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173:モントゴメリー:2022/08/27(土) 20 35 29 HOST 116-64-135-196.rev.home.ne.jp 無幻世界支援ネタ——アメリカ海軍 「エセックス」級航空母艦—— 基準排水量:約26000t 全長:275m 全幅(水線):33m 機関:定格12万馬力 最大速力:29ノット(公称) 兵装(就役時) 38口径5インチ連装砲4基8門 同単装砲6基6門 37mm機関砲2連装20基40門 20mm機関銃50挺 搭載機:約 機 【概要】 アメリカ合衆国の航空母艦。 アラスカ級偵察戦艦をベースとした艦隊型空母であり、優れた艦載機運用能力をもつ反面、脆弱な防御力と物足りない速力など欠点も多い。 戦時量産型空母として戦争後半の合衆国海軍航空隊を主に質的面で支えた功労艦である。 【計画】 珊瑚海海戦後、偵察戦艦以外の大型航空母艦の建造を禁止された合衆国海軍であるが「現実派派閥」と呼ばれる海軍良識派は諦めず大統領を説得し続けた。 その結果根負けした(飽きたともいう)大統領が「偵察戦艦の建造を妨げない範囲で」大型母艦の建造を認めたのである。 早速良識派たちはかつて新世代空母の素案を設計したチームを招集し、空母建造をスタートさせようとした。 しかし、ことは上手く運ばなかった。 あのアラスカ級を設計した主任技術者は改アラスカ級である「キアサージ」級の設計チームに回されており、彼のスタッフも多くがそちらに合流していた。 また、今は戦時であり当時ほど物資も時間も利用できる量は減っている。 そこで良識派は次善策として、アラスカ級をタイプシップとした全通甲板式空母の建造を指示、結果生まれたのが本級である。 (アラスカ級が選ばれた理由は、合衆国で設計された最新鋭の「航空母艦」であり、一番洗練された設計だからである) 174:モントゴメリー:2022/08/27(土) 20 36 13 HOST 116-64-135-196.rev.home.ne.jp 【設計】 前述したように、船体などの基本設計はアラスカ級を踏襲している。 元々アラスカ級は「新世代の艦隊型空母」を原案としていたので、偵察戦艦(航空戦艦)という回り道を経て本来の姿に立ち返ったとも言える。 しかし、戦局の悪化などの諸条件により原案当初の理想と剥離した面も少なくない。 まずアラスカ級の最大の武器とも言える速力は、量産性を高めるため機関をフレッチャー級駆逐艦のものを2セット搭載する方式に変更された。 これによる合計出力は約12万馬力。 正直このサイズの空母には力不足であり(原案では15万馬力、アラスカ級で20万馬力)、速力は最高29ノットと不満が残るものとなった。 しかし、船体規模を活用した長大な飛行甲板により航空機運用能力には大きな影響を与えていない。 実際、戦争後半に登場した大型重量級艦載機の運用も問題なく行えている。 次に防御力。 原案では舷側装甲は対15.5㎝砲、水平装甲は高度3048mから投下される1000ポンド爆弾に抗堪できる性能であった。 しかし本級では量産性を高めるため、防御力はそぎ落とされることになる。 これは装甲板の配分がアラスカ級及び改アラスカ級、そして改ユナイテッド・ステーツ級に優先されたためでもある。 (アメリカン・ジャスティス世代の妨害工作であるという説が根強い) 結果、本級の装甲防御は垂直装甲が舵機室のみに89㎜、水平装甲は機関室上部に32㎜を施されたのみとなり、非常に脆弱となっている。 これは運用側から見れば大きな不安であり、その不安は実戦で証明されてしまう。 本級は一発の被弾で戦闘能力を損失することも珍しくなく、弾薬庫が誘爆して撃沈した事例すらある。 ただし、水中防御はアラスカ級を踏襲したため原案よりもむしろ強化されており、雷撃に対する対応力は意外にも高かったことはここに明記する。 上記のような欠点を抱えているが、それらを許容してまで求めた航空機運用能力は破格である。 搭載数は定数で110機。露天繋止を最大限活用した場合は130機にもなる。 また、広大な格納庫は作業スペースとしても有効であり、護衛空母などでは運用困難な高性能艦載機にも対応可能である。 甲板エレベーターはヨークタウン級の3基から2基に減少したが、左舷格納庫前部の開口部に小型のサイドエレベーターを装備するなど新機軸も導入している。 カタパルトは2基が搭載されることになっていたが、護衛空母への配備が優先されたためほとんどの艦が1基しか装備されなかった。 (装備されなかった艦もある) また、カタパルトそのものの性能も不安定であったため、実戦で活用されたことは少ない。 その欠点は飛行甲板の長さで補うことが可能なレベルであったのだ。 対空火器について特記すべき事項は37㎜機関砲の採用である。 これはソ連海軍のV-11 37㎜連装機関砲をライセンス生産したもので、砲そのものの性能は日英同盟軍が使用するボフォース40㎜機関砲に遜色ないものである。 【運用】 本級はハワイ沖開戦時には数隻が実戦配備されており、同海戦における合衆国航空戦力の一翼を成した。 不足と言われる速力も、戦艦部隊と協同する際には問題にならなかった。 (ただし、ヨークタウン級やアラスカ級と艦隊を組む際には苦労している。そのため、これらの艦は独自に任務部隊を編成、遊撃隊的にうんようされた) 本級はその防御力の低さから就役した艦の大半が戦没したが、合衆国海軍が消滅するその日まで艦隊上空を守り通した功労艦であることは異論の余地がない。 175:モントゴメリー:2022/08/27(土) 20 36 45 HOST 116-64-135-196.rev.home.ne.jp 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 今回も陣龍氏のリクエストに則り作成いたしました。 今回のテーマは「史実雲龍型チックなエセックス級」でしたのでそれっぽくしました。 駆逐艦の主機を流用はまさにそれですね。 あとの要素(低い防御力・遅い速力)は史実「ワスプ」を基に設計いたしました。 言ってみればこの無幻世界版エセックス級は「デカいワスプ」です。
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渡洋爆撃(とようばくげき)とは、大日本帝国海軍が昭和12年(1937年)から中国大陸本土に対する長距離爆撃を行ったことをいう。 最初の渡洋爆撃と呼ばれるのは、8月15日の南京に対する空襲である。初期は九州大村基地から海を越えて南京に対する攻撃を中心として爆撃していたが、日本軍の占領地の拡大に伴い目的地・発進基地ともに中国奥地へと前進した。中国国民党が遷都した重慶に対する「重慶爆撃」は有名である。機体は双発の九六式陸上攻撃機が用いられ、のちに一式陸上攻撃機が引き継いだ。 なお、陸軍は敵基地限定爆撃に重点をおき、戦略爆撃をおこなっていない。海軍航空隊がどのような判断から市街地を目標として選択したかは不明である。旧日本軍機は防御性能が十分ではなかった為、損害が回を重ねるごとに増えていった。また、護衛の九六式艦上戦闘機の航続距離が短かったのも原因のひとつとされる。この爆撃を見たアメリカやイギリスはその効率のよさを評価して、後の太平洋戦争での日本の本土空襲を行う際の参考にしたという。 関連項目 支那事変 日中戦争 注 _ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年8月26日 (火) 12 10。
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477: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19 06 31 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 日米枢軸ルート 番外編:エムデン戦隊の伝説 地中海と大西洋でドイツ海軍地中海艦隊がウィルヘルムスファーケンに向かい航海を続けている頃、遠いアジアでもドイツ海軍は動きだそうとしていた。 もともと、ドイツ海軍は1881年よりアジア地域に艦隊を派遣しており、1898年にはこの艦隊の拠点として膠州湾を99年間租借する事を取り決めた独清条約に署名し、この地域の植民地建設が本格的に始まった。それまで貧しい漁村だった青島に、海軍基地と支援施設からなるドイツ帝国海軍の東洋基地が建設されていた。 第一次世界大戦開戦直前には巡洋戦艦《フォン・デア・タン》、装甲巡洋艦《シャルンホルスト》《グナイゼナウ》、仮装巡洋艦《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》《リャザン》防護巡洋艦6隻、非防護巡洋艦4隻、駆逐艦8隻、水雷艇20隻、砲艦4隻と無視できない大戦力を抱えており、そのほとんどが青島に停泊していた。1914年にサラエボ事件がおきると、東洋艦隊司令官マクシミリアン・フォン・シュペー中将は東洋艦隊に出撃準備をさせる。