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ふう、とアグリアスがため息をつく。 ――私としたことが…。 憂鬱そうに頭を抱えてテーブルに肘をつくアグリアスは、昼間の出来事を反芻していた。 相手の陰陽士に混乱させられ、あろうことかラムザに深手を負わせてしまった。 正気を取り戻したときに見たものは、自分の剣で傷ついた、左腕を押さえるラムザの姿。 「くそっ」 抑えたつもりだったのだが、意志に反して言葉が声に出てしまう。 苛立ちを抑えられないアグリアスに、誰も声をかけられなかったのは、無理のないことであった。 そんなアグリアスの背後に近づく、一人の女性。 「だーれだ?」 彼女はそんなアグリアスの両目を手で隠し、声色を変えて話しかけた。 「…メリアドール」 低く、そしてはっきりした声でアグリアスは答える。そうしてゆっくりと振り向いて、 声の主――メリアドールに向き直った。 「あら、よく私だってわかったわね」 不機嫌そうなアグリアスに、メリアドールはおどけてみせる。 「…嫌味でも言いに来たのか」 「そうね、よく冷静に答えられたわね、って思ったわ」 「…ッ」 癪に障ったのか、アグリアスがメリアドールを一瞥して背を向ける。そんな彼女にメリアドールは 意外だったのか、小首をかしげて見せた。 「頭に血が上ってるみたいだし、掴み掛かって来るんじゃないかと身構えてたんだけど」 「…お前を責めるのは筋が違う」 混乱させられたとはいえ、ラムザに怪我を負わせたのはアグリアスに他ならない。 「でも、自分自身を責め続けても仕方のないことだと思うわ」 「悪いのは私だ」 先刻と同じようにテーブルに伏せながら淡々と答えるアグリアス。 「そういうの、潔いって言うのかも知れないけど…拍子抜けしちゃうわ」 「それを言うなら、私こそもっと罵声を浴びせられるものだと思っていたんだがな」 「悪いけど、私、弱い者いじめはしない主義なの」 「…ふ、そう…だな。私は弱い者だ」 強がりを言う普段とは違う自嘲的なアグリアスに、メリアドールもどうしたらいいか、と、 誰ともなしに肩をすくめている。 「アグリアス。解っているんだろうけど、あなたがそんな風に自棄になっててもしょうがないわ」 「…そうだな。すまない」 素直に謝るアグリアス。言葉ではそう言っていても、彼女の背中は相変わらず重い空気を放っている。 メリアドールも、そんなことはない、とか反論してくると思ったところをまた予想に反した答えが 返ってきたために、次の言葉が思い浮かばない。 そんなアグリアスの背後に近づく新たな人影が、唇に人差し指をたてて、メリアドールに 喋らないよう促している。 そうして、先ほどのメリアドールと同じように、『彼女』はアグリアスの両目を手で隠す。 「だーれだ?」 その声に、アグリアスが覚醒する。 今、伏せっているはずの、ラムザの声。そして両目に当てられた手袋はおそらく、いや、間違いなく ラムザのもの。 「ラ、ラムザ!?」 慌ててアグリアスは後ろを振り向いた。しかし、そこにいたのは…。 「ぶぶーー。私ですよ」 ラムザの手袋をはめたアリシアだった。その後ろではラムザが悪戯っぽい笑みを浮かべている。 見ればラムザの左腕には添え木がされていた。ラヴィアンの魔法で治そうとしたものの、治癒の途中で 魔力が切れたらしく、完治とは行かなかったようなのだ。 「ふぅむ。こんな手に引っかかるとは、やはりアグリアス様は本調子ではないようですねえ」 腕を組んで頬に手を当て考える仕草をするアリシアに、アグリアスは思わず掴み掛かっていた。 「…アリシア! お前はラムザを診ていろと言ったはずだ!」 ものすごい剣幕で詰め寄るアグリアスに、慌ててラムザが口を挟んだ。 「ああアグリアスさん、アリシアを怒らないでください。僕がやろうって言い出したんですから」 「な、ならばなおのこと、お前は大事をとってじっとしているべきだろうが! それとも、 そんな怪我を負わせた、私がそんなに嫌いなのか!」 その言葉に、今度はラムザが口を尖らせる。 「そっ、そんな小さなことでそこまで嫌ったりするつもりはありませんよ!」 「小さいだと! お前は相変わらずお前自身がどれほど大事か理解していない!」 「貴方だってそうじゃないですか!」 そのラムザの一声に、アグリアスが動けなくなる。 「僕のせいでそんなふうに思い詰めているところを見るのはつらいんです」 「だが…私のせいでお前は…」 「いいじゃないですか、命あっての物種です。この腕だって治らないわけじゃないんですから」 そう言って、動きがぎこちない左腕をさするラムザ。 「すまない…」 そうして、アグリアスはまた俯いてしまう。しかし、どこかしら安心したような、そんな 穏やかさも滲ませていた…。 そんな二人のやりとりを尻目に、アリシアが不意に愚痴をこぼし始める。 「それにしても、アグリアス様って現金ですよねー?」 「む?」 「折角メリアドールさんにお願いしてアグリアス様に元気を出してもらおうと思ったのに、 あんまり効果がないんですもん」 「そうね、やっぱり殿方のほうがいいのかしらね?」 同じく二人のやりとりを一部始終眺めていたメリアドールが、さもありなんと言ったふうに うんうんと頷いている。 「なっ…何を言うかお前たち!」 勿論そんな色気づいた話を聞き流せるような余裕はアグリアスにない。 「あ、赤くなった。赤くなってますよね!」 「へーぇ、隅に置けないじゃない?」 「べッ、別にそういった意味はない!」 「そうなんですか? ちょっと残念…」 「あ、いや、そう言うことじゃなくてだな…!?」 慌てて必死になって弁解しているところにラムザに追い打ちをかけられ、なおもアグリアスが 泥沼にのめり込む。 そんなアグリアスの背後に近づく、一人の女性。 「だーれだっ」 もにゅ。 「うーん。なかなか…見た目より大っきいわねえ」 彼女はそんなアグリアスの両目を…ではなく。 「…レーゼ殿…」 「はぁい?」 レーゼはアグリアスの両胸を、しっかり揉んでいたのだった。 「いったい何をしているんですかぁッ!」 「えええ? だって、アグリアスったらむすっとしちゃって、全然可愛くないんですもの。 ちょっとお茶目してみただけじゃない?」 「他人の胸を揉むのがお茶目ではないでしょうッ!!」 「そう? やらない?」 「え? …えーと…」 「一般的では…ないかも…」 いきなりレーゼに話を振られて、戸惑うアリシアとメリアドール。 「ラムザッ! なんだその間抜け面はッ!!」 「えっ? あ、その、すみませんッ!」 そして矛先は惚けていたラムザにも向けられる。そこで思わず謝ってしまうラムザも 人がいいというか気が小さいというか。 「お前たち…揃いも揃って私をなんだと思ってるんだ! そこに直れッ!」 いつの間にか、アグリアスの背中からは重い空気が消え、その代わりに紅蓮の炎が見えている。 「あらあ、もしかして立ち直るのを通り越して怒っちゃった?」 「ちょ、ちょっと、どうすんのよッ」 「わ、私は用がありますのでこれでッ!」 「あっ、ずるいわよアリシア! 私もーッ!」 「ええー! 僕を置いていかないでくださいよーッ!」 「待て貴様らーーーッ!」 * * * 「んむっ」 なにやら騒々しい。 「んむううっ」 なにやら怒鳴ってる声が聞こえる。 「ふむむむむぅ~っ、いったい何が起こってるのぉ~?」 重い両目を無理矢理こじ開け声のする方を確認する。そうして枕を抱えたラヴィアンが、 そのドアを開けてみてみると…。 「レーゼ殿! 貴公は遠慮がなさすぎるッ!」 「はい、ごめんなさい」 「アリシア! お前はラムザを診ていろと言ったな!」 「はい」 アグリアスが数人の前で大声で説教を繰り広げていた。アリシアやらメリアドールやら、年上のレーゼまで アグリアスの前に正座させられている。 「ラムザ! 怪我人は大人しく休め!!」 「はい…」 「メリアドール! お前は空気を読め…お、おお、ラヴィアン。起こしてすまな」 「うるさい」 ゴっ。 ラヴィアンの手にした枕が、枕とは思えない音をたててアグリアスに直撃する。 「きゅう…」 あえなくダウンするアグリアスに一同呆然。 「ん、静かになった」 ラヴィアンが目をこすりながら、 「寝ゆ。おやひゅみ」 と言って、自室に帰っていくのを、ラムザたちは戦々恐々としながら見送っていったのだった。 * * * そして翌朝。 「おはようございます! ラヴィアンさん!」 「おはようございます!」 「昨晩は治療して頂いてありがとうございました!」 レーゼやラムザたちがラヴィアンに頭を下げていた。あのアグリアスでさえも、そうである。 「なあ、なんかあったのか?」 「さあ…?」 男たちは皆不思議そうにそのやりとりを眺めている。 「あの、ラヴィアンさん、なにかしたんですか?」 「…ううん、知らない…っていうか、なんでアグリアス様まで頭を下げてくるんだろう…」 おそるおそるラファがラヴィアンに声をかけるも、本人も昨晩のことは寝ぼけて覚えていないらしく、 やはり不思議そうに、そして皆の行動に戸惑っていた。 ラヴィアンがその真相を知ることはきっとないだろう。そして翌晩からうるさく騒ぎ立てる者が減った 理由もまた、知ることはきっとないだろう…。 ラムザ隊の夜は、どこまでも静かだったそうである………。 おわり
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「Ivalice……おれたちのworld…… 醒めちまったこの世界に……熱いのは……おれたちのcrystal…… 獅子戦争に……とびきり強い騎士がいた……そいつは……王都ルザリアをMove3で抜けていったんだ…… 一緒に戦っていたやつら……口を揃えてこう言ったね…… あいつはHoly Knight…… 鈍足の異名を持ち、聖剣技を自在に操る、高貴なる女性騎士…… 剣術、格闘、魔法の全てを使いこなす戦闘のexpert…… 元々、王女オヴェリアの近衛騎士だったが、それが一転、現在は異端者ラムザを守護している…… 性格は高貴といえるが、決して高飛車な訳ではなく、誰もいない所で、ふと和らかい表情を見せる一面もあるようだ……」 「なにを書いているのだ?」 ランプの明かりに照らされて独りごちながら原稿に筆を走らせるアリシアに、アグリアスは訊ねた。 「ひああああっ!?」 だが、アリシアは、アグリアスの問いに答える代わりに悲鳴をあげて椅子から転げ落ちた。 「アグリアスさま、驚かさないでください」 椅子から転げ落ちた時に打ったらしい尻を摩りながら、アリシアが言ってきた。 「すまない」 とにもかくにもアリシアに謝り、アグリアスは続ける。 「おまえは私室にいると、ラヴィアンに聞いた。 扉を叩いたが、応えはなかったし、扉に鍵が掛かっていなかったし、 礼節を失することだが、部屋に入らせてもらった」 「あら、わたし、本を書くのに夢中になっていたので気がつきませんでした」 立ち上がって可憐に微笑むアリシアを、アグリアスは羨ましく感じた。 騎士の家系とはいえ、箱入り娘として育てられたアリシアは、文学、音楽、美術を嗜む。 辺境で暮らさなければならなかったオヴェリアを、誰より楽しませたのがアリシアだった。 些か夢見がちなきらいはあるが、アリシアの、かわいらしさと淑やかさに惹かれる男は多い。 (わたしには得ることのできないものだ) アグリアスは自嘲しつつ、アリシアに請う。 「以前に話した、古書を貸してもらいたいのだが」 アリシアが集めている本の中に、イヴァリースの伝説の偽典といえる書物があり、一読しておきたかった。 「はい。お貸しします」 快諾するアリシアに、ふと気になってアグリアスは訊く。 「本を書いていると言ったな?」 「『アグリアス・オークス記』といいます」 本の題名に眩暈を覚え、再び問う。 「なんだと?」 「『アグリアス・オークス記』です。アグリアスさまの軌跡を伝える為のものです」 呆気に取られるアグリアスに構わず、アリシアは恍惚として語る。 「王女に誓った忠義……異端者に捧げた情愛……騎士として……女として……アグリアスさまを伝説に……」 「ああぁぁ………」 強い羞恥に、アグリアスは呻いた。 アリシアが『アグリアス・オークス記』とやらを夢物語のように書きあげるのが想像できた。
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初恋の人からアグリアスさんへお手紙が届きました。 アグリアス、元気?もう自分のことを「ボク」とかは言わなくなったかな?あのころの アグリアスをなつかしく思います。 泣きじゃくるアグリアスが「好きだけど寂しいから別れる」と言って自分から連絡を断った あの日から、もう9年が経ったんだね。月日が流れるのは早いものです。 手紙を書いたのは、とくに用事があるわけではないんです。ただふと思い出して 懐かしかったので、思いつくままに手紙に書こうと思って。ふふ。驚いたかな? 今から思うと、なんだかあのときの付き合いは、おれの一人よがりだったなぁという気が します。アグリアスはいろいろと我慢して溜め込むタイプだったから、なかなか気持ちに気 付いてあげられず、よく泣かせたり怒らせたりしていた印象があります。いつのまにか不機 嫌そうな顔になっていて混乱したことが何度あったことか・・・。今では素直に気持ちを言え るようになっていますか? そういえばアグリアスにとって、おれが最初の彼氏でしたね。だからか、最初のころのアグリ アスは、かなり猫をかぶっていたように思います。最初のころは、少なくとも「ねぇねぇ、のど ぼとけ触らせて♪」などと言えなかったはず。今では勝手に触るぐらいになっているんで しょうね。 まだ付き合ったばかりのころ、アグリアスはやたらと「絶対に別れないって約束して」と迫っ てきましたね。おれは「おう、約束するよ」などと言っていましたが、内心「うっ…」と思ってい たのをよく覚えています。約束を破ってごめんなさい。 総括するなら、アグリアスと付き合えたことは、とても感謝しています。多少重苦しいところ もあったけど、期待されているし愛されているなぁと感じられました。どうもありがとう。 いろいろ書いたけど、おれはアグリアスのことがそれでも好きでした。これからもアグリアス らしくいられるよう、あと、腹筋を割るという夢もそのまま追いかけながら、幸せをふりまいて ください。 またいつか会いましょう。では。 P.S. アグリアスがクリスマスにくれた観音像、まだ飾る場所が決まりません。
