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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【二輪で行こう! 五島列島の旅】 第4話)隠れキリシタンのマドレーヌ販売機 《五島列島|下五島|奈留島|久賀島|福江島》 午前中に久賀島(ひさかじま)の五輪教会を訪れた後、そのまま福江港には戻らず、同じ福江島の奥浦港に向かう14 35発のフェリーに乗って戻ることにした。 久賀島・田ノ浦港から福江島・奥浦港に戻り、堂崎天主堂に立ち寄る 奥浦港は福江港より8kmほど北にあり、その近くには有名な堂崎天主堂があるのでそこに立ち寄ってから福江の町に戻るルートを組んだ。 久賀島の田ノ浦港は桟橋以外何もない港であったが、同じく奥浦港も備わっている設備は桟橋だけであった。1日2〜3回しか船が立ち寄らない港というのはこんなものなのであろう。 桟橋以外何もない奥浦港 再び積んで来た電動アシスト自転車を漕いで3km程北上し、堂崎天主堂に到着。有形文化財の教会はレンガ造りの優美な姿を誇っていた。 堂崎天主堂-レンガ造りの優美な姿を誇っている 久賀島の五輪教会は辺境とも呼べる場所にあり、周りには観光地らしい土産物屋など一切なかったが、さすがに福江の市街地から近いこの堂崎教会には周りにカフェ等があり、観光地らしさを醸し出していた。 そして教会土産といえば修道士たちが作るお菓子が定番だ。ここ堂崎教会の名物は近くの菓子工房が造るマドレーヌであった。 一通り教会見物を終えた後、天主堂の隣にあるカフェで優雅にマドレーヌをいただきながらティータイムを過ごそうと思って、カフェの前に行ってみる。すると CLOSE まさかゴールデンウィークの真っ只中で営業していないとは思わなかったが、今日は定休日だったのでどうすることもできない。 堂崎天主堂の隣にあるカフェは定休日だった オイラはとぼとぼと教会から駐車場まで歩いて戻る。するとそこに不思議な物体を発見した。 「堂崎マドレーヌの店」 と書かれた自販機である。その外壁は天主堂を模したレンガ調だが、「マドレーヌ」と書かれてはいるものの、その自販機の姿は普通のジュースのそれだ。何か変だ。 堂崎マドレーヌの自販機 だが近づいて見ると3列あるボタンの一番下の並びだけマドレーヌが売られていた!! なるほど!! これならカフェがクローズでも名物が楽しめるぞ。 ただ飲料用自販機の中に無理やり製品を入れているため「マドレーヌは冷蔵のため固くなっていますので、常温にお戻しになり召し上がってください」と注意書きが記されていた。 そしてオイラは思った。ジュースの自動販売機のふりをしてマドレーヌを売る。つまりこれは隠れマドレーヌ販売機。その着想は仏教徒のふりをしながら密かにキリスト教を信仰した隠れキリシタンの伝統が根底にあるのではないかと。 - イヤ、そんなことないか - (続く) もどる < 4 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄|離島 なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【奥やんばる路線バスの旅】 第6話)【奥やんばる路線バスの旅】農業体験に遅刻した!! 《沖縄旅行記|やんばる|国頭村|大宜味村|辺土名|安田|名護|》 「すいません!! 約束の2時までにそちらにたどり着けそうにありません」 オイラは大汗をかいて携帯電話をかけていた。 午前中、名護のお散歩ツアーに参加した後、午後からは名護市郊外にある農場での農業体験に申し込んでいた。農場はグーグルマップで見ると市内から3.8km。歩いても1時間以内、じゃ自転車なら楽勝だろう。そう踏んでチャリを借りて向かったのだが、ところがどっこいグーグルマップの示す通りに進んで行っても、実際は細い道の中に入り込んでしまい、思った通りの方向に進まない。 農場への道のり:マップの示す通りに進んでも、思った通りの方向に進まない 仕方なく遠回りではあるが迂回して分かりやすい大通りに沿って農場に向かったら、その大通りの途中は自動車専用道路になっていて自転車が入れない。