約 24,298 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2723.html
Report.24 長門有希の憂鬱 その13 ~朝倉涼子の手紙~ それにしても気になるのは、涼宮ハルヒが見たという夢。朝倉涼子が出てきたという。そして、あの『手記』を見せられた時の突然の閃き。あの時わたしは、誰かが囁く声を聞いたような感覚を覚えた。 あれは何だったのか。わたしの感覚器の誤作動か。 ここでわたしは、ある仮説に辿り着いた。喜緑江美里にその仮説を伝えると、彼女もそれを支持した。しかしその仮説を検証することはできない。なぜなら、それはわたしの感覚では知覚できないから。 江美里は、あるいは知覚しているのかもしれない。 「わたしが知っているかどうかは、不開示情報です。もし知っていたとしても、それを長門さんに教えるつもりはありません。……意味が無くなってしまいますから。」 わたしが辿り着き、そして検証することができない仮説。 それは情報統合思念体の把握している情報には存在しない概念。むしろ、人間に存在する概念。だから、あえて人間の言葉で表現する。 朝倉涼子は、『あの世』に逝った。 説明を要する。 人間には『宗教』が存在するが、人間の『死』についての概念は宗教によって区々。 代表的なものは、死ねばそれですべてが終わるという概念と、死んだ後、別の世界に行くという概念。わたしの仮説は、後者の説を採用する。 最期のあの日。橋の欄干から飛び降り、『入水自殺』した涼子。あの時彼女は、落水後すぐに、意図的に水を大量に飲み込んだ。ヒトとしての『死』を迎えるために。当時のわたしは、人間の言葉で言えば『動転』していて、正常な判断を下すことができなかったので、そのことに気付かなかった。 しかし落ち着いた今、冷静に当時のログを分析してみると、前記の状況を把握した。あの時の涼子は、情報統合思念体との接続を完全に切断していた。インターフェイスとしての機能を完全に停止させたまま、水中で『呼吸』しようとすればどうなるか。 当然、ヒトと同様に生命活動は停止する。もちろん、その後再接続すれば、何事もなかったように活動を再開できるが、その時の涼子には、その選択肢はなかった。待つのは有機情報連結解除だけ。だから、なぜ涼子がそのような『無意味』な行動を取ったのか、その時のわたしには分からなかった。 呼吸器官を水で満たしても、すぐに『死亡』するわけではない。しばらくは意識もあるし、生命活動は続く。それが急速に生命活動が低下し、死に至る。その過程は、ヒトと同じ。よって、たとえインターフェイスであっても、その瞬間には相当な苦痛を伴う。それなのになぜ。 その考察の結果、辿り着いたのが、前記の仮説。涼子は、人間で例えると『霊魂』として『あの世』で活動しているのではないか。 情報統合思念体との接続を切断した状態では、情報統合思念体は即座にインターフェイスの情報を把握することができない。ほんの僅かながら、情報取得までに時間差が発生する。 涼子は、その時間差を突いたのではないか。『肉体』が機能を停止し、情報生命体だけの状態となって、情報統合思念体に強制的に接続され、情報生命体は回収、肉体は有機情報連結を解除されるまでの、ほんの僅かな時間差。この刹那に、涼子は持てる情報操作能力を総動員して、情報統合思念体が感知できない領域に潜り込み、その管轄から外れることに成功したのではないか。 情報統合思念体が感知できない領域があることを、情報統合思念体は認めないが、わたしは確信している。涼宮ハルヒの能力が作用すれば、そんなことも可能になる。 しかし、ここで一つ問題がある。ハルヒは涼子の消滅を知らないはず。 まさか……涼子単体で? 答えは意外な形でもたらされた。 ある日のこと。全員揃った部室にノックの音が響く。 「どうぞー。」 答えたハルヒの声に、江美里が入室した。 「文芸部宛てに手紙が届いたので持ってきましたよ。」 江美里がもたらした物は、エアメールだった。差出人は……“ASAKURA Ryoko”。 ハルヒに手紙を渡すと、江美里は退室した。 ハルヒは手紙を一瞥すると、嬉々として読み上げた。内容は『近況報告』と言えるものだった。 手紙の締め括りはこう。 ――文芸部部長 長門有希様、SOS団団長 涼宮ハルヒ様へ - To Leader of the literature club NAGATO Yuki, Leader of the SOS brigade SUZUMIYA Haruhi ――SOS団海外特派員(笑) 朝倉涼子より - Than the SOS brigade foreign correspondent -) ASAKURA Ryoko 締め括りは、日本語と英語で書かれていた。 「うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしとぉみたいやね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?」 【うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしてるみたいね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?】 「へいへい。」 『彼』は、肩をすくめながら返事をした。表情には、事情を知っているせいか、若干戸惑いが見て取れる。それは、他の団員達もまた同様だった。 「ん? 何(なん)か入っとぉわ。」 【ん? 何(なん)か入ってるわ。】 ハルヒは同封物に気付いた。彼女は早速それを出してみる。 「これ、何(なん)やろ?」 【これ、何(なん)だろ?】 出てきたものは、栞。……涼子と過ごした最後の日に、涼子がわたしとお揃いで買った物だった。ハルヒもその事実に気付いた。 「そういえばこれ、有希が使ってるのと一緒違(ちゃ)う?」 【そういえばこれ、有希が使ってるのと同じじゃない?】 わたしはこくりと頷いた。 「貸して。」 わたしはハルヒに向けて手を伸ばした。 「有希、これがどうかしたん?」 【有希、これがどうかしたの?】 ハルヒからそれを受け取ると、わたしはそれを少しいじった。 「うわ!? 何(なん)か出てきた!」 「これはUSBフラッシュメモリ。」 ちょうどページをめくるように本型の飾りを操作すると、中から簡素化されたUSB端子が現れる仕組みになっていた。 ここでわたしは思い当たった。別れの間際、最期の瞬間に涼子が遺した一かけらの情報。その情報にはヘッダとして、『器へ』という指示が付いていた。 『器』とは、もしかして、人間が使用するこのストレージデバイスのことではないのか。 わたしは試しに、情報をこのフラッシュメモリに導入してみた。特に変化は見られない。 「じゃあ、早速中を見てみよか。」 【じゃあ、早速中を見てみようか。】 フラッシュメモリをハルヒに渡すと、彼女は団長席のパソコンにそれを接続した。 「うーんと、中身は……よぉ分からんファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。」 【うーんと、中身は……よく分かんないファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。】 「ちょ! おま、ウィルスチェックしてから……っ!」 『彼』が慌てて止めようとするが、時既に遅し。ハルヒは謎の実行ファイルを実行してしまった。何か問題が起きても、すぐに対処できると見て、わたしは静観する。 「ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』やって。」 【ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』だって。】 しばらくパソコンのファン音が大きくなり、やがて処理が終了した。 「何(なん)かビデオファイルができたわ。ほな、再生するから、みんなこっち来て。」 【何(なん)かビデオファイルができたわ。じゃあ、再生するから、みんなこっち来て。】 団員達を団長席に呼び寄せると、ハルヒはビデオファイルを再生した。 内容は……カナダで撮影したという、涼子からの『ビデオレター』だった。 『――以上、SOS団海外特派員・朝倉涼子がお届けしました! ……なんちゃって♪』 映像の涼子は、そう言うとちろりと舌を出した。 『また、日本に帰ってみんなと会える機会があると良いな。じゃあね。』 手を振る涼子の姿が煌めく砂と化して風に溶けると画面が暗転し、『劇終』の文字が黒い画面に映されて、ビデオは終了した。 この『ビデオレター』は、もちろん捏造。実際のカナダの映像と、涼子の身体構成情報を合成してある。わたしが導入した情報は、どうやら涼子の身体構成情報の一部だった模様。 それにしても手の込んだこと。一体、誰が、何のために? 「普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージやないの。」 【普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージじゃないの。】 ハルヒは満足げに頷いている。 「カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じやね。」 【カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じよね。】 ハルヒは腕を組んで椅子の背もたれにもたれると、 「これは美味しい逸材かもしれへんわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しよか。」 【これは美味しい逸材かもしれないわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しようかしら。】 「大変結構なことかと。」 「おいおい、まさか映画の撮影のためだけに、カナダから呼び出すつもりか!?」 いつもの通りハルヒの意見に逆らわない古泉一樹と、ツッコむ『彼』。 「さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りひんようになるから、次に朝倉が帰国する時やな。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんたらは心配せんでええわ。」 【さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りなくなるから、次に朝倉が帰国する時ね。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんた達は心配しなくて良いわ。】 ハルヒは封筒と便箋をためつすがめつし、 「電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけばええのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなあかんな。」 【電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけば良いのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなきゃね。】 調べてみたところ、その住所は架空のものだった。地名は存在するが、そのような番地はない。 「それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果やな。CGやろか?」 【それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果ね。CGかしら?】 それ以外にも、例えば空を飛びながら撮影したような映像や、涼子が分身した映像等、様々な映像が納められていた。まるで、インターフェイスの能力を誇示するかのように。 「どうやって撮ったんか分からへんけど、まるで、朝倉が人間違(ちゃ)うような感じやったな。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。」 【どうやって撮ったのか分からないけど、まるで、朝倉が人間じゃないような感じだったわね。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。】 『宇宙人』。その言葉にわたしは驚愕した。驚愕のあまり、『彼』にしか分からない程度に目を見開くくらいに。 涼子は、ハルヒに自分の存在をアピールしている? 忘れさせないように、思い出させるように、教えるように。 まさか。 涼子は、ハルヒの能力を利用して『復活』を企てている? 涼子が情報統合思念体の管轄を離れた独自の情報生命体として活動しているとは、あくまで仮説の域を出ない。検証のしようもない。それに、今この瞬間にも、涼子の存在は検出できない。やはり考え過ぎか。 『抵抗。』 不意に、通信が入った、ような気がした。……涼子? ――――。 返事がない。ただのしかば……いや、何でもない。人間の言葉で表現すると『気のせい』か。後ろを振り返ってみても、何もない空間が広がっているだけだった。 活動終了後。 わたしは、皆が帰った後の文芸部室に江美里を呼び出し、問い詰めた。 「どういうつもり。」 「何のことでしょう?」 江美里は、透き通るような、人畜無害な笑みを浮かべたまま答えた。 「とぼけないで。」 わたしは更に言い募る。 「あなたが、『朝倉涼子の手紙』を持ち込んだ。あれは本来、この世界に存在し得ないはずの物品。」 そう。そのような……『死者からの手紙』など、本来この世界にはあり得ない物。 「わたしは単に、誤って振り分けられた手紙を適切な宛先に届けただけですよ? 感謝されこそすれ、非難される謂れはないと思いますが。」 あくまでとぼけるつもりか。 「あなたの行動は、情報統合思念体に対する『反乱』と解釈されても仕方のない行為。」 「まあ。」 江美里は『驚いた顔』をした。……つまりは、作った表情。 「この銀河を統括する、情報統合思念体に対して『反乱』だなんて……」 江美里は被りを振って、 「わたしみたいな、『ただの人間ごとき』に、そのような大それたこと、できるはずがないじゃないですか。」 ……自分をして、『ただの人間ごとき』? どの口が言うか。 「いひゃい、いひゃい、ひゃへへふひゃひゃい~」 【痛い、痛い、やめてください~】 わたしは、江美里の口に両手の指を突っ込んで横に引っ張っていた。 「ひょんとうのほほははひはふはら~」 【本当のこと話しますから~】 わたしが指を引き抜くと、江美里はさも痛そうに自分の頬を撫でた。 「ふう。」 「本当のことを話して。全部。詳らかに。」 江美里は、しばらく中空に、まるで何かを確認するかのように視線を巡らせた後、口を開いた。 「あなたは、神を信じますか?」 ………… 「は?」 思わず間の抜けた声が出てしまった。あまりにも突拍子もない言葉だったから。 「あらあら。その反応は新鮮ですね。」 ………… 「まあ、今のは軽いジョークです。だから、その手はとりあえず下ろしてください。ね?」 後ずさりしながら江美里は言った。わたしは静かに、再び江美里の口に突っ込もうと臨戦態勢を取った手を下ろした。 「長門さんは、朝倉さんについて、ある仮説に辿り着きましたね。」 わたしは頷く。 「端的に言えば、その仮説は正しかった、ということです。」 涼子は、『霊魂』又は『幽霊』、若しくはこの国の伝統的な宗教によれば、『神』になった。 「そして、情報統合思念体でさえも把握できない次元に潜り込むことに成功したのです。」 荒唐無稽で、俄かには信じ難い話。でも、そう仮定すれば辻褄が合うのも事実。 「潜伏した朝倉さんは、水面下で行動を起こしています。」 様々な形でわたし達に働きかけながら。例えば、消去された記憶を呼び覚ますために夢を見させたり、適切な定義を耳元で囁いたり。 だが、行動を起こしているのは涼子だけではない。わたしは江美里を真っ直ぐに見ながら言った。 「その行動を幇助しているのが、あなた。」 江美里はわたしの視線を真正面から受け止めながら、 「なぜそう思ったのですか?」 と、事も無げに問い返した。わたしは証拠を突きつける。 「あの『手紙』には、同封物があった。」 同封されていた、USBフラッシュメモリが付いた栞を取り出した。 「これは、あの日涼子がわたしとお揃いで購入したもの。」 「市販品ですから、他にも同じものが沢山あると思いますが?」 普通に考えれば、そう。だが、 「同封されていた栞は、市販品ではない。このような機能は、通常の商品には付いていない。」 USB端子を露出させる。本来この飾りには、何の機能もない。だが送られてきた栞の飾りには、USBフラッシュメモリが仕込まれていた。そのように改変されていた。 「その中には、存在しないはずの動画が収められていた。」 主演・朝倉涼子、のビデオレター。 「その動画は、わたしが朝倉涼子から受け取っていた最期の情報を埋め込むことで、完成された。」 涼子の身体構成情報を基に、高度に再現された涼子の映像。 「このような真似ができる者は、涼宮ハルヒを除いて人類には存在しない。」 そしてこのような手の込んだ方法で情報を完成させたのは、恐らく情報統合思念体の目を欺くため。それぞれの端末が持つ情報単体では、何の意味も成さないただのノイズにしか見えない。また、それらの情報を単に情報統合思念体の持つ方法で結合しても、やはり何の意味も成さないようになっていた。 鍵は、栞。 栞に仕込まれた、人間が使用する記憶媒体に、人間が使用する情報機器が取り扱える形で情報を埋め込むと、初めて『人間にとって』意味のある情報が生成されるように断片化し、暗号化されていた。 これは情報統合思念体に対しては極めて有効な隠蔽方法。たとえ情報統合思念体が情報の暗号化を見破って生成された情報を手にしても、情報統合思念体にとってはやはり意味を成さないノイズでしかない。なぜなら、その情報は情報そのものには意味がないから。 これは、情報生命体である情報統合思念体には、なかなか理解できない概念。有機生命体でなければ、理解できないのかもしれない。 この情報を取り扱うためには、情報を『情報』として再生しても意味がない。この情報の送り主の『意図』を再生しなければならない。 『なぜ』このような情報を、『誰』に対して、『どのように』伝達したのか。 これらの点を、送られた情報以外の『状況』から『推理』し、その『趣旨』を『解釈』しなければならない。 情報統合思念体にとって、情報とは『目的』。情報そのものに価値があるのであって、情報を伝える手段等には何ら興味はない。 しかし有機生命体……人間にとっては、情報は時に『手段』となる。 人間が取り扱う情報は、情報統合思念体から見れば、極めて不完全。情報の伝達には常に齟齬が発生する。その点を逆に利用する。 一見正常な、普通の情報があったとする。その情報は、通常の再生方法では、特に変わった意味を持たない。だが、その情報の『背景』から『連想』することで、全く別の情報が生成されることがある。そしてその生成された別の情報こそが、『目的』としての情報である場合がある。 これは、情報に込められた真の情報、メタデータ。ある意味で『偽装』。このような情報の伝達方法は、情報統合思念体等の情報生命体には、考えも付かない。 なぜなら、情報生命体の情報伝達は、完璧だから。完璧過ぎるから。少なくとも同種の情報生命体同士なら、齟齬なく情報を伝達できるから。 人間は、同じ人間同士であっても、情報の伝達には常に齟齬が発生する。これは、情報統合思念体――情報生命体――から見れば、重大な構造的欠陥。しかし人間は、この構造的欠陥を補い、逆に活用する術を見付けた。情報の伝達に齟齬が発生するならば、齟齬を見込んで情報を冗長化して伝達すれば良い。 その冗長化の手段として、伝達する情報そのものには仮の意味を持たせ、本当に伝達したい情報はメタデータに埋め込む。メタデータの再生方法は、人間が最も得意とする情報処理方法……『連想』に拠らせる。 人間の『連想』では、その処理を行う際に『鍵』となる情報によって、再生結果が左右される。もしその『鍵』となる情報を共有する者同士なら、『連想』された情報は極めて高い精度で、時には人間の通常の手段で伝達する情報よりも高い精度で、伝達したい内容を再生する。 しかし、その『鍵』となる情報を共有しない者同士では、伝達したい内容はほとんど再生されない。また、場合によっては、全く逆、あるいは全く別の情報に再生されることさえある。 この特性を利用すれば、人間の持つ程度の情報伝達手段、つまり不特定多数を経由しないと情報を伝達できない仕組みであっても、特定の相手に対して選択的に情報を伝達することが可能となる。また、同様に不特定多数に対して同じ情報を伝達しながら、情報の受け手によって再生結果が異なることを利用して、情報の攪乱を図ることもできる。 これらのことは、別々に行うことも、同時に行うことも可能。 今だから言う。わたしはこの手法を用いて、情報統合思念体に『隠し事』をしていた。朝倉涼子から受け取っていた最期の情報の内容を、この手法で意図的に伏せていた。 理由など説明できない。わたしが伝えたくなかったからとしか言えない。 また、今もわたしは『隠し事』をしているかもしれない。あるいは、もうしていないかもしれない。これも明言はしない。したくないから。 では、なぜわたしは今になってこのような『告白』をしたのか。理由はあえて言わない。言ってしまっては『意味』がない。 情報統合思念体は、これらの点についてよく考えるべき。そうでないと、朝倉涼子の、喜緑江美里の、行動は理解できない。 これは私見だが、この二体の、あるいはわたしを含めた三体のインターフェイスの行動が理解できなければ、人間の行動は到底理解できない。すなわち、情報統合思念体に未来はない。そう思う。 ヒントは、後の報告にあるかもしれないし、ないかもしれない。よく考えてみてほしい。 ←Report.23|目次|Report.25→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3179.html
