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トップページ>韓国>震檀学報 『震檀学報』100、2005.12 曹凡焕「新羅下代西南地域の禅宗山門形成と発展」 朴恩卿「高麗時代地方貴族の位相」 尹晶「朝鮮後期政界の鄭仁弘認識とその政治的含意」 金澔「朝鮮王室の薬膳「煎薬」研究」 한보람「1880年代朝鮮政府の開化政策のための国際情報収集:『漢城旬報』の関連記事分析」 権仁瀚「古代国語の「i-breaking」現象についての一考察:「섬(島)」の音韻史を中心に」 郭忠求「六鎮方言の音韻変化:20世紀初から1世紀間の変化」 정승철「日帝強占期の言語政策:「諺文綴字法」を中心に」 鄭炳説「朝鮮後期ハングル小説の成長と流通:貰冊と傍刻を中心に」 강석화「耳渓洪良浩の生涯と学問観」 裵祐晟「洪良浩の地理認識:朝鮮後期満州地理認識との関連性を中心に」 宋芝媛「耳渓洪良浩の音楽論」 鄭雨峰「耳渓洪良浩文学の一局面:「観物取象」の理解を中心に」 「討論:『耳渓集』の総合的検討録取文」 『震檀学報』99、2005.6 羅喜羅「古代東北アジア諸民族の神話、儀礼、君主観」 金炳坤「羅唐同盟の成立と新羅求法僧の役割」 蔡美夏「清海鎮の祀典編制と海洋信仰」 崔起栄「1930年代中山大学と韓国独立運動」 徐泰龍「助詞化と語尾化の終構成要素」 邊東明「李承休の生涯と著述」 金仁昊「李承休の歴史認識と史学史的位相」 金慶洙「李承休文学研究」 秦星圭「李承休の仏教観」 「討論:『動安居士集』と『帝王韻紀』録取文」 『震檀学報』98、2004.12 金龍善「高麗時代の文地宰枢」 林学成「19世紀末戸籍資料を通じて見た安東住民の諸相:1899年(光武3)南先面戸籍の事例分析」 李鍾黙「朝鮮時代臥遊文化研究」 金垠廷「申翊聖の金剛山遊覧と文学的表現」 金南基「粛宗の文芸的関心と漢詩世界」 黄載文「西間島亡命期朴殷植著作の性格と叙述方式」 第31回韓国古典研究シンポジウム:芝峰類説の総合的検討:李睟光の学問世界 韓明基「『芝峰類説』に現れた李睟光の対外認識:対外認識形成の背景と評価問題を中心に」 金文植「李睟光の自我認識と他者認識」 崔雄「『芝峰類説』の漢文学的業績」 安大会「李睟光の『芝峰類説』と朝鮮後期名物考証学の伝統」 李賢煕「李睟光の国語学的認識について」 「討論:『芝峰類説』の総合的検討討論録取文」 『震檀学報』97、2004.6 金昌錫「韓国古代流通体系の成立と変遷」 全暎俊「高麗睿宗代の創建と僧徒動員:「惠陰寺新創記」を中心に」 韓哲昊「大韓帝国期(1896-1900)駐日韓国公使の外交活動とその意義:李夏栄を中心に」 金東俊「韓国器物銘の歴史と性格についての小考」 安大会「18・19世紀の住居文化と想像の庭園:朝鮮後期散文家の記文を中心に」 백두현「朝鮮時代女性の文字生活研究:朝鮮王朝実録及びハングル筆写本を中心に」 韓龍雲「国語辞典の助詞表題語の問題」 『震檀学報』96、2003.12 尹京鎮「高麗前期界首官の設定原理と構成変化:『高麗史』地理志界首官沿革の補正を兼ねて」 鄭多函「朝鮮初期習読官制度の運営とその実態」 金炳佑「大院君の宗親府強化と「大院位分付」」 李鍾黙「白湖林悌漢詩の文芸美学」 金垠廷「『五子詩』創作背景と和答詩研究」 権仁瀚「新羅官等異表記と韓国漢字音との関係」 石朱娟「『伍倫全備諺解』の国語学的研究」 鄭肯植、趙志晩「朝鮮前期『大明律』の需要と変容」 沈載祐「朝鮮時代法曲編纂と刑事政策の変化」 張允煕「『大明律直解』の書誌学的考察」 朴盛鐘「『大明律直解』吏読の予備的考察」 「討論:『大明律直解』討論録取文」 『震檀学報』95、2003.6 李鎮漢「高麗時代守令の京職兼帯」 朴宰佑「高麗前期王命の種類と頒布」 李鍾書「高麗末和寧府戸籍の作成原則と記載内容:同居状況との関連性を中心に」 李潤相「大韓帝国期国家と国王の位相向上事業」 朴羊信「露日戦争開戦論と「七博士」」 李浩権「杜詩諺解重刊本の版本と言語についての研究」 金鳳国「複数基底形の類型(1):形成要因の観点から」 李珍昊「音韻論的視角から見た中世国語合成語の緊密性」 鄭堯一「漢文学研究の方向」 李東俊「李用休漢詩の理智的性向と新しい詩的型式」 徐智瑛「朝鮮後期中人層風流空間の文化史的意味:西欧ヨーロッパ「サロン」との比較を通じて」 『震檀学報』94、2002.12 李賢惠「韓半島青銅器時代の畑農事:晋州大坪里畑遺跡を中心に」 裵城浚「鬱陵島・独島名称変化を通じて見た独島認識の変遷」 徐栄教「張保皐の騎兵と西南海岸の牧場」 崔鈆植「『真心直説』の著者に対する新しい理解」 鄭炳俊「平盧節度使李正己について:代宗時期を中心に」 崔明玉「過去時制語尾の形成と変化」 鄭彦鶴「「-고 있다」構成の文法化についての通時的研究」 宋芳松「日帝強占期李東伯名唱の公演活動:放送・音盤・新聞資料を中心に」 洪承基「断絶の歴史、最後の歴史:西尾幹二 外 著『新しい歴史教科書』に見える民族主義的観点のについての批判的検討」 『震檀学報』93、2002.6 李仁哲「斯盧六村の形成と発展」 全徳在「新羅小京設置とその機能」 金アネス「高麗成宗代儒教政治思想の採択と12州牧」 金大中「崔忠献政権の成立背景:崔忠献と李義旼の関係変化と関連して」 丁善溶「趙冲の対蒙交渉と政治的意味:崔忠献と国王の関係に注目して」 李恩周「開化期写真術の導入とその影響:金鏞元の活動を中心に」 安秉禧「『訓民正音』(解例本)三題」 韓在永「16世紀国語の詩体系と変化様相研究」 成昊慶「聾巌李賢輔の生涯と詩歌」 李鍾黙「安平大君の文学活動研究」 崔洪奎「『華城城役儀軌』の構成と歴史的意義」 盧永九「世祖代五衛体制復旧の試みと華城防御体制の改編」 趙炳魯「朝鮮後期華城城役における物資確保と賦役労働」 朴廷蕙「『華城城役儀軌』の絵画史的考察」 金東旭「『華城城役儀軌』の建築史的意義」 「討論:『華城城役儀軌』約定討論録取文」 『震檀学報』92、2001.12 徐侖希「清海鎮大使張保皐に関する研究:新羅王室との関係を中心に」 金アネス「高麗太祖代帰附豪族と本邑将軍」 李重孝「高麗仁宗代国子監運営をめぐる政治勢力の立場」 白承鍾「16世紀朝鮮の士林政治と金麟厚:非政治的日常の政治性」 金翰奎「箕子と韓国」 朴薫「徳川末期越前藩の「挙藩上洛」と松平慶永:「挙藩上洛」(1863)推進を中心に」 白斗鉉「朝鮮時代のハングル普及と実用に関する研究」 姜玲珠「『林巨正』とクプリン(Kuprin)の『決闘(The Duel)』」 郭忠求「口蓋音化規則の発生とその拡散」 金亮鎮、金裕範「中世国語「이어긔・그어긔・뎌어긔」について」 鄭在永「国語感歎文の変化:感歎法終結語尾の変化を中心に」 宋芳松「1930年代韓国洋楽史の一局面:バリトン歌手蔡奎燁を中心に」 洪承基「崔承老の儒教主義史学論」 『震檀学報』91、2001.6 余昊奎「百済の遼西進出説再検討:4世紀後半扶餘系人物の動向と関連して」 盧鏞弼「高麗景宗初改革政治とその推進勢力」 朴龍雲「高麗時代宰臣と枢密と六部尚書の関係を通じて見た権力構造」 金昌賢「元干渉期高麗の社会変動:身分制変動を中心に」 崔異敦「16世紀士林の身分制認識:良人所生補充隊の入属議論を中心に」 鄭演植「華城の防御施設と銃砲」 権奇奭「19世紀勢道政治勢力の形成背景(下):朝鮮後期執権勢力の通婚関係網分析を中心に」 金盛祐「蜜城朴氏嘯皐公派の清道と宗族活動」 金明昊「大院君政権と朴珪寿」 成基玉「「陶山十二曲」の再解釈」 李康沃「『寄斎雑記』研究:逸話の源泉と叙述方式を中心に」 洪承基「高麗貴族社会論是非論争に現れた歴史認識論的問題:高麗史研究に見える争点についての検討の一例」 裵祐晟「世祖の軍事政策と『武芸図譜通志』編纂の背景」 盧永九「朝鮮後期短兵戦術の推移と『武芸図譜通志』の性格:兵書としての意味を中心に」 羅永一「『武芸図譜通志』の武芸」 鄭炳模「『武芸図譜通志』の版画」 李賢煕「『武芸図譜通志』とその諺解本」 「討論」 『震檀学報』90、2000.12 李成制「嬰陽王9年高句麗の遼西攻撃」 邊東明「甄萱の出身地再論」 尹煕勉「朝鮮時代書院の祭礼と位次」 李助相「朝鮮後期地方吏胥組織比較史的考察」 権奇奭「19世紀勢道政治勢力の形成背景(上):朝鮮後期執権勢力の通婚関係網分析を中心に」 咸翰姫「20世紀瑞山の社会経済的変化:地域民の観点から書いた歴史」 河元深「『新唐書』「選挙志上」の内容と宋代編者の性格」 李丞宰「尊敬法先語末語尾「-[사]/[시]-」の形態音素論的研究:口訣資料を中心に」 