ヤバイ!! あと15分しかない。だが2時までには絶対たどり着けない。 「あとどのぐらいで到着しそうですか? オリオンビール工場の道を道なり添って進んでってください」 「何時に着くかわかりませんが、とにかくもう一度街に戻って、ビール工場からそちらに向かってみます」 そう応えて、一旦街に戻って再度ビール工場近くの道を進む。だがこの道は登り坂がずっ~と続いている。車で行くなら楽勝だが自転車にはきつ過ぎる。 登り坂が続いて自転車には辛すぎる 最初は自転車をこいでいたがもうダメだ。途中からトボトボと押して歩いていく。もちろん約束の2時に間に合うはずもない。この手の体験ツアーというものは農家の仕事の邪魔にならないよう見学させていただくものだ。こちらの到着が遅れれば農家さんに迷惑をかけてしまう。マズいなあ。 なんとか山道を押し歩き、道路脇に目指す農場の標識が見えてきた。地図上では街中からたった3.8kmだが、農場は小高い丘の上にあったのである。やんばるの自然をなめてはいけない。 農場の標識が見えてきた 「すいませ~ん、遅くなりました」 農場の小屋の中にいた農家さんに頭を下げると、テレビを見ながらお茶を飲んでいた。あれれ、そんなに忙しそうではないな。さては農閑期だったか。 「ここまで自転車で来たんですか!! 大変でしたね。まずはお茶でも飲んでって」 農業体験に来たのに、なんだか知り合いの農家の家に遊びに行ったような感覚である。 「じゃ、ちょっと行ってみる」 とカマを持ってサトウキビ畑に向かった。サトウキビを刈るカマは先端が二股に分かれていた。その二股の間にカットしたサトウキビを通して余分な葉を落とす仕組みだ。 ↑サトウキビ農場と↓サトウキビを刈る二股のカマ 何本か収穫しただけであっという間に疲れてしまった。もちろん今は機械で収穫するのだが、機械のない時代はこの広大な畑のすべてを手作業でやっていたかと思うと気が遠くなる。 モオ~ 近くで牛の声が聞こえた。サトウキビの余った葉は牛の飼料になる。牛小屋に葉っぱを持っていくと、巨大な牛が起き上がり、バクバクとサトウキビを食べ出す。アワワ、凄い迫力だ。 ↑農場で飼われている牛と、↓捕獲された猪 「この辺はイノシシが出て、サトウキビを食べちゃうんですよ。だからワナを仕掛けて捕まえるんですよ」 農場には捕まえたイノシシも飼われていた。市街からわずか3.8km離れたところに、ものすごく濃い自然が息づいていることを知る農業体験であった。 (続く) もどる < 6 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ガリバー旅行記のような夢を見た。 1つの島を渡ったら手帳にその島での出来事を書いて、別の人に渡すというもの。夜中になると巨人が現れる島で火山が噴火する中でなんとか逃げてこれたけど、次の島ではその島での食べ物に中毒性があることがわかり、次の人に託したあたりで終わった。
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【奥やんばる路線バスの旅】 第1話)夢の蛇口 - シークヮーサーパーク 《沖縄旅行記|やんばる|国頭村|大宜味村|辺土名|安田|名護|》 2020年10月、東京でGOTOトラベルキャぺーンが解禁になった。それを受け11月の飛び石連休を利用し旅に出ることにした。国内海外を問わず約1年ぶりの旅行だ。 行き先は、沖縄本島北部の奥やんばる地域に決めた。沖縄本島の約1/3の面積を占めるこの地域は、国頭村(くにがみそん)・大宜味村(おおぎみそん)・東村(ひがしそん)の三村からなり、合計人口はたったの9600人。沖縄本島の人口が約130万だから、奥やんばるは全くもって密とは遠い状態にある。 奥やんばるの3つの村 コロナ対策として旅するにはうってつけの過疎な地であるが、那覇からは距離がある。まず那覇からやんばるの玄関口である本島中部の名護までシャトルバスで移動する。