約 527 件
https://w.atwiki.jp/kokugogakusha/pages/33.html
索引 アストン アルバレス 阿直岐 青木昆陽 姉小路基綱 荒川惣兵衛 荒木田盛徴 新井白蛾 新井白石 有賀長因 有賀長伯 有坂秀世 安然 安原貞室 井上頼圀 伊藤善韶 伊藤東涯 伊庭秀賢 惟正 猪苗代兼郁 飯田蘭台 池上禎造 池田亀鑑 池永泰良 池坊専順 石川雅望 石田千穎 石田茂作 石塚龍麿 石山内供淳祐 一条兼良 一条実経 一条経嗣 市岡猛彦 五井蘭州 忌部正通 岩淵悦太郎 斎部広成 宇多天皇 宇野つる子 上杉憲実 上田秋成 上田万年 上田正 氏家剛大夫 楳垣実 卜部兼方 卜部兼夏 卜部兼石 卜部兼永 卜部兼文 恵空 恵心僧都 慧苑 慧琳 永超 円仁 遠藤嘉基 小川承澄 小倉進平 翁広平 大江朝綱 大江維時 大江佐国 大江匡房 大国隆正 大島正健 大槻玄幹 大槻文彦 大坪併治 大伴家持 大野晋 大庭雪斎 大原長宴 大矢透 大田嘉方 太田全斎 岡井慎吾 荻生徂徠 奥村栄實 落合直澄 荷田春満 鹿持正澄 賀茂真淵 楫取魚彦 貝原益軒 海北若冲 覚憲 覚審 春日政治 金澤庄三郎 樺島忠夫 亀井孝 亀田次郎 烏丸光広 狩谷棭斎 寛信 寛静 寛智 吉備真備 岐陽方秀 紀貫之 紀時文 喜多川守貞 喜多村信節 窺基 清原仲隆 清原夏野 清原宣賢 清原教隆 清原元輔 清原良賢 清原頼之 清原頼業 許慎 経尊 景戒 行阿 行円 行信 行智 行誉 金田一京助 金田一春彦 勤子内親王 クルチウス グロータース 空海 草鹿砥宣隆 黒川春村 黒澤翁満 契沖 桂庵玄樹 景戒 顕慶 顕昭 玄応 源信 コリャード 小林芳規 洪舜明 興然 越谷吾山 惟宗直本 惟宗允亮 近藤瓶城 権田直助 アーネスト・サトウ 佐久間鼎 佐々井祐清 佐々木信綱 佐藤喜代治 佐藤誠實 斎藤彦麻呂 最実 最澄 阪倉篤義 坂上望城 境部連石積 雀部信頬 貞苅伊徳 里村紹巴 シーボルト シュリリエル ジョーンズ 清水濱臣 敷田年治 竺源恵梵 滋野貞主 柴田武 柴野栗山 宗淵 春登 俊慶 成賢 成俊 常暁 浄厳 承澄 盛典 白井寛蔭 白鳥庫吉 白藤礼幸 心覚 心空 心敬 心蓮 信行 信範 真空 新村出 親鸞 神保格 菅原是善 菅原為長 菅原長守 菅原道真 杉田玄白 杉本つとむ 鈴木朖 鈴木一男 鈴木重胤 関政方 仙覚 ソシュール 宗叡 宗祇 宗砌 宗命 蔵俊 多田義俊 田中重太郎 平政子 高橋残夢 高橋廣道 竹岡正夫 竹田鉄仙 武田祐吉 橘忠兼 橘成員 橘守部 谷川士清 丹波康頼 智広 チェンバレン チョムスキー 陳彭年 辻村敏樹 鶴峯戊申 寺島良安 土井忠生 道因 道祥 道範 栂井道敏 富樫廣蔭 時枝誠記 中島廣足 中田祝夫 中野柳圃 中村通夫 永田直行 永野賢 二條良基 日蓮 能因 馬場佐十郎 馬場信武 萩原廣道 橋本進吉 服部四郎 服部武喬 浜田敦 林永喜 林圀雄 伴信友 久松潜一 人見友竹 平井重民 平田篤胤 平山輝男 広田栄太郎 ブラウン 富士谷成章 富士谷御杖 深根輔仁 福田良輔 藤井貞幹 藤岡勝二 藤林普山 藤原顕輔 藤原敦隆 藤原敦光 藤原宇万伎 藤原清輔 藤原公任 藤原伊房 藤原定家 藤原季綱 藤原佐世 藤原孝範 藤原忠平 藤原為家 藤原為氏 藤原為相 藤原周光 藤原時賢 藤原俊成 藤原仲実 藤原長親 藤原済氏 藤原教長 藤原範兼 藤原範永 藤原浜成 藤原道長 藤原宗忠 藤原基俊 藤原与一 ヘボン ホフマン 北条実時 北条忠雄 法空 法延 法進 堀季雄 堀秀成 馬渕和夫 前田太郎 前田利保 槇島昭武 正宗敦夫 松井簡治 松下大三朗 松田好夫 松永貞徳 松村明 三尾砂 三上章 三好似山 三善為康 水谷静夫 皆川淇園 源実俊 源順 源周光 源俊頼 源親行 源師頼 宮地裕 宮良当壮 明一 明恵 明海 明経 明憲 明詮 村上織部 村田春海 村田春卿 村田了阿 明覚 木食上人応其 本居宣長 本居春庭 森岡健二 森田武 文雄 八木美穂 矢田部公望 屋代弘賢 保田光則 柳田國男 山木格安 山崎久之 山田静 山田常典 山田忠雄 山田孝雄 湯浅重慶 湯澤幸吉郎 惟正 永超 吉澤義則 吉田澄夫 頼宝 了尊 ロドリゲス 渡辺実 (T.K)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33126.html
登録日:2015/11/20 Fri 11 16 51 更新日:2024/06/06 Thu 00 49 25NEW! 所要時間:約 12 分で読めます ▽タグ一覧 アニヲタ悪魔シリーズ アニヲタ神様シリーズ ゲッターキリク パンチェン・ラマ 仏 仏教 八大地獄 南無阿弥陀仏 如来 念仏 極楽浄土 法然 浄土教 親鸞 阿弥陀如来 ■阿弥陀(あみだ)如来(にょらい) 『阿弥陀如来(梵名 アミターバ、アミターユス)』は大乗仏教(顕教)の尊格。 西方極楽浄土の教主。 浄土宗、浄土真宗の本尊としても知られる。 大乗仏教が成立していく中で誕生した顕教の代表的な尊格であり、日本にも飛鳥時代には伝来していた。 我が国では平安時代後期からの末法思想の流行を皮切りに鎌倉時代の法然、親鸞らの登場を経て民衆に広く根付いた浄土信仰の主として特に親しまれている“仏様”でもある。 ※日本人が思う所の一般的な“仏様”のイメージは大体がこの御方を指していると思われる。 由来 古代インドの王(無浄念王)であったが、苦しみの中にいる民を救いたいと願い仏門に入り(僧となり)、法蔵(法蔵菩薩)を名乗り修行に明け暮れた。 悟りの末に西方極楽浄土を拓いたとされる。 極楽浄土のイメージの原型は小アジアからエジプトに至る古代オリエントの楽園(理想化されたオアシス)=西洋世界での楽園のイメージと起源を等しくしていると推察されている。 後の浄土信仰での姿を見ても、絶対的な帰依者たる砂漠の地域で生まれた一神教の主神的な性格を持つ尊格(救い主)でもある。 梵名はアミター(無限)=バ(光)、及び=ユス(命)とされ、これを音写して阿弥陀如来と訳出された。 この名は梵名を漢訳した無量光、無量寿如来(仏)として異名としても用いられている(※無量光如来=アミターバは密教系の名称であるらしい)。 他、中国では無碍光如来、不可思議光如来とも呼ばれ、浄土信仰でも用いられている。 このことから、太陽神であり帰依した者たちの救済者としてのヴィシュヌの影響もあるとも言われている。 大乗仏教が展開する中で、開祖たる釈尊の智慧を独自に解釈、宗教的な観点から民衆を救う為の功徳を抽出、集約していく中で生み出された御仏の一つである。 こうした、教義の体系に沿う形で宗教的な「神」に相当する存在として生み出された「仏」を報身仏と云い、彼らは釈尊よりも以前に生前の報い(解脱)により既に「仏」となっていた存在であると説明されている。 大乗仏教で生み出された如来の多くがこれに相当し、やがては開祖たる釈尊もまた、幾度もの輪廻を繰り返して来る中で仏陀となる下地を作って来た、とする信仰が定着していった。 チベットでは第二祖パンチェン・ラマの本性であると考えられており、また、アミターバ(密教尊)とアミターユス(顕教尊)は別々の尊格として信仰されている。 脇侍として観音、勢至菩薩が付いており、仏教では阿弥陀如来の第一、第二王子が共に仏道に入った姿である、と解釈されている。 三尊形式の仏像や図像化の他、浄土信仰では「山越図」にも三尊は描かれ、いつの日にか阿弥陀が入滅した後には観音が、観音が入滅した後には勢至が後を引き継ぐと説明されている(※不死設定の筈だが釈尊に準えたのかもしれない)。 また、同じく浄土信仰の「来迎図」に見られる様に死者(念仏者)を迎えに来る際には二十五菩薩を従えてやって来るとされている。 密教では五智如来(五仏)の一尊として西方を司る(胎蔵界では無量寿如来)。また、釈迦如来(密教では北方の不空成就如来と同体とされる)と共に大日如来の脇士とするとの説明がある。 浄土信仰 平安時代末期からの末法思想の流行と共に興り、鎌倉時代に流行した阿弥陀如来の念仏信仰。 元来の仏教思想(密教、禅も含まれる)が、それぞれに形態は違っていても結局は釈迦の語る様に己が仏道を実践していく事により悟りを拓き解脱(輪廻転生からの脱却)を目指すと云う、実践的な思想と修行と探究こそを目的としていたのに対し、浄土信仰では本人が悟りを拓かずとも阿弥陀如来に帰依して「南無阿弥陀仏」と一心に唱えれば、阿弥陀の拓いた極楽浄土(阿弥陀の国土)に生まれ変われる事が出来ると説かれ、これが唯一無二の衆生済度の道である、として説き広められた。 ※従来の大乗仏教では、衆生の解脱の道は仏法に従い幾世もの輪廻を繰り返して正しく生きる事でいつの日にか叶う、とまでしか定めきれていなかった。 これは阿弥陀の四十八の誓願の内、最も重要とされる十八番目の誓願……「あらゆる世界の人々が、私の建てる極楽という国に生まれたいと願って私の名前を称えたとき、それがかなえられなかったならば、私は仏とはならない」……の功徳から生まれた信仰である。 この為、純粋な浄土信仰は浄土教として分けて仏教とは別の教えである、 と考える場合もある。 聖徳太子の死を悼んで作られた「天寿国繍帳」など、日本仏教の初期から導入されてはいたのだが、中国で成立した阿弥陀の本願を救済の道と説く浄土教は日本では本来の仏道から見れば易道(優しい道)とされて長らく埋もれたままになっていた。 しかし、現世に地獄が現れたかの様な末法乱世の世に、阿弥陀への帰依と功徳を説く念仏を呟き諸国を放浪した法然を筆頭とする念仏僧達によって民衆の間に急速に説き広められていった。 ここから、衆生の他力本願による救済を掲げる我が国の浄土信仰が誕生したのである。 日本では、中国の仏典解釈による末法到来の予言(1052年=永承7年と考えられていた)と前後して、実際に数々の怪異(災害、重大事件)の勃発と朝廷権力の凋落、武士の台頭、平安時代以降に権力を持ちすぎた仏教教団の腐敗が極まっていた時代と重なっており、僧侶が貴族より力と資金を持ち、自分達の力を誇示して朝廷すら脅す増上慢を見せていた(※国策により増やされた仏門、仏閣を維持する為に僧の粗製濫造や税を逃れる為に化けた偽坊主達の出現により僧侶の質も後代になる程に落ちていた)。 そんな時代を憂い「世の地獄を心の地獄」として、源信らが地獄からの救いの姿として流布させた地獄絵図と極楽往生の構図は人々に急速に広まり新たな信仰を生む一方で、現世からの救いを求めて自ら命を断つ者が続出する等、厭世的な空気が流れてしまったとも云う。 ……そうした中で遂に立ち上がった法然は、既に名の知られた高僧であった身にも拘わらず“己自身の解脱”を否定してまでも極楽往生の素晴らしさと、その実現の為に“一心に念仏のみを唱え阿弥陀に帰依する道”を説き広め、漠然としていた極楽浄土への憧れを実践を伴った真の信仰へと昇華させてみせた。 つまり、本来は如何に言葉と思案を尽くしても現実には実現困難である仏教思想の救いのゴール(解脱による輪廻からの脱却)を、別の所(極楽往生)に設けて“シンプルにして実行力のある形”で救済を語ったのである。 ※例えば、真言密教の語る「即身成仏」等は、空海の様な天才ならともかく、凡夫には到達不能の境地である、と誰もが薄々は感じていたであろう真実をぶっちゃけ、古代のバラモンの様に地位に固執して思想で遊ぶ仏門に楔を打ち込んだのである。 そして、後に弟子である親鸞は法然自身は如何に否定しても実際には相も変わらず超然的であった師とも違う、浅ましい凡夫でしかない己を深く深く内省した末に、今の生すらが阿弥陀に生かされている結果に過ぎず、善悪もまた縁から生じる結果でしか無いのならば、人の身には阿弥陀に縋る他に救いは無いと云う“絶対他力”の境地を見出すに至った。 ……尤も、法然等の行動は末法の世では純粋な成道(解脱)が適えられないと云うのならば(※浄土教の信仰に依ると末法では仏道修行は成功しないとされている)、衆生を救う為には他力本願に“縋るしかない”……と云う、砂を噛むような想いから絞り出された境地であった。 ……しかし、権力を維持する事しか考えない延暦寺を初めとした仏教教団からは“仏法を壊す行為”と捉えられ(※パトロンであった貴族や朝廷の人気を奪われていた恨みもあったのだろう)、法然とその弟子達は権力や出身の仏門からも追われる身となり追放や僧籍の剥奪、弟子の処刑までをもされてしまった。 その理念は、弟子や信徒の手により今の世まで繋がる救いの道として残ったが、その一方でネガティブな方向にも働き、権力(金貸し、領主、荘園管理者たる寺門)に対する搾取される側のレジスタンスとして起きていた一揆の中でも、新たに法権力を求める力として信徒の暴力を利用した面もある本願寺教団の威勢(一向宗=一向一揆の大元。不本意とはしつつも教徒を抑える事は出来なかった)を生む事や、本来の法然らの思想が大きく歪められた末に念仏教団による従来の仏教の否定は疎か、攻撃にまで繋がると云う悪影響も生んだ。 寺院を持とうとしなかった法然らはともかく、彼らの教えから生まれた新仏教もまた教団化すると権威への固執から堕落の道へと進み、後の浄土信仰では因果応報の都合のいい解釈により宿業の名の下に階級、病人や障害者への蔑視、迫害と差別も横行した。 また、阿弥陀に見捨てられたら“即”地獄に落ちると云う極端な考えの定着により、念仏教団への固執と一揆の正当化……etc.本来の浄土信仰は勿論、元々の仏教ですら否定されている歪んだ思想がまかり通るようにもなった。 ……こうした混乱は室町幕府崩壊後の戦国時代まで続いたが、仏門の増上慢と一向一揆を仇敵と定めた織田信長と本願寺派の長きに渡る激しい抗争と和解を経て遂に鎮火(石山本願寺の陥落)。 ……後に乱世を勝ち抜いた徳川の治世の時代には檀家制度の推進もあり、各地の寺院と民衆との間に新たな関わりが出来る等、漸くの落ち着きを見せていく事になる(※それはそれで、ムラ社会の中の葬式仏教化=仏教の形骸化を招くなど新たな問題を発生させた)。 尚、末法の概念は元々の仏教思想には無く、中国仏教で成立した(※ヒンドゥー等の影響も考えられる)。 地獄や極楽浄土の概念も中国で整えられていったもので、これらには道教思想の色濃い影響が見られる。 姿 釈迦如来に倣ったシンプルな如来形で、当初は右手是無畏印、左手与願印を結ぶ如来共通の姿をしていた。 平安時代に密教が伝来されると曼荼羅中の阿弥陀如来の姿に倣った作例も見られる様になり、座像では法界定印の様に見えるが第二指を曲げる独自の印形を結ぶ座像(鎌倉の大仏が代表的)と、末法思想に顕れた浄土信仰の主としての施無畏印、与願印に似るが親指と人差し指で円を作る来迎印を結んだ阿弥陀立像は、共に阿弥陀如来独自の形式として以降の作例の基本となった。 背面からは梵名に倣い、放射状に光を放つ光背を持つ。 前述の様に座像も多いのだが、浄土真宗では「観無量寿経」の「住立空中尊(※死の間際に阿弥陀が迎えに来る)」という表現から立像しか認められていない。 像の作例としては観音と勢至を従えた三尊形式も多く鎌倉浄土寺の阿弥陀三尊像が有名。 他、変わった作例としては京都禅林寺の見返り阿弥陀像などがあり、とにかく作例が多いだけに特徴的な仏像も多数である。 種字 ■キリーク 真言 ■オンアミリタテイゼイカラウン 豆知識 仏教の広がりと共に元々は仏教用語であったものが一般的な用語や諺になったりしているが、特に阿弥陀仏に関わる言葉が多い事で知られる。 ■他力本願 本来は前述の様に「阿弥陀の力を借りて往生を目指す」事を指す。 転じて、単に「他人任せ」の意味で使われる様になった。 ■あみだくじ 元々は放射状に広がる形をしていた事から、阿弥陀仏の光背に準えてこう呼ばれる様になった。 ■十八番(おはこ) 前述の様に阿弥陀の四十八の誓願の内、一八番目の誓願が重要とされた事から、転じて「得意とする事」を指す言葉となった。(ただし「十八番」の語源に関しては團十郎一族が得意とした歌舞伎の荒事の演目の数に由来するという説、武士が嗜むべきとされた「武芸十八般」に由来するという説など諸説ある。また、「十八番」と書いて「おはこ」と読むようになったのは江戸時代の戯作者「柳亭種彦」が書いた「正本製」が初出である。) 追記修正は南無阿弥陀仏と唱えながらお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] だからって神祇不拝は無茶苦茶だと思うんだ -- (2015-11-20 11 50 52) 人から死への恐怖を取り除いたらろくなことを起こさないという典型 -- 名無しさん (2015-11-20 19 09 16) ナムアミダブツ!至極まっとうな項目である!建て主は敬虔なブディストかボンズであろうか! -- 名無しさん (2015-11-20 19 45 36) ↑↑それ何てラインバレル -- 名無しさん (2015-11-20 20 03 14) ナモアミマドカ -- 名無しさん (2016-05-01 21 52 55) 父方が真言宗で母方が浄土真宗なので葬式などのときお互いに苦労する。 -- 名無しさん (2018-04-05 17 06 00) ブッダの教え(≠仏教)を考えるとメチャクチャなことしか言ってないのもはや笑えてくるレベル -- 名無しさん (2020-01-31 11 26 28) ↑そもそも仏陀の教えが常人のスペックじゃ到底無理難題だからしょうがない。「とりあえず極楽浄土まで行って悟りを開くのを助けてもらおう」のうち「行って」でだいたい止まってるだけ -- 名無しさん (2020-12-23 17 41 03) ↑↑中世の仏教は”仏(阿弥陀如来や観音菩薩など)の教え”だから、現代から見れば奇異に思えます。↑にもありますが、阿弥陀信仰(浄土教)が生まれた背景には凡人が悟りを開くには阿弥陀様にお頼みするしかないと考えられたわけです。ただ当時から反発も大きく、中国ではほぼ消滅して、日本でも浄土教系の教団が体制側から弾圧を受けています。 -- 名無しさん (2020-12-25 22 00 34) まあ、キリスト教とかも「針の穴を通って天国に行くのも黙示録十四万四千人選抜に勝ち残るのも正直無理ゲーだけど、キリスト様といえども母ちゃんのとりなしには甘いだろう」ってマリア信仰大流行したんで……ハードルを上げ過ぎるのも下げ過ぎるのもよくないということだろう。 -- 名無しさん (2023-12-26 21 50 43) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nolnol/pages/9811.html
比叡山 (ひえいざん) ■比叡山叢雲堂は→ 【こちら】 場所 近江 : 『る−ロ』 (大きな木の付近) 旅マップは→こちら←からご確認ください。 敵NPC 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 門徒いびり 28-32 5 下郎刀【刀】 辻誘い 31-33 6 囁きかんざし【髪飾り】 暴れ博徒 33-36 7 博徒の巾着【特殊装備】 悪酔い坊主 32-38 4-7 酔夢昏【棍棒】 絡み尼僧 40 7 絡み数珠【首飾り】 ● 堕落和尚 36-37 7 小姓の友人 37-43 7 奪魂剣【剣】 酒色好み 37-41 7 酩酊はちまき【面具】 比叡山僧兵 39-42 5-7 比叡山僧兵秘本【書物】 ● 納入鍛冶屋 50 7 ■黄ネーム 門前腹巻【腹巻】 比叡落武者 50 7 ■黄ネーム 落武者の兜【星兜】 正覚院豪盛 50 7 ■黄ネーム 山ごもりの頭巾【冠】 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 不落の黒鬼 45 6 ■青ネーム 鬼の金棒【家具】 不磨の金剛 50 6 ■青ネーム 飾り金剛棒【家具】 不屈の阿修羅 55 6 ■青ネーム 修羅刀【刀】 NPC 円真阿闍梨 光徳阿闍梨 彪大師 芳松僧部 備考 比叡山クエスト Lv45以上で発生。 Lv45未満だと「あなたには荷が重そうですな」と帰されます。 連続でボス3体と戦います。最後の【不屈の阿修羅】は、クエストを受けたPCが 話し掛けるとPOPします。 ※※ 注意 ※※ 【不屈の阿修羅】は一度倒しても、クリア報告をせずに再度話しかけて戦闘し、 全滅すると一度も勝っていない事にってしまうバグがあるので注意。 勝ったら報告しましょう。 由来 比叡山延暦寺 (ヒエイザンエンリャクジ) 滋賀県大津市にある最澄大師が788年に創建した天台宗総本山。延暦の名は元号から取られており、824年までは一乗止観院という寺院であった。1994年12月「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった鎌倉新仏教の開祖が修行した事でも知られ、「日本仏教の母山」との異名もある。比叡山は990年ごろ、慈覚大師(794−864)と智証大師(814−891)のいずれに教えを守るべきかという点で宗教論争となり、智証大師の教えを重視する僧侶は比叡山を離れ、園城寺(天台寺門宗総本山、寺門派)という寺を本拠として構えることになる。両派は武力による勢力争いを繰り返すようになり、そのため他の寺院には見られない強力な僧兵集団(寺院に所属する武士集団としての僧兵自体は平安時代より存在したが、延暦寺・根来寺・一向宗は僧籍を持つ僧侶が自ら武装し、さらにそれが専門の武装集団をなしたという事で特筆される)が出現するようになった。日本仏教の母山と呼ばれる権威と兵力のお陰もあって、1120年白河法王の治世では朝廷や幕府の権力の及ばない一種の独立国のような状況となる。日本統一を目指していた織田信長は独立国としての存在を許す事は出来ず、比叡山の武力を権威もろとも失墜させるために全山焼き討ちという手法を取った。全山焼き討ちという強引な手法を取らなければならないほど、当時の比叡山はその権威が極めて高かったのである。戦前には一時期延暦寺を中心とする山門派(天台宗)と寺門派、戒光山兼法勝西教寺(天台真盛宗総本山)を中心とする盛門派が天台宗として合同するものの戦後に三派は分離、現在はそれぞれ別の宗教法人となっている。なお、星野山無量寿寺喜多院は天台宗(山門派)の寺院であり、円真・光徳・彪大師という人物は天台宗座主などには確認できないため架空の人物であると推察される。正覚院豪盛は実在の人物である。 ゾーンドロップ 入魂材 : ざくろ石+3 / 天河石+3 / 天珠+3、+4 / 霰石+60 目録断片 : 楮紙目録断片・弐 / 雁皮断片 / 三椏断片 他 : 抹消された格式帳 / 古文書/ 甘露 その他情報 門徒いびり ドロップ ざくろ+3 天河+3 天珠+3 -- 門徒いびり ドロップ 霰石+60 -- 猫侍 ペアなどで黄色ネーム叩いちゃイケマセン。 -- 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/spumoni/pages/40.html
米・麺・味噌 肉・牛・豚・鶏 魚 粉 珍味 野菜・サラダ スパイス・唐辛子・胡椒・マヨネーズ・ラー油・山椒 食器・包丁・まな板・ナイフ・フォーク・スプーン・箸・膳 食品不祥事事件 米文化・小麦文化 米文化 高温多湿 粒食 魚・魚醬韓国のジョッカル、秋田のショッツル、能登半島のイシル(イシリ)、八丈島のクサヤ、シオカラ類 豚日本では欠落 穀醬東アジアには魚の代わりに大豆を用いた穀醬が発達 日本では、味噌、醤油に米麹を使用。米から作る酒、味醂、酢など重用。和菓子にも米を使用するなど、日本人の味覚に米は重要な役割を果たしている。 小麦文化 寒冷乾燥 粉食 乳製品・乳発酵(牛・羊)中央アジアの遊牧文化の影響 飛鳥・奈良・平安時代 609 小野妹子帰朝 随との交流のなかで、箸文化が日本に渡ってきた 米を重視し、豪族へ集中させるため、一度に少量の米しか口に運べない箸に注目 675年4月17日、天武天皇の詔。 詔諸国曰 自今以後 制諸漁猟者 莫造檻穽 及施機槍等之類 亦四月朔以後 九月卅日以前 莫置比弥沙伎理 梁 且莫食牛馬犬猿鶏之宍 以外不在禁例 若有犯者罪之 『今後、漁猟する者は檻や穽(落し穴)、機械仕掛けの槍等を造ってはならない。また、4月1日から9月30日までの間は、目の細かい梁(やな)を仕掛けてはならない。かつ、牛・馬・犬・猿・鶏の宍(しし)を食ってはならない。これ以外は禁止ではない。もしこれを犯す者が有れば罰する。』 他の仏教国では、肉食・飲酒の禁止は僧のみ。 日本は、仏教信者以外にも、天皇や将軍の命令で肉食の禁止が強制されたが、飲酒は禁止されていない。 親鸞など、僧侶の書き残したものには、在家の信者が酒や肉を食すのはしかたのないことだと記されている。 農耕期の肉食を禁じている。これは、以下の2点を意味するのか農耕に役立つ牛・馬を、食べ物がないからといって農耕期間中に殺害すると、その年の米の収穫量が減ってしまう 米の豊作を祈願するために、殺生をしない(穢れ) この頃、一番ポピュラーだった肉のシカ、イノシシは禁止されていない。 「犬は夜吠えて番犬の役に立ち,鶏は暁を告げて人々を起こし,牛は田畑を耕すのに疲れ,馬は人を乗せて旅や戦いに働き,猿は人に類似しているので食べてはならない」という『涅槃経』の教えによったものか?飛鳥・奈良時代に「涅槃経」がそんなに重視されていたっけ? 中国の「荀子」では、6畜として「牛・馬・羊・豚・犬・鶏」を挙げている 犬・猿・鶏が禁止されたのは、神の使いとして考えられていたからじゃない? 「日本書紀」 米・酒・餅は、神に捧げるものであり、酒を禁止することはできなかった?いずれも、この時代は、いつでも誰でも口にできるものではなかった 仏教が日本に広まる前であり、肉食禁止は、仏教的な理由より、神道的理由ではないか。 在家の信者が守るべき基本的な五つの戒 (戒律) 不殺生戒…いかなる生き物も、故意に殺傷しない。 不偸盗戒…与えられていない物を、故意に我が物としない。 不邪淫戒…不適切な性関係を結ばない。不倫・売買春しない。 不妄語戒…偽りの言葉を語らない。 不飲酒戒…アルコール類を飲まない。 745年4月、聖武天皇の詔(東大寺大仏造立を発願し3年の期限付き) 禁断三年之内天下殺一切完 (完は宍のこと) 752年1月、大仏開眼直前の禁令(1年の期限付き) 禁断始従正月三日迄于十二月晦日天下殺生 やがて、肉食、狩猟の禁止期間が長くなってくるが、これは、以下の意味合いを含んでくる殺生を行わないことが天皇や将軍の寿命を延ばす呪術的効果 これは、仏教が密教的な様相を濃くしてきたことが原因 1649 慶安の御触書 農民の飲酒を禁止
