約 527 件
https://w.atwiki.jp/sotto_project/pages/133.html
目次 島田 裕巳『葬式は、要らない (幻冬舎新書)』目次 関連記事 関連リンク書評記事 島田 裕巳『葬式は、要らない (幻冬舎新書)』 葬式は、要らない (幻冬舎新書) 島田 裕巳 著 目次 はじめに 第1章 葬式は贅沢であるどんなに寿命がのびたとしても 古代から人間は葬式を営んできた 葬式費用231万円は世界一 葬式は法的な義務ではない 葬式無用の主張 散骨はいつから認められるようになったか 葬式をしない例は少ない 社葬は日本の文化 何も残らないにも関わらず 第2章 急速に変わりつつある葬式「直葬」登場の衝撃 直葬とはどんな葬式か? 昔「密葬」、今「家族葬」 葬式のオールインワン方式、ワンデーセレモニー 葬式だけでない簡略化の流れ 家から個人の儀式へ 墓の無縁化と永代供養墓 創価学会の友人葬 樹木葬・宇宙葬・手元供養 宇宙葬すら100万円しかからない 第3章 日本人の葬式はなぜ贅沢になったのか古墳壁画や埴輪から古代の葬式を想像する 見出せない仏教の影響 もし仏教がなかったら 日本仏教を席捲した密教 葬式仏教の原点としての浄土教 地上にあらわれた浄土 易行としての念仏 仏教を大衆化させる道を開いた親鸞 禅宗からはじまる仏教式の葬式 浄土を模した祭壇 第4章 世間体が葬式を贅沢にする仏教式だからこそ 細部へのこだわりが 世間体が悪いという感覚 村社会の成立と祖先崇拝 柳田國男の祖霊信仰 山村の新盆と「みしらず」 村のなかでの格と戒名 世間に対するアピール 第5章 なぜ死後に戒名を授かるのか戒名の習慣と戒名料 戒名料の相場 戒名のランキング 日本にしかない戒名 戒名への納得できない思い 葬式仏教が生んだ日本の戒名 出家した僧侶のための戒名 日本的な名前の文化 戒名の定着と江戸期の寺請制度 第6章 見栄と名誉高度経済成長における院号のインフレ化 バブル期に平均70万円を超えた戒名料 仏教界の対応 戒名はクリスチャン・ネームにあはず 有名人の戒名に見る、それぞれの宗派の決まりごと 死後の勲章としての戒名 生前戒名が広まらない理由 墓という贅沢 第7章 檀家という贅沢介在する葬祭業者 仏教寺院の経済的背景 阿修羅像はなぜ傷んでいるのか? 必要な檀家は最低でも300軒 減る年忌法要と無住化の危機 戒名料依存の体質が変わらない訳 檀家という贅沢 第8章 日本人の葬式はどこへ向かおうとしているのか柳田國男が恐れたもの 核家族化で途絶える家の後継者 仏壇を祀らせる運動として 家の葬式から個人の葬式へ 土葬から火葬へ 日本人が熱心なお墓参り教 大往生が一般化した時代 最後に残るのは墓の問題 第9章 葬式をしないための方法葬式をいっさいしないために 完全自前の葬式は可能か 僧侶を呼ばなければさらに 宗派による葬式と墓の自由不自由 寺檀関係のない僧侶のぼったくり 作家と戒名 戒名を自分でつける方法 火葬するのも贅沢 第10章 葬式の先にある理想的な死のあり方死んだ子どもの思い出に創設されたスタンフォード大学 裕次郎さえ寺は残せなかった PL教団の花火は葬式だった 葬式で儲ける!? 派手な葬式と戒名で財産を使いきる 本当の葬式とは おわりに 関連記事 関連リンク はてなブックマーク - Amazon.co.jp: 葬式は、要らない (幻冬舎新書) 島田 裕巳 本 書評記事
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/280.html
第一節 『沙石集』に見られる、変容した神婚譚 古代の神話において、蛇は神の化身あるいは神そのものであった。しかし、『日本霊異記』中巻第8縁と第12縁では、蛇は置染臣鯛女(おきそめのおみたいめ)によって放生された蟹に退治されてしまう。古代の神話では、蛇神と人間の女(神と結婚するので、巫女と思われる。)は結婚するのだが、『日本霊異記』では、行基から五戒を授かり、聖(ひじり)の化身から蟹を譲られ、それによって五戒の具体的な実践としての蟹の放生をすることで、蟹が蛇を退治し、女は蛇と結婚せずに済んだ 、という話になっている。つまり、五戒を守るという仏教的な実践が、神の力に勝つことを意味している。さらに、題材を同じくする話である『今昔物語集』巻16第16話では、女は只人ではなく、観音の化身であったと改変されていることから、『日本霊異記』の話よりも、仏と神の対決と仏の勝利という構造がより強調されている。 『沙石集』は、上記の蟹満寺説話(『日本霊異記』中巻第8縁、第12縁と、『今昔物語集』巻16第16話をさす。)を受け継いでいないが、蛇が登場する説話は4つ(巻第7の2、巻第7の3、巻第7の4、巻第7の5)あり、そのうちの2つ(巻第7の3、巻第7の4)は神人通婚譚を変形したものになっている。 『沙石集』巻第7の3「継女(ままむすめ)ヲ蛇(じゃ)ニ合セムトシタル事」は、以下のような内容である。 下総国のある女が、12、3歳の継娘を、大きな沼の畔に連れて行き、この沼の主に「この娘を差し上げます」と度々言っていた。後に、本当に大蛇が家に来てしまうと、「父、下﨟(げらふ)ナレドモ、サカサカシキ物ニテ」、「この娘は私の娘である。母は継母である。私の許しがないのに、どうして(娘を)取れるだろう。母の言葉に依ってではなく、妻は夫に随う物なので、母を好きにしなさい。取りなさい。」と言った。そこで、大蛇は母にまとい付いた。 この説話の無住によるまとめは、「人ノ為ニ腹悪キハ、軈(やが)テ我身ニヲイ侍ルニコソ。因果不可疑(いんがうたがうべからず)。」と結ばれている。ここでは、古代の神話において、蛇神と巫女の神人通婚譚だったものが変容して、因果の道理のもとに語られている。因果の道理とは、簡単に表現すると、悪い行いをすると、その報いとして自分にも悪いことが起こる、という法則のことである。こうして、神話世界の話が、仏法が働く仏教世界の話に変容する。仏教世界の中では、蛇への嫁入りに神聖さはなく、恐ろしいもの以外の何物でもない。それどころか、悪報でさえある。 もう一つの、『沙石集』巻第7の4「蛇ノ人ノ妻ヲ犯シタル事」は、以下のような内容である。 遠江国の山里で、ある日、妻が昼寝しており、夫が帰ってきて見ると、5、6尺ほどの蛇が妻にまとわりついて、口をさしつけて臥せていた。そこで、「親のかたきは前世のかたきというもので、是非もなく、殺すものだが、今度ばかりは許そう。今後、このような不当なことがあれば、殺してしまうぞ。」と杖で打って山に捨てた。5、6日後、夥しい数の蛇が、庭先に集まった。そこで夫は、威儀を正して以下のように、「皆様は何をしにこのように集まられたのでしょうか。知りがたいことでございます。ただし、ある日、妻が昼寝しているところを、蛇が犯したことがございました。目の当たりに見つけて、前世のかたきである上は殺すところを、慈悲をもって助け、後にこのようなことがあれば命を絶つぞと言って、杖で少し打って、捨てたことがございました。このことを皆様がお聞きになって、私の僻事だと思っておいでになったのでしょうか。人と畜生は異なるといっても、物の道理は変わるものではございません。妻を犯されて、恥ずかしいことに遭い、情けで命を助けたのに、僻事として、不当に殺傷なさることは、恥知らずなことでございます。このことは三宝も知見し、天神地祇、梵王帝釈、四大天王、日月星宿(星座のこと)等も、日本の諸神もご覧になったでしょう。一つの虚偽もありません。」と筋道を通すと、蛇は帰っていった。 この説話での無住のまとめには、「サカサカシク道理ヲ申述(まうしのべ)テ、災ヲ遁(のが)レタリケルコソ、カシコク覚ユレ。道理ヲモ申述(まうしのべ)ズシテ、トカク拒(ふせ)ガマシカバ、ユヽシキ災ナルベシ。物ノ命ヲ害スル事、慎ムベキ物ナリ。」とある。 夫の弁説に含まれる、「三宝」、「梵王帝釈」、「四大天王」は、仏教的世界観のもとに生まれる発言である。そして無住のまとめにある、「物ノ命ヲ害スル事、慎ムベキ物ナリ。」とは、蛇を打ったことで夫自身に災いが降りかかったという因果の道理と、五戒の筆頭である不殺生戒が元になっていると考えられる。 以上、二つの説話の内容と、それらに含まれる仏教的要素を概観してきた。大和国三輪山の蛇神が女の許に通う、三輪山伝説以来の神人通婚譚は、嫁入りすることが忌避されるばかりか、聖性を剥奪された存在となる。夫がいる女を襲うという話のパターンはもはや、蛇神とそれに奉仕する巫女という、三輪山伝説以来の構造をさらに離れてしまっている。そして、よりこの構造から遠ざかったところに、巻第7の2「妄執ニヨリテ女(むすめ)蛇(じゃ)ト成ル事」がある。蛇というモチーフが、聖性ではなく、妄執の表現に用いられるようになるのである。