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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】 第7話)虎に襲われる?! 《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》 テッカディは西ガーツ山脈の山あいに位置する小さな高原の街だ。ここまで来ると気温も涼しく過ごしやすい。近くにペリヤー自然保護区があり、そのゲートウェイとなっている街でもある。 自然保護区では、泊まりがけの本格的なジープサファリから、湖の遊覧船からのお手軽な野生動物ウォッチングまで、 予算や滞在日数に応じて様々なネイチャー・アクティビィティを楽しむことができる。 ペリヤー自然保護区の入り口 まずはペリヤー湖の遊覧船に乗ってみようと公園管理事務所に向かうと、 係員がわけのわからないことを言う。 「最終の遊覧船は15 30発が最終だが、そでれでもいいのか」 「15 30の出発って、今まだ14 00だろ、十分間に合うではないか」 「遊覧船乗場はここから3km先だ。切符はそこでしか売っていない。ここから船着き場にたどり着くまでに船の切符が売り切れてしまうかも知れないが、それでもよいか」 思っていた以上にここがインド人の人気観光地であることに驚いた。とともに遊覧船に乗れないかもしれないのに、自然公園の入園料450ルピー(約¥855)を払うことに躊躇もしたが、ともかく運を天に任せ進むことにした。 船着き場までの山道を徒歩で向かうのは僕ひとりだった。観光客を乗せたバスやミニバンが何台も僕を抜き去っていく。ゲゲ、この調子だと船の切符は売り切れてしまうかもしれない。たかが遊覧船、されど遊覧船。どうにも気持ちがはやって仕方がない。 ようやく船着き場にたどり着くと、幸いまだ切符は売り切れてはいなかった。 自然公園内の湖 で、肝心の遊覧船に乗り込んでは見たのだが、いざ出航すると、午前中アレッピーからバスで5時間かけてきた疲れと、すぐさっきまで遊覧船のチケットが買えるか気をもんでいた心労とがどっと重なって、いついつウトウトしてしまった。 「あそこに野生動物が見えますよ」 遊覧船のガイドの呼び掛けに乗客はわれ先にとスマホやタブレットのカメラを向けるのだが、寝ぼけまなこのオイラにはどこに何がいるのかサッバリわからない。結局ボーッとしたまま、遊覧船は船着き場に戻ってきた。 船着き場から管理事務所までの、帰りの山道も徒歩で下るのは僕ひとり。「せっかく船に乗れたのに居眠りしてたら意味がなかったではないか」と反省しつつトボトボ歩いても帰る僕の脇を、バスやミニバンが追い越して行く。 いつしか日が暮れ、山道が鬱蒼としてきた。何だか薄気味悪さが漂ってきたなぁ。 そしてふと道沿いの看板に目をやった。 PERIYAR TIGER RESERVE (ペ リ ヤ ー ト ラ 保 護 区) ええ、ここってトラの保護区!! トラがでるのか! 止めてくれ、こんなところでトラに食われて死にたくない! 冷静に考えれば、保護しなければならないほどトラの数は少ないのだから、ここでトラに遭遇する確率はかぎりなく0に近い。だが、薄暗い異国の山道に一人ぼっちの状況は、僕から平常心を奪い去っていた。 あっ、あの明かりは管理事務所だ。 人の住む集落の明かりが見えるまで、ヒヤヒヤの思い全快で山道を下ったのだった。 (続く) もどる < 7 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】 第1話)インドビザを取得する 《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》 「この書類は受理できません。書き直して持ってきて下さい!!」 受付のインド人職員の冷たい反応に僕は動揺を隠せなかった。ここは東京港区芝にあるインドビザセンター。翌月のインド旅行に備え観光ビザの申請に来ていたのだが、朝一で書類提出するだけならさほど仕事にも支障はないと踏んでいた。