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合成地名(ごうせいちめい)とは、地名を命名法・由来などをもとに分類した地名種類の一種である。複数の地域を総称する新たな地名が必要になった際、既存の地名を組み合わせて作られたもの。 概要 合成地名には、それぞれの地名の一部を取って繋ぎ合わせたもの(例: b 大 /b 内+寒 b 川 /b = b 大川 /b )と、地名をそのまま繋ぎ合わせる連称によるもの(連称地名、例:山陽+小野田=山陽小野田)がある。 連称地名は、短い地名でよく使われる手法である。また、駅名を名づける際に時折みられる(例:池尻+大橋=池尻大橋)。なお、大和郡山や河内長野など、同名の地域と区別するために広域地名と狭域地名を連称するものは、これに含まない。 2つの同規模の自治体が合併する際に合成地名が使われる事が多い。また、ちばらきなど、正式な地名でない通称にも合成地名が使われる事がある。 表語文字である漢字を使用している言語においては、複数の地名から漢字を取って組み合わせた場合にも違和感の少ない単語になりやすいため、日本国内に限らず古くからこの方法が用いられてきた(たとえば1951年に中国の大連市と旅順市が合併した際には旅大市を名乗っている)。 合成地名はその字面だけを見て、誤って解釈してしまうことが多い。たとえば東京都大田区の大田は大きな田という意味ではなく、「大森区」と「蒲田区」が合併してできた名称である。地名研究の際は、その地名がいつから使われるようになったかなど、その土地の歴史を充分吟味する必要がある。 但し、旧来の地名とは縁もゆかりも無い地名(関連項目にある方角地名・瑞祥地名)に比べれば、歴史的経緯を多少なりとも反映している合成地名は、新地名としての妥協の産物として「まだまし」との意見が根強い。 関連項目 合成地名の一覧 日本の合成地名一覧 方角地名 広域地名 瑞祥地名 合成地名の一覧 合成地名の一覧は、世界各地にある合成地名の一覧である。なお、日本の合成地名については日本の合成地名一覧を参照。 地名の一部を組み合わせた合成地名 パキスタン(パンジャーブのP+アフガンのA+カシミールのK+シンドのS+バローチスタンのTAN) ベネルクス3国(ベルギー+ネーデルラント+ルクセンブルク) デルマーヴァ半島(アメリカ合衆国、デラウェア+メリーランド+ヴァージニア) ドゥー=セーヴル県(フランス・ポワトゥー=シャラント地域圏、セーヴル・ナンテーズ川+セーヴル・ニオルテーズ川 ※2つの「セーヴル」) 江蘇省(中華人民共和国、江寧+蘇州) 安徽省(中華人民共和国、安慶+徽州) 福建省(中華人民共和国、福州+建州) 甘粛省(中華人民共和国、甘州+粛州) 烏海市(中華人民共和国内モンゴル自治区、ウダ市+海勃湾市) 正鑲白旗(中華人民共和国内モンゴル自治区、正白旗+鑲白旗) 帰綏市(中華人民共和国内モンゴル自治区、現・フフホト市)(帰化県+綏遠県) ウラド中後連合旗(中華人民共和国内モンゴル自治区、現・ウラド中旗)(ウラド中旗+ウラド後旗) 遜克県(中華人民共和国黒竜江省、遜河県+奇克県) 大安市(中華人民共和国吉林省、大賚県+安広県) 通楡県(中華人民共和国吉林省、開通県+瞻楡県) 鎮賚県(中華人民共和国吉林省、鎮東県+賚北県) 双遼市(中華人民共和国吉林省、双山県+遼源県) 旅大市(中華人民共和国遼寧省、現・大連市)(旅順市+大連市) 盤錦市(中華人民共和国遼寧省、盤山県+錦県) 蓋平県(中華人民共和国遼寧省、現・蓋州市)(蓋州+平郭県) 鉄法市(中華人民共和国遼寧省、現・調兵山市)(鉄嶺県+法庫県) 石門市(中華人民共和国河北省、現・石家荘市)(石家荘+休門村) 隆堯県(中華人民共和国河北省、隆平県+堯山県) 臨猗県(中華人民共和国山西省、臨晋県+猗氏県) 万栄県(中華人民共和国山西省、万泉県+栄河県) 襄汾県(中華人民共和国山西省、襄陵県+汾城県) 清徐県(中華人民共和国山西省、清源県+徐溝県) 解虞県(中華人民共和国山西省、現・運城市塩湖区)(解県+虞郷県) 洪趙県(中華人民共和国山西省、現・洪洞県)(洪洞県+趙城県) 高青県(中華人民共和国山東省、高苑県+青城県) 李滄区(中華人民共和国山東省青島市、李村鎮+滄口区) 灌雲県(中華人民共和国江蘇省、灌河+雲台山) 南潯区(中華人民共和国浙江省、南林村+潯渓村) 嵊泗県(中華人民共和国浙江省、嵊山島+泗礁島) 東至県(中華人民共和国安徽省、東流県+至徳県) 桐廬県(中華人民共和国安徽省、現・樅陽県)(桐城県+廬江県) 原陽県(中華人民共和国河南省、原武県+陽武県) 蘭考県(中華人民共和国河南省、蘭封県(蘭陽県+儀封県)+考城県) 武漢市(中華人民共和国湖北省、武昌市+漢口市+漢陽県) 荊沙市(中華人民共和国湖北省、現・荊州市)(荊州地区+沙市市) 襄樊市(中華人民共和国湖北省、現・襄陽市)(襄陽+樊城) 新邵県(中華人民共和国湖南省、新化県+邵陽県) 江永県(中華人民共和国湖南省、江華県+永明県) 自貢市(中華人民共和国四川省、自流井+貢井) 江彰県(中華人民共和国四川省、現・江油市)(江油県+彰明県) 茂汶チャン族自治県(中華人民共和国四川省、現・茂県)(茂県+汶川県) 六盤水市(中華人民共和国貴州省、六枝特区+盤県特区+水城特区) 清鎮市(中華人民共和国貴州省、威清衛+鎮西衛) 三都スイ族自治県(中華人民共和国貴州省、三合県+都江県) 長順県(中華人民共和国貴州省、長寨県+広順県) 平塘県(中華人民共和国貴州省、平舟県+大塘県) 従江県(中華人民共和国貴州省、永従県+下江県) 台江県(中華人民共和国貴州省、台拱県+丹江県) 丹寨県(中華人民共和国貴州省、丹江県+八寨県) 施秉県(中華人民共和国貴州省、巴施山+秉渓) 華寧県(中華人民共和国雲南省、華蓋山+寧寿寺) 水富県(中華人民共和国雲南省、水川公社+水東公社+安富公社) 三明市(中華人民共和国福建省、三元県+明渓県) 竜海市(中華人民共和国福建省、竜渓県+海澄県) 閩侯県(中華人民共和国福建省、閩県+侯官県) 建甌市(中華人民共和国福建省、建安県+甌寧県) 周寧県(中華人民共和国福建省、周墩特区+寧徳県) 封開県(中華人民共和国広東省、封川県+開建県) 金平区(中華人民共和国広東省汕頭市、金園区(金砂区+公園区)+昇平区) 平遠県(中華人民共和国広東省、武平県+安遠県) 番禺区(中華人民共和国広東省広州市、番山+禺山) 崇左市(中華人民共和国広西チワン族自治区、崇善県+左県) 扶綏県(中華人民共和国広西チワン族自治区、扶南県+綏渌県) 平果県(中華人民共和国広西チワン族自治区、平治県+果徳県) 馬山県(中華人民共和国広西チワン族自治区、那馬県+隆山県) 徳保県(中華人民共和国広西チワン族自治区、敬徳県+天保県) 田林県(中華人民共和国広西チワン族自治区、田西県+西林県) 隆林各族自治県(中華人民共和国広西チワン族自治区、西隆県+西林県) 鎮都県(中華人民共和国広西チワン族自治区、現・天等県)(鎮結県+向都県) 商洛市(中華人民共和国陝西省、商山+洛河) 丹鳳県(中華人民共和国陝西省、丹江+鳳冠山) 米東区(中華人民共和国新疆ウイグル自治区ウルムチ市、米泉市+東山区) 中和区(中華民国新北市、中坑庄+漳和庄) 慶尚道(大韓民国、現・慶尚南道および慶尚北道)(慶州+尚州) 全羅道(大韓民国、現・全羅南道および全羅北道)(全州+羅州) 忠清道(大韓民国、現・忠清南道および忠清北道)(忠州+清州) 江原道(大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国、江陵+原州) 京仁地域(大韓民国、京城(現・ソウル)+仁川) 楊平郡(大韓民国京畿道、楊根郡+砥平郡) 高陽市(大韓民国京畿道、高峰県+徳陽県) 始華湖・始華地区(大韓民国京畿道、始興郡+華城郡) 大徳区(大韓民国大田広域市、大田+懐徳郡) 洪城郡(大韓民国忠清南道、洪州郡+結城郡) 蓮堤区(大韓民国釜山広域市、蓮山洞+巨堤洞) 昌原市(大韓民国慶尚南道、義昌県+会原県) 黄海道(朝鮮民主主義人民共和国、現・黄海南道および黄海北道)(黄州+海州) 平安道(朝鮮民主主義人民共和国、現・平安南道および平安北道)(平壌+安州) 咸鏡道(朝鮮民主主義人民共和国、現・咸鏡南道および咸鏡北道)(咸興+鏡城) 羅先特級市(朝鮮民主主義人民共和国)(羅津+先鋒) タンザニア(タンガニーカ(Tanganyika)+ザンジバル(Zanzibar)+接尾語 -ia) ユーラシア大陸(欧亜大陸)(ヨーロッパのEUR+アジアのASIA) 連称による合成地名 ブダペスト(ブダペシュト)(ハンガリー、ブダ+オーブダ+ペシュト) チェコスロバキア(チェコ+スロバキア) 現在チェコとスロバキアに分裂 チェチェン・イングーシ自治共和国(チェチェン+イングーシ 現在チェチェン共和国とイングーシ共和国に分裂) セルビア・モンテネグロ(セルビア+モンテネグロ) 現在セルビアとモンテネグロに分裂 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(ボスニア+ヘルツェゴヴィナ) インドシナ半島(インド+シナ(支那)、インドと中国の間にあることから) パプアニューギニア(パプア+ニューギニア) アンティグア・バーブーダ(アンティグア島+バーブーダ島) トリニダード・トバゴ(トリニダード島+トバゴ島) セントクリストファー・ネイビス(セントクリストファー島+ネイビス島) セントビンセント・グレナディーン(セントビンセント島+グレナディーン諸島) サントメ・プリンシペ(サントメ島+プリンシペ島) シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(ドイツ、南シュレースヴィヒ+ホルシュタイン) メクレンブルク=フォアポンメルン州(ドイツ、メクレンブルク+フォアポンメルン) ザクセン=アンハルト州(ドイツ、ザクセン+アンハルト) ノルトライン=ヴェストファーレン州(ドイツ、北ラインラント+ヴェストファーレン) バーデン=ヴュルテンベルク州(ドイツ、バーデン+ヴュルテンベルク) ラインラント=プファルツ州(ドイツ、ラインラント+プファルツ) セーヌ=エ=マルヌ県(フランス・イル=ド=フランス地域圏、セーヌ川+マルヌ川) ソーヌ=エ=ロワール県(フランス・ブルゴーニュ地域圏、ソーヌ川+ロワール川) メーヌ=エ=ロワール県(フランス・ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、メーヌ川+ロワール川) ロワール=エ=シェール県(フランス・サントル地域圏、ロワール川+シェール川) ウール=エ=ロワール県(フランス・サントル地域圏、ウール川+ロワール川) アンドル=エ=ロワール県(フランス・サントル地域圏、アンドル川+ロワール川) タルヌ=エ=ガロンヌ県(フランス・ミディ=ピレネー地域圏、タルヌ川+ガロンヌ川) ロット=エ=ガロンヌ県(フランス・アキテーヌ地域圏、ロット川+ガロンヌ川) イル=エ=ヴィレーヌ県(フランス・ブルターニュ地域圏、イル川+ヴィレーヌ川) ムルト=エ=モゼル県(フランス・ロレーヌ地域圏、ムルト県+モゼル県) ニューファンドランド・ラブラドール州(カナダ、ニューファンドランド島+ラブラドール半島) ロンドンデリー(北アイルランド、ロンドン+デリー) ダルハン・ムミンガン連合旗(中華人民共和国内モンゴル自治区、ダルハン旗+ムミンガン旗) 鑲藍鑲紅連合旗(中華人民共和国内モンゴル自治区、現・チャハル右翼中旗)(鑲藍旗+鑲紅旗) 正白鑲白連合旗(中華人民共和国内モンゴル自治区、現・正鑲白旗)(正白旗+鑲白旗) 商都鑲黄旗(中華人民共和国内モンゴル自治区、現・鑲黄旗)(商都県+鑲黄旗)
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トップページ>韓国>朝鮮時代史学報 『朝鮮時代史学報』40、2007.3 韓成周「朝鮮初期朝・明二重受職女真人の両属問題」 박미선「朝鮮前期児童関連犯罪と処罰様相」 김동진「朝鮮前期講武の執行と捕虎政策」 서정문「『南冥集』の編刊と来庵・寒岡門派の成立」 김학수「17世紀嶺南学派の政治的分派:柳成龍・鄭經世学脈と鄭逑・張顕光学脈を中心に」 김영민「世祖代「壬午禍変」議論の展開と社会的反響」 『朝鮮時代史学報』39、2006.12 이석규「朝鮮初期応旨上疏に現れた制度論」 柳在春「15世紀前後朝鮮の北辺両江地帯認識と領土問題」 趙誠乙「『世宗実録』「地理志」と『高麗史』「地理志」の歴史地理認識:古朝鮮・三韓・三国の首都と疆域を中心に」 임민혁「朝鮮後期英祖の孝悌論理と私親追崇」 윤희면「19世紀末全羅道南原司馬所の郷戦」 学会創立10周年記念学術講演論文:朝鮮時代史研究の成果と展望 李成茂「朝鮮時代身分構成とその特性」 崔承煕「朝鮮時代古文書と史料価値」 이병휴「朝鮮前期士林派の実体と性格」 이은순「朝鮮後期党争の性格」 鄭萬祥「学会略史」 編集部「朝鮮時代史学報総目次」 編集部「彙報:学会活動」 『朝鮮時代史学報』38、2006.9 박경「15世紀王子女、権勢家子女入養の性格」 趙允旋「朝鮮時代赦免・疏決の運営と法制的・政治的意義」 李迎春「丙子胡乱前後の朝鮮、明清関係と金堉の『朝京日録』」 白玉敬「訳官呉大齢の日本認識:『溟使録』を中心に」 李煜「朝鮮時代王室の始祖と肇慶廟建立」 이현진「英・世祖代宗廟世室論と王室の位相強化」 『朝鮮時代史学報』37、2006.6 김용흠「稚川崔鳴吉の職務意識と官制変通論」 신명호「高宗の慶福宮移御と宮闕宿衛」 金文植「高宗の皇帝登極儀に現れた象徴的含意」 이연숙「同族邑の書堂設立と近代的変化:燕岐郡東面結成張氏家を事例に」 金成潤「嶺南の儒教文化圏と地域学派の展開:安東圏・尚州圏・星州圏を通じてみた嶺南学派思惟体系の地域的特徴とその伝承過程に現れた文化様相を中心に」 『朝鮮時代史学報』36、2006.3 유재리「世宗初の両上統治期の国政運営」 韓成周「朝鮮初期受職女真人研究:成宗代を中心に」 姜制勲「朝鮮世祖代の貢物代納政策」 裵祐晟「朝鮮後期の異域認識」 沈載祐「丹城県戸籍大帳に登場する障碍人の存在様態」 崔珍玉「朝鮮時代平安道の正員・進士試合格者実態」 『朝鮮時代史学報』35、2005.12 신병주「朝鮮中期南冥学派の活動とその歴史的意味」 김학수「17世紀初盤永川儒林の学派と張顕光の臨皐書院祭享論争」 손병규「朝鮮後期慶州玉山書院の院属把握と運営」 유승희「18-19世紀官属層の実態と暴力犯罪の発生:漢城府を中心に」 정호훈「大院君執政期『大典会通』の編纂」 李哲成「大院君執権期包蔘貿易政策と海上密貿易」 『朝鮮時代史学報』34、2005.9 계승범「朝鮮監護論問題を通じてみた光海君代外交路線論争」 서정문「南冥神道碑四種に現れた南冥像の比較検討」 李洙煥「慶州亀岡書院研究」 宋亮燮「朝鮮後期身分・職役研究と「職役体制」の認識」 정경희「韓国の祭天伝統からみた正祖代天祭機能の回復」 『朝鮮時代史学報』33、2005.6 임민혁「朝鮮初期解由制の成立とその性格」 한춘순「文宗代の国政運営」 이재철「朝鮮後期竹軒都慎徴の議礼疏と国政変通論」 이상식「粛宗初期の王権安定策と庚申換局」 김준형「郷案入録をめぐる慶南西部地域士族層の葛藤:晋州郷案を中心に」 権五栄「金漢禄(1722-1790)の思想と政治的歴程」 신명호「大韓帝国期の御真製作」 『朝鮮時代史学報』32、2005.3 김문택「16-17世紀安東真城李氏家の族契と門中組織の形成過程」 金義煥「慕渓趙綱の郷村社会活動と清州士族の動向」 이정수「16世紀中盤~18世紀初の貨幣流通実態:生活日記類と田畓売買明文を中心に」 李迎春「柳仲郢の『燕京行録』」 김경록「朝鮮後期『同文彙考』の編纂過程と性格」 원재영「朝鮮後期京衙前書吏研究:19世紀戸曹書吏の事例を中心に」 『朝鮮時代史学報』31、2004.12 이석규「麗末鮮初新興儒臣の民に対する認識」 韓嬉淑「朝鮮前期葬礼文化と帰厚署」 김인숙「仁祖代の宮中詛呪事件とその政治的意味」 박소은「17世紀後半戸曹の財政収入確保策」 이근호「英粗代『承政院日記』魁首う過程の検討」 김세은「高宗初期(1863-1873)国家儀礼施行の意味」 『朝鮮時代史学報』30、2004.9 金成潤「朝鮮時代大同社会論の受容と展開」 朴平植「朝鮮前期開城商人の商業活動」 이재철「景宗代備辺司の性格」 조성산「18世紀洛論系の『磻渓隨録』」 안광호「朝鮮後期求礼五美洞文化柳氏の移住と定着過程」 김봉곤「蘆沙奇正鎮の思想の形成と衛正斥邪運動」 『朝鮮時代史学報』29、2004.6 최선혜「朝鮮前期在地品官の祭祀と祈福民俗意識」 李成妊「朝鮮中期両班官僚の「称念」について」 조원래「壬辰倭乱初期海戦の実像と朝鮮水軍の戦力」 이은순「李景奭の国政運営と対外時局認識」 이천승「農巌金昌協の思想と洛学への影響」 김경란「朝鮮後期戸籍台帳の「良女」記載実態と性格:『丹城県戸籍大帳』を中心に」 金文植「朝鮮後期経学館の変化」 『朝鮮時代史学報』28、2004.3 姜制勲「朝鮮初期朝会意識」 권기중「朝鮮後期尚州牧郷吏層の存在様態」 金義煥「朝鮮後期忠清道の塩生産と生産方式:瑞山泰安地域の事例を中心に」 裵祐晟「朝鮮後期蝦夷認識と西欧的世界地図の信頼度に関する研究」 고승희「19世紀後半咸鏡道辺境地域と沿海州の交易活動」 『朝鮮時代史学報』27、2003.12 손승철「朝鮮時代「通信使」概念の再検討」 임혜련「朝鮮時代垂簾聴政の整備過程」 崔珍玉「朝鮮前期ソウル士族を通じてみた中央政治勢力の動向」 김문택「安東真城李氏家斎舎の建立と運営」 배성수「粛宗初江華島墩台の築造とその意義」 朴仁鎬「『宋元華東史合編綱目』に現れた華西学派の歴史認識」 『朝鮮時代史学報』26、2003.9 오항녕「実録の儀礼性についての研究:象徴性と編纂慣例の形成過程を中心に」 이현수「朝鮮初期軍政の定額化過程と軍額推移」 白玉敬「朝鮮前期訳官の充員についての考察」 박현순「15-16世紀礼安県士族層の成長と郷村社会の再編」 남미혜「16世紀士大夫李文楗家の養蚕業についての一研究:『黙薺日記』を中心に」 李煜「17世紀末~18世紀前半魚塩税収税規定整備と官收官給制」 鄭海恩「18世紀慶尚道丹城県の一両班武科及第者の使喚と処世」 『朝鮮時代史学報』25、2003.6 임용한「『経済六典続集詳節』の刊行とその意義」 이정수「16世紀綿布流通の二重化と貨幣流通議論」 金徳珍「朝鮮後期官屯田の経営と地方財政」 손병규「朝鮮後期財政構造と地方財政運営:財政中央集権化との関係」 권내현「17世紀後半~18世紀前半平安道の対清使行支援」 고승희「19世紀後半咸鏡道六鎮と満州地域交易の性格」 趙珖「[書評]朝鮮時代史研究の新しい成果と傾向:『崔承煕 교수정년기념논문집 조선의 정치와 사회』」 『朝鮮時代史学報』24、2003.3 柳在春「壬辰倭乱時日本軍の朝鮮城郭利用について:鉄原城山城の事例を中心に」 呉永教「朝鮮後期洞契の構造と運営:寧越邀僊契を中心に」 김양수「朝鮮後期の教誨訳官:『教誨庁先生案』の分析を中心に」 趙允旋「17・18世紀刑曹の財源と保民司:贖銭を中心に」 김우철「朝鮮後期江原道地方軍制の編成」 『朝鮮時代史学報』23、2002.12 임용한「『経済六典』の編纂機構:検詳条例司を中心に」 이현진「朝鮮前期昭陵復位論の推移とその意味」 조준호「宋時烈の道峯書院入享論争とその政治的性格」 정성희「朝鮮後期暦書の刊行と頒布」 심승구「朝鮮後期武科の運営実態と機能:万科を中心に」 『朝鮮時代史学報』22、2002.9 최선혜「朝鮮初期留郷所と国家支配体制の整備」 한춘순「成宗初期貞熹王后(世祖妃)の政治聴断と勲戚政治」 최인기「拙斎柳元之の「田事門」の農業技術について:17世紀末集約農法の到達点と省力農法の端緒」 신항수「李瀷(1681-1763)の『孟子』正伝記事解釈と田制論」 김혁「朝鮮後期守令の赴任儀礼:『頤斎乱藁』を中心に」 『朝鮮時代史学報』21、2002.6 황지영「李成梁事件を通じてみた17世紀初の遼東情勢の変化」 李煜「16-17世紀「塩専売制」使行論と性格」 韓嬉淑「17世紀後半盗賊活動と国家の対策」 이근호「英祖代蕩平派の形成と閥閲化」 고승희「19世紀咸鏡道商業都会の成長」 1-20 21-40 41-60 61-80
