約 102,317 件
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/170.html
『教育学(講義)』
https://w.atwiki.jp/twitter21/pages/106.html
▽下へ/口トップへ feedreader プラグインエラー 正常に取得できませんでした。 ▽下へ/口トップへ feedreader プラグインエラー 正常に取得できませんでした。 ▽下へ/口トップへ #bf ▽下へ/口トップへ
https://w.atwiki.jp/hokudai_kakomon/pages/14.html
講義名/担当教授/年度 ファイルURL、コメント 持ち込み不可(留学生に限り、電子辞書の持ち込み可) 問1(35点) 高度成長期以来、自民党が長期安定政権をどのように維持したのかを、次の言葉をすべて用いて説明しなさい。包括政党、後援会、派閥、族議員、無党派層。 問2(40点) 鳩山一郎内閣から小泉純一郎内閣までのなかから、任意の内閣ゆ一つ選び、その内閣が優先的に取り組んだ課題とその成果を整理したうえで、その内閣が戦後政治史において果たした役割に対するあなたの評価を述べなさい。なお、いかなる観点から評価するのかを明示すること。 以上 ★先輩ボッチからのアドバイス ・出席点が25点あるのでなるべく休めないお。一回につき2点なので13回以上出席で出席点はマックス取れるお。 ・テストの一部はテスト前の何週間か前に配られるお!今回でいうと問2の問題は事前に配られていました。問1の問題に関してもこんな風な感じの出題をすると言っていたので休んだらヤバいお!ボッチだとなおさらだお! ・授業は面白かったお -- 戦後政治と自民党/下村太一/2010 (2011-03-26 13 41 34) http //img.5pb.org/s/10mai528252.jpg 書き込み失礼 -- イスラームと中東社会の基礎知識/太田敬子/2010年度1学期 (2010-10-31 19 11 05) http //www.mediafire.com/i/?5j6u2bkoyoy1p1t 需要ほとんどないと思いますが一応うpしておきます -- 基礎生物学Ⅰ中間-渡邊日出海先生 (2010-10-28 23 30 56)
https://w.atwiki.jp/onchan/pages/13.html
キャラクター育成は人それぞれ 未転でステボーナス貯めるのもよし、転生後楽しみたいなら早く転生してもよし 奇人になりたいなら転生後、熟適正まで上げてガンガン育てるのもよし とにかく育成期間が長いと言うか永遠に続くので自分が楽しめるように育てよう \(o⌒∇⌒o)/♪ 名号 コマンド ステータスのあげ方 基本 天上hp・・狐火・・天上布武では各種のデーターや育成方法等が紹介されているので参考にしてね。 天上ではキャラを育成(ステータス=ステ)する為にアイテムとクエスト(通常狩り、放置を含む)でステータスをあげることができます 狩り場の注意 クエスト ステータスをあげる場所 力あげ 熟練度あげ 転生 放置 放置場所でのルール 武技 装備 防具についてる属性 防具の付与 アイテム ペットの役割 ミニゲーム 討伐 六祖討伐蒼天ホームページ討伐メニュー参照六祖討伐は絶世高手までで総火力4000以上必要です、そのため絶世前にステを火力に振り分ける必要があります。耐性・敏捷にステを奪われると六祖討伐の参加回数は少なくなります。 狐火討伐しっぽ隊ホームページ 意見とか・・不足してるとか・・教えてくださいね よろしく^^
https://w.atwiki.jp/bright2001/pages/35.html
https://w.atwiki.jp/murauya2011/pages/14.html
『男女平等教育』施行 月日が過ぎ、4月の始業式....。 クラス替えも終わり、最初のホームルームで全クラスとも『男女平等教育』に関する内容を児童全員に説明した後、各学年ごとに体育館へ移動し、新しい制服、体操着を購入した。女子用の下着も購入の対象となった。 全クラスとも新しい制服、体操着の購入が終わり、教室で白のショーツ、白の肌着、白のブラジャー、白無地のハイソックスを出し、男女一緒に着替えを行った。 男子にとっては初めての女子の下着着用の為、緊張しながら着替えていた....。 新しい下着に着替え終わった後は濃紺のセーラースーツを出し、最初は濃紺のプリーツスカートを全員で穿いてみた。 スカートは短めだがアジャスター付きだった為、全員穿きこなすことができた。 次に濃紺の長袖セーラースーツを着込み、臙脂色のスカーフをして最後は黄色の帽子をかぶりあごひもをかけた。 ホームルームが終わった後、男子生徒全員体育館に集合し、今まで体育の授業で穿いていた白の短パンをはじめ、 下着や学生服などひとりずつ涙ながらに提出した。 下校の時はローファー(ハルタ)に履き替え、女子はいつものどおりであったが、 男子については緊張感をかみしめながら恥ずかしそうに家に帰宅した....。 全校集会 数日後....、新入生も加わり全学年男女児童全員セーラー服姿で登校した。 新入生と女子は平気だったが、一方男子にとっては緊張感と恥ずかしさがいまだに抜けずにおどおどしながら登校する姿も見られた。 その日は、全校集会が体育館で行われる為に全学年体操着姿で参加することになった。 早朝のホームルームが終わった後、すぐに全学年とも教室で体操着に着替えることになり、 女性の先生の前で新しい体操着を机の上に置いた後、男子女子全員制服を脱いで白の下着に裸足姿になった。 