この時のドイツはイギリス海軍管区を通る全ての海中ケーブルが遮断されていたが、満州連邦ー日本ー米国を通るルートを使いドイツ本国との連絡線確保に成功しており、彼は海軍大臣テイルピッツより東洋艦隊を使い通商破壊を行う事を命令されており、防護巡洋艦《エムデン》、《ニュルンベルグ》と仮装巡洋艦《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》石炭運搬船エルスベートからなるエムデン戦隊を編成、連合国の艦船への通商破壊を行うべく青島を出撃する。 1914年8月23日、インヴィンシブル級巡洋戦艦《オーストラア》、軽巡洋艦2隻を中核としたオーストラリア海軍艦隊がドイツ東洋艦隊を自由にさせないようにする為に青島を海上封鎖する。しかし、この時には《エムデン》と《ニュルンベルク》はロンボク海峡を通過、インド洋に出ていた。そこで彼らもまた伝説を作る。 インド洋に入った《エムデン》と《ニュルンベルク》はそれぞれが単独での行動を開始。彼らはインド洋で連合国籍の船舶を相手に極めて紳士的に通商破壊を実行、彼らは9月14日までだけでもベンガル湾にて8隻の船を死者・重軽傷者0と言う状態で撃沈または拿捕する。 この12隻の船の中には中立国籍の船もあったが、ドイツ海軍はその巧みな外交術で問題を回避し、国際法違反と糾弾されないように様々な手を尽くしていた。それだけではなく拿捕した全ての船籍の乗組員を丁寧に扱い中立国からは称賛の声すら出るほどであった。その一方、《エムデン》と《ニュルンベルク》の活躍によりインド洋の連合軍通商航路は大きなパニックを巻き起こす。さらに商船の戦時保険料が急騰し、多くの船舶が出港を見合わせた。 《エムデン》は9月12日に一旦通商破壊を終了。事前に決めていた集合海域で別行動をとっていた《ニュルンベルク》、《エルスベート》と合流し、石炭を補給する。その後、イギリス海軍の重要拠点であるマドラスを襲撃する為にマドラスに向け進路をとる。 マドラス襲撃にあたって《エムデン》と《ニュルンベルク》は偽造煙突を使い四本煙突に偽装。航海灯をつけたまま堂々とマドラスに接近し海岸から2,800mか3,000mほど接近すると沿岸部に向けて砲撃を開始する。この時の砲撃は沿岸砲と石油タンクを標的として行われ、決して市街地には当たらないようにされていたこともあって、市街地には一切の犠牲者を出さずに沿岸砲を沈黙させ、石油タンクに大きな被害を与え、65万ガロンの石油を燃焼させることに成功する。 478: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19 07 03 HOST om126200115219.15.openmobile.ne.jp 無論、イギリス軍も沿岸砲で反撃を加えるが、ただの一発も《エムデン》や《ニュルンベルク》に当たらず、2隻は悠々とマドラス沖を去っていった。 このマドラス砲撃事件はドイツ地中海艦隊のドーバー海峡突破の直後と言う事もあってイギリス本国でも大問題になり、イギリス東洋艦隊は装甲巡洋艦《ハンプシャー》と軽巡洋艦6隻からなる討伐部隊が派遣されるが、そのような事は影響ないとでも言うかのようにセイロン島近海で4隻の艦船を撃沈、さらにコロンボ・ミニコイ間の航路にて6隻の撃沈と4隻の拿捕に成功する。 この頃になると連合国側もドイツ軍の通商破壊部隊の詳細を掴んでいたが、それでも有効的な手を打てず、《エムデン》と《ニュルンベルク》の傍若無人振りを止める事はできなかった。 彼らは沈めた船の乗組員を拿捕した船を使い解放し、そのままモルディブ諸島へ向かい、そこで石炭の補給を行った。補給が終わると、チャゴス諸島へと向かった。10月9日にディエゴガルシアに到着し、ブレスクから石炭を補給。ディエゴガルシアでは誰も戦争のことを知らない事もあって、水兵達の上陸を許可、戦いずめであった彼らにしばしの休息をとらせる。そして、チャゴス島を出発した《エムデン》と《ニュルンベルク》はコロンボ・アデン航路に舞い戻った。この時のコロンボ・アデン航路はイギリス海軍がドイツ海軍は既にこの海域に展開していないと発表していた事もあって多くの船が航海を再開しており、その事もあって11隻を撃沈または拿捕することに成功、この大戦果に満足したドイツ海軍は狩場を別の場所に移す。 ドイツ海軍はこの一ヶ月で33隻の艦船を拿捕または撃沈しており、連合国海軍はドイツ海軍の通商破壊対策の為に共同戦線を取ることで合意。経済性を無視して商船を単独航行から船団航行に移行させ、各船団に各国海軍から抽出された護衛をつけ始める。 東からはマレーのイギリス海軍とインドシナのフランス海軍、ロシア海軍が共に、西からもアフリカを牛耳るイギリス・フランスの派遣艦隊が輸送船団と合流し、護送船団を形成していった。 これを知ったエムデン戦隊は連合国海軍の重要拠点であるペナンに殴り込みをかけて、護衛戦力を漸減することを計画する。そして、エムデン戦隊は奇襲性を高めるために個別行動を再開。《エムデン》はモルジブ諸島沖からペナンに移動、同地への攻撃を開始する。 479: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19 07 33 HOST om126200115219.15.openmobile.ne.jp この時のペナン港には通商護衛の為にイギリス・フランス・ロシアの軍艦が入港しており、多数の軍艦が終結中であった。その事からもペナンでは最大限の警戒は敷かれており、要塞化されている事から攻撃不可能と考えられていた。 そんな中でエムデンはマドラス攻撃時同様に4本煙突に擬装し、10月28日に未明にペナンへ接近、入港していた3隻のフランス海軍駆逐艦に紛れて港内に進入する。そして、ロシアの巡洋艦《ジェムチュク》を発見、距離300mで魚雷を発射し命中させる。続いて砲撃を行い、再度魚雷を発射。これも命中し、ジェムチュクは沈没した。次いで接近してくる船を発見して発砲したが、それは非武装の船であり攻撃は中止された。その船の煙突に命中弾があり、そこに穴をあけた。 その後、《エムデン》は港湾部にも砲撃を開始、《ジェムチュク》が完全に沈没すると港内から全速力で脱出する。 港内から脱出した《エムデン》はイギリス貨物船を発見しこれを拿捕しようとしたが、臨検中に駆逐艦が現れたため放免された。現れたのはフランス海軍駆逐艦であり、《エムデン》をイギリス巡洋艦と誤認し接近する。この時のエムデンはイギリス巡洋艦のふりをしてやり過ごそうとしたが、軍艦旗を下げるのを忘れており、バレ、駆逐艦より雷撃を受ける。幸いこの雷撃は外れ、フランス海軍駆逐艦は《エムデン》の砲撃により撃沈される。 ペナン攻撃でエムデンは被弾することもなく、負傷者も出なかないという奇跡的な状況であった。彼はフランス海軍駆逐艦の乗員の救出を終えると安全海域まで脱出を開始。最後にペナンに向けて「我、ペナンを去らんとす。ご用 無きや?」と無線を放った。 その後《エムデン》は追撃してくるフランス駆逐戦隊を振り切り安全海域まで離脱する。 このペナン攻撃は現地に停泊し、撃沈された日本船籍の船からの情報のあって早々に全世界に知れ渡る事になる。辛うじて保っていたイギリス海軍の威信は完全に失墜。戦時船舶保険料は高騰し続け、輸送船は次々と出港を見合わせ、連合国の地中海におけるシーレーンは大打撃を受ける事になる。 その後、イギリス海軍は東洋艦隊をフル動員。その全てをエムデン打倒に当てる。 ペナン襲撃後の4日後、1914年11月1日、オーストリアの湊町オールバニよりANZACを乗せた35隻の輸送船から構成される大船団が出港する。この船団にはイギリス海軍装甲巡洋艦《マイノータ》オーストリア海軍軽巡洋艦《シドニー》の護衛の下、エムデン戦隊による攻撃を警戒しつつ一路、インド洋を西へと向かっていく。 エムデン戦隊はペナン襲撃後に合流、再び通商破壊に勤しみ3隻を拿捕していた。しかし、彼らは控えめに言っても無茶をし続けており、少しずつだが綻びが見え始めていた。そんな中エムデン戦隊は次の作戦としてココス諸島のディレクション島にある無線施設と海底ケーブルの破壊を決めた。 エムデン戦隊は11月9日にココス諸島のポートリフュージに停泊。ヘルムート・フォン・ミュッケ大尉以下50名からなる陸戦隊が上陸し、無線施設の破壊およびケーブルの切断を行った。ケーブルは3本中2本を切断したが、もう1本は発見できなかった。 480: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19 08 18 HOST om126200115219.15.openmobile.ne.jp しかし、エムデン戦隊陸戦隊の上陸直前に、ディレクション島の無線基地は、不審な艦影の発見により、緊急電報を発信していた。このとき偶然、ANZACを乗せた輸送船団が島から80km、時間にして2時間の地点を航行中であったのだ。6時55分、《シドニー》がディレクション島からの緊急電報をキャッチ。同艦はディレクション島に急行する。 