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渡洋爆撃(とようばくげき)とは、大日本帝国海軍が昭和12年(1937年)から中国大陸本土に対する長距離爆撃を行ったことをいう。 最初の渡洋爆撃と呼ばれるのは、8月15日の南京に対する空襲である。初期は九州大村基地から海を越えて南京に対する攻撃を中心として爆撃していたが、日本軍の占領地の拡大に伴い目的地・発進基地ともに中国奥地へと前進した。中国国民党が遷都した重慶に対する「重慶爆撃」は有名である。機体は双発の九六式陸上攻撃機が用いられ、のちに一式陸上攻撃機が引き継いだ。 なお、陸軍は敵基地限定爆撃に重点をおき、戦略爆撃をおこなっていない。海軍航空隊がどのような判断から市街地を目標として選択したかは不明である。旧日本軍機は防御性能が十分ではなかった為、損害が回を重ねるごとに増えていった。また、護衛の九六式艦上戦闘機の航続距離が短かったのも原因のひとつとされる。この爆撃を見たアメリカやイギリスはその効率のよさを評価して、後の太平洋戦争での日本の本土空襲を行う際の参考にしたという。 関連項目 支那事変 日中戦争 注 _ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年8月26日 (火) 12 10。
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865 :四〇艦隊の人:2013/11/11(月) 14 18 54 黄海海戦 日露戦争開戦直後に大日本帝国海軍とロシア帝国海軍との間で行われた海戦。 日本海軍はモニター艦を投入し旅順軍港を艦砲射撃、ロシア艦隊を軍港から引きずり出した後に艦隊戦を仕掛け、これを撃滅、ロシア海軍太平洋艦隊はほとんどの艦船と日本海の制海権を喪失した。 この状況を打開するためロシア海軍は第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)を編成、地球を半周しての増援派遣を余儀なくされる事となる。 ・参加戦力 ・日本海軍 ・第一艦隊 第一戦隊(戦艦八隻:三笠、朝日、初瀬、敷島、富士、八島、生駒、伊吹) 第三戦隊(防護巡洋艦八隻:千歳、高砂、笠置、吉野、鞍馬、浜松、夕張、鶴見) 他駆逐艦二〇、水雷艇一二 ・第二艦隊 第二戦隊(装甲巡洋艦八隻:出雲、磐手、浅間、常盤、八雲、吾妻、阿蘇、天城) 第四戦隊(防護巡洋艦八隻:浪速、高千穂、新高、明石、身延、妙義、清澄、瑞垣) 他駆逐艦二〇、水雷艇一二 ・第三艦隊 第五戦隊(砲艦六隻:松島型六隻) 他巡洋艦一二、駆逐艦二〇、水雷艇一二 ・ロシア海軍 戦艦七隻(ツェサレーヴィチ、レトヴィザン、ペレスヴェート、ポルタヴァ、ペトロパブロフスク、セヴァストポリ、ポベーダ) 装甲巡洋艦一隻(バヤーン) 防護巡洋艦八隻(パルラーダ、ディアナ、アスコリド、ボヤーリン、ノーウィック、ザビヤーカ、ラズボイニク、ズジギート) 砲艦・水雷砲艦六隻(グリミヤシチー、アッワヘジヌイ、ギリヤーク、ボーブル、フサードニク、ガイダマーク) 駆逐艦一八隻 ウラジオストック巡洋艦隊の主な戦闘艦艇 装甲巡洋艦三隻(ロシア、グロモボーイ、リューリク) 防護巡洋艦一隻(ボガトィーリ) 水雷艇一七隻 仁川港に所在した戦闘艦艇 防護巡洋艦一隻:(ヴァリャーグ) 砲艦一隻:(コレーエツ) 866 :名無しさん:2013/11/11(月) 14 26 07 ・前史 一八九五年の下関条約に対する独仏露の三国干渉は日本政府に危機感を与えると同時に、「次の敵はこいつら、中でも一番近いロシアである」という確信を抱かせることとなった。 そのため、対露戦争に備えるべくイギリスと同盟、イギリスから強力な艦船を輸入すると共に、それらの国産化を進めることになる。 一九〇二年の義和団事件をきっかけにロシアは満州に進駐。それと共に朝鮮に対する圧力を高めていく。 日露間での外交交渉は妥協点を見出せずに決裂。 一九〇四年二月八日、ついに大日本帝国はロシア帝国に宣戦布告、同時にロシア太平洋艦隊の拠点である旅順軍港と、仁川湾に入港していたロシア軍艦二隻を奇襲攻撃した。 ・戦闘の経過 二月八日日本海軍は第五戦隊を旅順港の沖合い24キロの海域まで進出させ旅順港内を砲撃、大落角で落下した32センチ砲弾は戦艦ツェサレーヴィチ、レトヴィザンの甲板を打ち抜き弾薬庫付近で爆発、瞬時に轟沈させ、戦艦ポルタヴァ、ペトロパブロフスク、防護巡洋艦パルラーダ、アスコリド、ボヤーリンは大破航行不能、戦艦ペレスヴェート、セヴァストポリ装甲巡洋艦バヤーンを中心とした艦が第五戦隊を追い払うべく出撃するも、待ち構えていた日本海軍第一、第二戦隊に袋叩きにされて頓挫、夜間には駆逐艦、水雷艇が夜間攻撃を繰り返し、こうした攻撃が三月末まで繰り返された結果旅順のロシア太平洋艦隊は壊滅、そのまま第二戦隊は返す刀でウラジオストック巡洋艦隊と交戦、グロモボーイ、リューリク、ロシアの三隻の撃沈に成功する。 こうしてロシア太平洋艦隊は無力化され、同年四月の第三軍集団の総攻撃により、旅順要塞が陥落。ロシア太平洋艦隊は消滅することとなる。 ・戦闘が各方面に与えた影響 戦術レベルでは大口径砲弾が大落下角で降り注ぐと、当時の戦艦といえども致命的な損傷を被ることがあるという事実が発覚した。このため日本海軍はこの後にイギリスに発注する金剛型巡洋戦艦の設計について水平装甲の強化と垂直装甲の傾斜かを病的なまでに主張し、イギリス側造船官を辟易させている。 戦略レベルではロシア太平洋艦隊の壊滅によって制海権を得た日本側は満州に常時百万以上の陸軍部隊を張り付かせることに成功。またロシア側は太平洋艦隊の壊滅により今後の戦略に重大な損失を被る事となる。特にバルト海で編成中だった第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)の扱いについて喧々諤々の議論が交わされ、結局三ヶ月の時間を空費しながらも出航させたた事は、日露戦争とロシア帝国の去就に大きな影響を及ぼしたといわれている。 政略レベルではこの少し後に陸上で行われた遼陽会戦と並んで連戦連勝の日本軍と、負け続けるロシア軍という対比により日本国内では北進論が過熱、このままウラジオストックを剥ぎ取り三国干渉の意趣返しをするべきという論調の記事が新聞の一面に載る等、ロシアを侮る意見が強くなっていき、当時の閣僚の一人が対応に苦慮したと日記に書き残している。 外交レベルでは日本軍の予想外の、そしてある意味予想通りの精強さが世界を驚愕させ、日本の負けはほぼ無くなったと見たイギリス、アメリカは戦後の見返りをにらみ、日本への資金、物資の援助を加速させることとなった。 また、ロシアの戦費調達は悪影響を受け、ロシア国内の不満は徐々に高まり、最終的には市民の抗議デモに対して軍部隊が発砲するという事態にまで発展する事となる。 867 :四〇艦隊の人:2013/11/11(月) 14 31 20 ・総評 日本海軍が経験した初の大規模海上作戦であり、結果的には大勝利といえるが実態はドタバタとしたものであり、失敗も多々見られた。しかし有色人種が多数を占める国である日本がロシアを下す戦争の始まりとも言える戦いであり世界史に大きな影響を与えたとされる。 また、今後の戦艦の設計にも重大な影響を与えた。 以上、終わり! 前の三つよりは突っ込みどころが少ないはず……きっと!
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(投稿者:エアロ) 久遠級(Kuon Class)は楼蘭皇国海軍の重巡洋艦である。 概要 楼蘭海軍第二次建艦計画により建造された重巡洋艦。 華国、ヴォストラビア帝国との2度の戦争をへて、海軍力の強化を図った楼蘭海軍は八幡重工の勧めもあり第二次建艦計画を政府に提出、戦艦4隻、重巡洋艦8隻、巡洋艦10隻の建艦を目指した。 その中の第1期計画で重巡洋艦8隻の建造が図られ、一番艦久遠、二番艦澤雪、三番艦疾風、四番艦白姫、五番艦風雅、六番艦鹿島までが完成、就役済み。 +... なお、1921年のクリストフォロス会議並びに1924年のセントグラール海軍軍縮条約において、楼蘭海軍の新規建造軍縮目標が重巡洋艦においては6隻と明言された。 そのため、予算審議中だった七番艦麻耶と計画段階だった八番艦は建造中止が確定した。 38年からはGに対処すべく各艦に対空砲、魚雷管の増設が行われた。 艦歴(1番艦久遠) 発注 1915年1月20日 起工 1918年3月27日 進水 1920年7月4日 就役 1922年3月30日 性能諸元 艦種区分 重巡洋艦 排水量 11,350t 全長 203.76m 全幅 20.73m 喫水 8.82m 機関 八幡28式高圧重油専焼缶10基 八幡36式ギヤード・タービン3基3軸,130,000馬力 速力 34ノット 航続距離 5000海里 兵装 50口径20.3cm連装砲5基10門89式12.7cm連装高角砲4基8門25mm連装機銃4基13mm連装機銃2基92式61cm4連装魚雷発射管8基 装甲 舷側127mm 水平34~46mm 航空艤装 水偵3機 カタパルト一機 乗員 727名 製作会社 八幡重工 乙延海軍工廠 同型艦 一番艦久遠(本国防衛 母港は倭都軍港 二番艦澤雪(シーレーン防衛の任でクロッセル方面へ派遣中 三番艦疾風(アムリア海上戦線へ 四番艦白姫(本国防衛 母港は西部方面軍港 五番艦風雅(澤雪同様クロッセルへ 六番艦鹿島(北部シーレーン防衛へ 七番艦麻耶(予算審議中に条約発効により計画中断 八番艦(計画すら決まらないまま計画中断 関連項目 楼蘭皇国 八幡重工
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水戸泉 (みといずみ) 【分類】 アホアホ 【作風、代表作等】 (1) ゴーマン攻×ヤンチャ受+アホアホ アホアホ系多作作家。汁エロが得意で受けが本命以外から犯されることも多々ある (2) 略奪せよシリーズ…海賊×帝国海軍兵。元々受は攻の副官。 【一言】
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大日本帝国海軍の一等駆逐艦。実在した。 竣工直後の子日(左)と初春 日付:1933年10月 原典:Kure Maritime Museum, Japanese Naval Warship Photo Album Destroyers, edited by Kazushige Todaka, p. 76 作者:Shizuo Fukui 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 基準排水量 1,400英トン 公試排水量 1,680トン 満載排水量 1683.2トン 全長 109.50m 水線長 105.50m 垂線間長 103.50m 最大幅 10.00m(バルジを除く) 水線幅 10.00m 深さ 6.00m 吃水 公試平均 3.03m 満載平均 3.245m ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付) 3基 主機 艦本式タービン(高低圧) 2基 推進器 2軸 x 400rpm 出力 42,000馬力 速力 36.5ノット 航続距離 4,000カイリ / 14ノット 燃料 重油:458トン 乗員 計画乗員:205名 初春竣工時定員 215名 兵装 50口径三年式12.7センチ砲 連装2基4門単装1基1門 40mm単装機銃 2挺(竣工時) (61cm)九〇式3連装魚雷発射管2型 3基9門 計画:八年式魚雷竣工時推定:九〇式魚雷 18本12本 九四式爆雷投射機 1基 三型装填台 1基 爆雷投下台 水圧三型手動一型 2基4基 九一式一型爆雷 36個 搭載艇 7.5m内火艇 2隻 7mカッター 2隻 6m通船 1隻(母港保管) その他 二号二型大掃海具 1.5 一型改一小掃海具 2または1 駆逐艦初春の歌 波濤万里に雲は湧き 御稜威の光さすところ 名も麗しき初春の 勲をつぎて今日も征く 作詞:航海長 落合豊 大尉 作曲:主計長 池上秀高 主計大尉 一番のみ現存 概要 Ver1.0 ロンドン軍縮条約の影響下で竣工させた主力駆逐艦である。1931年から35年にかけて6隻就役した。 なお読みは「はつはる」型である。「しょしゅん」でも「ういはる」でもないない。 生まれたのは秋なんだが「初春」である。 ちなみに初夏と初秋という駆逐艦が改秋月型で計画されてたんだが未成艦である。初冬はなんでか無い。 本型はロンドン軍縮条約のせいで特型のような1.500t以上の駆逐艦が作れなくなっちゃったせいで、なんとか1400tの船体に特型並の武装を詰め込もうとした駆逐艦である。1500以上は保有制限16%までなんだがすでに使い果たし済み。 図らずと軽巡の夕張のようなコンセプトになった。 軽巡洋艦「夕張」 日付:1924年11月15日 原典: (Japanese Light Cruiser, 1923) Photograph apparently taken on 15 November 1924. Inscription in lower left reads Warship Yubari Taisho 13-11-15. Photograph from the Bureau of Ships Collection in the U.S. National Archives. この画像ファイルはアメリカ合衆国海軍に属する者が職務上作成したものです。これはアメリカ合衆国連邦政府が業務上作成した著作物と見做されるため、この画像ファイルもパブリックドメインとなります。 とはいえあっちは3000tの艦体に5500t級の装備を詰め込もうとしたんだが、こっちは280tの差。あっちと比べたら十分の一ぐらいである。 じゃあ大丈夫なのかと言うとそうでもない。無理なもんは無理。 いや動いたんだけど大変な事になってた。 夕張は大丈夫だったあたり流石は造船の神様こと平賀譲造船中将なのだろう…… 平賀譲 日付:昭和戦前期 原典:三省堂「画報日本近代の歴史11」より。 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 本型の設計者である藤本喜久雄造船少将は後任で平賀中将とはなんか確執があったのだそうな……でも最上型とか高雄型を作ったすごい人なのは間違いない。特型設計したのもこの人だし。 藤本喜久雄造船少将 藤本喜久雄 日付:不明 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 ここで設計者の藤本喜久雄造船少将について触れておこう。 上記の通り、先に投稿した特型の設計者として、世界に「日本スゲー」と言わせた設計者の一人である。 特型一番艦 吹雪 日付:1933年10月 原典:Transferred from en.wikipedia to Commons by User BanyanTree using CommonsHelper. 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 東大の造船科を卒業して海軍の艦政本部の勤務となったんですが、すぐに先輩の平賀中将の迫害を受けました。おかげでイギリスに留学する予定が1年遅れた。 なんでそんな事になってたのかと言うと、平賀さんは努力型で藤本さんが天才型。 平賀さんが保守型なのに対して藤本さん前衛型。 そりゃ意見は対立するよね。平賀さんは「平賀不譲(ゆずらず)」なんてあだ名があるような人なもんで……ちなみに嫌われてたそうです。あとすぐ赤くなるから「ニクロム線」とも言われてたそうな。 上で書いた「夕張」、実は当初はこの人のアイディアで設計を担当してる。というか真の設計者こっちなんじゃねとかそんな話も……不憫枠だね。 山本五十六と平賀の両名はこの後閑職に追いやられる。「夕張」がジェーン年鑑で特集組まれるほどすごかったんだが、この後の古鷹型や妙高型に問題があって……この後閑職に追いやられることになったのです。 と言ってもあまりに革新的な事やったせいで施工側の造船関係者が現場で無断で設計変更したのが原因なのだが……不憫枠その二。でも条約無視してたからしょうがなく現場がやったというのもあったりして……不憫枠撤回。 これのせいで避難浴びて山本五十六と一緒に左遷。造船責任者に藤本が選ばれる。 保守的な人が居なくなったので早速平賀が拒否してた溶接とか軽金属とかを使って造船設計。 が……友鶴事件とか第四艦体事件とかが起きちゃって、翌年脳溢血で死亡。平賀はこれで戻ってきた。 事件は起きたが、この人に才能無いってことは絶対にない。断言する。 まず軍の要求に応える設計をしてるのは普通というか軍が求めるのはそういう人。平賀さん無視したの設計したし。 こういう意味で平賀は異端である。ただ、その要求が無茶だった結果こうならざるを得なかったのだろう。当時は条約とか条約とか条約とかが大問題で、個艦優秀主義の最たる時期。この時期に一線から離されていた平賀は幸運だったとも言えるかもしれない。 というかね、条約がどう考えても、当時の日本の建造中の軍艦になんとか足枷をとしか見えないのがばかりなのよピンポイントなの多いのよ。古鷹型を重巡に分類させたりとか本型が生まれる理由になった特型とか「龍驤」とか。ロンドンもワシントンもどっちも。 航空母艦 龍驤 日付:1933年(昭和8年)6月19日。 19 June 1933 原典:広島県呉市海事歴史科学館所蔵品。Photo from the Archives of the Kure Maritime Museum. 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 こうやって振り回された結果として不具合が出た艦艇がちょくちょくある。ただ、制限を掛けられたときに発揮するいつもの小型化高性能化の文化もちょいちょい発揮したり後の教訓としたりと出来てたりと。 この人は艦艇近代化の最前線に立つ。しかも条約制限破るかどうかのギリギリを攻めるという感じで。 具体的に何やったかと言うと、金剛型から長門型までの……つまり戦艦全部を全長9メートルぐらい伸ばして主機関を増加して、だいたい3ノット前後早くして、それで空母と組ませて機動部隊を編成させようっていうもの。かなり早い時期から、海戦の主役が飛行機になるって理解してたようで。 あとは、戦争になったらすぐに空母に改造できる支援艦を建造するっていうこと。つまり、条約影響下だから空母は違反だから造れないけど、空母にすぐ改造できるけど今は空母じゃないから問題ないよねっていうのである。 昭和八年から十二年までの建艦計画で航空母艦二隻、航空巡洋艦二隻、水上機母艦三隻、航空母艦改造用支援軍艦三隻を設計。なんとも航空艦隊を作るぞという意気込みを感じる。 普通はこの手の大網は二年くらいかかるから、空母に準空母で10隻以上も作る何ていうあたり、昭和6年の危機感が分かる。 最後に、20cm砲搭載艦の不足を補うため、条約の満期後に15.5cm砲巡洋艦六隻の主砲を20cm砲に取り換えることを考えたことである。最上型とか。 「外国から文句がきたら、独断で条約違反をしたのは造船の責任だから、俺が腹を切るよ」なんて部下に言ってたのだそうな。人望も当然あった。 平賀の設計思想は純粋に重心の位置を低く取るものであったのに対し、藤本は復原値の確保により克服しようとするものであった。 ただ、失敗があったが……その失敗が大きかったのが問題か。色々と惜しい人材であった。 友鶴事件により、それまでの名声が落ちてしまった感があるものの、その設計思想の柔軟さと、新技術投入を惜しまない姿勢は、保守的な建造形式を重視してきた平賀とは対照的であり、平賀よりも人望はあったとされている。 