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さて、『カリスマ―出会いのエロティシズム』 チャールズ・リンドホルム著、森下伸也訳 新曜社 1992 カリスマの研究書、めちゃ面白かった一冊! 内容は理論編(第2部)でカリスマ研究の歴史、各分野からのアプローチを押さえながら統合理論としてまとめ、 実例編(第3部)でカリスマとその信奉者たちの典型例を取り上げて、 結論(第4部)でカリスマとその信奉者たちとの相互作用は一体何なんなのか、その今日的な意味も含めて答えを出している。 理論の深さ、実例の迫力、結論の説得力、どれを取ってもカリスマの研究の決定版と言える本。 まず、すごいなと思ったのが膨大な先行研究を押さえていているところだ。 たとえば理論編では情念に焦点を当てた哲学者たちとしてヒュームやミル、ニーチェ(2章)、社会学としてのアプローチ、ウェーバー(ヴェーバー)とデュルケム(3章)、 催眠と群集心理学からのアプローチのメスマー、ル・ボン、タルド(4章)、精神分析学からのアプローチとしてのフロイト(5章)などの カリスマ研究の背景やそれぞれのアプローチを総括しながら、 カリスマ的リーダーシップの病理性を強調する心理学的見解と、カリスマ的集団に積極的な価値を与える社会学的言説との対比をまとめて(6章)、 カリスマ精神の病いなのか、再社会化なのだろうかと問いの下で統合理論化(7章)をしている。 その次の実例編では典型的なカリスマとその信奉者たちの実例としてアドルフ・ヒトラーとナチ党(8章)、 チャールズ・マンソンとそのファミリー(9章)、ジム・ジョーンズと人民寺院(10章)を取り上げている。 著者は文化人類学出身なので、この実例編は本領発揮という感じでとても迫力があった。 ある人物がカリスマ的パーソナリティを持つことになってゆく過程、奴隷化しているのに自分は解放されていると思う信奉者たち、 そしてカリスマと信奉者の相互作用で生まれた集団のダイナミズムが展開し、崩壊していく様が克明にえがかれていて、 単純に生々しい読み物としても読み入ってしまった。 そしてシャーマニズムとの共通点を指摘しながら(11章)、結論につなげるという流れがとても綺麗。 結論(12章)では、現代のカリスマをよく指摘されるような芸能人やスポーツ選手にとどまるだけでなく、 カリスマ的な特徴を帯びた人間関係として、家族(観)とロマンティックな恋愛を挙げているのが面白い。 確かに実例編で出てきたカリスマとその信奉者たちは極端な事例かもしれないけど、 読みながらホストに入れ込む女性や、キャバクラ嬢に振り回される男性を思い起こしていただけに納得。 (実は自分自身の恋愛体験の中にも重ね合わさる面もあった(^^;) 人間関係がもたらす無我と交感の絶頂感(エクスタシー)は魅力的で、時には没頭してしまう。 コミュニケーションの快楽に耽溺する人の性向は決して特殊なものではなく、 人間の本質の一つなんだ、というこの本の主張は説得力があった。 (そこには集団のダイナミズムが生まれる源泉になる) ちなみに、この本はインターネット普及以前に書かれたものだったので、 現在のネットコミュニティ内でのカリスマ出現に著者はどう思っているのか知りたかった。 また、理論編の第2部はけっこう面白いんだけど、理論的背景とかアプローチを退屈だと思う人は、 訳者が言っているように実例編の第3部から読んでも十分に面白く読めると思う。 以下はチェックした箇所(要約含む)・・・ ○カリスマというものを理解するためには、カリスマ的人物の性格やそのカリスマ的魅力を個々の人間に受け容れやすくさせている諸属性を研究しなければならないばかりでなく、 同時に指導者と信奉者が相互作用をおこなっているカリスマ集団そのもののダイナミズムをも分析しなければならない <第1章 序説> ○弱く空虚な人間は、服従することによって、ひとつのアイデンティティを、また力と意志という不可欠な幻想を手に入れることができる →カリスマの信奉者たちは抑圧の中に解放されているという感覚を感じる (Hoffer 1951) <第4章 催眠と群集心理> ☆自己の解体的幻想による同一化的経験こそが指導者に対する信奉者の愛、自我の境界が消失する超越的な愛の源泉 <第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か> ○心理学者たちが指導者に焦点をあて、彼らの障害をもったパーソナリティを強調しがちであるのに対し、 社会学者たちは指導者の性格についてほとんど論じることなく、信奉者や彼らを取り巻く環境に関心をもつ →心理学が信奉者のうちに病理性を見ようとするのに対して、 社会学者は信奉者が普通の人間よりも深い心理学的な生涯を病んでいるわけではないことを証明することに関心をもっている <第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か> ○カリスマに対しては大きく分けて二つのアプローチがある・・・ ・精神分析学に由来するものでカリスマの感情的強烈さや超越的性格を認めはするが、それに対する価値判断を含み、指導者の個人的特長を過度に強調するもの ・社会学に由来するもので集団の重要性、共同体への参加が人々の願望の対象となりうることをよく認識しているが、 しかし経験から情念を剥離させ、リーダーシップを閑却し、カリスマ的紐帯の根底にある無意識の衝動を軽視するもの →どちらのアプローチもカリスマ的経験の一部を教えてくれるが全体ではない <第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か> ☆自我がその価値を減ぜられ、アイデンティティの標識や対象とのきずなを剥奪されながら、それでもなお同時にすべての行為の唯一の正当化根拠とされるとき、 カリスマの啓示や帰依者の共同体的集団への没入によってあたえられる激しさや内的確実感は高度に魅力的 →このようにして高められた相互作用の形式は現実の社会構造に欠けている、交感の感情、エクスタシー的自己喪失、超越、信念をあたえる <第7章 カリスマの統合理論> ☆カリスマ的な関わりへ導いていく諸条件について統合的図式・・・ ・疎外された現代社会とナルシシズムの文化が結合して人々にカリスマへの没入を受容させやすくしている ・人格的アイデンティティを遮断することによって人々に自己喪失を用意させる思想改造 →いずれも人格的アイデンティティを脅かし、集団による個人の吸収を促進し、集団形成の指導者に対するエクスタシー的心酔を偏愛するように作用する、 ある種の技法や社会状況がもつ人格解体的作用に対してまことに弱い存在として人間を描く <第7章 カリスマの統合理論> ○ヒトラーという恐るべき事実に直面した歴史家や政治学者は、当然のことながら彼や彼の運動からその神秘的な要素を取りのぞこうとするから、 その結果として諸々の偶然の変数が結びつくことで彼に政権の掌握と維持が可能になったという事実を強調することになる <第8章 「取り憑かれた従者」> ☆カリスマ集団の隠された目的は「成功」することではなく、経験することそれ自体 →だから外的脅威の圧力で集合体経験は強化される <第8章 「取り憑かれた従者」> ○(ナチスのSS訓練は)極度の疲労と苦痛、そして屈辱は、男たちの過去とのきずなを切断し、いかなる自律感覚も腐食させる効果を発揮した <第8章 「取り憑かれた従者」> ○社会変動が旧来のきずなを切断してしまったところはどこでも、補償としてのカリスマ運動を好む <第9章 「愛こそわが裁き」> ○主観のうちに生じるエクスタシー的なトランスという変成状態の所有がシャーマニズムの中心 <第11章 「聖なるものの技術者」> ☆シャーマンの役割につくことは、現代においてカリスマとなることと同じく、アイデンティティ解体という初期局面から苦痛に満ちた自己再構成を経て、 他のもっと弱い魂たちを圧しつぶす潜在的な精霊をコントロールして顕在化させる能力をもった変身せる専門家としての再生へ向かう運動 <第11章 「聖なるものの技術者」> ☆カリスマ的啓示は、周縁に追いやられた集団を無視し抑圧してきた社会構造における弱き者の示威運動、反構造の契機、警告のコミュニタスとなる (Turner 1982) →カリスマの形態は、いかなる社会にあっても、社会構造の中にそれがあらわれることで克服されなければなならい抑圧のタイプと程度を示す <第11章 「聖なるものの技術者」> ○逸脱せる集団とその指導者に精神的な変調をきたした者というレッテルを貼ることと、彼らが実際に狂気に落ち込んでいくこととの間には明確な相関関係がある <第11章 「聖なるものの技術者」> ☆今日におけるカリスマの過剰なあらわれは、交感を求める人間の根源的な欲求を社会システムが満たしえないでいることの反映 →カリスマとその集団は、その暗さによってわれわれ自身が置かれているディレンマの輪郭をくっきりと縁どる影 <第11章 「聖なるものの技術者」> ○非日常な無我の状態に到達することのできる一つの方法が、移ろいやすい気質をもったカリスマ的指導者という霊感喚起的な人物によって結合された集団に所属すること <第12章 今日のカリスマ> ☆恋愛においては、カリスマにおいてと同じように、相手のうちへ自己を喪失することが縮小としてでなく、高揚、エクスタシー、自我の拡大として経験される (Chasseguet-Smigrel 1976) →恋に落ちることは巨大な革命のエクスタシー感情と変革パターンを小規模で複製する集合運動の最も単純な形態 (Alberoni 1983) →カリスマも恋愛も強烈な情動喚起的関係における自他の完全な同一化を要求するので同時並行することはできない <第12章 今日のカリスマ> ☆カリスマとは、世俗的な世界の疎外と孤立の外部にあってそれと対立する根源的な超越の瞬間をもたらす直接的なエクスタシー経験 →無我と交感というモーメントは、われわれ人間の不可欠な条件の一部 →問題はそうしたモーメントがどのような形態をとるかということ <第12章 今日のカリスマ> 「人生とは舞台で芝居だ。大まじめなことは脇へおいて演じることを学ぶがよい。 それがいやなら、苦痛に耐えねばならぬ」(『ギリシア詩歌集』パラダスの詩) 、「財産は、賢者にあっては奴隷の地位にあたるが、愚者にあっては支配者の地位にある」 (divitiae enim apud sapientem virum in servitute sunt, stultum in imperio)(セネカ『幸福な生活について』) ・・・というのも目にとまった。 そんな生々しい日常生活をおくる上での名言だけでなく・・・ 「努めて簡潔さを求めると、曖昧になる。洗練を狙うと、力強さと気迫が失われる。荘重さを表に掲げると、誇張におちいる」 (ホラティウス『詩論』)という言葉も目にとまった。 何かを書こうとする時に誰もがぶつかってしまう壁を端的に言い表していて印象深い。 以下はその他でチェックした箇所・・・ ○絵は言葉を使わぬ詩、詩は言葉でかく絵である。 プルタルコス『アテナイ人の名声について』 ○友は第二の自己である。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 ○何物も無からは生じない。 (ex nihilo nihil fit.) ルクレティウス『事物の本性について』 ○人の数だけ意見あり。 (quot homines, tot sententiae.) テレンティウス『ポルミオ』 ○もしトロイアが幸福であったなら、誰がヘクトルのことを知っただろう? 公の不幸を通して徳の道は作られる。 (Hectora quis nosset, si felix Troia fuisset? Publica virtuti per mala facta via est.) オウィディウス『悲しみの歌』 ○分別の心に、わざうかな愚かしさを交ぜよ。 (misce stultitiam consiliis brevem) ホラティウス『詩集』 ○恋は涙のように、目から発して胸に落ちる。 (amor, ut lacryma, oculo oritur, in pectus cadit.) ププリリウス・シュルス『金言集』 ○ゆっくり急げ。 (Festina lente.) スエトニウス『ローマ皇帝伝』 この4人は元からして前回のアウグストゥスや前々回のユリウス・カエサルに比べると評価の難しいリーダーたちなので、 支持を得られなかった複合的な理由について、ところどころに著者が自分の見解を示しているのが面白い。 たとえば「民主制は政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム」だから、 リーダーは「政治のプロとしての気概と技能は保持しながら同時にシロウトの支持を獲得する高等な技が必要」なのに、 この4人の皇帝はシロウトに対してアピールすることが下手だったり、端から意欲が無かった。 また、「賢帝と悪帝の境目は、公人と私人のバランスをいかにうまくとるかにかかっていた」のに、 このバランスを崩した(特にティベリウスを除く3人)。 そしてこの本の中で一番印象深かったのは著者が、 「歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、勝者と敗者を決めるのはその人自体の資質の優劣ではなく、 もっている資質をその人がいかに活用したかにかかってくるという一事である」と述べているところだ。 確かにこの4人を見ているとすごく説得力のあるものだと感じるし、自分自身も振り返る機会になった。 他にも『寛容について(De Clementia)』でセネカが述べた、 「同情とは、眼の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を産んだ要因にまでは心が向かない(略) 寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できる」なども目にとまった。 評価が分かれる人物たちを取り上げているだけに、印象深い記述が多いシリーズ第7段だった。 ☆パーソナルブランドは3点を伝えることで成り立つ 1 あなたは誰なのか 2 あたなは何をしているのか 3 あなたが他人と違うところ(どんな価値を提供するのか) <第1章 パーソナルブランドをなぜ作り上げるのか> ☆ブランディング戦略の展開のために決定する事項 1 ターゲットとなるマーケット 2 ブランディングチャネル 3 メッセージ 4 ツールおよびタイミング <第15章 自分のブランディングとマーケティングの年間プランを書き上げる> ○ブランドを明確にすれば、ブランドはあなた自身を明確にする <第1章 パーソナルブランドをなぜ作り上げるのか> ○ブランドの三つの力の源・・・ 1 感情的なインパクト 2 一貫性 3 時間 <第3章 パーソナルブランディングの役割> ○パーソナルブランディングの黄金ルール=「汝自身が真実であれ」 <第5章 個人的な要素をパーソナルブランドに取り入れる> ○賢明なパーソナルブランダーが行う真のネットワーキング= 興味をそそるような情報を十分に提供し、自分は身を引いて彼らの側から自分のところに来させる <第14章 ネットワーキング> ○ネットワーキングの秘訣 1 継続的なネットワーキング 2 機会をとらえることができるようなポジショニング 3 ただ知り合いになるだけでいい 4 人の話を聞く 5 ブランディング資料を持ち歩く 6 興味を示す 7 積極性を持つ <第14章 ネットワーキング> ○ネットワークにレバレッジをかける方法 1 迅速なフォローアップ 2 連絡を取り続ける 3 自分の信頼を築くようなことはすべて知らせる 4 コミュニティを築き上げる 5 等身大であれ <第14章 ネットワーキング> ○人は嘲るものである →これは危険を冒す勇気のない人々の羨望から来ることが多いので暗愚な疑いで自分を落胆させてはならない →彼らに言わせておけばいい→そのことによって彼らの顧客をつかむことが容易になる <第17章 ミスを回避するために知っておくべきこと> 第一次世界大戦の経験を基にしてアーサー・ポンソンビーが『戦時の嘘』で明らかにした、 戦時プロパガンダ10の法則というものがある・・・ 1 われわれは戦争をしたくはない 2 しかし敵側が一方的に戦争を望んだ 3 敵の指導者は悪魔のような人間だ 4 われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う 5 われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる 6 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている 7 われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大 8 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している 9 われわれの大義は神聖なものである 10 この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である この本は、歴史学者の著者が一つの法則につき一章を使って、 第一次世界大戦からコソボ紛争、アフガン戦争などの最近の事例までを当てはめ、 この10の法則が現代にも通じるものだと主張している。 法則として書き出してみるとバカみたいに単純な言い訳になるだけに、 なぜいつもこの法則(というより口上)にだまされるのか、 それについて突っ込んだ考察がなされてなかったのが残念に思った。 ○ミーム=記憶のアイテムで、生物個体の神経系に保存されている情報の一部。 観察者が聴衆かすることで同定される。 観察者の裏付けは、以前にほかの生物個体の神経系に保存されていた 同じ記憶アイテムを裏付けた先行経験に依存している(Lynch, 1998) <第1章 序論(ロバート・アンジェ)> ○ミーム研究をめぐる三つの論争・・・ ・文化を主に構成しているものは、独立して伝達される情報単位とみなしていいのか ・いわゆるミームなるものは、自己複製子として機能しうるだけの要件を備えているのか ・ミーム論のようなダーウィン的、選択理論的なアプローチが文化の科学として最適であり望ましいのか <第1章 序論(ロバート・アンジェ)> ○ミーム駆動=ミームは、現在成功しているミームを選択する脳を遺伝子に作らせたとする仮説 →人間の脳は選択的模倣装置 <第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)> ○私たちの周りにあるすべての文化的存在は、 熾烈なコピー競争の、現在の勝者であるがゆえに存在している <第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)> ○人間の本性は、ミームと遺伝子が複雑な環境下で複製の競争を行った産物であり、 神秘的な導きの原理や自由意志とともにある内なる自己の余地など存在しない <第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)> ○ミームは新しい研究プログラムであるから試行とテストによって評価されるべきである <第3章 ミーム論をまじめに取り扱う―ミーム論は我らが作る(デイヴィッド・ハル)> ○文化の自然科学に対する主要な2つのアプローチ= 1 文化の進化に焦点をあてたアプローチ(心理的機構の進化に関心) 2 文化的進化に焦点をあてたアプローチ(遺伝子-文化の共進化に関心) ・・・この2つは統合されるべき <第4章 文化と心理的機構(ヘンリー・プロトキン)> ○認知過程=心的表象を伴う過程 →表象に対してエージェントが行う行為によって完成する 社会的認知過程=社会的信念、目標を伴う過程 →エージェントの社会的信念、目標に対して行為を推敲することにより実現する <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○ミーム論の利点 1 アプローチが基礎的 2 発見的であり新しい解釈や再構築を促す(進化的アプローチの特徴) 3 学際的 4 多岐に渡る問題を取り扱える <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○科学としてのミーム論の未来は、ミームが脳内で確認されるかどうかではなく、 むしろどの程度までミームが心の中に宿るか、 その根拠や過程が明らかにされるかどうかにかかっている <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○協力に必要な2つの条件 1 協力しあっているエージェントが1つの共通目標を持っている 2 彼らがその成就に対して相互に依存している (Conte and Castelfranchi, 1995) →交換においてはエージェントは相互依存さえしていればいい <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○人間のニッチ構築は部分的には社会伝達ミームに依存しているものの、 人間の遺伝子の選択的環境にとどまらず、ミームの選択的環境をも形作る <第6章 ミームの進化(ケヴィン・レイランド&ジョン・オンドリン=スミー)> ○もっとも成功しているミームは、ニッチ構築という形で実現しており、 自分たちの好みに応じて、選択的環境に効果的なバイアスをかけている <第6章 ミームの進化(ケヴィン・レイランド&ジョン・オンドリン=スミー)> ○ミームを好きかどうかは、単純に「細分派」か「統合派」か、 分析を拠り所にするか解釈を拠り所にするかということに帰すかもしれない <第11章 結論(ロバート・アンジェ)> ○操作的な定義以上のミームを同定することと、 その複製メカニズムをはっきりさせることの両方がなければミーム論は離陸できない <第11章 結論(ロバート・アンジェ)> この本をamazonで見ちゃう 『最後の親鸞』 吉本隆明著 ちくま学芸文庫 2002 • 05.20.05 飲み屋さんで合コンしてるテーブルはどんなに遠くからでもすぐわかる、 らぶナベ@ああいう場って独特のオーラを発しているのはなぜなんだろう?と思っています。 さて、『最後の親鸞』吉本隆明著(ちくま学芸文庫)2002。 僕に信仰心は無いけれど、我が家は浄土真宗(西本願寺)なので 一度くらいは親鸞ものを読んでみようと友人に勧められて手に取った一冊。 非僧非俗の生涯をおくった親鸞の晩年に焦点を当てて彼の思想性に迫ろうとしている。 興味を持ったのが親鸞の生涯の中で北陸への追放から晩年の京都での著作活動の間にある 北陸と関東での布教時代がよくわかっていないというところだ。 そしてこのことにも関連して、親鸞の伝説を紹介しているのも面白かった。 27個の伝説をリスト化して、各派が自分の都合に合わせてどの伝説を組み合わせたのかが 一覧してわかる「伝説組み合わせ表」が興味深かった。 昔から僕にとって親鸞は「肉を食べるのとHをするのがやめられなかった」(肉食妻帯)ことや、 「良い人だって救われるんだから悪い人が救われるのは当然じゃん」(悪人正機説)などが印象にあった。 実は法然の方がすごくて、これほど有名なのは単に普及度の問題だけでは?という疑問も持っていた。 読んでみてこういう印象や疑問から来る関心をさらに高めてしまった。 以下はチェックした箇所・・・ ○現世でたまたま善であるか悪であるかは、時間のとおい過去からやってきた宿縁によるものだから、 本人のせいではない(略)つぎにこのかんがえは、悪人こそは善人にもまして往生の正機をもつのだ、 というように徹底化されていった。 <和讃> ○伝説がつくり出される動機は 聖化 したいという念慮と、一見これと裏腹な共同の 必要性 である。 伝説の 真 は、至上化された愛惜と極端な有用性から成っている。 <親鸞伝説> ○絶対的な距たりを縮めようとする行為は、 遠まわりの善であるという逆説の完成こそが親鸞の教理的な精髄であった。 <教理上の親鸞> この本をamazonで見ちゃう 2005 5/20 自分を振り返るのに歴史書と名言集は欠かせないような気がする。 ☆人生で最もむずかしいことは、自分の幸福にとって厳密に得になること、 厳密に生き甲斐あることだけをする術を学ぶことだ。 <ヘンリー・ミラー『わが読書』> ☆心だに 誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん <古歌> ☆思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。 それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。 歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 <魯迅『故郷』> ☆私は あまり人の通っていない道を選んだのだ、 それが 大きな相違をもらたすことになった。 <ロバート・フロスト『行かなかった道』> ○自分の中にある晴々した気分の源を清らかにして置けば、 外界の事物も我々の心に沿って来る。 <プルタルコス『倫理論集』> ○私は自分の境遇の、暗い面よりも、明るい面に注意を向けて、 私に不足しているものではなくて、私が持っているもののことをもっと考えるようになり、 そのために私は言いようがないほどの慰安を感じることがあった。 <デフォー『ロビンソン漂流記』> ○わたしは引用というものを、疾走する三頭立ての中央の馬を 左右から助ける副え馬だと理解している。 <エイゼンシュテイン『自伝のための回想録』> ○われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。 <セネカ『人生の短さについて』> ○天国において奴隷たるよりは、地獄の支配者たる方が、どれほどよいことか! <ジョン・ミルトン『失楽園』> ○断じて媚は売らないと標榜するのも一種の媚である。 <ラ・ロシュフーコー『箴言集』> ☆地面レベルから学習するよう設計されたシステムの5原則 1 多いことは違うことだ 2 無知は役に立つ 3 ランダムな出会いを奨励しよう 4 記号の中のパターンを探せ 5 ご近所に注意を払え <第2章 街路レベル> ○時間がたつ中で全体が維持されることが複雑系を定義づける特徴の一つ <第2章 街路レベル> ☆都市生活は、個人の行動を変える、見知らぬ者同士の偶然の相互作用に依存している →歩道生活における情報ネットワークは(高速道路と違って)十分に肌理の細かいもので、 高次学習が創発することを可能にする <第2章 街路レベル> ☆学習=変化するパターンを認識して反応すること <第3章 パターンマッチング> ○自己組織システムはフィードバックを使って自分をもっと秩序立った構造へと引き上げるが、 WEBのフィードバックを容認しない単方向リンクではネットワークが学習しつつ成長する手段がない →だからこそ検索エンジンがあてにされる <第3章 パターンマッチング> ☆負のフィードバック=予測のつかない変動する外的条件の中で均衡点に達する手段 正のフィードバック=他のシステムを一層推進することになる手段 <第4章 フィードバックを聴く> ☆グループでの会話は一種の回路基盤 =主要な入力は公式な発言者から、二次的な入力は観客や他の発言者の反応から来る (主要な入力は、自分の信号をグループフィードバックからの二次的な入力に基づいて調整する) →イカレポンチ(ネット上の荒らし)の横行は、 情報フローが単方向で観客がいるのに見えないシステムから来る <第4章 フィードバックを聴く> ○フィードバックの利用自体を非難してもしょうがない →手元のシステムの個別規則を調べて、フィードバックルーチンが自分の奨励したい価値観を 奨励するようにするにはどうしたらいいかを考えること <第4章 フィードバックを聴く> ☆ゲームの面白さはルールが定義づける可能性の空間を探求するときに起こる →創発システムもまた低次のルールから生まれたルールが律している <第5章 コントロールのアーティスト> かつて携帯電話でメールができるようになった時にそのインパクトをめぐって 携帯メールなんて面倒くさくて流行るわけないと言う否定的な人と企画会議で喧嘩したことがある、 らぶナベ@若気の至りと年寄りの至りですな(^^; さて、『スマートモブス―“群がる”モバイル族の挑戦』 ハワード・ラインゴールド著、公文俊平 会津泉監訳(NTT出版)2003年初版。 携帯電話や無線LANなどのモバイル(ユビキタス)コミュニケーションがもたらしている 思想、文化、政治、経済への影響と、これからの未来像をえがこうとする一冊。 