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日本 / 憂国 / 日本の独立と再生 かなり重要なので、 元動画の「文字起こし」してみました。 驚愕ですね。 pic.twitter.com/oHih0ip3cG — yuzu0743 (@yuzu0743) July 20, 2022 ■ 『国際情勢の分析と予測』のコメント欄より / Unknown (Unknown) 2018-07-14 19 55 52 princeofwales1941 問題はどこにいるのか? 国際金融資本の代理人は 内閣府男女共同参画局 ※女性勢力集団 財務省 自治労 天皇 宮中の奥の院 取り返しのつかない事態になる直前に金融市場が崩壊して日本が救われるという様なシナリオなら良いのですが・・・・・ じたばた暴れてる感は素人の自分でもわかるわけですが気象兵器とか目に見えるようにはなってきた 彼らの大好きな「目」 もう一つオウム死刑執行前の日 自民党が親睦組織「自民亭」で【法務大臣上川陽子】が一人『萬歳(ばんざい)』をしたという情報がツイッターで広がっていた 彼女は自民党代議士と「親指立てて」写真を撮ってたが一人だけ「目」を閉じていた (※mono....してやったり!誰も死んでなんかいませんよぉー。ってか?「ざまぁー、イスラエル!」なのか?) ■ 日本は超能力者達の結界により太平洋ベルト地帯を国際金融資本の地震兵器攻撃から死守している? 「国際情勢の分析と予測(2016.4.17)」より (※mono.--当記事のコメント欄より↓) 宇佐神宮 (sam) 2016-04-20 19 10 46 今回の地震、前日に参議院でTPPを見送ったことが原因の一つだと思うが、熊本はTPP反対の中心勢力だったため狙われた可能性もある。 もう一つの可能性は、宇佐神宮である。 プリンス氏のコメントにあるように、結界によって日本が守られているというのはあながちトンデモ話ではないだろう。 明治維新以降、日本は廃仏棄釈、神道の一神教的支配を国際金融資本に強要された結果日本人の宗教観は変えさせられてしまった。宇佐神宮は、全国の八幡神社を束ねる巨大なパワーを持った神社であるが、最近その宇佐神宮を暴力によって乗っとろうとした動きがあった。実際に乗っ取った訳だが、裁判によって宮司が罷免されたばかりだったのである。つまり国際金融資本系統の連中が排除されていた矢先の地震なのである。 ttps //www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/02/11/002801536 永く護られてきた、宇佐神宮の権威を我が物にしようとして失敗した結果、報復として地震で攻撃するなど、まさしく神をも恐れぬ所業であり、必ず天罰が下るであろう。 彼らにとって一番困るのは無視されることである。地震攻撃の理由はロシアとの接近などもあるだろうが、一番良いのは「自然地震でした」として、気にせずロシア外交を進め、TPPもお断りすれば良いのである。 国際金融資本は、日本に備わった霊的な力によりとてつもないしっぺ返しを食らうと思う。日本というのはそういう不思議な力を持った国なのだ。 ■ 本来の日本はすべての人々に「切断プログラム」で愛と覚醒を与えられる国だったことを思い出し、プレアデスの人やバーネット師の言葉からそれを発動する日を夢想する 「In Deep(2015.6.18)」より / メアリー・フレーザー夫人の日記より 「ただただ、陽気な笑いの発作がこみ上げるばかりでした。涙を出さずにはおさまらない、喜ばしく、たわいない笑いでした。突然、人生が嬉しく愛しいものに見え始めました」 「道すがら刻一刻と新しい光景が開け、新たな疑問もわいてきて、今まで想像されたこともない詩情とか、ちょっとした新鮮な楽しみなどを日常のなかに開示してくれる」 「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間たちのなかで、もっとも生き生きとして愉快な人々」 100年ちょっと前は、日本という国は、ここに来た外国人たちを「徹底した愛と、肯定的な態度に導いてしまう」という、映画『美しき緑の星』の「切断プログラム」のような国だったのです。 「そこにいるだけで切断される」。そんな国。 そして、その土地に住んでいたのは、120年前でも、今と基本は変わらない日本人です。 「この国の下層の人々は・・・もっとも生き生きとして愉快な人々」という下りなどは、ピラミッド型の階級社会と比較すれば、「パラダイス」の観念以外の何ものでもないです。 「下層」かどうかはわからないですが、当時の労働者たちは下みたいな人たちでした。 (※mono.--写真略、是非ブログ記事で確認を) / これは「労働者の休日」と題された 1897年頃の写真ですけれど、何となく「あんたらは、平日もそんなんだろ」という気がする好きな写真の1枚です。 しかし、たった 100年ほど前までパラダイスだった国が、今はやや地獄に向けて傾きだしている感もあるのですけれど、それは「不可能性ばかり」を見ていたからです。 実際には「過去に同じような人が実現できていたことを取り戻す」ことなど、本来は簡単なはずです。ですので、日本はパラダイスに戻ることができると確信して話を続けます。 (※mono.--後略、詳細はブログ記事で) ■ 原田武夫氏が主張する、そろそろ私達が知るべき「本当の日本」とは何か? 「国際情勢の分析と予測(2015.5.24)」より (※mono.--前半は大幅に略、詳細はブログ記事で) / 結論を言おう。日本の国権の最高機関は表向きは千代田区永田町に存在する衆参両院であり、日本全国の選挙区からそこに集まる国会議員達によって政策が決定されていることになっている。しかし、日本の国権の真の最高機関は和歌山県岩出市に存在する根来寺である。そして、国会議員に相当するのは日本全国からそこに集まる真言宗や天台宗の僧侶達である。彼らは実は遠隔透視が可能な超能力者で、皇室や日本政府高官とも深い関係を有している。阿片戦争以降の圧倒的な西洋の海軍力に包囲された絶体絶命の状況の中で、彼らの超能力によって日本は半植民地状態に陥りながらもかろうじて国家と民族を存続させることに成功してきたのである。 【日本の宗教】 ■ 工事中 神仏習合は仏教圧倒的優位.、日本の真の伝統は仏教、聖書アラビア起源説 「読めないニックネーム(再開版)(2014.12.29)」より / 魔法使いハンターねこた@lanekota ”エッセネ派ってなんかーユダヤ人っぽくないよ。お金が嫌いで独身主義とか、子孫繁栄と現世利益が強いのがユダヤ教やん?それだけしゃないけど、タルムードから引用される寓話とかユダヤジョークとか極めて現世的なのにね。不思議だわ。 日ユ同祖論が旧約なら日本にヘブライ語のトーラーでもあるのですかね?日ユ同祖論で取り出される資料は嘘ばかりです。大体、多神教の古代イスラエルとかパレスチナの周囲の民族と何が違うのか?と。書物の宗教だからこそユダヤ教は特異なのに” ユダヤ教の宗派(紀元30年ごろらしいけど、全て捏造かも) ①サドカイ派 貴族祭司など富裕層。「モーセ五書」のみが律法であり正典。 ローマ帝国と協調的。 現世の富と快楽を至上とする。 死者の復活・天使を認めない。 神の人事への介入を否定。運命予定論を否定。 霊魂不滅を否定。 保守的。 (現実的で現世利益ですね。パリサイ派と対照的。というかこれ別の宗教じゃん) ②パリサイ(ファリサイ)派 学者や手工業者など中産階級。 メシア待望、復活信仰、最後の審判などの教義を持ち、急進的改革派の側面も持つ。 (ゾロアスター教じゃないか) 律法を厳格に守る。「律法の遵守より信仰」を説き、論的となったのがイエス (イエスは捏造。モデルはいただろうけど。ヨセフをモデルにミトラと拝火教の救世主概念を足したもの。ホルスは囮くさい)。 ③熱心党(ゼロテ派) ローマから独立する闘争をした。 ④エッセネ派 俗世間を離れ、禁欲的閉鎖的な共同体を形成。。 一切の財産を共有し、厳格な律法と遵守の生活を営み、終末を待望。白衣を着用。 奴隷制に反対。 農業や手工業に従事。貿易をしない。 聖書に記述なし。 (エッセネ派ってゾロアスター教じゃないの? 死海写本を記述したとされるクムラン教団がエッセネ派とされている。 クムラン教団はこの世を光と闇の闘いの場とし、光の勝利とメシアの到来を信じたそうです、 ってゾロアスター教じゃないか! マニ教はまだ生まれていないしね。 ジャイナ教も違うよなあ。 なお、全て後世のキリスト教による捏造だと仮定した場合、マニ教をモデルにして創作した可能性が高くなる) エッセネ派 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%8D%E6%B4%BE ”エッセネ派(ヘブライ語 האיסיים)は、紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて存在したユダヤ教の一グループの呼称。現代では複数の関連のある集団がまとめてエッセネ派という名で言及されていたと考えられている。呼称の語源は不詳。ファリサイ派から発生したと考えられるが、俗世間から離れて自分たちだけの集団を作ることにより自らの宗教的清浄さを徹底しようとした点で、民衆の中で活動したファリサイ派とも一線を画している。 (…) 長きにわたって死海文書の作成者と思われるクムラン教団はエッセネ派に属するグループあるいはエッセネ派そのものであると考えられてきたが、ノーマン・ゴルブ(Norman Golb)のように異議を呈する学者たちも存在している。 (…) 新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派はあらわれるが、それらとならんで当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しないため、洗礼者ヨハネやイエス・キリストが、エッセネ派に属していた、あるいは関係グループに属していたという説もある。” エッセネ派ユダヤ人 http //inri.client.jp/hexagon/floorA5F/_floorA5F_hEE.html ”●クムラン教団は、ユダヤ教の一派「エッセネ派」に属する教団である。エッセネ派は他のパリサイ派、サドカイ派に比べ、熱烈にメシア(救世主)を待望しており、中でもクムラン教団は、メシアの啓示を強く受けていた。 エッセネという名は、「医師」を意味する古代シリア語に由来している。彼らはその名が示すように、人々の肉体・魂・精神を治療することが、自分たちの存在の目的であると考えていた。 ●彼らは「義の教師」と呼ばれる人物に率いられ、12人の信徒と3人の祭司からなる議決機関を持ち、10人ごとのグループに分かれて律法を学び、厳格な戒律を守り、生活の細部にわたり清浄さを保ちながら修行に明け暮れていたのである。 ●彼らエッセネ派ユダヤ人たちは、紀元前100年頃にパリサイ派ユダヤ人から迫害を受けた際、人里離れた地キルベト・クムランへ移住したが、紀元66年の第1次ユダヤ戦争以後、歴史の表舞台から姿を消してしまった。 (※mono.--中大幅に略、詳細はブログ記事で) / 明治以前は 仏教用語、仏教美術、仏教文化、 仏教徒の皇室と側近の僧侶、 徳川と皇室の菩提寺、 門跡寺院など仏教徒の歴史で 神道用語、神道美術、神道文化、 神道家の皇室と側近の神主、 徳川と皇室を弔う神社、門跡神社はない。 石清水八幡宮←護国寺だった 鶴岡八幡宮←寺だった(八幡は菩薩=仏教化) 宇佐八幡宮←宮寺が弥勒寺 伏見稲荷大社←愛染寺が管理 出雲大社←鰐淵寺が管理 祗園社←祗園は仏教用語 伊勢神宮←仏教徒の天皇は参らなかった (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / キリスト教での創造神を、カトリックは主(しゅ)、プロテスタントは神(かみ)と呼ぶ。カトよりではなく、神というプロよりで日本は神道という嘘が作られたということ。国学の基礎、本居宣長、平田篤胤はキリ教徒である。 これは、今の日本、米系メーソンと欧州系メーソンの勢力図そのままである。 そそ。「道=どう」というと、学問、明法道などの平安から続く、系列化され継続されたものに感じてしまう。神道、神社って聞くだけで、多くの人は誤解する。学問(字も含む)が当時の支配者に依存しなきゃ潰れるだけである。歴史上、神社が祭壇以外の意味がなかった… 歴史上、神社というものが「単なる祭壇」としてしか、出てこないのでもわかるとおり、そんな中で「系列化した学問、思想があった」とか、主張されても困るわけです。そして日本最古で独自とか主張しちゃうのに「神=キリスト教」の糸がプンプンするんだから、笑えるわけです。 うーん。神道という嘘、「神というもの」自体が、キリスト教が聖書を訳したときの都合から、19世紀のころに出来上がった最近の話だということは、なかなか多くの人に伝わらないね。天皇=仏教の構図どころか、歴史に一切の神社がでてこないことに不思議にも思わないのかな。 神社に行くたび、絵馬に「仏教の天皇から神道の天皇にすり替えられたことを、もっと多くの人が気づきますように」とお願いして記入している。 創造神の意味で、「神」という文字が使われたのは、キリスト教が漢訳聖書に文字をあてた19世期初頭である。日本、漢文における創造主は「天」である。 いいですか、嘘を見破るにはコストが必要です。そして社会を変えるには「正しいことに融資」が必要なのです。嘘を見破るだけでは何も変わらないのです。キリスト教が作ったものである神社が初詣で金儲けするのを見破っても放置していては正しさに導けないのです。ちなみに私はパソコンが壊れました。 (※mono.--後略、詳細はブログ記事で) 【日本の宗教】 ■ 日本の多宗教文化の裏の真実 「虚空と君のあいだに(2013.9.11)」より (※ 前略) / 読者からの質問が来たので、答えます。 統一教会と創価学会の関係についてですね。 まず、ライバルなのか協力関係なのか?というとこですが、これは会社の同僚にでも置き換えてみればわかる事で、両方とも言えます。会社の同僚は、協力者であり、出世競争で言えばライバルな訳であって。 それを別々のように扱うと、意味がわからなくなります。 会社の例でいうなら、どのような会社(もっと大きな全体組織)のポジションに、お互いのそれぞれがどう立っているか、そして、その会社が何を商品として売っているかです。 AさんとBさんなら、役職の違いで業務も変わるわけで、それによって協力するとこと、ライバルになる部分が出て来ます。 例えば、同じ会社で、同じ目的の商品を、それぞれ別の企画で同時に立ち上げていた場合、AさんとBさん、それぞれがその2つの企画を持たされ競合されていた場合、協力関係よりもライバルの色合いが強くなる訳です。 逆に、二人の会社全体という組織の生き残りのためなら、AさんとBさんは完全に協力者となるわけです。 難しい話はここまでで、では実際に創価学会、統一教会、それぞれの組織が「どのように出来上がって、どのような行動を命令されているか」を考えてみます。 2つは間違いなく、一つの同じ、巨大な会社に属しています。 + 続き まあ、ここらへんは過去ログから拾って来ましょう。 同じ会社の社員となったとこ=起源の部分を調べれば明確になります、 http //www.mkmogura.com/blog/2010/06/24/817 http //www.mkmogura.com/blog/2008/09/01/132 ここらへんの関連記事、タグから追いかけてみてください。 まあ、昔の記事なので、今ほどちゃんと関係がつかめてるわけではないので、簡単な流れを説明しましょう。 世界の暦が1週間(安息日が日曜)でもわかるとおり、キリスト教を土台とした勢力が、江戸時代の日本を支配するために、天皇をすり替えた。今もなお世界を支配している勢力は当時のキリスト教のままである。そのすり替えて、自分たちの宗教を日本に無理矢理押し付けた行為こそが北朝の天皇が南朝になった明治維新である。南朝(実際は自称に過ぎないが)は百済を中心とした西日本の勢力であり、それと関連した征夷大将軍(任命するのは八幡=周防の海の朝鮮海賊の海賊旗を意味する)、ありもしながった国学(神道の土台、なぜか全員が禁教下のキリスト教徒)で、国家神道という「日本のためのキリスト教」を作り上げた。漢訳聖書【20120214】 神道を守るというのが神社全庁であり、それはすなわち統一教会である。 統一教会はCIAのための直属の集金カルトであり、だから自分も含めて、表メディアが触れては行けないアンタッチャブルでわかりやすい象徴として単語を連呼している、しかし安倍晋三が神道政治連盟という神社全庁が母体の団体の現会長をやってることでもわかるとおり、本体というか胴体そのものは、神道全体にあるといっていい。 神道そのものが、日本向けにすり直したキリスト教そのものであるからです。 そして利権で生きてるということ以外を理解してない、そこらへんの神社の神主に代わり、汚れ役などをする実効部隊の役割とか、上階層としての中核をなすのが統一教会であるわけ。 創価学会はもう少し複雑である。 明治維新で神道というキリスト教を国教にすることにより、仏教、寺というものの地位が失墜する。そこで神道側との調整役が必要だった。なんの利権を残して、どう仏教の立場を維持するかとかのね。 その役割を背負ったのが、日蓮宗である。これは自分たちの教典である法華経信仰を明治以降も厳守するというのを、神道側に押し付けたから。葬式という利権とともにね。 これは国柱会の田中智学から宮沢賢治、現状で言えば、霊友会とCIA直属である石原慎太郎なんかの関係もその名残といっていい。 俺のブログにはあまり書いてないけど、日清、日露戦争、満州事変で暗躍した実行部隊の顔が、当時、命令を実行した日蓮至上主義者で確認できると思う。できたら調べてみて。 国家神道の設立と、それらと調整する役&実行部隊としての日蓮宗、そして南朝のための教育機関(つまり神道の天皇)から、創価学会は生まれた。起源が大日本皇道立教会だからね。 仏教なのに、神道の教育を推進する機関であること、土台が日蓮宗である事。 調整役=汚れ役、やくざの立場というのが、よくわかると思う。 それが、創価学会の起源であり、土台である。だから利権が集中し、今の現状に繋がるわけ。 仏教の中の神道やくざ=創価学会だよ。 今は日蓮正宗と絶縁し、わかりずらくなっているけど、歴史、起源から見れば簡単なことでしょ? 統一教会、CIA直属のやくざであり顧問弁護士。 だから神奈川県警とかの上層部とリンクし、現状の検死制度を使い暗殺まで。直属の実行部隊。スペシャル業務の専門店。 創価学会は、明治維新から続く老舗の工作組織という看板を出した多業務展開のお店屋さん。 すべてのマスコミが批判できず、創価タレントのごり押しから、テレビのアンケート調査に答える学芸員やら劇団を手配、演出をする文字通りの全国チェーンのお店です。 業務特性からすると、こう言い換えられるね。 業務特性を無視すれば、統一教会は神道で神社、創価学会は仏教で、お寺。 寺と神社、どっちが上で、どっちが下ですか?って質問では、ピントずれになってしまうでしょ? 坊主も神主も、庶民から金を巻き上げ、宗教法人非課税をつかって、美味しい生活をする。そこは共通。 