さらに、それぞれの説話から引用した、「サカサカシ」、「道理」、「カシコシ」は、仏教的要素以上に説話の展開において重要な働きをしている。次節では、このことについて『沙石集』の「道理」感覚を中心に分析する。 第二節 無住の「世間の道理」 無住は出家であるが、民衆感覚を持った出家である。民衆や俗世間に対するまなざしが現れている説話は、本論文における課題である民衆の仏教理解の論理が表れている説話でもある。本節では、無住が民衆の生活世界から見て取った「世間の道理」 を扱う。 巻第5本の7「学生世間(の)事無沙汰(の)事」では、常州の寺法師の学生(がくしょう)が、別の年若い僧が馬糞を田に入れようと運んでいるところを制して、「その肥をどうしようというのか。法師は祈って、仁王経 を読むものだ。仁王経が馬糞に劣ることがあろうか。」と言ったという。この学生は、『沙石集』の中で、「世間ノ事ハ、無下無沙汰也(むげにぶさたなり)。」と記述され、田に肥を入れることは、「田舎ノ習(ならい)」と呼ばれる。 亀山によれば無住は、「真俗二諦論によって経典・仏法で世間のことを処理しようとすることを誤りとするとともに、経験的合理性を世間の道理として高く評価している」 という。 このことと関連して、『沙石集』拾遺75 では、ある山寺に賊人(ぬすびと)が入り、法師がそれを見つけて捕まえたが、なかなか助けが来なかったので、賊人(ぬすびと)を逃がしてしまった。その話を無住は、「賊人(ぬすびと)ヲモ刃傷殺害シ、我モ損ジタラマシカバ、罪ナルベシ。中々罪ナキ事ハ、ヲコガマシキ所アルベシ。」と結ぶ。これは、『日本霊異記』や『今昔物語集』では見られないコメントである。『日本霊異記』や『今昔物語集』では、説法の聞き手である民衆に、いかにこの世界の「因果の道理」が逃れがたいものなのかを説くことに重点が置かれていて、「因果の道理」以外の道理感覚を、説話内において積極的に認めることはなかった。「罪ナキ事」とは、「因果の道理」に基づいた行動(不殺生)を取ることである。それが、「世間の道理」にはそぐわないこともあると、無住はここで明言している。民衆の経験的合理性である「世間の道理」を積極的に認める姿勢と、「因果の道理」が万能でないことを認める姿勢は、無住の革新性である。そして、この無住の姿勢は、民衆へのまなざしなしには生まれなかったものである。 第三節 悪人往生と草木国土悉皆成仏 日本における不殺生思想の受容と言う問題を考える上では、たとえば『梵網経』巻下に、「若(なん)ぢ仏子、慈心を以ての故に放生の業を行ずべし。応に是念を作(な)すべし。一切の男子は是れ我父、一切の女人は是れ我母、我れ生々に是に従つて受生せざること無し。故に六道の衆生は皆是れ我父母なり。而るを殺し而も食せば、即ち我父母を殺し亦我故身を殺すなり。」 とあることや、行基の歌と言われてきた、「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」 の古歌に見られるように、山野河海の生きものは我が父母の生まれ変わりであるかもしれないがゆえに殺すべからず、という説明付けが大きな効果を発揮してきた。そうした語り口は、『日本霊異記』でパターン化して語られているように、前世の悪業の報いで牛馬などに転生して苦しんでいる父や母のために供養を行ない、その苦しみから救出できた話としても広く浸透していた。 『日本霊異記』の説話のほうは、転生先の動物が牛馬といった家畜になっていることが多い 。しかし、日本での輪廻転生譚のその後の展開としては、牛馬などの家畜に生まれ変わるというパターンは多くはなく、山野河海の動物に転生することさえそれほど多くはなくなり、人間はあくまで人間にしか生まれ変わらないというのが日本での転生イメージの大勢として定着していく。従って、仏教的もしくはインド的な六道輪廻の観念がそのままの形で日本に受容されたとは言い難い。 古代・中世の日本においては、人と動物との境界は、輪廻思想の影響もあって、きわめて不分明なものであった。そうした状況は、三輪山型の神人通婚譚の世俗版といっていい各種の異類婚姻説話や、それを背景に語られる動物始祖伝承の数々などで確認できる。そこでは、神と人と動物は緩やかに接続し、相互に乗り入れ可能な存在としてイメージされていた。 このような人と動物の連続性についてのイメージは、伝承や信仰の次元にかぎったことではなく、現実の世界にも直接間接に影響を及ぼさずにはおかない。すなわち、神との関係はさておくとしても、人と動物との連続性、相互乗り入れ可能な関係が意識されればされるほど、それを殺害したり、食用に供したりすることに対する忌避と自責の感情は大きくなる。 ところが、そのような人と動物の連続性についての意識が、「一切衆生悉有仏性」や「草木国土悉皆成仏」 という天台本覚論的な万物平等観を根付かせていったと思われる反面、同じ本覚論的思想が、実践レベルにおいては善悪不二というテーゼを字義通りに受け入れさせる状況をつくりだし、仏教本来の不殺生概念を逆転してそれとは正反対の殺生善根論 をさえ生み出すことになった。後述の、悪人正機を掲げる親鸞教団の反戒律的な主張が、肉食妻帯を積極的に行うばかりか、そうした悪行をひけらかす本願誇りの風潮を生み出していった。 人と動物との差異を極小化していくような観念が主流となっていけば、それに応じて狩猟や漁撈の獲物となる生きものの生命を奪うことも、当然、種を同じくする人の生命を奪うことと類比的にとらえられ、断罪されていく。言い換えれば、そこでは新たに、動物殺しに伴って生じる罪責感情にどのように対処するかという難問が浮上する。 日本ではとりわけ近世以降、そのような動物殺しの罪責感を軽減する宗教上の装置として、動物供養が積極的に導入されることになった。そこでは、主として狩猟・漁撈の獲物となる動物たちが、人間の死者供養に準じて供養の対象となっていった。 一方、遊牧・牧畜社会では、共同体の富の源泉である家畜を殺し、それを食用などの共同体成員の生存のための資源として利用する場合、そこで生じる動物殺しの罪責感は動物供犠の儀礼によって解消するのが原則だった。単純化して言えば、そこでは共同体の財である家畜のうちから特別に貴重な個体を選び出し、それを祭祀の場で神にささげるべく血を流して屠ることにより、それ以外の自分たちの日常的な動物殺しを神によって是認された行為とみなす。 そうした動物供犠の祀りは、古代ユダヤ教やバラモン教、あるいはその他の宗教の多様なイケニヘ儀礼として、地球上に存在している。しかし、動物供養が一般化した日本の社会では、それら供犠の文化における動物殺しの罪責感の解消方法とは別個の方法が採用されている。このことについて、中村禎里は、人間は己の生存維持のために動物を殺さざるをえないが、それにともなう罪責の思いや心の痛みについて、それを消去する仕組みが各々の文化には備わっていて、それらを大別すると、4つの文化に分類できると言う。すなわち、一つ目は、動物を神からの賜物と理解することで罪責感を消す文化で、これはキリスト教やイスラム教のような創造神を持つ一神教に典型的である。二つ目は、殺した動物の霊を弔う文化で、こちらは今日の日本にも広く普及している。三つ目は、動物を利用するものと動物を殺すものとを社会的に分化させ、前者が動物殺しの罪責感を後者の人々に押し付けることで「心の痛み」を回避する仕組みの分業システムの文化で、洋の東西を問わず普遍的に存在してきた。四つ目は、動物を殺すことに全く罪責感を持たない文化で、四つ目に関しては中村は、こういう文化もありうるだろう、と示唆するに留めている 。中村生雄はこれを受けて、己の生存のために動物を殺さざるを得ない人間が、それにともなう罪責の思いや心の痛みをどのように解消するかという観点に立って、中村禎里が提起した前述の4パターンのうち、前半の2パターンを、供犠の文化と供養の文化と言い換えている 。 いずれにせよ、そうした動物供養の伝統とそれにまつわる観念を再検討することが、日本仏教における不殺生の原則の変容を見定めるうえでの不可欠の作業である。とくにその供養の対象は、人から動物へ、さらには無生物にまで拡大される。 ただし、人と動物の連続性が意識されるなかで定着していった動物供養の観念とその制度は、ただちに人と動物の関係の実態を変化させ、両者の平和共存をもたらしたわけではない。むしろ、実態は逆であった。動物を人間の死者と同様に供養の対象とし、手厚く弔うことが、逆に各種の動物利用の正当化、効率化を促進し、本来それにともなうはずの罪責感を無化することに力を貸した。また、中世以降の全国の狩猟者のあいだで、狩りにともなう動物の殺生が諏訪明神の明徳によって免罪されるとの信仰が絶大な支持を得ていったことも、これらの変化を予告する事実として挙げられる。 