約 24,298 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1132.html
キョン「おう」 長門「・・・」 スッ キョン「もう・・・いいのか?」 長門「(コクッ)」 キョン「・・・」 ナデナデ 長門「?」 キョン「・・・」 長門「何」 キョン「あっ・・・いや、なんとなくだな・・・」 長門「?」 キョン「か、帰るか?」 長門「(コクッ)」 ハルヒ「はぁはぁ・・・!」 ハルヒ「あ、あれは・・・」 みくる「ひぃひぃ・・・す、涼宮さん、早すぎですよぉ・・・はぁはぁ・・・」 ハルヒ「な、何よアレ・・・」 みくる「えっ?・・・は、はわわ!キョン君たち、大胆・・・」 ハルヒ「・・・バカキョンッ!!!」 みくる「あっ!す、涼宮さん!?どこ行くんですかぁっ!?」 キョン「・・・」 長門「・・・」 キョン「・・・もう寒くないか?」 長門「(コクッ)」 キョン「そう・・・か」 ピタッ 長門「・・・着いた」 キョン「お、おぉ」 長門「今日は・・・ありがとう」 キョン「あぁ」 スッ 長門「これ、濡れてしまった」 キョン「え?ああ、気にすることねぇよ、じゃ俺は帰るな」 長門「・・・あの」 キョン「だからホント気にすんなって。じゃあまた明日な」 長門「・・・あ」 長門「・・・お茶・・・」 次の日 キョン「よぉハルヒ」 ハルヒ「・・・」 キョン「おいおい、いきなり無視か?」 ハルヒ「・・・っさい」 キョン「え?」 バンッ ハルヒ「うるさいっ!」 キョン「うぉっ!な、なんだよ急に!」 ハルヒ「何よ・・・もう」 キョン「お、おい?」 国木田「・・・キョン、取り込み中悪いけど、古泉君が呼んでるよ」 キョン「え?あ、あぁ・・・わかった、すぐ行く」 ハルヒ「・・・ふんっ」 キョン「なんだ古泉、俺に用か・・・って長門も?」 古泉「とりあえずここで話すのは危険ですので、場所を変えましょう」 キョン「?どういうことだ?」 古泉「涼宮さんに聞かれては困ることなのです」 キョン「・・・わかった」 長門「・・・」 屋上 キョン「・・・古泉、一体何があったんだ?長門まで呼び出して」 古泉「いや、昨日のことでしてね」 キョン「・・・それがどうした」 古泉「まぁ、簡潔に言いましょう」 キョン「?」 古泉「閉鎖空間が・・・昨日の夕方から異常に増大しています」 キョン「・・・っな!?」 古泉「このままでは非常に危険です」 キョン「ど、どういうことだ!?」 古泉「理由は・・・朝比奈さんの話から大体判明しました」 キョン「あ、朝比奈さんの・・・?」 古泉「ええ。昨日の夜、閉鎖空間の話をしたらですね、朝比奈さんが心当たりがあるとおっしゃってました」 キョン「・・・どういうことだ?」 古泉「僕の口からは言いにくいことなのですが・・・」 長門「・・・あなたと抱き合っている姿を目撃された」 キョン「っ!?」 古泉「えぇ、そういうことなんです」 キョン「そ、それでハルヒは・・・」 古泉「まぁそうなるでしょう」 キョン「そんな・・・」 古泉「涼宮さんは、少なからずあなたに好意を持っていました。これは間違いないです」 キョン「・・・」 古泉「しかし、言い方が悪いでしょうが、あなたは涼宮ハルヒを裏切った」 キョン「俺がか!?・・・そ、そんな気はないぞ!」 古泉「いえ、涼宮さん本人にとっては大きな精神的動揺に繋がっています。その証拠に閉鎖空間が増大しているのです。」 長門「これ以上閉鎖空間が増大すると・・・危険」 キョン「な、長門・・・」 古泉「機関は大騒ぎですよ。まさかここまで悪化するとは想定していませんでした」 キョン「・・・俺はどうすればいいんだ」 古泉「涼宮さんは、長門さんとあなたの関係に激しい嫉妬感を持っています」 キョン「・・・」 古泉「簡潔に言いましょう・・・もうなるべく長門さんには近付かないで下さい」 キョン「っ!」 ガシッ! キョン「長門がいじめられてるのを・・・見逃せってことかよっ!」 古泉「キョン君、落ち着いてください、冷静に話しましょう」 キョン「俺は何度も長門に助けられてるのに・・・こんな話あるか!」 長門「・・・」 古泉「長門さんに関しては、機関が全力でバックアップするつもりです」 キョン「・・・っ!」 スッ 古泉「あなたの気持ちもわかります。しかし、状況が状況です。協力してください」 キョン「・・・」 長門「・・・そういうこと」 キョン「な、長門・・・」 古泉「しばらく長門さんは学校を休みます。今日も部活には出ません」 キョン「そ、そこまでしないとダメなのか!?」 古泉「・・・これは長門さんの意思です」 キョン「長門の・・・くそっ!」 長門「・・・」 古泉「僕は、機関にこのことを報告するので・・・失礼します」 長門「・・・」 キョン「長門は・・・これでいいのか?」 長門「何が」 キョン「・・・」 長門「仕方のないこと」 キョン「すまない・・・」 長門「・・・謝らないで」 キーンコーンカーンコーン キョン「・・・じゃあな、長門」 長門「(コクッ)」 長門「・・・」 キョン「・・・」 ハルヒ「どこ行ってたのよ?」 キョン「トイレだ、別にかまわないだろ」 ハルヒ「・・・有希のところじゃないの?」 キョン「っ!」 ハルヒ「ほら?図星ね、何してたのよ」 キョン「違う、俺は・・・」 ハルヒ「何よ?あたしに嘘ついても無駄なんだからね!」 キョン「・・・」 ハルヒ「ほら、何してたか話しなさいよ?どうせまたいやらしい事でもしてたんでしょ?」 キョン「!!て、てめぇっ!」 ガタッ! 谷口「お、おいキョン!何やってんだよ!落ち着けって!」 ハルヒ「な、何なのよバカキョン!!!」 キョン「クソッ!」 国木田「キョン、とりあえず落ち着こうよ!?皆も見てるし・・・」 キョン「はぁはぁ・・・」 ハルヒ「・・・」 キョン「・・・帰る」 谷口「おいキョン、どこ行くんだよ!?」 キョン「ついてくるな」 国木田「ちょ、ちょっと!?」 ~部室~ キョン「ハァ・・・今さら戻ったら、めちゃくちゃ怒られるだろうな」 キョン「長門・・・」 キョン「あいつ・・・いつも一人ぼっちで・・・本読んでたんだな・・・」 キョン「・・・」 バタッ キョン「っ!」 長門「・・・あ」 キョン「な、長門?なんでここに?」 長門「忘れ物」 キョン「も、もう帰るのか?」 長門「(コクリ)」 キョン「・・・そうか」 長門「あなたは、なぜここにいるの?」 キョン「え?あぁ、ハルヒと・・・少しな」 長門「・・・そう」 キョン「・・・」 長門「涼宮ハルヒとは・・・仲良くして」 キョン「な、長門・・・」 長門「そうしないと、この世界は終わる」 キョン「あぁ、わかってる」 長門「それに・・・私のことは気にしないで」 キョン「・・・わかったよ」 長門「・・・じゃ」 キョン「・・・ちょっと待てくれ」 長門「?」 キョン「長門、寒くないか?」 長門「別に・・・!?」 ギュッ キョン「・・・暖かいか?」 長門「・・・」 キョン「ごめんな、俺のせいでこんなことになって」 長門「・・・あなたのせいじゃない」 キョン「いや、俺のせいにしといてくれ」 長門「・・・(コクッ)」 スッ キョン「じゃ・・・またな」 長門「・・・また」 ガラッ 谷口「お、おおキョン、何してたんだよ?もう昼休みだぞ?」 キョン「ハルヒは?」 谷口「あいつか?またどっかに消えてったな」 キョン「わかった。すまなかったな、心配かけて」 谷口「いや、気にするな!しかしお前があんなにカーッとなるな・・・っていねぇし」 中庭 ハルヒ「・・・はぁ」 キョン「おいおい、どうした?そんな深い溜め息ついて」 ハルヒ「キョ、キョン!!いつ帰って来たの!?」 キョン「ついさっきだ。部室で頭冷やしてたんだよ」 ハルヒ「何よそれ・・・あたしに言うことあるんじゃないの!?」 グイッ キョン「っと!お、おい!ネクタイは引っ張るなっ!」 ハルヒ「いいから早く言いなさいよ!」 キョン「・・・すまなかった、反省してるよ」 ハルヒ「・・・(ぷいっ)」 キョン「何だよその態度は・・・謝っただろ?」 ハルヒ「・・・うっさいわね」 キョン「・・・」 ハルヒ「・・・あたしも少し言い過ぎた・・・」 キョン「・・・そうだな」 ハルヒ「でも、殴ろうとすることはないでしょ!?」 キョン「い、いやあれはだな、ついカーッとなって・・・」 ハルヒ「団長を殴るなんて二千億年早いのよ!」 バシッ キョン「いでっ!わ、わかってるよ!だから叩くな!」 ハルヒ「・・・本当に反省してる?」 キョン「あぁ、悪かったよ。めちゃくちゃ反省してるさ」 ハルヒ「・・・」 キョン「だから許してくれよ?な?」 ハルヒ「・・・わかったわ。でも今度あたしを殴ろうとしたら、SOS団強制脱退よ!?いいわね!」 キョン「わーったよ!(俺は別に構わないが・・・)」 ハルヒ「今なんか言った?」 キョン「い、いや言ってない!」 ハルヒ「怪しいわね・・・まぁいいわ、罰として今度何か奢りなさい!」 キョン「あー、はいはい、わかったよ」 ハルヒ「じゃあ、あたしはお昼食べに行くから!キョンも早く食べちゃいなさいよ?」 キョン「言われなくてもわかってる」 キョン「・・・」 キョン「(・・・長門、これでいいんだよな?・・・)」 放課後 キョン「朝比奈さーん、入りますよ?」 みくる「・・・どうぞ」 ガチャ キョン「こんにち・・・って朝比奈さん!なんで泣いてるんですか!?」 みくる「ぐすっ・・・わ、わたしのせいで・・・長門さんが・・・ふぇぇぇん!」 キョン「い、いや、朝比奈さんのせいじゃないですよ?」 みくる「古泉くんに・・・ぐすっ・・・あのこと話したのが間違いでしたぁ・・・まさか機関があそこまで動くなんて・・・」 キョン「朝比奈さん、落ち着いてください」 みくる「キョン君・・・怒ってるでしょ?」 キョン「・・・」 みくる「キョン君は・・・長門さんのこと・・・」 キョン「朝比奈さんっ!!」 みくる「ひっ!」 キョン「これは、誰のせいでもないです」 みくる「・・・」 キョン「それに・・・俺は誰も責める気はありません」 みくる「・・・はい」 キョン「これは・・・俺とハルヒの問題です」 みくる「キョ、キョン君・・・」 古泉「よく理解してくれていて、幸いです」 キョン「・・・古泉」 古泉「どうやら涼宮さんとは復縁できたようですね。閉鎖空間が減少してきています」 キョン「・・・」 みくる「古泉君・・・長門さんは・・・」 古泉「今日は早退させました。涼宮さんが長門さんの顔を見てどういう反応をするか・・・最悪のことを考えての配慮です」 みくる「そ、そこまでするこ・・・」 ハルヒ「やっほーーー!うわっ、やっぱ寒いわねー!みくるちゃん、お茶ちょーだい!」 みくる「えぁっ!?は、はい」 ハルヒ「あれ?みくるちゃん目赤いよ?どうしたの?」 みくる「た、ただの寝不足です!」 ハルヒ「・・・ふーん」 キョン「・・・」 ハルヒ「あれ?有希は?」 古泉「・・・長門さんなら、海外に行っているそうです」 ハルヒ「海外?何で今頃・・・」 キョン「・・・」 古泉「親族の方がエクアドルにお住みで、どうやら長門さんの祖母が危篤らしいのです」 ハルヒ「・・・そうなの」 古泉「ですので、しばらく学校には来れないそうです」 ハルヒ「ふーん」 キョン「っ!(なんでそんなに冷静なんだよっ!)」 ギュ キョン「・・・朝比奈さん?」 みくる「キョン君、落ち着いて・・・今は・・・我慢しないと・・・」 キョン「・・・わかってます」 みくる「・・・キョン君・・・」 キョン「・・・」 ハルヒ「・・・」 みくる「・・・」 古泉「・・・」 ガタッ ハルヒ「?」 みくる「あ、あの・・・わたし、今日ちょっと用事があるので・・・これで失礼してもいいですか?」 ハルヒ「え?あぁ・・・じゃあ今日はこれでお開きにしましょ」 古泉「わかりました。キョン君、帰りましょう」 キョン「・・・あぁ」 古泉「じゃあ涼宮さん、僕たちは先に失礼します」 ハルヒ「うん・・・じゃあね、古泉君、キョン」 キョン「・・・じゃあな」 古泉「・・・」 キョン「・・・」 古泉「キョン君?どこに行くのですか?」 キョン「・・・少しな」 古泉「長門さんのところですか?」 キョン「・・・だったら何だ」 古泉「フフ、僕に止める気はありませんよ」 キョン「・・・」 古泉「と言うより、僕にはあなたを止める権利がない」 キョン「・・・」 古泉「しかし、その行動があなたと長門さんにとってに正しい選択とはいえません」 キョン「・・・わかってるよ、古泉」 古泉「キョン君、よく考えて行動してください。僕が言いたいことはそれだけです」 キョン「あぁ」 古泉「では、また明日」 キョン「・・・」 3話
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5233.html
五 章 Illustration どこここ これからやろうとするやつは誰もが未経験なわけで、結婚の経験が豊富だとかいう人はあんまり幸せでもなさそうなのだが、未経験な人のためにブライダルプロデューサーとかプランナーなどという、ゼロからサポートしてくれる職業があるらしい。結婚専門のプランニング会社ってのもあるのだが、ホテルやブライダルホールにも専属のプランナーがいて、招待状のデザイン、式場の手配から披露宴のシナリオ、スピーチ原稿まで手取り足取り面倒を見てくれる。結婚するカップルを集めて合同の式場ツアーなんかも催されているらしい。 ホテルやブライダルホールの中にミニ教会があったりミニ祭壇があったりして、教会や神社に行かなくてもその場でやってくれるようだ。まあ本格的にやりたい人は現地に出向いて神様の前でやるのがいいんだろうが。 宗教色をなくした人前結婚式ってのも多くて、広々とした芝生の上でやるとかプールなんかでやるカップルもいるらしい。むかし見た映画で一面の芝生が広がる豪華な家の庭に白い椅子を並べてやってるシーンがあったが、あれはやってみたい気もする。 俺も早いとこ披露宴の場所決めとかないとなぁなどとため息混じりにWebサイトを見ていると、今まで居眠りをしていたハルヒがガバと顔を上げて尋ねた。 「そういえばキョン、あんた結納どうすんの?」 俺としちゃ、もうそんな形式ばかりになった日本古来の儀式なんてやめちまっていいと思うんだが。 「親同士の顔合わせだけでいいだろ」 「あんた、めんどくさいからってまた手抜きしようとしてるわね」 「結納なんてもともとお武家様とか由緒ある商家でやってたもんだろ。庶民がマネしてやってもお飾りにすぎんと思うんだがな」 「そういう問題じゃないでしょ!」 ハルヒがまじで怒っている。 「まあ長門がやりたいって言うんなら考えるが」 「分かってないわね。結婚は誓いのキスだけじゃないのよ。二人が出会って好きになってプロポーズして、双方の親に紹介して指輪を選んでウエディングドレスをあつらえて、モチベーションを上げていくすべての過程が結婚なのよ。遠足は家に帰るまでが遠足だって言われたでしょ」 「お前にしては分かりやすいな」 「あったりまえでしょ。女は生まれたときからこの日を夢見て生きてるんだから。言っとくけど、結婚した後は女のほうが大変なんだからね」 「まあ結婚するまでは男が大変なのは分かる」 男の俺はいまいち真剣味が足りないようで、ハルヒはため息をついた。 「いい?一生に一度しかないんだから、やれることは全部やんなさい」 お前まさか、スモークを炊いたステージで新郎新婦の乗ったゴンドラから降りて来いなんて言わないだろうな。あれは恥ずかしいぞ。 「あんなのはただのお芝居よ。結納ってのはね、昔は家と家が契りを結ぶ大事な儀式だったのよ。不精してないでちゃんとやんなさいよね、ケジメよケジメ」 またそれか。日ごろが大雑把かと思えばこういう妙なところでまめなんだからなこいつは。 「長門、結納どうする?」 横でずっと話を聞いていたのだが、長門に改めて問い直した。 「……あなたに、任せる」 式まであんまり時間がないからなあ。略式でも結納品の手配とか手順を覚えたりもあるしな。 「……伝統には興味がある」 「そうか。長門がそういうならやってみるか」 正直、長門の晴れ着姿を見てみたい。いや、単純にそれだけの理由なんだが。 「古泉、ちょっと相談なんだが」 今度はハルヒに聞かれては困る話なのでまたトイレに呼び出した。 「なんでしょうか」 「ハルヒが結納をやれというんで正式なのをやろうと思うんだが」 「あなたにしては珍しいですね」 「長門も興味あるらしいしな。俺的には男尊女卑の名残っぽくてあんまり気が進まないんだが。あれは嫁さんに準備金を渡すためのもんだろう」 「最近は記念品の交換くらいで済ませるカップルも多いと聞きますね。元々は華族とか士族などで家同士の契約の名残らしいですからね」 「うちは武士でも貴族でもないしな。お前ならどうする?」 「僕はどっちかというと洋風で、家族より本人達が主体のほうが好みですね」 「だよな」 俺だけかと思っていたが、男はなんというか、結婚後の生活のほうに夢膨らませていて、あんまり儀式的なことにはこだわらない気がする。結婚するまでの準備期間が楽しいという女には理解できないらしいのだが。 まあそれはともかくだな。 「新川ならいつでもご用意できますよ」 そんな隣の長屋から猫を借りるみたいに、渋くてダンディな新川さんを表現するな。あまつさえ年上なんだから。 「機関の人は事情を知ってるからいいんだが、ハルヒにどう説明するかだ。結納に出るのは両親と決まってるわけだし、まさか長門の父親が突然出てきましたってのも無理がありすぎると思うんだが」 「難題ですね。新川の面は高校のときすでに割れていますし」 「どうしたもんか。ほかに頼めそうな人はいないだろうか」 「それはもう機関は人材には事欠きませんが、別に新川が父親でなくても養父ってことでもいいんじゃないでしょうか」 「執事のかっこした新川さんが長門の義理の父か。それもかなり無理な設定だとは思うが」 「では叔父ではどうですか」 うーん、マンションの管理人のほうがまだ説得力ある気がするが。落語にもあるだろ、大家さんが仲人で親代わりになるみたいな話。 「あのなハルヒ、ちょっと長門のことで話があるんだが」 「なに、有希になんかしたの!?」 なんでそう長門のことになるとムキになるんだこいつは。 「前に長門の親族がどうとかいう話をしたことがあったろ」 「有希が引っ越すかもしれないとかいうあれ?」 「あの親族ってのは実は新川さんなんだ」 「見た目渋くてかっこいい新川先生が有希の親類だったの?実は悪いやつだったのね」 そうか、こいつの記憶では新川さんは臨時の先生だったんだな。 「いや、それは俺の誤解でな。あのときは年端もいかない娘が一人暮らしをしてるのは問題があるだろうってことで行政の児童福祉担当が無理に引っ越させようとしてたらしいんだ」 「問題ってなによ、女の子が一人暮らししちゃいけないっての」 「俺に噛み付くなって。経済的にとか防犯上とか、いろいろと鑑みてのことだろう」 「やっぱりね、お役人ってのは丸いものを四角い枠にはめないと気がすまないのよ。個人の事情なんてお構いなしだわ」 「まあそれはいいんだがな。新川さんに長門の後見人というか、まあ親代わりを頼もうと思う」 「あれ?有希の親御さんってエルサルバドルにいるんじゃないの?」 ううっ、確かに長門がそんなことを言ってたような記憶があるっ。ホンジュラスとかエルサルバドルとか、ヒューマノイドはなぜ中南米にこだわるんだと突っ込んだ記憶もあるっ。 「実は、飛行機事故で、」 「ええっ亡くなったの?いつ?」 「高校を出て、すぐくらい」 「なんで黙ってたのよアホキョン!!」 「俺も、最近知った」 俺がロボット並みに棒読みしてるのにハルヒがまったく疑いもしないことが返って悲しいのだが、本当のことを吐けと首を絞められないだけでもマシなのかもしれん。これもいつかはバレるんだろうなあ。嘘で嘘を上塗りしちまってまたハルヒにドヤされる覚悟を今からしなきゃならんとは。 まるで自分の親の訃報を街頭テレビで知ったかのようにハルヒが呆然としているところへ、ドアが音もなく開いて長門が入ってきた。 「ゆ、有希!!もうなんで言ってくれなかったのよ!!」 雨の日の公園を散歩中に段ボール箱で鳴いている捨て猫を見つけた女の子のように、ハルヒはやおら涙目になって長門に抱きついた。こういう不幸な身の上話には徹底的に弱いとみえる。最近のハルヒは映画を見てもチープな恋愛ドラマを見てもよく泣くらしい。気のせいかもしれんが、たぶん古泉と付き合いだしたあたりからだな。もしかして古泉に不幸な作り話を散々聞かされてるとか。 「……なんの、話」 「あんたのご両親が亡くなってたってことをたった今聞いたのよ」 「……」 長門はいったいなにごとが起こったのだという感じで、首をちょこんと傾けて俺を見る。俺は両手を合わせて、スマン長門適当に話を合わせてくれと唇だけ動かして伝えた。 「……そう。両親は五年前、ホンジュラス経由で渡航中に飛行機事故に遭遇。テグシガルパ空港当局者によれば、着陸時に上空を低気圧が通過中で視界不良、滑走路を二百メートルほどオーバーランして大破した」 って長門、その友達にロイター通信の記者がいますみたいな話の合わせ方は逆にあやしいぞ。仮にも不幸な話なんだから少し悲しい表情をしてくれ。 「あんたのことはあたしが面倒を見るからね、心配しなくてもいいからねっ」 「待て待てハルヒ、その役は俺だ」 「だめよ社会的責任のある人じゃなきゃ」 「じゃあ俺は無責任男かよ」分かっちゃいるけど言われたくないっと。 「あたしが有希を養女にするわ」 「養子縁組って二十五才以上で結婚してないとできないんじゃなかったか」 突っ込みどころ違うだろ、結婚の話そっちのけでなに言ってんだ俺は。 「じゃあうちの親の養女でもいいわ、あたしの妹ってことにすれば。里帰りはうちの実家に来ればいいじゃない」 まさかそこまで言い出すとは考えていなかった。古泉は右手のグーを左の手のひらにポンと打ちつけ、ナルホドその手がありましたねとうなずいた。無責任に感心してる場合かよ、そんな無茶苦茶な姻戚関係が発生したら俺の周辺の家計図はどうなる。ハルヒが俺の義理の姉になっちまうぞ。ハルヒの尻に敷かれるのは古泉だけで十分だ。これまでずっと俺が座布団代わりに敷かれてきたんだからな。 「まあ待て、お前たちには媒酌人を頼もうと思うんだ」 「そ、そうなの?」 媒酌人ってのは披露宴で新郎新婦の両隣に控えている人で、慣習的には夫婦が引き受けるもんなんだが、まあほかに当てがあるわけじゃなし、ハルヒにもなにがしかの役割を与えておかないとなにをしでかすかわからんしな。 「有希、あたしでいいの?」 「……いい。あなたが適任」 「なにより、俺たちが付き合うきっかけを作ったのはお前だからな」 「あ、あたしはそんなことはしてないわよ。キョンがあんまり優柔不断だからケツを蹴ってやっただけじゃない」 真っ赤になりながらそう弁解するハルヒはまんざら悪くもなさそうで、一組の男女の運命を決めた切り札が自分だったことを喜んでいるようだ。 「分かったわ、あたしにまっかせなさい。あんたたちの挙式は我がSOS団が責任を持って取り仕切るわ」 おいおい町内のお祭りかなんかと間違ってないか。今までお前のお遊びでやってきたSOS団のイベントとはわけが違うんだぞ、などという心配はすでに時遅しで、ハルヒの目んたまキラキラ度が三百パーセント増量中だ。 「新規事業として我が社はブライダルプランナーをやるわよ!」 うちはイベント会社じゃないんだが、前回のゲームショウで味を占めたらしいな。やれやれ、とうとう色物事業にまで手を染めちまったか。 長門の親代わりを頼むのに、古泉に新川さんを呼び出してもらった。機関の事務所は実は北口駅から近いらしく、喫茶ドリームで待ち合わせた。 「おひさしぶりでございます」 執事姿でない新川さんが濃いグレーのダブルのスーツにステッキを突いてやってきた。俺みたいななで肩が着るとそうでもないのに、こういう肩幅のある人が着るとスリーピースのダブルも映えるんだよなあ。雰囲気がどことなく大手の経営者とか重役っぽい。うちの取締役に欲しいくらいだ。 「お忙しいところお呼びたていたしまして恐縮であります」 育ちが悪いのか付き合ってるやつらが悪いのか、使い慣れない丁寧語に舌を噛み奉りそうな俺である。 「いえいえ、お役に立てて嬉しく存じます」 「……ご足労、謝意を表する」 長門は丁寧的なのか古風的なのかよく分からん挨拶をした。 「ええと、このたび、長門有希と婚姻の儀を取り計らうことに相成りまして、」 このまま喋ってたら舌噛んで死んでしまいそうなのでふつうに話すことにした。 「ぜひ新川さんにご協力いただけないかと。長門の個人的な事情はご存じでしょうか」 「はい、伺っております。わたくしども機関はあなたがたのサポートが使命です。どんな役目を仰せつかっても完遂する所存にございます」 やる気満々、任務のためなら一命を賭しても悔いはない勢いの新川さんだ。俺たちみたいなの珍奇な集団にそこまで言っていただけるとはどうも恐縮してしまうのでありますが。 「新川さんに長門の親代わりをやっていただけないかと思っていまして」 「喜んで承ります。どのような背景を持った人物をお望みでしょうか」 「ええと、両親のいない長門を引き取って面倒をみていた叔父の役というところでどうでしょう」 「かしこまりました。設定に合わせた簡単な略歴などをご用意しましょう。キョンさんのご両親とスムーズな会話をするために」 毎度ながら、機関の人のこういうところはすごいなあと思うわけだ。 「ええとそれから、これがちょっと厄介なんですが、ハルヒには偽のアリバイを仕込んでありまして」 「伺っております」 新川さんは口ひげを揺らして微笑んだ。 「長門の両親はエルサルバドルにいたことになってまして、で、亡くなったことがつい先日ハルヒにバレて、実は新川さんが血縁だったことが判明した、イマココなわけですが」 「それはまた複雑なイマココでございますな」 「勝手にアリバイの証人に仕立ててしまいまして申し訳ないです」 「いえいえ、長門さんのお身内になれるなら喜んで」 古泉なんかの無責任スマイルとはまったく違う、酸いも辛いも味わった人生観の漂う渋いスマイルを見せる新川さんだった。長門も少し口元を動かして微笑んでいる。 氷の浮かんだコップに口をつけてから新川さんは意外なことを言った。 「ひとつだけ問題がございます。わたくしは実は独身でございましてね。叔父とはいえ祝いの席に出るには夫婦そろっての役のほうがよろしいのではないかと」 「え、そうだったんですか」 「恥ずかしながら、離婚暦がございます」 まれに見るシブメンの新川さんがバツイチだとは知らなかった。なんというかその渋さは苦労したがゆえの哀愁から来ているのかもしれない。 「身の回りが軽い相方がいればよいのですが、あいにくとこればっかりは妥当な人材がおりませんで」 つまり新川さんに歳の近い未亡人か独身女性で、長門の事情を知った上で親代わりとしてあれこれ面倒を見てくれそうな人ってことですか。そんな特殊な身分の人は日本中を探してもいないだろうな。 「片親でもいいんじゃないでしょうか。最近は多いようですし」 「結納に片親だけでは少し寂しい気もいたしますが、長門さんのお気持ちのほどはいかがでしょうか」 「……気持ちだけで嬉しい。贅沢は言わない」 長門は控えめにボソリと答えた。本当は家族に似たものが欲しくて、一度は消えた朝倉を呼び戻したり失踪した姉を数億年も待っていたりしたことを俺は知っている。だからなおのことだ。かりそめでもいいから長門にも身内と呼べるものを作ってやりたい。 「お待たせしました」 三人で考え込んでいるところへコーヒーが来た。どうもなじみのある雰囲気がして顔を上げた。 「あれれ喜緑さんじゃないですか。こないだはどうも」 「こんにちは、皆様おそろいで。ホットコーヒー三つですね」 「こんなところでなにやって、」 「もちろんアルバイトですわ」 この喫茶店でもたまにしか見かけないこの人が、日ごろの糧をどうやって得ているのか非常に気になるところだが。 「ええ。ときどきここで雇っていただいています。こちら伝票になります」 お盆を脇に挟んでしずしずとカウンタへ戻っていく喜緑さんを眺めた。 「あの、ちょっと待ってください喜緑さん、」 「はい?」 重要なことを忘れていた。俺の知る限りこの地球上で長門の唯一の関係者がここにいる。長門の身内がひとりもいないなんてとんでもない勘違いじゃないか。新川さんも気がついたようで、これはしたり大事なことを忘れておったわいという感じで眉毛を髭と同じ角度のハの字に曲げている。 「ちょっとここへ座って話を聞いていただけませんか」 「あいにくと勤務中ですから……」 「重要な話なんです」 俺は店のマスターにちょっと従業員を借りますという感じで指を刺して合図した。あとで心づけを払っておかんといかんな。 喜緑さんは俺の向かい側、新川さんの隣に音もなく座った。 「お話とはなんでしょうか」 「じ、実は長門と結婚します」 「そうですか。お二人様、ご婚約おめでとうございます」 思念体の情報網とか話の流れからしてすでに知ってはいたとは思うのだが、喜緑さんは立ち上がって丁寧にお辞儀をした。俺もなんだか条件反射的に立ち上がって何度もハアドウモアリガトウゴザイマスとペコペコしてしまった。 「ちょうど新川さんに長門の親代わりをお願いしていたところなんです。突然でまったく申し訳ないんですが喜緑さんに相方をやっていただけないでしょうか」 「まあ……わたしにですか。嬉しいですわ」 喜緑さんはなんというか、ほんとうにそうなれれば幸せなのになという感じで新川さんを見つめてポッと頬を染めてみせた。 「でも、わたしは年齢的には娘さんの世代ですから」 「娘ということではいかがでしょうか」新川さんが言った。「わたくしが長門さんの叔父、喜緑さんがその娘ということで」 「つまりわたしが長門さんの従姉妹ですか」 バツイチの叔父にその娘ってことなら一般的にありそうだな。無理にこじつけて叔父夫婦を用意しなくてもいいわけだ。なんとなくだが、不ぞろいだったパズルのピースがはまりそうな気がする。 「それでいきましょう。意外にもリアリティあっていいですね」 新川さんの渋い顔が苦笑になってしまった。ややリアリティがありすぎたのかもしれない。 長門がひとこと、喜緑さんに向かってつぶやいた。 「……借りができた」 「そんな、水臭いですよ長門さん」 にっこりと笑う喜緑さん。この二人を見ているといつも思う、喜緑さんが姉で長門が妹という設定でこの地上に現れてもよかったんじゃないかと。 「新川さん、喜緑さん、お手数おかけしますがよろしくお願いします」 「……謹んでお願いする」 珍しく長門も深々と頭を下げた。それから二人の出番になりそうな当面の予定を伝えた。 スケジュールと呼べるほどの余裕はまったくない唐突にはじまってすでに進行中の日程だが、まず親同士の顔合わせ、その後で結納、式場の見積もりと披露宴のプラン、招待客のピックアップと招待状の発送、衣装とヘアメイクの準備、ハネムーンの手配、などなど、覚え切れなくて俺でなくてもため息が出そうなくらいやることがある。しかもこれを一カ月以内にこなさないといけないなんて尋常じゃないわな。