李浩権「17世紀末国語史資料『観世音菩薩門品徳解』について」 『震檀学報』89、2000.6 李基白「『三国遺事』の興法篇の趣旨」 申虎澈「後三国時代豪族と国王」 李鎮漢「高麗時代東宮三品職の除授と禄俸」 金載名「高麗後期王室財政の二重的構造:いわゆる私蔵の変化過程を中心に」 韓亨周「朝鮮初期中祀祭礼の整備とその運営:民生と関連した致祭を中心に」 金世恩「高宗初期(1864年-1873年)の経筵」 鄭光「『老朴集覧』と『老乞大』『朴通事』の旧本」 朴基永「『明治字典』のハングル表記について:カタカナ転写表記との比較を中心に」 蔡琬「国語擬声語・擬態語研究の諸問題」 韓哲昊「兪吉濬の開化思想書『西遊見聞』とその影響」 朴枝香「兪吉濬が見た西洋」 曺秉漢「19世紀後半中日の啓蒙思想:厳復と福澤諭吉」 鄭容和「韓国近代の政治的形成:『西遊見聞』を通じて見た兪吉濬の政治思想」 李秉根「兪吉濬の語文使用と『西遊見聞』」 「討論」 『震檀学報』88、1999.12 尹善泰「咸安城山山城出土新羅木簡の用途」 朴成煕「古代三国の史書編纂についての再検討」 金杜珍「明皛の華厳三昧思想」 朴宰佑「高麗前期政策提案の主体と提案過程」 安智源「高麗燃灯会の起源と成立」 成鳳鉉「朝鮮太宗代奴婢決折策とその性格:太宗5年『奴婢決折条目』を中心に」 沈勝求「朝鮮端宗代武科及第者の身分とその政治的性格:1453年(端宗1)の式年武科榜目を中心に」 鄭杜煕「昭格署廃止論争に現れた趙光祖と中宗の対立」 朴珠「朝鮮中期慶尚道咸陽地域の孝子・列女:『天嶺誌』を中心に」 李政祐「17-18世紀在地老・少論の紛争と書院建立の性格:忠清道論山地方光山金氏と坡平尹氏を中心に」 李垌丘「金元行の実心強調と石室書院における教育活動」 李泰鎮「18世紀韓国史における民の社会的・政治的位相」 白承鍾「18-19世紀『鄭鑑録』をはじめとする各種預言書の内容とそれに対する当時代人の解釈」 盧永九「朝鮮後期城制変化と華城の城郭史的意味」 李勛相「意図的忘却と単線的歴史叙述:日帝時代朝鮮後期史認識と叙述」 洪承基「史料から事実へ、事実から社会へ:韓国高麗史研究100年:過去-問題」 金泰植、李龍旭「高等学校歴史教育の効率性向上のための研究」 金翰奎「7-8世紀東アジア世界秩序の構造的特性とその運営体制の機能」 千聖林「国学と革命:清末国粋学派の伝統学術観」 金明昊「朴珪寿の学問観」 金鏞煕「兪鎮午小説に現れた都市空間」 都守煕「「韓」のふたつの根を探して」 李南淳「動詞群と様態」 鄭承喆「済州方言の音調と音調群」 崔明玉「現代国語の声調型とその分布」 『震檀学報』87、1999.6 元廷植「清初戦乱期福建の税役徴収と宗族」 姜相圭「近代日本の「万国公法」受容に関する研究」 鄭炳説、Mark Peterson「朝鮮朝文学と奴婢」 李賢煕「「둏다」構文についての通時的研究」 金澔「麗末鮮初「郷薬論」の形成と『郷薬集成方』」 李泰鎮「『郷薬集成方』編纂の政治思想的背景と意義」 南豊鉉「『郷薬集成方』の郷名について」 金南一「『郷薬集成方』の引用文献についての研究」 許鳳姫「『郷薬集成方』の薬学的研究とデータベース化」 「討論」 『震檀学報』86、1998.12 郭忠求「感覚用言派生の方言分化」 金和経「高句麗建国神話の研究」 崔鍾成「国行巫堂祈雨祭の歴史的研究」 都賢喆「高麗末期士大夫の対外観:華夷論を中心に」 鄭在薫「朝鮮前期『大学』の理解と聖学論」 呉宗禄「朝鮮初期の国防観」 宋炳基「朝鮮後期の鬱陵島経営:捜討制度の確立」 金一権「魏晋南北朝時期の郊祈制度変遷と天文思想」 鄭景姫「朱子礼学の変化と『儀礼経伝通解』」 洪承基「韓国史研究に見える欧米学風の傾向」 『震檀学報』85、1998.6 朴龍雲「高麗時代の門下侍中についての検討」 朴花珍「朝鮮後期土地所有移動の一傾向:京都大学所蔵「河合文書」を中心に」 宋芳松「18世紀前期の唐楽呈才と郷楽呈才:粛宗末・英祖初を中心に」 성기옥「韓国古典詩解釈の課題と展望:安玫英の「梅花詞」の場合」 홍윤표「『三綱行実図』の書誌及び国語史的意義」 이혜순「烈女像の伝統と変貌:『三綱行実図』から朝鮮後期「烈女伝」まで」 鄭炳模「『三綱行実図』版画についての考察」 金恒沫「『三綱行実図』編纂の推移」 金動植「『三綱行実図』普及の社会史的考察」 「討論」 『震檀学報』84、1997.12 李賢惠「韓国古代畑農事」 全徳在「統一新羅時期戸等制の性格と機能に関する研究」 李泰鎮「西洋近代政治制度受容の歴史的省察:開港から光武改革まで」 許東賢「1881年朝士視察団の明治日本司法制度理解:厳世永の『司法省視察記』と『聞見事件』を中心に」 李明和「春秋時代呉国の青銅器文化:中原文化との関係を中心に」 朴東憲「漢代民間船舶の形態と付属道具:江陵鳳凰山八号前漢墓出土船舶関連資料の分析を中心に」 安秉嬉「『訓民正音解例本』とその複製について」 宋基中「東北アジア歴史上の諸文字とハングルの起源」 兪弼在「華蔵寺板『父母恩重経諺解』について」 沈慶昊「恒斎李匡臣論」 『震檀学報』83、1997.6 姜鍾薫「新羅六部体制の成立と展開」 金塘澤「高麗禍王元年(1375)元との外交関係再開をめぐる政治勢力間の葛藤」 裵祐晟「古地図を通じて見た朝鮮時代の世界認識」 楊普景「朝鮮時代の「白頭大幹」概念の形成」 韓啓伝「湖学の形成と江門八学士」 盧大煥「朝鮮後期の西学流入と西器受容論」 徐仲錫「李承晩政権初期の一民主義」 任周卓「受容と伝承様相を通じて見た高麗歌謡の全般的な性格」 李相澤「『金允伝』研究」 白斗鉉「高麗時代釈読口訣の先語末語尾「-오-」についての通時的考察:「-오-」介在構文と非介在構文の比較を中心に」 朴宗基「東国李相国集に現れた高麗時代相と李奎報」 盧明鎬「東明王篇と李奎報の多元的天下観」 鄭堯一「李奎報の文学思想」 朴性奎「李奎報の詠物詩研究」 「討論」 『震檀学報』82、1996.12 金一権「高句麗古墳壁画の天文観念体系研究」 趙仁成「弥勒信仰と新羅社会:真表の弥勒信仰と新羅末農民蜂起との関連性を中心に」 金相潡「新羅末旧加耶圏の金海豪族勢力」 白剛寧「高麗初恵宗と定宗の王位継承:朴述希と王規の出身背景と役割の再解釈を中心に」 崔異敦「16世紀前盤郷村社会と地方政治:守令人選と地方制度改革を中心に」 李哲浩「前漢の陵邑徙民政策と豪族:徙民の論理と被徙民の性格変化を中心に」 都守煕「地名の中に隠れている昔の痕跡」 蔡琬「国語の分類詞「개」の借用仮定と意味」 李南淳「特殊助詞の通詞機能」 金明昊「朴珪寿の「地勢儀銘并序」について」 権寧珉「日帝植民地時代階級文芸運動の政治的進出:朝鮮プロレタリア芸術家同盟と新韓会、朝鮮共産党の関係」 金成洙「金裕貞小説に現れた家族意識」 『震檀学報』81、1996.6 金泰植「大加耶の世系と道設智」 洪承基「高麗武人執権時代の儒教と民乱」 朴宰佑「高麗恭譲王代官制改革と権力構造」 李碩圭「朝鮮初期の天人合一論と災異論」 韓亨周「朝鮮世祖代の祭天礼についての研究:太・世宗代祭天礼との比較・検討を中心に」 池斗煥「朝鮮後期英祖代経筵科目の変遷:朝鮮性理学の確立と関連して」 崔甲洵「白蓮教と清代民衆反乱:新時代待望論を中心に」 鄭在永「終結語尾「-立」について」 成基玉「申欽時調の解釈基盤:『放翁詩餘』の連作可能性」 権五栄「崔漢綺の社会思想」 楊普景「崔漢綺の地理思想」 琴章泰「恵岡崔漢綺の哲学思想」 趙東一「崔漢綺の文章理論」 「討論」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120