宗教法人に課税をしようとしたら、両者は反対に協力するだろうし、寺の利権である葬式を神社でやるように今以上に斡旋したら、完全なライバルとして対立する。 上とか下とかは、そういう関係でしかない。 課長とか部長とかの役職が無い、キリスト教にすり替えられた天皇をあがめる大会社という、同じ会社に勤めてるからでもあるけどね。 業務特性を考えて答えると、専門職が強く直属である統一教会は創価よりエリートだという意識が高いし、直轄なのでちゃんとこういう歴史というか流れを知ってる人が割合的に多いです。 逆に、広域業務を担う創価学会について、とくに表メディアでの批判というか「創価学会からTVなどでの利権を奪う事」については、エリート意識の強い統一教会でもデリケートに成りすぎています。 これは、「TVで統一教会の批判をしない事」も含めて、言論統制の手法が、CIAの記者クラブだけでなく、芸能などでもわかるように創価学会のコントロール手法に依存されまくっているからです。 一部の右翼っぽい人が、創価学会の批判をしたりしますが、それをできることが上級者としてのステータスみたいな部分があるからですが、厳密な利権への言及や、踏み込みすぎる発言などは一切無く、文字通り見せかけのポーズに過ぎず、逆に俺から見ると下っ端臭を強く感じます。 その創価に逆らえないための、はけ口として完全な統一教会系の2ちゃんねるとかの創価批判、表で言えないから、裏というネットで言うというカウンターとして盛り上がった部分があるわけです。 ネットがメジャーになってくことで、ここはどうなるか注目すべきとこですが。 以上が、簡単ながら質問の説明になります。 世界的にみるとキリスト教(金融業という特権を含むユダヤも)が、支配体制の根幹であり、日本ではそのキリスト教を塗り直しただけの神道を軸とした、多宗教連合が支配体制の根幹なわけです。 これがわからないと「???」なわけですが。 ここさえ押さえていれば、何に競合し、何に協力するかが明確に見えます。 これは、統一教会、創価学会だけではなく、右左もそうですし、なぜどんなカルトも根っこを追いかければ大本教につながるかとか、キリスト教の批判ができない副島孝彦とかのアキレス腱が天皇すり替えであるとか、今まで見えなかった謎の部分はもちろん、簡単にどうつながっているか?「この人は信じていいのか?」みたいな疑問がわかってしまうわけです。 まだ、記事を全部読んでないそうなので、そこらへんを注意して読み返してみてくださいね。 無駄な本を数千冊読んでもたどり着けない、大学教授とかでは誰も教えてくれない社会の構造が、ちゃんと説明してあります。 余談になりますが、不正選挙のことは陰謀論の世界では誰もが騒いでますが、選挙でだめなら何をして社会を変革させればいいんでしょうかね。 自分は、明治維新の廃仏毀釈で仏教界の逆らうやつを、文字通り暴力で叩きつぶしてこの構造ができ事実を、強く受け止めております。 本当に暴力でしか、このことを変革できないのでは?と自分も少し考えております。 自分は、そういうのは嫌いだし、やるつもりもありませんが、いつかその時が来たら、ちゃんとこの日本という多宗教文化の裏の真実を、より多くの人が知り、そして何が本当の敵であるのかを見失わないでいただきたいのです。 そんなことを、ぼーっとしながらも、考えております。 ■ 9月24日(火)のつぶやき 「国際情勢の分析と予測のコメント欄」より / Unknown (Unknown) 2013-09-26 00 20 10 日本は右傾化しても戦略的に物事を考えられれば何ら問題ないよ。 未だに戦前の欠点を克服できてないけどさ。 ................................ Unknown (Unknown) 2013-09-26 00 24 58 克服できていない戦前の欠点て何の事? ................................ Unknown (Unknown) 2013-09-26 01 42 50 ↑ 日本軍の作戦や戦闘のやり方が問題。 日本軍の行動は神経症的で異常反応が目立つ。 たとえば、戦争においては、敵味方関係なく失敗というのは不可避的である。 作戦の失敗や戦闘のできなさのために、大損害を被るということは、どちらがわにもある。 しかし、米軍は一つの失敗を犯すと、同じような失敗を二度と繰り返すこのないように、徹底的に分析・研究して万全の策を講じてくる。 だが、日本軍の方は、ハワイ奇襲やマレー沖海戦にせよ、ソロモン戦にせよ、同じようなやり方での勝利は一度限りであって、同じやり方で二度勝つことはゼロに等しいのである。 神風特攻隊にしても、初期は成果をあげたが、米軍はすぐさま、対策を立て、最期の頃の特攻隊の命中率は5%以下になった。それでも懲りずに、日本軍は特攻攻撃を辞めなかった。 日本軍は失敗に懲りず、失敗から学ばず、同じ失敗をまた繰り返すのである。 米軍は同じやり方で何度も日本軍を叩きのめすことができた。 なぜなら日本軍がいつものやり方で勝手に自滅してくれたお陰だからである。 日本人の問題点は、自分の行動を規定している規範など、プリンシプルというものに対して、無自覚である。 自分達を真に動かしているものを意識化すること、知るということが日本人に必要だと思う。 敵を知り己を知れば百戦して殆うからず。 ................................. / Unknown (Unknown) 2013-09-26 17 41 16 対米に関して言えば、日本軍中枢の真の目的はアメリカ合衆国の分裂解体と占領であり、1940年代の戦闘に勝利するべきではなかった、と言うのがここのブログの結論として固まっています。 ↑ アメリカ合衆国の分裂解体と占領なんて戦前も現代でも無理ですよ。 負け惜しみにしか聞こえません。 日本にそんな壮大なビジョンがあったのですか? .................................. Unknown (Unknown) 2013-09-26 19 24 39 <>アメリカ合衆国の分裂解体と占領なんて戦前も現代でも無理ですよ。 負け惜しみにしか聞こえません。 日本にそんな壮大なビジョンがあったのですか? アメリカ・ロシア・中国の3カ国が、アメリカを解体して西海岸を日本が占領することでしか安全保障問題を解決できないと気付く様に誘導すればよいのです。 地政学では、海洋勢力(日本、アメリカ西海岸、中国沿岸部)の安全圏の確保には、対岸の裏手の掌握とあります。 それは、大陸を侵略する力の無い中規模国家である日本が、アメリカ西海岸と中国沿岸部を影響下に置くことで、成立するのです。 具体的に順番を書くと、 ①、第2次世界大戦で、国際金融資本の策略を手伝って、ヨーロッパをアジアから追い出して、アメリカ・ソ連の対立による世界覇権を構築する。 ②、ソ連人・中国人に、アメリカの侵略行為に対する敵愾心を植えつける。 ③、中国を発展させる事で、アメリカが衝突を嫌がって自信の解体を条件に中国の解体を望むように仕向ける。 そして、日本がこのような戦略を進めていたとする根拠は、私は何度も書きましたが、大東亜共栄圏の地図には、隠された2枚目として、アジア・太平洋のみならずアメリカ西海岸まで書かれた物があるのです。 .................................. Unknown (夢) 2013-09-26 19 45 26 管理人の主張に全く異論はありませんが… 日本は国力の定義、計算式に照らせば純然たる超大国。そう主張するにはまだ早いのか。 ■ 龍の国日本 「MU(ムー)のブログ〔カテゴリー選択〕」より べラ・コチョフスカ女史のような優れた霊能力者がこうした行動に出るのは、ただひれ伏すしかないほどの大霊に遭遇したときだけであろう。 「日本は地球のヘソのようなもの、宇宙からのエネルギーを一番ストレートに受ける特別の聖地です。 実は、イエスもブッダも、モーゼも、マホメットも、日本に来たことがあるのです。 瞑想により日本に霊魂として訪れて、この地に住む神霊と交わり、多くのことを学び悟ったのです。」 これはまさに『竹内文書』そのままの話である。 もちろん、日本人でもほとんど知るこ人のいない『竹内文書』をブルガリア人の彼女が知る はずもなく、その内容とぴたり一致することを彼女が語ってくれたことは驚くべきことである。 これについて彼女は「私は何も知らないけど神様が教えてくれたの」と語っている。 また須佐之男命は龍族ではなく、牛族だというから同じ神界に属していながら、系統が違うようである。 この点が『古事記』において天照大御神と須佐之男命が争われたという話になっているのかもしれない。 どうやら記紀神話は随所で伝え間違いを犯しているようだ。 では天照大御神はどういう神なのか?結論から言えばそれは龍神である。 伊勢神宮に仕える祀官の間で天照大御神が蛇神として認識されていたことは非常に大事なポイントである。 さらに、伊勢神宮の深奥の秘儀とされている「心の御柱」もまた蛇を象徴したものといわれているようだ。 ーーーーーーーーーーーー ■ 右も左も大本ではスピリチュアル 「虚空と君のあいだに(2009.4.28)」より では簡単に。 根っこをたどると統一教会も大本教もスウェデンボルグの影響を受けているわけです。 スウェーデンボルグは新井奥邃を通じて田中正造や高村光太郎らに多大な影響を与え、スウェーデンボルグ研究の高橋和夫によれば、鈴木大拙、内村鑑三、賀川豊彦にも影響を与えたそうです。 スピリチュアルのおっさん、三島由紀夫もね。 賀川、内村鑑三、名前でわかると思うが、後のIPRやクリスチャンコネクションである。 どっちかというと、右翼とは対立する奴らだ。 鈴木大拙なんていう天皇に仏教を教えた奴の名前も出てきてますが。 ニューエイジ思想のルーツもまた、19世紀の神秘主義で生まれたスウェーデン・ボルグ主義を含むキリスト教の異端なわけですが。 今の反共右翼を叩く勢力、それらが、昔は一緒だった。それが大本教が肥大化した理由であり弾圧された理由です。 ね?ニューエイジ系陰謀論者なんて存在の意味ないでしょ? ちなみに「ムー」という陰謀論いっぱいの雑誌があるらしいが(俺は読んだことがない)、これも竹内巨磨の竹内文書、そして天津教の流れを組む、トンデモ理論からの流れであり、彼らの理論によると日本にキリスト教の墓があって、モーセの十戒は天津教が保管してて、1930年、1932年の天津教弾圧と共に靖国神社に奉納されたという、どうしようもないトンデモの流れを明確に意識した雑誌らしいです。 ーーーー ■ 日ユ同祖論もフロイト先生も爆笑だっぜ!!! 「虚空と君のあいだに(2009.2.9)」より 362 名前:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 23 09 21 ID 7uIX/onS 元祖はイギリス人マックレオド。これは幕末に来日。横浜で出版。これが最古。 戦後は、ラビのマービン・トケイヤー。時計屋は著書がけっこう多い。 ほかにアイデルバーグ。これはモサドのスパイだと誰かが、うわさしてた。ソース不明でスマン。 ユダヤ側にはアミシャーブ機関と言う”失われた十部族”を捜索する組織がある。 日本を”十部族”と唱えるのはユダヤからも日本からも両方ある。キリスト教関係者とか。 これは過去の事で、現在日ユ同素論なんて、おままごとを言っているのは、キリスト教原理の人である。世界で照らし合わせると、これはアシュケナジーユダヤどもであり、日本では統一教会みたいなもんと重なる。 さて、結論から先に言うと、日ユ同素論とは形を変えた全文明シュメール起源論であり、メソポタミア崇拝であり、それが慶尚道=新羅=インド繋がりであり、日本では神社全庁あたりが関係する。 人類が黒人から生まれたこと自体を否定するインドヨーロッパ語族=白人崇拝主義で小アジアあたりに、どこからともなく白人が聖書根本主義どおり、明確にギリシア語訳聖書どおりに生まれたと考えているほうです。 それはアフリカ起源のエジプト側(イルミナティもこっち)と対立してる派閥なんです。 これは日本では伊勢神宮の灯篭=岸信介であり、天皇教そのものである。 さて、ここまで読めばわかったと思うが、日ユ同租論は「新羅崇拝」という流れが体軸となっている。日本では。 それは、現在の慶尚道なわけである。 日ユ同祖論の宇野が崇拝するのと、統一教会がリンクして重なるのは、統一教会が戦後の反共の中で形成された「慶尚道=新羅」が中心であるからして、重なるのは必然の事であったわけだ。 (※ 記事はかなり略して引用しています。ブログ本文を。)
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交流会・イベント 閲覧数 - 今日 - 昨日 - 運営委員会主催 公式練習試合 参加申し込み受付中。 PDFをdownload 下記の要領で、「運営委員会主催公式練習試合」を実施いたします。本大会参加に向け、ディベートの全体像が把握でき、更なる技術向上や課題発見など多くのことを学ぶ機会となるはずです。 ■日 時:2014年7月19日(土)13:00~ (18 00頃終了予定) ■場 所:釜山外国語大学校 ≪남산동캠퍼스 D동 D110» ■申込〆切 :7月11日(金)24 00 ■申込方法 :オンライン申請 http //goo.gl/nS57KW ■日 程 12 30 受付開始・抽選 13 00 開会式 13 15 第1試合開始 14 10 フィードバック 14 50 第2試合開始 15 45 フィードバック 16 25 第3試合開始 17 20 フィードバック 17 50 閉会式 ■論 題:本大会と同じ ■チーム構成:1チーム3名または4名(試合毎に役割の変更可※大会では不可) ■試合規定 大会規定に準拠 click ■組み合せ :当日抽選(肯・否定1試合ずつ) 国際日本語ディベート講座@九州大学 参加者募集中です。PDFをdownload 台湾、日本、韓国の大学生による「国際日本語ディベート講座」が、今年も九州大学で開催されます。 参加者は4日間で、日本のディベート専門家によるディベート講義を受け、日本・台湾の学生たちと交流を行い、国際チームを作ってディベートの準備、そして最終日にディベートの試合に参加します。また、日本、台湾、韓国での日本語ディベート教育について、教員による口頭発表などの研究会を予定しております。この機会に、是非、日本語ディベートの理解を深め、国際交流をしてみませんか?学生、教員皆様からのたくさんのご参加をお待ちいたしております。 ■日時:8月18日(月)~8/21(木) ■場所:九州大学 九重研修所(山の家) 宿泊所案内 ■対象: 学生および教員 ■人数:(韓国人学生)約10名程度 ■必要経費:宿泊費(合宿所1泊2食(約2,700円)×3泊+福岡泊 韓国―福岡往復渡航費、その他食費、交通費(福岡市内移動) ■参加申し込み締切 :2014年6月15日(日)24時 ■申込み: オンライン申請 申込み画面へ ■日程 : ※多少変更の可能性あり 2014年8月18日(月) 8 00 博多港 9 00 博多駅発 12 00 九重山の家 昼食 午後 講義 夕食 バーベキュー 夜 グループワーク 8月19日(火) 午前 朝食 講義 午後昼食 グループワーク 研究会 夕食 夜グループワーク 8月20日(水) 午前 朝食 グループワーク 研究会 午後 昼食 試合 夕食 夜 グループワーク 8月21日(木) 午前 朝食 試合 午後 福岡 打ち上げ ※参加をお悩みの方は、まずご連絡ください お問い合わせ 韓国大学生日本語ディベート大会運営委員会 諏訪昭宏(釜山外国語大学校) E-mail:nihongodebate@gmail.com /010-4466-0199 釜山・慶尚道地域 2014年日本語ディベートワークショップ 今年度の大会に出場予定の学生の皆さんを対象にディベートワークショップを開催します。チームのレベルアップにきっと役立つことと思います。ぜひご参加ください。 ■日時:2014年5月10日(土)10 00~18 00(終了後懇親会有) ■場所:東西大学校(講義室等、後日告知) ■会費:5000ウォン(プリント、昼食・ミネラルウォーター500ML1本、茶菓代など) ■日程 09 30 受付開始 10 00 チームごとに自己紹介など 10 20~11 10 【講義】 立論の作り方と質疑の仕方 11 10~12 10 【演習】 グループ毎に立論作り 12 10~12 40 【実践】 (肯定側立論-質疑-否定側立論-質疑) 12 40~13 40 昼食・休憩 13 40~14 10 【講義】 第一反駁の仕方 14 10~15 00 【演習】 グループ毎に反論作り 15 00~15 30 【実践】 (否定側第一反駁-肯定側第一反駁) 15 30~15 40 休憩 15 40~16 00 【講義】 第二反駁の仕方 16 00~16 40 【演習】 グループ毎に反論作り 17 00~17 45 【実践】 試合形式の練習(他のグループと) 17 50 先生からのコメント・アドバイス 18 00 閉会 19 00 懇親会(希望者のみ) ■参加資格: 釜山・慶尚道地域の大学に在籍中の者。 今年度の韓国大学生日本語ディベート大会に出場を希望する者。 日本語能力試験2級以上の日本語能力と有する者。 ■申込み先 韓国大学生日本語ディベート大会運営委員会nihongodebate@gmail.com 5/2(金)までに、参加学生の氏名・学年・希望の役割(立論・質疑・反駁)と代表者の連絡先を明記の上、上記のメールアドレスまでお知らせください。 ※このセミナーは、今年度の本大会に出場予定の学生に対する教育を目的にしております。 少数精鋭でより高い教育効果を上げるべく、各校最大5名までの参加を受け付けます。予めご了承ください。 PDF版のご案内(日本語・韓国語) 第1回交流会@ソウル・明知大学 下記のとおり第1回めのソウル地域交流会を明知大学で実施いたします。大学の壁を越え、「日本語」という同じ目標を持った仲間と交流しながら、ディベートについて楽しく勉強できる場にしたいと思っております。昨年大会に参加した学生たちにも、感想や具体的な大会の準備方法などを紹介してもらう予定です。ディベートが初めてという方も、ぜひお気軽にご参加ください。 ■日時: 2014年4月12日(土)14時~17時 ■場所: 明知大学校人文キャンパス本館8階 1833教室 ■行き方 地下鉄2号線 弘大入り口駅から7612バスで約15分→「明知大」で下車 地下鉄6号線 チュンサン駅から7019バスで約12分→「明知大」で下車 ■連絡先 nihongodebate@gmail.com 韓国大学生日本語ディベート大会運営委員 松渕 優子(明知大学校) ■内容: 1. アイスブレーキング、ゲーム 2. ディベート、韓国大学生日本語ディベート大会について 3. 昨年の大会参加学生へのインタビュー 4. ディベートの基礎的な練習 ※会場準備の都合上、4月8日(火)までに、大まかな出席人数を上記連絡先までご一報いただけると幸いです 交流会@東義大学 下記のとおり2014年度初の交流会を釜山・東義大学で実施いたします。「ディベートって何だろう?」という初心者も、昨年、一昨年の大会に出場したベテランの学生も、年度始めのウォーミングアップを一緒にしませんか。他校にも仲間ができるとディベートがいっそう楽しくなりますよ。お気軽にどうぞ! PDF(韓国語版)をダウンロード ■日時: 2014年3月29日(土)13時~16時 ■場所: 東義大学校 (第2人文大) 410教室 ■行き方 地下鉄2号線 東義大駅 5番出口→ 6-1 学校循環バス乗車→ 循環バス終点で下車 ■連絡先 東義大 会長 장형근 010-4938-6120/darkarst@naver.com ■日程: 13 00 受付開始・抽選 13 30 開会式 13 30-13 50 自己紹介ゲーム 13 50-14 10 ディベート説明 14 10-14 50 簡易ディベート メリット/デメリット作成(韓国語) 14 50-15 00 休憩 15 00-15 40 簡易ディベート(日本語) 15 40-16 00 感想発表、閉会式 16 30- 打ち上げ 公式練習試合@嶺南地域 下記のとおり「運営委員会主催公式練習試合」を実施いたします。