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南ハルカ伝説その1 目の前に露出狂が飛び出してきた時 いきなりその男のモノを掴むと高速でしごきだし 果てさせた後、金的に蹴り。この間約9秒。 「はっはっはっ、竿竹屋がつぶれないように サオだけは潰れなかったわけだ」 ガチャン!! 笑っていたカナがその音に振り向くと 「カナ、ちょっと話し合いましょう」 とハルカがカナを奥の部屋に連れて行った。 思わず見た夢をそのまま書いてしまった 夢を見たことについては反省していない
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第9回 下丸子 その夜、ハルカは悪夢に悩まされた。 それがまた青青魚魚による攻撃なのか、それとも、恐怖に怯える自分の心が見た幻なのかはわからない。 青青魚魚の、うつろなあの「目」と、「イエローおばさん」の、不幸に破壊されつくした皺だらけの顔が、頭から離れなかった。 目が覚めたとき、それが普通に木曜日の朝であることに、ハルカは心底ほっとした。 今日も憎らしいほどにいい天気だ。 ベッドの中で天井を凝視しながら、ハルカは考えを固めた。 「イエローおばさん」は、だめだ。残された手がかりは、別れたときの状況しかない。 少年が走り去っていった方向と、分かれた時の「500」を思い出した。 多摩川大橋からガス橋方向に、自転車で500数える以内でたどり着ける範囲。そこに彼の住処があるはずなのだ。漠然と世田谷方面とだけ考えていたが、その条件に当てはまる地域はどこだろう。 あの自転車は、かなりのスピードが出るようだった。残像に乗ることによる加速もあったろうが、メギ曜日の中にあっても、とばせば時速30キロは出るだろう。 「500」をざっくり10分弱と考えると、その間に、ざっと5キロ。 以前に酒屋のくれた、広告入りの蒲田周辺地図を取り出し、ハルカは多摩川大橋のたもと、東京側を中心に、コンパスでその半径の円を描いた。 これではまだ面積的に広いが、さらに範囲を絞り込めるはずだ。 円内の東側の約半分、多摩川大橋から下流の範囲は、確実に無視できる。 少年があえてガス橋を目指した以上、その住居も上流方向にあるはずだからだ。 南半分、川崎側も無視できるはずだ。少年とハルカが出会ったとき、すでにメギ曜日は終わりかけていた。彼が帰宅の途中でハルカを発見したであろうことは間違いないだろう。 これで円の四分の三が消える。 残されたのは、北西方向の四分の一、やはり大田区の下丸子、矢口、南久が原といったあたりだ。面積にして、ほぼ2キロ四方。少年の自転車がさらに速いと、世田谷区にまで達している可能性もあったが、残り四日間で調べられるのは、せいぜいこの程度だろう。 間が悪いことに土曜までは夏期講習だ。丸一日使えるのは日曜しかない。 できれば、講習をサボってでも探しに行きたいところだが、いまや両親はあきらかにハルカの行動を不審がり、目を光らせている。バレて外出禁止にでもなったら万事休すだ。 ここは表面上だけでも、おとなしく見せておく必要があった。 後は時間の許す限り、この地域をしらみ潰しに調べてみるしかない。 ハルカは講習が終わると、そのまま自転車でダッシュして、ガス橋に向かった。 今日も門限まではせいぜい一時間半しかない。下丸子方面を回れればいいところだ。 調べてすぐにわかったことに、この地域は「キヤノン」の本社をはじめとして、「三菱自工」や「日本精工」など、オフィスや工場が固まっており、住宅地の割合はわりと少ない。歩き回る範囲がさらに狭まったのは幸運といえた。 もうひとつわかったことは、こうした聞き込みが、刑事ドラマのようにうまくいくものでは全くない、ということだ。 一応ノートなどを抱え、学校の課題風を装ってはいたが、「黄色い自転車に乗った男の子を見かけませんか?」などという質問はいかにも怪しかった。街の住人の対応はそっけなく、せいぜいまた「イエローおばさん」の話を繰り返されるだけだ。期待していた近所の小中学生などは、誰も 「知らねー」 の一点張りだ。 思い詰めたような目つきをして、頬に大きな湿布を貼った中学生に、道端で突然こんな質問をされたら、自分だって相手にするとは思えない。 一時間半はあっという間だった。ひょっとして、また通りかかるのではないかとガス 橋のたもとで、20分ほど待ってみたが、これも無駄だ。 虫の声がかすかに響く、夕闇の多摩川土手を、ハルカは空しく引き返した。 あと三日。 金曜日は、ほとんど調査にならなかった。六時から家族で外食だったからだ。 別に特別な何かがある日ではなかったが、思うに娘の様子がよほど心配なのだろう。 やたらと優しい両親が、むしろ気の毒でならなかったが、やはり気が焦って仕方がなかった。 だがこの日、講習の間にも聞き込みを続けていたハルカは、調査とは直接関係しないものの、興味深い話を聞くことができた。 蓮沼中学の男子によると、「イエローおばさん」のような話は、大井町に限らず、実は日本中によくあるものだという。 「ピンクおばさん」「青おばさん」など、噂も半ば入り混じって、様々なバリエーションが存在するのだと教えてくれた。彼は言った。 「半分はただの変わった趣味だと思うけどね。林家ペーとか。でも残りの、言ってみると本気の人たちは、たぶん色によって、何かから身を守っているつもりなんじゃないかと思うな」 そうとも。ハルカは思った。 本当に守っていた人がいたに違いない。そして守りきれなかったのだ。日本中で。 ハルカは、その可能性にぞっとした。 自分も、あるいはそうなる。こんな話はよくあるのかもしれない。 あと二日。 カナタとフトシ 土曜日になった。 ようやく頬の湿布を取ることができ、体の調子も回復してきたが、気分は晴れるどころか、ますます鬱々として、焦りばかりがつのっていた。 今日明日で見つけられなければ最後だ。 しかしどうしたらいいのだろう。「イエローおばさん」の線が消え、聞き込みによる調査も、ほとんど効果がないことはもう明らかだった。 一つ方法として、エビの類を一切口にせず、日曜から月曜まで、完全に眠ってしまえば、メギ曜日に目覚めることなく済むのでは、と思ったのだが、火曜日のことを思うと、青青魚魚にその手が通用するか、自信はなかった。 最終日の講習が終わると、ハルカはあてどなく自転車を走らせていた。時間は一秒でも惜しいのに、あの少年を探し出す元気が起こらなかった。 (どうせ無駄だ) (うまくいきっこない) (しかしどうしたら) 答えの出ない問いを、頭の中で果てしなく繰り返した。 六時すぎになって、ハルカはいつしか自転車を学校に向けていた、 空は早くも見事な黄金色の夕焼けだ。雲の流れが速い。また雨が降るのかもしれない。 校門の方に顔を戻して、ハルカはぽかんと口を開けた。 あの少年が立っていた。 見間違えるはずのない、あの顔だ。 この辺りではあまり見かけない、藍色の制服に身を包んでいた。確かちょっと有名な私立校ではなかったろうか。襟に銀色で「I」とあった。 それは裕福そうで、賢そうで、そして少し悲しそうな目をした少年だった。 「遅かったな。もう帰ろうかと思った」 呆然としているハルカに、一歩進みだして少年が言った。 「五日間待った。フトシがどうしてもって言わなきゃ、とっくにやめてる。感謝しろよな」 その傍らから別の声がした。 「でもやっぱりきた! やっぱりだ!」 見ると、少年の影にもう一人子供がいた。丸々太った坊主頭の小学生だ。 「どうして」 ここが、と言おうとして先を続けられなかった。あれだけ探した相手を見つけられた安堵よりも、驚愕の方が強かった。 「この前」 少年は、例によってぶっきらぼうな口調で話した。 「家を聞いたとき、東矢口と言ったろう。 東矢口には、中学は二つしかない。第一と第二。 第一の方が、多摩川大橋から遠い。学区は住所で決まってるから、おまえが第一の生徒なら、あれから500で家に帰れない。もう死ぬか、狂ってるはずだ。 ひょっとしたら私立の生徒かもしれないし、オレはもうムダだと思ったけど、フトシがうるさいから、ここで月曜から待ってみた」 「でもやっぱりきた! やっぱりだ!」 うれしそうに坊主頭が繰り返した。してみると、この子がフトシなのだろう。 考えてみれば、しごく単純明快な推理だった。だが今は夏休みだ。来るかどうかも定かではないハルカを、ここで5日も待ってくれていたのかと思うと、思わず胸に熱いものがこみ上げた。 だが、涙ぐむハルカを、少年の次の一言が我に返らせた。 「週末は雨だ。アオウオが来る」 ハルカは震えながらうなずいた。 「もう来たの、火曜日の夜。家の中まで入ってきた」 少年は少し驚いた様子だった。 「食われなかったのか」 「体が動かなかったから」 ようやく合点がいったという風だ。 「ケド第二曜日か。素人で良かったな。普通に第一曜日だったら食われてた」 声に少しだけ嘲りがあった。 こんなものに素人も玄人もあるというのか! ハルカは思わずむっとした。 口も挟ませず、少年はぴしゃりと言い放った。 「いいか、もう時間がない。良く聞け。 週末は雨だ。あいつがまた川から上がってくる。 あいつは、目をつけた相手を引きずり寄せることができる。徹夜したり、睡眠薬とかでやり過ごそうとしても無駄だ」 火曜日のことをまざまざと思い出した。 「メギ曜日、目が覚めてまだ無事だったら、サンライズカマタまで来い。走って。つかまる前に」 「駅前の?」 サンライズカマタは、JR蒲田駅前にある商店街だ。いきなり出てきた妙な名前に、ハルカは呆気にとられた。 「そうだ。それと、先週着てた服を必ず持って来い。袋かなんかに入れて」 少年の言葉はいちいち突拍子もなかった。 「服を? なんで」 「このまま食われたくなかったら言う通りにしろ。 いいか、先週着ていた服を持って、サンライズカマタまで来い。じゃあな!」 「でもくるよ! この人はキクコだ! きっとくるよ!」 坊主頭のフトシが、合いの手を入れて歌うように言った。 言うだけ言って、二人はさっさと立ち去ろうとする。 「ちょっと!」 ハルカは急に不安になって駆け寄った。 少年は止まりもしない。ハルカは早足でなんとか少年に追いすがりながら言った。並んでみるとハルカより少し背が低い。 「また会ってくれる?明日とか?」 「ダメだ。本当はこっちもそれどころじゃないんだ。おまえのせいですっかり時間を食った」 「でもくるよ! この人はキクコだ! きっとくるよ!」 かたわらのフトシがうれしそうに繰り返す。誰がキクコだと思った。 どうにも能天気すぎるその顔を見つつ、このフトシは少し頭が弱いのではないかと思った。 「自転車はどうしたの。あの黄色い」 「何にも知らないやつだな。普段乗ってたら溶けるだろ?」 残像のことを言っているのだろうか。言われてみれば確かにその通りだ。残像にしない方法が何かあるらしいことのほうが、むしろ不思議なのだが。 「ねえ、君、名前は?」 「カナタ」 ちょっと考えるようにして少年はそれだけ答えると、そのままハルカを振り切るように突然駆け出した。 足が速い。何かスポーツでもやっているのだろうか。フトシが必死でその後を追う。弾む肉団子のように見えた。 二人はみるみる遠ざかって、夕闇の中に消えていった。 カナタにフトシ。どんな字を書くのだろう。名字は何と言うのだろう。 やっぱり謎だらけの相手だ。しかし、やはり彼らだけが頼りの綱なのだ。 明日はもう日曜日だった。 そして日曜日 ついに日曜日が来た。 ハルカは早々に起き出すと、朝食をかきこんで家を飛び出した。 サンライズカマタだ。 いったいなぜあんな場所が、青青魚魚を迎え撃つための場所なのだろう。それを確かめるためだった。 自転車のペダルを漕ぎながら、ハルカは体の調子を確かめた。成長期のおかげだろう、怪我も疲労も、一週間のうちにすっかり治まって、気力体力はともに十分だった。 雲が低い。空は一面にどんよりと曇って、蒸し暑い一日になりそうだった。天気予報は、やはり夕方から雨だ。蒲田の街をのんびりと走る東急池上線の踏切を越え、道順を確かめるように、ハルカは蒲田駅前を目指した。 サンライズカマタは、その名の通りJR蒲田駅前の商店街だ。ハルカの家からは、多摩川同様に自転車で10分とかからない。 100円ショップに洋服のサカゼン。家具の亀屋百貨店にイトーヨーカドー。日本中どこにでもある駅前のアーケードだ。 