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The Puzzlement of Haruhi Suzumiya ギラギラと首筋を照りつける日差しが、俺に今の季節が正真正銘夏である、ということを有無も言わさず感じさせていた――何ていった俺も思うが変な冒頭のくだりはさておき、新学年が始まって早々俺をのっぴきならない事態に追い込んだあの事件もどうにかこうにか終わりを迎え、何事もなく平穏にただ無事に済めばいいなぁなどといった俺の浅はかではありながらも切実な願いがあの何でもかんでも都合のいいことしか聞こえない耳に聞き入れられることはなく一学期は振り返ってみると駆け足で過ぎていき、季節は夏を迎えた。 梅雨前線がどうのこうのといった気象情報を俺は耳にしたが、俺たちの住む星は去年も思ったがやはり本格的に狂い始めたようで、この国に春と夏の間にある梅雨という季節を遂に到来させぬまま夏真っ盛りとなった――いや、語弊があるか。到来しなかったわけではないが、とでも言ったところか。 しかしそれがめったやたらと熱いのには――暑いの間違いではないぞ。もうそんな範疇じゃないってこった――、こちらも閉口以外にしようがない。 夏は人を長門にする。まさしくその通りだ。誰が言ったかなんて野暮なことは訊くな。 梅雨っていうのもこの国にはそれ特有の湿気がもれなく付いてきて蒸し暑いこの上なく、早く終わってくれぇ、何ていうさっきの発言からしてみれば180度相反した台詞が口から迸ることになるのだが、水の確保は重要なことであるという事実を俺は田舎のばあちゃん家に行ったとき身に沁みて実感しているためそれでも、梅雨の到来を待ち望むのさ。 だが、下手に長引きすぎるのも危険だってことも俺は漏れなく体験している。雨が降りすぎてしまったら、今度は俺のばあちゃん家の裏を心配しなくちゃいけなくなるのだから不思議なもんだよ、全く。 そこんとこの匙加減が器用に出来ていたら俺はこの星もまだまだ頑張ってくれているなと安心するのだが、それが不器用になって来ているのではないかと俺はこの頃懸念している訳なのである。 それでも俺はこの盛夏、既に短い生涯を全うしようと息巻く大量の蝉どものシュプレヒコールをBGMに、通い始めて一年を越えたこの急すぎる坂道をダラダラと汗を掻きながらただただ歩いていた。 偶にこういうことってないか? 何度も何度も通い歩き慣れた道のりを、気が付いたら無心で歩いていたことって。まるで動物の帰巣本能に似ているな。 ――まぁ、別に何も考えていなかったという訳では決してないのだが。 横で相変わらず無駄話を振ってくる谷口に俺は生返事をしながらも、今日家を出る前に耳に入ってきたとある言葉を思い返していたわけさ。 カメラの前ではまだどこか初々しさが残っているレポーターが、どっかの見慣れない町並みを風景にまさにその日の特集を喋り始めていた。 「今日の日付は七月七日です。そう、皆さんも御存知の……――」 と聞こえたぐらいで俺は家を出ていた。残念ながらこの学校に行くにはそれなりの早さに出なけりゃならなく、いつもその枠は最後まで見れないわけだ。 話が逸れたがもう分かってくれていると思う。 年に一度天の川を跨いで、織姫と彦星が出会える日。 そして個々が其々の願いを小さな短冊に込め、笹の葉に吊るす日。 今日は――あの七夕なのである。そしてあのと言うからには、かなり、そりゃもう特別な日なのである。 俺にとっては一年に一度、どっかの誰かさんのどこか憂鬱そうにしおらしくなった状態を眺められる日でもある。去年のこの日、俺はそいつに堂々と宣言されちまっているため、今日何をするであろうかのプランを大体把握していた。 そいつ、SOS団団長、涼宮ハルヒ曰く今から十六年後と二十五年後の未来にそれぞれ叶えて貰いたい望みを、去年と同じくベガとアルタイル宛に認めるということだ。 さてさて俺は、去年一年間をハルヒたちと共に過ごしてきて、あいつの秘められたトンデモパワーなるものを充分に見せつけられてしまっている。それも嫌というほどにな。 それは古泉が言うところの願望を実現させる力であり、長門が言うところの無意識の内の周辺環境の情報操作ということらしい。 つまり、短冊に何らかの願いごとを書くと、それが下手をすれば十六年後や二十五年後にあいつの力によって、叶ってしまう恐れがあるっていう訳だ。 そんな高校生が背負うには重すぎる事実を突きつけられてしまっては俺の筆も鈍ると言う訳で、何かこう穏便に済むような願いを俺は頭をフル回転して考えさせられる羽目になってしまうのだ。おまけにハルヒがそれを却下なんぞしようもんなら益々終わりが遠ざかって行ってしまうため、だったら事前に内容を考えておくほうがいいだろうということを俺は去年の教訓として身につけた。 大体だが、去年の十六年後(及び二十五年後もだが)の次の年に叶えてもらう願いって、難易度が高すぎやしないか? ついつい無難に無難にと考えてしまう俺を一体誰が攻められよう。 ――通い慣れた道というものは何らかの考えごとをしていても、勝手に足が辿ってくれるものだ。 学校に辿り着くまで、谷口は絶え間なく俺にとって無駄でしかない話を提供してくれていた。よくもまぁ、そんなしょうもない話を一人で続かせられるものだと思わず感心してしまう。実のところ二割もその中身を聞いちゃいないのだが、果たしてそれに気付いているのかも怪しいな。今度古泉と討論でもやらせたらいい勝負になるんじゃないか? どれだけ自分に酔って話せるか。 ――とは言っても結果は見え見えなため、最近また溜まってきてるんじゃないかと思うハルヒの退屈をこれっぽっちも紛らわせることはできないだろうが。 ギラギラと直射日光が首筋を照りつける窓際後方二番目のサウナ席で俺は悶絶しながら、これまた真夏の太陽並のハルヒの笑顔に圧倒されていた。 というか、なんだか俺の焦点があってない気がするぞ。ハルヒの顔の輪郭が揺らいで行く――いよいよ危険か。俺は自分の意識を理性の岸辺の杭に縄でぐるぐると括りつけておくことで俺は必死になっていた。結び方が甘かったらすぐにでも川に流されそうだ。 そんないかにも朦朧としているのが一目見たら分かるだろうに、ハルヒはSOS団専用特注スマイルを俺に向けながら、 「今日は何の日か分かってるわよね!」と、自信満々に訊いてきた。 あぁ、既視感フラッシュバック! 分かっているともハルヒよ。今日は、お前の誕生日でも、朝比奈さんのでも、長門のでも、ましてや古泉のでもない。そうだろう? 「当然よ。……あんた、ちょっとおかしい?」 少しでもそう思うんなら俺をそっとしておいてくれ。だがどうやら頭を使っている間は縄の結び目はほどけないようだった。 というか去年あんな体験をしていては、俺がこの日を忘れるなんてことは一生ないだろうよ。 「と・に・か・く! 部室で待っていなさい。あたしは笹を用意するからあんたは願いごとを用意するのよ。先に言っちゃうけど、ちゃんとあたしが認めるような願いごとを考えないとボツよ?」 俺だってそうそうアイデアマンじゃないんだぜ。 それに決めるのはお前の理論では彦星と織姫だと思うんだが。 「何言ってるの、二人とも毎年山のように願いごとが書かれた短冊を手にするのよ? 少しでも目につきやすいようにあたしが選りすぐってあげておくんじゃない。平凡過ぎたらつまらないじゃないの」 そうかい、そうかい、それは去年と同じじゃいかんってことか。 「そういや笹もまた裏山から盗んでくるのか?」 「……人聞き悪いじゃないの。でも別に良いじゃない、減るもんじゃないでしょ?」 それ以外どんな手があるのよ言ってみなさいよ、とでも言いたげな目でハルヒは俺を睨んだ。 あれは、私物の山っていう話なんだがな。しかも確かに一本減るわけだし。 まぁ、もとよりハルヒと睨みあいをして勝てるなんて思っちゃいないので、俺から先に逸らすことにした。ハルヒと真正面に視線をぶつけあって勝てるのは長門くらいのもんだろう。 「とにかく。ちゃんと考えておくんだからね!」 ハルヒの予言じみた台詞と去年の奇天烈な実体験が頭のなかで交錯して、俺の心のなかには真夏の雲ひとつない青空には全くと言っていいほど似つかわしくない、黒々とした暗雲が立ち込めてきていた。 ――まぁ、結果論から言ってしまうと、予想通りその真っ黒な雲は俺に大粒の雨を降らすのである。 それも梅雨顔負けのどしゃぶりのなか、超特大の嵐とともに―― まだ俺がその黒雲が超特大の積乱雲だということに全く気付いていなかった頃。 俺はらしくもなくハルヒとではなく黒板と睨めっこをしていた。良くも悪くも、期末試験の前の最後の足掻きというやつだ。我ながら哀れだな。 結果的に中間考査で赤点ラインすれすれを低空飛行してしまい、いろいろな方面から散々言われることとなった。両親と岡部教諭ならまぁまだ分かるが、あの脳内年がら年百快晴女に耳元で大音量の暴言を吐かれては、流石に俺も再起不能になるかと思ったぜ。 おっと、スレスレとギリギリはどっちが接触していないか、なんてことを随分と前にテレビでやっていたがどっちか知っているかい? スレスレは擦れてるからもう当たっちゃっているらしい。 つまり赤点ラインすれすれは――皆まで言わないのが日本人の美学、だよな? ちょっと気を抜けば舟を漕ぎそうな念仏のような授業をバックに、俺の頭のなかでは無意味に終わりそうなことを自覚している俺――現実的な悪魔――と、その現実から目を逸らそうと懸命に努力している俺――けなげすぎる天使――がせめぎあい不毛な抗争を繰り広げていた。 往々にして俺の場合は天使よりは悪魔が優勢となってしまう。自分がよく理解できていることは武器ともなるが、知りすぎているということは時として悲しいものだね。 結局今回も軍配はあっさりと自己を理解している俺――何事も諦めの精神で立ち向かっている悪魔――に下ったってわけさ。 今にも切れそうな集中力をノートの片隅への落書きで保持していた右手のシャーペンを俺は放り出して、約十五ヶ月間近く俺の後ろに居座り続ける奴を振り返った。 SOS団内の偏差値を一人で下げ続けていると勧告してき、このままでは処罰も已む無しと宣告してきた我らが団長涼宮ハルヒは、机の上で少しおとなしくなった暖かい日差しに包まれて――熟睡していた。 しばし無言。 自分の目を疑いたくなるね、嘆息。試験の前の総まとめ的授業を寝て過ごすとは、どうやら本当に学校を舐めてかかっているようである。黒板で板書をしている教師のほうを俺は振り返ってみたが、注意しても無駄なことを熟知しているかの如く、また触らぬ神に祟りなしとでも言わんばかりに完璧なまでな無視を決め込んでいるようだった。 それで良いのか、教師陣よ? 一応これでも俺は学校の教師というものにそれなりの敬意を抱いてはいる。俺たちの担任の岡部教諭だってそれなりに俺たちのために一生懸命やってくれてるじゃないか。 だがそんな俺のやはり限りある良心も、ハルヒのこれまた心地よさげな、涼やかな寝顔を観賞していると、起こしてやるのもこれまた蛇足な気がしてきたので教師を見習い放っておくことにした。大方、昨日七夕のことを考えすぎて興奮でもして睡眠不足になったんだろう。まるで遠足前夜の小学生みたいだな。 今お前が観ているその夢のなかに果たして俺、ジョン・スミスは登場しているのだろうか? もし現れていたら――などと考えていたら少し背中がこそばゆくなったような気がした。 睡魔が、襲ってきた――。 適当に掃除当番を済ませたあと――そういや班交代の掃除当番だから、思い返してみるとこれまたハルヒと一緒だったってわけか――俺の脚は自然と旧校舎のほうへと向かっていた。 あっという間に時間が過ぎたように感じるかもしれないが、まぁ何もなかったってだけさ。 ハルヒの奴を掃除場所で見かけることはなかったが――つまりサボりだ――何をしているであろうかは何となく想像できた。また裏山で無許可で笹と格闘しているんだろう。 思い返してみると、去年の俺の一年間はおよそ八、いや九割方がSOS団によって占められていたのだなと、俺は再認識し今日何度目かの嘆息をした。 まぁ、今となっては別に良かったと思う。俺はそういう風に思えるようになっていた自分に今更驚いてなんかいなかった。 知っている方もおられるだろうがこの学校は他校と同じくして、考査の一週間前からの部活動は原則停止である。県立だけあって学校も成績には口煩く言ってくる。 しかしそんななかでも俺の脚は文芸部室へと向かっている。それこそまるで動物の帰巣本能の如くにだ。つまりだ。涼宮ハルヒの脳内には年中無休という言葉しかなく、試験など何ぞやということらしい。ちょっとは俺のことも考えてくれよ、なぁ。 部室の前に着いた俺は自分の腕時計を確かめたあと、部室の扉をノックした。時間帯によってはまだ朝比奈さんが着替えている可能性もあるからな。それはそれで、健康な一般男児として観てみたくもあるのだが、そこは俺の純真なる理性が押し留めてくれていた。 多分、天使のほうの俺だろう。まぁ、その天使もいつ堕天使ルチフェルになるのか分からんのも一理あると言えるが。 「は~い」と篭った返事を聞いて、ドアをそのまま押し開ける。 「キョンくん、こんにちはぁ。すぐにお茶を入れますねぇ」 古泉のところに湯呑みを置いていた朝比奈さんは、返事をするとそのまま慣れた動きで俺のぶんの湯呑みにお茶を注ぎはじめた。何というか迅速な対応である。 まるでどこかの屋敷の専属メイドみたいだな――と思ったあとで、あぁハルヒかと俺は自分で突っ込みを入れた。 既に部室内にはハルヒを除いた主要メンバーが揃っていて、俺は机の上でまたなにやらボードゲームをやっている古泉の対面に腰を下ろした。 「どうぞ~」 そう言って俺の目の前に置かれた湯呑みからは、淹れ立ての白い湯気が上がっていた。 「ありがとうございます」 そういや、誰も冷茶にしてくれ何て言わないのかね。こうも毎日暑いと、扇風機だけしか冷房設備がないこの部屋では生き抜けんと思うのだが。 朝比奈さんのお茶の温度が年柄年中変わらなかったことから――と言ってもそれは俺の体感であって、本人は細かく温度計を突っ込んで測っていたようだが――、ハルヒでさえ去年文句を言ったことはないようだ。 俺かい? 俺は別に言わないね。麗しき朝比奈さんのお茶が折角飲めるっていうのにいちゃもんを付けるなんて、百万光年早いね。――つくづく思うが百万光年って何だ? どういう意味で使ってるんだろうか。あとで長門にでも訊いておくか。確かあれは距離の単位だったはずだが。 「おいしいですよ」 「ありがとうございますぅ~」 どうやら待っているようだったので、俺は口に含んだあとで礼を言った。それは本心だ。朝比奈さんが淹れてくれるものは何でも美味いに決まっているはずさ。確かに例外もあるが。 「どうですか? あなたも一局」 古泉が駒を進める手を止めて、俺に訊いてきた。 「やめておく」 こうも暑いと俺の頭がうまく働かんだろうから、それを余計にオーバーヒートさせるようなことは避けたい。というかしたくない。 「まぁ、お前相手にボードゲームでオーバーヒートするようなことはないだろうがな」 「それはそれは耳が痛いお言葉」 そう言って、古泉はいつもの微笑フェイスのまま手を盤上に戻した。 「しかしながら、貴方のご期待に副うことはできかねます」 「どういうことだ?」 「……今日は何の日だかご存知ですね?」 質問に答えろ質問に! という俺の渾身の睨みは、無残にも古泉の微笑のポーカーフェイスとは不釣合いな鋭い射るような視線に跳ね返された。――瞳だけが笑っていないというのは少々不気味なんだがな。答えてやるか。 「あぁ分かっている。七夕だろう?」 「分かっているのなら結構です。でしたら――」 「何をするかも把握していますね、って言うつもりか? それも大体分かっているつもりさ。朝からずっとそれを考えっぱなしだ」 「流石、話の呑み込みが早くて助かります」 古泉はそれからパイプ椅子にもたれかかりながら手を組んで続けた。金属の軋む音がする。 「それにですが先程朝比奈さん、長門さん両名から話を伺ったところ、予てからの推理通り七月七日は涼宮さんにとって最も重要な日であり、必ず何か出来ごとが起こるようなんです。こういった情報は未来人がいてくれて助かります」 ちょっと待て、それはさらりと重大発言じゃないのか? 何だかネタバレ感がするのは俺だけか。 しかし、何でハルヒの野郎はそんなに七夕が好きなんだ? 願いが叶うっていうところがハルヒ的ポイントなんだろうと見た。――当の本人は何でも自分の願いが叶う可能性があるってのを知らないから、逆にあいつが健気に見えてくるな。やれやれ。 俺は、先程からパイプ椅子にちんまりと座ってこちらを見ている、メイド装束の未来人に確かめることにした。 「本当にそうなんですか、朝比奈さん」 「はい。未来から観測していて気付いたことなんですが、涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来ごとが起こることがあるんです」 朝比奈さんは俯きながらもすらすらとまるで予想していたかのように答えた。 そういや、時間関係で朝比奈さんがつっかえずに話しているっていう状況は、俺の記憶を軽くリサーチしてみても引っ掛かってこなかった。ん? 必ず起こることがあるんですってどういう意味だ。 「それよりあの……禁則、かかっていないんですか?」 「そうなんです。こういう未来に起こる出来ごとを事前にその時代の人に伝えることは、厳しく制限が掛かるはずなんですけど……」 朝比奈さんも、そうです不思議なんですといった顔をして首を傾いでいたが、古泉は何やら意味ありげな視線を俺に送ってきている。その目はまるで「あなたにはその理由が分かっていますよね」と俺に語りかけてきていた。 何だか癪に障るがまぁ、正解だ。多分朝比奈さん(大)が何らかの必要性を感じたのだろう。 「長門は、どうなんだ?」 俺はただいま読書中の宇宙人の有機端末にも訊ねることにした。すると、 「そう」 とだけを緩慢に顔を上げて答えた。それは肯定って意味だな? 「そう」 何という短さだ。すると長門は補足するようにして、 「今のわたしは未来のわたしと同期を行ってはいないが、朝比奈みくるの話と情報統合思念体の観測情報を照合した結果そのように考えられる、という仮説が判明した」 最初からそう言ってくれ。それだけ言うと長門は必要性を感じなくなってのか、また本の世界へと潜り込んで行った。つまり――。 「つまりこういうことです。この七月七日、本日七夕の日に何か事件が起こる可能性があるということです。そしてそれに僕自身はどうかは分かりませんが、あなたは確実に巻き込まれるということです」 古泉は最後の部分を嗤ってやや自嘲気味に言った。何だそれは皮肉か? しかも何故そうなる。 「くっくっ、貴方へのあてつけです。とにかく、貴方には身構えておいて貰いたいのです。よろしいですよね?」 何がよろしいですよね、だ。どこまで俺はアイツに振り回されなきゃならんのか。その上、俺が断る何ていう選択肢はもとより用意されていないんだろう、どうせ。俺はあいつの子守役になった覚えは全くないのだが。 「察しの通りで。しかし任命されたはずでは?」 面倒くさいときは無視、と。 「あとさっきから気になっていたんですが、その重要な出来ごとというのはもしかして……毎年起こって――あぁ面倒くさい――起こるんですか、朝比奈さん?」 朝比奈さんが身体を強張らせた。 ここんところは意外と重要だ。一応俺がどれだけ世話を焼かされるのかは事前に知っておきたいってもん―― 「それは、……禁則事項です」 一体何の冗談ですかそれは、朝比奈さん。それはある種の振りだとも考えられますよね? ここまで来て『禁則事項です♪』は、暗にこれからずっと何かが起こりますよって言っているようにも取れる上に、それこそ未来人勢力が誤魔化していると言うか毎年発生しないのかもしれなく、面倒くさいなぁ全く。 また朝比奈さんが申し訳なさそうな表情をした。 「あなたも困惑しているようですね。取りあえずですが、もし何かが起これば我々『機関』のできる範囲であなたを手助けすることにいたしますよ。但し時間移動が関わっていなければ、ですけれども」 古泉はさも可笑しそうに言う。 「お前……どれだけ根に持っているんだ」 「そう見えますか? だとしたら僕の演技にも更に磨きがかかってきた、ということでしょうか」 嘘吐け、目が笑っていないぞ、古泉。 お前、演技なんかしたくないって言ってたじゃねぇか。 「……やれやれ。もし時間移動するって場面になったら、お前も呼んでやるようにするよ」 朝比奈さんが困ったような表情をしたが、この際無理を言わせてもらうことにしよう。 「いいんですか? それは誠に光栄です。是非、お願いします」 いちいち動作が大袈裟だ。それにお前にお願いされたって嬉しくもなんともないんだがな。お前の魂胆なんて見え透いている、と確かにそのとき俺は普通に考えていた。 余談だが、俺は古泉の同行を朝比奈さんを通じて未来人に通せば、許可が下りるじゃないかと密かに自信を持っていた。全く持って何となくなんだが、多分俺が言い出すことは向こうにとって既定事項だったりするんだろう。 確かに踊らされている気分ではあるが、流石に自意識過剰すぎるかね? 「みんな、集まってる~!?」 不意にハルヒの声が静かだった部室に轟いた。相変わらずこいつは台風なんじゃないかと思うほどの威力とスピードでハルヒは扉を開けたあと、一瞬の内に団長席で笹を旗のように勢いよく突いていた。 御丁寧にも机の上には色とりどりの短冊がばらまかれてあった。いったいいつの間にだ。 「さぁ! みんなもう言わなくても分かってるわよね?」 とハルヒ団長は団員の表情を伺うよう覗き込み、 「だったらいいわ! 今すぐこの短冊に、みんなの願いを書きなさい!」と、言い放った。俺の顔のどこに恭順の意を読み取ったのかね。 まぁ、こいつの耳や目には反対の意思は映らないようだし、俺以外のSOS団団員が反対意見を言うこともないだろうから、ハルヒの感覚では満場一致ってとこなんだろう。 「あ、言っておくけど去年と同じじゃだめよ。分かってるわよね、キョン?」 何で俺だけ名指しなんだ? 他の奴らはどうなんだよ、ええ? 「去年の願いと合わせて、一番最初に叶った人が勝ちだからね!」 聞いちゃいねえ。 俺が一人不平不満を漏らしている間、既に俺を除いた恭順なる三人の団員は短冊になにやら書き込み始めていた。もしかして去年頃から考え始めていたりでもしたか? 「さぁ、どうでしょうねぇ」 古泉、お前もさっきからまともに答えやしない。そんなに俺を嫉んでどうするつもりだ。 「決して僻んでなどはいないつもりなんですが。……まぁ、あなたの立場にやや嫉妬していたりするのもまた事実でしょう」 やっぱり、お前の言うことだけはどうも分からんな。古泉は俺の反応に対して目だけで、なにやら意を表明していた。言っているだろう、お前だけのは分かりたくともなんともない。分かってもいいためしがない。 「ちょっとそこ! 願いごと、書けてるんでしょうね!」 なぁハルヒよ。さっきから感嘆符がやけに多いような気がするんだが。お前が半額サマーバーゲンを一人でやっているみたいだ。 「それより、お前は書けているんだろうな?」 「決まってるじゃない。あたしにはちゃんと夢ってものがあるのよ。あんたとは違ってね」 そういうとハルヒは席を立ちあがって外に吊るした笹に短冊を括りつけはじめた。 最後の一言が余計だ。 しかし――数十分後、やはりというべきか俺はまだ机の上で悶えていた。 俺以外のメンバーは早々と書きあげ、長門はいつもの定位置で読書、古泉は独りボードゲーム、朝比奈さんは真面目にもテスト勉強をして三者三様に暇を潰していた。そういや朝比奈さんにとっては一応、受験の年だな。 ふといつまで朝比奈さんはSOS団で活動できるのかというある種の不安が頭をよぎった。 ハルヒはというと、団長席でパソコンのモニター越しに俺に明らかな怪視線――怪光線はさすがに無理だろう――を不機嫌な顔をして送っていた。 「ちょっと、キョン。あんたまで出来上がってないの? もしかしてあんた、行事とか学期末の反省書くの苦手なタイプだったりして?」 「……なんで分かるんだよ。あぁ、そうさ。確かに俺は小学校の頃からあの面倒くさい質問を矢継ぎ早に投げかけてくる紙には何遍も困らされていた。偶に女子のを見て何でそんなに書けるのかって、何度も敬服した憶えがある」 「やっぱりね。あんなのはね、ちゃっちゃと適当なことを書いて済ましときゃいいのよ。誰も裏づけを取れないしね」 「そんなこと言いながらお前、俺の書いた短冊何枚却下したんだ?」 「仕方ないでしょ。手の抜き方にも適度ってものがあるわ。もちろん、手抜きは当然却下だけど」 「言ってることの辻褄が合ってないぞハルヒ。アホか」 「はぁ? 団長に向かってその言い方はないわ! ぜっったい、あたしが認める願いごとをひねり出しなさい!」 しまった、いらん火にいらん油を注いでしまった。ハルヒの瞳の奥の炎がよりメラメラと燃えあがるのを俺はまるで本物のように見つめながら少し考えこんでいた。今回ハルヒはあのメランコリー状態に落ち込んでいない。どうしてだ? 古泉曰くの、こいつの精神が安定してきたということの証なんだろうか。確かに、去年のハルヒは傍目から見ていてもテンションの上がり下がりが著しかったが。うーむ、確かに喜ぶべきことなのかもしれないが、やはり俺は静かなハルヒも助かると思う次第で、そんななかで先程の朝比奈さんの預言を思い出していた。 ――『涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来ごとが起こることがあるんです』―― 俺がさっきから考えを巡らしているのは、果たしてハルヒはそれに対してどんな表情を見せるのだろうかということだ。SOS団専用の超絶笑顔か、それとも入学当初の不機嫌モードのハルヒなのか。 もしくは、『あのとき』のような困惑した――。 いやいや。俺は頭を横に振った。 したくない想像ははなからしなかったらいいわけで、そんなことは頭のなかからきれいさっぱり消してしまったらいいのさ。 俺の持つペンは、右手のなかでぐるぐると回っていた。これくらい、俺の脳も回転してもらいたいものだ。 部屋からの眺めが少し赤みを帯び始めていた。 まだ少しハルヒの暴言を聞くはめになりそうだ、と俺はすでに九枚目の短冊を見つめながら思った。 ――そして俺は束の間の休息を味わっていた。 いやそのときの俺は束の間とは微塵にも考えてはいなかったのだが、結果から見ると確かに束の間ではあった。 未来人の預言を忘れていたのだから笑止万全だ。 そして、嵐の前の静けさが終わる―― 古泉の指す駒の音だけが部室内に響いていた。 