座席にはソーシャルディスタンスを保つための使用禁止席が設けられていた。所要時間は2時間40分と東京=那覇のフライトよりも長く、途中でトイレ休憩があるくらいだ。当日は名護に泊まり、翌日奥やんばるの中心集落である辺土名(へんとな)に路線バスで向かうことにした。 なぜ路線バスかというと、ペーパードライバーのオイラにはレンタカーという選択肢がなかったからだ。 名護から辺土名(へんとな)に向かう路線バス 翌朝、辺土名(へんとな)行きのバスに乗るが、途中で寄りたいところがあった。大宜味村(おおぎみそん)にあるシークヮーサーパークである。 パーク最寄りのバス停「第一津波」からパークまでは約1kmあり、歩いて10分ほどの距離だ。手ぶらであれば問題ない距離だが、移動途中では荷物が邪魔になる。大荷物を持って約1kmの移動となるとなかなか難儀なことだ。 シークヮーサーパークへの道のり バスに乗り込み、運転手に停留所の手前のパーク近くで降ろしてもらえないか交渉しようとした。すると他の乗客が「その辺りは海岸沿いで橋状になった道路だから、途中で降ろすのは難しい」と言われ諦めた。「その代わりにお店があるので、そこで預かってもらえば」と提案を受ける。なるほどそれは良い!! 地元民の知恵と情報は頼りになる。 第一津波バス停付近 パーク最寄りのバス停名は「第一津波(※)」という海沿いの停留所で、本当に津波に襲われたらあっという間に浸水してしまいそうな僅かな空間しかない。そこにM田食堂という一軒の蕎麦屋があった。今時刻は10時半、オープンの11時に向け開店準備をしている最中で、荷物を預かってもらうようお願いすると快く引き受けてくれ助かった。 (※後で知ったのだが津波と書いて「つは」と読む。でも訪れたときは「つなみ」と読むものと信じて疑わなかった) そこから歩いてパークを目指す。12~3分程歩くと、大きな看板もなくひっりとシークヮーサーパークは佇んでいた。入場無料のパークは、シークヮーサー搾汁工場にレストランと土産物ショップが一体になったこじんまりとした施設であった。 シークヮーサーパーク 施設ではガラス越しにシークヮーサーが加工されてゆく様を見学できる。収穫された実が集められ、トラクターでマシンに投入されると、コンベアに乗った果実は洗浄器をくぐり、丸い機械で搾られてゆく、その工程はなかなか興味深い。 だが、この施設一番のサプライズは工場見学ではない。入り口の売店横にある「夢の蛇口」である。なんとこの蛇口をひねると無料でシークヮーサージュースがジャブジャブ出てくるのだ!! これは凄いぞ!! 夢の蛇口 施設の中のショップに行ってみると、関連商品やら記念品などが売られていた。僕は売店のお姉さんに聞いてみた。 「あの夢の蛇口はいくらですか?」 すると「非売品です」とあっさりかわされてしまった。 一通り見学を終え再びバス停方向へと歩いて戻る。時刻はちょうどお昼時。荷物を預けていたM田食堂の前にはたくさんの車が停まっていた。実はここ、かなり名の通ったお店で、僕も名物のそばを美味しく頂いた。 M田食堂と沖縄そば それにしても何故こんな辺鄙なところに人気店があるのだと思ったが、車社会沖縄では駐車場さえあれば立地は関係ない。味と中身で勝負できるのだ。 店内のお客さんは99%車を利用していた。バスに乗ってやってきたのは、オイラ一人であった。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】 第2話)HOTELはレストラン? 《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》 経由地のコロンボを出発したスリランカ航空便は、南インドの玄関口トリヴァンドラム空港への着陸体制に入った。乗客のほとんどは浅黒い顔立ちのインド人だ。 近年インドの地名は植民地時代の呼び名から現地語読みに変わってきている。ボンベイ→ムンバイ、マドラス→チェンナイなどの名称変更はすっかり定着した。トリヴァンドラムも現地名「Thiruvananthapuram」と呼ばれることになったのだが、果たしてこれ一体なんて読むのだ! 