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ステージ名 ステージ名 あらすじ ステージ情報 ミッション あらすじ ステージ情報 冒頭解説 出現条件 操作可能武将 藤堂高虎・大谷吉継・加藤清正・羽柴秀吉・石田三成・ねね・黒田官兵衛・福島正則 難易度 ★★★★★★☆☆☆☆ 制限時間 60分 勝利条件 の撃破 敗北条件 の敗走 ミッション 番号 名称 内容 備考 No.1 賤ヶ岳砦救援 拝郷家嘉と山路将監を撃破し、桑山重晴の敗走を阻止せよ! No.2 鬼玄蕃たちの攻勢 佐久間盛政らを撃破せよ! No.3 お市を救うために 柴田本陣を包囲するため、金森長近らを撃破せよ! No.4 仁義を通す 前田利家を撃破せよ! No.5 ☆頭上注意 味方武将への奇襲を防ぐため、不破直光を撃破せよ! No.6 ☆岩崎山砦救援 高山重友の羽柴本陣到達を援護せよ! No.7 ☆秀吉包囲網 織田信孝と滝川一益と滝川益氏を撃破せよ! No.8 ☆傾奇者猛進 前田慶次の羽柴本陣侵入を阻止せよ! ☆はボーナスミッション
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年.月.日 作中の出来事 朝鮮での出来事 世界の主な出来事 1920 順天で朝鮮初の小作争議が起こる 1924 金範俊、上海へ 1925 朝鮮共産党創立され、李鉉相、重要な役割を果たす 治安維持法が施行される 1927 金範俊、父と再会 1929 呉判ドルの一家、間島へ移住 1930頃 金範俊、東京へ留学後、独立運動で満州へ 1932 金範俊、上海を去り、金美玲と別離 1933 朝鮮全土の農民団体、1351を数える 1935 安瑞珪(安昌民の父)、南原で死去 1936 安昌浩、獄死 1939 河大治(19)、徐順心(18)と結婚 1939.9.1 ドイツ、ポーランドに侵攻、第二次世界大戦開戦 1940 河大治(20)、徴用される廉相鎮(19)、投獄される 1941 河吉男、誕生 1941.1 徐民永、治安維持法違反で実刑に処せられる 1941.12.8 真珠湾攻撃、日米開戦 1943 素花(17)、巫堂の跡取りとしてお披露目される 1944 李鶴松、共産主義者として逮捕される 1944.1 金範佑(23)、学徒兵に志願 1945.8.15 朝鮮、日本の植民地から解放される 日本、無条件降伏第二次世界大戦終結 1945.9.2 38度線を境に米ソの分割占領が発表されるホッジ中将、初めてビラの布告文を撒く 1945.9.6 朝鮮人民共和国成立 1945.10.10 米軍政、朝鮮人民共和国を否認 1945.12 金範佑と朴斗炳、アメリカから帰国する船に乗船 1945.12.27 モスクワ三相会議朝鮮5ヶ年の信託統治決定 1946 47年にかけて教会堂建設の嵐、全土で起こる 1946 復員した金範佑、結婚(25) 1946.3 雲頂、38度線を越えて南へ 1946.3.5 北朝鮮で土地改革実施 1946.4 金範佑、順天中学の社会科の教師になる鄭河燮、中学5年生 1946.6.3 李承晩、井邑発言 1946.9 米軍政により共産党活動、非合法化 1946.10.1 大邱で労働者、学生など蜂起(十・一民衆抗争) 1946.11 徐民永、共同農場と夜学を始める 1947.6 孫承昊、左翼活動に見切りをつける 1948.2.7 2・7救国闘争 1948.3 南朝鮮単独選挙 1948.4 南北代表者連席会議開催 1948.4.3 済州島四・三事件 1948.4.19 南北朝鮮協商会議、平壌で開催 1948.5.10 南朝鮮で単独選挙 1948.7.20 李承晩、大統領に就任 1948.8.15 大韓民国樹立 1948.9.7 反民族行為処罰法、国会を通過 1948.9.9 朝鮮民主主義人民共和国樹立 1948.10.20 麗水・順天反乱事件発生 1948.10.25 第1巻第2章時点 1948.11.1 麗水・順天反乱事件の関連者89名に死刑執行される 1948.11 南仁泰、光陽警察に左遷される権炳済、筏橋警察署長に赴任する病院事件 1948.11.20 沈宰模、戒厳軍司令官として筏橋に赴任する 1948.11.25 反民族行為特別調査機関組織法、国会を通過 1948.12 素花とドルモル宅、囚われる李知淑、学校をクビになり、夜学で働くようになる崔益達と柳周祥、筏橋へ外西宅、自殺を図る廉相鎮ら、筏橋を囲んで狼煙を上げる 1949.1 反民特委員暗殺計画が発覚。指揮者:盧徳述 1949.2.11 反民族特別調査委員会(略称「反民特委」)が活動を開始する 1949.3.8 韓国政府、全国に学徒護国団を結成 1949.3 金範佑、沈宰模の遣いで廉相鎮に会いに栗於へ 1949.3.16 金範佑、ソウルへ 1949.3 沈宰模、差出人不明のハンカチを受け取る 1949.4.29 李承晩、妻とともに済州島訪問 1949.5.1 廉相鎮ら、学習会開催 1949.5.12 沈宰模、容共行為で逮捕 1949.5.16 白南植、筏橋の戒厳軍司令官に赴任 1949.5.28〜6.4 南労党員の金任一、李永生ら46人が検挙 1949.6.4 反民特委、崔査察課長と鍾路署の趙査察係主任を逮捕 1949.6.21 農地改革法公布 1949.6.29 金九、暗殺在韓米軍の撤収完了 1949.7.5 金九の国民葬 1949.7 廉相鎮、宝城郡党委員長を退き郡党を離れる。後任は安昌民。筏橋のキャップは河大治李鉉相、智異山に遊撃司令部を構築 1949.9 慶尚南道党、智異山に入山し、拠点作りを始める 1949.9.14 木浦刑務所から350人余が脱獄 1949.10.1 中華人民共和国成立 1949.10 筏橋で小作人たちのデモ 1949.10下旬 鄭鉉東、殺される 1949.10.27 慶州南道の晋州市内を300名余りのパルチザンが奇襲 1949.11上旬 金範佑、筏橋に帰郷姜東植、姜東基、廉相九を夜襲するが失敗、姜東植死去 1949.11 沈宰模、順徳に再会外西宅、廉相九の息子を出産 1949.12上旬 素花、鄭鉉東のクッを行う 1949.12.18 軍と警察合同の栗於の挟撃作戦 1949.12下旬 李根述、栗於警察の支署長を申し出る 1950.1 鄭鉉東殺害事件の裁判で判決が出る主犯は死刑、残る11名は殺人幇助で実刑5年 1950.1下旬 沈宰模、名もなき女パルチザンの死に心打たれる 1950.2.3 鄭河燮、肩を撃たれて素花の家で1ヶ月、静養する 1950.2.5 戒厳令解除 1950.2.10 農地改革法公布 1950.3.27 金三龍、李舟河、検挙 1950.3.31 李鶴松、逮捕 1950.4 4月が新学期開始になる 1949.4.10 農地改革法実施 1950.4中旬 鄭鉉東殺害犯の葬式 小作人たちに土地の分配予定通知書届く 1950.5 梁孝錫、宋京姫にふられる 1950.5.30 崔益承、落選し安昌培、当選 第2回国会議員選挙の投票日与党惨敗 1950.5.31頃 林萬洙、筏橋を去る 1950.6 孫承昊、逮捕戒厳軍の部隊の半数が宝城を去る 1950.6中旬 白南植、筏橋を去る沈宰模、金範佑に手紙 1950.6.25 朝鮮戦争勃発 1950.6.26 輔導連盟員に召集 1950.6.27 沈宰模の中隊に待機命令 政府、水原へ移転 1950.6.28 人民軍、ソウル解放 1950.6.29 政府、大田へ移転 1950.7 筏橋の輔導連盟員、全院長以外、ペムコル峠で殺される 1950.7.1 米陸軍、釜山に上陸 1950.7.2 沈宰模の中隊に退却命令 1950.7.7 安全保障理事会、国連軍の結成を決議 1950.7.8 全国に戒厳令布かれる韓国軍、国連軍に編入大韓学徒義勇隊、結成 1950.7.15 統帥権、米軍に移譲 1950.7.16 政府、大邱へ移転 1950.7.23 人民軍、光州と木浦を占領 1950.7.24 筏橋の警察官、町から脱出輔導連盟員の遺族、犠牲者を掘り起こし、警察官や青年団の家族に報復 1950.7.25 韓次席、栗於以外の警察官が全員退却したことを李根述に伝える安昌民の部隊、宝城郡全域を掌握 1950.7.28 人民軍、宝城郡へ駐屯廉相鎮、筏橋へ 1950.8上旬 金範俊、筏橋に帰郷人民裁判にて尹泰柱、呉七星、池三峰、裁かれる鄭河燮、平壌へ 1950.8.15 筏橋にて解放祝賀式典開催崔瑞鶴、松岩寺辺りを通過 1950.8.18 政府、釜山へ移転 1950.8中旬 許出世、南陽宅とモッコル宅を凌辱した罪で銃殺金範佑、朴斗炳と再会 1950.9上旬 一世帯当たりの財産と収穫量の調査開始 1950.9.15 国連軍、仁川に上陸 1950.9.16 李鶴松、仁川作戦を取材 国連軍、洛東江戦線で反撃開始 1950.9.25 廉相鎮、全羅南道党から退却指令書を受け取る 1950.9.26 金範佑と孫承昊、朴斗炳に招かれる 秋夕国連軍、ソウル奪還 1950.9.28 道党から退却を始める 1950.10.2 閔基弘、自宅に帰る 1950.10.10 李鶴松ら、遂安到着 1950.10.11 平壌市民に避難勧告 1950.10.15 宋成一、崔瑞鶴を見舞う 1950.10.17 李鶴松ら、平壌到着 1950.10.19 李鶴松ら、北へ避難金範佑、米軍と開城通過 1950.10中旬 宋法一の一家、論山に戻る 1950.10 白南植、筏橋に現れ、尹末子と結婚 1950.10.24 李鶴松ら、慈江道通過 1950.10.25 中国軍、参戦 1950.10.26 李鶴松ら、鴨緑江到着 1950.10末 廉相鎮、全羅南道党司令部の副司令官となる。