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トップページ>韓国>歴史と現実 『歴史と現実』40、2001.6 論文 姜鍾薫「4世紀百済-倭関係の成立とその背景」 権五栄「伯済国から伯済への転換」 全徳在「新羅中古期州の性格変化と軍主」 尹京鎮「羅末麗初城主の存在様態と高麗の対城主政策」 金仁昊「金社の『周官六翼』編纂とその性格」 전우용「鍾路と本町:植民都市京城のふたつの顔」 柳承宙「1946-1948年南北韓電力需給交渉」 김기봉「メタ歴史としての歴史批評:必要性と課題」 研究動向 Yuri Vasilievich Vanin、이재훈 訳「歴史の過酷な教訓:ロシアが見た韓国戦争」 書評 高東煥「17世紀商業思想と商業政策に対する相対的理解:백승철『朝鮮後期商業史研究:商業論・商業政策』혜안、2000年」 朴光用「17年ぶりに再び反省的に提起した大院君集権期研究:延甲洙『大院君集権期富国強兵政策研究』ソウル大学校出版部、2001年」 『歴史と現実』39、2001.3 時論 安秉旭「疑問死と疑問死真相究明の意義」 特集:3・1運動前後「自治」についての議論 辛珠柏「[総論]「自治」についての観点と接近方法」 辛珠柏「日帝の新しい植民地支配方式と在朝日本人及び「自治」勢力の対応(1919-1922)」 이태훈「1920年代初自治請願運動と維民会の自治構想」 論文 박영진「朝鮮初期武科出身の社会的地位:太宗~成宗年間の及第者を中心に」 鄭海恩「朝鮮後期宣薦の運営と宣薦人の西班職進出様相」 정진영「18世紀戸籍台帳「戸」とその経済的基盤:1714年大邱組岩坊戸籍を中心に」 문중양「18世紀後半朝鮮科学技術の推移と性格:正祖代政府部門の天文暦算活動を中心に」 김정인「1920年代前半期民族談論の展開と左右闘争」 이윤갑「1920年代農民層の階級意識形成に関する研究」 김정은「1920~30年代警察組織の再編:内容と論理」 書評 전미희「韓国古代身分制と官等制研究の現住所:高大身分制研究班 編『한국고대의 신분제와 관등제』아카넷、2000年」 임용한「高麗後期儒学者と国家改革議論:金仁昊『高麗後期 士大夫의 經世論 硏究』혜안、1999年」 『歴史と現実』38、2000.12 特集:高麗時期開京の構造と機能 장지연「[総論]高麗時期開京の構造と機能」 신안식「高麗前期の築城と開京の況盛」 홍영의「高麗前期開京の五部防里区画と領域」 박종진「高麗時期開京寺の位置と機能」 徐聖鎬「高麗時期開京の市場と住居」 論文 全虎兌「高句麗古墳壁画の織女図」 오인택「庚子量田の施行組織と量案の記載形式」 손병규「朝鮮後期尚州地方の役収取体制とその運営」 소현숙「日帝時期出産統制談論研究」 박종린「「金允植社会葬」賛反議論と社会主義勢力の再編」 朴賛勝「韓国戦争と珍島同族邑細登里の悲劇」 書評 金載名「高麗時代財政史研究の礎石:박종진『고려시기 재정운영과 조세제도』ソウル大学校出版部、2000年」 朴光用「朝鮮国家の地方支配についての大穴を埋める:韓国歴史研究会朝鮮時期社会研究班 編『조선은 지방을 어떻게 지배했는가』아카넷、2000年」 『歴史と現実』37、2000.9 時論 노경채「平壌南北正常会談の歴史的意味と韓国史学界の課題」 学術討論会 安秉旭、노경채、金仁杰、백영서、안병우、趙東杰、이해준、최광식、정용서、蔡雄錫「総合討論」 特集:韓国史の中の世界化と民族意識 고영진「韓国史の中の世界化、アイデンティティ、そして改革」 河日植「唐中心の世界秩序と新羅人の自己認識」 都賢喆「元明交替期高麗士大夫の小中華意識」 韓明基「明清交替期東アジア秩序と朝鮮支配層の対応」 趙宰坤「韓末朝鮮知識人の東アジア三国提携意識と論理」 이준식「日帝強占期親日知識人の現実認識:李光洙の場合」 鄭容郁、박진희「解放前後アメリカの対韓製作の変化と臨時政府の対応」 論文 李漢祥「4世紀前後新羅の地方統制方式:墳墓資料の分析を中心に」 鄭演植「朝鮮時代の時間と日常生活:時間の認識と報知」 李栄昊「日帝の植民地土地政策と未墾地問題」 장신「1930年代前半期日帝の思想転向政策研究」 書評 김일권「高句麗古墳壁画の内世観変遷についての議論:全虎兌『高句麗古墳壁画研究』사계절、2000年」 『歴史と現実』36、2000.6 特集Ⅰ 임기환「3世紀~4世紀初魏晋の東方政策:楽浪郡・帯方郡を中心に」 余昊奎「4世紀東アジア国際秩序と高句麗対外政策の変化:対前燕関係っを中心に」 全徳在「4世紀国際関係の再編と新羅の対応」 特集Ⅱ 宋讃燮「粛宗代財政推移と庚子量田」 廉定燮「粛宗代後半量田論の推移と庚子量田の性格」 김건태「庚子量田時期加耕田と陳田把握実態:慶尚道竜宮県の事例」 崔潤晤「朝鮮後期の量案と行審冊」 論文 이상국「高麗後期農場の経営形態研究:農場耕作人の存在様相を中心に」 宋亮燮「17世紀軍営門屯田の拡大と経営形態の変化」 書評 朴宗基「高麗時代社会史を読むふたつの観点:蔡雄錫『고려시대의 국가와 지방사회』ソウル大学校出版部、2000年」 오종록「金基徳『高麗時代封爵制研究』青年社、1998年」 『歴史と現実』35、2000.3 特集 李庸起「米軍政期の新しい理解と「社会史」的接近の摸索」 김영미「解放直後町会を通じて見た都市基層社会の変化」 황병주「米軍政期戦災民救護運動と「民族談論」」 이상록「米軍政期新教育運動と国民学校規律研究:日帝末期国民学校規律との比較を中心に」 論文 장동표「朝鮮後期密陽表忠祠の沿革と祠宇移建紛争」 이영학「朝鮮後期漁業についての研究」 書評 金勲埴「朱子学の受容に関する議論:都賢喆『高麗末 士大夫의 政治思想硏究』一潮閣、1999年」 손승철「韓明基『임진왜란과 한중관계』歴史批評社、1999年」 研究動向 朴泰均「韓国の経済発展と関連した細菌アメリカ学界の研究動向」 『歴史と現実』34、1999.12 時論 朴賛勝「歴代大統領記念館設立を提案する」 論文 徐聖鎬「高麗太祖代対契丹政策の推移と性格」 河日植「高麗初期地方社会の州官と官班:金石文資料分析を通じた試論的解釈」 문중양「16・17世紀朝鮮宇宙論の象数学的性格:徐敬徳(1489-1546)と張顕光(1554-1637)を中心に」 金成潤「白湖尹鑴の洪範観研究」 鄭然泰「19世紀後半20世紀初西洋人の韓国観:相対的停滞性論・政治社会腐敗論・他律的改革不可避論」 李昇一「植民地朝鮮の次養子研究:法的地位の変化を中心に」 研究動向 박종진「高麗時期開京史研究動向」 『歴史と現実』33、1999.9 特集:高麗末~朝鮮初の手工業 이혜옥「朝鮮前期手工業体制の整備」 이병희「朝鮮前期陶磁器手工業の編制と運営」 한정수「朝鮮前期製紙手工業の生産体制」 論文 백승충「加耶の開国説話についての検討」 백승철「17世紀西人=老論の商業観と商業政策論」 방병선「高宗年間の墳園民営化過程」 김현숙「韓末朝鮮政府の顧問官政策(1882-1904)」 鄭秉峻「大韓経済輔国会の結成と活動」 書評 김광철「「政房」の窓から見た高麗後期政治と社会:金昌賢『高麗後期政房研究』高麗大学校出版部、1998年」 鄭惠瓊「韓国近現代史口述資料の刊行現況と資料価値:『遅雲金綴洙』を中心に」 『歴史と現実』32、1999.6 特集:朝鮮民族解放運動とコミンテルン 이애숙「上海臨時政府参与勢力の対ソ交渉:李東輝国務総理時期(11919.11-1921.1)を中心に」 임경석「極東民族大会と朝鮮代表団」 이준식「崔東曦の民族革命運動とコミンテルン」 論文 権五栄「韓国古代の鳥観念と祭儀」 蔡雄錫「高麗社会の変化と高麗中期論」 박종진「高麗時期「収取単位」の意味と属県の地位」 하태규「高麗後期金坵の政治活動と学問」 呉洙彰「朝鮮時代地方吏胥層給料問題の歴史的脈絡:日本前近代対民行政との比較」 書評 윤대원「1910・1920年代韓人共産主義運動史の余白を埋める「李東輝」研究:潘炳律『誠斎李東輝一代記』범우사、1998年」 『歴史と現実』31、1999.3 時論 김재순「記録物管理法制定と学界の協力課題」 論文 姜鍾薫「上古期新羅の領域拡張過程と地方統治方式」 朴宗基「高麗時代賦税收取と属県」 김건태「甲戌・庚子量田の性格:漆谷石田広州李氏家田畓案を中心に」 朴賛勝「1890年代後半渡日留学生の現実認識:留学生親睦会を中心に」 김수자「大東青年団の組織と活動(1947-1948)」 書評 柳承烈「構造把握と民衆闘争を総合した「開港期」経済史研究:河元鎬『韓国近代経済史研究』신서원、1998年」 최원규「韓末・日帝初期の土地調査事業研究と問題点:共著『朝鮮土地調査事業의 硏究』民音社、1997年」 『歴史と現実』30、1998.12 特集:1884年政変の政令分析 研究班「[総論]1884年政変の「政令」について」 김보경「1884年政変主導勢力の対清外交改革構想」 朴銀淑「門閥廃止を通じた人民平等権制定と人材登用」 趙宰坤「1884年政変主導勢力の商業改革構想と恵商公局問題」 차선혜「1884年政令の軍制改革構想と性格」 論文 朴宗基「11世紀高麗の対外関係と政局運営論の推移」 呉恒寧「麗末鮮初史官自薦制の成立と運営」 金度亨「1920年代天道教界の民族運動研究」 書評 高東煥「国家の農民支配方式の変動を通じて見た朝鮮後期社会性格の解明:윤용출『조선후기의 요역제와 고용노동』ソウル大学校出版部、1998年」 資料紹介 盧永九「朝鮮時代兵書の分類と刊行推移」 『歴史と現実』29、1998.9 特集:麗末鮮初政治勢力と政治運営論 李益柱「高麗末新興儒臣の成長と朝鮮建国」 류주희「朝鮮初非開国派儒臣の政治的動向」 金仁昊「麗末鮮初君主修身論と『大学衍義』」 김영수「麗末鮮初政治運営論の変化」 論文 尹晶「朝鮮中宗代勲旧派の山林川沢運営と財政拡充策」 정숭교「李沂の思想における「公」の意味」 白東賢「申采浩と「国」の再認識」 안건호「1910年前後李相龍の活動と社会進化論」 研究動向 이광일「朴正煕政権に関する研究現況と課題」 書評 徐聖鎬「新羅手工業史研究の進展のために:朴南守『新羅手工業史』신서원、1996年」 백승철「朝鮮後期商業発達史についての構造的接近:高東煥『朝鮮後期ソウル商業発達史研究』知識産業社、1998年」 『歴史と現実』28、1998.6 特集:共産主義グループと党統一運動(1922-1924) 임경석「[総論]共産主義運動史研究の意義と課題」 임경석「ソウル派共産主義グループの形成」 박철하「北風派共産主義グループの形成」 이애숙「1922-1924年国内の民族統一戦線運動」 姜浩出「在露領高麗共産党創立代表会準備委員会(オルグビューロー)研究」 論文 권기중「17世紀仮吏層の形成背景と存在様態:丹城県を中心に」 高東煥「朝鮮後期ソウルの人口趨勢と都市問題発生」 남근우「孫晋泰の民族文化論と満鮮史学」 기광서「1940年代前半ソ連軍88独立歩兵旅団内金日成グループの動向」 書評 최영묵「1950年代韓米関係研究の新しい展望と跳躍:李鍾元『東アジア冷戦と韓米日関係』東京大学出版会、1996年」 資料紹介 이훈「前近代韓日交流史資料としての対馬島宗家文書」 『歴史と現実』27、1998.3 特集:1948-1950年アメリカの対韓政策と李承晩政権 研究班「[総論]1948-1950年をどう見るべきか」 안정애「アメリカの大韓軍事援助政策(1948-1950):決定と執行及び韓国政府の追加軍援要請を中心に」 