その頃部室内の団員たちは、読書やボードゲーム、うたた寝、をしており、ハルヒ団長は窓の外を眺めながらおとなしくなっていた。 俺はというと、そのあと紆余曲折の末、無事二枚の俺の血と汗と涙の結晶の短冊を提出し終わって、三人娘を少しばかり目の保養としていた。良かったなハルヒ、空が晴れていて。 柔らかい夕焼け空のなか、こうして部室内の風景を眺めていると不思議にも心が落ち着く。俺にももうその答えはわかっていた。 つまり俺の居場所は既にここにあるってわけさ。一年と二ヶ月前から。 そしてそれは、そんな緊張感ゼロのなか起こった。 ふいに長門が目線を文字の羅列文から上げる。 コンコン。 まるで呼応するかのように続いて部室のドアをノックする音が響く。 そしてノックの音が充分に響き終わったとき、既に四人はそれぞれの臨戦態勢を取っていた。朝比奈さんは何やら膝の上で拳を握り締めており、古泉は駒の置く手を停めて目だけが微笑みゼロの顔で扉を注視していた。 ハルヒは突然の来客宣言に呼応するかのように団長席でどっかりと腕を組んでいる。 長門は分厚いハードカバーを膝の上に置いたままさっきの目線でやや目を見開いていた。 多分長門にはドアの向こうが見えているんだろう。それくらい長門は簡単にやってのけることを、俺は知っている。 俺はと言うと、特にすることもないためしたがってドアを注視していた。生憎と透視能力は俺にはないが。 部屋の空気が一気に引っ繰り返ったなか、ハルヒは「どうぞ」と扉の向こうにいるであろう人物に了承の返事をした。 それからはまるでスローモーションを見ているようだった。ノブがかちりと音を立てて回り、ゆっくりと扉が内側に開いていき――『そいつ』は俺らの眼前に現れた。振り返ると朝比奈さんは口を手で押さえ、古泉は目を見開き、長門も微量ながら目を大きくしている。 ゆっくり、悠々と『そいつ』は部室内に入って来ると全員の視線を浴びながら、確かな足取りで俺の前を素通りし団長席へと向かった。 そしてついさっきまでの泰然自若の面持ちがどこかへと消え去ってしまった涼宮ハルヒに片手を挙げて、こう言ったのだった。 「よう、久しぶりだなこの時代のハルヒ」 ハルヒの口と両目が呼応しながら徐々に開いていく。 「この俺が、」 そして――。 「……キョン?」 「ジョン・スミスだ」 少しかすれたハルヒの声に『そいつ』は一発目で手札を切った。 教室の空気を春に感じたものと同じ戦慄が走った。そして瞬間的に俺は悟った。このSOS団は瓦解するかもしれない、と。 誰であろう、未来の『自分自身』の手によって。 「うそ……」 ハルヒはまるで漫画のように目を見開き、口をポカーっと開けている。茫然自失の態だ。 古泉は鋭く射るような目を『そいつ』に送り、何故かは分からないがが長門は俯いている。朝比奈さんはわなわなと小刻みに肩を震わせていた。俺の頭のなかには去年からのSOS団でバカやってた記憶が早送りで駆け巡っていた。これがいわゆる走馬灯ってやつか? 俺は『こいつ』になに命の危機を感じてんだ、しっかりしろよ。 俺たち四人が衝撃に黙りこくっているなか、破滅を呼び起こすハルヒと『そいつ』のダイアログは進んで行った。 ――涼宮さんは非常識を望みながらも、とても常識的な考え方の持ち主なんです。 「え? ど、どういうこと?」 ハルヒには珍しく困惑した表情を浮かべている。俺はまるで金縛りにでもあったかのように手も足も声も出なかった。 「だから言っているだろう、俺の名はジョン・スミスだ。お前にとっての四年前、中学一年の今日七夕の日に校庭の線引きを手伝ったあのときの高校生さ」 「で、でも、どう見たってキョンじゃない……」 ハルヒは俺と『そいつ』の顔を見比べている。 「もしかして……そっくりさん?」 とことん、ハルヒは今の現実を受け入れられない様子だ。迷っているのか? 俺たちにとってそいつは明らかに未来からの闖入者だが、ハルヒはそんなことは知らないはずだ。 だったら一体何に驚いているんだ。 真実を言うと四年前からお前の周りは常軌を逸脱した出来ごと尽くしだったんだ。 そして同時に俺は『そいつ』、未来の自分に苛立ちを感じていた。何で、この時期、このタイミングに全てを壊そうとしているんだよ。俺は自分の想いをとっくの前から確信している。俺はこの唯一無二のSOS団が好きなんだ。それは未来の俺にとっても変わらないはずなんだ。変わらないでいてほしいんだ――。 なのに、どうしてだ。どうして知らないほうが幸せでいられる真実を明かそうとする。 まさか朝比奈さん(大)の引き金だっていうのか? こんなことが既定事項だって言うんですか? 「そっくりさん、か。残念ながらそれは違うぜ、ハルヒ。そこにいる奴は……」 それ以上言うな。それを言ってしまうと、もう戻れなくなる。 「過去の俺、つまりは同一人物、ってわけさ。言ってることが分かるか?」 くそったれ! 俺は拳を握り締めてその腕を振り上げようとした瞬間、 「俺とそこの間抜け顔は同じ人間。でもその同じ人間が一つの時間に二人もいるわけないよな? その答えはひとつ」 古泉が素早い動きで俺の手を抑え、目で制した。 眼光の迫力が桁違いだ。その迫力に、俺は自称メイドの裏の顔をまざまざと思い出した。 「つまり俺は、未来人なわけさ」 人差し指を立てて『そいつ』は言う。 「お願いします。ここは抑えてください」 古泉が机を越えて至近距離で囁いた。お前らのところの機関はもう動いているんだろうな? 「えっ……み、未来人? で、でもそういうことになるの……? え、ありえないわ……」 ハルヒは目に見えて困惑している。珍しくいつもは鋭い瞳が不安定に揺れ動き、言葉にも精彩を欠いている。意外と俺よりも頭のなかが常識で雁字搦めになっているようだ。でもある意味正しい反応だとも言える。 さっきからハルヒの視線が『ジョン・スミス』と笹から吊るした短冊の間を揺らいでいる。それに気付いた様子の古泉は目を見開いて驚きぶりを示した。お前も一体どうした、何に気付いたっていうんだ。 「……そうだな、ハルヒ。どうしても信じられないようなら証拠を見せてやる。ほら、これを見ろ」 服の内側から紙の束を『そいつ』は取り出した。まさか、新聞紙か。 「お前ならすぐにその意味が分かるはずさ」 ハルヒは差し出されたものを恐る恐る受け取った。一体どうなっているんだ、未来人は既定事項と禁則事項に縛られているんじゃなかったのか? 朝比奈さんももうどうにかなっちゃいそうな雰囲気だ。 半信半疑の様子で新聞紙に目を通したハルヒは、いつもより大きく目を見開いた。 「まさか……だってこれ、本当に……?」 「そう言うことだ、ハルヒ。その日付と年を見れば瞭然だろ? それが俺が未来からの来訪者だっていう証拠さ」 「つまり……あなた本当に未来人なのね?」 「だから言っているだろう? やれやれだな」 思わずお前がその口癖を使うな、ってシャウトしたくなった。いくらそいつが『未来の俺』なんだとしても、俺は絶対お前を俺自身だとは認めない覚悟だ。 俺は目線を動かすと、果たして今度は俺までもがハルヒに驚かされる破目になった。さっきと打って変わってハルヒの表情が見る見る輝きを増していき、今朝見た専用スマイルに猛スピードで近づいていく。何か楽しいことを見つけたときの涼宮ハルヒの表情。まさか――今の状況を受け入れ始めたって言うのか? 信じられない――がそれでも俺は去年の記憶を再び引き出した。 一学期の中頃、涼宮ハルヒは閉鎖空間のなかで歓喜を起こした。退屈したときとは全く違う別の理由で生み出された『閉鎖空間』。現実を拒絶し、もう一つの新しい世界を受け入れようとした俺だけが知るハルヒの表情と、今のハルヒのそれが酷似していることに俺は気付いた。 俺は虫の報せとでも呼ぶべき嫌な予感がした。そしてだが、やはりそれは当たるのである。古泉、朝比奈さん、長門がそれぞれ草野球のときと同じ、何かを感知した動作をする。 「本当なのね!! やったわ、遂に見つけたわよ未来人!!」 ハルヒは椅子を跳ね除け、そいつの顔を指差した。 「お前が見つけたんじゃなくて、俺から出てきたんだがな」 耳のうしろを掻きながらそいつが言った。 「どっちでも同じことよ! とにかくいっぱい訊かせてもらうわ! あたしについて来なさい、ジョン!!」 そして鞄を掴んだかと思うと、そいつの服の袖を握り締めて猛スピードで扉に向かった。 ――ジョン。そうあの世界で長髪のハルヒは俺をそう呼んだ。 「おいハルヒ!! お前……」 「今日はもう解散していいわ、キョン!! あたし急いでるから!!」 「おいおい、急ぎすぎじゃないのか?」 アイツは苦笑しながらもなされるがままになっている。 「いいのよ!!」 瞬間俺は見た。開け放たれた部室の扉から見えたこちらをちらりと振り返った奴の顔が、酷く醜く歪んだことを。 「お、おい、待て!!!」 だがそのとき既に二人の影はなかった。俺の声は無残にも旧校舎を反響しただけで終わり、静寂のなか俺は不恰好にも腰を浮かせ手を伸ばした状態で少しの間固まっていた。 その静寂を打ち切ったのは古泉だった。 「すいません、どうやら事態は急を要します。現在この地域一帯に規模の大きな閉鎖空間が複数乱立発生しています。これから、僕は機関のもとで神人退治に向かわなければなりません」 顔、声ともに稀に見る真剣さを帯びている。――確かにそれもそうか。お前は一般人ではあるが、確かに超能力者でもある。だが古泉よ。 俺は今すぐにでも鞄を掴み部室を出ようとした古泉を呼び止めた。俺はお前に確かめないといけないことがある。 「あのときのお前の言葉、憶えているだろうな?」 古泉、お前は一体どこに帰属するのか。これだけで俺の意思は伝わったはずだ。さっきから沈黙を保っている朝比奈さんと長門も古泉を直視している。 古泉は眉根をあげ、沈黙ののち口元に手をやりながら答えた。 「……そうでした。確かに……ええ、そのような大事な約束を失念していた自分を深く恥じます」 古泉の声は本当に侘びていた。 「思い出してくれたか。それで、お前の立場は一体どこにあるんだ? 機関の尖兵なのか、それともSOS団の副団長なのか?」 実のところ俺としてはシリアスに迫ったつもりだった。古泉はというとやや目を伏せて、 「そのようなことを確認されるとは。まだ僕は……貴方の絶対的な信頼を勝ち得てはいないのですね」と少し愁いを帯びた表情で絶対的を強調した。どうやら、軽率にものを言ってしまったらしい。だが心配するな、俺はお前に疑念を抱いてはいない。 そして再び顔を上げた古泉は、いつもの凛々しい決意の眼差しをしていた。 一度深呼吸をしたあと、 「自分は……このSOS団副団長、古泉一樹です!」 「あぁ……よく分かった!」 大丈夫だ。まだ、SOS団は崩壊しない。 自分の掌を見つめたあと、俺はそれを固く握りなおした。ここに古泉がいて、長門がいて、朝比奈さんがいる。そうさ、いつもSOS団は危機を手を合わせて越えて来たじゃないか。 俺がいる限り、ハルヒを必ず取り戻してやる。 だがそのときの俺は知らなかった。知りようもなかった。 部室を出たハルヒが走りながら、「ジョン……」と小さく漏らしていたことに。 窓の外の景色は闇一色になっていた。だからといって涼しくなるわけでもなく、俺は部屋のクーラーをつけて更なる熱気を外へと放出させていた。 約束の時刻まであと一時間。俺は素早く出れるように外出着のままベッドの上に寝転がり、携帯電話のサブディスプレイに点滅する時刻をずっと眺めていた。 ベッドの向かい側、普段さほど向かうこともない勉強机の上には何度も読み直した便箋が開かれたまま置いてある。俺が予想したとおりに、その手紙はスタンダードに下駄箱のなかに入っていた。 古泉と長門には家に着いてからすぐに連絡してある。流石に、朝比奈さんの前で伝えるのは許されていないからな。 それにしても依然、ハルヒとは連絡が取れない。――いや、それも当然のことか。 一時間ほど前にかかってきた古泉からの電話。 ――『申し訳ありません。時間がないので手短に伝えます。この世界から涼宮さん、そして先程のもう一人の貴方の存在が確認できなくなりました。これは情報統合思念体とも確認してあります。そして更にほぼ同時刻に、我々の侵入を拒否するほどの強大な閉鎖空間が一つ発生したのも確認しています。おそらくは両名はそのなかにいるのではないかというのが我々機関の見解です。去年のように貴方に協力を仰ぐ可能性もあります』 そのときの古泉の吐いた最後の溜息から全て言い終えたという雰囲気が言外に伝わってきた。珍しく早口で話してそのまま通話を切りそうだった古泉に、俺は便箋の内容を伝える。 ――『……分かりました。僕は貴方に自分はSOS団の副団長であると宣言しています。必ず時刻に間に合うように調整致します』 意識して事務口調で話しているのか、そのまま「では」と機械のように古泉は冷たく告げて電話が切れた。 ハルヒとは連絡が取れない。 当然だ。今この世界から消失してしまっているからな。 しかし――よりによって、どうしてあいつとなんだ? 古泉からの電話のあと、情報の確認と連絡のために去年末から急激にかける頻度の上がった電話番号に俺はコールした。 ――『…………』 相変わらず応答の返事をしない長門に俺は名乗ったあと、古泉の伝達があっているかを確かめた。何度も思うが、「もしもし」くらいは言うように勧めるか。 ――『違わない。涼宮ハルヒと貴方の異時間同位体は二十八分と十九秒前にこの時空間からその存在を認識できなくなった』 ――やはりそうなのか。つまり相当機関の決断が早かったってわけだ。 次に俺は、例の手紙の内容を、言い終わると兎に角沈黙しているアンドロイド少女に伝えた。 ――『……分かった。彼女がわたしの立会いを望んだことには何らかの意図があると考えられる。今から行けばいい?』 待て待てまだ集合時間は一時間後だと慌てて長門に伝えたあと、少し気まずいような沈黙が流れた。 何故だかは分からないがふとそのときの沈黙に、長門がまるで何かを俺に伝えようとして逡巡しているような感覚がした。そういや、帰り際も俺のほうを見て何か言いたそうにしていたような気がする。自意識過剰だろうか。 ――何か言いたいことがあるんなら遠慮しなくてもいいんだぜ、言っただろう? 俺は促してみたが、長門は小さく『いい』と言って、電話を切った。 ――一体どうしたんだ? しかしながら今思い返してみても、古泉の切羽詰った上に凍ったような声には心底肝が冷えた。バックグラウンドには何やら、オペレーターらしき声が飛びかっていた。やはりそれほど緊迫した状況だということだろう。 俺は何も知らない。何も知らされていない。 未来人、超能力者、宇宙人の三者三様の裏事情を。だがそれでも世界は俺に全ての荷を追わせようとしている。まるでそれが世界の意思だとでも言うように。何度も思い返すが、理不尽にも程があるだろう。 一度携帯を開いて閉じ、白く輝くデジタル時計を俺は再確認した。 23 30。 そろそろ出かけることにするか。いつもの、あの集合場所へ。 親に気付かれずに家を出るという荒業を俺は何とかこなし、自転車で向かった。 自転車をいつもの通り銀行の横に止め、道をこえて北口駅の北西口広場に着いた。丁度電車の出発する音が聴こえ、遠くにマホガニー色の車両が走って行くのが見えた。 既に広場には、そこだけは普段通りセーラー服の長門が佇んでいた。まるで何十分も前からそこにいたような雰囲気と一体感を醸し出している。しかし、同時に不釣合いで違和感のある情景にもなっていた。やはり今日ばかりは、いつものあの見慣れた風景とは何かが違っていた。 「よう、長門」 俺は少し明るい声を作って長門を呼んでみた。長門も俺に気付いたようで、無味乾燥ないつもの目を俺に向けてきている。俺は、やはりあいつがいないことが気になって仕方がない。 すると長門は、俺のあたりを探る視線を読んだかのように、 「古泉一樹はまだ現れていない。先程連絡があり、予定集合時刻には間に合わせると言っていた」 そうか、つまり閉鎖空間での仕事は全然かたが付いていないというわけだ。 いつも集合時間の前に余裕の表情で待っていて、柔和な微笑みを向けてくる古泉は俺のなかでいつのまにかデフォルトになっていたようで、それが少しでも異なっていることに俺は精神的不安を感じられずにはいられなかった。 深夜の駅前広場に佇む、私服の少年と制服の少女という組み合わせはさぞかし異様に映ることだろう。まぁ、そんなことはいちいち気にしていられないし、誰も見てはいないだろうから。 俺は長門にもう一人の人物の存在について訊ねた。 そちらもまたデフォルトに、下駄箱のなかに手紙を忍ばせて用件を伝えてきた人物。ここに我々を集めさせた張本人。 「朝比奈さん……はどうした?」 今の朝比奈さん(小)の数年後及びグラマラスバージョンの姿はまだ見えなかった。 俺が長門を見ていると、長門は少しだけ顔を傾かせ――一般感覚で言うと、ほんの僅かに――また言葉を紡ぎだした。 「貴方の言っている人物を朝比奈みくるの異時間同位体と認識した。彼女なら先程わたしの部屋のなかに現れて用件を伝えに来た」 そうなのか。しかし、長門が俺の考えを読んだとは少々驚きだ。 いや今の長門ならそれくらい出来そうだが、出会った当初の長門なら「どっちの」やらなんやら、言っていたであろう。 やっぱりこいつは徐々に人間に近づいている。些細なことからでも俺はそう感じた。 それで何て言ってきたんだ? 「……貴方に伝えていいと判断。朝比奈みくるは彼女が午前零時零分零秒から彼女のいうこの時間平面に留まっている間、彼女自身を防護していて欲しいと頼まれた」 防護って――攻撃から身を守ることだろう? 一体何があるっていうんだ。 「それは彼女自身からあとで伝えられる」 俺はたったそれだけで今がのっぴきならない事態であるということを理解した。長門に助けを求めるということは尋常な事態ではない。しかもあの朝比奈さんが直接長門に頼んでいる。 そのとき車が急ブレーキを掛ける音がして、広場の入り口あたりに真っ黒な車が一台停車した。俺がそのシルエットに何やら見覚えを感じていると、後ろのドアが開きいつもよりやけに真剣な表情をした、不釣合いな超能力を持つ同級生が降りてきた。 なるほど、運転手は新川さんか。古泉はなにやら開いた窓越しに新川さんと話したあと、車はどこかへと走り去っていき、古泉はこちらを振り向いて小走りで近づいてきた。 「遅くなってすみませんでした。少々手間取っていたもので」 古泉が弁解する。だが俺は古泉の表情と焦りようを見て、少々どころではないことをすぐさま理解した。 「何も言わなくていい」 「……ありがとうございます。……それで彼女は、朝比奈さんはもう来たんでしょうか」 「まだ来ていないみたいだ」 一陣の風が吹いた。生温いいやな風だ。空も黒々と分厚い雲に覆われている。せめてハルヒのためにも七夕の日には最後まで晴れていてもらいたいな。 そのあと黙ってその時刻が訪れるのを待つこと、数分。 「まもなく、七月八日午前零時零分零秒」 長門が時報のように短くアナウンスした瞬間、「皆さんお揃いのようですね」と、いつもの妖精の声が聞こえた。慌てて振り向いてみるとやはりというべきか朝比奈さん(大)が茂みのなかから現れてこちらへと近づいてきた。 「いつの間に……」 古泉が発すべき言葉を失っている。まるで、幽霊でも見たかのようだ。その現れ方に驚いているのだろうか。そういや、お前は本人を見るのは初めてだったな。 朝比奈さん(大)は古泉に軽くお辞儀をしたあと、俺に向かった。 「早速ですが、話に入らせてもらいます。……長門さんもいいですか?」 どうやら朝比奈さん(大)は急いでいる。それに呼応するかのように呼びかけられた長門もすぐ頷いて、 「了承した。この広場一帯に不可視遮音フィールド、同時に時空干渉防護シールドを発生させる」 そのまま長門は掌を空に向けて、見えない何かを触る仕草をした。俺は当然首を傾げたが、朝比奈さん(大)は充分だというように頷き、喋りだした。確かこの人は時空震が分かるのか。古泉もなにやら納得したものがあるみたいだ。 「今日、じゃなくてもう昨日ですね、貴方たちは未来のキョンくんを見ましたね?」 俺らは頷いた。 「実は今、貴方たちの時間から数年後の世界に、ある時点で我々の勢力と別の未来人の勢力が突然ですが武力衝突します。それは大規模な時空改変の衝突です。そこで向こうの勢力は涼宮さんの能力を使って改変を行おうとするんですが……なんでその時代の涼宮さんを使わなかったのかは禁則に当たるんですいません。とにかく、この時代の涼宮さんを利用することになるんです。そこで……長門さんはもう気付いているかもしれないけど……」 と言って一端区切り、長門のほうを見たあと、 「情報統合思念体と天蓋領域が未来のキョンくんに情報操作を行って、この時間に連れてきて彼を誘導して涼宮さんが情報爆発をするように仕向けたんです」 それに続いて長門も、「気付いていた。彼の異時間同位体を確認した時点で、両方の勢力の介入を認識している」と続けた。 そうかつまりあの俺は宇宙人の操り人形だってわけか。俺は彼の取った行動が俺自身の意のものじゃなかったことを知ってどこか安心した。 「そういうことになります。ともかく今も未来のその時点では攻撃が繰り返されています。わたしも、本当なら向こうにいるはずなんだけど、特別に貴方たちに伝言するように伝えられてやってきました」 朝比奈さんの声音がいつになく真剣である。それにしても未来人の攻撃って一体どういったものなんだろうか、などと考えていると少し思い出したことがあった。 「朝比奈さん」 「何でしょうか?」 「その正面衝突って……もしかして分岐点のことですか?」 古泉、朝比奈さん(大)がそれぞれ違う理由で驚きを示した。俺としても思い切って訊ねていた。 かつて朝比奈さんが俺に伝えてくれた分岐点の存在。それが何のことなのかはまったく以て不明なのだがひょっとしてこれのことなのではないかと俺はひらめいたのだ。 やはり告げてはいけないことなのか、朝比奈さん(大)が俯いて押し黙った。 少し蚊帳の外状態にあった古泉が割り込んできた。 「ちょっといいですか、その分岐点というのは?」 あとでいいだろう、そう言おうとした矢先何と答えたのは朝比奈さん(大)だった。 「わたしたちが涼宮さんに関連して最も重要だと考えている時間上のひとつの契機です。わたしたちは全てがそれに繋がるために規定事項をなぞっています。涼宮さんに関する時間上の不確定要素も」 「そう……そうだったのですか」 古泉が興味深げに頷く。お前に言ったことはなかったか? 「いえ、まったく以て初耳としか言いようがありません」と、肩を竦めて答える。 「そうか、そうだったか……。とにかく、朝比奈さん。その衝突が貴方たちの呼ぶ分岐点なんですか?」 朝比奈さん(大)は最後の逡巡を見せると言った。 「答えは……いいえです。まだ分岐点は先の話です。決してそう遠いわけではないのですが……」 その解答は俺が前に訊いたものと良く似たものだった。近いけど遠い。遠いけど近い。そういう類のニュアンスだ。 俺はせっかく答えてもらったもののどこか消化不良気味だったが、迷惑を掛けれないとも思い頷く素振りをした。禁則事項の規制の強さは朝比奈さん(小)とも変わらないということなのか。 俺が一歩下がると今度は古泉が手を挙げた。 「ちょっといいですか」 「……え、ええ」やや声が沈んでいるのはさっきの質問のせいか。 「貴方がやってきた未来では現在形で戦闘が行われているんですか?」 「え? そ、そうですけど」 朝比奈さん(大)が驚いたように答える。どういう意味だ、現在形って。アイエヌジーか? 懐かしいな。 古泉は口元を押さえ、いつもの考え込む仕草をとった。 「その戦闘は、……貴方たちの言う既定事項、というものだったんですか?」 すると朝比奈さん(大)が急に黙った。俺にも分かるくらいどうやら核心的なことを訊ねているようだ。 「あと彼らの目的は多分この世界――いえ時間軸と呼ばせてもらいましょう――の消滅及び改変でしょう。この世界では既に、涼宮さんが大きな情報爆発を起こし続けています。いえ、断続的に少しずつ大きくなっているといえば良いでしょうか。とにかく、この世界が貴方たちの世界に繋がっていないということは容易に想像できます。それを食い止める方法を一切思いつきませんからね。しかし、貴方はここにいる。どうしてでしょうか? これは既定事項なんでしょうか」 麗しき朝比奈さん(大)は、目線を伏せたままだ。そういや、朝比奈さんは古泉に対して意味深なことを随分と前に言っていたよな。もしかして、この先関係が悪化というか何かしたりするのだろうか。古泉は挑むような視線を向け続けている。 成る程。古泉一樹、敵にまわしたくない人物、か。確かに厄介そうだ。 暫し沈黙があった。静かになって再び電車の発車の音がする。もう終電の時刻だろうか。 「どうなんですか、朝比奈みくるさん」 古泉が畳み掛ける。彼女も決心したらしくようやく面を上げて、「……言えないことがたくさんありますが」と前置きしてから話し始めた。 「敵対勢力によるこの時間への介入は確かに既定事項外です――わたしにとっては。未来から調査したときこの時間平面にはこのような異常は認められませんでした。この七夕の日は……言えませんが我々にとって都合よく進むことが既定だったんです」 朝比奈さん(大)は、少し間をおいて続けた。すでにこの段階で俺はいくつかの疑問が浮かんでいた。 「しかし事実こうなってしまいました。わたしたちの見解は、この時期の涼宮さんと七夕の日を利用することによって最大エネルギーで時空振動、情報フレアを発生させたいのだ、と考えています。あとわたしがこの繋がっていない時間軸に来られていることは、最大級の禁則です。それにあなた方にSTC理論を言語で伝えるのは不可能に近いので、言えません。すみません」 「じゃあ、本当に繋がっていないんですね?」 「……ええ」 終始、古泉は顎を擦りながら真剣な表情で聴いていた。 俺はというと、100%理解したか? と訊かれたら、ノーと答える自信はある。なんだか朝比奈さん(大)も微妙なところを答えているような気もしてくる。 長門はさっきからずっと無言で朝比奈さん(大)を見つめている。 「もしかして、この時間平面もずっと介入が続けられているのですか?」古泉が訊ねる。 「……はい。わたしたちは今、その改竄の応酬の最中にいます。ですから、長門さんにお願いして気付かれないように手配しているんです。わたしも当然狙われるので」 全くこんな話が現実のこととは到底思えないな。ようは本当に世界の裏側で二つの集団が時間を越えて戦闘を繰り返しているというわけだ。残念ながら、未来人の攻撃が如何なるものかは分からないため、そこら辺の想像のしようもなかった。 「とにかく、この戦闘はわたしたちが食い止めます。貴方たちにはその影響が及ばないようにもします。