シドニーの接近を知ったエムデン戦隊は、汽笛により陸戦隊の帰還を呼びかけるも間に合わず、抜錨し、戦闘準備を行う。9時40分に《エムデン》《ニュルンベルク》およびは砲撃を開始し、シドニーも反撃を行った。シドニーはエムデンより大型・優速であり、主砲の口径も10.5cm砲のエムデンよりも15.2cm砲は射程が長く優越していた。また、シドニーは水線部と甲板に防御を持つのに対しエムデンの装甲は30mmと薄い上に甲板部しか防御されない上に、長期の航海により各所に状態の思わしくない箇所を抱えていた。 しかし、幸運の女神はエムデン戦隊に微笑んだ。この時の《シドニー》には《エムデン》の接近は伝わっていたが、《ニュルンベルク》の存在は知らされていなかった。それによりいくらかは主導権を握って戦うことができ、さらにはじめの砲撃が奇跡的に《シドニー》の艦橋に命中、艦長以下艦橋要員を全滅させる事に成功した。 これにより《シドニー》は一時的に大混乱に陥った。そこをドイツ海軍が見逃すはずもなく、《ニュルンベルク》より2本、《エムデン》より2本の魚雷を発射する。満足な回避行動が取れなかった《シドニー》は魚雷4本をもろにくらい轟沈した。 この《シドニー》が大規模な輸送船団の護衛艦であることはエムデン戦隊もそれまでの無線解析の結果掴んでおり、この事からエムデン戦隊は出撃を中断したANZAC輸送船団がいることを知る。 《シドニー》を返り討ちにしたエムデン戦隊は揚陸隊の回収を急いで行い、《シドニー》がきた航路からANZAC輸送船団の位置を仮定、逆襲を仕掛ける。 この時のANZAC輸送船団には護衛艦は装甲巡洋艦《マイノータ》、肝心の輸送船団の位置も予想こそあるものの正確な位置は不明と、防護巡洋艦2隻のみで挑むには部もリスクも高い賭けで。だが、エムデン戦隊はそれでもこの賭けを行った。 そして19時、エムデン戦隊はANZAC輸送船団を捕捉する。この時、まだ《マイノータ》はエムデン戦隊を発見はしていなかったが、それでも十数秒の差で彼らもまたエムデン戦隊を発見する。始めに動いたのはエムデン戦隊であった。彼らは単縦陣でマイノータに向け速力を全快で突貫した。この時のエムデン戦隊がマイノータにダメージを与えられる武装は魚雷しかなく、魚雷発射管は艦種しかなかったからだ。これを見た《マイノータ》はエムデン戦隊の考えを読んでおり、魚雷の射程範囲まで来られる前に沈めるべくエムデン戦隊に向けて砲撃を開始する。しかし、夜間と言うことやエムデン戦隊の速度が速かったことにより思うように狙いをつけられず中々、命中しなかった。そして、お互いの距離が4,000mにまで近づくと、《エムデン》と《ニュルンベルク》は《マイノータ》に向けて魚雷を発射する。 《エムデン》が発射した魚雷は当たらなかったが、《ニュルンベルク》が発射した魚雷は全てが《マイノータ》に命中。しかし、魚雷2発では《マイノータ》は沈みはしなかった。 エムデン戦隊は再び魚雷を発射しようとさらに距離を詰めるが、副砲も含めた全力砲撃を受けることになり、《エムデン》や《ニュルンベルク》にもついに命中弾が見られ始める。 そして、ついに主砲から放たれた26.4cm弾が《ニュルンベルク》に命中。今までエムデン戦隊構成艦として活躍してきた防護巡洋艦《ニュルンベルク》はインド洋にその姿を沈める事になる。しかし、《ニュルンベルク》に主砲が命中する数秒前に魚雷が放たれており、これが《マイノータ》に命中。《マイノータ》は浸水によって急速に傾き、戦闘能力を喪失する。 481: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19 08 54 HOST om126200115219.15.openmobile.ne.jp 《ニュルンベルク》の犠牲によ《マイノータ》を戦闘から脱落させたエムデン戦隊はANZAC戦隊へ攻撃を開始、船団バラけさせて逃走を開始していたが、戦闘開始から対して時間が過ぎていないこともあって《エムデン》《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》に早々に捕捉される輸送船が多数発生、最終的に15隻近くを沈められ、多くのANZACの新兵達が実戦を経験することなくインド洋に沈んでいった。 ANZAC輸送船団の事実上の被害甚大。この報告は《エムデン》から逃れられた輸送船により発せられ、即座にイギリス海軍省にまで届く事になった。この時はチャーチルの後任として海軍大臣に着いたばかりであったが、アーサー・バルフォア海相は早々に責任を取らされ更迭される事になる。 そして、これを受けたイギリス海軍はもはやなりふり構わずエムデン戦隊の討伐に全力を尽くす。東洋艦隊のみならず地中海艦隊も動員、巡洋戦艦3隻、装甲巡洋艦7隻を主力としたあわせて100隻近い艦艇が動員される。また、これとは別個に装甲巡洋艦だけでは船団護衛には不足があるとして旧式の戦艦群も船団護衛に動員。護衛艦隊の戦力一方、この時の《エムデン》は先の戦いでおった傷の他に弾薬の欠乏と言う問題にも直面しており、1914年11月22日にイギリス海軍に捕捉されるとついに降伏。翌日には通商破壊中であった仮装巡洋艦《プリンツ・アイテル・フリードリヒ》も捕捉され、抵抗の後に自沈、ここにエムデン戦隊は壊滅した。 そして、青島に籠るドイツ東洋艦隊とこれを封鎖するオーストラリア海軍・イギリス海軍連合艦隊のにらみ合い以外は平和な海へと戻っていった。そして、戦いの部隊はヨーロッパと大西洋へと戻っていく。 482: ホワイトベアー :2019/07/14(日) 19 10 00 HOST om126200115219.15.openmobile.ne.jp 以上です。 今回の話を各に辺り、エムデンのことは多少調べたのですが、調べれば調べるほど驚愕を覚えましたよ。そして、現実は小説より奇なりと言う言葉を改めて思いしりました。何で単艦で要塞化された軍港二つに艦砲射撃を加えて29隻の艦艇を撃沈できるんですかねぇ(震え声) ちなみにANZAC護衛艦隊がなぜあそこまで少なかったかと言うと 1.オーストラリア海軍主力はドイツ東洋艦隊主力が籠る青島の封鎖に当たっていて余剰戦力がない。 2.イギリス東洋艦隊はエムデン戦隊の捜索で手一杯。 3.フラカス先輩の艦隊はフランスインドシナ軍を乗せた輸送船団の護衛に駆り出されている。 4.ロシア海軍は日米がどちらにつくのかわからないのでウラジオストクからあまり戦力を出せない(そもそもマルセイユ講和条約によって極東における戦力が大幅に減っている)。 と言う理由からです。
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コルトエはコアトリクエ山脈の南にある町で、丘の上にあるため防衛陣地として活用されていた 開戦して間もなく帝国海軍率いる歩兵軍団に制圧され、以降は町民を捕虜として近郊にあるアレット基地への攻撃に使用されることになった
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921 :ひゅうが@風邪薬ないとやばい:2014/07/07(月) 20 46 44 戦後夢幻会ネタ――その0.3「インタビュー 1946年」 ―「アメリカ海軍の名将?ベスト3? そうだな。まずは、ウィリアム・F・ハルゼー大将だな。 なに?ブルズランの悪名高い提督だ? バカを言っちゃいけない。彼はあの東京奇襲攻撃を実施し少ない戦力で太平洋を所狭しと暴れまわった猛将だぞ? わが軍の痛いところ痛いところへ痛打を浴びせかけたその確かな戦略眼がわが機動部隊のインド洋遠征を中断させ、やがてミッドウェーで攻守を逆転させたのだ。 それにブルズランとやらでも、小沢機動部隊を結局は壊滅させ、沖縄沖でもわが艦隊にひとつの選択肢を強制したのだ。 彼がいなければあの戦争は2年は長引いていたよ。 次に、レイモンド・スプルーアンス大将。 なに?またマリアナで失敗した提督? これもまさかだよ。彼の周到を極める準備こそ、当時掛け値なしに世界最強を誇った機動部隊をミッドウェーで壊滅させた原動力なんだ。 その後も隙はほとんどない。 結果、わが海軍はその堅い守りを崩すために宝石より貴重な熟練搭乗員を消耗し、水上艦艇群に耐えがたい消耗を強いたんだ。 陸海軍の連絡不足につけこんで、やっとマリアナに防衛線を築きあげるのがせいぜいだったというのがあのマリアナ沖海戦の実態だよ。 事実、機動部隊は洋上行動艦こそ無事だったものの、結局はエンガノ岬沖で囮となるしかないほどの大消耗を強いられたのだ。 あれを日本側大勝利などといっているが、何のことはない。われわれは後のないじゃんけんであいこを出すことができただけなんだ。 事実、大西洋へ転出してからは護衛空母群の指揮官として未だ健在だったUボート群や陸上部隊へ機動部隊による波状攻撃という離れ業を成し遂げているじゃないか。 その手腕は、我々がいうのも何だがサマール島沖の再現を許さないというまさにアメリカの『過去に学ぶ』姿勢を体現しているようだったよ。 