梁寧祚「38線衝突と李承晩政権の対応(1949-1950)」 朴泰均「アメリカの大韓経済復興政策の性格(1948-1950)」 論文 蔡雄錫「高麗文宗代官僚の社会的位相と政治運営」 具徳会「成宗代東班京官職人事官吏の性格」 鄭演植「朝鮮朝の乗り物についての規制」 楊尚弦「大韓帝国期内蔵院の鉱山官吏と鉱山経営」 양정심「済州4・3抗争についての研究動向」 書評 李憲昶「ある卓越した朝鮮後期経済史研究者の学問的足跡:宋賛植『朝鮮後期 社會經濟史의 硏究』一潮閣、1997年」 『歴史と現実』26、1997.12 特集:大韓帝国の歴史的性格 徐栄姫「光武政権の形成と改革政策推進」 이영학「大韓帝国の経済政策」 李潤相「大韓帝国期皇帝主導の財政運営」 編集部「討論」 論文 朴宰佑「高麗前期宰枢の運営原理と権力構造」 鄭勝振「日帝時期植民地地主制の基本推移:忠南泗川水利組合機構の事例」 海外学界動向 차하순「世界現代史の主要傾向」 書評 丁海亀「解放政局右派民族主義の探索:都珍淳『한국민족주의와 남북관계』ソウル大学校出版部、1997年」 李東基「「科学的実践的歴史学」とは何か:이세영『한국사 연구와 과학성』青年社、1997年」 資料紹介 양보경「古地図と歴史研究」 『歴史と現実』25、1997.9 特集:朝鮮粛宗代社会経済政策 金盛祐「17世紀の危機と粛宗代の社会相」 정형지「粛宗代賑恤政策の性格」 권내현「粛宗代地方統治論の展開と政策運営」 李煜「粛宗代商業政策の推移と性格」 論文 尹晶「朝鮮中宗前半期政局構図と政策論」 徐栄姫「露日戦争期大韓帝国集権勢力の時局対応」 海外学界動向 深津行徳「日本内韓国古代史研究動向」 山内民博「日本内高麗・朝鮮時代史研究動向」 書評 金琪燮「高麗時期収租権分給制の新しい理解のために:朴京安『高麗後期 土地制度硏究:13・14世紀 田制이正政策의 推移』혜안、1996年」 韓相禱「統一民族国家樹立のための展望の拡大:노경채『韓国独立党研究』신서원、1996年」 資料紹介 김건태「朝鮮後期漆谷石田広州李氏家の農業経営文書」 『歴史と現実』24、1997.6 企画:新羅統一期史料の論争的解釈 河日植「海印寺田券と妙吉祥塔記」 尹善泰「752年新羅の対日交易と「買新羅物解」:正倉院所蔵「貼布記」の解釈を中心に」 特集:解放直後大韓民国臨時政府の大衆・対米関係 鄭秉峻「[総論]解放直後大韓民国臨時政府研究の諸問題点」 이승억「臨時政府の帰国と対米軍政関係(1945.8-1946.2)」 김정인「臨時政府駐華代表団の組織と活動」 論文 朴宗基「高麗時代の地方官員:属官を中心に」 신안식「高麗明宗代武人政権の対民政策」 書評 서의식「新羅六部についての議論と韓国史の体系的理解:全徳在『新羅六部体制研究』一潮閣、1996年」 資料紹介 廉定燮「朝鮮時代日記類資料の性格と分類」 『歴史と現実』23、1997.3 特集:7世紀の社会と経済 古代史分科7世紀研究班「[総論]7世紀後半期の変化様相をどう見るべきか」 全徳在「統一新羅期戸等算定基準」 金昌錫「7世紀新羅による経済統合と土地制度の改編」 고경석「新羅官人選抜制度の変化」 論文 李炯佑「禑王の王権強化努力とその挫折:禑王6年以前を中心に」 홍순권「日帝初期の面運営と「朝鮮面制」の成立」 海外学界動向 John B. Duncan「アメリカ内韓国前近代史研究動向」 Henry Em(任興淳)「アメリカ内韓国近現代史研究動向」 書評 박명규「村落中心村落史の意義と限界:이해준『朝鮮時代村落社会史』民俗文化社、1996年」 資料紹介 沈載祐「朝鮮後期人命事件の処理と「検案」」 『歴史と現実』22、1996.12 特集:米軍政の物資受給政策 김영근「米軍政期の工業基盤と生産実態」 최영묵「米軍政の食料生産と受給政策」 김점숙「米軍政の民間物資補給計画」 論文 尹京鎮「高麗太祖代郡県制改編の性格:新羅郡県制との相関性を中心に」 金光雲「ソ連の対北韓政策と共産党中央指導機関の結成」 古典書評 박혜인「民俗文化の半分のための女性生活史研究:李能和『朝鮮女俗考』東洋書院、1927年」 新刊書評 朴光用「百姓の心配を通じて分析した朝鮮後記近代的民権意識の対等:韓相権『朝鮮後期 社會와 訴寃制度:上言·擊錚硏究』一潮閣、1996年」 資料紹介 강인구「ペテルブルグに位置したロシア国立文書保管所と我々の歴史の資料」 『歴史と現実』21、1996.9 特集:韓国古代の国家形成 宋鎬晸「遼東~西北韓地域における古朝鮮の国家形成」 余昊奎「鴨緑江中流流域における高句麗の国家形成」 문동석「漢江流域における百済の国家形成」 金在弘「新羅(斯盧国)の形成と発展」 論文 김지형「4・19直後民族自主統一協議会の組織化過程」 박진희「解放直後政治工作隊の組織と活動」 古典書評 정병욱「数字を通じて見た朝鮮人の暮らし:李如星、金世鎔『数字朝鮮研究』世光社、1931~1935年」 新刊書評 李仁在「高麗前期土地生徒の体系化のための新しい試み:尹漢宅『高麗前期私田研究』高麗大民族文化研究所、1996年」 資料紹介 金翼漢「日本内韓国近代史関連資料利用法:東京地域を中心に」 1-20 21-40 41-50 51-60 71-80 81-90 91-100
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トップページ>韓国>震檀学報 『震檀学報』100、2005.12 曹凡焕「新羅下代西南地域の禅宗山門形成と発展」 朴恩卿「高麗時代地方貴族の位相」 尹晶「朝鮮後期政界の鄭仁弘認識とその政治的含意」 金澔「朝鮮王室の薬膳「煎薬」研究」 한보람「1880年代朝鮮政府の開化政策のための国際情報収集:『漢城旬報』の関連記事分析」 権仁瀚「古代国語の「i-breaking」現象についての一考察:「섬(島)」の音韻史を中心に」 郭忠求「六鎮方言の音韻変化:20世紀初から1世紀間の変化」 정승철「日帝強占期の言語政策:「諺文綴字法」を中心に」 鄭炳説「朝鮮後期ハングル小説の成長と流通:貰冊と傍刻を中心に」 강석화「耳渓洪良浩の生涯と学問観」 裵祐晟「洪良浩の地理認識:朝鮮後期満州地理認識との関連性を中心に」 宋芝媛「耳渓洪良浩の音楽論」 鄭雨峰「耳渓洪良浩文学の一局面:「観物取象」の理解を中心に」 「討論:『耳渓集』の総合的検討録取文」 『震檀学報』99、2005.6 羅喜羅「古代東北アジア諸民族の神話、儀礼、君主観」 金炳坤「羅唐同盟の成立と新羅求法僧の役割」 蔡美夏「清海鎮の祀典編制と海洋信仰」 崔起栄「1930年代中山大学と韓国独立運動」 徐泰龍「助詞化と語尾化の終構成要素」 邊東明「李承休の生涯と著述」 金仁昊「李承休の歴史認識と史学史的位相」 金慶洙「李承休文学研究」 秦星圭「李承休の仏教観」 「討論:『動安居士集』と『帝王韻紀』録取文」 『震檀学報』98、2004.12 金龍善「高麗時代の文地宰枢」 林学成「19世紀末戸籍資料を通じて見た安東住民の諸相:1899年(光武3)南先面戸籍の事例分析」 李鍾黙「朝鮮時代臥遊文化研究」 金垠廷「申翊聖の金剛山遊覧と文学的表現」 金南基「粛宗の文芸的関心と漢詩世界」 黄載文「西間島亡命期朴殷植著作の性格と叙述方式」 第31回韓国古典研究シンポジウム:芝峰類説の総合的検討:李睟光の学問世界 韓明基「『芝峰類説』に現れた李睟光の対外認識:対外認識形成の背景と評価問題を中心に」 金文植「李睟光の自我認識と他者認識」 崔雄「『芝峰類説』の漢文学的業績」 安大会「李睟光の『芝峰類説』と朝鮮後期名物考証学の伝統」 李賢煕「李睟光の国語学的認識について」 「討論:『芝峰類説』の総合的検討討論録取文」 『震檀学報』97、2004.6 金昌錫「韓国古代流通体系の成立と変遷」 全暎俊「高麗睿宗代の創建と僧徒動員:「惠陰寺新創記」を中心に」 韓哲昊「大韓帝国期(1896-1900)駐日韓国公使の外交活動とその意義:李夏栄を中心に」 金東俊「韓国器物銘の歴史と性格についての小考」 安大会「18・19世紀の住居文化と想像の庭園:朝鮮後期散文家の記文を中心に」 백두현「朝鮮時代女性の文字生活研究:朝鮮王朝実録及びハングル筆写本を中心に」 韓龍雲「国語辞典の助詞表題語の問題」 『震檀学報』96、2003.12 尹京鎮「高麗前期界首官の設定原理と構成変化:『高麗史』地理志界首官沿革の補正を兼ねて」 鄭多函「朝鮮初期習読官制度の運営とその実態」 金炳佑「大院君の宗親府強化と「大院位分付」」 李鍾黙「白湖林悌漢詩の文芸美学」 金垠廷「『五子詩』創作背景と和答詩研究」 権仁瀚「新羅官等異表記と韓国漢字音との関係」 石朱娟「『伍倫全備諺解』の国語学的研究」 鄭肯植、趙志晩「朝鮮前期『大明律』の需要と変容」 沈載祐「朝鮮時代法曲編纂と刑事政策の変化」 張允煕「『大明律直解』の書誌学的考察」 朴盛鐘「『大明律直解』吏読の予備的考察」 「討論:『大明律直解』討論録取文」 『震檀学報』95、2003.6 李鎮漢「高麗時代守令の京職兼帯」 朴宰佑「高麗前期王命の種類と頒布」 李鍾書「高麗末和寧府戸籍の作成原則と記載内容:同居状況との関連性を中心に」 李潤相「大韓帝国期国家と国王の位相向上事業」 朴羊信「露日戦争開戦論と「七博士」」 李浩権「杜詩諺解重刊本の版本と言語についての研究」 金鳳国「複数基底形の類型(1):形成要因の観点から」 李珍昊「音韻論的視角から見た中世国語合成語の緊密性」 鄭堯一「漢文学研究の方向」 李東俊「李用休漢詩の理智的性向と新しい詩的型式」 徐智瑛「朝鮮後期中人層風流空間の文化史的意味:西欧ヨーロッパ「サロン」との比較を通じて」 『震檀学報』94、2002.12 李賢惠「韓半島青銅器時代の畑農事:晋州大坪里畑遺跡を中心に」 裵城浚「鬱陵島・独島名称変化を通じて見た独島認識の変遷」 徐栄教「張保皐の騎兵と西南海岸の牧場」 崔鈆植「『真心直説』の著者に対する新しい理解」 鄭炳俊「平盧節度使李正己について:代宗時期を中心に」 崔明玉「過去時制語尾の形成と変化」 鄭彦鶴「「-고 있다」構成の文法化についての通時的研究」 宋芳松「日帝強占期李東伯名唱の公演活動:放送・音盤・新聞資料を中心に」 洪承基「断絶の歴史、最後の歴史:西尾幹二 外 著『新しい歴史教科書』に見える民族主義的観点のについての批判的検討」 『震檀学報』93、2002.6 李仁哲「斯盧六村の形成と発展」 全徳在「新羅小京設置とその機能」 金アネス「高麗成宗代儒教政治思想の採択と12州牧」 金大中「崔忠献政権の成立背景:崔忠献と李義旼の関係変化と関連して」 丁善溶「趙冲の対蒙交渉と政治的意味:崔忠献と国王の関係に注目して」 李恩周「開化期写真術の導入とその影響:金鏞元の活動を中心に」 安秉禧「『訓民正音』(解例本)三題」 韓在永「16世紀国語の詩体系と変化様相研究」 成昊慶「聾巌李賢輔の生涯と詩歌」 李鍾黙「安平大君の文学活動研究」 崔洪奎「『華城城役儀軌』の構成と歴史的意義」 盧永九「世祖代五衛体制復旧の試みと華城防御体制の改編」 趙炳魯「朝鮮後期華城城役における物資確保と賦役労働」 朴廷蕙「『華城城役儀軌』の絵画史的考察」 金東旭「『華城城役儀軌』の建築史的意義」 「討論:『華城城役儀軌』約定討論録取文」 『震檀学報』92、2001.12 徐侖希「清海鎮大使張保皐に関する研究:新羅王室との関係を中心に」 金アネス「高麗太祖代帰附豪族と本邑将軍」 李重孝「高麗仁宗代国子監運営をめぐる政治勢力の立場」 