「アテンションプリーズ。当機は間もなく、ティル、ティル…?? トゥル? ??」 着陸案内の機内アナウンスを始めたスッチーだったが「Thiruvananthapuram」の地名が読めず、機内は思わずインド人乗客爆笑の渦が巻き起こった。スッチーにも読めない地名があるのだ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ホテルに荷を下ろすと、早速トリヴァンドラム街中の散策に出かける。インドと言えばヒンズー教というイメージが強いが、ここ南インドのケララ州はちょっと様子が違う。ヒンズー寺院の他に、キリスト教会やイスラムのモスクも数多く点在するのは意外であった。 南インドでは様々な宗教が信仰され、共存している そしてもう一つ意外なのが、やたらとHOTELの数が大いことだ。それこそ食堂の数くらいHOTELの看板を掲げた店が多い。ケララ州はこの国一番の観光地ではあるが、それを差し引いてもHOTELの看板の数は尋常ではない。お前の店どう見てもただの大衆食堂だろ!どこに宿泊施設があるのだ?という面構えの店ですら、堂々とHOTELと名乗っている。これは一体どういう訳だ。 RESTAURANTと登録するよりHOTELと登録した方が事業税が安くなったりするとか、何かカラクリがあるのだろうか? どう見てもただの大衆食堂だろ!という店がHOTELの看板を掲げている ことの真相は明らかでないが、ともかく南インドではHOTELと名のつくレストランで溢れかえっていた。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - では、そのHOTELと冠した食堂で本場のインド料理をいただくこととしよう。 近年日本ではちょっとした南インド料理のブームである。インド料理店が乱立し差別化をはかるためかもしないが、東インド料理や西インド料理をアピールする店は存在しないのに、なぜか南インド料理だけが独立してその存在感を示している。その本番の南インド料理とはどんなものであるのか?興味津々で僕は一軒のHOTELの門をくぐり、まずは人々の食事の様子を観察してみた。 現地の人々は、ともかくまずイドゥリやチャパティを細かく手でちぎる。 インド料理といえば思い浮かぶのはナンであるが、南インドでナンを見かけることはほとんどない。イドゥリ(米粉で作ったパンケーキ)やチャパティ(小麦粉をこねてそのまま焼いたパン)にカレーをかけて、手掴みで食すのが南インドスタイルだ。 で、現地の人々は、ともかくまずイドゥリやチャパティを細かく手でちぎる。もちろん使うのは右手一本だ。 そんなに細かくしたら、イドゥリやチャパティそれぞれが持つ食感などなくなってしまうではないかと思うのだが、ともかく最初に細かく細かくしてしまう。そしてそのちぎった炭水化物の残骸にカレーをかけ、まるで建設現場でセンメントをこねるがごとく混ぜ合わせ、ドロドロの生コンクリート状態にしたモノを口に運ぶ。 なぜそんな食べ方をする。細かくちぎらず、それぞれの食材の食感や風味を大事にしてはどうかね、インドの諸君よ、と少し高飛車な気持ちになって手掴みの食事に挑戦した。 熱ッチッチ、熱いぃ!! カレーのかかったチャパティをちぎろうとして、僕は思わず声をあげてしまった。 素手でちぎろうとするとカレーが熱くてちぎれない。だから現地の人は先にチャパティをぐちゃぐちゃにちぎって、食べやすい大きさにしてから、熱いカレーをかける。 人々の食事作法には、理にかなったワケがあったのだが、そのワケは身をもって実践してみないと分からないものであった。 (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【共通タイトル】 第5話)幻のきびなづくし御膳 《五島列島|下五島|奈留島|久賀島|福江島》 福江島で2泊した後、昼過ぎのフライトで島を離れる。最終日の残された時間で福江の街中を散策した。 まず朝早く起きて魚市場に行ってみた。島のあちこちで取れた新鮮な魚が広い市場の敷地いっぱいに並べられ壮観である。