全長は約800メートル。東急目黒線、池上線に平行し、終日買い物客で賑わっている。 家からは、その出口、池上方向から近づくことになる。ハルカは出口に建ったイトーヨーカ堂の前で自転車を止め、アーケードの屋根を見上げた。 「サンライズカマタ」 野暮ったい字体で、黄色く書かれたロゴマークが浮き出している。ロゴの下にあるのは、二匹の向かい合った鳳凰らしいが、図案がどうにも下手で、みすぼらしく見えた。 羽毛の部分をめくれ上がらせて、電飾で隙間から光るようにしてあるのだが、それがよけいにまずかった。これも黄色だ。 ひょっとして、この黄色を利用するのかもしれない。しかしそれにしては、黄色の部分が足りないように思えた。これならシミズ電気の方がましだ。ハルカはますますわからなくなって、自転車を押してアーケードの中に入った。 まだ昼前だったが、早くも週末の買い物客で、かなりの賑わいを見せている。これではメギ曜日にはかなり残像が濃くなりそうだ。 たいていはどこもそうだが、アーケード内はトンネルのような完全な密閉型でなく、途中三箇所ほど、横道に通じる部分の穴が空いている。途中で屈曲しているため、全体を一望こそできないものの、サンライズカマタ自体は5分も歩けば終わりだ。 拍子抜けした。 退避壕のつもりなのかもしれないが、それにしては穴だらけのように見えた。 例の黄色い鳳凰が描いてあるのは出口だけで、入り口の方は、太陽を模したらしい趣味の悪いオブジェで飾られているが、これは赤に紫だ。 これではどこからでも侵入を許してしまうように見えてならなかった。 ひょっとして、昨日別れたカナタやフトシの姿が、どこかに見えないかと思ったが、それも見当たらない。時間がないと言っていたが、いったいどこで、何をしているのだろうか。 ハルカは、カナタの意図を図りかねながらも、今夜に備え、もう一度アーケードを往復して、地形を頭に叩き込んだ。 近くの銀行で、貯金を5000円引き出した。今日の夜に備えて、買出しをする必要があった。ユザワヤで雲母粉10袋、1600円を買った。前回の教訓から、多めに用意しておいたほうがいいと判ったからだ。 100円ショップで、パスポートケースも買った。ビニール製で、首から下げるヒモがついている。この中に予備の雲母粉を入れるつもりだった。 玄関の靴は残像になっても、パジャマやタオルケットは残像にならない。その理屈はよくわからないが、自分の体に近いものほど残像化の影響を受けないのではないかとハルカは推測していた。これでうまくいけば、ある程度の物は持ち出せる。カナタが言っていたように、先週着た服も。 釣具屋でオキアミも買った。前回の四倍、800円分。これを腹に収めることを想像すると、それだけで気分が悪くなってくるが、今日は絶対に不完全な覚醒をするわけにはいかない。 洋服のサカゼン本店で、新しいタンクトップと短パンも買った。これが1980円。 黄色いジャージの上下でもないかと探してみたのだが、そんな趣味の悪い色はなかなか在庫がないようだ。よく考えて見れば、ハルカにはカナタのような重装備で、メギ曜日をすばやく動き回れる自信がなかった。黄色い装備についてなにも言われなかったし、すると今夜重要なのは、おそらくハルカが商店街に駆け込むまでの時間なのだろう。それなら身軽な方がいい。 夕食はほとんど食べなかった。オキアミに備えるためだ。 あのオキアミは、もう料理のしようがない。熱を加えれば家中に臭いが広がるだろう。後で冷凍のまま、アイスキャンデーのようにかじるつもりだった。 こういう時に限って、おかずがハンバーグだったりするのが呪わしい。いつも通り風呂に入ると、寝る前に麦茶を飲みに来たフリをして、冷凍庫からオキアミの塊を取り出し、部屋に持ち帰った。 みっしりと凍りついた赤黒く四角い塊は、ちょっとだけアイスモナカのように見えなくもない。そう思い込んでなんとか齧りついたが、一口目から大後悔した。 ガチガチに硬い。歯が痛い。ほとんど何の味もしない氷の塊だ。だが溶け出せばジャリジャリとした歯ざわりが気持ち悪く、口の中いっぱいに生臭さが広がってくる。 せめて醤油でも持ってくればよかったかと一瞬思ったが、余計に事態が悪化するような気がしてやめた。これが四つもある。涙が出てきた。 だが、青青魚魚に食われるよりはマシだ。 死にそうになりながら全部のオキアミを腹に押し込み、服を脱いだ。 着替える前に、全身に雲母粉を塗りこんでおいた方がいいと思ったのだ。 先週買ったゴム手袋をはめ、 雲母粉の袋を次々に開封して、手足、顔、胸や腹、脇や腰と、たっぷりと全身に塗りこんでいった。その上から服を着てみると、あちこちがチクチクとくすぐったい。胸の先などは擦れて痛いくらいだ。 雲母粉の残りをパスポートケースに入れ、タンクトップの中にしまいこんだ。 先週の服を遠足用のデイパックに詰め込み、背中に背負った。これだと横寝しかできないが、どうせ寝ている暇はほとんどないだろう。バスタオル、両足の硬貨、すべての準備を抜かりなく整えると、時間はすでに1時を過ぎていた。 ハルカはベッドに横たわり、静かにそのときを待った。 オキアミのせいだろう。腹がゴロゴロと鳴った。 どこかで雨音が響き始め、しだいに強くなっていった。いちおう携帯のバイブは用意しておいたが、眠くもならない。無理やりに目を閉じて、少しでも体を休めようとした。 二時を過ぎ、三時を過ぎて、ハルカはいきなり覚醒した。 あの特有の感覚があった。 7月31.5日、メギ曜日だ。 いよいよ始まるのだ。 サンライズカマタの戦い(1) ゆっくり薄目を開けると、顔を動かさないように、そろそろと眼球だけ動かして周囲を見回した。 ひどく暗い。雨のせいだろうか、まるで海の底のような、深く暗い菫色の闇が部屋を満たしていた。 青青魚魚の気配はない。部屋は乾燥している。 すこしづつ、指先から腕、腕から肩、全身を動かした。金縛りもない。動く。 ハルカは、すばやくベッドから跳ね起きると、窓に忍び寄った。カーテンの隙間から多摩川の方向を見た。外はさらに深い闇だ。太陽も星も見えない。おそらく、日曜から月曜にかけては終日雨なのだ。数百メートルの先で、視界は急速に閉ざされていた。多摩川あたりは完全に闇の中だ。 まるで黒い霧が周囲を包んでいるかのようだった。あの「塔」も見えない。 流れる雲の残像なのだろうか、紫に染まった灰色の層が、あちこち濃淡の斑を作って、空のごく低い部分に沈殿しているように見えた。 ふと、闇の中で、かすかな光が、音もなく瞬いた。ハルカは、息を止めたまま闇の中を凝視した。 また光った。 間違いではない。 青い。 恐怖の記憶と結びつきながら、どこかひどく懐かしい青だ。ハルカはあわてて目をそらした。見ているとそのまま、あの青の奥に引き込まれそうな気がしたのだ。 遅れて音が届いた。 金属をこすり合わせるような、あの特徴的なカリカリという音だ。 青青魚魚が来る。急がなければ。 デイパックとパスポートケースが残像化していないことを確認し、部屋から出ようとして、ハルカは一瞬周囲を見渡した。 いつも通りの自分の部屋。見慣れた家具。教科書にノート、夏期講習のテキスト。しかし、今はメギ曜日だ。これから待っているのは、あの恐るべき怪物との戦いなのだ。 果たして、生きてまたここに戻ってこられるのか、想像もつかない。 ハルカは、ドアをそのまま透過して外に出た。もはや合板のドア程度は、空気も同然に感じられた。 「6・・・7・・・」 ハルカは数を数えていた。早すぎず、遅すぎず、だいたい一秒感覚とになるように。先週の教訓から、できるだけ時間の経過を把握する工夫をしたほうがいいと思ったのだ。 玄関のドアでは少してこずったものの、50を数える前に、こじあけることに成功した。 隙間から、どっと湿気が侵入してくる。すばやく体を外に引っ張り出して、ハルカはマンションの廊下に立った。 一瞬、溺れそうになった。 呼吸はできる。それなのに、「ここが水中である」ような強烈な錯覚があった。パニックに陥りそうな自分を、あわてて深呼吸を繰り返すことで堪えた。大気の様子が異常だった。単に湿気だと思っていたが、そんな単純なものではなかった。 雲母粉を全身に塗っているのに、空気はこれまでになく、ねっとりとして重い。視界の先は、急速に深い青紫に染まり、そのまま闇へと繋がっていた。 周囲の様子が、度の合わない眼鏡をかけたように、奇妙に捻じ曲がって見えた。 雨なのだ。 目には見えないが、これがメギ曜日の雨なのだ。水滴の一つ一つが全て残像となって、大気を満たしている。それが空気と水の屈折率が混じりあわせ、風景をこのように青みがからせ、歪んだように見せているのだ。 通常ありえない、飽和水蒸気量を超える湿度の世界。ハルカは、いわば空気と水との、中間の世界にいた。 「青青魚魚が川から上がってくる」というカナタの言葉が理解できた。 闇の中で、また光が瞬いたような気がした。 こちらは窓とは反対方向にある。闇の中で距離感がつかめないが、こちらからも光が見えたということは、ハルカがベッドから離れた気配を早くも察したのかもしれない。 音がした。先ほどより光と音との間隔が短い。ハルカは雷を思い出した。 ハルカは手足を泳がせながら、あわてて階段を下り、一階を目指した。 「121・・・122」 ガムをかむように数を数え続ける。これだけが恐怖を紛らしてくれる。 自動ドアを透過し、マンションの外に出る。廊下には一応屋根となる部分があった。しかしここからは完全に屋外だ。雨量はさらに増しているに違いない。 暗い。 周囲はいちだんと青黒く、歪んで見えた。空気はもはや完全に液体と化している。密度が水より低いだけだった。ハルカは、濃密な青い闇を前にして、本能的な恐怖に足が震えた。 「カリカリカリ」 音が響いてきた。光のほうは、一階にいるハルカからは、死角なのか見えなかったのだ。 来る。青青魚魚が来る。 「168・・169・・・170!」 ハルカは、青い闇の中に一歩を踏み出すと、そのまま蒲田駅前を目指して走り始めた。 水の中を動くようだった。あるいは以前テレビで見た、月面の宇宙飛行士のようだ。浮力なのか張力なのか、とにかく地面を蹴るたびに、ハルカの歩幅は、軽く2メートルを超えた。 初めて経験する、驚くべき現象なのだが、今は驚いている暇はない。 空中でバランスを取りながら、ハルカは一歩一歩、宙を飛ぶようにして走り続けた。 「224・・・225」 周囲はまったくの闇だ。まだ家からは数十メートルしか離れていないはずなのに、 自分の位置を見失いそうになった。 「312・・・313」 次第に全身の抵抗感が増してくることに、ハルカは気付いた。見ると、手足には、いつの まにかびっしりと水滴が生じ、塗りこんだ雲母粉が流されてしまっている。残像だった雨が、走り続けるハルカの肌に接触して、水滴に戻っているのだった。 ハルカはあわてて胸元のパスポートケースを引っ張り出し、マラソン選手のように、走ったままで雲母粉を塗りなおした。 「カリカリカリ」 背後からは、なお音が響いてくる。 やはり少しづつ音が近づいてくるような気がしてならない。 「402・・・403」 行程の半分も過ぎたろうか。突然、前方の闇の中に、ビルのひとつが、光のシルエットになって、一瞬青く浮かび上がった。後方からの光を反射したのだ。 「ガリガリガリガリ」 ほとんど間隔をおかずに音が来た。 (気付かれた!) 直感した。 音は一秒で何メートル進むのだったっけ? 1500メートルか?1800メートルか?たしか何秒かかったかで、雷との距離が割り出せたはずだ。ハルカはうろ覚えの理科の知識を、必死で思い出そうとしていた。だがこのメギ曜日で、そんな常識が通用するだろうか?目で確認するわけにはいかない。もし、あの「目」をまた見てしまったら、逃げ切る自信はなかった。 「646・・・647」 ハルカはひたすらに走った。光は次第に激しく、間断なく発生するようになり、そのたび周囲は青白く照らし出されて、周囲のビルが林立する巨大な墓標のように、闇の中に浮かび上がるのだった。もはや音と光はほとんど同時だった。 「ゴーン」 ひっきりなしの轟音が空気を震わせた。光が周囲を照らし出す瞬間、近くの電線や、電柱のトランスに、青白いスパークが走った。 「700・・・701」 「ゴーン」 「704・・・705」 「ゴーン」 「706」 「ゴーン」 前方に踏切が迫ってきた。 東急池上線。 電車! 金属質にギラギラと輝く巨大な残像が、眼前に立ちふさがっている。 なぜこれに気づかなかったのだろう。 自動車などとは比べ物にならない、数百トンの鋼鉄の塊だ。 透明な金属質の輝きは、残像の湛えた膨大な運動エネルギー量を物語っている。 (通過できるか?) (回り道すべきか?) (しかし背後には!) 「ゴーン」 第10回へ続く(7月24日公開予定)