金剛型代艦の設計でもイギリス式の集中防御に拘った平賀案に対し、藤本案はバイタルパートの延長という部分に重点を置いてて、艦艇の被弾によるダメージコントロール分野でも、藤本の方が研究熱心だったとされている。 藤本の死後、平賀が撤廃しちゃって、ひいては大量損失に繋がってしまったと言う意見もある。 多分日本のダメージコントロールとか、被弾後の復帰とかの影響はこの辺に出たと筆者は思ってる。 なぜにそんな重武装を求めてるのよ そもそもなんでこんな特型といい初春型といい超攻撃重視になったのかと言うとだ。日本とアメリカとの国力差が原因。当然だが仮想敵国はアメリカで本当に敵国になったんだからしょうがない。 どのくらい国力差あったのかと言うと、日本が一隻戦艦作ってる間に、アメリカは五から十隻は造れてしまうから。 こんなん相手にガチ戦争やったら負けるに決まってるだろうと。 よって、正面から殴り合わないで戦争を長引かせることもなく、 サッと現れて ガツンと殴って バッと金と重油をむしり取る 一発でもなんでもとにかく、アメリカをガッツリ殺れる。 そんな作戦を考えてたんです。で、条約でその方針が縛られて迷走が始まった。 その日本の作戦というのは漸減作戦である。「ぜんげんさくせん」ね。 簡単に解説すると、まず空母の航空機や潜水艦でアメリカ艦隊を早期発見して、戦力を削る。故に漸減。 ここに各小島から飛び立った航空機も加わって敵戦力を削る。 いよいよ敵が消耗してきたら、日本は主力部隊が出てくる。 駆逐艦や巡洋艦を使って更に敵を削って、最後に戦艦部隊で敵の主力をぶっ飛ばす。 こんな感じが基本方針でした。 ……更に簡単にすると。 戦艦というのは金は食うし修理も大変だから何度も使えない。保有数も問題あったし。 だから戦艦以外でなんとか敵を削って、ここだという一番のところで戦艦出動というのを考えてたんです。 これをやるのには巡洋艦や駆逐艦も敵の主力にぶつけて敵を削る必要があったと。 だから当初の日本は航空機がやたらと強かったんですね。 なんだかんだで時代を先取りしてる戦法がちょくちょく出てくるのが日本である。縛られた結果ではあったが。 つまり、巡洋艦でも駆逐艦でも、格上相手を沈められる戦闘力を求めてたのが日本。 だから重武装になった。 戦史が好きな人はご存知と思うが、大戦時の日本の軍艦はちょくちょく潜水艦に沈められております。それはもう結構な数が。アルバコアとかに。 これは、潜水艦と戦う力を削ってまで格上殺しの能力を求めた結果である。 日本は世界で唯一、酸素魚雷を開発することに成功してます。これ他国と比べてやたらと破壊力が高かったんです。具体的には戦艦の主砲並に。 九五式魚雷。圧縮酸素ガスを酸化剤とする潜水艦用の魚雷。 日付:2005年5月29日 パブリックドメイン https //commons.wikimedia.org/wiki/File Type_95_torpedo_(Oxygen_torpedo).jpg?uselang=ja これをはじめ、とにかく攻撃力、攻撃力を~とやっていって、アメリカに対抗しておりました。 とにかく早期決着が必要なので…‥というか一回限りの戦艦決戦で日本に取れる手段はーというと、こんなんしか無かったわけで。筆者としては思いつくのはいくらかあるにはあるがそれは未来を知ってるからこそのものだし。 これに必要なのは、それなりの空母と、火力ガン積み駆逐艦及び巡洋艦、そして絶対勝てる戦艦でした。 そんなわけで日本は重武装の駆逐艦を求めて、そんななかで生まれたのが初春型と。 その初期型だから色々と問題ががががが そしてその漸減作戦思想も、日本自らが「航空機では戦艦を沈められない」という世界的常識を粉砕しちゃって……これが原因で長期戦になっちゃって国力差がモロに出ちゃって、後はご存知のとおりです。 航空機という、生まれてすぐなせいで発展の余地が有りすぎたこと。 戦艦という、航空機によって時代遅れにされたこと。 そしてその戦艦を禁じられたことで航空機に目を向けて猛特訓をやり抜いたこと。 ……なんともまぁ、いろいろ重なっちゃったもんで…… 初春型の設計 上記の通り、いわゆる条約型に分類される。 条約型というのはもっと強いの作れるのに縛りを入れて設計したやつを指す。 ……まぁもっとも? 条約関係なく特型が高価でこれ以上増やせないって所まで来てたので、なんとか安価なやつを研究しててその一号が初春型だったのでは……なんていう説もあるにはあるんだが…… 全長が特型と比べて10m、全幅40cm小さい。喫水線は20cm浅い。 公試運転を開始した「初春」は、およそ37ノットをマークし、優秀な性能をアピール。 が、ここまでの内容からわかると思うが大欠陥露呈。 日本海軍初春型駆逐艦「子日」、館山沖で全力公試運転中 日付:August 23, 1933. (昭和8年8月23日) 原典:写真日本の軍艦第11巻p8 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 ただでさえトップヘビー武装なのに艦橋と煙突が上がっちゃったもんだから、試験のときに10度だけ舵を切ったら38度も傾斜。しかも復帰不能寸前まで行った。 ちなみに舵の最大舵角は35度ね。 新造状態での復原範囲は当時59.2度となっており、「特型駆逐艦」で最も後期の「暁型」の値76.9度に比較しても相当に悪化していました。 どっちも公試状態ね。 実戦は当然として、平時ですらこれは無視できない。 雷 日付:昭和8年6月1日発行 原典:海軍雑誌『空と海』、第二巻第六号 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 アメリカと違いこっちは友鶴事件とかあったもんだからこの辺はなんとかせねばってことで武装を変更。 具体的には3基装備してた魚雷発射管を1基撤去して3連装2基にして、艦橋直前の二番砲を後方にうつして、三番砲と背中合わせ配置にした。 バルジ撤去して、船体側部の水防区画も撤去、後部第3魚雷発射管と装填装置の撤去、前部2番砲を後部に移設、艦橋構造物の小型化、煙突の短縮、残る発射管や機銃台の位置をなるべく低くして、艦底にバラストタンクを設けるなど、重心をなんとか低くしようと新造並のことをやってる。当然外見は大変化である。 魚雷は9射線から6射線に減少。速力も3ノット低下した。 なんとか復元範囲は70.6度にまで増やして就役できました。 若葉 日付:1937年10月21日 原典:Kure Maritime Museum, Japanese Naval Warship Photo Album Destroyers, edited by Kazushige Todaka, p. 77 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 なお当初は主砲を連装ではなく三連装にして基数を減らして四連装魚雷発射管にする計画もあった。 結局一基単装砲にしたんだが。 四連装魚雷発射管 日付:1937年10月21日 原典:Reports of the U. S. Naval Technical Mission to Japan 1945 ? 1946, Report 0-01-3 Japanese Torpedoes and Tubes-Article 3, Above-Water Tubes via http //www.fischer-tropsch.org/primary_documents/gvt_reports/USNAVY/USNTMJ%20Reports/USNTMJ_toc.htm この画像ファイルはアメリカ合衆国海軍に属する者が職務上作成したものです。これはアメリカ合衆国連邦政府が業務上作成した著作物と見做されるため、この画像ファイルもパブリックドメインとなります。 特型が20隻以上作ったのにこっちが6隻止まりなのはこれが理由。 五番艦の「有明」と六番艦の「夕暮」は初春型と別扱いをされることがあるのは、建造中に改造を受けたから。だからこの二隻は「改初春型」とか「有明型」とか言われることがある。 駆逐艦 有明 日付:1935年3月25日 原典:Kure Maritime Museum, Japanese Naval Warship Photo Album Destroyers, edited by Kazushige Todaka, p. 78 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 進水してから改造→「初春」「子日」 改造して進水 →「若葉」「初霜」 建造初期から改造→「有明」「夕暮」 とはいえ、こっちは魚雷の次発装填装置を初めて搭載。これにより次の発射までが30秒になった。 が……今度は第四艦隊事件発生。船体強度に問題があったのと、まだ溶接技術に問題もあった。 軽量化のしすぎが問題。 甲板や外板の張り替え、熔接部を引き剥がし鋲止で接合し直す。三度目の大工事である。これでようやく戦力になって海上へ出てきました。 ……当然ここまでしたら排水量は増える。具体的には1700tぐらいになった。当初は1400t未満を目指してたのに。 速力も33ノットぐらいまでに低下。 これで条約違反型になっちゃったんだが、黙ってたのでバレませんでした。 計画当初の高性能重武装駆逐艦という位置づけは失われ、平凡な性能の中型駆逐艦という位置づけになっちゃったけどね。 まぁ、こんなわけで小手先ではどうにもならなかったもんなので6隻で終了しました。当初は12隻作る予定だったんだけど。 このコンセプトは次の白露型でなんとかなる……なった? ……なんとかしたのです。 具体的には条約違反しつつも書類上は大丈夫ということにして。 白露型前期艦(公表写真) この画像ファイルはアメリカ合衆国海軍に属する者が職務上作成したものです。これはアメリカ合衆国連邦政府が業務上作成した著作物と見做されるため、この画像ファイルもパブリックドメインとなります。 ちなみに有明型とも呼ばれてる5番艦以降は二枚舵を異常傾斜対策にしてる。実験せずに。 速力でない原因となってすぐ一枚に戻したけど。 こんなわけで特型に性能で劣る。主砲は一門減って魚雷発射管は三門少ない。 速力は5ノットほど遅い……まぁ改装した特型が4ノット遅くなったから最終的に大差なくなったんだが。 これは空母機動部隊には随伴できない速度だったりする。空母においてかれかねん。 まぁ加賀型は元戦艦ではあるのでこれが混ざってる異世界艦隊なら何とかなるのだろうか……? それでも「加賀」は27.5ノット出たんだが。 ただやっぱり空母随伴は想定してないというか出来るようには作ってないはず。 上の数値も穏やかな海面での数値なんで荒れると低下するはず。スクリュー空回りとかして。 船体がでかいと荒天時は有利。そして初春型は通常より小さく作られてるわけで。 ただ厨房能力は歴代の駆逐艦を上回った。 具体的には今まで石炭コンロだったのが重油コンロになった。食事の質がよくなったと好評だったんだそうな。 あと機関系も向上。 上記レシプロ発電からターボ発電に切り替わって密閉式給水装置が導入。これでボイラーが傷みにくくなった。レシプロ発電は潤滑油とか加熱された溶解酸素とかは痛む原因だったのよ。 あと機関室が防音防熱。機関員の負担も軽減。 操舵輪もセルター甲板に設置。今までは羅針盤橋にあった。 結構初春型から始まった試みは多い。 なぜに初春型が選ばれた? 上記の通り、とにかく問題に問題がジャンジャン上がった艦の為、具体的な作戦内容や目標、作戦期間すらもわからないまま艦隊型でもない本型が、六航戦と呼んで差し支えない異世界艦隊の護衛に選ばれた理由が、いろいろ考えたのだが筆者には今の所答えが出ていない。 一応、坊ノ岬沖海戦で天一号作戦に四番艦の「初霜」が第一遊撃部隊として戦艦「大和」の護衛に参加している。 ちなみにこれは帝国海軍の最後の艦隊であり、これ以降のアメリカ海軍の敵は日本海軍から神風特攻隊へと変わる。 だが、これはそれまでのこれまでの戦歴に基づく大改装を行った最終形態の初春型である。 もうちょっというと、型揃えとかも一切ない寄せ集め艦隊とも言える状態だからこそ選ばれたとも言える。燃料も無かったし。 あ、すみません。どっちが先かは忘れていたのですが、吹雪型が先でしたらそっちが先です。 で、「問題があったから作るはずがない」というのはのちの歴史観によりますので、作った当時はそこに意味があったはずです。 また、吹雪型と初春型で分けた理由は冗長性です。 と返信しているが、これの問題が発覚したのは一番艦「初春」の公試試験中である。つまり進水後すぐ。 なんでも38度傾斜してそのまま転覆しかけたのだそうな。 二番艦の「子日」も竣工しており、どっちも別物にするかの如く大改装が行われている。 三番艦「若葉」と四番艦「初霜」はまだ未進水でこっちも大改造。作り始めたのが後だった分だけ改造が容易なので「初霜」のほうが早く竣工した。 まだ建造初期だった五番艦「有明」と六番艦「夕暮」は設計から改めたことで改初春型と呼ばれ、一時期は有明型と別物扱いである。 ただこっちも改装改装また改装なので継ぎ接ぎだらけで速力が落ちている。 異世界艦隊へ赴いた艦名より、この進水後に改造した初春型……つまり日本国召喚史における真の三~四番艦と思われるので、大改装しているものと思うが…… 吹雪型、初春型のどちらかに問題があれば、片方がだめになって作戦行動に支障が出てしまいます。2種類を2隻作っておけば、1種類のどちらかが壊れても片方は動く、たとえ2隻とも壊れても2隻が残っている。そういう冗長性です。小さいからそれができました。 推測を含むが、吹雪型建造の初期にはもう計画が始まっていたであろうことが名前から推測できるので、条約非対応の綾波型や暁型……せめて条約無視型の白露型に出来なかったのかなーと考えてならない。 ただ第一次世界大戦後から着手し始めたのとお偉いさんも詳細不明な艦隊に戦力を割きたくなかったとか、だから紀伊型以外が微妙に古い面子になってるとか。 白露型は表向きは条約型で1,400t型なのだが、実際は1,700t型である。 ずるいって思いますか? アメリカも同じことやってます。 律儀に守ってたのはイギリスだけ。そして例によって問題艦が多数出来てる。Nelson級戦艦とかが…… HMS Nelson 日付:1936年 原典:Scan from Burgess, Malcolm William (1936年) Warships To-day、ロンドン Oxford University Press、pp. facing page. 128 This UK artistic work, of which the author is unknown and cannot be ascertained by reasonable enquiry, is in the public domain because it is one of the following A photograph, which has never previously been made available to the public (e.g. by publication or display at an exhibition) and which was taken more than 70 years ago (before 1 January 1949); orA photograph, which was made available to the public (e.g. by publication or display at an exhibition) more than 70 years ago (before 1 January 1949); orAn artistic work other than a photograph (e.g. a painting), which was made available to the public (e.g. by publication or display at an exhibition) more than 70 years ago (before 1 January 1949). 更に改良かつ条約脱退後の朝潮型は1935年9月7日が一番艦起工なので無理として 駆逐艦 朝雲 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 条約無視の白露型一番艦が1933年11月14日。 駆逐艦 夕立 日付:1936年11月30日 原典:Kure Maritime Museum, Japanese Naval Warship Photo Album Destroyers, edited by Kazushige Todaka, p. 80 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 本型の初春型一番艦は1931年5月14日。 異世界に赴いた吹雪型(特Ⅰ型)の一番艦が1926年6月19日。 綾波型(特Ⅱ型)は1929年10月5日。 暁型(特Ⅲ型)1930年2月17日。 ……筆者にはわからない。 吹雪型から初春型まで5年もあるし……土佐とか紀伊とか白露型なんか問題にならないレベルの条約無視な異世界艦隊を建造していて、ここだけ条約型で作る理由……特ⅡやⅢ型では駄目だったのだろうか…… 書いたときのメモが残ってないらしいので真相は闇の中である。 駆逐艦「初霜」 駆逐艦 初霜 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 生まれるまでの経歴にいろいろと問題があったわけだが、その後の活躍にも問題があったかというとそうでもない。 というか日本海軍に限らず、こういう生まれに問題が合った割にはやたらと活躍したというのはちょいちょい居た。上で書いたイギリスのNelson級戦艦も実はビックセブンで一番活躍したと言って差し支えなかったりする。 そして本型にもそんなやたらと活躍したのが一隻居た。それが初春型の四番艦「初霜」である。 大日本帝国海軍最後の作戦成功となった北号作戦をはじめ、アリューシャン作戦、アッツ島沖海戦、キスカ島撤退作戦、マリアナ沖海戦、坊ノ岬沖海戦と、本当に様々な激戦に参加した武勲艦でもある。 実は進水式のときに突然急停止して支柱を折るなんて失態をしてる。 進水式はお祭りのようなもんで、軍楽隊の演奏はやるし関係者も出席するし晴れ舞台である。 なんというかいきなり先行きが不安になったのであった。このために翌月に延期。 そして上記の通り友鶴事件と第四艦隊事件とで事前に大改装してるわけで。 それがこれだけ大活躍するなんて誰が予想できたであろうか。 奇跡のキスカ島撤退作戦に、戦艦「大和」最後の突撃である坊ノ岬沖海戦での奮闘は初春型を語る上で欠かせない話題。 第一波攻撃の頃と推定される大和の写真。後部に中型爆弾2による小火災を発生させている。被雷1を受けたが大和は水平を保っている。 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 なんと米機動部隊の400機近い艦載機の猛攻により僚艦が被弾し、撃沈されたり、航行不能に陥る中、唯一の 被弾無し 戦死者ゼロ 戦傷者二名(三名説もある) という正真正銘の奇跡を成し遂げ、最終的に多くの生存者を救助して帰還した。 キスカ撤退作戦以降も上の作戦以外にも沢山護衛任務に従事してて、その中には終戦まで生き延びた艦も多い。 伊勢型とか榛名とか妙高とか。全部戦後に護衛艦になってるやつである。 