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朝になって貿易都市ドーターに到着した異端者一行は連日の強行軍に疲れ果てていた。 貸し切った小さな安宿に入るなり殆どの者が食事も採らずにベッドに倒れ伏し、そのまま夢も見ない程の深い眠りに落ちていく有様。 起きているのはラムザとラッド、アグリアスの三人だけになってしまっていた。 しかし、スケジュールの都合上、ドーターに居られるのは明日の早朝まで。 隊の長たるラムザは、今日中に物資の補給やら何やらといった雑事を片付けておかなくてはならない。 「遅くても昼までには戻ります」 そう言ってアグリアスに留守を頼むと、ラムザはラッドを伴って街の中心部の市場へ買出しに出かけて行った。 アグリアスが宿の小さなロビーに置いてあるソファーで目を覚ました時、壁にかけられた古めかしい時計は午後一時を指していた。 しまった、いつの間に眠ってしまったのだろう。 ラムザは寝ていて下さいと言ってはいたが、何せ今の自分達は異端者として終われる身、留守中にも何が起こるか分からない。 疲れが溜まっていたとはいえ、留守を任されていた自分がついウトウトしている内に眠ってしまっていたなどとは不甲斐無い。 頬から口元にかけて冷たいものを感じて手をやると、よだれが垂れていたので慌てて口を拭った。 まったくもって情けない…… こんな姿を誰かに見られでもしようものなら そこまで思ってふと気がつく。ラムザとラッドはまだ帰って来ていないのだろうか? ラムザとラッド、そしてムスタディオに割り当てられていた部屋のドアをそっと開けると、ムスタディオ一人がうつ伏せになって寝息を立てていた。 ラムザによだれを垂らした自分の寝姿を見られていた可能性が消えた事に胸を撫で下ろすアグリアス。 その一方で急に目が醒めていくのを感じる。遅くても昼までには戻ると言ったラムザ。 何かがあったと見るべきか。それともまた道に迷いでもしたか。 ドーターの市場にはまるで迷路の様に複雑な部分があり、以前も買出しに行ったメンバーの帰りが遅くなった事があった。 ラムザも過去に何度か市場で迷った為に、そうした部分には入り込まない様に気を付けている筈なのだが…… アグリアスはラヴィアンとアリシアとを乱暴に叩き起こすと、寝ぼけ眼の二人に事情を説明して留守を任せた。 他の面々も起こそうと思ったのだが、皆死んだ様に眠っていたので起こすのは気が引けて止めた。 ラヴィアンとアリシアが起きていれば、それでいいだろう。 多分、途中で彼らに会って引き返して来る事になるだろうと思うのだが、万が一という事もある。 まだ少しぼんやりとしている二人に警戒する様に言いおいて、アグリアスは愛剣をつかんで街の中心部へ向かった。 街の中心部は区画整理があまり進んでおらず、諸々の商品を扱う店が軒を連ねて混沌としており、 むしろ中心部から離れれば離れるほど整然としている感がある。 宿からここまでは一本道。彼らに会わなかったという事は、おそらく二人ともまだこの混沌の中にいるのだろう。 アグリアスは周りを見回しながらゆっくりと雑踏の中に足を踏み入れた。 一時間も歩き続けた頃だろうか。焦りと苛立ち、その背後に去来する薄暗い暗雲の様な不安が心中で膨らんでいく。 額に汗をにじませたアグリアスがキョロキョロと落ち着かない様子で首をめぐらせていると、 見渡す限りの人の頭の波の上、アグリアスの視界の隅に特徴ある癖毛がとらえられた。ラッドがいつも被っている帽子も。 ……二人とも無事で良かった。やはり迷っていたという事か。もう買い物は終わったのだろうか。まったく世話の焼ける…… 人の波をかき分ける様にしてラムザと思しき癖毛の見えた辺りに歩を進める。 しかし、アグリアスは急に立ち止まった。そこにいたのはラムザとラッドだけでは無かったのだ。 アグリアスは近くの露天商のテントの影まで下がり、そっと様子を伺う事にした。 雑踏の端、半ば朽ちた石垣にもたれかかっているラムザとラッド……そして見知らぬ女が談笑していた。 女はアグリアスと同じか少し上くらいの歳であろうか。飾り気の無い濃紺のワンピースに絹のショールを羽織っており、 商家の若女将然とした印象を受けたが、その顔立ちと雰囲気は妙に艶っぽく、どことなく周囲からは浮いていた。 アグリアスは何か見てはいけないものを見てしまった様な気がして、ますます出て行き辛くなってしまった。 しばらく見ている内にラッドがおもむろにラムザと女に手を振って踵を返し、雑踏の中に消えていく。 女はにこやかに手を振り返してラッドを見送った。ラムザもそれに倣う。 ラッドの姿が見えなくなると、二人は再び向かい合って何事かを話し始めた。終始笑顔の絶えない、随分と楽しい会話をしている様だ。 アグリアスの胸中に怒りとも罪悪感ともつかない複雑な感情の波が渦を巻き始めたが、その一方で不安が頭をもたげる。 あの女は一体誰? あの女と話し込んでいた為に遅くなっていたというのかッ。人が心配して来てみれば何という…… 「おい」 突然背後から声をかけられてアグリアスの心臓は胸の内側に当たったのではないかと感じる程飛び上がった。 恐る恐る振り返ってみれば、荷物袋を背負ったラッドが呆れた顔でアグリアスを見返していた。 「な、なんだラッド、ビックリするじゃないか」 「ビックリしたのはこっちだ。なんかこっち見てる怪しい奴がいると思ってコッソリ後ろに回ってみりゃ、一体何やってんだよ」 「え、いや、その、お前達の帰りが遅いから心配して見に来たら……」 ラッドが頭をかいて苦笑いする。 「ああ、そうか。思ったよりだいぶ時間が経ってたのか。済まなかった。そんなに時間が経ってるとは思わなかったよ。 ところで、迎えに来たのはいいけど何でコソコソ影から俺達を見てたんだ。ラムザは気付いてなかったけど、バレバレだったぜ」 「あ、いや…… 見知らぬ御婦人とい、一緒だったものだから、その…… 」 アグリアスはなるべく平静を装って喋ろうとしていたが、その努力は徒労に終わっていた。我ながらしどろもどろだ。 察しの良いラッドは笑いを噛み殺しながら、どう切り出したものかを考え始めた。 「……あの女が誰か気になったんだな? 」 「別に。えっとそれよりも早く宿に戻らないと! ラムザも呼んで…… 」 顔を紅潮させてたどたどしく言葉を紡ぐアグリアスを手で制して、ラッドは語気を強めてもう一度言った。 「あの女が誰なのか気になるんだろう? 」 「あぐ…… 」 「でなきゃ隠れてコソコソ様子を伺ったりはしないもんな」 余裕たっぷりに言い放つラッドを見て、アグリアスは観念した。うつむいて静かにコクン、とうなづく。 ラッドはわざとらしく長い咳払いなどをしてアグリアスを少し焦らしてから口を開いた。 「アグリアスにも分かり易い様に結論から言おう」 アグリアスは妙に含みのあるその言葉にカチンと来たが、おとなしく言葉の続きを待った。 「あれはラムザの初体験の相手だ」 初体験の相手、という言葉がアグリアスの中で意味を成すまで数秒か、十数秒か、とにかく少し時間がかかった。 「……ほら、丁度そこの雑貨屋で偶然バッタリ会ったんだ。二年ぶりくらいになるのかなあ、つい話が弾んじゃってさ」 「二年、前……」 「そう、俺とラムザがガフガリオンの元で傭兵をしていた頃さ。ラムザは確か十八くらいだったかな。 俺達はその時、ウォージリスで成金織物商の屋敷の警護の仕事を請け負っていたんだ。 ある晩、酒の席でラムザがまだ女を知らないってのを俺がからかってたら、それを聞いたガフガリオンが 俺様の部下なら女ぐらい知っておかンとな!とか言い始めて、そのままみんなで娼館へ行ったんだ」 ガフガリオンは馴染みの娼館へ着くと、ラムザにエルザという名の女をあてがった。 ガフガリオンいわく「ここで一番の女」とかで、「本当は俺が抱きたいンだが、今晩は譲ってやらンとな!」と言いつつ 自分は新顔の若い娘と小部屋に消えて行った。ラッドも好みの娘を選んで小部屋へ向かう。 部屋に入る前にチラリとラムザの方を見やると、あてがわれた女に手を引かれて小部屋へ連れ込まれる所だった。 「エルザは確かラムザよりも五ツか六ツくらい年上だったのかな、ラムザはそれはもう丹念に筆おろしされたらしいよ。 やたらと“可愛い~”とか言われててさ。女顔で童顔の奴は得だよなー。 まあそれはともかく、あのエルザって女は商売上の接客態度っていう以上に、気立てがよくって優しい所のある女だったよ。 ラムザは初めての女があれで本当に良かったんじゃないかな」 昼間から往来で不謹慎な、と思いつつもアグリアスは何故か妙にドキドキしながらラッドの卑猥な思い出話に耳を傾けた。 「ラムザはそれからも何度かその娼館に行ってはエルザを指名していたらしい。 エルザが休みだったり別の客を取ってたりした時には、他の女の子を選ぶでもなくションボリして帰って来た。 何とも純情な話じゃないか? 実るでも無いだろうに、娼婦に恋煩いだ。 それからしばらくして当時の雇い主だった成金が熱病で急死したもんだから仕事が突然無くなった。 それで俺達はすぐに次の仕事を探して別の街へ移動する事になった。その娼館とも、エルザともそれっきり。 顔には出さなかったけど、あの時のラムザは落ち込んでいたな。どこまで純な奴だ、って思ったけど」 アグリアスは複雑な気分だった。 ラムザとあの女の過去を想像すると嫉妬を伴った不快を覚えるが、初めての相手に純な入れ込みを見せるラムザの 健気さは我が事の様に嬉しくもなった。その健気さをこちらに向けろ! と言いたくなる。 「そのエルザにこんな所でバッタリ出くわしたもんだから、俺達ビックリしちゃってさ。 エルザがラムザの事を覚えてて、声をかけて来たんだ。あの癖毛はやっぱり、って……あ」 ラッドがアグリアスの肩越しを凝視して急に固まったので、つられてその視線を追ってみると 「……あああッ!? 」 女がラムザ覆いかぶさる様にしてキスをしていた。ラムザは驚いて目を見開き、体を強張らせている。 が、徐々にラムザの体が弛緩して目がトロンとしていく様をアグリアスはハッキリと見た。 その間十秒くらいだったろうか。女は体を離すと、何事も無かったかの様に笑顔でラムザに小さく手を振り、雑踏の中に消えた。 ラムザは放心して、ぼんやりと手を振り返すので精一杯の様子だ。耳まで真っ赤になっているのがここからでも見てとれる。 ラムザはおずおずと口に手をやり、女の去って行った方向を呆けた顔で見ていたが、急に我にかえったのか不意に辺りを見回した。 そして一瞬視線が交差し、目が合う。 「ええっ!? アグリアスさん…!? 」 「あ、ああ……」 ラッドがチッと舌打ちする。もしかするとちょっと面倒な事になりそうだ。こういう場合は早目に退散するに限る。 「じゃ、俺、先に帰るわ。後は二人でお話してね」 そう言ってラッドはそそくさと人ごみに紛れて姿を消したが、アグリアスの耳には届いていなかった。 ラムザがモジモジしながら一歩一歩アグリアスに近づいて来る。アグリアスはそれを正視出来ずに目を逸らした。 「……今の……見てたんですか? 」 アグリアスの前に立ったラムザが小さな声で問うてくる。アグリアスは少し逡巡した上で正直に言った。 「……うん。ちょっと前から。それにラッドが来て、あの、色々言ってきて……」 色々、の内容を具体的に口にして言う事も出来ず、アグリアスは言葉を濁した。 「じゃあ、あの人が誰なのかも……その、知ってるんですね? 」 ラムザが上目使いでアグリアスを見た。しかし、アグリアスはまだラムザに目を合わせる事が出来ない。 黙ってうなづくアグリアスを見て、ラムザはポツリポツリと話し始めた。 二年ぶりの再会は、やはり全くの偶然だったらしい。ラムザの特徴ある癖毛を女は、エルザは忘れてはいなかったのだ。 エルザはラムザ達がウォージリスを去った後に結婚してドーターに引っ越しており、既に子供が一人いるという。 当時のラムザの純情ぶりをからかうラッドを交えて、思い出話が弾んでしまい(この時、アグリアスのこめかみがヒクついたのを、ラムザは見逃さなかった) ついつい遅くなってしまったと、申し訳無さそうにラムザは謝った。 「……最後の、アレは何だ。その、再会の約束でもしたか」 ラムザの話を静かに聞いていたアグリアスが、この時になってようやくラムザの目を見て言葉を発した。 自分でも声のトーンが沈んでいるのが分かる。別にラムザの恋人でも妻でもないのに、私は、こんな…… 「いえ、その逆です。多分もう会う事は無いから、って、いきなり」 そう言ったラムザの声はむしろ明るさを帯びてきていた。 ラムザはガフガリオンの言葉を思い出す。“この女はここで一番の女だ” 今ならそれが分かる様な気がした。 その女を自分の始めての相手としてあてがってくれたガフガリオンの、いわば親心にも似たその気持ちも。 「あんなにヒョロっとした頼りない感じのコだったのに、ちゃんと生き延びて、すっかりオトコの顔になっちゃって……」 エルザはそういうと突然ラムザを抱きしめて濃厚なキスをし、そして別れ際にじゃあね、と一言だけ残して行ってしまった。 彼女の言葉通り、もう僕らが会う事は無い。偶然再び出会って、少しだけ立ち止まり、またそれぞれの流れの中に戻ったのだと思う。 「本当に、それだけですよ。僕はもうそんな子供じゃないですから」 そういったラムザの顔は、どことなく急に大人びてアグリアスの目に映った。アグリアスの胸の奥で、キュウっと何かが絞られる様な感触があった。 「心配かけてしまって本当にごめんなさい。ラッドは……先に戻って寝たのかな。僕らも戻らないと。アグリアスさん、ちゃんと眠れてました? 」 「え? あ、ああ」 ちゃんとどころか、よだれまで垂らして眠りこけていた事を思い出してアグリアスは赤くなった。 行きましょう、と言って荷物の詰まった皮袋を背負い上げると、ラムザは市場に背を向けて歩き始めた。 アグリアスはしばらくの間、何かを確かめる様に市場にひしめく人の波を見渡していたが、やがて踵を返し、ラムザのもとへ走って行った。 (完)
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「(何か手を…!)」 斬り結びながら策を必死で模索するアグリアスの目に、 奇妙な光景が映った。 レディが突如、後ろに大きく跳躍した。 しかも、跳躍中になぜか右手の忍刀を腰に佩びた鞘に 納めつつ、である。 着地と同時にどこからか取り出したのは、針状の手裏剣。 灰色に仄光るそれが、一瞬だけアグリアスの目に留まった。 「な…!?」 刹那の間に、アグリアスの左胸を狙って正確に投擲された手裏剣は、 全く想定外の攻撃手段であった。 だがしかし、戦場においては戦況が予想外の事態に展開する のが常であり、百戦錬磨のアグリアスはそれに慣れていた。 思考を介さない、戦士の直感が彼女の体を動かし、 手裏剣は心臓を射抜くことは叶わず、肩を覆う装甲に突き刺さる。 手裏剣は肩の寸前で止まり、流血には至らなかったものの、 アグリアスは再び驚愕に襲われることになる。 ビシビシと音を立てて、手裏剣が命中した装甲が石化を 始めたのである。 物質転換。ある物を石に変えてしまうような魔術は 確かに存在するが、そういった対象の大掛かりな変態を伴なう 魔術の行使には、永い詠唱と大量の魔力が必要であるのが 常であり、ノータイムで標的を石化させるような手段など、 通常は考えられない。 ベイオウーフの魔法剣に、それを可能にする技があるが、 アグリアスの知りうる限りそれぐらいのものである。 どんな呪術か魔法を施したのか知らないが、 あの手裏剣は危険すぎる。 もしも生身に直撃すれば、脚や腕ならば戦闘の続行は 不可能になり、そのまま殺される。 胸の近くに食らえば心臓や肺が石化して即死だろう。 装甲の石化は左肩から始まり、右胸の領域にまで広がって、 石化した鎧の部分がひずみで砕け散った時点で止まった。 アグリアスの上半身を覆う鎧の大部分は破損し、 急所である胸の周囲が外に露出する形になってしまった。 石化の手裏剣の直撃は免れたものの、鎧の損失は 大きな痛手である。 レディは手裏剣の投擲と同時に、一度鞘に納めた忍刀を抜刀し、 再びセリアと共にアグリアスに襲い掛かる。 依然として2人の電光石火の連撃は衰えを見せず、 アグリアスに聖剣技を使う隙を作らせない。 アグリアスの剣の技量は、2人のどちらよりも勝っている。 もしも1対1の決闘方をとれたのなら、 アグリアスの勝利は堅いだろう。 しかしこの2人が結束した時の勢いは、脅威である。 手数と速度で相手を圧倒する、言わば物量攻撃である。 それに加えて正確さまで備えているのだから手に負えない。 4本の刃は、まるでそれぞれが意思をもった魔物であるかのように 巧みに宙を舞い、アグリアスの防御を突破し、急所を刺し貫こうと 間断なく次々と押し寄せる。 表情の欠け落ちた2人の顔からは、2人が何を考えているのか まるで判断できない。 まるで、巨大な昆虫のようである。 何も考えず、何も思わず、何も感じず、ただ本能に依って 機械的に他の虫を捕食する。 虫にとってそれは、悪でも正義でもないのだろう。 そうしないと生きていけないからそうするというだけの話である。 セリアとレディにとっては、今ここでアグリアスを確実に殺すこと。 それだけが意味のある行為であり、その他全ては無意味であると 断じているかのような、無機質で機械的な表情。 アグリアスはまるで、同じ人間と刃を交えている気がしなかった。 再びレディが後方に跳び、先ほどと同様に灰色の手裏剣を投擲する。 狙いは再び心臓。鎧の加護を失った胸を、今度こそ 石化の手裏剣で射抜き、決着をつける腹積もりでいる。 「(まずいっ…!アレか!)」 石化の威力と脅威がアグリアスの脳裏によみがえり、 一瞬恐怖と焦りが全身を走った。 剣で手裏剣を打ち払うことはできない。 さっき、手裏剣は金属製の鎧を石化し、破壊した。 本来は人体に直接突き立て、標的の体を石化させる 武器であると考えられるにも関わらず、 あの灰色の手裏剣は人体、金属を問わずに石化させる。 手裏剣の尖端に当たり判定があるのなら、 剣と接触した瞬間、剣が石化する恐れがある。 2振りの剣でどうにかセリアとレディの猛撃に応じている現状で、 剣を片方失うということは、死に直結はしなくとも、 ただでさえ不利なこの状況を、より一層悪い方向に進め、 敗色を濃厚にしてしまう悪手である。 剣はどちらも、手放せない。 鎧をこれ以上削らせる余裕もない。 鎧で受け損なったら、体のどこかに手裏剣が命中する。 そうなったら最後だ。 結局、どうにかして避けるしかない。 「ぐっ…!」 食い下がるセリアの侍刀を大きく打ち払い、刹那に間合いを とったアグリアスは、横に跳躍し、寸での所で手裏剣の投擲を 回避した。 セリアに斬り掛かるために足を踏み込み、アグリアスは前傾姿勢をとる。 ドスッ…。 