約 24,298 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2723.html
Report.24 長門有希の憂鬱 その13 ~朝倉涼子の手紙~ それにしても気になるのは、涼宮ハルヒが見たという夢。朝倉涼子が出てきたという。そして、あの『手記』を見せられた時の突然の閃き。あの時わたしは、誰かが囁く声を聞いたような感覚を覚えた。 あれは何だったのか。わたしの感覚器の誤作動か。 ここでわたしは、ある仮説に辿り着いた。喜緑江美里にその仮説を伝えると、彼女もそれを支持した。しかしその仮説を検証することはできない。なぜなら、それはわたしの感覚では知覚できないから。 江美里は、あるいは知覚しているのかもしれない。 「わたしが知っているかどうかは、不開示情報です。もし知っていたとしても、それを長門さんに教えるつもりはありません。……意味が無くなってしまいますから。」 わたしが辿り着き、そして検証することができない仮説。 それは情報統合思念体の把握している情報には存在しない概念。むしろ、人間に存在する概念。だから、あえて人間の言葉で表現する。 朝倉涼子は、『あの世』に逝った。 説明を要する。 人間には『宗教』が存在するが、人間の『死』についての概念は宗教によって区々。 代表的なものは、死ねばそれですべてが終わるという概念と、死んだ後、別の世界に行くという概念。わたしの仮説は、後者の説を採用する。 最期のあの日。橋の欄干から飛び降り、『入水自殺』した涼子。あの時彼女は、落水後すぐに、意図的に水を大量に飲み込んだ。ヒトとしての『死』を迎えるために。当時のわたしは、人間の言葉で言えば『動転』していて、正常な判断を下すことができなかったので、そのことに気付かなかった。 しかし落ち着いた今、冷静に当時のログを分析してみると、前記の状況を把握した。あの時の涼子は、情報統合思念体との接続を完全に切断していた。インターフェイスとしての機能を完全に停止させたまま、水中で『呼吸』しようとすればどうなるか。 当然、ヒトと同様に生命活動は停止する。もちろん、その後再接続すれば、何事もなかったように活動を再開できるが、その時の涼子には、その選択肢はなかった。待つのは有機情報連結解除だけ。だから、なぜ涼子がそのような『無意味』な行動を取ったのか、その時のわたしには分からなかった。 呼吸器官を水で満たしても、すぐに『死亡』するわけではない。しばらくは意識もあるし、生命活動は続く。それが急速に生命活動が低下し、死に至る。その過程は、ヒトと同じ。よって、たとえインターフェイスであっても、その瞬間には相当な苦痛を伴う。それなのになぜ。 その考察の結果、辿り着いたのが、前記の仮説。涼子は、人間で例えると『霊魂』として『あの世』で活動しているのではないか。 情報統合思念体との接続を切断した状態では、情報統合思念体は即座にインターフェイスの情報を把握することができない。ほんの僅かながら、情報取得までに時間差が発生する。 涼子は、その時間差を突いたのではないか。『肉体』が機能を停止し、情報生命体だけの状態となって、情報統合思念体に強制的に接続され、情報生命体は回収、肉体は有機情報連結を解除されるまでの、ほんの僅かな時間差。この刹那に、涼子は持てる情報操作能力を総動員して、情報統合思念体が感知できない領域に潜り込み、その管轄から外れることに成功したのではないか。 情報統合思念体が感知できない領域があることを、情報統合思念体は認めないが、わたしは確信している。涼宮ハルヒの能力が作用すれば、そんなことも可能になる。 しかし、ここで一つ問題がある。ハルヒは涼子の消滅を知らないはず。 まさか……涼子単体で? 答えは意外な形でもたらされた。 ある日のこと。全員揃った部室にノックの音が響く。 「どうぞー。」 答えたハルヒの声に、江美里が入室した。 「文芸部宛てに手紙が届いたので持ってきましたよ。」 江美里がもたらした物は、エアメールだった。差出人は……“ASAKURA Ryoko”。 ハルヒに手紙を渡すと、江美里は退室した。 ハルヒは手紙を一瞥すると、嬉々として読み上げた。内容は『近況報告』と言えるものだった。 手紙の締め括りはこう。 ――文芸部部長 長門有希様、SOS団団長 涼宮ハルヒ様へ - To Leader of the literature club NAGATO Yuki, Leader of the SOS brigade SUZUMIYA Haruhi ――SOS団海外特派員(笑) 朝倉涼子より - Than the SOS brigade foreign correspondent -) ASAKURA Ryoko 締め括りは、日本語と英語で書かれていた。 「うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしとぉみたいやね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?」 【うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしてるみたいね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?】 「へいへい。」 『彼』は、肩をすくめながら返事をした。表情には、事情を知っているせいか、若干戸惑いが見て取れる。それは、他の団員達もまた同様だった。 「ん? 何(なん)か入っとぉわ。」 【ん? 何(なん)か入ってるわ。】 ハルヒは同封物に気付いた。彼女は早速それを出してみる。 「これ、何(なん)やろ?」 【これ、何(なん)だろ?】 出てきたものは、栞。……涼子と過ごした最後の日に、涼子がわたしとお揃いで買った物だった。ハルヒもその事実に気付いた。 「そういえばこれ、有希が使ってるのと一緒違(ちゃ)う?」 【そういえばこれ、有希が使ってるのと同じじゃない?】 わたしはこくりと頷いた。 「貸して。」 わたしはハルヒに向けて手を伸ばした。 「有希、これがどうかしたん?」 【有希、これがどうかしたの?】 ハルヒからそれを受け取ると、わたしはそれを少しいじった。 「うわ!? 何(なん)か出てきた!」 「これはUSBフラッシュメモリ。」 ちょうどページをめくるように本型の飾りを操作すると、中から簡素化されたUSB端子が現れる仕組みになっていた。 ここでわたしは思い当たった。別れの間際、最期の瞬間に涼子が遺した一かけらの情報。その情報にはヘッダとして、『器へ』という指示が付いていた。 『器』とは、もしかして、人間が使用するこのストレージデバイスのことではないのか。 わたしは試しに、情報をこのフラッシュメモリに導入してみた。特に変化は見られない。 「じゃあ、早速中を見てみよか。」 【じゃあ、早速中を見てみようか。】 フラッシュメモリをハルヒに渡すと、彼女は団長席のパソコンにそれを接続した。 「うーんと、中身は……よぉ分からんファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。」 【うーんと、中身は……よく分かんないファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。】 「ちょ! おま、ウィルスチェックしてから……っ!」 『彼』が慌てて止めようとするが、時既に遅し。ハルヒは謎の実行ファイルを実行してしまった。何か問題が起きても、すぐに対処できると見て、わたしは静観する。 「ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』やって。」 【ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』だって。】 しばらくパソコンのファン音が大きくなり、やがて処理が終了した。 「何(なん)かビデオファイルができたわ。ほな、再生するから、みんなこっち来て。」 【何(なん)かビデオファイルができたわ。じゃあ、再生するから、みんなこっち来て。】 団員達を団長席に呼び寄せると、ハルヒはビデオファイルを再生した。 内容は……カナダで撮影したという、涼子からの『ビデオレター』だった。 『――以上、SOS団海外特派員・朝倉涼子がお届けしました! ……なんちゃって♪』 映像の涼子は、そう言うとちろりと舌を出した。 『また、日本に帰ってみんなと会える機会があると良いな。じゃあね。』 手を振る涼子の姿が煌めく砂と化して風に溶けると画面が暗転し、『劇終』の文字が黒い画面に映されて、ビデオは終了した。 この『ビデオレター』は、もちろん捏造。実際のカナダの映像と、涼子の身体構成情報を合成してある。わたしが導入した情報は、どうやら涼子の身体構成情報の一部だった模様。 それにしても手の込んだこと。一体、誰が、何のために? 「普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージやないの。」 【普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージじゃないの。】 ハルヒは満足げに頷いている。 「カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じやね。」 【カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じよね。】 ハルヒは腕を組んで椅子の背もたれにもたれると、 「これは美味しい逸材かもしれへんわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しよか。」 【これは美味しい逸材かもしれないわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しようかしら。】 「大変結構なことかと。」 「おいおい、まさか映画の撮影のためだけに、カナダから呼び出すつもりか!?」 いつもの通りハルヒの意見に逆らわない古泉一樹と、ツッコむ『彼』。 「さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りひんようになるから、次に朝倉が帰国する時やな。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんたらは心配せんでええわ。」 【さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りなくなるから、次に朝倉が帰国する時ね。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんた達は心配しなくて良いわ。】 ハルヒは封筒と便箋をためつすがめつし、 「電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけばええのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなあかんな。」 【電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけば良いのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなきゃね。】 調べてみたところ、その住所は架空のものだった。地名は存在するが、そのような番地はない。 「それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果やな。CGやろか?」 【それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果ね。CGかしら?】 それ以外にも、例えば空を飛びながら撮影したような映像や、涼子が分身した映像等、様々な映像が納められていた。まるで、インターフェイスの能力を誇示するかのように。 「どうやって撮ったんか分からへんけど、まるで、朝倉が人間違(ちゃ)うような感じやったな。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。」 【どうやって撮ったのか分からないけど、まるで、朝倉が人間じゃないような感じだったわね。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。】 『宇宙人』。その言葉にわたしは驚愕した。驚愕のあまり、『彼』にしか分からない程度に目を見開くくらいに。 涼子は、ハルヒに自分の存在をアピールしている? 忘れさせないように、思い出させるように、教えるように。 まさか。 涼子は、ハルヒの能力を利用して『復活』を企てている? 涼子が情報統合思念体の管轄を離れた独自の情報生命体として活動しているとは、あくまで仮説の域を出ない。検証のしようもない。それに、今この瞬間にも、涼子の存在は検出できない。やはり考え過ぎか。 『抵抗。』 不意に、通信が入った、ような気がした。……涼子? ――――。 返事がない。ただのしかば……いや、何でもない。人間の言葉で表現すると『気のせい』か。後ろを振り返ってみても、何もない空間が広がっているだけだった。 活動終了後。 わたしは、皆が帰った後の文芸部室に江美里を呼び出し、問い詰めた。 「どういうつもり。」 「何のことでしょう?」 江美里は、透き通るような、人畜無害な笑みを浮かべたまま答えた。 「とぼけないで。」 わたしは更に言い募る。 「あなたが、『朝倉涼子の手紙』を持ち込んだ。あれは本来、この世界に存在し得ないはずの物品。」 そう。そのような……『死者からの手紙』など、本来この世界にはあり得ない物。 「わたしは単に、誤って振り分けられた手紙を適切な宛先に届けただけですよ? 感謝されこそすれ、非難される謂れはないと思いますが。」 あくまでとぼけるつもりか。 「あなたの行動は、情報統合思念体に対する『反乱』と解釈されても仕方のない行為。」 「まあ。」 江美里は『驚いた顔』をした。……つまりは、作った表情。 「この銀河を統括する、情報統合思念体に対して『反乱』だなんて……」 江美里は被りを振って、 「わたしみたいな、『ただの人間ごとき』に、そのような大それたこと、できるはずがないじゃないですか。」 ……自分をして、『ただの人間ごとき』? どの口が言うか。 「いひゃい、いひゃい、ひゃへへふひゃひゃい~」 【痛い、痛い、やめてください~】 わたしは、江美里の口に両手の指を突っ込んで横に引っ張っていた。 「ひょんとうのほほははひはふはら~」 【本当のこと話しますから~】 わたしが指を引き抜くと、江美里はさも痛そうに自分の頬を撫でた。 「ふう。」 「本当のことを話して。全部。詳らかに。」 江美里は、しばらく中空に、まるで何かを確認するかのように視線を巡らせた後、口を開いた。 「あなたは、神を信じますか?」 ………… 「は?」 思わず間の抜けた声が出てしまった。あまりにも突拍子もない言葉だったから。 「あらあら。その反応は新鮮ですね。」 ………… 「まあ、今のは軽いジョークです。だから、その手はとりあえず下ろしてください。ね?」 後ずさりしながら江美里は言った。わたしは静かに、再び江美里の口に突っ込もうと臨戦態勢を取った手を下ろした。 「長門さんは、朝倉さんについて、ある仮説に辿り着きましたね。」 わたしは頷く。 「端的に言えば、その仮説は正しかった、ということです。」 涼子は、『霊魂』又は『幽霊』、若しくはこの国の伝統的な宗教によれば、『神』になった。 「そして、情報統合思念体でさえも把握できない次元に潜り込むことに成功したのです。」 荒唐無稽で、俄かには信じ難い話。でも、そう仮定すれば辻褄が合うのも事実。 「潜伏した朝倉さんは、水面下で行動を起こしています。」 様々な形でわたし達に働きかけながら。例えば、消去された記憶を呼び覚ますために夢を見させたり、適切な定義を耳元で囁いたり。 だが、行動を起こしているのは涼子だけではない。わたしは江美里を真っ直ぐに見ながら言った。 「その行動を幇助しているのが、あなた。」 江美里はわたしの視線を真正面から受け止めながら、 「なぜそう思ったのですか?」 と、事も無げに問い返した。わたしは証拠を突きつける。 「あの『手紙』には、同封物があった。」 同封されていた、USBフラッシュメモリが付いた栞を取り出した。 「これは、あの日涼子がわたしとお揃いで購入したもの。」 「市販品ですから、他にも同じものが沢山あると思いますが?」 普通に考えれば、そう。だが、 「同封されていた栞は、市販品ではない。このような機能は、通常の商品には付いていない。」 USB端子を露出させる。本来この飾りには、何の機能もない。だが送られてきた栞の飾りには、USBフラッシュメモリが仕込まれていた。そのように改変されていた。 「その中には、存在しないはずの動画が収められていた。」 主演・朝倉涼子、のビデオレター。 「その動画は、わたしが朝倉涼子から受け取っていた最期の情報を埋め込むことで、完成された。」 涼子の身体構成情報を基に、高度に再現された涼子の映像。 「このような真似ができる者は、涼宮ハルヒを除いて人類には存在しない。」 そしてこのような手の込んだ方法で情報を完成させたのは、恐らく情報統合思念体の目を欺くため。それぞれの端末が持つ情報単体では、何の意味も成さないただのノイズにしか見えない。また、それらの情報を単に情報統合思念体の持つ方法で結合しても、やはり何の意味も成さないようになっていた。 鍵は、栞。 栞に仕込まれた、人間が使用する記憶媒体に、人間が使用する情報機器が取り扱える形で情報を埋め込むと、初めて『人間にとって』意味のある情報が生成されるように断片化し、暗号化されていた。 これは情報統合思念体に対しては極めて有効な隠蔽方法。たとえ情報統合思念体が情報の暗号化を見破って生成された情報を手にしても、情報統合思念体にとってはやはり意味を成さないノイズでしかない。なぜなら、その情報は情報そのものには意味がないから。 これは、情報生命体である情報統合思念体には、なかなか理解できない概念。有機生命体でなければ、理解できないのかもしれない。 この情報を取り扱うためには、情報を『情報』として再生しても意味がない。この情報の送り主の『意図』を再生しなければならない。 『なぜ』このような情報を、『誰』に対して、『どのように』伝達したのか。 これらの点を、送られた情報以外の『状況』から『推理』し、その『趣旨』を『解釈』しなければならない。 情報統合思念体にとって、情報とは『目的』。情報そのものに価値があるのであって、情報を伝える手段等には何ら興味はない。 しかし有機生命体……人間にとっては、情報は時に『手段』となる。 人間が取り扱う情報は、情報統合思念体から見れば、極めて不完全。情報の伝達には常に齟齬が発生する。その点を逆に利用する。 一見正常な、普通の情報があったとする。その情報は、通常の再生方法では、特に変わった意味を持たない。だが、その情報の『背景』から『連想』することで、全く別の情報が生成されることがある。そしてその生成された別の情報こそが、『目的』としての情報である場合がある。 これは、情報に込められた真の情報、メタデータ。ある意味で『偽装』。このような情報の伝達方法は、情報統合思念体等の情報生命体には、考えも付かない。 なぜなら、情報生命体の情報伝達は、完璧だから。完璧過ぎるから。少なくとも同種の情報生命体同士なら、齟齬なく情報を伝達できるから。 人間は、同じ人間同士であっても、情報の伝達には常に齟齬が発生する。これは、情報統合思念体――情報生命体――から見れば、重大な構造的欠陥。しかし人間は、この構造的欠陥を補い、逆に活用する術を見付けた。情報の伝達に齟齬が発生するならば、齟齬を見込んで情報を冗長化して伝達すれば良い。 その冗長化の手段として、伝達する情報そのものには仮の意味を持たせ、本当に伝達したい情報はメタデータに埋め込む。メタデータの再生方法は、人間が最も得意とする情報処理方法……『連想』に拠らせる。 人間の『連想』では、その処理を行う際に『鍵』となる情報によって、再生結果が左右される。もしその『鍵』となる情報を共有する者同士なら、『連想』された情報は極めて高い精度で、時には人間の通常の手段で伝達する情報よりも高い精度で、伝達したい内容を再生する。 しかし、その『鍵』となる情報を共有しない者同士では、伝達したい内容はほとんど再生されない。また、場合によっては、全く逆、あるいは全く別の情報に再生されることさえある。 この特性を利用すれば、人間の持つ程度の情報伝達手段、つまり不特定多数を経由しないと情報を伝達できない仕組みであっても、特定の相手に対して選択的に情報を伝達することが可能となる。また、同様に不特定多数に対して同じ情報を伝達しながら、情報の受け手によって再生結果が異なることを利用して、情報の攪乱を図ることもできる。 これらのことは、別々に行うことも、同時に行うことも可能。 今だから言う。わたしはこの手法を用いて、情報統合思念体に『隠し事』をしていた。朝倉涼子から受け取っていた最期の情報の内容を、この手法で意図的に伏せていた。 理由など説明できない。わたしが伝えたくなかったからとしか言えない。 また、今もわたしは『隠し事』をしているかもしれない。あるいは、もうしていないかもしれない。これも明言はしない。したくないから。 では、なぜわたしは今になってこのような『告白』をしたのか。理由はあえて言わない。言ってしまっては『意味』がない。 情報統合思念体は、これらの点についてよく考えるべき。そうでないと、朝倉涼子の、喜緑江美里の、行動は理解できない。 これは私見だが、この二体の、あるいはわたしを含めた三体のインターフェイスの行動が理解できなければ、人間の行動は到底理解できない。すなわち、情報統合思念体に未来はない。そう思う。 ヒントは、後の報告にあるかもしれないし、ないかもしれない。よく考えてみてほしい。 ←Report.23|目次|Report.25→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3179.html