あのまま沖縄でも機動部隊の指揮をとっていたら英海軍に攻撃をかけるという戦力分散を起こさざるを得なかった我々の窮状につけこんで逆に九州の航空基地群は壊滅していただろうよ。 922 :ひゅうが@風邪薬ないとやばい:2014/07/07(月) 20 47 17 そして筆頭はチェスター・ニミッツ元帥だ。 え?地味? 苦労人? 部下の責任をとらされた? 派手な海戦を行わず、着実にわが海軍とひいては日本列島を締め上げた名将だよ?彼は。 彼は潜水艦に造詣が深かった。 おかげで1942年にかけてはわずか16隻の潜水艦でわが海軍の補給線を断つという大戦果を挙げているね。 そして南方航路も。 もしも魚雷が改善されるのがもっと早ければ、わが海軍はソロモン諸島で立ち往生していたはずだよ。 だから青くなってわが海軍は護衛艦艇の量産と対潜装備の改良に血道を上げたんだ。 そのあたりについては阿部君が詳しいよ。 彼なんかは『ニミッツ元帥がいなければもっと楽ができるのに』といつもボヤいていたなぁ。 え? そうだよ。阿部俊雄、当時中佐。 君たちも知っているだろう。あの『信濃』の艦長だ。 おかげで沖縄沖のときに『信濃』は間に合わなかったし、それと同時期に進水くらいはしているはずだった『阿蘇』『生駒』以下の雲竜型空母計6隻はドック上にキールを据えただけで解体だ。 信濃型空母2番艦になれるかもしれなかった111号艦なんて、船体の一部が浮桟橋になったあとはみんな護衛艦艇やタンカーに消えていったんだ。 1943年以降にギリギリ南方航路を維持させた結果が、沖縄沖での壊滅、8月あたりまで戦争が続いていたら我々は伊勢 日向と長門という無傷の戦艦3隻に空母8隻で、その4倍はいるアメリカ海軍に立ち向かわなければならなかったんだ。 しかも、海上封鎖されてじわじわ減っていく油と、機雷でいっぱいの港湾、さらにニミッツ元帥が作り上げた40隻の潜水艦群に迎えられてね。 あと50隻も潜水艦が投入されていれば――戦わずしてわが海軍はもとより大日本帝国は立ち枯れを余儀なくされていたところだ。 そして忘れちゃあいけない。 ニミッツ元帥がたてた方針通り、ソロモン、ギルバート、マーシャル、マリアナ、パラオ、硫黄島、そして沖縄が着実に制されたからこそ日本はその動脈を締め上げられ、両手を上げざるを得なかったんだ。 そして先に挙げたハルゼー、スプルーアンスといった猛将名将を束ねて攻守を逆転させ、我々に最後に打ち勝ったのはニミッツ元帥だ。 その方針にワシントンや米本土あたりから入った横やりこそが我々の唯一の助けだったといってもいい。 だから、君。一度の敗北で一人の提督を判断しようとしたり、うしろから罵声をあびせるんじゃあない。 あの東郷元帥も日露の戦役の折には初手の旅順奇襲に失敗しさんざん旅順艦隊に苦しめられている。 だからこそ最後の勝利を得ることができたのだ。 我々、一時は世界第二ともいわれた海軍を完全に壊滅させ大勝利を手にした君たちが勝者を評価しないでどうするんだね?」 ――1946年 元日本帝国海軍大将 南雲忠一 米誌のインタビューに答えて
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96 :4:2012/07/26(木) 03 07 42 提督たちの憂鬱 第3話登場人物一覧 1/4 1921年 ワシントン会議 夢幻会海軍派閥:軍縮で航空機の予算が出来たので皆で集まって祝杯を挙げた。 1922年 ワシントン軍縮会議よって戦艦土佐の処分が決定 加藤寛治:嶋田さんに海軍大学校の教官を要請。陸軍大学との交流も指示。 嶋田繁太郎:海軍大学校の教官へ着任。 伏見宮博恭王:飛行機の免許取得を嶋田さんに指示するも加藤・嶋田両名からの反対を聞いて撤回。 代わりに海軍大学校の教官を務めきった後空母艦長へ。 夢幻会海軍派閥高官:妙高型巡洋艦の建造を検討中。 ハルゼー:名前だけ登場。 『アメリカ海軍で猛将と賞賛されたハルゼーは、 40過ぎで飛行機の免許を取った生粋の航空屋だった。』本編3話より抜粋 97 :4:2012/07/26(木) 03 08 43 2/4 1923年 関東大震災 辻政信:予算の神様。陸海軍の軍人の一部からはかなり嫌われている。莫大な復興費に愚痴をこぼす。 お嬢様学校を増やそうとしている派閥MMJ(もっともっと女学校を)の幹部。 杉原千畝:獲得予定。 『奨学金などで多くの子供に高等教育の機会を与えるべきだろう。 うまくやれば杉原千畝みたいな掘り出し物をゲットできるかもしれない』本編3話より抜粋 伊藤博文、山県有朋:腐敗した政党政治、軍人の視界の狭さ、戦略立案能力の低さを 危機的に感じ、大学での国際政治や戦争学に関する授業を増やすことを提案していた。 山本権兵衛:シーメンス事件などの海軍の一大スキャンダルは未然に潰された。 比較的リベラルな人物であり、夢幻会が進める改革に最大限の協力をしている。 原敬:夢幻会の暗躍で暗殺を免れていた。夢幻会と協力して日本の改革に勤しんでいる。 『すでに普通選挙の実施も内々に決定していた。ただし女性の選挙権については 大学を卒業した女性が増えるまでは延期することも決まっていた。』本編3話より抜粋 明石元次郎:『「明石さんが中心になって帝国中央情報局、まあ日本版CIAの設立が準備されている。 大震災後の第一次五ヵ年計画で設立が公表される予定だ」』本編3話より抜粋 嶋田繁太郎:海軍大学校の校長に就任。 後藤新平:帝都復興計画を提唱。夢幻会協力者。 98 :4:2012/07/26(木) 03 09 16 3/4 第一次五ヵ年計画議会通過 夢幻会主要幹部:第一次五ヵ年計画が議会承認を祝って、某料亭で祝杯参加。 南雲忠一:祝杯参加。陸海軍の大学校共同運動会・文化祭を発案。 嶋田繁太郎: 祝杯参加。陸海軍の大学校共同運動会・文化祭を企画。 『後に合同運動会は、日本軍大運動会と呼ばれる一大イベントとなり、 文化学習の名目で始まった合同文化祭は、後の日本の漫画文化の隆盛で 一般人も参加した同人誌即売会となっていく。 勿論、後世において嶋田は同人即売会の生みの親として名を残すことになり、 漫画の神様と並ぶ存在として、一部の人間から尊敬されることになる。』本編3話より抜粋 加藤寛治:祝杯参加。設備投資や研究の為予算増額を要請。軍民共同開発研究提案。 辻政信:祝杯参加。加藤の提案を役所に持ち帰ることを了承。 99 :4:2012/07/26(木) 03 11 58 4/4 1925年 第一次五ヵ年計画実施。 嶋田繁太郎:夢幻会会合に出席。 加藤寛治:夢幻会会合に出席。 伏見宮博恭王:夢幻会会合に出席。 辻政信:夢幻会会合に出席。統一規格制定に反対する議員達や財界人に直接談判して、 相手が参ったというまで徹底的に討論した。 明石元次郎:大日本帝国中央情報局初代情報局長就任。 袁世凱:名前だけ登場。 『袁世凱亡きあと中国の各地で跋扈する軍閥に大量の武器を売りさばいて、 大陸の混乱を助長させていた。』本編3話より抜粋
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865 :四〇艦隊の人:2013/11/11(月) 14 18 54 黄海海戦 日露戦争開戦直後に大日本帝国海軍とロシア帝国海軍との間で行われた海戦。 日本海軍はモニター艦を投入し旅順軍港を艦砲射撃、ロシア艦隊を軍港から引きずり出した後に艦隊戦を仕掛け、これを撃滅、ロシア海軍太平洋艦隊はほとんどの艦船と日本海の制海権を喪失した。 この状況を打開するためロシア海軍は第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)を編成、地球を半周しての増援派遣を余儀なくされる事となる。 ・参加戦力 ・日本海軍 ・第一艦隊 第一戦隊(戦艦八隻:三笠、朝日、初瀬、敷島、富士、八島、生駒、伊吹) 第三戦隊(防護巡洋艦八隻:千歳、高砂、笠置、吉野、鞍馬、浜松、夕張、鶴見) 他駆逐艦二〇、水雷艇一二 ・第二艦隊 第二戦隊(装甲巡洋艦八隻:出雲、磐手、浅間、常盤、八雲、吾妻、阿蘇、天城) 第四戦隊(防護巡洋艦八隻:浪速、高千穂、新高、明石、身延、妙義、清澄、瑞垣) 他駆逐艦二〇、水雷艇一二 ・第三艦隊 第五戦隊(砲艦六隻:松島型六隻) 他巡洋艦一二、駆逐艦二〇、水雷艇一二 ・ロシア海軍 戦艦七隻(ツェサレーヴィチ、レトヴィザン、ペレスヴェート、ポルタヴァ、ペトロパブロフスク、セヴァストポリ、ポベーダ) 装甲巡洋艦一隻(バヤーン) 防護巡洋艦八隻(パルラーダ、ディアナ、アスコリド、ボヤーリン、ノーウィック、ザビヤーカ、ラズボイニク、ズジギート) 砲艦・水雷砲艦六隻(グリミヤシチー、アッワヘジヌイ、ギリヤーク、ボーブル、フサードニク、ガイダマーク) 駆逐艦一八隻 ウラジオストック巡洋艦隊の主な戦闘艦艇 装甲巡洋艦三隻(ロシア、グロモボーイ、リューリク) 防護巡洋艦一隻(ボガトィーリ) 水雷艇一七隻 仁川港に所在した戦闘艦艇 防護巡洋艦一隻:(ヴァリャーグ) 砲艦一隻:(コレーエツ) 866 :名無しさん:2013/11/11(月) 14 26 07 ・前史 一八九五年の下関条約に対する独仏露の三国干渉は日本政府に危機感を与えると同時に、「次の敵はこいつら、中でも一番近いロシアである」という確信を抱かせることとなった。 