多くの人が携帯を持ち、モバイルコミュニケーションすることはどういう意味を持つんだろう? たとえばフィリピンのエストラダ大統領を退陣に追い込んだ”People Power2″(2001)を支えたのが、 携帯電話のショートメッセージによるモバイルコミュニケーションだったし、 韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の誕生(2002)には携帯メールによる支援運動が重要な役割を果たした。 こんな巨大な力を生み出すこともあるモバイルコミュニケーションの光と影を丹念に紹介、考察している。 (タイトルの”MOBS”には”MOB”と”MOBILE”の両方の意味が込められている) ちなみに著者は日本通ということもあって、この本の第一章は 渋谷のハチ公前で携帯メールする若者たちに注目することからスタートする。 「携帯電話が日本の世代間の力関係を変えるきっかけになった」という研究も紹介されていたが、 確かに各家庭に一台しか固定電話が無かった頃の十代の恋愛と、 各人に一台の携帯電話を持った後の十代の恋愛とではだいぶん違うのは実感できる。 この本は単なる現状の紹介だけでなく、その意味を探求しようとしているのが面白かった。 そういう姿勢もあるから副題は原題”The Next Social Revolution”の方が良かったと思う。 この邦題では単なるモバイル好きの人たちの話みたいなイメージで、もったいなく感じた。 以下はチェックした箇所(一部要約)・・・ ○携帯電話が日本での世代間のパワーシフトの引きがねを引いた(Mizuko Ito, 2001) →携帯電話は若者たちに詮索好きな家族と固定電話を共有することから解放し、 プライベートなコミュニケーションのための空間と社会的な行動の可能性を変える媒体を創出 <第一章 渋谷ハチ公前での啓示> ☆電話の第一の利点は、若者たちに社会的ネットワークにおける 帰属とステータスの誇示を可能にすることにある(Alex Haper, 2001) <第一章 渋谷ハチ公前での啓示> ○(その場の会話を中断した)電話しているときに見せる表情が 電話がかかってくる直前までにとっていた表情と違うという変貌行為は、 表情は人前では意識的に取り繕われるものだという事実をまず浮かび上がらせ、 それに続いて後で見せた表情は(場合によっては最初の表情も含めて) 虚偽のものではないかという気持ちを起こさせる (Palen Salzman Youngs, 2001) <第一章 渋谷ハチ公前での啓示> ☆「共通にプールされる資源」(CRP Common Pool Resources)の管理にとって重要なもの=監視と制裁 →監視と制裁は単に罰するための手段としてだけではなく、 他人も務めを果たしていることを保証してくれる手段として重要 →多くの人は他のほとんどの人が協力する限りは自分も協力しようと思う条件付きの協力者(Smith, 2001) <第二章 協力の技術> ○メカトーフの法則が支配するところでは、相互行為が中心になる GFNの法則が支配するところでは、共同して構築された価値(共同応答やゴシップ)が中心になる(Reed, 1999) <第二章 協力の技術> ○放送は全国的な課題に関する論点を取り上げ、中核となる価値を定義する →ブロガー(blogger)たちは異なる市民のためにそうした論点を再構築し、 すべての人の意見が聞かれる機会を確保しようとする(Vance, 2001) <第五章 評判の進化> ☆評判システムが機能するための要件(Resnick, 2000)・・・ 1 将来の取引を生み出すために、ペンネームであっても買い手と売り手のアイデンティティの永続 2 取引についてのフィードバックと解釈が、他の人が将来検討するために入手可能 3 人々は自分の決定の基礎を評判格付けに置くがゆえに、それに十分な注意を払う <第五章 評判の進化> ○ネットワークは、ノードとリンクを含み、任意のあるリンクから他のリンクに情報を配信するために 可能な多数の経路を利用し、ガバナンスのフラットな階層構造と権力の分散を通じて自己規制されている →ネットワークは部族、階層制、市場の次にくる最新の主要な社会組織形態(Arquilla Ronfeldt, 2001) <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ☆社会的ネットワークが意味するのはスマートモブスの中のあらゆる個人が「ノード」であって、 他の個人に社会的な「リンク」(コミュニケーションチャンネルと社会的な絆)を持っているということ (社会的ネットワーク分析の専門用語での単語を使用) <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ○個人間での協力の閾値に多様性があることが、 群衆の間に協力の突発的蔓延を引き起こす原因となりうる(Dana, 2000) <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ☆ゴフマンのいう「相互行為秩序」(複雑な言語的および非言語的なコミュニケーションが 個人の間でリアルタイムに交換される社会領域)とは、 まさしく個人の行為が群衆の行為の閾値に影響を与えうる領域 <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ○グループ全員が誰が貢献し、ただ乗りし、あるいは制裁を受けているかを知ることが 評判システムと多対多コミュニケーションのメディアとが授けてくれる、 グループによる協力が持つ力を引き出すカギ <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ☆(ネットワークによる)場における存在/不存在のあいまいな次元は、 帰属意識の四つ(家族、国家、人種、場所)のひとつである、ある場所への再構築を意味する →場所への帰属は自分のコミュニケーション・ネットワークへの帰属意識へと変容してしまった(Fortunati, 2000) <第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か> ☆技法の主要な特徴=合理性、人工性、技術選択の自動性、自己増幅、一元論、普遍主義、自律性(Ellul, 1964) →コンピュータ化された評判システムを通じて協力するコミュニティはこれらの基準に合致する <第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か> ○新しい情報技術全般が、きわめてしばしば権力を分散した(しかし権力者は権力の分散に好意的でない) →それゆえ現代のそれも含む歴史の動乱がある程度までもたらされるのだ(Wright, 1999) <第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か> バイアス/meme/遠回りの善 安藤美姫の両親はよっぽど自信があったんだなと関心する、 らぶナベ@ネーミングには勇気が必要という例ですな。 そこでは女の人は生活のすべてをやっていて。 ファッションにしても農作業にしても衣食住を女の人がすべてやっていて、 しかも自分たちでつくったオリジナルの衣装を着て、 ただただ農作業をやるという素晴らしい生き物で。 男の人は女の人ができないことをする、というか手伝うんやなって、 それが人間の原型のすがたなんやなって、あの映像を観て思いましたね。 男たちは何もしないで、ボーっとおもむろに大きいパイプを喫っていましたね(笑)。 雲南ってタバコの産地なんですよね。 で、タバコを喫って、バクチをやって、女の人が荷物を重くてもたれへんって言ったら、 たまにトラックに積み上げたり、男の人はそのぐらいで十分なんやなって(笑)。 YOSIMI interview http //openers.jp/culture/c_guest_lounge/yoshimi001.html Posted in エッセイ, 歴史, まろまろヒット率★★★★☆, 読書日記with No Comments → 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳 NHK出版 2002 • 09.29.04 発売中の『月刊アサヒ芸能エンタメ!』11月号に僕のインタビューが掲載されている、 らぶナベ@書店のHコーナーに置いてる本に載ったのはさすがに初めてです(^^; さて、『新ネットワーク思考~世界のしくみを読み解く~』 アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳(NHK出版)2002年初版。 人脈、宗教の布教、細胞の構造、性感染症の広がり、テロリストの成功、WEB、 所得格差、新製品の普及など、あらゆる”つながっているもの”に共通する ネットワークの基本的性質と働きを解説した本。 以前から耳にしていた本なので何気なく手に取ってみたものの、 読始めててすぐ「これは精読しないと!」と思い立ち、 計算したり考えたりしながら三ヶ月ほどかけて読むことになった。 本旨のランダム・ネットワーク理論からスケールフリー・ネットワーク理論への 展開はすごく興味深いものだったし感覚的にも納得できるものだった。 (ノードとリンクの関係、ベキ法則、ハブの重要性と弱点などもすごく納得) さらにネットワークの性質と働きを象徴的に表わしている個々のエピソードだけでも面白い。 もちろんまだまだ研究がはじまった分野なので突っ込みどころはあるるけれど、 “つながっていること”の意味をこれほどまで考えさせられる本は他に無いと思う。 つながるということ、ネットワークというものに少しでも興味を感じる人には必読書だと思う。 (ただ、邦題より原題の”LINKED The New Science of Networks”のままの方がよかった気が) 思えばこの本が出た時(2002年)と比べても現在はblogとSNSの隆盛やユビキタスなど、 つながる意味を考える機会や必要性はさらに加速している。 改訂や次作を首を心待ちにしたい。 また、この著者もハンガリーの人、やっぱりハンガリーっすごい。 ちなみにこの本のまとめ部分にあたる最終章は「クモのいないクモの巣」というお題になっている。 前に読んだ進化本『盲目の時計職人』(リチャード・ドーキンス)と通じるものがあって面白かった。 これを読んでいる貴方と僕も常に進化し続けるクモの巣としてつながっているんだ(^_^) 以下はチェックした箇所(要約含む)・・・ ○マフィアボーイ(ハッカー)とパウロ(宗教家)が成功できたのは 共にその行動の効率的媒体である”複雑なネットワーク”が存在したから →そのネットワークの構造とトポロジーのため <第一章 序> ☆ノードあたりの平均リンク数が1という閾値を超えると 巨大クラスターに含まれないノードの個数は指数関数的に減少する →クラスターの出現は数学では「巨大コンポーネント」、物理学では「パーコレーション」、 社会学では「コミュニティ」と分野ごとに言葉は違っても ノードをランダムに選んでリンクしていくとある時点で特別なことが起こることでは共通 <第二章 ランダムな宇宙> ○ネットワーク内の距離が短くなる理由はその数式に現れる対数のため →対数は巨大なネットワークを収縮させ、”小さな世界”にしている <第三章 六次の隔たり> ☆ネットワークに関する限り、サイズは必ずしも重要ではない →真に中心的な位置につけているのは多数の大きなクラスターに参加しているノード <第五章 ハブとコネクター> ○現実のネットワークのほとんどはわずかなリンクしかもたない大多数のノードと、 膨大なリンクをもつ一握りのハブが共存しているという特徴を持つ →これを数式で表わしたのが「ベキ法則」 <第六章 80対20の法則> ☆自然はベキ法則を嫌うが系が相転移をしなければならない事態に追い込まれると、 状況は一変してベキ法則が現れる →ベキ法則はカオスが去って秩序が到来することを告げる明らかな徴候 <第六章 80対20の法則> ○ネットワークの進化は、優先的選択というデリケートだが情け容赦ない法則に支配されている <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ☆スケールフリー・ネットワークにハブとベキ法則が現れるのは”成長”と”優先的選択”のため <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ○スケールフリー・ネットワークはネットワークを時間と共に変化するダイナミックな系とみなす <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ☆ネットワークはランダムな状態から秩序ある状態に変化しつつあるわけではないし、 カオスの縁にあるわけでもない →ベキ法則すなわちスケールフリー・トポロジーが意味しているのは、 ネットワーク形成の各段階で何らかの組織原理が働いているということ <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ○スケールフリー・ネットワークの重要要素ハブは統計的にはまれな存在だが、 多数のリンクを持ち社会的ネットワークをひとつにまとめる役割を果たしている <第十章 ウイルスと流行> ○どんな拡散理論にも”臨界値”が必要 →拡散速度<臨界値=普及せず、拡散速度>臨界値=普及 <第十章 ウイルスと流行> ○ネットワークには1点集中型、多中心型、分散型の三つのタイプがあり、 1点集中型と多中心型はいずれも攻撃に弱い(ポール・バラン) <第十一章 目覚めつつあるインターネット> ○インターネットの背後にあるネットワークは、分散性が高く、集中度が低く、 各部分が局所的に保護されているため、要になるマップを作るという ごく自然な作業さえ事実上不可能になっている →インターネットをモデル化しようとすると、成長、優先的選択、距離依存性、 フラクタル構造まで考えに入れなくてはいけない (インターネットの研究者は設計者から探検家へと変貌しつつある) <第十一章 目覚めつつあるインターネット> ○コミュニティの定義が難しいのはその境界がはっきりしないことが原因のひとつ <第十二章 断片化するウェブ> ☆ウェブのアーキテクチャー=「コード」&「人間の集団的行為」の階層から成る ・コードは規制が可能だが、人間の集団的行為は中心となるデザインがないから 個別ユーザーや組織では規制不可能→ウェブは自己組織化する世界 <第十二章 断片化するウェブ> ☆Hotmailの成功要因 1 各人の閾値をゼロにした(拡散速度の増加) 2 登録手続きの簡略化(時間投資の低下) 3 ユーザーが電子メールを送るたびにHotmailの宣伝がなされる(自己拡大) <第十四章 ネットワーク経済> 理科系の仕事の文書の特徴=内容は事実と意見に限られる →心情的要素は含まない ☆理科系の文書を書くときの心得 =内容の精選、事実と意見の区別、記述の順序、明快・簡潔な文章 →「やわらかさ」を配慮するために「あいまいさ」が導入されることを嫌う <1. 序章> ○その研究の価値と成功の可能性とに対する判断の資料を提供するのが申請書の役割 →書こうとする文書に与えられた特定の課題を十分に認識してかかる必要がある <2. 準備作業(立案)> ☆自分で主題をえらべる場合にはできる限り自分自身が直接当たった生の情報と、 それについての自分自身の考えに重点を置くべき →これらはたとえ不備や未熟であったとしてもオリジナリティーという無比の強みがある (紙で得た知識はいかに巧みにまとめてみたところで所詮は二番煎じ) <2. 準備作業(立案)> ☆序論の役割 (a)読者が本論を読むべきか否かを敏速・的確に判断するための材料を示す (b)本論にかかる前に必要な予備知識を読者に提供する <3. 文章の組立て> ☆論文は読者に向けて書くべきもので著者の思いをみたすために書くものではない →特に序論では著者が迷い歩いた跡などは露いささかも表に出すべきではない <5. 文の構造と文章の流れ> ☆不自然に思えても、できる限り明確で断定的な言い方をすべき (見解に保留条件がある場合にはそれを明瞭に述べるべき) →仕事の文書で何事かを書くのは”state”すること <6. はっきり言い切る姿勢> ○理論と法則の違い ・理論(theory)=証明になりそうな事実が相当あるが、 まだ万人にそれを容認させる域には達してない仮説 ・法則(law)=すべての人が容認せざるを得ないほど十分な根拠のあるもの <7. 事実と意見> ○事実の記述は真偽の二価(two-valued)、意見の記述は多価(multi-valued) <7. 事実と意見> ☆事実記述の際の注意点 (a)その文書の中で書く必要性を十分に吟味せよ (b)ぼかした表現に逃げずにできるだけ明確に書け (c)名詞+動詞で書き、主観に依存する修飾語を混同させるな →一般的<特定的、漠然<明確、抽象的<具体的なほど価値が高い <7. 事実と意見> ☆事実と意見の書き分けのコツ (a)事実と意見どちらを書いているのかを常に意識して、 書いた後で逆にとられる心配はないかと読み返す (b)事実の記述に意見を混入させないようにする →意見の根拠になっている事実だけを具体的かつ正確に記述し、 後は読者自身の考察にまかせるのがいちばん強い主張法 <7. 事実と意見> ☆書くべきことが頭にびっしり詰まっている状態から 書き出す際の流れのコントロール方法・・・ (a)書きたいことを一つ一つ短い文にまとめる (b)それらを論理的にきちっとつなぐ(つなぎ言葉に注意) (c)「その文の中では何が主語か」をはっきり意識して書く <8. わかりやすく簡潔な表現> ☆歯切れがいいと言われる講演のコツ (a)事実または論理をきちっと積み上げて話の筋道が明瞭 (b)無用のぼかし言葉がない (c)発音が明瞭(特に語尾) →注意を惹きたい場合は大きな声ではなく ちょっと黙って聴衆の注意を引き出す <11. 学会講演の要領> 『暗黙知の次元』 マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳 ちくま学芸文庫 2003(原著1966) • 05.23.04 実はハンガリーってすごいんじゃないかと思いはじめてる、らぶナベ@天才多い? さて、『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳 (ちくま学芸文庫)2003年初版(原著1966年初版)。 「言葉にできない知がある」として暗黙知を打ち出した本として有名な一冊。 もともと言葉にできないものを言葉にしようとしているので やっぱり読みずらいところや突っ込みどころはかなりあるけれど、 よくある言いっぱなしじゃなく、神秘主義に走っているわけでもなくて読み応えがある。 おかげでそれまでは「そんなこと言っても始まらない」と言われていた、 コツやカンなどを議論の場で話せるようになった功績は大きいとされている。 (僕が関心を持っているいまの”雰囲気”もそう?) また、なぜか読みづらい本にありがちな嫌な感じは別にしなかった。 たぶん訳者も書いているように、初版当時隆盛だった共産主義でも実存主義でもなく、 (人間に対して悲観的ではなく)その隠れた可能性を信じる彼の姿が垣間見れるからだろう。 実はこの本は今年からできた佐倉研究室指定必読書の僕の担当文献。 リストアップ案(まろまろ原案)を出した人間として、 リストの中で一番読みにくい&一番発表しにくいものを選ぶべきだろうと読んでみた。 暗黙知という言葉やこの本については経営学や組織論を学んだ時に よく出てきたのでペラ読みはしたことはあったけど、 まさかこんな機会に通読するとは思わなかった。 人生って不思議ですな。 ちなみに著者は邦訳だとマイケル・ポラニーとも書かれることがあるけど、 ハンガリー発音だとポラーニ・ミハーイというらしい(Michael Polanyi)。 お兄さんは経済人類学者のカール・ポランニー(『大転換』、『経済の文明史』)。 こんなすごい親や叔父がいると子供はプレッシャーかかるだろうって思ってたら 著者の子供、ジョン・ポランニーは1986年にノーベル化学賞受賞、冗談みたいな一家だ。 おそるべしマジャール!&同じアジア系としてちょっと親近感(^^) 以下はチェックした箇所・・・ ○暗黙知の構造によれば、すべての思考には、その思考の焦点たる対象の中に 私がちが従属的に感知する、諸要素が含まれている →しかも、すべからく思考は、あたかもそれらが自分の体の一部ででもあるかのように、 その従属的諸要素の中に内在化(dwell in)していくものなのだ <序文> ○私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す それがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、 言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっている <第1章 暗黙知> ☆第一条件について知っているとは、ただ第二条件に注意を払った結果として、 第一条件について感知した内容を信じているのにすぎない <第1章 暗黙知> ☆暗黙地の特徴・・・ ・機能的構造(functional structure) =暗黙知が機能しているとき、私たちは何か別のもの「に向かって」注意を払うために、 あるもの「から注意を向ける」(attend from) ・現象的構造(phenominal structure) =A(近位項)からB(遠位項)に「向かって」注意を移し、Bの様相の中にAを感知する ・意味論的側面(semantic aspect) =すべからく意味とは「私たち自身から遠ざかって」いく傾向がある (道具を使用して得られた出来栄えを介して、道具の感触が意味するものに注意を傾ける) ・存在論的側面(ontological aspect) =暗黙的認識とは、二つの条件の間に意味深長な関係を樹立するものであり、 したがってそうした二つの条件が相俟って構成する 包括的存在(comprehensive entity)を理解すること <第1章 暗黙知> ○ある人の精神はその活動を追体験することによってのみ理解されうる(ディルタイ) <第1章 暗黙知> ○審美的鑑賞とは芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在すること(リップス) <第1章 暗黙知> ☆理論の内面化・・・ 私たちは理論から、その理論の観点で見られた事物へと、注意を移動させ、 さらに、そうした具合に理論を活用しながら、 理論が説明しようと努めている事物の姿を介して、理論を感知している →数学理論が自らを実際に応用することでしか修得されえないのはこのため <第1章 暗黙知> ☆問題を考察するとは(略)まだ包括されていない 個々の諸要素に一貫性が存在することを、暗に認識すること →独創性とは期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないときのこと <第1章 暗黙知> ☆包括的存在の安定性に機能する暗黙知・・・ 1 包括的存在を制御する諸原理は、具体的な諸要素を それ自体として統治している諸規則に依拠して機能する 2 同時に諸要素をそれ自体として統治している諸規則は、諸要素が構成する、 より高次の存在の組織原理の何たるかを明らかにするものではない <第2章 創発> ○境界制御の原理(the principle of marginal control) =上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされるコントロール <第2章 創発> ☆創発の過程 =より高位のレベルは下位のレベルでは明示されない過程を通してのみ出現できること <第2章 創発> ☆ある論文の科学的価値=厳密性、体系的重要性、内在的興趣 <第3章 探求者たちの社会> ☆理論の不意の確証(surprising confirmations) →発見は現行の知識が示唆する探求可能性によってもたらされる <第3章 探求者たちの社会> ○可能性を論じる主張は確実性を論ずる主張と同様に個人的な判断を含んでいる →結論とはそれに到達する人間の掛かり合い(commitment)を表現するもの <第3章 探求者たちの社会> ☆コミュニティの本来の特徴は、何かを共有することで生まれる結びつき →共通の属性をもつだけでは、母集団はコミュニティとは言えない <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○コミュニティサイトが突出してユニークである点= 知ることと伝えることのルールが自律的にできあがることを想定している点 <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○ネット上のコミュニティは自分たちが決めたルールに従っているうちに、 いつの間にかはっきりとした意見や意志を表明している場合がある →このような自律性はこれまでのコミュニティ&政治参加とは異なる <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○コミュニティサイトではメンバー間で知ることと伝えることを 集合財として共有→その集合財を前提に活動するので帰属意識が自然に出る <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ☆コミュニティがもっている自律性は人々の好奇心や向上心、功名心がもたらす 「ばらつき」や「かたより」を背景にしている →(妥当か否かは別にして)ネティズンがコミュニティサイトに楽観的な希望を託すのは 彼らが(ばらつきやかたよりを否定する)自由や民主主義をどこかインチキだと感じているから <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○知識=行動や知覚あるいは思考の習慣 <第2章 ネットワーキングという人間交際術> ○ネットの本質はユーザ間でのリソースシェアリング →ネットを新しい情報サービスと考えると本質を見誤る <第2章 ネットワーキングという人間交際術> ○贈与の文化では(略)安定した関係をほとんど無意味なゲームにする →安定した関係を無意味にすればするほどコミュニティは豊かになる <第4章 コミュニティ・デザインのための人間交際術> 『三国志』 北方謙三著 ハルキ文庫 全13巻 2001 • 02.25.04 「ジャックと豆の木」(学名 Castanospermum australe Beany)を育て始めたけど、 ハンパじゃなく大きくなる可能性があると聞いて今から戦々恐々としている、らぶナベです。 さて、『三国志』(全13巻)北方謙三著(ハルキ文庫)2001年初版。 ハードボイルド小説出身の著者による三国志小説。 以前、彼の『道誉なり』と『悪党の裔』(ともに日本の南北朝もの)を読んだときもかなり面白く感じたし、 いろいろなところでこの作品の評判の良さも聞いていたので 前々から読みたいと思っていたけど、全13巻もある長さに躊躇していた。 そんな折りまろまろ掲示板で三国志の話題が盛り上がったのをきっかけに手に取ってしまった。 読み始めてみると・・・夢中になるほど面白い! 著者なりの演出による三国志の世界観に魅了されてしまった。 それこそこの2ヶ月間のすべての作業効率が半減してしまったほど(^^; 中でもこの作品は「死」というものをすごく丁寧にえがいているのが印象深かった。 特に呂布(奉先)、周瑜(公瑾)、諸葛亮(孔明)、それぞれの死の場面には しばらくせつない気分を引きずってしまったほど。 (電車内で読んでいたのに恥ずかしいん) 「小説は酒みたいなもの」と公言している著者のやり方にまんまとはまってしまったのか。 Posted in 歴史, まろまろヒット率★★★★☆, 読書日記with No Comments → 『ご機嫌の直し方』 斉藤勇編・津々井良絵 青春出版社 1998 • 12.27.03 今年一番売れた歌はぶっちぎりで『世界にひとつだけの花』だけど、 僕のまわりでは「オンリーワンにならなくてもいい、もともと一人のロンリーワン」 という歌が大流行していた、らぶナベです。 さて、『ご機嫌の直し方』斉藤勇編・津々井良絵(青春出版社)1998年初版。 まろじぇくとXに来た人からもらった本。 様々な人から募集した109個の機嫌の直し方が紹介されている。 中には「ルール違反をする(No.20)」、「皿をたたきわる(No.24)」などの大それたものもあったけど、 僕は箱庭好きのぷちぷちくんなので「自分のやりたいことを10個書き出す(No.46)」、 「いつもの2倍の入浴剤を入れる(No.92)」あたりが手頃だと感じた。 