もちろん『わたし』にも。ですので皆さんには、この流れを元に戻してくれることを頼みたいのです」 なんとも無茶なお願いだ。 「前にもキョンくんには言ったと思いますが、時間を改竄するにはその時間平面にいる人を使って行わないといけないんです。憶えていますよね?」 確かに。二月のあの一週間の出来ごとは多分この先そう簡単に忘れることはないだろう。この先必要にもなるであろうし。 「ですので、わたしたちには不可能なんです、お願いします。あと今回わたしは一切のヒントを上げられません。わたしは何も知らないので。……すみません」 そう――なんですか。やはり、いつもはヒントがあるというわけか。 朝比奈さんは浮かない表情で俯き続けた。何も知らないから何も言えないのか、何か知ってるから何も言えないのか。 「よく分かりました」と言って古泉は頷きをして腕を組んだ。 「僕たちで、頑張ってみましょう――いえ、頑張らなければなりません。ところで彼女の、朝比奈みくるの時間移動には頼れるのでしょうか?」 「ええ、緊急措置としてほぼ全ての時間移動を許可してあります。申請がありしだい許可の返事を取るようにしていますので」 残念ながら、それを聞いても俺は安堵のしようがない。この際、常人離れした三人に頑張ってもらうことにしよう。俺みたいな一般人は、後ろを突いて行く役割で充分さ。 「それでは、頑張ってください。あっ! 必ず、貴方たちの時間を正しい流れに戻してください。じゃないと……困ります。では、また貴方たちと逢えることを願っています」 そう言い残して、どこかへと行こうとしたとき、俺は重要なことを思い出した。 「朝比奈さん!」 「……何でしょうか」朝比奈さんが微笑みながら振り返る。 「訊きにくいんですけど……朝比奈さん。俺たちは貴方を信じてもいいんですか? 貴方は嘘をついていないんですか?」 また風が吹いた。さっきとは打って変わって身体が凍えた。 朝比奈さん(大)もブラウスの上から両腕をさすった。 そしてもう一度笑みを浮かべた。 「信じてもらわないと困ります。だってわたしはSOS団の副々団長なんですよ?」 そう言って朝比奈さん(大)は微笑みを残して小走りで暗闇の夜の街へと消えた。 何となく、俺は追わないほうが良いような気がしてその場に立ち止まっていた。一瞬、三年前の七夕のことが頭を過ぎった。そうか、副々団長ですか。俺は内心少し安心していた。 古泉はずっと腕を組んで考えあぐねている。長門もまだ静止したままでいた。 時刻は、もう零時半に近い。高い空は以前鼠色で、街も僅かな灯りだけを残して闇色に染まっている。 そのまま放っておくと誰も喋らなそうなので、俺から口を開くことにした。 「全く、やれやれとしか形容できんな。それで、これから一体どうするんだ?」 古泉は組んでいた腕を解くと、西洋式にお手上げのポーズをした。 「流石にこれは困りましたね。正直僕だけではどうしようもありませんよ。……実は我々にはタイムリミットというものがあるんです。言っていませんでしたが」 タイムリミットか? つまりはデッドラインっていうわけか。 「ええそうです。拡大し続ける閉鎖空間が全世界を完全に覆う瞬間を我々はリミットとしました。涼宮さんの能力が完全に失われてしまっては、もう何もかもおしまいです。もちろんその閉鎖空間に全世界が覆われて、世界は創り直されるでしょうが」 そして、確かそれはもう停めようがないんだったよな? 「ええ、我々が一番大きな他の小さな閉鎖空間を吸収しつつ成長する、涼宮さん本人が存在すると考えられる閉鎖空間に侵入することが不可能なので、神人を倒してその拡大を阻止する我々の最終手段が実行不可能なんです。……まぁ、一つだけ方法がありますがそれもかなり絶望的と言えるでしょう」 何だそれは。長門もそれを聞いて驚いたように顔をこちらに向けている。もちろんその驚きが表情に表れているわけではないが。 その表情が驚いているってことが分かるのもSOS団のメンバーだけに限られるんだろうな、と俺は少し考えた。 古泉は言い淀み、口を滑らしたと反省するような表情をした。 「それは……去年、貴方が行われたように、涼宮さんをこちらの世界に戻すことです。憶えておられますか? しかし残念ながら、それは無理だろうという結論も同じくして出ています。長門さんがその閉鎖空間に入れるというのであれば話は別なんですが……絶望的なことに涼宮さんは、『貴方』ではなく、『ジョン・スミス』を選んでしまったようなので」 古泉の声はどこまでも張り詰めていて冷え切っていた。 俺はそれを聞いて心のなかに得体の知れない黒い靄が生まれたのを感じた。 どうした、俺は嫉妬しているのか? ジョン・スミスに? 何故? 分からない。 「どうかされましたか?」 古泉が意地悪く微笑んでるように感じて仕方がない。 すると今度はさっきまで貝のように口を閉じていた長門が喋りだした。 「わたし個人の意思で、涼宮ハルヒの創りだした空間に介入することは許されていない。また、情報統合思念体の主流派は観察を目的としている。わたし個人の意思が解決できる問題ではない。……弁解する」 どうしてわけもないのに長門が謝るんだ。 古泉もそれを聞いてまた腕を組んで考える姿勢をとった。全く悪夢でも見ているようだ。夢ならとっとと醒めてくれないか。 朝比奈さん(大)が来たからといって結果的に繋がるのだと期待を抱いてはいけない、ということをさっきの会話で俺たちは暗に釘を刺されていた。ようはあの夏休みのときと同じだ。 「なぁ長門。もし許可が下りたら、俺をその閉鎖空間のなかに連れて行くことはできるのか? 出来るんだったら、無理にでもしてもらわないといけなさそうなんだが」 「……それは前例がないから不明。しかし、不可能に近いことは予測できる」 驚きだ。長門にでも出来ないことがあるのか? 「ある。涼宮ハルヒの潜在的な情報操作能力はとてもわたし一人で防ぎきれるものではない。それに彼女が現在、空間内から断続的に起こしている情報爆発は今までに類を見ないほどの膨大な量である。わたしにはその構成情報を書き換えることすら不可能だと判断した」 そう、なのか。そこまでハルヒはとんでもないやつだったのか。 ということはだ。 「なぁ、古泉。やっぱり朝比奈さんに助けを求めないといけなくなったと俺は思うんだが」 というか、それしかないだろう。古泉は自分で時間移動関係には機関が無力であると宣言してしまっているし、長門も現在の閉鎖空間には無力だということを釈明したし。 古泉も小さく溜息をつき、「確かにあとはそれしか方法は残っていなさそうです」と呟いた。 じゃあ、案ずるより産むが易い。タイムリミットだってそう遠い話じゃないんだろう? 「ええ。まぁ……仰るとおりです。閉鎖空間の拡大率から計算しましたところ、この世界が現状を維持できるリミットは明日の夜九時半頃になると予想されています。確かに少ないですがまだ我々に時間はあります」 夜の九時って言ったら、ハルヒが東中の校庭にでかでかと謎の文字を俺に書かせた時刻と符合する。これも果たして偶然か。 「ではそうと決まれば、今から朝比奈さんに連絡します」 何でいつもお前なんだ? 「どうしてです? そろそろ絞り込んでいるものとばかり思っていましたが」 だからお前の言っていることはどうも分からん。 「いえ、今のは失言でした。とにかく最後は貴方がどうにかされるのでしょう? 準備くらいこちらで整えさせてもらいますよ」 「……古泉」 「何でしょうか」古泉は可笑しくてたまらないとでも言うように顔の筋肉を弛緩させている。 そんなに他人が理解できない皮肉を言っていて楽しいか? 「それこそ、何のことかさっぱりです」 まぁいい、今回は念願の時間移動が出来るんだ。満足じゃないのか? 「さぁ、どうでしょうねぇ。……失礼。…………夜分遅くにすいません、古泉です。今、彼と長門さんと三人でいつもの駅前に集合しています。……はい、そうです。そのことで話をしています。是非来してもらえませんか? ……事情はついてからということで……ありがとうございます。そこでなんですが、来られる途中時間移動の申請をしてもらえないでしょうか? ……ええ、彼が仰っていますと、お伝えください。……それでは、お待ちしております。…………ふぅ。取り敢えず、今すぐ来られるようですよ」 古泉は携帯をしまうと、俺のほうをまた向いた。何だそのよく分からん顔は。何も出てこないぜ? 長門はというと、まだどこか宙の一転を望洋していた。 「長門。ちょっと訊きたいことがあるんだが」 「……なに?」 「お前、『あいつ』が部屋に入ってくる前に扉の向こうを透視、していたよな。あのとき何か見たのか?」 確か長門は食い入るように扉を見つめていた筈だ。長門はまた沈黙を置いて、 「透視ではない。一種の遠隔熱伝導情報感知」 そんなことは残念ながら俺にとってはどうでもいい。それで何を見たのか? 「……貴方の異時間同位体。貴方も見た」 「本当にそれだけか?」 すると長門はさっきよりも長く沈黙した。 長門は俺に据えていた視線をほんの一瞬下げてから、 「……それは禁則事項。貴方にもいずれ解ること」と呟いた。 長門が俺に対して、禁則事項ってワードを使ったのは今回が二度目だ。 どうやらこれ以上は教えてくれないみたいだ。まぁ、分かるんなら別に詮索はしないさ。 ぽつねんと宙を見上げる長門を、古泉が懐疑的な視線で見つめていた。 ――やはり、このとき俺はどこか楽観視しすぎていたようだ。 もっと複雑怪奇な問題であるということに俺は気付いていなかった―― 十数分後。暗闇のなか、街頭に照らされて可愛く走ってくる朝比奈さんの姿が見えた。遠目でもいつもの私服のセレクトに怠りはなかった。 朝比奈さんは一瞬入り口で立ち止まったあと、息を整えながらやってきた。あぁ、今朝比奈さんが驚いているのは俺たちが急に視界に現れたからだろう。長門が不可視何たらフィールドを発生させていたのを俺は思い出して納得した。 「一時的にバリアの一部に進入経路を造成した」 長門がつまらなさそうに補足説明をしてくれた。助かるぜ。 「はぁ、はぁ、はぁ。……ふぅ。遅れてすみません。待ちました?」 赤く上気した顔で朝比奈さんは胸の辺りを撫で下ろしていた。いいえ、全然。朝比奈さんのためなら何年でもほったらかしのまま集合場所で待っている自信がありますよ。 「それで、許可のほうはどうなりました?」古泉が横目で俺を見ながら催促した。どうせ時間の移動をするのだから焦る必要はないと言ってやりたかったが、まぁ、それもまたいいかと俺は何も言わなかった 「あっ! それのことなんですけど……申請したら、まるで待ってたようにすぐOKって出ちゃいました。またこの前みたいにキョンくんの指示に従えって……。目的すら分からないのに、キョンくんって一体誰にとっての何なんですか?」 古泉がやはりとしたり顔で頷く。正直、何なんですかって言われてもなぁ。 とにかく俺は、全てにとって共通認識として《鍵》なんだろ、と俺は理解しているのだが。 「ええ、その認識で間違ってはいませんよ」 古泉、お前は黙ってろ。どうしてか嘲笑されている気がする。 閑話休題、長門よ。あの野郎に会ってそれからどうするんだ? 「彼に対して掛けられている情報操作の解除と、以降の介入を妨害する防護壁を彼の体内にナノマシンとして注入する」 朝比奈さんが少し口元を抑えたのを目の端が捉えた。そういえば朝比奈さんはあれを去年やったらめったら打ち込まれているからな。俺も一度されたが、またあれかあのガブリと一発。 古泉は一つ咳払いをすると、 「では準備も整ったようですので。朝比奈さん、時間移動の準備をお願いします」 「あの、一体いつに飛べばいいんでしょうか」 朝比奈さんが困ったように問いかけて、古泉はまた違った困った表情を浮かべた。俺に助けを求めるように振り返る。そうか、古泉は知らないのか。 俺は長門のほうに頷いて、さっきまで後ろのほうで控えていたところからトテトテと朝比奈さんのほうへ近寄った。 「……手、出して」 「はい」 古泉は瞳を丸くして、朝比奈さんの掌に長門が人差し指を立てる様子を眺めていた。 「あれで伝わるというのですから彼女たちは侮れませんねぇ」憚るように手で口元を隠しながら古泉が耳打ちをした。 お前だって、俺からしてみればおんなじだ。 「何を言っておられるのですか、僕たちには時間を超えたり次元を超えたりする能力はありませんよ」 「空間は超えられるだろう?」 「それも、限定的なものですよ」 つと目をやると長門は朝比奈さんの掌から人差し指を離した。 「分かりました……でもその前に、移動する理由を教えてもらえますか?」 長門はそのまま首を動かして質問を俺たちに回した。 俺には長門が無言のまま俺たちを試しているように感じた。どこか罪悪感を抱えたまま俺は長門から受け取った視線を古泉へと向けた。古泉は俺には顔を向けずどこか時間が惜しいとでも言うように朝比奈さんを真っすぐ向いて、急かすよう答えた。 「それは向こうに着いてからお教えます。とにかく今は『彼』が現れる少し前に遡ってくれませんか?」 「そう……ですか。やっぱりそうかなって思ってました」 瞼を閉じて頷いた朝比奈さんは、そのまま俯きながら掌を出して「手を、重ねてください」と俺たちに向かって告げた。朝比奈さんにはいつも罪悪感がある。俺はいつそのことを謝れるのだろうか。 「では」と断ってから、古泉、長門、俺の順で手を重ねると、誰からともなく目を瞑った。 しまった、時間移動するであろうと読んでいたのに、酔い止めを用意するのをまたしても忘れてしまった。 暫く目を瞑っているとまたしてもあの天地が引っ繰り返るような衝撃がやってきた。心なしか去年より和らいでいる気がする。慣れてしまったということだろうか? まぁ、いい。どちらにしろ、もどしそうになっているのは変わらない事実なんだからな。長門は多分平気だろうが果たして古泉はどうなんだろうか。あいつは今回が初めてのはずだ。いや、しかし鍛えているって可能性もあるな。――どうやって三半規管を鍛えるんだ? そして既に暗転している世界のなか俺の感覚が、そのほか意識諸共完全にブラックアウトした。 灰色の、天井。 目を見開いたとき、俺の身体はどこかの廊下に横たわっていた。ぼやけていたが見慣れていることから、どうもここは旧校舎のなからしい。 どうやら今回俺は前ほどは眠っていない――みたいだ。慣れたのだろうか。顔を傾かせて階段を確認する。 「あっ、今回は……その、禁則事項……の時間を短くしました。……そのほうがすぐに動けますから」 つっかえつっかえ朝比奈さんが答えた。どうやらいつもみたいに長く眠っていると支障が出るってことらしい。つまりは臨戦態勢でってわけか。 あいつが訪れた時刻を俺ははっきりと憶えていなかったが、窓の外の夕紅の景色からもうまもなくであるということは分かった。 「さぁ、もうすぐです」 俺が何故か痛い頬をさすりながら上体を起こすと、階段を上がったところの角から廊下を伺っている古泉が声を掛けてきた。かくいう古泉はゼロアワーを覚えてでもいるのだろうか。 「長門さんから教えてもらいました」 そんなことだろうと思っていたよ。俺は起き上がって服を少しはたいた。 しかし今思い返してみても、ドアがノックされる瞬間の長門の素振りがどうしても不自然だった気がする。単に驚いただけとも取れるかもしれないが、何かが違うような気がする。全くいつもこれだ。俺の脳味噌は何に引っかかっているのか全く教えてくれない。何だっていうんだ。何を『見たんだ』? 暫く廊下の端から伺っていると、反対側から歩く音が聞こえてきた。少し覗いてみると案の定、足音の主は『ジョン・スミス』だった。 何となくだが、まだ俺はその人物を俺と呼ぶことに躊躇いがあった。あいつは俺であって俺ではない。俺であることに間違いはないようだが、俺があんなことをするはずがない。縦え操られているのだとしても、だからといって彼を俺と呼ぶことを俺は素直に認められなかった。 しかし一人で来ているのか。さぁ、今からどうする。まだ『あいつ』は俺たちの存在に気付いていないはずだ。操られているからといって急に長門並みの能力が備わっているわけではないことを祈ろう。古泉は、ノックの前に『あいつ』に近寄ってその動きを止めたあと、長門がナノマシンを注入するような作戦を俺に話していた。……それにしても長門は何が言いたかったのだろう。 思い過ごしの恐れもあるが、そのあとの長門の様子からも俺はどこか不思議な感じを抱いた。放課後やさっきの集まりのときも何かを伝えたそうにしていた――ような気がする。あの俺が、情報統合思念体によって操られていると言うことだろうか。それなら既に聞いている。どうやら俺の頭のなかは去年末から長門の挙動がその多くを占めていることに変わりなかった。 ふとまた覗いてみると、アイツがもう扉の近くにまで来ていた。 ――必ず、貴方たちの時間を正しい流れに戻してください。 俺たちの前から姿を消す直前、朝比奈さん(大)は確かにそう言った。 言われなくたって、当然俺たちはそうするつもりである。その言葉になんらおかしなところはない。筈なのだが、しかし頭のなかで繰り返されるその声に脳がまたしても引っかかっていた。 古泉がゆっくりと動き出し、朝比奈さんにはその場を動かないようにジェスチャーする。そりゃそうだ、俺も異論はない。長門もそのあとを静かに追っていた。そして振り向いて俺にどうも意味有りげな視線を送った。 一体なんだ? 言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないか。溜め込むのは良くないって言ってきただろう。 そして、そのときだ。 俺の頭のなかで何かが閃いた。 確かに朝比奈さん(大)はこう言った。『貴方たちの』と。もしや――俺の身体が少しずつ震え始める。俺たちは間違ったことをしようとしているんじゃないのか? この時間移動は前とはどこか根本的に違うんじゃないのか? いや、間違ってはいないかもしれない。しかし――このままではかなり悪い、絶望的な事態になることは必至だ。 あと少しで『彼』に近づくところだった古泉に、俺は慌てて立ち塞がった。既に『あいつ』も俺たちのほうを注視している。しかし俺たちを眺めるその瞳に生気は宿っていず、はっきりと認識しているかは怪しかったが。 「おい、古泉。今すぐ元の時間に戻るぞ!」 思わず、声を荒げる。 「どうされたんです、そんなに慌てて。何か問題でも……」 明らかに古泉は困惑と不服の表情を浮かべている。だが俺は構わずに続けた。 「お前、この先の計画を考えているのか? ここであいつを元の時間に戻したあとどうするつもりだったんだ?」 「遮音フィールドを発生している」 長門が再び誰にともなく言った。ありがとよ。 「まさかだが古泉。お前が考えていないとでもいうのか?」 「ですから、また前の時間に戻れば……っ!?」 古泉の目の色が変わる。顔からも血の気が失せていく。 「お前も気付いたか。そうさ、いつの時代もSF作家がどうしてもぶつかったところだよ。タイムパラドックス、それが全然解決していない」 「……つまり、我々が戻ったとしても……向こうでは何も変わっていない。もしくは、別の我々が平凡に暮らしている。しかも変わるのは『この時間』の我々であって、僕たちではない……。しかし我々の過去では、彼が来ている…………僕としたことが。どうやら大きなミスを仕出かす所だったようです」 「ああ、そういうことに……なる、な。」 どうやら瞬時に俺が考えていたこと以上を理解したようだ。悔しいが認めようじゃないか。 古泉は恥じるように頭を左右に振ると、身を翻した。 「それでは朝比奈さん」 「ふえっ!?」 どうも朝比奈さんの反射神経は声にも繋がっているようだ。 「また、前の時間に戻れますか?」 「俺からもお願いします」 『あいつ』は、ノック寸前の状態でもまだこちらを見つめていた。 その『彼』の姿はどこか老け込んだようにも見え、機械的な瞳にまるで意思を奪われているようにも見えた。俺は未来を護るために『そいつ』を叩き起こさなければいけない。 「……じゃあ、キョンくんの指示には従えといわれていますので……手、お願いします」 掌を差し出した朝比奈さんの表情にも翳りが見えて、ますます申し訳なさを俺は感じた。今回ばかりは朝比奈さん(大)よりも俺たちのほうに非があるのかもしれない。 俺たちは、体内時間的にはほんの数分前と同じように朝比奈さんのそのちっこい掌の上に手を重ねてから瞼を閉じた。 「行きますよ?」 意識がまた飛ぶ直前、慣れた部室の扉をノックする硬い音が微かに聴こえた。 暑い、茹だるような暑さだ。俺はお天道様に釜茹での刑を処せられているのかね、罪状を教えてくれよ。 蝉は所狭しと樹に群がり喚き続け、太陽は首筋を直に燻り続けている。この身体から大量の塩分を奪っていく大粒の汗も、止め処なく流れ続けていた。 谷口のアホ話も俺にしてみれば、蟲や街の夏特有の喧騒と何ら変わりはなく、俺の両耳はそれらを自然とシャットアウトしていた。――塞ぎ切れない音に苛々感が募るわけでもあるが。もうだいぶ慣れたと思っていた光陽園駅からのこの坂道も、唯一この季節、夏だけは例外のようで俺は倍以上の時間を歩いているように感じた。いや、歩かされているのか。 しかしどうしてもこいつに俺は憐憫の目をやってしまう。一度隣で喚く谷口を頭の上から足のつま先までなめてからもう一度溜息をつく。断っておくが、俺はこいつの能天気な頭を特別憐れんでいるわけでも嘆いているわけでもなく、『何も知らない人々』たち、一般ピーポーの最も身近な代表への憫れみを込めた視線、だと言っておこう。 訪れるであろう、涼宮ハルヒによる不可避の世界崩壊。それが一体どんなものになるかは皆目見当がつかないが、頭のどこかでそのまるで黙示録のような予言を『リセット』と結び付けている自分がいた。ゼロからのやり直し。ただゲームと違うところは、次の世界がどうなるか全く未知数だということだ。その全ての根源であるハルヒの閉鎖空間はとどまるところを知らず、拡大の一途を辿っている――という話だ。 つくづく、凡人はいつの世も可哀想である。一方的に巻き込まれ被害者としかならないのだから。そして残念ながら俺がもう凡人の域を超えていることは去年来から知っている。偶に自分の位置づけがごちゃ混ぜになっているって? 人間っていうのは自分にとって都合のいいことしか受け入れられないものなのさ。確かに俺は一般人ではある。しかし同時に世界の裏側を知る人間でもある。一般人とそうでない人間の区別と定義なんてものは、それを推考する角度からによって幾重にも変わるものなのさ。 乱暴に靴箱から上履きを落としてそれに履き替えたあと、俺は谷口の一方通行独白を先頭に教室を目指した。 それでも今の世界がなくなりますよと宣告されているのにこうして学校に登校する俺はどこかシュールでもある。今まで散々非現実と向き合ってきたが、今回は度を越して異常だ。今から数時間後に世界がなくなります分かりましたか、と訊かれて、はいそうですかそれは大変ですねなんて本気で浮世離れたことを言える能天気がいたら俺の前に連れて来い。SOS団に推薦してやる、団員その一のお墨付きだ。 教室に入って軽く挨拶を交わしたあと俺は自席に座りながら、習慣として真後ろの座席を確認した。言われなくても分かっている、今日あいつは欠席だ。そしてこの教室内でその理由を公言できる人はいないだろう。 当然俺もだ。そんな勇気などない。涼宮ハルヒはこの世界から消失しています、だから学校に来れませんなんてな。 それでもこの非日常に四方を囲まれた日常は、何も目にしていなかのうように過ぎて行く。 教師たちは今日も長々と読経をするように授業を続けていた。皆は、というとそれでも試験の点数は至上らしい。残念ながらこの世界の住民は試験の当日を迎えることはない。けれど今の俺にはその滑稽さを笑っていられる余裕さえ持ち合わせていなかった。 そんな当に地球を離れ木星軌道まで吹っ飛んでる俺の思考がこの授業に集中しているわけもなく、昨日の――正確には今日のえらい早くの出来ごとを俺は何度も何度も思い返していた。 朝比奈さんのおかげで出発した時間の少しあとに戻ることの出来た俺たちはそのまま暫く黙って公園の段差に腰掛けていた。一様にえらく疲れた顔をして、あの古泉もまともに疲労困憊であると表情に出していた。長門はどうか分からないが。 突然呼び出されて過去に行けと言われ、行った先で今度は戻れと言われ、やや不服ながらもどこかきょとんとしていた朝比奈さんだったが、事情を説明すると流石未来人らしく早く飲み込んでくれた。ようは、あのままじゃ俺たちがあいつらの立場になることは永劫出来ない、と言うことだ。それが『貴方たちの』という意味。 つまりはこの世界にはたくさんの俺たちがいるということなんだろう。それぞれの細かい時間平面のなかにいる自分たち。そいつらは全員同じで全員違う。決して相容れない――時間的に。というのはあくまで俺と古泉の考え出した暫定的なタイムパラドックスの障害である。本当のところ未来人から見たらどうなっているのかは全く分からない。 とにかく俺たちは別の方法を考えなければいけなくなってしまった。もしくは、あの展開から更にどうするかを。 少し今後の動きについて話し合ったあと、今日の放課後に再度集合ということで解散になった。 今の俺がやや寝不足気味なのは、真夜中に色々ありすぎて、ありすぎたうえに寝れていないからだ。これでも俺の身体は健康的な昼型であり普通に睡眠時間を大量に必要とする。寝ている時間が短くなればなるほど、朝の負担も比例して大きくなるのだ。当たり前のことだって? それは言うな。 やっとの思いで欠伸を噛み殺した俺は、少しでもノートに向かう姿勢をとった。寝ているよりは随分ましだろう。――何かいい考え、思いつかないもんかね。 朝比奈さん(大)はああは言ったものの、何らかのヒントは出ている筈だと俺は思っている。現に彼女の呟いた何気ない言葉は俺たちに誤った道を進ませることを止めさせた。いつもの通りたいして当てにならない勘ではあるが、この状況で常識だけで動くのはもう逆に場違いという雰囲気もする。 結局長門が何を伝えたかったのかは分からない。俺の行動のことかもしれないし、この先の危険のことかもしれない。もしかして『観察が目的』が理由で葛藤してるんだったら、考え直させないといけないな。 とにかく何らかの、もしくは誰かの仕組んだ既定事項通りにことが進んでいる可能性がある。先に教えてくれたら、わざわざ行かなくても済んだものを、何てなことを俺は別にぼやきはしなかった。そのときに教わらなくて、進むことが必然なのだから。 適当に昼飯を食い、適当に授業を聞き流し、適当に掃除を済ませるとあっという間に放課後、俺は文芸部室へと足を向けた。俺の親はしきりに言う。若い頃は勉強の毎日などただしんどいだけかもしれないが、大人になったら分かる、勉強ほど楽なことはないと。 