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排日問題と反動運動に対してプロレタリアが執る可き態度 山崎今朝彌 戦争はどの道プロレタリアに徳はありません。 日米問題は全く反動運動の好餌であります。吾々は極力戦争防止に努めねばなりません。 併しゴマメの歯ぎしりではあります。正実は、我関せず焉で戦争でも起つたら、其れを利用する事は考へた方が得のやうです。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとした。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『復刻版進め』(不二出版、1989年)、底本の親本は、『進め』(進め社)第2年6号(大正13年(1924年)6月号)23頁>
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【 ALBUM 】 (7) STEREO (1996/11/04) HOME (1997/5/21) ドミノ (1998/12/23) SHEEP (1999/11/26) ONE KNIGHT STANDS (2000/09/25) Transit Time (2002/05/29) BLUE PERIOD (2005/09/21) 【 SINGLE 】 (11) 振り向かない / ガムシャラ バタフライ (1997/10/22) 心拍数 (2002/05/29) 心拍数 北海道編 (2002/05/29) 心拍数 東北編 (2002/05/29) 心拍数 関東編 (2002/05/29) 心拍数 信越・北陸編 (2002/05/29) 心拍数 東海編 (2002/05/29) 心拍数 近畿編 (2002/05/29) 心拍数 中国編 (2002/05/29) 心拍数 四国編 (2002/05/29) 心拍数 九州・沖縄編 (2002/05/29) 【 関連アーティスト 】 福耳
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罰の跋 此書は大部分清俊印刷所で刷りかけ、遅くも九月一日には確実に記念出版出来る筈であつたが、延びにのびて何時出るか今にわからない。由来馬鹿と気違にはかかしらうな、とは先祖代々の言伝へであるのに、俺がとか又はマサカ俺にはとか自惚れて、少からずオセツカイ心を起したのが抑々間違の初まりで、詐欺にはかかる、横領はされる、相手にもなれない挙句の果が、詐欺の詐欺で、漸く出来上りかけて見れば素人も素人驚き切れもしない程の素人で、到底物にはなるまいと思つてる処へ、電気は止まる、差押はくる、検挙はされる、破産にはなるといふ始末、仕方泣く泣くドコをドウしてか漸くマトメて貰ふたのがコレである。僕は祖先の遺言を守らなかつた罰と諦めもするが、前金払込済の読者に対しては如何なる名目で諦めて貰はうか。(十三年十一月十八日珍無類快晴の日) <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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「新世界戦争の危機迫れりや、一、日本の「強硬」政策が之をまき起すことになりはしないか、二、新世界戦争が起るとすれば日本は如何なる国と交戦するか、三、国内的国際的に其の結果は如何」という問いに対する回答。 山崎今朝彌 一、そう行けば誠に公式に合ふのですが、ソウ甘くは問屋で卸して呉れず、一定の方針なき日本政府は結局泣寝入りで終り、理屈は何んとか後からゴマかす事になります。ナゼナラ 二、今対支問題で戦争を起せば相手は支那と英米で、其結果は 三、日本政府は取敢ず永遠にツブレて了いますから。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第14巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)7巻9号62頁(昭和3年(1928年)9月1日発行)>
