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『中外』を中心としたる諸家の雑誌観 真面目の野心と妄想的の抱負 山崎今朝彌 私の『中外』に取る点は、編輯や内容等ではない、今年や来年の、編輯や内容が、どうあらうと、斯うあらうと、そんな事の少し位はどうでも構はない。私は過日聞かされた内藤社長の、雑誌に対する真面目の野心と、『中外』に対する妄想的の抱負とを取る者である。之れさへ存在する間は、『中外』は必らず何時か、日本一の世界一雑誌に公認せらるる時の来る虞れが充分ある事と私は確信します。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に修正した。> <底本は、『復刻版中外第7巻』(不二出版、1988年)、底本の親本は『中外』第2巻11号346頁。大正7年(1918年)10月1日発行。>
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「所謂直訴問題の批判、一、直訴する者の信念及目的、二、彼等に直訴手段を執らしむるに至つた社会的原因、三、直訴の結果はどう酬ひられたか」という問いに対する回答。 山崎今朝彌 一、百発百中とは行かぬにしても、直訴する程の者は皆真シマジメで売名や宣伝の目的ではありません。ソレが唯一最上の方法と考へるからです。 二、而して、其の此処に至るのは直訴者に其れ以外の方法を与へ其の道を開かぬからです。今に直訴者を死刑に処す緊急勅令が出るでせうが、ソシたら又大流行になるでせう。請願令前はコウ直訴は流行らなかつたものです。 三、結果は概して普通ですが、仮りに結果皆無でも反動期間は益々流行します。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第14巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)7巻8号59頁(昭和3年(1928年)8月1日発行)>
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今日の『新聞』 □ 山崎今朝彌 「現代の新聞」即ち「資本主義新聞」が専ら営利事業、として、野心機関として存在するものなることは、天下萬人の均しく周知してゐる処であります。ソレを社会だの、木タクだの、理想だの、影響だの、スだの、コンニヤクだのと、全く筋違ひの注文をした処で、ネツカラ初りません。ソレを云ひたいなら、自分で勝手に好いた新聞を拵へるがよろしい。成立しない中にキツト潰れること請合です。 私は、右新聞の真使命をチヤンと念頭に置き、其に依て、之れを利用する事を心懸て居ります。実際、私は永久無配者で、自分の機関新聞を市内に十計り持つてる気がしてゐます。其故か、私は「現代の新聞」に対して、格別の親しみと非常の期待を持つてゐる物であります。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(大鐙閣)第5巻9号108頁(大正12年(1923年)9月1日発行)>
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忌避から判決まで 判事も検事も警察も一つ穴の狸と思ふてる素人に。予審裁判をした判事は、公判で其事件に関係する事ができない、一審裁判をした判事は、二審で其事件に関係する事ができない、其訳は先入主となる弊害があつて、公平の裁判ができないからだ。と話せば何を?!べら棒な、チヤンチヤラおかしいと笑ふだらうが、玄人はそんな事は当り前の事としてゐる。然るに弁護士判検事の懲戒となると、予審判事のする予審裁判と同じ事を、懲戒開始決定と名を付けて公判々事がやり、其同じ公判々事が又懲戒の裁判をやつてる。刑事々件なら恰ど予審判事と公判々事と、一審判事と二審判事とを一人でやるようなものだ。此不思議の現象はどこかに間違つた処があるにきまつてる。玄人のチヤキチヤキたる判検事弁護士であるから、此事は誰も気が付く筈であるのに、今迄これを問題にした被告のないのは、蓋し被告上黙つていた方が得た利益だと計算したからであらふ。