いつものなにも変わらない帰り道。 ハルヒがいないので、4人比較的かたまって歩いている。 ただ、長門があれを着ているのはちょっと恥ずかしいが。 そんな俺らの行く道を塞ぐように二人の男が立っていた。 年は離れていそうだな。俺より年齢は上だろうが、青年ともう片方はおじさんだ。 そして、長門が身にまとっているのと同じものを着ている。 古泉「彼らは…?」 キョン「どうみても俺達に用があるみたいだな。」 長門「・・・敵性ではない。」 みくる「あの人たち、教科書に出てた人にそっくりです。」 キョン「朝比奈さん、それは絵でしょう?そんなに・・・」 朝比奈さんはさえぎるようにこう言った。 『未来の教科書は絵と文字ではありません。映画のようなもので勉強します。』 つまり、教科書は今とは果てしなく違い、動画を見るようだ。実に楽しそうだ。 先生がいいとこで止めるので、次の授業が楽しみなんですぅ。とまで言っていた。 俺たちが止まっているのを見て、青年が近づいてきた。 少し手前で止まり口を開いた 。 青年「君たちと話をしたいと思う。特に彼女の事で」 長門・朝比奈さん・それから古泉がそろって俺を見る。やれやれだ キョン「あなたたちは誰ですか?」 青年「決して怪しいものではない。」 キョン「あなた達がこの子に何かしたんですか?」 そういって長門の頭にポンと手を置く 青年「それを我々も知りたいと思っている。だから話をしたいと願う」 長門「・・・いい」 急に長門が口を開くと青年に近づいて行った。 青年は「恩にきる」といって右手を左手に重ねお辞儀をした。 古泉「あなた方は一体…?」 青年「私はオビ=ワン・ケノービ。あちらは私の師匠クワイ=ガン・ジン」 みくる「あわ・・あわわわ・・」朝比奈さんが震えだした キョン「どうしました?」 みくる「ななな名前も一緒です…」 これはもはや偶然ではないだろう。 朝比奈さんの言っていた話の事を聞いてみる。 キョン「あの・・・あなたも光る剣を持っているんですか?」 オビワン「ライトセーバーのことかな?」そういってシルバーの筒を出した。 長門「・・・私も持っている。」長門も差し出す。 オビワン「私たちは、このことで話があって君らに会いに来た。銀河系の彼方から」 古泉「ということは、宇宙の別の惑星から?」 オビワン「それも含めて話そう。こちらへ」 いつのまにか後ろにいたおじさんはいなくなっていた。 オビ=ワンの後をついて行くと、長さはバスくらいの乗り物―あえて宇宙船と言おう―が停まっていた キョン「これは…?」 オビワン「私とマスターが乗ってきた船だ。」 長門「・・・・・・」 待て、こんなことがホントに起きていいのか。宇宙船に乗って違う惑星から来た人間 長門に芽生えた変な力と光る剣。なんなんだ、これは。 クワイ「ようこそ。」 さっきまでいたおじさんがそこにいた。 長門が来ている服を中では脱ぐようだ。オビワンも脱いでいる。 彼らの服装は俺らがいう「洋服」と言ったものではない。 イメージ的には、砂漠に住む人が来ているような服だ。 クワイ「話は聞いているだろうが、我々はここから遠く離れた銀河の彼方からってきた。」 キョン「長門の力を知って…ですか?」 クワイ「ナガト…と言うのか」 長門「・・・長門有希」 クワイ「よろしく、私はクワイ=ガン・ジン」 古泉「長門さんの力は何なのですか?」 クワイ「この力のことかな?」 そう言うとクワイは、近くに置いてあった服を吸い寄せた。 長門「…わたしもできる」 クワイ「この力は『フォース』と言って普通なら生れながらにしか持てない力だ」 キョン「じゃあ、なぜその力が長門に…?」 クワイ「それは我々にもわからない。さっき彼女のフォースの源の力の数値を図らせてもらった」 キョン「長門を調べた?どうやってですか?」 オビワン「こいつでだ。」 オビワンの後ろから、小さなロボットがて来た。三本脚でローラーで進んでいる。 長門「・・・ユニーク」 みくる「あ、私が部室に入るときドアの前に置いてありました。ロボットだったのかぁ」 朝比奈さん、これはどう見てもロボットです。コンピ研でも作れないでしょう。 クワイ「彼女のフォースは鍛えれば我々をも上回る。ジェダイになれる。」 古泉「ジェダイとはなんですか?」 クワイ「簡単にいえばフォースを使い、戦うものだ。光と闇の勢力がある。」 その時だった。 オビワン「マスター!やつが近付いてきます!」 クワイ「船を出せ、私が食い止める」 外を見ると、バイクのようなものに乗った人影があった。 空からぐんぐん近づいてくる クワイ「ナガト!いずれ、また会おう。」 長門「・・・わかった。」 クワイは外へ出て行った。俺も長門も古泉も朝比奈さんも彼を見ている。 筒を手に取ると、光の剣となった。長門とは違い緑色をしている。 相手の男は、茶色ではなく黒の上着を着ている。赤の光の剣だ。 オビワン「やつは悪のジェダイの騎士。悪のジェダイを暗黒面(ダークサイド)と呼んでいる」 俺たちの中で言葉を発するものはいなかった。 映画でもなく現実で、剣と剣の混じり合いを見ているのだからな。 火花が散り、お互い攻め合い防ぎ合い、目をつむりたくなるくらい、迫力があって怖い 朝比奈さんは、すでにパニクっているが俺もどうにかなりそうだ。 オビワン「一度地球から出る。マスターからの連絡があり次第戻る」 おい、地球から出るって俺たち大丈夫なのか?ハルヒがいないのが幸いか・・・ それにしても、大変なことになったな。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5232.html
六 章 Illustration どこここ 頼んでいたマリッジリングができたという連絡が入り、俺と長門は受け取りに行った。当然だが俺が長門のをもらい、長門が俺のを預かる。こっそり蓋を開けてみたがポツリと埋め込まれた小粒のダイヤがなかなかにかわいい。リングの裏側には長門デザインの宇宙文字の半分が刻まれている。これが俺たちの絆になるんだよなあ。 招待客のピックアップだけして、会場と衣装の用意はハルヒが一式任せろというので放っておいた。長門の招待客リストを見ると俺とほとんど被っていて、うちの社員とハカセくん、機関の顔見知り、トータルで二十人にも満たない。 「俺たちの知り合いって、数えてみると意外に少ないんだな」 「……そう」 「じゃあ高校のときの同級生なんかも呼ぶか」 「……いい」 頭数といっちゃ失礼かもしれないが、式場と披露宴会場を埋めるために阪中に頼んで同窓生名簿をFAXしてもらった。三年五組の卒業生全員と、あとはENOZのメンバーくらいか。ああ、岡部を忘れてた。ハルヒが披露宴の客を百人集めろと言っていたのだが、いくらかき集めてもそんなにいないよな。 「長門、大学院の先生とか同級生も呼んでくれ。人数が足りない」 「……分かった」 もう“ご出席・ご欠席”の返事をもらうのがめんどくさくて、来たいやつは来い、来れないやつはメッセージでもよこせと一方的に招待状を送りつけた。いったい何パーセントの人間が集まるのか予測もつかんが、まあなんとかなるだろう。 俺たちの周辺はほとんどが学生の頃からの付き合いばかりで、SOS団の奇矯な活動ぶりを知らないやつはいないんだが、招待された客の中でハルヒを知らないやつらが初めてハルヒを見たらさぞかしぶったまげるに違いない。 そんなこんなしているうち、式もいよいよ翌日と迫り、なんだかやり残したことがまだありそうな気がして妙に不安にかられるんだが、思いつく限りの用意はしたはずであとは野となれ山となれって気持ちだ。 式の前日はなにもすることがなくひとりで自室にこもっていたのだが、どうも落ち着かなくて長門にこっそり電話をかけた。 「な、なあ。今日お前んちに泊まろうと思うんだが」 このひと言を言葉にしてノドから出すのにやたら緊張して目が泳いでいた。 『……すまない。今日は、用事がある』 意を決してお泊りを申請したのだがあっけなく却下された。ホッとしたというか、でも少し寂しいみたいな。 「そうか。いやいいんだ。式が終わったらお前んちに引っ越すわけだし」 にしても、俺が泊まれない用事ってなんだろ。 『……涼宮ハルヒの部屋に呼ばれている』 「あ、もしかしてあれか。花嫁の女友達を呼んで式の前日にやるとかいう、」 バ、バチェラーパーティかよ!マッチョなストリッパーを呼んでテーブルの上で腰をクネクネ躍らせたり着てるもんを剥ぎ取ったりしねーだろな。俺はハルヒと長門が一万円札を筋肉隆々ストリッパーのパンツに挟んでいるところを妄想してしまい頭を振った。 長門曰く、今までハルヒの部屋に泊まったことがなかったので、これが最後だからと呼ばれたのらしい。最後というか結婚してもたぶん呼ばれると思うぞ。俺たちの新婚生活に探りを入れるためにな。 その日俺は自室のベットでまんじりともせず眠れない夜を過ごしていた。家の中は緊張感とも期待感とも惜別の思いとも言えない奇妙な雰囲気に包まれていた。妹も両親もやけに無口で、テレビの画面を意味もなく眺めるほかは思い出したように長門のことを聞いてくるくらいだった。俺もああとかうんとか曖昧に答えるだけで、どうもこの家から出て行くという実感がないことに戸惑っていた。シャミだけが変わらず俺の足元をぐるぐるとまわって甘えている。 「キョンくん、シャミはどうするの?連れて行くの?」 「こいつはこの家が気に入ってるようだから置いてく。お前が面倒みてやれ」 「うん、分かった。シャミ~明日からあたしと寝るんだよ」 シャミセンはそんな我が家のイベントを知ってか知らずか、猫マフラーをしようとした妹の手から逃げた。猫ってのはそうあれこれかまってやることはないんだが。人形のように動物を扱う妹には犬のほうが合ってるかもしれん。 「ああそれからな、俺の部屋にあるテレビとかゲームとか全部やるわ」 「ほんとう?わーい」 貸していたハサミは結局俺のところには戻ってこなかったが。 ベットの上でじっと天井を見つめたままなんだか落ち着かない。不安とかそんなありきたりな感情ではなくて、ここから俺のなにが変わるんだろうかという一抹の……なんだろう。言葉にならない。生活のスタイルだけが変わって俺自身はなにも変わらないのだろうけれど。気持ちとしては長門と二人でうまくやっていけるかという迷い、あるいは長門が家族になることへの戸惑いか、俺なんかが長門を幸せにしてやれるのかという疑問か、たぶんそんなところだ。もう長門とは呼べなくなるよな。 「有希、有希、か」 口に出して言ってみたがどうもしっくりこない。いっそのことのろけモードでユキリンと呼んでみようか。 「なあユキリン」 「……なに、ダーリン」 などと周囲がブリザードに見舞われてしまいそうな二人の会話を想像して俺は枕をボスボスと叩いた。やたら恥ずかしいじゃないか。 にしてもあいつら今ごろなにしてんだろ。ハルヒと長門がその夜なにをしているか俺の知るところではないのだが、── これもまた後になって聞いた話だ。 ハルヒが電灯のヒモをパチリと引いて消した。そのままスヤスヤと寝息が聞こえてくるのかと待っていたがそうでもなかった。長門はじっと息を潜めてハルヒが眠りにつくのを待っていたのだが、どうやらハルヒも長門が眠るのを待っているらしいのである。 「有希、どうしたの?」 「……眠れない」 「そうよね。あたしもなんだか頭に血が登っちゃって眠れないのよね。遠足の前の日とか、旅行に行った先の宿とかね」 「……一種の興奮状態」 「そうそう、アドレナリンが漏れ出してる感じね」 ハルヒが唐突に切り出した。 「ねえ有希」 「……なに」 「前から思ってたんだけど」 長門には、どこかでギクという音が聞こえたそうだ。 「キョンってふつうじゃないわよね」 「……ふつう、とは」 「はっきり言うけど笑わないでよね。キョンってもしかしてふつうの人間じゃないんじゃないかしら」 「……それは、わたしも疑っていた」 「でしょでしょ、有希もそう思うでしょ。あいつはほかのやつとはどこか違うって、会ったときから思ってたんだけどね。もしかしたら宇宙人とか」 暗闇の中で、長門はどう答えようかと何パターンもの会話のやりとりを計算した。 「なんでそう思ったかというとね、あのね、秘密だけど、古泉くんは実は未来人だったのよ」 「……」 「実を言うと十年前に一度古泉くんに会ったことがあるの」 ハルヒは誰にも教えてない秘密を打ち明けるように目をキラキラと輝かせて言った。まずい、これはまずい。ハルヒが危険エリアに近づきすぎている。といっても明後日の方角だが。 「……そう」 長門はどう反応したものかずいぶんと迷ったそうだ。ハルヒと古泉が遭遇したいつかの七月七日、その場に居合わせていたがために、話を合わせるのも知らぬ存ぜぬとごまかすのも困難を極めた。 こういうときは相手に話をさせるに限る。 「……詳しく」 「聞きたい?聞きたいでしょ。あたしもまさかあそこで未来人と遭遇するとは夢にも思ってなかったわ」 ハルヒがモノローグを延々続けるどっかの主人公のようにもったいぶって言うと、長門もしょうがなしに釣られたふりをした。自分も古泉を未来人に仕立て上げた一味なのだが。 「……かなり、興味がある」 「あたしが中学生のころなんだけどね。夏だったかな、夜中に中学校の運動場に地上絵を描いたことがあったのよ」 「……どんな絵」 「なんていうかね、あたしが勝手に作った宇宙文字なんだけどね。この広い宇宙にもし人類以外の知的生命体がいるなら、あたしのところに来なさい、みたいな意味のね」 「……それは、新聞で見たことがある」 「そうそう、地方欄に出たのよあれが。謎の地上絵出現とかタイトルがふってあってもう笑っちゃったわ」 「……」 「でね、運動場に忍び込もうとしたとき古泉くんにバッタリ会ったの。そのときは近所のおっさんだと思ってたんだけど、よくよく見るとこっれがまたいい男なのよ」 「……」 俺だったらハルヒのノロケ話なんかまともに聞いていられなかっただろうが。長門はコクコクとうなずいて真剣に聞き入っていた。 「絵を描いたあと二人で少し話してたんだけど、宇宙人も未来人も超能力者もいるって言うじゃない。思ったわ、これこそあたしの求めていた人だ、ってね」 「……それで、好意を持った」 「ううん、そのときはまだそういう気分じゃなかったの。あたしはもうどっかにいる宇宙人に送るメッセージのことで頭がいっぱいでね。それから二三日してからだったわ、古泉くんのことをもっと聞いておけばよかったと思ったのは」 「……そう。四字熟語を用いるなら、一期一会」 「まさにそれよ。チャンスはそうそう訪れるもんじゃないわ。人生で一度あるかないかってこともある。それを逃したらもう後は後悔の日々よ。思ったわ、どうしてあのとき古泉くんの電話番号を聞かなかったのかって」 「……」 「あんたも、幸せになるチャンスは絶対逃しちゃだめよ。乗り損なったら、それからはつらいだけだからね」 「……分かった」 しみじみとうなずいてみせる長門だった。 「でさあ、古泉くんが未来人ってことはよ?もしかしたらキョンは宇宙人で、みくるちゃんは超能力者かもしれないじゃない」 「……そう、かもしれない」 そこで話を合わせるにはかなり無理があるが。 「で、思ったわけよ。あんたも実はなにかしら特殊な能力があるんじゃないかって」 話はそこにたどり着くわけか。さて、長門がどう答えたか。 「……」 「あたしの勝手な妄想だけどね。そうだったら楽しいじゃない」 「……実は」 「え?」 「……わたしは、魔法が使える」 ま、まじか。いよいよ正体が明かされるのか。 「どんな魔法?」 「……見て」 長門は寝たままの姿勢で、なにかを包むように両手を合わせ、ゆっくりと手を開いた。真っ暗な部屋のまんなかで、黄緑色のぼんやりとしたホタルのような光が手のひらの上にともった。 「すごいすごい、きれい」 ハルヒは闇の中にともるその光を呆然と見つめた。 「どうやってやってんのこれ」 「……ただの、手品」 「タネは?」 「……内緒。教えると価値が下がる」 「そ、そうね」 それは手品じゃなくて長門の本当の魔法だったのだが、ハルヒにとってはどっちでもよかった。 「きれいね。形があるわけじゃないのね」 長門の手の中で光るホタルのようなものに触れようとして、そこには形も熱すらもないことを不思議そうに見ていた。 「……そ」 長門は手を握り、光を消した。もう一度開くと何もなかった。 「へー、こういうのやれるんだ。またいつかやってみせてね」 「……分かった」 「ねえ」 「……なに」 「手、握ってていい?」 「……」 ハルヒはやっと落ち着いたらしく、スヤスヤと寝息を立てて眠りについた。長門もその寝息を聞きながらうとうとと眠りに落ちた。 と思っていたらハルヒが突然話し掛けた。 「ねえねえ」 寝るのか話があるのかどっちかにしろと。 「あんた、自分がちっぽけな存在だって気づかされたことってある?」 「……これまでに二度、ある」 ハルヒは別に質問しているわけではなくて、自分にはそういうことがあったんだという問わず語りだった。 「小学生のときだったと思うけど、親父に連れられて野球を見に行ったのよ。そのとき球場には五万人くらいいたんだけど、帰って計算してみたら日本の人口の二千分の一でしかなかった。あんなにたくさん人がいるなかで、あたしの存在はそのまた五万分の一に過ぎなかった。驚愕だったわ」 「……そう。