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このSSは、 ゆっくりいじめ系2954 野菜の生え方について本気出して叩き込んでみた 前 ゆっくりいじめ系2966 野菜の生え方について本気出して叩き込んでみた 後の続きです。 未読の方は、そちらを先にお読み下さい。 また、厨性能ゆっくりがでます。ご注意下さい。 ぱちゅりーは、とってもゆっくりしていた。 優しいおかーさんぱちゅりー。かっこいいおとーさんまりさ。 そして仲のいい姉妹達に囲まれ、森の中でゆっくりと暮らしていた。 ある日、おとーさんがこう言った。 「にんげんさんのところに、おやさいさんをたべにいくよ!」 にんげんさん? おやさいさん? 初めて聞く言葉だった。 「むきゅ、おかーしゃん、にんげんしゃんってなに?」 「むきゅ......にんげんさんは、ゆっくりできないいきものよ。おやさいさんをひとりじめしてるの」 「おやしゃいしゃんって?」 「おやさいさんは、とってもゆっくりできるたべものよ。つちさんから、かってにはえてくるの。 でも、にんげんさんは『じぶんたちがそだてている』なんていって、ひとりじめしているのよ」 人間さんはゆっくりできない。お野菜さんはゆっくりできる。 「にんげんさんはれみりゃよりつよいから、みつからないように、 そろーりそろーりしのびこむのよ。むきゅ。わかった?」 「むきゅ! わかったわ!」 家族全員で、人間さんが独り占めしているお野菜さんの生える場所に忍び込む。 「「そろーり! そろーり!」」 「「「しょろーり! しょろーり!」」」 お野菜さんの前に着いた。お野菜さんは、赤くて小さな、おいしそうな実だった。 「むーちゃ、むーちゃ、ちあわちぇー!」 食べてみると、やはりおいしかった。こんなに甘くてゆっくりした物は初めて食べた。 家族も、みんな幸せそうに赤い実を食べていた。 「「しあわせー!!」」 「「ちあわちぇー!!」」 「こらぁっ!!」 突然、目の前にいたおとーさんが破裂した。 ぱちゅりーの顔に、餡子が飛び散った。 「むきゅうううう!!」 見上げると、れみりゃのように胴体を持ち、それでいてれみりゃよりずっと大きな生き物がいた。 「むきゅう! にんげんさんよ! みんなにげべへぇっ!!」 「おかーさああぁばっ!」 「たじゅげでべっ!」 人間さんが、みんなの頭の上に足を振り下ろす。 おかーさんも、おねーちゃんも、いもうとも、みんな次々に破裂した。残りはぱちゅりーだけになった。 「ったく、懲りないな、この野菜泥棒共!」 低くて大きな声。体がガタガタと震えた。こわい。人間さんは、本当にゆっくりできない。 目の前で、足が持ち上がって、ぱちゅりーの頭の上にも落ちてきて―― 「待って! お父さん!」 横合いから入った声に、振り下ろされかけた足がピタリと止まった。 「わぁ、これぱちゅりーじゃない! 私初めて見た」 向こうからもう1人、人間さんがやってきた。今度はかなり背が低く、声も柔らかい。 「やーん、かわいい。お父さん、この子家で飼おうよ!」 「おい、待て、だめだ。野菜を勝手にかじるような野良だぞ。 この前のゆっくりだって、家の中を暴れ回って、大変だったろうが」 「あれはまりさだもん。ぱちゅりーは大丈夫だよ、頭いいから」 そう言って、小さな人間さんはぱちゅりーを両のてのひらで包み込んだ。 「むきゅん! はなして! たしゅけて! おかーしゃん!」 「大丈夫よ。私はあんたにひどいことしないから」 「......むきゅう?」 優しい声。ぱちゅりーは、この人間さんは何だかゆっくりできると思った。 「ったく。じゃあ最後のチャンスだ。ちゃんとしつけするんだぞ」 「ありがとう、お父さん!......ぱちゅりー、今から私があんたのお姉さんよ」 こうして、少女とぱちゅりーの生活が始まった。 ぱちゅりーは、とってもゆっくりしていた。 優しいお姉さん。一日三回、必ずおいしいご飯を食べさせてくれる。 毎日3時になったら、あまあまさんも持ってきてくれる。 ぱちゅりーは、お姉さんから色々なことを教わった。 数の数え方や、文字の読み方、薬草の見分け方、ゆっくりできるおまじない。 「いい、薬草は野菜と同じように根っこがあって、その根っこの形が......」 お姉さんはゆっくり教えてくれるので、ぱちゅりーは全部理解することができた。 「やっぱりぱちゅりーは頭いいね!」と、頭をなでてくれるのが嬉しかった。 ぱちゅりーの楽しみは、お姉さんと一緒に雑誌やテレビを見ることだった。 「みてみてぱちゅりー! このきれいなウエディングドレス! あぁー、いいなあ! 私もいつか、こんな素敵な結婚式あげたいなあ!」 「......すごい、あれ、催眠術だって。うわ、何もないのにラーメンすすってるよ。さすがにやらせかなぁ、あれは」 何もかもが楽しかった。外で生活していたときよりずっと快適だった。 家の中にいれば、れみりゃに襲われる心配もない。 しかし、家にはゆっくりできない人間もいた。 ある日のこと。ぱちゅりーは玄関の脇に置いてあった段ボールの中をのぞき込んでみた。 そこには、昔食べたことのあるお野菜さんがぎっしり詰まっていた。 小さくて、赤くて、甘くて、おいしい実。 ぱちゅりーはつい、それに飛びついてしまった。 次の瞬間、ぱちゅりーは吹っ飛ばされていた。廊下をごろごろと転がっていく。 「きゃあああああ!! 何するの、お父さん!」 「うるさい! お前、しつけちゃんとしてるのか!? また野菜に手を出したぞ!」 「ち、ちゃんと言っといたよ! お野菜さんは食べちゃダメって......」 「現に手を出してるだろ! 商品に傷を付けるようなゆっくりは、うちには絶対に置いておけんぞ!」 「......」 「いいか、次はないぞ。脳の随まで叩き込んでおけ」 お姉さんの部屋に戻っても、ぱちゅりーは目眩が収まらなかった。 「むきゅ......あのおじさんは、ゆっくりできないわ......」 「......ねえぱちゅりー。うちのお父さんが育てたお野菜は、食べちゃダメよ」 「むきゅう! あのおじさんは、おやさいさんをそだててなんかいないわ! ただ、はえてきたおやさいさんをひとりじめしてるのよ!」 「違うの。野菜は、お父さんが畑を耕して、種を蒔いて――」 「ちがう! ちがうわ! おやさいさんは、かってにつちさんからはえてくるのよ! おかーさんがいってたのよ! おかーさんが......むきゅうぅぅ......」 ぱちゅりーの奥底から、悲しみがせり上がってきた。 実の家族を、ぱちゅりー以外皆殺しにしたあの人間。 あのゆっくりできない人間が、お野菜さんを独り占めしてるんだ。絶対そうだ。 ぱちゅりーの目から、すうっと涙が流れ落ちた。 お姉さんは大きくため息をつくと、優しくぱちゅりーに話しかけた。 「わかったわよ。それでいいから、もう絶対に野菜を食べちゃダメよ? お野菜さんはみんなのものだけど、ぱちゅりーだけの物じゃないんだから」 「......むきゅ、わかったわ」 納得はできなかったが、ぱちゅりーは頷いた。 確かに、野菜を食べたらあの欲張りなおじさんにゆっくりできなくさせられてしまう。 味方はお姉さんだけだった。基本的に人間はゆっくりできない。でも、お姉さんだけは特別だった。 「テーブルの上にある食べ物は全部食べていいからね! じゃ、いいこにしててねー!」 「むきゅ! いってらっしゃい!」 お姉さんとおじさんは、2泊3日の旅行に出かけていった。 ぱちゅりーは留守番だ。居間のテーブルの上には、きっちり3日分の食料が置いてある。 「むきゅ! しっかりるすばんするわよ!」 だが、3日後。お姉さん達は帰ってこなかった。 「むきゅ......どうしたの? おねえさん......」 3日分しかない食料は当然尽きた。ぱちゅりーはお腹が空く一方である。 「こうなったら......しかたないわね」 ベランダの鍵は開けてもらっていた。ぱちゅりーが暑さで倒れないように、という配慮だ。 おかげで、ぱちゅりーは自由に扉を開け閉めできる。 扉を開けてベランダへ、そして柵の隙間を抜けて、その外へ飛び出した。 目指すは、隣接している畑。 「むきゅ。しかたがないのよ。ちょっとくらいわけてもらってもいいはずよ」 食べたことのある赤い実の野菜はなかった。そのかわり、緑色の細長い実を付けた野菜が生えていた。 ぱちゅりーはそれに歯をつけた。 「ぱちゅりー! ごめん! ちょっと事故に巻き込まれちゃって!」 その時、家の奥の方からお姉さんの声が聞こえてきた。 「お腹空いたでしょ! いっぱいお土産買ってきたから......あれ? 居間にいないなあ」 「おい、まさか畑にいるんじゃないだろうな」 「えー、そんな訳ないよ! ちゃんと言っておい......たし......」 窓越しに、お姉さんと目があった。 するとお姉さんは血相を変えて、ベランダの柵を飛び越えて走ってきた。靴も履かずに。 「むきゅ、おねえさんおかえりなさ――」 お姉さんに抱きかかえられた。そのまま連れ去られる。 「む、きゅ、もっと、ゆ、ゆっぐ、りして、ね」 疾走するお姉さんは速かった。家からどんどん離れていく。 ――ごめんね、ごめんね。 後ろにすっ飛んでいく景色に目を回しながら、ぱちゅりーはお姉さんの謝る声を聞いた。 ――ごめんね、ごめんね。 お姉さん、どうして謝るの? どうして、泣いてるの? 前のまりさは潰されちゃったって......どういうこと? ようやくお姉さんは止まった。ぱちゅりーは地面に降ろされる。 そこは、見たこともない山の中だった。 「ごめん、本当にごめんね。でも、こうするしかないの。 ごめん......ぱちゅりー、生きてね」 涙をぽろぽろこぼしながら、お姉さんはそれだけを言って、踵を返して走っていった。 「......むきゅ?」 捨てられた、と理解するまでに、ぱちゅりーは長い長い時間を必要とした。 ねえ、どういうこと? どうして捨てられたの? お野菜さんを食べてたから? だから、お姉さんもぱちゅりーを捨てたの? お姉さんも、お野菜さんを独り占めしたいの? だから、あんな怖い顔してたの? 泣くほど悔しかったの? その後、親切なゆっくり一家が通らなければ、ぱちゅりーの命はその日のうちに尽きていただろう。 ぱちゅりーは、悟った。 人間は、自分で野菜を育てていると主張し譲らない。 強大な力を持っているにもかかわらず、勝手に生えてくる野菜の独り占めしか考えない、強欲な生物。 拾われたゆっくりの家族の中で、ぱちゅりーは今までに得た知識をフル活用して役に立とうと努めた。 実際にぱちゅりーは重用された。これだけは人間に感謝した。 季節が一回りする頃には、ぱちゅりーは群れの長になっていた。 群れを統率する規則も作った。医者として、たくさんのゆっくりを治した。 結果、群れのゆっくり全員から、絶対の信頼を勝ち得た。 ......それなのに、それなのに―― 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛あ゛......ば、ばりざのあたまがあ゛ぁぁ......」 「む、ぎゅう......」 頭に乗っている重い痛み。どうしようもない喉の渇き。 「よう、ぱちゅりー、まりさ。今日も元気か?」 全ては、この男のせいだった。 一週間前、群れの成体ゆっくり達は人間をやっつけに山を下りていった。 ぱちゅりーと子ゆっくり、赤ゆっくり達は、突撃隊が帰ってくるのを今か今かと待っていた。 しかし、帰ってきたのは指揮をしていたまりさだけ。ゆっくりできないおまけも付いていた。 「ば、ばづりーはあぞごだぜぇ! あぞごのきのじだだぜぇ!」 ぱちゅりーは人間に捕らえられた。襲撃は失敗に終わったのだ。 人間は子ゆっくりと赤ゆっくり達を無視し、ぱちゅりーとまりさだけを連れ去った。 その日から、2人の拘束監禁生活が始まった。 ビニールハウスの中にある木の板。その上に2人並んで接着剤で固定された。 そして頭に小さな粒を埋め込まれた。 「ゆぎゃあ゛あ゛あ゛ぁぁ!! やべろ、やべるんだぜえ゛え゛ぇぇ!!」 「む、むぎゅう゛う゛う゛う゛ぅ!!」 すぐにかけられた甘い液体のおかげか、その日の痛みはすぐに治まった。 しかし日が経つにつれて、チクチクという痛みから、じわじわと慢性化した鈍痛に変わっていった。 「ほら、これが今のお前だよ」 男が、まりさの目の前に板のような物を立てて見せた。鏡だ。 「ゆ゛わ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ!! ばりざの、あだまがら、くきさんがあ゛あ゛あぁぁ!!」 おそらくそこには、頭から野菜の茎を生やしたまりさが映っているのだろう。 2人は同じ方向を向いて横に並んで固定されているので、真横のまりさを見ることはできない。 だが、見せられている物の予想はおおよそ付いていた。 「ぱちゅりーも見てみるか?」 「むきゅ、けっこうよ! そんなものみたくもないわ! それより、はやくさいみんじゅつをときなさい!」 そう。ぱちゅりーには分かっていた。これは、れいむが掛けられたのと同じ催眠術だ。 この痛みも、異常な喉の渇きも、全てが幻。 どうしてこんなことするのだろう。一体何がしたいんだろう。 そんなに、ぱちゅりー達に大ボラを見せることが楽しいのか。痛めつけるのが楽しいのか。 無駄なことをせずに、早く殺してしまえばいいのに。 「催眠術......ね。お前、本当にそう思ってるのか」 「あたりまえよ! まりさ! だまされちゃだめよ!」 「......ふーん」 今日の男は、これまでの一週間と違い饒舌だった。 表情も今までのような無表情ではなく、口元がニヤついていた。 「ぱちゅりー、ちょっと話をしよう。 お前の考えでは、れいむは催眠術に掛けられていて、野菜が自分の頭に生えていると思い込んでしまった。 そしてその術は周りにもうつり、群れのゆっくり全員がそう思い込んでしまった。そうだな?」 「むきゅ! そうよ!」 「つまり、れいむの体自体は実は何ともなくて、外傷もなく、皮に異常もなく、いつも通りだった。そうだな?」 「むきゅ、だから、そうよ! れいむのからだにはなんにもいじょうはなかったの! ただ、やさいがはえているというまぼろしをみせられていたのよ。それだけよ!」 「それだけだな?」 「それだけよ!」 なんなんだこの男は。未だにニヤニヤと笑っている。図星をごまかすためか。 喋る度に頭に響くのだが、小馬鹿にされているようで許せなかった。 「じゃあ、本題に入ろう。 お前、れいむの体がぱりぱりに乾燥してるのを、見たよな?」 「......むきゅ?」 それと今の話と、どう関係が......? 「ゆっ! なんでそのことをしってるんだぜ!? やっぱり、さいみんじゅつでまりさのあたまのなかを......」 その時、まりさが口を挟んできた。 「......あー、そこも説明しなくちゃならんのか。面倒だな」 男は懐から小さな黒い2つの物体を取り出した。 1つは四角い板。もう1つは奇怪な形をした、管のような物。 男は板をまりさの前に、管のような物をぱちゅりーの前に置いた。 「こっちがマイクで、こっちがイヤホン。まりさ、何か喋ってみろ」 『「ゆぅ? なんなんだぜ?」』 「むきゅう!?」 ぱちゅりーは飛び上がった。いや、足を固定されてはいるが、飛び上がったつもりだった。 まりさの声が真横と、目の前の管から同時に聞こえてきたのだ。 「わかるか? 盗聴器って言ってな、離れたところの音を聞ける機械だよ。 これをれいむの頭に埋め込んでたんで、お前らの会話も筒抜けだったわけ」 「ゆ、ゆぅ!? じゃ、じゃあさいみんじゅつじゃなくて」 「話を戻すぞ、ぱちゅりー」 男はまりさを無視して、再びぱちゅりーと向かい合った。 「お前、れいむが乾いてるのを見たよな。 そして、『このままではひからびてしまうわ!』とも言ってたよな」 「む、きゅ......」 「そして、群れのゆっくりに水を掛けるように指示した」 「む......!!」 「れいむの体に、水掛けたよな。だいぶ長い時間掛けてたよな。何ともないはずの、れいむの体に」 「む、むきゅ! むきゅ!」 「おかしくないか? あれだけ水掛けられたら、普通のゆっくりは溶けちゃうんじゃないか? 溶けないとしても、その日のうちに、山から俺の家までマラソンするのは無理なんじゃないのか?」 「ち、ちが!」 「お前も今、喉カラカラだろ? それはな――頭に生えた野菜が、水分を吸い上げてんだよ」 違う。違う。そんなわけない。 「むきゅ! ちがうわ! それは......むれのみんなに、みずをもってこさせるというさいみんじゅつよ! みずをかけたのもまぼろしなの! じつはれいむにみずをかけていないのよ!」 「......自分で言ってて苦しくないか?」 「そんなことないわ! そうじゃなかったら、れいむがおにいさんのいえにいったのがまぼろしで......む、むきゅう!」 「うん、まあ、考えててくれ。納得できる答えは出ないと思うけど」 男は背中を向けて歩いていった。 「まりさ、だまされちゃだめよ! さいみんじゅつなのよ!」 「......だぜ......」 「むきゅう! まりさ!? ねえ、きいてるの? まりさ!!」 まりさは口の中で何かをブツブツと呟いている。 ぱちゅりーは底知れない不安を感じた。 「ああ、そうそう。言い忘れてた」 男はビニールハウスの出口で振り返って、こう言った。 「今日、すごい面白いもの見つけたんだ。 自然に根がお前らを突き破って終わりにするのを待とうと思ってたんだけど、 それじゃあちょっと早すぎるから、それ以上粘ってもらうからな。 大体60日後くらいまで、死なずに頑張ってくれ」 それからの日々は、四六時中ゆっくりできなかった。 日に日に増していく、体の中に異物が深く潜り込んでいく感触。 少しでも体を動かせば訪れる激痛。 目の奥をねじられ、視界がどんどん狭まっていく恐怖。 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛ぁ......いだい、ぜぇぇ......」 「むぎゅ、ぎゅう゛......」 生クリームを吐き出してしまったのも一度や二度ではない。 しかし、その度に男がやってきて、“オレンジジュース”という甘い液体を掛けていくのだ。 すると、ぱちゅりーの体は潤い、腹は満たされ、力が湧いてくる。 地獄から解放させないための処置だ。鬼。悪魔。 「ジュース代がかさむんだよなぁ」とか言いつつ、男は惜しげもなくジュースをかける。 それなら、さっさと掛けるのを止めてくれればいいのに、楽にしてくれればいいのに―― ああ、違うか。これらは全て、催眠術なのだ。わざわざジュースをかけて回復させる幻まで見せる。 なんて悪趣味なんだ。 時間の感覚が薄れ、今は何日目なのかも分からなくなったとき。 「ゆぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」 隣のまりさが突然絶叫した。もうそんな余裕はないはずなのに。ちょっと声を出しただけでも全身が痛むのに。 何事かと、ろくに動かない目をゆっくりと右に向けた。 「む、ぎゅう゛う゛う゛!!」 ぱちゅりーも叫んでしまった。まりさの前に、ポテンと落ちている白い球体。 目玉だった。 「何だ何だ、どーした? おお、ついに開通か。それもちょうど目の部分が」 悪魔がやってきた。オレンジジュースを片手に。 まりさの頭にジャバジャバと掛ける音がする。 「うーん、さすがに目は復元しないか。でも、ちゃんとふさがったな。根っこは飛び出てるけど。 これで餡子が流れて行かなくて済むぞ、よかったなまりさ」 「......おでぃーざん」 「ん?」 「ばりざを、ばりざをだずげてくだざいぃ!」 ついに、まりさが折れてしまった。 「むぎゅう! だめよ、まりざ! たえて!」 「もう、おやざいざんどか、さいみんじゅづどか、どおでもいいから゛あ゛あ゛あ゛! まりざを、だずげで、ゆっぐりざぜでくだざい!」 「無理」 即答だった。 「どぼじでぞんなごどいうのぼお゛お゛ぉぉ!」 「だから、言ったろ。60日耐えろって。今日であの日からちょうど20日。あと3分の2だ。頑張れ」 「ゆああああ!! ゆっぐりじだいんだぜえええぇぇ!!」 まりさはそれから、「あ゛、あ゛」と言うだけの置物になってしまった。 「ばりざ......がんばって......」 ぱちゅりーが精神を保っていられるのは、これが催眠術である、と知っているからだった。 絶対に、あんな男には屈しない。あの男からは、あの強欲なおじさんとそっくりな臭いがする。負けてなるものか。 しかし催眠術を解かれたとしても、素直に放してくれるはずがないとも分かっていた。 間違いなく殺される。だがもういい。心残りはない。 ......いや、1つだけあるとすれば、群れに残してきた子どもや赤ちゃん達だった。 ぱちゅりーの家の中で全員で待機していたのだが、家には食糧の貯蓄はほとんど無かったはずだ。 方々の家から取ってきたとしても、一週間も持つまい。 子ゆっくりの中には狩りができる者も数匹いたが、自分の分が満足に取れるかも怪しい。 ましてや、たくさんの赤ゆっくりを食べさせるほどの食料は取れるはずがない。 想像したくないことだが、阿鼻叫喚のさなかで共食い劇を演じた可能性もある。 その前にれみりゃに襲われたかもしれない。どちらにしろ、全滅は間違いなかった。 ごめんなさい、みんな。ぱちぇをゆるして。 「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」 まりさは、たまに絶叫をあげるときもあった。根が新たに皮を突き破ったときだ。 「む、むぎゅう゛う゛う゛っ!」 それはぱちゅりーも同じだった。根は1日に1回は、新たな穴を開けた。 「はーい、オレンジジュースですよー。 ......しかしお前らすごいな。もう10本くらい飛び出てるぞ」 オレンジジュースをかけられた貫通部分は、根を飛び出させたまま塞がる。 根の中腹を、復元する皮が隙間無く握り込むのだ。 そして次の日、その根はまた伸びて、塞いだ場所をまた引きちぎる。 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」 「むきゅう゛う゛う゛う゛!!」 開いた傷口から生クリームが噴き出す。体の十箇所から噴き出す。 しかし一日の終わりには修復される。また、その日新たに根が飛び出した場所が作られる。 日に日に、血が噴き出す箇所が、増えていく。 きっと今の2人の姿は、見るもおぞましい化け物の姿だろう。 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! だずげで、だずげでおにーざあ゛あぁん!!」 幸い、まりさの残った方の片目と、ぱちゅりーの両目が飛び出すことはなかったが。 「む、ぎゅうぅ......」 負けない。これは催眠術なんだ。 おかーさんが言ってた。人間は独り占めする生き物。 おやさいさんは、つちさんからかってにはえてくるのよ。ぱちぇのあたまから、はえてくるわけないの。 「おつかれさん。約束の日だ」 ぱちゅりーは、そう言われても何のことだか分からなかった。 オレンジジュースをかけられた直後でも辛い。 何もしなくても押しつぶされてしまいそうなほどに、今のぱちゅりーの頭は重かった。 「面白い物を見せてやるって言ってただろ? これだよ」 男は、大きなカゴを持ってきていた。成体ゆっくりが3人は入りそうな、木で編まれたバスケット。 「お前らも見たことあるはずだぞ。ほら――」 地面に置いたカゴに両手を入れ、引き出す。 「――おさ、やっぱりれいむたちがまちがってたよ」 れいむだった。 群れに置いてきたはずの子ゆっくり。今はもう野垂れ死んでいるはずの、子れいむ。 確か、頭に茎を生やしていたれいむの妹...... ぱちゅりーは、頭を思いっきり殴られた気分だった。 「むぎゅうう!! どぼじでえ゛え゛えぇ!!」 男がぺらぺらと喋り始めた。 「いやぁ、驚いたね。お前らが襲ってきたときから一週間くらい経って、 そういえば残してきた子ゆや赤ゆはどうしてるかなあ、生きてたら潰してきた方がいいかなあ、と思ってさ。 群れに着いてみたら、ボロボロの子れいむが口に水含んでよたよた歩いてた。 何してんだって聞いたら、お野菜さんを育てるって。一本だけ、小さな芽が生えてたんだよ。 いや、本当に驚いたわ。土もちゃんと柔らかくしてあったし。野菜の育て方を知ってた。 そこで俺は急いで帰って、救急道具を持ってとんぼがえりして......」 うそよ。 うそようそようそよ。 ありえない。ありえない。ありえない。 「......でさ、まだぱちゅりーは生きてるよって言ったら、ぜひ会いたいって言いだして」 男は次々にカゴの中に手を入れ、引き出す。 その度に1人ずつ、群れの子ども達が出てきた。 子まりさ、子ありす、子ちぇん、赤れいむ、赤ちぇん、赤みょん―― 「たねさんからおやさいさんがはえてきたよ! とってもおいしかったよ!」 「つちさんをたがやして、おみずさんをあげれば、ゆっくりそだったわ!」 「おさがうそをついてたんだねー! わかるよー!」 「おかーしゃんも、おとーしゃんも、おしゃのせいでゆっくちできにゃくなったんだよ!」 「ゆげぇ、おしゃ、きもちわりゅいよー......でも、じごうじとくにゃんだよー! わかっちぇねー!」 「ちち、ちんぽっ!」 赤みょんがぱちゅりーに向かって跳ねてくる。ぱちゅりーの頬に体当たりした。 普通ならなんてことない攻撃。でも、今のぱちゅりーには身体の芯まで響いた。 「むぎゅう゛う゛う゛う゛う゛う゛!!」 「みょん、だめだよ。もどってきてね」 子れいむがみょんを諭し、落ち着いた口調で話し始めた。 「あのよる、おねーちゃんはまよってたよ......おさか、おにいさんか、どっちがただしいのか。 あのときのおさはおかしかったよ。ぜんぜん、ゆっくりかんがえてなかったよ。 そして、ただしいのはおにいさんのほうだったよ」 うそ......よ。 れいむが......こんな、こと......いうはず......ないもの...... 「れ、れいぶ......」 隣で、まりさのかすれた声がした。 「ほがの......おちびちゃんたちは......どうじたんだぜ......?」 そうだ。子ゆっくりや赤ゆっくりはもっとたくさんいたはず―― 「――みんな、ずっとゆっくりできなくなったよ......!」 子れいむが、絞り出すように答えた。 その言葉は、ぱちゅりーを真っ直ぐ貫いた。 「うがあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁっ!!」 狂ったように大きな絶叫が響き渡った。 「ぜんぶ、ぜんぶおざのぜいだあ゛あ゛あ゛っ! おざのぜいで、でいぶも、みんだも、ゆっぐりできなくなっだんだぜえ゛ぇっ!」 「あーあ。れいむ、みんな一旦出た方がいいな」 「じね゛え゛え゛えぇぇっ! じね゛え゛え゛えぇぇっ! なにがざいみんじゅづだぜえ゛ぇ゛ぇぇ!」 まりさもぱちゅりーも、動けない。 しかし、一方的に右半身に叩きつけられる悪意がビンビンと伝わってくる。 「じね゛え゛え゛えぇぇっ! じねえ゛え゛えぇぇっ! うそづぎばづりーはざっざとじね゛え゛ぇぇ!」 いや、まりさは動いていた。 必死に右の方向に向けた目が捉える。 足を固定されているのもかかわらず、全身を根に押さえつけられているのもかかわらず、 ぱちゅりーの方へ向かってこようとするまりさ。 「じね゛え゛ぇぇっ......! じね゛ぇ゛ぇ゛ぇぇ......!」 体を強引に揺らすまりさは、こちらに倒れ込むようにしてぐちゃぐちゃに崩れていった。 その姿は、踏みつぶされたおとーさんそっくりだった。 「ばづりー......じ......ね......」 ぱちゅりーの頭に、何かがバサリと落ちてきた。 まりさの頭に生えていた、お野菜さんの苗だった。 両目の間でぶらんぶらんと揺れる物がある。 ずっと昔に見たことがある、赤い実だった。 男が近づいてきて、その実をもいだ。 「......このまりさは、とことんゲスだったな」 半開きのぱちゅりーの口に、実を挟んだ指が突っ込まれた。 舌の上に、瑞々しい果汁がしたたる。 久方ぶりに味わった。 ゆっくりできるけど、ゆっくりできない、“ほんとうの”おやさいさんのあじだった。 「む゛ぎゅう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う」 「ちなみに、俺は何も嘘はついてないぞ? みんな実話だ。 俺が群れに着いたときも、あの7匹しか生き残りはいなかった」 「......」 「あいつらは、あの子れいむがいる限り大丈夫だ。あいつ、ゆっくりにあるまじき頭の良さだぞ。 それこそ、お前とは比較にならないほどのな」 「......」 「まあ、それでも7匹じゃ群れとしてやっていくのはむずかしいしな......いざとなれば、保護も考えてる」 「......」 「あの、頭に茎生やしたれいむも悩んでたみたいだし。そうとは知らずに、決めつけてやっちまったけど。 ......罪滅ぼしという意味でも、あいつらを助けていこうと思う」 「......」 「じゃあな、ぱちゅりー。今まで引き止めて悪かったな。最後まで、ゆっくりしていけよ」 もはや痛みは感じない。ただ、体が重い。 全身から生クリームが噴き出し始めても、男はオレンジジュースを掛けに来てくれなかった。 もし。 もしもよ。 これが、ほんとうにさいみんじゅつだったら。 ぜんぶがぜんぶ、もうどこからなのかわからないくらいから、さいみんじゅつだったら。 そのなかでしんだら、どうなるのかしら。 生クリームを全て噴き出すまで、ぱちゅりーはそんなことを考えていた。 あとがき 長編は実力が出ますねえ......もっと精進します。 最後まで見てくださった方、本当にありがとうございました。 過去作品 ゆっくりバルーンオブジェ 暗闇の誕生 ゆっくりアスパラかかし 掃除機 ゆっくり真空パック このSSに感想をつける
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ポン 『Am Tag des Regens im Mai~子犬とワルツをベルリンで』 1945年4月、南下するソ連軍にくわえ連合軍のノルマンディ上陸を許したドイツ軍は次第に劣勢に追い込まれ、 首都ベルリンまでソ連軍が迫った今、ドイツ降伏は時間の問題となっていた。 1945年4月29日午後9時 ドイツ第三帝国首都 ベルリン 天気・曇り よどんだ曇り空が落ちる中、ドイツ第三帝国の首都であるベルリンはかつての優雅な街並みをどこかに置き去りにしてきたように、 瓦礫に包まれたゴーストタウンと化しつつあった。 「おい、ハンス」 廃墟と化した地下鉄駅の階段にしゃがれた声が響く。ハンス=カウフマン兵長が振り向くと、そこにはハンスと同じ陸軍の制服を着た壮年の男が立っていた。 「ほら、コーヒーだ」そういって男は熱いコーヒーの入ったブリキのカップを階段の途中に置く。 「ありがとうございます、クラウス軍曹」 そのままヨゼフ=クラウス軍曹はハンスの横にどっかりと腰を下ろした。とても徴兵によって引っ張られてきたとは思えない、軍人のような がっしりとした体が顔をのぞかせた。 実際に先の大戦でアルデンヌの前線を潜り抜けてきたという話もあるが、本人曰く『生き残ったって言うより前線出て3日で毒ガスでやられて、 そのまま終戦まで野戦病院たらい回しだった』らしい。 「…………さっき偵察機が見たらしいが、次の戦闘で久しぶりにコミー共が地雷犬を出してくると」 「……そうですか」ハンスの顔に陰りが見える。 地雷犬。それは全ての意味で最悪の兵器だった。獣人に爆弾を括り付けて戦車に突撃させ、敵戦車と共に敵の士気さえもいっぺんに殺ぐ兵器。 「ハンス……地雷犬が出るってコトはお前の出番ってことだ」 「そう言われてもあまりいい気分はしないですね」 「戦場なんてそんなもんだ」 クラウス曹長は階段の中ほどに放置されたハンスの武器、もう一つの最悪の兵器―――火炎放射器を見た。 長年使い込んだ事でタンクがところどころかすれ、放射口の先端が欠けて無くなりかけており、それはこの火炎放射器とハンスの戦歴を物語っていた。 「いつ終わるんでしょうかね、この戦争」 もう夜も深いと言うのに、あちこちで舞い上がった炎のせいでベルリンは煌々としていた。 1945年4月29日午後9時 ソヴィエト軍ベルリン侵攻前線基地 天気・雨 「ふむ……向こうの大隊はよくやっているようだな」雨音の中即席で作られた見張りやぐらの上で、アレイシア=ライカ中尉は双眼鏡から眼を離した。 ベルリン陥落は時間の問題。とでも力強く物語るようにベルリンからは行く筋もの炎が舞い上がり、それは20km以上も離れたここからでも確認できるほどだった。 「これでは、要請した増援もあまり必要がないな」彼女は先日、先行の部隊がドイツ軍戦車隊の抵抗が激しいと言うので本国に要請していた増援のこと を思い出していた。 だが、抵抗も徐々に規模が小さくなってきている。ここまでくれば陥落はすぐに……それこそあと一週間、そのくらいで落ちるだろう。 そう思いながらライカ中尉はキャンバス地が張られた見張りやぐらを降り、自分の天蓋へと戻る。途中、雨が激しくなってきたので軍帽を深く被りなおした。 と、やっつけ作業で作られた掘っ立て小屋のような格納庫の前を通ったときだった。 「中尉~」 雨に混じって聞こえた小鳥のような声にライカ中尉は振り返る。 そこには、犬の獣人である少女が色の薄い金髪とボロ布のようなシャツを雨に濡らし、ずぶ濡れの状態で立っていた。 「こんばんわ」 「こんなとこで何やってる?Z-09」 Z-09と呼ばれた犬耳の少女は、にはは。と可愛らしく笑う。 「雨が気持ちよかったんで外でたんですよ」 それを聞いてライカ中尉は呆れた、とばかりにため息をつく。 「風邪を引くからすぐに宿舎に戻れ」 「ダイジョウブですよ」 まあ、いいか。と中尉は再び足を進める。 その後ろでぴちゃぴちゃと雨の中で遊ぶ音がいつまでも響いていた。 ベルリンへの総攻撃は明日、それまでには雨も止んでいるといい。と考えながら、ライカ中尉は帽子をはずした。 そこには、Z-09と同じ犬耳があった。 あのバカ娘のせいだ。と思いつつ、何故かすがすがしい気持ちになっていたのは、久々に雨に打たれたからだろう。自分でも気づかないうちに 鼻歌を歌いながらライカ中尉は基地内を歩いていった。 1945年4月30日午前11時 ドイツ第三帝国首都 ベルリン 天気・雨 前日の夜から振り出した雨に、重い火炎放射器を装備したハンスはうたれていた。 目の前には昨日より腫れぼったく思える灰色の瓦礫と空家が並ぶ通りの真ん中、地下鉄駅の残骸の脇にひと筋の希望とでも言うべきくたびれた鉄の巨獣が腰を下ろしている。 Ⅳ号戦車J型。どこかの戦車小隊が逃亡した際に捨てていったドイツ陸軍の主力戦車だ。 さすがにKVシリーズ(ソヴィエト軍の重戦車)は無理だが、T-34(同軍の主力中戦車)程度や軽装甲車。それに歩兵なら簡単に撃破できる。 ハンスはこれを地雷犬から守るために、戦車の前で地雷犬を追い払う役だ。本当なら歩兵用の火炎放射器などではなく、戦車に車載型の火炎放射器を積む所なのだが あいにく劣勢も劣勢のドイツ軍にそんな余裕はない。 雨のせいか、いつも立ち昇っている埃と煙の匂いが、この日だけはなりを潜めていた。 「ハンス兵長。やっこさん、来たぞ」戦車の砲手が声を上げた。 「そうですか」ハンスは火炎放射器を構える。 ここにベルリンを巡る最後の戦いの、一つの戦闘がここに幕を開けた。 瓦礫まみれになった通りの奥から、ソヴィエト軍が突撃してくる。 