彼女こそが、1914年に創設され、防護巡洋艦「利根」より始まり、「出雲」「吾妻」「平戸」「天龍」「北上」「五十鈴」「夕張」「名取」「鬼怒」「神通」「那珂」「長良」「能代」「矢矧」「大淀」「霞」と続いた第二水雷戦隊の、最後の旗艦。 終戦の半月前まで生き残っていた数少ない駆逐艦。 と言っても最後に触雷して沈没しないために擱座させてたけど、これ以外でまともな負傷はあと「若葉」の乗員救出中にやられた空襲の砲塔被弾ぐらいである。 こういった都合、欠員が出ることなくあちこちの作戦に参加したので練度が高い高い。 駆逐艦の有名所の代名詞となってる「雪風」と命運を分けたのは本当に最後の機雷だけで、場合によっては二枚看板になっていたと思われる。 駆逐艦 雪風 日付:1939年12月 原典:Kure Maritime Museum, Japanese Naval Warship Photo Album Destroyers, edited by Kazushige Todaka, p. 94 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 とまぁ、奇跡に奇跡を重ねぬいた艦がいるのもまた初春型であるのもまた事実。 だが異世界へ行ったときには例によってこれらの武勲はこれからなわけで……やっぱりよくわからない。 さて、そんな「初霜」の戦歴を戦没まで見てみよう。 少しでも軍事が好き……特に第二次世界大戦がともなれば、彼女の活躍は涙なくして語れず、実際の所何度も筆者も筆を止めて読みふけっては視界がゆがみ読めないと言った状況になっていた。 太平洋戦争においては南方作戦及び蘭印作戦に従事。以降は北方戦線で行動しました。 ここまで何度も書いているが、坊ノ岬沖海戦からも生還。 終戦直前に機雷に触雷して沈没。 この名を持つ日本海軍の艦船としては、神風型駆逐艦の「初霜」。こちらが初代であり本艦は二代目となる。 浦賀船渠で竣工。第一水雷戦隊第二十一駆逐隊に所属 内海西武で対潜掃蕩に従事 ダバオ出撃、ケンダリー攻略作戦 ケンダリー出撃、マカッサル攻略作戦 マカッサル出撃、バリ島攻略作戦 アリューシャン作戦などに参加 砲術学校、潜水学校の教練作業に従事 大湊出撃、アッツ島沖海戦 第五艦隊第一水雷戦隊に編入、内地と千島間の船団護衛に従事 アッツ島再占領作戦に従事 セミチ攻略作戦に従事 ケ号作戦(第一次キスカ撤収作戦) ケ号作戦(第二次キスカ撤収作戦) 航空母艦「雲鷹」「千歳」「瑞鳳」「龍鳳」等の護衛に従事 あ号作戦(マリアナ沖海戦) 第一水雷戦隊の志摩艦隊に属し、台湾からマニラへの輸送任務 捷一号作戦(比島沖海戦) 第二次多号作戦 北号作戦 天一号作戦(菊水作戦) 坊ノ岬沖海戦 昭和20年4月8日沈没した「矢矧」「浜風」の生存者を救助し佐世保に帰投 昭和20年6月宮津湾で砲術学校練習艦 昭和20年7月30日米機の攻撃を受け対空戦闘中、任意擱坐の為湾内を移動中に触雷し、艦尾から沈み始め擱坐 日本駆逐艦で最後の戦没艦となった 昭和20年8月15日終戦 昭和20年9月浮揚され舞鶴にて解体 昭和20年9月30日除籍 「初霜」は、「キスカ島撤退作戦」と「北号作戦」の二つ大奇跡に関わった唯一の艦艇であった。 まず「初霜」は初春型四隻で第二十一駆逐隊を編成し、太平洋戦争初期は「スラウェシ島ケンダリー攻略」の増援部隊としてダバオを出向するも、道中で「長良」と「初春」が衝突して作戦中止。さらに「子日」と「若葉」まで脱落しちゃって、「初霜」一隻で増援にむかうなんていう心もとないことに。 その後「マカッサル攻略作戦、バリ島攻略、アリューシャン方面の戦い」に参加します。 7月の時点で「子日」が沈没してしまっていたが、それをひっくり返す活躍を見せた「初春型」は北方海域で活動し続けました。 一時は戦略的勝ちがないってことでアメリカもアッツ島とキスカ島を放置してたのですが、南方での勢力を取り戻すとアメリカは上からも日本を押さえ込みにかかります。 1043年3月、アッツ島海戦に「初霜」は参加しておりますが、日本は敗北。 北方海域での日本の勢力は徐々に衰えはじめ、7月に日本は北方海域拠点となっていたキスカ島の放棄を決定。 「キスカ島撤退作戦」の実施である。 連合軍の侵攻地点 日付:2008年11月15日 原典:Aleutian Islands, United States Army Center of Military Historyhttps //commons.wikimedia.org/wiki/File Kiska_Island_1943.svg?uselang=ja このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンスのもとに利用を許諾されています。 死傷者ゼロの奇跡の作戦に「初霜」は参加するのだが、濃霧がひどく「若葉」に衝突し、「初霜」の損傷は大したことなかったのだが、任務は「給油艦 日本丸」の護衛に変更されまして、「若葉」はこれが原因で作戦に支障をきたすこととなり撤退が決定。 このあとで「長波」にも接触。 作戦自体は大成功です。これは文句どこにつけるのよという状態。ただその主な要因であった霧で被害は発生していたと。 で、作戦は成功しました。でもその中身は「撤退」であるわけで。 日本は北方海域の戦線を下げざるを得ない。 「初霜」は南方へ活動拠点を移すこととなりました。 そこだと航空母艦とか輸送船とかの護衛を任されて、その護衛対象を失うこと無く完遂。彼女の存在感はすごいものでした。 当時の日本は潜水艦や空襲による輸送妨害に悩まされておりまして、それは多くの輸送船の被害にあって沈んでいきました。このへんを反映して今の自衛隊の装備がある。 損害は有りました。でも沈まないってのは重要。物資持っていけてるわけだしね。 1944年6月、「マリアナ沖海戦」で油槽船の護衛を務めるも、海戦はアメリカの反航によって敗北。 アメリカ軍の攻撃を受ける空母瑞鶴と駆逐艦2隻 日付:1944年6月20日 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 この時油槽船を二隻も失ってるのですが、やっぱり「初霜」が護衛してた「速吸」は健在。 同年10月に「レイテ沖海戦」には「初春」と「若葉」と共にマニラへ輸送。その後急いで本体と合流して決戦に参加する……はずであった。 が、マニラに向けて出向してすぐにエセックス級航空母艦の「フランクリン」が…… フランクリン 日付:1944年2月21日 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 この空襲で「若葉」は力尽き、「初霜」も被弾して二番砲塔が使用不能に。 「若葉」の乗員を救助したあと、「初霜」と「初春」は本体合流を諦めてマニラに引き返します。 決戦部隊への合流が遅れた二隻は急ぎコロン湾へ入航するが、そこには損傷した重巡洋艦「那智」が……ちなみに理由は「最上」との衝突。 海戦で敗北。マニラに戻ってきて修復します。 このあとすぐに第二次多号作戦に参加。「油槽船 能登丸」を失うものの輸送作戦は成功。 旗艦「霞」に乗っていた木村聖福少将は自ら「能登丸」の救助に向かい「初霜」らには行方異不明になっている第131輸送艦の捜索を指示。 だがマニラには悲劇が迫る。 11月5日と13日。大空襲が来ました。 「初春」の被害によって起きる煙は「初霜」を覆い隠す煙幕となり彼女は守られました。 が……これによって「初春」は沈没。 こうして初春型は「初霜」一隻のみとなる。 この時、第二水雷戦隊は生き残りの寄り合い編成で、「初霜」はここの一員となり「霞」と共に行動します。基本同型艦で構成する戦隊が、違う型による編成になっている辺りに、このときの残存艦事情がわかるかと。 12月、「北号作戦」に参加を予定するも、その前に重巡「妙高」の救助の報が入る。 マニラ湾への空襲によってシンガポールへ避難してい所だった「妙高」が再び魚雷によって損傷して艦尾が脱落。 この救援に向かったのが「初霜」なわけだが、結局駆逐艦で重巡を曳航は無理なわけで、「羽黒」へ増援要請、「妙高」をシンガポール経送り届けてます。 こんなわけで「初霜」は日本最後の勝利であった「礼号作戦」には加われなかった。 1945年1月に「呉の雪風、佐世保の時雨」と称されるほどであった幸運艦である「時雨」が沈没。幸運艦の沈没が兵士にもたらす士気への影響はよく分かるかと。 同年2月。戦艦「伊勢」「日向」らが先頭に立った輸送作戦の「北号作戦」に参加。 この作戦も例によって制空権が完全に奪われていた状態で行われて、まぁ無理だろうぐらいのつもりで……でももしかしたらというような状態でやったら成功しました。しかも無傷。 これが「初霜」の二大奇跡。「キスカ島撤退作戦」と「北号作戦」である。 この両方に参加した唯一の艦艇が彼女であった。 そして4月。 「初霜」は、「大和」を中心とした「天一号作戦」の護衛に就く。 このときの「初霜」の兵装は大戦末期の主砲1基を撤去し、25mm三連装3基・連装1基・単装10基・13mm単装4基、さらには13号・22号電探とかなりの重装備を施した艦となっている。 先の「北号作戦」もそうだが、この作戦は玉砕前提の物であり、沖縄上陸をなんとしても阻止スべく「大和」を沈める覚悟で実施された。 国の名を冠した世界最大の戦艦を含めた艦隊が玉砕前提という辺りにどれほどの覚悟があったのかを察してください。 「初霜」は「坊ノ岬沖海戦」で「大和」の左舷後方に位置。輪形陣を取り、帝国海軍は最後の海戦へと挑みました。 道中、無念にも「朝霜」が機関故障により戦闘前に落伍。一隻を欠いた帝国海軍は「大和」を中心に航空機に向けて攻撃を開始。 艦載機の攻撃を受け、回避行動を取る大和。 日付:April 1945 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 やがて「朝霜」が、「浜風」が撃沈。「矢矧」「霞」が航行不能となり、「初霜」は「矢矧」の落伍によって空白となった「大和」の前方へ回り込みます。 魚雷と爆撃による猛攻を受ける矢矧 日付:April 1945 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 「大和」は空襲によって通信機能が麻痺しており、その任を「初霜」に預けました。 「初霜」は懸命にも「大和」を守り、そして各感の通信に耳を傾け、信号を受け取り続けました。 しかし14時20分。 日本の誇りであった戦艦「大和」はついにその巨体を支えることが出来なくなり、炎上、爆沈。 「大和」は、「初霜」が失った唯一の護衛艦であった。 大和の爆発 日付:1945年4月7日 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 だがこの戦闘での「初霜」の被害。わずかに負傷者二名(三名説も有り)。 異常なまでの被害の少なさである。 何度も書くが、戦艦「大和」が撃沈されるほどの大空襲の中、最後は「大和」前方に位置しながらこれである。 「初霜」は「矢矧」や「浜風」の乗員を救助し、その後「霞」や「磯風」の雷撃処分を「雪風」と共に行いました。 「坊ノ岬沖海戦」によって、多くの駆逐艦も「大和」と共に散り、生き抜いたのは 「初霜」 「雪風」 「冬月」 「涼月」 以上四隻。 このような大激戦の中、旧式でかつて失敗作の烙印を押された初春型の「初霜」がこれほどの偉業を成し遂げ、最終的に多くの生存者を救助して帰還したのだ。 「初霜」は「矢矧」「浜風」の乗員を救助。その後、「矢矧」に乗艦していた第二水雷戦隊の古村啓蔵司令官を救助、並びに二水戦将旗を収容。 最終的には乗員430名を含め、総勢約740名が乗っていた。 この戦いを終えた第二水雷戦隊は、同時にその歴史にも幕を閉じる。 上記の通り、「初霜」を最後の旗艦として、彼女の甲板上で解散となった。 6月には宮津湾で砲術学校練習艦となるが、7月30日、空襲に合う。 その際に海中にあった機雷に触雷。 ここまで懸命に戦い抜き、その被害も恐るべき少なさであった「初霜」であったが、終戦わずか半月前の触雷により大破。 沈没を免れるために擱座した。 宮津湾において擱座した初霜。1947年。 日付:1947年 原典:福井静夫(著)『終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 戦闘から護衛まで、自身も守った艦も殆ど被害を出さず、そして二度の大奇跡を経験した「初霜」の武勲は、「雪風」「時雨」に匹敵するものであった 戦後、山田記念病院の山田正明医学博士は、大阪帝国大学の医学部を卒業後、大学の医局を経て日本海軍の軍医として駆逐艦「初霜」の軍医長等を歴任。海軍軍医少佐として任務を終了しました。 山田記念病院は昭和22年10月、墨田区に山田病院を開設したことに始まり、同院のシンボルマークは「錨」である。 そのシンボルマークの「錨」は、病院正面玄関にある錨を表したものであり、山田正明医学博士が戦前に海軍軍医少佐であった思い出のものである。 歴史ある日本海軍駆逐艦「初霜」の錨だ。 初霜錨、山田記念病院 日付:2015年8月2日 https //commons.wikimedia.org/wiki/File 初霜錨.jpg?uselang=ja このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際ライセンスのもとに利用を許諾されています。 「雪風」は舵輪だけが残されたが、「初霜」もまた、現在にその姿を一部ではあるが残している。 2019年2月11日現在、「初霜」の名前は海上自衛隊には受け継がれていない。 坊ノ岬沖海戦で共に生存した「雪風」は戦後すぐに、「涼月」「冬月」も2014年に同時就役を果たした新鋭艦が継承したので、残る彼女の復活も心待ちにしたいものである。 なお「初霜」は二代目で、初代は神風型(初代)のニ番艦。国産駆逐艦としては最古参の艦であった。他の第二十一駆逐隊もこの頃からの姉妹である。 ただし、海上保安庁の巡視艇にはその名が存在した。 しらうめ型巡視艇「はつしも(CL-61)」である。元海軍の内火艇である。 駆逐艦初霜慰霊之碑 駆逐艦「梨」と護衛艦「わかば」 護衛艦「わかば」 https //commons.wikimedia.org/wiki/File Fig_of_IJN_DD_Tachibana_1945.gif?uselang=ja 海上自衛隊公式HP http //www.mod.go.jp/msdf/ ぶっちゃけ初春型とは全く違うんだが、名前を継承した護衛艦ということで合わせて解説しようと思う。 もちろんただ継承しただけではやらない。筆者は他の護衛艦も巡視船も全部書いているが、こんごう型護衛艦のところに金剛型戦艦のことは書いてない。 じゃあなんでかというとだ。 この護衛艦は、海上自衛隊で唯一の帝国海軍所属という経歴をもっていたのだ。 ちなみに海上保安庁にも上の「CL-61 はつしも」とかこんな感じのは何隻かいたんだが、海自は「わかば」一隻のみである。 そんな彼女の数奇な運命について聞いてほしい。 駆逐艦「梨」の前にまずは松型及び橘型駆逐艦について簡単に紹介しよう。さすがにここは上にみたいにガッツリとまではねうん…… 日本海軍駆逐艦「橘」(橘型もしくは改丁型)。1945年1月(竣工時)の兵装配置図 https //ja.wikipedia.org/wiki/ファイル Fig_of_IJN_DD_Tachibana_1945.gif このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンスのもとに利用を許諾されています。 「梨」は橘型駆逐艦である。 松型及び橘型駆逐艦とは、太平洋戦争中に大日本帝国海軍によって建造された戦時急造型駆逐艦である。ただこの両型は書類上では区別されてない。 両型の特徴を簡単に並べてみよう。 全長100mほどと小さい 建造期間が短い 機関配置を見直したから航行不能にはなりにくい 駆逐艦としてはだいぶ速力が遅い(30ノット未満) 航続距離も短い 雷装が簡略化 対艦戦闘よりは対空対潜戦闘向き とまぁ、今まで作ってきた駆逐艦と比べてだいぶ仕様が違うことがわかると思う。 ……これをもっと前から本格的に作ってやってたらいろいろと変わってたんだろうね…… とにかく、今までの仕様とはだいぶ違うわけで、なんでこれが採用されたかを語ろう。 特型駆逐艦……つまり吹雪型以降の日本海軍は駆逐艦を高性能化して大型化を続けた。 その結果、秋月型で大正時代に作られた軽巡洋艦「天龍型」に匹敵する性能と大きさになってしまった。駆逐艦とは何だったのか。 そんなわけで、こんなに高性能なもんだから建造には時間がかかりました。 具体的に例を出しますと、各一番艦にかかった時間が 夕雲型駆逐艦→一年半 秋月型駆逐艦→二年 島風型駆逐艦→一年九ヶ月 話は変わり1942年8月。ガダルカナル島の戦いが始まり、日本海軍は輸送作戦や夜戦で多数の艦隊型駆逐艦を失う。だから補充が必要。 でも最新鋭は上記の通り時間が掛かるから損失を埋められない。そんなに時間はない。 ここで日本海軍は、個艦性能が高くても米軍の物量にはかなわないと悟る。なにしろあっちは週刊だったり月刊だったりで航空母艦を作る国である。しかも結構な性能のやつを。 だから小型で、建造期間が短くて、国内の資源と建造能力に見合った駆逐艦への転換を図ったと。 あと輸送艦の護衛が甘かったからどんどん沈められていったという事実をほっとくわけにも行かなくて、輸送艦を護衛するために対空対潜兵装の強化も迫られた。後期まで生き残っていた艦はだいたいが対空強化されてる。 実戦だとこれまでの駆逐艦はみんなボイラー室と期間室のどちらかに浸水すると航行不能になるような防御上の欠点が明らかになって、新しいシフト配置に転換することを決定。ちなみにこの時米軍艦艇は全部シフト配置。 シフト配置というのはこういうの。 B:ボイラー T:蒸気タービン G:変速機 -+---------+---------+------------ | □(B)□-+-■(T)■-+-■(G)■----+---------+---------+------------ | ■(T)■-+-■(G)■-+-□(B)□----+---------+---------+------------ ↑ この矢印のところで被弾すると、蒸気タービンとボイラーがやられるわけだが、それぞれ別の場所にどっちも残ってるわけじゃないですか。 だからボイラーと蒸気タービン、変速機がそれぞれ残ってるわけで、一気に航行不能になる事は避けられると。 で、これらの条件を満たして生まれたのが松型と橘型駆逐艦というわけである。 対空兵装が強化されて 工期短縮のために建造には溶接を多用して 日本の特徴だった曲線構造をやめて平面構造を多用して 低速だから操作性を重視して艦幅や喫水を全長に対して大きめに設計して 艦隊材料の鋼材も今まで使ってた特殊鋼ではなく高張力鋼やら普通鋼を多用して(橘型は全部普通鋼) 単装機銃を中心とした対空兵装を増備して 海防艦で使ってたブロック工法を採用(橘型のみ) めちゃくちゃ工夫されてる。 さて、なんで遅くて雷装まで簡略化されてるのかというとだ。 遅いのは鴻型水雷艇の機関を流用したからである。水雷艇……小さいやつだからね……それはしょうがない。大量生産が必要だったからしょうがないんだが。 じゃあ雷装はというと……一応搭載はしてます61cm4連装九二式魚雷発射管を。 雷撃戦に必要なのは目標艦に対する優速の維持なのである。つまり相手より早くないと駄目……というわけで遅い彼女らに水雷戦を求めるのは厳しいと……無くても良かったんじゃないかなこれ。 とりあえず島風型駆逐艦と松及び橘型と、米軍で一番作られたフレッチャー級を比べてみよう。 