だから言ったじゃないのというハルヒの声が聞こえてきそうだ。 ロケット打ち上げ計画書の頭から二百ページ分を省略したいくらいの気分なのだが、式と披露宴はハルヒに任せてあるのでその部分は省略するとしよう。はじめての結婚式の仕切りにハルヒがやたらとはりきってるが、あいつに任せたらなにが飛び出てくるか分かったものではないので監視役に古泉をつけて二人で立案しろと言っておいた。ミイラ捕りがミイラになっちまう不安もないのではないのだが。 うちの両親と新川さん喜緑さんを引き合わせるのに適当な場所が思い浮かばなくて、近場の料亭でお座敷をチャージして晩飯にすることにした。自宅に呼んでもよかったんだが、唐突過ぎておふくろがパニくってしまい、なにを着ればいいのか寿司を取ればいいのか中華を取ればいいのかバナナはおやつに入るのかなどと、どうでもいいことでフル回転していたので外に連れ出すことにした。 「キョン、あんたそんなかっこうでいいの?」 「そんなかっこうって、スーツでいいだろ」 「仕事着でしょう、それ」 「いいんだよこれで。向こうは顔見知りなんだから」 とは言うがこれ以外のスーツは持ち合わせていない俺だった。フォーマルなやつをひとつ新調しなくてはな。 「……どうだ」 「あんた、似合ってるわよ」 親父は妙にかしこまってダークスーツなどを着ているありさまだ。まあ初めての挨拶だからあながち間違いではないんだが。 玄関を入って名前を告げると長い廊下の先にある座敷に通された。こないだと同じスーツ姿の新川さんが待っていた。 「お待ちしておりました」 「……は。はじめまして、キョンの父であります」 水を吸った水飲み鳥のように何度も何度も深々と頭を下げていた。見ていてこっちが赤面してしまうが、この世代の挨拶はこれなんだろうな。 「こちらこそ、はじめまして新川と申します。こっちは娘の江美里です」 「お初にお目にかかります。よろしくお願い申し上げます」 喜緑さんは襟が広めのオレンジのワンピースを着ていた。その隣で長門が無表情に座っている。 「は、はいよろしくお願いします。この度はうちの息子が有希さんを見初めたようで、なにとぞよしなに、よしなに。こらキョン、あんたも頭下げなさい」 親父とおふくろはまるで自分が結婚するかのように緊張しっぱなしでペコペコと頭を下げていた。ふつうに食事会なんだからそんなに冷や汗を垂らさなくてもいいのに。ともあれまあ、このギクシャクした雰囲気も酒が入ればなんとかなるだろう。 「有希さんにこんなきれいなお従姉妹さんがいらしたなんて知りませんでしたわ」 「有希が親を亡くしてからというものは、ずっと姉がわりの江美里の背中を見て育ったものです」 「それはそれはまあ、ご苦労なさいましたねえ」 「素直で優しく育ったこの子の晴れ姿を両親に見せてやれたらと思うと、まったく不憫でなりません」 「まったくよくできた娘さんですね。キョンにはもったいないお相手だわ」 おふくろはヨヨヨと涙に誘われていた。某国営放送の連ドラにでもありそうな展開だな。 「……いやあ、キョンみたいな息子をこんな美しい娘さんが好いてくださるとは、もうなにも思い残すことはありませんな」 親父は酒が回ってきたらしく饒舌になっている。俺はそろそろ飽きてネクタイを緩め、あと何分くらいここにいればいいだろうかなどと考えていた。おふくろが俺の耳をひっぱって、キョンなに胡坐かいてんのよちゃんと正座しなさい正座と耳打ちした。 「すまん、ちょっとトイレ」 俺は立ち上がりかけたのだが足に力が入らず、みんなの前でゴロンと転んだ。 「キョンなにやってんのあんた!」 おふくろは真っ赤になって怒りあわてて俺の腕を引いて起こした。なんつーか笑いを取ろうとしたわけじゃなくて足がしびれて動かなかっただけなのだが。長門がクスリと笑っている。 新川さんと喜緑さんは終始笑顔を崩さず、たまにお酌をしたりされたり、長門の架空の昔話をしたりしていた。人間の長門だったらそういうエピソードもあったのかもしれないと思えるくらい、デティールに凝っていた。このへんはどうやら古泉の仕込みっぽい気がするな。 俺と親父がホロ酔いになったところで宴はお開きになった。 「……有希さん。出来の悪い息子で申し訳ない」 「……問題ない」 「……親に似てまったくふつつかな息子だが、よろしく面倒みてほしい」 「……承知した」 素直に承知してくれる長門も嬉しいんだが、もともと酒に弱い親父が何度も同じことを言いはじめたので、俺は二人をせかしてさっさと帰ることにした。 帰りのタクシーの中でおふくろがボソリと言った。 「いい家族ね」 「……そうだな」 即席だが、いい感じの叔父と従姉妹だったと思う。これからは俺が本物の家族になってやらないとな。 『やあキョンくん、長門っちと結婚するんだって?』 二日酔いで頭痛のする翌朝に電話がかかってきた。 「あ……どうも、いつもお世話になっております」 『水くっさいなあ、あたしも噛ませておくれよ』 「え、あ、そうですね。お手数おかけします」 冬眠から覚めたと思ったらまだ雪の中だった熊並みに脳の反応が鈍い。えっと、俺はいったい誰と何の話をしてるんだ。 「あのすいません、どなたですか」 聞けば、昨日ハルヒと呑んでいて、俺がとうとう結婚するという話で盛り上がったらしい。人の婚姻をネタに酒を呑むなと言いたいところだが、どこの酒の席でもそれは常だからな。 『それで、結納は終わったのかい?』 「まだ昨日やっと親同士の顔合わせが終わったところなんです」 『じゃあうちの座敷でやんなよ。うちの床の間広いよ、畳二枚分はあるんだから』 「床の間?」 『知らないのかい?古来より結納品は床の間に飾るんっさ』 そいやシキタリについてはまだなにも調べてなかったな。 「じゃあちょっと長門と相談して後ほどお電話入れます」 『あいよっ』 朝から元気のいい人だ。今朝まで呑んでたらしいんだが。 結納結納っと、少し予習しとかないとな。 結納てのは、嫁さんの両親に今まで娘さんを育ててくれてありがとうという挨拶と、旦那の親から嫁さんへよろしくという挨拶を形式的に表したものだという。実際は衣装やら嫁入り道具やら、いろいろとモノ入りな女のために結婚準備金を渡すための儀式なのだが、地方によって決まりごともシキタリも違うし、いつごろから始まったというはっきりした歴史があるわけでもないらしい。 正式には仲人がすべてを取り仕切るもんで、まず仲人が新郎の家に結納品と目録なんかの書類を取りにゆき、新婦の家に届ける。二人は挙式まで顔を合わせない。今は仲人なしの略式結納ってのが多いらしいが、その場合は新郎が両親と連れ立って新婦の家に挨拶に行くのか。嫁に来てもらうわけだから当然そうなるわな。 結納品は紅白のノシで飾られた品で、五個とか七個とか九個とか、小数点を使わないと二で割り切れないセットで用意する。これが勝男武士(かつおぶし)とか寿留女(するめ)とか子生婦(こんぶ)とか、漢字を習いたての小学生でも使わないような、ダジャレにもほどがあるというかガード下の落書き夜露死苦を上回る勢いの当て字で名前をつけてある。いくらなんでも結美和(ゆびわ)はやりすぎだと思うんだが。 それを寿の文字がでかでかと書かれた箱に入れて大風呂敷に包んで新婦の家までいそいそと運ばにゃならんのだが、今は店頭から直送してくれるらしい。新婦の家に着いたら軽く挨拶をし、床の間を借りると断って飾り付ける。床の間に赤い布を敷いて、松竹梅の模型を飾る。この松竹梅の下に結納金を置くことになっている。指輪はすでに渡してあるわけだから、九品の中でいちばん高価なのはこのプチ盆栽セットってことだな。 飾り付けが終わるとみんなで対面して並び、新郎の親が前の晩に必死で覚えたセリフ「本日はよいお日柄で……」とはじまる。目録を渡すと新婦の親がリストを確認して、受け取りの証書みたいなものを返して一件落着となる。 とても覚え切れんわ。こりゃあ身内でリハーサルやらんといかんな。 「もしもし長門か、俺だ」 『……頭、痛い』 長門よ、お前が二日酔いするなんてガソリンでも飲んだのか。 「鶴屋さんが結納するのに座敷を使えって言ってくれてるんだが」 『……歓迎すべき提案。うちには床の間がない』 「じゃあ鶴屋さんちで場所を借りることにするわ」 『……分かった』 「また後で連絡する」 「、ということでした。お願いしてもよろしいでしょうか」 『鶴ちゃんにお任せっ、なあに、あたしはこういう祝い事は好きでね。うちのおやっさんもあたしのリハーサルだと思えばいいっさ』 「まことに唐突なんですが、」 『うちは明日でもいいよ』 いやぁ、こういう即対応してくれる人にはほんとに助かる。 「次の土曜日あたりはご都合いかがでしょうか」 『ほいさ。土曜日ねえ、っと友引か。じゃあ夕方ってことにするさ。いいかなっ』 そいや仏滅とかだめなんだよな。六曜までは気にしてなかった。 「それでお願いします。じゃあ俺は出席者全員に伝えます」 『うちにも毛せんとか風呂敷もあるから、もし足んなかったら使うといいっさ』 「なにからなにまでありがとうございます。そのときはお願いします」 その週末、風呂敷で包んだミカン箱を三つ抱えて鶴屋さんのお屋敷まで車を出した。直接鶴屋さんちに発送してもらってもよかったんだが、妹が結納品を見たいとせがむのでやむなく自宅に配達してもらった。まあ親同士の顔合わせのときに連れて行かなかったんでだいぶスネてたからな。 親父はダークスーツ、おふくろも黒のフォーマルドレスを着ていた。俺はというと、いつものスーツに長門からプレゼントされたネクタイだが。妹はここぞとばかりに新しいドレスをねだり、両親もいろいろとモノ入りで金銭感覚が緩くなっているのか二度返事でOKしてやった。こいつが結婚するときはさぞかし派手なんだろうなあ。娘がひとりでよかった。 鶴屋さんちの前に車を停めて、親父と二人でミカン箱を運ぶ。両親はその屋敷の豪華さに圧倒されて終始無言だった。門から母屋の玄関までがやたら長いんでいったいいつたどり着くのかとキョロキョロしていた。昔の結納は庭の縁側から入ったらしいんだがな。 俺は何度も来ていて手馴れているところを見せようと、玄関の扉を開けて、ちわー結納の品お届けに参りましたぁ、などとジョークを飛ばそうとしていたのだが、最初の「ち」のところで親と同じく無言の行に陥ってしまった。玄関に並んだ靴の数々。いくら鶴屋さんがマリーアントワネット張りの生活をしているとはいえ、この靴の数は多すぎる。急に足の数が増えたのか、にしちゃサイズがまちまちじゃないか、ハイヒールと革靴が並んでるのはどういうアンバランスだ、などとなかなか正しい解答にたどり着かない俺である。 「キョン、おっそいじゃないの、もうみんな待ってるわよ」 「な、なんでお前がここにおるんだ」 「なにいってんの部下の結納には、あら、お父様にお母様。お久しぶりでございます」 なにそのいきなり猫かぶりに豹変する態度は。カメレオンでももう少し時間をかけて変身するもんだぞ。 「あらハルヒちゃんじゃないの、古泉くんは元気?」 「元気元気、もうカラ元気よ」 おふくろとはなぜか気の合うハルヒであるが。まあハルヒの第一声のおかげで両親の緊張が一気にほぐれたことだけは感謝しておこう。 「お父様、相変わらずお元気そうでなによりです」 「……」 親父は顔だけで声もなく笑っていた。 座敷のほうがやたら騒がしい。俺が真顔に戻って座敷の障子を開けると、鶴屋さんを筆頭に、古泉、部長氏、開発部の面々、それから森さんに多丸兄弟がずらりと並んで座っていた。今日は神聖にして荘厳なる儀式だってのになにやってんだこいつらは。古泉がビデオカメラなんか構えてるが、お祭りじゃないっての。あ、来てくれてたんですね朝比奈さん、あなただけは大歓迎ですよ。 二つの和室が敷居で繋がった超広いお座敷で、片方にギャラリー、片方に出演者が座っている。床の間に向かって左側に黒スーツの新川さん、留袖の着物の喜緑さんが座っている。右側に俺の両親と俺が座る。結納の出演者には座布団は敷かないものらしい。 親父が両手をついて頭を下げ、 「床の間をお借りいたします」 寿と書かれたミカン箱を床の間の前に運び、赤い布を敷いた。厚手のフェルトの布なんだが、これが毛せんという。ちゃんと把握してくれている鶴屋さんが、鶴と亀の掛け軸を掛けてくれていた。こういうときは縁起物の掛け軸をかけるのが慣わしらしい。 箱を開けて、松竹梅のジオラマ、白髪の爺さんと婆さんのフィギュア、熨斗(のし)から柳樽料(やなぎだるりょう)までを丁寧に配置してゆく。 飾り付けが済むと一同がシンと静まり返った。新川さんが隣の部屋から長門を連れてきた。スルスルと裾が床をすべる音がする。 「おおー」 こんなときに大声を上げるなんてマナー違反もいいところだが、みんなが感嘆の声を上げた。はじめて見る、長門の振袖姿だった。濃い紫色の生地に七色の花柄をあしらったきれいな振袖だった。短い髪もうまくまとまっている。ハルヒと鶴屋さんがごにょごにょと内緒話をしているところをみると、この二人が着付けをやったらしい。いや、ご苦労だったな。 長門がしゃなりと座り、喜緑さんが振袖の袂を広がるように整えた。膝の前に扇子を置くのだが、実はこれ相手との間に衝立を置く意味らしい。 「……」 この無言は長門ではなくて、うちの親父が完全に固まっていた。長門の姿を見て脳の思考停止に陥ったようだ。おふくろが肘で突付くとやっと我に帰り、再生ボタンを押されたCDプレイヤーのようにしゃべり始めた。 「オホン。……この度は良いご縁談を賜り誠にありがとうございます。本日は良いお日柄につき、ご婚約の印として結納のご祝儀を持参いたしました。幾ひさしくお納めください」 ほとんど棒読みだったが、おふくろが結納品のリストを書いた目録をふくさに包んで親父に渡し、親父が新川さんに渡す。新川さんが目録を開いて一読し、 「結構な結納の品々、誠にありがとうございます。幾久しくお受けいたします」 新川さん、喜緑さん、長門が手をついてお辞儀をする。 次に、喜緑さんがふくさに包んだ受書を新川さんに渡し、新川さんが親父に渡す。受書ってのは受領書みたいなもんだ。 「結納の受書にございます。お改めください」 親父が中身をチラ見して、 「無事、結納をお納めすることができまして、本日はありがとうございました。今後とも幾ひさしくよろしくお願い申し上げます」 「こちらこそ、幾ひさしくよろしくお願いいたします」 両者が深々と頭を下げる。 終わりの合図がどれなのか分からず、そのまま無言のままじっとしていた。おふくろががホゥとため息をついたのをきっかけにギャラリーから拍手が沸いた。芝居じゃないってんだが、アンコールも必要か。 「キョンくん、よくやったねっ」 なんというか、俺は座っていただけでほとんどなにもしてなくて、途中かなりはしょったりもしたんですが、そう褒められると背中がムズムズします。 「鶴屋さん、お座敷を貸していただいてありがとうございました。親父さんに厚くお礼を言っていたとお伝えください」 「いいってことさぁ、キョンくんと長門っちのためなら、ひと肌でもふた肌でも脱いじゃうからね」 着物の袖を捲り上げてガッツポーズを取る鶴屋さんだった。 鶴屋さんが手でラッパを作って叫んだ。 「さあっみんな、向こうの部屋に酒が並んで待ってるよっ、早いもの勝ちだよ」 そう言うが早いか、ハルヒを先頭に縁側をドタドタと走って全員が消えた。この家にはいったいいくつ客間があるんだろうね。って妹はまだ未成年なのだが。 同じ広さの和室にテーブルがコの字に並べてあり、まるで披露宴かと思えるような料理の品々が並んでいた。まさか仕出しを頼んでくれていたなんて、ずいぶん予算を使わせちまったなあ。 「ちっちっち、これうちで作ったんさ」 それまた手間を取らせちまって、なんというか鶴屋さんには一生頭が上がらない気がする。今日から屋敷に足を向けて寝れないな。 俺は帰りの運転があるんでずっとウーロン茶を飲んでいたのだが、妹はすでに回ったらしく朝比奈さんの膝枕で眠っていた。さぞかしいい夢を見てんだろうね。 「キョンくん、おめでとう。いよいよ結婚するのね」 「ありがとうございます朝比奈さん。よく時間と場所が分かりましたね」 「えへ。スケジュール通りだから」 まあ未来人からしたらすべては時間通りってことだな。 「古式ゆかしい結納の儀式をはじめて見たわ」 「未来ではもう結納はやってないんですか」 「伝統を残そうって人たちがやって……。あっ、これ禁則事項ですね」 朝比奈さん、今なんか情報漏れが。 古泉を見ると酔って大騒ぎをしているハルヒをずっとビデオカメラに収めていた。お前、それ後日なにかに使うつもりだろ。 みんな腹も膨れて酔いもまわったところだが、まあこれが本番の披露宴ってわけでもないんで適当なところでお開きになり、タクシーを呼んだり迎えが来たりしてそれぞれ帰っていった。 誰もいなくなって静かになった座敷で、うちの親と新川さんが静かに昆布茶を飲みながら鶴屋さんに礼を言っていた。 「鶴屋さんのお嬢さん、とてもいいお屋敷ですね」 「あははっ、でも固定資産税がハンパじゃなくってね。せめてこういうときのためのもんだとあたしは思ってるよ」 「お嬢さんがお屋敷を継がれるんですか」 「そうするっきゃないねえ。あたしはひとりっ娘だから」 「じゃあいいお婿さんを捕まえないといけませんなあ、はっはは」 「いやあ、キョンくんみたいないい男がなかなかいなくってねぇ、あはははっ」 鶴屋さんは真っ赤になって俺のほっぺたをつねった。これ、冗談だよな。 六章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1133.html
キョン「(結局ここまで来ちゃったが・・・)」 キョン「長門、出るかな」 ピーンポーン キョン「やっぱり出ないか・・・」 ガチャ キョン「!な、長門!?」 長門「何」 キョン「い、いや・・・ちょっと近くまで来たもんだから」 長門「・・・あなたと私は会ってはいけないはず」 キョン「・・・そうだな」 長門「・・・」 キョン「入っていいか?」 長門「・・・」 ガーッ ガチャ キョン「よ、よぅ」 長門「早く入って」 キョン「え?」 長門「涼宮ハルヒに見つかったら・・・危険」 キョン「(今さらだな)」 長門「早く」 キョン「あ、あぁ。邪魔するぞ」 長門「・・・」 長門「お茶」 キョン「・・・ありがとな」 コトッ 長門「・・・」 キョン「・・・」 キョン「なぁ長門、どのぐらいしたら学校に来るつもりだ?」 長門「・・・はっきりとは決まっていない」 キョン「大体でいいから教えてくれ」 長門「約二ヶ月」 キョン「そ、そんなにか?」 長門「(コクッ)」 キョン「・・・三学期終わっちゃうんじゃないか?」 長門「・・・」 ズズッ キョン「んー、二ヶ月かぁ・・・」 長門「・・・」 キョン「長門はこんな部屋で退屈しないのか?」 長門「しない」 キョン「普段何してるんだ?」 長門「座ってる」 キョン「あとは?」 長門「・・・読書」 キョン「それだけ?」 長門「(コクッ)」 長門「情報統合思念体には退屈の概念が存在しない」 キョン「まぁそうだろうけどな・・・」 長門「・・・」 トクトク キョン「お、ありがとうな」 長門「いい」 キョン「・・・また来てもいいか?」 長門「・・・なぜ」 キョン「い、いや、情報統合思念体でも・・・たまぁには退屈すると思うし・・・」 長門「しない」 キョン「・・・することにしといてくれ」 長門「(コクリ)」 キョン「さてと・・・もうそろそろ帰るかな」 長門「そう」 キョン「じゃ、退屈したら連絡してくれ」 長門「(コクッ)」 キョン「お茶ありがとうな。また来るよ」 グイッ 長門「・・・待って」 キョン「ん?」 長門「・・・最後に」 キョン「へ?」 長門「・・・してほしい」 キョン「な、何をだ?」 長門「・・・」 キョン「あ、あぁ・・・わかったよ」 ギュッ キョン「これでいいか?」 長門「・・・(コクリ)」 キョン「・・・」 長門「・・・もう」 キョン「え?あ、あぁ」 スッ キョン「じゃあ、またな」 長門「・・・また」 キョン「おう・・・元気でな」 長門「・・・」 キョン宅 ガチャ キョン「・・・何度言ったらわかるんだ」 妹「あっ!キョン君、おかえりーーっ」 キョン「疲れてんだ・・・どけ」 妹「うぁーーー!いたぁい!」 キョン「シャミもつれてけ」 妹「むぅ・・・シャミー、おいでー」 シャミ「みゃあ」 キョン「・・・はぁ」 ヴーヴーヴー キョン「ん?・・・電話か」 キョン「古泉?」 キョン「もしもし」 古泉「どうも、古泉です」 キョン「なんの用だ。もう晩飯の時間だぞ」 古泉「手短にお話します。それに重要なことなので」 キョン「・・・なんだ」 古泉「閉鎖空間が一応のおとなしさを見せています。機関もこれで一安心です」 キョン「それだけか?」 古泉「・・・あとは長門さんのことですが」 キョン「・・・」 古泉「あなたと長門さんの接触を、異常に危険視している人物がいましてね」 キョン「それがどうした」 古泉「まぁ端的に言えば・・・その人物は長門さんを消そうとしています」 キョン「!?」 キョン「な、長門を!?」 古泉「えぇ・・・まぁ、長門さんを消そうとするなんて決して容易なことではありません。しかしですね、考えよう様によっては・・・」 キョン「もういい!わかった!」 古泉「・・・」 キョン「それで・・・俺はどうすればいい」 古泉「簡単なことです。長門さんとの接触は控えてください」 キョン「・・・いやだ、と言ったら?」 古泉「そうなると・・・あまり言いたくありませんが、あなたの身まで危険が及ぶことになります」 キョン「そうなるだろうな」 古泉「・・・しかし、ごくたまには彼女と会ってください」 キョン「え?」 古泉「僕にとって「情報統合思念体が、一人の人間に好意を持っている可能性がある」という事はとても興味深いものですからね」 キョン「・・・好意」 古泉「ええ、僕には長門さんがあなただけに・・・言い方がおかしいでしょうが、「心」を開いている様に見えるのです」 キョン「心を・・・」 古泉「ですので、これは僕からのお願いです」 キョン「古泉・・・」 古泉「心配しないで下さい。あなたの身は全力で僕たちがサポートします。もちろん長門さんも」 キョン「・・・ありがとな」 古泉「いえいえ、これも僕たちの仕事ですから。礼には及びません」 キョン「すまない」 古泉「しかし、涼宮さんには決して見つからないよう・・・注意してください」 キョン「ああ、わかってる」 古泉「では、失礼いたしました」 キョン「・・・また明日な」 ツーツーツー 4話
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5374.html
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/32.html
~授業中~ 教師「長門。P43の1行目から読んでくれ」 長門「ボソボソ・・・」 教師「おい、長門~何言ってるか聞こえないぞ」 女子A「先生~。長門さんは、口がないですからそんな事言ったから可愛そうだと思います~」 女子B「長門さん。いつも『一人』で本を読んでるんだから、本を声に出してよむぐらい簡単だよね~?」 クラスメイト「クスクス。クスクス。」 長門「・・・・」 長門「・・・」 トイレに行ってる間にまた机に落書きを描かれている。 机『根暗女死ね。何も喋らなくてキモいんだよ。友達いるの?』 拭かなければならない。 これで何回目だろうか。 慣れてきたとは言え自分が嫌われているという現実を突きつけらるのは気持ちのいいものでない。 犯人をクラスメイトに聞いた所でニヤニヤと私を馬鹿にした笑いを浮かべるだけで決して教えてはくれない。 なぜ情報統合思念体は私に笑顔を与えてくれなかったのだろうか。 涼宮ハルヒという人間性を考えれば社交性のある対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの方が有用であるはずなのに。 何より私が笑いたい・・・。 女子A「クスクス。何にも言えずに机の前に立ち尽くしてるわ。」 女子B「あの娘って何が楽しくて生きてるんだろ~?。クスクス。」 長門「・・・・・・・」 女子A「ほい!的がいいのか結構当たるね~」 女子B「ちょっと私の消しゴムちぎり過ぎ~。でも私も投げちゃお(笑)」 長門「・・・」 女子B「んじゃ頭の上に乗ったら100点。それ以外は10点でどっちがいい点取るか勝負しようか~。」 女子A面白そう~。じゃあ私から、えい!」 女子B「お、いきなり100点か。私も負けてられないな~。」 長門「も、もう、、、ゃめて。。」 女子A「ん?あの娘なんか言ってない?」 女子B「気のせい、気のせい。あの娘が喋るわけ無いじゃん。えい!」 ガラガラ 静かに教室から逃げ出す長門 ~修学旅行グループ決め~ 教師「それじゃあ、1グループ2~4人ぐらいで作ってくれ。男女混合でも構わないぞ」 ワイワイガヤガヤ 女子F「Eちゃん組もう~。」 女子E「いいよ~」 仲のいい者同士でどんどんグループができる教室 長門「ぁの、私もぃ、いれて、、、」 女子E「ねぇ!どこ行きたい?」 女子F「私は有名どころを一通り回ってみたいかな。基本Eに任すよ」 長門「・・・」 教師「ん、長門一人か?おい、EとF長門を入れてやれ」 女子F「え、長門さんがいるとちょっと・・・」 女子E「そうそう私たち長門さんとそんな仲良くないから、、、長門さんも嫌だよね?」 長門「・・・」 教師「困ったな~。お~い長門が余っちゃったみたいだから、どこか入れてくれるグループは無いか?」 クラスメイト「シーン・・・」 長門「・・・、、、」 教師「う~ん。困ったな」 女子A「クスクス、ほらなんとか言ったらどうなのよ~」 長門「・・・」 女子B「ほんとに根暗ね~、クスクス」 女子A「・・・!?うっ!・・・ううう!」 女子B「ちょっと、どうしたのよ! うっ!う!ううう・・・」 長門「・・・?」 夜神月「おまえらのやっていることは悪だ!僕が新世界の神になる!」 よし女子ABに復讐完了 昼休み 女子A「長門って昼休み何してるのかな?」 女子B「本でしょ、一人で読んでるんじゃないw」 女子C「あいつ誰かと一緒にいるの見たことないw」 女子A「ちょっといじめてみない?」 女B C「おもしろそーwww」 文芸室 長門『……』 ガラガラッ 女子A「やっほー遊びにきたよー」 女子B「ねぇねぇ?私たちと友達になろうよっ、決まりにね。」 女子C「じゃぁまずジュース買ってきて、2分以内にね」 長門『……』 女子達「はやくしろよ!おい!」 キョン「お・・・おまっ・・・おめーらや・・・やめ・・ろ・・・・よぉ」 女子達「あー・・・彼氏いたんだwじゃね長門さんバイバーイ」 長門『………ありがとう…』 キョン「フヒヒ どういたしまして」 ~授業中~ 教師「この問題分かる奴ー」 長門「……」(挙手) 教師「自慢か長門、廊下に立ってろー」 長門「……」 先生「は~い二人組み作ってー」 キョン「長門、いっしょn」 古泉「フフフ…キョン君は僕のものですよ」 長門「…またひとりぼっち……」 女子A 「長門さーん、本好きなんでしたよね?クスクス。」 長門「・・・・・」 女子B 「いい本見つけたんで読んでみませんか?」 つ『友達をたくさん作る方法』 女子A「ぷっ、見るからに面白そうな題名だねw」 女子B「感想の方もよろしくね、あたしは読む必要ないみたいだからw」 長門「・・・・・・」 女子C「クスクス、また長門さん一人で本読んでるわ~」 女子D「あんな青春で面白いのかしら~、クスクス」 女子E「シッ!長門さんにきこえちゃう、クス」 女子F「クスクス、ほらなんかこっち見てるわよ~」 長門「・・・」 ―――「パシューン!!」という音 突如イジめをする女子グループは消えてしまった のび太「長門ちゃんをいじめる奴なんかきえちゃえ~~!」 長門「………独裁スイッチ」 復讐完了 ―生徒玄関にて― 「・・・チクッ」 「・・・画鋲」 「・・・」 いじめる人「ちょ・・・普通に履いてった?」 女子C「クスクス、また長門さん一人で本読んでるわ~」 女子D「あんな青春で面白いのかしら~、クスクス」 女子E「シッ!長門さんにきこえちゃう、クス」 女子F「クスクス、ほらなんかこっち見てるわよ~」 長門「・・・」 ―――「ドドドドド」という音 突如イジめをする女子グループは消えてしまった 承太郎「俺にも吐き気のする様な悪は解る、オラオラオラオラオラオラオラオラッ!」 長門「………俺が裁く」 復讐完了 長門「情報結合解除を申請する」 長門「…」 長門「拒否された…。」 女子A「長門さーん何読んでるのー?ww」ひょい 長門「ぁっ・・・・」 女子A「んー?なにこれー?原子・・・物理学・・?やっだダッサーww」 女子B「女の子が読む本じゃないよねーwwブサイクな理系が読んでるようなやつww」 女子A「ようなじゃなくて本当ジャンwww」 女子B「アハハッ?だよねーwww」 長門「・・・・・・・・情報空間構成」 キャー 女子C「クスクス、また長門さん一人で本読んでるわ~」 女子D「あんな青春で面白いのかしら~、クスクス」 女子E「シッ!長門さんにきこえちゃう、クス」 女子F「クスクス、ほらなんかこっち見てるわよ~」 長門「・・・」 ―――「パシューン!!」という音 突如イジめをする女子グループの頭は消えてしまった 長門「サッカーボール・・・」 バーロー「江戸川コナン、探偵さ」 古泉「バーローwwwwwwww」 復讐完了 女子C「クスクス、また長門さん一人で本読んでるわ~」 女子D「あんな青春で面白いのかしら~、クスクス」 女子E「シッ!長門さんにきこえちゃう、クス」 女子F「クスクス、ほらなんかこっち見てるわよ~」 長門「・・・」 ―――「どぴゅっ」という音、白い閃光 突如イジめをする女子グループの意識はなくなっていた 長門「・・・・・どう見ても精子です」 キモヲタ「ハァハァ・・・フヒヒ!」 長門「情報結合を解除する」 女子A「長門さーん何読んでるのー?ww」ひょい 長門「ぁっ・・・・」 女子A「んー?なにこれー?原子・・・物理学・・?やっだダッサーww」 女子B「女の子が読む本じゃないよねーwwブサイクな理系が読んでるようなやつww」 女子A「ようなじゃなくて本当ジャンwww」 女子B「アハハッ?だよねーwww」 長門「・・・・・・・・リミッター解除……………敵ノ破壊ヲ最優先トスル」 キャー ~昼休み~ 教師「お、長門、おまえまた部室で本を読んでるのか」 長門「………」 教師「お前は本当に気が弱いからなぁ」 ガシッ 長門「………(肩、つかまれた)」 教師「そんなんじゃあひょっとしていじめとかにあってないか?ん?」 長門「………はなしてください」 教師「先生だったらいつでも相談にのってやるからな?俺はおまえが心配なんだよ」 長門「………はなしてください」 女子A 「この前はごめんね、長門っちーw」 女子B 「まさか学年問題にまで発展するとは思ってなかったからさw」 長門「・・・・がう、わたしは・・・いってない。」 女子B 「…は?」 女子A 「嘘つけ、お前だろ!すぐ先公にチクりやがって!」 