本大会参加に向け、ディベートの全体像が把握でき、更なる技術向上や課題発見など多くのことを学ぶ機会となるはずです。 なお、試合に参加されない学校の先生や学生も見学可能ですので、ご興味のある方はぜひ足をお運びください。 PDFをDownload ■日時: 2013年7月20日(土)13:30~ (17 30頃終了予定) ■場所: 新羅大学校 (동북아비즈니스센터) 105教室 地図 ■日程:13 00 受付開始・抽選 13 30 開会式 13 45 第1試合開始(301、302、303教室) 14 40 フィードバック 15 00 第2試合開始(301、302、303教室) 15 55 フィードバック 16 15 第3試合開始(301、302、303教室) 17 10 フィードバック 17 30 閉会式 ■論題:本大会と同じ ■チーム構成:1チーム3名または4名から参加できます。 また、本練習試合では試合毎に役割の変更を認めます。(本大会では不可) ■試合規定:メリット・デメリットは2点までとする ■時間:試合(約50分)+審判からのフィードバック=計70分 肯定側立論(6分) → 否定側準備時間(2分) → 否定側質疑(3分)→ 否定側立論(6分) → 肯定側準備時間(2分) → 肯定側質疑(3分)→ 否定側準備時間(2分) → 否定側第1反駁(4分)→ 肯定側準備時間(3分) → 肯定側第1反駁(4分)→ 否定側準備時間(2分) → 否定側第2反駁(4分)→ 肯定側準備時間(2分) → 肯定側第2反駁(4分) ■組み合わせ:当日抽選(各チーム肯定・否定1試合ずつ) ■参加申込〆切:7月5日(金) ■申込方法:インターネット受付 クリック 国際日本語ディベート講座@九州大学 参加者募集中です。PDF(日本語)をdownload 台湾、日本、韓国の大学生による「国際日本語ディベート講座」が、今年も九州大学で開催されます。 参加者は4日間で、日本のディベート専門家によるディベート講義を受け、日本・台湾の学生たちと交流を行い、国際チームを作ってディベートの準備、そして最終日にディベートの試合に参加します。また「日本語ディベート教育研究の展望」をテーマに、日本、台湾、韓国での日本語ディベート教育について、教員による口頭発表などの研究会を予定しております。この機会に、是非、日本語ディベートの理解を深め、国際交流をしてみませんか?学生、教員皆様からのたくさんのご参加をお待ちいたしております。 ■日時:8月8日(木)~8/11(日) ■場所:九州大学 伊都キャンパス ■費用:講座料無料、その他必要経費は自己負担 ■対象:学生および教員 ■参加申し込み締切 :7月8日(日) 方法:氏名(漢字・英文)、性別、所属、学年、 連絡先を明記の上、下記メールアドレスへ nihongodebate@gmail.com ■日程 : ※多少変更の可能性あり 2013年8月8日(木) 9 30-10 00受付(2310)チーム分け 10 00-10 20開会式(2310) 10 30-11 50講義・演習 ディベート概論(加地 2310) 11 50-13 10懇親会(学食) 13 10-14 30講義・演習 論題の分析方法(加地 2310) 14 50-16 20講義・演習 肯定否定論の構築方法(加地 2310) 16 40-18 10演習 チームでディベート準備(2309, 2310, 2408, 2409) 8月9日(金) 9 00-12 00チームでディベート準備 研究会(主に教員、院生) 午後 学生交流活動 19 00-22 00懇親会 2012年8月10日(土) 9 00-10 00チームでディベート準備 10 15-10 30集合(2310教室) 10 30-12 00講義・演習 フローシート、質疑応答、反論反駁方法(蓮見 2310) 12 00-13 00昼食 13 00-14 30講義・演習 判定の出し方と評価・試合見学解説(蓮見 2310) 14 50-18 10演習 チームでディベート準備(2309, 2310, 2408, 2409) (延長可能) 2012年8月11日(日) 8 40-9 30試合教室で準備(2309, 2408, 2409)本部は2310 9 30-10 45ディベート試合予選1(2309, 2408, 2409) 11 00-12 15ディベート試合予選2(2309, 2408, 2409) 12 15-13 00昼食 13 00-14 15ディベート試合予選3(2309, 2408, 2409) 15 00-16 30ディベート決勝戦・講評(2310) 16 40-17 30閉会式(2310) ※参加をお悩みの方は、まずご連絡ください お問い合わせ 韓国大学生日本語ディベート大会運営委員会 諏訪昭宏(釜山外国語大学校) E-mail:nihongodebate@gmail.com ******************************************************************* 제 2 회 국제 일본어 디베이트 강좌@규슈대학 참가자 모집 (학생 · 교수) PDF(한국어)download 일본, 대만, 한국 대학생의 “국제 일본어 디베이트 강좌”가 올해도 일본 규슈대학에서 개최됩니다. 참가자들은 4 일 동안 일본의 디베이트 전문가에 의한 디베이트 강의를 받아 일본·대만 학생들과 교류하고, 국제 팀을 만들어 디베이트 시합의 준비, 그리고 마지막 날 디베이트의 경기에 참가합니다. 또한 “일본어 디베이트 교육 연구의 전망”을 주제로 일본, 대만, 한국에서 일본어 디베이트 교육에 대한 교원에 의한 구두 발표 등의 연구회를 예정하고 있습니다. 이 기회에 부디 일본어 디베이트의 이해와 국제 교류를 해 보지 않겠습니까? 학생, 교수 여러분의 많은 참가를 기다리고 있습니다. ■날짜 8 월 8 일 (목) ~ 8 / 11 (일) ■장소 일본 규슈대학 - 이토 캠퍼스 ■비용 강좌료 무료, 기타 필요 경비는 각자 부담 ■대상 학생 및 교사 ■신청마감 7 월 8 일 (일) 방법 성명 (한자 · 영문), 성별, 소속, 학년,연락처를 명기 하고 아래 메일 주소로 신청 nihongodebate@gmail.com ■일정 : ※ 변경 될 수 있음 (8 월 7 일(수) 당일까지 일본 입국) 8 월 8 일(목) 디베이트 강의 · 연습 8 월 9 일(금) 교류회 ※ 바베큐 등을 예정 8 월 10 일(토) 연구회 "일본어 디베이트 교육 연구의 전망"(교수 대상) 8 월 11 일(일) 국제 디베이트 대회 (학생 대상) (8 월 12 일(월) 이후 귀국) ※ 참가를 고민하시는 분은 먼저 연락 주시기 바랍니다 문의 한국 대학생 일본어 디베이트 대회 운영위원회 스와 아키히로 (부산외국어대학교) E-mail:nihongodebate@gmail.com ソウル・京畿道ディベートセミナー 韓国大学生日本語ディべート大会 in Seoul オリエンテーションの日程が決まりました。 ■企画:韓国大学生日本語ディべート大会運営委員会 ■日時:5月26日(日)午後2時より約2時間半 ※受付は午後1時40分より行いますので、時間通り開始できるようご協力ください。 ■内容: 韓国大学生日本語ディベート大会の説明 学生間交流 ディベート体験(模擬ディベート) ■参加予定校:祥明大学校、培花女子大学、大眞大学校、弘益大学校、明知大学校、明知専門大学、聖公会大学 (以上7校) ※順不同 ■場所:(ソウル特別市 西大門区)明知大学 人文キャンパス 本館7階1758教室 ※明知大学地図 http //www.mju.ac.kr/mbs/mjukr/campusmap/campusmap.html ■大学への行き方 地下鉄駅6号線セジョル駅下車 ⇒ 緑バス7017番、緑バス7018番、緑バス7021番 ⇒ 明知大学前下車 (注:2年生の明知専門大学前を通り越し、会場となる4年生の明知大学前にて下車となります。) 地下鉄駅3号線ホンジェ駅下車 ⇒ 緑バス7017番、緑バス7021番 ⇒ 明知大学前下車 地下鉄駅2号線ホンイク大学入口駅下車 ⇒ 緑バス7612番 ⇒ 明知大学前下車 ■持ち物:筆記用具 ■参加費:無料 ■その他 先生方のご都合が合わない場合は、学生のみの参加で構いません。 もしかしたら夕食を一緒にということになるかも知れません。(食費自己負担) 明知大学の正面より会場建物までの地図を添付致しますので、ご確認ください。 なお、会場準備の都合上、出席される先生は事前に大会運営委員までご一報いただけると幸いです。 (当日参加可も可能です。) 会場略図 明知大学 人文キャンパス 本館入り口から入りますと、エレベーターが二つあります。奇数階専用の右のエレベーターをご利用ください。 慶尚北道・大邱地域 2013年度第1回学生交流会 @啓明大学 啓明大学校で日本語交流会を行います。初めての方もぜひご参加ください! 日時:2013年5月11日(土) 14時~17時 場所:啓明大学校 城西キャンパス スミス館208号室 (계명대학교 성서캠퍼스 스미스관 208호실) キャンパスマップ 最寄り駅: 地下鉄2号線 江倉駅(강창역)徒歩15分 または啓明大駅(계명대역)徒歩20分 内容: 1.日本語を使ったゲーム・交流 2.ディベートとは? 3.体験ディベート 等 連絡先: nihongodebate@gmail.com TEL 053-580-5120 韓国大学生日本語ディベート大会 運営委員 松崎遼子(啓明大学校 日本学科) ※当日参加可も可能ですが、会場準備の都合上、おおよその出席人数をご連絡いただけると幸いです。 ※お車でお越しの方は正門からお入りください。3時間1000ウォンの割引駐車券を発行いたします。 慶尚南道・釜山地域 2013年度 第1回学生交流会 @昌原大学 昌原大学校で日本語交流会を行います。初めての方もぜひご参加ください! 日時:2013年5月4日(土) 午後1時30分~5時 (受付開始午後1時) 場所:国立昌原大学校 人文館(11号館) 教室は開催日当日に人文館各入り口に掲示します。 キャンパス地図 行き方: ・釜山から 釜山西部バスターミナル 昌原行き市外バス(所要時間40分~1時間) 南山ターミナル(または昌原中央ターミナル・終点)下車 タクシー15分 ・テグ方面から 鉄道 馬山(マサン)方面行きKTX・ムグンファ等 昌原中央(昌原大)駅下車 徒歩10分 内容:1.日本語を使ったゲーム・交流 2.ディベートとは? 3.体験かんたんディベート 4.台湾日本語ディベート大会生中継 連絡先: nihongodebate@gmail.com TEL 055-213-3158 韓国大学生日本語ディベート大会 運営委員 二色博樹(昌原大学校 日語日文学科) 2012年第2回 日本語交流会 慶星大学校で日本語交流会を行います。まだ日本語に自信がない人も気軽に参加できるような会にしようと思いますので、初めての方もぜひ参加してください。 日時:2012年11月24日(土) 13:30受付開始 14:00開会 場所:慶星大学校 (教室は参加者にご連絡します) 会費:1000W 【交流会のスケジュール】 13:30 受付開始 14:00 あいさつ 14:05 アイスブレイキング 14:35 反論の練習 15:05 休憩 15:15 簡易ディベート 16:05 ディベート大会入賞4校の報告・質疑応答 17:55 閉会のあいさつ 17:00 終了 韓国大学生日本語ディベート大会 ロゴマーク決定 9月22日の第一回大会における投票により、大会ロゴマークが決定しました。たくさんのご応募ありがとうございました。 作成者 ソ・ミンソン(釜山外国語大学校) <デザインに込めた思い> ①左の二つの枝に分かれた縦の線は、「論」のごんべんの略字です。 ②右上の四角は、「Debate」のDを意識し、同時に日本の国旗もイメージしています。 ③右半分全体は、右を見て口をあけて話している人の横顔です。 ④右下の三角は、「論」の作りの上のかんむりをイメージしました。 つまり、全体で、ディベートの主たる目的である「論理」の「論」をイメージ。 韓国大学生日本語ディベート大会 ロゴマーク募集 韓国大学生日本語ディベート大会運営委員会では、ディベート大会のロゴマークを募集しています。 みなさん、ふるってご応募ください。 応募資格 第1回韓国大学生日本語ディベート大会に出場する大学の学生、教師。 一人3点まで応募可。 応募締切 2012年9月14日(金)必着 審査方法及び結果発表 運営委員が最優秀作品を選考し、第一回本大会において、結果発表を行います。 最優秀作品には、賞品をお贈りします。 応募・問い合わせ先 韓国大学生日本語ディベート大会運営委員会 E-mail: nihongodebate@gmail.com 応募方法、応募詳細については募集要項をご覧ください。 また、応募の際には、応募用紙にご記入いただきますよう、お願いいたします。 韓国大学生日本語ディベート大会 ロゴマーク募集要項 (PDFファイル) 韓国大学生日本語ディベート大会 ロゴマーク応募用紙 (wordファイル) 第一回 国際日本語ディベート講座 台湾、日本、韓国の大学生による国際日本語ディベート講座を、九州大学で行います。 参加者は3日間の講座の中で、ディベート入門の講義を受け、国際チームを作って ディベートの準備を行い、最終日にディベートの試合に参加します。 また、台湾、日本、韓国のディベート事情について専門家に講演をしてもらい、 合同でディベート教育に関するシンポジウムを行います。 日時:8/6(月)8 40~8/8(水)17:00 (最低3泊4日) ※5日以前に日本入国、8日夜以降に出国となります。 場所:九州大学 伊都キャンパス 参加予定:九州大学学生(10名)、台湾の大学生(10名)、韓国の大学生(募集中)、他教員等 必要経費試算:約50万ウォンを予想 ・渡航費:20万ウォン前後 ※船を利用 ・宿泊費(3泊):10万ウォン前後 ※ゲストハウス(2500円/泊)で概算 ・食費(10食~13食):12万ウォン前後(1食700円) ・交通費:6万ウォン前後(天神~キャンパス往復1200円) ※あくまでも試算ですので、実際かかる費用に関しては各自で責任をもってください。 申し込み締め切り:7月8日(日) 申し込み方法:各大学の担当の先生を通してnihongodebate@gmail.comにお申込みください。 お問合せ:nihongodebate@gmail.com <日程> 2012年8月6日(月) 8 40-10 10 受講登録・開会式 10 30-12 00 講義・演習 ディベート概論 13 00-14 30 A 講義・演習 論題の分析方法 B 講演 台湾における日本語ディベート 14 50-16 20 A 講義・演習 肯定否定論の構築方法 B 講演 韓国における日本語ディベート 16 40-18 10 講義・演習 試合への準備方法 2012年8月7日(火) 8 40-10 10 チームによるディベート準備 10 30-12 00 A講義・演習 フローシート、質疑応答、反論反駁方法 B講演 ディベート甲子園事情 13 00-14 30 シンポジウム 国際日本語ディベート大会の可能性 14 50-16 20 A講義・演習 反論と反駁(中級) B講義・演習 反論と反駁(初級) 16 40-18 10 A講義・演習 判定と評価(中級) B講義・演習 判定と評価(中級) 2012年8月8日(水) 8 40-10 10 ディベート試合予選1(3室) 10 30-12 00 ディベート試合予選2(3室) 13 00-14 30 ディベート試合予選3(3室) 14 50-16 20 ディベート試合決勝戦 16 40-17 00 閉会式 2012年 第一回公式練習試合 9月の第一回大会の論題での公式練習試合を開催します。第一回大会参加予定チームはぜひご参加ください。 本大会参加に向け、ディベートの全体像が把握でき、更なる技術向上や課題発見など多くのことを学ぶ機会となるはずです。 ※試合に参加されない学校の先生や学生も見学可能ですので、ご興味のある方はぜひ足をお運びください 日時: 2012年7月21日(土) 13:00~18 00 場所: 東義大学校 伽耶キャンパス 人文大学第2号館 410号室 以下、来場方法についての説明です。 ①地下鉄2号線「東義大駅」5番出入り口を出てそのまま山に向かってまっすぐ進みます。 ②すぐに学校バスの停留場が見えます。 ③ここで「6番」バスに乗ります(無料)。 *説明が面倒になるので「9番」の方には乗らないでください。 ④そのまま山を登り終点まで(最上部でUターンして山から下界を見下ろす)。 ⑤バスから降りて、右側に入る道を少し歩くと、すぐ人口池 亭子がみえます。 ⑥その奥に人文大学(連結)の建物があります。 ⑦その4階、410号室にお集まりください。 *地下鉄下車後待ち時間込で平均10分〜15分程度所要 休業中につき、バスの待ち時間には少し余裕を持ってお越しください。 下記キャンパスマップの⑩番が「人文大学第2号館」です。 http //www.deu.ac.kr/homepage/default/page/subLocation.do?menu_no=1001010603#content イベント詳細はこちらのPDFファイルをご覧ください。
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/77.html