わたしの場合は、」 と言いよどんで、 「……自分の能力で動かせると思っていても、実際には大きな渦の中を泳ぐ一点の泡にしかすぎないということに気が付いたとき」 「難しいわね」 「……自分の力を過信していたのかもしれない」 「自分の力で生きていると思ってても、実は何か別の力に背中を押されてたってこと?」 「……そう。近い」 自らの能力を意のままに操る長門と、まったく知らずに能力を使っているハルヒがこういう話をするのは実に面白い。 「あたしもね、たまにだけど誰かに人生をいじられてるような気がすることがあるのよね」 「……」 長門は返事をしなかった。ハルヒを、あるいは世界を守るためとはいえハルヒ個人の人生に意図的な影響を与えている俺たちの存在にうすうすながら気が付いているのかもしれない。 「でもま、別に誰が干渉しようといいわ。今はシアワセだから」 「……そう」 長門はわざと寝息を立てて寝たふりをした。目を閉じたまま物思いにふけっていた。しばらくしてハルヒもスゥスゥと寝息を立てた。 「キョンく~ん、いつまで寝てるの、起きないと遅刻しちゃうよ」 「いやだ。まだ目覚ましは鳴ってないだろ」 「今日が最後だっていうのに、やーっぱりあたしが起こさないとだめなんだよねえ」 やけにリアルな結婚式の夢を見ていてやっと終わったなぁなどと布団の中で温かい安堵感に包まれていたのだが、妹の声を聞いて俺はガバと飛び起きた。 「おい、今何時だ」 「もうすぐお昼だよ」 やっべ、完璧に遅刻だ。またハルヒにどやされる。 「キョンくん、朝ごはんは?」 「こんな緊張する日に飯を食う余裕なんてない」 「だめだよ~、せめて牛乳だけでも飲んでいかないと。式の途中で倒れちゃうよ」 妹だけがいつもどおりうるさくて、親父とおふくろは自分達の衣装で手一杯で俺にかまけてる余裕はないようだ。吐きそうになりながら牛乳をガブ飲みして家を出た。 長門はハルヒと会場へ直行、うちの家族はタクシーで時間までに来ることになっている。俺はひとりで自転車に乗って中央図書館まで全速力で飛ばした。 今日は休館日で正面玄関はまだ開いておらず、地下の通用口から入ると古泉が待ち受けていた。 「おはようございます」 「おおう、おはよう。なんだ、顔が疲れてるぞ」 「式と披露宴の用意で徹夜でしたからね」 古泉は頭を掻き掻き一階のドアを開けた。フロアに足を踏み入れると、ここが図書館だとは思えないほど立派に飾り付けられていた。すべてのガラス窓のカーテンを取り外し、外から光が射すようになっている。西側の壁に花のアーチがあり、その前にミニ教卓みたいな演壇が置いてある。洋式にすると言ってたからたぶんここに牧師か神父様が立つんだろう。その演壇の前から東に向かって白い布が敷いてあり、階段口まで伸びている。これが花嫁と付き添いが歩いてくるバージンロードだ。そのバージンロードの両側にフラワースタンドが立ててあった。ここに招待客の椅子が並ぶのだろう。 確かこの場所には一般書籍の棚があったはずなんだが、本棚を全部動かしたらしい。カウンタも一部なくなっている。肉体労働ご苦労だったろうに。 「よく使用許可が下りたな」 「それはもう、機関の仕事ですから。市議会にもコネはあります」俺の知らないところでかなり予算を使わせたようだな。 招待客は普段と同じ正面玄関から入る。入り口の両脇に大きなフラワースタンドが飾ってあった。通路に並んだ小さなフラワースタンド同士はリボンで結んであり、花でデコレーションされた道に沿って進むと、自然光で白く浮かび上がる式場を目にするという演出だ。 「よくできてるな」 「そうでしょう。今回は自信作みたいですよ」 まじでブライダルプランナーとして食っていけそうだぞ。 「なにやってたのよキョン!」 「すまん、昼飯おごるわ」 「そんなこと言ってる場合じゃないわよ、ほら手伝いなさい」 青いつなぎを着て頭にはタオルを巻いて走り回っている。徹夜明けだとはとても思えんバイタリティだな。 「キョン!ぼーっとしてないで照明取り付けるの手伝いなさい、あんたの挙式でしょうが」 「分かった分かった。おい古泉、時間まで寝てていいぞ」 「じゃあお言葉に甘えます」 俺はジャケットを脱いで腕まくりした。作業着でも着てくるべきだったか。 「長門は来てるのか」 「有希は二階の会議室でメイクと衣装合わせしてるわ。花嫁は人前に出ちゃいけないのよ」 「リハやんないのか」 「リハーサルなんてやらなくていいわよ。すべてあたしの予定通りよ」 なにをやらかすか予測すらつかんお前だから余計に心配なのだが。 「みんな、残り三時間を切ったわ。一気に攻め落とすわよ!」 なにと戦ってるのかよくわからんのだが、走り回っているのはハルヒだけではなくて、うちの社員全員と、それからハカセくんと、機関の人やら鶴屋さん経営の花屋さんまで借り出されているようだ。 場所を借りることができたのは今日一日だけで、十時にカギを開けてもらってから一階の本と雑誌の三分の二を書庫に移し、椅子と本棚を上の階にある展示室まで動かしたとのことだ。終わったらまたこれを元に戻さなければいけないのだが、そのときには俺も動員されるわけだな。やれやれ今から腰が痛いぜ。 「おいハカセくん、あんまり無理すんなよ」 「あ、おはようございます先輩。それからおめでとうございます」 「ありがとよ。適当なところで休んでいいからな」 やせっぽっちのハカセくんは足元もふらつく危うい様子で、教会にあるような五人掛けくらいの横長椅子を抱えて運んでいる。 「日ごろ運動してないんで、やっぱりきついですね」 「研究室に筋トレのベンチプレスでも置いてやろうか」 ハカセくんは肩にかかったタオルで汗を拭いながら苦笑していた。 「みなさん、お昼ごはんにしませんか~」 メイド姿の朝比奈さんが現れるやいなや作業していた人たち全員の目がそっちに動いた。それまで動いていたハンマーやら曲尺やら電動ドライバやら園芸用ハサミなんかがぴたりと止まった。 「おはようございます朝比奈さん」 「いよいよ今日ね」 「そのメイド衣装もひさしぶりですね。ハルヒの命令ですか」 「いいえ、今日くらいは自分で着てみようかと思ったの。キョンくん、この衣装好きでしょう?」 俺のために大サービスですか、感涙です! 「なんというかその、この雰囲気にすごく似合ってますよ」 メイドといえば朝比奈さん、朝比奈さんといえばメイドというくらいに俺の中では代名詞化しているこの姿が若かりし頃を彷彿とさせる。 夏向けメイドスタイルの袖も裾も短めなドレスに白エプロンを鑑賞しているとドヤドヤと飢えた作業員が押しかけ、テーブルに盛られたおにぎりやらお菓子やらサンドイッチなんかをむさぼりはじめた。むさぼりながら朝比奈さんのメイド姿をうんうんとうなずいて眺めていた。 「キョンくんも今のうちに食べておいたほうがいいわ。披露宴じゃ二人とも食べてる時間ほとんどないから」 「そうなんですか、いただきます」 「じゃ、また後でね」 朝比奈さんは大盛のサンドイッチを半分ほど取り分けて長門のために持っていった。俺と長門はハルヒにいったい何をさせられるんだろう。 ホールの掛け時計が一時を回った頃、ハルヒに呼ばれた。 「キョン、そろそろメイクするから控え室に来なさい」 ハルヒの大声にビクリと振り返った。 「メイクっておしろいでも塗るつもりか」 「はぁやくぅ、メイクさんスタンバってるから来なさい、顔剃って髪の毛もセットしないといけないでしょ」 いちおう髭は剃って髪の毛も整えては来たんだがそれだけじゃ満足できないらしい。その辺にいる機関の人に、そいじゃ後頼みますと工具を渡して作業から抜け出した。 市民がイベントなんかで使う二階の集会室を控え室にしているらしい。ドアを開けると鶴屋さんと朝比奈さんの笑い声が聞こえた。盛り上がってるようだな。 「キョン、間仕切りからこっちは女子ルームだから、絶対覗いちゃだめよ」 「そんなマネしねーよ」 「式の前に花嫁に会っちゃ縁起が悪いんだからね」 昔から言われてることだろ、分かってるって。でもちょっとくらいいいよなーなんて隙間から覗こうとしたらハルヒに耳をひっぱられた。 「さっさと髭剃るから耳貸しなさい」 イテテ俺の髭は耳には生えてません。 ハルヒと朝比奈さんが交互にカミソリを当てて顔をなでた。メイクさんって朝比奈さんだったのか。 「なんで顔なんか剃るんです?」 「お化粧のノリをよくするの」 なるほどね。うぶ毛と一緒に顔の表面の脂を取ってるわけか。女の人はいつもこれをやってるわけだ。 「なんなら眉毛も剃る?」 「いえ、眉毛だけは自前で行きたいと思います」 というより、朝顔洗うときに眉毛のない自分の顔を見て腹抱えて笑いそうだからな。最近は剃ってる野郎も多いらしいが。 とはいうものの、キョンくんは眉毛が薄いわねというので少し描いてもらった。鏡を見るとなんというかこう、舞台役者とまではいかないがモデルくらいにはキリリとした眉毛になっていた。アイブローペンシルってのは実に便利だな。鏡を前に眉毛を上げたり下げたり寄せたりしているとハルヒが顔を覗かせて多少はマシじゃないのと笑っていた。いつもは間抜け面で悪かったな。 ピシっとモーニングを着込んで髪にドライヤを当ててもらっているとドアを開けて国木田が入ってきた。娘らしき子供の手を引いている。 「キョンおめでとう」 「おう国木田か、すまんがまだ準備中だ。下で待ってろ」 「ひどいなあ、僕はキョンの付き添いだろ」 「え、俺聞いてねえぞ」 「あたしが頼んだのよ」 「てっきり古泉がやるもんだと思ってたんだが」 「古泉くんは披露宴のほうが忙しいの。こういうイベントは全員に満遍なくキャスティングするのがいいのよ」 ハルヒ流の配役か。なるほどね。 「そいうことならまあ、頼むぜ国木田」 「お任せ」 国木田は自分の胸をドンと叩いてケホケホ咳をしていた。 「その子、国木田の子か」 「そうだよ」 「こんにちはお嬢ちゃん、何歳かな」 手を振ってみせたのだがはにかんで父親の後ろに隠れ、四本の指だけ立ててみせた。なるほどね。年齢的に言えば俺にもこれくらいの子がいてもおかしくないんだよな。 ドアが開いて作業服姿の部長氏が入ってきた。 「社長はこっちかな?」 「待ってたわよ部長、さっさとそれ脱いで」 「ま、まさか僕を身包み剥ごうってのかい!?」 「バカなこと言ってないで、さっさと鏡の前に座りなさい」 部長氏は隣の椅子に座り、 「ベストメンはふつう結婚式の仕切り全般をやるんだけどね」 「部長氏、ベストメンってなんですか」 「知らないのかい?新婦の付き添いがブライドメイド、新郎の付き添いがベストメンだよ」 「ああ、部長氏もだったんですか。こっちは同じく付き添いの国木田です」 「こんちわ。元コンピ研の部長さんだよね、涼宮さんの会社で働いてるんだって?」 「これはこれはどうも、うちの社長がお世話になってるようだね。よろしければ名刺交換などはどうかな?」 部長氏の丁寧語もなんだが変だが。こんなとこで営業モードか、やれやれ。 部長氏と国木田が揃いのタキシードを着込んでいるのを見ていて、なにか忘れているような気になった。とはいってもどうでもいいような、でも忘れると後々厄介なことになりそうな、でもやっぱり思い出せない。忘れ、わ、わわわ……。 「やべ、忘れてた」 「どうしたの?」 「谷口だ。あいつに招待状出してない」 「あんなもの、結婚しましたのハガキ出しとけばいいわよ」 「絶対に呼べと言われてたのに俺殺される」 俺は携帯を開いて谷口に電話をかけた。 「おい谷口」 『なんだキョンか。今日暇ならお前のおごりで呑みに行くか』 「それどころじゃねえ、今から結婚するからすぐに来い」 『は?なに言ってんだお前』 「もうスタンバってんだ、今すぐ式場に来い」 『すまんがなキョン、俺にはそういう趣味は、』 「自分で呼べって言ってただろうが」 『もしかして今日が長門との結婚式だったのか』 「そうだ」 『バカ』 着ていくものがないとかタクシーが捕まらないとか祝儀に包む金がないとかタクシー代払えとか、到着するまでアホの谷口に散々悪態をつかれた俺だったが今日だけは黙って聞き逃しておいた。長門の晴れ姿を一目見せないと一生恨まれそうだからな。まあ忘れていた俺が悪い。 「呼ばれて飛び出ました谷口です!」 あまり歓迎されてもいないのにドアを勢いよく開けて飛び込んできた谷口は、目も覚めるような真っ白な衣装だった。 「おい谷口、誰が白のタキシードで来いつったよ。漫才でもやるつもりか」 「しょうがねえだろ、俺これしか持ってねえんだから」 お前はタキシードで通勤してんのか。どんなエンターテナーだ。 「ちょうどいいわ。谷口、あんたがその格好でベストマンをやんなさい」 「ベストマンってなんだ?」 「ベストメンの代表よ」 「おう、アイアムベストオブザベストマン。まっかせなさい」 俺もハルヒも国木田も、こいつはなにも分かってねえなという顔をしていた。新郎と一緒に並ぶのがベストメンで、その代表役がベストマンだ、覚えておけ。俺も今知った。 「涼宮、ブライドメイドは誰がやるんだ?」 「それは始まってからのお楽しみよ」 谷口は女性の声が聞こえてくる間仕切りの向こう側が気になるらしく、 「そ、その声は麗しの朝比奈さんではありませんか」 「勝手に覗くんじゃないっ、わよ」 ハルヒにヘッドロックをかけられてマイッタを叩いている谷口だった。 式開始三十分前に新川さんが登場した。ノリの効いたピシっと決まったモーニングコートで、髪型も眉毛も髭もネクタイもまったく非の打ち所がないミスターダンディが現れた。 「皆様おはようございます。おかげさまで本日は好天に恵まれまして、有希の挙式にお越しいただきありがとう存じます」 「こ、これは新川先生、長門……さんのお父さんだったんですか!」 「ふつつかながら叔父でございます。有希がいつもお世話になっております」 谷口の記憶じゃやっぱり先生らしく、やたらとペコペコしている。お前も見た目ばっかりかっこつけてないでこういう芯から渋い紳士を見習え。かっこいいってのはこういうのを言うんだ。 「新川先生かっこいいわ。メイクを入れるところがないわね」 「お褒めいただきありがとう存じます。そろそろ招待客のほうも揃い始めたようです」 「新川先生は女子ルームに入っていいわ。キョン、そろそろ出番よ」 「お、おう。行ってくるぜ」 助けてくれ膝が笑って立てない。 「さあキョン、しっかりしてくれよ」国木田に肩を借りた。 「おう、しっかりするぜ」 恥ずかしいことにこれから死刑執行される囚人みたいにして、国木田と谷口に支えられながら一階に下りた。俺が姿を見せると妹とその隣にいるのはたぶんミヨキチだと思うのだが拍手が沸いた。いや、今日の主役は長門だから拍手はそっちに取っといてくれ。 うちは親類と呼べる近縁のやつらが少ない。式に呼んだのは田舎の爺さんと婆さん、俺の名付け親である叔母とその家族だけだった。あとは会社の連中とかつてのクラスメイトが一部。長門の通う研究室の先生などなど。ENOZの四人にはオーケストラを頼んだ。最前列の親父とおふくろは借りてきた猫みたいに座ったまま固まっている。この後の披露宴で親族代表の長いスピーチをやらされることになっていて、もうそればっかりが頭にあるようだ。 俺は右の列のいちばん前の席に座った。ビデオカメラを手にした古泉が隣に寄ってきた。 「立派ですよ、その姿」 「お前が付き添いをやるとばかり思ってたんだがな」 「僕だけがおいしい役をもらうわけにもいきませんしね。みなで分け合わないと」 ハルヒと同じことを言ってるが、こいつの受け売りだったのか。 三人のブライドメイドが進み出た。朝比奈さんに鶴屋さんに喜緑さん、三人とも豪華なシルクのメイドスタイルのドレスを着ていた。そりゃまあ花嫁のメイドだからメイド服なのは分かるが、似合いすぎている。朝比奈さんと鶴屋さんは前にもメイド姿を拝ませてもらったことがあるが、喜緑さんがこのかっこうをするのを見るのははじめてだ。これはいい目の保養になった。鶴屋さんが親指を立ててウインクしてくれた。 白いバラを襟元に挿したベストメンは黒いカラスの中に一羽だけ白いのが混じっていてなんともこっけいな姿だったが、俺のためにやってくれているわけで笑っちゃ悪いよな。 「もう時間だが牧師さんか神父さんはまだ来ないのか」 「来てますよ、ほら」 黒い祭服を着た司祭様がブンブンと玉ぐしを振り回しながら演壇の向こうに歩いてきた。 「なんつーかっこしてんだハルヒ、いつからカソリックになったんだ、しかもそれ神式用だろ」 「これは無宗派の結婚式よ。とりあえず祈っとけばどれかの神様が祝福してくれるに違いないわ。鰯の頭も信心からというでしょ」 「そんなことわざ使ってバチ当たっても知らんぞ」 「黙りなさい」 ハルヒが演壇の前に立つと、さっきまで流れていたBGMがフェードアウトした。 「これより、神聖にして厳粛なる儀式を執り行います」 ハルヒの後ろのガラスから入ってくる光がまるで後光のように射しこんでいる。まあ祭服コスプレはこの場に似合わなくもないわけで、見えないジャンヌダルク並みの神通力でも宿ったのか客席はシンと静まり返った。 時計の針が三時を指すと同時に、両側の壁に据えてあるでかいスピーカーからパイプオルガンの音が流れてきた。ENOZの榎本さんのキーボード演奏らしい。俺も招待客も、全員が起立して後ろを振り返った。 席の後ろのほうがざわついた。階段ホールから新川さんに付き添われた長門が現れた。観衆はオオッとかホゥとか、それぞれ好きに感嘆の声を上げパチパチと写真を撮っている。撮影タイムが終わると二人は白い道の上を一歩踏み出した。 結婚行進曲が響き渡り、客が見守る中バージンロードの上をゆっくりと、一歩ずつ歩いてくる。照明の光の中にくっきりと浮かび上がったピュアホワイトのドレス。そりゃもう白を超える白というか、まぶしくて瞳孔を細くするだけじゃ足りずに何度も瞬きをした。 スポットライトが天井から二人を照らす。赤い口紅をさした長門の顔が少しだけ微笑んでいた。肩まで垂れたベールは頭の後ろでふわりと広がり、頭の上にハート型の小さなティアラがちょこんと乗っている。肩が露になったノースリーブで胸元には二重のフリルが縁取られていた。肌の上に雪の結晶をモチーフにしたネックレスをつけている。 腰まで滑らかにシルクの光沢が続き、腰から丸く広がるプリンセスラインのドレスだった。両腕は半透明な長いグローブに包まれ大きな白と緑のブーケが右手を隠している。 スカートの部分にはコサージュがぽちぽちとあつらえてあり、大きな巻きスカートのように片側でカーブを描いて止まっている。後ろの裾が長めに垂れていた。急遽付き添い娘に採用されたらしい国木田の娘がドレスの裾を持って後ろをついてくる。父親に似て目がぱっちりしていてかわいい。 古泉が小声で言った。 「今日の長門さんはひときわ美しいですね」 「ああ。極上の美しさだ」 「知っていますか、このワーグナーの結婚行進曲はオペラ『ローエングリン』で使われている曲なんです」 こんなときに豆知識を披露しなくてもいいって。古泉はクスクスと笑い、 「素性を隠した王子と娘が結ばれ、王子である正体が明かされてしまい破局に陥るという物語なんです」 「なにがおかしいんだ」 「誰かの境遇によく似ているとは思いませんか」 またそんなミステリーヲタクな話を持ち出しやがって、大昔のオペラの登場人物とひとつふたつ似てるところがあるからってどうってことないだろ。 「いえまあ、こんなときに持ち出すのもなんですが、ひとつだけお願いがあります」 「なんだ」 「今日を境に、ジョンスミスの名前を封印してください」 「久々だが顔が近いぞ、笑顔のまま深刻な話をするな」 「あなたは人生の伴侶として長門有希を選びました。ジョンスミスはひとりしか存在を許されません」 古泉に釘を刺されるのはこれがはじめてかもしれない。 そんなことはお前が心配しなくても俺自身の口から漏れることはないだろうよ。俺は自分の意思で鍵をこいつに渡しちまった。それを取り戻そうなんてことは思わんさ。 「よし、分かった。