長門「・・・・・・いい。もういい。」 女子A 「あーやだやだ、根暗が移っちゃうよ。どっかいこー。」 ―下校中― ザーーーーー(雨の音 「・・・傘」 「クスクス」 「・・・」 「・・・トボトボ」 ザーーーー 「・・・・・・」 キョン「よお」 長門「・・・」 あの人は私に声を掛けてくれる。私は一度も返事をしたことがない。でもあの人は声をかけてくれる。 キョン「どうした、何か暗くないか?」 ハルヒ「何言ってるのよ、有希が喋らないのはいつものことでしょ 我がSOS団が誇る無口キャラなんだから」 キョン「いや、そんな気がして・・・」 あの人は私を見てくれる キョン「おい、長門。昨日ハルヒと図書館にいったらお前の好きそうな本があったから借りといてやったぞ。」 長門「・・・私のために・・」 キョン「ああ、お前いっつもこんなの読んでるだろ。」 長門「・・・・ありがとう・・」 キョン「読んだらオレが返しにいってやるから、言ってくれ。」 キョンから借りた本を大切に抱きしめる長門の顔はやわらかくなったようだった、 そして心なしかほほを赤らめているようだった 続く 女子C「クスクス、また長門さん一人で本読んでるわ~」 女子D「あんな青春で面白いのかしら~、クスクス」 女子E「シッ!長門さんにきこえちゃう、クス」 女子F「クスクス、ほらなんかこっち見てるわよ~」 長門「・・・」 谷口「わわわ忘れもn」 長門「リーチ」 女子A「長門さんもうリーチ?早いわねえw」 長門「ツモ。緑一色」女子B「な、なに!面前緑一色!?」 長門「あなたは余計なお喋りをするから運を逃がすのg!」 女子C「こういうときだけ調子に乗って話さないでよ!牌口につめちゃぇw」 女子ABC「うっ…」哲也「あんまりいじめるなよ。運を逃がすぜ!」 長門「・・・半荘ナシナシルール点ピンでの勝負を申請する」 ~昼休み~ 女子A「あれえ?長門さんどこ行くの?」 長門「え・・その・・・」 女子B「長門さん昼休みになるといっつもどっか行ってるよね」 長門「その・・・部室に・・・」 女子C「たまにはあたしらとごはん食べようよ(ニヤニヤ)」 長門「え・・・うん・・・」 長門、半ば強引に連れられていく。すでにクラス中に回覧がまわったらしく、 ほぼ全員がニヤニヤしながら長門を見つめている。 きょどきょどしながらも女子の輪に入る長門。 おもむろに弁当のフタをあけようとしたその僅か数秒前、突然ドアが開いたと思うと見慣れない男子が物凄い勢いで長門に駆け寄って弁当箱を奪い去っていった。 その少年は仕事を終えた満足げな表情を女子グループに向けて一言、 「わわわ、忘れもn」 と言ってまた尋常ではない勢いで廊下を駆けて行った。 ~昼休み~ 女子A「あれえ?長門さんどこ行くの?」 長門「え・・その・・・」 女子B「長門さん昼休みになるといっつもどっか行ってるよね」 長門「その・・・部室に・・・」 女子C「たまにはあたしらとごはん食べようよ(ニヤニヤ)」 長門「え・・・うん・・・」 長門、半ば強引に連れられていく。すでにクラス中に回覧がまわったらしく、 ほぼ全員がニヤニヤしながら長門を見つめている。 きょどきょどしながらも女子の輪に入る長門。 おもむろに弁当のフタをあけると・・・ また弁当箱が出てきた 女子A「ねぇねぇ、図書室ってどんな所なの?」 先ほどまで悪口を言っていた女子グループのリーダー格が口を開く。 その表面からは悪気なんていうものは感じられなく、小動物を見るかのような目であった。 長門「・・・静か。平凡。」 長門は問いかけてきた女子の方を見向きもせずに本に見入ったまま返答する。 それを見た女子は、長門のそんな態度が気に食わなかったのだろう 女子は一層悪ぶった物言いになり、目つきにいたっては、もはや長門を見下していた。 女子A「へぇ…まさしくアンタにお似合いじゃない。」 長門「・・・・・本返して・・・・くる。」 最初から仲良くなどなる気のなかった長門は、普段通り本を返しに図書室へ向かう。 女子生徒が長門を、小動物を見るかのような目をしているなら 長門もまたドブネズミでも見るかのように、彼女らの事を見下していたのは確かである。 ──ガシッ! 女子生徒の手が、長門の腕をガッシリと掴む。 女子A「ここらで、こっちの勉強も済ませとこうか?長門ちゃん?」 ドスの利いた声が周りの空気を制する。 そんな事を知ってか知らずか、長門はようやく本から目を遠ざけ周りを見渡す。 長門の周囲には既に集団ともいえるグループが、恐ろしい形相で長門を睨んでいた。 女子A「相変わらず鈍感ねぇ、長門ちゃん。」 体育の授業のあと何人かの女子に足止めをくらい教室に帰るのが遅れる長門 教室にはその間にいそいで帰ってきた女子が数人 女子A「ねぇ、あんたは何持ってきた?」 女子B「苺ジャムwwwww」 女子C「私はマヨネーズwww」 女子A「私のはすごいよ!トノサマバッタwwwwww」 女子C「A子すごいwww、はやくはさもうよww」 女子B「今日読んでた本はたしかこれよね。」 ベチャベチャブチュブチュグチャ そんなことは知らず教室にもどり読書を再開する長門、教室の隅からは「クスクスw」 長門「・・・・・・・・・」 そこへキョン キョン「よぉ長門、ハルヒのやつが今度のにちようb・・おい、その本・・・」 長門「ちg」 女子達「うわー長門さんきったなーい、あわててご飯たべるからこぼすのよ」 長門「私はなにm」 キョン「もういいよ、返せよ。あーあ、どうすんだよ。。お前に本なんて貸さなきゃよかったぜ。やれやれだ。弁償させられる事になったらお前が金払えよな。 長門「・・・・・・・・・」 あふれる涙、こぼれ落ちる涙、これが「悲しい」という感情なのだろうか 女子A「ちょっと!みんな真面目に長門さんのこといじめなさいよ!!」 女子B「え~なんで~?つーかあんたに言われて面白そうだからやってたけど なんか飽きたっつーかもうめんどいし~」 女子C「つーかAさ、あんたなんでそんな必死なの?www」 女子B「まじだwwきもくね?ww」 女子A「あ・・・」 ~アニメEP11より~ ―――カタカタカタカタカタカタ!!! みくる「そんなに強く叩いたら壊れちゃいますよ~」 キョン「何をやってるんだ?長門、八つ当たりはよせ」 長門「………」 ハルヒ「そうよ!ユキ!八つ当たりは駄目よ!」 古泉「長門さん。ここは冷静にいきましょう」 長門「………」 キョン「おいおまえら!長門をいじめてんじゃねーぞ!」 女子A「なにあんた?彼氏?」 女子B「さすが長門さんね~、あんな地味なのと付き合ってるんだ~」 長門「・・・。」 長門のクラスの男子達に囲まれるキョン 男子A「長門の彼氏だって?じゃあこいつもいじめてやろうぜ」 男子B「いじめっつーか、ふくろだけどな」 ガンッ、バンッ、ズゴッ キョン「うわっ!つっ!!」 長門「やめて・・・あっ!!」 袋叩きにされるキョン、止めに入ろうとするも輪からはじき出される長門 キョン「う・・・うあっ・・・」 男子C「へへへ、地面にはいつくばってら。おら、なんとか言ってみろよ」 女子C「ちょーかっこ悪いのー、アハハハハ!」 男子生徒に踏みつけられるキョンの姿を見て、長門の怒りは限界を超えた 「情報結合の解除を申請する」 キョンを袋叩きにされた長門は、すでに怒りで我を忘れていた 長門「敵性と判断する」 そういうと長門は近くにあった机や椅子を槍にかえた 女子A「えっ・・・!!これどうなってるの!?」 男子A「なんだあいつ!!なにしやがってんだ!?」 ざわつくクラスメートをよそに、長門は一人の女子の目に槍を突き立てた、自分の手を使って 女子A「あああああああっぁっぁぁ!!痛いっ!痛いっ!」 男子B「え・・・えっ・・・!?うわあああああああああああああああああああああ!!」 槍をゆっくりと抜きながら、長門は女子に言い放った 長門「あなたは嬉しいはず。これで私の顔を見なくて済む・・・あ、もう一つも潰さないと」 そういうと長門は開いているもう一つ目に、なんのためらいもなく槍を突き刺した 女子A「ああ!!ああああああ!!!痛い!痛い!痛いぃぃぃいいいいっぃぃ!!」 男子A「うわあああああ!!やめてくれ!やめてくれええ!!」 女子B「いやっ!!いやあああ!!もうやめて!!!!・・・う・・・うえっ!!」 クラスメート達は半ば狂ったように叫び、中には吐いてしまう者もでた そんな中、長門は冷たく言い放った 長門「あなた達にはもっと苦しんでもらう」 キョンはただ、それを見ているしかなかった それからの光景は凄まじいものだった 出られない扉から逃げようとするクラスメートを一人一人捕まえて、長門は殺していった ある者は「これで私の声を聞かずに済む」と耳を削ぎ落としたあと殺し ある者は「これで私を触ることもなくなる、おめでとう」と両腕を斬り落とし殺した 全員殺すころには、長門は返り血で真っ赤になり、ぱっと見ただけではもう人とは分からなかった それは赤い塊だった 赤い塊はキョンの方に近づき言った 長門「終わった。今から教室を再構成する」 キョンはこの言葉で正気に戻った、そして怯えた キョン「あ・・・ああっ・・・くっ、くるな」 明確な拒絶 目の前の惨状は、キョンが長門を恐怖の対象にするには十分だった 長門「・・・・・・そう」 長門はなんとなく悲しげな目をした、少なくともキョンにはそう見えた そして近くにある槍をとり、キョンの前で振り上げた キョン「ひっ・・・!!」 キョンは目を閉じた・・・しかし、なにも起こらなかった キョン「・・・え?」 キョンがゆっくりと目を開けると、そこには自分の胸に槍を突き立てた長門が目を閉じて座っていた 女子A「あのー・・・・長門さんここの問題分かる?」 長門「・・・・」(うなずく) 女子B「ちょっとAー長門さんが迷惑してるじゃない・・」 女子A「あ・・・長尾さんごめんね~」 長門「・・・・・・・」 ~昼休み~ 女子A「あれえ?長門さんどこ行くの?」 長門「え・・その・・・」 女子B「長門さん昼休みになるといっつもどっか行ってるよね」 長門「その・・・部室に・・・」 女子C「たまにはあたしらとごはん食べようよ(ニヤニヤ)」 長門「え・・・うん・・・」 長門、半ば強引に連れられていく。すでにクラス中に回覧がまわったらしく、 ほぼ全員がニヤニヤしながら長門を見つめている。 きょどきょどしながらも女子の輪に入る長門。 おもむろに弁当箱を取り出すと 長門「渡・・辺・・・?」 渡辺「あれれー?なんで長門さんが私のお弁当箱持ってるのー?」 女子A「長門さんいくらお弁当作るお金無いからって盗んじゃダメだよwww」 渡辺「別にいいよー。長門さん半分こして一緒に食べよー」 長門「・・うん。グス」 女子A「チッ」 キョン「おいおまえら!長門をいじめてんじゃねーぞ!」 女子A「なにあんた?彼氏?」 女子B「さすが長門さんね~、あんな地味なのと付き合ってるんだ~」 長門「・・・。」 長門のクラスの女子達に囲まれるキョン 女子C「長門の彼氏だって?じゃあこいつもいじめてやるか?」 女子D「いじめっつーか、ふくろだけどな。キャハハ」 ガンッ、バンッ、ズゴッ キョン「うわっ!つっ!! ………うんっ!……イイっ!もっといじめて~~!!!111」 長門「………」 すげぇ長門「ひっ!!」 すげぇごはんやすげぇおかずにすげぇまんべんなくすげぇふりかけられているすげぇ10数匹の すげぇチャバネのすげぇ残骸をすげぇ見て、すげぇ思わずすげぇ弁当箱をすげぇ落としてしまうすげぇ長門。 すげぇA「すげぇやだ!すげぇなにこれ!!」 すげぇB「すげぇ長門さんのすげぇ弁当、すげぇゴキブリ入りじゃない!!」 すげぇC「すげぇちょっと、すげぇ信じらんなーい!すげぇあんたいつもこんなのすげぇ食べてたの!」 すげぇ長門「え・・すげぇそんな・・・すげぇ違う・・・」 すげぇ男A「おいすげぇ長門、すげぇゴキブリってすげぇうめーのかー?」 すげぇ男B「すげぇ今すげぇ目の前ですげぇ食ってみてくれよww」 すげぇ一同「ギャハハハハハハハハ!!!」 教師「ナガモンさん!」 クラス生徒「ギャハハハハ!」 長門「・・・・・・・」 長門「モンモン…モン!」 クラス生徒「ギャハハハハ!やっぱり長門さんはおもしれーや!」 ガバッ! 長門「・・・・・夢か。」 古泉「長門さん、あなたは悪い子ですね。ずばりおしりペンペンです」 長門「・・・痛い」 上は制服で下は何も履いていない長門を脇にかかえ、お尻を叩きはじめる古泉 古泉「ほーらペンペンですよ!ペンペンですよ!!」 長門「・・・やめて」 珍しいことに、長門の目にはうっすらと涙がにじんでいる 古泉「ペンペンー!!ペンペンー!!!!」 長門「・・・もう・・・いや・・・」 長門のお尻が真っ赤になっても、文芸部の部室から音がやむことはなかった・・・ ハルヒ「それよりも返して!私のカーディガン!」 キョン「ん?ああ」 一つのはハルヒのだとしてもう一つは ………!! キョン「おらーーー!!とんでけえぇーーーー!!」 長門のだ!!キメェ 長門「……こんなときどういう顔をすればいいかわからないわ」 サントス「サントスサントスすればいいと思うよ」 長門「……サントス……サントス」 サントス「何言ってんだおめ」 チャイムが授業の終わりを告げた それは苦痛の時間への合図 特にこの昼休みは一番長く濃い・・・ 長門「あ・・・・」 かばんの中にあったはずの長門の弁当はいつの間にか消えていた きっと体育の時間にクラスの者が盗み出したのだろう いつもなら教室で待ち伏せして何かしら作用してくるが どうりでやたら廊下で自分を足止めしていたわけだ パン販売へ行く気にもなれず長門は 読みかけの本を持ち部室へ向かおうと立ち上がった そのとき突然後ろから自分の目の前に手が伸びてきた 一瞬身構えたがその手にはパン販売のヤキソバパンが握られていた 佐藤「これ・・・・」 渡辺「佐藤さんはパン販売すごいんだよぉ~☆ 佐藤さんが一緒だといっぱい買えるんだ~♪」
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2289.html
Report.18 長門有希の憂鬱 その7 ~朝比奈みくるの報告(後編)~ あたしの照準でたらめな『みくるビーム』は、それでも開戦を告げる合図にはなったようです。 あたしが視線を巡らせた辺りには、焦げ目の付いた人型が多数現れました。……自分で撃っといて何ですけど、すごい威力です。こんなものを無意識に撃てるよう改造しちゃうんだから、やっぱり涼宮さんはすごいとしか言いようがないです。 空中では、古泉くんの赤い軌跡が幾つもの緑色の軌跡と激しくぶつかり合っていました。あまりにも速過ぎて、目で追うのは無理です。 敵航空戦力はとりあえず古泉くんにまかせることとし、あたし達地上部隊は敵地上戦力を叩くことに集中します。戦法は、あたしと喜緑さんの砲撃で姿を表した近距離の敵を、キョンくんが短機関銃のフルオート射撃で片っ端から倒すだけ。単純明快です。 「弾切れせえへん銃って、ゲームに出てくる隠し武器みたいやな……」 【弾切れしない銃って、ゲームに出てくる隠し武器みたいだよな……】 キョンくんのそんな呟きが聞こえてきました。確かに、こんなでたらめな戦い、ゲームみたいと言わざるを得ません。 「あなたがゲームのようだと認識するのは仕方がありません。もっともなことだと思います。」 喜緑さんがキョンくんの呟きを聞き付けて、静かに、でもはっきりと言いました。 「でも忘れないでください。これはゲームという仮想現実ではなく、れっきとした現実であるということを。」 そう言って喜緑さんはキョンくんに手をかざし、 「真空呪文(バギ)。」 キョンくんの身体を旋風(つむじかぜ)が包みました。 「おわっ!? つっ、痛たたたた……」 キョンくんの着ている服の袖があちこち裂け、所々出血しています。 「まるで現実ではないことのように思えるかもしれませんが、実際はこの通り、痛みもあれば出血もします。大きな損害を受ければ、生命活動が停止するでしょう。これは紛れもなく現実なのです。」 どんなにでたらめな出来事でも、今目の前で起こっているのはすべて現実の出来事。だから……舐めて掛かるな、ということですよね。 「そういうことです。その傷の痛みが、現実に引き戻すきっかけになれば良いのですが。」 「分かりました。俺なら大丈夫です。だから……」 キョンくんは短機関銃を撃ちながら叫びました。 「今は、目の前の敵を倒すことに集中します!」 地上戦力の殲滅は、順調に進捗しています。大火力を持った戦力が三人もいますからね。問題なのは航空戦力です。古泉くん自身の能力の問題じゃなくて、単純に人手不足です。それにどちらかというと古泉くんの能力は一対一用で、あたし達みたいな範囲攻撃用じゃなさそう。 というわけで、手が回りきらない敵航空戦力が、時折あたし達のところに飛来します。 「五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)。」 慌てず騒がず喜緑さんは、大技で仕留めます。技名の由来は……ある少年漫画でしょうね。もしかしたら喜緑さんは、長門さんがいつも分厚い本を読むように、普段は静かに漫画を読んでるのかもしれません(今度、長門さんに漫画を貸してみようかな)。 一方あたしはというと、対空防御は喜緑さんに任せて、地上・上空の区別なく、ひたすら辺り一面を色々な兵器で薙ぎ払っています。目的は、隠れている敵に印を付け、目視できるようにするため。目視できる状態になれば、それはキョンくんの標的になります。 こうしている間にも、前から後ろから、もうすべての方向から、鉄筋の射撃を受けています。それらはすべて、喜緑さんの防護壁で防がれてますけど、やっぱり生きた心地がしません。 ふと上を見ると、上空で古泉くんが多数の航空戦力に取り囲まれていました。援護しなくちゃ。でも、あまりに動きが速く、また標的も敵味方入り混じってるので、おいそれと撃てません。間違って古泉くんを撃ってしまったら、それこそシャレになりませんし。混戦中の援護射撃は無理かも。 「キョンくん、出番ですよ。」 喜緑さんがそう告げると、キョンくんの端末が変形しました。 「うわっ!? 何(なん)やこれ!?」 【うわっ!? 何(なん)じゃこりゃ!?】 「狙撃形態。PSG-1の外観を模しています。」 PSG-1……この時間平面で使用されているセミオートマチック式狙撃銃で、ある事件をきっかけに開発され、それまでボルトアクション方式しかなかった狙撃専用銃に新たな歴史を開いた、と史料にあります。 「照準はすべてその端末が制御します。迷わず敵を狙撃してください。」 キョンくんは銃口を空に向けました。 「行くぞぉぉぉ古泉ぃぃぃ! 気ぃ付けろぉぉぉ!!」 【行くぞぉぉぉ古泉ぃぃぃ! 気を付けろぉぉぉ!!】 キョンくんの雄叫びと数十発の銃声。そして上空の赤い光を取り囲む緑の光のうち、赤い光に向かって動き始めていた数十個の緑の光が消滅しました。援護射撃成功です。 ちなみに、キョンくんが相手していた地上戦力は、代わりにあたしが相手しておきました(お嫁に行けるか、ちょっと心配になってきました)。 「どうやらこの空間は、要となる敵を倒すごとに、段階的に変化するようです。そして、すべての段階を越さないと、脱出が不可能なようですね。」 喜緑さんは、長門さん達と交信しているようです。 「一体一体倒していくのは効率が悪いですね……」 少し思案顔で喜緑さんは呟きます。『効率』……ちょっと嫌な予感がしました。 「古泉くん。空中の敵をすべて引き付けて、こちらに来てください。まとめて処理します。」 喜緑さんが上空の古泉くんに指示を出しました。まとめて処理? 指示に答えて、上空の赤い光がめちゃくちゃな動きを始めました。その動きに釣られて、緑の光がだんだん狭い範囲に集まり始めました。そして赤い光が、一直線にこちらを目指して飛んできます。その赤い光を追って緑の光もまた…… 「ひえええ!?」 「のあああ!?」 あたしの悲鳴と、再び短機関銃形態になった端末を撃っていたキョンくんの悲鳴が重なりました。空を埋め尽くす、ものすごい数の緑の光点……あまりに多すぎて、もはや光の帯にしか見えません。 あっ、ダメですよキョンくん、上空に向けて撃っちゃ! 古泉くんに中っちゃうし、地上の敵が! 「おわっ、す、すいません。思わず取り乱してしまいました……」 そんなあたし達のやり取りはどこ吹く風で、喜緑さんは上空を見ています。……広げた両手に、吸い寄せられるように何かが集まって光を放っていました。 「ふふふ。さあ、古泉くん……上手くかわしてくださいね……なるべく紙一重で……」 ひいいい、この人、何だかとっても楽しそうです! 誰か止めてください! 「喜緑さん、Hold your fire! って、無理!」 やっぱりキョンくんにも無理でしたね……逃げてー! 古泉くん、逃げてー! 「さあ、もう少し……行きますっ!」 喜緑さんが吼えます! って、あなたはこんなキャラでしたっけ!? 「極大爆裂呪文(イオナズン)!!」 喜緑さんの両手から放たれた光球は、お互いに逆位相の正弦波の軌跡を辿りながら、こちらに向かってくる赤い光の球の方向へ真っ直ぐ飛んで行きました。こ、古泉くん! 直撃、と思われた刹那、赤い光の球は異次元の加速を見せてかわしました。アフターバーナー!? 喜緑さんの放った光球はそのまま直進し、古泉くんを追ってこちらに向かってきた緑の光の帯に近付いて…… 大爆発の後、空には塵一つ残っていませんでした。 「今の攻撃で、敵航空戦力はすべて倒したようですよ。」 あたし達の防護壁の中に降り立った古泉くんは、涼しい顔で報告しました。 あのー、古泉くん? さっき思いっきり囮にされたと思うんですけど、その点についてはコメントなしですか。 「いやー、あれくらい、《神人》との戦いではよくあることですから。」 いつものスマイル。えっと、何て言うか……いえ、やめときます。 喜緑さんは、ええ、分かっていましたとも、とでも言っているかのような顔で、さらりと言いました。 「これで残りは地上戦力ですね。長門さんたちに連絡します。」 トロいといつも言われるあたしにも、はっきりと分かります。この人、とんでもない大技を使う気満々です。 「30秒後に、爆音と閃光が発生します。目を閉じて耳を塞いでください。」 そう言うと喜緑さんは、いつの間にかイヤープロテクターとサングラスを付け、呪文のようにコードを唱え始めました。耳を塞いでいるのに、なぜかはっきりと聞こえてきます。 「Lord of vermillion!!」 そして、瞼越しにもはっきりと分かりました。世界が強烈な光に包まれるのが。一瞬後に、激しい衝撃波と爆発音。防護壁でかなり減殺されてるんでしょうけど、それでも凄まじい余波です。ようやく余波が収まると、あたしは目を開けました…… ああ、大阪湾がきれいに見えます。遮る物も何もなく、はっきりと。遠くの影は淡路島でしょうね。 「あの、喜緑さん。何だか、とても視界が広くなってませんか? 気のせいか、見通しが良くなったような……」 これで空の色がおかしくなければ、とってもきれいな光景なんでしょう。陽光を反射してキラキラ光る海面が…… 「現実逃避はそのくらいにしてください。範囲はこの空間内に限定されますから、御心配なく。」 喜緑さんに、無理やり現実に連れ戻されました。えーと、目の前の光景を端的に表すと。 西宮市の壊滅。 いくら現実空間には影響がないとはいえ、やっぱり息を呑む光景です。史料で見た、この時間平面より少し前の時間にこの土地を襲った大地震の後のように、見渡す限り瓦礫が広がる廃墟になっています。 「呆けている場合ではありません。いよいよ大詰めです。」 喜緑さんがそう言うと同時に、あたし達に影が差します。上を見上げてびっくりしました。巨大な人型が、あたし達を見下ろしていたのです。 「飛翔呪文(トベルーラ)。」 あたし達はいつの間にか喜緑さんに掴まれ、目の前に広がる瓦礫の荒野に移動していました。さっきまで立っていたと思われる辺りには、巨大な人型の足と土煙が見えました。移動が遅れていたら、踏み潰されるところだったんですね。 「これは……《神人》のような……」 「……ラスボス?」 古泉くんとキョンくんの呟きです。 「もう周囲から射撃を受けることはありません。あとはただ、打ち倒すのみです。」 『ガンガンいこうぜ』なんですよね、喜緑さん。もう細かいことは後回しにします。今はただ…… 「《神人》退治の腕は伊達じゃないところをお見せしますよ。」 古泉くんは再び赤い光球に。 「やれやれ……早いとこ終わらせようや。」 【やれやれ……早いとこ終わらせようぜ。】 キョンくんは端末を変形させ。 「クーデターは失敗に終わるものですよ。」 喜緑さんは静かに弓を持ち。 「未来人が過去で命を落とすことは……最大の禁則事項ですっ!」 あたしは拳を固め。 「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」 人型が咆哮を上げて腕らしきものを振り上げ。 「Ready...」 皆がお互いに目配せし。 「Fight!!」 次の戦いが始まりました。 「シャープシューティング。」 喜緑さんの放った最初の矢は、不気味な音を立てます。鏑矢(かぶらや)って言うんでしたっけ。開戦を告げる合図です。 「ダブルストレイフィング。」 その後はひたすら二本ずつ矢を放っています。 キョンくんの端末は、今度は…… 「89式5.56mm小銃の形態を模した状態です。」 89式5.56mm小銃というのは、えっと……この時間平面におけるこの『日本』という国の軍隊、当時は軍隊とは呼んでいないんですけど、単に名前が軍隊じゃないだけの、れっきとした正規軍において制式採用されていた武器で、その他には警察の特殊急襲部隊や、海上保安庁の特殊警備隊に系列の銃が配備されていた、と史料にはあります。アサルトライフル(突撃銃)、って言うそうです。 その銃の三点制限点射で、正確に弾を当てていくキョンくん。あたしもライフルダートをガンガン撃ち込みます。今までの敵と違って、最初から姿が見えているので、最初から全力攻撃です。 地上からあたしたちが攻撃しているうちに古泉くんは上空に舞い上がり、人型の周囲を不規則に飛び回って翻弄します。……あの振り回されてる腕、危険だなぁ。 「腕を切り落としますっ! 古泉くん、合わせてくださぁい!」 あたしは叫ぶと、長門さん曰く『超振動性分子カッター』を人型の腕に巻き付けます。……さすがに硬いです。でもそこに、古泉くんが正確に合わせてくれました。 太くて長い腕が肩口から切り落とされました。切り落とされた腕は、落ちるそばから空気に溶けてしまいます。でも、次の瞬間には、 「なっ!? 腕が再生しよった!?」 【なっ!? 腕が再生しやがった!?】 キョンくんの驚愕した声。腕が元通りの形に、一瞬で再生されました。 上空で旋回しながら、古泉くんが言いました。 「これはこれは……《神人》には再生能力はありませんでしたから、これは僕にとっては未知の領域ですね。」 古泉くんはこんな状況でも落ち着いています。一体どれだけの修羅場を潜ったら、あんな境地に達するんでしょうか。 「さすがにほぼ最終段階ですから、一筋縄では行かないようです。一定以上の損害を受けると、修復されるようですね。」 それじゃあ、いずれは疲れ果てたあたし達が倒されるハメに……喜緑さん、どうすれば良いんですか。 「攻撃を一箇所に集めましょう。瞬間的にでも相手の再生能力を上回る損害を与えれば、わたしが再生阻害因子を埋め込めますから。」 その再生阻害因子を埋め込めば相手の再生は止まり、 「ダメージが溜まり続ける状態になる、と。」 「そうすれば、後はひたすら攻撃を撃ち込めば、倒せるってことやな。」 【そうすれば、後はひたすら攻撃を撃ち込めば、倒せるってことだな。】 「そういうことです。」 作戦は決まりました。後は実行するだけです。 キョンくんの端末がロケットランチャーに変形しました。 古泉くんは、しゃがみ込み……クラウチングスタートの構え。準備は整いました。 「竜破斬(ドラグスレイヴ)。」 「みくるビーム Ver.Max!」 二発の攻撃が撃ち込まれ、人型の胸に風穴が開きました。しかしすぐに再生が始まります。そこへキョンくんの撃った攻撃が直撃。穴が塞がろうとするのを食い止めます。 「突貫~! ふんもっふ!!」 そしてその穴をこじ開けるように、古泉くんが光球になって突っ込み、貫通しました。 「死の呪文(ザラキ)。」 再生阻害因子をそう解釈しますか。確かに、今の状況には合ってるかもしれませんけど。しかし、本当に某漫画が好きなんですね、喜緑さん…… そして再生が止ま……いえ、止まってません! やっぱりダメなんですかー!? 「いいえ、攻撃は効いています。作戦の変更はありません。続行します。」 確かに、言われてみれば再生したとはいえ、傷跡が残ってます。 「動きを封じて肉弾戦に持ち込むのが、一番確実なようです。」 動きを封じるということは…… 「脚を使えなくするというわけですね。」 古泉くんはそう言うと、今度は空中で動き回り、人型の視線を上に引き付けます。時折指らしき部分を切り落として、再生に掛かりっきりにさせています。上手いなぁ。 「足の付け根辺りを狙います。わたしは右、朝比奈さんは左をお願いします。」 喜緑さんは体の両側に開いた両手に色違いの光球を作っています。この色は……喜緑さんの意図を察知したあたしは、使用する兵器を選定します。 「げ……俺が真ん中ですか……男として生理的に嫌やなあ……」 【げ……俺が真ん中ですか……男として生理的に嫌だなあ……】 生理的に? 足の付け根の辺りで真ん中っていったら……あ、そうか、『人型』だから……!? 「ちょっと、キョンくん! お、女の子の前で変なこと言わないでくださいっ!」 思わず赤面しちゃいました。ダメダメ、集中しなくちゃ! やれやれと言った感じでキョンくんが照準を合わせ、引き金を引きました。 「食らえ、金的!」 喜緑さんの攻撃がそれに続きます。 「極大消滅呪文(メドローア)。」 その攻撃にあたしが合わせます。 「マイクロブラックホール、行きます!」 三つの攻撃を受け、上半身と下半身が分離しました。分離した下半身部分を、すかさず古泉くんが切り刻みます。 「氷系呪文(マヒャド)。」 切り刻まれ、喜緑さんの呪文で氷結した下半身部分は、古泉くんの突貫を受けて砕け散り、そのまま風に溶けて二度と再生することはありませんでした。 あたし達の、とても素人とは思えない息の合った攻撃(多分、喜緑さんの補助のおかげ)で、ついに敵の動きを封じることができました。上半身だけになった人型は、もうそんなに大きくもありません。 「さあ、朝比奈さん。思う存分暴れてくださいな。」 「ふえっ!?」 「あなたは近接格闘の方が得意そうですからね。」 それはあくまで護身用で、っていうかそれは禁則事項であって…… 「鎧化(アムド)。」 あたしの反論を意に介さず、喜緑さんはあたしに情報操作。あたしの身体は、見る間に装甲に包まれます。えっと、チャイナドレス風の服に、胸や肩、間接部分等にプロテクターが付いた、そう、コスプレ用衣装みたいな。 