早々と時間が過ぎ去って行った理由は、全く特筆に値するアクシデントが起こらなかったってことだ。全世界切羽詰っている筈だが、古泉から休み時間ごとのミーティングなんて無かったし、長門が不変の表情のまま天地が引っ繰り返りそうな爆弾発言をすることもなく、鶴屋さんから可笑しくなった朝比奈さんの子守りを手伝ってもらう要請もなく、ただただ平凡に過ぎた。おいおい、緊張感の欠片もないぞ。 生徒会はまた何か退屈しのぎを吹っ掛けてくるのだろうか、と俺は部室までの道中ふと思い出した。どちらかというと今期が、あの陰謀色の強い生徒会の豪腕が発揮されるときでもある。――全くそれどころじゃないのが現実ではあるが。 躊躇なく扉を開けると、既に俺以外のメンツが揃っていた。ノックをしなかったのは朝比奈さんがメイド服に着替えていないと読んでのことだ。 「こんにちはぁ」 「あぁ、どうも」 朝比奈さんに挨拶を返して、俺は古泉の対面に腰を下ろすとその表情を伺い見た。多分こいつは今朝、一睡もしていないんだろう。何となく雰囲気からそんな気がした。普段は口を利くことも無い九組の奴らからわざわざ話を訊ねまわったのも、古泉が珍しく遅刻をしたからだ。予想だが、機関は臨戦態勢のままだったのだろう。 張り詰めていた緊張が一瞬で解けて、一気に飽和でもしたような表情を古泉はしていた。 「それで、何か良案を思いつかれましたか?」 溜息混じりに古泉が訊ねてくる。声には張りがなく、どこか一気に老けてしまったように俺は感じた。お前の男前の顔に翳りは似合わないぜ? 「いいや、全く思いつかない。俺が思いつくほどの簡単なもんならお前でも長門でも、もう思いついていてもおかしくないさ」 「これはこれはご謙遜を。貴方はいつも僕たちが驚かれるような手段を見せてくれるではないですか。ねぇ、長門さん。そう思いませんか?」 「違いない」 まったく、長門もどうした? 褒めてもポケットから飴玉は出てこないぜ。 「いえいえ、貴方ならきっと良き、我々をあっと驚かせてくれる策を出してくれると信じています」 まるで教会の神父が礼拝をサボる子供を諭しているみたいだな――無視することにしよう。 「それで、朝比奈さんは何か分かったんですか?」 俺は言外に、時間関係を匂わせた。時間移動に関しては朝比奈さんに訊くのが常套であり、古泉と睨めっこをしていて答えがポロリと出てくる問題ではない。 朝比奈さんは答えることを逡巡しているように見えた。 「キョンくん……どこまで、わたしが言えるのか分かりませんけど……わたしには今回、ほとんど情報を与えられていません。それに……そのTPDDだとか、そのほか時間移動に関わることはわたしの権限では何も言えないんです。何も漏らせないように操作されてるんです。だからその……キョンくんたちが考える矛盾、とかについてもわたしは何も教えることは出来ないんです。それが……決まりだから」 朝比奈さんは俯きながら決まりが悪そうに応えた。毎度毎度思うが、やっぱり朝比奈さん(大)は自分の若い頃に厳しすぎるだろう。 朝比奈さん(大)の考えだとは思うのだが、それでいても今の朝比奈さんに何らかの権利を与えてもいいと俺は思う。確かにおっちょこちょいな一面はあるからうっかりで口を滑らすこともあるかもしれないが、朝比奈さんは俺が知りうるなかで一番真面目な人でもある。だからそういう心配は無いんじゃないかとも俺は同時に思っていた。 とそこまで考えたところで、一瞬頭のなかを――そう、影とも形容すべきものが過ぎった。朝比奈さん(大)が朝比奈さん(小)に厳しすぎるわけ――。 もしかしてそれは、『わたしが今のこの子の立場だったときに、わたしはわたしに会っていないもの』じゃないんじゃないのか――? 俺は今の朝比奈さんの顔に、俺が前に見た両方の朝比奈さんの憂いを帯びた表情を重ね合わせてみた。もしかしてそれは――彼女を助けようと、自分と同じ道を辿らせないようとしている? 「ただ、いつもの事例からしたらどこかにヒントはあってもよさそうなんですけど」 もう一度口を開いた朝比奈さんに俺ははっとさせられ、意識を戻した。誰も俺に注意を払っているようには見えなかった。さっきの考えは忘れよう――。 俺は部室内の沈黙に、やはりそうなのか、と朝比奈さんを除いた三人の心の声を聴いた気がした。どこかにヒントはある。 またしても手詰まりと言った雰囲気が部室に圧し掛かると、今度はその沈黙を破るように長門が急に喋り始めた。 「ただ、導くことは可能」 長門はさっきまで上げてた目線をいつもの膝上に落としたまま続けた。 「確かに貴方たち未来人は自らの手では、未来を創造することは出来ない。何故なら自分たち自身がその未来に属し、故に自分たちの干渉が時間平面の前途に影響を及ぼせないから。しかし自分たちが所属する未来へ、過去の人々を偶然としか思えない方法で利用して時間及び世界の方向を誘導することはいとも容易。何故なら貴方たちは幾度にも試行錯誤を繰り返すことが可能だから。そして貴方たちはその誘導によって、涼宮ハルヒに関する全ての重要不確定要素を、確定し自分たちの未来へと接合させることを命題としている」 長門が語ったそれは俺が今まで聞いてきた断片的なことを纏めたものだった。言っていること事態は俺が今まで聞いてきたことと同じのはずだで初耳というわけではなく、さほど新鮮味はなかった。だが朝比奈さんは小さい身体をやけに縮こませ、古泉はなぜかしたり顔で頷いている。まるで、自分の理論が実証されたときのような学者だ。 長門は最後に俺のほうに顔を向けて告げた。 「そして貴方がそのなかで最も重要になる鍵。貴方自身に時空間に影響を及ぼす特別な能力は無いが、貴方を導くことが彼女の不確定要素を確定させる重要なプロセスになり、ファクターだから。つまり言い換えると全ては貴方の行動次第。そしてそれが結果、偶然既定事項に沿っていることとなる」 今度は俺は今の長門のモノローグに去年の映画撮影のときの不思議な感覚を思い出した。確かあれは俺が長門と古泉のダイアログを撮っていたときに感じていた気がする――。 そしてそのまま長門の後半の独白は冬に朝比奈さん(大)から聞いた事象についての説明とも符合した。 「もしかすると、ヒントはここ最近出されたというわけではないのかもしれません」 思いついた、という風に手を打った古泉は流れ始めた変な空気を断ち切るかのようにそう切り出した。 「……なるほど。つまりは長い伏線というわけだな?」 「それを貴方に言われてはやや興醒めですが……。それに、あの時点ではまだ間違ってはいなかったのかもしれません」 確かにその可能性だってもちろんゼロではない。実のところ俺が思うにそれ以外の方法自体が思いつかない。だが問題はそこから先であり、どうやって俺たちがその時間軸に入り込むか、にある。 「何か手掛かりとなるようなことを思い出せませんか? 去年のことであるとか、時間移動に関してであるとか。我々に残されたタイムリミットはあと――どうやらあと五時間弱しかないようなんです」 そうみたいだな。部室の時計――これはハルヒが持って来た訳ではない――をチェックしたあと、俺は去年の記憶を掘り起こし始めた。 朝比奈さん関連で挙げられるとしたら、まず俺が初めて朝比奈さん(大)に遇ったとき。朝比奈さんに連れられて中一の七夕に時間移動したとき。エンドレスサマーのときの朝比奈さんの切実な告白。映画撮影のときのこぼれ話。――冬の一連の朝比奈さん関連事象、ぐらいだろうか。 それでは整理だ。映画撮影は除いても良いだろう。朝比奈さん(大)に始めてあったときは、多分そのすぐあとのハルヒとの閉鎖空間事件の予告が目的だったように思う。エンドレスサマーのときも、朝比奈さんは泣き喚いていたが俺の記憶が正しければそれらしい示唆は無かったはずである。 つまり残るのは七夕のときの時間移動と、冬の下旬の『朝比奈みちる』事件の二つってわけか。 「その判断が妥当でしょうね」 だがそうなれば残念ながら古泉は更に無関係だ。古泉の顔が自分にはどうもしようがないということを、またしても愁いでいるように見えた。しかしどこでそのヒントは提示されたのだろうか。もしかすると七夕の出来ごとのほうが、ある種重要なのではないだろうか。特に日付が日付だし、冬の出来ごとのときは散々因果応報や辻褄を叩き込まれた感じがある。確かにそれも今の俺らなりの理論の柱にはなってくれているが。とにかく順を追うことにしよう。 「まず、朝比奈さんが俺を呼び止めて中学一年のときに時間遡行した」 「はい」朝比奈さんが頷く。 「そのあと俺はハルヒの線引き係を背負わされる。そしてそのあと何故かTPDDを紛失してしまう」 「ほんと……何ででしょうか」朝比奈さんが頸を傾げる。 「が、それでも長門を頼りにして戻ってくることが出来た……」 以上である。一体どこで? どう考えていっても袋小路だ。どこにも解が見当たらない、懐中電灯を落としたわけでもないのに。 過去に行って帰ってきた、ただそれだけである。非日常すぎて、俺が付け込む隙が見当たらない。だが――俺は何か疑問を感じてはいなかったか? 何か腑に落ちないことがあったんじゃなかったか? そのときじっと考えていた古泉が突然、あっ、と叫んだ。 「そうです! それですよ、それがヒントであり答えだったんです」 「待て、何がだ?」 「僕もはっきりと記憶していますよ、チェスの最中に貴方が僕と長門さんに訊ねられたこと。貴方が疑問に思われていたこと。それが、アンサーです」 古泉が勝手に探偵役を演じている。おい、誰の頭にもクエスチョンマークしか浮かんでいないように見えるのは俺だけか? 長門は空虚な瞳で古泉を見つめていた。古泉だけを切り取ってみれば先が拓けたようには見えるのだが。 「待て待て、俺は全然追いついていないぞ。俺が一体何を言った?」 「ええ、貴方は言いました。この事態を解決する作戦の根拠となる事柄を」 古泉がこちらを見て微笑んでいる。気持ち悪い、やめろ、あっち向け。そして俺は一体全体何を言ってたのかね。 「取りあえず、早速時間移動を始めましょう。朝比奈さん、時間の座標はこの前と同じでお願いします。……いや、それの少し前で、空間座標は校舎内の反対側でお願いします」 「あの、待って下さい、わたしにもさっぱりなんですけど……」 言わずもがな俺もさっぱりだ。全く理解できない。まるでマイナスをマイナスで割るとプラスになると教えられてパンク寸前の中学生のようだ。はたまた自乗してマイナスになる数を考えろと正反対のことを言われてしどろもどろしている高校生か。 「大丈夫です。貴方ならすぐ理解されるでしょう、もちろん朝比奈さんもです。それも分かるんだから仕方がない、としか」 「……それじゃあ、準備はいいですか? 行きますよ」 渋々、と言った表情で朝比奈さんは三度掌を出した。そうだったな、確かに俺は面倒なことは異能力者たちにやらせておけばいいなんて言ってた気もするぜ。俺は尻尾をふっときゃ良いってか? もうそんな位置に甘んじていられないと叫ぶ俺もいるのだが。 二度あることは三度ある。同じく三度目の正直とも言う。しかし――三度目も越えてしまったものは、ただ繰り返すだけなのさ。 何がかって? 酔い止めのことだよ。 くっ、来た―― 俺を引っ張る力が奪われ世界の上下が引っ繰り返ったような感覚がしたあと、再び俺の背中は旧館の廊下に吸いつけられていた。万有引力と重力に感謝。 窓からのぼやけた西日が眩しい。それのせいかもしれないがまだ少し眩暈と頭痛がする。俺だけ規制が強くないか? 同じく『現地人』である古泉よりも。 行動を拒否する頭を支えながら起き上がった俺を、朝比奈さんが袖を掴んで奥に引っ張り込んだ。古泉がそばで「我々は僕たちを見ていないでしょう?」と、分かる人には分かる補足説明を耳元でする。待て、まだ意識が朦朧としている。まるで朝に弱い低血圧の人みたいだ、はたまた爬虫類か。 「まもなくです」と、古泉が囁くと長門が何かを感知したように面を上げた。 そういやさっきからちょっとだけ長門の影が薄かったかな。積極的に喋ろうとしないんだから仕方が無いか。あとでもっと喋るように進めないとな。 どうも頭がふらついて関係のないことを考えてしまう。 「来ましたよ、我々が」 俺は反対側から見つからないように気をつけて覗くと、朝比奈さんに頬を叩かれている自分を見た。なんですと! 俺は後ろを振り返って、朝比奈さんの照れた顔を俯かせて「すみません」と小声で謝るのを見つめた。いやいや、大歓迎です! 畜生、羨ましすぎるぞ俺! どうやら俺は、意識が無いうちに朝比奈さんに度々何かをやってもらっているらしい。くそ、もしそのときに意識さえあれば――。 俺がまた関係なく一喜一憂しているのも束の間、今度はこっち側のドアが開いて悠々と未来の俺が舞台に登場した。 「成る程そういうことでしたか」 古泉がまた何やら勝手に納得している。一体何がだ。勿体つけず、教えてくれ。 「いえいえ。ただの戯言です」 古泉は微笑みながら答えた。余裕の笑みともとれる。――それにしても『あいつ』、俺たちの目の前を素通りして行ったぞ。 「不可視遮音フィールドを発生している」 またしても、ここ2日間耳にし続けている長門の科白だ。考えてみれば随分と反則的な技だな。それを使ったら何でもかんでも辻褄が合う何てことは言うなよ? それより、そのフィールドを使っているんだったら俺たちは特に隠れる必要はないんじゃないのか。 「さて、ここからが正念場です。ここで我々が行動に出なければ未来……この時代の僕たちにとっての未来は変化しません。ですが、行動を始めた瞬間、そこから始まる世界は我々の体験したものとはまったく異なる世界となります。違う世界へ、この場合は未来ですがそこへと繋がる道を開拓できさえすれば、これより続く過去もそちらに流れることになるでしょう」 今一後半部分がよく解らないが、ということはそれもうあの俺たちに見られてもかまわないってことか? 「それは行けません。彼らにもこの未来を辿ってもらわなければ行けない。部室内の我々はこの先の未来を進み、向こう側にいる我々はもう一度七月八日の未明に戻ることになるでしょう。繰り返しますが、僕たちが最初にこの時間に来たとき――つまりは彼らの立場であったとき――今の僕たちを見てはいません」 古泉は満面に微笑を浮かべている。我々の勝利です、と今にでも言いそうな口をしている。少し、考えさせてくれ。 「……待ってくれ、つまり……あの俺たちは俺たちなんだから――そうか、そこであの俺たちはまた俺たちと同じ道筋を進んで、そこでようやく全ての俺たちが未来人たちの望む未来を辿ることになるってわけか! そうなんですね、朝比奈さん」 「ふえっ! そ、そんなの禁則事項に決まってるじゃあないですかぁ」 突然名前を呼ばれて朝比奈さんが悩ましく身体をくねらす。あぁ、それ以上はダメです! 古泉はそれでも満足げに頷いた。 「そうですよねぇ。言えないに決まっていますよね? ですが僕は確信しています。彼の体験と行動、その全てが未来人の既定事項に沿っていることは長門さんが証明してくれてますしね。さぁ、彼らがもといた座標へ時間移動したあと、すぐに行動に移りますよ」 「なぁ、古泉?」 「何でしょうか?」 何か知らないがまるで策謀どおりに敵陣が動いて密かに歓喜している冷徹参謀長みたいに活き活きしているな。 「そう見えますか? まぁ、自分が参謀であることはやや自負していますがね。なにせ、」と古泉は胸を叩き、 「副団長ですから」 と言った。そして俺たちはニヤリと笑いあった。 そのあと俺たちは廊下に出て、彼ら――俺たち――の行動を見ていた。流石長門というべきか、あのとき遮音フィールドしか展開していなかったのは――どちらにしろ俺には感知できないが――今この状況にいる俺たちが彼らの行動を見られるようにするためだったのか。 「……その可能性はある」 ん、長門にしたら随分と不明瞭な答えだな。 「…………」 長門は答えなかった。まぁ、それでもいい。答えが一つ、なんてことは実際問題俺たちにとっては全く関係ないからな。 しかしはたから見ていると、俺の行動は実に滑稽だ。それと同じくらい俺を客観的に見ていることも滑稽と言えるが。新年明けて早々俺は瀕死状態の自分を目の当たりにしたが、あのときとはまた違う感慨がある。一切の声が聴こえてこないのもまるで、昔の白黒のコメディ映画を見ているようだった。 古泉のほうを覗き見ると、同じく腕を組みながら興味深そうにもう一人の自分をまるで細胞の動きを観察するように見つめていた。 「何故、あのとき貴方に言われるまでタイムパラドックスに気が付かなかったのか、改めて思い返してみると不思議でならないですね」 ポツリと呟く。知らん、誰かさんの陰謀かもしれないぜ。脳内を操作したとかさ。 「それは……お断りしたいです」 「もうすぐです……!!」 朝比奈さんの声がした丁度そのとき、今まで俺たちの目の前にいたもう一人の俺たちが忽然と消えた。 何故だ、まだ手を重ね合わせていなかったぞ? まさか――。 「……禁則事項だから」 長門の何とかフィールドか! 「長門さん、急いで!」 古泉が思い出したかのように声を荒げる。『あいつ』はノック寸前だ。その音を、鳴らしてはいけない。 「了承した」 体育祭のときに見せたような超高速ダッシュを長門は披露して、あっという間にあいつの腕に歯を立てていた。俺たちも急いで長門の後ろに集まった。 「全て終わった」 暫くして、長門がそう囁いた。長門が身を引くと、途端に未来の俺にその変化が現れ始めた。 そいつの虚ろだった瞳にはどんどん生気が宿っていき、自分でも「そいつ」の焦点が合い始めるのが分かった。「おうっ!!」ようやく目醒めたか。 「やっと元の状態に戻られましたか。どうやら未来の貴方も現在の彼とさほど変わりが無いように見受けられますね」 「お前は……古泉? それにしては、随分と若いが……待てよ、俺はどうしてこんなとこにいる……まさか――ここは過去か!!」 おい、未来の俺。そのリアクション、自分で見ていると随分恥ずかしいぞ。 「そうか……ここは北校か」 「そうです、ここは貴方がもと居た時間から遡った時空間です。しかし……何も憶えておられませんか? 貴方が何故ここにいるのか」 古泉は丁寧にも敬語を使って未来の俺に訊ねかけた。暫く彼はそのまま腕を組んでいたが、溜息を吐きながら解いた。 「いや悪いが古泉、皆目見当がつかない。……もう一度訊くが、俺は過去にいるんだな?」 古泉は頷き返した。 「……やはりそうなのか。すまん、何も思い出せそうにない。だが……いや、いい。ただの記憶違いだ」 「もしかすると、何も憶えていないのではないかと思っていましたが、やはりその通りでしたか。実はですね……」 古泉が俺たちの置かれている状況を説明し始めた。 それにしても、見ている限り未来の俺はどうやら時間移動自体にはさほど、ショックを受けていないように思える。俺だって初めての時間遡行にはドキドキハラハラ――笑ってもいいぞ――したが、こいつは最初自らの境遇に驚いたあとは至って平然とそれを受け止めている。ひょっとして――いや、したくない想像はやめておこう。ただでさえ今、目の前にいる未来の俺は、今の俺に静かにその境遇を物語っている。 どうやら、何年後かの俺もまだまだハルヒに振り回されるようだ。 全く、嬉しいやら悲しいやらどっちか分からんね。いや、悲しいか、前言撤回。 とそこで思考を止めると、どうやら古泉が長門を交えての現在の状況と送り込まれてきた理由をあたかも演説の如く説明し終わったらしく、未来の俺は再び腕組みをして思案顔になっていた。俺はこんな顔になるのか。 だが一言、「成る程な」と言ったあとどうやら合点が行ったようで、 「そろそろ来るな」 とだけ呟いた。さて、何が来たと思う? 勘の良い奴なら分かるだろう。俺はそれに軽くデジャブを憶えた。 俺たちの頭の上にそろって軽くクエスチョンマークが浮いていたとき、まず俺の隣で変な声がした。 「ふえっ……」 さっきまで隣にいた朝比奈さんがその場に崩れ落ちる。既にその意識はない。そしてそのあと今度は後ろから突然声を掛けられた。 「迎えに来ました」 誰であろう、朝比奈さん(大)の再登場である。 「思った通りちゃんと未来を繋げて下さいましたね。感謝しています。この世界が未来から観測……確定されましたから」 「朝比奈さん、どうやら俺は操られていたようですね」 朝比奈さん(大)の微笑みに未来の俺が苦笑いをして歩み寄ろうとしたとき、二人の間を古泉が遮った。背中を彼に向けて、未来からの来訪者を真っ直ぐ睨む。 「すいません、朝比奈みくるさん。貴方に大事な質問があります。貴方は、一体どこまで知っていたんですか? もしかして我々は踊らされていただけ、なんでしょうか」 声が真剣味を帯び、瞳もいつぞやの森さんの怜悧なそれのまま挑んでいた。これが機関の本領と言ったところか。 廊下の空気が急激に重苦しくなって、誰もが口を閉ざした。もちろん古泉が疑心になるのも理解できる。 どうでもいいがここで誰かが部室から出てきたらそれこそ阿鼻叫喚かもしれないな。――いや、そんなことは無いか。まだ、長門はあの不可視遮音フィールドを張り続けているんだろう。全く反則だ。すまん余談だった。 朝比奈さん(大)は諦めたのか小さく肩を落とすと、 「どうやら貴方たちに信頼されていないみたいですね」 と静かに言った。 いえいえ滅相も無い、これは全部古泉の虚言でして――。 「いえ、仕方がないことだと思います。今まで何も明かさずに来ているのでわたしに不信感を抱いたとしてもそれは当然のことでしょう」 そんなことを――貴方から言われたら俺たちに返す言葉が無いじゃないですか。 俺が不安げにいると、見かねたのか未来の俺が「やれやれ、」と間に入ってきた。 「おい、古泉。お前はそんなに疑り深い奴か? いい機会だからこの時代の俺にも言っておいてやる。いいか、朝比奈さんの言うことは信じろ。未来の俺が言ってるんだ、それくらい信じてもらいたい」 古泉の目は「ですが」と言いたげだが、あいつは構わずに続けた。 「朝比奈さんはお前たちにヒントを与えにこの時代に来てくれている。それだけでいいだろう? そこは割り切れ。もし踊らされているんじゃないかって疑心暗鬼になるなら、言っておいてやるぜ。これから先お前たちは毎回毎回、立ち往生することになる。言葉の真意を真っ直ぐに受け止められなくて、要らない深読みばかりして必ず間違うことになる。だからこそ、」 俺は唾を飲んだ。どうしてか分からないが未来の俺に俺自身が圧倒されている。 「朝比奈さんを疑ったりしないでくれ。朝比奈さんは何も悪くない。行える範囲、規則内で最大限の援助を俺たちにいつもしてくれていたんだ。いや、してくれているんだ。そして……これからもだ」 未来の俺は優しい眼差しをしていた。あいつがこっそり、「確かこんなんだったかな」と言ったことに俺は全く気付いていなかった。 「あ、ありがとうございます……キョンくん」 「いえいえ、俺はこいつらに本当に大事なことを理解させてやったまでですよ」 古泉はというとすっかり言い含められて反論でもあるかと思ったが、それでも殊勝な顔つきで未来の俺を見ていた。 「貴方が彼のようになるのだと思うと、とても頼もしく心強く思いますよ」と俺に囁く。 合わせて俺に微笑む。そうかい、そうかい。 長門はというとさっきからずっと見た目はフリーズしたままだ。どうやらこの様子を長門なりに観察してはいるようだが。 朝比奈さん(小)も廊下に蹲っている、というかもう寝息を立てている。そんな様子を朝比奈さん(大)はちらりと一瞥したあと、俺たちのほうに向きなおった。 「未来のことを口にしてはいけませんが、貴方たちがこれから正しい道を進むことが判明したのでわたしたちはとても安堵しています。もうこれからどうすべきかは分かっているのでしょう? 古泉くん」 「ええ、承知の通りで」 そういや俺はまだこれからどうするかを一つも聞かされていないぞ。ただただ無理矢理連れてこせられただけなんだが。 「いえ簡単なことですよ。まぁ、朝比奈さんにも一つお願いすべきことがありますが」 「何でしょう」 朝比奈さん(大)が顔に浮かべた笑みは、どうも全てお見通しですよと俺たちに語りかけているように感じた。 「今この壁を挟んで向こうにいる、朝比奈みくるに命じて欲しいのです。そこにいる僕、彼、長門さんを連れて過去に時間移動してくださいと」 本当か? 古泉の案は俺を久々に驚かせた。一方で朝比奈さん(大)はというと首を深く縦にしていた。 「朝比奈さんは僕たちに言っています。この七月七日は我々――未来人のことですね――にとって都合よく進むと。しかし実際はそうはならなかった。そこで僕は考えました。彼女は未来から結果としての過去を知っての発言だったのだと」 結果としての過去ってどう言う意味だ。 「つまり、朝比奈さんが見たのは、上書きされた時間だったと言うことでしょう。言ってみればこれも一つのヒントですね。だったらやはり我々がこの時間の上塗りをするということです。そこで重要だったのが『都合よく進む』の意味です。それは何事も無く平穏に済むとはまた違う意味を持っているのだと僕は解釈しました。そして結論に至ったのです。彼らは時間移動をするのだと。そして多分それは僕たちのお願いで朝比奈さん、貴方が命令されるのでしょう」 「ええ、その通りです。でもまさかこんな裏の事情があったなんて知りませんでしたけどね」 「何時に時間移動させるかはお任せいたします。多分それでも当初の予定はあるでしょうから。とにかく、方法は一つしかありません。既に我々の異時間同位体が居る時間平面に僕たちがすまし顔で入るにはどうすればよいか。簡単なことです。彼らに立ち退いてもらえればよいのです。但しそれと気付かれずに」 それが去年の七夕の事件と繋がるのか。 「まぁ、繋がるといいますか、発想を得たといいますか。本物の未来人を前にあれこれと我々の空想論を語るのは些か気が引けますが、例えば……貴方が帰ってきたと最初思われた七月七日はやはり別の時間軸の七月七日であるとか。貴方が体験された時間移動は過去に行って現在に戻ってきたのではなく、過去に行ってそこで三年間を体感時間で言うと一瞬で過ごしたものであるとか。何故そうする必要があったのかは多分僕たちには判らないでしょうし、今言ったことが全て真実であるなんて言う保証は全然無いんですけどね。悲しいものです。とにかく貴方は別の時間軸の住民になる必要があった。それだけです」 お前言っていることは悲観しているようだが口角上がってるぞ。そう講釈を垂れるのもいい加減にしてくれ。俺のなかの何かが爆発しないうちにな。 「唯一つ僕が言いたいと思っていることは、」 まだ続ける気か、と俺が思った瞬間、その古泉の言葉を紡いだ奴がいた。 「過去は一つだが未来は一つではない、だろう? 古泉。ある意味当然とも言えるが」 たった今、部室から朝比奈さん以外が全員出て行った。