約 89,881 件
https://w.atwiki.jp/magicman/pages/44160.html
血統(ノーブル)進化 ■血統進化- 進化元の条件 、《血統進化対象クリーチャー名》( 進化元の条件 1体の上に置く。それが《血統進化対象クリーチャー》ならば、NE能力を得る。) 設定上、明確にあるクリーチャーの進化体であることを表現したかったので作成 NE能力は達成しづらい(当社比)ので強めでもいいと思います 使用自由 また、血統進化Vとか墓地血統進化とか派生させても可 作者:カムイ 血統進化を持つクリーチャー(追記してもしなくてもいいよ) 《真超竜ザ・シャック》 《機真装甲 V・ボーグ》 評価 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/188.html
保守主義とは、近代啓蒙の批判に外ならない。 近代自然法思想を含めた啓蒙の哲学は、社会と人間の、合理的に制御し得ること、あるいは、個体的に還元し得ることを主張して止まない。 啓蒙の哲学は、社会と人間の合理化と個体化(rationalization and individualization)を称揚する、近代進歩主義の原型なのである。 このような啓蒙の哲学が、その淵源をどこまで遡り得るかについては、様々な議論があり得よう。 しかし、ここでは、それが、17・18世紀の200年を通じて形作られて来た、ある精神の型に過ぎないことを確認しておけば、差し当たり充分である。 むしろ、ここで問題にしたいのは、その啓蒙の精神が、フランス革命、さらには産業革命と民主革命の進行に伴って、我々の文明の最も誇るべき価値であるかのように、この世界に拡散して来たという事態である。 合理化と個体化を称揚する精神は、産業化と民主化の激流に翻弄された19世紀はもとより、20世紀末の今日においても、なお我々の文明の中心に位置するかのように見受けられる。 「情報化」という名の新たな産業化と、「差異化」という名の新たな民主化は、我々の時代を画する進歩の旗印として持てはやされている。 啓蒙の精神は、社会の合理的な管理と人間の個体的な解放というスローガンを高く掲げた、近代進歩主義の運動を、このニ世紀に亘って導いて来たのである。 もちろん、このニ世紀に亘る進歩主義の運動が、極めて多様な傾向を孕んでいることは言うまでもない。 そこには、いわゆる啓蒙主義によって導かれた、自然人権と国家集権を求めるフランス革命の運動もあれば、功利主義によって導かれた、自由化あるいは社会化を目指す漸進の運動もあり、さらには、マルクス主義によって導かれた、人間解放と社会管理のための革命運動もある。 しかし、これらの運動は、社会と人間の、産業化あるいは合理化と、民主化あるいは個体化を、意図的にあるいは結果的に推進したという点において、ほとんど選ぶ処はない。 いわゆる啓蒙主義はもとより、功利主義も、さらにはマルクス主義もまた、近代啓蒙の嫡出子なのである。 保守主義は、このような近代啓蒙の一貫した批判者である。 言うまでもなく、近代保守主義は、フランス革命のもたらした、社会の、理性による専制支配と、原子的個人への平準化の危機に抗して、「自由で秩序ある社会」を擁護すべく、エドモンド・バークによって創唱されたものである。 もちろん、保守主義的な態度が、バーク以前に存在しなかった訳ではない。 未知の変化に抗して、既知の安定を擁護しようとする態度は、むしろ人類と共に古いとも考えられ得るし、啓蒙の精神が形を成して来た、17・18世紀においても、それに対抗する態度は常に存在していたのである。 通俗的に言われるよりも遥かに深く、キリスト教を始めとする中世的あるいは近世的な伝統の内に生きていた、17・18世紀においては、むしろ啓蒙の精神こそが、西欧一千年の伝統から逸脱した、その対抗思想に過ぎなかったとも言えよう。 従って、17・18世紀においては、保守主義の、敢えて名乗りを挙げる必要は、必ずしもなかったのである。 何故ならば、保守主義とは、進歩主義の侵攻が、無視し得ぬまでに拡大して始めて、それを迎撃すべく、自らの重い腰を上げる性質のものだからである。 しかし、フランス革命を境として、進歩主義の侵攻は、もはや何人によっても無視し得ぬ段階に立ち至った。 フランス革命以降、産業主義と民主主義の進行に従って、進歩主義は、貴族制度や大土地所有やキリスト教やといった、あらゆる中世的(あるいは近世的)な伝統に次々と攻撃を加え、「自由で秩序ある社会」を決定的な危機に陥れたのである。 バークの闘った闘いは、このような進歩主義との闘いの緒戦を成すものであった。 フランス革命の啓蒙主義と闘ったバークを皮切りに、進歩主義のもたらす、合理的な専制と個体的なアノミーに抗する闘いは、このニ世紀に亘って、陸続と闘い継がれて来た。 近代保守主義とは、合理化と個体化という革命運動に抗する、不断の闘いそれ自体なのである。 言い換えれば、保守主義とは、啓蒙の精神の産み落とした、合理主義と個体主義の狂気に抗して、何等かの伝統に係留された、「正気の社会」を擁護する、終わりなき闘いの中にしかあり得ないのである。 それでは、保守主義は、何故に合理主義と個体主義を拒絶するのであろうか。 あるいは、また、保守主義は、如何にして啓蒙の精神を否定するのであろうか。 さらに、保守主義は、そのような拒絶や否定を通じて、何故に伝統を擁護することに至るのであろうか。 あるいは、そもそも、保守主義にとって、その擁護すべき伝統とは何であるのか。 これらの問いに答えることが、取りも直さず、前節までの議論と保守主義とを結び付ける、《失われた環》を見い出すことに外ならないのである。 保守主義は、社会と人間の、理性によって制御し得ることを否定する。 社会と人間が存続していくためには、理性によっては認識し得ないが、行為においては服従し得る、何等かの暗黙的な知識が不可欠なのであって、社会と人間の全体を、理性によって制御することなど、自分の乗っている木枝の根元を、自分で切る類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、理性の行使をも含めて、語り得ずただ従い得るのみの知識を前提として、始めて可能となるのであって、その暗黙的な前提をも含めた、自らの総体を制御することなど、全く不可能なのである。 