約 1,954,374 件
https://w.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/2187.html
ウサギのナミダ ACT 1-36 ◆ ゲームセンターに歓声が轟いた。 ハイスピードバニーの勝利。 その勝利にギャラリーの誰もが沸いている。 人間も神姫も、ティアの勝利を賞賛する。 美緒と仲間たちも、抱き合って喜んだ。 三強さえも、その勝利にガッツポーズを取っている。 筐体からフィールドの表示が消え、次のプレイを待機する頃になっても、歓声がやむことはなかった。 ■ 暗闇に、真横に一筋の光が射す。 それは太さを増し、やがて闇は光に取って代わる。 眩しい。 瞳が光量の調節を終えると、今いる場所を認識する。 ゲームセンターの筐体の上。 アクセスポッドが開いたところ。 まわりにたくさんの人がいる、みたい。 大きな歓声が聞こえてくるから、そう思った。 周囲の風景はぼやけていて、よくわからなかった。 「……泣いて……いるのか? ティア……」 「……はい」 わたしはまた泣いてしまっていた。 涙がぽろぽろとこぼれるけれど。 わたしはしずくが溢れるままにしていた。 「……泣くな……」 「いいんです……もう、これで……自分のために泣くのは……最後だから……」 わたしの胸に、様々な想いが去来する。 わたしのことを、許してくれた仲間たちとのこと。 電脳空間を飛び越して、聞こえてきたマスターの声。 わたしの名を呼んでくれた仲間たち。 今ここにいることの、幸せを噛みしめる。 たくさんの嬉しさと、いくばくかの寂寥が、わたしの心を包んでいる。 流れ出る涙は止めようもない。 でも、いやな涙じゃない。 いまのわたしの幸せと希望と、かつての友への別れに流す涙だったから。 「だめだ……泣くな……」 でもなぜか、マスターはわたしが泣くことを許してくれない。 不可解な気持ちがして、わたしは訊いた。 「なぜ、ですか? 泣いちゃ、だめなんですか?」 「お前が……泣いてたら……」 マスターの声が大きく震えた。 「俺が、泣けないだろ……っ」 わたしは思わず振り向いた。 びっくりした。 マスターが……あのマスターが、大粒の涙を流して、口を手で押さえながら、泣いてる。 筐体の上に置かれた左手は、強く握られていて、指の隙間から血がにじんでいる。 わたしの涙なんて、どこかに行ってしまった。 とても心配になった。 わたしは、マスターの手にそっと触れる。 「ど、どうしたんですか。どこか苦しいですか。大丈夫ですか」 わたしは何をしゃべっているんだろう。 こんな時に、どうしたらいいかなんて、さっぱりわからない。 気が動転している。 マスターは、指の隙間から押し出すように声を出して、言った。 「……心配した……もう、帰って、来ないかと……思った…… 不安でっ……押しつぶされるかと…… お前……帰ってきて……驚いてっ……俺の神姫だって……嬉しくて…… 気持ちが……もうっ……ぐちゃぐちゃで……わけわかんね……」 マスターも自分の気持ちがわからないのなら、わたしにも分かるわけなかった。 でも、わたしのこと、心配してくれたのは、わかった。 だからわたしは、マスターの握り拳にもたれかかって。 「わたしは、ここにいます。ここにいますよ?」 「……うん」 「ずっと、一緒ですから。もうどこかに行ったりしませんから。」 「……うん」 「だから、もう泣かないで下さい」 マスターはそれでも泣きやむ様子はなくて。 だけど、わたしのために泣いてくれることを少し嬉しく思ったりした。 ◆ 人には、その時どきにおいて、役割があると思う。 その時の菜々子は痛切にそう感じていた。 隣で、感極まって泣き出してしまった遠野を、どんなにか慰めたかっただろう。 でも、彼女はその役目をティアに任せた。 それが適任だとも思ったが、理由はもう一つある。 筐体の向こうにいる最低男を見張らなくてはならなかったのだ。 勝負に負けたからといって、井山がティアを諦めるとは思えなかった。 懸命に戦った二人のために、菜々子が出来ることをする。 あの夜の誓いは今も続いていた。 はたして、井山は肉付きのいい巨体を揺らして、立ち上がった。 「こ、こんなの、インチキだっ!」 歓声に消されそうになりながらも、井山の声はなんとかギャラリーに届いた。 菜々子は、絶対零度の視線で、井山を射る。 「なにがインチキだっていうの」 菜々子の口をつく言葉は、ブリザードのように厳しい。 聞いた者が凍死しそうに冷ややかな声に、歓声も徐々になりを潜める。 井山はそれでも口答えした。 「だ、だってそうだろ! 傷が治るのに、いつまでだって戦えるのに、クロコダイルが負けるなんてありえないんだ! ジャッジがおかしいか、インチキしたに決まってるじゃないかっ!」 「いいえ。何もおかしくないし、ジャッジも正確よ。 バトルロンドの勝敗は、残りのヒットポイントで決まる訳じゃない。 その神姫が行動不能とジャッジAIが判断すれば、そこで勝敗は決定する」 つまりはノックアウトである。 どんなに装備が健在でも、神姫の弱点であるCSCが破壊されたと判断されれば、勝敗はそこで決する。 井山の言い方で、クロコダイルは不死身のように思っていたが、「ダメージが回復する」以上の効果を持っているわけではない。 だから、ティアの『ライトニング・アクセル』が直撃した時点で、ジャッジAIはクロコダイルを行動不可と判断し、ティアの勝利を宣言したのだ。 観客は、菜々子の言葉に納得したようにざわめいた。 だが、井山はさらに言い募る。 「そ、それだけじゃないぞ! アケミちゃんの装備はレギュレーション違反じゃないか! あんなの、イリーガルも同然だ!」 「ウィルス撒いたり、チートプログラムを使ったりしておいて、相手の神姫をイリーガル扱い? 呆れるわね」 観客からブーイングが上がる。 井山は頭に血を上らせ、顔を真っ赤にして怒鳴った。 「うるさい、うるさいっ!! だ、だいたい、クロコダイルがいけないんだ! こいつがっ……弱いから!!」 アクセスポッドに手を突っ込むと、自分の醜悪な神姫を引きずり出す。 いけない。 菜々子は直感的に思い、井山の方へ飛び出した。 井山がクロコダイルを握った手を振り上げ、そのまま彼女を思いきり床に叩きつけた。 そして、井山はクロコダイルを踏みつけようと足を振り上げる。 菜々子はそこに滑り込んだ。 クロコダイルをかばうように、地面に伏せる。 次の瞬間、井山の足が肩口に落ちてきた。 「あぐっ……!」 井山の体重の乗った蹴りが直撃し、思わず声を上げる。 肩が激しく痛む。 こんな風に神姫を踏みつけるつもりだったのか。 菜々子は戦慄する。 自分が割って入らなかったら、クロコダイルはみんなの前で、粉々に踏みつぶされていただろう。 信じられない。 自分の神姫を、躊躇なく踏みつぶそうとするなんて。 「あんた……っ!」 菜々子が顔を上げ、井山を睨みつけた。 その時、大きな影が視界を遮った。 次の瞬間、井山の丸い顔に拳が食い込んで、その巨体は数メートルも吹っ飛んだ。 大城だった。 彼が井山の顔面に渾身のストレートをぶち込んだのだ。 「このクズ野郎……いい加減にしやがれ……!」 その声に、ギャラリーの多くが震え上がった。 それほどにドスの利いた、殺気に満ちた声だった。 さすがの井山も、床に這いつくばったまま、恐怖に目を見開いている。 「テメェは……神姫オーナーの資格すらねぇ! 出て行け……二度と遠野とティアの前に……俺たちの前に姿を現すな……!」 地獄の底から響いてくるような声だった。 かつて名うてのヤンキーだったという噂は本当らしい。声に百戦錬磨の迫力がある。 それでも井山は身体を起こし、大城を睨んだ。 「え、えらそうに……だ、だいたい、アケミちゃんはボクが風俗の店から助け出したんだ! もともとボクの神姫なんだ! それを盗んだ奴の仲間のくせに……低脳なヤンキーが、キミにも痛い目見せてやるぞ!」 「ほう、どんな目を見せてくれるのかね?」 「え?」 その声は大城とはまったく違う方向から聞こえてきた。 菜々子は声の方を向く。 大城も声の方、井山の背後を見た。 そこには三人の男が立っている。 一人はスーツを着た男性。 あとの二人は……警察の制服を着ていた。 スーツ姿の男は、内ポケットから革の手帳を出し、開いた。 「警察庁MMS公安だ。続きは署で聞かせてもらおうか」 「け、けいさつ……」 井山はその太った体躯に似合わず、俊敏な動きで立ち上がり、駆け出そうとした。 しかし、二人の警官が、それより早く井山を捕らえ、羽交い締めにする。 「井山淳一、MMS保護法違反、窃盗、不正アクセス防止法違反、サイバーテロ容疑、ついでにストーカー防止法違反の容疑で逮捕する」 「くそっ! はなせ、はなせっ! ボ、ボクは何も悪くないっ!」 「大人しくしろ。お前の容疑にはすべて証拠があがってる。雑誌社の連中も、神姫風俗通いの仲間も、みんな自供したぞ。 それから、まだ余罪があるようだからな。きっちり絞ってやる」 警官の一人が、ついに井山に手錠をかけた。 それでも井山は暴れていたが、訓練された警察官にかなうはずもない。 井山は早々にゲームセンターから引っ立てられていった。 あっという間の出来事に、その場にいた誰もが言葉を失った。 残った私服の刑事は、ゆっくりと警察手帳をしまう。 そして、カウンターの方を向くと敬礼した。 「ご協力、ありがとうございました」 「いえいえ、ご苦労様でした」 そう返答したのは、あの童顔の店長だった。 刑事に敬礼を返しにこやかに笑う。 刑事はあっけに取られている観客たちを一瞥すると、菜々子の方に近づいてくる。 そして、菜々子の前でしゃがみ込むと、そこに落ちていた神姫……クロコダイルを拾い上げた。 「これは押収させてもらうよ。大事な証拠なんでね」 菜々子は何も言わず、カクカクと頷いていた。 刑事は、そのままきびすを返すと、ゲームセンターの自動ドアをくぐって去った。 菜々子、大城を含むギャラリー全員が、店長を見る。 店長は、右手に電話の受話器を持ち、左手で親指を立てた。 その童顔ににっか、と笑顔を浮かべる。 店長、グッジョブ。 その場にいた全員が、親指を立てるサインを返して頷いた。 □ 俺がその顛末を聞いたのは、ずっと後になってからだった。 その時は自分のことでいっぱいいっぱいで、気が付いたときには井山の姿が消えていた。 感情が溢れて押さえきれなかった俺の心も、ようやく感情の流出が収まってきていた。 相当みっともない顔をしていたと思う。 顔を拭おうと、ズボンのポケットからハンカチを出した。 握ったハンカチが血塗れになっていた。 「な、んだ、これ……?」 両手の拳を強く握りすぎたせいか、爪が食い込んで、そこから血が出ていたのだ。 さっき気が付いたが放置していた。 よく見れば、腕組みしていたシャツの袖も血に染まっているし、筐体の上にも点々と血痕が残っている。 とりあえず、手のひらの傷口を保護しないと。 俺はとりあえず涙だけハンカチで拭くと、それをどうやって両手に巻き付けようかと思案した。 絶対に無理だということに気が付く前に、俺の右肩に細い手が置かれた。 久住さんだ。 「ほら、遠野くん。手を出して」 優しい彼女の声に従う。 すると彼女は、きれいに畳まれたハンカチを取り出して、それを俺の右手に躊躇なく巻き付けた。 俺は一瞬動揺する。 白いハンカチに紅が滲む。 「ごめん……ハンカチ……」 「いいの、気にしないで」 久住さんはいつも優しい。 俺のハンカチを手に取ると、左手に巻いてくれた。 「俺……いつも君に、みっともないところばっかり、見せてる気がする」 「いいじゃない……かっこいいところばっかりじゃ、近寄りがたいもの」 「え?」 最後の方がよく聞き取れなかったのだが。 すると、久住さんはあわてて、 「な、なんでもないっ」 頬を赤くして、手を振った。 ……いつだったか、同じような彼女を見た気がする。 彼女の肩にいたミスティが、くすくすと笑っていた。 「遠野……」 真面目な顔をして、大城が呼んだ。 「どうする? 今日はやめておくか?」 それは大城の気遣い。 俺は周りを見わたした。 いまだに、俺の座る筐体をギャラリーが取り巻いている。 他の筐体でバトルするものもいない。 声を出す者もおらず、じっと俺たちを見守っている。 皆待っているのだ。 ティアと虎実の一戦を。 俺は目尻に残った涙を拭う。 手を降ろしたときには、もう心は決まっていた。 「ティア、行けるか?」 「マスターが戦いたいというのなら、いつでも」 ティアの返答に、俺は頷いた。 そして大城を真っ直ぐに見る。 「大城、虎実、待たせたな。……約束を果たそう」 「よっしゃぁ!!」 ギャラリーが沸いた。 大城が筐体の向こう側へと歩いていく。 その肩から、虎実が振り向いた。 真面目な顔をして、こくりと頷いた。 ◆ ついにこの時が来た。 虎実は長い間、この対戦が実現するのを望んでいた。 自分の納得のいく戦闘スタイルを身につけて、ティアに挑戦する。 それは、自らに課した枷。 エアバイクを乗り回すスタイルで、ティアと対戦するに足る実力を身につけようと努力した。 その結果、ランキングバトル一位という実績を得たのだ。 それがティアの対戦相手としてふさわしい実力なのかはわからない。 だが、すべてを彼女にぶつけてみたい。自分の技と実力を見てもらいたい。自分という存在を認めてもらいたい。 初めて憧れ、目標とした神姫の全力を、身を持って感じたい。 それができれば、勝敗なんてどうでも良かった。 そして試合の後に言いたいことがある。 長く言う機会を逸していた言葉。 すべてを出し切った試合の後なら、言える気がする。 友達になって欲しい、と。 ■ その約束は、マスターから聞かされていた。 嫌われているとばかり思っていた彼女からの、意外な言葉。そして約束。 もう一度、わたしとバトルがしたい、と虎実さんは言ったという。 マスターをバトルロンドに引き留めたのは、その約束だった。 わたしは虎実さんに感謝している。 もしマスターがわたしのために、と思って、バトルロンドをやめていたら、きっと後悔したと思う。バトルがしたいと思うマスターを見て、わたしは心を痛めたかも知れない。そう、アクアさんのように。 そんな虎実さんとの対戦は、全力でぶつかりたいと思う。 ずっと待っていてくれた虎実さんに、今のわたしを見てもらいたいと思う。 本当にマスターの神姫になったわたしを。 そして、試合の後、言わなくちゃ。 ありがとう、と。 そして、友達になれたら、いいと思う。 ◆ 沸き上がる歓声。 その盛り上がりは、このバトルロンドコーナー開設以来のことかも知れない。 対戦する神姫は、二人ともものすごく有名というわけではない。 だが、このゲームセンターを根城にしている神姫プレイヤーにとっては、どちらも強い印象の残る武装神姫であった。 かたや、かの全国チャンピオンとなったアーンヴァルを相手に好勝負を繰り広げた、オリジナルの兎型。 先ほどは、卑怯卑劣な神姫を正々堂々打ち破った。 その対戦相手は、あの三強を破って、いまやランキング一位に君臨するティグリース・タイプ。彼女のバイク技は特徴的で、本人の知らないところで多くのファンを獲得していた。 そんな二人の対戦である。 ゲーセンの常連にしてみれば、どんな有名神姫のバトルよりも、感慨深いカードだった。 ティアと虎実を呼ぶ声、声。 バトルの準備が終わり、もうすぐ始まろうとしている。 ミスティは菜々子の肩から叫んだ。 「二人とも、がんばれー!」 菜々子は不思議そうに彼女を見る。 「あら? ティアの応援じゃなくていいの?」 「勝敗なんて、関係ないバトルだもの。どっちが勝ったっていいのよ」 「なるほど……そうよね」 菜々子も笑顔になり、頷いた。 ミスティは思っている。 まったく、二人ともめんどくさいわね。友達になりたいなら、さっさとそう言えばいいじゃない。わたしみたいに。 まったく、不器用なんだから。 □ 俺はいつものように、アクセスポッドにティアを送り込む。 今日二度目だが、先ほどとは違い、妙にすがすがしい気分だ。 アクセスポッドの縁に手をかけて、ティアが俺を見た。 気遣わしげな表情。心配してるのか。 俺は微笑して、ティアに言った。 「最初から全力で行くぞ」 「はい!」 はきはきとしたティアの声に、もう影は感じられない。 虎実の約束に応えるのに、今ほどふさわしい状態はないだろう。 今のティアなら、間違いなく最高のパフォーマンスを発揮できる。 準備を終え、筐体の向こうに立つ相手を見る。 そこには、友がいた。 大城は不適に笑い、言う。 「……お前とバトルするのは二回目だ。前の対戦、覚えてっか?」 「よく覚えてる」 「あのときの俺たちとは違うぜ?」 「わかってる。……まさか俺たちがあのときと同じと思ってはいないだろう?」 「アホか。今までさんざん側でバトル見てきたんだ。ティアの進化はイヤと言うほど分かってらあ」 「ならば結構」 「今日は勝たせてもらう。手加減はしねーぞ?」 「当然だ。楽しいバトルにしよう」 「……楽しい?」 「そうさ」 これから、ティアと虎実は何度も手合わせできる。何度も勝つだろうし、何度も負けるだろう。 だが、それでいい。 命を賭けた一発勝負のバトルじゃなければ、戦いに意味がないなんて、思わない。 日々の対戦を楽しく、真剣にプレイすることこそ、俺の求めるバトルロンドだ。 そんな日々の積み重ねのその先に、俺の望むものがあるのだと思っている。 大城は、にかっと笑った。 「そうだな、楽しくやろうぜ」 「ああ。今日も、そしてこれからも」 「行くぜ、遠野! 俺たちの実力見せてやる!」 「よし、バトルスタートだ!」 俺たちは同時にスタートボタンを押す。 大型ディスプレイに対戦カードが表示される。 『ティア vs 虎実』 ギャラリーの歓声が、ひときわ高くなる。 ティアと虎実の名前を口々に叫んでいる。 ゲームセンターから追い出されたあの日が嘘のように遠く感じられる。 周りには信じられる仲間がいて。 思いを寄せる人は、俺の側にいて。 友達だと自惚れさせてほしい男は、俺の向かいに立ち。 そして、俺のただ一人の神姫は、いま約束の地を、全速力で駆け抜けている。 (ウサギのナミダ おわり) トップページに戻る
https://w.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/2678.html
キズナのキセキ ACT0-8「理想の体現者」 ◆ 二階フロアへとつながる店内階段から上がってくる、細い人影。 花村は、片手をあげてほほえむ彼女の姿を認め、相好を崩した。 「こんにちは」 「おや……久住ちゃん、ひさしぶりだね」 「ええ、今回はちょっと長引いちゃって」 「遠征先は埼玉だっけ……どうだったの、遠征先は?」 「……イマイチでしたね」 微笑みながらも、辛辣な評価。 久住菜々子がここ「ポーラスター」に顔を出すのも三週間ぶりくらいか。 その間、彼女はまた武者修行と称して、他のゲームセンターを回っていた。 いまや彼女の二つ名も、『アイスドール』より『異邦人(エトランゼ)』の方が通りが良くなっている。 「最近は面白いバトルをする神姫がめっきり少なくなりました。噂の強い武装神姫を求めて大宮あたりまで行ったけれど……結局、勝つことだけを意識した連中ばっかり」 「それは仕方がないかもしれない。全国大会も盛り上がっていたからね。大会仕様のレギュレーションに合わせて、勝ち抜くことを考えると、どうしても似通ってしまうものだよ」 「それはそうですけど……」 菜々子は少し頬を膨らませた。いたくご不満な様子だ。 魅せる戦いか、勝ちを優先する戦いか。 彼女の疑問は、答えのでない問いである。 それこそ、前世紀の終わり頃、ビデオゲームで対戦格闘ゲームがブームになった頃から、幾多のゲームを経て問われ続け、未だに明確な答えは出ていない。 それは菜々子が、神姫マスター人生のすべてを通じても、答えが出ないかも知れない。 実際、ゲームのキャリアが菜々子の人生よりも長い祖母に、この疑問を投じたことがあったが、鼻で笑われた。そして、久住頼子の答えは、 「そんなの、楽しんだ方の勝ちなのよ」 それは答えになってないと菜々子は思うが、今考えると、頼子はすでに達観しているのではないか。 答えになっていない祖母の答えを思い出し、菜々子はそっとため息を付く。 「そういえばさ」 近くにいた『七星』のメンバーが、不意にこんなことを言った。 「最近、珍しい戦い方をする神姫がいるって、噂になってるけど、知ってる?」 「珍しい戦い方?」 「なんでも、インラインスケートみたいな脚部装備だけで戦うオリジナルタイプだって。俺も見たことはないけど、動きがすごいって噂だよ」 「動き、ねぇ……?」 聞いたことがない噂だった。 脚部パーツだけの装備というのが本当なら、ライトアーマークラスの装備より軽装だ。 それでフル装備の神姫よりもすごい動きができるというのは、ちょっと信じがたい。 「まあ、地上戦しかできないのは間違いないけど、『ハイスピード・バニー』って二つ名からして、かなり高速に動き回る神姫なんじゃないか?」 「ふうん……それで、どこにいる神姫なの?」 「T駅前の「ノーザンクロス」ってゲーセンだったかな」 「……すぐ近くじゃない!」 「ポーラスター」のあるF駅からは、電車で二駅しか離れていない。 すぐ近くで活動している神姫なのに、どうして『七星』の誰も噂を確認しに行こうとしないのか。その保守的な姿勢こそ、菜々子は批判しているのだ。 「あそこ、『三強』とかいう連中が幅利かせてて、雰囲気があんまり良くないんだよな」 「……だったら、わたしが行ってみる。『ハイスピード・バニー』がつまらない相手だったら、その『三強』ともどもぶっとばしてやるわ」 菜々子は不敵に笑う。 見たことのない相手に対する不安を闘志に変える術を、菜々子は放浪した二年ほどで身につけていた。 しかし、菜々子は同時にうんざりもしていた。 「全国大会常連」とか「エリア最強」とかいう肩書きの武装神姫とのバトルを求めて遠征し、実際何度も戦ったが、菜々子が記憶にとどめるようなバトルをしたのは二割に満たない。大会で勝とうとする神姫は、どうしても似通ってしまう。 菜々子が求める「魅せる戦い」は、「勝利を求める戦い」と対局にあることを、嫌と言うほど思い知らされていた。 そして、その二つを両立させようとする矛盾。「魅せる戦い」を求めながら、勝ち続けなければならないことの難しさ。 「魅せる戦い」は自分で戦い方を制限しているとも言える。単純に強い方法を使わず、あくまで自分の決めたポリシーからはずれた戦いはしない、ということなのだから。 菜々子の神姫、イーダ型のミスティは、魅せる戦いを旨としているが、勝利を優先する戦いもできる。 だからこそ、遠征先の強敵を相手にしても遅れは取らず、高い勝率を維持し続けられる。 しかし、「勝ちにいく戦い」は菜々子とミスティの本意ではない。 そこに生じる矛盾を、菜々子は嫌と言うほど感じていた。 だからこそ、面白い、珍しい戦いをする武装神姫とのバトルを求める。 そんな噂をたどっていった方が充実したバトルができる、というのも、遠征の経験から学んだことだ。 「でも、ライトアーマー程度なんでしょう? 秒殺しちゃうかもしれないわ」 「それで食い足りないなら、それこそ『三強』とやらもまとめて相手すればいいじゃない」 ミスティの不遜な言葉に、菜々子も自信満々で答えている。 花村は思う。 『エトランゼ』の実力は、もはや『七星』のメンバーを凌駕している。 桐島あおいとの再戦も近いのかもしれない。 