誓おう」 古泉は黙ってうなずき、花嫁の歩いてくるほうを目で示した。新川さんにエスコートされた長門が目の前に近づいてきた。 「がん、ばれ、よっ」 古泉が俺の肩をポンポンポンと叩いた。こいつ、はじめて俺にタメ口を利いたな。 新川さんが長門の右手を俺の左手に重ね、俺に向かってうなずいてみせた。二人でハルヒ扮する司祭様の前に立った。 すると、突然ハルヒが両手を上げて待ったをかけた。 「ちょ、ちょっとストーップ!そのまま待って!」お前が待ったしてどうする。 「なんだ、どうしたんだハルヒ」 「あれがない、聖書を忘れたわ」 「聖書なんかいらんだろ、無宗派なんだし」 「だめよ、ちゃんと信条にのっとってやんなきゃ」 さっきと言ってることが百七十九度くらい違う気がするんだが。 「……これ、使って」 長門が心得ているというふうに分厚い本を取り出した。って、どっから取り出したんですかそれハイペリオンですかそれ。そんなんで誓いを立てて大丈夫なのか、俺がトゲトゲの化けもんの生贄にされたりしないだろうな。などと突っ込もうとすると、長門の黒い瞳がお願いっという感じで俺を見つめたのでそれだけでもうなんというか反則というかなんでも許してしまえそうな勢いだった。いやまあ、その本が長門のバイブルだというんならそれはそれでいいさ。 ハルヒはまわりを見回して叫んだ。 「さあっ、気を取り直していくわよ」 ハルヒが座れという感じでゼスチャーをすると全員着席した。 「おほん。本日、ここにキョンと有希の婚姻の契りの場に立ち会うという機会を得たことを、神様に深く感謝するものであります」 どの神様か分からないが、厚手のSF小説にうやうやしく右手を置いてありがたい説教を始めるハルヒである。 「はるか昔、アダムとイブの結婚式はたった二人でした。地球上にたった二人っきりで愛の誓いを立てたのです。そのとき相手と結ばれる確率は百パーセントだったかもしれないけど、今では三十億分の一の確率です。いえもう三十五億分の一かもしれません」 人類創世の話がしたいのか人口増加の話がしたいのかよく分からんのだが。 「相手の候補が三十億もいるってことはよ、ボヤボヤしてると見失ってしまうかもしれないわ。昔の人は言いました。恋は気がつかないうちに訪れる。我々はただ、通り過ぎたその後姿を見るだけである」 ハルヒは一息ついて客を見回し、 「つまり、好きな人がいるならさっさと結婚しちゃいなさいってことよ。世界は広くて人生は短くて、迷ってたら幸せなんか手に入らないんだからね」 それが言いたかったのか。話にオチがついたところで皆は納得したようで笑い声が沸いた。恋愛なんて精神病の一種だと誰かが言ってたような気もしなくもないのだが、まあいいこと言ったんで許そう。 「では、誓いの言葉」 俺は長門と向き合い、両手を握って見つめあった。 「キョン、あなたは有希を、健やかなるときも病めるときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「は、ハイ。誓いマス」 声が裏声になっていたが後ろのほうまでちゃんと聞こえたか。 「有希、あなたはキョンを、元気なときも具合の悪いときも、優柔不断なときもグズグズして待たされるときも女心に鈍くてどうしようもないときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「……誓う」 「よろしい。では指輪の交換をしなさい」 長門は朝比奈さんから、俺は谷口から結婚指輪を受け取った。俺はその銀色に輝くリングをケースから取り出し、きっと酸素が足りなくて頭がぼけていたのだろう、自らの薬指にはめようとしていた。は、はまらねえ。 「……こっち」 長門が自分の手を差し出して促した。本番中にトチるなんてなにやってんだろね俺は。 長門の細い薬指にリングをはめてやると、ハルヒが、 「人類とこの宇宙のすべての存在から与えられた権限により、キョンと有希が夫婦であることをここに認めます。さあっ誓いのキスよ」 え、この衆人環視の前でやんのかよ、聞いてねえぞ。ふつうはここで音楽が鳴って拍手に包まれながら退場だろう。 「キョンなに躊躇してんのよ、さっさとやるの。皆さん、神聖なるキスシーンの撮影はご遠慮ください」 そうは言ったがハルヒはやおら古泉を指差し、 「古泉くん、ちゃんと撮ってる?」 こ、このバチ当たり神父が。 古泉のカメラのインジケータが赤く光ったままじっとこっちを見ていた。向き合ったままの長門はそのまま固まって俺を待っていた。しょうがない。これが生涯で二度目になるキスなのだが、俺は長門のあまりに真剣なまなざしに少し不安になり、チラと喜緑さんを見た。喜緑さんは微笑んでうなずいてくれた。 溜飲が下がる思いで俺は長門の肩を抱き寄せた。長門の左手が俺の腰を捉え、俺の右手はゆっくりと長門の左頬に触れた。その手で耳の後ろを支えて、目を閉じた長門の顔との距離が少しずつ狭まってゆく。乾いた唇を少しだけ濡らし、やわらかな、温かな、ぽってりと濡れた感触が唇の先に広がった。 視界がぼんやりと白い光に包まれてゆく。過去も未来も、そして現在までもがゆっくりと流れ、やがて音もなく止まった。 閉じた目を開けゆっくりと唇を離すとそこにはなにもなく、ただぼんやりとした白い風景だった。誰もいない、なにもない、無音。目の前にいるのは長門だけだった。 「ここは……どこだ?俺は夢でも見てるのか」 「……閉鎖空間。あなた自身の」 なんと、俺が作ってんのか。そういえば前にも来たことがあるような気がする。なぜか巫女衣装の朝比奈さんが思い浮かぶ。いや、長門の親父さんだったかな。異空間はハルヒの専売特許だとばかり思っていたが、それにしちゃハルヒのとは色も雰囲気もずいぶんと違うな。 「……そう。閉鎖空間は本人の精神世界を反映する。今のあなたの気持ちが、これ」 真っ白ってのが俺のどんな気持ちを表すのか、フロイト先生を聞きかじった程度の俺にはちょっと分からんが、でも、今どんな気持ちかと聞かれたらちゃんと答えられる。そう、今こそが本当に幸せそのものだ。 「俺がここにいるってことは、どうやってここから出るんだ?」 「……もう一度、キスして」 長門は目を閉じ、頭を反らして小さな唇をちょんと突き出した。俺は最初のときと同じに両手で暖かい頬を包み、長門の後ろ髪の感触を指先に感じながら唇を近づけた。 ── 今まで、ちゃんと言えなくてごめんな。大好きだ…… やがて人の声、拍手と指笛、まぶしい光、足音、花の香り、長門の化粧の匂いが一気に戻ってきた。目を開けると頬を染めた長門がじっと俺を見つめていた。 次の瞬間、聞き覚えのあるもうひとつの結婚行進曲が鳴り響いた。メンデルスゾーンだっけな。 そのまま長門の手を引いてゆっくりとバージンロードを歩いた。招待客がバラの花びらを二人の上に放り投げ、派手なフラワーシャワーを浴びた。いやあなんというか、こういう演出は嬉しいね。 そういえばこの後の予定を聞いてなかった。古泉にこの後どうするんだという視線を送った。 「車を用意していますので、そのまま披露宴の会場に行ってください」 拍手の合間を古泉が大声で答えてきた。この会場誰が片付けるんだろうと不安になったのだが、まあ後のことはこいつらに任せておこう。 正面玄関まで来たところでなにか大事なことを忘れているような気がして、俺は振り返ってみんなを呼んだ。 「あそうだ、皆さん、ブーケトスをやりますよ」 「待ちなさい、ちょーっと待ちなさいキョン、あたしが行くまで投げちゃだめよ。ほらほらみくるちゃんも走って」 言うが早いかハルヒ神父を先頭に、ブライドメイドの三人や、赤やピンクやパープルで着飾った女性陣がスカートを捲り上げて殺到した。独身女性がこんなにいたのか、こりゃあ争奪戦になるぞ。 長門が俺の耳元でボソボソ話した。 「……ブーケトスってなに」 「後ろを向いてその花を投げればいいんだ。まあアミダくじみたいなもんだな」 「……ひとつしかない」 「取り合いになったら困るから少し増やしてくれ」 「……分かった」 長門が後ろを向いてふわりとブーケを投げた。全員がその行方を見つめる中、まるで計算されたかのような緩やかな放物線を描いた。小さな花束は空中でポンと分裂し、いくつものブーケになって舞い降りた。突然増殖したブーケに慌てた女どもはどれを捕まえればいいのか右往左往していたが、たぶん全員分はあるだろう。なに喜んでるんだ谷口、お前は男だろうが。 玄関を出ると黒塗りの個人タクシーが止まっていた。なんとなく見覚えはあるのだが後部シートがやたら長くて普通車の二台か三台分はある。ってこれリムジンとかいうやつじゃ。モーニングのままの新川さんが運転席のドアを開けて出てきた。 「お二人様、ご成婚おめでとうございます」 「……ありがとう」 「どうも新川さ、お義父さん。運転手までさせてしまってすいません」 「いえいえ、わたくしはこれが本業でございますゆえ」 新川さんがドアを開けて長門が乗り込むのを手伝った。スカートの重なったレースがふわふわと膨らんで花嫁が埋もれている。中に入るとほのかにライトがともり、テーブルの脇にはシャンペンとグラスが用意してあった。 ゆったりサイズのL型シートには軽く六人は座れそうなのだが、俺と長門は隅っこに身を寄せ合って座った。ふわふわの布張りの床、壁には液晶テレビと電話、サイドテーブルにはワインクーラーと冷蔵庫、乗るのも見るのもはじめてだがこいつは豪華だ。 「長門、シャンペン飲むか」 「……うん」 俺は冷えきった瓶の栓をポンと抜いてしゅわしゅわとグラスに注いだ。二人のグラスを合わせるとチリンと軽い音がした。 新川さんの演出らしく車内に洋楽ラブソングが流れはじめた。壁のインターホンが鳴った。 「披露宴までまだ時間がありますから、少しドライブに出ましょう。到着までゆったりとおくつろぎください」 おくつろぎくださいと申されましても、もうこの車のゴーシャスな内装に圧倒されて正座なんかしている俺なのでありますが。とりあえず新郎らしく長門の肩を引き寄せてみたりした。長門も首を傾けて俺の肩にもたれている。 車が走り出すと、突然後ろのほうでやかましい金属音が鳴り響き驚いて振り向いた。ああ、あれだ。空き缶のガラガラだ。今どきこんな派手なガラガラを引く新婚カップルもいないと思うが、でかい音を出して悪魔を追い払う魔除けなんだとか昔はひも靴を引っ張っていたんだとか、どれがほんとなのかは知らん由緒曖昧な古の習慣らしい。 道行く人がなにごとかとこっちを見て、空き缶を見て指差して微笑んでいる。若いあんちゃんが親指を立てているのを見て、俺たち結婚したんだぜと急に自慢したくなってきた。このまま突っ走って世界中を駆け巡ってみたい気分だ。 七章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4901.html
六 章 Illustration どこここ 頼んでいたマリッジリングができたという連絡が入り、俺と長門は受け取りに行った。当然だが俺が長門のをもらい、長門が俺のを預かる。こっそり蓋を開けてみたがポツリと埋め込まれた小粒のダイヤがなかなかにかわいい。リングの裏側には長門デザインの宇宙文字の半分が刻まれている。これが俺たちの絆になるんだよなあ。 招待客のピックアップだけして、会場と衣装の用意はハルヒが一式任せろというので放っておいた。長門の招待客リストを見ると俺とほとんど被っていて、うちの社員とハカセくん、機関の顔見知り、トータルで二十人にも満たない。 「俺たちの知り合いって、数えてみると意外に少ないんだな」 「……そう」 「じゃあ高校のときの同級生なんかも呼ぶか」 「……いい」 頭数といっちゃ失礼かもしれないが、式場と披露宴会場を埋めるために阪中に頼んで同窓生名簿をFAXしてもらった。三年五組の卒業生全員と、あとはENOZのメンバーくらいか。ああ、岡部を忘れてた。ハルヒが披露宴の客を百人集めろと言っていたのだが、いくらかき集めてもそんなにいないよな。 「長門、大学院の先生とか同級生も呼んでくれ。人数が足りない」 「……分かった」 もう“ご出席・ご欠席”の返事をもらうのがめんどくさくて、来たいやつは来い、来れないやつはメッセージでもよこせと一方的に招待状を送りつけた。いったい何パーセントの人間が集まるのか予測もつかんが、まあなんとかなるだろう。 俺たちの周辺はほとんどが学生の頃からの付き合いばかりで、SOS団の奇矯な活動ぶりを知らないやつはいないんだが、招待された客の中でハルヒを知らないやつらが初めてハルヒを見たらさぞかしぶったまげるに違いない。 そんなこんなしているうち、式もいよいよ翌日と迫り、なんだかやり残したことがまだありそうな気がして妙に不安にかられるんだが、思いつく限りの用意はしたはずであとは野となれ山となれって気持ちだ。 式の前日はなにもすることがなくひとりで自室にこもっていたのだが、どうも落ち着かなくて長門にこっそり電話をかけた。 「な、なあ。今日お前んちに泊まろうと思うんだが」 このひと言を言葉にしてノドから出すのにやたら緊張して目が泳いでいた。 『……すまない。今日は、用事がある』 意を決してお泊りを申請したのだがあっけなく却下された。ホッとしたというか、でも少し寂しいみたいな。 「そうか。いやいいんだ。式が終わったらお前んちに引っ越すわけだし」 にしても、俺が泊まれない用事ってなんだろ。 『……涼宮ハルヒの部屋に呼ばれている』 「あ、もしかしてあれか。花嫁の女友達を呼んで式の前日にやるとかいう、」 バ、バチェラーパーティかよ!マッチョなストリッパーを呼んでテーブルの上で腰をクネクネ躍らせたり着てるもんを剥ぎ取ったりしねーだろな。俺はハルヒと長門が一万円札を筋肉隆々ストリッパーのパンツに挟んでいるところを妄想してしまい頭を振った。 長門曰く、今までハルヒの部屋に泊まったことがなかったので、これが最後だからと呼ばれたのらしい。最後というか結婚してもたぶん呼ばれると思うぞ。俺たちの新婚生活に探りを入れるためにな。 その日俺は自室のベットでまんじりともせず眠れない夜を過ごしていた。家の中は緊張感とも期待感とも惜別の思いとも言えない奇妙な雰囲気に包まれていた。妹も両親もやけに無口で、テレビの画面を意味もなく眺めるほかは思い出したように長門のことを聞いてくるくらいだった。俺もああとかうんとか曖昧に答えるだけで、どうもこの家から出て行くという実感がないことに戸惑っていた。シャミだけが変わらず俺の足元をぐるぐるとまわって甘えている。 「キョンくん、シャミはどうするの?連れて行くの?」 「こいつはこの家が気に入ってるようだから置いてく。お前が面倒みてやれ」 「うん、分かった。シャミ~明日からあたしと寝るんだよ」 シャミセンはそんな我が家のイベントを知ってか知らずか、猫マフラーをしようとした妹の手から逃げた。猫ってのはそうあれこれかまってやることはないんだが。人形のように動物を扱う妹には犬のほうが合ってるかもしれん。 「ああそれからな、俺の部屋にあるテレビとかゲームとか全部やるわ」 「ほんとう?わーい」 貸していたハサミは結局俺のところには戻ってこなかったが。 ベットの上でじっと天井を見つめたままなんだか落ち着かない。不安とかそんなありきたりな感情ではなくて、ここから俺のなにが変わるんだろうかという一抹の……なんだろう。言葉にならない。生活のスタイルだけが変わって俺自身はなにも変わらないのだろうけれど。気持ちとしては長門と二人でうまくやっていけるかという迷い、あるいは長門が家族になることへの戸惑いか、俺なんかが長門を幸せにしてやれるのかという疑問か、たぶんそんなところだ。もう長門とは呼べなくなるよな。 「有希、有希、か」 口に出して言ってみたがどうもしっくりこない。いっそのことのろけモードでユキリンと呼んでみようか。 「なあユキリン」 「……なに、ダーリン」 などと周囲がブリザードに見舞われてしまいそうな二人の会話を想像して俺は枕をボスボスと叩いた。やたら恥ずかしいじゃないか。 にしてもあいつら今ごろなにしてんだろ。ハルヒと長門がその夜なにをしているか俺の知るところではないのだが、── これもまた後になって聞いた話だ。 ハルヒが電灯のヒモをパチリと引いて消した。そのままスヤスヤと寝息が聞こえてくるのかと待っていたがそうでもなかった。長門はじっと息を潜めてハルヒが眠りにつくのを待っていたのだが、どうやらハルヒも長門が眠るのを待っているらしいのである。 「有希、どうしたの?」 「……眠れない」 「そうよね。あたしもなんだか頭に血が登っちゃって眠れないのよね。遠足の前の日とか、旅行に行った先の宿とかね」 「……一種の興奮状態」 「そうそう、アドレナリンが漏れ出してる感じね」 ハルヒが唐突に切り出した。 「ねえ有希」 「……なに」 「前から思ってたんだけど」 長門には、どこかでギクという音が聞こえたそうだ。 「キョンってふつうじゃないわよね」 「……ふつう、とは」 「はっきり言うけど笑わないでよね。キョンってもしかしてふつうの人間じゃないんじゃないかしら」 「……それは、わたしも疑っていた」 「でしょでしょ、有希もそう思うでしょ。あいつはほかのやつとはどこか違うって、会ったときから思ってたんだけどね。もしかしたら宇宙人とか」 暗闇の中で、長門はどう答えようかと何パターンもの会話のやりとりを計算した。 「なんでそう思ったかというとね、あのね、秘密だけど、古泉くんは実は未来人だったのよ」 「……」 「実を言うと十年前に一度古泉くんに会ったことがあるの」 ハルヒは誰にも教えてない秘密を打ち明けるように目をキラキラと輝かせて言った。まずい、これはまずい。ハルヒが危険エリアに近づきすぎている。といっても明後日の方角だが。 「……そう」 長門はどう反応したものかずいぶんと迷ったそうだ。ハルヒと古泉が遭遇したいつかの七月七日、その場に居合わせていたがために、話を合わせるのも知らぬ存ぜぬとごまかすのも困難を極めた。 こういうときは相手に話をさせるに限る。 「……詳しく」 「聞きたい?聞きたいでしょ。あたしもまさかあそこで未来人と遭遇するとは夢にも思ってなかったわ」 ハルヒがモノローグを延々続けるどっかの主人公のようにもったいぶって言うと、長門もしょうがなしに釣られたふりをした。自分も古泉を未来人に仕立て上げた一味なのだが。 「……かなり、興味がある」 「あたしが中学生のころなんだけどね。夏だったかな、夜中に中学校の運動場に地上絵を描いたことがあったのよ」 「……どんな絵」 「なんていうかね、あたしが勝手に作った宇宙文字なんだけどね。この広い宇宙にもし人類以外の知的生命体がいるなら、あたしのところに来なさい、みたいな意味のね」 「……それは、新聞で見たことがある」 「そうそう、地方欄に出たのよあれが。謎の地上絵出現とかタイトルがふってあってもう笑っちゃったわ」 「……」 「でね、運動場に忍び込もうとしたとき古泉くんにバッタリ会ったの。そのときは近所のおっさんだと思ってたんだけど、よくよく見るとこっれがまたいい男なのよ」 「……」 俺だったらハルヒのノロケ話なんかまともに聞いていられなかっただろうが。長門はコクコクとうなずいて真剣に聞き入っていた。 「絵を描いたあと二人で少し話してたんだけど、宇宙人も未来人も超能力者もいるって言うじゃない。思ったわ、これこそあたしの求めていた人だ、ってね」 「……それで、好意を持った」 「ううん、そのときはまだそういう気分じゃなかったの。あたしはもうどっかにいる宇宙人に送るメッセージのことで頭がいっぱいでね。それから二三日してからだったわ、古泉くんのことをもっと聞いておけばよかったと思ったのは」 「……そう。四字熟語を用いるなら、一期一会」 「まさにそれよ。チャンスはそうそう訪れるもんじゃないわ。人生で一度あるかないかってこともある。それを逃したらもう後は後悔の日々よ。思ったわ、どうしてあのとき古泉くんの電話番号を聞かなかったのかって」 「……」 「あんたも、幸せになるチャンスは絶対逃しちゃだめよ。