人間の行為の不可欠な前提である、このような暗黙的知識は、理性的な行為の対象とならないがゆえに、その正当性を合理的には根拠付け得ない。 すなわち、このような暗黙的知識は、正当化し得ない無根拠な知識であるという意味において、まさしく偏見(prejudice)に過ぎないのである。 従って、人間の行為は、自らは何の根拠も持ち得ない偏見を前提として、始めて可能であることになる。 保守主義は、人間の生きていくために、暗黙的で無根拠な偏見に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、合理主義とは、合理的に制御し得ないものを制御せんとする、言わば暴力的な試みなのである。 そのような試みを、敢えて実行しようとするならば、制御の主体は、社会に対して、自らの意志を盲目的に強制する以外の、いかなる手段も持ち得ないことになる フランス革命やロシア革命、さらにはナチス・ドイツの経験が明らかにしたように、合理主義の行き着く先は、効率的な暴力を背景とする、野蛮な専制支配の外ではあり得ないのである。 保守主義は、社会と人間の、個人へと還元し得ることを否定する。 人間の行為は、それを取り巻く社会的、文化的な状況が与えられて、始めてその意味を決定し得るのであって、人間の行為の意味を、個人の内面的な意識へと還元することなど、言葉の意味を、他の言葉の意味との対比関係から切り離して、単独に決定する類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、他者の行為との関係をも含む、全体的な状況の中に位置付けられて、始めて成立し得るのであって、その全体的な状況が、個人の行為に還元し尽くされることなど、決してあり得ないのである。 人間の行為の成立/不成立を決定する。このような全体的状況は、行為の成否を決定する根拠となる、あるいは、行為の成立を正当化する理由となる、という意味において、規範的と言い得るものである。 すなわち、このような全体的状況は、行為を根拠付け、行為を正当化し得る、という意味において、まさしく権威(authority)と呼ぶべき事態なのである。 従って、人間の行為は、その根拠として服従すべき権威を前提として、始めて成立することになる。 保守主義は、人間の生きていくために、全体的で規範的な権威に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、個体主義とは、自らの拠って立つ不可避の基盤を見失った、個体の自己過信の外ではない。 個体主義とは、個体的に還元し得ないものを還元せんとする、いわば?神的な営みなのである。 そのような営みを、敢えて遂行しようとするならば、個人は、他者の、従って自己の行為の何であるかを全く了解し得ない、アノミーの深淵に立ちすくむことになるだけではない。 19世紀には絶望とともに予感され、20世紀には希望とともに実現された、高度大衆社会の実現が明らかにしたように、個体主義の精神がもたあすものは、無神論の深淵ではなく、神でも何でも手軽に信じて気軽に忘れる、多幸症の浅薄というアノミーに外ならないのである。 このように合理主義と個体主義を拒絶する、保守主義の橋頭堡としての偏見と権威が、理性によって意図的に設定されたものでも、個人によって意識的に合意されたものでもあり得ないことは言うまでもない。 偏見と権威は、行為の持続的な遂行の累積的な帰結として、自然発生的に生成されるものなのである。 すなわち、偏見と権威は、合理的な設定によらず、個体的な合意によらず、ただ遂行的にのみ生成される、まさに伝統(tradition)と呼ばれるべき事態なのである。 偏見とは、いかなる合理的な根拠も持ち得ない、俗なる伝統に外ならず、権威とは、あらゆる個体の根拠として従うべき、聖なる伝統に外ならない。 伝統とは、自らの如何なる根拠も持ち得ずに、他の一切の根拠として従われるべき、俗にして聖となる歴史の堆積なのである。 言い換えれば、伝統とは、歴史の試練に辛くも耐えて、偏見と権威の内に記憶される、生きられた経験に外ならないのである。 従って、偏見と権威に支えられて始めて成立し得る、人間とその社会は、このような伝統に従うことを、その不可避の条件とすることになる。 保守主義は、人間と社会の生きていくことが、つまるところ、伝統に回帰する以外にはあり得ないことを、強く主張するのである。 近代啓蒙の精神は、このような伝統や偏見や権威やを、蛇蝎の如く忌み嫌う。 因習や俗信や抑圧やから、人間を救済し、理性と自我との赴くままに、世界を革新すること、これが啓蒙の企てなのである。 しかし、保守主義から見るならば、このような啓蒙の企てこそが、合理主義的な抑圧と個体主義的な俗信とをもたらす当のものに外ならない。 近代啓蒙の精神は、不断に進歩することを、まさに因習となすことによって、専制的な抑圧とアノミックな俗信とを、常に帰結せざるを得ないのである。 保守主義のこのような回帰する伝統とは、合理的に制御し得る客観的なものではあり得ず、また、個体的に還元し得る主観的なものでもあり得ない、遂行的に生成される、言わば第三のものであった。 すなわち、伝統とは、客観的な自然でもあり得ず、主観的な意識でもあり得ない、第三の領域なのである。 このような第三の領域は、日常言語において、社会、文化、あるいは制度と呼ばれる領域に外ならない。 保守主義は、伝統に回帰することによって、客観的な自然法に根拠付けられる訳でもなく、主観的な社会契約に還元される訳でもない、社会という領域を再発見したのである。 言い換えれば、保守主義は、啓蒙思想による、理性と個人の発見に幻惑されて、一度は忘却の淵に立たされた、社会という現象を、再び見い出したのである。 社会の発見は、17・18世紀思想における理性と個人の発見に鋭く対比される、19・20世紀思想の鮮やかな特徴をなしている。 もちろん、合理主義と個体主義の哲学は、20世紀末の今日においてもなお有力なのではあるが、18世紀と19世紀の境に起こった転換以来、社会の、合理主義と個体主義によっては、ついに捉え得ない、という了解もまた、我々の共有財産となっているのである。 