最初は、白無地の長袖バレーシャツ体操服を着込み、次につばのない紅白帽子をとり出し、 男子は白、女子は赤にしてかぶりあごひもをしっかりかけた。 白のハイソックスを履いた後、最後は濃紺無地のブルマーを出した。 男子にとっては今まで穿いていた白の短パンと比べてみると、濃紺無地のブルマーは形も感触も違い、前後もはっきりしていた。 前後を確認した後、全員でブルマーの脚口に両足を入れ、白のショーツの上からゆっくりと腰元まで上げた。 穿いた後に腰全体が引き締まり、今までになかったフィット感と腰と両脚の付け根がブルマーのゴムで締め付けられていた。 女子はブルマーからパンツが出ているのが多少見受けられたが、一方男子はブルマーの前が男性器によって固く太く大きくなり、 今までになかった痛みも感じていた。 また清掃時も体操着ブルマー必着となり、頭に白の手ぬぐいまたは三角巾をして掃除することも義務付けられることが決まった。 全学年とも新しい体操着姿で体育館に集合し、女子も男子も全員ブルマーを着用しており、 特に6年生のブルマー姿を見てみると女子は、体操服の上から出っ張っている大きい胸とブルマーを穿いた時の大きなお尻が、子供というよりも女性ぽく感じた。 男子は、ブルマー着用時の逆三角形の下が陰のうによって丸く出ており、前の膨らみが大きいだけでなく 陰茎の形もブルマー越しに膨れ出ていた。 他には、夏用体操着として白無地の半袖バレーシャツ体操服。冬用は青色の長袖ジャージ。 長ズボンは禁止となり年中ブルマー姿になる為、白のバレエタイツをはいてからブルマーを着用。 水泳の授業は、競泳ゴーグルをしてプールに入って泳ぐこととなる。 体操着の下は白の下着必着となった。 下校時には、男子児童のスカートの中は白のショーツの上に濃紺無地のブルマーを着用しており、 股間が暑苦しいだけでなく、勃起した男性器には今までに感じたことのない痛みが走っていた....。 男女平等教育施行後の家庭 『男女平等教育』という新しい教育方針を取り入れられてから数週間経ち、学校ならび家庭でも変化が見られた。 ある家族の朝ではこんな会話がなされていた。 母「ちひろ。ふぶき。理奈。早くしないと学校遅れるわよ」 ちひろ「わかっているよ。ふぶき。それにしてもよかったじゃない。男子もブルマー着用になって」 ふぶき「ブルマーは以前から穿きたかったけど、まさかセーラー服まで着せられるとは思わなかったよ」 「しかも下着も女子用だしおまけに臙脂色のスカーフまでしなきゃならないから」 理奈「お兄ちゃん。ブルマー穿けるだけでもありがたいと思ったほうがいいよ。それにしてもセーラー服似合っているよ」 ちひろ「まさか3人揃ってセーラー服姿になるとは思わなかったけど、私的にはいいかな。後は髪型だけど」 ふぶき「それはいいからお父さんとお母さんが待っているから早くしようよ」 ちひろ「わかった。行こう」 ふぶき、理奈「はい」 3人揃ってお父さん。お母さんがいる食卓に向かった。 ちひろ、ふぶき、理奈「おはようございます」 父、母「おはよう」 父「ふぶき。女子用の服には慣れたか?」 ふぶき「まぁ慣れたけど」 父「新しい教育制度になってまさかおまえまでちひろ、理奈と同じ制服、体操着まで着るとは思わなかったけど。大丈夫か?」 ふぶき「大丈夫だよ」 ちひろ「本当?最初ブルマー穿いたとき、アソコが痛いとわめいていたけどねっ」 理奈「男の子がブルマー穿いているところを初めて見たけど、前が大きく膨らんでいたよ」 母「ふぶき。スカートの下にちゃんと自分のブルマー穿いてる? 間違っても姉ちゃん、妹のブルマー穿いちゃダメよ。 体育着にも一着も残さずゼッケン縫ったんだからわかるよね?」 ちひろ「ふぶき。スカートめくって見せたら?ちゃんと自分のブルマーかどうか確認するから」 ふぶき「姉ちゃん。待ってて。今から見せるから」 ふぶきはみんなの前でスカートをめくり上げ、ブルマーのお尻の右側に縫い付けてあるゼッケンを見せた。 ちひろ「うん。合格ね。お母さん。とりあえず私達2人も確認して」 ちひろ、理奈もスカートをめくり上げブルマーのお尻の右側に縫い付けてあるゼッケンを見せた。 母「3人揃ってしょうがないんだから、ついでに前も見せたら?」 理奈「うん。お兄ちゃんも一緒に見せよう」 ついでに3人ともスカートを捲り上げブルマーの前も見せた。 ふぶきの男性器はすでに固く太く大きくなっており、姉、妹のブルマーの前を見比べると、ふぶきの男性器の陰茎は固く太く大きくなっており、ブルマー越しに男性器の形が露見するほど大きく膨らんでいた。 母「これはしょうがないから、もうそろそろ食べなさい。時間がないよ」 そして家族全員朝食を済ませ、3人揃って学校へ向かった。 体育の授業 4月も終わりに近づき、ふぶき君がいる4年1組ではこんな会話が流れていた。 啓助「ふぶき。次は体育だぞ。はやく着替えようぜ」 ふぶき「うん」 魁人「4月ももうすぐ終わりか...。まさか僕達までブルマー穿けるとは思わなかったな。ふぶき」 ふぶき「そういや去年の11月頃、僕達男子全員で信田先生のところに行ったんだよね」 啓助「女子が穿いているブルマーを見て穿き心地も良ければ暖かそうだったし、みんなでブルマー穿きたくて先生にお願いしたんだよな」 魁人「最初は先生も不満そうにしていたけど、まさかこうなるとは思わなかったけどね」 ふぶき「ブルマー着用が決まった時、本当にドキドキしたよ。でもセーラー服までは予想外だったけど....」 玲奈「そうよ。私たちだってびっくりしたよ。まさか女子に黙って男子のブルマー着用のお願いを先生のところに行って話していたんだから....」 