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前ページ次ページゼロの氷竜 ゼロの氷竜 四話 学院寮の一室、学院長のはからいで夕食を運んできた黒髪のメイドは、部屋の主とその使い魔が食事を取った後も自然に部屋へと残っていた。 部屋の主、その使い魔、黒髪のメイドの三者が揃い、部屋の主が他の二者を互いへと紹介する。 学院のメイドではあるが、自身の大切な友人と紹介された黒髪のメイドは、照れくさそうに顔を真っ赤にしていた。 銀髪の使い魔は学院長との取り決めに従い、遙か東方のメイジとして紹介された。 学生たちが使い魔召喚の儀式から戻ってきた折、部屋の主を探していた黒髪のメイドは他の使い魔を見ており、鳥でも獣でも魔物でもない銀髪の使い魔を紹介され、驚きの表情を隠すことが出来なかった。 銀髪の使い魔が特に水を向けたわけではないが、いつしか部屋の主が黒髪のメイドと友人になったきっかけを話し始め、黒髪のメイドは真っ赤になって照れる。 部屋の主が黒髪のメイドのちょっとした失敗を披露すれば、黒髪のメイドは部屋の主のちょっとした秘密を暴露する。 互いが顔を赤くしながら話し合い、邪魔し合う。 その様を、銀髪の使い魔が微笑みながら眺めている。 あたかも仲の良い姉妹を見る母親のように。 やがて部屋の中にふとした沈黙が落ちた。 二つの視線が絡み、そしてそれが部屋の主へ向く。 視線の先から、その姿がなくなっていた。 「ルイズ様?」 という黒髪のメイドの言葉に、銀髪の使い魔は視線を下げる。 ベッドの上で、部屋の主が幸せそうに眠っていた。 銀髪の使い魔が主を抱き上げ、黒髪のメイドが服を着替えさせる。 銀髪の使い魔が主をベッドに横たえ、黒髪のメイドが毛布で部屋の主の体を隠した。 「それでは」 とささやいた黒髪のメイドは部屋を出て振り向く。 「あの」 振り向きかけた銀髪の使い魔に、黒髪のメイドの言葉が投げられる。 「ルイズ様を、よろしくお願いいたします」 「任せよ」 短い一言だった。しかし黒髪のメイドと合わされたその瞳で、黒髪のメイドへまっすぐ放たれたその一言で、黒髪のメイドは銀髪の使い魔を信じることを決めた。 そっと頭を垂れ、黒髪のメイドは学生寮を去る。 銀髪の使い魔は幸せそうに眠る主の顔を眺め、優しく頭を撫ぜた。 主は口の中で何事かをつぶやき、目覚めることなくさらに深い眠りの奈落へと滑り落ちていくようだった。 やがて明かりを消した銀髪の使い魔は主の眠りの邪魔をしないよう、そっと窓から外へと出る。 『飛翔(フライト)』 二つの月が、銀髪を煌めかせていた。 一度学院の上空を回り、ひときわ高い塔の上へとおり立つ。 真実の鏡から開放された衝撃で、ほぼ常に眠っているような休眠期から活動期に入ったためか、それとも単に興奮が冷めないためか、ブラムドは人間の姿になった今でも眠気を感じていなかった。 呪縛から解き放たれたこと、自由であることを確認する。 そのことだけで、今まで生きてきた中で一度もあり得なかった歓喜に満たされる。 逆に少し前までは、その歓喜と対をなすような憎悪の中にいたのだが。 再び飛び上がり、ブラムドは天頂にある月を目指し始める。 無論、月へと辿り着けるわけではないことはわかっている。 雲を抜けたブラムドは風をその身に受けながら、歓喜を表した。 言葉ではなく、叫びではなく、咆哮を解き放った。 口を開き、喉を開き、肺を絞るように。 雲を震わすように、月へ届けといわんばかりに。 歓びの歌を、高らかに。 真実の鏡に縛られていたころは、餌を求めて飛び立った直後に警鐘で呼び戻されることが幾度も繰り返された。 ブラムドが守っていた宝を求める者は、絶えることがない。 輝くものを集めるのは竜の習性だ。 言語を解せない下位の竜でも、ブラムドのような上位種でも、それは変わることがない。 結果として、宝を求める盗賊の類は竜のねぐらへと絶えず足を運ぶ。 帰ってこない盗賊がどれだけいても。いや、だからこそといえるのかも知れない。 下位の竜が溜め込んだ宝でも、普通の人間が死ぬまで遊んで暮らすに十分だ。 ロードス島が狭いとはいえ、そこに五匹しかいない上位種が溜め込んだ宝はいかばかりか。 数ある魔法の品を処分すれば、国を興すことも出来うるだろう。 竜を討つなど痴人の夢よと評すものも、欲に駆られれば剣や杖を持つにいたる。 ブラムドの姿を見て逃げ去るものもいた。 ブラムドと話をして立ち去るものもいた。 だがそれらを上回るほどに、欲に目をくらませた人間たちは多かった。 いつしか、ブラムドのねぐらにはうずたかく詰まれた宝物と、それとさして変わらぬ高さの亡骸が詰まれることになる。 殺したかったわけではない。 喰らいたかったわけでもない。 それでも、呪縛がもたらす苦痛に耐えることは出来なかった。だが突然、それから開放された。 ブラムドの体を縛り付ける鎖はもう存在しない。 ブラムドの体をさいなんだ苦痛も存在しない。 いずこへ飛び去ろうが、頭の中で警鐘をかき鳴らされることもない。 魔法王国の魔術師どもに囚われるより前のように、どれだけ飛ぼうとも、海を越えようとも、呼び戻す何者も存在しない。 胸の内から湧き出す歓びを、その歌を妨げるものは何もない。 歓喜が、ブラムドの身を震わせていた。 不意に、ブラムドの体が落下する。 魔法の効果が切れたのだろう。 雲の下へ出た瞬間、ブラムドは彼方に竜の姿を見ていた。 青空のような色をした竜は、その色にいた髪の人間を背に乗せていた。 落ちているブラムドを見て慌てたのか、竜はその翼を強くはためかせて近づいてくる。 ご苦労なことだと思いながら、ブラムドは竜とその主に任せるつもりになっていた。 学院寮の屋上、二つの人影と一つの大きな影が並んでいた。 「危ないところをすまぬな。礼を言おう」 「嘘」 少女の端的な言葉に、ブラムドは次の台詞を待つ。 「あんな高いところへ上がることはメイジにしかできない。ただ落ちていたときには気を失っているのかと思ったけれど」 「魔力が切れていたのかも知れぬ、とは考えられぬか?」 面白がるようなブラムドの言葉にも、少女は表情を変えずに首を横に振る。 少女の想像通り、ブラムドには十二分な余力があった。 落下速度を制御するなり、再び飛ぶなり、竜の姿に戻るなり、やりようはいくらでも考えられる。 それでも何もせずに落ちていたのには多少の理由がある。 少女の人となりを確認するという理由が。 ブラムドは気付いていた。 少女が自らの呼び出された場にいたことを。 それはつまり主の学友である可能性が高いということだ。 落下を制御して草原へ降り立つとき、ゆがんだ表情でルイズへ声をかけていた連中とは違う態度をとっていた幾人かのうちの一人。 確か驚愕の表情を貼り付けていた幼い竜の傍らで、ただルイズへと視線を投げていた。 コルベールと共に去る少年少女たちの中で、ルイズへ挨拶をした人間はいなかった。 確信にまでは至っていないが、ブラムドはルイズが孤立しているのではないかと疑っている。 「あなたは誰?」 思索の渓谷へ落ちかけていたブラムドを、少女の問いかけが引き戻す。 一瞬の沈黙。 それは迷いを意味していた。 だがブラムドは正直に言うことにした。 「我が名はブラムド」 「……あの韻竜?」 「ここでは喋る竜はそういうのか」 少女がうなずく。 ブラムドはそのまま少し待ったが、少女は何も言わずにブラムドを見つめるままだ。 素直に名を聞いても良かった。しかしブラムドは少女ではなく、傍らの竜へと問いかける。 人の言葉ではなく、竜の言葉で。 『幼子よ。そなたの名は?』 少女の耳に、うなるような、鳴くような、不可思議な旋律が飛び込む。 だが傍らの竜には、はっきりとした言葉として聞こえていた。 『きゅい、シルフィード。ブラムド様はその姿のままで竜の言葉がわかるのね?』 『さして難しいことではあるまい? まぁ竜と話すのは久方ぶりゆえ、言葉を覚えているか不安があったがな』 少女の視線が、不可思議な旋律を交わす二者を行き来する。 『きゅい、ブラムド様。ブラムド様をおねにいさまと呼んでもよい?』 『おねにいさま? 奇妙な言葉だ。おねえさまではいかんのか?』 苦笑を浮かべるブラムドに、シルフィードは首を激しく横にふった。 『おねえさまだとタバサおねえさまと一緒になってしまうのね。ブラムド様をはじめてみたときはおにいさまだと思ったけど、今は女の人なのね。だからおねにいさまだと思ったの』 『この学院には、他に竜の言葉がわかるものはおるまい? なれば竜の言葉で呼ぶ折にはおにいさまでよかろう』 『わかったのね。おにいさま』 喜びをあらわにする使い魔に、困惑の表情を浮かべた少女。 少女がブラムドに問いかけようとしたところに、ブラムドは先手を打った。 「お前の名はタバサというのか」 再び投げかけられた言葉に、タバサは衝撃を隠せない。 表情の変化は僅かなものだったが、ブラムドがそれを見逃すことはない。 心持ち目付きを鋭くしながら、タバサは手に持つ長い杖でシルフィードに打撃を与える。 『いたいのね!?』 頭を叩かれたシルフィードの悲鳴に、ブラムドは笑みを隠せなかった。 「そう責めてやるな。お前と違って隠すことを心がけているわけではないのだから」 その言葉に、タバサの鋭い視線がブラムドへと向けられる。 ほんの一瞬でその視線は平静なものへと戻されたが、老齢の竜にしてみれば心の動揺を隠しているのは明白だ。 「お前が表情を出来るだけ消していること、あまり喋ろうともしないこと、それは全て相手を煙に巻く為のものだ」 タバサの表情や視線は変わらない。しかし耳が小刻みに反応していることで、ブラムドの口の端が下がることはない。 「だが視線や体温、耳や鼻、手先や体の動きにまで気を配れていないところを見ると、習ったものでもあるまい」 小さく、タバサの喉が動く。 「息や喉の動きもな」 タバサの首元がわずかに朱に染まるのを見ながら、ブラムドは喉の奥で笑う。 身の丈を超える長い杖、それを握るタバサの手に、わずかな力が加わった。 その表情や態度には、殺意ではなく義務感のようなものがかいま見えた。 愉しみのために人を殺すのではなく、生業として人を殺すもの独特の振る舞いだ。 「やめておけ」 緩慢な空気が、掻き消えていた。 ルーンを唱えようとした口が、凍りつくように止まっている。 タバサは、ブラムドの瞳に飲み込まれるような感覚におそわれていた。 そこに存在するのは底の見えない深淵。 淵に立つタバサを支えているのは二本の足のようでもあり、彼女のものではない手のようでもある。 再び、タバサの喉がわずかに動く。 殺意があるわけではない。 ブラムドはただタバサを見ているだけだ。 だが、それだけでタバサは手も口も動かせなくなる。 ふとブラムドの視線が外れ、タバサは呼吸することを思い出した。 震えだすことは抑えられたものの、額ににじむ汗は止めようもない。 空気の変化に気付けなかったシルフィードだが、ようやくタバサの様子に気付くと、気遣わしげに頬擦りをする。 『おねえさま? 大丈夫なの? おなかいたいの?』 いたわるように鳴き声をあげるシルフィードを撫ぜ、タバサはそっと腰を下ろした。 視線を足元に下ろしながらも、口を開こうとし、また閉じる。 タバサの仕草に稚気をくすぐられながらも、ブラムドはそっとつぶやいた。 「汝のことを吹聴するつもりはない。主に聞かせるつもりもな」 ふっと安堵のため息をついたタバサに、竜の姿をした竜は楽しげに鳴き、人の姿をした竜はそっと微笑んだ。 立ち去ろうとしたタバサに、ブラムドが声をかける。 「しばし待て」 タバサが見たブラムドの表情は、どこかいたずらをしでかす子供のそれに見えた。 「……動くなよ?」 