アグリアスの足元で、不吉な音が響いた。 「うっ!?」 異変は、すぐにアグリアスの知るところとなった。 「(馬鹿な…!身体が…身体が動かない!?)」 アグリアスの全身は、前傾姿勢を保ったまま硬直していた。 脚も、腕も、まるで彼女のいうことを聞かず、 氷漬けにでもなったかのように固まって、ピクリとも動かない。 石化の手裏剣を投げたレディには細心の注意を払っていたし、 投擲された手裏剣についても完全に避けたはずである。 それでも身体が動かないというこの事態…原因があるとすれば…セリア。 レディに注意を傾けたほんの一瞬に、セリアに何かをされたとしか 考えられない。 事実、アグリアスの刹那の間に展開された推理は当たっていた。 全ては、周到に用意された罠。 石化の手裏剣は、現在の絶対的勝機を作り出すための布石。 手裏剣の威力と脅威を標的に存分に認識させた上で、 恐怖と焦りを心に染み込ませる。 手裏剣の回避に注意を仕向けさせた上で、 アグリアスのマークがザルになったセリアが、刹那のうちに決定打を仕掛ける。 アグリアスが足元をとっさに見れば、自身の影の胸の位置に、 黒い手裏剣が突き刺さっているのが見て取れた。 影が、地面に縫い付けられている。 アグリアスがレディの投げた石化の手裏剣を回避しようと跳び、 セリアへの注意がおろそかになった一瞬に、セリアがアグリアスの 影に向けて、密かに別の手裏剣を投げつけたのである。 石化の手裏剣同様、対象の動きを一瞬で停止させる 呪術や魔術など、通常はありえない。 にも関わらず、アグリアスの影に突き立てられた黒い手裏剣は 彼女の知る理とは別の、正体不明の機構をもってして、 アグリアスの全身を呪縛し、頑として身動きを取らせない。 一秒以下の隙を奪い合う、達人同士の技の応酬下において、 身動きを封じられるというのは…即ち死。 無防備の身体は、敵の刃を避けられるはずも無い。 果たしてセリアとレディは、笑いもしなければ喜びもしなかった。 依然としてその顔には、何の色も浮かばない。 虚無を宿した、生きながらにして既に死んでいる心は、何も映さない。 彼女らが勝利を手にしたも同然の現況は、偶然によるもの でもなければ僥倖でも何でもない。 2人の実力と、敵を欺く周到な陽動作戦による必然。 今こそ標的を斬り刻み、血の海に沈めんと、 セリアとレディはそれぞれの得物を構えなおして 冷徹にアグリアスに走り寄る。 そこに油断や慢心は、欠片も無かった。 その様子はちょうど、見えざる糸に絡め取られ、 身動きが出来なくなった無力な羽虫を、蜘蛛が捕食するために 機械的に近づいていくのに似ている。 絶体絶命と呼ぶにふさわしい窮地に追い込まれ、 アグリアスは硬直したまま剣に力を込める。 最後の手段をとるしかなかった。 非常に危険であり、自滅する可能性も高いが、 このまま黙って殺されるのを待つよりは、いくらか生存の確率は 高まるだろう。 「(影に刺さった手裏剣をどかすことができれば… 動けるようになるはずだ…!)」 うつむいた状態のまま身動きが封じられているため、 今2人の殺し屋が何をどうしているのかを見ることは叶わない。 2人の床を蹴る音から察するに、4本の刀で無防備のアグリアスを なますに斬り刻むつもりだろう。 たが恐怖は、今必要な感情ではない。 努めて冷静になり、右手に持つ騎士剣に内力を集中させる。 聖剣技は、標的を選択的に攻撃するための指向性をもたせるために、 術者の技術によりエネルギーを精製し、力の奔流を 特定の形態に形作らなければならない。 この工程こそが、聖剣技を強力な遠距離攻撃手段たらしめると 同時に、技を繰り出すために生まれる硬直の原因にもなってしまう。 銃弾を火薬の爆発による圧力で、一定の方向に撃ち出すには、 弾丸の飛ぶ方向を規定するバレル(銃身)が必要であるのと同じである。 聖剣技の使い手は、自らをバレルとして、指向性のエネルギーによる 砲撃を、標的に叩き込むのである。 彼女が今やろうとしていることは、無方向なエネルギーを方向付けるための 精製過程を省いた、単純なエネルギーの放出。 危険であるし、無意味であるので今まで一度もやったことがないが、 何の方向性も持たないエネルギーの奔流は、恐らく 爆発を伴なって術者もろとも周囲を破壊するだろう。 いわば、むき出しの銃弾を数十個、無造作に焚き火の中に 放り込むようなものである。 火薬に引火し、暴発した銃弾は、周囲の人間を無差別に殺傷する。 精製の過程を含めると、最短でも2秒の硬直を要する聖剣技であるが、 精製を省けば、一瞬で力を放出することは可能であると考えられる。 術者の無事は全く保障されない、危険極まりない荒業ではあるが…。 暴発による怪我は、確かに恐ろしい。 しかし、アグリアスにとって最も恐るべき、由々しき事態は、 2人の殺し屋を止められず、ここで無駄死にすること。 ここで自分が無抵抗に殺されれば、現在エルムドアと交戦中のラムザは、 あの凶悪なセリアとレディをも同時に相手にしなくてはならなくなる。 いかにラムザでも、あの手錬3人を同時に相手しては、 勝てるわけがない。成す術なく殺されるだけである。 隊の長であり、皆の希望であるラムザが殺されれば、全てが終わる。 それだけは、何としても防がなくてはならない。 今ここで、自分の身がどうなろうと。 2人の殺し屋の足音がアグリアスのすぐ傍まで近寄り、 今まさに、アグリアスの首に刀が振り下ろされようとしたときに、 アグリアスはすっと目を閉じ、祈るような思いで、剣から力を解き放った。 制御を失った無秩序な力の流れは、爆発を伴なって アグリアスの影を縛っていた手裏剣を吹き飛ばす。 爆音と爆煙が吹き上がり、爆風が吹き荒れる中、 セリアとレディの2人はとっさに後方に回避し、 即座に状況の把握に移る。 不可解な攻撃を受けた場合は一度距離をとり、 相手の出方をうかがうのが戦場における鉄則である。 剣しか扱えないはずのアグリアスが、放出系の攻撃手段… それもノータイムで発動するようなタイプを突如使用したのは、警戒に値した。 術者であるアグリアスは、当然のことながら 爆発による衝撃を、無防備のまま全身に受けたことになる。 辛うじて立っているものの、爆心地より最も近い位置にあった右手、 エネルギーの射出口となった剣を握っていた右手の感覚がほとんどない。 今の爆発の威力から察するに、指が何本か消し飛んでいたとしても 不思議なことではない。 足元の感覚が消えかかり、絶望的な浮遊感が全身を襲う。 何度も経験した、気絶直前の症状である。 この場で気を失うということは、己の命をむざむざセリアとレディの 2人にただでくれてやるのと同じである。 断じて、ここで気絶する訳にはいかなかった。 「(ただでは死ぬな――。 死ぬなら…1人でも多くの敵を 道連れにしろ――!!)」 下唇を犬歯で思い切り噛み、鮮烈な痛みと鮮血の味が、 おぼろだったアグリアスの意識の輪郭を確かなものにする。 ふらつく脚を内心で叱咤し、アグリアスは疾駆する。 敵を殺すために。仲間を生かすために。 煙幕の中からレディの眼前に突如飛び出したのは、 鬼神のごとき形相で双剣を振るうアグリアス。 「!」 人間らしい驚きの表情が、はじめてレディの顔を彩った。 自爆したようにしか見えない標的が、 これほど早く、再び刃向かってくるとは、さしもの レディも想定外だったのである。 アグリアスがくぐり抜けてきた死線の数と執念の強さ。 これが、殺しの練達者たるレディにも予測不可能な行動を、 アグリアスが可能にした理由だった。 レディの判断違いで、アグリアスの振るう剣への対応が一瞬遅れる。 アグリアスの壊れかかった右手に収まった、騎士剣による 斬撃はレディに打ち払われ、剣はアグリアスの手を離れて 彼方に弾き飛ばされた。しかし、アグリアスの左手の剣による 追撃には、レディの反応が間に合わなかった。 鋭い刺突は、刹那の内に、容赦なくレディの右胸を串刺しにする。 人を刺し貫く嫌な感覚が、アグリアスの手に伝わった。 「…あ…」 かすかな声が、レディの口をついて出た。 レディの両手から、忍刀が離れ落ち、澄んだ金属音が鳴り響く。 口元から血を流しながら、死相もあらわな顔を後ろにのけぞらせ、 崩れ落ちる…そうなる寸前で、レディは踏みとどまった。 即死で当然のはずの致命傷を受けてもなお、レディは倒れない。 いかなる執念によるものか、死の恐怖と絶望をも凌駕する、 本能にまで刻み込まれた殺し屋としての習性がそうさせるのか。 必勝必殺を信じて疑わなかったアグリアスの顔が、驚異に凍る。 明らかに死に体においてもなお、レディは左手を、流れるような 動作でアグリアスの首に添えた。 レディの細く、白い指が、白骨化した死神の手を思わせて、 アグリアスに"死"を彷彿とさせる。 「!?」 親指と中指で、首の左右を走る太い血管を押さえつける。 必要最小限の力、それでも人の意識を奪うには十分な 圧力をもってして血流を封じ、標的を瞬間的に気絶に追いやる。 つまり、レディは格闘技における絞め技を、ごく簡易的に 即席で再現したことになる。 死人も同然のレディに、突然首を撫でられたかと思えば、 急激にアグリアスの視界は暗転する。 意表を突かれたアグリアスは成す術なくレディの術中にはまり、 一瞬ではあるが、意識を消失した。 レディは淀みのない流れのまま、左手の人差し指を もってして、標的の気道と喉笛を同時に圧迫する。 これにより、アグリアスは呼吸をすることも声を上げることも 出来なくなったわけだが、意識が暗転している彼女には 知る由もない。 そのまま、右手をアグリアスの左胸に当てる。 石化の手裏剣が命中したことにより、上半身を覆う鎧の 大部分が破損しているため、今現在、アグリアスの左胸は 外に露出している形を取っていた。 レディの右手は、アグリアスの左胸…心臓のすぐ上に添えられていた。 狙いは無論、急所の中の急所である心臓。 レディの手のひらから即座に放たれた衝撃波は、 ほぼ無音を保ったまま、手と心臓の間にあるアグリアスの服も、 皮膚も一切傷つけることなく、的確に、心臓を直撃した。 意識を奪われているアグリアスの全身が、反射的に びくんと大きくけいれんを起こす。 標的の意識と悲鳴を奪い、完全に無力化した上で、 心臓のみを選択的に破裂させる。 極限まで音を殺すように技術立てられた衝撃波は、 誰に聞きとがめられる恐れもないし、素手による殺しは 証拠すら残らない。 加えて、この技を食らった者の衣服や皮膚には、一切の 痕跡が残らない。 衝撃波は、手のひらから放たれた少し先…つまり服や皮膚を 通り越した心臓のある位置で炸裂するように組み立てられた、 特殊技術によるものだからである。 傍目には、原因不明の変死にしか映らない。 死因を特定できたとしても、それは検死のための解剖を 行った後である。 いつでも、どこでも、証拠の残らない迅速で確実な暗殺を。 それを可能にするこの絶技…息根止は、 暗殺の集大成にして、殺し技の一つの到達点。 「さよなら」 口元に血を滲ませながら、虚ろな眼差しでレディは呟いた。 余命幾ばくもない彼女の顔を彩る色は…悲しみ…とでも 表現すべきものであろうか。 今生最後の息根止。何十人もの命を奪ってきた、 その至高の暗殺技の手順に、断じて間違いは無かった。 問題があるとすれば、ただ一つ、彼女が致命傷を負っていた 一点のみである。 渾身の力を込めたその一撃でさえも、目前の標的を 絶命しうるには至らなかった。 それは、手応えからレディ自身がはっきりと自覚できていた。 アグリアスの首を押さえていた左手にも力が入らなくなり、 レディの意識が混濁を始める。 死が、もう目前にまで迫ってきていた。 首から手を離され、意識を取り戻したアグリアスは、 正体不明の胸の激痛に意識を割く余裕もない。 背後からは、セリアが走り寄る足音が聞こえる。 アグリアスを今、仕留めるつもりでいるのは間違いない。 「くっ!!」 壊れかけた右手の掌底を、左手に持つ剣の柄に添えて、 レディの胸を刺し貫く剣を、力任せに上に押し上げる。 生きたまま胸から肩の上まで剣で引き裂かれる、地獄の苦痛に 襲われているのにも関わらず、レディは悲鳴一つ上げなかった。 瞼を静かに下ろして、従容と最後の時を迎えていた。 胸から肩にかけて切り裂かれたレディはそのまま絶命し、 アグリアスは即座に背後を振り向き、セリアの剣戟を打ち払う。 アグリアスはとっさに後方に跳躍し、セリアと距離をとった。 アグリアスの全身を、原因不明の脱力感が覆う。 レディに首を絞められた時に何をされたのか、アグリアスが知る由もない。 その4へ
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宿の異変に気付いたアグリアスは一目散にラムザに割り当てられた部屋へと急いだ。その表情に余裕は微塵も無くただただ必死さが滲み出ている。 「ラムザ!」 ドアを破壊せんばかりの勢いで開けて踏み込むと、窓辺に座るラムザは一瞬、沈痛な面持ちでアグリアスを見たが、すぐに顔を背ける。 「皆は何処へ行った! 誰一人居らんぞ! おまけに装備まで持ち出されている! 言え! 皆は何処へ行ったのだ!」 「儲け話ですよ。僕が頼んだんです」 「ふざけるな! 全員行く必要が何処にある!」 「ちょっと隊費が底を尽きかけていまして・・・・・・」 「見え透いた嘘はやめろっ!」 アグリアスはドアに拳を叩きつけた。ラムザは口を噤み、俯く。 「頼む、正直に言ってくれ、ラムザ。先生に関わることなのだろう? あの人は私の父も同然なのだ。私はあの人を失いたくない。二度も父を失いたくない。お願いだから教えてくれ!」 アグリアスは感情が溢れるあまりに声を震わせ、それでもしっかりとラムザに顔を向けて懇願した。その体は今にも泣き崩れてしまわんばかりである。 ラムザはぐっと目を閉じ、深く息を吐いて悲しげな顔をアグリアスに向けた。 「ご想像の通りです、アグリアスさん。皆はエルヴェシウスさんを討ちに行きました」 「何故・・・・・・」 「エルヴェシウスさんが伯に真剣での果し合いを挑んだからです。メリアドールさんの報告でわかってはいました。それに伯は僕を信じて果し合いのことを打ち明けてもくれました。かつての戦いに終止符を打ちに行く、と。そして死ぬことになってもかまわないとまで仰いました。でもこの先戦っていくのに伯を失うわけにはいきません。まして伯は我々の仲間です。仲間の危機を黙って見過ごすわけにはいきません」 「剣士の真剣勝負に泥を塗るのか」 「罵倒は甘んじて受け入れます。伯には軽蔑されるでしょう。それでも僕は伯に生きてほしい。アグリアスさんにとってエルヴェシウスさんがそうであるように、僕にとっても伯はもう一人の父です」 アグリアスはハッとした。既に天に召されたラムザの父、バルバネス・ベオルブと伯は共に国家の英雄とよばれた戦友である。二人を重ね合わせるのはむしろ自然ともいえる。ましてラムザは望まぬこととはいえ二人の兄を手に掛け、妹も今は離れてしまっている。家族とも言える仲間の死を過剰に拒むのも無理からぬことである。 「エルヴェシウスさんは五十年戦争の時、オルダリーアの将軍だったそうです」 ラムザはオルランドゥが語ったエルヴェシウスの過去を教えた。アグリアスははじめて聴く師の過去に黙って聞き入り、そして深く納得した。 悲しい、そして弱い人。 エルヴェシウスは仲間の死にあまりに深く傷ついたのだ。新たな仲間を築くことを恐れるほどに。仲間と再び別れることを恐れるあまりに。 付き合いは広く、しかし決して踏み込まず。相手を失っても傷つかない程度の浅い付き合い。後ろ向きで、あまりにも臆病な精神。 (あの広く見えた背中は、実はこれほどまでに小さかったのか) アグリアスは師の背中を思い浮かべ泣きそうになった。 ラムザは全てを語り終えるとしばしアグリアスを見つめ、そうしておもむろに窓を開けると雨が部屋に入るのもかまわずに、指を咥えて鋭く口笛を吹いた。 するとラムザの口笛に応じ、真紅の毛並みを持つチョコボが厩舎から走って来、窓の下に止まって一声鳴いた。 アグリアスがその鳴き声に顔を上げると、ラムザが一振りの剣を差し出していた。アグリアスの愛剣、セイブザクイーン。 「行って下さい、アグリアスさん」 「ラムザ・・・・・・?」 「僕は伯とエルヴェシウスさんを天秤に掛け、そして伯を取った。それは間違いでした。人の命は比べることなどできはしない。どちらの命も守るべきだった」 所詮は奇麗事。戦時下において人が命を天秤に掛けることは決して少なくない。ラムザ自身、兄の命を天秤の片側に掛け、その命を奪ってもいる。 しかし救えるのならどちらも救うべきだ。容易に諦めてはならない。そして今、二人共を救うことは出来るはずだ。 