乗り損なったら、それからはつらいだけだからね」 「……分かった」 しみじみとうなずいてみせる長門だった。 「でさあ、古泉くんが未来人ってことはよ?もしかしたらキョンは宇宙人で、みくるちゃんは超能力者かもしれないじゃない」 「……そう、かもしれない」 そこで話を合わせるにはかなり無理があるが。 「で、思ったわけよ。あんたも実はなにかしら特殊な能力があるんじゃないかって」 話はそこにたどり着くわけか。さて、長門がどう答えたか。 「……」 「あたしの勝手な妄想だけどね。そうだったら楽しいじゃない」 「……実は」 「え?」 「……わたしは、魔法が使える」 ま、まじか。いよいよ正体が明かされるのか。 「どんな魔法?」 「……見て」 長門は寝たままの姿勢で、なにかを包むように両手を合わせ、ゆっくりと手を開いた。真っ暗な部屋のまんなかで、黄緑色のぼんやりとしたホタルのような光が手のひらの上にともった。 「すごいすごい、きれい」 ハルヒは闇の中にともるその光を呆然と見つめた。 「どうやってやってんのこれ」 「……ただの、手品」 「タネは?」 「……内緒。教えると価値が下がる」 「そ、そうね」 それは手品じゃなくて長門の本当の魔法だったのだが、ハルヒにとってはどっちでもよかった。 「きれいね。形があるわけじゃないのね」 長門の手の中で光るホタルのようなものに触れようとして、そこには形も熱すらもないことを不思議そうに見ていた。 「……そ」 長門は手を握り、光を消した。もう一度開くと何もなかった。 「へー、こういうのやれるんだ。またいつかやってみせてね」 「……分かった」 「ねえ」 「……なに」 「手、握ってていい?」 「……」 ハルヒはやっと落ち着いたらしく、スヤスヤと寝息を立てて眠りについた。長門もその寝息を聞きながらうとうとと眠りに落ちた。 と思っていたらハルヒが突然話し掛けた。 「ねえねえ」 寝るのか話があるのかどっちかにしろと。 「あんた、自分がちっぽけな存在だって気づかされたことってある?」 「……これまでに二度、ある」 ハルヒは別に質問しているわけではなくて、自分にはそういうことがあったんだという問わず語りだった。 「小学生のときだったと思うけど、親父に連れられて野球を見に行ったのよ。そのとき球場には五万人くらいいたんだけど、帰って計算してみたら日本の人口の二千分の一でしかなかった。あんなにたくさん人がいるなかで、あたしの存在はそのまた五万分の一に過ぎなかった。驚愕だったわ」 「……そう。わたしの場合は、」 と言いよどんで、 「……自分の能力で動かせると思っていても、実際には大きな渦の中を泳ぐ一点の泡にしかすぎないということに気が付いたとき」 「難しいわね」 「……自分の力を過信していたのかもしれない」 「自分の力で生きていると思ってても、実は何か別の力に背中を押されてたってこと?」 「……そう。近い」 自らの能力を意のままに操る長門と、まったく知らずに能力を使っているハルヒがこういう話をするのは実に面白い。 「あたしもね、たまにだけど誰かに人生をいじられてるような気がすることがあるのよね」 「……」 長門は返事をしなかった。ハルヒを、あるいは世界を守るためとはいえハルヒ個人の人生に意図的な影響を与えている俺たちの存在にうすうすながら気が付いているのかもしれない。 「でもま、別に誰が干渉しようといいわ。今はシアワセだから」 「……そう」 長門はわざと寝息を立てて寝たふりをした。目を閉じたまま物思いにふけっていた。しばらくしてハルヒもスゥスゥと寝息を立てた。 「キョンく~ん、いつまで寝てるの、起きないと遅刻しちゃうよ」 「いやだ。まだ目覚ましは鳴ってないだろ」 「今日が最後だっていうのに、やーっぱりあたしが起こさないとだめなんだよねえ」 やけにリアルな結婚式の夢を見ていてやっと終わったなぁなどと布団の中で温かい安堵感に包まれていたのだが、妹の声を聞いて俺はガバと飛び起きた。 「おい、今何時だ」 「もうすぐお昼だよ」 やっべ、完璧に遅刻だ。またハルヒにどやされる。 「キョンくん、朝ごはんは?」 「こんな緊張する日に飯を食う余裕なんてない」 「だめだよ~、せめて牛乳だけでも飲んでいかないと。式の途中で倒れちゃうよ」 妹だけがいつもどおりうるさくて、親父とおふくろは自分達の衣装で手一杯で俺にかまけてる余裕はないようだ。吐きそうになりながら牛乳をガブ飲みして家を出た。 長門はハルヒと会場へ直行、うちの家族はタクシーで時間までに来ることになっている。俺はひとりで自転車に乗って中央図書館まで全速力で飛ばした。 今日は休館日で正面玄関はまだ開いておらず、地下の通用口から入ると古泉が待ち受けていた。 「おはようございます」 「おおう、おはよう。なんだ、顔が疲れてるぞ」 「式と披露宴の用意で徹夜でしたからね」 古泉は頭を掻き掻き一階のドアを開けた。フロアに足を踏み入れると、ここが図書館だとは思えないほど立派に飾り付けられていた。すべてのガラス窓のカーテンを取り外し、外から光が射すようになっている。西側の壁に花のアーチがあり、その前にミニ教卓みたいな演壇が置いてある。洋式にすると言ってたからたぶんここに牧師か神父様が立つんだろう。その演壇の前から東に向かって白い布が敷いてあり、階段口まで伸びている。これが花嫁と付き添いが歩いてくるバージンロードだ。そのバージンロードの両側にフラワースタンドが立ててあった。ここに招待客の椅子が並ぶのだろう。 確かこの場所には一般書籍の棚があったはずなんだが、本棚を全部動かしたらしい。カウンタも一部なくなっている。肉体労働ご苦労だったろうに。 「よく使用許可が下りたな」 「それはもう、機関の仕事ですから。市議会にもコネはあります」俺の知らないところでかなり予算を使わせたようだな。 招待客は普段と同じ正面玄関から入る。入り口の両脇に大きなフラワースタンドが飾ってあった。通路に並んだ小さなフラワースタンド同士はリボンで結んであり、花でデコレーションされた道に沿って進むと、自然光で白く浮かび上がる式場を目にするという演出だ。 「よくできてるな」 「そうでしょう。今回は自信作みたいですよ」 まじでブライダルプランナーとして食っていけそうだぞ。 「なにやってたのよキョン!」 「すまん、昼飯おごるわ」 「そんなこと言ってる場合じゃないわよ、ほら手伝いなさい」 青いつなぎを着て頭にはタオルを巻いて走り回っている。徹夜明けだとはとても思えんバイタリティだな。 「キョン!ぼーっとしてないで照明取り付けるの手伝いなさい、あんたの挙式でしょうが」 「分かった分かった。おい古泉、時間まで寝てていいぞ」 「じゃあお言葉に甘えます」 俺はジャケットを脱いで腕まくりした。作業着でも着てくるべきだったか。 「長門は来てるのか」 「有希は二階の会議室でメイクと衣装合わせしてるわ。花嫁は人前に出ちゃいけないのよ」 「リハやんないのか」 「リハーサルなんてやらなくていいわよ。すべてあたしの予定通りよ」 なにをやらかすか予測すらつかんお前だから余計に心配なのだが。 「みんな、残り三時間を切ったわ。一気に攻め落とすわよ!」 なにと戦ってるのかよくわからんのだが、走り回っているのはハルヒだけではなくて、うちの社員全員と、それからハカセくんと、機関の人やら鶴屋さん経営の花屋さんまで借り出されているようだ。 場所を借りることができたのは今日一日だけで、十時にカギを開けてもらってから一階の本と雑誌の三分の二を書庫に移し、椅子と本棚を上の階にある展示室まで動かしたとのことだ。終わったらまたこれを元に戻さなければいけないのだが、そのときには俺も動員されるわけだな。やれやれ今から腰が痛いぜ。 「おいハカセくん、あんまり無理すんなよ」 「あ、おはようございます先輩。それからおめでとうございます」 「ありがとよ。適当なところで休んでいいからな」 やせっぽっちのハカセくんは足元もふらつく危うい様子で、教会にあるような五人掛けくらいの横長椅子を抱えて運んでいる。 「日ごろ運動してないんで、やっぱりきついですね」 「研究室に筋トレのベンチプレスでも置いてやろうか」 ハカセくんは肩にかかったタオルで汗を拭いながら苦笑していた。 「みなさん、お昼ごはんにしませんか~」 メイド姿の朝比奈さんが現れるやいなや作業していた人たち全員の目がそっちに動いた。それまで動いていたハンマーやら曲尺やら電動ドライバやら園芸用ハサミなんかがぴたりと止まった。 「おはようございます朝比奈さん」 「いよいよ今日ね」 「そのメイド衣装もひさしぶりですね。ハルヒの命令ですか」 「いいえ、今日くらいは自分で着てみようかと思ったの。キョンくん、この衣装好きでしょう?」 俺のために大サービスですか、感涙です! 「なんというかその、この雰囲気にすごく似合ってますよ」 メイドといえば朝比奈さん、朝比奈さんといえばメイドというくらいに俺の中では代名詞化しているこの姿が若かりし頃を彷彿とさせる。 夏向けメイドスタイルの袖も裾も短めなドレスに白エプロンを鑑賞しているとドヤドヤと飢えた作業員が押しかけ、テーブルに盛られたおにぎりやらお菓子やらサンドイッチなんかをむさぼりはじめた。むさぼりながら朝比奈さんのメイド姿をうんうんとうなずいて眺めていた。 「キョンくんも今のうちに食べておいたほうがいいわ。披露宴じゃ二人とも食べてる時間ほとんどないから」 「そうなんですか、いただきます」 「じゃ、また後でね」 朝比奈さんは大盛のサンドイッチを半分ほど取り分けて長門のために持っていった。俺と長門はハルヒにいったい何をさせられるんだろう。 ホールの掛け時計が一時を回った頃、ハルヒに呼ばれた。 「キョン、そろそろメイクするから控え室に来なさい」 ハルヒの大声にビクリと振り返った。 「メイクっておしろいでも塗るつもりか」 「はぁやくぅ、メイクさんスタンバってるから来なさい、顔剃って髪の毛もセットしないといけないでしょ」 いちおう髭は剃って髪の毛も整えては来たんだがそれだけじゃ満足できないらしい。その辺にいる機関の人に、そいじゃ後頼みますと工具を渡して作業から抜け出した。 市民がイベントなんかで使う二階の集会室を控え室にしているらしい。ドアを開けると鶴屋さんと朝比奈さんの笑い声が聞こえた。盛り上がってるようだな。 「キョン、間仕切りからこっちは女子ルームだから、絶対覗いちゃだめよ」 「そんなマネしねーよ」 「式の前に花嫁に会っちゃ縁起が悪いんだからね」 昔から言われてることだろ、分かってるって。でもちょっとくらいいいよなーなんて隙間から覗こうとしたらハルヒに耳をひっぱられた。 「さっさと髭剃るから耳貸しなさい」 イテテ俺の髭は耳には生えてません。 ハルヒと朝比奈さんが交互にカミソリを当てて顔をなでた。メイクさんって朝比奈さんだったのか。 「なんで顔なんか剃るんです?」 「お化粧のノリをよくするの」 なるほどね。うぶ毛と一緒に顔の表面の脂を取ってるわけか。女の人はいつもこれをやってるわけだ。 「なんなら眉毛も剃る?」 「いえ、眉毛だけは自前で行きたいと思います」 というより、朝顔洗うときに眉毛のない自分の顔を見て腹抱えて笑いそうだからな。最近は剃ってる野郎も多いらしいが。 とはいうものの、キョンくんは眉毛が薄いわねというので少し描いてもらった。鏡を見るとなんというかこう、舞台役者とまではいかないがモデルくらいにはキリリとした眉毛になっていた。アイブローペンシルってのは実に便利だな。鏡を前に眉毛を上げたり下げたり寄せたりしているとハルヒが顔を覗かせて多少はマシじゃないのと笑っていた。いつもは間抜け面で悪かったな。 ピシっとモーニングを着込んで髪にドライヤを当ててもらっているとドアを開けて国木田が入ってきた。娘らしき子供の手を引いている。 「キョンおめでとう」 「おう国木田か、すまんがまだ準備中だ。下で待ってろ」 「ひどいなあ、僕はキョンの付き添いだろ」 「え、俺聞いてねえぞ」 「あたしが頼んだのよ」 「てっきり古泉がやるもんだと思ってたんだが」 「古泉くんは披露宴のほうが忙しいの。こういうイベントは全員に満遍なくキャスティングするのがいいのよ」 ハルヒ流の配役か。なるほどね。 「そいうことならまあ、頼むぜ国木田」 「お任せ」 国木田は自分の胸をドンと叩いてケホケホ咳をしていた。 「その子、国木田の子か」 「そうだよ」 「こんにちはお嬢ちゃん、何歳かな」 手を振ってみせたのだがはにかんで父親の後ろに隠れ、四本の指だけ立ててみせた。なるほどね。年齢的に言えば俺にもこれくらいの子がいてもおかしくないんだよな。 ドアが開いて作業服姿の部長氏が入ってきた。 「社長はこっちかな?」 「待ってたわよ部長、さっさとそれ脱いで」 「ま、まさか僕を身包み剥ごうってのかい!?」 「バカなこと言ってないで、さっさと鏡の前に座りなさい」 部長氏は隣の椅子に座り、 「ベストメンはふつう結婚式の仕切り全般をやるんだけどね」 「部長氏、ベストメンってなんですか」 「知らないのかい?新婦の付き添いがブライドメイド、新郎の付き添いがベストメンだよ」 「ああ、部長氏もだったんですか。こっちは同じく付き添いの国木田です」 「こんちわ。元コンピ研の部長さんだよね、涼宮さんの会社で働いてるんだって?」 「これはこれはどうも、うちの社長がお世話になってるようだね。よろしければ名刺交換などはどうかな?」 部長氏の丁寧語もなんだが変だが。こんなとこで営業モードか、やれやれ。 部長氏と国木田が揃いのタキシードを着込んでいるのを見ていて、なにか忘れているような気になった。とはいってもどうでもいいような、でも忘れると後々厄介なことになりそうな、でもやっぱり思い出せない。忘れ、わ、わわわ……。 「やべ、忘れてた」 「どうしたの?」 「谷口だ。あいつに招待状出してない」 「あんなもの、結婚しましたのハガキ出しとけばいいわよ」 「絶対に呼べと言われてたのに俺殺される」 俺は携帯を開いて谷口に電話をかけた。 「おい谷口」 『なんだキョンか。今日暇ならお前のおごりで呑みに行くか』 「それどころじゃねえ、今から結婚するからすぐに来い」 『は?なに言ってんだお前』 「もうスタンバってんだ、今すぐ式場に来い」 『すまんがなキョン、俺にはそういう趣味は、』 「自分で呼べって言ってただろうが」 『もしかして今日が長門との結婚式だったのか』 「そうだ」 『バカ』 着ていくものがないとかタクシーが捕まらないとか祝儀に包む金がないとかタクシー代払えとか、到着するまでアホの谷口に散々悪態をつかれた俺だったが今日だけは黙って聞き逃しておいた。長門の晴れ姿を一目見せないと一生恨まれそうだからな。まあ忘れていた俺が悪い。 「呼ばれて飛び出ました谷口です!」 あまり歓迎されてもいないのにドアを勢いよく開けて飛び込んできた谷口は、目も覚めるような真っ白な衣装だった。 「おい谷口、誰が白のタキシードで来いつったよ。漫才でもやるつもりか」 「しょうがねえだろ、俺これしか持ってねえんだから」 お前はタキシードで通勤してんのか。どんなエンターテナーだ。 「ちょうどいいわ。谷口、あんたがその格好でベストマンをやんなさい」 「ベストマンってなんだ?」 「ベストメンの代表よ」 「おう、アイアムベストオブザベストマン。まっかせなさい」 俺もハルヒも国木田も、こいつはなにも分かってねえなという顔をしていた。新郎と一緒に並ぶのがベストメンで、その代表役がベストマンだ、覚えておけ。俺も今知った。 「涼宮、ブライドメイドは誰がやるんだ?」 「それは始まってからのお楽しみよ」 谷口は女性の声が聞こえてくる間仕切りの向こう側が気になるらしく、 「そ、その声は麗しの朝比奈さんではありませんか」 「勝手に覗くんじゃないっ、わよ」 ハルヒにヘッドロックをかけられてマイッタを叩いている谷口だった。 式開始三十分前に新川さんが登場した。ノリの効いたピシっと決まったモーニングコートで、髪型も眉毛も髭もネクタイもまったく非の打ち所がないミスターダンディが現れた。 「皆様おはようございます。おかげさまで本日は好天に恵まれまして、有希の挙式にお越しいただきありがとう存じます」 「こ、これは新川先生、長門……さんのお父さんだったんですか!」 「ふつつかながら叔父でございます。有希がいつもお世話になっております」 谷口の記憶じゃやっぱり先生らしく、やたらとペコペコしている。お前も見た目ばっかりかっこつけてないでこういう芯から渋い紳士を見習え。かっこいいってのはこういうのを言うんだ。 「新川先生かっこいいわ。メイクを入れるところがないわね」 「お褒めいただきありがとう存じます。そろそろ招待客のほうも揃い始めたようです」 「新川先生は女子ルームに入っていいわ。キョン、そろそろ出番よ」 「お、おう。行ってくるぜ」 助けてくれ膝が笑って立てない。 「さあキョン、しっかりしてくれよ」国木田に肩を借りた。 「おう、しっかりするぜ」 恥ずかしいことにこれから死刑執行される囚人みたいにして、国木田と谷口に支えられながら一階に下りた。俺が姿を見せると妹とその隣にいるのはたぶんミヨキチだと思うのだが拍手が沸いた。いや、今日の主役は長門だから拍手はそっちに取っといてくれ。 うちは親類と呼べる近縁のやつらが少ない。式に呼んだのは田舎の爺さんと婆さん、俺の名付け親である叔母とその家族だけだった。あとは会社の連中とかつてのクラスメイトが一部。長門の通う研究室の先生などなど。ENOZの四人にはオーケストラを頼んだ。最前列の親父とおふくろは借りてきた猫みたいに座ったまま固まっている。この後の披露宴で親族代表の長いスピーチをやらされることになっていて、もうそればっかりが頭にあるようだ。 俺は右の列のいちばん前の席に座った。ビデオカメラを手にした古泉が隣に寄ってきた。 「立派ですよ、その姿」 「お前が付き添いをやるとばかり思ってたんだがな」 「僕だけがおいしい役をもらうわけにもいきませんしね。みなで分け合わないと」 ハルヒと同じことを言ってるが、こいつの受け売りだったのか。 三人のブライドメイドが進み出た。朝比奈さんに鶴屋さんに喜緑さん、三人とも豪華なシルクのメイドスタイルのドレスを着ていた。そりゃまあ花嫁のメイドだからメイド服なのは分かるが、似合いすぎている。朝比奈さんと鶴屋さんは前にもメイド姿を拝ませてもらったことがあるが、喜緑さんがこのかっこうをするのを見るのははじめてだ。これはいい目の保養になった。鶴屋さんが親指を立ててウインクしてくれた。 白いバラを襟元に挿したベストメンは黒いカラスの中に一羽だけ白いのが混じっていてなんともこっけいな姿だったが、俺のためにやってくれているわけで笑っちゃ悪いよな。 「もう時間だが牧師さんか神父さんはまだ来ないのか」 「来てますよ、ほら」 黒い祭服を着た司祭様がブンブンと玉ぐしを振り回しながら演壇の向こうに歩いてきた。 「なんつーかっこしてんだハルヒ、いつからカソリックになったんだ、しかもそれ神式用だろ」 「これは無宗派の結婚式よ。とりあえず祈っとけばどれかの神様が祝福してくれるに違いないわ。鰯の頭も信心からというでしょ」 「そんなことわざ使ってバチ当たっても知らんぞ」 「黙りなさい」 ハルヒが演壇の前に立つと、さっきまで流れていたBGMがフェードアウトした。 「これより、神聖にして厳粛なる儀式を執り行います」 ハルヒの後ろのガラスから入ってくる光がまるで後光のように射しこんでいる。まあ祭服コスプレはこの場に似合わなくもないわけで、見えないジャンヌダルク並みの神通力でも宿ったのか客席はシンと静まり返った。 時計の針が三時を指すと同時に、両側の壁に据えてあるでかいスピーカーからパイプオルガンの音が流れてきた。ENOZの榎本さんのキーボード演奏らしい。俺も招待客も、全員が起立して後ろを振り返った。 席の後ろのほうがざわついた。階段ホールから新川さんに付き添われた長門が現れた。