僕としても、大概相場はきまつてる、面倒だバカバカしい、グズグズして居れば暑中休を越す、とも考へたが、裁判長を被告扱ひにして見たいのと、先方の決定書其儘で謹厳痛快の申請書ができるのとにほだされて遂ひテストケースと云ふ気で五月一日に判事全部に対して忌避をした。 西郷判事と遠藤判事とはなぜか評判がよい、僕の友人は皆牧野裁判長一人を忌避して二人を忌避するなと忠告してくれたが、此度こそは乃木大将の敵を取られると評判されてる最中、それでは僕が其を怖れての余り忌避した様に思はれるも厭だから、構はす三人を忌避した。此申請は直ちに予期した通り却下になつた。尾佐竹判事が係りときいたから、太政官の布達でも引きずり出して、裁判に理由でも付けてくれるかと楽んでみたが、それも越中褌に終つた。 バカと狂には逃げるが勝よといふ諺もあるが、裁判は一日も早く片付けたかつた。しかし忌避の裁判は初めより控訴院は眼中になく只大審院が目的でもあり、又調べれば調べる程理由があり、熱心も出てきたから、僕は一方直ちに忌避申請却下に対する即時抗告をすると同時に、他方控訴院に向つて、構はず裁判を進行してくれとの願を出した。当時僕の此挙を以て徹頭徹尾裁判所を曲くり又は之をからかふものとして、僕を非難し、除名又軽きに過くと云ひ触らす者もあつたが、決してさう云ふ訳ではなかつた。僕は忌避申請をした当時より、裁判所は判事を代へて裁判を進め、合法的に忌避の申請を葬るであらふと思ふて居た位だつた。従て上申書や抗告申立書の戦々兢々や大安吉日は、僕としては当然以上の真面目であつた。 大審院で抗告が棄却された時は聊か失望はしたが、もう其時は既に熱が発散し切つていたので憤慨はしなかつた。控訴院の決定も大審院の決定も似たり寄つたりで、兄たり難く弟たり難い理由のないものであつた。僕が忌避申請書や抗告理由書で論ずるように、懲戒裁判の開始決定には懲戒すべき事実だけを書き挙げるだけにして、其理由は説明するな、愈々公判で裁判するときに初めて詳細の理由を書け、だから開始決定の判事も公判の裁判判事も同一人で差支へない。と云ふ事にすれば、法理合理や法律の常識にも、懲戒裁判に忌避を許した精神にも叶ひ、条文の解釈も刑事訴訟法との関係もスラスラスツと皆スムースに行くのに、只それでは、従来のやり方が間違つて居た、気が付かなかつた、ばかだつた低能だつた、と云ふ事になる虞れがあるといふ理由ばかりに、あれは法律が悪いのだ規則の欠点だ、懲戒法の忌避と刑事訴訟法の忌避とは性質が違ふ、この予断は予断でも予断でない、とこじつけようとするのはいつもいつも乍ら悪い癖だ。竪子遂に教ゆべからすの歎、豈独り僕のみならんや。 忌避も愈々確定した、裁判は益々切迫した、今後は既に極まつてる。しかし新聞がまちまちだから友人もいろいろだつた。やれやれと云ふ者によせよせと云ふ者、弁護をと云つてくれた者もあつたし寄附をと云つてくれた者もあつた。 当時僕と同じく弥生会といふ弁護士団体に属してる佐々木藤市郎君が、矢張り僕と同じく岸清一博士と共に懲戒問題を起して居た。一説によれば佐々木君は、僕なんかが年から年中口癖に云ふてる、裁判官はかかしだ石ころだ、との悪口を叩いたが悪いとの事だ、弥生会は佐々木君の為めに屢々会議を開いて其善後策を講じたが、いつも問題になるのは、岸博士のと連合でやれ、いや切離してやれ、岸博士のとは訳が違ふいや同じ事だ、であつたが、どちらにしても皆申訳のない事を仕出かした、困つた、と云ふ点だけは異論がなかつた。佐々木君も亦頗る恐縮して頻りに謹慎していた。其位であつたから況んや僕の事件では皆がこわがつてる風に見え、僕と一所に附いて来る事は到底出来ない相談であつた。そこで僕の事件は僕の自由処分に任かして、其代り僕が出すといふ事件顛末の著書を一人で三十部宛引受けようといふ事になつた。と記憶してる。 自由法曹団でも会議を開いてくれた。僕の既定の方針に対しては、それは遠慮からだらふと心配してくれた者もあつたが、兎に角僕の希望で一審はウツチヤリ置き二審はほんまに弁護して貰ふと云ふ事になつた。尤も一審の判決が軽いからとて控訴しなくてはイケナイ。一人の事でない弁護士全体の事であるからといふ条件付であつた。僕は必らず諸君の顔をつぶす様な事はしないと誓つたが、其時から既に腹の中では、それなら控訴の取下は構はないなと思ふて居た、悪い奴だ。 