それに伴い、安昌民、曹溪山地区の政治委員に、李海龍、有治地区の連隊長に、河大治、曹溪山地区の機動隊長に、呉判ドル、宝城郡党の委員長になる 1950.11.10 李鶴松ら、満州の通化を経由して磐石へ。鄭河燮と出逢う 1950.11 マッカーサー、中共軍の越境を発表 その二日後 玄五逢の連隊、全滅 1950.冬 40年ぶりの寒波襲来 1950.12.4 国軍が平壌から撤退したという噂が筏橋に届く。権炳済、李根述に復職を打診するが断られる 1950.12.16 国民防衛軍設置法、国会を通過 1950.12.21 宋成一、国民防衛軍に徴収される 国民防衛軍設置法、公布 1950.12.23 李源朝と李鶴松、ソウルへ 1950.12.24 ソウル市民に避難命令が出される 1950.12.25 閔基弘、ソウルから避難 1951.1.3 政府、再び釜山へ 1951.1.4 中国軍、人民軍、ソウルを再占領 1951.1.5 金範佑、ソウル着 1951.1.6 李鶴松、ソウルに到着 1951.1.8 金範佑、李鶴松と再会 1951.1.19 金美善、ソウルに戻る 1951.1.26 国連軍、仁川に再上陸 1951.1.30 国民防衛隊の予算、国会を通過 1951.2初旬 討伐隊、盧嶺地区を襲う 1951.2.5 梁孝錫の第三大隊、神院面へ 1951.2.7 パルチザン、神院面の警察支署を奇襲李源朝、李鶴松ら、再度、ソウルを発ち、通化へ 1951.2.9 第三大隊、再度、神院面へ 1951.2.10 第三大隊、再々度、神院面へ 1951.2.11 韓国軍による慶尚南道居昌郡神院面の良民虐殺事件発生 1951.2.12 中国軍、人民軍、ソウルを再放棄 1951.春 金思鏞、死去 1951.3半ば 軍と警察の攻撃、勢いを増す 1951.3.16 金範佑の部隊、退却中に集中砲火を浴びる(京畿道金村付近にて) 1951.3.20 金範佑、釜山の病院へ送られる 1951.3.24 安昌培、釈放 マッカーサー、38度線以北への進撃を命令 1951.3.26 沈宰模、高地戦中に盧徳甫と遭う 1951.3.29 韓国国会にて慎重穆が国民防衛軍事件を暴露 1951.4 軍と警察の攻撃、ますます熾烈に 1951.4 パルチザンに回帰熱流行金福東、回帰熱で死去(発病から3日後)孫承昊、回帰熱にかかるが回復 1951.4.9 金智会、銃殺 1951.4.11 トルーマン、マッカーサーを解任 1951.4.24 討伐隊、有治地区に致命傷を与える 1951.4下旬 中国軍、人民軍、春季攻勢開始、激戦となる 1951.4 李海龍、左頬に大怪我 1951.5 回帰熱の流行、下火に 1951.5 素花とドルモル宅に5年の懲役 1951.5 沈宰模、負傷のために入院(高地戦で受けた傷を悪化させたため) 1951.5 千チョンバグ、党員審査のために自叙伝を綴る 1951.5 趙源済、回帰熱の予防について、新聞に二度掲載 1951.5 廉相九、尹玉子と結婚 1951.5 南朝鮮六道党委員長会議(李承燁の命だったが指示書がなくて口頭だったため、会議で紛糾)に朴永撥委員長、金善佑副委員長出席廉相鎮、保衛第二隊長として両委員長に同行李鉉相、南朝鮮遊撃隊の総司令官に就任、各道党の遊撃隊はその指揮下に入る道党の幹部会議招集 1951.5 金美善、死刑を宣告され、転向書を書くよう李某に勧められる。最終的に承諾 1951.5 沈宰模、順徳の様子を探りに丹陽へ 1951.5 金範佑、釜山の病院で閔基弘と再会 1951.5.30 金範佑、巨済島の捕虜収容所へ送られる 1951.5〜6 国連軍、大攻勢開始、中部戦線の鉄の三角地帯で激突 1951.5〜6 討伐隊、白鴉山地区を攻略にかかる 1951.6 姜東基、韓相根ともめごとを起こす 1951.6 盧徳甫の戦死の報せが女房に届く 1951.6.23 ソ連のマリク国連代表、休戦会談を提案 1951.6下旬 討伐隊の攻勢、さらに激化 1951.6下旬 金範佑、鄭河燮と再会 1951.7.10 休戦会談、開城で始まる(〜8.23)も戦闘は継続 1951.7 趙源済、開城で休戦会談が始まったことを知る 1951.7.15 ソウル−釜山間の急行列車の運行、再開 1951.7 徐民永、李根述を夜学の教師にスカウト 1951.7 姜京愛、後方部隊から李泰植の部隊に転属 1951.7.30 申東植、尹在一、脱走を企てるも失敗 1951.8.1 申東植、尹在一の裁判が開かれ、銃殺刑の判決 1951.8 全羅北道党の司令部、智異山へ 1951.8.18 趙源済、負傷 1951.8下旬 解放区を失う 1951.9初旬 梁孝錫の部隊、緊急の作戦命令を受ける(秋季大攻勢) 1951.9.20 李承晩、休戦受諾 1951.9.30 李鉉相の南部軍、谷城を攻め、失敗 1951.9 巨済の収容所、戦場となる 1951.10 金範佑、通訳になろうと考える 1951.10 趙源済、元の隊に復帰 1951.10 李海龍と河大治、1年ぶりに再会 1951.10 孫承昊、智異山のペムサ谷へ 1951.10 全羅南道党、求礼郡党を核に智異山地区を形成李海龍、副司令官に昇格 1951.10 十月革命記念相撲大会開催され、河大治、準優勝。昼食後、娯楽会も開催各地区、武装兵力を中心に精鋭化を図る 1951.10.16 全羅北道南原でパルチザンが機関車を転覆さす河大治、昇州郡党の指導下でチント峠のトンネルに奇襲 1951.10 李海龍、補給闘争に苦慮 1951.10 韓長寿、金福東の死を見知らぬパルチザンから聞かされる 1951.10.25 休戦会談の場所が開城から板門店へ移される 1951.11.2 全羅北道に非常戒厳令が発せられ、直ちに全羅南道にも発せられる 1951.11 セムコル宅、里帰り 1951.11下旬 全羅北道司令部、智異山を離れる。孫承昊、朴蘭姫ら、同行 1951.11末 李海龍、道党から「智異山の兵力を迅速に移動せよ」との指示を受けるも蟾津江方面が国防軍に閉鎖されていたため果たせず 1951.11.25 南原に白善燁野戦軍司令部設置 1951.11.27 30日間の暫定的軍事境界線の画定に合意 1951.11末 東部戦線の首都師団と第八師団が智異山一帯に移動 1951.11末 西南地区戦闘司令部の警察兵力と軍も智異山へ 1951.11末 首都師団は本部を順天、前方指揮所を求礼に、第八師団は本部を全州、前方指揮所を南原に設置 1951.12.1 大邱と釜山を除く全国に非常戒厳令 1951.12.2 西南地区共匪討伐第一次作戦開始 1951.12中旬 同作戦終了 1951.12.19 全羅南道党、白雲山地区から白鴉地区にかけて攻撃され、この攻撃で姜大珍戦死 1952.1 朴蘭姫、敗走中に戦死孫承昊、朴斗炳は生きのびる 1952.1 道党政治部長の呉源植、隊員25人とともに投降 1952.1.11 全羅北道にて国防軍攻撃再開(第二次攻勢) 1952.1.12 李海龍、智異山を捨て南原郡党のアジトへ 1952.1.15 李海龍、ペムサ谷へ 1952.1.16 大韓民国国会にて捕虜釈放決議案可決 1952.1末 第二次攻勢終了 1952.2 第四次攻勢開始 1952.2.15 李海龍、ポアラ部隊の存在を知る 1952.2中旬 河大治の部隊の柳第二大隊長戦死により、千チョンバグ、後任となり、中隊長には外西宅就任 1952.2下旬 千チョンバグ、金恵子、戦死 1952.2末 河大治、安昌民、李知淑、外西宅ら、千チョンバグと金恵子の墓を建てる 第四次攻勢終了 1952.3.12 西南地区共匪討伐作戦終了 1952.3中旬 全羅南道党、河大治と李泰植を闘争英雄に選出 1952.3 趙源済、自身の中隊に禁煙令 1952.4 金範佑、大韓反共青年団に加入 1952.4.30 智異山のピッチョム谷で第五地区党結成のための組織委員会開催。出席者は李鉉相、方俊杓、金三弘、朴永撥、金善佑、趙秉夏、朴賛奉、オブザーバーとして金範俊。李海龍、朴永撥と金範俊の護衛で随行道党解体に李鉉相は賛成、方俊杓と朴永撥は反対を唱える李海龍、金範俊に党の決定に異議を唱える 1952.5.7 巨済島の捕虜収容所でトッド司令官拉致事件 1952.5.12 トッド司令の後任、コルソン准将、捕虜収容所内での暴行と殺傷を認めた覚書を発表した責任を問われ、解任。