しかし、書き直しとは想定外である。 インドビザセンター 実はインドビザを申請したのは今回が初めてではない。5年前にインド旅行を計画した際に取得した経験はある(その時は直前で都合が悪くなり旅行をキャンセル、結局ビザも使わずじまいに終わってしまった)。今回も同じように記入したはずなのに、なぜ書き直しなのだ!! 「パスポートの発行はどこですか?」 「日本ですよ、ちゃんとJAPANと記入してるでしょう。」 「日本のK県ですよね、ちゃんとK県まで記入してください。」 今まで様々な国のビザを申請してきたが、パスポート発給の都道府県名まで記入を求められたことは一度もない。前回のインドビザのときだってそんなことを指摘された覚えはない。それに、そもそもパスポートに発給地の都道府県名などどこにも記載はない。なのになぜK県の発行だと分かったのか!! おそべしインドの捜査力! ともかく書き直し、正確に言うとインドビザ申請は専用サイトで項目を入力しプリントアウトして持ってくるスタイルなのだが 、つまり入力項目の修正が必要ということである。 「こちらのPCで修正したいのですが…」と聞いてみと 「修正はできません、最初から新たに全部打ち直して持ってきてください。」 な、なんという非効率な! 「あと写真もこれではだめです。ちゃんと基準にそった写真でお願いします。」 写真もダメだと。それは変だろ、5年前申請した時と同じ写真を貼っているのだ。そのときOKだった写真が何でダメなのだ!と口に出かけたところで引っ込めた。 ー5年前の写真と分かってしまったら書類が通る訳がない。 「あそこで撮ってください。」 見るとそこにはインドビザ用に焦点が合わせられた自動撮影ボックスが鎮座していた。商売上手すぎだぞ、インドビザセンター!! ともかくその場で一から入力する時間はなく、後日出直しとなった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 翌々日、無事申請を済ませ、ビザの受取り日を確認する。 公式サイトや館内モニターは、旅券の受領時間(=ビザ受取り時間)として、 月曜日~金曜日 10:00~12:00 15:00~17:30 と、案内している。 ところが、館内の掲示板には受付時間の変更として、 月曜日~金曜日 受領受付 15:00~17:30 と貼り紙が掲示され、ビザ受取りは午後のみとされている。いったいどちらが正しいのだ!!。平日に受取りに行くにはそれなりの段取りが必要なのだ、はっきりしろ!ビザセンター。 館内モニターと掲示板で、ビザ受取り時間が違う。どちらが正しいのだ!! 「センターでの受け取りはありません。全て宅急便で届けることになります。」 そのどちらでもない答えが職員から返ってきた。えっ、じゃ公式サイトや館内モニターや掲示板はなんのためにあるのだ! いや待て、これがインドなのだ。幾らITが発達しようが、役所の文書に記載があろうが、正確な事情は現場の担当者じゃないと分からない。 インドとはそういうもの。---旅のレッスンはビザの取得から始まっていた。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【東チベット‐幻の僧院都市を目指せ!!】 第4話)幻のアチェンガルゴンパ 《東チベット旅行記|成都|丹巴|甘孜|康定|アチェンガルゴンパ|》 丹巴(タンパ)から甘孜(カンヅ)まで、またもやバスの長旅である。朝7時に出発したバスの到着は午後3時であったが、高原を走るバスの車窓はとても美しかった。独特な装飾を施された建造物や高原で草を喰むヤクの姿を見ると、チベット文化圏にどっぷり入っていることが実感できる。 甘孜(カンヅ)を拠点に明日はいよいよ この旅のハイライトであるアチェンガルゴンパに向かう。 甘孜(カンヅ)の街並み 宿につくと、中国版グーグルマップである百度(パイドゥ)の地図アプリを見せて「アチェンガルゴンパ行きのバスはどこから出ている?」