『遠見(ビジョン)』 その瞬間、ブラムドの視力が増大する。 しばらく前から自分たちを見ていた視線の主を確認する為に。 ……女。 ……緑がかった銀の長い髪。 ……眼鏡をかけている。 ……ゆったりとした服を着ているが、立ち姿から多少なりとも鍛えているのが見て取れる。 ……見たことのない顔だが、その目付きの鋭さは特徴的だ。 ……オスマンやコルベール、タバサのように戦いをたしなむ者とは違う。 ……気配の消し方も堂に入っている。 ……とすれば盗賊か間諜の類。 ……間諜ならばタバサが目的か。 ……しかし視線は我へと向けられている。 ……闖入者に探りを入れている程度のものか。 『魔力感知(センスマジック)』 ……魔力を感じ取れるのならば魔術師か。 「そこな女」 ……反応はない、か。 ……であればこちらの会話を聞かれてはいまい。 むしろ反応があったのは傍らの一人と一匹だった。 向けられる視線に軽く手を振って応えたブラムドは、そのまま魔法を解く。 「タバサ」 「何?」 「彼方を見やる魔法というのはあるか?」 反射的に、タバサは口を閉じた。だが思い直したのか、素直に答えを返す。 「ある」 「我の左手にある建物の影に人がおる」 その言葉に、タバサは遠見の魔法を使う。 「何者かしっておるか?」 「ミス・ロングビル。オールド・オスマンの秘書」 「こんな時間に出歩くような秘書の仕事があるのか?」 ブラムドの言葉に、タバサはわずかに考えるそぶりを見せた。 「知らない。でも時々、夜見かける」 「夜半にか?」 小さく、タバサがうなずく。 「ほぅ……」 つぶやいたブラムドの口元に、薄く笑みが張り付いていた。 その表情を見たタバサは、先刻自身へと向けられていた笑みと、似ているようでどこか違うような、奇妙な感覚におちいった。 「さて、ずいぶん遅くなってしまった。お前たちもそろそろ部屋へ帰るが良い」 言葉は柔らかなものだった。 表情も穏やかなものだった。 それでも、タバサはその言葉に逆らうことは出来なかった。 『おにいさま、さようならなのね』 タバサがシルフィードに乗って立ち去り、ブラムドが飛び去ったとき、ミス・ロングビルは音もなく建物の影へと消えていった。 再び、学院に静寂が訪れる。 その後、ブラムドがルイズの部屋へと戻ったのは、日が昇り始める直前だった。 前ページ次ページゼロの氷竜
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前ページ次ページゼロの氷竜 ゼロの氷竜 十三話 トリステイン魔法学院では、多くの貴族の子弟や教師である貴族が生活している。 当然、生活に携わる様々な雑事を行う平民、つまりそれら貴族にかしずくものも数多い。 家具などをはじめとする調度品の修繕、管理をする執事やフットマン。 町から離れているため馬や馬車もあり、その世話をする下男や馬丁、馬車があれば無論御者もいる。 そして、食事の際の給仕や掃除洗濯を担う多くのメイド。 ルイズの唯一の友人であったシエスタは、そのメイドとして魔法学院に所属する立場だ。 そのシエスタの心は、今ほとんどが驚きによってしめられている。 魔法学院に通うギーシュ・ド・グラモンから、激しく問いただされながらも、シエスタは恐怖ではなく驚きを感じていた。 大半の貴族は、いついかなる時も平民を意識しない。 かしずかれていることが当然だからだ。 シエスタ達が会釈をしながら給仕をしたところで、何か言うこともない。 だがルイズをはじめとする幾人かの貴族、そして一部の教師達は平民を人間として認識している。 ギーシュが入学して最初の食事で、給仕をしたシエスタは礼を言われたことを覚えている。 同級生にはやし立てられ、以降は給仕する人間にだけ聞こえる程度に声をひそめるようになってしまったが、礼の言葉を聞いたのはシエスタだけではなかった。 「親の躾がいいのか、とんでもない女好きかのどっちかだな」 という料理長マルトーの言葉に、そのとき厨房にいた全員が笑っていた。 それは至極好意的なもので、決して悪意の込められたものではない。 だからこそ、だからこそ今、トリステイン魔法学院のアルヴィーズの食堂で、自分を罵る男がギーシュだと、シエスタは信じることが出来なかった。 ゆえに、シエスタの心は驚きによってそのほとんどがしめられている。 転んだ拍子に膝を床で打ち、手に持っていたトレイをその上のケーキごと放り投げた。 トレイを投げ込んだ先で悲鳴があがったとき、シエスタの心に浮かんだのは一縷の希望。 顔を上げる前に、どうか被害にあったのが同僚であるように、という願いは叶わない。 救いをもたらす蜘蛛の糸は、貴族の証であるマントを見た瞬間に掻き消えた。 だがその貴族がギーシュであると認識し、シエスタの目の前に再び蜘蛛の糸が姿を見せる。 恐怖ではなく、深い謝罪の気持ちがシエスタの心をしめた。 シエスタが謝罪の言葉を口にしようとした刹那、それはギーシュの言葉に遮られる。 「なんてことをしてくれるんだ!?」 怒りをあらわにし、口から怒気そのものといった言葉を投げ放つ。 「平民は最低限の礼儀作法すら知らないのか!?」 赤みが差したシエスタの膝を気にすることもなく、足下の砕かれた香水瓶だけに注視する。 シエスタと同じようにデザートを配っていたメイドたちも、平民を人間扱いしてくれていた普段と、あまりにもかけ離れたその態度に驚きや失望の表情を浮かべていた。 その理由は明白だ。 やはり貴族は貴族でしかないのだと。 しかしシエスタはそんな言葉を投げかけられても、まだ失望にはいたっていなかった。 自分がしでかしてしまった不始末に対しての叱責も、甘んじて受けている。 貴族たちが持つそれとは違うが、平民たちにも誇りというものが存在していた。 料理長のマルトーが、自らの料理に自信を持つように。 メイドたちは給仕の際、空気のように振舞うことを当然と思っている。 誰からも意識されることのない空気どころか、衆目の関心を集めている今の状況は、シエスタにとって恥ずべきものに他ならない。 であるからこそ、自らの失態に対するギーシュの酷な物言いも必然と受け止められる。 うなだれシエスタの心は、口から出る謝罪の言葉と等しかった。 ギーシュの詰問が、たった今シエスタが起こした失態のみ、もしくは過去に遡ったとしても個人に対してであれば、それほどの時間を必要とせずに事は収束しただろう。 知らぬうちに平民たちから得ていた人望を、どぶに投げ捨てるだけですんでいたはずだ。 ところが今、ギーシュは心の平衡を失していた。 ある種喜劇のように、ギーシュは自らの足場を切り崩していく。 ギーシュ・ド・グラモンは心の平衡を崩していた。 いくつかの要因があってのことではある。 一つはつい先刻、ブラムドに圧倒的な力の差を見せ付けられたこと。 自身の予想の甘さが、そして余計な挑発が招いたことでもあったが。 そして今一つは、その後モンモランシーに慰められたことだ。 無論、慰められたことに喜びもある。 しかしそれでも、貴族としての誇りが、男としての矜持が、ギーシュの心を揺らし続ける。 モンモランシーが近くにいれば、笑顔を浮かべる程度の虚勢は張れた。 だが食堂に入り、席が離れてしまえばその必要もなくなってしまう。 普段であればくだらない話をする友人たちから話しかけられても、気のない返事をするか無視するといった有様だ。 陰鬱な黒さが、ギーシュの心を塗り潰しつつあった。 往々にして大きな出来事というものは、小さな因子が積み重なった上に起こる。 ギーシュの様子に、その他愛もない友の一人、マリコルヌ・ド・グランプレが幾度か呼びかけていた。 ところが何度呼んでも真っ当な返事は得られない。 貴族である誇りからか、重ねてきた経験の少なさからか、彼ら貴族が持つ自制のたがは小さく、しかも外れやすいものだ。 「おい、ギーシュ!」 マリコルヌの手がギーシュの肩を掴み、振り返らせる。 そのはずみで、ギーシュの懐から一つの香水瓶が零れ落ちた。 モンモランシーから送られた香水瓶が。 床に落ちた衝撃でも運良く割れなかったそれも、シエスタの踵と床に挟まれてはひとたまりもない。 香水瓶によって体の平衡を失ったシエスタは、抗うこともできずに転んでしまう。 いくつものケーキが乗せられたトレイを放り投げながら。 マリコルヌに振り向かされた横顔に、ケーキごとトレイが投げつけられる。 声をかけようとしていたマリコルヌは二の句が継げない。 ケーキや皿が落ちる音に周囲の人間も振り向くが、同じくとっさに言葉は出なかった。 当のギーシュにしても、すぐに事態を把握することなどできるはずがない。 ケーキのクリームで一時的に張り付いていたトレイも、自重で床へと落ちる。 その下から現れるのは、フルーツやクリームで彩られたギーシュの姿だ。 トレイが落ちた一瞬のあと、マリコルヌは笑いがこみ上げるのを感じた。 二瞬のあと、怒気に色付けられたギーシュの表情に、その笑いを飲み込む。 三瞬のあと、第一声を放ったのはギーシュだった。 「なんてことをしてくれるんだ!?」 その身に貼り付いたフルーツやクリームは、ギーシュの視界を遮っていない。 トレイがぶつかった衝撃で麻痺しているのか、大した痛みも感じていない。 ギーシュの目には、砕けた香水瓶だけが映っていた。 一年前、魔法学院に入学した当日、ギーシュは余所見をしていて誰かを転ばせてしまった。 謝罪をしながら振り向いたギーシュは、転ばせてしまった少女の可憐さに呆然とする。 その少女、モンモランシーが立たせてもらうために上げた手に、一瞬気付かないほど。 「女の子には、優しくするものよ?」 手を貸されて立ち上がった後、モンモランシーが戯れにいった言葉を、ギーシュは今でも律儀に守っている。 二人は自己紹介を交わして打ち解け、それから一年が経つうちにとても親しくなった。 そして今日、ブラムドとの事件のあと、モンモランシーが香水瓶を差し出していう。 「あなたのために、作ったのよ」 白皙の頬を染めながら、つぶやくような一言を、ギーシュは心に留め置いている。 その大切な香水瓶を踏み砕かれ、しかも心を黒く塗り潰していたギーシュは、自分の口から溢れ出る言葉を止めることができなかった。 「平民は礼儀作法も知らないのか!?」 口に出していながらも、ギーシュは常からそう思っていたわけではない。 あまり裕福とはいえない領地では、当然平民との距離も近しくなる。 平民たちと食卓を囲んだこともあった。 だが今ギーシュの口から次々と溢れる言葉は、同級生たちに影響されたためか、平民への蔑視に満ち溢れている。 そしてギーシュは、悪魔に囁かれたかのような自身の変貌に、まだ気付いていない。 「モンモランシーが僕のために作ってくれた香水を、一体どうしてくれるんだ!?」 この言葉で、ギーシュは奈落へ続く階段を一段下りた。 不意に、人垣を分けて一人の少女が姿を見せる。 「ケティ?」 ギーシュに名前を呼ばれた少女は、目に涙を浮かべながらつぶやく。 「ギーシュ様、やはりミス・モンモランシーと……」 ギーシュにとって、この一言はあまりにも思いがけないものだった。 思いもかけず、あまりに当然すぎる問いかけをされたため、返事をすることもできない。 ケティはその態度を、不実が暴露されたことによる狼狽だと誤解する。 そして怒りと悲しみに心を染め、それ以上何を言うこともなく人垣の中へと消えた。 取り残された形のギーシュだが、ケティの態度の意味が理解できない。 態度を決めかねていることが、致命的な誤りだということにも気付けない。 さしたる時間も経ないまま、ケティが消えた先とは違う人垣が開かれる。 そこに立つのは、怒りを押し殺し、笑顔を浮かべたモンモランシーだ。 