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第5回 遠征(1) 閉店間際のユザワヤ11号館に駆け込んだハルカは、雲母粉が油絵コーナーにないと聞いて驚き、また心の中でガッツポーズをとった。 雲母粉は日本画の画材なのだ。油絵では普通使わない。 ではなぜそんなものを大量に買ったか。 答えはすぐに試せる。明日は日曜日だ。 ハルカは、15グラム160円で雲母粉を買い、100円ショップで家事用ゴム手袋を買い、蓮沼駅のそばに見つけた釣具屋で、冷凍オキアミ、小分け1ブロック200円を買った。 推測が正しければ、ハルカはこれまで以上の遠征に挑戦できることになる。 あの奇怪な伸吉文書が、果たしてどこまで信用できるのか、それを試す絶好の機会だ。 両親ともに釣りには疎かったので、ハルカはオキアミを、単なる冷凍の小エビとごまかして、冷凍庫に忍ばせることができた。 そして日曜日。7月24日。 ハルカはレンジで解凍したオキアミを、オリーブオイルで炒め、パセリとともにパスタに和え、夜食に食べた。これは書いておくが、はっきり言ってマズい。台所中に広がった生臭さを、どうやってごまかそうかと思った。さすが魚のエサだ。よほどの物好き以外はやめといたほうがいいだろう。 ハルカはベタイン、グリシン量こそがメギ曜日に至る誘発成分だと思っていたが、この激マズいオキアミに効力があるのだとすると、あるいはそれ以外の要素も考えるべきなのかもしれない。 喉の奥から逆流しそうなオキアミの生臭さをこらえながら、部屋に戻り、いつもどおりの予習と入浴を手早く済ませ、11時を待ちきれずベッドに入った。だが今日はパジャマ姿ではない。いよいよ実験だ。 早朝ジョギング用のタンクトップに短パン(以前に三日でやめた)に着替えると、100円ショップのゴム手袋をはめた。厚めのナイロン袋にパックされていた雲母粉を開封し、慎重に手袋の指になすりつけた。 「掌ニ塗ラヌコト」だ。 光線の加減でキラキラと輝く雲母粉は、魔法の粉みたいでちょっとカッコいい。 剥き出しの手足や顔をはじめとして、服に隠れる部分にも雲母粉をたっぷりと塗っていった。感触はまるで細かい砂のようだが、少しチクチクして、あまり体によくはなさそうだ。 片方づつ手袋を外しながら、最後に残った手の甲にも塗る。 布団を粉で汚さないように、敷き布団にバスタオルを敷き、いつものタオルケットでなく、すぐに洗えるバスタオルを掛け布団のかわりにした。 さらに伸吉の記述を参考にして、10円玉と1円玉を、それぞれバンドエイドで両足に貼った。たしかこうやると電気が発生するとかの、うさんくさい健康法があったっけ、とぼんやり思った。 とにかく、この際伸吉が薦めたことは一通りやってみるつもりだった。 目覚ましにはいつもの携帯のバイブレーター。 だが、その必要なかった。興奮でとうとう寝付けないまま、3時28分、ハルカは覚醒した。 遠征 (2) 7月24.5日、メギ曜日。 伸吉にならって、こう書こう。 オキアミの効果なのだろうか、これまで以上のクリアーさで、周囲の風景は一気に菫色に変化した。 体も動く、しかも軽い。雲母粉のおかげだろうか。 そろそろとバスタオルをめくり、呼吸を整えてから、ベッドの横に立ち上がった。 いつもの、空気に触れるとき感じるチクチクした感触がない。水の中を泳ぐような抵抗感は相変わらずだったが、まとわりつく空気を雲母粉が弾いているように感じられた。 とりあえずカーテンを開けて、外の様子を確認しようかと思い、やめた。今日はやることが多い。まずは外に出なければ。 ハルカはドアに向かった。開ける必要はなかった。ハルカの体は、ガラスの自動ドアをすり抜けたように合板のドアを、その残像を、そのまま通過したのだ。重なった木目の中に、肌を潜り込ませていくゾクゾクする感触を、何に例えたらいいだろう。 ただ、今日も廊下に漂う母の残像と交わるのは避けた。あの歪んでしまったガラスのように、母がおかしくなったら困ると考えたのだが、なんとなく生理的にはばかられたのもあった。 廊下の端を進み、玄関までたどりついたハルカは、ドアの前で躊躇した。これも通過してみようか? しかし万一、途中で力尽き、ドアの残像の中で身動きが取れなくなってはたまらない。雲母粉の効果がいつまで続くかもわからないのに、無駄な危険は犯したくなかった。ハルカは結局ドアを手でこじ開けることにし、そこではじめて「掌ニ塗ラヌコト」の意味を理解した。 あらためて観察をしてみると、この作業が、ドアを「開けている」というより、残像を一方に寄せることで、そういった状態というか確率というか、とにかくそうしたものに「近づけている」のだとも気付いた。 ドアをこじあける苦労は変わらないが、開いた隙間から抜け出すのは雲母粉のおかげで楽だ。以前の数倍の速さでマンションの廊下まで出ることに成功したハルカは、階段を下り、玄関を通過し、ついに道路の上を流れる、例の残像の前に立った。 いよいよ新しい冒険のはじまりだ。 まず、指先をつっこんで見た。やはりというか、かなり痛い。というか痺れる。 しかし、これなら熱い風呂のように、我慢すれば入れないほどではない。ハルカは意を決して、残像の中に大きく一歩を踏み出した。 するどい痛みが伝わった。 「つッ!」 おもわず声を出した。 踏み入れた足が、車線の進行方向に流されるのを感じた。人間の残像と交差したときには起こったことのない現象だった。運動エネルギー量の違いだろうか。ハルカはバランスを崩されそうになり、あわててさらにもう一歩を踏み出した。 今度の一歩には、途中流れを踏み抜くような感触があって、足のすねから下あたりがすっと軽くなった。 走る車には、左右のタイヤの間に、何もない空間が常に存在する。おそらくそこに踏み込んでいるのだろう。すねから上は強い力で流され続けるため、うっかりすると足をひねられて、捻挫をしそうだった。 急流を渡るようにして、そのまま大股で残像を渡りきり、道路中央の黄色いラインに達してようやく足を止めた。 振り返って見ると、マンションの前から、3メートルほど横にずれている。残像に流されたのだ。しかし、とうとうハルカは、これまで通過できなかった車の残像を超えたのだった。 こうした道路の中央部分や、歩道と車道のすきま、残像のない部分を進むことにすれば、行動半径は飛躍的に広がることになる。 となると、今日の目標はもう決めてあった。 多摩川大橋。 カンバス3のあの場所だ。そこに何が見えるのか確かめたかった。以前に抱いた、突拍子もない思い付きを確かめたかった。 遠征 (3) なんとか横断が可能とはいえ、熱湯のような車の残像に入り込むのは、今もかなり大変だ。時間もとられる。 となると、以前の自転車遠征のように、多摩川までの道を適当に選べるわけではない。 道路中央に立ちつくしたまま、しばらく考えた。 できるだけこうした「車残像」と交差しないよう、多摩川を目指すとなると、ルートは一つしかない。まずはマンション前の住宅地を進み、環状八号線、通称「環八」まで出る。 「環八」は東京都の物流の要の一つであり、ハルカのマンションと、多摩川の間を、横たわるようにして遮っている。 住宅地をゆっくり走る車残像でさえあの苦痛だから、大型トラックがひっきりなしに行き来するこの環八を、横断して先に進むのはちょっと無理だ。 しかしそのまま環八を500メートルほど西に向かえば蒲田陸橋がある。これは環八と、多摩川にいたる国道一号線が直交する場所だ。国道一号線側に合流する車以外は、ほとんどが立体交差の上を行くようになっている。 この下をくぐるようにすれば、合流用の脇道を二本横断するだけで、国道一号線に行き着けるはずだ。 国道一号線に出さえすれば、多摩川大橋までは一直線。全体距離にして、往復でも四キロたらずの道のりとなるはずだった。 今日の体の軽さからすれば、1時間ちょっとで行けそうだ。 「163分」という伸吉の情報がどこまで正しいか、その検証にもなりそうだった。 ハルカは、自分の左右をそれぞれ逆方向に流れる「車残像」に触れぬよう注意しながら、一メートルに満たない車道中央の隙間を、そろそろと歩き、環八を目指した。 いつも見慣れた風景の中を、いつもとはまったく別のルールで移動していくのは、なんとも奇妙で、面白い感じだった。 なかばカニ歩きのように、車道中央に沿って環八に至ったハルカは、目の前の眺めに目を見張った。 それは、堂々と流れる残像の大河だった。 一日に何万台という、膨大な車の流れが、運動エネルギーの奔流として見えていたのだ。 クリスタルガラスのように透明で、ところどころ未知の金属のようにあやしく輝いていた。 ハルカの背丈を二倍も超える高さがあった。 目の前を横断して、視界の及ぶ限り、どこまでも続いていた。 毎日騒音と排気ガスをまきちらす、あのいまいましい車の流れが、こんなにも美しいものに姿を変えていることに、ハルカは不思議な感動を覚えた。 流れのあちこちに、一定の間隔で、濁った淀みのようなものが見えた。横断歩道の上だ。信号待ちする車がスピードを落とすため、そう見えるのだろう。もちろん今は横断することなど、とても考えられないが。 ハルカは、さっき横断した車残像の隣、反対車線側をさらに横断することで、環八沿いの歩道と、車道との隙間に出ることができた。最初はそのまま歩道に入ろうかとも思ったのだが、歩道には通行人や自転車の残像が不規則に流れて、進むには困難だった。むしろ歩道の端、ガードレール外の縁石あたりが、車も人も通ることがないため、安心して進める場所となっていたのだ。 環八に沿って、一歩一歩注意しながら、ハルカは蒲田陸橋まで進んだ。 菫色の空には、今日も光の弓となった太陽が輝き、星の軌跡が同心円を描いている。 目を細めてみると、いく筋か星とは軌跡の異なる銀色の線が、空を横切っているのがかすかに見えた。以前には気付かなかったが、おそらく羽田から飛び立つ旅客機か、人工衛星の残像なのだろう。 蒲田陸橋に到着してみると、予想通り、環八の流れの大半は、立体高差の上に向かっていた。 だが合流用の脇道も、意外なほど残像が濃い。やはり住宅地の道路よりは、交通量が多いのだろう。 ただ、ここも横断歩道があって、流れは淀んで、濁っている。残像のスピードが遅いのだ。それが助けになりそうだった。 ハルカは陸橋の根本にある横断歩道の脇までたどり着き、二つの幹線道路が直行する、その境に立った。 目の前には、環八と同じか、それ以上に巨大な、別の大河が、悠然として横たわっているのが見える。国道一号線だ。紫の太陽の下で、直交する残像の大河は、なかなかの壮観だった。 横断すべき二本の脇道は、手前には環八から国道一号線への合流路。高架部分を挟んで、奥にはその逆となる。 突然気付いた。合流路と言うことは、もしも横断の途中でちょっとでも流されすぎれば、そのまま、あの恐ろしい流れのどちらかに巻き込まれてしまうということではないのか。そうなったら、いったいどうなるのか見当も付かない。生命に関わることになりそうな予感がした。 マンションの前の道路では、一車線を横断するのに、だいたい3メートルは流された。目測では、今度の余裕は、せいぜい7、8メートルと言ったところだ。これを二本、無事渡り切れるだろうか。 普段は何気なく通り過ぎるだけの陸橋下の横断歩道が、今やまったく違って見えた。 だが、オキアミと雲母粉の成功は、ハルカを強気にさせていた。 ハルカはしばらく呼吸を整えると、一気に目の前の流れに飛び込んだ。 走った。 強い力が、ゆっくりとだが確実に、自分の体を国道一号線方向に押しだそうとするのに、恐怖を感じた。すぐ横に、残像の大河がぐんぐん迫ってくる。視線は輝く壁のようなその流れに釘付けとなった。 さらに走った。 どうやら5メートルほど流されただけで、ハルカは高架下に到達した。高架下にある20メートルほどの歩道部分は、ちょっとした緩衝地帯となっている。全身から汗が噴き出した。 もう一本。できるだけ流れの端に寄り、息を整え、ハルカは再び走った。 なんとしても多摩川にたどり着きたかった。