後任はボートナー准将 1952.5 金東赫戦死 1952.5 趙源済、第一大隊の指導員兼連隊副政治委員になる 1952.5 趙源済、牛を潰した件で譴責の判決 1952.5 安昌民と李知淑、党の方針変更により結婚 翌日 安昌民と李知淑、偽装帰順のために下山 1952.6 李根述、亀山宅を訪ね、徐仁出の息子、相浩と河大治の息子たち、吉男と鍾男を夜学に招く 1952.6.8 板門店で休戦会談の仮調印 1952.6.18頃 パルチザンたち、休戦を知る 1952.6下旬 廉相鎮、道党司令部の隊員たちに現実闘争から歴史闘争への転換を告げる 1952.7 安昌民と李知淑、逮捕申氏、息子助命のために親戚を訪ねるも悉く断られるカシル宅ら、申氏に助力を申し出る 1952.7 趙源済、偽の情報のために逮捕趙源済、古なじみの朴刑事と再会趙源済、父の助けで偽装帰順 1952.8.5 大統領と副大統領選挙実施 その10日前 呉判ドル、戦死 1952.9 廉相鎮、河大治に安昌民と李知淑が終身刑になったことを報せる 1952.9 孫承昊、偽装帰順のために下山する途中で撃たれる 1952.10 姜東基、トレドンの坂の上の哨所を襲撃するも待ち伏せに遭い、戦死姜京愛、戦死 1952冬 金範俊、凍傷を悪化させて歩けなくなり、李海龍に背負われて越冬 警察による攻勢開始 1953.2.15 緊急通貨措置令発表。通貨をファンに切り替える 1953.3 李泰植戦死 1953.4 休戦反対決起大会が全国的に繰り広げられる 1953.6 休戦反対決起大会が北進統一決起大会に名称変更 1953.6 南仁泰、権炳済と討伐隊長2名、宝城郡の残留パルチザンについて緊急会議開催 1953.6.18 金範佑、馬山の捕虜収容所から釈放される 1953.6.20 金範佑、筏橋へ帰郷 1953.7.27 板門店で休戦協定調印 1953.8.7 朝鮮民主主義人民共和国、米国のスパイとして朴憲永、李承燁、李康国、林和、薜貞植、朴勝源、裴哲、白亨福、趙鏞福、孟宗鍋を死刑、尹淳達、李源済は懲役刑に処すこの件で李海龍、金範俊に党の人民への責任と諭される 1953.9.18 李鉉相、ピッチョム谷のアジトを発つ 1953.9.20頃 李海龍、李鉉相戦死のビラを受け取る 1953.9末 李海龍、金範俊戦死廉相鎮戦死 その2日後 筏橋駅前広場に廉相鎮の生首がさらされる虎山宅、竹山宅、首を取り返そうとして警察の妨害で果たせず、廉相九がこれに加担して取り返す その2日後 廉相鎮の葬儀が行われる。徐民永と金範佑も出席 その数日後 河大治と5人の部下、廉相鎮の墓参り
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725: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 29 49 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp さて、昨日投下した私の末期戦作品 この先、或いはこれまでの流れが気になる方用にこの世界線の設定をいくらか投げて 私はちょっとの間、手を引こうと思います。ウィキへの転載等もご自由に……なろう連載始められるように頑張ります 夢幻会を突っ込んだおかげで、ひょとしたら私が考えたのとは違った継続大戦になったりするかも いっそ、この世界線のWW2に夢幻会突っ込んだらどうなるんだろう? 様々な物が生えてくるかもしれませんし。何しろ国力だけは史実より上がっているので色々出来るかなぁ? (最低でも3倍、部分的には5倍が目安になってます。平均値10倍前後目指して年表つくろうとしてるけど) 元々後付けがしやすいようにわざとガバガバに作ってる年表からいくつか使えそうな物をピックアップしてきました 726: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 30 30 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp ―― メインテーマ:『全世界同時末期戦』 ―― 1039年6月、第2次日露戦争(第1次アジア予防戦役)、ソ連軍による満蒙全面侵攻に対して発動。8月に停戦合意。 1939年9月、第2次欧州予防戦役、第2次ポーランド進駐。目的は親ソ政権の解散。 1939年10月、第2次アジア予防戦役、仏印進駐。目的はフランスの要請に基づき、インドネシア動乱への対処。 なお、フランスが当初考えた規模を超えた兵力がやってきた為、要請撤回。 1939年11月、大連合、枢軸全加盟国へ早急な完全撤収を要求。経済制裁の準備を開始。 1939年12月、大連合、総動員令。協商も戦争準備に。枢軸、それに対応するように総動員。ナチスドイツ、フランスへ進軍開始 WW2の勃発。 1941年10月、真珠湾攻撃。大日本帝国正式参戦へ 1942年1月、ミッドウェー海戦に勝利。マレー半島、インドネシアの広範囲を制圧。南方作戦完遂を宣言。(宣言しただけとも言える) 1942年2月、帝国海軍G14号計画に基づき、新たな装甲空母2隻進水 1942年12月、絶対国防圏の完成を宣言(なお完成したとは明言していない)、主戦線インド洋の形勢へ向けて動き出す 1943年1月、第1次ポートモレスビー攻略戦。失敗。 1943年6月、セイロン島陥落。インド亜大陸への上陸は行わず沿岸砲撃だけに止める予定でペルシャ方面へ 1943年8月、ペルシャ方面にイラク軍、ソ連軍、インド軍押し寄せる。圧力緩和を目的にインド南部戦線形勢へ 1943年11月、東京、大東亜会議 1944年5月、インパール作戦。インド南部戦線への補助作戦。失敗。 1944年5月、帝国海軍G18号計画に基づき、新たな戦時量産型軽空母2隻を進水。最終的に21隻の建造計画となる 1944年8月、モントゴメリーによる『マーケット・ガーデン作戦』第1段階、マダガスカル制圧作戦開始。 1944年12月、マダガスカル、大連合並びに協商軍の手に落ちる。 1945年1月、マダガスカル救援解放作戦最終準備。 727: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 31 26 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp 1945年2月、『マーケット・ガーデン作戦』第2段階、ソマリア強襲上陸。3日間で広げられるだけ橋頭堡を広げる 1945年2月、『マーケット・ガーデン作戦』最終段階、空挺強襲による紅海沿岸アラビア半島への進出へ 目的、陸上からの紅海一時封鎖。 1945年2月、帝国海軍、戦艦陸上砲撃並びに帝国陸軍挺身隊の空挺強襲によるアラビア半島沿岸側の 協商軍排除作戦立案。イタリアも作戦に共同へ 1945年2月、日独伊三国での共同作戦となるも、連絡不備の混乱から作戦決行に2時間の遅れ。 1945年2月、武装中立(大連合より)を宣言していたサウード家が大連合側からの参戦を表明。2時間の遅れから 参戦を止める事が出来ず、紅海封鎖解除できず。 1945年2月、協商、大連合との連名で『マーケット・ガーデン作戦』の成功を宣言。戦争の離脱は無いと表明。 大日本帝国、戦争戦略の完全なる破綻。 以降、1.ドイツがイギリスを落とす事を祈る 2.ドイツがソ連を落とす事を祈る 3.日本がソ連を落とす 4.日本がアメリカとの戦いで判定勝利を狙う 以上の4つの選択肢のすべてをその場のノリで選択する投機的行動に始終する。 1947年6月、シチリア大会戦。大連合並びに協商軍、陸海空から21万の兵力を投入した大作戦。 1947年7月、ローマ上陸戦。 1947年8月、イタリア北部共和国及び南部共和国に分裂。南部共和国、大連合に降伏。 1947年8月、大日本帝国、東1号作戦(あずまいちごう)発動。 パナマを占領、そこからフロリダへの爆撃を狙う。占領期間は最長で1ヶ月を想定。 成功しようが失敗しようが、アラスカへの上陸からの五大湖爆撃作戦への囮作戦であり 同時に本命作戦でもあると言う投機的作戦。なお、あえてハワイをスルーする。 所詮は最澄で1ヶ月の占領だから 1947年8月、パナマ沖海戦、帝国海軍最悪の日。 作戦に参加した空母8隻、すべて沈没。戦艦武蔵も大破。栄光の第1航空戦隊は完全に消滅。 一応、アメリカに対し、太平洋での戦艦戦力そのすべてを撃破、パナマ運河の破壊にも成功する 日本側概算、3ヶ月の損害。なお、1ヶ月ちょっとで直された。 アラスカ上陸からの五大湖空爆作戦は強行される事になる。 1947年9月、アラスカ撤退。初期生産富岳を投入、本土とアラスカの2正面からの爆撃作戦を実施するも損害多数。 五大湖空爆作戦は完全に失敗。航空戦力の摩耗からアラスカの維持不能と判断。 以降は、カリフォルニア、ニューヨーク、ワシントンへのイ400によるV1爆撃と風船爆弾のみに 728: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 32 09 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp 1948年1月、イタリア降伏。 1948年2月、ソ連軍、ディートリヒ・ライン(ポーランド西部に作られた要塞地帯)を突破。 1948年3月、中共軍の第2次百団大戦。北支山西防衛戦突破。ソ連軍も併せて攻勢に出る。 1948年3月、第3次ポートモレスビー攻略戦。オーストラリア軍によるポートモレスビー奪還作戦。 1948年4月、カダルカナル撤退戦。 1948年4月、ハワイ攻撃、K号作戦。並びにハワイへのコマンド潜入 1948年5月、対日用原爆を確認。ハワイにて奪取。 1948年6月、アルプス国家要塞への司令部移転が始まる。