その数は目測で60人ほど。戦車や装甲車は無く、先頭に爆弾の入ったチョッキを来た犬の獣人―――地雷犬、その後ろにバラライカ(PPshマシンピストル)を持った歩兵。 「弾種榴弾、距離500、フォイエル(発射)!」 砲手が軍勢の真ん中に照準を合わせてそう叫んだ次の瞬間、轟音と爆風と共に戦車の砲弾が発射され、軍勢の真ん中に榴弾が打ち込まれ、多くの兵士や地雷犬がその破片で吹き飛ぶ。 だが、奴らは突撃をやめない。 「第二弾、フォイエル(発射)!」 再び轟音と爆風が通りに広がり渡り、何人もの兵や地雷犬が吹き飛ぶ。 さらに通りの廃墟と化した建物群の窓々や陰から機関銃やマシンピストルの乾いた断続的な銃声が響きだし、やはり多数の肉片が飛び散った。 そのうち、戦車に恐れをなした兵士達は前進を躊躇い後退、もしくは躊躇の隙を突かれて射殺されるが、それでも地雷犬の突撃は止まらず、いつの間にか彼女達は戦車の近くまで迫っている。 着火装置に手をかける。途端、放射口から炎が小さく噴出した。 「アーメン……」 そう小さく呟くとハンスは放射口を彼女たちに向け、引鉄を引く。 次の瞬間、放射口からは暴力的なまでに紅く、猛った炎が放射され、地雷犬の群れを焼いていった。 燃料が正規のゲル化ガソリンではなく重油カスのため粘性が低いが、すぐに消えないことは同じであり、 彼女たちのチョッキや皮膚の上で轟々と踊り狂う炎は彼女たちの体を焼き、生きるための酸素を奪ってゆく。 さらにはチョッキの中の爆薬に引火し、爆発が後続の地雷犬の命すらも奪ってゆく。 振り続く雨も重油によって燃え盛る炎をすぐに消せるほどの力はなく、ただ地雷犬の悲鳴を和らげて行くだけだった。 その炎の暴力の中でハンスは一人、慣れた手付きで次から次へと地雷犬を焼き払っていった。 幾度も悪あがきのように前から飛んでくるバラライカの弾丸が体をかすめたが、弾丸の有効射程外から撃たれたトカレフ弾で引火するほど火炎放射器はやわではないし、 戦車を盾に取ればそれほど怖くもない。 それどころか逆に地雷犬たちは暴炎に恐れをなして逃げてゆき、隠蔽された機関銃に次々と撃たれ、爆発に巻き込まれながら一匹、また一匹と果てていった。 だが…… 「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 一匹の地雷犬がしなやかな動きで火炎の帯をくぐり抜け、ハンスの間近へと迫っていった。 「畜生!」ハンスは火炎放射器を素早くその地雷犬に向け、引鉄を引く。放たれた炎は地雷犬に届いたと同時に燃料が表皮に染み込み、彼女の白い肌の上で舞い踊る。 「ぁぁぁぁぁっ!」 しかし、彼女はそれでも前進を止めなかった。 それどころか、炎をもろともせずにその地雷犬はハンスに飛びついた。 「……ッ!」 ハンスは引鉄を引こうとしたが、その間も無く地雷犬に大きくつき飛ばされ、ぽっかりと口をあけた地下鉄駅の残骸の中へと落ちてゆく。 そのまま幾度も壁や床に叩きつけられ、激痛のせいで薄れゆく意識の中でハンスは雨の感触と何かが爆発する音と、それ以外の轟音を聞いたのだった。 1945年 月 日午後 時 ドイツ第三帝国首都ベルリン 天気 曇り 気づいたのはいつ頃だろうか。轟々と響く音の中でハンスは自分の体の存在を確かめると、けだるい体をゆっくりと起こす。 目覚めたそこは見渡す限りの暗闇だった。 「ここは……」 ハンスは自分の記憶を必死に呼び起こす。 そうだ、俺は地雷犬を焼き払っていて、その途中でつき飛ばされて……。待て、地雷犬を焼き払っていた?という事は…… (そうだ、こいつがあったじゃないか) ハンスは自分の身の回りをごそごそとまさぐり、近くに転がっていた火炎放射器の機関部を掴んで引鉄を軽く引く。だが…… 「壊れてる……」 あれだけ叩きつけられれば当たり前と言えば当たり前だろう。引鉄はいくら引いても反応しなかった。 ハンスは火炎放射器の機関部から手を離す。 (……そうだ) ハンスは軍服のポケットの中を探り、手にひんやりとした感触を感じると、それをポケットから出した。 チン。と軽い金属音を立てて蓋をあけると、数回ほど中の火打石を擦る。たちまち擦り跡だらけのオイルライターを中心に光が発生した。 正直、廃墟の中から取ってきたライターこんなところで役に立つとは思わなかった。 光はあたりの壁や床を映し出し、それでハンスはここがすぐにどこなのか判断できた。 「地下鉄の駅か……?」 見まごう事なくそこはベルリン地下鉄の駅の構内だった。 おそらく突き飛ばされた時に戦車の脇にあったあの出入り口に落ちたんだろう。そう考えるとハンスは火炎放射器を下ろして、階段の方向へ歩いてゆく。 もはや火がつかない以上、こんなもの重石にしかならない。 何時間ほど伸びていたかはわからないが、さっさとここを出てもう一度小隊と合流しなければ。 もたもたしてコミーに捕まればシベリア送りは確実だ。 ハンスは足早に階段を上がってゆく。が、 「嘘だろ……」 自分が転げ落ちてきた階段は、大量の瓦礫で埋もれていた。 破片一つ一つの大きさが大きいために隙間はあることにはあるのだが、赤ん坊でなければこんな隙間通れやしない。もちろんハンスなど論外だ。 (待て、こっちの階段が使えないって事は……) そう。もう片方の階段は一週間前の空襲で崩落しており、この駅の出口は全て塞がっている。 その上地下鉄内を無闇に移動すればソ連兵に見つかってしまう。火炎放射器が壊れた今、ハンスは武器と言える武器は何も持っていない。 つまりハンスは事実上、この地下鉄駅に閉じ込められたわけだ。 「…………ぁ……」 轟々と響く雨音に混じって、かすかな声が暗い構内に反響する。 ハンスはその声に気づくと、素早くライターを左右に振って、周りを確かめた。 声の主はすぐに見つかった。 犬の獣人の少女が崩れた階段からそう離れていないコンクリートの床の上に転がっていた。 色の薄い金髪と垂れた耳は雨でじっとりと濡れており、白い肌のあちこちに酷い火傷と擦り傷がある。 「さっきの地雷犬……か?」 爆薬入りのチョッキの残骸であろう焼け焦げた粗悪な布地があたりにちらほらと散らばっている。 (俺を突き飛ばした時に一緒に落ちたんだろうな……) ハンスは警戒しながら少女に近づく。ひゅー、ひゅー、と小さく呼吸する少女の顔には、生々しい火傷の跡が刻まれており、 途端にハンスの中で罪悪感が生まれてしまう。 (……ごめんな) ハンスは上着を脱いで少女の体にかぶせると、顔をあげて崩れた階段を眺め始めた。 瓦礫の隙間からのぞく空は、先ほどとなんら変わり無い、よどんだ空だった。 「…………ん」 朝なのに目の前が暗い。 雨の音が聞こえる。 体が重く、だるい。 「あ、気づいたか」聞いた事のない、男の人の声がする。 そして、私は目をあけた。 少女が目を覚ましたのは、彼女が見つけられてからいくらか経った頃だった。 「……ここ、どこ?」 近くでひっくり返ったナチスのヘルメットの中から炎がちろちろと揺れており、その明りが周りの様子を照らしてゆく。 「地下鉄の廃駅だよ」 そう言った声の主は、炎のそばで大きめの木箱に腰掛けている。角度の問題で顔は見れなかったが、先程の声と同じ人間だ。 その時彼女は、自分の上に毛布ではない何かがかぶせれている事に気づいた。 「これ……ナチスの軍服」 「ん、ああ。それは俺のな」 そう言って、こっちを向いた男の顔は…… 「あ……ああ」 自分の同胞達を燃やしていった、あのナチスの兵隊。 「うああああああああああああああっ!」 兵隊―――ハンスにとっては案の定。と言った所か、少女は叫びながら立ち上がると先ほどのように獣人の強い脚力で自分の首元へと迫っていた。 (予想はしてたよ……) 見つけた時に殺せばこんな事は無かったはずだ。だがそれでも殺さなかったのは―――いや、殺したくなかったのは、ひとえにハンス自身のの出来心だった。 鋭い爪を持つ右手は、ハンスの首元数センチのところでふるふると震えながら止まる。 少女の顔には涙が幾筋もの軌道を描き、歯をかみ締め、体を震わしながらハンスをじっと睨んでいる。 対するハンスは、覚悟と後悔の入り混じった顔で少女を見つめる。火炎放射器を失ったハンスに武器は無く、もしあってもここまで近寄られたら使用は不可能だろう。 そのまま、二人の間に数分ほど膠着状態が続いた。 「どうして……」先に口を開いたのは少女だった。「どうして何もしないの……?」 意外とも思えたその問いに、ハンスは自嘲気味に口を開く。何故か殺される手前だと言うのに言葉はすらすらと出てきた。 「まず第一に君につき飛ばされた時に火炎放射器が壊れて、今俺は武器をもってない。それにこの間合いじゃ武器を持ってても使えない」 炎の揺らめきに合わせて、コンクリートの白い壁に二人の影が浮かび上がった。 「あと、君の火傷を見てて殺すのが嫌になった。すまん」 その時、少女はようやく自分の顔から腹部に駆けて、左半身に大きな火傷が出来ているのがわかったのだった。 少女はハンスの首元から手を下ろす。少女のその行為にハンスは驚きの表情を隠せなかった。 そして、代わりにハンスの腰あたりに少女の手が回ってきて、少女はそのままはんすをぐっと抱き寄せた。 「えぐ……ずるいよぉ……ぐす……ていこうしないと……ひっく……ころせないじゃない……ぐす」 ハンスは、ただそのまま動かなかった。 「やけどじゃなくて……うぐ……ちゃんところしてよぉ…………えぅ……ころしてよ……ていこうしてよぉ……」 少女の悲痛な叫びは、地下鉄駅の構内に幾重にも響いていった。 1945年4月30日午後7時 ドイツ第三帝国首都ベルリン 天気 曇り 「もう7時か……」ハンスは盤面のガラスがひび割れた腕時計を見る。普段なら廃墟の中で戦友達と粗末な飯を食っている最中だろう。 だが、何の因果か。自分はコミー共の地雷犬と地下鉄駅に閉じ込められているのだ。 幸いこの地区から人が出ていくまで防空壕として使われていたのか、水や食料のストックはぎりぎり2人で5日分ほどあったのが救いだったが、それまでの間に救助が来るかは不明だ。 それに地下鉄の路線を通ってきたコミーに出くわせば、5日もしない内に死んでしまう。 「うう……いたいよぉ」応急処置のため包帯まみれの犬耳少女は、包帯の上から火傷を押さえる。もちろんそんな事しても意味は無い事はわかっているようだ。 先ほど取り乱していたのが嘘のように彼女は落ち着いて、だがハンスには近づこうとしないで、距離をとったままである。 「そういや、まだ名前聞いてなかったな」ハンスは少しでも気を紛らわそうと口を開く。双方軍人、しかも少女にとっては同胞の仇と言えど人間と獣人、 結局は孤独には勝てないのだ。 もはやハンスは割り切って彼女と接するようにしていた。 実際の所、火炎放射器がないせいなのかもしれないが。 「…………人の名前を訊く時はまず自分からですよ」 少女はぼそりとに呟く。 「そうだよな」ハンスはヘルメットの中で揺らめく炎を眺めながら口を開いた。「俺はハンス=カウフマン兵長、24歳だ。」 少女はハンスの軍服のすそを握り締めながら、ハンスから目をそらして呟いた。 「Z-09(ズィー・ナイン)…………」 「……本名は?」 「無い」少女はきっぱりと言い切った。 「そう……」ハンスは木箱の中に入っていた黴の生えかけたチーズを炎で炙って、欠片を口へ投げ込む。保存状態が悪かったにしては味は結構いけた。 「ノイン、喰え」ハンスはナイフに刺したチーズを少女へ差し出す。 少女は最初、誰の事だかわからずにきょろきょろと辺りを見回したが、この閉鎖空間の中には自分たち以外だれもいない。 そして、少女はすぐにそれが自分の事だと気がついた。 「……今のは?」 「ん……ああ、君の名前。Z-09(ツェット・ノイン)でノイン。かなり適当だけど」 そう言うハンスの苦笑を見て、少女―――ノインはここにいるハンスは、火炎放射器で同胞を焼き払ったハンスじゃないと感じた。 火炎放射器も、ヘルメットも、軍服も無く、苦笑する横顔を見てハンスに感じていた恐怖感はいつの間にか消えていた。 ノインはそれを聞くと、ハンスからナイフを受け取って、ささったチーズをかじった。 黴を何とかする為に必要以上に炙ったせいで半ばスモークと化していたが、ノインには久しぶりに口にする食事であったため、かなり美味しかった。 たぶん、美味しく感じられたのにはもう一つ理由があるのだろうが。 「あの、ハンス……兵長?」 「階級は言わなくていいよ。」 「ここから……出られないんですか?」ノインはか細く呟く。 「……二つある出入り口の一つがこの前の空襲で潰れた。もう一つの出入り口は……」 「さっき、戦車が爆発したときに一緒に崩れた瓦礫で……」 ノインの言葉にハンスはやっぱりな、とうなずいた。 「それに地下鉄の路線をたどっていっても、ソ連兵に見つかったら殺される。たとえノイン、お前がいてもだ」 現在の赤軍の規律は無いに等しい、それはノインも痛感していた。 もしソ連兵に見つかれば、たとえハンスが捕虜でも、ノインがソ連兵でもだ。彼らは容赦なくハンスを撃ち殺し、ノインに乱暴を振るうだろう。 「……この瓦礫を片付けるか、戦争が終わるかすれば、きっと出れるさ」 「じゃあ、それまでは……」 ハンスは一息ついて、言う。 「当分ここで二人っきりだな」 「……そうですか」 ノインの声は沈んでいた。 1945年5月1日午前9時 ドイツ第三帝国首都ベルリン 天気 雨 二日前からのぐずついた天気は変わらず、外ではまた雨が振り出したようだ。 俺達がここに閉じ込められてはや一日になる。その間、ドイツ軍の救援は一向に来ない。 いや。外を闊歩するソ連兵の声からして、この一角はきっとソ連軍の手に落ちたのだろう。 「……やっぱり、ここの瓦礫を崩せば簡単に外に出れる」 ハンスは瓦礫の山となった階段の一部から雨音がよく聞こえる場所があるのをつい先ほど発見し、おそらく兵隊が捨てていったのであろう中身の無い缶詰の缶で瓦礫を掻き分けていた。 「出れるんですか……?」ノインはかすかな希望を捨てたくない。と少々弾んだ声でハンスに訊く。 だがハンスは大きめの瓦礫をよかすとその手を止め、代わりに口を開いた。 「たぶん出られるとは思うが……、問題は出たあとだ。出てきた所をコミーに囲まれたら……」 ノインは沈んだ声で「そうですよね……」と呟いた。 ヘルメットの中で揺らめく小さな炎と、雲にさえぎられた陽光が瓦礫越しに射す暗い地下鉄駅の廃墟に、二人分の重い沈黙が数分以上横たわった。 その間にも雨音と銃声は幾度もコンクリートの壁に残響する。 「あの」先に口を開いたのはノインだった「ハンスさん、どうして私を生かしておいたんですか?」 「……昨日話しただろ」コンクリートの壁によりかかったハンスは大きなため息をついた。 「あの時は取り乱してましたし……」 ハンスは再び大きなため息をついて、淡々と話を始めた。 「…………何度も言うけど、まずあの時俺は君を殺せる武器を持ってなかった。火炎放射器は落ちたときにボコボコになってパアだし、拳銃は普段から持ってない。もちろん素手じゃ勝てない。 それに、火傷見ててこれ以上何かする気も無くなっていたし、君を殺してまで意地汚く生きるつもりも無かった」 「……優しいんですね」 「……でもその火傷は―――」 「でも、殺さなかった。それだけでも十分優しいです」 ノインの言葉に、ハンスはただただ沈黙するしかなかった。 雨音と砲声、そして二人の細い吐息だけがまた薄暗い地下を支配する。 ヘルメットの中で燃える光も、この国の行く末を案じるかのように、だんだんとその勢いを失いつつあった。 何分立ったろうか、再び沈黙を破ったのはノインの声だった。 「……ハンスさんは、この戦争が終わったらどうするんですか?」 少しの沈黙の後、ハンスはゆっくりと口を開く。 「母さんの手紙には実家はジョンブルに焼かれたって言うし、家族は一家でスイスに逃げたって言うし……。まぁ、適当にどこかで暮らしていくよ……」 「スイスに行かないんですか?」 「どこに住んでるのかもわからないんじゃ行くだけ無駄だ」ハンスはそのまま床に寝転がると、一息置いて「そう言うお前はどうなんだ?」と訊いた。 「……お嫁さん」ノインは今にも消えそうな声で呟く。あまりにもここには場違いなその一言にハンスは思わず笑ってしまった。 「笑わないで下さい! いいじゃないですか、女の子なんですから!」 「いや……ごめんごめん」口をへの字に曲げるノインをハンスがなだめる。「でもいろいろ可愛かったから、つい……」 「……可愛い……ですか……」いつの間にかノインはへの字に曲げていた口を元に戻していた。「本当……ですか?」 「ああ。めちゃくちゃ可愛い。なんで火炎放射器使ったんだろってくらい可愛い。」 「……そうですか」 炎はパタパタと揺れるノインの尻尾をコンクリートの壁に映して、燃えていた。 1945年5月1日午前11時 ドイツ第三帝国首都ベルリン 天気 雨 小ぶりだが弱まる気配のない雨は、炎を孕み続けるベルリンの街を潤していた。 戦車を失くし、市街地から逃げるように―――いや、逃げに逃げてきたクラウスは仲間とはぐれ、一人雑貨店の中に身を潜めていた。 「どうする……コミーに手を上げるか?それとも……」カウンターの裏で足を伸ばすクラウスは、横に立てかけられたモーゼル小銃を見る。 弾も数発ほど残っているので、いざとなれば銃口をくわえて自決することもできる。 どうせ捕まってもシベリア送りは避けられないはずだ。それに意地汚く生きる気もない。 「まさか、自分でモーゼルの弾くらって死ぬとはな……」 前の戦争の、塹壕でジョンブルを撃っていた時には、そんなこと思いもしなかっただろう。 クラウスはモーゼルに手を伸ばし、銃のボルトを引く。そして銃口を自分の方向へ向けた瞬間。 「ドイツ兵諸君! 出てきたまえ!」流暢なドイツ語で誰かが叫ぶ。ショーケースから少し顔を上げて通りを見ると、そこにはソ連兵とソ連軍の将校が立っていた。 どうやらここら一体に立てこもっているドイツ兵に呼びかけているらしく、まだこちらには気づいてはいない。 「今すぐ武器を捨てて投降しろ!」士官のだみ声はさっさと出てこいと言うが、出てくるやついなどいるはずもない。 「新任の尉官か……道連れにはちょうどいい」 そう言うとクラウスはモーゼルを構え、気づかれぬように塹壕戦の要領でショーケースから見を出すと、士官に照準を定めた。 照準内に士官の体を入れると、クラウスは撃鉄に指をかける。 そして士官の体ははね飛ばされ、雨に濡れた石畳の上に落ちた。 『少尉! 少尉!』店の外でロシア語で倒れた士官に兵士が呼びかけている。 「誰だよ……今撃ったのは」どさ。とクラウスは結局火を吹かなかったモーゼルを持ったままショーケースにもたれかかった。「誰だか知らんがご愁傷様だな。」 1945年5月1日午後9時 ドイツ第三帝国首都ベルリン 天気 曇り 雨はまだ振り続いているものの、少しづつ止んでは来ている。 「明日まで……持つか?」 横で子犬がすうすうと寝息を立てている横で、ハンスが呟いたのはヘルメットの中の重油のことだった。もはやヘルメットの中の炎は小さくなってきている。 拾ってきたライターもオイルは無限では無い。いずれはオイルが切れるだろうし、拾った物なのでそれがいつかすらわからない。 「たぶん大丈夫……だよな」そう考えるとハンスはヘルメットの中へ息を吹き込んだ。 このまま、明日は晴れればいい。晴れれば明かりをつけずにすむ。毛布にくるまったハンスは思った。 1945年5月2日午後2時 ドイツ第三帝国首都ベルリン 天気 曇り 「ん……」ハンスは不意に視界が明るくなったことに目を覚ます。 光の正体は、雲が無くなったためにその光を照らし続ける月だった。 「んー……いい月だ」これでピルスンビールと、黴の生えてないチーズさえあれば最高なのに。と考え、ハンスがそのまますぐに眠ろうとした瞬間。 ガタン ハンスは物音のした方向を見ると、そこには少女の姿の何かが立っていた。 (ノインがトイレでも行ってたのか?)そう思うとすぐに目を閉じる。 が、それが命取りだった。 「―――がはっ!」 突然ハンスの体は何かに圧し掛かられ、押さえつけられる。もちろんハンスも反撃しようとするが、相手の力のほうが強いためかすぐにねじ伏せられる。 ハンスが再び目を開けると、上を向いたハンスの目線の先にはノインがいた。 ――――いや、正確には『ノインの姿をした誰か』だった。 月明かりに写るそれの両目はノインのアイスブルーではなく血のような紅。 「ハンスさん、起きましたか?」それはノインの声でハンスに語りかけた。 「がっ……くっ……」俺は必死の抵抗を試みるが、やはり無駄のようだった。 「暴れないでくださいよ。私ですよ、ノインですよ」それはノインそっくりの笑みを浮かべる。だが、その両手はハンスの両腕を押さえつけて逃そうとしない。 それは彼女の顔の左半分を覆う包帯を取り去り、膿のわきはじめた火傷跡をあらわにし、ハンスの右手をそこに導いた。 「この火傷の責任……とって貰いたいんです……」 殺される。ハンスは本能的にそう思った。 が、その手を振り払いはしなかった。 したくても力負けしていたのもあるが、殺される。と叫んでいる頭の別のところで、大丈夫だ。と言っている。 その頭の声に従っただけだ。 「…………本当に優しいんですね。ハンスさん」 それ―――ノインは顔をハンスの顔に近づける。 そして、直後ハンスの腹の辺りを鈍痛が襲った。 「じゃ、ちょっとの間おやすみなさい。ハンスさん」 薄れゆく意識の中で、ノインの声が彼方から聞こえてきた。 後半
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適者生存 -survival of the fittest- ◆Yue55yrOlY 生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない。 変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである。 チャールズ・ダーウィン ◇ ◇ ◇ 海面を渡ってきた冷たい潮風が、堤防代わりの木立の合間を通り抜けて、びゅうびゅうと風切り音を掻き鳴らす。 氷雨の勢いはいよいよもって激しくなり、殴打されて熱く腫れあがった少女の顔を冷やしていた。 否。 容赦なく体温を奪っていくそれは『冷やす』などと言う、生易しいレベルのものではない。 剥き出しの肌を刺すような寒気は、もはや痛いとさえ言えるものだ。 じっと動かずにいると、目からは自然と涙が滲み、指先は自分のものではないかのように感覚が乏しくなる。 鼻から滴り落ちる血でさえも、今にも凍りついてしまいそうだ。 疲れたから少し休みたい、などという泣き言が許される天候ではなかった。 「うう……」 やむをえず、ゆのは疲れた身体に鞭を打って、のろのろとした動きで立ちあがる。 いつの間にか風に飛ばされて、少し離れた木の枝にひっかかっていたショールを取りに行こうと考えたのだ。 だが、一歩足を踏み出した瞬間、ゆのの股間に鈍痛が走り、少女の表情が苦痛と嫌悪に歪む。 今までに経験した事のない痛みに、思わず喉から悲鳴の声が漏れてしまう。 「痛っ……やだぁ……こんな……」 あの子だ。 あの女の子の指が、まだお尻の中に入っている。 もちろんそんなはずがないのだが、お尻に突きこまれた冷たい異物感は、消える事無く鮮明なままだ。 まるで、死者の遺した呪いを、体内に刻み込まれてしまったかのような悪寒。 もしやあのゾンビ少女の、最後の怨念染みたなにかが、自分の身体の中に注ぎ込まれたのではないだろうか――。 「……なーんちゃってーっ! そんなわけ、ないよねっえへへっ」 僅かに思い浮かべてしまったオカルティックな妄想を、わざとおどけた声で追い払うと、ゆのは痛みを堪えて歩きはじめる。 少しガニマタ気味の奇妙な歩き方で、目的の木の下に近付いたゆのは、ようやくショールを回収するとそれを羽織った。 濡れていなければ良いなと思いながら、手に取ったショールは期待通りに暖かな肌触りで。 その温もりでようやく人心地付いたゆのが溜息を吐くと、真っ白い吐息は一瞬だけ鼻先を温めて儚く消える。 ゆのは、口元を両手で覆うと、再び深く息を吐いた。 落ちついて周囲を見渡してみれば、先程の少女との戦いで散乱した武器やデイパックが転がっている。 その中で一番近くにあった日本刀を手に取ると、ゆのは土の上に倒れている少女の遺体にゆっくりと近付いて行った。 怖い想像を働かせてしまうのは、それがゆのにとって未知の相手で、理解の出来ないモノだからだ。 既に息の根が止まっているとは言え、相手は最初からゾンビめいた少女であったし、ゆの自身が止めをさした訳でもない。 だから、いつか息を吹き返すのではないか。 そんな心配が、ゆのに謂われのない恐怖感を与えていたのだろう。 ならば、ゆのが安心出来るカタチにしてしまえばいい。 寒さにかじかむ手で、しっかりと日本刀を握り締める。 初めて触った刀は、時代劇などで侍が軽々と振り回しているのが信じられないほど、ずっしりとした重みがあった。 だが、この場合に限って言えば、その重みは逆にゆのの仕事の助けになるだろう。 「動かない……よね?」 死体が動かない事を確認したゆのは、仰向けに倒れている遺体に馬乗りして、ギロチンのように刃を押し当てる。 刃の背に添える左手は、誤って切ってしまわないように、にゃんこの手。 そうして準備を整えたゆのは、躊躇いもなく一気に刀に体重を掛けて押し込んだ。 首を、断つ。 感触としては、大型の魚のお頭を落とす感覚に近い。 骨の辺りに若干の抵抗を感じたが、この肉切り包丁の切れ味は素晴らしく、一息の内に首を落とす事が出来た。 噴き出た熱い鮮血が、ゆのの両手を赤く濡らす。 「あはっ、あったかぁい……ホントに、生きてたんだ……」 凍えた手に、じんわりと染みるような暖かさが気持ちいい。 この血の暖かさは、この少女がゾンビなどではなく、ちゃんとした人間であった証。 そして今、首を断った事によって、少女は間違いなく死んだのだ。 もはや、恐れる事は何もない。 ゆのは刀を手放すと、陶然とした心持ちで両手で血を受け止めた。 熱い、熱い命の水を。 ◇ ◇ ◇ そうやって、不意の遭遇戦に始末をつけた後。 ゆのの足取りは再び、北へと向かっていた。 海辺の道は、山間部と比べれば雪が積もりにくくて歩きやすいが、それでも今のゆのには辛い道程だ。 なにか楽しい事でも考えながら歩ければ、楽だったかも知れない。 だが、墨汁をぶちまけたような闇夜の中で脳裏に浮かぶのは、これからどうやって生き抜くか――という事だけだった。 自然、その思考は新しく手に入れたアイテムへと、向けられる事となる。 日本刀。 二丁のマシンガン。 手榴弾。 他にも多数の品物が、ゾンビ少女のデイパックには入っていた。 きっと、数多くの参加者を殺して奪い取ってきたのだろう。 どれも充分に、人を殺せるだけの凶器だった。 もし、あの少女がこれらの装備を自在に使いこなせるだけのコンディションであったなら、今こうしてゆのは生きてはいなかったはずだ。 その想像に秘かに戦慄するゆのであったが、それらの武器も今ではゆのの物である。 自らのデイパックに、丁寧に仕舞われた武骨な武具の手触りは、心強くもあった。 だが、首輪は集めてはいなかったらしく、一つもなかったのが残念だった。 ゆのも集め始めた時は混乱の極致にあった為、使い道など考えも付かなかったが、考えてみればこの首輪は参加者たちを掣肘する 強力な爆弾なのだから、武器として転用する事も可能であろう。 キンブリーとの契約の一件もある。 もはや腕を治して貰う必要はなかったが、あの錬金術師との契約は未だ破棄されたわけではない。 等価交換。 彼の語ったその言葉の意味は、等しい価値を有するものを相互に交換するという意味だ。 ならば何も腕の治療に限らずとも、首輪十個分の対価を得る事は出来るはずだ。 ゆの自身が集めた首輪は、ここまでで六つ。 パックの死体に嵌まったままの首輪も含めれば、七つの首輪がゆのの手元にあった。 加えて首輪に関するレポートという物も手に入ったし、これから先も首輪が手に入る可能性はある。 約束の数には未だ足りないが、交渉次第ではキンブリーの興味を惹く事も出来るだろう。 もっとも、再びゆのがキンブリーと出合うような事があるかどうかは判らないし、今の所は特に頼み事もないのだが……。 これから先、自分が先程の少女のような、酷い目に合わないとも限らない。 ゆのはふと立ち止まると、胸に抱いていた混元珠を小脇に挟み、先程新しく手に入れたばかりの首輪をデイパックから取り出した。 我妻 由乃 よしの――いや、もしかして、ゆの。 首輪の裏側に刻まれた文字は、そう読むのだろうか。 自分と同じ名前。 ただの偶然だ。 深い意味など、あろうはずもない。 同じ名前の人間くらい、世の中にはいっぱいいるし、彼女と自分とはなんの関係もない別の人間だ。 たまたまそれがクロスした程度の事で、うろたえる必要なんてない。 同じ名前だからといって、同じ運命を辿る訳ではないのだ。 死体から外したばかりのこの首輪を、初めて見た時もそう結論していたが、それでも陰鬱な気分は消えない。 ちょっとした事で、すぐに気持ちが落ち込んでしまうのだ。 この島では。 ゆのは一つ溜息を吐くと、首輪をデイパックに戻す。 そして気を取り直すと、再び歩きはじめた。 ここがひだまり荘だったら。 もし、今歩いているのが住み慣れたいつもの土地であったなら、誰かが必ず傍に居てくれた。 落ち込んでいれば励ましてくれたし、調子が悪ければ介抱もしてくれた。 もちろんゆのだって、他の誰かが困っていれば、率先して声をかけたものだ。 そうやって親元を離れた自分達は、暮らしの知恵だとか、安心感だとか、しあわせを共有してきたのだ。 だけど、ここでは――。 「ダメダメ、今はひだまり荘の事は忘れなきゃ……」 ぶんぶんと頭を振るうと、髪に付着していたみぞれと一緒に、赤く染まった何かが振り落とされる。 「あ……」 それは我妻由乃が着ていたブラウスの布地を切り取って、ガーゼ代わりに鼻に詰めていた物だった。 一瞬、ゴミを拾おうと屈みかけたゆのだったが、これくらい別にいいかと思い直す。 屈むのが億劫だったし、この島の環境が少しくらい汚れた所でゆのには関係のない事だ。 それよりも、中々鼻血が止まらない事のほうが、ゆのにとっては重大事だった。 幸い鼻骨は折れていないようだったが、これ以上出血が続くようだと貧血になりそうだと自覚していた。 それほど派手に出血しているわけではなかったが、既に大量に失血していたので一滴の血液さえも無駄には出来ないのだ。 「やっぱり病院に寄って行ったほうがいいかなぁ」 既にゆのの視界には、白い巨大な建造物が入っている。 別に病院を目指して歩いてきたわけではなかったが、せっかく近くまで来たのだから寄って行くのが合理的だ。 全身痛い所だらけで薬が欲しかったし、酷く疲れてしまっていて、まぶたがくっついてしまいそうなくらい眠かった。 こんな状態で競技場に向かっても、死にに行くようなものだ。 死にたくないから足掻いているというのに、それでは本末転倒と言うべきだろう。 そもそも、ゆのがここまで突き進んで来たのは、怖い人たちに脅迫されていたからだ。 一つ、首輪を十個集めてきなさい。 一つ、三人殺してきなさい。 一つ、競技場にきなさい。 という、三つの命令に従って、ゆのは動いてきた。 しかし改めて考えてみれば、一つ目の件は別に急ぎの用という訳でもない。 二つ目の件もパック、胡喜媚、我妻由乃の三名を倒し、既にクリアしている。 ここまでゆのが歩いてきた原因の三つ目の件にしても、別に人質を取られた訳でもないし、無理に実行する必要などどこにもなかった。 出合ったあの場所を離れて、ゆのが隠れてさえしまえば、趙公明たちとは再び出合う事すらないかも知れないのだ。 ああ、なんだ。 別にもう、休んでも良かったんだ――。 その気付きは、ゆのの身体にずっと圧し掛かっていた、重しが取れたような開放感を齎した。 強張っていた身体の緊張がゆるむ。 すると、これまではどうにか我慢していた生理的欲求が、むっくりと頭をもたげてくる。 そうだ。病院に入ったら、お風呂を探そう。 凍えきった身体を、まずは温めたい。 贅沢は言わない。シャワーだけでも良い。 それから薬を探して治療をして、それからそれから厨房で何かを作ろう。 時間が経ってこちこちになっているおにぎりも、水と一緒に鍋に入れて火をかければ、柔らかく煮崩せるだろう。 おかゆみたいにしたそれを食べれば、きっと活力が湧いて来るはずだ。 ああ、でもそれより何よりも、まずは寝たい! 暖かな毛布に包まって、ぐっすりと眠る事が出来れば、他の事は全部後回しでも構わない……。 重たかった足取りが、少しだけ軽くなる。 望みは次から次に出てきて、そのどれもが魅力的に思えた。 瞳に期待の色を宿らせたゆのは、病院の敷地内に足を踏み入れて――。 次の瞬間、目前にそびえ立っていた巨大な建造物が、轟音と共に崩れ落ちて行くのを見た。 身体に感じる振動は、雪崩落ちる瓦礫の衝撃が大地を伝わってきたものだ。 瓦礫同士が擦れ合うような強烈な破砕音で、今にも鼓膜が破けそう。 気が付けば、黒いもやが目前まで迫っている。 土埃と共に天まで舞い散った大規模な粉塵が、瞬く間に敷地内を満たして、ゆのの元へも押し寄せてきたのだ。 ――何が起きたのか、判らなかった。 しゃっくりをした時みたいに、横隔膜が震える。 驚きのあまり、ゆのはしばらく呼吸を止めていた。 周囲には、薄い水色の膜がある。 混元珠によって周囲の雨水を操作したゆのは、自らの周りに即席のバリアを作ったのだ。 物理的な防御力は皆無に等しいとは言え、粉塵を防ぐだけなら上等な対策だった。 これまで、いくつかの非日常的な危機を乗り越えてきた事で、ゆのの対応力も上昇していた。 だが、それは目前まで迫っていた粉塵に対応しただけの事だ。 どうして、いきなり病院が崩壊してしまったのか。 そして、この事態に対して、どういう対応を取ればいいのか。 それがゆのには判らない。 唯一思いつく対策は、この場から逃げ出すという選択肢だけだったが、逃げようにも周囲一帯には濃密な煙幕が立ち込めていて、 視野がまったく確保出来ない状態だ。 このような状況では、下手に動いた方が命取りになるという事も有り得る。 故に、ゆのは小さな身体を更に縮めて、震えながら煙が収まるのを待つしかなかった。 すると、そんな風に怯えているゆのの耳に、奇妙な音が聞こえてきた。 重く、硬質な物体同士がぶつかって擦り合うような、不快な音だった。 目を凝らして、なんとか何が起きているのかを探ろうとするゆのだったが、煙幕の先は十センチすら見通す事は出来ない。 しかし、折からの強風が吹き荒れて、闇のカーテンを払いのける。 視界を塞いでいたもやが薄れたそこには――瓦礫の山が、なかった。 「……えっ?」 そこにあったのは、二本の白い円柱だった。 逆Vの字型にそびえ立つ巨大なそれは、上空で一本に纏まって直立している。 接地している部分は巨大な靴のような形状をしており、よくこれだけで倒れないなと思うような、奇跡的なバランスを演出していた。 「……って言うか、もしかしてこれ……足の……像?」 あったはずの瓦礫の山が無くなっていて、代わりに下半身だけの巨大な石像が立っている。 この結果から導かれる答えは、瓦礫の山を原料として、僅かな時間の内にこの像を建造したという事しか考えられないが、 一体どこの誰が、そんなバカバカしくも非常識な真似をしでかすと言うのだろうか。 建造した方法も謎ながら、わざわざ病院一つ潰してこんな物を作った意図が判らない。 ひたすら固まって、空中にクエスチョンマークを飛ばし続けるゆのの前に、救世主が現れた。 「ふふっ……それは僕さっ!!」 