「エルヴェシウスさんを止めて上げてください、アグリアスさん。それが出来るのは他の誰でもない、あなただけです。勝負に負け、命を残したとしても彼は自ら命を絶つでしょう。それはあなたが一番ご存知のはずです。二人の命を救えるのはあなただけなんです。」 「私に・・・・・・助けられるだろうか。あの深い悲しみに居る人を」 「エルヴェシウスさんは失うことを恐れ、他人と深く関わらない。でもあなたとの関係は違う。あなたに対する態度だけは僕たちに向けられる物とは違った。それは温かく包み込む、父親の態度そのもの。自信を持ってください。あなたと彼は深く繋がっていますよ」 「ラムザ・・・・・・」 脳裏に浮かぶのは厳しくも温かい眼差し、言葉。 偽りではない。偽りであろうはずが無い。 アグリアスはぐっと唇を噛み締めた。 (何を迷っていたのだ私は!) 「さあ、剣を取って立ち上がって。そして行ってあげて下さい。情けない父親にガツンと言ってやってください。そうして首に縄をつけて引きずり戻して来てください」 「最後のは余計だ」 アグリアスはそういってラムザから剣を受け取った。その顔にもはや迷いは無い。剣を腰に差すとパン、と両手で自身の頬を張って気合を入れ、ラムザに一つ頷いた。 「行く」 「はい」 二人は微笑み合い、そしてアグリアスは行った。 ラムザは雨に濡れながらチョコボを飛ばして駆けて行くアグリアスの背中を見送り、その姿が見えなくなると窓を閉じ、一つ呟いた。 「少し、妬けるなぁ」 降り止まぬ雨に全身を叩きつけられながら、アグリアスはそれでもチョコボを飛ばす手を緩めはしない。 この程度の痛み、彼を失う痛みに比べればどれ程のものだというのか。 アグリアスは走る。己の家族の為に。幼い頃の誓いを守るために。その為に、彼女は剣取ったのだから。 降りしきる雨の中、顔に美しい金髪を張り付かせながら疾風怒濤の勢いで駆け抜けたアグリアスの眼前に、低い丘が現れる。アグリアスは跨るチョコボに最後の鞭を入れてその丘を越えた。 そこに広がったのは凄惨な光景であった。 大地には無数の刃が突き立ち、その間に仲間達が泥まみれになって死屍累々と倒れ付している。その光景を見て一瞬言葉を失ったが、アグリアスは仲間とエルヴェシウスの良心と信じた。簡単にくたばるような連中ではないし、エルヴェシウスは殺人鬼ではない。 そして剣林の中央で対峙する二人の男を見た。 一人は無傷。体は濡れているが足元を除けば泥も付いていない。 対するもう一人は凄まじい出で立ちである。遠目にも衣服はボロボロで泥にまみれており、頭もぐしゃぐしゃで普段の面影はほとんど無い。 如何な彼が達人とはいえ、数々の戦場を潜り抜けた猛者十数名を相手に容易に勝つことなど出来ようはずも無く、全身に傷を負い、もはや肩で息をし、構えは清廉さの欠片も無く、背中を丸めて無造作に刀を下げたその様は、さながら野獣の如きであった。 (それほどまで他人を傷つけ、自身を傷つけ、心を狂わせたその先に、一体何があるというのですか) アグリアスは胸を締め付けられる思いで彼のその姿を見つめた。 (あなたはそうやって、誰ともかかわらず、一人死んでゆくというのですか) エルヴェシウスが仕掛けた。雨でぐしゃぐしゃの足場を物ともせず跳躍し、オルランドゥに斬りかかる。オルランドゥは愛剣である、聖剣エクスカリバーを横に薙いで必殺の一刀を大きく捌き、返す剣で胴を薙ぐ。それに対してエルヴェシウスは弾かれた勢いそのままに刀を手放し、足を引き付け一歩分踏み込むと鋭く回転、脇差による神速の抜き打ちで応じる。大剣と脇差では本来なら重量の差で脇差など容易に弾かれるが、距離を詰められたために鍔元で受けたため、威力は相殺された。 そして近距離では小回りの利く方が有利である。エルヴェシウスは脇差の利を生かして接近戦に持ち込むべく懐に飛び込み、左手でオルランドゥの腕を掴み、その腕を断ち切らんとする。オルランドゥは咄嗟に掴まれた右腕を引き、つられて出てきたその頭に、腰を捻って肘を叩き込んだ。 たまらず吹き飛ばされたエルヴェシウスは、しかし空中で体勢を整え着地し、脇差を納めて近くに刺さった刀を引き抜き、 「疾風、地裂斬!」 地面に拳を叩きつけた。 オルランドゥは横に飛んで辛うじて衝撃波を避けるが、それで安堵しない。衝撃波は大地を伝い、その先に刺さった刀に当たったことで軌道を変える。無数に突き立てられた刀は巧みに計算された陣を為しており、衝撃波は刀に誘導され縦横無尽な軌跡を描く。メリアドールらはこの技に苦しめられたのだった。 辛くも四度避けたオルランドゥは軌道を読み、刀を三本蹴飛ばした。読みは当たり、衝撃波は陣の外へと逃げていった。 オルランドゥは一つ息を吐き、右手を押さえた。先ほどの脇差の一撃に動脈は避けたものの離れ際に少々深く入れられてしまったのである。しかし戦いの支障になるほどではない。 対してエルヴェシウスは限界に近づきつつあった。メリアドールらとの乱戦に加え、少ない体力を振り絞っての特攻、そして頭に喰らった肘撃ちで平衡感覚が鈍っていた。それでも目の力は消えてはいない。雨越しにもはっきりと分かるほどに。狂気の目である。 オルランドゥは彼の命を惜しみながらも『やめろ』とは言わない。いや、言えなかった。 直接ではないにしろ彼の仲間の命を奪った自分が何を言おうと詭弁になる。そんなもので彼は止まりはしない。オルランドゥはそのことを痛いほど理解していた。だからこそ、止める術を持たぬ自分が出来るのは全力で相手をするのみ。 カッと、稲光がし、それを合図にしたか、エルヴェシウスが渾身の力を込めた捨て身の突貫を行う。 オルランドゥも傷にもかまわず剣を構え迎え撃つ。 雨空に響く金属音。 エルヴェシウスは目を見開いた。それはオルランドゥも同じである。 腹に響く落雷の轟音。 二人の剣豪が放った必殺の一刀は、真紅のチョコボに跨るアグリアスの剣により弾かれたのである。 アグリアスは軽やかにチョコボから降り、エルヴェシウスに対峙した。 「もう十分でしょう。先生・・・・・・」 「アグリアス・・・・・・」 静かに語りかけるアグリアスに、エルヴェシウスは呆然とした顔を返す。その目からしだいに狂気が消えてゆく。 「あなたが死ぬことを誰も望んではいません。ラムザも、伯も、皆も。そして私も」 「儂は仲間の敵を討たねばならん。儂の命に代えても」 「復讐が死者の弔いになると?」 「そうは言わぬ。雷神シドを斬っても儂が死んでも、あやつらは喜びはすまい。だが何も出来なかった儂があやつらにしてやれるのはこれしかないのだ」 「そんなことは無い!」 アグリアスは思わず叫んだ。エルヴェシウスぎょっとは鼻白む。 「先生。それは逃げに過ぎません。先生にはお仲間の死を知りながら、その死を乗り越える勇気が無いだけです」 「違う! 儂は自分が許せんのだ! 何もできなかった自分を!」 「そんなの死者への侮辱です! 自分ひとりで何でも出来ると言うつもりですか!」 「違う!」 「お仲間の方々だって精一杯戦ったのでしょう? 先生が居ればもしかしたら助かった人も居たかもしれない。でも先生が居ても助からなかったかもしれないじゃないですか!」 「そういうことではないのだ! あやつらと共に戦えたなら納得もする。たとえ自分が死ぬとしてもだ。しかし儂はあやつらの死にも立ち会えなかった! 仲間が死に行こうとしている時に戦場にすら居なかったのだ!」 「そんなのどうしようも無いじゃないですか! 誰だって何にもできませんよ! 先生が自分を責める理由なんて何処にも無いじゃないですか!」 「だからこそせめて雷神シドを討とうというのだ!」 「それに意味が無いことは自分でも分かってるじゃないですか!」 再び稲光が暗い世界を照らす。しばらくして鳴った轟音が大きく響いた。 「もう十分悲しんだでしょう? 自分を苦しめるほどに、救いを求めるほどに、そして別れを恐れて新たな人との触合いを拒むほどに。でもあなたは独りでいたいわけじゃない。あなたはそれほど強い人ではない。だからあなたは私と共に過ごした。それは無意識のうちに新たな繋がりをもとめたからでしょう? 父を失った私がそうであったように。もう自分を許してあげてください。自分を責めないでください。誰もあなたが苦しむ姿を見たいとは思っていませんから」 アグリアスはそっとエルヴェシウスの肩に触れる。エルヴェシウスは顔を歪めアグリアスの目を見つめる。その瞳の奥にあるものを見出したアグリアスは、改めて彼の苦悩の深さを思い知らされた。 アグリアスはそっと微笑み、ゆっくりと語る。 「万物に永遠なく全てはやがて滅ぶ。何者もこれを避けることは出来ませんが、それでも、終わることを恐れては前へは進めません。楽しかった過去に拘っていては未来の楽しみを逃してしまう。過去は大事に胸にしまい、未来へ進んでこそ人は成長できるのです」 アグリアスは歌うように語る。子供に昔話を語るように。エルヴェシウスはじっと聞き入っていた。 「人の死は悲しい。親しい人ならなおさらです。けれど死んだ人に拘っていても死者のためにはなりません。残された人はその人の死を受け止め、意思を継ぎ、そしてその人のことを覚えて居ればいいのです。人の本当の死は、死んだときではありません。皆に忘れられたときに人は死ぬのです。誰かが覚えていれば、死者はその人の中で生き続けるのです」 そう。忘れなければ人は生き続ける。アグリアスの心に両親が生き続けている様に。父の誇りと母の愛が彼女の中に生き続けている様に。 「生きてください。お仲間の意思と共に。それが皆があなたに望んでいることですから」 すとん、と。 エルヴェシウスの手から刀が落ちる。 空を見上げた。 雨はいつの間にか止み、雲間から太陽が彼を照らす。 柔らかとは言いがたい、妙に強い日差し。 それが豪快に笑う無き仲間たちの姿を見るようで、エルヴェシウスは静かに泣いた。 なんと遠回りをしたことか。 さぞや歯がゆい思いをしたことだろう。 あの世でお前達に顔向けできぬところであった。 すまなかったな、皆。そしてアグリアス。 「儂の負けだ」 生きていこう。 お前達と共に。 「やはり行かれるのですか?」 雲ひとつ無い快晴のウォージリス港の桟橋。 故国オルダリーアへ帰るというエルヴェシウスの見送りに来たアグリアスは、どうしても抑えきれずに言った。 「我々と一緒に居ればいいじゃないですか」 拗ねた様なアグリアスの口ぶりに、エルヴェシウスとアグリアスと一緒に見送りに来たラムザは苦笑した。 「どうした、アグリアス。何時ぞやはあれほど立派な事を言うものだから、いつの間にか大人になったのだなぁと感動しておったのだが。あの時のお前は何処へ行ったのだ?」 「それとこれとは話が別です! 先生がいれば心強いのに」 「そうですよ、エルヴェシウスさん。せめてもうしばらく居てください。出来れば皆の風邪が治るまで」 「ぬう、痛いところを突くではないか」 アグリアスが信じたとおり、仲間に死人は一人も出なかった。巧みに急所を外されており、傷を治すのにそう手間は掛からなかった。 問題はあの日降り続いた雨であった。ぐしゃぐしゃになった地面の上に倒れて長時間雨に打たれた為に、全員が風邪を引いてしまったのだ。騒がしい面々もいまは宿で大人しくしている。 「おかげで予定より足止めです。こうなったらせめてエルヴェシウスさんに皆の分まで働いていただきたいのですが」 「そうです。そうです。大体なんでそんなに急ぐんですか?」 冗談めかして言うラムザにアグリアスも乗っかる。それに対して、 「お前の婿が儂に嫉妬していじめるからだ」 エルヴェシウスがくそ真面目な顔で言ったものだから二人は噴出してしまった。 「な、な、な、な、なにを言ってるんですか、先生!」 アグリアスは顔を真っ赤にして抗議する。ラムザも先ほどまでの元気も無く顔を赤くして俯く。 「まあそれは半分冗談だが」 何処までが冗談なんだとアグリアスは言おうとしたが、墓穴を掘りそうなので聞かずにおいた。 「オルダリーア行きの船が次に出るのは一月も後だ」 そう言ってエルヴェシウスはふっとやさしく微笑み、 「お前達には悪いが、一刻も早くあやつらの墓参りをしてやりたいのだ。これまでの分までな」 アグリアスはハッとした。エルヴェシウスは仲間を失って直ぐに国を離れ、以来故国の地を踏んでいない。そのこともまた仲間の死と向き合うことをできなくした要因であった。しかし今、エルヴェシウスは正面から向き合おうとしているのだ。 「そうですね。そうしてあげてください」 アグリアスは微笑み返した。少し淋しげに、それでもエルヴェシウスの新たな一歩を祝して。 「お前には世話になった。お前が居なければ儂は独り後悔の中に生き続け、あやつらに愛想を尽かされるところであった。礼を言う」 そう言って深々と頭を下げたエルヴェシウスに、 「家族の為に何かをするのは当然でしょう?」 「家族、か・・・・・・」 「ええ、出来の悪い弟です」 「はっはっは。生意気な娘だ」 エルヴェシウスは笑いながらアグリアスの頭に手を回し、脇で固める。 「痛い痛い痛い痛い! すみません、ごめんなさい!」 アグリアスは必死に抜け出そうとしたが、豪腕で固められ全く抜け出せない。そんな様子にラムザはおろおろと右往左往していると、 「ラムザ殿」 アグリアスを固めたままのエルヴェシウスに話しかけられる。 「初めは軟弱者かと思うたが、その実芯の通った男で安堵した。親父に良く似たいい男だ」 「父をご存知だったのですか?」 「剣を交えたのは数えるほどであったが、面白い御仁であった。奇策を弄さず堂々と、しかし巧みに攻め寄せ、略奪を許さず、開戦の前には必ず降伏勧告をするような男であった。騎士の鑑といえるな。一度、戦の最中『見事な腕だ』と褒められた事があってな。馬鹿にしているのかとも思ったが不思議と嫌な気持ちにはならなかったものよ」 「それではやはりあなたのことだったのですね。父が時折語っていた忽然と現れ忽然と消えた、オルダリーア軍屈指の部隊を率いた若き英雄とは」 「ほう、天騎士がそう言ったのか。それはあやつらに良い土産ができた、なっ」 エルヴェシウスはそう言って腕を放し、アグリアスを解放した。 「酷いじゃないですか、先生!」 「見ての通りのじゃじゃ馬だが、儂よりは良く出来た子だ。宜しく頼むぞ」 「はい!」 「うむ!末永くな!」 「はい!って、えええええええ!?」 「先生ぇ!」 「間に合ったようだな」 ウォージリス港を騒がす三人に落ち着いた声が掛けられる。渋柿色のローブを頭から纏ったオルランドゥであった。宿に残って皆の看病をしていたが一段落したのでやって来たのだった。 「オルランドゥ、わざわざ見送りに来ずとも」 「まあ、そう言うな。好敵手の船出だ。祝わせてくれ」 そう言って二人は顔を見合わせ、そして破顔した。 「いずれまた手合わせしようぞ」 「うむ」 二人は固い握手を交わし合う。過日の遺恨は無く、必要以上の言葉も無い。互いに称え合う剣人同士は、それだけ十分であった。 汽笛が大きく鳴る。船出が近いのだ。 エルヴェシウスはおもむろに刀を抜き、地面に突き立てた。 「アグリアス、剣を貸せ」 あっけに取られていたアグリアスは訳も分からぬままに慌てて鞘ぐるみ剣を渡した。 エルヴェシウスは戸惑う三人を他所に、しばし突き刺した刀を見つめる。 名刀ムラサメ。幾多の命を奪い、あるいは守ってきた、己が半生を共にした愛刀。 アグリアスの剣を大上段に構え、一つ息を吐き、そして深く吸い込んで、止める。 「鋭!」 裂帛の気合と共に振り下ろした剣は、鋭い金属音を立てて長く命を預けてきた彼の愛刀を半分に割った。柄側がゆっくりと落下し、転がった。 「見事」 オルランドゥは感嘆した。切断面は初めからそうであったかのように滑らかで、刀を割った剣も刃こぼれ一つしていない。 エルヴェシウスは剣を収めてアグリアスに返し、落ちた柄側を拾い上げる。 「盲目のままにさ迷い歩き、徒に敵を求め、失った仲間を省みもせず、自責に潰れてただ無為に生きてきた孤剣の生涯は、今終わった」 そうして朗らかに笑った。この青空に良く似合う、一片の曇りも無い、晴れやかな笑顔。 「心中晴れやか、ようやく眼前が開けた心地だ」 アグリアスも笑う。暗く辛い日々からようやく脱却し、新たな人生を踏み出したことを自分のことのように喜んで。そして、父と慕った男の門出を祝って。 汽笛を鳴らし、船は出る。 エルヴェシウスは船尾に立って、三人に見送られて行く。 「先生!」 アグリアスはゆっくりと動き出した船と併走しながら叫ぶ。 「また会えますよね!」 エルヴェシウスは笑って、手すりから身を乗り出して答える。 「ああ!」 そうして腹を叩き、 「腹の『虫』が告げておる! お前達と再び出会えるとな!」 その言葉にアグリアスも笑った。 「本当なんでしょうね!」 