察しの良いものならば、その表情に秘められた感情に気付いただろう。 ところがギーシュはひどく鈍かった。 「ギーシュ、あの子はだあれ?」 言い方だけは甘やかだったが、人垣の大多数はそれに含まれる恐ろしさに気付いている。 「一年のケティ・ド・ラ・ロッタだよ。先日ラ・ロシェールの森へ遠乗りに誘われてね」 ざわついていた人垣が静まりかえる中、ギーシュは奈落へ続く階段の二段目を踏んだ。 「そう……。喜んでくれた?」 「ああ、とても喜んでくれたよ」 ギーシュの表情は、むしろ晴れやかだった。 ただし、彼は決して開き直っているわけではない。 とある方面で非常に優秀な父親や兄の影響で、女性への態度が非常に洗練されていること。 そしてその整った顔で非常に、非常に誤解を招きやすかったが、ギーシュ自身はとても純朴な少年だった。 彼にとって不幸なことは、魔法学院内でその事実に気付いているのが極々少数だという事実と、モンモランシーが大多数に含まれていることだったろう。 モンモランシーが無言でギーシュに近付き、フルーツとクリームで彩られたその頭に、鮮やかな赤を振りかけた。 愕然とするギーシュと、無表情になったモンモランシーは視線を合わせる。 「さようなら」 とだけ告げ、ケティと同じようにモンモランシーは人垣の向こうへ消えた。 ギーシュは混乱の極みにある。 彼にとって、ケティの誘いを受けたのはモンモランシーとの約束を守ったことだ。 女の子に優しくするという約束を。 ケティの態度で起こった混乱に、モンモランシーの態度が盛大な拍車をかける。 年若く経験の少ないギーシュは、偉大と信じてやまない先人の言葉に頼ろうとした。 つまり、とある方面で非常に優秀な父親と兄のそれに。 ……ワインを引っかけられたぐらい、笑って許すのが男の度量だ。 どんな名言も価値のある至言も、使う時を誤れば、呆れるほど容易に世迷言へ姿を変える。 しかも悪いことにギーシュが心の中から拾い上げた言葉は、名言でも至言でもなかった。 それを言った当人でも、なぜ今その言葉を使うのかと首をかしげたに違いない。 そもそも引っかけられたという程度ではなく、ぶちまけられたというのが正しいだろう。 「仕方のない人だ」 とギーシュが笑ってつぶやいたところで、人垣の構成員たちは狂ったのかと思うだけだ。 幸か不幸か、ギーシュはその事実に気付くこともなかったが。 黒く染まっていたギーシュの心が、二人の少女がもたらした混乱によって、いつの間にかぬぐわれていた。 しかしこびりついていた残りかすが、暗く口を開ける奈落へ向けて、少年の背中を押す。 ギーシュがシエスタにいった最後の言葉には、嫉妬が含まれていた。 かつて偶然見かけた光景、ルイズがシエスタに屈託なく笑いかけていたその光景に、ギーシュは深い嫉妬を覚えていた。 ギーシュには、素顔の自分をさらけ出せるような相手は学院には存在しない。 小さなことを、平民への礼の言葉をあげつらうような同級生しか。 モンモランシーならばと思ったこともあるが、男としての矜持と若さがそれを許さない。 その嫉妬が、悲劇の幕を開く。 「もういい。せいぜいあのゼロに慰めてもらいたまえ」 いつの間にか人垣の外に、状況を見守る三つの視線が増えていた。 ルイズたちに先んじて食堂に到着していた、ブラムドと二人の教師たちだ。 ともあれギーシュを止めようとするコルベールを、ブラムドとオスマンが押しとどめる。 「ひどいことにはならぬようにする」 というオスマンの言葉に、コルベールも不承不承ながら従う。 ただし、オスマンの目に浮かんでいた面白がるような光を見逃してはいなかったが。 「眠りの鐘を準備しますか?」 「いらん。魔法の力で有耶無耶にしても、後顧に憂いが残るだけじゃ」 提案をしたコルベールも、オスマンの正しさに首肯する。 二人の教師を横目に、ブラムドはシエスタへと視線を送っていた。 主であるルイズが自ら紹介した、身分の違う友人へ。 ブラムドが友と呼ぶ一人の魔術師、アルナカーラでさえ、魔術師が蛮族と呼ぶものたちに友はいなかった。 時代が、そうさせなかったのかもしれない。 今、別の世界にいるブラムドは、友と呼ばれたシエスタがルイズをどう思っているのか、この一件を一つの秤にしようとしていた。 ギーシュの一言で、うなだれていたシエスタの頭が持ち上がる。 その瞳には光が差していた。 それは詰問から開放された喜びでも、貴族に対する恐れでもない。 友を侮辱されたことへの怒りが、その目に宿っていた。 シエスタは知っている。 いや、シエスタだけが知っている。 ゼロという言葉が、彼女の友人をどれだけ傷付けてきたか。 ゼロという言葉が、彼女の友人の涙をどれだけ流させてきたか。 シエスタは、自分を友といってくれたルイズへの侮辱を、看過することなどできなかった。 腰を伸ばしたシエスタの顔から、表情が抜け落ちている。 その中で、目だけが光を放っていた。 「今のお言葉、取り消していただけませんか?」 炯々と光る目に気付き、ギーシュが問おうとした瞬間、口火を切ったのはシエスタだった。 さすがに、ここまで真正面から平民に楯突かれた経験は、ギーシュにも、人垣の構成員たちにもない。 「なんだって?」 余裕を持って応じたつもりだが、ギーシュの声は大きな驚きとささやかな怒りによって、わずかに震えていた。 「ヴァリエール様をゼロと呼んだことを、取り消していただけませんか?」 ギーシュの心を占める、驚きと怒りの比率が徐々に変化する。 少年の心を、再び黒さが塗りつぶしていく。 「なぜだい?」 「あの方は、昨日使い魔を召喚されました。少なくとも、ゼロではありません」 ギーシュの心を塗りつぶす黒は、嫉妬という名前だ。 平民が貴族に楯突くことは、自らの首を処刑台に据えるに等しい。 貴族の気分で殺された平民は決して多くはないが、探すのが難しいほどでもなかった。 殺されないまでも、手足を折られたり切られたりといった程度であれば、探す必要もない。 そんな危険をおかしてまでも、たかだか一つの言葉を取り消させる理由が何か、もちろんギーシュは気付いている。 気付いているからこそ、自分の傍らにそんな友がいないからこそ、その嫉妬は強い。 「ゼロが一になったところで、大して変わりはないさ」 ギーシュの言葉は、ある意味で助け舟に等しい。 うなずきさえすれば、もう一度謝りさえすれば、ギーシュの暗い喜びは満たされただろう。 だがシエスタはかたくなだ。 「いいえ、ゼロと一では大きな違いがあります」 それゆえにギーシュの嫉妬は強く、自身の卑小さを悟らざるを得なくなる。 今、自らを犠牲にしても悔いはないというほどの友がいないこと、もし友を王家や有力貴族に侮辱されたとして、自分は同じことができるだろうかと。 その感情が、ギーシュの口を滑らせる。 「君は、平民の分際で貴族に楯突くつもりか?」 食堂へ入ろうとしていたキュルケと、食堂から駆け出そうとしていたモンモランシーがぶつかった。 ひとまず文句を言おうとしたキュルケだったが、モンモランシーの目に滲む涙に気付く。 「どうしたの?」 モンモランシーの様子に、そして食堂の一角に作られた人垣に、三人の少女が気付いた。 前からモンモランシーに恋の相談を受けていたキュルケは、何とはなしに事態を把握する。 「ギーシュ?」 こくりとモンモランシーがうなずく。 「浮気?」 再び、モンモランシーがうなずく。 そのまま声を殺して泣くモンモランシーに、キュルケはその豊かな胸を貸す。 事の次第が理解できないルイズとタバサは、不思議そうな顔を見合わせるだけだ。 だが人垣の中から上がったギーシュの声に、ルイズは表情を凍らせる。 「もういい。せいぜいあのゼロに慰めてもらいたまえ」 怒気をみなぎらせるルイズの様子を眺めながら、キュルケはモンモランシーへ自室へ戻るように促す。 一歩、二歩と人垣に近寄るルイズの耳に、聞き慣れた声が聞こえた。 「今のお言葉、取り消していただけませんか?」 それは友の声だ。 ルイズの足が止まる。 その肩に手を置きながら、キュルケがつぶやく。 「いい友達じゃない」 キュルケへ振り返ったルイズの顔には、誇らしげな笑顔が浮かんでいた。 そこではっと気付く。 ギーシュの声に続いてシエスタの声が続いたということは、人垣の中心にいるのが二人だということだ。 しかも会話から状況を考えれば、シエスタがギーシュに楯突いている形になる。 貴族の機嫌を損ねた平民がどうなるのか、ルイズもキュルケもタバサもよく知っていた。 慌てて走り出そうとするルイズを、キュルケの腕が絡め取る。 さらに文句を言おうとする口を、空いた片手で塞いだ。 「ちょぉっと、様子を見ましょうよ」 煌めく少年の瞳でつぶやいたキュルケの様子に、ルイズは説得をあきらめかける。 だが友人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。 それは自らを支えてくれたシエスタに対する恩義と、平民を守る貴族たらんとするルイズの誇りが許さないからだ。 なおも軛から脱しようとするルイズに、キュルケが声をかける。 「ひどいことになる前には止めるから」 その言葉に説得された訳ではないが、ルイズは四肢から力が抜けていくのを感じていた。 ついさっき、朝食の栄養分を使い果たしていたことへ、ルイズは思い至らない。 もどかしくうごめきながら、ルイズはシエスタとギーシュのやりとりを聞くことしかできなかった。 そのルイズを抑えながら、キュルケは人垣の中から聞こえる声に耳を奪われる。 平民と貴族を隔てる垣根の低いゲルマニア、その母国と魔法学院があるトリステインの違いを、キュルケは一年間のうちに学んでいた。 歴史や伝統というものがどれだけ人の心を蝕むのか、増長する貴族とひれ伏す平民の姿に表れる。 そのトリステインにいながら、友のために貴族へ楯突く平民がいることが、キュルケの心を震わせた。 その感動を、ギーシュの言葉が切り裂く。 「君は、平民の分際で貴族に楯突くつもりか?」 キュルケはギーシュを知っていた。 それはただの同級生としてではなく。 立ち居振る舞いとは裏腹な純朴さを見抜いていた。 平民を人間として見ていたことも知っている。 そのギーシュが、よりにもよって権威を振りかざした。 鋭く、熱く、純粋な怒りが、キュルケの口から放たれる。 「そこまでにしておきなさい!!」 人垣が、二つに割れた。 前ページ次ページゼロの氷竜
