:CROSS†POINT――(交語点) 次:なんでもなかった話――(SHATTERED MEMORIES) 前:【Hg】ハイドリウム フリアグネ 次: 前:【Hg】ハイドリウム 両儀式 次: 前:【Hg】ハイドリウム トラヴァス 次:
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嘘と誤解と間違いと ◆CSROPR1gog 2人の少年は闇の中を歩いていた。 夜空は白々と明け始めている。 だが闇は依然濃い。 夜の帳が降ろされた暗い道は少年達の勇気を削ぎ落とす。 それが頼れる大人達との死別の後ともなれば、尚更の事だった。 「みんな、死んじゃった」 少年のび太は呟く。 「しずかちゃんは殺されて。キートンさんも殺されて。 あの車椅子の女の子も。……銭形警部だって殺されてしまったんだ」 嘆く。 諦める。 絶望する。 弱音を吐く。 ……屈服する。 「結局、ギガゾンビの奴の言う通りなんだ。 ぼく達、何もできずに苦しんで死ぬんだ」 一度はギガゾンビに対して怒りを胸に刃向かおうとした。 だけど結果はこの有様だ。 のび太はバトルロワイアルにまるで歯が立たなかった。 キートンは殺されて、名も知らぬ車椅子の女の子も殺されて、銭形警部までもが殺された。 どれもこれも目の届かない場所で。 「ぼく達、逃げてばっかりじゃないか」 「…………ちがうよ、のび太」 否定するスネ夫の声だって震えていた。 スネ夫だって何もできない。虚勢を張っていた。 「そうだよ、確かにしずかちゃんも、はやてちゃんも殺された。 銭形のおじさんだって、きっと殺されちゃったんだ」 だけど。 「でも銭形警部は言ったんだ。 『逃げろ』って。それと……『君を保護する』って」 だけどスネ夫は、見栄や虚勢を張る事だけは得意だった。 「ボク達、銭形のおじさんを嘘吐きになんてさせないよ。ぜったい、生きのびてやる。 それがボク達の戦いなんだ! 生きよう、のび太! ギガゾンビなんかの言うとおりになんて……なってたまるもんか!」 だからぼろぼろと泣きながらでもそう言えた。 心がひび割れてたまらないのに、必死に虚勢だけは張って見せた。 その虚勢はいつだって、のび太の心を抉るのだ。 (『逃げろ』……) のび太はその言葉を頭の中で反芻する。 (『逃げろ』……『逃げろ』……『逃げろ』……) 何度も何度も繰り返す。 (そうだ。キートンさんも、そう言った) 『のび太君は……今のうちに、逃げろ……』 「キートンさん……」 最後に残された命までを使って必死にのび太を逃がした大人。 「銭形さん……」 自らの身を挺して死んでいった、警部さん。 (それから……) 本人から名を聞く間さえ無く殺されてしまった車椅子の女の子。 それにギガゾンビに殺されてしまった、しずかちゃん! 「…………そうだ。ギガゾンビの言いなりになんて、なってやるもんか」 ふと気づけば周囲は明るく照らされていた。 大通りの交差点。 ビルの明かりは消えていたけれど、幾つもの街頭の明かりが広い十字路を照らし出していた。 闇は拭われ――幾つもの影が交錯していた。 * 「それでその杖、本当に頼りになるのぉ?」 「少なくともあなたを見つけたのはこの杖のおかげよ」 『Yes my temporary master(はい、仮マスター)』 「あら、そうなの」 堕天使の様な人形と魔法少女が夜の街角に潜んでいた。 つまり水銀燈と遠坂r……カレイドルビーである。 「レイジングハート、残る距離は?」 『前方20ヤード。明かりの下に出ます』 言葉通り、2人の少年が街頭の明かりの下に姿を現した。 その少年達はボロボロだった。 傷はさほどでもない。せいぜい擦り傷程度だ。 だけども心身共に疲れ果て、今にも野垂れ死んでしまいそう。 デイパックも手放していて、互いに握る掌だけが確かだった。 背の低い方に手を引かれている眼鏡の少年は銃を持っていたけれど。 『眼鏡の少年の銃は弾切れのようです』 「……そう。完全に無防備って事」 「散々な有様ねぇ。警戒する意味なんて無かったじゃない」 彼女達は凛のエリアサーチに引っかかった一般人並魔力の参加者に対し、 念のために様子を見ようと街角に隠れていたのだ。 凛の本音は出来るだけ魔法少女姿を人に見せたくなかったからというのもあるのだが。 「警戒するに越した事は無いわ。今後も出来るだけ隠密行動で行くわよ。 エリアサーチなんて何発使っても屁でもないもの」 「あら、下品ねぇ」 「…………わ、悪かったわね」 強い魔力を持たない相手は見つけづらく、昼間では視認の方がマシな位だが、 それでも夜間、それも障害物の多い町中では十分に役に立つ。 そして強い魔力を持つ存在なら、同じエリア内に居ればほぼ網羅できる程に範囲が広い。 「それで、あの2人は放っておくのね?」 「ええ。流石に見ず知らずの他人を保護するほどお人好しじゃないわ」 水銀燈を助けたのだって情報収集の為と、戦力になるからだ。 少なくとも自他に対する建前としてはそうだ。 一般人を巻き込まないのは魔術師のルールだが、それ以外の死因までお節介は焼けない。 (士郎の馬鹿じゃないんだし) 馬鹿みたいに正義の味方になろうとする男を思いだす。 あいつはきっといつも通り無茶無謀に突っ走っている。 早く見つけないといけない相手の一人だ。 「とにかく次よ、次! ――Anfang! 魔力を探して、レイジングハート」 『Area Search』 レイジングハートを使い再びエリアサーチを発動する。 『新しい魔力反応を確認。彼らの後方150ヤードです』 「そう、それじゃそっちを……」 確認に行こう、そう言おうとした時。 『魔力の集中を確認』 「……なんですって?」 凛の表情が強張る。 通りの奥の闇にで微かに、冷たい鏃が星明かりを反射した。 * (見つけた。……『標的』だ) 左手の中でクラールヴィントの振り子石が薄闇の奥を指す。 所々にある街灯の明かりが、彼らをぼんやりと浮かび上がらせる。 魔力の網に掛かった不幸な2人の少年を。 子供達は見て判るほどに疲弊し、消耗し、力を失っていた。 哀れなほどに弱かった。 例え如何なる武器を持とうとも、今の彼らに力は無かった。 それでも容赦は出来ない。その弱ささえも人を傷つける事が有るのだから。 誰かを失うことを容認できない強すぎる想いが、他の全てを無価値とする事も有るのだから。 「あの父親のように。……そして今の私のように、か」 苦笑し、自嘲する。 (しかし2人、それも少し距離が有るな……どうする?) 相手は無力だ。飛行して突撃し、一気に仕留めるのでも確実だろう。 距離を詰めるまでの間に逃げられたら? 狭いとはいえ感知の網から逃れられる事は無いだろう。 しかし手間取れば自らの姿を他の誰かに見られる危険があった。 (安全を期すか……) シグナムはまずは弓矢を手に取った。 あの2人は良い友であると見える。 ならば片方の足を止めれば、もう一方も逃げる足を失うはずだ。 騎士として許されぬ外道の戦術。 「…………私は最早、ただの修羅だ」 それでも手は止まらなかった。 確実に射抜けるように、2人が街灯の多い交差点に出るのを待ってから。 魔力を篭めて撃ち放たれた矢は、朝日の上る前の闇を切り裂いて飛んだ。 横に落ちる涙のように。 * いきなり酷い衝撃が有って。 目の前が真っ赤になって。 激痛が走った。 「う、うわあああああああああああぁっ!!」 「のび太!?」 何が起きたのかまるで判らなかった。 痛い、というより熱かった。 目の前に地面があって転んだのだと思った。 だけど痛いのは足で、そこを見下ろすと……左足を、矢が貫いていた。 「わ、わあああ!! うわ、あ、あ、あし、あし、が、わあああああぁ!?」 「ヒィッ、の、のび太! しっかりしろ、のび太ぁっ!!」 少年達はどうしようもなく怯えていた。 頼れる大人達はもうどこにも居なくて、2人だけで夜を歩いていた。 誰かに襲われるかも知れないと怯えながら。 現実と化してしまったその恐怖に、もう抗う事なんてできなかった。 のび太は痛みにのたうち回り、スネ夫は無様に泣きついていた。 スネ夫が風を切る音にハッと頭を上げたその時。 スネ夫は確かに闇の奥から自分に向けて飛んでくる二本目の矢と。 夜の闇を切り裂いて現れた魔法少女の背中を見た。 『Wide area Protection』 透明な壁が彼らの周囲を覆っていた。 「あらぁ、助けないんじゃなかったのぉ?」 「き、気が変わったのよ!」 ガキンと音を立てて、矢が弾かれ地に落ちる。 薄い膜のような壁は、ヒビこそ入りつつも辛うじてそれを防いでいた。 「気が変わった? どうしてぇ?」 「それよりレイジングハート! この障壁、脆いわよ!?」 『違います、仮マスター』 咄嗟に話を逸らして杖にぶつけた疑問を、杖は静かに否定する。 『魔法攻撃です。矢に魔力が篭められています』 「な……!」 そういえば直前にもレイジングハートがそんな事を言った気がする。 その言葉で否応なしにも連想する男が居た。 弓矢での狙撃、容赦の無い戦術、そして魔術師。 (アーチャー? まさか!?) 一瞬の動揺を、杖は再び否定する。 『魔力パターン近似。ヴォルケンリッターのシグナムと推測されます』 次に動揺が浮かんだのはスネ夫だった。 * 「レイジングハートだと!?」 シグナムも思わず動揺の声を上げていた。 横合いから飛び出した魔法使いの手に有る物は見間違えようもない。 高町なのはのインテリジェント・デバイス、レイジングハート。 専らシグナムと戦ったのはフェイトとそのデバイスであるバルディッシュだが、 レイジングハートにもシグナムのデータは記録されているはずだ。 更に先ほどの狙撃においてシグナムは、弾道の安定と加速の為に矢に魔力を篭めた。 彼女の必殺技である魔法と同じ要領で、だ。 その結果としてはもちろん……狙撃者の正体に気づかれた可能性がある。 「クッ……失敗したな」 自らを知る者の中にデバイスを入れ忘れていたのは大きなミスだ。 普段は持ち主とセットで行動していたから、今回も纏めて考えてしまった。 だがデバイスはバラバラに支給されている。 こうなる事も考えておくべきだった。 (こうなれば、多少姿を見られるのもやむなしか……) 騎士服姿の女がゲームに乗った事を知られるよりも、 ヴォルケンリッターのシグナムがゲームの乗った事を知られる方が危険だ。 それは主はやてへの疑惑と危険に繋がる。 危険因子は確実に始末しなければならない。 幸い今なら、近くの建物に逃げ込みはしたがすぐに探知で補足できる。 狙撃では無理だが、ならば直接刃を交えれば良いだけの事。 答えは決まった。迷うことは何も無い。 「往くぞ」 シグナムは武器を刀に持ち替え、狙撃を行ったビルの窓から飛び出した。 ――修羅が夜天を飛翔する。 * それはあの静謐な病院で食事を取っていた時の事だった。 はやての作った早すぎる朝食を食べながら、不安を振り払うようにスネ夫はよく喋った。 銭形警部と話した事。ドラえもんの事。友達の事。 自分より年下の少女に、ボクはちっとも怯えてないって見栄を張りたかった。 だけど、友達の話をしていたらどうしてもしずかちゃんの事を思いだしてしまった。 みんなを支えられる強さを持った女の子。のび太が片思いしていた女の子。 失ってしまった、無くしてしまった、大切な一人の友人。 だから話しながらぽろぽろと泣き出してしまった。 だって、例え無事に帰れても、あの楽しい毎日は戻ってこない。 欠けてしまった、壊れてしまった一欠片が、穴となって残ってしまう。 その事に気づいた途端、無性に悲しくてたまらなくなってしまった。 ほっそりと柔らかい手が、そっとスネ夫を抱き締めた。 (ママ……?) 違う。ママの手はもっと大きくて、なのにこの手はそれ以上に力強かった。 そして、ママみたいに優しかった。 「スネ夫にいちゃん、元気だしてな」 顔を上げると、目の前に居たのははやてだった。 歳はスネ夫より幼くて、その背丈は低身長がコンプレックスのスネ夫よりも更に低い位だ。 小さくて、スネ夫の様に健康な体も持っていない。 「泣いてたら、考えが悪い方にばっかり行ってしまうで?」 なのに優しくて、強くて、真摯にスネ夫の事を心配してくれていた。 「……ムリだよ」 だけど挫けてしまいそうになる。 「だってボク達の首には爆弾付きの首輪が付いているんだよ!? 逆らえばドカンだ! しずちゃんやあの男の人みたいに! 言いなりになってみんな殺し合わされてるのに、どうやれば生きのびれるっていうの!?」 「スネ夫君、まだ希望は有る! 例えば……ルパン達のような!」 「でも銭形のおじさん! この首輪はドラえもんと同じ、ううん、それ以上に未来の技術で作られてるんだ! そんな物をほんとうに外せるの!? このどこかもわからない所から逃げられるの!?」 「……外せるよ」 答えたのははやてだった。 「みんなの力を合わせたら、絶対外せる。 わたし達だけやったらどうにもならへんけど、みんなの力を合わせれば、それは絶対や」 はやてはそれを信じていた。信じて、確信して、それを表情に見せていた。 「ど、どうして言い切れるのさ!?」 「そやなー……信じてもらえるかわからへんけど」 はやては苦笑すると。 「わたし、魔法使いなんよ」 そう言ってはやては色々な事を語ってくれた。 ヴォルケンリッターという名の家族の事。友達のなのはやフェイトの事。 以前は闇の書と呼ばれていた夜天の書の事。自分が魔法使いである事。 そして筆談で、首輪に盗聴の機能が有ることと、その内部構造を解析したと書いて見せた。 「といっても今は、もう少ししないと殆ど魔法使えへんのやけどな。 ……ほんとに足手まといやな。危なくなったら置いていってくれてもかまへん。 でもこの書が使える用になったら、わたしがスネ夫にいちゃんと銭形さんを護ってあげる。 うちの子達と一緒に、きっとみんなを護ってあげる。 約束や」 それはまだ先の事。 今はまだ、八神はやては無力で、歩けもせず、暴力には抗えない。 彼女を護るヴォルケンリッターも側に居らず、解析した首輪の構造を理解出来る者も居ない。 「……はやてちゃんは、どうしてそんなに恐くないの?」 「だって、前向きに考えてたら前に進めるやろ? わたし、立ち止まって死んでしまう方が怖いんよ」 だけどそこに有ったのはきっと、希望だったのだろう。だから。 「まもるよ」 希望を手放すまいと思った。 「それなら、ボ、ボクがはやてちゃんをまもるよ! 数時間だけでも! だいじょうぶ、ボクにはひらりマントが有るんだ! どんな奴だってへっちゃらさ!」 「よく言った、二人とも! だが君達二人はワシが護る。大人に任せたまえ!」 銭形警部が二人の子供を纏めてがっしりと抱き寄せて宣言した。 その言葉。その想い。その決意。その希望。 ほんの短い間だけ、スネ夫達三人の中に有った確かな絆。 スネ夫にのび太の手を引いて闇に飛び込む勇気をくれた、たいせつな想い出。 だけどスネ夫は約束を守れなくて、神父を食い止めているその間に、 八神はやては別の誰かの手で殺されてしまっていて…… (ボクのせいだ) ヴォルケンリッターのシグナム。 スネ夫とのび太の背後から現れ矢を放った姿も知らない誰か。 (ボクのせいだ。ボクがはやてちゃんをまもれなかったから!) だから復讐に来たのだ。大切な主の仇を討つ為に。 スネ夫の親友であるのび太を巻き添えにして。 (ボクのせいだ……!!) 「貫通して……硬い骨は避け、確実正確に筋を断ち切ってきてる。なんて精度」 「あらそう。それで私はどの位こうしていればいいのかしらぁ?」 「ンーッ! ンンーーッ!!」 ここは交差点から逃げ込んだ近くの路地から入ったとあるビルの二階、少し広い部屋。 水銀燈が羽根で縛り口を覆っているのび太を、カレイドルビー凛が手早く処置していく。 「千切れた血管や神経の接続に筋と靱帯の再生……かなりの難事だわ。 士郎を治した時に比べれば楽だけど、あの宝石は今は無いのに……!」 凛の宝石よりも更に強大な魔力を秘めていた遺産の宝石。 かつて遠坂凛はそれを使い、奇跡的に、9割9分死体だった衛宮士郎の蘇生に成功した。 だが今はそれは無い。 『仮マスター、カートリッジシステムを使用しますか?』 「それは……」 レイジングハートの提案に一瞬思案する。 レイジングハートに内臓された、魔力を篭めた弾丸を使用した魔力補強システム。 確かにそれが上手くいけば、ブーストした魔力でこんな傷は一気に治療できる。 「……ダメよ。あなたの中に回復魔術は入ってないじゃない。 あたしの魔術をあなたで増幅するには魔術の形式にある差異の調整を済まさないと。 下手をすれば暴発した魔術で患部を逆に傷つけてしまうわ」 遠坂凛の魔術と、レイジングハートが教えられる魔法の構造はそれほど離れていない。 だが即座にそのまま転用出来るほどに近くも無いのだ。 (レイジングハートはあたしの魔術構造はベルカ式に似てるって言ってたわね) ベルカ式のデバイスなら使いこなせたかもしれないが、レイジングハートはミッドチルダ式だ。 カートリッジシステムはベルカ式を参考に取り付けられた物だが、 あくまでカートリッジシステムの付いたミッドチルダ式デバイスなのである。 すぐにある程度使いこなす自信は有るが、少なくともこんな場面で使うにはリスクが大きすぎる。 「安心なさい、この位あたしに掛かれば一瞬よ!」 だからいつも通り、自分の魔術を発動する。 凛を重い疲労感が襲うが、この程度ならまだ大丈夫だ。 遠坂凛の魔術によってのび太の足の傷は見る見るうちに塞がっていった。 それを見て水銀燈は羽根を離した。 「ぷはぁ! あ、足が、ぼくの、ぼくの足が!?」 「落ち着きなさい! 治ってるはずよ」 「え、ほ、ほんと? ……痛ぅっ!?」 慌てて足を動かそうとしたのび太が痛みに顔を歪める。 「い、痛いよう!」 「しまった、ちょっと粗かったか……でも安心なさい、それも直に治るわ」 「直にぃ? いつまで待つつもりかしらぁ?」 しかし水銀燈はその言葉と痛みに焦る少年を嗤う。 「あの狙撃者、いつまで待ってくれるのかしらねぇ?」 「………………」 あの狙撃者、レイジングハートによればヴォルケンリッターのシグナム。 彼女が何故ゲームに乗った、あるいは理由有って二人の子供を狙ったのかは判らない。 そもそもどういう人物なのか? 「レイジングハート。ヴォルケンリッターっていうのはどういう連中なの?」 『夜天の主である八神はやてを主と慕う、夜天の書の守護騎士達です。 このバトルロワイアルにおいてはヴィータとシグナムの二名が該当します。 既にお話済みですが、彼らが使用するのがベルカ式の魔法体系です』 「……そのはやてっていう奴とヴォルケンリッターの性格は?」 『八神はやては私のマスター高町なのはの友人でもある穏和な少女です。 殺し合いに乗る可能性は極めて低いでしょう』 「従者達の方は?」 『基本的には高潔です。ただし八神はやてに関連する事項を最優先するでしょう。 また、彼女達の生命は八神はやてに依存しています』 冷静なレイジングハートの言葉に加え、震える言葉が更に推測を加速する。 「……ボクのせいなんだ」 スネ夫の震えた声が情報を加算する。 「きっとボクがはやてちゃんをまもってあげられなかったから。 約束を守れなかったから、殺しに来たんだ!」 「…………八神はやては、死んでいるの?」 「死んだよ! 殺された! ボクとのび太と、銭形のおじさんで怪物と戦ってる間に、だれかに殺されちゃったんだ! だから、だから……!!」 辿々しい叫び。だが一つ判ることが有った。 この少年は必死に出来るだけの事はした。それでも八神はやては殺されてしまった。 (このタイミングからして復讐の可能性が一番高いわね。まさか、誤解されている?) 何らかの理由で八神はやての死の原因がこの二人にあると思いこまれた。 その事に怒り狂った彼女の従者が敵討ちの為に迫ってきている。 そう考えるのが最も高い確率に思える。 目まぐるしい状況の中、彼女達は気づかない。 八神はやてに依存しているはずの騎士が生きている事。 その事が騎士達に最大最悪の誤解を生みだしている事に気づかない。 「目的が怨恨だとすると、狙撃失敗で諦めてくれそうにはないわね」 『加えてヴォルケンリッターが得意とするのは近接戦闘です』 「魔法を併用した白兵戦……まずいわね、距離を詰められたらやられる」 凛の表情に焦りが浮かぶ。 魔術師で有りながら肉体を強化しての格闘戦もそこそこ行える遠坂凛だが、 それだってその道のプロには到底敵わない。 「水銀燈、あなたは?」 