白承鍾「16世紀朝鮮の士林政治と金麟厚:非政治的日常の政治性」 金翰奎「箕子と韓国」 朴薫「徳川末期越前藩の「挙藩上洛」と松平慶永:「挙藩上洛」(1863)推進を中心に」 白斗鉉「朝鮮時代のハングル普及と実用に関する研究」 姜玲珠「『林巨正』とクプリン(Kuprin)の『決闘(The Duel)』」 郭忠求「口蓋音化規則の発生とその拡散」 金亮鎮、金裕範「中世国語「이어긔・그어긔・뎌어긔」について」 鄭在永「国語感歎文の変化:感歎法終結語尾の変化を中心に」 宋芳松「1930年代韓国洋楽史の一局面:バリトン歌手蔡奎燁を中心に」 洪承基「崔承老の儒教主義史学論」 『震檀学報』91、2001.6 余昊奎「百済の遼西進出説再検討:4世紀後半扶餘系人物の動向と関連して」 盧鏞弼「高麗景宗初改革政治とその推進勢力」 朴龍雲「高麗時代宰臣と枢密と六部尚書の関係を通じて見た権力構造」 金昌賢「元干渉期高麗の社会変動:身分制変動を中心に」 崔異敦「16世紀士林の身分制認識:良人所生補充隊の入属議論を中心に」 鄭演植「華城の防御施設と銃砲」 権奇奭「19世紀勢道政治勢力の形成背景(下):朝鮮後期執権勢力の通婚関係網分析を中心に」 金盛祐「蜜城朴氏嘯皐公派の清道と宗族活動」 金明昊「大院君政権と朴珪寿」 成基玉「「陶山十二曲」の再解釈」 李康沃「『寄斎雑記』研究:逸話の源泉と叙述方式を中心に」 洪承基「高麗貴族社会論是非論争に現れた歴史認識論的問題:高麗史研究に見える争点についての検討の一例」 裵祐晟「世祖の軍事政策と『武芸図譜通志』編纂の背景」 盧永九「朝鮮後期短兵戦術の推移と『武芸図譜通志』の性格:兵書としての意味を中心に」 羅永一「『武芸図譜通志』の武芸」 鄭炳模「『武芸図譜通志』の版画」 李賢煕「『武芸図譜通志』とその諺解本」 「討論」 『震檀学報』90、2000.12 李成制「嬰陽王9年高句麗の遼西攻撃」 邊東明「甄萱の出身地再論」 尹煕勉「朝鮮時代書院の祭礼と位次」 李助相「朝鮮後期地方吏胥組織比較史的考察」 権奇奭「19世紀勢道政治勢力の形成背景(上):朝鮮後期執権勢力の通婚関係網分析を中心に」 咸翰姫「20世紀瑞山の社会経済的変化:地域民の観点から書いた歴史」 河元深「『新唐書』「選挙志上」の内容と宋代編者の性格」 李丞宰「尊敬法先語末語尾「-[사]/[시]-」の形態音素論的研究:口訣資料を中心に」 李浩権「17世紀末国語史資料『観世音菩薩門品徳解』について」 『震檀学報』89、2000.6 李基白「『三国遺事』の興法篇の趣旨」 申虎澈「後三国時代豪族と国王」 李鎮漢「高麗時代東宮三品職の除授と禄俸」 金載名「高麗後期王室財政の二重的構造:いわゆる私蔵の変化過程を中心に」 韓亨周「朝鮮初期中祀祭礼の整備とその運営:民生と関連した致祭を中心に」 金世恩「高宗初期(1864年-1873年)の経筵」 鄭光「『老朴集覧』と『老乞大』『朴通事』の旧本」 朴基永「『明治字典』のハングル表記について:カタカナ転写表記との比較を中心に」 蔡琬「国語擬声語・擬態語研究の諸問題」 韓哲昊「兪吉濬の開化思想書『西遊見聞』とその影響」 朴枝香「兪吉濬が見た西洋」 曺秉漢「19世紀後半中日の啓蒙思想:厳復と福澤諭吉」 鄭容和「韓国近代の政治的形成:『西遊見聞』を通じて見た兪吉濬の政治思想」 李秉根「兪吉濬の語文使用と『西遊見聞』」 「討論」 『震檀学報』88、1999.12 尹善泰「咸安城山山城出土新羅木簡の用途」 朴成煕「古代三国の史書編纂についての再検討」 金杜珍「明皛の華厳三昧思想」 朴宰佑「高麗前期政策提案の主体と提案過程」 安智源「高麗燃灯会の起源と成立」 成鳳鉉「朝鮮太宗代奴婢決折策とその性格:太宗5年『奴婢決折条目』を中心に」 沈勝求「朝鮮端宗代武科及第者の身分とその政治的性格:1453年(端宗1)の式年武科榜目を中心に」 鄭杜煕「昭格署廃止論争に現れた趙光祖と中宗の対立」 朴珠「朝鮮中期慶尚道咸陽地域の孝子・列女:『天嶺誌』を中心に」 李政祐「17-18世紀在地老・少論の紛争と書院建立の性格:忠清道論山地方光山金氏と坡平尹氏を中心に」 李垌丘「金元行の実心強調と石室書院における教育活動」 李泰鎮「18世紀韓国史における民の社会的・政治的位相」 白承鍾「18-19世紀『鄭鑑録』をはじめとする各種預言書の内容とそれに対する当時代人の解釈」 盧永九「朝鮮後期城制変化と華城の城郭史的意味」 李勛相「意図的忘却と単線的歴史叙述:日帝時代朝鮮後期史認識と叙述」 洪承基「史料から事実へ、事実から社会へ:韓国高麗史研究100年:過去-問題」 金泰植、李龍旭「高等学校歴史教育の効率性向上のための研究」 金翰奎「7-8世紀東アジア世界秩序の構造的特性とその運営体制の機能」 千聖林「国学と革命:清末国粋学派の伝統学術観」 金明昊「朴珪寿の学問観」 金鏞煕「兪鎮午小説に現れた都市空間」 都守煕「「韓」のふたつの根を探して」 李南淳「動詞群と様態」 鄭承喆「済州方言の音調と音調群」 崔明玉「現代国語の声調型とその分布」 『震檀学報』87、1999.6 元廷植「清初戦乱期福建の税役徴収と宗族」 姜相圭「近代日本の「万国公法」受容に関する研究」 鄭炳説、Mark Peterson「朝鮮朝文学と奴婢」 李賢煕「「둏다」構文についての通時的研究」 金澔「麗末鮮初「郷薬論」の形成と『郷薬集成方』」 李泰鎮「『郷薬集成方』編纂の政治思想的背景と意義」 南豊鉉「『郷薬集成方』の郷名について」 金南一「『郷薬集成方』の引用文献についての研究」 許鳳姫「『郷薬集成方』の薬学的研究とデータベース化」 「討論」 『震檀学報』86、1998.12 郭忠求「感覚用言派生の方言分化」 金和経「高句麗建国神話の研究」 崔鍾成「国行巫堂祈雨祭の歴史的研究」 都賢喆「高麗末期士大夫の対外観:華夷論を中心に」 鄭在薫「朝鮮前期『大学』の理解と聖学論」 呉宗禄「朝鮮初期の国防観」 宋炳基「朝鮮後期の鬱陵島経営:捜討制度の確立」 金一権「魏晋南北朝時期の郊祈制度変遷と天文思想」 鄭景姫「朱子礼学の変化と『儀礼経伝通解』」 洪承基「韓国史研究に見える欧米学風の傾向」 『震檀学報』85、1998.6 朴龍雲「高麗時代の門下侍中についての検討」 朴花珍「朝鮮後期土地所有移動の一傾向:京都大学所蔵「河合文書」を中心に」 宋芳松「18世紀前期の唐楽呈才と郷楽呈才:粛宗末・英祖初を中心に」 성기옥「韓国古典詩解釈の課題と展望:安玫英の「梅花詞」の場合」 홍윤표「『三綱行実図』の書誌及び国語史的意義」 이혜순「烈女像の伝統と変貌:『三綱行実図』から朝鮮後期「烈女伝」まで」 鄭炳模「『三綱行実図』版画についての考察」 金恒沫「『三綱行実図』編纂の推移」 金動植「『三綱行実図』普及の社会史的考察」 「討論」 『震檀学報』84、1997.12 李賢惠「韓国古代畑農事」 全徳在「統一新羅時期戸等制の性格と機能に関する研究」 李泰鎮「西洋近代政治制度受容の歴史的省察:開港から光武改革まで」 許東賢「1881年朝士視察団の明治日本司法制度理解:厳世永の『司法省視察記』と『聞見事件』を中心に」 李明和「春秋時代呉国の青銅器文化:中原文化との関係を中心に」 朴東憲「漢代民間船舶の形態と付属道具:江陵鳳凰山八号前漢墓出土船舶関連資料の分析を中心に」 安秉嬉「『訓民正音解例本』とその複製について」 宋基中「東北アジア歴史上の諸文字とハングルの起源」 兪弼在「華蔵寺板『父母恩重経諺解』について」 沈慶昊「恒斎李匡臣論」 『震檀学報』83、1997.6 姜鍾薫「新羅六部体制の成立と展開」 金塘澤「高麗禍王元年(1375)元との外交関係再開をめぐる政治勢力間の葛藤」 裵祐晟「古地図を通じて見た朝鮮時代の世界認識」 楊普景「朝鮮時代の「白頭大幹」概念の形成」 韓啓伝「湖学の形成と江門八学士」 盧大煥「朝鮮後期の西学流入と西器受容論」 徐仲錫「李承晩政権初期の一民主義」 任周卓「受容と伝承様相を通じて見た高麗歌謡の全般的な性格」 李相澤「『金允伝』研究」 白斗鉉「高麗時代釈読口訣の先語末語尾「-오-」についての通時的考察:「-오-」介在構文と非介在構文の比較を中心に」 朴宗基「東国李相国集に現れた高麗時代相と李奎報」 盧明鎬「東明王篇と李奎報の多元的天下観」 鄭堯一「李奎報の文学思想」 朴性奎「李奎報の詠物詩研究」 「討論」 『震檀学報』82、1996.12 金一権「高句麗古墳壁画の天文観念体系研究」 趙仁成「弥勒信仰と新羅社会:真表の弥勒信仰と新羅末農民蜂起との関連性を中心に」 金相潡「新羅末旧加耶圏の金海豪族勢力」 白剛寧「高麗初恵宗と定宗の王位継承:朴述希と王規の出身背景と役割の再解釈を中心に」 崔異敦「16世紀前盤郷村社会と地方政治:守令人選と地方制度改革を中心に」 李哲浩「前漢の陵邑徙民政策と豪族:徙民の論理と被徙民の性格変化を中心に」 都守煕「地名の中に隠れている昔の痕跡」 蔡琬「国語の分類詞「개」の借用仮定と意味」 李南淳「特殊助詞の通詞機能」 金明昊「朴珪寿の「地勢儀銘并序」について」 権寧珉「日帝植民地時代階級文芸運動の政治的進出:朝鮮プロレタリア芸術家同盟と新韓会、朝鮮共産党の関係」 金成洙「金裕貞小説に現れた家族意識」 『震檀学報』81、1996.6 金泰植「大加耶の世系と道設智」 洪承基「高麗武人執権時代の儒教と民乱」 朴宰佑「高麗恭譲王代官制改革と権力構造」 李碩圭「朝鮮初期の天人合一論と災異論」 韓亨周「朝鮮世祖代の祭天礼についての研究:太・世宗代祭天礼との比較・検討を中心に」 池斗煥「朝鮮後期英祖代経筵科目の変遷:朝鮮性理学の確立と関連して」 崔甲洵「白蓮教と清代民衆反乱:新時代待望論を中心に」 鄭在永「終結語尾「-立」について」 成基玉「申欽時調の解釈基盤:『放翁詩餘』の連作可能性」 権五栄「崔漢綺の社会思想」 楊普景「崔漢綺の地理思想」 琴章泰「恵岡崔漢綺の哲学思想」 趙東一「崔漢綺の文章理論」 「討論」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120