チーンという機械音と共に、像の靴の部分に設置されたドアが開く。 そしてその中から現れた男が、ゆのの考えを読み取ったかのように高らかに宣言した。 鳴り響くヴァイオリンの独奏。 男の名は、趙公明。 二度と会うはずのなかった男であった。 「どっどっどっどっどっ……」 どうして。 どうして、競技場へと向かったはずなのに、まだこんな所にいるのか。 どうして、こんな像を作ったのか。 どうやって、病院を潰したのか。 どうやって、こんな像を作ったのか。 無数のどうしてが頭の中に渦巻き、ゆのは削岩機のように『ど』の音を繰り返す。 だが、実際の所そんな疑問など、どうでも良かった。 この場で重要なのは、再びこの男と出会ってしまったという事実だけだ。 酸素が足りない。 世界が歪む。 男は、ゆのの救世主などではなかった。 このままでは、連れ戻されてしまう。 再び、闘争と苦痛の世界へと。 「おや? 君も道路工事かい? 僕も久々に舞台の建造に勤しんでみたんだが、やはり芸術は良い! いや、先に競技場へと向かってみたのだけれどね。 あまりに華のない所だったので、こうやって舞台を彩る芸術的な像を造りに戻ってきたという訳さ! ハァーッハッハッハッハァー!!」 だが、男はゆのの様子などお構いなしに笑い続ける。 真夜中も近いと言うのに、相も変わらずエネルギッシュに。 代わりに趙公明の背中から、ひょこりと姿を現したのは西沢歩だった。 セミロングだった髪の毛は、ゆのと同じ程度の長さに切り揃えられていた。 切られた後ろ髪に合わせて、長さを揃えたのだろう。 「あ……元気……だったかな?」 予期せぬ再会に、少しだけ気まずげに。 だが、しっかりとゆのの瞳を見つめながら、歩は声を掛ける。 「ッ……」 元気な訳ない。 この格好を見れば、判るでしょう? あれから少ししか時間が経っていないのに、私はゾンビみたいな女の子と、殺し合いをしてきたんだよ? こんなにずぶ濡れになって! 顔をいっぱい、殴られて! 貴方はいいよね。どうせ人質として、大事にされていたんでしょ? 誰かが助けてくれるのを、お姫様みたいにのんきに待っていたんでしょう? そんな憎まれ口を叩きたかったが、慣れない言葉は上手く口から出て来ない。 ゆのは精一杯の敵意を瞳に込めると、歩を睨みかえす。 そんな取り付く島もない様子に歩が苦笑を返すと、ゆのの頬に朱が差した。 バカにしている。 汚くなった私を、綺麗なままで見下して。 こうならなきゃ私は、生きていけなかったのに。 これ以上、この子と一緒に居ると、またおかしくなってしまいそうだった。 ゆのは、歩から視線を外すと趙公明に向き直る。 「あ、あの……それじゃあ競技場で、またお会いしましょう。 わ、私、これで失礼しますね」 「待ちたまえ」 ぺこりと一礼してから、回れ右をしようとしたゆのに、男が待ったをかける。 ぎくりと、背筋が震えた。 「な、なんですか?」 「こうして又会えたのだ。せっかくだから乗って行きたまえ。この『巨大趙公明の像』にっ! 何、遠慮はいらない。 まだ未完成とは言え、ちゃんと内部にはゲスト用の居住スペースを設けてあるからね! 君一人くらい同乗したところで、まったくなんの問題もないのさ」 「きょっ、巨大趙公明の像……? う、ううん。そうじゃなくて……だって、わ、私には人質の価値はないって……」 どうやら、この未だ下半身だけの石像は、趙公明自身をかたどった物らしい。 言われてみれば靴の形などはまったく同じ造形だし、ズボンの三次元的なデザインも中々の腕前だ。 とすると、これから上半身も造る予定なのだろうか。 それは充分に驚くべき話だったが、反応するべきはそこではない。 趙公明は、ゆのに一緒に来るよう求めているようなのだ。 以前は、ゆのには人質の価値がないと言っていたはずなのに。 まさか、競技場へと向かう気を失くした事を、悟られてしまったのだろうか。 「ノンノンノン。もちろん、人質などではない。 特別ゲストとして同行しようという事さ。 確かに君に人質としての価値はないが、僕は別の価値を君に見出したのだよ。 君は、この僅かな時間の間に、また素晴らしい闘いを繰り広げてきたようじゃないか? トレヴィアーン!! 君のその、事件に巻き込まれる力……それはまさに因果律の申し子と言えるだろうっ! 主人公体質と言い換えてもいいっ! その体質に、僕は嫉妬すら覚えてしまっているっ! なぜなら、僕はこの島で起きた大規模な全開バトルに、いつも一歩出遅れてしまうからだ……。 如何に“濃い”キャラ立ちをしているとは言え、サブキャラクターである僕にはその力がない。 しかし、君と同行する事で、その力の恩寵に預かれるかもしれないと、僕は考えたのだよっ!」 趙公明は、再びゆのには理解できない事を、ぺらぺらと捲し立てる。 主人公体質だかなんだか知らないが、ゆのとしては放って置いて欲しい所であった。 競技場へと向かうのは、ゆのにとってあまりにも利が薄い。 さきほど考えた通り、このイベントをスルーして、体力を回復させたいのである。 「さあっ。早く来たまえ。僕は寒いのが大の苦手さっ! 中で熱いお茶でも飲みながら、君の経験した闘いの話を聞こうじゃないかっ!」 だが、そんな都合などお構いなしに、趙公明はゆのに迫る。 差し出された手に怯えるようにゆのは後ずさりして、遂には反転して逃げ出そうとしたのだが――。 「ひっ」 振り向いたら、そこに趙公明がいた。 右にかわして逃げようとしたら、そこにも趙公明がいた。 更に反転して逃げても、左に行っても、後ろに行っても、そこには趙公明がいた。 「い、いやぁ……」 この男は、分裂でもしたと言うのだろうか。 いや、そうではない。 単純に、身体能力が違いすぎて振り切れなかったのである。 そして次の瞬間、趙公明の細腕が空気を切り裂く唸り声をあげた。 腹筋を締める暇すら与えずに、ゆのの無防備な腹部に、鋭い拳を突きさしたのだ。 その威力は、小さなゆのの身体を、軽々と空中に浮かびあがらせる。 狭い腹腔内にきちんと納められた内臓を、無茶苦茶に揺さぶってしまう、重い一撃であった。 「ぐぇぇっ」 たまらずカエルが潰れるような声をあげながら、ゆのは吐瀉物を宙に撒き散らす。 そして受け身も取れずに大地に叩きつけられた身体は、僅かにバウンドするとその動きを止める。 くの字に折曲がった背中が微かに震えると、ゆのは断続的な呻き声をあげた。 それは女の子らしくもない、腹の底から絞り出すような低い苦悶の声であった。 「ふふ、僕は意外と気が短いのさ」 そんなゆのを足元に見下しながら、趙公明は貴公子的に微笑む。 「き、気が短いとかじゃないよっ! 女の子のお腹を殴るだなんて、酷過ぎるんじゃないかなっ!? それが男の人の――貴公子のやる事なの!?」 男を糾弾しながら駆け寄ってきた歩が、拘束された腕でゆのを抱き起こすと、その表情は青黒く変色していた。 腹部を強打された衝撃で、呼吸もまともに出来ないのである。 歩が横向きに寝かせて背中を擦ってやると、ゆのは再び胃液を吐き出した。 酸っぱい臭いがその場に漂い、それを嫌った趙公明は身を翻して石像へと歩きだす。 「ふふふ、残念だったね。貴公子は貴公子でも、ただの貴公子ではない……。 実は悪の貴公子ブラック趙公明Mk-Ⅱだったのさ!!!!」 そう言い放つと、趙公明は雨に濡れた服を脱ぎ捨てる。 すると、ガ○ダムMk-Ⅱ(テ○ターンズ仕様)のような色調へと染め抜かれた同デザインの服が現れた。 「なっ!! だからこんな酷い事を……って、ただ黒くなっただけじゃないっ!! 意味がわからないよっ!?」 「ハァーーーッハッハッハッハーーーーーー!! 落ちついたらゆの君を連れてきたまえっ!!」 それだけを言い残すと、ブラック趙公明Mk-Ⅱの姿は石像の中へと消えた。 石像の靴の部分に備え付けられたエレベーターを使い、上階へと戻ったのだ。 趙公明が去った後も、歩はおろおろしながら、ゆのの背中を擦り続ける。 「だ、大丈夫かな!? しっかりして! ひっひっふぅーだよ!?」 地獄の苦しみの中で涙をこぼしながら、その声を聞いていたゆのは、悔しい気持ちでいっぱいだった。 なぜ、同じ女の子だというのに、自分だけがこんなに惨めなんだろうかと。 この道を選んでしまった、自分の選択が間違っていたのだろうか。 普段通りであろう歩の行動を見るたびに、ゆのの心は揺れ動いてしまう。 大丈夫だよ。人殺しなんてしなくても、ちゃんとこの世界でも生きていけるんだよと言われている様で。 歩が、本当にお姫様みたいに気高くて綺麗だったら、まだ良かった。 別の世界の人間なんだと、諦観していられた。 だけど、歩はごく普通の女の子だった。 大切な人をこの世界で殺されて、自身もゆのに殺されかけて。 ゆのと同じように当たり前の恐怖と、当たり前の憎悪に押し潰されそうになっている、ただの女の子だった。 それでも普通のまま、普通の癖に、しぶとくこの世界で生き永らえている。 だったら、人殺しにまで堕ちてしまった自分はなんなのか。 変わらなければ生きていけないと思ったのは、間違いだったのか。 今までの自分を、全部粉々にして。 そうまでして生き延びてきたのが、間違いだったなんて思いたくない。 そんな事をしなくても、生きて帰れる可能性もあっただなんて、認めたくない。 歩は、もう一人のゆのだった。 この世界でも、変わる事のなかったゆのだった。 その在り方を愛おしいと思うのと同時に、絶対に存在を許してはおけなかった。 この子だけは、この手で殺さなければならない。 もう引き返す事なんて出来ない、自分自身の為に。 以前、歩に感じた恐怖が、明確な殺意へと変わっていく。 命じられたからではなく、自己防衛の為でもなく、純粋な憎しみから生まれ落ちた、本物の殺意。 その殺意を抱きながら、ゆのの意識はゆっくりと闇へと落ちて行った。 【D-2/病院跡/1日目/夜中】 【ブラック趙公明Mk-Ⅱ@封神演義】 [状態]:疲労(中) [服装]:貴族風の服 [装備]:オームの剣@ONE PIECE、交換日記“マルコ”(現所有者名:趙公明)@未来日記 [道具]:支給品一式、ティーセット、盤古幡@封神演義、狂戦士の甲冑@ベルセルク、橘文の単行本、小説と漫画多数 [思考] 基本:闘いを楽しむ、ジョーカーとしての役割を果たす。 1:巨大趙公明の像を完成させる。 2:再び競技場に向かいつつ、パーティーの趣向を考える。 3:カノンやガッツと戦いたい。 4:ナイブズに非常に強い興味。 5:特殊な力のない人間には宝貝を使わない。 6:宝貝持ちの仙人や、特殊な能力を持った存在には全力で相手をする。 7:キンブリーが決闘を申し込んできたら、喜んで応じる。 8:ネットを通じて更に遊べないか考える。 9:狂戦士の甲冑で遊ぶ。 10:プライドに哀れみの感情。 [備考] ※今ロワにはジョーカーとして参戦しています。主催について口を開くつもりはしばらくはありません。 ※参加者の戦闘に関わらないプロフィールを知っているようです。 ※会場の隠し施設や支給品についても「ある程度」知識があるようです。 ※巨大趙公明の像の完成度は、現在40%程度です。 【西沢歩@ハヤテのごとく!】 [状態]:手にいくつかのマメ、血塗れ(乾燥)、全身に痣と打撲、拘束 [服装]:真っ赤なドレス、ナイブズのマント、ストレートの髪型(短) [装備]:なし [道具]:スコップ、炸裂弾×1@ベルセルク、妖精の燐粉(残り25%)@ベルセルク [思考] 基本:死にたくない。ナイブズに会いたい。 0:だ、大丈夫なのかな? 1:ミッドバレイへの憎しみと、殺意が湧かない自分への戸惑い。 2:ナイブズに対する畏怖と羨望。少し不思議。 3:カラオケをしていた人たちの無事を祈る。 4:孤独でいるのが怖い。 [備考] ※明確な参戦時期は不明。ただし、ナギと知り合いカラオケ対決した後のどこか。 ※ミッドバレイから情報を得ました。 【ゆの@ひだまりスケッチ】 [状態]:疲労(極大)、失血性貧血、顔と頭部に大量の打撲や裂傷、首に絞められた跡と噛まれた跡、左手の甲に傷、肛門裂傷、倫理観崩壊気味、 精神不安定(大)、腹部にダメージ、気絶 [服装]:真っ黒なドレス、ショール、髪留め紛失 [装備]: [道具]: 支給品一式×11(一食分とペットボトル一本消費)、イエニカエリタクナール@未来日記、制服と下着(濡れ)、 機関銃弾倉×1(パニッシャー用)、ダブルファング(残弾100%・100%、100%・100%)@トライガン・マキシマム 首輪に関するレポート、違法改造エアガン(残弾0発)@スパイラル~推理の絆~、ハリセン、 研究所のカードキー(研究棟)×2、鳴海歩のピアノ曲の楽譜@スパイラル~推理の絆~、妖刀「紅桜」@銀魂 パックの死体(ワンピースに包まれている)、エタノールの入った一斗缶×2、閃光弾×2・発煙弾×3・手榴弾×2@鋼の錬金術師、 首輪×6(我妻由乃、胡喜媚・高町亮子・浅月香介・竹内理緒・宮子)、 不明支給品×1(武器ではない) [思考] 基本:死にたくない。 1:人を殺してでも生き延びる。 2:壊れてもいいと思ったら、注射を……。 3:西沢歩を殺したい。 [備考] ※二人の男(ゴルゴ13と安藤(兄))を殺したと思っています。またグリフィスにも大怪我を負わせたと思っています。 ※切断された右腕は繋がりました。パックの鱗粉により感覚も治癒しています。 ※ロビンの能力で常に監視されていると思っています。 ※イエニカエリタクナールを麻薬か劇薬の類だと思っています。 ※混元珠@封神演義はゆのの近くに落ちています。 時系列順で読む Back 不可逆の螺旋軌道 Next [[]] 投下順で読む Back 不可逆の螺旋軌道 Next [[]] 164 全て呪うような黒いドレスで 趙公明 [[]] 164 全て呪うような黒いドレスで 西沢歩 [[]] 169 Small Two of Pieces~JUNO~ ゆの [[]]
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「■■■■」 ――真後ろから、名前を呼ばれたような記憶がある。 しかし、その記憶は、後に思い出そうとするたびに全く違った色合いを伴ってしまう。 女の声だったような気もするし、男の声だったような気もする。 始めての失恋のように懐かしく胸を刺激ものとして思い出される時もあれば、まるで他人事のようにひどく淡泊なものとして思い出される時もある。 だから、それが実際の記憶だったのか、それともただの夢や作り上げた空想の記憶なのか、オレにはもうわからない。 その時でさえ曖昧だったのだ。 それから先、あまりにも時間がたちすぎてしまった。 そう、途方もないほどに、時間がたちすぎてしまった。 「あん?」 とにかく――その時。 オレは、それを聞いて振り返ろうとした瞬間、すさまじい形相のそいつを見る事になる。 そいつは、武器を持っていた。殺意があるのは、次の瞬間矢じりをオレの指先に掠らせた機敏な動きですぐにわかった。 オレにも、持ち合わせた武器がいくつかあった。矢、斧、槍――後でそう呼ばれる類の武器だ。ただ、この時はまだあまり洗練されていない鉄くれに過ぎなかった。 とにかくオレは、憮然としつつもそいつを必死に振り回して、何度かそいつを軽く傷つけたが、何分地の利が悪すぎた。 オレはあまり自由に動けない場所に立って、背中を取られたまま、必死に身動きを取るようにしてそいつに抵抗していたのだ。 ――しかし、なぜ。 そう思った。 なぜ、そいつはオレの命を狙ったのか? ――それは、その時もまたわからなかった。 ただ、疑問だけが湧いた。 「くっ……!」 打撃はオレの首筋へと至った。鋭い何かが、オレも気づかぬうちにそこを射止めていた。 直後に、冷ややかな線が首筋に走り、凄絶な痛みと刺激に襲われていく。 手で触れると、鮮血がオレの手にこびりついた。 それはとめどなく流れ続け、オレを焦らせた。血が止まらないのがわかる。 「ァ……――な、…………ぜ…………」 そうしてオレは、力を失いそこに倒れた。 すぐに体は動かなくなった。 目の前で残雪が朱色になって溶けていく。 大河が轟音を立てているそばで、オレはそいつがそこにいるのか、もう消えたのかもわからないまま寝そべっていた。 首元に残る鈍痛と、冷えていく体、遠ざかっていく意識。 ――冷たい。 そう感じた。 溶けた残雪のかたまりが、木々に持たれるのをやめてオレの身体に圧し掛かったのだ。 オレの視界は完全に闇に包まれた。全てが冷たい雪に覆いかぶさった。 それから、オレの姿を探ったものがいたとして……オレを見つけられる者はいないだろう。 遂に、オレは完全にその命を絶った。 生まれてから死ぬまで、あらゆる喜びと悲しみを繰り返した。 幾人が帰ってこられなかった山を友と登り、共に生還した日も。 我が誇りたる父の死も、愛する母の死も。 命と命のとり合いや狩りに出されても、ほとんど死ぬような状況であれ生き抜いた数十年も。 ただ穏やかに過ごした、平和な一日一日も。 そして、どうあれ明日も生きていくはずだった。 そんなオレの人生にトドメを刺した何者か――。 それは、最後の瞬間、怒りや憎しみ、痛みや悔しさ――あらゆる感情と同時に、ぷっつりと記憶の外に外されてしまった。 ――誰が、何故、俺を殺した。 今はただ、それだけが知りたい。 これだけ時間を隔てても――いや、隔てたからこそ尚更――オレの胸にお前への憎しみはないのだ。 だから、オレはオレの為に、お前の名だけ知りたいのだ。 オレの人生にピリオドを打った、そいつの名前さえ知る事ができれば、それで満足なのだ。 ただ一人の人間として、それを願うのは罰当たりか? 今より先、世界が滅びるまでどれだけの人間が生まれ死んでいくかはわからないが――その一人として、己の死を飾ったその真相を知りたいと思うのは間違っているだろうか? 根拠もない。これといった心当たりもない。 ただ、頭の中を巡る様々な可能性を考え続け、誰も信じられず、誰も疑えず、孤独になった。 関わった者すべてを疑い、疑いきれず。信じようとしても、信じ切れず。 そんな夢を見ていた。 「■■■■」 あの時より五千年。 オレはそれを知りに行く。 そのためならば手段は問わない。 しかし、胸を張り殺しに行くだろう。――すべてを知り尽くすために。 ◆ 京都府京都市。背の低いビル群から垣間見える永久のオリエンタリズム。 点々と残る数百年前の歴史と、その周りを取り囲む当世風の――特徴のない建物たち。 何となしのビル。何となしの家。何となしの駅。 あまりにも……あまりにも……、そこは戦に向いていなかった。 小規模な戦に晒される事はあっても、長らく大きな破壊を伴う戦いのなかった地である。 人々が、「先の戦い」と呼んだならそれは応仁の乱だ、という冗談さえも在る。 ――それくらいの間。五百年もの間、戦争が壊す事のなかった都。 それが、京都という地であった。 勿論、第二次世界大戦で全くの被害がなかったわけではないが、今始まろうとしている戦いは時にそれ以上の破壊を齎す事が想像に難くない。 夜――さる人々は、願いと羨望を胸に杯を目指すだろう。 聖杯戦争という、戦に生きた者たちのバトルロワイアル。杯を目指す魔術師たちに従えられ、戦士がよみがえる。 今夜もまた――、顕現した一人の英霊が街を眺めていた。 ◆ 「――」 それは、『私』にとっては不意打ちであった。 一人暮らしの私の自宅に及んだ、あまりに唐突な戦争の狼煙である。 フローリングの床に浮き上がった朱色の魔法陣より出でた巨大な光、そして私の腕を這う鋭い痛み。 「っ……!!」 聖杯戦争。 なんとなくどこかから教えられていた、そのゲームとそのルールが頭に浮かび上がる。 班目機関によるバイオテロと偶然そこにあった憎しみとが生み出した――あの夏の忌まわしい事件から少し経ち、今日。 また。再び。私は極限の事件に巻き込まれる事になった。 それは今までに遭遇した殺人事件の類ではなく、ファンタジックな戦争の物語で――便宜上『探偵少女』などと呼ばれた私からすると、専門外の事態かもしれない。 しかし、どうあれ、自らのもとにあの呪いめいた体質が呼び起こした不運の一つなのだろう。 私は、どうあれ抵抗するしかない。自らが巻き込まれる運命に。それは単純に、私のこのうら若い命を散らしたくはないからだ。 「……――よォ」 と、渋みのある老人のような声が、挨拶を投げかけた。擦れたその声が、老獪めいた印象を植え付けるのである。 光が晴れていくと、彼の姿もはっきりと浮かび上がる。 私の召喚したらしいサーヴァント――その何重にも深く被った毛皮のフードからは、鋭い茶色の瞳だけが覗いていた。 逆に言えば、それだけが――この名もなき英霊のただ一つ見せる生身であった。 「あなたは……」 私――剣崎比留子は、彼を上目遣いに見つめた。 訝し気な顔をしていただろう。訝し気、というよりは初めて目の当たりにするサーヴァントへの警戒も含まれていた。 当たり前だ。 彼の全身は、あまりに隠されていた。 毛皮のフードだけではなく、腕も、足も、それぞれ体の全てを動物の毛皮で覆っていた。 これでは、性別さえも、あるいは本当に人の姿をしているかさえも判然としない。 しかして、複雑な道具を使いこなすだけの理性と知識のある文化的背景を過ごした戦士であるのは、私にもすぐにわかった。 彼は、小さな手斧を携え、それにまた背中には弓兵の英霊であるかのような巨大な弓を背負っていた。 それがこの聖杯戦争において彼の戦の道具らしい。 「――アンタがオレのマスターかィ」 「……ええ」 サーヴァントの問いに、上ずった声で返事をした。 ……自分でも少し、気に入らない――あまり可愛くない声が響いた。咄嗟な事でも、もう少し上手く返事をしたい。むう。 しかし、サーヴァントは私の声色が艶やかか間抜けであるかには、あまり興味がないようだった。そっけない返事が返ってくる。 「そうかィ。よろしくな」 「そうですね。……いや、うん。これから、よろしく」 調子よく声が出たところで、彼への口調を敬語から改める。 どうあれ、私は主、彼は従者。それならば、年下に効くような口で話しても構わないだろう。 彼もその力関係はよく把握し、納得しているらしい。 「で、早速だがな。どうやら、マスターは何か訊きたそうに見受けられる。 ――ひとまずはそれを晴らしておこう。 何から知りたい? とりあえずは、オレの知ってる限りの事はなんでも応えるぜ」 なんとも私にとって都合の良い事を言ってくれる。 ちょっと調子が狂っていた私は、ひとまず調子を取り戻す。 サーヴァントとして覚悟を伴っている彼と違い、私はすぐには自然な会話に戻れない。 ちょっと深呼吸した。 「……ありがとう。そう言われると助かるよ。 何せ、私は否応なしに聖杯戦争に巻き込まれてしまってね。魔術師ではないから、聖杯戦争そのものを知ったばかりだ。 知りたい事、というよりは知っておかなければならない事が多すぎる」 「なるほどなァ……。それなら尚更だ。情報は生存を左右する」 「ああ。だから、こちらから遠慮なく。 まずは、その背の弓。あなたは……『アーチャー』? で間違いないかい?」 私はまず、彼の背の弓を見て問うた。 聖杯戦争には、基本の七つのクラスと、それに属さないエクストラクラスが存在する事を解している。 セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー……その中のいずれかと言われたなら、彼はそうだろう。 ただ、彼を呼ぶ時になんと呼んでいいのかさえわからないのはあまりに不便だ。 「いや――オレは復讐者、アヴェンジャーさ」 「復讐者……エクストラクラスか……」 「ああ」 「つまり、あなたは過去に誰かに『殺された』という認識で良いかな?」 「……ああ。すっかり、遠い昔の話だが、それは間違いねェ」 「あなたにとっては――その復讐、が最終目的であると」 「――いや。それはまた、違うな」 私の言葉を、アヴェンジャーは遮った。 「オレが望むのは復讐じゃァねェんだ」 「では、何故復讐者として召喚に応じ、何故聖杯戦争に参加したのかな?」 「……オレはな――ただ、知りたいのさ。 オレを殺したのは誰なのかをな」 そう呟く時のアヴェンジャーの少し強くなった語調と、その迫力に圧された。 強い拘りか、やりきれない何かが放出されているように見えた。 まだ契約の結ばれたばかり、情報交換の段階の私たちには信頼はない。何気ない一言が、私に固唾を呑ませる。 すべてがあまりにも私の常識と食い違う存在――いくら主従関係でも、安易に触れるには少しヘビィな相手だった。 アヴェンジャーは、そんな私の様子を察する事もなく、口を開いた。 「――オレは五十年ほどだけ生きた、ごく普通の人間だった。 マスターは幾つか知れねェが、それでも結構苦労や楽しみがあって生きてきた貴重な人生だろう? オレにとっては、その五十年が人生の全て、オレの世界の全てだった。 まあ、あの日から今日までを隔てる五千年なんていう時間に比べれば、大した事ァねェかもしれねェが――」 「……五千年?」 「ああ、五千年だ。考えてみると、ああ、あんまりにも、時間が経ちすぎたな。 それだけ経った次代を見てしまったのなら、自分が死ぬより後にどれだけ生き続ける事になったのかなんて考えたって仕方がねェだろう。 世界が見違えるほど時間が経っているってのに、今更復讐と言って何にもならねェよ」 「まあ、そうかもしれないけど……」 「それに、オレは自分を殺したのが何者なのかも全く知らねェ立場だ。憎もうにも憎みきれねェ。 それじゃあ、恨みを買ったのは、オレに原因があったとも言い切れねェしな。 必ずしも、相手の勝手で殺されたとは言い切れねェ……だから復讐とは行けねェのさ」 私には、殺された人間の気持ちなどわからない。 一方的に殺されたとして、ここまで相手を許せるものなのだろうか。 ……ただ、私には、アヴェンジャーは恨みを捨て去ったのとも、忘れたのとも少し違うように聞こえた。 あっけからんと云おうとしているが、それを隠しきれていない。 「それに、どうせ人はいつか死ぬもんさ。あれから多少生きながらえたとして、この時間にも、この国にも、決して辿りつく事はないワケだ。 なのに、今になって『自分の復讐』なんざやったって意味がねェ」 そう――それは、私には「諦観」に近いニュアンスに聞こえた。 本来なら憎しみが湧いてもおかしくないのを、かつてと今とを隔てた膨大な時間に諦めさせられたようにも聞こえる。 前向きでおおらかというよりは、どうにもならない状況を諦めきったような、無理のある言葉であった。 自分が殺されたという事実もまた、歴史から見れば小さな出来事の一つに過ぎないと悟りきってしまったのだろう。 勿論、それは私の邪推に過ぎないかもしれないが。 「――だが、どうせ終わったのなら、誰が、どうして、オレを終わらせたのか知りてェのさ。 オレの人生の幕を閉じたのが誰なのか、何故なのか、知らぬままには死んでられねェからな。 そう……別に憎んじゃいねェ。ただ、オレは知りてェ……そうしてェんだ」 「心当たりは、まるでないのかな?」 「心当たり?」 「アヴェンジャーを殺した人間の心当たりだよ。大きな恨みを買ったとか」 「……いや、それならあるさ。人並に、ただし、膨大にな。 妻か、弟か、友か、敵か、味方か、通り魔か、偶然か。 オレに対する強い敵意があったのか、それとも不幸な事情があったのか、何かの間違いによる事故なのか。 それこそ、誰にだって突然、殺される理由、その可能性なんて無限にある。 理由がない殺人――それも今のオレからすれば納得のいく理由の一つだな」 「確かに正論だけど。 そこから一つに絞る事は出来ないなら、それは心当たりがないのと同じだよ」 「ああ。まったく、そんなところだな。 云った通り、大きな恨みを買った覚えはほとんどない。 それすらも、何もわからないままに――オレ自身は血まみれになって、氷に沈んだ。 はっきり言うが、やってられん。 ……だから、『知る』為に戦う。 それだけが……【アイスマン】と呼ばれたこのオレの――ただ一つの願いさ」 理不尽に殺され、理由もわからないままな一人の被害者の『やりきれない想い』が、アヴェンジャーの持つ一抹の願いだった。 聖杯に託す願いさえも、絶対ではない。 諦めきれない想いを、せめて癒せるかもしれないというギャンブルに過ぎないように聞こえた。 それが叶ったら良いな、もしその為に戦えるのなら全力を尽くせるだろうな、というような――ある種の神頼みと、チャンスをつかみたい意志。 自分の人生が何故終わらせられなければならなかったのかを、彼はただ知りたい。 それだけが彼の復讐者としての事情であった。 そして――何より。 「そう……なるほど」 アヴェンジャーの持つ『理由』に、私は妙に納得した。 この聖杯戦争なる儀式に応じる者は、いかなる考えを持った人間なのか。 それが納得しきれない事には、自分の安全は確保できない――過去に虐殺を行った英霊ならば、あるいはあまりに異なった価値観を持つ英霊ならば、私もコントロールが難しいからだ。 しかし、ごく一般的にも納得しうる理由で彼は動いている。 それに、彼の『アイスマン』なる名前には聞き覚えがある。 エッツ渓谷で発見されたミイラに名付けられた名前――そのミイラは、『世界で初めて殺された男』などと呼ばれている。 見れば、五千年前という時代にも、この動物の皮をまとったいでたちにも、その境遇にも、ほとんどそれは――あのミイラ男の特徴と一致するのである。 私には、ほとんど確信があった。 彼が――アヴェンジャーこそが、そのアイスマンであると。 それならば、決して強いとは言わずとも、あまりに突飛な思考の英霊にはなりえない。虐殺の逸話もなく、親や主を殺す逸話もない。 ただの、有名な、被害者だ。 安全や安定を求める私にはマッチングしている。 彼は、願いそのものへの執着も他の英霊と比べて薄い事だろうと思う。何せ、自分ならば絶対に願いを叶えられるなどとは思っていない筈だからだ。 成功者でもなければ、万能でもなく、決して勝ち続けた人間でもないが故に、聖杯戦争にかける自信も弱い。 マスターを利用し、マスターを切り捨てるなどといった方針にも至らないだろうし、いざという時には潔く自分の運命を認めるだろう。 あくまで、彼は知名度の高い凡人といったところだ。 そんな彼ならばこそ、私の相棒には相応しい。 「取引しよう、アヴェンジャー」 と、私は云った。 「私の願いは一つだ。私自身が、すべての危険を回避してその場を生き残る事。 あなたの願いは一つだ。あなた自身が、かつて殺された理由を探りだす事。 あなたは私が殺された段階で消滅し、その願いを叶える機会を失ってしまう。それは不本意のはずだ。 つまり、それまであなたは私を守りきらなければならない」 「ああ。もとよりそのつもりだ。だが、マスターに願いはないと?」 「ないわけではない。けど、それは今になって無理に叶えたい物でもない。 リスクが多すぎるし、私には正直、疑念の方が大きいよ」 それが率直な私の気持ちだ。 聖杯の叶える願いが本当ならば魅力的だが、そうでないならば単なる危険な徒労になる。回避しておきたい事象だ。 それよりか、とにかくひたすらに身の安全を守る合理的な方法を追いたいのである。 ならば、降りれば良いかもしれないが――ここにも理屈はある。 「ただ、今すぐゲームを降りるのもリスクは大きいと思ってる。サーヴァントの力は兵器も同然だからね。 人的被害も厭わない性格のヤツも少なからずいるとみて間違いない。と、すると無関係なモノを巻きこまずに戦争を終える事の方が難しい。 その戦場にあって、力がないのはあまりにも心細いし怖いんだ。 だから、正直、私の身を守るナイトが欲しい……となると、それはサーヴァントに他ならない」 「なるほどなァ……否応なしに巻き込まれれば、そうもなるか」 「そこで、アヴェンジャーには最後まで私を守り抜いてくれる事を約束してもらいたい。 そのうえで、最後まで守ってくれたなら、私は聖杯を使う権利をあなたに与える」 この内容なら、アヴェンジャーも考えるまでもないだろう。 サーヴァントは、非力な部類であれ常識離れした能力を持っている。 それが野放しにされている町で、何も助けがないままに行動するのはリスキーだ。 ここで切り捨てる事もなく、アヴェンジャーを利用。そして、同時にアヴェンジャーに利用されるというのが合理的に違いない。 双方、この条件の意味を納得し、契約するのが前提である。 「わかった、取引に応じるぜ。マスター」 「物分かりが良くて助かるよ」 「それで、マスターの質問は終わりか?」 「……そうかな。当面は。アヴェンジャーの番、でいいよ」 私からすれば、訊きたい事は膨大にある。しかし、それらは後で聞いても差し支えないし、いずれを訊いていいのかはわからない。 フードの下には何が隠されているのか。宝具は何か。どういう戦法を使うか、使えるか。過去に殺された時の話、殺される前の話。 しかし、それではあまりに一方的すぎる。 相手方もこちらに訊きたい事は少なくないはずだ。 すると、アヴェンジャーから下された質問はたった一つだった。 「なら質問だ。――マスター、名は」 「ああ……言ってなかったっけ」 そうだ。まだ彼に自分の名前を明かしていなかった。 自分を殺した人間の名前を知りたいがために聖杯戦争に参加したような男だ――自分の命を託すマスターの名前は聞いておきたかったところだろう。 私は、そっとその名前を口にした。 「私は、剣崎比留子。ただの大学生だよ」 ◆ 【クラス】 アヴェンジャー 【真名】 ■■■■(エッツィ・ジ・アイスマン)@史実 【身長・体重】 165cm前後・不明 【ステータス】 筋力D+ 耐久C 敏捷D 魔力B 幸運E 宝具EX 【属性】 秩序・中庸 【クラス別スキル】 復讐者:B 復讐者として、人の怨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。怨み・怨念が貯まりやすい。 周囲から敵意を向けられやすくなるが、向けられた負の感情はただちにアヴェンジャーの力へと変わる。 忘却補正:B 人は多くを忘れる生き物だが、復讐者は決して忘れない。 忘却の彼方より襲い来るアヴェンジャーの攻撃はクリティカル効果を強化させる。 自己回復(魔力):A 復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。 魔力を微量ながら毎ターン回復する。 【保有スキル】 凍てついた呪詛:A アイスマンの木乃伊に関わるものすべてに降りかかる呪い。 彼の身体の非生成部位に触れたもの、嗅いだもの、見たもの、存在を感知したもの――あらゆるものの幸運値を無条件かつ強制的に引き下げる。 時に測定可能なEクラス以下にまで引き下げ、およそありえない偶然の不幸さえも引き起こす。 アイスマンが英霊として形を残している限り、その効果は持続する。 武具作成:B 鉄製の武具を生成するスキル。 何の逸話もない無銘の鉄器であれば、自在に作成できる。 【宝具】 『氷河が遺した屍の記憶(メモリー・オブ・アイスマン)』 ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:2~99 最大捕捉:99人 毛皮の下に隠されたアヴェンジャーの生身。 かつて人として生きた時代の姿と、現代人の前に姿を現したミイラ男としての姿とが混在した悍ましき肉体。 5000年前と今、二つの時代の氷河が見た『一人の人間の姿の記憶』を一身に抱え込んだ怪物である。 それを見たものはサヴァンジャーの敵味方を問わず、例外なく『凍てついた呪詛』にかけられ、あらゆるものに無自覚に敵意を買い、あらゆる偶然に命を狙われ続ける「断続的な不幸」に見舞われる。 事故、災害、自滅、時に契約を結びあっているはずのマスターとサーヴァントの不幸な殺し合いさえも呼び起こす。 