「戦えなくも無いけど、あまり得意でもないわぁ」 こちらも不機嫌そうな答えが返る。 水銀燈は2時間前後前に妙なロボットの振り回したハンマーに吹き飛ばされた所だ。 庭師の鋏を振るう蒼星石や、妙に良いパンチを持っている真紅とは違う。 羽根による戦闘があらゆる距離に対応できるだけで、白兵戦は専門ではない。 近づけなければ良い話だが、近づかれると苦しいのは事実だった。 「まずい……逃げた方が良いわね。 あたしのフライヤーフィンとあなたでこの二人を持って飛べば……」 『仮マスターの飛行魔法はまだ安定性に欠けます』 「無茶言わないで欲しいわぁ。私の羽はまだ治りきってないのよ? 子供だからって人間一人抱えたら、のろのろと飛ぶ事しか出来なくなるじゃない」 子供1人だけなら、スピードを落とさずに高速で逃げられるかもしれない。 だが2人を持って運ぼうとすれば運ぶのがやっと。とても逃げきれる速度ではなくなる。 「だから、なんでこんな子達を助けようとするの? あなたには関係ないでしょうに」 「……幾つか聞きたい事が有るのよ」 「おバカさんねぇ。それで死んじゃったら元も子もないじゃない。 言っておくけど、私は自分とあなたを優先するわよ?」 「あんたはそれで良いわ、水銀燈。 とにかく、聞いた話だとベルカ式の魔術は不器用みたいだし、 エリアサーチを繰り返して隠れながら進めば、逃げきれなくも……」 『ジャミングを確認』 息を飲む凛をレイジングハートの報告が畳みかける。 『情報戦型デバイスの力を借りているものと思われます。エリアサーチ不可能』 「……ヤバイ!」 凛が青ざめた次の瞬間、部屋の隅の天井がぶち破られる! 濛々と湧き上がる煙の中で小さくパキッと音がして、何かが砕け散った。 煙の中に浮かぶ影は刃を携えた長身の女。 その殺意は如何なる意志故かこれ以上無いほどに苛烈だった。 説得の余地は無い、そう思わせるのに十分なほどに。 「くっ」「フン……」 凛の指が、水銀燈の羽が煙に浮かぶ乱入者を指し示し、一斉に黒い弾幕が放たれる。 ガンド撃ち、そして水銀燈の黒い羽根。 だが乱入者シグナムはそれを尽く避け、かわし、切り払って凌いで駆け回る。 「なんて速さ……!? だけど!」 部屋の広さには限界が有る。どれだけ速かろうと二人がかりの弾幕は多すぎる。 シグナムはじりじりと部屋の隅へと追いつめられていく。……だが。 凛はシグナムの焦り無い表情と、その手の内にある見覚えの有る宝石を見た。 (まさか……!) ――曰く、遠坂凛の魔術はベルカ式のそれと近似した構造を持つ。 宝石が砕け散り、シグナムの刃に炎が灯る。 「――紫電一閃!」 閃光と爆発が全ての弾幕を吹き消した! そして次の一瞬には既に目前にまで迫った騎士が、凛に刃を振り降ろして 『Flier fin』 その一瞬だけ前に辛うじて発動した飛行魔法が凛を後方に跳躍させた。 だがここは屋内。当然の事ながらその先に待つのは。壁だ。 「ぐぅっ!!」 頭を庇う間すらなく、凛は壁に向かって勢いよく激突した。 ぐったりと体から力が抜ける。 脳震盪だ。 たった十数秒の間だけ、凛は完全に無力と化した。 バリアジャケットが無ければ頭が割れていたかもしれない。 だがどちらにしろ結末は同じ、無防備と化した彼女に追撃を…… 「もうやめてよ!」 スネ夫が叫んだ。 「ボクが悪かったんだ! 悪かったのはボクなんだ! だからもうやめて! ごめんなさい! だから、ごめんなさい、ボクが、ボクが悪くて……!」 要領を得ない叫びを上げて、スネ夫は無謀にも駆け出す。 シグナムを止めようと、凛を護ろうと、罪を償おうと駆け出した。 それだけならシグナムにとってはどうという事は無かった。 まずは一瞬で目の前に居るレイジングハートの使い手の魔法少女を始末して、 その後で子供達を無視して黒い羽根を飛ばす人形を撃破、その後で子供二人を殺せば良い。 あるいは魔法少女を始末して、人形と戦うついでに子供達を殺しても良い。 だがスネ夫の目の前に、黒い天使が舞い降りた。 シグナムに向けて腕を広げて、羽を広げて、薄い笑みを浮かべて舞い降りた。 ――まるで身を挺して弱き人々を護る聖者のように。 「だ、だめだよ! やめて!」 その姿が銭形と重なって、スネ夫は必死に止めてと叫ぶ。 また悪夢が繰り返されるのか。また自分達を護って誰かが死んでいくのか。 そんな事はイヤだと思って、だけど叫ぶ事しかできない。 その一瞬でシグナムは考えた。 謎の魔法少女は動かない。ダメージが有って動けない。 そして黒い天使人形も、子供を庇って無防備な姿を晒していた。 それならその間に黒い人形の方を始末しても良いだろう。 その後でも魔法少女が起きあがるのには間に合うはずだ。 即断即決。千載一遇の勝機を逃すまいと矛先を変えてシグナムは加速する。 間合いは迫る。元来闘争を好む騎士は唯勝利の為の修羅と化して突き進む。 間合いは迫る。黒い天使は手を広げ羽を広げて待ち受ける。 間合いは迫る。小さな少年は泣いてそれを制止する事しか出来ない。 間合いは、詰まった。 シグナムは誤算していた。 この戦いを制する重要な一点。それは。 水銀燈にはスネ夫を護る気などこれっぽっちも無かったという事だ。 一気に振り下ろされた黒い翼は空気を掴み小さな体を瞬時に浮き上がらせる。 刃は虚しく水銀燈の居た場所を素通りする。 そして。 スネ夫の体という肉の塊に埋もれた。 「な……!?」 「ぇ…………?」 「ふふ、おバカさん」 驚愕のデュエットをBGMに水銀燈が背後で唄う。 そして、放たれる無数の黒い羽根が騎士甲冑を突き破りシグナムの背中を抉った。 激痛と共にシグナムは自分が敗北した事を悟った。 騎士甲冑に護られたおかげか、幸運にも自分がまだ生きている事も。 (撤退だ――!) 手の中に握り込んでいた宝石をまた一つ使用する。 解放された魔力がクラールヴィントを経て刀に収束、業火を発する。 スネ夫に刺さったままの刃が業火を、爆炎を解き放つ。 そのまま亡骸を焼き尽くしながら貫通して地面に叩きつけた刃はビルの床を破壊。 生まれた奈落がその上にある一人と一つを呑み込んだ。 轟音が響きわたり粉塵が舞い上がり瓦礫が奈落に吸い込まれるように落ちていった。 ――戦いは、決した。 結局シグナムは何も知らずに戦いを終え、最悪の一人を殺した。 主である八神はやてが、この殺し合いの中で僅かな間だけ心を通わせた友を殺した。 何も知らず。何も気づかず。幸福な無知に守られたままに。 病院で誓った約束は一つも守られず。 銭形も、はやても、スネ夫も。 彼ら3人は皆、嘘吐きとなった。 * 「ぅ……」 「お目覚めかしら、カレイドルビー」 楽しげな水銀燈の声に、凛はゆっくりと目を開く。 (頭がぐらぐらする……) 一体何がどうなったのか。そう、確か自分達は…… 「そうだ、あいつは!?」 「撃退したわ」 そう言って水銀燈はくすくすと笑う。 「でも手傷を負わせただけ。急いで逃げなければまた来るわ」 「そう、それじゃ早くここを離れないと。 撃退は出来ても、あっちは割と武器を使いこなしてるんだから次は危ないわ」 『賢明な判断です』 「そうね。幸いにも足手まといも減ったから、これで逃げきれるわねぇ」 「え……?」 ハッとなり周囲を見回すと視界に映るのは呆然としている眼鏡の少年だけだ。 それより少し背が低い少年の姿は、何処にもなかった。 ただ床に大きな穴が一つ空いていて、その周囲に少し血痕が散っているだけで。 「あの子なら殺されてしまったわよぅ?」 「……そう」 ギッと歯を食いしばる。 自分の無力が腹立たしいが、それ以外が生き残っただけでも良しとすべきだ。 そもそもあの少年と自分は何の関係も無いのだから、責任を感じる理由は無い。 ……それでも悔やみの感情が無いといえば嘘になるが。 「行くわよ、レイジングハート、水銀燈。 その子を連れて、飛んでここを離れるわ」 「どこへ行くの? それにどうして連れて行くのかしら? 聞きたい事ってぇ?」 「……その子、最初の会場であの変な男の事を知っていたわ。 その子が落ち着くまでの時間と根掘り葉掘り聞く時間が欲しい。 そうね、一度街を離れるわ。良いわね?」 「仕方ないわねぇ」 (いっそ気分転換に温泉に行くのも手かしら) 凛はどこかしら間の抜けた事を考えつつ。 「それじゃ行くわよ、レイジングハート」 『Yes my temporary master(はい、仮マスター)』 空が白々とし始めた早朝。 魔法少女は黒い天使人形と共に、1人の子供を掴んでひっそりと北東へと飛び去った。 * (さあ、これであの騎士はどう動くかしら?) 一度街を離れるのは面倒だが、種は撒いた。 あの騎士が殺したあの子供と、この子供を復讐の対象だと誤解しているなら、 もう一人のヴィータという騎士に自分達の悪評を撒いてくれるはずだ。 あるいはそれ以外の、この殺し合いの中で生まれた仲間達にだ。 (そう、カレイドルビーの敵をねぇ) そうやって敵を増やし、それをカレイドルビーを利用して駆逐する。 今回は後れをとったが、それは彼女の非力さを意味しない。 至近距離の戦闘が苦手なだけで、後衛としては十分な火力が有ると見ている。 (ああそうか。壁も必要になるわねぇ) もう一枚、利用できる壁が必要になるかもしれない。 後々で始末しやすい単純な性格であれば何より望ましい。 (わざと死なないように加減してあげたんだから、せいぜい騒ぎなさいよぉ? シグナム。 ふふ、ふふふふふふ………………) 水銀燈は誤算していた。 それはシグナムが復讐の為ではなく、単純にゲームに乗って襲撃していた事だった。 【骨川スネ夫@ドラえもん 死亡】 [残り62人] 【C-6/山中/1日目-早朝】 【魔法少女カレイドルビーチーム】 【遠坂凛(カレイドルビー)@Fate/ Stay night】 [状態] 魔力中消費/カレイドルビー状態/水銀橙と『契約』 [装備] レイジングハート・エクセリオン(バスターモード)@魔法少女リリカルなのは [道具] 支給品一式、ヤクルト一本 [思考]1、のび太をつれて安全な場所に移動し、落ち着いたらギガゾンビの情報を聞き出す。 2、高町なのはを探してレイジングハートを返す。ついでに守ってもらう。 3、士郎と合流。ただしカレイドルビーの姿はできる限り見せない。 4、アーチャーやセイバーがどうなっているか、誰なのかを確認する 5、知ってるセイバーやアーチャーなら、カレイドルビーの姿は以下略。 6、自分の身が危険なら手加減しない [備考] 現在、カレイドルビーは一期第四話までになのはが習得した魔法を使用できます。 ただしフライヤーフィンは違う魔術を同時使用して軟着陸&大ジャンプができる程度です。 【水銀燈@ローゼンメイデンシリーズ】 [状態] 中程度の消耗/服の一部損傷/『契約』による自動回復 [装備] 無し [道具] 無し [思考]1、カレイドルビーとの『契約』はできる限り継続、利用。最後の二人になったところで殺しておく。 2、カレイドルビーの敵を作り、戦わせる。 3、真紅達ドールを破壊し、ローザミスティカを奪う。 4、バトルロワイアルの最後の一人になり、ギガゾンビにめぐの病気を治させる。 [備考] 凛の名をカレイドルビーだと思っている。 【野比のび太@ドラえもん】 [状態]:茫然自失/左足に負傷(走れないが歩ける程度に治療) [装備]:ワルサーP38(0/8) [道具]: [思考]:色々有りすぎて考えがまとまらない。 水銀燈の『契約』について 厳密に言うと契約ではなく、水銀橙の特殊能力による一方的な魔力の収奪です。 凛からの解除はできませんが、水銀橙からの解除は自由です。再『契約』もできます。 ただし、凛が水銀橙から離れていれば収奪される量は減ります。 通常の行動をする分には凛に負荷はかかりません。 水銀橙が全力で戦闘をすると魔力が少し減少しますが、凛が同時に戦闘するのに支障はありません。 ただしこれは凛の魔力量が平均的な魔術師より遥かに多いためであり、魔力がない参加者や平均レベルの魔力しかない魔術師では負荷が掛かる可能性があります。 逆に言えば、なのは勢やレイアース勢などは平気です。 【D-4/不明(逃走)/早朝】 【シグナム@魔法少女リリカルなのはA s】 [状態] 背中を負傷(致命傷には遠い)/騎士甲冑装備 [装備] ディーヴァの刀@BLOOD+ クラールヴィント(極基本的な機能のみ使用可能)@魔法少女リリカルなのはA s 凛の宝石×5個@Fate/stay night 鳳凰寺風の弓(矢22本)@魔法騎士レイアース/コルトガバメント [道具] 支給品一式/ルルゥの斧@BLOOD+ [思考・状況]1凛と水銀燈(名前は知らない)を捜索して殺害する。出来ればのび太も。 2はやて、ヴィータ、フェイト、なのは以外の参加者を殺害する。 3ゲームに乗った事を知られた者は特に重点的に殺害する。 4危険人物優先だが、あくまで優先。 5もしも演技でなく絶対に危険でないという確信を得た上で、 ゲームに乗った事を知られていないという事が起きれば殺さない。 ※シグナムは列車が走るとは考えていません。 時系列順で読む Back 雨は未だ止まず Next 魔女は夜明けと共に 投下順で読む Back 雨は未だ止まず Next 魔女は夜明けと共に 80 遠坂凛は魔法少女に憧れない 遠坂凛 113 触らぬタチコマに祟り無し Flying tank 80 遠坂凛は魔法少女に憧れない 水銀燈 113 触らぬタチコマに祟り無し Flying tank 61 神父 アレクサンド・アンデルセン 野比のび太 113 触らぬタチコマに祟り無し Flying tank 61 神父 アレクサンド・アンデルセン 骨川スネ夫 72 最悪の軌跡 シグナム 91 「すべての不義に鉄槌を」
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世の中捨てたものじゃないから ◆3k3x1UI5IA 時間が容赦なく体力を奪っていく。 茂みの中、トマは泣きながら食事を続けていた。 「死に、たくないッ……! 死にたくないですッ、勇者さんッ……!」 彼の周りに散らばるのは、豆腐やもずく、の入っていた空き箱。 彼に支給された「ハズレセット」の、一部だった。 それが焼け石に水なのは分かっている。 浸水する船の中、小さな柄杓1本で水を掻き出すようなものだということは分かっている。 食事によって補える体力が、毒によって奪われる体力より遥かに少ないことは嫌というほど分かっている。 自分の体力の限界も分からない。いつになったら終わりが来てしまうのか、見当もつかない。 それでも、一分一秒でも長く生きるために。 来るかもしれない幸運を待つために。 トマは、泣きながら食事を続ける。 『豆腐セット』と『もずくセット』は、ハズレと銘打たれているが栄養価は高い。まずはこれからだ。 その判断が功を奏したか、トマは未だに意識を失うこともなく、命を永らえていたが…… 「誰かが、来たら、これで眠らせて。それで、この帯で……ゲホッ、ゴホッ!」 トマは咳き込む。 幸い、消化器系の毒ではないから食べ物の消化には問題ないが、しかし猛毒は彼の呼吸器を侵している。 手にしていた豆腐を取り落とし、むせ返りながら、彼は膝の上にある銃と布の塊を握り締める。 支給品の1つ、『麻酔銃』。ハズレセットの中にあったものの1つ、U字型の『便座カバー』。 麻酔銃を命中させ、意識を失わせることができれば、その首を絞め上げるのは簡単だろう。 いや、首を絞める凶器としてなら『根性ハチマキ』も使えただろうが、何故だろう、これを選んでしまった。 目の前の道路を誰かが通ったら、森の中から麻酔銃で狙撃。動きが止まったところで絞め殺す。 そうして、それを3人繰り返すことができれば……! 残された体力を考えればかなり絶望的な賭けだったが、他に方法はない。 今は歩いて移動する体力さえ惜しい状態なのだ。 と――ふと、トマは動きを止める。 視界の隅。南の方から、道路を歩いてくる者がいる。 森と道路の境目あたりを、ゆっくりと歩いてくる人影がある。 褐色の肌に、ツインテールにまとめられた金髪。 髪形からして女の子なのだろうが、着ているのはパリッとした服にズボンだ。男装が実に似合っている。 トマは意を決する。食べかけのもずくをその場に置いて、腰を浮かせる。 「まずは1人……! さ、3人殺して、『ご褒美』で……!」 男装の少女は、どうやら何かに気がついたようだ。 道端に出来た巨大なクレーター。トマが先ほど襲われた現場だ。 不可解な破壊の痕跡が気になるのか、膝をついて焼け跡を調べている。 千載一遇のチャンス。その無防備な身体に、この麻酔銃を撃ち込むことができれば――! 「……うッ、ううッ……!」 トマの手が震える。 自分でも魔雷砲などを作り上げ、使いこなすトマだ。こう見えても射出系の武器の心得はある。 だから、引き金を引けば、あの少女に当てることは可能だろう。 引き金を引けば。 引き金を引くことさえできれば。 引き金を引いて、あの女の子を眠らせて、便座カバーであの細い首を締め上げることができれば―― 「うううッ……! 勇者さん、僕は、僕は……! ごほッ、ゲホッ!」 トマは咳き込む。涙が溢れ、その場にがっくりと膝をつく。 その物音に気付いたか、標的の少女がハッと振り返る。 振り向くと同時に、その手には拳銃。トマの潜む茂みを睨むその目には、冷たく澄みきった殺意。 もう二度とないであろうチャンスから一転、今度は自分の生命の危機に瀕しているというのに、トマは―― 号泣していた。 大きな声を張り上げて、彼は泣いていた。 「勇者さん、やっぱり僕には、できません!! 毒を治すために誰かを殺すなんて、できません!!」 死にたくない。けれど、他人を殺すことは、それ以上にできない。 トマは泣いた。 自分の「勇気の無さ」が悔しくて泣いた。自分の「優しさ」が、「甘さ」が恨めしくて泣いた。 毒が回り、もはや立ち上がることすらできそうにない。取り落とした麻酔銃を再び拾う力も無い。 泣きながら、トマは自嘲する。自虐的な笑みを浮かべる。 引き金を引いていたところで、3人も殺す時間が残されて無かったことを今になって知り、泣き笑う。 銃を持った少女が近づいてくる。 もうすぐ殺されるんだ。トマの心に、どこか甘美な絶望が広がる。 もう、これで終わり。 体力も無く、他人を殺す覚悟もないトマの冒険は、これで終わり。 ズガン!と撃たれて、きっとそれで終わり。痛みも苦しみもこれ以上感じることなく、これで終わり。 全ての希望を失って、せめて最期に、幕を引く相手の顔だけでも確認しようと、トマは顔を上げて―― 「――これは、『取引』よ」 その眼前に突きつけられたのは、銃口ではなく小さな巾着袋。 相手の意図が分からず、ポカンと口を開けるトマに、彼女は念を押すようにもう一度言った。 「勘違いしないで。これはあくまで、『取引』。 同情でも博愛でも慈善事業でもなく、全てが済んだ後に貸しも借りもない、これは『取引』、よ」 * * * 「――というわけで、僕はその女の子が走り去った後、この茂みに這い込んだわけです」 「なるほど、ね……」 道路から程近い、森の茂みの中。 トリエラは、トマという少年の語るこれまでの経緯に曖昧に相槌を打つ。 目の前にあるのは、つい先ほどまでとはうって変わって、生気に溢れる少年の顔。 どうやらトリエラの第三の支給品・『回復アイテムセット』は、その説明書通りの効果を持っていたらしい。 『毒消し』。緩やかな死をもたらすあらゆる種類の毒を瞬時に打ち消せるという、万能解毒薬。 トリエラが持つ医学の知識では、そんな都合のいい解毒薬など存在しないはずだったが……。 こうなると、「視力を回復させる『目薬』」や、「声が出なくなった時の『山彦草』」なども使えると見ていいのか。 『乙女のキッス』が治すという『蛙化』や、『ダイエットフード』が効く『豚化』というのは、いまいち意味不明だが。 「で、その後、食事をしていた所に、あなたがやってきて……」 「私を殺して『ご褒美』を狙おうと思っていたけど、最後の最後まで決断がつかなかったわけね」 「あー、その、いや……ゴメンなさい。どうも僕、焦っちゃってたみたいで……」 「構わないわ。そんなに気にしないで」 どうせ私もこれからあなたを殺すつもりなんだしね、と言いかけて、トリエラは言葉を飲む。 そう、これはあくまで「取引」。全てが終った後、貸しも借りも恩も恨みも残らない約束の、公平な「取引」。 トリエラが差し出したのは、どうにも怪しげな解毒剤1本。 見返りに求めたのは、トマの持っている「情報」。 