そのため、対露戦争に備えるべくイギリスと同盟、イギリスから強力な艦船を輸入すると共に、それらの国産化を進めることになる。 一九〇二年の義和団事件をきっかけにロシアは満州に進駐。それと共に朝鮮に対する圧力を高めていく。 日露間での外交交渉は妥協点を見出せずに決裂。 一九〇四年二月八日、ついに大日本帝国はロシア帝国に宣戦布告、同時にロシア太平洋艦隊の拠点である旅順軍港と、仁川湾に入港していたロシア軍艦二隻を奇襲攻撃した。 ・戦闘の経過 二月八日日本海軍は第五戦隊を旅順港の沖合い24キロの海域まで進出させ旅順港内を砲撃、大落角で落下した32センチ砲弾は戦艦ツェサレーヴィチ、レトヴィザンの甲板を打ち抜き弾薬庫付近で爆発、瞬時に轟沈させ、戦艦ポルタヴァ、ペトロパブロフスク、防護巡洋艦パルラーダ、アスコリド、ボヤーリンは大破航行不能、戦艦ペレスヴェート、セヴァストポリ装甲巡洋艦バヤーンを中心とした艦が第五戦隊を追い払うべく出撃するも、待ち構えていた日本海軍第一、第二戦隊に袋叩きにされて頓挫、夜間には駆逐艦、水雷艇が夜間攻撃を繰り返し、こうした攻撃が三月末まで繰り返された結果旅順のロシア太平洋艦隊は壊滅、そのまま第二戦隊は返す刀でウラジオストック巡洋艦隊と交戦、グロモボーイ、リューリク、ロシアの三隻の撃沈に成功する。 こうしてロシア太平洋艦隊は無力化され、同年四月の第三軍集団の総攻撃により、旅順要塞が陥落。ロシア太平洋艦隊は消滅することとなる。 ・戦闘が各方面に与えた影響 戦術レベルでは大口径砲弾が大落下角で降り注ぐと、当時の戦艦といえども致命的な損傷を被ることがあるという事実が発覚した。このため日本海軍はこの後にイギリスに発注する金剛型巡洋戦艦の設計について水平装甲の強化と垂直装甲の傾斜かを病的なまでに主張し、イギリス側造船官を辟易させている。 戦略レベルではロシア太平洋艦隊の壊滅によって制海権を得た日本側は満州に常時百万以上の陸軍部隊を張り付かせることに成功。またロシア側は太平洋艦隊の壊滅により今後の戦略に重大な損失を被る事となる。特にバルト海で編成中だった第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)の扱いについて喧々諤々の議論が交わされ、結局三ヶ月の時間を空費しながらも出航させたた事は、日露戦争とロシア帝国の去就に大きな影響を及ぼしたといわれている。 政略レベルではこの少し後に陸上で行われた遼陽会戦と並んで連戦連勝の日本軍と、負け続けるロシア軍という対比により日本国内では北進論が過熱、このままウラジオストックを剥ぎ取り三国干渉の意趣返しをするべきという論調の記事が新聞の一面に載る等、ロシアを侮る意見が強くなっていき、当時の閣僚の一人が対応に苦慮したと日記に書き残している。 外交レベルでは日本軍の予想外の、そしてある意味予想通りの精強さが世界を驚愕させ、日本の負けはほぼ無くなったと見たイギリス、アメリカは戦後の見返りをにらみ、日本への資金、物資の援助を加速させることとなった。 また、ロシアの戦費調達は悪影響を受け、ロシア国内の不満は徐々に高まり、最終的には市民の抗議デモに対して軍部隊が発砲するという事態にまで発展する事となる。 867 :四〇艦隊の人:2013/11/11(月) 14 31 20 ・総評 日本海軍が経験した初の大規模海上作戦であり、結果的には大勝利といえるが実態はドタバタとしたものであり、失敗も多々見られた。しかし有色人種が多数を占める国である日本がロシアを下す戦争の始まりとも言える戦いであり世界史に大きな影響を与えたとされる。 また、今後の戦艦の設計にも重大な影響を与えた。 以上、終わり! 前の三つよりは突っ込みどころが少ないはず……きっと!
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水戸泉 (みといずみ) 【分類】 アホアホ 【作風、代表作等】 (1) ゴーマン攻×ヤンチャ受+アホアホ アホアホ系多作作家。汁エロが得意で受けが本命以外から犯されることも多々ある (2) 略奪せよシリーズ…海賊×帝国海軍兵。元々受は攻の副官。 【一言】
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ハメス・ドリーの記録 ★α海域★ハメス・ドリーの帝国はこちらから@HakogleMaps イグノの歴史第〇期:イグノー島の発見 第一期:ハメス帝国の成立と発展 第二期:「合理的成長」と大同盟時代 第三期:ポストミレニアムと長期平和 第四期:新興国の台頭とエレ・イグノア 政策 外交情報 軍事力軍事拠点 戦力 水上艦一覧 戦争一覧 通史 イグノの歴史 第〇期:イグノー島の発見 イグノー島は、ハメス・ドリーによって発見されたα海域の島であった。ターン305に発見されたこの島は、ドリーの手によって大規模に開発がすすめられた。 1.α海域の発見 BBB海域が成熟し、発展の臨界点に近づくにつれ、列強各国は大規模な新海域開拓を開始した。その結果、α海域と呼ばれる諸島群の海域を発見し、α海域の開拓が進められることとなった。 2.開拓者ハメス・ドリー ハメス・ドリーは、出自不明の開拓者として、α海域の開拓に挑戦し、T305にイグノー島を発見する。彼とその仲間100人は、イグノー島に1000人ほどの原住民が存在していることを確認し、これらの人々を労働力として用いて島の開拓を進めることにした。ドリーは原住民たちを、"魔術"によって魅了し、大きな抵抗を受けることはなかった。(*1) 3.農場整備と人口爆発 イグノー島は、温帯に属しているが、傾斜の厳しい火山島であったので、大規模農業に適した平地が存在していなかった。そこで、ドリーは持ち込んだ重機を用いて平地造成を行い、農場を整備した。この農場によって、島内の食料状況は大きく向上し、その結果、当初1000人程度であった人口は、30ターンあまりで50万人にまで拡大した。 第一期:ハメス帝国の成立と発展 急激に増大する人口を管理するために、統治機構が必要となった。そのため、ドリーは自らを統治者とし、中央集権国家を形成した。発見から200ターンが経過すると、帝国は海外進出指向を強めていくこととなり、同盟『やなぎの樹』に参加して国力の増大を図った。 1.中央集権国家の成立 ドリーは、農場整備ののち、さらなる大規模開拓を進めるために、原住民らを管理する統治機構の必要性に迫られた。そこで、ドリーは、自らを統治者とする中央集権機構を完成させた。そののち人口が増大するに従い、この機構は、中央集権国家として再形成され、Esperma del ignor(英:Empire of Ignor/日:ハメス帝国)が成立した。 2.南北戦争 このような経緯で成立した帝国は、ドリーによる独裁色が強く、さらに開拓者と原住民との間での格差が大きくなり、たびたび衝突が起こるようになった。そこでドリーは島の北東部の開発権を開拓者側に与え、原住民を南東部に住まわせる分離政策をとった。そして、開拓者側は、神聖ライヒに取引を持ち掛け(*2)、彼らの艦隊に南東部を侵略させた。この結果、原住民は一掃され、帝国は開拓者の国家として成立した。 3.帝国の拡大 南北戦争を経て、一時的に帝国の経済力は低下したが、軍拡を基調とした成長路線に沿って、帝国は急速に拡大していった。ターン460ごろまでに、島面積は埋め立て・干ばつ事業によってに250㎢(*3)に到達し、人口は100万を突破し、軍港などの軍事施設の建設ラッシュとなった。 T480ごろより、帝国は経済力拡大を目的とした海外進出(植民地・移民輸入)を計画するも、いずれも諸外国に先を越され実施に至ることはなかった。しかし、T498より、吉備と共同で(*4)混沌島攻略が実施され、帝国軍にとって初めての海外遠征となった。 強大国が海外資源を保有し強力な経済力・軍事力を背景に急速な開発を進めている中で、列強の仲間入りを狙う帝国は、積極的な海外遠征によって拡大を図っていった。T528より、ミルクティー島へ進出し、残存施設を破壊すると共に艦隊を駐留させた。後にNZMPとの分割支配に合意し、初の海外資源を保有することとなった。 4.五国同盟 混沌島攻略後、海外進出を図る帝国は、2つの自由海域(BF)にて、支配権を確立していた四国軍事同盟、通称柳同盟(*5)に参加した。これを、海外進出の足掛かりとし、ミルクティー島支配権獲得・BF進出に乗り出した。一方で、軍備増強には遅れが生じ、T600までに空母4隻を配備する計画は延期を余儀なくされた。 T559に帝国がBFへ艦隊を派遣すると、当時BFに拠点を展開していたうなぎいぬ帝国・あでぃおすぐらっしあを刺激した。さらに、その混乱のさなか、NZMPがBFで人口を獲得したことから、柳同盟盟主である、空白(*6)が、NZMPへ宣戦布告するに至った。このことをきっかけとして、帝国海軍に参謀部が設置された。 第二期:「合理的成長」と大同盟時代 海域中位の軍拡競争が過熱する中、帝国は「合理的成長」を掲げ、軍拡路線から脱した拡大政策を展開した。