いつものなにも変わらない帰り道。 ハルヒがいないので、4人比較的かたまって歩いている。 ただ、長門があれを着ているのはちょっと恥ずかしいが。 そんな俺らの行く道を塞ぐように二人の男が立っていた。 年は離れていそうだな。俺より年齢は上だろうが、青年ともう片方はおじさんだ。 そして、長門が身にまとっているのと同じものを着ている。 古泉「彼らは…?」 キョン「どうみても俺達に用があるみたいだな。」 長門「・・・敵性ではない。」 みくる「あの人たち、教科書に出てた人にそっくりです。」 キョン「朝比奈さん、それは絵でしょう?そんなに・・・」 朝比奈さんはさえぎるようにこう言った。 『未来の教科書は絵と文字ではありません。映画のようなもので勉強します。』 つまり、教科書は今とは果てしなく違い、動画を見るようだ。実に楽しそうだ。 先生がいいとこで止めるので、次の授業が楽しみなんですぅ。とまで言っていた。 俺たちが止まっているのを見て、青年が近づいてきた。 少し手前で止まり口を開いた 。 青年「君たちと話をしたいと思う。特に彼女の事で」 長門・朝比奈さん・それから古泉がそろって俺を見る。やれやれだ キョン「あなたたちは誰ですか?」 青年「決して怪しいものではない。」 キョン「あなた達がこの子に何かしたんですか?」 そういって長門の頭にポンと手を置く 青年「それを我々も知りたいと思っている。だから話をしたいと願う」 長門「・・・いい」 急に長門が口を開くと青年に近づいて行った。 青年は「恩にきる」といって右手を左手に重ねお辞儀をした。 古泉「あなた方は一体…?」 青年「私はオビ=ワン・ケノービ。あちらは私の師匠クワイ=ガン・ジン」 みくる「あわ・・あわわわ・・」朝比奈さんが震えだした キョン「どうしました?」 みくる「ななな名前も一緒です…」 これはもはや偶然ではないだろう。 朝比奈さんの言っていた話の事を聞いてみる。 キョン「あの・・・あなたも光る剣を持っているんですか?」 オビワン「ライトセーバーのことかな?」そういってシルバーの筒を出した。 長門「・・・私も持っている。」長門も差し出す。 オビワン「私たちは、このことで話があって君らに会いに来た。銀河系の彼方から」 古泉「ということは、宇宙の別の惑星から?」 オビワン「それも含めて話そう。こちらへ」 いつのまにか後ろにいたおじさんはいなくなっていた。 オビ=ワンの後をついて行くと、長さはバスくらいの乗り物―あえて宇宙船と言おう―が停まっていた キョン「これは…?」 オビワン「私とマスターが乗ってきた船だ。」 長門「・・・・・・」 待て、こんなことがホントに起きていいのか。宇宙船に乗って違う惑星から来た人間 長門に芽生えた変な力と光る剣。なんなんだ、これは。 クワイ「ようこそ。」 さっきまでいたおじさんがそこにいた。 長門が来ている服を中では脱ぐようだ。オビワンも脱いでいる。 彼らの服装は俺らがいう「洋服」と言ったものではない。 イメージ的には、砂漠に住む人が来ているような服だ。 クワイ「話は聞いているだろうが、我々はここから遠く離れた銀河の彼方からってきた。」 キョン「長門の力を知って…ですか?」 クワイ「ナガト…と言うのか」 長門「・・・長門有希」 クワイ「よろしく、私はクワイ=ガン・ジン」 古泉「長門さんの力は何なのですか?」 クワイ「この力のことかな?」 そう言うとクワイは、近くに置いてあった服を吸い寄せた。 長門「…わたしもできる」 クワイ「この力は『フォース』と言って普通なら生れながらにしか持てない力だ」 キョン「じゃあ、なぜその力が長門に…?」 クワイ「それは我々にもわからない。さっき彼女のフォースの源の力の数値を図らせてもらった」 キョン「長門を調べた?どうやってですか?」 オビワン「こいつでだ。」 オビワンの後ろから、小さなロボットがて来た。三本脚でローラーで進んでいる。 長門「・・・ユニーク」 みくる「あ、私が部室に入るときドアの前に置いてありました。ロボットだったのかぁ」 朝比奈さん、これはどう見てもロボットです。コンピ研でも作れないでしょう。 クワイ「彼女のフォースは鍛えれば我々をも上回る。ジェダイになれる。」 古泉「ジェダイとはなんですか?」 クワイ「簡単にいえばフォースを使い、戦うものだ。光と闇の勢力がある。」 その時だった。 オビワン「マスター!やつが近付いてきます!」 クワイ「船を出せ、私が食い止める」 外を見ると、バイクのようなものに乗った人影があった。 空からぐんぐん近づいてくる クワイ「ナガト!いずれ、また会おう。」 長門「・・・わかった。」 クワイは外へ出て行った。俺も長門も古泉も朝比奈さんも彼を見ている。 筒を手に取ると、光の剣となった。長門とは違い緑色をしている。 相手の男は、茶色ではなく黒の上着を着ている。赤の光の剣だ。 オビワン「やつは悪のジェダイの騎士。悪のジェダイを暗黒面(ダークサイド)と呼んでいる」 俺たちの中で言葉を発するものはいなかった。 映画でもなく現実で、剣と剣の混じり合いを見ているのだからな。 火花が散り、お互い攻め合い防ぎ合い、目をつむりたくなるくらい、迫力があって怖い 朝比奈さんは、すでにパニクっているが俺もどうにかなりそうだ。 オビワン「一度地球から出る。マスターからの連絡があり次第戻る」 おい、地球から出るって俺たち大丈夫なのか?ハルヒがいないのが幸いか・・・ それにしても、大変なことになったな。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5232.html
六 章 Illustration どこここ 頼んでいたマリッジリングができたという連絡が入り、俺と長門は受け取りに行った。当然だが俺が長門のをもらい、長門が俺のを預かる。こっそり蓋を開けてみたがポツリと埋め込まれた小粒のダイヤがなかなかにかわいい。リングの裏側には長門デザインの宇宙文字の半分が刻まれている。これが俺たちの絆になるんだよなあ。 招待客のピックアップだけして、会場と衣装の用意はハルヒが一式任せろというので放っておいた。長門の招待客リストを見ると俺とほとんど被っていて、うちの社員とハカセくん、機関の顔見知り、トータルで二十人にも満たない。 「俺たちの知り合いって、数えてみると意外に少ないんだな」 「……そう」 「じゃあ高校のときの同級生なんかも呼ぶか」 「……いい」 頭数といっちゃ失礼かもしれないが、式場と披露宴会場を埋めるために阪中に頼んで同窓生名簿をFAXしてもらった。三年五組の卒業生全員と、あとはENOZのメンバーくらいか。ああ、岡部を忘れてた。ハルヒが披露宴の客を百人集めろと言っていたのだが、いくらかき集めてもそんなにいないよな。 「長門、大学院の先生とか同級生も呼んでくれ。人数が足りない」 「……分かった」 もう“ご出席・ご欠席”の返事をもらうのがめんどくさくて、来たいやつは来い、来れないやつはメッセージでもよこせと一方的に招待状を送りつけた。いったい何パーセントの人間が集まるのか予測もつかんが、まあなんとかなるだろう。 俺たちの周辺はほとんどが学生の頃からの付き合いばかりで、SOS団の奇矯な活動ぶりを知らないやつはいないんだが、招待された客の中でハルヒを知らないやつらが初めてハルヒを見たらさぞかしぶったまげるに違いない。 そんなこんなしているうち、式もいよいよ翌日と迫り、なんだかやり残したことがまだありそうな気がして妙に不安にかられるんだが、思いつく限りの用意はしたはずであとは野となれ山となれって気持ちだ。 式の前日はなにもすることがなくひとりで自室にこもっていたのだが、どうも落ち着かなくて長門にこっそり電話をかけた。 「な、なあ。今日お前んちに泊まろうと思うんだが」 このひと言を言葉にしてノドから出すのにやたら緊張して目が泳いでいた。 『……すまない。今日は、用事がある』 意を決してお泊りを申請したのだがあっけなく却下された。ホッとしたというか、でも少し寂しいみたいな。 「そうか。いやいいんだ。式が終わったらお前んちに引っ越すわけだし」 にしても、俺が泊まれない用事ってなんだろ。 『……涼宮ハルヒの部屋に呼ばれている』 「あ、もしかしてあれか。花嫁の女友達を呼んで式の前日にやるとかいう、」 バ、バチェラーパーティかよ!マッチョなストリッパーを呼んでテーブルの上で腰をクネクネ躍らせたり着てるもんを剥ぎ取ったりしねーだろな。俺はハルヒと長門が一万円札を筋肉隆々ストリッパーのパンツに挟んでいるところを妄想してしまい頭を振った。 長門曰く、今までハルヒの部屋に泊まったことがなかったので、これが最後だからと呼ばれたのらしい。最後というか結婚してもたぶん呼ばれると思うぞ。俺たちの新婚生活に探りを入れるためにな。 その日俺は自室のベットでまんじりともせず眠れない夜を過ごしていた。家の中は緊張感とも期待感とも惜別の思いとも言えない奇妙な雰囲気に包まれていた。妹も両親もやけに無口で、テレビの画面を意味もなく眺めるほかは思い出したように長門のことを聞いてくるくらいだった。俺もああとかうんとか曖昧に答えるだけで、どうもこの家から出て行くという実感がないことに戸惑っていた。シャミだけが変わらず俺の足元をぐるぐるとまわって甘えている。 「キョンくん、シャミはどうするの?連れて行くの?」 「こいつはこの家が気に入ってるようだから置いてく。お前が面倒みてやれ」 「うん、分かった。シャミ~明日からあたしと寝るんだよ」 シャミセンはそんな我が家のイベントを知ってか知らずか、猫マフラーをしようとした妹の手から逃げた。猫ってのはそうあれこれかまってやることはないんだが。人形のように動物を扱う妹には犬のほうが合ってるかもしれん。 「ああそれからな、俺の部屋にあるテレビとかゲームとか全部やるわ」 「ほんとう?わーい」 貸していたハサミは結局俺のところには戻ってこなかったが。 ベットの上でじっと天井を見つめたままなんだか落ち着かない。不安とかそんなありきたりな感情ではなくて、ここから俺のなにが変わるんだろうかという一抹の……なんだろう。言葉にならない。生活のスタイルだけが変わって俺自身はなにも変わらないのだろうけれど。気持ちとしては長門と二人でうまくやっていけるかという迷い、あるいは長門が家族になることへの戸惑いか、俺なんかが長門を幸せにしてやれるのかという疑問か、たぶんそんなところだ。もう長門とは呼べなくなるよな。 「有希、有希、か」 口に出して言ってみたがどうもしっくりこない。いっそのことのろけモードでユキリンと呼んでみようか。 「なあユキリン」 「……なに、ダーリン」 などと周囲がブリザードに見舞われてしまいそうな二人の会話を想像して俺は枕をボスボスと叩いた。やたら恥ずかしいじゃないか。 にしてもあいつら今ごろなにしてんだろ。ハルヒと長門がその夜なにをしているか俺の知るところではないのだが、── これもまた後になって聞いた話だ。 ハルヒが電灯のヒモをパチリと引いて消した。そのままスヤスヤと寝息が聞こえてくるのかと待っていたがそうでもなかった。長門はじっと息を潜めてハルヒが眠りにつくのを待っていたのだが、どうやらハルヒも長門が眠るのを待っているらしいのである。 「有希、どうしたの?」 「……眠れない」 「そうよね。あたしもなんだか頭に血が登っちゃって眠れないのよね。遠足の前の日とか、旅行に行った先の宿とかね」 「……一種の興奮状態」 「そうそう、アドレナリンが漏れ出してる感じね」 ハルヒが唐突に切り出した。 「ねえ有希」 「……なに」 「前から思ってたんだけど」 長門には、どこかでギクという音が聞こえたそうだ。 「キョンってふつうじゃないわよね」 「……ふつう、とは」 「はっきり言うけど笑わないでよね。キョンってもしかしてふつうの人間じゃないんじゃないかしら」 「……それは、わたしも疑っていた」 「でしょでしょ、有希もそう思うでしょ。あいつはほかのやつとはどこか違うって、会ったときから思ってたんだけどね。もしかしたら宇宙人とか」 暗闇の中で、長門はどう答えようかと何パターンもの会話のやりとりを計算した。 「なんでそう思ったかというとね、あのね、秘密だけど、古泉くんは実は未来人だったのよ」 「……」 「実を言うと十年前に一度古泉くんに会ったことがあるの」 ハルヒは誰にも教えてない秘密を打ち明けるように目をキラキラと輝かせて言った。まずい、これはまずい。ハルヒが危険エリアに近づきすぎている。といっても明後日の方角だが。 「……そう」 長門はどう反応したものかずいぶんと迷ったそうだ。ハルヒと古泉が遭遇したいつかの七月七日、その場に居合わせていたがために、話を合わせるのも知らぬ存ぜぬとごまかすのも困難を極めた。 こういうときは相手に話をさせるに限る。 「……詳しく」 「聞きたい?聞きたいでしょ。あたしもまさかあそこで未来人と遭遇するとは夢にも思ってなかったわ」 ハルヒがモノローグを延々続けるどっかの主人公のようにもったいぶって言うと、長門もしょうがなしに釣られたふりをした。自分も古泉を未来人に仕立て上げた一味なのだが。 「……かなり、興味がある」 「あたしが中学生のころなんだけどね。夏だったかな、夜中に中学校の運動場に地上絵を描いたことがあったのよ」 「……どんな絵」 「なんていうかね、あたしが勝手に作った宇宙文字なんだけどね。この広い宇宙にもし人類以外の知的生命体がいるなら、あたしのところに来なさい、みたいな意味のね」 「……それは、新聞で見たことがある」 「そうそう、地方欄に出たのよあれが。謎の地上絵出現とかタイトルがふってあってもう笑っちゃったわ」 「……」 「でね、運動場に忍び込もうとしたとき古泉くんにバッタリ会ったの。そのときは近所のおっさんだと思ってたんだけど、よくよく見るとこっれがまたいい男なのよ」 「……」 俺だったらハルヒのノロケ話なんかまともに聞いていられなかっただろうが。長門はコクコクとうなずいて真剣に聞き入っていた。 「絵を描いたあと二人で少し話してたんだけど、宇宙人も未来人も超能力者もいるって言うじゃない。思ったわ、これこそあたしの求めていた人だ、ってね」 「……それで、好意を持った」 「ううん、そのときはまだそういう気分じゃなかったの。あたしはもうどっかにいる宇宙人に送るメッセージのことで頭がいっぱいでね。それから二三日してからだったわ、古泉くんのことをもっと聞いておけばよかったと思ったのは」 「……そう。四字熟語を用いるなら、一期一会」 「まさにそれよ。チャンスはそうそう訪れるもんじゃないわ。人生で一度あるかないかってこともある。それを逃したらもう後は後悔の日々よ。思ったわ、どうしてあのとき古泉くんの電話番号を聞かなかったのかって」 「……」 「あんたも、幸せになるチャンスは絶対逃しちゃだめよ。乗り損なったら、それからはつらいだけだからね」 「……分かった」 しみじみとうなずいてみせる長門だった。 「でさあ、古泉くんが未来人ってことはよ?もしかしたらキョンは宇宙人で、みくるちゃんは超能力者かもしれないじゃない」 「……そう、かもしれない」 そこで話を合わせるにはかなり無理があるが。 「で、思ったわけよ。あんたも実はなにかしら特殊な能力があるんじゃないかって」 話はそこにたどり着くわけか。さて、長門がどう答えたか。 「……」 「あたしの勝手な妄想だけどね。そうだったら楽しいじゃない」 「……実は」 「え?」 「……わたしは、魔法が使える」 ま、まじか。いよいよ正体が明かされるのか。 「どんな魔法?」 「……見て」 長門は寝たままの姿勢で、なにかを包むように両手を合わせ、ゆっくりと手を開いた。真っ暗な部屋のまんなかで、黄緑色のぼんやりとしたホタルのような光が手のひらの上にともった。 「すごいすごい、きれい」 ハルヒは闇の中にともるその光を呆然と見つめた。 「どうやってやってんのこれ」 「……ただの、手品」 「タネは?」 「……内緒。教えると価値が下がる」 「そ、そうね」 それは手品じゃなくて長門の本当の魔法だったのだが、ハルヒにとってはどっちでもよかった。 「きれいね。形があるわけじゃないのね」 長門の手の中で光るホタルのようなものに触れようとして、そこには形も熱すらもないことを不思議そうに見ていた。 「……そ」 長門は手を握り、光を消した。もう一度開くと何もなかった。 「へー、こういうのやれるんだ。またいつかやってみせてね」 「……分かった」 「ねえ」 「……なに」 「手、握ってていい?」 「……」 ハルヒはやっと落ち着いたらしく、スヤスヤと寝息を立てて眠りについた。長門もその寝息を聞きながらうとうとと眠りに落ちた。 と思っていたらハルヒが突然話し掛けた。 「ねえねえ」 寝るのか話があるのかどっちかにしろと。 「あんた、自分がちっぽけな存在だって気づかされたことってある?」 「……これまでに二度、ある」 ハルヒは別に質問しているわけではなくて、自分にはそういうことがあったんだという問わず語りだった。 「小学生のときだったと思うけど、親父に連れられて野球を見に行ったのよ。そのとき球場には五万人くらいいたんだけど、帰って計算してみたら日本の人口の二千分の一でしかなかった。あんなにたくさん人がいるなかで、あたしの存在はそのまた五万分の一に過ぎなかった。驚愕だったわ」 「……そう。わたしの場合は、」 と言いよどんで、 「……自分の能力で動かせると思っていても、実際には大きな渦の中を泳ぐ一点の泡にしかすぎないということに気が付いたとき」 「難しいわね」 「……自分の力を過信していたのかもしれない」 「自分の力で生きていると思ってても、実は何か別の力に背中を押されてたってこと?」 「……そう。近い」 自らの能力を意のままに操る長門と、まったく知らずに能力を使っているハルヒがこういう話をするのは実に面白い。 「あたしもね、たまにだけど誰かに人生をいじられてるような気がすることがあるのよね」 「……」 長門は返事をしなかった。ハルヒを、あるいは世界を守るためとはいえハルヒ個人の人生に意図的な影響を与えている俺たちの存在にうすうすながら気が付いているのかもしれない。 「でもま、別に誰が干渉しようといいわ。今はシアワセだから」 「……そう」 長門はわざと寝息を立てて寝たふりをした。目を閉じたまま物思いにふけっていた。しばらくしてハルヒもスゥスゥと寝息を立てた。 「キョンく~ん、いつまで寝てるの、起きないと遅刻しちゃうよ」 「いやだ。まだ目覚ましは鳴ってないだろ」 「今日が最後だっていうのに、やーっぱりあたしが起こさないとだめなんだよねえ」 やけにリアルな結婚式の夢を見ていてやっと終わったなぁなどと布団の中で温かい安堵感に包まれていたのだが、妹の声を聞いて俺はガバと飛び起きた。 「おい、今何時だ」 「もうすぐお昼だよ」 やっべ、完璧に遅刻だ。またハルヒにどやされる。 「キョンくん、朝ごはんは?」 「こんな緊張する日に飯を食う余裕なんてない」 「だめだよ~、せめて牛乳だけでも飲んでいかないと。式の途中で倒れちゃうよ」 妹だけがいつもどおりうるさくて、親父とおふくろは自分達の衣装で手一杯で俺にかまけてる余裕はないようだ。吐きそうになりながら牛乳をガブ飲みして家を出た。 長門はハルヒと会場へ直行、うちの家族はタクシーで時間までに来ることになっている。俺はひとりで自転車に乗って中央図書館まで全速力で飛ばした。 今日は休館日で正面玄関はまだ開いておらず、地下の通用口から入ると古泉が待ち受けていた。 「おはようございます」 「おおう、おはよう。なんだ、顔が疲れてるぞ」 「式と披露宴の用意で徹夜でしたからね」 古泉は頭を掻き掻き一階のドアを開けた。フロアに足を踏み入れると、ここが図書館だとは思えないほど立派に飾り付けられていた。すべてのガラス窓のカーテンを取り外し、外から光が射すようになっている。西側の壁に花のアーチがあり、その前にミニ教卓みたいな演壇が置いてある。洋式にすると言ってたからたぶんここに牧師か神父様が立つんだろう。その演壇の前から東に向かって白い布が敷いてあり、階段口まで伸びている。これが花嫁と付き添いが歩いてくるバージンロードだ。そのバージンロードの両側にフラワースタンドが立ててあった。ここに招待客の椅子が並ぶのだろう。 確かこの場所には一般書籍の棚があったはずなんだが、本棚を全部動かしたらしい。カウンタも一部なくなっている。肉体労働ご苦労だったろうに。 「よく使用許可が下りたな」 「それはもう、機関の仕事ですから。市議会にもコネはあります」俺の知らないところでかなり予算を使わせたようだな。 招待客は普段と同じ正面玄関から入る。入り口の両脇に大きなフラワースタンドが飾ってあった。通路に並んだ小さなフラワースタンド同士はリボンで結んであり、花でデコレーションされた道に沿って進むと、自然光で白く浮かび上がる式場を目にするという演出だ。 「よくできてるな」 「そうでしょう。今回は自信作みたいですよ」 まじでブライダルプランナーとして食っていけそうだぞ。 「なにやってたのよキョン!」 「すまん、昼飯おごるわ」 「そんなこと言ってる場合じゃないわよ、ほら手伝いなさい」 青いつなぎを着て頭にはタオルを巻いて走り回っている。徹夜明けだとはとても思えんバイタリティだな。 「キョン!ぼーっとしてないで照明取り付けるの手伝いなさい、あんたの挙式でしょうが」 「分かった分かった。おい古泉、時間まで寝てていいぞ」 「じゃあお言葉に甘えます」 俺はジャケットを脱いで腕まくりした。作業着でも着てくるべきだったか。 「長門は来てるのか」 「有希は二階の会議室でメイクと衣装合わせしてるわ。花嫁は人前に出ちゃいけないのよ」 「リハやんないのか」 「リハーサルなんてやらなくていいわよ。すべてあたしの予定通りよ」 なにをやらかすか予測すらつかんお前だから余計に心配なのだが。 「みんな、残り三時間を切ったわ。一気に攻め落とすわよ!」 なにと戦ってるのかよくわからんのだが、走り回っているのはハルヒだけではなくて、うちの社員全員と、それからハカセくんと、機関の人やら鶴屋さん経営の花屋さんまで借り出されているようだ。 場所を借りることができたのは今日一日だけで、十時にカギを開けてもらってから一階の本と雑誌の三分の二を書庫に移し、椅子と本棚を上の階にある展示室まで動かしたとのことだ。終わったらまたこれを元に戻さなければいけないのだが、そのときには俺も動員されるわけだな。やれやれ今から腰が痛いぜ。 「おいハカセくん、あんまり無理すんなよ」 「あ、おはようございます先輩。それからおめでとうございます」 「ありがとよ。適当なところで休んでいいからな」 やせっぽっちのハカセくんは足元もふらつく危うい様子で、教会にあるような五人掛けくらいの横長椅子を抱えて運んでいる。 「日ごろ運動してないんで、やっぱりきついですね」 「研究室に筋トレのベンチプレスでも置いてやろうか」 ハカセくんは肩にかかったタオルで汗を拭いながら苦笑していた。 「みなさん、お昼ごはんにしませんか~」 メイド姿の朝比奈さんが現れるやいなや作業していた人たち全員の目がそっちに動いた。