すなわち、中世の諏訪信仰が本地垂迹説を巧妙に利用して、垂迹としての神にそなえられる動物の贄が、最後には本地としての仏の慈悲につつまれ成仏にいたるとの畜生成仏思想を提示した。また、それに先立って、平安後期の浄土教思想は、たとえば殺生肉食などの反仏教的な行為であっても、念仏さえ称えれば、阿弥陀仏が浄土往生を保証してくれるとの教えで、武士や非農業民の支持を勝ち得ていった。また『沙石集』や『古今著聞集』といった中世の仏教説話集が、賀茂や伊勢の贄となる鮒や蛤に出離の可能性を認める話を収録していることにも窺われるように、中世の宗教世界はこうした浄土教的、ことに専修念仏的な脱戒律と悪人往生思想の流れを前提にし、それらを本地垂迹説による神と仏の親縁性という理念に結びつけた。 その結果、絶大な救済力を持った仏・菩薩の垂迹として自己を定位することによって、土着的で周辺的な神々が新たな救済の主体として再生し、活性化していった。そして、諏訪信仰の例に見られるように、神前に供えられる贄の運命に即して展開された救済説が、新しい仏教的善因を作った。 古代社会においては山野河海の生きものは、祝詞の「毛の和物(にこもの)・毛の荒物」「鰭(はた)の広物・鰭(はた)の狭物(さもの)」のことばどおり、贄であった。それらは、基本的には支配と収奪のための貢納品であるか、神の祀りのための御饌であり、人による人の支配、神による人の支配のための手段でしかなかった。 だが、諏訪信仰をはじめとする中世の神仏習合状況のなかで形成された畜生成仏思想における動物は、かつてのように単なる消費と儀礼の対象ではなく、成仏の主体となった。そして、個々の動物がそのような仏教的な世界観の中で主体の位置を獲得した。 天台本覚論的な「一切衆生悉有仏性」、「草木国土悉皆成仏」の理念も一面では、このような人と動物の関係の大幅な転換が下地となって初めて一般性を保持しえたものである。すなわち、本覚論的な人と動物の不二一体的な理解(「一切衆生悉有仏性」、「草木国土悉皆成仏」)とそれに基づいて展開される神仏習合的な実践のなかで、人と動物はともに、苦しみに満ちた穢土を脱し、彼岸の浄土を志向する存在として同一地平にあると了解された。 第四節 悪人と殺生肉食の『沙石集』以降の展開 仏教的な輪廻思想と不殺生の観念により、生きものの生命を断つ殺生の所業が宗教上の悪として忌避され断罪されるようになった。それは言い換えれば、殺生罪業観念の浸透であり、またそれと表裏一体の関係として、それらの所業を避け得ない人々に対する社会的・宗教的な賤視と差別が強化され、実体化されることであった。 そこで、顕密仏教的な表向きの解釈の流れとは別に、浄土系仏教、とりわけ専修念仏教団による脱戒律の在俗志向と悪人往生思想が登場する。例えば『歎異抄』では、「海・河にあみをひき釣りをして世をわたるものも、野山にししを狩り鳥をとりて命をつぐともがらも、商ひをし田畠をつくりて過ぐる人も、ただおなじことなり。」 と述べることで、農民・商人の日々の生業が狩猟・漁撈の民の殺生行為と同列の罪深いものであるとし、他ならぬ阿弥陀仏の救済はそれら悪人にこそ向けられているとする。 また、そのようにして殺生の罪業を己の生業として引き受けざるをえないものを、親鸞自身は『唯信抄文意』において「屠沽(とこ)の下類」と名づけ、その意味を、「屠はよろずの生きたるものを殺し屠るものなり、これは猟師といふものなり。沽はよろづのものを売り買うものなり、これは商人なり。これらを下類といふなり。(中略)猟師・商人さまざまのものは、みな石・瓦・礫のごとくなるわれらなり。」 と述べている。すなわち、自らも石・瓦・礫に例えられるような存在なのであり、屠沽の下類に他ならないと、親鸞は明言した。 しかし、そのように親鸞が自らの悪人性を積極的に肯定し、それを狩猟・漁撈における殺生の業と異ならないとする立場は、顕密仏教の側からすれば、異端以外の何者でもない。そして、親鸞の後継者らも、この異端性を引き継いでいった。そのことは、15世紀になって真宗教団を巨大化させた本願寺中興の祖である蓮如が、教団の社会的な立ち位置を表明するに当たって、次のように親鸞の言葉を繰り返していることからも察せられる。「ただあきなひをもし、奉公もせよ、猟すなどりもせよ。かかるあさましき罪業にのみ朝夕まどひぬる我らごときのいたづらものを助けんと誓ひまします阿弥陀如来の本願にてましますぞと深く信じて(後略)」 蓮如においても、真宗教団の社会的基盤は「猟すなどり」という殺生を必須とするものたちを中心にしていると理解されたのであり、そういう異端的な性格を強調することで教団組織の緊密な結束力も強化され、教団に固有の救済理論も存在意義を持ちうると考えた。 ちなみに、このような真宗教団の異端的な性格は、石山戦争終結後の本願寺の織豊政権への屈服、次いで余儀なくされた本願寺の東西分立、教団の政治的認知と引き換えに要請された幕府の寺社統制システムへの組み入れなどを経て、さらに変質を遂げていくが、これ以上ここでは詳しく述べない。 第五節 『沙石集』の中に殺生善根論が現れるまで 『神道集』の「諏訪縁起」には、以下のようにある。「嘉禎3年(1237年)に、ある僧が、諏訪の明神は垂迹神で仏菩薩の貴い化身であるはずなのに、どうして多くの獣を贄として要求するのかと不審を抱きつつ、夢を見る。その夢には、諏訪明神の神前に贄としてかけられていた鹿・鳥・魚などの動物がみな金の仏となって雲上に昇る光景が現れ、それを指して、明神自ら、『野辺にすむけだものわれに縁なくは憂かりし闇になを迷はまし』と歌を詠んだ。また明神は、続けて、『業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果(ごうじんうじょう すいほうふしょう こしゅくじんてん どうしょうぶっか)』という偈を唱え、明神の神前に贄として捧げられる生き物は、たとえその場では命を失うことになっても、その後、必ず諏訪の神の垂迹神としての仲立ちによって仏果を得て、成仏に至ると保証する。 この偈は、有情としての命は寿命が尽きれば否応なく終わってしまうものだが、逆に神の贄となって諏訪明神の神徳に出会う機縁に恵まれるならば、少々の延命など比べ物にならない無上の幸運を授かると説いている。 一見したところ、これは、生き物の命を奪って神の贄とする殺生の行為を正当化するための理屈と見える。しかし、中世の諏訪信仰に典型を見るごとく、仏教の殺生罪業観によるかぎり、仏の救いからは見離された存在である狩猟・漁撈の民にとっては、意味のあるものであったと考えられる 。つまり、中世日本の神仏習合的観念が、現実の生活者に向けて、最重要の救済の論理を提示したことになる 。 神前に贄を捧げる殺生の業が、贄とされる生き物にとっては、垂迹の神を介して本地の仏の救いにあずかる貴重な機縁だという考えは、その後、『沙石集』巻1第8の、加茂の神の贄についての説話でも語られる。ただし、こうした主張があるからといって垂迹としての神の贄祀りが全面的に肯定されていたわけではなく、それとともに、神々は不殺生戒に反して贄を取る罪深い所業のゆえに苦しみを受けているのだという考えも、根強く維持されていた 。とはいえ、このような殺生肯定の論理は、中世の説話世界や寺社縁起の世界にとどまらず、のちには日本各地の狩猟者が共有する信仰ともなり、前述の諏訪の神文も、狩猟者の間でさまざまな形に訛って生き続けてきた 。 従って、中世の狩猟民・漁撈民に限らず、一般に日常的に殺生を生業として生を送る他ない山野河海の民にとって、このような殺生肯定の論理とは、顕密仏教での堕地獄の恐怖から自らを解放してくれるものであった。贄として神に献じられた生き物が、実はその神の本地たる仏の広大な力によって悟りに導かれるというこの解釈は、神々に動植物の贄を供えることを基本とする古来の日本の神祀りと、殺生を極悪と見なしひたすら慈悲行を推奨する仏教倫理との矛盾相克を回避する論法として、大いに活用された。 平安時代後期に成立した本地垂迹説は、不殺生思想が大きく変容していく契機となった。前述の諏訪信仰の隆盛に見られるように、狩猟者の殺生行為を免罪する地方神が中世東国を中心に支持されるようになるとともに、『沙石集』などの説話において、殺生行為そのものが生類の成仏を確実にするという殺生善根論 が教説化された 。 第六節 『沙石集』と民衆の自然観 これまで、蛇神の零落、因果の道理と世間の道理、草木国土悉皆成仏、殺生と悪人往生、本地垂迹と殺生善根論 などをキーワードに、『沙石集』の内容をまとめた。無住は、「因果の道理」と「世間の道理」、「この二つの道理を体得するのが智恵であり、そのような実践的智恵を備える人が賢者」 であると評価する。