https://w.atwiki.jp/alze/
アルゼ語概要 悠久の昔、永遠の未来から存在する言語。 N.こづけによってその存在が発見された。 アルゼ語の発見背景→背景 文法体系 文法はない。 語彙体系 語彙はない。 特徴 ・学習難度 アルゼ語を学ぶことは簡単だ。存在を知るだけである。しかし、アルゼ語話者になることは簡単ではない。一つ一つ、自分の中の偏見を丁寧に拭い去っていく必要がある。 しかし難しくはない。理解されるのは一瞬である。 殺人は悪か? 世界はあるか? 思考は私か? 私は何者か? 思い込みを消していくのだ。唯一の実在が知覚される蓋然性を高めていくと良い。 重要なのは、アルゼ語話者に意図的になることは出来ないということ。意図してなるものではないのだ。それは何かになろうとする努力を一切放棄した瞬間に達成される。それも、意図的に放棄するのではない。ただ自然と放棄されるのだ。 故に、アルゼ語を知らないアルゼ語話者もいるし、アルゼ語を知っているアルゼ語話者もいる。 アルゼ語とは単なる名称に過ぎない。人はアルゼ語の存在を知らずにアルゼ語を話し得る。 ・他の言語と同時に発話することができる。 アルゼ語は空である。アルゼ語はすべてを内包する。 日本語とアルゼ語を同時に話すことも出来るし、英語とアルゼ語を同時に話すこともできる。 アルゼ語の音色が乗せられた言葉は普通の言葉よりも人々の心に響き、安らぎを与える。アルゼ語の音色は愛に溢れているからである。耳で聞こえなくても、それは伝わる。 ・アルゼ語話者と接するうちにアルゼ語を喋れるようになることがある アルゼ語の音色は美しい。それはどんな言語にも乗せることが出来る。 あるいは、なんの言語に乗せなくとも、その音色を聞くことが出来る。 場所、時間に縛られず、いつでも、どこでもアルゼ語を聞くことが出来る。 寝ていても、死んでいても聞くことが出来る。 その愛に溢れた音色を聞いて、聖心を知る者もいる。 愛を知るとアルゼ語を喋れるようになる。 ・アルゼ語が喋れるようになると、真理が理解される アルゼ語話者となると真理が理解される。理解するのではなく、理解される。 あるいは、真理が理解された状態がアルゼ語を喋れる状態とも言える。 真理とはなにか? そんなものはとっくのとうに知っているはずである。 知っているが認識されていないだけなのだ。 学問は真理を追求しているようだが、しかし学問は思考活動である。 思考は儚い。いつも現れては一瞬で消えて行ってしまう。 現実とて儚い。いつも現れては消えて行ってしまう。 儚いもので儚いものを見ても、なにも見えてこない。 宗教は真理を喧伝しているようだが、しかし宗教は同一化である。 真理は知るものではない。作られた真理は真理ではないし、それを受け入れることも全く意味をなさない。 真理は既に在るものが知られることで認識される。 アルゼ語話者の特徴 アルゼ語を喋る者は常に幸福である。 たとえ自分の家族や配偶者が眼前で殺されようと、或いは自分が殺されようと幸福である。 なぜなら、身体が自分ではないことを理解しているからである。 身体が傷ついたところでそれは私ではないし、他人が傷ついたところでそれは私ではないのだから、誰が傷つくというのだろう。傷つく者など誰もいないのだ。 アルゼ語話者と思われる者達 ジッドゥ・クリシュナムルティ ラマナ・マハルシ ニサルガダッタ・マハラジ プンジャジ ガンガジ ラジニーシ パタンジャリ ラーマクリシュナ ヴァシシュタ ソクラテス ガウタマ・シッダールタ イイスス・ハリストス モハンマド 老子 黄檗 臨済 親鸞 法然 鈴木大拙 藤井風 山家直 他にも多くいるはずである。 多くのアルゼ語話者は日常生活で普通の人のように見える。 上記の者達はアルゼ語の精神を広める仕事を与えられた者達だから目立つだけだ。 あなたの職場の人間もアルゼ語話者かもしれない。
https://w.atwiki.jp/shinsyu/pages/36.html
■同朋ネットより 特設HPに「ボランティア活動報告」が更新されました。 4月中の活動の様子がアップされています。 http //www1.ttcn.ne.jp/honmyouji/doubou-n 所感(同朋ネットS委員) 「世のいのりにこころいれて…」(親鸞『御消息集』) 実際に身を動かしながら、この世の苦しみ悲しみの現実を直視し、 人々の「いのり」の声を聞きながら、教えに学んでいく。 そんな動きと学びを志向したいと思います。 本山と被災地の双方で親鸞さんを憶う御遠忌を、 我が御遠忌としたいと思います。 「世のいのりにこころいれて…」親鸞さんから私への、 そんな呼びかけの声を聞きながら…。 ■茨城一組より 東京教区茨城一組の活動報告のブログが立ち上がりました。 http //ibaraki1kumi.blog.fc2.com/ 4月20日、石巻市にてうどん500食の炊き出し、救援物資を配給。 4月21日、石巻市土葬場にて葬儀式を執行。 ※お揃いのオレンジのジャンパーが光って見えます。 所感(茨城一組Y・Fさん) 皆さんの「おいしい」との声が励みとなり、 あらためて「食事」が人の心をひらくような気がしました。 お斎の原点とでもいうのでしょうか。 相手も打ち解けてくれて、大切な人を亡くした話や いまの現状など、いろいろなことを聞かせていただきました。 被災者の方で障害者の方が何人かおられました。 おそらく居場所を失い、最後まで避難所に取り残されてしまうのは、 生活弱者だと思います。どうきちっと向き合っていくのかが問われています。 弱者に背を向ける教団であってはならない…いまはそう思います。 (2011/04/12) ■東京教区:同朋ネットより ☆「東京教区」の被災地ボランティアを下記の通り実施します。 ・4月20日~(3日間) 2泊3日 行先:陸前高田・後片付け(若干名) ・4月20日(水)~21日(木) 1泊2日 茨城一組による救援行動 行先:石巻市 作業:うどんの炊き出し他 募集:あと5人 責任者:梁河文昌氏(茨城一組) ・4月25日(月)~27日(水) 2泊3日 行先:被災地(未定) 作業:後片付け・炊き出し他 募集:10名前後 責任者:二階堂行寿氏(東京4組) ※教区内のボランティアを募集中。ご一報ください。 dobo@jcom.home.ne.jp ☆陸前高田を訪問中の東京教区:○○○さんより 「午後4時前に陸前高田の高田小に到着。現地の様子を視察、約1時間程の活動で、華ひん・香炉・仏具の一部を発見。明日の作業への望みを繋ぐ。道路は所々段差のある程度。思ったより問題なく進めました。陸前高田市に入り矢作地区に入ると、ある境で景色が急変します。それはテレビや新聞で何度も見たものでした。 ○○寺へ移動し仙台教区仏青の4名の方と顔合わせ。温泉にも入り大変お世話になってます。明日は粛々と作業に取り組みます。それしかないなぁ、というのが今の気持ちです。取り急ぎご連絡まで。」(以上) ☆同じく陸前高田を訪問中の東京教区:○○さんより 「本日の作業は終了しました。あまりの光景に言葉がありません。震災から一ヶ月を迎えた友人は、地元のお寺の子で、「心が苦しい」との言葉。全く被害を受けていない所と、被害のある所が、隣あっていて。余震も続き、地震は未だ終わっていないと感じました。 明日は○○寺さん・避難所に物資を届けにいきます。