それまで動いていたハンマーやら曲尺やら電動ドライバやら園芸用ハサミなんかがぴたりと止まった。 「おはようございます朝比奈さん」 「いよいよ今日ね」 「そのメイド衣装もひさしぶりですね。ハルヒの命令ですか」 「いいえ、今日くらいは自分で着てみようかと思ったの。キョンくん、この衣装好きでしょう?」 俺のために大サービスですか、感涙です! 「なんというかその、この雰囲気にすごく似合ってますよ」 メイドといえば朝比奈さん、朝比奈さんといえばメイドというくらいに俺の中では代名詞化しているこの姿が若かりし頃を彷彿とさせる。 夏向けメイドスタイルの袖も裾も短めなドレスに白エプロンを鑑賞しているとドヤドヤと飢えた作業員が押しかけ、テーブルに盛られたおにぎりやらお菓子やらサンドイッチなんかをむさぼりはじめた。むさぼりながら朝比奈さんのメイド姿をうんうんとうなずいて眺めていた。 「キョンくんも今のうちに食べておいたほうがいいわ。披露宴じゃ二人とも食べてる時間ほとんどないから」 「そうなんですか、いただきます」 「じゃ、また後でね」 朝比奈さんは大盛のサンドイッチを半分ほど取り分けて長門のために持っていった。俺と長門はハルヒにいったい何をさせられるんだろう。 ホールの掛け時計が一時を回った頃、ハルヒに呼ばれた。 「キョン、そろそろメイクするから控え室に来なさい」 ハルヒの大声にビクリと振り返った。 「メイクっておしろいでも塗るつもりか」 「はぁやくぅ、メイクさんスタンバってるから来なさい、顔剃って髪の毛もセットしないといけないでしょ」 いちおう髭は剃って髪の毛も整えては来たんだがそれだけじゃ満足できないらしい。その辺にいる機関の人に、そいじゃ後頼みますと工具を渡して作業から抜け出した。 市民がイベントなんかで使う二階の集会室を控え室にしているらしい。ドアを開けると鶴屋さんと朝比奈さんの笑い声が聞こえた。盛り上がってるようだな。 「キョン、間仕切りからこっちは女子ルームだから、絶対覗いちゃだめよ」 「そんなマネしねーよ」 「式の前に花嫁に会っちゃ縁起が悪いんだからね」 昔から言われてることだろ、分かってるって。でもちょっとくらいいいよなーなんて隙間から覗こうとしたらハルヒに耳をひっぱられた。 「さっさと髭剃るから耳貸しなさい」 イテテ俺の髭は耳には生えてません。 ハルヒと朝比奈さんが交互にカミソリを当てて顔をなでた。メイクさんって朝比奈さんだったのか。 「なんで顔なんか剃るんです?」 「お化粧のノリをよくするの」 なるほどね。うぶ毛と一緒に顔の表面の脂を取ってるわけか。女の人はいつもこれをやってるわけだ。 「なんなら眉毛も剃る?」 「いえ、眉毛だけは自前で行きたいと思います」 というより、朝顔洗うときに眉毛のない自分の顔を見て腹抱えて笑いそうだからな。最近は剃ってる野郎も多いらしいが。 とはいうものの、キョンくんは眉毛が薄いわねというので少し描いてもらった。鏡を見るとなんというかこう、舞台役者とまではいかないがモデルくらいにはキリリとした眉毛になっていた。アイブローペンシルってのは実に便利だな。鏡を前に眉毛を上げたり下げたり寄せたりしているとハルヒが顔を覗かせて多少はマシじゃないのと笑っていた。いつもは間抜け面で悪かったな。 ピシっとモーニングを着込んで髪にドライヤを当ててもらっているとドアを開けて国木田が入ってきた。娘らしき子供の手を引いている。 「キョンおめでとう」 「おう国木田か、すまんがまだ準備中だ。下で待ってろ」 「ひどいなあ、僕はキョンの付き添いだろ」 「え、俺聞いてねえぞ」 「あたしが頼んだのよ」 「てっきり古泉がやるもんだと思ってたんだが」 「古泉くんは披露宴のほうが忙しいの。こういうイベントは全員に満遍なくキャスティングするのがいいのよ」 ハルヒ流の配役か。なるほどね。 「そいうことならまあ、頼むぜ国木田」 「お任せ」 国木田は自分の胸をドンと叩いてケホケホ咳をしていた。 「その子、国木田の子か」 「そうだよ」 「こんにちはお嬢ちゃん、何歳かな」 手を振ってみせたのだがはにかんで父親の後ろに隠れ、四本の指だけ立ててみせた。なるほどね。年齢的に言えば俺にもこれくらいの子がいてもおかしくないんだよな。 ドアが開いて作業服姿の部長氏が入ってきた。 「社長はこっちかな?」 「待ってたわよ部長、さっさとそれ脱いで」 「ま、まさか僕を身包み剥ごうってのかい!?」 「バカなこと言ってないで、さっさと鏡の前に座りなさい」 部長氏は隣の椅子に座り、 「ベストメンはふつう結婚式の仕切り全般をやるんだけどね」 「部長氏、ベストメンってなんですか」 「知らないのかい?新婦の付き添いがブライドメイド、新郎の付き添いがベストメンだよ」 「ああ、部長氏もだったんですか。こっちは同じく付き添いの国木田です」 「こんちわ。元コンピ研の部長さんだよね、涼宮さんの会社で働いてるんだって?」 「これはこれはどうも、うちの社長がお世話になってるようだね。よろしければ名刺交換などはどうかな?」 部長氏の丁寧語もなんだが変だが。こんなとこで営業モードか、やれやれ。 部長氏と国木田が揃いのタキシードを着込んでいるのを見ていて、なにか忘れているような気になった。とはいってもどうでもいいような、でも忘れると後々厄介なことになりそうな、でもやっぱり思い出せない。忘れ、わ、わわわ……。 「やべ、忘れてた」 「どうしたの?」 「谷口だ。あいつに招待状出してない」 「あんなもの、結婚しましたのハガキ出しとけばいいわよ」 「絶対に呼べと言われてたのに俺殺される」 俺は携帯を開いて谷口に電話をかけた。 「おい谷口」 『なんだキョンか。今日暇ならお前のおごりで呑みに行くか』 「それどころじゃねえ、今から結婚するからすぐに来い」 『は?なに言ってんだお前』 「もうスタンバってんだ、今すぐ式場に来い」 『すまんがなキョン、俺にはそういう趣味は、』 「自分で呼べって言ってただろうが」 『もしかして今日が長門との結婚式だったのか』 「そうだ」 『バカ』 着ていくものがないとかタクシーが捕まらないとか祝儀に包む金がないとかタクシー代払えとか、到着するまでアホの谷口に散々悪態をつかれた俺だったが今日だけは黙って聞き逃しておいた。長門の晴れ姿を一目見せないと一生恨まれそうだからな。まあ忘れていた俺が悪い。 「呼ばれて飛び出ました谷口です!」 あまり歓迎されてもいないのにドアを勢いよく開けて飛び込んできた谷口は、目も覚めるような真っ白な衣装だった。 「おい谷口、誰が白のタキシードで来いつったよ。漫才でもやるつもりか」 「しょうがねえだろ、俺これしか持ってねえんだから」 お前はタキシードで通勤してんのか。どんなエンターテナーだ。 「ちょうどいいわ。谷口、あんたがその格好でベストマンをやんなさい」 「ベストマンってなんだ?」 「ベストメンの代表よ」 「おう、アイアムベストオブザベストマン。まっかせなさい」 俺もハルヒも国木田も、こいつはなにも分かってねえなという顔をしていた。新郎と一緒に並ぶのがベストメンで、その代表役がベストマンだ、覚えておけ。俺も今知った。 「涼宮、ブライドメイドは誰がやるんだ?」 「それは始まってからのお楽しみよ」 谷口は女性の声が聞こえてくる間仕切りの向こう側が気になるらしく、 「そ、その声は麗しの朝比奈さんではありませんか」 「勝手に覗くんじゃないっ、わよ」 ハルヒにヘッドロックをかけられてマイッタを叩いている谷口だった。 式開始三十分前に新川さんが登場した。ノリの効いたピシっと決まったモーニングコートで、髪型も眉毛も髭もネクタイもまったく非の打ち所がないミスターダンディが現れた。 「皆様おはようございます。おかげさまで本日は好天に恵まれまして、有希の挙式にお越しいただきありがとう存じます」 「こ、これは新川先生、長門……さんのお父さんだったんですか!」 「ふつつかながら叔父でございます。有希がいつもお世話になっております」 谷口の記憶じゃやっぱり先生らしく、やたらとペコペコしている。お前も見た目ばっかりかっこつけてないでこういう芯から渋い紳士を見習え。かっこいいってのはこういうのを言うんだ。 「新川先生かっこいいわ。メイクを入れるところがないわね」 「お褒めいただきありがとう存じます。そろそろ招待客のほうも揃い始めたようです」 「新川先生は女子ルームに入っていいわ。キョン、そろそろ出番よ」 「お、おう。行ってくるぜ」 助けてくれ膝が笑って立てない。 「さあキョン、しっかりしてくれよ」国木田に肩を借りた。 「おう、しっかりするぜ」 恥ずかしいことにこれから死刑執行される囚人みたいにして、国木田と谷口に支えられながら一階に下りた。俺が姿を見せると妹とその隣にいるのはたぶんミヨキチだと思うのだが拍手が沸いた。いや、今日の主役は長門だから拍手はそっちに取っといてくれ。 うちは親類と呼べる近縁のやつらが少ない。式に呼んだのは田舎の爺さんと婆さん、俺の名付け親である叔母とその家族だけだった。あとは会社の連中とかつてのクラスメイトが一部。長門の通う研究室の先生などなど。ENOZの四人にはオーケストラを頼んだ。最前列の親父とおふくろは借りてきた猫みたいに座ったまま固まっている。この後の披露宴で親族代表の長いスピーチをやらされることになっていて、もうそればっかりが頭にあるようだ。 俺は右の列のいちばん前の席に座った。ビデオカメラを手にした古泉が隣に寄ってきた。 「立派ですよ、その姿」 「お前が付き添いをやるとばかり思ってたんだがな」 「僕だけがおいしい役をもらうわけにもいきませんしね。みなで分け合わないと」 ハルヒと同じことを言ってるが、こいつの受け売りだったのか。 三人のブライドメイドが進み出た。朝比奈さんに鶴屋さんに喜緑さん、三人とも豪華なシルクのメイドスタイルのドレスを着ていた。そりゃまあ花嫁のメイドだからメイド服なのは分かるが、似合いすぎている。朝比奈さんと鶴屋さんは前にもメイド姿を拝ませてもらったことがあるが、喜緑さんがこのかっこうをするのを見るのははじめてだ。これはいい目の保養になった。鶴屋さんが親指を立ててウインクしてくれた。 白いバラを襟元に挿したベストメンは黒いカラスの中に一羽だけ白いのが混じっていてなんともこっけいな姿だったが、俺のためにやってくれているわけで笑っちゃ悪いよな。 「もう時間だが牧師さんか神父さんはまだ来ないのか」 「来てますよ、ほら」 黒い祭服を着た司祭様がブンブンと玉ぐしを振り回しながら演壇の向こうに歩いてきた。 「なんつーかっこしてんだハルヒ、いつからカソリックになったんだ、しかもそれ神式用だろ」 「これは無宗派の結婚式よ。とりあえず祈っとけばどれかの神様が祝福してくれるに違いないわ。鰯の頭も信心からというでしょ」 「そんなことわざ使ってバチ当たっても知らんぞ」 「黙りなさい」 ハルヒが演壇の前に立つと、さっきまで流れていたBGMがフェードアウトした。 「これより、神聖にして厳粛なる儀式を執り行います」 ハルヒの後ろのガラスから入ってくる光がまるで後光のように射しこんでいる。まあ祭服コスプレはこの場に似合わなくもないわけで、見えないジャンヌダルク並みの神通力でも宿ったのか客席はシンと静まり返った。 時計の針が三時を指すと同時に、両側の壁に据えてあるでかいスピーカーからパイプオルガンの音が流れてきた。ENOZの榎本さんのキーボード演奏らしい。俺も招待客も、全員が起立して後ろを振り返った。 席の後ろのほうがざわついた。階段ホールから新川さんに付き添われた長門が現れた。観衆はオオッとかホゥとか、それぞれ好きに感嘆の声を上げパチパチと写真を撮っている。撮影タイムが終わると二人は白い道の上を一歩踏み出した。 結婚行進曲が響き渡り、客が見守る中バージンロードの上をゆっくりと、一歩ずつ歩いてくる。照明の光の中にくっきりと浮かび上がったピュアホワイトのドレス。そりゃもう白を超える白というか、まぶしくて瞳孔を細くするだけじゃ足りずに何度も瞬きをした。 スポットライトが天井から二人を照らす。赤い口紅をさした長門の顔が少しだけ微笑んでいた。肩まで垂れたベールは頭の後ろでふわりと広がり、頭の上にハート型の小さなティアラがちょこんと乗っている。肩が露になったノースリーブで胸元には二重のフリルが縁取られていた。肌の上に雪の結晶をモチーフにしたネックレスをつけている。 腰まで滑らかにシルクの光沢が続き、腰から丸く広がるプリンセスラインのドレスだった。両腕は半透明な長いグローブに包まれ大きな白と緑のブーケが右手を隠している。 スカートの部分にはコサージュがぽちぽちとあつらえてあり、大きな巻きスカートのように片側でカーブを描いて止まっている。後ろの裾が長めに垂れていた。急遽付き添い娘に採用されたらしい国木田の娘がドレスの裾を持って後ろをついてくる。父親に似て目がぱっちりしていてかわいい。 古泉が小声で言った。 「今日の長門さんはひときわ美しいですね」 「ああ。極上の美しさだ」 「知っていますか、このワーグナーの結婚行進曲はオペラ『ローエングリン』で使われている曲なんです」 こんなときに豆知識を披露しなくてもいいって。古泉はクスクスと笑い、 「素性を隠した王子と娘が結ばれ、王子である正体が明かされてしまい破局に陥るという物語なんです」 「なにがおかしいんだ」 「誰かの境遇によく似ているとは思いませんか」 またそんなミステリーヲタクな話を持ち出しやがって、大昔のオペラの登場人物とひとつふたつ似てるところがあるからってどうってことないだろ。 「いえまあ、こんなときに持ち出すのもなんですが、ひとつだけお願いがあります」 「なんだ」 「今日を境に、ジョンスミスの名前を封印してください」 「久々だが顔が近いぞ、笑顔のまま深刻な話をするな」 「あなたは人生の伴侶として長門有希を選びました。ジョンスミスはひとりしか存在を許されません」 古泉に釘を刺されるのはこれがはじめてかもしれない。 そんなことはお前が心配しなくても俺自身の口から漏れることはないだろうよ。俺は自分の意思で鍵をこいつに渡しちまった。それを取り戻そうなんてことは思わんさ。 「よし、分かった。誓おう」 古泉は黙ってうなずき、花嫁の歩いてくるほうを目で示した。新川さんにエスコートされた長門が目の前に近づいてきた。 「がん、ばれ、よっ」 古泉が俺の肩をポンポンポンと叩いた。こいつ、はじめて俺にタメ口を利いたな。 新川さんが長門の右手を俺の左手に重ね、俺に向かってうなずいてみせた。二人でハルヒ扮する司祭様の前に立った。 すると、突然ハルヒが両手を上げて待ったをかけた。 「ちょ、ちょっとストーップ!そのまま待って!」お前が待ったしてどうする。 「なんだ、どうしたんだハルヒ」 「あれがない、聖書を忘れたわ」 「聖書なんかいらんだろ、無宗派なんだし」 「だめよ、ちゃんと信条にのっとってやんなきゃ」 さっきと言ってることが百七十九度くらい違う気がするんだが。 「……これ、使って」 長門が心得ているというふうに分厚い本を取り出した。って、どっから取り出したんですかそれハイペリオンですかそれ。そんなんで誓いを立てて大丈夫なのか、俺がトゲトゲの化けもんの生贄にされたりしないだろうな。などと突っ込もうとすると、長門の黒い瞳がお願いっという感じで俺を見つめたのでそれだけでもうなんというか反則というかなんでも許してしまえそうな勢いだった。いやまあ、その本が長門のバイブルだというんならそれはそれでいいさ。 ハルヒはまわりを見回して叫んだ。 「さあっ、気を取り直していくわよ」 ハルヒが座れという感じでゼスチャーをすると全員着席した。 「おほん。本日、ここにキョンと有希の婚姻の契りの場に立ち会うという機会を得たことを、神様に深く感謝するものであります」 どの神様か分からないが、厚手のSF小説にうやうやしく右手を置いてありがたい説教を始めるハルヒである。 「はるか昔、アダムとイブの結婚式はたった二人でした。地球上にたった二人っきりで愛の誓いを立てたのです。そのとき相手と結ばれる確率は百パーセントだったかもしれないけど、今では三十億分の一の確率です。いえもう三十五億分の一かもしれません」 人類創世の話がしたいのか人口増加の話がしたいのかよく分からんのだが。 「相手の候補が三十億もいるってことはよ、ボヤボヤしてると見失ってしまうかもしれないわ。昔の人は言いました。恋は気がつかないうちに訪れる。我々はただ、通り過ぎたその後姿を見るだけである」 ハルヒは一息ついて客を見回し、 「つまり、好きな人がいるならさっさと結婚しちゃいなさいってことよ。世界は広くて人生は短くて、迷ってたら幸せなんか手に入らないんだからね」 それが言いたかったのか。話にオチがついたところで皆は納得したようで笑い声が沸いた。恋愛なんて精神病の一種だと誰かが言ってたような気もしなくもないのだが、まあいいこと言ったんで許そう。 「では、誓いの言葉」 俺は長門と向き合い、両手を握って見つめあった。 「キョン、あなたは有希を、健やかなるときも病めるときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「は、ハイ。誓いマス」 声が裏声になっていたが後ろのほうまでちゃんと聞こえたか。 「有希、あなたはキョンを、元気なときも具合の悪いときも、優柔不断なときもグズグズして待たされるときも女心に鈍くてどうしようもないときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「……誓う」 「よろしい。では指輪の交換をしなさい」 長門は朝比奈さんから、俺は谷口から結婚指輪を受け取った。俺はその銀色に輝くリングをケースから取り出し、きっと酸素が足りなくて頭がぼけていたのだろう、自らの薬指にはめようとしていた。は、はまらねえ。 「……こっち」 長門が自分の手を差し出して促した。本番中にトチるなんてなにやってんだろね俺は。 長門の細い薬指にリングをはめてやると、ハルヒが、 「人類とこの宇宙のすべての存在から与えられた権限により、キョンと有希が夫婦であることをここに認めます。さあっ誓いのキスよ」 え、この衆人環視の前でやんのかよ、聞いてねえぞ。ふつうはここで音楽が鳴って拍手に包まれながら退場だろう。 「キョンなに躊躇してんのよ、さっさとやるの。皆さん、神聖なるキスシーンの撮影はご遠慮ください」 そうは言ったがハルヒはやおら古泉を指差し、 「古泉くん、ちゃんと撮ってる?」 こ、このバチ当たり神父が。 古泉のカメラのインジケータが赤く光ったままじっとこっちを見ていた。向き合ったままの長門はそのまま固まって俺を待っていた。しょうがない。これが生涯で二度目になるキスなのだが、俺は長門のあまりに真剣なまなざしに少し不安になり、チラと喜緑さんを見た。喜緑さんは微笑んでうなずいてくれた。 溜飲が下がる思いで俺は長門の肩を抱き寄せた。長門の左手が俺の腰を捉え、俺の右手はゆっくりと長門の左頬に触れた。その手で耳の後ろを支えて、目を閉じた長門の顔との距離が少しずつ狭まってゆく。乾いた唇を少しだけ濡らし、やわらかな、温かな、ぽってりと濡れた感触が唇の先に広がった。 視界がぼんやりと白い光に包まれてゆく。過去も未来も、そして現在までもがゆっくりと流れ、やがて音もなく止まった。 閉じた目を開けゆっくりと唇を離すとそこにはなにもなく、ただぼんやりとした白い風景だった。誰もいない、なにもない、無音。目の前にいるのは長門だけだった。 「ここは……どこだ?俺は夢でも見てるのか」 「……閉鎖空間。あなた自身の」 なんと、俺が作ってんのか。そういえば前にも来たことがあるような気がする。なぜか巫女衣装の朝比奈さんが思い浮かぶ。いや、長門の親父さんだったかな。異空間はハルヒの専売特許だとばかり思っていたが、それにしちゃハルヒのとは色も雰囲気もずいぶんと違うな。 「……そう。閉鎖空間は本人の精神世界を反映する。今のあなたの気持ちが、これ」 真っ白ってのが俺のどんな気持ちを表すのか、フロイト先生を聞きかじった程度の俺にはちょっと分からんが、でも、今どんな気持ちかと聞かれたらちゃんと答えられる。そう、今こそが本当に幸せそのものだ。 「俺がここにいるってことは、どうやってここから出るんだ?」 「……もう一度、キスして」 長門は目を閉じ、頭を反らして小さな唇をちょんと突き出した。俺は最初のときと同じに両手で暖かい頬を包み、長門の後ろ髪の感触を指先に感じながら唇を近づけた。 ── 今まで、ちゃんと言えなくてごめんな。大好きだ…… やがて人の声、拍手と指笛、まぶしい光、足音、花の香り、長門の化粧の匂いが一気に戻ってきた。目を開けると頬を染めた長門がじっと俺を見つめていた。 次の瞬間、聞き覚えのあるもうひとつの結婚行進曲が鳴り響いた。メンデルスゾーンだっけな。 そのまま長門の手を引いてゆっくりとバージンロードを歩いた。招待客がバラの花びらを二人の上に放り投げ、派手なフラワーシャワーを浴びた。いやあなんというか、こういう演出は嬉しいね。 そういえばこの後の予定を聞いてなかった。古泉にこの後どうするんだという視線を送った。 「車を用意していますので、そのまま披露宴の会場に行ってください」 拍手の合間を古泉が大声で答えてきた。この会場誰が片付けるんだろうと不安になったのだが、まあ後のことはこいつらに任せておこう。 正面玄関まで来たところでなにか大事なことを忘れているような気がして、俺は振り返ってみんなを呼んだ。 「あそうだ、皆さん、ブーケトスをやりますよ」 「待ちなさい、ちょーっと待ちなさいキョン、あたしが行くまで投げちゃだめよ。ほらほらみくるちゃんも走って」 言うが早いかハルヒ神父を先頭に、ブライドメイドの三人や、赤やピンクやパープルで着飾った女性陣がスカートを捲り上げて殺到した。独身女性がこんなにいたのか、こりゃあ争奪戦になるぞ。 長門が俺の耳元でボソボソ話した。 「……ブーケトスってなに」 「後ろを向いてその花を投げればいいんだ。まあアミダくじみたいなもんだな」 「……ひとつしかない」 「取り合いになったら困るから少し増やしてくれ」 「……分かった」 長門が後ろを向いてふわりとブーケを投げた。全員がその行方を見つめる中、まるで計算されたかのような緩やかな放物線を描いた。小さな花束は空中でポンと分裂し、いくつものブーケになって舞い降りた。突然増殖したブーケに慌てた女どもはどれを捕まえればいいのか右往左往していたが、たぶん全員分はあるだろう。なに喜んでるんだ谷口、お前は男だろうが。 玄関を出ると黒塗りの個人タクシーが止まっていた。なんとなく見覚えはあるのだが後部シートがやたら長くて普通車の二台か三台分はある。ってこれリムジンとかいうやつじゃ。モーニングのままの新川さんが運転席のドアを開けて出てきた。 「お二人様、ご成婚おめでとうございます」 「……ありがとう」 「どうも新川さ、お義父さん。運転手までさせてしまってすいません」 「いえいえ、わたくしはこれが本業でございますゆえ」 新川さんがドアを開けて長門が乗り込むのを手伝った。スカートの重なったレースがふわふわと膨らんで花嫁が埋もれている。中に入るとほのかにライトがともり、テーブルの脇にはシャンペンとグラスが用意してあった。 ゆったりサイズのL型シートには軽く六人は座れそうなのだが、俺と長門は隅っこに身を寄せ合って座った。ふわふわの布張りの床、壁には液晶テレビと電話、サイドテーブルにはワインクーラーと冷蔵庫、乗るのも見るのもはじめてだがこいつは豪華だ。 「長門、シャンペン飲むか」 「……うん」 俺は冷えきった瓶の栓をポンと抜いてしゅわしゅわとグラスに注いだ。二人のグラスを合わせるとチリンと軽い音がした。 新川さんの演出らしく車内に洋楽ラブソングが流れはじめた。壁のインターホンが鳴った。 「披露宴までまだ時間がありますから、少しドライブに出ましょう。到着までゆったりとおくつろぎください」 おくつろぎくださいと申されましても、もうこの車のゴーシャスな内装に圧倒されて正座なんかしている俺なのでありますが。とりあえず新郎らしく長門の肩を引き寄せてみたりした。長門も首を傾けて俺の肩にもたれている。 車が走り出すと、突然後ろのほうでやかましい金属音が鳴り響き驚いて振り向いた。ああ、あれだ。空き缶のガラガラだ。今どきこんな派手なガラガラを引く新婚カップルもいないと思うが、でかい音を出して悪魔を追い払う魔除けなんだとか昔はひも靴を引っ張っていたんだとか、どれがほんとなのかは知らん由緒曖昧な古の習慣らしい。 道行く人がなにごとかとこっちを見て、空き缶を見て指差して微笑んでいる。若いあんちゃんが親指を立てているのを見て、俺たち結婚したんだぜと急に自慢したくなってきた。このまま突っ走って世界中を駆け巡ってみたい気分だ。 七章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4901.html