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朝日新聞の不祥事年表 の姉妹ページ 戦う憂国の戦士たち(朝日新聞の歌) / 作詞・作曲 メタル戦士 (歌詞は名曲集へ) 「アサヒる騒動」をニコニコ3分解説。 「アサヒる」の数々 <目次> ■民主党と中国共産党の援護を担当 ■「アサヒる」とは ■朝日新聞の不祥事年表 ■朝日新聞の体質 ■朝日新聞が反日・売国なワケ ■在日朝鮮人・韓国人の犯罪を隠す(通名報道)通名報道の例 ■東北の朝鮮高校時代の連続強盗を得意げに自叙伝に書いた在日朝日社員 ■闇サイト殺人事件の犯人は朝日新聞セールススタッフ ■朝日新聞は殺人犯の巣窟 ■椿事件(偏向報道事件) ■民主党を支援 ■過激派団体を「市民ら」と報道 ■朝日新聞に対する著名人の見解 ■朝日新聞 VS 愛国議員 ■朝日新聞(厳密には朝日新聞社の天下り) VS やしきたかじん ■朝日新聞 VS 市民 ■国民から見放され、自滅する朝日 ■もはや悪徳業者と言っても過言ではない新聞業界の最大のタブー押し紙問題 ■朝日新聞のスポンサー ■文献 ■参考資料 ■その他の反日マスコミの不祥事 ■アンケート ■ブログランキング応援クリック ■閲覧者コメント ■民主党と中国共産党の援護を担当 民主党と中国共産党を日本国内で援護する情報工作を 担当をしているのが『朝日新聞』である。 この朝日新聞とは、中国共産党と創価学会の影響を強く受け続け、 社員に在日枠が用意されているため在日朝鮮人が記事に影響を及ぼし、 中国共産党の機関紙(国営紙)である人民日報とは正式な提携関係にあり、 日中韓3国だけの意見を引用して反日をあたかも国際的意見のように騙りつつ、 裏では『朝鮮人の資金源である“武富士”』とつるむ露骨な売国新聞である。 そして『朝鮮総連(※後述)』にはジャーナリストらしい突っ込みを入れずに、 拉致被害者「曽我ひとみ」の当時北朝鮮にいる家族の住所をそのまま報道し、 本社の脱税額は11億8600万円などという明らかにモラルに欠けた 日本最大手の新聞である。 実はこの朝日新聞も戦前は愛国心(※当時の価値観で)溢れる新聞社だったのだが、 特定アジアの影響で徐々に内容がおかしくなっていった。 ■「アサヒる」とは | アサヒる 捏造する。でっちあげること。 朝日新聞社に特徴的な報道を揶揄した表現。(例:中国共産党に傾倒した報道内容など) http //www.nicovideo.jp/watch/sm5276438【捕鯨】テキサス親父、朝日新聞と遭遇【シーシェパード】 後半で朝日新聞が記事を捏造したことについて言及しています(下に日本語訳が黄色いコメントで表示されます)。(コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) http //www.nicovideo.jp/watch/nm6082757【鏡音リン・レン】アサヒる新聞の唄【元祖KY】 (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) ■朝日新聞の不祥事年表 | 朝日新聞がこれまで起こしてきた不祥事リストの追加・編集は 別ページ朝日新聞の不祥事年表 にてお願いいたします。 ■朝日新聞の体質 朝日新聞販売員の脅迫勧誘 朝日新聞の説明責任 | 国益を大きく損なう捏造・偏向報道が日常茶飯事。 捏造が暴かれても開き直る。 在日朝鮮・韓国人の犯罪は通名報道をして本名を隠す。 庶民を恐喝して新聞購読させようとする新聞配達員たち。 社長の息子が犯罪者。 朝日新聞社グループに大量の犯罪者。 自社の不祥事は無視あるいは小さくしか扱わないのに、他社・他人の不祥事は徹底的に叩く。 時々「保守」「反特亜」であるかのような報道を少しだけしてアリバイ工作疑惑。 民主党を必死に応援。 日教組とグル。「入試問題は朝日から出題される」と言われ朝日に変える親が多い。 ■朝日新聞が反日・売国なワケ | 朝日新聞社は、反日国家・中国と密接な関わりのある新聞社です。 1970年10月21日に、朝日新聞の広岡知男社長は新聞協会主催研究会で「中国の意向に沿わない記事は書かない」と明言しています(年表参照)。 朝日新聞は「人民日報 」と提携しています。人民日報とは、中国共産党中央委員会の機関紙です。 中国共産党の「国営プロパガンダ機関」である「新華社 」の日本支局は、朝日新聞東京本社の社屋内にあったことがあります。 東亜日報 は朝日新聞と同じ住所 です。 朝日新聞の秋岡家栄は、「人民日報」海外版の日本代理人に就任しています。 北京特派員、北京支局長になった朝日新聞の横堀克己は、中国共産党傘下の雑誌「人民中国」の編集顧問に就任しています。 <参考> 朝日新聞の中国報道問題(wikipedia) | 朝日新聞はアメリカとも密接な関係があります。 船橋洋一朝日新聞主筆はCFR=外交問題評議会の日本人で唯一の正会員。 朝日新聞はCFR発行「フォーリン・アフェアーズ」誌と提携し、彼らの月刊誌「論座」で毎号翻訳出版していた。 ニューヨークタイムズ東京支局は朝日新聞東京本社の中に存在しています。 <参考> 船橋洋一氏の経歴 朝日新聞は英米支配グループの手駒、政策推進装置・支配装置 | その他反日マスコミ全般に関することは反日マスコミの正体をご覧ください。 ■在日朝鮮人・韓国人の犯罪を隠す(通名報道) 毎日新聞と朝日新聞は なぜ事件を犯した在日朝鮮人を本名で表記しないのか テレビ朝日が、ひき逃げ犯(朝鮮人)の名前をアサヒる | 在日朝鮮人・韓国人が犯罪を犯した際には、その犯罪をあたかも日本人の犯罪であるかのように報道します。 在日朝鮮人・韓国人の犯罪を隠し、日本人のイメージを貶める行為です。 今の日本のマスコミの多くは【特定の外国人にはやさしく、日本人には厳しい報道姿勢】だが朝日新聞は特にやさしい。 (【 本当は「日本人」の犯罪じゃない犯罪 】) 通名報道の例 2010年5月12日のニュース 産経新聞 同日午後、府警が殺人容疑で、大阪市東成区東中本の不動産業で韓国籍の李敏男容疑者(52)を逮捕 毎日新聞 逮捕されたのは夫婦の長女(38)の夫で不動産業の佐野(本名・李)敏男容疑者(52)=大阪市東成区 朝日新聞 現場から逃走した夫婦の長女の夫で不動産業の佐野敏男容疑者(52)=大阪市東成区東中本= を殺人容疑で緊急逮捕 ■東北の朝鮮高校時代の連続強盗を得意げに自叙伝に書いた在日朝日社員 「日曜日は仙台の繁華街で日本人狩り」 2~3人で仙台市内に繰り出し、2年生は お目付役として1年生にアイツをやれとか 目配せしたり ・・・ 日曜日に1年生が寮内にいたら先輩に なぜ街に出て日本人を狩らないのか聞かれる 端から見てても気の毒なほど日本人を ボコボコにしてるヤツもいるし まわしケリ一発で決めるヤツもいる 相手が前かがみに倒れると、殺してしまったかと、 さすがにビビるそうだ 先輩から命令されてやっていることが多いので、 2~3人とカツアゲしても 、目標額に達しないと焦ってくる なかには給料袋のまま、数十万円もカツアゲしてくる勇者もいる 「おまえそれはひどいんじゃないか?」 「チョッパリにはなにしてもかまわねえ」 警察に捕まった朝高生も、呼び出された先生も、 我々朝鮮人を強制連行した日本政府が悪いんだと、話を政治問題に振り向けると、 バカな仙台の警察官達は、黙りこくってしまい、お目こぼしされる 『朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ』 金漢一 著 光文社 2005年4月刊 より 金 漢一 1964年、福島県出身の在日2世。両親は慶尚道出身。 小中高の12年間を福島県郡山市と宮城県仙台市の朝鮮学校寮生として過ごす。 1987年、英文朝日入社。2002年、日韓ワールドカップの取材をきっかけに、国籍を「朝鮮」から「韓国」に変更した。 現在、英字紙「ヘラルド朝日」のスタッフライター(主にスポーツ担当) ■闇サイト殺人事件の犯人は朝日新聞セールススタッフ 闇サイト殺人事件 (動画 ) 闇サイトで犯行を募り殺人という辛辣な事件がおきましたが犯人の一人は朝日の新聞拡張員、愛知県豊明市、元セールススタッフ神田司(37)(下にも同記事あり) 朝日新聞は自社のサイトに最初は自社名を掲載していたが、それを棚に上げネットの悪用性を強調する記事を書き、後日記事には削除するという卑怯な行動にでる。 ネットの悪用の棚上げ記事 http //blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1024056.html 自社名削除記事 http //megalodon.jp/2008-0929-0025-44/www.asahi.com/national/update/0925/NGY200809250001.html ■朝日新聞は殺人犯の巣窟 | 朝日新聞の不祥事年表を見ていただければ分かりますが、朝日新聞関係者は数々の犯罪を犯しています。 その中から犠牲者が死に至った事件をピックアップすると以下のようになります。 | 1972.01.09 朝日ジャーナル編集部記者、川本三郎(27)、「赤衛軍」による自衛官刺殺事件の証拠隠滅で逮捕 1980.09.13 朝日に中傷された佐々木道浩同志社大学教授が、事実無根と記した遺書を残し、首を切って自殺 2000.07.02 販売店従業員の川井真澄容疑者(24)、別れ話のもつれから交際相手の首を刺し窒息死させ、逮捕 2001.11.13 販売店店長の松岡善隆容疑者(52)、無免許運転で障害者をひき逃げ。道交法違反+業務上過失致死で逮捕 2001.12.28 販売店長の松岡善隆容疑者(52)、身体障害者を軽トラック無免許(14年)ひき逃げ死亡事故で逮捕 2003.07.21 小6女児監禁犯の吉里弘太郎(29)の父親は西部本社社会部長、警視庁キャップ。一家は自殺と精神病院送り 2004.01.28 販売所配達員の本間直人容疑者(24)、金を無心する目的で風俗嬢を軟禁・暴行・殺害で逮捕 2007.08.26 拡張員の神田司容疑者(36)、仲間2人と女性を拉致殺害し現金7万円を奪う。殺人・死体遺棄で逮捕 2008.10.22 販売所配達員の熊谷甚一容疑者(51)、2億円の宝くじが当たった女性を殺害で逮捕 ■椿事件(偏向報道事件) http //www.nicovideo.jp/watch/sm5602822いまだからこそ『椿事件』を掘り起こしてみる (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 椿事件 - wikipedia 1993年9月21日、民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中で、 テレビ朝日報道局長の椿貞良が、総選挙時の局の報道姿勢に関して 「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。 今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、 なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」 との方針で局内をまとめたという趣旨の発言を行う。 日本の放送史上で初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討された事件である。 <ソース> 平成5年10月25日 第128回国会 政治改革に関する調査特別委員会 第8号 (国立国会図書館 公式サイト) ■民主党を支援 小沢一郎の違法不動産(10億円以上)を一挙世界初公開 | 朝日新聞は自民党に対してはどんな些細な不祥事でも徹底的に叩きますが、 民主党の不祥事はほとんど取り上げず、逆に応援する記事を日々書いています。 民主党は、外国人参政権、人権擁護法案、移民1000万人受け入れ、日本から沖縄切り離し、国家主権を外国に移譲する等、 次々と売国政策を掲げています。 詳しくは民主党の正体をご覧ください。 ■過激派団体を「市民ら」と報道 ※クリックすると拡大表示されます ■朝日新聞に対する著名人の見解 橋下大阪府知事「朝日新聞は無くなったほうが世の中のため」 | 名言 発言者(肩書きなどは当時のもの) 発言時期 「朝日新聞のような大人増えれば日本はだめになる」 橋下徹(大阪府知事) 2008.10.19 「朝日が早くなくなれば世の中のためになる」 「今すぐ廃業すべき」 橋下徹(大阪府知事) 2008.10.20 2002WC朝日新聞による中田英寿引退捏造記事インタビュー(中田マジ怒り) めざましテレビ 日韓ワールドカップの時に中田が「もう日本代表になることはないと」朝日新聞がアサヒ ったことについてのコメント。 ★2002WC朝日新聞中田英選手引退をスクープだが中田英選手は翌日に引退を否定★ http //www.asahicom.com/soccer/ ■朝日新聞 VS 愛国議員 朝日 NHK番組改編問題でコテンパンv1 朝日 NHK番組改編問題でコテンパンv2 | 保守・愛国議員である安倍晋三総理や故・中川昭一議員を貶めようと捏造記事を書いた朝日新聞。 捏造点を指摘され、まともに反論できずに逃げ回る卑怯な会社体質をご覧ください。 ■朝日新聞(厳密には朝日新聞社の天下り) VS やしきたかじん | 朝日放送では絶対仕事をしない 在阪局であっても朝日放送でレギュラー番組を持つことはない。これは『晴れ時々たかじん』の放送終了後の慰労パーティーにおいて(朝日新聞社から来た)局長の挨拶が「なぜこんな番組が視聴率を取るのかわからない」の一言で激怒したたかじんは、役人・官僚の天下り体質もあり、以後朝日放送での仕事は死ぬまでしないと決めたからである。これ以降、たかじんの冠番組内で朝日放送の話題になると「(朝日放送は)アホから順番に偉くなる放送局」など、放送禁止用語を交えて罵倒しているが、その後も特番には数回出演している(頻度は在京局と同じく数年に1回程度)。 (引用:やしきたかじん - Wikipedia 2008年8月29日現在) ■朝日新聞 VS 市民 | http //www.nicovideo.jp/watch/sm2096693雅子妃殿下への侮辱、偏向報道の朝日へ乗り込み弾劾す http //www.nicovideo.jp/watch/sm2790330「五輪前 どうにも邪魔な 生き仏」に対する抗議活動 (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 朝日新聞本社の一般市民に対する対応がどういうものかご覧ください。 <動画内の主な登場人物> 西村修平(主権回復を目指す会 代表) 瀬戸弘幸(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』 管理人、維新政党・新風 副代表) 村田春樹(外国人参政権に反対する会 代表) 桜井誠 (在日特権を許さない市民の会 会長)(Doronpaの独り言 管理人) ■国民から見放され、自滅する朝日 | 2008.11.21 初の赤字転落。純損益103億円の大幅赤字。日本中から喜びの声が相次ぐ ★法則発動★ (朝日新聞の不祥事年表より) | http //facta.co.jp/article/200808045.html 朝毎読「部数激減」の非常事態 毎日⇒前年同月より10万部の大幅減 朝日⇒前年同月より6万部の大幅減 読売⇒前年同月より1万部近い減 日経⇒前年同月より2万部増 産経⇒前年同月より1万部増 | ご覧のように、見事に反日・売国として有名な新聞社ほど、業績が悪化しています。 逆に保守新聞の産経新聞や、政治よりは経済に特化している日経新聞は、この新聞不況といわれる時代でも部数を伸ばしています。 インターネット上でも「産経新聞に変えるか」という台詞はよく見ますが、現実社会でも同じ現象が起きています。 国民は政治的思想を持って、意図的に捏造・偏向報道ばかりする新聞社の正体にすでに気付きつつあります。 ■もはや悪徳業者と言っても過言ではない 朝日新聞スポンサーへの警告 新聞業界の最大のタブー押し紙問題 押し紙とは、新聞社から販売店に新聞が卸されて、販売店は契約先に配達するが実際配られていない新聞のことを指す。 つまり、公称の発行部数100万部の新聞で押し紙率が57%なら、実質43万部しか配達されていないことになる。→詳細 | ■朝日新聞のスポンサー 反日マスコミスポンサー表 ■文献 | 「朝日」ともあろうものが。 烏賀陽 弘道 (著)■出版社 / 著者からの内容紹介元朝日新聞記者が実名で、あの大朝日を内側から描いた問題作。朝日には不思議がいっぱい。 ■内容(「MARC」データベースより)「捏造は当たり前」「偏向は常識」が朝日の社風? 朝日の記者生活は「驚き」の連続だった-。「捏造記事はこんな風につくられる」「『前例がない』の一言でボツ」など13章で綴る、元朝日新聞記者の苦闘の青春記。 朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任 小林 よしのり (著), 井沢 元彦 (著)「天下の朝日新聞」の偽善性、自虐的平和主義を糾弾する、ぬるま湯の中でふやけた脳みそに喝を入れてくれる1冊である。毎朝宅配される新聞を読むという習慣が、知らぬ間に、新聞社の思想を自らの脳に刷り込む行為となってはいないだろうか。記事内容をそのまま事実として鵜呑みにしてはいないか。産経新聞のCMに「新聞を疑え」というコピーがあったが、問題は「疑いながらも信用している」点にあるのではないだろうか。本書は戦前戦後を通じて少なからず日本人の信頼を得てきた朝日新聞社の、「従軍慰安婦問題」「南京大虐殺事件」報道のあり方に触れつつ、その「目的のためなら情報操作も厭わない、偏った正義」を浮き彫りにする。 朝日新聞のトンデモ読者投稿 朝南 政昭 (著)朝日新聞は読者投稿欄も疑え!!「一流新聞」から選りすぐりのトンデモ読者投稿を一挙公開!! 朝日新聞の記事や社説が著しく偏向していることは周知となっており、各方面で批判の対象となっています。しかし読者投稿欄もそれに劣らず偏向していることは、案外知られていません。朝日新聞『声』に咲く、トンデモない投稿の数々をご堪能ください。 ■参考資料 | 朝日新聞の捏造・放火の歴史 記事で綴る朝日新聞社史 朝日新聞の真実 朝日新聞報道年表 朝日新聞カレンダー ■その他の反日マスコミの不祥事 | 朝日新聞以外の反日マスコミの不祥事については以下をご参照ください。 反日マスコミの正体 毎日新聞の不祥事年表 TBSの不祥事年表 テレビ朝日の不祥事年表 NHKの不祥事年表 韓国マスコミの不祥事年表 アサヒる報道関係者 ■アンケート | 朝日新聞に関するアンケートを 朝日新聞に関するアンケート にて受け付けております。 ぜひご協力ください。 ■ブログランキング応援クリック | 当ページが役に立った!という方は ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ) ■閲覧者コメント | 不祥事の新情報・内部告発などを 掲示板にてお待ちしております。 (wikiの編集が出来る方は、極力ご自分でリスト等の編集をお願いします。) 朝日KY捏造事件のニュース報道 ア ヤ カ ク が ザ 書 バ が き カ 売 が っ 読 て 圖 む Λ_Λ (-@∀@) φ⊂ )
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トップページ>日本>日本近代学研究 『日本近代学研究』40, 2013.5 이광수「節を包摂する日本語「的」に関して」 한승우「日本語連体詞「ある」の指示詞的用法による助詞「が」と「は」の意味的考察」 朴墉一「「つづける/あげる/つける」を補助動詞とするイ形補助動詞文の統語構造」(日) 權益湖、北沢昭彦「選挙広告文におけるレトリック表現の様相:省略法と反復法を中心に」(日) 黒柳子生「日本語学習者の平仮名表記およびハングル表記に関する一考察:長母音表記を中心に」(日) 宋有宰「日韓両言語の職場呼称について」(日) 박재환「多文化・多言語社会における第二外国語教育に関する研究:アメリカ私立大学の日本語教育事例を中心に」 감영희「芥川龍之介の思索と死:自殺をする人間心理を中心に」 박희영「東アジア怪奇文化の中の妖怪伝承とその流れ:日本妖怪、雪女の文化史を中心に」 엄인경「近代期日本「中世文学」の形象創出研究:「日本文学史」と「日本史」の対照を通じて」 李相福「平林たい子の『こういう女』論:「私」の回想を通じた女性としての悔恨」 吉野浩司「日本浄土宗の統合的理解のために:柳宗悦『南無阿弥陀仏』の知識社会学」(日) 金泰勲「明治期天理教における「病気直し」の諸形態とその変容」(日) 여경진、주영민「都市観光支援変化に関する研究:1920年代以後の東京を対象にして」 이미순「釜山訪問日本人観光客の観光地選択属性と満足度に関する研究」 이경규、이행화「大正時代の女性服飾に現れた西洋化現象」 박상호「韓日間成年後見制度の比較」 박준철、Jaebeom Suh「日本富士フィルムの成功事例」 櫻木晃裕「養護教諭の意識と行動に対するメタ認知:これからのCDPの基本的視座」 『日本近代学研究』39, 2013.2 桂島宣弘「「近世帝国」の解体と19世紀前半期の思想動向」 朴省姫「『特命全権大使米欧回覧実記』に現れる西洋地名表記に関する研究:福沢諭吉資料との比較を中心に」 安善柱「接触場面に見られる韓日の「ほめ」行動:初対面会話におけるやり取りを通して」(日) 梁虎聲「日本語複合動詞の日韓翻訳に関する一考察:強調複合動詞を中心に」 심민섭、曺永湖「日本語コミュニケーション・コードの機能:「どうぞ」を中心に」 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鄭柄武「企業別労働組合の形成過程:日本の場合」(日) 강재정、고광명「日本企業の持分所有類型による韓国市場進出の特性」 류성경「日本生命保険社の民営長期看病保険運営事例に関する研究」 『日本近代学研究』37, 2012.8 羅工洙「近代における数字による涙の修辞」(日) 裵晋影「韓国語韓語動詞の韓日異形対応に関する考察」(日) 朴墉一「日本語の受動文と韓国語の比較対照」(日) 金秀榮、安秉坤「「な」と「마」の対照研究」(日) 한승우「現代日本語助詞「ガ/ハ」に関する研究:指示代名詞「これ、それ、あれ」との相関関係を中心に」 権益湖、高橋正憲「女性を意味する動物メタファーの相違点:狐・猫・蛇を中心に」(日) 長原成功「「~たばかり」と「~たところ」の時間語との供起関係:青空文庫を中心に」(日) 金鎔均、柳承煕「日本語若者語の特徴と持続年数に関する考察」(日) 김남중、이경규「日本語新造語生成に関する一考察:インターネットの発達が及ぼした影響を中心に」 金宣廷「李良枝文学の普遍性」 孫順玉「芥川龍之介の『地獄変』論:猿の報恩を通じて見た芸術的救援」 김옥지「「舟」が引く構図:森鴎外の『高瀬舟』を中心に」 감영희「明治政府の神仏判然令考察:背景と結果を中心に」 金影煥「対談に見る司馬遼太郎(1):『日本人と日本文化』『日本人への遺言』と司馬史観批判論」(日) ビオンティ一ノ・ユリアン「宇都宮太郎将軍の3・1独立運動の鎮圧過程に見られた朝鮮認識」(日) 손정권「現代日本の象徴天皇制と記憶の伝承」 우정미「大峰山女人禁制伝統の現代的意味」 八巻惠子「『信頼』という名の社縁:日本のマーケティング業界におけるビジネスのエスノグラフィー」(日) 元根朋美「日本の高等教育政策における大学の特質の変遷」(日) 田渕敬光「日本の留学生受入れと雇用」(日) 강경수「日本政治広告のメッセージ内容分析研究:第45回衆議院選挙の新聞広告を中心に」 米澤美保子「地域福祉推進における担い手に関する一試論:A市ボランティア連絡協議会の実態調査から」 고광명「日帝下朝鮮人起業家の社会的背景研究」 山下利之、木曽温子、劉亨淑「LED照明における調色とその心理的効果」(日) 