書記課への抗議 あれ程頼んで置いたのに、当の本人が知らない間に新聞へ発表され、折角の深謀熟慮も悉く画餅に帰し頗る困つた結果、止むなく今日より病気になり色々と新案目論見最中に候。も智嚢も画策も早や尽き果て、甘い考へも出ず大に弱り居り候。条文が無いので書記の忌避も出来ず、マアこんな処で締め置き候。 拝具 六月二日 山崎今朝彌 東京控訴院第三階 深路茂樹 様 控訴状 控訴人 山崎今朝彌 相手人 不明 右当事者間大正十一年(よ)第一号事件に付只今其判決謄本送達ありたるに付控訴す。 控訴理由 判決の罰の量定は高木氏の「小僧判事」に比し決して高からざること、問題の文句は相当不穏当なること、控訴人は為めにする処あり故ら不謹慎の言辞を弄せしことは之を認む。然れ共不穏当不謹慎は必ずしも弁護士の体面を汚すものにあらず、会則に所謂弁護士の体面を汚すとは弁護士会長ともあるものが、公然又は陰険に聞くに堪へざる言辞を以てお互に相手方の人身攻撃を為し合ふが如き事を云ふものにして、弁護士も司法官も味噌も糞も同一と心得殊勝にも幾分遠慮しつつ、円曲に皮肉に、馬鹿を鹿馬と言ひ無能を能無と云ふが如き場合を云ふものにあらず。然るに原判決は全然此点の区別も知らず、遠慮なき言辞を弄せしとの一事を以て直ちに弁護士の体面を汚すものと判断したるものなれば此点大に不服なり。尚控訴人は目下重病中にて詳細の理由書を提出し得ざるを遺憾とするも、其は追て直接之れを控訴裁判所へ提出すべし 大正十一年六月拾三日 山崎今朝彌 口授閲覧 大審院に於ける懲戒裁判所 御中 控訴取下書 東京地方裁判所々属弁護士 山崎今朝彌 右私に係る東京控訴院に於ける懲戒裁判所大正十一年(よ)第一号事件判決に対し大正十一年六月十三日控訴を為したる控訴は病気の都合も有之取下の効力も試験仕度候に付茲に右控訴取下仕候也。 大正十一年六月廿九日 右山崎今朝彌 大審院に於ける懲戒裁判所 御中 日記秘第四五号秘号 東京地方裁判所所属 弁護士 山崎今朝彌 停職四月 右懲戒事件に付東京控訴院に於ける懲戒裁判所に於て頭書の通判決相成大正十一年六月二十九日確定したるに付其期間内職務の執行を停止すべし。 右及通達候也。 大正十一年六月三十日 東京地方裁判所検事正 小原直 <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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寄せ鍋 『法治国』から壱千萬円呉れたら何うすると云ふて来たから、ホントに呉れたら、先づ第一に日本国中の新聞紙へ借金倍返しの全面広告を出し、次にスミス飛行大会を安会費で催し、東京市中へ広告ビラをまく、ソレデ残金あれば『平民法律』の発行所を市外へ移さずに保証金を積む、其余は電話と時計を一時に買込む、残金は確い銀行へ預けて小切手が振出せる契約をして見度い、ソレデモ尚残金があるものなら余り損になら無い程度で日本政府をジラしたり世間を騒がして見度い、尤も残金が何十萬何百萬とあるものなら、物価騰貴の今日故一人頭千円と見て国会議員二百人を買収し帝国議会を左右して見る、議会が解散になれば又買収する、又解散になれば又又買収する。と云ふ返事をした。 明治四十二三四年頃東京弁護士会の両派が例の役員競争で鎬を削つてる真最中、花井弁護士を会長に松田(源治)弁護士を副に其他夫々評議員を候補に推薦して、コトシヤコウデモマタライネンハシヨクンノジクコウゼヒタノム東京弁護士会役員選挙理想選挙団本部印と云ふ葉書を配つた者があり、アレは山崎だ山崎でないと色々邪推憶測されて随分大した迷惑もなかつたが、アレは実際僕ではある。 大逆事件判決書の私の問題の部分は、被告新田融は被告太吉が其目的爆裂薬を装填して官衙富豪を焚椋する等の暴挙の用に供せんと欲するに在ることを推知したるに拘はらず、太吉がブリキ製小缶の製作を依頼したるに之を承諾して製造し与へ。被告新村善兵衛は暴挙の用に供すべき爆裂薬の製造に使用すべきものと推知したるに不拘、被告忠雄の依頼を受け八重治より薬研を受取り、太吉は其薬研を以て大逆罪の用に供せんと欲したる鶏冠石を磨砕したり。法を案ずるに被告融の行為は刑法第三十八条第二項爆発物取締罰則及び刑法第十九条第二十条被告善兵衛の行為は右の外尚爆発物取締罰則従犯規定(大逆罪の従犯にあらず)を適用すべきものとす、であるが此犯罪事実は大審院の特別権限に属しない。 