完全に対等な取引とは言い難いが、それでもこれは、双方同意の上の契約。 あのクレーターを見れば、トリエラの知らない強烈な攻撃を放てる者がいることは一目瞭然で。 効果の程の分からない薬をテストするついでに、好戦的な参加者の能力が聞けるのなら悪くはない。 死人から持ち物を奪うのは簡単だが、死人に情報を吐かせることはできないのだ。 「で、あなたが見聞きしたのは、それで全部?」 「はい。この『ゲーム』が始まってからのことは、これで全部です」 「…………そう」 トリエラはゆっくりと、トマに気付かれないよう、後ろ手に隠していた拳銃の撃鉄に指をかける。 「取引」は済んだ。最初の約束通り、トリエラは『毒消し』を渡し、トマは「情報」を喋った。 これでお互い、貸し借り無し。恩も恨みも何も無い。 せっかく迫り来る死から解放された所で可哀想とは思うけれど、今度はズガン!とひと思いに死ねるのだ。 トリエラは大きく深呼吸をして覚悟を決めると、すッと目を細めて―― 「あの……トリエラ、さん?」 「ッ!!」 ――それは丁度、不自然な沈黙に耐え切れなくなったトマが、口を開いた瞬間だった。 咄嗟にトリエラは、彼に飛び掛かる。左手で彼の口を封じながら、茂みの中に押し倒す。 「モ、モガモガガッ!? (と、トリエラさんッ!?)」 「シッ! 黙ってッ!」 銃を片手に、小声で沈黙を強いるトリエラ。 至近距離に迫る彼女の顔の迫力に、トマも凍りつく。 そのまま、石のように動きを止めた2人の耳に、小さな足音が聞こえてくる。 南の方から、広い道路を駆けてくる小さな影。 茂みの隙間から姿を確認した2人は、動きを止めたまま小さく囁きあう。 「……あの子、さっきの話の?」 「うん。僕を襲った時と同じ、だと思う」 通り過ぎざまに、そのケモノの耳を持つ女の子は、チラ、と茂みの方を見た――ような気がした。 折り重なったままの2人に、一瞬緊張が走る。 けれど、その女の子は気の迷いだとでも思ったのだろうか? 2人の隠れる場所から、つ、と視線を逸らし、そのまま北の方、お城の方角に走り抜けていった。 後ろを振り返りもせず、走り去っていった。 * * * 「…………おう」 その少女・アルルゥは、実のところ、茂みに潜む人間たちには勘付いてはいた。 これが例えば、島の南西に広がる都市エリアでの遭遇なら、感知は難しかっただろう。 けれど、森は彼女の領域だ。 いかにトリエラが正規の戦闘訓練を受けていようとも、アルルゥの感覚を誤魔化せるものではない。 ましてや、トマに至っては一介の魔技師に過ぎない。気配を消す技術などからは全く無縁の存在なのだ。 だが、しかし――アルルゥは、2人のことを見逃した。 2人からの不意打ち・追い打ちが無いことだけを確認して、そのまま通り過ぎた。 それもこれも、全ては『思い切りハサミ』の影響。 城に向かった3人を追撃する。その選択を選んだアルルゥにとって、それ以外のことは二の次だ。 向こうから仕掛けて来ないなら、相手にしない。通してくれるなら、一刻も早くあの3人に追いつく。 「…………いく」 アルルゥは走る。 互いの間にあった偶然、ほんの数分の差で分けられた運命に気付かず、そのままその場を走り去る。 もし、アルルゥがここを通り過ぎるのがもう少し遅ければ。 おそらく、トリエラはそのままトマを射殺していただろう。 そして銃声で居場所は明確になり、『思い切りハサミ』の効力も失われ。 茂みで荒い息をつくトリエラ目掛け、アルルゥの魔獣がけしかけられていたはずだ。 もし、トリエラの到着がほんの少し遅ければ。 この時はおそらく、トマは悪あがきの甲斐もなく、毒が回って絶命し。 そして敵の真価を知ることができなかったトリエラが、通り掛かったアルルゥに銃を向けていたことだろう。 見かけ通りの、ただの無力な女の子だと信じて。 全ては、紙一重。全ては、偶然の積み重ね。 ……その結果、命拾いしたのがどっちだったのかは、ちょっと判断が分かれるだろうが。 ともあれ、おそらく一番幸運だったのは紛れも無く、この3人の中でたった1人の男の子で―― * * * 少女の気配が、完全に消える。 どうやら相当遠くに去ったらしい。引き返してくる様子が無いことに、トリエラはほッと安堵の溜息をつく。 RPGでも着弾したかと思うようなクレーターを作れるドラゴンに、生きた毒ガス散布装置。 2匹の魔獣を自在に操るアルルゥは、流石のトリエラでも真正面からは戦いたくない相手だ。 敵対が避けられないとしても、どうせ殺るなら、こっそり忍び寄ってズガン!と一発。 さもなくば、相手の射程外から狙撃銃でズガン!とやるのもいい。 ……もしもそんな装備とチャンスがあれば、の話ではあるが。 「ふう……危なかった。もう、大丈夫かな」 「あッ、あの~、トリエラさん? もう行ったんでしたら、その、ちょっとどいてもらえませんか……?」 トリエラの身体の下で、トマが申し訳無さそうに声を上げる。顔を真っ赤にして、モジモジしている。 ふと我に返ってみれば、2人の姿勢はトリエラがトマを押し倒した時のまま。 倒された時の弾みで、トマの手はトリエラの小さな胸のあたりを押さえる格好になっていて。 そしてトリエラの片膝は、トマの股間の辺りを圧迫する形。 キスもできそうなほどに顔を近づけたまま、ようやくトリエラは2人の置かれた状況を理解する。 一気に、赤面。 「――――ッ!!」 声にならない悲鳴と共に、森の中に乾いた音が響いた。 * * * 「いやー、強烈でした。今度こそ死ぬかと思いましたよ」 「……ホントに大丈夫? 頸椎折れてない? ムチウチとか、なってないかな?」 「大袈裟ですよ、トリエラさん。 僕もその、悪気は無かったですけれど、触っちゃったわけですし。これでおアイコです」 彼女らしくもなく、おろおろと困るトリエラに、トマは笑って頭を掻く。 実際、トリエラの心配は杞憂ではない。義体の腕力というのは、常人とは比べ物にならない。 だがしかし、『条件付け』ではなく、素の「女の子」としての反射的行動だったのが幸いしたのだろうか? トマの頬にはくっきりと赤い手形が残っていたが、見たところ深刻なダメージはなさそうだ。 トリエラは溜息をつく。 こんなことで貸しも借りも作りたくはない。 トマを撃つ際には任務の時と同じように、クールに割り切って引き金を引きたいのに。 なんというか、さっきから調子が狂いっぱなしだ。 「ところでトリエラさん、今度はそちらの見てきたお話も聞かせてもらえませんか?」 「え? で、でも……」 「ああ、分かってますよ。 約束したのは『情報交換』でなく、『毒消し』と『情報』との間の『取引』だって言うんでしょ? ですから、そちらの『情報』もタダでとは言いません。僕、物を作るのは得意なんです。 体調も戻ったことですし、何か必要なものでもあれば、適当に作ってみますよ? これも『取引』です」 「…………そ、」 そういうつもりで言ったんじゃない。そう言いかけて、トリエラは黙り込む。務めて冷静になろうとする。 そう、これも『取引』だ。 トリエラが見聞きしてきたことはトマの語った話よりも遥かに価値は低いが、構うものか。 これはトマの方から言い出した『取引』なのだ。それでバカを見るのなら、それは彼自身の責任。 駄目で元々。トリエラは自分のランドセルを開けると、1本のナイフを取り出す。 「そういうことなら……このナイフ。 これ、私の支給品の1つなんだけど、鞘が無くて不便でね。 できればこっちのSIGみたいに、素早く抜けるような携帯ホルダーになってると便利なんだけど」 拳銃『SIG P230』の方はホルダーがセットで支給されており、いつでも抜ける状態で保持できた。 でも『ベンズナイフ』の方は剥き身のまま。危なっかしくてベルトに刺しておくこともできない。 片手が塞がることを覚悟の上で予め握っておくか、そうでなければ、ランドセルに入れておくしかない。 でも、ここにもし鞘の代用品があれば、一気に戦術の幅が広がる。 トリエラの申し出に、トマは笑って答える。 「それくらいお安い御用です。ゴミの山を宝の山に変える魔技師の技術、見せて差し上げます!」 * * * 「……で、その『イビキをかく黒い塊』には、触れないで通り過ぎることにしたわけ」 「うーん、それって闇の魔法の一種ですかねぇ」 「また『魔法』、か。やっぱり私には、良く分からないな」 「ともあれ、下手な手出しをしなかったのは僕も正解だと思いますよ」 茂みの中。淡々と語るトリエラに相槌を入れつつ、トマの手が動き続ける。 実際、トリエラが話すべきことは多いが、個々の話はそう深くない。 ゲームが始まって間もない頃、G-3辺りで何かが光っていたこと。でも遠くてよく分からなかったこと。 じっくり時間をかけて自分の荷物を調べて、地図や参加者名簿を一通り覚えて把握したこと。 人影が2つ、G-4の平原を南に走っていくのを目撃したけれど、遠くの後姿しか見えなかったこと。 他者との遭遇を求めて橋を渡って、F-5の森の片隅に「よく分からない黒い球体」を見つけたこと。 その球体の中から、誰かのイビキ、としか思えない音がしていたこと。結局無視して迂回してきたこと。 ……これで全てだ。 トマの語った話のように、他の参加者についての有益な情報があるわけでもない。 何かと交換するに値する話だとは、トリエラ自身思えなかったのだが。 「……よし、出来ました! どうです、こんな感じで?!」 「どう、って……これが?」 「見た目は悪いかもしれませんが、実用性には自信があります。ちょっとつけてみて下さい!」 自信たっぷりにトマが差し出したソレを、トリエラは胡散臭そうに見つめる。 それを構成する材料は、全て『ハズレセット』の中から得たものだ。 鞘に当たるボディは、『トイレの消臭剤』のプラスチック製のカバー。 それを一旦バラして切って穴を開け、『割り箸鉄砲』の輪ゴムで上手いこと留めて。 輪ゴムの弾性で挟み込んで固定すると同時に、その輪ゴムが直接刃に触れないような工夫もされている。 ベルトに留めるための帯には、『根性ハチマキ』を利用。 使った工具は当の『ベンズナイフ』1本。あとは切ったり削ったり縛ったり引っ掛けたり噛み合せたり。 たったそれだけなのに、かなり頑丈。相当無茶なことをしない限り、壊れる感じがしない。 トリエラはその鞘を腰の後ろ、ベルトの穴に固定すると、実際にナイフを収めて色々と試してみる。 素早く抜きざまに虚空に斬りつけたり、ナイフを入れたまま飛び跳ねてみたり、軽く走ってみたり。 ……全く、違和感が無い。 抜く時にはスムーズに抜き放つことができ、でも収めたまま動き回っても、抜け落ちる恐れは感じられない。 既製品のナイフホルダーに勝るとも劣らぬ出来。まさに、ゴミの山から生み出された実用品。 欠点と言えばその不恰好な外見と、ほんのり香る消臭剤の香り、くらいのものか。 「それにしても凄いナイフですね。切れ味鋭く、バランスも良くって扱い易い。 何より驚かされるのは、この刀身に刻まれた微妙な溝です。 斬りつけた際、塗ってある薬品が簡単には拭い落とされないよう、絶妙な計算がされているようです。 そのくせ、刀身の強度を損ねていない。このナイフを作った人は、さぞかし名のある名工なんでしょうね~」 「…………」 目をキラキラさせて『ベンズナイフ』を褒め称えるトマに、トリエラは険しい表情を浮かべる。 この子は、本当に状況が分かっていない。 その「凄いナイフ」が今は使いやすい鞘に収まって、殺しのプロの手元にある現状が分かっていない。 作業中、このナイフを預けていたのは信頼によるものではない。 トマ程度の相手なら、たとえナイフを持っていたところで、拳銃1本あれば制圧可能だからだ。 二度目の「取引」も、無事に終了。 これで貸しも借りも一切無し。恩も恨みも何も無い――と思う。 トリエラはゆっくりと、収めたナイフに手を伸ばす。あたりに銃声を響かせるより、ナイフで刺した方がいい。 毒が治ったばかりだというのに、毒の刃に倒されるというのは可哀想だけど……。 「……これで『取引』は終わり。だから、」 「トリエラさんはこれからどうするんですか? 良かったら、僕と一緒に行きませんか? この島のどこかにいるはずの、勇者さんやククリさんのことも探したいですし」 ……また、「ごめんね」を言い損ねた。 また、空気をハズされた。 悪気も計算も一切ない、純粋で真っ直ぐな笑顔を浮かべて、トマは彼女を仲間に誘う。 とっくに割り切っていたはずのトリエラは、彼の迷いの無い視線に射竦められ、思わず視線を泳がせる。 「で――でもそれで、どうするの? 殺し合いを避けて、友達を探して……それで、最後はどうするつもり?」 「まだ僕にもよく分かりません。でも、勇者さんと一緒にいれば、何故かいつも上手く行きますし。 今回もきっとみんなで頑張れば、みんなが幸せになれる良い結末になるんじゃないか、と思うんです」 「楽天的ね……。呆れるくらい、楽天的」 「そうですか? でも、最初っから諦めてたら、何もできませんからね。 トリエラさんが来るまで生き延びられたのも、最後まで諦めなかったからですし。 ここで僕が助かったことにも、きっと何かの意味があるんだと思います。だから」 哀れなほどに弱々しいトマが、眩しいほどに前向きな態度で、滑稽なほどに希望的な観測を語る。 ヒーローごっこでもしているつもりなのだろうか? 社会の裏側の汚い現実を散々見てきたトリエラには、それは到底受け入れられない思考法。 けれど、何故だろう。 何故、こんなにも羨ましく思えてしまうんだろう。 「……私には無理ね。とてもじゃないけど、そんな風に楽観的にはなれないな。 現実的な思考から、離れられない」 「トリエラさん……」 「課題は2つよ。この『首輪』からどうやって逃れるのか。この『島』からどうやって逃げ出すのか。 この双方の課題について、具体的かつ説得力ある方法論が用意できること。 これが、私があなたたちに協力する際の、必要条件よ。 そのどちらも満たされない今――私は、あなたと行くことはできない」 それは、最低限譲ることのできないライン。彼女が彼女でいられるギリギリの線。 「みんなで考えればきっと上手くいく」、というレベルでは、まだ自分の全てを賭けるわけにはいかない。 トリエラは立ち上がる。 これ以上会話を続けたらまた心が揺らいでしまいそうで、だからここで腰を上げる。 「今は殺さない。きっとその気になれば簡単に殺せるだろうけど、今は殺さない。これは、『取引』よ」 「……『取引』」 「次に会う時までに、もうちょっと具体的な方法を詰めておいて。私を説得できるだけの材料を用意して。 それが、今ここであなたを生かしておくことの条件。あなたに求める、私からの『宿題』」 それは、「取引」と呼ぶにはあまりにも曖昧過ぎる約束。 軽くトマの額を拳銃で小突くと、トリエラは微かな微笑みと共にクルリと踵を返して。 もう話すことはない、とばかりに、振り返りもせずに歩き出す。トマは叫ぶ。 「と、トリエラさん! また――きっとまた、会えますよね?」 「ええ。互いに誰かに殺されなければ、きっとね――」 背を向けたまま、彼女はヒラヒラと手を振って――やがて、その姿は木々の間に消えた。 * * * ……森の中を歩きながら、トリエラは何度目になるかも知れない溜息をつく。 思い返せば、トマを殺せるチャンスは幾度もあった。 2人の間で交わした「取引」は、あくまで自分の踏ん切りをつけるため。 五共和国派のテロリストも、全て殺していたわけではない。小物相手に「取引」を交わすことも珍しくない。 そして「取引」をもちかけた上で、結局最後には殺してしまうようなケースも、無いわけではなかった。 けれど、殺せなかった。 何度も何度も、襲い掛かるタイミングを外されてしまった。 (奴らは既に殺す機会を逸した。あの子は大丈夫さ) (でも彼らの気が変わったら、向こうの事情が変わったらどうするんです) 彼女の脳裏に、モンタルチーノで交わした会話が蘇る。 ああ、なるほど。これが「殺す機会を逸する」、ということか。 やっぱりヒルシャーさんの判断は正しかった。あの場は無理に強行突入すべきではなかった。 一度「殺し損ね」てしまえば、よほど外部要因が変化しない限り、なかなか思い切れないものなのだ。 「ヒルシャー、さん……」 会いたい。担当官の、『兄弟(フラテッロ)』のヒルシャーにもう一度会いたい。 会って、今からでもあの時の判断ミスを、重ねて改めて謝りたい。そのためにも…… 「私は、『生き残る』。最後まで、『生き残る』」 胸に誓ったのは、「敵を倒す」、ではない。 「生き残る」。消極的かもしれないが、ともかく、「生き残る」。 好戦的で、積極的に「優勝」を目指すような奴を殺すことには躊躇いはない。こっちから不意を打ってもいい。 でも、殺し合いをするつもりのない奴は、放置しよう。彼らのやりたいようにやらせてみよう。 その結果、最後に自分1人が残ったなら、それはそれでもいい。 その結果、どこかの誰かがこの『ゲーム』をひっくり返す方法を見つければ、それはそれでいい。 どっちにしても、まずは生き残ること。誰かに殺されないこと。 ここまで考えて、トリエラは自嘲気味に笑う。 「幸運に救われたね、トマ。……いや、もしかしたら、救われたのは私の方かも」 もう少しで、彼女が大嫌いな『身勝手な大人』と同じレベルに堕するところだった。 いや、今の自分の姿も、十分に身勝手だろうか? 彼女は森の中を歩く。行くアテなどないが、とにかく今は、トマから離れたくて歩く。 そうでもしないと、また彼の所に戻りたくなってしまうかもしれないから。 あの、ちょっと間抜けで、頼りなくて、でもとても優しい少年のような人間が、他にもこの島に居るのなら―― 世の中、まだまだ捨てたものじゃない、のかもしれない。 * * * 「……行っちゃった」 行き先も告げずに立ち去った彼女を見送って、トマは呆然と呟く。 思い出すのは、小振りながらも柔かな感触。ドサクサ紛れにしっかり掴んでしまった、胸の弾力―― ではなく、あの、どこか寂しげな色のある、彼女の瞳。 「『取引』、か……。僕の方には、まだまだ返しきれない恩が残ってるんですけど。真面目な人ですね」 これ以上無いタイミングで『毒消し』を差し出し、命を救ってくれた恩。 それは、自分の人生を変えてくれた勇者ニケに対する恩にも勝るとも劣らないものだ。 いやむしろ、非常識な迷惑をかけられることが無いだけ、ニケよりよほど素晴らしい恩人かもしれない。 最後までトリエラが抱いていた殺意に気付かなかった彼は、呑気に考える。 「トリエラさんとの『約束』を果たすためにも……まずは、情報が必要ですね。 それと道具。道具を作るのに必要な材料と、工具の類。 作業に専念するためにも、工房、あるいはそれの代わりになる拠点も欲しいところです」 毒が消え、落ち着きを取り戻したことで、トマの思考は普段の回転を取り戻す。 彼は魔技師だ。道具を作り、道具を使いこなすのが彼の本分。 トリエラのために作ったナイフホルダーなど、片手間の遊びのようなものだ。 あんなものは彼の技術の一端でしかない。魔技師の能力は、もっと凄く、奥が深い。 まだまだ年若い彼だが、アラハビカでは自分の店を持っていたほどなのだ。 ここまで考えて、トマはポンと手を打つ。 「……そうだ、それだ! この島でも、お店を開けばいいんだ! トリエラさんみたいに情報や持ち物を『取引』したい人は、きっと他にもいるはず! 下手に動き回るより、一箇所で動かず情報を集めた方が、勇者さんたちとも合流しやすいですし……。 そうやって情報と物を集めている間に、あの『宿題』の答えも見つかるかもしれません!」 それは、トマならではの発想。そしてトマには、それを実現するだけの力がある。 彼はナイフホルダー製作のために地面に広げていた『ハズレセット』を拾い集め、荷物をまとめる。 確かにコレは、そのまま使おうと思ったらハズレでしかない。 でも、トマが何かを作ろうとする時には、これは立派な素材となる。 「まずは、店を開くための場所探しですね。どこかに人が良く通りがかる建物があればいいんですけど」 世の中、まんざら捨てたものじゃない。 そのことを無条件に確信する魔技師の少年は、自分にできることをやるために、茂みの中から歩き出した。 【F-5/森の北側(魔法の闇の中)/1日目/午前】 【明石薫@絶対可憐チルドレン】 [状態]:軽い昏倒。夢を見ている。右足打撲。機嫌最悪。 [装備]:なし [道具]:基本支給品、バレッタ人形@ヴァンパイアセイヴァー [思考]:むにゃむにゃ 第一行動方針:とりあえず、あの女(ベルカナ)は絶対殺す 第二行動方針:葵や紫穂と合流する 第三行動方針:葵や紫穂には負けたくない 最終行動方針:ジェダをぶっ飛ばす [備考]:F-5の北西部の森に魔法の闇「ダークネス」の効果が残っています。 [備考]: トリエラが薫の近くを通り過ぎたのは、「午前」枠の中でも比較的早い時間帯です。 このステータス欄も、その際のものです。 【F-4/道路上(城に続く橋のすぐ近く)/1日目/午前】 【アルルゥ@うたわれるもの】 [状態]:かなりの精神疲労、思いきりはさみの効果持続中(そろそろ切れる) [装備]:タマヒポ(サモナイト石・獣)@サモンナイト3、ワイヴァーン(サモナイト石・獣)@サモンナイト3 [道具]:基本支給品、クロウカード三枚(スイート「甘」、バブル「泡」、ダッシュ「駆」) [思考]:…………おう 第一行動方針:城へ飛んでいった三人を追撃する。 第二行動方針:周りの敵を全員倒し、家に帰る。(ただし今は第一行動方針を最優先に) 参戦時期:ナ・トゥンク攻略直後 [備考]: アルルゥは獣属性の召喚術に限りAランクまで使用できます。 ゲームに乗らなくてもみんなで協力すれば脱出可能だと信じました。 ただし、思いきりはさみの効果により30分程の間は方針を変えません。 【F-4/森の中/1日目/午前】 【トマ@魔法陣グルグル】 [状態]:アズュール使用による若干の疲労、体力消耗。頬に赤い平手打ちの跡 [装備]:麻酔銃(残弾6)@サモンナイト3、アズュール@灼眼のシャナ [道具]:基本支給品、ハズレセット(割り箸鉄砲、アビシオン人形、便座カバーなど) [思考]:そうだ、お店をやろう! 第一行動方針:他の参加者と情報と物の交換を進める。必要ならその場で道具の作成も行う。 第二行動方針:店を開くのに適した場所を探す。できればどこかの建物に腰を据えたい。 第三行動方針:情報と物を集め、『首輪の解除』『島からの脱出』の方法を考える。 第四行動方針:できれば『首輪』の現物を手に入れたいんだけど……無理かな? 第五行動方針:できれば、トリエラと再び会いたい。それまでは死ぬわけには行かない。 基本行動方針:ニケたちとの合流。及び、全員が脱出できる方法を探す。 [備考]: ハズレセットのうち、豆腐セット、もずくセット、トイレの消臭剤、根性はちまきを使用しました。 割り箸鉄砲の輪ゴムは、まだ残りがあります。 【F-4/森の中/1日目/午前】 【トリエラ@GUNSLINGER GIRL】 [状態]:健康。 [装備]:拳銃(SIG P230)@GUNSLINGER GIRL、ベンズナイフ(中期型)@HUNTER×HUNTER、 トマ手作りのナイフホルダー(不恰好だが実用性は十分) [道具]:基本支給品、回復アイテムセット@FF4(乙女のキッス×1、金の針×1、うちでの小槌×1、 十字架×1、ダイエットフード×1、目薬×1、山彦草×1) [思考]:さて、これからどうしようかな……。 第一行動方針:好戦的な参加者は返り討ちにする。こちらから襲ってもいい。ただし無理はしない。 第ニ行動方針:脱出や対主催を考えるグループには、そこに具体的な策が無い限り参加しない。 ただし邪魔もしない。要するに、基本的には放置。 第三行動方針:トマとその仲間たちに微かな期待。トマとの再会までは死の危険をできるだけ避ける。 基本行動方針:最後まで生き延びる(当面、消極的に優勝を目指す? 脱出の策があれば乗る?) [備考]: トリエラに支給されていた『ステータス異常回復アイテムセット@FF4』の中で、 『毒消し』×1はトマの毒の治療に使用されました。 アイテム解説 【ステータス異常回復アイテムセット@FF4】 乙女のキッス(蛙回復)×1、金の針(石化回復)×1、うちでの小槌(小人回復)×1、 十字架(呪い回復)×1、ダイエットフード(豚回復)×1、毒消し(毒回復)×1、 目薬(暗闇回復)×1、山彦草(沈黙回復)×1 以上8つのアイテム(全て@FF4)が入った消耗品のセット。 体力・魔力を回復させる薬や、戦闘不能から回復させる『フェニックスの尾』は入っていない。 FF4以外の世界のアイテムや魔法による状態異常にも対応できると思われるが、 それぞれ1個ずつしか無かったり、麻痺毒を治せるものが無かったりと微妙に不親切。 ≪077 邂逅 時系列順に読む 083 嘲笑≫ ≪081 【急ぐは大切、されどもあせりは禁物】 投下順に読む 083 嘲笑≫ ≪027 「弱者の強み」 明石薫の登場SSを読む 097 エスパー・フィーバー≫ ≪058 地獄巡り アルルゥの登場SSを読む 091 紅楼夢≫ ≪074 どうしよう トマの登場SSを読む 114 はやてのごとく!~at the doll s theater~(前編)≫ ≪039 ひとりぼっちのテディベア トリエラの登場SSを読む 119-2 混沌の学び舎にて(2)≫
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6,スタートライン 果たして中庭で待っていた古泉は開口一番に、 「緊急事態です」 と言った。微笑み、手には湯気の上がる紙コップの安コーヒーを二つ持って。一つを俺が受け取ると、少年はテーブルを挟んで対面に座った。 その様子と台詞が余りに俺の中で食い違う。「藪から棒に何を言ってやがるんだ、お前は」なんて言葉を俺は寸での所で飲み下して、ソイツの二の句を待つ。古泉はまるで焦っている様子も無く、のんびりとコーヒーに息を吹きかけてから口に運んだ。 「ゆったりコーヒー啜ってられる間は緊急なんて言葉を使うな。その内に俺が意味を履き違えるようになったらお前の責任だぞ」 「おやおや、これは責任重大だ。再来年のセンター試験で緊急の意味を問う問題が出ない事を祈りましょう。……まあ、」 少年は右手でカップを握りこんだままに遠くを見つめた。人差し指を伸ばす。 「このままでは今年度のセンター試験はおろか来年すら一生訪れませんけど……ね」 「はあっ!?」 古泉の流し目と人差し指の先を俺は咄嗟に振り返る。ああ、そこにはやはりと言うべきか…………いや、「やっぱりお前か」以外に出てこない。えーっとだな、まあ、その眼と指は当然と文芸部室に向けられている訳だ。 どこに行った、意外性。おい、マジでどこ行った。戻って来い。 そこに居るのは……そうだよ、ハルヒだよ。他の誰だともお前らだって思ってないだろ。俺だってそうさ。前科が有るからこそ疑惑の眼を向けちまう。それが偏見だとも分かっちゃいる。 それでも、二度有る事は三度有る。夏の時は何回だった? 一万五千回くらいだったと思うんだが。そりゃもう一回有っても一つもオカしくない。だが! そんなんで納得出来るか? 出来ないよな? な? 「いえ、結論から言いますと十二月二十五日以降の時間が」 古泉は俺に向けて笑った。 「長門さん曰くどうやら途絶しているそうでして」 「……またか」 古泉のような爽やかな笑みなどまさかまさか浮かべられる筈も無い俺は空を仰いだ。未来を相談しようと言ったヤツが、未来を断絶してどうすんだよ、ハルヒ。 まったく、神様の真意とやらはいつだって雲の上である。 「頭が痛くなってきた。アイツは反省って言葉を知らんのか?」 つい今朝方「涼宮ハルヒの口から反省なんて言葉が出るなんて」と感動したはずなのだが。一歩進んで二歩下がるって有名なフレーズが今の俺ほど似合うヤツもいないだろう。――ちっとも嬉しくない。 「どうでしょうね。それと、貴方は『またか』と仰られましたが初めてのケースですよ。恐らく昨年の夏の終わり、エンドレスサマーを思い返しての発言ではないかと思われますが」 「違うのか?」 「その時との最大の違いはループしていない、という点です。いえ、ループが確認出来ないと言うべきですね」 どういうことだ? 古泉は言い直したが、その前後に何の違いが有るのか俺には正直よく分からない。 「僕も最初に長門さんに時間の断絶を言い渡された時に『あの』八月を思い出しました。タイムリミットが定まっているという共通項、そして幾重にも上書きされた記憶のインパクトがそこへと思考を自然に誘導したのでしょう」 「いや、俺はあの時と何が違うんだと聞いているんだ」 「言った通りです。ループが長門さんのお力をもってすら確認出来ていません」 つまり、どういうことだ? 今回は八月が一万五千回続いたあの時とは訳が違うのか? 勝利条件が明示されてるだけでも気の持ちようは大分違ってくるんだぜ。 「考え方としては二通りです。今、この時がループの一回目である可能性。これならば長門さんのお力でもループを確認出来ない説明が付きます。なにしろ前回が無いのですから。 もう一つは可能性は低いですが、長門さんにも確認出来ない高次の力を涼宮さんが発揮しているというもの。まあ、僕個人としてはこれは無いと思っています」 「その根拠は?」 「簡単な話です。長門さんは十二月二十五日がタイムリミットだと気付いていらっしゃる。そんな方がループの方には気付けないと思いますか? 気付かないのならば両方ともであるのが、この場合の筋です」 古泉は眼に見えて生き生きと話し出す。テーブルの上に身を乗り出して肘を突き、おい、顔近いぞ。離れろ。 「であるならば、これがループの一回目であると僕は考えますね。……さて、何か思い当たりませんか?」 古泉の言いたい事はここまでくれば俺にも理解出来るってなモンで。 「果たして本当に『ループ』なのか、だな?」 「ええ、その通りです」 おいおい、少しづつ話が厄介になってきたぞ。だっていうのに、そんなのにもどこか「いつも通り」だって感想を抱いちまう俺。 我ながらどうかしてるとしか思えないね。 ループでは無い。つまり「次」が無いってことだ。そうなっては緊急性は一気にグリーンからレッドに達する。悠長な事は言っていられないし、世界の終わりも割と現実味の有る話になってきた。 「以上より、ループではないという前提で僕らは行動するべきでしょうね。まあ、具体的に何をすれば良いのかは分かりかねますが。幸いにも時間は有ります。こちらでも地道に探りを入れてみますよ」 こちらでも。つまり俺の協力を当たり前だと思っている訳だ。一年半も付き合っていれば、それが自然になってくるか。でもって俺にだって断る理由は無い。別に世界の為になんて格好良い事を言う気は無いが。 そりゃまあ、えらく現実味の薄い話だがそれでも誰よりもこの俺が動かない訳にはいかんだろう。 「っつーかさ、古泉」 「はい?」 「なんでお前、そんな事知ってるんだ?」 あはは、と小さく笑っても俺は誤魔化されんから大人しく白状しろ。それとも俺には言い出し難い情報源なのか、超能力者? 「いえ、そんな事は。……そうですね、ちょっとした引っ掛かりです。最近の長門さんはどうにも素っ気無い気がしまして。心ここに在らずとでも言いましょうか」 ああ、猫の話か。バックグラウンドで走らせてる分身の術が相当メモリを食っているらしいからな。そりゃ古泉への応対もおざなりにならざるを得ないだろうよ。 どうやら猫と古泉との間における関心の不等号が長門の中で食い違っていないようで俺としちゃ一安心だ。 「それで少し探ってみたのです。いえ、問い詰めてみたと言いましょうか。ああ、勘違いなさらないで下さい。乱暴な事は決してしていません」 いや、そこは疑ってない。大体、古泉では長門によって返り討ちにされるに決まっている。アイツはSOS団最強だからな。地域限定超能力者ではどう足掻いても相手にはならん。 「で、長門がそう言ったのか? 未来が無い、って?」 「……ええ。但し、疑念が二つ。なぜ長門さんは僕らに言い出さなかったのか。そしてもう一つ」 十二月二十五日よりも先が無い。それに気付いた時点で真っ先にアラートを出さなきゃいけないお方が、眼を真っ赤に染めて泣きながら俺に抱き着いて来なければおかしいあの先輩が、しかし何のアクションも起こしていない。 「朝比奈さんの時空通信デバイスとも言うべきそれが、どうやら通信途絶を起こしていないようなのです」 「……は?」 なんだそれ? 未来が無くなっているんじゃなかったのか? 矛盾してるだろ。 「長門さんと朝比奈さんのどちらかが嘘を吐いているというのも考えました……が、そんな事をしてもあの二人に何のメリットも有りません。しかし、何かがおかしい。僕らの認識の何かが確定的に間違っている。そんな気がしませんか?」 古泉は笑顔を崩さない。どちらかと言えば推理を楽しんでいるような節さえ見受けられる。俺は紙コップの中の冷めたコーヒを一息に呷った。 「分からん」 推理小説で言うなら証拠が出揃ってない状態に感じる、あのモヤモヤ。多分、まだ全貌が見えてくるのは先なんだろう。長門が動いていないこと、朝比奈さんが泣き付いてこられないこと。それはつまり、時期尚早って意味なんだと思う。 「つまり、静観なさるおつもりで?」 俺は頭を掻いた。 「こっちもやる事が有るんでな。端的に言えば忙しいんだ。だから、そっちはお前に任せた。信じてるぜ、副団長」 「やる事、ですか?」 紙切れを一枚ポケットから取り出して古泉に見せる。言うまでもないだろうが件の進路調査票だ。実はこれについての相談をこの休み時間にしたかったのだが、まあ、こればっかりは仕方ない。 「この字、涼宮さんですか」 筆跡鑑定人か付き纏い(ストーカ)の二択しか出てこない観察眼を披露された。古泉は生き方をそろそろ見直す段階に来ているんじゃなかろうかと個人的には思う。 未来をよりによってのこの俺に危ぶまれるほど可哀想な超能力者は、真剣そのものの顔で暫しの間ハルヒの字を見つめていた。やがてもう五時限始めのチャイムが鳴ろうかという頃、古泉はようやく口を開いた。 「……ふふっ、なるほど」 だから、どうしてどいつもこいつも説明を省略しようとしたがるのか。推理モノの探偵だったら即クビだぞ、クビ。 「それほど悪いことは起こらないのではないかと。そう思いまして」 はあ? なんだそりゃ? 楽観論も度が過ぎると単なる怠惰になっちまうが、その理解でお前はいいのかい? 「根拠を問われると苦しいところですが。しかしながら状況証拠も量によっては証拠能力を有するものです」 状況証拠? それってのは長門や朝比奈さんがまるで危機感を抱いていない点か? いや、まあ確かに妙と言えばそうだが。 あの絶望と希望の入り混じった十二月を越えて以降、長門に対して俺は全幅の信頼を寄せてはいる。昔ならば何もかもを一人で背負い込んじまっていたあの宇宙人少女ではあるが、今はもう違う。 多少ではあっても頼りにして貰えているんじゃないか、などと――これは自惚れではないと思いたい。 だから何かが有れば俺にも荷物を山分けしてくれるはずなんだ。しかし、今回はそれがない。一人で苦も無く背負える量なのか、それとも最初からその背には荷物なんて載ってはいないのか。出来れば後者だと信じたい。 今度、長門とちゃんと話してみようか。 「ただ、この時期に何も無いとは俺には思えないんだよなあ……」 頭を掻きながら、そうボヤく。と、午後の授業開始五分前を告げる鐘が鳴り、古泉は立ち上がった。聞きたい事は山と有るが、どうやらこの場ではタイムアップらしい。 「そう構えなくとも大丈夫ですよ、きっと」 「無責任な言い方だな。お前らしくも無いぞ、古泉。ついに職務放棄(ストライキ)でも決行する気になったか?」 「ふふっ、まさか」 古泉は顎をしゃくって俺に起立を促す。膝に手を付いて立ち上がる時に「しょっ」と掛け声が出た事はどうかそっとしておいて頂けたら幸いだ。 「僕は信じているんですよ」 「信じる」ねえ。そりゃ良い言葉だ。信じるものは救われるとも言うしな。だが、その対象が俺としちゃどうにも気になる。放棄した責任は一体どこの誰の肩に乗っけたんだよ? あまり長門ばかりに頼るのもどうかと思うぜ、俺は。 「いえ、長門さんでは……と、急ぎましょうか。授業が始まります」 「だな」 未来に本気になると言っておいて、授業に遅刻してちゃ論外だ。次の授業は化学だったか。センター試験で取らない俺にはどうでもいい授業。 いつもならば教科書を目隠しに机に突っ伏す時間でも、今日からは違う。内職に、と佐々木から受け取ったプリントをこなさねばならない。 「涼宮さんが待っていますよ」 別れ際に優男が瞬き一つして(止めろ、気色悪い)言い放った一言は俺の胃の中に何かモヤモヤしたものを植え付けるのに十分なものだった。 咄嗟に反論が口から出て来なかった事が悔やまれる。ぐるぐるした腹ん中は一体どこに吐き出せば……って、あ。 「あーあ……昼飯食うの忘れた」 なるほど、そりゃ腹も落ち着かないってもんだ。 佐々木から貰ったプリント三枚をどうにかこうにか終わらせた所で授業終了まで十分余った。もう一枚やろうかとも考えたが、いや待て。一枚終わらすのに大体十五分弱掛かってるんだから、今からやっても中途半端になるか。 ならばと思考を転換。俺はポケットから折り畳んだ紙片を取り出して睨み付けた。朝から俺を悩ませ続ける紙切れを、俺は勉強をする事で思考から無理矢理に追い出してきた訳だが。 短期目標、中期目標、長期目標……か。よくよく考えれば俺が目を背けているのは自分自身の未来で、つまり自分そのものである。 そんなもんも直視出来ないとはなんともまあ情けないもとうとう極まってきた感が有る。これがまあ、他人が進路に悩んでいるってんなら思わず応援したくなる話にもなってくるんだろう。だが残念、こればっかりは客観的にとはいかないのが現実だ。 流され体質を自認するも吝かではない俺であるが――っつーか、これはSOS団に在籍している時点で否定のしようが無い――流石に自分の未来まで他人に決めて貰うのは違う気がする。いや、「気がする」じゃない。絶対的に間違ってんだ。 そこまで決定力の無い人間は、乱暴な話だがそれはもう人間なんて呼んじゃいけない気すらすんだよな、個人的に。考えなければナイル河に生える水草と大差無いとパスカル先生も言っていらっしゃる。含蓄の有るお言葉だ。 さて、前置きはここまで。なら本腰を入れて考えよう。見つめてみよう、今の自分ってヤツを。 特技は無し。成績も下から数えた方が大分早い。夢なんてご大層な代物は当然と持っておらず、まあ、持っていればもう少し授業や日々の生活にも身が入っていたと思うが。こればっかりは仕方が無いか。無い袖は振れん。 気が滅入るばかりであるが自己分析はまだ続く。家は普通のサラリーマンだから家業を継ぐという裏技は最初から無く、趣味にしたって漫画やゲームといった男子高校生のテンプレート。見事なものだと自分でも思うくらい、多数派から逸脱した記憶がない。 これが俺の現在地、スタートラインである。 やりたい事を探しもせず、自己の根源欲求と向き合いもせず、ただ漫然と生きてきたそのツケは「何者でも無い自分」という至極当たり前に落ち着く。 ――ハルヒの言う通りだった。 俺は適当に適当な大学へと進学し、これまた適当に適当な会社に就職しようと考えている、ザ・適当だ。 いや――ザ・適当「だった」。過去形にするにはいささか以上に気は早いし、そもそも千里の道における一歩を踏み出したくらいで何を大袈裟な、とは自分でも思う。 しかしだ。しかし、それに気付けた今はチャンスなんだ。千載一遇ってのを今使わないでいつ使うってくらいの。 変わろうとするのは、決して悪いことじゃないと思うから。思いたいから。 あと一ヶ月で自分はどうなっていれば良いのか。この学校を卒業する時に俺はどうなっていたいのか。どんな自分でありたいのか。 自分に問い掛ける。決まっている。恥ずかしくない自分でいたい。 それは誰に対して? 親? 妹? そりゃ勿論だろう。家族が自慢できるような「お兄ちゃん」に、なれるんなら俺だってなりたい。顔を合わせては溜息を吐かれるのにだってもう飽き飽きだ。でも、それはそこまで強い欲求じゃない。 そうじゃなくって。 家族じゃなくって。 今……この今を並んで立っている友人と、未来も卑屈になる事無く付き合っていけたらと俺は願うんだよ。変かも知れない。人によってはそんなものは夢でもなんでもないと言うだろう。俺もしょうもないとそう思う。けど、仕方ないじゃないか。 ああ、つまり。 俺の望みってのは。 SOS団と、そしてこの一年半に集約されていたんだな。 7,クリスマス戦線異常アリ 「起立、礼――」 日直が号令を掛けて、本日の授業も終わる。日が暮れるのも早くなって、後一時間足らずで夕暮れが始まるだろう。時間は巻き戻らないなんて常識を俺が儚んでアンニュイになっていると後ろからハルヒに首根っこ掴まれた。 