朝比奈さんはそのあとにいつもの着替えがあるからな。 古泉はパラドックスがどうのこうのと交えながら、朝比奈さん(大)にこの部室内から四人で飛ぶという命令を朝比奈さんに打診してもらうよう言っていた。 何で部室内からなんだと俺が古泉に訊くと、制服が一揃い増えていたら怪しまれませんかと訊ね返しててきた。よく分からないが、増えるんだったらそっちのほうが良いなぁと俺は言ってやったが。古泉は笑い半分困惑半分が入り混じった表情をした。打診する瞬間は朝比奈さん(大)は俺たちの視界から外れた所で打診したため、一体どういったプロセスなのかは依然謎のままだ。とにかく頭のなかの何かで通信しているであろうことは、これまでの長門や朝比奈さん(大)の説明から予想できる。 眠らされている朝比奈さん(小)はそのあと寝たまま身体だけを起こされ、今は壁にもたれかかって寝ている。相変わらず、朝比奈さん(大)はその頬を突いていた。 どうやら、『俺たち』はハルヒを怪しませないように一緒に学校を出たあと、頃合いを見計ってここに戻ってくるようだ。常套手段だ。 それから暫く待っていると古泉を筆頭に一行は戻ってきた。その古泉もどうやら時間移動が出来るとなって喜んでいるように見えた。もう一人の俺はというと一番最後に嫌そうな顔をしながら部室の扉をノックして入った。全く自分が情けないぜ。どうせ、まだ朝比奈さん(大)の陰謀やら何やらを考えているのに違いない。 俺は思った。果たしてあいつはいつ未来人に対しての心構えを変えるのだろうかと。そのことの重大さに気付くのかと。 それからまた沈黙ののち、後ろでポツリと長門が、 「たった今、この時空間から彼らの存在を感知できなくなった」 と言った。もっと分かり易く、たった今、時間移動しましたみたいに言ってくれ。 「では、入ってみましょう」 待て古泉。何でわざわざ入る必要があるんだ? 「ただの確認ですよ、確認。彼らが置いておいてくれないといけない物がありますので」 そういったあと古泉は鍵の掛かっていない部室の扉を押し開け、なかを一瞥してから良かった、と吐息を漏らした。 「お目当てのものはあったのか、古泉」 未来の俺が俺の肩越しに含み笑いをしながら訊ねる。どうやら、背も少し伸びているようだ。 「貴方は結果を知っておられると思いますが……ええ、見つかりましたよ。長門さんも朝比奈さんももちろん貴方の分も」 そう言って古泉は机や床においてあったそれを指差し、俺に「でしょう?」を言外に含ませた視線を送ってきた。俺はというと、納得して思わず安堵の溜息を漏らしてしまった。 「そうだな、古泉。そりゃ、確かにある意味大切だ」 随分と間抜けな忘れ物だがな。 七月八日、確認するまでもないが七夕の翌日、俺はこうして何の弊害もなく登校している。まぁ、この季節という俺らにとっては身近な一番の弊害は、この学校までの長い道すがら俺から塩分と水分を容赦なく、奪ってくれてはいるが。けっ、そんなもの欲しけりゃくれてやるよ――何ぞで済まないことはこの身をもってして確認済みだ。 それでもまず、俺が何事も無くこの坂道を登っていることはもっけの幸いだ。もしもう一人の自分がこの世界に現れでもしたら、それこそ阿鼻叫喚の渦だが、古泉からも昨夜我々四人の異時間同位体はこの世界にやってきてはいないようです。安心してくださって大丈夫でしょう、と電話があったため今のところ俺は安堵している。もれなく長門にも俺は電話をして、その真否を訊ねたのは言うまでも無いことだ。何でそんなに、異時間同位体が重要なのかというと――ドッペルゲンガーなんかじゃないぞ――それは自然の摂理に反するからだそうだ、長門曰く。 未来の俺は俺と古泉に軽く別れを告げると、「ここから先は俺たちの役目だ」とだけ言って、朝比奈さん(大)とともに一足早くこの学校を去った。そういや、未来ではまだ異常事態は続いているのか。 あのあと俺たちは、それぞれ家へと帰ることにしたのだが、困ったことが一つあった。 朝比奈さん――もちろん今の――への対処だ。朝比奈さん(大)が現れてから消えるまでの間結構眠らされていたからな。それはそれで酷い話だ。 目を醒ましたあとは少し子供みたいに拗ねてしまいそうになったが、そこは古泉の出番である。何とか説き伏せてもらった。それはそれは見事なソフィストぶりに俺は舌を巻くばかりだったぜ。 だが何でそれでハルヒも朝比奈さんも納得するんだ。何かこう、言葉では言い表せないがどこか腑に落ちないものはある。だが断言できるのはそれでも鶴屋さんを騙すことは不可能だろうということだ。まぁ、多分あの人なら周りの雰囲気に任せて、そういうことだったにょろ、何て言ってそうだが。 さてこの俺は今、二度目の七月八日を体験している。見事なまでに中身の無い谷口の初めてではない夢物語に俺も空虚な返事をしながら、学校に着いた俺は、それから少しばかり考えごとをしていた。 どうも昨日の晩からその空想が頭を離れず、暫くの間俺は寝る寸前まで思考の海でもがき続けていたのだ。 結局そのまま、何ら変わらぬハルヒと少し絡んでハルヒ曰く、間抜けな顔をしたままずっと一人で勝手に考え続けていた。 結局一人で溜め込むのは毒だと思ったが故に、聴きたくも無いだろうが聴いてくれまいか。 「いえ、何か不明瞭なことがあるのでしたら、喜んで拝聴しますよ」 古泉はいつになく揉み手で俺を迎えた。そういや、俺から古泉に訊ねたことなんてあっただろうか。 お前だったら、漏れなく要らん話まで添えるだろうが、別にいいか。 どうしてか分からないが今はそれが欲しいような気がしている。 まず俺は切り出した。 「まずだ、過去は一つだが未来は一つではないっていう意味は分かった。つまりだな、時間遡行するときは目指す時間は一つしかないが、逆に進むときはその目指す時間というのは幾つにも増える、と言うことじゃないのか」 「ええ、僕もそのように考えていますが。もちろんそれだけではありませんが……何かご不満な点でも?」 「まぁ、待ってくれ。とりあえずそれは置いておいて、先に進める」 俺は古泉を真っ直ぐ捉えたまま、一度唇を湿らせた。 「俺たちが……前まで居たあの世界は一体どうなったんだ?」 古泉が片眉を上げる。 「おっと、確かに話が跳んだ感じはありますが……答えましょう。僕の推測でしかありませんが、一つあり得る考えがあります。それはあのままあの世界は一度破滅したあと、再構築されて再び進んで行く、というものです。多分、長門さんや朝比奈さん側も僕と似たようなことを少し言葉を変えて考えておられるでしょう。涼宮さんが我々の存在をそれでも必要としてくれるのであれば、可能性として新しい世界で我々が再構築されている可能性もゼロではありません。涼宮さんの最大の発動力が解らないので確信は持てませんが、時空間が丸ごと消滅した可能性もあります。貴方が前言っておられたように、それこそ今の僕たちが知る物理法則が悉く捻じ曲がっている世界になっているかもしれません」 古泉は至って真顔でそう答えた。おいおい、何でもありかハルヒの野郎は。全く俺はとんでもない奴と関わっているようだ。俺は大きく息を吐き出した。 「他にも何かおありで?」 「次にだ。思い込みかもしれないが、どうやら未来の俺も俺たちと同じ体験をしている節がある」 「そのようですね」 「つまり、俺たちより以前の俺たちもあの同じ道を辿っている。だったら何故俺たちの世界は救われていなかった? それ以降の過去は変化された過程に随って変わって行くんじゃなかったのか? それにだ。過去に戻るんだったら、俺たちは自分たちの世界を変えたんじゃないのか。何で俺たちは変わらない。存在が消える可能性だってゼロじゃないだろう?」 「……順を追って説明していきましょうか。まず最初に問題となるのは貴方の質問の後半部分です。確かにそれは『過去は一つだが未来は一つではない』に反しているようかのように見えなくもないですが、決してそうではありません。まず我々は一度過去に行っています。その時点では確かにその過去は僕たちの過去そのものだったのです。ですが二度目に遡行して長門さんが彼の動きを封じた瞬間、我々のものとは違う時間が進みだしたんです。時空間が分岐した、朝比奈さんたちが望む未来へと繋がる時間です。簡単に言えば並行世界の理念ですよ、厳密には異なりますが。多分、勘違いをなさっているのでは? 最初に僕は言っていますよ。あの世界は進んで行くでしょうと」 ようはそれが時間の上書きってことか。そういや言っていたような気もする。俺は、冬の終わりに古泉の言った『二つの十二月十八日』のことを思い出した。 「しかし、前半のほうの質問は重要です。確かに彼は僕たちと同じことをしています。ですが我々の世界は救われていないというのは見当違いです」 もっと、オブラートに包んだ言い方は無いのかね。俺は机に片肘をつけながら顔に綺麗なコントラストを浮かべている古泉の顔を見た。 「すいませんでした、慎みましょう。よいですか、救われた世界というのは救われることの無い世界の人々が――重要ですよ?――創り出した世界なんです。言い変えると、破滅の『危機』という規定事項を迎えた世界の人々が創り出すあくまでも副産物の世界、なんです。そして同時にそれは我々改変者の住む世界になります。 全ての我々は破滅の危機を体験します。あの七月七日に『破滅の危機を体験しなかった』という体験を持つ我々は理論上生まれます。ですが実際にリアルタイムでそのような体験をした我々はいません。僕たちはもう一つの我々を時間移動させましたよね。彼らは朝比奈さんたちが見れば確かに別の時間平面に生きる人々なんですが、我々からすれば実はただの理論上の人々、机上の空論の辻褄合わせでしかないんです。すいません僕の説明力と語彙力が及びません。これ以上の説明は難しいです」 そこまで言って古泉は一息入れるように机にあったお茶を呑んだ。それも見る分にはもう冷めていた。俺にはない。 まぁ、何となくだが分かった気はするぜ。ようはだ、俺たちは必ず破滅の危機を迎えるってことだろう。七月七日に『ジョン・スミスの来訪』がなかった俺たちって言うのは理論上は存在するが、そういった体験は絶対しない。――これで、合っているのか? あぁ、言ってるそばからこんがらがって来るぜ。 付け加えると朝比奈さん(大)はあいつらをもと居た俺たちとして勘違いしていたってことだろうか。 「ええ、その可能性も彼女の口振りからすれば大いにありえます。ですがやはりこれは全て既定事項なんです。そして同時に涼宮さんの能力にとても近似していることでもあります。僕たちにとってこの世界は、七月七日のあの時刻までの記録と記憶、歴史を持たされて創り出されたということに変わりはないんです。言ったでしょう、世界は五分前に創られたのかもしれない」 そうか、十二月十八日の改変は宇宙人がハルヒの力を使い、今回の七月七日の改変は未来人がハルヒの力を使った、とも言えるのか。 「あぁ、何でこのようなパラドックスが生まれるか分かりますか?」 「俺に分かるわけがないだろう」 「……そうですね。では答えを言いましょう。……それは世界を変えたのがその時空間の人々じゃなく、別の時空、時間から来た人々だからです」 「……おい、それって」 「この話はここまでです。これ以上は僕にも流石に見当がつきません。他にありませんか?」 直接介入――? 俺は少しの間、絶句していたがこれで質問は終わっちゃいねえ。 「待てよ、これは規定事項だったってことだ。だったら朝比奈さんはやっぱり嘘をついていたのか?」 俺の質問に古泉は少し考えた様子だった。 「さぁ、どうでしょうか。朝比奈さんには嘘を吐かれてはいないでしょうが、やはり未来人には騙されたかもしれません。どちらの朝比奈さんも上層部からは何も教えてもらえていなかった、とか。何故そうされたかは僕たちにはそれこそ永遠に秘密なんでしょうが。もしかすると情報統合思念体と天蓋領域は全てを知っていたかもしれませんね。彼らは次元を超えて時空間を感知できるという話ですから。確信を持って言えるのは、我々は未来の貴方と朝比奈さんが体験した何らかの出来事を同じく体験するということでしょう。全てのオチはそこで明かされるのだと僕は信じています」 オチ、ねぇ――。分かりやすいものだったらいいが。解釈の違いで幾通りにも答えが増えるなんてのは御免だぜ。 ちらと時計を見た。実はこう話をしたいがために、今日は早く部室に来ている。 「なぁ、古泉」 「はい」 「ちょっと考えたんだけど聞いてくれるか? と、言うよりかはこれを確かめたくて古泉に訊ねるんだが」 「構いませんよ」古泉はゲーム盤の上に伸ばそうとしていた手を引っ込めて、もう片方の手と絡み合わせた。 まだ、ハルヒは来ない。 「過去は一つだが未来は一つではない。俺は今回それの深読みをやってみた。そのためのいくつかを今ここで確かめさせてもらった」 古泉は俺が喋りを止めても、口を挟まず黙って微笑みながら俺を見ていた。 「いきなり結論から言う。……正しい規定事項って言うのは、絶対に一つしかない。――以上だ」 「どうして……そう、思われたのですか?」 「……ちょっと長いぜ。……まずだ、過去は一つ、つまり一つの未来に辿り着く過去は同じく一つしかない。これは当然だが。そこでその一つの時間軸のなかで人は様々な経験をする。そのどれかを未来人の呼ぶ既定事項としてみる。未来は選択によって変わる。そのときにその規定事項の選択肢――仮にイエスかノーにしておく――のどっちを選ぶかで結末が大きく変わってしまうことになるとしよう」 随分と、仮定の多い説明だな我ながら。 「けどそこで、どっちを選んだとしてもそれは正しい規定事項になるんだ。違う答えを選んで、仮に未来が分岐してもその未来からすればそれが唯一の過去であり、必然ともいえるからだ。けどそれをどうやっても知る方法は俺たちにはない。だってそれしかないんだから。だから、過去は一つ、そのなかで起きる規定事項の答えは絶対に一つしかない。何故ならどっちをとってもその答えは過去のなかで一つでしかないから」 「つまり、貴方が仰りたいのは、全ての出来事は必然的で運命的でもあると?」 「さぁな。俺は運命なんてのは信じないクチだ。俺だったら、だから俺たちは自分たちの行動に必ず自信を持ち、その責任を持てって言う」 突然、古泉が手を叩いた。 「素晴らしい、とても素晴らしいですよ。まさしくそれが結論として最も相応しいでしょう。やはり、僕は貴方をとても頼もしく思いますよ」 少しばかりの沈黙が部室内を制した。 俺は古泉を見つめ、古泉が俺を見つめ返す。ふと脳裏で閃いた。 「あぁ、それと」 「古泉君とキョン、いる!?」 豪快に部室の扉が壁に叩きつけられる音がして、時の人、涼宮ハルヒの雄叫びが俺の言葉を遮った。腰に手を当て仁王立ちしているハルヒの後ろには朝比奈さんと長門が、城から脱走するやんちゃな姫に無理やり連れ出された侍従のようについていた。だから、朝比奈さんがいなかったのか――ってことは。 「ハルヒ。お前また何か面倒なことを思いついたな。断言してやろう」 俺の視界の後ろで古泉が手を上げて首を竦めるポーズを取った。 「はぁ? 面倒なことって何よ。あたしがいつ迷惑なことをしたって言うわけ?」 「そうだな……エブリシング、エブリタイムとでも言っておくか」 「この、団員の分際で! しかもぜっんぜん発音がなってないじゃない! ちゃんとEverything、Everytimeって言いなさい? 高校生でしょ?」 俺が言い返さず鼻息一つ視線をそらしたのを降伏宣言と受け取ったらしく、ハルヒは悠々と団長席へと凱旋して行った。はいはい、俺は勝てませんよ。 そしてこちらを振り向いたその瞳は案の定の輝きを放っていた。 「それでは今から会議を始めます! 議題は夏休みの活動について――」 ハルヒの堂々たる迷惑宣言を片肘で聞きながら、実を言うと俺にはもう一つ謎があった。それを思い出し、古泉に問おうとしたときハルヒが来てしまったため、訊けなくなってしまったんだが――やはりやめておこうかと思う。 一つの時空を跨いでも揺らがない、ハルヒのあの笑顔がその理由だ。今はそれだけでいいじゃないか。 彼、『ジョン・スミス』がもう一度ハルヒの前に現れることはまだまだ先の話になるだろうなと俺は確信していた。 未来の俺よ。真実が明かされるときは必ずや訪れるんだろう? それまで、答えは保留ってことで手を打ってやってもいいぜ。 そうだ。どうせなら、今からでも来年の願いごとを考えておくか。
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マルラ ヒンドゥー教神話の悪魔。 賢者カンドーバーに倒された。 別名: マニマル
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ミルラ ギリシャ神話に登場する女性。 一説にキニュラスの愛人とされる。
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第五章 「喜緑です。覚えていますか?」 「忘れる筈がありませんよ。」 それにしても、どうやって此処へ入って来たのだろうか。 「あばら骨にひびが入っていますね。今治してあげます。」 喜緑さんは俺の胸をさする。すると、不思議なことに、痛みが退いてきた。 「有難う御座います。」 「次は古泉君を。」 喜緑さんは古泉の方へ行って治療する。 「大丈夫か?古泉。」 「えぇ、なんとか。それより、気付いてますか?」 何が? 「長門さんが押されてきました。」 「あのままでは、マズいですね。」 「なんとかならないのですか?喜緑さん。」 「今から、情報統合思念体とデータリンクします。5分程時間を下さい。」 「分かりました。なんとか時間稼ぎをしますよ。」 「5分もつのか?10秒保たなかったお前が。」 「やらないで後悔するより、やって後悔した方がましですよ。 今は、僕が少しでもやらねばならないのです。」 いつの日かどこかで聞いた言葉だな。 「死ぬなよ。(嘘)」 古泉はグッと親指を立て、赤い玉になり、飛び発った。 「それでは、わたしも準備をします。」 喜緑さんは、何かを唱え始める。 「WORKING-STORAGE SECTION. 01 EOF…………」 全く理解出来ない呪文を唱える。しかも、だんだん早口になる。 周りから見れば、頭のおかしい人みたいだ。 俺は何をしようかな。 「ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉー!!!!」 いきなり奇声が聞こえた。 びっくりして空を見上げると、古泉が幾つもの赤い玉を放っている。 頭が一番おかしいのはあいつだな。呑気にこの状況を眺める俺も十分おかしいが。 「まだですか?そろそろやばいですよ。」 「今データのサーチとダウンロードを同時にやっています。 MOVE SIN-CODE(IDX) TO K-CO………」 なんか、腰が抜けてきた。 足がふらふらして、地面にぺたりと尻をつく。これでダメなら、どうしよう。 「ハルヒ………」 不意に、口から漏れた言葉に恥ずかしくなる。 「END-SEARACH END-READ END-PERFORM CLOSE SIN-FL KI-FL STOP RUN. 終わりました。」 「そうですか。」 「朝倉さん。降りて下さい。」 朝倉は手を止め、降りてくる。 長門と古泉は、じっと朝倉を見つめて動かない。 「来てたの。」 「来ちゃいました。」 「これが、情報統合思念体の意思ということ?」 「そうです。」 「わたしが抵抗しても、無駄ね……潮時か。」 「大人しく、消えますか?」 「おでん、食べたかったな。」 「情報構成抹消開始。」 「さようなら。みんな。もう、多分もう会わないけど。」 朝倉が消えていく。 「何をしたんですか?」 「彼女を構成している情報自体を削除しました。修復はほぼ不可能です。」 周りの風景が砂のように崩れ、俺が最初に見た荒れ地が姿を表す。 「時間がありません。わたし達もこの空間から帰りますよ。」 「わたしにつかまって。」 俺は長門の小さな手を掴んだ。 古泉は喜緑さんの手を掴む。 「それでは、行きますよ。」 喜緑さんがそう言うと、空間が歪む。 目眩がしてきた。 あぁ、気持ち悪い。 「………え?」 「やっぱり、やめた。」 夕日が差し込む。 通い馴れた部室。 長門の本が詰まった本棚や、 朝比奈さんの身に着けたコスプレ衣装。 古泉の持ってきた卓上ゲームと ハルヒが強奪したパソコン達。 全てが紅に染まる時。 その中に、俺とハルヒは包まれる。 生暖かい鮮血のような紅。 いや、 それは紛れもない血であった。 「キョン……ごめん……ごめんなさい。」 「何……故……?」 「分からない。分からないのよぉ。」 痛ぇ。 状況を把握したいが、意識がもうろうとする。 終わったな。俺。 最後に見えたのは、ハルヒの切腹だった。 唇にそっと何かが触れる。 「今、あたしも行くからね。」 くそったれ………バカハルヒ。 「大好き。………バカキョン。」 視界が真っ赤になる。ハルヒの血だろう。 そして、意識が途絶えた。 ……b……o…… …バ……ロ!! バーロー? 「バカ、起きろ!!!」 耳をつんざくような声がした。煩いぞハルヒ。 「全く、仏になっても寝るとは、いい度胸ね。」 仏が眠ってはいけないという規則は、聞いたことがない。 そんな事より、人を仏呼ばわりするのは早過ぎではないか? すると、ハルヒは大きな溜め息を吐く。 「呑気なものね。あんた、鈍感というより、マヌケよ。下見なさい。」 「おぉ!?」 下には俺とハルヒがいた。良く出来た人形だな。 「これが人形に見えるなら、あんたの目はふしあなよ。」 なら、ドッペルゲンガーか? 「んな訳ないでしょ!!もういい。やめて。こっちが恥ずかしい。」 こういう時は、状況整理が必要だ。 今日の事から思い出そう。 起きる。 寝る。 起こされる。 朝は、パンに味噌汁がベスト。 学校行く。 手紙ある。(5時に教室) 足し算を間違える。 就職を漢字で書けない。 5時に教室へ行く。 ハルヒに襲われる。 長門が止める。 夢の中へ 朝倉やっつける。 ハルヒに刺される。 パトラッシュ。僕もう、だめぽ。 と、いう訳で、俺達は死んでしまった。 不思議と悲しくはなかった。ハルヒと一緒だからだろうか。実感が湧かない。 もし一人なら、死んだことに気づかず、地縛霊になったのだろうに。 しかし、疑問が残る。何故、長門がいない。前回(夢の中)朝倉が言った事と関係があるのだろうか? 気は乗らないがハルヒに聞いてみるか。 「長門は?」 「今日は一度も会ってないわ。」 「夢を見たよな。」 「は?見てないわよ。それってなんの話よ。」 「だけどよ………」 それで俺は口を止めた。これ以上、話をしても多分無駄だろう。 「ごめん、キョン。」 「謝る必要ないさ。」 「ごめんなさい。あんな事して。」 今日のハルヒは謝り過ぎだ。 喜怒哀楽が激しい人間だな。こいつの場合ほとんど「怒」の割合が多いが。 しかしおかしい。何か変だ。どこかに矛盾があるような。 その時、ドアが開く。 「有希!?」 長門が入ってくる。 「…………。」 部屋に入ると。辺りを見回す。どうやら、俺達には気づかないようだ。 「…………。」 長門は何か呟くと、その場から立ち去った。 「何て言ったのかしら?小さすぎて聞こえなかったけど。」 「分からん。」 長門のことだ。もしかしたら、何か知ってるはずだ。 しかし、さっきの様子は明らかに俺に気づいていない。 期待と不安が入り混じる。あいつを使えばもしかしたら……… 「きゃぁぁぁぁー!!」 な、何だ!? 「バド部の連中だわ。部活帰りに立ち寄ったのね。」 その後、救急・警察が来て、俺達の死亡が世間へ広まった。 警察は俺達の事を、無理心中と判断した。 どこぞの名探偵が来たが、お手上げらしい。 世間もそれで納得したらしく、「可哀想」の一言で片付けられた。 その後、ハルヒとこれからどうするかを話ていると、目の前に誰かが現れた。 「こんばんは。」 20代の女性だろうか。日本人に見える。この人も幽霊なのだろうか。 「見えてるようね。あたし達のこと。」 どちら様です? 「簡単にご説明すると、あの世の者です。単刀直入に申し上げます。今すぐあの世に逝きますか?」 いきなりそんな事言われても困ります。 「大概の方がそうおっしゃられます。 ですので、こちらの時間で、えーっと………49日程の死亡猶予期間が与えられています。 それを過ぎると罰則が加担されます。」 「待て。何故俺達が、あなた達の規則に合わせねばならないのです。 死んでも、誰かに縛られるのは嫌ですよ。」 「ごもっともな意見です。しかし、本来死亡なされたあなた方は、下界に干渉する権利も御座いません。 また、下界に霊がごちゃごちゃいても、困りませんか?」 頷くしかなかった。 「逝きましょう。キョン。あたし達がこの世にいても、邪魔なだけよ。 死んだことは事実だし、それを受け入れるのが礼儀よ。」 「宜しいのですか?」 「だが断る。」 「何で?」 「俺の家族への挨拶はどうでも良いが、俺はお前の両親への挨拶くらいはしたい。」 「それって……」 ハルヒは顔を赤らめる。 「うふふ、分かりました。では、また49日後に迎えに来ます。」 「すみません。有難う御座います。」 「お幸せに。」 そう言うと、彼女はどこかへ消えて行った。 「キョン……こんな…あたしで良いの?」 「あぁ勿論。」 「うぅ……あ゛り゛がどう゛。」 泣くのか? 「な゛、泣いだりじない゛。ぢてないわよ。」 「行こう。」 「……うん。」 そっとハルヒの肩を抱き、両親へと挨拶に向かった。 「あったかい。」 「おばけなのにか?」 「気分だけよ。」 翌日、学校ではこの事を公表する。泣く人あれば、知らん顔ありだった。 クラスで岡部が泣いたのには笑った。 自分のために泣いてくれているというのに、不謹慎だな。俺は。 女子の方々は、大体の人が泣いていた。 男は、担任の岡部しか泣いていなかった。 谷口の姿はまだ見えない。国木田は、どこか上の空だった。 「あんまり面識の無い奴までが泣いてるなんて、変な気分ね。」 「同情してるんだろうよ。バカなカップルが将来を苦にして、自殺。 ロミオとジュリエットとは似て非なる話だ。 だが、お涙頂戴な悲劇には、相当するんじゃないか?」 「カップルに見えてたのかな……あたし達。」 おばけのくせに頬を赤らめてハルヒは言った。 どう返答すれば良いか分からず、ぶっきらぼうな返事を返すと、 ハルヒは「ごめんなさい」などと、謝る。今更謝られても仕方ない。 「気にするな。」と頭を撫でると、今度は泣く始末。 かなりの大音量だったので、誰か気付くのではと思ったが、 やはり、おばけの声は気付かないらしい。この1時間後、ハルヒはやっと泣き止んだ。 「今日は家に帰る。あんたも自分の家族に最後の別れくらい言ってあげなさい。 それと、明日は10時に駅前ね。SOS団のみんなに会うわよ。じゃあ解散。」 俺の返事を待たず、ハルヒは帰ってしまった。俺が断る訳は無いけどね。 前日は、家に帰らなかったから、久しぶりに見える。 家に入ると家族全員が揃ってた。 母親は洗濯、親父と妹はテレビ。 休日と変わらないような生活。 しかし、どいつもこいつも湿気た顔をしていた。 見ていて、こっちまで陰気臭くなる。 おっと、こんな事している場合じゃない。 ………いたいた。 「みゃー。」 よう、シャミ。見えてるみたいだな。 シャミセンはじっとこちらを見つめている。 悪いが、体借りるぞ。 第六章へ