とフロントスタッフに尋ねて見た。すると、 「アチェンガルゴンパ、ノー。ポリス、ストップ。」 え"っ、行けないのはラルンガルゴンパで、アチェンガルゴンパはOKのはずなのに。 「什么时候? シャマシホ(いつから)」 「最近 ツイチン(最近だよ)」 互いに下手くそな英語と中国語のチャンポンでなかなか意図が通じにくかったが、要するにごく最近、アチェンガルゴンパも外国人立ち入り禁止となってしまったらしい。 この宿ではWIFIが通じるので、念のため、「アチェンガルゴンパ 外国人 立ち入り禁止」等と検索してみると「アチェンガルゴンパ、いけなくなりました」と言ったブログ記事が幾つか見つかった。日付は半月ほど前で、実際に行こうとしたら行けなかったというリアルな体験談だった。 「アチェンガルゴンパ、いけなくなりました」とのブログ記事がヒット 何ということだ!!!!! 幻となる前に訪れておこうと思っていたチベット仏教の聖地は、半月前に既に幻と化していたのであった。 あまりのショックと、長いバス旅の疲れと、そして高山地帯の酸素の薄さから、あらゆる気力がオイラの身体から消え失せてしまった。 (続く) もどる < 4 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【伊良部 島宿物語】 第1話)旅人が移住者になってしまう宿 《沖縄旅行記|伊良部島|下地島|GUEST HOUSE nesou(びらふやー)》 「お客さん、ゲストハウスNに泊まってるのね」 宮古島から伊良部島へ渡る小さなバスに乗り込み、運転手に「終点の一つ手前で降ります」と告げたところ、たったそれだけで泊まる宿がわかってしまった。 大橋が開通し宮古島本島から車で移動できるようになった伊良部島ではあるが、まだまだ宿の数は限られているのだろう。 青く透き通った海の上を延々3.5km続く伊良部大橋 青く透き通った海の上を延々3.5km続く伊良部大橋を渡りきる。その先の交差点では、あの「宮古島まもる君」が我々のバスを出迎えてくれた。橋が開通して、彼の勤務地は隣島まで拡張してしまったようだ。ご苦労様です。 「この先にゲストハウスの表示があるからね」 バスを降りる際、運転手は丁寧に道順まで教えてくれた。ゴトゴトとキャスターを引きずって宿の前あたりに到着すると、大柄な男性が佇んでいた。バッグを引く音に気づいて出迎えてくれたオーナーであろう。わざわざ道の前にまで出て、迎えてくれるとはとは大したものだ。 「今日から2泊お世話になります」 と挨拶を入れると 「あ、僕も客なんですけど…」と目の前の男は意外な言葉を発した。その仕草や佇まいは宿の人そのもの。客が客を出迎えるというのがこの宿の流儀なのか。ともかく今日の宿タダモノではない。 ゲストハウス入り口 「ここの約束事をご説明しますね。」 宿の中では正規のスタッフさんが出迎えてくれ、ゲストハウスのルールを説明してた。 「こちらのお茶やインスタントコーヒーは無料です。自由にお使いください。夕食と朝食は有料になります。レギュラーコーヒーや泡盛も有料なので、ご希望されるときはこちらの紙に記入してください。」と一枚の紙きれを渡された。 そこに食事や有料の飲料、レンタルした自転車やシュノーケリングセットなどのアイテムと日付を客自身が書き込み、ボードに貼っておき、チェックアウト時に精算するという仕組みになっていた。 追加コストはメモに記載して自己申告 追加コストは性善説に基づく自己申告制である。ズルをしようと思えばいくらでもできてしまうのだが、ここまでオープンだとそんな気が全く起きない。早速オイラも夕食を頼み、紙きれに記載した。 「夕食は日没後7時半に皆でここで食べますので集まってください。 すぐ近くに佐和田浜があるので 夕陽でも見てから戻ってくるとちょうどいいです」と勧められ、夕焼けを眺めてから宿にもどる。 食卓にはオーナー夫妻手作りの料理が並ぶ 食卓にはオーナー夫妻手作りの料理が並べられていた。宿周辺に食堂などないので、宿泊客全員で一斉にいただく。