だけど、桐島ちゃんに勝ったとして……久住ちゃん、君はどうする? 決戦の先、菜々子は何を目指すのか。大きな目的が果たされた後、強くなった彼女が何を望むのか。あるいは、大きな目的を失った彼女は、もう武装神姫をやめてしまうのではないか……。 花村は少し気がかりだった。 ◆ 翌日、菜々子はミスティを連れ、T駅で電車を降りた。 T駅はこの沿線で一番若者が多い街と言われている。近くに大学や予備校、学習塾もあるし、高校への通学バスも出ているから、自然と若者が集まるのだ。 もちろん、菜々子も何度かT駅で降りたことがある。 目指すゲームセンター「ノーザンクロス」ももちろん知っていた。 駅のバスロータリーから一本はずれた路地に入り、迷うことなく目的のゲームセンターにたどり着く。 肩に乗っているミスティと視線を合わせ、二人して頷く。そして、菜々子は敵地へと足を踏み入れた。 自動ドアをくぐれば、聞き慣れたゲームセンターの喧噪が彼女を出迎える。 一階の奥がこの店の武装神姫コーナーだった。 奥へと歩みを進める間に、バトルロンドの対戦を映す大型ディスプレイに目をやった。 「……この程度の対戦レベルの店に、面白い神姫なんているのかしら」 と口の中だけで呟く。 大きな画面上の対戦は、お世辞にもレベルが高いとは言えなかった。 その時、菜々子はふと視線を感じた。 武装神姫コーナーの奥の壁際に、二人の男が立っている。 真面目そうな青年と、ヤンキー風の大男。奇妙な取り合わせである。 その二人と視線が合う。 ちょうどいい。どうせ誰かに声をかけなければならないのだから、いっそこのまま彼らに協力してもらおう。 菜々子はその二人に向かって、まっすぐに歩を進める。 彼らの前に来て、 「こんにちは」 とびきりの営業スマイル。 これで九割がた、コミュニケーションは円滑に進む。菜々子が遠征で得た経験則である。 大男の方がこれ以上はないという嬉しそうな顔で応じた。 「こんにちは!」 「誰かお探しですか?」 菜々子は自分の営業スマイルを、斜めにすぱっと切られたような気がした。 真面目そうな青年は、表情一つ変えずに、言葉で切り込んできた。 大男の挨拶が終わるより早く切り出してきた、その妙なタイミングに、菜々子は少し驚いた顔を見せてしまう。 青年と視線が交わる。 ひどく真っ直ぐな視線だった。疑惑の色も、探る風もない。ただ真っ直ぐに菜々子を見ている。その視線で菜々子の本当の部分を見ようとしているかのようだ。だから、浮かべただけの笑顔を切られたような気がしたのだろうか。 菜々子は一瞬目を伏せる。 焦らなくてもいい。人を捜しにきたのは本当だ。用件を正直に切り出せばいい。 「ええ。……『ハイスピード・バニー』のティアっていうオリジナルの神姫をご存じですか? このゲーセンがホームグランドだって聞いたんですけど」 青年は眉根を寄せる。 この時気が付いたのだが、この青年は随分と端整な顔立ちをしていた。 「ハイスピード・バニー?」 「はい。なんでも地上戦専用の高機動タイプで、バニーガールの姿をしているとか。とても 特徴的な戦い方をすると噂に聞いています」 「……それで名前がティアなら、俺の神姫かもしれないけれど……。」 「本当ですか!?」 どうやら大当たりを引いたらしい。 この喜びは営業スマイルではなく、心からのものだった。 これが菜々子と遠野貴樹の出会いであった。 ◆ ミスティとティアの初戦は、ミスティの敗北で終わった。 試合後、菜々子は久々の満足感を覚えていた。 ティアは並の神姫ではなかった。リアルモードを出さなかったとは言え、あの軽量装備でミスティを翻弄した神姫は今までいなかった。 つまり、装備ではなく、マスターの戦略や戦術、神姫自身の技で、ミスティと同レベルの強さを持っているという事である。 そしてなにより、ティアの戦いぶりは美しかった。 菜々子とミスティは、こんな神姫と戦いたかったのだ。それがまさか、遠征先ではなく、地元にほど近いゲームセンターにいるなんて。 この神姫のマスターともっと話をしてみたい。 バトル終了後、すぐに彼に声をかけ、二人してゲームセンターを抜け出した。 こんなことは、遠征先でもしたことはない。 思えば、もうこの時には、遠野貴樹というこの神姫マスターに特別な感情を抱いていたのだろう。 駅前のドーナツ屋での時間は、あっという間に過ぎていった。 話すのはもっぱら菜々子だったが、遠野はずっと彼女の言葉に耳を傾けていた。 その会話の中、菜々子に分かったことがある。 遠野は勝敗に固執していない。納得のいくバトルであれば、負けてもかまわないとさえ考えている。 彼の対戦のモチベーションは、独特の戦闘スタイルを追求し、彼の神姫・ティアの能力を最大限引き出すことにある。 「俺は、『強い』と言われるよりも……そう、『上手い』と言われるようなプレイヤーになりたいんだろうな」 この言葉に、遠野のバトルへの姿勢がすべて現れている気がする。 菜々子は内心、驚いていた。 バトルの内容にこそ価値を見いだす姿勢。そのためには、バトルの勝敗にさえこだわらない。 かつての桐島あおいが目指し、菜々子が受け継いだ理想の、ある意味極端な形。 遠野貴樹という神姫マスターは、彼女たちの理想の一端を体現していたのだ。 「しばらくこっちのゲーセンに通うわよ」 遠野と別れた後、菜々子はミスティにそう宣言した。 菜々子は遠野に惹かれていた。そして、理想を体現するマスターの戦いぶりをもっと見てみたいとも思っていた。 ◆ しかし、理想の体現者への敬愛の念は、ある日唐突に裏切られる。 菜々子と同様に遠野と親しい大城大介が、ある日難しい顔をして、丸めた雑誌を持ったまま立ち尽くしていたのだ。 「どうしたの、大城くん。そんな顔して」 「菜々子ちゃん……」 どうにもばつの悪そうな顔をした大城。 いつも陽気な男だけに、こういうはっきりしない表情は珍しい。 菜々子が不思議そうに彼の顔を見上げていると、不意に背後から笑い声があがった。男たちの、蔑んだ調子の声。 振り返ると、そこには三強の一人が、取り巻きのメンバーと一緒に雑誌を広げている。 それが、今大城が持っている雑誌と同じものだとすぐに思い当たった。 「大城くん、その雑誌、何か書いてあるの?」 「あ、いや……菜々子ちゃんは見ない方がいいんじゃ……」 こういう時、大城は嘘が言えない性格である。 明らかに、菜々子が見て都合の悪いことが、その雑誌に書いてあるのだ。 「見せて」 「いや、でも、なぁ……」 しばらく迷っていた大城だが、うらまないでくれよ、と変な一言とともに雑誌を渡してくれた。 それは菜々子が今まで手にしたことも、手に取ろうとも思ったこともない、ゴシップ誌のたぐいだった。 ペラペラとページをめくり、雑誌のちょうど中央、袋とじになっているページで手が止まった。封は切られていた。記事のトビラに「神姫」の文字が踊っているのが異様だったことだけ覚えている。 意を決してページをめくった。 次の瞬間、頭をぶん殴られたような感覚、というのを思い知った。 「なに、これ……」 そこには、理想の体現者の神姫……ティアの痴態があった。なぶられ、犯され、悶える神姫の姿を、菜々子は初めて目にした。 そういうことがある、という事実は、知識で知っていても、目の前で画像として見せられると、ひどく生々しい。 「ティアは……風俗の神姫だったんだ……」 「ふうぞく、の……」 神姫風俗、というものがあることは、裏バトルに関わっていれば嫌でも耳に入ってくる。 バトルで残虐な方法で神姫を破壊するのにも吐き気がするが、性行為を神姫に働くことは、菜々子の理解の範疇を越えていた。 ティアは、人間の男の欲望を処理する神姫だった。 それじゃあ、遠野はいったいどうやって、ティアを手に入れたのだろう? 風俗店に通い、気に入った神姫を身請けした。それがティアだった……と考えるのが自然だろう。 ということは、遠野も神姫風俗の常連客だったのではないか? なんと汚らわしい! そこまで考えて、菜々子は遠野に「裏切られた」と思った。 理想の神姫マスターだと思っていたのに。 まさか、神姫マスターとして最低最悪の行為に手を染めていたなんて。 菜々子は、怒りと悲しみと失望と疑念が一度に押し寄せてきて、混乱し、頭がくらくらする。だから、顔に出てきたのは呆とした無表情だった。 肩の上の小さなパートナーが、なぜかわずかに眉をひそめただけで、いっそ冷静な様子が憎らしい。 菜々子は無言で、大城に雑誌を押しつけると、ふらふらとした足取りで店を出た。 その後、どこでどうしたのか、菜々子には記憶がない。 気がついたら、自宅のベッドでじたばたしていた、というわけだった。 ◆ 特別に思っていた男性の汚点を否定して見せたのは、彼女自身の相棒であるミスティだった。 ミスティは確信していた。遠野貴樹が神姫風俗に手を出すような人物ではないと。ティアと遠野の絆は本物だと。 なかば自分の神姫の言葉に引きずられ、菜々子は再び遠野を信じてみることにした。 ホビーショップ・エルゴに連れて行ったのは、菜々子が必死になって考えたアイデアだった。 いつもと違う服装で遠野を待ちかまえたのも、策と言うには幼稚だったのではないか、と菜々子は今思い出しても照れくさい。 しかし、結果はオーライだった。 真っ直ぐに向き合えば、遠野はすべてを話してくれた。 ティアを手に入れた経緯も、彼女に対する想いも。裏切られたと思っていた自分が恥ずかしくなるほどに、彼は真っ直ぐに、純粋に、ティアを愛していた。 それが分かったから、ちょっとティアに嫉妬した。 □ 「ずっと……出会ったときからずっと、あなたは理想の神姫マスターだった。その後も、本当にいろんなことがあったけれど、全部覆して見せた。自分の信念を持って、真っ正面から立ち向かった」 「それは……それが出来たのは、君や大城や……みんなのおかげだろ」 俺が言うと、菜々子さんは頭を振った。 「あなたはティアを助けて、風俗の神姫をたくさん救って、雪華やランティスみたいな実力者とも渡り合って……少しくらい、偉そうになってもいいものなのに、全然自分のスタンスを変えない。ただ、理想のバトルを目指す……その姿こそ、わたしの理想を体現したマスターだわ」 「そんなのは、買いかぶりだよ」 今度は俺が頭を振る。 本当にいろいろなことがあった。 セカンドリーグ・チャンピオンの雪華との対戦、バトロン・ダイジェストに記事が載り、周囲の見る目が変わった。 宿敵・井山との決戦。事件の終結。 チームを組み、仲間ができた。八重樫さんと安藤が持ち込んだトラブルも解決したっけ。 塔の騎士・ランティスの挑戦。 それから……菜々子さんの告白を賭けた対戦。 武装神姫を始めてから、まだ一年も経っていない。その間、息つく間もなく、怒濤のような日々が過ぎていった。 そして、俺たちはまだその激流のただ中にいる。 そのことを後悔しているわけではない。しているはずもない。 こうして菜々子さんと二人で話している今は、確実に過去の出来事からつながっているのだから。 菜々子さんを見る。 月明かりと小さな街灯の光を受けた彼女は、本当に美しい。 無性に、彼女がいつも見せてくれる、あの反則な笑顔を見たいと思った。 なぜ俺はこんな時にかけられるような、気の利いた言葉の一つも持ち合わせてはいないのだろう。 「……あした……」 「うん」 菜々子さんの微かな呟きに、俺も小さく応じる。 「明日……ついにお姉さまと戦うのよね」 「ああ」 「……勝てるかな」 「勝てる。それだけの準備をしてきた」 俺は嘘つきだ。 確かに、『狂乱の聖女』に勝つための準備は全てやった。だが、勝てるかどうかまでは、わからない。 だが、今この時、これ以外に彼女にかける言葉があるだろうか? 菜々子さんはゆっくりと俺の方を向いた。 吸い込まれそうな瞳の色。 「ほんとうに?」 「君が勝つ。それ以外は想定してない」 俺の視線は菜々子さんの瞳に吸い込まれた。 