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午前中。休み時間とは名ばかりの、次の授業への移行時間かつ執行猶予時間の際。 俺は……古泉は登校しているのだろうか、長門はどうしているだろうかなどを自分の席に着いたまま黙考していた。 「どうしたんだい? あまり元気がないみたいだけど。なにか悩みでもあるの?」 国木田はこちらへと近づきつつ俺に問いかけ、俺は背後にハルヒが居ないことを確認すると、 「……悩みが多すぎるのが悩みだな。正直まいってるよ」 「ふうん。てかさ、涼宮さんも何だか元気がないみたいだね。ひょっとしてケンカした?」 普通は聞きにくいようなことを飄々と聞いてきた。国木田よ、俺とハルヒはケンカするほど仲が良いわけじゃ……。 いや、あるのか。いつも俺がボッコボコにされてるが。国木田はなおも飄々と、 「聞きにくいって? もしかして、キョンと涼宮さんのケンカは犬も食わない感じになってるの? それなら、僕がそれを聞いちゃったのは野暮だね。ごめん、謝るよ」 謝られたが、考えてみれば野暮なことはないよな。そして、 「……勝手に俺たちを夫婦にするのはよしてくれ。それより、ハルヒが元気ないって?」 あいつが? ……俺には、息巻いて不思議探索に精を出そうとしていたようにしか見えなかったが。 「キョンは気付かなかったの?」 「……俺には世界を作り変えちまいそうなほど元気に見えたがな。もしハルヒがそうだってんなら、多分、俺がまだポエムを書いてないのが原因だろう」 「おいおい、いい加減早く書いちまえよな? お前なら、いままで恋愛経験がなくても関係ねえ。涼宮とのアレコレでも書いてりゃいいじゃねえか」 谷口がどこからか沸いてきた。谷口、俺はハルヒと、それこそ人に言えないようなもんしかしてないぜ。 「それは大胆だねキョン。ここは学校だし、そういった情事的な告白は自重した方がいいんじゃない?」 俺の言葉に国木田がひどい齟齬を発生させちまった。こいつが耳年増なことを言ってるのは、人畜無害そうなツラしてるのが原因だろうか。谷口は国木田に、 「バカ言え。こいつにそんな甲斐性があったら困るってよ。ムッツリな奴ってのはそんなんじゃねえ」 「誰がムッツリだ。おいお前たち、いや、アホその一とその二。妙な勘違いしてやがると俺の怒号より先に、ジェットエンジンを積んだ地対地ハルヒミサイルがアホを感知して飛んできちまうぞ。俺はそれの巻き添えを喰らいたかないね」 「勘違い、ねえ」と声を揃える二人。もといアホ供。そのなかでも特にアホな方が、 「……しかしもう一年になるんだな。お前と涼宮が、一緒に過ごすようになってから」 ――この谷口の台詞は、まんま俺が自分の部屋のカレンダーを見て思った言葉と一緒だった。 四月。ハルヒと出会った日付に、俺が記した印。 記憶をなくしちまった異世界の俺は……その印を見て、何を思っているのだろうか。 「俺はなキョン。涼宮とお前が出会ったのは良いことだったと思ってんだ。あいつが奇行をするのは変わっちゃおらんが、中学の頃のそれとはダンチだぜ」 右手を肩の位置ほどまで掲げながら、やれやれとばかりに話す谷口。 ――俺は話の内容より、谷口の姿を改めて見たことによって一つ思い浮かんだことがあった。すぐさまそれを聞こうと、 「……そういえば谷口。お前は、ハルヒとずっと一緒のクラスだったよな?」 「ん? ああ、中一の時から現在進行形でそうだろ。なにを今更言ってんだ?」 「聞きたいことがあるんだが」 もしかして、こいつはハルヒが異世界を作っちまったヒントを知ってるんじゃないだろうかと思った俺は、「あいつさ、中学の頃から宇宙人やら諸々を探し回って、不思議なものと会いたがってたんだろ? それでさ、なにか……他に変わったことしちゃいなかったか? もしくは、あいつの悩みでも願いでもなんでもいいんだ。教えてくれ」 そうだ。異世界じゃそういったハルヒの願いは叶ってる。その世界がそんなイレギュラーな事態になってるんなら、他に……何かがあるはずなんだ。若干の期待を込めつつ聞いた俺に谷口は、 「知るか」 という端的な答えを出した。冷たい言い方に俺がすこし傷ついていると、 「中学の涼宮の行動はオールラウンドに変わってたぜ。それこそ全部が変だったもんで、それがあいつの普通になってたくらいだ。……そりゃ今でも変わんねぇが、高校に入ってから変わったもんが一つあるな」 谷口は、話の後半部分になるとニヤニヤした顔を俺へと向けて話していた。やめとけ。マジモンのアホみたいだぞ。 とは言わず、それは何だと聞き返すと、 「高校に入ってから涼宮に告白したヤツがいたんだが……涼宮は断ったらしい。中学の頃じゃ考えられねーよ。でな、東中出身のヤツらの間じゃ眠り姫伝説ってのがあったんだ」 もちろん眠り姫ってのは涼宮だ。と続けて、 「眠り姫ってのはつまるところ、涼宮が寝ぼけたこと言いながら正気の沙汰とは思えん行動ばっかやってたからさ、皮肉で付けられたあだ名だよ。そんで、あいつが目を覚ますのは、あいつにちゃんとした男が出来たときだって言われてた」 また谷口は俺をアホ面で見ながら、 「涼宮が男をとっかえひっかえしてたのは、いつまでたっても現われやしない王子様を探してたんじゃねえかって噂が立っててさ。で、あいつは眠ったまんまで王子様が誰だかわからねーから、とりあえず全員オーケーしてたんだろって話だ」 「馬鹿言え。ハルヒが王子様を探してる? あいつが全員の申し入れを受けてたのは、単に断るのがメンドーだっただけだろ」 「それは違うんじゃないかな? そっちのほうが面倒じゃん。涼宮さんなら、斬り捨て御免でサヨナラすると思うけど」 「だが……」 ……と俺は言いかけて停止した。谷口の話を聞いて、一つ不安な考えが頭をよぎっちまった。こいつらとハルヒの恋愛観について侃々諤々としてる場合じゃない。 眠り姫。 スリーピング・ビューティ。 まさか……あの、閉鎖空間から抜け出たときの行動をやれなんて言わないよな? ……俺がなんとも言えない気持ちになっていると、 「でもさ、涼宮さんはその人の告白を断ったんでしょ? じゃあ、もう涼宮さんは王子様を見つけちゃったの?」 「――なっ!」 思わず驚嘆の声を発した俺に、 「何驚いてんだよキョン? いつになく素直な反応じゃねえか」 「うん。まるで好きな人に彼氏がいたのが発覚したみたいな反応だったね」 アホがアホなことを言ってきた。こいつらにアホ言うなとは無理かもしれないと思いつつ、 「お前等がアホらしいこと言ってるからだ。あいつに男なんかいやしないし、第一、今でもハルヒは天真爛漫な行動してるじゃねえか。谷口の予測も外れてるってことだ」 そう言うと、谷口は何故か盛大に嘆息した後に、 「噂は噂だ。与太話でしかねえよ。けどな、じゃあなんで涼宮はそいつの告白を断ったと思う? 俺が言うのは業腹だが、そいつは中々の良識人だったぜ。見た目だって悪かねえ」 「そりゃSOS団があるから……」 「ああ、わかった気がするよ。谷口の言いたいこと」 俺の言葉を途中で止めた国木田は、 「涼宮さんは、今度は王子様と一緒になってキテレツな行動をやり倒してるんだね」 「そういうこった」 俺の目の前に二つのアホ面が広がった。 つまり、こいつらは俺が王子様だと言いたいらしい。なんとアホな。谷口、国木田よ。俺が王子様に見えるんなら、俺が跨っている馬はハルヒだぞ。むしろ、俺がじゃじゃ馬に乗っかってるから王子様に見えるのか? 何処をどう見たら、無残に振り回されまくりの俺の格好がそう思えるんだろうね。 俺はそんなことを考えながら二人を追っ払い、少々残念な気持ちをそのまま溜息として吐き出していた。 実を言うと俺は、谷口がこの異世界問題の解決の糸口を持ってきてくれるんじゃないかと淡い期待を抱いていたのだ。 そう。長門が世界を改変し、俺以外のみんなの記憶が消えちまった時、あいつは俺とハルヒを引き合わせるキッカケをもたらしてくれた重要人物だったからだ。そして、この谷口は―― 残念以外のなにものでもなかった。 そして昼休みになる。俺はいつものトリオでの昼食会を辞退し、文芸部室へと足を運んでいた。 理由なら沢山ある。長門の様子だって気になるし、ポエムだって書かなきゃならない。教室じゃ恋のポエムなんぞ書けるはずもないため、どうせなら部室で長門と肩を並べながら頑張るのも良いかなと考えたのだ。長門にとっても、戦友がいたほうが退屈しないで済むだろうしさ。古泉は……まあ、気にならないわけではないが来てないとしても俺にはどうしようもないことだし、そもそもあいつが学校にまで来れない理由というのがわからん。よって、俺は数ある懸案事項の中で、ポエム作成と長門についての問題を優先して選択し対応することにしたのだ。 そんな雑多なことを考えながら部室へと到着し、扉を開いた俺は…… 「うお」 室内の長門の様子を目に入れて思わず声を漏らす。 「……今日は、本読んでないのか」 長門はこちらへと振り返ることもせず、顔を窓際へと向けたまま、自分の席に閑寂と着座していた。 「長門?」 俺が呼びかけてみても、一ミリの返答すら返ってこない。 「……機関誌借りていいか?」 「…………」 沈黙を了解の合図とした俺はかつての長門を見習い、ポエムの作成に温故知新的な希望をもって小説誌を開いた。 ……が、何故か俺は自分の小説ではなく、長門の小説を読み返したいと思いながらボンヤリとページを捲っていた。 「………ん?」 長門の小説を探していた俺は、機関紙が検索を終えてパラリと閉じられたことに違和感を感じた。なぜなら、俺はあいつの小説を見つけることが出来なかったのだ。 そして何度か再検索してみるものの、一向に長門の小説は姿を見せない。 というより、ない。 それが俺の勘違いでないというのは、目次として記されている作品掲載順序と実際の順番の不一致が証明してくれている。 そう。本来ならあるべきはずの場所に、あいつの小説がポッカリと消えてしまっているのだ。 「………?」 ――なにかがおかしい。嫌な予感がする。何か……とてつもなく大きなものが俺を待っている気配が、この部室内からですら漂っている。 「長門」 もちろん返事はない。しかし、それがもちろんのことになったのはつい先程のことだ。これも、本来なら変なんだ。 「……機関誌なんだが、お前の小説は何処へ行った?」 「…………」 無言で部室の隅を指差す。俺はまるで札を貼られたキョンシーの如く何も考えず諾々とその指示に従い、長門が指差す先へと歩き出した。 「………?」 壁に突き当たった俺は、またもや沈黙と疑問符を浮かべることとなった。 ここには、円筒状のゴミ箱しか置かれていない。 行動の選択肢が一つしかなかったため、俺は何を思うわけでもなく、ゴミを漁るというあまり宜しくない行動に出た。 ……そして思わぬ収穫物を手に入れた俺は、ここで、やっと意識を取り戻すこととなる。 「――誰が……こんなことしやがった」 俺が手にしているのは……長門の小説だ。見事なまでの手際で切り取られたであろう数枚の紙の姿に、俺はそれを認めることが出来ないでいた。 いや待て。待て待て。わからん。不愉快よりも、不可解さが先に来る。 何が起きてる? いつ始まった? どうしてこうなってる? 真っ白になった頭の中で数々の疑問がひしめく中……俺は思わぬ言葉を、紛れもない長門の声で耳にする。 「わたしがやった」 ……は? なにをだよ。 「それ」 俺は手元を見る。そこにあるのは、もちろん…… 「―――長門っ!?」 質問するには不明なことが多すぎた。俺は長門を一瞥し、そして普段とは違うこいつの雰囲気を認識するやいなやすぐさま駆け寄り、あいつの肩を掴みながらあいつの名前を叫ぶ。 「……なっ……お前、どうして……」 そして長門の双眸と目を合わせた俺は……そこにあるものを感じ、狼狽を隠せずにいた。 「今のわたしには、必要ないものだったから」 そう話す長門の瞳の中には…… 何も、存在していなかった。 今つくづく思う。昨日までのこいつには、いや、初めて出会ったときだってそうだ。無感動ながらも、確かに何かが存在していたのだ。 しかし、俺の目の前にいるこの長門には……何もない。あの黒い瞳はまるで乾いた氷のようにくすみ、光を失ってしまっている。初めて俺は……こいつの姿に虚無というものを見て、例えようのない戦慄を覚えた。 何かが起きてる。それは間違いない。この長門がおかしいってのも間違いない。 じゃあ、何で……長門はおかしくなっているんだ? 《あの日》を思い出したからといって、流石にこうまでなるとは考えにくい。ってことは、なにか他の原因でこうなっちまってるんだ。考えろ。どこかに……ヒントがあったはずなんだ。 昨日は何があった。なにかおかしかったところは?(帰り際にあったな)もしかして、長門は誰かに妙なことでもされたのか?(長門が?)じゃあ誰に?(あいつはどうだ)大体、長門をこんな風にして何の得がある?(ある。あいつには)今日何かおかしなところはあったか?(あいつは来ているか?)機関誌は……(最近あいつがずっと読んでたな)。 「……ふざけるな」 これは俺の馬鹿げた思考に対する言葉だ。くそ。何考えてんだ俺は。わかってるじゃないか。 古泉が……こんなことするわけねえだろうが!(機関はどうだ?) ――いい加減にしろ。そうだ、原因を考えたところでどうなるわけじゃない。今必要なのはトルストイ的思考方法だ。 まず、現在一番優先すべきことはなんだ?(そりゃもちろん長門を元に戻すことだ)それを果たすには?(思いつかないね)じゃあどうする。(何が出来る?)俺に出来るのは……(俺に出来ないなら……) 「喜緑さん……!」 あの人なら何か知っているはずだ。確証はないが、もとよりここで俺が無為に思考を巡らせるよりは彼女に何かしら聞いてみた方が上策というものだろう。 だが、ここの長門はどうする? 下手に校舎内を引っ張って連れて歩こうものなら、ハルヒが追尾してきたりだとか俺が破廉恥な輩だという無用の心配が生徒や教師間に蔓延ってしまうかも知れん。そんなもんに構ってる暇などありゃしない。 俺が行動を決めかねていると部室の扉がガチャリと音を立て、 「……おや」 立ち尽くす俺の姿に少々驚きつつ、見慣れたハンサム顔が進入してきた。 「いえ、長門さんが心配だったのでね。僭越ながらここへやってきたわけです。お邪魔なら引き返しますが」 何も聞いちゃいないのに訪れた理由をいつものスマイルで話す古泉に、 「古泉、これ頼む! あと、長門もだ! 俺は今から喜緑さんの所に行ってくる! 理由はすぐ解るはずだ!」 「……ど、どうしたんですか?」 俺は古泉の胸元に長門の小説を押しやり、されるがままにそれを受け取った古泉は当惑しながら俺に説明を求めた。 「何がどうなってるかは知らんが、事態は風雲急を告げまくりだ! よろしく頼……」 一目散に扉へと駆け出していた俺は途中で足と言葉を止め、唖然としている古泉を見ながら、 「……古泉。俺は、お前を信じてるぜ」 たとえ『機関』が――いや、誰が長門をこうしちまったとしても……古泉は、目の前の長門を守ってくれるはずだ。 俺はそれ以上足を部室に留めることなく、一路喜緑さんの元へと駆け出した。 とは言うものの、俺が目指したのは生徒会室だった。目的地に着いた俺はすぐさまドバン!と無作法にも勢いよく扉を開き、 「……なんだキミは。ここはそちらのイカガワシイ部室と違い、ひどく真面目に学内活動に取り組んでいる場所なのだ。無礼な入室の是非は推して測るべきだと思うがね」 突然の闖入者に呆れ顔の生徒会長。少しも怯んだ様子が見受けられないのは感嘆だ。 「そういえば、機関紙の上稿の件があったな。詩集は完成したのかね? もっとも……キミのその様から鑑みるに、期日の延長でも哀願しに来たと考えるのが妥当な判断だが」 肩で息をしている俺に、会長は訝しげに言い放つ。 「……それも頼んでおきますよ」 ちゃっかりしたことを言う俺に、 「ふん。その程度の用件でわざわざ参られては、こちらが困るというものだ。期日を設定したのはそちら側だろう。そもそも今の私は、奇怪な団体に付き合ってる暇など皆目持ち合わせてはいない。この度の生徒会からの要求も実の所、便宜上の活動内容が欲しかっただけなのだ。詩集とやらはあのお祭り女が勝手に決めたことだ。今回、生徒会側はキミたちに契約不履行の罰則を何も提示してはいない。勝手に四苦八苦でも七難八苦でも起こしていたまえ」 会長があまりにも正当なことを言っているのでちょっと逆らおうと思った俺は、 「……少しばかり要求を急ぎすぎだった感は否めませんがね。せめて二学期から活動を求められれば良かったんですが」 「ふん」 いわれのない非難を受けて呆れ返ったような息を吐き、 「キミは喜緑くんの、折角の厚意を無下にするつもりかね。当初の生徒会側の申し入れを提案したのは彼女だ。……理解したのなら、早く退出したまえ。こちらは昼食をロクに摂れぬ程忙しい身なのだ」 「待ってくれ。俺はそれで来たんじゃないんだ……いや、ないんです。喜緑さんはいないんですか?」 「ほう。キミが我が生徒会秘書と謁見したいというのは何故だ」 答えてるヒマはない。いるかいないかどっちかだけ答えてくれ……という俺の質問は愚問だった。清濁併せ持つというか本来黒い会長がこの喋り方だってのは……。 「会長。どうやら彼はわたしに火急の用があるみたいです。すみません、少し席を外していて頂けないでしょうか?」 「……む。私とてヒマではないのだが。キミも良く知って……」 会長にニッコリと微笑む喜緑さん。これ以上会長が話しを続けていたらどうなるかわかったものじゃない。 「……よかろう。だが、手短に済ませたまえ」 絵に描いたような渋々とした風情で歩き去る生徒会長。生徒会活動に精力的なあの人の邪魔をするのは少々気が引けるな。 「構いません。わたしたちはここで、お弁当を食べていただけでしたから」 一転して会長に越権行為疑惑が浮上した。ちくしょう。権力を傘にきて、喜緑さんにちょっかい出してやいないだろうな。 「いえ。会長は素晴しい殿方ですよ?」 明るく言い放っているが、この人は会長の本性を知っているのだろうか。知らないとは思えないが……。 ――って、そんなどうでもいいことを考えてる場合じゃない。 「喜緑さん! あなたに聞きたいことがあるんだ! 長門の様子なんですが……」 急に笑顔のトーンを落とし、喜緑さんは悲しむ口調で、 「……はい。彼女に異変が発生しているのは知っています……その原因も」 ――よし、ビンゴ。当たりだ。原因が判明すれば、後はなんとでも対策は講じられる。 「……あいつはどうしちまったんですか? 多分、誰かに干渉されて――」 喜緑さんはゆるやかに首を横に振り、 「そうではありません。彼女は……禁を破り、死を願ってしまったんです。そして情報統合思念体からの処分を受け、現在の状態に保持されています」 「な……。あいつらが、長門を――?」 ――待て。思念体にとって長門は……世界人仮説を解明するとかいう、進化の希望だったんじゃないのか? それがあいつらの最重要目標だったはずだ。なのに、禁を破っちまったからといってホイホイとあんな状態に変えちまうのか? いや……もしかして、解明の作業には影響しないのだろうか? だがな、だからといって長門をあんな風にしちまうのは許され――って、 「ちょっと待ってください。長門が……死を願っただって? 死にたいなんぞを思ったってことですか?」 喜緑さんは視線を落としながら軽い困惑の色を顔に貼りつけ、 「……はい。長門さんのパーソナルデータが消去されていることから、それは間違いありません」 「長門のパーソナルデータが消えた? ……何となく意味は掴めるんですが、どういうことなんです?」 俺の質問に、喜緑さんはまるでカマドウマ事件をもたらした際のたじろぎ気味な雰囲気で、 「言うなれば……彼女はもう長門さんではないんです。現在の彼女は、いままでの長門さんの行動形式を思念体から暫定的に付加された、素体が一緒なだけの別人なんです。そして……」 更に沈み込み、唇を噛み締めるような様子で…… 「――もう、わたしたちが知っている長門さんが帰ってくることはありません。……彼女の中に存在する思念体は長門さんのものですが、これからどうしようとも……あの長門さんと同一のパーソナルデータが形成されることはありませんから……」 「………うそだろ」 ……喜緑さん。頼むから、そんな顔をしないでくれ……。それじゃ……。 まるで、打つ手がないみたいじゃないか……。 ――打つ手が……ない? いや……あるのか……? 「…………」 俺は揺らめく意識とおぼろになった現実感の中で、懸命に思考を成り立たせようと煩悶していた。 ……大人の朝比奈さんは言っていた。今日、長門の為に《あの日》へ飛ばなければならない、と。 だが、行ってどうなる? ――そう、そこなんだ。この現在は過去の延長なんだから、過去の空白を埋めても今が変わるわけじゃないはずだろ。 つまり……それは、長門がこうなっちまう現在を変えろってことなのか? だが、それは危険なんだ。俺たちは、歴史がどう変わるかなんて予想出来やしない。大人の朝比奈さんにいいようにされちまう可能性があるんだ。それに……。 長門が復調することは、大人の朝比奈さんにとって不利益なんじゃないか? 思念体は俺に、世界の矛盾を消して元の姿に戻さないかと提案してきた。それは、大人の朝比奈さんが消えちまうってことだ。ああ。そうだよ。そもそもが宇宙人や未来人や超能力者の上の繋がりは、純粋な利害関係で目的が一致してたから互いに敬遠していただけだ。思念体が長門を見限った今、『機関』や朝比奈さんの『未来』があいつを助けようなど考えるわけがない。 ……だが、最も頼りになる奴らは、長門を助けることに微塵の躊躇もありはしないんだ。 ――俺たち、SOS団には。 そして、今は俺の判断が一番重要な意味を持っているんだ。長門や古泉、恐らくは朝比奈さんも背後の黒幕から行動を制限されている。俺の行動如何によって、事態はあらゆる方向に進行してしまうのだ。世界の分岐点とやらがあるのなら、今が一番大事なポイントだ。 よく考えろ。俺に何が出来る? 俺の朝比奈さんに大人バージョンの彼女の存在を打ち明けてみるか……もしくは、博打だがハルヒに俺がジョンスミスだと名乗り出るかだ。危険度を考慮すれば前者だが、効果を考えるなら後者だ。どっちに………。 「………くそ」 どちらを選んだとしても、あまり良い結果が出るとは思えない。 ……それに現在俺の中では、上の奴らに向けているものとは別の怒りが大きくなり、思考することを邪魔している。 ――長門。お前は今大変な状況だが、一つ……言わせてくれ。 なにやってんだ。お前は。 死を願っただって? んなもん、願い事でも何でもねえ。お前は、死ぬほど悩んでたんだろうが。それで死にたくなったんなら、なんでこうなっちまう前に俺に言わねえんだ。いや、俺じゃなくてもよかった。ハルヒでも、朝比奈さんでも……古泉でも。そうさ、お前は一人で抱え込み過ぎるから《あの日》を起こしちまったんだろうが。……いや、それは俺が気付くべきだったよな。お前は何も悪かない。 けどな、長門。俺は誓ったんだ。お前に二度と……あんな思いはさせないと。 それはSOS団のみんなだって一緒だ。だから、俺たちはお前の悩みでも何でも共に背負って行きたいんだよ。 だが、お前がそれを教えてくれなきゃ……俺たちは、寄り添いようがなだろうが……。 長門。お前に一番必要なのはさ、自分が抱えてる悩みを仲間に伝えること――――。 ――ドクン。 ……この瞬間、俺の心臓がまるで今始めて鼓動し、その存在を知らしめるかの如く高く鳴り響いた。 「まさか……」 頭の中では、一人の少女の……笑わない仮面が笑ったような笑顔の映像が勝手にフィールインされていた。 「――喜緑さん! あいつは……朝倉はいないんですか!? いや、とにかく聞きたいことがあるんだ!」 慌てふためく俺を見ることなく、喜緑さんは視線を落としたまま、 「朝倉さんは……現在、思念体内に存在していません。彼女のパーソナルデータのバックアップも、失われています……」 「…………」 ――決まった。 俺は、行かなければならない。二度と行きたくはなかった《あの日》に。 そして俺は……二度と会いたくはなかったヤツに、今一番会いたいと感じている。 そう。朝倉は……長門の願いを、あいつの悩みを聞いているんだ。 ……《あの日》はまだ、終わっちゃいなかった――。 第三楽章・臨
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【作品名】ファイアーエムブレム 聖魔の光石 【ジャンル】手ごわいシミュレーションゲーム 【名前】ミルラ 【属性】マクムート 【年齢】1200歳 【長所】見た目は幼女 幸運以外の成長率の良さ 【短所】石を返してください・・・ お願い・・・何でもしますから・・・ vol.6
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ハルヒ「今日は楽しかったわね~!これで冬の定番を一つクリアしたわ!」 長門「…」 ハルヒ「みくるちゃんのサンタ姿も似合ってたし言うことないわ! 思わず抱きしめてしまったわよ!お正月はやっぱり振り袖かしらね…着付けが楽しみだわ…v」 長門「………ヒ…」 ハルヒ「あれも重要なイベントだもんね!重要な萌えシチュエーションの一つよ! 他人に服を着せられながら恥じらう姿はまさに萌え!みくるちゃんならこの大役をこ」 長門「……ルヒ…」 ハルヒ「なせると信じているわ!何たってこのあたしが見込んだんだからね! お正月の次はどうしようかしら…節分でラm」 長門「ハルヒ」 ハルヒ「な、なに?いきなりどうしたの?」 長門「『クリスマスとは恋愛関係のさらなる進展が大いに期待できる日であり、 それは接触を平時よりも増やすなど当人等の努力によって得ることができる。 特に、既に恋人を有する者はこの日を大いに活用すべきであり、その遂行を怠る事は 実に愚かな反動的行為としか言いようがない』・・・と、この本には書いてある。」 長門「あなたは私という個体を恋人に持ちながら接触を増やさず、朝比奈みくるばかりに気を廻していた。 これはクリスマスの定番と、その暗黙の内に存在する約束事を無視し反故にする行為。」 ハルヒ「ゆ、有希…?」 長門「・・・だから・・・」 ハルヒ「えっ、ちょ、まっt」 長門「ペナルティ」