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国土創生 天孫降臨 神武東征 国土創生 天地の始まりとともに、高天原に5柱の独神が現れた。しかし、神々はすぐに姿を消してしまった。その後、2柱の独神と男女の神々が現れた。2柱の独神は姿を消したが、男女の神々は地上に残った。 地上に残った男神イザナキと女神イザナミは、始めにオノゴロ島を生み出してその地に降り立った。その地でイザナキとイザナミは次々と島を生み出した。 国生みを終えたイザナキとイザナミは、その次に、さまざまな神々を生んだ。しかし、イザナミは火の神、ヒノカグツチを生んだときに大火傷を負い、黄泉国へと旅立ってしまった。イザナキは比婆之山にイザナミを葬った。イザナキの悲しみはやがて、ヒノカグツチへの怒りに変わった。イザナキは、十拳剣によってヒノカグツチの首を切り落とした。 イザナミのことが忘れられないイザナキは、イザナミを連れ戻すために黄泉国を訪れた。岩扉をはさんで再開を果たしたが、イザナミは黄泉の食べ物を口にしてしまったために、黄泉の神々の承諾がなければ戻れないことを伝えた。そして、しばらく待ってほしいと伝え、黄泉国の奥へと消えていった。 長いときが流れ、我慢できなくなったイザナキは黄泉国へと足を踏み入れた。そこで見たのは屍となったイザナミの姿であった。約束を破られ、醜い姿を見られたイザナミは怒り、逃げるイザナキに追っ手を差し向けた。剣と桃を武器に戦い追っ手から逃れたイザナキは、黄泉比良坂に巨大な岩を置いて黄泉国との境界をふさいだ。そして、追ってきたイザナミと決別した。千引き岩を隔てて、いつしか二人は憎しみ合った。 地上に戻ったイザナキは、黄泉国の穢れを祓うために禊を行った。川につかって身を清めた際に、脱いだ衣服、垢などから次々と神が生まれた。そして、最後に顔を洗ったときに、左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノヲの三柱の神が生まれた。 イザナキは、アマテラスには高天原を、ツクヨミには夜の国を、スサノヲには海原をそれぞれ統治するように命じた。アマテラスとツクヨミはこれに従ったが、スサノヲは母がいる根の国に行きたいと反発した。これに怒ったイザナキは、スサノヲを天から追放した。 天から追放されたスサノヲは、アマテラスに会うために高天原に向かった。ところが、スサノヲの荒々しい姿に警戒心を抱いたアマテラスは、国を奪われるのではないかと感じ、武装して待ち受けた。スサノヲは誤解を解くために誓約を交わすことを提案した。 アマテラスの勾玉と、スサノヲの剣をそれぞれ交換して神生みを行った結果、スサノヲの剣から女神が生まれた。これを見たスサノヲは、自らの身の潔白が証明されたと宣言し、やりたい放題の乱暴狼藉を働いた。ついには、機織女まで殺害してしまった。 そんなスサノヲに怒り、恐れ戦いたアマテラスは、天の石屋戸の中に閉じこもってしまった。すると、たちまち高天原や葦原中国は闇に覆われた。 困り果てた八百万の神々は、アマテラスをおびき出す手立てを考えた。まず、アメノウズメが天の石屋戸の前で神楽を舞い、神々がはやしたてた。外の様子を窺い知ろうとしたアマテラスは、アメノタヂカラヲに腕をつかまれ引きずり出されたしまった。こうして、世界は光を取り戻すことができた。 高天原を追放されたスサノヲは出雲国に降り立った。そこでスサノヲは嘆き悲しむ老人と娘に出会う。国つ神のオホヤマツミの子でアシナヅチと名乗る翁に理由を尋ねると、毎年、ヤマタノオロチに娘を奪われ、最後に残った娘のクシナダヒメも、今日、生贄にされてしまうのだと言う。 スサノヲは娘を嫁に貰い受けるとことを条件にヤマタノオロチ退治を約束。翁の同意を得ると、ただちに準備に取り掛かった。村人たちに八つの門を用意させ、それぞれの門に酒樽を置いた。そして、オロチが来るのを待った。 やってきたオロチは酒を飲み始め、やがて酔って寝てしまう。それを見たスサノヲは、剣で切り裂きオロチを退治した。退治したオロチの体の中から素晴らしい剣が現れた。スサノヲはこの剣をアマテラスに献上した。 こうして、オロチを退治したスサノヲは、クシナダヒメを妻に迎え、出雲国の須賀の地に宮殿を建てて暮らした。 天孫降臨 スサノヲの6世の孫、オオアナムヂには、八十神(多くの神々)の兄弟がいた。ある日、八十神たちは、ヤカミヒメに求婚するために、オオアナムヂに袋を担がせて、稲羽国(出雲の東にある国)へと出かけた。一行から遅れたオオアナムヂは、気多岬の海岸で泣いている兎と出くわす。聞けば、淤岐に住んでいた兎は、ワニ(サメ)をだまして本土へ渡ろうとしたが、計略がばれてワニに皮をはがされた。そのうえ、通りかかった八十神にもだまされ、体を塩水につけたため皮膚がひび割れたという。気の毒に思ったオオアナムヂは兎に治療法を教えて助けてやった。 その親切心が功を奏して、ヤカミヒメの好意を得るが、八十神の怒りを買ってしまう。二度も兄たちに殺害されたオオアナムヂだが、母の奔走で蘇生し、スサノヲのいる根の国へと逃げ込んだ。 根の国についたオオアナムヂは、スサノヲの娘、スセリビメに一目ぼれした。スサノヲはオオアナムヂの力量を確かめるために四つの試練を課した。 一つ目の試練では、ヘビが這い回る部屋に入れられた。しかし、スセリビメから渡された比礼(飾りの布)を振ってヘビを追い払い、切り抜けた。 二つ目の試練では、ハチとムカデの群れる部屋に入れられた。これも、スセリビメから渡された比礼でハチやムカデを追い払った。 三つ目の試練では、野原にある矢を取ってくるように命じられた。オオアナムヂが野原に入るとスサノヲは、野原に火を放った。しかしオオアナムヂは、ネズミに教えてもらった洞穴に入り難を逃れた。 四つ目の試練では、スサノヲの頭のシラミ取りを命じられた。しかし、実際にはシラミではなくムカデだった。しかし、これもスセリビメにもらったムクの木の実を口に含んでから吐き出し、あたかもムカデを噛み潰したように見せかけた。 こうしてスサノヲの試練を乗り越えたオオアナムヂは、スセリビメを連れて根の国を逃げ出した。追ってきたスサノヲはオオアナムヂに対して、娘と結婚し、今後はオオクニヌシと名乗るよう告げ、生大刀などを授けた。 葦原中国に戻ったオオアナムヂは、兄たちを倒し地上の王となった。オオアナムヂは、カムムスヒの子、スクナビコナや、オホモノヌシの協力を得て、国づくりを成し遂げた。 繁栄した葦原中国の様子を目にしたアマテラスは、わが子アメノオホシホミミにこの国を統治させようと考えた。ところが、どうも葦原中国が騒がしい。 そこでアマテラスはタカミムスヒらと相談して、国譲りの交渉役としてアメノホヒを差し向けた。しかし、アメノホヒは地上に降りるとオオクニヌシに懐柔され、高天原に何の連絡もしなかった。 今度は、アメワカヒコを使者として差し向けたが、オオクニヌシの娘、シタデルヒメと結婚して、自分こそが葦原中国の王になろうと野心を抱く。 アマテラスは、アメワカヒコからの連絡がないため、キジを使者として遣わした。 だが、アメワカヒコはこのキジを弓で射抜いて殺してしまった。キジを射抜いた矢は、天まで届き、タカミムスヒによって下界に返される。すると、その矢はアメワカヒコに当たり、アメワカヒコは死んでしまった。 ついにアマテラスは、武力に長けたタケミカヅチを遣わせた。 タケミカヅチは地上に降りると、実力行使に出る。オオクニヌシは、出雲に自分のための神殿を立ててくれることを条件に、国譲りに同意した。 ようやく天孫降臨の準備が整ったが、アメノオホシホミミは、自分よりも生まれたばかりのわが子、ニニギのほうがふさわしいと進言し、ニニギが降臨することとなった。こうして、アマテラスはニニギに八柱の神と三種神器を授けて天降らせた。 一行は、先導役のサルタビコに導かれながら、筑紫の日向の高千穂にそびえる峰に天降った。 ニニギは笠沙岬で出会ったコノハナノサクヤビメと結婚し、ホデリ、ホオリら三子を生んだ。 ホオリはホデリから借りた釣り針を紛失したことで対立する。ホオリは釣り針を探して海神の宮を訪れ、海神の娘トヨタマビメと結ばれる。そして水を操る力を得たホオリは、ホデリを服従させる。 ホオリとトヨタマビメの間に生まれたウガヤフキアエズは、タマヨリビメを娶り、四子を生んだ。 神武東征 アマテラスの子孫であるイワレビコは、兄のイツセと共に天下平定のため東に旅立った。豊国、筑紫、阿岐国、吉備を経て、浪速に上陸するが、そこで土地の豪族ナガスネヒコの攻撃に遭い、イツセが命を落としてしまう。 熊野へ迂回したイワレビコは、熊野で荒ぶる神を平らげる。さらに宇陀では豪族エウカシを、忍坂ではツチグモを討伐した。その後、イワレビコ一行は、兄の仇ナガスネヒコと対峙し、苦難の末、討伐を果たした。 こうして敵を討伐したヒワレビコは橿原で初代天皇に即位した。