정영미、박봉규「計画行動理論を適用した日本人観光客の韓国文化親熟度と行動意図間構造関係分析」 崔勝淏「WLBの規定要因に関する一考察:バランスの条件とは何か」(日) 남상민「自民族中心主義が外国製品評価及び購買意図に及ぼす影響に関する韓日比較研究」 『日本近代学研究』36, 2012.5 趙来喆「朝鮮資料における朝鮮語対訳とハングル音注配置:『捷解新語』改修本を中心に」(日) 曺永湖、남가영「談話に現れる文末表現「ことだ」に関する研究:Face行為理論を中心に」 金楨憲、崔淑伊「携帯メールにおくる断り表現」(日) 奥村玲香「日本の大学の必修英語クラスにおける外国語学習不安の理解:英語学習を妨げる不安の解消に向けて」(日) 羅希「日本語の格助詞「に」に関する中国語話者の誤用分析」(日) 朴馥遠「芭蕉の無常観研究」 박희영「作品中に設定された武士道文化とその意味」 李相福「近代女性作家が描く性愛:田村俊子と宇野千代の作品を中心に」 秋錫敏「鄭承博文学研究:「奪われたことば」と「欠けた角」を中心に」 金煕照「『さまよえる猶太人』論」(日) 金孝順「李箱文学の不安と牧野信一文学の方法」 남춘모「相互作用論観点による対馬神話の類型分類とそのシンボルの解釈」(日) 崔長根「古地図の「于山島」名称に関する研究:「石島=独島」糾明を中心に」 김채수「グローバル時代とはどのような時代なのか:文明史学的側面を通じて」 諸点淑「植民地朝鮮における日本仏教の社会事業:「植民地公共性」を手がかりとして」(日) 石楿「日本における地方自治体のジェンダー行政とバックラッシュの流れ:1996年から2009年までの4つの時期を中心に」(日) 전영상「日本福島原子力発電所爆発事故についての意思決定状況分析:4次元時空間模型の視角を中心に」 김교정「韓国と日本企業の社会貢献活動に関する研究」 김현지、손수민「国際クルーズ船日本人観光客の釜山観光に対する重要度-満足度分析」 임병진「日本20110311大地震が日本株式市場と債券市場に及ぼした影響に関する実証的研究」 정선자「対馬島訪問韓国人観光客の追求便益による市場細分化研究」 長江庸泰「日本国におけるキャリア教育の探求」(日) 櫻木晃裕「モチベーションの統合理論の有効性検証:人的資源管理からの考察」(日) 李美永「日本自動車産業の物流市場環境変化による韓国自動車部品物流システムの改善方向」(日) 김양태「日本のグリーン物流政策と物流団体及び企業の親環境物流事例」 『日本近代学研究』35, 2012.2 安善柱「未来のトキを表す「タラ」文の意味用法をめぐって」(日) 房極哲、上野由香子「多言語環境にある子供の二言語聘傭の実態分析:韓日国際結婚家庭の言語生活調査を中心に」(日) 金秀晧、山下大輔「日本語教員養成課程における海外教育実習の評価と課題」(日) 진명순「倉田百三の『出家とその弟子』に関して」 権赫建「夏目漱石の『三四郎』と廉想渉の『万歳前』の比較研究:汽車内乗客の現実認識を中心に」 阿武正英「田村俊子『木乃伊の口紅』に関する一考察」(日) 朴晟希「テキストとコンテキストの越境と再生:『藤野先生』と『惜別』を中心に」 전수진「車凡錫の『孫澤ホテル』と三島由紀夫の『鹿鳴館』に現れた女性像比較:玄珠実と顕子を中心に」 최연주「14世紀倭寇の慶尚道侵寇と書籍刊行」 이행화、이경규「1920年代日本新女性の西洋服受容考察」 金英順「北海道駅弁に関する一考察」(日) 이경아、안병곤「韓日両国の喪礼儀式に現れた社会文化的意義の比較」 이정희「日本人女性結婚移民者の生涯史研究」 朴日訓「日本根抵当権の設定と特定債権」 박옥련「近世日本女性の身分別頭髪形態と造形性に関する研究」 정미애、한승희「近現代韓日主婦の親環境ファッション商品についての意識比較」 崔勝淏、劉亨淑「女子大生が認知するWLBとCSRに関する日韓比較研究」(日) 김용민、제점숙、이원범「日本の社会的企業についての考察」 朴永培、李省勲「収益律と変動性予測方案についての研究:韓中日株価指数を利用して」 李美花「東日本大震災の被災概況と復興過程に向けての課題を中心に」(日) 『日本近代学研究』34, 2011.11 羅工洙「日本の古辞書に見る中国語の接尾辞「~子」について」(日) 金鎔均「「くださいます」の成立研究」 鄭英淑「「旅券」ということばの成立」(日) 宋惠仙「使役やりもらいの構文の構造とヴォイス性:ヴォイスの対立を成している構文を中心に」(日) 金志宣「ピア・ラーニングにおける自己評価の試案:「Can-do」を活用した相互行為の自己評価」(日) 金成恩「1940年代言語政策と国民文学:雑誌媒体を中心に」 정향재「日本現代文学における「敗戦」:敗戦文学に現れた日本人の意識変化を中心に」 鄭炳浩「1910年前後韓半島「日本語文学」と朝鮮文芸物の翻訳」 李相福「宇野千代の『色ざんげ』論:女性遍歴と男性遍歴の表象」 박영산「韓日現代劇の伝統受容の比較研究」 石楿「ジェンダー・バックラッシュ問題の視点からみる女性政策:1990年以降の日本の女性政策を中心に」(日) 한탁철「1980年代日本の学生問題行動とその対応:学習指導要領改訂を中心に」 고광명「在日済州人起業家古堂安在祜研究」 감영희「日本大学の教育改善のためのサポートシステム:アメリカ大学の実践例とTA制度の考察を中心に」 김연식「韓日地域新聞紙面内容と構成に関する比較研究:釜山日報と西日本新聞を中心に」 전용배、김애랑「韓日野球の社会・文化的含意の比較」 정대근「韓国と日本の競争制限的企業結合規制についての比較法的考察」 김금화「日本アパレル製造業の変遷及び沈滞期の克服方案と事例研究」 송영민、이영진「日本観光客の韓国旅行選択時考慮要因についての年度別変化推移の分析」 김용민「日本の広域別経済構造変化:主成分分析による経済構造の類型化を中心に」 竹内裕二「介護予防を取り入れた商店街活性化に関する研究:北九州市若松区若松中心商店街連合会を事例として」(日) 李美永「アジア市場における日本企業の競争現状と物流政策的な対応方向」(日) 한기조; 정병무「韓中日鉄鋼産業の競争力推移と韓日協力の可能性」 『日本近代学研究』33, 2011.8 房極哲「近代日本語と性差:女性語を中心に」(日) 金京徳「日本語接尾辞「的」に関する一考察:雑誌『太陽』1895年1号~4号を中心に」(日) 李光秀「「てみる」の意味用法に関して」 裵晋影「辞典による一字漢語動詞の韓・日対応語」(日) 梁虎聲「漢語動詞の日韓翻訳に関する一考察:『ノルウェイの森』を中心に」 野村和代「日本語学力テストから見る学生の現状と授業での取り組み」(日) 임영철「イメージ連想語の類型と価値観についての研究:韓中日三国の大学生を中心に」 奥村玲香、元根朋美「企業の求める英語力と大学の「キャリア教育」が求める英語力のギャップ」(日) 元根朋美、奥村玲香「日本の高等教育における「キャリア教育」の変遷と取り組み」(日) 井口由布「多文化環境における研究と教育:立命館アジア太平洋大学の事例を中心に」(日) 牧野美希「日本人学習者における韓国漢字語学習:漢字情報が漢字語推測能力に及ぼす影響に関する調査」(日) 전수진、権赫建、강경구「戯曲「孫鐸ホテル」と「鹿鳴館」の中に現れた伝統と近代の考察」 崔殷景「三島由紀夫『サーカス』論:悲劇が再現される空間」 소명선「大江健三郎の『レインツリー(雨の木)』連作論:メタ思考とレトリックとしてのメタファー」 全彰煥「『耽羅紀行』から見る司馬遼太郎の韓国認識」 김채수「日帝の大陸侵略とアルタイ民族意識」 홍선영「帝国の文化領有と外地巡行:天勝一座の「サロメ」景福宮公演を中心に」 원영상「近代日本仏教の現実参与とアナーキズム」 이현경「信仰継承における「他者」の役割:韓国天理教三世信者を事例に」 石楿「大阪府A市立B中学校における「性教育バッシング」の事例」(日) 金英順「「駅弁」ネーミングにみる地域的特徴:九州を中心に」(日) 안병곤「韓日両国の生活ゴミ問題を通じて見た環境実態についての意識調査」 박옥련、이행화、장영선「近世韓日女性の階級別頭髪装身具の考察」 이영숙「日本SPAブランドユニクロ(UNIQLO)のビジネスモデル研究」 육근효「緑色供給チェーンにおける物質流通原価会計の有用性:日本製造企業の事例研究」 朴映泰、河鍾源「日本と先進外国のグリーン物流政策事例比較研究」(日) 김종택、이용철「仁川国際空港サービス品質重要度成就度分析:韓国と日本観光客を対象にして」 남상민「日本に対する心理的距離、敵愾心が日本製品イメージ及び購買意図に及ぼす影響」 유두련「韓日外食消費者行動特性比較研究:外食サービス品質重要度、不満足、再訪問意図を中心に」 『日本近代学研究』32, 2011.5 金楨憲「「断り表現」における「察し」:韓国語母語話者を中心に」(日) 박미해、이경규「日本語新造語生成の特徴に関する考察:ウェブサイト・テクストの用例を中心に」 金煕照「芥川龍之介『煙草と悪魔』論」(日) 李相福「岡本かの子の『母子叙情』論:かの女に投影されたむす子の情熱と母性愛」 강경구、権赫建「郁達夫の日本体験」 조규헌「柳田民俗学の稲作農業一元論継承が残した課題:一つ目小僧の再解釈を中心に」 제점숙「日本仏教の近代認識と開港期朝鮮:浄土宗の教育事業を中心に」 조홍미、안병곤「社会的観点から見た「オタク」の発生要因に関する研究」 노경국、박시사「ライフスタイルによる旅行商品選択属性に関する研究:済州訪問日本人観光客を対象にして」 이영진、송영민「日本観光客の国内ショッピング観光パターン特性分析:「2009外来観光客実態調査」資料を中心に」 山下利之、長縄久生、劉亨淑「心の硬さに基づく就職活動支援に関する研究」(日) 정수원「海外直接投資実態に関する韓日比較研究:東南アジア五カ国を中心に」 長江庸泰「日本型イノベーション戦略の探求:グリーンイノベーションの推進」(日) 李美永「韓日中の国際分業進化による釜山港背後地の国際物流ビジネス活性化方案」(日) 松本力也「環境経営戦略と社会貢献活動に関する一考察:川崎信用金庫の事例研究」(日) 『日本近代学研究』31, 2011.2 朴省姫「『特命全権大使米欧回覧実記』に現れる外国地名表記に関する研究」 金姫廷「韓日流行歌の煽動を表す語彙の考察:1925年から1960年までを中心に」 이경규、오영아「小説『真珠夫人』の敬語とジェンダー表現考察」 小笹克行「韓国の大学における交流プログラムの開発と運営:東西大日本語学科での取り組み」(日) 감영희「芥川の『今昔』への色彩的美学と造形」 허배관「北村透谷と徳富蘇峰の文学:「インスピレーション」から「内部生命論」へ」 진명순「夏目漱石の「画心」に関して」 阿武正英「夏目漱石の『道草』に関する一考察」(日) 石楿「「ジェンダー・バックラッシュ」問題の視点からみる女性政策:1980年代の日本の女性政策を中心に」(日) 黃止玧「日本の公教育における在日コリアンの民俗学級の意義と可能性:多文化教育という視点からみた在日コリアンの民族教育」(日) 金英順「駅弁の変遷と多様化:鉄道交通との関係を中心に」(日) 정희정、송민정、이석원「韓国と日本医療保険制度比較研究:本人負担率を中心に」 박구원「日本観光統計を通じてみた地域観光の消費構造についての考察」 李美花「韓国における日本食ビジネスの現状:日本食と日本酒のブームを中心に」(日) 송영민、이영진「観光案内体系評価を通じた日本個別観光客満足度影響要因分析」 이응진「日本飛鳥地域の農村観光導入による地域振興の発展に関する研究」 1-20 21-30 31-40 41-60