ヒトラーはベルリンへの残留を宣言。混乱 1948年7月、第2次マリアナ沖海戦。撃退には成功 1948年9月、第3次マリアナ沖海戦。大敗。 1948年9月、中華民国正式参戦。大連合の戦爆連合千機がそれぞれ沖縄及び北九州へ押し寄せる。 第1次二正面千機爆撃。 1948年11月、帝国海軍、南アフリカへの爆撃を実行。マダガスカル封鎖を目指す。 同時刻、1号作戦(大陸打通作戦)準備命令下る。 1948年12月、第2次二正面千機爆撃、第3次二正面千機爆撃 1948年12月、第3次二正面千機爆撃、アリューシャン方面より北海道、東北地方に襲来。 太平洋側東北沖付近に機雷も大量投入。 1948年12月、北朝鮮にて、大日本帝国、核実験に成功。 1948年12月、ベルリン陥落。ヒトラー死亡。アルプス国家要塞への原爆投下準備始まる。 1949年1月、アリューシャン再攻撃。陽動としてハワイ攻撃のK作戦発令 1949年1月、バルカン軍団撤退戦。 1949年2月、1号作戦(大陸打通作戦)、7号作戦(インド亜大陸打通作戦)発動 1949年3月、ケアンズ絨毯爆撃。帝国陸海軍、最後のオーストラリア攻撃。富岳生産第3弾投入。 1949年4月、沖縄沖海戦。海軍大臣、「撃退成功、されど次は無し。連合艦隊むなしくも、もはや無力なり」と議会で明言。混乱へ 1949年4月、満州陥落。揚子江要塞地帯での戦いへ。 1949年4月、満州、ソ連軍へ核兵器投入。 1949年4月、マリアナ沖にて、米軍頭上に核兵器投入。 1949年5月、正式に7号作戦中止を決定。インド南部戦線撤収準備 1949年6月、沖縄戦。台湾から航空支援。 1949年6月、硫黄島の戦い始まる 1949年6月、台湾沖空戦。台湾千機爆撃 1949年6月、1号作戦成功を宣言。中国大陸主要沿岸都市を一時占領下へ 1949年6月、義号作戦・嘉数攻勢・沖縄総力特攻 米軍1日の戦死者が1万を超える地獄の1日 1949年7月、ヒロシマ・ナガサキ 1949年8月、戦艦大和に3発目の核兵器落ちる。 1949年9月、神奈川県平塚に4発目落ちる。 1949年9月、沖縄陥落 1949年9月、硫黄島陥落 1949年11月、オリンピック作戦。決号作戦。共に発令。 1949年12月、大日本帝国降伏。WW2終結。「11年待ったクリスマスプレゼント」 1950年6月、継続大戦。 2001年9月11日、ソ連崩壊。米ソ東西冷戦終結。 729: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 33 43 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp ウエハラ攻勢:WW1の時、ロシア革命の兆しに敏感に反応した帝国陸軍はすぐさま部隊を抽出、 モスクワの様子を見に行かせると共に、万が一の撤退作戦計画を複数立案。 その一つが『ダ号作戦』。ケーニヒスベルク(カリーニングラード)、 もしくはその周辺の港町へ進出し海路からの脱出を目指す無謀とも思われる作戦計画。 政治的事情やロシア、イギリスからの攻勢要請を受け、最終的に一部修正されて、発動となった。 作戦を指揮した上原勇作陸軍大将の名前を取って、諸国ではウエハラ攻勢と呼ばれる。 この戦いにおいて、ドイツ軍の戦い方を分析した戦闘群戦法を帝国陸軍流に再現、その他陽動作戦などの成果により 横7キロ、縦8キロにも及ぶ突破に成功させたが、海路からの脱出という当初の作戦目的から考えた場合 間違いなく大失敗である。 帝国国防方針:10年ごとに作成。最終的に総理大臣並びに大蔵、内務の副著を必要とする。 なお、年号元年に新たに作成し直す慣例になっており、作中では昭和2号方針である。 昭和2号は戦時には絶対国防圏を確立させる事を前提とする軍備計画並びに 戦時統制研究を記載している。 以上です。後付けしやすいようにわざとガバガバに作ってる年表から部分的に引っ張ってきました なので南米戦線とか書いてませんけど、大体こんな感じの世界線です。 終わります
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73 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 11 51 日本大陸世界ネタSS――第1次世界大戦時の日本 「遣欧総軍」 【日本軍、西へ】 ――西暦1917年6月、フランス北部へ集結を完了した遣欧総軍は、陸上戦闘部隊のみで28個師団および5個独立混成旅団と5個軍団級砲兵団で成り立っていた。 しめて52万3000名。日露戦争時の満州総軍の前線部隊にほぼ匹敵する数である。 加えて、兵站を担うべく日本海軍から艦艇122隻および輸送船約1200隻が臨時に「欧州方面海上護衛司令部」とともに抽出され指揮下に入っていた。 また本土からは鉄道師団が工兵旅団を複数追加されたうえで「臨時鉄道軍団」として派遣されており、帝鉄出身技術者とともに無数の機関車と貨車が欧州入りしている。 彼らは兵站基地となる英国南部までの海上補給路と、英仏海峡を渡ってからの輸送網を維持することに細心の注意を払っていた。 連絡将校たちが驚いたのは、火砲の大きさではなくその数と足回りだった。 火砲1万2340門。数は実に日露戦争時の5倍となり、さらにはその足回りはほとんどすべてがゴム製タイヤを履いている。 あわせて持ち込まれた牽引車両は初期的な戦車のような装甲トラクターであった。 中には280ミリ以上の巨大な榴弾砲をけん引するための大型蒸気トラクターすらあったほどだ。 これら火砲だけではなく、歩兵の装備も日露戦争時とは大きく様変わりしていた。 小銃こそ日露戦争時のそれの改良型ボルトアクションライフルであったが、それだけではなく分隊あたり1丁の散弾銃および擲弾発射機、そして携行可能な短機関銃を装備していたのだ。 小隊ごとにいたっては、歩兵運用が可能なロケット砲(さすがにこれは2~3名で運用するが)すら持っている。 大隊にいたっては無線電話による通信機能すら有しており、有線電話を加えれば文字通り手足のように戦場を駆け巡ることが可能となっていた。 なるほどこれでは補給がなければ作戦不可能なはずであった。 これらを指揮していたのは、元帥陸軍大将乃木希典。旅順攻略や哈爾浜会戦で名高い猛将であるが、彼は自らをお飾りと称して実際の指揮権は陸軍部隊を束ねる秋山好古大将に任せていたという。(これは薩摩人に特有の総大将のスタイルである。) 秋山は、海軍部隊の指揮官であった広瀬武雄大将が弟を通じた知己であるという関係を持っており、またフランス留学経験を持つ騎兵出身でありながらも火力戦と歩兵戦に造詣が深いという異色の将官でもあった。 そのため、当初は派遣前後のゴタゴタもあって険悪な仲となりかけた連合軍総司令部にあって流ちょうなフランス語で少しばかり下品な冗談を飛ばしてたちまち多くの外国武官の心を掴んだという。 いかにプライドの高いフランス人とはいえ、英雄には英雄の遇し方がある。 その点において、フォシュ元帥からも敬意を払われた彼らの起用は正解だったといえよう。 同年8月3日、ドイツ軍は「士気は低い」とみて新たに出現した日本軍めがけて攻勢を開始。 日英両軍の結節点にあたるソンム・オイセ河間に向けてドイツ第5軍が殺到した。 しかし、川に挟まれた地形であったうえ、臨時鉄道軍によって敷設を完了していた軍用軌道を用いて輸送された大量の火砲の餌食となり衝力は失われてしまう。 それでも攻勢を強めるドイツ側だったが、ヴェルダンで日本軍に救われたペタン大将率いるフランス第8軍が戦場に駆けつけることで日本側の士気は劇的に向上。 最終的にはわずかな損害でドイツ側の攻勢を頓挫させることに成功したのである。 連合軍側にとって久しぶりの大勝利であった。 折しも、ロシア方面においてケレンスキー率いるロシア軍が攻勢に転じていたためにドイツ軍は東部方面において大反攻を実施しつつあり、西部戦線においては小康状態が訪れつつあった。(それでも中部方面において第2次ランス会戦という激戦が惹起している) しかし、10月のロシア10月革命(赤い十月事件)によってロシア臨時政府が倒れソ連が成立。 12月にはブレストリトフスク条約が締結され東部戦線が消滅するという緊張感の中で、連合軍は1918年を迎えることになるのである。 74 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 12 25 【大派兵――米軍参戦】 1918年1月はアメリカにおいてツィンメルマン電報と呼ばれる一通の電報の内容が暴露されることによって慌ただしく幕を開けた。 折しも中国大陸において孫文が米軍(軍事組織として再建されたばかりであったが最新の装備で身を固めていた)の助けを借りて北伐を成功させ、さらにはロシア革命からチェコ軍団を救出するという名目で米軍先遣隊が満州経由でシベリアに入ったばかりのころである。 メキシコ駐在ドイツ大使館からメキシコ政府に向けて送られた参戦要請とされるこの文章は、現在では本物であったということがわかっていたものの当時はその真実性に疑問がもたれていた。というのも、その当時の外務大臣はすでにツィンメルマンではなく休戦派のゲオルク・ミヒャエリスであったためである。 