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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陪審法と新民訴に対する法曹の声 一、陪審法施行後の感想 二、新民事訴訟法施行の実跡 ○ 東京 山崎今朝彌 一、泥棒にも三分の理あり、バクチでも一回ではアキラメられぬ多少物の解かつた一人の判事を口説き落すにも骨が折れる、況んや素人の多数陪審員を口説くに於てをや、陪審法は読むに及ばず、結局物にはならぬ、と云ふ私の見通しは今も尚変らず候 二、初めの内こそ二三猟奇的の判事があつて矢鱈に八釜敷かつた処もあつたが、今では皆慣れてユツタリ落付き、元と何も変わつた所無くなりました、事件の進行振は、判事の病気書記のサボ相手方の不慣等も相俟つて前の倍も遅れます。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。踊り字は修正した。> <底本は、日本弁護士協会『法曹公論』第35巻9号、昭和6年(1931年)10月号>
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真言空言 山崎今朝彌 ◎『コレデ山崎も中々考へてるから尻尾を出したり怪我をする様な心配も有るまい、どんな広告を出そうがどんな端書を刷らうが構はない事に仕様』動議は佐々木内閣二月二日の初会議に可決確定された早速第本号大正四年二月五日発行其都度新聞毎回一回当日発行第二種郵便物認可定価前金一部無料郵税一枚一銭五厘と云ふ新聞が四方に飛んだ、金の御都合で知人一般に配布出来なんだが実に残念。 ◎時勢の要求か内閣の更迭か兎も角大赦に遇ふて、大森では日本一景色の佳い借家から弁護士では日本一大きな事務所に通い、高い負けろの面倒もなく一定均一の上告専門、コレデ金でも溜つたら小生も嬉しくて溜らず。 ◎手紙にも雑報にも時偶吉田三市郎外四名と来る、外四名が気に喰はぬ、いろは順の表示でもアルハベツトでも一年交代でもあるまい、ハテナ、これかあれか、の相談も有つた、五人寄れば不思議の智慧、トド、円い輪に五人の名を書き並べ電気仕掛で絶へず廻転さすと云ふ動議の提出で問題消滅。 ◎新年号で事務所の○○○を○○したとて非常に仲間に叱られた。今年は新年早々頗る景気がよい各部悉く廿日頃には予定○○○に達し従て○○○も多くなる勘定、月末になつて事務員の退隠料や補助積立資金や去年注文の未払やがウヨウヨと出た、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○して恭しく捧呈に及ぶと女房頗る不平面『マー日本の国より税金が高いのネ』 ◎田阪君の統計好と云へば此節では、誰の○○が月に何回訪ねて来て日に電話を何回掛けた等の事迄やつてる、附き付けられて○○した人もある、が吉田君時代に受信簿に一々領収証を取られたよりは面倒がなくてよい、『ヨク整頓して居ますネコレナラ証拠になります』と判事に賞められたと云ふ位ではアノ面倒の埋合せにはならぬ。 ◎某弁護士大審院の刑事公判に出頭し先づ一定の申立からと『原判決を破毀す訴訟費用は被告の・・・』と云ふた切り立往生、鶴裁判長気の毒がつて下を向き乍ら顔を円く一撫で『一定の申立はよいでしょう』聞けば某君最初陳述期日に民事法廷に立ち直に理由を述べんとしたら裁判長から一定の申立はと突ツ込まれたからだと阿保君の話。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。踊り字は修正した。> <底本は、東京法律事務所『月報』第6号4頁、大正4年(1915年)2月20日号>
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選挙によつて政治の「浄化」は可能か? 「東京市議会議員選挙の結果が旧態依然たる「不浄化」市議会であることは、一、選挙権者の無自覚のためか?、二、選挙によつて「腐敗堕落」した政治を「浄化刷新」することが結局不可能なためではないか?」という問いに対する回答。 山崎今朝彌 一、無論無自覚のためですが、そればかりでは有ません。 二、自覚したからとて選挙で政治を浄化刷新することは初めより到底不可能であります。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第14巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)8巻5号50頁(昭和4年(1929年)5月1日発行)>