本節では、以上のような亀山の整理した無住の姿勢に至るまでの、無住及び民衆の道理感覚の展開の順を推測し、4つの段階に分けて論じる。 まず一つ目の段階では、生業において必然的に殺生をすることになる人のための、念仏往生が登場 した。景戒により提示された逃れられない仏法の一つに、輪廻転生がある。この概念により、説話内では、現世で作った悪因の報いを、来世で受けなくてはならなくなった。これは、輪廻転生が逃れられないことによる。この輪廻転生を断ち切り、仏国土に生まれることが往生であり、民衆に実行困難な経の読誦に代わり、民衆が実行可能な易行である念仏で往生できるとするのが、念仏往生である。 二つ目の段階では、本地垂迹説から殺生善根論 が生じた。本地垂迹説とは、簡潔に述べれば、神は仏(本地)が姿を変えて、この世に現れた(垂迹)ものであるという考え方である。そして殺生善根論とは、一つのパターンとしては、垂迹としての神に生業で得た魚などを供えることで、殺生の罪は本地としての仏が引き受け、殺生された魚は成仏するので、このような殺生自体を善行だと評価 し、もう一つのパターンとしては、僧などが魚を殺生して食べることで、僧が修行を行うと、食べられた魚も修行したことになって往生すると評価 する。ここでは殺生が、悪因ではなく善因だと捉えられている。 三つ目の段階では、これら念仏往生と殺生善根論が、「因果の道理」の空洞化をもたらした。それまで生業における殺生の規制の論理となっていた因果、現報、輪廻転生、宿報が、現世・来世で悪果をもたらさなくなり、無住も使用するフレーズである「因果の道理」は、民衆の現世での行動規範としては存在感が薄れたことが挙げられる。 四つ目の段階では、「因果の道理」感覚が薄れた現世での、民衆の行動の規範として、「世間の道理」が台頭してきた。言い換えれば、無住が民衆へまなざしを向けた際に、「世間の道理」を汲み取って、説話に採用した。 以上のように、4つの段階を経て、『沙石集』の中に、民衆の「因果の道理」と「世間の道理」が立ち現れてきたと考えられるのである。
https://w.atwiki.jp/shuei/pages/378.html
東洋思想 仏陀 カースト制・ウパニシャッド哲学の古代インド 梵(ブラフマン):宇宙の根源・我(アートマン):人間の本質 梵我一如が人間の理性である これらのバラモン教の説く苦行が解脱の道ではない事を知った仏陀 八正道の実践・正定・正しい瞑想を行う事 全ての存在に仏性があるのだ 大乗仏教 一切の衆生の救済を目指す菩薩が理想とされる 六波羅密の徳目(布施・持戎・忍辱・精進・禅定・知恵)、竜樹(ナガールジュナ)と世親(バスバンドゥ) 空の思想・唯識論 小乗仏教 出家による戎律・阿修羅を理想 孔子 倫理学を説く 秩序の重視 人間と人間のあり方を示す「仁」を強調(人間道徳の本質) 客観化した側面が「礼」(守るべき道徳行為) 孟子 性善説 善に向かう心とは四端の心を指し、これを育てる事により仁・義・礼・智の四徳を得る 仁義の道は王道 「五倫の道」「五常の徳」 荀子 性悪説 官学化 支配層の精神 朱子学 道教・仏教の影響を受け宋学が成立し、これが発展 宇宙の万物は運動する「気」によって構成され、宇宙をあるべきようにあらしめているものが「理」 人間は「気」を克服して「性」に変える事が必要 陽明学 朱子の「性即理」に疑問をもった王陽明が「心即理」を唱える 「性」と「情」を「心」として一体にとらえた 知識を磨くのではなく良知を実現する事が「知行合一」 老子 万物の存在の根源は「道」である 「あるがままにまかせよ。自然の道に従へ」 無為自然 儒教は人偽的で諸悪なもの 荘子 全ては相対的に成立しており、正・不正、善・悪の判断も全て相対的であってそれぞれ対立するものとの関係で認められるにすぎない 「天」と「人」を対立させた観点で、「人」こそが人間の苦悩と混乱の原因であり天地自然の道である「天」に帰れ! 日本の思想 外来思想と接触しこれを摂取しながら発展した思想 外来文化に対する包容性という日本人古来の性格 自然を神とするアニミズム(自然信仰)で唯一神を考えなかった 古代では仏教、近世では儒教 → 封建道徳、近代では西洋思想の影響 浄土信仰 平安末期 戦乱や天変地異からの不安の救いを宗教に求めた 仏への信仰深き人は極楽浄土に往生できるという考え 人間はただ念仏につとめ阿弥陀如来の慈悲心にすがる他はない 浄土真宗 親鸞によって絶対他力・悪人正機説 自己の弱さと罪深さを自覚すること 日蓮宗 「法華経」を宇宙とし、現実の肉体のまま宇宙と一体になれ! 現世でも浄土できる 臨済禅 栄西によって中国の臨済禅が伝えられ、自力修行を重んじ戎律を強調 曹洞宗 道元による曹洞宗 自己を捨て仏に全てを投げかけよ 身心脱落・坐禅 儒学 江戸時代になり朱子学が官学として採用され封建制の基盤となった 他に陽明学は中江藤樹 古学 孔子・孟子などの原典から山鹿素行らによって儒学の日本化 古文辞学 実証主義的社会制度 文物を知った上で孔孟を理解しよう 国学 荷田春満・加茂真渕・本居宣長「古事記」「万葉集」より実証的・文献学的に学ぶ 人間の自然な感情・情緒を尊重す 「天皇のしろしめす道」=「大和心」 ⇔ 「漢意」 石門心学 儒学思想を精神的支柱とした幕藩体制のもとで、従来からある仏教・神道の思想と交錯しながら、町人の生活規範としての封建道徳を形成 石田梅岩の石門心学 営利の追求と家業の尊重
https://w.atwiki.jp/author/pages/1005.html
諸田玲子をお気に入りに追加 くちこみリンク1 #blogsearch2 Amazon.co.jp ウィジェット キャッシュ 使い方 サイト名 URL くちこみリンク2 #technorati 報道 若手の受賞「画期的」 今後に期待、さきがけ文学賞授賞式|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報 贈りものは、本。第2回 「ギフトブック キャンペーン」のお知らせ12月15日全国の書店・図書館でスタート! - PR TIMES 第38回さきがけ文学賞|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報 集英社文庫『尼子姫十勇士』諸田玲子 刊行記念エッセイ「出雲の神々の采配に身をゆだねて」(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「小説 野性時代」11月号発売! 特集では「秋の読切競宴」と題して、澤田瞳子・諸田玲子・榊林 銘・似鳥 鶏の読み切りを掲載。今勢いのある小説を集めた文芸誌「小説 野性時代」11月号をお見逃しなく。 - PR TIMES 密偵として生きた女性の激動の人生を描く、第26回新田次郎賞受賞作!――『奸婦にあらず』諸田玲子 文庫巻末解説 - カドブン 首都圏の地政学を知るなら、日本一混雑する日本最強の郊外道路、国道16号線を見よ (2021年8月18日) - エキサイトニュース 藤沢周平、葉室麟に続く…「時代小説の新鋭」が生まれているのをご存知ですか - 現代ビジネス 直木賞受賞作・西條奈加「心淋し川」 よどみに浮上する希望の灯|好書好日 - 好書好日 さきがけ文学賞の作品募集 - 中日新聞 第37回さきがけ文学賞|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報 女だてら 諸田(もろた)玲子著 - 東京新聞 「日本文学を読む・日本の面影」「黄犬交遊抄」 96歳、書き続けてなお「余白」の心 朝日新聞書評から|好書好日 - asahi.com 【書評】『別れの季節 お鳥見女房』諸田玲子著 ヒロインに会いたくなる - 産経ニュース 「掃除婦のための手引き書」「バタフライ」 わたしたちの人生はコインの裏表 朝日新聞書評から|好書好日 - asahi.com 「夜のリフレーン」「夜のアポロン」 ゾクゾクする 小説の無限の魔力 朝日新聞書評から|好書好日 - asahi.com 文芸芽吹く場:親鸞賞(京都市山科区) 日本文化発展に寄与、幅広い文学作品に 和の精神、いかに迫るか - 毎日新聞 【BOOK】「想いは貫けば必ず通じる、人を好きになることが一番大切」 諸田玲子さん『想い人』 - ZAKZAK 【新連載試し読み】諸田玲子「女だてら」 - カドブン 「小説 野性時代」1月号発売! 新創刊15周年記念号。ノンフィクション特集や15年を振り返る企画に加え、諸田玲子の新連載、作家生活30年を迎えた有栖川有栖の読切など、豪華執筆陣がそろい踏み! - PR TIMES 「徴産制」書評 男が子を産むのは荒唐無稽か?|好書好日 - 朝日新聞デジタル 理不尽に、負けるな。いつの世にもいる、運命に抗い、闘いぬく人たちへのエール『柳橋物語』 - カドブン 浅田次郎「長く高い壁」書評 良心も正義もない戦争の「業」|好書好日 - asahi.com 菅 直人 さようなら「ペテン政治家」 2011年6月16日号 | 週刊文春 - 文春オンライン 成分解析 諸田玲子の46%は厳しさで出来ています。諸田玲子の42%は呪詛で出来ています。諸田玲子の10%は白インクで出来ています。諸田玲子の2%は罠で出来ています。 ウィキペディア 諸田玲子 掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ 諸田玲子 このページについて このページは諸田玲子のインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される諸田玲子に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/chaosyamige/pages/82.html