そこで確かめたかった。 「メギ曜日の風景」を。 S・G 2603 二本目の脇道を越え、ハルカはついに国道一号線沿いに出た。 ここまで来れば、あとは車道と歩道の隙間を進むだけだ。多摩川大橋に向かって、国道一号線は六車線の緩やかな登り坂となっている。その上を幾筋も走る残像の流れは、まるでのたうつ巨大な竜の群れのように一段と美しく見えた。 ラーメン屋の横を通り過ぎ、ファミコンショップを過ぎ、またラーメン屋を過ぎた。 環八からこのあたりは、タクシーやトラックの運転手のためのラーメン屋が多いのだ。コンビニの前を過ぎ、カー用品店の前を過ぎた。 視界が開けてきた。多摩川が近い。交番の前を過ぎ、そしてハルカは見た。 ずんぐりとしたあの形。 「圓團圖門」がそこにあった。 それは不思議な眺めだった。六郷水門とそっくり同じ形の「圓團圖門」は、伸吉の絵の通り、菫色の風景の中でそこだけ黄色味がかっており、よく見ると向こう側が透けて見えた。ただし、形がはっきりしている点が残像とは違う。 そしてそれは、多摩川大橋も同じだった。 多摩川大橋と「圓團圖門」は、互いに半透明になって、同じ場所に重なっていたのだ。まるで、多重露光の合成写真のように見えた。立体版の。 そのはるか向こうには、「塔」が見えた。ハルカが以前に見た方向の、伸吉の絵の構図の通りだ。 ハルカの直感は当たっていた。 「圓團圖門」はメギ曜日にのみ存在しているのだ。あの「塔」のように。 ハルカはゆっくりと 「圓團圖門」の周囲を巡った。 川原の砂利道が透けており、透視図のように国道一号線の基部が、それに覆い隠された濠のようなものが見えた。門の感触は普通のコンクリや鉄のそれだ。残像のように中に潜り込むことはできそうになかった。 「圓團圖門」のプレートも、絵に描かれたその場所にあった。間近で見れば、あるいはどういう字か判るかと思ったが、相変わらず読めそうで読めない。その四角い線の塊を、改めてじっくりと眺めるうちに、ハルカは突然気付いた。 プレートに、小さく何か掘り込んであった。 細い針のようなもので傷をつけた感じだ。 「S・G 2603」 背中から電撃で撃たれたような気がした。 シンキチ ゴトウ 2603の意味はよくわからない、だがそれが伸吉の残したサインであることは間違いなかった。ハルカは思わずプレートに駆け寄った。よく見ると文字は他にも無数に掘り込まれ、プレートの余白をビッシリと覆っていた。 此処ニ来タル者ヘ 此処ヨリタマ川ヲコヘ 曜日世界ヲメザシタマヘ 我ハスデニ成セリ 大曜日世界ハ今ヤ開カレタリ 日曜日 (メギ曜日) (メギ静止曜日) 月曜日 (クロイ曜日) 火曜日 (ケド第1曜日) (ケド第2曜日) 水曜日 (ミフ曜日) (ミフ静止曜日) (ケド第3曜日) { 木曜日 (タイシ曜日) (ウウウエイ曜日) (ヒヒ曜日群(第一~第十一)) (ケド第四曜日) (イムヒ曜日) 金曜日 (ケド第五曜日) (サンムトリ第一曜日) (サンムトリ第二曜日) (サンムトリ静止曜日) 土曜日 (ケド第六曜日) (第二曜日残骸群?) (ルク静止曜日) (大曜日空隙) S・G 2603 8・18 この一文を見出したときのハルカの驚きを想像してもらえるだろうか。 ずいぶんと長い間、その場に立ちつくしていたような気がする。 なんということだろう。 メギ曜日だけではないというのだ。 日曜と月曜の間だけではないというのだ。 こんな世界が、他にも無数にあるとしたら! あまりの途方もなさに、ハルカはただ呆然としていた。しかしやがて、別のことが気になり始めた。このメギ曜日で時間を正確に知るすべはない。だが予定では往復で一時間ちょっとのはずが、気がつけば、おそらくすでに1時間以上を過ごしてしまったような気がした。 もといた場所に戻れなかった時のことを思い出した。 「圓團圖門」の実在が確かめられた今となっては、163分という伸吉の情報を信じるべきかもしれないが、それにしても確証はない。とりあえず多摩川大橋の方を見て、引き返そうとハルカは思った。 「タマ川ヲコヘ、曜日世界ヲメザシタマヘ」という伸吉の言葉が気にかかっていた。 橋の形そのものは、普段とかわらない。だが門と同様、全体的に黄色味がかった半透明の多摩川大橋を渡りながら、ハルカは考えていた。 (多摩川を越えることに、どんな意味があるのだろう) (やはり、あの塔を目指せということなのだろうか) (それにしても、これから一体どうする。そろそろ受験勉強も始めないと) 橋の向こう側は神奈川県の川崎市だが、歩道の残像をよけながら、渡りきるのには五分もかからない。川崎側の岸辺に近づくにつれて、橋が次第に透明度を失っていくのがわかる。しかしその先にあるのは、国道一号線の続きと残像の流れでしかなく、周囲に目立ったものはなかった。 ただ、あの「塔」だけが、近づいた分、視界をさえぎるものがなくなり、少しだけはっきり見えた。 風景の中で、門と橋、そしてあの塔だけが黄色味がかっている。何か関連性があるに違いないが、今は想像もつかなかった。 とにかく、今日はこれで十分だ。とりあえず引き返そう、そう思って振り返ったハルカは、そこで凍りついた。 後ろには0犬がいた。 →第6回へ続く(6月26日公開予定)
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第3回 「メギ曜日の風景」 夏休みがはじまった。 ハルカは、大田区郷土博物館にいた。 大田区には、日本の考古学発祥の地として知られる、かの有名な大森貝塚がある。西馬込の郷土博物館は、そうした地元の考古学的資料を収めた、区内でも有数の施設だ。 とは書いてみたが、もちろん、好きでハルカがこんなところに来るはずはない。 夏休みの課題、その名も「古代の大田区」という、もの凄くやる気の起きなさそうなレポートのために、ハルカはクラスメイトと三人でここを訪れていた。 館内は同じ目的の中高生で、まだ午前中だと言うのに結構混みあっている。二階にある考古学展示室のガラスケースの中には、大森貝塚から出土した土器の破片や貝殻などが、年代別にきちんと分類され、わかりやすく展示されていた。 しかし、あいにくと、それはハルカたちの興味をそそるものではまるでなかった。だが、一応は全部見ないとレポートがまとまらない。 貝塚を発見したモース博士の生涯や、大田区でいまも取れる海産物など、どうでもよさそうな部分も加え、ひととおりの材料を揃えるには、結局一時間ほどかかってしまった。だいたい大田区に古代もへったくれもなかろう。 他になにか見落としはないかと、奥の部屋を覗いたハルカは、そこがすでに見学の順路から外れた、別の展示室になっているのに気付いた。 「特別展・描かれた大田区」 おそらくは、夏休み期間中の展示企画なのだろう。小さな一室に、古ぼけた油彩や水彩、小さなブロンズ像などが飾られていた。 客はだれもいない。そのせいか部屋の空気が少し涼しく感じられた。 どうやら大田区内の様子を描いた絵画などを展示する企画展のようだ。考古学の展示同様、ここもまた、見るからにあまりぱっとしない絵が並んでいる。 昔の羽田空港、東京湾、蒲田の操車場。大きなカンバスに、絵の具を豪勢に塗りたくった、いかにも素人みたいな絵ばかりだ。古そうなものも多い。数をそろえるために、無理にかき集めたのだろうか。 涼みながら、ぼんやりと絵を眺めるうちに、ハルカはそのうちの一枚にふと目を止めた。 愕然とした。 あの菫色の世界が、そこに描かれていた。 それは、暗い紫で描かれた多摩川の風景だった。まだ周囲に建物がほとんどなく、護岸されていないところから見ると、かなり昔に描かれたものなのだろう。 油彩画で、ハルカの目から見ても、絵としてはかなりヘタだ。 紫一色のトーンで塗りつぶされた画面は、普通の人間が見れば、たんに下手な印象派もどきと思うかもしれない。しかし、ハルカは直感で、それが何を描いたものであるかを理解した。 それはハルカにとって、決して見間違えるはずのないものだったからだ。 「メギ曜日の風景」 そこには、こう題されていた。 「後藤 伸吉 画 昭和18年」 ハルカは、古ぼけた小さなカンバスの前で、しばらく立ちつくしていた。 昭和18年の先駆者 「後藤伸吉?ああ、特別企画のやつね」 そこは博物館の事務室だった。ハルカはあれからすぐにクラスメイトと別れ、ここを尋ねていた。「野村」と名札をつけた、この学芸員のおじさんと、窓口に座って、何か帳簿のようなものを付けているおばさんがいるだけで、部屋の中はしんとしていた。空調がよく効いていた。 ハルカはこの野村さんに、わりに気安く話をしてもらうことができた。 「ありゃ素人の絵だよ。何年か前に遺族の方からまとめて寄贈されてきたんだ」 「遺族?」 ハルカはオウム返しに繰り返した。なるほど、描かれた時代からすれば作者は死んでいても不思議ではなかったが、いきなり手がかりが消えてしまった気がして、思わずガックリきたのだ。 「うん。たしか空襲とか。後藤さんってのは、このあたりで土地を一杯持っててね。空襲で工場が焼けた後は、たしか長野かどっかに移って行ったのかな。伸吉はその跡取りだったらしいよ」 多分仕事がヒマなのだろう。野村さんは聞いていないことまでべらべらと喋ってくれた。 「彼のお姉さんか誰かが、形見にして大事にしまっといたんだけど、それも死んじゃったんで、家族がやり場に困ったとか聞いたな。こっちも困るんだよ。寄贈ったって素人の絵だし。断りたくても寄付金とか絡むと、ねえ」 ハルカはふと、さっきの言葉を思い出して言った。 「まとめて送られて来たって、他にも絵があるんですか?」 「あるよ。見る?」 野村さんは気軽にそう言った。あまり人気があるとは言えない博物館の収蔵品に、興味を示してくれる生徒がうれしいのだろう。 地下に資料室があった。 野村さんがドアを開けると、少しかび臭い空気が中からあふれ出し、鼻をついた。ごたごたした様々な資料で天井まで一杯で、郷土資料の束や、未整理の土器。体験学習に使われる説明用の大きなパネルなどに混じって、部屋の片隅に、埃をかぶった麻の大きな包みがあった。 野村さんは埃をはらいながら、包みの中を開いてハルカに見せた。 「これ全部そうだよ。」 ハルカは思わず震えながら、その中身を確かめた。 さまざまな大きさのカンバスと、大判のスケッチブック。古びて黒ずんだノートか手帳らしきものが何冊かあった。 どれも60年以上前のものだ。 火事にでもあったのか、どれもあちこち焦げたり、カビやシミに侵されたりしている。 展示されていた絵は、かなり程度がましなものだったことを知った。 人物画や静物画は一枚もない。どれも風景画か、抽象画のようだった。あいかわらず下手だ。そもそも構図がなっていない。適当にシャッターを切った写真のように、とりとめなく風景が切り取られている。そのどれもが、紫のモノトーンで執拗に塗りつぶされていた。 一枚きりのときはそれほど感じなかった、妖気のようなものが、そこからは漂ってきていた。 この絵を描いたものは、偉大なる冒険の先達などではなく、単なる異常者ではなかったのか、という疑問が膨れ上がった。 おもわず背筋が寒くなった。 もっと確実な証拠を探さねばならない。 かび臭いカンバスを息を潜めてめくり続けると、数枚目に、それはあった。 町工場の風景のようだ。林立する電柱か、煙突とおぼしきその上に、空を横断する光の弓と、同心円を描く星が描かれていた。コンパスをつかって厳密に星の位置が定められ、いくつかには「カシオペイヤ」などの名前が鉛筆で記されていた まちがいない。風景画にこんな太陽や星を、星座の名前まで書き込む必要はないだろう。 さらに、カンバスの端に幾筋も惹かれた線にも気付いた。先ほどは額に入っていたために見えなかった部分だ。目を凝らすと、絵の下地にもうっすらと格子模様が見えた。 下地にしては目立ちすぎるそれは、何か資料写真のガイド線のようなものに見えた。 ハルカは悟った。これは絵ではない。図なのだ。あの世界を、カメラを使わず、できるだけ正確に記録しようとしたものなのだ。 「これ、貸してもらえませんでしょうか!」 ハルカは思わず叫んでいた。 「後藤伸吉文書」(1) 是ハ狂気ノ●●(産物?)ニアラズ、又妄想ニアラズ。 是ハ我々人間ノ未(六字不明)ザル第四次元的世界ノ観察記ニシテ●●(道標?)ナリ。 我ハ既ニ其処ニ至レリ。(三字不明)ノ狂気アルイハ妄想ニアラズ。 