「もちろん! お前を連れてきたラムザ殿に『娘さんをください!』と迫られる未来が、はっきりと見えるわ!」 「そういうことを言うから信じられないって言ってるんですよ!」 「はっはっはっはっ!」 船は桟橋から離れ大海原へと走り出す。アグリアスは立ち止まり船を見送る。エルヴェシウスは最後に大声を張った。 「信じろ! 必ず会えると信じれば望みは叶う!」 船は遠く、もはや声は届かない。エルヴェシウスの姿も次第に見えなくなっていく。アグリアスはその姿が見えなくなるまで手を振り続けた。 「まったく、最後くらい決めてくださいよ。駄目な父親なんだから」 顔を綻ばせながらの誰にとも無い呟きは、アグリアスの心を温かくした。 そのとき、ふと、脳裏に見たことの無い景色が広がった。海沿いの美しい町、そこで共に騒ぎ笑い合う仲間達。そして自分とラムザを連れまわすエルヴェシウスの姿。 「また会えるんですね。お父さん」 アグリアスは海風に金髪をなびかせながら船を見送り、水平線の彼方に消えてもなお、しばらくその場に立ち尽くした。 エルヴェシウスは海風を全身に浴びながら離れ行くイヴァリースの地を眺めていた。かつては敵の本国であり、長らく放浪した地であり、そして親愛なる者達が住まう地。 名残惜しくないといえば嘘になる。 しかし迷いは無い。新たな一歩を踏み出すためにも過去は清算せねばならない。 もう逃げはしない。これ以上の醜態を晒すわけにはいかない。死んでいった仲間のために。父とまで慕ってくれたあの娘に恥じない自分になるために。 ふと。 ウォージリスの街の中に妙なものを見つけた。目を凝らしてじっと見て、 「はっはっはっは!」 大声で笑った。 遠のいていく建物の群れの一つが壁面を盛んに瞬かせている。 窓から白いシーツを振っているのだ。それも一つや二つではない。建物の窓の全てからである。覚えている。あれはアグリアスたちが泊まる宿だ。 自分と戦ったことによって風邪で寝込でしまった面々が、見送ってくれているのだ。 (儂を仲間と認めてくれるか) エルヴェシウスは笑いながら涙を流した。 自分は何と多くの仲間に恵まれたことか。それは何と幸せなことだろうか。 今度彼らに会うときには、仲間が眠る地へ連れて行こう。その地で生まれた仲間の一人がその美しさを自慢し、皆が羨み、いつかそこで共に騒ごうと誓った、海沿いの小さな町へ。連中は馬鹿騒ぎが好きだったから喜ぶだろう。 海は空を映したように穏やかで、船の航路は何処までも明るい。 青空をカモメの群れが軽やかに、楽しげに舞った。 〈了〉 ―――――――――――――――――― 上記の投稿文は今回、本スレではなく、他サイトより引用をさせていただきました http //fftonly.s53.xrea.com/ss/normal/anthologys.cgi?log= この場をかりて、報告をさせてもらいました
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「なぜだッ!なぜ除名なのだ!なぜ私を連れて行かないんだッ!」 ラムザの天幕の中から、アグリアスの大声が響いた。 「落ち着いて下さいアグリアスさん。理由は先ほど……」 ラムザはアグリアスを何とかなだめようとするが、 「納得できん!」 アグリアスは怒りに震えてラムザに食って掛かる。 「今さらオヴェリア様の元へ帰れなど、よく言えるものだッ! 私が、私がッ……なぜお前に付き従ってきたか分からんのかッ!!」 ラムザは、オーボンヌ修道院への最後の出撃の前に、部隊の主だった者を集めた。 そして、こう言ったのである。 「最後の戦いに出撃する者以外を除名する。帰る場所のある者は、帰って欲しい」 恐らく、最後の戦いからの生還は難しい。そんな戦いに、全員を巻き込むわけにはいかない。 そう考えた上での処分だった。 金で雇われていた傭兵はともかく、以前よりラムザと共に戦ってきた者には、この処分に納得の出来ない者が多かった。 ムスタディオからは殴られた。 「お前はオレの友達なんだぞ!オレはお前のために戦いたいんだ!」 だけど、君にはゴーグに父上がいる。帰る場所がある。君は帰るべきなんだ。 いつか、飛空挺を完成させると言っていた、君の夢を叶えて欲しいんだ。 ベイオウーフさんとレーゼさんも反対だった。 「俺たちは君がいたから、こうして今、一緒にいられるんだ。どうか、最後まで手伝わせてもらえないか」 ありがとう。その思いはとても嬉しいです。 でも、あなた達には、幸せになって欲しい。そして次の世代へ、思いを繋いで欲しいんです。 マラークとラファも。 君たちはこの世にたったふたりの兄妹だ。君たちを見てると、僕とアルマを見ているようだよ。 どうか、兄妹仲良く、生きていって欲しい。僕もアルマを必ず救い出すよ。 アグリアスさん。 あなたには、オヴェリア様がいます。どうか、オヴェリア様のところへ帰って下さい。 オヴェリア様も、あなたを待っているはずです。 アリシアとラヴィアンも一緒です。これまで、僕のわがままに付き合ってくれて、本当にありがとう。 シド様、メリアドール、労働八号。帰れない戦いです。僕に、その命を下さい。 この3人には、戦う理由がある。 シドは公式にはすでに死んでいる。帰る場所はこの世にないのだ。 メリアドールは、弟を殺し、ルカヴィとなった父を追い、戦わなくてはならない。 労働八号は、主人であるラムザの命令に忠実に従うのみ、である。 反対した者の中で、最も激しく抵抗したのが、アグリアスであった。 「オヴェリア様のことは、片時たりとも忘れたことはない!私の主は、オヴェリア様をおいて他にない! だが私はッ!……お前の剣となって、お前と共に、この戦いを戦いぬくことを誓った! この世界を救おうとする、お前の力となることを誓ったのだ!それが、オヴェリア様の御心にもかなう事だと信じて!!」 アグリアスは血を吐くように声を絞り出す。 「それを……それをッ!お前は……」 崩れ落ちるように膝を突き、うずくまった。 「……口惜しい……口惜しいッ!」 アグリアスの瞳からぼろぼろと涙が落ちる。 「お前にとって……私は……何だったのだッ……!」 体を震わせて、アグリアスが嗚咽する。 「……アグリアスさん」 ラムザが、激高するアグリアスをなだめようと、手を伸ばした。 「触るなァッ!!」 抜き打ちに斬られかねないアグリアスの怒気に、ラムザは思わずびくっと飛び下がった。 「アグリアスさん……僕は……」 「言うなッ……もう何も言うなァッ!!」 アグリアスは叫び声を残し、ラムザの天幕から飛び出していった。 ラムザは、後を追おうとしたが、その足は止まってしまった。 (このまま、アグリアスさんがいなくなってくれたほうがいいのかもしれない……) ラムザも、アグリアスの思いは痛いほど分かっていた。 自分のために、オヴェリアのために、彼女は剣を振るい続けた。 ラムザの戦いの意義を誰よりも理解しようとし、誰よりもラムザのそばで戦い続けた。 その先にある平和な世界。それこそが、オヴェリアの求めるものだと信じて。 そして今、その剣の主が、最後の、帰らぬ戦いに身を投じようとしているのだ。 彼女は自分の命を朝露ほどにも思わずに、ラムザに付き従い、戦うだろう。 それを、ラムザは拒否した。彼女にとって、それは自分の存在意義を否定されたに等しい。 自分がこれまで信じてきたもの、護ろうとしたものに、彼女は裏切られたのだ。 なぜ、ラムザはアグリアスを拒否したのか。それは―― 「追わないの?」 天幕の入り口に、メリアドールが腕組みして立っていた。 「追っても、拒絶されるだけだよ。それに彼女のためには、これでいいのかもしれない」 「そうかもしれないわね。でも、あなたはそれでいいの?」 「……」 「彼女に、想いを伝えなくていいの?」 「……いいんだ。もう……」 「そう。あなたはそれで後悔しないのね?彼女は、それでいいのかしら?」 「……」 「追いなさい。追って、彼女に気持ちを伝えて来なさい。あなたが、彼女にできる、最後のことよ。 ……あなたが帰ってくるまで、私達は待っていてあげるわ」 メリアドールはそう言うと、くるりと踵を返した。 (アグリアスさんのために、そう思ったんだ。僕は嫌われても、彼女には生きていて欲しいから) (僕の想い。それは……) (僕は、僕の気持ちに、嘘をついていないか?) さっきまで、アグリアスのいた場所に、ラムザは立った。 アグリアスの流した涙が、まだ乾かずに残っている。涙なんか見せたことのない彼女が、初めて見せた涙だ。 (アグリアスさん……僕は……!) そして、ラムザは意を決したように、アグリアスを追って走り出した。 雨が降り出した。雨粒はだんだん大きくなり、土砂降りの雨となった。 アグリアスは森の中を歩いていた。ここがどこかも分からない。どこへ行くあてもない。 晩秋の冷たい雨に打たれながら、重たい足を動かしているだけだった。 容赦なく雨はアグリアスの体に打ちつけ、その体温を奪う。 獣道は流れる雨でぬかるみ、一歩ごとに体力を奪ってゆく。 重い。 体が重い。 雨だけのせいではない。 (私は……どこへ行こうというのだ。行くあてなど、どこにもないのに) 心が重い。 鉛のようだ。 足を一歩踏み出すたびに、腰で鳴っている剣。 オヴェリアの護衛に任じられた時に、特別に拝領した剣。 その後も、幾多の戦いにおいてアグリアスと共にあり、アグリアスの体の一部のようになった剣。 その剣の名は「セイブ・ザ・クイーン」。 (剣の主に捨てられ、主君と仰いだ人を護ることさえ出来ない者の剣、か……滑稽なものだ) アグリアスは剣を抜いた。 ずしりと重い。あんなに、羽のように軽かったはずなのに―― (重い……!剣が……これほど重いなんて……) 思わず涙が出た。涙は顔を打つ雨に流されてゆく。 (剣に生きてきたつもりであった。それは間違いだったのだろうか) (剣を振るえない騎士など、騎士ではない……私は、騎士ですらなくなるのか……) (……捨ててしまおう。もう私には必要ない。剣を捨て、ただの女として……) 涙は冷たい雨と共に流れ、止まらない。アグリアスの手から、セイブ・ザ・クイーンが音を立てて落ちる。 そのまま、振り向くことなく、アグリアスは歩いていった。 もうどれだけ歩いただろうか。 疲れた。もう、歩きたくない―― 木の根元に、アグリアスは腰を下ろした。雨は変わらず激しく降り続く。 冷え切った体は、もう動くことを拒否しているようだった。 心の拠り所を失い、自分の存在の意味を失った。たまらなく寂しかった。 会いたい……。皆に会いたい。皆の笑顔があった、あの頃に帰りたい。 ラムザ……。 私のほうこそ、わがままだったな。困らせてしまったな。許してくれ……。 だが、私は……お前と共に行きたい。たとえ行く先が地獄であろうとも……。 私は……お前の剣となりたい。共に倒れられるのなら、本望だ……。 ラムザ……私は……お前と……。 ああ……眠い。 このまま……眠ってしまおう。 これがみんな……夢なら……どんなに……いいだろう……。 「……ん!」 声……? 「アグリアスさん!!」 ラムザ……か? 「しっかり!しっかりして下さい!アグリアスさん!!」 ああ……なんだラムザ……ずぶ濡れじゃないか……風邪を引くぞ……。 どうして……お前が私の剣を持っている……それは私の……大事なものだぞ……。 「アグリアスさんっ!しっかりっ!」 アグリアスの顔は血の気が引いて土気色となってしまっていた。体は人形のように力がない。 アグリアスの顔に触れて、 (冷たい!) ラムザは愕然とした。どれだけの間、この状態だったのだ。 (死なせない!絶対に死なせない!まだ、伝えてないことがあるんだ!) ラムザはアグリアスを抱え、山道を歩き始めた。 片手には、アグリアスの捨てたセイブ・ザ・クイーンが握られていた。 遠くで雨音が聞こえる……。私は……。 はっと目覚める。起き上がろうとして、頭が朦朧とした。 ここは……どこだ? 徐々に意識がはっきりしてくる。 どこかの宿だ。暖炉に火が入れられており、部屋は暖かい。窓の外はまだ雨だった。 暖炉の前に安楽椅子があり、そこでラムザが眠っていた。 「ラム……」 名前を呼ぼうとして、アグリアスは自分の姿に気付いた。 ローブを着せられていたのだが、アグリアスには小さすぎて、合わせから胸がほとんど出てしまっている。 慌ててシーツで体を隠した。 (わ、私は、いったいどうしたのだ……) 服はどこか、と目で探すと、暖炉の前で乾かしてあるようだった。 (そうだ。あの森だ。ラムザ……) 雨に濡れて、彷徨っていた。ラムザの声が聞こえたところまでは、おぼろげながら覚えている。そこから、記憶がない。 (私を追ってきたのか……。よく、私の居場所が分かったものだ) その後、ラムザは私を連れてこの宿に辿り着いて、私を介抱したのだろう。 (ま、まさか……ラムザが私の服を……?) そう考えて、アグリアスは赤面した。 部屋を見渡すと、ラムザの眠る安楽椅子のそばに、見慣れた剣が置いてあった。 (あれは……!) セイブ・ザ・クイーン――あの森で捨てた、私の剣だ。 (ラムザが拾ったのか……) 剣を見ると、少し安心する。おかしなものだ。私は剣を捨てたはずなのに―― ラムザが寝息をするたびに、安楽椅子がほんの少しだけ揺れる。 そのたびにラムザのくせっ毛も揺れる。 それが暖炉の火に照らされて、キラキラと輝いて見えていた。 アグリアスはそれを飽きもしないで眺めていた。 あんなに激高して、顔も見たくないと思って飛び出して来たのに、 ラムザの顔を見た途端に安心して、今は穏やかな感情しかない。不思議なものだ。 「ん……んーっ……」 ラムザが目を覚ました。そしてアグリアスと目が合う。 「気が付いたんですね!ああ、よかった……よかった、アグリアスさん」 ラムザはほうっと安堵の息を吐いて、アグリアスのそばへ歩み寄った。 「どこか痛いところはありませんか?気分が悪いとかは?」 「な、ないっ。ないから、心配するな」 アグリアスは胸を見られないようにシーツに包まって小さくなってしまう。 「よかった……本当に……」 ラムザの目が少しだけキラリと光った。しかしすぐにごしごしと手で拭いてしまう。 「死んでしまうかと思ったんですよ。もう……」 「……すまなかった」 「いいんです。本当に無事でよかった」 「ここはどこなんだ」 「ドーター近くの村です。村までそれほど離れてなかったのが幸いでした」 「私はどのくらい寝ていたのだ」 「半日です。もうすぐ夜ですよ」 「しかし、よく私の居場所が分かったな」 「運がよかったんです。森の猟師が、森へ入っていくアグリアスさんを見かけていたんです。 そうでなかったら、見つけられなかった」 「そ、それで、その、私をここまで連れてきたのか」 「はい。とにかく、早く雨の当たらない所へ連れて行こうと思って」 「そ、それで、わ、私を介抱したのは、お前か」 「いえ。宿のおかみさんにお願いしました。僕がするわけにはいかないでしょう」 「あ、当たり前だ」 アグリアスの服が乾いていたので、着替えのためラムザは一旦部屋から出た。 服を着た。いつもの騎士服だ。 しかし、騎士であることを捨てた自分の着る服ではないな、とアグリアスは思った。 振るう剣、騎士であること、それらはあの森で捨てたのだ。 もう、剣を下げることもないだろう。今度は、レーゼが着ていたような、ひらひらのスカートでも着てみようか。 ――自分のその姿を想像して、アグリアスはおかしくなって少し笑った。 「もういいですか」 ドアの向こうからラムザの声がする。 「ああ、もういいぞ」 ドアが開いて、ラムザが入ってくる。 「……すまなかったな」 「え?」 「陣では激高してしまって、恥ずかしいところを見せてしまった」 「いえ……」 「やはり、連れてはいけぬか」 アグリアスは微笑んで聞いた。その声に諦めの響きがある。 「はい……。すみません」 「謝ることはない。しかしなぜだ。私の剣では不足か」 「そんなことはないです!そんな理由じゃないんです」 「ではなぜだ。理由を聞かせてくれ。正直なところを聞かせて欲しい」 ラムザは、少し黙っていたが、意を決して言った。 「僕は……あなたに、生きていて欲しいんです。どんな形でも構わない。この世で生きていて欲しいんです」 伝えなくては。僕の想いを。 「今度の戦いは……生きては帰れないかもしれない。もう二度と、この世に帰ってこれないかもしれない。 ……そう考えると、怖い。怖いんです……!」 ラムザが声を上げる。声が震えていた。人外の者とも互角に、勇敢に戦う男が恐怖に震えている。 「できるなら、逃げ出したい。でも、それはできない。逃げたって、何も変わらないから。 奴らを止められるのは僕しかいない。アルマを救えるのも僕しかいないから」 アグリアスは、恐怖に震えるラムザを初めて見た。 