人間たちが取引に夢中になっている隙を狙って、大きな鷺が市場の周りで朝飯のチャンスを伺っていた。この新鮮な魚を毎日タダで食べられるなんて!! 一瞬オイラは鷺が羨ましくなった。 福江魚市とおこぼれを狙う鷺 一旦宿に戻り朝食を済ませ福江の街中を散策する。福江は五島藩の城下町で、現在も立派な城跡が残っている。城壁の中の重厚な建物は図書館やら歴史資料館となっていた。こうした歴史的施設が公共財となって広く市民に開放されているのは素晴らしいことだと思ったが、その徹底ぶりが半端でなかった。 城壁の中の五島市立図書館 なんと福江城の本丸跡は現在県立高校になっているのだ。まじか!! 全国には様々な高校があると思うが、校舎が本丸跡にあるなんて聞いたことがない。 オイラは城跡に沿って散策すると歴史を感じる重厚な門に出くわした。そしてそこには重々しい文字で「長崎県立五島高等学校」と書かれていた。試しにちょっと校門の中に入ってみると、今日は祝日だが部活動の帰りであろうか、本物の制服を着た女子校生が歩いていた!! ここは本当に高校なんだ!! 福江城本丸跡にある長崎県立五島高等学校 こんな凄い高校で学んだ子どもたち。大物になること間違いなしだネ。 さてさてもうすぐお昼。最後に美味しい昼ご飯を食べて五島の旅を締めくくろう。 街中を歩いていると、とある寿司店の前で魅力的なのぼりが目に飛び込んできた。 「旨い きびなづくし御膳」 五島名物のキビナゴ。それを寿司・刺身・天ぷらにして、更に名物の五島うどんを添えたまさに五島のオールスター定食である。これを食べずに五島を去ることはできない。 実はこの店、福江島初日の夜20 00頃に訪れたところ、島では店じまいが早いのか 「すいません今日は終わりです」 と断られた。そこで二日目の夕方18 00頃に訪れると、 「今日は予約で満員です」 とまたも断られた店であったが、三日目の昼にしてやっと味わえるぞ。 「すいません。キビナゴの仕込みがまだなのです」 え"っ、ノボリは出ているのに仕込みができてないだと!! 準備が整うのを待っていると帰りの飛行機に間に合わない。オイラはメニューの「きびなづくし御膳」の写真をカメラに収め、泣く泣く五島の旅を締めくくるしかなかった。 「きびなづくし御膳」の写真 (FIN) もどる < 5 > 目次へ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄|離島 なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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キャラクター一覧|ALLキャラ進化表|デバフもち|クリティカルもち|小判&ドロップもち|キャラダメージ表 + ガチャキャラ一覧 ガチャ(レア)【体当たり(キャラ)|弓(キャラ)|魔法(キャラ)|ため(キャラ)】 ガチャ(激レア)【体当たり(キャラ)|弓(キャラ)|魔法(キャラ)|ため(キャラ)】 ガチャ(超激レア)【体当たり(キャラ)|弓(キャラ)|魔法(キャラ)|ため(キャラ)】 ※限界突破のステータスは上限解放が記載されていないものは未解放状態での値です ※限界突破のステータスは推測値ですので+-10ぐらい前後する場合があるかもしれません。(参考までに 仙人とガリバー旅行記 キャラガチャ「ネコ童話集」にて入手できるキャラ。 仙人とガリバー旅行記 囚われの仙人とガリバー旅行記 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (c_1542_1.png) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (c_1543_1.png) キャラ名 タイプ 属性 レアリティ レベル 体力 攻撃・魔力 CP 仙人とガリバー旅行記 弓 無 激レア 20 970 230 150 囚われの仙人とガリバー旅行記 弓 無 激レア 20 1526 378 320 限界突破 +20 2747 680 280 マジックスキル仙人とガリバー旅行記 囚われの仙人とガリバー旅行記 クリティカル3%増加(無)(司令ネコ体力1以下)矢本数+1(無)矢本数+3(無)(バトル開始20秒以内)射程+19無属性攻撃10%増加無属性ダメージ10%軽減 クリティカル55%増加(無)(司令ネコ体力1以下)矢本数+2(無)矢本数+7(無)(バトル開始20秒以内)射程+19無属性攻撃30%増加無属性ダメージ20%軽減 進化素材表 仙人とガリバー旅行記 降臨の書3 囚われの仙人とガリバー旅行記 説明 水着の女の子をナンパしようと海に訪れたネコ仙人。 