この意味において、保守主義は、社会についての哲学を、近代において始めて可能とした思想であると言えよう。 保守主義の歴史とは、取りも直さず、近代社会哲学の歴史に外ならないのである。 保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、合理的な客観としての自然でもなく、個体的な主観としての意識でもない、慣習的な遂行としての社会を、近代において始めて発見した。 すなわち、保守主義は、社会を、自らは如何なる合理的な根拠も保持せずに、自らにあらゆる個体的な行為を従属させる、遂行的な秩序として捉えることによって、近代社会哲学を創始したのである。 保守主義のこのように発見した社会が、前節に述べた《遂行的なるもの》と、ほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 《遂行的なるもの》とは、あらゆる行為がその成立/不成立を依存せざるを得ない文脈であり、また、いかなる根拠付けも自己に回帰する言及となるがゆえに不能である、遂行的な秩序のことであった。 すなわち、《遂行的なるもの》とは、個体的に帰属し得ず、合理的に言及し得ない、慣習的な秩序のことである。 従って、保守主義の発見した社会は、《遂行的なるもの》と、極めて正確に一致していることになる。 すなわち、保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、取りも直さず、《遂行的なるもの》を発見していたのである。 あるいは、むしろ、ハイエクの自生的秩序、ハートのルール、オースティンの言語行為、さらにはウィトゲンシュタインの言語ゲームを通底する、《遂行的なるもの》こそが、保守主義のニ世紀に亘って護り続けて来た伝統の、現代における再発見なのであるとも言い得よう。 20世紀哲学の到達した地点は、保守主義の歴史の新たな一ページなのである。 すなわち、ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインの到達した哲学は、20世紀末における新しい保守主義に外ならないのである。 もちろん、ハイエクもハートもオースティンも、さらにはウィトゲンシュタインも、自らを保守主義者と名乗っている訳では些かもない。 従って、現代における新しい保守主義を考察するためには、彼らの哲学よりも、むしろ、現代における正統的な保守主義者、たとえばマイケル・オークショットなどの哲学を検討すべきではないのか、という指摘も尤もである。 わけてもオークショットの社会哲学は、イギリス保守主義の掉尾を飾るものとして、是非とも検討されねばならない。 しかし、現代においては、保守主義者を名乗る人々の哲学が、必ずしも保守主義の哲学であるとは限らない。 啓蒙の哲学が、あたかも正統思想であるかのように流布されている現代においては、保守主義を騙って啓蒙を喧伝する輩が、跡を絶たないのである。 保守主義とは、まず何よりも啓蒙の批判に外ならない。 従って、現代における新しい保守主義の探求とは、取りも直さず、現代における反啓蒙の哲学の検討であらねばならぬのである。 ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインが、このような現代における反啓蒙の急先鋒であることは紛れもない。 本書は、経済哲学、法哲学、言語哲学を含む社会哲学の、20世紀における大立者達の言説の内に、現代における反啓蒙の、従ってまた、現代における新しい保守主義の可能性を探って見たのである。 20世紀末の保守主義は、自生的秩序やルールや言語行為や、さらには言語ゲームの哲学の内に、その新たな表現様式を見い出しているのである。 このような20世紀末の新しい保守主義が、ニ世紀に亘る保守主義の歴史に、何か付け加えたものがあるとするならば、それは、啓蒙の運動が不可能であることの、新しい表現様式である。 新しい保守主義は、社会と人間が、自らの要素である行為の文脈依存的であるがゆえに、個体的に還元され得ず、また、自らを対象とする行為の自己言及的となるがゆえに、合理的に制御され得ないことを主張する。 すなわち、新しい保守主義は、社会と人間の個体化と合理化という、啓蒙の運動の不可能であることを、言語行為論あるいは言語ゲーム論に準拠して主張するのである。 保守主義は、その誕生以来、時代の進歩主義に対応する、様々な表現様式に身を託して、合理化と個体化の不可能であることを主張し続けて来た。 新しい保守主義の準拠する、言語行為論あるいは言語ゲーム論もまた、20世紀末の進歩主義に対応する、そのような表現様式に外ならないのである。 いずれにせよ、保守主義によれば、社会と人間の合理化と個体化は、原理的に不可能である。 社会と人間に対する、進歩主義の貫徹は、所詮出来ない相談なのである。 そのような進歩主義を、敢えて貫徹しようとするならば、社会と人間は、暴力的な専制と涜神的なアノミーとへの分解によって、破壊し尽くされざるを得ない。 進歩主義は、その建設への意志とは裏腹に、社会と人間を、ついに崩壊へと導かざるを得ないのである。 まさしく、滅びへの道は、善意によって敷き詰められている。 従って、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の生き方についての、可能な二つの道の対立などでは全くない。 進歩主義の道は、社会と人間の死滅に至る、不可能な道なのであって、社会と人間の辛くも生存し得る、唯一の可能な道は、保守主義の道なのである。 すなわち、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の存続し得るか否かを賭けた、全く抜き差しならぬ対立なのである。 この命題は、もとより、一般の社会と人間についても成立し得ると思われるが、ここでは、その近代の社会と人間についての成立が確認されねばならない。 すなわち、近代の社会と人間は、あたかも近代の正統思想であるかのように見なされている、進歩主義のみによっては、自らの存続すらをも保証し得ないのである。 言い換えれば、近代の社会と人間が、数世紀に亘って辛くも存続しているとするならば、それは、金ぢあの社会と人間が、己の意識するとしないとに拘わらず、保守主義を、事実として生きてしまっているからに外ならない。 近代の社会と人間は、あたかも反近代の異端思想であるかのように見なされている、保守主義を生きることによって始めて、自らの存続を辛くも保ち得るのである。 これは、何の逆説でもない。 社会と人間は、まさにそのようなものとして、生きられているのである。