トップページ>韓国>歴史と現実 『歴史と現実』80、2011.6 時論 李仁在「歴史教育正常化のための当面課題」 論文 이준성「高句麗初期涓奴部の衰退と王権交替」 장미애「威徳王代恵王系政治勢力の成長と性格について」 李貞薫「高麗後期僧侶に対する封君とその意味」 안지원「高麗後期金石文を通じて見た仏教儀礼の新しい動向」 정요근「麗末鮮初郡県間合併・統合と新邑治の立地傾向」 장신「韓国強占前後日帝の出版統制と「五十一種二十万巻焚書事件」の真相」 윤덕영「1945年韓国民主党初期組織の性格と駐韓米軍政活動」 이혜영「1950年代後半自由党改憲議論の内容と性格」 研究動向 김보영「韓国戦争休戦協定と戦争の遺産」 書評 손병규「正祖時代に対する正祖の認識:金仁杰 他『정조와 정조시대』ソウル大学校出版文化院、2011年」 鄭秉峻「国共内戦・韓国戦争が作った満州朝鮮人社会のアイデンティティ:廉仁鎬『또 하나의 한국전쟁 만주조선인의 조국 과 전쟁』歴史批評社、2010年」 『歴史と現実』79、2011.3 時論 朴泰均「危険社会、そして曺奉岩:50年ぶりに復権した曺奉岩の現在的意味」 特集:開京(開城)研究の新しい模索:人的ネットワークと景観 박종진「総論:開京(開城)研究の新しい模索:人的ネットワークと景観」 南東信「高麗中期王室と華厳僧:王室出身華厳僧五国師を中心に」 蔡雄錫「高麗中・後期耆老会と開京士大夫社会」 韓嬉淑「朝鮮初期開城の位相と機能」 홍영의「朝鮮後期会話と地図に記録された開城の遺跡と景観」 論文 鄭東俊「百済檐魯制の歴史的位相についての試論」 鄭演植「平壌瞻星台の叙事構造と淵蓋蘇文の誕生」 韓相権「朝鮮時代の教化と刑政」 박윤재「解放後韓医学の再建と科学化議論」 研究動向 최성환「「正祖~沈煥之御札」と朝鮮後期政治史研究の展望」 書評 윤재운「渤海史を客観的に見ることは可能か?:김종복『渤海政治外交史』一志社、2009年」 김정인「東アジア史研究のための省察と模索の踏み石:柳鏞泰、朴鎮愚、朴泰均『함께 읽는 동아시아근현대사』창비、2010年」 『歴史と現実』78、2010.12 時論 呉洙彰「韓国史学の議題設定のために」 特集:韓国史の中の外勢 李康漢「[総論]「外勢」「外部」、そして「外縁」の問題」 宋鎬晸「漢郡県支配の歴史的性格」 김종복「百済と高句麗古地に対する唐の支配様相」 李康漢「「親元」と「反元」を超えて:13-14世紀史についての新しい理解」 韓モニカ「韓国戦争期アメリカの北韓占領製作と統治権問題:平壌と襄陽地域の行政組織構成比較」 論文 尹京鎮「『高麗史』食貨志、外官禄規定の基準始点と成立背景」 金盛祐「19世紀初盤盧尚枢の白雲洞別業造成と経営」 張暎淑「高宗政権下驪興閔門の政治的成長と内的亀裂」 이태훈「一進会の「保護統治」認識と「合邦」の論理」 최병택「強制併合前後日帝の「農業改良」方針:「自律主義」論理の展開とその性格を中心に」 이상호「韓国戦争期アメリカ軍の共産捕虜「アメリカ化教育」」 研究動向 朴泰均「韓国戦争勃発60年、社会科学から人文学へ」 『歴史と現実』77、2010.9 時論 李信澈「逆に行く歴史教育強化、跛行の韓国史教育」 特集:韓国民主化運動の論理と志向性の再評価 安秉旭「韓国民主化運動に対する評価と認識の転換のために」 이상록「1960-70年代民主化運動精力の民主主義談論」 김영수「1980年代社会構成体論と労働運動:闘争路線と組織路線を中心に」 김지형「民主化運動世代別分断克服論の推移」 이준식「民族解放運動の遺産と民主化運動」 김정인「内在的発展論と民族主義」 論文 박윤선「6世紀中盤高句麗と新羅の通好と移那斯と麻都」 金仁昊「鄭夢周崇拝の変化と偉人像」 李栄昊「韓末~日帝初近代的土地所有権の確定と国有・民有分岐:京畿道安山石場屯の事例」 허수「1920-30年代植民地知識人の「大衆」認識」 조수룡「1945-1950年北韓の社会主義的労働観と職業同盟の労働統制」 김태우「六感から政策へ:韓国戦争期アメリカ空軍戦爆機の民間地域爆撃の構造」 書評 鄭海恩「丁卯・丙子胡乱研究の新しい指標、そして残った問題:韓明基『정묘 병자호란과 동아시아』푸른역사、2009年」 研究動向 이용현「近年古代文字資料出土と研究現況及び展望」 『歴史と現実』76、2010.6 時論 朴泰均「作動しない停戦協定、そして天安艦」 特集:高麗前期兼職制の運営 朴宰佑「[総論]高麗前期兼職制に対する探求」 権寧国「高麗前期尚書六部の判事・知事制」 朴宰佑「高麗前期臺官の兼職運営と性格」 류주희「高麗前期尚書六部の兼職運営」 김대식「高麗前期本品行頭制の性格」 論文 김선주「新羅の閼英伝承の意味と始祖廟」 박성현「6世紀初高句麗・新羅の和約と境界:「中原高句麗碑」と両国境界の再検討」 李貞薫「高麗前期文散階の実際運営:「大夫階」を中心に」 김순자「高麗~朝鮮初韓中間領土についての現代中国学界の視角」 이한울「上海版『独立新聞』と安昌浩」 学術活動論 鄭泰憲「平和共存と民主主義の21世紀のための「併合」百年の省察」 백승종「成功的な大衆歴史書、どう書くか?:ひとつの歴史的省察」 『歴史と現実』75、2010.3 時論 김정인「2010年、記憶闘争と共にする記念の時代」 特集:高麗・朝鮮時代の法運用の実際と『大明律』 鄭海恩、박경、이정란「[総論]高麗・朝鮮時代の法運用と『大明律』」 이정란「高麗前期折杖法の規定と運用」 박경「朝鮮前期親族容隠規定の受容とその意味:「犯罪隠し」許容を通じて見た家族と親族共同体の保護について」 鄭海恩「朝鮮後期離婚の実相と『大明律』の適用」 論文 김보광「高麗時代内侍の運営と門班認識」 계승범「朝鮮後期大報壇親行現況とその政治・文化的含意」 황은수「開港期韓中日定期海運網と朝鮮商人の活動」 都珍淳「安重根の戦争と平和、殺と死」 김재웅「北韓の農業現物制徴収体系をめぐる国家と農民の葛藤」 研究動向 박종진「高麗時期開京史研究動向2(2000-2009)」 書評 김귀옥「そのたくさんのセマウル運動はどこへ行ったのか?:김영미の『그들의 새마을운동』と口述史研究」 『歴史と現実』74、2009.12 時論 임경석「朴正煕時代を見る目」 企画:朴正煕時代の憂鬱な遺産 朴泰均「朴正煕政府時期を通じて見た発展国家談論に対する批判的試論」 김영미「平沢・漆腹邑が最優秀セマウルになった理由」 이덕재「朴正煕政府の経済政策:諸刃の剣の政治経済学」 김태호「「統一米」と増産体制の盛衰:1970年代「緑色革命」に対する科学技術史的接近」 特集:3・1運動、記憶と理念 김정인「記憶の誕生:民衆デモ文化の近代的起源」 류시현「1920年代3・1運動に関する記憶:時間、場所、そして「民族/民衆」」 崔善雄「3・1運動記念儀礼の創出と変化」 정상우「3・1運動の表象「柳寛順」の発掘」 최병택「解放後歴史教科書の3・1運動関連叙述傾向」 論文 鄭演植「善徳女王と聖祖の誕生、瞻星台」 金基興「壊れた石窟庵の天蓋石」 이규철「1419年対馬島征伐の意図と成果」 이정철「磻渓柳馨遠の田制改革論とその含意」 都冕会「1895-1908年間、ソウルの犯罪様相と政府の刑事政策」 이하나「政府樹立期~1950年代文化映画と国家アイデンティティ」 研究動向 주강현「歴史民俗学の学事的意義と研究方法論一考」 書評 朴宰佑「高麗政治制度史研究の指針書:朴龍雲『『高麗史』百官志 訳註』신서원、2009年」 沈載祐「高麗刑法体系研究の深化のための基礎固め:蔡雄錫『『高麗史』刑法志 訳註』신서원、2009年」 『歴史と現実』73、2009.9 時論 김한종「韓国近現代史教科書騒動が残した問題」 特集:高麗前期政治制度の整備 朴宰佑「高麗前期政治制度史の評価と摸索」 김대식「10-12世紀東アジアの唐制受容」 신수정「高麗前期内史門下省体制下の宰臣」 류주희「高麗前期中枢院の設置とその正確」 権寧国「高麗前期軍政・軍令機構の整備」 論文 정요근「後三国時期高麗の「州」「府」分布とその設置の意味」 권내현「朝鮮後期入養の拡散推移と受容様相」 김영수「近代独島・鬱陵島名称をめぐる韓国と日本の視角」 장신「3・1運動直後雑誌『動員』の発刊と日鮮同源論」 書評 조형근「主体性の観点から見た日程時期場市の葛藤:許英蘭『日程時期場市研究:五日市의 변동과 地域住民』歴史批評社、2009年」 『歴史と現実』72、2009.6 時論 朴泰均「作戦統制権返還、核開発、そして盧武鉉」 特集:朝鮮時代地方の財政運営 손병규「[総論]朝鮮時代地方の財政運営」 李成妊「16世紀地方郡県の貢物分定と収取:慶尚道星州を対象に」 文勇植「17・18世紀社倉を通じて見た地方官の財政補用事例」 김경란「朝鮮後期東莱府の公作米運営実態とその性格」 論文 이정빈「高延武の高句麗復興軍と復興運動の展開」 李康漢「高麗忠粛王の田民辨整と商人登用」 최종석「麗末鮮初明の礼制と地方城隍祭の再編」 박윤재「1940-60年代惣村衛生研究所の設立と活動」 研究動向 鄭演植「韓国生活史研究の現況と課題:朝鮮時代生活史研究を中心に」 書評 廉馥圭「韓国都市史研究の現段階:高東煥『조선시대 서울도시사』태학사、2007年;吉田光南『近世ソウル都市社会研究』草風館、2009年」 朴賛勝「韓国民族主義と宗族的民族主義の解釈:신기욱『한국 민족주의의 계보와 정치』창비、2009年」 『歴史と現実』71、2009.3 時論 金基徳「韓国学術誌の展開方向と『歴史と現実』」 特集:金石文を通じて見た高麗前期仏教研究 이재범「[総論]高麗前期金石文を通じて見た仏教」 김수연「高麗前期金石文所載仏教儀礼とその特徴」 박광연「高麗前期瑜伽業の『法華経』伝統継承とその意味」 李貞薫「高麗前期王室出身僧侶の出家と活動」 論文 趙景徹「新羅の女王と女性成仏論」 라정숙「『三国遺事』を通じて見た新羅と高麗の観音信仰」 이혜옥「高麗后妃の政治的位相と影響力に対する再照明」 최이돈「朝鮮初期狭義の良人の用例と身分」 崔妵姫「16世紀両班官僚の貢物慣行と強制的性格」 研究動向 李庸起「歴史学、口述史と出会う:歴史学者の観点から見た口述史の現況と課題」 書評 朴泰均「強要された自律的選択:木宮正史『박정희 정부의 선택』후마니타스、2008年」 전상숙「韓日国共正常化の出発点、過去史認識:박진희『한일회담:제 1공화국의 對日정책과 한일회담 전개과정』선인、2008年」 1-20 21-40 41-50 51-60 61-70 71-80 81-90 91-100
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まっこうモグラさん関連ページ 小沢が騎馬民族征服説について、韓国で言及した事について。 ほんと、単純な話である。 騎馬民族征服説というのは、正式名は「北方騎馬民族征服説」である。 これは、ツングース系の騎馬民族が、高句麗や夫余(ツングース)が4世紀頃に日本にやって来て、王朝を築いたと言う説である。 3 :出世ウホφ ★:2009/12/13(日) 23 39 15 ID ???0 【小沢氏来韓】「在日韓国人ら外国人地方参政権を現実化させる」 小沢一郎民主党幹事長は、古代から韓日が近い関係だという点を語り、東京大学考古歴史学者だった江上波夫教授から直接聞いた「騎馬民族日本征服説」を紹介した。 「韓半島南部の地域権力者が海を渡って来て今の奈良県に政権を樹立したという」と語った。 「この話をもっと強調すれば日本に帰れないから、これ以上強く話すことはできない」と話すと、聴衆から笑いが起こった。 「天皇も、8世紀の桓武天皇の生母は百済(ペクチェ)の武寧(ムリョン)王の子孫だと言われた」とし、「韓日両国はいちばん近い国として、相互間の真の信頼・協力関係を造成すれば北東アジアと世界の平和安定に重要な歴史的使命を果たすことができる」と語った。 小沢幹事長はこの日、天皇の来年の訪韓の可能性についても言及した。講演に続き、曺薫鉉(チョ・フンヒョン)九段と、対局を終えた後、記者たちの質問に「韓国民が受け入れて歓迎してくれれば(来年の天皇の韓国訪問は)成り立つと思う」と述べた。 9月、李明博(イ・ミョンバク)大統領は、韓日強制併合100年を迎える来年、天皇の招請の意思を明らかにしている。 日本政府は「天皇が政治にかかわる行動はできないと憲法で規定されている」と述べた。 小沢氏は講演で、韓日両国問題解決として日本の積極的役割を特に強調した。 「両国間にはいまだ問題が存在するが、これを解決していかなければならない。これは韓国の責任というより、日本が積極的に提示していかなければならない立場だ」と述べた。在日韓国人ら外国人地方参政権についても前向きだった。 「日本政府が法案を出さなければならないと思っており、鳩山首相と現政府内閣は考えが同じだと思う」とし、「来年、国会で現実化されるだろう」と述べた。「この問題は日本が積極的に臨まなければならない」とも付け加えた。 2009.12.13 12 04 53 中央日報/Joins.com http //japanese.joins.com/article/article.php?aid=123896 servcode=A00§code=A00 厳密に言うと、小沢は「古代、朝鮮半島南部の権力者が海を渡り日本の国家を樹立した」 と言及しており、当時の騎馬民族=ツングース(高句麗)ではなく、百済を指している。 これでは、騎馬民族征服説ではない。あくまでも北東アジア経由だからね。 当時の百済や新羅は、高句麗の配下の国である。 そもそも、百済が出てきて、高句麗が出てこない事態は、おかしいでしょ? さて、この話でなぜ、高句麗という単語をださないか? それは、このブログで何度も言ってきたとおり、高句麗=北朝=北朝鮮であり、百済=南朝=韓国の全羅道系(チェジュ島もここ)という図式だからである。 そう、今の日本は歴史上は北朝なのに、なぜか南朝が正統とする皇室によって支配された国であるからである。 この江上波夫が唱えた「北方騎馬民族征服説」については、過去にも説明した事がある。 騎馬文明論と日ユ同祖論【20090525】 http //www.mkmogura.com/blog/2009/05/25/222 自分の騎馬民族に対する考えは ↑これです。 まあ、大事な事は「なぜ、こうなっているのか?」って構図ね。 この「北方騎馬民族征服説」は、北朝の天皇、つまり高句麗路線のための理論であって、ネットウヨあたりは「三笠宮崇仁親王が、日本オリエント学会を作り、この江上波夫を迎え入れた」という、皇族によって騎馬民族征服論が支持されたことを言及しない。 面白い話である。 夫余や高句麗と関係ある北東アジア系の騎馬民族が朝鮮半島を経由して日本に渡来して国家を建設したという理論なのに、それを支持した北朝の皇族がいること、高句麗=北朝鮮という単語さえも、2ちゃんあたりでは、全く出てこないのである。 「本来の天皇は北朝鮮からきました」という理論を皇族、歴史上は正統とされる北朝路線の三笠宮崇仁親王が支持したというのを、ちゃんと言及するがよい。 日本赤十字社第14代目の社長 近衛忠(北朝)で、北朝鮮帰国事業という「北朝鮮融和策」をやったのが、この赤十字である。 近衛忠の妻、近衛甯子こそが三笠宮崇仁親王の長女である。 その近衛忠の実兄にあたるのが、細川護熙元首相であり、現、民主党政権は、細川政権の再来であるわけ、だから親北朝鮮である社民党が、あの議席で民主党と連立してるわけだ。 ほれ、北朝=高句麗=北朝鮮の真実味が高いのは、わかるだろう。 今も血縁政治が行われてるのである。 でも、今の主軸は南朝=百済と、戦後の南朝亜種=新羅=慶尚道(統一教会はここ)ね。 だから、右翼の構成員の30%以上が、朝鮮人なのであり、統一教会という文鮮明を崇めるカルトが、右翼、靖国、天皇崇拝なわけである。 ただ、小沢もやっぱり、南朝族だよなぁ~と思う、江上波夫を、無理やり百済の理論にすり返るんだから。 本来は、それよりも北よりの話である。 この社民党みたいな左翼と騎馬民族征服論の関係は、早稲田あたりの左翼からネオ騎馬民族で、今現在も共通点もあるわけ。 歴史上は、シュメール起源とかの航海民族より、邪馬台国=よこしまな馬という騎馬民族繋がりが、モンゴルの相撲と同じく文化的に太く繋がってると個人的には思うけどね。 前回、流れを説明したように、明治維新は天皇をすりかえた。 「仏教により天皇政治を行う」とした聖徳太子の仏教の先生が、高句麗出身であるように、本来の天皇制は、北朝鮮=将軍様と何も変わらない。 だから、北朝鮮の本体は、日本にあって不可侵状態になっているわけである。 あれは、すり返られて消えたはずの北朝=高句麗の天皇がモチーフなんだよ。 ここらは、白村江の戦いで、高句麗と、その配下の百済が、難民として日本に来て、長野(信州)で、大量に、そのまま貴族として、「日本の貴族」が迎え入れたという事実があることからでも推察できるわけだが。 7~10代遡れば、だいたいこの朝鮮の人と日本人は繋がっている。 ここが北朝(中国の南北朝=北)=高句麗=北朝鮮の起源ね。 その北朝路線を明治維新ですりかえたわけ。 それが、南北朝正閏論である。 ま、天皇本人が百済と血がつながってることを認めてるしね。 正直、俺には天皇なんてどうでもいいです、はい。 血縁政治と、そこから生まれる利権システムが問題であって。 そこは、2つの五箇条のご誓文です。 今日のとこは駆け足なので、初めての方は、引っかかったとこは過去記事で補完してくださいな。全部書いてあります。 じゃあ、次回は明治天皇を、すり替えるときに合わせてやった「ええじゃないか!」と神道についてでも書いてみるか。 明治維新当時から、国際金融資本の手先=神道だったわけですが。ね、神社全庁さん。 なぜか、いきなり国家神道=天皇崇拝の宗教になったことでも、天皇すり替えがわかるよね? 仏教=天皇の宗教だったのに。 Related posts 北朝鮮の本体は日本にあるのか?【20090915】 日ユ同祖論もフロイト先生も爆笑だっぜ!!!【20090209】 副島の本100円で数冊買いました【20091106】 天皇パンダ説と上海閥ロックフェラー【20091218】 情報仕分け【20091126】 This entry was posted on 土曜日, 12月 19th, 2009 at 8 11 AM and is filed under ガイドライン, 陰謀の分析. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site. TrackBack URL ”http //www.mkmogura.com/blog/2009/12/19/579/trackback” 現在、この記事には2つコメントがあります “騎馬民族征服説と小沢の嘘【20091219】” 1On 6月 2nd, 2010, ヤマト さんのコメント 百済と新羅は大倭国の属国でしたよ? 東アジアの歴史は、高句麗と大倭国の朝鮮半島の支配圏の争いで隋や唐は傍観者。広開土王碑などにも書かれています。 倭族と余族の対立があって倭族が勝ったり余族が勝ったりしただけの話。南宋に朝貢したと記述されているが、北宋にはローマ帝国が朝貢してきたと記述してるぐらいなので勝手に支那人が書いてるだけにすぎない。高句麗と戦争をする為の大義名分が欲しかっただけの話。 高句麗は広大な国家でしたが、それと同じくらいの国土を有していた大倭国(北は東北から南は九州、東は四国から西は朝鮮南部まで)。根拠は文献云々より物理的な前方後円墳を見たら分かります。 また、百済王族は后を必ず倭族とする事が決められていたし、新羅建国は倭族によってもたらされた。今の朝鮮人や支那人の先祖とは全く関係がない。 大和民族は余族と倭族の混血ということは分かるが、それは大陸を支配した余族と朝鮮半島を支配した倭族の歴史と因果関係があるだけです。日清戦争の時、決着が付いたが、アングロサクソンのよって崩壊し、その隙に漢民族と朝鮮族(ワイ族)がアピールしているだけです。 日本は神仏教国家であって仏教一辺倒ではないです。仏教の影響は大きかったが神社は存続したということで、融合し新しい宗教である神仏教が生まれた。これが大和民族の支えになっている。 百済王族は倭族との混血であるし、新羅王族は倭族、高句麗王族は余族ということで、ワイ族や漢民族とは関係がないという事を付け加えておきます。 後、戦後の捏造された自虐教育に支那、朝鮮が乗っかっているところからいくら考えても答えは出ません。 posted on 6月 2nd, 2010 at 10 50 AM 2On 6月 2nd, 2010, mkmogura さんのコメント 長文おつかれさまです。 ヤマトという名前をつけてますが。 ヤマト=大和=大倭=大和国=邪馬台国 全部同じものです。 隣国がつけた、「倭国」(倭は蔑視する表現です)という隣国を蔑視する表現をありがたがって使って説明してる時点で勉強不足です。 よこしまな国、卑しい子=卑弥呼=単なる火巫女、全部同じ事です。 http //www.mkmogura.com/blog/2009/09/15/391 まことに申し訳ないですが、率直にそう言わせていただきます。 自虐史感などと言っていますが、中国の作った当時のライバルを侮辱する為の当て字を嬉々として使ってる時点で、GHQ民政局とクウェーカー教徒が作った左翼の反戦思想教育=自虐史感に騙されてる人と大差はありません。 南朝天皇を崇拝する右翼は、真言立川流=南朝天皇の正統宗教に入信すれば?と当ブログではすすめております。真如苑でもいいですぞ。 真言密教のエロカルト宗教ですが。 posted on 6月 2nd, 2010 at 6 51 PM .