ただし、これはアヴェンジャーの意思によらず発動する為、自身のマスターや協力者がそれを見た場合でも発動してしまう諸刃の剣である。 【人物背景】 1991年にエッツ渓谷にて発見されたミイラの男――アイスマン。本名不明。 5000年以上前、青銅器時代に何者かに殺されて以来、氷河でミイラとなって現代まで形を残し続けた。 今もなお彼の死体は研究され続け、生活習慣や死因などを特定されていった。 その過程で彼が殺害された事が判明したのち、彼の存在は「最古の未解決殺人事件」とも呼ばれ、何者がいかにして何故彼を殺したのかも興味を惹き続けている。 あくまで無銘の人物であるが、研究によれば、それなりに身分の高い人間の食事を摂っていたらしい。 死亡時の年齢は40歳~50歳程度。筋肉質な体格であり、動物の皮を身にまとい、斧や矢じりなどの武器を装備していたとされる。 また、現代では、発掘以来関係者が続々と怪死した事から「アイスマンの呪い」という都市伝説が吹聴されるようになった。 これは相当数の関係者がいた事などから全くの偶然ともいわれているが、5000年の時間を氷河に晒されながら形を残し続けた執念は呪いの粋に達していてもおかしくはないだろう。 彼は、この聖杯戦争においては、自分を殺害したのが何者なのかを忘却している。ただ殺された記憶だけが忌まわしく残存されているのである。 犯人が何者なのかをはっきりと思い出せぬまま英霊の座に在り続け、ただその犯人と動機を知る事だけを己の願いとする。 【特徴】 体すべてを負おう動物の毛皮、ただ茶色い瞳だけが覗いている。初見では、二足歩行の生物である事しかわからない。 あくまで男性。本人の年齢は五十歳としているが、その肉体年齢は全盛期のものである。 毛皮の下には、現代の人間が見た「ミイラ」としてのアイスマンの姿が意匠を残しており、その姿を見た物、あるいは感知したものはすべからく『凍てついた呪詛』にかけられる。 いずれにせよ、その真の姿はあまりに醜く、決して目視すべきではない。 【所有武器】 『無銘・弓矢』 『無銘・矢じり』 『無銘・斧』 【聖杯にかける願い】 己を殺した物が誰なのか知る事。 復讐ではなく、それを知る事で永久の休息にたどり着く事が彼の目的である。 【マスター】 剣崎比留子@屍人荘の殺人 【能力・技能】 探偵少女としての知識と知恵。高い推理力と応用力を持ち、いくつもの事件を解決している。 戦闘能力は一般人並だが、作品内の随所で戦闘行為も行っている。 【人物背景】 神紅大学文学部二回生。幾多の事件を解決に導いた探偵少女。実家は横浜の名家で、警察協力章も授与されているらしい。 初登場の描写による外見は以下に抜粋。 『相当な美少女――少女かどうかは微妙だが――である。 黒のブラウスとスカートに身を包み、肩よりも少し長い髪も黒。 身長は百五中センチと少しといったところだが、スカートの腰の位置が高いためすらりとして見える。 風貌は可愛いというよりも、そう、佳麗というのが正しい。 少女と女性という分類のちょうど境目にいるような、とにかくそこいらの女子大生とはまるで違う生き物に思えた。』 (服装は場面によって変動あり) そんな彼女は、いくつもの危険で奇怪な事件に「偶然」にも巻き込まれるという呪いのような体質の持ち主でもある。 彼女が生まれた頃から言えや親族、グループ内で頻繁に事件が発生するようになり、十四歳で殺人事件に遭遇して以来、自分の周りで頻繁に凶悪事件が発生。 現在では三か月に一回は死体を見ているらしい。要するに、金田一くんとか、コナンくんとかと同じ死神体質なのである。 しかし、彼女の場合は、メンタルは普通の少女と同等であるのがネック。 それゆえに、「探偵役」として事件を解決する事はあっても、人が襲われ殺される事件自体は怖くてたまらないと言っている。彼女もまた何度も危険に遭っているらしい。 あくまで彼女が謎を解き犯人を暴くのは「事件からの生還」の為。得体の知れない殺人鬼によって「次のターゲット」にされる前に犯行を暴くというのが目的である。 謎に対する興味や好奇心もなければ、正義感や使命感、真実への執着といったものも人並程度にしか持ち合わせてはいない。 作中では、強かで動じないように見えて、女の子らしい一面を度々見せる。 『屍人荘殺人事件』終了後より参戦。 ちなみに、これは「ネタバレ禁止!」と宣伝されるミステリ作品のキャラだが、これから読む人は彼女が犯人だとか考えてはいけない。一応。 【マスターとしての願い】 下記、方針の方に記載。 【方針】 ①あらゆる手段を用いた生存。 聖杯戦争がどういう形であれ終了し、その結果として自分の安全が確保されているならばそれでいい。 血を見るのも、恨みを買うのも好きではないので、極力他マスターを前にも上手く立ち回る。 ②以降の方針は①の為なら捨て去る。 ②聖杯の入手。 望みは二つある。 一つは、取引の通りにアヴェンジャーの願いを叶える事。取引をした以上、比留子はこちらの願いを優先する。 もう一つは、己の呪い的体質を消し去る事。これはアヴェンジャーの記憶等からアヴェンジャーの殺害者を推理できてしまった場合などに叶える。 ただし、その過程で人間の死や己の身の危険があるならば、いずれも優先順位は低くなる。 ③アヴェンジャーの殺害者を推理する。 あくまで、材料が上手く揃って推理が出来る状況になったらの話。 これが叶った場合、聖杯を入手した際の願いが変動する。
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さぁ、穏やかに鳴く羊よ、 これからはアナタの傍に横たわり、アナタの名で呼ばれる方のことを思い、アナタを見守り涙を流そう。 我が鬣(いきざま)は生命で出来た流れで洗い清められた永遠の黄金のように光り輝く。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――アナタを守り続ける限り。 ウィリアム=ブレイク、無垢と経験のうた、『夜』 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 『世界樹を焼き払う者』の事件から、2年後。 20歳となったゴドリック=ブレイクは信じられないくらいの速さで必要悪の教会の魔術師になっていた。元々あったフリーランスとしての経験が功を奏したのだろう。 『必要悪の教会の魔術師』として初任務もこなし、無事初陣は完了してきた。 そうして、自身の居場所(にちじょう)に帰ってきてから、結婚式を挙げた。 ゴドリックは必要悪の教会の魔術師として任務を終えた後、式を挙げると約束していたのだ。余談だがこの行為は極東の島国では死亡フラグというものになるらしい。 その中にはヤールやニーナ、高校時代の友人であるベンやボニーまで祝ってくれた。 その後は、アパートで二人きりのパーティを開いて。ジュリアが酒を開け、ゴドリックは酔いどれ…… 朝。窓から差し込む光がとても爽やかな晴れた空が目に入る。 そんなゴドリックはあたまを襲う鈍痛に悩みながらムクリとおきる。二日酔いの痛みと、寝過ぎたが故の痛みだった 床を見てみると、服が散らばっていた。こげ茶の上下のスーツと、赤色のワンピース。更になんか下着まで散乱していた。 まさかと思い、布団を捲ってみる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・OH。」 はいてなかった。ついでに隣を見てみる。 蜂蜜色の髪の毛、左頬に刻まれた傷痕。そんな疵すらかすむ快活さ。 自分の隣には27歳となったジュリア=ローウェルがスヤスヤと穏やかそうな顔で眠っていた。 ゆっくりと布団を元の位置に戻し、昨日何があったか思い出してみる。 「(確か、昨日は二人で初任務成功のパーティーを開いて、何故か夕食と酒のつまみを僕が作って、ジュリアが酒を呑んで呑ませて、その後、僕は…………。)」 ようやく思い出した。昨日の夜、ナニがあったか。 そして、同時に赤面する。 「(酒って怖えぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!! ……って待て!!これがまだ学生とかならアウトだけど、もう稼いでるし!!食い扶持あるし!!お祖父さんお祖母さん公認だし!! ってか、ハジメテが酒に酔って、ってどうなんだ!!?)」 ゴドリック、心の叫び。 すっかり混乱してしまっている。 あくまで心の中で叫んでいるのでジュリアには聞こえないから目覚ましにもならない。 「ウ、ン。頭痛い……呑み過ぎた。」 だのにジュリアは起き上がった。 驚いて、ぎょっとしているゴドリックだが、ジュリアは寝ぼけているのか、ゴドリックには気づいておらず、ポーっとしたまま布団から上半身を晒す。 まず、ジュリアは床に散らばった服に気付いた。その中にある自分の下着も発見する。 次に、自分の格好を振り返ってみた。 それから、となりのゴドリックに気付く。 「っ、きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?!!????」 「ぶっは!!」 そして、混乱の末にビンタ。 慌てて自分の体を布団で覆った。 「な、な、なあ、あばっばばばばばばばばばっばばばっばばばっばばばっばばばばばばばばばばばばばばば……!!!」 「落ち着け、ジュリア!!よく昨日を思い出せ!!」 布団かたつむりとなったジュリアにゴドリックは必死に言い聞かせた。 昨日ナニがあったかを。 数分後。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 そこにはベットの上でイギリス人なのに正座している二人がいた。 ゴドリックは照れ臭そうに、申し訳なさそうに頬を掻き、ジュリアは頭を抱えながら反省していた。 ちなみに残念ながら服は着用済みだ。 「お酒のせいって事にしとこう。」 ジュリアの第一声に、ズルッとゴドリックがずっこける。それこそ、まるで日本のお笑い芸人の様に。 「それでいいのかよ!!」 ずっこけた勢いでベットから落ちたゴドリックは思わずツッコんだ。 「いいのよ。細かいこと気にしたって仕方ないし。私達の関係普通で、やましい事なんてないし。……お酒に酔っちゃって、ってのはちょっとアレだけど。」 ジュリアは身体を伸ばしながら、ベットから出て支度を始める。 そのとき、左薬指にはめた指輪が目に入った。 「さて、今日も一日頑張ろうじゃないの。ゴドリックも早く支度しなさいよ?」 そう言って、ジュリアは寝室から出る。おそらくシャワーを浴びに行ったのだろう 「…………好きになってよかったな。」 ポツリ、と思わず口にして、ゴドリックもまた準備を始めた。 しかし、ゴドリックはまだ知らなかった。 己のやらかした所業の結果を。 驚愕の事実が発覚することを。 それからしばらくして。 任務を終えたゴドリックは、ティル=ナ=ノーグへと近づいていた。 ゴドリックが店に入ると、そこには黒いローブを纏っている妙齢の女性魔術師が座っていた。 女性魔術師が振り返る。紫色のフレームの眼鏡をかけているその女性に見覚えがあった。 「あれ、もしかしてニーナ?」 2年の年月が経過しても変わらず……いやイギリス清教に所属する魔術師たちと同盟を組んでちょっと支援の抗議(わがまま)を言った結果僅かながらにも豪華になっているカフェ、ティル・ナ・ノーグ。 そこには懐かしい顔がいた。 「あれ、まさかゴドリックさんですか?」 今度はニーナがゴドリックに聞き返す。 ゴドリックの予測通り、この女性こそニーナだった。 「そうだ。随分と久しぶりだね。」 今のニーナは必要悪の教会の所属ではない。 例の事件の後、彼女自身でも信じられない程にメキメキと頭角を伸ばしていき、『立派な魔女に成る為に修行する』という名目を果たせた。 いまやニーナの母親、ヒルデグントに比類する実力だと噂も立っている。 そんな彼女は世界を渡り歩くためにイギリス清教を脱退したが、交流自体をやめた訳では無く、技術や知識を提供している。 「お帰りなさいゴドリック。今ニーナちゃんが……ってなんだもう会っているのね。」 ジュリアが右手にポット。左手にティーカップを持ってやってきた。 なぜかは解らないが妙にうれしそうな顔をしている。 「それは?」 「ニーナちゃんが造ったハーブティーよ。ティル・ナ・ノーグの新メニューに、って頼んでいたの。私はもうもらったから今度はゴドリックが飲んでいいわよ。」 カップに注がれたソレは普通の紅茶の様な色ではなく、どちらかと言うと日本の緑茶のような色だった。口にしてみるとおいしい。それどころか、身体の奥底から元気が湧き上がるような感覚までする。 「これ、美味いの一言で片づけられるレベルじゃないぞ。疲労がみるみるうちに取れていく。」 「選りすぐりの滋養強壮の効果があるハーブで造ってますから。」 そう言って自慢するニーナには昔の自信無さげな面影は見られない。彼女は魔女としての気品で溢れていた。 「近頃、ゴドリックたらやつれ気味だものね。私よりも7つも若いくせに。」 「仕事で疲れてね。こういったモノを出してくれて助かるよ。」 「まぁ、約束はちゃんと守ってくれているようだけど…………、」 ジュリアは微笑んで、ハーブティーに舌鼓を打っているゴドリックに最大級の地雷(サプライズ)を仕掛けにかかった。 「貴方にはもっと頑張ってもらわないとね、“お腹の中にいる子”のためにも。」 「ブッ……ホ!?ガホゲホォッ!!!」 こうかはばつぐんだ。 ゴドリックは驚愕のあまりハーブティーが気管に入り、むせてしまった。 「え、まさか二人とも遂に……?ゴドリックさん!!?」 ニーナも顔を赤らめて、ゴドリックに問い詰める。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 当の本人は不意に豆鉄砲……いや、貫通の槍(ブリューナク)でも喰らったかのような顔で沈黙してしまった。 「あれ、ゴドリックさん?」 「ゴドリック?聞いてるの?貴方と私の子よ!!こないだのがHITしたのよ!!」 ジュリアがゴドリックを掴み、ガクガクと揺らしている。 「僕と、ジュリアの子供……?本当に?」 「ええ、嘘なんてついてない。本当に子供が出来た。本当に貴方の子よ。」 そういってジュリアはゴドリックの手を掴む。 対するゴドリックはと言うと。 「そうか。……そっかぁ。僕と、君の子か。」 喜んでいた。 感情は一瞬にして驚愕から歓喜へと変わった。 ゴドリックは目に涙を溜めながら、ジュリアの手を握り返す。 「頼みがあるんだ、ジュリア。産んで欲しい!!僕ももっと頑張って君を支えるから。」 「勿論に決まっているじゃない。」 頼んだゴドリックと、頼まれたジュリア。 どちらもいい笑顔をしていた。 そう、断言できた。 それから女の子が生まれた。 エラ=ブレイクと名づけられたその子はゴドリックとジュリアの子としてこの世に生を成した。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 7年後。 27歳となったゴドリック=ブレイクは、必死に教会の中を走っていた。 「そんな…………どうか、どうか無事で………………………………………!!!」 彼の表情には余裕がなく、焦りが浮き彫りになっていた。 そんな彼は足を更に速め、遂に目的地の前まで駆けつける。 慌てて制止する人間をはねのけ、部屋に入った。 部屋の中には一人の魔術師が佇んでいた。 奥の方のベッドにはエラが寄り添っており、中ではジュリアが寝ていた。 もう34歳になる彼女は、11年前と何一つ変わらない容姿だ。 そんな彼女はただただ眠るだけだった。 傍らに置かれている霊装から伸びる管は、彼女の左腕に繋がれていた。それが、ゴドリックにとって最悪の予感を連想させた。 「ジュ、リア? ………おい、どういう事だ?何があったんだ!?」 直ぐそこにいた魔術師に食い掛かり、胸倉を掴む。 話によると、ゴドリックとジュリアに恨みを持つ魔術師がエラを人質にとったらしい。『イギリス清教に助けを乞えば娘の命は無いと思え』という脅迫状もおまけだった。 ゴドリックはその頃任務でフィンランドにいて、イギリスにはいなかった。ジュリア一人でエラを取り戻すしかなかったのだ。 ジュリアは魔術師と交戦して、倒したものの重傷を負った。 エラが助けを求めて、たまたま声をかけたのがイギリス清教に所属していた魔術師だったという。 「ジュリアは、ジュリアは……どうなる?」 「後、一回目覚めるかどうか……。そこの生命維持の霊装から音が鳴れば、彼女が死んだということだ。 ―――――――――――――――――――――――――――――もう、今まで通りに生きる事は出来ないだろう。」 その瞬間、今までにない、絶望感が一気に押し寄せてきた。 …なんで、僕は駆けつけられなかった? ……誰のせいで、ジュリアが傷ついた? ………僕は、何も出来なかったじゃないか。 「パパ。」 絶望に明け暮れているゴドリックに、まだ幼い娘が見上げてくる。 「ごめんなさい。私が、攫われたりしなかったら……。ごめんなさい。」 そうやって謝ってくるエラは、ゴドリックを絶望感に浸るのを踏み止まらせた。 「エラ。一旦家に帰ろう。お爺ちゃんとお祖母ちゃんの所にいるんだ。パパはママの事を見ておくから。」 今は、自分に出来る事をしよう。 そう、ゴドリックは決意した。生き残った我が子を目の前にして。 そうして、数週間後。 ゴドリックはジュリアの部屋で、椅子に座り眠ったままのジュリアを看ていた。 時間帯は真夜中。しかしゴドリックに睡魔は訪れない。あるのは悔しさだった。 今この瞬間にも目覚めるかもしれないし、二度と目覚めることのないまま、霊装が死の宣告をするかもしれない。 僕は何が出来たんだろう。僕は何をするべきだろう。 そんな思いが、ゴドリックの中に渦巻いていた。 「……ゴドリック?」 声が響く。 彼女の声が部屋に響く。 「ジュ、リア?……ジュリア!!目が覚めたのか!!」 ゴドリックは思わず立ち上がる。 「済まないジュリア。それとありがとう、エラはお蔭で無事だ。そうだ、早く皆に伝えないと……。」 謝罪。礼。驚愕。歓喜。 様々な行動と感情がゴドリックのなかに渦巻き、混乱を招く。 「エラは、無事なの?」 そう、ジュリアは不安そうな目で確認する。 まるで、何かを懇願しているかのようにも見えた。 「あぁ、無事だ。待っててくれ今エラとお義祖父さんにお義祖母さんをよんで………!!」 「ゴドリック。その必要は、ないわ。」 「…………え?」 ジュリアの一言が、湧き上がったゴドリックの全てを一気に鎮静させる。 「もうね、私、限界みたいなの。 ……目覚められたのはきっと奇跡。エラやおじいちゃん、おばあちゃんがいないのは残念だけど……貴方がいてよかった。」 「ジュリア、そんな……何言ってるんだよ?」 ジュリアは達観の笑みを浮かべる。 ゴドリックは、そんな彼女の台詞が信じられなかった。 「おじいちゃんと、おばあちゃんに、“先立つ不孝をお許し下さい”って伝えて。」 「そんな冗談言うなよ……。面白くないぞ。君が、死ぬわけない。」 信じたくなかった。 自身に最期の思いを託そうとする愛する人の姿を、ゴドリックは信じたくなかった。 「それから、エラには“元気で真っ直ぐ、生きていって”って。私の分まで、あの子の事をよろしく頼みたいの。」 「そんなの、自分で言えよ。僕が伝える事じゃない。君が直接あの子に会って言う事だ。」 実感がわかなかった。 余りにも現実味がなさ過ぎて、涙を流していることさえ認めたくなかった。 「それからね、ゴドリック。」 「ジュリア。キスなら…………後でイヤと、言うほどするから。まだ死ぬとか言わないでくれよ。」 「ありがとう。私は幸せよ。」 「ッ…………――――――――――――――――――――――!!」 遂に耐えきれなくなったのか、ゴドリックはジュリアの両手を掴む。 目は、彼女を見据える。 涙は止める。今だけは、流せない。 もし、此処で泣けば視界が霞んでジュリアの姿が見えなくなる。 「ああ、僕も君といて幸せだ!愛している!!」 「ありがとう。それと、頼みがあるの。」 「頼、み……?」 「忘れないで。私が死んでも、まだ希望があるの。だから、生きて。私が死んでも貴方ならきっと大丈夫。 ……それと、ありがとう。私を愛してくれて。私は向こうで見守っているから。」 「ジュリア、礼を言うのはこっちだ。君がいなきゃ、君と約束を交わしてなかったら、僕は死んでいた。僕は、君を愛している。」 ゴドリックの言葉を聞き届けたジュリアは微笑んだ。 もう言葉は無い。必要ないと言わんばかりの満足な笑み。 そして、ジュリアは瞼を閉じる。 ピ―――――――――――。という、病院にある機械に似たような空虚な音が鳴り響いた。 「ジュリア……。お休み。むこうでも、元気でいてくれ。 ――――――――――――――――――ア、アア、アアアアアアア…………ッ!!」 そうして、声にならない慟哭が部屋に響き渡る。 今までの全てを思い、吼えて、涙を流して、慟哭した。 慟哭が終わったのは、明け方だった。 「……パパ?」 朝。遺された娘が、病室に入ってくる。 そして、言葉を思い出す。 “私が死んでも、まだ希望があるの。”と。 希望は今、彼の目の前にいた。 「パパ?ママは、どうなったの……?起きるの?」 「ママは……もう起きない。天国に行ったんだ。」 何も知らない子供に真実を告げなければならない。 それも、残酷は真実を。 でも、受け入れなければならない。 かつて自分が兄を喪った時と同じように。 「ママはね、“ 元気で真っ直ぐ、生きていって”って言ってた。ママはこれからも僕たちの心の中で生きていく。 ……今はパパの胸の中で一杯泣いていいから、その後、元気で見送ってあげよう?」 そうして、ゴドリックはエラを、愛娘を抱きしめる。 腕の中では、泣き声が聞こえた。 ゴドリックはその声を聞き届ける。 「(ジュリア……後は任せてくれ。この子を絶対に幸せにする。)」 そう決意して、顔を見上げる。 窓からの光が、目に染みた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 11年後。 イギリス清教の教会内にある墓地。 今日のロンドンの天気は墓場の雰囲気に合わせているかの様に陰鬱な曇り空。そこに飛ぶ鴉がまた陰鬱な雰囲気を引き立てている。 そんな墓場でゴドリック=ブレイクがゆっくりと歩いていた。 現在のゴドリックは20年前とは違った。 38歳になった彼のあごには無精ひげを生えており、もう青年の面影は残っていない。 彼は黒いブリティッシュスタイルのスーツを着こなしており、その上に羽織っている臙脂色のトレンチコートはどこか寒気すら感じる墓場の中で蝋燭の様な温かみを感じる。 何処か達観しているような雰囲気がありながらも何かきっかけがあれば太陽の様に燃え盛る、そんな予感がする男になった。 そんな男は一つの墓の前で立ち止まる。 “ジュリア=ブレイク” その墓の前に座り込み、持っていた花束を置いた。 「ジュリア。済まない。最近任務が忙しくてなかなか来れなかったんだ。」 そう墓前で呟くと持っていたワインを開け、一気に飲む。 「……もう38になっているんだから、君に付き合えるくらいには酒に強くなったよ。エラは君の酒豪ぶりは受け継がなかったみたいだ。」 「あら、悪かったわね。私は飲んだくれの父親は嫌いよ?」 そう、後ろから若い女性の声が聞こえた。 エラ=ブレイク。 ボブカットに整えられた、母から受け継いだ蜂蜜色の髪の毛に、父から受け継いだ碧眼。 18歳という年齢ながらどこか幼さが残る顔の彼女は、その顔に似合わず鋭い穂先を持ったロングボウ型の霊装を持っていた。 エラは魔術師になった。それも必要悪の教会の魔術師だ。 「絶対に認めない」と、ゴドリックは言ったにも関わらず、彼女はその意志を曲げなかった。夜が明けるまで口喧嘩を繰り広げた。 その頑固さはどうやら父親に似たらしい。 そんなゴドリックは、かつて自分がジュリアに誓ったのと同じ様に『絶対に、何があっても生きて帰ってくる』という約束をさせた。 親になって初めてジュリアの気持ちがわかった自分はまだまだ未熟者だな、ともその時感じた。 「エラ。来たのか。」 「母親の墓参りに来ちゃ悪いの?ま、今日はそれ以外にも用事があってきたんだけど。」 「彼氏の紹介か?それなら容赦なく撃ち抜いてやるから。」 「違うよ物騒な事言わないの!!任務よ。」 そう聞いたゴドリックは纏う雰囲気を一辺させる。緊張感でその身体を引き締めた。 「そうか、解った。行こう、エラ。」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「ガッ、フッ…………!!」 イギリス奥地の森の入り口にて、ゴドリックは負傷していた。 任務内容は、魔術結社に攫われた一般人の救出。攫われたのは、幼い少年ただ一人だけ。それだけなら魔術師にとっては何気ないだろうが、ゴドリックにとってはただの救出ではなかった。 少年には年齢の離れた姉がいて、その姉が少年唯一の肉親なのだ。 昔の自分と状況が似ていたのだ。 どうしても、その任務を笑顔で済ましたかったのだ。 その任務をゴドリックとエラが引き受ける事となった。 運よく見つからずに一般人を救出し、逃げ果せている最中に見つかってしまった。 ゴドリック一人が殿を引き受けた。全ては無辜の人々を、娘を護る為に必死になって戦った。 しかし一瞬の隙を突かれたのか、負傷してしまい現在に至る。 「(チッ……声が聞こえる。別の奴らが着たか。この魔術結社の総員は60人。雑魚共20人はッ、二人で潰したから後40人全員が来るのか………!!)」 森の入り口で霊装を杖代わりに立ちながら状況判断をしていく。まさか40人一気には来ないだろうと現実逃避を始めるが、この森と魔術結社の本拠地は1本道。十分にあり得るだろう。 「(ここで、もし倒れれば、奴らは一気に押し寄せてくる。 エラの今の実力じゃ、大勢の人間を護りながら戦い抜くのは、難しい。エラの命も、危ないだろう。 だとすれば…… ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――、あぁ、打開策は一つしかないじゃないか。」 限られた状況。限られた現状。 その中で、ゴドリックは最善の策を見出す。 「いたぞ!!」 遂に見つかった。 黒いローブを着ている典型的な魔術師と言える切り込み隊長がゴドリックに襲い掛かる。 手にした西洋剣が、ゴドリックの脳天をかち割る。 轟!! 筈だった。 ゴドリックは殺されるどころか、逆に切り込み隊長とその後ろにいた部下4人を焼き貫いた。 20年の歳月で『灼輪の弩槍(ブリューナク=ボウ)』は改良を加えた結果、「五矢」の状態、つまり最大威力で人体を貫き、消炭にする威力を得た。 「殺したければ殺すがいい。」 凶悪な魔改造を施された『灼輪の弩槍』は、35人の魔術師に向けられる。 「通りたければ通ればいい。」 追い打ちとばかりに、1.5mばかりの短槍が燃え上がり、宙に浮かぶ。かつてジュリアが使っていた『業焔の槍(ルイン)』を再現した『弐式・業焔の槍(ルイン=セカンド)』という霊装だった。 「出来るものなら、な…………!!『protege533(唯一つを護り通す為に)』!!!」 防衛戦。 これがすべてを護る為の最善の策だった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「どうか、無事で………ッ!!」 エラは森の中を駆けていた。 救出した男の子は当に安全圏へと逃がした。イギリス清教管轄の教会だ。 殿を務めていた父親(ゴドリック)が戻ってこない。 自分たち二人で20人は倒した。 まさか彼一人で残り全てを相手にしているのかと思うと胸が締め付けられるかのような痛みに襲われる。 「あの馬鹿親父、死んだりなんかしたら許さないんだから……!!」 そう決意して更に足を速める。 彼女に『生きて帰れ』と約束させたのは他でもないゴドリックなのだから。 森を抜ける。 そこには焼死体が40体ほど。どれもこれも穿たれている上に黒焦げだった。 そんな中、一人の男が立ち尽くしていた。 臙脂色の後ろ姿。大地に刺さっている燃え盛る槍。右手に持った5つの刃がついたクロスボウ。 間違いなくゴドリック=ブレイクだった。 ゴドリックの姿を見たエラは思わず目を丸くし、驚きを隠せなくなる。大声で叫ぶ。 ゴドリックの身体は槍で貫かれており、臙脂色のトレンチコートは更に血で赤く染まりきっていた。 そんな中、ゴドリックの体は膝から崩れ落ちた。 「パパ!!」 ようやく、エラが足を動かし、ゴドリックの体を支える。 娘に支えられ膝を地面に着けたまま、腹を槍で貫かれたまま、ゴドリックは朦朧としながらも意識を保っていた。 「あぁ、その声。エラか。」 ゴドリックが発したその言葉。 娘が目の前にいるにも拘らず発したその台詞。 「もう、目が見えてないの……?」 そう、エラは察した。 もしそうでなければ、こんな時に悪すぎる冗談だ。 「ごめん、もう僕は此処で終わるみたいだ。僕はここで死ぬ。」 正しい循環が出来なくなった血液は口から流れだし、貫かれた槍から滴り落ちる。 心臓の鼓動がますます弱まっていく。 蝋燭の炎は消える直前にこそ、一番に燃え盛る。 そんな炎の様に、ゴドリックは最期の力を振り絞り、残りの魔術師を殲滅した。そして命の灯は掻き消えようとしていた。 「―――――――――――――――――――――――――――あの子は、無事か?」 だというのに、ゴドリックが聞いたのはそんな事だった。 「無事よ!!だからその目で確かめて!!生きて確かめてよ!!私に『生きて帰ってくる』って、約束させたじゃない!!なのに、こんな所で死ぬなんて……。」 「そうか、ならいい。……エラ。忘れるな。」 今にも泣き出してしまいそうなエラにゴドリックは伝える。 もう、最期になるであろう言葉を。 「ママが昔パパに、今わの際に言った言葉だ。 “忘れないで。私が死んでも、まだ希望がある。だから、生きて。私が死んでも貴方ならきっと大丈夫。” …………だから、生きろ。生きてさえいれば、希望があるんだ。“これまでの日々”は、きっと、“これからの未来”の糧になるから。」 「パパ…。」 跪くゴドリックと、そんな彼の体を支えるエラ。 そんな二人に、光が降り注ぐ。 曇り空の隙間から、煌々と輝く太陽の光が舞い降りる。 『天使の階段』。或いは『ヤコブの梯子』。或いは『レンブラント光線』。或いは『薄明光線』。 そう呼ばれるモノが、健闘を称賛するかのように二人を包み込んだ。 暗闇の中で輝く一筋の光は、それこそ希望を表しているかのようだった。 その光景に、エラは思わず呆気にとられてしまった。 しかしそんな場合ではない。急いでゴドリックを治療をしなければならない。当のゴドリックは今にも息を引き取りそうなのだ。 だというのに。 今際の際でも、彼はにこやかな顔で、穏やかな顔をしていた。 「あぁ、ジュリア。――――――――――――――エラは、大丈夫、だ。」 そう、口にした瞬間。 ズシリと、ゴドリックの体が重くなった。彼の体から生命の灯は消え去り、一気に冷たくなっていく。 ゴドリック=ブレイクはこの世界からいなくなった。 残ったのは、父の遺言を噛み締め、未来に生きようと決意し、涙した娘一人だった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ゴドリックは、死ぬ前に淡い夢を見た。 気が付けば、ティル・ナ・ノーグの屋上にゴドリック=ブレイクは立っていた。 身体が濡れる感覚がしていた。服に水が浸み込み、髪からは水滴が滴っていた。空を見上げる灰色の雲が厳かに空を覆っていた。そこから降っているのは水。空を覆っているのは雨雲だ。 ふと、ゴドリックはある事実に気付く。 身体が軽い。まるで若返ったかのように軽かった。 いや、実際に若返っていた。服装は任務の時のままなのに、地面に溜まった水溜りに映っていた自分の姿は18歳の頃の自分だ。ふと見てみると、『着せられている』という感じがしてならなかった。 「ここは……ティル・ナ・ノーグ。僕は、どうしたんだろう?」 そう、疑問に思っていながら雨に濡れていた。 何をするべきかも解らず。何をしたいのかすら忘れそうな感覚が、降り注ぐ雨を通して伝わってきた。 「ゴドリック。」 長年聞いてない、懐かしい声が響き渡る。 思わず、ゴドリックは振り返る。 蜂蜜色の髪の毛。左ほほに刻まれた傷痕。その傷が思わず霞み切ってしまうかのような快活さ。 ゴドリックが愛し、ゴドリックを愛した女性が。 いつの間にか晴れ渡った空の下で、あの告白の時の姿で、自分の後ろに立っていた。 空はいつの間にか雨雲から明け切った青空に変わり、空には虹がかかっていた。 その愛おしい女性を見て、ゴドリックは全てを思い出す。 そして、伝える。 「あぁ、ジュリア。――――――――――――――エラは大丈夫だ。」 お疲れ様、ゴドリック。あの子を護ってくれてありがとう。 そう、ジュリアは応えた。 そして、駆け寄った二人の姿はまるで夜明けの告白の時の様に、若々しく歓喜で満ち溢れていた。 口づけをしたところで、淡い夢は終わった。 【とある魔術の騎士讃歌(キャバリック・ロマンス)】 【登場人物】 ゴドリック=ブレイク ジュリア=ローウェル ダーフィット=シュルツ ヤール=エスぺラン マティルダ=エアルドレッド オズウェル=ホーストン 尼乃昂焚 ユマ=ヴェンチェス=バルムブロジオ ディムナ=ハ―リング ハルマン=ゲイン ココ=スタンレイ ディヴィッド=ミラー アヴァルス ディスターブ ジェイク=ワイアルド ニーナ=フォン=リヒテンベルク デヴァウア=エルスティア ハーマン=オラヴィスト ヒルデグント=フォン=リヒテンベルク アンネリーゼ=フォン=リヒテンベルク グレートヒェン=シュタインドルフ ジョフリー=サマーセット 双鴉道化 ルシウス=ウル=プテラミア ダスティ=アルフォード 【スペシャルサンクス】 オリキャラの作者の皆様。 SSの読者様。 スレでコメント・応援をくださった皆様。 『とある魔術の禁書目録』の原作者、鎌池先生 。