T600からT750までの期間は第二次成長期と呼ばれ、この期間に帝国の人口はおよそ150万人増加し、海域5位の経済規模を有するようになった。 T630ごろから、初の海域紛争となったトロンバ・ダーリャが勃発した。帝国はこの大戦で、航空機の優位性を確認し、空母を中心とした艦隊編成を行うことになった。さらにT1000前後にミレニアム戦争が勃発し、大同盟時代は終わりを迎えた。 1.「合理的成長」戦略 BF危機の終息と共に、帝国は「合理的成長」と呼ばれた成長戦略を提示して、大日本帝国・および宰相帝国(*7)へ立て続けに進軍を行った(沼戦争)。また、自由海域での安定的な移民獲得法を確立した。一方、国内では空母3隻が竣工し、軍備計画は第二段階へ前進した。 2.”フロンティア”の消滅 海域の発見から600ターンが経過すると、各国の開発はほぼ完了し、BF情勢も固定化されていったことで、海域内の未開発地域(フロンティア)が消滅した。その結果、海域内勢力は互いに衝突を起こすようになった。多くは小規模で済んだが、T628、白露がクマへ布告したことを契機に、同盟『B/C.』(以降、BC)と同盟『旋風』(以降、旋風同盟)を中心とした海域紛争(トロンバ・ダーリャ)が勃発した。 海域紛争の際に、吉備が大日本帝国から撤退したことで、帝国は、大日本帝国へ再進出を図り、人口を獲得した。これにより、帝国の人口は200万を突破した。さらに続けて、巨頭オ島やなっ島との移民取引を成立させ、T750までに、人口は320万を超えた。 トロンバ・ダーリャを経て、同盟『B/C.』と『旋風』の拡大がさらに進み、大同盟時代を迎えた。 3.思想の展開 国内では、高度成長の限界の兆しを感じ始めた学者や宗教家たちによって、成長主義の超克理論が多く打ち出された。新成長主義、統一思想が支持を得た一方、前進派といった過激思想も登場した。また、特異点(シンギュラリティ)に関する研究も進められた。(詳細はこちら) T750ごろになると、帝国の国内成長は限界近くに到達した。これを受けて、帝国は新興諸国への積極支援政策を開始し、新成長主義へと転換を図ることとなった。 4.軍事改革 海域紛争(トロンバ・ダーリャ)では、様々な集団戦術が使用された。これを経て、帝国海軍参謀部では、軍事戦略の研究が進められることになった。結果として、大規模に方針転換が図られることとなり、島の防衛ライン改修工事を開始した。さらに、空母の増産が進められ、T850までに、海域最多となる15隻を保有することとなった。 海域紛争終結後、海域は極めて平和な状態が続き、各国は経済拡大と軍事演習を活発化させた。帝国も、ピカチュウ(*8)との貿易を開始し、経済活性化を図った。また、同盟内での軍事演習を盛んに実施し、艦隊の練度を高めていった。 5.大平和危機 大平和旋風において、ピカチュウ沖に派遣された大平和帝國海軍を迎撃した。これは沼戦争(T627~660)以来の海外派遣であった。高い戦果を挙げ、成功のうちに撤退するかと思われたが、指揮系統のミスで、あかね色に染まる島の海軍を誤爆し、駆逐艦1隻を撃沈するほか、数隻を大破に追い込んだ。一時は戦争勃発が危惧されたが、3兆円の賠償で合意に至った。 6.ミレニアム戦争 トロンバ・ダーリャの停戦期間がT980をもって終了すると、直後にミレニアム戦争が勃発した。この戦争は、トロンバ・ダーリャの再戦という位置づけながら、海域支配的だと見做された、同盟『旋風』を破滅に追い込まんとする動きの結果であった。また、この戦争に前後して、新同盟の出現・解散・構成国の変化など、各国の動きが活発化した。このさなか、帝国はシュヴァーベン革命軍国の攻略を完了した。 第三期:ポストミレニアムと長期平和 ミレニアム戦争後、海域再編が進行した。同盟『B/C.』『旋風』の二大同盟が解散すると、柳同盟は海域最大規模となった。海域内においては、長期にわたって平和が訪れた。 1.第三次成長期 T1000~T1200の期間は、第三次成長期と呼ばれ、この期間におよそ90万人人口が増加した。気ままにとの人口取引を経て、帝国は一時490万人に迫り、海域最大規模となった。一方で、貿易の中断や、海洋資源の枯渇などにより一時深刻な食糧危機に陥るなど、経済的な不安定さを露呈した。経済の健全化を図るべく、貿易の自由化を推し進めた。T1200には、人口500万人を突破した。 2.真珠戦争 T750ごろから進められていた国土防衛網の改修工事は、大幅な遅延のすえに、T1220ごろ、おおよそ完了した。帝国はさらなる国力増大を目指し、すぱげてぃに宣戦を布告した(真珠戦争)。すぱげてぃに比べ、国力が2倍以上であったにも関わらず、帝国海軍はすぱげてぃを陥落させるに至らなかった。しかし、この戦争で、帝国は空母打撃群構想に確信を得て、さらなる空母の増産に乗り出した。 3.海外拡大政策の成功 真珠戦争以後、空母打撃群構想実現のため、帝国は海外資源の獲得および、国内経済のさらなる発展を目指した。同盟国である二重展望、シュバーベン革命軍、気ままになどにおいて海外資源施設を建設するとともに、BFにおいては旧あでぃおすぐらっしあ領の確保に伴い、勢力を拡大した。T1500に至るまでに、BFにおいて12の軍施設、気ままににおいては17の軍施設を設置した。それを経て、空母を増産し、空母20隻体制を構築した。一連の政策によって、軍事費用は大きく拡大し、維持食料が540万tにまで増大した。一方、国内経済政策についても、人口が530万人に到達するなど、大きな成功を収めた。 4.同盟離脱 帝国の急速な海外拡大政策は、柳同盟の政策と一致しなかった。それに伴って、T1510、帝国は柳同盟を離脱した。離脱後、帝国は諸島軍事連合エロス同盟を設立した。 5.政治混乱期 T1500ごろ~T1700ごろにわたって、海外拡大政策の反動が訪れ、帝国は政治混乱期を迎えた。この間、経済活動のほか、海外拠点開発や、空母建造などが停滞した。これらが霹靂戦争の誘因となった。 第四期:新興国の台頭とエレ・イグノア ポストミレニアム期をへて、T1600ごろに差し掛かると、ポストミレニアムの主要三同盟(『やなぎの樹』『Heilig Untertasse』『花守』)の衰退が目立ち始めた。一方で新興国の台頭が激しく、同盟『大陸会議』とエロス同盟は海域の主導権を争うようになった。そして、エレ・イグノアにおいて、エロス同盟は大陸会議に敗れ、主導権争いに敗北した。同時期に『やなぎの樹』が壊滅したことで、ポストミレニアムは終焉を迎えた。 1.霹靂戦争 T1715、南部連合が帝国本土沖に艦隊を展開し、帝国海軍への攻撃を開始した。しかし、帝国は政治混乱期にあったため、これに対処できず、沖合の20以上の艦艇・施設が破壊された。さらに、T1724には、気ままにに設置していたベースKに対し、DESTINYが攻撃を実施し、半壊状態に陥った。 T1724のベースK攻撃を受け、帝国内では挙国一致政権が形成され、南部連合との戦争を開始した(霹靂戦争)。また、同時に、国内では緊急事態通知システムhakonekoの開発が進められた。 2.『親新疎古』 トロンバ・ダーリャで壊滅的被害を受けた南部連合や、ミレニアム戦争で全海軍を喪失したDESTINYなどが国力を回復した一方で、ミレニアム戦争以後に軸を形成すると考えられていた諸同盟はT1200ごろに最大規模となったのち伸び悩んだ。当時海域最大規模であった柳同盟に至っては、帝国の離脱もあって、T1200ごろの最盛期1800万人規模の1/3程度まで減少した。 帝国も、T1500ごろに人口530万の全盛期に達したのち、霹靂戦争を経て、人口は450万人まで低迷した。再び国力を回復するべく、帝国は『親新疎古』を打ち出して、新興国との関係構築を進めた。 3.第二次拡大政策 帝国は国力復興のため、海外拡大政策を猛烈に推進した。気ままににおけるベースK再建のほか、ハゲニスタ・誘蛾においても海外拠点設置を進めた。また、同盟『Heilig Untertasse』盟主であった、大久野への侵攻も実施した。その後も、きつねそば、夜桜などへも侵攻を行った。こうした政策によって、人口は再び人口500万を突破した。また、エロス同盟もこの時期に拡大し、T1930ごろには海域最大勢力(*9)となった。 T1940を過ぎると、霹靂戦争からの復興も最終段階に入った。この時期から、帝国海軍の再建を開始した。 4.第二ミレニアム ミレニアム戦争以後、約1000Tにわたって、海域はほぼ平和の時代を迎えた。T1200ごろに、ポストミレニアムの三大同盟(『やなぎの樹』『Heilig Untertasse』『花守』)は全盛期を経験したのち、いずれも衰退し、第二ミレニアム末期においては、『Heilig Untertasse』は消滅、『やなぎの樹』と『花守』は事実上の休止状態に陥った。一方で、『大陸会議』や『United Elos』(エロス同盟)といった新興同盟が成長し、海域内で活発に活動するようになった。 5.エレ・イグノア T2078、帝国海軍は、BFへの再進出を画策し、ELEのBF軍施設を奇襲した。