約 1,660 件
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/118.html
御園王の黄金伝説 (最戸) bgsound 南区との境に、最戸という町がありますが、そこには笠原さんという、昔から住む人の古い屋敷があります。このふしぎなお話は、その屋敷の大きなケヤキの大木の下に、今も残るりっぱな五輪塔にまつわる話です。 石の五輪塔は、ふつう、お墓としてたてられるものですが、その五輪塔の下には、御園王という、身分の高い人のなきがらがおさめられていると伝えられています。 しかし、御園王は、笠原家の先祖とされているだけで、どこから来て、どのような人であったのかはまったくわかっていません。以前は、その御園王と笠原家の関係をしめす系図もあったそうですが、残念ながらゆくえ不明になっています。 その五輪塔には、ふしざな歌のようなものが伝えられていました。 朝日さす 夕日輝くところ 黄金千杯 朱千杯 埋まるところ その謎のような歌にひかれて、ある若者が、ひそかに掘ってみようと思ったのです。 若者が、どんどん土を掘っていくと、くわの先に、カチッと何かが当たったそうです。 掘り出してみると、それは古びた壷でした。しかし、その壷のふたを開けてみて、若者は腰をぬかしたそうです。壷に入っていたのは、黄金どころか、枯れはてた人の骨が入っていたからです。 ようやくして、若者は気を静め、あたりを見回し、人のいないことを確認してから、そうーっと元のように壷を埋めなおしたということです。 それから、気になって、気になってしかたがないので、何度もなんども、石の五輪塔の下に眠る人の霊にあやまり、ねんごろに供養をしたそうです。 それから後、もう墓を掘ったりする人もなく、いまも五輪塔は大きなケヤキの木の下に、謎をひめたまま、静まりかえっています。 そして、今ではもう、御園王のことも、黄金のこともわからなくなってしまいました。 鎌倉時代のものと思われる、この美しい五輪塔だけが残されているのです。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/100.html
笑うゴロスケの話 (日野)」 bgsound 「フフッ、フフッ、フフッ、フフッ」 どこからか笑い声が聞こえてきます。 「フフッ、フフッ、フフッ、フフッ」 ほら、またおかしな笑い声が聞こえてくるのです。とくに風の強い夜は遠くのほうで鳴いたり、近くで笑ったりしているみたいに、聞こえてくるのです。 学校から帰ると、ぼくはその笑い声の正体をさぐることにしました。どうやら、日野公園墓地のほうから聞こえてくるみたいです。 どんどん墓地へ入って行くと、あたりが急に暗くなりました。大きなしいの木の葉が重なりあって、空を見えなくしています。 すると、そのしいの木の枝からバサバサッと音をたてて、黒いものがとなりの枝へ動きました。息をひそめてじつと見ていますと、また黒いものが枝を動かしたのです。 ぼくは何だかこわくなって、一目散に逃げだしました。「あの黒いものが追いかけてきて、ぼくにおそいかかったらどうしよう」そう思うと、足がもつれそうです。ハアハアしながら、やっとのことで家に帰りつきました。 その夜は、ふとんに入ってもなかなか眠れません。ねがえりを打ちながら、いつのまにか“あの黒いもの”のことを考えています。すると、バサバサという音まで聞こえてきたような気がして、思わずふとんをかぶってしまいました。 「よーし、あすもう一度探険に行って“あの黒いもの”の正体をつきとめてやるぞ」 僕は、そう決心しました。 次の日、おっかなびっくり墓地へ行ってみると、昔からこの近くに住んでいる人が立ち話をしています。そこで、ぼくは「フフッ、フフッ、フフッ、フフッ」の笑い声は、だれの声ですかと聞いてみました。 「あれはゴロスケが笑っているんだよ、フクロウの鳴き声だよ」 と教えてくれました。 ぼくは、やっと安心をしました。一度、ゴロスケにあってみたいと思いました。 学校の帰り道に、友だちと墓地の近くを歩いて通ると「フフッ、フフッ」と笑い声が聞こえてきました。 ぼくはとくいになって「あれはゴロスケが笑っているんだよ」とみんなに教えてあげました。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/106.html