彼は米国かオランダを仲介にした和平を望んでいるとされていたため、それはそうとしても現在は関係ないと思われたのだ。 だが、内容は衝撃的だった。 「メキシコの対米戦争実施要請、見返りに米墨戦争で奪われた西海岸三州の割譲」 それだけでもアメリカ国民の中に根付いたぬぐい難い反メキシコ感情から反独感情が高まることは避けられなかった。 さらにはドイツ潜水艦によってニューヨーク近海においてアメリカ船籍の客船「コロンビア」が撃沈され多数の犠牲者が出た(これは旧称をブリタニックというタイタニック号の姉妹船でアメリカに売却されていた)こともあり、時のウィルソン大統領は俗に「大派兵法」と呼ばれる法案を議会に提出。 中国大陸で進行しつつある自由を守るための戦いをヨーロッパにおいても行う許可を求めた。 しかし審議は難航。 中国大陸からシベリアにかけてか、それとも欧州か、主戦力派兵を行うのをどちらにするのかでおおもめにもめていたのである。 前者は、列強諸国特に日本が全力で欧州に取り組んでいる間に可能な限りの勢力拡張を成し遂げるチャンスであったし、後者はウィルソンの好む「道義的責任」においてフランスを助けるというより直接的なものとなっていた。 そのため大統領は両方を望んでいたのであるが、それには500万ともいわれる動員が必要となると野党は批判していたのだ。 結局は1918年2月に法案が成立し、中国大陸派兵用に用意されていた兵力が練兵の末に1918年4月に海を渡り始めるのであるが、準備期間の短さと兵站活動見積もりの失敗から悲劇に終わるとはだれも予想だにしなかった。 この年、南部の一部において奇妙な風邪のような症状が断続的に流行しており、それがニューヨーク近郊においても発生しつつあったことなど、誰も気にも留めなかったのだ。 75 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 16 07 【あとがき】――というわけで投下いたしました。 フランスも頑張ってますよ!おや?アメリカのようすが――というお話です。 ちなみに史実では作中電報はあまりにアレなので偽電文とみられていましたが、当のドイツ外務大臣がふんぞり返って「アメリカの参戦をしないように望む(キリッ)!」といって認めちゃうという大ポカをやらかしてます。 もともとは英国人による暗号解読の結果なのですが、今回の世界ではアジアで好き勝手をする米軍を掣肘するために使われたと考えました。 しかし、史実では運よく手に入れられたコピーとか、その暗号が古いままだったという幸運は今回はありません。 ですので疑惑の電文どまりとなります。 ------------------------- 修正回:0(アップロード) 修正者:Call50 備考:誤字・空欄等を修正。 修正回:1 修正者: 修正内容: -------------------------
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imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 属性 水 特性 狙われ率200% 防御効果率300% レベルアップでMPが増えない 習得特技 特技 取得レベル 右利き 初期習得 迫真の叫び 初期習得 バラマキ 初期習得 召喚「肉体派インタビュアー」 レベル8 舐めさせる宣言 レベル10 水符「水しぶき感覚」 レベル12 炎符「色やけてます?」 レベル14 出得「情熱の風」 レベル16 苦悶の表情 レベル21 ネクタイバリア レベル24 禁断「ミッキーマウス…」 レベル30 習得呪文 呪文 取得レベル Epic Necktie Guy レベル9 一転攻勢技(特技) 食事処デカスギ 味方全体のHPとMPを完全回復する。さらにHP・MP自動回復付与。 TP50、MP60消費 役割 サポーター 性能 四強の一角。奥義が作中トップクラスの壊れ性能に加え、魔法で味方全体のTPを補充できるので、無駄のない運用が可能。唯一の難点は狙われ率が高いので、1ターン目に集中砲火を食らって落ちやすいこと。
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ステージ名 ステージ名 あらすじ ステージ情報 ミッション あらすじ ステージ情報 冒頭解説 出現条件 操作可能武将 藤堂高虎・大谷吉継・加藤清正・羽柴秀吉・石田三成・ねね・黒田官兵衛・福島正則 難易度 ★★★★★★☆☆☆☆ 制限時間 60分 勝利条件 の撃破 敗北条件 の敗走 ミッション 番号 名称 内容 備考 No.1 賤ヶ岳砦救援 拝郷家嘉と山路将監を撃破し、桑山重晴の敗走を阻止せよ! No.2 鬼玄蕃たちの攻勢 佐久間盛政らを撃破せよ! No.3 お市を救うために 柴田本陣を包囲するため、金森長近らを撃破せよ! No.4 仁義を通す 前田利家を撃破せよ! No.5 ☆頭上注意 味方武将への奇襲を防ぐため、不破直光を撃破せよ! No.6 ☆岩崎山砦救援 高山重友の羽柴本陣到達を援護せよ! No.7 ☆秀吉包囲網 織田信孝と滝川一益と滝川益氏を撃破せよ! No.8 ☆傾奇者猛進 前田慶次の羽柴本陣侵入を阻止せよ! ☆はボーナスミッション
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第78話 カレアント戦線 1483年(1943年)8月12日 午前9時 カレアント公国東ループレング この日、ポーラインの空は昨日と引き続き、雨模様であった。 ループレング戦線に駐屯する第20軍は、戦線の左翼に布陣している軍である。 シホールアンル側は、第3軍、第8軍、第14軍、第20軍の計4個軍を配備し、残りは後方で待機していた。 第20軍は、前線から4ゼルド離れた、石造りの建物の多い東ループエング市に司令部を構えていた。 軍司令官であるムラウク・ライバイスツ中将は、青色の軍服に身を纏い、窓ガラスの外に見える最新式のゴーレムに見入っていた。 そのゴーレムは、ストーンゴーレムに属しているが、外見は犬か、猫のような形をしており、8体が伏せているような状態で置かれている。 背中の後ろには、大砲らしき物と、人が3人乗れる台座が設けられている。 これは、今年始めに出来たばかりの機動用のゴーレムであり、通称はキリラルブスと呼ばれている。 キリラルブスは、シホールアンル帝国内にいる犬型の肉食動物の名前であり、その姿形が件の肉食動物に似ている事からこの名が付けられた。 キリラルブスの前面には、新式の野砲がずらりと並べられている。 このゴーレムと野砲は元々、前線部隊に運ばれる途中であったのだが、街道が空襲を受けて破壊され、工兵部隊の修復が出来ていないため、 一時的に軍司令部のある市庁舎前に置かれている。 (満足に、兵器も運べぬ状態なのだ。上からの決定も、致し方ないのだろうが・・・・) ライバスツ中将は苦しげな表情でそう思った。 彼の年齢は既に50を超えている。黒髪で短い身長、厳つい顔にでっぷりと太った体系であるが、温和な性格から彼はおやじさんという渾名を頂戴している。 指揮官としての才能はシホールアンル有数であり、彼が佐官時代、尉官時代の頃には様々な戦場で抜群の戦功を挙げてきている。 また、彼は部下の面倒見も良く、最近シホールアンル帝国内にも増えてきた、20代後半から30代前半の若い将官も、彼の薫陶を受けて育った者が多い。 そんなライバスツ中将ではあるが、彼は今、悩んでいた。 (これほど、後ろを振り返るという動作が辛いとは・・・・・) 彼は今、司令部の会議室で、各軍団長、師団長を集めて作戦会議を開こうとしていた。 集まった者達には、前もって重大な知らせがあるから至急司令部に集合せよと命じてあるが、その詳細は教えていない。 詳細は、軍団長、師団長の全てが集まってから話すつもりであった。 内心、彼は戦いたかった。新式のゴーレムは、従来のストーンゴーレムよりも機動性は上で、敵戦車に対抗できると見込まれている。 新式の野砲は、シホールアンル軍で初めて3.8ゼルドの射程距離を誇り、近距離の対戦車戦闘にも応用できる。 このような装備は、第20軍のみならず、前線部隊や後方部隊全てに行き渡っていた。あとはそれを支えるものが揃えば、攻勢に持ち込めた。 なのに・・・・・ 「軍司令官閣下。全員集まりました。」 彼の傍で、参謀長が声をかけてきた。 「そうか。」 ライバスツ中将はそう言うと、重そうな体を振り向けた。 第20軍団は、第109軍団、第32軍団で編成されている。 この編成を細かくすると、第109軍団は第202歩兵師団、第122重装騎士師団、第21騎兵旅団。 第32軍団は第173歩兵師団、第123石甲騎士師団、第82石甲機動旅団となる。 総兵力は実に76000人を数える。この2個軍団を1個軍にまとめているのが、第20軍だ。 第20軍は今年の2月にカレアント公国ループレング戦線に配備された。 今日まで最前線に配備された第20軍は、アメリカ軍機の空襲によって若干の損害は受けているが、被害の度合いは 第20軍全体から見れば、かすり傷にすらなっていない。 他の第3軍、第8軍はそれほど幸運でもなく、第8軍では1個師団が空襲のため消耗が魅し出来ぬほどまで大きくなり、後方の師団と入れ替えられた。 