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消息 ■山崎今朝彌君 御賞めに預り有難う、実際此度は嬉しいよ、(註、是は子供の生れた事)英文の事なんか忘れたと云ふた方がエラソーだが、実は忘れもせぬが書く事がナカツタ、今君の手紙で、子供の生れた嬉しい事を書いて君に何とか○○除ケになる名を附けて呉れと云ふ手紙にしたらと思ふたが、字引を引いたりナンカ半日も浪費せねばならぬから此度は失敬する、萬皿無意味な事も書けぬし書くとなると手間がかかるから英文は商売にならぬ。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に修正した。> <底本は、『復刻版へちまの花(第2巻)』(不二出版、1984年)、底本の親本は、『へちまの花』第18号20頁。大正4年(1915年)7月1日発行>
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寄せ鍋 『法治国』から壱千萬円呉れたら何うすると云ふて来たから、ホントに呉れたら、先づ第一に日本国中の新聞紙へ借金倍返しの全面広告を出し、次にスミス飛行大会を安会費で催し、東京市中へ広告ビラをまく、ソレデ残金あれば『平民法律』の発行所を市外へ移さずに保証金を積む、其余は電話と時計を一時に買込む、残金は確い銀行へ預けて小切手が振出せる契約をして見度い、ソレデモ尚残金があるものなら余り損になら無い程度で日本政府をジラしたり世間を騒がして見度い、尤も残金が何十萬何百萬とあるものなら、物価騰貴の今日故一人頭千円と見て国会議員二百人を買収し帝国議会を左右して見る、議会が解散になれば又買収する、又解散になれば又又買収する。と云ふ返事をした。 明治四十二三四年頃東京弁護士会の両派が例の役員競争で鎬を削つてる真最中、花井弁護士を会長に松田(源治)弁護士を副に其他夫々評議員を候補に推薦して、コトシヤコウデモマタライネンハシヨクンノジクコウゼヒタノム東京弁護士会役員選挙理想選挙団本部印と云ふ葉書を配つた者があり、アレは山崎だ山崎でないと色々邪推憶測されて随分大した迷惑もなかつたが、アレは実際僕ではある。 大逆事件判決書の私の問題の部分は、被告新田融は被告太吉が其目的爆裂薬を装填して官衙富豪を焚椋する等の暴挙の用に供せんと欲するに在ることを推知したるに拘はらず、太吉がブリキ製小缶の製作を依頼したるに之を承諾して製造し与へ。被告新村善兵衛は暴挙の用に供すべき爆裂薬の製造に使用すべきものと推知したるに不拘、被告忠雄の依頼を受け八重治より薬研を受取り、太吉は其薬研を以て大逆罪の用に供せんと欲したる鶏冠石を磨砕したり。法を案ずるに被告融の行為は刑法第三十八条第二項爆発物取締罰則及び刑法第十九条第二十条被告善兵衛の行為は右の外尚爆発物取締罰則従犯規定(大逆罪の従犯にあらず)を適用すべきものとす、であるが此犯罪事実は大審院の特別権限に属しない。 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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社会的正義の先駆者 □ 山崎今朝彌 共鳴とは何ぞや、動機とは何ぞや、抑抑現状打破の思想とは何ぞや、等と小六づかしき理窟はぬきにして、要するに私は矢張り遺伝と性格と境遇と感染とよりコンナ人間になつたと思ひます。先祖代々謀反者ヒネクレ者の血を承け、幼にして既に反逆を好み、稍々長じてはテロリケロリで復讐を続け、強情意地ツ張り小面憎く、生れ乍らにして赤貧素寒貧、農家に育ちて耕すにものなく、工場で稼いで小遣手に入らず、見下げ果てたる浮世のバカ者ウツケ者を見るに付け、不平ウツ憤やる瀬なく、世を詛ひ人を茶化すより外なき処へ、先づ初めて米国で赤羽、幸徳、岩佐君等と相識り、コイツ少々話せるなと思ふたが病付きで、友人が悉く革命家若くは社会運動家と変更し、目は何も知らぬ間に耳は確く其ウン奥を極め其後は之を中外に施して決して誤らず過たず、今は只其死期を待つのみと相成候。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(大鐙閣)第5巻5号122頁(大正12年(1923年)5月1日発行)>