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方角地名(ほうがくちめい)は、地名を命名法・由来などをもとに分類した地名種類の一種である。地名表記の中に「東」「西」「南」「北」「中・中央」などの方角を表す語が含まれている物を指す。 ただし、方角が含まれていても、単なる当て字でその地名の由来が方角とは無関係である場合には方角地名とは言わない。加えて広義に捉えるならば、干支を方角に当てた表現の「巽」「乾」や、人から見た視覚的方向表現の漢字6字(前後上下左右)といった地名も含めることができる。 概要 市町村合併で、合併後の行政区域を称する適切な地名が無く、かといって広域地名を付けるのは無理がある場合に、方角地名が付けられる事例が多い。また、既存の市町村との同名回避のために方角を頭に付ける例や、郡や市町村を分割する際に、新しくできた区域にどの方角かを冠する例がある。 近年の市町村合併ブーム「平成の大合併」には、合併後の名称では、既存の地名の頭に方角を付けるケース(北○○市、東○○市など)が多く、これに対しては「ナンセンスだ」として地名研究家などからの批判も多い。 また、既存の市名との同名を回避するために方角を冠する例もある。以下に大まかな成り立ちを示す。 分類 由来による分類 ある地域を分割する際に方角を冠した 例:彼杵郡→西彼杵郡・東彼杵郡、桑田郡→旧北桑田郡・旧南桑田郡、賀茂郡→旧加西郡(加西市)・旧加東郡(加東市)、興部村〈現興部町〉から西興部村が分村、浅井郡→東浅井郡・西浅井郡(西浅井郡はその後伊香郡に編入されるが、旧西浅井郡二村が合併時に新村名として西浅井を採用。) その地域に隣接する著名(または主要)な地名にあやかって方角を冠した 例:西東京市、東大阪市、北名古屋市、旧京北町、住居表示に伴う町名変更〈北新宿、北上野など〉 その地域や周辺にある著名な川などの地形に方角を付した 例:川西市、西脇市(川の西(西岸=脇)、つまり川西と同じ意味)、旧沼南町、榛東村 ある地域の中でその地域がどの方角にあるかを付した 例:北九州市、東村山市、栗東市、周南市、玉東町、南鳥島、南丹市、各政令市にある北区等の行政区画、南町などの住居表示 同一の地域名が他に既に存在し、混同を避けるために方角や地名を冠した 例:東松山市、東久留米市、東大和市、北広島市、西インド諸島など(また、海洋の名称の場合『大西洋』については南北に分けて表現・表記することもある) その方角にある代表的な地域(街)であることを主張した 例:東京〈東の京〉、北京〈北の京〉、南京〈南の京〉 方角を冠した地名から、文字の省略や漢字の変更を行った 例:喜多方市〈北方→喜多方〉、北本市〈北本宿→北本〉西荻南、西荻北〈西荻窪→西荻南、西荻北〉 主な方角地名 自治体名 平成の大合併以前 北海道北広島市(北にある広島。広島県民が入植したことによる) 北海道空知郡南富良野町(富良野市に南接) 北海道空知郡南幌町(幌向〔ほろむい〕地区〔幌向原野〕の南部、「みなみほろ」から「なんぽろ」に読みを改称) 北海道上川郡東神楽町(神楽地区の東部) 北海道紋別郡西興部村(興部地区の西部) 福島県喜多方市(会津盆地の北方にあることから) 福島県耶麻郡西会津町(会津地方の西部) 茨城県北茨城市(茨城県の北部) 群馬県北群馬郡榛東村(榛名山の東) 埼玉県東松山市(東にある松山。松山市と区別するため) 埼玉県北本市(北足立郡で北にある本宿村→北本宿村から) 埼玉県秩父郡東秩父村(秩父郡の東部) 千葉県印西市(印旛郡の西部) 東京都(東の京) 東京都江東区(隅田川(江は川の意)の東岸) 東京都台東区(台〔上野山〕とその東の地域。あるいは康熙字典にある熟語「台東」から) 東京都東村山市(村山郷の東部) 東京都東久留米市(東にある久留米。久留米市と区別するため。※東京の久留米の意味もある) 東京都東大和市 - (東にある大和。大和市と区別するため。※東京の大和の意味もある) 神奈川県横浜市港北区(横浜港の北) 神奈川県横浜市港南区(横浜港の南) 神奈川県南足柄市(足柄上郡の南部) 長野県木曽郡南木曽町(木曽郡の南部) 岐阜県羽島郡岐南町(岐阜市の南) 岐阜県瑞浪市(土岐川の南にあることから、「水の南」の意) 静岡県伊東市(伊豆国の東部) 静岡県賀茂郡東伊豆町(伊豆国の東部) 静岡県賀茂郡南伊豆町(伊豆国の南部) 静岡県賀茂郡西伊豆町(伊豆国の西部) 静岡県湖西市(浜名湖の西) 愛知県名古屋市名東区(名古屋市の東部) 愛知県碧南市(碧海郡の南部) 愛知県江南市(木曽川の南にあることから、大きな川を意味する「江」の南) 愛知県知多郡南知多町(知多郡、知多半島の南部) 三重県員弁郡東員町(員弁郡の東部) 三重県度会郡南勢町(伊勢国の南部) 滋賀県栗東市(栗太郡の東部) 大阪府大阪市西淀川区(淀川右岸に沿った地域の西側) 大阪府大阪市東淀川区(淀川右岸に沿った地域の東側) 大阪府大東市(大阪府の東部) 大阪府東大阪市(大阪府の東部、大阪市の東) 大阪府阪南市(大阪府の南部) 大阪府泉南市(和泉国の南部) 大阪府豊中市(豊島郡の中央) 大阪府南河内郡河南町(河内国の南部) 兵庫県神戸市東灘区(灘区の東) 兵庫県川西市(猪名川の西) 兵庫県西宮市(市内にある廣田神社が、京の西方にある重要な神社(宮)であったことから) 兵庫県西脇市(加古川の西) 兵庫県加西市(賀茂郡西部にあたる旧郡名の加西郡から) 和歌山県海南市(海草郡の南部) 鳥取県日野郡日南町(日野郡の南部) 岡山県久米郡久米南町(久米郡の南部) 広島県東広島市(広島市の東) 徳島県阿南市(阿波国の南部) 高知県南国市(日本の南部に位置することから) 福岡県北九州市(九州地方の北部) 熊本県玉名郡玉東町(玉名郡の東部) 大分県国東市(元は「国埼」と書いたが、豊後国の東部に位置することから「国東」の字を当てた) 宮崎県日南市(日向国の南部) 鹿児島県肝属郡東串良町(串良郷の東部) 鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島の中央部) 鹿児島県熊毛郡南種子町(種子島の南部) 沖縄県島尻郡南大東村(大東諸島の南) 沖縄県島尻郡北大東村(大東諸島の北) 沖縄県島尻郡南風原町(首里の南(方言で「フェー(南風)」)に位置することから) 沖縄県中頭郡北中城村(中城村の北部に隣接) 沖縄県中頭郡西原町(首里の北(方言で「ニシ」)に位置することから) 平成の大合併以後 岩手県和賀郡西和賀町(和賀郡の西部) 秋田県北秋田市(秋田郡の北部にあたる北秋田郡から) 宮城県東松島市(松島町の東) 宮城県本吉郡南三陸町(三陸海岸の南部) 福島県南相馬市(相馬市の南、相馬郡の南部) 茨城県筑西市(筑波山の西) 東京都西東京市(東京都区部の西に隣接、東京都の西部) 千葉県南房総市(房総半島の南部) 新潟県南魚沼市(魚沼郡南部にあたる南魚沼郡から) 富山県南砺市(砺波郡の南部、砺波市の南) 石川県鹿島郡中能登町(能登半島、能登国の中部) 福井県南条郡南越前町(越前国の南部) 山梨県南アルプス市(日本アルプスのうち南に位置する赤石山脈(南アルプス)から) 長野県東筑摩郡筑北村(東筑摩郡の北部) 愛知県愛西市(愛知県の最西部) 愛知県北名古屋市 (名古屋市の北) 三重県度会郡南伊勢町(伊勢国の南部) 三重県北牟婁郡紀北町(紀伊国の北部) 滋賀県湖南市(琵琶湖の南 ただし琵琶湖とは隣接していない) 滋賀県東近江市(近江国の東部) 京都府南丹市(丹波国の南部) 兵庫県南あわじ市(淡路島、淡路国の南部) 兵庫県加東市(賀茂郡東部にあたる旧郡名の加東郡から) 島根県雲南市(出雲国の南部) 島根県飯石郡飯南町(飯石郡の南部) 島根県邑智郡邑南町(邑智郡の南部) 岡山県加賀郡吉備中央町(吉備国の中部) 広島県山県郡北広島町(広島市の北、広島県の北部) 山口県周南市(周防国の南部) 徳島県三好郡東みよし町(三好郡の東部) 香川県東かがわ市(香川県の東部) 愛媛県四国中央市(四国地方の中部) 愛媛県西予市(伊予国の西部) 愛媛県東温市(温泉郡の東部) 愛媛県南宇和郡愛南町(愛媛県の南部) 高知県香南市(香美郡の南部) 熊本県阿蘇郡南阿蘇村(阿蘇郡の南部) 鹿児島県肝属郡南大隅町(大隅国南部にあたる旧郡名の南大隅郡から) 鹿児島県南さつま市(薩摩国、薩摩半島の南部) 鹿児島県南九州市(九州地方の南部) かつて存在した自治体 北海道茅部郡南茅部町(現函館市) 北海道瀬棚郡北檜山町(現久遠郡せたな町) 北海道利尻郡東利尻町(現利尻郡利尻富士町) 北海道網走郡東藻琴村(藻琴地区の東部、現網走郡大空町) 岩手県和賀郡東和町(和賀郡の東部、現花巻市) 宮城県桃生郡河北町(北上川の北岸、現石巻市) 宮城県桃生郡河南町(北上川の南岸、現石巻市) 宮城県宮城郡東田中村(宮城郡内で東に位置する田中村、現多賀城市) 宮城県宮城郡西田中村(宮城郡内で西に位置する田中村、現仙台市泉区) 宮城県名取郡東多賀村(名取郡内で東に位置する多賀村、後の閖上町、現名取市) 宮城県名取郡西多賀村(名取郡内で西に位置する多賀村、現仙台市太白区) 秋田県由利郡東由利町(由利郡の東部、現由利本荘市) 秋田県仙北郡西仙北町(仙北郡の西部、現大仙市) 秋田県仙北郡中仙町(仙北郡の中央、現大仙市) 福島県北会津郡北会津村(会津の北、現会津若松市) 栃木県河内郡南河内町(河内郡の南部、現下野市) 栃木県足利郡坂西町(現足利市) 群馬県勢多郡北橘村(橘山の北、現渋川市) 群馬県勢多郡南橘村(橘山の南、現前橋市) 群馬県勢多郡城南村(赤城山の南、現前橋市) 群馬県群馬郡群南村(群馬郡の南部、現高崎市) 群馬県利根郡利南村(利根郡の南部、現沼田市) 長野県小県郡東部町(長野県の東部、小県郡の東部、現東御市) 埼玉県入間郡西武町(武蔵国の西部、現入間市) 埼玉県入間郡入西村(入間郡の西部、現坂戸市) 埼玉県比企郡東吉見村(吉見(横見郡)の東部、現比企郡吉見町) 埼玉県比企郡西吉見村(吉見(横見郡)の西部、現比企郡吉見町) 埼玉県比企郡南吉見村(吉見(横見郡)の南部、現比企郡吉見町) 埼玉県比企郡北吉見村(吉見(横見郡)の北部、現比企郡吉見町) 埼玉県児玉郡東児玉村(児玉郡の東部、現児玉郡美里町) 埼玉県大里郡江南町(荒川の南にあることから、大きな川を意味する「江」の南。現熊谷市) 埼玉県北埼玉郡北川辺町(埼玉県北部にあり、埼玉県で唯一全域が利根川北岸に位置することから地名「川辺」に北を冠した。