【陰陽師(おんみょうじ)】 面白い構築に定評のあるダストのデッキ。 ダストが「陰陽師」の二つ名を獲得するに至った要因でもある。 掲載日:2011/11/08 (2011/09/01禁止・制限レギュレーション対応) カード名 枚数 メインデッキ 45 モンスター 20 《砂塵の悪霊退散》 1 《聖なる守り手(本名斉藤信行)》 3 《封魔の伝承者》 3代 《昇霊術師 ジョウゲン》 3 《破戒僧 ランシン》 3 《霊滅術師 カイクウ》 3 《結界術師 メイコウ》 2 《召喚僧サモンプリースト》 1 《メタモルポット》 1 魔法 13 《呪いのお札》(貼付魔法) 3 《アームズ・ホール》 2 《成仏しろよ》 2 《ヴァイロン・マター》 1 《打ち出の小槌》 1 《貪欲な壺》 1 《フリント》(貼付魔法) 1 《魔導師の力》(貼付魔法) 1 《災いの装備品》(貼付魔法) 1 罠 12 《大成仏しろよ》 2 《魔を縛る鎖デモンズ・チェーン》 2 《リビングデッドの呼び声》 2 《和睦の使者》 2 《神の宣告》 1 《くず鉄のかかし》 1 《聖なるバリア-ミラーフォース-》 1 《光の護封壁(洛中洛外全方位金屏風)》 1 エクストラデッキ 16 《No.(ナンバーズ)39 希望皇ホープ》 3 《ガチガチガンテツ》 2 《虚空海竜リヴァイエール》 2 《式神ジェムナイト・パール》 2 《ダイガスタ・エメラル》 2 《ヴァイロン・ディシグマ》 1 《No.(ナンバーズ)17 リバイス・ドラゴン》 1 《No.(ナンバーズ)34 電算機獣テラ・バイト》 1 《ラヴァルバル・チェイン》 1 《ギガンテック・ファイター》 1 成仏しろよ……! 仏僧や道術使いなど、かつて東洋で高位にあった宗教家を集めたデッキ。 《破戒僧 ランシン》は親鸞(しんらん)、 《霊滅術師 カイクウ》は空海(くうかい)、 《昇霊術師 ジョウゲン》は玄奘法師(げんじょうほうし)、 《結界術師 メイコウ》は諸葛亮(しょかつりょう)(字が孔明(こうめい)) を名前の由来とする。 ニコニコ動画で大流行した「レッツゴー!陰陽師」に出てくる「悪霊退散」のフレーズ通り、《砂塵の悪霊》もちゃんと入っている。 最大の特徴は装備魔法を駆使した奇怪な戦術。 相手モンスターに《呪いのお札》を貼り付け(装備し)、《成仏》させるという 単純明快ながら除去とバーンを同時に食らわす厄介な戦術を最大の持ち味とする。 手札が枯渇しがちなため、防御カードには《聖なる守り手》や《聖なるバリア-ミラーフォース-》など優秀なカードが揃っている。 《封魔の伝承者》や《昇霊術師 ジョウゲン》の場持ちが比較的よいため、ランク4のエクシーズ召喚に向いている。 輝かしき戦歴 前述のとおり第11回でダストが使用。 昨今のデュエルには見られなかった常識外れの戦術が受け、ダストの人気上昇に大きく買った。 終盤は罠カードによる凄まじい防御力を見せつけ、隣にいたアスキラルと共にフライングエクシーズチェンジを成し遂げた。 その他 このデッキは、かおすた通信に掲載された頃にはすでに崩していたか、構成が大きく変わっていたと思われる。 動画で使用された《激流葬(金生水の陣)》と《CNo.(カオスナンバーズ)39 希望皇ホープレイ》入っておらず(*1)、あろうことかエクストラデッキが16枚であることから、当時の構成を思い出しながら書かれたのだろう。 このデッキによりダストが「陰陽師」の二つ名を獲得したことは上述のとおりだが、一方で【陰陽師】を期待されすぎたことで「陰陽師のイメージから脱却できない」ことが本人の悩みにもなっている。 オフ会とかでデュエルする方は【陰陽師】以外のデッキでも遊んであげてくださいね。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/43920.html
登録日:2020/02/03(月) 23 47 29 更新日:2023/09/10 Sun 11 38 11NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 ウルフシード オルグシード ジャックと豆の木 ツエツエ 巨大化アイテム 狼鬼 百獣戦隊ガオレンジャー 種 節分に立った項目 豆 鬼は内、福は外 オルグシードよ! 消えゆかんとする邪悪に、再び巨大なる力を……! ハァッ!! 鬼はー内! 福はー外ーっ!! オルグシードとは、『百獣戦隊ガオレンジャー』に登場する巨大化アイテムである。 【概要】 シード(seed)とあるように種。ツエツエの持つ杖から放たれる。 主にガオレンジャーに倒されたオルグの残骸の泡の塊へと放たれ、泡に付着した種はすぐに発芽、急成長し巨大な蔓となって絡み合い、巨大なオルグの姿に変貌する。 ジャックと豆の木ということなのだろうか。鬼(オーガ)だけに。 意識については生前のが残っている場合と消えている場合がある。 対象が死亡していなくとも経口摂取する事でも巨大化出来る。但し時間制限があり、それを過ぎると等身大に戻ってしまう。 再生された場合時間が経つと等身大に戻るかは不明。 オルグ魔人以外にもデュークオルグにも使用可能。この場合口上が若干異なる。 オルグシードよ! 死せるデュークオルグに、今一度巨大なる力を……! ハァッ!! オルグシードが出る杖はツエツエの装備ではあるが彼女からは独立しており、ツエツエ以外にも使える他、 仮にツエツエが死んだとしても残り、その後も使用できる。 一度破壊された事があるが、この際はヤバイバが杖を取り込んで口からオルグシードを放った後、復元された状態でツエツエに返された。 これ、どこから出したの? え、いや訊くなよ…… 「発動の条件に怪人の生死を問わない」「設定上幹部格の怪人と一般怪人と共通する巨大化手段」という点においてかなり特異なアイテムと言える。 ウルフシードよ、巨大なる力を! 狼鬼はウルフシードを扱うが、これもオルグシードとほぼ同じ仕様である。 【備考】 モチーフは豆。 節分の豆まきで大豆が使われるのは、穀物には魔除けの力が備わっていると言う信仰、 「魔滅」の語呂合わせで豆を鬼にぶつけて邪気を払うという意味合いがある。 それが邪気の強化のアイテムになるとは凄い皮肉である。 北海道や南九州では落花生が使われる。 オルグシードを使う際の口上である「鬼は内福は外」は一見ふざけているようだが、実際の豆まきでも「鬼は外」は言わない所は結構ある。 浄土真宗ではそもそも豆まきはしない。鬼とは邪気、自身の煩悩の例えであり、 親鸞上人は要約すれば「人間は死ぬまで煩悩を捨てる事は出来ない」と説いている。 結局のところ「鬼は外福は内」というのは自分にとって都合の悪いものを追い払い、 都合の良いものを取り込もうとする欲にかられた浅ましい行為だと捉えられているからである。 というか節分自体仏教は関係無い。 鬼を守り神として崇めている地域や鬼を封じてある伝承のある寺社では「鬼は外」は言われない。鬼が入っている名字の家も同様である。 鬼子母神をはじめ仏に転じた鬼もいる。 結局のところ鬼も福も当人次第なのかも知れない。 消えゆかんとする項目に、再び追記・修正を……!ハァッ!! △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 巨大化の際のBGMが凄く好き。「死せるデュークオルグに」の口上はドロドロの時にも言って欲しかった。 -- 名無しさん (2022-03-26 14 49 12) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/448.html