これを受けて、ELEは、ベースKへの報復攻撃を実施した。加えて、T2084には、帝国への宣戦布告を実施した(エレ・イグノア)。この戦争をきっかけに、エロス同盟は、疾風迅雷・大陸会議の連合軍と対決することとなり、致命的な打撃を被った。 また、この戦争の裏で勃発した植民地争いに伴って、柳同盟(同盟『やなぎの樹』)が壊滅し、ポストミレニアム体制の終焉を決定づけた。 政策 成長主義 帝国が、外征・軍拡・植民地統治・自由海域(BF)支配の正当性の基盤としている考え方。国家目的を「成長」と定め、その目標達成のために、外征や軍拡といった政策が必要不可欠だと主張するものである。新成長主義とは異なり、全世界的な視点は持っていない。高度成長の限界に到達し、新成長主義へと移行した。 『合理的成長』 T600ごろから掲げられたスローガン。国力に見合わない軍拡競争から離脱し、健全な財政状況を取り戻すことを目指した。移民輸入のために、積極的に外征を行った。T700にはほぼ健全化を達成した。軍縮を行うのではなく、成長することで軍拡を推し進めていく点で、成長主義の象徴的スローガンであった。 新成長主義 成長主義に対して、「成長の限界」を指摘する学者たちが考えている、成長主義を打破するための思想。単純に言えば、成長主義を全世界的に拡張していくもの。基本的な枠組みとしては、国家目的を「海域全体の成長」とし、そのために、より多くの国家を成立・成長させることを実現すべき政策とする。一方、世界全体で成長が最適化されるには、成長の遅れている"後進国"は切り捨てられるべきであるといった過激思想(前進派)が含まれる。 統一思想 成長主義に対して、「成長の限界」を指摘する宗教家たちによって作り出された、成長主義が破綻したのち現れると考えられている思想。統一思想では、人類の目的を「世界の統一」とする。その過程で世界は災禍に見舞われ、それを超越したところに世界統一が実現されるとされる。その災禍を避けるには信仰が必要であるとする。トロンバ・ダーリャが起こると、宗教家たちは積極的に喧伝した。 前進派 α海域の特殊性(*10)に基づくと、世界全体が成長を果たすには、「尊い犠牲」="後進国"の搾取が避けれないとし、国家存続のためには"先進国"であることを維持しなければならず、先進国である限り、後進国の搾取を避けては通れないとする考え方。新成長主義の一派であり、過激思想と捉えられている。 空母打撃群構想 空母20隻以上から成る空母打撃群を編成するもの。帝国海軍では、トロンバ・ダーリャ直後に構想化され、この空母打撃群を単独一島で保有することを目指している。また、真珠戦争を経て後は、海域内で最大の空母打撃群を保有し、優位性を確保することを目指すようになった。 『親新疎古』 T1800ごろから掲げられたスローガン。国力の低迷する帝国が、海域で台頭してきた、またはするであろう新興国と関係を構築することで、再び国力を浮上させることを目指した。しかし、実態は海域内での経済大国との協力関係を構築するものであった。 外交情報 【同盟情報】 エロス同盟 『United Elos』と表記されることもある。帝国が『やなぎの樹』離脱後に設立した、諸国軍事連合である。現在は4国で構成される。平均人口400万人を誇り、海域首位同盟となっている。 大陸会議 第二位同盟。活動的な島が多く、急速に勢力を拡大している。 WARDOG 第三位同盟。活発な軍事同盟とみられていたが、不運な目に遭ったりして活動は停滞している。 疾風迅雷 比較的新しい諸島連合。一時勢いがあったが、現在は停滞している。 やなぎの樹 現存最古参の同盟。BF支配権を得ている。帝国はT500ごろ~T1510に渡って加盟していた。ミレニアム戦争による旋風およびB/C.の解散に伴って、ながらく海域最大規模であったが、帝国の離脱などによって、全盛期の約1/3まで勢力が衰退した。 B/C.(解散) 一時、海域内最大勢力を誇った、タイマニズム同盟である。帝国および柳同盟とは対抗関係にあるが、組織として敵対しているというわけではない。トロンバ・ダーリャのきっかけとなった。ミレニアム戦争終結後、解散された。 旋風(解散) 一時12国が参加するマンモス同盟であった。しかし、1島あたりの平均経済力は柳同盟の半分程度である。新興国を取り入れる積極的な拡大政策によって、同盟規模を伸ばし海域の中心的存在となったが、包囲されることになり、ミレニアム戦争の際に解散された。 Heilig Untertasse(解散) T481に、神聖同盟とUntertasseが合併して成立した同盟である。トロンバ・ダーリャでは、旋風側に味方し、勝利に貢献した。古参同盟だったが、T1870ごろに解散。 【B.F.情勢】 帝国は、南部連合に支配権を売却した。B.F.では4か国が支配域を分割している。 【現在締結している各種条約】(新着順) エロス同盟(ああああ、DESTINY) 軍事同盟条約。経済・技術的な協力を含む、総合的な協力関係の構築。期限は設定されていない。 【失効済み条約】(新着順) 気ままに 開発完了までの安全保障。気ままに島無人化に伴い、失効。 南部連合 T1993までの全域での相互不可侵。期限満了につき、失効。 やなぎの樹(精神病、君の美術館、箱形の恐禍、二重展望、光輝の大複合神殿) 軍事同盟条約。経済・技術的な協力を含む、総合的な協力関係の構築。期限は設定されていない。T1510に脱退。 王子駅 相互不可侵条約。第三国においても攻撃禁止。シュバーべン革命軍島の放棄まで有効。シュバーベン革命軍島放棄により失効。 すぱげてぃ T1491までの相互不可侵条約。第三国においても攻撃禁止。ただし、同盟員への布告があった場合は無効。期限満了につき、失効。 なっ島 T900までの安全保障。期限満了につき、失効。 (宰相)帝国 T900までの相互不可侵・攻撃禁止。期限満了につき、失効。 曲がり角の呪い(旧あでぃおすぐらっしあ) B.F.にてy12/13ラインを勢力圏境界とし、越境して施設展開を禁止。相互攻撃禁止。相手国滅亡につき、失効。 軍事力 軍事拠点 本ベース イグノー島本土に構築された本ベースは、7つの軍港と、17の海上防衛施設を備える。主力空母打撃群の駐留拠点である。エレ・イグノアにおいて壊滅。 Hベース(破棄) ハゲニスタ島沖に構築された。T1830ごろから工事が進められ、一時7軍港3海防が建設された。エレ・イグノア停戦条約により、破棄された。 Yベース(破棄) 誘蛾島に構築された。T1850ごろから工事が進められ、一時5軍港2海防が建設された。エレ・イグノア停戦条約により、破棄された。 Fベース(売却済) BFに構築された。帝国がBF進出に乗り出したT600ごろから、T1300ごろまでは仮設基地であったが、BF南西部の支配権を獲得するに伴って、常設基地となった。11の軍港と1の海上防衛施設を備える。霹靂戦争において南部連合へ売却された。 Kベース(放棄) 気ままに島に構築された。T1300ごろから工事が進められ、12の軍港と4の海上防衛施設を備え、資源施設の管理も行っていた。霹靂戦争において、一時壊滅状態に陥った。その後、再建した。エレ・イグノアにおいて壊滅。気ままに島も無人化した。 戦力 航空戦力中心の艦隊編成がなされており、航空母艦による打撃群と、それを支援する海上支援艦隊が配備されていた。エレ・イグノアにおいて壊滅。 水上艦一覧 <駆逐艦> 現有1隻 島の防衛・機動部隊の海上支援を役割としている。 識別コード 艦名 登録 除籍 備考 ロドリゲス級 EDI01 HAMES(ハメス) 496 2126 本土沖にて撃沈 EDI02 NAKE(ナケ) 496 2126 本土沖にて撃沈 EDI03 DOC(ドク) 496 EDI04 TIT(ティット) 553 1025 誤爆により沈没 EDI05 KRUL(クルル) 553 2126 本土沖にて撃沈 EDI06 THIBAUT(ティボ) 553 2126 本土沖にて撃沈 EDI07 IMMOBILE(インモービレ) 715 1025 誤爆により沈没 EDI08 MANGALA(マンガラ) 599 834 隕石により消失 EDI09 MANDZUKIC(マンジュキッチ) 599 2126 本土沖にて撃沈 EDI10 FERREIRA(フェレイラ) 600 2126 本土沖にて撃沈 EDI11 AGUERO(アグエロ) 601 キングスレー級 EDI12 COMAN(コマン) 1063 2126 本土沖にて撃沈 EDI13 NAKATA(ナカタ) 1063 2126 本土沖にて撃沈 <軽巡洋艦> 遊撃・広域拠点防衛などを担う。 識別コード 艦名 登録 除籍 備考 EDR01 AKARI(アカリ) 2010 2126 アメリカ合衆国島沖にて撃沈 <重巡洋艦> 防空任務を中心に、幅広い任務に就く。 識別コード 艦名 登録 除籍 備考 EDW01 ICHIGO(イチゴ) 1063 1120 誤爆により沈没 EDW02 AOI(アオイ) 1063 2126 本土沖にて撃沈 EDW03 RAN(ラン) 1120 1720 本土沖にて撃沈 <航空母艦> 現有9隻 アナンガ・ランガ級(EDA01-03)…本土防衛のために先んじて建造が進められた。