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【元ネタ】史実 【CLASS】キャスター 【マスター】 【真名】大生部多 【性別】男性 【身長・体重】142cm・32kg 【属性】中立・善 【ステータス】筋力E 耐久C 敏捷D 魔力A 幸運D 宝具B 【クラス別スキル】 陣地作成:C+ 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 工房より規模は小さいものの、『常世神』を祀り民に信じさせるための“祭壇”を形成する事が可能。 道具作成:- 宝具による召喚能力を得た代償に、道具作成スキルは失われている。 【固有スキル】 常若の肉体(蝶魔術):A 蝶魔術により、生物として完全な肉体を持つ。いつまでも若々しさを保つ完全な肉体。 このスキルの所有者は、常に耐久がランクアップしているものとして扱われる。 さらに、ダメージを受けた際にも自らの肉体を溶かし、健全な状態へと変貌させる事も可能。 詐術:A 話術、扇動の派生スキルであり、言動を以て他者を欺き思うがままに従わせる技術。 自らを信じさせ、取り入るためのスキルでもあり、Aランクでは己の真名、クラスすらも偽ることが可能となる。 教祖のカリスマ:C 信徒を魅力する才能、自身の信徒限定で自軍の能力を向上させ、信徒からの一部の魔力を徴収する。 しかし信徒がキャスターに対して失望した際にこのスキルの能力は無効化される 【宝具】 『救世信仰・常世神(ぐぜしんこう・とこよのかみ)』 ランク:E~A+ 種別:対民宝具 レンジ:不明 最大捕捉:不明 魔術的に加工されたアゲハ蝶の幼虫。蝶魔術(パピリオ・マギア)の奥義。 召喚直後は何の役にも立たない無力な宝具だが、数多の民の信仰を集め羽化することで階梯を上げ、 理論上、衆生を救済し得る限定的な願望機として機能する。 信者の多寡によって性能も変動し、生前は幾万の信仰を集め後一歩で羽化する所で討伐された未完成の宝具。 『信仰崩壊・常世神(しんこうほうかい・とこよのかみ)』 ランク:B 種別:対民宝具 レンジ:1~80 最大捕捉:400人 生前キャスターが完成させようとした『救世信仰・常世神(ぐぜしんこう・とこよのかみ)』。 だが志半ばで彼は討伐され、後に残ったのは財を失った民たちという惨状だった。 その惨状の具現として彼が死後手に入れた力であり、キャスターにとっては苦い記憶の象徴でもある。 宝具としての効果は魔力リソースを貪り喰らう漆黒のアゲハ蝶を複数体出現させるという物。 このアゲハ蝶は一定時間経過すれば消滅するが、大量の魔力を持つ存在に群がる習性を持ち、消滅までの間その対象の魔力を喰らいつくそうとするだろう。 ただしこの宝具は『救世信仰・常世神(ぐぜしんこう・とこよのかみ)』が羽化状態に入ると使用できなくなる。 キャスターの悲願が成就した時、彼は過去の失敗の呪縛から解放される。 【解説】 飛鳥時代、駿河国の富士川近辺にて「常世神」を祀る宗教を興した宗教家。 皇極天皇の時代に、橘や山椒につく蚕に似た虫を不老不死の世界、あるいは死後の魂が向かう世界たる常世の国の神「常世神」であると称し、 祀れば富と長寿が授けられ、貧しい者は裕福になり、老いた者は若返ると吹聴した。 人々は「常世虫」を台座に安置し、歌い踊り財産を喜捨して崇め、往来に酒や食物を並べ、富が訪れるのを待った。 やがて信仰は都にまで広がるものの、人々は全く益することはなく、私財を投じて財産を失う者が続出しその損害は甚大だった。 山城国の豪族であった秦河勝はこれを懸念し鎮圧にあたり、騒乱を起こし民衆を惑わす者として大生部多を討伐した。
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「ご機嫌麗しゅう、ワタシのお人形さん?」 名称:マリー 本名:マリーダ・マリーゴールド 種族:魔人 年齢:17歳 性別:♀ 身長:151cm 特徴:金髪。ボリュームのあるロングでウェーブ。お嬢様的な。 翡翠色の目。目は大きく、まん丸と見開いてるかニッコリと笑っているかの二択。 外見:アリスワンピースを好む。色は寒色系が多い。 備考:キットルカーリットの豪族、マリーゴールド家のご令嬢。 生粋の豪運持ちであり、アンダーグラウンドでは「マネリアの星」「豪運のマリーダ」で有名。 性格:極めて驕慢であり、手に入れたいモノは何でも手に入れる性格。 生まれ持った豪運と、貴族生まれの環境が拍車を掛け、我慢や妥協という概念が欠乏している。 ワガママが通る事に疑問を持っておらず、いざ通らないとなると激しい嫉妬と精神発作を起こす。 所属:「ギルド・マネリア」に所属。 家柄もあり、キットルのカジノ関係の多くを掌握している。 能力 【】の魔人。 後天性発祥。 魂を具現化する能力。 未定部分 +... ただ、無差別無制限に具現化できる訳ではなく、いくつかの段階を踏む必要がある。 具現化したモノは、彼女の指定したものに具現化できる。 彼女の趣味柄、もっぱら花か駒、宝石に具現化している。 第1段階「具現」 「 」を条件に成功する。 対象の魂を形として作成する。但し、形だけなのでこの状態では無害 第2段階「共痛」 「 」を条件に成功する。 対象の魂と感覚のみを共有する。 花に具現して入れば、葉に触れば感触が、花びらを摘めば痛みが対象に奔る。 但し破壊しても、強力な痛みが一度奔るだけ。 第3段階「愚儡」 「 」を条件に成功する。 対象の操作主導権を得る。 魂と言われる部分をホールドしており、この状態で破壊すると、本人の魂が壊れる。 黄金率:A ある条件下でのみ、運(ラック)判定に有利な修正を得る。 条件は黄金比に準じたモノを身に纏った際にのみだが、 彼女の骨格、歩き方、瞳の構成に至るまでが黄金比に準じている為、常時発動している。 Aランクであれば、最早強力な加護能力に近く、対国レベルの呪いであっても“運”で回避可能。 メモ欄 ミリオンライツ(和名:千成) チェスと将棋とRPGを混ぜたようなボードゲーム 駒は陣形と組み合わせによる“役”が存在する。 駒を動かす以外には「戦域拡大」「戦域放棄」「駒の位相(成り)」「盤上属性変更」が存在する。 「戦域拡大」は使用できる盤上が増築される。「戦域放棄」は増築分を破棄する。 「位相」は将棋の“成り”であり、一駒につき20式(20段階)まで存在する。 但し、実質は10段階そこらまでしか見えない(それまでにゲームが終了することが多い為) 「盤上属性変更」は対象盤上の属性を指定の属性に変化させる。属性によって、駒の動き、補正値が変わる。 駒の種類は 「人間(ヒト)」「魔人(マガ)」「鬼人(オニ)」「天使(シロ)」「悪魔(クロ)」「吸血鬼(キバ)」 「鉱核(テツ)」「機械(ネジ)」「人造(ガノ)」「精霊(マナ)」「幻獣(スズ)」「魔物(コマ)」の12駒に加え、 「神(ヤナギ)」が存在する。 元より悪魔、吸血鬼等の世界側で嗜まれるボードゲームであり、ルールは複雑怪奇の極み。 数こそ少ないが、人間でも好きな人はトコトン好き。他の盤上競技がお遊戯に見えるらしい。 「常に心の風邪気味とかどうよ」の助言でキュピーン。綴です。 風邪どころかマッド且つテンション高く能力が厄介。
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文化@アルールシア帝国 目次 性差別と恋愛 結婚 服飾 妓楼 街と村 農村の生活 都市での生活 食生活 食生活 概要 ネル地方の生活についての覚書 食生活は意外にも豊かで、穀物、雑穀、イモ類に各種野菜に木の実にベリー類、シリレス産の、数種類の食用昆虫、豚に羊に牛にヤギに馬、地球産でもシリレス産でも無い植物と動物の中間にいるような、クーノと呼ばれる卵生生物、そしてなにより、子馬ほどのネズミに似た、サミー(http //www36.atwiki.jp/2theparadise/pages/163.html)と呼ばれるげっ歯類を家畜として飼育しています。 調味料としては塩と香草が基本となりますが、砂糖や香辛料(地球に存在したものは大半が存在していますが、そのすべてが流通しているわけではありません)等も、高価ではありますが、流通しています。 農村での食生活は、朝と夜の二回、もしくは昼(およそ九時から十時の間)と夜の二回というのが一般的です。 ネルの北部では、主にジャガイモそっくりのメラ、メラン、メルジェと呼ばれる植物の塊茎や塊根を主食として、煮るか蒸したメラを潰して焼いたものや、ペースト状にして味付けしたものと、シーパとよばれる鱗茎や、ラパ、ラッパとよばれる数種類の根菜類を、肉や魚、乳製品等と一緒に、小麦粉と香草によって煮込んだ、シチュー様の汁物と共に食べます。 他にも葉物の野菜も収穫でき、各地方毎に様々な種類が食されていますが、基本、保存が効かないものは流通しません。 もちろん、肉や魚、乳製品については贅沢品ですので、メラを煮て塩を振ったものに、くず野菜を塩と香草で味付けしたスープというのが一般的ですが、牧羊の盛んな北部の山岳地帯では、農村であってもさらに様々な乳製品が加わります。 