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ガルラ メソポタミア、シュメル神話の『イナンナの冥界下り』に登場する悪霊。 ドゥムジを冥界に捕らえる。 関連: ガル (同一視) 別名: ガラ ガルルー ガッラ
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俺は最近よく夢を見る。 普通、夢ってのは起き立てのころははっきり覚えていて、いい夢ならずっと覚えていよう、悪い夢なら すぐに忘れようと思ってしまうわけだが、いい夢だろうがなんだろうが、基本的に数時間経つとアウトライン すらはっきりせず、一日も経ると夢を見たことすら忘れてしまう。 でも、最近俺が見る夢は違うんだ。 ずっと覚えている。何故か。 内容は俺にも良くわからない。 ただ、目の前に焦土と化した大地があるだけの夢。 歩いて何処かにいくわけでもなく、かといって何かを考えるわけでもなく、 ただ、焦土と化した大地を眺めているだけの夢。 そこには俺以外の誰も介在しない。 ただ、俺と赤茶げた大地だけが在る夢。 唯一聴覚のみ開け、耳は悲しげな歌を拾う。 どんな歌かは判らないが、心の底から震えてしまうほど悲しげな歌が流れる夢。 夢は必ず覚めるもの。 だが、その夢だけは、何処か現実的で、覚める気配が全くしそうに無い夢。 ・・・とはいいつつも、やはり夢なので覚める。 奇妙な虚脱感に襲われながら。 まぁ、変な夢を見ようが世界はいまだハルヒ中心に回りやがる、そんな日々。 Sing in Silence ~涼宮ハルヒの融合~ 気がつけば2年生になってしまっていた究極凡人にして、 名前はあるが誰も本名で呼んでくれない悲しき高校生こと俺、キョンである。 SOS団なる恐らくこの都市、いやこの世界一奇妙かとも思われる学校非公認団体は、 某超能力者団体の息がかかる「自称」悪の生徒会会長からの圧力を受けたり、 SOS団並に奇妙な団体から事実上の宣戦布告をされたりしながらも、結成二年目に入ろうとしている。 俺やハルヒを含めて皆この一年で色々と変わった。多分最も変わったのは俺だろうが、誰も褒めてくれなどはしない。 まぁ、褒めてくれたところでどうなるわけでもないけどな。 残念ながら、この学び舎は一年の間に変化を遂げることは出来なかった。 来るべき夏に備えてクーラーを取り付ける気配も無ければ、誰かが扇風機を持ってくるような気配も無い。 そして、俺の後ろの席がハルヒ以外の誰かになることも、この一年の間遂に無かった。 ハルヒのトンデモ能力の所為なんだろうが、迷惑極まりないぜ。 そんな人に迷惑をかけることだけを考える生命体こと涼宮ハルヒは、俺の後ろの席でなにやら鼻歌を歌いながらノートに書きなぐっている。 授業中なら教師からの叱責等が必要になってくるだろうが、放課後なので特に俺も気にしない。いつもの事だしな。 「何描いてるんだ?ハルヒ」 なにやらどこぞの前衛ファッションデザイナーが書くような、一歩間違えばセクハラ、いや猥褻物陳列罪で検挙されてもおかしくないようなデザインの服を書きなぐっていた。 いやはや、絵心だけは人一倍、いや二倍はあるようだな。 「ナース服やメイド服とかだけじゃ飽き飽きしない?結成二年目に入ったことだし、みくるちゃんにはあたしプレゼンツな服でも着せようかな、と思ってさ」 やめとけ。そんなもの着せて朝比奈さんをうろつかせて見ろ。退学どころの話じゃなくなる。全国紙沙汰になるぜ。 「そりゃそうだけどさぁ・・・」 一年でちょっとは良識を持ったかに思われたハルヒだが、俺の見当違いだったみたいだな。 ハルヒはハルヒだ。まぁいざとなったら俺と長門と古泉でとめてやるから、好きにしてろ。 「ねえキョン」 何だ。 「あんた、何か願いってある?」 「何だ唐突に」 「あんたみたいな凡人だって、願いのひとつやふたつあるでしょ?」 ハルヒがこのまま何もやらかさず、まっとうに人生を送ってくれればそれでいいんだが、んな事言えるはずも無く 「・・・金塊、いや最もキロ単価の高いレアメタル塊でもいい。そんなのが家の庭から見つかれば良いな、とかなら」 「そんなの掘れば出てくるでしょ。もっとデッカイ願いを持ちなさい、デッカイのを!」 掘っても出てこないから言ってるんだろうが。そもそもデッカイ願いってなんだよ。 「そうね。反地球が実際に現れるとか、火星に突如として文明が興るとか・・・」 やめてくれ。宇宙戦争に発展しかねん。 「何よ。自分ひとりの事しか考えられないようなヤツに言われたくはないわ」 へいへい。 「まぁ、実際に現れたら現れたで困っちゃうだろうとは思うけどね」 「だな。だから、そういうのは『願い』じゃなくてあくまで『妄想』として片付けておくことをお勧めするぜ」 「あんたも人のこと言えないわよ」 違いないな。 「ともかく、あたしはみくるちゃんの衣装デザインに専念するから、あんたは先に部室にでも行ってなさい」 「了解した」 と生返事を返しつつも、俺は先刻のカバンおよび机の中身の大掃除によって生まれた不要不急書類(といっても小テスト類だが)の整理作業が残っていた。 ゴミ箱に突っ込むわけにも行かないので、簡単に整理することにした。 俺は小テストの結果を見返しながらため息を漏らし、後ろでハルヒはStratovariusのPapillonボーイソプラノパートを 口ずさみながらノリノリでカキカキしている。少しはその元気を俺に分けて欲しいもんだが。 気配だけだと、小学校にも上がらないくらいのガキがクレヨンでキャラクターを書きなぐっているような感じだ。 中身はガキ同然というか、体は大人、頭脳も大人、ただ精神構造のみ子供な迷団長様、絵を描くならもうちょっと静かに 描いてくださいませんか?とか脳内で文句を言いつつも、不要不急書類の分別に徹していた俺。 唐突にシャーペンの音と歌声が消えたが、まあ飽きたんだろうと思いつつしばらく作業を続けていたが、 それにしても物音がしなさ過ぎる。 まさかと思って後ろを振り向いた。 ハルヒが居なかった。 広げてあったであろうノートや筆記用具類、果てはカバンまで無く、その状態からもう部室にいっちまったのかと思ったが、 あのやかましい女が物音ひとつ立てずに俺の後ろから消え去る、なんてことがあるだろうか、としばらく思案をめぐらすも、 まあたまにはあるだろう。ひとまずそういうことにしておいた。 と言うわけで俺も早々に机のものを片付けて、いつもの様に部室棟へと行き、 いつもの様に部室のドアをノックしたわけだが、返事は無い。 あの可憐な上級生はいらっしゃらないのか?と思いつつ下着姿の朝比奈さんを拝めたらいいなぁとかも思いながら ゆっくりとドアを開けると 「まっていた」 俺が人の気配に気がつく前に、冷涼とした声が俺の耳に届いた。 長門だ。ハルヒは居ない。帰りやがったのか? ともかく、長門が自分から話しかけて来るなんて珍しい。何か問題が発生したんだろうとは思うが。もう慣れたぜ。 「どうした?またハルヒが何かやらかそうとしてんのか?」 窓際のパイプ椅子に腰掛けていた長門は、読んでいた分厚いハードカバー本をパタンと閉じ 「この時間平面上の情報が一部欠損、もしくは完全に置き換わっている。涼宮ハルヒ、朝比奈みくるがこの時間平面上から消失した。原因は不明」 えらくとんでもない事言ってくれるじゃないか。 「どういうことだ?」 カバンをひとまず机の上に投げ捨て、長門の前に行こうとする・・・が、なんだか様子がおかしい。 目の前に居て、実際に俺と話もしているのに『存在感』が一切無いんだ。 ・・・おまけに半透明だ。 「不明。私のエラーに起因する問題でないことだけは確か。それ以外は不明。私自身の存在確率維持も危うい状態。あなただけが頼り」 心なしか悲しそうな色を目に浮かべながら 「お前も消えちまうのか?」 「もうじき消える。全インターフェースおよび情報統合思念体とのコンタクトが不能―――――今すぐ、鶴屋家へ。鍵が見つかる――」 「長門っ!!」 あっという間だった。長門の声に一瞬ノイズ入ったかと思うと、次の瞬間音も無く長門は微粒子に帰した。 まるで雪が待っているように、長門を構成していたであろう微粒子が空間を漂っていたが、俺が放心している間に、いつの間にか消えちまった。 鶴屋家・・・って鶴屋さんの家だよな?鍵って何だよ。 だが、長門が行けっていうのだから、行くほかあるまい。 とにかく急ぐべし。何故か校門前に止まっていたガチホモマッガーレ印の 黒塗りタクシーに飛び乗って鶴屋家の前にやってきた。 恩に着るぜ古泉。 だが、ここからどうすればいいんだろうか。例によって入ろうにも門戸は硬く閉ざされているし、 インターホンを押すのも憚られる。だって、鶴屋家に来た理由が理由だからな。 話のわかる相手がインターホンに出てくれるとは限らないし。 うーん。この重いかんぬきのかかる門が自動ドアなら良いのにとか思っていたら、 ギィ、と音を立てて開いた。 鶴屋さんの話だと、インターホンだけじゃなくて監視カメラもついてるらしいから、 俺が門の前でうろちょろしてるのみて怪しまれたか。それとも鶴屋さんが助け舟を出 してくれたか。 「どうぞお入りください」 少なくとも、両方違ったようだ。おそらく鶴屋家の使用人か何かであろう女性が が開いた門から出てきた。 こちらの用件など聞かずに付いてくるよう促した女性に、ひとまず付いて行く事にし た俺は、例によって広い庭を抜け、これまた広い玄関をくぐり、長い廊下を歩き、客 間らしき広い和室へと通された。 意外にも、そこには先客が居た。 鶴屋さん?朝比奈さん?ハルヒか長門?古泉?いや、それら誰とも似つかない、年のこ ろ20中盤と言う感じの男が。 古泉に見習わせたいくらいの全く嫌味の無い笑顔で 「君か。常々話は聞いている。ま、そこに座ってくれると有難い」 と、男は自身の目の前に置かれた座布団を指した。 座ると、俺はまず男を精査すべく、失礼にならない範囲でまじまじと見つめた。 ダークスーツにネクタイ、タイピン。胸ポケットにはサングラスも入っているよう だ。いわゆる「メン・イン・ブラック」のようにも見える。 「さて、最初は世間話でもしてお互いを良く知るのが、初対面同士が打ち解けるきっかけになると 誰かさんは言ったが、悠長にそんなことやるような時間的余裕も心的余裕も無いはずだ。早速本題に入ろう。 まず、君は俺にいくつか聞きたいことがあるはずだ」 早速お見通し、ってヤツか。 まず、何を聞こうか。3人が消えたこと、長門から鶴屋家に行けと指示された理由、それから・・・ 「あなたは誰です?」 俺、いやSOS団の全てを知っている気がする。この男は。違いませんか? 「ご名答。君が、いやSOS団員各々が知りうる全ての情報を知っているつもりだよ、俺は」 宇宙人、未来人、超能力者、別な勢力の宇宙人、別な勢力の未来人、別な勢力の超能 力者と会ってきて、まだ遭遇していないものといえば異世界人だが、大概のことを知っているとなると少々違うものかもしれない。 「私は・・・そうだな。シュルツと名乗っておこう。何、固有名詞ほど往々にして不確かなものは無い。 少なくとも、我々にとってはね。時と場合、場所において使い分けていくものだ ―――と、んなことはまあいい。君は、俺を何だと思ってる? さしずめ異世界人か何かと思ったけど、何か違う、みたいなツラしてるけどさ」 そうだ、その通り。もしかしたらこの人、俺の心でも読んでるのか? 「我々は表情から心を読み取る程度の読心術を身につけてはいるが、流石に人の心を全て見透かすような高度な技を会得しては居ない」 「読んでるじゃないですか」 「まぁ、それくらい誰にだってできる。君だって、ある程度長門君や朝比奈君、そして涼宮君の心中を察することぐらいはできるだろう?」 それは一年間の努力の賜物ってもんだ。 「・・・まぁ、そうだな。ま、こんな話を続けていても不毛だ。そろそろ俺の正体を 明かしておく」 シュルツ氏は使用人さんが用意してくれたお茶を一口くちに含んで一間置くと、 「俺は外宇宙人・・・とでも言おうか」 あの時と同じように、世界は停止したかに思われた。 ずずっ、と氏がお茶をすする音だけが良く響く。 俺は悠長にお茶を啜るほど心に余裕は無かった。 そもそもなんだよ外宇宙人ってのは。まだ異世界人ならわかるような気もするけどな。 「相当困った顔をしてるな。まあ仕方が無い。そもそも、君たちが『観測』すること によって成立しているこの宇宙だが、知性が高度に発達した、この地球に住まう有機 生命体が現在持ちうる観測手段すべてを有効に用いたとしても、外宇宙のことを知る ことはまだ適わない。ま、ある程度観測結果から予測することはできているようだ が、あくまで仮定であり、真実ではない。それ『らしい』ということしかわからないからね。 だから君が俺を理解できるはずはない。なので『外宇宙人という人らしい』という認識 で十分かまわない。 ん?まだ何か知りたいという顔をしているようだな。当たり前だな。 こんなことを言われて『はいそうですか』と話を畳める人間など居よう筈も無いしね」 よく判ってらっしゃる。 「具体的に、外宇宙人、もとい貴方は何者なんです?」 「まあ、先ほど言ったようにあくまで『らしい』ということで十分、ってのは判って くれたとは思うので、以下突拍子も無い話をするが耳かっぽじって良く聞いてくれ」 再びお茶を一口くちに含んで一間置くと、 「俺は、全ての宇宙を統括するアカシックレコードより派遣された、事象管理者の一分子だ」 ・・・なんだって? 「徹底的に平たく言ってしまうと、歴史を変革する手助けをする人々の一人だ」 全然平たく無いぞ、お兄さん。 飛鳥本あたりを愛読してる、超能力宇宙人ユダヤ人の陰謀何でも大好き兄ちゃんなのだろうか。 そういや何かのトンデモ本で見たが、アカシックレコードってのは「過去、未来すべての歴史が記されている”存在”」らしい。 ってことは、長門の親玉よりとんでもない存在らしいから、何でも知ってる。そういうわけか? 「ま、それ『らしい』ってことでいいんだよ。こんな中二病患者的な事いきなり言っても混乱するだけだよな、すまない。真剣に考えなくていい」 液体窒素冷却でもしないと文字通り数秒で吹っ飛んでしまいそうな、超絶オーバークロックを 施したCPUみたいな状態に俺の脳内が達しつつあるってのを知ってか知らずか、 スマイル70%申し訳なさ30%の比率の顔でシュルツ氏は語りかけてくれた。 「つまり、長門やその親玉以上に全知全能の神様みたいなもの、ってことでしょうか?」 「だね。つまるところそうだ。ま、長門君とは違い、我々の処理能力にはある程度足かせがはめられてるがね」 ということは・・・だ。今回のSOS団員の消滅事件についても全て知っている、ということなのでしょうかね? 「ま、大方そういうことだ」 『ま』が多いお方だ。いろんな意味でな。 「俺がここに現れた目的だが、ご想像にお任せする。カンのよさそうな君なら判るだろう」 さしずめ、今まで外界から監視しているだけだったハルヒが、俺以外の団員ごと行方をくらましたからだろう。 「そういうことだ」 大体のことを知ってるのなら、解決する手段も持ち合わせているか、少なくとも解決方法ぐらい知っているんじゃないのか? 「なぜ俺の前に現れたんです?超凡人な俺が介在しなくても、トンデモ能力持ってそうなあなた方なら、消滅事件は解決できるんじゃないんですか?」 「それはだ、事件解決の手段、いやキーの一つを、君が持っているからだ。それを知らせに、俺は君のもとへ現れた」 長門といいこの人といい、皆俺を頼りすぎだ。何処かをうろついてるだろう古泉にもそのキーとやらを持たせてくれたら、俺は俺で大助かりなんだが。 「君はな。宇宙人、未来人、超能力者やその関係者がいるSOS団やそれに関連する人の中で唯一、涼宮君に一番近いうちの一人でありながらどの勢力の影響下にも居ない、貴重な人間なんだ」 ごく平凡な一個人でありたかったけどね。 「でも、ある意味謳歌してるんだろう?この状況を」 確かにね。この一年ちょっとの間に俺は成長した。いや、単に開き直りの境地を超えて、SOS団の純朴なる構成要素のひとつと化すことにある種の快楽を覚え、 脳内麻薬がドバドバとでちまうような、そんなヤバゲな脳になっちまってるのかもしれないが、確かに心底楽しんでるんだよな、俺。 「というわけでだ。君はこれから、己が思うままに行動してくれ」 あのう? 俺って何かキーを持ってるんですよね。なら、そのキーが合うような鍵穴を見つけなければならんわけだ。だけど、俺には未来を知る術もないし、 長門のような宇宙的超絶能力も持ってないし、古泉のように巨大な情報網も持ってないし手からエネルギー弾も出せない。 思ったとおりに行動できるはずも、していいはずもないと思うんだが。 「君自体が”鍵”なんだ。これ以上詳しくは俺からもいえない。だが、君が彼女らを取り戻そうと思う限り、君が求める鍵穴は君の目の前に現れる。大丈夫だ」 そうニカッと笑われても・・・ねぇ? とにかく、やるしかないようだ。 やるって何を? 自分でもわからんさ、残念ながらな。 シュルツ氏は特に連絡先などを告げることなく、頑張れよ若いのと俺の肩をぽんと叩いて、俺より先に客間を後にした。 そういやこの謎会合の場は鶴屋さんの家だったりもしたんだが、鶴屋さんとは会わなかった。法事か何かに行ってるんだろうか。 ともかく、その日はそのまま家路について飯をかっ食らい、風呂に入りながら色々と思案をめぐらし、そのまま布団にもぐりこんで平和裏に寝ちまったわけだが、 翌日のっけからとんでもないモノを目にしちまうってわかってれば・・・少しは心の準備ができたんだが。 翌日。少々どきどきしながら登校し教室に入った俺だったが、俺の後ろのハルヒの席であったところに、何かが居た。 何か。 何かである。 いや、もうなんというか名状し難い。 あの初期ハルヒのオーラを身にまとい、巨乳と無表情な童顔。朝比奈さん・・・でもなく、長門・・・でもなく、ハルヒ・・・に若干近いが違う。 言うなれば「あの三人に似た全く別の人間」である。 不意にこっちをむいたその「何か」は 「おはよう」 ひゃうっ!と思わず口走ってしまうほど唐突に、朝の挨拶を俺に投げかけた。 「どうしたの」 こっちがどうしたんだと問いたい。お前は誰だ。 「涼門みるき」 ・・・なんだって? 「涼門みるき」 す・・・ずかどみるき? 「そう。三回聞き返した。若年性痴呆の可能性がある。良い病院を紹介しようか」 会話に疑問符も感嘆符も一切つけない「何か」ことこの「涼門みるき」なる女であるが、なる ほど、あの三人の名前が適度に交じり合っているので、あの消えた三人を適度にミックスしつつ ハルヒよりに再構築させたような雰囲気と風貌をあわせもっている。 っておい! 「落ち着きなさい。あたしになにか言いたいことがあるようだけど、どうかした」 「あ・・・いや、別に・・・」 「おかしなキョン。まあいいか」 と机の中から取り出した何やら巨大な医学書を開き、みるきは静かに読み始めた。 「面白いか、それ」 「ユニーク」 まるで長門と会話してるようだったが、声質は全然違う。当たりまえっちゃ当たり前 だが、当たり前で済んで欲しくはない俺は、いつも惰眠をむさぼりたい時間帯である 予鈴から1時間目にかけての間、脳みそをフル稼働させて脳内人格会議を行うも、もとより尽くす策 ははじめから持ち合わせていない俺にとっては時間の無駄以外の何者でも無かったよ うで、いつものように惰眠をむさぼるべく数学教師の太陽拳的頭頂部を眺めつつ眠り の沼に沈んだ。 かに思われた。 眠りの沼へ全身が没しようとした瞬間、いきなり後頭部を打撃が見舞い、ついでに勢 いあまって国語の教科書と硬い机にも頭突きを見舞い、俺は悶絶した。 「・・・ってめぇ」 後ろの野郎だ。なんてことをしてくれる、俺のそんなに多くない脳細胞がいち早く死 滅することになるだろうが。 「授業中。寝ないで」 ああ判ってるさ、授業は寝ないで真摯に聞いてこそ価値あるもんだ。だがな、お前 だっていつもそうしてたじゃないか、なあハル・・・。 顔に苦悶の表情を浮かべつつ後ろの席を顧みた俺は、つむぎかけた言葉を飲み込み、溜息する。 ハルヒじゃねえんだっけな・・・ ハルヒよ、どこに行ってしまったんだ。こんなにお前が恋しくなるとはおもわなんだぜ。 『わたしは ここにいる』 脳内に声が響いた。ハルヒの声・・・だな。どうやら二重打撃の所為で俺の脳みそは とうとう異常をきたしてしまったらしい・・・。 『わたしは ここにいる だから助けろって言ってんでしょバカキョン!!』 不意にその声は途切れ、ついでに頭痛も治まった。いつも頭痛のタネだったハルヒの 声で頭痛が治まるとは、なんというショック療法。 いや、そういう問題じゃない。問題はなんでハルヒの声がしたかなんだが・・・ 改めて後ろを振り向くも、後ろには俺が寝ないように見張りつつ高速でペンを動かし て綺麗な明朝体で黒板の文字を速記するみるきの姿があるのみで、ハルヒなんざは居 ない。いや、居るのか?この『みるき』の中に。 もう声はしない。 でも、居る気がする。確実に。 なんでかって? カンさ。だけど、なんだかんだ言ったって、ハルヒの一番近くに居た人間の一人であ る俺が言うんだ。間違いない。 ・・・と思う。 「その考えは間違ってはいません。むしろ正解に近いかと」 とは、1時間目終了とともに教室を飛び出したら、何故か教室の外にいやがった古泉の野郎の弁だ。まったく、この異常事態によくそんな無意味スマイルを纏っていられる。 「涼門みるきなる女性は、涼宮さん、長門さん、朝比奈さんの融合体・・・といったところでしょうか」 んなん見りゃわかるさ。ってか、お前も事情を知ってるんだな? 「ええ、昨日あなたが会ったあの男性ですが、我々の協力者のようなものです。そうですね。少なくとも、今の朝比奈さんより未来から来た朝比奈さんや、 長門さんの親玉よりははるかに信頼の置ける相手かと思われます。あの彼から自由に動いていいと言われるなんて、うらやましい限りです」 まぁ、神様から『成せば成る』と言われるようなものだからな。 「そうそう、この懸案は我々主導で解決させるということに決定しました。彼は伝えることを伝えたので、またスタンドからの観戦に戻るそうで」 あの人がいれば百人力のような気もするんだが。 「彼・・・いや、超高次存在――我々はアカシックレコードのことを暫定的にそう呼んでいます――それから遣わされている彼らは、長門さん以上の制限を課せられているようで、 自由に動けないらしいんですよ」 なら仕方ないか。古泉、少しはお前も手伝えよ。 「わかってます」 シュルツ氏と違い、なんだか好きになれんスマイルで俺を見つめてくる。ああっ、近い、息を吹きかけるな! 「僕に出来ることなら、なんなりとお申し付けを。それより、シュルツ氏からかなり有益な情報を戴きました。 「ほう」 「涼門みるきなる女性ですが、彼女は涼宮さんの願望がキーとなって生まれたようです」 またか。またハルヒの願望の所為か。全く、ちったあまともな願望は無いのか、ハルヒには。 「いや、あくまでキーに過ぎません。この現象は、涼宮さんの願望がキーとなり、朝比奈さんの願望、長門さんの願望が互いに交じり合った結果発生したものとシュルツ氏らは考えているようです」 こったようです」 「どういうことだよ、それは」 「涼宮さんが抱いていた、『可愛さや巨乳』への憧れ、朝比奈さんが抱いていた、『知』への憧れ、長門さんが抱いていた、『自由』への憧れ・・・。三人とも、それら誰かがあこがれるもののうちひとつだけは持っています。 しかしながら、無いものを強く求めた。だから、融合してしまったんです」 「ちょっと無理やり過ぎないか?」 ハルヒは朝比奈さんとまた別な可愛さを持ってると思うぜ。無意味スマイルをさらに増強させた古泉は 「そうなんです。無理やりですよね。でも、無理やりなことでも起こしてしまう、それが涼宮さんなんですよ」 あくまでキーはあなたです。何事もあなた主導で、と言い残し、古泉はさっさと自分のクラスに戻っていった。 役立たずめとも言いたくなったが、俺も尽くす策は何も持ち合わせてない役立たずなんだよなぁ・・・ やれやれだぜ。 次