あとがきに「不機嫌は楽な精神状態だから慢性化しやすい」と書かれてあったのには納得。 この本をamazonで見ちゃう ○われわれの存在がそのものが、ぞくぞくするような謎なのだ →しかも同時にこの謎はすでに明快に解き明かされている <まえがき> ○われわれの脳は、ほどのどの速度で三次元空間を動く、 ほどよい大きさの物体の世界を把握するためにデザインされている <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ☆時計職人は先の見通しをもっているが自然淘汰は盲目の、意識を持たない 自動的過程であり、何の目的も持っていない →もし自然淘汰が自然界の時計職人の役割を演じていると言ってよいなら、 それは盲目の時計職人なのだ <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ○複雑=あらかじめ特定でき、でたらめな偶然だけではとうてい獲得されそうにない 何らかの性質をもつこと <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ○物理学の課題=究極の起源と究極の自然法則の問題を解くこと、 生物学の課題=複雑さの問題を解くこと <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ○進化的変化が起こるのに使える時間が途方もなく長いので、 われわれはそれを直感的に把握できない <2章 すばらしいデザイン> ○現実には淘汰で残る基準は常に短期的に、単純に生き残るか、 あるいはもっと一般的に繁殖に成功するかである <3章 小さな変化を累積する> ○遺伝子は実際には二つのことをしている =発生に影響を及ぼすこと、将来に世代に伝えられること <3章 小さな変化を累積する> ☆自然淘汰は遺伝子を直接に選びはしない →遺伝子が体に及ぼす効果(表現型効果)を選ぶ <3章 小さな変化を累積する> ○数学について大切なことは恐怖心を抱かないようにすること →「こんなやつにもできるんだから誰だってできる」を思い出すこと <3章 小さな変化を累積する> ○数学者でない人間にとってコンピューターは想像力の心強い友だち <3章 小さな変化を累積する> ○サスライアリのコロニーは20kgを越える重さをもち、 2000万にも及ぶ口と針を持つ一匹の動物 →哺乳類とはかけ離れた進化物語の頂点 <4章 動物空間を駆け抜ける> ☆兵アリたちは女王アリのために私を覚悟するが、それは母親を愛しているからでも 愛国主義の理想を叩き込まれているからでもなく、 その身体が女王自身の携えている鋳型の原版から打ち抜かれた 遺伝子によってつくられているからにすぎない <4章 動物空間を駆け抜ける> ☆生きるもののすべての中核に存在するのは、炎でも、熱い息吹でも、生気でもない →それは情報であり、ことばであり、指令である <5章 力と公文書> ☆遺伝子の情報技術はデジタルである <5章 力と公文書> ○種を定義するのはその全構成個体がDNAに関して同じ番地システムをもっていること →ある生物種の個体間で異なりうるものは、それらの座の内容である <5章 力と公文書> ☆種の公文書中に自らを垂直的に伝達させる成功率に関して、 ライバルのDNA間に差があることこそがまさに自然淘汰 <5章 力と公文書> ○自然淘汰にできるのは新たな変異のうちのあるものを受け入れ他を拒絶することだけ <5章 力と公文書> ☆物理的な実態としてのDNA分子そのものは霧に似ていて、 適当な条件下では大変な速さで生成されるが、 長く存在するものはなく数ヶ月以内にすべて壊れてしまう →しかし分子がその配列によってつくりだすパターンは最も固い岩と同じくらい長持ちする <5章 力と公文書> ☆すべてはまったく単純で、楽しくなるほど自動的で、意図的ではない →累積淘汰の基本的要素ー複製、誤り、そして力ーがまず最初に現れたなら、 似たようなことが起こるのはほとんど必然 <5章 力と公文書> ☆ミーム進化は文化的進化と呼ばれる現象に現れている →文化的進化はDNAにもとづく進化より桁違いに速く進むので のっとりではないかと思わせるほどである <6章 起源と奇跡> ○進化はわれわれの脳に1世紀以下の寿命をもった生物にふさわしい、 危険率や実現可能性についての主観的な意識を備えさせた <6章 起源と奇跡> ○遺伝子が淘汰されるのは遺伝子の内的性質ゆえではなく環境との相互作用による →ある遺伝子の環境としてとりわけ重要な構成要素は他の遺伝子である <7章 建設的な進化> ○科学におけるもっとも偉大な進歩のいくつかがもたらされたのは、 頭の言い誰かがすでに理解されている問題といまだに謎の解かれていない 別の問題とのあいだにアナロジーが成立することを見抜いたおかげでもある <8章 爆発と螺旋> ○ちょっぴり少数派がさらに少数派になり、ちょっぴり多数派がさらに多数派になるとき、 われわれはいつでも正のフィードバックを生み出す秘訣を握っている →不安定なバランスがあれば必ず任意でランダムな始まりは自己強化されるようになる <8章 爆発と螺旋> ☆生物のもつ特性=適応的複雑さ =途方もない規模での統計的な不可能性(適切に了解されたランダムでない生存) →ゆっくりした斬新的な累積淘汰こそが生命のもつ複雑なデザインの存在を説明する <11章 ライバルたちの末路> ☆遺伝子は設計図よりも料理法にはるかに似ている <11章 ライバルたちの末路> ○偶然を飼いならす =とうてい不可能なものを順序よく配列された それほど不可能でない小さな構成要素に分解すること -------------------------------------------------------------------------------- Archive for the ‘読書日記’ ← Previous Entries Next Entries → 『佐倉統がよむ進化論のエッセンス』 佐倉統編 トランスアート 2003 • 10.19.03 オリジナル(原作 アニメ)を知っているだけに実写版『セーラームーン』は いくら仕事でも恥ずかしくて最後まで見れない、らぶナベです。 さて、『佐倉統がよむ進化論のエッセンス』佐倉統編(トランスアート)2003年初版。 進化にまつわる本を紹介しているアンソロジー本で、 情報学環の講義「進化生態情報学」の指定参考図書。 生まれて初めて手に取ったオンデマンド出版物でもある。 内容は生物学の基礎がない人でも進化論に取っ付けるように、 いろいろな本からさわり部分を引用して紹介している。 すごく面白い企画だけど、編者のコメントが少なすぎて物足りなさをかなり感じた。 どうせアンソロジーなんだから、もっとざっくりばっさり切り分けしてほしかった。 ただ、「日本の社会・文化は、まずは韓国や中国やヴェトナムなどと比較すべきであって、 欧米と比較して違いがあったからといって、即日本の独自性だと結論するのは、 論理的にもおかしい。日本ではなくて東アジアの独自性かもしれないのだから」 っと編者が述べているところには(第4部 日本の進化論、今昔)、 研究会で自分に言われているような錯覚を覚えた、反省します(^^; 以下はその他でチェックした箇所・・・ ○進化=「変化を伴う由来」=”descent with modification”(Dawin, 1859 123-124) <第3部 進化と歴史> ○いったん発表された文芸作品は、その後の改定・解釈・翻訳・模倣・ドラマ化 などによる「進化」を行う実体と解釈すべき (literary accomplishment Ghiselin, 1980 82-83) <第3部 進化と歴史> 2003 10/19 進化論、自然科学、アンソロジー まろまろヒット率2 (more…) Posted in 読書日記, まろまろヒット率★★☆☆☆, 進化論, 自然・科学本with No Comments → 『視覚的人間-映画のドラマツルギー』 ベラ・バラージュ著、佐々木基一&高村宏訳 創樹社 1975(原著1924) • 10.12.03 らぶナベ@広場の箱庭師です。 さて、『視覚的人間-映画のドラマツルギー』ベラ・バラージュ著、 佐々木基一&高村宏訳(創樹社)1975年初版(原本1924年初版)。 副指導教官の武邑光裕助教授から借りた本の第三段。 映画がまだ低俗なものとして扱われていた1920年代(白黒 無声映画の時代)に、 映画を芸術として位置づけようと試みた美学書の古典。 新しいものが芸術としてどう位置づけられて来たのか、 その過程を知るという点でも意味のある本。 この本で一番興味を持ったのは何と言っても「雰囲気」について述べているところだ。 「雰囲気は個々の形象の中に圧縮されている霧のような原素材である。 それはさまざまな形態の共通の基体でありすべての芸術の最終的なリアリティである。 この雰囲気がひとたび存在すると、個々の形態が十全でなくとも それが本質的なものを損なうものとはならない。 この特別なものの雰囲気が どこからくるか を問うことは、 すべての芸術の源泉を問うことである」、 「雰囲気はたしかにすべての芸術の魂である。それは空気であり香気である」 (「映画のドラマツルギーのためのスケッチ」より) ・・・まさにビビっと来た。 作品と呼ばれるものは「その雰囲気」を感じさせれば作品として成功なんだし、 作品と呼ばれないものでも独自の雰囲気を醸し出せるものは芸術なんだ。 この本の論旨はまだ美学がその射程にとらえていない WEB活動や同人活動にも応用可能だと読みながら感じた。 また、この本の紙質、大きさ、分量、文字の配置どれもすごくフィット感があった。 そういう意味も含めてまろまろヒット率5です(^_-) 以下は、その他にチェックした箇所・・・ ○理論は芸術発展の舵ではないが、すくなくともコンパスである <序言ー三つの口上> ○文化とは日常的な生活素材の完全な精神化を意味する <視覚的人間> ○唯一無二であるということがそれぞれの現象の本質であり、 それぞれに存在理由を与えるものである →それは他のものとの差異によって最も明白になる <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ○すべての芸術の存在資格は、代替不可能な表現の可能性を持つものであるという点 <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ○(覗き見について)我々が何かを見るときには、我々自身がその場にいるのが自然(略) 誰もその場にいないときの事物の様子を見ることは、人間のもっとも深奥の形而上学的憧憬 <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ○芸術とは本来、削りとることなのだ <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ☆(ウィットについて)それは概念の遊戯であって、 さまざまな概念相互のあいだの隠された思いもかけない関係を解き明かすことである <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> この本をamazonで見ちゃう 以下はチェックした箇所(一部要約)・・・ ☆人間のコミュニケーション=意味を与え、その意味が解釈される現象 →コミュニケーションの目的は死すべき生という残酷な不条理を忘れさせるための技法 (人間のコミュニケーションはコード化された記号に基づいている) <序 コミュニケーションとは何か?> ○人間のコミュニケーションは孤独と死に逆らう技法であり、 エントロピーに向かう自然の一般的傾向に逆らう過程 <序 コミュニケーションとは何か?> ○コミュニケーション形式は、少なくとも意味論的(semantics)観点か、 構文論的(syntax)観点のいずれかによって分類できる <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○「言説」(discourse)=手にしている情報を分配し、 自然がもつ分解作用に対抗してそれを保存するための方法 →いかにして情報への忠実と情報の進行を調和させる言説構造をつくりだすかが問題 (1)「劇場型言説」(発信者と受信者が向き合っている) (2)「ピラミッド型言説」(コード変換が段階ごとに行われる) →最高権威と原作者の間には超越性の断絶を超えて絶えず橋が架けられている (3)「樹木型言説」(当初の情報が解体&コード変化されて絶えず新たな情報が生まれる) →情報分配の閉鎖的特殊化によって死に至る孤独が克服しにくい (4)「円形劇場型言説」(受信者が言説の尽きるところにいる) <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○「対話」=さまざまの既存の情報を合成して新たな情報を生むための方法 (1)サークル型対話(求められている公分母は基本情報ではなく一つ合成) (2)ネット型対話(あらゆる情報が最後に流れ込む貯水池) →自然の分解傾向から情報を守る最後の受け皿 <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○神話的な原作者は(略)客観的心理とか科学的厳密性という レッテルとして樹木型言説の頂上にあって、 対話的なサークルは実際にはピラミッド構造のなかの権威中継者になっている <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○われわれは権威と伝統に対する関心を持たなくなっているからこそ、 かつてなかった権威主義的ピラミッド(technocracy)を体験している <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○線形的なテクストを読む者はテクストを超えたところに立つ (これが考えるということの意味) →こうした自己観察はテクノ画像の場合は不可能(テクノ画像は受信者を取り囲む) <第1章 さまざまの構造 3 三つの典型的な状況> ☆文化は人間のための世界に意味を与える同時に 世界から人間を守ることによって人間と世界を媒介する →ドイツ語の”vorstellen”は”判らせる”と”遮る”の二重の意味がある <第2章:さまざまのコード 1コードとは何か?> ☆諸定義・・・ ・「書くこと」=旋回するイメージ的時間をまっすぐに延ばして線形にすること ・「読むこと」=そのように線形的に進行する時間を終わりまで追ってゆくこと ・「記号」=何らかの了解によって別の現象を示すものとされている現象 ・「コード」=記号の操作を整序するシステム ・「イマジネーション」=画像によってコード化するとともにでこーどする能力 ・「テクノ画像」=扇情的テクストの記号に意味を与える諸記号によって覆われた平面 <第2章:さまざまのコード 3これらのコードはどう機能するか?> ○デカルトの出発点→算数と幾何学の間の断絶、 カントの出発点→純粋理性と実践理性の間の断絶 <第2章:さまざまのコード 3これらのコードはどう機能するか?> ☆歴史の主題とは、イマジネーションとコセプション、 表象と概念、呪術と歴史的論証の間の弁証法的緊張関係 <第2章:さまざまのコード 4三つのコードの同期化> ○テクノイマジネーション=概念についての画像を描いた上で、 その画像を概念の記号として読解する能力 <第3章:テクノイマジネーションの世界へ 3テクノイマジネーション> ☆人間は、世界と生に意味を与え、それによって死を否定するさいに、 他の人間とコミュニケートする →世界に意味を与えるコード化された人為的世界は、他者と共存の世界になる (人間自身は、他の人間によって不死になる) <第3章:テクノイマジネーションの世界へ 3テクノイマジネーション> ☆ある言明は、そこで発言権を主張している視点の数が多ければ多いほど、 また、それらの視点をとることのできる人々の数が多ければ多いほど、真実に近い →真実の標識は客観性ではなく間主観性 <第3章:テクノイマジネーションの世界へ 3テクノイマジネーション> http //maromaro.com/archive/category/readingdiary/page/71
https://w.atwiki.jp/quietpath/pages/13.html
さて、『カリスマ―出会いのエロティシズム』 チャールズ・リンドホルム著、森下伸也訳 新曜社 1992 カリスマの研究書、めちゃ面白かった一冊! 内容は理論編(第2部)でカリスマ研究の歴史、各分野からのアプローチを押さえながら統合理論としてまとめ、 実例編(第3部)でカリスマとその信奉者たちの典型例を取り上げて、 結論(第4部)でカリスマとその信奉者たちとの相互作用は一体何なんなのか、その今日的な意味も含めて答えを出している。 理論の深さ、実例の迫力、結論の説得力、どれを取ってもカリスマの研究の決定版と言える本。 まず、すごいなと思ったのが膨大な先行研究を押さえていているところだ。 たとえば理論編では情念に焦点を当てた哲学者たちとしてヒュームやミル、ニーチェ(2章)、社会学としてのアプローチ、ウェーバー(ヴェーバー)とデュルケム(3章)、 催眠と群集心理学からのアプローチのメスマー、ル・ボン、タルド(4章)、精神分析学からのアプローチとしてのフロイト(5章)などの カリスマ研究の背景やそれぞれのアプローチを総括しながら、 カリスマ的リーダーシップの病理性を強調する心理学的見解と、カリスマ的集団に積極的な価値を与える社会学的言説との対比をまとめて(6章)、 カリスマ精神の病いなのか、再社会化なのだろうかと問いの下で統合理論化(7章)をしている。 その次の実例編では典型的なカリスマとその信奉者たちの実例としてアドルフ・ヒトラーとナチ党(8章)、 チャールズ・マンソンとそのファミリー(9章)、ジム・ジョーンズと人民寺院(10章)を取り上げている。 著者は文化人類学出身なので、この実例編は本領発揮という感じでとても迫力があった。 ある人物がカリスマ的パーソナリティを持つことになってゆく過程、奴隷化しているのに自分は解放されていると思う信奉者たち、 そしてカリスマと信奉者の相互作用で生まれた集団のダイナミズムが展開し、崩壊していく様が克明にえがかれていて、 単純に生々しい読み物としても読み入ってしまった。 そしてシャーマニズムとの共通点を指摘しながら(11章)、結論につなげるという流れがとても綺麗。 結論(12章)では、現代のカリスマをよく指摘されるような芸能人やスポーツ選手にとどまるだけでなく、 カリスマ的な特徴を帯びた人間関係として、家族(観)とロマンティックな恋愛を挙げているのが面白い。 確かに実例編で出てきたカリスマとその信奉者たちは極端な事例かもしれないけど、 読みながらホストに入れ込む女性や、キャバクラ嬢に振り回される男性を思い起こしていただけに納得。 (実は自分自身の恋愛体験の中にも重ね合わさる面もあった(^^;) 人間関係がもたらす無我と交感の絶頂感(エクスタシー)は魅力的で、時には没頭してしまう。 コミュニケーションの快楽に耽溺する人の性向は決して特殊なものではなく、 人間の本質の一つなんだ、というこの本の主張は説得力があった。 (そこには集団のダイナミズムが生まれる源泉になる) ちなみに、この本はインターネット普及以前に書かれたものだったので、 現在のネットコミュニティ内でのカリスマ出現に著者はどう思っているのか知りたかった。 また、理論編の第2部はけっこう面白いんだけど、理論的背景とかアプローチを退屈だと思う人は、 訳者が言っているように実例編の第3部から読んでも十分に面白く読めると思う。 以下はチェックした箇所(要約含む)・・・ ○カリスマというものを理解するためには、カリスマ的人物の性格やそのカリスマ的魅力を個々の人間に受け容れやすくさせている諸属性を研究しなければならないばかりでなく、 同時に指導者と信奉者が相互作用をおこなっているカリスマ集団そのもののダイナミズムをも分析しなければならない <第1章 序説> ○弱く空虚な人間は、服従することによって、ひとつのアイデンティティを、また力と意志という不可欠な幻想を手に入れることができる →カリスマの信奉者たちは抑圧の中に解放されているという感覚を感じる (Hoffer 1951) <第4章 催眠と群集心理> ☆自己の解体的幻想による同一化的経験こそが指導者に対する信奉者の愛、自我の境界が消失する超越的な愛の源泉 <第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か> ○心理学者たちが指導者に焦点をあて、彼らの障害をもったパーソナリティを強調しがちであるのに対し、 社会学者たちは指導者の性格についてほとんど論じることなく、信奉者や彼らを取り巻く環境に関心をもつ →心理学が信奉者のうちに病理性を見ようとするのに対して、 社会学者は信奉者が普通の人間よりも深い心理学的な生涯を病んでいるわけではないことを証明することに関心をもっている <第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か> ○カリスマに対しては大きく分けて二つのアプローチがある・・・ ・精神分析学に由来するものでカリスマの感情的強烈さや超越的性格を認めはするが、それに対する価値判断を含み、指導者の個人的特長を過度に強調するもの ・社会学に由来するもので集団の重要性、共同体への参加が人々の願望の対象となりうることをよく認識しているが、 しかし経験から情念を剥離させ、リーダーシップを閑却し、カリスマ的紐帯の根底にある無意識の衝動を軽視するもの →どちらのアプローチもカリスマ的経験の一部を教えてくれるが全体ではない <第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か> ☆自我がその価値を減ぜられ、アイデンティティの標識や対象とのきずなを剥奪されながら、それでもなお同時にすべての行為の唯一の正当化根拠とされるとき、 カリスマの啓示や帰依者の共同体的集団への没入によってあたえられる激しさや内的確実感は高度に魅力的 →このようにして高められた相互作用の形式は現実の社会構造に欠けている、交感の感情、エクスタシー的自己喪失、超越、信念をあたえる <第7章 カリスマの統合理論> ☆カリスマ的な関わりへ導いていく諸条件について統合的図式・・・ ・疎外された現代社会とナルシシズムの文化が結合して人々にカリスマへの没入を受容させやすくしている ・人格的アイデンティティを遮断することによって人々に自己喪失を用意させる思想改造 →いずれも人格的アイデンティティを脅かし、集団による個人の吸収を促進し、集団形成の指導者に対するエクスタシー的心酔を偏愛するように作用する、 ある種の技法や社会状況がもつ人格解体的作用に対してまことに弱い存在として人間を描く <第7章 カリスマの統合理論> ○ヒトラーという恐るべき事実に直面した歴史家や政治学者は、当然のことながら彼や彼の運動からその神秘的な要素を取りのぞこうとするから、 その結果として諸々の偶然の変数が結びつくことで彼に政権の掌握と維持が可能になったという事実を強調することになる <第8章 「取り憑かれた従者」> ☆カリスマ集団の隠された目的は「成功」することではなく、経験することそれ自体 →だから外的脅威の圧力で集合体経験は強化される <第8章 「取り憑かれた従者」> ○(ナチスのSS訓練は)極度の疲労と苦痛、そして屈辱は、男たちの過去とのきずなを切断し、いかなる自律感覚も腐食させる効果を発揮した <第8章 「取り憑かれた従者」> ○社会変動が旧来のきずなを切断してしまったところはどこでも、補償としてのカリスマ運動を好む <第9章 「愛こそわが裁き」> ○主観のうちに生じるエクスタシー的なトランスという変成状態の所有がシャーマニズムの中心 <第11章 「聖なるものの技術者」> ☆シャーマンの役割につくことは、現代においてカリスマとなることと同じく、アイデンティティ解体という初期局面から苦痛に満ちた自己再構成を経て、 他のもっと弱い魂たちを圧しつぶす潜在的な精霊をコントロールして顕在化させる能力をもった変身せる専門家としての再生へ向かう運動 <第11章 「聖なるものの技術者」> ☆カリスマ的啓示は、周縁に追いやられた集団を無視し抑圧してきた社会構造における弱き者の示威運動、反構造の契機、警告のコミュニタスとなる (Turner 1982) →カリスマの形態は、いかなる社会にあっても、社会構造の中にそれがあらわれることで克服されなければなならい抑圧のタイプと程度を示す <第11章 「聖なるものの技術者」> ○逸脱せる集団とその指導者に精神的な変調をきたした者というレッテルを貼ることと、彼らが実際に狂気に落ち込んでいくこととの間には明確な相関関係がある <第11章 「聖なるものの技術者」> ☆今日におけるカリスマの過剰なあらわれは、交感を求める人間の根源的な欲求を社会システムが満たしえないでいることの反映 →カリスマとその集団は、その暗さによってわれわれ自身が置かれているディレンマの輪郭をくっきりと縁どる影 <第11章 「聖なるものの技術者」> ○非日常な無我の状態に到達することのできる一つの方法が、移ろいやすい気質をもったカリスマ的指導者という霊感喚起的な人物によって結合された集団に所属すること <第12章 今日のカリスマ> ☆恋愛においては、カリスマにおいてと同じように、相手のうちへ自己を喪失することが縮小としてでなく、高揚、エクスタシー、自我の拡大として経験される (Chasseguet-Smigrel 1976) →恋に落ちることは巨大な革命のエクスタシー感情と変革パターンを小規模で複製する集合運動の最も単純な形態 (Alberoni 1983) →カリスマも恋愛も強烈な情動喚起的関係における自他の完全な同一化を要求するので同時並行することはできない <第12章 今日のカリスマ> ☆カリスマとは、世俗的な世界の疎外と孤立の外部にあってそれと対立する根源的な超越の瞬間をもたらす直接的なエクスタシー経験 →無我と交感というモーメントは、われわれ人間の不可欠な条件の一部 →問題はそうしたモーメントがどのような形態をとるかということ <第12章 今日のカリスマ> 「人生とは舞台で芝居だ。大まじめなことは脇へおいて演じることを学ぶがよい。 それがいやなら、苦痛に耐えねばならぬ」(『ギリシア詩歌集』パラダスの詩) 、「財産は、賢者にあっては奴隷の地位にあたるが、愚者にあっては支配者の地位にある」 (divitiae enim apud sapientem virum in servitute sunt, stultum in imperio)(セネカ『幸福な生活について』) ・・・というのも目にとまった。 そんな生々しい日常生活をおくる上での名言だけでなく・・・ 「努めて簡潔さを求めると、曖昧になる。洗練を狙うと、力強さと気迫が失われる。荘重さを表に掲げると、誇張におちいる」 (ホラティウス『詩論』)という言葉も目にとまった。 何かを書こうとする時に誰もがぶつかってしまう壁を端的に言い表していて印象深い。 以下はその他でチェックした箇所・・・ ○絵は言葉を使わぬ詩、詩は言葉でかく絵である。 プルタルコス『アテナイ人の名声について』 ○友は第二の自己である。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 ○何物も無からは生じない。 (ex nihilo nihil fit.) ルクレティウス『事物の本性について』 ○人の数だけ意見あり。 (quot homines, tot sententiae.) テレンティウス『ポルミオ』 ○もしトロイアが幸福であったなら、誰がヘクトルのことを知っただろう? 公の不幸を通して徳の道は作られる。 (Hectora quis nosset, si felix Troia fuisset? Publica virtuti per mala facta via est.) オウィディウス『悲しみの歌』 ○分別の心に、わざうかな愚かしさを交ぜよ。 (misce stultitiam consiliis brevem) ホラティウス『詩集』 ○恋は涙のように、目から発して胸に落ちる。 (amor, ut lacryma, oculo oritur, in pectus cadit.) ププリリウス・シュルス『金言集』 ○ゆっくり急げ。 (Festina lente.) スエトニウス『ローマ皇帝伝』 この4人は元からして前回のアウグストゥスや前々回のユリウス・カエサルに比べると評価の難しいリーダーたちなので、 支持を得られなかった複合的な理由について、ところどころに著者が自分の見解を示しているのが面白い。 たとえば「民主制は政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム」だから、 リーダーは「政治のプロとしての気概と技能は保持しながら同時にシロウトの支持を獲得する高等な技が必要」なのに、 この4人の皇帝はシロウトに対してアピールすることが下手だったり、端から意欲が無かった。 また、「賢帝と悪帝の境目は、公人と私人のバランスをいかにうまくとるかにかかっていた」のに、 このバランスを崩した(特にティベリウスを除く3人)。 そしてこの本の中で一番印象深かったのは著者が、 「歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、勝者と敗者を決めるのはその人自体の資質の優劣ではなく、 もっている資質をその人がいかに活用したかにかかってくるという一事である」と述べているところだ。 確かにこの4人を見ているとすごく説得力のあるものだと感じるし、自分自身も振り返る機会になった。 他にも『寛容について(De Clementia)』でセネカが述べた、 「同情とは、眼の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を産んだ要因にまでは心が向かない(略) 寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できる」なども目にとまった。 評価が分かれる人物たちを取り上げているだけに、印象深い記述が多いシリーズ第7段だった。 ☆パーソナルブランドは3点を伝えることで成り立つ 1 あなたは誰なのか 2 あたなは何をしているのか 3 あなたが他人と違うところ(どんな価値を提供するのか) <第1章 パーソナルブランドをなぜ作り上げるのか> ☆ブランディング戦略の展開のために決定する事項 1 ターゲットとなるマーケット 2 ブランディングチャネル 3 メッセージ 4 ツールおよびタイミング <第15章 自分のブランディングとマーケティングの年間プランを書き上げる> ○ブランドを明確にすれば、ブランドはあなた自身を明確にする <第1章 パーソナルブランドをなぜ作り上げるのか> ○ブランドの三つの力の源・・・ 1 感情的なインパクト 2 一貫性 3 時間 <第3章 パーソナルブランディングの役割> ○パーソナルブランディングの黄金ルール=「汝自身が真実であれ」 <第5章 個人的な要素をパーソナルブランドに取り入れる> ○賢明なパーソナルブランダーが行う真のネットワーキング= 興味をそそるような情報を十分に提供し、自分は身を引いて彼らの側から自分のところに来させる <第14章 ネットワーキング> ○ネットワーキングの秘訣 1 継続的なネットワーキング 2 機会をとらえることができるようなポジショニング 3 ただ知り合いになるだけでいい 4 人の話を聞く 5 ブランディング資料を持ち歩く 6 興味を示す 7 積極性を持つ <第14章 ネットワーキング> ○ネットワークにレバレッジをかける方法 1 迅速なフォローアップ 2 連絡を取り続ける 3 自分の信頼を築くようなことはすべて知らせる 4 コミュニティを築き上げる 5 等身大であれ <第14章 ネットワーキング> ○人は嘲るものである →これは危険を冒す勇気のない人々の羨望から来ることが多いので暗愚な疑いで自分を落胆させてはならない →彼らに言わせておけばいい→そのことによって彼らの顧客をつかむことが容易になる <第17章 ミスを回避するために知っておくべきこと> 第一次世界大戦の経験を基にしてアーサー・ポンソンビーが『戦時の嘘』で明らかにした、 戦時プロパガンダ10の法則というものがある・・・ 1 われわれは戦争をしたくはない 2 しかし敵側が一方的に戦争を望んだ 3 敵の指導者は悪魔のような人間だ 4 われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う 5 われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる 6 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている 7 われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大 8 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している 9 われわれの大義は神聖なものである 10 この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である この本は、歴史学者の著者が一つの法則につき一章を使って、 第一次世界大戦からコソボ紛争、アフガン戦争などの最近の事例までを当てはめ、 この10の法則が現代にも通じるものだと主張している。 法則として書き出してみるとバカみたいに単純な言い訳になるだけに、 なぜいつもこの法則(というより口上)にだまされるのか、 それについて突っ込んだ考察がなされてなかったのが残念に思った。 ○ミーム=記憶のアイテムで、生物個体の神経系に保存されている情報の一部。 観察者が聴衆かすることで同定される。 観察者の裏付けは、以前にほかの生物個体の神経系に保存されていた 同じ記憶アイテムを裏付けた先行経験に依存している(Lynch, 1998) <第1章 序論(ロバート・アンジェ)> ○ミーム研究をめぐる三つの論争・・・ ・文化を主に構成しているものは、独立して伝達される情報単位とみなしていいのか ・いわゆるミームなるものは、自己複製子として機能しうるだけの要件を備えているのか ・ミーム論のようなダーウィン的、選択理論的なアプローチが文化の科学として最適であり望ましいのか <第1章 序論(ロバート・アンジェ)> ○ミーム駆動=ミームは、現在成功しているミームを選択する脳を遺伝子に作らせたとする仮説 →人間の脳は選択的模倣装置 <第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)> ○私たちの周りにあるすべての文化的存在は、 熾烈なコピー競争の、現在の勝者であるがゆえに存在している <第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)> ○人間の本性は、ミームと遺伝子が複雑な環境下で複製の競争を行った産物であり、 神秘的な導きの原理や自由意志とともにある内なる自己の余地など存在しない <第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)> ○ミームは新しい研究プログラムであるから試行とテストによって評価されるべきである <第3章 ミーム論をまじめに取り扱う―ミーム論は我らが作る(デイヴィッド・ハル)> ○文化の自然科学に対する主要な2つのアプローチ= 1 文化の進化に焦点をあてたアプローチ(心理的機構の進化に関心) 2 文化的進化に焦点をあてたアプローチ(遺伝子-文化の共進化に関心) ・・・この2つは統合されるべき <第4章 文化と心理的機構(ヘンリー・プロトキン)> ○認知過程=心的表象を伴う過程 →表象に対してエージェントが行う行為によって完成する 社会的認知過程=社会的信念、目標を伴う過程 →エージェントの社会的信念、目標に対して行為を推敲することにより実現する <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○ミーム論の利点 1 アプローチが基礎的 2 発見的であり新しい解釈や再構築を促す(進化的アプローチの特徴) 3 学際的 4 多岐に渡る問題を取り扱える <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○科学としてのミーム論の未来は、ミームが脳内で確認されるかどうかではなく、 むしろどの程度までミームが心の中に宿るか、 その根拠や過程が明らかにされるかどうかにかかっている <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○協力に必要な2つの条件 1 協力しあっているエージェントが1つの共通目標を持っている 2 彼らがその成就に対して相互に依存している (Conte and Castelfranchi, 1995) →交換においてはエージェントは相互依存さえしていればいい <第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)> ○人間のニッチ構築は部分的には社会伝達ミームに依存しているものの、 人間の遺伝子の選択的環境にとどまらず、ミームの選択的環境をも形作る <第6章 ミームの進化(ケヴィン・レイランド&ジョン・オンドリン=スミー)> ○もっとも成功しているミームは、ニッチ構築という形で実現しており、 自分たちの好みに応じて、選択的環境に効果的なバイアスをかけている <第6章 ミームの進化(ケヴィン・レイランド&ジョン・オンドリン=スミー)> ○ミームを好きかどうかは、単純に「細分派」か「統合派」か、 分析を拠り所にするか解釈を拠り所にするかということに帰すかもしれない <第11章 結論(ロバート・アンジェ)> ○操作的な定義以上のミームを同定することと、 その複製メカニズムをはっきりさせることの両方がなければミーム論は離陸できない <第11章 結論(ロバート・アンジェ)> この本をamazonで見ちゃう 『最後の親鸞』 吉本隆明著 ちくま学芸文庫 2002 • 05.20.05 飲み屋さんで合コンしてるテーブルはどんなに遠くからでもすぐわかる、 らぶナベ@ああいう場って独特のオーラを発しているのはなぜなんだろう?と思っています。 さて、『最後の親鸞』吉本隆明著(ちくま学芸文庫)2002。 僕に信仰心は無いけれど、我が家は浄土真宗(西本願寺)なので 一度くらいは親鸞ものを読んでみようと友人に勧められて手に取った一冊。 非僧非俗の生涯をおくった親鸞の晩年に焦点を当てて彼の思想性に迫ろうとしている。 興味を持ったのが親鸞の生涯の中で北陸への追放から晩年の京都での著作活動の間にある 北陸と関東での布教時代がよくわかっていないというところだ。 そしてこのことにも関連して、親鸞の伝説を紹介しているのも面白かった。 27個の伝説をリスト化して、各派が自分の都合に合わせてどの伝説を組み合わせたのかが 一覧してわかる「伝説組み合わせ表」が興味深かった。 昔から僕にとって親鸞は「肉を食べるのとHをするのがやめられなかった」(肉食妻帯)ことや、 「良い人だって救われるんだから悪い人が救われるのは当然じゃん」(悪人正機説)などが印象にあった。 実は法然の方がすごくて、これほど有名なのは単に普及度の問題だけでは?という疑問も持っていた。 読んでみてこういう印象や疑問から来る関心をさらに高めてしまった。 以下はチェックした箇所・・・ ○現世でたまたま善であるか悪であるかは、時間のとおい過去からやってきた宿縁によるものだから、 本人のせいではない(略)つぎにこのかんがえは、悪人こそは善人にもまして往生の正機をもつのだ、 というように徹底化されていった。 <和讃> ○伝説がつくり出される動機は 聖化 したいという念慮と、一見これと裏腹な共同の 必要性 である。 伝説の 真 は、至上化された愛惜と極端な有用性から成っている。 <親鸞伝説> ○絶対的な距たりを縮めようとする行為は、 遠まわりの善であるという逆説の完成こそが親鸞の教理的な精髄であった。 <教理上の親鸞> この本をamazonで見ちゃう 2005 5/20 自分を振り返るのに歴史書と名言集は欠かせないような気がする。 ☆人生で最もむずかしいことは、自分の幸福にとって厳密に得になること、 厳密に生き甲斐あることだけをする術を学ぶことだ。 <ヘンリー・ミラー『わが読書』> ☆心だに 誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん <古歌> ☆思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。 それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。 歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 <魯迅『故郷』> ☆私は あまり人の通っていない道を選んだのだ、 それが 大きな相違をもらたすことになった。 <ロバート・フロスト『行かなかった道』> ○自分の中にある晴々した気分の源を清らかにして置けば、 外界の事物も我々の心に沿って来る。 <プルタルコス『倫理論集』> ○私は自分の境遇の、暗い面よりも、明るい面に注意を向けて、 私に不足しているものではなくて、私が持っているもののことをもっと考えるようになり、 そのために私は言いようがないほどの慰安を感じることがあった。 <デフォー『ロビンソン漂流記』> ○わたしは引用というものを、疾走する三頭立ての中央の馬を 左右から助ける副え馬だと理解している。 <エイゼンシュテイン『自伝のための回想録』> ○われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。 <セネカ『人生の短さについて』> ○天国において奴隷たるよりは、地獄の支配者たる方が、どれほどよいことか! <ジョン・ミルトン『失楽園』> ○断じて媚は売らないと標榜するのも一種の媚である。 <ラ・ロシュフーコー『箴言集』> ☆地面レベルから学習するよう設計されたシステムの5原則 1 多いことは違うことだ 2 無知は役に立つ 3 ランダムな出会いを奨励しよう 4 記号の中のパターンを探せ 5 ご近所に注意を払え <第2章 街路レベル> ○時間がたつ中で全体が維持されることが複雑系を定義づける特徴の一つ <第2章 街路レベル> ☆都市生活は、個人の行動を変える、見知らぬ者同士の偶然の相互作用に依存している →歩道生活における情報ネットワークは(高速道路と違って)十分に肌理の細かいもので、 高次学習が創発することを可能にする <第2章 街路レベル> ☆学習=変化するパターンを認識して反応すること <第3章 パターンマッチング> ○自己組織システムはフィードバックを使って自分をもっと秩序立った構造へと引き上げるが、 WEBのフィードバックを容認しない単方向リンクではネットワークが学習しつつ成長する手段がない →だからこそ検索エンジンがあてにされる <第3章 パターンマッチング> ☆負のフィードバック=予測のつかない変動する外的条件の中で均衡点に達する手段 正のフィードバック=他のシステムを一層推進することになる手段 <第4章 フィードバックを聴く> ☆グループでの会話は一種の回路基盤 =主要な入力は公式な発言者から、二次的な入力は観客や他の発言者の反応から来る (主要な入力は、自分の信号をグループフィードバックからの二次的な入力に基づいて調整する) →イカレポンチ(ネット上の荒らし)の横行は、 情報フローが単方向で観客がいるのに見えないシステムから来る <第4章 フィードバックを聴く> ○フィードバックの利用自体を非難してもしょうがない →手元のシステムの個別規則を調べて、フィードバックルーチンが自分の奨励したい価値観を 奨励するようにするにはどうしたらいいかを考えること <第4章 フィードバックを聴く> ☆ゲームの面白さはルールが定義づける可能性の空間を探求するときに起こる →創発システムもまた低次のルールから生まれたルールが律している <第5章 コントロールのアーティスト> かつて携帯電話でメールができるようになった時にそのインパクトをめぐって 携帯メールなんて面倒くさくて流行るわけないと言う否定的な人と企画会議で喧嘩したことがある、 らぶナベ@若気の至りと年寄りの至りですな(^^; さて、『スマートモブス―“群がる”モバイル族の挑戦』 ハワード・ラインゴールド著、公文俊平 会津泉監訳(NTT出版)2003年初版。 携帯電話や無線LANなどのモバイル(ユビキタス)コミュニケーションがもたらしている 思想、文化、政治、経済への影響と、これからの未来像をえがこうとする一冊。 多くの人が携帯を持ち、モバイルコミュニケーションすることはどういう意味を持つんだろう? たとえばフィリピンのエストラダ大統領を退陣に追い込んだ”People Power2″(2001)を支えたのが、 携帯電話のショートメッセージによるモバイルコミュニケーションだったし、 韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の誕生(2002)には携帯メールによる支援運動が重要な役割を果たした。 こんな巨大な力を生み出すこともあるモバイルコミュニケーションの光と影を丹念に紹介、考察している。 (タイトルの”MOBS”には”MOB”と”MOBILE”の両方の意味が込められている) ちなみに著者は日本通ということもあって、この本の第一章は 渋谷のハチ公前で携帯メールする若者たちに注目することからスタートする。 「携帯電話が日本の世代間の力関係を変えるきっかけになった」という研究も紹介されていたが、 確かに各家庭に一台しか固定電話が無かった頃の十代の恋愛と、 各人に一台の携帯電話を持った後の十代の恋愛とではだいぶん違うのは実感できる。 この本は単なる現状の紹介だけでなく、その意味を探求しようとしているのが面白かった。 そういう姿勢もあるから副題は原題”The Next Social Revolution”の方が良かったと思う。 この邦題では単なるモバイル好きの人たちの話みたいなイメージで、もったいなく感じた。 以下はチェックした箇所(一部要約)・・・ ○携帯電話が日本での世代間のパワーシフトの引きがねを引いた(Mizuko Ito, 2001) →携帯電話は若者たちに詮索好きな家族と固定電話を共有することから解放し、 プライベートなコミュニケーションのための空間と社会的な行動の可能性を変える媒体を創出 <第一章 渋谷ハチ公前での啓示> ☆電話の第一の利点は、若者たちに社会的ネットワークにおける 帰属とステータスの誇示を可能にすることにある(Alex Haper, 2001) <第一章 渋谷ハチ公前での啓示> ○(その場の会話を中断した)電話しているときに見せる表情が 電話がかかってくる直前までにとっていた表情と違うという変貌行為は、 表情は人前では意識的に取り繕われるものだという事実をまず浮かび上がらせ、 それに続いて後で見せた表情は(場合によっては最初の表情も含めて) 虚偽のものではないかという気持ちを起こさせる (Palen Salzman Youngs, 2001) <第一章 渋谷ハチ公前での啓示> ☆「共通にプールされる資源」(CRP Common Pool Resources)の管理にとって重要なもの=監視と制裁 →監視と制裁は単に罰するための手段としてだけではなく、 他人も務めを果たしていることを保証してくれる手段として重要 →多くの人は他のほとんどの人が協力する限りは自分も協力しようと思う条件付きの協力者(Smith, 2001) <第二章 協力の技術> ○メカトーフの法則が支配するところでは、相互行為が中心になる GFNの法則が支配するところでは、共同して構築された価値(共同応答やゴシップ)が中心になる(Reed, 1999) <第二章 協力の技術> ○放送は全国的な課題に関する論点を取り上げ、中核となる価値を定義する →ブロガー(blogger)たちは異なる市民のためにそうした論点を再構築し、 すべての人の意見が聞かれる機会を確保しようとする(Vance, 2001) <第五章 評判の進化> ☆評判システムが機能するための要件(Resnick, 2000)・・・ 1 将来の取引を生み出すために、ペンネームであっても買い手と売り手のアイデンティティの永続 2 取引についてのフィードバックと解釈が、他の人が将来検討するために入手可能 3 人々は自分の決定の基礎を評判格付けに置くがゆえに、それに十分な注意を払う <第五章 評判の進化> ○ネットワークは、ノードとリンクを含み、任意のあるリンクから他のリンクに情報を配信するために 可能な多数の経路を利用し、ガバナンスのフラットな階層構造と権力の分散を通じて自己規制されている →ネットワークは部族、階層制、市場の次にくる最新の主要な社会組織形態(Arquilla Ronfeldt, 2001) <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ☆社会的ネットワークが意味するのはスマートモブスの中のあらゆる個人が「ノード」であって、 他の個人に社会的な「リンク」(コミュニケーションチャンネルと社会的な絆)を持っているということ (社会的ネットワーク分析の専門用語での単語を使用) <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ○個人間での協力の閾値に多様性があることが、 群衆の間に協力の突発的蔓延を引き起こす原因となりうる(Dana, 2000) <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ☆ゴフマンのいう「相互行為秩序」(複雑な言語的および非言語的なコミュニケーションが 個人の間でリアルタイムに交換される社会領域)とは、 まさしく個人の行為が群衆の行為の閾値に影響を与えうる領域 <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ○グループ全員が誰が貢献し、ただ乗りし、あるいは制裁を受けているかを知ることが 評判システムと多対多コミュニケーションのメディアとが授けてくれる、 グループによる協力が持つ力を引き出すカギ <第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー> ☆(ネットワークによる)場における存在/不存在のあいまいな次元は、 帰属意識の四つ(家族、国家、人種、場所)のひとつである、ある場所への再構築を意味する →場所への帰属は自分のコミュニケーション・ネットワークへの帰属意識へと変容してしまった(Fortunati, 2000) <第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か> ☆技法の主要な特徴=合理性、人工性、技術選択の自動性、自己増幅、一元論、普遍主義、自律性(Ellul, 1964) →コンピュータ化された評判システムを通じて協力するコミュニティはこれらの基準に合致する <第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か> ○新しい情報技術全般が、きわめてしばしば権力を分散した(しかし権力者は権力の分散に好意的でない) →それゆえ現代のそれも含む歴史の動乱がある程度までもたらされるのだ(Wright, 1999) <第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か> バイアス/meme/遠回りの善 安藤美姫の両親はよっぽど自信があったんだなと関心する、 らぶナベ@ネーミングには勇気が必要という例ですな。 そこでは女の人は生活のすべてをやっていて。 ファッションにしても農作業にしても衣食住を女の人がすべてやっていて、 しかも自分たちでつくったオリジナルの衣装を着て、 ただただ農作業をやるという素晴らしい生き物で。 男の人は女の人ができないことをする、というか手伝うんやなって、 それが人間の原型のすがたなんやなって、あの映像を観て思いましたね。 男たちは何もしないで、ボーっとおもむろに大きいパイプを喫っていましたね(笑)。 雲南ってタバコの産地なんですよね。 で、タバコを喫って、バクチをやって、女の人が荷物を重くてもたれへんって言ったら、 たまにトラックに積み上げたり、男の人はそのぐらいで十分なんやなって(笑)。 YOSIMI interview http //openers.jp/culture/c_guest_lounge/yoshimi001.html Posted in エッセイ, 歴史, まろまろヒット率★★★★☆, 読書日記with No Comments → 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳 NHK出版 2002 • 09.29.04 発売中の『月刊アサヒ芸能エンタメ!』11月号に僕のインタビューが掲載されている、 らぶナベ@書店のHコーナーに置いてる本に載ったのはさすがに初めてです(^^; さて、『新ネットワーク思考~世界のしくみを読み解く~』 アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳(NHK出版)2002年初版。 人脈、宗教の布教、細胞の構造、性感染症の広がり、テロリストの成功、WEB、 所得格差、新製品の普及など、あらゆる”つながっているもの”に共通する ネットワークの基本的性質と働きを解説した本。 以前から耳にしていた本なので何気なく手に取ってみたものの、 読始めててすぐ「これは精読しないと!」と思い立ち、 計算したり考えたりしながら三ヶ月ほどかけて読むことになった。 本旨のランダム・ネットワーク理論からスケールフリー・ネットワーク理論への 展開はすごく興味深いものだったし感覚的にも納得できるものだった。 (ノードとリンクの関係、ベキ法則、ハブの重要性と弱点などもすごく納得) さらにネットワークの性質と働きを象徴的に表わしている個々のエピソードだけでも面白い。 もちろんまだまだ研究がはじまった分野なので突っ込みどころはあるるけれど、 “つながっていること”の意味をこれほどまで考えさせられる本は他に無いと思う。 つながるということ、ネットワークというものに少しでも興味を感じる人には必読書だと思う。 (ただ、邦題より原題の”LINKED The New Science of Networks”のままの方がよかった気が) 思えばこの本が出た時(2002年)と比べても現在はblogとSNSの隆盛やユビキタスなど、 つながる意味を考える機会や必要性はさらに加速している。 改訂や次作を首を心待ちにしたい。 また、この著者もハンガリーの人、やっぱりハンガリーっすごい。 ちなみにこの本のまとめ部分にあたる最終章は「クモのいないクモの巣」というお題になっている。 前に読んだ進化本『盲目の時計職人』(リチャード・ドーキンス)と通じるものがあって面白かった。 