何か旅の宿というより合宿のような雰囲気だ。 「彼は漁師をしているSさんで、こちらは漁港食堂の店長をしているMさんです。」 食事の後、宴会の場と化した食堂には、いつしか宿泊客だけでなく近隣住民も集まっていた。 「二人ともこの宿の元客で、今は移住しています。 結構こういう人がいるんですよ。」 え、この宿に泊まるとやがて移住者になるのか? 満更それも悪くないかな。そう思わせる何かを備えた宿と島であった。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【そして牛を巡る冒険/奄美群島の旅】 第1話)天候異常あり 《旅行記|徳之島|闘牛|亀津|伊仙|奄美大島|名瀬|喜界島》 「お客様にご案内申し上げます。本船は悪天候のため寄港地を変更いたします…」 な、なに!! 寄港地を変更だと!! 5月の連休を利用し、僕は奄美の島々を巡る旅に出かけていた。東京からまず奄美大島に飛び、すぐさまその日の夕方フェリーに乗り次ぎ喜界島に向かっていた。その船内での突然のアナウンスであった。 奄美群島をつなぐフェリー 「本船は喜界島・早町(ソウマチ)港に入港いたします。当初予定の湾(ワン)港には参りません…」 そっ、それは困る!! もともとの予定は喜界島の西側にある湾(ワン)港に夜8時半の到着を予定していた。そのため宿は港にほど近い湾(ワン)地区の民宿を予約していたのだが、寄港地が変更となると島内の移動手段を考えなくてはならない。 そもそも早町(ソウマチ)地区って、島のどこにあるのだ? 喜界島の港は、湾(ワン)地区一つしかないと聞いていたが… すぐさまスマホで「早町港」と検索してみる。すると、あった、あった。島の東側にある港だ。でもこの港、「漁港」じゃないか!! 漁港だろうと何であろうと、ともかく船はどこかに接岸しなければならない。では島の東側から西側への横断移動はどうしたらよい? 僕は民宿に電話を入れた。 「いや~、今日は用事があって迎えの車が出せないんですよ。タクシーを手配しましょうか?」 と民宿のオーナーは詫びたが、この場でタクシーを手配してもらうことには抵抗があった。何か代わりの手段を船会社が提供してくれるのではないか、もちろん無料で。 僕は、沖縄の西表(イリオモテ)島での交通システムを思い出した。 西表(イリオモテ)の場合、悪天候で船が島の北側の港に接岸できず、南側の港に入港すると、船会社が南側の港から北側地区までの送迎バスを手配してくれる。 きっと似たようなサービスがここ喜界島にもあるに違いない!! と身勝手なポジティブシンキングに裏打ちされて、船会社の職員に聞いてみる。 「湾(ワン)港まで、バスを手配してくれるんですよね?」 「いや、そういう手配はしてないよ」 聞きたくない答えが帰ってきた。ではいったい島をタクシーで横断したら幾らかかるというのだ! いや待て、悪天候で港が変更なんて離島では珍しくはないはず。きっと村役場が代替バスでも手配してくれているに違いない。 ひたすら自分にホジティブな思考を捨てきれないまま、薄暗い早町(ソウマチ)港に降り立った。 ところが、埠頭に見えるのは運送会社のミニバンとタクシーが数台のみ。その少ないタクシーにも人が乗り込んでいる。こっ、このままでは取り残されてしまうぅぅぅ。 慌ててダッシュし1台のタクシーをキープした。 薄暗い早町(ソウマチ)港の埠頭 「お客さん、着きましたよ。」 島を横断したタクシーが宿の前に着く。僕はメーターを恐る恐るのぞき込んだ。想定外の痛い出費ではあったが、喜界島がさほど大きな島ではなかったため、べらぼうな金額にはならなくて助かった。 こうして僕の奄美群島の旅は、喜界島の島内GDPを\2040分だけ押し上げてスタートした。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【伊良部 島宿物語】 第4話)ゲストハウスの働き方 《沖縄旅行記|伊良部島|下地島|GUEST HOUSE nesou(びらふやー)》 伊良部島で泊まったゲストハウスはなかなかユニークな宿であった。