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新労農党樹立提案の批判 その正体を疑ふ 山崎今朝彌 久しぶりで熟読をした。大山君等の新党提議のパンフレツトを熟読した。疑問をつけて消して行つたら、四十の疑問が読み了つた時に十になり、再読して二つになつた。 × 労農派の人達及労農大衆の水谷君の方が一日先に気が付いたと云ふ事に帰するにナゼまだ悪口を云ふかが一つ、社会民主々義でも共産主義でもないなら何主義か、或は表面だけ共産を装ふ左翼民主か(コレなら官許になる)又は表面だけ指導部に共産党員及共産主義者を介入させない共産主義指導理論を指導精神とする共産主義政党か(コレなら官許にならぬ事請負)これが二つ。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第15巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)8巻9号6頁(昭和4年(1929年)9月1日発行)>
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前内閣の雑誌「解放」弾圧史(後編) 山崎今朝彌 命令書 大正十五年十一月一日附『解放』第五巻第十五号臨時増刊守田文治著『各国革命文書集』号は秩序を紊乱する虞れありと認め其の発売頒布を禁止す。 大正十五年十一月三日 内務大臣 濱口雄幸 通知書 先般決議に相成候検閲制度改正法律案作成の件並に解放発売禁止訴訟提起の件は其儘と相成居候処、今回又『解放』十一月号全く理由なき発売禁止と相成候に付き此の機を利用して決議に基く訴訟提起し度に付応援を乞ふ旨山崎氏より申出有之候に付ては明後正午より会館にて総会開会候条御参集相成度候也 大正十五年十一月七日 自由法曹団 発売禁止事件訴状 東京市芝区新桜田町十九番地 原告 解放事 山崎今朝彌 同市麹町大手町一丁目一番地 被告 国事 大日本帝国 右 内務大臣 濱口雄幸 一定の申立及請求の目的 被告は一金十萬円也の内金壱百円を支払ふべし 請求の原因 一、原告は新聞紙法による月刊雑誌『解放』を発行する者なるが、『解放』は六月七月八月九月の四ケ月連続して発売頒布を禁止されたり。 二、当局は右は特に『解放』を潰す為めの圧迫に非らずと言明するにより、原告は既に内務省警保局図書課に長く昔より存する内閲制度の内検閲を経て十月十一月号を安心発行せり。 三、然るに十一月一日発行の臨時増刊第五巻第十五号守田有秋特集四六版『解放』各国革命文書集号は、其内閣許可済の発行なるにも不拘、十一月三日突如、当局者の遺憾恐縮申訳なし、お叱りお小言責任を負ふ、上司の一言鶴の一声等の申訳のみにて内務大臣より復た再び其発売頒布を禁止され雑誌全部を押収されたり。 四、原告の蒙れる損害は実に萬を以ても算へ難しと雖も、印紙代等の関係もあれば先づ試に其一部百円に付き、又当局が為めに犬糞的態度に出づるが如き人格者に非ざる事を確信し、マサカ政府が鄭重特別の審理を求むる本件に、管轄違の抗弁もなからんと存じて茲に本訴を提起す。 訴訟の理由 一、国家の有する発売禁止の権力は仮令其れが根本に於て実力なり圧迫なりとするも、法律上既に正当化されたる適法行為なれば、敢て臣民の苦情を許さず。然れども国家も亦人権尊重の為めに其絶対の権力を捨て公法的の地位より下りて人民と対等に、私法的の地位に立ち合意契約するは必ずしも不法にあらず。現代国家の傾向に合流一致する内閲発行の合意契約は蓋し之れなり、私法的対等契約なり。 二、若し内閲発行の契約が国家の禁止差押の権力を制限するものとせば其契約は公の秩序に反する無効の契約なりと云はれても仕方なし。然れども婚姻不履行者が損害賠償の責に任ずる場合に於ても、当事者は自由に其履行不履行を撰択し得る如く、本件に於ても亦被告は勝手に発売禁止を為し得べければ、被告の権力は毫も制限を受くるものにあらず。 