江間「ブルマー盗難に遭うくらいだったら女子だけでなく男子も着用にすればよかったのよ。うちのお姉ちゃんも昔、盗難に遭ったくらいだったから....」 由美「それにしてもよかったんじゃない。私は最初からブルマー着用にしてほしかったけど。幼稚園だって女の子だけでなく男の子も穿いていたんだから」 江間「指定体操着として穿いていたんだ....」 玲奈「初めて知った....」 ふぶき「もうこんな時間だよ。早く行こう」 魁人「あわてるな。由美たちもつれて6人で行こう」 由美「魁人君。お待たせ。3人ともブルマー着用慣れた?相変わらず前大きいね。痛くない?」 魁人「慣れたけど他の男の子のブルマーだって前大きいよ。初めて穿いた時だって激痛にうなされたんだから」 江間「あんたもね」 ふぶき「たたくなよ。もう」 啓助「それじゃ、行こう」 ふぶき君がいる4年1組の体育は校庭でおこなわれることになった。 生徒全員、つばのない紅白帽子、白無地の長袖バレーシャツ体操服に濃紺無地のブルマー、白のハイソックスに運動靴。 つばのない紅白帽子を男子は白に女子は赤にしてかぶりあごひもをかけて整列した後、 体操服をブルマーの中に入れ、ハミパンやハミ尻を確認しブルマーの中に入れお尻全体に覆うようにして直した。 男子は勃起した男性器をブルマーの上から掴んで垂直に直した。 後に担任の信田美保先生が来て集合をかけた。 「今日の体育はマラソンをやります。ただし、学校の外を出て走ります」 それを聞いた時、男子生徒全員驚きを隠せませんでした。 「何で嫌な顔をするの?君達男子全員でブルマー着用を要望したんでしょう?」 「男女平等教育が導入されてからセーラー服まで着こなせるようになったのに....」 「いつまで恥ずかしがっているわけ?男の子でしょ?」 信田先生はひとりの男子生徒のところに行ってこう言いました。 「いつまでもウジウジするな!先生だってついているんだから」 男子生徒の固く太く大きくなった男性器の陰茎をブルマーの上から掴み上下に揺すった。 「私達もいるから大丈夫よ!」 女子生徒も相手の男子生徒の固く太く大きくなった男性器の陰茎をブルマーの上から掴み上下に揺すった。 そして校外マラソンが始まり信田先生を先頭に男子2列、女子2列になって街中の人達の見守る中走り出しました。 生徒達の体操服の左前、ブルマーの右後ろには枠色が赤のゼッケンが縫い付けられ、学校名、学年にクラス、名前が記入されていた。 走り始めて数分が経ち男子生徒にも恥ずかしさが消えていき、知らない間に一生懸命走っている姿が見られ、先生や女子生徒も安心して最後まで走った。 学校に戻ってきた後、先生はこう告げた。 「やればできるじゃない!これなら来年の臨海学校も大丈夫ね!」 こうして体育の授業は終了した....。
https://w.atwiki.jp/simpo/pages/61.html
心理学の授業のための様々な工夫を紹介した本が出版されました。 クリティカルシンキングを教えるために心霊現象について考えてみるなど,心理学教育のための67のアイデアが提示されています。 信頼性と妥当性の問題から脳生理,知覚,記憶に学習,動機づけ,パーソナリティ,文化と幅広いトピックを扱っています。 心理学教育のための傑作工夫集-講義をおもしろくする67のアクティビティ-(北大路書房) リンク先からさらにもくじにジャンプできます。 最終更新:2010年10月08日 (金) 16時26分03秒
https://w.atwiki.jp/jikkyoushugi/pages/115.html
軽い気持ちで調べはじめたら、こんなにたくさんあるとは……。このページはかなり未完成です。少しずつ整理していく予定。 DSの教育ソフトまとめ - 脳トレ DSの教育ソフトまとめ - 計算・算数・数学 日本語 DSの教育ソフトまとめ - 書き方 DSの教育ソフトまとめ - 漢字 DSの教育ソフトまとめ - 日本語全般 英語 DSの教育ソフトまとめ - 英語全般 DSの教育ソフトまとめ - 英会話 DSの教育ソフトまとめ - TOEIC DSの教育ソフトまとめ - 英検 英語以外の外国語 DSの教育ソフトまとめ - ヨーロッパ諸言語 DSの教育ソフトまとめ - 中国語 社会科 世界史DS/アイイーインスティテュート 山川出版社監修 詳説世界史B 総合トレーニング/ナムコ 日本史DS/アイイーインスティテュート 山川出版社監修 詳説日本史B 総合トレーニング/ナムコ DSの教育ソフトまとめ - レシピ集 DSの教育ソフトまとめ - レシピ集(タイアップ) 常識・教養 監修 日本常識力検定協会 いまさら人には聞けない 大人の常識力トレーニングDS/任天堂 私のハッピーマナーブック/タイトー これで恥をかかない 明日つかえるDSビジネスマナー/元気 「女性の品格」塾 DS ~強く 優しく 美しく~(特典無し)/PHP 研究所 常識・教養(ビジネスパーソン向け) 日本経済新聞社監修 知らないままでは損をする「モノやお金のしくみ」DS/任天堂 孫子の兵法DS ~あなたのビジネス戦略偏差値をアップさせる~/メディアファイブ 簿記 DSの教育ソフトまとめ - 簿記 その他の資格 本気(マジ)で学ぶLECで合格(うか)る DS宅地建物取引主任者/スクウェア・エニックス 本気で学ぶ LECで合格るDS公務員試験 数的処理/スクウェア・エニックス 本気で学ぶ LECで合格る DS危険物取扱者乙種4類/スクウェア・エニックス 本気(マジ)で学ぶLECで合格(うか)る 秘書検定2級/3級/スクウェア・エニックス マル合格資格奪取! 