元お客さんで現在は移住者となった者が何人もいることは前に述べたが、ここに来るのはほとんど常連客で、今回も10人ほどいた客の内で新規は僕を含めわずか3人程。GW1週間をここだけで過ごすリピーターも少なくない。 近くの名所は佐和田浜ぐらいだが… 近くに綺麗なビーチがある他にこれといった観光スポットもない佐和田地区にあって、何がこんなに旅行者を惹きつけるのだろうか?周りには飲食店らしい飲食店すらない、立地的にはハンディのあるエリアなのに… だがよく観察してみると、周りに何もないことを逆手にとって、小さいながらも手作り感覚であらゆる旅行者のニーズを満たしていることがわかる。 例えば食事、わずか800円で美味しいオーナー夫妻の手料理を提供してくれる。そして食事は宿泊客も宿のスタッフもみんなで一緒に食べるのがルール。自炊組の客も一緒に食卓を囲む。そうすることで自然と一体感が醸成される。 「ではじゃんけんで負けた3人が食器を洗います。これがうちのスタイルです」 食後にはこんな全員参加のゲーム(?)まで用意されていた。そして夕食後は自然に和気あいあいとした飲み会に流れてゆく。 また宿泊客限定ツアーも客と宿との一体感を高める仕掛けの一つだ。こうして随所に客同士が顔見知りになる工夫が備わっている。 宿泊客限定ツアー 結果、GWはリピーターの予約が殺到していた。僕は2週間前の電話で予約が取れたのだが、それは殆ど奇跡に近いことだと言われた。 にしても、これらの仕掛をオーガナイズするオーナー夫婦の気苦労はいかほどのものか。食事やらツアーやらで四六時中接客していることになる。これを労働ととらえるならトンでもないブラック企業だ。だが自らも旅行者であるオーナー夫婦は、こんな風に旅人同士が交流できる場を作りたかったのだという。視点を変えれば、自分たちの暮らしぶりそのものが生業になっている。そうとらえるなら、これこそ究極の働き方改革の実践ではないか!! ともかく、ほとんどの客は満足して帰り、またリピーターとして戻ってくる。が、中にはモンスターな客も存在する。 「以前、宿泊前に60回もメールのやり取りをした客がいましたが、この客には参りました」 なんでもその客とは某T京大学卒の中年男性で、研究職的な仕事についているらしい。その人物が自閉症かなにかの若者たちを率いてこの宿で合宿を行った。 そして合宿の最後に、若者たちに自分たちの将来についてプレゼンをさせ、そこにオーナーも出席を求められたのだという。若者たちのプレゼンは素晴らしくオーナーも感心したと言っていたが、最後に引率男性の話を聞かされた。それが自分の自慢話のような酷い内容だったらしく、またオーナーは宿の仕事もあるため、話の途中で席を立ったのだが、そのことがT大卒の男性のプライドをいたく傷つけた。 合宿が終わった後、口コミサイトに延々と「やれオーナーは失礼だ」だの、「鴨居を直せ」(構造的に直せない)だの、醜い投稿をされてしまった。それも複数IDを使い分けてという手の込みようだ。 「時間をかけて協力したのに、こんな仕打ち受けちゃうんですね」 SNS全盛の今、ちょっとしたボタンの掛け違いで 悪意のある評価を受けてしまう。ゲストハウスオーナーの悩みは尽きない。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - そんなこんなで世話になった宿を離れる日がやってきた。宿を出る前、食堂に貼られた夕食メニューをチェック。あれ、何これ!! 今日の夕食は、浜カレー!! 「今日の夕食は、浜カレー。18 30にここを出発」 とビーチへの地図が貼られている。 「車で食材を運んで、浜辺でカレーを頂くんですよ」 そんなイベントが残されていたのか!! それはまた次回に体験せねば、 えっ次回? やばっ、これって移住者への道か!! (FIN) もどる < 4 > 目次へ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【壱岐→対馬→釜山=島伝い国境越えの旅】 第5話)対馬の姉妹島・影島(ヨンド)を行く 《壱岐・対馬・釜山 旅行記|郷ノ浦|勝本|厳原|日田勝|影島・ヨンド》 新築された釜山フェリーターミナルはまるで空港のように巨大でピカピカだった。 