「ぐえっ」 「ちょっと用意が有るから、アンタは少し時間潰してから部室に来なさい。十分くらいでいいわ」 耳元に掛かる少女の吐息は艶かしい。座椅子の後ろ足だけという不安定がもたらす吊り橋効果は鼻で笑い飛ばすとしても。顔のすぐそばにハルヒの顔が有る、その事実。さらさらとした髪が頬に当たる、そんな僅かな感覚が俺に教えること。 涼宮ハルヒは異性である。それもトビッキリの。 それでもコイツは、なんて言葉では誤魔化せないのは距離のせいだろう、きっと。顔が近いのは超能力者の持ち芸じゃなかったのか。そんな抗議を俺がするよりも早くハルヒは離れた。 「そんじゃ、おーばー」 鞄とコートを両手に抱えて少女は教室を飛び出していく。その様に空母から離陸する戦闘機の勇姿を幻視せずにはいられない。きっと廊下はカタパルト加速。周りに衝撃を撒き散らすとこまでそっくりだぜ。 「なんだか、涼宮さん機嫌良さそうだね。良い事でも有ったのかな?」 俺へと近付いてそう言った国木田に向けて首を横に振る。いや、思い当たる節が無いのは本当だ。昨日の今日で機嫌を直しているのがそもそも俺にはクエスチョンなのだから、だったらアイツが上機嫌の理由なんて俺に思いつくものかよ。 「仏頂面がデフォルトの彼女が――廊下を走ってく時の顔見たかい、キョン? すっごい満面の笑みなんだよ。楽しいこと見つけた、って顔中に書いてあった。だから、僕はてっきり君が関わっているとばかり思っていたのだけど」 「お前、俺をアイツの付属機器かパワーアップキットだと思ってんだろ」 「どうかな? その辺りは自分の胸にでも聞いてみたほうが良いんじゃない?」 まるで取り調べでも受けている気分だった。まったく、ドイツもコイツも俺とハルヒの間柄を誤解するのに余念が無いらしい。そんな下らない事に心血を注ぐよりももっと優先するべき事項が有るだろうに。具体的には自分自身の恋愛とか。 「玩具扱いの域をいまだもって出れちゃいないと俺は思っているが」 「いや、遊び友達でしょ」 一体、その前後で何が違うのか。なぜだかオランウータンと人間の遺伝子の差異が一パーセント程しか無いって話を思い出した。だからどうしたってんでもないけどな。論ずるまでもなく猿と人の間には深い溝が有る訳で。 「遊び友達は選べるけど、遊び相手は選べないんだよ。言ってる意味、分かる?」 国木田が言っているのは俺なりに要約するとつまり扱いの差であろう。オブジェクトとして見られているか、ヒトとして見られているか。まったく、何を物騒な事を言っていやがるのか、この友人は。ああ、しかしそうは言っても玩具と友達の違いを説明するにはコイツの発言内容は確かにしっくりとくる。 そうだな。俺もからかわれる側にはなりたくはない。 「ま、ハルヒが俺をどう思っているのかなんざ分からんよ。興味も無い」 「割に良好な関係を築けていると思うけどね。少なくとも傍から見るとさ」 ああ、国木田。そりゃあアレだ。 「ハルヒと他のクラスメイトとの距離が余りに絶望的だから、相対的に俺との関係がマシに見えるだけだろ」 言っても入学し立ての頃とは違いハルヒも結構丸くはなってきている。クラスの女子とも普通に話すようになっているし、俺を通してハルヒに伝言をするなんてのも最近はとんとご無沙汰だ。 友達と呼べそうな関係にはまだ誰も至っていないが、それにしたって時間の問題だろうと俺は勝手に見ている。特に阪中。彼女はどうやらハルヒの事が気になっているらしく何かとよく話しかけていた。ハルヒもそう邪険にしておらず、このままならそう遠くない未来、二人は打ち解けることが出来るだろう。 晴れてハルヒにも普通の友人が出来る訳だ。そうなれば必然、俺の負担も軽減される事だろう。喜ばしい話だ。赤飯の準備をしなければならないくらいにな。 「そうかなあ……ううん、キョンの言う通りかもね」 「ああ、そうだ。なんせ人間ってのは本質的に相対評価しか出来ない悲しーい生き物だからな。落差が大きければマシに見えても無理からぬ話だろ。クラスも部活も同じだから周りがそれを勘違いしたくなる気持ちはまあ、百歩譲って俺にも分からなくはない」 しかもその部活ってのが得体の知れない少人数のクラブだった日には尚更懐疑も深くなろうというものだ。 「だが、それだけだ。誰かが俺とハルヒがデートしてる場面でも目撃したか? 決定的瞬間でもフライデーされたか? いやいや、そんなもん有る筈が無い。以上、証拠不十分で不起訴なんだよ、この案件は」 否定材料は揃っている。人気の無い場所でキスしたとかは……まあ、悪夢って事でアレはノーカウント。誰にだって気の迷いは有るものだからな。 SOS団についてよく知らない人から見れば、そりゃまあデートに見えなくも無いような事も度々している訳だが、しっかし不思議探索のどこに桃色幻想が幅を利かせる余地が有ったと言うのか。 何も無い。そりゃもう呆れ返るほどにな。 「ねえ、キョン。さっきから気になっていたんだけどさ」 国木田が口を開く。ほほう、まだこの俺に恋愛模様を期待するか。無駄だから止めとけと、ああ、一年の頃から何回言っても聞かない奴だ。アサガオの鉢植えを眺めて観察日記に毎度毎度「変化なし」と書き込む時のあの味気無さと良く似たものがこうなると俺の胸に去来する訳で。 「なんでそんなに向きになって否定するのかな?」 「あ?」 向きになってなんていない。そう言おうとしたのだが、口から出てきたのはスモールエーとスモールイーが背中合わせに寄りかかった発音記号でしかなかった。否定の言葉が喉元から先へ出て行かない。それくらいに俺は動転してしまっていたらしい。 「キョン、一つ良い事を教えてあげるよ」 中学から続く友人はお前のことはお見通しだと言わんがばかりにくすりと笑って。 「二重否定は肯定なんだ」 なんて言われてしまった日には俺としちゃ押し黙る他にもう打つ手は残されていなかった。まったく、腹立たしい。 「まあ、全部そうだったら面白いなあっていう僕個人の希望なんだけどね。でも実際キョンだって涼宮さんのことは嫌っていたりしないんだろう? っていうか、多少好意的に見てるよね」 ……ノーコメントだ。どうしても知りたけりゃ司法解剖して心臓を取り出し、矯めつ眇めつしてみてくれ。谷口の顔みたいに油性マーカで落書きしてあるかもしれんぞ。 国木田の追及はそこで終わり、俺はこれ以上傷口を広げてなるものかと教室から退散した。夕暮れにはまだ早い廊下は冬のこの時期であれば壁に凭れ掛かって談笑するような生徒の数も少ない。当たり前だな。誰だって寒いのはゴメンだ。 教室の有るだけマシってなストーブ周辺は人気スポット過ぎて場所取りに苦労するし、部活動をやっている奴なら部室に秘密裏に持ち込んだ暖房器具を利用する。そして俺はもっぱら後者だった。とは言え部室には遅れて来いと言われているんで、どっかに良い時間潰しは無いかと思っていたところ偶然に長門が通り掛かった。 「よう、長門。今帰りか?」 「……そう」 立ち止まり、無表情に俺を見上げる少女。いつもと変わらぬ三点リーダはなんとなく俺を安心させてくれる――って、いやいや。何をころっと忘れているんだ。和んでるんだ。 世界の危機。未来の途絶。ワールドエンド・クリスマス。 長門に聞きたい事は山のように有るじゃないか。ここで会ったがなんとやら。幸いにも人通りは他に無しとなれば、後は寒さに耐えるだけだ。 「あーっと、その聞きたい事が有るんだが」 さて、どう話し始めたものか。いつもならば聞いてもいないのにスラスラと日本語ギリギリのスペース・ミステリを披露するってのが多かっただけに、もしくは解説役の超能力者が同行していた為に、こういうのに悩むってのは珍しい体験だった。 「……何?」 クリスマスに世界が終わるって聞いたんだが、なんてストレートな切り出しでいいのだろうか。それとも「最近どうだ」みたいな外堀から埋めていく感じにするべきか。誰に聞かれているかも分からない場所柄を考えると後者だな。 いや、流石に聞き耳防止策くらいは長門の事だから講じてくれているだろうが。 「最近、どうだ? 何か変わった事はないか?」 時節柄だろう。なんとなく長門に引け目と言うか負い目と言うか、注意して見ててやらないとな、って思いが無かったとは言わない。コイツは人知れず悩むのが常な上に、表情を隠すのが古泉並に得意だ。 去年はSOSを見逃した。だから今年こそは二の轍は踏むまいと決めている。 「貴方は古泉一樹から現状を聞いたはず。それが今の私に教えることの出来る全て」 宇宙人少女は抑揚無く言った。それは確かにいつも通りではあったかも知れない。でも、引っ掛かった。 今の私に教えることの出来る全て――ってのはつまり教えられないことが有るという意味じゃないのか。それに隠し事を教えたくないのならば「貴方は古泉一樹から現状を聞いたはず。それが全て」で済んだだろう。ならばなぜわざわざ長門は言葉を足した? それは「私は隠し事をしていますよ」とそれとなく俺に伝えるためだ。するとまた別の疑問が浮かぶ。なぜこんな回りくどい真似をするのか、って点だ。 長門に制限を掛けられる相手ってのはそう多くない。というか俺は一人しか知らない(果たしてそれを一人とカウントしていいのか分からないが)。 情報統合思念体――長門の親玉だ。 なるほど、つまりこの件には宇宙人の思惑も関わっているとそういう事か。はあ……どうやら古泉のヤツもここ最近めっきり平和ボケしてきたらしい。ったく、なーにが「それほど悪いことは起こらないのではないか」だ。しっかり長門に緘口令敷かれてるっつーの。 「俺に話せない事が有る、って感じか?」 長門は何も喋らなかった。どうやらこれ以上のヒントはコイツの口からは出せないらしい。そんな風に思ってソイツの顔をよくよく見てみれば、いつもと変わらぬ無表情の中にも歯痒さがどことなく混じっている気がする。もしくは焦り。 勿論、こんなのは俺の気のせいかも知れない。人は見たいように見るらしいからな。宇宙人少女の表情学における第一人者を自称するもやぶさかではない俺では有るが、さりとてそれが長門の顔を見て十を知ることが出来るかと言えば、当たり前だが無理な話だ。 谷口みたいに顔に油性マーカで落書きしてあるのとは訳が違うのだ。繊細さもな。 「そっか、分かった」 さてさて、返答も応答も無いせいで、少女の前で独り言をぶつぶつ呟いている怪しい人みたいに俺はなってしまっている――客観的に見れば。 会話とはキャッチボールで成り立つものなのだとしみじみ思う。剛速球でもいい、逆に飛距離が足らなくったっていいから拾ったボールを逐一俺に向けて投げ返してはくれないものかね、コイツも。正直言って間が持たん。 捕り易く、また投げ返し易い球を投げるべきか。 「それじゃ切り口を変える。長門、俺は何をしたらいい? 何をするべきなんだ、教えてくれ」 目的語はあえて省いた。それは言わなくても分かるはずだし、また間違えようもないからだ。 SOS団の今後の為に。それとも俺自信の未来の為に。もしくはクリスマスの破滅を回避する為に。 ほらな、穴埋め候補のどれを目的語に持ってこようと結局、俺が聞きたい肝心要は一緒だろ。でもって、もし目的語を省かなかった場合――長門の口から出る回答には情報規制がかかってしまう可能性が生まれる。網の目をすり抜ける言葉をもって、危機回避の手段をご教授願おうって腹だ。 平たく言や、婉曲表現で回りくどく、核心には触れないように攻めていくしか手は無いってこったな。……今なら爆弾処理班の気持ちの数分の一くらいは分かりそうだ。果たして長門は俺の期待通りにその小さな口を開いた。 「貴方にして貰いたいことが一つ有る」 赤のコードと青のコード、どっちを切るか選んでくれとかそういった内容でないといいのだが。ああ、そんなのは去年の十二月でお腹いっぱいだから、今年は謹んで辞退させて頂きたいモンだ。 「十二月二十四日の午後六時に会って欲しい」 それはもしかしてデートのお誘いかなどと考える間も、赤面する暇も俺には与えられず長門は二の句を次いだ。 「貴方と接触させたい人物が居る」 「接触させたい人物? お前じゃなくてか?」 長門はほんの少しだけ頷いた。ああ、そりゃもうほんの少し。極めて僅か。ここに居るのが俺じゃなければ見逃していたに三千点。 「……そう」 「誰だ?」 「……言えない」 それも口止めされているのかと聞きたかったが、恐らく口止めの事実から口止めされているであろう長門に聞いたところであの気まずい沈黙が廊下を更に寒々しくするだけかと考え至って止めた。これ以上気温が下がったらいつぞやのハルヒを笑えない事態に陥りかねないしな。 しかし、そうは言っても俺だって健康的な高校生男子の類に漏れないのであるからしてこれは大いに気になる。日時の指定がクリスマスイブの午後六時ってのも俺の好奇心に拍車を掛けた。 「えーっと、それは……それってのは」 と、ちょっと待て。これは果たして口に出していいものなのだろうか? 誰かからのデートの申し込みなのか、なんて。気にはなる。気にはなるがしかし、これで長門から「……デートって、何?」とか聞かれたら俺は窓ガラスに全力体当たりして中庭に飛び降りるだろう。 多分、頭から。意識の混濁は願ったり叶ったり。 果たしてそんな危険を侵してまで俺は長門に聞くべきか。いや、普通に考えたら聞いておくべきなんだ、それは。だって、クリスマスだ。しかも本番の、中でも一番「いい」時間帯だ。テレビで言えばゴールデンタイム、日本史で言えば関が原。極々極々個人的な天下分け目で誠に恐縮ではあるが。 「……何?」 少女の瞳は真っ直ぐに俺を見つめてくる。何の躊躇いもなく。昔ながらの奥ゆかしい日本人にはちょっと出来ないその無遠慮な――素っ直な眼差し。 「あー、その……」 当然だが先に眼を逸らしたのも、 「……すまん、なんでもない。男か女かだけ気になってな。その、俺が会った方がいいって人がさ」 ついでに話を逸らしたのも俺だ。だが、大筋は逸らしてないから安心して欲しい。それにここで男だって言われればまあ、十中八九古泉で間違いないだろう。 本音を言えば折角のクリスマスイブにまであのニヤケ面に会いたくはないのだが。 だが、そんな俺の不安と、やっぱりそんなオチだよなって具合の意味不明な安心をもたらすであろう言葉は長門の口からは出て来なかった。 「性別は女性」 顔色一つ変えず言う長門とは対照的に俺は全身にカーっと血が回っていくのを感じていた。いや、仕方ないだろ。クリスマスイブで午後六時に異性と出会えって言われて、これに恋愛的ななにがしかを期待せずにいられるようならソイツはきっと頭がオカしいから病院に早急に行くべきだ。 「お、女?」 「そう」 「ちなみに、そこには長門も一緒に居るんだよな?」 そうだ、二人きりなら何事かも妄想しようが、事これが三人になってしまえばなぜだかは知らんがそんな事は起こりえないのがこの世界のルールであり、不文律である。今だけはそこに感謝しよう。 「……なぜ?」 おや、情報の伝達に齟齬が発生しているぞ、長門。 「いや、だってお前が連れてくるんだろ、誰だか知らないけど、ソイツ。その、俺が会うべき人っての」 「違う」 「え? それはどういう」 「彼女と貴方が出会うその時間、私は別の事を行っている。言い換えるならば――忙しい」 って事は何か? 待ち合わせでもしなきゃならんのか、俺は。誰かも分からん相手と? 俺の認識ではそこに「デート」の三文字がどうしてもピタリと嵌まり込んでしまう。せめて事前に相手くらいは知っておきたいんだが。 情報統合思念体とやらは本当にロクな事をしやがらないな。 「なあ、『それ』って本当に必要なのか?」 「必要」 こう言い切られちまっては、SOS団一の事情通を信じない訳にはいかない俺としては、ああ、初クリスマスデートの相手くらいは自分で選びたかった。それとも選ぶ権利が有るとでも思ってんのか、って皮肉屋の運命の仕業だろうか。 それだけはないと信じたい。
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第226話 雪の季節のまやかし 1485年(1945年)1月30日 午後6時 レスタン領ハタリフィク レスタン領軍集団司令官ルィキム・エルグマド大将は、仏頂面を浮かべたまま、机に広げられた地図を睨みつけていた。 「……それで、敵の先鋒はどこまで来ておるのだね?」 「はっ。1時間前の報告では、この辺りに……」 軍集団作戦参謀を務めるヒートス・ファイロク大佐は、指示棒でとある一点を指した。 そこは、レスタン領の首都であるファルヴエイノから、西に23ゼルド(69キロ)離れた場所にある、クリメエイヴァと呼ばれる 寒村の辺りである。 「防戦中の第5親衛石甲師団の報告では、クリメエイヴァの敵部隊は、パーシング戦車を含む機械化部隊であるとの事です。また、 クリメエイヴァの南方3ゼルド付近にあるフェグバルスには、カレアント軍と思しき前進部隊が進出している事も確認されております。」 「敵部隊の進出はここだけではありません、こことここ……それから、ここでも、アメリカ軍、またはカレアント軍が前進を続けています。」 軍集団魔道参謀を務めるウィビンゲル・フーシュタル中佐も、先程の地域から南に離れた、別の地域を指差しながら、エルグマドに向けて発言する。 彼らはまだ知らなかったが、その地域には、第5水陸両用軍団指揮下の第6海兵師団と、カレアント軍第2機械化騎兵師団が進出していた。 「28日の戦闘からたった2日間、敵は20ゼルド以上も前進するとはのう……作戦参謀、敵は確か、機械化部隊の快進撃を、何か別の 言葉で言っていた気がするが、何だったかな?」 「は……敵はこの急進撃を、電撃戦と呼んでいるようです。」 「電撃戦か……ふむ、まさに、雷のような進撃だな。」 エルグマドは、自嘲気味にそう呟いた。 28日より続くアメリカ、カレアント連合軍の西部戦線での攻勢は、早くも勢いに乗りつつあった。 28日夜半の発生した第2親衛石甲軍とアメリカ、カレアント連合軍の決戦は、第2親衛石甲軍の敗退に終わり、29日早朝には、早くも敵軍部隊が 前進を再開し、撤退する第2親衛石甲軍と第47、42軍の残余部隊との競争状態になった。 29日夜半には、遂に第42軍が壊滅し、戦力図から消えた他、30日早朝には、第47軍司令部より、 「指揮下にある戦力は2個師団程度なり」 という悲痛めいた報告が送られて来た。 その時点で、西部戦線のシホールアンル軍は、第42軍の4個師団、2個旅団ほぼ全てと第47軍の半数以上を失った他、第2親衛石甲軍も、 指揮下の部隊は軒並み、戦力が3割減という事態に陥っていた。 28日夜半の決戦に勝利した連合軍部隊は、機械化部隊の快速を生かして遮二無二進み続けたが、無論、シホールアンル軍も黙って見ている 訳では無かった。 30日正午には、首都ファルヴエイノから抽出した部隊が、後衛部隊として連合軍部隊と交戦を開始し、敵の進撃速度を幾らか鈍らせる事が出来た。 抽出部隊は、ファルヴエイノ防衛部隊の主力であった第54軍団と、元々、ファルヴエイノに駐留していた陸軍2個連隊を主力に、間に合わせで 用意された兵員輸送用キリラルブスや補充品を当てがい、機動歩兵旅団を臨時編成し、敵軍に対抗した。 南部戦区は、第54軍団の奮戦のお陰で、敵軍部隊の半分は前進が捗らなくなったが、第54軍団の支援を全く受けられなかった北部戦区は、 依然として敵の前進に押されどおしとなり、敵側が無理をして送り出してきた航空支援の影響もあって、遂に第2親衛石甲軍の中でも、 壊滅判定を受ける部隊が出てしまった。 第2親衛軍団の指揮下にあった第17石甲機動旅団は、30日正午頃、旅団の大半の部隊がアメリカ、カレアント軍機械化部隊に包囲され、 力戦敢闘するも、航空支援までも繰り出して来る敵の猛攻の前には成す術もなく、午後5時頃には遂に壊滅し、第17旅団は指揮下に遭った 戦力が、2個連隊から僅か2個大隊に激減し、旅団としての機能を完全に喪失。 つい今しがた、第17旅団の残余は第4親衛石甲師団に編入となった。 第2親衛石甲軍は、こうして、構成部隊の1つである1個旅団を、編成図から失ってしまったのである。 連合軍部隊の最先頭は、夕方5時までには、実に10ゼルド以上(30キロ)もの道のりを走破しており、最先頭部隊は、ファルヴエイノ まで23ゼルドの距離まで迫っていた。 エルグマド達は知らなかったが、この最先頭部隊は、第3海兵師団所属の第3海兵戦車連隊と、第3海兵連隊で構成されていた。 敵の先頭部隊は、午後5時現在、クリメエイヴァまで進出した所で動きを止めている。 