観衆はオオッとかホゥとか、それぞれ好きに感嘆の声を上げパチパチと写真を撮っている。撮影タイムが終わると二人は白い道の上を一歩踏み出した。 結婚行進曲が響き渡り、客が見守る中バージンロードの上をゆっくりと、一歩ずつ歩いてくる。照明の光の中にくっきりと浮かび上がったピュアホワイトのドレス。そりゃもう白を超える白というか、まぶしくて瞳孔を細くするだけじゃ足りずに何度も瞬きをした。 スポットライトが天井から二人を照らす。赤い口紅をさした長門の顔が少しだけ微笑んでいた。肩まで垂れたベールは頭の後ろでふわりと広がり、頭の上にハート型の小さなティアラがちょこんと乗っている。肩が露になったノースリーブで胸元には二重のフリルが縁取られていた。肌の上に雪の結晶をモチーフにしたネックレスをつけている。 腰まで滑らかにシルクの光沢が続き、腰から丸く広がるプリンセスラインのドレスだった。両腕は半透明な長いグローブに包まれ大きな白と緑のブーケが右手を隠している。 スカートの部分にはコサージュがぽちぽちとあつらえてあり、大きな巻きスカートのように片側でカーブを描いて止まっている。後ろの裾が長めに垂れていた。急遽付き添い娘に採用されたらしい国木田の娘がドレスの裾を持って後ろをついてくる。父親に似て目がぱっちりしていてかわいい。 古泉が小声で言った。 「今日の長門さんはひときわ美しいですね」 「ああ。極上の美しさだ」 「知っていますか、このワーグナーの結婚行進曲はオペラ『ローエングリン』で使われている曲なんです」 こんなときに豆知識を披露しなくてもいいって。古泉はクスクスと笑い、 「素性を隠した王子と娘が結ばれ、王子である正体が明かされてしまい破局に陥るという物語なんです」 「なにがおかしいんだ」 「誰かの境遇によく似ているとは思いませんか」 またそんなミステリーヲタクな話を持ち出しやがって、大昔のオペラの登場人物とひとつふたつ似てるところがあるからってどうってことないだろ。 「いえまあ、こんなときに持ち出すのもなんですが、ひとつだけお願いがあります」 「なんだ」 「今日を境に、ジョンスミスの名前を封印してください」 「久々だが顔が近いぞ、笑顔のまま深刻な話をするな」 「あなたは人生の伴侶として長門有希を選びました。ジョンスミスはひとりしか存在を許されません」 古泉に釘を刺されるのはこれがはじめてかもしれない。 そんなことはお前が心配しなくても俺自身の口から漏れることはないだろうよ。俺は自分の意思で鍵をこいつに渡しちまった。それを取り戻そうなんてことは思わんさ。 「よし、分かった。誓おう」 古泉は黙ってうなずき、花嫁の歩いてくるほうを目で示した。新川さんにエスコートされた長門が目の前に近づいてきた。 「がん、ばれ、よっ」 古泉が俺の肩をポンポンポンと叩いた。こいつ、はじめて俺にタメ口を利いたな。 新川さんが長門の右手を俺の左手に重ね、俺に向かってうなずいてみせた。二人でハルヒ扮する司祭様の前に立った。 すると、突然ハルヒが両手を上げて待ったをかけた。 「ちょ、ちょっとストーップ!そのまま待って!」お前が待ったしてどうする。 「なんだ、どうしたんだハルヒ」 「あれがない、聖書を忘れたわ」 「聖書なんかいらんだろ、無宗派なんだし」 「だめよ、ちゃんと信条にのっとってやんなきゃ」 さっきと言ってることが百七十九度くらい違う気がするんだが。 「……これ、使って」 長門が心得ているというふうに分厚い本を取り出した。って、どっから取り出したんですかそれハイペリオンですかそれ。そんなんで誓いを立てて大丈夫なのか、俺がトゲトゲの化けもんの生贄にされたりしないだろうな。などと突っ込もうとすると、長門の黒い瞳がお願いっという感じで俺を見つめたのでそれだけでもうなんというか反則というかなんでも許してしまえそうな勢いだった。いやまあ、その本が長門のバイブルだというんならそれはそれでいいさ。 ハルヒはまわりを見回して叫んだ。 「さあっ、気を取り直していくわよ」 ハルヒが座れという感じでゼスチャーをすると全員着席した。 「おほん。本日、ここにキョンと有希の婚姻の契りの場に立ち会うという機会を得たことを、神様に深く感謝するものであります」 どの神様か分からないが、厚手のSF小説にうやうやしく右手を置いてありがたい説教を始めるハルヒである。 「はるか昔、アダムとイブの結婚式はたった二人でした。地球上にたった二人っきりで愛の誓いを立てたのです。そのとき相手と結ばれる確率は百パーセントだったかもしれないけど、今では三十億分の一の確率です。いえもう三十五億分の一かもしれません」 人類創世の話がしたいのか人口増加の話がしたいのかよく分からんのだが。 「相手の候補が三十億もいるってことはよ、ボヤボヤしてると見失ってしまうかもしれないわ。昔の人は言いました。恋は気がつかないうちに訪れる。我々はただ、通り過ぎたその後姿を見るだけである」 ハルヒは一息ついて客を見回し、 「つまり、好きな人がいるならさっさと結婚しちゃいなさいってことよ。世界は広くて人生は短くて、迷ってたら幸せなんか手に入らないんだからね」 それが言いたかったのか。話にオチがついたところで皆は納得したようで笑い声が沸いた。恋愛なんて精神病の一種だと誰かが言ってたような気もしなくもないのだが、まあいいこと言ったんで許そう。 「では、誓いの言葉」 俺は長門と向き合い、両手を握って見つめあった。 「キョン、あなたは有希を、健やかなるときも病めるときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「は、ハイ。誓いマス」 声が裏声になっていたが後ろのほうまでちゃんと聞こえたか。 「有希、あなたはキョンを、元気なときも具合の悪いときも、優柔不断なときもグズグズして待たされるときも女心に鈍くてどうしようもないときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「……誓う」 「よろしい。では指輪の交換をしなさい」 長門は朝比奈さんから、俺は谷口から結婚指輪を受け取った。俺はその銀色に輝くリングをケースから取り出し、きっと酸素が足りなくて頭がぼけていたのだろう、自らの薬指にはめようとしていた。は、はまらねえ。 「……こっち」 長門が自分の手を差し出して促した。本番中にトチるなんてなにやってんだろね俺は。 長門の細い薬指にリングをはめてやると、ハルヒが、 「人類とこの宇宙のすべての存在から与えられた権限により、キョンと有希が夫婦であることをここに認めます。さあっ誓いのキスよ」 え、この衆人環視の前でやんのかよ、聞いてねえぞ。ふつうはここで音楽が鳴って拍手に包まれながら退場だろう。 「キョンなに躊躇してんのよ、さっさとやるの。皆さん、神聖なるキスシーンの撮影はご遠慮ください」 そうは言ったがハルヒはやおら古泉を指差し、 「古泉くん、ちゃんと撮ってる?」 こ、このバチ当たり神父が。 古泉のカメラのインジケータが赤く光ったままじっとこっちを見ていた。向き合ったままの長門はそのまま固まって俺を待っていた。しょうがない。これが生涯で二度目になるキスなのだが、俺は長門のあまりに真剣なまなざしに少し不安になり、チラと喜緑さんを見た。喜緑さんは微笑んでうなずいてくれた。 溜飲が下がる思いで俺は長門の肩を抱き寄せた。長門の左手が俺の腰を捉え、俺の右手はゆっくりと長門の左頬に触れた。その手で耳の後ろを支えて、目を閉じた長門の顔との距離が少しずつ狭まってゆく。乾いた唇を少しだけ濡らし、やわらかな、温かな、ぽってりと濡れた感触が唇の先に広がった。 視界がぼんやりと白い光に包まれてゆく。過去も未来も、そして現在までもがゆっくりと流れ、やがて音もなく止まった。 閉じた目を開けゆっくりと唇を離すとそこにはなにもなく、ただぼんやりとした白い風景だった。誰もいない、なにもない、無音。目の前にいるのは長門だけだった。 「ここは……どこだ?俺は夢でも見てるのか」 「……閉鎖空間。あなた自身の」 なんと、俺が作ってんのか。そういえば前にも来たことがあるような気がする。なぜか巫女衣装の朝比奈さんが思い浮かぶ。いや、長門の親父さんだったかな。異空間はハルヒの専売特許だとばかり思っていたが、それにしちゃハルヒのとは色も雰囲気もずいぶんと違うな。 「……そう。閉鎖空間は本人の精神世界を反映する。今のあなたの気持ちが、これ」 真っ白ってのが俺のどんな気持ちを表すのか、フロイト先生を聞きかじった程度の俺にはちょっと分からんが、でも、今どんな気持ちかと聞かれたらちゃんと答えられる。そう、今こそが本当に幸せそのものだ。 「俺がここにいるってことは、どうやってここから出るんだ?」 「……もう一度、キスして」 長門は目を閉じ、頭を反らして小さな唇をちょんと突き出した。俺は最初のときと同じに両手で暖かい頬を包み、長門の後ろ髪の感触を指先に感じながら唇を近づけた。 ── 今まで、ちゃんと言えなくてごめんな。大好きだ…… やがて人の声、拍手と指笛、まぶしい光、足音、花の香り、長門の化粧の匂いが一気に戻ってきた。目を開けると頬を染めた長門がじっと俺を見つめていた。 次の瞬間、聞き覚えのあるもうひとつの結婚行進曲が鳴り響いた。メンデルスゾーンだっけな。 そのまま長門の手を引いてゆっくりとバージンロードを歩いた。招待客がバラの花びらを二人の上に放り投げ、派手なフラワーシャワーを浴びた。いやあなんというか、こういう演出は嬉しいね。 そういえばこの後の予定を聞いてなかった。古泉にこの後どうするんだという視線を送った。 「車を用意していますので、そのまま披露宴の会場に行ってください」 拍手の合間を古泉が大声で答えてきた。この会場誰が片付けるんだろうと不安になったのだが、まあ後のことはこいつらに任せておこう。 正面玄関まで来たところでなにか大事なことを忘れているような気がして、俺は振り返ってみんなを呼んだ。 「あそうだ、皆さん、ブーケトスをやりますよ」 「待ちなさい、ちょーっと待ちなさいキョン、あたしが行くまで投げちゃだめよ。ほらほらみくるちゃんも走って」 言うが早いかハルヒ神父を先頭に、ブライドメイドの三人や、赤やピンクやパープルで着飾った女性陣がスカートを捲り上げて殺到した。独身女性がこんなにいたのか、こりゃあ争奪戦になるぞ。 長門が俺の耳元でボソボソ話した。 「……ブーケトスってなに」 「後ろを向いてその花を投げればいいんだ。まあアミダくじみたいなもんだな」 「……ひとつしかない」 「取り合いになったら困るから少し増やしてくれ」 「……分かった」 長門が後ろを向いてふわりとブーケを投げた。全員がその行方を見つめる中、まるで計算されたかのような緩やかな放物線を描いた。小さな花束は空中でポンと分裂し、いくつものブーケになって舞い降りた。突然増殖したブーケに慌てた女どもはどれを捕まえればいいのか右往左往していたが、たぶん全員分はあるだろう。なに喜んでるんだ谷口、お前は男だろうが。 玄関を出ると黒塗りの個人タクシーが止まっていた。なんとなく見覚えはあるのだが後部シートがやたら長くて普通車の二台か三台分はある。ってこれリムジンとかいうやつじゃ。モーニングのままの新川さんが運転席のドアを開けて出てきた。 「お二人様、ご成婚おめでとうございます」 「……ありがとう」 「どうも新川さ、お義父さん。運転手までさせてしまってすいません」 「いえいえ、わたくしはこれが本業でございますゆえ」 新川さんがドアを開けて長門が乗り込むのを手伝った。スカートの重なったレースがふわふわと膨らんで花嫁が埋もれている。中に入るとほのかにライトがともり、テーブルの脇にはシャンペンとグラスが用意してあった。 ゆったりサイズのL型シートには軽く六人は座れそうなのだが、俺と長門は隅っこに身を寄せ合って座った。ふわふわの布張りの床、壁には液晶テレビと電話、サイドテーブルにはワインクーラーと冷蔵庫、乗るのも見るのもはじめてだがこいつは豪華だ。 「長門、シャンペン飲むか」 「……うん」 俺は冷えきった瓶の栓をポンと抜いてしゅわしゅわとグラスに注いだ。二人のグラスを合わせるとチリンと軽い音がした。 新川さんの演出らしく車内に洋楽ラブソングが流れはじめた。壁のインターホンが鳴った。 「披露宴までまだ時間がありますから、少しドライブに出ましょう。到着までゆったりとおくつろぎください」 おくつろぎくださいと申されましても、もうこの車のゴーシャスな内装に圧倒されて正座なんかしている俺なのでありますが。とりあえず新郎らしく長門の肩を引き寄せてみたりした。長門も首を傾けて俺の肩にもたれている。 車が走り出すと、突然後ろのほうでやかましい金属音が鳴り響き驚いて振り向いた。ああ、あれだ。空き缶のガラガラだ。今どきこんな派手なガラガラを引く新婚カップルもいないと思うが、でかい音を出して悪魔を追い払う魔除けなんだとか昔はひも靴を引っ張っていたんだとか、どれがほんとなのかは知らん由緒曖昧な古の習慣らしい。 道行く人がなにごとかとこっちを見て、空き缶を見て指差して微笑んでいる。若いあんちゃんが親指を立てているのを見て、俺たち結婚したんだぜと急に自慢したくなってきた。このまま突っ走って世界中を駆け巡ってみたい気分だ。 七章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2818.html
Report.24 長門有希の憂鬱 その13 ~朝倉涼子の手紙~ それにしても気になるのは、涼宮ハルヒが見たという夢。朝倉涼子が出てきたという。そして、あの『手記』を見せられた時の突然の閃き。あの時わたしは、誰かが囁く声を聞いたような感覚を覚えた。 あれは何だったのか。わたしの感覚器の誤作動か。 ここでわたしは、ある仮説に辿り着いた。喜緑江美里にその仮説を伝えると、彼女もそれを支持した。しかしその仮説を検証することはできない。なぜなら、それはわたしの感覚では知覚できないから。 江美里は、あるいは知覚しているのかもしれない。 「わたしが知っているかどうかは、不開示情報です。もし知っていたとしても、それを長門さんに教えるつもりはありません。……意味が無くなってしまいますから。」 わたしが辿り着き、そして検証することができない仮説。 それは情報統合思念体の把握している情報には存在しない概念。むしろ、人間に存在する概念。だから、あえて人間の言葉で表現する。 朝倉涼子は、『あの世』に逝った。 説明を要する。 人間には『宗教』が存在するが、人間の『死』についての概念は宗教によって区々。 代表的なものは、死ねばそれですべてが終わるという概念と、死んだ後、別の世界に行くという概念。わたしの仮説は、後者の説を採用する。 最期のあの日。橋の欄干から飛び降り、『入水自殺』した涼子。あの時彼女は、落水後すぐに、意図的に水を大量に飲み込んだ。ヒトとしての『死』を迎えるために。当時のわたしは、人間の言葉で言えば『動転』していて、正常な判断を下すことができなかったので、そのことに気付かなかった。 しかし落ち着いた今、冷静に当時のログを分析してみると、前記の状況を把握した。あの時の涼子は、情報統合思念体との接続を完全に切断していた。インターフェイスとしての機能を完全に停止させたまま、水中で『呼吸』しようとすればどうなるか。 当然、ヒトと同様に生命活動は停止する。もちろん、その後再接続すれば、何事もなかったように活動を再開できるが、その時の涼子には、その選択肢はなかった。待つのは有機情報連結解除だけ。だから、なぜ涼子がそのような『無意味』な行動を取ったのか、その時のわたしには分からなかった。 呼吸器官を水で満たしても、すぐに『死亡』するわけではない。しばらくは意識もあるし、生命活動は続く。それが急速に生命活動が低下し、死に至る。その過程は、ヒトと同じ。よって、たとえインターフェイスであっても、その瞬間には相当な苦痛を伴う。それなのになぜ。 その考察の結果、辿り着いたのが、前記の仮説。涼子は、人間で例えると『霊魂』として『あの世』で活動しているのではないか。 情報統合思念体との接続を切断した状態では、情報統合思念体は即座にインターフェイスの情報を把握することができない。ほんの僅かながら、情報取得までに時間差が発生する。 涼子は、その時間差を突いたのではないか。『肉体』が機能を停止し、情報生命体だけの状態となって、情報統合思念体に強制的に接続され、情報生命体は回収、肉体は有機情報連結を解除されるまでの、ほんの僅かな時間差。この刹那に、涼子は持てる情報操作能力を総動員して、情報統合思念体が感知できない領域に潜り込み、その管轄から外れることに成功したのではないか。 情報統合思念体が感知できない領域があることを、情報統合思念体は認めないが、わたしは確信している。涼宮ハルヒの能力が作用すれば、そんなことも可能になる。 しかし、ここで一つ問題がある。ハルヒは涼子の消滅を知らないはず。 まさか……涼子単体で? 答えは意外な形でもたらされた。 ある日のこと。全員揃った部室にノックの音が響く。 「どうぞー。」 答えたハルヒの声に、江美里が入室した。 「文芸部宛てに手紙が届いたので持ってきましたよ。」 江美里がもたらした物は、エアメールだった。差出人は……“ASAKURA Ryoko”。 ハルヒに手紙を渡すと、江美里は退室した。 ハルヒは手紙を一瞥すると、嬉々として読み上げた。内容は『近況報告』と言えるものだった。 手紙の締め括りはこう。 ――文芸部部長 長門有希様、SOS団団長 涼宮ハルヒ様へ - To Leader of the literature club NAGATO Yuki, Leader of the SOS brigade SUZUMIYA Haruhi ――SOS団海外特派員(笑) 朝倉涼子より - Than the SOS brigade foreign correspondent -) ASAKURA Ryoko 締め括りは、日本語と英語で書かれていた。 「うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしとぉみたいやね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?」 【うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしてるみたいね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?】 「へいへい。」 『彼』は、肩をすくめながら返事をした。表情には、事情を知っているせいか、若干戸惑いが見て取れる。それは、他の団員達もまた同様だった。 「ん? 何(なん)か入っとぉわ。」 【ん? 何(なん)か入ってるわ。】 ハルヒは同封物に気付いた。彼女は早速それを出してみる。 「これ、何(なん)やろ?」 【これ、何(なん)だろ?】 出てきたものは、栞。……涼子と過ごした最後の日に、涼子がわたしとお揃いで買った物だった。ハルヒもその事実に気付いた。 「そういえばこれ、有希が使ってるのと一緒違(ちゃ)う?」 【そういえばこれ、有希が使ってるのと同じじゃない?】 わたしはこくりと頷いた。 「貸して。」 わたしはハルヒに向けて手を伸ばした。 「有希、これがどうかしたん?」 【有希、これがどうかしたの?】 ハルヒからそれを受け取ると、わたしはそれを少しいじった。 「うわ!? 何(なん)か出てきた!」 「これはUSBフラッシュメモリ。」 ちょうどページをめくるように本型の飾りを操作すると、中から簡素化されたUSB端子が現れる仕組みになっていた。 ここでわたしは思い当たった。別れの間際、最期の瞬間に涼子が遺した一かけらの情報。その情報にはヘッダとして、『器へ』という指示が付いていた。 