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トップページ>韓国>韓国史論 『韓国史論』60、2014 노명호「『高麗史』の「僭擬之事」と「大赦天下」の「以実直書」:核心が削除された高麗の皇帝制度」 이현욱「朝鮮初期普遍的即位儀禮の追求:嗣位」 최형보「粛宗代王世子代理聴政研究」 이재경「三藩の乱前後(1674-1684)朝鮮の情報収集と情勢認識」 양선비「17世紀中後半礼訟の展開と政治地形の変化:礼訟の政治史的波及と国王-朋党力学関係の変化を中心に」 정성학「朝鮮後期安東上層郷吏の郷職継承と存在様相」 김보람「19世紀朝鮮士大夫の烈女認識:奇文として再構成された列女伝『三韓拾遺』を中心に」 김신회「1821年コレラの猖獗と朝鮮政府及び民間の対応様相」 김소라「光武量案と土地台帳を通じてみた光武量田の性格:忠南韓山郡昌外里と慶北慶州郡九政洞の事例を中心に」 李泰鎮「吉田松陰と徳富蘇峰:近代日本韓国侵略の思想的基底」 이아리「日帝下「家事使用人」の登場とその存在様相」 송재경「米軍政世論調査からみた韓国の政治・社会動向(1945-1947)」 『韓国史論』59、2013 최상기「6-7世紀新羅六停の戦時運用」 박지현「熊津都督府の成立と運営」 장원아「1920年代普天教の活動と朝鮮社会の対応」 김도민「1948-1950年中韓アメリカ大使館の設置と政務活動」 신승욱「1・2次国連韓国委員団の平和統一仲介活動とその帰結(1948-1950年)」 『韓国史論』58、2012 임혜경「義天の『新編諸宗教蔵総録』編纂とその意義」 허대영「壬辰倭乱前後朝鮮の戦術変化と軍事訓練の専門化」 김은주「1930年代朝鮮の農村生活改善事業と「国民化」作業」 류정선「朝鮮総督府の農作物改良増殖政策」 권혁은「1950年韓米経済安定委員会の設立と安定化政策の性格」 김수향「米軍政の綿紡織工業政策と運用」 신재준「韓日階段時期韓国政府の在日韓人財産搬入政策の変化」 盧泰敦「[研究ノート]于山国の紀元と異斯夫の罰」 『韓国史論』57、2011 황향주「高麗起復制と14世紀末起復論争」 나종현「17世紀磻渓柳馨遠の実理概念と古礼追求」 이민정「朴世采の「皇極」認識と君主像」 이유진「18世紀大邱戸籍を通じてみた都市地域の特徴:大邱府西上面戸籍台帳を中心に」 정희찬「甲午改革期(1894-96年)上納愆滞問題と公銭の換送」 정무용「1947年ウェイドマイヤー使節団(Wedemeyer Mission)の訪韓と韓国人の対応」 宋基豪「中国の東北工程、その後」 『韓国史論』56、2010 기경량「高句麗国内城時期の王陵と守墓制」 이재환「新羅中・下代官等制の性格変化:人名、官等の表記方式を中心に」 정동훈「高麗-明外交文書書式の成立と背景」 박은정「『車原頫雪冤記』異本の流通とその背景」 小林拓矢「日帝下道路事業と労働力動員」 박수현「米軍政公報機構組織の変遷(1945.8~1948.5)」 한진금「1950年代アメリカ援助機関の対韓技術援助訓練計画研究」 『韓国史論』55、2009 金佑澤「11世紀対契丹領域紛争と高麗の対応策」 李民友「19世紀水利施設の私占と水税葛藤」 鄭鎮淑「1896-1905年刑法体系整備に関する研究:『刑法大全』制定のための基礎作業を中心に」 裵民才「1910年代朝鮮総督府臨時恩賜金事業の運営方向とその実際」 李正善「韓国近代「戸籍制度」の変遷:「民籍法」の法制的特徴を中心に」 市川まりえ「1905-1910年在韓日本人民間言論の統監府政治観」 임나영「1945-48年右翼青年団テロの展開様相と性格」 임찬혁「1945~1948年中国延辺地域朝鮮人社会主義者たちの活動と構成の変化」 『韓国史論』54、2008 姜辰垣「高句麗始祖廟祭祀研究:親祠の成立と変遷を中心に」 김수진「隋・唐の高句麗失地論とその背景:対高句麗戦名分の一側面」 金映印「17世紀後半趙聖期の「事功」中心事由と経世思想」 이민아「孝明世子・憲宗代宮闕営建の政治史的意義」 박준형「1890年代後半韓国言論の「自主独立」と韓清関係の再定立」 李泰鎮「1905年条約の強制時の韓国駐箚軍の性格」 『韓国史論』53、2007 鄭玉子先生停年紀年号 梁択寛「朝鮮前期王室の土地所有と経営」 李泰鎮「16世紀韓国思想界の「天道」と外界衝撃現象」 金仁杰「「栗谷郷約」再論:養民のための人材育成」 李光烈「光海君代『東国新続三綱行実図』編纂の意義」 金慶来「仁祖代朝報と公論政治」 金珉秀「19世紀後半気候変動と農業生産力」 孫栄祥「甲午改革以後近代的警察制度の成立と運営」 権泰檍「1920-1930年代日帝の同化政策論」 鄭容郁「解放直後駐韓米軍防諜隊の組織体系と活動」 宋基豪「[資料紹介]高句麗遺民高氏夫人墓誌銘」 『韓国史論』52、2006 유새롬「17世紀西人の学統意識と栗谷年譜の編纂」 兪眩在「16世紀麤布流通とその性格」 尹詳絢「曺奉岩(1899-1959)の政治活動と社会民主主義思想」 李東遠「1946年「朝米共同会談」の成立と活動」 홍문기「甲午改革以後秘書機関の変遷と君主権」 『韓国史論』51、2005 永正美嘉「新羅の対日香薬貿易」 宋容徳「高麗前期国境地域の州鎮城編成」 呉世炫「月沙李廷亀(1564-1635)の文翰活動と学統意識」 趙楽玲「17世紀江華島備蓄穀の準備と運営」 金伯哲「朝鮮後期英祖代蕩平政治の理念と『周礼』」 芮智淑「日帝下金活蘭の活動と対日協力」 『韓国史論』50、2004 韓永愚先生停年紀年号 洪承佑「新羅律の基本性格:刑罰体系を中心に」 崔鍾奭「羅末麗初城主・将軍の政治的位相と城」 盧明鎬「高麗太祖王建銅像の流転と文化的背景」 鄭景姫「正祖の礼学」 金仁杰「朝鮮後期郷村社会における「儒教的伝統」の持続と断絶:郷村士族の居郷観の変化を中心に」 金大鎬「1910-20年代朝鮮総督府の朝鮮神宮建立と運営」 鄭容郁「6・25戦争期米軍の心理戦組織と展開様相」 呉瑅淵「1956-1960年自由党寡頭体制の形成と運営」 『韓国史論』49、2003 論文 李命美「高麗・元王室通婚の政治的意味」 李賢珍「17世紀前半啓運宮服制論:金長生・朴知誡の礼論を中心に」 李東麟「許穆の春秋災異論に現れた「漢学的」傾向」 太田秀春「近代韓日両国の城郭認識と日本の朝鮮植民地政策」 장용경「日帝植民地期印貞植の転向論:内鮮一体論を通じてみた植民的関係の形成と農業再編成論」 『韓国史論』48、2002 韓永愚「朝鮮時代『儀軌』編纂と現存儀軌調査研究」 金真英「朝鮮初期「済州島」についての認識と政策」 閔会修「1880年代陸用鼎(1843-1917)の現実認識と東道西器論」 金鍾俊「進歩会・一進支会の活動と郷村社会の動向」 李相燦「伊藤博文が略奪していった古書調査」 『韓国史論』47、2002 崔章烈「漢江北岸高句麗堡塁の築造時期とその性格」 李炳鎬「百済泗沘都城の造営過程」 朴省炫「6-8世紀新羅漢州「郡県城」とその性格」 許泰玖「17世紀朝鮮の焔硝貿易と火薬製造方法の発達」 金泰勲「粛宗代対日政策の展開とその成果」 『韓国史論』46、2001 姜銀英「漢鏡の製作と辰・弁韓地域流入過程」 姜好鮮「忠烈・忠宣王代臨済宗受容と高麗仏教の変化」 李康漢「高麗後期元宝鈔の流入と流通実態」 정상우「1910年代日帝の支配論理と知識人層の認識:「日鮮同祖論」と「文明化論」を中心に」 廉馥圭「1933-1943年日帝の「京城市街地計画」」 『韓国史論』45、2001 정요근「高麗前期駅制の整備と22駅道」秋明燁「11世紀後半~12世紀初女真征伐問題と政局動向」 宋雄燮「中宗代己卯士林の構成と出身背景」 韓永愚「大韓帝国成立過程と『大礼儀軌』」 최병택「1925-1935年ソウル地域キリスト教勢力の社会運動とその帰結」 『韓国史論』44、2000 金暻緑「朝鮮初期対明外交と外交節次」 金龍泰「朝鮮中期仏教界の変化と「西山系」の台頭」 李美愛「1880-1884年富強政策推進機構と議政府」 홍종욱「中日戦争期(1937-1941)朝鮮社会主義者たちの転向とその論理」 고지훈「駐韓米軍政の占領行政と法律審議局の活動」 『韓国史論』43、2000 장지연「麗末鮮初遷都議論について」 권복규「朝鮮前期の疫病流行に関して」 盧官汎「1875-1904年朴殷植の朱子学理解と教育自強論」 金済正「1930年代初版京城地域電気事業府営化運動」 資料 金文植「『内閣繕写日録』改題」 『韓国史論』41・42、1999 강봉룡「栄山江流域「甕棺古墳」の台頭とその歴史的意味:他地域甕棺古墳との比較を中心に」 金泰植「金海首露王陵と許王后陵の補修過程検討」 申東河「韓国古代の仏紀使用について」 金基興「桃花女・鼻荆郎説話の歴史的真実」 盧重国「新羅統一期九誓幢の成立とその性格」 徐永大「江華島の塹城壇について」 서성호「高麗手工業所の諸問題についての検討」 李炳煕「高麗時期僧侶と馬」 文喆永「高麗後期新儒学受容と士大夫の意識世界」 馬宗楽「元干渉期登科儒臣と儒学思想の動向」 劉承源「朝鮮建国期前銜官の軍役」 정연식「朝鮮時代の道路について」 朴珠「朝鮮中期慶尚道尚州地域の孝子、烈女:『商山誌』を中心に」 姜錫和「朝鮮後期平安道の別武士」 金泰雄「朝鮮後期開城府財政の危機と行政区域改編」 延甲洙「19世紀中葉朝清間交易品の変化」 李泰鎮「近代韓国は果たして「隠遁国」だったか?」 姜昌一「東学農民戦争と日本の動向」 宋讃燮「韓末社還制の成立と運営」 徐仲錫「自由党の創党と政治理念」 盧泰敦「北韓学界の古朝鮮史研究動向」 金仁杰「1990年代南韓統一議論の型の変化」 宋基豪「韓日間の距離短縮:鏡の向こう側の肖像を見ながら:李成市のふたつの著書を読んで」 追悼辞 鄭玉子「一渓김철준先生に対する回想」 金正起「乱舞する色鉛筆の粉の中に躍動する民族文化の伝統」 오병연「1999.1.17. 김철준先生十周忌追悼会にて」 1-20 21-40 41-60
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Template 韓国の人物? 興宣大院君(大院王)(こうせんたいいんくん(たいいんおう)、1820年 - 1898年)は、李氏朝鮮の王族で、高宗の実父。本名は李昰応(昰は、日の下に正)。元来「大院君」とは直系でない国王の実父に与えられる称号であるが、後述のように朝鮮王朝末期において多大な影響をもたらしたため、単に「大院君」と言えば、通常は興宣大院君を指す。 略伝 勢道政治での冷遇 朝鮮王朝の王族の一人 ref name= 出目 英祖の曾孫。第21代国王・英祖の子の荘献世子の三男の恩信君の養子の南延君(生父は仁祖の息子である麟坪大君の6世孫)の四男として生まれたが、安東金氏などの外戚が政治を取り仕切る「勢道政治」のさなかにあって、彼は王族内であまり重用されず、厨院、典医監、司圃署、典設司、造紙署などさほど重要でもない部署の提調を務めるなど不遇な生活を送った。一方では進んで有力政治家と関係を作ったり、一般人との交際を行うなど将来への布石も怠らなかった。1863年、哲宗が嗣子無くして没すると、彼の次男・高宗が後継ぎの国王として即位することとなったため、彼は一躍国王の実父となり、大院君の称号を与えられたのである。高宗は即位当初は幼年であったため、成人する1873年までは大院君が摂政となって政務を取り仕切った(大院君摂政時代)。 鎖国政策 大院君はそれまで朝鮮王朝で続いていた外戚の専横排除に関連した古い体制打破を目的とした改革を断行する。具体的には有能な人材の登用、官制改革の実施、小作人制度の撤廃による農地の平等分与などを目指した。反面、1866年にフランス人神父9名やカトリック信者約8,000名を捕らえて処刑(丙寅教獄)するなど、キリスト教を徹底して弾圧、これを機に同年江華島へ侵攻したフランス艦隊を撃退している(丙寅洋擾)。更に、通商を求めて大同江を遡上してきたアメリカ商船ジェネラル・シャーマン号を焼き払い(ジェネラル・シャーマン号事件)、鎖国をあくまで堅持しようとした。 このような内政政策および景福宮の大規模重建工事を打ち出すとともに、外交面や宗教面では排斥政策を展開した。やがてアメリカや日本などが朝鮮に通商を求めてきたが、大院君は鎖国堅持のためにまたも拒絶、各地に砲台砲兵を配備し、1871年にはジェネラル・シャーマン号事件の賠償を求めて江華島に侵攻してきたアメリカ艦隊を撤退させ(辛未洋擾)、「斥和碑」を朝鮮全土に建設した。このような砲台砲兵の新規増設増員(2万余)、景福宮の重建工事には、多額の経済的な負担が伴い、当百銭の高額通貨の多量鋳造、各種の増税、新税奎章閣韓国学研究院 Ref.奎16612,奎16623,奎19537 の施行でまかなったために経済は疲弊した。 失脚 高宗が成人し、やがて国民の間でも大院君の強引で強行的すぎる対外政策や内政に対する不満、さらに両班(朝鮮の貴族階級)の特権を奪おうとしたことから両班からの反発も受けるようになり、大院君は1873年、高宗の王妃・閔氏一族の反撃を受けて失脚してしまった。 その後、閔氏から実権を奪い返すため、壬午事変など何度も政権転覆を図ったが失敗。1895年、日本の三浦梧楼と手を結んで閔氏を殺害したものの(乙未事変)、二度と政治の舞台に復帰することなく1898年、79歳で死去した。 大院君と閔氏の対立は、日本の朝鮮進出や朝鮮王朝末期の政治的混乱を招き、それはやがて朝鮮王朝そのものの滅亡、その後の日本統治時代をもたらす結果となった。 略歴と年表 興宣大院君と関連の深い年表を示す。 1805年 - 安東金氏による権勢政治 ( → 1863年まで) 1820年 - 英祖の曾孫として出生 1852年7月25日 - 驪興府大夫人閔氏との間に次男命福誕生(後の高宗) 1862年 - 壬戌民乱(慶尚道晋州を中心にした大規模な民衆反乱) 1863年 12月8日 - 哲宗が後嗣なく崩御 12月13日 - 先々代王憲宗の母で孝明世子嬪 神貞王后趙大王大妃(趙大妃)とで、孝明世子の養子として自己の第2子李命福(当時11歳、後の高宗)を世子とし、自ら大院君となって摂政政治を開始 1865年 景福宮の重建工事のために営建都監(国家的建設を担当した臨時官庁)をおく 重建工事の費用捻出のため願納銭を広く大規模に集める 1866年 2月 - 天主教を大弾圧開始(絶種断族の刑)→丙寅邪獄 興宣大院君の夫人閔氏の推挙で閔妃を王妃とする 9月 - ゼネラル=シャーマン号事件→丙寅洋擾 ラ・ゲリエル号などフランス艦隊7隻、江華府城を約1カ月間占領→丙寅洋擾 10月 - 丙寅教獄(ベルヌー司教等外国人宣教師10名処刑)→丙寅洋擾 11月6日 - 景福宮の重建工事の費用のために当百銭(1867年6月17日に中止)鋳造(物価の急激な上昇) 1869年 6月 - 蔚山などに外国船打ち払いの砲台砲軍をおく『高宗実録』 高宗 3年10月20日30日、高宗4年1月16日、『蔚山邑誌』 宦蹟(『嶺南邑誌』)「蔚山府設砲射節目」等 1871年 5月9日 - 軍布法を廃止して戸布法を実施 従来常民からだけ徴収してきた軍布(兵役の代用として布を納める)を両班からも徴収する戸布法 6月 - 米国ゼネラル=シャーマン号事件の報復として江華島侵攻(辛未洋擾) 斥和碑(斥洋碑)を全国八道四郡に設置 1873年 11月3日 - 勉唵、崔益鉉 大院君政治を批判する「上疏」 高宗親政、大院君失脚(摂政の座を降りる)(癸酉政変) 閔氏が政権を取る。大院派の人々は追放・流配・処刑等で追放。 閔氏一族の官吏30数名高官に。 12月10日 - 閔妃の宮殿に仕掛けられた爆弾が爆発 ref name= daiinkun-1 犯人として大院君の自宅に住む使用人が逮捕される 1874年 3月 - 閔妃男子「坧」出産(後の純宗) 宮女である李尚宮と高宗の長男「完和君」を世子とする大院君派と坧を世子としたい閔妃派で争い 11月 - 閔氏一族の最高実力者領議政である義兄・閔升鎬宅に爆弾、彼と母子が爆死 1875年 8月 - 閔妃派、李裕元を世子冊封の奏請使として清へ。