その港を後にし、繁華街・南浦洞(ナンポドン)にあるゲストハウスに転がり込む。昨今この手の安宿も小奇麗なところが多く、泊まったFゲストハウスの共有リビングルームなどは、洒落たレストランのようであった。 ゲストハウスの共有リビングルームは洒落たレストランのよう さて、今回の短い釜山滞在ではテーマを絞り、対馬の姉妹島となっている影島(ヨンド)を訪れることにした。影島(ヨンド)は島ではあるものの、南浦洞(ナンポドン)から橋一つを渡った目と鼻の先にある。つまりは大都会・プサンの一部であり、大きな高層ビルが島の斜面を埋め尽くしている。人口規模で言ったら対馬の100倍は軽く超えているだろう。対馬とは隋分と格差のある"姉妹"である。 そんな日本と縁のある影島(ヨンド)であるが、ガイドブックには、突端に位置する太宗台(テジョンデ)公園以外、ほとんど紹介されていない。だが釜山市の中で影島区という一つの区を形成する程の島である。名所が公園一つというわけが無い。 で、調べてみると、釜山には、韓国かまぼこ=オムクの老舗・サムジンという有名店があり、影島(ヨンド)はそのサムジン・オムク発生の地なのだという。今でもその創業地に店があり、できたてのオムクが楽しめるという。 南浦洞(ナンポドン)からバスで5分ほど走った市街地にその店はあった。まるでベーカリーのような洒落た店内には、エゴマの葉入りやら唐辛子入りやら、様々な練り物が並べられ、それをトングでピックアップしてレジで清算するという、まさにべーカリーと同じシステム。それもそのはずで、この店の英語名は FISH CAKE BAKERY だった。 まるでベーカリーのようなサムジンオムク影島店 伝統に新しいスタイルを融合させた店には客足が絶えない。お店で買った商品は隣のイートインコーナーですぐ食べられるのも嬉しい。 さらに店の二階は 博物館が併設されていた。練り物の博物館なんて僕が知る限り世界でもココだけだ。今は市街地だが、創業時この辺りは全くの漁村で、その当時の貴重な写真やら、昔の製法を模したジオラマやら、珍しい展示が興味をそそる。 おや、奥にあるガラス張りの部屋は何だ! 見ると博物館の奥には調理台が ズラりと 並びキッチンスタジアムを形成していた。 ここではオムク作りの体験コーナーまであるのだった。生憎、予約がないと体験はできないが、傍らのモニターではオムク作りのビデオが流され、何となくの様子は分かる。 二階は、博物館と体験教室用のキッチンスタジアム 伝統をベースに、次々と新しいスタイルを積み重ねていく。老舗のチャレンジする姿が、この店の人気の秘密のようであった。 (続く) もどる < 5 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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タイ国境→(陸路)→バッタンバン→(水路)→シェムリアップと移動してアンコールワットへ。空路では見えないカンボジアを体感してみました ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【陸路で水路でアンコールを目指せ!!】 =目次= 《カンボジア旅行記|ポイペト|バッタンバン|シェムリアップ|プレアヴィヒア|》 タイ国境→(陸路)→バッタンバン→(水路)→シェムリアップと移動してアンコールワットへ。空路では見えないカンボジアを体感してみました。 