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前ページ次ページゼロの軌跡 第十一話 絆の在り処 次の日、レンは何事もなかったかのように朝の食卓についていた。 昨日の今日で彼女が平然と食事を平らげる様子を見て、ルイズは恐ろしくも悲しく感じた。 あの、いつものようにシエスタにお茶のおかわりを求める、それすらもきっと執行者『レン』としての顔なのだろう。 昨夜のレンの叫びがルイズの脳裏に甦る。口先でなんと言おうと、間違いなくレンは帰還を望んでいる。エステルの元に。 だというのに、ルイズに出来ることは何一つとしてなかった。 「レンちゃんは今日どうするの?」 「そうね、近くの森を<パテル=マテル>とお散歩しようかと思うわ」 「ルイズ様はどうしますか?」 いつの間にか名前で呼ばれていることにも気にならず、ルイズは生返事を返して席を立った。昨日の酒も抜けきってはいないし、なによりレンと一緒にいられる自信が今はなかった。 部屋に戻って横になっても、騙し絵のように思考が輪をなして休むことも出来なかった。目を閉じても冴え冴えと浮かぶ昨夜の情景。 そのうちに意識を保つことにも疲れ、ルイズは眠りに沈んでいった。 昼食の準備が出来たとシエスタに起こされたのが昼過ぎ。軽くて消化のいいものを作りましたからどうぞ、と乞われ眠い目を擦りながら席に着くとそこにレンの姿は無かった。 「レンちゃんならお弁当を持ってまた出かけていきましたよ。<パテル=マテル>も一緒です」 「…気を使わせたかしら」 「はい、何かおっしゃいましたか?」 なんでもないわ、このスープおいしいわね、とルイズは誤魔化してスプーンを持つ手を動かした。 「それよりさっきからルイズって呼んでるけど…」 「あ、も、申し訳ございません。昨日の宴会の際にそうお呼びしてよいと仰っていただいたもので。やっぱり失礼ですよね」 「そんなことないわ。これからもそう呼んで頂戴、シエスタ」 そんな記憶は丸ごと頭から抜け落ちていたルイズだったが、彼女にそう呼ばれることは嫌ではなく、同年代の親しい友人が出来たようで嬉しささえ感じた。 その答えに破顔するシエスタ。 そして、レンと話せない鬱屈を晴らすかのように、ルイズはシエスタとずっと話し込んだ。 「従姉妹が酒場で働いてるんですよ。ルイズ様も行きませんか?あまり女性向けの店とは言えないんですが」 「そういう所は行ったことがないから楽しみだわ。シエスタの休暇が終わる前に行きましょうか」 「店長さんがすごく変な人なんですよ。悪い方じゃないんですけど…」 「オールド・オスマンってどこらへんが偉大なメイジなのかいまいちわからないわよね」 「よく使い魔の鼠が女性の周りをうろつくので他のメイドのみんなも困ってるんです。ルイズ様、なんとか 出来ませんか」 「あのスケベジジイったら。もうちょっと脅かされた方がよかったのかしらね」 「それでね、そのおじいさんったら幼馴染が作った料理が忘れられないから作ってくれ、なんて言うのよ」 「あはは、オウガ退治の次はレシピ探しですか。貴族修行も大変ですね」 「あちこち走り回る羽目になったわ。そのおかげで色んな人に会えたけど」 話の種も尽きてもルイズはレンの事を話そうとはしなかった。 そのことに薄々気づいていたシエスタだったが、彼女はルイズのためにも、踏み込むことを決めた。 「ルイズ様とレンちゃんはこれからも旅を続けられるのですか?」 「…レンのことは?」 「レンちゃん本人からある程度のことは聞いています。ゼムリア大陸のリベール、おそらくは別世界であるところから来たと」 「レンはなんでもないように振舞っているけど、きっと帰りたがっているわ。昨日その手がかりを見つけたけれど、殆ど得るものもないままに終わってしまった」 「あの石碑のことでしょうか。今朝レンちゃんにも聞かれたのですが、生憎私は何も知りません。ずいぶんと昔からあるものみたいですが」 他の人があれについて話してるのを聞いたこともないですね。とシエスタは語尾をしぼませて申し訳なさそうに言った。 それを聞いてルイズはレンの気持ちを思って顔を伏せた。 そんなルイズを見たシエスタから優しく言葉を掛けられる。 「それでも、レンちゃんを召喚したのがルイズ様で本当に良かったと思っています」 「どういうこと、シエスタ?」 「ルイズ様は気づいていらっしゃらないと思いますけど、他の誰かといるときとルイズ様がいるときとではレンちゃんの様子が違うんですよ。なんというか、落ち着いているような安心できるような、そんな感じです」 目を丸くするルイズ。シエスタは微笑んでそのまま話し続けた。 「あの年頃の少女がどうして人殺しに長けているのか、どうして鉄のゴーレムを連れているのかは私は知りません。また、そうなるまでにどんな苦しみがあったのかも。 元いた世界から切り離されて見知らぬ人の中で一人ぼっち。それはきっととても辛いことです。でも、レンちゃんはルイズ様の存在を救いとして、またそれを必要としている。 ルイズ様がレンちゃんを召喚したのはただの偶然であったのかも知れません。けれど、レンちゃんと出会ってルイズ様は変わられました。貴族として、良い方向へ。 なら、きっとレンちゃんもルイズ様と一緒にいる中で生まれ変われると思うんです。今よりずっと幸せな生活が送れるように。 他人との絆があって、初めて人間は立って歩くことが出来る。人と人が出会うということはきっと、そういうことではないでしょうか」 おじいさんの受け売りなんですけどね。そう言ってシエスタは照れたように舌を出した。 ルイズは何も言わずに立ち上がった。 レンを迎えにいこう。 「もうすぐお夕食の時間ですから、仲良く帰ってきてくださいね」 シエスタに見送られて、ルイズは歩き出した。 向かったのは昨日歩いた村の外れ。やはりそこにレンと<パテル=マテル>の姿はあった。 ルイズが近づくと<パテル=マテル>が反応して蒸気を噴出す。しかし、それに気づいていないはずもないだろうに、レンは石碑の前に座り込んで振り向こうとはしなかった。 ルイズはその様子に一瞬躊躇ったが意を決して声をかけた。 「レン」 「…」 答えはなかった。それでもルイズは語りかけた。 ルイズはこれまでレンに多く助けてもらった。レンの存在があったからこそ自分の望む貴族として生きようと決意できたのだし、他の貴族と決闘になったときもレンの助勢があった。 旅をしている時も数多くの難問にぶつかったがいつだってレンがそばにいてくれた。ある時はその力を、またある時はその知恵を。レンがいなかったら今の自分はない。 ならば今こそ、自分はレンの力になろう。 「また旅を始めましょう。今度はレンが帰るための手がかりを探す為に」 「ルイズ…」 思わず立ち上がって振り向いたレン。驚きか喜びか、その顔は泣いているようにさえ見えた。 「でもまた駄目かもしれないわ」 「なら何度でも探せばいい。タルブ村にあったんですもの。他のところにもあるかもしれないわ。トリステインが駄目ならゲルマニアでもアルビオンでもガリアでも。 それでもないなら東へ向かいましょう。聖地ロバ・アル・カリイエ。エルフなんてレンと<パテル=マテル>なら物の数じゃないわよ」 「でも…」 ここで諦めてはシエスタに向ける顔がない。 ルイズは微笑んで言葉を続けた。ルイズを励ましてくれたシエスタのように。 「ほんの少しの間だったけれど、確かに世界は繋がった。エステルはレンに手を伸ばしてくれた。 レンとエステルの絆は決して切れてなんていない。希望を捨てない限り、レンは誰かと一緒にいられる。 だから、私たちも歩き出しましょう」 二人はお互いの手をとって、シエスタの待つ家へと歩き出した。 翌日、たっぷりと寝坊したルイズとレンが遅めの朝食を摂りに下へようとした時、けたたましい音を断ててシエスタが階段を上ってくる音が聞こえた。 いつもメイド然とした歩き方をするシエスタには似つかわしくないその様子に、二人は何か凶報を感じ取る。顔を真っ青にしたシエスタが話すのを聞いて、その予感が当たったことを知った。 「一体どうしたの、シエスタ」 「アルビオンが、レコン・キスタの軍が攻めて来たんです!」 タルブ村での短い休暇はこうして終わりを告げた。 前ページ次ページゼロの軌跡
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前ページ次ページゼロのエルクゥ 結論から言えば、間に合っても間に合わなくても同じだった。 大学の講義室を思わせる、すりばち上の構造になっている教室に戻るなり、 「皆さんお疲れさまでした。本日の授業はこれでおしまいとしますので、皆さんは今日1日、使い魔との親睦を深めてください」 と解散となってしまったのだから。 コルベールは、解散宣言を出すや否や、何をするのも惜しい、といった様子で、教室を走り去っていく。 彼と話をしてみようと考えていた耕一だったが、ルイズに合わせて一番後ろの席についていた耕一には、引きとめる間すらなかった。 「……あー」 本来ならエルクゥ同士でしか感じられないはずの感情のシグナルすら、あのコルベールからは感じられたような気がした。 混じりっ気なしの、『好奇心』という色が。 ……どうしよう。 考えていた行動計画が初っ端から頓挫して、耕一はぽりぽりと頭を掻いた。 あの様子だと、追いかけてもまともに話を聞いてくれるかどうか危うそうだ。 「……ん?」 やるかたなしに周囲を見渡すと、耕一とルイズを遠巻きに見つめ、ひそひそと声を潜めるグループが、ちらほら。 それらの声や態度から読み取れる感情は―――困惑だとか、虚勢だとか、侮蔑だとか、嫌悪だとか。あまり良いお話ではなさそうだった。 ま、大方、さっきの出来事を計りかねているんだろう、と、耕一はそれを意識から切った。 「何ぼーっとしてるのよ。行くわよ」 そんな声に振り向くと、ルイズが既に席を立って、入り口に歩き出していた。 「行くって、どこへ?」 「部屋に帰るのよ。ついでに学院内の案内もしてあげるから、早くしなさい」 「ん……わかった」 耕一は少し悩んだが、今さっきのコルベールを無理に追ってもしょうがなさそうだと思い直し、ルイズに従って席を立った。 「今居るここが、2年生の教室塔よ。で、真ん中の一番大きな塔が本塔。本塔には、先生方の事務所、アルヴィーズの食堂、宝物庫、医務室、男子寮……。 その他、この学院の主な施設が集まってるの。本塔の一番上が、学院長であるオールド・オスマンのお部屋」 教室のある建物から出て、ルイズは指差しながらそんな説明をしてくれる。 「本塔を囲むように、5つの塔が、ペンタグラムを模して配置されているの。1年生、2年生、3年生の各教室がある塔に、ここで奉仕する平民たちの寮、そして女子寮の5つ。 それぞれがアーチで区切られた広場を、それぞれ、ノルズリ、スズリ、アウストリ、ヴェストリ、ユミルの広場と呼んでいるわ」 本塔と教室塔との間には、荘厳な石のアーチ建築で、通路が掛かっている。他の塔ともそうなのだろう。 「これは、始祖ブリミルと、5つの系統魔法を表しているの」 「しそぶり……なんだって?」 「始祖ブリミル。あんたってホントに何にも知らないのね」 聞いた事のない固有名詞に首をひねる耕一に、ルイズは呆れたようにため息を一つついた。 「ブリミルっていうのは、今から6000年ぐらい前、このハルケギニアに降り立った伝説のメイジよ。神様から、"虚無"と呼ばれる今はもう失われてしまった系統の魔法を授かって、自分でも火、水、土、風の4つの系統魔法を生み出した。 その力でもって、ブリミルと、ブリミルに魔法の力を授けられた貴族のご先祖様たちは、ハルケギニアに跋扈していた先住種族や亜人、魔獣たちを討伐し、人間の住めるところにしたの。 そして、彼の4人の子供がそれぞれ、今このハルケギニアにある4つの王家の始祖となったのよ」 だから、全てのメイジの始祖。始祖ブリミル。 ハルケギニア(ここら一帯を表す地名らしい。話を聞く限り、文化圏、と言った方が正しいかもしれない)では、神と並んで崇拝される、伝説の偉人だという。 「キリストみたいなもんか」 「きりすと?」 「こっちの世界で、数々の奇跡を起こしたって言われて、神の子って呼ばれてる人だよ。2000年ぐらい前の人だったかな」 「ふーん……聞いた事ないわね」 興味なさげに、ルイズは鼻を鳴らした。 クリスチャンなら気分を害しただろうが、耕一は宗教的にはちゃらんぽらん甚だしい日本人であったので、苦笑を返すだけだった。 「一回りして、場所だけ確認しましょ」 「ああ」 ぐるり、と、5つの塔を繋ぐ石の外壁に沿って回り、塔と広場の名前や、正面門のそばにある馬の厩舎などの説明を受ける。馬は、地球の馬となんら変わらないようだった。 途中の広場には、ルイズと同じ2年生であろう、使い魔らしき様々な動物とじゃれあう少年少女たちが溢れていた。 犬猫のような馴染みある動物から、見たこともないような動物、果たして動物なのやら疑問符がつくようなナマモノも多く、ここはファンタジー世界なんだなぁ、と否応無く実感させてくれた。 