https://w.atwiki.jp/syukensya1990/pages/298.html
平和主義国最大のナショナルセンター。 旧民主労働党の最大の支持基盤であった。民主労働党解党後は、加盟する労組内で支持が分かれており、平労連全体としての選挙における推薦や支援を見合わせている。民主労働党解党直前には、会長らが仲裁役となり解党阻止に動いたが失敗している。 本部は水田区の旧水田国際産業会館を購入し本部として活用してきたが、ビルの老朽化や手狭なことから09年に水田センタービルディングに移転した。 組合員向けに金融事業を行っており、平労連労働金庫を運営している。 概要 代表者 問田 彦太(平和主義国公務員労働組合委員長) 副代表者 兵頭 頭(平和主義国電機労働組合) 設立年月日 1975年10月1日 本部所在地 〒000-0000 新都府水田区8丁目2-1 水田センタービルディング 加盟者数 支持政党 旧民主労働党、社民連合党 機関紙 平労連ネットワーク通信 機関紙 76年から07年までは労働者生活日報という名前だったが、08年に現在の名前に変更した。月5回発行しており購読料は1ヶ月1700円に設定されている。印刷は新聞社等に委託していたが80年に新都府郊外に印刷所を建設してからは自社で印刷している。配達は郵便を活用している。
https://w.atwiki.jp/yaranaiomm/pages/386.html
七煌宝樹&SM血統図 ガウェイン .┐ 蒼紫 ┐ リオン ┐ .├─ ジャンヌ ※ ├─ 蒼星石 ┐ 点蔵 ┐ ├ アグリアス .┘ ??? ┘ ├ グレン .┐ ├ セイバー .┘ ホロホロ ┘ │┌ メアリ .┘ カレン. .┓ ┣┫ ┣━ フェイト ┓ ┃┗ 凶真 ┓ 黒 ┘ ┣ カルラ ┛ ┣ 玉響 .┓ ┌ カミナ .┘ カシス ┛ ┣ 陶冶 .┓ │ 白刃 .┛ .┃ │ フリーダム .┐ ┣━ ルージュ ┓ │ ┣━ ルナ様 ┓ ダークサイド. .┓ .┃ .┃ │ オクタヴィアちゃん ┛ ┃ ┣ 菜夏 .┛ .┃ ??? ┐│ ┣ メグル .┛ ┣ 集 ※ ├┤ やきにく .┓ ┃ ┃ ??? ┘│ ┣━ エンジェ .┛ クワ ┓ .┃ │ ジャネット ┛ エディ .┓ .┣━ 止水 ┛ │ ┣ ネクロ .┛ │ ネコ先生 .┛ │ └──────────────────────────────────── ノノ. .┓ だむ子 ┓ ┃ .┣ 神武 ※ ロマネコンティ. .┓ ┣━ 弾正 ┛ ┣━ ミュート・ピトニィ ┓ モルジアナ ┓ .┃ はたもと ┛ ┃ ┣ 式部 .┛ アテナ ┓ ┣ 蔵人 .┛ ┣ 親藩 ┓ ┃ ┏ 譜代 ┛ ┃┏ 六波羅 ┛ ┃ ┣┫ ┃ ロクショウ .┐ │└ ラウラ ┐ ┃ ├ チンク ┘ ├ ニュー .┐ ┃ クアットロ. .┘ ??? ┘ │ 外様 ┓┃ ├ 鳴 .┐ ┣┫ │ .├─ シエル ※ 鉄子 ┘│ 『血統:豆腐 / 魔王』より → 蛮 .┘ ??? .┘ │ │ ??? ┐ │ ├ セルティ │ 錆白兵 ┐┌ ??? ┘ └ ミーナ. .┐ ├┤ ├ トゥルーデ ┘└ 美緒 ┐ フラッグ ┘ ├ エイラ ┐ グラハム .┘ ├ サーニャ .┐┌ エーリカ ※ デスサイズ ┘ .├┤ ユニコーン ┘└ ハルート ※ 魔王血統図 ??? .┐ ├ 撫子 ┐┌ 蛮 .→ 『血統:七煌宝樹 SM』へ ライダー ┘ ││ ┣┫ 赤壁 .┓ ┃┃ ┣ 思兼 ┛┗ ラピス ┓ はわわちゃん .┛ ┃ ┃ セガール ┓ ┣━ 玲瓏 ※ コペルニクス ┓ ┣ ソフラ .┓ .┃ ┣━ アリストテレス . ┛ ┃ .┃ ┏ 朧 ┛ ┣━ プリズム ┛ ┃ スカイハイ .┐ ┃ ┃ ┣ マーロウ ┛ 高野豆腐. .┓┃ きめぇ丸 ┓┏ 火鳥 .┛ ┣┫ ┣┫ ピカチュウ ┘│ カービィ. .┘└ ドラえもん. .┐ │ ├ マルチ .┐ │ ??? .┘ │ └ ディオ .┐ ├─ ゼオン ┐ ├─ ベル .┐ │ .│ B.ナットウ ┘ ├ メルエム ┘ .│ クラウド ┘ │┌ ガッシュ ※ ├┤ ルカリオ ┐ │└ ディアーチェ ※ ├ サイト .┐ .│ ??? .┘ │ .│ ├─ ヴィヴィオ . ┘ サスケ ┐ │ ??? ┐ ├ ルイズ .┘ ??? ┐ ├─ なのは ┘ ??? ┐ ├─ ポップ . ┘ ├ ??? ┘ 導師 ┘
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/38.html
マルクス主義以外の体制論では、政治体制を、?全体主義体制、?自由民主制、?権威主義体制に3分するのが今日では一般的である。(ポパー、アレント、リンスの研究より) このうち、?全体主義体制は、 1 共産主義・社会主義体制(マルクス主義体制)と、 2 ファシズム体制、に更に2分される。(ポパー、アレント) なお、?自由民主制(liberal democracy)については、下記のように「民主主義体制」と表記されることが多いが、democracy の正確な訳語は「民主主義」ではなく「民主制」なので厳密にはこれは正しくない。 以下、日本語版ブリタニカ百科事典より引用。 政治体制political regime 一定の支配=服従関係を中心とする政治的統一形態。機能主義的概念として構築された政治システムと区別して用いられる。全体主義体制、天皇制支配体制などはその例である。R.A.ダールはポリアーキー概念により「民主主義体制」の相対化と操作化をもたらし、政治体制の比較分析、民主主義体制に至る過程研究の道を開いた。