行政書士試験/メディアファイブ マル合格資格奪取! FP(ファイナンシャルプランニング)技能検定試験2級・3級/メディアファイブ マル合格資格奪取! ITパスポート試験 基本情報技術者試験 応用情報技術者試験/メディアファイブ マル合格資格奪取!中小企業診断士試験/メディアファイブ マル合格資格奪取!証券外務員二種試験/メディアファイブ 環境時代の公式検定 eco検定DS 東京商工会議所監修/アルファ・ユニット DSの教育ソフトまとめ - SPI 金融全般 SBIグループ監修 はじめよう! 資産運用DS/ブロードメディア 森永卓郎のお金の新常識DSトレーニング/KK ベストセラーズ 株式 外為売買トレーナー カブトレFX/コナミデジタルエンタテインメント DSの教育ソフトまとめ - フェイス・スキン DSの教育ソフトまとめ - ダイエット DSの教育ソフトまとめ - ヨガ・ピラティス デューク更家の健康ウォーキングナビ/ドラス 角ちゃん式筋トレナビ/ドラス DSの教育ソフトまとめ - 眼力など 会話・コミュニケーション EQトレーナーDS デキる大人のコミュニケーション術/タカラトミー ビズ能力DSシリーズ 話心の素/コクヨ 見ながら折れる DSおりがみ/クリエイティヴ・コア 資料 - 任天堂のソフト一覧資料 - 任天堂発売のゲームボーイアドバンスソフト一覧 資料 - 任天堂発売のニンテンドーDSソフト一覧 資料 - 任天堂発売のニンテンドーDSiウェア一覧 資料 - 任天堂発売のスーパーファミコンソフト一覧 資料 - 任天堂発売のニンテンドウ64ソフト一覧 資料 - 任天堂発売のゲームキューブソフト一覧 資料 - 任天堂発売のWiiソフト一覧 資料 - 任天堂発売のWiiウェア一覧 資料 - NINTENDO64の拡張ツールと対応ソフト 資料 - DSの教育ソフトまとめ
https://w.atwiki.jp/tearaway/pages/27.html
学校と塾ではどこが違うのか? 勉強の基本的な目的を学力や成績だと考えると、現状では既に学校よりも塾の方が高い効果を見せている点は否定できません。また、学校教育においても成績を大きく左右する重要な鍵は各自の予習・復習にあるとされています。つまり、単に学力や成績が大切なのであれば、塾や予備校はもちろんのこと、自宅学習でも通信教育でも構わないはずなのです。 では、どうして学校は必要なのでしょうか。学校の意義とは何なのでしょうか。 学校:総合的な知性 塾 :ペーパーテスト学力 先にざっくり結論を言ってしまうと、学校が育成しているのは「総合的な知性」であり、塾が育成しているのは「ペーパーテスト学力」であるという違いがあります。 「学校は人間関係も学ぶところ」というよくある回答は× 学校と塾の違いについて質問すると、その回答として「学校は人間関係も学ぶところ」といったものがよく挙げられます。確かに、それも間違いなく学校の非常に大切な役割です。しかし、この回答は決して正しくはありません。 子供たちが訊いている「学校と塾はどこが違うの?」という質問は、「学校でも塾でも同じように勉強しているけど、どこか違いがあるの?」という意味です。さらに意訳すれば「もし同じ目的で同じ内容を学んでいるだけなら、無駄も多いしもっと工夫できると思うけど……」という内容になります。つまり、学校と塾の機能的な違いについて訊いている訳ではありません。 塾は義務教育ではないし、体育や音楽の授業もないし、給食もないし、自転車で通っても構わないなど、違いを探そうと思えばいくらでも挙げられます。しかし、子供たちはそんなことを訊いている訳ではありません。「勉強」という明らかに重複しているように感じる部分について、その差異は一体どこにあるのかとピンポイントで質問しているのです。 そのため「学校は人間関係を学ぶところだ」「だから、学校には体育祭や修学旅行などの様々な行事もある」といったように勉強以外の部分で差異を示しても、その回答は的外れです。それでは勉強については確かに重複していると認めているようなものであり、さらには「学校は人間関係を学ぶところだから、塾に比べたら勉強は疎かになっても構わない」と言っているようなものでしょう。それは学校教育が考える勉強の大切さについて説明することを放棄している発言であり、学校教育に対する侮辱だとさえ言えます。 確かに学校は人間関係を学ぶところですが、同時に勉強するところでもあります。両方とも重要なのです。それならば、両方とも説明しなくてはなりません。 子供たちが訊いている「学校と塾はどこが違うの?」という質問には、「学校における勉強の大切さと塾における勉強の大切さの相違点について」という説明で答える必要があります。 教育の方法:「経験」と「知識」 学校と塾の違いについては、教育の方法論から考え始めると分かりやすいでしょう。方法論の代表格は経験と知識です。 あまりに身近で当たり前のこの2つですが、これらは身近すぎるために改めて確認する機会が少ない要素と言えるかもしれません。 基本的に、教育は経験と知識の両立によって行われます。そこに反論する人は少ないでしょう。 しかし、そこで1歩さがって「そもそも教育とは何ですか?」と質問してみると、「それは、しっかり勉強させて確かな学力を身に付けさせることだ」と答える人が大勢います。 すぐに気が付くと思いますが、この回答は「教育=勉強させる=知識を身に付けさせる」という構図なので、経験が完全に抜け落ちています。教育における経験とは何なのか、それが意外と見落とされやすいことがここから伺えます。 