六 章 Illustration どこここ 頼んでいたマリッジリングができたという連絡が入り、俺と長門は受け取りに行った。当然だが俺が長門のをもらい、長門が俺のを預かる。こっそり蓋を開けてみたがポツリと埋め込まれた小粒のダイヤがなかなかにかわいい。リングの裏側には長門デザインの宇宙文字の半分が刻まれている。これが俺たちの絆になるんだよなあ。 招待客のピックアップだけして、会場と衣装の用意はハルヒが一式任せろというので放っておいた。長門の招待客リストを見ると俺とほとんど被っていて、うちの社員とハカセくん、機関の顔見知り、トータルで二十人にも満たない。 「俺たちの知り合いって、数えてみると意外に少ないんだな」 「……そう」 「じゃあ高校のときの同級生なんかも呼ぶか」 「……いい」 頭数といっちゃ失礼かもしれないが、式場と披露宴会場を埋めるために阪中に頼んで同窓生名簿をFAXしてもらった。三年五組の卒業生全員と、あとはENOZのメンバーくらいか。ああ、岡部を忘れてた。ハルヒが披露宴の客を百人集めろと言っていたのだが、いくらかき集めてもそんなにいないよな。 「長門、大学院の先生とか同級生も呼んでくれ。人数が足りない」 「……分かった」 もう“ご出席・ご欠席”の返事をもらうのがめんどくさくて、来たいやつは来い、来れないやつはメッセージでもよこせと一方的に招待状を送りつけた。いったい何パーセントの人間が集まるのか予測もつかんが、まあなんとかなるだろう。 俺たちの周辺はほとんどが学生の頃からの付き合いばかりで、SOS団の奇矯な活動ぶりを知らないやつはいないんだが、招待された客の中でハルヒを知らないやつらが初めてハルヒを見たらさぞかしぶったまげるに違いない。 そんなこんなしているうち、式もいよいよ翌日と迫り、なんだかやり残したことがまだありそうな気がして妙に不安にかられるんだが、思いつく限りの用意はしたはずであとは野となれ山となれって気持ちだ。 式の前日はなにもすることがなくひとりで自室にこもっていたのだが、どうも落ち着かなくて長門にこっそり電話をかけた。 「な、なあ。今日お前んちに泊まろうと思うんだが」 このひと言を言葉にしてノドから出すのにやたら緊張して目が泳いでいた。 『……すまない。今日は、用事がある』 意を決してお泊りを申請したのだがあっけなく却下された。ホッとしたというか、でも少し寂しいみたいな。 「そうか。いやいいんだ。式が終わったらお前んちに引っ越すわけだし」 にしても、俺が泊まれない用事ってなんだろ。 『……涼宮ハルヒの部屋に呼ばれている』 「あ、もしかしてあれか。花嫁の女友達を呼んで式の前日にやるとかいう、」 バ、バチェラーパーティかよ!マッチョなストリッパーを呼んでテーブルの上で腰をクネクネ躍らせたり着てるもんを剥ぎ取ったりしねーだろな。俺はハルヒと長門が一万円札を筋肉隆々ストリッパーのパンツに挟んでいるところを妄想してしまい頭を振った。 長門曰く、今までハルヒの部屋に泊まったことがなかったので、これが最後だからと呼ばれたのらしい。最後というか結婚してもたぶん呼ばれると思うぞ。俺たちの新婚生活に探りを入れるためにな。 その日俺は自室のベットでまんじりともせず眠れない夜を過ごしていた。家の中は緊張感とも期待感とも惜別の思いとも言えない奇妙な雰囲気に包まれていた。妹も両親もやけに無口で、テレビの画面を意味もなく眺めるほかは思い出したように長門のことを聞いてくるくらいだった。俺もああとかうんとか曖昧に答えるだけで、どうもこの家から出て行くという実感がないことに戸惑っていた。シャミだけが変わらず俺の足元をぐるぐるとまわって甘えている。 「キョンくん、シャミはどうするの?連れて行くの?」 「こいつはこの家が気に入ってるようだから置いてく。お前が面倒みてやれ」 「うん、分かった。シャミ~明日からあたしと寝るんだよ」 シャミセンはそんな我が家のイベントを知ってか知らずか、猫マフラーをしようとした妹の手から逃げた。猫ってのはそうあれこれかまってやることはないんだが。人形のように動物を扱う妹には犬のほうが合ってるかもしれん。 「ああそれからな、俺の部屋にあるテレビとかゲームとか全部やるわ」 「ほんとう?わーい」 貸していたハサミは結局俺のところには戻ってこなかったが。 ベットの上でじっと天井を見つめたままなんだか落ち着かない。不安とかそんなありきたりな感情ではなくて、ここから俺のなにが変わるんだろうかという一抹の……なんだろう。言葉にならない。生活のスタイルだけが変わって俺自身はなにも変わらないのだろうけれど。気持ちとしては長門と二人でうまくやっていけるかという迷い、あるいは長門が家族になることへの戸惑いか、俺なんかが長門を幸せにしてやれるのかという疑問か、たぶんそんなところだ。もう長門とは呼べなくなるよな。 「有希、有希、か」 口に出して言ってみたがどうもしっくりこない。いっそのことのろけモードでユキリンと呼んでみようか。 「なあユキリン」 「……なに、ダーリン」 などと周囲がブリザードに見舞われてしまいそうな二人の会話を想像して俺は枕をボスボスと叩いた。やたら恥ずかしいじゃないか。 にしてもあいつら今ごろなにしてんだろ。ハルヒと長門がその夜なにをしているか俺の知るところではないのだが、── これもまた後になって聞いた話だ。 ハルヒが電灯のヒモをパチリと引いて消した。そのままスヤスヤと寝息が聞こえてくるのかと待っていたがそうでもなかった。長門はじっと息を潜めてハルヒが眠りにつくのを待っていたのだが、どうやらハルヒも長門が眠るのを待っているらしいのである。 「有希、どうしたの?」 「……眠れない」 「そうよね。あたしもなんだか頭に血が登っちゃって眠れないのよね。遠足の前の日とか、旅行に行った先の宿とかね」 「……一種の興奮状態」 「そうそう、アドレナリンが漏れ出してる感じね」 ハルヒが唐突に切り出した。 「ねえ有希」 「……なに」 「前から思ってたんだけど」 長門には、どこかでギクという音が聞こえたそうだ。 「キョンってふつうじゃないわよね」 「……ふつう、とは」 「はっきり言うけど笑わないでよね。キョンってもしかしてふつうの人間じゃないんじゃないかしら」 「……それは、わたしも疑っていた」 「でしょでしょ、有希もそう思うでしょ。あいつはほかのやつとはどこか違うって、会ったときから思ってたんだけどね。もしかしたら宇宙人とか」 暗闇の中で、長門はどう答えようかと何パターンもの会話のやりとりを計算した。 「なんでそう思ったかというとね、あのね、秘密だけど、古泉くんは実は未来人だったのよ」 「……」 「実を言うと十年前に一度古泉くんに会ったことがあるの」 ハルヒは誰にも教えてない秘密を打ち明けるように目をキラキラと輝かせて言った。まずい、これはまずい。ハルヒが危険エリアに近づきすぎている。といっても明後日の方角だが。 「……そう」 長門はどう反応したものかずいぶんと迷ったそうだ。ハルヒと古泉が遭遇したいつかの七月七日、その場に居合わせていたがために、話を合わせるのも知らぬ存ぜぬとごまかすのも困難を極めた。 こういうときは相手に話をさせるに限る。 「……詳しく」 「聞きたい?聞きたいでしょ。あたしもまさかあそこで未来人と遭遇するとは夢にも思ってなかったわ」 ハルヒがモノローグを延々続けるどっかの主人公のようにもったいぶって言うと、長門もしょうがなしに釣られたふりをした。自分も古泉を未来人に仕立て上げた一味なのだが。 「……かなり、興味がある」 「あたしが中学生のころなんだけどね。夏だったかな、夜中に中学校の運動場に地上絵を描いたことがあったのよ」 「……どんな絵」 「なんていうかね、あたしが勝手に作った宇宙文字なんだけどね。この広い宇宙にもし人類以外の知的生命体がいるなら、あたしのところに来なさい、みたいな意味のね」 「……それは、新聞で見たことがある」 「そうそう、地方欄に出たのよあれが。謎の地上絵出現とかタイトルがふってあってもう笑っちゃったわ」 「……」 「でね、運動場に忍び込もうとしたとき古泉くんにバッタリ会ったの。そのときは近所のおっさんだと思ってたんだけど、よくよく見るとこっれがまたいい男なのよ」 「……」 俺だったらハルヒのノロケ話なんかまともに聞いていられなかっただろうが。長門はコクコクとうなずいて真剣に聞き入っていた。 「絵を描いたあと二人で少し話してたんだけど、宇宙人も未来人も超能力者もいるって言うじゃない。思ったわ、これこそあたしの求めていた人だ、ってね」 「……それで、好意を持った」 「ううん、そのときはまだそういう気分じゃなかったの。あたしはもうどっかにいる宇宙人に送るメッセージのことで頭がいっぱいでね。それから二三日してからだったわ、古泉くんのことをもっと聞いておけばよかったと思ったのは」 「……そう。四字熟語を用いるなら、一期一会」 「まさにそれよ。チャンスはそうそう訪れるもんじゃないわ。人生で一度あるかないかってこともある。それを逃したらもう後は後悔の日々よ。思ったわ、どうしてあのとき古泉くんの電話番号を聞かなかったのかって」 「……」 「あんたも、幸せになるチャンスは絶対逃しちゃだめよ。乗り損なったら、それからはつらいだけだからね」 「……分かった」 しみじみとうなずいてみせる長門だった。 「でさあ、古泉くんが未来人ってことはよ?もしかしたらキョンは宇宙人で、みくるちゃんは超能力者かもしれないじゃない」 「……そう、かもしれない」 そこで話を合わせるにはかなり無理があるが。 「で、思ったわけよ。あんたも実はなにかしら特殊な能力があるんじゃないかって」 話はそこにたどり着くわけか。さて、長門がどう答えたか。 「……」 「あたしの勝手な妄想だけどね。そうだったら楽しいじゃない」 「……実は」 「え?」 「……わたしは、魔法が使える」 ま、まじか。いよいよ正体が明かされるのか。 「どんな魔法?」 「……見て」 長門は寝たままの姿勢で、なにかを包むように両手を合わせ、ゆっくりと手を開いた。真っ暗な部屋のまんなかで、黄緑色のぼんやりとしたホタルのような光が手のひらの上にともった。 「すごいすごい、きれい」 ハルヒは闇の中にともるその光を呆然と見つめた。 「どうやってやってんのこれ」 「……ただの、手品」 「タネは?」 「……内緒。教えると価値が下がる」 「そ、そうね」 それは手品じゃなくて長門の本当の魔法だったのだが、ハルヒにとってはどっちでもよかった。 「きれいね。形があるわけじゃないのね」 長門の手の中で光るホタルのようなものに触れようとして、そこには形も熱すらもないことを不思議そうに見ていた。 「……そ」 長門は手を握り、光を消した。もう一度開くと何もなかった。 「へー、こういうのやれるんだ。またいつかやってみせてね」 「……分かった」 「ねえ」 「……なに」 「手、握ってていい?」 「……」 ハルヒはやっと落ち着いたらしく、スヤスヤと寝息を立てて眠りについた。長門もその寝息を聞きながらうとうとと眠りに落ちた。 と思っていたらハルヒが突然話し掛けた。 「ねえねえ」 寝るのか話があるのかどっちかにしろと。 「あんた、自分がちっぽけな存在だって気づかされたことってある?」 「……これまでに二度、ある」 ハルヒは別に質問しているわけではなくて、自分にはそういうことがあったんだという問わず語りだった。 「小学生のときだったと思うけど、親父に連れられて野球を見に行ったのよ。そのとき球場には五万人くらいいたんだけど、帰って計算してみたら日本の人口の二千分の一でしかなかった。あんなにたくさん人がいるなかで、あたしの存在はそのまた五万分の一に過ぎなかった。驚愕だったわ」 「……そう。わたしの場合は、」 と言いよどんで、 「……自分の能力で動かせると思っていても、実際には大きな渦の中を泳ぐ一点の泡にしかすぎないということに気が付いたとき」 「難しいわね」 「……自分の力を過信していたのかもしれない」 「自分の力で生きていると思ってても、実は何か別の力に背中を押されてたってこと?」 「……そう。近い」 自らの能力を意のままに操る長門と、まったく知らずに能力を使っているハルヒがこういう話をするのは実に面白い。 「あたしもね、たまにだけど誰かに人生をいじられてるような気がすることがあるのよね」 「……」 長門は返事をしなかった。ハルヒを、あるいは世界を守るためとはいえハルヒ個人の人生に意図的な影響を与えている俺たちの存在にうすうすながら気が付いているのかもしれない。 「でもま、別に誰が干渉しようといいわ。今はシアワセだから」 「……そう」 長門はわざと寝息を立てて寝たふりをした。目を閉じたまま物思いにふけっていた。しばらくしてハルヒもスゥスゥと寝息を立てた。 「キョンく~ん、いつまで寝てるの、起きないと遅刻しちゃうよ」 「いやだ。まだ目覚ましは鳴ってないだろ」 「今日が最後だっていうのに、やーっぱりあたしが起こさないとだめなんだよねえ」 やけにリアルな結婚式の夢を見ていてやっと終わったなぁなどと布団の中で温かい安堵感に包まれていたのだが、妹の声を聞いて俺はガバと飛び起きた。 「おい、今何時だ」 「もうすぐお昼だよ」 やっべ、完璧に遅刻だ。またハルヒにどやされる。 「キョンくん、朝ごはんは?」 「こんな緊張する日に飯を食う余裕なんてない」 「だめだよ~、せめて牛乳だけでも飲んでいかないと。式の途中で倒れちゃうよ」 妹だけがいつもどおりうるさくて、親父とおふくろは自分達の衣装で手一杯で俺にかまけてる余裕はないようだ。吐きそうになりながら牛乳をガブ飲みして家を出た。 長門はハルヒと会場へ直行、うちの家族はタクシーで時間までに来ることになっている。俺はひとりで自転車に乗って中央図書館まで全速力で飛ばした。 今日は休館日で正面玄関はまだ開いておらず、地下の通用口から入ると古泉が待ち受けていた。 「おはようございます」 「おおう、おはよう。なんだ、顔が疲れてるぞ」 「式と披露宴の用意で徹夜でしたからね」 古泉は頭を掻き掻き一階のドアを開けた。フロアに足を踏み入れると、ここが図書館だとは思えないほど立派に飾り付けられていた。すべてのガラス窓のカーテンを取り外し、外から光が射すようになっている。西側の壁に花のアーチがあり、その前にミニ教卓みたいな演壇が置いてある。洋式にすると言ってたからたぶんここに牧師か神父様が立つんだろう。その演壇の前から東に向かって白い布が敷いてあり、階段口まで伸びている。これが花嫁と付き添いが歩いてくるバージンロードだ。そのバージンロードの両側にフラワースタンドが立ててあった。ここに招待客の椅子が並ぶのだろう。 確かこの場所には一般書籍の棚があったはずなんだが、本棚を全部動かしたらしい。カウンタも一部なくなっている。肉体労働ご苦労だったろうに。 「よく使用許可が下りたな」 「それはもう、機関の仕事ですから。市議会にもコネはあります」俺の知らないところでかなり予算を使わせたようだな。 招待客は普段と同じ正面玄関から入る。入り口の両脇に大きなフラワースタンドが飾ってあった。通路に並んだ小さなフラワースタンド同士はリボンで結んであり、花でデコレーションされた道に沿って進むと、自然光で白く浮かび上がる式場を目にするという演出だ。 「よくできてるな」 「そうでしょう。今回は自信作みたいですよ」 まじでブライダルプランナーとして食っていけそうだぞ。 「なにやってたのよキョン!」 「すまん、昼飯おごるわ」 「そんなこと言ってる場合じゃないわよ、ほら手伝いなさい」 青いつなぎを着て頭にはタオルを巻いて走り回っている。徹夜明けだとはとても思えんバイタリティだな。 「キョン!ぼーっとしてないで照明取り付けるの手伝いなさい、あんたの挙式でしょうが」 「分かった分かった。おい古泉、時間まで寝てていいぞ」 「じゃあお言葉に甘えます」 俺はジャケットを脱いで腕まくりした。作業着でも着てくるべきだったか。 「長門は来てるのか」 「有希は二階の会議室でメイクと衣装合わせしてるわ。花嫁は人前に出ちゃいけないのよ」 「リハやんないのか」 「リハーサルなんてやらなくていいわよ。すべてあたしの予定通りよ」 なにをやらかすか予測すらつかんお前だから余計に心配なのだが。 「みんな、残り三時間を切ったわ。一気に攻め落とすわよ!」 なにと戦ってるのかよくわからんのだが、走り回っているのはハルヒだけではなくて、うちの社員全員と、それからハカセくんと、機関の人やら鶴屋さん経営の花屋さんまで借り出されているようだ。 場所を借りることができたのは今日一日だけで、十時にカギを開けてもらってから一階の本と雑誌の三分の二を書庫に移し、椅子と本棚を上の階にある展示室まで動かしたとのことだ。終わったらまたこれを元に戻さなければいけないのだが、そのときには俺も動員されるわけだな。やれやれ今から腰が痛いぜ。 「おいハカセくん、あんまり無理すんなよ」 「あ、おはようございます先輩。それからおめでとうございます」 「ありがとよ。適当なところで休んでいいからな」 やせっぽっちのハカセくんは足元もふらつく危うい様子で、教会にあるような五人掛けくらいの横長椅子を抱えて運んでいる。 「日ごろ運動してないんで、やっぱりきついですね」 「研究室に筋トレのベンチプレスでも置いてやろうか」 ハカセくんは肩にかかったタオルで汗を拭いながら苦笑していた。 「みなさん、お昼ごはんにしませんか~」 メイド姿の朝比奈さんが現れるやいなや作業していた人たち全員の目がそっちに動いた。それまで動いていたハンマーやら曲尺やら電動ドライバやら園芸用ハサミなんかがぴたりと止まった。 「おはようございます朝比奈さん」 「いよいよ今日ね」 「そのメイド衣装もひさしぶりですね。ハルヒの命令ですか」 「いいえ、今日くらいは自分で着てみようかと思ったの。キョンくん、この衣装好きでしょう?」 俺のために大サービスですか、感涙です! 「なんというかその、この雰囲気にすごく似合ってますよ」 メイドといえば朝比奈さん、朝比奈さんといえばメイドというくらいに俺の中では代名詞化しているこの姿が若かりし頃を彷彿とさせる。 夏向けメイドスタイルの袖も裾も短めなドレスに白エプロンを鑑賞しているとドヤドヤと飢えた作業員が押しかけ、テーブルに盛られたおにぎりやらお菓子やらサンドイッチなんかをむさぼりはじめた。むさぼりながら朝比奈さんのメイド姿をうんうんとうなずいて眺めていた。 「キョンくんも今のうちに食べておいたほうがいいわ。披露宴じゃ二人とも食べてる時間ほとんどないから」 「そうなんですか、いただきます」 「じゃ、また後でね」 朝比奈さんは大盛のサンドイッチを半分ほど取り分けて長門のために持っていった。俺と長門はハルヒにいったい何をさせられるんだろう。 ホールの掛け時計が一時を回った頃、ハルヒに呼ばれた。 「キョン、そろそろメイクするから控え室に来なさい」 ハルヒの大声にビクリと振り返った。 「メイクっておしろいでも塗るつもりか」 「はぁやくぅ、メイクさんスタンバってるから来なさい、顔剃って髪の毛もセットしないといけないでしょ」 いちおう髭は剃って髪の毛も整えては来たんだがそれだけじゃ満足できないらしい。その辺にいる機関の人に、そいじゃ後頼みますと工具を渡して作業から抜け出した。 市民がイベントなんかで使う二階の集会室を控え室にしているらしい。ドアを開けると鶴屋さんと朝比奈さんの笑い声が聞こえた。盛り上がってるようだな。 「キョン、間仕切りからこっちは女子ルームだから、絶対覗いちゃだめよ」 「そんなマネしねーよ」 「式の前に花嫁に会っちゃ縁起が悪いんだからね」 昔から言われてることだろ、分かってるって。でもちょっとくらいいいよなーなんて隙間から覗こうとしたらハルヒに耳をひっぱられた。 「さっさと髭剃るから耳貸しなさい」 イテテ俺の髭は耳には生えてません。 ハルヒと朝比奈さんが交互にカミソリを当てて顔をなでた。メイクさんって朝比奈さんだったのか。 「なんで顔なんか剃るんです?」 「お化粧のノリをよくするの」 なるほどね。うぶ毛と一緒に顔の表面の脂を取ってるわけか。女の人はいつもこれをやってるわけだ。 「なんなら眉毛も剃る?」 「いえ、眉毛だけは自前で行きたいと思います」 というより、朝顔洗うときに眉毛のない自分の顔を見て腹抱えて笑いそうだからな。最近は剃ってる野郎も多いらしいが。 とはいうものの、キョンくんは眉毛が薄いわねというので少し描いてもらった。鏡を見るとなんというかこう、舞台役者とまではいかないがモデルくらいにはキリリとした眉毛になっていた。アイブローペンシルってのは実に便利だな。