ちなみに、某漫画の某キャラのように、パンツ丸見えです。これって、見えても良いパンツなんですよね? そうですよね!? 「わたしも援護しますよ。」 そう言ってあたしにナックルダスターを投げて遣すと、喜緑さんは鞭を取り出しました。 「俺も、やっぱり突撃するんですか……」 見ると、キョンくんの端末は釘がいっぱい刺さったバットになっていました。 「……銃剣とか、せめて木刀や鉄パイプにはできんかったんですか?」 【……銃剣とか、せめて木刀や鉄パイプにはできなかったんですか?】 あんまり変わらないと思うんですけど。 「あっ、喜緑さん、俺の装甲を特攻服にせんでええですからね!」 【あっ、喜緑さん、俺の装甲を特攻服にしなくて良いですからね!】 ……喜緑さん、何でそんな残念そうな顔してるんですか。 「…………」 喜緑さんは長門さんばりの三点リーダの後、キョンくんにも装甲を施しました。無難に、ローラースケート用のプロテクターです。何だか、喜緑さんはちょっと不服そうです。 「……漢(おとこ)の突撃には、特服(とっぷく)が正装ではなかったのでしょうか……?」 喜緑さん、それ、多分『おとこ』の字が違ってます。背中に『夜露四苦(よろしく)』とか書いてある服を着るシーンは、漫……もとい、『資料』で見たことはありますけど、キョンくんにはあんまり似合わないと思います。 「物理的にジゴクに落ちるよぉぉぉぉ!!」 キョンくんの攻撃! 会心の一撃! 人型に100のダメージを与えた!! 現実逃避してる場合じゃないですね。大上段から振り下ろしたキョンくんの釘バットが唸ります。 続いて、古泉くんの攻撃。単に体当たりしてるんじゃなくて、手から伸びた棒状の光で斬っているようです。 そしてあたしの攻撃……って、どうすれば!? 「言ったはずです。あなたの格闘能力と連携できるように、制御方法を追加したと。」 言われて、あたしは意識の攻撃系統を組み替えました。何だか力がみなぎってくる感じです。人型のそばに駆け寄りました。この格好からして、素手での攻撃なんでしょうね。 えっと……右、ですか? 「いいえ。」 ひ……左? 「いいえ。」 り、両方ですかあああ? 「はい。」 もしかして、もしかして……オラオラですかーっ!? 「やれば分かります。」 右、左と連続して突くと、体の各部が、エコノミーラインをなぞって動くのが分かりました。 「あたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた!」 こっちですかあああああ!! あたしは某一子相伝の暗殺拳伝承者の如く、ものすごい勢いで人型を殴っています。 「あたぁっ!」 肘で。 「あとうっ!」 脚で。 「おあたっ!」 拳で。 「あたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた!」 両手で。 あたしは、快調に敵を粉砕していきます。……どうか、明日以降キョンくんがあたしを見る目が変わるというようなことがありませんように。 「準備ができました。これで終わりにしましょう。」 さっきから鞭を振るいながら、ひたすらコードを展開していた喜緑さんが、通常言語を発しました。 「皆さん、わたしの後ろに退避してください。」 今度は一体どんな大技を繰り出すのやら……でも、少しだけ、次はどんな技が来るのかと楽しみにしてる自分を発見しちゃいました。 喜緑さんをよく観察します。これから起こることを見逃さないために。 直立不動のまま、目を開けて、胸のところで静かに合掌しています。滑らかに両手を広げました。それと同時に、凄まじい威圧感……闘気が全身から立ち上ります。 広げた両手を頭上に高く掲げ、手を組みます。その両手に闘気が収束していきます。掌底部をくっつけたまま指側を開き……その形がまるで物語に出てくる竜のように見えます。 喜緑さん……やっぱり『アレ』を使うんですね。あなたの元ネタの傾向から言って。組んだ両手を力強く前に突き出して、 『竜闘気砲呪文(ドルオーラ)(!)』 あたしも唱和しました。だって、分かっちゃったんですから。 ふわぁぁ……実際に見ると派手ですねぇぇぇ…… 「朝比奈さん。『重ね当て』行きますよ。」 「ひゃいっ!?」 あああ、喜緑さん! あんまり人の頭の中いじらないでくださいぃぃ! あたしの中で攻撃系統が喜緑さんの手によって、強制的に組み替えられました。これって……あたしの目の前に巨大な赤紫の光る円形の模様、そう、『魔法陣』が現れます。 そしてそこに集中していく高エネルギー反応。光球ができてどんどん膨れ上がります。 喜緑さん! 漫画だけじゃなくて、深夜アニメにも手を出してたんですか!? これが深夜アニメだって分かるあたしも、あんまり人のこと言えませんけどっ! 色々な所からエネルギーをかき集めるように成長する、目の前の光球。 やっぱり……撃つんですね。ええ、撃ちますよ。撃ちますとも。『人間兵器』の名に賭けて……くすん。 『Starlight Breaker!』 喜緑さんの竜闘気砲呪文(ドルオーラ)に負けない、信じられないようなエネルギーの奔流が、人型に襲い掛かります。 『あなたのストレス解消にもなりましたね。』 わっ、わっ、それは禁則事項……って、これは直接通信? 通信ができるっていうことは、つまり。 やがてエネルギーの奔流が止むと、後には何もない空間が広がっていました。 「これで……終わったんですね、戦いが。そうですね? 喜緑さん。」 古泉くんが地に降り立ち言いました。喜緑さんは肯定しました。 「はい、終わりました。間もなく空間封鎖が解除され、通常空間へ復帰すると思われます。」 「ふー、やれやれ。」 キョンくんは、心底くたびれた、という表情でいつもの溜め息です。 キョンくんの端末と装甲、あたしのナックルダスターと装甲が、煌めく砂になって空気に溶けていきます。喜緑さんは、いつの間にか弓も鞭も、どこかへ直して(仕舞って)いました。 ところで喜緑さん。使い終わったから装甲が消えていったんだと思いますけど、何であたしの装甲は、プロテクターは消えたのにコスプレ衣装みたいな服装はそのままなんでしょうか? 「その答えは……」 喜緑さんは、言わずとも分かるだろうとでも言いたげな瞳で、 「……元町。」 はうっ!? なぜそれを!? この間、この時間平面でできたお友達の鶴屋さんと一緒に、神戸・元町の中華街へ遊びに行ったんです。その時に見た、売り子のお姉さんの衣装が可愛くて……確かに、その時、ちょっと、着てみたいな、とは思いましたけど。 「人間の言葉で言うと、似合ってますよ。」 あ、えっと、その……あ、ありがとうございます…… 何でだろう。 男の人にそう言われてドキドキするのなら分かるんですけど、人間ではないにしても、見た目は女の子である喜緑さんにそう言われて、それこそキョンくんにそう言われるよりもドキドキしてるなんて。 ここで、ちょっと実験。もし同じことを鶴屋さんに言われたとしたら? あたしは心の中で、いつも元気いっぱいの、鶴屋さんの言動を想像してみました。 『いっやー、みくる、めがっさ似合っとるっさー! 男と一緒に、あたしまで悩殺する気ぃにょろ?』 【いっやー、みくる、めがっさ似合ってるっさー! 男と一緒に、あたしまで悩殺する気にょろ?】 鶴屋さん、ウィンク。 はい、あたしノックアウト。 ………… 「おや、どうしましたか、朝比奈さん。そんなに落ち込んで。」 古泉くんが声を掛けてくれます。ごめんなさい。ちょっと、あたしの性癖について、本気で悩み始めてます…… 「何にしても、無事に戦闘が終結して、何よりですよ。」 そう言って笑う古泉くんに、キョンくんがしみじみと言いました。 「それがお前の素の言葉なんやな。」 【それがお前の素の言葉なんだな。】 古泉くんは、一瞬『しまった』という顔をした後、すぐにいつものスマイルに戻りました。冷や汗をかきながら。 「……あんさんが何を言いたいのかさっぱり分かりまへんなあ。」 【……あなたが何を言いたいのかさっぱり分かりませんね。】 「戻すな戻すな、バレバレやって。」 【戻すな戻すな、バレバレだって。】 即座にキョンくんのツッコミが入りました。 あ、そうか、これだったんだ。この戦いが始まったとき、あたしが古泉くんに感じていた違和感の正体は。話し方が変わっていたんですね。 「…………」 古泉くんは長門さん並に沈黙した後、頭を掻きながら言いました。 「いやはや。ばれてしまっては仕方がありませんね。」 「最初からバレとぉって。そんな不自然な喋り方する奴おらへんわ。」 【最初からバレてるって。そんな不自然な喋り方する奴いねえよ。】 「これも『謎の転校生』を演出する一環だったんですがね。」 「演出過剰やろ、あれは……」 【演出過剰だろ、あれは……】 「そうなんですか? お察しの通り、僕はこの土地の出身ではありません。だから、方言の違いは余りよく分かりませんでしたもので。」 「まあ、せやろな。色々と誤解された物(もん)の影響を受けた喋りやったし。」 【まあ、そうだろうな。色々と誤解された物の影響を受けた喋り方だったし。】 古泉くんは苦笑を浮かべながら、 「それでしたら、もっと早く指摘していただければよかったのに。」 「それはアレや、お前が明らかにツッコミ待ちやったから、ツッコんだら負けや思(おも)て、誰もツッコまへんかっただけやで、きっと。」 【それは、お前が明らかにツッコミ待ちだったから、ツッコんだら負けだと思って、誰もツッコまなかっただけだぜ、きっと。】 古泉くんは、やれやれと肩をすくめました。 ……あたしの言葉はどうなんだろう? 同じ国の言葉とはいえ、こんな昔の言葉……『古語』は、あたしにとってはほとんど外国語も同然ですから。 よく用法を間違えるし、発音も怪しいし。舌っ足らずで、いつもおろおろあたふたしてるってよく言われます。 ちなみに、これまでの調査結果によれば、この使用する言葉の違いによる会話の齟齬が、涼宮さんにとっては『萌え要素』と認識されているようです(って、これも禁則事項ですよね……長門さん、ここ、まずかったらカットしといてください。)。 【長門有希・注】 原文をそのまま使用した。 やがて、空に亀裂が走り、ステンドグラスが割れ落ちるように、空間封鎖が解除されました。空の残骸が街の廃墟に崩れ落ち、落下地点が通常空間の町並みに戻っていくという、普通とは逆と言うのか、何とも不思議な光景が見えました。壮観です。 「空間封鎖の解除、通常空間への復帰を確認。」 喜緑さんが、息をつきながら告げました。終わったみたいです。 でたらめで、激しい戦いでした。 喜緑さん。終わったんですから、また兵器の中和を…… 「そうですね。では、行きます。」 喜緑さんは、またあたしの顔を固定すると、だんだん顔を近づけてきて……首に腕を回して固定してるので、何だか情熱的な印象を受けるのは気のせいですよね、きっと。 喜緑さんの顔が耳に近付い「ふうっ」 「あひぃん!?」 な、何なんですかー!? 何で、み、み、耳に息を吹きかけるんですかー!? 「ひくっ!?」 は、鼻!? 鼻に噛み付き!? 「耳にするつもりだったんですが、何となく面白そうだったので、ちょっと戯れてみただけです。」 あたしは腰が抜けて、その場に尻餅をついちゃいました。 「それでは、長門さん達と合流しましょう。場所は文芸部室です。」 「……また、あの長い坂を上るんですか……ちょっと休憩さしてくれませんか?」 【……また、あの長い坂を上るんですか……ちょっと休憩させてくれませんか?】 キョンくんが心底疲れた声で言いました。喜緑さんは辺りを見回すと、 「大丈夫です。楽に移動しますから。一箇所に固まって、わたしに触れてください。」 古泉くんはいつもの顔で、キョンくんは怪訝そうな顔で、集まってきて喜緑さんの肩に手を置きました。へたり込んでるあたしの手を掴むと、喜緑さんは言いました。 「瞬間移動呪文(ルーラ)。」 ……ほんと、某漫画好きなんですね…… あたし達の身体は空高く舞い上がり、高速飛行して、あっという間に北高の屋上に着地しました。そこからは、歩いて部室まで移動します。三人の待つ、文芸部室へ。 余談ですけど、飛行中、喜緑さんのスカートの中がちらちら見えて……目のやり場に困りました。 え、どんなのだったかって? えと、この時間平面での言葉で言うと、その……グレーの、ハイレグ、Tバックでした。結構大胆ですよね……形の良いお尻が露に。 あ、思い出してたら、鼻血が……はうう。 長門さんへ 取り急ぎまとめました。 こういう形での報告は初めてなので勝手が分かりませんでしたが、こんな形で良いでしょうか? あたしの頭の中で考えていることをそのまま記録したものなので、読みにくい点は許してください。 ただ、そういうお願いだったので、あえてほとんど削除せずにそのまま書き出してますが、かなり恥ずかしいです。できれば適宜修正を加えてほしいんですけど。 以上、よろしくお願いします。 【長門有希・注】 人間の思考把握の一環として、立場の違う人間の視点からの報告を行うため、未来からの監視員である、朝比奈みくるに協力を要請した。最初は渋っていたが、何度かの交渉の末、協力を取り付けることに成功した。 涼宮ハルヒに関する直接的な観測記録及び考察は、全面的に禁則事項となるため開示は不可能とのことだったが、それ以外については『属人的な関係』をもって、『こっそり』見せてもらう事ができた。 そこで、ちょうどわたしの記録が欠落している部分の補完を行うべく、先の戦闘についての報告を依頼した。 喜緑江美里によるインターフェイスとしての報告とはまた違った、『人間』の視点で語られる貴重な情報であると思料される。 なお、最後の部分は人間の言葉で言う『私信』に相当する部分であるが、朝比奈みくるの思考そのままの情報と、外部に出すために整理された情報とで、内容の違いが際立っていたので、人間の思考の理解に資するため、原文をそのまま報告した。 ←Report.17|目次|Report.19→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1941.html
第一章 長門有希の選択 1 話は十二月十八日、奇しくも去年に起きた事件と同じ日に全ては始まった。いや、始まっていたというほうが正しいだろう。俺は意識することもなく、その日の朝を迎えていた。去年同様、凍てつくような寒さの中、布団に留まろうとする俺を妹が起こそうとするところから始まった。 *** 小さな身体から生み出される力が俺の布団を剥ぎ取った。朝から嫌味なくらい満面の笑みで挨拶する妹を睨みつけると、俺はとっととリビングへと向かった。寒さに身体を抱え、身震いさせながら部屋を出た。砂漠化する気候に呆れながらも、秋という季節に特別の思いがあるわけでもなく、ただ漫然とその変化を感じていた。要するに、今年も去年と同じく秋がなかったということだ。妹は文句を垂れながらも素早く階段を下りる俺を追いかけてきた。 リビングに入ると朝食は既に並べられていて、赤と黄色のコントラストにトーストという馴染みのものだった。妹は俺の横に座ると、屈託のない笑顔で合掌をし、すぐにトーストを齧った。これだけ笑顔で食べてくれるのなら、食べ物も生産者も嬉しいだろう。朝食を嫌々腹に詰め込む俺なんかよりずっと。時間もないのに朝の情報番組を見ながら、コーヒーカップを傾けた。妹もやけに難しい顔をしながらテレビを見ていた。 「キョン君、税金の無駄遣いは駄目だよね!」 妹は真面目な顔で頷きながら、俺を見つめ言った。 「ああ、駄目だ」 俺が適当に答えると、妹は嬉しそうに「そうだよね」と相槌を打った。 俺は食事を終えると、制服に着替え、自分の部屋に昨日やっておいた課題を取りに行った。夜から始め、深夜に終わらせた数学の課題だった。部屋に入り、机の引き出しの中に課題が置いてあることを確認した。妹がまだ小さかった頃――その時も俺を起こしにきていた――、びりびりに破られ、課題を提出できなくなり、担任にひどく叱られたのを思い出した。それまでまともに課題を提出していなくて、教師に最後通告を受けていた課題だったのだ。学校で妹のせいにできるはずもなく、その日の放課後にもう一度やるはめになった。答えは覚えていたのですぐに終わったのだが。そんなわけで、俺は大事なものを机の上に置きっぱなしにしないことを学んだわけだ。さすがに妹も小学六年になり、今さら心配しているわけではないが、習慣というものは抜けないのだ。 課題を取ろうとすると、それとともに空白な金属音を鳴らして何かが床に落ちた。不思議に思い、床からそれを拾い上げた。銀製の、といっても安物の、露店で売っている様な指輪だった。俺にはそれを購入した記憶は無かった。記憶というより、俺がそれを購入するようなことは俺の考えの中ではありえないことだったし、第一指輪なんて必要なかった。色々な角度から指輪を眺めてみたが、特別変わったところはなかった。形も途中で一度捻ってある程度のものだった。俺は観察するのにも飽きて、机の中に投げ入れ、引き出しを閉じ、部屋を出た。 リビングに戻ると妹は既に赤いランドセルを背負っていて、準備万端で構えていた。俺も学生鞄を肩に掛け、妹と一緒に家を出た。「じゃあねキョン君」と妹は二つ結びの髪を跳ねさせながら俺に声を掛け、「ああ」と俺は妹に答えて、俺達は別れた。駅までは自転車通学、それから厄介な登坂が待っていた。 坂を上りながら、俺は今年のクリスマスのことを考えていた。考えてもハルヒが今年は何を企んでいるのか、全く検討がつかなかった。去年と同じように鍋パーティーなんてのが俺としては安全パイなのだが。ハルヒ特製鍋は文句無くうまいし、また皆で鍋を囲むというのも悪くない。 「よお、キョン!」 後ろから存在感も無く、谷口が俺の背中を鞄で叩いた。 「ああ」 気のない返事をして、谷口を適当にあしらった。 「どうした朝からそんなにニヤニヤして、気持ち悪いぞ」 俺が言うべき台詞を谷口が先に言った。ハルヒ特製鍋のことを考えて顔がニヤついていたらしかった。 「してない」 「もしかして今年は長門さんとデートなのか?」 「それは無いと思う。今年もSOS団で何かやるんだろうな」 「てことは、去年と一緒で涼宮達と鍋パーティーってことだな」 「そうなることを望む」 「俺も混ぜてくれ」 谷口は懇願するような、哀願を込めた声で言った。 「お前、今年も彼女いないのか!」 わざとらしく驚いて見せた。 「お前だっていないだろうが」 「全くだ」 谷口が汚い笑い声を上げた。 「お前いつになったら彼女ができるんだ? まあ、あのけったいな団に関わっている限り不可能だろうが」 俺は谷口の推察を無視し、未だに続く上り坂を見上げ、睨みつけた。丘の上というのは古くから重要な場所、もしくは権力を持った人がいた場所のはずだった。俺ら北高生より有能で、かつ育ちもいい女子高が麓に位置しているのを、どう説明すればいいのか分からなかった。そんなことを考えていると、俺達は校門に辿り着いた。遅刻ぎりぎりだというのに、校門には未だに多くの人が登校しており、この学校に未来は無いということに確信が持てた。その中に一人マフラーを首に巻き、冬用の制服を着た女子に――もちろん、この寒い時期にマフラーを巻いている人など大勢いるわけだが――、目が留まった。細くすらりとした足に、肩口まで伸ばした黒髪、俺が一生忘れないだろう後姿、涼宮ハルヒだった。いつも一番早く来ているはずのハルヒが、なぜこの時間にいるのかは分からなかったが、声を掛けることにした。早足でハルヒを追い掛け、下駄箱で追いついた。 「よお、ハルヒ。今日は遅いんだな」 俺がテンプレートな会話から入ると、ハルヒは慌てた様子でこちらを伺ってきた。 「何よ」 ハルヒは慌てたのを隠そうと、俺をじとっとした目で見つめた。 「いや、何となく。ハルヒに話しかけたい気分だったから」 「えっ」と一瞬驚いて、ハルヒは俯いて口ごもってしまった。そして、無言のまま、ハルヒはその場を走り去っていった。 俺がハルヒの様子に呆然としていると、後ろから谷口が呼びかけた。 「お前、涼宮に嫌われるようなことでもしたのか?」 「いいや」 そういう記憶は一切無かったので、当然そう答えた。 「でも、おかしいな。涼宮があんな反応見せるの初めて見たぞ」 「そうか、だが俺にも分からん」 ハルヒを不審に思いながらも、俺達は教室へと入っていった。 教室に入ると、ハルヒはぼんやりと窓の外を見ていた。一年の時から相変わらずハルヒの前の席に居続けている俺は、ハルヒを気にしながらも自分の座席に座った。 「どうしたんだ、ずっと外を見て。UFOでも飛来したか?」 「………」 ハルヒは俺の言葉を無視した。俺が空を眺めるハルヒの横顔をじっと見つめていたところで、担任の岡部が入ってきて、前に直り、睡眠体勢へと移行した。午前中、俺はほとんど寝たまま過ごした。テスト返しも終わり、蛇足としか思えないこの一週間に気合など入るはずもなかった。 「今日の涼宮はおかしいとは思わんか?」 谷口は弁当のご飯を一口大の大きさに切りながら言った。 「確かにねえ。なんかぼーっとしてるよね」 国木田は半分に切られたゆで卵を一口で食べると、優しい声で言った。 「キョン、お前も不自然だとは思わないか? あの涼宮がいらついているわけでもなく、体調が悪いわけでもなく、ぼんやりと空を見上げてるなんて」 「なぜ、俺に訊く」 「お前に訊くのが一番手っ取り早いからだ」 「どうして」 そこで谷口は黙ってしまった。 「涼宮さんが恋にでも落ちてるんじゃないか、って谷口は思ってるんだよ」 国木田は助け舟のつもりで谷口の気持ちを代弁した。 「ほう、それで何故俺に訊く」 「涼宮さんの思い人がキョンなんじゃないか、って谷口が考えてるんだよ」 「おい、止めろ! 国木田!」 谷口は妙に焦っていたが、国木田はそんなことは露知らず、朗らかな笑みで俺を見つめていた。 「で、キョンは涼宮さんのことをどう思ってるの?」 「どうも思わん。ハルヒはSOS団の仲間だし、面白い友達ってとこだ」 「ふーん」 国木田は声に出してつまらなそうにし、谷口はなぜだか安堵の表情を浮かべていた。こいつらは俺とハルヒのことをどうしてもくっつけたいようだったが、俺にはそのことを考えることは無いだろうと思われた。なぜなら、ハルヒは俺の、SOS団としての仲間で、大切な友人だからだ。そして俺は急いで食事を終えるといつものように、部室へと向かった。 部室に着くまでの間、俺はそわそわする気持ちを抑えるために色々なことを考えた。部室に入ったらどう声を掛けようか、どんな話をしようか、思い出話でもいいかもしれない。頭の中で思考を巡らせているうちに、部室に着いた。ゆっくりとドアを開け、その中に人がいることを確認しようとした。 長門がいた。部室の片隅で、パイプ椅子に座り、分厚い本に目を落としていた。俺は長門がいることに安心し、近づいていった。 「長門」 もう何度こんな風に長門に声を掛けたのだろうか。俺は普段通りに長門に声を掛けたつもりだった。しかし、長門の反応はいつもとは全く違うものだった。本から目を外し、俺を見るなり『驚き』の表情――少し目を大きく開いただけ――を一瞬だけ浮かべた。 「どうした? 俺の顔にゴキブリでも住み着いてるのか? それともお前の親父さんに顔 が似てきたか?」 長門の思わぬ反応に、とりあえず茶化してみた。 「……何でもない」 長門はゆっくりと首を振ると、俺を見つめてそういった。その瞳は吸い込まれそうな力を持っていて、思わず目を逸らしてしまうほどだった。俺は長門の横にパイプ椅子を広げ、座った。そして、本を読む長門をただぼんやりと見ていた。それだけで気分が落ち着いたし、長門の細く白い首筋はむしろ俺の鼓動を早めた。全体として細身のシルエットに、薄くピンクがかった唇、横から見える長いまつげ、全てがいつも一緒にいる長門だった。 「長門、そんなに同じ姿勢で本を読んでいて肩とか凝ったりしないのか?」 「……ない」 「そうか、でも肩凝りってのはいつの間にかなってるもんだ。俺が肩でも揉んでやるよ。得意なんだ」 長門は首を動かすことも無く、ページを繰る手も止まったので了承だと思い、俺は長門の後ろに立った。そして、ゆっくりと長門のその薄い肩に掌全体で触れた。長門は動じることも無く、その状況を黙って受け入れていた。俺は長門を痛めないように、少しずつ力を入れていった。小さい頃、田舎のばあちゃんにやっていたときのように、純粋な気持ちでやろうと心がけた。時折香る長門の髪の匂いに、俺は嬉しくなっていた。長門に香りを感じるたびに、長門が少女であること認識できるからだ。 「長門どうだ?」 長門は小さく頷いて、 「……いい」 「どっちの意味だ?」 長門は何も答えなかった。『嫌だ』なのか『ちょうどいい』なのかは分からなかったが、嫌がる素振りを見せないかったので続けた。 しばらく長門の肩を揉んで、もういいだろうと思い、止めてパイプ椅子に座りなおした。揉み終わると、長門は再び本の中へと帰っていった。俺はその様子を傍観し、漠然と長門の隣に座っていた。 「肩揉まれるのは嫌だったか?」 何も反応が無かったのが怖くなり、尋ねた。長門は本を見ているときと同じように俯いたまま、小さく首を横に振り、 「……別に」 「そうか」 なぜ俺が長門の肩を揉んでいたのかは分からなかった。ただ、事をし終えて、長門の側に居たかったのに気付いた。そして、その俺の行動がよくある会社の嫌な上司のセクハラのようで、暗澹たる気分になった。 チャイムが鳴って、俺は長門と一緒に教室へと戻った。廊下でも一言も喋らず、長門は俺の後ろをふらふらと付いてきた。その姿が愛らしくて、俺は何度となく後ろを歩く長門を振り返っていた。俺が長門を見ようとすると、長門は視線を合わせまいと俯いていた。 長門と別れ、教室に入ると、ハルヒはやはり窓の外をぼんやりと眺めていた。俺は自席に座り、身体を斜めにしてハルヒに話し掛けた。 「ハルヒ、どうしたんだんだ? 体調でも悪いのか? 今日のお前はどこかおかしいぞ?」 「……馬鹿」 ハルヒは外を見たまま、小さく呟いた。 「馬鹿って、人が心配してやってるのに」 「あんたにだけは心配されたくない」 「そうかい」 ハルヒの態度が余りにも無愛想だったので、俺は話し掛けるのも止めて身体を向き直し、やはり睡眠体制に入った。ハルヒがもう一度「キョンの馬鹿」と小声で言ったのは無視することにした。不安げな表情も気になったが、体調が悪い時は誰でも不安になるものだと決め付けることにした。 俺は終業のチャイムとともに目覚めた。身体のバイオリズムかは分からないが、そういう風に身体ができているようだ。ホームルームを終え、俺は部室に向かった。リズム良く階段を下りていると、前から鶴屋さんがずんずんと一人で上ってきた。すぐに気付いたのは、鶴屋さんが何もしていなくても目立つ存在だからだ。さばさばと歩く姿はさまになったし、俺と一緒に階段を下りていた周りの人も鶴屋さんに目をやっていたからだ。鶴屋さんも俺に気付くと、 「やあ、キョン君!」 鶴屋さんは目を瞑るほどの笑みを浮かべて、はきはきと俺を呼びかけた。 「あ、こんにちわ」 俺は階段の途中で立ち止まり、鶴屋さんと話す事にした。今年のクリスマスのことを話しておこうと思っていたからだ。 「鶴屋さん、今急いでますか?」 「全然。ちょっと上に用事があるだけさ。で、何だい? もしかしてクリスマスのことかい?」 鶴屋さんは二つ下の段から、俺の中でも覗き見るかのように上目遣いでじっと見つめながら言った。 「話が早くて助かります。今年のクリ――」 「ちょいとキョン君邪魔だよ!」 鶴屋さんは俺の服の袖を引っ張った。俺が階段の真ん中に居たせいで、通行の邪魔になっているようだった。上から吹奏楽部であろう、コントラバスを背負った女子が降りてきていた。 「すみません」 「いいよ」 身の丈を悠に超える黒いカブトムシが通り過ぎて、俺は話を元に戻した。 「んと、今年のクリスマスは鶴屋さんは参加できますか? まだ何をやるって決まったわけじゃないんですけど、とりあえず訊いておいた方がいいかなと。鶴屋さんと朝比奈さんはもう三年ですからね、センター試験も近いですし。それに、鶴屋さんは彼氏と過ごすかもしれないですしね」 「ああ、あたしは大学は推薦で決まったよっ。それに今年も彼氏はいないし。だから、今年も皆と一緒にバカ騒ぎできそうだよっ! キョン君今年も何かネタをやってくれるんだよねっ? あれ面白かったからなあ。去年食べたハルにゃんの鍋もおいしかったし、うーん、また食べたいなあ!」 「ネタはやりません」 鶴屋さんは頬を緩ませていたが、俺はきっぱりと断言して見せた。 「だって、面白かったよ? キョン君お笑いの才能ありすぎだよっ! 思い出しただけで――」 鶴屋さんは「ぷっ!」と噴出しかと思うと、「だははっ!」と腹を抱えて笑い出した。悪意はないのだろうけど、あのトナカイを思い出すだけで胃が重くなった。 「それでは、今年も鶴屋さんは参加してくれるということでいいですね」 俺は不機嫌な声で、事務的に言った。 「何か喋り方が古泉君みたいだね」 「それは嫌ですね」 「古泉君もひどい言われようだね。ま、それはいいや」 鶴屋さんは一呼吸置くと、続けて、 「あたしは今年も参加させてくれるなら参加するよ! ハルにゃんからオファーがあったら行くことにする。無かったら無かったで家族のパーティーに参加するし。ハルにゃんにもそう言っておいてくれっさ!」 「分かりました」 鶴屋さんは階段をひょいひょいと一段飛ばしで上り、踊り場から俺を見下ろすと、 「それじゃあ、またね」 特徴のある犬歯を見せてニイッと笑いながら、手を振り、階段を上っていった。長く伸びた髪が揺れて、俺の心に尾を引いていた。 部室までの間、長門が鶴屋さんのような笑顔を見せるのにはあとどれぐらいの時間が必要なのだろうか、ということを考えていた。そして、それを考えることがすぐに馬鹿馬鹿しくなった。長門には顔を崩すほどの笑いは似合わないと思ったし、微笑んでくれるだけで十分だと思ったからだ。それは猫のようだと感じた。笑いはしない、けれど好意を持っていることを一緒にいることで伝え、側にいて擦り寄ってくるようなものだった。 俺が部室に近づいていった時だった。俯きながら歩いていた俺は部室から漏れて響く怒号に驚き、思わず顔をあげ、閉まっていた部室のドアの前に立った。声を荒げていたのは古泉だった。注意して聞くと、それを止めに入る朝比奈さんの声も混じって聞こえた。なぜだか俺は中に入ることを躊躇ってしまった。俺が入ることで事態が余計に悪化するように思われたからだ。普段からは想像も出来ない声で誰かに怒りをぶつける古泉の話に俺は注意深く耳を傾けた。 「あなたは最も大事な部分だけを書き換えてしまった。それであなたは満足かもしれないが、もしかしたら世界は終わってしまうかもしれない。そういうことは考えなかったのですか? 僕たちはあなたの自己満足なんかに付き合っている時間はないんですよ!」 古泉が話しかけていたのは長門のようだった。 「古泉君、長門さんはさっきから否定しているじゃないですか」 これは朝比奈さんが止めに入っている声だ。涙声になっているのは気のせいなのだろうか? 「あなたは迷っていた。だから僕たちだけは残したのでしょう? 早く元に戻してください」 「もう止めて! 