しかし不運にも波に飲み込まれ、目を覚ますと小人たちに体を縛り上げられていた。 国のために協力する意思表示をし、様々な問題の解決を試みる。 拘束された中、魔術で国のさまざまな問題を解決したネコ仙人。 英雄のように讃えられ、調子に乗ってはしゃいでいたら、宮殿のねこじゃらし畑を荒らしてしまう。 王は激高し、表向きは旅行と称した、島流しの刑に合うネコ仙人であった。 備考
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ロンドン・パリ旅行記-2000 ロンドン・パリ旅行記ロンドン・パリ旅行記/2000年1月28日-ロンドンロンドン・パリ旅行記/2000年1月29日-ロンドンロンドン・パリ旅行記/2000年1月30日-ロンドン→パリ移動日ロンドン・パリ旅行記/2000年1月31日-パリ2日目ロンドン・パリ旅行記/2000年2月1日-パリ3日目ロンドン・パリ旅行記/2000年2月2日-パリ最終日 イントロ。そして総括。/2000.02.10 1週間とはいえ、ヨーロッパを代表する2つの都市をまわる事が出来、色んな意味で東京との比較、そしてイギリスとフランスの首都比較という意味でも、興味深い旅行だった。特に広場と道路の関係において、同じ西洋の都市でも街のつくられ方にずいぶんと差があるものだと改めて気付かされた。 ロンドンは、元々大土地所有者達によってつくられた街だ。ある大きな一区画を、一財閥で管理しそして街づくりをする。広場を中心に統一感のある景観は、完成度の高い成熟した街並みを築いてきた。当然ながら隣接する他者の区画との結びつきは弱く、それぞれの広場を結ぶ明確な動線も見当たらない。 一方パリは、ナポレオン三世時代のオスマンによる大改造と度々行われた万博によって、凱旋門がまたぐシャンゼリゼの強烈な軸線と、モニュメントから放射状に広がる軸線とでパリ全体がつくられている。まさに政治力の成した偉業だ。近年のミッテランらによるグランプロジェにも、同様な政治的手腕を感じる。大きな通りからは必ずと言って良いほど、何かしらのモニュメントが望める。そのパースペクティブは圧巻ですらあった。 どちらにも共通しているのは、軒高のそろった美しさだ。特にパリにおける集合住宅は徹底している。東京で言えば、さしずめ丸の内あたりが近い感じだけれど、オフィス街特有の冷たさと違って生活感のあるパリの町並みは、都市本来の多様性と豊かさがある。 東京には「東京なりの魅力」があり、単純にヨーロッパの街並みへ理想郷を見いだすことは出来ない。しかし、住民を都心から追い出し単一化された機能主義によってつくられている都市。経済原則に従い開発を奨励し、無限に広がり続ける都市。東京が、未来への危機感をたくさん含んだ街でもあることに、意識を向けられた。 カテゴリー-建築、旅行
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】 第9話)インド家庭料理を習う 《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》 テッカディを後に山を下り、海辺の街・コーチンに到着した。この街の岸辺には、チャイニーズ フィッシング ネットと呼ばれる独特の網で魚を獲る仕掛けが備え付けられ、その網が揚がるたび、カモメがおこぼれの獲物をかっさらっていく。 チャイニーズ フィッシング ネット またポルトガルが築いた要塞が残るフォートコーチン地区には南欧スタイルの建物も多く、インド離れした雰囲気が漂っている。