全3隻で、本土裏の防衛を担当する。 カサブランカ級(EDA04-22)…T700ごろから建造が開始された。13番艦までは、およそ10Tに1隻のペースで竣工した。主力航空部隊を編成する。 エセックス級(EDA23-35)…T1500以降に建造が開始され、空母打撃群構想の象徴的な存在となる。 識別コード 艦名 登録 除籍 備考 アナンガ・ランガ級 全3隻 EDA01 ANANGA RANGA(アナンガ・ランガ) 659 EDA02 KAMA SUTRA(カーマ・スートラ) 659 EDA03 RATIRAHASYA(ラティラハスヤ) 659 カサブランカ級 全19隻 EDA04 CASABLANCA(カサブランカ) 768 EDA05 LISCOME-BAY(リスカムベイ) 768 1255 すぱげてぃ島沖にて撃沈 EDA06 ANZIO(アンツィオ) 791 1720 本土沖にて撃沈 EDA07 CORREGIDOR(コレヒドール) 791 EDA08 MISSION-BAY(ミッションベイ) 791 1720 本土沖にて撃沈 EDA09 GUADALCANAL(ガダルカナル) 791 EDA10 MANILA-BAY(マニラベイ) 791 2126 本土沖にて撃沈 EDA11 NATOMA-BAY(ナトマベイ) 791 1256 すぱげてぃ島沖にて撃沈 EDA12 St.Lo(セントロー) 808 1258 隕石により消失 EDA13 TRIPOLI(トリポリ) 816 1720 本土沖にて撃沈 EDA14 WAKE-ISLAND(ウェークアイランド) 834 1720 本土沖にて撃沈 EDA15 WHITE-PLAINS(ホワイトプレーンズ) 859 2126 本土沖にて撃沈 EDA16 SOLOMONS(ソロモンズ) 943 EDA17 KALININ-BAY(カリニンベイ) 1231 EDA18 KASAAN-BAY(カサーンベイ) 1231 2126 本土沖にて撃沈 EDA19 FANSHAW-BAY(ファンショーベイ) 1290 1720 本土沖にて撃沈 EDA20 KITKUN-BAY(キトカンベイ) 1291 1720 本土沖にて撃沈 EDA21 TULAGI(ツラギ) 1534 1720 本土沖にて撃沈 EDA22 GAMBIER-BAY(ガンビアベイ) 1534 エセックス級 EDA23 ESSEX(エセックス) 1535 1720 本土沖にて撃沈 EDA24 YORKTOWN(ヨークタウン) 2010 2126 本土沖にて撃沈 EDA25 INTREPID(イントレピッド) 2010 2126 本土沖にて撃沈 EDA26 HORNET(ホーネット) 2010 2126 本土沖にて撃沈 EDA27 FRANKLIN(フランクリン) 建造計画中 EDA28 TICONDEROGA(タイコンデロガ) 建造計画中 EDA29 RANDOLPH(ランドルフ) 建造計画中 <潜水艦> 現有2隻 遊撃、特殊任務を担う。 識別コード 艦名 登録 除籍 備考 EDP01 NOIR(ノワール) 990 1940 消息不明 EDP02 IRIS(イーリス) 990 EDP03 ZERO(ゼロ) 1999 2054 消息不明 EDP04 SCHWERT(シュベルト) 2000 <イージス艦> 計画2隻 T2500までの着工を計画中。 識別コード 艦名 登録 除籍 備考 EDZ01 2501号艦 構想計画中 EDZ02 2502号艦 構想計画中 戦争一覧 時系列順、大規模戦争は別ページ記載。 ・沼戦争(T627~660) 宰相帝国との間に勃発した戦争。布告理由を明示しなかった帝国に対して、宰相帝国は猛烈な抗議を行い、事態が泥沼化した。戦闘は帝国優位に進み、多くの経験値を獲得した。緋桜の仲介によって停戦に合意した。T900まで両軍の他国/BF含む施設艦艇への攻撃禁止が約束された。 ・トロンバ・ダーリャ(T635~780) 詳細はトロンバ・ダーリャを参照。帝国は参戦していなかったものの、次期軍事計画に大きな影響を及ぼした。 ・大平和旋風(T904~934) 詳細は大平和旋風を参照。帝国はT933から参戦した。直後に大平和帝國は崩壊し、終結した。 ・真珠戦争(T904~934) 詳細は真珠戦争を参照。帝国が一方的に侵攻を繰り返したが、征服に至らなかった。 ・霹靂戦争(T1715~1743) 詳細は霹靂戦争を参照。帝国は大敗し、主力艦隊が半壊・BF権益を喪失するなどした。 ・エレ・イグノア(T2092~2137) 詳細はエレ・イグノアを参照。エロス同盟は致命的な打撃を受け、帝国も壊滅的被害を受けた。 通史 T 305 島の発見。 T 498 初の海外侵攻(混沌島)。 T 528 初の海外植民地(ミルクティー島)。第一次経済成長期。 T 550頃 同盟『やなぎの樹』参加。 T 627 初の対外戦争(帝国島)。 T 635 トロンバ・ダーリャ勃発。混乱に乗じて海外侵攻を進めた。第二次経済成長期。 T 730頃 人口320万突破。 T 980 ミレニアム戦争勃発。大同盟時代が終焉。第三次経済成長期。 T1200 人口500万突破。初のターン杯を獲得。 T1251 真珠戦争開始。 T1300 戦争の影響でアークトゥールス島とのターン杯争いに敗れる。 T1400 2度目のターン杯獲得。BF基地、気ままに島基地開発が進行。 T1500 2期連続3度目のターン杯獲得。空母20隻体制が整う。 T1510 同盟『やなぎの樹』を離脱。『United Elos』を設立。政治混乱期始まる。 T1600 3期連続4度目のターン杯獲得。 T1700 人口減少が進行。アークトゥールス島にターン杯を奪われる。 T1715 霹靂戦争勃発。空母8隻を失う大敗を喫し、BF基地も喪失。 T1900頃 誘蛾島基地開発、ハゲニスタ島基地開発が進行。霹靂戦争からおおよそ復興する。『United Elos』が急拡大し、海域首位同盟となる。 T2000 4期ぶりにターン杯奪還。なお、T900以降、ターン杯をアークトゥールス島と独占している。 T2092 エレ・イグノア勃発。エロス同盟は致命的な打撃を受け、帝国も壊滅的被害を受けた。 T2100 2連続6度目のターン杯獲得。 ★みんなコメントしてね★待ってま~す♡ エスペルマ デル イグノォォ -- _ (2017-04-12 20 21 36) お洒落で可愛い名前だな…と思いました>< 先生応援してます>< -- _ (2017-04-12 20 23 39) おや懐かしい。 -- 名無しさん (2017-04-13 23 13 49) タイマニズムって表現ほんと好き -- 名無しさん (2017-06-08 16 14 17) 復帰しようと思ったら島消えてたんですが -- たぴおか (2018-06-04 20 53 28) エレ・イグノアを見てね・・・ごめんね・・・ -- siz (2018-06-04 23 44 26) ついに無くなってしまったか… -- 名無しさん (2018-07-25 10 33 01) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3810.html
188 :名無しさん:2015/07/23(木) 20 14 37 天龍型航空巡洋艦 基準排水量=7,200t 全長=158m 全幅=18.2m 主機出力=オールギヤードタービン2基2軸・52,000HP 最大速力=27.8kt 航続距離=18kt/8,000海里 武装 50口径14cm砲 2連装2基(前部に背負い式配置) 40口径12.7cm高角砲 2連装4基(舷側配置) 40㎜機関砲 4連装4基 20mm機銃 2連装10基 艦載機-ウィッチ無しの場合水上偵察機・戦闘機6~8機、 ウィッチ三名乗せる場合水上偵察機・戦闘機3~4機 扶桑が中小国海軍輸出用にと建造した航空巡洋艦である。 これは憂鬱阿賀野型をベースに、ウィッチの艦載するために後部を史実最上型のようにフラット状態にしたものであった。 また、中小国海軍の船団護衛の旗艦、小規模艦隊旗艦などの要素を含めた巡洋艦でもあった 天龍と命名されたわけは、ウィッチを龍に見立てて、発艦の様子が天に昇るさまに似ていたからだとか 一番艦が竣工し、暫く扶桑海軍の手で試験を行い、不具合を改修した後にアマゾナスに売却され アマゾナス海軍で航空巡洋艦サン・パウロとして海軍総旗艦となり、30年間現役だったという 二番艦以降はシャムロ王国、コンゴ王国、アクスム王国、タウンティン・スウェ、アステカ王国などが 購入され、扶桑海軍では運用することはなかった。 なお、各国それぞれが注文を出したために同型艦でありながら、同型艦ではないという珍事が発生したともいう これらの航空巡洋艦はそれぞれの国で怪異が発生した際に真っ先に派遣され 撃沈された艦もでたが、大国からの援助が来るまでの時間を稼ぎ、国を守りきれたので、護国の巡洋艦と誉高かったという・・ (終)