三、従つて婚姻予約の不履行者が婚姻を拒むの権利あつて而かも損害負担の義務ある如く被告も亦発売禁止の権力を維持して尚且つ損害賠償の義務あるものと信ず。 大正十五年十一月二十六日 右 山崎今朝彌 印 東京地方裁判所 御中 答弁書 原告山崎今朝彌被告国代表者磯部巌間の大正十五年(ワ)第四三七五号雑誌発売禁止に基く損害賠償請求訴訟の件に付答弁をなすこと左の如し。 形式上の答弁 一、本件の訴を却下す訴訟費用は原告の負担とすとの判決を求む。 答弁の要旨 一、原告は大正十五年十一月発行の雑誌四六版『解放』の発売頒布の禁止処分に基く損害の賠償として金百円の請求を為すも発売頒布の禁止並に差押は国家の警察権の発動に基く行政処分にして之に因る損害の賠償責任の有無に付ては民法を適用すべき筋合にあらず故に原告に訴訟なし、因て茲に無訴権の抗弁を提出す。 二、本件は裁判所構成法第十四条の規定に依り区裁判所の管轄に属すべきものにして地方裁判所の管轄外なり因て茲に管轄違の抗弁を提出す。 右答弁候也 大正十五年十二月十四日 右 磯部 巌 東京地方裁判所民事部第十一部 御中 準備書面 原告 山崎今朝彌 被告 日本国 右当事者間大正十五年(ワ)第四三七五号雑誌『解放』発売禁止に基く損害賠償請求事件に付準備書面を以て左に主張事実を明確にす。 一、内務省には内検閲なる制度存し凡そ弐拾年前より定期刊行物に対し内務省の内意亦は発行者の申出により発行前発行者より弐通の校正刷を提出し一通は図書課に保存し一通は検閲済及削除箇所指摘の印を捺して還付することにより検閲を受け来りたるものなり右は発行者側よりすれば其発行前検閲を受け其承認を得るときは発売禁止せらるべき虞なきを以て安心して発売し発売禁止によりて受くる損害を防止し得べく一方内務省側よりすれば其発行物に対し急速に之れが検閲を為すを要せず時間の余裕を見て之れが検閲を為すを以て検閲官の人員に調節を為す便宜あり旁々双方の利益の為め如此簡便なる契約慣行を生じたるものなり。 二、而して本件雑誌『解放』も再び大正十四年十月より内務省の要求に応じ之れと協約し内検閲を受け此内検閲を受けたるものに対しては発売禁止を為さずとの契約慣行の下に毎月之れが発売を為し来りたるものなりとす。 殊に本件係争号は宮崎属並に久慈事務官の内検閲及び削除箇所指摘捺印を受け其通り之れを削除し発行したるものなり(検印あるゲラ刷全部保存しあるに付被告に於て否認すれば提出す) 三、然る処右発行後図書課長より電話あり発行人たる原告の出頭を求め久慈事務官代て原告に左の如く話されたり 上官特に大臣は頗る強硬にて本号の内容は一つ一つは別に問題とすべき処なきも一巻として「各国革命文集」の存在を許すは秩序を紊乱するものと認むるが故に発売禁止するの意図なり然れども当方に於て尽力の結果更に一二点の削除更正をせらるるに於ては発売するも差支なしと云ふことになりたる故誠に恐縮申訳なけれど念の為め一札を入れられたし。 原告も泣く子と地頭には勝たれぬと考へ之れに同意し同事務官より提示せられたる原稿に基き之れが削除更正を為すべき旨の一書を差入れ(此一札は内務省にあるに付提出を命ぜられたし)帰宅せり。 四、然るに帰宅後間もなく又々久慈事務官より御気の毒なれども上官の命令鶴の一声にて如何とも致し難く我等の努力も効を奏せず発売禁止と云ふことになりたればどんなお叱りでもお小言でも頂きますからどうか不悪御諒承を乞ふ旨の電話あり、同時に発売禁止の命令あり。警視庁総出にて大差押を為し之れを引上げたるものにして右は全く被告が多年の慣行と原告との契約を無視したるものにして不当も甚太しと云ふべし。 五、無訴権の抗弁は全く素人の域を脱せざる理由なき理由にして理由とならず管轄違の抗弁は訴訟を遅延せしむるの効を有するのみにして被告も既に前非を悔ひ全部之れを取消したるに付き今更之れを追窮せず。 右準備書面提出仕候 昭和二年五月廿一日 原告代理人 松谷与二郎 印 東京地方裁判所民事第十一部 御中 甲第一号証 大正十五年十二月一日附解放第五巻第十七号「四六版解放十二月号」石川三四郎著「世界社会運動史号」は秩序紊乱の虞あるに付き其の発売頒布を禁止す。 