陸奥国 大沼郡 橋爪組 関山(せきやま)村・上小松(かみこまつ)村 大日本地誌大系第32巻 170コマ目 関山村はもと福永村の端村にて古戸須美沢(ふるとすみさは)など称して民居処々にありしを、寛永18年(1641年)この所に聚め駅所とす。正保3年(1646年)に陞(のぼ)らせて(*1)別村とす。 また上小松村も八重松村の端村なりしを関山村と同時に別村とす。 両村の田圃(たんぼ)相雑て地界なり。民家も今に雑居して1村の如し。 府城の西南に当り行程2里34町。 家数60軒(40軒は関山村・20軒は上小松村なり)、東西54間・南北5町25間。 下野街道を挟む。 村中に官より令せらるる掟条目の背札あり。 地所山間にて南北往々田圃(たんぼ)あり。 下野街道の駅所にて、上りは府下よりここに継ぎ、ここより2里18町会津郡楢原組大内村駅に継ぐ。下りはここより19町福永村駅に継ぐ。 東20町本郡南青木組大石村の山界に至る。 西12町東尾岐組市野村の山界に至る。 南1里20町余大内村の山界に至る。その村まで2里23町。 北9町福永村の界に至る。その村まで16町。 村北に一里塚あり。 関山村 端村 高松(たかまつ) 本村の南11町、下野街道の左右にあり。 家数2軒、東西10間・南北1町。 山間に住し東は火玉川に傍(そ)ふ。 橡沢(とちさは) 高松の南13町、下野街道にあり。 家数8軒、東西10間・南北3町。 山間に住す。 この村の村民の家に親鸞の自ら書いてあたえしとて六字名號(*2)を蔵む。 今故(ゆえ)ありて高松にあり。 山川 福永峠 一名に関山峠、俗に大内峠という。 村南30町計にあり。 9折して登ること24町計、ここを越て大内村に行く。 昔は氷玉峠といい、加藤氏のとき今の名に改む。 火玉川(ひたまかわ) 源を福永峠の諸渓より発し、端村橡沢・高松の東を経て、村東に至り北に流るること凡1里20町計福永村の方に注ぐ。 水利 堤 村北5町10間余にあり。 周140間。 明暦2年(1656年)に築く。 上小松村及び八重松村の養水とす。 神社 熊野宮 祭神 熊野宮? 相殿 白幡八幡宮 稲荷神 日光神 権現 勧請 不明 村西山上にあり。 関山村の鎭守なり。 鳥居幣殿拝殿あり。福永村山口越後これを司る。 水神社 祭神 水神? 相殿 熊野宮 権現 鎮座 不明 村より寅(東北東)の方2町20間山中にあり。 上小松村の鎭守なり。 何の頃の鎭守なるや詳ならず。老杉数株ありてものふりたり。 石鳥居あり。村民の持なり。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 関山村の端村橡沢の辰巳(南東)の方にあり。 村民の持なり。 寺院 法蓮院 村西山足にあり。 上小松村の寺なり。 日當山と號す。真言宗府下道場小路町観音寺の末山なり。 開基詳ならず。 天正年中(1573年~1593年)長傳という僧住すという。 もとはここより北2町計にあり。寛永17年(1640年)ここに移せり。 大日を本尊とし客殿に安ず。 虚空蔵堂 村東2町山の半腹岩窟の中に安ず。 建立の始しれず。 関山村の護佛なり。 観音堂 村西山麓にあり。 創建年代知らず。 上小松村の護佛にて会津三十三所順禮の一なり。 この堂もと山下の平地にあり。寛政2年(1790年)山をきりひらきこの所に移す。 不動堂 村中にあり。 草建の年月詳ならず。 村民の持なり。 Google Map氷玉峠 大内峠 熊野神社 関山観音(上小松) 子安観音(関山) 祠(栃沢) 「水神」と、地名は残っている会津美里町氷玉字水神甲 会津美里町氷玉水神宮乙 会津美里町氷玉水神前乙 戦死四十人墓 Goo地図大山祇神社 氷玉峠周辺 氷玉峠と近辺の地図。 大内ダム(平成3年竣工)や大内宿こぶしライン(平成15年完成)もまだありません。 ※地理院地図(大正2年計図/昭和6年修正)
https://w.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/1446.html
武将名 ほんがんじ れんにょ 本願寺中興の祖 SR本願寺蓮如 本願寺中興の祖。第八世法主。開祖・親鸞の直系でありながら、延暦寺との対立などにより本願寺教団は衰退の極みにあった。蓮如は父・存如とともに諸国で布教を行い、門徒を増やす。加賀においては門徒が一揆により守護大名を追い出すほどの勢いを持った。「極楽浄土は、余とそなたらの 進む道の先にあり!」 出身地 山城国(京都府) コスト 2.0 兵種 槍足軽 能力 武力6 統率10 特技 防柵 魅力 計略 仏罰覿面(ぶつばつてきめん) 【神謀】(戦場の味方とラインで連結し、効果が発生する。将配と神謀は複数使用できない)自身と本願寺の味方の武力と移動速度が上がり、足軽であれば仏撃を行えるようになる。【仏撃】(一定距離を移動すると仏撃準備オーラが発生し、タッチすると発動する)味方の仏撃が成功するたびに自身の兵力が回復する。ラインに接触した敵の槍足軽は、一定時間槍が消えるようになる。 必要士気7 Illustration 杉浦善夫 計略効果 カテゴリ 士気 効果 対象 武力 統率 速度 兵力 効果時間 その他 神謀 7 強化 自身 +4 - +30% +8%/1仏撃 8.8c(統率依存0.2c) - 味方 +4 - +30% - 足軽は仏撃可能 妨害 敵 - - - - 0.0c(ラインに触れている間のみ) 槍消失 本願寺限定。 仏撃準備中の足軽は迎撃される。 (以上3.20F) (最終修正3.20F) 解説 数少ない本願寺の槍足軽であり、足軽メインデッキにおけるキー計略を持つ。 本願寺の槍なので仕方ないが武力が低めで戦闘力は低い。 ただし大型全体強化持ちとしては割と標準レベルであり、高統率/防柵も考えると坊主槍の中でも実質的なスペックは良い方。 計略は一斉に仏撃出来るようになる神謀。 ライン接触効果は槍消失。また味方の仏撃が成功するとラインを伸ばす蓮如本体の兵力が回復する。 速度アップゆえ足軽が仏撃準備状態でも迎撃されるようになるため、基本的には騎馬を扱っているような感覚で使うようになる。 このため前衛や自分が乱戦した瞬間に使って後ろから仏撃を叩き込む形だと、槍消しの手間が省けてよい。 ライン接触による槍消しは積極的に狙うにはやや扱いづらい。 回り込ませて挟むようにして仏撃する形が理想だが、この効果が輝くのは自城の防衛において浅刺しを無意味にできる点であろう。 破壊力は高いが士気が重い事、またデッキ構成的に槍が不足する故、 仏撃できるが相手の突撃も食らい放題 といった状況になりやすい。 このため正面から采配とやり合うと案外負けやすいので、槍足軽である自分自身の槍出しがとても重要になる。 備考 第八世法主。2.2では親子ンビで色々な勢力で当主が出たが、蓮如は顕如とは代が離れており親子ではない。 2.2で登場したカードの中でも道灌などと並んで非常に古い時代の人。 戦国時代、大名は勢力を誇る本願寺に苦しめられたが、そもそもその本願寺をそこまでデカくしたのは誰か、というと大体この人。 2.22C 効果時間短縮(10.0c→9.2c) 2.22D 「神謀」計略のラインに接触した際にかかる妨害効果の効果時間を短縮(0.8c→0.0c) 3.10B 移動速度上昇値減少(+35→+30) 3.10F 効果時間短縮(9.2c→8.3c) 3.20F 効果時間延長(8.3c→8.8c) 台詞 \ 台詞 開幕 極楽浄土は、余とそなたらの進む道の先にあり! 計略 御仏の心を知らぬ、愚か者どもめが! タッチアクション - 撤退 ご、極楽 復活 伏兵 - 虎口攻め └成功 攻城 落城 我が子らよ……今、本願寺はよみがえったぞ 熟練度上昇
https://w.atwiki.jp/otassya2/pages/8739.html