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翌、土曜日。 ハルヒの一存で決定された市内パトロールに意気込んで、というわけではなく、早く会っておきたいやつがいるために俺は早く家を出た。今日ばかりは妹の必殺布団はぎもなしである。一人で起きた朝ってのは爽快感に満ちあふれているもんなんだろうが、俺の心は昨日のホームルーム前から陰鬱にまみれている。 ママチャリをこぎこぎ、駅前の有料駐輪場に自転車を止めてから俺が集合場所に到着するまでには十分とかからなかった。時計は八時三十分を指している。 あたりを見回してみたが団員は誰も見あたらなかった。この時間帯に来れば俺が奢るはめにもならなさそうだが、ハルヒのことだ、屁理屈をねじ曲げて理屈にした上で俺のサイフから金を徴収するに違いない。それに、どうせ今日は俺の奢りが確定しているのだ。木曜日に宣告された。五人分、いや四人分だっけ。 「やあ、おはようございます」 俺がサイフの中身を確認していると声をかけられた。 ハッとして振り向いた。 見飽きたような微笑がある。昨日閉鎖空間で青カビ野郎とバトルしていたとは思えないほどの颯爽さをまとうそいつは、見間違いようもなく古泉一樹だった。 俺は何を言ってやろうかとしばし思い悩んでから、 「姿を見れて安心した。とりあえず、そう言っとく」 「そうですか。そう言ってくれると嬉しいですよ。僕がいることであなたが安息を感じるのだったら、僕も努力のしがいがあるというものです」 何やら思惑のありそうな笑みをたたえている。誤解しているようだったら俺は即座に今の発言を取り消すぜ。 「いいじゃないですか。人間誰しも、他人に必要とされるのは嬉しいものなんですよ。僕が思うに、本質的に孤独が好きな人間というのはこの世にはいないと思いますね」 「そういう話は佐々木とやってくれ。そんなことを言われても、俺には何とも答えようがないぜ」 古泉は苦笑して申し訳ありませんと謝罪すると、ではと言ってあさっての方向を指さした。指先からレーザーでも出ているのか? 「違いますよ。僕は平常の状態ではそんな力は持っていませんからね。僕が指さしているのは喫茶店です。長門さんが消えたことについて、僕が知っているだけをお話しようかと思いまして。立ち話も何ですからね」 * 提案通りに喫茶店に入って腰を落ち着けたところで、ハルヒは朝比奈さんと一緒に来る、と古泉は言った。 「涼宮さんがいつもの調子だと、あと十分と経たずに到着してしまいますから。申し訳ないですが朝比奈さんに足止めをお願いしました。時間稼ぎしてください、とね」 ムチャな話だ。朝比奈さんにハルヒの足止めを頼んだところで三秒ほど遅らせられるかも微妙なところだが、そこの無用なツッコミは控えておく。 「本題に入ってくれ。なぜ長門がいないんだ。冬の時みたいに世界改変があったのか?」 「いいえ」 古泉は俺の説をあっさり否定した。 「と、僕は思っているんですがね。せっかくですから段階を踏んで考えてみましょうか。たとえば、今の状況とあの時の状況を比較してみればそういう答えにたどり着けます。思い出して下さい、冬に長門さんの世界改変があったとき、その世界は元の世界と何が違いましたか?」 古泉の問いに、俺は記憶を探った。つい半年前のことがかなり昔のことに感じられる。 「そんなもんは簡単だ。まず、俺の後ろの席にハルヒじゃなくてカナダに行ったはずの朝倉がいた。そしてハルヒはお前と一緒に光陽園学院にいて、長門や朝比奈さんは何も知らない眼鏡っ娘と上級生だった。SOS団がなくて、SOS団の部室はただの文芸部室で……」 「いえ、そんなところはいいんですよ。僕が言いたいのは、あの世界の涼宮さんや長門さん、朝比奈さん、僕に不思議な力があったかどうかというところなんです」 断言してやる。なかった。 「そうでしょう?」 古泉はウーロン茶の入ったコップをカチャカチャと音を立てて振りながら、 「では今の状態と比較してみましょうか。現在、少なくとも僕や朝比奈さんには超能力者や未来人といったプロフィールが失われていません。冬に世界改変が起こったときにSOS団の団員からそういう力がなくなったことを思えば、僕たちの力がまったく何も変わっていない状態は世界改変だとは考えにくいですよ」 そんな強引な。 疑わしそうな顔をする俺に、古泉は続けた。 「もう少し推理ゲームを続けてみましょう。今度は別の観点からです。あなたは昨日ずいぶんと学校を探索なさったようですが、その時違っていたものは何でしたか? 長門さんがいたときと、いないときで違っていたものです」 「長門の机と椅子、長門の本、長門の七夕の短冊とか、そんなところだな。全部なかった」 「他には?」 「特にない。ああ、マンションの長門の部屋が空き部屋になってたか」 俺の返答を聞いて、古泉はわざとらしく笑った。 「ものすごく単純明快ですね。もうお解りになっていると思いますが、変わっているのは長門さんに関するものだけなんですよ。いえ、正確に言うのならば、地球上に存在するTFEI端末に関するものだけ、ですね。考えてみて下さい、長門さんや喜緑さんのもの以外のものは何一つとして変わってなかったのではありませんか?」 その通りである。長門に関わる記憶と長門の所有物をのぞいて、木曜日と金曜日で変わっているものは何もない。偶然にしてはできすぎだというのは俺も思っていた。 今言ったことをふまえれば、と古泉がまとめをするように述べた。 「つまり、これは世界改変で世界ごと変わってしまったのではなく、むしろ正しい世界からTFEI端末だけがきれいさっぱり消え失せてしまったというほうが考えやすいですね。それ以外のものは以前と変わっていないのは不自然ですから。ようするに、TFEI端末なんてのはこの世界に最初から存在しなかったんですよ。だから誰も長門さんのことを知らない。そういう理屈です」 俺は大きく息を吸った。そして吐いた。 世界改変ではなく、長門たちだけがこの世界から消失したのだ。長門が最初から世界にいないのだから、それに関する記憶もそれに関する物も一切ない、と。 そんなバカなと思う一方で、俺は納得していた。 古泉の言うとおりである。変わっているのは長門に関するものだけで、他におかしなところはない。まるで長門有希という存在や喜緑江美里という存在が最初からなかったかのように扱われているのが現在の状況だ。それは世界改変が起こって長門たちがいなくなったのではなく、もっと単純に、長門や他のインターフェースが何かの事情で元の世界から消えてしまったということなのではないか。筋が通った理屈ではあるが、これでは何の解決にもなっていないぜ。 何らかの事情ってのは、何なんだ。誰かが意図して長門たちを消し去ったのか。だとしたら、それは誰なんだ。いや、誰かという部分でなら大方見当はついているのだが。 「ほう、もう見当がついているんですか? 奇遇ですね、実は僕もだいたいこれではないかという予測なら立っているんですよ。そしてもっと奇遇なことに、おそらく僕が思っている人物とあなたが思っている人物は同じです。当てて見せましょう、それは周防九曜です。違いますか?」 違わん。しかし、かといって俺は驚かなかった。奴の他に心当たりなどない。 「そうですね。長門さんのようなインターフェースたちを一気に片づけることのできる存在など、他にはありえません。それに彼女たちは前々から敵対していたため、いつ侵攻が再開されてもおかしくはありませんしね。ところが、ここで疑問が浮上してきますよ。そうですね、三つですか」 古泉は顔の前で手を組んで、おもむろに言った。 「一つ目は、なぜ長門さんたちがそのような圧力に簡単にやられてしまったかということです。長門さんたちのことですから、完全敗北などというのはまずありえません。それなのに情報統合思念体製のインターフェースはほとんど何の痕跡もなく一夜にして姿を消している。それはなぜかということです。 そして二つ目の疑問ですね。それは、存在を消去するなどということが本当に周防九曜にできるかどうかということです。長門さんたちのような強大な存在を元からいなかったことにするわけですから、これは相当の情報改変能力を持っていないと不可能ですね。 さらに三つ目ですが、これはちょっと種類の違う問題です。それは、なぜ僕たちだけが普通の人間とは違う記憶を持っているのかということです。普通の人間は消えてしまったインターフェースについての記憶を持っていないらしいですが、なぜか僕たちは持っている。長門さんが世界に存在していたことを知っている。どうしてでしょうね」 「いや、一つ目の謎なら解ったぜ」 俺は思わずにやけた。そうか、そういうことだったのか。 なぜ長門たちが九曜相手にそんな簡単にやられちまったのか。聞いた瞬間ピンときたね。 まず古泉の考え方が間違っているのだ。九曜は長門を相手に真っ向勝負などしていない。真っ向勝負なら長門だって互角か、勢力的にはそれ以上だ。それでも長門や他のインターフェースは抵抗できずに消されちまった。なぜか。 部室で聞いた長門の言葉が蘇る。 ――天蓋領域が、彼らのインターフェースを地球上から退去させた。 ――天蓋領域の持つ力は情報統合思念体とほぼ互角だと判明している。退去の理由をはっきりさせないまま放っておくわけにはいかない。今、情報統合思念体が総力を挙げて天蓋領域の位置特定をしているところ。 そういうことだったのだ。やはり俺の勘は正しかった。長門は簡単にやられちまったんじゃない。敵がどこにいるか解らなくて防御できなかったのだ。九曜が行方をくらましたのもそのためだろう。自分の攻撃を見切られないために、長門たちの死角に回ったのだ。そして不意打ちのごとく奇襲を仕掛け、見事インターフェースたちの存在を消すことに成功した。 そんなところだな。 俺が話してやると、古泉は感嘆したように唸った。 「なるほど。不意打ちですか。確かに充分ありえます。まったく、考える役まで取られたら僕はどうしたらいいんでしょうかね」 「取る気はねえよ。それに俺にも二つ目と三つ目は解らん」 なんで俺らだけが正しい記憶を持っているのかとか、存在を消去するなんて芸当が九曜にできるのか。まず二つ目、存在を消去するということが九曜にできるかだな。 しかし、さすがに手がかりなしで解る問題ではない。できないんじゃねえか? 勘だけどさ。 「同感です」 意外にも古泉が乗ってきた。若干真面目っぽい口調で、 「たとえ話をしますが、朝倉涼子が長門さんと戦って敗れたときがあったでしょう。事実上はカナダに転校したことになっていますね」 その話はあまり思い出したくないのだが。朝倉と聞いただけで鳥肌が立つ。 「申し訳ありません。少しですから辛抱して下さい。ここで浮上する問題は、なぜ朝倉涼子はカナダに転校したなどと、事実をねじまげてややこしいことにしているのかです。もし長門さんが個体の存在を消す能力を持っているのだとしたら、朝倉涼子という存在を消して、そういう人間は最初からいなかったことにすればいいのです。そのほうが安全で、より確実ですしね。周りの人間の記憶にも、最初からいなかったわけですから、朝倉涼子に関することは何も残らないわけです。ちょうど今回の長門さんのようにね。しかしあの時の長門さんがそれをしなかったということは、つまり存在自体を消してしまうのは不可能だったんですよ。だから仕方なく、カナダに転校したということにしてすませたんです。無論、長門さんにできないことが周防九曜にもできないという保証はありませんが、彼女が長門さんと同程度の力を持っていることを考えればできない可能性のほうが高いですよ。どうです、解りましたか?」 …………。 ああ、まあ解ったと言えばそうなのだが、否定するだけ徹底的に否定されてもな。九曜には長門たちの存在を消せないだろうというのは理解したが、じゃあ現に長門が消えてるこの状況は何なんだよ。実は長門はどっかに隠れてるとか、そういうオチか? 「いえ、それはありません。我々の組織が世界中をくまなく調査しました。ですから長門有希という存在が消えていることは事実です。長門さんの消失に直接的または間接的に周防九曜が関わっているということも事実でしょう。しかしそれ以上は解りかねますね。それ以上を推理しようとすると、それはただの予測になってしまいます。何かヒントのようなものでもあればいいのですが……」 古泉がウーロン茶のグラスをかたむけながら俺に流し目を送ってくる。何だよその目は。 「あなたが何かヒントのようなものでも握っているのではないかと思いまして」 何だこいつ、さては知ってるんじゃないのか? 俺はせめて聞こえよがしにため息を吐いてポケットに手をつっこんだ。どうせこいつに見せるために持ってきたのだ。あるだろうと言われてあえて隠すほど俺は幼稚じゃないからな。 「ほらよ」 俺は古泉に例のコピーを手渡した。喜緑さんが書いたと思しき文書である。 古泉はにやりと笑ってコピーに目を通し、俺に出所と作者を言わせた。そのまま教えてやると、古泉は興味深そうな顔をしてあごに手を当てていたが、 「少々お借りするわけにはいきませんかね」 と言い出した。いいぜ。しかしそのパスワードは部室のパソコンのものじゃないみたいだ。起動させたところでロックがかかってるパソコンは一つもなかった。 「了解しました。鋭意努力させていただきますよ。場合によっては、二つ目の謎――周防九曜に存在抹消能力があるか――も解けるかもしれません。僕にはあなたのように涼宮さんをどうにかできる力はありませんから、僕は僕のできることをするまでです」 古泉は宝物を扱うような手つきでコピーをポケットにしまい、 「では、三つ目の謎に移りましょうか」 ふむ。 古泉が提示した三つの謎のうち最後の謎。 なぜ俺や朝比奈さんや古泉だけが、谷口や国木田とは違う記憶を持っているのか。つまり、なぜ俺たちだけが長門有希という人物が存在したことを知っているのか。 そういえば十二月に長門の世界改変があったときも俺だけが正しい記憶を持っていた。しかしあれは違う世界に俺が一人放置されたからであり、今回はどうも世界が違うわけではないらしい。元の正しい世界で条件は一般人と同じはずなのに、なぜか俺たちだけがいないはずの長門の記憶を持っている。 「いくつかの仮説が立てられますね」 古泉は言い、 「一つ目は僕たちが長門さんの近くにいたからという仮説です。長門有希という存在が消されるにともなって他の人間の記憶から長門有希という存在は抹消されたわけですが、長門さんに関する記憶をたくさん持っていた僕たちは、記憶が完全に抹消されずに痕跡が残っているという仮説です」 「それはダメだな。俺と同じくらい長門の記憶を持ってるハルヒは長門のことを完全に忘れちまってるみたいだ。昨日いろいろ話してみたが、ちっとも思い出さなかった。それに後半部分も否定させてもらうが、俺の長門に関する記憶はこれっぽっちも破損してない。痕跡なんかじゃなくてしっかり残ってるんだ」 だから世界のほうが変わっちまったんじゃないかと勘違いしたのだ。木曜日から金曜日になった時点で、俺の記憶は昨日とこれっぽっちも変わっていない。 「ううむ、では二つ目です。次の仮説は、この状態を創り出した人物が何らかの理由で僕たちの記憶だけを操作したのではないかということです。つまり長門さんを消した後に僕たちに長門さんの記憶を埋め込んだという仮説ですね。これは少し現実味があって、たとえばこういう状況下で僕たちはどういった行動を取るかなどというデータを採取するためとかいう理由も考えられます」 確かにそれはありえるかもしれん。どうせあの地球外生命体のことだから、俺たちのことは実験用モルモット程度にしか考えてないに違いない。いつか窮鼠になったとき噛んでやりたいものだが。 「あるいは」 と、古泉は重々しい表情で最後の仮説を口にした。 「これから僕たちの身に何かが起こるという可能性です。最初は僕や朝比奈さんのような能力者たちも統合思念体のインターフェースと一緒に消すつもりだったのが、何らかの事情で失敗してしまった。結果、僕たちは長門さんの記憶を持ったままこの世界にとどまることになった。しかし推理小説で真相を知ってしまった人物が殺されるように、僕たちもまた消されるのを待つ身なのかもしれません」 俺が何か言い返してやろうと模索しているとき、 「こらあーっ!」 耳が痛い黄色い叫び声が大音響でした。 同時刻に居合わせた店の客が何事かとそちらを振り返る。 ああ……。古泉が渋い顔になるのが解ったね。 客の視線を受け止めながらも傲然とこちらに向かって歩いてくるその女、周りの人間はその叫び声が自分に向けられたものでないと解ってさぞかし安堵したことだろう。ただしその中に必ず一人はどんよりしなければならない人間がいるわけで、それが俺と古泉であるのは言うまでもない。 Tシャツとデニム姿で憤然とした顔をしてこっちに歩いてくる女の横には、ワンピースにカーディガンを羽織って顔を赤らめる朝比奈さんの姿を見て取ることができる。俺を見つけると、ゴメンナサイと手を合わせた。 その朝比奈さんを従えるようにして、見物客の興味深そうな視線と下心ある視線を受け止めるそいつは、我がSOS団の団長に他ならないのだった。 * 「何でここにいたのよ」 周りの視線が痛くて非常に居心地が悪いためできれば場所を変えたいのだが、ハルヒがそんなことを聞き入れてくれるわけがなく、俺はただただ平身低頭するのみだった。 どうやら俺の予想通り、朝比奈さんのハルヒ引き留め作戦はまったく長持ちしなかったらしい。それでも時計を見ればもう九時五分なのだから、朝比奈さんにしては無理な敵相手に充分健闘したほうだろうね。 「いや、九時よりも三十分も前に来ちまったんでな。この暑い中で立ってるのも嫌だったから、一緒にいた古泉と涼ませてもらうことにしたんだ。悪かった」 当然ハルヒがそれだけで収まるわけもなく、目を三角形に吊り上げて、 「あたしたちはこの暑い中を五分も待たされてたのよ! ねえ、みくるちゃん?」 「え、ええと……あの、その……」 朝比奈さんはどうしていいか解らないらしい。いやいや俺なら構いませんよ。 「申し訳ありませんでした。副団長として失格ですね」 一方で、白々しいにも程がある言葉を平気で吐いているのは古泉であり、それにハルヒが納得顔でうんうんうなずいているのもなんかむかつく。 「古泉くんはいいのよ。働き者だし、SOS団の発展に大いに貢献してくれてるもんね。一回くらいのミスなら充分許せる範囲よ。けどキョン、あんたは一番古参のくせにいまだに平団員なの。恥ずかしくないの? もっと気を引き締めなさい」 誰に恥ずべきものか。むしろこの珍妙な団体に所属していること自体を恥じるべきなのではないかと思いながら、 「だからすまなかった。謝る。悪かった」 「口だけの謝罪なら受け取らないわ。そんな行動を伴わない謝り方じゃ全然ダメよ」 では他にどうしようがあるかと思い悩む俺にハルヒが言った。 「代償は今日のお昼ですませてあげるわ。今日のお昼、キョンの奢りだから!」 * 私服にエプロン姿の店員がアイスミルクティーを運んできてハルヒの前に置いた。他の二人は俺のサイフを気遣ってか何も注文していないのに。ハルヒ、空気を読め。 「じゃあクジ引きね。いつもみたいに二人と二人のペアで」 ハルヒはストローに口をつけると遠慮知らずに半分ほど一気飲みし、テーブルの容器から楊枝を四本取り出した。ささっと印をつけると俺たちの手元に楊枝をやり、古泉、朝比奈さん、俺の順番で楊枝を引く。最後に残った楊枝はハルヒが持った。楊枝は四本。これだけ。 瞬間、俺は目眩を感じた。 ああくそ、何だこの違和感は。 いや理由なら解っているのだ。 俺の対面にいるはずの誰かがいない。印入りの楊枝を珍しいものでも見るような目でじっと見つめている読書少女が。希薄のようで強い存在感を誇る長門が。まるで、ぽっかりと空いた底なし穴のようだ。決定的に違うのに誰も指摘せず、自分も指摘してはいけないというこのもどかしさ。長門の分を忘れるんじゃねえと叫んでやりたいのに。 「ふうーん。この組み合わせね」 ハルヒの一声で我に返った。 自分の手元にある楊枝を見ると、赤印入りだった。朝比奈さんを見ると無印の楊枝を握っていて、古泉を見ても営業スマイルを崩さないまま無印の楊枝を握っている。四人だから、ということは。 「あんたはあたしとねえ」 ハルヒが楊枝と俺を見比べて不気味に笑っている。 うむ、俺はとことん運に見放されたようだ。いや別に俺がハルヒと一緒だからとかいう意味ではなく、古泉と朝比奈さんが一緒だからという意味でだ。一応釈明しておくが。 「都合がいいじゃないですか」 隣に座っていた古泉が耳打ちしてきた。顔が近い。 「大丈夫ですよ。あのメッセージについては僕と朝比奈さんでよく検討してみます。あなたはどうぞ、涼宮さんとゆっくりなさっててください」 「よく言うぜ。俺がハルヒといてゆっくりできた経験なんて数えるほどしかねえよ」 「数えるだけあれば充分ですよ。僕からすれば、そんな涼宮さんはえらく貴重ですからね。あなたにとってどうなのかは知りませんが」 俺にとっても何も、ハルヒはいつもああなんだろ。傍若無人とか猪突猛進とか、そういう感じの四字熟語で簡単に表現できる。 「さあ。あなたなら彼女の本質を見抜けているものだとばかり思っていたのですがね」 古泉は音もなく笑い、俺はハルヒに目をやった。朝比奈さんに意味もなく抱きついてひいひい言わせている。何が本質だ。 「じゃ、みんなそういうことでいいわね。みくるちゃんも、いい?」 「え? あ、はい」 朝比奈さんはハルヒに無理やりうなずかされ、古泉はイエスマンで、俺にはもともと反対票を投じる権利がなく、よって俺は午前中の間ハルヒと街をぶらぶらする権利もとい義務を負ったのだった。ハルヒは残っていたアイスティーをきれいに飲み干して、 「そうとなったら出発ね! さあみんな、じゃんじゃん不思議を見つけてきなさい!」 俺はそんなハルヒの声をバックに聞きながら、誰も手に取る気配がない伝票へひっそりと手を伸ばした。 * 俺が会計を終えて喫茶店を出たところで朝比奈古泉ペアと別れた。 「まずは服ね」 よくよく考えてみれば、ハルヒと不思議探索を行うのはけっこう稀なことである。ハルヒのチートパワーが無意識のうちに働いているのか、まあ二月頃に八日後から朝比奈さんが来たときには俺のほうから長門に頼み込んでイカサマをやってもらったときもあったわけだが、それにしてもハルヒと二人で市内ぶらぶら歩きを共にしたのは、以外と団員の中で一番少ないかもしれない。 故に俺はハルヒが普段どのような不思議探しっぷりをするのか知らない。当の団長様である。マンホールの中に侵入してUFOの破片を探せとか人気のない神社の裏側で幽霊とツーショットを撮れとか言うのだろうか、とりあえずメジャー運動部並の肉体労働程度は強いられるものだと思っていたが、意外なことにハルヒが俺の手を引いて真っ先に向かったのは駅の近くにある総合デパートだった。 食品、衣料品がメインの大型デパートである。俺が団活動外でもたまに足を運ぶほどの超一般的な場所ということに加えて、この街でもトップ争いに加わるほどメジャーな場所である。いったいここに何があるというのか。 「服よ」 ハルヒは言ってのけ、他の物には目もくれずにエスカレーターで衣料品売場に上がっていった。俺もハルヒの大股に置いて行かれまいとしてエスカレーターに足を乗せる。 到着した先は確かに衣料品売場であった。夏が近いからか、目一杯に広がった店内には水着の類の姿も見受けられる。どうせ俺には縁のないシロモノだな。朝比奈さんか長門あたりに着せてみたい水着ならいくつかあるが。 「おいハルヒ、こんなところに不思議があるのか?」 「あるわよ」 ハルヒは自信満々に答えた。 「最初は裏路地とかマンホールの中とか探してたんだけどね、でもおかしいくらいに何も出てこなかったのよ」 当然である。 「それで閃いたわけ。不思議のほうも、最近はあたしみたいな不思議探索者に見つかるまいとして、あえてマイナーな場所じゃなくてメジャーな場所に来てるんじゃないかってね。だって、見るからに怪しそうなところにいなかったんだもん。消去法的にメジャーなこういうところにいることになるのよ」 「それだったら、不思議は普通の買い物客にも見つけられちまうんじゃないのか?」 「普通の買い物客の目は所詮一般人並よ。あたしみたいな熟練した目を持ってないと不思議なんか見つかりっこないわ」 都合のいいハルヒ的理屈である。マイナーなところにもメジャーなところにもオトモのように従わせてハルヒが身をくっつけている長門や朝比奈さん、古泉が実は不思議の塊だったと気づくのはいつだろうね。 「じゃ、こっからは別行動で。みくるちゃんとかの新しい水着も見ておきたいしね」 と言い残し、ハルヒはさっさとどこかへ消えてしまった。 あいつは何だろう、こんなところで本気で不思議が見つかるものと思っているのだろうか。 いや思ってるはずがないね。目的が服の物色であることは明らかだ。 だったらなぜ不思議探しをするなどと言って休日に俺たちを集めるのか理解できないが、まあそれでいいんだろうよ。そうでなけりゃこんなSOS団とかいうハルヒが探す不思議以上に謎な団体があるわけないし、ありもしない幻想を追い求めるのが涼宮ハルヒという女の定義だからな。いまさら朝比奈さんや古泉の肩書きが一般高校生に戻されても俺を含む全員が困惑するだけだろうし、そう考えると現状維持ってのは大切なものだと思えてくる。何の不可抗力だろうと、長門だろうが朝比奈さんだろうが、たとえ古泉だとしても、団員の誰かが突然いなくなるなんて事態になってもらっちゃ困るんだよ。誰だってそう思うだろ? * 結局さっきの衣料品売場ではボロ雑巾製造器(シャミセンのことだ)に引き裂かれたGジャンの代用品になりそうなものは見つからず、その代わり去年の夏だったか長門が恐ろしく貴重なことに私服だったときのクロスチェックのノースリーブを売っているのを見つけた。だからどうしたという話だが、俺はそこに合わせて長門の小柄な姿がそこにあるような錯覚を受けて、いやもうこれは本当にヤバイのかもしれん。精神疲労が溜まりすぎて視覚情報がぶっ飛んじまってるのだろうか。 ところで、ハルヒは終始まともな女子高生を演じ続けた。話の内容がアレだったことは否めないわけだがデートしてますよと言われればそう見えなくもない状態であり、ついでに俺にはそんな意識などノミほどもなかったことを付け加えておく。 まあ楽しかったさ。 メガネ少年を助けたときに朝比奈さんと食った地下食品売場の団子もハルヒと一緒に食べたりした。不思議探しと名付けられた暇つぶしだ。 「あら、もう時間ね」 他の店を見たりして適当にぶらぶらしているうち二時間はあっという間に過ぎ、ハルヒのその一声で俺たちはデパートの自動ドアをくぐった。 ちょっと意外だった。ハルヒもけっこう常識人並の時間の使い方を知っているものだ、と。 * デパートから出ると俺はハルヒに無意味なダッシュを強要され、それに加えて夏の日差しのが容赦なく照りつけるために駅前に着く頃には全身汗まみれになっていた。そんな状態の俺を出迎えたのはスマイルの古泉と、それに伴われて買い物袋を提げている朝比奈天使である。古泉、てめえ朝比奈さんに寄り添うんじゃねえ。 「何か不思議なものは見つかった?」 訊くハルヒに古泉は苦い顔になって、 「いえ、何も見つかりませんでした。申し訳ありません」 「あっそう」 ハルヒはずいぶんとどうでもよさそうに反応する。 「ま、やってりゃそのうち何かが出てくるわよ。今まで一年やっても出てこなかったんだから持久戦になるかもしれないけど、絶対に諦めちゃダメよ。みくるちゃんも、お茶ばっか買ってるんじゃなくてしっかり不思議を探しなさい」 「え、あ、はい」 いきなり話を振られて動揺する朝比奈さんである。その顔がいつもより若干疲れているように見えるが、それは古泉と一緒だったからという理由ではなく、未来と接続を絶たれたからなんだろうね。俺がどうあがいたところで、朝比奈さんの故郷はあっちらしいからな。 「じゃ、お昼ご飯にしましょ」 ハルヒの一声で、SOS団の面々は駅前からファーストフードへと居場所を移すことになった。俺の財産を慮ってくれたのか知らないが、安上がりの店で助かった。 昼飯を食べている途中、ハルヒは楊枝を取り出してまたチーム分けしようと言い出した。 「また二人二人のペアでいいわよね」 ナポリタンスパゲティをズズズと口に収めると、ハルヒは朝と同じように二本の楊枝に赤印をつけ、俺たちの手元に持ってくる。 「おお」 俺の引いた楊枝には赤印が入っている。そしてどうだろう、向かいに座っている朝比奈さんがぽわっとした感じで見つめているその楊枝にもしっかりと赤印が入っているではないか。当然、残りのハルヒと古泉は無印である。 何ということだ、どこぞの神様が不運の果てに漂着した俺を見かねたのだろうか。 俺が思わずにやけでもしていたのだろうか、ハルヒは朝比奈さんと俺を見比べてペリカンのような口をした。 「ふうん、あんたはみくるちゃんとね。強運なことねえ」 ハルヒは目を細めて俺を見ると、伝票を俺に叩きつけて席を立った。