ネル中央部や西部の陸橋地域では、水稲や陸稲の栽培が盛んで米が主食となっており、冬から春にかけて小麦を栽培し、春から秋にかけて米を栽培しつつ、水田や貯水池で、カッパ、カーパと呼ばれる鯉に似た淡水魚の養殖や、マニ(http //www36.atwiki.jp/2theparadise/pages/179.html)と呼ばれる、ナマズによく似たシリレス産の水生生物(実際には軟体動物である)の養殖が盛んに行われています。 大半の食材は、収穫すると即座に保存食として加工されるのが一般的で、燻製や干物にしたり、酢や塩に漬けたり、乳酸菌を利用した様々な漬物が、ごく一般的に作られています。 納豆やベジマイト、トウガラシ抜きのキムチの様な食材や、キムチそのものといった食材も存在しています。 食事の場面 農家の食事(ごちそう) 貴族その他富裕層の食事 アルールシア帝国 暦法 気候風土 身分制度 経済 軍事 宗教 文化 技術 歴史 1 政治 貴族 都市と交易路 皇帝軍 神殿勢力 性差別と恋愛 魔法 神々以前 2 文字 豪族・郷士 物価・価格表 帝国軍 結婚 建築土木 神々の時代 3 言語 平民 交易品 領主軍 服飾 金属加工 第一期 4 大陸公路 奴隷 信用経済 傭兵と自由戦士 妓楼 工芸 第ニ期 5 ロマ 資産と運用 騎士団 街と村 農業 第三期 6 騎士 両替商 戦争 農村の生活 畜産 第四期 7 学者と魔導師 度量衡 都市での生活 狩猟 第五期 8 協会とギルド 商会 食生活 漁業 第六期 9 職能組合 貨幣体系 運輸 第七期 a 書記官 流通経路 歴史年表 b c ネル半島 d 用語 -
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【元ネタ】『太平記』『丑御前伝説』 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】牛御前 【性別】女性 【身長・体重】214cm・107kg 【属性】中立・悪 【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷D 魔力B 幸運C 宝具B 【クラス別スキル】 対魔力:C 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。 騎乗:A 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 幻獣・神獣ランクの獣は乗りこなせない。 【固有スキル】 妖術:B 優れた妖術の使い手であり、生身での肉弾戦に流用し、充分実用的なほど。 また、他者を誑かし篭絡できるほどの美女に化けるなど、変化の術も習得している。 水棲:B 水の抵抗を受けずに活動できる。 水中・水上にいる間、魔力を除く全てのステータスがワンランクアップする。 雨乞い:B 相応の魔力を消費することで、 消費量に応じた期間の間、雨を降らすことができる。 【宝具】 『牛鬼招来』 ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:200人 全長30mにもおよぶ牛鬼を呼び出すという宝具。 牛鬼とは、獰猛で海から現れ人を喰うとされる怪物である。 牛の頭に蜘蛛の胴体、或いは鯨や昆虫の体を持つなど姿は様々。 対象の影に対しても攻撃判定を持ち、また対軍規模の毒息を吐く。 これはブレスとして扱い、耐久などでレジストをする事が可能であるが、 失敗した場合、毒によるダメージに追加して、病気のバッドステータスを負う。 『牛鬼の珠』 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人 牛鬼が作り出すという美しい宝珠。 牛御前の霊核そのもの。通常は体内に収納されている。 彼女は肉体を撫でて貰う事により、対象の同じ箇所の傷を癒し、病を退ける事ができる。 その代償として、牛御前は治療した傷や病と同等のダメージを受ける。 また、霊核を外に取り出して使用する事により、死者蘇生も可能。 ただしその場合、使用と同時に牛御前は血の泡となり死亡する。 これは「人を救った牛鬼は死ぬ」という掟が存在する為である。 【解説】 平安時代の豪族、源満仲の娘。 牛の角と鬼の顔を持っていた為に殺害されそうになるが、 女官が救い出し山中で密かに育て、やがて牛御前と呼ばれるようになる。 それを知った満仲は、息子にして妖怪退治の英雄である源頼光に始末を命じた。 牛御前は関東に逃れ、最後には隅田川に身を投げて牛鬼となり、頼光軍を退けたという。 その後も隅田川の牛御前という伝説は長く語り継がれ、 毒を吐いて僧侶を死傷しただとか、病を治す珠を残したと文献に記録されている。 牛鬼とは、獰猛で海から現れ人を喰うとされる怪物である。 蜘蛛の胴体と牛の頭、或いは鯨や昆虫の体を持つなど姿が様々であり、 影を嘗め取ることでその人を食い殺す、毒の息を吐く、酒が好物である、 美女に化けて人を誑かす、歩いても足音がしない、とその特徴も様々である為、 一説によれば「海から現れる怪物」の総称ではないかという。 また人を襲うだけではなく、人を救う、人に救われる牛鬼の伝承も残されているが、 「牛鬼は人を助けると命を失う」という掟がある為、最後には死んでしまう事が多い。 【イメージイラスト】 牛御前さん① 牛御前さん②
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【元ネタ】史実 【CLASS】ランサー 【マスター】 【真名】宮部継潤 【性別】男性 【身長・体重】165cm・53kg 【属性】混沌・中庸 【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力C 幸運A 宝具B 【クラス別スキル】 対魔力:C 二工程以下の詠唱による魔術を無効化する。 大魔術、儀礼呪法等、大がかりな魔術は防げない。 【固有スキル】 軍略:C 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。 自らの対軍宝具の行使や、 逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。 吉川元春、島津義弘、島津家久と言った名立たる将星を撃退し、秀吉に“日本無双”の感状を受けた名将。 怨霊調伏:C “臨兵闘者皆陣列在前”の九字が成す、邪悪な呪いへの抵抗呪文。 成功すれば敵の魔術を封じ込められる。 【宝具】 『日本無双(ひのもとむそう)』 ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:0~50 最大捕捉:500人 「秀吉、宮部には日本無双といふ感状を与へる」 という、後に神霊になった天下人からの日本無双と評された逸話が宝具となったもの。 発動することで神霊・豊国大明神の支援を得る。 自身を含めた味方の全パラメータが1ランクアップし、ACも+500される。 さらに相手が著名な死因・弱点を持っていた場合、それに合わせた特攻攻撃も可能となる。 ただし、上記の効果は『日本出身の人間・英霊・怪物などと対する』場合にのみ力を発揮し、 日本出身でない者に対してはまったく効果を発揮しない。 【Weapon】 『薙刀』 長い柄の先に反りのある刀身を装着したポールウェポン。僧兵の主力武器でもある。 源平時代には武士の主力武器として扱われたが、南北朝時代以降は“振り回す”特性が集団戦術に合わず、槍に取って代わられた。 【解説】 豊臣家臣。元は小豪族を出身とする比叡山の山法師(僧兵)であったが、還俗して浅井家臣となる。 しかし、織田信長と浅井長政の仲が悪化し戦争状態に突入すると、羽柴秀吉の調略に応じ織田家に寝返り、 旧主浅井との戦いで多くの勲功を挙げた。 以降、秀吉に付き従って武功を重ね、その軍略を信頼されるようになっていく。 中国攻めの初期は秀吉の弟・秀長に同道していたが、やがて山陽方面を任された秀長に代わって 山陰方面全体の指揮を担う大任を任せられる。 秀吉が所謂『鳥取城の渇え殺し』と評される兵糧攻めを行っている間は、 敵の名将・吉川元春率いる救援軍を、鳥取城の陥落まで撃退した。 本能寺の変が起きると、秀吉は謀反人・明智光秀を討つために軍を返した(中国大返し)が、 宮部継潤は留守居を担当し、最も毛利家に攻撃される可能性の高い因幡鳥取城を任される。 これは秀吉の背後を守るという大任であり、継潤対する秀吉の信頼のほどが伺える。 秀吉が天下人となった後の九州征伐においても活躍。 島津義弘、島津家久という二人の名将を相手に、空堀や板塀を用いて堅守し、勝利の一因を担った。 この功績により秀吉に『日本無双』の感状を与えられたという。 武勲だけでなく政治にも秀でており、検地や銀山経営なども執り行った。 晩年は高齢を理由に隠居したが、秀吉に請われて御伽衆となり、重臣の一人として政務にも携わっていたという。 知名度は低いが秀吉麾下でも屈指の名将。 だがコーエーの査定は低く、吉川にも島津にも殺されるため、全然史実が再現できないという悲しみ。