菜々子さんの引力に導かれるままに。 俺と菜々子さんの唇が重なった。 ■ 結局、わたしとミスティは、何も言葉を交わすことはできなかった。 わたしはミスティさんの想いを伝えたかったけれど、また激しい口調で拒否されるのではないかと思うと、声に出せなかった。 決戦を目前にして、ミスティの気持ちを乱したくなかった……と思っているのは、わたしの体のいい言い訳に過ぎない。 帰り道、マスターの胸ポケットの中で、考える。 無理矢理にでも伝えるべきだっただろうか。 たとえ拒否されたとしても、話してしまえばよかったのではないか。 でも、それじゃあ、本当の気持ちが伝わらないような気がした。 虎実さんは「想いは必ず伝わる」と言ってくれたけれど。 言葉がなくても、想いは伝わるだろうか。 わたしは一晩後悔しながら過ごし、いつの間にか決戦の朝を迎えていた。 もう後悔したところで遅いのだけれど。 もしわたしが、ミスティさんの言葉を伝えていれば、今日の決戦はまた違った結果になるのだろうか……。 ◆ 翌朝。 夜が明けたばかりの朝の空気は、肌にひんやりと感じられる。 街灯も消え、日が射し始めた。 花咲川公園は、その名の通り、東京湾に注ぐ花咲川の川沿いに作られた公園だ。この時期、桜並木が美しいことで有名である。 川沿いの道を迷うことなく歩を進める。 指定された場所……花咲川公園の表の入り口はもうすぐである。 朝六時ちょうどにたどり着くと、そこには小さな人影がひとつあるきりだった。 髪型はショートカット。ブラウスの上にハーフコート、細いジーパンを履いた、ボーイッシュな出で立ち。 銀色の無骨なアタッシュケースを手に提げている。 美しい顔立ちには、凛とした決意に一抹の不安を乗せている。 「……菜々子」 きれいになったわね。 桐島あおいは口の中だけでそう言った。 久住菜々子は微笑んで、あおいを迎えた。あおいもまた、微笑みで応える。 二人は無言で頷き合うと、並んで公園に足を踏み入れた。 満開の桜。 数え切れないほどの花が、今を盛りと咲き乱れ、並木道を淡い 桃色に染めている。 無数の花びらが音もなく舞い、並木道の先を霞ませる。 目指す場所は桜色に霞んだ道の先にある。 二人は並んで歩く。 その姿が霞みそうなほどの、桜の乱舞。 息を飲むほどに美しい。 その光景の中で、二人が手にしているもの……無骨なアタッシュケースだけが異彩を放っている。 桜吹雪の中、二人は静かに歩いてゆく。 「……こうして、またあなたと話せるとは思っていなかったわ」 「わたしもです、お姉さま……お話したいことが、たくさんありました」 「そう?」 「ええ」 「どんなことを?」 「たとえば……」 菜々子は少しはにかんで、そして言った。 「たとえば、そう、恋をしたこととか」 本当は、ずっとこんな話がしていたい。 いや、そんな日常を取り戻すため、菜々子はこれから戦うのだ。 二人の向かう先、桜吹雪の先にあるのは……決闘の地だった。 次へ> Topに戻る>
https://w.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/1835.html
無頼16「アオゾラ町神姫センターのご案内」 武装神姫とオーナーが、その実力を試す場所。 または、新しい出会いが待っている場所。 それが神姫センターです。 今回は数多くある神姫センターの一つ、アオゾラ町の神姫センターのご紹介していきましょう。 えっ? 私は誰ですかって? 申し遅れました。私はメンテナンスショップ所属MMS"メィーカー"と申します。 メイとお呼びください。 それでは、始めましょう。 どこにでもある普通の町、それがアオゾラ町です。 そこの駅前に神姫センターがあります。 建物は大きく、3階建てとなっています。 店内に入ると、暖かい日差しがお迎えしてくれます。 1階から3階までを繋げた大ホールです。 夏場はちょっと暑いのが難点です。 1階には神姫ショップとMMS関連店、カフェテラスが入っております。 品揃えは様々で、オリジナル商品も充実しています。 最近は物騒な事件が多いので、警備体制は厳重となっております。 各対戦筺体は2階にございます。 以前はバトルロンドのみでしたが、この前リアルバトル用の大型筺体を導入致しました。 でもそれが原因でショップに来るお客さまが増えてしまい、私としては複雑な心境です。 私の勤め先であるメンテナンスショップも、2階にあります。緊急時にすぐ対応するためです。 3階には事務所や医務室のほか、大きなイベントホールがあります。 小さな映画館くらいの規模があります。 紹介はこれくらいにして、私を通して神姫センターの一日を見てみましょう。 AM7:00 「んっ……ふぅあぁぁぁあっ…」 ちょっとだらしない声を出してしまいました。 私は非番だったので、ずっと寝ていました。 センターの開店は9時からなので、充分間に合う時間です。 AM8:30 せっせと開店準備を急いでいます。 今日は私がカウンターに立つシフトですので、ちょっと慌てています。 専用器具…オールグリーン、身体機能…異状なし。 これで完璧です! 「メイ、頭がひどいわよ」 「えっ? ああっ!?」 お恥ずかしいながら、私は寝ぞうが悪いです。 そのせいで髪の毛がくしゃくしゃになっていました。 手櫛で梳かして、今度こそ完璧です。 AM10:21 早くもけが人多数、ひどい話です。 腕が片方吹き飛んだストラーフがやってきました。 なんでも「高馬力タイプと戦ってて武装もろとも引きちぎられた」そうです。 「いやぁ、いつもいつも世話になっちゃってゴメンね」 「しょうがないですよ。"戦いたい"と言うのは神姫の本能みたいなものなんですから」 とは言っても、これは酷いです。破損箇所が中枢部付近までに及んでいます。 今の患者さんは、胸部付近の外装をすべて取り外して修理を行っています。 それでどのくらい酷いかを理解してもらいたいです。 「これでよし。腕を動かしてみてください」 「よっと…」 関節部のアクチュエータやケーブルが、音を立てずに動き出します。 稼働チェック、問題なし…と。 「問題なし、あと5分待って下さいね」 これが、私たちの通常業務です。 AM11:12 どうゆう訳かは判りませんが、長瀬さんに落ち着きがありません。 「どうなされましたか?」 「いや、ただ単にそわそわしてるだけさ」 絶対に嘘です。 その証拠にラスターさんがいません。 「"また"ですか?」 「…そうだ。"また"だ」 長瀬さんという人物は、他の人は騙せても神姫をだますのが苦手のようです。 だからセンター職員では私だけが知っている、長瀬さんの"裏"を。 「すまんな。いらん心配をさせて」 「このくらい解らなくて、医者が勤まるものですか」 PM1:09 ラスターさんが帰ってきました。 左の主翼が吹き飛んだ状態で 「不覚にも…逃げられてしまいました」 「そんな事はどうでもいい。さっさと翼を分離(パージ)しろ」 言われてラスターさんは、気を落とした顔で翼を切り離しました。 「酷いですね、高火力タイプにでもやられたんですか?」 「ああ。なかなか手ごわい相手なんだ。今回は」 ふと、黙っていたジュラさんが口を開きました。 「せっかくだから吹き飛んだ方の翼を赤くしようよ」 それはいつのゲームの話ですか? 「やっぱ Camoooooooon!! は付きものよね」 「止めてくださいジュラ。…今度、撃ち落としますよ?」 「うへっ、PJだけは勘弁!」 PM3:53 彩聞さんがやってきました。 「こんちわ、メイ」 「こんにちは」 ヒカルさんといつも通りのやり取りをしていると、彩聞さんが長瀬さんと何か話しています。 何か改造の話みたいですが…。 「ふむ…。なら、エルゴに行ってみるかい?」 「エルゴ?」 どうやら、彩聞さんは今度ホビーショップ・エルゴに行かれるようですね。 何故エルゴを知ってるかって? "休暇"の時に連れて行ってもらってるのです、長瀬さんに。 このショップ所属のMMSは、誰かしら職員がオーナーとなってます。 今のところ、長瀬さん受け持ちのMMS(こ)は私だけです。 だから、「こう言う事」も知っています。 PM4:33 急患が運ばれてきました。 下半身が粉々になっており、あちこちに亀裂が生じています。 店先で乗用車に轢かれたとのことです。 「メィーカー! お前が執刀しろ」 「わかりました」 言い忘れていましたが、MMSの直接的な修理は私たちの仕事です。 人間の職員はサポートに回っています。 "モチはモチ屋"、という事でしょうか。 「非常事態ですので、がまんしてくださいね」 そう言って、胸部外装を補助アームでむりやり剥がしました。 防音処理された室内に絶叫が響き渡りますが、もう慣れっこです。 むき出しになった動力部に手早くケーブルを接続し、動力を確保。これでひとまず安心です。 「ひぐっ…えぐっ…わたし死んじゃうの…?」 「下半身が無くなったくらいで取り乱さないでください。今は大丈夫ですから」 不安をかきたてる言葉ですが、こういうのは正しく現状を言うのにかぎります。 ちぎれて使い物にならなくなった配線や導管をはずしていきます。 それと同時に、新しい下半身も準備します。 今の私はジェネシスのように、4つの補助アームが背中に装着されています。 私のような専門職はコストがかかるので、そうそう数を増やせるものではありません。 だからなるべく一人で何でもできるような設計が要求される訳です。 ちなみにこのセンターには私を含め、この規模の修理を行えるMMSはわずか4人しかいません。 世の中お金が大事ですねぇ…。 …… PM5:13 「ふぅ…」 術式終わり…。 ボディの最終調整は他の人や職員に任せて、私は一休みです。 緊急を要する状態だったのでそのまま修理を始めてしまい、私の体も服もオイルまみれです。 「んっ…ふぅ…」 もう…汚れた服はさっさと脱ぎすてて、シャワーでも浴びちゃいましょうか。 関係ないですけど、私ってけっこうスタイルいいんですよ? 「相変わらずいい体してるなァ。いや、純粋に」 「うみゃっ!?」 後ろを振り返ると、長瀬さんがこちらを見下ろしていました。もう…この人は…。 「MMSばかり見てるから、彼女が出来ないんですよ?」 「そう言うな。…なんなら、お前が彼女になってくれるかい?」 「ふふ。ラスターさんにの耳に入ったら、またフルボッコにされますよ?」 まあ、こんな所も長瀬さんらしいんですけどね。 PM7:59 今日はバッテリーの消費量がハンパないですね…、バッテリーの寿命かしら。 気がどこか遠くにいきそうです…ふぁぁ…。 「メイ、どうしたの?」 「いや、なんでもないです。急速充電してきますからカウンターの方お願いします」 そう言って、裏の職員用スペースに走りました。 「メイったら最近燃費悪いわね…、バッテリーが原因かなぁ」 PM8:24 あれ…おかしいな。 充電したのにゲージが低い…。 「まさか、漏電してる!?」 その証拠に髪が静電気で逆立ってます、これでは精密機器に触れません!! 「メイ、やっぱりバッテリーが…」 「そうみたい…、でも今は誰も居ないし…」 嗚呼不覚です! こんな事に気付かないなんてッ!! 「まったく…、こんな事になってるだろうと思ったよ」 唐突に長瀬さんが入ってきました。食事に行ってたのでは? 「お前が着替えていた時、時季外れの静電気が起きたのを見たんでな。気になって戻ってきた」 あいかわらず凄い観察眼ですね。 「おかげで夕食食う暇がありゃしない。…ほら、処置室に行くぞ。バッテリー交換してやる」 「え、でもカウンターが…」 「接客くらいラスターとジュラで出来る、それよりも高価なお前が故障したら修理費が大変だからな」 本音にまぎれて、どこか優しさを感じる言葉です。 少なくとも、私はそう感じます。 「ラスター、ジュラ。頼んだぞ」 「オッケー祁音」 「ほら、こう言う時はキャプテン…マスターに甘えるべきですよ」 ラスターさんがどこかもの足りないような表情をしましたが、それは気のせいではないでしょう。 ……… …… … 結局、そのまま私はメンテナンスモードのまま朝を迎えてしまいました。 センターの閉店は午後10時となっていますが、メンテナンスショップは急を要する神姫(こ)たちの為に24時間体制で開いています。 今回はトラブルにつき最後まで紹介できなくて申し訳ありません…。 でもこれをきっかけに、神姫のオーナーがより増える事を心より願っています。 命は人も神姫も同じ、尊いものですから。 それでは、またお会いしましょう。 流れ流れて神姫無頼に戻る トップページ