「しかし、結構広いな……」 一周に20分はかかった気がするぞ、と腕時計を見る素振りをして、家に居るときには外していた事に気付いた。 「……そういや、今何を持ってたっけな?」 思いついてポケットの中などを探ってみるが、文明の利器っぽいものは何も見つからず、あったのは丸まったコンビニのレシートだけだった。 まあ、感熱紙も立派な文明の産物であり、コルベールあたりが聞いたら飛び上がって驚いた後に『"火"で文字が書けるなんて! なんという素晴らしい紙なんだ!』などと狂喜乱舞する事だろうが、残念ながら現状、単体で何かの役に立つとは言いがたい。 ―――携帯電話とか財布とかも部屋に置きっぱなしだったっけなぁ。いくら楓ちゃんとのまったり時間だったとはいえ、身軽すぎだろ俺。 「何ゴソゴソしてんのよ」 「ああ、いや、今自分は何持ってたかなって、持ち物の確認をな」 「何かあったの?」 「役に立ちそうなものは何も」 そう。とやっぱり興味なさげに言って、ルイズは、自分の部屋があるという女子寮に入っていく。 「って、俺も入るのか?」 「当たり前でしょ。使い魔がご主人様と一緒に居なくてどうするのよ」 「いや、だとしても、女子寮に男が入るのはまずくないか?」 「使い魔のオスなんか誰も気にしないわよ」 「……さいですか」 無理をしている感がなくもなかったが、大人しく頷いておいた。 外壁と同じ石作りの廊下を歩き、一つの部屋にたどりつく。 鍵を差し込み、ドアを開ける。 ルイズの部屋は、寮部屋というにはちょっと広すぎる部屋だった。さすが貴族というところだろうか。 「……うーん、これが格差ってやつか……」 所々に施された意匠や、華美な装飾の家具、天蓋付きのキングサイズベッドと……東京の自宅であるワンルームを思い出して、耕一はちょっと悲しくなった。 柏木は名士の家。鶴来屋グループという有数の企業体を牛耳る一族なんてとんでもない金持ちであるし、召喚される直前までいた柏木の屋敷も、一般的な日本家屋とは比べるのも馬鹿らしいほど広い家だ。 しかし、本家から長い事離れて暮らしていた耕一の金銭感覚は、庶民そのものであった。 「はぁ。なんだか疲れたわ」 ルイズはぼふんとベッドに体を投げ出すと、そのまま仰向けに倒れ込んだ。 「おいおい、服が皺になるぞ」 「ならないわよ。学院の制服には『固定化』がかかってるんだもの』 「こていか?」 「物を保存する魔法よ。食べ物にかければ腐らないし、金属なら錆びなくなるし、服なら皺や汚れがつかなくなるわ」 「はー……便利なもんだな」 「普通は一着一着服になんかかけないけど、伝統あるこの学院の制服は特別ね」 そう言うと、気だるげに上半身だけを起こす。 「そんなところに立ってないで、座りなさい。本当に何も知らないみたいだから、色々と教えてあげるわ」 言われるままに、近くにあったテーブルについた。 「さて、まずは使い魔の役目からね。契約した使い魔は、主人の眼となり耳となる能力を与えられるの」 「眼? 耳?」 「使い魔が見たり聞いたりした事を、主人も知る事が出来るのよ」 「へえ。俺が見てるものが見えるのか?」 言ってみると、ルイズは腕を組んでしばらくうーっとうなった後、口をへの字に曲げた。 「……見えないわ。あんたじゃ無理みたいね」 「そっか」 感覚の共有か。エルクゥの精神感応に似てるな。 そんな事を思いついて、試しにルイズにシグナルを向けてみた。色は……そうだな、『外敵に気をつけろ』とでも―――。 「ひゃっ!? な、何今のっ!?」 送った瞬間、ルイズがビクンと体を震わせて驚いた。 「お。通じるのか」 「な、何やったのっ!? なんか黄色くなってぞわって悪寒がしたんだけど!」 「俺の一族は、そんな風に意識を通じあわせる事が出来るんだ。 もしかしたらと思ってやってみただけ。 ちなみに今送ったのは、『外敵に気をつけろ』っていう警告の信号」 「……本当に亜人だったのね、あんた」 「なんだ、信じてなかったのか?」 「別の世界だとか妙ちきりんな事言われても、信じられるわけないじゃない」 ま、それもそうだ、と耕一は何も言わなかった。 耕一だって、あの事件が起こらなかったら、鬼だのエルクゥだの聞いても一笑に付すだけだっただろう。 「あんた、何か他に出来る事はあるの? というか、あんたの種族って何?」 そう聞かれて、むっと腕を組んだ。 エルクゥ。人を狩る鬼。人を狩る事に愉悦を覚える狩猟者。 強靭な身体能力を持ち、人の命を感じ取る事ができ、同族と意識を通じあわせ、宇宙進出を果たせるまでの科学力を生み出す高度な知性を持つ。 「何よ。黙り込んじゃって」 「いや、どう説明したもんかなぁと」 ……そんな事を言ったら、全力で討伐されそうだ。 「……むぅ」 「まぁ、何を悩んでるのか知らないけど、後でいいわ。こっちの話を続けるわね」 こほん、と仕切りなおすように咳払いをした。 「使い魔の役目だけど、次に、主人の望むものを見つけてくる、っていうのがあるわ」 「望むもの?」 「例えば、秘薬の材料とか。硫黄とか、コケみたいな」 「へえ」 そういう化学的な面もあるのか、とちょっと感心した後、硫黄なんて、元の世界と同じ物質があるのか、と驚いた。 「何か知ってるみたいだけど、何か取ってこれそうなの?」 「いや、無理かな……硫黄っていうのは俺の世界にも存在するけど、どうやって取るのかまでは知らない。ごめんな」 「ふーん。ま、期待はしてなかったからいいわ。本来、水の中とか、火山の火口とか、高い山の上とか、地中深くとか、そういう人間が行けないところから材料を取ってくるのが貴重って意味だもの」 「なるほど。高いところぐらいなら何とかなるけど、他は厳しいな」 「……そ、その時になったら頼むわ」 先程の人間ジェットコースターを思い出したのか、ルイズはぶるりと一つ震えた。 「最後、これが一番重要なんだけど、使い魔は主人を護る存在であるのよ。 その能力で、主人を敵から守護するのが一番の役目! あんな事が出来るんなら、もちろん簡単よね?」 「……そうだな。簡単かどうかはわからないけど、それならなんとかなりそうだ」 人を狩る為に生み出されたエルクゥの力を、人を護る為に使う、か。 元の世界に居る時もそうあろうとはしていたが、現代日本では、そうそう純粋な戦闘能力が発揮される事などない。 実際にそれを揮う機会があるとなれば、それはなかなか魅力的な提案に思えた。 「さて、それじゃあ次は、あんたの事を教えてくれる? 使い魔の事を知らないメイジなんて、主人失格だもの」 「そうだなぁ。さて、何から話そうか―――」 当り障りのないように、エルクゥの能力の事だけを吟味して話しているうちに、太陽はその身を休め―――ハルケギニアの双月が、夜を照らしだした。 前ページ次ページゼロのエルクゥ
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前ページ次ページゼロの斬鉄剣 ゼロの斬鉄剣 5話 ―泣き虫(クライベイビィ)・ルイズ 後編― 早朝 いつもより若干早く目を覚ます五ェ門、ハシバミ草の効能のおかげで肌寒いものの 風邪は引かなかったようだ。 「さて、とりあえず洗濯をいたそう。」 さすがにルイズの洗濯物は無いので今日は五ェ門の胴衣のみだった シエスタが五ェ門に声をかけたのは既に洗濯が終わり焚き火で干しているときのことであった 「おはようございます、ゴエモンさん。」 おお、と振り向く五ェ門 「おはよう。昨日は馳走を頂き感謝している。」 くすっと笑うシエスタ 「いいえ、まさかゴエモンさんの故郷と曽祖父の故郷が一緒だったなんて。」 なるほど、そういわれればこの黒い髪と黒い瞳、どおりで日本人を感じさせるわけだと五ェ門は納得する。 「ところで、今日はミス・ヴァリエールの洗濯物はないんですか?」 うっと顔が引きつる五ェ門 「ああ、面目の無い話だがルイズと喧嘩になってな・・・」 「まあ、どうしてですか?」 「話すのも恥ずかしい理由なのだ、捨て置いてくれまいか。」 心配そうに顔を歪めるシエスタ 「まあ、早く仲直りできるといいですね。」 「うむ、拙者の不注意でルイズを怒らせてしまったのであるからそういたすつもりだ。」 「がんばってくださいね、ゴエモンさん。」 シエスタは名残惜しそうに五ェ門の元を去る そのころのルイズ 「おっほっほ、貴方の使い魔はこのキュルケ無しではいきてはゆけないのよ?」 「拙者、キュルケ殿にぞっこんでござる。」 「ゴエモン、私の靴をおなめ!」 ペロペロペロ 「やめてー!」 絶叫とともに目を覚ますルイズ 「はあ・・・はあ・・・最悪の目覚めだわ・・・」 部屋をみわたすルイズ 「ちょっとゴエ・・・・」 言いかけて昨日の出来事を思い出すルイズ 「(そうだったわ、ゴエモンは昨日私が・・・)」 ため息をつくルイズ 五ェ門が来てからというもの朝の決まった時間には起こしてくれていた。 しかし今朝は五ェ門はいない。 「(やっぱり、言いすぎだったのかしら・・・いや、いけないわ、いくら強いからって主人はあくまであたしなんだから!)」 気を引き締めるルイズ 扉をあけ、そそくさと食堂へ走るルイズ 入れ違いで五ェ門がルイズの扉を叩く 「(いない、か)」 そこへキュルケとタバサが現れる 「あらダーリン、おはよう」 「・・・・おはよう」 「うむ、二人ともおはよう、しかし何だそのだありんとは。」 くすっと笑うキュルケ 「それより昨日はごめんなさいね。」 おもったより素直な言葉を聞いた五ェ門 「もうよい、キュルケはもっと自分を大切にするんだな」 「あら、でもあきらめませんことよ?」 ニンマリわらうキュルケ 「(まったく、こりないな。)」 ふと、タバサがキュルケの前に 「タバサ、昨日の差し入れ、いたみいる。」 「いい・・・きにしないで。」 頬がわずかに赤らむタバサ それをジト目で見るキュルケ 「あら、あたしの誘いを断った後でお二人は何かあったのかしら?」 ちょっとすねるキュルケ 「いや、いろいろあってハシバミ草の差し入れを頂いたのだ、これが美味でありがたかった。」 「・・・・ゴエモン、あなたハシバミ草たべれるんだ。」 「うむ、おかげで今朝は思いのほか目覚めはよかった」 驚く顔をするキュルケ 「そ、そう、じゃああたしたちは食堂いくから、またね~」 タバサをつれ食堂へ向かうキュルケ 「(あの二人はあんなに違う性格で仲がよいのだな。)」 ふと、五ェ門の脳裏に相棒二人の顔が浮かぶ 「(今頃ルパンと次元は何をしておるのだろうか。)」 ちょっとセンチになる五ェ門であった 食堂でさっさと食事を済ませたルイズ 「(なんでゴエモンは姿をあらわさないのかしら・・・・)」 あの律儀な五ェ門のことだから朝になればなんらかのアクションを起こすと思っていたが 微妙なすれ違いで肩透かしをくうルイズ 「いけない、今日の朝は秘薬に関する筆記試験だったわ!」 はっと気がつきそそくさといつもの教室へ向かうルイズ 「むう、試験中とは・・・」 今度こそルイズにきちんとお話しておこうとおもったのだが いざ向かった教室には、「試験中につき立ち入りを禁ず」の張り紙 仕方が無く教室のエントランスにある椅子へ腰をかける 間もなく早く終わった生徒が何人か出てくる 「あ、あなたは・・。」 む?と顔を上げるゴエモン 「そなたは、昨日の・・・」 「モンモランシーですわ。」 「拙者は石川五ェ門と申す」 「あら、貴方のことはもう知ってるわ」 クスリと笑うモンモランシー 「昨日は、そのすまないことをした。」 首を振るモンモランシー 「あなたのせいではなくってよ。悪いのはギーシュなんですもの。」 すこし申し訳なさそうにする五ェ門 「あの後ね、私に謝ってきたわ。