鏡を前に眉毛を上げたり下げたり寄せたりしているとハルヒが顔を覗かせて多少はマシじゃないのと笑っていた。いつもは間抜け面で悪かったな。 ピシっとモーニングを着込んで髪にドライヤを当ててもらっているとドアを開けて国木田が入ってきた。娘らしき子供の手を引いている。 「キョンおめでとう」 「おう国木田か、すまんがまだ準備中だ。下で待ってろ」 「ひどいなあ、僕はキョンの付き添いだろ」 「え、俺聞いてねえぞ」 「あたしが頼んだのよ」 「てっきり古泉がやるもんだと思ってたんだが」 「古泉くんは披露宴のほうが忙しいの。こういうイベントは全員に満遍なくキャスティングするのがいいのよ」 ハルヒ流の配役か。なるほどね。 「そいうことならまあ、頼むぜ国木田」 「お任せ」 国木田は自分の胸をドンと叩いてケホケホ咳をしていた。 「その子、国木田の子か」 「そうだよ」 「こんにちはお嬢ちゃん、何歳かな」 手を振ってみせたのだがはにかんで父親の後ろに隠れ、四本の指だけ立ててみせた。なるほどね。年齢的に言えば俺にもこれくらいの子がいてもおかしくないんだよな。 ドアが開いて作業服姿の部長氏が入ってきた。 「社長はこっちかな?」 「待ってたわよ部長、さっさとそれ脱いで」 「ま、まさか僕を身包み剥ごうってのかい!?」 「バカなこと言ってないで、さっさと鏡の前に座りなさい」 部長氏は隣の椅子に座り、 「ベストメンはふつう結婚式の仕切り全般をやるんだけどね」 「部長氏、ベストメンってなんですか」 「知らないのかい?新婦の付き添いがブライドメイド、新郎の付き添いがベストメンだよ」 「ああ、部長氏もだったんですか。こっちは同じく付き添いの国木田です」 「こんちわ。元コンピ研の部長さんだよね、涼宮さんの会社で働いてるんだって?」 「これはこれはどうも、うちの社長がお世話になってるようだね。よろしければ名刺交換などはどうかな?」 部長氏の丁寧語もなんだが変だが。こんなとこで営業モードか、やれやれ。 部長氏と国木田が揃いのタキシードを着込んでいるのを見ていて、なにか忘れているような気になった。とはいってもどうでもいいような、でも忘れると後々厄介なことになりそうな、でもやっぱり思い出せない。忘れ、わ、わわわ……。 「やべ、忘れてた」 「どうしたの?」 「谷口だ。あいつに招待状出してない」 「あんなもの、結婚しましたのハガキ出しとけばいいわよ」 「絶対に呼べと言われてたのに俺殺される」 俺は携帯を開いて谷口に電話をかけた。 「おい谷口」 『なんだキョンか。今日暇ならお前のおごりで呑みに行くか』 「それどころじゃねえ、今から結婚するからすぐに来い」 『は?なに言ってんだお前』 「もうスタンバってんだ、今すぐ式場に来い」 『すまんがなキョン、俺にはそういう趣味は、』 「自分で呼べって言ってただろうが」 『もしかして今日が長門との結婚式だったのか』 「そうだ」 『バカ』 着ていくものがないとかタクシーが捕まらないとか祝儀に包む金がないとかタクシー代払えとか、到着するまでアホの谷口に散々悪態をつかれた俺だったが今日だけは黙って聞き逃しておいた。長門の晴れ姿を一目見せないと一生恨まれそうだからな。まあ忘れていた俺が悪い。 「呼ばれて飛び出ました谷口です!」 あまり歓迎されてもいないのにドアを勢いよく開けて飛び込んできた谷口は、目も覚めるような真っ白な衣装だった。 「おい谷口、誰が白のタキシードで来いつったよ。漫才でもやるつもりか」 「しょうがねえだろ、俺これしか持ってねえんだから」 お前はタキシードで通勤してんのか。どんなエンターテナーだ。 「ちょうどいいわ。谷口、あんたがその格好でベストマンをやんなさい」 「ベストマンってなんだ?」 「ベストメンの代表よ」 「おう、アイアムベストオブザベストマン。まっかせなさい」 俺もハルヒも国木田も、こいつはなにも分かってねえなという顔をしていた。新郎と一緒に並ぶのがベストメンで、その代表役がベストマンだ、覚えておけ。俺も今知った。 「涼宮、ブライドメイドは誰がやるんだ?」 「それは始まってからのお楽しみよ」 谷口は女性の声が聞こえてくる間仕切りの向こう側が気になるらしく、 「そ、その声は麗しの朝比奈さんではありませんか」 「勝手に覗くんじゃないっ、わよ」 ハルヒにヘッドロックをかけられてマイッタを叩いている谷口だった。 式開始三十分前に新川さんが登場した。ノリの効いたピシっと決まったモーニングコートで、髪型も眉毛も髭もネクタイもまったく非の打ち所がないミスターダンディが現れた。 「皆様おはようございます。おかげさまで本日は好天に恵まれまして、有希の挙式にお越しいただきありがとう存じます」 「こ、これは新川先生、長門……さんのお父さんだったんですか!」 「ふつつかながら叔父でございます。有希がいつもお世話になっております」 谷口の記憶じゃやっぱり先生らしく、やたらとペコペコしている。お前も見た目ばっかりかっこつけてないでこういう芯から渋い紳士を見習え。かっこいいってのはこういうのを言うんだ。 「新川先生かっこいいわ。メイクを入れるところがないわね」 「お褒めいただきありがとう存じます。そろそろ招待客のほうも揃い始めたようです」 「新川先生は女子ルームに入っていいわ。キョン、そろそろ出番よ」 「お、おう。行ってくるぜ」 助けてくれ膝が笑って立てない。 「さあキョン、しっかりしてくれよ」国木田に肩を借りた。 「おう、しっかりするぜ」 恥ずかしいことにこれから死刑執行される囚人みたいにして、国木田と谷口に支えられながら一階に下りた。俺が姿を見せると妹とその隣にいるのはたぶんミヨキチだと思うのだが拍手が沸いた。いや、今日の主役は長門だから拍手はそっちに取っといてくれ。 うちは親類と呼べる近縁のやつらが少ない。式に呼んだのは田舎の爺さんと婆さん、俺の名付け親である叔母とその家族だけだった。あとは会社の連中とかつてのクラスメイトが一部。長門の通う研究室の先生などなど。ENOZの四人にはオーケストラを頼んだ。最前列の親父とおふくろは借りてきた猫みたいに座ったまま固まっている。この後の披露宴で親族代表の長いスピーチをやらされることになっていて、もうそればっかりが頭にあるようだ。 俺は右の列のいちばん前の席に座った。ビデオカメラを手にした古泉が隣に寄ってきた。 「立派ですよ、その姿」 「お前が付き添いをやるとばかり思ってたんだがな」 「僕だけがおいしい役をもらうわけにもいきませんしね。みなで分け合わないと」 ハルヒと同じことを言ってるが、こいつの受け売りだったのか。 三人のブライドメイドが進み出た。朝比奈さんに鶴屋さんに喜緑さん、三人とも豪華なシルクのメイドスタイルのドレスを着ていた。そりゃまあ花嫁のメイドだからメイド服なのは分かるが、似合いすぎている。朝比奈さんと鶴屋さんは前にもメイド姿を拝ませてもらったことがあるが、喜緑さんがこのかっこうをするのを見るのははじめてだ。これはいい目の保養になった。鶴屋さんが親指を立ててウインクしてくれた。 白いバラを襟元に挿したベストメンは黒いカラスの中に一羽だけ白いのが混じっていてなんともこっけいな姿だったが、俺のためにやってくれているわけで笑っちゃ悪いよな。 「もう時間だが牧師さんか神父さんはまだ来ないのか」 「来てますよ、ほら」 黒い祭服を着た司祭様がブンブンと玉ぐしを振り回しながら演壇の向こうに歩いてきた。 「なんつーかっこしてんだハルヒ、いつからカソリックになったんだ、しかもそれ神式用だろ」 「これは無宗派の結婚式よ。とりあえず祈っとけばどれかの神様が祝福してくれるに違いないわ。鰯の頭も信心からというでしょ」 「そんなことわざ使ってバチ当たっても知らんぞ」 「黙りなさい」 ハルヒが演壇の前に立つと、さっきまで流れていたBGMがフェードアウトした。 「これより、神聖にして厳粛なる儀式を執り行います」 ハルヒの後ろのガラスから入ってくる光がまるで後光のように射しこんでいる。まあ祭服コスプレはこの場に似合わなくもないわけで、見えないジャンヌダルク並みの神通力でも宿ったのか客席はシンと静まり返った。 時計の針が三時を指すと同時に、両側の壁に据えてあるでかいスピーカーからパイプオルガンの音が流れてきた。ENOZの榎本さんのキーボード演奏らしい。俺も招待客も、全員が起立して後ろを振り返った。 席の後ろのほうがざわついた。階段ホールから新川さんに付き添われた長門が現れた。観衆はオオッとかホゥとか、それぞれ好きに感嘆の声を上げパチパチと写真を撮っている。撮影タイムが終わると二人は白い道の上を一歩踏み出した。 結婚行進曲が響き渡り、客が見守る中バージンロードの上をゆっくりと、一歩ずつ歩いてくる。照明の光の中にくっきりと浮かび上がったピュアホワイトのドレス。そりゃもう白を超える白というか、まぶしくて瞳孔を細くするだけじゃ足りずに何度も瞬きをした。 スポットライトが天井から二人を照らす。赤い口紅をさした長門の顔が少しだけ微笑んでいた。肩まで垂れたベールは頭の後ろでふわりと広がり、頭の上にハート型の小さなティアラがちょこんと乗っている。肩が露になったノースリーブで胸元には二重のフリルが縁取られていた。肌の上に雪の結晶をモチーフにしたネックレスをつけている。 腰まで滑らかにシルクの光沢が続き、腰から丸く広がるプリンセスラインのドレスだった。両腕は半透明な長いグローブに包まれ大きな白と緑のブーケが右手を隠している。 スカートの部分にはコサージュがぽちぽちとあつらえてあり、大きな巻きスカートのように片側でカーブを描いて止まっている。後ろの裾が長めに垂れていた。急遽付き添い娘に採用されたらしい国木田の娘がドレスの裾を持って後ろをついてくる。父親に似て目がぱっちりしていてかわいい。 古泉が小声で言った。 「今日の長門さんはひときわ美しいですね」 「ああ。極上の美しさだ」 「知っていますか、このワーグナーの結婚行進曲はオペラ『ローエングリン』で使われている曲なんです」 こんなときに豆知識を披露しなくてもいいって。古泉はクスクスと笑い、 「素性を隠した王子と娘が結ばれ、王子である正体が明かされてしまい破局に陥るという物語なんです」 「なにがおかしいんだ」 「誰かの境遇によく似ているとは思いませんか」 またそんなミステリーヲタクな話を持ち出しやがって、大昔のオペラの登場人物とひとつふたつ似てるところがあるからってどうってことないだろ。 「いえまあ、こんなときに持ち出すのもなんですが、ひとつだけお願いがあります」 「なんだ」 「今日を境に、ジョンスミスの名前を封印してください」 「久々だが顔が近いぞ、笑顔のまま深刻な話をするな」 「あなたは人生の伴侶として長門有希を選びました。ジョンスミスはひとりしか存在を許されません」 古泉に釘を刺されるのはこれがはじめてかもしれない。 そんなことはお前が心配しなくても俺自身の口から漏れることはないだろうよ。俺は自分の意思で鍵をこいつに渡しちまった。それを取り戻そうなんてことは思わんさ。 「よし、分かった。誓おう」 古泉は黙ってうなずき、花嫁の歩いてくるほうを目で示した。新川さんにエスコートされた長門が目の前に近づいてきた。 「がん、ばれ、よっ」 古泉が俺の肩をポンポンポンと叩いた。こいつ、はじめて俺にタメ口を利いたな。 新川さんが長門の右手を俺の左手に重ね、俺に向かってうなずいてみせた。二人でハルヒ扮する司祭様の前に立った。 すると、突然ハルヒが両手を上げて待ったをかけた。 「ちょ、ちょっとストーップ!そのまま待って!」お前が待ったしてどうする。 「なんだ、どうしたんだハルヒ」 「あれがない、聖書を忘れたわ」 「聖書なんかいらんだろ、無宗派なんだし」 「だめよ、ちゃんと信条にのっとってやんなきゃ」 さっきと言ってることが百七十九度くらい違う気がするんだが。 「……これ、使って」 長門が心得ているというふうに分厚い本を取り出した。って、どっから取り出したんですかそれハイペリオンですかそれ。そんなんで誓いを立てて大丈夫なのか、俺がトゲトゲの化けもんの生贄にされたりしないだろうな。などと突っ込もうとすると、長門の黒い瞳がお願いっという感じで俺を見つめたのでそれだけでもうなんというか反則というかなんでも許してしまえそうな勢いだった。いやまあ、その本が長門のバイブルだというんならそれはそれでいいさ。 ハルヒはまわりを見回して叫んだ。 「さあっ、気を取り直していくわよ」 ハルヒが座れという感じでゼスチャーをすると全員着席した。 「おほん。本日、ここにキョンと有希の婚姻の契りの場に立ち会うという機会を得たことを、神様に深く感謝するものであります」 どの神様か分からないが、厚手のSF小説にうやうやしく右手を置いてありがたい説教を始めるハルヒである。 「はるか昔、アダムとイブの結婚式はたった二人でした。地球上にたった二人っきりで愛の誓いを立てたのです。そのとき相手と結ばれる確率は百パーセントだったかもしれないけど、今では三十億分の一の確率です。いえもう三十五億分の一かもしれません」 人類創世の話がしたいのか人口増加の話がしたいのかよく分からんのだが。 「相手の候補が三十億もいるってことはよ、ボヤボヤしてると見失ってしまうかもしれないわ。昔の人は言いました。恋は気がつかないうちに訪れる。我々はただ、通り過ぎたその後姿を見るだけである」 ハルヒは一息ついて客を見回し、 「つまり、好きな人がいるならさっさと結婚しちゃいなさいってことよ。世界は広くて人生は短くて、迷ってたら幸せなんか手に入らないんだからね」 それが言いたかったのか。話にオチがついたところで皆は納得したようで笑い声が沸いた。恋愛なんて精神病の一種だと誰かが言ってたような気もしなくもないのだが、まあいいこと言ったんで許そう。 「では、誓いの言葉」 俺は長門と向き合い、両手を握って見つめあった。 「キョン、あなたは有希を、健やかなるときも病めるときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「は、ハイ。誓いマス」 声が裏声になっていたが後ろのほうまでちゃんと聞こえたか。 「有希、あなたはキョンを、元気なときも具合の悪いときも、優柔不断なときもグズグズして待たされるときも女心に鈍くてどうしようもないときも、つねにこれを愛し、これを敬い、これを慰め、生命の限り固く結ばれることを誓いますか?」 「……誓う」 「よろしい。では指輪の交換をしなさい」 長門は朝比奈さんから、俺は谷口から結婚指輪を受け取った。俺はその銀色に輝くリングをケースから取り出し、きっと酸素が足りなくて頭がぼけていたのだろう、自らの薬指にはめようとしていた。は、はまらねえ。 「……こっち」 長門が自分の手を差し出して促した。本番中にトチるなんてなにやってんだろね俺は。 長門の細い薬指にリングをはめてやると、ハルヒが、 「人類とこの宇宙のすべての存在から与えられた権限により、キョンと有希が夫婦であることをここに認めます。さあっ誓いのキスよ」 え、この衆人環視の前でやんのかよ、聞いてねえぞ。ふつうはここで音楽が鳴って拍手に包まれながら退場だろう。 「キョンなに躊躇してんのよ、さっさとやるの。皆さん、神聖なるキスシーンの撮影はご遠慮ください」 そうは言ったがハルヒはやおら古泉を指差し、 「古泉くん、ちゃんと撮ってる?」 こ、このバチ当たり神父が。 古泉のカメラのインジケータが赤く光ったままじっとこっちを見ていた。向き合ったままの長門はそのまま固まって俺を待っていた。しょうがない。これが生涯で二度目になるキスなのだが、俺は長門のあまりに真剣なまなざしに少し不安になり、チラと喜緑さんを見た。喜緑さんは微笑んでうなずいてくれた。 溜飲が下がる思いで俺は長門の肩を抱き寄せた。長門の左手が俺の腰を捉え、俺の右手はゆっくりと長門の左頬に触れた。その手で耳の後ろを支えて、目を閉じた長門の顔との距離が少しずつ狭まってゆく。乾いた唇を少しだけ濡らし、やわらかな、温かな、ぽってりと濡れた感触が唇の先に広がった。 視界がぼんやりと白い光に包まれてゆく。過去も未来も、そして現在までもがゆっくりと流れ、やがて音もなく止まった。 閉じた目を開けゆっくりと唇を離すとそこにはなにもなく、ただぼんやりとした白い風景だった。誰もいない、なにもない、無音。目の前にいるのは長門だけだった。 「ここは……どこだ?俺は夢でも見てるのか」 「……閉鎖空間。あなた自身の」 なんと、俺が作ってんのか。そういえば前にも来たことがあるような気がする。なぜか巫女衣装の朝比奈さんが思い浮かぶ。いや、長門の親父さんだったかな。異空間はハルヒの専売特許だとばかり思っていたが、それにしちゃハルヒのとは色も雰囲気もずいぶんと違うな。 「……そう。閉鎖空間は本人の精神世界を反映する。今のあなたの気持ちが、これ」 真っ白ってのが俺のどんな気持ちを表すのか、フロイト先生を聞きかじった程度の俺にはちょっと分からんが、でも、今どんな気持ちかと聞かれたらちゃんと答えられる。そう、今こそが本当に幸せそのものだ。 「俺がここにいるってことは、どうやってここから出るんだ?」 「……もう一度、キスして」 長門は目を閉じ、頭を反らして小さな唇をちょんと突き出した。俺は最初のときと同じに両手で暖かい頬を包み、長門の後ろ髪の感触を指先に感じながら唇を近づけた。 ── 今まで、ちゃんと言えなくてごめんな。大好きだ…… やがて人の声、拍手と指笛、まぶしい光、足音、花の香り、長門の化粧の匂いが一気に戻ってきた。目を開けると頬を染めた長門がじっと俺を見つめていた。 次の瞬間、聞き覚えのあるもうひとつの結婚行進曲が鳴り響いた。メンデルスゾーンだっけな。 そのまま長門の手を引いてゆっくりとバージンロードを歩いた。招待客がバラの花びらを二人の上に放り投げ、派手なフラワーシャワーを浴びた。いやあなんというか、こういう演出は嬉しいね。 そういえばこの後の予定を聞いてなかった。古泉にこの後どうするんだという視線を送った。 「車を用意していますので、そのまま披露宴の会場に行ってください」 拍手の合間を古泉が大声で答えてきた。この会場誰が片付けるんだろうと不安になったのだが、まあ後のことはこいつらに任せておこう。 正面玄関まで来たところでなにか大事なことを忘れているような気がして、俺は振り返ってみんなを呼んだ。 「あそうだ、皆さん、ブーケトスをやりますよ」 「待ちなさい、ちょーっと待ちなさいキョン、あたしが行くまで投げちゃだめよ。ほらほらみくるちゃんも走って」 言うが早いかハルヒ神父を先頭に、ブライドメイドの三人や、赤やピンクやパープルで着飾った女性陣がスカートを捲り上げて殺到した。独身女性がこんなにいたのか、こりゃあ争奪戦になるぞ。 長門が俺の耳元でボソボソ話した。 「……ブーケトスってなに」 「後ろを向いてその花を投げればいいんだ。まあアミダくじみたいなもんだな」 「……ひとつしかない」 「取り合いになったら困るから少し増やしてくれ」 「……分かった」 長門が後ろを向いてふわりとブーケを投げた。全員がその行方を見つめる中、まるで計算されたかのような緩やかな放物線を描いた。小さな花束は空中でポンと分裂し、いくつものブーケになって舞い降りた。突然増殖したブーケに慌てた女どもはどれを捕まえればいいのか右往左往していたが、たぶん全員分はあるだろう。なに喜んでるんだ谷口、お前は男だろうが。 玄関を出ると黒塗りの個人タクシーが止まっていた。なんとなく見覚えはあるのだが後部シートがやたら長くて普通車の二台か三台分はある。ってこれリムジンとかいうやつじゃ。モーニングのままの新川さんが運転席のドアを開けて出てきた。 「お二人様、ご成婚おめでとうございます」 「……ありがとう」 「どうも新川さ、お義父さん。運転手までさせてしまってすいません」 「いえいえ、わたくしはこれが本業でございますゆえ」 新川さんがドアを開けて長門が乗り込むのを手伝った。スカートの重なったレースがふわふわと膨らんで花嫁が埋もれている。中に入るとほのかにライトがともり、テーブルの脇にはシャンペンとグラスが用意してあった。 ゆったりサイズのL型シートには軽く六人は座れそうなのだが、俺と長門は隅っこに身を寄せ合って座った。ふわふわの布張りの床、壁には液晶テレビと電話、サイドテーブルにはワインクーラーと冷蔵庫、乗るのも見るのもはじめてだがこいつは豪華だ。 「長門、シャンペン飲むか」 「……うん」 俺は冷えきった瓶の栓をポンと抜いてしゅわしゅわとグラスに注いだ。二人のグラスを合わせるとチリンと軽い音がした。 新川さんの演出らしく車内に洋楽ラブソングが流れはじめた。壁のインターホンが鳴った。 「披露宴までまだ時間がありますから、少しドライブに出ましょう。到着までゆったりとおくつろぎください」 おくつろぎくださいと申されましても、もうこの車のゴーシャスな内装に圧倒されて正座なんかしている俺なのでありますが。とりあえず新郎らしく長門の肩を引き寄せてみたりした。長門も首を傾けて俺の肩にもたれている。 車が走り出すと、突然後ろのほうでやかましい金属音が鳴り響き驚いて振り向いた。ああ、あれだ。空き缶のガラガラだ。今どきこんな派手なガラガラを引く新婚カップルもいないと思うが、でかい音を出して悪魔を追い払う魔除けなんだとか昔はひも靴を引っ張っていたんだとか、どれがほんとなのかは知らん由緒曖昧な古の習慣らしい。 道行く人がなにごとかとこっちを見て、空き缶を見て指差して微笑んでいる。若いあんちゃんが親指を立てているのを見て、俺たち結婚したんだぜと急に自慢したくなってきた。このまま突っ走って世界中を駆け巡ってみたい気分だ。 七章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2818.html