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四人戦SSその3 ――――合コン。 ――――それは、見知らぬ男女同士による、親睦を深め合う集い。 ◆◆◆◆ シュッ、チッ ボゥ……ジジ……―――― 眩いネオンに彩られた暗闇を眼下に、1点の熱を帯びた光が灯る。 夜のオフィス街。連なる摩天楼群。 高層ビルはひしめき立ち、人工的な明かりを以って自己主張している。 まるでその高さを、派手さを競いあっているかのようだ。 ネオンが放つ作り物の光とは対照的に。 マッチが灯す暖かみのある光。 灯りはゆっくりと煙草に近づいていき、その熱を分けてやる。 「スゥーッ____」 燻られた煙草の煙が、ゆっくりと肺に届けられる。 気管を巡った空気は鼻腔を抜け。 「フゥーッ____」 紫煙と共に、勢い良く体外へ放出される。 「戦いの前の一服は、最高だなぁ」 噴流煙は言葉を漏らすと、続けざまに煙を含んだ。 闇夜。無人の高層ビル群。その一角の屋上。 ここが、噴流煙の”夢の戦い”出現位置。 屋上には噴流煙以外の姿は無く。 周りには高低連なる無数のビルの群れ。 見下ろせば、眼下から照らし出されるネオンの光が沸き立ち。 見上げれば、より高いビルの群れが悠然と聳え立っている。 噴流煙が再び紫煙をくゆらせると、煙は瞬く間に霧散した。 ビル風だろう。うねりを上げた風がビルにその身をぶつけ、乱舞している。 シュッ、チッ ボゥ……ジジ……―――― 2本目の煙草に火を点け、噴流煙は思い返す。 先日見た“無色の夢”。 その最中、まるで煙が脳まで回ってきたかのように、頭の中に入り込んできた情報を。 「戦闘空間」、「対戦相手の名前・能力」、「戦闘のルール」、「戦闘空間での負傷」、「勝者と敗者への賞罰」。 自分同様、これらの情報は他の対戦相手にも知れ渡っている。 そう推理するのは当然の帰結であった。 「賞罰……ねぇ」 口内で反芻した煙ごと、吐き出される言葉。 噴流煙は、褒賞など望んでいない。 専ら現実の暮らし、学園での生活こそが彼の望むものだ。 何だったら、特別な夢を見たいヤツがいるのならば手を貸すのも良いとすら考えている。 ただ――――。 「――――煙草の無い世界に閉じ込められるのだけは堪らんらぁあ」 現実世界から持ち込んだ煙草の本数は500本。 早くも3本目の煙草に火を点ける。 そのまま力無く屋上の手すりに身を預けたのは。 その体勢が最も楽に街下を眺められたからだ。 街下からこちらを覗き込む、ボヤっとにじんだネオンの光。 まるで火の点いた煙草のようだ、と、噴流煙は苦笑した。 口に咥えた煙草の煙がゆらゆらと昇っていく。 バカと煙は何とやら。 煙に導かれるように、噴流煙は歩き始めた。 頂上を。一番高い場所を目指して。 ◆◆◆◆ ピリッ、ペリペリッ ベリベリリリリリ………… ビル風が巻き起こす喧騒を引き裂くかのように、 顔パックの剥がされる音が暗闇に響く。 夢の戦いは、転送時に身に着けていたものが持ち込まれるルール。 であれば。 白鳥沢ガバ子が日課としている、就寝前の顔パックが持ち込まれるのは至極当然の道理。 お肌のケアに何よりも大事なことは、継続すること。 目に見えない日々の努力こそが、白鳥沢ガバ子の真骨頂であった。 バリッ、ボリボリッ ムシャッ……ボリッ……―――― キメ細やかな肌。 その形成に必要な要素とは即ち。 そう、保湿と潤いである。 顔パックは肌の生成・維持に十分な湿度を保つ。 ならば、潤いは何を以って与えるか。 即ち、輪切りにしたきゅうり。 輪切りにしたきゅうりを、顔パックの上から貼り付ける。 90%以上もの水分で構成されるきゅうりの瑞々しさ。 それこそが、肌に潤いを与えるのに最も適している事を、白鳥沢ガバ子は理解している。 「ふむ。戦闘領域のう……」 立入禁止。 目前に立てかけられた看板を尻目に、白鳥沢ガバ子は思案する。 看板から伸びた有刺鉄線は、ゆるいうねりを生じながら、どこまでも伸びており、戦闘領域の外周を覆っていた。 まるで、外部からの侵入を拒むかのように。 まるで、内部からの逃走を阻むかのように。 「……なるほどのう」 ぷるん、と頬は弾み。零れるは笑み。 しっとりとキメの細やかな餅肌は、さながら赤ん坊の如し。 吹き荒れるビル風に頬を撫でられるも、その弾力で押し返す。 米の研ぎ汁。 栄養素の溶け込んだ水を塗布する事により、赤ちゃんの肌は完成する。 「グハハハハ! どれ、そろそろ向かうか。戦場にのう」 乙女の戦場とは是即ち、恋の始まる場所である。 恋の始まる場所とは。 決まっている。最もムードのある場所。 夜景を一望出来る、最も標高の高いビル。 そこでこそ、ロマンティックは始まる。 眩く照らされる、凛と輝くネオンの光。 まるで星屑の海のようだ、と、白鳥沢ガバ子は歓喜した。 「ククっ。ワシ、なんだか……」 「ドキドキしてきたわ」 恋する乙女の戦いが始まる。 ◆◆◆◆ ヤマノコが先ず確認したかったことは。 この空間における人間の存在。 対戦相手以外に果たして人間は存在するのか、という点である。 戦闘領域は「巨大な高層ビルが立ち並ぶ、無人のオフィス街」。 対戦相手以外の人間が存在しないことは、半ば無理やり理解させられた。 だが。それでも、ヤマノコは己が目で確かめたかった。 「……やっぱり、だれもいないね」 たくさんの灯りの下には、皆それぞれの生活があって。 灯り一つ一つに、誰かの願いがある。 おぼろ気だが芯のある光は、まるで、叶えたい願いごとのように思えた。 だから、確かめてみたかった。 自分には叶えたい願いなんてないから。 他の人が願うものを見てみたかったから。 そんな思いも露虚しく。 ヤマノコの行為は既に知りえた情報を確証づけるに過ぎなかった。 「……えっ?」 ヤマノコの小さな手と、ヘヴィ・アイアンの筋張った手。 繋いでいた手を、僅かながらも強く握られ、ヤマノコは思わず声を上げた。 「ヨー・プリティ・リル・ガール」 相も変わらぬ陽気な笑顔で微笑みかけるヘヴィ・アイアン。 ヤマノコの掌が、ヤマノコの心が、暖かいもので包まれる。 「安心しな」「大丈夫だ」 握られた手から伝わってくる言葉。 あの丘で聞いた、軽やかな音色。 あの丘で聞いた、大切なおまじない。 その言葉はヤマノコを強くした。 「……いこう?」 強く握り返し、視線を宙に投げる。 視線が射抜くは、闇を飲み込み、悠然と立ち尽くす鉄と光の世界。 それは、この領域で最も標高の高いビル。 少女と大男。 守られる者と守る者。 ネオンによって映し出された二つの影は、今再び闇夜に溶けていく。 ◆◆◆◆ 私、菱川結希は、ビルの屋上から街下を見下ろしていた。 眼下には無数のネオンが照らし出され。 上空には今にも落ちてきそうな夜空だけがあった。 恐らく、ここがこの戦闘領域で最も高いビルなのであろう。 そこが私の出現位置だったのは幸か不幸か、未だ知る由も無い。 高さにして700、いや、800mはあるだろうか。 少なくとも、文乃と一緒に昇ったスカイツリーよりも高いであろうことは容易に想像できた。 「はぁ~っ……」 思わず漏れ出た溜息を抑えようともせず、私はそこから動けずにいた。 キャンドルライトのように淡く広がったネオンの光は、いつか消える時が来るのだろうか。 くっきりと彩られた光もいつかその輝きを失くし、闇に飲み込まれる。 まるで、私の記憶のようだと悲哀する。 ――――アムネジアエンジン。 記憶と引き換えに瞬間的に身体能力を強化する、私の能力。 ギアを上げるほど、身体能力は向上する。 単純だが弱い能力では無いと考えていた。 だというのに。 「はぁ~っ……」 再び深い溜息が漏れる。 だというのに、私と同系統の身体強化能力者が、他にもあと2人いる。 これでは、必然的にシンプルな真っ向勝負になる、 言い換えれば、削り合いによる長期戦となることは想像に容易い。 その考察が、私の能力制約が、この戦いのルールが。 憂鬱という名で私に重く圧し掛かってきていた。 長期戦になるということは、それだけ能力の使用回数が増えるということだ。 能力の使用回数が増えれば、その分だけ私の記憶はくべられる。 そして、この戦闘のルールでは”肉体の負傷”は全て回復されるが、 消えた記憶は肉体の損傷に含まれるのか、という疑問がある。 私の考えでは、答えはNoだ。 記憶の損傷は、肉体に何らダメージを帯びていないのだから。 私の導いた三段論法が、否が応にも溜息を漏らさせる。 この場に文乃が居れば、「よく気づきましたねー。結希ちゃんは聡明ですねー」だなんて褒めてくれるだろうか。 有り得もしない自分の妄想に辟易する。 「はぁ~っ……えっ……?」 三度目の溜息が漏れると同時、言いようも無い圧力を感じた。 ここは、私達以外は無人の空間。 つまり。 「……敵!」 ガチリ、とスイッチを切り替える。 空気が淀む。 段々と近づいてくる圧力は、体の内側から内臓を弄られているかのようだ。 戦いの始まりを予感した私の胸は、私の意思とは無関係に脈動する。 ガチャッ ここ、屋上へと続く扉が勢い良く開かれる。 そこから飛び出してきた男は、私が予想だにしない言葉を発した。 「た……たすけてくれらぁーーーー!」 「……えっ?」 何かから必死に逃げ惑う男。 恐らく噴流煙であろう、の様子から、私の警鐘は全力で鳴り響いた。 違う! 圧力の正体はこの男ではない! 噴流煙も私と同じ……圧力にあてられ逃げてきたのだ! 「~~~~っ!?」 背骨に氷柱を刺し込まれたかと誤認するような悪寒を感じ、振り向かされた。 そこには。 動物の毛皮に身を包み、丸太のような太ももが印象的な2m近い巨漢の女の子が聳え立っていた。 「グハハハハ!屋上まで誘い出すだなんて……オヌシ、見かけによらずロマンチストじゃあ!のう?」 間違いない。 この女性こそ、白鳥沢ガバ子。 人呼んで――――。 ――――人類の到達点。 ◆◆◆◆ その重量感。 その威圧感。 戦車に砲塔を突きつけられた時も、きっとこのように感じるのだろう。 私は、額から染み出す汗を拭うことすら忘れていた。 のそり、のそり。 獲物を狙う肉食獣のように、ゆっくりと距離を詰めてくる白鳥沢ガバ子の姿を、ただ見ているだけしか出来なかった。 「ん?……ヌシ。菱川結希じゃな?」 「えっ……?あっ、はい」 思わず素っ頓狂な返事を返してしまうと。 白鳥沢ガバ子は、まるで山賊の酒宴を想起させるかのような、大きな笑い声をあげた。 「グッハッハッハ!そうか!ワシはとことん”ユキ”という名に縁がある。のう?」 白鳥沢ガバ子から感じる圧力は相も変わらずだが。 悪い人では無いのかもしれない。 そんな考えが頭をよぎった。 「そっちに居るのが噴流煙じゃな?残るは1人……いや、1組か。ガハハハハ」 どっこいしょ。空耳が聞こえた気がした。 そのまま、白鳥沢ガバ子はその場に腰を下ろす。 どうやら。 どうやら、即座に戦闘を開始するつもりでは無いらしいが。 この人は、本当に戦う気があるのだろうか。 そんな考えすら浮かんでくる。 釣られて私も腰を下ろそうとした、その瞬間。 白鳥沢ガバ子に押し倒された。 「危ないところじゃった。のう?」 先ほど私が居た位置には、黒ずんだヘドロ状の物体が蠢いている。 私は直感した。 これは。 「チッ!」 苦虫を噛み潰した顔で私達を見据えている、噴流煙の魔人能力だ。 キセルから煙を吸い上げ、再び宙を舞うヘドロ。 山賊染みたステップで回避しながら、白鳥沢ガバ子は私に告げてきた。 「むぅん。ならばここはワシが相手をしちゃろう」 「手出し無用じゃ。男女問題は常に1対1じゃあ!」 その申し出は正直、有り難かった。 噴流煙からしても、身体強化系能力者2人を一度に相手取るのは得策では無いだろう。 夢の戦い。 初戦。 噴流煙VS白鳥沢ガバ子。 ◆◆◆◆ 風が強く吹いていた。 うねりながら、地面からせり上がって来るビル風。 風は、気ままにその形を変える。 そして。 噴流煙の吐き出すヘドロもまた、風に煽られ躍動する。 予測不可能。変幻自在。 不規則に乱舞するヘドロが白鳥沢ガバ子を襲う。 「ぬうぅぅんっ!!」 雄叫びと同時に踏み抜かれるタイル。 畳返し、否、タイル返しとでも言うべきか。 直立に跳ね上げられたタイルは、その身を以って白鳥沢ガバ子を守る。 見れば、白鳥沢ガバ子の身体は、先ほどよりも一回り大きくなっているようだ。 息も荒々しく、太ももは牛の2,3頭をまとめて蹴り殺せるとすら思わせられる。 白鳥沢ガバ子の能力。コンカツ。 その特性は、ドキドキを力に変える。 噴流煙にとっての不運は、この場所で戦闘を行ってしまったことであろう。 「吊り橋効果」 恐怖心を恋のドキドキと錯覚させるそれは、この地上700、800mの高所では、否応なく効果を発揮する。 「グハハハハ!」 タイルを踏み抜きながら接敵する白鳥沢ガバ子の拳が、噴流煙を捉える。 噴流煙は、己の武器であるキセルごと腕をへし折られ、柵まで吹き飛ばされた。 噴流煙にとっての不運が、この場所で戦いを挑んでしまったことであるならば。 白鳥沢ガバ子の不運は、噴流煙のキセルを折ってしまったこと。 煙草の吸えなくなった噴流煙は、思いもよらぬ行動を取る。 禁 断 症 状 ゆっくりと近づいていく白鳥沢ガバ子。 噴流煙は、朦朧とした目で体勢を入れ替え、ガバ子を追い込むように柵に手をつく。 私は、この体勢を知っている。 壁ドン。 かつて文乃に冗談半分にやられたそれを思い返すと、 不思議と頬に熱が篭るのを感じた。 壁ドンの威力を、私は身を以って知っている。 これは、本能に訴えかける技だ。 女性であれば例外無く、この技から逃れる術は持たない。 かつて私がやられたそれは、女性同士によるものだ。 にもかかわらず、身体は熱を帯び、思考回路は停止した。 胸がドキドキするとは、あのような状態を言うのだろう。 もしも――――。 ――――もしもこれが、年頃の男女同士であれば。 ――――もしもこれを受けるのが、恋する乙女であれば。 その威力、筆舌に尽くし難い。 多分に漏れず、白鳥沢ガバ子はその動きを停止した。 先ほどまでの、全てを飲み込む濁流は。 油の切れたぜんまいロボのように、鈍音を漏らしながら動きを止めた。 思考回路はショート寸前であろうことは、傍から見ている私の目からも明らかであった。 そして。 あろうことか、噴流煙は。 そのまま――――。 ――――白鳥沢ガバ子の唇を奪った。 「ガバァッ!?」 それが噴流煙の攻撃だと気づいたのは。 白鳥沢ガバ子の口から漏れ出る黒ずくんだヘドロ状の物体が見えたからだ。 これが、噴流煙の奥の手。隠し持った刃。 口内を通じた直接投与。ゼロ距離からの射出。 だらり、と下げられた白鳥沢ガバ子の腕が、不規則に脈動している。 噴流煙は、なおもその唇を離さず、死にも等しい接吻を与え続ける。 白鳥沢ガバ子と言えど、ここから逃れられる技など皆無であろう。 …………技、という言葉を用いたのには理由がある。 もはや、あれは―――― ――――技ではない。 白鳥沢ガバ子の肉体が、赤く、どす黒く変色していく。 白鳥沢ガバ子の能力。コンカツ。 その特性は、ドキドキを力に変える。 そして、その効果は、幾重にも累積される! 吊り橋効果によるドキドキ。 唇を奪われたことによるドキドキ。 毒素による発熱、そして動悸。 積み重ねられたドキドキは、ガバ子の身体を何倍にも膨れ上がらせた。 そして。 「ぬううんっっっっ!!」 噴流煙を抱きしめ、そのまま脊椎を破壊する。 毒素ではなく血を吐いた噴流煙もろとも。 そのまま、2人は街下へと落ちていった。 「ガっ、ガバ子さん!」 私の伸ばした手は、白鳥沢ガバ子の手をするりと抜け。 落ちていく2人を、ただ見つめていることしか出来なかった。 そして。 ビルの壁を駆け上がってくる、もう1組の2人を眺めることしか出来なかった。 ◆◆◆◆ ビルの外壁を駆け上ってきた2人。 ヤマノコと、ヘヴィ・アイアン。 挨拶代わりとでも言わんばかりの蹴撃に、私の身体は容易く吹き飛ばされた。 まるで、2トン トラックに跳ねられたかのような衝撃。 鋭く走った鈍痛が、ゆっくりと悲鳴を上げ始める。 口の中一杯に広がる鉄錆の味を無理やり噛み締めさせられ、這いつくばることしか出来なかった。 「ヨー・プリティ・ガール。ダンスはここからだぜ?」 狙撃銃の如き威力と精密性は、的確に私の急所を打ち据える。 アムネジア・エンジンはすでに使っている。 否、使わされている。 消え行く記憶の中で、先ほど私が感じていた懸念が。 記憶の消去は回復しないのではないかという懸念が消え去ったのは、幸か、それとも不幸か。 アムネジアエンジンのギアを2速、3速と上げていくが、 それでもヘヴィ・アイアンの猛攻を御するには至らない。 「ぐっ……ゲ、フッ……」 猛攻という雨が止んだのは、私の腹部からヘヴィ・アイアンの拳が引き抜かれたからだ。 足が震え、膝を折る。 視界もぼやけ、ヘヴィ・アイアンの声だけがやけにはっきりと聞こえ始めた。 「ヨー・プリティ・リル・ガール。言っただろ?”安心しな””大丈夫だ”ってな」 隅で座っているヤマノコにかけるその言葉は、慈愛に満ちていた。 跪(ひざまず)いたまま、私はその光景を見ていた。 痛い。何でこんなことしてるんだっけ。 痛い。何で戦わなくちゃいけないんだっけ。 痛い。何で。 何で、帰らなくちゃいけないんだっけ。 ____私は、今でも思い出す。 ____1年前 ____全てが終わり、始まった ____あの瞬間を。 そうだ。 そうだったんだ。 あの時も、私は同じように跪いていたんだ。 そんな時。 文乃が差し伸べてくれた手が。 文乃が差し伸べてくれた景色が。 文乃が差し伸べてくれたその日から、白黒(モノクロ)の世界が色づき始めたんだ。 身体は立ち上がれる。 立ち上がる方法は知っている。 でも。 立ち上がれる私にしてくれたのは、文乃だ。 「文……乃……」 だから、私は立ち上がる。 立ち上がれる。 「ありがとう……」 何で帰りたいかだって?決まっている。 私にとって大事なものは、文乃との約束以外ない。 私にとって守りたいものは、文乃との約束以外ない。 私にとってのイチバンは―――― ――――文乃以外に、いるはずもない! 記憶の”重要度”が書き換わる。 アムネジアエンジンは、大事な記憶から順に消えていく。 ならば、私にとって大事な記憶とは、文乃との思い出に他ならない。 差し伸べてくれたその手があったから、私は強くなれた。 差し伸べてくれたその思い出が!私に力をくれた! 「アムネジアエンジン――――」 かつて私に力をくれた言葉を。記憶を。思い出を。 「――――オーバードライブ」 今再び、力に変えて! ◆◆◆◆ パンッ。 乾いた音が、私の後を追いてくる。 それが、空気の壁を破る音、音速を超えた際に生じる衝撃波(ソニックブーム)だとは気づくことが出来なかった。 だって。 私には、その乾いた音は、シャボン玉の割れる音に聞こえたから。 キラキラと煌くシャボン玉が。 キラキラと煌いた思い出が、まるでシャボン玉のように弾けたと思えたから。 「速く……! もっと、疾く……!」 ヘヴィ・アイアンが狙撃銃であるならば、私は散弾と形容するのが相応しい。 狙いなどなく。 ただ、ただひたすらに、一撃でも多く撃つ。 「ハッハーッ!楽しくなってきたぜプリティ・ガール!」 血飛沫が舞い、打撲音が木霊する。 文字通りの血の雨が、最も空に近い場所で降っている。 「ああああああっ!!」 足刀でヘヴィ・アイアンを弾き飛ばし、距離をとる。 僅かばかり、ヘヴィ・アイアンが笑った気がした。 ……恐らく、ヘヴィ・アイアンも気づいている。 否、戦っている私達しか気づけないだろう。 この勝負、不利なのは私の方だ。 ヘヴィ・アイアンと私の能力。 出力は恐らく互角。 ならば、明暗を分けるのは。 素体の強さに委ねられる。 過去、数々の伝説を作った偉大なる人物と、一介の女子大生。 どちらの肉体が優れているかなど、火を見るよりも明らかであろう。 だから。 「…………一撃に賭けるってかい?」 その通りだ。 このままじり貧であるならば、一撃に全てを賭ける。 文乃。 どうか私に。 ――――力を! ◆◆◆◆ ヘヴィ・アイアンは思い出していた。 愚直に向かっていった男のことを。 既に負けると分かって駆ける一人の男の思いを。 死ぬと分かって前へ進むと決めた男に対して、同じ志を持った男の思いを。 愚直に向かってくる菱川結希に、あの時の自分を重ねてしまった。 だから。 その迷いがヘヴィ・アイアンを鈍らせた―――― ――――刹那にも満たない戸惑いによって。 ◆◆◆◆ 「安心しな」「大丈夫だ」 その言葉は、ヤマノコを強くさせた。 そして。 「安心しな」「大丈夫だ」 その言葉は、ヤマノコを弱くさせた。 ヤマノコは気づけなかった。 否、戦っている2人しか気づけないだろう。 どちらが優勢かなど。 だから。 傷つき血を流すヘヴィ・アイアンの姿を見て、仕方無いだなどと思えなかった。 おきることがおきているだけ だなんて、思えるわけが無かった。 だから。 ヤマノコは願ってしまった。 「ヘヴィ・アイアンを…………まもって!」 ◆◆◆◆ 私の拳は、あっけなくヘヴィ・アイアンの眉間を打ち抜いた。 紙飛行機のように吹き飛ぶヘヴィ・アイアン。 だが。 その身体には、傷一つ無く。 その身体からは、先ほどまでの闘気が嘘のように消え去っていた。 「「えっ?」」 ヤマノコと私の声が反響する。 同時に、私は気づいた。 ヤマノコは、願いを使ったのだ。 内容は恐らく、ヘヴィ・アイアンを守るというもの。 でなければ、私の渾身の一撃で無傷だなどと考えられない。 しかし、その願いこそが勝敗を決定づけた。 ヘヴィ・アイアンの能力は、”守るもの”のために強くなるというもの。 ヤマノコが願ったその瞬間。 2人の関係は逆転したのだ。 ”守られる者”であるヤマノコが、”守る者”であるヘヴィ・アイアンを守った。 ヤマノコは、”守られる者”では無くなってしまったのだ。 「あ……あ……」 ヤマノコも気づいたのであろう。 最善と思われる願いが、ヘヴィ・アイアンにとって最悪の結果を招いてしまったことに。 ヘヴィ・アイアンも察したのか。 何も言葉を発しない。 ヤマノコは、今にも泣きそうな顔をしている。 「後は……」 後は、ヤマノコを倒せば私の勝利でこの戦いは終わる。 しかし。 しかし、私にヤマノコを攻撃することなど出来るだろうか。 失敗し、絶望し、泣きそうになっているヤマノコに。 私は、かつての自分を重ねてしまった。 そんなヤマノコを攻撃して手にした勝利で……文乃に胸を張って会うことが出来るだろうか。 「……良いんじゃよ。ヌシはそのままのヌシで良い」 私を現実に引き戻してくれたのは、 「ガバ子……さん!?」 恋する乙女の一言であった。 ◆◆◆◆ 噴流煙を背負ったまま、白鳥沢ガバ子は外壁をよじ登って来た。 「グハハハハ! 地面に落下する直前、そりゃもうドキドキしたわい!」 そう、極限までドキドキした乙女の胸は、落下の衝撃すらにも打ち勝ってみせたのだ。 「ガバ子さん……そのままで良いって……」 先ほど投げかけられた言葉を問いただす。 「そのままの意味じゃよ。ヌシは優しいヌシのままで良い」 でも……それじゃ、いつまでも勝負が…… 「のう。ヌシ、この夢の戦いについて、不思議に思わんか?」 言葉に詰まる私にかまわず、ガバ子は続ける。 「身体強化能力者が3人。そして、紛れを起こせる即死級の能力者が1人。どう考えても出来すぎたマッチングじゃあ」 「まるで……面白い戦いになるように仕掛けられたマッチング。そうは思わんか?」 「そう考えると……今度はおかしな事に気づくのう。面白い戦いになるよう仕掛けたマッチングなのに、場外負けがあるとはどういうことじゃ?面白い戦いなら、最後の1人になるまで闘わせるべきじゃろう」 「なんでじゃあ!?なんでじゃあ!?知りたい知りたーい!のう!?」 「……だから、ワシはこう考えた」 「戦闘可能領域。それは、場外負けのルールのためにあるわけではない」 「そこから先に進んで欲しくない。その領域までしか、この空間を作成出来んかったとな」 「……っ!」 「この空間を作ったのが誰かはわからんが」 「こんな巨大な空間、無尽蔵で作りきれるわけないからのう」 「この摩天楼群は、1km四方までしか作れなかったと考えちょる」 確かに、確かにガバ子の推理は一理ある。 マッチングの不自然さについては、私も思いついてはいた。 「のう。ヌシ。オムライスは好きか?」 「えっ?」 「オムライスは好きか?と聞いておる」 ふるふる、と首を横に振る。 文乃はオムライスを好物としているが、私は卵アレルギーなのだ。 「ククク。やはりヌシとは気が合いそうじゃ」 「ひよこになる前に食べられる卵が可愛そうじゃ。だから、ワシがひよこだったら」 「食べられる前に、殻をぶち破りたいと思うちょる」 「……この空間も壊せる。そういう事ですか?」 「察しが良いのお、ヌシ。GP(ガバ子・ポイント)1点じゃ」 「この空間を破壊できれば――――」 「――――全員、元の世界に戻れる。のう?」 最初は、この人は本当に戦う気があるのか疑った。 この人は、最初から戦う気なんてなかったんだ。 最初から、全員で脱出することを考えていたんだ。 この人には……敵わないなあ。 「どうじゃ?乗るか?」 ゆっくりと首を縦に振る。 話を聞いていたヤマノコ、ヘヴィ・アイアン、噴流煙も後につづく。 「でも……空間を壊すっていっても……壊す前に場外負けになっちゃうんじゃ……」 ふと沸いた疑問に対しても、ガバ子の回答は準備されていた。 「なら、場外負けにならないようにぶち壊せばええ」 そう言うと、ガバ子は上空を指で示した。 「空中には流石に、立ち入り禁止の看板もなかろう。のう?」 やっぱりこの人には敵わない。 そう思った矢先、ガバ子は屈伸運動を始めた。 このまま、空中へ跳び上がり、空間を破壊するつもりだ。 「それじゃ、一仕事してくるかのう」 白鳥沢ガバ子の能力。コンカツ。 その特性は、ドキドキを力に変える。 そして、その効果は、幾重にも累積される。 吊り橋効果によるドキドキ。 唇を奪われたことによるドキドキ。 毒素による発熱、そして動悸。 そして――――。 「グハハハ! しかし、こんなことをするやつは何者なんじゃろうなあ!」 「まるで神じゃ! 出来ることなら、一度拝んでみたいのう」 「ククっ。ワシ、なんだか……」 「ドキドキしてきたわ」 それは果たして恋心か。 神に対する想いを胸に秘め。 膨れ上がった肉体をバネに、ガバ子が宙を駆け上っていく。 夜空に光が灯り、視界が真っ白になる。 いつの間にか、私の足場は消えていて。 落ちていく、落ちていく、苦しみながら、もがきながら、伸ばした手は空を切る。 終わりを告げる時計の音を聞きながら、私は、奈落の底へと落とされた。 ――もがきながら、苦しみながら、私はどんどん落ちていく。 ――それにしてもおかしい、もう随分と長い間落ちている気がする。 ――ああ、息が苦しい。呼吸ができない。これはまるで……鼻を……つままれているような……? 「ふがっ!」 息苦しさで目を覚ますと、視界いっぱいに誰かの手が見えた。 「起きてください、ねぼすけさん」 「あ……文乃……」 「はい、文乃ですよー。よくわかりましたねー。それじゃあ聡明な結希ちゃんはなんで鼻を引っ張られてるかわかるかな~?」 ちらり、と時計を見やる。 試験の時間には……遅れていない。 ちゃんと帰ってこれた。 しかし、となると、鼻を摘まれている理由はさっぱり分からない。 大方、忘れてしまったのだろう。 今はただ、文乃に会えたことが嬉しくて仕方無い。 だから、私は文乃にこう伝えるんだ。 「文乃……ありがとう……」 ◆◆◆◆ 噴流 煙。 ヤマノコ(&神代の旗手 ヘヴィ・アイアン)。 菱川 結希。 そして、白鳥沢 ガバ子。 彼らの、彼女らの夢の戦いはクリアされた。 だが。 今までの戦いは序章にすぎず。 これから始まる戦いの前哨戦に過ぎなかった。 「グハハハハ! 神はまだこのゲームを続けるつもりか」 「ククっ。ワシ、なんだか……」 「ドキドキしてきたわ」 ――――合コン。 ――――それは、見知らぬ男女同士による、絆を深め合う集い。 ~~ダンゲロスSSドリームマッチ 了~~ ――――ダンゲロスSSドリームマッチSet2へ続く
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このSSは、 ゆっくりいじめ系2954 野菜の生え方について本気出して叩き込んでみた 前 ゆっくりいじめ系2966 野菜の生え方について本気出して叩き込んでみた 後の続きです。 未読の方は、そちらを先にお読み下さい。 また、厨性能ゆっくりがでます。ご注意下さい。 ぱちゅりーは、とってもゆっくりしていた。 優しいおかーさんぱちゅりー。かっこいいおとーさんまりさ。 そして仲のいい姉妹達に囲まれ、森の中でゆっくりと暮らしていた。 ある日、おとーさんがこう言った。 「にんげんさんのところに、おやさいさんをたべにいくよ!」 にんげんさん? おやさいさん? 初めて聞く言葉だった。 「むきゅ、おかーしゃん、にんげんしゃんってなに?」 「むきゅ......にんげんさんは、ゆっくりできないいきものよ。おやさいさんをひとりじめしてるの」 「おやしゃいしゃんって?」 「おやさいさんは、とってもゆっくりできるたべものよ。つちさんから、かってにはえてくるの。 でも、にんげんさんは『じぶんたちがそだてている』なんていって、ひとりじめしているのよ」 人間さんはゆっくりできない。お野菜さんはゆっくりできる。 「にんげんさんはれみりゃよりつよいから、みつからないように、 そろーりそろーりしのびこむのよ。むきゅ。わかった?」 「むきゅ! わかったわ!」 家族全員で、人間さんが独り占めしているお野菜さんの生える場所に忍び込む。 「「そろーり! そろーり!」」 「「「しょろーり! しょろーり!」」」 お野菜さんの前に着いた。お野菜さんは、赤くて小さな、おいしそうな実だった。 「むーちゃ、むーちゃ、ちあわちぇー!」 食べてみると、やはりおいしかった。こんなに甘くてゆっくりした物は初めて食べた。 家族も、みんな幸せそうに赤い実を食べていた。 「「しあわせー!!」」 「「ちあわちぇー!!」」 「こらぁっ!!」 突然、目の前にいたおとーさんが破裂した。 ぱちゅりーの顔に、餡子が飛び散った。 「むきゅうううう!!」 見上げると、れみりゃのように胴体を持ち、それでいてれみりゃよりずっと大きな生き物がいた。 「むきゅう! にんげんさんよ! みんなにげべへぇっ!!」 「おかーさああぁばっ!」 「たじゅげでべっ!」 人間さんが、みんなの頭の上に足を振り下ろす。 おかーさんも、おねーちゃんも、いもうとも、みんな次々に破裂した。残りはぱちゅりーだけになった。 「ったく、懲りないな、この野菜泥棒共!」 低くて大きな声。体がガタガタと震えた。こわい。人間さんは、本当にゆっくりできない。 目の前で、足が持ち上がって、ぱちゅりーの頭の上にも落ちてきて―― 「待って! お父さん!」 横合いから入った声に、振り下ろされかけた足がピタリと止まった。 「わぁ、これぱちゅりーじゃない! 私初めて見た」 向こうからもう1人、人間さんがやってきた。今度はかなり背が低く、声も柔らかい。 「やーん、かわいい。お父さん、この子家で飼おうよ!」 「おい、待て、だめだ。野菜を勝手にかじるような野良だぞ。 この前のゆっくりだって、家の中を暴れ回って、大変だったろうが」 「あれはまりさだもん。ぱちゅりーは大丈夫だよ、頭いいから」 そう言って、小さな人間さんはぱちゅりーを両のてのひらで包み込んだ。 「むきゅん! はなして! たしゅけて! おかーしゃん!」 「大丈夫よ。私はあんたにひどいことしないから」 「......むきゅう?」 優しい声。ぱちゅりーは、この人間さんは何だかゆっくりできると思った。 「ったく。じゃあ最後のチャンスだ。ちゃんとしつけするんだぞ」 「ありがとう、お父さん!......ぱちゅりー、今から私があんたのお姉さんよ」 こうして、少女とぱちゅりーの生活が始まった。 ぱちゅりーは、とってもゆっくりしていた。 優しいお姉さん。一日三回、必ずおいしいご飯を食べさせてくれる。 毎日3時になったら、あまあまさんも持ってきてくれる。 ぱちゅりーは、お姉さんから色々なことを教わった。 数の数え方や、文字の読み方、薬草の見分け方、ゆっくりできるおまじない。 「いい、薬草は野菜と同じように根っこがあって、その根っこの形が......」 お姉さんはゆっくり教えてくれるので、ぱちゅりーは全部理解することができた。 「やっぱりぱちゅりーは頭いいね!」と、頭をなでてくれるのが嬉しかった。 ぱちゅりーの楽しみは、お姉さんと一緒に雑誌やテレビを見ることだった。 「みてみてぱちゅりー! このきれいなウエディングドレス! あぁー、いいなあ! 私もいつか、こんな素敵な結婚式あげたいなあ!」 「......すごい、あれ、催眠術だって。うわ、何もないのにラーメンすすってるよ。さすがにやらせかなぁ、あれは」 何もかもが楽しかった。外で生活していたときよりずっと快適だった。 家の中にいれば、れみりゃに襲われる心配もない。 しかし、家にはゆっくりできない人間もいた。 ある日のこと。ぱちゅりーは玄関の脇に置いてあった段ボールの中をのぞき込んでみた。 そこには、昔食べたことのあるお野菜さんがぎっしり詰まっていた。 小さくて、赤くて、甘くて、おいしい実。 ぱちゅりーはつい、それに飛びついてしまった。 次の瞬間、ぱちゅりーは吹っ飛ばされていた。廊下をごろごろと転がっていく。 「きゃあああああ!! 何するの、お父さん!」 「うるさい! お前、しつけちゃんとしてるのか!? また野菜に手を出したぞ!」 「ち、ちゃんと言っといたよ! お野菜さんは食べちゃダメって......」 「現に手を出してるだろ! 商品に傷を付けるようなゆっくりは、うちには絶対に置いておけんぞ!」 「......」 「いいか、次はないぞ。脳の随まで叩き込んでおけ」 お姉さんの部屋に戻っても、ぱちゅりーは目眩が収まらなかった。 「むきゅ......あのおじさんは、ゆっくりできないわ......」 「......ねえぱちゅりー。うちのお父さんが育てたお野菜は、食べちゃダメよ」 「むきゅう! あのおじさんは、おやさいさんをそだててなんかいないわ! ただ、はえてきたおやさいさんをひとりじめしてるのよ!」 「違うの。野菜は、お父さんが畑を耕して、種を蒔いて――」 「ちがう! ちがうわ! おやさいさんは、かってにつちさんからはえてくるのよ! おかーさんがいってたのよ! おかーさんが......むきゅうぅぅ......」 ぱちゅりーの奥底から、悲しみがせり上がってきた。 実の家族を、ぱちゅりー以外皆殺しにしたあの人間。 あのゆっくりできない人間が、お野菜さんを独り占めしてるんだ。絶対そうだ。 ぱちゅりーの目から、すうっと涙が流れ落ちた。 お姉さんは大きくため息をつくと、優しくぱちゅりーに話しかけた。 「わかったわよ。それでいいから、もう絶対に野菜を食べちゃダメよ? お野菜さんはみんなのものだけど、ぱちゅりーだけの物じゃないんだから」 「......むきゅ、わかったわ」 納得はできなかったが、ぱちゅりーは頷いた。 確かに、野菜を食べたらあの欲張りなおじさんにゆっくりできなくさせられてしまう。 味方はお姉さんだけだった。基本的に人間はゆっくりできない。でも、お姉さんだけは特別だった。 「テーブルの上にある食べ物は全部食べていいからね! じゃ、いいこにしててねー!」 「むきゅ! いってらっしゃい!」 お姉さんとおじさんは、2泊3日の旅行に出かけていった。 ぱちゅりーは留守番だ。居間のテーブルの上には、きっちり3日分の食料が置いてある。 「むきゅ! しっかりるすばんするわよ!」 だが、3日後。お姉さん達は帰ってこなかった。 「むきゅ......どうしたの? おねえさん......」 3日分しかない食料は当然尽きた。ぱちゅりーはお腹が空く一方である。 「こうなったら......しかたないわね」 ベランダの鍵は開けてもらっていた。ぱちゅりーが暑さで倒れないように、という配慮だ。 おかげで、ぱちゅりーは自由に扉を開け閉めできる。 扉を開けてベランダへ、そして柵の隙間を抜けて、その外へ飛び出した。 目指すは、隣接している畑。 「むきゅ。しかたがないのよ。ちょっとくらいわけてもらってもいいはずよ」 食べたことのある赤い実の野菜はなかった。そのかわり、緑色の細長い実を付けた野菜が生えていた。 ぱちゅりーはそれに歯をつけた。 「ぱちゅりー! ごめん! ちょっと事故に巻き込まれちゃって!」 その時、家の奥の方からお姉さんの声が聞こえてきた。 「お腹空いたでしょ! いっぱいお土産買ってきたから......あれ? 居間にいないなあ」 「おい、まさか畑にいるんじゃないだろうな」 「えー、そんな訳ないよ! ちゃんと言っておい......たし......」 窓越しに、お姉さんと目があった。 するとお姉さんは血相を変えて、ベランダの柵を飛び越えて走ってきた。靴も履かずに。 「むきゅ、おねえさんおかえりなさ――」 お姉さんに抱きかかえられた。そのまま連れ去られる。 「む、きゅ、もっと、ゆ、ゆっぐ、りして、ね」 疾走するお姉さんは速かった。