ひどい姿だったけど」 思い出すように笑うモンモランシー 「私、彼を許すことにしたわ」 ほう、と五ェ門 「だって、いつまで怒ってもしょうがないでしょ?それにあの日は私の香水をつけてくれたんだもの」 「(ううむ、拙者は香水は苦手なのだ。)」 と口には言わない五ェ門 「ただし、今後浮気は許さないっていう条件でね。」 ふっ、と五ェ門は笑う 「とにかく、彼は貴方にお詫びがしたいといっていたわ。」 「ほう、あれだけ痛めつけたのだから拙者をうらんでいるとおもったが。」 「あら、彼は仮にも誇り高き軍人貴族よ?第一そんなに狭量な男ならとっくに見捨てているわよ。」 ふふふと笑いながら五ェ門を見つめるモンモランシー 「私も貴方に感謝しているわ、ギーシュもちょっとはいい男になったし、浮気しないって誓ったし。」 「まあ、そういうことなら拙者からは仲良くやれというしかないな。」 「ふふ、ありがとう、じゃあ私はこれで失礼するわ。」 うむ、と五ェ門は頷きモンモランシーの後姿を見送る ―― 「(ふう、やっと終わったわ~、魔法薬の試験はすこし苦手なのよね)」 まずまずの出来だと自負するルイズ 「(さて、ゴエモンはまっているかしらね?)」 そう扉をあけると そこには楽しそうに談笑するモンモランシーと五ェ門の姿があった にわかにルイズの怒りが沸点に達する 「な・・・なによ!なによなによなによ!キュルケの次はモンモン!?」 ギリギリと歯軋り 「なによなによ!あたしがおちこぼれだからって!使い魔にまでなめられるなんて!」 ボロボロと涙を流し始めるルイズ モンモランシーを見送り扉に目をやると、そこには涙を流した鬼神が立っていた 「(何事が起きたのだ・・・)」 無言で五ェ門に近づくルイズ 「あんたなんて!あんたなんて!・・・ファイヤーボール!」 「むっ!」 バーン! ギリギリで交わしたが至近距離の爆風を受ける五ェ門 先ほどまで座っていた椅子は粉々だ。 「くっ、待て!ルイズ!」 喚きながら走り去るルイズを追いかける五ェ門 ルイズは扉に鍵を閉め、ベッドにもぐりこむ ドンドンと扉を叩く五ェ門 「うるさい!ゴエモンはどうせあたしのことばかにしてるんでしょ!」 涙声で叫ぶルイズ 埒が明かないと五ェ門は 「御免!」 キィン!キィン! ガラガラ・・・ 扉を切り倒しルイズのそばへ 「ルイズ・・・」 「こないで!なんなのよ!ほっといてよ!」 子供のように泣きじゃくるルイズ 立ち去ろうとしない五ェ門に当たるルイズ 「ばか!ばか!みんなあたしを馬鹿にするんだ!」 叩かれ続ける五ェ門 バシ!バシ! 何度も五ェ門の体を殴るルイズ 「ひぐっ!なんで・・・なにもしてこないのよう!」 一切抵抗しない五ェ門の態度にますます惨めになっていくルイズ 「なきたければ泣け、当たりたければ当たるがよかろう。」 だんだん五ェ門を叩くルイズの力は弱くなる ふと五ェ門がルイズの頭をなでる 「拙者は必死で努力し食らい付くルイズを認めている、見捨てるわけがなかろう。」 ぐしゃぐしゃになった顔を上げるルイズ。 「じゃあ、なんで・・・なんでキュルケやモンモランシーなんかと・・ぐす・・なかよくしてるのよ!」 五ェ門は昨日からの出来事をきちんと説明する だんだんとルイズの顔から怒りが消えていく 「と、いうわけだ。別に拙者はルイズをないがしろにしたわけではない。」 それに、と五ェ門 「お主はもっと自分に自信をもつのだ・・・だが辛くなったとき、泣ける時に泣くがよい、世の中泣くことも叶わぬ事もあるのだからな。」 ルイズは大声で泣いた 「うわああああああん!」 ルイズが人の胸の中で泣くなんて何年振りの出来事だろうか。 慈愛に満ちた目でルイズを見る五ェ門 そうしてルイズが泣き疲れて寝るまで五ェ門は懐を貸すのであった。 ルイズと五ェ門がすこし近くなった、そんな日の出来事 つづく 後日談― 次の日、学院から通達があった ―エントランスの椅子と寮の部屋の扉を弁償してね(ハート) オールド☆オスマン― 次の日、五ェ門はあまり睡眠を取れなかったが爆破された場所の掃除をしているのであった 前ページ次ページゼロの斬鉄剣
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前ページ次ページゼロの登竜門 ゼロの登竜門 幕間 討伐の成果報告 ルイズ、キュルケ、タバサの三名はオールド・オスマンに報告をする。 そして丁度学園長室にいたコルベールも一緒に聞くことにするらしい。 「ふむ、まさかミス・ロングビルがフーケだったとは……。最初から学院に潜り込むつもりだったんじゃな」 「いったい何処で採用されたんですか?」 「街の居酒屋じゃ。美人だったものでなんの疑いもせず秘書に採用してしまった」 ミス・ロングビルがフーケだったことを伝えると、オスマン氏はそんなことをのたまった。 その後いくつかオスマンとコルベールが言葉を交わす。三人はダメな大人の一面を垣間見た気がした。 三人のそんな視線に気付いたのか、二人はコホンと咳払いをして話題を変える。 「さてと、君達はよくぞフーケを捕らえ、『破壊の小箱』を取り返してきた。これは大変名誉なことである」 そう、さまざまな貴族の屋敷に忍び込み、お宝を易々と盗み出していたフーケを捕らえたのだ。 三人は恭しく礼をする。 「フーケは城の衛士へ引き渡した。破壊の小箱は無事に戻ってきた。一件落着じゃ」 そう言ってオスマンは机の上に置いた小箱を、袋の上からポンポンと叩いた。 「君達の『シュヴァリエ』の爵位申請を宮廷に出して置いた。追って沙汰があるじゃろう。ミス・タバサはすでにその爵位を持っているから精霊勲章の授与を申請しておいた」 オスマンのその言葉に三人の顔が輝いた。 といっても、タバサの表情は相変わらずだったが。 「本当ですか?」 「本当じゃとも。いいんじゃよ、お主らはそれくらいのことをしたのじゃから」 キュルケの言葉に、オスマンは孫を見るような笑みでそう返した。 そして話題を変える。 「さて。今日の夜はフリッグの舞踏会じゃ。破壊の小箱の憂いもなくなったことだし、予定通り執り行う」 オスマンの言葉にキュルケの顔がぱっと輝いた。 フーケの騒ぎですっかり忘れていたようだ。 「ほっほっほ、今日の舞踏会の主役は君達じゃ。用意をしておきたまえ。せいぜい着飾るのじゃぞ」 三人は一礼してドアへと向かう。 キュルケがドアを開いて外へと出る、その時ルイズがピタリと立ち止まった。 「ルイズ?」 「気にしないで、わたしはもうちょっと話すことあるから」 怪訝そうにするキュルケだったが、強いて追及することでもなく、先に歩くタバサへ付いて階下へと消えた。 ルイズはドアを閉め、二人へと向き直る。 「何か……聞きたいことがありそうじゃな」 オスマンのその言葉にこくりと頷いて、コツコツと歩いて元の位置に戻った。 「その……破壊の小箱のことなんですけど……いったい何処で?」 「……なぜそのようなことを気にする?」 オスマンの質問返しにルイズはしばし沈黙する。そして怒られる事を承知で告白した。 「その小箱は、キングが使うことが出来たのです」 「キング?」 コルベールの言葉に「わたしの使い魔です」と答えた。 「その小箱を使った途端、キングは、白い閃光を放ちました。閃光はフーケの数十メイルもあろうかというゴーレムの胴体を跡形もなく消し飛ばしたのです」 その証言にコルベールは目を輝かせる。そしてオスマンは袋の中から小箱を一つ取りだして、起動させる。 ピンポン、と音がしてアナウンスが。 「………このことは他言無用じゃよ? お主らが信頼できる者として話す」 オスマンが二人へ順繰りに視線を向けると、両名ともこくりと頷いた。 「まず、ミス・ヴァリエールの使い魔、キングが使うことが出来た理由はその使い魔のルーンが理由じゃろう」 「使い魔のルーン?」 疑問符を頭に浮かべながら呟いたルイズへ、オスマンはコルベールへ指示する。 コルベールはそれに答え、その手に持った本を開いた。 そして、ルイズがそれに目を落とす。 「ミョズニトニルン。始祖ブリミルが従えていたという伝説の使い魔のルーン。キングのルーンはそれとまったく同一のモノだったのです」 タマゴにはルーンが刻まれていなかった、その為コルベールは生まれたら連絡するようにルイズに伝えたのだ。 彼がキングのルーンを確認したのは、ギーシュが気絶したその後のことである。 「珍しいルーンだと思い調べてみたのですが記述がまったく見あたらず、ここまで遡ってやっと……」 コルベールがそう言うが、ルイズはじっとその本の記述を見つめていた。 「なんでも、あらゆるマジックアイテムを扱うことが出来たそうじゃ。小箱を使うことが出来たのもそれが理由じゃろう」 オスマンのその言葉にルイズは本から顔を上げる。 「マジックアイテム? では小箱はやはりマジックアイテムなのですか?」 「それはわからんのじゃ。なにせわしがどんな魔法をかけても小箱はウンともスンとも言わんのじゃからの。マジックアイテムならば魔法をかければ何らかの反応が返るはずなんじゃが……」 「ポケモン……」 「?」 ルイズの呟きに二人は首を傾げた。 「ポケモン、と言う単語に心当たりは?」 その言葉に、オスマンはもう一度小箱を起動させ、アナウンスが流れる。 「この言葉じゃな。あいにくわからん……小箱を預かった少年も詳しい話はしてくれなかったしの……」 「少年?」 オスマンはこくりと頷いて、語り出した。 「今から……そう、三十年前になるか。三十年前、森を散策していたときワイバーンに襲われた。そこを救ってくれた少年が、小箱を預けたのじゃよ」 「あずけた? なぜです」 「それは……皆目検討も付かん。紺色の……見たこともない美しいドラゴンに乗った少年じゃった。珍しい黒髪をしておったよ」 二人とも、黙って聞く。 「他にも何人かそのドラゴンに乗っておった。その内の一人は……そう、ミス・ヴァリエール。君と同じような髪をしておった」 「わたしと同じ……ですか」 「うむ。何人乗っていたかはなにぶん昔のことなので思い出せないが……四人くらいは乗っていたかのう……」 「それで……彼は他には何か?」 「…………そうじゃな、乗り合わせた少女が彼に耳打ちをして袋を彼に渡したんじゃ。彼は背負っていたカバンから小箱をいくつか袋の中に入れた。その時に言った言葉が……」 そこで一旦区切って、オスマンはお茶を一口飲んだ。 「そこで彼は「これは『破壊の小箱』です。何も言わずに預かっていて欲しい」と言ったんじゃ……彼らとはそれっきりじゃ、今回盗まれるまでとんと忘れておった」 「そう…………ですか」 「命の恩人の頼みとあらば断ることも出来なくてのう。彼は「使い道がわかれば使っても構わない」と言ったんじゃがあいにく使い方がわからなかったのでな。ずいぶんお蔵入りしておったんじゃよ」 ルイズはオスマンの目を見るが、ただじっと見つめ返されるだけ、これ以上話す事は無さそうだ。 「わかりました……失礼します」 ぺこりと一礼してルイズは踵を返す。 カチャリとドアを開けて外に出て、ぱたんと閉めた。 そして学園長室にはオスマンとコルベールが残される。 「あの、オールド・オs「実はのう、コルベール君」 しばしの沈黙の後、コルベールが発言したがオスマンがソレを遮るように語り出した。 「なんでしょう」 「ミス・ヴァリエールに伝えておらぬ事がいくつかあるんじゃよ」 「いくつか…………ですか」 「実はその時、少年はドラゴンに乗っていただけではなく、淡い緑色の、不思議な生き物をも従えておったのじゃ」 「緑色の……」 「彼らの周囲を飛び回っておった。常に動き回っていたためハッキリとした姿は捉えられなんだが……これくらいじゃったかな」 そう言ってオスマンは両手でその大きさを説明する。 「だいたい……70サントかそれぐらいですか」 「うむ、その後さまざまな事典で調べはしたが全くもって調べられなんだ」 「未知のドラゴンに乗り。更に未知の生き物を従えてたと。そうおっしゃるのですか」 「どこから来たのかと聞いたら「遥か遠い場所から」と。ロバ・アル・カリイエかと聞いたら「ソレより遥か遠きところ」と」 「それより遠く……まさか……西の最果て?」 東のロバ・アル・カリイエでないとすれば、西の大海の遙か先しか無いはずだが。 「そんな有るかどうかも判らん物は引き合いに出すでない。行って帰ってきた者などおらんしの」 「失礼しました」 コルベールが詫びて一礼する。 その点で言ったら東も同じだが、陸続きであるという点では東の方が有利である。 エルフが暮らすサハラをどうにか超える事さえ出来れば、その向こうに土地があることは明確なのだから。 それにしても、ロバ・アル・カリイエよりもはるか遠くから来たと言う彼ら。 彼らはなぜ、そしてなんのために小箱をオスマンへと託したのか。 オスマンは数年間考え続けた。しかし答えは出ないまま三十年もの月日が過ぎた。 そしてこの度、フーケに盗まれたことにより、埋もれていた記憶は一瞬の内に発掘された。 ルイズにも、そしてコルベールにも話していない、彼らからの予言も。 オスマンは、閉じた扉をじっと見つめていた。 前ページ次ページゼロの登竜門