島風型 松型 橘型 フレッチャー級 基準排水量(t) 2,567 1,262 1,262 2,050 満載排水量(t) 3,323 1,686 1,530 2,500 全長(m) 129.5 100 100 114.8 最大幅(m) 11.2 9.35 9.35 12 吃水(m) 4.36 3.52 3.30 3.8 最大出力(馬力) 75.00 19.00 19.00 60,00 最大速(ノット) 40.37 27.8 27.8 36.5 航続距離(ノット/海里) 6,000/18 3,500/18 3,500/18 6,500/15 燃料(t) 635 370 370 乗員(人) 294 289 276 329 主砲 50口径三年式12.7センチ連装砲D型改一×3 40口径八九式 12.7cm高角砲単装砲×140口径八九式 12.7cm高角連装砲×1 40口径八九式 12.7cm高角砲単装砲×140口径八九式 12.7cm高角連装砲×1 38口径5インチ単装砲×5 魚雷 零式5型5連装魚雷発射管×3 九二式4連装発射管4型×1(予備魚雷無し) 九二式4連装発射管4型×1(予備魚雷無し) 533mm 5連装魚雷発射管×2 遅いよね? 比較対象が日本最速とはいえ。 そんなわけで、水雷戦は困難と……だから簡略化されました。とはいえ、松型駆逐艦の「竹」だけはこの雷装で敵駆逐艦の撃沈をしています。 「竹」が撃沈した米駆逐艦「クーパー」 日付:1944年3月25日 Official U.S. Navy Bureau of Ships photo 19-N-64350 available at navsource.org; Originally from en.wikipedia; description page is/was here. このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 さて、そろそろ肝心の「梨」について語ろう。 1945年1月17日に進水し、同年2月9日に神戸川崎造船所内に設置された梨艤装員事務所が事務仕事を開始。 同年3月15日に竣工、その艤装院長だった高田敏夫少佐が梨の艦長に任命。この人は「望月」「初雪」「陽炎」「能代」の水雷長を歴任した水雷屋ですね。戦後は「雪風」の艦長を務め復員輸送に従事。 なおこの日はアメリカが硫黄島の完全占拠を発表した日である。 竣工を持って即日第十一水雷戦隊に配属。ただし燃料事情の都合訓練後悔は月に数回のしかも日帰り。 だから練度は不十分。もう硫黄島まで失ってる状況だしねこの時…… なので停泊中は水泳訓練とか日本軍の戦闘機と米軍の戦闘機の識別訓練とかやってた。燃料使わない範囲で出来る中ではかなり重要なやつだな。なお3月。 で、上でも書いた天一号作戦への参加が予定されていたが、結局中止。……まぁ流石にこれはいてもいなくても変わらん。 同年5月20日。「梨」と同型艦の「萩」は第十一水雷戦隊・第三十一戦隊所属の第52駆逐隊へ転属して、5月25日付で海上挺進部隊の所属艦となる。 海上挺進部隊というのは、本土に上陸してきたアメリカを奇襲するための部隊である。 具体的には回天の母艦になれってことである。結局その前に終戦したが。 回天って何?って人のために簡単に解説するが、神風特攻隊ってあったじゃない? あれ飛行機で敵艦へ突撃するじゃない? 有人かつ脱出せずに。 これの魚雷版が回天。 で、「梨」もここに所属することになったもんだから同年7月にその搭載運用能力を付与されて回天基地があった山口県平尾に行ってそれ用の訓練に従事。 でも結局実戦には投入されず。 その回天の訓練中であった7月24日と25日に、敵艦載機が西日本へ攻撃。25日に山口県牛島沖に居た「梨」は十数機と交戦し、なんと2機も撃墜した。これが初の戦果である。 F6F-3 日付:1943年初頭 U.S. Navy photo 80-G-K-605 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 機体は撃破したがパイロットはPBYという飛行艇で救助されてしまった。射程外で狙えなかったんだとか。飛行艇ってのは紅の豚で登場してた飛行機。 そんで7月26日に第52駆逐隊の他の駆逐艦と合流して、山口県平郡島沖で4隻の合同訓練。 28日、平群島北岸沖にて停泊中に、早朝から午後にかけてアメリカ空母機動部隊の、またF6Fによる攻撃を複数回受けて、午後に弾薬庫に入ってたロケット弾に命中したのが致命傷となり、午後2時に転覆。 このせいで、駆逐艦は戦闘機……この場合制空戦闘用の艦載機に撃沈された駆逐艦という記録を持つことになる。 なんというか倍返しされてしまったということに。 一応言っておくが機銃掃射でやられたわけではないぞ。HVARというロケット弾を搭載してた上に数も居たから仕方ないといえばそうなんだが。 これによる戦死者は38名。行方位不明も合わせると60名がなくなった。生存者155名は随伴艦の「萩」や地元漁師の義勇隊に救助されて、「萩」で翌日に「呉」に帰還しました。 そんなわけで、ほとんど停泊と演習で一生を終えて、戦果は敵機2機撃墜。 こうして、短い艦歴を終え眠りにつくのだった。 ……と、言う感じで終わるのであれば初春型の項目に書くわけがないわけで。 ここまでは駆逐艦「梨」の人生、というか艦生……艦歴? である。 この艦。護衛艦として海上自衛隊で運用されてた期間のほうが長い。 ここからが、戦時中の武勲艦である初春型三番艦「若葉」の名前を継承した、護衛艦「わかば」の歴史である。 沈没して海底に放置されてたのだが、1954年9月21日……沈没して9年が経過したところで北星船舶工業によってスクラップにする予定で浮遊されました。 1954年9月21日 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 ちなみにこの会社は「梨」だけじゃなく、なんか3という数字に悪い縁がある会社で…… 悲劇が多発した伊33という3が2つもついてる潜水艦の浮遊解体もやったんだが、3人有毒ガス中毒でなくなってる。ちなみにこの伊33の沈没地点の近くにDASH島がある。 「梨」は9年も海中にあった割には状態が良かったもんだから、解体辞めて当時の防衛庁に売り込みました。撃沈したの戦闘機だしね。 上の画像の通り、結構原型が残ってる。 防衛庁は「梨」を購入して再就役させる計画を立てて、だいたい9億円ぐらいで北星船舶工業から「梨」の残骸を購入し、1955年5月12日に海上自衛隊に編入、同月30日、「海上自衛隊海上警備艦 わかば」と命名。 護衛艦「わかば」 海上自衛隊公式HP http //www.mod.go.jp/msdf/2el/2elhen/index.html 上でも書いているが、本艦は海上自衛隊に在籍した唯一の日本海軍の戦闘艦艇である。 更にいうと、現在までに唯一の明確な敵国と戦闘を経験した護衛艦でもある。 掃海艇とかは何隻か前例がったんだが、戦闘艦は本当に海保含めても本艦だけ。 名前が変わった理由は海上自衛隊では自衛艦の名前をひらがな表記にする決まりがあって、それに沿ってしまうと「梨」だから「なし」になって、「名前なし」と勘違いするのを防ぐためである。これが「梨」以外だったらそのままだったのかもしれないね。 同年9月10日に呉造船で修復工事が開始し、翌年5月に完了。海上警備艦として就役して横須賀地方隊第11護衛隊に編入され、その後も主に横須賀に配備されておりました。 ちなみに修復費は約3億4500万円(当時)かかったそうです。 現代換算しますと、1955年の国家公務員の大卒の初任給が9700円で、2019年2月11日現在がだいたい20万強。 よって購入費を含めて250億円ぐらいに相当する。なお参考は人事院のHPです。 ついでに当時の同警備隊所属の護衛艦、つまりDEだといかづち型が相当するんだが、当時の価格で16億円である。まぁ改装だしねこっちは。 梨 わかば 建造所 川崎重工業 神戸艦船工場 呉造船所(修復工事) 運用者 大日本帝国海軍 海上自衛隊 艦種 駆逐艦 警備艦→護衛艦 級名 橘型駆逐艦 わかば型警備艦 艦歴 進水 1945年1月17日 1954年9月21日(浮揚作業完了) 竣工 1945年3月15日 1955年9月10日(修復工事開始)1958年3月26日(再就役) 最期 1945年7月28日沈没 1975年5月古沢鋼材に売却 除籍 1945年9月15日 1971年3月31日 要目 基準排水量 1,350トン 1,250トン 全長 100.0m 最大幅 9.35m 吃水 3.40m 3.28m(兵装搭載前は3.1m) 主機 艦本式三号丙型蒸気タービン 2基 出力 15,000PS 推進器 スクリュープロペラ 2軸 速力 最大速 25.5ノット 燃料 370t 395t 航続距離 18ktで3,500海里 16ktで4,680海里 乗員 211名 175名 兵装 八九式 12.7cm(40口径)高角砲単装1基同連装 1基 Mk.33 Mod0 50口径3インチ連装砲(2次) 1基 九六式 25mm機銃 3連装単装 4基12基 54式対潜弾発射機(2次) 1基 九二式 61cm4連装魚雷発射管(予備魚雷なし) 1基4門 54式爆雷投射機(K砲)(2次) 4基 二式爆雷 36発 54式爆雷投下軌条(2次) 2条 回天 1基 65式533mm連装魚雷発射管(5次) 1基 レーダー AN/SPS-12 対空(2次) Mk.34 射撃用(2次) US SO 水上(2次) AN/SPS-8B 高角測定(3次新設、6次撤去) Mk.63 Mod11 射撃指揮装置 (2次) ソナー SQS-11A 捜索用(3次) SQR-4/SQA-4 攻撃用(3次) T-3 国産試作ソナー(4次) 電子戦対抗手段 OLR-4 ESM (2次) 艦橋はあけぼの型という当時の警備艦に準じたものに新造。機関部は9年も浸かってたもんだからかなり念入りに修繕したけど、結局この近くでは話もできないような雑音を放っていたのだそうな。 リムパック2010に参加中の「あけぼの」 日付:2010年7月24日 US Navy 100724-N-1004S-343 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 さて、なんでこんな大金払ってまで再就役させたのだろうか。新造すればこんな異常はないし楽だろうし。国会でもさんざん問題視された上に当事者も亡くなってるから不明なんだが。 よくある説としては「梨」は実用性より海上自衛隊が自認してる、旧海軍後継機関としての血統証の意味合いが強かったのではないかというものである。当時の艦艇を引き続き使うってことだから十分アピール出来るな。海保もそうである。というか海保の方がこの色合強い。 で、「わかば」となった「梨」は初期は無兵装で練習艦任務をやってました。 だが1957年9月に乙型警備艦となり、浦賀船渠で第二次改装が行われ、兵装や電子機器を搭載。 その後部隊を何度か転属し、1960年に第三次改装SPS-8B高角測定レーダーやソナーなんかが装備され、レーダーピケット艦という感じの艦になった。 わかばに搭載されたAN/SPS-8高角測定レーダー(写真はアメリカ海軍巡洋艦「プロビデンス」に装備されたもの) 日付:1970年7月12日 http //www.history.navy.mil/photos/sh-usn/usnsh-p/clg6-t.htm このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 同型艦が無いから運用には苦労があったそうな。 レーダーピケット艦何ぞっていう人が多いだろうから解説しよう。 これは機動部隊の目である。機動部隊をレーダーで情報収集して、機動部隊の本体にその情報を送信するのが役目である。フレッチャー級とかにもこれになった艦が居た。 これを聞くと海自に機動部隊なんて無いだろって思うだろう? 今こそそれっぽくなろうとしてるのがあるが。 あくまでレーダーピケット艦『的』な内容の艦なのだ。話を戻す。 で……ここまで活躍は特になし。そらそうだ戦時中でもないんだから活躍の機会は無いほうが良い。ソ連とか面倒なのは居たが本艦横須賀にあったわけだし。 だがこのあとで来た。1962年に三宅島が噴火。 これの島民の避難輸送に従事。国民を守る大事な役割である。 溶岩流・噴石・砂礫分布(1971年気象庁技術報告第75号) 日付:1962(昭和37)年8月24日 気象庁公式HP https //www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/rovdm/Miyakejima_rovdm/miyakejima_1962.html が、これが最後であった。 特に目立つことはなく、新兵器の試験艦任務をやったあと、1971年に除籍、解体され艦生を終えたのであった。 これが初代神風型駆逐艦三番艦「若葉」、そして二代目初春型駆逐艦三番艦「若葉」の名前を継承した三代目。 海上自衛隊の「乙型警備艦 DE-261 わかば」である。 ちなみに「わかば」の乗組員は、かつての「梨」の乗組員が優先的に配属されており、補給長は元「梨」の主計兵だそうな。 いろいろ改装したとはいえ同じ艦だしね。元乗組員を優先させるのは合理的である。 あと、なんか幽霊騒ぎがちょいちょい起きてる。 行方不明者合わせて60名も亡くなったから居ても不思議はない。 ちなみに「梨」時代の装備のうち、前部高角砲と魚雷発射管は江田島の海上自衛隊第一術科学校で展示されてます。 自衛隊のOBの人が毎日無料ツアーを実施してるから、観光先としても人気です。ぜひ行ってみてください。 駆逐艦梨に搭載されていたja 四十口径八九式十二糎七高角砲(単装)。海軍兵学校 (日本)似て撮影。 日付:2014年7月26日, 11 27 15 https //ja.wikipedia.org/wiki/ファイル Type89_12.7cm_AA_GUN01.jpg {このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際 ライセンスのも とに利用を許諾されています。} 駆逐艦梨に搭載されていた92式ja 魚雷発射管。海軍兵学校 (日本)似て撮影。 日付:2014年7月26日, 11 30 12 https //ja.wikipedia.org/wiki/ファイル Type92_Torpedo_launchers_02.jpg {このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際 ライセンスのも とに利用を許諾されています。} なお、「梨」がその還暦を終えた所である平群島では毎年7月に慰霊祭をやってます。 1987年10月25日に有志によって建立された慰霊碑に刻まれた文章を最後に掲載しよう。 「長深山沖の海戦 祖国の彌栄を念じ 何の疑いもなく 情熱を燃やして散華せられた 方々に深く感謝をせずにはおられません 平郡島民有志」 「梨艦ノ記 昭和二十年三月神戸川崎造船所デ竣工シ 本土防衛ニソノ機能ヲ発揮シタ 然ルニ同年七月二十八日 長深山沖ノ海戦デ敵機延ベ百五十機ノ攻撃ヲ受ケ 奮戦スルモ遂ニ爆沈 ソノ栄光ノ幕ヲ閉ジタ ココニ海底深ク眠ル御霊ヲ祀ルト共ニ 恒久ノ平和ヲ念ジテ建立ス 昭和六十二年十月吉日 梨艦戦友会有志一同 同 遺族会有志一同」 初春型の戦歴 このあと反省をもとに改良強化をした陽炎型やら夕雲型やらの高性能艦隊型を作ったんで、主に護衛とか対潜掃討の任務が多い。 多分魚雷射線数の不足が原因なんじゃないかなーと思う。せっかく次発装填装置つけたのに。 とはいえ、主力艦の不足により本型も正面作戦に転用。他の駆逐艦に劣らぬ戦果を叩き出しました。 元々が超高性能型を目指して結局そうならなかった本型が、超高性能型に劣らぬという当たりなんとも皮肉というかなんというか。 特に上記の通り「初霜」は「時雨」や「雪風」に並べられるような代表して戦史に名前を上げてもよいほどの戦果となっている。 1931年昭和6年 5月14日 「初春」 起工 12月15日 「子日」 起工 12月12日 「若葉」 起工 1932年昭和7年 12月22日 「子日」 進水 1933年昭和8年 1月14日 「有明」 起工 1月31日 「初霜」 起工 2月27日 「初春」 進水 4月9日 「夕暮」 起工 9月30日 初春型一番艦「初春」 竣工※1 初春型二番艦「子日」 竣工※2 11月4日 「初霜」 進水 1934年昭和9年 3月12日 友鶴事件 3月18日 「若葉」 進水 5月6日 「夕暮」 進水 9月23日 「有明」 進水 9月27日 初春型四番艦「初霜」 竣工※2 10月31日 初春型三番艦「若葉」 竣工※1 1935年昭和10年 3月25日 初春型五番艦「有明」 竣工※1 3月30日 初春型六番艦「夕暮」 竣工※2 9月26日 第四艦隊事件 1939年昭和14年 9月1日 ドイツ、ポーランド侵攻 イギリス及びフランス、ドイツへ宣戦布告 第二次世界大戦開始 1940年昭和15年 6月 フランス降伏 1941年昭和16年 12月8日 大日本帝国 英米に宣戦布告 真珠湾攻撃 ウェーク島沖海戦 12月10日 マレー沖開戦 1942年昭和17年 1月24日 バリクパパン沖海戦 「初春」セレベス・ケンダリーにて軽巡「長良」と衝突 1月27日 エンドウ沖海戦 2月19日 バリ島沖海戦 2月24日 アメリカ本土攻撃 2月27日 スラバヤ沖海戦 3月1日 バタビヤ沖海戦 4月5日 セイロン沖海戦 5月7日 珊瑚海海戦 6月5日 ミッドウェー海戦 7月5日 「子日」 戦没 7月31日 「子日」 除籍 8月8日 第一次ソロモン海戦 8月24日 第二次ソロモン海戦 1943年昭和18年 7月20日 「夕暮」 戦没 7月28日 「有明」 戦没 10月11日 サボ島沖開戦 10月16日 「初春」キスカ島沖にてB26マローダー双発爆撃機の攻撃を受け損傷戦死者2名負傷者14名※3 10月26日 南太平洋海戦 11月12日 第三次ソロモン海戦 11月30日 ルンガ沖夜戦 1月29日 レンネル島沖海戦 2月1日 ケ号作戦(ガダルカナル島撤収作戦) 3月2日 ビスマルク海海戦 3月5日 ビラスタンモーア夜戦 3月27日 アッツ島沖海戦 4月7日 フロリダ沖海戦 7月5日 クラ湾夜戦 7月12日 コロンバンガラ島沖海戦 7月26日 「若葉」と「初霜」、キスカ島沖にて衝突 7月29日 ケ号作戦(キスカ島撤退作戦) 8月6日 ベラ湾夜戦 8月17日 第一次ベララベラ海戦 9月8日 イタリア 降伏 10月6日 第二次ベララベラ海戦 10月15日 「有明」 除籍 「夕暮」 除籍 11月2日 ブーゲンビル島沖海戦 11月25日 セントジョージ岬沖海戦 12月26日 「有明」ニュージョージア島北方にてB24四発重爆の攻撃を受け損傷28名戦死40名負傷 1944年昭和19年 6月2日 第二次渾作戦発令 6月4日 第二次渾作戦 中止 6月19日 マリアナ沖海戦 10月12日 台湾沖航空戦 10月23日 レイテ沖海戦 10月24日 「若葉」 戦没 10月29日 多号作戦 11月13日 「初春」 戦没 12月2日 オルモック湾夜戦 12月10日 「若葉」 除籍 12月26日 ミンドロ島沖海戦 1945年昭和20年 1月10日 「初春」 除籍 3月10日 東京大空襲 3月12日 名古屋大空襲 3月13日 大阪大空襲 3月15日 松型駆逐艦「梨」就役後の護衛艦「わかば」 3月17日 神戸大空襲 3月19日 呉軍港空襲 4月7日 坊ノ岬沖海戦 5月16日 ペナン沖海戦 5月7日 ドイツ降伏 7月24日 呉軍港空襲 7月28日 「梨」 戦没 7月30日 「初霜」 戦没これを持って日本海軍は「初春型駆逐艦」の全艦を失う。