第3軍の方では1個旅団が、7月の大空襲で丸々壊滅するという損害を被り、これもまた後方の部隊と交替された。 そんな中でも、シホールアンル軍前線部隊の将兵は、それほど士気を落とさなかった。 だが、2日前に各軍司令部に送られてきた魔法通信が、ループレングのみならず、南大陸全ての戦線を揺るがしていた。 「忙しい中、急に呼び出して済まなかった。」 ライバスツ中将は、始めにそう切り出した。 「今日は皆に重大な発表がある。先日、本国の司令部から、各軍司令部宛の命令を受け取った。内容はこの紙に書いてある。」 彼は、懐から1枚の紙を取り出した。この紙は、その時知らされた命令文が一字一句もらさずに書き込まれている。 「どのような命令なのでしょうか?」 第32軍団司令官がライバスツに聞いてきた。 「それを今から教える。」 ライバスツはそう言いながら、紙に書かれた命令文を読み始めた。 「発 本国総司令部 宛 南大陸侵攻軍各軍司令部 南大陸各侵攻部隊は、8月15日を期して順次撤退準備に入られたし。撤退開始日は、ヴェリンス方面部隊は9月2日、 カレアント方面部隊は9月5日とする。尚、連合軍に撤退を察知させぬため、撤退は後方待機部隊から小部隊ずつに分かれて順次行う事。」 紙に書かれていたのは、たった数行程度の文章。 されど、数行程度だ。 この淡々と書き綴られた命令文は、第20軍の軍団長、師団長を驚愕させた。 「て、撤退ですと!?」 「我々は再び、南進するために派遣されたのではないのですか!?」 「どうしてです!?装備の質も以前より上がっているのに何故!」 将官たちが、信じられないと言った口調で次々と質問して来る。 「落ち着け!」 ライバスツ中将は鋭い声音で一喝する。ざわめいていた会議室はシーンと静まり返った。 「君達は思っているだろう。どうして撤退するのか?戦わずに逃げるのか?と。しかし、そうやらざるを得ない状況に落ち込んでいるのだ。 パルメイカル君、先月の補給量は定量に達していたか?」 彼は、第32軍団長のパルメイカル少将に聞いた。 質問を受けたパルメイカル少将は、一瞬答えるのを躊躇ったが、意を決して答えた。 「いえ、達していません。補給量は定量の7割、いや、6割ほどです。」 「そうか。マレィンパル君、君の所はどうだったかね?」 「私の所も、先月は定量に達しませんでした。」 「先月も、だろう?」 ライバスツ中将は被せるように言い放った。 「先月も、その先月も、そのまた先月も・・・・・前線にはアメリカ軍の爆撃や、地域住民の連合軍派民兵が妨害工作を行っているせいで、 送られて来る補給物資は減りつつある。今の所、我が軍や他の軍も、なんとか飢えぬ程度で収まっているが、食料の他に必要な衣類、靴や、 剣や魔法石などの必要物資は目減りする一方だ。これでは、攻勢が成功しても伸び切った補給線を断ち切られて侵攻軍全体が消耗してしまう。」 アメリカ側が行っていたシホールアンル側の補給線攻撃は、シホールアンル南大陸侵攻軍に重大な影響を及ぼしていた。 アメリカ軍は、太平洋艦隊所属の空母部隊や潜水艦部隊が1月から南大陸や、北大陸南部の主要部に散発的に空襲を加えるか、潜水艦によって輸送船を撃沈している。 陸軍はこれに呼応するかのように、前線は勿論、前線後方の物資集積所や街道を執拗に爆撃し続けた。 当然、シホールアンル軍もあらゆる対策を立てて猛反撃した。 今も続く補給線を巡る攻防は、アメリカ、シホールアンル双方に手痛い損害を与えている。 アメリカ側はしばしば沖の機動部隊にも打撃を与えられている。 陸軍航空隊の犠牲も大きく、米側の発表では1月に198機、2月に300機、3月に389機、4月に202機、5月に270機、6月に268機、 7月に201機、計1828機を失った。 対して、シホールアンル軍はこの半年以上の期間に戦闘ワイバーン1089騎、攻撃ワイバーン923騎、飛空挺4機を失っている。 一方、海上での戦いでは、アメリカ側が潜水艦19隻を撃沈され、シホールアンル側は輸送船53隻と巡洋艦1隻、駆逐艦4隻を撃沈された。 このように、双方の被害はかなり大きな物となっているが、アメリカ側の目論見通り南大陸侵攻軍の補給物資は、日を重ねる毎に減って行った。 補給物資の供給不足は、必要な武器や備品の整備状況に影響を及ぼし、第20軍に所属する各師団の砲兵隊の中には、部品が足りずにそのまま修理が 滞っている大砲等が出始めている。 特に高射砲や魔道銃は、アメリカ軍機が来襲する度に戦闘を行っているため消耗が激しく、8月現在までに21門の高射砲と42丁の魔道銃が、 整備不良で使い物にならなくなった。 7月からは、それまで一応満足に行われていた魔法石の供給も減少傾向にある。 戦闘状態にない時期でさえ、この有様だ。 これで戦闘状態に突入すれば、満足に戦えるのはほんの一時期で、遠からぬうちに補給不足で自滅するのは目に見えていた。 オールフェスは、アメリカ軍や民兵の妨害工作で、補給線が細くなりつつある南大陸侵攻軍の現状を憂慮していた。 シホールアンル軍は、陸軍の地上兵力が270万で編成されている。 そのうち、南大陸にはヴェリンス戦線に50万。カレアント戦線に90万を投入している。 ちなみに、カレアント戦線の要であるループレングには、第20軍のような軍が9個あり、総兵力は68万を超える。 合計140万の地上兵力が南大陸戦線に投入されているのだ。 しかし、この140万の兵員を生かす補給物資が減りつつあり、各部隊からは物資不足が次々に報告されていた。 シホールアンル軍上層部は、補給部隊を増やして定量を満たそうとしたが、アメリカ側の爆撃や、潜水艦の攻撃はより激化し、成果は一向に上がらなかった。 このまま敵の大攻勢を受ければ、補給不足によって継戦能力が低下しつつある南大陸侵攻軍は危ないかもしれない。 軍上層部には、撤退も視野に入れる者が増え始めたが、上級将官の大半は撤退を認めようとはしなかった。 「既に南大陸の過半は我らの領土だ。これを連合の蛮族共に引き渡す事なぞできるか!」 「状況は完全に不利という訳ではない!撤退する必要は無い!」 撤退論が出る度に、上級将官達は口々にそう言い放ち、撤退を認めようとはしなかった。 しかし、オールフェスは苦悩の末、南大陸侵攻軍の全部隊を、段階的に北大陸まで撤退させる事を決めた。 本来ならば、オールフェス自身も撤退を認めぬ立場にいたはずだった。 上級将官達の意見は、一昔前ならばそれで通じたであろう。 だが、シホールアンル地上軍の相手は、本気を出せば蹂躙できる南大陸軍のみではない。 連合軍には、去年4月の攻勢を頓挫させたアメリカ陸軍が含まれているのだ。 それも何十万という大軍である。 アメリカ軍には、シホールアンル軍には無い多数の戦車や自動車があり、それによって今までには考えられないスピードで前線を突破できる。 それに加え、砲兵隊も、シホールアンルのそれを上回っている。 このような状況で攻勢を行っても、前回以上の損害を出す事は確実だ。 それに、アメリカ軍に攻め込まれれば、更新された野砲やゴーレムを除き、未だに剣や弓、槍などを使用している地上部隊では太刀打ちできない。 一般の歩兵部隊にも、魔道銃や砲が配備されているが、これらは対空用であり、一部は対地用に手直しされているが、大半は南大陸軍と似たような装備だ。 これでは、アメリカ軍を始めとする連合軍を食い止める事は難しい。 いや、食い止めるどころか、戦線を各所で突破されて包囲される部隊が続出する可能性すらある。 そうなれば、何十万という兵員を失うだろう。 実戦経験を積んだ140万の軍は、失うには惜しい数だ。 犠牲を省みずに、あくまで南大陸防衛に固執するか。それとも、この140万の兵を有効活用すべく、一旦は後退させるべきか・・・・・ オールフェスは考えた末に、後者を選んだ。 前者なら、確かにアメリカ軍にも一泡吹かせられるかもしれない。だが、強力な装備を持つアメリカ軍相手には、一時的な作用でしかない。 結果、味方地上軍を、僻地同然の南大陸で無為に失う事になる。 そうなるよりは、補給もしやすく、地の利がある北大陸で戦ったほうが良い。 その事から、オールフェスは南大陸侵攻軍の撤退を決意したのである。 「この命令は、送り主こそ本国の総司令部だが、実際には皇帝陛下が熟慮の末、直々に下した物だ。諸君らも、足枷を付けられたまま 相手とは戦えないだろう。南大陸侵攻軍は今、補給不足という足枷を付けられている。このような状態で、あのアメリカ軍と戦えるかね?」 ライバスツ中将はそう言いながら席を立ち、窓を開けた。 窓の外には、彼が先ほどまで見ていた新型ゴーレムや野砲が置かれている。 「これを見たまえ。本来ならば、とっくに前線に付いてもいいはずの兵器だ。その兵器が、敵の空襲で足止めされ、この司令部の近くで たむろしている。満足に補給が行っていない証拠だ。」 ライバスツ中将は鋭い口調で言いながら、参加者全員を見回す。 誰もが、失意の混じった表情を浮かべている。 「私も、この第20軍をもって敵と戦いたかった。この中で、敵との決戦を一番望んでいたのは、私かも知れん。だが、兵力はあっても、 支える物が満足に行かぬ状態で攻勢なぞできる筈もない。強行すれば、兵を無駄死にさせるだけだ。皇帝陛下は、それを知っていたのだろう。 それでも、君らは納得行かんか?」 ライバスツ中将は、皆に問うた。 