家からどんどん離れていく。 ――ごめんね、ごめんね。 後ろにすっ飛んでいく景色に目を回しながら、ぱちゅりーはお姉さんの謝る声を聞いた。 ――ごめんね、ごめんね。 お姉さん、どうして謝るの? どうして、泣いてるの? 前のまりさは潰されちゃったって......どういうこと? ようやくお姉さんは止まった。ぱちゅりーは地面に降ろされる。 そこは、見たこともない山の中だった。 「ごめん、本当にごめんね。でも、こうするしかないの。 ごめん......ぱちゅりー、生きてね」 涙をぽろぽろこぼしながら、お姉さんはそれだけを言って、踵を返して走っていった。 「......むきゅ?」 捨てられた、と理解するまでに、ぱちゅりーは長い長い時間を必要とした。 ねえ、どういうこと? どうして捨てられたの? お野菜さんを食べてたから? だから、お姉さんもぱちゅりーを捨てたの? お姉さんも、お野菜さんを独り占めしたいの? だから、あんな怖い顔してたの? 泣くほど悔しかったの? その後、親切なゆっくり一家が通らなければ、ぱちゅりーの命はその日のうちに尽きていただろう。 ぱちゅりーは、悟った。 人間は、自分で野菜を育てていると主張し譲らない。 強大な力を持っているにもかかわらず、勝手に生えてくる野菜の独り占めしか考えない、強欲な生物。 拾われたゆっくりの家族の中で、ぱちゅりーは今までに得た知識をフル活用して役に立とうと努めた。 実際にぱちゅりーは重用された。これだけは人間に感謝した。 季節が一回りする頃には、ぱちゅりーは群れの長になっていた。 群れを統率する規則も作った。医者として、たくさんのゆっくりを治した。 結果、群れのゆっくり全員から、絶対の信頼を勝ち得た。 ......それなのに、それなのに―― 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛あ゛......ば、ばりざのあたまがあ゛ぁぁ......」 「む、ぎゅう......」 頭に乗っている重い痛み。どうしようもない喉の渇き。 「よう、ぱちゅりー、まりさ。今日も元気か?」 全ては、この男のせいだった。 一週間前、群れの成体ゆっくり達は人間をやっつけに山を下りていった。 ぱちゅりーと子ゆっくり、赤ゆっくり達は、突撃隊が帰ってくるのを今か今かと待っていた。 しかし、帰ってきたのは指揮をしていたまりさだけ。ゆっくりできないおまけも付いていた。 「ば、ばづりーはあぞごだぜぇ! あぞごのきのじだだぜぇ!」 ぱちゅりーは人間に捕らえられた。襲撃は失敗に終わったのだ。 人間は子ゆっくりと赤ゆっくり達を無視し、ぱちゅりーとまりさだけを連れ去った。 その日から、2人の拘束監禁生活が始まった。 ビニールハウスの中にある木の板。その上に2人並んで接着剤で固定された。 そして頭に小さな粒を埋め込まれた。 「ゆぎゃあ゛あ゛あ゛ぁぁ!! やべろ、やべるんだぜえ゛え゛ぇぇ!!」 「む、むぎゅう゛う゛う゛う゛ぅ!!」 すぐにかけられた甘い液体のおかげか、その日の痛みはすぐに治まった。 しかし日が経つにつれて、チクチクという痛みから、じわじわと慢性化した鈍痛に変わっていった。 「ほら、これが今のお前だよ」 男が、まりさの目の前に板のような物を立てて見せた。鏡だ。 「ゆ゛わ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ!! ばりざの、あだまがら、くきさんがあ゛あ゛あぁぁ!!」 おそらくそこには、頭から野菜の茎を生やしたまりさが映っているのだろう。 2人は同じ方向を向いて横に並んで固定されているので、真横のまりさを見ることはできない。 だが、見せられている物の予想はおおよそ付いていた。 「ぱちゅりーも見てみるか?」 「むきゅ、けっこうよ! そんなものみたくもないわ! それより、はやくさいみんじゅつをときなさい!」 そう。ぱちゅりーには分かっていた。これは、れいむが掛けられたのと同じ催眠術だ。 この痛みも、異常な喉の渇きも、全てが幻。 どうしてこんなことするのだろう。一体何がしたいんだろう。 そんなに、ぱちゅりー達に大ボラを見せることが楽しいのか。痛めつけるのが楽しいのか。 無駄なことをせずに、早く殺してしまえばいいのに。 「催眠術......ね。お前、本当にそう思ってるのか」 「あたりまえよ! まりさ! だまされちゃだめよ!」 「......ふーん」 今日の男は、これまでの一週間と違い饒舌だった。 表情も今までのような無表情ではなく、口元がニヤついていた。 「ぱちゅりー、ちょっと話をしよう。 お前の考えでは、れいむは催眠術に掛けられていて、野菜が自分の頭に生えていると思い込んでしまった。 そしてその術は周りにもうつり、群れのゆっくり全員がそう思い込んでしまった。そうだな?」 「むきゅ! そうよ!」 「つまり、れいむの体自体は実は何ともなくて、外傷もなく、皮に異常もなく、いつも通りだった。そうだな?」 「むきゅ、だから、そうよ! れいむのからだにはなんにもいじょうはなかったの! ただ、やさいがはえているというまぼろしをみせられていたのよ。それだけよ!」 「それだけだな?」 「それだけよ!」 なんなんだこの男は。未だにニヤニヤと笑っている。図星をごまかすためか。 喋る度に頭に響くのだが、小馬鹿にされているようで許せなかった。 「じゃあ、本題に入ろう。 お前、れいむの体がぱりぱりに乾燥してるのを、見たよな?」 「......むきゅ?」 それと今の話と、どう関係が......? 「ゆっ! なんでそのことをしってるんだぜ!? やっぱり、さいみんじゅつでまりさのあたまのなかを......」 その時、まりさが口を挟んできた。 「......あー、そこも説明しなくちゃならんのか。面倒だな」 男は懐から小さな黒い2つの物体を取り出した。 1つは四角い板。もう1つは奇怪な形をした、管のような物。 男は板をまりさの前に、管のような物をぱちゅりーの前に置いた。 「こっちがマイクで、こっちがイヤホン。まりさ、何か喋ってみろ」 『「ゆぅ? なんなんだぜ?」』 「むきゅう!?」 ぱちゅりーは飛び上がった。いや、足を固定されてはいるが、飛び上がったつもりだった。 まりさの声が真横と、目の前の管から同時に聞こえてきたのだ。 「わかるか? 盗聴器って言ってな、離れたところの音を聞ける機械だよ。 これをれいむの頭に埋め込んでたんで、お前らの会話も筒抜けだったわけ」 「ゆ、ゆぅ!? じゃ、じゃあさいみんじゅつじゃなくて」 「話を戻すぞ、ぱちゅりー」 男はまりさを無視して、再びぱちゅりーと向かい合った。 「お前、れいむが乾いてるのを見たよな。 そして、『このままではひからびてしまうわ!』とも言ってたよな」 「む、きゅ......」 「そして、群れのゆっくりに水を掛けるように指示した」 「む......!!」 「れいむの体に、水掛けたよな。だいぶ長い時間掛けてたよな。何ともないはずの、れいむの体に」 「む、むきゅ! むきゅ!」 「おかしくないか? あれだけ水掛けられたら、普通のゆっくりは溶けちゃうんじゃないか? 溶けないとしても、その日のうちに、山から俺の家までマラソンするのは無理なんじゃないのか?」 「ち、ちが!」 「お前も今、喉カラカラだろ? それはな――頭に生えた野菜が、水分を吸い上げてんだよ」 違う。違う。そんなわけない。 「むきゅ! ちがうわ! それは......むれのみんなに、みずをもってこさせるというさいみんじゅつよ! みずをかけたのもまぼろしなの! じつはれいむにみずをかけていないのよ!」 「......自分で言ってて苦しくないか?」 「そんなことないわ! そうじゃなかったら、れいむがおにいさんのいえにいったのがまぼろしで......む、むきゅう!」 「うん、まあ、考えててくれ。納得できる答えは出ないと思うけど」 男は背中を向けて歩いていった。 「まりさ、だまされちゃだめよ! さいみんじゅつなのよ!」 「......だぜ......」 「むきゅう! まりさ!? ねえ、きいてるの? まりさ!!」 まりさは口の中で何かをブツブツと呟いている。 ぱちゅりーは底知れない不安を感じた。 「ああ、そうそう。言い忘れてた」 男はビニールハウスの出口で振り返って、こう言った。 「今日、すごい面白いもの見つけたんだ。 自然に根がお前らを突き破って終わりにするのを待とうと思ってたんだけど、 それじゃあちょっと早すぎるから、それ以上粘ってもらうからな。 大体60日後くらいまで、死なずに頑張ってくれ」 それからの日々は、四六時中ゆっくりできなかった。 日に日に増していく、体の中に異物が深く潜り込んでいく感触。 少しでも体を動かせば訪れる激痛。 目の奥をねじられ、視界がどんどん狭まっていく恐怖。 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛ぁ......いだい、ぜぇぇ......」 「むぎゅ、ぎゅう゛......」 生クリームを吐き出してしまったのも一度や二度ではない。 しかし、その度に男がやってきて、“オレンジジュース”という甘い液体を掛けていくのだ。 すると、ぱちゅりーの体は潤い、腹は満たされ、力が湧いてくる。 地獄から解放させないための処置だ。鬼。悪魔。 「ジュース代がかさむんだよなぁ」とか言いつつ、男は惜しげもなくジュースをかける。 それなら、さっさと掛けるのを止めてくれればいいのに、楽にしてくれればいいのに―― ああ、違うか。これらは全て、催眠術なのだ。わざわざジュースをかけて回復させる幻まで見せる。 なんて悪趣味なんだ。 時間の感覚が薄れ、今は何日目なのかも分からなくなったとき。 「ゆぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」 隣のまりさが突然絶叫した。もうそんな余裕はないはずなのに。ちょっと声を出しただけでも全身が痛むのに。 何事かと、ろくに動かない目をゆっくりと右に向けた。 「む、ぎゅう゛う゛う゛!!」 ぱちゅりーも叫んでしまった。まりさの前に、ポテンと落ちている白い球体。 目玉だった。 「何だ何だ、どーした? おお、ついに開通か。それもちょうど目の部分が」 悪魔がやってきた。オレンジジュースを片手に。 まりさの頭にジャバジャバと掛ける音がする。 「うーん、さすがに目は復元しないか。でも、ちゃんとふさがったな。根っこは飛び出てるけど。 これで餡子が流れて行かなくて済むぞ、よかったなまりさ」 「......おでぃーざん」 「ん?」 「ばりざを、ばりざをだずげてくだざいぃ!」 ついに、まりさが折れてしまった。 「むぎゅう! だめよ、まりざ! たえて!」 「もう、おやざいざんどか、さいみんじゅづどか、どおでもいいから゛あ゛あ゛あ゛! まりざを、だずげで、ゆっぐりざぜでくだざい!」 「無理」 即答だった。 「どぼじでぞんなごどいうのぼお゛お゛ぉぉ!」 「だから、言ったろ。60日耐えろって。今日であの日からちょうど20日。あと3分の2だ。頑張れ」 「ゆああああ!! ゆっぐりじだいんだぜえええぇぇ!!」 まりさはそれから、「あ゛、あ゛」と言うだけの置物になってしまった。 「ばりざ......がんばって......」 ぱちゅりーが精神を保っていられるのは、これが催眠術である、と知っているからだった。 絶対に、あんな男には屈しない。あの男からは、あの強欲なおじさんとそっくりな臭いがする。負けてなるものか。 しかし催眠術を解かれたとしても、素直に放してくれるはずがないとも分かっていた。 間違いなく殺される。だがもういい。心残りはない。 ......いや、1つだけあるとすれば、群れに残してきた子どもや赤ちゃん達だった。 ぱちゅりーの家の中で全員で待機していたのだが、家には食糧の貯蓄はほとんど無かったはずだ。 方々の家から取ってきたとしても、一週間も持つまい。 子ゆっくりの中には狩りができる者も数匹いたが、自分の分が満足に取れるかも怪しい。 ましてや、たくさんの赤ゆっくりを食べさせるほどの食料は取れるはずがない。 想像したくないことだが、阿鼻叫喚のさなかで共食い劇を演じた可能性もある。 その前にれみりゃに襲われたかもしれない。どちらにしろ、全滅は間違いなかった。 ごめんなさい、みんな。ぱちぇをゆるして。 「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」 まりさは、たまに絶叫をあげるときもあった。根が新たに皮を突き破ったときだ。 「む、むぎゅう゛う゛う゛っ!」 それはぱちゅりーも同じだった。根は1日に1回は、新たな穴を開けた。 「はーい、オレンジジュースですよー。 ......しかしお前らすごいな。もう10本くらい飛び出てるぞ」 オレンジジュースをかけられた貫通部分は、根を飛び出させたまま塞がる。 根の中腹を、復元する皮が隙間無く握り込むのだ。 そして次の日、その根はまた伸びて、塞いだ場所をまた引きちぎる。 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」 「むきゅう゛う゛う゛う゛!!」 開いた傷口から生クリームが噴き出す。体の十箇所から噴き出す。 しかし一日の終わりには修復される。また、その日新たに根が飛び出した場所が作られる。 日に日に、血が噴き出す箇所が、増えていく。 きっと今の2人の姿は、見るもおぞましい化け物の姿だろう。 「ゆ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! だずげで、だずげでおにーざあ゛あぁん!!」 幸い、まりさの残った方の片目と、ぱちゅりーの両目が飛び出すことはなかったが。 「む、ぎゅうぅ......」 負けない。これは催眠術なんだ。 おかーさんが言ってた。人間は独り占めする生き物。 おやさいさんは、つちさんからかってにはえてくるのよ。ぱちぇのあたまから、はえてくるわけないの。 「おつかれさん。約束の日だ」 ぱちゅりーは、そう言われても何のことだか分からなかった。 オレンジジュースをかけられた直後でも辛い。 何もしなくても押しつぶされてしまいそうなほどに、今のぱちゅりーの頭は重かった。 「面白い物を見せてやるって言ってただろ? これだよ」 男は、大きなカゴを持ってきていた。成体ゆっくりが3人は入りそうな、木で編まれたバスケット。 「お前らも見たことあるはずだぞ。ほら――」 地面に置いたカゴに両手を入れ、引き出す。 「――おさ、やっぱりれいむたちがまちがってたよ」 れいむだった。 群れに置いてきたはずの子ゆっくり。今はもう野垂れ死んでいるはずの、子れいむ。 確か、頭に茎を生やしていたれいむの妹...... ぱちゅりーは、頭を思いっきり殴られた気分だった。 「むぎゅうう!! どぼじでえ゛え゛えぇ!!」 男がぺらぺらと喋り始めた。 「いやぁ、驚いたね。お前らが襲ってきたときから一週間くらい経って、 そういえば残してきた子ゆや赤ゆはどうしてるかなあ、生きてたら潰してきた方がいいかなあ、と思ってさ。 群れに着いてみたら、ボロボロの子れいむが口に水含んでよたよた歩いてた。 何してんだって聞いたら、お野菜さんを育てるって。一本だけ、小さな芽が生えてたんだよ。 いや、本当に驚いたわ。土もちゃんと柔らかくしてあったし。野菜の育て方を知ってた。 そこで俺は急いで帰って、救急道具を持ってとんぼがえりして......」 うそよ。 うそようそようそよ。 ありえない。ありえない。ありえない。 「......でさ、まだぱちゅりーは生きてるよって言ったら、ぜひ会いたいって言いだして」 男は次々にカゴの中に手を入れ、引き出す。 その度に1人ずつ、群れの子ども達が出てきた。 子まりさ、子ありす、子ちぇん、赤れいむ、赤ちぇん、赤みょん―― 「たねさんからおやさいさんがはえてきたよ! とってもおいしかったよ!」 「つちさんをたがやして、おみずさんをあげれば、ゆっくりそだったわ!」 「おさがうそをついてたんだねー! わかるよー!」 「おかーしゃんも、おとーしゃんも、おしゃのせいでゆっくちできにゃくなったんだよ!」 「ゆげぇ、おしゃ、きもちわりゅいよー......でも、じごうじとくにゃんだよー! わかっちぇねー!」 「ちち、ちんぽっ!」 赤みょんがぱちゅりーに向かって跳ねてくる。ぱちゅりーの頬に体当たりした。 普通ならなんてことない攻撃。でも、今のぱちゅりーには身体の芯まで響いた。 「むぎゅう゛う゛う゛う゛う゛う゛!!」 「みょん、だめだよ。もどってきてね」 子れいむがみょんを諭し、落ち着いた口調で話し始めた。 「あのよる、おねーちゃんはまよってたよ......おさか、おにいさんか、どっちがただしいのか。 あのときのおさはおかしかったよ。ぜんぜん、ゆっくりかんがえてなかったよ。 そして、ただしいのはおにいさんのほうだったよ」 うそ......よ。 れいむが......こんな、こと......いうはず......ないもの...... 「れ、れいぶ......」 隣で、まりさのかすれた声がした。 「ほがの......おちびちゃんたちは......どうじたんだぜ......?」 そうだ。子ゆっくりや赤ゆっくりはもっとたくさんいたはず―― 「――みんな、ずっとゆっくりできなくなったよ......!」 子れいむが、絞り出すように答えた。 その言葉は、ぱちゅりーを真っ直ぐ貫いた。 「うがあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁっ!!」 狂ったように大きな絶叫が響き渡った。 「ぜんぶ、ぜんぶおざのぜいだあ゛あ゛あ゛っ! おざのぜいで、でいぶも、みんだも、ゆっぐりできなくなっだんだぜえ゛ぇっ!」 「あーあ。れいむ、みんな一旦出た方がいいな」 「じね゛え゛え゛えぇぇっ! じね゛え゛え゛えぇぇっ! なにがざいみんじゅづだぜえ゛ぇ゛ぇぇ!」 まりさもぱちゅりーも、動けない。 しかし、一方的に右半身に叩きつけられる悪意がビンビンと伝わってくる。 「じね゛え゛え゛えぇぇっ! じねえ゛え゛えぇぇっ! うそづぎばづりーはざっざとじね゛え゛ぇぇ!」 いや、まりさは動いていた。 必死に右の方向に向けた目が捉える。 足を固定されているのもかかわらず、全身を根に押さえつけられているのもかかわらず、 ぱちゅりーの方へ向かってこようとするまりさ。 「じね゛え゛ぇぇっ......! じね゛ぇ゛ぇ゛ぇぇ......!」 体を強引に揺らすまりさは、こちらに倒れ込むようにしてぐちゃぐちゃに崩れていった。 その姿は、踏みつぶされたおとーさんそっくりだった。 「ばづりー......じ......ね......」 ぱちゅりーの頭に、何かがバサリと落ちてきた。 まりさの頭に生えていた、お野菜さんの苗だった。 両目の間でぶらんぶらんと揺れる物がある。 ずっと昔に見たことがある、赤い実だった。 男が近づいてきて、その実をもいだ。 「......このまりさは、とことんゲスだったな」 半開きのぱちゅりーの口に、実を挟んだ指が突っ込まれた。 舌の上に、瑞々しい果汁がしたたる。 久方ぶりに味わった。 ゆっくりできるけど、ゆっくりできない、“ほんとうの”おやさいさんのあじだった。 「む゛ぎゅう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う」 「ちなみに、俺は何も嘘はついてないぞ? みんな実話だ。 俺が群れに着いたときも、あの7匹しか生き残りはいなかった」 「......」 「あいつらは、あの子れいむがいる限り大丈夫だ。あいつ、ゆっくりにあるまじき頭の良さだぞ。 それこそ、お前とは比較にならないほどのな」 「......」 「まあ、それでも7匹じゃ群れとしてやっていくのはむずかしいしな......いざとなれば、保護も考えてる」 「......」 「あの、頭に茎生やしたれいむも悩んでたみたいだし。そうとは知らずに、決めつけてやっちまったけど。 ......罪滅ぼしという意味でも、あいつらを助けていこうと思う」 「......」 「じゃあな、ぱちゅりー。今まで引き止めて悪かったな。最後まで、ゆっくりしていけよ」 もはや痛みは感じない。ただ、体が重い。 全身から生クリームが噴き出し始めても、男はオレンジジュースを掛けに来てくれなかった。 もし。 もしもよ。 これが、ほんとうにさいみんじゅつだったら。 ぜんぶがぜんぶ、もうどこからなのかわからないくらいから、さいみんじゅつだったら。 そのなかでしんだら、どうなるのかしら。 生クリームを全て噴き出すまで、ぱちゅりーはそんなことを考えていた。 あとがき 長編は実力が出ますねえ......もっと精進します。 最後まで見てくださった方、本当にありがとうございました。 過去作品 ゆっくりバルーンオブジェ 暗闇の誕生 ゆっくりアスパラかかし 掃除機 ゆっくり真空パック このSSに感想をつける
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聖剣/乱舞 前編 一振りの剣があった。 偉大なる王が携えた聖剣。 あらゆる困難を切り裂く魔法の剣。 騎士王たる彼の象徴――約束された勝利の剣【エクスカリバー】 されど、王は裏切りの刃により致命傷を負い、湖の貴婦人より受け賜わりし勝利の聖剣は湖へと帰された。 既にこの世には聖剣は存在しない。 歴史は、御伽噺はそう語る。 されど、本当にそうだろうか? もしも失われた剣を再びこの世に出現させる方法があったなら? もしも失われた聖剣を継承するものがこの世にいたら? どちらか片方の条件でも満たせば聖剣はこの世に蘇る。 そして、二つの条件を満たせば――この世に聖剣は二つ存在する。 再現されしもの――約束された勝利の剣。 継承せしもの――受け継がれし王の刃。 どちらが優れているのだろう。 どちらが本物なのだろう。 それを決める方法はただ一つ。 勝利すること。 例え元来的に本物であろうとも、偽者が勝ることがある。 偽者に負けぬ本物もある。 ならば真偽など関係ない。 より価値の高いものにこそ価値がある。 今ここに二振りの聖剣が激突する。 聖剣/乱舞 再現せしもの/継承せしもの 冬木市。 夜も更けた新都の夜行バスから降り立つ少年がいた。 長袖のパーカーを羽織り、ジーンズをはいた少年。歳は高校生ぐらいだろうか。 茶色く染めた髪に、端正とも言える顔立ちの少年。本来ならば幼さの残る年頃だろうが、寂しく寒い冬の風に浮かべる鋭い目つきで幼さを打ち消し、大人びた気配を纏わせている。 緋色にも似た瞳がまるで墓場のように立ち並ぶ高層ビル群を眺め見て、周囲を油断無く見渡していた。 「……彼を知り己を知れば、百戦危うからず。というものの、己の実力も分からず、敵地に踏み込むか。とんだ愚策だな」 やれやれと首を振り、周囲を見渡しながら、懐から一つの携帯を少年は取り出す。 それは0-PHONEと呼ばれる特殊な機器だった。 「柊 蓮司、緋室 灯、ナイトメア、伊右衛門さん、グィード・ボルジア……これだけの面子を集めて、一体ここで何が起こっている?」 彼が名前を上げたウィザードは世界でも有数の実力者たち。 単独でも魔王クラスとも渡り合える戦闘能力を持つ人材。 そして、少年は六番目の人材として選ばれていた。 あと数名サポートウィザードが来ていると聞いていたが、そちらはあくまでも援護らしく名前は聞いていない。 先だって到着しているはずの人員と合流するか、そう考えて少年は足を踏み出そうとした瞬間だった。 「っ!?」 ゾクリと肌を打つ殺気を感じた。 気配の位置を探り、少年は手に持っていたバッグを周囲からの視線がないことを確認してから、消失させる。 否、消失ではなく、格納。 彼が纏う“異相結界”へと押し込んだのだ。 「なん、だ?」 彼が感じたのは剣気。 まるで触れれば切り裂かれそうな殺意。 しかし、その対象は己ではない? 「しかし、どこから――」 そう呟いた瞬間だった。 視覚の端っこで何かが瞬いた気がした。 高層ビルの屋上、そこで撃ち出される殺意――そして立ち上がる閃光。 それは魔力の気配。 「あそこか!」 何かが起こっている。 それを確認するために少年は走り出した。 そこで宿命とも言える出会いがあるとも知らずに。 一つの戦いが終わっていた。 一人の少女――剣の名を冠する英雄が、弓の名を冠する英雄を両断した瞬間、雌雄は決したのだ。 「今回はオレの負けか――先に行くぞセイバー。せいぜい、このオレに騙されていろ」 潔く散ることなく、敗者の恨み言を残してその男は消え去る。 後に残るのは一人の少女。 月光に輝く髪、輝く鎧を纏い、一つの偉大なる聖剣を振り抜いたセイバーと呼ばれた少女の姿のみ。 「何故……」 彼は襲い掛かってきたのか。 彼は討たれなければいけなかったのか。 彼と己が対峙しなければならなかったのか。 無数の何故がある。 鈍痛にも似た疑問が膨れ上がり、彼女の胸を締め付ける。 彼女の人生は後悔だらけだ。 ああしとけば、ああやっておけば、もっと誰かが救われたのではないか。 己の悔いではなく、誰かのための悔い。 それは尊いけれど、愚かとも言えた。 過去は修正できぬ。 それこそ魔法でも使わぬ限り出来ないのだ。 「……」 彼女は沈黙と静寂の中に沈み込む。 聖剣を不可視の風の鞘に納め、静かに残心を払う。 どうすればいいのか、マスターの元に戻るべきか、それとも待ち続けるべきか。 それすらも決断できずに――迷い続けるはずだった。 バンッと一時間も立たずに、彼女が沈黙に沈み込んでから数分後に屋上の扉が開かれるまでは。 「っ、士郎ですか?」 何気なく、ただ察知したままにセイバーは振り返る。 しかし、それは外れていた。 同じ茶髪の髪、同じような年頃の少年だが、それは別人だった。 赤い外套を纏った姿――まるで先ほど葬った男の普段着のよう。 鋭く険しい目つき――戦いの選択を決断したマスターのような目つき。 そして――その全身が帯びる剣気は尋常ならざるもの。 「これは、どういうことだ?」 周りを見渡し、セイバーへと向ける警戒をまったくもって怠らぬまま、少年が周りを見渡す。 「っ!」 一瞬にして、構えを取るセイバー。 彼女の頭の中は一瞬混乱していた。 何故私は士郎と彼を間違えたのだろう。 本来ならばラインが繋がり、決して間違えるはずのない主従の繋がり。 だというのに、セイバーは一瞬やってきた彼を見るでもなく、士郎と勘違いした。 勝手な期待? 馬鹿な、それほど耄碌したのか。 あるいは状況からの推測? ありえない、士朗の脚からしてここまで来るのにもっと時間がかかると解り切っている。 なのに、何故? 「貴方は……誰だ?」 混乱する己の思考を鉄壁の仮面の中に押し隠し、セイバーは冷たい相貌で静寂を切り裂いた少年に告げる。 このような現場にやってきたこと、纏う格好から考えて魔術師か? 英霊ではありえない。 生身の人間だとセイバーの目は看破している。 だがしかし、何故か油断は出来ぬと己の本能が全力で鳴らしていた。 無手の少年、なのにまるで油断が無く、剣に手を掛けたかのように鋭い剣気が肌を打ち、背筋を振るわせる。 「それはこちらの台詞だ。貴方はウィザードか? 紅い月は昇っていないし、エミュレイターには見えないが」 ウィザード? こちらを魔術師だと勘違いしているのか? しかし、聖杯から与えられた知識は魔術師をウィザードと呼ぶ風習はないと告げる。 違和感がある。 まるで掛け違えたボタンのような違和感が。 「一つ訊ねる」 「なんだ?」 「聖杯戦争の参加者か?」 この質問の反応で確かめる、とセイバーは僅かに突き出した前足から、蹴り足へと重心を僅かに傾ける。 音も無く、僅かな数ミリにも満たない挙動。 しかし、それを少年は察知し、身構える。 虚空に手を伸ばし、まるで何かを掴むような動作。 「聖杯戦争? なるほど、それがこの地の異変か」 知らない? だが、調べに来た。 ――と今の一言で理解する。 聖杯戦争の関係者ではない、だが関わりあろうとする人間だということを。 嘘かもしれないが、見る限り発せられた態度は自然なものだった。 「知らない、と?」 確認し、念を押すかのように告げる。 聖杯戦争に関わろうとする魔術師であれば、それはもはや敵であることは明白である。 もはや聖杯戦争は終わったが、彼女達英霊は限りなく利用価値の高いサーヴァントだ。 令呪を奪えれば従えることも可能な例外的な英霊。 それを狙うものがいないわけではない。 聖杯戦争を知らぬとも、知れば欲しがる。それが人の性だろう。 「ああ、知らないな。だが、一つ分かることがある」 高まる剣気。 振れば珠散る刃の具現。 温度すらも凍りつきそうな殺気に晒された真冬の大気の中で、蒸気じみた白い息を吐き出しながら少年は応える。 「おそらく君は俺の敵だ」 そう告げた瞬間、セイバーの闘気が高まる。 空気が圧縮されたかのように張り詰め、重力が増したかのように重みを与える。 見るがいい、剣において並ぶもの少なき偉大なる騎士王の構えを。 幾十、幾百の戦を乗り越え、千は超えるだろう敵兵を切り捨てた偉大なる騎士の姿を。 その身は剣を振るうために在る。 剣士の名を与えられし英雄。 英雄に立ち向かえるのは英雄のみ。 ただの人間では立ち向かえぬ、決して歯が立たぬ、破れる事無く高貴なる幻想。 目の前の少年は高貴なる幻想に立ち向かえるほどのものか。 「凄いな。人とは思えない」 少年は告げる。 目の前の騎士たる少女に、虚空に伸ばした指をゆっくりと折り曲げながら、鋭き眼光を発する。 常人ならば――否、人間であれば瞬く間に怯え震え、膝を屈すだろう英霊の闘気を受けても揺るがない不動の精神。 明確なまでにもはや一般人ではないことを、只者ではないことを告げる。 「……」 剣の英霊は答えない。 不必要な情報は与えない、答える必要性はないと判断した。 ただ切り捨てるのみ。 四肢を切断し、その後に情報を問い詰められば十分だろうと考える。 「先に言っておこう」 じわりと踏み込む瞬間を狙っていた少女に、目の前の少年はぼそりと呟いた。 「俺の名は流鏑馬 勇士郎」 己の名を少年――流鏑馬 勇士郎は名乗る。 それが礼儀だと、譲れぬルールだと告げるかのように己の名を騎士王に告げながら、手を伸ばす。 瞬間、虚空より何かが握り締められる。 投影魔術かと一瞬考えるも、違うと判断。 まるで違う場所から引き抜かれるようなギルガメッシュの王の財宝/ゲート・オブ・バビロンのような感覚。 そして、セイバーは視る。 引き抜かれていく柄を見た。 ゾクリと何故か肌が震える、その剣を抜かせはいけないと全本能が叫んでいた。 「ブルー・アースと呼ばれるウィザードだ」 だがしかし、剣の英雄には誇りがある。 切りかかろうとする己を押さえつけ、名乗りを上げる勇士郎に名乗りを返す。 言葉で相手を断ち切らんと、鋭さを帯びた言葉を発した。 「私の名はセイバー。真名ではありませぬが、それを名乗れぬことを詫びましょう」 サーヴァントにおいて真名を知られることは命取りだ。 それに彼女の名は有名すぎる。 誰もが知る故に、知られては不味すぎる真名。 故に名乗れぬ無礼を詫びる。 「私の名はセイバー。真名ではありませぬが、それを名乗れぬ無礼を詫びましょう」 サーヴァントにおいて真名を知られることは命取りだ。 それに彼女の名は有名すぎる。 誰もが知る故に、知られては不味すぎる真名。 故に名乗れぬ無礼を詫びる。 「構わないさ。元々期待はしていなかったからな」 それに勇士郎は応える。 構わぬと。 ただ斬るための礼儀だけを済ませたとばかりに、彼は身構えた。 既に二人は言葉を必要としなかった。 虚空に融けゆく言葉が拡散した瞬間、二人は同時に踏み出した。 ――瞬くような刹那で二人の距離――十数メートルの間合いがゼロとなる。 疾い。 英霊たるセイバーの踏み込みよりはやや劣るも、その速度は異常。 撃針に打ち出された銃弾のように踏み込みから接触までゼロコンマの間もない、一瞬の交差、一刹那の邂逅。 全身を捻り上げ、互いに振り抜いた剣の軌道が重なり合い――甲高い金属音と共に火花が散った。 セイバーは不可視の剣を、勇士郎は鋭く伸ばされた槍のような長剣を両手で振り抜いていた。 「っ、どこにこれだけの膂力が!?」 戦闘機が直撃してきたかのような衝撃に、勇士郎が驚愕の声を上げる。 英霊たる彼女の斬撃は人間の出せる膂力を軽く凌駕する。 岩を切り、鉄を切り裂き、金剛石すらも容易に粉砕する馬鹿げた威力の刃。刃という名の形をした粉砕機といってもいい、それほどの次元の差がある。 しかも、不可視の武器。 いつ直撃するのかも分からない、身構えることも難しい突然の繰り返し。故に二重の驚きだった。 驚いたのはセイバーも同様――否、それ以上だった。 人の身で手加減抜きのセイバーの剣撃を受けたのだ、強化魔術でも行っていなければ一撃で腕がへし折れて、血肉がはじけ、砕けた骨が飛び出してもおかしくない威力。 なのに、勇士郎は受けた一撃の威力に無理に踏ん張ることも無く、されど負けることも無く、コンマ数秒の淀みもなく手首を捻り、柔らかく反動を受け流している。 恐るべき技量。 されど、それ以上に驚くべきことがあった。 勇士郎が振り抜いた長剣、それをまるで食いつくかのようにセイバーは見た。 発せられる魔力を感じ取る。 「馬鹿なっ!?」 驚愕は声に。 驚きは瞳に。 震えは剣に伝わる。 喉が渇く。 止まらぬ剣戟を交わしながら、一瞬でも油断をすれば切り捨てられそうな剣の舞踏を行いながら、セイバーは目を見開く。 数十、数百合目の激突。 雷光と旋風の衝突とでも例えれば正しいだろうか。 風のように素早く、稲妻のように鋭く、互いに似た、けれども質の異なる斬光の鬩ぎ合い。 圏内に立ちはだかる刃全てと打ち合い、振り抜かれた鋼の牙同士の激突の瞬間、火花を散らしながら、互いの一撃の威力を刀身に伝えながら、セイバーは震える。 鍔迫り合いをしながら、あまりの技量に金属音すらも打ち消して、互いの威力を伝え切りながら、セイバーは見るのだ。 理解する。 把握する。 真贋を確かめる。 その剣を、相手の長剣の正体を――彼女が理解出来ぬわけがない。 何故ならばそれは己の剣なのだから。 「エクス、カリバー?」 姿は違う。 己のよく知る聖剣とは形状が異なる。 けれど、理解する。 分かるのだ、悟れるのだ。 それは私の剣だと吼えそうになった。 それは私の刃だと激昂しかけていた。 だがしかし、勇士郎は表情を変えぬ。 ただ少しの驚きと、当然のような顔を浮かべて告げる。 「よく分かったな」 その声にエクスカリバーを持っていることに対する違和感などなかった。 その声に目の前に相対する騎士王への違和感などなかった。 どういうことだと、セイバーは混乱する。 混乱してもなお、その斬光は衰えない。 「その剣、どこで手に入れたのか後ほど聞きましょう!」 怒りを力に変えて。 汚された誇りを熱に変えて。 彼女の刀身が熱く輝き、その身はさらなる刃を求める。 もはや敵を生身の人間とは考えない。 敵を英霊と同等ものだと考え、速度を上げる。 「っ!」 それに勇士郎は応えた。 己の四肢に、莫大なるプラーナを注ぎ込み、人外の身体能力を得る。 見るものが見れば戦くであろう。その量に、その質に。 彼の身は勇者、星に選ばれし戦士。 保有する存在力、それは常人とも、通常のウィザードとは比類にならない量を持っているのだと。 「っ、おぉ!」 セイバーが咆哮を上げる。 息を洩らし、一瞬だけ驚愕し、硬直した己の四肢を奮い立たせるために。 「はぁ!」 勇士郎が唸り上げる。 声を上げて、迫る人外の、人の身では立ち向かえぬはずの英霊を葬るために。 互いに常人では認識不可能な高速空間に突入する。 瞬く間に火花散る、斬撃と斬光と剣閃の乱舞を繰り広げる。 視界全てを埋め尽くすかのような刃の応酬。 