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2009.6.20 No.48 特集・フィクション・サムライ(四) 折口信夫 幣束から旗さし物へ・ゴロツキの話 定価:200円(税込) p.216 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(84項目)p.409 さらに、この頃になって目立ってきた、もう一つの浮浪者があった。諸方の豪族の家々の子弟のうち、総領の土地をもらうことのできなかったもの、ないしは、戦争に負けて土地をうばわれたものなどが、諸国に新しい土地を求めようとして、彷徨した。これがまた、前の浮浪団体に混同した。道中の便宜を得るために、彼らの群に投じたというようなことがあったのだ。後世の「武士」は、じつは宛て字である。「ぶし」の語原はこれらの野ぶし・山ぶしにあるらしい。(略) 彼らは、まず、人里離れた山奥に根拠をすえ、常には、海道を上り下りして、他の豪族たちの家々にとり入り、その臣下となり、土地をもらいなどしたのであったが、また中には、それらの豪族にとって替ったものなどもあった。 彼らが、豪族にとり入った手段には種々あるが、一体に、彼らが道中したのは、武力で歩いたのではなく、宗教を持って歩いた。行法をもってした山伏である。(略) 今日、一般が考えているところの、いわゆる武士道なるものは、だいたい、徳川氏の世になって概念化されたものである。徳川氏は、天下を取ると同時に、まず、儒教によって一般を陶冶(とうや)しようとした。すなわち、謀反・反抗をしてはならぬという、道徳的陶冶をなすべく、最初は、これを禅僧に謀ったのであった。山鹿素行などの一流の士道なるものは、その後にできたのである。 武士道は、これを歴史的にながめるのには、二つに分けて考えねばならぬ。素行以後のものは、士道であって、それ以前のものは、前にも言うた野ぶし・山ぶしに系統を持つ、ゴロツキ道徳である。すなわち、変幻きわまりなきもの、不安にして、美しく、きらびやかなるものを愛するのが、彼らの道徳であったのである。(略) 「ゴロツキの話」より 48.rm (朗読:RealMedia 形式 492KB、3'57'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第48号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (496KB) 彷徨 ほうこう さまようこと。 陶冶 とうや (陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから)人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。 山鹿素行 やまが そこう 1622-1685 江戸時代前期の儒学者・兵学者。父は浪人の山鹿貞以。古学派の祖。陸奥国会津(福島県会津若松市)生まれ。林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲・北条氏長の下で兵学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』 折口信夫 おりくち しのぶ 1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3) 大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 ◇参照:Wikipedia。 底本 幣束から旗さし物へ http //www.aozora.gr.jp/cards/000933/card18394.html 底本:「折口信夫全集 2」中央公論社 1995(平成7)年3月10日初版発行 初出:「土俗と伝説 第一巻第一・二号」 1918(大正7)年8月、9月 NDC 分類:382 ごろつきの話 http //www.aozora.gr.jp/cards/000933/card18408.html 底本:「折口信夫全集 3」中央公論社 1995(平成7)年4月10日初版発行 初出:「民俗芸術 第一巻第八・九号」 1928(昭和3)年8、9月 NDC 分類:382 2009.6.13 No.47 特集・フィクション・サムライ(三) 安藤正次 「侍」字訓義考・多賀祢考 定価:200円(税込) p.131 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(41項目)p.119 『延喜式』の「大膳職式」を見ると「手束索餅(たづかむぎなわ)」というものがあって(略)索餅(さくべい)は一種の菓子で、『和名抄』には「索餅」の条に(略)索餅を「无岐奈波(ムキナハ)」と訓じている。手束索餅はその一種であるが(略)単にこれを「タツカ」と訓んでいるだけである。「タツカ」は、『万葉集』などに散見している「タツカユミ」(手束弓)「タツカヅエ」(手束杖)などの「タツカ」と同義で、手に握り持つ義であろう。すなわち手束索餅を「タツカ」というのは、手に握って作った索餅の義なのである。これと同様に「米餅」を「タガネ」というのも手で綰(たが)ねた米餅の義であると解すべきのであろう。常陸あたりで、掃き寄せの米を舂(つ)きまじえた餅や、糯(モチ)と粳(ウルチ)とを雑え舂いたものを「タガネ」といい、遠江で水で米粉を練ったものを於多賀祢というがごときは、たまたま「タガネ」という名が部分的のある特殊なものに結びついて残ったにすぎないので、いろいろのものを舂きまじえたということや、水で練ったものというようなことなどが、昔の「タガネ」という語に対する限定的要素となるべきものではないと思う。ちょうどそれは、京都あたりでは、稗(ヒエ)米の粉を水で練って鶏卵の大きさに握り堅めて神に供えるのを「シトギ」とよぶようになっている(国書刊行会本、伴信友全集『比古婆衣(ひこばえ)』の付説に見えた大沢清臣の文による。)けれども、後世の京都あたりの「シトギ」という語によってあらわされるものが、上代の「シトギ」とはかならずしも同一でないのと同様な関係と見るべきものである。 「多賀祢考」より 47.rm (朗読:RealMedia 形式 344KB、2'46'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第47号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (316KB) 索餅 さくべい 唐菓子の一種。小麦粉と粉の米とを練って、縄の形にねじって油で揚げたもの。陰暦七月七日に瘧(おこり)よけのまじないとして内膳司から禁中に奉り、節会の時、晴れの御前に供した。むぎなわ。 シトギ 粢・。神前に供える餅の名。古くは米粉を清水でこねて長卵形としたものを称したが、後世は、糯米を蒸し、少しついて餅とし、楕円形にして供えた。しとぎ餅。 伴信友 ばん のぶとも 1773-1846 若狭国小浜藩士・山岸惟智の四男。国学者。博覧強記で古典の考証に優れていた。平田篤胤、橘守部、小山田与清とともに「天保の国学の四大人」。村田春門を介して本居宣長没後の門人となり、宣長の養子の本居大平に国学を学ぶ。 比古婆衣 ひこばえ 伴信友の著。随筆集。日本史・文学・語学の各分野にわたる考証の集録。20巻。弘化4(1847)から明治にかけて刊行。 大沢清臣 おおさわ きよおみ 1833-1892 国学者。神職・官吏。大和添下郡迹村生まれ。京都壬生家の雑掌となり、谷森善臣に国史をうけ、文久元年勅命により師に従って山稜踏査にあたる。龍田神社大宮司大講義・教部省権大録・宮内省御陵掛などを歴任。著『皇朝紀事文栞』など。(日本人名大事典) ◇参照:Wikipedia、『日本人名大事典』平凡社。 安藤正次 あんどう まさつぐ 1878-1952(明治11-昭和27) 国語学者。埼玉県生まれ。台北帝大総長・東洋大学大学院長・著「古代国語の研究」「古典と古語」「国語史序説」など。 ◇参照:『広辞苑』。 底本 ※「うわづらをblogで」所収。 