野庭の赤ナス (野庭) bgsound むかし、野庭村は、人も少なく、さびしい村でした。雑木林が広がり、人々は、畑を中心に野菜を作って生活していました。 村の子どもたちは、いつも元気で、日がくれてやっと家に帰ると、みな真っ黒けでした。 「今日もね、うさぎを見つけたんだよ。ね」 「ぜったい、はさみうちにしてやろうと思ったのにさ、また逃げられちゃったよ」 「あいつら、はやいんだよなあ、うさぎ谷へ入ったら、あっという間さ」 うさぎ谷とは、うさぎがいっばいいる谷のことです。 子どもたちは、たっぷりと家の手伝いもしました。中でも、この家の末の弟は、なぜか、いそいそと畑に出ていきます。それは、真っ赤なナスが実っていたからです。 日本に、まだ外国の人があまりいなかったころ、横浜の港からたくさんの外国人が入ってきて、住みつくようになりました。 そして、西洋料理には欠かせない野菜を、このあたりでも作るように決められたのです。 畑仕事をしながら、末の弟は、そのめずらしい赤ナスに心をうばわれていました。どんな味なのか想像もつきません。 赤ナスは、緑色から、日に日に赤くなっていきます。けれども、父も母も、中華街で買ってもらう大事な作物だからと言って、食べさせてはくれませんでした。 他の西洋野菜も作られていましたが、何と言っても一番知りたいのは赤ナスの味でした。 ある日、とうとう、重そうにぶら下がっている赤ナスをもぎ取ると、ガプリ・・・。 「うぁっ」 口中に青臭い汁があふれました。あわてて吐き出しましたが、のどにも鼻の奥にも、そのみょうなにおいがはりついたかのようです。 目くばせしながら、弟の様子をこっそり見ていた二人の兄は、「やったぁ」と、大笑い。 弟は、初めての味にびっくりしたのでしょうか・・・。この弟だけでなく、二人の兄はもちろん、一度これをかじってみた者はだれも、二度と食べてみようとはしなかったそうです。 日本中のほとんどの人が、まだトマトを知らなかったころのことです。野庭村の人々は、いちはやく、その「赤ナス」と呼ばれていた「トマト」の、味見をしたんですね。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/151.html
年代 昭和46年 鎌倉街道(県道)向田橋付近の様子です。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/215.html
昭和38年完成の先代上大岡駅ビルです。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/218.html
昭和38年完成の先代上大岡駅ビルの京急上大岡駅改札口です。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/204.html
上大岡駅東側の京急による宅地分譲開発の頃の写真です。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/211.html
横浜市立南高等学校の建設中の写真です。 昭和31年に現在地、下永谷に学校建設用地を取得し、 昭和33年より第1期建設工事が始まり、 昭和34年に第1期工事が完成、 昭和35年に第2期工事が完工いたしました。 丁度その頃、周辺地域の宅地造成工事も行われていました。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/169.html
「さつき台探勝会」は大久保さつき台自治会住人で組織し、毎月第3土曜日に東永谷公園(通称パンダ公園)に集合して、近郊の史跡・自然を探索しています。
https://w.atwiki.jp/sakakyucorporation/pages/16.html
深川営業所 上飯田営業所 湘南営業所 藤沢営業所 大和営業所 青葉台営業所 山田営業所 川崎営業所 根岸営業所 太田営業所 新宿営業所 品川営業所 日吉営業所 港南営業所 港北営業所 三ツ境営業所 小杉営業所 成城営業所 新横浜営業所 町田営業所 相模営業所 厚木営業所 西丘営業所 宇都宮営業所 久喜営業所 所沢営業所 小手指営業所 秩父営業所 飯能営業所 和光営業所 川越営業所 草加営業所 春日部営業所 野田営業所 伊勢原営業所 小田原営業所 筑波営業所 守谷営業所 松戸営業所