次の隊につながるようにしたいと考えています。」(以上) ☆同じく陸前高田で一緒に作業した仙台仏青メンバーより 「本日、陸前高田市のお寺近辺にて活動させていただきました。東京教区の方や仙台教区の方など、総勢15名ほどで付近を捜索。当初片付けも想定しておりましたが、やはりそれは無理な状況です。ご本尊や仏具などを探すと言うほうが適切と思われます。すでに重機は一度入っており、現在はよけた瓦礫をさらに別の場所にどんどん撤去しているような状況です。そんな中、今日は一度よけられた瓦礫や泥の中から何か手がかりはないかを皆で手分けして探すという作業に終始しました。 日暮れ間近になって鶴亀や金香炉などが集中的に見つかる場所があり、明日はその近辺の瓦礫や土砂をチームを組んでよけながら捜索する作業になりそうです。思っていたよりもあまりにも広大な範囲にモノが拡散されていること、よけられた瓦礫の山が高過ぎることなど、人力では限界を感じることが多々ありますが、少ない手がかりをもとに明日・明後日と作業していきたいと思います。お寺の近辺は瓦礫の撤去作業が建設業の方々によってどんどん進んでいる状況です。来週にはお寺の周りも更地になっているかもしれません。 時間はないのですが、とにかくやるしかないという感じです。釘がむき出しの柱やガラスの破片多数・プロパンガスのボンベがそのまま落ちていたり、そこいら中危険物だらけです。しっかりとした装備での現地入りが必要です。もっと人をかけて捜索できたら……という思いもあります。そのぐらい状況は厳しいと思ってもらって結構です。明日もがんばります!」 (2011/04/08) ☆同朋社会推進ネットワークの特設HPができました。 「被災地の写真」や「リンク」などがあります。 http //www1.ttcn.ne.jp/honmyouji/doubou-n ※写真は義援金募集などにご活用ください。 ☆「東京教区」の支援活動にご協力ください。 活動内容は「被災地ボランティア」と「救援物資募集」です。 ・「被災地ボランティア」は下記の通りです。 ①4月11日~(3日間) 陸前高田・後片付け(募集終了) ②4月20日~(2日間) 石巻市・炊き出し(茨城一組の企画運営) ③4月20日~(3日間) 陸前高田・後片付け(募集中) ④4月25日~(3日間) 被災地にて(募集中) ※②~④の教区内ボランティアを募集します。 dobo@jcom.home.ne.jpまで。 ・「救援物資」を、4月19日必着にて募集中です。 「コミックス」「お菓子(甘いもの)」を真宗会館まで。 177-0032練馬区谷原1-3-7(真宗会館救援物資係) 電話03-5393-0810 (2011/04/06) ■東京教区:同朋ネットより(速報) 同朋ネットでは、仙台教区と連携しつつ、被災地からの要請を受け、 「東京教区」としての支援活動を行うこととなりました。(6日) 具体的な内容は「被災地ボランティア」と「救援物資募集」です。 ☆「被災地ボランティア」は下記の通りを予定しています。 ①第一次 4月11日~(3日間) 被災地にて ②第二次 4月20日~(3日間) 被災地にて ③第三次 4月25日~(3日間) 被災地にて ④第四次 期日未定。石巻市への炊き出し行動(2日間) ※東京教区内ボランティアを募集します。 ※詳細は教区内メールニュースでお知らせします。 ☆「救援物資」は、期限付きで募集します。 ※詳細は教区内メールニュースでお知らせします。同朋ネット 「メールニュース」 【3月31日版】 3月28~30日、東京教区4名が被災地(南三陸町・名取市)を訪問しました。 支援物資を届け、避難所やボランティアセンターを訪問しました。 また、仙台教区の方々を中心に近隣教区の有志と初会合を行いました。 ※同朋ネット委員による訪問記を下記に掲載します。 同朋ネットでは、引き続き被災地支援の動きを模索します。 また、東京教区内へ避難してきた方々への支援も模索します。 (被災地へのワンポイント情報) ・練馬から仙台までは東北道で約5時間です。 ・宮城県内はガソリンがあまり手に入りません。 ・市内の物資は揃っています。郊外のコンビニは品不足状態です。 ・各市町村のボランティアセンターでは、ボランティアの募集をしています。 詳しい情報は http //www.jpn-civil.net/support/volunteer/post.html ・必要とされる物資は、避難所によって毎日変わるとのことです。 (所感) ・大谷派のボランティアセンターのような機能を持った拠点が、 地元に設置されることが望ましいと感じました。 ・被災地での支援活動や自分のいる場所で出来る支援などを それぞれが考えて、行動をしていくことが大切なのだと感じます。 また震災について感じた事を表現することを大切にしたいのです。 皆さんの取り組みやひとことコメントを、是非お寄せ下さい。 【被災地レポート】 同朋ネットH委員より ☆被災地状況(南三陸町、名取市) この度の災害は地震そのものより、津波による被害が大きい。海より1km内陸から不法投棄のように瓦礫の山が続き、大破した車が折り重なり、船が横転している。沿岸部にかろうじて立っている建物の鉄骨は折れ曲がり、3階建ての建物の上には車が乗っている。 津波による被害は新聞やテレビなどで報道されている通り悲惨な状況であることは分っていたが、実際に被災地に立ってみると、想像以上の被害の大きさと津波の脅威を感じ、言葉をなくす。付近を歩けば鍋が、靴の片方だけが、ぬいぐるみが、思い出の写真アルバムが…あらゆるものが無残に転がっている。 被災者は何千人、何万人という数字で報道されることが多いが、訪れた被災地には子ども、大人、お年寄り、それぞれ一人ひとりの生活がそこにあったことを感じずにはおれない。一人の人の死が、何万通りあるということを見失ってはならない。自衛隊や地域の消防団が遺体捜索を続けている。途方もなく広い荒れ地で・・・・・。 ☆ボランティアセンターの様子 仙台の南にある名取市ボランティアセンターを訪問した。18日にボランティアセンターが立ち上がり、29日現在、県内ボランティア約250人が登録をしている。主な作業は家の片付けである。名取市ではそのボランティアの需要と供給のバランスが取れているため、ボランティアの募集を県内に限っている 宮城県は、ボランティアの募集を県外からというところもあるが、県内や市内に限っているところも多い。(ガソリン不足や自宅が近くであるとか、県人同士の親しみやすさなど) ボランティアセンターの情報(作業内容、ボランティア募集など)は日々変わるので、最新の情報を確認したほうがよいだろう。 ☆避難所の様子(名取市) 震災直後NPO、NGOが鍋などの調理器具などをもって入ったという。29日現在、避難所ごとに生活のルールができつつあり、被災者同士が生活の仕事分担をしている。それらの仕事を担っていることが生きがいになっている人もいるという。現段階では外部の人間が入って炊き出しをすることは、それまでの避難所のルールを壊してしまう可能性もあるので難しいと思う。 しかし、指定避難所以外の小さな避難所もあるため、そのような場所では炊き出しのニーズがあるのだという。避難所によってそのニーズは刻一刻と変化しているようだ。 ☆救援物資について 1次物資(毛布、水、米など)は、ほとんどの避難所に行き届いている。(名取市情報)「毛布が不足」という情報が流れると全国各地からいつまでも毛布が届くという。有りがたいがその種分けに人出がとられ、物資置き場がふさがるのだそうだ。不足情報はいつの情報なのかをよく確認することが大切だ。 現在は2次物資(爪切りとか歯ブラシなど日常生活に戻るために必要な日用品・食品や服など)の要望が増えている。これらの要望は被災者によって異なり、また時間の経過と共に日々変化するので多岐にわたる物資の提供が必要であろう。 ☆仙台仏青との初会合 地元でボランティア活動を担う仙台仏青の方々10名と初会合を行った。この打ち合わせは、東京(4人)の他に山形(4人)高山(1人)高岡(1人)福井(1人)からの参加もあった。総勢約20名。 仙台仏青のメンバーは16名。岩手県、宮城県、福島県の3県にわたっている広範囲の教区である。全員が被災者とのこと。現在はガソリン不足かつ距離が広範囲にあるため、団体として動くことが難しい状況。 仙台仏青では、個人で行政の手の届かない避難所に物資を届けている人や、避難所にドラム缶風呂を運び、入浴できるような活動をしている人々がおられる。