また、大日本帝国海軍駆逐艦における最後の戦没艦ともなる 9月15日 「梨」 除籍 9月30日 「初霜」 除籍 8月6日 広島市に原爆投下 8月9日 長崎市に原爆投下 8月14日 ポツダム宣言受諾 9月2日 日本 降伏文書調印 終戦へ 1952年昭和27年 4月28日 サンフランシスコ平和条約 発行 1954年昭和29年 9月21日 北星船舶工業 旧帝国海軍駆逐艦「梨」を沈没地点より浮揚 1955年昭和30年 5月12日 防衛庁「梨」購入海上自衛隊へ編入※4 9月10日 「梨」 警備艇化工事開始 5月30日 「梨」 警備艦「わかば」と命名 9月10日 「わかば」 呉造船において修復工事を開始 1956年昭和31年 5月31日 海上自衛隊 わかば型警備艦「わかば」編入。海上自衛隊所属艦艇唯一の日本海軍所属歴のある戦闘艦艇である 1957年昭和32年 9月1日 「わかば」 艦種記号と艦番号が付与され「DE-261」となる 9月1日 「わかば」 浦賀船渠にて第2次改装 1958年昭和33年 3月26日 乙型警備艦「わかば (DE-261)」再編入 3月28日 「わかば」 第2次改装を完了し再就役 1959年昭和34年 3月10日 ありあけ型護衛艦一番艦「DD-183 ありあけ」 就役元フレッチャー級駆逐艦「USS DD-663 ヘイウッド・L・エドワーズ」である※2 ありあけ型護衛艦二番艦「DD-184 ゆうぐれ」 就役元フレッチャー級駆逐艦「USS DD-664 リチャード・P・リアリー」である※2 1960年昭和35年 9月2日 「わかば」 浦賀船渠にて第3次改装 10月1日 「わかば」 艦種分類改訂に伴い艦種を警備艦から護衛艦に変更 1962年昭和37年 2月2日 「わかば」 浦賀船渠にて第4次改装 8月24日 「わかば」 三宅島昭和第2次噴火に際し島民の避難輸送に従事 10月 ありあけ型護衛艦 特別改装工事 1963年昭和38年 2月13日 「わかば」 浦賀船渠にて第5次改装 12月10日 「ありあけ」 再改装 1970年昭和45年 7月24日 「わかば」 浦賀水道にて小型タンカー「第3長和丸」と接触し損傷 1971年昭和46年 3月31日 DE-261「わかば」 除籍 1974年昭和49年 3月9日 DD-183「ありあけ」 除籍 DD-184「ゆうぐれ」 除籍 2002年平成14年 3月6日 海上自衛隊 むらさめ型護衛艦九番艦 DD-109「ありあけ」 竣工※4 2003年平成15年 4月10日 「ありあけ」 テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「こんごう」、補給艦「はまな」と共にインド洋に派遣 8月22日 「ありあけ」 帰国 2004年平成16年 5月17日 「ありあけ」 テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「こんごう」と共にインド洋に派遣 9月19日 「ありあけ」 帰国 2006年平成18年 「ありあけ」 環太平洋合同演習 (RIMPAC)に参加 2008年平成20年 3月26日 「ありあけ」 護衛隊改編により第3護衛隊群第7護衛隊に編入 11月10日 「ありあけ」 新テロ特措法に基づく補給支援活動のため補給艦「とわだ」とともに出港 2009年平成21年 4月27日 「ありあけ」 帰国 2012年平成24年 9月20日 「ありあけ」 ウラジオストク港とその周辺海域で実施される日露捜索・救難共同訓練に参加するため出航し同月23日にウラジオストク港に入港、護衛艦「おおよど」と共に同月26日に訓練を実施し、同月29日に帰港した 2013年平成25年 7月29日 「ありあけ」 第16次派遣海賊対処行動水上部隊として護衛艦「せとぎり」と共にソマリア沖へ向けて出航 2014年平成26年 1月15日 「ありあけ」 帰港 2016年平成28年 3月19日 「ありあけ」 護衛艦「せとぎり」、練習潜水艦「おやしお」とともに外洋練習航海に参加 ※1 日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。 1:1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。 2:1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。 ※2 このファイルは、アメリカ合衆国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物であり、アメリカ合衆国の著作権法上パブリックドメインに属します (17 U.S.C. §105)。 ※3 この画像ファイルはアメリカ合衆国空軍に属する者が職務上作成したものです。これはアメリカ合衆国連邦政府が業務上作成した著作物と見做されるため、この画像ファイルもパブリックドメインとなります。 ※4 海上自衛隊公式HP http //www.mod.go.jp/msdf/ 作:日本国召喚wiki管理人 参考資料 アジア歴史資料センター(公式) (防衛省防衛研究所) Ref.C05023511000 『第2094号 8.11.2駆逐艦初霜工事概括表の件』。 Ref.C05023511100 『官房第5025号 9.11.17初霧の進水に関する件』。 Ref.C08030019800 『昭和19年11月1日~昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(1)』。 Ref.C08030038600 『昭和19年10月1日~昭和19年11月15日 捷号作戦戦時日誌(7)軍艦能代・軍艦妙高』。 Ref.C08030087300 『昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 Ref.C08030087400 『昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 Ref.C08030103000 『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 Ref.C08030103100 『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 Ref.C08030103200 『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 Ref.C08030127700 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)』。 Ref.C08030127800 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(5)』。 Ref.C08030127900 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(6)』。 Ref.C08030128000 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)』。 Ref.C08030128100 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)』。 Ref.C08030147700 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。 Ref.C08030147800 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(9)』。 Ref.C08030246100 『昭和16年12月8日~昭和18年8月31日 第1根拠地隊戦時日誌(1)』。 Ref.C08030566400 『昭和20年4月6日~昭20年4月7日 軍艦大和戦闘詳報』。 Ref.C08030589600 『昭和19年10月24日 第21駆逐隊捷1号作戦戦闘詳報』。 Ref.C08030590200 『昭和19年10月29日~昭和19年11月13日 第18駆逐隊(霞)戦闘詳報』。 Ref.C08030685300 『昭和19年5月1日~昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(3)』。 Ref.C08030749900 『軍艦矢矧艦歴等 (附機関参謀大迫吉二氏沈没当時の回想記)』。 Ref.C08030753300 『昭和17年12月9日~昭和18年8月22日 駆逐艦電戦闘詳報原稿 その2(5)』。 Ref.C08030763700 『昭和19年6月20日 特設運送船玄洋丸戦闘詳報 (対空戦闘)』。 Ref.C11080578900 『第267号 昭和10年1月23日艦船起工並に竣工細目写送付の件』。 Ref.C12070095800 『昭和7年達完/12月(5)』。 Ref.C12070164300 『昭和17年7月~9月 内令 3巻/昭和17年7月分(4)』。 Ref.C12070178900 『昭和18年7~8月 内令3巻/昭和18年7月(1)』。 Ref.C12070181100 『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(1)』。 Ref.C12070181400 『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(4)』。 Ref.C12070182500 『昭和18年11~12月 内令 5巻/昭和18年11月(6)』。 Ref.C12070496100 『昭和19年8月~9月 秘海軍公報』。 Ref.C12070497400 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/10月(2)』。 Ref.C12070497900 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/11月(3)』。 Ref.C12070498100 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/12月(1)』。 Ref.C12070498200 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/12月(2)』。 Ref.C12070503600 『昭和20年1月. 至昭和20年8月秘海軍公報/1月(2)』。 Ref.C12070503900 『昭和20年1月. 至昭和20年8月秘海軍公報/2月(2)』。 Ref.C12070504300 『昭和20年1月. 至昭和20年8月秘海軍公報号外/3月(2)』。 Ref.C12070504700 『昭和20年1月. 至昭和20年8月秘海軍公報/4月(3)』。 Ref.C12070505000 『昭和20年1月. 至昭和20年8月秘海軍公報/5月(3)』。 Ref.C12070529900 『昭和20年1月2日 昭和20年8月30日秘海軍公報/昭和20年8月(1)』。 Ref.C12070530000 『昭和20年1月2日 昭和20年8月30日秘海軍公報/昭和20年8月(2)』。 Ref.C13071968200 『昭和11年12月1日現在 10版 内令提要追録第1号原稿/巻1 追録/第6類 機密保護』。 Ref.C13071974300 『昭和12年12月1日現在 10版内令提要追録第3号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。 Ref.C13072003500 『昭和16年12月31日現在 10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/ 巻3追録/第13類艦船(1)』。 フォト・ドキュメント「「梨」から「わかば」へ 改丁型駆逐艦の再生」海人社『世界の艦船』 原勝洋 『巨大戦艦「大和」全軌跡』 学研パブリッシング 外山三郎 『図説 太平洋海戦史 第3巻 写真と図説で見る日米戦争』 光人社 岡田幸和「改丁型駆逐艦「梨」、護衛艦「わかば」に変身」 木俣滋郎 『日本水雷戦史』 図書出版社 木俣滋郎 『日本軽巡戦史』 図書出版社 木俣滋郎 『第二水雷戦隊突入す 礼号作戦最後の艦砲射撃』 光人社NF文庫 池田清 『最後の巡洋艦・矢矧』 新人物往来社 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年) 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』第93巻、朝雲新聞社、1976年3月。 日本国召喚での活躍 初明(はつあかり) 豊栄(とよさか) 以上二隻が登場、名前から推測するにこの二隻は日本国召喚史における三番艦と四番艦と思われる。 吹雪型同様、この二隻は計画自体存在しない完全に日本国召喚のオリジナル艦である。 なんでも編集氏はこの名前を考えるのに苦労したらしい。 最初の活躍は魔王軍に押されていた異世界の軍隊の最初の反撃である。 召喚四日後のフィアルデス大陸南方約200kmでの海戦。 空母二隻の艦載機の攻撃により大損害を受けた魔王軍の残り三十数体の海魔を本型二隻と吹雪型二隻の共同の雷撃にて撃破。 陸上への艦砲射撃や対空戦闘等の描写は無い。 以上 地球へ帰還後、極秘裏に解体処分。 随時加筆願います。 関連項目 兵器|太陽神の使い ※既存のコメントに返信する場合、返信したいコメントの左側にチェックを入れて下さい。 名前 ちなみに海防艦志賀は解体をまぬがれ巡視船こじまとして在籍していた - 名無しさん (2019-02-17 08 36 28) 千葉県で保存されていたが予算不足のため19898年に解体。これで第二次世界大戦に参加した戦闘艦艇は完全に消滅した。 - 名無しさん (2019-02-17 08 38 59) 超遅レスで申し訳ございませんが1989年か1998年どちらでしょうか - 名無しさん (2019-08-30 13 00 28) ここを編集
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戦争・テロ・紛争・軍事・兵器 +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ gnewプラグインエラー「戦艦武蔵」は見つからないか、接続エラーです。 ● 戦艦武蔵〔Wikipedia〕 ■ 戦艦武蔵 日本への寄贈を希望するポール・アレン氏に横ヤリ? 「livedoor-news[日刊SPA!](2015.3.10)」より / マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏が発見した旧帝国海軍の戦艦「武蔵」が、戦中・戦後世代はもとより、往年の軍艦ファン、ミリオタまで多くの人を興奮のるつぼに巻き込んでいる。 ⇒【3月6日に公開された動画】http //www.youtube.com/watch?v=9qQDLfQpqdQ なにせ、武蔵はあの「大和」の姉妹艦にして、旧帝国海軍が建造した最後の戦艦だ。両艦に搭載された46cm砲は世界最大を誇り、40km先の標的を攻撃できたというから、世界最強の艦に偽りなし。武蔵は竣工から2年足らずのレイテ沖海戦であえなく撃沈されてしまったが、「魚雷20本、爆弾17発、さらに無数の至近弾という、他に類を見ない集中攻撃を受けても10時間近く沈まなかった」(SPA!きってのミリオタ)と、その逸話は今でも語り草となっているのだ。 3/10発売の週刊SPA!では、『宇宙戦艦ヤマト』で知られる松本零士氏が武蔵に対する思いを熱く語っているのだが、気になるのは今回、武蔵を発見したポール・アレン氏のこと。なぜ、当時の敵国の、それもマイクロソフト共同創業者というまったく畑違いの人物が発見するにいたったのか? その背景を知るのは、SPA!の連載陣としてもお馴染みの中年金融マンことぐっちー氏だ。「日本人は彼のことを“アレン”って呼びますけど、本当は『アラン』です。彼はアレンと呼ばれるのを嫌がるから注意してください」と前置きしつつ、アラン氏との出会いを振り返る。 「僕がモルガン・スタンレーに勤めていたときから、アランとは友人です。当時のマイクロソフトはお金がなくて、困窮していた。それで、日本からも出資を募ろうと来日したときに、僕が50億円集めたんです。そのことを、アランは今でも恩義に感じてくれている。それ以降、何度もアランの自宅には遊びに行きました。もう、サンダーバードの基地のような自宅ですよ(笑)。2010年のバンクーバー五輪のときなんかは、その自宅の前の湖から、自家用水上ジェットを飛ばして、五輪会場に連れて行ってもらいました。今回、武蔵を発見するのに使った『オクトパス』という名のクルーザーにも何度も乗りました。僕も昔、お金を貯めて3億円のクルーザーを買ったんですけど、アランにオクトパスを見せられたときは唖然としましたね。僕の船の何倍もの大きさですから。4階建てだから、もう客船クラス。当然のようにプールが備付で、ヘリも積んでいて、無人潜水艇も搭載しています。それと、シャンパンを山ほど(笑)。沖に出ては、何日もシャンパンを飲んだくれて過ごすわけです」 米経済紙『Forbs』の2015年版長者番付によれば、アラン氏の資産額は175億ドル。日本円にして2兆1000億円! マイクロソフト以外にも複数の企業の大株主となっているほか、6つの財団を傘下に率いるポール・G・アレン財団を運営し、NFLのシアトル・シーホークス、NBAのポートランド・トレイルブレイザーズ、プロサッカーリーグのシアトル・サウンダーズのオーナーも務めているのだ。そんな超資産家にはもう1つの顔があった。 「マイクロソフトのイメージからアランをエンジニアだと思っている人がいると思いますけど、彼が大学時代に専攻していたのは考古学です。昔からトレジャーハンターになりたかったとよく話していました。あまり知られていませんが、過去にアランは1898年のアメリカ=スペイン戦争のときの沈没船を引き上げています。そのときに見つかった財宝で200億円手に入れた、という話をしていました。今回、武蔵を探した理由について、『父親が太平洋戦争に従軍していたから興味があった』と話しているようですが、実際には一番になりたかったっていうのが理由でしょう。彼は『大和はすでに発見されているから、俺は武蔵を見つけたいんだ』と10年ほど前から話していましたから。アランはものすごい負けず嫌いなんですよ。共同創業者なのにビル・ゲイツにも対抗心丸出し。というのも、ビル・ゲイツを口説いたのはアランですからね。だから、『なんで、ビルばかり注目を集めるんだ……』と悔しがってた時期もあるようです(笑)」 そんなアラン氏に、今回、ぐっちー氏は祝福のメッセージを送ったという。 「『おめでとう』メールを送ったら、アランから『日本に寄贈したいと思っているんだけど、フィリピン政府が介入してきて困っている』という返信がありました。どうやら、自腹で引き上げて、無償で日本政府に寄付するつもりだったみたいですよ?(笑)。どれだけ太っ腹なんだ!って話ですけど、彼にとっては数百億円の引き上げコストなんて屁でもないのでしょう。『フィリピン政府から買い取ってでも寄付する』とメールをくれました。本当にスケールの大きすぎる男です!」 武蔵が日本に帰還する日はそう遠くない!? アラン氏の心からのご活躍をお祈り申し上げます! <取材・文/池垣 完(本誌) 写真/AP アフロ> .