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887 :ゼロじゃないキモチ ◆JCgO7iTKKc :2007/07/02(月) 23 14 09 ID DVvDbmzh 「こんの犬! 犬、犬、犬ぅ!」 ちゅんちゅんっと早朝の鳥の鳴き声の替わりに、ピッシーン! バシィー! と鞭の音が響く。 このあたりの住人の目覚ましになっていることは、鞭を振るルイズには知らない。 「昨日寝ぼけて、ベットに入っただけだろうが!」 ルイズに叩かれている少年、サイトは大声で言い訳をする。 だがその言い訳も、鞭が答えるだけ。 鞭が答える度に、ぎゃわん! と犬らしい悲鳴がでるだけだ。 ルイズはサイトのご主人様であって、サイトはルイズの下僕もとい使い魔である。 上下関係もルイズが当然上で、サイトは下の下。 この関係をわかりやすく言うと、普段が一緒に遊んでいる犬が、自分のものを毛だらけにする。 だから追い払う。まったくそれと一緒だ。 「もうやめてくだしゃい。もう二度とはいりましゃん」 土下座をして謝るサイトに、うっとあとずさる。 ポーカーは鞭で破れているところもあるし、肌が露出するところはミミズバレがある。 流石にやりすぎちゃったかな…。 だだだだだだだけど、ベットに入るのは別! 使い魔のくせに、平民のくせに、馬鹿なくせに! 貴族のベットに寝ぼけて入ったなんて、許せない! …それにしても、赤いわね。 888 :ゼロじゃないキモチ ◆JCgO7iTKKc :2007/07/02(月) 23 15 04 ID DVvDbmzh 土下座するサイトの腕には、真っ赤になった線がいくつもある。 つい先ほどまで自分でつけた鞭の後。 …ガンダールヴなんだから、こんな鞭避けられるのに…。 ギーシュのゴーレムの攻撃も避けられる、何で私は避けないの? ………。ま、さ、か。マゾっていうやつ? ぞぞっと身を震わせる。肌には鳥肌がふつふつっとできてきた。 き、きもち、悪い…! 一歩二歩っとサイトから離れていく。 十分離れてから恐る恐るサイトを見た。 ふるふるっと震えているサイトの体があった。 まるで本当の犬みたい。顔だけ隠してお尻隠さないなんて。 …マゾではないと思うけど、てか思いたくもないけど、たぶんマゾじゃないと思う。 だってサイトは何度も私を守ってくれた。 ボロボロに荒んだ私の名誉も、価値のない体も、サイトは守ってくれた。 それをなんで私は、サイトを守ってあげないのだろう。 主人が使い魔を守る話は別に普通だ。別にイヤラシイことじゃない、そもそも相手は獣だ。 だから私は召喚した使い魔には、精一杯守ろうと思った。 そう、私でも守ることができるのなら、何もないゼロじゃないと証明できると思ったからだ。 だけども結果は平民だった。 絶望した。 自分がゼロだという証明を手に入れたと思ったから。 だから自分の怒りをサイトにあたったのだ。 サイトがいるせいで、私がゼロだと言われるからだと。 散々自分がゼロだと馬鹿にされ続けた怒り。 それを何も知らないサイトにあたるのは、単なる八つ当たり。 …私はそんなもつりで召喚したつもりはなかった。 だけどどうして、なんで、こんなことをしているの? サイトは、『ゼロのルイズ』と馬鹿にされていた私を、唯一否定してくれた人なのに。 889 :ゼロじゃないキモチ ◆JCgO7iTKKc :2007/07/02(月) 23 17 46 ID DVvDbmzh 「ごめん、ごめんなさい」 ぽたぽたっと涙が溢れてきた。 けしてどんなに馬鹿にされてきても、人前では泣かなかった涙。 私はサイトを馬鹿にした。 馬鹿にされることがどんなに辛いのか、一番自分がわかっていたんじゃないの? そう思うと、涙が溢れる。止められない。 「る、ルイズ? おい?!」 ぼやけた黒いものが、私の肩を掴んで揺らせしている。 誰? 誰ですか? 「私なんかを、気を使わなくてもいいんですよ?」 そう、だって私は、 「何もない、ゼロですから」 そう、心も体もいらない。 もう人を思う気持ちすらもないのなら、何もかもゼロでいい…。 890 :ゼロじゃないキモチ ◆JCgO7iTKKc :2007/07/02(月) 23 18 37 ID DVvDbmzh パン! 乾いた音がなった。 頬が痛い…。 「なにがゼロだ! お前はゼロじゃないだろ! ゼロのルイズだぁ?! クソくらえだ! お前はルイズだろ!!!」 さ、い、と? 「お前が召喚したのはガンダールヴだ! 虚無の使い魔ガンダールヴ! そんなすごいの呼んだのにお前がゼロ?! ふざけんな!」 ぜ、ろ、じゃな、いの? 「それに! 好きなやつが、何もないゼロなんて、認めねえぞ!」 え、好きなやつ…? 「な、な、ななななななによそれ!?」 「へ? なにって?」 「すすすすすすす好きなやつって、何?!」 「あ。あーあーあーあーーー。うん、そのまんまだ」 「!!!!!!!」 私は声にならない声を出す。 スキ? スキ、すきぃ?! なによそれ! 「だ、だからよ。そんなこと言うなって」 「う…うん…」 思わず返事をしてしまう。 うつむいてサイトの顔が見えない。 いつのまにか涙が止まって、変わりに顔が熱い。 たぶん耳まで真っ赤に染まっているだろう。 「私、がんばる。ゼロのルイズっと二度と言わせないように、がんばる」 「ああ。俺もそうなるようにルイズを守るよ」 ぎゅっとサイトは私の体を自分の胸に引き寄せた。 それだけで顔どころか全身が熱くなっていく。 触れることも許したくなかったはずなのに、なんで? スキって言われたから? ききききキス、されたことがあるから? この胸にある、暖かいものは、なに? …私はまだ、サイトに守ってばかり。 だけど私は、いつかサイトを守ろうと思う。 それは遠くて長い年月がいるかもしれない。 もしかしたら一生無理かもしれない。 だけど、守りたいと思う気持ちだけは、無理だとは絶対に言わない。 それだけはゼロじゃないと、胸を張って生きたいから…。
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前ページ次ページゼロの魔獣 思い思いに増殖を繰り返していた異形の群れが、共通の敵の侵入に対し、一斉に牙を剥く。 甲虫の牙をかわし、飛び散る虚空の粒を避けながら、慎一が飛ぶ。 サーカスを繰り広げながら真紅の機体に取りすがり、その内部へと体を滑り込ませる。 威勢よく啖呵をきって飛び出してきた慎一だったが、実は機体の動かし方が分からない。 ロボットの頭部となったイーグル号に乗り込むのは、これが初めてだった。 迷っている暇はない。 開きっぱなしのハッチからドス黒い液体が流れ込み、 パキパキという音を立てて、髑髏の怪物が侵入してくる。 ヤケクソになった慎一は、目ぼしいスイッチを片っ端から弄っていく。 機体はウンともスンとも言わない。 ドジュウゥッ、と、天井を伝うドグラの雫が、慎一の肩を濡らす。 瞬く間に触手が生え出す右肩に、慎一は迷いもせずに齧り付く、 ドグラに侵された部位を噛み千切り、ペッ、と吐き捨てる。 鮮血が噴出す。 「こなクソオオオ!!」 慎一ががむしゃらにレバーを動かす。 顔面についたソバカスのような無数の虚穴が、徐々にホクロのように拡大していく。 ドグラの水溜りに浸かった足から、タコのような触手がズルリと生え始める。 「動きやがれええええ!! テメエッ それでも国産車かァ!?」 無茶な理屈を叫びながら、慎一が勢い良くコンソールをぶっ叩く。 直後、ブウゥゥン、という起動音とともにモニターが起動する。 ―勿論、叩いたから直ったわけでは無い。 イーグル号の内部に、慎一とは別の意志が宿っていた・・・。 室内にゆっくりと緑の光が満ちる。 その光を忌避するかのように、コックピットに溢れていたドグラの群れが引いていく。 緑一色の世界の中、慎一は見た。 計器類を確認しながら、手馴れた手つきでスイッチを動かす白衣の男・・・。 かつて、タルブの夕焼けの中に見た、『彼』であった。 ご機嫌なエンジン音を確認しながら、男が中央のレバーへと手を伸ばす。 その上から、慎一が左手を重ねる。 「助かったよ・・・ アンタの思い 俺が預るぜ」 慎一の言葉に、男が笑う。 フル回転する炉心に合わせ、機体が徐々に熱を持ち、白色の光を放ち始める。 「後は頼んだぜッ!! ルイズゥ!!」 オーブン状態のコックピットでその身を灼かれながら、慎一が勢いよくレバーを倒した。 イーグル号の異様な発光を確認し、ルイズがヘルメットを脱ぎ捨てる。 両手で自らの頬を叩き、気合を入れて杖を構える。 「やって見せるわ! シンイチ・・・」 大きく一つ深呼吸して、詠唱を始める。 体内に湧き上がる力のうねりを感じながら、高々と杖を振り上げる。 (― もし この一撃が シンイチに当たったら・・・) ドクン! と、負の思考がよぎり、指先が震える。 指先の震えは、心の震え。 発光するイーグル号の真横で爆発が起こり、ドグラが大きく抉り取られる。 自身でも考えていなかった威力の爆発が、かえって少女の心を萎えさせる。 知りうる限りの詠唱を試し、何度も何度も杖を振るう。 しかし、爆発は小規模な閃光へと変わり、目標を大きく外し続ける。 機体が輝きを放ちだしてから、既に十分近くが経過している。 いかに魔獣の細胞を持つとはいえ、このままでは慎一が・・・。 気が急くあまり、ルイズは気づかない。 魔法が成功しない理由が、自らの内にある事に・・・。 もはや、詠唱もへったくれもない。 喚き声を上げ、玉のような汗を飛ばしながら、ガムシャラに杖を振るう。 精神は大きく乱れて、爆発すらも起こらない。 状況を静観していたドグラの群れが、ここに来て大きく動き出す。 煩わしい輝きを放つ機体を屠らんと、一体となってその身をうねらせる。 ただならぬ気配を察知し、大きく肩で息をしていたルイズが再び杖を構える。 足元が揺らぎ、杖先が大きく震える。 「シン・・・ シンイ チ・・・」 杖を振りかぶろうとする少女の眼前に、堤防のようにそそり立った異形の姿が現れる。 「シンイチィィィィィッ!!」 ルイズの叫びと同時に、ドグラの大津波がイーグル号を飲み込んだ・・・。 