簡単に比較すると、こんな感じ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s4.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s5.jpg) あくまで一般論としてですが、基本的に勉強は知識の伝授とほとんど同じ意味です。 教科書は知識の宝庫であり、教師の話を聞くことも知識の伝達です。本から学ぶにしても、人の話から学ぶにしても、それは自分では直接経験せずに様々なことを情報として教えてもらう形になります。学校での勉強、塾での勉強、自宅での勉強、どれもこの形です。そのため、一般的な用法として「勉強」とは知識の習得や伝授を意味しています。 ここで重要になるなのは「勉強を通じて知識を与えること極めて簡単だが、反対に経験は与えられない」という点です。「経験」とは、自分で直接見たり聞いたり行動したりして、そこから様々なことを感じたり考えたりすることです。つまり、「何をしたか」ではなく、「何をして、それをどう感じたか」までを含めて経験なのです。大人が与えられるのは「経験」ではなく、「経験するための環境」までです。子供たちが自分から積極的に行動して考えてこそ経験であり、大人に命令されて嫌々やらさせれるだけで何も考えていない場合、そこからは得られるものはほとんどありません。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s10.jpg) 知識は大人から与えることができますが、経験は子供たちが自分で積み重ねる必要があります。そのため、子供が自分から行動するまで待つ姿勢も教育には不可欠になります。教育熱心になると「いかに多く勉強させるか」ばかりを考えてしまいますが、それではかえって経験を積む機会を奪ってしまうため、教育のバランスを崩してしまいます。このようにして勉強するだけ/勉強させるだけとなった状態では教育とは呼べません。 知識と経験を両立させることで学習効果は飛躍的に向上していきます。両者のバランスは極めて重要です。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s17.jpg) 両立が重要なのは当然ですが、しかし現実問題としてそれは決して簡単なことではありません。知識偏重にならないように配慮すること、知識を与えればそれで終わりというような一方的な授業を行わないこと、これらの点は意識的に心がけていないと驚くほど簡単に見落とされてしまいます。 このままでは少し抽象的すぎるので、具体例として「料理」を挙げてみましょう。 経験のみ: 知識のみ: 経験+知識: こうして料理を例にして考えてみても、経験と知識の両立が重要であることは明らかでしょう。経験のみの学習、知識のみの学習、どちらかだけでは教育として充分な効果を発揮できません。両立させることで効果は飛躍的に向上していきます。 しかし、こうして述べれば当たり前に思うことでも、それを実際に教育で行うことは決して簡単ではありません。その代表例となっているのが英語の授業です。 「中学・高校の6年間もしっかり勉強して、英検だって取得した。それなのに、やっぱり英語は苦手」という人は大勢います。決して英語が嫌いなのではなく、しっかり勉強して成績も悪くはない。それにも関わらず英語力が身につかない。多くの人がそんな悩みを持っています。 この問題の大きな原因の1つが、英語の勉強方法そのものにあります。 学校での英語教育はリーディング・ライティング・ヒヤリングをベースにしています。これはつまり、知識のみの学習に陥っており、経験に相当するものが圧倒的に不足していることを意味します。料理の場合における「レシピを大量に覚えるが、実際に料理を作りはしない」という状況と同じです。 少し微妙な表現になりますが、これは決して勉強が足りない訳ではなく、勉強の仕方が間違っている訳でもありません。勉強のみに偏っている、勉強しかしていない、という点が問題なのです。そのため、さらに勉強量を増やしたり、勉強の仕方を変えてみたりしても、あまり効果は期待できません。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s8.jpg) 日本の英語教育の水準は決して低くはないでしょう。学生たちも充分真面目に勉強しています。ただ、それでも勉強するだけでは英語力は身に付き難いのです。勉強したら、それと同じ分だけ経験を積む必要があります。 では、その英語教育における経験とは何でしょうか。当然ながら、それはコミュニケーションです。 経験と言うと「実技」と勘違いして、ヒヤリングを強化したりスピーチを取り入れるようなケースが少なくありませんが、それはむしろ知識に属します。知識とは単に文字情報を覚えることではありません。耳で覚えることも、発話して覚えることも、それは「覚え方」のバリエーションを増やしているだけです。五感をフルに使って勉強しても、それは知識です。 経験とは「何をどうやって覚えるか」ではありません。「覚えた内容を自分なりにどう使うか」という自発的アクションが必要になります。 ↓補足 意外かもしれませんが、そんな英語に比べればコンピュータのプログラミング言語の方が遥かに勉強しやすいと考えられます。 英語は世界の公用語、それに対してプログラミング言語は言語とは言ってもコンピュータ用のあまりにマニアックな言語です。人間の言葉ではありません。比較するまでもなく、英語の方が遥かに身近でしょう。人間の言葉なのだから当然英語の方が覚えやすいはずです。 