失意の表情を浮かべる軍団長、師団長の面々であったが、同時に現状を理解したうえで、ライバスツ中将の言う事に納得していた。 「軍司令官閣下の言う事は良く分かりました。」 唐突に、第32軍団長のパルメイカル少将が言って来た。 「我々は、この地に派遣されてから敵との決戦を夢見ておりましたが、確かに現状は厳しく、攻勢に出ても頓挫する事は火を見るより明らかでしょう。 軍司令官閣下、それに皇帝陛下の言われるとおり、満足に力を発揮出来る状態で戦ってこそ、敵に最大の損害を与えられるでしょう。」 「軍団長閣下の意見に私も賛成であります。」 「私も同意見です。」 他の師団長や旅団長も賛成の意を表した。 やはり、彼らも減りつつある補給物資に何らかの不安を抱えていたのだろう。 「納得してくれたか。ならば、後は敵に悟られぬように撤収準備を進めたい所だが、先にも話したとおり、撤収準備は敵に悟られぬよう、 段階的に行う必要がある。我々最前線軍は10月まではここから動けん。まず、後方の予備軍が撤収し、最後に我々となるだろう。 敵の11月攻勢が始まる頃には、我が第20軍も北大陸に布陣している筈だ。」 11月攻勢。それは、連合軍の反攻作戦が開始される時期を示した言葉だ。 スパイからの情報によると、現在、連合軍は11月の反攻作戦に向けて着々と戦備を整えているようだ。 11月となると、今は8月であるから、後2ヶ月もない。 このような状況で11月を迎えていれば、南大陸侵攻軍は今よりも酷い物資不足に喘ぎ、まともな反撃が出来なくなったであろう。 アメリカ軍が空や海から、執拗に補給線を狙ったのは、この事も見越しての事であろう。 (アメリカと言う国は、なんて戦上手なものか・・・・) ライバスツ中将は、内心でそう思った。 その後、ライバスツ中将は軍団長、師団長、旅団長と共に今後の事を話し合った。 話し合いは3時間にも及び、互いに納得した状態で会議は終わった。 8月14日 午後7時 カレアント公国ロゼングラップ 南西太平洋軍司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将は、ロゼングラップ郊外の草原地帯に待機している 第4軍配下の第4機甲師団の視察を終えた。 彼はその後、第4軍司令官と話し合った後、割り当てられた宿舎で泊まる事になった。 午後7時 アイゼンハワーは個室で本を読んでいると、訪問客が彼の部屋に訪れた。 ドアが開かれると、第4軍司令官であるドニー・ブローニング中将と、参謀長のフリッツ・バイエルライン大佐が中に入ってきた。 「おお、来たか。待ち侘びていたよ。」 「先輩と勤務時間以外で飲むのは久しぶりですな。」 ブローニング中将は微笑みながら、持って来たバーボンを掲げた。 「1週間前にヴィルフレイングで手に入れたバーボンです。どうですか?」 「嬉しい手土産だね。まあ、そこに座りたまえ。」 アイゼンハワーは2人にソファーに座るように促した後、従兵にグラスを持って来るように命じた。 「先の視察時は、仕事上の話しか出来なかったが。それにしても立派になったな。」 「はい。士官学校時代やパナマ運河勤務時には大変世話になりました。自分がこうしていられるのも、先輩のお陰です。」 「買い被り過ぎだよ。私はただ、サポートしたまでさ。」 そう言うと、アイゼンハワーは苦笑した。 「司令官とアイゼンハワー閣下は昔なじみのようですな。」 隣で話を聞いていたバイエルライン大佐が、ブローニング中将に聞いた。 「ああ、そうだ。先輩には色々世話をかけてしまったよ。軍を辞めようとした俺を引き止めたのも、アイゼンハワー先輩のお陰さ。」 「パナマ運河勤務の時だな。あの時、君は心労から軍を辞めたいと言っていた。当時、君は少尉で、酷い大尉の下で働いていたな。」 「ええ。本当に酷い野朗でした。」 「その酷い大尉の下で、君は頑張っていたが。ある日、とうとう限界に近い状態になった。私はその時、たまたま彼と再会して相談に乗ったんだ。」 「その酷い大尉というのは、ゼークト流に言うと勤勉で無能な働き者、と言う感じの者ですか?」 バイエルライン大佐が口を挟んだ。 「そう!まさにその通りの奴だった。ろくに考えもしないで訳の分からない事ばかり抜かすものだから、何度ぶん殴ってやろうと思った事か。」 ブローニング中将はわが意を得たりとばかりに返事した。 「しかし、私の説得でブローニングはなんとか耐えた訳だ。」 「ええ。そうして、今の私がある。まあそう言う事かな。」 ブローニング中将は苦笑しながら、バイエルライン大佐に言った。 従兵がグラスと氷を持って来た。 「閣下、お持ちいたしました。」 「ありがとう。どれ、私がやろう。」 アイゼンハワーは従兵が持って来た酒と氷を置くと、ソファーの前にあるテーブルに置いた。 「ちなみに、その酷い大尉さんはどうなったのです?」 バイエルライン大佐はブローニングに聞いた。 「確か、先輩と相談して3ヵ月後に、窃盗を起こして逮捕。後は軍法会議に掛けられて軍から叩き出されたよ。その後は知らない。」 「なるほど。これが戦場なら、後ろから撃たれても文句は言えないでしょうな。」 「確かにそうだ。あの役立たずが逮捕された時は、それ見た事かと思ったよ。」 ブローニングはやや毒気のある口調で言った。彼はそれほど、その大尉の事が大嫌いであった。 「まっ、人間は生きている間に、一度や二度ほど馬鹿な上司に巡り合うものだ。」 アイゼンハワーはしんみりとした口調で言いながら酒を注ぎ終わると、音頭を取って3人で乾杯した。 「バイエルライン大佐。すっかりアメリカ軍の空気に馴染んで来たね。」 アイゼンハワーはバイエルライン大佐に話を振った。 「はあ。お陰さまで。」 バイエルライン大佐は照れ臭そうな表情で返事した。 フリッツ・バイエルライン大佐は、元はドイツ陸軍の将校であった。 彼は1940年1月に開始されたイギリス、フランスとの本格戦闘で、エルヴィン・ロンメル少将の指揮する第7装甲師団の作戦参謀として戦ってきた。 泥沼化の様相を呈していくフランス戦役の中で、第7装甲師団はよく戦い、イギリス、フランス軍の攻勢を頓挫させ、あるいは逆包囲する等、 イギリス、フランス軍にに多大な損害を与えてきた。 転機が訪れたのは1941年2月の事であった。 いつもの通り、前線で戦況を見ていたロンメルら司令部一行は、フランス軍機の空襲を受けてしまった。 ロンメル少将は全治8ヶ月、バイエルライン大佐は全治5ヶ月の重傷を負い、残りの司令部要員も半数が戦死し、半数が負傷すると言う事態に陥った。 それから半年後の8月。待命状態にあったバイエルライン大佐は、病気で倒れたアメリカ駐在陸軍武官の代わりにアメリカへと赴任した。 アメリカ駐在大使館には、海軍から3名、空軍4名、陸軍から7名の駐在武官がおり、まとめ役は陸軍のモーデル中将が担っていた。 当時、ドイツはアメリカの参戦を気にしていた。アメリカはイギリスやフランスに対し、駆逐艦50隻の供与や、必要物資の輸送を行っていた。 誰が見ても、アメリカがドイツを挑発している事が分かっていたが、アドルフ・ヒトラー総統はルーズベルトの企みに乗らなかった。 逆に、アメリカの駐在ドイツ大使館から情報を得ようと、有用な将校をアメリカに送り込んでいた。 万が一、アメリカと開戦しても、駐在武官は外交官であるため、交換船で悠々と本国に戻る事が出来る。 バイエルライン大佐は、いずれはドイツ本国に戻れると思い、アメリカの しかし、思い掛けぬ事態が起こった。 10月、原因不明の突然の転移が起き、ドイツ大使館の面々は、他の大使館、領事館と同様に祖国を失った孤児と化したのだ。 アメリカ国内から貴重な情報を送るというドイツの試みは、有用な将校共々、アメリカ自体が消えた事で幕を閉ざされた。 駐在武官達は、しばらくは失意のどん底に叩き落された。 だが41年12月にアメリカが駐在武官の合衆国軍志願を認めた時、バイエルライン大佐は迷わず志願した。 バイエルライン大佐は42年3月には第4機甲師団の作戦参謀に任命され、自らがフランス戦で培った知識を、師団の参謀や部隊指揮官達に教え、 同師団の錬度向上に貢献した。 43年5月には、南西太平洋軍指揮下の第4軍参謀長に抜擢されて、6月に第4軍と共に南大陸に派遣されたのである。 「仕事のほうは順調かね?」 「ええ。万事順調です。あとは11月攻勢を待つばかりです。」 「そうか。」 アイゼンハワーは満足そうな表情を浮かべる。ふと、彼はある事が気になり、しばらく黙考した後、バイエルライン大佐に聞いた。 「そういえば、バイエルライン大佐とはあまり話す機会が無かったな。」 「ええ。私は南大陸に派遣されるまでは本土にいましたからね。何か聞きたい事でも?」 「あるよ。ドイツの軍人から見て、アメリカ陸軍と言う物はどう見えたかね?」 その質問に、バイエルライン大佐は一瞬戸惑った。 どう言って良いのか・・・・・ 「なあに、正直に言っても構わん。オフレコだから心配するな。」 心中を察したのか、ブローニング中将が陽気な声で言って来た。 「そうだよ。ここには君とブローニング、それに私の3人しかいない。」 2人にそう言われると、離さない訳にもいかない。バイエルライン大佐は意を決して話し始めた。 「はあ、それでは・・・私が合衆国陸軍大佐の階級を得て、第4機甲師団の作戦参謀に任命されたのは、 今から1年半近く前の42年3月でした。