我ハ偶然ニシテ、コノ驚嘆スベキ別世界ヲ発見セシ者ナリ。コノ大発見ヲ科学的ニ証明スルコトア●●●●●(アタハザレド?)、今日宇宙構造ハ彼ノアインシタイン博士ノ証明セシガ如ク、新タナ科学的発見ニヨッテ劇的ニソノ姿ヲ変スル物ナルハ明ラカナリ。(以下数行不明) 「メギ曜日」ヲ始メトスル是ノ別世界ヲ、タダ出来得ル限リ、拙キ知識ノ及ブ範囲ニテ研究観察シ、記録スルモノナリ。 願ハクバ是ノ記録ガ、将来本格的研究トシテ継続サレ、大東亜ノ未来ニ貢献センコトヲ望ム。 昭和十八年四月八日 後藤伸吉 これが「後藤伸吉文書」の導入部だ。 いくら資料的価値はゼロでも、寄贈された博物館の資料を持ち出すことはできなかった。だがハルカは、驚き渋る野村さんを説き伏せるように、あのキャンバスやノートの束を、これから夏休みの間、自由に見せてもらえるよう、約束を取り付けることに成功した。 夏休みの自由研究にする、というのがそのタテマエだが、思わず彼がそれを信じるほどの熱心さを持って、ハルカは博物館に日参し、謎めいた「後藤新吉文書」を調べはじめた。 なにしろ60年前の物だ。あらかじめ保存を考えて作られているカンバスはまだよかったが、ノートや手帳は、すでにボロボロになっていた。 そもそもひどく紙の質が悪い。火災による焼けこげや、湿気によるカビなどで読めない部分も多かった。記入に使われているのは鉛筆と万年筆だったが、万年筆の部分はにじみもひどい。 ハルカにとって、ほとんどなじみのない、いわゆる「旧カナ」も解読を困難にしていた。 印象としてはほとんど古文書に近い。だが、今のハルカにとっては、まるで宝島の地図のようにも感じられた。 ハルカはとりあえず、資料の全体をまとめることにした。 書き出してみると以下の通りである。 ●ノート、手帳類 全7冊 ノート1(日記) 全42ページ。表紙は紛失 ノート2~5(研究記録) ノート4の表紙に「研究」の記述あり。以下のノートには通し番号がつけられている。 ノート5はカビなど破損が激しく、ほぼ判読不能 ノート6、7、9、10 紛失の模様(通し番号から推察) ノート8(図録?) 表紙に「図録」の記述あり こちらもカビなど破損が激しく、ほぼ判読不能 ノート11(●諦?) 手帳サイズ、通し番号の最後だが、記述は最も古くからと思われる。 表紙は紛失、3ページ目に「●諦(?)」の記述あり ●スケッチブック全二冊(F6) 水彩画 ほぼカビのため変色、判別不能。 ●油彩画 カンバス全9枚 カンバス1~3(8号) 多摩川からの風景とみられるもの 全体的にカビがひどく、展示されていたのは一番状態のよいカンバス3 (裏面に「メギ曜日の風景」の記述あり) カンバス4~6(6号) 工場地帯の風景 カンバス4はカビのため上半分は汚損 カンバス5、6には鉛筆にて星座名などの書き込みあり。 カンバス7(6号) カビのためほぼ判別不能 カンバス8(5号) 「0犬」図 カンバス9(5号) カビがひどく、何か抽象画のようにも見えるが不明 カンバス8 ハルカはまずカンバスから手をつけることにした。「メギ曜日の風景」の、強烈な印象もあるが、カビと旧カナで埋め尽くされたノート類の判読は、ハルカにとっては相当にやっかいだったためだ。 描かれた内容以前に、まずカンバスそのものについてだが、大田区住民にはおなじみの、蒲田の画材屋「ユザワヤ」にて調べてみると、実は結構な値段がする。油絵の具などの画材とあわせればなおさらだ。戦時中にこれだけのものを入手できた伸吉というのは、かなり豊かな家の生まれに違いあるまい。 9枚のカンバスのほとんどが、風景画(というより図)なのは、すでに述べたとおりだ。 なぜ写真でなく絵で残したか、しばらく考えてわかった。おそらくあの世界では、カメラの中身が残像化して、写真に撮れなかったのだろう。 ハルカが最初に見た「メギ曜日の風景」を含む、カンバス1~3は多摩川の風景。 これらはサイズでいうと8号。もっとも大きく、緻密に描かれている。 カンバス4~6は工場地帯の風景。ただ、どれも画面の半分以上を空が占めており、主に天体観測が目的ではないかと思われた。どれも、同心円を描く星や、弓のような太陽が描かれている。 カンバス7と9は、カビのためもあって、ほとんど何も見えない。カンバス9が、8と同じ5号サイズなことから、あるいは連作かもしれないと推測できる程度だ。 ハルカの目をひきつけたのは、カンバス8だった。 それは、黒と茶色で塗りつぶされた抽象画だ。菫色の背景に、何か塊のようなものが、画面いっぱいに描かれていた。 複雑に入り組んだ椰子の葉のようなものが、一見描き殴ったように見えて、細かい線の一本に至るまで、画面の左右で完全に対称になっていた。 カンバスの裏にはこう書かれている。 「0犬」 わざわざ「ゼロイヌ」と読みがふってある。 何のことだか、まったくわからない。ただ異常に厳密な左右対称の構図とあいまって、なんともいえない強烈な印象があった。 圓團圖門 カンバス1~3についても新たな発見をした。 カンバスの端にガイドのような線がいくつもあったのはすでに書いたが、よくよく調べるうちに、さらに「東」「北」など方角や、「イ-ロ」「ロ-ハ」などの小さな記号が、カビの汚れに紛れて書き込まれていることに気付いたのだ。 絵を並べてみて、これがカンバス同士をつなぐための目印だとわかった。 どうやらカンバス1~3は、視界を三枚の絵に分けて描いた、いわばパノラマ図のようなのだ。 「メギ曜日の風景」は、その中央にあたる部分だったことになる。 なぜこうした工夫をしたのか。おそらくこの場所が、伸吉にとってなにか特別な意味を持っていたのだではないだろうか。 だとしたらその理由は、カンバス1と2の端に、それぞれ対のように描かれている、二つの建物にあるのかもしれなかった。 カンバス2に、大きく描かれたほうは「圓團圖門」。伸吉による注釈ではなく、建物自体にはめこまれたプレートにそう書いてあった。古い建物などによくある感じだ。 多摩川の土手に建つそれは、ずんぐりとした石造りで、門とあるが、多分水門の一種なのだろう。そこだけ色調が黄色味がかっており、よく目立つように描かれている。 「圓團圖」の部分は、実はよく判らない。雰囲気を伝えるため、形の似た字を適当に当てはめてみたのだが、実際にはもっと画数が多い。 カビのせいもあるが、おそらく現代では使われていない古い漢字なのだろうと思った。 その複雑な線の塊は、まるでハングルやロシア文字を見るときのように、「一見読めそうで読めない」という、あの感覚でもってハルカの脳を混乱させた。じっと見ていると妙に不安になった。 いずれにせよ、ハルカはできるだけ早く、これらパノラマの描かれた場所を見つけ出そうと決心した。 なぜか。 もう一方、カンバス1の端に描かれていたのは、あの「塔」だったからだ。 あの日、7月17・5日に、イトーヨーカドーと、ライオンズマンションとの間に、ハルカが見た同じ「塔」だ。朝目覚めたときには、どうしても見出すことが出来なかった、あの「塔」だ。 二つの建物は、ガイド線で繋がっていた。 おそらく「圓團圖門」と「塔」は、パノラマ上では一直線上にあったことになるのだろう。カンバス1は、ほとんどカビに覆われていたため、ガイド線がなければ、ハルカは「塔」の存在には気づかずじまいだったに違いない。 ハルカが見たものより少し大きいような気がする。距離が近いせいだろうか。 60年前の伸吉が、やはり自分と同じものを見ていたという事実に、ハルカは強く興奮した。 それにしても、なぜ伸吉はこの場所を選んだのか? この場所には何があるのか? なにしろ60年前だ、すっかり風景も変わってしまっているだろうから、場所を特定するのは難しいかもしれない。 だが、幸い今は夏休み。多摩川までは自転車で10分だ。 一日を費やす価値は十分にあるとハルカは思った。 → 第4回へ続く
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「ねえカナ。」 「ん?」 「この間『誰が一番大人なのかな?』って言ってたけど、カナは 言うほど大人なの?」 「ハルカは私を見くびっているようだな。なんなら見てみるか?」 「えっ、うん。」 「あの…やっぱりトウマとあまり変わらな…」 「そんなはずは!(毎日自分で揉んでたのに…!)」 ガラッ 「ただい……!?なにハルカ姉さまに貧相なもの見せてんだバカ野郎!」 「なんだって?チアキ、あんたよりは全然マジさ!」 「私はまだ小学生だからな。お前はもう成長しないんじゃないか?頭も。」 「なんだとう!やるかー?」 「上等だ!」 (ふふ、仲がいいわね。) おわり
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名前:ハルカ=スカイブルー 性別:女性 年齢:16 職業:閣下 ■基本データ 【コロナ】 聖戦士 【ミーム】 オリジン/ 【ブランチ】ロードモナーク/ 【消費経験点】12(能力値:0 特技:12 装備:0 パスの追加:0 ブランチの追加:0) ■能力値/耐久力 【能力値】 肉体:10 技術:5 魔術:11 社会:4 根源:4 【戦闘値元値】 白兵:8 射撃:8 回避:6 心魂:9 行動:8 【戦闘値修正値】 白兵:8 射撃:8 回避:6 心魂:9 行動:15 【HP】 元値:20 修正値:50 【LP】 元値:7 修正値:7 ■宿命/特徴/闘争/邂逅 宿命:決戦存在 特徴:不屈の闘志 特徴効果:最大HP+5 闘争:野心 邂逅:大賢者アウゼロン ■初期パス 【因縁】大賢者アウゼロンからの庇護 ■準備された装備 部位:名称(必要能力/行動修正/ダメージ/HP修正/射程/備考/参照P) 右手 :アイドルの衣装 (必:【】【】/行:10/ダ:―/HP:―/射:―/【輝く紋章相当】/SC165) 左手 : (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―/―) 胴部 : (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―/―) その他:愚民(盾) (必:―/行:-3/ダ: 社会 14+3D6/HP:+30/射:―/農民兵相当/―) 乗り物: (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―/―) 予備1:愚民(剣) (必:―/行:―/ダ: 社会 42+2D6/HP:―/射:―/騎士団相当/―) 予備2: (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―/―) 予備3: (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―/―) ■コロナ特技 【SC098/自動/自/ク/なし】◆勇気ある誓い 1度の判定でソフィアに合致しているフレアを何枚でも出せる 【SC098/自動/自/効/なし】◆不死鳥の炎 〔Sin1〕[死亡][戦闘不能]を[覚醒]に置き換え、【HP】を0にし【LP】を完全回復 重圧状態でも使用可能。 【SC098/-/射/メ/フ1】オーバーロード [射攻]を行なう。ダメージ+[差分値×2]。自分も同ダメージを受ける 【SC099/-/自/オ/なし】虹色の希望 〔Sin1〕[MP]中に使用するフレアを全て自分のソフィアとして扱う ■ミーム特技 【LF108/自動、Lv/自/常/なし】◆封建領主2 【最大HP】を+[(Lv×5)+30]する。 【LF108/-/白・射/メ/4H】これが我が国だ! 「種別:軍団」武器を用いて[白攻][射攻]。ダメージ+[【社】×2] 【LF109/ア、Lv/自/常/なし】親衛兵団 LF P175の「種別:軍団」のアイテムから[Lv+1]個、常備化する 【LF109/DB/自/常/なし】※王者の威光 [ロードモナーク]特技と「種別:軍団」武器を使う際、【社】+10で計算する 【LF108/-/自/オ/なし】国民議会 〔Sin3〕宣:判定直後。その判定を振り直す 【LF109/DB/自/常/なし】※百万都市 《封建領主》の効果を【最大HP】+[(Lv×10)+50]に変更する 【SC110/-/自/常/なし】戦いの極意 [白攻][射攻]のCT値を10にする 【LF109/DB/自/マ/4H】※誇りの一撃 「種別:軍団」武器を用いた攻撃のダメージ+[【社】×2] ■装備 [SC165]輝く紋章(部:/射:/) [SC165]使用人(部:/射:/) [SC165]高価な衣服(部:/射:/) [SC163]龍魚のソテー(部:/射:/) [SC165]ファミリア(部:/射:/) ■属性防御 肉体:× 技術:× 魔術:× 社会:× ■戦術、設定、メモなど 土地なき国……765に君臨するアイドル。 かつてオリジンに来たフォーリナーが気づいた国だと言われているが真相は定かではない。 国家君主は「アイドル」と呼称され、代々女性が君臨してきている。 長年言葉の意味が不明だったが、ネフィリムの知識によりアイドル=信仰の対象ということがわかり、神権国家としてスタートしていたことが発覚した。 現在はアイドルであるハルカ自身の修行のため、ルミのもとで修業に励んでいる。 なお、君主は一律に「閣下」と呼ばれる。 これは初代春香がオリジンに降りた際、初代エニア女王に保護されたため、陛下は神王一人である、自らはその藩屏にすぎないとの意味である。 「プロデューサーさん、私のことは気軽に敬意をこめて【閣下】って呼んでくださいね」