これに対し、第2親衛石甲軍は、第2親衛軍団の2個石甲師団並びに1個旅団を、ファルヴエイノから20ゼルドの位置に何とか布陣させて いるが、28日夜半の戦闘で消耗を重ねた第2親衛軍団が、期待通り役目を果たせるかどうかは、運次第である、と、司令部の幕僚ですら 考え始めていた。 「唯一の救いとしては……今夜から天候が更に悪化する事のみですな。」 兵站参謀のラッヘル・リンブ少佐が腕組しながら、平静な口調で言う。 「気象班の予報では、今日の夜半からは本格的な吹雪が来ると予想されており、その兆候は既に現れ始めております。」 リンブ少佐はそう言いながら、窓の外を見てみた。 外の様子は、既に日が落ち始める時間帯であるため、薄暗くなっていたが、空から降りしきる雪の量は多く、雪の粒も早朝と比べて、幾らか大きい。 「敵部隊は、この1日で10ゼルドも前進し、ファルヴエイノへ大きく近付けましたが、その分補給線は長くなっています。通常の場合 なら、敵にとっての10ゼルドは大した長さでは無いでしょうが、今日の様な降雪下……特に、吹雪といった悪天候の前には、たかが 10ゼルドでも、補給を行う際には相当の苦労をします。我々もそうですが、敵機械化部隊も、悪天候下での急進撃は困難な筈です。」 「兵站参謀の言う通りですな。」 主任参謀長のヴィルヒレ・レイフスコ中将が頷きながら喋る。 「閣下、この悪天候は、あと3日程は続くと予想されています。我々はその間、前線部隊への増援が出来るように準備を整えた方が良いかと 思われます。東部戦線では、バイスエ駐留軍が行動を起こしてくれたお陰で、戦線全体で敵の進撃は鈍りつつあります。これを好機として、 我々は前線部隊へ補充を送り届け、再度、戦線の立て直しを計る事が出来るでしょう。」 「確かにな。」 エルグマドも満足そうに頷くが、同時に、複雑そうな表情を浮かべた。 「しかし、お天気任せの帝国軍とはのう……わしのような楽観主義者でなければ、今頃、職をほっぽり出している状況だな。」 エルグマドの何気ない一言を聞いた幕僚達は、一斉に苦笑いを浮かべた。 「それにしても、第54軍団の動員に関しては、閣下も思い切った措置を取られましたな。まさか、市外警備の2個連隊までも動員するとは、 最初は信じられませんでした。」 「使える物はどんどん注ぎ込まねばならんかったからの。」 ファイロクの言葉を聞いたエルグマドは、ため息を吐きながらそう答える。 「閣下。小官としましては、今回の第54軍団の動員には、いささか無茶があったのではと思うのですが……」 「むむ?それはどういう事かな、兵站参謀。」 エルグマドは、すかさずリンブ少佐に聞く。 「首都にはもう、敵の空挺部隊は来んよ。首都には、国内相の施設軍と治安警備部隊が5000名ほど居る。ファルヴエイノと、その周辺地域の 住民はまだ10万人以上も居るが、この悪天候下では、首都は安全だ。首都の守備兵力に関しては、もはや大丈夫であると思うが。」 「いえ……兵力の件ではありません。」 リンブは首を振りながら、エルグマドに答えた。 「閣下は国内相軍と治安警備部隊……占領地官憲部隊の馬車までも徴発していましたが、国内相ではその事に関して、軍の横暴であると非難の声が 上がっているようです。確かに国内相の連中は、大した仕事もしない穀潰ししか居ないのも事実ですが、それでも、今回の馬車隊強制徴発は無理が あったのではないでしょうか。」 「うーむ……言われてみれば、確かにそうかもしれんな。」 エルグマドは、内心、自分が下した判断に後悔の念を抱きかけていた。 第54軍団の動員の際、エルグマドは元から居た歩兵2個連隊も動員したが、その際、彼は軍集団司令官の強権を発動し、国内相軍部隊が保有して いた多数の馬車隊の徴発も行った。 馬車隊の徴発は兵員輸送用のみならず、補給用馬車にまで及び、現地の国内相の役人はこれに激怒し、軍集団側の横暴を即座に本国へ報告していた。 エルグマドとしては、国内相軍部隊はファルヴエイノに最低、2か月分の食糧を貯め込んでおり、食料に関しては、補給は必要ない状態にある事を 知っていた。 敵の上陸作戦が行われる前、エルグマドは国内相の現地統括官に対して、せめて、2週間だけという条件付きで、馬車隊の借用を何度も要請したが、 統括官は指揮系統が違う事をタテに、頑として譲らなかった。 レスタン領駐在の国内相部隊……特に国内相軍は、陸軍のやり方に反抗する場合が多く、第54軍団の動員の際に行われた、馬車隊の借用に関しても、 前回と同様、統括官や馬車隊の頭達は首を縦に振らなかった。 だが、国内相軍や、役人達の判断は、今回ばかりは間違っていた。 エルグマドは、非常時であるにもかかわらず、命令系統を盾に馬車隊の借用要請に応じない国内相側に激怒し、遂に強制徴発に踏み切った。 この強制徴発に、国内相側も反抗の態度を示したが、陸軍部隊はそれ以上の反抗を行う際は、利敵行為の咎で厳罰に処すると命じたため、国内相側も 渋々応じたのであった。 ファルヴエイノには、米軍が住宅地を滅多に爆撃しない事を良い事に、陸軍の補給隊が多数の空き家に大量の補給物資を隠匿していた。 ファルヴエイノは、元々30万人以上の住民が住んでいたのだが、過去の戦争で住民が離れていき、1485年1月現在では、市内に5万名が居るのみで、 町中には溢れんばかりの空き家が存在する事になった。 空き家に隠されていた物資の中には、完成すれども、前線部隊には行き渡らなかった携行型魔道銃も多く含まれていた。 ファルヴエイノ駐屯の2個連隊は、この魔道銃を受け取って前線に加わる事が出来た。 この補給品の輸送には、挑発した馬車隊が目覚ましい活躍を見せ、前線に行きわたった各種物資は、第54軍団の奮戦と相俟って、南部戦区での 連合国軍の迎撃に大きく役立っていた。 結果として、エルグマドの判断は当たっていたのだが……彼の強引なやり方は、遂に本国の国内相関係者を激怒させてしまったようだ。 「もしかしたら、わしを解任しろと言っているかも知れんな。いや、確実に言っておるだろう。」 「閣下、後方の方達が言う事は、別に気に留める事もないかと思います。」 ファイロク大佐がエルグマドに言う。 「やり方が云々は別にして、あの時の判断は、今日の戦闘で正しかった事が証明されています。北部戦区では10ゼルド以上も前進されてしまい ましたが、南部戦区では、その半数以下の4ゼルド(12キロ)しか前進出来ていません。通常なら、これだけでも恐るべきものですが、第54軍団と、 彼らが届けてくれた物資が無ければ、補充を受けて戦闘力を残せた第47軍が、敵を迎撃する事は不可能でした。最悪の場合、南部戦区もまた、 北部戦区と同様、10ゼルド以上も前進される、という事態に至ったでしょう。いや、それ以上前進され、撤退中であった第1親衛軍団が後背を 衝かれる、という事もあり得ました。レスタン領の戦闘が終結した後、今回の成果を証言すれば、本国の連中も分かってくれるでしょう。」 「閣下、今は、前線の部隊をどう動かし、敵の攻勢をどう抑えるか?それに集中するべきです。」 魔道参謀のフーシュタル中佐もそう言って来る。 「ふむ……作戦参謀と魔道参謀の言う通りじゃな。」 2人の幕僚の進言を受け取ったエルグマドは深く頷き、これ以上、余計な事は考えぬ事を心に決めた。 「国内相の連中の事は、今は置いといて……西部戦線は、少なくとも3日間ほどは小康状態になるな。西部戦線の状況はこれで掴めた。 さて、東部戦線の状況を聞こうか。」 「東部戦線では、先にもお話しした通り、バイスエ駐留軍が行動を開始した事により、敵部隊の最右翼が前進を止め、バイスエ駐留軍との交戦を 行っています。これによって、足並みが崩れる事を恐れた連合軍部隊は、全戦線で進撃速度を衰えさせており、明日の朝頃からは、猛吹雪のため、 東部戦線でも敵は進撃を停止させるでしょう。」 レイフスコ中将が淡々とした口調で説明する。 「ようやく、バイスエ駐留軍が参加してくれた事で、東部戦線も落ち着きを取り戻しつつあるようだが……しかし、本国の連中もまた、 気に入らない事をしてくれた物じゃ。」 「参加したバイスエ駐留軍は、僅か1個軍のみでしたからな。本当は、それ以上の部隊に動いて貰いたかったのですが。」 作戦参謀の言葉に、エルグマドはそうだと言いながら、2度頷いた。 「1個軍では、敵の動きを止める事は出来ても、押し返す事は出来んだろう。現に、バイスエから来た第71軍は、カレアント軍1個軍の進撃を 食い止めただけだ。これでは、遠からぬ内に第71軍は押し返され、敵は再び、東部戦線への圧力を強めて来る。全く……本国の石頭共は一体、 なにを考えておるのやら……」 「本国総司令部の考えでは、別の連合軍部隊がバイスエに侵攻して来た際の備えとして、3個軍の内、2個軍はバイスエに留めておこうとしていようです。」 「その連合軍部隊はいつバイスエにやって来ると言うのだ?」 エルグマドは、半ば苛立ったような口ぶりで言う。 「敵の主力は、このレスタン領に集中しておる。まずは、このレスタンに兵力を集中し、敵の進撃を食い止める事を考える方が先だろうに……」 「閣下のお考えは確かにわかります。ですが、我が軍は今月の中旬頃から始まった航空戦の連続で、動員出来るワイバーンや飛空挺が明らかに 減っています。それに加えて、本国からの航空戦力の増援は、当分見込めません。この状況では、幾ら地上部隊を増やしたと言えど、航空戦力の 薄くなった我が軍は満足に航空支援を行うどころか、基地上空の防空戦闘を行う事すら危うくなっています。天候が回復すれば、短期間でまた 戦力を回復した連合国軍側の航空部隊に押されるのは、火を見るよりも明らかです。閣下、本国司令部は、敵の空襲によって、レスタンへ動員 したバイスエ駐留軍も消耗しきる事を恐れ、わざと1個軍しか派遣しなかったのではありませんか。」 「確実にそうであろうな。」 魔道参謀の言葉に対して、エルグマドは即答する。 「本国司令部の考えは気に入らないが……それでも、わしらの意見を握り潰さなかっただけでもマシかもしれん。バイスエの第71軍は現に、 敵の横合いに噛み付き、敵軍の一部を拘束し、結果的に、それは東部戦線全体の安定に繋がっておるからな。」 「第71軍の指揮下にある2個軍団のうち、1個軍団は石甲化軍団ですからな。上手く行けば、敵は第71軍を重大な脅威とみなして、更に兵力を 振り分けて来るかもしれませんぞ。」 レイフスコ中将がそう言うや、エルグマドも小さく頷く。 「後は、段階的に北に下がりつつ、これ以上、敵の進撃が勢い付く事を避けねばならんの。戦線を維持しつつ、後退して行けば、進撃中の敵も 損害続出で、次々と交代して行くだろう。」 「新型キリラルブスがもっと早く配備されていれば、敵に与える損害も大きかったのですが……」 「まぁ、無い物ねだりしても始まらんよ。」 作戦参謀の言葉を聞いたエルグマドは、そう答えた。 「何度も言うが、わしらは今、与えられている装備で最善を尽くさねばならん。ここで、レスタン領の野戦軍が潰滅状態に陥れば、敵は一気に バイスエを制圧し、本国が蹂躙されるだろう。先の戦が楽になるか、辛くなるかは、このレスタン戦線次第と言えるな。」 エルグマドの言葉を聞きながら、リンブは壁に掛けられている時計に、ちらりと視線を送る。 時刻は午後6時20分を指そうとしていた。 「少し疲れたな。しばしの間、小休止にしよう。」 エルグマドが幕僚達にそう告げるのを聞いたリンブは、近くに居たフーシュタルに断りを入れてから作戦室を退出し、便所で用を足した。 ふと、彼は外の様子が気になり、便所から5歩離れた場所にある休憩所の窓から外を眺めてみた。 「大分吹雪いて来たな。」 リンブは小声で呟きながら、外の風景を見続ける。 「少佐殿、どうかされましたか?」 彼は、休憩室で喫煙していた大尉の階級章を付けた主計課将校に話しかけられた。 「いや、少しばかり天気が気になってね。」 「少佐殿も気になりますか。実は、私もです。」 大尉は無表情で答えながら、リンブの側に歩み寄った。 「実を言いますと、書類作成用に使っていた紙が切れかけているのです。予定なら、予備の用紙が2日後に届く筈だったんですが、この吹雪じゃあ、 2日後どころの話では済みそうにないですな。」 「ああ。気象班の予測によると、この吹雪は、最低でも3日は続くらしい。」 「3日ですか……参りましたな。この様子じゃ、ゴミ箱にぶち込んだ紙を引っ張り出して、紙の裏部分を再利用するしかないですなぁ。」 主計課将校は困った顔つきを張り付かせたまま、浮かぬ足取りで休憩室から出て行った。 「……この猛吹雪で困るのは敵じゃなく、味方も……か。天候が回復するまでは、こっちも我慢しなければならない。司令官達は敵の空挺部隊の 脅威が過ぎ去り、敵の前進も止まった事で一安心しているが……」 リンブは不安げな口調で呟く。 昨年の末まで、補給部隊の指揮官として前線の補給路を走り回った彼としては、自軍の補給能力がどれぐらいの能力を有しているか熟知している。 彼は、それを知った上で、軍集団司令部の楽観ぶりに不安を感じずにはいられなかった。 「こっちも身動きが取れにくい……いや、この猛吹雪の中では、全く取れない、と言った方が正しいか……補給部隊も含めた、全部隊が……」 リンブはそう呟きながら、前線に展開している戦闘部隊の事が心配になってきた。 「……吹雪の勢いが弱まった所を見計らって、補給を出す他は無いな。今の所は、ファルヴエイノから運び出した余剰品で前線部隊は凌げるだろうが、 それもせいぜい2日分程度だ。それ以降は補給不足で立ち枯れになる。今から、その後の事も考え無いといけないな。」 リンブは、半ば憂鬱な気持ちになりながら、窓辺から離れて行った。 窓の外には少数ながらも、現地人が出歩いていた。 その中の1人……子供が、吹雪の中を不安げな表情で歩いていたが、すぐ後ろに歩いていた母親と思しき女性が、ニッコリ笑って上空を指差し、 何かを口ずさみながら、上空にかざした手を左右に振り、子供の不安を払拭していた。 1485年(1945年) 2月1日 午前6時 レスタン領レーミア沖西方150マイル地点 その日、ジャスオ領北西部にある航空基地より発進したF-13偵察機は、今月の中旬より始まった、定例のレスタン領沖上空の観測を行うため、 時速210マイル、高度9000メートルを維持しながらレスタン領西方沖を飛行していた。 「航法士。今はどの辺りだ?」 機長のフランキー・シェパード大尉は、航法士に話しかけた。 「現在、当機はレーミア湾より方位320度、北西150マイル地点を飛行中です。」 「レーミア湾より北西150マイル地点か……下界は相変わらず、雲で真っ白に覆われているようだが。」 シェパード大尉は、時折聞こえて来る部下達の報告を思い出しながら、単調な飛行に意識を集中させる。 「目標地点まで、あと50マイルですか。」 「ああ。目標到達後、それから2時間、同じ空域を旋回しなければならん。いつものように、行って、ゆっくりダンスして、戻って来るだけさ。」 話し掛けて来たコ・パイのウィック・グリストル中尉に、シェパード大尉は陽気に答えた。 「しかし、B-24でレスタン領爆撃に行って撃墜され、シグなんとかというレジスタンス達に助けられて復帰したまでは良かったが…… まさか、このF-13の機長を任されるとはなぁ。ちょっと不満だ。」 「でも、B-24から、偵察機型とはいえ、B-29の機長になったんですからいいじゃないですか。」 グリストル中尉は微笑みながら、シェパード機長に言う。 「自分も以前はB-24に乗って、敵とタマの取り合いをやっとりましたが、今ではこいつに乗れて良かったと思いますよ。」 「まっ、B-29……もとい、F-13だったかな。こいつも確かにいい機体だ。高度9000を飛行する場合、B-24なら厚い防寒服と 酸素マスクが必要になるが、F-13は与圧装置のお陰で、機内で寒さに縮こまる事は無い。まぁ、多少の防寒服は必要だが、それでも大分 楽になった。でもなグリストル、正直に言って、俺にはこいつは合わんね。」 「合わない……ですか。」 シェパードは軽く頷いた。 「俺には、B-29よりも、B-24のような機体が合っているな。リベレーターは他の爆撃機と違って、低空での運動性も多少良くてな、 2年近く前のルベンゲーブではこの特徴を生かして、敵の魔法石製造工場を火達磨にしてやった物だよ。」 「確か、機長もその時参加していたんですよね?」 「ああ。あの時、俺はコ・パイで、お前の席に座っていた。帰還中に、シホット共の戦闘機に襲われて機長が戦死した時は駄目だと思ったが、 俺が操縦して何とか帰還できたよ。思えば、あの時の機長は、本当にいい人だったよ……」 シェパードは、しんみりとした口調で言う。 「しかし、司令部の連中は、ここで天候観測に当たっているだけでいいと言っていたが、2週間以上もこうしているのはどうしてかな。」 「雲の写真を撮影して帰るだけですからねぇ。もしかして、気象班の天候予測をやり易くするために、うちらが駆り出されているんじゃないですか?」 「それもそうかもしれんが……何故か、俺達に詳細を教えてくれないんだよなぁ。教えてくれた事はただ1つ。何か大きな動きがあったら、 司令部に包みは解かれたと報告しろ、だ。」 「教えてくれたと言うより、まるっきり命令ですな。」 「だな。」 シェパードは呆れ笑いを浮かべながら、グリストルに返した。 「そういえば機長、昨日、酒場で久方ぶりに合った友人に再開したんですが、そこで妙な話を聞きましたよ。」 「妙な話?何だそりゃ。」 シェパードは前を見据えながら、グリストルに聞く。 「何でも、B-24を送り出したコンソリーデッド社がへんてこな爆撃機を開発中だそうです。」 「へんてこな爆撃機か。一体どんな代物なんだ?」 「さぁ……自分もさっぱりです。友人もあまり知らないようでしたが、その新型機は2種類あって、1つはとにかくでかい爆撃機で、遠くまで 飛べる機体。もう1つは、B-29のような機体に大砲と大口径の機関砲を乗せて地上支援に集中出来る機体。これだけしか教えられませんでしたよ。」 「何だいそりゃ?」 シェパードは素っ頓狂な声を挙げた。 「とにかくでかく、遠くまで飛べる機体に、大砲と機関砲を乗せた機体だと。グリストル、君の友人はその時、酷く酔っ払って居なかったか?」 「ええ、もう、べろんべろんでしたよ。おまけにそいつ、酒に酔っている時は法螺ばかり吹くお調子者野郎でして、あの時の話も、こいつ特有の 法螺話が出て来たかと思いましたよ。」 「完全にホラ話だろうな。」 シェパードは苦笑しながら答えた。 「ただ、いつもと違って確信したよう口ぶりで話していたので、その辺りにちょいと、違和感を覚えましたが。」 「いくら我が合衆国でも、そんな機体なぞ、すぐに作れないよ。現状ではB-29でも間に合ってる……か、どうかは判断し難いが、ひとまず、 シホット共は四苦八苦してるんだ。今のままでもすぐに戦争を終わらせられるよ。それに、そんな機体が出来たとしても、終戦までには間に合わないさ。」 「ハハ、そうでしょうね。」 グリストルは微笑みながら、シェパードに答えた。 それからしばらく経ち、F-13は目標上空に辿り着いた。 「機長、目標地点に到達です。」 「OK。これよりスローダンスに入る。お前達、一応でも構わんから、下の方を見とけ。」 シェパードの冗談めいた口調に、乗員達は小声で笑った。 シェパードは、車のハンドルにも似た操縦桿を、ゆっくり左に回して行く。 F-13の操縦桿は、事の他重いが、訓練で慣れたシェパードは、その重さに苦労する事無く、愛機を旋回させていく。 全長30.1メートル、全幅43メートルもの大きさを持つ白銀の怪鳥は、4つのR-3350空冷18気筒、2200馬力エンジンを快調に 回しながら、冬の厚い雲に覆われた洋上を、ゆっくりと旋回して行く。 4つの大馬力エンジンの後ろからは、真っ白なコントレイルが綺麗に引かれており、下界から見れば、鮮やかな白い円が青空に描かれていた。 旋回に入ったF-13は、時折、高空を吹き荒ぶ気流にひやりとさせられつつも、単調に回りつづけていく。 時間は10分……20分……30分と、刻々と過ぎていく。 F-13の機内には、時折、機体の爆弾倉に取り付けられたフェアチャイルド製の各種偵察カメラの作動音が響く。 単調な旋回飛行は続き、時間は40分、50分、60分と過ぎていくが、下界の雲の様子は何ら変わる事が無く、下界に冷たい雪を降らしながら 移動しているだけである。 