またJ.J.リンスは現実の政治体制の多くは「全体主義」と「民主主義」の二元論で把握できるものではなく、その中間にある様々なタイプの「権威主義体制」に属するとしている。現代社会において、支配階級は当の政治体制を維持するための権力装置やイデオロギーを公的権力および普遍的イデオロギーとして正当化しようとする。それに対し、被支配者側が支配階級と対抗し、変革を志向する場合、体制維持に対して反体制運動、体制イデオロギーに対して反体制イデオロギーを形成する。本来、体制という概念は社会構成体と同義であったが、それとの相関においてまたその派生体として「政治体制」という概念が成立したと考えられる。 開かれた社会とその敵The Open Society and Its Enemies 批判的合理主義の代表的思想家であるK.R.ポパーが、ファシズムとマルクス主義という2つの全体主義の思想的源泉を探求した政治哲学書。1945年刊。ポパーは呪術的でタブーに満ちた「閉じた社会」と、批判的な態度を持ち知性による非暴力的改善を目指す「開かれた社会」とを区別し、前者から後者への移行を押しとどめ閉じた社会にとどまろうする哲学的伝統こそが全体主義をもたらすと批判した。具体的には、プラトン・ヘーゲル・マルクスがこうした伝統に属する哲学者として厳しく分析されている。 全体主義の起源The Origins of Totalitarianism アメリカの政治学者H.アレントの代表的著作。初版1951年。第2次世界大戦後、最も早い時期に発表された最初の体系的な全体主義研究として知られる。第一部「反ユダヤ主義」、第二部「帝国主義」、第三部「全体主義」の3部構成。全体主義運動は階級社会の崩壊を基盤として成立したもので、一定のイデオロギー実現のために、孤立した諸個人をテロルの鉄枷で締め上げるところに、支配の本質がある、と論じ、そのような体制は厳密には?ナチズムと?スターリニズムのみであると主張する。初版では反ユダヤ主義と帝国主義とを「西洋史の伏流」と捉え、全体主義はその表面化であるとされたが、改訂版以降は、全体主義は西洋史の連続性を切断する現象とされ、前2部との統一性は必ずしも明確ではなくなっている。 全体主義totalitarianism 個人の利益よりも全体の利益が優先し、全体に尽くすことによってのみ個人の利益が増進する、という前提に基づいた政治体制で、一つのグループが絶対的な政治権力を全体、あるいは人民の名において独占するものをいう。歴史的には、ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリアなどのファシズム政治体制が挙げられるが、スターリニズムや毛沢東主義などを含むこともある。?一党独裁、?政権の不誤謬性、?議会民主主義の否定、?宣伝機関の独占、?経済統制、?軍国主義、という共通点がある。20世紀に出現した現象であり、マス・コミュニケーションと兵器の技術進歩によって、初めて可能となった。従来の専制政治と異なるのは、大義が強調され、その下に個人の生活全般にまで統制が行われる点である。 権威主義体制authoritarian regime スペイン出身の政治学者ホアン・リンスによって唱えられた概念。従来の民主主義と全体主義の二分法では捉えきれない中間形態を権威主義体制と考え、「権威主義体制とは、制限されており、しかも責任の所在が不分明な多元主義を持ち、練り上げられた指導的イデオロギーでなく、内容の上でも高度な政治的動因もなく、指導者が形式的には無制限だが、実際には完全に予測可能な範囲内で権力を行使するようなシステム」と定義した。具体的には、スペインのフランコ体制が出発点となるが、朴・全時代の韓国、マルコス時代のフィリピンなど、経済成長を目指す権威主義体制は、現代的な課題である。 権威主義体制<ラテンアメリカの> 自発的結社や個人ではなく、国家が許可した少数の主体にのみ政治の実質的関与が限定され、全体主義ほど厳しい統制はないのが最大の特徴である体制。民主主義に近いコスタリカ、コロンビア、ベネズエラと、全体主義に近いキューバを除いて、程度の差はあるが、ブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルーなど多くの国の軍政時代、及び文民政権のメキシコがこの分類に入る。経済危機や世辞的要求の高まりから、1980年代に入り、いずれも民主化の課題を抱えることになった。 ファシズムfascism 狭義には、イタリアで資本主義が全般的危機に陥った第1次世界大戦以降、労働者階級の革命運動の高揚に対抗して登場し、議会制民主主義を否定して反革命独裁を志向したムッソリーニに率いられた「ファシスト党」の運動・体制及びそのイデオロギーをいう。「ファシズム」の語は「結束」を意味するイタリア語ファッショ fascio がファシスト党の母体である戦闘集団(Fasci de Combattimento)に使用されたことに由来するが、この語はさらに、古代ローマの執政官の権標であった儀式用具ファスケス fasces (斧を中心に木の棒を束ねたもの)にまで遡るという。一般概念としては、それ以降の類似の現象を指すが、近年、多義的に用いられている。極右政党・軍部・官僚中の反動分子らによる政治独裁を目指し、自由主義・社会主義を排撃し、全体主義・軍国主義・ナショナリズムの高唱などを特色とする。具体的には、1920年代から30年代にかけて登場したドイツのヒトラー、スペインのフランコらによって指導された「権威主義体制」の運動及び体制が挙げられる。このように当初はムッソリーニの運動だけを指す固有名詞であったファシズムは、やがて30年代に入ってヨーロッパを初め各国にそれと類似する運動が勃興するに及び、これらを一般的に総称する名称に転化した。
https://w.atwiki.jp/homocratic_jp/pages/34.html