しかし、それでも勉強という観点で考えた場合、プログラミング言語の方が勉強しやすいと考えられます。その理由が経験です。 英語における経験とはコミュニケーションですが、ではプログラミング言語における経験は何かと言えば、それは当然プログラミングです。 コミュニケーションには相手が必要であり、その時の相手によって話題も語彙も変わります。その多様性こそコミュニケーションの本質であり、その不確定さが難しさでもあります。つまり、自分の都合で好きなように練習を重ねることが困難であり、その上相手次第で結果も変わってしまうため練習の成果が曖昧でハッキリしません。自分が間違っているのか、それとも相手が間違っているのか、そんなことさえ簡単には分かりません。 一方、プログラミングに必要なのはパソコンだけであり、正しくプログラムを組めばどのパソコンでも場所も時間も問わず正しく機能します。つまり、いつでもどこでも何度でも練習が可能であり、その成果が分かりやすくハッキリ表示されます。エラーが表示されたら自分が間違えたのであり、それを見つけて修正すれば直ります。 このように、経験の積みやすさにおいて圧倒的な差があります。単に知識として捉えるならば、英語の方が身近で親しみやすく勉強しやすいでしょう。しかし、経験という観点を加えるとプログラミング言語の方が圧倒的に勉強しやすいのです。 ↑ここまで補足 話が長くなりましたが、料理・英語・プログラミング言語を例に挙げるだけでも、教育では知識と経験の両立が重要であることが再確認できるでしょう。この考え方を教育の両立モデルと呼びます。 「両立」の形 ここまで知識と経験を単に両立することだけに絞って述べてきましたが、ひと口に「両立」といっても様々な形があります。 その中で最も基本的なものが、資源が無いから教育?の中で挙げている強者の教育です。 強者の教育 強者の教育は「幼い内は、まずたくさん経験するべきだ。その経験を土台にして、その上に積み上げてこそ知識は活きる」という考え方をしています。 ・知識の理解には、その前提として経験が必要である = 経験を重視 ・経験と知識の最適なバランスは成長に伴って変化していく = 経年変化に注目 この2点が大きな特徴です。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s11.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s12.jpg) 強者の教育を例に見ても分かるよう、ひと口に「両立」といっても、それはただ単に「両立させればいい」という訳ではありません。「両立のさせ方」においても様々な考え方があります。 サイクルモデル 「経験と知識の両立のさせ方」において、両者の連携に注目した考え方があります。それがサイクルモデルです。 両立と言うと、単純に「両方あればいい」と考えてしまいがちです。先程の料理を例にした場合で言えば、 「経験:実際に調理すること」+「知識:レシピや栄養について学ぶこと」=両立 と考えてしまうでしょう。 これは単純に言うと「経験:知識=1:1」という配分で、先ほど挙げた天秤のイメージ↓になります。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s9.jpg) しかし、教育はもっと遥かに複雑です。経験と知識の関係性を考慮していくと、教育の幅は飛躍的に広がっていきます。 ・たくさんの経験を整理して知識化し、今度はその知識を様々な形に応用して経験の幅を広げる。 ・これによって経験の絶対量が増えるので、さらに知識の精度が上がる。 ・高度な知識を得ることによって、さらに難易度の高い経験を積むことができるようになる。 このように経験と知識をしっかりと循環させると、思考の集束と拡散を繰り返すようになります。これをサイクルモデルと呼びます。簡単に言ってしまうと「1つの経験から100の知識を求め、それら1つ1つの知識からまたそれぞれ100の経験を生み出していく」という考え方です。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s15.jpg) これも同じように料理を例にすると、 「料理を学ぶとは単に料理だけを学ぶことではない。例えばその過程で、栄養学、衛生や発酵などの細菌学、メタボなどの健康管理、食の安全性、遺伝子の組み替え、食育、世界の食文化と歴史、貧困問題、食料問題と戦争の関係、農業と環境汚染の関係、化粧品やバイオ燃料など他分野での活用など、実に様々なことについて考えることができる。単に料理を通すだけでも、そこから学べることは膨大な量に及ぶのである。個人で料理を作っている時に、わざわざ戦争について考えている人はいないだろう。個人においては料理からは料理しか学ばない。それが普通である。しかし、料理という1つの経験から100の好奇心を引き出すことも簡単なことなのだ。それを実践するのが教育である」 となります。 1つ経験から100の知識を生み出すことも、1つの知識から100の経験を生むことも簡単です。また反対に、100の経験が1つの知識をより強固なものにし、100の知識が集まって初めて生まれるような貴重な経験もあります。このように経験と知識は「1 100」や「100 1」といった無茶苦茶な割合でも簡単に両立させることができます。重要なのは、単に「経験と知識を両立させること」ではなく、「両立させることによって、そこからさらに興味関心を広げることができる」という点にあります。 これはしっかり意識していないとなかなかできません。 