古泉君!」 古泉はそこで落ち着いたのか、部室からは一切声が聞こえなくなった。俺は素知らぬ顔で部室に入ることに決め、ゆっくりとドアを開けた。 「おっす! あれ、ハルヒのやつはまだ来てないのか」 できるだけ普段通りに振る舞い、どかっと椅子に座り込んだ。鞄も長机の上に投げ出した。しかし、そこまで振る舞って、俺は動きを止めてしまった。目の前に広がる光景にただ言葉を失った。朝比奈さんはメイド服を着て床でうずくまって泣いていたし、古泉は長門を睨みつけたまま肩を怒らせて立っていた。部室の隅のパイプ椅子に座っていた長門は古泉の視線を避けるためなのか、俯いたままピクリとも動こうとはしなかった。そんな状況を無視し続ける事は不可能だったのだ。それに俺は古泉に対して、もやもやとした怒りを感じていた。なぜ長門を睨みつけているのか、それが知りたかった。俺は立ち上がり、古泉に話しかけた。 「おい! 古泉、お前はどうして長門を睨みつけてるんだ。場合によっちゃ俺が怒るぞ」 「涼宮さんなら来ませんよ」 古泉は冷たく言い放った。俺の話なんか聞いていない様子だった。 「ハルヒの事はいい。それより、どうして長門に対して怒っているのかを教えてくれ」 「ははっ」と古泉はわざとらしい笑い声を上げて、でこを右手で触りながら天井を仰いで見せた。そして、俺のほうに身体を向き直し、 「あなた自身が一番分かっているでしょう?」 「何をだ」 質問の意図すら掴めず、少し苛立った。 「これはこれは、さすが長門さんというべきですね。完璧だ」 「いい加減にしろ。お前は何が言いたいんだ」 「あなたの好きな人を僕に教えてはくれませんか? もう半年もすれば出会って二年近く経ちますし、そういうことを語り合う仲にはなっているでしょう?」 俺は古泉の言葉に溜息をついた。 「何でお前に俺の好きな人を教えなきゃならんのだ。この話とどういう関係がある」 「長門有希」 俺は一瞬驚きの表情を浮かべてしまったと思う。なぜなら、それが古泉に問われて思った、俺の好きな人だったからだ。 「ビンゴみたいですね」 古泉は無感動な笑みを浮かべて言った。俺がずっと俯いたままだった長門を見ると、長門は俺をじっと見つめていた。何かを否定するような、俺に何かを訴えるような瞳だった。 「あなたは操作されたのですよ。長門さんにね。長門さんのことを好きになるように」 「そんなはずない!」 俺は古泉をきつく睨みつけると、怒鳴った。俺は古泉のじれったい態度に苛立ちを隠せなかった。 「そうなんだから仕方ありません」 「そんなはずない! 俺はずっと前から長門のことが好きだった。記憶だってある。そんなはずないだろ」 「本当に長門さんは優秀だ」 「長門、お前はそんなことしないよな?」 俺は言って、長門の顔を伺った。長門は少しの溜めの後、ゆっくりと、しかししっかりと頷いた。 「酷い話だ」 「何が酷い話だ。長門はそんなことをするようなやつじゃない」 「僕と朝比奈さんはあなたが操作されたことに気付いているんです。長門さんは僕たちに見せ付ける気なんですよ。いい迷惑ですがね。ですが本当に迷惑なのは――」 「やめてください!」 床に突っ伏していた朝比奈さんが古泉の足に抱きつき、叫んだ。 「古泉君、もうやめて! それ以上言ったら、わたしたち一緒にいられなくなっちゃう!」 朝比奈さんの悲痛な叫びが古泉に届いたのか、古泉は肩を竦めて見せると、 「もう帰ります」 古泉はそう言うと、床に落ちていた鞄を拾い肩にかけ、早足で部室を出て行った。古泉がいなくなった部室は朝比奈さんの泣き声だけが響き、酷い頭痛が俺を襲った。俺はそのまま椅子に座ると、がっくりと項垂れ、先ほどの訳の分からない言い合いを考えた。古泉がなぜあんなに怒っていたのかが分からなかったし、朝比奈さんもなぜあんなに泣いていたのかも分からなかった。というより、全てが分からない事だらけだった。俺の好きな人が操作されている? 俺は今までの記憶を思い起こした。やはり、俺に思い当たる節は無かった。俺はちゃんと長門が好きだった。 朝比奈さんは立ち上がり、俺の向かいに腰掛けた。涙の後を擦りながら大きな瞳を潤ませている様子は抱きしめたくなった。でも、それは好きとは違っていた。長門に対する思いと、衝動的な欲求は全くの別物だったし、胸が苦しくなるような思いとは違ったのだ。 そのことを考えて、俺は長門のことが好きなんだと確信が持てた。長門のどこが好きなの かは分からなかったが、『長門』が好きなのは確かだった。 「朝比奈さん、大丈夫ですか?」 朝比奈さんが少し落ち着いたのを見計らって、できるだけ優しく話しかけた。 「……だい……じょうぶ」 途切れ途切れ言葉を繋げて朝比奈さんはゆっくりと答えた。 「何か飲み物でも飲みますか? 俺が煎れますよ。長門もいるだろ?」 やかんに水を入れに行くために立ち上がりながら、長門に尋ねた。いらないと言っても飲ませるつもりだった。やかんを持ち上げると中に液体が入っている重みを感じ、蓋を開けて中を確認した。三人分は十分に煎れられる水が入っていたが、いつからのかは分からなかったので朝比奈さんに確認を取った。「ちょっと前です」とこもった声で答えてくれたので、ガスコンロを点けた。ぼんやりと青い炎を眺めていると、この部室が冷え切っていることに気付いた。さっきまでの古泉と言い合いが終わって、緊張の糸が切れたからだった。 「なんで暖房つけないんですか? 電気ストーブっていってもつけるとつけないでは大違いですよ」 独り言とも問いかけともつかない調子で部室に向かって話しかけた。そうでもしないと場の空気の重さに潰されてしまいそうだった。俺はガスコンロの前に戻ると、壁に向かって話しかけた。 「せっかく去年の今頃、俺が持ってきてやったって言うのに。ああ、そういえばあれはハルヒの命令だったな。あいつが来年の文化祭の前借りだって言って電気屋の親父さんをごまかしたやつだった。あの親父さんも人が良すぎるよな。生意気な女子高生のわがままをすんなり聞いてくれるんだから。そんで、俺はそのお使いを命じられたわけだ。ああ、その日は確か降水確率十パーセントだったのに雨が降ったんだ。俺は途中から走って帰ったんだっけ。部室に戻ると……誰だっけか、長門か。うーん。確か長門が本を読んでいて、そして俺はいつの間にか寝ていて、起きたらカーディガンがかけてあって。ハルヒが俺に悪戯しようとしてたんだ。あいつ、妙に焦ってて、あいつも俺にカーディガンかけてくれてたんだよな。外は叩きつけるような雨が降っていて、ハルヒは――」 ハルヒは俺と一緒に一つの傘で帰ったんだ。狭い狭いなんて文句言いながら、少し気恥ずかしそうに。ハルヒがあんなに恥ずかしそうな顔を見せたのは初めてだった。閉鎖空間でキスをしたときは驚いていたし、ハルヒが自分からそんなことをしたのは初めてだったから。その後俺たちは、途中で焼き芋を食べたんだ。雨だっていうのに、客なんてこないだろうに街を周っていた焼き芋のトラックを見つけて、ハルヒが食べたいって言うから俺が奢ってやったんだ。ハルヒには傘に入れてもらったし、そのお礼も兼ねてな。でも、焼き芋は一本しかなかった。雨だから沢山は焼いてなくて、ちょうど前にまとめ買いしてったおばちゃんがいたらしかった。それでも近くの公園で屋根のあるベンチで並んで食べたんだ。熱いのを我慢しながら、包み紙の上から焼き芋を半分に割った。当然綺麗に半分になんて割れるはずもなかった。ハルヒはもちろん大きい方を取った。「俺が買ってやったのに」なんて文句を垂れながらも、久し振りに食べる焼き芋はおいしかった。ハルヒは熱いのに強いからなのか、ものの数十秒で食べ終わってた。「値段の割にはおいしいわね」なんて買ってやった俺の前で偉そうなことを言ってたな。でも、ハルヒは頬に焼き芋付けてて、そんなこと言われても全然腹が立たなかったんだ。 なぜ、俺はハルヒとのことをこれほど鮮明に覚えているのだろう? ――いや、違う。俺は長門のことが好きだ。長門との思い出もしっかりと覚えているし、長門のことを考えると高揚する自分がいた。 「キョン君! やかん!」 俺は朝比奈さんの声で我に帰った。やかんは耳に付く高音を鳴らせて、俺が火を止めるのを待っていた。慌ててつまみを捻って火を止めると朝比奈さんの方を向き、 「すみません、ぼーっとしてて」 俺は朝比奈さんに向かって軽く頭を下げながら言った。朝比奈さんは「ふふっ」と小さな笑みを浮かべると、 「わたしが煎れますよ。キョン君は座っててください」 どうやら、朝比奈さんは元に戻ったようだった。朝比奈さんは柔らかに立ち上がって、ぱたぱたとコンロに向かった。 「あ、すみません」 俺は再び頭下げて、椅子に座った。 「謝らなくていいですよお。わたしが悪いんです。めそめそ泣いていたりして。キョン君はなんにも悪くないんです」 俺の背中から朝比奈さんの愛らしい声が聞こえた。朝比奈さんはもう慰めたりする必要はなさそうだった。俺は安堵するとともに、少しだけ残念だった。 朝比奈さんがお茶を入れるまでの間、俺はぼんやりと部室の外を眺めていた。日はほとんど沈みかけ、あと少しで冬の夜が訪れそうだった。朝の寒さが続いているとしたら、今日の帰りは縮こまって帰ることになるだろう。日が落ち暗くなった中、狭い歩道を街灯の光を受けながら、今日は長門と帰ろうと思った。そして、長門を家まで送ろう、そう思った。 「どうぞ」と言って朝比奈さんは俺の前に湯呑みを置いてくれた。その小さな手が差し出すお茶はさぞ俺の心を温めてくれるだろうと、電気ストーブ一台程度じゃ暖まらない部室にいて、深く思った。朝比奈さんが何事もなかったかのように本を繰っている長門に配り終えて、元の向かいの席に座ると、俺はさっきのできごとのことを質問することにした。訊かないわけにはいかないし、訊かないと余計に不自然だと思われたからだ。 「あの、朝比奈さん。言いたくなかったらいいんですけど」 「あ、はい。さっきのことですね」 朝比奈さんは両手をぎゅっと腿の上で握り、俺をしっかりと見据えて言った。 「なぜ古泉が怒っていたか教えてくれますか?」 俺は回りくどい言い方はせず、核心を尋ねた。 「えーと……古泉君が怒っていたのは言っていた通り、キョン君の好きな人を変えられちゃって、それで……わたしたちはそのままで――」 さっきのしっかりとした様子はどこへ行ったのか、朝比奈さんは消え入るような声で言った。 「とにかく――」 朝比奈さんが話してくれていたが、俺は話を切った。 「俺は何者かによって好きな人を変えられてしまった、ということでいいんですね?」 朝比奈さんは「はいぃ」と力の抜ける返事をして、俯いてしまった。 俺はこの手のことには慣れてきていたし、訳の分からん組織が俺たちのことを狙っていることぐらい知っていた。世界そのものを変える力だって目の当たりにしてもいるし、俺一人の思考を変えることができても不思議じゃなかった。でも、変えられていたとしても、俺が「今」好きなのは長門なのには変わりはないし、そんなことはどうでもよかった。というより、俺が長門を好きになることに何の問題があるのかが分からなかった。 「でも、俺は古泉の言っていたように長門が変えたなんて思っていない。長門がそんな卑怯なことをするわけがないんだ」 俺ははっきりと断言して見せた。 「そうです、長門さんがやったって決まったわけじゃないんです。それに、長門さんはやってないって言ってます。わたしも長門さんを信じます」 朝比奈さんは俯かせていた顔を上げて、大きな声で言った。 「そういえば、どうして俺の好きな人が変えられたって分かったんですか? そもそも、俺が変えられていたとして、どうやって俺の変えられる前の好きな人を知っていたんですか?」 「わたしは未来人です。これだけ言えば大丈夫ですか?」 「なるほど」 すぐにピンと来た。朝比奈さんたちの未来には、俺が長門を好きになる事項が存在しないんだ。だから俺の好きな人も、俺と長門の関係も知ってるんだ。でも―― 「どうして俺が変えられたって分かったんですか? それを教えてください」 「禁則事項です。ごめんなさい、なぜだか止められているんです。わたしは言った方がいいと思っているんですけど」 「いつから俺は変えられたんです? それになぜ古泉までが知っているんですか?」 「あ、あのお。そんなに早口で喋られても訳わかんなくなっちゃいますう」 しまった。朝比奈さんはもじもじと上目遣いで俺を見つめていた。 「すみません。なんか焦っちゃって」 「キョン君が変えられたって分かったのは、古泉君がこの変化を気付いたのと同じなんです。あんまり詳しくは言えないんだけど、古泉君も未来人なんです」 「古泉が未来人?」 あいつは超能力者じゃなかったのか? だめださっぱり意味が分からない。 「そうです。変えられたのは今日、つまり十二月十八日です。でも、正確には十二月十七日です」 「なんだか日にちまで微妙なんですね」 俺は手で後頭部を掻きながら、文句を垂れた。話は全く掴めていなかったが、一つだけ引っかかることがあった。 「あの、ハルヒは……ハルヒはどうなったんです? そういえばあいつ、今日朝から体調悪そうで、しかも訳分からなかったし。そんなのいつもだって言われたらそうなんですけど、今日はまた別の不思議さだったんです」 「……涼宮さん。そうなんですね。キョン君、そっとしといてあげてください。きっと何か考え事でもあるんですよ」 朝比奈さんは小さく溜息を漏らすと、遠距離恋愛でたまにしか会えない彼を思うような顔でゆっくりと頷いた。 「そうですか」 俺はしぶしぶ了承し、いつの間にか前のめりになっていた身体をどかっと椅子に寄りかけた。そして俺は今までのやりとりを頭の中で巡らせてみた。もし、俺の好きな人が変えられていたとしてだ、誰が得をするんだ? こんな一般人の好きな人を変えたぐらいで、変えた本人は本当に得をするのだろうか? 分からない、全く訳が分からない。でも、一つだけ確かなことがあった。俺は長門が好きだ。窓際でページを繰って、ぴくりとも動かない、アンティークドールのような長門が好きだ。部室の蛍光灯をぼんやりと反射する白い頬、そしてその光がまつ毛で薄い陰を落としていた。ふと俺は窓際で読んでいて寒くないのかと心配になった。制服の上に羽織ったカーディガン一枚、それに女子はスカートだ。寒いに決まってる。 「長門寒くないか?」 俺は考えるより先に言葉に出てしまっていた。長門は本から目を外すと、目を瞑って首を横に振った。寒くないみたいだ、よかった。俺が寒いのは耐えられるが、長門が寒いままでいるのは耐えられないから。 「長門さんのこと本当に好きなんですね」 「ふふっ」と笑いながら朝比奈さんが言った。 「あ、え、はい、そうかもしれません」 「だって、この部室に入ってから長門さんのことばかり見てます。わたしがいるのに長門さんのことしか目に入ってないって感じで。羨ましいなあ」 「羨ましい? 冗談ですよね?」 「……冗談ですよ」 また朝比奈さんはとろけるような笑みを浮かべた。それから「ふうっ」と明らかな溜息をついた後、すっと立ち上がり、 「今日はもう帰ります」 「あ、はい。それじゃあ部室は俺が閉めておきますね」 朝比奈さんは「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げ、朝比奈着替えシリーズと一緒に掛かっていたピンクのマフラーを取って首に巻くと、「それじゃあ」と言って切ない笑顔を見せて手を振りながら部室を出て行った。俺も朝比奈さんにつられて、小さく手を振っていた。さっき朝比奈さんに対する思いは衝動的なものだとか偉そうなことを考えていたが、髪をかき上げマフラーを巻く姿に見とれていたことに気付いて自分を殴りたくなった。どうやら男はかわいいものやら綺麗なものには単純に反応してしまうのだ、と一般論に当てはめて口実を作ろうとしてみるものの、誰に非難されているわけでもなく、誰に対して言い訳をしようとしているのかも分からず、結局は肩を落とすことになった。きっとハルヒなら、「みくるちゃんを見て鼻の下なんて伸ばしてんじゃないの!」なんて言ってくるに違いなかった。 「長門、俺たちも帰ろう。遅くなったら冷えてきちまう」 俺は立ち上がると、窓に近づいて鍵が掛かっていることを確認した。既に日は沈んでいて、外は冬の深い暗さになっていた。グラウンドの方から届くサッカー部の声と、野球部の声が冬の校舎にこだましていた。今日の朝の寒さからいって、相当な寒さになっているようだった。それは窓を通して伝わる冷気からしても明らかなことだった。そして、電気ストーブを止める前に、俺は屈んで手を差し出し少しだけ温めた。 「長門、もう本読むのは止めて帰ろう」 俺は手を温めつつ、背中越しに長門に話しかけた。なぜだか、さっきから長門は動こうとしなかったからだ。しかし、なんの返事も無かった。 「長門、今日は送るから一緒に帰ろう。お前がいくら完全無欠の宇宙人だって言ったって、なんだか不安なんだ」 俺は立ち上がると、長門に話しかけた。長門は俯いていて、本を読んでいる様子ではなかった。 「……あなたは、わたしが好き?」 「え?」 長門の質問に驚いた俺は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。長門座ったまま首を傾げ、整った二つの綺麗な瞳で俺を見つめた。まるで、水の中を泳ぐ魚が作る波紋を追うような、俺の中を覗こうとしている視線だった。それは純粋に行われていたし、若干の懐疑の意味もあったのかもしれない。長門と俺は見つめあったまま、動こうとはしなかった。先に俺が耐えられなくなって、視線を外した。俺が長門にしっかりと伝えることを決心するには十分な時間だった。 「そうだよな。長門もさっきの話を聞いてたんだもんな。俺の気持ちなんてバレバレだよな。さっきも言ってたけど俺、長門のことが好きだ。古泉や朝比奈さんが言っていたように変えられているのかもしれない。でも、今長門のことが好きなのは本当だ。それに、俺が持っている記憶はいつも長門と一緒だしな。別に付き合って欲しいなんて言わない。朝比奈さんだって困るだろうし、古泉だって迷惑だろう。長門だって色々あるだろうしな。って、言い訳臭いな。結局、何が言いたかったかというと、俺は長門のことが好きだ。それだけ」 自分で言ってて、訳が分からなくなった。なぜ俺はこんな恥ずかしいことを言っているのだろうか? 「……そう」 「……そうなんだ。一方的でごめんな」 俺がそう言うと、長門はゆっくりと首を振った。 「……違う。わたしは、嬉しいと感じている」 「ごめん、なんか……ありがとう」 思わず俺は謝っていた。長門はもう一度首を振ると、 「あなたはわたしのことが好きと言葉にはしていなかった。だから、言葉にしてくれて嬉しいと感じている」 そういえば、俺はまだ「長門のことが好き」とは言葉に出していなかった。勝手に勘違いして、大真面目に長門に告白している俺に気付いて、自嘲した。何を焦っているんだ俺は。 「長門、そろそろ帰ろう」 気まずくなって話題を変えた。長門は正確にパイプ椅子から立ち上がると、側に立っていた俺を上目で見つめた。長門がじっと俺を見つめてくることはよくあったが、やはり意味は分からなかった。そんな顔一つ小さい長門を愛しく感じ、俺はぎこちなく長門の頭を撫でた。上から見える長門の柔らかそうな髪に触れたかった。嫌がられるんじゃないかと内心不安だったが、長門は特段気にする様子も見せず、ただ黙って俺を見つめていた。 掛けてあった深緑色のコートを羽織り、部室を出て、昇降口で下駄箱から学生用の黒い革靴を取り、坂の途中から入る形になっている校門を抜けるまで、俺たちは黙ったまま並んで歩いた。廊下を歩いている時から底冷えする寒さに身体を縮ませていたが、寒さってのはすぐに来るものじゃないらしい。ゆっくりと、しかし執拗に身体から熱を奪っていくものだ。校門まで来て、それに気付いた。 「長門、寒くないか?」 校門を抜けて、狭い歩道を二人で歩いているときに話しかけた。当然長門は首を横に振った。こいつは液体ヘリウム漬けされても寒くないって答えるだろうと、その時なぜか確信が持てた。それでも俺は長門が気になって――というのは建前で、ただ俺は長門に触れたかっただけだ――、長門の手を取った。俺たちは立ち止まってしまった。長門の手はひどく冷たくて、冷えた金属を触っているようだった。俺が長門の冷め切った手を握っても、長門はずっと俯いたままだった。嫌がられているのかとも思ったが、長門の様子を見ているとどうも違うらしかった。 「ごめん長門。急に手を握ったりして」 俺はとりあえず謝った。俺がこんなに積極的だなんて、俺自身が信じられなかった。長門は俺の気持ち悪い積極さに動じる様子も見せず、ゆっくりと首を振ると、 「……手を繋いで欲しい」 「え?」 俺は長門の言う言葉も理解できずに、思わず声を出してしまった。 「……手を……繋いで欲しい。……だめ?」 長門は俺をじっと下から覗き見ながら言った。俺たちの手は握られたまま宙ぶらり状態のままだった。俺は長門のぽつりぽつりと言った言葉、その仕草に何も考えられなくなっていた。 「だめなわけない! むしろこっちからお願いしたいくらいだ」 それだけ言うと、俺は長門の右手をぎゅっと握って、自分のコートの左ポケットの中に一緒に突っ込んだ。 「これなら冷たくならないだろ?」 俺が言うと、長門はこくりと小さく頷いた。 「さあ、早く帰ろう。もっと寒くなってきちまう」 俺たちは手を握り合ったまま、帰り道をなぞった。長門も俺の手をしっかりと握ってくれた。俺は何もすることができず、ただ俯いて、時折長門の顔を見ながら歩いた。長門も何も話さず――といっても、長門は普段から何も話さないのだが――、俺と同じように俯いて歩いていた。 長門のマンションの下まで来ると、俺たちは街灯の下で訳もわからず立ち尽くしていた。俺は長門の顔色を伺うように見つめ、間が持たなくなったり、目が合ったりすると作り笑いした。なぜ俺がそんなことをしていたかというと、他でもない、ただ長門と離れたくなかっただけだ。こうして一緒にいてくれるということは長門もそう思っているのだと、俺は勘違いしたかった。まだ繋がれたままの手が、離れるのを拒んでいるようだった。 「俺、そろそろ帰るわ」 右ポケットから携帯を取り出し、背面ウインドウのデジタル時計を見ると、既に七時を過ぎていた。飯を食べなくちゃいけない。別に飯を食べるのは義務じゃないが、風をマンションが遮っているとはいえ、寒い中に突っ立って動かないってのは正直堪えた。家に帰って、暖房の効いた部屋で鍋でも食べたかった。風呂に入って、火照った身体を雪見大福で冷やそう。 「……それじゃあ、帰るな。また明日」 俺はポケットに入ったままだった長門の手を離した。そして、「じゃあ」と一言言って、マンションの入り口から駐車場へと続いている短いスロープに向かった。 「ご飯、食べる?」 誰もいない、静まりかえったマンションのオートロックの自動ドアの前で長門がいつもより大きな声で言った。思わず俺は振り返った。 「いいのか?」 「いい」 長門はしっかりと頷いた。 「もちろん、カレーだよな?」 俺は喜びを隠せなくて、笑顔で言った。 「今日はカレー」 「毎日カレーなのか?」 俺は長門の食生活が心配になって訊いてみた。 「あなたが来る日はカレーの日」 「やれやれ」 俺は肩を竦めて見せると、 「行こうぜ。もう寒くて限界だ。長門の部屋のこたつに入って、カレーを食べよう。サラダぐらいは付けてくれよ」 「サラダも付ける」 「キャベツをザク切りじゃだめだぞ? レタスとか、トマトとかそういうやつだぞ?」 「大丈夫。レタスは得意」 思わず噴き出してしまった。『レタスが得意』なんてやつは初めて聞いたから。俺が笑いを堪えているのを見て、長門は不思議そうに首を傾げていた。その仕草がやたらと可愛くて、俺は長門の髪を撫でた。撫でると、「なぜ髪を撫でるの?」とでも言いたそうな顔でまた首を傾げて俺を見つめた。髪を撫でた俺の手は、がちがちに固まっていた。俺も相当我慢してたみたいだ。自嘲して、小さく溜息をついた。吐いた白い息は、水蒸気のように空中に消えていった。 第二章
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4900.html
七 章 lustration どこここ 「お二人様、そろそろ披露宴会場に到着します」 俺と長門は寝ぼけ眼をして、よだれが垂れた口元を拭きつつ起き上がった。シートがふかふかであんまり気持ちがいいので二人とも眠っていたらしい。新川さんが気を利かせて景色のいいところを通ってくれてたようなのだがあいにくと夢すら見ていない。窓の外はそろそろ暮れはじめ夕日が差していた。 「ここどこですか」 「海岸沿いのリゾートホテルです」 リムジンは超高層ホテルのロータリーに止まっていた。ドアを開けて降りると潮のにおいがする。地理的には中央図書館から十五分くらいのところにあるらしい。 俺は花嫁衣裳のままの長門の手を取って車から降ろした。制服を着たドアボーイが胸に手を当てて深々とお辞儀をして俺たちを案内してくれた。長門は裾を引きずらないようにスカートをちまっとつかみ、いそいそと歩く。 ガラス張りのエレベータで最上階まで上った。そこはレストランになっていて俺たちの名前で貸切の札が立ててあった。まわりの海が一目で見渡せるいい場所だ。休日にこんな高級ホテルのワンフロアを借り切るなんてふつーは無理だが、こりゃ古泉の手配だな。 俺たちが車の中でうたた寝していた間に客はもう集まっているらしく、入り口の受付前には人だかりができていた。メイドドレス姿の朝比奈さんが出迎えてくれた。 「キョンくん、有希さん、お待ちしてましたよ」 デジタルカメラでパシャパシャと写真を撮られ、プリンタから出来上がったばかりの写真がにゅるりと吐き出されている。 「写真ができたらウエルカムボードに貼っておきますね」 そのウエルカムボードとやらは読んで字のごとく披露宴の看板のようなもので、畳二枚分はありそうなパネルに二人の等身大イラストが描いてあった。二人だけじゃなくてハルヒも朝比奈さんもなぜか古泉も描いてあるんだが、昔自主制作映画のときに作ったでかいポスターに似てるな。その上に朝比奈さんが撮ったらしい招待客の写真がペタペタとピンで刺してあった。ボードの上には“二人の愛のステージ造りはお任せを!── 株式会社SOS団ブライダル事業部”とでかでかと書かれている。商魂たくましすぎるぞヲイ。 「みなさん、お二人が到着なさいましたよ」 朝比奈さんがファンファーレのようにさえずると拍手が沸いた。受付のテーブルからブライドメイドの喜緑さんがやってきて俺と長門の手を取った。 「さあ急いで、涼宮さんがお待ちですわ」 当然ながらリハーサルもなくハルヒからは披露宴のプログラムも知らされていないんだが、いったいなにをさせられるんだろうね。 「おっそいじゃないのよキョン!」 「いやあスマンスマン、車の中でうたた寝してたんだ」 控え室に入るなりネクタイを引っ張られてゴムがびょーんと伸びた。残念だったな、これは長門にプレゼントされたインスタントネクタイなんだよ。 「キョン、有希、さっそく着替えてもらうわよ」 また着せ替え人形ごっこがはじまったな。ハルヒが用意してきた衣装とやらは黒一色の……、なにこれ紋付ハカマ? 「江戸時代じゃあるまいしこんなん着ろってのか」 「文句言わないの。日本では古来よりこれが正装なんだから」 いやまあ正装なのは分かるが、背中にあるマークがうちの家紋と違うのはなんでだ。いや待て、俺がこれなら長門はどうなるんだ。 「先に有希の着付けやってるから、あんたはそっちで着替えなさい」 「俺ハカマの着方とか知らんぞ」 「いいから適当にやんなさい。後で手伝うから」 しぶしぶ間仕切りカーテンの向こうに隠れてモーニングを脱いだのだが、帯のセットの中に妙な布切れが混ざっているのに気がついた。そのブツがなんなのか理解した俺は顔を赤くして、 「おいハルヒ、お前俺にフンドシを締めろってのか」 「あったりまえでしょ、日本男児がフンドシを締められなくてどうすんのよ」 いや、日本とか国籍とかそういう問題じゃ。 「コスプレは見えないところが肝心なのよ。なんなら古泉くん呼ぼうか?着付けくらいやれると思うけど」 それだけはやめてくれ、俺ひとりでなんとかする。古泉にフンドシの締め方を教わるなんざ日本が鎖国してブリーフとトランクス禁止令が出てもやなこった。 相撲取りが巻いているマワシみたいな六尺とは違って、一反木綿に紐がついたような越中フンドシらしいのだが、へそのところで結んで後ろに垂れた布を前に回して垂らすだけの簡単なものだった。よく見りゃフンドシが入っていた袋にイラスト入りで締め方を書いてある。腰紐をキリリと締め上げると、うむ、なんとなく気持ちまで引き締まった気がするぞ。 日本の古式ゆかしい下着と白足袋まではいいんだがその先はちょっと無理難題だった。 「おーいハルヒ、これどうやって着るんだ」 カーテンの向こう側で長門が着替えてるらしいので覗くわけにはいかんのだが、肌襦袢だか長襦袢だか麻布十番だか知らんが着る順番すら分からない。 「ったくもう、あんたそれでも日本男児なの!?」 「んなこと言ったって百年も前の衣装を俺に自分で着ろってほうが無理だぞ」 「百年じゃないわよ、戦後しばらくまで和服のほうが多かったんだから」 お前はいつの生まれだと突っ込もうとしたのだが、ハルヒは電話をかけて鶴屋さんを呼び出しているようだった。俺たちの知り合いで着付けができるとしたら鶴屋さんくらいなもんか。 ドアが開いてメイド姿の鶴屋さんが飛び込んできた。 「はいよー、着付けインストラクターの登場だよ」 「受付が忙しいのにごめんね鶴ちゃん、キョンがどうしてもひとりで着られないって」 「いいっさぁ、あたしにお任せ」 俺はフンドシ姿を見られそうになって衝立の陰に隠れた。 「さあさあ、恥ずかしがってないでさっさと済ませるよ」 「あ、あの鶴屋さん、俺今パン……フンドシ一丁なんですが」 「心配御無用、そんなもんは見慣れてるさあ」 見慣れてるって言われても俺にも羞恥心というものが。っていうか鶴屋さん、なぜにあなたは男の着付けをご存知なのでしょう。 「は、はあ。お手柔らかにお願いします」 「なかなかいいお尻してるじゃないかね、キョンくん」 鶴屋さんに俺の青っ白い尻をぺしっと叩かれるとなぜか気も心も尻も引き締まった。 シャツの代わりに肌襦袢とやらを着てその上に長襦袢を着る。やや暑苦しい気はするんだが、着物を汚さないための古代人の知恵だそうだ。その上から本当の着物である長着を着る。 普通の和服の場合はこのまま帯を締めるんだが、ハカマを履くときは長着の後ろを上げて腰の紐に挟んで止めておく。これをしないと刀を振り回して走れないからな。時代劇でチャンバラをやる侍を見たことがあると思うが、あれはハカマだからできるんであって普通の着物だと裾が足にまとわりついてとても無理らしい。和服の女の人が小股でしか走れないのと同じだ。 そこでやっと帯を締めてギャザースカートみたいなハカマを履かせられる。前を先に止めて後ろで紐を結び、台形みたいな形の袴板を腰に当てて前で紐を結ぶ。黒の羽織を着て羽織紐を止めると、どんな男でもキリリと締まった純日本男児コスプレの出来上がり。 