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忌避から判決まで 判事も検事も警察も一つ穴の狸と思ふてる素人に。予審裁判をした判事は、公判で其事件に関係する事ができない、一審裁判をした判事は、二審で其事件に関係する事ができない、其訳は先入主となる弊害があつて、公平の裁判ができないからだ。と話せば何を?!べら棒な、チヤンチヤラおかしいと笑ふだらうが、玄人はそんな事は当り前の事としてゐる。然るに弁護士判検事の懲戒となると、予審判事のする予審裁判と同じ事を、懲戒開始決定と名を付けて公判々事がやり、其同じ公判々事が又懲戒の裁判をやつてる。刑事々件なら恰ど予審判事と公判々事と、一審判事と二審判事とを一人でやるようなものだ。此不思議の現象はどこかに間違つた処があるにきまつてる。玄人のチヤキチヤキたる判検事弁護士であるから、此事は誰も気が付く筈であるのに、今迄これを問題にした被告のないのは、蓋し被告上黙つていた方が得た利益だと計算したからであらふ。僕としても、大概相場はきまつてる、面倒だバカバカしい、グズグズして居れば暑中休を越す、とも考へたが、裁判長を被告扱ひにして見たいのと、先方の決定書其儘で謹厳痛快の申請書ができるのとにほだされて遂ひテストケースと云ふ気で五月一日に判事全部に対して忌避をした。 西郷判事と遠藤判事とはなぜか評判がよい、僕の友人は皆牧野裁判長一人を忌避して二人を忌避するなと忠告してくれたが、此度こそは乃木大将の敵を取られると評判されてる最中、それでは僕が其を怖れての余り忌避した様に思はれるも厭だから、構はす三人を忌避した。此申請は直ちに予期した通り却下になつた。尾佐竹判事が係りときいたから、太政官の布達でも引きずり出して、裁判に理由でも付けてくれるかと楽んでみたが、それも越中褌に終つた。 バカと狂には逃げるが勝よといふ諺もあるが、裁判は一日も早く片付けたかつた。しかし忌避の裁判は初めより控訴院は眼中になく只大審院が目的でもあり、又調べれば調べる程理由があり、熱心も出てきたから、僕は一方直ちに忌避申請却下に対する即時抗告をすると同時に、他方控訴院に向つて、構はず裁判を進行してくれとの願を出した。当時僕の此挙を以て徹頭徹尾裁判所を曲くり又は之をからかふものとして、僕を非難し、除名又軽きに過くと云ひ触らす者もあつたが、決してさう云ふ訳ではなかつた。僕は忌避申請をした当時より、裁判所は判事を代へて裁判を進め、合法的に忌避の申請を葬るであらふと思ふて居た位だつた。従て上申書や抗告申立書の戦々兢々や大安吉日は、僕としては当然以上の真面目であつた。 大審院で抗告が棄却された時は聊か失望はしたが、もう其時は既に熱が発散し切つていたので憤慨はしなかつた。控訴院の決定も大審院の決定も似たり寄つたりで、兄たり難く弟たり難い理由のないものであつた。僕が忌避申請書や抗告理由書で論ずるように、懲戒裁判の開始決定には懲戒すべき事実だけを書き挙げるだけにして、其理由は説明するな、愈々公判で裁判するときに初めて詳細の理由を書け、だから開始決定の判事も公判の裁判判事も同一人で差支へない。と云ふ事にすれば、法理合理や法律の常識にも、懲戒裁判に忌避を許した精神にも叶ひ、条文の解釈も刑事訴訟法との関係もスラスラスツと皆スムースに行くのに、只それでは、従来のやり方が間違つて居た、気が付かなかつた、ばかだつた低能だつた、と云ふ事になる虞れがあるといふ理由ばかりに、あれは法律が悪いのだ規則の欠点だ、懲戒法の忌避と刑事訴訟法の忌避とは性質が違ふ、この予断は予断でも予断でない、とこじつけようとするのはいつもいつも乍ら悪い癖だ。竪子遂に教ゆべからすの歎、豈独り僕のみならんや。 忌避も愈々確定した、裁判は益々切迫した、今後は既に極まつてる。しかし新聞がまちまちだから友人もいろいろだつた。やれやれと云ふ者によせよせと云ふ者、弁護をと云つてくれた者もあつたし寄附をと云つてくれた者もあつた。 当時僕と同じく弥生会といふ弁護士団体に属してる佐々木藤市郎君が、矢張り僕と同じく岸清一博士と共に懲戒問題を起して居た。一説によれば佐々木君は、僕なんかが年から年中口癖に云ふてる、裁判官はかかしだ石ころだ、との悪口を叩いたが悪いとの事だ、弥生会は佐々木君の為めに屢々会議を開いて其善後策を講じたが、いつも問題になるのは、岸博士のと連合でやれ、いや切離してやれ、岸博士のとは訳が違ふいや同じ事だ、であつたが、どちらにしても皆申訳のない事を仕出かした、困つた、と云ふ点だけは異論がなかつた。佐々木君も亦頗る恐縮して頻りに謹慎していた。其位であつたから況んや僕の事件では皆がこわがつてる風に見え、僕と一所に附いて来る事は到底出来ない相談であつた。