Report.24 長門有希の憂鬱 その13 ~朝倉涼子の手紙~ それにしても気になるのは、涼宮ハルヒが見たという夢。朝倉涼子が出てきたという。そして、あの『手記』を見せられた時の突然の閃き。あの時わたしは、誰かが囁く声を聞いたような感覚を覚えた。 あれは何だったのか。わたしの感覚器の誤作動か。 ここでわたしは、ある仮説に辿り着いた。喜緑江美里にその仮説を伝えると、彼女もそれを支持した。しかしその仮説を検証することはできない。なぜなら、それはわたしの感覚では知覚できないから。 江美里は、あるいは知覚しているのかもしれない。 「わたしが知っているかどうかは、不開示情報です。もし知っていたとしても、それを長門さんに教えるつもりはありません。……意味が無くなってしまいますから。」 わたしが辿り着き、そして検証することができない仮説。 それは情報統合思念体の把握している情報には存在しない概念。むしろ、人間に存在する概念。だから、あえて人間の言葉で表現する。 朝倉涼子は、『あの世』に逝った。 説明を要する。 人間には『宗教』が存在するが、人間の『死』についての概念は宗教によって区々。 代表的なものは、死ねばそれですべてが終わるという概念と、死んだ後、別の世界に行くという概念。わたしの仮説は、後者の説を採用する。 最期のあの日。橋の欄干から飛び降り、『入水自殺』した涼子。あの時彼女は、落水後すぐに、意図的に水を大量に飲み込んだ。ヒトとしての『死』を迎えるために。当時のわたしは、人間の言葉で言えば『動転』していて、正常な判断を下すことができなかったので、そのことに気付かなかった。 しかし落ち着いた今、冷静に当時のログを分析してみると、前記の状況を把握した。あの時の涼子は、情報統合思念体との接続を完全に切断していた。インターフェイスとしての機能を完全に停止させたまま、水中で『呼吸』しようとすればどうなるか。 当然、ヒトと同様に生命活動は停止する。もちろん、その後再接続すれば、何事もなかったように活動を再開できるが、その時の涼子には、その選択肢はなかった。待つのは有機情報連結解除だけ。だから、なぜ涼子がそのような『無意味』な行動を取ったのか、その時のわたしには分からなかった。 呼吸器官を水で満たしても、すぐに『死亡』するわけではない。しばらくは意識もあるし、生命活動は続く。それが急速に生命活動が低下し、死に至る。その過程は、ヒトと同じ。よって、たとえインターフェイスであっても、その瞬間には相当な苦痛を伴う。それなのになぜ。 その考察の結果、辿り着いたのが、前記の仮説。涼子は、人間で例えると『霊魂』として『あの世』で活動しているのではないか。 情報統合思念体との接続を切断した状態では、情報統合思念体は即座にインターフェイスの情報を把握することができない。ほんの僅かながら、情報取得までに時間差が発生する。 涼子は、その時間差を突いたのではないか。『肉体』が機能を停止し、情報生命体だけの状態となって、情報統合思念体に強制的に接続され、情報生命体は回収、肉体は有機情報連結を解除されるまでの、ほんの僅かな時間差。この刹那に、涼子は持てる情報操作能力を総動員して、情報統合思念体が感知できない領域に潜り込み、その管轄から外れることに成功したのではないか。 情報統合思念体が感知できない領域があることを、情報統合思念体は認めないが、わたしは確信している。涼宮ハルヒの能力が作用すれば、そんなことも可能になる。 しかし、ここで一つ問題がある。ハルヒは涼子の消滅を知らないはず。 まさか……涼子単体で? 答えは意外な形でもたらされた。 ある日のこと。全員揃った部室にノックの音が響く。 「どうぞー。」 答えたハルヒの声に、江美里が入室した。 「文芸部宛てに手紙が届いたので持ってきましたよ。」 江美里がもたらした物は、エアメールだった。差出人は……“ASAKURA Ryoko”。 ハルヒに手紙を渡すと、江美里は退室した。 ハルヒは手紙を一瞥すると、嬉々として読み上げた。内容は『近況報告』と言えるものだった。 手紙の締め括りはこう。 ――文芸部部長 長門有希様、SOS団団長 涼宮ハルヒ様へ - To Leader of the literature club NAGATO Yuki, Leader of the SOS brigade SUZUMIYA Haruhi ――SOS団海外特派員(笑) 朝倉涼子より - Than the SOS brigade foreign correspondent -) ASAKURA Ryoko 締め括りは、日本語と英語で書かれていた。 「うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしとぉみたいやね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?」 【うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしてるみたいね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?】 「へいへい。」 『彼』は、肩をすくめながら返事をした。表情には、事情を知っているせいか、若干戸惑いが見て取れる。それは、他の団員達もまた同様だった。 「ん? 何(なん)か入っとぉわ。」 【ん? 何(なん)か入ってるわ。】 ハルヒは同封物に気付いた。彼女は早速それを出してみる。 「これ、何(なん)やろ?」 【これ、何(なん)だろ?】 出てきたものは、栞。……涼子と過ごした最後の日に、涼子がわたしとお揃いで買った物だった。ハルヒもその事実に気付いた。 「そういえばこれ、有希が使ってるのと一緒違(ちゃ)う?」 【そういえばこれ、有希が使ってるのと同じじゃない?】 わたしはこくりと頷いた。 「貸して。」 わたしはハルヒに向けて手を伸ばした。 「有希、これがどうかしたん?」 【有希、これがどうかしたの?】 ハルヒからそれを受け取ると、わたしはそれを少しいじった。 「うわ!? 何(なん)か出てきた!」 「これはUSBフラッシュメモリ。」 ちょうどページをめくるように本型の飾りを操作すると、中から簡素化されたUSB端子が現れる仕組みになっていた。 ここでわたしは思い当たった。別れの間際、最期の瞬間に涼子が遺した一かけらの情報。その情報にはヘッダとして、『器へ』という指示が付いていた。 『器』とは、もしかして、人間が使用するこのストレージデバイスのことではないのか。 わたしは試しに、情報をこのフラッシュメモリに導入してみた。特に変化は見られない。 「じゃあ、早速中を見てみよか。」 【じゃあ、早速中を見てみようか。】 フラッシュメモリをハルヒに渡すと、彼女は団長席のパソコンにそれを接続した。 「うーんと、中身は……よぉ分からんファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。」 【うーんと、中身は……よく分かんないファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。】 「ちょ! おま、ウィルスチェックしてから……っ!」 『彼』が慌てて止めようとするが、時既に遅し。ハルヒは謎の実行ファイルを実行してしまった。何か問題が起きても、すぐに対処できると見て、わたしは静観する。 「ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』やって。」 【ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』だって。】 しばらくパソコンのファン音が大きくなり、やがて処理が終了した。 「何(なん)かビデオファイルができたわ。ほな、再生するから、みんなこっち来て。」 【何(なん)かビデオファイルができたわ。じゃあ、再生するから、みんなこっち来て。】 団員達を団長席に呼び寄せると、ハルヒはビデオファイルを再生した。 内容は……カナダで撮影したという、涼子からの『ビデオレター』だった。 『――以上、SOS団海外特派員・朝倉涼子がお届けしました! ……なんちゃって♪』 映像の涼子は、そう言うとちろりと舌を出した。 『また、日本に帰ってみんなと会える機会があると良いな。じゃあね。』 手を振る涼子の姿が煌めく砂と化して風に溶けると画面が暗転し、『劇終』の文字が黒い画面に映されて、ビデオは終了した。 この『ビデオレター』は、もちろん捏造。実際のカナダの映像と、涼子の身体構成情報を合成してある。わたしが導入した情報は、どうやら涼子の身体構成情報の一部だった模様。 それにしても手の込んだこと。一体、誰が、何のために? 「普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージやないの。」 【普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージじゃないの。】 ハルヒは満足げに頷いている。 「カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じやね。」 【カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じよね。】 ハルヒは腕を組んで椅子の背もたれにもたれると、 「これは美味しい逸材かもしれへんわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しよか。」 【これは美味しい逸材かもしれないわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しようかしら。】 「大変結構なことかと。」 「おいおい、まさか映画の撮影のためだけに、カナダから呼び出すつもりか!?」 いつもの通りハルヒの意見に逆らわない古泉一樹と、ツッコむ『彼』。 「さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りひんようになるから、次に朝倉が帰国する時やな。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんたらは心配せんでええわ。」 【さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りなくなるから、次に朝倉が帰国する時ね。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんた達は心配しなくて良いわ。】 ハルヒは封筒と便箋をためつすがめつし、 「電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけばええのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなあかんな。」 【電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけば良いのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなきゃね。】 調べてみたところ、その住所は架空のものだった。地名は存在するが、そのような番地はない。 「それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果やな。CGやろか?」 【それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果ね。CGかしら?】 それ以外にも、例えば空を飛びながら撮影したような映像や、涼子が分身した映像等、様々な映像が納められていた。まるで、インターフェイスの能力を誇示するかのように。 「どうやって撮ったんか分からへんけど、まるで、朝倉が人間違(ちゃ)うような感じやったな。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。」 【どうやって撮ったのか分からないけど、まるで、朝倉が人間じゃないような感じだったわね。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。】 『宇宙人』。その言葉にわたしは驚愕した。驚愕のあまり、『彼』にしか分からない程度に目を見開くくらいに。 涼子は、ハルヒに自分の存在をアピールしている? 忘れさせないように、思い出させるように、教えるように。 まさか。 涼子は、ハルヒの能力を利用して『復活』を企てている? 涼子が情報統合思念体の管轄を離れた独自の情報生命体として活動しているとは、あくまで仮説の域を出ない。検証のしようもない。それに、今この瞬間にも、涼子の存在は検出できない。やはり考え過ぎか。 『抵抗。』 不意に、通信が入った、ような気がした。……涼子? ――――。 返事がない。ただのしかば……いや、何でもない。人間の言葉で表現すると『気のせい』か。後ろを振り返ってみても、何もない空間が広がっているだけだった。 活動終了後。 わたしは、皆が帰った後の文芸部室に江美里を呼び出し、問い詰めた。 「どういうつもり。」 「何のことでしょう?」 江美里は、透き通るような、人畜無害な笑みを浮かべたまま答えた。 「とぼけないで。」 わたしは更に言い募る。 「あなたが、『朝倉涼子の手紙』を持ち込んだ。あれは本来、この世界に存在し得ないはずの物品。」 そう。そのような……『死者からの手紙』など、本来この世界にはあり得ない物。 「わたしは単に、誤って振り分けられた手紙を適切な宛先に届けただけですよ? 感謝されこそすれ、非難される謂れはないと思いますが。」 あくまでとぼけるつもりか。 「あなたの行動は、情報統合思念体に対する『反乱』と解釈されても仕方のない行為。」 「まあ。」 江美里は『驚いた顔』をした。……つまりは、作った表情。 「この銀河を統括する、情報統合思念体に対して『反乱』だなんて……」 江美里は被りを振って、 「わたしみたいな、『ただの人間ごとき』に、そのような大それたこと、できるはずがないじゃないですか。」 ……自分をして、『ただの人間ごとき』? どの口が言うか。 「いひゃい、いひゃい、ひゃへへふひゃひゃい~」 【痛い、痛い、やめてください~】 わたしは、江美里の口に両手の指を突っ込んで横に引っ張っていた。 「ひょんとうのほほははひはふはら~」 【本当のこと話しますから~】 わたしが指を引き抜くと、江美里はさも痛そうに自分の頬を撫でた。 「ふう。」 「本当のことを話して。全部。詳らかに。」 江美里は、しばらく中空に、まるで何かを確認するかのように視線を巡らせた後、口を開いた。 「あなたは、神を信じますか?」 ………… 「は?」 思わず間の抜けた声が出てしまった。あまりにも突拍子もない言葉だったから。 「あらあら。その反応は新鮮ですね。」 ………… 「まあ、今のは軽いジョークです。だから、その手はとりあえず下ろしてください。ね?」 後ずさりしながら江美里は言った。わたしは静かに、再び江美里の口に突っ込もうと臨戦態勢を取った手を下ろした。 「長門さんは、朝倉さんについて、ある仮説に辿り着きましたね。」 わたしは頷く。 「端的に言えば、その仮説は正しかった、ということです。」 涼子は、『霊魂』又は『幽霊』、若しくはこの国の伝統的な宗教によれば、『神』になった。 「そして、情報統合思念体でさえも把握できない次元に潜り込むことに成功したのです。」 荒唐無稽で、俄かには信じ難い話。でも、そう仮定すれば辻褄が合うのも事実。 「潜伏した朝倉さんは、水面下で行動を起こしています。」 様々な形でわたし達に働きかけながら。例えば、消去された記憶を呼び覚ますために夢を見させたり、適切な定義を耳元で囁いたり。 だが、行動を起こしているのは涼子だけではない。わたしは江美里を真っ直ぐに見ながら言った。 「その行動を幇助しているのが、あなた。」 江美里はわたしの視線を真正面から受け止めながら、 「なぜそう思ったのですか?」 と、事も無げに問い返した。わたしは証拠を突きつける。 「あの『手紙』には、同封物があった。」 同封されていた、USBフラッシュメモリが付いた栞を取り出した。 「これは、あの日涼子がわたしとお揃いで購入したもの。」 「市販品ですから、他にも同じものが沢山あると思いますが?」 普通に考えれば、そう。だが、 「同封されていた栞は、市販品ではない。このような機能は、通常の商品には付いていない。」 USB端子を露出させる。本来この飾りには、何の機能もない。だが送られてきた栞の飾りには、USBフラッシュメモリが仕込まれていた。そのように改変されていた。 「その中には、存在しないはずの動画が収められていた。」 主演・朝倉涼子、のビデオレター。 「その動画は、わたしが朝倉涼子から受け取っていた最期の情報を埋め込むことで、完成された。」 涼子の身体構成情報を基に、高度に再現された涼子の映像。 「このような真似ができる者は、涼宮ハルヒを除いて人類には存在しない。」 そしてこのような手の込んだ方法で情報を完成させたのは、恐らく情報統合思念体の目を欺くため。それぞれの端末が持つ情報単体では、何の意味も成さないただのノイズにしか見えない。また、それらの情報を単に情報統合思念体の持つ方法で結合しても、やはり何の意味も成さないようになっていた。 鍵は、栞。 栞に仕込まれた、人間が使用する記憶媒体に、人間が使用する情報機器が取り扱える形で情報を埋め込むと、初めて『人間にとって』意味のある情報が生成されるように断片化し、暗号化されていた。 これは情報統合思念体に対しては極めて有効な隠蔽方法。たとえ情報統合思念体が情報の暗号化を見破って生成された情報を手にしても、情報統合思念体にとってはやはり意味を成さないノイズでしかない。なぜなら、その情報は情報そのものには意味がないから。 これは、情報生命体である情報統合思念体には、なかなか理解できない概念。有機生命体でなければ、理解できないのかもしれない。 この情報を取り扱うためには、情報を『情報』として再生しても意味がない。この情報の送り主の『意図』を再生しなければならない。 『なぜ』このような情報を、『誰』に対して、『どのように』伝達したのか。 これらの点を、送られた情報以外の『状況』から『推理』し、その『趣旨』を『解釈』しなければならない。 情報統合思念体にとって、情報とは『目的』。情報そのものに価値があるのであって、情報を伝える手段等には何ら興味はない。 しかし有機生命体……人間にとっては、情報は時に『手段』となる。 人間が取り扱う情報は、情報統合思念体から見れば、極めて不完全。情報の伝達には常に齟齬が発生する。その点を逆に利用する。 一見正常な、普通の情報があったとする。その情報は、通常の再生方法では、特に変わった意味を持たない。だが、その情報の『背景』から『連想』することで、全く別の情報が生成されることがある。そしてその生成された別の情報こそが、『目的』としての情報である場合がある。 これは、情報に込められた真の情報、メタデータ。ある意味で『偽装』。このような情報の伝達方法は、情報統合思念体等の情報生命体には、考えも付かない。 なぜなら、情報生命体の情報伝達は、完璧だから。完璧過ぎるから。少なくとも同種の情報生命体同士なら、齟齬なく情報を伝達できるから。 人間は、同じ人間同士であっても、情報の伝達には常に齟齬が発生する。これは、情報統合思念体――情報生命体――から見れば、重大な構造的欠陥。しかし人間は、この構造的欠陥を補い、逆に活用する術を見付けた。情報の伝達に齟齬が発生するならば、齟齬を見込んで情報を冗長化して伝達すれば良い。 その冗長化の手段として、伝達する情報そのものには仮の意味を持たせ、本当に伝達したい情報はメタデータに埋め込む。メタデータの再生方法は、人間が最も得意とする情報処理方法……『連想』に拠らせる。 人間の『連想』では、その処理を行う際に『鍵』となる情報によって、再生結果が左右される。もしその『鍵』となる情報を共有する者同士なら、『連想』された情報は極めて高い精度で、時には人間の通常の手段で伝達する情報よりも高い精度で、伝達したい内容を再生する。 しかし、その『鍵』となる情報を共有しない者同士では、伝達したい内容はほとんど再生されない。また、場合によっては、全く逆、あるいは全く別の情報に再生されることさえある。 この特性を利用すれば、人間の持つ程度の情報伝達手段、つまり不特定多数を経由しないと情報を伝達できない仕組みであっても、特定の相手に対して選択的に情報を伝達することが可能となる。また、同様に不特定多数に対して同じ情報を伝達しながら、情報の受け手によって再生結果が異なることを利用して、情報の攪乱を図ることもできる。 これらのことは、別々に行うことも、同時に行うことも可能。 今だから言う。わたしはこの手法を用いて、情報統合思念体に『隠し事』をしていた。朝倉涼子から受け取っていた最期の情報の内容を、この手法で意図的に伏せていた。 理由など説明できない。わたしが伝えたくなかったからとしか言えない。 また、今もわたしは『隠し事』をしているかもしれない。あるいは、もうしていないかもしれない。これも明言はしない。したくないから。 では、なぜわたしは今になってこのような『告白』をしたのか。理由はあえて言わない。言ってしまっては『意味』がない。 情報統合思念体は、これらの点についてよく考えるべき。そうでないと、朝倉涼子の、喜緑江美里の、行動は理解できない。 これは私見だが、この二体の、あるいはわたしを含めた三体のインターフェイスの行動が理解できなければ、人間の行動は到底理解できない。すなわち、情報統合思念体に未来はない。そう思う。 ヒントは、後の報告にあるかもしれないし、ないかもしれない。よく考えてみてほしい。 ←Report.23|目次|Report.25→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1134.html