日本淫主主義国(にほんいんしゅしゅぎこく、にっぽんいんしゅしゅぎこく)、または日淫(にちいん)は、東ンアッージアに位置する淫主制国家。首都は皇都。 日本淫主主義国 公用語 日本語(事実上) 首都 皇都(事実上) 政府 日本淫主主義国政府 内閣総理大臣 アドルFoo↑・冷エテラー 国会議長 ヴィルヘルム2世 臨時裁判所長官 人口 1億1451万4810人 建国 諸説あり2020年5月28日(メタ) 概要 - 概要 歴史 (詳細は日淫国の歴史を参照) (淫政界隈については淫政界隈と日淫国の歴史(メタ)を参照) 地理 政治 安全保障 地方
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/40.html
絶対主義absolutism 主として近世初頭のヨーロッパにみられる支配形態で、国王・君主が何者にも拘束されない絶対的な権力を持つ政治体制を意味する。歴史的には、中世の封建制社会が解体し始め、一方で近代の資本主義社会が確立するに至らない過渡期に出現した。絶対主義国家は中央集権的な統一国家の機構を整えた点で権力の分散を特徴とする封建制国家とは区別されるが、封建的土地所有を認め、身分制的階層秩序を依然として維持し、人民を無権利の状態に置いた点で近代国家とも異なった。国王は全国的な徴税と司法の担当者としての官僚組織、及び国内の治安確保と王朝的な国家利益の追求のための国王直属の常備軍の拡充を図り、身分制的協賛機関であった議会の権限を縮小した。また教会の国家に対する服従を勝ち取り、王権神授説を用いて絶対王権の防衛に当たった。代表的な絶対主義君主としては、スペインのフェリペ2世、イギリスのヘンリー8世とエリザベス1世、フランスのアンリ4世とルイ14世、プロシアのフリードリヒ2世(大王)、オーストリアのマリア・テリジア、ロシアのピョートル大帝とエカテリーナ2世が挙げられる。しかし、この政治形態も市民革命によって崩壊した。 ブルジョア民主主義bourgeois democracy 労働者階級の全面的解放を目指すプロレタリア民主主義に対峙させて、資本主義社会における市民の政治的自由の保障を根幹とした民主的思潮と運動を概括的に表現したもの。こうした理解からすると、近代市民革命は、ブルジョアジーが封建制度の桎梏を打破するためのブルジョア革命であることが強調され、それを経て具体化された法治諸制度の形式性が主張される。しかし、その歴史的所産である人権規定に関しては、普遍的に妥当する理念として積極的に評価されることが多い。 プロレタリア民主主義proletarian democracy 究極的にはプロレタリアート独裁によって実現される民主主義をいう。マルクス=レーニン主義によれば、 1 ブルジョア民主主義が普通平等選挙権、基本的人権、社会権などを認めるにも拘らず、実際には少数者の利益保護に終わっているのに対して、 2 プロレタリアートを始めとして多数の被搾取者の利益を推進しようとするものである。 プロレタリアート独裁proletarian dictatorship マルクス主義の革命理論の中心概念であるが、マルクスは『共産党宣言』においては二段階革命に囚われてプロレタリアート独裁については何も触れていない。だが「共産主義者同盟中央委員会への回状」や『フランスの階級闘争』などで、L.ブランキの唱えた永続革命論やプロレタリアート独裁論を積極的に評価し始めた。そして1850年4月の「革命的共産主義者万国協会」の規約第1条では永続革命とプロレタリアート独裁が明確に打ち出されている。しかしブランキ派とマルクス派とが決裂したため、またもマルクスはプロレタリアート独裁の用語を使用しなくなった。ところがマルクスはパリ・コミューンを考察して再びこの用語を復活するようになった。彼はパリ・コミューンをパリの大衆が実現した真に民主主義的な「本質的に労働者階級の政府」であると考えた。そしてプロレタリアート自身が公的暴力を組織し、現実の国家機構の解体のうえに新しい労働者の国家を実現するための過渡的な形態として「プロレタリアートの階級独裁」をと捉え直したのである。そしてこの考えは、レーニンの『国家と革命』にも受け継がれて、ロシア革命の原則となった。しかし革命後のソビエトにおいて、この概念は共産党の一党独裁を正当化し、その他の勢力に対する抑圧の手段となった結果、スターリン時代の粛清を生み出すこととなった。その結果、フランス、イタリア、スペインなどの共産党はプロレタリアート独裁を放棄し、複数政党制と議会制民主主義に基づく社会主義への平和的移行を唱えるユーロ・コミュニズムという独自路線をとるようになった。 人民民主制people s democracy 旧ソ連以外の社会主義国家体制の総称。第2次世界大戦の末期から戦後にかけて、ファシズムとの戦いの中で、あるいは植民地支配との戦いを通じて誕生した、社会主義を目指す諸国家の政治体制。初めヨーロッパ諸国に成立した政治体制を指していたが、その後に出現した中国・北朝鮮・ベトナムの政治体制も、一括されることとなった。いずれもソ連型とは異なる社会主義国家への道であるとされた。その革命目標は?民族解放と?民主主義で、ファシズムに対しては、東ヨーロッパ諸国におけるような国民戦線が形成され、中国においては無産市民・農民・民族ブルジョアジーを含めた抗日民族解放運動が展開されたのが端緒である。しかし、 1 東ヨーロッパ諸国では、戦後になってブルジョア民族主義の再建を目指すブルジョア勢力と社会主義体制の実現を目指す労働者勢力とが分裂し、後者は、国民戦線を基本として、人民会議を最高機関とする政治体制を主張し、産業の国有化ないしは土地革命の遂行を目標として実権を掌握するに至った。 2 中国でも、国民党・共産党の分裂抗争に象徴されるように、ブルジョア勢力と労働者勢力との分裂が見られ、共産党の政権掌握による人民共和国が誕生した。 3 北朝鮮、ベトナムの場合も、民族解放のための戦いが、戦後、ブルジョア民主主義との対立に転化して、人民共和国の実現を見たものである。いずれも議会主義、権力分立を否定し、人民会議を形式的に最高機関とする。政党については、ソ連の一党独裁とは異なり、民族解放のための統一戦線からの継承として多党制をとる場合があるが、共産党によって実質的に支配される点で共通する。しかしソ連型の社会主義国家と同様、そこでは思想・表現の自由をはじめとする基本的人権が実質的に存在せず、また当初に期待されたほどの生活水準の向上も実現しなかった。