これを読んでいる貴方と僕も常に進化し続けるクモの巣としてつながっているんだ(^_^) 以下はチェックした箇所(要約含む)・・・ ○マフィアボーイ(ハッカー)とパウロ(宗教家)が成功できたのは 共にその行動の効率的媒体である”複雑なネットワーク”が存在したから →そのネットワークの構造とトポロジーのため <第一章 序> ☆ノードあたりの平均リンク数が1という閾値を超えると 巨大クラスターに含まれないノードの個数は指数関数的に減少する →クラスターの出現は数学では「巨大コンポーネント」、物理学では「パーコレーション」、 社会学では「コミュニティ」と分野ごとに言葉は違っても ノードをランダムに選んでリンクしていくとある時点で特別なことが起こることでは共通 <第二章 ランダムな宇宙> ○ネットワーク内の距離が短くなる理由はその数式に現れる対数のため →対数は巨大なネットワークを収縮させ、”小さな世界”にしている <第三章 六次の隔たり> ☆ネットワークに関する限り、サイズは必ずしも重要ではない →真に中心的な位置につけているのは多数の大きなクラスターに参加しているノード <第五章 ハブとコネクター> ○現実のネットワークのほとんどはわずかなリンクしかもたない大多数のノードと、 膨大なリンクをもつ一握りのハブが共存しているという特徴を持つ →これを数式で表わしたのが「ベキ法則」 <第六章 80対20の法則> ☆自然はベキ法則を嫌うが系が相転移をしなければならない事態に追い込まれると、 状況は一変してベキ法則が現れる →ベキ法則はカオスが去って秩序が到来することを告げる明らかな徴候 <第六章 80対20の法則> ○ネットワークの進化は、優先的選択というデリケートだが情け容赦ない法則に支配されている <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ☆スケールフリー・ネットワークにハブとベキ法則が現れるのは”成長”と”優先的選択”のため <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ○スケールフリー・ネットワークはネットワークを時間と共に変化するダイナミックな系とみなす <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ☆ネットワークはランダムな状態から秩序ある状態に変化しつつあるわけではないし、 カオスの縁にあるわけでもない →ベキ法則すなわちスケールフリー・トポロジーが意味しているのは、 ネットワーク形成の各段階で何らかの組織原理が働いているということ <第七章 金持ちはもっと金持ちに> ○スケールフリー・ネットワークの重要要素ハブは統計的にはまれな存在だが、 多数のリンクを持ち社会的ネットワークをひとつにまとめる役割を果たしている <第十章 ウイルスと流行> ○どんな拡散理論にも”臨界値”が必要 →拡散速度<臨界値=普及せず、拡散速度>臨界値=普及 <第十章 ウイルスと流行> ○ネットワークには1点集中型、多中心型、分散型の三つのタイプがあり、 1点集中型と多中心型はいずれも攻撃に弱い(ポール・バラン) <第十一章 目覚めつつあるインターネット> ○インターネットの背後にあるネットワークは、分散性が高く、集中度が低く、 各部分が局所的に保護されているため、要になるマップを作るという ごく自然な作業さえ事実上不可能になっている →インターネットをモデル化しようとすると、成長、優先的選択、距離依存性、 フラクタル構造まで考えに入れなくてはいけない (インターネットの研究者は設計者から探検家へと変貌しつつある) <第十一章 目覚めつつあるインターネット> ○コミュニティの定義が難しいのはその境界がはっきりしないことが原因のひとつ <第十二章 断片化するウェブ> ☆ウェブのアーキテクチャー=「コード」&「人間の集団的行為」の階層から成る ・コードは規制が可能だが、人間の集団的行為は中心となるデザインがないから 個別ユーザーや組織では規制不可能→ウェブは自己組織化する世界 <第十二章 断片化するウェブ> ☆Hotmailの成功要因 1 各人の閾値をゼロにした(拡散速度の増加) 2 登録手続きの簡略化(時間投資の低下) 3 ユーザーが電子メールを送るたびにHotmailの宣伝がなされる(自己拡大) <第十四章 ネットワーク経済> 理科系の仕事の文書の特徴=内容は事実と意見に限られる →心情的要素は含まない ☆理科系の文書を書くときの心得 =内容の精選、事実と意見の区別、記述の順序、明快・簡潔な文章 →「やわらかさ」を配慮するために「あいまいさ」が導入されることを嫌う <1. 序章> ○その研究の価値と成功の可能性とに対する判断の資料を提供するのが申請書の役割 →書こうとする文書に与えられた特定の課題を十分に認識してかかる必要がある <2. 準備作業(立案)> ☆自分で主題をえらべる場合にはできる限り自分自身が直接当たった生の情報と、 それについての自分自身の考えに重点を置くべき →これらはたとえ不備や未熟であったとしてもオリジナリティーという無比の強みがある (紙で得た知識はいかに巧みにまとめてみたところで所詮は二番煎じ) <2. 準備作業(立案)> ☆序論の役割 (a)読者が本論を読むべきか否かを敏速・的確に判断するための材料を示す (b)本論にかかる前に必要な予備知識を読者に提供する <3. 文章の組立て> ☆論文は読者に向けて書くべきもので著者の思いをみたすために書くものではない →特に序論では著者が迷い歩いた跡などは露いささかも表に出すべきではない <5. 文の構造と文章の流れ> ☆不自然に思えても、できる限り明確で断定的な言い方をすべき (見解に保留条件がある場合にはそれを明瞭に述べるべき) →仕事の文書で何事かを書くのは”state”すること <6. はっきり言い切る姿勢> ○理論と法則の違い ・理論(theory)=証明になりそうな事実が相当あるが、 まだ万人にそれを容認させる域には達してない仮説 ・法則(law)=すべての人が容認せざるを得ないほど十分な根拠のあるもの <7. 事実と意見> ○事実の記述は真偽の二価(two-valued)、意見の記述は多価(multi-valued) <7. 事実と意見> ☆事実記述の際の注意点 (a)その文書の中で書く必要性を十分に吟味せよ (b)ぼかした表現に逃げずにできるだけ明確に書け (c)名詞+動詞で書き、主観に依存する修飾語を混同させるな →一般的<特定的、漠然<明確、抽象的<具体的なほど価値が高い <7. 事実と意見> ☆事実と意見の書き分けのコツ (a)事実と意見どちらを書いているのかを常に意識して、 書いた後で逆にとられる心配はないかと読み返す (b)事実の記述に意見を混入させないようにする →意見の根拠になっている事実だけを具体的かつ正確に記述し、 後は読者自身の考察にまかせるのがいちばん強い主張法 <7. 事実と意見> ☆書くべきことが頭にびっしり詰まっている状態から 書き出す際の流れのコントロール方法・・・ (a)書きたいことを一つ一つ短い文にまとめる (b)それらを論理的にきちっとつなぐ(つなぎ言葉に注意) (c)「その文の中では何が主語か」をはっきり意識して書く <8. わかりやすく簡潔な表現> ☆歯切れがいいと言われる講演のコツ (a)事実または論理をきちっと積み上げて話の筋道が明瞭 (b)無用のぼかし言葉がない (c)発音が明瞭(特に語尾) →注意を惹きたい場合は大きな声ではなく ちょっと黙って聴衆の注意を引き出す <11. 学会講演の要領> 『暗黙知の次元』 マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳 ちくま学芸文庫 2003(原著1966) • 05.23.04 実はハンガリーってすごいんじゃないかと思いはじめてる、らぶナベ@天才多い? さて、『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳 (ちくま学芸文庫)2003年初版(原著1966年初版)。 「言葉にできない知がある」として暗黙知を打ち出した本として有名な一冊。 もともと言葉にできないものを言葉にしようとしているので やっぱり読みずらいところや突っ込みどころはかなりあるけれど、 よくある言いっぱなしじゃなく、神秘主義に走っているわけでもなくて読み応えがある。 おかげでそれまでは「そんなこと言っても始まらない」と言われていた、 コツやカンなどを議論の場で話せるようになった功績は大きいとされている。 (僕が関心を持っているいまの”雰囲気”もそう?) また、なぜか読みづらい本にありがちな嫌な感じは別にしなかった。 たぶん訳者も書いているように、初版当時隆盛だった共産主義でも実存主義でもなく、 (人間に対して悲観的ではなく)その隠れた可能性を信じる彼の姿が垣間見れるからだろう。 実はこの本は今年からできた佐倉研究室指定必読書の僕の担当文献。 リストアップ案(まろまろ原案)を出した人間として、 リストの中で一番読みにくい&一番発表しにくいものを選ぶべきだろうと読んでみた。 暗黙知という言葉やこの本については経営学や組織論を学んだ時に よく出てきたのでペラ読みはしたことはあったけど、 まさかこんな機会に通読するとは思わなかった。 人生って不思議ですな。 ちなみに著者は邦訳だとマイケル・ポラニーとも書かれることがあるけど、 ハンガリー発音だとポラーニ・ミハーイというらしい(Michael Polanyi)。 お兄さんは経済人類学者のカール・ポランニー(『大転換』、『経済の文明史』)。 こんなすごい親や叔父がいると子供はプレッシャーかかるだろうって思ってたら 著者の子供、ジョン・ポランニーは1986年にノーベル化学賞受賞、冗談みたいな一家だ。 おそるべしマジャール!&同じアジア系としてちょっと親近感(^^) 以下はチェックした箇所・・・ ○暗黙知の構造によれば、すべての思考には、その思考の焦点たる対象の中に 私がちが従属的に感知する、諸要素が含まれている →しかも、すべからく思考は、あたかもそれらが自分の体の一部ででもあるかのように、 その従属的諸要素の中に内在化(dwell in)していくものなのだ <序文> ○私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す それがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、 言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっている <第1章 暗黙知> ☆第一条件について知っているとは、ただ第二条件に注意を払った結果として、 第一条件について感知した内容を信じているのにすぎない <第1章 暗黙知> ☆暗黙地の特徴・・・ ・機能的構造(functional structure) =暗黙知が機能しているとき、私たちは何か別のもの「に向かって」注意を払うために、 あるもの「から注意を向ける」(attend from) ・現象的構造(phenominal structure) =A(近位項)からB(遠位項)に「向かって」注意を移し、Bの様相の中にAを感知する ・意味論的側面(semantic aspect) =すべからく意味とは「私たち自身から遠ざかって」いく傾向がある (道具を使用して得られた出来栄えを介して、道具の感触が意味するものに注意を傾ける) ・存在論的側面(ontological aspect) =暗黙的認識とは、二つの条件の間に意味深長な関係を樹立するものであり、 したがってそうした二つの条件が相俟って構成する 包括的存在(comprehensive entity)を理解すること <第1章 暗黙知> ○ある人の精神はその活動を追体験することによってのみ理解されうる(ディルタイ) <第1章 暗黙知> ○審美的鑑賞とは芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在すること(リップス) <第1章 暗黙知> ☆理論の内面化・・・ 私たちは理論から、その理論の観点で見られた事物へと、注意を移動させ、 さらに、そうした具合に理論を活用しながら、 理論が説明しようと努めている事物の姿を介して、理論を感知している →数学理論が自らを実際に応用することでしか修得されえないのはこのため <第1章 暗黙知> ☆問題を考察するとは(略)まだ包括されていない 個々の諸要素に一貫性が存在することを、暗に認識すること →独創性とは期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないときのこと <第1章 暗黙知> ☆包括的存在の安定性に機能する暗黙知・・・ 1 包括的存在を制御する諸原理は、具体的な諸要素を それ自体として統治している諸規則に依拠して機能する 2 同時に諸要素をそれ自体として統治している諸規則は、諸要素が構成する、 より高次の存在の組織原理の何たるかを明らかにするものではない <第2章 創発> ○境界制御の原理(the principle of marginal control) =上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされるコントロール <第2章 創発> ☆創発の過程 =より高位のレベルは下位のレベルでは明示されない過程を通してのみ出現できること <第2章 創発> ☆ある論文の科学的価値=厳密性、体系的重要性、内在的興趣 <第3章 探求者たちの社会> ☆理論の不意の確証(surprising confirmations) →発見は現行の知識が示唆する探求可能性によってもたらされる <第3章 探求者たちの社会> ○可能性を論じる主張は確実性を論ずる主張と同様に個人的な判断を含んでいる →結論とはそれに到達する人間の掛かり合い(commitment)を表現するもの <第3章 探求者たちの社会> ☆コミュニティの本来の特徴は、何かを共有することで生まれる結びつき →共通の属性をもつだけでは、母集団はコミュニティとは言えない <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○コミュニティサイトが突出してユニークである点= 知ることと伝えることのルールが自律的にできあがることを想定している点 <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○ネット上のコミュニティは自分たちが決めたルールに従っているうちに、 いつの間にかはっきりとした意見や意志を表明している場合がある →このような自律性はこれまでのコミュニティ&政治参加とは異なる <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○コミュニティサイトではメンバー間で知ることと伝えることを 集合財として共有→その集合財を前提に活動するので帰属意識が自然に出る <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ☆コミュニティがもっている自律性は人々の好奇心や向上心、功名心がもたらす 「ばらつき」や「かたより」を背景にしている →(妥当か否かは別にして)ネティズンがコミュニティサイトに楽観的な希望を託すのは 彼らが(ばらつきやかたよりを否定する)自由や民主主義をどこかインチキだと感じているから <第1章 情報はコミュニティのリソース(資源)である> ○知識=行動や知覚あるいは思考の習慣 <第2章 ネットワーキングという人間交際術> ○ネットの本質はユーザ間でのリソースシェアリング →ネットを新しい情報サービスと考えると本質を見誤る <第2章 ネットワーキングという人間交際術> ○贈与の文化では(略)安定した関係をほとんど無意味なゲームにする →安定した関係を無意味にすればするほどコミュニティは豊かになる <第4章 コミュニティ・デザインのための人間交際術> 『三国志』 北方謙三著 ハルキ文庫 全13巻 2001 • 02.25.04 「ジャックと豆の木」(学名 Castanospermum australe Beany)を育て始めたけど、 ハンパじゃなく大きくなる可能性があると聞いて今から戦々恐々としている、らぶナベです。 さて、『三国志』(全13巻)北方謙三著(ハルキ文庫)2001年初版。 ハードボイルド小説出身の著者による三国志小説。 以前、彼の『道誉なり』と『悪党の裔』(ともに日本の南北朝もの)を読んだときもかなり面白く感じたし、 いろいろなところでこの作品の評判の良さも聞いていたので 前々から読みたいと思っていたけど、全13巻もある長さに躊躇していた。 そんな折りまろまろ掲示板で三国志の話題が盛り上がったのをきっかけに手に取ってしまった。 読み始めてみると・・・夢中になるほど面白い! 著者なりの演出による三国志の世界観に魅了されてしまった。 それこそこの2ヶ月間のすべての作業効率が半減してしまったほど(^^; 中でもこの作品は「死」というものをすごく丁寧にえがいているのが印象深かった。 特に呂布(奉先)、周瑜(公瑾)、諸葛亮(孔明)、それぞれの死の場面には しばらくせつない気分を引きずってしまったほど。 (電車内で読んでいたのに恥ずかしいん) 「小説は酒みたいなもの」と公言している著者のやり方にまんまとはまってしまったのか。 Posted in 歴史, まろまろヒット率★★★★☆, 読書日記with No Comments → 『ご機嫌の直し方』 斉藤勇編・津々井良絵 青春出版社 1998 • 12.27.03 今年一番売れた歌はぶっちぎりで『世界にひとつだけの花』だけど、 僕のまわりでは「オンリーワンにならなくてもいい、もともと一人のロンリーワン」 という歌が大流行していた、らぶナベです。 さて、『ご機嫌の直し方』斉藤勇編・津々井良絵(青春出版社)1998年初版。 まろじぇくとXに来た人からもらった本。 様々な人から募集した109個の機嫌の直し方が紹介されている。 中には「ルール違反をする(No.20)」、「皿をたたきわる(No.24)」などの大それたものもあったけど、 僕は箱庭好きのぷちぷちくんなので「自分のやりたいことを10個書き出す(No.46)」、 「いつもの2倍の入浴剤を入れる(No.92)」あたりが手頃だと感じた。 あとがきに「不機嫌は楽な精神状態だから慢性化しやすい」と書かれてあったのには納得。 この本をamazonで見ちゃう ○われわれの存在がそのものが、ぞくぞくするような謎なのだ →しかも同時にこの謎はすでに明快に解き明かされている <まえがき> ○われわれの脳は、ほどのどの速度で三次元空間を動く、 ほどよい大きさの物体の世界を把握するためにデザインされている <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ☆時計職人は先の見通しをもっているが自然淘汰は盲目の、意識を持たない 自動的過程であり、何の目的も持っていない →もし自然淘汰が自然界の時計職人の役割を演じていると言ってよいなら、 それは盲目の時計職人なのだ <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ○複雑=あらかじめ特定でき、でたらめな偶然だけではとうてい獲得されそうにない 何らかの性質をもつこと <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ○物理学の課題=究極の起源と究極の自然法則の問題を解くこと、 生物学の課題=複雑さの問題を解くこと <1章 とても起こりそうもないことを説明する> ○進化的変化が起こるのに使える時間が途方もなく長いので、 われわれはそれを直感的に把握できない <2章 すばらしいデザイン> ○現実には淘汰で残る基準は常に短期的に、単純に生き残るか、 あるいはもっと一般的に繁殖に成功するかである <3章 小さな変化を累積する> ○遺伝子は実際には二つのことをしている =発生に影響を及ぼすこと、将来に世代に伝えられること <3章 小さな変化を累積する> ☆自然淘汰は遺伝子を直接に選びはしない →遺伝子が体に及ぼす効果(表現型効果)を選ぶ <3章 小さな変化を累積する> ○数学について大切なことは恐怖心を抱かないようにすること →「こんなやつにもできるんだから誰だってできる」を思い出すこと <3章 小さな変化を累積する> ○数学者でない人間にとってコンピューターは想像力の心強い友だち <3章 小さな変化を累積する> ○サスライアリのコロニーは20kgを越える重さをもち、 2000万にも及ぶ口と針を持つ一匹の動物 →哺乳類とはかけ離れた進化物語の頂点 <4章 動物空間を駆け抜ける> ☆兵アリたちは女王アリのために私を覚悟するが、それは母親を愛しているからでも 愛国主義の理想を叩き込まれているからでもなく、 その身体が女王自身の携えている鋳型の原版から打ち抜かれた 遺伝子によってつくられているからにすぎない <4章 動物空間を駆け抜ける> ☆生きるもののすべての中核に存在するのは、炎でも、熱い息吹でも、生気でもない →それは情報であり、ことばであり、指令である <5章 力と公文書> ☆遺伝子の情報技術はデジタルである <5章 力と公文書> ○種を定義するのはその全構成個体がDNAに関して同じ番地システムをもっていること →ある生物種の個体間で異なりうるものは、それらの座の内容である <5章 力と公文書> ☆種の公文書中に自らを垂直的に伝達させる成功率に関して、 ライバルのDNA間に差があることこそがまさに自然淘汰 <5章 力と公文書> ○自然淘汰にできるのは新たな変異のうちのあるものを受け入れ他を拒絶することだけ <5章 力と公文書> ☆物理的な実態としてのDNA分子そのものは霧に似ていて、 適当な条件下では大変な速さで生成されるが、 長く存在するものはなく数ヶ月以内にすべて壊れてしまう →しかし分子がその配列によってつくりだすパターンは最も固い岩と同じくらい長持ちする <5章 力と公文書> ☆すべてはまったく単純で、楽しくなるほど自動的で、意図的ではない →累積淘汰の基本的要素ー複製、誤り、そして力ーがまず最初に現れたなら、 似たようなことが起こるのはほとんど必然 <5章 力と公文書> ☆ミーム進化は文化的進化と呼ばれる現象に現れている →文化的進化はDNAにもとづく進化より桁違いに速く進むので のっとりではないかと思わせるほどである <6章 起源と奇跡> ○進化はわれわれの脳に1世紀以下の寿命をもった生物にふさわしい、 危険率や実現可能性についての主観的な意識を備えさせた <6章 起源と奇跡> ○遺伝子が淘汰されるのは遺伝子の内的性質ゆえではなく環境との相互作用による →ある遺伝子の環境としてとりわけ重要な構成要素は他の遺伝子である <7章 建設的な進化> ○科学におけるもっとも偉大な進歩のいくつかがもたらされたのは、 頭の言い誰かがすでに理解されている問題といまだに謎の解かれていない 別の問題とのあいだにアナロジーが成立することを見抜いたおかげでもある <8章 爆発と螺旋> ○ちょっぴり少数派がさらに少数派になり、ちょっぴり多数派がさらに多数派になるとき、 われわれはいつでも正のフィードバックを生み出す秘訣を握っている →不安定なバランスがあれば必ず任意でランダムな始まりは自己強化されるようになる <8章 爆発と螺旋> ☆生物のもつ特性=適応的複雑さ =途方もない規模での統計的な不可能性(適切に了解されたランダムでない生存) →ゆっくりした斬新的な累積淘汰こそが生命のもつ複雑なデザインの存在を説明する <11章 ライバルたちの末路> ☆遺伝子は設計図よりも料理法にはるかに似ている <11章 ライバルたちの末路> ○偶然を飼いならす =とうてい不可能なものを順序よく配列された それほど不可能でない小さな構成要素に分解すること -------------------------------------------------------------------------------- Archive for the ‘読書日記’ ← Previous Entries Next Entries → 『佐倉統がよむ進化論のエッセンス』 佐倉統編 トランスアート 2003 • 10.19.03 オリジナル(原作 アニメ)を知っているだけに実写版『セーラームーン』は いくら仕事でも恥ずかしくて最後まで見れない、らぶナベです。 さて、『佐倉統がよむ進化論のエッセンス』佐倉統編(トランスアート)2003年初版。 進化にまつわる本を紹介しているアンソロジー本で、 情報学環の講義「進化生態情報学」の指定参考図書。 生まれて初めて手に取ったオンデマンド出版物でもある。 内容は生物学の基礎がない人でも進化論に取っ付けるように、 いろいろな本からさわり部分を引用して紹介している。 すごく面白い企画だけど、編者のコメントが少なすぎて物足りなさをかなり感じた。 どうせアンソロジーなんだから、もっとざっくりばっさり切り分けしてほしかった。 ただ、「日本の社会・文化は、まずは韓国や中国やヴェトナムなどと比較すべきであって、 欧米と比較して違いがあったからといって、即日本の独自性だと結論するのは、 論理的にもおかしい。日本ではなくて東アジアの独自性かもしれないのだから」 っと編者が述べているところには(第4部 日本の進化論、今昔)、 研究会で自分に言われているような錯覚を覚えた、反省します(^^; 以下はその他でチェックした箇所・・・ ○進化=「変化を伴う由来」=”descent with modification”(Dawin, 1859 123-124) <第3部 進化と歴史> ○いったん発表された文芸作品は、その後の改定・解釈・翻訳・模倣・ドラマ化 などによる「進化」を行う実体と解釈すべき (literary accomplishment Ghiselin, 1980 82-83) <第3部 進化と歴史> 2003 10/19 進化論、自然科学、アンソロジー まろまろヒット率2 (more…) Posted in 読書日記, まろまろヒット率★★☆☆☆, 進化論, 自然・科学本with No Comments → 『視覚的人間-映画のドラマツルギー』 ベラ・バラージュ著、佐々木基一&高村宏訳 創樹社 1975(原著1924) • 10.12.03 らぶナベ@広場の箱庭師です。 さて、『視覚的人間-映画のドラマツルギー』ベラ・バラージュ著、 佐々木基一&高村宏訳(創樹社)1975年初版(原本1924年初版)。 副指導教官の武邑光裕助教授から借りた本の第三段。 映画がまだ低俗なものとして扱われていた1920年代(白黒 無声映画の時代)に、 映画を芸術として位置づけようと試みた美学書の古典。 新しいものが芸術としてどう位置づけられて来たのか、 その過程を知るという点でも意味のある本。 この本で一番興味を持ったのは何と言っても「雰囲気」について述べているところだ。 「雰囲気は個々の形象の中に圧縮されている霧のような原素材である。 それはさまざまな形態の共通の基体でありすべての芸術の最終的なリアリティである。 この雰囲気がひとたび存在すると、個々の形態が十全でなくとも それが本質的なものを損なうものとはならない。 この特別なものの雰囲気が どこからくるか を問うことは、 すべての芸術の源泉を問うことである」、 「雰囲気はたしかにすべての芸術の魂である。それは空気であり香気である」 (「映画のドラマツルギーのためのスケッチ」より) ・・・まさにビビっと来た。 作品と呼ばれるものは「その雰囲気」を感じさせれば作品として成功なんだし、 作品と呼ばれないものでも独自の雰囲気を醸し出せるものは芸術なんだ。 この本の論旨はまだ美学がその射程にとらえていない WEB活動や同人活動にも応用可能だと読みながら感じた。 また、この本の紙質、大きさ、分量、文字の配置どれもすごくフィット感があった。 そういう意味も含めてまろまろヒット率5です(^_-) 以下は、その他にチェックした箇所・・・ ○理論は芸術発展の舵ではないが、すくなくともコンパスである <序言ー三つの口上> ○文化とは日常的な生活素材の完全な精神化を意味する <視覚的人間> ○唯一無二であるということがそれぞれの現象の本質であり、 それぞれに存在理由を与えるものである →それは他のものとの差異によって最も明白になる <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ○すべての芸術の存在資格は、代替不可能な表現の可能性を持つものであるという点 <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ○(覗き見について)我々が何かを見るときには、我々自身がその場にいるのが自然(略) 誰もその場にいないときの事物の様子を見ることは、人間のもっとも深奥の形而上学的憧憬 <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ○芸術とは本来、削りとることなのだ <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> ☆(ウィットについて)それは概念の遊戯であって、 さまざまな概念相互のあいだの隠された思いもかけない関係を解き明かすことである <映画のドラマツルギーのためのスケッチ> この本をamazonで見ちゃう 以下はチェックした箇所(一部要約)・・・ ☆人間のコミュニケーション=意味を与え、その意味が解釈される現象 →コミュニケーションの目的は死すべき生という残酷な不条理を忘れさせるための技法 (人間のコミュニケーションはコード化された記号に基づいている) <序 コミュニケーションとは何か?> ○人間のコミュニケーションは孤独と死に逆らう技法であり、 エントロピーに向かう自然の一般的傾向に逆らう過程 <序 コミュニケーションとは何か?> ○コミュニケーション形式は、少なくとも意味論的(semantics)観点か、 構文論的(syntax)観点のいずれかによって分類できる <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○「言説」(discourse)=手にしている情報を分配し、 自然がもつ分解作用に対抗してそれを保存するための方法 →いかにして情報への忠実と情報の進行を調和させる言説構造をつくりだすかが問題 (1)「劇場型言説」(発信者と受信者が向き合っている) (2)「ピラミッド型言説」(コード変換が段階ごとに行われる) →最高権威と原作者の間には超越性の断絶を超えて絶えず橋が架けられている (3)「樹木型言説」(当初の情報が解体&コード変化されて絶えず新たな情報が生まれる) →情報分配の閉鎖的特殊化によって死に至る孤独が克服しにくい (4)「円形劇場型言説」(受信者が言説の尽きるところにいる) <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○「対話」=さまざまの既存の情報を合成して新たな情報を生むための方法 (1)サークル型対話(求められている公分母は基本情報ではなく一つ合成) (2)ネット型対話(あらゆる情報が最後に流れ込む貯水池) →自然の分解傾向から情報を守る最後の受け皿 <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○神話的な原作者は(略)客観的心理とか科学的厳密性という レッテルとして樹木型言説の頂上にあって、 対話的なサークルは実際にはピラミッド構造のなかの権威中継者になっている <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○われわれは権威と伝統に対する関心を持たなくなっているからこそ、 かつてなかった権威主義的ピラミッド(technocracy)を体験している <第1章 さまざまの構造 1 いくつかのコミュニケーション構造> ○線形的なテクストを読む者はテクストを超えたところに立つ (これが考えるということの意味) →こうした自己観察はテクノ画像の場合は不可能(テクノ画像は受信者を取り囲む) <第1章 さまざまの構造 3 三つの典型的な状況> ☆文化は人間のための世界に意味を与える同時に 世界から人間を守ることによって人間と世界を媒介する →ドイツ語の”vorstellen”は”判らせる”と”遮る”の二重の意味がある <第2章:さまざまのコード 1コードとは何か?> ☆諸定義・・・ ・「書くこと」=旋回するイメージ的時間をまっすぐに延ばして線形にすること ・「読むこと」=そのように線形的に進行する時間を終わりまで追ってゆくこと ・「記号」=何らかの了解によって別の現象を示すものとされている現象 ・「コード」=記号の操作を整序するシステム ・「イマジネーション」=画像によってコード化するとともにでこーどする能力 ・「テクノ画像」=扇情的テクストの記号に意味を与える諸記号によって覆われた平面 <第2章:さまざまのコード 3これらのコードはどう機能するか?> ○デカルトの出発点→算数と幾何学の間の断絶、 カントの出発点→純粋理性と実践理性の間の断絶 <第2章:さまざまのコード 3これらのコードはどう機能するか?> ☆歴史の主題とは、イマジネーションとコセプション、 表象と概念、呪術と歴史的論証の間の弁証法的緊張関係 <第2章:さまざまのコード 4三つのコードの同期化> ○テクノイマジネーション=概念についての画像を描いた上で、 その画像を概念の記号として読解する能力 <第3章:テクノイマジネーションの世界へ 3テクノイマジネーション> ☆人間は、世界と生に意味を与え、それによって死を否定するさいに、 他の人間とコミュニケートする →世界に意味を与えるコード化された人為的世界は、他者と共存の世界になる (人間自身は、他の人間によって不死になる) <第3章:テクノイマジネーションの世界へ 3テクノイマジネーション> ☆ある言明は、そこで発言権を主張している視点の数が多ければ多いほど、 また、それらの視点をとることのできる人々の数が多ければ多いほど、真実に近い →真実の標識は客観性ではなく間主観性 <第3章:テクノイマジネーションの世界へ 3テクノイマジネーション> http //maromaro.com/archive/category/readingdiary/page/71