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73 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 11 51 日本大陸世界ネタSS――第1次世界大戦時の日本 「遣欧総軍」 【日本軍、西へ】 ――西暦1917年6月、フランス北部へ集結を完了した遣欧総軍は、陸上戦闘部隊のみで28個師団および5個独立混成旅団と5個軍団級砲兵団で成り立っていた。 しめて52万3000名。日露戦争時の満州総軍の前線部隊にほぼ匹敵する数である。 加えて、兵站を担うべく日本海軍から艦艇122隻および輸送船約1200隻が臨時に「欧州方面海上護衛司令部」とともに抽出され指揮下に入っていた。 また本土からは鉄道師団が工兵旅団を複数追加されたうえで「臨時鉄道軍団」として派遣されており、帝鉄出身技術者とともに無数の機関車と貨車が欧州入りしている。 彼らは兵站基地となる英国南部までの海上補給路と、英仏海峡を渡ってからの輸送網を維持することに細心の注意を払っていた。 連絡将校たちが驚いたのは、火砲の大きさではなくその数と足回りだった。 火砲1万2340門。数は実に日露戦争時の5倍となり、さらにはその足回りはほとんどすべてがゴム製タイヤを履いている。 あわせて持ち込まれた牽引車両は初期的な戦車のような装甲トラクターであった。 中には280ミリ以上の巨大な榴弾砲をけん引するための大型蒸気トラクターすらあったほどだ。 これら火砲だけではなく、歩兵の装備も日露戦争時とは大きく様変わりしていた。 小銃こそ日露戦争時のそれの改良型ボルトアクションライフルであったが、それだけではなく分隊あたり1丁の散弾銃および擲弾発射機、そして携行可能な短機関銃を装備していたのだ。 小隊ごとにいたっては、歩兵運用が可能なロケット砲(さすがにこれは2~3名で運用するが)すら持っている。 大隊にいたっては無線電話による通信機能すら有しており、有線電話を加えれば文字通り手足のように戦場を駆け巡ることが可能となっていた。 なるほどこれでは補給がなければ作戦不可能なはずであった。 これらを指揮していたのは、元帥陸軍大将乃木希典。旅順攻略や哈爾浜会戦で名高い猛将であるが、彼は自らをお飾りと称して実際の指揮権は陸軍部隊を束ねる秋山好古大将に任せていたという。(これは薩摩人に特有の総大将のスタイルである。) 秋山は、海軍部隊の指揮官であった広瀬武雄大将が弟を通じた知己であるという関係を持っており、またフランス留学経験を持つ騎兵出身でありながらも火力戦と歩兵戦に造詣が深いという異色の将官でもあった。 そのため、当初は派遣前後のゴタゴタもあって険悪な仲となりかけた連合軍総司令部にあって流ちょうなフランス語で少しばかり下品な冗談を飛ばしてたちまち多くの外国武官の心を掴んだという。 いかにプライドの高いフランス人とはいえ、英雄には英雄の遇し方がある。 その点において、フォシュ元帥からも敬意を払われた彼らの起用は正解だったといえよう。 同年8月3日、ドイツ軍は「士気は低い」とみて新たに出現した日本軍めがけて攻勢を開始。 日英両軍の結節点にあたるソンム・オイセ河間に向けてドイツ第5軍が殺到した。 しかし、川に挟まれた地形であったうえ、臨時鉄道軍によって敷設を完了していた軍用軌道を用いて輸送された大量の火砲の餌食となり衝力は失われてしまう。 それでも攻勢を強めるドイツ側だったが、ヴェルダンで日本軍に救われたペタン大将率いるフランス第8軍が戦場に駆けつけることで日本側の士気は劇的に向上。 最終的にはわずかな損害でドイツ側の攻勢を頓挫させることに成功したのである。 連合軍側にとって久しぶりの大勝利であった。 折しも、ロシア方面においてケレンスキー率いるロシア軍が攻勢に転じていたためにドイツ軍は東部方面において大反攻を実施しつつあり、西部戦線においては小康状態が訪れつつあった。(それでも中部方面において第2次ランス会戦という激戦が惹起している) しかし、10月のロシア10月革命(赤い十月事件)によってロシア臨時政府が倒れソ連が成立。 12月にはブレストリトフスク条約が締結され東部戦線が消滅するという緊張感の中で、連合軍は1918年を迎えることになるのである。 74 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 12 25 【大派兵――米軍参戦】 1918年1月はアメリカにおいてツィンメルマン電報と呼ばれる一通の電報の内容が暴露されることによって慌ただしく幕を開けた。 折しも中国大陸において孫文が米軍(軍事組織として再建されたばかりであったが最新の装備で身を固めていた)の助けを借りて北伐を成功させ、さらにはロシア革命からチェコ軍団を救出するという名目で米軍先遣隊が満州経由でシベリアに入ったばかりのころである。 メキシコ駐在ドイツ大使館からメキシコ政府に向けて送られた参戦要請とされるこの文章は、現在では本物であったということがわかっていたものの当時はその真実性に疑問がもたれていた。というのも、その当時の外務大臣はすでにツィンメルマンではなく休戦派のゲオルク・ミヒャエリスであったためである。 彼は米国かオランダを仲介にした和平を望んでいるとされていたため、それはそうとしても現在は関係ないと思われたのだ。 だが、内容は衝撃的だった。 「メキシコの対米戦争実施要請、見返りに米墨戦争で奪われた西海岸三州の割譲」 それだけでもアメリカ国民の中に根付いたぬぐい難い反メキシコ感情から反独感情が高まることは避けられなかった。 さらにはドイツ潜水艦によってニューヨーク近海においてアメリカ船籍の客船「コロンビア」が撃沈され多数の犠牲者が出た(これは旧称をブリタニックというタイタニック号の姉妹船でアメリカに売却されていた)こともあり、時のウィルソン大統領は俗に「大派兵法」と呼ばれる法案を議会に提出。 中国大陸で進行しつつある自由を守るための戦いをヨーロッパにおいても行う許可を求めた。 しかし審議は難航。 中国大陸からシベリアにかけてか、それとも欧州か、主戦力派兵を行うのをどちらにするのかでおおもめにもめていたのである。 前者は、列強諸国特に日本が全力で欧州に取り組んでいる間に可能な限りの勢力拡張を成し遂げるチャンスであったし、後者はウィルソンの好む「道義的責任」においてフランスを助けるというより直接的なものとなっていた。 そのため大統領は両方を望んでいたのであるが、それには500万ともいわれる動員が必要となると野党は批判していたのだ。 結局は1918年2月に法案が成立し、中国大陸派兵用に用意されていた兵力が練兵の末に1918年4月に海を渡り始めるのであるが、準備期間の短さと兵站活動見積もりの失敗から悲劇に終わるとはだれも予想だにしなかった。 この年、南部の一部において奇妙な風邪のような症状が断続的に流行しており、それがニューヨーク近郊においても発生しつつあったことなど、誰も気にも留めなかったのだ。 75 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 16 07 【あとがき】――というわけで投下いたしました。 フランスも頑張ってますよ!おや?アメリカのようすが――というお話です。 ちなみに史実では作中電報はあまりにアレなので偽電文とみられていましたが、当のドイツ外務大臣がふんぞり返って「アメリカの参戦をしないように望む(キリッ)!」といって認めちゃうという大ポカをやらかしてます。 もともとは英国人による暗号解読の結果なのですが、今回の世界ではアジアで好き勝手をする米軍を掣肘するために使われたと考えました。 しかし、史実では運よく手に入れられたコピーとか、その暗号が古いままだったという幸運は今回はありません。 ですので疑惑の電文どまりとなります。 ------------------------- 修正回:0(アップロード) 修正者:Call50 備考:誤字・空欄等を修正。 修正回:1 修正者: 修正内容: -------------------------
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天安(チョンアン)哨戒艦とは、2010/03/27未明に沈没した韓国の哨戒艦。以下の記事に詳しい。 ニュース系サーチエンジン(天安 哨戒)※ニュース記事がリンク切れのときは見出しをGoogleで検索 哨戒艦沈没:天安艦とは(2010/03/27) 哨戒艦沈没:天安艦とは(2010/03/27) 敵の襲撃に備え警戒する軍艦、99年の第1延坪海戦にも参戦 ペンニョン島南方海上で沈没した哨戒艦は、韓国海軍の平沢第2艦隊司令部に所属するPCC(Patrol Combat Corvette)772「天安」艦で、満載時の排水量は1200トン級。 1989年に就役し、海上で敵の襲撃に備え警戒することを任務とする。99年の第1延坪海戦に参戦した軍艦だ。 哨戒艦は排水量600-1300トン級で、大きく東海級と浦項級とに分けられるが、天安艦は東海級に改良を加えた浦項級に属する。 全長88メートル、全幅10メートルで、最大速力は32ノット(時速約57キロ)程度。艦砲および機関砲、対艦ミサイルなどを搭載しており、韓国海軍には計24隻が在籍している。 天安艦が所属する第2艦隊司令部は、駆逐艦(3500トン級)、護衛艦(2000トン級)、哨戒艦、最新鋭の誘導弾高速艦(PKG)「尹永夏(ユン・ヨンハ)」艦(440トン級)、通常の高速艇などを保有している。 李衛栽(イ・ウィジェ)記者 関連項目 名前 コメント
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第46期名簿建国一覧 ランキング(戦闘) ランキング(ゴーレム) ランキング(運用) ランキング(モンスター) 参加者一覧 第46期名簿 建国一覧 国名 執政官 クー クー 不登校 不登校芹沢モモカ 滅 silentwinter 私立夢ノ咲学院 紫之創 UCHUPATO ルル子 影の国 スカサハ Bandle City Bandle City 大日本御洒落帝国海軍 熊野 メドヴェキア ヴァンピィ 苦難を乗り越える国 六道聖 ナナスタ 玉坂マコト リバウ 竹井醇子 秘密の隠れ家 ハレゼナ ランキング(戦闘) 勝利数 コスパ 勝率 戦闘数 1 百合崎ミラ 119 キキ 138.1% silentwinter 66.7% 百合崎ミラ 198 2 キキ 113 ヴァンピィ 132.6% キキ 61.1% セリリ 192 3 tarepanda 109 セリリ 127.5% 百合崎ミラ 60.1% tarepanda 188 4 Shivan Wurm 102 ザック 123.3% ザック 60.0% キキ 185 5 セリリ 100 ハレゼナ 123.2% 北白河ちゆり 58.3% Shivan Wurm 183 6 ヤン 80 クー 123.2% tarepanda 58.0% ヤン 164 7 鳥さん 71 Shivan Wurm 119.5% Taric 56.9% ハレゼナ 160 8 ハレゼナ 69綾崎ハヤテ 69 北白河ちゆり 119.4% Shivan Wurm 55.7% 綾崎ハヤテ 155 9 鳥さん 119.2% Alice 55.6% 鳥さん 149 10 北白河ちゆり 63 tarepanda 117.2% ミッキーマウス 52.7% 三日月宗近 132 ランキング(ゴーレム) ゴーレム勝利数(ゴーレム) ゴーレム破壊 ゴーレム破壊数 ゴーレム勝利数(製作者) 1 山下(幸)(ふきり) 9 しろま 73040 ルル子 12 ルル子 34斉藤 34 2 猫王(猫神様) 8お兄ちゃん1号(玉坂マコト) 8壁(斉藤) 8ガーゴイル(ルル子) 8 ルル子 61556 しろま 10斉藤 10 3 ふきり 35460 秋姫 唯 26 4 キャベツ 35104 Taric 8 ラッシー 24 5 Poppy 32485 Poppy 7点蔵・クロスユナイト 7クー 7 しろま 20 6 ゴーレムさん3号(しろま) 7 斉藤 31406 猫神様 17 7 クレイゴーレム(ルル子) 6 点蔵・クロスユナイト 30864 ふきり 14ベルゼーヴァ 14 8 玉葱戦士(ベルゼーヴァ) 5綺羅綺羅(秋姫 唯) 5春(キャベツ) 5壁(斉藤) 5壁(斉藤) 5 (※) 秋姫 唯 27850 キャベツ 6 9 岡崎夢美 25296 紫之創 5熊野 5 キャベツ 10バウ(グレミー軍) 10 10 Taric 21333 ※:同じ製作者(斎藤)による、同じ名前のゴーレムが別々にランクイン ランキング(運用) 赤運用 緑運用 青運用 白運用 運用合計 1 tarepanda 36 Shivan Wurm 33 鳥さん 34 ルル子 21しろま 21 百合崎ミラ 70 2 amumu 33キキ 33百合崎ミラ 33 竹井醇子 29スカサハ 29 綾崎ハヤテ 27 ルル子 68斉藤 68 3 セリリ 26 斉藤 18秋姫 唯 18 4 猫風 28 三日月オーガス 25Taric 25 セリリ 67 5 セリリ 30ヤン 30 ヴァンピィ 26クー 26 ラッシー 16 キキ 66 6 ミッキーマウス 23 キャベツ 15 しろま 65Taric 65 7 嘉神慎之介 29 ユーコ 25ハレゼナ 25 ハレゼナ 22リィズ 22 ベルゼーヴァ 13 8 北白河ちゆり 28 ふきり 12岡崎夢美 12Poppy 12 Shivan Wurm 64 9 三日月宗近 26 ぬるぽ大帝 24しろま 24 ファラ 21ベルゼーヴァ 21 ふきり 63ハレゼナ 63 10 Garen 25 ランキング(モンスター) モンスター使用数 ワースト使用数 1 エルフ 663.5 聖騎士 0キメラ 0ワルキューレ 0司祭 0ベオライオン 0阿修羅 0幽霊船 0グリーンドラゴン 0白虎 0リッチ 0 2 ミノタウロス 633 3 オーク 626 4 ランサー 598 5 ダンサー 529.5 6 ニワトリス 460.5 7 クマ 346.5 8 ファイター 318 9 ダイコーン 314.5 10 サラマンダー 303 参加者一覧 +ハレゼナ ハレゼナ [15年11月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [10年2月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [1年1月]秘密の隠れ家を建国しました ①今期の元ネタは?:グランブルーファンタジー ②前に使ってた名前:初月 ③今期の目標:RPを頑張る ④今期の感想:短すぎて何もできなかった。外のキャラを持て余してRPなんてできなかった ⑤GWはどう過ごす?:弟夫婦が来るので 甥っ子と遊ぶ ⑥フリー(戦績とか):【第46期 ハレゼナ最終報告】 赤運用 12(24位) 緑運用 25(7位) 青運用 22(7位) 白運用 4(31位) 戦闘数 160(7位) 占領回数 4(3位) 勝利数 69(8位) 勝率 43.1%(35位) 竦み率 40.0%(15位) 竦まれ率 31.3%(33位) 鉱石コスパ 123.2%(5位) 消費鉱石 111584(8位) 撃破鉱石 137453(6位) ゴーレム破壊数 1(33位) ゴーレム破壊HP 10562(25位) 支配値統計 354(19位) 鉱山開発統計 280(30位) 偵察回数 0(28位) 建築回数 9(21位) イベント発生数 5(32位) 登用成功回数 2(20位) 全体国宛発言回数 1234(1位) (04/25 23 51) 名前 コメント +竹井醇子 竹井醇子 [1年1月]リバウを建国しました 名前 コメント +玉坂マコト 玉坂マコト [1年1月]ナナスタを建国しました 名前 コメント +三日月宗近 三日月宗近 [1年1月]リバウに仕官しました。 名前 コメント +tarepanda tarepanda [23年3月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年1月]苦難を乗り越える国に仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +ヴァンピィ ヴァンピィ [9年7月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [7年5月]登用を承諾し秘密の隠れ家へ仕官しました。 [1年1月]メドヴェキアを建国しました 名前 コメント +熊野 熊野 [23年10月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [21年6月]苦難を乗り越える国に仕官しました。 [1年1月]大日本御洒落帝国海軍を建国しました 名前 コメント +Poppy Poppy [1年1月]Bandle Cityを建国しました 名前 コメント +三日月オーガス 三日月オーガス [1年1月]Bandle Cityに仕官しました。 ①今期の元ネタは?: 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ②前に使ってた名前: フィリア(スカルガールズ) ③今期の目標: 適当にチャットする。 ④今期の感想: 凄い早かったかな。 ⑤GWはどう過ごす?: 遊びに行くかも。 ⑥フリー(戦績とか): 今期もお疲れ様。次もよろしくな。 名前 コメント +点蔵・クロスユナイト 点蔵・クロスユナイト [1年1月]Bandle Cityに仕官しました。 ①今期の元ネタは?:境界線上のホライゾン ②前に使ってた名前:ユカ・ワルタネン ③今期の目標:忍者称号をとる! ④今期の感想:サイクロプスしか使わなかったで御座る… ⑤GWはどう過ごす?: 麻雀 ⑥フリー(戦績とか):お疲れ様で御座る!にんにん! 名前 コメント +ふきり ふきり [23年3月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年1月]苦難を乗り越える国に仕官しました。 ①今期の元ネタは?:こてはん ②前に使ってた名前:射命丸、帝 ③今期の目標:ベイスターズを応援する ④今期の感想:はやい、はやいよ! ⑤GWはどう過ごす?:甲子園アンドズムスタアンド実家 ⑥フリー(戦績とか): 来期もよろしくお願いします 名前 コメント +amumu amumu [1年1月]Bandle Cityに仕官しました。 名前 コメント +しろま しろま [1年1月]リバウに仕官しました。 名前 コメント +ヤン ヤン [23年8月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [1年1月]苦難を乗り越える国に仕官しました。 ①今期の元ネタは?:ファイナルファンタジー10のティーダ。太陽の陽を中国語読みして「ヤン」と名付けました。 ②前に使ってた名前:前期と前々期はエコ。コテハンはラウです。 ③今期の目標:いつもの使役ベースからの途中で統率転。 ④今期の感想:短期決戦的で、それなりに楽しめた。長い目で見ていたので、物足りなさ半分。。。 ⑤GWはどう過ごす?: 実は家の用事で出かけるのです^^;; ⑥フリー(戦績とか):次から、対人戦を突っ走るならおとなしく基本方針を使役から変えずに戦おう。。。お疲れさまでした。 【第46期 ヤン最終報告】 赤運用 30(5位) 緑運用 10(30位) 青運用 18(14位) 白運用 4(31位) 戦闘数 164(6位) 占領回数 0(31位) 勝利数 80(6位) 勝率 48.8%(19位) 竦み率 27.6%(34位) 竦まれ率 34.0%(29位) 鉱石コスパ 106.0%(16位) 消費鉱石 124312(5位) 撃破鉱石 131762(7位) ゴーレム破壊数 1(33位) ゴーレム破壊HP 10361(26位) 支配値統計 149(45位) 鉱山開発統計 265(32位) 偵察回数 0(28位) 建築回数 10(18位) イベント発生数 4(34位) 登用成功回数 2(20位) 全体国宛発言回数 24(35位) (04/25 23 51) 名前 コメント +Shivan Wurm Shivan Wurm [23年3月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年1月]苦難を乗り越える国に仕官しました。 ①今期の元ネタは?:MTG ②前に使ってた名前:雷神丸(他所では神) ③今期の目標:武官で遊ぶ、後できれば緑術王 ④今期の感想:赤との戦闘多過ぎて泣いた ⑤GWはどう過ごす?:多分精神的に死ぬ ⑥フリー(戦績とか):緑術王と100人切り獲得できたので満足です 11月26日[称号]「緑術王」を手に入れた。(04/25 23 51) 11月26日[制覇]おつかれさまでした。第46期はBandle Cityの制覇で終了しました。 【第46期 Shivan Wurm 最終報告】 赤運用 14(19位) 緑運用 33(1位) 青運用 12(24位) 白運用 5(24位) 戦闘数 183(5位) 占領回数 4(3位) 勝利数 102(4位) 勝率 55.7%(8位) 竦み率 28.8%(31位) 竦まれ率 38.8%(13位) 鉱石コスパ 119.5%(7位) 消費鉱石 116386(6位) 撃破鉱石 139108(5位) ゴーレム破壊数 2(20位) ゴーレム破壊HP 19281(13位) 支配値統計 367(17位) 鉱山開発統計 251(33位) 偵察回数 3(11位) 建築回数 11(14位) イベント発生数 8(8位) 登用成功回数 1(23位) 全体国宛発言回数 72(26位) (04/25 23 51) 名前 コメント +北白河ちゆり 北白河ちゆり [6年11月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年1月]メドヴェキアに仕官しました。 ①今期の元ネタは?:東方夢時空 ~ Phantasmagoria of Dim.Dream ②前に使ってた名前:忘れたから誰か教えてくれ ③今期の目標:とりあえず削除回さず戦績そこそこいければいいなって思ったぜ ④今期の感想:まさか合わせてくれる奴がいるとは思わなかったぜ ⑤GWはどう過ごす?: 例大祭行ってくるぜ! ⑥フリー(戦績とか): 赤運用 28(8位) 緑運用 9(33位) 青運用 8(39位) 白運用 5(24位) 戦闘数 108(14位) 占領回数 0(31位) 勝利数 63(10位) 勝率 58.3%(5位) 竦み率 43.9%(8位) 竦まれ率 38.8%(13位) 鉱石コスパ 119.4%(8位) 消費鉱石 66621(24位) 撃破鉱石 79530(13位) ゴーレム破壊数 1(33位) ゴーレム破壊HP 11523(23位) 支配値統計 233(39位) 鉱山開発統計 334(25位) 偵察回数 2(15位) 建築回数 12(12位) イベント発生数 6(25位) 登用成功回数 3(17位) 全体国宛発言回数 331(8位) (04/25 23 51) 名前 コメント +スカサハ スカサハ [16年11月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [6年6月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [1年1月]影の国を建国しました 名前 コメント +ルル子 ルル子 [23年3月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [7年3月]登用を承諾し苦難を乗り越える国へ仕官しました。 [1年1月]UCHUPATOを建国しました 名前 コメント +田中 田中 [16年9月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年1月]大日本御洒落帝国海軍に仕官しました。(ランダム) ①今期の元ネタは?:田中(田中くんはいつもけだるげ) ②前に使ってた名前:ゆゆこ、みくにゃん ③今期の目標:だらける ④今期の感想:ばっちり ⑤GWはどう過ごす?:いつもと変わらない ⑥フリー(戦績とか): [制覇]おつかれさまでした。第46期はBandle Cityの制覇で終了しました。 【第46期 田中最終報告】 赤運用 5(51位) 緑運用 6(46位) 青運用 11(29位) 白運用 11(11位) 戦闘数 25(44位) 占領回数 1(22位) 勝利数 7(44位) 勝率 28.0%(48位) 竦み率 52.9%(3位) 竦まれ率 35.3%(26位) 鉱石コスパ 55.0%(49位) 消費鉱石 16757(46位) 撃破鉱石 9218(45位) ゴーレム破壊数 2(20位) ゴーレム破壊HP 11212(24位) 支配値統計 1008(4位) 鉱山開発統計 1883(1位) 偵察回数 7(8位) 建築回数 6(39位) イベント発生数 14(1位) 登用成功回数 3(17位) 全体国宛発言回数 75(25位) (04/25 23 51) 名前 コメント +斉藤 斉藤 [15年11月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [1年1月]大日本御洒落帝国海軍に仕官しました。 ①今期の元ネタは?:ものすごく適当に決めた、後悔はもちろんしている ②前に使ってた名前:昔はああああだったね・・・(遠い目) ③今期の目標:ゴレ破壊鉱石一位!だったけどしろまさん怖すぎ ④今期の感想:後半は自動でコマンド入れるだけのマシーンみたいになってましたごめんなさい・・・もっとチャットしたかった! ⑤GWはどう過ごす?: とりあえず帰省ですね(え) ⑥フリー(戦績とか):特に目立った戦果は上げられていないね・・・ 名前 コメント +百合崎ミラ 百合崎ミラ [1年1月]リバウに仕官しました。 名前 コメント +キャベツ キャベツ [1年1月]リバウに仕官しました。 名前 コメント +ユーコ ユーコ [15年11月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [1年1月]大日本御洒落帝国海軍に仕官しました。 名前 コメント +ベルゼーヴァ ベルゼーヴァ [10年8月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [1年1月]秘密の隠れ家に仕官しました。 名前 コメント +Alice Alice [25年9月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [1年1月]ナナスタに仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +紫之創 紫之創 [7年2月]Bandle Cityに仕官しました。(ランダム) [1年1月]私立夢ノ咲学院を建国しました ①今期の元ネタは?:あんさんぶるスターズ ②前に使ってた名前:ザイツェフ ③今期の目標:特に無し ④今期の感想:前期より勢いがたりませんでした ⑤GWはどう過ごす?: そんなものはありません ⑥フリー(戦績とか): 【第46期 紫之創最終報告】 赤運用 6(44位) 緑運用 14(20位) 青運用 4(49位) 白運用 9(15位) 戦闘数 41(41位) 占領回数 1(22位) 勝利数 17(42位) 勝率 41.5%(37位) 竦み率 40.6%(13位) 竦まれ率 31.2%(34位) 鉱石コスパ 59.1%(47位) 消費鉱石 24327(42位) 撃破鉱石 14384(44位) ゴーレム破壊数 5(9位) ゴーレム破壊HP 21195(11位) 支配値統計 618(10位) 鉱山開発統計 596(8位) 偵察回数 10(7位) 建築回数 8(28位) イベント発生数 7(17位) 登用成功回数 0(27位) 全体国宛発言回数 163(20位) 名前 コメント +silentwinter silentwinter [10年1月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年1月]滅を建国しました 名前 コメント +芹沢モモカ 芹沢モモカ [1年1月]不登校を建国しました ①今期の元ネタは?:Tokyo7thシスターズ ②前に使ってた名前:ミスティア ③今期の目標:変更点ないのでなし ④今期の感想:ずっと無所属に引きこもってました ⑤GWはどう過ごす?:なにそれおいしいの? ⑥フリー(戦績とか): なし Nikaオフ会開催決定-------------------- 6月下旬ににかオフ会を札幌で開催することを決定しました!にかだと初めてなので本人はちょっと緊張してます。 「日にちも決定済みですがなにやるかはまだ決めてません」 来期以降オフ会始まるまでにかの名前「○○@偵察さん」とつけるのでそちらに連絡くれても構いません。まだ急いでないので 行きたい方は芹沢モモカ、または来期以降の「○○@偵察さん」まで連絡お願いします。現在オフ会メンバーの人数は4名です。お待ちしております。 名前 コメント +猫風 猫風 [15年11月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [5年11月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [1年1月]影の国に仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +クー クー [12年12月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年2月]クーを建国しました 名前 コメント +綾崎ハヤテ 綾崎ハヤテ [23年5月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [15年10月]登用を承諾し苦難を乗り越える国へ仕官しました。 [11年11月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [1年4月]クーに仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +鳥さん 鳥さん [23年2月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [15年10月]登用を承諾し苦難を乗り越える国へ仕官しました。 [9年6月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [1年7月]不登校に仕官しました。(ランダム) [制覇]おつかれさまでした。第46期はBandle Cityの制覇で終了しました。 【第46期 鳥さん最終報告】 赤運用 13(22位) 緑運用 7(43位) 青運用 34(1位) 白運用 5(24位) 戦闘数 149(9位) 占領回数 1(22位) 勝利数 71(7位) 勝率 47.7%(20位) 竦み率 40.0%(15位) 竦まれ率 45.0%(5位) 鉱石コスパ 119.2%(9位) 消費鉱石 104896(9位) 撃破鉱石 125067(8位) ゴーレム破壊数 2(20位) ゴーレム破壊HP 12484(21位) 支配値統計 291(28位) 鉱山開発統計 21(52位) 偵察回数 3(11位) 建築回数 11(14位) イベント発生数 9(6位) 登用成功回数 5(14位) 全体国宛発言回数 166(19位) (04/25 23 51) 名前 コメント +ミッキーマウス ミッキーマウス [6年12月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年10月]メドヴェキアに仕官しました。(ランダム) ①今期の元ネタは?:ミッキーマウス ②前に使ってた名前:ミッキーマウス ③今期の目標:ミッキーマウスをする ④今期の感想:出張でいそがしかった ⑤GWはどう過ごす?:仕事 ⑥フリー(戦績とか): ディズニーランドは2回くらいしか行ったことない! 名前 コメント +猫神様 猫神様 [11年11月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年11月]クーに仕官しました。 ①クー ②クー ③クー ④クー ⑤クー ⑥くぅ? 名前 コメント +けもみみ娘リコレット けもみみ娘リコレット [6年9月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [1年12月]メドヴェキアに仕官しました。 名前 コメント +ヴィーラ ヴィーラ [11年11月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [1年12月]クーに仕官しました。 名前 コメント +ファラ ファラ [16年1月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [12年1月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [5年11月]登用を承諾しクーへ仕官しました。 [1年12月]影の国に仕官しました。 名前 コメント +秋姫 唯 秋姫 唯 [24年12月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [15年10月]登用を承諾し苦難を乗り越える国へ仕官しました。 [11年2月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [7年12月]登用を承諾し秘密の隠れ家へ仕官しました。 [2年8月]滅に仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +ラッシー ラッシー [23年7月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [10年8月]登用を承諾し苦難を乗り越える国へ仕官しました。 [3年11月]不登校に仕官しました。 名前 コメント +ぬるぽ大帝 ぬるぽ大帝 [23年7月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [15年12月]登用を承諾し苦難を乗り越える国へ仕官しました。 [13年8月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [4年1月]ナナスタに仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +Garen Garen [16年12月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [10年9月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [7年11月]登用を承諾し秘密の隠れ家へ仕官しました。 [4年7月]私立夢ノ咲学院に仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +リィズ リィズ [7年2月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [4年12月]私立夢ノ咲学院に仕官しました。 名前 コメント +キキ キキ [5年7月]リバウに仕官しました。 ①今期の元ネタは?:赤髪の白雪姫 ②前に使ってた名前:小紅(未確認で進行形) ③今期の目標:ぼーっと戦闘zzz ④今期の感想:勝利数負けたー!でもいい感じにできて嬉しいです ⑤GWはどう過ごす?: 連休明けがつらい予定なので、英気を養っておきます… ⑥フリー(戦績とか):クールな喋り方にするとそっけない感じになるのが難しいです。。 11月26日[称号]「軍神」を手に入れた。 11月26日[称号]「鬼神」を手に入れた。 11月26日[称号]「闘将」を手に入れた。 【第46期 キキ最終報告】 赤運用 33(2位) 緑運用 10(30位) 青運用 20(11位) 白運用 3(40位) 戦闘数 185(4位) 占領回数 2(13位) 勝利数 113(2位) 勝率 61.1%(2位) 竦み率 37.6%(20位) 竦まれ率 19.1%(45位) 鉱石コスパ 138.1%(1位) 消費鉱石 128165(4位) 撃破鉱石 176942(1位) ゴーレム破壊数 2(20位) ゴーレム破壊HP 5131(37位) 支配値統計 270(34位) 鉱山開発統計 160(42位) 偵察回数 0(28位) 建築回数 15(4位) イベント発生数 4(34位) 登用成功回数 10(8位) 全体国宛発言回数 15(44位) 称号ってどれがどれのなのかなー? 名前 コメント +セリリ セリリ [23年10月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [13年11月]登用を承諾し苦難を乗り越える国へ仕官しました。 [6年10月]ナナスタに仕官しました。 [6年2月]私立夢ノ咲学院に仕官しました。 名前 コメント +ポンコツ ポンコツ [22年7月]登用を承諾しリバウへ仕官しました。 [14年9月]登用を承諾し大日本御洒落帝国海軍へ仕官しました。 [8年2月]クーに仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +嘉神慎之介 嘉神慎之介 [13年9月]登用を承諾しBandle Cityへ仕官しました。 [11年11月]ナナスタに仕官しました。 ①今期の元ネタは?:幕末浪漫 月華の剣士(SNKの格闘ゲーム) ②前に使ってた名前:ここでは話せぬ。 ③今期の目標:途中参加から、戦力して活躍する。 ④今期の感想:面白そうな面々が揃っている反面、初心者が今期は多めだった気がする。 ⑤GWはどう過ごす?:仕事関係の参考書を読んだり、身体をうごかしたり、の予定。 ⑥フリー(戦績とか): このキャラで登録した後に、PS4とVitaでダウンロード版のネット対戦可能な 「幕末浪漫第二幕 月華の剣士」が5月にリリースされると発表されました。 https //www.jp.playstation.com/blog/detail/2843/20160420-gekkanokenshi2.html 興味がある方は是非、遊んでみてください。 【今期の戦績】 [制覇]おつかれさまでした。第46期はBandle Cityの制覇で終了しました。 【第46期 嘉神慎之介最終報告】 赤運用 29(7位) 緑運用 8(38位) 青運用 11(29位) 白運用 8(18位) 戦闘数 44(39位) 占領回数 3(10位) 勝利数 20(38位) 勝率 45.5%(26位) 竦み率 33.3%(24位) 竦まれ率 25.6%(42位) 鉱石コスパ 82.9%(38位) 消費鉱石 50393(35位) 撃破鉱石 41784(33位) ゴーレム破壊数 2(20位) ゴーレム破壊HP 5408(36位) 支配値統計 172(43位) 鉱山開発統計 236(34位) 偵察回数 1(21位) 建築回数 8(28位) イベント発生数 4(34位) 登用成功回数 0(27位) 全体国宛発言回数 236(18位) (04/25 23 51) 名前 コメント +岡崎夢美 岡崎夢美 [13年12月]Bandle Cityに仕官しました。 ①今期の元ネタは?:東方夢時空 ~ Phantasmagoria of Dim.Dream ②前に使ってた名前:ノーラ・ブランドル その前はパルスィとかナチュレとかなんか ③今期の目標:ちゆりいじる ④今期の感想:なんもしてない ⑤GWはどう過ごす?: なんもしない ⑥フリー(戦績とか) 名前 コメント +バウ(グレミー軍) バウ(グレミー軍) [19年1月]リバウに仕官しました。 名前 コメント +ギョウザ ギョウザ [23年12月]リバウに仕官しました。(ランダム) [22年2月]苦難を乗り越える国に仕官しました。 名前 コメント +ヘルエス ヘルエス [24年12月]Bandle Cityに仕官しました。 名前 コメント +河城にとり 河城にとり [29年8月]Bandle Cityに仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +チェイン・皇 チェイン・皇 [29年9月]Bandle Cityに仕官しました。(ランダム) ①今期の元ネタは?:三枝真喜乃(遊戯王裏世界大会GATE) ②前に使ってた名前:ベルドリト ③今期の目標:マキノさんみたいにE・HEROエアー・ネオスでワンキル。 ④今期の感想:遊戯王にはまる。(2年ぶり5度目) なんだかんだライロ使う辺りやっぱりぶっぱが好きかなと思いつつ、もうライロが出てきてから8年経ったのかあとか思うデュエリスト。 ⑤GWはどう過ごす?:日曜しか休みないんだけどぉ…。 ニカのやる気でねえ。 ⑥フリー(戦績とか):ヒマになったら毎日デュエルするんだ…。 名前 コメント +チルノ チルノ [29年10月]Bandle Cityに仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +いなずま いなずま [29年11月]Bandle Cityに仕官しました。(ランダム) 名前 コメント +Taric Taric [1年1月]Bandle Cityに仕官しました。 ①今期の元ネタは?: Taric。League of Legendのチャンピオン ②前に使ってた名前: 半裸でドーン!、糸色丁頁リスペクト、とかetc ③今期の目標: LoL国家が建っていたので誘われるがままにホイホイ登録、 Poppyは紹介文通りにすばらしいテクニシャンだったぜ。 微力ながら統一を手伝えてよかった。 ④今期の感想: ついにTOPのお知らせ欄が空白のまま、期が終わってしまった。 時間がなくて調整やバグフィックスが行えないのは仕方ないだろう。だが そうならそうで、今期は修正無しで開始します、の一言ぐらいあっても良いのではないか な。 参加者に不安を抱かせるような振る舞いは、あまり感心できん。 ⑤GWはどう過ごす?: Ezrealと二人っきりで濃密な時間を過ごしたい・・・! ⑥フリー(戦績とか): Poppyマジ天使。初代LoL国のAkaliちゃんを彷彿とさせる サモリフの害獣は彼女の仁徳と礼節を見習うべき。 名前 コメント 【今期の主な出来事】 名前 コメント