旋回を開始してから、1時間30分が経過した後も、下界の様子は、何の変化も見られなかった。 「あと30分か。早く帰って、ビールが飲みたいねぇ。グリストル、今日の昼飯は何かわかるか?」 「ええ……確かヴィクトリーカレーだったと思います。」 「ヴィクトリーカレーだと?こいつはおったまげたぜ。」 シェパードは嬉しげな口調で言う。 「今までカレーは、海軍や海兵隊でしか食えない料理だと思っていたが、まさか、陸軍にもカレー料理が出てきたとはな。しかも、縁起のいい ヴィクトリーという名のついたカレーとは。グリストル、今日はついてるぞ。」 「ですね。ところで、自分はまだカレーを食べた事無いんですが、機長もそうですか?」 「いや、レスタンから潜水艦で脱出する時に、海軍さんが一杯カレーを出してくれて食べた事がある。最初は、どこの間抜けがライスにクソを ぶちまけた様な料理を作りやがったんだ、と思ったんだが……いやはや、先入観だけで判断するのは良くないと思わされたよ。その時のカレーが かなり美味でね、今でもあの味は忘れられんよ。」 「へー、かなり美味いんですか。」 「ああ、美味いぞ。あれを食べてみて、不味いと言う奴はそうそう居ないだろう。それにしても、ヴィクトリーカレーとは見た事が無いな。 何かの具が追加されたカレーかな。」 「自分はそのカレーがなんであるか聞いていますよ。何でも、カレーの上に肉の揚げ物が乗った物だとか。海兵隊の連中が上陸作戦前に 食わされたらしいです。食べた連中は口々に美味い美味いと言ってたようです。自分の海兵隊の知り合いから聞いた話ですが。」 「ほほう。連中はその美味さに驚いて完食しただろうな。」 「いえ、全員が完食した訳では無い様です。戦闘を経験済みのベテランは、カレーを半分ほど残したようですね。」 「カレーを残しただって?なんでまた……」 「戦闘を経験しているからですよ。」 グリストルは自分の腹をさすった。 「その友人の話によりますと、腹を満たした状態で戦闘を行うと、腹に被弾した際に、急性腹膜炎に陥ってショック死する場合がある様です。 自分が話を聞いた海兵隊員はエルネイルの戦いに参加していましたが、完食した連中は殆どが新兵。一方、ちょっと残した連中は全てが、 戦場の地獄を経験した兵ばかりで、上陸作戦が行われた後、その差はかなり現れたようですよ。」 「なるほど……じゃあ、つい先日に行われたレーミア湾の上陸作戦でも、同じような事が起きたのかも知れんな。カレーを残すのはもったいないが…… 命を落としたら、もったいないどころでは済まんからね。」 「機長!」 唐突に、耳元のレシーバーからレーダー手の声が響いて来た。 「おう、どうした?」 「レーダーに異変がありました。機長、機首を方位320度方向に向けてくれませんか?」 「320度方向だな?了解!」 シェパードはレーダー手の進言通りに動いた。 「機首を320度方向に向けるぞ!」 「了解です!」 彼はグリストルにそう言いつつ、愛機の旋回速度を更に緩めていき、機首が方位320度方向、北西の方角に向いた所で、旋回を止めた。 「機長、下界の様子はどうなっています?」 「ちょっと待ってくれ。」 シェパードは、機内電話で見張りを呼び出した。 「そっちはどうなっている?下界の方は異常なしか?」 「いえ、異常は見られません!」 「わかった……レーダー手、どうやら、異常は見られない様だぞ。」 「異常なし、ですか……おかしいな。」 レーダー手の納得がいかなさそうな言葉を聞いたシェパードは、しばし考えた後、操縦席から離れる事にした。 「すまんが、少しだけ席を離れる。任せたぞ。」 「わかりました。」 シェパードは操縦席から離れ、レーダー手のいる後部キャビンに移動した。 「ニコライ、何か異常があったのか?」 彼は、レーダースコープと睨めっこをしている、ロシア系アメリカ人のニコライ・ブジョンルフ曹長に話し掛けた。 「機長、これを見て下さい。」 ブジョンルフ曹長は、小さなレーダースコープの一点を指差した。 B-29に機上レーダーが搭載され始めたのは、44年の6月からである。 B-29用の機上レーダーとして最初に採用されたAN/APQ13レーダーはベルテーホン研究所と、マサチューセッツ工科大学が共同で 開発した物で、アメリカ軍爆撃航空団は、昨年の7月からシホールアンル本土並びに、マオンド本土への夜間爆撃が可能となった。 シェパードのF-13にも機上レーダーが搭載されたが、それは、いつものAN/APQ13ではなく、最新型のAN/APQ7であった。 AN/APQ7は、全方位が探索可能なAN/APQ13に対して、機首側の60度の方向しか探知範囲が設定されていなかったが、その代わり、 レーダースコープには、AN/APQ13の表示機よりも、明瞭な画像を映し出す事が出来た。 また、洋上観測にも使用できるため、以前の機上レーダーよりも部分的な性能は上がっていた。 AN/APQ7はまだ開発中であり、シェパード機に搭載されたレーダーはその試作型であるが、基地にやって来た技術者が言うには、AN/APQ7 の開発はほぼ大詰めを迎えており、後はこの試作機の結果如何で、早期生産が可能かどうか決まるとの事だ。 その新兵器を、早速使いこなしているベテランレーダー手が見つけた異変を、シェパードはこの目で見る事が出来た。 「先程、見張りは雲の様子に異常は無いと伝えていましたが、前方20マイル付近の雲の映像が、他の部分の物と比べて、明らかに色合いが違います。 このレーダーは、雲の様子を明確にとらえるようには作られていないので分かり辛いですが、それでも、この部分と、この部分の色合いの違いは分かります。」 「なんか、薄く感じるな。ニコライ、君は、これが何だと思うかね?」 「はい。恐らく、この部分の雲は、厚みが違うのではないでしょうか?」 「厚みが違うか……」 「エコーが小さいと言う事は、この部分の雲量は余り多くないと言う事になります。」 「……もうしばらく、機を進めてみよう。」 彼はそう言ってから、グリストルにこのまま進めと指示を送った。 それから5分後、レーダー上の雲の様子は、一目で分かるまでに変化していた。 「やはり、この部分からの雲量が明らかに少なくなっています。それに、スコープの端からは、雲と呼べるような物は無くなっています。」 「……となると、ここから先は……」 シェパードが言おうとしていた言葉を、先に爆撃手席に座っている部下が声高に発した。 「機長!前方に雲の切れ目が見えます!」 「何?ちょっと待ってくれ。俺もそっちに行く。」 彼は、爆撃手からの報告を受け取るや、早足で機首の爆撃手席に移動した。 「どうした?」 「機長、あそこを見て下さい。凄いですよ。」 シェパードは爆撃手から双眼鏡を渡され、風防ガラス越しに遠くの洋上を見つめた。 レスタン領を全体的に覆っている雲は、大体が5000メートル前後の高さに位置している。 シェパード機は高度9000メートルから、この雲を見下ろしている形になっている。 双眼鏡越しに見えたそれは、まさに壮大の一言に尽きた。 「なんてこった……雲が綺麗に割れてやがる。ここから20マイル程先には、雪を降らしている雲が割れて、海側に向かっているから、あそこからは 晴れ間が広がっている事になるな。」 「機長……確か、気象班の予報では、最低でも3日、長くても4日は雪が吹雪と言っていましたね。」 「そうだったな……だが、この距離と、常時10マイル程度の速力で動いているこの雲なら……」 シェパードは、脳裏にある部隊を思い出した。 マーケット・ガーデン作戦が始まって以来、一度も活躍の機会を与えられていなかったその部隊は、地上部隊の戦果が届くたびに、切歯扼腕していたと 聞いている。 彼らにしてみれば、まさに、千載一遇のチャンスが訪れようとしているのだ。 「レスタン領は1日程で、見事な冬晴れになる。通信手!至急司令部に例の言葉を報告しろ!」 「わかりました!」 午前8時40分 F-13は、1通の電文を司令部に送った。 その通信文が、北大陸派遣軍総司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将の下に届いたのは、それから4分後の事であった。
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← アナムネシスの飛ばす剣は緩いがホーミング機能もある。 なのでアウトレンジからでも当たると思っていたし隙もあったが、 あっさりと避けられ、残った一人も即座に降りてくるとは思わなかった。 もう一人が階段を律儀に使ってたので代行者程の強さはないと、 勝手に思い込んだことを軽く反省しておく。 「刀……誰と戦ったの?」 刀剣を持つ人物の心当たりは多い。 もしかしたら母の美奈都の可能性もある。 絶鬼とは早くも出会えたと言うのもあって、 まさかとは少し思ってしまう。 「クリーム色の制服を着た銀髪の子よ。 貴女よりも小柄な子で、とても素早かったわね。」 「!」 母と仲間の死の連鎖の中、 漸くだが知り合いの情報が手に入った。 その条件であれば、間違いなく沙耶香になる。 放送で呼ばれてないのを見るに彼女が生きてることも分かるし、 御刀を持っていることも把握できて安堵の息を吐く。 「お友達の情報料として聞くけど、 貴女は幡田零って子を見なかったかしら? その子と同じ銀色の髪をした女の子だけど。」 「知らない。もし知ってても私は教えられないよ。」 会話の内容から絶鬼同様、乗った側の存在。 敵対する幡田零がどのような人物かは知らないが、 少なくとも襲ってくる以上彼女が敵であることは変わらない。 「あら、そう。じゃあ貴女に聞くことは何もないわ。」 アナムネシスとしてはこれだけ多くの参加者が短時間で減った。 つまり、魂を集められる総量が減っているということに他ならない。 アーナスによって阻まれたこともあって誰一人として殺せていない現状、 そろそろ一人ぐらいはと考えているが、同時に引っ掛かるところがある。 恵羽千。知らない名前だが、何故だか引っかかった。 だが既に彼女は何処かで死んだ。今となっては考える意味はないと振り払う。 「悲劇の開園としましょう。」 赤黒い魔法陣を足元に展開し、紫の剣を大量に飛ばす。 軽いとは言えホーミングする剣であるため生き物のように迫るが、 可奈美は逃げるを選ばない。肉薄して、当たりそうな攻撃だけを弾きながら迫る。 (冷静に対処すれば!) 代行者の力で底上げされた零が走ってれば当たることはない攻撃を、 御刀が違うため力が落ちてると言えども、刀使が避けれぬわけではない。 多数飛び交う剣の弾幕ではあるもののアナムネシスの後方で一度広がる都合、 攻撃のラグがある。軌道を読むことは二度しか目にせずともそこまで難しくなかった。 軌道から逸れた剣は放置し、残った奴を御刀で弾いてからの肉薄。 「ッ!」 首を狙える間合いに入るがワープで後方へと移動。 太刀筋が零たちと違い洗練されていて当たるかと思ったものの、 僅かながらの隙によって攻撃の手が止まって成立はしない。 アナムネシスが疑問に思っていると、すぐさま距離を詰めにかかる可奈美。 (……まさかと思うけど、この子。) 気にはなりながらも迎撃の為、 周囲の地面から紫色の槍が天を衝く。 写シがあれどまだ剥がされるわけにはいかない。 すぐさまバックステップで距離を取るも、 転移からアナムネシスの姿が消える。 「そこッ!」 すぐさま背後を警戒しながら振り返り、 振り向きざまに孫六兼元とメガリスロッドがぶつかり合う。 所謂鍔ぜり合いに、耳障りな音と火花が散っていく。 「貴女、ひょっとしてそんなものを持ちながら人を殺せないのかしら。」 (流石に気づかれるよね……!) 零や小衣と、彼女は数々の恨みを買っている。 だから殺意と言う物にもある程度の理解があるが、 可奈美からは二人のような殺意を余り感じなかった。 一人殺せば二人目も同じこと、なんて可奈美は考えない。 吹き飛ばすかのような勢いで押し返し、空中から黒紫の刃が生成され可奈美を狙う。 押し返された反動を利用して距離を取ることで難なく回避から肉薄するも、 今度はアナムネシスはノーガードの構えに思わずブレーキをかけてしまう。 動きが止まった瞬間を、アナムネシスは手を薙ぎ払って吹き飛ばす。 「アグッ!」 女性の薙ぎ払いとしては余りに威力が違うそれに、 地面を数度転がりながら勢いで立ち上がり、すぐさま距離を取る。 彼女が転がっていた場所は剣が何本も突き刺さっており、 復帰していなければかなり危うかったことが察せられる。 そのまま迅移で迫るが、またしても相手は回避行動をとらず、 自分から攻撃を当てないようにと距離を離してしまう。 「随分甘いのね。貴女のお友達は遠慮がなかったけど。」 絶鬼と言う親友の仇の存在に加え、 それに伴う呪蝕の骸槍の干渉がなくなった今、 残念ながら絶鬼の時ほどの苛烈な行動力は彼女にはなかった。 ロックやフェザーと、異能に近しいものを使った仲間を見た影響もあり、 幽鬼と知らない以上は彼女の視点からアナムネシスは人にしか見えない。 嘗ての姫和であったならば此処は迷わず斬れていたのだろうが、 彼女の剣は人を殺す為のものではなく荒魂を祓う為のもの。 その考えが、本来卓越した刀使の刃を鈍らせている。 「まあいいわ。その方が都合がいいもの。」 行動不能に追い込むにしても、これだけ特異な力を有してる相手を、 どのような手段で拘束すれば大丈夫か? 普通に無理だ。斬る以外の選択肢はない。 いつまでも迷い続ければ大事なものを取りこぼす。優しさと甘さは違う。 迷いに迷った剣なんて、魂のこもってない剣と同じ。何も斬れやしない。 『焦燥に駆られている……顔にそう書いてあるぞ。』 白服の男、名前は知らないがカインにも言われていた。 あの時は姫和のことではあったが、また言われたような気がしてならない。 いや、寧ろ舞衣達の死もあって余計にその刃に迷いがあるのだろうと。 (迷ってるなら───) 一度距離を取りながら、可奈美は別の刃を手にする。 孫六兼元を手にしてからは抜くことをしなかったもう一つの剣を。 「二刀流?」 しかし、可奈美が取ったのは攻めの行動ではなく、 その手にした刃を使って、自分の右手首を斬りつける。 彼女の肌を裂いて、軽い出血を起こす。 「ッ……こ、これ切れ味悪いのかな。すごく痛い。」 写シをやめてからした都合ダメージは伝わってる。 顔をしかめてる様子に震えた声からそれなりの痛みのようだ。 「貴女、何をしているの?」 突然の自傷行為。 思いもよらぬ行動を前に、 攻め時であるはずの状況で尋ねてしまう。 その間に、可奈美も包帯で簡素に止血をしておく。 「戒め、みたいなものかな。」 「戒め?」 「迷った剣じゃ、何も守れないから。」 白楼剣は迷いを絶つ剣。 その言葉を信じて自分を斬りつけた。 斬った後は心なしか身体が軽く感じる。 プラシーボ効果かどうかは定かではない。 魂魄家の者のみがその力を行使できるが、 その理由も定義も何もかもが定かではない為、 この殺し合いにおいてその権能が発揮してるかも不明。 だが、いつまでも躊躇い続ける自分には大事な一歩となるだろうと。 白楼剣を鞘へと収めながら、再び孫六兼元を両手に握りしめる。 刀使としての意志を貫き続けることよりも、仲間の為に彼女は戦う。 「私は迷わない。戦うべき相手だったら、真っすぐに刃を振るうよ!」 「……不快ね、今の刀。」 白楼剣は人間に対しては酷いなまくら刀に過ぎないが、 幽霊を斬れば幽霊の迷いを絶つ、即ち成仏させる効果がある。 幽鬼であるアナムネシスにとっては下手をすれば最悪即死する天敵に等しい存在。 直感に近いがその刀に対して嫌悪感が強まりながら剣の弾幕を飛ばしていく。 大量に展開された攻撃の波が可奈美へと押し寄せていく。 「行くよ、舞衣ちゃん!」 絶鬼の時のように舞衣は答えないが、 孫六兼元は彼女の御刀であり彼女の形見。 だから彼女と共にあると写シを張りながら迅移。 今度は無数に迫った攻撃を機敏に躱していき、 狙いがしっかり定まった攻撃も丁寧に弾かれる。 迷いを絶ったから、とでも言わんばかりに。 (彼女程ではないけど、少なくともさっきより動きがいい。) そのまま低い姿勢で接近されてからの逆袈裟の切り上げ。 先程よりもはるかに洗練された動きによって回避が僅かに遅れ、 ゴシックな服に切れ目と赤い筋を刻むことに成功する、 軽傷ではあるが、少なくとも今までとは違うことへの証左となる。 「でも駄目ね。」 バックステップと同時に再びホーミング機能を持った剣の弾幕。 さっきまでは普段通りだったが、今度はメガリスロッドを掲げての攻撃。 弾幕の数は先程よりも増加した攻撃に可奈美も横へ飛ぶように走りつつ、 追いつかれたものについては弾くも、大半が彼女の写シを僅かにでも削っていく。 「クッ!」 迷いを絶ったところで限度はあった。 どうあがいても埋めようがない差と言う物はある。 単純な話、彼女が持っている御刀が千鳥ではないから。 沙耶香は自分の御刀である妙法村正を用いて戦って、 それでもなおアナムネシスを制することはできなかった。 沙耶香は本来の未来でタギツヒメとの戦いで舞衣、薫、エレンが脱落する中、 可奈美と姫和の二人に途中までと言えども一人だけ残れた程の迅移の使い手。 御刀が千鳥ではないことで力が落ちている状態にある可奈美が、 全力の沙耶香を超えてアナムネシスに勝てるわけがない。 しかもメガリスロッドと言う沙耶香の時以上の武装もしている。 写シを剥がされてないお陰で致命傷は避けてはいるものの、 どうあがいても時間の問題だ。ロックの言ったように逃げて同士討ちも、 失敗すれば敵が増えた状態で追い詰められるだけになりかねない。 (距離を離すわけにはいかないけど、近づけない!) 近くの塀を文字通りの壁にして移動しつつ、なるべくやり過ごしていく。 だがすぐに壁は砕かれていき、貫通してきた剣を弾き飛ばす。 ギリギリ戦いとして成立させることができてるのは可奈美の観察眼、 その場その場で戦術を組み立てることができる柳生新陰流の特徴、 これらを成立させる彼女の優れた能力と言う、殆ど自力によるもの。 成立と言っても、数字で言えばどれだけ贔屓目で見たとしても八対二、 詰みに等しい相手であることには変わりはなかった。 「まだ、やれるよ!」 だからどうしたと言うのか。 此処で自分が逃げればロック達はどうなる。 無理だとか無駄だとか、そういうことは関係ない。 ないものねだりをしてる場合ではない。今ある最大戦力で、 彼女を倒す、或いは食い止める以外に勝つことはできない。 今にも剥がれそうな写シであっても後退をせずに思いっきり接近する。 (捨て身の動き、少し気をつけた方がいいかしら。) アナムネシスの基本戦術は設置や飛び道具と言った、 オーソドックスなアウトレンジからの射撃が基本だ。 近づかれなければどうと言うことはないもののの、 近づかれたら痛い目を見るのは零達との戦いで経験している。 相手がいくら沙耶香以下の実力だとしても油断してれば、 先ほどのよりも痛い目を見る可能性だって否定できない。 間合いに入った瞬間に逃げるように距離を取り、再び弾幕。 それをいなしながら、再び距離を詰めると言う変わらない展開。 変わりがあるなら可奈美の写シが段々と剥がれているぐらいだろうか。 「お友達もだけど、傷が傷になってないのはどういうことかしらね!」 かすり傷でも軽く十数回は当てたのに出血らしい出血がなかった。 あるなら肩の傷だが、それは修平達のもので彼女によるものではない。 さっきから視覚的なダメージが感じられないのは厄介と。 「こっちも同じだよ! 教えられない!」 余裕そうな笑みを浮かべながら迫っているが、殆どやせ我慢だ。 傷はなくとも痛みはある程度は伴うし、写シの性能も劣化している。 じわじわと消耗していることに変わりはない。 「別にいいわ。限度があることは知ってるから。」 ダメージが常に通らないのであれば、 沙耶香に傷がつくことは絶対になかった。 その隙を狙って一撃をくれてやればいい。 「はあああああッ!」 最後の剣を弾いて、訪れた刀の間合い。 この瞬間で仕留めなければならない。その意志を以って刃を振るう。 此処からの回避に合わせた行動も脳内でシュミレートしており、 十全にできるかどうかはともかくとして、ある程度の対応を考える。 「愚かね。」 だが此処でワープによる転移をせず、 アナムネシスがまだ一度も見せてなかった、 千の投影散華を彷彿とさせる周囲に剣の展開。 突如として出てきたそれに対応が遅れ、胴体を貫かれる。 