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〈メモ〉 道元・親鸞や儒学者等の体系的思想・頂点的思想家のみが日本思想史として記述されがちだが、思想に対するこの見方は根本的に倒錯している(亀山2003)。なぜなら、思想とは生活過程の諸事象・諸問題の観念的表現として第一義的には生活思想であり(正確には、「生活思想からの制約を受けており」)、その抽象化・理論化が体系的思想(さらには哲学)である。確かに体系的思想は一旦確立するとその“普遍性”故に生活過程の意味づけを規定する面がある。だが、それも生活過程にリアリテイをもつ故に可能であり、体系的思想の“真理”性によって必然的に生じるものではない。それ故思想の発展は第一義的には、生活過程の問題解決を軸として生活思想の次元でなされ,そのような生活思想は民衆自身の主体性の自己表現でもあった。体系的思想の発展はその理論的表出ないし問題解決の鏡(参照点)として生じ、それ故に意義をもつのである。 →亀山 和辻は、処女作から『倫理学』まで、デカルト以降の西洋近代哲学が「我」の確立とその完全な中心化によって発展したことに対して、一貫して対蹠的な態度をとる。その一方で徹底的な緻密さと理論を求めていた彼が注目したのが、道元の『正法眼蔵』である。前節で扱った「感受」において現れる「存在するものの法(=範疇・形式)」の原型となる思想が、道元の禅の議論に基づいていることを指摘し、環境プラグマティズムと生活環境主義に残されていた課題の克服の方法として位置づける。 →太田修論 本覚思想の自然観が現代環境思想に示唆する点の一つが、人間とコミュニケーション関係の内にある自然を示唆する点である。そのことは、先の引用からうかがえるように個別の自然現象の内に法(真理)を観ずるという関係に典型的である。それは逆に、13世紀の道元が先鋭的に言うように、今目の前にある山水がそのまま(真の)自己そのものであるという関係でもある(木村清孝、日本仏教学会編『仏教における共生の思想』平楽寺書店、2000年)。このような関係は人間と自然が静的に対時するのでなく相互に響感しあうあり方であり、法ないし自己はこの響感の内に現出する。このようなコミュニケーション関係は和歌の技法としても展開するが、この面を言うだけでは、欧米の神秘主義的自然観と同様に、観照的-情緒的関係や宇宙・真理との抽象的一体関係に還元されやすい。 1.道元における自然の問題 現代のエコフィロソフィーや環境思想論において西洋近代思想批判と一体となって東洋思想に学び日本の伝統思想を再評価すべきことがなお強調される。だがこの強調は、ともすれば情緒的な伝統思想賛美論や文化ナショナリズム論に傾斜する危険性ももつ。この危険を回避して東洋思想や伝統思想がどう積極的に寄与しうるかを、人間自然関係論と仏教思想を例にあらためて考える。 伝統的自然観を現代に生かすことを検討する場合、あらかじめ留意が必要である。東洋的自然観や日本的自然観はしばしば、人間と自然を融和・合一させる思想として、現代の環境問題を招いた西洋や近代の、人間と自然を対立させる思想を克服する普遍的思想だと称揚される。老壮思想や儒教哲学、仏教哲学、あるいは空海の密教哲学、親鴬の自然法爾思想、道元の自然観など、東洋のいろんな頂点的思想の普遍的意義が取りざたされてきた。なぜ鎌倉仏教はフィーチャーされているのか? 末木文美士「日本仏教史」(新潮社、一九九二年)は、研究者や一般の関心が鎌倉新仏教のみに注目し、平安仏教の研究や理解が「遅れて」いる理由を二点に整理してこう言っている。「第一は実践面で、易行化、すなわち誰にでも可能な容易な実践法をたて、それによって初めて仏教が民衆のものになった。これに対し平安仏教の修行は一般庶民とは縁遠く、所詮、貴族の仏教であり、鎮護国家の仏教であったと考えられた。第二は理論的で、親驚や道元の思想を宗教哲学として今日でも第一線で問題にされるような高度な内容をもっており、またそこに日本の社会に適応した仏教の日本化がみられる。これに対して平安仏教は、所詮、祈祷仏教であって、思想内容に乏しいと考えられた。」(新潮文庫版、86-87頁)。 人間とコミュニケーション関係の内にある自然を示唆する点は、個別の自然現象の内に法(真理)を観ずるという関係に典型的である。それは逆に、一三世紀の道元が先鋭的に言うように、今目の前にある山水がそのまま(真の)自己そのものであるという関係でもある(木村、前掲書)。このような関係は人間と自然が静的に対時するのでなく相互に響感しあうあり方であり、法ないし自己はこの響感の内に現出する。このようなコミュニケーション関係は和歌の技法としても展開するが、この面を言うだけでは、欧米の神秘主義的自然観と同様に、観照的情緒的関係や宇宙(真理との抽象的一体関係に還元されやすい。 2.仏教における自然の問題 3.如法的自然と科学的自然 4.万法と自己 5.渓声山色 6.山河をみるは仏性をみるなり
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•『国文学 解釈と鑑賞 1998年3月号』、至文堂、1998年 •アラン・ゲイ「物語と環境保護主義の倫理および政治」『環境思想・教育研究』創刊号、環境思想・教育研究会、2007年 •オギュスタン・ベルク『風土の日本 自然と文化の通態』筑摩書房、1988年 •伊東俊太郎編『日本人の自然観』河出書房新社、1995年 •下向井龍彦『武士の成長と院政』講談社、2001年 •笠松幸一、カール・アントン・シュプレンガルト、亀山純生『現代環境思想の展開 21世紀の自然観を創る』新泉社、2004年 •関敬吾編『日本昔話大成』第7巻、角川書店、1979年 •丸山顕徳『日本霊異記説話の研究』桜楓社、1992年 •鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』ちくま新書、1996年 •亀山純生「『沙石集』に見る中世正統派仏教の民衆布教の方法と論理 仏教の民衆生活論的意義の検討のために」『人間と社会』第10号、東京農工大学、1999年 •亀山純生「自然開発と殺生禁断思想 環境問題における日本の仏教的自然観の二面性」『人間と社会』第8号、東京農工大学、1997年 •吉田傑俊・尾関周二・渡辺憲正編『ハーバマスを読む』大月書店、1995年 •吉田靖雄『日本古代の菩薩と民衆』吉川弘文館、1988年 •原田信男『歴史の中の米と肉 食物と天皇・差別』平凡社、1993年 •五味文彦『殺生と信仰―武士を探る』角川書店、1998年 •五味文彦『大系日本の歴史5鎌倉と京』小学館、1988年 •国立歴史民俗博物館[編]歴博フォーラム『動物と人間の文化誌』吉川弘文館、1997年 •黒田俊雄『日本中世の社会と宗教』岩波書店、1990年 •佐々木宏幹『神と仏と日本人』吉川弘文館、1996年 •佐々木宏幹『聖と呪力』青弓社、1989年、 •佐々木宏幹『仏と霊の人類学』春秋社、1993年、 •佐藤正英編『新註歎異抄』朝日文庫、1994年 •阪倉篤義・本田義憲・川端善明[校注]『新潮日本古典集成(第16回)今昔物語集 本朝世俗部 一』新潮社、1978年 •阪倉篤義・本田義憲・川端善明[校注]『新潮日本古典集成(第29回)今昔物語集 本朝世俗部 二』新潮社、1979年 •阪倉篤義・本田義憲・川端善明[校注]『新潮日本古典集成(第43回)今昔物語集 本朝世俗部 三』新潮社、1981年 •阪倉篤義・本田義憲・川端善明[校注]『新潮日本古典集成(第64回)今昔物語集 本朝世俗部 四』新潮社、1984年 •出雲路修『説話集の世界』岩波書店、1988年 •小松和彦『説話の宇宙』人文書院、1987年 •小泉道[校注]『新潮日本古典集成(第67回)日本霊異記』新潮社、1984年 •小峯和明、篠川賢編『日本霊異記を読む』吉川弘文館、2004年 •小峯和明編『今昔物語集を学ぶ人のために』世界思想社、2003年 •小峯和明編『今昔物語集を読む』吉川弘文館、2008年 •上井久義『民俗社会人類学』創元社、1973年 •森岡正博『生命観を問いなおす』ちくま新書、1994年 •森龍吉『親鸞 その思想史』三一書房、1961年 •盛本昌広『草と木が語る日本の中世』岩波書店、2012年 •西郷信綱『神話と国家』平凡社、1977年 •千葉徳爾『狩猟伝承研究』風間書房、1969年 •相良亨『日本の思想 理・自然・道・天・心・伝統』ぺりかん社、1989年 •大隈和雄編『因果と輪廻』春秋社、1986年 •池上洵一『池上洵一著作集第四巻 説話とその周辺』和泉書院、2008年 •竹内整一『「おのずから」と「みずから」 日本思想の基層』春秋社、2004年 •中根千絵『今昔物語集の表現と背景』三弥井書店、2000年 •中村生雄『祭祀と供犠 日本人の自然観・動物観』法蔵館、2001年 •中村生雄『日本の神』平凡社、1995年 •中村生雄『日本の神と王権』法蔵館、1994年 •中村生雄・三浦佑之『人と動物の日本史4 信仰のなかの動物たち』吉川弘文館、2009年 •中村生雄・三浦佑之・赤坂憲雄編『狩猟と供犠の文化誌』森話社、2007年 •中村禎里『日本人の動物観―変身譚の歴史』海嶋社、1984年 •中澤克昭『中世の武力と城郭』吉川弘文館、1999年 •渡邊綱也[校注]『日本古典文学大系85 沙石集』岩波書店、1966年 •土屋有里子『『沙石集』諸本の成立と展開』、笠間書院、2011年 •梅原猛『「森の思想」が人類を救う』小学館、1991年 •尾関周二『環境思想と人間学の革新』青木書店、2007年 •尾関周二『現代コミュニケーションと共生・共同』青木書店、1995年 •平成17年度~平成20年度 日本学術振興会科学研究費補助金 研究成果報告書『風土的環境倫理の可能性と日本的自然観の意義』 •末木文美士『仏典を読む―死から始まる仏教史―』新潮社、2009年 •野家啓一『物語の哲学』岩波書店、2005年 •歴史学研究会・日本史研究会編『講座 日本歴史 3 中世1』東京大学出版会、1984年 •脇田晴子、アンヌ・ブッシイ編『アイデンティティ・周縁・媒介』吉川弘文館、2000年 •佛教文学研究会編『佛教文学研究(六)』法蔵館、1968年
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2008年7月14日(月) @投票所板 01 00 00~23 00 59 一次予選 第8組 出場121人 一人持ち票9票 1位~9位まで本戦進出、10位~30位まで二次予選進出 組み合わせ コピペリスト 結果 詳細データ 01組 02組 03組 04組 05組 06組 07組 08組 09組 10組 11組 12組 13組 14組 15組 16組 17組 18組 19組 20組 一次予選第8組 コピペリスト(抽選ソート順) 緋沼百合子@モノクローム・ファクター ポット@ロビーとケロビー メロンパンナ@それいけ!アンパンマン エレオノーレ(エレナ)・クライン@機神大戦 ギガンティック・フォーミュラ シエスタ@ゼロの使い魔 ~双月の騎士~ 平野あや@らき☆すた 木酉@ストレンヂア 無皇刃譚 日比野文@ハヤテのごとく! 小泉チカ@今日の5の2 ミレーユ・ダリエ@シュガーバニーズ 海老先生@ペンギン娘はぁと 鳥井美冬@しゅごキャラ! 早乙女レイ@遊戯王 デュエルモンスターズ GX 小梅@ZOMBIE-LOAN ベロニカ@CLAYMORE 竹の子ちゃん@ペンギン娘はぁと フローラ@CLAYMORE 真縞ミヨリ@ミヨリの森 マウマウ@はぴはぴクローバー 胡蝶@彩雲国物語 川嶋朱音@BLUE DROP ~天使達の戯曲~ 日奈森亜実(あむの妹)@しゅごキャラ! 南さん@撲殺天使ドクロちゃんセカンド アルマ@Darker than BLACK -黒の契約者- 秋元こまち(キュアミント)@Yes! プリキュア5 シリーズ ラトゥーニ@スーパーロボット大戦OG 不知火明乃@瀬戸の花嫁 コゼット@レ・ミゼラブル 少女コゼット 真朱@あまつき エライザ・ワイゼンバウム@RD 潜脳調査室 北条麗華@ご愁傷さま二ノ宮くん シルヴィア・ド・アリシア@劇場版 アクエリオン 柊まつり(次女)@らき☆すた 宇白可奈(カナ)@ぼくらの ことのん@さよなら絶望先生 桂心@School Days シリーズ ニース・ホーリーストーン@バッカーノ! 天地奈々子@秘密 ~トップシークレット~ ジュリエット・ナオ・チャン@舞-乙HiME Zwei 薮崎@げんしけん2 仲丸ゆきえ@ご愁傷さま二ノ宮くん 春日野まりあ(うららの母)@Yes! プリキュア5 GoGo! 日向夏美@ケロロ軍曹 サラ@真救世主伝説 北斗の拳 トキ伝 龍可@遊戯王5D's バタコさん@それいけ!アンパンマン 女神イシター@ドルアーガの塔 ~the Aegis of URUK~ ももうさ@シュガーバニーズ 泉かなた(こなたの母)@らき☆すた 黄瀬早苗@ケンコー全裸系水泳部 ウミショー ラーナ@流星のロックマン トライブ 篠宮由香里@風のスティグマ ツバエル@BLUE DROP ~天使達の戯曲~ ステラ@To LOVEる ルドヴィカ@破天荒遊戯 交通事故死した日記の持ち主だった片想い少女@逮捕しちゃうぞ フルスロットル シャルロット@シュガーバニーズ 葛城みかん@レンタルマギカ 伏田すばる@隠の王 シャルロット@レ・ミゼラブル 少女コゼット ハンナ@ネオ アンジェリーク Abyss 綾瀬美紅@シゴフミ メリッサ@エル・カザド 花の魔法少女ブリトニー/ブリトニーちゃん@ハヤテのごとく! 倉田真紀@Over Drive 小西@バンブーブレード オレガノ@家庭教師ヒットマンREBORN! 春@親鸞さま ねがい、そして ひかり。 松本乱菊@BLEACH 柚原春夏@OVA ToHeart2 一条瑛花@スカイガールズ マダムJ@仮面のメイドガイ 立花みかん@あたしンち アレッシア@ポルフィの長い旅 日向秋奈(夏美の祖母)@ケロロ軍曹 メタボ気味のオバちゃん@ちびまる子ちゃん アイちゃん(ヤッターマン2号)@ヤッターマン 瀧鈴音@アイシールド21 モンロー@ゲゲゲの鬼太郎 椎名静@ぽてまよ コゼットの娘@レ・ミゼラブル 少女コゼット 宗方名瀬@アイドルマスター XENOGLOSSIA 栗山緑@名探偵コナン okママ@ユメミル、アニメ onちゃん ベルモット@名探偵コナン 斉東由美@ZOMBIE-LOAN 桂雪路@ハヤテのごとく! 姫宮瑠璃@魔人探偵脳噛ネウロ 柊いのり(長女)@らき☆すた タバサ(シャルロット・エレーヌ・オルレアン)@ゼロの使い魔 ~双月の騎士~ 三千院紫子(ナギの母)@ハヤテのごとく! シバリエル@BLUE DROP ~天使達の戯曲~ 神代真名@機神大戦 ギガンティック・フォーミュラ 宮前貴子@おねがいマイメロディ すっきり♪ ルイスの母@機動戦士ガンダム00 アニタ@D.Gray-man 鳥飼葉月@スケッチブック ~full color's~ 星乃結美@キミキス pure rouge ソラ@大江戸ロケット 東聡莉@バンブーブレード 細川可南子@マリア様がみてる OVA 秋月律子@アイドルマスター シリーズ ちま@はぴはぴクローバー オドレイ@レ・ミゼラブル 少女コゼット 神楽ひなた(神楽ほたる)@H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND- 遠野杏子@東京魔人學園剣風帖 龍龍 第弐幕 サキュバス@ドルアーガの塔 ~the Aegis of URUK~ ヴィヴィオ@魔法少女リリカルなのはStrikerS アンジェラ・バートン@げんしけん2 南極かえで(さくらの妹)@ペンギン娘はぁと 細川フミ@古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー 黒沼塔子@桃華月憚 スィー@BLUE DRAGON ハジ@銀魂 美川文歌(フミ/主人格)@シゴフミ 朝風理沙@ハヤテのごとく! プリーシア(プリーシア・フォン・ローゼンベルグ)@プリズム・アーク マユミ@電脳コイル アナスタシア・ミスティーナ@君が主で執事が俺で 明石秋江(薫の母)@絶対可憐チルドレン アリス・キャロル@ARIA シリーズ
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幸福の科学の霊言(れいげん)は、霊界の人物が、大川隆法の体・肉声を通して語った霊界の様相やこの世への意見を収録したもので、収録された霊言の一部は書籍や説法の形となって活字や音声や動画などで公開されている。「霊示」「霊訓」と呼ぶ場合もある。 霊言の内容は、それを発した霊人の考えによっては、幸福の科学や大川隆法の見解とは異なるものが含まれるため、幸福の科学では自らの教団の教義であるとはみなしていない過去に「霊言の内容を幸福の科学の教義」として解釈した宗教学者が裁判にて訴えられて、敗北している。希望の革命、幸福の科学 法務室。教団発足当初では、教義を構築するための参考資料という場合もあった。信者としては、教義を理解するための参考書ということもあった。 幸福の科学では、宗教の壁を超えてさまざまな個性をもつ霊人が霊言を語るという事実が、霊界の存在証明になると考えており、「短期間に」「高度な内容で」「多様な個性で」多数の霊言が出されることで、偽装創作ではないこと立証している。霊言に登場する人物は、過去の歴史上の人物に限らず、生存中の人物の守護霊や宇宙人を含む数多くの霊人の霊言を収録している。大川隆法の立ち会いの下で、大川隆法以外の者が霊媒(霊声者)となって霊言をする場合もある。 また、大川隆法の「法話」が実際は霊言であるということもありうるが、「法話」の内容は大川隆法自身の思想でまとめられたものであるため、基本的には大川隆法本人の考えと一致するとされており、霊言とは区別されている。 霊言の一覧 幸福の科学によって公表された霊言の一覧を記す大川隆法監修『不惜身命2010』(幸福の科学出版、2011年7月、ISBN 978-4-86395-122-8)ほか。霊言が収録された書籍の一部は絶版となっている。また、『大川隆法霊言全集』のように幸福の科学の信者向けに内容を改訂して発行されたものもある。 霊人 収録日 所収 備考 アガシャー 2010-02-12 『アトランティス文明の真相』第2章 秋山真之 2010-09-15 『秋山真之の日本防衛論』第1章 アダム・スミス 2010-05-25 『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』第1章 2010-06-29 『ザ・ネクスト・フロンティア』第4章 アダムスキー 2010-01-02 『「宇宙の法」入門』第2章 アテナ 2010-01-01 『「宇宙の法」入門』第1章 アフロディーテ 2010-10-16 安倍晴明 2010-06-24 『日本を救う陰陽師パワー』第1章 天照大神 1984-04-29 『天照大神の霊言』1章 1985-11-03 『天照大神の霊言』2章 1987-01-17 『幸福瞑想法』第8章 1988-03-22 『天照大神の降臨』第1章 1988-03-24 『天照大神の降臨』第2章 1988-03-29 『天照大神の降臨』第3章 1988-03-31 『天照大神の降臨』第4章 1988-04-17 『天照大神の降臨』第5章、第6章 2010-06-22 『最大幸福社会の実現』 天之常立神 2011-02-14 天御中主神 1984-02-18 『天照大神の霊言』3章 1984-04-29 『天照大神の霊言』4章 1984-08-18 『天照大神の霊言』5章 1985-11-03 『天照大神の霊言』6章 1987-01-17 『幸福瞑想法』第9章 1987-08-15 『運命の開拓』第1章 『新・運命の開拓』第1章 1987-09-25 『運命の開拓』第2章 『新・運命の開拓』第2章 1987-10-27 『運命の開拓』第3章 『新・運命の開拓』第3章 1987-10-29 『運命の開拓』第4章 『新・運命の開拓』第4章 1987-10-30 『運命の開拓』第5章 『新・運命の開拓』第5章 1987-11-02 『運命の開拓』第6章 『新・運命の開拓』第6章 1988-10-29 『新・運命の開拓』第7章 2010-07-21 『保守の正義とは何か』第1章 アメン 1982-08-07 『キリストの霊言』4章 イエス・キリスト 1982-01-01 『キリストの霊言』1章 1985-08-18 『キリストの霊言』2章 1987-01-18 『幸福瞑想法』第11章 1987-11-05 『イエス・キリスト霊示集』第1章 1987-11-06 『イエス・キリスト霊示集』第2章 1987-11-10 『イエス・キリスト霊示集』第3章 1987-11-13 『イエス・キリスト霊示集』第4章 1987-11-16 『イエス・キリスト霊示集』第5章 2010-04-13 2010-05-16 『家庭の法に関して』第1章 池田勇人 2010-06-08 『新・高度成長戦略』第1章 池田大作守護霊 2010-09-01 『宗教イノベーションの時代』第3章 イシス 2011-05-12 『女神イシスの降臨』 市川房枝 2010-06-12 『菅直人の原点を探る』第1章 一遍 1986-08-07 『親鸞聖人霊示集』第3章 伊藤博文 2010-05-12 『維新の心』第3章 伊藤真乗 2010-09-01 『宗教イノベーションの時代』第2章 壱与 2011-08-10 上杉鷹山 2010-04-20 『富国創造論』第3章 内村鑑三 1986-12-08 『内村鑑三霊示集』第1章 1986-12-09 『内村鑑三霊示集』第2章 1986-12-11 『内村鑑三霊示集』第3章 1986-12-15 『内村鑑三霊示集』第4章 1986-12-17 『内村鑑三霊示集』第5章 1986-12-19 『内村鑑三霊示集』第6章 1986-12-20 『内村鑑三霊示集』第7章 1986-12-21 『内村鑑三霊示集』第8章 ジャック・ウェルチ守護霊 2010-07-14 栄西 1986-08-15 『道元禅師霊示集』第3章 エジソン 1985-12-30 『ソクラテスの霊言』5章 エリヤ 1985-08-05 『ノストラダムスの新予言』第4章 1988-03-17 『ノストラダムスの新予言』第5章 エロス 2011-03-10 『エロスが語るアフロディーテの真実』 エンリル 2010-01-01 『「宇宙の法」入門』第1章 大国主命 1985-08-19 『天照大神の霊言』8章 大久保利通 2010-04-16 『民主党亡国論』第2章 大隈重信 2011-04-27 小沢一郎守護霊 2010-08-27 『小沢一郎の本心に迫る』 弟橘媛 1986-02-09 『卑弥呼の霊言』3章 オバマ守護霊 2008-11-?? 『朝の来ない夜はない』第4章 「オバマ守護霊インタビュー」(ブックレット)「ザ・リバティ」166号 覚鑁 2010-01-29 『エクソシスト入門』第2部第1章 霊声者は大川きょう子 景山民夫 1998-01-30 「ザ・リバティ」36号 自動書記 1999-12-23 「ザ・リバティ」59号 自動書記 勝海舟 1985-12-31 『坂本龍馬の霊言』4章『坂本龍馬・勝海舟の霊言』第2章 2010-03-12 『勝海舟の一刀両断!』 加藤八郎道徳教育の専門家で、港区立白金小学校の校長を6年間勤めた。 2007-01-10 「ザ・リバティ」144号 金子重之輔 2011-06-23 金丸信 2010-04-16 『民主党亡国論』第1章 賀茂光栄 2010-06-24 『日本を救う陰陽師パワー』第2章 カルロス・ゴーン守護霊 2010-07-16 韓信 2010-12-08 ガンジー 1984-04-30 『ソクラテスの霊言』7章 カント 1984-01-02 『ソクラテスの霊言』3章 1985-12-31 『ソクラテスの霊言』4章 1987-01-18 『幸福瞑想法』第12章 2010-05-27 『霊性と教育』第2章 菅直人守護霊 2010-06-02 『国家社会主義とは何か』第2章 岸信介 2010-04-21 『日米安保クライシス』第2章 北一輝 2010-09-16 『秋山真之の日本防衛論』第3章 キッシンジャー博士守護霊 2010-08-19 『世界の潮流はこうなる』第2章 木戸孝允 1986-01-01 『坂本龍馬の霊言』7章 2010-05-10 『維新の心』第1章 吉備真備 2011-07-07 行基 2010-08-04 『行基の政治霊言』 金正日守護霊 2009-07-08 『金正日守護霊の霊言』第1章 金正恩守護霊 2010-10-13 『温家宝守護霊が語る大中華帝国の野望』第2章 空海 1984-02-14 『空海の霊言』1章 2011-06-22 『もし空海が民主党政権を見たら何というか』 国之常立神 2011-02-14 恵果 1983-08-20 『空海の霊言』4章 1983-11-02 『空海の霊言』5章 エドガー・ケイシー 1987-02-10 『エドガー・ケイシー霊示集』第5章6節、7節、8節 1987-04-01 『エドガー・ケイシー霊示集』第5章5節 1987-06-12 『エドガー・ケイシー霊示集』第5章1節、2節、3節 1987-11-07 『エドガー・ケイシー霊示集』第5章10節、11節 1987-11-18 『エドガー・ケイシー霊示集』第5章9節 1988-04-13 『エドガー・ケイシー霊示集』第5章4節 1988-06-29 『エドガー・ケイシー霊示集』第1章 1988-07-02 『エドガー・ケイシー霊示集』第2章 1988-07-04 『エドガー・ケイシー霊示集』第3章 1988-07-05 『エドガー・ケイシー霊示集』第4章 1989-08-27 『悪霊撃退法』第2章 2010-06-01 『エドガー・ケイシーの未来リーディング』第1章 2011-02-21 『現代の法難(1)』第1章 ビル・ゲイツ守護霊 2010-07-16 ケインズ 2010-04-20 『未来創造の経済学』第2章 ケツァルコアトル 2011-06-08 『2012年人類に終末は来るのか?』