そこで僕の事件は僕の自由処分に任かして、其代り僕が出すといふ事件顛末の著書を一人で三十部宛引受けようといふ事になつた。と記憶してる。 自由法曹団でも会議を開いてくれた。僕の既定の方針に対しては、それは遠慮からだらふと心配してくれた者もあつたが、兎に角僕の希望で一審はウツチヤリ置き二審はほんまに弁護して貰ふと云ふ事になつた。尤も一審の判決が軽いからとて控訴しなくてはイケナイ。一人の事でない弁護士全体の事であるからといふ条件付であつた。僕は必らず諸君の顔をつぶす様な事はしないと誓つたが、其時から既に腹の中では、それなら控訴の取下は構はないなと思ふて居た、悪い奴だ。 書記課への抗議 あれ程頼んで置いたのに、当の本人が知らない間に新聞へ発表され、折角の深謀熟慮も悉く画餅に帰し頗る困つた結果、止むなく今日より病気になり色々と新案目論見最中に候。も智嚢も画策も早や尽き果て、甘い考へも出ず大に弱り居り候。条文が無いので書記の忌避も出来ず、マアこんな処で締め置き候。 拝具 六月二日 山崎今朝彌 東京控訴院第三階 深路茂樹 様 控訴状 控訴人 山崎今朝彌 相手人 不明 右当事者間大正十一年(よ)第一号事件に付只今其判決謄本送達ありたるに付控訴す。 控訴理由 判決の罰の量定は高木氏の「小僧判事」に比し決して高からざること、問題の文句は相当不穏当なること、控訴人は為めにする処あり故ら不謹慎の言辞を弄せしことは之を認む。然れ共不穏当不謹慎は必ずしも弁護士の体面を汚すものにあらず、会則に所謂弁護士の体面を汚すとは弁護士会長ともあるものが、公然又は陰険に聞くに堪へざる言辞を以てお互に相手方の人身攻撃を為し合ふが如き事を云ふものにして、弁護士も司法官も味噌も糞も同一と心得殊勝にも幾分遠慮しつつ、円曲に皮肉に、馬鹿を鹿馬と言ひ無能を能無と云ふが如き場合を云ふものにあらず。然るに原判決は全然此点の区別も知らず、遠慮なき言辞を弄せしとの一事を以て直ちに弁護士の体面を汚すものと判断したるものなれば此点大に不服なり。尚控訴人は目下重病中にて詳細の理由書を提出し得ざるを遺憾とするも、其は追て直接之れを控訴裁判所へ提出すべし 大正十一年六月拾三日 山崎今朝彌 口授閲覧 大審院に於ける懲戒裁判所 御中 控訴取下書 東京地方裁判所々属弁護士 山崎今朝彌 右私に係る東京控訴院に於ける懲戒裁判所大正十一年(よ)第一号事件判決に対し大正十一年六月十三日控訴を為したる控訴は病気の都合も有之取下の効力も試験仕度候に付茲に右控訴取下仕候也。 大正十一年六月廿九日 右山崎今朝彌 大審院に於ける懲戒裁判所 御中 日記秘第四五号秘号 東京地方裁判所所属 弁護士 山崎今朝彌 停職四月 右懲戒事件に付東京控訴院に於ける懲戒裁判所に於て頭書の通判決相成大正十一年六月二十九日確定したるに付其期間内職務の執行を停止すべし。 右及通達候也。 大正十一年六月三十日 東京地方裁判所検事正 小原直 <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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<「普選」「治法」共に愈々議会に上呈されんとしてゐる。左記の場合無産階級運動は如何なる運動形態を採つて進む可きか。(一)「普選」のみ通過せる場合。(二)「普選」「治法」共に通過せる場合。(三)「治法」のみ通過せる場合。という問いに対する回答> 暫く逆戻りだ 山崎今朝彌氏 (一)天変地異のなき限り大概(一)と相場はきまつてゐる。治法は検束法即決例程恐いものではないが、充分恐怖には役立つ。で少くとも一時は、右と左が益々左右に分解する。 (二)ここ暫らくは逆戻りとある。 (三)今の形勢で進んで行く。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『復刻版進め』(不二出版、1989年)、底本の親本は、『進め』(進め社)第3年3号(大正14年(1925年)3月号)7頁>
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CD ベストアルバム BLUE PERIOD 曲(DL) お家へ帰ろう セロリ(LIVE Version) なごり雪(withスガシカオ) 水のない水槽 (album mix)