被災者との交流を大切にしている様子が伝わる。心から敬意を表したい。そのような活動を資金面で支援することも我々ができる大切なことだと感じた。(口座はトップニュースを参照ください) ☆会議の中での声 仙台仏青という団体として何をしたらいいのかわからない。 現場にいて無力さを感じる。個人の活動だけでは限界を感じる。 一時、県外に避難をしたが、避難したことに罪悪感がいっぱいあった。 自分自身が行動をしてないと不安である。 被災者の声が届くまで、動き続けたい。 被災地のために何かしたい。 僧侶としての前に、ひとりの人として被災者と関わりたい。 善為でもいい、まず動こう!! あつい雰囲気がそこにあった。その空気を何らかの形で共有したい。 孤立化させてはならないと感じた。 ☆最後に 現段階では同朋Nとして仙台教区に出向き、炊き出しなどの活動をすることは難しそうだ。ボランティアセンターでは炊き出しのボランティアは募集しておらず、ガソリンが不足ているため調達が難しい面もある。しかし、指定避難所以外のところでは、炊き出しをはじめ、様々な支援の必要があるという情報も聞いた。今後も情報収集をし、被災者の声をていねいに聞きつつ、動いていきたい。 また仙台教区のボランティアは、仙台仏青が担うそうだが、現在は他教区を受け入れるための準備段階である。仙台仏青に負担のかからない動きや、ともなる救援の動き、仙台仏青が活動しやすい支援をそれぞれが作っていくべきだと感じた。 私たちに今何が出来るのか。それは被災地や被災者のことを風化させないということだろう。時が経てば被災者への思いは風化してしまうもの。ご門徒や友達などに正確な情報を発信することによって風化が防げるのではないだろうか。また自分自身の中の風化も防げるのだろう。 被災地に行くことが私ができる全てではないと思う。自分が住んでいる地域の避難所を訪ねることもある。実際は、被災地に行ってボランティアをすることしか頭になかったが、しかし、今回の震災では被災地の避難所の他にも、日本全国広範囲にわたって避難所が開かれている。まずは自分が住んでいる地域に避難所があるか、活動は出来るかなどを調べて見るのもいいかもしれない。 他にも今被災地に行かなくても私たちに出来ることはあるはずだ。「このようなことをした」「このようなことができるのでは」など、みなさんが思いつくことがあれば、同朋Nまで教えてください。 (以 上) ※皆さんのひとことコメントを募集します。
https://w.atwiki.jp/nobu-wiki/pages/901.html
比叡山 (ひえいざん) ■比叡山叢雲堂は→ 【こちら】 場所 近江 (おうみ) : 『る−ロ』 (大きな木の付近) 旅マップは→こちら←からご確認ください。 敵NPC 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 門徒いびり 28-32 5 下郎刀【刀】 辻誘い 31-33 6 囁きかんざし【髪飾り】 暴れ博徒 33-36 7 博徒の巾着【入れ物】 悪酔い坊主 32-38 4-7 酔夢昏【棍棒】 絡み尼僧 40 7 絡み数珠【首飾り】 ● 堕落和尚 36-37 7 小姓の友人 37-43 7 奪魂剣【剣】 酒色好み 37-41 7 酩酊はちまき【面具】 比叡山僧兵 39-42 5-7 比叡山僧兵秘本【書物】 ● 納入鍛冶屋 50 7 ■黄ネーム 門前腹巻【腹巻】 比叡落武者 50 7 ■黄ネーム 落武者の兜【星兜】 正覚院豪盛 50 7 ■黄ネーム 山ごもりの頭巾【冠】 不落の黒鬼 45 6 ■青ネーム20分POP 鬼の金棒【家具】 不磨の金剛 50 6 ■青ネーム20分POP 飾り金剛棒【家具】 不屈の阿修羅 55 6 ■青ネーム 修羅刀【刀】 NPC 円真阿闍梨 光徳阿闍梨 彪大師 備考 比叡山クエスト Lv45以上で発生。 Lv45未満だと「あなたには荷が重そうですな」と帰されます。 連続でボス3体と戦います。最後の【不屈の阿修羅】は、クエストを受けたPCが 話し掛けるとPOPします。 戦闘中、脱兎が来る場合があります。 青ネームのため、その戦闘には再度入れません。 戦闘が長引きそうなら、対策を講じといた方が良いと思います。 ※※ 注意 ※※ 【不屈の阿修羅】は一度倒しても、クリア報告をせずに再度話しかけて戦闘し、 全滅すると一度も勝っていない事にってしまうバグがあるので注意。 勝ったら報告しましょう。 由来 比叡山延暦寺 (ヒエイザンエンリャクジ) 滋賀県大津市にある最澄大師が788年に創建した天台宗総本山。延暦の名は元号から取られており、824年までは一乗止観院という寺院であった。1994年12月「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった鎌倉新仏教の開祖が修行した事でも知られ、「日本仏教の母山」との異名もある。比叡山は990年ごろ、慈覚大師(794−864)と智証大師(814−891)のいずれに教えを守るべきかという点で宗教論争となり、智証大師の教えを重視する僧侶は比叡山を離れ、園城寺(天台寺門宗総本山、寺門派)という寺を本拠として構えることになる。両派は武力による勢力争いを繰り返すようになり、そのため他の寺院には見られない強力な僧兵集団(寺院に所属する武士集団としての僧兵自体は平安時代より存在したが、延暦寺・根来寺・一向宗は僧籍を持つ僧侶が自ら武装し、さらにそれが専門の武装集団をなしたという事で特筆される)が出現するようになった。日本仏教の母山と呼ばれる権威と兵力のお陰もあって、1120年白河法王の治世では朝廷や幕府の権力の及ばない一種の独立国のような状況となる。日本統一を目指していた織田信長は独立国としての存在を許す事は出来ず、比叡山の武力を権威もろとも失墜させるために全山焼き討ちという手法を取った。全山焼き討ちという強引な手法を取らなければならないほど、当時の比叡山はその権威が極めて高かったのである。戦前には一時期延暦寺を中心とする山門派(天台宗)と寺門派、戒光山兼法勝西教寺(天台真盛宗総本山)を中心とする盛門派が天台宗として合同するものの戦後に三派は分離、現在はそれぞれ別の宗教法人となっている。なお、星野山無量寿寺喜多院は天台宗(山門派)の寺院であり、円真・光徳・彪大師という人物は天台宗座主などには確認できないため架空の人物であると推察される。正覚院豪盛は実在の人物である。 ゾーンドロップ 入魂材 : ざくろ石+3 / 天河石+3 / 天珠+4 目録断片 : 楮紙目録断片・弐 / 雁皮断片 / 三椏断片 他 : 抹消された格式帳 / 古文書/ 甘露 その他情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/391.html
畠山政長(はたけやま まさなが)日本1442~1493統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------三管領家の畠山氏。畠山持国の養子だったが、実子・義就が生まれたため、家督を争うこととなる。細川勝元の助力を得、応仁の乱の発端となる。後に幕府の管領となるが、明応の政変を起こして敗死する。 畠山義就(はたけやま よしなり)日本1437~1490統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------三管領家の畠山氏。畠山持国の実子。義兄・政長と家督を争い、山名宗全の助力を得、応仁の乱の発端となる。 日野富子(ひの とみこ)日本(山城国)1440~1496統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------将軍・足利義政の正室。日野重政の娘。政治に興味を持たない夫に代わって幕政に関わった。山名宗全らと共に義尚を擁立し、義視との対立や斯波氏、畠山氏の家督相続問題によって、応仁・文明の乱の一因となった。 細川勝元(ほそかわ かつもと)日本1430~1473統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------三管領家の筆頭細川氏。細川持之の子。武蔵守。右京大夫。摂津国、丹波国、讃岐国、土佐国の守護。三度に渡り管領となる。後に山名宗全と対立し、応人の乱を引き起こす。東軍の主将。竜安寺を創建する。 