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外伝『第二の人生』 メキシコ湾 アメリカ本土の南側に広がるこの海は、アメリカ合衆国がこの世界に召喚されておよそ五年が経った今でもそう呼ばれていた。 これは元々居た世界を忘れないためにという感傷的な理由からこうなっている訳ではない。ただ単に戦争という国家挙げての大事業の最中にこれまで通用してきた地名に代わる新たな名前を考え、そして命名するという面倒なことに労力を割く余裕が無いからである。 その昔の名前で呼ばれている海の上を、一群の艦艇が陣形を組んで航行していた。 その数五隻、そのうち四隻はかつてこの国がかつて世界大戦に参戦した時に大量建造された駆逐艦、その船型からフラッシュ・デッカー(平甲板型)などと呼ばれている旧式駆逐艦である。そして陣形を組んだ彼女たちに守られるような位置にいるのはのっぺりとした全通甲板が目を引く小型空母であった。 そのシルエットはこの国が各地の造船所で次から次へと建造している様々な形式の護衛空母とさして変わりがない。船体の上に設置された長方形の飛行甲板、右舷前部に配置された小さな構造物、そのどれもがこの艦が『ジープ空母』の別名で合衆国海軍の水兵たちやこの世界の様々な人々に知られている護衛空母であることを主張していた。 だが、軍艦に詳しい者がこの艦をつぶさに観察したならばこの『空母』の奇妙さに首を傾げただろう。このような小型空母において航空機の発艦に必要不可欠な油圧カタパルトが見当たらず、さらに航空機の着艦収容に必要不可欠な拘束装置――アレスティング・ワイヤー――も存在しないのだ。航空機用エレベーターは飛行甲板後部に一基設置されていることが確認できるが、これもよく見ると飛行甲板との隙間が埋められ、飛行甲板と一体化している。着艦誘導用の設備こそ設置されているが、明らかに空母としては役に立たないシロモノだった。 四隻の駆逐艦を従え、異世界の海をゆく『空母もどき』。ずんぐりとした船体に塗られた灰色のペンキは所々剥げ落ち、そこから赤茶色の錆が糸を引いている。そしてその丸みを帯びた低い艦尾には白いペンキで艦名が記されていた。 "USS BEAVER IX-81" 合衆国海軍における非分類雑役艦(IX)、いわゆる『その他諸々の艦艇枠』の歴史はそれほど古くはない。かつて米西戦争に従軍した砲艦『アナポリス』が航海学校の練習船となった時にIX-1の分類番号を与えられたのが1921年、その後このカテゴリーには様々な船舶や艦艇が加えられていった。 有名どころでは記念艦として保存されている独立戦争の殊勲艦『コンスティチューション』(召喚後、維持費用などの諸問題により一時期海軍から除籍されていたが、のちに多くの人々の請願により再び軍艦として復活している)、米西戦争の時のマニラ湾海戦でアメリカ艦隊の旗艦を務めた防護巡洋艦『オリンピア』等があるが、そのほとんどは海軍が徴用、もしくは購入した雑多な船か第一線を退いた旧式艦であり、ぱっとしたイメージとは程遠い印象を与えるカテゴリーではあった。 そんな艦種に分類されているこの艦も最初から非分類雑役艦として艦艇名簿にその名を記されていた訳ではない。最初は民間向けの貨物船『モーマックランド』として1940年4月に竣工、その翌年の5月には合衆国海軍に徴用され英国向けの護衛空母として改装工事を受けることになる。そして同年11月にこれを終えるとBAVG-1という分類番号と『アーチャー』という新たな名前を与えられた。だが改装工事が終わった時には合衆国は異世界に召喚されており、改装終了と同時に英海軍に編入される予定であったこの艦は引き続き合衆国海軍に所属することとなる。 こうして合衆国海軍の保有する空母の一隻となったこの艦は当初姉妹艦である『ロング・アイランド』と戦隊を組む予定だった(一部の人間は英国向けの設計であることを理由にかの『ジョンブル戦隊』への配属を主張したが、鈍足の改装空母が足手まといとなることを嫌った英国側の意向によりこの案は流れた)のだが、ここで思わぬ不幸がこの艦を襲う。慣熟航海中にエンジントラブルに見まわれ、長期間のドック入りを余儀なくされたのだ。 自分たちの乗り組む艦が一度も戦うことなく『病院送り』となったことに艦長以下全ての乗組員がこの艦の運の悪さを呪った。しかしその後『ロング・アイランド』がジェリンファ沖で武運つたなくその短い生涯を終えたという報せを耳にした彼らは、この艦は一見不運そうだが、実は幸運な艦なのでは? と考えるようになる。 だが、それは修理を終えたあとの試験航海で見事なまでに裏切られた。 機関の全力テスト中に完璧に修理されたはずの機関部は再びトラブルを起こし、『アーチャー』は出てきたばかりのドックに逆戻り。業を煮やした海軍当局はこの艦の分類番号と艦名を取り上げたうえ、使えそうな装備を剥ぎとって浮かぶ倉庫として再利用することを決定。かくして『アーチャー』は一度も戦わないまま軍艦としての生涯に終止符を打つこととなった(取り上げられた艦名は後に建造されたキトカン・ベイ級護衛空母の一隻に与えられることになる)。 だが、捨てる神あれば拾う神あり。一度は軍艦としての生涯を終えたこの艦は再び軍艦として甦ることになる。 開戦後多くの若者達を受け入れ、彼らを一人前の海鷲として鍛えあげるべく日夜努力を重ねていた海軍航空隊の教官パイロットたち。彼らが訓練で自由に使える空母の必要性を声高に叫んだことから事態は動き始めた。 戦時体制下においてこの国の各地にある造船所はフル操業で様々な艦船、船舶を建造し、その中には少なからぬ数の空母も含まれていたが、それらは就役するそばから前線へと送り出されていた。この結果、数多くの海鷲のひな鳥たちは空母パイロットとして必要不可欠な着艦技術を陸上の滑走路に描かれた空母の甲板の絵で習得せざるを得ない状況に陥っていたのだ。もちろん、このような訓練で揺れる空母の甲板に着艦する技術を習得できるかといえば、答えは間違いなくノーである。 もちろん海軍の上層部がこの状況を座視していたわけではない。事実就役直後の慣熟訓練中の空母や本土で修理の終わった空母が訓練の一環としてこの役目に回され、若き海鷲たちの訓練場となっていた。だがこのような間に合わせ的な対策で関係者が満足するはずもなかったのだ。 そんな彼らの目に留まったのがこのお払い箱になった空母である。彼らは早速関係各部署に働きかけてこの装備を剥ぎ取られつつあった名無しの艦を手に入れ、一度は死んだこの艦に再び命を吹き込み始めた。もっとも着艦訓練用に使えればいい、という割り切りから空母としての機能の復活は最低限に抑えられ、撤去されたカタパルトや着艦拘束装置、整備用の機材や航空機用ガソリンタンクと言った設備は再び搭載されることはなく、航空機用エレベーターも完全に固定された。トラブル続きの機関については施設の整った基地での定期的な点検と整備の実施、そして訓練をアメリカ本土近海でのみ行い、過剰な負荷をかけないという条件でなんとか折り合いがついた。 こうして一度その生涯を終えたこの艦は新たな名を与えられて復活することになる。 合衆国軍艦ビーヴァー IX-81。それがこの艦の新たな名だった。 灰色に塗られた練習機が着艦アプローチに入る。 艦からの誘導に従ってエンジン出力を絞り、フラップを下げ、降着装置を下ろす。前席に座る訓練生は空母への着艦において基本中の基本である三点降着、すなわち二つある前輪と一つの尾輪、合わせて三つの車輪で空母の甲板を踏みしめる姿勢を乗機に取らせるべく操縦桿とフットペダル、そしてスロットルをせわしなく操作していた。だが訓練生の意志とは裏腹にふらつく練習機。『ビーヴァー』の煙突が吐き出す熱いディーゼル排気と飛行甲板後端が起こす乱流が機体を弄んでいるのだ。機体を操る当の本人は出来るかぎりうまくやってのけようとはしているようようだが、現実は残酷だった。 やがてドスン という鈍い音とともに最初に前輪が、次いで尾輪が甲板を打ち、その直後にエンジンを全開にした練習機はさして長くはない飛行甲板をレシプロエンジンの騒音と共に走りぬけ、甲板の前端を蹴って再び空へと戻っていった。 その一部始終をキャットウォークで見ていた一人の士官が遠ざかってゆく灰色の機体、制式名称ノースアメリカンSNJ――陸軍航空隊が運用しているAT6"テキサン"練習機の海軍仕様――の機影に背中を向けると、甲板上でついさっきまで着艦誘導作業を行っていた相棒にその日焼けした顔を向け、吐き捨てるような口調で話しだす。 「てんでなっちゃいねえ、ふらついてる上にケツが高過ぎだ。前が見えないのがおっかないんだろうが、きっちり機首を上げないとワイヤーを捉え損なって事故を起こすぞ……おいワーナー、あのヒヨッコ今頃は教官にさんざん怒鳴られてるな。あれじゃやり直しは確実だ」 「操縦が大雑把過ぎるんだよ。『高度を下げろ』って合図したら下げすぎるし、『左に寄り過ぎだ』ってやったら今度は右へ行き過ぎる。おいベン、ちょっくら飛んでってあのヒヨッコに空母着艦のABCを伝授してやりなよ。そうすりゃ次はもっとマシな着艦ができるはずだぜ」 「悪いな、俺はもうパイロット稼業からは足を洗ったのさ」 たった今行われた着艦訓練を船乗りならではの荒っぽい口調で容赦なく論評する士官と陽気な調子でまぜっかえす相棒。二人とも腕も顔も赤銅色に日焼けしている一方、潮風に四六時中晒されているはずの肌にはまだまだ張りと艶があるところを見るとそれほど歳は取っていないようだ。だがその纏う雰囲気はまごうことなき古強者のもの、実際視線の配り方や甲板上での足取りは長い間海上で過ごしてきた者特有のものがあり、それは日焼けした肌と相まって頼もしげな印象を見る者に抱かせた。 そんな二人の手には奇妙な道具があった。短いグリップが取り付けられたやや小型のクリップボード程度の大きさの四角い金属枠。枠の中の空いたスペースには派手な色に染められた厚手のリボンが何枚も平行に取り付けられ、まるで窓に取り付けるブラインドのような見かけになっている。遠目には球技で用いられるラケットのように見えなくもない。だがこのパドルと呼ばれるもの、LSO(空母着艦誘導士官)が空母に着艦する艦載機のパイロットに指示を出す時の必需品である手旗もどきの道具こそが、今の彼らの『武器』だった。 ベン・バスキーとワーナー・チャドウィックの二人は今の合衆国海軍では少数派となった戦前からの海軍士官だった。 かつて合衆国海軍の空母航空団における重要な対艦戦力であった爆撃航空隊(VB)、その主力であるSBD艦爆のパイロットと後席員としてレキシントン級、ヨークタウン級といった艦で勤務した二人はこの戦争が始まる直前に空母『ワスプ』の乗り組みを命じられ、かつて勤務した空母と比べて少々手狭なこの新空母の住人となっていた。 そして運命の11月12日、二人の住処である『ワスプ』はシホールアンル艦隊の不意討ちを受け、一時は沈没寸前にまで追い詰められた。乗組員たちが総出で消火作業や救助作業に駆けずり回る中、彼らもまた負傷した戦友を間に合わせの救護所となった士官食堂へ運び、麻酔無しの外科手術に悲鳴を上げて暴れるその体を力ずくで押さえつけたり、重症を負って死の恐怖に怯える男たちを言葉を尽くして励ましたりした。 その後炎の地獄と化した格納甲板を負傷者を探して再び駆けまわる途中で二人の記憶は途切れ、次に気がついた時は彼らもまたさっきまで自分たちが助け、励ましていた戦友たちに交じって呻いていた。どうやら敵艦が放った砲弾が格納甲板で炸裂し、彼らを負傷させたらしい。 そんな二人を手当した軍医いわく 「君たちは運が良い方だよ。運の悪い連中はもう呻くことすら出来ないんだからね」 その言葉を聞かされた二人は火傷や打撲の痛みに苦しみつつも心の底から自らの幸運を神に感謝した。 やがて『ワスプ』がその傷ついた躰をノーフォーク海軍工廠のドックに横たえるのと時を同じくして彼ら二人も海軍病院の住人となり、長い療養生活に入る。そしておよそ7か月後、彼らの住処であった『ワスプ』は修理と同時に行われた改装工事により見違えるような姿となって戦線復帰を果たすのだが、その艦上に彼らの姿は無かった。海軍病院での手術とそれに続く精密検査の結果下された宣告、二人の身体はもはや飛行任務に耐えられないという非情な宣告が彼らの艦爆乗りとしてのキャリアに終止符を打ったのだ。 二人は己の運命を呪った。目の前で死んでいった戦友たち、体の一部を失うほどの深傷を負った仲間たちの代わりに不意討ちを仕掛けてきた悪党どもの乗る軍艦に爆弾を叩きこみ、いつかは敵国の皇帝の脳天に強烈な一撃を食らわせることを毎夜ベッドの上で夢見てきた彼らにとって、それは死刑宣告よりも残酷なものだった。 その日以来、二人は変わった。彼らの面倒を見ていたある看護兵の言葉を借りるならこうだ。 「体は治った、でも魂が死んじまった。あのままじゃせっかく元気になった体も遠からず死んじまうだろうな」 程なくして二人は海軍病院を退院し、南部の片田舎に新設された基地での陸上勤務を命じられる。戦時体制に突入した合衆国海軍にとって彼らのような経験豊かな軍人をいつまでもベッドの上に居させるわけにはいかなかったのだ。 抜け殻のようになった二人、しかし心はうつろでも軍隊生活に慣らされた体は命令に従い、為すべきことをなす。車両を運転し、書類にサインをし、食事をし、そして眠る。しかしそんな彼らがあるものを目にしたことで彼らの運命は再び動き始めた。 LSO養成訓練課程への志願者を募るという告知。 戦時体制下でハイペースで拡張を続けていた合衆国海軍。その母艦航空隊にとって欠くべからざる存在であるLSO。限りない大海原の中にぽつんと頼りなげに存在する空母の狭い飛行甲板に戦闘や訓練で疲れきった男たちが愛機を降ろす際の手助けをする男たち。彼らの手助けがあるからこそ艦載機収容作業はスムーズに行くと言っていい。もし彼らがいなければ、合衆国海軍における空母艦載機の着艦事故数は酷いことになるだろう。そして艦爆乗りとして数えきれないほど空母への着艦を行ってきた彼らが躊躇うことなく訓練課程に志願したのもまた、当然といえば当然だった。 俺たちはもう空で戦えない、でも空で戦う仲間たちを手助けすることは出来る。その言葉を合言葉に二人は再び動き出した。 顔にニキビの跡が残る若い新米士官たちや彼ら同様『もう飛べない』男たちとともにLSOの速成訓練を受けた彼らは訓練課程修了後、最初はアメリカ本土と南大陸の間を往復する輸送船団を護衛する護衛空母で、後には新造のエセックス級正規空母などでLSOとしてのキャリアを積み上げていく。やがてマオンド共和国が降伏し、この戦争に先が見え始めてきた頃に配属されたのがこの『ビーヴァー』だった。 この戦争が終わるまで前線勤務を続けることを望んでいた彼らは当初、後方で、しかもこのような『空母もどき』での勤務に不満を隠そうとしなかったが、この艦が彼らと同じく『一度は死んだ』境遇から奇跡の復活を遂げた存在であることを知り、認識を改める。「似たもの同士ってことか。偉いさんも面白いことをするねぇ」とチャドウィックは評し、「これこそ神のお導きってやつかな」とバスキーは感慨深げにつぶやいた。 そして着任からおよそ半年が過ぎた現在まで、二人はこの艦のLSOとしてペンサコーラやウィッティングフィールド、コーパス・クリスティーといったメキシコ湾岸の海軍航空基地に拠点を置く様々な訓練航空隊に所属する訓練機の着艦訓練に関わる傍ら、『かつての自分たち』すなわちLSOとしての訓練を受けている若者たちに自分たちが身に付けた着艦誘導技術を伝授していた。 再び『ビーヴァー』艦上。長かった着艦訓練は終わり、不揃いな編隊を組んで北の空に消えてゆく練習機を眺める二人。『ビーヴァー』もまたゆるやかに回頭し、現在の母港であるペンサコーラへの進路を取りつつあった。そんな中、チャドウィックが口を開く。 「なあベン、やっぱり俺たちもうしばらくしたら失業かな?」 「またその話かよ。あれが便利な道具だってのは俺にもわかるが、ただの赤と青のランプだぜ? ランプが自分で「機首を上げろ」とか「ウェーブ・オフ(着艦やり直し)」って合図するわけじゃない。そういう合図は人間がやるもんで、それは俺たちの仕事だ。まだまだ俺たちの出番はあるぜ」 二人が話題にしているのは現在合衆国海軍の空母に配備されつつある着艦誘導灯のことだった。日本の空母は全てこれを備えており、その結果日本の母艦航空隊にはLSOがいないという話を耳にして以来、チャドウィックは自らの将来を心配するようになっていた。そんな彼を励ますバスキー。しばらく前からふさぎ込みがちの彼を励まそうと最近耳にした話題を取り上げる。 「それより聞いたか。この艦に南大陸の軍人さんたちが団体でやってくるそうだぜ、しかも皆女だ! バルランドの貴族のお嬢様に美人揃いのミスリアルのエルフ、そしてカレアントの獣人、お前もカレアントの連中が一杯飲めば脱いじまうって話は聞いたことがあるだろ。歓迎会が楽しみじゃないか!」 「将来建造する空母の乗組員をうちで訓練するって話だろう? 確かに酔っ払ったカレアントの連中が服を脱ぎだしたのは見たことがあるし、ミスリアルのエルフが美人揃いなのは知ってるが、いくらなんでも皆女性ってのは大げさすぎだろう」 「夢を持とうぜワーナー、夢があるから生きる元気が出るし人生も楽しくなる。そうだろう?」 相棒の問いかけに照れたような笑みを返すチャドウィック。そんな彼を見たバスキーもまた、安心の笑みを漏らした。 新たな世界で新たな歴史を刻み始めた国、その国の海軍で新たな名のもとに新たな役目を与えられた艦、そしてそれに乗り組む二人の男もまた、新たな任務に自分たちの生きる意味を見出していた。そんな彼らの元へやって来た異世界の客人がたっぷりの騒動とそれに負けず劣らずたっぷりの驚き、そして数えきれないほどの喜びをもたらすのであるが、それはまた、別の話である。 外伝『第二の人生』 完