いままで訪れた街に比べると、外国人旅行者の数も圧倒的に多い。 そんなコーチンで、外国人ツーリスト向けにインドの家庭料理を教えるところがあるという。そこで、某LンリーPラネットに載っていた料理教室を開催している家を訪れてみた。 ピンポーン! と呼び鈴を鳴らしてみるが、反応がない。何度もベルを鳴らしてみたが留守のようである。 「他に料理教室はありませんか?」 観光案内所で訪ねてみると、近くの土産物屋を紹介された。 「あの~、ここで料理教室ってやってんですか?」 半信半疑でその土産物屋に尋ねてみると、 「ええ、あたしが教えるわよ。」 と店主の奥さんらしき女性が現れた。なるほど、副業で料理教室もやっているというわけか。 土産物屋で料理教室?? この料理教室では特に決まったカリキュラムがあるわけではなく、「あなた何を食べたい、あっシーフードね、じゃフィッシュカレーにしましょう」みたいなノリで、課題となる料理が決まった。 で、まず1000ルピー(約¥1900)を前金で支払い、明日のお昼前にまたこの土産物屋に来いということになった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 翌日、土産物屋に行くと、料理教室の場所はここではなく、近所の店主の自宅で行うとのこと。 「あら、いらっしゃい。さあ、キッチンへどうぞ」 と奥さんが迎え入れてくれた。インド人の一般家庭を訪問することなどめったにないので、その暮らしぶりを観察してみる良い機会となった。 家の中はこざっぱりとして気持ちがよい。TV、冷蔵庫、洗濯機はあるものの、暑さ対策には扇風機が活躍していた。クーラーはまだまだ一般家庭には高値の華なのか? 「今日は豆のカレー、ジャガイモのカレー、それから魚のカレーを作ります。」 材料は予めカットされ、下ごしらえが施されていた。材料を火にかけると、奥さんは各種スバイスが区分けされた皿を手に取り、 先生の指示に従って着々と料理ができあがっていく 「ではまず、カルダモンを入れて、次は黒胡椒、それからクミンを加えます」 と指示をだす。言われたとおり鍋に入れ炒めると、料理音痴の僕でも何となくそれなりの一品ができてしまう。二品めのジャガイモカレーに取り掛かると、 「カルダモンを入れて、黒胡椒、クミンを加えます」 続いて魚のカレーも 「カルダモン、黒胡椒、クミン」 あらあら、全ての料理がそのスバイスの組合せじゃないですか。ま、これはさしづめ、日本料理の「さ・砂糖、し・塩、す・酢、せ・醤油、そ・味噌」みたいなものなのだろう。 「では次にチャパティを焼きましょう。」 そう言われて僕は何か市販さている"チャパティの皮"でも焼くのかと思った。すると、 「粉をこねてください」 えっ、生地から手作りかい!! チャパティも生地から手作り ともかく、ただの小麦粉に水を加え、練って団子状にし、麺棒で薄く延ばす。チャパティってただの小麦粉だけでできてたのか、知らなかった。メチャクチャにシンプルな話ではないか。 しかし、シンプルなものほど難しい。奥さんが伸ばすとキレイな円形に仕上がるのだが、オイラが作ると、円を作るつもりなのに何故か四角くなってしまう。自分のセンスのなさに飽きれてしまうばかりだが、ともかく手製のチャパティをフライパンで焼き上げる。 さあ、でき上がった。それでは試食だ、というか昼飯だ。 完成した料理 「この魚カレー、美味いな!」 自分で言うのもおこがましいが、特にフィッシュカレーはよい出来であった。この料理、便宜上カレーというコトバを使っているが、カレーというより、魚のスパイシーなトマトソース煮とでも言った方が実態に近い。トマトの酸味と淡白で上品な魚の身がマッチして、とってもトレヴィア~ンな味わいだ。 なになに、そんなに良い出来ばえなら、一度作って振るまってみろって? ううん、それはできない相談だ。何せ、作ることと食べることに精一杯で、覚えるということまで気が回らなかった。一切メモなんて取ってないから再現のしようがない。 