「そんな時に、僕のそばに、あなたがいてくれたら……!どんなに心強いか、どんなに心安らぐか……! でも、あなたを連れて行けば、あなたも帰ってこれないかもしれない。それだけじゃない。 僕はあなたの死ぬ姿なんて見たくない。あなたがいなくなるなんて、考えたくない」 アグリアスが自分の目の前で死ぬなんて、考えるのもおぞましかった。 「だから……だから、あなたに生きていて欲しいんです。あなたがこの世に生きている。 そう思えたら、もしかしたら、帰ってこれるかもしれない。そんな気がするんです」 ラムザはうつむいて震えていた。 「ふふ……可笑しいですよね。考えると、怖くて、震えが止まらないんです。 これから、その戦いに向かうっていうのに……情けないですよね」 「ラムザ……」 「できたら、あなたとずっと一緒にいたかった。あなたと一緒に過ごした日々は、とても楽しかった。 僕も別れたくないんです。でも、そうしなきゃ……いけないんです。 僕は……あなたが好きだから。大好きな人を、失いたくないから……!」 アグリアスは、ラムザがなぜ自分を除名しようとしたか、やっと理解した。 アグリアスを生かすため。好きになった人に、生きていて欲しいと願ったため。 オヴェリアのことなどは二の次だったのだ。 ああ――ラムザ、お前は私と同じことを思っていたのだな。 アグリアスは、ラムザの震える肩に手を置いた。 「分かった。お前の想いはよく分かった。私は……残る。この世で、私は生きよう」 「ごめんなさい……僕の、最後のわがままです」 「謝るな。最後だなんて言うな」 肩に置いた手に、ぐっと力がこもる。 「帰ってくるんだ、必ず。帰ってきたら、もっとわがままを聞いてやる」 ラムザが顔を上げた。アグリアスが微笑む。 「私は、お前の剣となって、いつまでも共にありたいと、そう願った。お前に、捨てられたくなかったのだ。 ……剣も捨てようと思った。オヴェリア様も、お前も護れぬ剣などは捨てようと。 だが、これからは、生きるために剣を振るおう。私が、お前の帰る場所となろう」 「ありがとう……アグリアスさん、ありがとう……!」 ラムザは、肩に置かれたアグリアスの手に、自分の手を重ね、その手を強く握った。声が震えていた。 「なぜ、本当のことを言ってくれなかった。なぜ、そうだと言ってくれなかったんだ。 ……でも、やっと、本当のことを言ってくれた。嬉しい……」 アグリアスが、ラムザの手を握り返す。 「私も……好きだよ。ラムザ」 「アグリアスさん……!」 ラムザは、アグリアスを力強く抱きしめた。 「帰ってきます。約束はできないけれど……帰ってきます。あなたのところへ」 「ああ、待っている。……いつまでも」 これで、想いはすべて伝えた。もう、心残りはない。ラムザの表情は、とても安らかなものだった。 人は、今日が最後の日だとしても、、明日を信じ、希望を求めるもの。 私が、ラムザの希望となるならば、その希望を頼りに、ラムザが帰ってくるならば、 私は、ラムザのために生きよう。そうアグリアスは思った。 もう外は日が沈み、暗くなっていた。 このまま、ふたりはこの宿に泊まることにした。 暖炉の前の長椅子に、ふたりは寄り添って腰掛けていた。 ラムザはアグリアスの肩を抱いて、アグリアスはラムザの肩に甘えるようにして。 もう、こんな時間は、二度とないかもしれない。だから、お互いがそこにいることをもっと感じていたい。 誰にも遠慮はいらない。ふたりだけの大事な時間なのだ。 どちらから言うともなく、ふたりは同じベッドに入った。 素肌を合わせて、互いのぬくもりを確かめ合った。口づけを交わし、互いを求め合った。 ラムザ――お前が、この世に生きていた証を、私に刻み込んで欲しい。 ああ、ラムザ……愛してる……アイシテル……。 アグリアスの瞳から、涙がひとすじ、流れて落ちた。 はっとアグリアスが目を覚ますと、窓から朝の光が差し込んできていた。 ベッドにも、部屋にも、ラムザの姿はもうなかった。 (ラムザ……!) 部屋のテーブルの上に、手紙と、セイブ・ザ・クイーンが置かれていた。 「行って来ます。愛するアグリアスへ。ラムザ」 手紙にはこう書かれているだけだった。 いつか、ラムザが言っていたのを、アグリアスは思い出していた。 (別れは……苦手なんです) 「馬鹿……馬鹿っ……」 (ラムザの馬鹿……私の馬鹿っ……!) もう泣くまいと決めていた。けれども、涙が溢れて止まらない。 私は、ラムザの帰る場所となる。そう決めた。だから、もう泣かないと決めたのだ。必ず、また会えるから―― それでも、溢れる涙を抑えることはできない。落ちた涙で、手紙のインクが滲んだ。 ひとしきり泣いて、それからアグリアスは宿を出た。腰にはいつものように、セイブ・ザ・クイーンがあった。 空は昨日の雨が嘘のように、晴れ晴れとした青空だった。 これから、どこへ行こう。 オヴェリアのいるルザリアへ行くことも考えた。 (しかし、異端者の烙印を押された自分が、果たしてオヴェリア様にお会いすることができるのだろうか) そう思い、少し考えて、ゴーグへ行くことに決めた。 ゴーグにはムスタディオがいるはずだ。何らかの情報を持っているだろう。 そこで、私がどこへ向かえば良いか、考えてみよう―― アグリアスは、街道を南へ、ゴーグへ向かって歩き出した。 陣はすでに引き払われ、雨上がりの草原の岩の上に、メリアドール達は座っていた。 草原を、ゆっくりと風が渡ってゆく。 「……ちゃんと伝えて来たの?」 そこに現れたラムザに、メリアドールは聞いた。 「ああ。もう、何も思い残すことはない」 「そう。よかったわ」 シドが立ち上がる。労働八号が起動を開始する。 「……行こう!」 ラムザはマントを翻して、決戦の地、オーボンヌ修道院へ向かって歩き出した。 その後、オーボンヌ修道院は、謎の大爆発を起こし、跡形もなく吹き飛んでしまった。 そこからは神殿騎士の遺体が数体発見されたが、他には何も見つからなかったという。 ラムザは、帰ってきたのだろうか。ふたりは再会できたのだろうか。 答えは、草原を渡る風だけが知っている。 END
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SS投下してみる。ただ、頭がいっぱいでちゃんと文章になってるか不安です。 誤字脱字があった場合は…大目に見て下さいorz 「えー、ではこれから豆まきをします。まず諸注意を― 豆を撒き終わったら終了 撒かれた豆は全員が撒き終わるまで拾わない 豆以外の物は投げない 魔法は使わない 鬼は常時ドンアク状態 ―以上です。では気をつけて今年の福を呼びましょう!」 ラムザの説明が終わり、各々豆まきをする準備を始める。 鬼役であるアグリアスも 「アグリアスさん、去年と同じことを繰り返さないように、出来るだけ当たってください」 「わかった」 「福は内~♪福は内~♪」 各々、室内に豆を撒く。 『グォー!!!』 そこに最近手に入れたハンヤペルソナを付けたアグリアスが登場した。 「わッ!アグリアス様、怖ッ!!」 「あれってこの間、俺が手に入れた財宝じゃん。大丈夫か?」 「壊さなければ良いんです」 「きっと異国に伝わるナマハゲね!」 「ふむ。今年の鬼はなかなか迫力があるのぅ」 「確かに。でも、怒ったレーゼに比べれば―」 「ベイオ、何か言った?」 「怒った君も素敵だよ」 (くぅぅ…ラムザたっての願いがなければ誰がこのような道化など!) 言われたい放題のアグリアスだが、ラムザたってのお願いなので我慢する。 だが、我慢できない言葉もある。 「いつものアグ姉じゃん、ウハハハ!!」 『ムスタディオー!!!!』 「アグリアスさん、落ち着いて!」 ムスタディオに殴りかかろうとするアグリアスを必死になだめるラムザ。 「ルールを破るのか?騎士なのにぃ?」 (クッ!いい気になりおって!) アグリアスがルールを破る訳もない事を知っているムスタディオは、ここぞとばかりにアグリアスを挑発する。 普段もあまり丁寧な言葉使いではないが、さらに酷くなってまるで野党のようだ。 「そうそう、ルールには従わないとなぁ?そ~れ、鬼は――ヒィッ!!!!」 ムスタディオが豆を投げようとした瞬間、広間に張りつめた殺気。 ――投げたら殺される! そう感じ取ったメンバーは投げる事もヤジを飛ばす事も出来なくなった。 このままでは豆まきが進まないと判断したラムザが活路を開く。 「アグリアスさん、これは豆まき!タダのイベントなんですから落ち着いて」 『私は十分に冷静ダゾ?』 「じ、じゃ、アグリアスさん行きますよ?鬼は外ー!」 ラムザがアグリアスに豆を投げる。続いて― 「すみません!鬼は外ー!」 「ぉ、鬼は~外~」 「ごめんなさい!鬼は外!!」 謝りながら豆を投げるという不思議な光景になった。 始めはおっかなびっくり豆を投げていたメンバーだが、様々な状況に対応してきたためかこの雰囲気にも時期に慣れ―― 「鬼は外~♪」 「鬼は外ですよ~。外に行け~!」 「そうだ出てけー!」 『グ、グォ~』 (こいつら…!!) 「ホレホレ、鈍足鬼~♪当たるように動いてるのかぁ?」 持ち豆がおわったら腰からロマンダ銃を取り出し、単発だが的確にアグリアスの頭に豆をぶつけていく。 それに耐えるアグリアス。しかし、限度はあるもの― 『き、貴様―!!!いい加減にしろぉー!!』 床に拳を叩きつけるアグリアス。いや、あの姿勢、あの力の入れ具合あれは――地烈斬!!! ムスタディオに向かって地烈斬が走る! 「ぐわー!!!」 思わず吹っ飛ぶムスタディオ。 「アグリアスさん、攻撃は禁止ですよ」 「攻撃してきたのは向こうの方だ!!!」 こうなってはもはやラムザの制止も利かない。 「やばっ!このままじゃ!!!」 ティアマットから逃げるカエルのようにムスタディオが逃げ出す。 「待てぇー!!!」 心体ともに赤鬼となったアグリアスはムスタディオに攻撃を加える為追撃を始めた。 「渦巻く怒りが熱くする! これが咆哮の臨界! 波動撃!」 「ちょま…グワー!!!」 オニは人間の悪しき心が生むと云われる。 追う赤鬼と逃げる青鬼。 調子に乗るのも程々に―――― 「ちょ、ヤメ!アグ姉!!本当に死ぬ!!!」 「安心しろ死んでも生き返らせてやる!!また殺すがなッ!!」 「ギャー!!!」 「あー、これは不味いね。大丈夫かな?」 「さぁ?でも、ムスタディオの責任もあるし」 「まぁ、いつもの事か」 仲間の冷たい声を耳にしながらフェニックスの尾を用意するラムザ。 今後、アグリアスは鬼役しないようにしよう。そう心に決めるラムザだった。 あ、フェニックスの尾ないや オワリ
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アグリアスが今まさに牙を突き立てようとした刹那――― 後頭部にガラス瓶のようなものが直撃した。 それは衝撃で粉砕し、中身がアグリアスの全身にぶちまけられた。 「あ゛あ゛……!!?」 至福の瞬間を滅茶苦茶にされ、怒りが瞬間的に頂点に達した アグリアスは後ろを見やる。 見れば、 「やったー命中命中!」 などと声を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねているルナと、 明らかに今しがた、ガラス瓶のようなものをアグリアスに向けて投げつけたと 思われるオルランドゥが、投擲ポーズを保ったままそこに居た。 怒り心頭のアグリアスは、メリアドールから奪った剣を片手に 二人にずかずかと歩み寄り、 「貴様ら生きてここから帰れると…お、もう…な……よ……?」 と言い残し、二人に剣が届く前にぱたりと倒れた。 アグリアスの全身からもくもくと黒い煙のようなものが立ち上り、 それと同時に、アグリアスの病的に白かった肌は少しずつ人間のそれに 戻っていった。 動かなくなったアグリアスの体をくつのつま先でツンツンと小突き、 安全を確認したルナは簡単な触診をする。 脈拍、呼吸、共に正常。肌はまだ白く、体温も低いがこれらも回復しつつある。 彼女は吸血鬼から人間へと生還を果たしたのだ。 「やれやれ…危機一髪だったな」 慣れない投擲で腰を少々痛めたオルランドゥは、腰の痛みをほぐしながら ぽかんとした顔で座り込んでいるラムザに声を掛けた。 「あの…アグリアスさんは元に戻れたんですか…?」 「ああ。ルナ君が治療方法を見つけたのでな。 急いで帰ってくればこの有様だ。参ったよ」 周囲を見渡せば、死屍累々といったふぜいの気絶者の群れ。 百戦錬磨のオルランドゥが参ってしまうのも分かる気がするし、 自分も実際もう駄目だと思った。 「吸血鬼化は想定の範囲内でしたが、 ここまで怪物じみた力を身につけるとは予想外でしたね。 鉄鎖による拘束も意味がありませんでした。 失敗失敗。私のおばかさん」 こつんと自ら頭を叩くルナをオルランドゥと二人、無言で見つめた後、 ラムザはルナに事の真相を尋ねた。 「あのガラスの瓶のようなものは何だったんですか? 中に液体みたいなものが入っていましたが… どうして遠くから投げつける必要が?」 「順を追って説明しますと、まず液体の容器は ガラス瓶ではありません。メスフラスコという試薬調製に 使う実験器具です。手で掴める棒状の部分が長いので、 投擲に適していると判断し、採択しました。 中身の液体を保持したまま投げられるのなら、 それこそガラス瓶でも酒瓶でも何でもいいのですが、 あまりガラスの厚い容器だと、頭に激突した瞬間、アグリアスさんの 頭蓋骨の方がカチ割れる危険が大きかったので」 「その実験器具…メスフラスコといったか? いかにもガラスが薄そうで、割れやすそうだったよ」 「なるほど。投げやすく、割れやすいガラス器具を 使ったのですか…。遠くからメスフラスコを投げつけた理由は?」 「近寄るのは危険と私が判断したからです。 吸血鬼が、吸血以外にも何らかの攻撃手段を持っていないとも限らない。 加えてあの異常な身体能力。正攻法は愚の骨頂です。 オルランドゥさんがいかにお強いといっても、年が年ですしね」 ぴく、とオルランドゥの顔が引きつるのを見て取り、ラムザはいたたまれない気持ちになった。 「本人に気づかれないように、後ろからそっと投げつけるのがベストだと判断しました」 「正しかったと思います。吸血鬼になったアグリアスさんの力は異常でした。 本来ならば僕達全員が皆殺しになってもおかしくなかったほどです」 ん、んんっ!オルランドゥの声にならない心の叫びが、咳払いとしてこだました。 「…オルランドゥさんならば対等に戦えたと思いますよ。多分…」 とってつけたようなラムザのフォローは、より一層孤高の剣聖の心をむなしくした。 「で、メスフラスコの中身は? ものすごい効能を備えた、秘伝の薬だったりするわけですか?」 「いえ。ただの聖水です。どこにでも売っている、一本2000ギルの」 「はあ…?」 「血を吸われた人間が同様に吸血鬼になり、吸血を繰り返すことで 仲間を増やしていく。医学会でも魔術学界でも報告されたことの無い、 未知の症例です。それだけ吸血鬼と呼ばれる存在の絶対数が少ないのでしょう。 あらゆる種類の魔術書と古文書をひっくりかえし、 似たような症例と治療方法を数人がかりで調べ続けました。 しかし見つけられませんでした。手詰まりになった私は、 それまで考えまい、考えまいとしていた最悪の場合を 考慮せざるを得なくなりました。 悪魔憑きの治療にとっての基本中の基本、無学なガキでも 知っている、伝統的で最もメジャーな手段…。 神の祝福を受け、心霊的に清められた水、聖水による 悪魔祓いです。それも、聖水を頭からただぶっかけるだけという そこらのおじさんおばさんでもできるような原始的治療方法です。 他に類を見ない、ユニーク極まりない吸血鬼化という 疾病の治療方法が、そんな下らない聖水治療などで あるわけがない。いや、あってはならない!と頑なに治療上の有効性を否定していたのですが、 私の元々の知識と大図書館で新たに得た情報から組み立てた、 聖水による治療も含めた、効果が“ありそうな”治療法約50種類を アグリアスさんの診察結果と照らし合わせて消去法で削っていくと、 最後に残るのが聖水治療による一択という悲しい結果にたどり着きました。 現実って無情ですよね」 ふぅとため息をつき、一人たそがれるルナに、二人は完全においてけぼり にされていた。若く、新鮮な脳みそをもつラムザはともかくとして、 オルランドゥに至っては数学の教科書を手渡された原始人のような顔をしている。 