本願寺蓮如(ほんがんじ れんにょ)、兼寿、慧燈大師日本(山城国)1415~1499統率:C 武力:C 政治:A 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第8世法主。存如の子。浄土真宗本願寺の中興の祖。若い頃は親鸞の遺跡を訪ね歩くが、法主就任後は、比叡山延暦寺の弾圧が激しかった。越前吉崎に吉崎御坊を建立するが、守護・富樫政親に危険視され一時、追われるが加賀一向一揆でこれを倒す。石山御坊を建立し、『五帖御文』を著す。 毛利豊元(もうり とよもと)日本(安芸国)1444~1476統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------毛利家8代当主。毛利煕元の嫡子。備後守護・山名是豊に従い、河内・紀伊を転戦し、応仁の乱では東軍に属した。しかし、後に西軍の大内政弘に味方し、先代に失った領地も取り戻した。大内氏、山名政豊に従い、領土を広げ、毛利氏の基盤を築いた。 毛利煕元(もうり ひろもと)日本(安芸国)????~1464統率:C 武力:B 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------毛利家7代当主。毛利光房の子。家督相続の後、将軍・足利義教の命で機内を転戦し、嘉吉の乱で赤松満祐、安芸武田氏を攻めた大内教弘などと戦った。しかし、毛利氏庶家との連携が上手くいかず、幕府に領地を没収されることとなった。 毛利光房(もうり みつふさ)、毛利之房日本(安芸国)1386~1436統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------毛利家6代当主。毛利広房の嫡男。安芸の国人一揆で指導的な役割を果たし、幕府からも認められ、右馬頭に叙せられた。将軍・足利義満の命で周防国の大内盛見や、九州への征伐を行なった。九州で陣没する。 山名宗全(やまな そうぜん)、山名持豊日本(播磨国)1404~1473統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------播磨の守護大名。嘉吉の乱で赤松満祐の旧領を得て、8ヶ国の守護となる。はじめ、細川勝元と結び、畠山家に対抗したが、後に対立し、応仁の乱となる。西軍の主将。戦半ばにして陣中で没した。
https://w.atwiki.jp/aoari/pages/2149.html
比叡山 (ひえいざん) ■比叡山叢雲堂は→ 【こちら】 場所 近江 : 『る−ロ』 (大きな木の付近) 旅マップは→こちら←からご確認ください。 敵NPC 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 門徒いびり 28-32 5 下郎刀【刀】 辻誘い 31-33 6 囁きかんざし【髪飾り】 暴れ博徒 33-36 7 博徒の巾着【特殊装備】 悪酔い坊主 32-38 4-7 酔夢昏【棍棒】 絡み尼僧 40 7 絡み数珠【首飾り】 ● 堕落和尚 36-37 7 小姓の友人 37-43 7 奪魂剣【剣】 酒色好み 37-41 7 酩酊はちまき【面具】 比叡山僧兵 39-42 5-7 比叡山僧兵秘本【書物】 ● 納入鍛冶屋 50 7 ■黄ネーム 門前腹巻【腹巻】 比叡落武者 50 7 ■黄ネーム 落武者の兜【星兜】 正覚院豪盛 50 7 ■黄ネーム 山ごもりの頭巾【冠】 不落の黒鬼 45 6 ■青ネーム 鬼の金棒【家具】 不磨の金剛 50 6 ■青ネーム 飾り金剛棒【家具】 不屈の阿修羅 55 6 ■青ネーム 修羅刀【刀】 NPC 円真阿闍梨 光徳阿闍梨 彪大師 芳松僧部 四象 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (hieizan_shisyou.png) 備考 比叡山クエスト Lv45以上で発生。 Lv45未満だと「あなたには荷が重そうですな」と帰されます。 連続でボス3体と戦います。最後の【不屈の阿修羅】は、クエストを受けたPCが 話し掛けるとPOPします。 ※※ 注意 ※※ 【不屈の阿修羅】は一度倒しても、クリア報告をせずに再度話しかけて戦闘し、 全滅すると一度も勝っていない事にってしまうバグがあるので注意。 勝ったら報告しましょう。 由来 比叡山延暦寺 (ヒエイザンエンリャクジ) 滋賀県大津市にある最澄大師が788年に創建した天台宗総本山。延暦の名は元号から取られており、824年までは一乗止観院という寺院であった。1994年12月「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった鎌倉新仏教の開祖が修行した事でも知られ、「日本仏教の母山」との異名もある。比叡山は990年ごろ、慈覚大師(794−864)と智証大師(814−891)のいずれに教えを守るべきかという点で宗教論争となり、智証大師の教えを重視する僧侶は比叡山を離れ、園城寺(天台寺門宗総本山、寺門派)という寺を本拠として構えることになる。両派は武力による勢力争いを繰り返すようになり、そのため他の寺院には見られない強力な僧兵集団(寺院に所属する武士集団としての僧兵自体は平安時代より存在したが、延暦寺・根来寺・一向宗は僧籍を持つ僧侶が自ら武装し、さらにそれが専門の武装集団をなしたという事で特筆される)が出現するようになった。日本仏教の母山と呼ばれる権威と兵力のお陰もあって、1120年白河法王の治世では朝廷や幕府の権力の及ばない一種の独立国のような状況となる。日本統一を目指していた織田信長は独立国としての存在を許す事は出来ず、比叡山の武力を権威もろとも失墜させるために全山焼き討ちという手法を取った。全山焼き討ちという強引な手法を取らなければならないほど、当時の比叡山はその権威が極めて高かったのである。戦前には一時期延暦寺を中心とする山門派(天台宗)と寺門派、戒光山兼法勝西教寺(天台真盛宗総本山)を中心とする盛門派が天台宗として合同するものの戦後に三派は分離、現在はそれぞれ別の宗教法人となっている。なお、星野山無量寿寺喜多院は天台宗(山門派)の寺院であり、円真・光徳・彪大師という人物は天台宗座主などには確認できないため架空の人物であると推察される。正覚院豪盛は実在の人物である。 ゾーンドロップ 入魂材 : ざくろ石+3 / 天河石+3 / 天珠+3、+4 / 霰石+60 目録断片 : 楮紙目録断片・弐 / 雁皮断片 / 三椏断片 他 : 抹消された格式帳 / 古文書/ 甘露 その他情報 門徒いびり ドロップ ざくろ+3 天河+3 天珠+3 -- 門徒いびり ドロップ 霰石+60 -- 猫侍? ペアなどで黄色ネーム叩いちゃイケマセン。 -- 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/680.html
大乗仏教では特に般若波羅蜜(智度)が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説されたこと、如来蔵説が唱えられたことなどがある。 これは、衆生皆菩薩・一切衆生悉有仏性・生死即涅槃・煩悩即菩提などの如来蔵思想や、釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観(地獄や空色を含む大千世界観)へと発展していった。そうした教義を明確に打ち出した経典として『華厳経』、『法華経』、『浄土三部経』、『涅槃経』などがある。 これらの経典は、釈迦の死後500年以上経ってから書きはじめられたものであり、釈迦が生前語っていたという形式によって書かれているが、実際に釈迦が語った言葉であるとは考えられていない。(キリスト教での外典に近い存在である) 大乗仏教で読まれる仏典 大乗でも読まれる上座部仏典 パーリ仏典と共通の口頭伝承のお経である。 『蛇喩経 Alagaddūpama-sutta』(パーリ語経典中部第22経)〔『筏喩経』~『中阿含経』(大正蔵26)第54巻第200経『阿梨吒経』より抜粋〕:目的と手段を取り違えた場合に起こる悲惨さを説く。 『箭喩経(小マールキヤ経) Cūḷamālukya-sutta』(パーリ語経典中部第63経)〔『中阿含経』(大正蔵26)第221経『箭喩経』、『箭喩経』(大正蔵94)〕:釈迦が、比丘マールキヤプッタに「毒矢のたとえ」で有名な説法をする。 