『器』とは、もしかして、人間が使用するこのストレージデバイスのことではないのか。 わたしは試しに、情報をこのフラッシュメモリに導入してみた。特に変化は見られない。 「じゃあ、早速中を見てみよか。」 【じゃあ、早速中を見てみようか。】 フラッシュメモリをハルヒに渡すと、彼女は団長席のパソコンにそれを接続した。 「うーんと、中身は……よぉ分からんファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。」 【うーんと、中身は……よく分かんないファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。】 「ちょ! おま、ウィルスチェックしてから……っ!」 『彼』が慌てて止めようとするが、時既に遅し。ハルヒは謎の実行ファイルを実行してしまった。何か問題が起きても、すぐに対処できると見て、わたしは静観する。 「ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』やって。」 【ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』だって。】 しばらくパソコンのファン音が大きくなり、やがて処理が終了した。 「何(なん)かビデオファイルができたわ。ほな、再生するから、みんなこっち来て。」 【何(なん)かビデオファイルができたわ。じゃあ、再生するから、みんなこっち来て。】 団員達を団長席に呼び寄せると、ハルヒはビデオファイルを再生した。 内容は……カナダで撮影したという、涼子からの『ビデオレター』だった。 『――以上、SOS団海外特派員・朝倉涼子がお届けしました! ……なんちゃって♪』 映像の涼子は、そう言うとちろりと舌を出した。 『また、日本に帰ってみんなと会える機会があると良いな。じゃあね。』 手を振る涼子の姿が煌めく砂と化して風に溶けると画面が暗転し、『劇終』の文字が黒い画面に映されて、ビデオは終了した。 この『ビデオレター』は、もちろん捏造。実際のカナダの映像と、涼子の身体構成情報を合成してある。わたしが導入した情報は、どうやら涼子の身体構成情報の一部だった模様。 それにしても手の込んだこと。一体、誰が、何のために? 「普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージやないの。」 【普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージじゃないの。】 ハルヒは満足げに頷いている。 「カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じやね。」 【カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じよね。】 ハルヒは腕を組んで椅子の背もたれにもたれると、 「これは美味しい逸材かもしれへんわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しよか。」 【これは美味しい逸材かもしれないわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しようかしら。】 「大変結構なことかと。」 「おいおい、まさか映画の撮影のためだけに、カナダから呼び出すつもりか!?」 いつもの通りハルヒの意見に逆らわない古泉一樹と、ツッコむ『彼』。 「さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りひんようになるから、次に朝倉が帰国する時やな。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんたらは心配せんでええわ。」 【さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りなくなるから、次に朝倉が帰国する時ね。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんた達は心配しなくて良いわ。】 ハルヒは封筒と便箋をためつすがめつし、 「電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけばええのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなあかんな。」 【電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけば良いのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなきゃね。】 調べてみたところ、その住所は架空のものだった。地名は存在するが、そのような番地はない。 「それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果やな。CGやろか?」 【それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果ね。CGかしら?】 それ以外にも、例えば空を飛びながら撮影したような映像や、涼子が分身した映像等、様々な映像が納められていた。まるで、インターフェイスの能力を誇示するかのように。 「どうやって撮ったんか分からへんけど、まるで、朝倉が人間違(ちゃ)うような感じやったな。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。」 【どうやって撮ったのか分からないけど、まるで、朝倉が人間じゃないような感じだったわね。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。】 『宇宙人』。その言葉にわたしは驚愕した。驚愕のあまり、『彼』にしか分からない程度に目を見開くくらいに。 涼子は、ハルヒに自分の存在をアピールしている? 忘れさせないように、思い出させるように、教えるように。 まさか。 涼子は、ハルヒの能力を利用して『復活』を企てている? 涼子が情報統合思念体の管轄を離れた独自の情報生命体として活動しているとは、あくまで仮説の域を出ない。検証のしようもない。それに、今この瞬間にも、涼子の存在は検出できない。やはり考え過ぎか。 『抵抗。』 不意に、通信が入った、ような気がした。……涼子? ――――。 返事がない。ただのしかば……いや、何でもない。人間の言葉で表現すると『気のせい』か。後ろを振り返ってみても、何もない空間が広がっているだけだった。 活動終了後。 わたしは、皆が帰った後の文芸部室に江美里を呼び出し、問い詰めた。 「どういうつもり。」 「何のことでしょう?」 江美里は、透き通るような、人畜無害な笑みを浮かべたまま答えた。 「とぼけないで。」 わたしは更に言い募る。 「あなたが、『朝倉涼子の手紙』を持ち込んだ。あれは本来、この世界に存在し得ないはずの物品。」 そう。そのような……『死者からの手紙』など、本来この世界にはあり得ない物。 「わたしは単に、誤って振り分けられた手紙を適切な宛先に届けただけですよ? 感謝されこそすれ、非難される謂れはないと思いますが。」 あくまでとぼけるつもりか。 「あなたの行動は、情報統合思念体に対する『反乱』と解釈されても仕方のない行為。」 「まあ。」 江美里は『驚いた顔』をした。……つまりは、作った表情。 「この銀河を統括する、情報統合思念体に対して『反乱』だなんて……」 江美里は被りを振って、 「わたしみたいな、『ただの人間ごとき』に、そのような大それたこと、できるはずがないじゃないですか。」 ……自分をして、『ただの人間ごとき』? どの口が言うか。 「いひゃい、いひゃい、ひゃへへふひゃひゃい~」 【痛い、痛い、やめてください~】 わたしは、江美里の口に両手の指を突っ込んで横に引っ張っていた。 「ひょんとうのほほははひはふはら~」 【本当のこと話しますから~】 わたしが指を引き抜くと、江美里はさも痛そうに自分の頬を撫でた。 「ふう。」 「本当のことを話して。全部。詳らかに。」 江美里は、しばらく中空に、まるで何かを確認するかのように視線を巡らせた後、口を開いた。 「あなたは、神を信じますか?」 ………… 「は?」 思わず間の抜けた声が出てしまった。あまりにも突拍子もない言葉だったから。 「あらあら。その反応は新鮮ですね。」 ………… 「まあ、今のは軽いジョークです。だから、その手はとりあえず下ろしてください。ね?」 後ずさりしながら江美里は言った。わたしは静かに、再び江美里の口に突っ込もうと臨戦態勢を取った手を下ろした。 「長門さんは、朝倉さんについて、ある仮説に辿り着きましたね。」 わたしは頷く。 「端的に言えば、その仮説は正しかった、ということです。」 涼子は、『霊魂』又は『幽霊』、若しくはこの国の伝統的な宗教によれば、『神』になった。 「そして、情報統合思念体でさえも把握できない次元に潜り込むことに成功したのです。」 荒唐無稽で、俄かには信じ難い話。でも、そう仮定すれば辻褄が合うのも事実。 「潜伏した朝倉さんは、水面下で行動を起こしています。」 様々な形でわたし達に働きかけながら。例えば、消去された記憶を呼び覚ますために夢を見させたり、適切な定義を耳元で囁いたり。 だが、行動を起こしているのは涼子だけではない。わたしは江美里を真っ直ぐに見ながら言った。 「その行動を幇助しているのが、あなた。」 江美里はわたしの視線を真正面から受け止めながら、 「なぜそう思ったのですか?」 と、事も無げに問い返した。わたしは証拠を突きつける。 「あの『手紙』には、同封物があった。」 同封されていた、USBフラッシュメモリが付いた栞を取り出した。 「これは、あの日涼子がわたしとお揃いで購入したもの。」 「市販品ですから、他にも同じものが沢山あると思いますが?」 普通に考えれば、そう。だが、 「同封されていた栞は、市販品ではない。このような機能は、通常の商品には付いていない。」 USB端子を露出させる。本来この飾りには、何の機能もない。だが送られてきた栞の飾りには、USBフラッシュメモリが仕込まれていた。そのように改変されていた。 「その中には、存在しないはずの動画が収められていた。」 主演・朝倉涼子、のビデオレター。 「その動画は、わたしが朝倉涼子から受け取っていた最期の情報を埋め込むことで、完成された。」 涼子の身体構成情報を基に、高度に再現された涼子の映像。 「このような真似ができる者は、涼宮ハルヒを除いて人類には存在しない。」 そしてこのような手の込んだ方法で情報を完成させたのは、恐らく情報統合思念体の目を欺くため。それぞれの端末が持つ情報単体では、何の意味も成さないただのノイズにしか見えない。また、それらの情報を単に情報統合思念体の持つ方法で結合しても、やはり何の意味も成さないようになっていた。 鍵は、栞。 栞に仕込まれた、人間が使用する記憶媒体に、人間が使用する情報機器が取り扱える形で情報を埋め込むと、初めて『人間にとって』意味のある情報が生成されるように断片化し、暗号化されていた。 これは情報統合思念体に対しては極めて有効な隠蔽方法。たとえ情報統合思念体が情報の暗号化を見破って生成された情報を手にしても、情報統合思念体にとってはやはり意味を成さないノイズでしかない。なぜなら、その情報は情報そのものには意味がないから。 これは、情報生命体である情報統合思念体には、なかなか理解できない概念。有機生命体でなければ、理解できないのかもしれない。 この情報を取り扱うためには、情報を『情報』として再生しても意味がない。この情報の送り主の『意図』を再生しなければならない。 『なぜ』このような情報を、『誰』に対して、『どのように』伝達したのか。 これらの点を、送られた情報以外の『状況』から『推理』し、その『趣旨』を『解釈』しなければならない。 情報統合思念体にとって、情報とは『目的』。情報そのものに価値があるのであって、情報を伝える手段等には何ら興味はない。 しかし有機生命体……人間にとっては、情報は時に『手段』となる。 人間が取り扱う情報は、情報統合思念体から見れば、極めて不完全。情報の伝達には常に齟齬が発生する。その点を逆に利用する。 一見正常な、普通の情報があったとする。その情報は、通常の再生方法では、特に変わった意味を持たない。だが、その情報の『背景』から『連想』することで、全く別の情報が生成されることがある。そしてその生成された別の情報こそが、『目的』としての情報である場合がある。 これは、情報に込められた真の情報、メタデータ。ある意味で『偽装』。このような情報の伝達方法は、情報統合思念体等の情報生命体には、考えも付かない。 なぜなら、情報生命体の情報伝達は、完璧だから。完璧過ぎるから。少なくとも同種の情報生命体同士なら、齟齬なく情報を伝達できるから。 人間は、同じ人間同士であっても、情報の伝達には常に齟齬が発生する。これは、情報統合思念体――情報生命体――から見れば、重大な構造的欠陥。しかし人間は、この構造的欠陥を補い、逆に活用する術を見付けた。情報の伝達に齟齬が発生するならば、齟齬を見込んで情報を冗長化して伝達すれば良い。 その冗長化の手段として、伝達する情報そのものには仮の意味を持たせ、本当に伝達したい情報はメタデータに埋め込む。メタデータの再生方法は、人間が最も得意とする情報処理方法……『連想』に拠らせる。 人間の『連想』では、その処理を行う際に『鍵』となる情報によって、再生結果が左右される。もしその『鍵』となる情報を共有する者同士なら、『連想』された情報は極めて高い精度で、時には人間の通常の手段で伝達する情報よりも高い精度で、伝達したい内容を再生する。 しかし、その『鍵』となる情報を共有しない者同士では、伝達したい内容はほとんど再生されない。また、場合によっては、全く逆、あるいは全く別の情報に再生されることさえある。 この特性を利用すれば、人間の持つ程度の情報伝達手段、つまり不特定多数を経由しないと情報を伝達できない仕組みであっても、特定の相手に対して選択的に情報を伝達することが可能となる。また、同様に不特定多数に対して同じ情報を伝達しながら、情報の受け手によって再生結果が異なることを利用して、情報の攪乱を図ることもできる。 これらのことは、別々に行うことも、同時に行うことも可能。 今だから言う。わたしはこの手法を用いて、情報統合思念体に『隠し事』をしていた。朝倉涼子から受け取っていた最期の情報の内容を、この手法で意図的に伏せていた。 理由など説明できない。わたしが伝えたくなかったからとしか言えない。 また、今もわたしは『隠し事』をしているかもしれない。あるいは、もうしていないかもしれない。これも明言はしない。したくないから。 では、なぜわたしは今になってこのような『告白』をしたのか。理由はあえて言わない。言ってしまっては『意味』がない。 情報統合思念体は、これらの点についてよく考えるべき。そうでないと、朝倉涼子の、喜緑江美里の、行動は理解できない。 これは私見だが、この二体の、あるいはわたしを含めた三体のインターフェイスの行動が理解できなければ、人間の行動は到底理解できない。すなわち、情報統合思念体に未来はない。そう思う。 ヒントは、後の報告にあるかもしれないし、ないかもしれない。よく考えてみてほしい。 ←Report.23|目次|Report.25→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1134.html
妹「キョーンくん!朝だよー!」 キョン「・・・あー」 妹「ほらー!早く起きてー!」 キョン「いって!わかったわかった!」 妹「はぁやぁくー!」 キョン「ふぁー・・・」 キョン(長門のこと考えてて・・・よく寝れなかったな) 妹「キョン君?目真っ赤だよ?」 キョン「あー、なんでもない。それよりほら、朝飯だ」 妹「うんっ!」 学校 キョン「うーす、ハルヒ」 ハルヒ「・・・」 キョン(また機嫌悪そうだな・・・いつものことか) ハルヒ「・・・ねぇ、キョン?」 キョン「ん、何だ?」 ハルヒ「有希、いつになったら帰ってくるんだろ」 キョン「長門か?確か2、3ヶ月って言ってたぞ」 ハルヒ「・・・ふーん」 キョン「なんだよ突然」 ハルヒ「う、うるさいわね。あんたには関係ないのっ!」 キョン「っと、はいはい」 ハルヒ「・・・ふんっ」 ガラッ みくる「はぁはぁはぁ・・・キョ、キョンくぅん!」 キョン「・・・朝比奈さん?」 パタパタ みくる「ひぃひぃ・・・」 ハルヒ「ちょ、ちょっとみくるちゃん!?こんな時間にどうしたの?もう授業始ま・・・」 みくる「と、とにかくキョンくん!一緒に来てください!」 キョン「へ?なんで俺が・・・ってて!」 みくる「はやくしてくださぁい!」 キョン「わ、わかりましたからそんなに引っ張らないで下さいよ!」 ハルヒ「みくるちゃん!?どういうこと・・・」 バタン ハルヒ「・・・なんなのよ」 みくる「はぁはぁ・・・」 キョン「えーと、なんですか?こんな所に連れ出して」 みくる「た、大変なんですよぉ!緊急事態です!」 キョン「へ?緊急事態?」 みくる「その、朝倉さんが・・・」 キョン「え?」 みくる「だから朝く・・・わわっ! キョン「あ、朝倉!?ちょっと、今何て言いました!?」 みくる「ひっ!ちょっと落ち着いてキョンくん・・・ひゃ!」 キョン「朝倉が何なんですか!?」 みくる「えと、その・・・こっちに戻ってきたみたいなんですよぉ!」 キョン「な・・・マジですか!」 みくる「マジです・・・大マジです」 キョン「なんで朝倉が・・・」 みくる「前に長門さんから話は聞いてました・・・キョンくん殺されそうになったって・・・」 キョン「その情報は誰から?」 みくる「えと・・・その、禁則事項ですぅ・・・」 キョン「アレですか?未来の偉い人とかそんなのからですか?」 みくる「そ、そんなところです・・・」 キョン「くっそ・・・今朝倉がどこにいるかわかりますか!?」 みくる「それはちょっと・・・ってキョンくん!?どこ行くんですか!?」 キョン「朝比奈さんは古泉にこのことを伝えてください!俺は長門のところに行って来ます!」 みくる「そんな!一人じゃ危険すぎますよ!キョンくん!!」 キョン「くっそ!」 キョン「はぁはぁはぁ・・・」 ピンポーンピンポーンピンポーン キョン「くっそ・・・出ろよ!長門!」 ガチャ キョン「!」 長門「・・・」 キョン「長門!俺だ!」 長門「何」 キョン「とりあえず中に入れてくれ!」 長門「・・・なぜ」 キョン「いいから!」 長門「・・・」 ガーッ キョン「はぁはぁ・・・」 長門「何」 キョン「あ、朝倉はこなかったか!?」 長門「・・・朝倉」 キョン「そうだよ、朝倉涼子! 長門「・・・来てない」 キョン「そう・・・か・・・ハァー・・・」 長門「朝倉涼子は消えた。私が情報連結を解除したはず」 キョン「朝比奈さんがな、戻ってきたって」 長門「・・・朝比奈みくるが」 キョン「ああ・・・理由はよく分からないけどな」 長門「・・・理由」 キョン「ふー、とりあえず安心したよ・・・無事でよかった」 長門「・・・」 ヴーヴー キョン「なんだ?」 長門「・・・電話」 キョン「あ、ああ。俺か」 パカッ キョン「なんだこの番号?」 長門「・・・っ!」 キョン「もしも・・・」 長門「出ちゃダメ」 キョン「へ?」 ?「・・・ふふ、見ーつけた」 キョン「!」 バチッ! キョン「いでっ!」 長門「・・・特定された」 キョン「な、なんだよ突然」 長門「・・・来る」 キョン「来る?何が来r」 ドォォォオオオォオオオンッ!! キョン「うおぉぉぁっ!」 長門「っく・・・」 オォォォ・・・・ 長門「・・・なぜここへ」 朝倉「ふふ、お久しぶりね。長門さんに・・・キョン君♪」 5話