https://w.atwiki.jp/anirowakojinn/pages/3535.html
作者・ ◆YJZKlXxwjg 本編 俺得キャラクター・バトルロワイアル本編SS目次・時系列順 俺得キャラクター・バトルロワイアルの参加者名簿 俺得キャラクター・バトルロワイアルのネタバレ参加者名簿 俺得キャラクター・バトルロワイアルの死亡者リスト 俺得キャラクター・バトルロワイアルの支給品一覧 地図 1 2 3 4 5 6 A 森 森 浜 森 森 港 B ゲ 神 学 市 森 浜 C 森 図 商 遊 森 森 D 役 秋 墓 桜 館 森 E 森 駅 斜 森 公 浜 F デ 森 森 浜 浜 港
https://w.atwiki.jp/battler/pages/10717.html
1/2バトルロイヤル・過去ログ一覧 バトルロイヤル1/2のランキングです。 第8シーズンのランキング ( 2012年08月06日 16時05分まで ) 第7シーズンのランキング ( 2012年08月03日 17時04分まで ) 第6シーズンのランキング ( 2012年08月01日 17時18分まで ) 第5シーズンのランキング ( 2012年07月30日 15時00分まで ) 第4シーズンのランキング ( 2012年07月28日 12時28分まで ) 第3シーズンのランキング ( 2012年03月05日 18時31分まで ) 第2シーズンのランキング ( 2011年03月31日 22時06分まで ) 第1シーズンのランキング ( 2011年01月19日 17時45分まで ) バトルロイヤルR - ver1.00 アイコン製作:BARBIELCRAFT Powered by TOK2
https://w.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/1448.html
キルケの初バトル・前編 「そう言えば礼奈、キルケにはバトルさせるのか?」 「うーん・・・考えてなかったな。キルケはどう?バトル興味ある?」 「はい、やってみたいです。実はこんな日が来た時のために訓練はしていたので」 キルケは少し嬉しそうな顔で、ストラーフにしては丁寧な口調で答えた。 「いつの間に・・・ま、いいや。センター行こ!兄さん、一緒に行こうよ!」 「あぁ、わかった。ただし俺とタマはバトルしないぞ。キルケと違って、タマはバトルが好きじゃないからな。」 「もったいないなぁ、武装神姫なのにバトルしないなんて」 「何も戦うだけが武装神姫じゃないんだ。な、タマ」 「うん!」 とりあえずセンターには同行する。わりと近所にあるので、通いやすい。 「さぁ、着いたぞ」 「わーい!」 中は広く、たくさんの神姫のオーナーがいた。 「みんな神姫持ってる!すごーい!」 「そりゃ神姫センターなんだから当たり前だろ」 「シュミレーションバトルの申し込みをしないと」 礼奈は辺りを見回した。すると、受付らしきものを見つけた。 「あ、多分あれだ!」 「よし、行こう」 「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」 「シュミレーションバトルをやりたいんですけど・・・」 「初心者の方ですね?それなら、こちらでユーザー登録をお願いします」 その後礼奈のユーザー登録などを済ませ、いよいよ対戦相手を決めることになった。 「まだバトルの経験は浅いからな・・・相手も初心者がいいだろ」 と和章が言ったので今戦えるユーザーから初心者を検索。ちょうど一人いた。 「じゃあこの人で」 相手はエウクランテのマスターらしい。 ストラーフの基本装備は機動性に欠けるから、飛行できるエウクランテには不利だが、同じレベルの相手が一人しかいない今、変える訳にもいかない。 「気をつけろ、相手は空を飛べる。ストラーフの基本装備じゃちょっとキツイぞ」 「わかった。気をつけるよ。」 「何ならタマの装備一応持ってるから貸してやろうか?」 「いいの?じゃ、お願い」 こうして出来た装備は、脚にGA2サバーカレッグパーツ、背中にDTリアユニットplus+GA4アーム、胴体にマオチャオタイプのアーマーと腕だが、腕の先はサブアームの代えの手パーツになっている。 見事に忠告を無視した装備となった。 その代わりに武器はシュラム・リボルビンググレネードランチャーやモデルPHCハンドガン・ヴズルイフと遠距離用にしてある。これなら起動性が悪くても攻撃できるが、正直キツイと思う。 「準備できたよ!じゃ、行って来るね!」 「頑張れよ。」 「がんばってねー!」 後編につづく 第一話に戻る ネコのマスターの奮闘日記
https://w.atwiki.jp/shinki-battle/pages/15.html
◆予告 カーニバルの大会荒らし、”壊し屋”の噂。 それはこの小さなショップにも届いていた。 3年前の大会からぱったりとバトルを止めたオーナーが重い腰を上げ、久しぶりのショップ大会開催にこぎつけた矢先、この店と因縁があるというその”壊し屋”が現れ、エントリーすることになってしまう。 勝利することに拘り、時として暴虐的なバトルを続ける”壊し屋”アサミ アサミの敗北への禁忌、妄執は自己破滅的で、まるでバトルロンドを憎んでいるかのようにも思える。 カーニバル開催が危うくなる中、オーナーはひとつ、ある提案をする。 武装神姫×Battle Horizon 「ribu-to」 今、新しい舞台の幕が上がる。 ◆ハンドアウト ハンドアウトには神姫のマスターであるPCの背景が指定されています。 ○"神姫wis"はセッション毎にひとつ指定されます。 ○PCのナンバリングはPC間の関係を補足するのに表したものです。 PC1:内気なマスター 引っ込み思案で人見知りが激しいものの、唯一の友達である神姫にかけては秘めた素質を持っている。 だがバトルは苦手だ。皆が憧れ、全国で活躍したPC3が姿を消したのもバトルのせいではなかったか。 心の友である神姫に危ないことはしてほしくない。誰かを傷つけてまで競い合うことに耐えられない。 ”壊し屋”と呼ばれた彼女は平気なのだろうか。無表情を装ったあの神姫の沈んだ顔には、何か理由があるはずなのだ。 ☆神姫wis「引っ込み思案なマスターに新しい友達を作ってほしい」 PC2:バトロンルーキー 新型筐体で初めてライドした時に神姫とバトルロンドの楽しさに触れた新米マスター。 ショップの手伝いなどをしながら神姫ともども修行中、地方予選ありの団体戦が今期から始動するという販売店向け告知が届く。 まず全国を目指すには仲間集めも必要と、ショップでの大会開催が決まった矢先、店と深い関わりがあるという”壊し屋”がエントリーしてしまう。 カーニバルを楽しくするためにも、なんとかわだかまりを解く方法はないものだろうか。 ☆神姫wis「他の神姫と友達になりたい」 PC3:かつての英雄 反則や不戦勝を好まず、バトルに真摯な姿勢で神姫を真っ直ぐに育ててきたベテランマスター。 全国大会で深刻なダメージを受け一線を退いていたが、かつて同じチームで戦った盟友「忍野麻美」に会うためこの町へ戻ってきた。 引退する要因となった事故の一件以来、疎遠になっていた麻美がバトルロンドに復帰したと風の便りに聞いたからだ。 麻美は忍者型のマスターで、チームでは遊撃とかく乱の名手だった。その彼女のトリッキーで楽しげなバトルをもう一度見たいと思った。 ☆神姫wis「再び立ち上がり、武装神姫の誇りを示す」
https://w.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/363.html
前へ 先頭ページへ 畜生…。 畜生! 畜生!! 「畜生ッ!!!」 あの青瓢箪ッ! アタシの無敗記録に泥塗りやがって!! 絶対に、絶対に許さない……! 彼女はバーチャル・バトルマシーンの中から主人へと、思わず声をかけた。 「ご主人様……」 ハウリン型MMS、主から授かった名前は”トロンベ”。 ドイツ語で竜巻という意味だ。 「……何よ、まだ終わっていないじゃない。早く全部壊しなさいよ!」 「…了解しました、ご主人様」 とても少女のものとは思えない刺々しく、荒々しい言葉に視線を落として短く応えた。 0と1の信号の上に築かれた仮想現実の世界。 低く唸る用途不明の機械や、緑色の液体が充満するカプセルが密集する施設内部。 フィールド名”秘密工場”。 薄暗い工場に灯る明かりは赤と黄色のランプと天窓から差し込むか細い光。 そして、マズルフラッシュと爆炎のみ。 ハウリン型の基本武装は十手、棘輪そして吠莱・壱式とプチマスィーンズの四種。 近接型のストラーフ型やマオチャオ型、射撃型のアーンヴァルとは違ってそれなりに万能である。 アーマーも防御力を上げつつも機動性を殺しておらず、MMSの中でも汎用性が高いといえる。 その為、初心者であってもそれなりに勝ち進めるのがハウリン型の利点である。 一方で一点飛び抜けたものが無いのも事実。 よって、ハウリン型のオーナーはある程度実戦をこなすと一点に特化した装備に変更する傾向にある。 もちろん、水野アリカとこのトロンベも例外ではない。 アリカは”大出力・大火力を基に短期決着”のスタイルを選んだ。 その為に今のトロンベはデフォルトと程遠いものと成り果てている。 アーマー類はデフォルトと同一。 しかし、両腕にはGEモデルLC3レーザーライフルを三つ三つで計六門 腰から脚にかけてハイパーエレクトロマグネティックランチャーを四つずつで計八門 背中には吠莱・壱式を四門備え、全身のありとあらゆる部位に大中小のミサイルを無数に装備。 その見た目は、歩く砲台といった感じである。 ハウリン型の機動性を完全に殺し、射撃性能に特化した装備。 全てはあのストラーフに打ち勝つ為に。 ただ、それだけの為に。 トロンベは非情にゆったりとした歩みで薄暗い工場内を徘徊している。 現在のトレーニング・メニューは百人斬り。 即ち、100体のCPUMMSを撃破するまで終わらないトレーニングである。 現在撃破数は69体。 その間にトロンベが負った傷は極僅か。 致命傷は一つも無く、全て掠り傷程度である。 薄暗い工場に閃光が瞬く。 トロンベの、ちょうど真上から奇襲を仕掛けてきたマオチャオ。 しかしトロンベは慌てる事無く背中の蓬莱・壱式上に向けて、放った。 マオチャオがハウリンに到達するよりも速く、弾丸はマオチャオを貫いた。 四発の銃撃を胴体に受けたマオチャオはデータの塵へと化す。 完全に消え去るのを見届け、ゆっくりと歩み始めた。 「26分54秒……」 アリカはコツコツとディスプレイを指先で叩きながら呟いた。 「遅い」 「申し訳ありません…」 トロンベは主人の刺々しい視線を受け、深く頭を下げた。 「謝ったからってどうなるモンでも無いでしょう! 何でもっと上手く戦えないの!? あのストラーフだったらもっと速く終わってたわ! アンタはアレに勝たなきゃいけないのよ!?」 