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南春香(ハルカ) - 伝説の初代番長 nodata 【未定】【参加:未定】 上部団体:みなみけ 役職:番長(長女) この世界を統べる最強の存在 主な団体構成員 カナ:特攻隊長(次女) チアキ:親衛隊長(三女) マキ:同級生 アツコ:同級生 相談役 速水:先輩 恋の奴隷 保坂:先輩 マコト:別名マコちゃん みなみけ長女。高校2年生。両親が家にいない南家のお母さん的存在で主に家庭の事を中心に生活しており、帰宅部。そのためか家事をしない時は気が緩みがちで、カナ曰く「だらしない」「基本なまけもの」。寝ぼけているとそれが更に増すらしく一度ナツキに肌蹴た胸元を見られ気付くと赤面した。カナと同じ中学校の卒業生で、在学中は「番長」と呼ばれており、卒業後も後輩たちから「番長伝説」が語り継がれているが、本人は必死に否定。しかし普段は温厚な性格だが、怒った時は必殺技のアイアンクローを繰り出す事が特徴で、しつけや口封じ時に使う。長髪の美人であり、姉妹の中では一番モテる。中学時代に多くの男子生徒を振ったことは番長伝説の一部と化しており、現在も保坂やマコトに好かれている。 料理が上手く速水に弁当を作ってと頼まれたり所々でアツコなどに料理を褒められている。食事によるリズムがチアキとほぼ同じ。 (Wikipedia-「みなみけ」より) 【選手権経歴】 予定不明 参加表明現在無し 第-回 -位 【支援団体について】 南家番長連合 【宣伝関連動画】 現在なし 当ページの訪問者数 合計 - 人 本日 - 人 昨日 - 人
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第11回 「病院」にて 画質の悪い、ニュース映像の録画だった。 まるで台風の通過した跡のように、無残に破壊されたサンライズカマタの映像をハルカは見ていた。 気がつくとハルカは、「病院」にいた。 ぼんやりと病室の壁にもたれかかって、「先生」と一緒にそれを見ていたように思う。 何という「先生」だったか、名前は思い出せない。 いや、それを言うなら、「先生」の声も、顔も、年齢も、一体どこのどんな「病院」だったかすら、ハルカは思い出せなかった。 思い出すのが恐ろしかった。 ハルカは「先生」とずいぶん長いこと話をしていたような気がする。 「思春期の不安定な精神状態」とか、「受験のプレッシャー」とか、「集団ヒステリー」とか、「手製の爆発物」とか、そうした断片的な言葉を、ハルカは覚えていた。 そう、覚えていた。 「先生」によれば、ハルカは、患者だった。 その言葉は決して使わないが、だが、 優しい言葉で、わかりやすい理屈で、 ハルカが、異常だと、 ハルカが見たものが、ただの錯覚、幻でしかないと。 思い出したくないが、覚えていた。 忘れることはできなかった。 「それが日曜日の夜だけに起こるのはなぜたと思う? 科学的な現象なら、そんな人間の都合にあわせたタイミングで発生するのは奇妙じゃないかな?」 「君は月曜日に学校に行きたくなかったことはないかな?」 「脳の処理の問題で、動きを動きとして捉えられなくなる症状があって、風景が、まるで静止した映像の連続や、残像のように見えるようなんだ」 「君はひょっとして、夢遊病患者のように、本当に夜の街に出てしまったんじゃないかな?」 「君が触れて怪我をしたという車の残像も、おそらく深夜の物流トラックに、実際に何度かはねられかかったのじゃないかな?」 「君はまず最初に後藤伸吉の絵を見たそうだね。その強烈な印象が頭に残っていたのじゃないかな?」 「そして君は心のどこかで、この『メギ曜日』に来るのはいけない事で、見つかったりすれば怒られる、罰せられるのではないかと思っていたのじゃないかな?」 「追跡妄想という言葉がある。人にもよるが、誰かが自分のことを監視していたり、尾行していたりするように感じるものだ」 「君が『ゼロ犬』を見たのは、だいたい道路の上、横断歩道の陰などの場所だよね。 ところで、ちょっとこれを見てくれるかな」 「これは警察が主要道路に設置している『Nシステム』というものだ。一種の監視装置で、通行中の車のナンバーをチェックするために、ちょうど道路上に配置されている」 「ほら、多摩川大橋にも、こんな風に、ちょうど四台並んで設置されている」 「高性能のカメラを内蔵してるから、並んで配置されているこれを、暗い深夜に見れば、まるで向こうから見られているように感じるかもしれない」 「それが、君の印象に強く残っていた『ゼロイヌ』の姿に結びついたとしても不思議じゃない。もちろん断定はできないけど、これが『ゼロイヌ』の正体じゃないのかな?」 「多摩川の上を自転車で走った、というのはうまく説明ができないんだけれど、この時君は、たしか一瞬、自分の意思を失って、カナタ君になぐられて、それで我に返ったと言っているよね」 「言いにくいんだが、君があの時・・・彼と一緒に、河川敷に降りた時に起こったのは、本当は何かぜんぜん別の出来事だったんじゃないかな?」 「君の言う『アオウオ』は、かならず彼に関係して登場してくるよね」 「水に潜んでいる、砲弾のような形をして、追いかけてくる。巨大で、先が尖っている」 「こういうのは、まあ最近はちょっと眉唾だけど、精神分析で言うところの、いかにも性的なイメージではあるんだ」 「つらいかもしれないが、よく思い出して欲しい」 「ひょっとして、あのときの彼には、君に対して何かそういう、…目的があったんじゃないかな」 「君の傷の多くは、実は、そこから逃げ帰ってきた時の怪我なんじゃないかな。」 「人間は、あまり辛いことがあると、その記憶を覆い隠すために、別の記憶を頭の中で作り出してしまうことがある。君は無意識に、あの時の記憶を歪ませているんじゃないかな?」 ハルカは今も覚えている。 あまりのことに血の気が引いた。 この男は、自分の正気を疑うだけでなく、カナタをも侮辱しようというのか。 しかし、心のどこかでは、明らかにこの話の続きを、これまでの出来事に、何か納得のいく別の答えを聞きたがっていた。 「彼は、君の『メギ曜日』を理解してくれるかもしれない唯一の人間だった。 彼の目的や行動は、そんな君の期待を裏切るようなものだったかもしれない。 でも、君が心を開くことができるのは、やはり彼しかいない。 会ってはいけない。しかし、会いたい。 君は、彼の行為を自分の中で正当化させ、再び彼と会うために、『アオウオ』というまったく別の口実を用意したんじゃないかな?」 ハルカは今も覚えている。 いや、その先はよく覚えていない。 部屋が何十倍にも大きく広がるような気がした。壁も天井も、やけに白くぎらぎらとして、自分に敵意のある何かの意思を隠しているように思えた。 葛藤 いくつかの錠剤を、食後に飲むよう渡された。 淡いピンクと滑らかな白。 聞きなれないカタカナの名前と、「心を落ち着かせる」とか何か、いかにも簡単で曖昧にぼかされた説明があった。今のハルカにはそんなことはどうでもよかった。 機械的にのろのろと、まずい病院食と一緒に錠剤を喉に流し込むたび、ハルカは自分が「病人」であることが自覚されるのだった。 飲むと急に眠くなる薬だった。 「病院」の個室で、ぼんやりと寝たり起きたりをしながら「先生」の話は続いた。 小中学生の間で、深夜に家を抜け出す遊びが流行っていたこと。 カナタが、そのリーダー的な存在であり、毒物や爆弾などの違法な品を大量に持っていたらしいこと。 あの日、サンライズカマタでカナタが手製したと思われる爆弾が破裂し、集まった小学生に多くの怪我人が出たこと。 ハルカもその現場で発見されたこと。 ハルカが伸吉のカンバスを傷つけた件がすでに家に連絡されており、あの事件がなくとも、ハルカがいずれこの「病院」に連れてこられる予定だったこと。 ハルカは、おそろしい葛藤の中にいた。 すべては幻であったという「先生」の説明を信じたくてたまらない自分と、あの体験をあくまで信じたい自分がいた。 これまでのことが全て幻だったとは、どうしても思えなかった。 (だが、だとすれば「先生」の言葉をどう理解したらいい) 「先生」が、0犬や青青魚魚の、それを操る者のスパイではないかと疑う自分がいた。 (メギ曜日の、大曜日世界の秘密に近づくものは、ここできっと「治療」されてしまうのだ。伸吉もこうやって消されたのに違いない) 狂っている、と自分で思った。 「病院」の廊下で、何度かフトシとすれ違った。 ハルカと同じように入院させられていたのだろう。あの明るい表情が嘘のように、空ろな表情のフトシは、ハルカを見ても何の感情も顔に表さず。無言のまま通り過ぎていくのだった。 事情もわかってきた。 「先生」はいつものようにはっきりと口には出さないが、今ならまだ間に合うのだ。 今は夏休みで、ハルカは受験期の中学生だった。事件との関わりも薄い。うまく新学期に間に合わせれば、今ならすべてを「なかったこと」にできるんだよ、と先生は言外に、ハルカにそう告げているように見えた。それが両親の望みであることも、ハルカには痛いほどよくわかっていた。 簡単な審査のようなものがあるとの話だった。それをパスすれば、つまりメギ曜日も後藤伸吉も、0犬も青青魚魚もすべて幻だったと認めれば、退院して家に帰れるのだという。 だが、ハルカは思った。 (カナタは) (カナタはどうなってしまうのだ) 来るかどうか判らないハルカを、フトシとともに校門の前で五日間待ったカナタ。 ハルカを守るために戦ったカナタ ハルカとフトシを逃がすために、「物語爆弾」を炸裂させたカナタ。 (あのカナタが、卑劣な犯罪者として、異常者として裁かれるのか) あの紅潮した頬が、賢そうで少し悲しそうな、あの目が浮かんだ。 ハルカは病院のベッドの上で、二晩眠らず、泣いた。 ようやく両親との面会も許されたが、そこでも泣いた。 両親はきっとハルカの涙を悔悟のものだと思ったろう。 それでいい、と思った。父も母も大好きだ。これ以上心配をかけたくはない。 二日後、ハルカは審査(本当は何というのか知らない)にパスした。 審査の内容はまったく思い出せない。だがハルカは、これまで自分が見たものがすべて幻であったとはっきり認め、自分が一時的に異常であったと認めた。それでうまく「先生」を出し抜いたように思った。 そのとき、一瞬風景のすべてが真っ白くなったような感覚とともに、自分の心の中で何か大きな変化が起こったような気がした。 周囲のすべての音が消え、うまく説明できないのだが川崎方向に(ハルカは建物の中にいて、方角などわからなかったのに)何かの作動音とともに、小さく声が聞こえたような気がした。 人間のものではない声が。 「おまえは、調整された」 それが何なのか、そのときハルカはまだよくわかっていなかった。 ハルカは服を着替え、両親とともに退院の支度をした。 両親の、安堵しつつも、明らかに以前よりやつれた顔が見ていて痛ましかった。 玄関近くの廊下で、フトシとすれ違った。 ちょっとトイレだと告げて、廊下を引き返した。 ハルカはフトシのかたわらに、足早に駆け寄ると、相変わらずうつろな表情のフトシを抱きしめ、耳元で小さくささやいた。 