鏡の前で扇子をパラリと開いてみたが、日本舞踊なんか踊ってしまいそうな雰囲気だ。 「いよっ、なかなか似合うじゃないか色男」 「ありがとうございます。日本に生まれてよかったと思えることで数少ないうちのひとつですね」 「ハルにゃん、ちょっと見てみなよ。めがっさ日本男児だねぇ、どうにょろ」 「へー、馬子にも衣装とはよく言ったものね」ハルヒがカーテンを開けて顔を覗かせた。 「っておい、なんでお前まで着物なんだ。さっきまで神父コスプレだっただろ」 「媒酌人が神父コスなんてネタでしかないでしょ」 忘れていたが、そうだったな。披露宴の席では俺と長門、その両脇に古泉とハルヒが座ることになるわけだ。 「そろそろ時間ね。さあ、お披露目に行くわよ」 「せめて長門とご対面させてくれ」 「ふふっ、見て驚くな」 ガラガラと重いカーテンを開けて現れた長門の姿は、なんというかこう……。 「スマン、眩しくて見えない」 「しっかり目んたまを開いて鑑賞しなさい」 その白無垢に包まれた長門の姿を見て、俺と鶴屋さんは大きくため息をついた。そのまま数秒間固まっていた。白い被り物の下に少しだけうつむいた長門の艶やかな赤い唇が見え、着物には鶴が羽ばたく柄が浮かび上がって神々しいまでに輝いている。なんだか目が潤んでくるんだが気のせいか。 「なにか言いなさいよキョン」 「なんというか……きれいだ。この世のものとは思えないくらい」 「はぁ……」 鶴屋さんはため息しか出ないようだった。 会場の入り口まで連れてこられると部長氏が待っていた。タキシードのままヘッドセットをつけ、マイクに向かってボソボソと話している。進行役でも任されたのか。 「社長、もうすぐオープニングだ」 「お役目ごくろうさん。キョンと有希は合図があるまでここで待ってなさい」 俺たちを残してハルヒと鶴屋さんはさっさと中に入った。部長氏は長門をまじまじと眺め、 「副社長、晴れ姿がとてもお美しいです」 「……ありがとう」 「俺の羽織ハカマはどうです、自分でもなかなかキマってると思うんですが」 「キミはまあ、それなりに似合ってるね」 生涯に一度なんだからそう率直過ぎるよりもっと褒めてくれてもいいんだが、まあ披露宴の主役は花嫁だからな。 「開演三分前。二人とも準備はいいかな」 「OKです」 「……いつでも」 「新郎新婦スタンバイ」 部長氏のGOサインでドアを開けて中に入ると部屋の中はカーテンが閉められ真っ暗で、唯一のスポットライトが俺たちを照らし出した。長門の衣装が白く浮かび上がった。 新郎新婦の入場です、みたいなアナウンスが流れるのかと思ったがなにもなく、ドドンドドンという腹の底から響くような音がホールに響いた。なんだありゃ和太鼓か。祭りとか踊りのリズムじゃなくて、相撲とか和風のイベントのオープニングで鳴らされるようなドンドコドンドコと鳴り響く大太鼓だった。招待客の拍手の中、俺は長門の手を取って床に敷かれた花道の上を進んだ。 ステージの前まで来ると舞台黒子のように椅子の陰に隠れた国木田が、そこで止まってと合図した。もうひとつのライトがともり、ステージの上に羽織ハカマを着た古泉が浮かび上がった。 太鼓の音がやむと古泉がパラリと扇子を開き、唸るような低い声で呪文のようななにかを唱え始めた。呪文じゃなくてええと、そうそうタカサゴだ。いつだったか長門も唱えていたような気がするが。 高砂や この浦舟に帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに出で潮の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はや住吉に着きにけり はや住吉に着きにけり 暗闇の中に滔々と古泉の謡が流れた。あいつがマイクなしであれだけの声量を出せるとは知らなかったな。にしてもこいつの羽織ハカマ、俺が着るのとは雰囲気も風格も違うんだが同じもんのはずだよな。 謡が終わってパチリと扇子をたたみ、古泉が深々とお辞儀をすると嵐のような拍手喝采だった。歌詞の意味はいまいち分からんのだが雰囲気だけはインパクトあったな。部屋全体の照明がともると、どっから借りてきたのかステージの上に本物の大太鼓が据えてあった。留袖の着物の袂を捲り上げてタスキをかけてるが、ま、まさかハルヒが自分で叩いてたのか。 ここは本当はレストランなのだが大きめの丸テーブルをいくつも置いて客席にしていた。いちばん奥には新郎新婦と媒酌人が座る横長のテーブルがあり、客席には五人掛けくらいのテーブルがぽつぽつと間を空けて置かれている。 花で盛り付けられている新郎新婦のテーブルに案内され、古泉とハルヒに挟まれるようにして俺たち二人が座る。さっきの大太鼓と謡の印象が強かったようで招待客があれこれと感想を言い合っていた。ハルヒと古泉が椅子から立ちグラスをスプーンで叩くと静かになった。 「媒酌人といたしまして、ご挨拶申し上げます」 ハルヒはヘッドセットのマイクを使って話し始めた。着物にその姿はミスマッチすぎないか。 「この度、キョンと有希の挙式が滞りなく行われたことを大変喜ばしく思っております。わたくし涼宮ハルヒは二人が勤務する職場の上司として、この契りを見届ける機会に預かることができ歓喜の至りです」 ふつう挨拶は男のほうがやるもんだが、まあこれもハルヒ流か。それから親族とか二人の経歴なんかを軽くおさらいしていた。 「どうぞ皆様におかれましても、この新しき門出に暖かいご声援を賜わりますようよろしくお願い申し上げます。本日はご多用中のところ、ご光来賜りまことにありがとうございました」 後で聞いたのだがこの舌を噛みそうなセリフは全部アドリブだったらしい。 ステージにライトがともりこれから漫才でもやるのかという野郎がマイクを握って現れた。 「それでは、本日ベストマンの役を賜りましたわたくし谷口が乾杯の音頭をとらせていただきます!」 やたらはりきってんな谷口。場違いな白タキシードが役に立ったじゃないか。客席にシャンペンとビールと枡酒とオレンジジュースが行き渡ったところで谷口がグラスを掲げた。 「キョンに有希さん、結婚おめでとう。キョン、お前とは長い付き合いだがまさか先を越されるとは思わなかったぜ。俺の代わりに有希さんを幸せにしてやってくれい。では、ご両家のますますのご繁栄と、新婦の末永い幸せを願いまして、乾杯!」 俺は招待客に向かって深く頭を下げた。新郎が抜けてるぞヲイ。 「ちなみにわたくし谷口は、キョンと同じ歳でありながら未だ独身であります」 客席がドッと沸いた。どうでもいい宣伝してんじゃねえ。 今回はバイキング形式らしく客の丸いテーブルにはドリンク類しか並んでいない。まあ配膳の手間が省けていいだろう。客が席を立って、和洋中華の色とりどりに並んだテーブルで料理を物色している。長門はそっちが気になるようでチラチラとテーブルのほうを見ているが、花嫁は披露宴では食ったり飲んだりしないもんだから、まあ我慢してくれ。 「お召し上がりの途中かと存じますが、ここで祝電を読み上げたいと思います。えーと、おいキョン、これなんて読むんだ?」 笑いを取るのはいいんだがな、お前は素でやってんのか狙ってやってんのか、リアクションに困るぞ。 祝電と来賓の紹介で何度も名前を読み間違えた谷口からマイクを奪い、ハルヒがステージに立った。 「ここでケーキカットよ。メイドさん登場!」 ハルヒが指を鳴らすとブライドメイドの三人がキャスター付きワゴンを運んできた。レースのテーブルクロスとリボンで飾られたワゴンの上に四角いケーキが乗っている。丸いタワーのようなウエディングケーキだと思っていたが、長方形の、ちょうど百科事典を開いたような形をしたデザインだと分かって俺は笑った。なるほど、本をモチーフにしたケーキね。三つのケーキにはそれぞれチョコレートクリームで文字が書いてあって、 Let s share and write down to the page of life. To one person you may be the world. Love is to looking together in the same direction. 意味は分からんがたぶん恋愛のことわざで、ハルヒか古泉の仕込みだろう。 俺は長門の手を取って、用意された長めのナイフを一緒に握った。ご丁寧にリボンを結び付けてある。勢いよくナイフを振り上げると岡島さんのドラムがバラララと鳴った。なんというか卵とバターと小麦粉と砂糖でできた洋菓子にそこまで気合を入れるのは少し恥ずかしいというか、まあこれも女の子のロマンなのだと理解しておこう。 「みんな、全員分あるから好きなだけ切って食べてね」 追加のケーキがいくつも運ばれてきた。これ全員分あんのか。たぶん会場には辛党の人とか糖尿の人とか甘いのが食えない人も大勢いると思うぞ、ケーキ好きな女性陣に全部お持ち帰りさせてくれ。 「キョン、そこで有希に食べさせてもらいなさい。ファーストバイトよ」 「ファーストバイトって何だ?」 人生初のアルバイトでもなさそうだが。 「知らないの?奥さんから食べさせてもらう最初の一口よ」 そんな儀式があったのか。長門がケーキナイフでささっとケーキを切り取り、手づかみで俺の口に押し込んだ。うぐ、そんな雛にエサをやる親鳥みたいにしなくても。口の周りをクリームだらけにしながら客席をふり返り、うんうまいよ、という感じで無理やり笑顔を作ってみせた。 「……あなたも、して」 長門は軽く両手を合わせて、あーんという感じで口を開けている。そのまま唇に吸い付いてしまいそうな勢いなのであるが、期待されているのはケーキであって俺の唇ではない。イチゴが乗っているところを少し切ってフォークで食べさせてやった。長門がほっぺたについたクリームをしきりに指差し、 「……なめて」 と言うので、そのとおりにしてやったらニヤニヤ笑いの嵐に見舞われ、ヒューヒュー指笛を鳴らしているやつまでいた。 「さーて、お腹も膨らんだことだし、そろそろいい頃合ね」 長門の隣でケーキをもさもさと食っていたハルヒが客席の様子を見て言った。なにをやらかすんだヲイ。今日は俺たちの披露宴なんだから、少し手加減してくれよ。などと願うのはむなしいことだと分かっているのだが。 ハルヒがステージに上ると大げさにスポットライトが当たった。やおら懐から扇子を取り出し、 「さてお立会い。ここにおわす本日の主人公二人、キョンと有希がいったいどこをどう間違ってくっついてしまったのか。知りたい人は近くで聞け、知りたくない人も遠くに聞くがいい、ここが二人の馴れ初めだァお立会い」 ハルヒは扇子でペンペンとありもしない演台を叩いた。なんだそのガマの油売りみたいな始まり方は。 「時は平成、今を去ること六年前、キョンと有希は手と手を繋ぐこともできないシャイで不器用な高校生だった。この二人がくっつくなんてこたぁ、はりまや橋で坊さんがカンザシを買うのを見るくらい、まんずありえない」 はりまや橋がどこなのか知らんが、その例えはかなり無理があると思うぞ。 「そんな二人をここまでベタ惚れにしたのがっ、これ。映画史に残るミリオンセラー『新たなるロマンス Episode_00』です。この映画に出演した主人公の二人があまーいあまい雰囲気に包まれて恋に落ちてしまったのに違いないわ。では、SOS団の血と汗と涙が実を結んだ大ヒット映画の、はじまりぃはじまりぃ」 ありゃ一時間映画だろうが、延々上映すんのかよ!などと突っ込む余裕もなく会場の照明が落とされ、明かりは緑色に光る非常口のライトだけになった。俺もあの絵みたいに逃げ出したいところだ。 ハルヒがディレクションしたEpisode_00シリーズ映画の、ちょうど俺と長門が抱き合っているシーンが入っている映画だ。雑用だったはずなのに急遽キャストとして俺が引っ張り出された、セリフ棒読みのあんなこっぱずかしい映画をここで一時間も見せられるとは、多忙中にもかかわらず集まってくれたお客様に申し訳ない。 「ご心配なく、三十分に圧縮したダイジェストのようですよ」 古泉がボソリと耳元で囁いた。だよな、いくら人が集まってるからって披露宴が上映会になったりしないよな。 映画のストーリーは、なぜかは知らんが突然俺が出演している。 『ユキ、イツキのことが好きなのか』 『……好き嫌いについての質問なら、好きの部類に入る』 『やっぱりな。じゃあ俺は身を引くわ』 『……恋愛の対象としての好きではない』 『どういうことだ?』 『……彼は、わたしの兄』 『な、なんだってー!!』 タイトルからしてネタバレしてんだろと突っ込んでしまいそうな生き別れ兄妹の事実が報じられ、そのままヒシと抱き合って濃厚なキスシーンに変わった。カメラが二人を中心にしてグルグルと回り、長門の背中を支えた俺の手が震えているのが見える。 「うおぃ古泉、こんなシーンいつ撮ったんだ!」 ここは抱き合って終わったはずだが、高校でこんなん上映したら即営業停止だ、免許取り消しだ、ガサ入れだ。古泉はクックックと甘い笑い声を漏らしながら、 「ここでも歴史が一致してませんね」 俺が出てるにもかかわらず俺の記憶にない赤面しそうなシーンがいくつも流れた。歴史が歪んだ原因は俺にあるわけでしょうがないっちゃしょうがないんだが、俺が長門にここまでベタ惚れしてたとは思いもしなかった。せめて上映前に検閲くらいしてくれ。 やたらめったら展開の激しい三十分間の映像が流れた挙句、ジャジャーンと仰々しくシンバルが鳴り響いて圧縮された本編が終わった。なんだか分からん拍手の嵐に見舞われつつ天井の明かりがともり、 「お楽しみいただけましたでしょうか。なお、この映画の本編DVDは本日ご出席の皆様にお持ち帰りいただけます!」 まさか売りつけるつもりじゃあるまいな。百人は来てるはずだから一枚千円としてもええっと十万の利益か。などとどうでもいい皮算用をしている俺だったが、引き出物といっしょに配るらしい。客のほうはダイジェストに踊らされて期待しているようで拍手していた。シリーズ最終話だけ見ても話の流れが分からないだろうに。ってあれ、つまりこれを見たやつは朝比奈ミクルの冒険と長門ユキの逆襲の話が気になるわけか。これも営業か、商魂たくましいぞハルヒ。 再び谷口がステージに上がり、 「それではご親族様、ご友人、同僚などの各代表の方に軽くスピーチをお願いしたいと思いますが、まずはキョンのおとうさ……え?飛び入り?」 谷口がヘッドホンを耳に当ててぼそぼそ言っていた。 「ご紹介します。トップバッターは、SOS団のお得意様です」 お得意様って誰だろ、鶴屋さんの関係者かな。などと思いながら見ていると、ステージに向かってのたのたと歩いてくるやつはこれまた奇妙ないでたちで、赤地に白く丸いまだら模様でミッキーマウスが履いているような五十センチはありそうなやたらでかい靴を履きペタペタと音をさせながらやってくる。 ライトに照らされたそいつの顔は真っ白にメイクされ口の周りが赤く塗られていた。トナカイ並みに真っ赤な丸い鼻がちょこんと乗っている。ぶかぶかの衣装を揺らしながらステージの段の前でつるりと滑って派手に転び、客席からドッと笑い声が沸いた。 マイクスタンドの前で照れ笑いをしながら白い手袋でモシャモシャの頭をかいた。道化師なんか呼んだ覚えはないんだが、いったい誰だこいつ? ピエロのかっこうをしたそいつは手品のようにして何もない空中から風船を取り出し、ぷぅと膨らませてきゅきゅっとひねってプードルの形を作った。それを椅子にちょこんと座っている国木田の娘に渡したが、うまいもんじゃないか。ああ、たぶん古泉が呼んだプロの大道芸人だろう。 そいつはマイクを握って口をぱくぱくやりながらスイッチが入っていないよというパントマイムをした挙句、 「どうも、ご紹介賜りました中河テクノロジーの中河です。キョンとは中学時代からの付き合いになります」 な、なんだ中身は中河だったのかよ!あいつ招待客リストにあったっけ?と長門を見ると首をかしげていた。隣にいたハルヒが、あたしが呼んだのよとニヤリと笑った。なにをやらかす気なんだ中河、なにを企んでるんだハルヒ。 「本来なら私はこの席に呼んでいただくのもはばかられるような不届き者でありまして、そこにいらっしゃる涼宮社長に恩赦をいただいて参じた次第であります」 中河の野太い声が会場内に響いた。なにがやりたいんだ中河。長門ならもう入籍済みで、そんなかっこうをしてどさくさに奪って逃げようたってそうはいかんぞ、などと考えているとハルヒがまあ落ち着きなさいという感じでドウドウと抑えた。 「自分はキョンと有希さんが相思相愛の間柄であることを知らず、有希さんの光り輝くようなオーラに熱を上げて勝手に空回りしてしまいまして、いやはやまったくお恥ずかしい。皆さんお気になさらずに笑ってやってください、ネタですから」 ネタじゃなくてほんとのことなんだが、中河のコスプレにつられたのか笑い声まじりのスピーチに乗せられて客も笑っていた。 「ついでながら昔のエピソードをひとつ。思えば、私の熱にうなされる病は今に始まったことではありませんで、八年前くらいでしたでしょうか、キョンに頼んで有希さんに愛の告白のメッセージを送ったことがあります。今思い出してもまったく赤面して顔から火が出る思いなのでありますが、」 でかいポケットからクシャクシャになった便箋を取り出した。な、なんであれがそこにあるんだよ。年末の大掃除のときにゴミと一緒に捨てたはずじゃなかったのか。ピエロ中河が丁寧に広げた一枚の古びたA4用紙、時を超えてルーズリーフが今俺たちの目の前に現れた。 「SOS団の皆様はすでにご存知かと思いますが、そうです、あのときのラブレターがここにあります。涼宮社長がなにかの記念にと取っておいていただいたそうで、私のバツゲームとしてこれをここで、読み上げます」 お裁きを言い渡すお奉行様のようにやおら広げ、いやもう十分広がってるのだがなにせクシャクシャな上にところどころ破れかかってるもんで改めて広げなおしている。 ── 拝啓、長門有希さま。いても立ってもいられず、このような形で思いを告げる無礼をお許しください。実は私はあなたに一目会ったその日から、 終始汗をかきかき読んでいる中河だったが、客には大ウケに受け、同じ中学だった国木田は腹を抱えて笑っている。十一年後に迎えに行くから待っていてくれというあたりでは沸きに沸いて、スピーカーから流れる中河の朗読がかき消されてしまったほどだった。 「── 敬具。以上、実はこのラブレターは長門さんの目の前でキョンに読み上げてもらったわけでして、キョンの人のよさは昔からのようですね」 全員が俺を見てドッと笑った。中河め、フィニッシュで俺にサヤ当てをして逃げる気か。 「キョン、有希さん、これで赦していただけますか。はっはっは」 赦すもなにも中河よ、自分の黒歴史をネタに自らピエロを演じるとはなんて男なんだお前は。目が潤んでくるよ。 「恥ずかしい昔のネタなど披露して恐縮ですが、ビジネスパートナーからのお祝いの言葉とさせていただきたいと存じます。キョン、有希さん、ご成婚おめでとうございます。末永い幸せをお祈りします」 中河は昔はごつくて鈍い男で、体育会系を体現する熊のような野郎だと思っていたのだが、この人を惹きつけるカリスマ性の高さにおいしいところを全部持っていかれてしまったような気がする。さすがは一社を率いる社長だよな。 中河に続いてうちの親が親族代表の挨拶をしたが、コチコチに緊張して右手と右足が同時に前に出るロボットダンスみたいな歩き方でステージに上がった。用意されたジョークも原稿どおりの棒読みで、聞いているほうも“客ここで笑う”のような棒読みで笑った。まあご愛嬌だな。 ありきたりの慣用句的に三つの袋を大事にしろとか、なりふり構わずてんとう虫のサンバを歌い出すやつとか、まさかいないだろうとは思っていたのに案外まだ生息していて、歌うはずの曲名がかぶって慌てるやつも出てきて苦笑していた。髪の毛に白いものが混じり始めた岡部は説教めいたスピーチをしていたが、意外にもこういう場には似合っていた。 スピーチが続いている中、ハルヒが俺たちに向かって言った。 「さーて、あんたたちにはそろそろお色直しに行ってもらうわ」 「俺も着替えるのか」 「あんたは燕尾服よ」 「燕尾服って、まさか指揮者が着てるあれか」 「なにいってんの、イブニングの礼服は燕尾服に決まってるでしょ」 タキシードとモーニングの違いすら知らない俺だが、どうやら時間帯によって使い分けるものらしい。 ハルヒがヘッドセットのマイクに向かってなにやらボソボソと指令を伝えると、谷口がステージに上がってマイクの前に立った。 「みなさん、ここで新郎新婦にはご退場いただき、気持ちも新たに衣装を一新していただきます。拍手でお送りください」 いやま、なんというか恥ずかしいんでスポットライトはやめてくれ。 俺は長門の手を取って椅子から立たせ、ゆっくりとドアへ向かった。なんせ打掛衣装ってやつは重ね着で重たいうえに裾がやたら長いときている。ラブソングのBGMが流れる中を白い花嫁と黒い花婿がのろのろと歩いていく。いっそのこと俺が背負っていけたら楽なのだろうが、と考えていると長門もイライラした様子で裾をふわりと舞い上がらせて軽々と歩いていった。は、早いぞ。 新郎新婦の席には俺たちが留守中を預かるとかいうミニキョンとミニ長門のヌイグルミがぽつりと座らされていた。俺たちに似せてタキシードとウエディングドレスをまとっている。長門のはよく出来てるな、俺が持って帰ろう。 「さあ、新郎新婦がいない間にお待ちかねのカラオケタイムです。トリはもちろんわたくし谷口が熱唱をお聞かせします!」 会場を出ようとすると後ろで谷口のやたら張り切った声がガンガン響いた。なに舞い上がってんだあいつは、俺と長門の披露宴なのにどっちが主役かわからん、などと思っているとENOZ演奏の懐かしいイントロが流れてきた。 『LOST MY ITEM』 作曲:ENOZ 作詞:谷口 キョンの顔見上げ 誰もいない夕暮れの部屋で あなたはなぜここで 二人抱き合ってるの? 楽しくしてること思うと さみしくなって たそがれの廊下 ひとりきりで走る 大好きな忘れ物よ なくして泣きたくなるの あした目が覚めても ほら きっと見つからない Good bye One way One way I love you I m looking looking for you One way One way I love you WAWAわっすれもの Yay! あのときのシーンを歌ってるのは分かるんだがな谷口、替え歌にしちゃその歌詞はちょっと無理がありすぎるんじゃないか。まったく聞くに耐えん絶唱なので俺と長門は早々に退散した。 ドアの外で部長氏が待っていた。 「朝比奈さんがスタンバイしているよ。僕が控え室までご案内しよう」 部長氏はどうしても新婦のエスコートがやりたいらしく、うやうやしくお辞儀をしてから長門の手を取って歩いた。 控え室の男子ルームに入ろうとしたら朝比奈さんに呼ばれた。 「キョンくん、女子ルームに入っていいわ。衣装はこっちに用意してあるから」 「え、よろしいんですか。じゃ失礼します」 俺は見られても構わんが長門が着替えなくてはならないので部長氏は外に追い出した。 長門が鏡の前に座ると朝比奈さんは白い被り物を取った。雪やコンコンあられやコンコンという歌に“綿帽子”という言葉が出てくるのを知っていると思うが、今長門が被っている白い布がそれだ。白い絹を丸く袋の形にしたもので、高島田の形に結った髪を上からすっぽりと隠すようになっている。 「お嫁さんの髪型って江戸の奥方様みたいになってたんですね」 「そうそう。むかしお武家さんの奥さんがこの形に結ってたらしいわ。あ、もちろんこれはカツラなの」 自前ってわけにもいかないから、まあそれもそうか。朝比奈さんはそういって髪を丸ごと抜き取った。髪をまとめるネットを取ってサラサラにドライヤをかけている。それから白い打掛を取り帯を解いて掛下を取った。着替えるところをまじまじと見るのもなんなので俺は後ろを向いて座っていた。 「キョンくん、いいわ」 振り返ると長門は頭に蒸しタオルを巻き白いガウンをまとっていた。 「二人ともおなか減ったでしょう。食事用意したから食べてていいわ」 「ありがとうございます」 「……分かった」 俺は適当にケーキをかじったりしていたのでそうでもないのだが、白無垢をまとっていた長門はずっとうつむいたままバイキングのテーブルにも行けずじっと座っているだけだった。この着物じゃ身動きとれまい。 バイキングとは別に二人のために用意されたメニューをもくもくと食ったあと、俺は羽織ハカマを脱ぎ捨てて燕尾服に着替えた。シャツのせいで目立たないがピシッと決まった白の蝶ネクタイだ。長門はやたら派手なバラの柄の衣装をまとっていた。袖は短く、襟元が広く黒い生地に赤いバラの絵がちりばめられている。スカートの部分は裾がやたら広くてフリルになっている。足元を見るとかかとの細いハイヒールだ。 「これ、なんていうコスプレなんです?」 「これはラテン系のね、……ふふっ、行けば分かると思うわ」 俺が燕尾服で長門がこれって、いったいなにをさせるつもりなんだろ。 ドアの外で待っている部長氏に長門の衣装を見せてみたが、やっぱり何のコスプレかは分からないようだった。クエスチョンマークを頭の周りに巡らせたまま長門を連れて会場に戻った。ホールの入り口に差し掛かると部長氏がヘッドセットに向かって、 「新郎新婦、スタンバイOK」 部屋の中から谷口の声が響いてきた。 「新郎新婦の再突入です」 それを言うなら再入場だろ、空から降ってくるスペースシャトルみたいに言ってんじゃねえ。 部長氏に背中を押されて中に入ると、またもやスポットライトのビームを浴びた。 「似合ってるわよ有希」 「ハルヒ、こりゃいったい何のコスプレなんだ?」 「ダンス衣装に決まってるじゃないの。キョン、ちょっと前に来て踊ってみなさい」 練習もリハもまったくなしで、二人に踊れってのか。いくらなんでも無茶が過ぎるぞ。 「エノちゃん、ダンスミュージックお願い」 エノちゃんってのは榎本さんの愛称らしく、バンドメンバーが四ビートくらいの軽いダンスミュージックを演奏し始めた。俺にしちゃ四ビートだろうが八ビートだろうが踊れないことには変わらんわけで、こんな早いテンポで体が動かせるわけがない。盆踊りくらいにもっとゆっくりな俺たちに合った曲にしてくれ。 「長門、タンゴのステップは分かるか」 「……タンゴ。アルゼンチン、ブエノスアイレスで発祥したダンス。後にヨーロッパに輸入され、コンチネンタルタンゴとして広まった」 いや、百科事典はいいから。 「……足運びは分かる」 「即席で悪いんだが、俺の脚を動かしてもらえないか」 「……分かった」 タンゴタンゴといってもいろいろあると思うんだが俺が知ってるのは、……と。黒猫のタンゴとかだんご三兄弟くらいか。あんなんでハルヒが納得するんだろうか。 「黒猫のタンゴでいいか。俺はそれしか曲を知らん」 「……妥当」 俺はそばにいた国木田に耳打ちして黒猫のタンゴを頼むと榎本さんに伝えてもらった。 二人がステージの前まで歩いてゆくとスポットライトが後をついてきた。うわ、こりゃかなり緊張するぞ。スピーカーからアコーディオン風の音が流れ始めて俺は長門の手を取った。これだけじゃいまいち盛り上がりに欠けるような気がしてテーブルの上に活けてある花瓶から赤いバラを一輪抜き取り、長門の前で膝をついた。バラの花を捧げるように両手で持ち、長門の前に差し出した。もったいつけた雰囲気がよかったのかパチパチと拍手が沸いていた。 長門がバラを口にくわえ、俺は左手で長門の右手を取った。踊ってるうちにトゲが刺さったりしないだろうな。 俺は膝をついた姿勢から立ち上がって右手で長門の腰を支えた。左に一歩、前に一歩ステップを踏み、そのまま丸く円を描くように歩いた。脚の動きは長門の魔法でほとんど自動操縦っぽい運びなのだが、さすがに足がもつれて何度も長門の足を踏みそうになり、ずっと足元を気にしながら踊っていた。リズムにメリハリのあるオルガンが鳴り響き、軽快というより直線的なステップで動き回るのはなんとなく俺と長門に似合っているような気もする。 動きが滑らかになりだんだんとスピードが乗ってきたのを見たのか、榎本さんは曲のテンポを上げてきて俺はやや振り回され気味だった。バラの花を二人の右手と左手で持ち、まっすぐ横に進み顔を真正面で合わせる。間奏で爪先立ちになった長門の体をクルクルと回すとスカートの裾がヒラヒラと舞った。再びバラを口にくわえて手をパンパンと叩いている。タンゴなのかフラメンコなのか踊りのカテゴリがかなり曖昧になっている二人だが、まあどっちもラテン系ってことでよしとしてくれ。 そろそろ曲終わりかなーというあたりで長門の体を仰け反らせ、チャンチャンと終わった。き、決まったぜ。 「すっごいじゃないのキョン!フラダンスなんかいつマスターしたのよ」 フラダンスは国も衣装も違うだろ。 「いいダンスだったわ。新郎新婦に盛大なる拍手を!」 超インスタントの無国籍ラテン系ダンスだったが、観客からは割れるような拍手をいただいた。俺は踊りつかれて椅子にへたりこみ、汗を拭いながらジュースを飲み干した。長門のほうは汗ひとつかかずに平気な顔をしているようだったが。 『新郎新婦に盛大な拍手を!』 『新郎新婦に盛大な拍手を!』 「なあ長門」 『新郎新婦に盛大な拍手を!』 「なあ長門」 「……なに」 なんだか嫌な予感がして隣を向いた。前にもこの感じはあった気がするんだが。 『新郎新婦に盛大な拍手を!』 「なあ長門、さっきから時間がループしてる気がするんだが」 「……そう」 またやっちまったのかハルヒよ。しかもよりにもよって俺たちの披露宴の最中にとな。 『新郎新婦に盛大な拍手を!』 「なあ長門、さっきから時間がループしてる気がするんだが」 「……そう」 「笑ってる場合じゃないと思うんだが。せめて会話が続くようにしてくれ」 『新郎新婦に盛大な拍手を!』 「……分かった」 「関係者を呼んでくれ。対策を協議したい」 「……了解した」 『新郎新婦に盛大な拍手を!』 「ハルヒが壊れたファービーみたいで怖いんだが、とりあえず一時停止にさせてくれないか」 「……分かった」 『し!』 部屋の照明が、というより全世界が真っ暗闇になった。 「あの……。長門?そこにいるのか?」 「……ここにいる」 「真っ暗でなにも見えないんだが。時間を止めてくれるだけでいいんだけど」 「……止まっている。時間が止まると光の速度も停止する」 そういうことか。時間を止めて好き勝手やってるSFネタの理屈が崩れたな。 「この辺だけ顔が見える程度に明かりをともしてくれないか」 長門の指先がぽぅとオレンジ色に光った。俺と長門と、朝比奈さんの顔が浮かび上がった。長門はまあいつもと変わらないのだが、こんな状況にもかかわらず朝比奈さんは笑顔だった。 「キョンくん、またループかしら?」 「朝比奈さん、またやっちまったみたいです」 「そう。よくあることね」 「あんまり驚いてませんね、未来と連絡がつかないんじゃないですか」 「あのときはなにも知らされてなかったから。今回のことはもう……ふふっ、禁則事項です」 百鬼夜行しそうな暗闇の中でウインクされてもときめいてしまう俺は、とうとう病気の域に達してしまったんでしょうかね。 