ヒステリックに叫ぶ主人に、トロンベはただ黙って頭を下げることしか出来なかった。 「いらっしゃいませー……って倉内君か。珍しいね、ウチに来るなんて」 「客に向かって珍しいとはなんですか」 「ははは、だって君はパーツとか自分で作っちゃうし、修理も大学で出来ちゃうでしょう?だから珍しいなぁ~、てね」 「まあ、用があるのは俺じゃなくて相棒の方なんですけどね」 「ああ、成る程ね」 ここは”ホビーショップ・エルゴ” 俺が今軽い雑談を交わしたのが店長の日暮 夏彦さん。 何年か前に親父さんの遺した模型店を神姫向けのホビーショップに転向して頑張っているらしい。 このホビーショップ・エルゴはそれなりに名の通ったショップでもある。 その理由の一つは品揃えの良さ。 個人経営の利点を活かした高品質・低価格でありながら武装・衣装を問わない品揃えの良さは大手ショップと同等だ。 その他にも店長の人柄の良さや大型バトルスペールなど。 それらの事からかなりレベルの高いショップだと言える。 「お久しぶりです、うさ大明神様」 「はい、お久しぶりです。ナルさん」 そして、忘れちゃいけないこのショップの目玉。 それが”うさ大明神様”と呼ばれるヴォッフェバニー型MMSだ。 彼女は何と言うか、とても個性的な出で立ちをしている。 頭は普通のMMSと変わらないのだが、身体が無いのだ。 というか、胸像? 本来EXウエポンセットに付属するヘッドパーツの彼女には、ディスプレイ用の胸像パーツが付属している。 彼女はその胸像のままなのだ。 しかも、店内に備え付けられた1/12スケールの教室、その教壇に備え付けられたハコ馬の上に。 その様子は正にシュール。 そして、このシュールなうさ大明神様が催す”神姫の学校”こそが、このショップの目玉である。 元を辿れば店長の学生時代に遡ると言うが、詳しい事は知らない。 俺が知っている事は、小学生などの学校に神姫を伴えないオーナーに代わっての神姫預かり、人間社会の勉強サービス。 そしてその神姫の学校が大人気で、俺の相棒もそのファンであるということだけだ。 もっともナルは別に授業を受けに来た訳でなく、戦闘のアドバイスを聞きに来たのだ。 うさ大明神様は教育だけでなく、戦闘についての知識も豊富だ。 その為、上位ランカーの神姫がアドバイスを請うことも多々在るという。 俺の相棒はさっさと胸ポケットから飛び降りてうさ大明神様の講義をかなり真剣に受けている。 はてさて店長の言うとおり、俺はパーツやらなにやらの事はは全部自分で出来る。 だからショップに用はないのだが、冷かしというのも居心地が悪い。 仕方が無いので内部パーツ系の棚に向かう事にした。 シリンダーアクチュエータとサーボモータのスペアが減ってきていたので丁度良い、と自己完結する。 が、しかしだ。 このショップの品揃えにはやはり目を見張る物がある。 メーカー純正パーツは当然の用に揃えられており、その他メーカーのパーツ類等も一通り網羅されている。 ここは聖地”秋葉原電気街”の専門店と同等かそれ以上の品揃えを誇っている。 だからついつい俺も本気でパーツ選びをしてしまう。 あれやこれやと手に取って、性能と値段を見比べて自分の懐と睨めっこ。 男というのは何時までたってもこういうものが好きなのだと言う事を改めて実感する。 三十分くらいだろうか。 俺がパーツと睨めっこを続けていた時間は。 ようやく買うものを決めた俺はカゴを片手にレジへと向かう。 その途中、うさ大明神様と相棒の様子を見るがまだまだ談義は終わらない様子。 何時の時代も女というのはお喋りが好きだな、とか談義が終わるまでどうやって暇潰ししようか、とかその他諸々の思惑を頭の中で巡らせている間にレジについた。 レジには先客がいたのでそれを待つ。 なんとなく先客の買っている物に目が行って少し驚く。 ありとあらゆる銃火器パーツがカゴの中に山を作っていた。 どんなバカかボンボンかと思って、その先客に興味が沸いた。 興味が沸くのと同時に何か嫌な予感が頭をよぎった。 嫌な予感がよぎったが俺はそれを無視して先客の様子を探る。 身長は160cm前後といったところだろうか。 後姿しか解らないので何ともいえないが、多分女だ。 しかし、そんなに銃火器ばかり買ってどうするんだと俺は心の中で苦笑した。 「まいどありがとうございました~」 店長の声がした。 清算は終わったのだろう。 俺も清算を済まそうと歩を進めた。 先客は振り向いて出口に向かおうとした。 そこで、俺と先客は鉢合わせる形になった。 心底、後悔した。 「…っ! 倉内 恵太郎、アタシと勝負しなさいっ!!」 「ワタクシハクラウチケイタロウデハアーリマセーン」 「くだらないマネしてんじゃないわよっ!」 最悪だ。 俺の前にいた先客、それは水野 アリカだった。 彼女はこの前のサバイバル・バトルからというもの、俺を見かけるたびに勝負を挑んでくるのだ。 運悪く彼女と俺は同じ町に住んでいるらしく、遭遇率は割りと高い。 俺としては同じ相手と何度も戦いたくもないので会う度に何とか巻いているのだが……。 最近会うことがめっきり減って油断していたところで、また見つかってしまった。 というか、今回は俺の不覚だろう。 彼女は曲がりなりにも神姫オーナーだ。 そしてここはそれなりに名の知れたホビーショップだ。 ……欝だ、死のう。 「さあ、今日こそは逃がさないわよ!」 「だーかーら、俺は同じ相手とは二度と戦わないって言ってるでしょうに」 これだけで引き上げてくれれば苦労はしないのだが……。 「なら大丈夫よ」 「は?」 「アタシのトロンベは生まれ変わったのよ! 超攻撃型MMSとしてね!!」 もう何を言っても無駄だろう。 そろそろ腹を括るトキかしらー。 「……はいはいわかりましたよお嬢さん。そこまで言うならお相手致しましょう?」 「…相変わらず糞ムカツクわね」 凄まじく冷たい視線を感じるが、そんなもんはスルーだ。 「店長、バトルスペース借りますね」 個人経営にしては上等な四面体のバトルスペース。 俺は四面体の一辺、簡易クレイドルがある一辺でナルのセッティングを施している。 不幸にもバーチャルバトル用のデータを持っていたので今回はそれを使う。 ……データも装備も持ってない。って言えば巻けたんじゃないの? 何か聞こえてくる気がするが、そんなもんはスルーだ。 一方、バトルスペースを挟んで対面する形の彼女もセッティングを施していた。 あきらかに銃火器満載と言った感じで、思わず溜息が漏れる。 「ナル~、こっちの準備はOKですよ~。そっちの準備はOKですか~?」 「はい、準備はOKです、マスター」 「はい~、では健闘を祈ります~」 備え付けられたコンソールを操作してナルを仮想現実の世界へと転送した。 同じく備え付けのディスプレイにナルの姿が顕れる。 それから間もなく、彼女の準備が出来たのだろう。 彼女の神姫、トロンベがディスプレイに顕れた。 顕れて絶句した。 まるでハリネズミのように備え付けられた銃火器の数々。 もはや犬型とは言い難い風貌に俺は軽く鬱になる。 「覚悟しなさい、倉内 恵太郎!」 「……は~いはい」 彼女の咆哮とほぼ同時にバトルの準備が整った事を告げるアラームが鳴った。 それと同時にバトルフィールドが決定される。 バトルフィールドは”荒地” 見渡す限り不毛な大地。 空にはどんよりと薄暗い雲が居座っている。 まさに俺の心模様そのものだ。 そこにナルとトロンベが転送される。 「地の利はアタシに味方しているようね?」 勝ち誇るような彼女の台詞に俺はもっと鬱になる。 が、その台詞にも一理ある。 荒野のフィールドには遮蔽物の類は存在しない。 その為、有利なのは砲戦型か高機動型となる。 「……ナル、徹底的に叩きのめしといてちょ」 「イエス、マスター」 俺はもう疲れたので、一言指令を伝えてバトルスペースを後にした。 「ちょ、アンタ何処行くのよ!」 「喉渇いたから自販~」 トロンベの脚部に備え付けられた八門のハイパーエレクトロマグネティックランチャー。 それはレールガンと呼ばれる類の火器である。 レールガンは電力を供給すればするほどに弾丸の速度は上がり、理論的には光速すらも突破出来る。 が、一介の武装神姫たるトロンベにはそれほどの電力は持ち合わせていないので精々音速くらいが関の山である。 それでも武装神姫相手には充分過ぎる速度なのだが。 そのハイパーエレクトロマグネティックランチャーから放たれた弾丸が音速を超えて飛翔した。 大地を抉り、大気を裂いて、眼前に立ちはだかる物全てを打ち壊さんと飛翔する。 目標はトロンベの前方10sm位置するナル。 音速を超えた弾丸がナルを貫いて試合終了。 トロンベはそうなることを願っていた。 が、現実はそう甘くなかった。 八つの弾丸は確かにナルに直撃した。 が、それはナルの身体を後方に押し出す程度だった。 ナルは左手に握る刃鋼、それを地面に突き刺し、剣の腹で音速を超える弾丸を防ぎきった。 もっとも、無傷という訳ではなく刃鋼の表面には八つの弾痕が薄く残っていた。 先手はトロンベ。 後手は、ナルだ。 ナルは地面から刃鋼を振り抜き、大地を蹴って駆けた。 腰のブースターを全開にしての疾駆。 10smを縮めてトロンベを両断しようと駆けて行く。 だが、トロンベとて伊達に鍛錬を積んだ訳ではない。 距離を詰めてくるナル目掛けて全身のミサイルを掃射。 幾重にも重なる爆音と共に、無数の大小ミサイルが白い尾を引きながら飛来する。 文字通り雨の様な爆撃。 ナルとミサイル群とは直ぐに衝突した。 否。 ミサイルはナルと衝突することは無かった。 ナルは真っ先に飛んできた大型ミサイルの弾頭を刺激する事無く、踏み台にして跳躍。 踏み台にされたミサイルは地面と激突、多数のミサイルを巻き込む大爆発を巻き起こした。 ナルはその爆風を背に受けて更に加速し、トロンベへ一直線に突っ込む。 その後ろでは、目標を見失った中小ミサイルがあさっての方向へ飛び去り、地面と衝突している。 ―――一閃。 刃鋼の重量とナルの速度を乗せた一撃は、トロンベの左側を斬った。 が、トロンベ本体は左腕を多少掠った程度で主な被害はハリネズミの如く付けられた武装だった。 トロンベ本体のダメージこそ少ないものの、余波である衝撃はトロンベを震わせた。 「っく!」 多少よろめきつつも体勢を崩す事無く、次の攻撃―――背中に残った二門の蓬莱・壱式を背部に向ける。 銃口の先では、ナルがスライディングの要領で勢いを殺している。 その距離、およそ15sm。 ナルが再接近するにしてもそれまでに充分迎撃可能と見たトロンベは蓬莱・壱式に弾丸を装填し、発射しようとした。 が、それとほぼ同時。 ナルの右腕に装着された銃鋼から無数のビームが放たれた。 背後からの攻撃に一瞬反応が遅れるトロンベ。 だが、すぐさま回避しようとしたが重装備が祟り回避できず、ほぼ全弾を背中で受け止めてしまう。 その衝撃に耐え切れず、トロンベは前のめりに倒れてしまった。 「何してるのよっ! 速く立ちなさいよ!!」 アリカの叱咤がトロンベの通信ユニットに響く。 直ぐに体勢を立て直そうとして、そこである事に気付いた。 ハリネズミの如く備え付けられた火器の類。 その重量が邪魔して上手く立ち上がることが出来ないのだ。 「…っく……う……ぁ……」 何とか立ち上がろうと両腕に力を入れていた、その時。 「やはり負け犬は負け犬ですね」 ナルの刃鋼がトロンベを文字通り両断した。 「……そんな」 ディスプレイに踊る『YOU LOSE』の文字。 アタシはそれを前に言葉を失った。 荒野というフィールドに完全砲撃仕様のトロンベ。 それに加えて相手のマスター不在。 地の利、時の利はアタシに味方していた。 それなのに。 「あれ、負けちゃったの」 青瓢箪が缶コーヒー片手に戻ってきた。 「なんで…なんで……」 アタシの頭は混乱していた。 