底本:『古典と古語』三省堂 1935(昭和10)年6月 NDC 分類:812 2009.6.6 No.46 特集・フィクション・サムライ(二) 斎藤茂吉 愛国歌小観 愛国百人一首に関連して 愛国百人一首評釈 定価:200円(税込) p.131 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(41項目)p.213 天皇(おほきみ)に仕へまつれと我を生みし我がたらちねぞたふとかりける 佐久良東雄 佐久良東雄(あずまお)は常陸の人、はじめ仏道を修め、ついで国学に転じ、東雄といった。後大阪に惟神(かんながら)舎を開いて国学を講じた。万延元年(一八六〇)桜田の変に関連し、江戸に送られ、獄中で死んだ。年五十。東雄は多くの歌を作って、家集に『薑園(きょうえん)歌集』がある。かつて佐佐木博士、東雄の歌を紹介したが、近時志士の歌としてさかんに研究せられている。 母上が自分を生まれたのは、何のためでもない、ただ天皇に仕えたてまつれといって生まれたのである。それをおもえば自分の母上はなんという貴いかたであろう、というのである。 幕末志士の尊王、尽忠の思想を歌にしたのはじつに多く、東雄の歌にもたくさんあるけれども、こういうことを端的にあらわしたものはない。生みの母に感謝し賛嘆するのは、直接天皇に直流し奉るところにこの歌の特色がある。皇国日本の母。その母に対する子の態度は、かくのごとくにして万邦に比類がないのである。 「愛国百人一首評釈」より 46.rm (朗読:RealMedia 形式 292KB、2'20'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第46号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (360KB) 斎藤茂吉 さいとう もきち 1882-1953(明治15.5.14-昭和28.2.25) 山形県南村山郡金瓶村(現、上山市金瓶)出身、精神科医。守谷伝右衛門熊次郎の三男。親戚で浅草の医師の斎藤紀一の家に養子に入る。伊藤左千夫門下。大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。 ◇参照:Wikipedia。 底本 愛国歌小観 底本:『齋藤茂吉全集14』岩波書店 1975(昭和50)年7月18日 発行 初出:雑誌『日本評論』1942(昭和17)年5月号 単行本『小歌論』収録 愛国百人一首に関連して 底本:『齋藤茂吉全集14』岩波書店 1975(昭和50)年7月18日 発行 初出:(前半)『東京日日新聞』1942(昭和17)年11月21日 (後半)『東京朝日新聞』1942(昭和17)年11月21日 単行本『小歌論』収録 愛国百人一首評釈 底本:『齋藤茂吉全集14』岩波書店 1975(昭和50)年7月18日 発行 初出:『東京日日新聞』1942(昭和17)年11月22日以降 NDC 分類:911 2009.5.30 No.45 特集・フィクション・サムライ(一) 森繁夫 幕末志士の歌 月末最終号:無料 p.95 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(52項目)p.311 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 志士らが一貫共通の精神の置きどころは、まず皇室と国体の尊厳であった、世界における特殊日本の貴重さであった、彼らの信念はこの日本の直なる道を歩むにあった。 皇神(すめかみ)の誓ひおきたる國なれば直しき道のいかで絶ゆべき 松陰 磯城島(しきしま)の直なる道を横かきの蟹はいかでかふみも知るべき 東湖 尊かる天日嗣(あまつひつぎ)の廣き道踏まで狹き道ゆくな武士 曙覧(あけみ) 直なる道はまた武士道であった。 あづさ弓春の遊びのたはふれも踏な違へそ武士の道 東湖 武士の道な忘れそ月雪や花に醉ひふす夢ばかりにも 綏猷 武士の道し整ふものならば寢てもさめても何か憂へむ 斉昭 武士の臣のをとこはかかる世になに床の上に老果ぬべき 玄瑞 心あれや人の母たるいましらよかからむことは武士の常 松陰 武士道の一節には、名を惜(お)しんで生命を惜しまぬことが約束されてある、国君のために潔く散ることが本懐とされてある。 大君のためには何か惜からむ薩摩の迫門に身は沈むとも 月照 君がため何か惜しまむ武士のありなし雲に我を見なせば 玄瑞 八隅知(やすみしる)君の國だに安からば身を捨つるこそ賤が本意なれ 松陰 命だに惜しからなくに惜むべきものあらめやも皇のためには 東雄(あずまお) 魁(さきが)けてまた魁けむ死出の山迷ひはせまじ皇の道 八郎 45.rm (朗読:RealMedia 形式 412KB、3'19'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第45号 ※ ダウンロードを開始します。 (424KB) 森繁夫 もり しげお 1882-1950(明治15-昭和25) ◇参照:NACSIS Webcat。 底本 ※ 所収「うわづらを blog で」 底本:『人物百談』三宅書店 1943(昭和18)年発行 NDC 分類:911 人物一覧 戸田忠敝 とだ 〓 1804-1855 忠太夫か。名は忠敞。水戸藩。 藤田東湖 ふじた とうこ 1806-1855 水戸。 島津斉彬 しまづ なりあきら 1809-1858 薩摩。 月照 げっしょう 1813-1858 僧侶。大坂。 三条実万 さんじょう さねつむ 1802-1859 公卿。 小林良典 こばやし よしすけ 1808-1859 地下人。鷹司家の諸大夫。 長岡監物 ながおか けんもつ 1812-1859 熊本藩家老。 吉田松陰 よしだ しょういん 1830-1859 長州。 徳川斉昭 とくがわ なりあき 1800-1860 常陸水戸。 佐久良東雄 さくら あずまお 1811-1860 常陸国新治郡浦須村(現・茨城県石岡市浦須)。 蓮田市五郎 はすだ いちごろう 1832-1861 水戸藩。一五郎か? 田中綏猷 たなか すいゆう? 1815-1862 河内介。中山家諸大夫。但馬国出石郡神美村香住(兵庫県)。 藤本鉄石 ふじもと てっせき 1816-1863 備前国御野郡東川原村(岡山県岡山市)生まれ。 清川八郎 きよかわ はちろう 1830-1863 出羽国庄内藩領清川村(現・山形県東田川郡庄内町)。 児島草臣 こじま 〓 1838-1863 強介。下野(栃木県)宇都宮。 姉小路公知 あねがこうじ きんとも 1839-1863 公家。 菊池民子 きくち たみこ 1794-1864 歌人。下野国宇都宮。 宍戸真澂 ししど まさもと 1804-1864 長門萩生まれ。 佐久間象山 さくま しょうざん/ぞうざん 1811-1864 信濃松代。 伴林光平 ともばやし/ばんばやし みつひら 1813-1864 河内国志紀郡林村(現:藤井寺市林)浄土真宗尊光寺に生まれる。 真木保臣 まき やすおみ 1813-1864 久留米。 是枝貞至 これえだ 〓 1817-1864 薩摩谷山郷。 平野国臣 ひらの くにおみ 1828-1864 福岡。 錦小路頼徳 にしきのこうじ よりのり 1835-1864 公家。七卿落ちの一人。 久坂玄瑞 くさか げんずい 1840-1864 長州。 武市半平太 たけち はんぺいた 1829-1865 土佐国吹井村(現、高知県高知市仁井田)生まれ。 野村望東尼 のむら もとに/ぼうとうに 1806-1867 福岡。 坂本龍馬 さかもと りょうま 1836-1867 土佐。 高杉晋作 たかすぎ しんさく 1839-1867 長門国萩城下菊屋横丁(現・山口県萩市)生まれ。 橘曙覧 たちばなの あけみ 1812-1868 越前国石場町(現・福井県福井市つくも町)生まれ。 富田基建 とみた 〓 1817-1868 織部。名を基建。三条実美の侍講。伯耆(鳥取県)。 大国隆正 おおくに たかまさ 1793-1871 国学者・神道家。石見津和野。 毛利慶親 もうり よしちか 1819-1871 敬親(たかちか)。長州。 山内容堂 やまうち ようどう 1827-1872 土佐。 津崎矩子 つざき のりこ 1786-1873 近衛家の老女、勤王家。 沢宣嘉 さわ のぶよし 1836-1873 公卿。七卿落ちの一人。 大原重徳 おおはら しげとみ 1801-1879 公家。京都生まれ。 三条西季知 さんじょうにし すえとも 1811-1880 七卿落ちの一人。 若江薫子 わかえ におこ 1835-1881 公家。 