刺さったまま写シを解除してしまうと傷は残ってしまう。 すぐさま距離を取って大事には至らなかったが写シが剥がれ、 膝ががくりと地についてしまい、疲労も襲ってくる。 「もう限界かしら。」 沙耶香よりも負傷は軽いが、息を荒げて身体も震えている。 かなり無理をしていることが手に取るように分かった。 可奈美には現状打開できる手段は存在しない。 刀使としての戦い方も力不足で通じても限度はある。 可奈美の敗北は、確実なものにしかならなかった。 「ま、まだ……!」 歯を食いしばり、震えながら可奈美は立ち上がる。 写シを再度張れるようになるにはまだ時間がかかる。 だから此処からは当たること自体が許されない戦いだ。 さっきのような写シに物を言わせてのごり押しはできない。 でも、どうやってそれで戦うのか。あらゆる型へと至れる、 無形の位の構えを取りながらできうる限りの対策を考えこむ。 「仲間の所へ逃げるべきじゃないの、此処は。 そうすれば、私も追わないかもしれないけれど。」 そうは言うが、遠くから聞こえる戦火の音色。 気にする余裕はなかったがひろしの悲鳴もあった。 ロックか都古か、あるいは両方はまだ戦ってるとみていい。 そんな選択肢をすればどうなるかなど、最早考えるまでもなかった。 「じゃあ、さようなら。」 とどめを刺さんとメガリスロッドを空へを掲げ、 「ッ!?」 背中に届いた僅かな痛みに攻撃の手を止めざるを得ない。 痛みの原因となる背中に突き刺さったものを引き抜きながら、それを握りつぶす。 下手人の姿を見ずとも、それが誰のものか即座に分かった。 突き刺さっているのは───翼のような矢なのだから。 「ッ……ニアミスってこういうことを言うのね───」 ギリッ歯に力を籠め、苛立った様子が伺える。 可奈美の反対側に立つのは精錬だからの白ではなく、乾ききった白き代行者。 天の使いとも思えそうなその姿には余りに似合わぬ暗い表情。 暗い表情の中に灯るのは、情熱的な敵意と憎悪の眼差し。 「───幡田零ッ!!」 あれからずっと逃げるように零は走り続けていた。 その最中、放送で彼女の名前を知る者は少なくとも三名が告げられた。 一人は最初に出会った名前も知らない男、修平が告げた名前と同じ琴美。 彼女についてはわからない。善良な彼女であることは確かなので、 騙されたりしたか、それとも理不尽に抗おうとして散っていったのか。 分かることは一つ。彼女が亡くなった今や彼は明確に乗るだろう。 同じ理由で伯爵の為なら遠慮はしないだろう、マネーラも同じことだ。 「千さん……」 恵羽千。 自分の信じる正義のために、戦い続けた先の結果なのだろうと察しが付く。 共に戦った仲間が死んだにしては/懸念してたことが杞憂に終わったにしては、 妹が狙われず心のどこかで何処か安心感を/ひどく胸に痛みを感じていた。 涙は流れない。流したくても流れないかもしれないが、 それが単純にひび割れた器だからか、冷たくなったのか。 どちらにせよ、そんな風に考えてしまう自分を嫌悪したくなる。 招かれた時期の都合、元来の人間性すらすり減りつつある中で、 まだそう言った感情が残ってることが救いなのは皮肉だろうか。 (……) それだけでは終わらない。 名簿には死者が取り除かれた、 生存者だけの名簿も追加されていてを見ながら零は思う。 名前を呼ばれなかったからこそ分かることもある。 あかり達の善良な人間から、トッペイ等の危険な存在。 様々な生存者がいることも分かるが、さほど重要ではない。 幡田みらいはまだ生きているのだと。 喜ばしいことだが、緑郎が蒔いた悪意の種を成長させる材料になる。 彼女が生きてるのは、誰かに守られてるから無事なのではなく、 幽鬼だから身を守ることが自分自身でできているのではないかと。 不安は何処までも大きくなっていく。 真実はどうなのか。知りたいようで知りたくない。 たとえ幽鬼であってもみらいをヨミガエリさせる目的は変わらないが、 知ってしまったとき、今でさえ不安定なのに正気でいられる自信はない。 (───誰かが戦ってる?) 逃げてる途中、病院から轟音に気付き向かってるその途中。 別の音を聞き駆けつけた場所。そこに立ってるのは、忘れるはずのない存在。 距離があったのもあって剣は使えなかったが、迷わずその背へと翼の弾丸を叩き込んだ。 「まさか、最初に会えた知り合いがあなたとは思いませんでした……アナムネシスッ!!」 全ての元凶。 辺獄を駆け抜けることとなった発端。 妹を『殺させた』相手を前に、涙は流れなくなった心でも感情は動く。 「意外と控えめな攻撃をしたのね。 貴女なら遠慮せず撃ってたはずだけど、 今更になって他人を思いやる気でも起きたの?」 アナムネシスの言う通り、 妹を狙う諸悪の根源と認識してる零にとって、 彼女相手ならばもっと、無差別に攻撃してもいいものだ。 出来なかったのは彼女と敵対してる可奈美が射線にいたからか。 本来なら巻き添えでも連射するべきところだったが、できなかった。 敵対してるのであれば高確率で彼女はあかり達と同じ殺し合いに抗う側。 彼女達の存在がチラついてしまい、それに躊躇いが生じていた。 出会わなければ、きっと躊躇せず巻き添えにしていたはずなのに。 「彼女に利用価値があるから? おおよそ、妹の為の贄でしょう?」 「貴女に言われたくありません。」 妹に拘っていた彼女が、 妹を生かすための行動なのは察する。 みらいを殺させた奴にだけは言われたくない。 黙らせるように一気に迫って思装とは別の武器、オチェアーノの剣を振るう。 シンプルな攻撃であったために、近くの家屋の屋根へ転移して特にダメージはない。 「協力してください。」 後で敵対するであろう相手と関わるのは本意ではないが、 彼女を一人で倒すのは至難なのは痛いほどわかっていること。 素直に可奈美へと駆け寄って共闘を持ちかけることにする。 「うん、分かった。でも私はあんまり役に立てないかも。」 弱気になってると言うよりは、率直な感想。 本来の刀使の力が引き出せない現状を考えれば、 常人なら容易な存在でも荒魂のような超常的な存在には分が悪い。 諦めない前向きなのが可奈美だが、だからと言って何も見えてない無謀に非ず。 「……分かりました。それなら、合間合間のサポートをお願いします。」 「それなら任せて。私衛藤可奈美。幡田さんでいいんだよね?」 「は、はい。」 小衣とは違うが暗さを感じさせないその物言いは、 少しばかり自分のペースを崩される感じがして反応に困る。 即座に気持ちを切り替え、屋根にいるアナムネシスへと翼の弾丸を放つ。 先ほどのフェザーエッジと違い弾丸は一発だけのネイルフェザー。 とは言え相手はアナムネシス。背後で隙があったならまだしも、 正面から攻撃しては容易く弾かれてしまう。 「そこっ!」 弾丸と共に屋根へと移動した可奈美による袈裟斬り。 弾いた際の勢いのまま得物を振るって迎撃するも、 御刀を挟まれて軽く後退するだけに留まり、屋根からも落ちない。 「無駄よ。貴女じゃ敵にもならな───」 「風よ、逆巻け!」 地面からの竜巻に、空へと打ち上げられるアナムネシス。 可奈美に注視した隙をついて、零が竜巻を彼女の足元に発生させていた。 勿論可奈美とは初めて共闘するので連携も何もないのだが、 代行者に近しい速度で動く以外は基本が刀一辺倒であり、 その点は千に近い連携の取り方をすることで割と馴染む。 空中を舞うアナムネシスにはこうなることを知った零だけが追走。 アナムネシスを超えて空からオチェアーノの剣を振り下ろす。 「揃いも揃って、不愉快な武器ばかり使うわね!!」 邪悪な魂を葬ると言われているオチェアーノの剣もまた、 ある種の天敵であり揃って気分を害する武器に顔をしかめる。 アイマスクをした状態なので、表情など分かるはずもないが。 打ち上げられたもののすぐに姿勢を整えて攻撃を防ぎ、 反動を利用してそのまま地上へと降りれば着地点を予測して、 既に移動していた可奈美の右薙ぎがお見舞いされるがこれも防ぐ。 続けざまの逆袈裟をステップで回避、そのまま踏み込んでの袈裟斬りを、 地面から柱のような刃を出すことで躊躇わせる。 「ハァッ!」 宙からの零による一撃をもう一度防ぐが、 今度は地面にいる都合、反動で身動きが僅かに鈍る。 そこへすかさず可奈美が肉薄するも、所詮は僅かな隙。 劣化した迅移では先に後ろへと転移して逃げられてしまう。 またしても攻撃は空振りに終わる───と思われていたが。 「!」 移動ではなく転移、それはいわば消えたに等しい。 だからどの位置へ移動してるのを視覚で判断は至難。 故に、アナムネシスは驚かざるを得なかった。 (当たった!) 何故、転移した場所の近くに可奈美がいるのか。 彼女にとってもアナムネシスの正確な転移の場所を確定はできない。 残念ながら龍眼は持ってないし、持ってても劣化しては難しいだろう。 ただ、全体的に彼女はアウトレンジから飛び道具を使っての戦術が強く、 そうなれば必然的に自分が把握してる位置、後方への転移を選ぶのではないか。 若干、と言うよりかなり分が悪い賭けではあったものの、その考えは運よく成功する。 ……もっとも、アナムネシスは先程背後から撃たれると言う失態を犯した。 飛び道具が当たりやすい高所を陣取ってしまうのを忌避していたという、 偶然ながらも背後のみを重視したのには一応の理由があったりはする。 唯一例外は、前後に敵がいた零の二度目の攻撃の時だけだ。 若干の予想の位置をずれていたが、それでも脇腹目掛けた突きを狙う。 「それで勝ち誇るの?」 しかし可奈美は知っているはずだ。周囲に剣を展開する攻撃を。 どれだけ近づいたところで、距離を否応なく離されてしまう。 アナムネシスは近づいたら近づいたで厄介な手を使ってくる。 しかもまだ写シはできてない。当たれば負傷を免れない。 「な!?」 姿勢を極めて低くすることで、頭部を掠め髪を散らすだけに留まる。 彼女の流派は柳生新陰流だが、何よりも超がつく程の剣術オタクだ。 大抵の流派に精通しており、故にそれ以外の動きもやろうと思えばできる。 この低い姿勢から放たれるのは、以前可奈美が戦った燕結芽が使った三段突き。 怒涛の突きがアナムネシスへと襲い掛かる。 「グッ、アッ!」 転移から無理矢理バックステップをしたことで、 切っ先が喉、胸、腹に軽く刺さった程度で済まされる。 流石の彼女も冷や汗ものであったが、なんとかしのいだ。 今ので仕留めきれなかったことは可奈美達には厄介なことだった。 あんな不意打ち、そう何度も通用するものではない。 千載一遇とも言えるチャンスを逃してしまう。 「……彼女が死んだから次はこの子を利用する。 妹の為に、本当になりふり構ってられないのね。」 痛みが走る喉に手を当てながら軽く愚痴を零す。 代行者ではない少女に縋ってまで妹の為とは、 随分健気なものであり、同時に不愉快極まりない。 「そういえば、まだ聞いてませんでしたね。」 「? 何かしら。」 「アナムネシス。なんで───私とみらいを辺獄に引きずり込んだの?」 未だにわかっていないことだ。 何故、彼女はそこまで妹と自分に執着するのか。 魂を集めるだけならば誰でもよかったにしては、 明らかに執着が過ぎる。もはや執念と言ってもいい。 「貴女、記憶力も悪いの? 私の記憶の欠損でもあるまいし。」 零はセレマを亡くしたばかりの時間軸から招かれている。 だから、アナムネシスのいた時間軸でされた同じ問答をした。 同じ質問を受けている。故にその内容に少し呆れ気味だ。 元の世界では、その辺についてはあやふやにされた答え。 「さっき会った幡田みらいと言い、 人をイラつかせるのが姉妹揃って得意なようね。」 だが此処ではそうではない。 此処は辺獄は辺獄でも、殺し合いの舞台だ。 完全に同じ道を辿ることなんてことはあり得ないのだから。 「……!? 今、みらいって!」 みらいと会っていた。 此処で明確な情報を持った相手がいたことに驚く。 それが、まさかアナムネシスから告げられるとは思わなかったが。 「みらいと、会ったの!?」 「ええ。でも殺せなかったわ。 アーナスが人間を滅ぼす為に軍団を結成したから。 お互いに傘下に入れさせられて手出しできなかったわ。」 少しぐらいは問答に付き合ってあげようと、 アナムネシスは事の顛末を軽く説明する。 みらいや歩夢、紗夜のことも。 「よかった。みらいは無事で───」 「あの、ちょっと待って。」 安堵の息を吐いた零に対して、 少し戸惑ったような表情を可奈美はしている。 当然だ。妹の安否に安堵して彼女はスルーしたが、 聞き捨てならないものがあったから。 「その、アーナスさんって『人』を全員狙うんだよね。」 「ええそうよ。まずあなた達対象でしょうけど。」 「アナムネシス。貴女も『人』ではないってこと?」 「私は死者、幽鬼と言うべき存在であり、 人間と言う概念の埒外にあるわ。だから狙われずに済んだけど。」 丁寧に説明に受け答えする相手に、 少しばかり可奈美は戸惑うがそのまま話を進める。 この疑問を解消しなければならなかった。 「じゃあ───幡田さんの妹はどうやって生きたんですか?」 可奈美の一言に零がハッと我に返る。 どうやって、妹はそれをやり過ごしたのか。 考えれば当然のことを見落としてしまっていた。 「ゴメン、言い方が悪かったよね……話だけ聞けば、 歩夢さんは人間だったから殺されそうになったけど、 妹さんが何かして人間じゃなくなったから見過ごされた。 だったら、幡田さんの妹さんも狙われるはずだけど……」 そこから導き出される答え。 当然、そんなものは一つしかなかった。 みらいが人じゃない。人じゃないなら─── 「幽、鬼……?」 ロックに提示された最悪。 それが現実となってしまった。 「嘘、です。そんなものは貴女が捏造したもので!」 「事実よ。でなければ、なんで幡田みらいに執着した私が、 何もせずにこうしてそこから離脱してるか、分かるでしょう?」 「それは、きっと敵対してたアーナスさんを貶めるために……」 「話し合いなんて貴女とは本来なら成立しないのに、 態々私が嘘でカバーしたストーリーをあなたに聞かせる? これを言った大半の敵になる私が誰に信用されるのかしら。 貴女、記憶力どころか頭の方も大分壊れてきてるんじゃないの?」 もしこれが嘘だとしたなら。 なんでそんな嘘をつかねばならないのか。 嘘にしたって詳細が余りにも事細かすぎるし、 アーナスがみらいを保護する側だったとしても、 なぜアナムネシスはろくな傷を負ってないのか。 あれほどみらいに執着して戦わないを簡単に選ばない。 もっと怪我をしていてもおかしくないが、彼女の傷はかなり浅いものだ。 しかもそれらは可奈美が傷をつけたものであり、アーナスではない。 嘘と断じたが逆だ。もう答えなど出ている。信じたくないだけ。 「あの時は黙っていたけど、特別に今答えてあげるわ。 幡田みらいは───私が幽鬼になるきっかけとなった『幽鬼の姫』よ。」 揺るがぬ真実なのだから。 本来ならば真理念(アルセイヤ)を経て繰り返し、 漸くその解へと至る答えを明かされた。 準備も、覚悟も、過程を飛ばした上にひび割れた涙の器で。 落涙することすら許されない少女には、早すぎるその事実を。 「幽鬼の、姫?」 零はそのワードは知らない。 でも音だけで察することはできる。 ただの幽鬼ではない、上位の幽鬼だと。 「幡田みらいは既にヨミガエリしているのよ。 私が死ぬきっかけとなった事故も利用してね。 その時で唯一生き残って……いいえ、死んでるからおかしいか。 唯一狩られることなく生き延びて、こうして幽鬼になったのが私。」 「嘘……だって、そんな記憶どこにも!」 「記憶の改竄。貴女も理解してるはずでしょう? ヨミガエリは逆のことも起きる。自然に記憶が上書きされるの。 貴女の妹は何かで亡くなっても、その事実がなかったことにされてるわ。」 友人、学校、どこに電話してもみらいの存在が消されていた。 何がどうすればそんなことになるのかは皆目見当もつかないが、 少なくとも幡田みらいが生きていた痕跡が消えたことは知っている。 元に戻った場合、その記憶も元に戻るなどどうやってかなど分からない。 「だからあなたは違和感を持たなかった。 自分の妹が一度死んで、ヨミガエリで復活してるのを。 もう一度言うわ幡田零。私は貴方の妹に殺されてこうなったの。 貴女は私を妹を殺した元凶として許さないと思っているのなら、 私が幡田みらいを憎む理由も、分からないとは言わせないわ。」 「そんなの、私を惑わす為の嘘で……」 幽鬼である可能性はまだ構わなかった。 でもアナムネシスが狙う原因は、みらいに殺されたからによる復讐。 もしそれを否定をするなら、自分がアナムネシスを倒す理由も否定される。 いや、みらいが幽鬼の姫であればあれで死んでない可能性だって出てくる。 嘘と断じなければ、自分が幽鬼を狩り続けたことに対する行為すら正当化できない。 正当化できない、と思っている時点で彼女の精神状態がどうなのか伺えるだろう。 セレマに再会することはなく、ヘラクレイトスが語り掛けてない零の精神で、 この考えを短い時間で振り切ることなど、到底できるはずがない。 「じゃあ答えを教えてもらえる? 一体どこが嘘で、どこが本当なのか。 貴女にとって都合のいい理由を答えてもらえる? 自分を正当化する為の、都合のいい耳障りのいい言葉で。」 返せるわけがなかった。 ただでさえまともに考えがまとまってないのに、 立て続けにくる情報量を今の状態で纏められるものか。 何よりも、みらいが姫と呼ばれるほどの幽鬼に至ってる。 下手をすれば、自分やアナムネシスを超える程に狩ってる筈だ。 その事実を否定できず、膝を折ってしまう。 「答えを知りたいなら妹に会わせてあげるわ。 但し、五体満足は望まない。彼女の目の前で惨たらしく殺すから。」 さっきまでの戦いがとんだ茶番に感じた。 最初からこうすればよかったかなんて思いながら 戦意喪失した彼女へと杖を向けるも、 その間に可奈美が立ちはだかる。 「邪魔をしないで頂戴。」 「ゴメン、できない。」 「あなたにとって都合がいいはずよ? 彼女は自分の妹の為に人の魂を踏み躙ってきたの。 此処でも屍を築いて妹の供物として捧げていくの。 酷く歪んだ姉妹愛よ。彼女は最終的に貴方の敵のはず。 しかも妹もろくでもない存在。守る理由がどこにあるの?」 否定しようにも余り出来たものではなかった。 零とは今であったばかりで、殆ど事情を知らないから。 「今退いてくれるなら特別に、今だけは病院から手を引くわ。 貴女の病院の仲間にも手を出さない。今手を引かせれば、 そっちは準備したうえで戦いを挑る。それなら私にだって……」 「器用じゃない人を知ってるから。」 だから甘言を一切聞くことはなく、 率直に今思ってることを述べる。 「本当はいい人なんだけど、 一人で何でも抱え込んじゃう人を、私は知ってる。」 逃避行を続けていたあの時に語られた、 母の無念を晴らすと言う私怨だけに御刀を手にした姫和の決意の重さ。 零も同じで、背負うものが複雑でとても重く、誰に頼れるものでもないこと。 そのことだけはなんとなく程度だが分かった気がする。 「だから、幡田さんもそういう人だと思うの。 妹さんの為に、周りが見えなくなっちゃって。 周りに自分の重いものを半分持ってくれる人がいなくて。」 厳密には頼れる人はいるにはいた。 千、小衣、それとちょっと違う気もするが777と。 だがこのころの零は、頼ると言うよりは利用するに等しい行為だが。 「私の友達に似ているんだ。私はその子の半分を持つって決めたから。 幡田さんのは半分も持てないかもしれないけど、少なくとも見捨てるのは絶対にできない。」 此処で放っておくわけにはいかない。 後戻りできない道を一人で歩み続けている。 この子は、皆と出会わなかった十条姫和だから。 「……それでどうするの? 彼女は戦意喪失、 さっきのは殆どまぐれみたいなもので次はないわ。 あなた一人では私に勝てない。その愚かな考え、直ぐに手折ってあげるわ。」 そうは言うがアナムネシスの言う通りだ。 状況は悪い。しかも零を庇いながら戦うことは厳しいと言わざるを得ない。 後方の病院では闘いも続いている轟音が此方にまで届いており激戦の最中。 戦闘再開の合図を待たんとするかのように二人は構える。 合図はあった。 だが、二人は動くに動けなかった。 再開のゴングには、余りに大きすぎるほどの轟音。 再開のゴングには、余りに存在感のありすぎる衝撃が。 三人がいる場所の近くの家屋に、凄まじい威力で何かが飛んできた。 →