王世子(世継ぎ)として認められる(翌年1月帰国) 9月 - 江華島事件→日朝修好条規 11月 - 大院君の兄 李最応の家に火が放たれる事件 1876年 2月27日 - 日朝修好条規 1877年 - 高宗第5男子平吉誕生(1891年義和君に封じられる) 1880年 - 大院君が世子候補として推薦した「完和君」(高宗の長男)が変死、その母の側室の李尚宮も急死 1882年 1月 - 純宗 戴冠式 閔一族の高官閔台鎬の娘が世子嬪(皇太子妃)と決まる(後の純明孝皇后閔氏) 7月 - 壬午軍乱 閔妃は昌徳宮から脱出し閔応植に匿われる。 ref name= nikki 承政院日記高宗 19年 9月 22日前後にはその後の上訴等が記載日本公使館包囲、焼き討ち、堀本工兵少尉ら数十名が死傷、花房義質公使ら逃亡→済物浦条約(8月30日) 8月26日 - 壬午軍乱の策動容疑で 大院君、清へ連行 ref name= A03023641400 花房公使ヨリ条約締結並清人馬建忠大院君ヲ諭シテ支那軍艦ニ搭シ天津ニ発航スルノ電報到達 アジア歴史資料センター Ref.A03023641400 1884年 12月 - 甲申政変 日本軍、王宮を占領。 閔妃失脚。 閔一族の閔台鎬(純宗の妃 純明皇后の父)、閔泳穆、趙寧夏らが殺され、閔泳翊は重傷を負う。 閔妃 袁世凱に清軍の助けで政権奪回。日本公使館焼失、居留民被害。(→漢城条約、天津条約) 金玉均、朴泳孝、徐載弼らは3日間で失脚 日本へ亡命(家族は服毒自殺、処刑等) 1885年 1月9日 - 日朝 漢城条約(日本:井上馨、朝鮮:金弘集) 4月15日 - 巨文島事件(イギリスが巨文島を占拠) 4月18日 - 日清 天津条約(日本:伊藤博文、清:李鴻章)日清両軍の撤退 朝露密約. 日本 清に大院君の帰還要請。閔妃側 大院君帰国の通達に難色 10月3日 - 大院君、清から帰国(仁川) 1892年 6月 - 閔妃の大院君殺害陰謀(大院君邸内爆弾による火災) ref name= baisen 梅泉野録及び『大院君邸内火薬爆発ノ件』アジア歴史資料センター Ref.A04010006500 1894年 3月28日 - 閔政権、上海に刺客洪鍾宇を送り、開化派の金玉均を暗殺 金玉均の遺体は清の軍艦威靖により朝鮮に届けられた。遺体は六支の極刑。(父は死刑、母は自殺、弟は獄死、妻の兪氏は、奴婢として売られる) 5月31日 - 農民軍全州占領。清と日本は出兵(甲午農民戦争→全州和約(6月)) 7月 - 日本軍が王宮包囲、開化派中心の政権成立 閔氏政権を倒すクーデター 金弘集を中心とする政権 甲午改革 8月1日 - 日清戦争宣戦布告 1895年 3月30日 - 日清休戦条約 4月17日 - 下関条約 5月4日 - 三国干渉受諾(閔妃、親露政策へ) 7月6日 - 閔妃、ロシア公使ウェバー ref name= K. I. Waeber ウエベル またはヴェベールと記す。Karl Ivanovich Weber とロシア軍の力を借りクーデターに成功 ref name= B03050001800 アジア歴史資料センター Ref.B03050001800 7月10日 - 閔妃に関する謀議の風説の報告 ref name= B03050001800 アジア歴史資料センター Ref.B03050001800 朴泳孝は閔妃殺害計画を謀議したとされと京城を脱出、釜山経由で亡命 9月1日 - 三浦梧楼、韓国駐在公使として着任 10月7日 - 閔妃派政権、訓錬隊の解散と武装解除を通告 10月8日 - 閔妃暗殺される(乙未事変) ref name= ji3280 『高宗実録 乙未(三十二)年八月二十日』 10月10日 - 大院君の提言で 身分を剥奪され平民となる ref name= ji3281 『高宗実録 乙未(三十二)年八月二十二日』 1897年 - 大韓帝国の成立とともに献懿大院王の尊号を受ける 1898年 2月22日 - 79歳で死去 家族及び子孫等 大院君の夫人は驪興閔氏であり、6人(3男3女 うち2人の男女は庶子)の子供がある。以下に示す。 長男 完興君 李載冕 (1845年 - 1912年)完興君 永宣君 李埈鎔(1870年-1917年 李載冕の息子、大院君の孫) - 憲機第2509号(1909年12月20日付)によれば国王廃位の陰謀を企てたとして閔妃一派に捕えられ、死罪は免れたが流刑十年の判決を受け、喬桐島に流される。書名では李呵Oとも記載される。李埈鎔書簡 次男 翼成君 李載晃(高宗) (1852年-1919年1月21日) 庶子(男) 李載先 (?-1881年5月) 高宗廃位事件で閔妃一派に捕らえられ済州島へ流配後、賜薬の刑 長女 趙慶鎬(後に男爵の爵位)と結婚 次女 趙鼎九(後に男爵の爵位)と結婚 庶子(女) 李允用(李完用の兄、後に男爵の爵位)と結婚 最近の話題 大院君が別荘として使っていた「石坡亭(ソクパジョン)」(ソウル市有形文化財・第26号)が競売で落札しされた。 競売を伝える新聞報道 (2006.01.13) 大院君別荘 参考文献および外部リンク等 承政院日記 朝鮮王朝実録 きままに歴史資料 近世朝鮮史 (著 林泰輔)(早稲田大学出版部 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館) 高宗太皇帝實錄 大院君実伝山中峰雄著 東京:博文館,明27 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館 脚注 _ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月15日 (月) 08 08。
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トップページ>韓国>歴史と現実 『歴史と現実』90、2013.12 時論 安秉旭「朴槿恵政権と逆行する韓国社会」 特集:朝鮮後期財政制度の持続と変動 손병규「[総論]朝鮮後期財政制度変化の理念的持続性」 김동진「17世紀虎贖木制施行の生態経済史的要因」 문광균「18世紀後半慶尚道財政物流の運営構造:『賦役実総』を中心に」 조낙영「『賦役実総』を通じてみた京畿の財源特性と運営構造」 임성수「18世紀後半~19世紀前半戸曹の収入構造の変化とその影響」 金基成「大韓帝国期鎮衛隊増設の財政的影響」 一般論文 박윤재「韓末日帝初大型薬房の新薬発売と韓薬の変化」 최병택「日帝下学校日財政運営の性格:戸別割と寄付金問題を中心に」 이선우「韓国戦争期中立国選択捕虜の発生と性格」 研究動向 류준필「「韓国文学研究」は今、何をしているのか:金興圭の『근대의 특권화를 넘어서』(창비、2013年)、その論争的脈絡化を中心に」 海外研究動向 Anders Karlsson「大いなる伝統を越えて:ヨーロッパにおける朝鮮時代史研究の最近の動向」(英) Anders Karlsson、安鍾哲(訳)「大いなる伝統を越えて:ヨーロッパにおける朝鮮時代史研究の最近の動向」 書評 김정인「敵対社会に上がる制憲憲法の警鐘、共和主義:朴賛勝『대한민국은 민주공화국이다 헌법 제1조 성립의 역사』돌배게、2013年、他」 『歴史と現実』89、2013.9 時論 河日植「歴史教科書論争、伝導された価値観と認識」 総論 정동훈「外交制度史研究提言」 特集:韓半島を訪ねた中国使臣 小宮秀陵「新羅・渤海に来た唐宦官使臣の拡大とその背景」 이승민「10-12世紀賀生辰使派遣と高麗-契丹関係」 정동훈「明初国際秩序の再編と高麗の位相:洪武年間明の使臣人選を中心に」 김창수「清の詔書頒布使臣を通じて見た朝鮮の地位」 論文 全虎兌「高句麗の飲食文化」 도현철「元制科(1333年)の高麗人・中国人対策文比較研究」 이규철「世祖代建州衛征伐と明の出兵要請」 이승일「民事判決文を通じて見た近代韓国の賭地権紛争と処理:平安道・黄海道地域の紛争を中心に」 노영기「5・18抗争の背景と参加勢力:光州地域民主化運動勢力を中心に」 研究動向 김재홍「考古学界の韓国古代史研究動向」 書評 김인호「歴史的人物として見た李穡、知識人と政治家との間で:李益柱『이색의 삶과 생각』一潮閣、2013年」 趙誠乙「朝鮮後期思想史と実学についての新しい議論:유봉학『실학과 진경문화』신구문화사、2013年」 記念座談 安秉旭、오종록、都冕会、朴泰均、고현아「初代会長安秉旭教授定年記念座談」 『歴史と現実』88、2013.6 時論 김보영「停戦協定と戦争の遺産」 特集:維新体制形成過程の再照明 朴泰均「[総論]世界史的普遍性と特殊性の側面から見た維新体制」 洪錫律「維新体制と韓米関係」 김지형「維新体制期朴正煕の南北関係構想と実際」 朴泰均「8・3措置と産業合理化政策:維新体制の経済的土台構築過程」 論文 金昌錫 「韓国古代復讐観とその変化」 呉澤呟「百済複姓の出現とその政治的背景」 李貞薫「元干渉期僉議府の位相と役割:忠烈王と忠宣王代を中心に」 廉馥圭「植民地時期都市問題をめぐる葛藤と「民族的対立の政治」:京城府(協議)会の「清渓川問題」議論を中心に」 이은희「1930年代新式料理講習会から見た上流層の「食生活改善」」 趙宰坤「ブリネル(Bryner)山林利権と日本の対応」 書評 蔡雄錫「大衆的物書きのもうひとつの試み「韓国歴史研究会歴史の本棚」」 蔡雄錫「高麗多元社会論からみた部曲人と部曲集団:朴宗基『고려의 부-곡인, 경계인 으로 살다 부곡인과 부곡집단의 기원과 전개』푸른역사、2012年」 박아림「高句麗古墳壁画の時空間的理解の研究方法論:전호태『高句麗古墳壁画研究旅行』푸른역사、2012年」 장신「読めば面白いが正体を掴み難い、隠れた良店のような『モスクワ密使』:임경석『모스크바 밀사 조선공산당의 코민테른 가입외교』푸른역사、2012年」 『歴史と現実』87、2013.3 時論 朴泰均「2013年の韓国、どこから来てどこへ行くのか?」 特集1:歴史の中の民主主義 최갑수「西洋の民主主義:理念と変容」 유용태「新民主主義、20世紀中国の政治遺産」 한정선「日本における民主主義の形成と変遷:戦前「民本主義」から戦後「民主主義」まで」 이남희「民主主義と性別政治学:イギリス女性参政権の拡大過程を中心に」 박진희「韓国社会における科学技術民主化議論の展開」 김정인「近代韓国民主主義文化の伝統樹立と特質」 安秉旭「韓国民主主義の省察と展望」 特集2:韓国古代の祝祭 고현아「[総論]韓国古代史の中の「祝祭」の意味」 김경화「百戯雑伎を通じて見た古代の祝祭」 이준성「高句麗国中大会東盟の構成と祝祭性」 윤성재「新羅嘉排と女性の祝祭」 特集3:海南尹氏古文書を通じて見た17世紀の身分秩序と親族 金炫栄「[総論]古文書を通じて見えるもの:海南尹氏家文書と奴婢、士大夫、親族結束」 한효정「訴訟を通じて見た17世紀奴婢横奪様相:海南尹氏家安心子女訴訟文書を中心に」 박경「贖良文書を通じて見た17世紀朝鮮政府の私奴婢統制様相の変化」 문숙자「17世紀海南尹氏家の墓位土設置と墓祭設行様相:親族結合装置と宗家の役割についての考察」 論文 한정수「高麗前期定期的国王行事の内容と意味」 金盛祐「壬辰倭乱時期官軍はなぜ弱かったか?」 金澔「朝鮮後期「威逼律」の適用と茶山丁若鏞の対民観」 김보영「休戦協定第59条「失郷私民(displaced civilians)」条項を通じて見た戦時民間人拉致問題の争点と帰結」 書評 이상록「アメリカ、韓国知識人の内面或いは無意識に置かれた鏡:장세진『상상된 아메리카』푸른역사、2012年」 『歴史と現実』86、2012.12 時論 임경석「李明博政府の747公約とその結果」 特集:高麗前期政治制度運営に及ぼした唐宋制の影響 朴宰佑「[総論]高麗前期政治制度の運営と唐宋制」 朴宰佑「高麗前期臺諫運営方式」 権寧国「高麗前期の行職と守職」 김대식「高麗前期中央官制と唐宋制」 신수정「高麗前期学士官府と睿宗代の学士職運営」 論文 이현주「新羅上古時期「夫人」称号の受容と意味」 김종준「大韓帝国期言論の「売国」用法とその政治的効果」 고태우「1930年代朝鮮総督府の窮民救済土木事業と地域開発」 김선호「解放直後北韓保安国の組織と活動」 윤시원「韓国の陸軍学軍団(ROTC)制度導入」 研究動向 허수「韓国概念史研究の現況と展望」 書評 都冕会「ロシア側史料を再構成した露館播遷前後韓国政治史」 朴泰均「米中関係と南北関係の複雑な方程式の解」 『歴史と現実』85、2012.9 時論 洪錫律「維新宣布40周年、生活と政治に対する省察」 特集:党論書を通じて見た朝鮮後期政治史認識 金容欽「[総論]朝鮮後期党論書の客観的研究は可能か?」 정호훈「『我我録』の朝鮮政治史叙述と認識態度」 원재린「『桐巣漫録』に反映された南夏正の政局認識」 金容欽「「党論書」を通じて見た懷尼是非:『甲乙録』と『俟百録』比較」 최성환「壬午禍変関連党論書の系統と「正祖の壬午義理」」 一般論文 장미애「義慈王代政治勢力の変化と対外政策」 최덕환「993年高麗-契丹間の葛藤と女真問題」 최종석「高麗末期地域防禦体制とその時代性」 韓東勲「朝露陸路通商章程(1888)締結をめぐる朝・清・露三国の協商過程研究」 김재웅「北韓の階級政策と階級位階構造の形成(1945-1950)」 研究動向 李康漢「高麗時代史研究の新しい可能性:元代法典資料の検討展望」 特別企画 고영진「韓国の学術支援システムの現況と課題:人文・社会分野を中心に」 『歴史と現実』84、2012.6 時論 정창현「金正恩時代北韓の政策展望と南北関係」 特集:二王朝に出仕した知識人権近 南東信「[総論]社会変動期人物研究の新しい模索」 金仁昊「『陽村集』詩文から見た権近の自我アイデンティティ」 都賢喆「権近の儒教政治理念と鄭道伝との関係」 朴宗基「『東賢事略』の資料価値と特性」 蔡雄錫「高麗末権近の流配・従便生活と交流」 論文 余昊奎「4世紀後半~5世紀初葉高句麗と百済の国境変遷」 박순우「高麗前期政府の漢人認識と来投漢人の行跡」 정동훈「明代の礼制秩序における朝鮮国王の位相」 朴賢淳「分財記を通じて見た15-16世紀士族層の住宅所有と相続」 金澔「「義殺」の条件と限界:茶山の『欽欽新書』を中心に」 이정은「5・16軍事政府の商業借款導入と運用:大資本家との関係を中心に」 研究動向 韓モニカ「韓国戦争期南韓(UN軍)・北韓の「占領統治」についての研究史検討と提言」 書評 임용한「モンゴル戦争と崔氏政権を見るふたつの視角:윤용혁『여몽전쟁과 강화도성 연구』(혜안、2011年)と姜在光『몽고침입에 대한 최씨정권의 외교적 대응』(景仁文化社、2011年)の比較書評」 『歴史と現実』83、2012.3 時論 고지훈「2012年、腐敗、選挙、そして羞恥心」 一般論文 이영재「6世紀末高句麗の政局と対倭交渉再開の背景」 全虎兌「高句麗生活文化史研究論」 박윤선「渡日百済遺民のアイデンティティの変化考察」 김순자「12世紀高麗と女真・金の領土紛争と対応」 姜在光「高麗対蒙抗争期逃還人の流刑と江都朝廷の逃還人活用」 金暻緑「朝鮮初期帰化政策と朝明関係」 文一熊「万民共同会時期協成会の路線分化と『帝国新聞』の創刊」 朴銀淑「大韓帝国務本保険会社の組織と運営」 김지형「分断の転移:在日分裂と南北関係関数」 김태우「冷戦初期社会主義陣営内部の戦争・平和談論の衝突と北韓の還国戦争認識変化」 研究動向 이정빈「植民主義史学の還国古代史研究に対する最近の批判的検討」 書評 鄭在薫「高麗と朝鮮を繋ぐ巨人李穡についての報告書の決定版:都賢喆『목은 이색의 정치사상 연구』혜안、2011年」 鄭然泰「植民地近代化論を抜本的に批判した生産的論争の典範:허수열『일제초기 조선의 농업』한길사、2011年」 『歴史と現実』82、2011.12 時論 김정인「大学の曲がった軌跡、その顔のない計画」 特集:韓国古代の国境と辺境 