妹「キョーンくん!朝だよー!」 キョン「・・・あー」 妹「ほらー!早く起きてー!」 キョン「いって!わかったわかった!」 妹「はぁやぁくー!」 キョン「ふぁー・・・」 キョン(長門のこと考えてて・・・よく寝れなかったな) 妹「キョン君?目真っ赤だよ?」 キョン「あー、なんでもない。それよりほら、朝飯だ」 妹「うんっ!」 学校 キョン「うーす、ハルヒ」 ハルヒ「・・・」 キョン(また機嫌悪そうだな・・・いつものことか) ハルヒ「・・・ねぇ、キョン?」 キョン「ん、何だ?」 ハルヒ「有希、いつになったら帰ってくるんだろ」 キョン「長門か?確か2、3ヶ月って言ってたぞ」 ハルヒ「・・・ふーん」 キョン「なんだよ突然」 ハルヒ「う、うるさいわね。あんたには関係ないのっ!」 キョン「っと、はいはい」 ハルヒ「・・・ふんっ」 ガラッ みくる「はぁはぁはぁ・・・キョ、キョンくぅん!」 キョン「・・・朝比奈さん?」 パタパタ みくる「ひぃひぃ・・・」 ハルヒ「ちょ、ちょっとみくるちゃん!?こんな時間にどうしたの?もう授業始ま・・・」 みくる「と、とにかくキョンくん!一緒に来てください!」 キョン「へ?なんで俺が・・・ってて!」 みくる「はやくしてくださぁい!」 キョン「わ、わかりましたからそんなに引っ張らないで下さいよ!」 ハルヒ「みくるちゃん!?どういうこと・・・」 バタン ハルヒ「・・・なんなのよ」 みくる「はぁはぁ・・・」 キョン「えーと、なんですか?こんな所に連れ出して」 みくる「た、大変なんですよぉ!緊急事態です!」 キョン「へ?緊急事態?」 みくる「その、朝倉さんが・・・」 キョン「え?」 みくる「だから朝く・・・わわっ! キョン「あ、朝倉!?ちょっと、今何て言いました!?」 みくる「ひっ!ちょっと落ち着いてキョンくん・・・ひゃ!」 キョン「朝倉が何なんですか!?」 みくる「えと、その・・・こっちに戻ってきたみたいなんですよぉ!」 キョン「な・・・マジですか!」 みくる「マジです・・・大マジです」 キョン「なんで朝倉が・・・」 みくる「前に長門さんから話は聞いてました・・・キョンくん殺されそうになったって・・・」 キョン「その情報は誰から?」 みくる「えと・・・その、禁則事項ですぅ・・・」 キョン「アレですか?未来の偉い人とかそんなのからですか?」 みくる「そ、そんなところです・・・」 キョン「くっそ・・・今朝倉がどこにいるかわかりますか!?」 みくる「それはちょっと・・・ってキョンくん!?どこ行くんですか!?」 キョン「朝比奈さんは古泉にこのことを伝えてください!俺は長門のところに行って来ます!」 みくる「そんな!一人じゃ危険すぎますよ!キョンくん!!」 キョン「くっそ!」 キョン「はぁはぁはぁ・・・」 ピンポーンピンポーンピンポーン キョン「くっそ・・・出ろよ!長門!」 ガチャ キョン「!」 長門「・・・」 キョン「長門!俺だ!」 長門「何」 キョン「とりあえず中に入れてくれ!」 長門「・・・なぜ」 キョン「いいから!」 長門「・・・」 ガーッ キョン「はぁはぁ・・・」 長門「何」 キョン「あ、朝倉はこなかったか!?」 長門「・・・朝倉」 キョン「そうだよ、朝倉涼子! 長門「・・・来てない」 キョン「そう・・・か・・・ハァー・・・」 長門「朝倉涼子は消えた。私が情報連結を解除したはず」 キョン「朝比奈さんがな、戻ってきたって」 長門「・・・朝比奈みくるが」 キョン「ああ・・・理由はよく分からないけどな」 長門「・・・理由」 キョン「ふー、とりあえず安心したよ・・・無事でよかった」 長門「・・・」 ヴーヴー キョン「なんだ?」 長門「・・・電話」 キョン「あ、ああ。俺か」 パカッ キョン「なんだこの番号?」 長門「・・・っ!」 キョン「もしも・・・」 長門「出ちゃダメ」 キョン「へ?」 ?「・・・ふふ、見ーつけた」 キョン「!」 バチッ! キョン「いでっ!」 長門「・・・特定された」 キョン「な、なんだよ突然」 長門「・・・来る」 キョン「来る?何が来r」 ドォォォオオオォオオオンッ!! キョン「うおぉぉぁっ!」 長門「っく・・・」 オォォォ・・・・ 長門「・・・なぜここへ」 朝倉「ふふ、お久しぶりね。長門さんに・・・キョン君♪」 5話
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1167.html
……… 眠れない…。 これで何度目になるだろう、静寂のなか薄暗い部屋で、彼が眠っていた布団に包まれ、目を閉じる……。 しかし、瞼の裏には記憶が映しだされ、彼の顔が画面いっぱいに広がる。 なぜだろう?気が付くと、彼のことばっかり考えている。 これはエラーなのだろうか? なぜこんなにも私の睡眠機能を妨害されるのだろう。 そんなことを考えていると、いつのまにか眠ってしまったようだ。 「ふふふ。長門さん、好きなんでしょ、彼のこと」 好き…?たぶん違うと思う……。 「そう、まあそのうち分かるわよ。自分の気持ちに…」 朝。太陽の光がカーテンの無い窓からさしこんできて目を覚ます。 今日は、不思議探索の日ということで軽く朝食をとり、家を出る。 着替える必要はない、いつもの制服で十分だ。 でも、私服で行ったら彼が喜ぶかな……。 いけない、またエラーだ。 集合時間15分前、いつもの駅前に到着する。 彼はまだのようだ。 「おはよう有希!」 「お、おはようございまぁ~す」 「おはようございます、長門さん」 三人ともあいさつをしてきた…。 私は軽く会釈をする。 しばらく待っていると、彼がやってきた。 「遅い!罰き…」 「はいはい、分かったから」 彼はもうあきらめがついているようだ。 そうして、いつもの喫茶店に入る。 私は、注文した飲み物を飲みながら、彼といっしょになればいいなと毎回考えていた。 そして、涼宮ハルヒのクジを引く、私は無印だ。 彼は…、私と同じ無印だった。うれしい。 他の人は、古泉一樹が印入り、涼宮ハルヒが印入り、そして朝比奈みくるが無印だった。 (あら、残念ね。二人きりじゃなくて…クスクス) 別に残念とは思っていない。 こうして、彼と朝比奈みくると私で不思議を探すことになった……。 とはいっても、探す気なんかないことはみんな同じだろう。 「いい!デートじゃないのよ!鼻の下のばしてんじゃないわよ!!」 そう言って彼女は歩いていった。古泉一樹がやけにニヤニヤしているのはなぜだろう? 「朝比奈さんはどこか行きたいところありますか?」 彼は彼女にきく。 「いえ、特には…」 「そうですか、長門はどうだ?」 彼がたずねてくる。図書館と言いたいが、今は朝比奈みくるもいるのでやめておく。 「……ない」 私は彼の顔を見ずにこたえた。 「…そうか」 彼は少し困った様子で、 「じゃあそこらへんをブラブラしてますか」 「はい」 そんなやりとりが交わされて、私は彼の後ろについて歩いている。 彼は、朝比奈みくると会話を楽しんでいる……羨ましい。 私も情報伝達能力がもっと高ければ―――。そんなことを考えていると、いきなり話がふられた。 「長門も鶴屋さんの小説おもしろかったよな?」 「…………」 私はこたえることもできず、ただうなずくことしかできなかった。 (ふふっ、手でもつないでみれば?) そんなことはしない。 (恥ずかしがることないのよ。早くしないと涼宮ハルヒにとられちゃうわよ) …………。 そんなことをしているうちに、集合する時間がやってきた。 駅前につくと、もう涼宮ハルヒと古泉一樹が待っていた。 「ふん!じゃあクジ引きするわよ」 彼女はイライラしているようだ。 みんながクジを引く、私は印入りだ。 彼は…印入り。今日は運がいいらしい、彼は私を見ると微笑んでくれた…。頬が熱くなるのを感じる。 あとの三人は無印だった。 みんなと別れる。行くところは決まっているも同然で、彼がたずねてきたときは、 「図書館」 と即答した。 私は彼の後ろについて歩いている。 会話はしないけれど、二人で歩いているだけで幸せな感じだった。 (たまには、図書館じゃなくて映画館とかもつれてってもらえば?) …………。 (せっかくの二人きりになれたのよ。それにこれはデートと変わらないわよ) …………。 (涼宮ハルヒのことなんて気にしないで、ホテルでも行っちゃえばいいのに) うるさい。 お互い無言のまま、今では行き慣れた図書館についた。 人影も少なく、冷房のきいた閑静な室内に足を踏み入れる。 私はこの空間がとても好きだった。 私は、本を手にとりその場で立ち読みをする。その間、彼はだいたいは眠っている。 (ねえ、彼の近くで読んでみたら?肩によりそったりして) ………///。 本を読んでいるとすぐに時間がすぎる…。 彼が、私に帰ろうと言ってきた。私は彼の肩から頭をどかし、図書カードで本を借りた。 私は図書館で借りた一冊の本をもって彼と並んで歩く。なんだか楽しい。 いきなり彼がこっちを向く。どうしたのだろう?と思っていたら、無意識に手を握っていたようだ。 (やればできるじゃない、ふふふふっ) 「長門どうしたんだ?」 別に…。 「おい、ハルヒに見つかったらまたうるさく言われるぞ」 …いい。 「…やれやれ」 私は不安になり、彼にたずねる。 「…嫌?」 「そっ、そんなことないぞ、うん。どっちかっていうとうれしい」 「…そう」 私は彼の言葉を聞いて、安堵した。 できることなら彼とずっと一緒に……。 そんなことを思いながら私は、握る力を少しだけ強くしていた…。
https://w.atwiki.jp/terachaosrowa/pages/1408.html
6期は5期(のエピローグ前)の半年後なため、朝倉と結婚しサラリーマンとなった状態で参戦。 オープニングの時は新入社員歓迎会で飲んで酔っ払っていたため、 全国で殺し合いが行われていたことなど知らなかった。 目覚めた長門は酔いながらも自分の家に帰ろうとする。 途中でマーダーの襲撃を受けるものの全部返り討ちにして、満身創痍になりながらも家に到着する。 だが、家で待っていたのは朝倉ではなくマーダー化した岩崎みなみ。 ただでさえ満身創痍だった長門は止めを刺され、殺し合いが行われていたことを知らないまま死ぬ。 外見や性格が似ている上に、中の人が同じキャラに殺されるのは皮肉としか言いようがない。 矢部野彦麻呂に遺体を回収された。 その後、彼女の肉体自体には暗黒長門の魂が戻る。 暗黒長門としては殺し合いは極力避け、真・長門の体から自分の体の情報のみを分離させるために力を溜めている。 殺し合いに乗るつもりはない。 ディアボロモンと夫婦になったが、キョンもディアボロモンも愛しているので二人+一匹で暮らすのが目的。 キョンがキョン子になってもそれはそれでいいらしい。 現在松岡修造に付きまとわれており、正直鬱陶しく思っている。展開によっては燃えキャラ化する可能性が…
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/4877.html
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5233.html
五 章 Illustration どこここ これからやろうとするやつは誰もが未経験なわけで、結婚の経験が豊富だとかいう人はあんまり幸せでもなさそうなのだが、未経験な人のためにブライダルプロデューサーとかプランナーなどという、ゼロからサポートしてくれる職業があるらしい。結婚専門のプランニング会社ってのもあるのだが、ホテルやブライダルホールにも専属のプランナーがいて、招待状のデザイン、式場の手配から披露宴のシナリオ、スピーチ原稿まで手取り足取り面倒を見てくれる。結婚するカップルを集めて合同の式場ツアーなんかも催されているらしい。 ホテルやブライダルホールの中にミニ教会があったりミニ祭壇があったりして、教会や神社に行かなくてもその場でやってくれるようだ。まあ本格的にやりたい人は現地に出向いて神様の前でやるのがいいんだろうが。 宗教色をなくした人前結婚式ってのも多くて、広々とした芝生の上でやるとかプールなんかでやるカップルもいるらしい。むかし見た映画で一面の芝生が広がる豪華な家の庭に白い椅子を並べてやってるシーンがあったが、あれはやってみたい気もする。 俺も早いとこ披露宴の場所決めとかないとなぁなどとため息混じりにWebサイトを見ていると、今まで居眠りをしていたハルヒがガバと顔を上げて尋ねた。 「そういえばキョン、あんた結納どうすんの?」 俺としちゃ、もうそんな形式ばかりになった日本古来の儀式なんてやめちまっていいと思うんだが。 「親同士の顔合わせだけでいいだろ」 「あんた、めんどくさいからってまた手抜きしようとしてるわね」 「結納なんてもともとお武家様とか由緒ある商家でやってたもんだろ。庶民がマネしてやってもお飾りにすぎんと思うんだがな」 「そういう問題じゃないでしょ!」 ハルヒがまじで怒っている。 「まあ長門がやりたいって言うんなら考えるが」 「分かってないわね。結婚は誓いのキスだけじゃないのよ。二人が出会って好きになってプロポーズして、双方の親に紹介して指輪を選んでウエディングドレスをあつらえて、モチベーションを上げていくすべての過程が結婚なのよ。遠足は家に帰るまでが遠足だって言われたでしょ」 「お前にしては分かりやすいな」 「あったりまえでしょ。女は生まれたときからこの日を夢見て生きてるんだから。言っとくけど、結婚した後は女のほうが大変なんだからね」 「まあ結婚するまでは男が大変なのは分かる」 男の俺はいまいち真剣味が足りないようで、ハルヒはため息をついた。 「いい?一生に一度しかないんだから、やれることは全部やんなさい」 お前まさか、スモークを炊いたステージで新郎新婦の乗ったゴンドラから降りて来いなんて言わないだろうな。あれは恥ずかしいぞ。 「あんなのはただのお芝居よ。結納ってのはね、昔は家と家が契りを結ぶ大事な儀式だったのよ。不精してないでちゃんとやんなさいよね、ケジメよケジメ」 またそれか。日ごろが大雑把かと思えばこういう妙なところでまめなんだからなこいつは。 「長門、結納どうする?」 横でずっと話を聞いていたのだが、長門に改めて問い直した。 「……あなたに、任せる」 式まであんまり時間がないからなあ。略式でも結納品の手配とか手順を覚えたりもあるしな。 「……伝統には興味がある」 「そうか。長門がそういうならやってみるか」 正直、長門の晴れ着姿を見てみたい。いや、単純にそれだけの理由なんだが。 「古泉、ちょっと相談なんだが」 今度はハルヒに聞かれては困る話なのでまたトイレに呼び出した。 「なんでしょうか」 「ハルヒが結納をやれというんで正式なのをやろうと思うんだが」 「あなたにしては珍しいですね」 「長門も興味あるらしいしな。俺的には男尊女卑の名残っぽくてあんまり気が進まないんだが。あれは嫁さんに準備金を渡すためのもんだろう」 「最近は記念品の交換くらいで済ませるカップルも多いと聞きますね。元々は華族とか士族などで家同士の契約の名残らしいですからね」 「うちは武士でも貴族でもないしな。お前ならどうする?」 「僕はどっちかというと洋風で、家族より本人達が主体のほうが好みですね」 「だよな」 俺だけかと思っていたが、男はなんというか、結婚後の生活のほうに夢膨らませていて、あんまり儀式的なことにはこだわらない気がする。結婚するまでの準備期間が楽しいという女には理解できないらしいのだが。 まあそれはともかくだな。 「新川ならいつでもご用意できますよ」 そんな隣の長屋から猫を借りるみたいに、渋くてダンディな新川さんを表現するな。あまつさえ年上なんだから。 「機関の人は事情を知ってるからいいんだが、ハルヒにどう説明するかだ。結納に出るのは両親と決まってるわけだし、まさか長門の父親が突然出てきましたってのも無理がありすぎると思うんだが」 「難題ですね。新川の面は高校のときすでに割れていますし」 「どうしたもんか。ほかに頼めそうな人はいないだろうか」 「それはもう機関は人材には事欠きませんが、別に新川が父親でなくても養父ってことでもいいんじゃないでしょうか」 「執事のかっこした新川さんが長門の義理の父か。それもかなり無理な設定だとは思うが」 「では叔父ではどうですか」 うーん、マンションの管理人のほうがまだ説得力ある気がするが。落語にもあるだろ、大家さんが仲人で親代わりになるみたいな話。 「あのなハルヒ、ちょっと長門のことで話があるんだが」 「なに、有希になんかしたの!?」 なんでそう長門のことになるとムキになるんだこいつは。 「前に長門の親族がどうとかいう話をしたことがあったろ」 「有希が引っ越すかもしれないとかいうあれ?」 「あの親族ってのは実は新川さんなんだ」 「見た目渋くてかっこいい新川先生が有希の親類だったの?実は悪いやつだったのね」 そうか、こいつの記憶では新川さんは臨時の先生だったんだな。 「いや、それは俺の誤解でな。あのときは年端もいかない娘が一人暮らしをしてるのは問題があるだろうってことで行政の児童福祉担当が無理に引っ越させようとしてたらしいんだ」 「問題ってなによ、女の子が一人暮らししちゃいけないっての」 「俺に噛み付くなって。経済的にとか防犯上とか、いろいろと鑑みてのことだろう」 「やっぱりね、お役人ってのは丸いものを四角い枠にはめないと気がすまないのよ。個人の事情なんてお構いなしだわ」 「まあそれはいいんだがな。新川さんに長門の後見人というか、まあ親代わりを頼もうと思う」 「あれ?有希の親御さんってエルサルバドルにいるんじゃないの?」 ううっ、確かに長門がそんなことを言ってたような記憶があるっ。ホンジュラスとかエルサルバドルとか、ヒューマノイドはなぜ中南米にこだわるんだと突っ込んだ記憶もあるっ。 「実は、飛行機事故で、」 「ええっ亡くなったの?いつ?」 「高校を出て、すぐくらい」 「なんで黙ってたのよアホキョン!!」 「俺も、最近知った」 俺がロボット並みに棒読みしてるのにハルヒがまったく疑いもしないことが返って悲しいのだが、本当のことを吐けと首を絞められないだけでもマシなのかもしれん。これもいつかはバレるんだろうなあ。嘘で嘘を上塗りしちまってまたハルヒにドヤされる覚悟を今からしなきゃならんとは。 まるで自分の親の訃報を街頭テレビで知ったかのようにハルヒが呆然としているところへ、ドアが音もなく開いて長門が入ってきた。 「ゆ、有希!!もうなんで言ってくれなかったのよ!!」 雨の日の公園を散歩中に段ボール箱で鳴いている捨て猫を見つけた女の子のように、ハルヒはやおら涙目になって長門に抱きついた。こういう不幸な身の上話には徹底的に弱いとみえる。最近のハルヒは映画を見てもチープな恋愛ドラマを見てもよく泣くらしい。気のせいかもしれんが、たぶん古泉と付き合いだしたあたりからだな。もしかして古泉に不幸な作り話を散々聞かされてるとか。 「……なんの、話」 「あんたのご両親が亡くなってたってことをたった今聞いたのよ」 「……」 長門はいったいなにごとが起こったのだという感じで、首をちょこんと傾けて俺を見る。俺は両手を合わせて、スマン長門適当に話を合わせてくれと唇だけ動かして伝えた。 「……そう。両親は五年前、ホンジュラス経由で渡航中に飛行機事故に遭遇。テグシガルパ空港当局者によれば、着陸時に上空を低気圧が通過中で視界不良、滑走路を二百メートルほどオーバーランして大破した」 って長門、その友達にロイター通信の記者がいますみたいな話の合わせ方は逆にあやしいぞ。仮にも不幸な話なんだから少し悲しい表情をしてくれ。 「あんたのことはあたしが面倒を見るからね、心配しなくてもいいからねっ」 「待て待てハルヒ、その役は俺だ」 「だめよ社会的責任のある人じゃなきゃ」 「じゃあ俺は無責任男かよ」分かっちゃいるけど言われたくないっと。 「あたしが有希を養女にするわ」 「養子縁組って二十五才以上で結婚してないとできないんじゃなかったか」 突っ込みどころ違うだろ、結婚の話そっちのけでなに言ってんだ俺は。 「じゃあうちの親の養女でもいいわ、あたしの妹ってことにすれば。里帰りはうちの実家に来ればいいじゃない」 まさかそこまで言い出すとは考えていなかった。古泉は右手のグーを左の手のひらにポンと打ちつけ、ナルホドその手がありましたねとうなずいた。無責任に感心してる場合かよ、そんな無茶苦茶な姻戚関係が発生したら俺の周辺の家計図はどうなる。ハルヒが俺の義理の姉になっちまうぞ。ハルヒの尻に敷かれるのは古泉だけで十分だ。これまでずっと俺が座布団代わりに敷かれてきたんだからな。 「まあ待て、お前たちには媒酌人を頼もうと思うんだ」 「そ、そうなの?」 媒酌人ってのは披露宴で新郎新婦の両隣に控えている人で、慣習的には夫婦が引き受けるもんなんだが、まあほかに当てがあるわけじゃなし、ハルヒにもなにがしかの役割を与えておかないとなにをしでかすかわからんしな。 「有希、あたしでいいの?」 「……いい。あなたが適任」 「なにより、俺たちが付き合うきっかけを作ったのはお前だからな」 「あ、あたしはそんなことはしてないわよ。キョンがあんまり優柔不断だからケツを蹴ってやっただけじゃない」 真っ赤になりながらそう弁解するハルヒはまんざら悪くもなさそうで、一組の男女の運命を決めた切り札が自分だったことを喜んでいるようだ。 「分かったわ、あたしにまっかせなさい。あんたたちの挙式は我がSOS団が責任を持って取り仕切るわ」 おいおい町内のお祭りかなんかと間違ってないか。今までお前のお遊びでやってきたSOS団のイベントとはわけが違うんだぞ、などという心配はすでに時遅しで、ハルヒの目んたまキラキラ度が三百パーセント増量中だ。 「新規事業として我が社はブライダルプランナーをやるわよ!」 うちはイベント会社じゃないんだが、前回のゲームショウで味を占めたらしいな。やれやれ、とうとう色物事業にまで手を染めちまったか。 長門の親代わりを頼むのに、古泉に新川さんを呼び出してもらった。機関の事務所は実は北口駅から近いらしく、喫茶ドリームで待ち合わせた。 「おひさしぶりでございます」 執事姿でない新川さんが濃いグレーのダブルのスーツにステッキを突いてやってきた。俺みたいななで肩が着るとそうでもないのに、こういう肩幅のある人が着るとスリーピースのダブルも映えるんだよなあ。雰囲気がどことなく大手の経営者とか重役っぽい。うちの取締役に欲しいくらいだ。 「お忙しいところお呼びたていたしまして恐縮であります」 育ちが悪いのか付き合ってるやつらが悪いのか、使い慣れない丁寧語に舌を噛み奉りそうな俺である。 「いえいえ、お役に立てて嬉しく存じます」 「……ご足労、謝意を表する」 長門は丁寧的なのか古風的なのかよく分からん挨拶をした。 「ええと、このたび、長門有希と婚姻の儀を取り計らうことに相成りまして、」 このまま喋ってたら舌噛んで死んでしまいそうなのでふつうに話すことにした。 「ぜひ新川さんにご協力いただけないかと。長門の個人的な事情はご存じでしょうか」 「はい、伺っております。わたくしども機関はあなたがたのサポートが使命です。どんな役目を仰せつかっても完遂する所存にございます」 やる気満々、任務のためなら一命を賭しても悔いはない勢いの新川さんだ。俺たちみたいなの珍奇な集団にそこまで言っていただけるとはどうも恐縮してしまうのでありますが。 「新川さんに長門の親代わりをやっていただけないかと思っていまして」 「喜んで承ります。どのような背景を持った人物をお望みでしょうか」 「ええと、両親のいない長門を引き取って面倒をみていた叔父の役というところでどうでしょう」 「かしこまりました。設定に合わせた簡単な略歴などをご用意しましょう。キョンさんのご両親とスムーズな会話をするために」 毎度ながら、機関の人のこういうところはすごいなあと思うわけだ。 「ええとそれから、これがちょっと厄介なんですが、ハルヒには偽のアリバイを仕込んでありまして」 「伺っております」 新川さんは口ひげを揺らして微笑んだ。 