最初、私はアメリカ陸軍がどのような軍隊であるか期待しながら 見定めようとしました。最初の3ヶ月間は、正直言って呆れてしまいました。 素行不良が目立つ者が余りにも多くて。」 アメリカ軍は、外見は立派ではあるが、実際は驚くほど不真面目な兵隊が多い。 バイエルラインが勤務した第4機甲師団も、例に漏れず不真面目な兵隊が散見された。 最も、陸軍や海軍はまだましなほうで、海兵隊になると素行不良の兵隊など部隊のあちこちにいる。 だが、勇敢さでは3軍の中で海兵隊を一番に挙げる者が多い。バイエルラインもその1人である。 バイエルラインはまず、徹底的な訓練によって師団の士気を高めると共に、ドイツ式戦法を師団に取り入れる事を決めた。 最初は試行錯誤の連続で、ミスを生む事もあったが、師団の士気は大いに上がった。 又、ドイツ式戦法の有用性を認めた他の機甲師団も、バイエルラインが教えた通りの物を師団の訓練で取り入れた。 「ですが、訓練を重ねる毎にそのような者も少なくなりました。私が驚いたのは、アメリカ兵の飲み込みの早さです。 最初、師団は私の提示した戦法に戸惑うばかりでしたが、慣れたら上達が早い。去年11月に行われた、第5機甲師団との 戦闘訓練では、ドイツ陸軍のお家芸をほぼマスターし、第5機甲師団を打ち負かしてしまいました。」 「その話なら私も知っている。第5機甲師団の師団長は、最初はドイツ式の戦法を取り入れなかったようだが、 この演習の結果がショックだったのか、12月の演習で早速取り入れていたようだな。第5機甲師団のみならず、 他の師団や、今や新設されたばかり機甲師団まで、君の教えた戦法を伝えようとしている。全く、大したものだよ。 第4軍に配属が決まった時、師団長は何か言わなかったかね?」 「はい。第4機甲師団から第4軍の参謀長に任命された時は、師団長からそんな命令書など屑篭に捨ててそのまま 居座って欲しいとまで言われましたよ。」 バイエルラインは苦笑しながらそう言った。 「その師団長の言葉はよく分かるよ。俺だって、同じ事を言うぞ。」 隣のブローニング中将も笑いながら言う。 「あの転移は災難だったが、こうして見ると、悪い事ばかりではなかったな。合衆国軍は君達のような駐在武官によって、確実に変わりつつある。 転移に巻き込まれた君らには悪いと思うが。」 「いえ、とんでもありません。むしろ、失意に暮れている我々駐在武官にも、働き場所を与えてくれたアメリカには本当に感謝しています。」 アイゼンハワーの言葉に、バイエルライン大佐は慌ててそう言った。 「そうか・・・そう言ってくれると、私も励みになるよ。こうして、君達駐在武官にも感謝されているのだから、今度の反攻作戦は絶対に失敗はできんな。」 彼はそう言いながら、来るべき反攻作戦に思いを馳せていた。 連合軍80万が参加する9月の一大反攻作戦。 作戦名11月攻勢の開始までは、あと16日。 アイゼンハワーにとって、その16日がとても長いように感じられた。
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No. 書名 購入 No. 書名 購入 vol.01 ポーランド電撃戦 _ vol.02 西方電撃戦 _ vol.03 英独航空決戦 _ vol.04 バルバロッサ作戦 _ vol.05 北アフリカ戦線 _ vol.06 大西洋戦争 _ vol.07 クルスク機甲戦 ○ vol.08 ノルマンディー上陸作戦 _ vol.09 アルデンヌ攻勢 ○ vol.10 ベルリン攻防戦 _ vol.11 ドイツ装甲部隊全史Ⅰ _ vol.12 ドイツ装甲部隊全史Ⅱ _ vol.13 ドイツ装甲部隊全史Ⅲ _ vol.14 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅰ _ vol.15 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅱ _ vol.16 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅲ _ vol.17 武装SS全史Ⅰ _ vol.18 武装SS全史Ⅱ _ vol.19 ドイツ本土防空戦 _ vol.20 ドイツ陸軍全史 _ vol.21 アメリカ陸軍全史 _ vol.22 ヨーロッパ空挺作戦 _ vol.23 _ _ vol.24 _ _ vol.25 _ _ vol.26 _ _
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faus /// / ファウス(melpalt ?-290)。民主主義勢力ミナレットの二代目首領 \ sid \ [ kirs ] \ ファウス(melpalt ?-290)。民主主義勢力ミナレットの二代目首領。メル暦250年、ミナレット初代首領ミナリスがアルティス教の始祖シオン=アマンゼと戦いを挑み相打ちになったため、ミナリスの息子ファウスは二代目首領に就任。ファウスはシオンの娘マルテ=アマンゼを決戦の地アルカンスより追放。逃亡先のアドゥを陥落させるが、マルテはさらにイグレスタ共産圏に逃亡し、ミナレットと対立するこの国で保護されることになる。255年、アルバザード国内でアルティス教のテロ活動が活発化した。260年ケートイア、イネアートに侵攻し、イグレスタとアルティス勢力を潰し、多数のアルティス教徒が殺害された。マルテはさらにセルヴァートへ逃亡。290年、勢力を回復したアルティス教勢力は、アルバザードへ攻勢をしかけ、マルテとファウスは対決の末相打ちとなった。ミナレットはファウスの息子アルファウスに引き継がれた。
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プレイヤー名 砂吹キン症候群 デッキ名 谺(こだま) [デッキコード] 15i5l5o5r5u6v6S6V7j7B7E7S7Y888K8M98aTbvbybO [ユニット] × 10 No110 恐怖公アスタロス × 2 No111 破壊の公爵アスモデウス × 2 No112 悪徳の王ベリアル × 2 No113 蝿の王ベルゼバブ × 2 No114 大魔王ルシファー × 2 [マジック] × 30 No135 精神の秘箱 × 2 No143 未完のキューブ × 1 No144 封魔石の欠片 × 1 No152 速攻反転 × 1 No158 ソーマの烙印 × 1 No159 召喚解除 × 1 No163 生命吸収 × 3 No165 生贄の儀式 × 3 No169 契約の石 × 1 No181 復活の蓮華門 × 3 No182 降魔の蓮華門 × 2 No189 悪魔の手引き × 3 No226 MPドレイン × 1 No238 MP抽出の力 × 3 No239 手札抽出の力 × 3 No245 悪魔の武具 × 1 解説 大型悪魔巡航連撃デッキ。 自ターン中に活動目標に対して、高火力な自ユニットと生贄の儀式・悪魔の手引き・復活の蓮華門を組み合わせ 適切な回数(巡航速度)の連撃による飽和攻撃を行い、敵のコンボの起点となるユニット・LP・MPの戦略リソースを急襲して達成すること(縦深攻勢) を目指すデッキ。 敵ユニットを破壊に至ることが理想的な展開であるが、たいていはマジックによって守られているために 実際には回避・回収による追い込む形となることが多い。 それでも敵プレイヤーが、当初策定していた戦略を諦め、除去や足止めのマジックを伏せることでMPなどのリソースを間接的にでも奪うことになれば 縦深攻勢として成功とする。 戦略の前提として、連撃が必要となる時までは、自ターン時における多層的な攻撃がどこまで連なっているかを敵に察知されてはならず 特に手札抽出の力や各種回収マジックが準備できない時には伏せを多く置き、無闇に精神の秘箱などのマジックを開けてはならない。 このデッキの隠れた強みとして、自ターン中に目立たずにMPアドヴァンテージを得られるところにある。 例として、悪魔の手引き(CP0)でCP300のユニットを召喚するとMP60分、さらに墓地に悪魔が2体ある状況で蝿の王ベルゼバブをセットフェイズに召喚するとMP40分、足し併せてMP100アドヴァンテージが得られる。 これは精神の宝箱(CP200 MP300 = アドMP100)を打ち、成功させたのと同じである。 相手ターン中に伏せてあるマジックを開けて効果を発動させ、敵が対応できない流れを作り優勢を得ていく(飽和攻撃)というのがDolの基本的な流れであるが、そうした飽和攻撃を自ターン中に行う方法がいくつかある。 主導権を自プレイヤーが握ることができる点で強力であるが、それらのうち小型速攻の継戦性が無いわけでもなく、コンボのように博打的でもないとなると、最終型として大型連撃に行きつくものであり、やはり当デッキも非常にパワフルな印象がある。 デッキ名は山や谷の斜面に向かって音を発したとき、それが反響して遅れて返って来る現象から。 山彦がなんども跳ね返って聞こえてくる様子を連撃に見立てたもの。 このデッキに関してのコメントは以下のテキストボックスから 名前 コメント 砂吹キン症候群のデッキリスト