何か言いたい筈なのに、何も言葉に出来ない。 出てくるのは『なんで』という疑問のみ。 「なんで負けたのか理解できない。そんな顔だね」 「……当たり前よ。アタシのチューンアップは完璧だったわ! トレーニングでも完璧だったのに……!」 そう、何十何百何千回とトレーニングを積んだのだ。 それなのに。 「……そうだわ、神姫よ。神姫の性能が劣っているのよ! それ以外に負ける要素なんてありえないわ!」 アタシは一つの結論に達した。 トロンベとあのストラーフの元々の性能が違うからアタシは負けたんだ。 これ以外にアタシが負ける要素は見当たらない。 「…お嬢さん。そんな事を言っているようでは何百年経っても俺には勝てないよ」 「そんな事無いわ! 神姫の性能が悪いからアタシは負けたの! だからもっと良い神姫を買えば…!」 「機体の性能差が戦力の決定的差でない。という言葉がある。今回、お嬢さんの神姫の性能だけでみるならば、俺のナルと同等だったと思う。しかし、お嬢さんは負けた。しかもマスターのいない俺のナルに、だ。これが何を表すか解るかい?」 「…神姫の性能が同じ? だったら一体何が悪いのよ!」 本当にコイツは訳の解らない事を抜かす。 「二対一でも戦力で負けていたと言う事さ。そしてそれは経験に大きく起因する。もし仮にお嬢さんが新しい神姫を買ったとしても、それは赤子と同じ。まさに赤子の手を捻るが如し、てね」 まあ、確かにそれも一理ある。 「だったら、トロンベにもっと場数を踏ませれば…!」 「それでようやく相打ちといったところかな。お嬢さんが俺達に勝つためには、足らない物がもう一つある」 「なによ、勿体つけてなんでさっさと言いなさいよ!」 青瓢箪は一口缶コーヒーを口にした。 「それはお嬢さん自身で見つけないと意味が無いのさ」 「……はぁ?」 コイツ、本当は何も考えてないんじゃないの? 「しょうがない。最大唯一のヒントだ。神姫は唯の玩具じゃない。笑いもすれば、泣きもする……もっとも、受け売りだけどね」 「…訳わかんないわよ」 「それが解ったらもう一度戦おう。リアルでね」 リアルバトル。 その言葉に何故か身体が強張った。 上位ランカー戦の主であるリアルバトル。 仮想現実ではなく、現実でのバトル。 使用される武器は全てリアル。 即ち受ける傷もリアル。 最悪の場合、神姫本体すら壊れる可能性を孕んでいる。 だが、これはチャンスでもある。 あのストラーフを破壊できるかもしれないのだ。 「…良いわ。その勝負受けて立つわ」 「日時はそちらの好きに決めてもらって構わないよ。それじゃあ、失礼するよお嬢さん。」 そう言うと青瓢箪はさっさと出て行ってしまった。 後に残されたアタシはただ帰る準備をするだけだった。 先頭ページへ 次へ
https://w.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/2700.html
夏特有の熱い日射しの中、公園にさしかかった辺り。妙にツヤツヤとした華凛と、すっかりくたびれた私が歩いていた。 結局あの後、華凛に身体の隅々までいじくりまわされた。もう、ゴールしても、いいよね? 「いや~、これでまた樹羽と仲良くなれた気がするわ♪ 樹羽の顔もエロかったし♪」 「……おやじ臭い」 「いいじゃん、女の子同士なんだし♪」 「よくない」 「これで今夜のオカズには困らないわね!」 「私、美味しくない」 「大丈夫、美味しく食べるから」 「意味がわからない」 「樹羽はしらなくてもいいの! むしろ知っちゃいけないの!」 「……?」 知るな、と言われたら気にはなるが、ここは素直に引いておこう。なんだか嫌な予感がする。私は話を切り替えた。 「それで、なんの筐体が入ったの?」 「神姫のヴァーチャルバトル用の筐体だよ!」 華凛は興奮気味に声を高くする。それほど興味があるんだろう。 「今まで、首都圏のゲーセンにはあったんだけど、地元には無かったんだよね~。これでくすぶってたマスター連中も暴れだすよ~?」 「ふ~ん……」 「ふ~んって、興味ないの? 神姫」 「神姫は知ってる。でも詳しいことは知らない」 そう言うと、華凛は胸をのけぞらせる。自慢したいのだろうか? 「そう言うだろうと思って……はい!」 華凛はバッグの中をガサゴソと探り、一冊の本を取り出した。武装した神姫のシルエットが表紙の少し厚い本だ。 タイトルは『神姫の今昔』。 「そこの木陰で読んでてよ。あたし、飲み物買ってくるから」 「あ、ちょっと……」 私の制止も聞かず、華凛は行ってしまった。一人残された私は、仕方なく木陰に移動。少し考えてから、本を開いた。 2030年、異様とさえいえる加速度で発達した人類の科学は、人の脳というシステムそのものを全て量子コンピューターにコピーするという半ば強引な方法で、人間とさして変わらないレベルの思考を可能にしたAIを作り出した。このAIは以後改良を重ね、様々な形でロボットに組み込まれていくことになった。体長15cmの高性能小型ロボット。そう、2031年に発売され後に武装神姫と呼ばれる彼女達にもである。 2040年、人はついに電子の海に人の精神を送り出すことに成功する。『神姫ライドシステム』と名付けられたそのシステムは、人間の意識を機械の体である神姫の中へ、つまるところCPUという仮想空間の中に繋げることを可能にした。さらにはこれを応用し、神姫を介して別の電脳空間への接続まで実現したのである。20世紀末などにSFで描かれていた『ネットダイブ』などと呼ばれる仮想空間へのリンクを可能にした画期的な技術。だがこのような技術でさえ表立った注目をされないほど―― 「えい」 突然、頬に冷たい物が押し当てられる。それがペットボトルと気付くのに時間はかからなかった。 「冷たい」 「ずいぶん真剣に読んでたわね。やっぱり興味あるんじゃないの?」 「……ない」 私は本を閉じて、ペットボトルを受け取った。 「そう? 妙にはまってた気がしてね」 「……本はじっくり読む方」 不覚にも、華凛の接近に気付かないほどに読みふけっていたことは確かだ。 「ふ~ん、まぁいっか。まだ読む?」 「ううん、もういい」 私は本を華凛に返す。華凛は本を受けとると、バッグの中にしまった。 「じゃ、行こっか」 「うん」 木陰から出る。また熱い日射しが照りつけてくる。 神姫……か。 第一話の1へ 第一話の3へ トップへ戻る
https://w.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/2127.html
ウサギのナミダ ACT 1-14 ■ 雨の街は、いつもとその様相を一変させていた。 あれほどに鮮やかだった風景は、色を失い、輪郭さえもぼやけている。 すべて水に濡れ、色褪せて見えた。 まるで、かつてわたしがいた場所のように、灰色の世界。 雨に追われ、人々は足早に過ぎ去っていく。 足下の神姫になど注意を払う人はいなかった。 降りしきる雨は、痛いほどにわたしを叩き、瞳からこぼれる涙さえも、洗い流されてゆく。 これは、あの空の涙なのだろうか。 空にも心があって、悲しくて辛いことがあるのだろうか。 上空を垂れ込める雲に、心を灰色に塗りつぶされて、涙をこぼすのだろうか。 今のわたしと同じように。 わたしはもう、悲しいとか辛いとか、そういう感情を通り越して、ただ、ぼうっとしていた。 瞳から流れる涙だけが止まらない。 だから、きっと、悲しいのだろう。 悲しすぎるのだろう。 だけど、その涙さえ、雨に混じってしまい、わからなくなる。 わたしはもう、泣くことさえも許されてはいないのだと思った。 わたしは、あの後、PCのワープロソフトを起動して置き手紙を残すと、マスターの家を出た。 お風呂場の窓は換気のために開けてあることは知っていたので、出るのは容易だった。 ……こんなときばかり、トリックはうまく行く。 衝動的に出てきてしまったけれど、行く当てなんてなかった。 はじめは、お店に戻ろうかと思った。 でも、お店の場所をよく知らない。 マスターのところに来るまで、お店を一歩も出たことがないのだから、当然だった。 それに、もう帰る気になれなかった。 お店に帰れば、またお客さんに奉仕する日々に戻るのだ。 それ以外の世界を知ってしまったわたしは、お店が神姫にとって地獄のような場所だと知ってしまった。 もう、戻りたくはなかった。戻れなかった。 あの、わたしを連れだしたお客さんのところはどうだろう。 ……結局は同じことだ。いや、お店にいるときよりもっとひどい仕打ちを受けるかも知れない。 そこには行きたくない。 ……わたしは、なんとわがままなのだろう。 マスターを自らの手で汚しておきながら、もう自分が汚れるのは嫌なのだ。 こんな神姫が一緒では、マスターが不幸になるのも当然だった。 いや、元から誰かの武装神姫になる資格なんてなかったんだ。 なんという身の程知らず。 取り返しがつかなくなって、やっと思い知るなんて。 もうこれ以上、マスターを汚すわけにはいかなかった。 だから、わたしは姿を消すことにした。 そう、このまま消えてしまおう。 この世から。 ふと見上げると、駅前の歩道橋が目に入る。 わたしはのろのろと、その歩道橋の上へと向かう。 □ 俺は走っていた。 雨の中をひたすらに、走っていた。 足下に注意を向けながら。 ティアを探す。 ティアがうちを出て行く先の心当たりなど、そう多くはない。 まして神姫の身であれば、そう遠くへ行ってはいないはずだ。 俺とティアがゲームセンターに次いで多く行った場所。 あの大きな公園だ。 俺は公園へと向かっていた。 この雨だというのに、傘も差していないから、全身ずぶぬれだった。 足が地面を着くたびに、がぽがぽと水が貯まった靴が音を立てる。 それでも、そんなことはかまっていられなかった。 雨の公園には人っ子一人いなかった。 遊歩道を取り巻く木々の緑も、今日ばかりは色褪せて見える。 動くものとてない静寂の中、静かな雨音だけが広大な空間を支配していた。 「……ティア!」 その静謐を破り、俺は何度も呼びかける。 遊歩道を何度もまわる。 しかし、ティアの姿を見つけることは出来ない。 ベンチの前で、俺は立ち止まった。 散歩に来て、ティアを走らせているときに、俺が座っている、いつものベンチ。 ここにもティアの姿はない。 晴れた日の情景が心に浮かんでくる。 ティアは朝の澄んだ空気の中を駆け抜ける。 ぐるりと遊歩道を周回してくると、トリックを決めて、ベンチの上に着地する。 そして、俺を見上げる。 嬉しそうに、少し恥ずかしそうに、笑うのだ。 「……なんでだっ!!」 俺は地面に膝を着き、ベンチの上にうなだれた。 なんでだ。 なんで「さようなら」なんだ。 なんで俺の前からいなくなるんだ。 なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで!!! 「……ティア……」 神姫の名を呟く。 迷惑だなんて。 お前が側にいてくれれば、そんなものは気にするほどのことでもないのに。 お前以外に、俺が自分のパートナーにしたい神姫なんていないのに。 他のどんな神姫も、お前の代わりになどならないんだ。 やっと出会えた俺の神姫なんだ。 だから。 俺にどんな迷惑かけてもいいから。 側にいてくれ、ティア……。 ◆ 久住菜々子はゲームセンターの壁によりかかり、見るともなしに、バトルロンドの観戦をしていた。 腕を組み、やぶ睨みで、大型ディスプレイに鋭い視線を投げつけている。 いつものような親しみやすさとはかけ離れた緊張感が全身から漲っている。 宣戦布告から一日。 菜々子を待っていたのは「無視」という仕打ちだった。 エトランゼはティアを擁護すると知り、神姫プレイヤーは皆敵に回った。 しかし、面と向かって文句は言ってこない。いや、言えないのだろう。 