岩倉具視 いわくら ともみ 1825-1883 公家。 島津久光 しまづ ひさみつ 1817-1887 島津家当主。 宮本池臣 みやもと いけおみ 1808-1888 神主。丹後国与謝郡男山。 松平春嶽 まつだいら しゅんがく ?-1890 越前福井。 三条実美 さんじょう さねとみ 1837-1891 公卿、政治家。 松尾多勢子 まつお たせこ 1811-1894 信濃国伊那郡山本村(現、長野県飯田市)。 近衛忠? このえ ただひろ 1808-1898 忠熙。 壬生基修 みぶ もとおさ 1835-1906 公卿。 東久世通禧 ひがしくぜ みちとみ 1834-1912 京都。七卿落ちの一人。 乃木希典 のぎ まれすけ 1849-1912 長府。 山県有朋 やまがた ありとも 1838-1922 阿武郡川島村(現・山口県萩市川島)生まれ。 井手曙覧 いで あけみ → 橘曙覧 松尾たせ子 → 松尾多勢子 野村望東 → 野村望東尼 関遠 金子教孝 古川松根 松田範義 ※ 没年、生年、よみの順に優先配列。 2009.6.1:公開 2009.6.24:更新 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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アルールシア帝国@ヴァイレサック 国と地域アルールシア帝国-ミラ・サルナ大公国--ネル半島-エルシア大公国-キャニステ大公国-シャーレーヴィス大公国ダーラン王国チル王国ヴェナーリア王国 アルールシア帝国(=ダッセル・アルールシア連合王国) 目次 帝国概要暦法気候風土身分制度経済軍事宗教文化技術歴史 概要(基準となる日時:シリレス暦3985年、帝国暦27年シルヴィー15ファルス(6月15日)) ルシア平原の騎馬民族が、南東ソナスの王国を併呑して成立したアルールシア王国と、ルシアの騎馬民族と永く争ってきた南部のダッセル王国が、婚姻関係により連合王国となり、周囲の国々を統一して成立。 ダッセル・アルールシア連合王国の王となった者が帝位を受け継ぐ巨大国家である。 帝国として言えば、未だ名前だけ(ダッセル・アルールシア連合王国のみ)でしかなかった建国の時から二七年。周辺国を平定し、帝国として体裁が整ってからは16年であり、第三代皇帝の下、現在も国内の整備に奔走している状況で、安定した国体を築いているとはいえません。 現在の連合王国国王=皇帝はジュリアーノ・ヴァージ・レンドール・アルシア=ダッセル 新たな領土として加わった地方領主に配慮して、帝国としては封建体制をとっていますが、中心となるダッセル・アルールシア連合王国は、国王の下に全ての権力を集中した、中央集権国家となっています。 辺境部は封建体制となっていますので、当然それは独立国と変わりません。 通信手段も狼煙や早馬であり、中央集権体制を維持しているのは、中心部分、全体の四割程度の地域だけです。 一応の国境線も存在していますが、人の暮らす地域はその中でも極限られた狭い部分に限定されています。 国土の多くは人の手の入っていない、大規模な森林地帯、平原、荒野、山岳地帯となっています。 帝国は、北東からチルと呼ばれるプリマの国、その西のダーラン、西方の大山脈を挟んで、強大なヴォル領域、南西の山岳民族の国であるヴェナーリア、そして南のヒュヨと呼ばれるプリマの国と、五つの勢力に囲まれており、辺境の諸勢力は、その時々の状況に応じて、ダーランやチル、ヒュヨといった勢力と結びついたり、また再び帝国と結んだりと、まだまだ問題が山積しています。 ネル半島へはコチラ→ネル半島 アルールシア、ダーラン、チル、ヴォル領域以外の国と地域の設定は、基準となる、シリレス暦3985年、帝国暦27年シルヴィー15ファルス(6月15日)以降は、自由に設定してください。 国の政治体系や経済や軍事その他、お任せします。 技術レベルと火器の設定には十分注意してください。 亜人種や異種族、生物その他も、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 目次 暦法 気候風土 身分制度 経済 軍事 宗教 文化 技術 歴史 アルールシア帝国 暦法 気候風土 身分制度 経済 軍事 宗教 文化 技術 歴史 1 政治 貴族 都市と交易路 皇帝軍 神殿勢力 性差別と恋愛 魔法 神々以前 2 文字 豪族・郷士 物価・価格表 帝国軍 結婚 建築土木 神々の時代 3 言語 平民 交易品 領主軍 服飾 金属加工 第一期 4 大陸公路 奴隷 信用経済 傭兵と自由戦士 妓楼 工芸 第ニ期 5 ロマ 資産と運用 騎士団 街と村 農業 第三期 6 騎士 両替商 戦争 農村の生活 畜産 第四期 7 学者と魔導師 度量衡 都市での生活 狩猟 第五期 8 協会とギルド 商会 食生活 漁業 第六期 9 職能組合 貨幣体系 運輸 第七期 a 書記官 流通経路 歴史年表 b c ネル半島 d 用語 -
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武将名 どいさねひら 土肥実平 統一名称:土肥実平 生没年:不明~1191「土肥の面子を潰す真似は 許さねえ。お前らついて来い!」相模国の豪族。有力武士団「中村党」を率い、源頼朝の挙兵に馳せ参じた。石橋山敗戦後の逃亡では、機転を利かせて頼朝の危機を救う。軍事的才能に恵まれ多くの功績を挙げながらも、質実剛健な振る舞いを徹底したため、頼朝に称賛された。 勢力 蒼 時代 平安 レアリティ N コスト 1.5 兵種 槍兵 武力 6 知力 3 特技 昂揚 計略 奉武の剛槍(ほうぶのごうそう) 武力と槍撃ダメージが上がる。味方の陣形の効果を受けている時、この計略の必要士気が下がる 必要士気 4 効果時間 知力時間 Illust. ハタパグ 声優 弦徳 計略内容 カテゴリ 士気 武力 知力 速度 兵力 効果時間 備考 奉武 4 +4 - - - 7.1c(知力依存0.4c) 槍撃ダメージ+5味方陣形の効果を受けていると必要士気-1 (最新Ver.1.6.0A) 調整履歴 修正Ver. 変更点 内容 備考 所感 武力6知力3と高めの数値に、昂揚まで備えた優秀なスペックの蒼1.5コスト槍兵。 計略は奉武カテゴリの士気4剛槍計略。 武力上昇値・槍撃ダメージ共にそれなりだが、速度上昇や槍アクション強化がないためあまり積極的に使うような効果ではない。 基本的には、その優秀なスペックを目当てに採用することになるだろう。 解説 小早川氏の祖とされる人物。 但し、実際には実平の息子が平賀氏から養子をとって継がせているため、血縁上の繋がりは薄い。 大戦シリーズにおいて 台詞 \ 台詞 開幕 土肥の面子を潰す真似は許さねえ。お前らついてこい! └自軍に蒼077_土佐坊昌俊 おう昌俊、一暴れしてこいや 計略 近づく奴は串刺しだ! └絆武将 俺は俺だぁ! 兵種アクション おりゃあ! 撤退 バラバラに散れ! 復活 弱みをみせちゃあ、終いだぜ 伏兵 おとなしく土に還れ 攻城 一方的?てめぇが抵抗しないだけだろうが 落城 強い奴らと戦う方が土肥も強くなる。ありがとよ 贈り物① ごくろうさん。茶でも飲んでいきな。 贈り物② 弱者から金をまきあげるなんざ賊のやることだ。ああ、悪かった。お前は弱くなんかねえよ。 贈り物(お正月) 抱負なんかねえよ。戦って、家人どもを食わせていく。それだけだ。 贈り物(バレンタインデー) 色恋はとっくの昔に卒業したんだよ。お前だって、分かってて来たんだろ? 贈り物(ホワイトデー) お前とは住む世界が違うからな、一緒にはなれない。だが、死ぬまでその背中は守ってやるよ。 贈り物(ハロウィン) 眼鏡というやつで洒落てみた。ふ、似合わねえか。 友好度上昇 - 寵臣 - └特殊 - 贈り物の特殊演出 対象武将:蒼071梶原景時 会話武将 台詞 蒼071梶原景時 実平殿に鎌倉殿との間を取り持っていただけるとは思わなかった。 蒼076土肥実平 てめえに肩入れしたわけじゃねえ。鎌倉の治安が悪くなるから手ェ出しただけだ。 蒼071梶原景時 貴公は土肥の家を守ることにおいて素直だ。だからこそ、信頼に足るというもの。 蒼076土肥実平 俺もてめえの鎌倉殿への仁義だけは認めるぜ。だが、妙な真似したら首を飛ばす。忘れんな。 情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。 名前 伏兵「おとなしく土に還れ」? - 名無しさん (2023-07-15 17 45 48)