大正十五年十一月廿九日(註訴訟提起新聞宣伝の翌日) 内務大臣 濱口御幸 判決書 東京市芝区新桜田町十九番地 原告 山崎今朝彌 右訴訟代理人弁護士 木田重寛 松谷与二郎 被告 国 右法律上代理人内務大臣 鈴木喜三郎 右指定代表者内務省属 宮崎信喜 【事実】 原告訴訟代理人は被告は原告に対し金百円を支払ふべし訴訟費用は被告の負担とすとの判決を求むる旨申立て其請求の原因として原告は月刊雑誌解放の発行人となるところ従来屢々内務省より右雑誌の発売頒布を禁止せられたるに鑑み大正十四年十月同省の要求に応じ爾後同省警保局図書課に於て内検閲を受くることとなり同省と内検閲を経たる上は発売頒布の禁止及差押を為さざる旨の協定を為し原告が大正十五年十一月一日前示「解放 第五巻第十五号臨時増刊各国革命文書集号」を発行するに当りても亦従前の如く予め内務省警保局図書課に於て同省久慈事務官及宮崎属に内検閲を受け其命に従ひ削除訂正して発行したるに拘らず同省は右協定を無視し遂に発売頒布を禁止し且つ差押を為したる為原告は数萬円の損害を蒙るに至り仍て被告に対し右損害金百円の賠償を求むと述べ、立証として甲第一号証を提出し乙号各証の成立を認めたり被告指定代理者は原告の請求を棄却すとの判決を求め答弁として原告主張事実中原告が月刊雑誌解放の発行人なること及大正十五年十一月一日発行の同誌臨時増刊各国革命文書集号に対し内務省が発売頒布を禁止し差押を為したる事実は認むるも其余は否認す殊に同省には原告主張の如き定期刊行物に対する内検閲制度なるもの存せず只従来東京市内に於ける刊行物発行者の便宜を慮り特に発行前内検閲を為し居りたるも之が為発行後に於ける発売頒布の禁止に差押処分に対し何等の影響を及ぼすことなく原告に為しても右処分を為さざる旨の契約を為したることなし加之前示臨時増刊各国革命文書集号の内容中には内検閲を経ざる部分及内検閲の際削除を命じたる部分をも包含するを以て孰れの点より見るも原告の本訴請求は失当なりと述べ立証として乙一乃至第五号証を提出し甲第一号証は不知と答へたり。 【理由】 原告が月刊雑誌解放の発行人なること及内務省が大正十五年十一月一日発行の同誌臨時増刊第五巻第十五号各国革命文書集号に対し発売頒布を禁止し之が差押を為したることは当事者間に争なし。 而して原告は本訴請求は原告は大正十四年十月より同誌発行前予め内務省警保局図書課に於て内検閲を受くることとなり之を経たる以上は発売頒布禁止及差押を為さざる旨の協定成立し右各国革命文書集号発行に際しても亦予め内務省久慈事務官宮崎属に内検閲を受け削除訂正の上発行したるに拘らず内務省が前約を無視し発売頒布を禁止し且差押を為したる契約違反を理由とするものなりと主張すれども右の如き国家警察権の発動を阻止するが如き契約の無効なる事固より自明の理なれば爾余の判断を加ふる迄もなく原告の主張自体既に失当なるを以て之を棄却し訴訟費用の負担に付民事訴訟第十二条第一項を理由とし主文の如く判決す。 昭和二年六月廿五日判決言渡 東京地方裁判所第十一民事部 裁判長判事 佐々木良一 判事石田寿 判事菅原達郎。 十五ワ四三七五号証拠物写 乙第一号証 請書 解放第五巻第十五号(大正十五年十一月一日発行四六版解放)の第四十三頁四頁、第九十三頁四頁、第九十五頁六頁、二百三十九頁四十頁の四枚を貴方に於て切取下さる事を承諾仕候。 大正十五年十一月三日 右解放発行人 山崎今朝彌 印なき故捺印せず 内務省警保局図書課 御中 乙第二号証 今度私が起した訴訟に就て新聞などで見ると課長さんなど誤解してるやうですが、アレは貴下等が悪いの不都合だのと云ふ点を争ふのでなく全く法理上の問題です。誤解ないやう御諒解を願ます。貴下等が穏便論者発禁反対論者で極力解放弁護の立場にあつた事はアノ時のイキサツで明であります。只私は内閲と云ふ制度をモツト公認合法的のものにし今の内規内密的のものでなくしたいと思ふのです。ソレにはマケても何でも、訴訟か議会の問題にするが一番早道で、私としては訴訟が一番カンタンですからです。今の所では内規的恩恵的の内閲があつたからとて其の後の再考又は形勢情勢により発禁を妨げるものでない事は当然である。勿論訴訟は私のマケでせうが此の結果は全く効力ないものでもなからうと思ひます。ダカラ課長サンの(新聞の)やうに内閲はしない?品が違ふナゾ、ソンナ無茶は云ハンで下さい。其点がモンダイでもないから。 大正十五年十二月十七日 山崎今朝彌 帝国警保局図書課 御中 乙第三号証 先日電話でも御願した此二冊(問題の革命文書集及訴訟提起と同時に連続発売禁止となつた四六版解放十二月号石川三四郎世界社会運動史号)の内検閲願上候。