「まあそんなこんなで泣く泣く聖水治療に目星をつけた私は、 街の道具屋さんで聖水を購入し、オルランドゥさんの協力の元、 強引に隊長の唇を奪い、吸血鬼よりも劣等な淫魔に成り下がった アグリアスさんをめでたく治療することができたのでした」 ルナって…いつか口の悪さが禍して誰かに刺されるんじゃないか? そんなことを漠然と思いつつ、はしゃいだ様子のルナを二人はただ 黙って見守るしかない。この常軌を逸した、狂気の天才少女を。 「吸血による感染だけでも驚きなのに、その上身体能力の増強? 単純な呪術的疾患って仮説は誤りだった?だってそうよね。 物理的影響が肉体に表れているんだから…。 代謝経路の加速化?筋肉と骨格の再構築?転生の一種って線も…。 レーゼさんから聞いた、怪我を瞬間的に回復させるってのは どういう理屈?代謝が超加速しているとしか考えられないけど、 そもそもそんなこと、外界からの栄養が継続して投与されなければ 成り立たないし…もしかして…新しいエネルギー獲得メカニズムの 発現が原因?より低コストでよりハイなパフォーマンスを生み出す エネルギー機関が吸血鬼には備わっている? ああ~~っ!!聖水で人間に戻しちゃう前に腕の一本でも サンプルとして採取しておくべきだったわ!オルランドゥさんに頼んで! 人間に戻っちゃったら後の祭りじゃない!!」 ぶつぶつと訳の分からないことを呟き続けるルナをよそに、 ラムザとオルランドゥはアグリアス、そしてアグリアスによって生み出された 怪我人の介抱に向かった。 幸いにして、死人は0、重傷者もおらず、誰もが一晩二晩寝ていれば すっかり良くなるような軽傷者がほとんどだった。 吸血鬼になってもアグリアスはアグリアスだった。意識の根底では 仲間を気遣い、怪我も必要最低限に留めてくれたらしい。 散々アグリアスに痛めつけられたレーゼも元々が丈夫なため、 足首の捻挫以外は軽度の打撲が少々というから恐ろしい。 だが…本当の問題は目の前に横たわる怪我人たちではない。 真に頭が痛い問題は、すやすやと眠っているアグリアスの心に関するものだ。 思い出してみよう!アグリアスがたった一晩で生み出した、数々の致命的落ち度を…。 メリアドール、レーゼといった彼女の友人を始め、隊員のほぼ全員を 殴り倒してしまった。 力を込めすぎたせいで、メリアドールの宝物の騎士剣は刃がボロボロに。 (この時ラムザが所持していた貴重な騎士剣も同時に破壊された) 今まで隠していた、ラムザへの恋愛感情を自分から隊員のほぼ 全員に暴露した。 ラムザ本人に対し、聞いてるこちらが恥ずかしくなるような愛の告白を延々と…。 ラムザと強引にキスをする。 己の欲望のままにラムザを吸血鬼化させようとした。 全隊員(ルナは除く)から尊敬されている、雷神シドを貴様呼ばわり。 やられ方は、背後からルナ(15歳)の指示で聖水入りメスフラスコを 後頭部にぶつけられての気絶。 ……。 …………。 ………………。 酷い。酷すぎる。 ――もしも仮にラムザがアグリアスの立場だとして、事件後これら全てを鮮明に 覚えていたとして……果たしてその時自分は何を思うだろうか。 死にたい…というよりも、自分がこの世に生を受けたことを 神に取り消してもらいたくなるだろう。 ラムザなんて人間は、始めからこの世界には存在しなかったことにしてもらいたい。 ましてやあの気位の高いアグリアスが、全てを覚えていたとしたら… どうなってしまうのかは想像に難くない。 自殺…精神崩壊…廃人化…剣士引退…除隊…発狂… うつ病…引きこもり…ルナへの安楽死の相談…。 そのどれもが普通に有り得ることだった。 もちろん何もかもを忘れているという可能性も捨てきれないが、 それではただの神頼み。全てを覚えていて破滅に向かう可能性の方が 圧倒的に大きい。 ラムザは悩みぬいた末、最後の手段をとることを決断した。 震える足で向かう。銀髪の悪魔の根城へ…ルナ診察所へ。 「アグリアスさんの記憶を消してあげたい?本気ですか?」 「はい…。ルナならば可能だと思い…お願いに来たんです」 「そんなとんでもないことをしでかしたんですか彼女は? キスだけに止まらず、隊長を逆強姦でもしたんですか?」 「………」 ラムザはただうつむいてため息を漏らす。 これが本当に15歳の少女の発言だろうか? 今回の事件の鮮やかな解決といい、医者としての手腕は ずば抜けていることは確かではあるが…噂以上にこのルナは 人間として壊れているらしい。 「そんなことはやっていません。 …まあ…彼女はあの夜に色々な意味で“やってしまった”感が あるので…。アグリアスさんの性格から考えて、もしもあれらを 覚えていたら迷わず死を選ぶでしょう。そうでなくても、 心に大きな傷を残すことは確実です」 「具体的にどんなことをしでかしたのか教えてもらわないことには 記憶を消す・消さないの決定は下せませんねぇ。素人判断が一番危険です。 アグリアスさんは実際何をどうしたんですか?詳しく教えてくださいよ」 口調は真面目を装っているが、ルナの目は完全に笑っている。 それがルナの娯楽のためだと知りつつも、ラムザは言われたとおりに 詳細を伝えるしかなかった。 床をバンバンと叩きながらひとしきり爆笑したあと、ルナは 目じりの涙をぬぐってようやく平静に戻った。 「いや~久しぶりに笑わせてもらいましたよ。 確かにそれは死にたくもなるでしょう。私が彼女の立場だったら そんな自分の痴態を目撃した人間達全員を神経ガスか何かで まとめて葬った後、安楽死するに違いないと思います」 「………」 「隊長の、アグリアスさんの昨晩の記憶をそっくり消すという配慮も 分からないではありません。 しかし…世界の運命を背負ったラムザ隊の隊長が直々に 記録の改ざんと、個人隊員の意思を無視した裏取引の依頼ですか。 医療業界も政治界も宗教界隈もラムザ隊も、どこもやってることは かわりませんね」 あどけない笑顔で毒を吐くルナに、ラムザは返す言葉も無い。 「いいですよ。記憶の後始末は薬物療法とルナ式スペシャル催眠療法で どうにでもできます。明日には吸血鬼になったことなどすっかり忘れて 普段どおりに振舞うアグリアスさんに会えますよ」 「そ、そうですか…!良かったぁ…」 「無論ただでは請け負いませんけどね!」 「ええっ!?」 「今回の事件…責任の所在は、大本をたどれば 全ての采配を振るっていた隊長、あなたにあると考えるのが常識的です。 末端の者が引き起こした事件の責任をとって、上の人間が首を差し出すことで 事態を丸く収める。政治界・法人の世界ではざらにある話でしょう? 加えて、本人の意思を確認しないで勝手に記憶をいじくろうという 違法的医療行為の依頼。その隠蔽工作の口止め料も含めて… そうですね、私にあてがわれる研究助成金額の15%アップで手を打ちましょう」 「じゅ、15%…!?それはいくらなんでもぼったくりすぎですよ!」 「嫌なら別にいいんですよ?この話はここまでということで。 あのお高く留まったアグリアスさんがこれから辿っていくであろう、 転落人生の一部始終を観察できるというのも、私にとっては 十分魅力的な話ですから」 「せ、せめて11…いや12%にしてくれませんか?ただでさえ予算は火の車…」 「本日はルナ診察所にお越しくださいましてありがとうございました。 またのご利用を心よりお待ち申し上げております」 ルナはぺこりと頭を下げ、ラムザとの会話を強引に打ち切ろうとする。 「うう…15%で手を打ちますよ!この悪魔!」 「交渉成立ですね♪」 アグリアスは吸血鬼騒動の夜から眠り続け、 目を覚まして自殺に至る前に、ルナによる記憶の改ざん手術を施され、 何事もなかったように普段通りの様子に戻っていた。 「患者というのはとかく怖がりなんですよね。 採血でさえも怯えて渋る。珍しい病原体に侵された 臓器の細胞サンプルや生体データの提供、 新薬の臨床実験台などにはまず応じてくれない。 医者の側からしたら困り者です。適当に患者の記憶を操作しないと とてもじゃありませんがやりくりできません」 記憶操作法の熟知の理由についてラムザが質問したところ、 返ってきたルナの答えがそれだった。 ルナが記憶を操作する術を会得する必要があった理由、 そしてその記憶改ざん術の使い道を聞いて、 ラムザは聞かなければ良かったと後悔した。 アグリアスがある夏の夜に吸血鬼と化し、やりたい放題をやった挙句、 一人で隊を壊滅寸前まで追い込んだ 未曾有の大事件については、隠蔽に隠蔽が重ねられ、闇へと葬られた。 当然ラムザはメリアドールやレーゼ、オルランドゥ他大勢に 幾度となく頭を下げ、何とか事件をなかったことにしてもらえるよう 頼みまわった。アグリアス本人に吸血鬼事件を思い出させるような言動は 最大レベルの禁忌・タブーとして、厳禁とされた。 アグリアスがラムザを慕っているという事実は公然の秘密になって しまったわけだが、それについてもアグリアスを刺激するような ちょっかい・話題は禁止にされた。 吸血鬼事件はアグリアス以外の誰もが知る、一晩限りの悪夢として扱われ、 機密レベル4の極秘事項として処理された。 (機密レベルは1から5まで設定されており、最終レベル5の機密事項は 聖石の隠し場所や隊の幹部クラスしか知らないその使い方、 出すところに出せば世の中を大混乱に陥れることの出来る ゲルモニーク聖典の内容などについてである) 吸血鬼事件の隠蔽工作に奔走していた忙しい時も ようやくひと段落つき、ラムザは自室で一息ついていた。 アグリアスにはザルバックによる吸血から、手足を拘束して ルナの帰還を待っていた時までの記憶は残っているが、 吸血鬼として暴れまわった夜の記憶だけは存在しない。 ルナの改ざん手術によってその夜の記憶が消去されているからだ。 その空白の時間は、アグリアスの意識が混濁し、とても何かを 記憶したりしゃべったりできる状態ではなかったから、記憶が欠落しているのは 当然、というシナリオで演技するように、隊の皆にあらかじめ言い含めておいた。 その日の夜にルナ達が帰ってきて治療を施し、 アグリアスが次に目を覚ましたときにはすっかり体調は回復していた、 ということを本人に伝えた。少し嘘は混じっているが、大筋は 真実と大差ない。 忙しさが過ぎ去ると心に余裕ができ、気持ちを整理することができるようになる。 あの夜…吸血鬼になったアグリアスから明かされた、彼女の本当の気持ち。 吸血鬼になったから突然生まれ出でた偽りの感情、などではないと思う。 胸の内で燃え上がる、情熱の思い…その熱さを思わせるような 紅い瞳に宿った感情は、あまりにまっすぐで、純粋なものだった。 彼女と交わした、ほんの一瞬の淡い口付け。 あの思考が融解するような感覚と彼女の言葉が頭に焼きついて離れなかった。 騎士の鏡ともいえるような彼女が胸の中で暖め続けた、自分に対する恋慕の情。 まるで気がつかなかった。と、いうよりも、彼女が人並みに恋をするとは そもそも思っていなかったのだが…。 彼女の存在、声、言葉…その全てを思考の中で反芻する。 ラムザもアグリアスを剣士として、人間として尊敬していた。 ただし、女性として愛しいと思ったことはなかった。 他の人間を寄せ付けない、清楚で高貴なアグリアスの印象が、 彼女をどこか神聖にして不可侵の存在に思わせ、恋の対象から除外させていた。 あの夜に見せた、彼女の無邪気で朗らかな笑顔。 彼女は、不可侵の聖人などではなかった。 自分の気持ちを伝えるのに不器用な、一人の女性でしかなかったのだ。 そんなアグリアスの無垢な笑顔を…もう一度見てみたいと思った。 アグリアスは独り、川辺で白痴のように呆然と水の流れを眺めていた。 空には白い入道雲が立ち並び、美しい夏の空が広がっている。 アグリアスは釈然としない思いに困惑していた。 何かがおかしい。結果的には元の状態に戻って良かったのだが、 その後が変だ。なぜか皆自分に対してよそよそしい。 妙に笑顔をつくろっているように思えるし、まるで腫れ物扱いされている気分だ。 メリアドールはなぜかキレているし、レーゼも妙に不機嫌だ。 私はあの夜の記憶がない。確かに意識は朦朧としていたし、 それが原因で何も覚えていなくとも不思議はないが、 それでも言葉にならない違和感を感じる。何かがかみ合わない。 記憶を失っている間、私は何かを言ったりやったりしていたのではないだろうか? 何も覚えていない割りに、正体不明の爽快感が残っているのだ。 普段我慢していた気持ちや鬱憤を爆発させたような、そんな謎の清々しさが…。 ルナにこの違和感の正体を尋ねてみたが、何も教えてくれなかった。 「気にしないほうがいいですよ。というか気にしないで下さい。 世の中、知らないほうがいいこともたくさんあるんですから」 そんなことを言って、ルナは医学書や実験器具、魔法の儀式用の 道具の買い物リストを楽しげに作成していた。 何でも、ラムザからの臨時ボーナスのようなものが支給されたらしい。 好きなことを好きなだけやって、それで金がもらえるのだから羨ましい身分だ。 「(嗚呼…こんな時にラムザが支えてくれたりすればなあ…)」 自分から彼に声をかけることもできないくせに、そんな都合の良い夢だけは 抱いてしまう。自分の隣にラムザがいて…ふたりでなんでもない会話をする。 それが叶ったらどんなに幸せなことか…。 夏の強い日差しは、有害な紫外線をもたっぷりと含んで、 独り身のアグリアスを容赦なくじりじりと照りつける。 「(ああ~すっきりしない。何もすることがない。恋人もいない。 何なんだこの負け組みのような気持ちは…)」 「こんなところにいらしたんですか。アグリアスさん」 突然の声に振り返ると、ラムザがそこに立っていた。 「ら、ラムザ…?な、何でこんなところに…」 「少し、お話でもいかがかな、と思いまして」 「話…?話って…何の話だ? 今後の進軍予定の確認か何かか…?」 「あはは。違いますよ。単にお話したいと思ったんですよ。 アグリアスさんとね」 「なっ…!?」 アグリアスは顔を真っ赤に染め、傍から見ても明らかに慌てふためいている。 「隣、座っても構いませんか?」 顔から火がでるような思いで、アグリアスは懸命に 「ど、どうぞ……」 と、か細い声で答えた。 赤い顔でうつむいたまま、ラムザの一方的な話に 「ああ」とか「うん」とか「そうか」といった 相づちをポツリポツリと返すだけで精一杯だった。 そんな時間が1時間ほど続き、さしものラムザも会話のネタが 尽きて、しばらく沈黙が続いた。アグリアスが相づちしか打たないので、 どうにも会話の継続に困るのだ。 「…すまない…」 悲しそうな顔で、アグリアスは呟いた。 「私は…こういう時……何を話せばいいのか分からないんだ。 …つまらない…だろう…?」 消え入りそうな彼女の声に、ラムザは微笑んだ。 「アグリアスさんはどうですか?こういうとりとめもない お話はお嫌いですか?」 「…き、嫌いじゃない」 「僕も嫌いじゃありませんよ。こういうなんて事の無い話」 「…そうか。なら良かった…」 二人の頬を夏の暑い風がなでる。草木は揺れ、同じ青い空の下で、二人は同じ風を感じていた。 「またこんなくだらない話…付き合ってもらってもいいですか?」 「お、お前が話したいんだったら仕方が無いな。付き合って…やってもいいぞ」 あまりお目にかかれない、はにかんだようなアグリアスの笑顔を見ることが出来た。 fin