なにしろ三強を三分かからずに倒してのけたのだから。 実力でかなわない相手に対し、示した態度は、徹底した無視だった。 まるでそこに存在しないかのように。 挨拶しても、話しかけても、振り向きさえしない。 常連の誰に話しかけても、そんな態度だった。 もちろん対戦は誰も乱入してこないし、こっちが乱入したら、一瞬でサレンダーされた。 すでに常連の間では、エトランゼに対してそういう態度をとることで話が通っているのかも知れない。 これで菜々子がゲーセンを出ていけばよかったのだろうが、彼女はかえって意地になった。 壁に張り付き、無言のプレッシャーを与え続けている。 これでは気になって仕方がない。 しかし、今日は週末で、ランキングバトルの開催日だ。常連達は帰るわけにも行かず、菜々子からの妙なプレッシャーに耐え続けなければならなかった。 「菜々子ちゃん……」 「ああ、大城くん……」 声をかけてくるのは大城だけだった。 大城は心配そうだ。 見かけによらず、人が良いのだろう。 「いいの? ランバト、始まるわよ」 「うん、まあ……でもよ、菜々子ちゃんも……ここにいないほうがいいんじゃねぇか? だったらさ……」 「だめ。遠野くんとティアを待っているから。この店からは動けない」 「でもよぅ……」 無視されている菜々子を気遣って声をかけてきてくれていることはわかっているし、ありがたい。 逆に言えば、大城以外の誰も、菜々子の味方はいないのだ。 だが、彼とてずっと菜々子と話していれば立場が悪くなる。 大城と虎実はランバトに参戦している。 常連達との関係を悪くしたくはないだろう。 「……ひとりくらいは」 「え?」 「他に一人くらいは、わたしに賛成してくれる人、いると思ったんだけどな……」 自嘲気味に笑う。 つい本音が出てしまった。 本当は、菜々子は心細かった。 大見栄切ってみたものの、味方をするべき本人達はいまや嘲笑の的であり、ゲームセンターにもやってこない。 孤立無援の戦いは始まったばかりだったが、こうあからさまに無視されると、菜々子の心の方が折れそうだった。 自分達こそ正しいはずなのに、どうしてこんなにもつらいのだろう。 菜々子は下唇を噛んだ。 一瞬、沈黙が降りた。 ゲームセンターの喧噪が耳を震わせる。 と、近くで、電子音が鳴った。 携帯電話だ。 目の前の大城が、ポケットから携帯電話を取り出す。 シンプルな機種だが、ストラップにアクセサリーがジャラジャラとついている。 「遠野からだ……もしもし、大城だけど」 菜々子は一瞬、息を飲んだ。 「……おい、大丈夫か? あ、いや、声が……ああ、いいぜ。気にすんな」 今度は大城が息を飲んだ。 「……ティアがいなくなった、だ!?」 その場にいた二人と、二人の神姫が同時に息を飲んだ。 「……で、心当たりは……ああ、うん、駅? そうか……ああ、わかった。わかったから、こっちはまかせろ。 気にすんな。お前はそっちの心当たりを探せよ。 わかった、連絡する。じゃあな」 携帯電話を切ると、厳しい顔で菜々子を見た。 「ティアがいなくなった。遠野が必死で探してる」 「そんな……」 「あいつ、聞いたこともないような……泣きそうな声で……くそっ!!」 大城は店のスタッフのところに行くと、手短にランバトの参加キャンセルを伝えて、そのまま店の出口へと急ぐ。 「待って、大城くん! わたしも行く!」 菜々子は反射的に答えていた。 が、大城は振り向いて、 「菜々子ちゃんは待っていてくれ。 もしティアがここに来て、井山と会ったりしたら、それこそ大変なことになる。だから……」 菜々子を押し止めた。 そう言われたら、菜々子は頷くしかなかった。 大城は雨の中、傘を差して駆け出していく。 菜々子は身体を抱くように腕組みをすると、再びゲームセンターの壁にもたれかかった。 「ティア……なにやってんの……」 いらだった口調で、ミスティが呟いた。 神姫がマスターの元を飛び出してどうするというのだ。 この雨の中、たった一人でどこへ行くというのだ。 神姫をなくしたマスターがどれほど心配するものなのか、わかっているのかしら、ティアは! ミスティが親指の爪を噛み、いらだちを増している。 菜々子はさっきからうつむいたままだった。 だが。 ……震えてる? 体重を預けている菜々子の肩が細かく震えている。 そして、かすかな声。 「だめよ、ティア……いなくなるなんて……」 「ナナコ……?」 菜々子は思い出す。 自らの神姫をロストした日のことを。 身も心も引き裂かれたあの日。 菜々子の瞳からは涙さえ枯れ果てた、あの時。 「ぜったいに、だめよ……」 あの時の気持ちは「心が引き裂かれた」なんて生やさしいものじゃない。 恐怖だ。 自分のせいで、神姫を帰らぬものにしてしまった、底知れない絶望だ。 あんな思いを、遠野にさせてはだめだ。 あんな思いを、自分に近しい人にしてほしくはない。 だから菜々子は痛切に願う。 ティア、無事でいて、戻ってきて、と。 菜々子が深い想いに沈んでいるそのとき、彼女の前に影が差した。 小柄な、四つの影。 「あなたたち……?」 ミスティの声に、菜々子はゆっくりと顔を上げた。 目に入ったのは、四人の女の子の姿だった。 菜々子より少し年下だろうか。思い詰めたような表情で、菜々子を見つめている。 菜々子の視線を感じてか、四人とも緊張に肩をすくめた。 「……なに?」 ごめんね、優しい声をかけてあげられなくて。 視線も不躾で、疑わしくて。 あなたたちも……ひどいことを言いに来たの? よく見れば、彼女たちは見かけたことがあった。 いつも四人でバトルロンドをプレイしている女の子のグループだ。 このゲーセンの常連で、和気藹々と仲間内でプレイしているのをよく見かけている。 いずれもライトアーマーの武装神姫のマスターだった。今も、自分の肩にそれぞれの神姫を座らせている。 一人の少女が、思い切ったように菜々子を見つめた。 セミロングの髪に、眼鏡をかけた、まじめそうな女の子。彼女がリーダー格なのだろう。 眼鏡の少女は必死の表情で、口を開いた。 「わたしたち、エトランゼさんの代わりに、ティアを捜してきますっ!」 「え……?」 「わたしたち、エトランゼさんに賛成です。味方です!」 菜々子は思わず言葉を失い、少女達を見た。 少女達は口々に話しはじめる。 「わたしたち、いままでのこと、全部見てました」 「雑誌のことも、ティアのマスターが怒ってるところも、昨日のエトランゼさんのバトルも……」 「それで、みんなで話し合ったんです。わたしたち、エトランゼさんのファンで、憧れてるんです」 「だから、一人で頑張ってるエトランゼさんを応援しようって……」 「ちょ、ちょっと待って?」 菜々子は驚いて、話を遮った。 「わ、わたしのファンだからって、わたしの味方することはないのよ? だって、いまのわたしは……」 「ちがうんです、それだけじゃないんです」 今度はリーダーの眼鏡の少女が話を遮った。 「わたしたち、ティアのマスターに、親切にしてもらったことがあるんです」 「わたしたちは、この四人でばかりバトルしてて、他の人達とバトルあんまりしないんですけど」 「対戦台が空いていなくて困っているとき……ティアのマスターに譲ってもらったんです」 「一人プレイで対戦待ちしてたのに、途中で中断して、『ここどうぞ』って……」 「それも、一回だけじゃないんです。一人でプレイしてるときは、必ず譲ってくれて……」 「でも、わたしたちがお礼を言うと『きにしないで』って言ってくれて、まるで当たり前のことをしてるって感じなんです」 すると、少女達の肩にいた神姫の一人、ポモック・タイプが無邪気な声を上げた。 「ティア、笑ってくれたよ!」 すると、他の少女達の神姫も、顔を見合わせて頷いた。 「うん、笑ってたね」 「ティアも優しく笑ってくれました」 「なにも話さなかったけど、『いいよ』って言ってくれてるみたいだった」 菜々子は何も言えず、四人の少女を見つめていた。 「それで……わたしたち、話し合ったんです。ひどいことされてる神姫が、あんな風には笑えないんじゃないか……」 「ティアのマスターは、いつも紳士的な態度でした。彼こそが、武装紳士というのにふさわしいんじゃないですか?」 「だったら、雑誌見て笑ってる人達は? ティアのマスターをあんな風に怒らせる人達こそ、間違っているんじゃないの? って……」 「誰が本当に正しいのか……わたしたちはわかってたはずなんですけど……言い出す勇気もなくて……」 「でも、憧れのエトランゼさんが、ティアにつくって言ってくれたから」 「わたしたち、バトルも強くないし、足手まといかも知れませんけど!」 「でも、わたしたちにできることくらい……ティアを代わりに捜しに行くことくらい、手伝わせてください!」 四人の少女は、菜々子に頭を下げた。 「お願いします!」 菜々子は、ゆっくりと一歩踏み出す。 そして、四人の少女をかき抱いた。 「エ、エトランゼさん……?」 「……お願いするのは、わたしのほう」 足手まといだなんて。 今の菜々子には、一騎当千の仲間を得た気持ちだ。 心が痛いほど嬉しくて、泣きそうだった。 でも、泣いてはだめだ。 今は、泣くよりも先に、やらなくてはいけないことがある。 「ティアを、捜して。遠野くんを助けて」 四人は、一瞬腕に力を込め、抱き返してくれた。 「まかせてください!」 菜々子は、リーダーらしき眼鏡の少女と携帯番号を交換する。 名前を八重樫美緒、という。ウェルクストラ・タイプのオーナーだった。 見つけたら美緒を通して連絡をもらえるように言うと、四人は雨の街に飛び出していった。 ■ 高いところから見下ろす道路は、まるで車が流れる川のようだ、と思った。 人が乗れるほどの大きな金属の固まりが、何台も何台も流れては過ぎていく。 ここから落ちれば、きっと車にはじかれて、わたしの身体は粉々に砕け散ってしまうだろう。 でも、わたしは、歩道橋の柵の間から下を見下ろしたまま、動けずにいた。 自分から身を投げる意気地もないのだった。 もうどうしようもない。 何一つできない自分に嫌気が差す。 だけど、もうすぐバッテリーが切れる。 そうしたら、わたしは姿勢を保持できなくなり、ここから落下するだろう。 わたしの意識がなくなった直後に。 わたしはそれを待っている。 その間に、わたしは思いを巡らせた。 わたしがいなくなったら、マスターは新しい神姫をお迎えするだろうか。 きっと、するだろう。 今度は、わたしみたいな面倒くさくて出来の悪い汚れた神姫ではなく、オフィシャルの新品の純粋な武装神姫を。 その子は間違いなく幸せになれる。 だって、マスターの祝福を一心に受け、成長することが出来るのだから。 マスターだって、きっと幸せになれる。 誰の目もかまうことなく、自分の神姫を連れ、堂々とバトルに挑める。 公式戦にだって参戦できる。 きっといい成績が残せるだろう。 ゲームセンターの人達にも認められ、きっと久住さんや大城さんとも、もっと仲良くやっていけるだろう。 ミスティさんは、新しい神姫を笑顔で迎えてくれるに違いない。 虎実さんだって、わたしのように避けることなんてしないはずだ。きっといいライバルになれるはず。 想像の中にいるわたしの大切な人達は、みんな明るい未来に向かって歩いている。 ああ、そうだ。 わたしがいなければ、大切な人達はみんな幸せになれる。 わたしなんか、最初からいなければよかったんだ。 『わたしなんか』って言ったら、マスターに怒られるけれど。 でも、もうマスターが怒ったりすることもありません。 わたしはもう消えますから。 だからマスター。 どうかどうか、幸せに……。 視界がぼんやりと霞んでいるのは、涙のせいなのか、雨のせいなのか、それとも、もう焦点を合わせられなくなったのか。 膝の力が抜ける。 ああ。 全身を浮遊感に抱かれて。 わたしの意識は暗転した。 次へ> トップページに戻る