もう訴訟の広告で印紙代は稼いで仕舞つたから此の二冊の内検閲の出来次第訴訟取下げます訴訟では内閲許可済のものを発禁としても損害の責にも任ぜざるや否の点を明にしたいと思つたのですが。 昭和二年二月吉日 山崎今朝彌 図書課 磯部様 以上原告本人の端書並書類写、証拠として提出候也 昭和二年五月廿七日 被告代人 宮崎信喜 印 東京地方裁判所民事第十一部 御中 願上書 ズツと昔提出内検閲願出置候石川氏の世界社会運動史と守田氏の各国革命文書集、世界の方は宜敷けれど、各国の方は到底駄目との趣、訴訟の取下も出来ず、誠に遺憾に候も又仕方ありません。各国は初めより全体としての存在が秩序紊乱、一箇一箇が悪いといふにあらずとの理由、此の理由の理由ある事は初めより私も認める所であります。只裁判にて内検閲をせずとか内検閲をせざる部分ありとか其のため発売禁止にしたりとか枝葉の抗弁ありたる者の報告、及び解放はもう内検閲してやらぬと叱られたとの報告ありたる故試みに願出たる次第不悪御諒承下され度。依て案ずるに部分々々としてよきものが総体として悪しとは要するに革命文書集なる題号が悪いといふの一点に帰着すると存候故、もう検閲も糞もなく一か六かで、あの儘題字だけ変へ出版法に依て出版可仕右御含み置き下され度願上候。 昭和二年五月 山崎今朝彌 日本国内務省 御中 出版届 「世界各国著名文書集守田文治著」全一冊 右出版法に依り昭和二年七月一日より発行候条製本二部相添此段及御届候也。 昭和二年六月廿七日 発行編集兼印刷人 山崎今朝彌 内務大臣鈴木喜三郎 殿 命令書 「世界各国著名文書集守田文治著」全一冊 右秩序紊乱ヲ以テ発売頒布ヲ禁止シ其差押ヲ命ズ。 昭和二年七月一日 内務大臣 鈴木喜三郎 控訴状 控訴人 山崎今朝彌 被控訴人 日本国 右当事者間東京地方裁判所民事第十一部大正十五年(ワ)第四三七五号内検閲雑誌発売禁止に基く損害賠償請求事件に付き昭和二年六月廿五日、言渡の原告の請求棄却の判決全部に対して控訴す。 一定の申立 原判決を破棄す。被控訴人は控訴人に金十萬円の内金百円を支払ふべし。 事実立証 原審通り。 控訴の理由 第一、従来内閲と云ふこと(制度)があり本件解放は其の内閲を受けて発行したのを政府の都合で禁止したのだと云ふ事実を確定して貰ひたい。此の事実は当方の出した甲号証先方の出した乙号証に依ても、又政府が此の訴訟の為めに内検閲制度を廃し今や出版業者間に囂々と問題が起つてる事実に依ても地球の存在より明白の事実である。然るに被告は控訴人が訴状準備書面口頭弁論でいくら口を酸くして其点が問題でない事を説明しても只管恐れて飽くまで素人の如く強情を張り通して何処までも之れを否認するに依り先づ之れを確定して貰ひたい。 第二、予め検閲を受ければ発売禁止をしないと云ふ契約がなぜ無効か、仮りに其の契約が無効だとしても、なぜ契約不履行者が依て生じた損害を支払はなんでもよいかを説明して貰ひたい。控訴人が原審で訴状でも口頭弁論でも噛んで含める位説明した通り、此の契約のため政府は発売禁止の権を阻止されるものでない。併し発売禁止をしない即ち発売禁止をされるような検閲はしないと云ふ約束をした者が其約束に背き即ち契約を履行しない為に相手方に損害を与へた時に其損害を支払ふ事がなぜ悪いか、原判決には此の点の説明が少しもない。 第三、要するに内閣と云ふことは原審来論ずる如く後で禁止されても少しも構はないぞ。宜敷う厶いますと云ふ切捨御免の制度であるか、又は。双方の為めだから予め検閲に持て来い、後で禁止されるような屁間はやらぬ。若し禁止されたら損害を払ふと云ふ多少進歩した近世的文化式制度であつたかの問題である。而して婚姻の予約は無効であつても相手方に生じた損害は違約者が支払へと云ふ事に進んだ現時にあつては後者に解すべきが妥当であり社会通念である。 昭和二年十月一日 右 山崎今朝彌 東京控訴院民事部 御中 (大尾) <以上は、山崎今朝弥氏、一部につき自由法曹団(1926年公表)、松谷与二郎氏(1937年没)が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(解放社)第6巻17号30頁(昭和2年(1927年)10月1日発行)>