「喜緑さん、喜緑さんいますか」 「ここにいますわ」 「ハルヒが時間のループをはじめちまったようなんです」 「特に問題はないと思いますわ」 にこにこ笑顔の喜緑さんの顔が見えた。問題ないって、楽しんでるんだかこの人もなんだか緊迫感に欠けるなあ。 「しかしこのままこの時間を繰り返すわけには」 「以前のときも無事抜け出せたのだから、大丈夫だと思いますわ」 以前っていうと、高校のときの夏休みでしたっけ。一万五千と四百と何回だったか、あのときは俺の部屋で宿題をやるなどという本当にそんなんで解決するんだか疑わしくなるようなありきたりな手法だったのだが。 ドタバタとあちこちのテーブルにぶつかる音をさせながら足音が近づいてきた。 「お待たせしました。とんだハプニングですね」 「古泉、ハルヒをなんとかしてくれ」 「こういう問題に関してはあなたのほうが得意だと思いますが」 「お前は自分の立場が分かっておらんようだな」 「いえいえ、重々承知していますよ」 「今じゃお前はハルヒの彼氏だろうが」 「恋愛は恋愛、フォロー役とは別です。あなたにはあなたの役割を担っていただかないと」 「むぅ……」 この野郎、ジョンスミスの名前を封印しろとまで言ったくせに都合のいいときだけ逃げを打つのか。歴史を書き換えてまで役を譲った俺の苦労はなんだったんだ。 「じゃあハルヒはいったいどうしたいんだ」 「この状況からして、涼宮さんは自分が花嫁じゃないことに不満なんじゃないでしょうか」 「ハルヒが長門に嫉妬してるってのか」 「いえ、そういう意味ではなくて“自分が花嫁衣装を着ていない”ことが不満なのではと」 自ら仕切るから任せろと言っておきながら自分が主役じゃないと気に入らないのか。まったくわがままなやつだな。 「それはもう、女性なら誰でも披露宴の主役になりたいものでしょう」 「そうなんですか?朝比奈さん、喜緑さん」 「ええ」 「そうですね」 二人とも異口同音に同じ反応をした。長門、今チラっとだが得意げな顔をしたろ。 「しょうがない、ハルヒにも白ドレスを着せてやれ」 「あなたと有希さんの披露宴で、それはちょっと無理があるかと思いますが」 「いいんだよ、こういう祝い事にハプニングはつきもんだろ」 ハプニングというか、他人の披露宴にウエディングドレスを来て乱入するなんて前代未聞の珍事だが。ここはひとつ俺が仕切ることにしようじゃないか。 「まあここは俺に任せろ。予備のドレスくらい用意してあるだろう」 「新郎であるあなたがいいとおっしゃるのでしたら」 「朝比奈さん、ハルヒのメイクと衣装をお願いできますか」 「えっ、わたしがするの?」 「ええ。なんならハルヒを着せ替え人形にして遊んでもいいです」 「そんな、着せ替え人形だなんて」 朝比奈さんの頬が一瞬だけニヤリと動いたのを俺は見逃さなかった。 「じゃあそういうことでよろしくお願いします。皆さん、それぞれの位置についてもらえますか。古泉はハルヒを運べ」 「分かりました」 「……」 「長門?」 「……わたしも、涼宮ハルヒに付き添う」 「そうか。じゃあ用意ができたら再生ボタンを押してくれ」 古泉はマネキン人形のように固まったハルヒを抱えて控え室に向かった。その後ろを朝比奈さんと長門がついていく。なんだか三人とも背中が小刻みに震えてるような気がするんだが気のせいか。 じっと暗いステージに立っていると突然時間が動き出して世界のライトがともり客席のボリュームが一気に上がった。俺はマイクに向かって喋った。 「それでは、新郎からひとことご挨拶したいと思います」 自分を指して新郎などとはふつうは呼称しないもんだが、突然ハルヒと入れ替わった俺を見て観衆は変わり身の手品でもやったのかと唖然としていた。俺はスタンドからマイクを抜いてステージの真ん中に立った。 「皆さん、今日はお忙しいところ二人の披露宴にお集まりいただきありがとうございます。婚約から一ヶ月という常識では考えられないようなドタバタスピード挙式でしたが、お義父さんに江美里さん、うちの両親、古泉にハルヒ、鶴屋さん。それから、各方面からお越しいただいた関係者の方々。大勢の皆さんのご支援でこうして結ばれることができました。厚くお礼申し上げます」 なんとなく堅苦しい感じがして、リラックスしたくてポケットに手を突っ込んだ。 「さっきの映画ですでに知っているかと思いますが、二人が出会ったのは高校一年のときでした。最初に会ったときはなんて無口で愛想の悪いやつだと思ったものでしたが、豪快快活なハルヒとは対照的で、逆に物静かでおしとやかなところに惚れたといいますか、」 この辺で汗を垂らしながら真っ赤になっている俺だが、客にはそれが受けているようだった。 「実は俺たちをくっつけたのはハルヒ自身なのでありまして、本人は否定してますが、キューピット役のハルヒがいなかったら二人の運命は大きく変わっていたでしょう」 古泉まだか、そろそろ間が持たないぞ。などと冷や汗を垂らしながら話の続きを考えているとホールの後ろのドアが少しだけ開いて古泉が顔を覗かせた。苦笑を見せつつ右手でOKサインを出している。 「では、はなはだ異例のことではありますが、俺からみなさんにサプライズがあります。キューピットの入場です」 スポットライトが一瞬消えて入り口に向いた。ハルヒが顔を覗かせ眉間にしわを寄せていたが、えへへー呼ばれちゃいましたーみたいな感じでパッと営業スマイルに表情を変えた。ドアの直前までなんであたしがこんなことしなくちゃいけないのよ、とブツクサ言っていたに違いない。 現れたのはウエディングドレス姿だった。もとい、ウエディングコスプレだな。肩から裾まですらりと流れるスリムな感じのドレスだった。長いベールは頭の後ろに垂らしてくっつけている。それはいいんだが、朝比奈さん、あなたまで同じコスプレしてるってどういうことですか。後ろから長門も式のときに着た白ドレスでついてきている。これは古泉の陰謀なのかそれとも四人が共謀してやってるのか、いやきっとハルヒの命令だろう。 ジャカジャーンとポップスアレンジの結婚行進曲が高らかに流れ出し、白いドレスに身を包んだ三人は仲良く手をつないでスポットライトの下を歩いてきた。客席からは拍手と指笛がやかましいくらいに鳴り騒ぎパシャパシャとカメラのストロボが光った。俺と長門のときより人気あんじゃねえか。 ハルヒはステージに駆け上がって俺からマイクをひったくった。 「キョン、こんなサプライズ聞いてないわよ」 聞いてたらサプライズとは言わん。眉間にしわを寄せて怒ってるのか笑ってるのかよく分からん表情をしてビシ指をしている。まあいくら怒ってもステージの上でネクタイをひっぱったりはせんだろう。俺はハルヒからマイクを取り上げ、 「ええと皆さん、この三人の中で誰がいちばん似合っているか決めたいと思います。名前を言ったら拍手をお願いします」 「そんなのあたしに決まってんじゃないの」 「聞いてみないと分からんさ」 長門、ハルヒ、朝比奈さんの順で聞いてみたのだがどうやら観客は三人ともに盛大な拍手をしているらしく強弱が聞き取れない。勝者なしのドローということにしておいた。 「女の子の衣装をそういうふうに格付けするもんじゃないわよ」 さっきは自らが一番だと言ってたじゃないか。 「ハルヒ、そのまま一曲踊れ。このままじゃ観客が満足せん」 ハルヒは、いきなりなに言ってんのよ、と言いかけて、 「しょうがないわね。じゃあ有希、みくるちゃんいくわよ。エノちゃん、あの曲お願い」 榎本さんは把握しているといった感じでうなずきギターを抱えた。 ハルヒがワン、ツー、ワンツースリーフォーと両手を打ち合わせて拍子を取り、俺たちがよく知っている曲の演奏が始まった。今日は長門が主役だからだろうか、長門を前にして自分は後ろに下がって踊っている。終幕はウエディングコスプレ三姉妹によるダンスである。 ナゾナゾみたいに地球儀を解き明かしたら みんなでどこまでも行けるね♪ エピローグへ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1166.html
キョン「(結局ここまで来ちゃったが・・・)」 キョン「長門、出るかな」 ピーンポーン キョン「やっぱり出ないか・・・」 ガチャ キョン「!な、長門!?」 長門「何」 キョン「い、いや・・・ちょっと近くまで来たもんだから」 長門「・・・あなたと私は会ってはいけないはず」 キョン「・・・そうだな」 長門「・・・」 キョン「入っていいか?」 長門「・・・」 ガーッ ガチャ キョン「よ、よぅ」 長門「早く入って」 キョン「え?」 長門「涼宮ハルヒに見つかったら・・・危険」 キョン「(今さらだな)」 長門「早く」 キョン「あ、あぁ。邪魔するぞ」 長門「・・・」 長門「お茶」 キョン「・・・ありがとな」 コトッ 長門「・・・」 キョン「・・・」 キョン「なぁ長門、どのぐらいしたら学校に来るつもりだ?」 長門「・・・はっきりとは決まっていない」 キョン「大体でいいから教えてくれ」 長門「約二ヶ月」 キョン「そ、そんなにか?」 長門「(コクッ)」 キョン「・・・三学期終わっちゃうんじゃないか?」 長門「・・・」 ズズッ キョン「んー、二ヶ月かぁ・・・」 長門「・・・」 キョン「長門はこんな部屋で退屈しないのか?」 長門「しない」 キョン「普段何してるんだ?」 長門「座ってる」 キョン「あとは?」 長門「・・・読書」 キョン「それだけ?」 長門「(コクッ)」 長門「情報統合思念体には退屈の概念が存在しない」 キョン「まぁそうだろうけどな・・・」 長門「・・・」 トクトク キョン「お、ありがとうな」 長門「いい」 キョン「・・・また来てもいいか?」 長門「・・・なぜ」 キョン「い、いや、情報統合思念体でも・・・たまぁには退屈すると思うし・・・」 長門「しない」 キョン「・・・することにしといてくれ」 長門「(コクリ)」 キョン「さてと・・・もうそろそろ帰るかな」 長門「そう」 キョン「じゃ、退屈したら連絡してくれ」 長門「(コクッ)」 キョン「お茶ありがとうな。また来るよ」 グイッ 長門「・・・待って」 キョン「ん?」 長門「・・・最後に」 キョン「へ?」 長門「・・・してほしい」 キョン「な、何をだ?」 長門「・・・」 キョン「あ、あぁ・・・わかったよ」 ギュッ キョン「これでいいか?」 長門「・・・(コクリ)」 キョン「・・・」 長門「・・・もう」 キョン「え?あ、あぁ」 スッ キョン「じゃあ、またな」 長門「・・・また」 キョン「おう・・・元気でな」 長門「・・・」 キョン宅 ガチャ キョン「・・・何度言ったらわかるんだ」 妹「あっ!キョン君、おかえりーーっ」 キョン「疲れてんだ・・・どけ」 妹「うぁーーー!いたぁい!」 キョン「シャミもつれてけ」 妹「むぅ・・・シャミー、おいでー」 シャミ「みゃあ」 キョン「・・・はぁ」 ヴーヴーヴー キョン「ん?・・・電話か」 キョン「古泉?」 キョン「もしもし」 古泉「どうも、古泉です」 キョン「なんの用だ。もう晩飯の時間だぞ」 古泉「手短にお話します。それに重要なことなので」 キョン「・・・なんだ」 古泉「閉鎖空間が一応のおとなしさを見せています。機関もこれで一安心です」 キョン「それだけか?」 古泉「・・・あとは長門さんのことですが」 キョン「・・・」 古泉「あなたと長門さんの接触を、異常に危険視している人物がいましてね」 キョン「それがどうした」 古泉「まぁ端的に言えば・・・その人物は長門さんを消そうとしています」 キョン「!?」 キョン「な、長門を!?」 古泉「えぇ・・・まぁ、長門さんを消そうとするなんて決して容易なことではありません。しかしですね、考えよう様によっては・・・」 キョン「もういい!わかった!」 古泉「・・・」 キョン「それで・・・俺はどうすればいい」 古泉「簡単なことです。長門さんとの接触は控えてください」 キョン「・・・いやだ、と言ったら?」 古泉「そうなると・・・あまり言いたくありませんが、あなたの身まで危険が及ぶことになります」 キョン「そうなるだろうな」 古泉「・・・しかし、ごくたまには彼女と会ってください」 キョン「え?」 古泉「僕にとって「情報統合思念体が、一人の人間に好意を持っている可能性がある」という事はとても興味深いものですからね」 キョン「・・・好意」 古泉「ええ、僕には長門さんがあなただけに・・・言い方がおかしいでしょうが、「心」を開いている様に見えるのです」 キョン「心を・・・」 古泉「ですので、これは僕からのお願いです」 キョン「古泉・・・」 古泉「心配しないで下さい。あなたの身は全力で僕たちがサポートします。もちろん長門さんも」 キョン「・・・ありがとな」 古泉「いえいえ、これも僕たちの仕事ですから。礼には及びません」 キョン「すまない」 古泉「しかし、涼宮さんには決して見つからないよう・・・注意してください」 キョン「ああ、わかってる」 古泉「では、失礼いたしました」 キョン「・・・また明日な」 ツーツーツー 4話
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5235.html
三 章 Illustration どこここ 翌朝、俺はわざと遅れて自転車で会社に行った。昨日長門に謝ろうとずっと電話していたのだが電源を切っているか電波が届かないが延々続いて結局そのままになってしまった。 ハルヒは俺が出社しないうちに二人を連れて中河に会いに行った。俺は知っていてわざと遅刻したのだが、今度は先方の取締役会と親会社の役員に会うらしい。さっさと進めてしまいたい気持ちは分かるんだがな、交渉ごとを急いでやると損するぞ。 ── というわけなので、以下は聞いた話である。 中河テクノロジーの親会社、つまり筆頭株主だが、揃いもそろってでっぷり太ったお偉いさんばかりだった。バブル崩壊を潜り抜けて来たつわもの共で、きっとあくどい事をして稼いできたに違いないと思わせるような連中だった。こういう連中は市場の注目を浴びそうな目新しい技術がお好みらしく、人工知能を使った業務支援プログラム技術というものに惹かれているらしい。 「これまで、人工知能と謳われた技術のうち実用化したものは、限定された環境においてのみ稼動するものばかりでした。実用化のコストもさながら、どんな情報にも応じられる汎用性の高いプログラムロジックは実現が難しいとされてきました」 中河のプレゼンだが、技術的な話を延々述べても右から左に素通りするだけだろうというので、深く突っ込んだ話はしなかったらしい。まあこいつらは金を出すだけだからな。 「ここに新時代の人工知能技術を設計された長門有希さんを紹介します。彼女を取締役最高技術責任者として迎え、海外も含めた事業展開を任せたいと考えています」 会議室に全員の拍手が響いた。ハルヒも椅子から立ち上がって深々と頭を下げている。 突然拍手の波を破ったのは、固いテーブルをドンと叩いた長門の拳だった。経営陣を、それから中河を睨みつけていた。 「……この買収、断る」 「有希ったら、いきなりどうしたのよ」 長門は中河を指差して叫んだ。 「あなたはわたしに近づくために会社を買い取る。わたしは、売り物ではない」 「い、いえ、そんなつもりはまったくありません」 中河は顔を真っ赤にして弁解した。長門は皿のような目で一堂を見回してから、文字通り席を蹴って出て行った。座っていた椅子がクルクルと床に転がった。 「皆さん申し訳ありません、私の言動が誤解を招いたようです」 「とんでもありません、長門が失礼を申しまして、すいませんすいませんっ」 ハルヒが冷や汗をかきかき、平謝りに謝った。 「、ということがありましてね」 「そりゃみんな驚いただろうな」 「ええ。結局会議は中座しまして、鶴屋グループの会長と取引銀行も呼んで金額的な折り合いをつけようということになりました」 「鶴屋さんの親父さんか。俺たちがふだん動かしている金とは桁が違うから、そういうベテランがいたほうがいいかもしれんな」 「それはそうと、ちょっと耳に入れておきたいことがあります」 「なんだ」 「実はこの件が持ち上がってから中河テクノロジーの株が買われています」 「どういうことだ」 「調べてみましたところ、親会社の役員筋からネタのリークがあったようです。どうやらインサイダーの匂いがしますね」 「買収ネタで株価操作しようってのか」 「インサイダー無法地帯の日本ではよくあることですが」 よくあるっつったって違法は違法だろうが。そりゃまあ株価ってのはどんなネタでも上がったり下がったりするもんだから、さして驚きはしないが。 「そして今日、長門さんが交渉の場を蹴ってしまうと買いがぴたっと止まりました」 「ざまあ見ろだな。俺たちをネタにして濡れ手に泡で儲けようなんてやつがいるとは、ハルヒが聞いたらぶち切れるぞ」 「切れているのは長門さんのほうで、もしかしたらすでにご存知なのかもしれません」 いやまあ、長門が怒っているのは俺に原因があるんだが。 「それにしても、長門さんがあのように感情を露にされるのを見るのははじめてです。僕も唖然としてしまいました」 俺はといえば、長門、よくやったという気持ちだった。最初この話があったとき、長門の評価がもっと上がればいいという正直な気持ちも確かにあった。ところが上がったのは中河テクノロジーの株価だったってわけだ。 いやいや、株価なんかはどうでもいいんだがなにか腑に落ちない。ここに来てなにが不満なのかよく考えてみたが、俺たちの作ったSOS団を誰か外部の人間に操られるのが嫌だという、非論理的でマネージメントともビジネスともまったく関係ないところから来る率直な気持ちだった。SOS団を金を生むためのネタにされるのが嫌なのだ。金にあかせて会社を食っちまうアメーバみたいな大手グループなんぞにSOS団を渡してなるものか。中河なんぞに長門を渡してなるものか。これは俺の会社だ。俺の長門だ。 その日、長門はとうとう会社には戻らなかった。自宅の電話にも携帯にも出ない。 「もう、有希ったらいったい何考えてんのかしら」 「SOS団が売りに出されるのが嫌なんじゃないか」 「売るわけじゃないわよ。手漕ぎのボートから豪華客船に乗り換えるだけじゃない」 「俺は長門の気持ちは分かるぜ。金を稼ぐだけが目的の仕事は嫌なんだろう」 「もう、場合によっちゃ取締役から外すからね」 「まあ長門には俺から話すから待ってくれないか」 「いいけど、この交渉がこじれたら有希のせいだからね」 俺は少しだけハルヒをじっと見て、それから言った。 「お前、中河が長門を誘ってたの知ってたか」 「えっ……」 「たぶん長門は、自分が買い取られるように感じたんだろう」 「そんなこと有希はひとことも言わなかったのに」 「言うわけないさ。俺しか知らん」 「で、あんたはなんて言ったの」 「好きにすればいいと答えた」 「あんた、ずっとバカだと思ってたけど、ほんと最低ね」 「自分でもそう思う」 「あのねキョン、この際だから言うけどね。有希がどれだけ気持ちを溜め込んでるか分かってないでしょ」 「俺なりに多少は分かってるつもりなんだが」 「あたしだったらね、好きだと思ったら嫌われても真正面から好きと言うわよ。でも有希は簡単に表に出すタイプじゃないわ」 「お前が長門を観察してたとは意外だな」 「あったりまえじゃないの。団員の精神状態くらい把握してるわよ」 長門の微妙な心の動きを察知できるのは俺だけだと自負していたが、実はなにも分かっちゃいなかったのかもしれない。長門の表情に広がる小さな波紋はちょっとした眉毛の動きとか瞬きのタイミングとか視線の流れとか、あるいは口元の緩みなんかなのだが、それを見ていれば今どう思っているか分かる。でもあいつの心の中にある、見えなくて時間のずっと先にあるものは分かっていなかった。 「今から有希に会って謝ってきなさい」 「俺だけが悪いのかよ」 「当たり前でしょ、有希にとっちゃ中河さんなんてどうでもいいのよ。問題はあんたよ。ちゃんとフォローしなさいよね」 「分かってるさ。二三日したら長門も落ち着くだろうと考えてたんだよ」 ハルヒはイライラと眉毛を吊り上げた。 「あんた、あたしが今までやったことでひとつだけ後悔してることがあるの、知ってる?」 「さあな。自信家のお前が後悔するようなことがあったのか」 ハルヒはまっすぐ俺の目を見据えて言った。 「十一年前に、ジョンスミスの電話番号を聞かなかったことよ!」 俺はどう答えていいのか分からなかった。その件に関しちゃ、別の意味で責任を感じているわけなのだが。 「そのときはどうでもいいことのように感じたけど、あれから気になって毎日のように探したわ。近隣の電話帳で探した。身元調査会社も雇ったわ。市役所で調べてもらおうとしたら断られた」 「まあ、そりゃそうだろう」 「何度もあきらめようと思ったし、いっそ別の誰かと付き合おうかとも考えたわ。見合いをしたのはかなりヤケだったけど」 「そうだろな。あれは見ていて痛々しかった」 「そんなことはどうでもいいのよ。あたしが言ってるのは、一度の出会い、一度のデート、一度のキスがそれからの一生を決めることもあるってことよ」 俺はなにも言えなかった。 「昔の人はいいことを言ったわ、一期一会ってね。あんたは十年も待てるタイプじゃないでしょ?」 このハルヒの一言は、俺にはかなり重くのしかかった。もし俺がハルヒの立場だったら。簡単にあきらめてさっさと別のやつに視線を移していたに違いない。 「分かった……。これから行ってくる」 「ちゃんとバラの花束を持っていくのよ」 分かってるさあ、いちいち。 長門になんて謝ろうかと難しい顔をしつつロッカーから背広を取り出していると、古泉が、二人の間になにがあったかは知らないけどがんばってくださいとニヤつきながら言った。歴史改変のときには散々ハッパをかけたこいつに言われるとはな。 「なあハルヒ、思ったんだが」 「まだいたのあんた、さっさと、」 「お前が打ち合わせに行くたびに中河テクノロジーの株価が動いてるの知ってるか」 「そうなの?」 ハルヒが古泉に向かって首をかしげると黙ってうなずいた。 「買収の目的が一緒に仕事をしたいってのは表向きで、情報やら技術やらを金のネタにされた挙句骨抜きにされるなんてことはよくある話なんだが」 「中河が株価操作してるっていうの!?」 いきなり呼び捨てかよ、さっきまでさん付けだっただろう。 「そうとは言い切れないが、グループの中に俺たちをネタに一儲けしようってやつがいるのは確かだ」 「それくらい、業界じゃふつーのことでしょ」 「会社経営はそういうもんだってのは分かってるさ。だがなハルヒ、お前はSOS団が汚い金にまみれてしまうところを見る覚悟があるか?」 ハルヒは黙った。俺たちには金の質をとやかく言うほどの経験もないし経営判断ができるわけでもない。 「でも、SOS団にないものが中河テクノロジーにはあるのよね」 「中河テクノロジーのリソースじゃなくて、鶴屋さんのリソースを借りるほうがまだ安全だろ」 俺たちは傘下にいながら鶴屋グループのことをほとんど知らない。正式には傘下ではなくて鶴屋さんのポケットマネー的な孫会社ってことになっているのだが、ハルヒはそれもそうねぇという表情をしていた。 あーそうだ、鶴屋さんといえば花を買っていこう。俺は長門のマンションに向かう前に鶴屋さんの店に寄った。 「いよっ、キョンくんじゃないか。今日も疲れた顔してるねっ」 「どうもです鶴屋さん。長門の件はすいませんでした。もしかしたら今回の話は見送りになるかもしれませんが」 俺は腰四十五度の礼をした。 「いやいや、いいっさ。もう買収交渉はうちの親父に任せることにしたから、あたしはノータッチなのさっ。ハルにゃんがやりたいようにやるのがいいさ」 「なんというか、鶴屋さんの親父さんにまでご迷惑をおかけして申し訳ないです」 「わははっ、固い話は抜き抜き。あたしはただの花屋さっ」 世間話に来たんじゃないんだった。 「花束をひとつお願いしたいんですが」 「ほほーう。して、どういうシチュエーションなんだい?」 「実は長門を怒らせてしまいまして」 「あははは。怒った長門っちには萌えそうだね。まあ、男と女にゃそういうこともあるっさね」 「ピンクのバラを入れてもらえますか」 「ようがすっ。ちょい待ち」 予算は一万円くらいにしてもらった。今月はあれこれ出費がかさむ。 「メッセージカードは入れるかい?」 「ええと、ください」 マジックで、ごめんよ長門と書いて刺してもらった。俺にはラテン語なんて書けない。 「まいどありっ。がんばれキョンくん、キミならやれる!」 右肩をガシっと叩かれ、二十四時間元気営業中の鶴屋さんパワーをもらって少しだけ気分が軽くなった。自転車の前カゴにバラの花束をのっけて鼻歌なんか歌ってしまうくらいに意気揚々と長門のマンションへと向かった。 玄関で長門の部屋の番号を押したが、出てこなかった。もしかして眠ってるか、あるいはまだ怒ってて出てこないか。俺は四桁の番号を押して自動ドアを開けて入った。部屋のドアの前でインターホンを押してみるが出てこない。いないのか? 電話をかけてみるが部屋の電話にも携帯にも出なかった。あいつがこの時間にひとりで出かけてるとは思えないんだが、図書館はもう閉まってるし。気になってあちこちかけてみたが誰も行方を知らないようだった。 俺は喜緑さんにかけてみた。 『喜緑です』 「もしもし、キョンです。ご無沙汰してます」 『あら、こんばんわキョンくん』 「長門が昼過ぎくらいからいなくなってしまいまして、もしかして行き先にお心当たりがあるんじゃないかと」 『ちょっと待っててくださいね』 喜緑さんは送話口を手でふさいで、なにか話しているようだった。 『キョンくん、あのね。長門さんここにいるんですけど、今は会いたくないらしいんです』 な、なんですと。長門に避けられてるなんて俺も終わりだ。 「ちょっとだけ話したいんですが、電話に出してもらえませんか」 『えっと……ごめんなさい、いやだって言ってますわ』 これは困った。何号室かは知らないが喜緑さんってたぶんこのマンションだよな。新聞の勧誘のフリをして一軒ずつノックして確かめてみるか。 「ドアの前に花束を置いておくので水に挿してくれ、と伝えてもらえます?」 なんだか古泉のときと同じ展開だな。バケツの水を被せられないだけマシか。 『分かりました』それからヒソヒソ声で、『あのねキョンくん、落ち着くまで少し時間を置いたほうがいいと思いますわ』 それもそうだな。とりあえず居場所は分かったんで、俺はよろしくと頼んで電話を切った。喜緑さんならなんとか取り成してくれるかもしれない、なんて甘いことを考えつつ。 マンションを出て、俺は建物を見上げた。すべての部屋の明かりが灯っている中で、長門の部屋の窓だけが暗かった。 このまま長門が別れるなんて言い出したらどうしよう。中河と仲睦まじく会社経営にいそしむようになったら、なんかの拍子に中河と付き合うようになったりしたら。中河も悪いやつじゃない、カリスマ的で誰もが安心して頼れるタイプだ。俺でも男惚れする。俺は蚊帳の外、取締役が決まっているハルヒとも会えず、古泉とひっそり昼飯を食うだけの毎日。たぶんだが俺はやる気をなくして会社をやめちまうだろうな。 ついこないだ高校一年の俺を見てあまりのだらしなさに腹が立って殴ったが、根本的に中身が変わってない気がする。こんな俺に誰か喝を入れてくれないものか。そんな他力本願なことを考えてるからダメなんだということは重々承知しているんだが。 そのまま家に帰る気にはなれなくて、俺はなんとなく公園に足が向いた。街灯の下に黄色いベンチがぼんやりと浮かんでいる。俺は自転車を止め、ため息をつきながら腰を下ろした。 「はあ……」 別に目的があって来たわけじゃなくて、考え事をするときなぜかここに来るのだが、思えばこのベンチにもいろんな思い出があるよな。ここに来ればパブロフ的に安心するというか、時間と空間がからむようなトラブルには必ずといっていいほどここにやって来たものだ。今でも街灯の下でぽつりと座っている長門がいるような気がするし、振り返れば茂みの中に朝比奈さんがいるような気さえする。いつでも俺を待ってくれていた。 公園の入り口のほうから人影が歩いてきた。 「キョンくん、こんばんわ」 「あれ、喜緑さんですか。さっきはどうも」 「お元気そうね」 「元気といいますか、まあ、精神的にはかなり参ってますが。長門のことでいろいろお世話かけてすいません」 「いいんですよ。男性と女性にはいろいろありますから」 この人には色恋沙汰というものがありそうでなさそうで、日ごろがおっとりしているだけに恋愛したらハリケーン並みの嵐になるんだろうななんて失敬なことを考えている俺だが、にっこりと微笑む喜緑さんを見ていると少しだけ気持ちが癒された。 「では、行きましょう」 「行きましょうって、いったいどこへです?」 「キョンくんに会いたがっている人がいるんです」 こんな唐突にいったい誰だろう。俺が不思議がっていると「キョンくんの古い知り合いです」と言った。昔テレビでやってた初恋の女の子とご対面みたいな感じがしなくもないですが、今の俺はそんなやつに会っても愛想笑いのひとつもできんと思いますよ。 喜緑さんは俺の隣に座って手を握り、 「ちょっと揺れますから、目を閉じていてくださいね」 手が触れたときちょっとドキリとしたが俺は言われるままに目を閉じ、深呼吸をした。たぶん時間移動かなんかだろう。と思った途端やっぱり重力が上下反転する感覚に襲われ、閉じているはずの目蓋の裏で明滅する幻影がぐるぐると浮かんでは消えた。 「もういいですよ」 二人はベンチに座ったままだった。 「どこですかここ」 「駅前公園のベンチです」 時間移動したんじゃなかったのかと周りを見回したが、夜空も公園の木々も同じままで俺の知る風景となんら変わりはなかった。もしかして茂みの中に朝比奈さんが潜んでいるのかと目を凝らして待ったが、ウサギの気配すらない。 「その相手ってのはどこにいるんです?」 「線路沿いの道を下っていくといます」 「そっちって長門のマンションじゃないですか」 「わたしはここで待っていますね」 「喜緑さんも一緒じゃないんですか?」 「ええ、キョンくんだけで会ってきてください」 見も知らない人にひとりで会いに行くのかと、俺が不安げな表情を見せると喜緑さんはにっこり笑って大丈夫と言った。 喜緑さんは俺の耳元でそっと囁いた。 「ちょっと驚くようなことがあるかもしれません」 言われるままに俺は公園から出て道なりに進んだ。また妙なことになりそうな予感がして、心細げに後ろを振り返りつつ道を歩いた。もうすぐ通いなれた長門の住むマンションだが。俺の古い知り合いで最近は会ってなくて、俺に一人で会えってことは朝倉なんかじゃなさそうだし谷口やら国木田なんかに呼び出される筋合いはまったくないし、いったい誰だろう。俺は同級生の顔をいくつか思い浮かべた。まさか中河が俺に用があるとかでこんな呼び出し方をしたのか、なわけはないよな。この先にはハルヒが地上絵を描いた中学校もあるが、もしかしたらそこかもしれない。 右手に、さっき出てきたばかりの長門のマンションが見えてきた。敷地の入り口に人影が立っていて、じっとこっちを見ていた。