ドグラの海へと消えたイーグル号に、トリステインの兵達が絶望の声を上げる。 「シンイチ・・・」 「・・・・・・・・・・」 キュルケもタバサも、二の句を告げることができない。 慎一の死は、トリステインの最後を意味していた。 もはやこの世界に、ドグラを止められる者はいない。 自らの勝利をひけらかすかのように、異形の群れが小高い山をなしていく。 このまま雪崩のごとくタルブの地を、そしてトリステインを飲み込むことは明白であった。 「・・・! 待って!? 皆 あれを!」 恐慌をきたす兵達を押し留め、アンリエッタが叫ぶ。 山の内部から響く異形の喚き。 ドグラの巨体が、先程とは異質な変化を遂げ始めていた・・・。 (全ては・・・ すべては私の責任・・・) その場に崩れ落ちたルイズが、はらはらと涙を流す。 ヴェストリの広場での決闘の日、ルイズは自らの能力・・・『爆発』の使い方に気づいていた。 気付いた上で、慎一の指摘を受けるまで、その選択を保留し続けた。 自らの力、その異形さを肯定するのが恐ろしかった。 そして、その代償がこの事態である。 自らの力を受け入れ、研鑽を積み重ねていたなら、今日の様な事にはならなかったはずだ。 自分を守ろうとした使い魔は死に、その罪は、自分の愛した世界で償わねばならなかった。 思考の泥沼に陥ったルイズを引き上げたのは、兵士達の驚嘆の声。 フッ― と、顔を上げた先にあったのは、頂部が異常に膨れ上がったドグラの山。 球体のような塊が、枝分かれして指を成し、徐々に巨大な握り拳へと変化していく。 「グ オ オ オ オ ォ ォ ォ オ オ オ ォ オ ォ ォ オ オ オ ォ ! ! ! !」 大気を震わせ、大地を揺さぶりながら、聞き覚えのある雄叫びが響き渡る。 やがて、ざわめく異形の群れを蹴散らしながら、巨大な魔獣の顔面が姿を見せた。 「「「「キシェイイイアアアアアオオオオオアアア!!」」」」 「ガッ アアアァァァ アアアアアアア!!!!」 突如として体内から現れた巨獣を取り込まんと、異形の群れが咆哮を挙げる。 秩序だった動きでドグラが竜巻となり、魔獣の全身に張り付いて虚穴を作る。 魔獣の咆哮に合わせ、その肩口から巨大な獅子が現れ、ドス黒く変色した胸元を喰い破る。 「あれは・・・ シンイチ・・・なの?」 「ドグラを・・・喰ってる・・・ ドグラに侵された体を喰らい、新たな肉体を再生している」 放心したようなキュルケの問いに、冷や汗を流しながらタバサが答える。 二匹の巨大な蛇が、互いを喰らわんと取りすがる地獄絵図。 魔獣が拳を振るうたびに旋風が吹き、大地が砕ける。 唯一つ分っている事 ― どちらが勝っても、ハルケギニアに未来はない。 魔獣が暴れる毎にドグラが周囲に飛び散り、分裂したドグラを喰らい魔獣が巨大化する。 爆音が轟き、地割れが起こり、ドグラの旋風が吹き荒れる。 世界が終末へと近づいていた。 無力さに立ち尽くす人々の中、ルイズだけは別の感情を抱いていた。 人の姿を捨て、人としての自我を捨て、自らの体を喰らいながら、未だ慎一は戦い続けている。 誰のためか? 他ならぬ、自分とハルケギニアの為ではないか。 全力も尽くさず、くだらない後悔で歩みを止めた先刻の自分をブン殴りたい気分だった。 力強く杖を握り締め、大地を踏みしめ立ち上がる。 慎一を救うため、命ある限り、足掻いて足掻いて足掻きぬく。 そうせねばならぬだけの義務が彼女にはあった。 (一発勝負・・・) そう心に決めた途端、フッと体が軽くなった。 精神状態の変化に合わせ、体内に新たな力がみなぎるのを感じる。 唯一の問題は、イーグル号の位置である。 あの機体のエネルギーを使わなければ、慎一を虚空へ帰すことは出来ない。 ふと、何かを思い出したルイズは、静かに瞳を閉じる。 この場でイーグル号の在りかを知りうる者が一人だけいる。 ― ドグラと同化したある慎一である。 完全に自我を失った慎一とコンタクトを取れるのは、五感を共有できるルイズだけであろう。 ルイズが意識を集中させ、慎一の意識へ、そして、そこにいるはずの『彼女』へと語りかける。 ―やがて、魔獣の右拳に、巨大なルーン文字が出現した。 柔らかな光を受け、ドグラの動きが緩慢になる。 魔獣の瞳から暴力の色が消え失せ、硬く閉ざされていた右拳が、ゆっくりと開き始める。 魔獣の掌の中にあったのは、未だ輝きを放つイーグル号・・・。 ― そして (マリア!?) ドグラの猛攻から守るように、堅く握り締められていた右手の中 真理阿はその中にいた。 腰まで伸びた豊かな黒髪、無限の宇宙を携えた瞳 離れているのに、まつげの先までハッキリと見える。 真理阿が何事か口を動かす。 その形に合わせて、ルイズもまた口を動かす。 はじめはたどたどしく、丸暗記した単語をそらんじるかのように、 しかし徐々に流暢に、歌でもさえずるように、ルイズの詠唱が流れに乗る。 「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ・・・」 頭の中に湧き上がる詠唱。ルイズは思い出す。 始祖ブリミルの加護を得て、この世界にやってきた真理阿。 これは恐らく、ブリミルからの言づて・・・。 (想いを込めて パワーを高めるのよ・・・) 真理阿の声を聞き、ルイズがただひたすらに祈る。 ハルケギニアの事でも、自分の未来でもない。 慎一を、真理阿を、元の世界へ帰す・・・ と、 「ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・・・ イル!!」 大粒の涙を流しながら、ルイズが最後の詠唱を完成させる。 大気が一瞬静寂で満ち、イーグル号が閃光を放つ。 真理阿が微笑む―。 直後、轟音が炸裂し、大破したイーグル号から緑の光柱が立ち上る。 光柱が分厚い雲を突き破り、真理阿を、ドグラを、慎一を飲み込んで消し去っていく。 (マリアアアアア!!) 凄まじい衝撃波に肺を押さえられ、ルイズの叫びは声にならない。 拡大する閃光、ルイズの体も又、光の中へと消えた・・・。 前ページ次ページゼロの魔獣
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前ページゼロのアトリエ 初めは、誰もが無力だった。 不死身の勇者も、高名なる錬金術士も王室料理人も 初めは何の力もないごく普通の人間だったのだ。 だが、彼らは誰よりも夢や希望を強く抱き、追い続けた。 だからこそ世に名を轟かすほどの存在になれたのだ。 夢は、追いかけていればいつか必ず叶うものなのだから… ゼロのアトリエ 35 ~グラムナートの錬金術士~ もうすぐ、約束しておいた雇用期間が過ぎる。 ロードフリードは空になった商品棚を眺め、掃除でもしておこうかとカウンターを離れた。 あの錬金術士は、今どこで何をしているのだろうか? 「ういーっす」 はたきをかけるロードフリードが次は掃き掃除だな、とほうきを視界に入れたあたりで、 くわを担ぎ、土だらけになったバルトロメウスが姿を現した。 「なんだまだ開けてたのか?外はもう暗くなってるし、今日はもう終わりでいいと思うぞ」 「そうか。まあ、掃除だけ終らせて帰ることにするよ」 ロードフリードは何事もなかったかのようにホウキを掴み、掃き掃除を開始した。 「お前も律儀だなあ。商品がなけりゃ客もいないんだし、んなの適当にやっつけりゃいいじゃねえか」 「そういう訳にはいかないよ。ヴィオが戻って来た時、がっかりさせたくはないからね」 「へいへい。全く、あれのどこがそんなにいいんだか」 バルトロメウスの冷やかしには反応を返さず、ロードフリードはかねてからの懸案事項を問うことにした。 「それにしても、今回の旅はちょっと長いと思わないか?」 「何だ、心配してんのか?大丈夫だって。あいつの事だ、どうせまた『何とかのモンスターさんをやっつけてきたよ!』 とか言いながら平気な顔で帰ってくるに決まってるって」 「そうか?まあ、たしかにヴィオが負ける姿は想像しにくいけどね」 兄の言葉が発せられるタイミングを見計らったかのように、 扉のベルが鳴り、待ちかねた来客を告げる。 「ただいま~」 満面の笑みを浮かべて帰ってきた店主の顔。 ヴィオラートの額には、村を出る前にはなかった何かの文字が刻まれているようだ。 新しい趣味か?それとも、また何か錬金術の為の何かだろうか。 「ほらな。こいつを心配するだけ損だぞ」 兄の妹に対する信頼が、ロードフリードの顔をほころばせる。 何だかんだ言っても、やはりこの二人は兄妹なのだ。 他人の入り込めない、見えない絆という物がある。 でも、自分の役目はバルトロメウスのように振舞うことではない。 ヴィオラートがロードフリードにどうあって欲しいか、自らがそれを受けてどうすべきか。 騎士精錬所を卒業し、村に帰ってきた時から、彼はいつもそのことを頭の片隅に置いて実践してきた。 今彼が望み、彼女が望むたった一つの言葉。 その一言でヴィオラートの冒険は一区切りついて、彼女はこの村の日常へと回帰する。 それもまた、ごくありふれた奇跡なのだろう。積み重ねた日常と絆が織り成す奇跡。 だから、彼はいつも通り、穏やかな笑みを浮かべてヴィオラートを迎えた。 「お帰り、ヴィオ」 雲をつくような巨大な樹に手を加えて作られた、空を行く船の桟橋。 その中腹に設けられたホールに、子供達の集団が輪を作っていた。 輪の中心にいた女性が、本を閉じて立ち上がる。 金色の髪が長い耳を掠め、動きのある美というものの形をさりげなく見せた。 「そろそろ時間よ。皆、お船に乗りましょう」 「えーっ、もっとイーヴァルディのご本読んで!テファお姉ちゃん!」 「ぼくももっと読んで欲しいなあ」 「あたしも!」 ティファニアは困ったような顔をして、子供達を見回す。 「みんな、イーヴァルディの勇者が大好きなのね?」 「うん!おおきくなったら私、錬金術士になるの!」 「ぼくは断然勇者だな!錬金術士より、勇者の方が強いもん」 「錬金術士の方が強いよ!爆弾も武器も作れるから」 「爆弾なんて使う前に勇者が勝つもん」 「ばかだな、勇者が気づく前に投げればいいじゃん」 「気づくもん!勇者ビーム出すもん!」 「あ、みんな、ちょっと落ち着いて。船の中で読んであげるから…」 話が変な方向に飛び火して収拾が付かなくなった子供達の輪。 対応に苦慮するティファニアに係員が近づき、時計を見て、伝えるべき事柄を伝えた。 「ウエストウッド孤児院ご一行様、間もなく出港時刻となりますが」 「あ、はい。すいません。さ、皆、あとはお船の中でね」 子供達は大人を困らせるのは大好きだが、大好きな大人が本当に困っている時は敏感に察知する。 あれほどやかましかった子供達は静かにティファニアの言う事に従い、船に向かう。 途中、ティファニアの姿をちらちら見る人はいたが、 それを何か特別な事だと感じる者は誰もいない。 ティファニアがその姿を隠さずとも外を出歩けるようになったのは、もう何年前の事になるだろうか。 「カロッテランド発、タルブ行き。ただいま出港いたしまーす」 それはあまりにも大きく、あまりにも美しい伝説だった。 親が子供に語って聞かせる夢物語。 誰もが知り、そして誰もが信じない。ありえないはずの奇跡。 ルイズが、ヴィオラートが、彼女達全てが確かに生きていたという証であり、新しき世界の日常。 そう、ただの日常を創り出すために彼女達はいくつの夜を越え、いくつの悲しみを耐えたのだろう。 ティファニアの閉じた『イーヴァルディの勇者』の表紙と、ここにある全ての艦船の横腹、 『港』である樹のそこかしこと、無数に配られたパンフレットの一角。 その全てに、にんじんを追加されたヴァリエール家の紋章が、誇らしげに輝いていた。 前ページゼロのアトリエ