ただ何となく行動しているだけでは、何度繰り返しても経験はただの経験のままで終わってしまいます。ただ何となく勉強しているだけでは、どんなに高度な知識もただの知識のままで終わってしまいます。それはあまりに勿体無いことだと言えるでしょう。 しかし、これは簡単改善することができます。自分なりにほんの少し意識するだけです。それだけで簡単に改善ができます。 いくら真面目に勉強しても、例えば、 「授業で夏目漱石について習った→しっかり覚えた」 で、終わりでは教育にはなりません。 反対に、どんなに授業がつまらなくても 「夏目漱石について習った→でも面白くなかった→面白い小説を探してみる→何となく読んでみた小説が面白くて、その中で描かれてた題材にも興味が沸いた」 と繋がっていけば、そこから得られるものはたくさんあります。 学ぶこと自体が重要なのではなく、学んだことをそこからどのように発展させていくかという点が重要だと意識するだけで、教育の価値は大幅に変わっていきます。 「ドラえもん」がきっかけで科学に興味を持った。 「ガンダム」がきっかけで宇宙が好きになった。 「スラムダンク」がきっかけでバスケを始めた。 意外かもしれませんが、教育はこれらと非常によく似ています。 これらはあくまできっかけに過ぎず、発展やサポートに結びついていないので、教育とは呼びにくいですが、 歴史を学んだだけ、 科学を学んだだけ、 修学旅行に行っただけ、 充実した学生生活を送っただけ、 といったように単に学校を卒業しただけという状況に比べたら、むしろずっと教育的です。 「何を学んだか」ではなく、 「学んだことから何を考えるか」が重要なのです。 このように経験と知識をしっかり循環させていくと、思考の範囲を飛躍的に広げ、さらにそれぞれを相互に結び付けて多角的に考えることができるようになります。これがサイクルモデルの考え方です。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s16.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (s18.jpg) 例題:「時間」とは何ですか? いきなり「時間とは何か」と問われても「時間は時間だ。それ以外に答えようが無い」と感じるでしょう。 それは決して間違いではありません。 しかし、落ち着いて考えれば「時間」にも様々な捉え方があるとすぐに気付くはずです。 例えば、次のようなものが挙げられます。 物理的な時間:客観的に計測される時間。相対性理論などの話に繋がる。 生物的な時間:寿命の長さが違う生物にとって、それぞれの時間の重みは違う。 心理的な時間:楽しい時と辛い時では時間の感じ方が違う。気持ちの問題。 ただ単に「時間は時間だ」と捉えているだけでは、心理的な時間などは簡単に見落としてしまいます。 それでは「遅刻癖を直す方法」などのテーマについて考えることができません。 このように「時間」という1つの概念に対しても様々な捉え方ができます。 「時間」とは何か、それが分からない人はいないでしょうが、 単に分かっているだけと、複合的に捉えるとでは、考える次元が違ってきます。 学校と塾の違い 話しが遠回りになりましたが、学校と塾の決定的な違いはここにあります。 塾 :知識のみに一点特化して学力UP 学校:サイクルモデルを採用して人格を育成 塾は知識に一点特化 ⇒ テスト対策 知識と経験の両立させれば様々な思考過程が生じますが、塾はあえて知識だけに特化した教育形態を採用しています。何故なら知識だけが特出して学力テストや受験などに直接影響するからです。 どんなテストでも、それを行う際に絶対に必要なものがあります。それは「正解」です。正解が無い問題でテストしても採点することができませんし、採点基準が曖昧で試験監督の気分次第で結果が変わるようではテストになりません。つまり、テストとは純粋に「正解を導き出す力」を公平に問うものでなくてはならないのです。 そんなテストによって成績が左右され、受験によって人生までもが大きく左右されるのなら、そのテスト対策として正解を効率よく学ぶための勉強が必要になるのは当然でしょう。そのニーズに応えているのが塾です。だから、塾の方が成績アップには効率的なのです。 要はテストで良い点を採ることを第一目標にした教育形態であり、この場合の学力は「受験学力」や「ペーパーテスト学力」などと呼ばれます。 学校は全体を平均的に ⇒ 単なる「学力」ではなく、考える力・生きる力を育てる これに対して、学校教育は知識だけに特化せず、知識と経験を両立させてそこから生まれる様々な思考過程を丸ごと全部重視しています。現在の教育現場ではこれがどれほど意識されているか疑問もありますが、少なくとも理念の上ではサイクルモデルを採用しています。 ただ知っているだけと、理解して感動して挑戦することでは教育の奥行きや厚みが違うでしょう。テストで良い点数を採ることと、しっかり内容を理解していることでは意味がまるで違います。この時、後者を重視してこそ教育だと言えます。テストの点数などのように単純に数値化することができない「総合的な知性」を育成することが学校教育の目的なのです。 この場合の学力は、「応用力」や「考える力」などを経て、最終的に「生きる力」という呼び方に統合されています。当然ながらテストで点数を競えば塾に劣るという欠点がありますが、反対に例えば友達と意見を出し合って協力して考えるなど、点数で競わない教育においては圧倒的なアドバンテージを誇ります。 塾が「正解」を効率よく学ぶのに対して、学校教育が本領を発揮するのはその正反対に位置する「正解が無い質問」です。