「『とおくのまち』へ行こう。私は待ってる」 フトシは一瞬、大きく目を見開き、そして泣いた。 滝のように泣いた。 みんなウソだったとおもった だまされていたとおもってた じぶんのあたまがおかしいんじゃないかとおもってた でもそうじゃないんだね。 泣きじゃくりながら、そのような意味のことをフトシは言った。 「そうだよ」 ハルカは答えた。 答えながら、泣きじゃくるフトシには見えていない自分の顔が、おそろしい表情になっているのがわかった。 (わからない。本当は) (そうじゃないかもしれない) 自分たちはただ、同じ狂気を共有しているだけなのかもしれない。 だが、もはやそんなことはどうでもよかった。 (私はカナタを助けなければならない) (カナタは私を助けてくれた。だから今度は、私がカナタを助けなければならない) (これがたとえ幻想だとしても。狂気だとしても) (どんなことをしてでも) 『とおくのまち』へ 9月になった。 ハルカは何事もなかったように学校に戻った。 あの事件は、周囲の誰にも知られずに済んだようだった。 結構な大事件だったはずなのに、ハルカは安堵した反面、そのことがかえって奇妙に感じられてならなかった。 両親は娘を思って黙っているのか、あるいは本当に忘れてしまっているのか、入院の事実は一切、家族の間で語られることはなかった。 しばらく飲み続けるようにと渡された、例の錠剤だけが残った。 「先生」の言うとおり、薬を飲めば、もはやメギ曜日に目覚めることはなかった。 しかし、ハルカはやがて気づいた。 何もかもが、本当に「なかったこと」になってしまっていることを。 事件後しばらくして、ようやく訪れたサンライズカマタは、いつもと変わらぬ賑わいを見せ、破壊されたアーケードは、すでにほとんど修理が終わっていた。一ヶ月もすれば事件の跡形は一切なくなってしまうよう思われた。 さらに、ハルカは新聞にも、あの日の事件がほとんど載っていないことに気づいた。 唯一見つけた夕刊紙の短い記事には「ガス爆発?」とあるだけで、事件の詳細は、何か意図的にぼかされているようにすら感じられた。 あるいは、関係者がほとんど未成年者ということで、報道に配慮がされたのかもしれない。そう信じたかった。 (そうでなければ) (カナタや、メギの組はいったいどこに行ってしまったというのだ) さらに恐ろしいことがあった。なんと説明したらいいのだろう、新聞の文字のいくつかが、ハルカには読めなくなってしまっていた。漢字であることはわかる。部首やへん、つくりなどの各部は理解できる。漢和辞典で引くこともできる。だが、その全体や、意味が、今のハルカにはどうしても理解できないのだ。あの「圓團圖門」のように。 だいたい200字に一つの割合で、そういう字があり、特にそれは人の名前や、地方版に多かった。新聞に折り込まれていた、求人情報や不動産屋のチラシもほとんど読めない。 ハルカはおそろしい考えにとらわれて、以前に利用した蒲田近辺の地図を広げてみた。 どういうことかが判った。蒲田駅から西側にかけての地名が、ほとんど読めなくなっていた。 それどころか、無理に意味を思い出そうとすると気分が悪くなり、字そのものを長時間見ていることができないのだった。 地名だけでなく、地図そのものにも何か違和感があった。以前から持っていた同じ地図のはずなのに、細工の跡など一切見えないのに、描かれた地形のあちこちに、「そこにあった何かが省かれてしまった」という、説明のつかない強烈な確信のようなものが感じられた。 戦慄した。 どういう方法かはわからない。だがハルカは、あのとき「調整」されてしまっていたのだ。 口先で言い逃れたつもりだった。だがそんな生易しいものではなかったのだ。 あの先生は! 病院は! (いや、そんなはずはない。そんな考え方はおかしい。間違っている。狂っている) (私はおかしいのだ) (もっと薬を飲まなければ) (しかし、もしかして、これは逆にあの薬のせいではないのか) (あの二種類の薬が私を調整しているのではないのか) (私の記憶を蝕み続けているのではないのか) (あの事件の核心に関係した、何か特別な文字を私から奪い続けているのではないのか) (あの薬を止めなければ) (いや、そんなはずはない。そんな考え方は狂っている) (狂ってしまう) ケリをつけるしかない。ハルカはそう思った。 読めなくなったその地点に何が関係しているのか、おそろしい予感が、いや確信があった。 それを確かめれば、これまでのすべてが妄想や幻覚だったということが明らかになるはずだった。 あるいは、そうでないことの。 9月4日 退院以来、はじめて薬を飲むことを止め、ハルカは一人でこっそり釣具屋に行った。 3ブロックのオキアミを買い、そのまま公衆トイレでむさぼり食った。 (またやるのか) (まだやるのか) (こんなことは狂っている) (もうダメだ) (おまえは) (おまえは異常だ) (狂っているんだ) 絶え間ない心の葛藤が、まるで誰かの声のように聞こえた。 それを確かめるためだと自分に言い聞かせ、ハルカは必死にオキアミに齧り付いた。 凍ったオキアミの生臭さ、便所の臭気が交じり合い、たまらなく惨めな気分だった。 そしてハルカは、運命の2時23分を待った。 正直に言うと、心のどこかで、目覚めなければいいと思っていた。やはり全部幻ならと。 だが、目覚めたとき、そこはやはりメギ曜日だった。 菫色の世界の中に、9月4・5日があった。 これが自分の現実だ。あるいは、そういう狂気の中に、自分はまだいるのだ。 0犬を避けるため、100円ショップでレインコートを買っていた。この安っぽい代物が、いい感じに黄色かったからだ。青青魚魚がいれば、そのときはもうどうしようもない。 だがハルカは、その危険はもうないと思っていた。 ハルカは、サンライズカマタに向かい、そこでおそろしいものを見た。 すっかり元通りになりつつある菫色のアーケードに重なるようにして、メギ曜日のサンライズカマタは、巨大な青黒いクレーターになっていた。 「圓團圖門」と重なっていた多摩川大橋を思い出した。 クレーターの表面は高熱で溶けたガラスか石のように滑らかで、本来見えてしかるべき土砂や、配管や、ビルの基礎などといったものは一切見当たらない。まるで磨き上げた巨大な椀の中にいるようだった。底に近づくにつれ、はっきりとはわからなかったが、何か気体というか、気配のようなものが沈殿しているように感じられた。 青青魚魚は、その王を含めてすべて蒸発してしまったのだろう。レインコートの効果か、あるいは物語爆弾による何かの影響を恐れたのか、0犬の姿も見えない。 周囲はメギ曜日特有の、深い静寂の中にあった。 クレーターの内側、おそらくアーケードがそこに存在していたと思われる空中のあちこちに、残像に紛れ、ぼんやりとした影のように固まった人影をハルカはいくつも見た。 カナタと35人のメギの組に違いなかった。 物語爆弾が炸裂したとき、彼らに関係したあらゆる「物語」が、姿形や名前、住んでいた家や場所、それをあらわす文字までが、すべて破壊され、実質的にこの世から消え去ってしまったのだ。 それは物理的な破壊とは全く違う、おそろしい現象だった。 数えてみると、影は全部で34あった。影も残さず蒸発してしまったのか、あるいはひょっとして、誰か生き延びていてくれればと思った。 カナタも。 だがクレーターの底で、ハルカはカナタを見つけた。 あの日、物語爆弾を手に掲げたその姿のまま、空間に漂うあいまいな黒い塊になってしまったカナタが、そこにいた。 ただ存在だけを残して、全ての物語を破壊されたカナタが。 顔がなかった。 目も鼻も口も耳も指も、なかった。 思い出そうとしても、思い出せなかった。 ハルカは彼を抱いた。接吻しさえした。 「キクコ」 振り返るとフトシがいた。 フトシはパジャマを着たままだった、顔に大きなあざがあった。よほど苦労をして、ここまでやって来たことがうかがわれた。 見ると、フトシは自転車を持ってきていた。フトシには大きすぎる、ここまで押してきたようだ。 様々な装備品が装着された、黄色いマウンテンバイク。カナタのあの自転車だった。 少し涙が出た。 「キクコのものだ。キクコは28ダイだから」 フトシは言った 差し出されるように、ハルカの方に預けられたハンドルを握りながら、ハルカは答えた。 「違うよ、フトシ。私はハルカ。 カナタにかわって、メギの組の28代を継ぐ」 フトシは復唱した。 歌うように、祈るように。自分の記憶に新たな一節を刻み込むように。 「ハルカはカナタにかわって、メギの組の28ダイを継ぐ。メギ曜日のハルカ。 ハルカはフトシと『とおくのまち』に行く。カナタと35人のメギの組を助けるために。 そこに行けば、『すべてのすくい』はもたらされるなり」 第12回へ続く(8月7日公開予定)
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第4回 多摩川探索(1) 大田区内の多摩川は、川岸の全体が公園となっている。広大な敷地にサッカー場や野球場がいくつも広がっており、堤防をかねた土手の上は、サイクリングロードとなっていた。 今日も大勢の家族連れでにぎわっている。なにしろ夏休みなのだ。 ハルカは母の大きな帽子を借り、いつもの自転車でサイクリングロードを走っていた。 午前の川風は爽快で、気分は悪くない。 目の前に広がる風景は、のどかではあったが、人工の手で整備しつくされ、やはりあの絵の面影はどこにもなかった。 だが、パノラマに描かれた場所を特定するのに、手がかりはいくつかあった。 例の「塔」の見え方からして、それが橋を渡った川崎市側でなく、大田区側であることは間違いない。 となると、カンバス3が多摩川の正面、カンバス1が下流方向、カンバス2が上流方向の景色となる。その地点で多摩川は、ゆるやかに大田区側に蛇行していた。 大田区に住んでいると、社会の授業で嫌でも覚えさせられるのだが、多摩川は、JRと京急の二つの鉄橋のあたりで、大きく湾曲している。 この付近では、「塔」は視界から外れてしまうはずだ。 となると、探すべきは、湾曲部の上流か、下流のどちらかだった。総距離にして8キロほどだろうか。 そしてもちろん、あの「圓團圖門」だ。あの門を見つけ出せれば、まずその場所に間違いない。 ハルカはとりあえず下流、東京湾方向に向かった。 上流のニコタマ(二子玉川)へ至る道は、普段から見慣れており、これまで「圓團圖門」のようなものを見た記憶なかったためだ。 対岸にそびえる大型アンテナを越え、湾曲部に近づくと、視点がダイナミックに変化し、川崎駅ビル群が目に入ってくる。 ただ、二つの鉄橋はそのままでは越えられない。サイクリングロードもここでいったん終わり、いったん堤から河川敷に降りて、鉄橋の下をくぐる形になる。鉄橋の方がそれだけ古くからあったということだろう。 ここからは河口がぐっと広がり、風景も変化する。独特の、泥の混じったような潮のにおいが微かに漂ってくる。海が近いのだ。 ここまでくると、周囲は町工場の密集地帯となる。実はハルカも、あまり「鉄橋のこっち側」に来ることはない。 10分も走ったところで、それはあっさり見つかった。 六郷水門 昭和六年三月成 プレートにはそうあった。伸吉の絵に描かれたものと、まったく同じ、古めかしいコンクリートと鉄製の、まさに水門だ。 今はあまり使われないのだろうか、建物は記念物のようによく手入れされており、水門の奥の濠は、今では小型ヨットや漁船の係留所になっているようだ。 しばらくぐるぐると門の周囲を巡り、ざらざらとしたコンクリートの肌をなでたりしながら、ハルカはしばし感慨にふけった。 ここから伸吉は、あの「塔」を、「メギ曜日」を見たのだろうか。 この場所にどういう意味があったのだろう。 多摩川方向に向き直って、しかしハルカはふと疑問を感じた。 「塔」が見えないのだ。 もちろん、普段は見えるはずのない「塔」なのだが、それにしても、伸吉がガイド線で導いたように水門の対角線上を探すと、それはあきらかに海の方を向いてしまうのだった。 ハルカが以前に「塔」を見た方向とも合わない。 まったく見当違いの方向というわけでもなく、角度からすれば60度ほどのズレではあるのだが、あれだけ偏執的にパノラマ図を作って残した伸吉のこだわりから考えると、どうも納得できなかった。 そう思うと、プレートの銘も気になってくる。 