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お漏らしがどうとか、タイムリーにもこんなSS書いてしまった…支援レス入れてもらえると有難いかもデス 「あ、あああ……よく、寝た」 アグリアスの一日は、盛大な欠伸とともに始まる。 ただし、周りに確実に誰もいない時に限る。誰かがいるときには、彼女は決して そのような緊張感の無い表情を見せない。 名門貴族出身の淑女というプライドが、そんな態度を他人に見せることを許さない のである。 もっとも、それをくだらない見栄だと指摘されると、沸騰した湯沸かし器のごとく 逆上するのが彼女の性格であるが。 「ううん、久々にぐっすり眠れた。ここ数日行軍続きだったからな……」 アグリアスはひとりごちた。 何日かぶりの投宿。この日の朝は彼女に仕事は割り振られていなかったので、 疲れを癒すべくいささか遅くまで寝ていたというわけだ。 同室のラヴィアンやアリシアは、とっくに起き出して仕事――荷物積みだの装備の 整理だの――に向かっている。 「んん。まだちょっとボーっとしてるな……ゆうべの酒が残っているのか」 彼女は頭をブンブンと振った。 久々にゆっくり寝られるとあって緊張感が緩んだか、普段あまり酒を口にしない アグリアスも、昨夜は少々深酒が過ぎた。 そのままいい気分になってベッドに向かい、ばたんきゅうだったのである。 「……しかしこのまま惰眠を貪ってるのもいかがなものか」 天性、彼女は働き者である。 いかに仕事がないとて、そのままごろごろしているのはなんとなく落ち着かない。 「ま、とりあえず起きるか……食事もせねばならんし――ん?」 もそもそとベッドから這い出ようとしたその時。 「……これ……は?」 瞬間、それが何か、アグリアスは分からなかった。 いや、正確には分かりたくなかった、のである。 「まさか……」 ベッドから這い出ようとしたその時、下半身にちょっとした違和感を感じた。 「こ、こ、こ……」 アグリアスの表情はラーナー海峡の海面のように青ざめていた。 寝汗にしてはいやに腰まわりにだけ集中した水分。 鼻をつく異臭。 そして、シーツにはうっすらと、薄黄色の染み――。 「こ、こんな、こんな……!」 そこから導きだされる結論は、ただ一つしかなかった。 しかし、痩せても枯れても、異端者一行となってさえ、彼女は誇り高きルザリアの オークス家の令嬢、アグリアスなのである。 「その私が! 私ともあろうものが!」 しかし、目の前の現実は冷たく彼女をあざ笑っている。 「この私が! 二十歳もとうに過ぎた私が!――って、いやいや二十歳過ぎたのは ついこないだだ。――って、そんな見栄はどうでもいい!」 ノリツッコミなどかましている場合ではない。 「私ともあろうものが! ね、ねね、寝小便を……したと……いうのか!!」 それだけのことを認めるのに、もってまわった言い回しで大仰に騒がねばならん とは、お貴族様とは厄介なものだと、その場にムスタディオでもいたら皮肉の一つも かましていたであろう。 「まずいまずいまずいまずいまずい」 アグリアスは、さながら東洋の修行僧のようにベッドの上にこちんと正座し、しばらく そればかり繰り返していた。 「こ、こんなことが部隊の連中に露見しようものなら……」 穏健なラムザやアリシアなどは、まだしも慰めの一つも言ってくれるやも知れぬ。 だが、噂好きのラヴィアンや皮肉屋のムスタディオ、相性の悪いメリアドールなどに 知られようものなら、むこう十年ぐらいはこれをネタにからかわれ続けるだろう。 聖騎士の矜持も面目も木っ端微塵になること請け合いである。 「い、嫌だ、そんなのは!!」 嫌だと言ってもどうすればいいのか。 「と、とにかく何とか隠匿せねばならん。確か今日の予定は……」 アグリアスはベッドの脇のぜんまい時計に目をやった。 「九時か……出発は十二時とラムザが言っていたな。……いやまてよ、たしかこの宿は 十一時にはリネン係がシーツを変えに来るはずだ……つまり……」 猶予は二時間しかないことになる。 「洗って乾かすなど、二時間では無理な相談だな。……第一そんなことをする場所もない。 ……うむむ……」 その時。 「あー、忘れ物した!」 「うわぱぁッ!!!」 部屋に飛び込んできたラヴィアンを見て、アグリアスは奇声を上げて慌てて布団にもぐり こんだ。当然ながらラヴィアンは仰天している。 「な、なんですか隊長いきなりでっかい声出して。――てか、起きたんですか」 「い、いや、えーとその、なんだ……」 必死に自然体を装おうとアグリアスは言葉を探したが、すでにラヴィアンは盛大に怪訝な 顔をしてアグリアスをまじまじと眺めている。 「なんか、顔色悪いですよ?」 「う、うん、えーと、あれだ、昨夜の酒がちょっと残ってて……」 「あー、二日酔いですか。なんだったらあたし、お薬貰ってきましょうか?」 幸いラヴィアンは、あまり疑わなかったようだ。 「い、いや、そんなに酷くないから、少し大人しくしてれば治るだろう。……お前こそ、どう したんだ。仕事は?」 「いや、ちょっと忘れ物しちゃって。……ああこれこれ、ロープ切り。いやぁ、今朝は大変 ですよぉ。昨日倒した山賊団から奪った戦利品、あれの整理でてんやわんやで」 「ほ、ほう、そうか」 「隊長、今日ローテ外で幸いでしたねぇ。男どもは伯やらベイオさんまで総出ですよ」 「ふーん、全員出てるのか」 「ええ、男子部屋空っぽ――って、あたしも油売ってらんないな。そんじゃ隊長、お大事に」 喋るだけ喋ると、ラヴィアンは階下にすっ飛んでいった。 アグリアスは汗だくで起き上がった。 「あ、あ、危なかった……」 寿命が縮まるとはこういう心境なのだろう。 「う、ううむ、ぐずぐずしていられんな。全員出払っているとはいえ、今みたいに誰か来ない とも限らん。さっさと何とかしてしまわないと……」 だが、どうしようと言うのか。 「洗って乾かす暇などない……かといって、シーツとマットごと始末したらこれはこれで宿の ものが騒ぐだろうし……」 アグリアスは狂ったように頭を働かせた。 「別の液体をこぼしたかのように誤魔化す……これもおかしいな。水なり酒がほしいなら、 井戸か食堂に行くのが自然だし……うむむ」 その時、アグリアスの脳裏に、先ほどのラヴィアンの言葉が蘇った。 (――男どもは伯やらベイオさんまで総出ですよ。男子部屋は空っぽ――) 「男子部屋は空っぽ――」 アグリアスはその意味を反芻し、 「スケープ・ゴート……」 とひとりごちた。 スケープ・ゴート。すなわち、シーツとマットをすり替え、誰かに罪を被ってもらうのだ。 さすがに女子を身代わりにするのは、たとえメリアドールのように相性の悪いものでも 気が引ける。 しかし男子ならば。しかも、今、男子の部屋はもぬけの殻なのだ。 (――いや、しかし、いくら男でもそれは悪辣すぎやしないか) ラムザと付き合って、ずいぶんものの考え方が柔軟になったとはいえ、基本的に彼女は 曲がったことがキライである。 (だがそうかと言って、他にいい手もない――寝小便が知れ渡ってもいいのか……) やはりそんな破目はご免である。採るべき道は一つしかない。 彼女は頭を掻き毟った。 「ああ、聖アジョラ様! お母様! オヴェリア様! お許しください、アグリアスはやはり、 そんな恥辱には耐えられませんッ。――よし、懺悔終わり!」 決心が変わらないよう、彼女は一気にまくしたてた。 賽は投げられたのだ。 「ラヴィアンのように戻ってくるものがいないとも限らん。慎重にやらねば……」 シーツとマットを担ぎ、アグリアスは廊下の様子を窺った。 「今の時間なら、女中も下の洗い場の仕事が忙しいはずだ……掃除に上がってくるには まだ早いしな……よし!」 勇躍、アグリアスは一歩を踏み出したが、大柄な彼女が布団を抱えて廊下をこそこそと 歩く姿は、どう見ても挙動不審であった。 男子部屋は、女子部屋のはす向かい、10メートルほどのところにある。 大した距離ではないのだが、乾坤一擲のアグリアスにとっては1キロにも感じられる道程 だった。首尾よく男子部屋にたどり着いた時には、前身汗まみれになっていた。 「ふーう……やれやれ、これほど肝を冷やしたのは久しぶりだ」 シーツとマットを床に下ろすと、アグリアスは深い吐息をついた。 「ふむ……確かに誰もいないな……さて、とっとと摩り替えて、部屋に戻らなくては」 が、ここで問題が発生した。どのベッドに誰が寝たのか、それが分からないのである。 こんな際、摩り替えるのなど誰のでも良さそうなものだが、そこはアグリアスも封建時代の 女性である。無意識の選民思想が頭をもたげた。 「いかに何でも伯に濡れ衣を着せるわけにいかんし……ベイオ殿とラムザも除外だな…… となると、ムスタディオ、ラッド、マラークか……」 勝手にターゲットにされた3人にとってはいい面の皮である。 「しかし困ったな、みんな私物を一切持って出たせいか、誰がどこに寝たのやら……ん?」 アグリアスは、一つのベッドに目を向けた。その枕元には、小さな袋が置いてある。 「なんだこれは、良い香りがするが……ああ、そうか、ムスタディオの奴が、柄にもなく寝る 前にポプリの匂いを嗅ぐんだとか言って、匂い袋をちらつかせていたっけ。するとここは、 ムスタディオが寝たベッドか……」 アグリアスは周囲を見渡し、ベッドを見下ろし、そして声を絞り出した。 「許せ、ムスタディオ――」 午前十一時。出発一時間前になって、ラムザ隊は宿のホールに全員が集まった。 「あ、隊長、二日酔い、もう大丈夫ですか?」 「あ、ああ、なんとかな」 ラヴィアンの問いにアグリアスはぎこちなく頷いた。そこにラムザも割って入る。 「――あれ、アグリアスさん、調子悪かったんですか」 「う、いや、大した事ではない。心配には及ばんさ」 と打ち消したが、その笑いは引きつっていた。 それに気付いたラムザが何かを言おうとした時。 「お客様」 宿の女中が、ラムザに声をかけてきたのだ。 瞬間、隊に動揺が走る。 なにしろ一向はおたずね者集団なのだ。なるべく派手な行動を控えているとはいえ、 (まさか知られたか?)という緊張は、いつも付きまとっている。 が、女中はしかめ面をして、一枚の布を差し出したのだ。 「困るんですよねぇ、こういうことされると」 「え――は? なんですこれ?」 ラムザは目を丸くした。 「何ですって、ベッドのシーツですよ。見てくださいこの染み! お客様の中で、おねしょを なさったかたがいらっしゃるようで」 「オネショぉ!?」 「うわ、なっさけねぇ、誰だよ! ……つーかお姉さん、どこの部屋にあったの、それ」 「8号室ですけど……」 「えー、8号室って男子の部屋じゃない! うんわー、えんがちょー!」 「8号室の、どのベッドだよ?」 「入り口から三つ目、窓際のベッドです」 「えー、三つ目って! あれだよ! ラムザが寝てたベッドじゃねぇか!」 「なッ!」 危うくアグリアスは、そんな馬鹿な! と叫ぶところだった。 が、その場の空気はアグリアスの動揺などそっちのけであった。 「うわー、マジかよ、やっちゃったなー、ラムザ!」 「ち、違うよ! 僕オネショなんかしてないって!」 「おいおい今さら見苦しいぞぉ! 男なら認めちまえって、なぁ!」 「本当に違うって! なんでこんな……」 「えー、ちょっと幻滅かも……」 「ま、まぁあれですよ! ラムザさんもほら、久しぶりの投宿で緊張が緩んで……」 「緊張緩んだって、いい大人が寝小便はねぇよなぁ!」 「だから違うんだぁぁぁ!!!」 蜂の巣をつついたようなその場を、さすがに年の功で収拾したのはオルランドゥであった。 「まあまあ諸君。長い人生、誰でも過ちはあるさ。そう責めてやるな……で、女中のお嬢さん、 なにかね、洗濯代でも出せばいいのかな」 「はぁ、そうして頂ければ」 「ふむ、じゃぁラムザ、払ってやりなさい」 ラムザは完全にふてくされていたが、それでもしぶしぶ金貨を取り出し、女中に渡した。 「はい確かに。では皆様、よい旅を」 女中は貰うものだけ貰うと、そそくさと退散した。 ラムザは怒りと屈辱で口も利かない。オルランドゥが苦笑して、かわりに一同に指示を出した。 「では、出発しようか、諸君」 アグリアスは隊の最後列で、「なぜ」という思いと、ラムザへの慙愧の念で消え入りそうに なっていた。 「アグリアスさん、いらっしゃいますか」 その夜、一向は別の小さな町の宿に投宿していた。 「――ああ、ラムザか、どうぞ」 今度の宿は個室が多く、アグリアスの割り当ても個室であった。 「顔色が悪いな……」 入ってきたラムザを見て、アグリアスは心からいたわりの声をかけた。誰も知らないが、 確かに彼女のせいでラムザは憔悴しているのである。 「最悪な一日でした……物証がある以上、いくら反論しても無駄ですしね」 「そ、そうだな――」 まるで自分が責められているような心持になり、アグリアスは面をそむけた。 「で、な、何か用か」 その話題に触れられないように、アグリアスはラムザの用件を引き出そうとした。何か 相談したいと言うのであれば、なるべく乗ってやろうというつもりでもあった。 「ええ。……いや大したことじゃないんですが」 ラムザはおもむろに座りなおし―― そしてその次の言葉は、アグリアスを凍りつかせた。 「アグリアスさん、今朝、僕らの部屋に入りましたよね?」 「――ッ!?」 アグリアスの目が見開かれ、ルカヴィでも見たかのようにラムザを凝視した。 「な、なな、なぬを――! 突然!」 「くどいようですけど、僕は寝小便なんかしてません。ということは、誰かがシーツとマットを 摩り替えたということになります」 「そ、それが私だと言うのか? そんな証拠がどこに――」 「……女中からシーツを突きつけられた時、尿の臭い以外に、微かですがフローラルな 匂いがしたんですよ。あの匂い、なんだろうとずっと考えてたんですが、分かりました。 ――シャンタージュの匂い、だとね 「あ……」 「ウチの隊で、シャンタージュ使ってるの、アグリアスさんしかいませんよね? 僕は寝小便 なんかしていない、しかるに誰かが摩り替えた、昨夜は僕ら以外、あの宿には止まっておらず、 そしてそのシーツからシャンタージュの匂いがするということは……」 ここで強弁のひとつもして、そんなの知らんということも、アグリアスには可能だったはずだ。 しかしやはり彼女は、嘘のつける女性ではなった。彼女は脆くも涙目になって、 「す、すまん――そうだ、寝小便をしたのは私だ――私が摩り替えたんだ……」 「やっぱりね。……しかし何で僕だったんです?」 ラムザは少し、口調を険しくした。 「違う! 貴公じゃない! 貴公を狙ったんじゃないんだ! 本当は……これも誉めらた話じゃ ないが、ムスタディオを狙ったんだ。ベッドの上に、奴の匂い袋があったから……」 「ああ、あれですか。――昨夜寝つけないんで、ムスタから借りたんですよ。そういやそのまま 枕元に置きっぱなしだったかな」 「それでか……だがいずれ、私は騎士として、いや人間として恥ずべきことをしてしまった……」 アグリアスは肩を落とし、 「き、貴公、どうするのだ、こ、このことを、皆に――?」 「さぁ……」 ラムザはニヤニヤと、たちの良くない笑いを浮かべた。 「どうしようかなぁ?」 アグリアスは背筋が寒くなって、 「頼む! お願いだ! 何でもする! キツイ儲け話でも何でも! だから! 皆には――!」 「何でもする? 本当に?」 ラムザはますますニヤニヤして、 「それじゃぁ……こうしようかな」 「ひっ!?」 次の瞬間、アグリアスはベッドに押し倒されていた。 「な、何をする――!」 アグリアスはかすかに抗ったが、ラムザは構わず、 「だって最近、二人っきりでいられる時間、全然ないじゃないですか」 いくらか甘えるような声で、ラムザはアグリアスの耳に吐息を吹きかける。 「そ、そそ、そんなところに息を! じゃなくて! ひ、卑怯じゃないか! こんなやり方!」 アグリアスの抗議にもラムザはしれっとして、 「だって僕卑怯者だし。異端者だし」 「な、何を開きなおっとる!」 「第一、卑怯って言うなら、オネショを他人に被ってもらうのは卑怯じゃないのかなぁ?」 「だッ!! ぐ、そ、それは、しかし!」 「おまけに僕だって、精神的苦痛を蒙ったんですからね……すこし憂さ晴らしさせてくれても いいじゃないですか……もともとアグリアスさんが原因なんだし」 「だ、だからってその! こんなの――!」 ラムザはここで急に真顔になって、 「僕のこと――嫌いですか?」 「う――ぐ、貴様、そんな聞きかた、反則――!」 「嫌い、ですか?」 なおも畳み掛けるラムザに、アグリアスはとうとう白旗を揚げた。 好きにしろ、とばかりに前身の力を抜いたのだ。 「と、いうわけで、今夜は寝かさないと言う刑を執行しますね」 ラムザは、張り倒したくなるほど明るい笑顔を浮かべて、そう宣言した。 「どうしたんです、隊長」 その翌朝。 目の下に見事に不健康な隈をこさえたアグリアスに、アリシアが話しかけてきた。 「なんでもない」 そっけなく、アグリアスは答える。 「おい、ラヴィアン、ちょっとその、生卵と……そっちはポーキーの肝か、それをくれ」 「ええ? 朝からこんな重たいもの食べて大丈夫ですかぁ?」 「見たところ寝不足のようですけど……食欲はあるんですか、変ですねぇ」 「うるさいな、ほっといてくれ」 あからさまにアグリアスは、機嫌が悪かった。 (あたた、腰が痛い……うう、ラムザめ……本当に一晩中私をめちゃくちゃにしおって) もっともそれがいやなのかと言うと、そうわけでもない。 アグリアスは奇妙に浮わついた感覚の中にいた。そこへ、 「おはようございます、アグリアスさん」 いたって朗らかに、昨夜の疲れなど微塵も感じさせない爽やかさでラムザが現れた。 「いよう、オネショの大将! よく眠れたみたいだな!」 早速、マラークがひとしきりからかう。 ラムザはそれへ、屈託のない笑顔を向けて、 「たまには、オネショも悪くないぜ」 などと朗らかに切り替えした。 (立ち直りの早い男だ――) アグリアスはぼんやりとラムザを眺め、苦笑いし、それから窓の外の空に目を向けた。 今日もいい天気になりそうだ――奇妙な疲れと充足感を感じながら、彼女はそんな事を 考えていた。 おしまい