その代表例は「命の授業」でしょう。簡単な例として、以下のような問題が挙げられます。 あなたは消防士です。 火事現場のマンションに到着しました。 既に火が建物全体に回っているため、救助に回る時間は僅かしかありません。 確認できた限りでは、建物の西側で2名、東側で5名の住人が助けを求めて待っています。 しかし、火の勢いから考えて、西側か東側のどちらかしか助けられません。 あなたなら、どちらに救助に向かいますか? これにどのように答えるべきでしょうか。 単純に人数が多いからという理由で、東側の5名を救助する方が正しいのか? それはつまり、命の大切さとは人数に比例するということなのか? では、もし西側の2名が自分の家族だとしても、それでも変わらずに東側に向かうだろうか? 他人よりも自分の家族を大切に思って何がいけないのだろうか? このように、この質問からは「命は大切です」と述べるだけでは済まない疑問がいくらでも出てきます。 ここから分かるように、単に「命は大切です」と教えるだけなら極めて簡単ですが、「命は大切である、とはどういうことか?」を考えることは決して簡単ではありません。命は大切であるという前提に立った上でも、では「戦争についてどう思うか」「死刑制度についてどう思うか」「脳死については」「自己犠牲については」と、そこから考えるべき内容は多岐に渡ります。そして、そのどの問いにも正解はありません。 人類が何度も戦争を繰り返してきたのは、戦争することが正しかったからではありません。積極的に参加したにせよ、仕方無かったにせよ、どんな形であれ結果的に「戦争に賛同した者」が多かったからです。日本に死刑制度があるのは、死刑制度が正しいからではありません。賛同者が多いからです。脳死についても同じです。 「何が正しいか」を学ぶだけでは、このような点を考えることができません。「何が正しいか分からなくても、その中で自分は何を正しいと信じるのか。どんな意見に賛同するのか」ということまで考える力が総合的な知性であり、それを育ててこそ教育だと考えているのが学校教育です。 極端な言い方をすると、「学校とは勉強するところだ」と考えている程度の学校には存在意義は無いと言えるでしょう。勉強するだけなら塾でも自宅学習でも充分です。勉強することが重要なのではなく、勉強することによってそこからどのように考え方を発展させていくことができるかが重要なのです。 ・国語の授業から国語を学ぶ ・数学の授業から数学を学ぶ ・音楽の授業で音楽を学ぶ ・部活で様々な経験を積む ・文化祭や修学旅行などで思い出を作る 単純な両立モデルの場合だと、これで知識と経験を両立させているので問題無いことになります。 しかし、サイクルモデルを採用する学校教育の場合では、これはまだ「教育」ではありません。ここからが教育の本題です。 教育は決して万能ではありません。僅か数年しかない教育期間で教えられることには限界があります。だからこそ「できるだけ多くのことをしっかり教えたい」と考えがちですが、どんなに内容を充実させても「教えられることを教える」だけでは「教育」とは言えません。 これでは100のことを教わっても、その100までしか学べないでしょう。子供たちがどんなに努力しても、教わること以上のことを学ぶことができないのです。 学校教育の考え方では「教えられることは限られているかもしれないが、それらを通して様々なことを考えられるようになる」というところまで繋ぐことが非常に重要になります。 国語を学ぶ理由は、漢字や熟語を覚えることや、古文や漢文を読めるようになることではありません。国語を学ぶことを通して新たな考え方を獲得することにあります。同じように数学を学んで得た視点、音楽から得た視点、部活で得た視点、文化祭で得た視点、それら様々な視点を複合することで世界をより深く理解することができるようになります。教わったことを基にして、教わってないことも考えられるようになります。これが教育です。 この場合、たとえ学校で教わる内容が100に満たなくても、それを通して見えてくる世界はその100倍を悠に超えます。 例えば、高校までの授業では経済学や法学、医学や建築学などの専門的な学問は学びません。単純な両立モデルの場合、ここで「まだ教わってないから分からない」と当然のように考えてしまいます。 しかし、たとえ直接的に教わっていなくても、「国語の授業を通して法律に興味を持った」「バスケ部での練習を通して医学の重要性を感じた」などといったように、一見無関係に見えるものでも縦横無尽に繋げていくことが可能です。こうして様々な事象・事柄を横断的に捉えていると、大学に入って初めて専門的な学問を学ぶ際にも、「初めてだから、よく分からない」なんてことはなく、「改めて考えてみれば、思い当たることが結構ある」と感じることができるようになります。高校までの経験と知識は、既に専門的な学問を学ぶ大切な土台となっているのです。 学校教育において最も大切な要素 学校教育の特徴はどこにあるのか。それが分かると学校における最も大切な要素が何かも分かってきます。子供の成長において最も有意義なものとは何でしょう。優秀で優しい先生がいれば、子供たちは安心して成長するのでしょうか。それとも、図書館に本が充実していたり、理科の実験教材が充実していたりと、学びやすい環境を整えれば子供たちは自ら成長していくのでしょうか。学校において大切な要素は非常にたくさんあります。
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/422.html
学校教育法第17条