「昭和六年成」と書いてあるからには、伸吉が生きたころからあったに違いないが、だとするとつじつまが合わない。カビで読みづらくなっているにせよ、「圓團圖門」と「六郷水門」では、字面からして、かなり印象が異なる。 あの画数の多い奇妙な漢字を、まさか「六」や「水」とは見間違いないだろう。 思いあぐねてプレートをなでているうちに、どこかの犬と飼い主が、不審げに通り過ぎていった。 ひょっとして、とハルカは思った。 こうした水門は、実は川沿いのあちこちにあるのではないだろうか。 だとすると面倒だな、と思いながら、ハルカはまた自転車にまたがった。 多摩川探索(2) 結論から言うと。他の水門はなかった。下は東京湾まで、上はニコタマ(二子玉川)まで足を伸ばしたが、ないものはない。 汗だくになり、二時間かけてハルカが見つけたものは、この暑いのに川沿いでバーベキューをするバカな家族がどれだけ多いかという事実だけだった。(ハルカは昼も食べていなかったのに) ニコタマから先は世田谷区だ。大田区からの距離からも、絵にある川幅からも、伸吉がそれ以上の上流に遡ったとは思えない。 60年前だ。おそらく以前にはあったものが、「六郷水門」ひとつを残してなくなったのではないか。いやそうに違いない。ヘロヘロになって上流から引き返してきたハルカは、そう結論付けた。 太陽はまさに中天にあってギラギラと輝いている。冷たいクーラーの風が、麦茶が恋しい。ようやく自宅そばの多摩川大橋まで引き返し、堤から降りようとして一瞬後ろを振り向いた。 気付いた。 あの構図だ。 カンバス3。 川幅、ゆるやかに大田区側に蛇行した川の角度。橋を中心にしたその眺めは、「メギ曜日の風景」のそれと、まったく同じだった。 川岸がコンクリで護岸され、雑木林がサッカー場になっているだけだ。 なにより、そこに門でなく、大きな橋と車の流れが、国道一号線があるだけだ。 橋のたもとの青銅のプレートには「TAMAGAWA-OHASHI 昭和24年」とある。 謎が解けたと思った。 「圓團圖門」は、伸吉によって描かれた6年後に、多摩川大橋になっていたのだ。 さすがにここまでの変化があろうとは思わなかった。 体から力が抜け、思わず笑いが出た。だが待てよ、とふと思った。 気付かなかった理由がもうひとつあった。 ここに水門があったとすれば、それらしい形跡がまるでないのだ。 第一、橋をかける場所などいくらでもあるだろうに、わざわざ水門をとり壊し、水路を埋めてまで、同じ場所を選ぶなどということがありえるだろうか。 しかし、周囲の景観からして、まさにここが「メギ曜日の風景」に描かれた場所であることは間違いなかった。 となると、あのパノラマ図は、やはり伸吉がいくつかの場所にあったモチーフを繋ぎ合わせ、思わせぶりに作った架空の風景だったのかもしれない。 (だが) このときハルカは、ある思い付きというか、直感を抱いたのだが、まだ確信に至らなかった。あまりに突拍子のない考えだったこともあるが、何より早いところクーラーの効いた自宅に転がり込み、冷えた麦茶が飲みたかったのだ。 「後藤伸吉文書」(2) 「後藤伸吉文書」に対する興味(と、疑念)をますます膨らませるようになったハルカは、次に難題であるノート類の解読にあたった。 整理されていないボロボロの資料を、苦労して読み進めながら、まず最初に分かってきたのは、伸吉の人となりだった。 ノート1、「日記」によれば、伸吉は、昭和4年の生まれらしい。 例の「メギ曜日の風景」が描かれた昭和18年当時には、14歳だった計算になる。文書内には同年に16歳という記述があって、ハルカを戸惑わせたが、これはいわゆる数え年なのだろう。 日記の日付は、昭和20年の4月13日でぷっつり途絶えている。その唐突な幕切れは、おそらく空襲による死なのだろう。調べてみると、4月15日に大田区の大空襲があった。文書のあちこちが焼け焦げている理由がわかったような気がした。 42ページ分、日数にして230日程度ということもあって、伸吉がいつ「メギ曜日」を発見したのか、この日記からはわからない。 日曜日の部分には当初から、「変化」、「メギ有リ」などと記されている。それ以外は日常を淡々と記録した内容で、特に興味を惹くものはない。あるいは意図的に避けたのかもしれない。 「メギ曜日」に関する具体的な記録は、ノート2~5から散発的に見つかった。まず表紙に「研究」とあるノート4に、昭和16年のものらしい食事の記録がある。 5月17日 イワシ ヒジキ 就寝0200× 5月18日 ヒジキ 就寝0220 × 5月19日 ヒジキ イカ 就寝0220△ 5月20日 イカ 就寝0220△△ 5月21日 イモ 就寝0230× 5月22日 イモ 就寝0230× 伸吉も、ハルカと同じ道をたどったかと思うと、少し微笑ましかった。 ただこれを読む限り、どうやら彼は「毎週日曜日」「深夜3時28分」と「エビ」という、あの法則の基本となる組み合わせを、なかなか特定できなかったようだ。科学的な分析にこだわったためか、特に「毎週日曜日」という奇妙な要素を、なかなか認めたがらなかったように見えた。この点をまったくいい加減に考えたハルカは、実は幸運だったのだろう。 伸吉が、はじめて意識的な覚醒に成功したのは、なんと2年後のことだ。決して日本が平穏ではなかったろう時期に、たいした粘り強さだといえた。 あるいは、現在受験期にあるはずのハルカが勉強もせず、こんな遊びに熱中しているように、彼にとってそれは、唯一の現実逃避だったのかもしれない。 しかしながら、試行錯誤を重ねた分、徹底した伸吉の分析とその結論は、ハルカのものより数段鋭かった。伸吉による覚醒条件はこれだ。 「毎月曜、午前3時28分40秒 右足ニ一銭銅貨、左足ニ五十銭銀貨 アミ(若シクハ、マダコ)80匁以上摂取」 足に硬貨を貼るというのも驚きだが、何より意外なのは、エビ以外の食材だ。 アミとは何かというと、調べた結果どうやら釣りエサのようだ。エビに似た動物プランクトンの一種らしい。最近では南極で取れるオキアミに、ほとんど取って代わられているらしい。キムチの材料にもするらしいが、ここらへんでは釣具屋にでも行かなければ手に入らない。盲点といえた。 マダコというのもノーマークだったが、いずれもクルマエビよりかなり安価だ。80匁というのは、グラムに直すと200グラム程度らしいから、量あたりの効率も悪くない。ハルカは次の日曜に、さっそくこの新材料で実験を行うことにした。 だが、伸吉の遺した驚嘆すべき研究の成果はこんなものではなかった。 覚醒条件のそばに記されていた、伸吉による「メギ曜日」の定義は次のようなものだ。 「メギ曜日」ハ、日月ノ曜日ノ間ニ存在スル、時空ノ別空間ニテ、オソラク大曜日世界ニオイテ往来ノ最モ容易ナルモノナリ。 特徴、サンムトリ第二曜日ニ似タ、空間全体ニ満チル紫色ノ薄明(電気的?)。 又独特ノ物トシテ動作物軌跡ノ半気体的凝結現象アリ。継続時間、約163分」 163分! ハルカがおそらく30分もしないうちに睡魔に襲われてしまうことからを考えると、これは驚異的だった。伸吉による覚醒条件を満たせば、これが可能になるのだろうか。 「大曜日世界」「サンムトリ第二曜日」などという言葉の意味は、正直見当もつかなかった。 ページ同士がへばりつき、カビに覆い尽くされたノート5とノート8を、読める範囲でなんとか解読した限りでは、おそらくこれらのノート後半部分に、そうした部分についての説明があったようだ。 だが、ノート6、7、9、10と、そのほとんどはそもそも欠落している。 ハルカはあきらめて、最後に残ったノート11に移った。 唯一手帳サイズであり、日付からするとおそらく、最も古くから伸吉が記録に使っていたであろうものだ。 ノート11の秘密 これが最後の手がかりかと思い、意気込んでノート11を調べたハルカは拍子抜けした。 これはどうやら、伸吉の家計簿、というか「こづかい帳」なのだ。 昭和14年からの6年分、きちょうめんな字で、毎月の支出がきちんと記されている。 だがそれで終わりだった。 昭和16年から魚屋、釣具屋の支払いが増え、あのカンバスや画材の購入も、見るときちんと記されている。当時さすがにユザワヤはなかったのか、「月光荘」とかいう店で購入したようだ。 8号カンバス3枚、油絵具、テレピン油一瓶、雲母粉10匁、掌ニ塗ラヌコト 昭和18年1月21日 あとは学校の課題や、勤労動員のためらしい細かいメモ書き。ハルカが一番望んでいた情報は、とうとうどこにも記されていないようだ。 現在のところ、ハルカにとって最大の疑問は、伸吉がどうやってメギ曜日の中を、多摩川のような遠距離まで移動していたか、ということだ。 あの覚醒条件を満たせば、あるいは163分という活動時間を得ることができるかもしれないが、それだけでは不十分だ。特にハルカの場合は、車の残像が越えられないことには行動半径は広げられない。 60年前は、もちろん現在よりはるかに人口も交通量も少なかったろうから、ハルカが突破を断念した車の残像も、あるいは避けて通ることが可能だったかもしれない。 だが現在のハルカの、水の中を歩くような行動の不自由さからすると、残像がすべて避けられたにせよ、三時間で多摩川まで往復できるかは疑わしかった。なにより、まず体力がもたない。 より自由な行動を可能にするための方法が、まだ何かあるに違いなかった。 しかし、これまでの調査で見つからなかったことを考えると、それはまさに、欠落した後半部分にこそ記されていたに違いない。 あとは、カビだらけのノート5と8を、どこまで調べられるかだが、あそこまでボロボロになってしまっては、その望みも薄そうだった。だいたい、触ると手にカビがつくのが気持ち悪い。 気がつけば土曜の夕暮れ。博物館もそろそろ閉館だ。 ハルカは手詰まりを感じていた。 結局この文書に振り回されて、一週間以上が消えていた。中学最後の夏休みなのに。 いまさらながら、すごい時間のムダをしたような気分になって、野村さんの好意で使わせてもらっていた事務机の上に、ハルカは思わず顔を伏せた。 戦争が激しくなる前のものだからか、紙の質がよく、保存状態も一番マシなノート11を、腹立ち紛れにパラパラめくった。顔に風があたって気持ちいい。 伸吉の几帳面な文字が、ページをまたがり踊って見えた。 釣正 16銭 釣正 32銭 雲母粉10匁 65銭 雲母 30銭 雲母粉10匁 65銭 釣正というのは、たぶんアミを買った店なのだろうなあ…などとぼんやり考えるうちにふと気付いた。 雲母粉。 こんなに買ってどうするのだろう。 油絵に必要な画材なのか知らないが、ページをずっと眺めていると、絵の具を買った回数とほぼ同じだ。起き上がって、さっきの、1月21日のページを確認した。 掌ニ塗ラヌコト。 頭の中で突然、何か糸が繋がったような気がした。 そろそろ閉館だと告げに来た野村さんを突き飛ばすようにして、ハルカはその糸の先を確かめるため、蒲田駅まで自転車を飛ばした。謝るのは明日でいい。早くしないと閉まってしまう。 大田区民にはおなじみのユザワヤだ。 →第5回へ続く
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ジャンル ミノー メーカー スミス 対象魚 シーバス サイズラインナップ 125、140 フィールド サーフ、磯 概要 スミスではサラナぶりとなるミノー。細身でロングなボディーに極小のリップが装着されている。 内部には大きめなボールウェイトの重心移動が搭載されており、名前どおりのかっ飛び具合を見せる。 泳ぎは見た目よりワイドなウォブンロールで、アピール力は強め。 外見はダイワの「[ショアラインシャイナーSL」にやや似ているが、その性質は異なっている。 評価点 飛距離 大きめなボールウェイトがテールの先の方まで移動し、かなりの飛距離を見せる。飛行姿勢も抜群。 問題点 外見のわりに使用場所を選ぶ スリムでロングなミノーなので使用場所が多そうに感じるが、使用場所はサーフや磯などの外洋の釣りにマッチするようにできているようだ。 大人しめのシャローミノーが欲しいという方は別のルアーを選んだ方が良いかもしれない。 総評 ヒラスズキやサーフのヒラメでオススメなルアーに仕上がっている。高レベルの飛距離とアピール力でありながらスリムボディで食わせやすい。 繊細な見た目だが強度もなかなかの物なので、意外とヘビーな使い方があっているようだ。