「長門の両親はエルサルバドルにいたことになってまして、で、亡くなったことがつい先日ハルヒにバレて、実は新川さんが血縁だったことが判明した、イマココなわけですが」 「それはまた複雑なイマココでございますな」 「勝手にアリバイの証人に仕立ててしまいまして申し訳ないです」 「いえいえ、長門さんのお身内になれるなら喜んで」 古泉なんかの無責任スマイルとはまったく違う、酸いも辛いも味わった人生観の漂う渋いスマイルを見せる新川さんだった。長門も少し口元を動かして微笑んでいる。 氷の浮かんだコップに口をつけてから新川さんは意外なことを言った。 「ひとつだけ問題がございます。わたくしは実は独身でございましてね。叔父とはいえ祝いの席に出るには夫婦そろっての役のほうがよろしいのではないかと」 「え、そうだったんですか」 「恥ずかしながら、離婚暦がございます」 まれに見るシブメンの新川さんがバツイチだとは知らなかった。なんというかその渋さは苦労したがゆえの哀愁から来ているのかもしれない。 「身の回りが軽い相方がいればよいのですが、あいにくとこればっかりは妥当な人材がおりませんで」 つまり新川さんに歳の近い未亡人か独身女性で、長門の事情を知った上で親代わりとしてあれこれ面倒を見てくれそうな人ってことですか。そんな特殊な身分の人は日本中を探してもいないだろうな。 「片親でもいいんじゃないでしょうか。最近は多いようですし」 「結納に片親だけでは少し寂しい気もいたしますが、長門さんのお気持ちのほどはいかがでしょうか」 「……気持ちだけで嬉しい。贅沢は言わない」 長門は控えめにボソリと答えた。本当は家族に似たものが欲しくて、一度は消えた朝倉を呼び戻したり失踪した姉を数億年も待っていたりしたことを俺は知っている。だからなおのことだ。かりそめでもいいから長門にも身内と呼べるものを作ってやりたい。 「お待たせしました」 三人で考え込んでいるところへコーヒーが来た。どうもなじみのある雰囲気がして顔を上げた。 「あれれ喜緑さんじゃないですか。こないだはどうも」 「こんにちは、皆様おそろいで。ホットコーヒー三つですね」 「こんなところでなにやって、」 「もちろんアルバイトですわ」 この喫茶店でもたまにしか見かけないこの人が、日ごろの糧をどうやって得ているのか非常に気になるところだが。 「ええ。ときどきここで雇っていただいています。こちら伝票になります」 お盆を脇に挟んでしずしずとカウンタへ戻っていく喜緑さんを眺めた。 「あの、ちょっと待ってください喜緑さん、」 「はい?」 重要なことを忘れていた。俺の知る限りこの地球上で長門の唯一の関係者がここにいる。長門の身内がひとりもいないなんてとんでもない勘違いじゃないか。新川さんも気がついたようで、これはしたり大事なことを忘れておったわいという感じで眉毛を髭と同じ角度のハの字に曲げている。 「ちょっとここへ座って話を聞いていただけませんか」 「あいにくと勤務中ですから……」 「重要な話なんです」 俺は店のマスターにちょっと従業員を借りますという感じで指を刺して合図した。あとで心づけを払っておかんといかんな。 喜緑さんは俺の向かい側、新川さんの隣に音もなく座った。 「お話とはなんでしょうか」 「じ、実は長門と結婚します」 「そうですか。お二人様、ご婚約おめでとうございます」 思念体の情報網とか話の流れからしてすでに知ってはいたとは思うのだが、喜緑さんは立ち上がって丁寧にお辞儀をした。俺もなんだか条件反射的に立ち上がって何度もハアドウモアリガトウゴザイマスとペコペコしてしまった。 「ちょうど新川さんに長門の親代わりをお願いしていたところなんです。突然でまったく申し訳ないんですが喜緑さんに相方をやっていただけないでしょうか」 「まあ……わたしにですか。嬉しいですわ」 喜緑さんはなんというか、ほんとうにそうなれれば幸せなのになという感じで新川さんを見つめてポッと頬を染めてみせた。 「でも、わたしは年齢的には娘さんの世代ですから」 「娘ということではいかがでしょうか」新川さんが言った。「わたくしが長門さんの叔父、喜緑さんがその娘ということで」 「つまりわたしが長門さんの従姉妹ですか」 バツイチの叔父にその娘ってことなら一般的にありそうだな。無理にこじつけて叔父夫婦を用意しなくてもいいわけだ。なんとなくだが、不ぞろいだったパズルのピースがはまりそうな気がする。 「それでいきましょう。意外にもリアリティあっていいですね」 新川さんの渋い顔が苦笑になってしまった。ややリアリティがありすぎたのかもしれない。 長門がひとこと、喜緑さんに向かってつぶやいた。 「……借りができた」 「そんな、水臭いですよ長門さん」 にっこりと笑う喜緑さん。この二人を見ているといつも思う、喜緑さんが姉で長門が妹という設定でこの地上に現れてもよかったんじゃないかと。 「新川さん、喜緑さん、お手数おかけしますがよろしくお願いします」 「……謹んでお願いする」 珍しく長門も深々と頭を下げた。それから二人の出番になりそうな当面の予定を伝えた。 スケジュールと呼べるほどの余裕はまったくない唐突にはじまってすでに進行中の日程だが、まず親同士の顔合わせ、その後で結納、式場の見積もりと披露宴のプラン、招待客のピックアップと招待状の発送、衣装とヘアメイクの準備、ハネムーンの手配、などなど、覚え切れなくて俺でなくてもため息が出そうなくらいやることがある。しかもこれを一カ月以内にこなさないといけないなんて尋常じゃないわな。だから言ったじゃないのというハルヒの声が聞こえてきそうだ。 ロケット打ち上げ計画書の頭から二百ページ分を省略したいくらいの気分なのだが、式と披露宴はハルヒに任せてあるのでその部分は省略するとしよう。はじめての結婚式の仕切りにハルヒがやたらとはりきってるが、あいつに任せたらなにが飛び出てくるか分かったものではないので監視役に古泉をつけて二人で立案しろと言っておいた。ミイラ捕りがミイラになっちまう不安もないのではないのだが。 うちの両親と新川さん喜緑さんを引き合わせるのに適当な場所が思い浮かばなくて、近場の料亭でお座敷をチャージして晩飯にすることにした。自宅に呼んでもよかったんだが、唐突過ぎておふくろがパニくってしまい、なにを着ればいいのか寿司を取ればいいのか中華を取ればいいのかバナナはおやつに入るのかなどと、どうでもいいことでフル回転していたので外に連れ出すことにした。 「キョン、あんたそんなかっこうでいいの?」 「そんなかっこうって、スーツでいいだろ」 「仕事着でしょう、それ」 「いいんだよこれで。向こうは顔見知りなんだから」 とは言うがこれ以外のスーツは持ち合わせていない俺だった。フォーマルなやつをひとつ新調しなくてはな。 「……どうだ」 「あんた、似合ってるわよ」 親父は妙にかしこまってダークスーツなどを着ているありさまだ。まあ初めての挨拶だからあながち間違いではないんだが。 玄関を入って名前を告げると長い廊下の先にある座敷に通された。こないだと同じスーツ姿の新川さんが待っていた。 「お待ちしておりました」 「……は。はじめまして、キョンの父であります」 水を吸った水飲み鳥のように何度も何度も深々と頭を下げていた。見ていてこっちが赤面してしまうが、この世代の挨拶はこれなんだろうな。 「こちらこそ、はじめまして新川と申します。こっちは娘の江美里です」 「お初にお目にかかります。よろしくお願い申し上げます」 喜緑さんは襟が広めのオレンジのワンピースを着ていた。その隣で長門が無表情に座っている。 「は、はいよろしくお願いします。この度はうちの息子が有希さんを見初めたようで、なにとぞよしなに、よしなに。こらキョン、あんたも頭下げなさい」 親父とおふくろはまるで自分が結婚するかのように緊張しっぱなしでペコペコと頭を下げていた。ふつうに食事会なんだからそんなに冷や汗を垂らさなくてもいいのに。ともあれまあ、このギクシャクした雰囲気も酒が入ればなんとかなるだろう。 「有希さんにこんなきれいなお従姉妹さんがいらしたなんて知りませんでしたわ」 「有希が親を亡くしてからというものは、ずっと姉がわりの江美里の背中を見て育ったものです」 「それはそれはまあ、ご苦労なさいましたねえ」 「素直で優しく育ったこの子の晴れ姿を両親に見せてやれたらと思うと、まったく不憫でなりません」 「まったくよくできた娘さんですね。キョンにはもったいないお相手だわ」 おふくろはヨヨヨと涙に誘われていた。某国営放送の連ドラにでもありそうな展開だな。 「……いやあ、キョンみたいな息子をこんな美しい娘さんが好いてくださるとは、もうなにも思い残すことはありませんな」 親父は酒が回ってきたらしく饒舌になっている。俺はそろそろ飽きてネクタイを緩め、あと何分くらいここにいればいいだろうかなどと考えていた。おふくろが俺の耳をひっぱって、キョンなに胡坐かいてんのよちゃんと正座しなさい正座と耳打ちした。 「すまん、ちょっとトイレ」 俺は立ち上がりかけたのだが足に力が入らず、みんなの前でゴロンと転んだ。 「キョンなにやってんのあんた!」 おふくろは真っ赤になって怒りあわてて俺の腕を引いて起こした。なんつーか笑いを取ろうとしたわけじゃなくて足がしびれて動かなかっただけなのだが。長門がクスリと笑っている。 新川さんと喜緑さんは終始笑顔を崩さず、たまにお酌をしたりされたり、長門の架空の昔話をしたりしていた。人間の長門だったらそういうエピソードもあったのかもしれないと思えるくらい、デティールに凝っていた。このへんはどうやら古泉の仕込みっぽい気がするな。 俺と親父がホロ酔いになったところで宴はお開きになった。 「……有希さん。出来の悪い息子で申し訳ない」 「……問題ない」 「……親に似てまったくふつつかな息子だが、よろしく面倒みてほしい」 「……承知した」 素直に承知してくれる長門も嬉しいんだが、もともと酒に弱い親父が何度も同じことを言いはじめたので、俺は二人をせかしてさっさと帰ることにした。 帰りのタクシーの中でおふくろがボソリと言った。 「いい家族ね」 「……そうだな」 即席だが、いい感じの叔父と従姉妹だったと思う。これからは俺が本物の家族になってやらないとな。 『やあキョンくん、長門っちと結婚するんだって?』 二日酔いで頭痛のする翌朝に電話がかかってきた。 「あ……どうも、いつもお世話になっております」 『水くっさいなあ、あたしも噛ませておくれよ』 「え、あ、そうですね。お手数おかけします」 冬眠から覚めたと思ったらまだ雪の中だった熊並みに脳の反応が鈍い。えっと、俺はいったい誰と何の話をしてるんだ。 「あのすいません、どなたですか」 聞けば、昨日ハルヒと呑んでいて、俺がとうとう結婚するという話で盛り上がったらしい。人の婚姻をネタに酒を呑むなと言いたいところだが、どこの酒の席でもそれは常だからな。 『それで、結納は終わったのかい?』 「まだ昨日やっと親同士の顔合わせが終わったところなんです」 『じゃあうちの座敷でやんなよ。うちの床の間広いよ、畳二枚分はあるんだから』 「床の間?」 『知らないのかい?古来より結納品は床の間に飾るんっさ』 そいやシキタリについてはまだなにも調べてなかったな。 「じゃあちょっと長門と相談して後ほどお電話入れます」 『あいよっ』 朝から元気のいい人だ。今朝まで呑んでたらしいんだが。 結納結納っと、少し予習しとかないとな。 結納てのは、嫁さんの両親に今まで娘さんを育ててくれてありがとうという挨拶と、旦那の親から嫁さんへよろしくという挨拶を形式的に表したものだという。実際は衣装やら嫁入り道具やら、いろいろとモノ入りな女のために結婚準備金を渡すための儀式なのだが、地方によって決まりごともシキタリも違うし、いつごろから始まったというはっきりした歴史があるわけでもないらしい。 正式には仲人がすべてを取り仕切るもんで、まず仲人が新郎の家に結納品と目録なんかの書類を取りにゆき、新婦の家に届ける。二人は挙式まで顔を合わせない。今は仲人なしの略式結納ってのが多いらしいが、その場合は新郎が両親と連れ立って新婦の家に挨拶に行くのか。嫁に来てもらうわけだから当然そうなるわな。 結納品は紅白のノシで飾られた品で、五個とか七個とか九個とか、小数点を使わないと二で割り切れないセットで用意する。これが勝男武士(かつおぶし)とか寿留女(するめ)とか子生婦(こんぶ)とか、漢字を習いたての小学生でも使わないような、ダジャレにもほどがあるというかガード下の落書き夜露死苦を上回る勢いの当て字で名前をつけてある。いくらなんでも結美和(ゆびわ)はやりすぎだと思うんだが。 それを寿の文字がでかでかと書かれた箱に入れて大風呂敷に包んで新婦の家までいそいそと運ばにゃならんのだが、今は店頭から直送してくれるらしい。新婦の家に着いたら軽く挨拶をし、床の間を借りると断って飾り付ける。床の間に赤い布を敷いて、松竹梅の模型を飾る。この松竹梅の下に結納金を置くことになっている。指輪はすでに渡してあるわけだから、九品の中でいちばん高価なのはこのプチ盆栽セットってことだな。 飾り付けが終わるとみんなで対面して並び、新郎の親が前の晩に必死で覚えたセリフ「本日はよいお日柄で……」とはじまる。目録を渡すと新婦の親がリストを確認して、受け取りの証書みたいなものを返して一件落着となる。 とても覚え切れんわ。こりゃあ身内でリハーサルやらんといかんな。 「もしもし長門か、俺だ」 『……頭、痛い』 長門よ、お前が二日酔いするなんてガソリンでも飲んだのか。 「鶴屋さんが結納するのに座敷を使えって言ってくれてるんだが」 『……歓迎すべき提案。うちには床の間がない』 「じゃあ鶴屋さんちで場所を借りることにするわ」 『……分かった』 「また後で連絡する」 「、ということでした。お願いしてもよろしいでしょうか」 『鶴ちゃんにお任せっ、なあに、あたしはこういう祝い事は好きでね。うちのおやっさんもあたしのリハーサルだと思えばいいっさ』 「まことに唐突なんですが、」 『うちは明日でもいいよ』 いやぁ、こういう即対応してくれる人にはほんとに助かる。 「次の土曜日あたりはご都合いかがでしょうか」 『ほいさ。土曜日ねえ、っと友引か。じゃあ夕方ってことにするさ。いいかなっ』 そいや仏滅とかだめなんだよな。六曜までは気にしてなかった。 「それでお願いします。じゃあ俺は出席者全員に伝えます」 『うちにも毛せんとか風呂敷もあるから、もし足んなかったら使うといいっさ』 「なにからなにまでありがとうございます。そのときはお願いします」 その週末、風呂敷で包んだミカン箱を三つ抱えて鶴屋さんのお屋敷まで車を出した。直接鶴屋さんちに発送してもらってもよかったんだが、妹が結納品を見たいとせがむのでやむなく自宅に配達してもらった。まあ親同士の顔合わせのときに連れて行かなかったんでだいぶスネてたからな。 親父はダークスーツ、おふくろも黒のフォーマルドレスを着ていた。俺はというと、いつものスーツに長門からプレゼントされたネクタイだが。妹はここぞとばかりに新しいドレスをねだり、両親もいろいろとモノ入りで金銭感覚が緩くなっているのか二度返事でOKしてやった。こいつが結婚するときはさぞかし派手なんだろうなあ。娘がひとりでよかった。 鶴屋さんちの前に車を停めて、親父と二人でミカン箱を運ぶ。両親はその屋敷の豪華さに圧倒されて終始無言だった。門から母屋の玄関までがやたら長いんでいったいいつたどり着くのかとキョロキョロしていた。昔の結納は庭の縁側から入ったらしいんだがな。 俺は何度も来ていて手馴れているところを見せようと、玄関の扉を開けて、ちわー結納の品お届けに参りましたぁ、などとジョークを飛ばそうとしていたのだが、最初の「ち」のところで親と同じく無言の行に陥ってしまった。玄関に並んだ靴の数々。いくら鶴屋さんがマリーアントワネット張りの生活をしているとはいえ、この靴の数は多すぎる。急に足の数が増えたのか、にしちゃサイズがまちまちじゃないか、ハイヒールと革靴が並んでるのはどういうアンバランスだ、などとなかなか正しい解答にたどり着かない俺である。 「キョン、おっそいじゃないの、もうみんな待ってるわよ」 「な、なんでお前がここにおるんだ」 「なにいってんの部下の結納には、あら、お父様にお母様。お久しぶりでございます」 なにそのいきなり猫かぶりに豹変する態度は。カメレオンでももう少し時間をかけて変身するもんだぞ。 「あらハルヒちゃんじゃないの、古泉くんは元気?」 「元気元気、もうカラ元気よ」 おふくろとはなぜか気の合うハルヒであるが。まあハルヒの第一声のおかげで両親の緊張が一気にほぐれたことだけは感謝しておこう。 「お父様、相変わらずお元気そうでなによりです」 「……」 親父は顔だけで声もなく笑っていた。 座敷のほうがやたら騒がしい。俺が真顔に戻って座敷の障子を開けると、鶴屋さんを筆頭に、古泉、部長氏、開発部の面々、それから森さんに多丸兄弟がずらりと並んで座っていた。今日は神聖にして荘厳なる儀式だってのになにやってんだこいつらは。古泉がビデオカメラなんか構えてるが、お祭りじゃないっての。あ、来てくれてたんですね朝比奈さん、あなただけは大歓迎ですよ。 二つの和室が敷居で繋がった超広いお座敷で、片方にギャラリー、片方に出演者が座っている。床の間に向かって左側に黒スーツの新川さん、留袖の着物の喜緑さんが座っている。右側に俺の両親と俺が座る。結納の出演者には座布団は敷かないものらしい。 親父が両手をついて頭を下げ、 「床の間をお借りいたします」 寿と書かれたミカン箱を床の間の前に運び、赤い布を敷いた。厚手のフェルトの布なんだが、これが毛せんという。ちゃんと把握してくれている鶴屋さんが、鶴と亀の掛け軸を掛けてくれていた。こういうときは縁起物の掛け軸をかけるのが慣わしらしい。 箱を開けて、松竹梅のジオラマ、白髪の爺さんと婆さんのフィギュア、熨斗(のし)から柳樽料(やなぎだるりょう)までを丁寧に配置してゆく。 飾り付けが済むと一同がシンと静まり返った。新川さんが隣の部屋から長門を連れてきた。スルスルと裾が床をすべる音がする。 「おおー」 こんなときに大声を上げるなんてマナー違反もいいところだが、みんなが感嘆の声を上げた。はじめて見る、長門の振袖姿だった。濃い紫色の生地に七色の花柄をあしらったきれいな振袖だった。短い髪もうまくまとまっている。ハルヒと鶴屋さんがごにょごにょと内緒話をしているところをみると、この二人が着付けをやったらしい。いや、ご苦労だったな。 長門がしゃなりと座り、喜緑さんが振袖の袂を広がるように整えた。膝の前に扇子を置くのだが、実はこれ相手との間に衝立を置く意味らしい。 「……」 この無言は長門ではなくて、うちの親父が完全に固まっていた。長門の姿を見て脳の思考停止に陥ったようだ。おふくろが肘で突付くとやっと我に帰り、再生ボタンを押されたCDプレイヤーのようにしゃべり始めた。 「オホン。……この度は良いご縁談を賜り誠にありがとうございます。本日は良いお日柄につき、ご婚約の印として結納のご祝儀を持参いたしました。幾ひさしくお納めください」 ほとんど棒読みだったが、おふくろが結納品のリストを書いた目録をふくさに包んで親父に渡し、親父が新川さんに渡す。新川さんが目録を開いて一読し、 「結構な結納の品々、誠にありがとうございます。幾久しくお受けいたします」 新川さん、喜緑さん、長門が手をついてお辞儀をする。 次に、喜緑さんがふくさに包んだ受書を新川さんに渡し、新川さんが親父に渡す。受書ってのは受領書みたいなもんだ。 「結納の受書にございます。お改めください」 親父が中身をチラ見して、 「無事、結納をお納めすることができまして、本日はありがとうございました。今後とも幾ひさしくよろしくお願い申し上げます」 「こちらこそ、幾ひさしくよろしくお願いいたします」 両者が深々と頭を下げる。 終わりの合図がどれなのか分からず、そのまま無言のままじっとしていた。おふくろががホゥとため息をついたのをきっかけにギャラリーから拍手が沸いた。芝居じゃないってんだが、アンコールも必要か。 「キョンくん、よくやったねっ」 なんというか、俺は座っていただけでほとんどなにもしてなくて、途中かなりはしょったりもしたんですが、そう褒められると背中がムズムズします。 「鶴屋さん、お座敷を貸していただいてありがとうございました。親父さんに厚くお礼を言っていたとお伝えください」 「いいってことさぁ、キョンくんと長門っちのためなら、ひと肌でもふた肌でも脱いじゃうからね」 着物の袖を捲り上げてガッツポーズを取る鶴屋さんだった。 鶴屋さんが手でラッパを作って叫んだ。 「さあっみんな、向こうの部屋に酒が並んで待ってるよっ、早いもの勝ちだよ」 そう言うが早いか、ハルヒを先頭に縁側をドタドタと走って全員が消えた。この家にはいったいいくつ客間があるんだろうね。って妹はまだ未成年なのだが。 同じ広さの和室にテーブルがコの字に並べてあり、まるで披露宴かと思えるような料理の品々が並んでいた。まさか仕出しを頼んでくれていたなんて、ずいぶん予算を使わせちまったなあ。 「ちっちっち、これうちで作ったんさ」 それまた手間を取らせちまって、なんというか鶴屋さんには一生頭が上がらない気がする。今日から屋敷に足を向けて寝れないな。 俺は帰りの運転があるんでずっとウーロン茶を飲んでいたのだが、妹はすでに回ったらしく朝比奈さんの膝枕で眠っていた。さぞかしいい夢を見てんだろうね。 「キョンくん、おめでとう。いよいよ結婚するのね」 「ありがとうございます朝比奈さん。よく時間と場所が分かりましたね」 「えへ。スケジュール通りだから」 まあ未来人からしたらすべては時間通りってことだな。 「古式ゆかしい結納の儀式をはじめて見たわ」 「未来ではもう結納はやってないんですか」 「伝統を残そうって人たちがやって……。あっ、これ禁則事項ですね」 朝比奈さん、今なんか情報漏れが。 古泉を見ると酔って大騒ぎをしているハルヒをずっとビデオカメラに収めていた。お前、それ後日なにかに使うつもりだろ。 みんな腹も膨れて酔いもまわったところだが、まあこれが本番の披露宴ってわけでもないんで適当なところでお開きになり、タクシーを呼んだり迎えが来たりしてそれぞれ帰っていった。 誰もいなくなって静かになった座敷で、うちの親と新川さんが静かに昆布茶を飲みながら鶴屋さんに礼を言っていた。 「鶴屋さんのお嬢さん、とてもいいお屋敷ですね」 「あははっ、でも固定資産税がハンパじゃなくってね。せめてこういうときのためのもんだとあたしは思ってるよ」 「お嬢さんがお屋敷を継がれるんですか」 「そうするっきゃないねえ。あたしはひとりっ娘だから」 「じゃあいいお婿さんを捕まえないといけませんなあ、はっはは」 「いやあ、キョンくんみたいないい男がなかなかいなくってねぇ、あはははっ」 鶴屋さんは真っ赤になって俺のほっぺたをつねった。これ、冗談だよな。 六章へ