特に東欧では国民の不満をソ連の軍事力を背景に抑えつけていたが、社会主義政権の崩壊と相前後して、東欧の人民民主制は一気に瓦解した。 社会主義国家socialist state マルクス=レーニン主義における政治上の概念で、革命を通じて権力を獲得したプロレタリアートが、社会主義経済の建設と社会主義社会の実現に向けて打ち立てるプロレタリアート独裁の国家のこと。 1 古典的マルクス主義によれば、社会主義の指標として「国家と階級の死滅」が挙げられており、それへ至る過渡期にプロレタリア独裁国家の必要性が説かれる。従って、その意味からすれば、社会主義国家といわれているのは、理論的にはプロレタリア独裁国家のことに他ならず、社会主義国家ということが形容矛盾であるといわなければならない。 2 しかしながら、スターリン以降のマルクス=レーニン主義に従えば、社会主義においても国家は残り、階級闘争も残存する、とされ、「一国社会主義建設」の下に社会主義国家は理論づけられている。 マルクス=レーニン主義Marxism-Leninism レーニンがK.マルクスを正しく承継したことを強調するために作られた用語。特にレーニンの正統性を立証しようとするのは、革命に関する理論である。すなわちレーニンはマルクスの国家論を正しく受け継いで、革命のための理論と戦術とを構築し、プロレタリアート独裁を擁護したとされている。(⇒レーニン主義) 毛沢東思想Maoism 中国の政治家・思想家 毛沢東の革命思想の総称。1927年の国共分裂後、毛沢東は農村革命根拠地を拡大して都市を包囲するという戦略方針のもとで、農民を主体に階級闘争を推し進め、広範な民衆に依拠する大衆路線を採りながら、マルクス=レーニン主義を半植民地・半封建社会の中国に適応させつつ、新民主主義革命あるいは人民民主主義革命としての中国革命を遂行していった。また思想改造を重視し、42年以後、幹部の思想改造運動、整風運動を行った。経済部門での社会主義的改造が基本的に達成された57年以後、社会主義社会でも人民内部になお矛盾が存在するという見解を表明し、更にそれを発展させて、資本主義から共産主義への過渡期である社会主義社会でも、なお長期にわたり階級闘争が続く、と主張した。この理論は66年以後の文化大革命の理論的基礎となり、更に民族解放運動の重視、大国主義の否定、不断革命論に基づく大同の理想の追求なども、毛沢東思想の主要な特徴として挙げることができる。(⇒中国共産党)
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/37.html
古典的なマルクス主義では、政治体制は、?絶対主義体制→(ブルジョア革命)→?ブルジョア民主制→(プロレタリア革命)→?プロレタリア民主制、と順に「進歩」すると考える(歴史法則主義) ところが1933年1月にドイツで、?ブルジョア民主制→(反革命)→?ナチ政権(ファシズム体制)、という「歴史法則外」の体制変動が発生し、ドイツ共産党が弾圧され、ソ連がナチ政権の打倒対象と名指しされた事態を受けて、1935年8月のコミンテルン第7回大会で、ファシズム体制や帝国主義国の植民地・従属国となっている地域に関する新たな革命戦術(人民戦線戦術)が提起された。 古典的なマルクス主義も、反ファシズム・反帝国主義の革命戦術も、共に、?まず民主共和制の樹立→?次に社会主義体制の樹立、という「二段階革命論」を提起している。 以下、日本語版ブリタニカ百科事典より引用。 なお、用語は「民主主義」と「民主制」が混在しているが、democracy は -ism(思想)ではなく -cracy(制度) であり、厳密には「民主制」が正しいことに注意。 ブルジョアジーbourgeoisie 歴史的概念として、封建社会を打倒し封建的土地所有を廃棄して、資本制生産様式に基づく近代社会を生み出した近代民主主義革命、すなわちブルジョア革命の担い手たる階級をいう。ブルジョアジーの闘争は、市民的自由、すなわち基本的人権と、市民的国家の確立の要求を掲げ、自らを聖職者・貴族の支配階級と対置した意味での「第三身分」と認識して行われた。ブルジョア革命ののち、ブルジョアジーは資本家階級として、自らが生み出した労働者階級であるプロレタリアートと対立するに至った。 プロレタリアートproletariat 階級としての資本家、すなわちブルジョアジーに対立する概念で、資本主義社会において、生産手段を持たず、自らの労働力を資本家に売ることによって生活する階級としての労働者を指す。奴隷や農奴とは異なって生活手段の所有から解き放たれているばかりでなく、人格的な自由を持ち、自己の労働力を商品として資本家に販売することのできる自由な労働者が多数生み出されたのは、ブルジョア革命と本源的蓄積過程においてであり、産業革命以後、社会は大きく?ブルジョアジーと?プロレタリアートに分離された。彼らを社会階級として初めて認めたのはA.スミスであったが、マルクスは、労働者階級は唯一の価値の創造者であり、歴史変革の主体であると規定した。語源はラテン語の proletetarius (無産者)。かつては無産者階級、今日では労働者階級と訳されるが、労働者階級が経済学的規定を持つ用語であるのに対して、プロレタリアートはより広義の歴史的・社会的な概念を含む用語として用いられることが多い。プロレタリアを労働者、勤労者、無産者、プロレタリアートを労働者階級、無産者階級と訳して区別することもある。 社会構成体 マルクス主義の社会構造論。 1 生産力の一定の発展段階に見合う生産関係(生産・分配・交換・消費を巡って形成される社会関係)が社会の下部構造を成し、 2 その現実的土台の上に政治的・法律的制度や組織が整えられ、 3 更にそれが宗教的・芸術的・哲学的、また理念的・イデオロギー的な社会的意識が照応する形で上部構造が成立する。この様にマルクス主義の社会構造は建築のアナロジーで組み立てられている。この枠組みを用い、生産力と生産関係、生産関係と上部構造の矛盾調和のダイナミズムという視点から歴史を全体的に捉えようとするのが史的唯物論のアプローチである。 