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1167.html
……… 眠れない…。 これで何度目になるだろう、静寂のなか薄暗い部屋で、彼が眠っていた布団に包まれ、目を閉じる……。 しかし、瞼の裏には記憶が映しだされ、彼の顔が画面いっぱいに広がる。 なぜだろう?気が付くと、彼のことばっかり考えている。 これはエラーなのだろうか? なぜこんなにも私の睡眠機能を妨害されるのだろう。 そんなことを考えていると、いつのまにか眠ってしまったようだ。 「ふふふ。長門さん、好きなんでしょ、彼のこと」 好き…?たぶん違うと思う……。 「そう、まあそのうち分かるわよ。自分の気持ちに…」 朝。太陽の光がカーテンの無い窓からさしこんできて目を覚ます。 今日は、不思議探索の日ということで軽く朝食をとり、家を出る。 着替える必要はない、いつもの制服で十分だ。 でも、私服で行ったら彼が喜ぶかな……。 いけない、またエラーだ。 集合時間15分前、いつもの駅前に到着する。 彼はまだのようだ。 「おはよう有希!」 「お、おはようございまぁ~す」 「おはようございます、長門さん」 三人ともあいさつをしてきた…。 私は軽く会釈をする。 しばらく待っていると、彼がやってきた。 「遅い!罰き…」 「はいはい、分かったから」 彼はもうあきらめがついているようだ。 そうして、いつもの喫茶店に入る。 私は、注文した飲み物を飲みながら、彼といっしょになればいいなと毎回考えていた。 そして、涼宮ハルヒのクジを引く、私は無印だ。 彼は…、私と同じ無印だった。うれしい。 他の人は、古泉一樹が印入り、涼宮ハルヒが印入り、そして朝比奈みくるが無印だった。 (あら、残念ね。二人きりじゃなくて…クスクス) 別に残念とは思っていない。 こうして、彼と朝比奈みくると私で不思議を探すことになった……。 とはいっても、探す気なんかないことはみんな同じだろう。 「いい!デートじゃないのよ!鼻の下のばしてんじゃないわよ!!」 そう言って彼女は歩いていった。古泉一樹がやけにニヤニヤしているのはなぜだろう? 「朝比奈さんはどこか行きたいところありますか?」 彼は彼女にきく。 「いえ、特には…」 「そうですか、長門はどうだ?」 彼がたずねてくる。図書館と言いたいが、今は朝比奈みくるもいるのでやめておく。 「……ない」 私は彼の顔を見ずにこたえた。 「…そうか」 彼は少し困った様子で、 「じゃあそこらへんをブラブラしてますか」 「はい」 そんなやりとりが交わされて、私は彼の後ろについて歩いている。 彼は、朝比奈みくると会話を楽しんでいる……羨ましい。 私も情報伝達能力がもっと高ければ―――。そんなことを考えていると、いきなり話がふられた。 「長門も鶴屋さんの小説おもしろかったよな?」 「…………」 私はこたえることもできず、ただうなずくことしかできなかった。 (ふふっ、手でもつないでみれば?) そんなことはしない。 (恥ずかしがることないのよ。早くしないと涼宮ハルヒにとられちゃうわよ) …………。 そんなことをしているうちに、集合する時間がやってきた。 駅前につくと、もう涼宮ハルヒと古泉一樹が待っていた。 「ふん!じゃあクジ引きするわよ」 彼女はイライラしているようだ。 みんながクジを引く、私は印入りだ。 彼は…印入り。今日は運がいいらしい、彼は私を見ると微笑んでくれた…。頬が熱くなるのを感じる。 あとの三人は無印だった。 みんなと別れる。行くところは決まっているも同然で、彼がたずねてきたときは、 「図書館」 と即答した。 私は彼の後ろについて歩いている。 会話はしないけれど、二人で歩いているだけで幸せな感じだった。 (たまには、図書館じゃなくて映画館とかもつれてってもらえば?) …………。 (せっかくの二人きりになれたのよ。それにこれはデートと変わらないわよ) …………。 (涼宮ハルヒのことなんて気にしないで、ホテルでも行っちゃえばいいのに) うるさい。 お互い無言のまま、今では行き慣れた図書館についた。 人影も少なく、冷房のきいた閑静な室内に足を踏み入れる。 私はこの空間がとても好きだった。 私は、本を手にとりその場で立ち読みをする。その間、彼はだいたいは眠っている。 (ねえ、彼の近くで読んでみたら?肩によりそったりして) ………///。 本を読んでいるとすぐに時間がすぎる…。 彼が、私に帰ろうと言ってきた。私は彼の肩から頭をどかし、図書カードで本を借りた。 私は図書館で借りた一冊の本をもって彼と並んで歩く。なんだか楽しい。 いきなり彼がこっちを向く。どうしたのだろう?と思っていたら、無意識に手を握っていたようだ。 (やればできるじゃない、ふふふふっ) 「長門どうしたんだ?」 別に…。 「おい、ハルヒに見つかったらまたうるさく言われるぞ」 …いい。 「…やれやれ」 私は不安になり、彼にたずねる。 「…嫌?」 「そっ、そんなことないぞ、うん。どっちかっていうとうれしい」 「…そう」 私は彼の言葉を聞いて、安堵した。 できることなら彼とずっと一緒に……。 そんなことを思いながら私は、握る力を少しだけ強くしていた…。
https://w.atwiki.jp/terachaosrowa/pages/1408.html
6期は5期(のエピローグ前)の半年後なため、朝倉と結婚しサラリーマンとなった状態で参戦。 オープニングの時は新入社員歓迎会で飲んで酔っ払っていたため、 全国で殺し合いが行われていたことなど知らなかった。 目覚めた長門は酔いながらも自分の家に帰ろうとする。 途中でマーダーの襲撃を受けるものの全部返り討ちにして、満身創痍になりながらも家に到着する。 だが、家で待っていたのは朝倉ではなくマーダー化した岩崎みなみ。 ただでさえ満身創痍だった長門は止めを刺され、殺し合いが行われていたことを知らないまま死ぬ。 外見や性格が似ている上に、中の人が同じキャラに殺されるのは皮肉としか言いようがない。 矢部野彦麻呂に遺体を回収された。 その後、彼女の肉体自体には暗黒長門の魂が戻る。 暗黒長門としては殺し合いは極力避け、真・長門の体から自分の体の情報のみを分離させるために力を溜めている。 殺し合いに乗るつもりはない。 ディアボロモンと夫婦になったが、キョンもディアボロモンも愛しているので二人+一匹で暮らすのが目的。 キョンがキョン子になってもそれはそれでいいらしい。 現在松岡修造に付きまとわれており、正直鬱陶しく思っている。展開によっては燃えキャラ化する可能性が…
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/4877.html
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1212.html
Report.09 涼宮ハルヒの復活 土曜日はわたしと彼女で、衣服等を買いに行った。もちろん彼女は、行く時は北高の『女子』制服を着て行った。わたしの私服は、彼女には小さい。 「二人で、行った先で買った服に着替えよ!」 【二人で、行った先で買った服に着替えましょ!】 という彼女の発案で、わたしも同じく制服で出掛けた。 マンションから外に出た時、彼女は潜伏者の存在など、最初から気にしていなかった。 「有希が大丈夫って言(ゆ)うたんやから、間違いないやん!」 【有希が大丈夫って言ったんだから、間違いないじゃん!】 彼女は完全に、わたしのことを信用している。素直に『嬉しい』と思った。 西宮北口駅前のショッピングモールに向かう道すがら、彼女は終始楽しそうな表情をしていた。それは、『SOS団団長』涼宮ハルヒが、何か面白いことを考え付いた時のような、何かを企んでいる表情ではなかった。彼女は純粋に、『少女』涼宮ハルヒとしての表情をしているように見えた。 それは、これまでの常に誰かに見張られているという緊張から開放された反動なのか。あるいはそれが、わたしのことを完全に信じて、心から安心しているからなのか。とにかく彼女は、彼女本来の、素直な表情を浮かべているのだと思えた。 もしその表情の原因が、『長門有希がそばにいること』であったなら、わたしはとても嬉しい、と思う。 駅前のショッピングモールで、まずは服を探す。 「せっかくやし、お礼も兼ねてあんたに似合う服探したるわ!」 【せっかくだし、お礼も兼ねてあんたに似合う服探したげる!】 わたしには、人間の『ファッション』なるものはよく分からないが、何をやらせても器用にこなす彼女のこと。わたしに似合う『おしゃれ』な服なのだろう。 ……今度、ファッション雑誌でも読んでみた方が良いのだろうか。 そんなこんなで、服を買って着替え、様々なものを見て周った。 「有希の部屋に合いそうな小物とか、色々あるな~」 【有希の部屋に合いそうな小物とか、色々あるわね~】 わたしの部屋を彼女色に染める計画が始まった、かもしれない。 散々見て周り、時々買い周ったあと、一階のオムライスの店で少し遅めの昼食を取る。 「ん――――……今日は久々に思いっきり動き回ったわ~」 【ん――――……今日は久々に思いっきり動き回ったわね~】 彼女はデザートのパフェを頬張りながら、心底満足した時の表情で言った。買い物中の彼女の表情は、それはそれは明るいものだった。 「……楽しかった?」 「うん! めっちゃ楽しかった!!」 【うん! すっごく楽しかった!!】 「そう。」 子供のように無邪気な満面の笑顔で答える彼女を見ていると、わたしも釣られて笑ってしまいそうだと思ってしまう。そのような『感情』は、本来持っていないはずなのに。 「!?」 突然、彼女の顔が驚愕の表情に変わった。そして次の瞬間には、照れたときの真っ赤な顔に変わった。 「……なに。」 「……私服のあんたの……笑顔に……ヤられた……」 わたしは釣られて笑っていたようだ。微笑。 「ハルヒが嬉しいと、わたしも嬉しいから。釣られて笑ってしもた。」 【ハルヒが嬉しいと、わたしも嬉しいから。釣られて笑っちゃった。】 「はぅ!? ……有希の生の声……私服で……反則……」 彼女の反応がおかしくて、わたしはついに、くすくすと笑ってしまった。また新たな笑い方を覚えた。彼女は口をぽかんと開けて、うっとりとわたしの方を見ている……見とれている。 今のわたしの状態。これが、いわゆる『ギャップ萌え』というものだろうか。萌え……こうまで人間の精神に大きな影響を与えるものなのか。興味深い。 「どうしたの。」 と、わたしはいつもの平坦な声で問い掛けた。 「……!? はっ!? ……はぁ、はぁ、はぁ……思わずお花畑で三途の川を渡る準備しとったわ……」 【……!? はっ!? ……はぁ、はぁ、はぁ……思わずお花畑で三途の川を渡る準備してたわ……】 「おかえり。」 「昨日今日と、あんたには驚かされっぱなしやわ……調子狂うなぁ……」 【昨日今日と、あんたには驚かされっぱなしだわ……調子狂うなぁ……】 「たまには、ええやん。」 【たまには、良いじゃない。】 と、わたしは片目を閉じながら言った。 彼女がスプーンを取り落とした音が響いた。彼女はスプーンを持っていた時の姿勢のまま目を見開き、口を開けたまま硬直していた。ユニーク。 食後は、かさばる物、重そうな物を買って、帰途についた。と言っても、荷物はそんなに多くはない。女子高生二人が普通に持てる程度の量。 「結構買(こ)うたな~」 【結構買ったわね~】 「……わりと。」 今のわたし達は、周囲からはどのように見えるのだろうか。仲の良い女子高生二人組だろうか? 実際は、仲が良すぎる関係になってしまったが。 マンションの部屋で荷物を降ろし、二人の物を分ける。 「ほな、今日は帰るわ。」 【じゃあ、今日は帰るわ。】 自分の荷物を持って、彼女が戸口で言った。 「今日のデート楽しかったで。」 【今日のデート楽しかったわ。】 デート……やはり今日の買い物はそう定義されるのだろうか。 彼女は、わたしを抱き締めると、そっと唇に口付けをした。別れを惜しむような、でもすぐにまた会えるという確信の篭った、暖かい接吻。 わたしの中に、あるものが湧き上がる。昨日まで『エラー』と呼んでいたもの。 『寂しい』『嬉しい』『切ない』『気持ち良い』『愛しい』『幸せ』 たくさんの『感情』が一度に湧き上がった。 これが……『愛情』なのだろうか。分からない。分からないが、決して嫌いじゃない。この『感情』は、嫌いじゃない…… 「ほな、また月曜日、部室で!」 【じゃっ、また月曜日、部室で!】 「……ばいばい。」 元気に手を振りながら帰る彼女を、部屋の外の廊下で見送った。 「……また、部室で。」 それが、彼女が取り戻したかった生活なのだろう。彼女の仲間と過ごす、彼女の、『SOS団団長』涼宮ハルヒとしての生活。 月曜日になれば、色々するべきことがある。忙しくなる。だから日曜日は、ゆっくりしよう。買ったものを飾りながら、彼女のことを考えよう……彼女とのこれからの関係も。 そして月曜日。いつものように登校する。昼休みには部室へ。すぐに読書を開始する。これがわたしの日常。 一日三食取るという決まりはない。三食取る日もあれば、取らない日もある。必要なエネルギーは、朝食、昼食又は夕食でまとめて摂取してしまっても構わない。単に、周囲から怪しまれないように人前では三食取っているに過ぎない。過ぎなかったが。ふと、彼女と一緒に昼食を取るとどうだろうかという考えが浮かんだ。 例えば、わたしが弁当を用意し、部室等で一緒に食べるのも新鮮で良いかもしれない。彼女の好きな食べ物は何だろうか。嫌いな食べ物はなさそう。卵焼きに砂糖は入れる派だろうか。ちなみにわたしは入れない派。それから弁当に半熟卵は危険。痛みやすい。巨大な重箱に日の丸弁当……は、味気ない。却下。せめて『海苔段々』くらいはしないと。 そのようなことを考えていると、部室の扉が開く音がした。彼女が入ってきた。 「お、やっぱり有希はここにおったんやね。」 【お、やっぱり有希はここにいたのね。】 そう言いながら彼女は部室に入ってきた。そして扉を閉めるとすぐに鍵を掛けた。 「これでこの部室は密室。もう逃げられへんでぇ~」 【これでこの部室は密室。もう逃げられないわよ~】 両手を広げ、わきわきさせながら、怪しい笑顔で彼女は言った。 「学校で……けだもの。」 「いやいやいや、さすがに学校ではせえへんって!」 【いやいやいや、さすがに学校ではしないって!】 彼女は笑いながら言った。 「ちょこーっと、二人でいちゃいちゃするだけ♪ 読書の邪魔にはならへんように……まあ善処するし。」 【ちょこーっと、二人でいちゃいちゃするだけ♪ 読書の邪魔にはならないように……まあ善処するし。】 彼女は一度わたしを立たせると、わたしが座っていた椅子に腰掛けた。 「ほんで、有希はあたしの上に座って。」 【それで、有希はあたしの上に座って。】 わたしが彼女の太ももの上にちょこんと腰掛けると、彼女に後ろから抱かれる格好となった。 「時間まで、有希を抱っこさせてな?」 【時間まで、有希を抱っこさせてよね?】 「……当たっている。」 「当てとぉねん♪」 【当ててんのよ♪】 彼女の腕は、わたしの胸に回されている。時折撫で回されもする。しかしそこには、性的衝動の類は感じ取れない。彼女の脈拍も呼吸も落ち着いている。 体重を彼女に預けてみる。彼女の膨らみがより強く感じ取れる。彼女に強く抱き締められた。暖かく柔らかく、それでいて力強い何かに包まれる感覚。このように密着すると、なぜかとても『安心』する。 これが、人間が肉体接触を求める理由の一つなのかもしれない。もしかしたら、日頃彼女が朝比奈みくるにいたずらをするのは、このような肉体接触への欲求が現れたものなのかもしれない。 つまり、彼女はいつも『不安』。そして『寂しい』。そしてわたしは、そんな彼女の……支え、になりたいと思っている。 おかしい。本来あり得ない、というより、あってはならない考え。 彼女は、観測対象。そしてわたしは観測者。観測者が観測対象に干渉してしまっては、観測結果がおかしくなってしまう。やはりわたしは処分されることになるのだろうか。今は、『彼』の『威嚇』が効いているだけで。あるいは、このようなわたしの行動も含めて、壮大な観測なのだろうか。わたしは観測しているつもりで、実は同じく観測されているのだろうか。 そんな懸念も何もかも、彼女の感触ですべて消えてしまう。無知で無力で脆弱な有機生命体である人間が、とても頼もしく感じる瞬間。それは、肉体を持つ有機生命体にしか感じることのできない感覚なのかもしれない。作り物とはいえ、同じく肉体を持つわたしにも感じることができる。これも人間の、奇妙な魅力。 どちらが甘えているのか分からない奇妙な昼休みも、予鈴と共に終わりを告げる。 「もうちょっとこうしてたいけど、しゃあないな。」 【もうちょっとこうしてたいけど、仕方ないわね。】 そう言うと彼女は、名残惜しそうにわたしを解放した。背中を支配していた感触が消失する。背中が寂しい。わたしも残念。 「ほな、放課後に。いよいよSOS団も今日からは団長も復活や! これまでの遅れを取り戻すで!!」 【じゃあ、放課後に。いよいよSOS団も今日からは団長も復活よ! これまでの遅れを取り戻すわ!!】 彼女は握り拳を固めて宣言した。 団長復活。 いよいよ、本格的に日常が再開する。彼女達と彼達の、わたし達の。 『SOS団』一同の日常が。 放課後。ついにこの時がやってきた。わたしが部室に入ると、既に彼女は所定の位置についていた。 「団員一番乗りは有希かあ。」 『団長』と書かれた三角錐が置かれた、彼女の席。彼女は来るものすべてを真っ向から受け止めようとするかのように、腕組みをしながら真っ直ぐ前を見据えて座っていた。 わたしはいつもの窓辺の席に座って、本を読み始めた。これがわたしの日常。 「こんにちは……!? あ、ああっ!?」 「よっ! みくるちゃん、久しぶり!」 「す、涼宮さん!?」 「いよいよ今日から団長復活や!」 【いよいよ今日から団長復活よ!】 「は、はいっ! あ、すぐに着替えてお茶淹れますね!!」 朝比奈みくるは、手際よく着替えを終え、いそいそとお茶をハルヒに渡す。 「ぷっは~!! いやー、みくるちゃんのお茶飲むんも久しぶりやわ~」 【ぷっは~!! いやー、みくるちゃんのお茶を飲むのも久しぶりだわ~】 ノックの音。朝比奈みくるが返答する。 「おや、これはこれは。いよいよ団長も復活でっか。」 【おや、これはこれは。いよいよ団長も復活ですか。】 「古泉くん、お待たせ! あたしがおらへん間、副団長としてよう働いてくれたわ!」 【古泉くん、お待たせ! あたしがいない間、副団長としてよく働いてくれたわ!】 「いえいえ、それほどでも。何にしても結構なことですわ。」 【いえいえ、それほどでも。何にしても結構なことです。】 古泉一樹は、いつもの爽やかな笑顔で答える。そして更にノックの音。再び朝比奈みくるが返答する。 「うーっす……!?」 「どないしたん、キョン? そんな、鳩が豆で狙撃されたような顔して。」 【どうしたのよ、キョン? そんな、鳩が豆で狙撃されたような顔して。】 「いや……」 と、『彼』はわたしに視線を泳がせた。わたしは『彼』にしか分からないほど小さく頷いた。 「そうか……もう、大丈夫なんやな。」 【そうか……もう、大丈夫なんだな。】 そして『彼』は一言、こう告げた。 「おかえり、ハルヒ。」 多くの言葉は必要ない。SOS団は、この一言で、ついに日常を取り戻した。 「いよいよSOS団も完全復活! まずは団長不在中の活動報告から行ってみよか!!」 【いよいよSOS団も完全復活! まずは団長不在中の活動報告から行ってみましょ!!】 ←Report.08|目次|Report.10→