比叡山 (ひえいざん) ■比叡山叢雲堂は→ 【こちら】 場所 近江 : 『る−ロ』 (大きな木の付近) 旅マップは→こちら←からご確認ください。 敵NPC 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 門徒いびり 28-32 5 下郎刀【刀】 辻誘い 31-33 6 囁きかんざし【髪飾り】 暴れ博徒 33-36 7 博徒の巾着【特殊装備】 悪酔い坊主 32-38 4-7 酔夢昏【棍棒】 絡み尼僧 40 7 絡み数珠【首飾り】 ● 堕落和尚 36-37 7 小姓の友人 37-43 7 奪魂剣【剣】 酒色好み 37-41 7 酩酊はちまき【面具】 比叡山僧兵 39-42 5-7 比叡山僧兵秘本【書物】 ● 納入鍛冶屋 50 7 ■黄ネーム 門前腹巻【腹巻】 比叡落武者 50 7 ■黄ネーム 落武者の兜【星兜】 正覚院豪盛 50 7 ■黄ネーム 山ごもりの頭巾【冠】 名前 レベル 徒党数 備考 ドロップアイテム 見破り 不落の黒鬼 45 6 ■青ネーム 鬼の金棒【家具】 不磨の金剛 50 6 ■青ネーム 飾り金剛棒【家具】 不屈の阿修羅 55 6 ■青ネーム 修羅刀【刀】 NPC 円真阿闍梨 光徳阿闍梨 彪大師 芳松僧部 備考 比叡山クエスト Lv45以上で発生。 Lv45未満だと「あなたには荷が重そうですな」と帰されます。 連続でボス3体と戦います。最後の【不屈の阿修羅】は、クエストを受けたPCが 話し掛けるとPOPします。 ※※ 注意 ※※ 【不屈の阿修羅】は一度倒しても、クリア報告をせずに再度話しかけて戦闘し、 全滅すると一度も勝っていない事にってしまうバグがあるので注意。 勝ったら報告しましょう。 由来 比叡山延暦寺 (ヒエイザンエンリャクジ) 滋賀県大津市にある最澄大師が788年に創建した天台宗総本山。延暦の名は元号から取られており、824年までは一乗止観院という寺院であった。1994年12月「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった鎌倉新仏教の開祖が修行した事でも知られ、「日本仏教の母山」との異名もある。比叡山は990年ごろ、慈覚大師(794−864)と智証大師(814−891)のいずれに教えを守るべきかという点で宗教論争となり、智証大師の教えを重視する僧侶は比叡山を離れ、園城寺(天台寺門宗総本山、寺門派)という寺を本拠として構えることになる。両派は武力による勢力争いを繰り返すようになり、そのため他の寺院には見られない強力な僧兵集団(寺院に所属する武士集団としての僧兵自体は平安時代より存在したが、延暦寺・根来寺・一向宗は僧籍を持つ僧侶が自ら武装し、さらにそれが専門の武装集団をなしたという事で特筆される)が出現するようになった。日本仏教の母山と呼ばれる権威と兵力のお陰もあって、1120年白河法王の治世では朝廷や幕府の権力の及ばない一種の独立国のような状況となる。日本統一を目指していた織田信長は独立国としての存在を許す事は出来ず、比叡山の武力を権威もろとも失墜させるために全山焼き討ちという手法を取った。全山焼き討ちという強引な手法を取らなければならないほど、当時の比叡山はその権威が極めて高かったのである。戦前には一時期延暦寺を中心とする山門派(天台宗)と寺門派、戒光山兼法勝西教寺(天台真盛宗総本山)を中心とする盛門派が天台宗として合同するものの戦後に三派は分離、現在はそれぞれ別の宗教法人となっている。なお、星野山無量寿寺喜多院は天台宗(山門派)の寺院であり、円真・光徳・彪大師という人物は天台宗座主などには確認できないため架空の人物であると推察される。正覚院豪盛は実在の人物である。 ゾーンドロップ 入魂材 : ざくろ石+3 / 天河石+3 / 天珠+3、+4 / 霰石+60 目録断片 : 楮紙目録断片・弐 / 雁皮断片 / 三椏断片 他 : 抹消された格式帳 / 古文書/ 甘露 その他情報 門徒いびり ドロップ ざくろ+3 天河+3 天珠+3 -- 門徒いびり ドロップ 霰石+60 -- 猫侍 ペアなどで黄色ネーム叩いちゃイケマセン。 -- 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shinsyu/pages/36.html
■同朋ネットより 特設HPに「ボランティア活動報告」が更新されました。 4月中の活動の様子がアップされています。 http //www1.ttcn.ne.jp/honmyouji/doubou-n 所感(同朋ネットS委員) 「世のいのりにこころいれて…」(親鸞『御消息集』) 実際に身を動かしながら、この世の苦しみ悲しみの現実を直視し、 人々の「いのり」の声を聞きながら、教えに学んでいく。 そんな動きと学びを志向したいと思います。 本山と被災地の双方で親鸞さんを憶う御遠忌を、 我が御遠忌としたいと思います。 「世のいのりにこころいれて…」親鸞さんから私への、 そんな呼びかけの声を聞きながら…。 ■茨城一組より 東京教区茨城一組の活動報告のブログが立ち上がりました。 http //ibaraki1kumi.blog.fc2.com/ 4月20日、石巻市にてうどん500食の炊き出し、救援物資を配給。 4月21日、石巻市土葬場にて葬儀式を執行。 ※お揃いのオレンジのジャンパーが光って見えます。 所感(茨城一組Y・Fさん) 皆さんの「おいしい」との声が励みとなり、 あらためて「食事」が人の心をひらくような気がしました。 お斎の原点とでもいうのでしょうか。 相手も打ち解けてくれて、大切な人を亡くした話や いまの現状など、いろいろなことを聞かせていただきました。 被災者の方で障害者の方が何人かおられました。 おそらく居場所を失い、最後まで避難所に取り残されてしまうのは、 生活弱者だと思います。どうきちっと向き合っていくのかが問われています。 弱者に背を向ける教団であってはならない…いまはそう思います。 (2011/04/12) ■東京教区:同朋ネットより ☆「東京教区」の被災地ボランティアを下記の通り実施します。 ・4月20日~(3日間) 2泊3日 行先:陸前高田・後片付け(若干名) ・4月20日(水)~21日(木) 1泊2日 茨城一組による救援行動 行先:石巻市 作業:うどんの炊き出し他 募集:あと5人 責任者:梁河文昌氏(茨城一組) ・4月25日(月)~27日(水) 2泊3日 行先:被災地(未定) 作業:後片付け・炊き出し他 募集:10名前後 責任者:二階堂行寿氏(東京4組) ※教区内のボランティアを募集中。ご一報ください。 dobo@jcom.home.ne.jp ☆陸前高田を訪問中の東京教区:○○○さんより 「午後4時前に陸前高田の高田小に到着。現地の様子を視察、約1時間程の活動で、華ひん・香炉・仏具の一部を発見。明日の作業への望みを繋ぐ。道路は所々段差のある程度。思ったより問題なく進めました。陸前高田市に入り矢作地区に入ると、ある境で景色が急変します。それはテレビや新聞で何度も見たものでした。 ○○寺へ移動し仙台教区仏青の4名の方と顔合わせ。温泉にも入り大変お世話になってます。明日は粛々と作業に取り組みます。それしかないなぁ、というのが今の気持ちです。取り急ぎご連絡まで。」(以上) ☆同じく陸前高田を訪問中の東京教区:○○さんより 「本日の作業は終了しました。あまりの光景に言葉がありません。震災から一ヶ月を迎えた友人は、地元のお寺の子で、「心が苦しい」との言葉。全く被害を受けていない所と、被害のある所が、隣あっていて。余震も続き、地震は未だ終わっていないと感じました。 明日は○○寺さん・避難所に物資を届けにいきます。次の隊につながるようにしたいと考えています。」(以上) ☆同じく陸前高田で一緒に作業した仙台仏青メンバーより 「本日、陸前高田市のお寺近辺にて活動させていただきました。東京教区の方や仙台教区の方など、総勢15名ほどで付近を捜索。当初片付けも想定しておりましたが、やはりそれは無理な状況です。ご本尊や仏具などを探すと言うほうが適切と思われます。すでに重機は一度入っており、現在はよけた瓦礫をさらに別の場所にどんどん撤去しているような状況です。そんな中、今日は一度よけられた瓦礫や泥の中から何か手がかりはないかを皆で手分けして探すという作業に終始しました。 日暮れ間近になって鶴亀や金香炉などが集中的に見つかる場所があり、明日はその近辺の瓦礫や土砂をチームを組んでよけながら捜索する作業になりそうです。思っていたよりもあまりにも広大な範囲にモノが拡散されていること、よけられた瓦礫の山が高過ぎることなど、人力では限界を感じることが多々ありますが、少ない手がかりをもとに明日・明後日と作業していきたいと思います。お寺の近辺は瓦礫の撤去作業が建設業の方々によってどんどん進んでいる状況です。来週にはお寺の周りも更地になっているかもしれません。 時間はないのですが、とにかくやるしかないという感じです。釘がむき出しの柱やガラスの破片多数・プロパンガスのボンベがそのまま落ちていたり、そこいら中危険物だらけです。しっかりとした装備での現地入りが必要です。もっと人をかけて捜索できたら……という思いもあります。そのぐらい状況は厳しいと思ってもらって結構です。明日もがんばります!」 (2011/04/08) ☆同朋社会推進ネットワークの特設HPができました。 「被災地の写真」や「リンク」などがあります。 http //www1.ttcn.ne.jp/honmyouji/doubou-n ※写真は義援金募集などにご活用ください。 ☆「東京教区」の支援活動にご協力ください。 活動内容は「被災地ボランティア」と「救援物資募集」です。 ・「被災地ボランティア」は下記の通りです。 ①4月11日~(3日間) 陸前高田・後片付け(募集終了) ②4月20日~(2日間) 石巻市・炊き出し(茨城一組の企画運営) ③4月20日~(3日間) 陸前高田・後片付け(募集中) ④4月25日~(3日間) 被災地にて(募集中) ※②~④の教区内ボランティアを募集します。 dobo@jcom.home.ne.jpまで。 ・「救援物資」を、4月19日必着にて募集中です。 「コミックス」「お菓子(甘いもの)」を真宗会館まで。 177-0032練馬区谷原1-3-7(真宗会館救援物資係) 電話03-5393-0810 (2011/04/06) ■東京教区:同朋ネットより(速報) 同朋ネットでは、仙台教区と連携しつつ、被災地からの要請を受け、 「東京教区」としての支援活動を行うこととなりました。(6日) 具体的な内容は「被災地ボランティア」と「救援物資募集」です。 ☆「被災地ボランティア」は下記の通りを予定しています。 ①第一次 4月11日~(3日間) 被災地にて ②第二次 4月20日~(3日間) 被災地にて ③第三次 4月25日~(3日間) 被災地にて ④第四次 期日未定。石巻市への炊き出し行動(2日間) ※東京教区内ボランティアを募集します。 ※詳細は教区内メールニュースでお知らせします。 ☆「救援物資」は、期限付きで募集します。 ※詳細は教区内メールニュースでお知らせします。同朋ネット 「メールニュース」 【3月31日版】 3月28~30日、東京教区4名が被災地(南三陸町・名取市)を訪問しました。 支援物資を届け、避難所やボランティアセンターを訪問しました。 また、仙台教区の方々を中心に近隣教区の有志と初会合を行いました。 ※同朋ネット委員による訪問記を下記に掲載します。 同朋ネットでは、引き続き被災地支援の動きを模索します。 また、東京教区内へ避難してきた方々への支援も模索します。 (被災地へのワンポイント情報) ・練馬から仙台までは東北道で約5時間です。 ・宮城県内はガソリンがあまり手に入りません。 ・市内の物資は揃っています。郊外のコンビニは品不足状態です。 ・各市町村のボランティアセンターでは、ボランティアの募集をしています。 詳しい情報は http //www.jpn-civil.net/support/volunteer/post.html ・必要とされる物資は、避難所によって毎日変わるとのことです。 (所感) ・大谷派のボランティアセンターのような機能を持った拠点が、 地元に設置されることが望ましいと感じました。 ・被災地での支援活動や自分のいる場所で出来る支援などを それぞれが考えて、行動をしていくことが大切なのだと感じます。 また震災について感じた事を表現することを大切にしたいのです。 皆さんの取り組みやひとことコメントを、是非お寄せ下さい。 【被災地レポート】 同朋ネットH委員より ☆被災地状況(南三陸町、名取市) この度の災害は地震そのものより、津波による被害が大きい。海より1km内陸から不法投棄のように瓦礫の山が続き、大破した車が折り重なり、船が横転している。沿岸部にかろうじて立っている建物の鉄骨は折れ曲がり、3階建ての建物の上には車が乗っている。 津波による被害は新聞やテレビなどで報道されている通り悲惨な状況であることは分っていたが、実際に被災地に立ってみると、想像以上の被害の大きさと津波の脅威を感じ、言葉をなくす。付近を歩けば鍋が、靴の片方だけが、ぬいぐるみが、思い出の写真アルバムが…あらゆるものが無残に転がっている。 被災者は何千人、何万人という数字で報道されることが多いが、訪れた被災地には子ども、大人、お年寄り、それぞれ一人ひとりの生活がそこにあったことを感じずにはおれない。一人の人の死が、何万通りあるということを見失ってはならない。自衛隊や地域の消防団が遺体捜索を続けている。途方もなく広い荒れ地で・・・・・。 ☆ボランティアセンターの様子 仙台の南にある名取市ボランティアセンターを訪問した。18日にボランティアセンターが立ち上がり、29日現在、県内ボランティア約250人が登録をしている。主な作業は家の片付けである。名取市ではそのボランティアの需要と供給のバランスが取れているため、ボランティアの募集を県内に限っている 宮城県は、ボランティアの募集を県外からというところもあるが、県内や市内に限っているところも多い。(ガソリン不足や自宅が近くであるとか、県人同士の親しみやすさなど) ボランティアセンターの情報(作業内容、ボランティア募集など)は日々変わるので、最新の情報を確認したほうがよいだろう。 ☆避難所の様子(名取市) 震災直後NPO、NGOが鍋などの調理器具などをもって入ったという。29日現在、避難所ごとに生活のルールができつつあり、被災者同士が生活の仕事分担をしている。それらの仕事を担っていることが生きがいになっている人もいるという。現段階では外部の人間が入って炊き出しをすることは、それまでの避難所のルールを壊してしまう可能性もあるので難しいと思う。 しかし、指定避難所以外の小さな避難所もあるため、そのような場所では炊き出しのニーズがあるのだという。避難所によってそのニーズは刻一刻と変化しているようだ。 ☆救援物資について 1次物資(毛布、水、米など)は、ほとんどの避難所に行き届いている。(名取市情報)「毛布が不足」という情報が流れると全国各地からいつまでも毛布が届くという。有りがたいがその種分けに人出がとられ、物資置き場がふさがるのだそうだ。不足情報はいつの情報なのかをよく確認することが大切だ。 現在は2次物資(爪切りとか歯ブラシなど日常生活に戻るために必要な日用品・食品や服など)の要望が増えている。これらの要望は被災者によって異なり、また時間の経過と共に日々変化するので多岐にわたる物資の提供が必要であろう。 ☆仙台仏青との初会合 地元でボランティア活動を担う仙台仏青の方々10名と初会合を行った。この打ち合わせは、東京(4人)の他に山形(4人)高山(1人)高岡(1人)福井(1人)からの参加もあった。総勢約20名。 仙台仏青のメンバーは16名。岩手県、宮城県、福島県の3県にわたっている広範囲の教区である。全員が被災者とのこと。現在はガソリン不足かつ距離が広範囲にあるため、団体として動くことが難しい状況。 仙台仏青では、個人で行政の手の届かない避難所に物資を届けている人や、避難所にドラム缶風呂を運び、入浴できるような活動をしている人々がおられる。被災者との交流を大切にしている様子が伝わる。心から敬意を表したい。そのような活動を資金面で支援することも我々ができる大切なことだと感じた。(口座はトップニュースを参照ください) ☆会議の中での声 仙台仏青という団体として何をしたらいいのかわからない。 現場にいて無力さを感じる。個人の活動だけでは限界を感じる。 一時、県外に避難をしたが、避難したことに罪悪感がいっぱいあった。 自分自身が行動をしてないと不安である。 被災者の声が届くまで、動き続けたい。 被災地のために何かしたい。 僧侶としての前に、ひとりの人として被災者と関わりたい。 善為でもいい、まず動こう!! あつい雰囲気がそこにあった。その空気を何らかの形で共有したい。 孤立化させてはならないと感じた。 ☆最後に 現段階では同朋Nとして仙台教区に出向き、炊き出しなどの活動をすることは難しそうだ。ボランティアセンターでは炊き出しのボランティアは募集しておらず、ガソリンが不足ているため調達が難しい面もある。しかし、指定避難所以外のところでは、炊き出しをはじめ、様々な支援の必要があるという情報も聞いた。今後も情報収集をし、被災者の声をていねいに聞きつつ、動いていきたい。 また仙台教区のボランティアは、仙台仏青が担うそうだが、現在は他教区を受け入れるための準備段階である。仙台仏青に負担のかからない動きや、ともなる救援の動き、仙台仏青が活動しやすい支援をそれぞれが作っていくべきだと感じた。 私たちに今何が出来るのか。それは被災地や被災者のことを風化させないということだろう。時が経てば被災者への思いは風化してしまうもの。ご門徒や友達などに正確な情報を発信することによって風化が防げるのではないだろうか。また自分自身の中の風化も防げるのだろう。 被災地に行くことが私ができる全てではないと思う。自分が住んでいる地域の避難所を訪ねることもある。実際は、被災地に行ってボランティアをすることしか頭になかったが、しかし、今回の震災では被災地の避難所の他にも、日本全国広範囲にわたって避難所が開かれている。まずは自分が住んでいる地域に避難所があるか、活動は出来るかなどを調べて見るのもいいかもしれない。 他にも今被災地に行かなくても私たちに出来ることはあるはずだ。「このようなことをした」「このようなことができるのでは」など、みなさんが思いつくことがあれば、同朋Nまで教えてください。 (以 上) ※皆さんのひとことコメントを募集します。