震え立つは二つの聖剣、二つの刃、二つの剣士。 互いに引けぬ、互いに退かぬ、互いに負けれぬ。 ならば、叩き切るしかあるまい。 眼前両断。 その言葉を掲げて、剣を振るい上げる雌雄。 「しかし、お前の持っているものはなんだ? セイバー、剣士、ならばその手に持つは刀剣だろう」 不意に勇士郎が言葉を告げる。 不可視の武器、それを防ぎ続けながらも、勇士郎はセイバーに訊ねる。 「重みは日本刀では無い。されど、その振りは青龍刀でもなく、鉈でもない。ならば」 その四肢に存在するための力――プラーナを注ぎ込み、触れれば両断されかねない剣の嵐に対峙しながらも勇士郎は独り言のように呟く。 「――西洋剣、それもロングソードと見た」 「っ」 触れれば切れる剣気の中で、剣を交えながら二人は会話をしているようなものだった。 打てば響く。 それが道理だ。 看破された瞬間、僅かな剣の淀みが、勇士郎に伝わり、理解される。 「正解、だな」 「隠せない、か」 剣士は剣で語るものだ。 打ち合えば互いの心すらも理解する。 剣技はまさしく心を写す鏡なのだから、偽ることは許されない、見破られるだろう。 もはや隠せぬとセイバーは割り切り、速度を上げる。 「っ、まだ!?」 セイバーの剣速が上がる。 不可視の剣が、視認外の速度を帯びて、振り抜かれる。 決してセイバーは手を抜いていたわけではない。 だが、本気ではなかった。 己の剣の形状を看破されぬように癖を抑え、西洋剣術の本来の型を取り戻す。 ただ純粋に叩き切る。 その一念を篭めた斬撃。 見えぬ刀身、視えぬ刃、ならば防ぐ手段は――ない。 銃弾よりも疾い、斬光の連撃を勇士郎は予測だけで数発防ぎ、最後に振り抜かれた刃を後退して躱す。 されど、それは愚策。 彼女の足取りは止まらぬ、永劫に続く剣舞。 全てが必殺、一撃目で殺し、一撃目で殺せぬともニ撃目で殺し、それで殺せぬとも三撃、四撃。 全撃全殺。 全てをもって殺し、全てを持って死なす。 ただ切り伏せるための刃。 戦場の剣。 士郎とのラインから魔力を吸い上げ、さらなる加速を、さらなる力を高めながら振り抜かれる人外の一撃。 「っ」 一瞬よりも短い刹那、勇士郎が息を僅かに吐き出す。 瞬間、セイバーの振り抜く斬光の前に光の盾が出現――やはり魔術師、しかし知らぬ術式。 だが、問題ない。 その身の対魔力Aランクは防御魔術にも影響される、その身自体が魔術を打ち破る最強の盾であり矛。 コンマ数秒にも満たない間に光の盾を粉砕し、勢い衰えぬままに不可視の刃を勇士郎に食い込ませる。 だが、そのコンマ数秒があれば十分だったのだ。 彼が異相空間――【月衣】からモノを取り出すには。 金属音が響き渡る。 肉を切り裂く音ではなく、甲高い金属音が泣き声のように虚空に響き渡る。 並みの武具ならば容易に両断する一撃だった。 彼の剣が決して間に合わぬ角度で、振り抜いた刃だった。 だが、それは弾かれている。 彼の左手に握られた、虚空より出現せし――巨大なる“鞘”によって。 それは巨大な盾にも見えた。 それは巨大な刀身にも見えた。 だがしかし、それは鞘。 彼が握る聖剣と共に在り続ける、あらゆる災厄から彼を護る守りの鞘。 ――本来ここに存在せぬはずの鞘だった。 そして、セイバーの混乱も限界に達する。 全てが不可解だった。 目の前の鞘――アヴァロン、それは本来彼女のマスターである衛宮士郎の体に埋め込まれているはずの鞘なのだ。 それが形状も違う、そして何より士郎の無事をレイラインを通じて感じているのに、目の前の少年が手にしている理由が不可解だった。 世界は贋作を認めない。 例え投影魔術で贋作を生み出そうとも、例外たる贋作者/フェイカー以外では数分と持たずに、劣化したものしか生み出せぬはず。 なのに、セイバーは目の前のそれを本物と理解していた。 何故ならば彼女は“ただ一人の本来の所有者”であるからだ。 原型を持つ英雄王を除けば、それを持ちえる英霊などいやしない。 否、仮に彼女以外の“彼女の可能性”が顕現しようとも、それは目の前の少年ではありえない。 何度視ても彼は英霊ではないのだ。 生身の人間に過ぎない。 受肉化していようとも、見分けが付かぬはずがないのだ。 「……大敵と見て恐るるなかれ、小敵と見て侮るなかれ――か。油断はしない、侮りもしない、全力で行かせて貰う」 己の全力を見せ付けると、己の全てを使い打ち込むと、勇士郎は告げる。 聖剣を右手に、守護の鞘を左手に、攻防一体の構えを取り、吼える。 セイバーには不可解だった。 迷いはある、混乱はある。 ありえないはずの聖剣に、ありえないはずの鞘を携えた相手。 だがしかし、今は迷う暇は無い。 戦いを続けよ、迷いを断ち切れとばかりに踏み込み。 「おぉおおっ!」 ――何者だ! その思いを込めて、翻した不可視の聖剣の一撃。 だが、それを――勇士郎の握られた守りの鞘が受け止める。 真正面から受け止め、弾き払う。 「っ!」 英霊の一撃である。 戦車の装甲すらも両断する人外の一撃を、片手で、それも弾かれること無く逆に弾き逸らした。 物理法則ではない紛れもない神秘の作用。 破れぬ、この鞘を被ったままの聖剣では。 切れ味が足りぬ、覚悟が足りぬ、全てが不足する。 セイバーは考える。 鞘から抜くか、風王結界を解き放つか。 思考しながらも剣は停まらない。唸るように打ち合い続ける。 互いの剣の質が変わり行く。 まるで日が暮れ、朝日が昇り、月の形が変わるかのように。 本質は同じであれども、その形容が変わるのだ。 セイバーは細かくステップを踏みながら、その小柄な体重の全てを一切の無駄なく刀身に乗せて、叩き切る荒々しい王者の剣に変わる。 勇士郎は左手に握った盾を持ち、右手に携えた聖剣を振るい、攻防一体の剣技を振るう。 先ほどまで両手で握っていた聖剣、それを片手で振るえば威力が落ちるのは必然。 不可視の剣撃、その見えぬ刃をセイバーの手首の角度と怖気立つ肌の感覚を信じて弾き払う。 真正面から受け止めれば手首が砕け、腕が折れるだろう。馬鹿げた威力のそれを捌くかのように、受け流すかのように、柔らかく、されど鋭く打ち放つ。 互いに切り込ませぬ、竜巻のように迅い回転速度で、されど轟風のように荒々しい斬光を繰り出しあう。 斬撃――それは線であることの極みたる殺害行為。 刺突――それは点であることの極みたる殺傷行為。 剣戟、それは点と線による芸術活動とも言えるのではないのだろうか? ラインアート、空間に斬光という名の色を塗りつけ、刺突という名の点を穿ち絶ち、描き出すは対象の死という凄惨なる芸術活動。 待ち受ける結果はどう足掻いても死という報われぬ結末だというのに、何故にこれほどまでに美しい? 剣の英霊たるセイバー、見れば人を引き付ける、視れば心すらも蕩かす美しき聖剣の乙女よ。 剣技を極め、幾多の戦場で埋もれるほどに手を赤く染め上げた騎士たるもの王。 幾多の人を切り殺し、殺傷し、罪に塗れてもなお、その美しさには何の陰りもない。 美しいと、ただその一言で飾ることしか出来ぬほど、眩く神々しい聖剣の如き美しさを持ちえる少女。 対峙するものは誇らしく、打ち放たれる斬撃は震え立つほどに極められた最高の剣。 それと対峙することは剣士としての誉れに他ならない。 故に、必然として勇士郎は笑みを浮かべる。 紅い外套を纏い、その左手に鞘を、右手に聖剣を携えた、歴史には語られぬ――“聖剣の後継者”は嬉しそうに、されど荒ぶる獅子の如く笑う。 試すのだ。 確かめるのだ。 目の前の正体とも知れぬ少女、騎士たる剣技を振るう、不可視の聖剣を担う剣の英霊に、己の技量を全て魅せよと奮い上がるのだ。 幾多に転生を繰り返し、数百年にもいたる研鑽の高みにある剣技を叩きつけよと剣士としての本能が咆え上がる。 互いに敵だと理解し尽くす。 油断も奢りもしてはならぬと骨の髄まで染み渡っている。 故に、だから、それだからこそ――嬉しい。 一片の容赦もなく、一切の慈悲も必要なく、ただただ全力を注ぎ込めばいい。 単純にして明快であり、己が全力を発揮できる舞台に踏み出せばいい。 遠慮するな。 相手は敵だ。己が全力を出しても勝てるかどうかも分からぬ敵。 血肉の一滴まで搾り出し、ただ目の前の敵を粉砕せよ。 「うぉおおおおお!」 「はぁあああああ!」 互いに上げた獣じみた咆哮。 それは静寂に満たされた新都の大気を揺さぶり、潜むものたちを震え上がらせる獅子の声か。 穿ち、斬りつけ、叩き砕く。 一閃、二閃、三閃、四閃――剣閃を繰り返す毎に速度が上がる、加速する斬撃乱舞。 まるで燃え上がる炎の勢いの如く止まらない。 さらに、さらに、さらに、限界を超えて。 むしろ、むしろ、むしろ、この程度ではないと吼え猛るかのように。 一合毎に速度が上がる、衝突し合う度に重さを増す威力に手が震える、最高であったものがさらなる最高の刃に限界を上書きされ続ける。 骨が軋みを上げる、恍惚と共に。 肉が悲鳴を上げる、歓喜と共に。 全身を巡る血管が、全身に纏う皮膚が、引き攣り、うねりながらも吼え猛る。 進化せよと、強くなれと、されに上へと登り上げよと。 肉体が、魂が、さらなる強さを、目の前の敵を葬るための強さを求め、昂ぶる。 進化・共鳴。 二振りの聖剣が、火花を散らし、金属音を鳴り響かせて、激突を繰り返す。 互いに気付かぬ、互いに気付く。 お互いの刃が進化していると。 十数年の修練にも匹敵する鋭さを、瞬く間に身に付けつつあると。 僅かな刹那にも満たぬ逢瀬に火花を散らして不可視と可視の刀身が貪り合うかのように噛み付き合い、雷光のように引き裂かれ、瞬くよりも早く再び出会う。 どこまで達する。 どこまで登り詰める。 自分でも分からない、相手にも分からぬだろう、凄まじき速度の成長と進化。 強くなり続ける剣の担い手達の斬り合いはまさに世界の歴史。 星が生まれてから過ごした時間に対する人の輪廻の如く、それは切なく、それは短く、濃厚な輝ける剣舞。 闘気、殺気、鬼気、剣気。 あらゆる感覚が、あらゆる大気が、あらゆる気配が入り混じり、優れた感覚が受け止めた幻覚は虚実入り混じりて刃と成し、現実の刃が、幻覚の刃が共に斬りつけ合う。 流れ零れる汗の一滴、それが飛び散り、地面に落ちるまで振り抜かれる斬撃の数は数十合にも至る。 袈裟切り、刺突、切り上げ、逆袈裟、廻し切り、etcetc―― セイバーの振り抜く流星雨の如き隙間無い剣閃はあらゆる角度から勇士郎の鞘の守護を掻い潜ろうとした結果である。 不可視の刀身。 それを利用し、手首を返し、或いは体で握りの位置を押し隠すかのように、無数の斬撃を放った。 されど、それを幾年の経験で、或いはプラーナを注ぎ込み強化した視力で捉えて弾き払い、或いは主を護るために発動する守護の鞘が自動で受け止め、遮断し続ける。 なんという堅牢さだとセイバーは内心舌を巻く。 かつてアサシン――佐々木 小次郎と対峙した時の記憶を思い出す。 彼の繰り出す長刀、その長い間合いから、なによりその全てが斬首の魔性染みた鋭さを持つ全殺の刃に踏み込みかねた。 下手に踏み込めば、瞬く間に首を刈られる。 待ち受けるは死、直線を描くセイバーの剣戟において、曲線を描きながらも匹敵する妖の如き剣鬼の刃。 それと状況は似ていた。 突き崩せぬという一点において。 汗が零れる、全身の細胞が震えて、ドクドクと流れる心臓の動きを感じ取る。 セイバー、異例なる英霊。 その肉体は成長を止めた生身の人間だからか。 英霊として強化はされている、されど生前と全く変わらぬ己の肉体が囁いているのだ。 ――抜けと。 聖剣を解き放て、鞘に納めたまま斬れるほど敵は甘くはない。 敵は全力を出した、ならば答えるのが礼儀だろう。 騎士の誇りがそう告げるのだ。いや、それは騎士の誇りでは無い。 剣への渇望。 全力を出したい、己の全てを持ってぶつかり合いたいという剣に魅せられた魂が囁く誘惑。 騎士王たる修練の果て、潜り抜けた戦場の果てに身に付けた剣技が魂すら縛り上げ、本音を引き出すのだ。 剣に生きた、剣に選ばれた、剣により死に絶える。 選定の剣を引き抜きし時よりセイバーは剣と共にあることを定められし剣の申し子。 もはや剣無しでは生きられぬ。 もはや剣無しでは存在意義はない。 ならば、迷う必要もあるまい。 「ふっ!」 息を吐き出し、降り注いだ勇士郎の斬撃を弾き払うと、とんっと風のようにセイバーが一歩後ろに下がる。 「……これまでの無礼を詫びましょう」 「?」 勇士郎は眉を歪め、鞘たる楯を構えながら、セイバーの動向に注意する。 「貴方は強い。正体は知りません、何故そこまで強いのかも知りません。何故貴方がその聖剣を、鞘を持っているのかも知りません」 ゆっくりとセイバーは不可視の聖剣を握り締め、ただ真っ直ぐに、勇士郎に燃え滾る双眸を向けながら告げる。 「しかし、一つだけ分かることがあります」 ……風が唸り出す。 世界が突如戦慄き出した。 まるで怯えるかのように、世界が震撼する。 来たぞ、来たぞ、と喝采を上げるかのように大気が渦巻き、風が踊り狂い、その開封を見届ける。 祝福せよ、祝福せよ。 喝采せよ、喝采せよ。 その開封を、世界により選ばれし神造兵器の美しき姿に歓喜せよ。 「貴方には私の全力を見せる必要があると!」 そして、聖剣は引き抜かれた。 恐れるがいい。 星が鍛えし最高の聖剣の輝きに! ← Prev Next →
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607: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 24 32 ID aKFulWyM 第9話 秒針が時を刻む音、筆が文字を刻む音、それとしばしば震える携帯電話の着信音が僕の部屋で静かに奏でている。 正確には奏でているのを聞いてしまっている、集中していない証拠だ。 ここ最近では文化祭もいよいよ間近となり 放課後には非日常の賑わいで溢れてきている。 僕自身も看板製作をしていることもあり放課後の学校での執筆ができず少々おろそかになっていた。 だから「自分の中で溜まった不満を発散するように書きなぐる」という自分を遠くから予測する自分がいたのだが実のところそれほど不満も溜まっていなければ発散したいとも思ってはいなかった。 単なるモチベーションの低下なのかどうかは分かりかねるがおそらくそれも違うような気がする。 「…ふぅ」 ため息をひとつ吐いて筆を置きそろそろ彼女の相手をしようかと携帯電話に手を伸ばした時、来客の知らせが部屋に静かに届いた。 控えめなノック、珍しい来客だ。 「入ってもいい?」 「どうぞ」 お盆を片手にした義母がゆっくりと部屋に入ってきた。 「お隣さんからね、美味しいくず餅をいただいたの。お茶も入れてきたからどうぞ」 「ありがとう義母さん。ちょうど一息入れようと思っていたところなんだ」 「そう、ならよかったわ」 義母からお盆ごとお茶とくず餅を受け取る。 その間にも僕の携帯が震える。 「随分とひっきりなしに連絡が来るわね。時期が時期だから文化祭の連絡か何かかしら?」 その通りだ、と誤魔化すことも考えたがわざわざ隠す意味も必要もないと思ったので僕は素直に彼女について話すことにした。 「義母さん」 「ん?」 「僕、その…彼女ができたんだ」 たったそれだけのことを伝えるだけなのに気恥ずかしさで体温が上昇するのがわかる。 「あら!もしかしてこの前に言ってた子?」 「うん…高嶺 華っていう子なんだ」 すると義母さんは目を見開いて両の手の指先を合わせ歓喜とも呼べる感情を表現した。 「おめでとう、遍くん!どっちから告白したの?」 「えっと…一応向こうからかな」 告白と呼ぶにはあまりにも激しいものではあったのだが。 「そう良かったわね…もし機会があったら会ってみたいな。それじゃあもしかしてさっきから連絡来てるのは華ちゃんからかな?」 「多分、というよりかは間違いなくそうだと思う」 「随分頻繁に連絡きて…愛されてるわねぇ」 茶化すような口調で僕をからかう。 「からかうのはよしておくれよ。かなり今羞恥で頭がいっぱいいっぱいなんだ」 「あら恥ずかしがることなんてないのに。でもごめんなさい、つい嬉しくなってね」 「僕に彼女が出来て嬉しいのかい?」 「嬉しいに決まってるじゃない。子供に恋人が出来て喜ばない親なんていないわ」 608: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 25 31 ID aKFulWyM それにしても、と義母は付け足す。 「そんなに頻繁に連絡するのであればメールじゃ少し不便じゃないかしら。そろそろ遍くんもガラケーからスマホに変えてラインとか始めてみたらどう?」 ライン。 知らないだけで驚くほど驚かれたもの。 どうやら連絡手段の一つであることは分かったのだが。 「そう…かな。ラインってそんなに便利なものかな?」 「えぇ、そんなにメッセージが来るなら尚更よ。その携帯も使い始めて長いことだしそろそろ変えてきなさいな」 「義母さんがそう言うのであれば変えてみようかな。次の日曜日に一緒に買いに行くような感じでいいかな?」 義母は小さく笑った後、人差し指で僕の額を一度つつく。 「ダメよ遍くん。そういうのは私じゃなくて他に言う人がいるんじゃないの?」 「他の人?」 「ふふ鈍いわねぇ、彼女をデートに誘いなさいって私は言ったのよ」 「あっ…」 「お金なら心配しなくていいわ、後で渡してあげるから」 余分にね、と最後に加えながら義母は言った。 「さて、そろそろ私は出ましょうかね。遍くんが彼女の相手しないと向こうもいつ愛想つかすか分からないもの」 「ははは、ありがとう義母さん」 「いいのよ、ってそうだ。忘れるところだったわ」 急に何かを思い出したかのように一枚の用紙を僕に手渡してきた。 「なんだいこれは?」 「八文社がね、小説の公募をしてたから一応遍くんにも教えてあげようと思ってね」 内容を見てみると「ジャンルは問わない短編小説を募集」との旨の公募が書かれていた。 「八分社のホームページに載っていたんだけどね、遍くんインターネットとか疎いからもしかしたらこういうのも知らないんじゃないのかなーって思ってね」 なるほど確かにそうだ。 今はもう情報社会、文学の公募だってインターネットで行われるであろう。 義母の指摘通り、自分自身そういったインターネット等の類は苦手としていたからこのような公募を見落としていたわけだ。 「遍くん、もし本気で小説家への道を考えているんだったらまずはこういったことから挑戦していくべきなんじゃないかしら?…なんてお節介が過ぎたかな」 自嘲気味に笑みを浮かべる。 「ううん、助かったよ。義母さんの言う通りどうも僕はこういった情報収集が苦手だったからね」 「あまり苦手なことは咎めないけれどインターネット社会になってきてるから苦手が苦手なままだとこれから少し苦労すると思うわよ」 「…そうだね、克服の第一歩としてまずは華と携帯を買ってくるよ」 「そうね、それがいいと思うわ。じゃあ遍くん、頑張ってね」 「ありがとう、義母さん」 義母が部屋からでると僕はたった今まで書いていたノートを閉じ、机の中から原稿用紙を取り出した。 八文社の短編小説の公募。 一つ大きな目標ができた僕は先程まで燻っていたやる気が焚き火のように燃え上がるような感覚が湧いてきた。 「…よし」 結局その日彼女の連絡の返事を疎かにしてまでできた結果は8つほど丸められた原稿用紙だけだった。 609: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 27 39 ID aKFulWyM ーーーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーー ーーー ー 「はいっ、あ~~ん」 「あ、あーん…」 甘い。 そう、甘い。so sweet 甘すぎる。 甘ったるいのが口の中に入れられたケーキなのかはたまた可憐な少女が僕の口の中にケーキを入れるという行為なのかは分かりかねる。 あるいは両方なのかもしれない。 「あなたたち、この間とは随分と変わった関係になったんじゃない?」 カタリ、と陽子さんは横から珈琲を机の上に乗せた。 いよいよ文化祭が1週間後に迫るという週末に僕と華は『歩絵夢』に訪れていた。 「えへへ、やっぱり分かっちゃうかなぁ」 「分かっちゃうもなにもバレバレよ。しかし随分小さい頃から華ちゃんを見てきてどんな男の子が恋人になるかと思ってたけど不知火くんみたいな男の子だとはねぇ」 「…ははは、僕なんかで恐縮です」 なんとも言えない居心地の悪さに乾いた笑いをすると、華からデコピンが飛んできた。 額に鈍痛が走る。 「またそーやって、自分のこと悪くゆうー」 「いたた、僕そんなこと言ったかい?」 「ゆったよ!『僕なんか』って」 「そういうつもりではなかったのだけれど無意識に出てしまったから性分ということで許してはくれないかな」 「いやよ。いくら遍でも私の好きな人の悪口は許さないんだから」 「あーあ見せつけてくれちゃって」 少々呆れたような表情で陽子さんはこちらを眺める。 「この子絶対モテるくせに男の影1つも見せないんだから。正直この間不知火くんを連れてくるまでレズかもしれないと思ってたくらいよ」 「え?僕が初めての男子だったんですか?」 「そうよ。だから私華ちゃんが男の子を連れてきたから嬉しかったのよ?」 「い、意外ですねぇ」 男子で初めて連れてこれたことが分かり口角が上がりそうになるのを珈琲を口にして抑える。 「なぁーに?不知火くんまだ私のこと尻軽女だと思ってるの?」 「ご、誤解だ。それは誤解だってば。そんなことは寸分にも思っていないさ」 「つまりあの時から脈アリだったってワケね」 「よ、陽子さんは小さい頃から華を幼い頃から知っていると言ってましたけどお二人はどのくらいのお付き合いをしてるんですか?」 なんとも居心地の悪い空気になり始めたので話題を変えなくてはと意識を働かせる。 「んー、元々この子の両親が常連さんでね。初めて来たときはこの子が小学生高学年くらいだったかな。中学生になる頃にはもう一人でよく来てたわ」 「凄いですね。僕が中学生の頃はただただ本を読んでただけですよ」 「凄い…ね。でも遍くん、女子中学生が一人で喫茶店に通うのは凄いっていうんじゃなくてませてるっていうのよ」 すると華はまるで心外だと言わんばかりに目を見開いた。 「ひっどーい陽子さん!そんなこと思ってたの!?」 そんな様子の華を陽子さんは余裕の笑みで返す。 「ふふん、確かにあなたは可愛いけど私から見たらまだまだ子供ってことなのよ。これからもどんどん自分磨かないと遍くん目移りしちゃうかもよ?」 その余裕の笑みはどうやら僕にも向けられ始めたらしい。 「いやいやまさか、むしろ愛想尽かされるのは僕の方…」 口に出してからしまったと思った。 再三注意されているのにも関わらずもはや癖となってしまっている自虐はどうにも無意識のうちに出てしまった。 これはまた咎められると恐る恐る華の様子を見る。 「…さない」 「え?」 「遍は渡さない、そう言ったのよ。誰だろうと関係ないよ」 瞬間やや驚いたような表情を浮かべた陽子さんだったが一旦目を伏せ、ため息を一つ吐いた。 「…いい華ちゃん?遍くんも。あのね、束縛っていうのはしすぎてもしなさすぎてもどちらとも問題なものなのよ。さっきから薄々感じてたけど華ちゃんは前者だし遍くんは後者。良い塩梅っていうのがあるんだからお互い直していきなさいよ。これはあなたたち二人のためを思っていっているんだからね」 610: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 28 38 ID aKFulWyM 後は二人で話してみなさいと残し陽子さんは踵を翻し厨房へと戻っていった。 「…遍は私のことどう思ってるの?」 それは勿論 「好きだよ」 自分が思っているよりもすんなりと口から出たその言葉に自分自身が驚いた。 「私もね…遍が好き。でもきっと私の好きと遍の好きは違う」 彼女は僕ではないどこかを空虚な目で見つめながら僕へと告げてゆく。 「遍に触れたい。遍を抱きたい、抱きしめたい。遍とキスしたいし、その先だってそう。ううん、もういっそのこと遍を食べたいし、遍をこ…」 彼女は何かを言いかけた口を一旦閉じてまた開き直した。 「…とにかくそれぐらい好きなの、愛してるの。もうどうにかなっちゃいそう」 彼女はほんの少し寂しそうな笑いをしてもう一度僕に問うた。 「ねぇ、遍。私のこと"好き"?」 そして僕は同じ言葉をもう一度すんなり出すことはできなかった。 「…華はさ、どうして僕のことを好きになったんだい?君は以前言っていたよね、優しい人、かっこいい人はいくらでもいる、と。確かに僕よりかっこいい人はもとより僕より優しい人だっている。僕が特段優しい人間だと自負するつもりはないんだけどね。彼らではなく僕である理由がわからないんだ」 「…何度も何度も伝えてるつもりなんだけどなぁ。遍は私から愛されてる理由が欲しいんだね」 「理由…か。結局僕の人生で積み上げて来たものに自信がないんだろうね。だからこうして理由を求めているのかもしれない。不知火遍ってそういう弱い男なんだ」 なんとも情けない笑みを浮かべるしかない。 「じゃあはっきりと答えてあげる。私が遍を愛してる理由なんてないよ」 どうやら僕は求めていた答えにたどり着けないみたいだ。 喉から伸ばした手を舌の根に引っ込める僕を見て彼女はクスリと笑った。 「…遍、余計に私が分からなくなったって顔してるね。そうだよ、愛してる理由なんてない。ううん、理由がないから愛してるんだよ。好きな所を言えって言われたらいくらでも言ってあげるけど好きな所がなんで好きなのって聞くのってすごく野暮じゃない?だって好きなんだもの。これは頭で考えることじゃなくて思いがあふれるものなんだから」 彼女は一旦紅茶に口をつける。 「じゃあ聞いてあげる。遍はなんで本が好きなの?」 思ってもみない質問だった。 「えっ…と、本を読むことで小説の中の世界を体感できるから、か…な」 「小説の中の世界が体感できるから本が好きになったの?」 そう言われると違うような気もする。 「遍それはね、遍にとって本の好きなところの一つであって遍が本が好きな理由ではないんだよ」 「そういうことに…なるのかな」 「ふふ、ほら、理由なんていらないじゃない。好きなものがなぜ好きかなんて。だって好きなんだもの。心がそう想っているの。遍を愛してるっていう気持ちはもう私の本能だよ」 「きっと遍は私のことを好きなところをいちいち理由をつけてるんだよ。アハハ、いいの大丈夫」 彼女はそっと席を立ち上がりそのまま僕の隣へと座りこう囁いた。 「理屈じゃない、本能で好きになるってこと、これからたっぷりと時間をかけて教えてあげる」 背筋を貫かれる、普段の明るい彼女からは想像も出来ないその底冷えするその声に。 「さっ、ケータイショップに行こっか。遍がガラケーからスマホに変えてくれるんだもんねっ。ラインの使い方とか教えたいし、せっかくのデートだもん。行きたいとこ山ほどあるんだから」 611: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 29 44 ID aKFulWyM ーーーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーー ーーー ー 「すごいや。僕のこの手には人類が積み重ねてきた研鑽の賜物が握り締められているんだね」 「あはは、大袈裟だなぁ遍は、ただのスマホだよ?」 「いやいや、いざ手にしてみると人類の進歩というのが文字通り肌から感じるよ」 「ああもう、いちいち反応が愛おしいなぁ」 「…あまりそうやって直情的に想いを伝えられると歯が浮くような気分になるなぁ」 「だって遍、こうやって伝えないとまだまだ分かってくれないみたいだからね、私の気持ち」 「…僕も努力するよ、華に愛想を尽かされてしまわないようにね」 「はいダメ~。私が愛想尽かすことがありうるって考えてる時点ダメだよ、遍。うんでもいいの、今は。そういうのは愛する妻…じゃなくて恋人である私が教えて、支えて、染めてあげる」 腕を後ろで組み、余裕のある笑みでそう宣言される。 「さ、まだお昼すぎだもんね。どこ行こっか?」 「さっき行きたいところは山ほどあるって行ってたよね。華はどこか行きたいところがあるんじゃあないのかい?」 「私?私は遍と一緒ならどこでもいいよ。たしかに色んなところに行きたいんだけど遍と一緒ならどこでもいいかなぁって思っちゃうんだよね、えへへ」 まいったな、そう思わざるを得ない。 義母に言われた通りに華をデートに誘うまでは良かったが、肝心の何をするかをあまり考えていなかった。 己の計画性のなさを少々呪ってしまう。 「ごめんね、せっかく華を誘ったのに考え無しだった」 「んーん。いいの遍と一緒に居られるだけで私は幸せだから。遍はどこか行きたい場所とかある?」 行きたい場所というと本屋だが、デートに行くしてはいかがなものかと考えてしまう。 公募の短編小説の参考にするために、様々な文学に触れておきたいのだが、きっと僕は一人で読み更けてしまうし彼女は待ちぼうけてしまうだろう。 「…行きたい所…あっ…」 あるではないか、文学も学べてかつデートにも最適な場所が。 「どっか思い当たった?」 「華、映画に行こうか」 「わぁ…映画かぁ…いいねぇ。デートみたい!」 「…みたいというか僕はもとよりそのつもりなんだけどな…」 少々照れ臭くなり、頰を二、三度掻いてしまう。 「ふふ、そーでしたっ。それじゃあ映画館にいこっか」 「提案しておいて申し訳ないんだけれども、僕あんまり映画館とか行かないから場所が分からないんだ」 「もう、しょうがないなぁ~」 絹のように柔らかな肌触りが指先に伝わる。 彼女の右手と僕の左手が重なり、そして熱を帯びていく。 「私が連れて行ってあげる。まかせて、場所わかるから」 「あ…うん」 どうしても彼女と結ばれた先が気になってしまい情けない返事しかできなかった。 「そうと決まれば善は急げだね。早く着けば見れる映画の種類が増えるかもしれないしね」 彼女が思いを馳せるように映画館へと駆けていく。 そしてそれに釣られれるように僕の左手から自然と駆け足になる。 少しずつ、少しずつ。彼女と並行するように歩みを進める。 やがて並行となった僕らは銀杏が香るイチョウ並木と残暑が過ぎ去りすっかり秋となった空気を通り抜けて行く。 木々を抜け、道を抜け、街を抜け。 そうやって僕らが映画館に着く頃には季節外れの汗にまみれ、秋風がひやりと首筋を撫でていく。 612: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 30 53 ID aKFulWyM 「はぁ…はぁ…ふぅ、さて。今は何が上映中かなぁ」 息を整え、映画館の中へと踏み入れていく。 「普段僕は映画なんて見ないからどんなのをやってるかわかんないや」 「んー、友達とかから評判良かったのが確か2つくらいあった気がするん…ああー!!!」 突然、華が大きな声を出してしまったがために僕はびっくりしてしまった。 「わ、どうしたんだい」 「その2つともちょうど10分前に始まっちゃってるよぉ」 「それは…、」 なんとも悲運。 かえって走ってきた分、余計に損した気分になってしまう。 「どうしよう~、冒頭見逃しちゃったけどまだ見れるかな。それとも別のやつを見る?」 「冒頭を逃してしまうとどうにも世界観に入り込み辛いよね。いまから見れそうなのは他に何があるかな?」 「あれとあれだね」 彼女は館内にある電光掲示板を指を指す。 ひとつは邦画、もうひとつはどうやら洋画のようだ。 「遍はどっちが見たい?」 「僕は…」 邦画の題名にちらと目をやる。 『夢少女』 見覚えのある題名だった。 「そうだ、池田秋信の原作の映画だ」 「池田秋信?」 「そっか、本の虫以外にはあまり知られない名前かもね。僕の好きな作家なんだ」 「ふぅん、他にはどんな本を書いているの」 「『王殺し』とか『顔が消えた世界で』とか書いてる人なんだけど、たぶん知らないよね」 「わかんないや、ごめんね…。んーっと、それじゃああの『夢少女』を見る?あ、それともひょっとして遍は原作読んでたりする?」 「いや好きな作家とか言っておいて恥ずかしいんだけれどもまだいくつか見てない作品があるんだ。『夢少女』もそのひとつだよ」 「じゃあそれ見よっか!」 「いいのかい?僕がいうのもあれだけど原作者は少し癖があると思うよ」 「いいの!遍が好きなものを私見てみたい!」 「それじゃあ、『夢少女』を見ようか」 僕ら二人で券売機の前まで行き、扱いがわかっていない僕に華が一つ一つ買い方を教えてくれる。 (映画館なんて久しぶりだなぁ) 綾音と出かける時もあまり映画館に来た覚えはないように思える。 きっとこの可憐な少女に出会わなければ今頃、部屋に篭っては駄文を書き続けていただろうな。 ふと目を離した隙に、華はなにやら抱えていた。 「えへへ、ポップコーン買ってきちゃった!一緒に食べよ?」 「あはは、買いすぎだよ華」 「いやいや、絶対二人なら食べきれるよ!」 原作者が僕の好きな作家だからか、久方ぶり映画だからか、それとも彼女と観る映画だからか。 僕はワクワクしながら上映ルームへと足を運ばせていった。 …。 ………。 ……………。 「あはは、最後泣いちゃった」 「僕も泣きそうだったなぁ」 『夢少女』を見終わった僕らは黄昏に包まれた街の中で帰路についていた。 『夢少女』 ある日からとある一人の少女の夢を見始める男の物語。 毎晩眠りにつくたびに会える彼女に心惹かれていく主人公は、募りに募った想いを少女に打ち明けると次の日から夢を見なくなる。 やがて現実が夢だと思い込むようになり自暴自棄に堕ちていく主人公だが、もう一度だけ見た少女の夢により厳しい現実を乗り越えていく物語だった。 「ね…遍」 「ん?どうしたんだい」 「私たちは…夢じゃないよね?」 不安そうな表情で僕の頰に触れる彼女も、たったそれだけのことで頰を紅潮させる僕も、きっと 「夢じゃないよ」 「嬉しい。あのね遍、私幸せなんだ。好きだよ」 僕もだ、と返そうと開いた口は不意に近づいた彼女の唇によって塞がれた。 「えへへ、付き合ってからはじめてのキスだね」 告白の時のあの乱暴な接吻は彼女の中での「付き合ってから」の期間の中には含まれていないのだろうか。 少しそんな野暮な考えが浮かぶが、僕の目の前に居たのはあの時の暴力的な感じの彼女ではなく、間違いなく僕が以前から惹かれていた夕日に美しく可憐な彼女だった。 613: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 33 15 ID aKFulWyM ーーーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーー ーーー ー 日々の学業に勤しみながら、否。 学業が疎かになっても仕方がない、そんな雰囲気があるのはあと三日で文化祭が始まるという差し迫った状況からだろう。 かく言う僕ら看板製作組もそんな慌ただしさを掻き立てる一員となっていた。 「ったくよぉ、チンタラやってたあいつらが悪いのに何で俺らが小物製作も分担しないといけないんだよ」 「ははは、仕方がないさ。メインの看板は大方終わりかけているし手伝ってあげれるのならそれに越したことはないさ」 「そうだよ~。それに喫茶店はクラス全員の出し物だからね~。わたしたちの仕事はみんなの仕事、みんなの仕事はわたしたちの仕事だよ~」 「おまえら本当にいい子かよ。わーったよ、やるよやるさ!やりゃいいんだろ!」 文句こそ垂れど結局一番作業に力を入れてるのは桐生くんであり、彼こそ『いい子』に相当するだろうと考えると、なんだか滑稽に思えて来てしまう。 