第2章 9世紀頃の人物成人して「ケツァルコアトル」を名乗ったトルテカの王(セ・アカトル・トピルツイン)のことと思われる。 ケネディ 2010-08-17 見性院(山内一豊の妻) 2011-08-10 孔子 1986-01-03 『孔子の霊言』1章 2010-01-01 『「宇宙の法」入門』第1章 2010-08-19 『世界の潮流はこうなる』第1章 光明皇后 2010-09-29 『女性リーダー入門』第2章 小桜姫 1985-07-20 | 1986-08-05 『神霊界入門』 『新・神霊界入門』第1章~第6章 1988-??-?? 『新・神霊界入門』第7章 ゴッホ 1987-12-30 『ピカソ霊示集』第3章 胡錦濤守護霊 2010-06-02 『国家社会主義とは何か』第3章 小村寿太郎 2010-10-06 『日本外交の鉄則』第2章 西郷隆盛 1986-01-01 『坂本龍馬の霊言』5章 2010-02-23 『西郷隆盛 日本人への警告』 齋藤十一 2011-03-11 『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』 サイババ 2011-05-26 坂本龍馬 1985-12-30 『坂本龍馬の霊言』1章『坂本龍馬・勝海舟の霊言』第1章 1986-02-08 『坂本龍馬の霊言』2章 1989-08-27 『悪霊撃退法』第3章 2010-01-06 『龍馬降臨』 佐藤栄作 2010-06-08 『新・高度成長戦略』第4章 ジーン・ディクソン 2010-06-01 『エドガー・ケイシーの未来リーディング』第2章 シェークスピア 1988-01-02 『ピカソ霊示集』第5章 ゼカリア・シッチン守護霊 2010-01-02 『「宇宙の法」入門』第2章 渋沢栄一 2011-03-11 『富国創造論』第2章 下村治 2010-06-08 『新・高度成長戦略』第2章 マイケル・ジャクソン 2010-07-15 習近平守護霊 2010-10-21 『世界皇帝をめざす男』 ルドルフ・シュタイナー 2010-05-27 『霊性と教育』第3章 シュンペーター 2010-04-20 『未来創造の経済学』第3章 聖徳太子 1985-08-18 『天照大神の霊言』7章 2010-08-04 『聖徳太子の政治霊言』 昭和天皇 1999-12-22 「ザ・リバティ」59号 2009-07-09 『明治天皇・昭和天皇の霊言』第2章 2010-07-21 『保守の正義とは何か』第2章 諸葛亮孔明 2009-05-29 『政治に勇気を』第2章 2011-02-17 『もし諸葛孔明が日本の総理ならどうするか?』 親鸞 1986-08-06 『親鸞聖人霊示集』第1章 スウェーデンボルグ 1988-11-05 『スウェーデンボルグ霊示集』第1章 1988-12-06 『スウェーデンボルグ霊示集』第2章、第3章 1988-12-07 『スウェーデンボルグ霊示集』第4章、第5章 1988-12-11 『スウェーデンボルグ霊示集』第6章、第7章 スピルバーグ守護霊 2011-05-25 ゼウス 1989-08-20 『ゼウス霊示集』第1章~第3章 1989-08-21 『ゼウス霊示集』第4章~第6章 1989-08-22 『ゼウス霊示集』第7章 2010-02-26 『神々が語るレムリアの真実』第1章 仙谷由人守護霊 2010-06-02 『国家社会主義とは何か』第4章 荘子 1986-02-09 『孔子の霊言』4章 2011-03-25 ソクラテス 1984-04-29 『ソクラテスの霊言』1章 1985-11-03 『ソクラテスの霊言』2章 ゾロアスター 2010-03-02 『ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨』第1章 高杉晋作 2010-06-12 『菅直人の原点を探る』第2章 2010-06-30 『救国の秘策』第1部第2章 高橋亀吉 1998-??-?? 「ザ・リバティ」1998年8月号 2010-06-08 『新・高度成長戦略』第3章 高橋是清 2010-04-23 『景気回復法』第1章 高橋信次 1986-07-161986-07-181986-07-191986-07-211986-07-221986-07-231986-07-241986-07-26 『高橋信次霊言集』 1986-07-271986-07-281987-01-071987-01-081987-01-101987-01-111987-01-121987-01-13 『高橋信次の新復活』 1987-01-?? 『幸福瞑想法』第4章、第6章 1987-01-26 『高橋信次霊訓集1』第1章『高橋信次復活の原点・永遠編』第1章 1987-01-27 『高橋信次霊訓集1』第2章『高橋信次復活の原点・永遠編』第2章 1987-01-28 『高橋信次霊訓集1』第3章『高橋信次復活の原点・永遠編』第3章 1987-01-29 『高橋信次霊訓集1』第4章『高橋信次復活の原点・永遠編』第4章 1987-02-02 『高橋信次霊訓集1』第5章『高橋信次復活の原点・永遠編』第5章 1987-02-03 『高橋信次霊訓集1』第6章『高橋信次復活の原点・天使編』第1章 1987-02-04 『高橋信次霊訓集1』第7章『高橋信次復活の原点・天使編』第2章 1987-02-06 『高橋信次霊訓集1』第8章『高橋信次復活の原点・天使編』第3章 1987-02-14 『高橋信次霊訓集2』第1章『高橋信次復活の原点・天使編』第4章 1987-02-17 『高橋信次霊訓集2』第2章『高橋信次復活の原点・希望編』第1章 1987-02-19 『高橋信次霊訓集2』第3章『高橋信次復活の原点・希望編』第2章 1987-02-28 『高橋信次霊訓集2』第4章『高橋信次復活の原点・希望編』第3章 1987-03-02 『高橋信次霊訓集2』第5章『高橋信次復活の原点・希望編』第4章 1987-03-13 『高橋信次霊訓集2』第6章『高橋信次復活の原点・希望編』第5章 1987-03-17 『高橋信次霊訓集2』第7章『高橋信次復活の原点・太陽編』第1章 1987-03-23 『高橋信次霊訓集2』第8章『高橋信次復活の原点・太陽編』第2章 1987-07-30 『高橋信次霊訓集3』第1章、第2章『高橋信次復活の原点・太陽編』第3章、第4章 1987-08-04 『高橋信次霊訓集3』第3章、第4章『高橋信次復活の原点・太陽編』第5章『高橋信次復活の原点・新生編』第1章 1987-08-13 『高橋信次霊訓集3』第5章、第6章『高橋信次復活の原点・新生編』第2章、第3章 1987-08-14 『高橋信次霊訓集3』第7章『高橋信次復活の原点・新生編』第4章 1987-08-15 『高橋信次霊訓集3』第7章、第8章『高橋信次復活の原点・新生編』第4章、第5章 1987-08-151987-08-161987-10-231987-10-24 『高橋信次の天国と地獄』 1987-12-141987-12-171988-01-121988-01-14 『高橋信次のUFOと宇宙』 1988-02-081988-02-091988-02-101988-02-121988-03-31 『高橋信次の新幸福論』 1988-04-171988-04-18 『高橋信次の新ユートピア論』 1988-06-021988-06-19 『高橋信次の大予言』 1988-07-181988-07-19 『高橋信次の心の革命』 1988-09-091988-09-121988-09-13 『高橋信次の愛の讃歌』 1989-01-041989-01-231989-02-13 『高橋信次のやる気の革命』 1989-08-27 『悪霊撃退法』第6章 1990-11-19 『アラーの大警告』第1章、第2章 1990-12-03 『アラーの大警告』第3章~第5章 2010-01-29 『エクソシスト入門』第2部第2章 竹内均 2011-03-17 『震災復興への道』第3章 田中角栄 2010-04-23 『景気回復法』第2章 2010-07-01 『救国の秘策』第2部第4章 谷口雅春 1986-10-27 『谷口雅春霊言集』第1章 1986-10-28 『谷口雅春霊言集』第2章 1986-10-29 『谷口雅春霊言集』第3章 1986-10-30 『谷口雅春霊言集』第4章 1986-10-31 『谷口雅春霊言集』第5章 1986-11-01 『谷口雅春霊言集』第6章 1986-11-02 『谷口雅春霊言集』第7章 1986-11-03 『谷口雅春霊言集』第8章 1987-01-17 『幸福瞑想法』第10章 1987-06-29 『谷口雅春霊示集』第1章、第2章 1987-06-30 『谷口雅春霊示集』第3章 1987-07-02 『谷口雅春霊示集』第4章 1987-07-19 『谷口雅春霊示集』第5章、第6章 1987-07-25 『谷口雅春霊示集』第7章、第8章 1988-04-28 『谷口雅春の大復活』第1章 1988-04-29 『谷口雅春の大復活』第2章 1988-05-09 『谷口雅春の大復活』第3章 1988-05-10 『谷口雅春の大復活』第4章 1988-05-12 『谷口雅春の大復活』第5章、第6章 1988-05-13 『谷口雅春の大復活』第7章、第8章 1988-11-29 『谷口雅春 光はここに』第1章、第2章 1988-11-30 『谷口雅春 光はここに』第3章、第4章 1988-12-05 『谷口雅春 光はここに』第5章、第6章 1989-08-29 『悪霊撃退法』第7章 ダンテ 1988-01-06 『ピカソ霊示集』第6章 智顗 1984-01-02 『空海の霊言』3章 1987-01-16 『幸福瞑想法』第5章 2010-12-08 チャーチル 2010-04-16 『民主党亡国論』第3章 出口王仁三郎 1987-02-12 『出口王仁三郎霊示集』第1章 1987-02-13 『出口王仁三郎霊示集』第2章 1987-02-14 『出口王仁三郎霊示集』第3章 1987-02-17 『出口王仁三郎霊示集』第4章 1987-02-19 『出口王仁三郎霊示集』第5章 1987-02-20 『出口王仁三郎霊示集』第6章 1987-02-24 『出口王仁三郎霊示集』第7章 1987-02-26 『出口王仁三郎霊示集』第8章 1989-08-27 『悪霊撃退法』第4章 手塚治虫 2011-06-01 道元 1986-08-09 『道元禅師霊示集』第1章 1987-01-17 『幸福瞑想法』第2章 東郷平八郎 2010-07-21 『保守の正義とは何か』第3章 鄧小平 2010-05-25 『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』第2章 東條英機 2006-04-27 「ザ・リバティ」135号 土光敏夫 2010-04-23 『景気回復法』第3章 トス 2010-03-18 『アトランティス文明の真相』第1章 豊田佐吉 2010-06-27 『未来産業のつくり方』第1部第2章 ドラッカー 2010-03-19 『国家と経営』 2010-06-26 『ザ・ネクスト・フロンティア』第2章 2011-01-13 『もしドラッカーが日本の総理ならどうするか?』 ナイチンゲール 1986-02-10 『卑弥呼の霊言』6章 魂の姉妹である衣通姫の霊言とされる大川隆法『ナイチンゲールの真実』(幸福の科学出版)p.28 2011-03-31 『ナイチンゲールの真実』 中村元 「ザ・リバティ」57号 日持 『日蓮の霊言』1章 日蓮 『日蓮の霊言』2章~7章 1986-06-30 『日蓮聖人霊示集』第4章1節 1986-07-31 『日蓮聖人霊示集』第2章5節、第5章1節 1986-08-03 『日蓮聖人霊示集』第5章2節 1986-08-21 『日蓮聖人霊示集』第1章2節、第5章3節、第6章1節 1986-08-22 『日蓮聖人霊示集』第6章2節 1986-08-23 『日蓮聖人霊示集』第3章2節、第6章3節 1986-08-24 『日蓮聖人霊示集』第1章3節、第3章1節、第5章4節、第6章5節 1986-08-25 『日蓮聖人霊示集』第1章4節~6節、第2章1節、第4章2節、第6章4節 1986-08-27 『日蓮聖人霊示集』第2章4節 1986-08-29 『日蓮聖人霊示集』第2章3節 1986-09-01 『日蓮聖人霊示集』第1章1節、第6章6節 1986-09-20 『日蓮聖人霊示集』第3章3節 1986-09-22 『日蓮聖人霊示集』第4章3節 1986-09-24 『日蓮聖人霊示集』第2章2節 1987-01-16 『幸福瞑想法』第7章 2010-07-22 『日蓮の政治霊言』 二宮尊徳 2010-03-09 『富国創造論』第1章 ニュートン 1989-01-02 『ニュートン霊示集』第1章 1989-01-12 『ニュートン霊示集』第2章 1989-01-13 『ニュートン霊示集』第3章 1989-01-23 『ニュートン霊示集』第4章 1989-03-12 『ニュートン霊示集』第5章 1989-03-13 『ニュートン霊示集』第6章 庭野日敬 2010-09-01 『宗教イノベーションの時代』第1章 温家宝守護霊 2010-10-13 『温家宝守護霊が語る大中華帝国の野望』第1章 乃木希典 2010-09-15 『秋山真之の日本防衛論』第2章 野田佳彦守護霊 2011-08-30 『沈みゆく日本をどう救うか』第1章 ノストラダムス 1986-08-14 『ノストラダムスの新予言』第1章 1988-02-04 『ノストラダムスの新予言』第2章 1991-01-11 『ノストラダムス戦慄の啓示』 ハイエク 2010-04-09 『未来創造の経済学』第1章 白隠 1986-08-16 『道元禅師霊示集』第4章 箱島信一守護霊 「ザ・リバティ」2003年10月号 ハトホル 2011-05-10 『現代の法難(3)』 鳩山一郎 2010-04-26 『マッカーサー 戦後65年目の証言』第4章 鳩山由紀夫守護霊 2009-07-08 『金正日守護霊の霊言』第2章 ピカソ 1986-05-03 『ピカソ霊示集』第1章 1988-01-06 『ピカソ霊示集』第2章 ヒトラー 2010-06-02 『国家社会主義とは何か』第1章 卑弥呼 1986-02-08 『卑弥呼の霊言』1章 1986-02-10 『卑弥呼の霊言』2章 2010-09-29 『女性リーダー入門』第1章 福沢諭吉 1986-01-02 『坂本龍馬の霊言』6章 2005-02-27 『福沢諭吉霊言による「新・学問のすすめ」』第1章 2010-03-03 『福沢諭吉霊言による「新・学問のすすめ」』第2章 フワン・シン・フワイ・シンフォー 1982-08-05 『空海の霊言』2章 別人(智顗)が霊言をしたとされる大川隆法『「太陽の法」講義』(宗教法人 幸福の科学、2000年5月7日改版) 文鮮明守護霊 2010-08-31 『宗教決断の時代』第1章 ベートーベン 1986-05-06 『ピカソ霊示集』第3章 ベルゼベフ 2011-07-27 『現代の法難(4)』第1章1節~4節 ヘルメス 2010-05-20 『家庭の法に関して』第2章 ヘレン・ケラー 1986-02-10 『卑弥呼の霊言』7章 ホーキング博士の宇宙の魂 2011-04-20 『宇宙人による宇宙侵略はあるのか』第1章 北条政子 2011-08-10 墨子 1986-02-09 『孔子の霊言』5章 マーヤー 2010-10-01 『三聖母霊言』第2章 マイシャ 2010-10-01 『三聖母霊言』第1章 マイトレーヤー 2010-03-02 『ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨』第2章 牧口常三郎 2010-08-31 『宗教決断の時代』第2章 松尾芭蕉 1988-01-03 『ピカソ霊示集』第7章 マッカーサー 2010-04-26 『マッカーサー 戦後65年目の証言』第1章 松下幸之助 2005-10-28 「ザ・リバティ」129号 2009-12-15 『松下幸之助 日本を叱る』 2011-08-30 『沈みゆく日本をどう救うか』第2章 マヌ 2010-02-26 『神々が語るレムリアの真実』第2章 2010-02-28 『神々が語るレムリアの真実』第3章 マハープラジャーパティー 2011-08-10 聖母マリア 2010-11-03 『三聖母霊言』第3章 マグダラのマリア 2010-12-14 マルクス 2010-04-04 『マルクス・毛沢東のスピリチュアルメッセージ』第1章 丸山眞男 2010-04-21 『日米安保クライシス』第1章 ミカエル 1988-09-05 『大天使ミカエルの降臨1』第1章、第2章 1988-09-06 『大天使ミカエルの降臨1』第3章 1988-09-07 『大天使ミカエルの降臨1』第4章、第5章 1988-09-08 『大天使ミカエルの降臨1』第6章~第8章 1988-10-10 『大天使ミカエルの降臨2』第1章、第2章 1988-10-12 『大天使ミカエルの降臨2』第3章 1988-10-16 『大天使ミカエルの降臨2』第4章、第5章 1988-10-17 『大天使ミカエルの降臨2』第6章~第8章 1988-11-06 『大天使ミカエルの降臨3』第1章 1988-11-07 『大天使ミカエルの降臨3』第2章 1988-11-08 『大天使ミカエルの降臨3』第3章 1988-11-13 『大天使ミカエルの降臨3』第4章 1988-11-14 『大天使ミカエルの降臨3』第5章 1988-11-16 『大天使ミカエルの降臨3』第6章 1988-11-28 『大天使ミカエルの降臨3』第7章、第8章 1989-08-26 『悪霊撃退法』第1章 2010-02-16 『世界紛争の真実』第2章 宮沢俊義 2011-07-27 『現代の法難(4)』第2章3節1節と2節では、大川きょう子に関する記事を書いた「週刊朝日」の記者と編集長の各守護霊へのインタビューが収録されている。 陸奥宗光 2010-10-06 『日本外交の鉄則』第1章 ムハンマド 2010-02-16 『世界紛争の真実』第1章 2011-08-23 無門慧開 1986-08-10 『道元禅師霊示集』第2章 紫式部 1984-02-19 『卑弥呼の霊言』4章 1986-01-03 『卑弥呼の霊言』5章 明治天皇 2009-07-09 『明治天皇・昭和天皇の霊言』第1章 モーセ 1984-04-29 『キリストの霊言』3章 1987-11-27 『モーゼ霊訓集』第1章『新・モーゼ霊訓集』第1章 1987-11-28 『モーゼ霊訓集』第2章『新・モーゼ霊訓集』第2章 1987-11-30 『モーゼ霊訓集』第3章『新・モーゼ霊訓集』第3章 1987-12-03 『モーゼ霊訓集』第4章『新・モーゼ霊訓集』第4章 1987-12-05 『モーゼ霊訓集』第5章『新・モーゼ霊訓集』第5章 1987-12-07 『モーゼ霊訓集』第6章『新・モーゼ霊訓集』第6章 1988-10-29 『新・モーゼ霊訓集』第7章 1989-08-27 『悪霊撃退法』第5章 2010-09-03 『人類に未来はあるのか』第2章 孟子 1986-02-08 『孔子の霊言』2章 毛沢東 2010-04-05 『マルクス・毛沢東のスピリチュアルメッセージ』第2章 毛利敬親 2011-06-23 盛田昭夫 2010-06-28 『未来産業のつくり方』第2部第4章 文殊師利 2011-03-09 『文殊菩薩の真実に迫る』 モンテスマ 2011-05-25 『2012年人類に終末は来るのか?』第1章 ヤショーダラー 2010-12-14 山県有朋 2010-05-10 『維新の心』第2章 山本五十六 2010-04-26 『マッカーサー 戦後65年目の証言』第3章 唯円 1986-08-08 『親鸞聖人霊示集』第2章 裏切りのユダ 2011-02-22 『現代の法難(2)』 善川三朗 2003-12-01 『善川三朗の霊言―帰天説法(1)』 2003-12-29 『善川三朗の霊言―帰天説法(2)』 2003-12-30 『善川三朗の霊言―帰天説法(3)』 2006-08-12 『善川三朗の霊言―帰天説法(4)』 2010-12-09 吉田茂 2010-04-26 『マッカーサー 戦後65年目の証言』第2章 吉田松陰 1985-12-31 『坂本龍馬の霊言』3章 2010-02-10 『一喝! 吉田松陰の霊言』第1章 2010-02-13 『一喝! 吉田松陰の霊言』第2章 黙示録のヨハネ 1986-08-14 『ノストラダムスの新予言』第3章 2010-09-03 『人類に未来はあるのか』第1章 ラムセス一世 2010-12-08 リエント・アール・クラウド 1985-05-04 『キリストの霊言』5章 2010-01-01 『「宇宙の法」入門』第1章 良寛 1986-08-16 『道元禅師霊示集』第5章 リンカーン 1985-11-03 『ソクラテスの霊言』6章 ルシフェル 2010-01-29 『エクソシスト入門』第2部第1章 霊声者は大川きょう子 ルソー 2010-05-27 『霊性と教育』第1章 蓮如 1986-08-07 『親鸞聖人霊示集』第4章 老子 1986-01-31 『孔子の霊言』3章 1987-01-17 『幸福瞑想法』第3章 2011-03-25 関連項目 霊界 (幸福の科学) 大川隆法 脚注 Template Reflist Template 幸福の科学グループ Template デフォルトソート れいげん
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テーブルは 縦棒で くぎります 2月7日 貧困大国アメリカ 岩波 奥野 2月14日 セメント樽の中の手紙 葉山嘉樹 角川 岩瀬 2月21日 代表的日本人 内村鑑三 岩波 奥野 2月28日 茶の本 岡倉天心 岩波 岩瀬 3月7日 - - - - 3月14日 ユートピア トマスモア 岩波 奥野 3月21日 ご冗談でしょう、ファインマンさん ファインマン 岩波 岩瀬 3月28日 海と毒薬 遠藤周作 角川 奥野 4月4日 最後の親鸞 吉本隆明 ちくま 岩瀬 4月11日 星を継ぐもの ホーガン 東京創元 奥野 4月18日 帝国主義論 レーニン 光文社 奥野 4月25日 人を動かす カーネギー 創元 岩瀬 5月2日 風姿花伝 世阿弥 PHP 奥野 5月9日 - - - - 5月16日 プリンシプルのない日本 白州次郎 新潮 佐藤 5月23日 道元 頼住光子 NHK 今村 5月30日 夜と霧 フランクル みすず 奥野 6月6日 クリスマスキャロル ディケンズ 光文社 奥野 6月13日 自動車絶望工場 鎌田 講談社 今村 6月20日 自分の仕事を作る 池田 6月27日 - - - - 7月4日 山のパンセ 串田孫一 岩波 奥野 7月11日 告白 湊かなえ 双葉社 池田 7月18日 ケンケン録 陸奥宗光 岩波 奥野 7月25日 二〇億光年の孤独 谷川俊太郎 集英社 岩瀬 8月1日 トリストラム・シャンディ スターン 岩波 奥野 8月8日 いろいろな人々 チャペック 平凡社 奥野 8月15日 ホーキング、未来を語る ホーキング SB 河津 8月22日 存在の耐えられない軽さ クンデラ 集英社 奥野 8月29日 百年の孤独 ガルシア=マルケス 鼓直 訳 新潮社 ? 9月5日 人生道しるべ 寂聴 講談社 奥野 9月12日 永久平和のために カント 光文社 ? 9月19日 - - - - 9月26日 中国の大盗賊 高島俊男 講談社現代新書 岩瀬 10月3日 ある明治人の記憶 石光真人 中央公論新社 奥野 10月10日 どくろ杯 金子光晴 中公文庫 岩瀬 10月17日 性のアウトサイダー コリン・ウィルソン 中公文庫 今村 10月24日 最終戦総論 石原莞爾 中公文庫 奥野 10月31日 - - - - 11月7日 - - - - 11月14日 物語フランス革命 物語フランス革命 出版社 奥野 11月21日 - - - - 11月28日 時間と自己 木村敏 中公新書 ? 12月5日 - - - - 12月12日 ドル亡き後の世界 副島隆彦 祥伝社 ? 12月19日 旦那の意見 作者 出版社 ? 12月26日 - - - - 1月2日 - - - - 1月9日 道徳の系譜学 ニーチェ 光文社 ? 1月16日 自由論 J.S.ミル 岩波書店 ? 1月23日 数学ガール 結城浩 ソフトバンクC 河津 1月30日 ソルジェニーツィン短編集 木村浩編訳 岩波 岩瀬 2月6日 ハイ・コンセプト ダニエル・ピンク 出版社 奥野 2月13日 種の起源 ダーウィン 光文社 今村 2月20日 若き詩人への手紙 リルケ 新潮社 河津 2月27日 マンウォッチング モリス 小学館 今村 3月6日 ワープする宇宙 リサ ランドール 日本放送出版協会 ? 3月13日 淀どの日記 井上 靖 角川書店 ? 3月20日 拷問の歴史 拷問史研究班 他 新紀元社 今村 3月27日 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 入間人間 メディアワークス 河津 4月3日 スティグマの社会学 アーヴィング ゴッフマン せりか書房 今村 4月10日 - - - - 4月17日 - - - - 4月24日 金閣寺 三島由紀夫 新潮社 ? 5月1日 日本人とユダヤ人 イザヤ・ベンダサン 角川書店 ? 5月8日 日本国怪物列伝 福田和也 角川春樹事務所 ? 5月15日 漫画のスキマ 菅野博之 美術出版社 河津 5月22日 金枝篇 ジェイムズ・ジョージ フレイザー 筑摩書房 ? 5月29日 教養としての官能小説案内 永田守弘 筑摩書房 ? 6月5日 海洋奇譚集 ロベール・ド・ラ・クロワ 光文社 ? 6月12日 歳三の写真 草森紳一 新人物往来社 ? 6月19日 怒りについて セネカ 岩波書店 ? 6月26日 フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略 クリス・アンダーソン 日本放送出版協会 ? 7月3日 詩学詩論 アリストテレス・ホラーティウス 岩波書店 ? 7月10日 老子・荘子 野村茂夫 角川書店 ? 7月17日 万延元年のフットボール 大江健三郎 講談社 ? 7月24日 - - - - 7月31日 - - - - 8月7日 - - - - 8月14日 人間不平等起源論 ジャン=ジャック ルソー 光文社 ? 8月21日 フランケンシュタイン メアリー シェリー 光文社 ? 8月27日 ジーキル博士とハイド氏 ロバート・ルイス スティーヴンスン 光文社 ? 9月4日 - - - - 9月11日 化学の歴史 アイザック・アシモフ 筑摩書房 ? 9月18日 - - - - 9月25日 - - - - 10月2日 文明の生態史観 梅棹忠夫 中央公論社 ? 10月9日 戦争体験の戦後史 福間良明 中央公論新社 ? 10月16日 - - - - 10月23日 - - - - 10月30日 - - - - 11月6日 - - - - 11月13日 菊と刀 ルース ベネディクト 光文社 ? 11月20日 星界の報告 他一編 ガリレオ ガリレイ 岩波書店 ? 番号リスト