第1話)国境を越えると、そこは混沌の国であった に進む(タイ・アランヤプラテート カンボジア・ポイペト) 第2話)復活! カンボジア鉄道に乗る? に進む(カンボジア・バッタンバン) 第3話)バッタンバンからの船旅はジャングルクルーズ に進む(カンボジア・バッタンバン シェムリアップ) 第4話)アンコール遺跡の中心で、壊れる に進む(カンボジア・シェムリアップ) 第5話)どうする? スラエムまでの道 に進む(カンボジア・シェムリアップ プレアヴィヒア) 第6話)断崖絶壁のプレアヴィヒア に進む(カンボジア・プレアヴィヒア) 第7話)タライでワニを育てる? に進む(カンボジア・シェムリアップ) 第8話)初めてのカジノ に進む(カンボジア・ポイペト タイ・アランヤプラテート) ルートマップ 大きな地図で見る 旅行時期:2019年8月 東 南 ア ジ ア なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【国がまるごと博物館・キューバの旅】 第4話)トレインツアー 《キューバ旅行記|ハバナ|マタンサス|トリニダー|オルギン》 オルギンで丸1日を過ごしたあと、夜行バスで世界遺産の街トリニダーに向かった。バスは意外にも定刻通り7 30にトリニダーのバスターミナルに到着。予約していた民宿にもスムーズにチェックインできた。 世界遺産の街トリニダー ここトリニダーには、郊外のロス・インヘニオス盆地(Valle de los Ingenios)を巡るSLツアーがあるという。その沿線はかつてキューバ製糖業の中心地で、無数の製糖工場が稼動していた。そこを100年以上前に造られた蒸気機関車が走っているなんて、鉄ちゃんでなくとも心踊る話ではないか。 しかし L○NELY PL△NET によると、ツアーの運行は不定期のようで、CUBATUR(現地旅行会社)に問い合わせよ、と書いてある。 朝食を済ませ、営業開始の9 00にCUBATURに飛び込むと、トレインツアーは開催されているという。ではチケットを買いたいと頼むと 「駅で直接買え、出発は9 30だよ」 え"、時間がないじゃん。僕は慌てて街外れの駅に向かった。 おやっ、ポツリと小さなホームがあるだけだぞ、あれが駅なのか? でも観光客らしい人影が何人もいるから間違いないだろう。しかしチケットはどこで売っているのだ? ポツリと佇む小さなホーム ふとホームから道路を跨いだ先に小さな小屋を見つけた。「まさか、これが駅舎か」と半信半疑で扉を開けると、中にCUBATURの旗を掲げた小さなツアーデスクが設けられていた。 「そこで営業してるなら、表にノボリでも立てとけよ!」 と言いたくなるが、ともかくこうして出発ギリギリでツアーチケットを購入した。 オープンエアの古風な木造車を牽引するのは、残念ながらSLではなくディーゼル車であったが、まあよい。牛や馬が草を食む長閑な田園地帯をゆっくりと列車は進んで行く。乗りあわせたギター弾きが陽気なラテン音楽を奏で、気分は最高! 陽気なトレインツアーが始まった やがて、列車はマナカ・イスナーガに到着、ランチタイムとなる。ここには、農園領主の邸宅が今はレストランとなって保存されている。 それ以上にここをを有名にしているのは、通称イスナーガの塔と呼ばれる、かつての奴隷見張り塔である。高さ45mにもなる塔を恐る恐る登る。 イスナーガの塔 そして、ふと思った。もし今地震がきたらどうなる。正直この塔、観光客で溢れ過ぎてると思う。その重みに地震の衝撃が加われば、こんな古い造りの塔がもつはずがない。頭のなかに数日前に起きたネパール地震で崩れ落ちる仏塔の映像がよぎった。 が、そんな一瞬の不安はすぐに吹き飛ぶほど、見張り塔からの眺めは素晴らしい。 塔からの眺望 でもここ、余りにも眺めが良すぎやしないか? こんな遠くまで360度広範囲に見渡せたら、逃亡者を見つけても、ただただもう眺めることしかできなかったんじゃない? などと、どうでもよいことに思いを馳せ気を抜いていたら、あれ~、風に煽られ帽子が飛んでいってしまった。 塔の下には土産物屋がズラリ。そしてオイラは、不注意な観光客を狙ったしたたかな帽子売りの餌食となってしまったのだった。 (続く) もどる < 4 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談