とはいえ少々憤慨しているのも事実らしく、養生テープを剥がす音がやけにけたたましく聞こえる。 「あー、このペースだとテープ無くなりそうだなぁ」 「確か用務員室に予備のテープがまだあったはずだけど」 「そっか。んじゃ俺、用務員室行ってくるから二人ともよろしくな」 「は~い」 桐生くんがその場を離れると残された僕らふたりの間を沈黙が支配した。 それもそうだろう、僕はあまり積極的に話しかける性分でもないし、小岩井さんもどちらかといえばその通りだろう。 「不知火くん~、ちょっとい~い?」 「どうしたんだい小岩井さん?」 「不知火くんは文化祭誰と回るの~?」 思っても見なかった質問だった。 看板製作の仲間として関わり始めてから今まで僕と小岩井さんの二人で他愛のない会話をした記憶がなかったのだ。 「僕か、あんまり考えてなかったなぁ。恐らく今年は妹と一緒に回ることになるんじゃあないかとは思っているんだけれどもね」 「じゃあ一緒に回ろ~」 いつもと変わらない小岩井さんを象徴するかのようなのんびりとした言い方で、そんな穏やかで優しい言い方で。 「一緒にって僕とかい?」 「うん、そうだよ~」 ああなんだ、看板製作を共にした誼みで僕を誘っているのか。 ならばと 「じゃあ、桐生くんは僕から誘おうか」 「ん~ん、違うの。私二人で周りたいの」 文化祭まであと三日だ。 文化祭まで差し迫った状況だ。 「不知火くん、あのね」 だからいつもの放課後とは違う、クラスメイトたちの活気が溢れているこの教室で。 どうしてこうも喧騒から逃れたように彼女の声がはっきり聞こえるのだろうか。 「私、不知火くんのこと好きなんだぁ」 614: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 34 35 ID aKFulWyM いつものように間延びしたような口調でそう告げた。 潤んだ瞳、いつもと異なる口調、震えている指先。 そのどれもが彼女の緊張を僕に伝えるには十分なものだった。 いつも僕に付き纏うあの疑問が喉から這いずり出そうになるがそれよりも先に僕は伝えなければならないことがある。 僕の口はそれを一番よくわかっていた。 「ごめん。小岩井さん、僕にはそれができない、交際をしている女性がいるんだ。だから、ごめんなさい」 「…。そうなんだ~。あはは、ごめんねぇ、ちょっとトイレに行ってくるね」 反射的に僕も立ち上がり付いていこうとするが他でもない僕自身が地面に足を縫い付けている。 彼女が用を足しにこの場を去ったわけではないということぐらい、さすがに僕でも分かる。 追う資格なんてないのに、付いて行ったってなにもできやしないのに。 許しを乞うてしまいたい。僕なんかを好きになってくれてありがとう。僕なんかが想いを断ってごめん。 あぁ、華はいったいどうやって彼らの想いを受け止めていたのだろうか。 この背負いきれない想いを。 ーーーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーー ーーー ー 「なんでかなぁ、ふふ、あはは、なんでかなぁ」 目を覚ますと後頭部に激しい痛み、脳が揺れる感覚、血脈が流れる鼓動を強く感じる。 吐き気もする。心も痛い。心身ともに衰弱しきっている。 自分が今どういう状況に陥ってるのかすら把握していない。 最早、夢か現実かも定かではなかった。 615: 高嶺の花と放課後 第9話 :2020/01/04(土) 15 35 18 ID aKFulWyM 「あ、やっと目を覚ましたんだね、奏波」 (そうだ、私は不知火くんにフラれたんだ) 「ねぇ…知ってた?社会科教室って鍵は開きっぱなしだし放課後は全然人こないんだよ。告白に御誂え向きな場所だからよく呼ばれるんだぁ、ここ。アハッ、御誂え向きだなんて難しい言葉、遍の言葉遣いが移っちゃったかなぁ」 にわかには信じがたい様子のおかしい親友の姿も、今ここが現実であること認識することを難しくしていた。 夢を、悪夢を見ているのではないか。 そう思ってしまう。 「ねぇ奏波?なんで遍を好きになったのかな?ありえないよね?だって私と遍は運命の赤い糸で結ばれているんだもの。他人共が入る余地なんてない、そうよね?お姫様と王子様、二人は末永く愛し合いましたとさめでたしめでたし、物語はそこで終わるの、それ以上先に登場人物なんていらないし、増してやそれを邪魔するなんてありえないの。…まぁそれに関してはあなただけに限った話ではないんだけどね」 「文化祭かなんだか知らないけど浮かれた奴らが…いえ、そもそも登場なんてあってはいけない奴らが一人また一人と私に告白してくるのよ。私はもうすでに一人に愛を、人生を 、全てを!…捧げると誓った身なのに、その誓いをあいつらは破ろうとやってくるのよ?そうね、少し前までは煩わしいとくらいにしか思わなかったけれども今ではもう憎しみとも言える感情が湧いてくるのよ。腑が煮えくり返るとはよく言ったものね、今にも底から溢れる憎悪で内臓が爛れそうよ」 「遍がダメって言うから我慢してたけど…。…まだ私に来る分にはいいや…いいけどさ!!!遍にまで幸せをぶち壊す悪魔が忍び寄って来るのなら、あはは、もう我慢の限界だよ!!!!おかしいよ、おかしいよね?なんでわざわざ私達の愛を隠さないといけないのよ!!!」 遍といえば、確か想いを寄せた男子生徒の名がそれだった。 「じゃあ…」 「ん?」 「じゃあ不知火くんが言ってた恋人って…」 「そうよ?私よ、他に誰がいるのよ。いるわけがないでしょ。私と不知火遍は出会うべくしてこの世に生を授かって17年という時の障害を越えてやっと出会った真実の愛を誓い合う運命の恋人なんだから」 「そんな…私知ってたらちゃんと引いてたのに…」 こんな想いにならなかったのに。 同時にそう思う。 「だから言ってるじゃない、遍に口止めされているのよ。まぁ良き妻としては夫の望みをなんでも叶えてあげたいと思うけど、どうしたものかしら」 不知火くんはどうして交際を隠したがったんだろう。 いくつもわからない疑問が浮かんでくる。 しかしそのひとつひとつを解決する間も与えないように親友は続けた。 「ねぇ…奏波。あなた一体幾つの罪を犯したか自分で分かってる?」 「つ…み?」 いつもと違う様子の友人はいつもと変わらない笑みを浮かべる。 「遍と目を合わせた回数117回、遍と会話をした回数52回、遍に触れた回数12回、遍に告白した回数1回。これがあなたの罪の数よ、奏波。人はね、罪の数だけ罰を受けなきゃいけないの。だからね…」 歪なのにどこか美しさを感じるその笑みを浮かべる彼女は 「頑張ってね、かなみ?」 私には悪魔に見えた。
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やくざ者という言葉は、元は博徒や的屋を指して、使われていたものだという。 もちろん全ての博徒や的屋が、不健全な人間だったわけではないが、社会の鼻つまみ者達が、多く流れてきたのは事実ではあった。 暖かい色の明かりが部屋全体を照らしている。太陽が沈み暗闇に落ちた外から人を守るように、光は家族を包んでいる。 街を騒がせる大規模な連続殺人。恐怖を煽るニュースにも無縁だと、家の中は笑顔で賑わっていた。 光とは安寧の元だ。神が与えた原初の火に始まり、照らされる場所に人は集まり寄り添う。 人は闇と戦う手段を手に入れ、現代に至るまで光は人と共にある。 「わあすごい!これお姉ちゃんが作ったの!?」 「こらモモ、お行儀が悪いわよ」 四人が囲ってもまだ少し余裕があるテーブルに並ぶのは、色鮮やかな料理の数々。 やわらかいパンに新鮮なサラダ、湯気が立つスープと香ばしく焼けた肉が食欲を誘う。 幼い次女が待ち切れず、フォークを手に取ろうとするのを母がたしなめている。 「お母様の言う通りです。食事の前は神様が降りてくる時間、きちんとお祈りをして感謝の言葉を伝えなければいけませんよ」 「はぁーい」 まだ神の教えを十分に理解しておらず、作法の大事さもわからない幼子は、しかしもう一人の声には素直に従った。 言葉の内容云ではなく話した人そのものへの信愛に応えたがためだ。 「ははは、おまえよりマルタさんの言葉の方がよっぽど効果があるようだ。すっかり懐いてしまったな」 椅子に座るのは家族四人と、昨日から家に招かれた長女の友人だ。旅行に海を渡って来たものの今の東京は折悪く起きた連続殺人で治安が悪い。 不安に思っていたところで偶然知り合い、信仰を志す縁で家族のみで暮らすには広い教会に一時の滞在に預かる身であった。 「さあ、それじゃあ祈りましょう」 全員が椅子に座ったところで食前の祈りを捧げる。 父と母は教えに則り感謝の言葉を述べ、まだ意味がよく分からない次女も倣うように手を合わせる。 客分であるその女性は、神父である父から見ても完璧に過ぎた姿勢で祈りに臨んでいた。 清く美しく、無償の愛(アガペー)に満ちた聖なる画の如き佇まい。 自分以上に信仰を積んでいると確信させる女性は、一日寝食を共にしただけで夫婦双方から大きな信頼を得ていた。 ともすれば目の前のこの人にこそ自分達は祈るべきでないのかと、不遜なる考えを抱いてしまうほどの。 全ての信徒が模範とすべき理想形がここには顕在していた。 「―――いただきます」 そして、祈りの動作はちゃんとしながらその光景を眺めていた長女は。 目の前の団欒に目と耳を傾けることなく食事のみに集中していた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 教会屋上。 信仰の象徴たる十字が建てられた下で、冷えた大気に身を晒す二人。 その一人は長い赤の髪を上に纏めた十代前半の少女だ。 星空瞬く空を鏡合わせに、無数の電灯が煌めく地上。 夜の街を一瞥する瞳は生まれてから重ねた年月に釣り合わないほど冷めており―――佐倉杏子の送った人生の苛烈さの証となっている。 住む場所はなく、適当なホテルに無断で宿泊する毎日。 食料の確保には窃盗は当たり前、コンビニのレジをこじ開け金銭を奪うのも日常茶飯事。 荒んだ生活を見た目は中学生の少女が不自由なく送れるのは、奇跡の残滓たる魔法の力あってこそ。 自分の力を自分の欲望に用いる。躊躇などない。そうする事でしか生きられない以上迷いなどない。 杏子の送ってきた生活とはそういものだ。完全に順応して習慣になってしまうほど馴染んでいた。 「でさ……何やってんだよあんた?」 杏子は隣にいる英霊に問いを投げた。 先ほども家族と一緒に食事を共にしていた旅人であった。 清廉。そのような一言が凝縮された女がいた。 それだけで言い表せるような器量で収まらない乙女であるが、見た者は始めにその一言を連想するに違いない。 激する性質を思わせる杏子の赤髪に反した、紫水晶色の長髪。宝石や金銀財宝の豪奢とは異なる、渓谷に注ぐ透き通った水流の自然なる美。 地上の電灯と天空の星々に照らされてるだけの筈のそれは髪自体が光り輝いているよう。 身に纏う衣装は現代の街並みには溶け込まない意向だが、鋼の鎧といった戦士の、戦いの道具という印象からは程遠い。 手足に最低限の装具をはめる以外には実りの均整が取れた体を包む法衣のみ。彼女が武に行き覇を唱えた勇士ではない事を示している。 清らかで優しい、輝くばかりのひと。 その名だけで人々の心の寄る辺となり、希望を在り示してくれる、力ある言葉。 それ即ちは聖女。奇跡を成した聖者の列に身を置く者。 それが佐倉杏子の片翼。聖杯戦争を共に行くサーヴァントだ。 ライダー、その真名をマルタ。 救世主の言葉を直に受け、御子の処刑の後も信仰を捨てる事なく、時の帝国によって追放されるも死せず神の恩寵を受けた者。 布教の道程、ローヌ川沿いのネルルクの町にて、人々を苦しめる暴虐の竜タラスクを鎮めた竜使い。 その宗教に属さずとも知らぬ者はいない、世界中で崇敬されるその人であった。 「何、と言われても。マスターとその家族に料理を振る舞っただけよ?嫌いなものでも入ってた?」 「……好き嫌いとかはないよ。ウミガメのスープは美味かったし。肉の叩きも汁がすごかった」 「お粗末様」 杏子を見つめるアクアマリンの瞳は慈しみに満ちていた。 その言葉遣いは、彼女と関わった者の多くが見る顔とは違っていた。 礼節を欠いてるわけではなく。さりとてサーヴァントがマスターに、従者が主に、聖人が他者に向けるものとしては間違いがあるような。 どちらかといえば、穏やかな気質の姉が春を迎える年頃の妹にかけるような、親しい間柄でのみ見せるやり取りだった。 「出されたものは残さず頂く。立派な心がけだわ」 「そんな大層なものでもないだろ。腹が空いたら食えるだけ食っとくってだけの話だ」 選ぶ余裕のない生活を送っていた杏子にとって、食事は取れる時に取っておくという考えだ。 味の善し悪しや心情で手を付けない粗末な真似は自分は勿論、他者にも許さない。だから出された料理は食べるし残しもしない。 幼少から触れてきた教えも少なからず関係しているのだろう。どう受け止めようと過去の習慣は消えずに沁みっている。 「おかわりもしてたものね。うんうん、食べ盛りの子はそうでなくちゃ」 「っガキ扱いすんな!」 杏子の舌に残るのは素朴で、郷愁を誘う母の味だ。今も住居も兼ねている教会で眠っている実の母を尻目にして。 悪くない料理だった。美味しかったという感想に偽りはなく、また口にしたい欲求がある。 懐かしい、と憶えた感情。 家庭の料理などもう長らく食べていないと、口にした瞬間に思い知らされた。 あの日に焼け落ちて止まった記録。これから一生思い出す事のない筈だった味そのものだった。 「だから違えよ。そういう話じゃない」 こんな偽りの円満に加えられる事がなければ、決して。 「あいつらは、あの人たちは、あたしの家族じゃない」 その欺瞞に気付いた時、己の魂が濁るのをはっきりと感じ取れた。 熱く煮え滾ったあらゆるものを無限の槍にして目の前で笑う顔に発射するのを必死に止めて、人気の消えた裏路地で解放した。 爆発する魔力に乗って、怒声、罵声、嗚咽を洗いざらい吐き出した。 「みんな、みんな、偽物だ。死人だ。あっちゃいけないものなんだ。 これを認めたら、あたしは本当に魔女になっちまう。だからいらないんだよ、こんなおままごとに付き合う真似はさ」 許せなかった。憎らしかった。 こんな偽物を用意して罠に嵌めた相手への怒りだった。 自らの手で失ったありし日で幸福を感じていた自分への怒りだった。 はじめは”魔女の結界”の仕業かと判断した。 奇跡を詐称する御遣いによって得た力、闇を齎す絶望の化身、魔女を討つ希望、魔法少女。 結界は魔女のテリトリーであり餌の狩場でもある。社会に疲れた人間の心の隙に潜り込み囁いて、自分の膝元へ招くのだ。 狩人の側である魔法少女が無様に誘惑に引っかかったのだと、鬱憤を放出する矛先を定めた。 だが魔女の気配は一切探知しなかった。代わりにあるのは慣れ親しみのない圧迫感。 次いで痛みと同時に手の甲に顕れた聖痕(スティグマ)の紋様。そして光が集合して形成して出来た聖人の姿。 杏子は事態の全てを知った。聖杯戦争。サーヴァント。殺し合い。願望器。 願いを叶えられるという、儀式。 「家族が死んだのは全部あたしの自業自得だ。誰も恨みやしないさ。けどこんな都合のいい幻想に浸かってるなんて、それだけは許せない。 あんただって、そうじゃないのかよ?死人と戯れるなんてのを聖女さまはお許しになるのかい?」 ―――みんなが、父さんの話をちゃんと聞いてくれますように――― 幻惑。佐倉杏子にとっての禁忌。 困窮する家族の幸せを願い、多くの人を幸せにするものだと信じた祈り。 得られた奇跡の報酬は、願った全ての喪失だった。 人心を誑かす魔女。絶望に染まった顔で罵る父の声は、どんな鋭利な槍よりも杏子の胸を穿った。 自分だけを残し、家族を連れて荒縄で首をつり下げた姿は、杏子の心を残酷に引き裂いた。 教会で教えを説き裕福に家族と幸せに暮らす。 東京の舞台で演じている人形劇は滑稽だった。求めてやまなかった幸せを嘲った形で見せつけられるのがこれほど腹が立つとは思わなかった。 早々に家を出て今までのように流浪の生活に戻ると何度も思った。そして実行する度に、このサーヴァントに首根っこを掴まれ連れ戻されるのだ。 こうして、今も。 「優しい人なのですね、マスターは」 自分を戸惑わせる声を、真っすぐに向けてくる。 「彼らは仮初の住人。聖杯戦争の舞台を回す為の部品として生み出された偽の命。その通りです。 命を模造し争いの消耗品として道具に使う、それはあまりにもは許されざる行為です」 些細な、決定的な変化があった。 顔も声も何もかもが変わりないのに、そこにいるのがライダーだと認識は変わらないのに。明確に印象がひっくり返る。 「けど、だからといって彼らの存在すら罪とするのはどうなのでしょう。 複製といえど彼らには命があり知性がある。死霊などではない生きた人なのですから」 隠す演技、人格の変更、そんな浅ましいいものではない。 分かってしまう。ライダーは変わっていない。変わらないままに身に纏う雰囲気だけを一変させる。 信仰を受ける聖女としての顔も、どこにでもいる町娘としての顔も、どちらも真なるマルタの素顔なのだ。 「あなたは優しくて、強い人。家族の複製を見て穢されたと感じ、家族を失った事を自らの罪と受け止めている。 なら彼らと向き合ってもよいのではないですか。壊れた夢を見る事には確かに辛いもの。けどそこには、あなたが見失ったものも落ちているかもしれません」 「……随分言ってくれるじゃないか。ほんと何なんだよ、あんた」 「あなたのサーヴァントですよ。あなたを守り、導き、あなたに祝福を送るもの。 これでも聖人ですもの。迷える子を救う事こそ私の使命なのだから」 「だから、ガキ扱いすんなっての」 忌々しいものだった。自分が何かすれば止めに入り、正論を出しあれこれ説教してくるライダーを杏子は鬱陶しがっていた。 その多くが家を失ってからの荒れた生活で身につけたものなのだから、何も思わない事もないのだが。 発言の意図よりも、なにより、自分に世話を焼く姿勢にこそ原因が多いのではないか。 苛立ちともむず痒いとも言えぬ感情。でもはじめて知ったわけでもない。いつ以来のものであったか。 「ていうかあんた、優勝する気はないんだな」 「当然です。聖杯とは救世主の血を受けたもの。そうでないものは偽なる聖杯。求める道理がありません。 まあこんな儀式を仕組んだ奴らは後でシメ……ンンッ説伏しますが、まずは街で起こる戦いを止めなければなりません」 確かに、聖女なる者が偽の杯を求め殺し合うのは想像すら及ばない選択だ。真の聖杯が殺戮の血を注ぐのを許すとも思えない。 欲得にまみれた黄金の杯。偽物であるからこそこの聖杯は正邪問わず万人の願いを汲み取るのだろう。 だからライダーが聖杯戦争を否定するのはまったく自然な成り行きだ。想像通りというべきか。 名前を知った時点でそう来るだろうとは薄々思っていた。 「冗談」 よって杏子は考えるまでもなく、ライダーの掲げる方針の拒否を即答したのだ。 「素直に乗らないってとこだけは同意だ。奇跡と抜かしておきながらやることが殺し合いだ。どうせ碌なもんじゃない。 けど戦いを止めるだとか、そういう慈善事業はお断りだ。聖女の行進に付き合う気はないよ」 希望が落ちたあの日から決めている。佐倉杏子という魔法少女は、全て自分だけに帰結する戦いをすると。 生きる為。楽しむ為。自分に益があり満たされるのなら何でもいい。好き勝手に生きれば、死ぬのも自分の勝手だ。誰を恨むこともしなくていい。 誰が何を願い動くのは自由だ、好きにすればいい。干渉はしない。 けれど、誰もが聖人になれるわけじゃない。 誰かの為に生きる。万人にとって口当たりのいい言葉を実践できる者は本当に一握りだ。だからこそそれを成した者は聖人と呼ばれる。 杏子はなれなかった。他の見知った魔法少女にもそんな資質の持ち主はいなかった。ただ一人を除いて。 未熟な自分を師として育て、最後まで見捨てようとしなかった黄色の魔法少女。 正義を生きがいに出来る、正しい希望の持ち主と同じ道を行く事を、杏子は出来なかった。今になって再び道を変えるなど甘い事が通用するわけがない。 ライダーに手を伸ばす。届きはしないし、届かせる気もない。 嵌めていた指輪から現出する赤い宝石。魔法少女の証、ソウルジェムを見せる。 「聖女はどうだか知らないけどさ、魔法少女をやるのはタダじゃないんだ。 祈りには対価がある。魔力を使えばソウルジェムが濁る。犠牲がなくちゃそれを補えない。 分かる?誰かが死ななくちゃ魔法少女(あたしら)は食えないのさ。ここに魔女がいるかはともかくな。 どうせ消費するんなら自分のために使うべきだろ?命を賭けてまで、得もないのに誰かの為に戦うなんざ馬鹿げてるよ」 見ず知らずの人間が使い魔に食われても意に介さない。そうして育った魔女を倒してようやくグリーフシードを手に入れられる。 魔法少女として活動を続けるには、使い魔を放置するのが大事だ。聖杯戦争も似たようなものと杏子は考える。 悪目立ちして暴れる敵は放置して消耗を待つ。手堅く、確実な戦法。 「……あんたとはコンビだ。バラバラに動いて片方がヘマしたら残った方も揃ってヤバくなる。ここじゃ全員そうなら尚更さ。 マスターっていうんならあたしの方が上だろ?いいか、あたしは乗らないからな」 マスターという立場を傘に着るわけでもないが、自分のサーヴァントにははっきりと断っておく。 伸ばした手とは逆にある令呪を意識する。ご丁寧に令呪の使用法まで教えてくれた。どう反抗されようともいざとなれば押さえつける手はある。 果たして、ライダーは動いた。向き直ってこちらを見る表情は憮然なれど、その美しさは損ないはしないまま、軽く微笑んで見せた。 意地の悪い笑みだった。杏子の魔法少女としての直感が背筋に寒いものが走るのを鋭敏に捉えてしまっていた。 「……ふぅん」 「な、なんだよ」 「ちょっと借りるわね」 なにか、嫌な予感がする。警戒を強めたその時には、風は過ぎ去った後だった。 掌の上をそよぐ風。何かが、ライダーのたおやかな指が通過した音。 「おい!返せ!」 一秒あったか定かではない交差。それでも変化はある。 杏子の側にあった赤い輝きは、いま目の前の聖女の手で依然と瞬いていた。 「ああもう暴れないの、ちょっと見るだけだから」 「あだだだだだだあー!?」 野苺でも摘むような気軽さで杏子のソウルジェムを分捕ったライダーは、手にある宝石をしげしげと観察している。 空の片手では、飛びかかって奪還しようとした杏子の頭部を掴み自分の行動を阻害させないようにして。 眉間にがっちりとはまった指の握撃による痛みは杏子の想像を絶していた。 杏子と変わりない見た目、麗しい聖女のアイアンクローは頭蓋を割らんとする威力で逆らう意識を剥奪させる。 あれほど念頭に入れていた令呪の行使ももはや頭から抜け落ちた。このまま反逆により意識が落ちるか最悪死ぬかと朧に察しはじめたところで縛りから解放された。 「……よし、と。はい返すわね」 「ぁ……とおぉっ!?」 朦朧として霞がかってぼやけた視界で、放り投げられた赤石。 自分のソウルジェムと認識して咄嗟に、必死になって手を出す。どうにか光は無事に手の中に収まった。 「オ、マ、エ、なああああ……!」 赤い旋律が魔力として現実に走って、杏子の体を包み上げる。 武装の展開を構築。怒りと痛みで熱くなった頭はとっくに統制を離れている。槍の一つでもブチ込まねば気が済まないという一念でいっぱいだ。 正常に戻る視界で女を捉え、手に握ったソウルジェムを見据え―――そこで沸騰するほどの熱は冷や水をかけられた。 ―――なんで、濁りが消えてるんだ? 「……あ?」 ソウルジェムは魔法少女にとっての要だ。戦う姿に変わるための媒体で、中身の濁りで魔力の残量を示す。故に逐一の確認は欠かせない。 今日の状態は濁りが一割。底に僅かに沈殿するのみのもの。 だが今見た宝石の中身はどうか。色鮮やかな赤には一変の濁りもない純度ある美しさを保っている。 初心者の魔法少女でも知る知識。穢れの浄化はグリーフシードを用いでしか出来ない。その常識を壊されて、杏子は首を回す。 そこにいるのは一人の女。過去に起きた偉業を成した夢の具現。聖女のサーヴァント。 奇跡―――。 今目撃したものの意味を、言葉に出来ぬまま。呆然とそれを起こした人をずっと眺める。 一分、いやそれ以上、もしかしたら以下かもしれない間隔の後。 「これで、タダ働きでも問題ないわね?」 「あるに決まってんだろ!」 反射的に叫んでいた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 結局、杏子は最後までライダーの方針を認めないまま寝ると言って下に降りていった。 残ったままのライダー、マルタは一人のまま地を見続けているが、思考は去ったマスターについてに割かれていた。 良い子ではあるのだろう。善性を持って生まれ、愛ある家族に育てられて成長した。 だが家族を襲った悲劇が自分の原因であると背負い、罪人らしく粗暴に振る舞うしか出来なくなってしまった。 家族を殺したのは自分だ。そんな自分は醜い悪ある者でなければいけない。 元来の信心深さが悪い方向に絡み、今の佐倉杏子の人格を歪めて形成している。 この所感はマルタがマスターから直接聞きだした経緯ではない。尋ねても絶対に口を開く真似もしないだろう。 サーヴァントとマスターは契約時に霊的にもパスを共有し、互いに夢という形でそれぞれの過去を覗くというが、それによるものでもない。 彼女を直に観察し、語り合い、そうして得たそのままの印象と分析でしかない。 心を読むといえば特殊な技能なりし異能を必要とするものと思われるが、それは人に予め備わった機能だ。 経験と徳を積み、真に人と向き合う努力を怠らなければ誰であろうとその心を読み解ける。少なくともマルタはそう思っていた。 「女の子捕まえて契約持ちかけた挙句魂を弄るなんて……どの世界でも胡散臭い詐欺師はいるものね」 キュゥべえなるものとの契約により生まれたソウルジェム。 目にした時、聖女としての感覚が訴える声によりつぶさに調べその正体を看破していた。 あれは……人間の魂を収めている。 杏子は理解しているのか。あの様子では満足に知っている様子ではない。彼女だけでなく他の魔法少女もそうなのか。 その事実を今すぐ詳らかにするのをマルタは禁じた。自分の魂を肉体と切り離されたお知り少なからぬ衝撃を受けるのを避けた。 いずれ伝えなければならない。しかし遠慮なく暴露して徒に彼女の心に更なる傷を与えるのをマルタは嫌がったのだ。 だからせめて淀んでいた穢れを浄化した。濁り切ってただ魔法、魔術が使えなくなるだけのものと楽観はしない。 もっと恐ろしいことのためにあれを造られたのだと、聖女の部分が警鐘を鳴らしている。 「街は街でまともに管理ぐらいしなさいよ。刺青の男の殺人者なんて、どこかの原初の兄弟じゃあるまいし。 裁定者(ルーラー)も来ないとか、どうなってるのよまったく……!」 加えて舞台はこの有様だ。 聖女でも愚痴をこぼしたい時もある。それぐらいこの儀式はおざなりだ。 憶測になるが、この儀式を起こした黒幕はろくに管理をする気がない。だから破綻させる要因を容易に引き込み、そのまま放置している。 他ならぬマルタこそそれだ。その破綻の一に、この身もまた含まれている。 聖杯を求めないサーヴァント。御子と出会い、真なる杯の意味を知る聖人。 絶対に召喚に応える筈のない自分を呼び寄せてしまった不具合は、綿密な儀式の完遂を望む者の手であるとは思えない。 マスターは幸運にも、善を良しとはせずとも根は善良なる少女だった。 彼女に巣くう数多の問題を知り、その解決を思えばこそマルタは今もここに居る。 だがこれが、不具合ですらなかったとしたら? 己が招かれた事態が偶然性が引き起こした事故などではなく、必然の、必要と求められての結果であるとしたら。 人の世界の焼却にも並ぶ、未曽有の危機の萌芽の可能性を何よりも危惧する。 ……だが、それでもマルタの在り方は変わることはない。 如何なる時代でも、如何なる形であったとしても。 マルタは聖女であり続ける。人々を守り、導くこと。それが、聖者と呼ばれた者の使命。 思われ、願われた……なら、そう在ろうとするまで。 「……そうねタラスク、今度はちゃんと救いましょう。世界も、あの子も」 『あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである』 「大丈夫です。私は私の必要なこと、やるべきことを心得ております」 ですから、どうか見守り下さい。 星々の行き交う夜空を見上げ、マルタは手を合わせ天に祈る。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 妹もいる自室。既に寝入っている妹を起こさないように、隣のベッドに潜り込んで布団を頭までかぶる。 早く寝付いてこの嫌な思いを忘れてしまいたかった。なのにこういう時に限って目が冴えたままでいる。 頭にまだ残る鈍痛が原因のひとつでも、まああるのだが。 もぞり、と動く音。横目に見れば寝返りをうった妹の顔。 幼い頃の自分に似た、何もかもあの頃のままの家族の寝顔。 これも偽りなのか。寝息を立てる仕草も、幸せな夢を見ているだろう、蕾のような微笑みも、全て。 ああ、少なくとも自分はそう捉えている。もう戻らないものと認めている。 「優しい子、だとさ。あたしをよ」 何人も欲望のために見捨ててきたあたしを。 正義の味方になれなかった自分を。 見込み違いにも程がある。聖人とは名ばかりかと笑いたくもなる。 「まったく見せてやりたいよ。あたしの本当の家族の最期をさ……」 追いつめられた人間の取る行動。行き着くところまで詰まってしまった末路。 醜さ、憎悪、怒り、悲哀、無情、絶望。世界の負を煮詰めたような光景。 「でも―――あのひとなら……本当に救えていたんだろうな」 なにせ本物の聖女マルタだ。 救世主の言葉に導かれ世界中から信仰を得た崇高なる偉人。 いち宗教家とは、その言葉の質も存在感の重みも”もの”が違う。 今のこの世界と同じく、家を訪れ、言葉を交わし、食事を共にするだけで、 仮に本物であると知れたら滂沱と涙し、自ら膝を折り跪いてしまうだら 父の、娘が人を惑わず魔女だった絶望など軽く拭い去ってしまうのだろう。 奇跡になど、頼らずとも。 魔法なんか、使うまでもなく。 培い、積み上げた徳だけで、人の心に希望を宿す。 ……そうだ。反抗しなかったのは怖かったからだ。 幾ら言葉を投げつけても全てを返されてしまい、聖女の威光に自分の虚飾を剥がされるのを拒んだのだ。 彼女の方が望まずとも、彼女の克(つよ)さを見せられる側が自傷に陥ってしまう。 白日の元に投げ出される、無様な自分が残るだけ。 「…………くそ」 ライダーともうひとつ考えが一致した。 この儀式の主催とやらは、悪趣味だ。魔女に聖女を送りつけるんだから間違いないだろう。 【クラス】 ライダー 【真名】 マルタ@Fate grand order 【属性】 秩序・善 【パラメーター】 筋力D 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運A+ 宝具A+ 【クラススキル】 騎乗:A++ 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。 例外的に竜種への騎乗可能なライダーである。 対魔力:A A以下の魔術は全てキャンセル。 事実上、現代の魔術師では○○に傷をつけられない。 【保有スキル】 信仰の加護:A 一つの宗教観に殉じた者のみが持つスキル。 加護とはいうが、最高存在からの恩恵はない。 あるのは信心から生まれる、自己の精神・肉体の絶対性のみである。 奇跡:D 時に不可能を可能とする奇跡。固有スキル。 星の開拓者スキルに似た部分があるものの、本質的に異なるものである。 適用される物事についても異なっている。 神性:C 神霊適性を持つかどうか。 高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 聖人として世界中で崇敬されており、神性は小宗教や古代の神を凌駕する。 【宝具】 『愛知らぬ哀しき竜よ(タラスク)』 ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:2~50 最大捕捉:100人 リヴァイアサンの仔。半獣半魚の大鉄甲竜。 数多の勇者を屠ってみせた凶猛の怪物をマルタが説伏され付き従うようになった本物の竜種である。 マルタの拳も届かない硬度の甲羅を背負い、太陽に等しい灼熱を放ち、高速回転ながら飛行・突進する。 【weapon】 『杖』 救世主たる『彼』から渡された十字架のついた杖。 主に光弾を発射して攻撃するが……鈍器として使用した方がおそらく強い。たぶん素手の方がもっと強い。 【人物背景】 悪竜タラスクを鎮めた、一世紀の聖女。 妹弟と共に歓待した救世主の言葉に導かれ、信仰の人となったとされる。 美しさを備え、魅力に溢れた、完璧なひと。 恐るべき怪獣をメロメロにした聖なる乙女。最後は拳で解決する武闘派聖女。 基本的に優しく清らかで、穏やかなお姉さん風の言動が多いが、親しい者の前では時折聖女でないマルタの面を見せる。 聖女以前の、町娘としてのマルタは表情と言葉が鋭くなり、活動的で勝気。……というよりヤンキー的。 どちらが素というわけではなく彼女の芯は変わらず聖女のまま。要はフィルターのオンオフの違い。 【サーヴァントとしての願い】 聖女マルタは、救世主のものならざる聖杯に何も望むことはない。 かつての時と同じく、サーヴァントとして現界しても聖女として在る。 故に、この戦争も認める事なく真っ向から反抗する。 一度道を外れたマスターが、正しき道に向かう為に。 【基本戦術、方針、運用法】 スキル構成は防御に寄っているが宝具による火力と機動力も備えているため攻めの面でも不足ない。 生粋の戦士ではないので切り込み過ぎるのは禁物と思われるが、素手(ステゴロ)でも案外なんとかなるかもしれない。 聖杯戦争を止めるために、今後は杏子を引っ張り出すための説得から始めなければならない。 【マスター】 佐倉杏子@魔法少女まどか☆マギカ 【マスターとしての願い】 【weapon】 分割する多節槍が主装。巨大化しての具現も出来る。 【能力・技能】 魔法少女として優れた身体能力に合わせ、魔女との戦闘経験も豊富。 防御の術も習得してるがスタイルが攻めに比重が偏ってるため防戦は不向き。 魂はソウルジェムという宝石に収められてるため、魔力さえあればどんな損傷でも回復可能。 ジェム内の濁りが溜まり心が絶望に至った時、その魂は魔女と化す。 かつては願いを反映した幻惑の魔法を持っていたが、過去のトラウマから願いを否定した事で使用不可になっている。 【人物背景】 キュゥべえと契約した赤い魔法少女。 好戦的。男勝りな口調。常になんらかの軽食を口にしている。 魔法少女の力ひいては願いや欲望は、自分のためにこそ使うべきとする信条。 他人を救おうとした父を助けたくて願った魔法は、癒えも父も家族も皆燃やした。 魔女と罵りを受けた少女は自暴自棄気味に利己を優先するようになる。 だが根がどうしようもなく善人なため堕ち切る事も出来ず、謳歌してるようで鬱屈した日々を送っていた。 【方針】 願いを叶えるという聖杯そのものについて懐疑的で素直に受け取る気はない。 かといって、積極的に戦う気もなく様子見するつもり。マルタの方針に同意する気は今のところ、ない。 候補作投下順 Back キング博士&アーチャー Next 聖剣伝説 ―勝利と栄光の旅路―