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2008年7月20日(日) @投票所板 01 00 00~23 00 59 一次予選 第13組 出場121人 一人持ち票9票 1位~9位まで本戦進出、10位~30位まで二次予選進出 組み合わせ コピペリスト 結果 詳細データ 01組 02組 03組 04組 05組 06組 07組 08組 09組 10組 11組 12組 13組 14組 15組 16組 17組 18組 19組 20組 一次予選第13組 コピペリスト(抽選ソート順) パトリシア・マーティン(パティ)@らき☆すた 三仏神A(左)@最遊記RELOAD -burial- 葛城香@レンタルマギカ 小森じん子@イタズラなKiss クリスティナ・シエラ@機動戦士ガンダム00 山田和美@BLUE DROP ~天使達の戯曲~ カオリ@天才?Dr.ハマックス ネリン・シモンズ@ストレイト・ジャケット デイシー@ポルフィの長い旅 乱崎月香@狂乱家族日記 浅野ユウキ@今日の5の2 ウーノ@魔法少女リリカルなのはStrikerS 神代神名(真名の妹)@機神大戦 ギガンティック・フォーミュラ Bレディ1号@エル・カザド スネイル@ムシウタ セイ@桃華月憚 園部清美@モノクローム・ファクター 吉野美沙@秘密 ~トップシークレット~ イリージャ・バートネル(座長)@破天荒遊戯 音楽教師@Myself;Yourself 桜野花絵(音羽の母)@スカイガールズ パメラ@CLAYMORE ヴァリレイ@キスダム -ENGAGE planet- エレン・イン@ザ・バットマン 田中美純@ぼくらの 入学を前提に息子とともに息子のアパート探ししていた母@俗・さよなら絶望先生 ベルペオル@灼眼のシャナII 牛窪桜@S・A ~スペシャル・エー~ ケイコ先生@味楽る!ミミカ 七々尾藍@かのこん ネーナ・トリニティ@機動戦士ガンダム00 赤羽桐華(くれはの母)@ナイトウィザード The ANIMATION 川添椿(珠姫の母)@バンブーブレード フォンシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエ(ツェリ)@今日からマ王! 第3シリーズ 八代菜々恵(菜々香の母)@Myself;Yourself ウィドー@DRAGONAUT -THE RESONANCE- 入江明子(正一の姉)@家庭教師ヒットマンREBORN! 支倉令@マリア様がみてる OVA 朝倉そよぎ@スケッチブック ~full color's~ 武藤環@紅 東方院美咲@ながされて藍蘭島 リズ(エリザベス)=トンプソン@ソウルイーター ナツキ・クルーガー@舞-乙HiME Zwei ヒトミ@EX MACHINA-エクスマキナ- -APPLESEED SAGA- 真城りま@しゅごキャラ! きなこちゃん@鉄子の旅 ギンガ・ナカジマ@魔法少女リリカルなのはStrikerS 観月ひかる@きらりん☆レボリューション 鵺@かのこん 伊吹公子@CLANNAD 恵信尼さま@親鸞さま ねがい、そして ひかり。 すずめ@桃華月憚 羽入@ひぐらしのなく頃に解 関とまり@ぽてまよ アンリエッタ女王(アンリエッタ・ド・トリステイン)@ゼロの使い魔 ~双月の騎士~ 一ノ瀬水恵(ことみの母)@CLANNAD シェーラ@古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー 翼竜伝説 秋姫すもも(現プリマ・プラム)@ななついろ★ドロップス 佐々森ユウキ@かのこん 小倉エリナ@きらりん☆レボリューション 梶原朔@遙かなる時空の中で3 紅の月 ドロシーのようなキャラ @ハヤテのごとく! アイラ@プリズム・アーク 和泉英子@仮面のメイドガイ クリスティーヌ・ロビンス@イタズラなKiss 花園花鈴@かみちゃまかりん シズク@劇場版 NARUTO -ナルト- 疾風伝 新藤撫子@ヴァンパイア騎士 朝日嘉穂@Over Drive 日和見紗和々@怪物王女 紅秀麗@彩雲国物語 宇佐美々@こどものじかん セイン@魔法少女リリカルなのはStrikerS 九堂じゅりあ@スカイガールズ ホロン@RD 潜脳調査室 竜野アンモ(マルムの母)@古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー 深道信子@ななついろ★ドロップス おタカさん@Yes! プリキュア5 シリーズ 春日乃ねね@ぽてまよ マジカル・キョーコ@To LOVEる ノーヴェ@魔法少女リリカルなのはStrikerS 神山咲夜@Candy boy シリーズ ジャスミン@デルトラクエスト 二階堂映子@PERSONA -trinity soul- 里見@ゲゲゲの鬼太郎 箱内美夢@ななみちゃん 菜々子@OVA ToHeart2 花井きく江(花井の母)@おおきく振りかぶって 枕田ジュンコ@遊戯王 デュエルモンスターズ GX ララミア・レレニア@マクロスFRONTIER くの一@忍者玉丸 愛沢咲夜@ハヤテのごとく! テンテン@NARUTO -ナルト- 疾風伝 アリソン・ウィッティングトン@アリソンとリリア 牧村志織@ハヤテのごとく! サリー@ネオ アンジェリーク Abyss フォンカーベルニコフ卿アニシナ@今日からマ王! 第3シリーズ 中嶋瀬奈@逮捕しちゃうぞ フルスロットル 猿柿ひよ里@BLEACH ソフィア@古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー 翼竜伝説 天地祭@よつのは 上村@もっけ 壬生華鈴@プリズム・アーク ナナリー・ヴィ・ブリタニア@コードギアス 反逆のルルーシュ R2 ロールパンナ@それいけ!アンパンマン ダークドリーム@Yes! プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険 神谷朝霞@スケッチブック ~full color's~ 魔王モーリー=グレイ@ナイトウィザード The ANIMATION 沖名潤@秘密 ~トップシークレット~ 公園でラジオ体操をしていた少女@がくえんゆーとぴあ まなびストレート! スペースウーマン@銀魂 ソフィア・シェルブール@シュガーバニーズ 君塚麻織@CODE-E 檜原のお婆さん@もっけ ちかげ@ながされて藍蘭島 小此木優子(ヤサコ)@電脳コイル 山口真美@マリア様がみてる OVA 華園光@S・A ~スペシャル・エー~ 麻生祇燐@Mnemosyne -ムネモシュネの娘たち- 南斗星(ナトセ)@君が主で執事が俺で ウルリカ・シュテルンブルグ@スカイガールズ
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服部 ヤア、忙しいんでしょう。 吉川 忙しいんだが、君の名前を聞いたら、急に会いたくなってね。 服部 さっき会うなり思ったのだが、あんたは若い。七、八年ぶりというのに……。 吉川 ハハハ……。そうかしらん。この方が黒いので(と頭髪を両手でかき乱しながら)よくそういわれるのだよ。 服部 それにむかしとちがって顔に疲れが見えないな。ぼくはどう? 吉川 だからさ、君を見た瞬間丈夫になったなと思った。前よりふとった位いじゃないか。 服部 ぼくがあなたに初めてお目にかかったときが三十一、二の頃だったと思う。「檜山兄弟」を書いていたときでしょう。 吉川 あんたは丑で、ぼくは辰。 服部 (同席の記者たちを顧みながら)そのころ吉川さんはすでにうつ然たる大家でね、ぼくは一介の歴史家さ。岩波の「資本主義発達史講座」を書き、肺病にかかっていて、家内の故郷に癒しかたがた行こうという直前だった。吉川さんが訪ねてみえて「中央公論」のぼくの書いた幕末物を読んだら「檜山兄弟」の構想を変えたくなったと―。 吉川 なんかそういうことがあったね。 服部 ぼくはこれで「鳴門秘帖」いらいの愛読者だからね。 吉川 ハハハ……。 服部 で歴史というものについて、これだけ真剣に考えられておられたというので、それがつきあいの始まりだ。近くだからね。 吉川 鼻っ先きでした。ぶらっと出て四、五分で芝公園時代だね。 服部 吉川さんの沢山の友人の中でマルクス学者といったら、わたし位いのものでしょう。 吉川 そうそう。 服部 そのときから今日まで幾変遷があったけれども、今じゃぼくも五十を越した。そして三十代の俊鋭雲のごとく今日の史学界に並んでいます。 吉川 しかしあんたは勉強していたよ、歴史の方じゃ一種の益友だったよ。 服部 ところで先の俊鋭雲のごとく並んでいる連中の中から吉川文学を屁のカッパのごとぐけなす人も出ているんだ。 吉川 木ッ葉だよ。 (笑) 服部 あんた、読んでいますか。 吉川 二、三は読んでいるね。「人民文学」にあるのを読んだがあの概観はちゃちだね。 服部 その高橋砿碩一君は「宮本武蔵」と「新・平家」との間にちっとも変化を認めない。いつでも吉川英治は今と昔の関係の見方について時局便乗的でありすぎる……。 吉川 よくぼくが時のあれを狙ってそれにアッピールしているオポチュニストだという見方をするものがあるが、これは偶然ですよ。そういう課題をもってたら小説なんか書けませんよ。それは実際にこういう仕事をしてみれば、この必然性が解るんですけれども。客観的にはそうみえるかもしれない。後からね。だがそう嵌まるものではないよ。例えば「宮本武蔵」を書き始めたでしょう。あのとき、宮本武蔵というものに課題をもったのは、あれを書き始める二、三年前に、読売の座談会で、直木、菊池の生きていた頃で、直木と菊池の間で、武蔵の優劣論が始まった。菊池が名人説、直木がアンチ名人説、その晩二人が諤々とやってぼくは傍観者だった。究極において直木がきみはどう思うといってきた、そのときぼくはどっちかしらんけれども、そうぼくは菊池の方に共鳴するところが多いといった。ところが翌月か翌翌月の「文芸春秋」で、直木があの筆法で都合のいいことを書いて、その後にもって来て、吉川英治出て来いという論法なんだよ。菊池に尾っぽを向けないで、俺に出てこいということなんだよ。それで論争さして俺の返事を載せ、また直木を載せ、それで御見物御喝采をやろうという編集者の考えだ。俺はその手に乗らない、と思うからそれを黙殺したんだよ。何かのとぎに小説で書くよ、といったのが動機なんだ。ウン、ところが直木が生きているうちは、ついぞ書けなかったんだよ。そういう課題をもって、二、三年経った。それで朝日に頼まれたから書いたんだ。 何年か忘れちゃうんだけれども「宮本武蔵」で予告を出したら読者から今時分、宮本武蔵とは何んだという投書だが、それで三十回のとぎに、朝日の幹部会のときにも評判の悪い投書が多いというので、何とか他にあれはないでしょうか、といって一度返してきたよ。 服部 フン/\。 吉川 そんなときですからね。そんなときに、うまくその時局に合わせるとかどうとかいうものを持てれば、小説なんか書かないで、政治家になるよ。その見透しが利くなら。(笑) 服部 ところであれをみましたか、「中央公論」の新年号―。これは歴史家ではないが、杉浦明平君が吉川批判をやらかしているのを。とうてい高橋君の比でない。 吉川 あれは読んだ。 服部 なんかこういうのを見ると、ぼくなんか吉川さんと長年つきあっている点もあるから揚足取りみたいな点が感じられて、これは歴史家としてはやっちゃいけないので、気になるね。 吉川 「高山右近」のことも書いていたろう。ぼくら作家としてわかることは、書いている人が右近を調べていないということだよ、それを調べていないという批評家ならば、そんなこと引受けないでくれといいたい。「高山右近」はアメリカの占領になったからアメリカに迎合するために書くことになったのじゃないよ。最初は上智(大学)辺りで、大歓迎だった。ローマの友人に知らしてやれるということでね、併しぼくの持った宿題というのは、キリスト教の中には、女性、恋愛、性欲という問題が、非常に虚飾されている。それはきみも感じない? 服部 感じる。 吉川 あの教義の中のエアポケットみたいに、それは触れないという態度があれしている。ところがあの時分、ぼくのところにもクリスチャソの連中が話込みに来たけれども、談そのことになると、解決の方法を持っていない。終戦後、若い人の性欲の問題は、多少この頃は落着いたけれども、一時出鱈目だったでしょう。これに何かの形を持たせたいといったのが「高山右近」なんですよ。だから右近の二十代がらみのことしか書いてない。その年代記の事実のないところしか書いてない。つまりキリスト教の家庭に生れて後にああいう入信者となった右近が、若い頃、たまらなくそれを持ったときに、どう処理したろうか、、入信したらどういう持ち方をして行くか、ということが、ぼくの「高山右近」の全テーマといっていいのですよ。何もアメリカのあれにしたから「高山右近」を書くというのではない。上智のラウレスなんかやかましくいって抗議にくるんですよ。 服部 カトリックから抗議が来たということは聞いた。 吉川 ぼくも論争しましたがね。ところがデリケートなところになると、余程日本語が向うに通じてくれなければ話がつかんのだよ。 それはラウレス自身がいうのでなく、その若い友人たちが非常に問題にしているから、それで俺に会ったら警告してもらいたいという。だからぼくも一度上智に行ったことがある。教授たちにあって「高山右近」を書く気持を話させてもらった。これにも皆来たんだけれども、宗教というものが、人間の全運命、全精神の上に臨むものが重大な性欲の問題、あるいは恋愛の問題について、何の示唆も導きも持てないのか、それを知りたい、教えられたい、そうしたら、私は右近を書くにもあなた方の意見を大いに考慮して書くが、併し自分の知人の中にも、カソリック教は性欲の問題についてはこうだ、と明快な答えをした人はないのたという講演をしたことがあります。 脹部 さきほどの史実の話、それを知らないで批評するのは全く迷惑なことでしょう。文学界のことは知らないが、私の知っている歴史の俊鋭たちね、史実を知ってるからこそみんな興味をもって「新・平家」を読んでいる。しかし「新・平冢」がどうしてこれほど大衆に面白がられるのか、その謎はよくわからない。その謎を「宮本武蔵」で解こうとした努力が一つ「思想の科学」(八月号)に載っている。これです。 吉川 これは見なかった。 服部 これは京都大学の桑原武夫、鶴見俊輔、ああいった連中の大変な研究です。芸者と職工さんと酒屋のおやじさんと、この三人について、何故吉川文学が面白がられるかを、「宮本武蔵」について調査している、その結論は―この人々は方法的に人物共感と観念共感、つまり人物に共感する要素と観念と共感する要素とにわけて分析している。人物に共感する要素は様々です。武蔵《たけぞう》やお通に反撥を感ずる人は、朱実や吉野太夫に共感する、またお通に共感を感ずる人は又八に反撥を感ずるといったふうにね。非常に人物にヴァラエティがある。その点「風と共に去りぬ」のように大衆性を持っている。これにたいして和であるとか、修養であるとか、三昧境であるとか、道だとかーいわゆる吉川文学のお説教と人々がいっているもの、これは観念共感。この観念共感の要素については読者に個人差がほとんど無い。つまり大衆は観念共感の上で「宮本武蔵」をひろく愛好する、という結論になる。 この共感される観念は「宮本武蔵」を読む以前から「宮本武蔵」以外のものから、あらかじめ大衆が持っていた共通の観念であってそれを取り上げてそこに共感を起させるという点で「武蔵」を国民文学といってもいいが、そのような要素が民主主義的な観念の上からいったら、邪魔になるものだという点があるかもしれない。だが、単にそういう点だけで切り込んで行っても、吉川文学の文芸批評というものは成り立つまいーまずざっとそんな結論です。 吉川 ぼくのあの仕事で通有性が一つあるのですよ。それは青年期に誰もが持つあの逆境の処し方ね。でなけれぽ、つまり人生登攀期ともいっていいな。 服部 うん。 吉川 それはぼくのテーマというのでなく、趣味だな、自分の生れてからの必然な過去だ。その嶮路をとにかく生きようという、よじ登ろうという人生登攀期、あるいは青春危険期、これがぼくも六十になっているが、今もって何となくぼくという人間の生涯を成しているのだネ。始終何か登攀を要する、あるいは逆境を如何によりよく生きて行こうか、という生活が始終、ぼくのコースになるのですよ、だからぼく、引続いて「宮本武蔵」でしょう、「太閤記」でしょう。例えばあの右近にしてもね。同じように若き青年期にしかかかって来ない。「太閤記」も秀吉が成功していわゆる太閤様になるともう書く熱意が薄くなって来ちゃう、薄くなるから同時に気も進まなくなっちゃって尻切れとんぼになる。 服部 そういう点では私小説的なものね。あなたの特に青年時代についてのね。 吉川 ああ。それからもう一つ。吉川文学というのもおかしいが、吉川の秘密といってよいもので、平凡なことを見のがしていますよ。ぼくの作品の中に必ず織り込んであるのは、骨肉愛ですよ。そこではぼくはもう駄目なんだよ。暗愚みたいにそれに行くと論理も何もない奴なの。 服部 それもあなたの「私」だな。 吉川 それはそう。「私」から出発しますよ、つまり(材料の)ヴァラエティを自分の中にあるものを取って構成する訳なんだから「私」になる訳ね。必ずぼくの場合は兄弟とか、あるいは母性愛とか、あるいは形からいうと父性愛に立って見るとか、この骨肉愛というものをね、これが自らといっていい位入っている。一番初めに書いた小説から今日に至るまで、必ずある。それが文学者の文学的な客観性なんかを失わせ易いし、ぼくの書く甘さになるわけですが、どうにもならない。ところがこれを多くの人が多分に持っている。例えば兄弟喧嘩して別れていようと、親父の家を飛び出している息子であろうと、持っている訳なんだ必ず。 それでそこがさっきの観念の共感を受けるかもしれませんね。 服部 そういうものとして「宮本武蔵」が一番代表的なものでしょう。史実とか歴史に拘束されないで、せんさくしないで、舞台をそこにとつて、自由に書いて行ける。ところが、それが出たときが昭和十年から十二年、戦争へのコースに行きつつあるときだったから、便乗しておるといわれる訳です。 吉川 そう批評しているのか。 服部 しかし「太平洋戦争」のとき大いに感激したのはけっして吉川さんだけじゃない、多くのものがそういうコースをとったのだから。吉川さん自身によってそれが反省されていることは「宮本武蔵」の戦後版の序文で見えている。ぼくはあれを見て加筆しなければよかったと思うのだ。 吉川 あれは加筆はしていないんだよ。お伊勢さまなんかの処をとったんだ。 服部 ぼくは加筆しなければ出版できなかったかと思った。 吉川 いやあるところをとると加筆しないと繋がらないからね。 服部 ぼくはこう思うのですよ。吉川さんの歴史文学、大衆文学のコースのうえで、「新・平家」はこれまでにない一つの大きな飛躍になっていやしないかと。だいいち、天皇制のきびしい制約があったとき、後白河法皇なんか書けないね。 吉川 書けないよ、全然。 服部 たとえば武蔵みたいに、歴史家としてもわからないようなのは、小説としては書き易いやね。荒唐無稽な取材から、大衆文学を書きはじめた時代から歴史に行って、空想的なそれを正而切って歴史と取りくもうという意欲―「新・平家」はそうした意欲をもった最初のものじゃないかしら。 吉川 最初のもの、それは君が歴史をいじくつているから、わかってくれると思うけれども、従来は歴史の余白ぽかり狙って……。 服部 だから歴史家としては、「新・平家」に大きな興味をもつ。「檜山兄弟」のとき、あの時は歴史に関心を持ち過ぎたことから失敗したんですね。それからまた歴史を離れた―。 吉川 そばに君が住んでいたこともあるな。(笑) 服部 「宮本武蔵」や「高山右近」の私小説を経て、正面切って歴史と四つに組もうというのは、やはり天皇制に対していくら批判をしても自由という新憲法の時代。これが初めて四つ相撲を吉川さんに取らせたという、そういう気餽が見てとれる。同時にそこが史学界の面々の鋭い関心を呼んでいる点でもある。松本新八郎君は日本中世史に対する第一線を行っている専門家だが、この人なんか偶然、昨日会ったのだけれども、「新・平家」を"非常に面白い"といってた。無論高橋君の友だちですよ。それが"高橋君のようなああいう批評の仕方でされても、吉川文学は痛くも痒くもないだろう"ともいっていた。 吉川 しかし税金問題はひどいよ。(笑)別問題ですね。酒を呑んだときでもいってくれ。あれは嫌がらせでね。嫌な思いだ。 服部 税金問題をいったのは杉浦君、アレはちょっといじがわるいナ。 吉川 批評ならいい。税金をトップに出すのは嫌だよ。吉川の奴め、くさらしてやろうと……。 服部 くさっちゃいかん、それで松本新八郎君の話だがーそのまえにごんどの杉浦君の「三人の牛若丸」を読んで、ぼくも初めて、吉川さんがまだ弁慶を書いてないことを知ったんだ。そうしたら松本君の書いた義経(毎日ライブラリィ「人物日本史」所載)がある、それを読んでみたら、彼は中世の専門家の立場から、弁慶と義経との邂逅を、義経が奥州から戻って十六で行って十七で戻って、近江にひそんでゲリラ戦をやったときからだろうと「玉葉」(九条兼実の日記)から彼は想定しているのです。そうだとすれぽ「新・平家」の義経が、奥州へ行くまえに一度も弁慶に逢ってなくても、決しておかしくない。それにしても杉浦君の批評を読んで思ったのだが、あんた、弁慶を一生涯出さんとでも、どこかで発表したの? 吉川 いや出し処があると思う。いきなり鼻っ面には出せんというのだよ。 服部 それなら松本君の見解と期せずして一致している。 吉川 ぼくのはどんどんと小説の上で奥州指して出かけちゃっているでしょう。だから皆んなの考えは、吉川はもう弁慶は出さんのだな、というけれども。 服部 それで安心した。弁慶を出さんければ義経が何故弱くなったかというのが書けない。弁慶は強いけれども弁慶が代表する旧い勢力、それが義経を弱くしている訳だ。腰越の悲劇がある訳だ、と歴史家は大体考えています。 吉川 「玉葉」の二人は一人にちがいない。それにつけても、これなんかも今度訂正しようと思うのです。「玉葉」とか「愚管抄」をちらちら見ると、平治の合戦が終ってから四、五年目に源三位頼政が伊豆守になっているし、彼の分国が伊豆にあるのだ。そうすると頼朝が起つまで全然何にも知らんなんていうことも絶対にあり得ないことだ。それだのに「平家物語」は頼政のよの字も出てこない。その処に大きな謎があるんだ。従来頼政のよの字も伊豆に出て来ない処に、大変な宿題があるわけです。だから頼政が以仁王をかついで、向うで火の手を挙げたことは、従来の歴史家の手では理由がわからない。ところが平治の戦にあれだけの分別のある真似をした男だろう。行って見て河原に出てみると向う河岸にいるでしょう。六十になってそんな単純に都の近くから火の手を挙げやあしない。確かに機熟せりと見た処があったに違いない。だから私は頼政という人間は書き直すために大きい課題があると思っている。そして非常に面白い。 服部 これは歴史家が源平時代と四つに組んで何にも業績を挙げていないといっていい程にむつかしい処ですよ。 吉川 そうですよ。そしてちょっといじれば後白河法皇が出てきたり、皇室が出てくる。 服部 後白河で思い出したが、あの類いまれなる暗主といわれている後白河を叙するに当って、吉川さん。とうとう妥協しちゃったという批評にたいしては? 吉川 いや妥協なんてするものか。あれには病癖がある。そのためにいろいろ複雑化する始末の悪いものが、後白河法皇の性格の機構の中にある。だから後白河法皇こそ書くべきなんですよ。しかし従来の歴史家なんていうものは、はるかに法皇の威勢に縛られて手をつけていないでしょう。 服部 それは終戦前のね。 吉川 終戦前の。だからそれについて従来の研究家によって、あれされた手がかりを得ようと思うと、史料編纂所を一人でやってしまうようなものですよ。 服部 しかし直感で書ける処でしょう。これはこれからの話さ。これからの課題さ。 吉川 ああ。 服部 ぼくが気がついたことは、第一巻(新・平家)を読んで、都の状態は実によく書けている。感激するんだ。よくここまで調べ、直感で動かしていった。ところが義経が関東にくるでしょう。書きにくいだろうと思う。そのブリリアントな都市の書き方から較べると、非常にあすこは淋しいんだな。手簿いという気がする。 吉川 そうかな、手薄いかなあ。 服部 農村の場合もっと想像が出ていいのに。 吉川 草の根にかくれている人たちの生活は大きいテーマですからね。これはぼくも非常に思うのですが、あの読者をかついで、大衆に読ませる小説を書くというんだから、どうしても影響するのですよ。ぼくにね。たとえば鞍馬を出て以来の義経をもってくるでしょう。すると次には弁慶が出ないとか、清盛はどうしたとか、俺はあれを清盛で読んでいたのに、ちっとも出て来ない、と読者の待ちわびがひしひしとくるんですよ。ぼくはここ(吉野村)に身を置いているのだから興味を持ちますよ、土にね。ここいらの農村生活をそのまま書いたってわかるんですよ。だから大いに金子十郎をもって来るなりして書きたいテーマですよ。するとテーマになり過ぎちゃうんですよ。テーマになり過ぎちゃって読者がはぐれちゃうんですよ。読者を武蔵野にはぐれさしちゃうことになるんですよ。それから叡山の坊主を書いている時分いじくればいじくる程、あの時分の生活は複雑だよ。これこそはあの時分の社会生活と結び付いていたものでしょう。日本荘園制の経済状態、それに分布される人の姿や形を、読者に咀嚼さしておかなければならないのですよ。しかし経済事情くらい頭に入れ難いものはないのです。 服部 そうでしょう。しかし丁度現在の政治をいろいろ書くときに、財政や税金について書かなければ、吉田ワンマンがどうしてああなったのかということもわからんでしょう。吉田の政治を批判する場合は、吉田の財政、つまり自分たちの生活ということから、労働者も資本家もやっているのでしょう。 吉川 そうなんだ。 服部 「新・平家」の農村のあの頃の経済事情、それが具体的に書いてない。俺はその専門でないからわからないのだが、君は知ってるだろうと松本君に聞いたら、史学がまだ不充分なんだ。 吉川 あの時分の荘園制については、経済的に見ましても、ぼくらが読んでも複雑なんですよ。こういうものの中に入れても複雑でわからなくなってしまう。単純化さしてわからせなくちゃならんのですが、よく知っていなければ単純化ができない。よく知ろうと思えば思う程、複雑で具体的に書けないのですけれども、それは大ぎな欠如です。 服部 しかしこれは古川さんだけの欠如じゃないんだ。話を変えるけれども「親戀」ね、あれはあなたのごく初期の小説じゃなかったかしら。それとも終戦後書き変えたの? 吉川 書き変えたんじゃないけれども、ぼく東京毎夕にいたときに、いきなり「親鸞」書けといわれた。まああの時分、東京毎夕で初めて家庭部というのが出来た。ぼくは何にも知らん駈け出しの記者。当時親鸞ばやりだったのだ。一つは「出家とその弟子」が出たりした。ここで書けという。ぼくは何にも知らんのだからね。にわか仕込みでね。毎日二段ずっ、社員より早く行って。画なし。毎朝それを二時間も書くんだよ。 服部 しかもそれが小説の書きはじめか。 吉川 それをザラ紙に書くんだ。ぼくは原稿生活の味も知らん。それを工場の小僧が取りにくるんだよ。書き上げるのを待っていてね。そんなことをして書いているうちに、本願寺が近いから本願寺の坊さんが毎日来てはまくし立てる。相当編集局には学者がいたしね。"吉川さん、今日のところは変だねえ"とやられるのだ。そうしていじめられいじめられ、しようがなしに書いたものです。それで一年書いて本にしてくれたんですよ。そうしたら震災になって焼けちゃった。市場に出ないうちに。 服部 震災前の話か。 吉川 それから筆で飯を食うようになってから、五社連盟が何かの地方紙で、これは地方紙なんだから多少読めるようなものにしてくれ、というので書き直したのが「親鸞」なんだ。それっ放しなんですよ。しかしぼくは「親鸞」というのは、それを書き直した頃から、ぼくらのいじるものじゃないと思っている。しかしもう五十位になったら、もうちょっと人生経験をしたら書けるんじゃないかという気がした。だから序文にね、その時に五十になったら書き直すということを、つい書いたんだよ。うん。ところが書ぎ直さずにあるものだからね。 服部 若い連中は終戦後書いたと思っているんじゃないかしら。 吉川 「宮本武蔵」もそうですよ。批評する方は、今書いたものとしてその批評なり何なりの角度の取り方でね。ところが日華事変より二年後ですからね。今を去る十数年前のものだ。それを今書いたものとして、やっつけるのだよ。再版するのが悪いのだけれども。 服部 再版しなければ食えんしな。(笑)要するに吉川さん。今度の「新・平家」で歴史と四つに組んだといわれて、わしはもうそれでいいんだ。 吉川 そうか。 服部 大いに歴史家たちは期待しているから。一九五二年は弁慶も出るし、後白河法皇も描破されるだろう。刮目して待つわ。松本新八郎、高橋碩一君はじめ吉川文学に関心を持っている今の若い第一線の歴史家連中と、ぼくはあんたを招待しますから来て下さい。 吉川 会いましょう。是非会っていろいろ聞かしてもらいたい。「新・平家」をやり出してから、あらゆる時間を入れちゃって、何にもできなくなった。手紙書く時間まで入れちまっているような思いですよ。だから他の細かいものは、皆すっかり止めちゃって、唯一念、あれ一本で。 服部 「新・平家」に集中して下さい。 吉川 いや集中しつつあるんです。 服部 われわれも何かの参考になるようなことがあれば…… 吉川 それは有難い。