박성현「[総論]韓国古代の国境と辺境」 김종복「南北国の境界と相互交渉についての再検討」 박성현「5-6世紀高句麗・新羅の境界とその様相」 이정빈「6世紀後半~7世紀初盤高句麗の西方辺境地帯とその変化:遼西地域高句麗の邏と隋の陳・戍を中心に」 一般論文 윤상열「5世紀高句麗の神聖観念考察:陵碑と牟頭婁墓誌に表れた表現を中心に」 나영훈「朝鮮端宗代宮闕経営とその政治史的意味」 金盛祐「1800年仁同作変をめぐる大衆の視線」 지승준「同民会の政治的性格と4派連合運動」 김영진「あるコミンテルン極東部代表の理想と現実:ファインバーグの手紙を中心に」 김아람「5・16軍政期社会政策:児童福祉と「浮浪児」対策の性格」 李柱烽「国際社会の韓半島問題認識と5・16軍事政府のUN政策」 김소남「1970年代原州地域の部落開発事業研究:災害対策事業委員会の初期活動を中心に」 이인재「歴代大韓民国憲法の民主主義と自由民主的基本秩序」 研究動向 鄭泰憲「歴史学者としての労経体の生涯の緒、「統一民族国家」」 書評 이승렬「「近代歴史談論の融合」を試みた「長期近代史論」:鄭然泰『한국근대와 식민지근대화논쟁:장기근대사론을 제기하며』2011年」 朴賛勝「植民史学と分断史学克服のための奮闘:金容燮回顧録と姜萬吉自叙伝を読んで」 『歴史と現実』81、2011.9 時論 呉洙彰「2011、歴史教育課程と「自由民主主義」の現実」 特集1:文字資料を通じて見た韓国古代の政治と社会 李京燮「[総論]文字資料と古代史研究」 박미선「新羅白紙墨書華厳経の写経発願者と写経場所」 李京燮「二聖山城出土文字遺物を通じて見た新羅地方社会の文書行政」 이승호「「広開土王碑文」に見える天帝之子観念形成の史的背景」 이현태「新羅南宮の性格:「南宮之印」銘瓦の出土地分析を中心に」 特集2:朝鮮後期比摠制的財政体系の形成とその政治性 손병규「[総論]朝鮮後期比摠制的財政体系の形成とその政治性」 권기중「朝鮮後期賦税の運営と監司の役割」 손병규「朝鮮後期比摠制財政の比較史的検討:朝鮮の『賦役実摠』と明・清の『賦役全書』」 崔妵姫「18世紀中盤『度支定例』類刊行の財政的特性と政治的意図」 一般論文 文一熊「大韓帝国成立期在日本亡命者集団の活動(1895-1900)」 崔銀珍「群山米の対日輸出構造:開港(1899年)~1910年代を中心に」 書評 이태훈「何に対する、何のための合理性であったのか?:金允嬉『李完用評伝』ハンギョレ出版社、2011年」 研究動向 김백영「植民地時期韓国都市史研究の流れと展望」 1-20 21-40 41-50 51-60 61-70 71-80 81-90 91-100
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トップページ>韓国>韓国史研究 『韓国史研究』120、2003.3 論文 徐永大「高句麗の国家祭祀:東盟を中心に」 文安植「百済の馬韓服属と地方支配方式の変化」 김병남「百済聖王代の北方領域変化」 権悳永「9世紀日本を往来した二重国籍新羅人」 李延柱「恭謙王代の政局動向と斥仏運動の性格」 원재린「朝鮮後期星湖学派の読書法と議論方式」 李煜「18世紀鳴旨島公塩制運営の変化とその性格」 鄭昞旭「日帝末(1937-1945)戦時金融と朝鮮人資本家の存在方式」 説林 柳承宙「南漢山城の行宮・客館・寺刹建立考」 書評 金甲童「朴宗基『지배와 자율의 공간, 고려의 지방사회』푸른 역사、2002年」 金仁鎬「呉美一『韓国近大資本家研究』한울 아카데미、2002年」 『韓国史研究』119、2002.12 論文 梁正錫「新羅宮闕構造についての試論:東西堂制の採用問題を中心に」 金日宇「高麗後期済州法華寺の重創とその位相」 姜制勲「朝鮮初期の富商許継智の身分と権力背景」 金燉「中宗代「灼鼠の変」と政治的陰謀の性格」 金慶洙「朝鮮後期金鑢の野史叢書編纂とその意味」 김지민「解放前後ラングドン(W. Langdon)の韓国問題認識とアメリカの政府樹立政策」 都珍淳「1950年1月アチソン(Acheson)の記者クラブ演説とひとつの戦争論理」 書評 정진영「呉永教『朝鮮後期 鄕村支配政策 硏究』해안、2001年」 『韓国史研究』118、2002.9 論文 신종원「檀君神話に見える熊の実態」 李貞信「高麗太祖の建国理念の形成と国内外情勢」 전성현「日帝初期「朝鮮商業会議所令」の制定と朝鮮人商業会議所の解散」 特集:韓国史の展開と国家祭祀 崔光植「新羅国家祭祀の体系と性格」 金澈雄「高麗国家祭祀の体制とその特徴」 李煜「朝鮮前期儒教国家の成立と国家祭祀の変化」 李迎春「朝鮮後期の祀典の再編と国家祭祀」 최석영「韓末日帝強占期国家祭礼空間の変化」 書評 鄭杜煕「John B. Duncan『The Origins of the Chosŏn Dynasty』Seattle and London University of Washington Press, 2000」 『韓国史研究』117、2002.6 論文 金炳坤「三国時代中央集権的王権の登場による支配理念の採択」 金甲童「羅末麗初天安府の成立とその動向」 許興植「『高麗史』地理志に載った名所と山川壇廟との関係」 金昌賢「高麗時代開京宮城内建物の配置と意味」 禹仁秀「1749年(英祖25)蔚山邑誌『鶴城誌』の編纂とその意味」 김영희「日帝後半期郷村知識人の現実認識の変化:秋灘朴定洛の体制抵抗と妥協の間の「多面性」の読解」 朴賛勝「20世紀韓国国家主義の起源」 書評 李永植「金泰植『미완의 문명 7백년 가야사』푸른역사、2002年」 文勇植「宋讃燮『朝鮮後期還穀制改革研究』ソウル大学校出版部、2002年」 『韓国史研究』116、2002.3 論文 羅喜羅「新羅の即位儀礼」 서영교「羅唐戦争期唐兵法の導入とその意義」 朴賛興「新羅の烟受有田・畓と孔烟」 尹京鎮「高麗初期在地官班の政治的位相と地方社会運営」 徐仲錫「韓国教科書の問題と展望:近現代史を中心に」 鄭在貞「日本歴史教科書の問題とその展望」 書評 許興植「洪承基『韓国史学論』一潮閣、2001年;『高麗政治史研究』一潮閣、2001年;『高麗社会史研究』一潮閣、2001年;『高麗社会経済史研究』一潮閣、2001年」 『韓国史研究』115、2001.12 論文 崔鈆植「新羅見登の著述と思想傾向」 劉承源「朝鮮太宗代前銜官の軍役:受田牌・無受田牌の設置経緯と京侍衛牌の実体」 申炳周「『朝鮮王朝実録』の奉安儀式と管理」 趙成山「17世紀後半京畿地域西人象数学風の形成と意味」 鄭然泰「光武年間西洋人の高宗観」 金秉仁「王仁の「地域英雄化」過程についての文献史的検討」 趙誠乙「アメリカにおける韓国史時代区分論」 書評 白承玉「釜山大学校韓国民俗文化研究所 編『가야 각국사의 재구성』혜안、2000年」 都賢喆「高惠玲『高麗後期 士大夫와 性理學 受容』一潮閣、2001年」 『韓国史研究』114、2001.9 論文 鄭在貞「日帝による韓国強占の歴史的性格」 金翼漢「1910年前後山形、伊藤系の対韓政策基礎と宗教政策」 劉準基「1910年代前後日帝の儒林親日化政策と儒林界の対応」 崔柄憲「日帝の侵略と仏教:日本曹洞宗の武田範之と圓宗」 尹善子「日帝の韓国強占と天主教会の対応」 尹慶老「日帝の初期キリスト教政策と韓人キリスト教界の対応」 曺圭泰「日帝の韓国強占と東学系列の変化」 徐永大「韓末の檀君運動と大倧教」 『韓国史研究』113、2001.6 論文 金基興「高句麗建国神話の検討」 金聖洙「16世紀郷村医療実態と士族の対応」 韓永浩、南文鉉、李秀雄「朝鮮の天文時計研究:水激式渾天時計」 具萬玉「方便子柳僖(1773-1837)の天文暦法論:朝鮮後期少論系陽明学派自然学の一端」 南東信「朝鮮後期仏教界の動向と『像法減義経』の成立」 李潤甲「1920年代慶北地域農村社会の変動と農民運動」 洪錫律「1968年プエブロ(Pueblo)事件と南韓・北韓・アメリカの三角関係」 書評 李相泰「方東仁『韓國地圖의 歷史』신구문화사、2001年」 盧大煥「申炳周『66세의 영조, 15세 신부를 맞이하다』효형출판、2001年」 李完宰「延甲洙『대원군집권기 부국강병정책 연구』ソウル大学校出版部、2001年」 『韓国史研究』112、2001.3 論文 朴大在「『三国遺事』古朝鮮条引用『魏書』論」 蔡雄錫「12世紀初高麗の改革推進と政治的葛藤」 鄭演植「朝鮮時代の食事」 金徳珍「朝鮮後期地方官庁の雇馬庫設立と運営」 廉定燮「18世紀末正祖の「農書大全」編纂推進と意義」 姜錫和「19世紀京華士族洪敬謨の生涯と思想」 呉美一「1920年代ブルジョア民族主義系列の物産奨励運動論」 書評 裵祐晟「姜錫和『조선후기 함경도와 북방영토의식』경세원、2000年」 呉星「李哲成『朝鮮後期対清貿易史研究』国学資料院、2000年」 『韓国史研究』111、2000.12 論文 徐仲錫「青山里戦争独立軍の背景:新興武漢学校と白西農場における独立軍の養成」 崔洪彬「北間島独立運動基地研究:韓人社会との相関性を中心に」 金泰国「青山里戦争前後北間島地域日本領事館の動向とその性格」 朴昌昱「鳳梧洞戦闘と青山里戦闘研究:庚申年反討伐戦を再論する」 金春善「庚申惨変研究:韓人社会と関連して」 辛珠柏「1920年前後在満韓人民族主義者の民族現実に対する認識の変化:独立戦争論と関連して」 趙東杰「満州において展開された韓国独立運動の歴史的意義:1920年青山里戦闘80周年の回顧と反省」 書評 崔秉鉉「金貞培『韓國古代史와 考古學』신서원、2000年」 崔光植「金虎兌『고구려 고분벽화 연구』사계절、2000年」 鄭萬祚「李成茂『조선시대 당쟁사』1,2、동방미디어、2000年」 『韓国史研究』110、2000.9 論文 趙法鍾「衛満朝鮮の崩壊時点と王険城・楽浪郡の位置」 金瑛河「高句麗内紛の国際的背景:唐の段階的戦略変化と関連して」 尹京鎮「『高麗史』地理志整理の基準時点」 李鍾書「朝鮮前期「和会」の語義と均分の実現方式「執籌」」 鄭景姫「16世紀中盤士林の礼学」 李浩龍「韓国におけるアナーキズムと共産主義の分化過程」 書評 李景植「金容燮『韓国中世農業史研究:土地制度와 農業開發政策』知識産業社、2000年」 李益柱「金塘澤『元干渉下의 高麗政治史』一潮閣、1998年」 金仁杰「金炫栄『朝鮮時代의 兩班과 鄕村社會』集文堂、1999年」 『韓国史研究』109、2000.6 論文 李政祐「17-18世紀忠州地方書院と士族の党派的性格」 高丞嬉「18-19世紀北関開市の運営と性格」 金度亨「張志淵の変法論とその変化」 辛珠柏「1910年代日帝の朝鮮統治と朝鮮駐屯日本軍:「朝鮮軍」と憲兵警察制度を中心に」 高錫珪「近代都市木浦の「有志」と木浦高等普通学校の設立運動:期待と現実の間」 鄭秉峻「1945-47年右翼陣営の「愛国金」と李承晩の政治資金運用」 書評 金龍善「朴龍雲『高麗時代中書門下省宰臣研究』一志社、2000年」 徐栄姫「権五栄『崔漢綺의 學問과 思想 硏究』集文堂、1999年」 『韓国史研究』108、2000.3 論文 尹善泰「新羅の寺院成典と衿荷臣」 蔡美夏「新羅恵恭王代五廟制の改定」 朴龍雲「高麗時代中書門下省についての諸説の検討」 裵祐晟「朝鮮後期実学者の国土観と地域認識」 権泰檍「近代化・同化・植民地遺産」 金聖甫「李承晩政権期(1948.8-1960.4)糧穀流通政策の推移と農家経済の変化」 書評 趙珖「李完宰『朴珪壽 硏究』集文堂、1999年」 『韓国史研究』107、1999.12 論文 盧重国「百済武王と知命法師」 徐毅植「6-7世紀新羅真骨の家臣層と外位制」 朴賢淳「16世紀士大夫の親族秩序:李滉家を中心に」 金昌淑「石顚朴漢永の『戒学約詮』と歴史的性格」 李相泰「日本海が押し出した東海名称」 한상도「朴建雄の米軍政期現実参与と政治活動の性格」 書評 이석규「都賢喆『高麗末 士大夫의 政治思想硏究』一潮閣、1999年」 朴洪甲「李弘斗『朝鮮時代 身分變動 硏究:賤人의 身分上昇을 중심으로』혜안、1999年」 韓圭茂「方基中『배민수의 농촌운동과 기독교사상』延世大学校出版部、1999年」 鄭求福「李憲昶『韓国経済通史』法文社、1999」 『韓国史研究』106、1999.9 論文 崔潤晤「世宗朝貢法の原理とその性格」 申解淳「16世紀成均館教育の沈滞原因についての考察」 韓春順「明宗代垂簾聴政期(1545-1553年)の「勲戚政治」成立と運営構造」 金盛祐「16世紀士族層の官職独占と班常制の台頭」 白承哲「朝鮮後期官庁の商業活動とその構造」 裵英淳「崔漢綺の経世論とその政治思想史的位置」 鄭真阿「第一共和国初期(1948-1950)の経済政策研究」 説林 李煕真「『三国史記』初期記事についての最近の起源調整論争:姜鍾薫氏の反論に答えて」 書評 金勝「김정의『한국의 소년운동』혜안、1993年」 『韓国史研究』105、1999.6 論文 盧明鎬「高麗時代の多元的天下観と海東天子」 金友哲「成立期束伍軍の編成実態:『鎮管官兵編伍冊』と『鎮管官兵容貌冊』の分析」 金武鎮「朝鮮後期星州郷村社会在地士族層の動向」 李迎春「星湖の礼学と己亥服制礼論」 玄光浩「大韓帝国期徴兵制の議論とその性格」 朴銀淑「開港期(1876-1894)漢城府下層民の抵抗運動とその性格」 鄭用書「日帝下天道教青年党の運動路線と政治思想」 書評 李仁在「李喜寬『統一新羅土地制度研究』一潮閣、1999年」 金鍾洙「徐台源『朝鮮後期地方軍制研究:營將制를 중심으로』혜안、1999年」 양보경「李相泰『한국 고지도 발달사』혜안、1993年」 『韓国史研究』104、1999.3 論文 李鍾旭「韓国古代史研究100年:過去-問題:悲劇と喜劇の世紀を越えて」 李貞薫「高麗前期三省制と政事堂」 辺東明「高麗忠烈王の妙蓮寺創建と法華信仰」 金塘澤「高麗末の私田改革」 朴翼煥「朝鮮朝慶尚道郷村自治組織変遷」 呉永教「18世紀原州牧の行政体系と郷村組織の運営」 書評 李玟源「韓哲昊『親美開化派研究』国学資料院、1998年」 『韓国史研究』103、1998.12 論文 金琪燮「蔚珍鳳坪新羅碑に見える「共値五」の意味と計烟の起源」 金龍善「高麗貴族の結婚・出産と寿命」 李弘斗「部曲の意味変遷と軍事的性格」 車美姫「16世紀文科及第者の初職規定変化:門蔭出身の参上官職を中心に」 鄭景姫「英祖前半期(1724-1748年)中央学界と英祖の性理学理解」 書評 朴光用「李迎春『朝鮮後期王位継承研究』集文堂、1998年」 呉星「羅愛子『韓国近代海運業史研究』国学資料院、1998年」 呉永教「고석규『19세기 조선의 향촌사회연구:지배와 저항의 구조』ソウル大学校出版部、1998年」 『韓国史研究』102、1998.9 論文 金泰植「駕洛国記所載許王后説話の性格」 趙法鍾「高句麗の馬韓継承認識論についての検討」 姜鍾薫「新羅上古期金氏族団の出自:尼師今時期百済関係記事と関連して」 田美姫「新羅の聖骨と真骨:その実体と王統の骨転換の意味」 金基興「新羅時期民の社会経済的位相」 朴平植「朝鮮前期の開城商業と開城商人」 朴鍾隣「1920年代「統一」朝鮮共産党の結成過程」 姜英心「日帝時期戦時(1937-1945年)林政下における山林収奪」 『韓国史研究』101、1998.6 論文 李鍾旭「新羅「部体制説」に対する批判:ひとつの新しい新羅史体系のために」 李根直「『三国遺事』王暦の編纂性格と時期」 都賢喆「高麗末期官僚制運営の礼的原理:李穡と鄭道伝系列士大夫の思想比較を中心に」 南文鉉「金墩『報漏閣記』について:自擊漏の原理と構造」 金駿錫「両乱期の国家再造問題」 許東賢「1881年朝士視察団の明治日本社会・風俗観:視察団の『聞見事件』を中心に」 史評 鄭杜煕「朝鮮後期戸籍研究の現況と課題」 書評 李煕徳「方東仁『韓國의 國境劃定硏究』一潮閣、1977年」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180