近づくとよく見知っている女の子がゾウリ履きにワンピースという姿で門柱に隠れるようにしていた。 「……キョン?」 やっぱり長門だったが、俺を二人称代名詞でなくてあだ名で呼んでくれるなんて珍しいじゃないか。昨日から今日の間にずいぶん変わっちまったな。 「そ、そうだが」 「もっと、顔をよく見せて」 長門は目を細めて俺を凝視し、メガネを外してハンカチでレンズを磨いた。よく見ると伊達メガネじゃなくてレンズに度が入っている。 俺の知ってる長門じゃなかった。あだ名であろうと偽名だろうと、俺のことを名前で呼んだりはしない。この長門は頬を染めて俺に駆け寄るなり両手を握り締め、嬉しくて同時に悲しいという俺でも滅多にしないような複雑な表情をしていた。もしかして俺の歴史改変のせいで長門がこんなに表情豊かに変わっちまったのかとまで疑いもした。潤んでくる目をメガネを外して何度も拭い、ここに俺が存在するのが信じられないという様子で何度も目をパチパチと瞬きした。 「……ぜんぜん、変わってない」 「長門、だよな?」 「そう。わたしが分からないの?」 なぜか俺にはそれが分かった。人間の、長門だった。 長門はまるで俺に逃げられるのが不安とでもいうようにずっと手を離さず、お茶を入れるから上がって上がってと言いながら部屋のドアまで手を引いた。長門に引っ張られて部屋に入るなんて前代未聞だぞ。 脱いだ靴も揃えぬまま、ともかくテーブルの前にペタン座りをさせられ、長門がキッチンへ駆け込んでいって急須に茶葉を入れてお湯を注ぐ音をじっと聞いていた。 「ええと、聞きたいんだが、ここはどういう世界なんだ?」 「どういう世界、とは?」 「ここが過去なのか未来なのか、お前なら分かるんじゃないかと思ったんだが」 長門はまた妙なことを言うやつだという目で俺を見つめ、 「あなたは、前にも同じようなことを言った。わたしが宇宙人だとか」 抑揚がないところは似ているが、この長門は表情筋の動きが活発で、しゃべりも流暢でたまに身振りすら入れる。それにいつもは少し間を置いて無言からはじまる会話がない。 見たところマンションの様子も部屋の様子もあまり変わりはないし、俺の知っている長門の部屋と違和感はない。若干カーテンやら家具のデザインやら、インテリアの趣味が華やかな気もするが。にしても、こいつがヒューマノイドインターフェイスでなくて人間なのはなぜだろう。喜緑さんは俺になにをさせたかったんだろう。こいつはいったい誰なんだ、情報統合思念体はとうとう長門を人間の女の子にしちまったのか。 「それっていつのことだっけ」 「高校の頃、はじめて文芸部部室に来たとき」 文芸部部室にはじめて訪れたのは、ハルヒが部活をはじめるからというんで首根っこをひっつかまれた仔猫のようにして連れてこられたときのはずだが、俺が改変した歴史だと長門に勧められて入部したときだったか。どっちにしても長門とそんな会話したっけ。宇宙人の話はむしろ長門がしてくれたんじゃ……。 「涼宮さんはあなたが部室に連れてきた。他校の生徒だったので驚いた」 「ハルヒがよその学校の生徒?」 俺はしばらく考え込んだ。ふと、あるシーンが目に浮かんだ。はにかみながら白い紙片を差し出す長門。門の前で体操着に着替えるハルヒ。学ランを着た古泉。朝比奈さんのグーパンチ。つまりこいつは長門が自らと世界を作り変えちまったときの長門か!?俺はまたあの日に戻ってきたのか!? 「それにしちゃ、いろんな意味で俺の記憶と違う気がするんだが」独り言がポロリと漏れた。 「あなたの記憶?」 「あ、いやなんでもないんだ。最初に会ったときのことを詳しく聞かせてくれ」 「あなたと会ったのは、本当はもっと前。中央図書館がはじめてで戸惑っていたわたしに貸し出しカードを作ってくれた。あのときのあなたはとても親切で印象に残っていた」 「そのへんは覚えてなくてな。学校でもあれがお前だとは気がつかなかったんだ」 それは長門が作った俺との馴れ初めストーリーだな。あんときは過去を捏造されたんだとばかりにイライラしたが、あれは長門流のロマンスだったのかもしれない。 「そう。それから二度目は冬、あなたが突然部室に現れた。わたしが宇宙人だと言い張って戸惑った」 あんときの俺はそりゃもう必死だったからな。今思い出しても赤面するぜ。 「それからわたしが誘って、ここでおでんを食べた。朝倉さんが作ってきてくれた」 おかしい、この長門はなぜすべてを遠い過去形で語っているんだろう。凝視していると長門は顔を赤くしてうつむいた。それでもじっと見つめていると、俺の長門とは微妙に違うところに気がついた。 「長門、ちょっと立ってくれないか」 「なに?」 長門はテーブルに手を着いてスクと立ち上がった。薄手のワンピースの裾が揺れる。 「身長は今いくつだ」 「ずいぶん測っていないけど、一六〇くらい。どうして?」 あのときとは背丈が違うな。スラリとしていてどっちかというとスレンダーっていうか。 「今、何歳なんだ?」 「二十四。なぜ?」 その答えに衝撃が走った。あの日から八年も経っている。長門によって改変された世界は十二月十八日の未明に俺たちの手によって上書きされ、なにもなかったことになったんじゃなかったのか。古泉の説明を信じるなら、時間軸が交差して無限記号のような二つの十二月十八日があり、未来からの干渉で事態を修復したんじゃなかったのか。この長門はあれから八回のクリスマスを数え、北高を卒業して成人を迎えて今ここにいる。未来の本人によって修正プログラムの短針銃を打たれたにもかかわらず、こうして俺の前でメガネをかけたままでいる。じゃあ朝倉はまだ健在で相変わらずおでんを作ってきたりするのか、ハルヒや古泉はどうしているのか。この世界がどうなっているのか、俺になにをさせたいのか喜緑さんの意図が分からない。 長門は続けた。 「その次の日にあなたは三人を連れてきた。ひとりは北高の二年生、あとの二人は光陽園学院の生徒だった。そしてあなたはパソコンの電源を入れて忽然と消えた。わたしたち四人を残したまま」 俺は言葉を失った。あの後がどうなったかなんて考えもしなかった。世界は元通りになり、全員がなにごともなかったと同じように暮らしているとばかり思っていた。 突然消えたりして残された人がいったいどんな気持ちになるか、心配どころか悲嘆に明け暮れそれが身内なら飯も食えない日々だろう。自分がそんな仕打ちを周りにしていたなんて今になってショックを受けている。結果がどうなるか、Enterキーを押す前に長門のメッセージの意味をもっと深く考えるべきだった。それを受け入れるだけの覚悟が自分にはあるのかちゃんと考えるべきだった。 俺はあの日に文芸部部室に置き去りにした長門を見た。せめて旅に出るくらいの一言はあってもよかっただろうに。 「その後はどうなったんだ?」 「覚えてない?」 「すまん、記憶が曖昧でな」 「次の日の朝、あなたはカナダへ転校したと聞いた。それ以降まったく音沙汰もなかった」 「そうだったのか……」 「……そして八年経った今、突然現れた」 つまり、こっちの世界から消失したのは俺で、朝倉の代わりに俺自身が行っちまったのか。別れの挨拶もなしに消えた俺を知って谷口の唖然とした顔が目に浮かぶようだ。 静かな部屋の中で沈黙が二人を包んだ。俺は詫びることすらできなかった。この長門は白くなるまで唇をかみ締め、その後に訪れた俺のいない空白の時間を思い返しているようだった。いくら自分の世界に戻るためとはいえ、俺はこの長門を別れも告げずに置き去りにしたのだ。意図的ではなかったにしろ長門を八年も独りにしてしまった。信じてくれなくても事情くらいは知っておいてもらうべきだった。 俺は自分がしでかしたことよりも八年という長い時間が経っていることのほうがショックで呆然としていた。 「長門、すまなかった」 ようやくそれだけが口からこぼれ出た。 「なぜ消えたのかどうして今になって戻ってきたのか、なにがあったのか教えてほしい。それに、わたしが驚いているのに、あなたは再会を喜んですらいないのはなぜ」 この長門は少し怒っている風でもある。その様子を見てなんとなく安心した。なんというか、人間には不条理なことに遭うとそれに対して怒ったり嘆いたり感情を露にすることで少しは落ち着くという、はけ口みたいなものがある。俺の長門みたいに処理不可能なエラーが延々積もったりはしない。それで気が晴れるなら俺を恨んでくれてもいいさ。 「朝倉の知り合いで喜緑さんって人がいてな、その人が俺をここによこしたんだ」 「……」 長門は疑いの目を向けていた。これだけじゃ説明になっていないよな。いっそのことすべてを話すことができたなら、いや、話しても信じてくれるかどうか自信がない。 長門は俺の手の上に自分の手を載せた。その温かさに動かされるように、俺は口を開いた。ここまで心配かけたんだ、空白の時間を償えるならすべてを明かしてもかまわないだろう。 「長門、お前は異世界を信じるか」 「異世界?」 「うまく説明できるかどうか分からんが、これから話すことは人間のお前には信じられんことかもしれん ──」 俺はいつかの長門を思い出してひとり笑いした。長門流に言うなら、情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない、ってところだな。心配するな長門、ちゃんと伝わったから。 ── そう、まるで夢のような話だ。 俺は、俺自身の世界で最初にハルヒに会ったときからの過去をかいつまんで聞かせた。長門はじっと黙って聞いていた。ときどきうなずいたりはして、俺の長門が世界を改変してしまった日の話にかかると、空想世界の話を聞いているような表情は少しずつ消えていった。 話の途中でふと思い出してポケットから財布を出した。今も持ち歩いている、存在しないはずの西宮中央図書館のカード。 「これは長門が、つまり向こうのお前が作ってくれたんだ。あのときみたいにな」 長門は見慣れない図書カードを手にして不思議そうにいじっていた。それから一枚の写真。ホームレスのおっさんたちに握り締められて、もうよれよれになって色あせたハルヒと長門のツーショット写真だ。 「これがもう一人の、つまり俺が親しくしてる長門だ。こっちはハルヒで、世界をひっくり返すんじゃないかと超恐れられている存在だ」 「そう。涼宮さんとはときどき会う」 「こっちのハルヒは、あいつらはその後どうしてるんだ?」 「あなたが消えてからかなり怒っていた。いきなりやってきて宇宙人や未来人の話をした挙句、忽然と消えたりするのは卑怯だと」 「あいつらしいな。まさかSOS団の活動を続けたりしてないだろうな」 「続けていた。市内不思議パトロールであなたを捜索していた」 ま、またそんな不毛なことを。やみくもにジョンスミスを探してるなんて俺たちのハルヒと同じじゃないか。まあ唯一の救いはといえば、こっちのハルヒのイライラで閉鎖空間が発生したり世界が滅亡の危機にさらされたりしないことか。 「向こうのハルヒは猫にモノしゃべらせたり目からレーザーを出したりする映画作ったもんだが」 「映画はわたしたちも作った。特殊効果はなかったが、社会問題を扱ったドラマを作った」 「ハルヒが社会派の映画か、俺も見たかったな。四人とも学校が違うのに撮影大変だったろ」 「サークルで作った。四人は同じ大学に入って活動をした」 なるほどね。三年遅れだが結局はみんな同じところに集まったんだな。 思えば、うらやましい環境かもしれない。ハルヒは世界を作り変えたりせず、長門はエラーを起こさず、朝比奈さんは上司にパシリを命じられたりせず、古泉は神人と戦ったりせず、シャミセンは日本語をしゃべったりしない。この世界には宇宙人的魔法も時間移動も、世界を救うための超能力も、そしてなにより世界を覆す力もない。当然、俺というハルヒのストッパー役がいないのでそれはそれでバランスは取れているのかもしれないが。 でもまあ、もしあの日と同じ十二月十八日がもう一度あったとしても、俺は元の世界を選ぶだろう。ハルヒのセリフじゃないが、だってそのほうが面白いからな。 「あのとき俺がEnterキーを押したのは、向こうの世界が好きだったからなんだ」 「そう。二つのうちどちらかを選べと言われたら、たぶんわたしも自分の世界を選ぶ」 和らいだ表情で人間の長門はうなずいた。 「あれからどうなったんだ?長門は今はなにをしてるんだ?」 「大学を出た後、図書館で司書をしている」 俺は中央図書館のカウンターで静かに座っている長門を想像した。俺の長門は実験着を着て論文を書いたり、パソコンのキーボードを光の速さで叩いたりしているが、図書館の司書は本が好きなこいつにいちばん似合う職業かもしれない。 「あいつらはなにをしてんだ?」 「涼宮さんは大学院に進んだ。量子物理専攻だったと思う。朝比奈さんは教職課程を取って小学校の先生。古泉くんは、確か警察庁幹部候補」 古泉がおまわりかよ!趣味の推理好きが高じて仕事になりましたって感じがしないか。 「涼宮さんと古泉くんは去年結婚した」 ま、まじっすか。やっぱりその展開になったのか。尻に敷かれてんだろうなぁ、古泉。北高に入学して来なかったところを見るとこっちのハルヒにとっちゃジョンスミスはあんまり重要な位置づけじゃなかったようだし、それはそれでいいとするか。 「長門は好きな人はいないのか?」 「いる。婚約している」 なにげなく聞いた質問だったのだが、その答えに落雷が落ちたような衝撃が走ってすべての髪の毛と体毛が逆立った。そ、そうだよな、二十四歳だもんな。この美貌じゃ男どもが放っておくはずがないよな。 長門はキャビネットの中から写真立てを持ってきた。野郎と並んで長門が写っている。極上なスマイルを浮かべながら長門の肩に手をやった野郎の姿が非常に嫉妬を掻き立てる。えらく体格がいいな。なんか、知ってるやつのような気がするんだが。 「こ、これ、中河じゃないか!!」 「そう。なぜ知ってるの」 「中学校のときのクラスメイトでな」 っていうか、俺のいたの世界じゃ中河が長門に遭遇するのは高校一年の冬休みで、長門が世界を改変する出来事の後のことなんだが、時系列がおかしくないか。 「彼とは大学で一緒だった」 なるほど、世間は狭いっていうがまさにそれだな。そういや中河が長門を見初めたのは高校一年の五月ごろのことで、あれがそのまま引き継がれてこっちの世界にも繋がってるんだとしたらありうる話かもしれん。 っていうか、あんな小型のブルトーザーみたいなゴツイ男のどこがよかったん、……。 「……」 「なに?」 「いや、なんでもない」 こいつにはこいつの人生があって、幸せになる権利がある。いや、幸せにならないといけない。二人を祝福してしかるべきことのはずが、なぜだか悲しい。 「それがお前の望んだ幸せならいいんだが」 「そう。わたしは今、幸せ」 「そうか、ならよかった」 何度も言うが、こいつにはこいつの人生がある。ハルヒのときだって、朝比奈さんにだって、俺は勝手に嫉妬したり干渉したりしていた。長門のときだって、中河が今にも燃え出しそうな情熱的なラブレターを俺に託したときも正直いい気はしなかった。できることならほかの男をそばに寄せたくはなかった。 ── あなたは、彼女には彼女の人生があるということを知るべき。 長門の声が耳にこだまする。それを聞いたのはいつだったろうか。 喜緑さんが俺をここへよこした理由が、なんとなく分かった気がする。ハルヒに釘を刺されたセリフじゃないが、人生なんてたったひとつのタイミングで簡単に変わってしまう。干渉したり嫉妬できるうちはまだいいが、一度流れが別のほうへ変わってしまえば、ダダをこねようが地団太を踏もうがどうすることもできない。人生もそれぞれ、行く道もそれぞれ、重なり合った二人の時間線がふとしたことで永久に離れてしまうこともあるんだ。 「よかったらこの写真もらえないか」 「え……これでいいの?」 「ああ。幸せそうなお前が写っているこの写真が欲しい」 「そう。それでよければあげる」 喜緑さんのことを思い出してふと時計を見ると九時回っていた。だいぶ話し込んでしまった。 「すまんがそろそろ帰るわ。人を待たせてるんだった」 「そう、」 長門がそう言い終えないうちに電話がかかってきた。長門はうんとかええとか返事をしていたが、やがて、 「彼が今から寄ると言ってる」 「中河か、これからか」 「そう。あなたにも会ってほしい」 どうしよう。俺はその、なんというかいくらガタイのいい中河でもあいつが怖いなんてことはないが、向こうのあいつは俺にひどい仕打ちをしてくれてるわけで、面と向かって堂々と話をするなんてことはできそうにないぞ。 「すまん、やっぱ落ち着いて話をするのは無理だ。いくら異世界でもお前はやっぱり俺の長門だし、その婚約者なんかと堂々と話ができるほど度胸の座った男じゃないし」 「そう」 「小心者だからな」 そういうと長門は目を細めてクスクスと笑ってみせた。ああ、この長門はちゃんと笑うんだな。 立ち上がって腰を伸ばそうとすると、足元でみゃあという鳴き声がした。鼻のまわりと前足だけが黒い、真っ白な猫がズボンの裾にまとわりついていた。俺にシャミセンのにおいがついているのかもしれない。 「猫飼ってるのか」 「そう。あなたに言われてから飼っている」 ここはペット禁止だったはずなのだがまあバレなければいいか。俺はその猫を抱き上げた。妙に見覚えのあるその表情と模様に、もしかしたらこいつは時空に対して曖昧な長門んちの猫なんじゃないかと、その名前を呼んでみた。 「おい、ミミ」 猫の姿は消えるはずもなく、みゃあと一声だけ鳴いた。 「なぜこの子の名前を知ってるの」 「いや、なんだかそんな気がしたんだ。俺のいた世界でお前がちょうど逆の模様をした猫を飼ってる」 「そう……」 これはたぶん偶然なんかじゃなくて、なにかの因果ってやつだろう。ミミ、長門のことをよろしく頼むぜ。 靴を履いて玄関を出るとビーチサンダルをペタペタと鳴らして長門がついてきた。エレベータの前に立ち止まり下向きボタンを押して待った。エレベータのドアが開いて中に入り、ここでいいよと手を振ったのだが、長門はそのままドアの内側に入り込み俺から離れようとしなかった。ドアが閉まり、そこが密室になると長門はじっと俺の目を見つめた。 「あなたが……好きだった。今でも」 湧き上がる気持ちを抑えきれないように俺の背中に腕を回し、肩に顔を埋めた。俺は心拍数が少しずつ上昇するのを感じた。なにやら名状しがたいモヤモヤが胃の辺りで生まれて止まない。こいつを連れて遠くに逃げたいという衝動となぜだか泣き出したくなるような衝動が、水面に垂らした絵の具のようにぐるぐると渦巻いて心の中に溶け込んでいく。俺も長門の小さな背中に腕を回してギュッと抱きしめた。このまま永久にエレベータが止まらず下降し続ければいい、そう願った。そして俺の長門がこれを見たらどう思うだろうかという説明しがたい後ろめたさに充たされた。 「ああ、知ってた。許してくれ……」 長門は俺の胸に顔を埋め、じっと鼓動を聞いていた。 「ごめんなさい。ずっと言えなかった。やっと言えた」 あんまり俺を責めないでくれ。もう少しで泣きそうだから。 「もし誘ったらだが、俺といっしょに来るか?」 言ってはならないことを言ってしまった気がする。婚約までした長門が相手を裏切るなんてことはありえないのは分かっていた。いくら感傷的になっているとはいえ俺は裏切りをそそのかすようなことを言う自分を恥じた。だが長門は一瞬の躊躇も考えることもなく、 「あの人はずっとわたしを待っていてくれた。だから、彼に報いたい」 「そうか。安心した」 中河は一途なやつだ。十年経ったら迎えに来るとまで誓った男だ。最近じゃ誘うほうも誘われるほうも恋愛が極端に簡単になっちまって、一人の女のために人生を投げうてるやつはそうそういない。俺なんかよりよっぽど根性ある男だと思う。この長門だって、ここで一時の感情に流されるより、心に決めたやつと一緒になるほうが幸せになれるさ。 「変なこと聞いてすまんな、今のは忘れてくれ」 「いい。ときどき遊びに来て。年に一度でもいい」 それができるのかどうかは、俺には分からない。この世界と向こうの世界がどうやって繋がっているのかも俺には分からないのだ。 「約束はできんが、もし来れたら向こうの長門を連れてくるよ」 この長門はにっこりと笑ってうなずいた。 エレベータのドアが開いた。さっきまで密室を満たしていた重たい空気は少しずつ薄まってゆき、昼間の名残の匂いのする微風にまじって流れた。 玄関の自動ドアを出てマンションの門柱のところで長門はぴたりと止まった。俺は数歩歩いて手を振り、また少し歩いては手を振った。もうひとりの長門、会えてよかった。さよならだ。 振り返ると、マンションの明かりを背に受けた長門の小さな影がぽつりと見えた。それに歩み寄る別の影がひとつ、そして二つの影が寄り添い互いに抱き合ってひとつになった。長門がこっちを指差してなにかを話していた。 ここで中河と話をする勇気はさらさらない俺だが、一声だけ叫んだ。 「こら中河!長門を不幸にしたらタダじゃおかんぞ!」 俺はそのまま走った。走って逃げた。ニヤニヤ笑いを浮かべながら。 「おかえりなさい」 駅前公園に入ると喜緑さんが笑っていた。さっきのが聞こえていたようだ。 「喜緑さん、長らくお待たせしました」 「いかがでしたか」 「ええ。あいつも元気そうで安心しました」 「それはよかったですわ」 「あの長門、ヒューマノイドインターフェイスじゃないですよね」 「ええ」 「あれは人間の長門でしょう」 「あの子は長門さんがそうなりたくて生まれた長門さんです。八年前の十二月十八日に」 「ここがどういう世界のなのかなんとなくは分かったんですが、古泉の話だとあの日は確か未来からの干渉で上書きしたんじゃないですか?ええと、ベルヌーイ曲線でしたっけ」 「いいえ、上書きはされていないんです。ただわたしたちの時間軸から切り離されただけ」 「俺たちの時間とは別に存在してたんですか」 「そうです。十二月十八日の未明を境に、情報統合思念体によって切り離されたものなんです。この時間軸はわたしたちのいる世界とは二重化された世界。一枚の紙の裏側みたいなものですね」 なんだか難しい話になってきたが、つまり並行世界みたいなものか。長門も似たようなことを言ってたような覚えがあるんだが、思い出せない。 「でも、長門のエラーから生まれたこの世界をなぜ残したんです?」 「……」 喜緑さんはそこで少し考え込む様子を見せた。 「たとえばですが、キョンくんが別の世界を作ったとして、それが失敗だったからといって消してしまうでしょうか」 「難しいですね……」 前にも同じジレンマを感じた覚えがあるが、あれはいつのどんな事情だったか。ハルヒならそれをやりかねんが、俺自身がそれをやるかどうかと言えばたぶん無理だろう。どんな世界でもそれが最初から存在するべきでなかったなんてことは俺には言えない。少なくとも、そこに長門がいる限りは。 「時間線と世界線はつねに同じ点で繋がっているんです。時間のほうだけを都合よく修正することはできないんです」 「でもまさか、俺のいない世界が八年も存在し続けていたなんてショックです。俺自身が突然消えてしまったわけですから」 「ええ。わたしたちも放置していたわけではなくて、キョンくんの周辺はできるかぎり調整を施しました。この時空は、今は情報統合思念体の管理下にあります」 「ということは俺の家族なんかも、俺がいなくてもいつも通り生活してるわけですか」 「はい。長門さんが二重化したために複雑な修正を施してしまいましたが、今のところちゃんと機能しているようです」 単に時間を元に戻すだけだと思っていた、俺たち人間の考えが浅かったってことだな。そういうことならまあ、こっちの長門とハルヒと、それから朝比奈さんをよろしく頼みます。古泉?あいつは俺のコンプレックスの塊みたいなやつなんでどうでもいいですが。 「こちらでのみなさんはごく平均的な人生を過ごしている、と観測されています。ただひとり、あなた以外は」 そこで喜緑さんは俺に伺うような目線になった。 「これで……よかったでしょうか?」 「よかった、とは?」 「わたしたちは人の幸福という概念について研究して来ましたが、まだ不明な点が多いんです。それに関与する資格はないのかもしれません」 「それは人間自身にも分からないことですよ、きっと」 「キョンくん不在の穴埋めが本当にできたのかどうか分からなくて……」 銀河を支配する集団にしちゃえらく控えめなこの質問は、穏健派の喜緑さんだから腰が低いのか、あるいは、すべての派閥を代表する率直な気持ちなのか。 思い起こせば、あの日に起こったのは長門のエラーなんかじゃなかったのかもしれない。長門は俺に二つの人生を用意してくれた。毎日が全力疾走で手段を選ばず願望を叶えるハルヒに特殊な力を持った三人がそのフォローに追われる世界と、かたや、ハルヒの引き起こすドタバタに魔法や時間移動や超能力を使わなくても生きていける世界。 ハルヒだって長門だって、特別な力がなくても幸せになれるんだ。願望を実現する能力があってもなくても毎日がドタバタなのには変わりない。こっちの長門に会ってみてそれが分かった。どっちの世界の住人もそれなりに幸せを享受していて、それなりに苦労していて、ああだこうだ言いつつもやっぱりこっちがよかったとそれぞれが思うに違いない。隣の芝は青い、青すぎてそこに住んでみたくなるなんてことはなくて、いくら雑草がはびこっていても庭は庭、自分ちの敷地が住みやすいもんだ。 「喜緑さん、ボスに伝えてください、ありがとう、と」 喜緑さんのやや不安げな表情は消え、にっこりと微笑んだ。 「では、帰りましょうか」 「またいつか、来れますよね」 喜緑さんはただ微笑むだけで肯定も否定もしなかった。 喜緑さんが右手を上げて詠唱し、二人の周囲にぼんやりとオレンジ色の球体が生まれた。俺たちを包む球は最初ゆっくりと浮上し、地面を離れてからぐんぐんと急上昇した。町の明かりが次第に小さくなってゆき暗い宇宙が目の前に迫ってきた。だんだんと気が遠くなる。今までのことがすべて意識の彼方に飛んでいく。 気がつくと俺はベンチで眠っていた。公園だった。見上げると星が出ていた。 「喜緑さん?」 見回してみるが気配はない。先に帰っちまったのかそれとも最初からいなかったのか、もしかしたらあれはすべて夢だったんじゃないか。確かに眠ってはいたが夢にしちゃリアルすぎるだろ。 俺はかくも長き長編映画を見た後のような余韻に包まれ、しばらく頭がぼーっとしていた。気温はかなり下がっているはずだがなぜか顔だけは火照っている。メガネをかけた長門を思う後ろ髪を惹かれるような気持ちと自分の現実に帰ってきた安堵とがないまぜになって、浮かんだ花びらのように俺の心の水面をくるくると踊っていた。 やがて俺の長門のことを思い出し、エレベータの中での心臓が締め付けられるようなあのモヤモヤは少しずつ消えていった。 俺はポケットを探って携帯を取り出した。ベンチの背もたれに体を預けたまま星空を見上げ、呼び出し音を数えた。向こうの中河がどうあれ、こっちの中河には話をつけておかなければならん。俺のモチベーションが下がらないうちにな。 『なんだ、キョンか。どうした』 「おい中河、お前に言っておくことがあるっ」 必要以上にハァハァと鼻息が荒い気がするんだが、まあ普段からこういうことに慣れていないからだな。 『尋常じゃないな、なにがあったんだ』 「愛してるんだ。誰にも渡さん」 『は?大丈夫か、酔ってんのかキョン』 「俺は八年をかけてやっと本当の愛に目覚めたんだ。横槍を入れるやつは断じて許さん」 『気持ちは嬉しいんだがキョン、すまんが俺にはそういう趣味は、』 気のせいか前にも同じシーンがあったような。 「俺の女に手を出すなつってんだよ。お前がいくら体育会系アメフト出身でも喧嘩の相手くらいなってやるぞ」 体力勝負からいってタックルは無理だがコイントスなら勝てる自信はあるぞ。 『な……』 中河はしばし沈黙したまま、どう答えていいのか分からないようだった。 『もしかして長門さんのことか』 「あったりまえだろうが」 『その……なんだ。キョン、すまん。俺が思い違いしてたようだ。お前はてっきり涼宮さんと付き合ってるのかと思ってたんだ』 ま、またそれか。ったくどいつもこいつも俺とハルヒをくっつけないと気がすまんのか。 「ハルヒは古泉と付き合ってるんだよ」 『知らなかった、あのハンサムなニヤけ男とか』 ニヤけ男は合っているが、お前に言われるとなぜか腹が立つな。 「いくら長門が好きでも先に誰かに打診するもんだろうが。たとえば俺にだな」 『そうだな。いや、八年前に道化師を演じた大失態があるから分かってくれてるだろうって思ってたんだが』 まあ、気持ちは分からんでもない。あの一件以来、中河といや俺たちの間ではピエロだったからな。 『どうだ、これから飲みにいかないか。お詫びに俺のおごりだ、長門さんも呼べばいい』 俺は腕時計を見たがすでに十時を回っていた。あ、ええっと、どうだろう。 「今ちょっと長門とトラブっててな、今日は無理だな」 『なにかあったのか』 「お前のせいで長門を怒らせちまったんだよ。俺と中河の好きなほうを選んでいいなんてことを言っちまったのさ」 『俺もかっこ悪いが、お前も相変わらずだな』 携帯のスピーカーから中河の笑い声が漏れてきた。つられて俺も他人事のように笑った。 『まあ、俺が言うのもなんだが、長門さんを大事にしろ。ああいう女性は滅多にいない』 当たり前だろ。長門みたいな女は世界中、いやこの宇宙のどこを探しても見つかるまい。この銀河を統括するやつらの中でもユニークな存在なんだぞ。 「ああ、それからな中河」 『なんだ』 「今回の買収の件なんだが、ほんとは長門が欲しかったんだろ」 中河は少し黙り、電話の向こうではたぶん顔を赤くしているんだと思うが、 『図星だ。長門さんと二人で仲むずまじく会社経営なんて甘い夢を見てた』 「なんとまあ、お前もよく夢を見る男だな」 中河は、それが俺の生きるためのエネルギーさ、と言って笑った。 「ここんとこ会社の株価が上がってるのはお前の仕込みなのか」 『ああ、あれか。俺自身は関与してないがグループ内の金融機関でやってる買収の資金繰りみたいなもんでな、一部は別会社を経由してSOS団に流れるはずだった。厳密に言えばまあインサイダーなんだが』 自社の株価を操作して資金調達する仕組みになってたのか、知らなかった。 「買収はきれいごとばかりじゃないってことか」 『ああ。だが長門さんの協力が得られないのなら今回の話はあきらめようと思う』 「まあそう急ぐな。無理に傘下にしなくてもビジネスパートナーとして付き合っていけばいいじゃないか」 『長門さんが許してくれればいいんだが』 「あいつは根に持つやつじゃないさ。ひとこと詫びを入れとけばいいだろ」 『そうか。お前にも悪いことしたよ』 中河は悪いやつじゃない。女のことになるとちょっと空回りするってだけだ。空回りしすぎてひとりクラッシックバレエを踊ってしまうことも多々ありだが、世の中に男と女がこれだけいりゃ、こういうこともあるさ。 『なあキョン』 「なんだ」 『あのときの長門さんの怒った顔』 「それがどうした」 『正直、惚れた……』 な、中河てめえ!この期に及んでホの字になってんじゃねえ。 四章へ