せめてレシピぐらいもらっておくべきだった、と後になって反省するオイラであった。 (続く) もどる < 9 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【国がまるごと博物館・キューバの旅】 第3話)二つの通貨 人民ペソと兌換ペソ 《キューバ旅行記|ハバナ|マタンサス|トリニダー|オルギン》 キューバは中南米で例外と言えるほど治安の良い国だ。 キューバは治安の良い国 しかし、その反面トリッキーなのが通貨である。カードが使えない、ATMが使えない、といったことだけでなく、同じ国の中に兌換ペソと人民ペソという二つの通貨が存在するのだ。 兌換ペソ(Peso Cubano Convertible)は略してCUCと表記され、交換レートは米ドルと等価ということになっている。ところが米ドルからCUCに両替しようとすると、正規の両替手数料の他に10%の手数料が上乗せされてしまう。それを避けるため、今回は日本円→カナダドル→CUCと両替したので、結局1CUC=¥135くらいのレートになってしまった。 一方、人民ペソ(Moneda NacionalまたはPeso Cubano)は略号でMNまたはCUPと表記され、1兌換ペソ(CUC)=25人民ペソ(MN)ということになっている。 で、悩ましいのは、どちらも話し言葉では「ペソ」だということだ。兌換なのか人民なのか、どっちのペソか間違えるとその差はあまりにもでかい。 ただし、リゾート直行派の旅行者にはこの悩みはない。外国人向けリゾート内では、兌換ペソ(CUC)だけで買い物が完結する仕組みになっている(らしい)。 ところが、街中で地元民向けのストリートフードを楽しみたい僕にとって、人民ペソ(MN)の入手は必須である。既にオルギン空港で兌換ペソ(CUC)は両替済みだったので、翌朝人民ペソ(MN)を手に入れようと街中の銀行を訪れた。そのときである、 「ここではない、CADECA(カデッカ)へ行け」 と老人から忠告を受けた。どうやらオフィシャルな銀行では兌換ペソ(CUC)から人民ペソ(MN)への両替はできないようだ。 オルギンの繁華街、一角にCADECA(カデッカ=両替所)があった さて、CADECAとは両替所のことだが、どこにあるのだ? すると「案内する」と老人がいうので着いていくと、 「今日は休みじゃ」 確かに両替所と思われる事務所は閉まっていた。だがそこには小脇にポーチをさげた女や男が数名プラプラしていた。 「あの女に交換してもらえ」 読めた! ここにいるのは闇両替商たちだな。 僕は10CUC(約¥1350)を240MN(約¥1296)に換えた。10MN分(約¥54)は私設両替商の取り分と言うわけだが許容の範囲だ。 さて、ここで手に入れた人民ペソ(MN)であるが、これで買い物をしてみるとキューバの庶民ベースの物価の安さにビックリする。 ・豚肉サンドイッチ 5MN(約¥27) ・アイスクリーム 5MN(約¥27) ・砂糖きびジュース 2MN(約¥11) ・マンゴーシェイク 10MN(約¥54) ・一口コーヒー 1MN(約¥6) 人民ペソ(MN)で買える品々 これが兌換ペソ(CUC)の世界になると、コーヒー1杯1CUC(約¥135)といきなり異次元の高さに跳ね上がるのだ。 キューバの二重通貨政策。それは本来、庶民価格で存在するモノやサービスを外国人が買いにくくするシステム、つまり、外国人からぼったくろうという国家戦術なのだ。だから、人民ペソ(MN)でチップを渡すと露骨に嫌な顔をされてしまう。 兌換ペソ(CUC)で外国人と商売できる職に就いている者と、自国民相手に人民ペソ(MN)でしか稼げない者とでは、儲けのスケールの次元がまるで違う。やがてそれは貧富の差につながり、その差が大きくなるにつれ、キューバの誇る治安の良さも失われてしまいやしないか。 自分自身が格差拡大の元である外国人旅行者でありながら、僭越にもこんな懸念を抱いてしまうのは、キューバにとって余計なお世話なのだろうか。 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談