共産主義社会communist society マルクス主義の理論によって提示された社会形態。私有財産制と国家を廃絶し、財産の共有を基礎として人間疎外を止揚した人類史の最高段階と位置づけられている。共産主義は低次の段階としての社会主義と区分される。 1 社会主義段階では、資本主義の痕跡を残しており、能力に応じて労働し、労働に応じて消費する。 2 だが共産主義の段階に至ると、資本主義的要素は全て取り除かれ、能力に応じて労働し、必要に応じて消費する。ここに至って初めて疎外は止揚され、人間の解放は実現する、とされる。 歴史法則主義historicism 個人を歴史的に無意味な道具とみなしつつ、偉大な理念・民族・階級・指導者に注目して、歴史のうちに何らかの普遍的な発展法則を発見しようとする歴史哲学的世界観。従って、歴史主義 historism とは区別される。歴史法則主義はマルクス主義に代表される大規模な「計画」と「統制政策」の根拠になっているが、K.R.ポパーは著作『歴史主義の貧困』の中で、これが多くの点で誤った科学理解に立脚したものであることを批判した。 二段階革命論 前資本主義的関係が残存している後進資本主義国における革命は、まずブルジョア民主主義革命であり、然る後に社会主義革命へと転化する、という理論。K.マルクス、F.エンゲルスは1848年の『共産党宣言』で、 1 ブルジョア革命は封建秩序と政治的絶対主義を打ち壊し、ブルジョア民主主義と資本主義とを労働者階級と共に建て、 2 次いで労働者階級はブルジョア民主主義によって整えられた諸条件の下で、自らを組織して資本主義を転覆し、社会主義の建設へと向かうと定式化した。これを受けてN.レーニンは、1905年の『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』において、ロシア革命の戦略を、 1 労働者は農民と同盟を結び専制政治を完遂し、 2 その後、貧農など半プロレタリア分子と手を結び社会主義革命を完成する、とした。ロシア革命後、28年7月コミンテルンはその第6回大会で綱領を採択したが、そこでは、 1 資本主義が高度に発達した国における革命が社会主義革命であるのに対して、 2 資本主義の発達が中位の国の革命は、社会主義革命に転化するブルジョア民主主義革命、すなわち二段階革命である、とされ、これが二段階革命論を全世界に普及させ、定着化させるもととなった。 人民戦線people s front 1934~35年頃の世界に台頭してきたファシズム勢力に対抗して結成された反ファシズムの広範な共同戦線。35年8月ファシズムの世界的台頭という状況に直面したコミンテルン第7回大会は、 1 G.ディミトロフ、P.トリアッチらの努力によって、社会民主主義政党を当面の敵としていた従来の社会ファシズム論を改め、 2 各国の共産主義者・社会民主主義者が労働者・農民・小ブルジョアジーを基礎に広範に提携して人民戦線を形成し、ファシズムに対抗する、という新しい方針を打ち出し、画期的な戦術的転換を行った。この転換は国際共産主義運動史上重要な意義を持ち、既にイタリア・フランス・スペイン・中国などに芽生えていた統一戦線への志向を更に促進することとなった。(1) フランスでは、早くも34年2月以降、極右勢力の台頭に抗して、社会党と共産党の統一行動が展開され、35年6月には急進社会党などの諸政党・諸団体もこれに加わって人民戦線が成立した。36年春の総選挙では人民戦線派が勝ち、社会党党首L.ブルムを首班とする第一次人民戦線内閣が成立した。しかしブルム内閣は、やがて内外の保守勢力の抵抗、スペイン内乱を巡る国際情勢の変化に直面して下野し、人民戦線は崩壊した。(2) スペインでは34年9月共産党と社会党の接近が始まり、36年1月正式に人民戦線が結成された。同年2月の総選挙ではスペイン人民戦線派も勝ったが、同年7月F.フランコ将軍の反乱にあい、以降2年8ヶ月の激しい内乱となった。しかし結局、人民戦線は39年3月崩壊した。(3) 中国では35年8月1日に中国共産党が抗日救国のための民族統一戦線結成を訴える「八・一宣言」を発し、翌36年12月の西安事件を経て第2次国共合作が実現、やがて抗日戦争の勝利がもたらされた。(4) 日本では、36年日本無産党が人民戦線の結成を提唱したが、37年冬から38年春にかけて政府の弾圧を受け、多数の逮捕者を出し(いわゆる人民戦線事件)、人民戦線運動は失敗に終わった。
https://w.atwiki.jp/emp3037/pages/820.html
血統血族 第5弾環境で猛威を振るったデッキタイプ。 J-428 ジョースター家の血統の効果により、 J-429 ジョースター家の血族などのヒーローを大量に出し、 ジョナサン/ジョセフ/承太郎/仗助を強化するデッキの総称。 最大の特徴は、それ以前の環境とは桁違いのパンプアップ。 強化して単純に殴るデッキや、J-163 メメタアで山札切れを狙うデッキなど、勝ち筋は様々で、ヒーローに上記の血統血族を採用している以外に、特にこれといった定義はない。 多くのユーザーの予想通り、第6弾以降、メタカードが大量に収録され、特に新所属の「風」がその役割を担っている。 「風」自体が強力なデッキタイプであるため、血統血族の位置も相対的に引き下げられてはいるが、第8弾現在においても最強の一角を占めるデッキである。 なお、J-428 ジョースター家の血統、J-429 ジョースター家の血族ともに登場タイトルを持たないカードであるため、【ジョルノジョバーナには夢がある!黄金の風】大会の2月、3月レギュレーション(タイトル縛り)では使用することが出来なかった。 サンプルデッキ 血統・血族デッキ
https://w.atwiki.jp/5ark/pages/282.html
魔術 彼らの魔術は血液を媒介にし、強大な血を受け継いだ者はその力も受け継ぐ。 純血を保つ為、近親婚を繰り返す内に血族そのものが一つの魔法となった。 無理な交配により肉体の変異、精神の異常、短命などの問題が起こり、現在では廃れてきている。 血統魔術の始祖は吸血鬼の源流たる真祖である。 関連 イング…黎明期に血統魔術を推進した功労者。