『戒香経』(大正蔵117)、『雑阿含経』(大正蔵99)第38巻『比丘相応』、『別訳雑阿含経』(大正蔵100)第1巻:仏戒を持つ男女は、その徳の故に、ふくいくとして遠くまでよく薫り、何のような香木、華果にも勝れる。 ただこれだけの事を述べた経。 『央掘摩経(アングリマーラ経) Aṅgulimāla-sutta』(パーリ語経典中部第86経)〔『鴦掘摩経』(大正蔵118)、『鴦崛髻経』(大正蔵119)、『央掘魔羅経』(大正蔵120)〕:『アングリマーラの物語』として有名である。 『等見品第三十四(二)』~『増一阿含経』(大正蔵125)第26巻:『琉璃王経』(大正蔵513)とほぼ同内容。 大乗仏典 主にサンスクリット語で書かれた経典の漢訳である。 アシュバゴーシャ『仏所行讃 Buddhacarita』〔曇無讖 訳『仏所行讃』(大正蔵192)〕:古代インドの仏教詩人アシュバゴーシャ(馬鳴<めみょう>)のサンスクリット叙事詩『ブッダチャリタ』を漢訳したものであり、ゴータマ・ブッダの生涯を語っている。 『大品般若経序品』~『Pañcaviṃśatisāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra』の鳩摩羅什 訳『摩訶般若波羅蜜経』(大正蔵223)第27巻: 『般若波羅蜜多心経 Prajñā-pāramitā-hṛdaya』〔玄奘三蔵 訳『般若波羅蜜多心経』(通称『般若心経』)(大正蔵251)〕:『菩薩が全ての生き物の幸福を追求するとき生ずる、あらゆる困難に打ち勝つ智慧』という意味である。 『法華経 Saddharma Puṇḍarīka Sūtra』〔鳩摩羅什 訳『妙法蓮華経』(大正蔵262)、竺法護 訳『正法華経』(大正蔵263)、闍那崛多・達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』(大正蔵264)〕:「正しい教えである白い蓮の花の経典」の意。仏法について説いた経典。 『華厳経 Avataṃsaka Sūtra』〔東東晉天竺三藏佛馱跋陀羅 訳『大方廣佛華嚴經』(大正蔵278)、于闐國三藏實叉難陀 訳『大方廣佛華嚴經』(大正蔵279)〕:「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意。「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。 『勝鬘師子吼一乗大方便方広経 Śrīmālādevī-siṃhanāda Sūtra』(通称『勝鬘経』)〔『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』(大正蔵353)〕:王妃という在家の女性を主人公とする経典。 『浄土三部経』:『無量寿経 Sukhāvatī-vyūha』〔『大宝積経』(大正蔵310)より菩提流志 訳『無量寿如来会』、康僧鎧 訳『無量寿経』(大正蔵360)、支婁迦讖 訳『無量清浄平等覚経』(大正蔵361)、支謙 訳『阿弥陀三耶三仏薩楼仏壇過度人道経』(大正蔵362)、法賢 訳『大乗無量寿荘厳経』(大正蔵363)〕 『阿弥陀経 Sukhāvatī-vyūha』〔鳩摩羅什 訳『阿弥陀経』(大正蔵366)、玄奘 訳『称讃浄土仏摂受経』(大正蔵367)〕 『観無量寿経 Amitāyurdhyāna Sūtra』〔『観無量寿仏経』(大正蔵365)〕 『弥勒六部経』『上生経』〔沮渠京声 訳『観弥勒菩薩上生兜率天経』(大正蔵452)〕:釈迦が、弟子弥勒が兜率天(とそつてん)に生まれ変わると予言し、その通りになる。 『下生経』〔竺法護 訳『弥勒下生経』(大正蔵453)、鳩摩羅什 訳『弥勒下生成仏経』(大正蔵454)、義浄 訳『弥勒下生成仏経』(大正蔵455)〕:将来、兜率天での修行を終えた弥勒がバラモンの子として下生し、悟りを開いて弥勒如来になる。 『成仏経』〔鳩摩羅什 訳『弥勒大成仏経』(大正蔵456)〕 『弥勒来時経』(大正蔵457) 『維摩経 Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra』〔『維摩詰経』(大正蔵474)、『維摩詰所説経』(大正蔵475)、『説無垢称経』(大正蔵476)〕:内容は中インド・ヴァイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。 『四十二章経』(大正蔵784):仏教最初の漢訳経典とされる経典。 竜樹=ナーガールジュナ『根本中頌 Mūlamadhyamaka-kārikā』〔青目 釈『中論』(大正蔵1565)〕:戯論が無意義にして害多きことを示すを唯一の目的とする書。 偽経と疑われるもの 『大般若経理趣分』~『大般若波羅蜜多経 Mahāprajñāpāramitā Sūtra』の玄奘三蔵 訳『大般若波羅蜜多経』(通称『大般若経』)(大正蔵220)第578巻:西遊記でおなじみの三蔵法師(玄奘三蔵)がインド(天竺)に仏教の真理を求める旅によって得られた経典がこの『大般若波羅蜜多経』であり、ここには生きとし生けるもの、命あるものすべてが共存して行くための重要な教えが書かれている。『空』の思想が根本として説かれており、般若は智恵を意味し、智恵は人間の本来の持っている力を最大限に引き出すことが出来る。その『大般若経』全600巻の心髄を表わしている経である。 『大悲心陀羅尼』〔『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』(大正蔵1060)など〕: 鳩摩羅什 訳『梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十』(通称『梵網経 Brahmajāla Sūtra』)(大正蔵1484):上巻は菩薩の階位である四十種類の法門を述べたものである。下巻は十重四十八軽戒と呼ばれる禁戒を述べたもので、父母に孝順であることなど、中国的な内容が見られる。パーリ仏典の『梵網経』とは全く関係がない。 鳩摩羅什 訳『大智度論 Mahā-prajñāpāramitā-śāstra』(大正蔵1509):摩訶般若波羅蜜経27巻の解説書であり、仏教全体の解説書でもある。 『舎利礼文』:仏陀釈尊が御入滅し、火葬された後に残された遺骨、いわゆる仏舎利に対する、礼敬の意を述べた文言である。よって、狭義でのお経、つまり仏陀の言動録である経典ではない。 日本の大乗仏典 『答叡山澄法師求理趣釈経書』 親鸞聖人『正信念仏偈(正信偈)』:親鸞聖人の「教行信証」の最後に出てくるもので、「教行信証」のエッセンスともいわれる。 『曹洞教会修証義』:在家信者と僧侶のための「曹洞宗教化の標準書」と呼ばれ、法要・葬儀・施食会などで読経される。 密教仏典 『般若波羅蜜多理趣百五十頌 Prajñāpāramitā-naya-śatapañcaśatikā』(通称『理趣経』)〔玄奘三蔵 訳『大般若波羅蜜多経』(通称『大般若経』)(大正蔵220)より『大般若経理趣分』、不空 訳『大楽金剛不空真実三摩耶経』(大正蔵243)〕:理趣とは、道筋の意味であり、「般若の知恵に至るための道筋」の意味である。他の密教の教えが全て修行を前提としている為、専門の僧侶でないと読んでもわからないのに対し、『般若理趣経』は行法についてほとんど触れておらず、一般向けの密教の入門書という位置づけだと考えられている。 『大毘盧遮那成仏神変加持方等経の帝釈天と名付くる法門 Mahāvairocanābhisaṃbodhivikurvitādhiṣṭhānavaipulyasūtrendrarāja nāma dharmaparyāya』〔『大毘盧遮那成仏神変加持経』(通称『大日経』)(大正蔵848)〕:宇宙の真理を体現する法身仏である大日如来が、菩薩の代表である金剛薩たちの質問に答えるという形式で書かれている。 『金剛頂経(真実摂経) Vajraśekhara Sūtra』〔『不空訳『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)』(通称『金剛頂経』)(大正蔵865)〕: WEB大正新脩大蔵経目録 つばめ堂通信 http //www.horakuji.hello-net.info/dhyana/texts/zou-agon_kyou/index.htm 2017-08-09 お経にはどんな種類がある