現加須市) 千葉県東葛市(葛飾郡の東部にあたる東葛飾郡を省略、現柏市) 千葉県東葛飾郡沼南町(手賀沼の南、現柏市) 千葉県東葛飾郡南行徳町(行徳の南、現市川市) 東京都城東区(江戸城の東、現江東区) 東京府荏原郡東調布町(東にある調布、現大田区田園調布) 東京府北豊島郡西巣鴨町(巣鴨町の西部に隣接、現豊島区) 東京府南葛飾郡葛西村(葛飾郡の西部、現江戸川区) 神奈川県三浦郡南下浦町(現三浦市) 神奈川県足柄上郡北足柄村(現南足柄市、足柄上郡山北町) 静岡県田方郡中伊豆町(伊豆国の中央、現伊豆市) 静岡県榛原郡中川根町(川根3町の中央、現榛原郡川根本町) 静岡県浜北市(浜名郡の北部、現浜松市) 富山県婦負郡婦中町(現富山市) 愛知県尾西市(尾張国の西部、現一宮市) 愛知県西春日井郡西春町 (郡の省略形、現北名古屋市) 三重県飯南郡飯南町(飯野・飯高の南、現松阪市) 三重県員弁郡北勢町(伊勢国の北部、現いなべ市) 三重県度会郡南勢町(伊勢国の南部、現南伊勢町) 三重県度会郡南島町(島=志摩の南部、現南伊勢町) 滋賀県愛知郡愛東町(現東近江市) 滋賀県愛知郡湖東町(琵琶湖の東、現東近江市) 滋賀県甲賀郡甲西町(甲賀郡の西部、現湖南市) 滋賀県甲賀郡甲南町(甲賀郡の東部、現甲賀市) 滋賀県東浅井郡湖北町(琵琶湖の北、現長浜市) 滋賀県伊香郡西浅井町(浅井郡の西部、西浅井郡から、現長浜市) 京都府北桑田郡京北町(京都市の北部に隣接、現京都市右京区) 大阪府南河内郡南大阪町(大阪府の南部、現羽曳野市) 大阪府豊能郡東能勢村(能勢郡の東部、現豊能郡豊能町) 兵庫県出石郡但東町(但馬国の東部、現豊岡市) 兵庫県多紀郡西紀町(多紀郡の西部、現篠山市) 兵庫県多紀郡丹南町(丹波国の南部、現篠山市) 兵庫県津名郡北淡町(淡路島の北、現淡路市) 兵庫県三原郡西淡町(淡路島の西、現南あわじ市) 兵庫県三原郡南淡町(淡路島の南、現南あわじ市) 鳥取県八頭郡八東町(現八頭郡八頭町) 鳥取県東伯郡東伯町(伯耆国の東部、現東伯郡琴浦町) 鳥取県西伯郡西伯町(伯耆国の西部、現西伯郡南部町) 島根県大原郡大東町(現雲南市) 島根県八束郡東出雲町(出雲国の東部、現松江市) 岡山県上房郡北房町(現真庭市) 岡山県阿哲郡哲西町(現新見市) 岡山県勝田郡勝北町(現津山市) 岡山県英田郡作東町(美作国の東部、現美作市) 広島県世羅郡世羅西町(現世羅郡世羅町) 山口県阿武郡阿東町(阿武郡の東部、現山口市) 山口県豊浦郡豊北町(豊浦郡の北部、現下関市) 山口県美祢郡美東町(美祢郡の東部、現美祢市) 山口県玖珂郡周東町(周防国の東部、現岩国市) 香川県香川郡香南町(香川郡の南部、現高松市) 香川県三豊郡豊中町(三豊郡の中部、現三豊市) 香川県綾歌郡綾南町(綾歌郡の南部、現綾歌郡綾川町) 香川県仲多度郡琴南町(琴平町の南、現仲多度郡まんのう町) 香川県仲多度郡仲南町(仲多度郡の南部、現仲多度郡まんのう町) 愛媛県東予市(伊予国の東部、現西条市) 高知県香美郡香北町(香美郡の北部、現香美市) 佐賀県小城郡東多久村(現多久市) 佐賀県小城郡西多久村(現多久市) 佐賀県小城郡南多久村(現多久市) 佐賀県小城郡北多久村(現多久市) 佐賀県東松浦郡北波多村(現唐津市) 佐賀県西松浦郡南波多村(現伊万里市) 佐賀県神埼郡東脊振村(脊振山地の東、現吉野ヶ里町) 熊本県鹿本郡山東村(現熊本市) 熊本県玉名郡山北村(現玉東町) 熊本県玉名郡東郷村(現和水町) 熊本県菊池郡西合志町(現合志市) 熊本県阿蘇郡山西村(現西原村) 熊本県下益城郡東砥用村(現美里町) 熊本県八代郡北種山村(現八代市) 熊本県八代郡南種山村(現八代市) 熊本県球磨郡西瀬村(現人吉市) 大分県大分郡大南町(大分郡の南部、現大分市) 宮崎県東臼杵郡東郷町(入郷の東部、現日向市) 宮崎県東臼杵郡西郷村(入郷の西部、現東臼杵郡美郷町) 宮崎県東臼杵郡南郷村(入郷の南部、現東臼杵郡美郷町) 宮崎県東臼杵郡北郷村(入郷の北部、現東臼杵郡美郷町) 宮崎県南那珂郡北郷町(飫肥の北部を意味する郷名の飫肥北郷の略、現日南市) 宮崎県南那珂郡南郷町(飫肥の南部を意味する郷名の飫肥南郷の略、現日南市) 鹿児島県日置郡東市来町(市来郷の東部、現日置市) 地方名 北海道 東北地方 関東地方 中部地方 東山地方 北陸地方 東海地方 関西地方 方角を冠して地域を区分した区名 京都府京都市西京区(右京区から西部を分離) 大阪府大阪市東住吉区(住吉区から東部を分離) 広島県広島市安佐南区(安佐郡(安北郡+佐東郡)の南部 ※合成地名も参照) 広島県広島市安佐北区(安佐郡(安北郡+佐東郡)の北部 ※合成地名も参照) 福岡県北九州市小倉北区(旧小倉区の北部) 福岡県北九州市小倉南区(旧小倉区の南部) 福岡県北九州市八幡東区(旧八幡区の東部) 福岡県北九州市八幡西区(旧八幡区の西部) その他の方角地名 南西諸島 - 日本列島の南西 西表島(沖縄県八重山郡竹富町) - 石垣島の於茂登岳に対して西(イリ)の於茂登(ウムティ)から 方角をそのまま使用している市区町村名 東 東区 北海道札幌市東区 新潟県新潟市東区 静岡県浜松市東区 愛知県名古屋市東区 大阪府堺市東区 岡山県岡山市東区 広島県広島市東区 福岡県福岡市東区 熊本県熊本市東区 東村 沖縄県国頭郡東村 西 西区 北海道札幌市西区 埼玉県さいたま市西区 神奈川県横浜市西区 新潟県新潟市西区 静岡県浜松市西区 愛知県名古屋市西区 大阪府大阪市西区 大阪府堺市西区 兵庫県神戸市西区 広島県広島市西区 福岡県福岡市西区 熊本県熊本市西区 南 南区 北海道札幌市南区 埼玉県さいたま市南区 神奈川県横浜市南区 神奈川県相模原市南区 新潟県新潟市南区 静岡県浜松市南区 愛知県名古屋市南区 京都府京都市南区 大阪府堺市南区 岡山県岡山市南区 広島県広島市南区 福岡県福岡市南区 熊本県熊本市南区 北 北区 北海道札幌市北区 埼玉県さいたま市北区 東京都北区 新潟県新潟市北区 静岡県浜松市北区 愛知県名古屋市北区 京都府京都市北区 大阪府大阪市北区 大阪府堺市北区 兵庫県神戸市北区 岡山県岡山市北区 熊本県熊本市北区 中央、中 中央市 山梨県中央市 中央区 北海道札幌市中央区 埼玉県さいたま市中央区 千葉県千葉市中央区 東京都中央区 神奈川県相模原市中央区 新潟県新潟市中央区 大阪府大阪市中央区 兵庫県神戸市中央区 福岡県福岡市中央区 熊本県熊本市中央区 中区 神奈川県横浜市中区 静岡県浜松市中区 愛知県名古屋市中区 大阪府堺市中区 岡山県岡山市中区 広島県広島市中区 かつて存在した市区町村名 東 東村 福島県西白河郡東村(現白河市) 群馬県勢多郡東村(現みどり市) 群馬県吾妻郡東村(現東吾妻町) 群馬県群馬郡東村(現前橋市) 群馬県利根郡東村(現沼田市) 群馬県佐波郡東村(現伊勢崎市) 埼玉県北埼玉郡東村(現加須市) 東区 大阪府大阪市東区(現中央区) 西 西村 香川県小豆郡西村(現小豆島町) 南 南区 大阪府大阪市南区(現中央区) 南村 東京都南多摩郡南村(現町田市) 北 北村 宮城県桃生郡北村(現石巻市) 中央、中 中央町 岡山県久米郡中央町(現美咲町) 熊本県下益城郡中央町(現美里町) 中村 栃木県下都賀郡中村(現小山市) 栃木県芳賀郡中村(現真岡市) 京都市の行政区 京都市の行政区は北区、南区、西京区を除いて方角地名は、上中下左右などを冠する。上京・下京が歴史的に継承された名称であるが、中京(なかぎょう)は近代になって発生したものであり、左京・右京については、平安京の時に称されたものであるが、断絶がありその時に示されていた範囲とは同一ではない。ただし、「左京」が東、「右京」が西と、南面したときの左右に拠ることは、当時のとおりである。 上京区 - 市中北部 中京区 - 市中心部 下京区 - 市中南部 左京区 - 市北東部 右京区 - 市北西部 なお、西京区は右京区から分離した地名である。また、北区周辺を洛北、南区周辺を洛南、東山区周辺を洛東、右京区・西京区周辺を洛西と呼称することも多い。 日本国外の方角地名 方角を冠した国名 東ティモール(ティモールはマレー語・インドネシア語で東を意味する) 中央アフリカ 南アフリカ 北キプロス・トルコ共和国(トルコ共和国以外は承認していない) グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(いわゆるイギリス) ベトナム(越南:ベトナム語) ノルウェー(北の航路:ゲルマン語) オーストリア(東の国、東の土地:ドイツ語)- このため、ドイツ語読みにするとエステライヒとなる(英語読みにすればオーストリーと語尾を長音で伸ばす) オーストラリア(南の土地:ラテン語) ユーゴスラビア(南のスラブ人の国) 西サモア(現・サモア、サモア諸島西部) 南オセチア(ロシア、ニカラグア以外は承認していない) 南スーダン(スーダンの南部、スーダン共和国から2011年に独立) 冷戦時代には1つの国が2つに分断されて方角を冠した国名になった例がいくつかあるが、これらは通称であり正式国名には方角を冠していない場合が多い。 (例:ドイツ民主共和国〈東ドイツ〉、ドイツ連邦共和国〈西ドイツ〉、ベトナム民主共和国〈北ベトナム〉、ベトナム国〈南ベトナム〉、朝鮮民主主義人民共和国〈北朝鮮〉、イエメン・アラブ共和国〈北イエメン〉、イエメン人民民主共和国〈南イエメン〉) 方角を由来とする行政区域名 ロシア ウラジオストク(「東方を征服せよ」の意:ロシア語) 北オセチア共和国 中国 北京(北の京) 南京(南の京) 山西省(太行山脈の西) 山東省(太行山脈の東) 河北省(黄河の北) 河南省(黄河の南) 湖北省(洞庭湖の北) 湖南省(洞庭湖の南) 雲南省(雲嶺山脈の南) 江西省(江南の西) 陝西省(陝原の西) 済南市(済水の南) 台湾 台北市・台北県(台湾の北) 台中市・台中県(台湾の中部) 台南市・台南県(台湾の南) 台東県(台湾の東) 韓国 忠清南道・忠清北道(忠清道の南北分割) 全羅南道・全羅北道(全羅道の南北分割) 慶尚南道・慶尚北道(慶尚道の南北分割) ソウル特別市中区 ソウル特別市江南区(漢江の南) ソウル特別市江東区(漢江の東) ソウル特別市江北区(漢江の北) ソウル特別市江西区(漢江の西) ソウル特別市城東区(京城(ソウルの旧名)の東) ソウル特別市城北区(京城(ソウルの旧名)の北) 釜山広域市江西区(洛東江の西) 大邱広域市達西区(達城郡の西部) 京畿道南楊州市(楊州郡の南部を分割) 京畿道城南市(京城(ソウルの旧名)の南) 慶尚南道南海郡(南方の海に面するから、転也山郡を757年に改名) 全羅南道東光陽市(光陽の東。1989年から1995年まで存在。1995年に光陽郡と統合して光陽市に) 北朝鮮 黄海南道・黄海北道(黄海道の南北分割) 平安南道・平安北道(平安道の南北分割) 咸鏡南道・咸鏡北道(咸鏡道の南北分割) アメリカ合衆国 ノースカロライナ州 サウスカロライナ州 ノースダコタ州 サウスダコタ州 ウェストバージニア州(バージニア州から西部が分離) ウェストニューヨーク(ニューヨーク市の西隣) カナダ ノースウエスト準州 オーストラリア ニューサウスウェールズ州 南オーストラリア州 西オーストラリア州 ノーザンテリトリー準州 ニュージーランド パーマストンノース ドイツ連邦共和国 ノルトライン=ヴェストファーレン州(ラインラントの北とファーレン地方の西) フランス共和国 コルス=デュ=シュド県(コルシカ島の南) ノール県(フランスの最北端) ピレネー=オリアンタル県(ピレネー山脈の東) イギリス 北アイルランド(アイルランド島の北部) 方角を字に含む方角に由来しない地名 日本国内 北海道空知郡北村(現岩見沢市) - 開拓功労者北村雄治から。 岩手県北上市 - 日高見(ひたかみ)から変化した北上川及び北上盆地に由来。 宮城県桃生郡北上町(現石巻市) - 北上川の河口に位置することから。 山形県南陽市 - 中国の古語「南陽の菊水」に由来。 福島県耶麻郡北塩原村 - 北山、大塩、檜原の合成地名。 埼玉県北埼玉郡騎西町(現加須市) - 私部(きさいべ)から変化(他に埼玉郡の西部から埼西郡に由来という説もある)。 千葉県山武郡成東町(現山武市) - 鳴涛から変化。(成田市とは全く隣接していないので「成田の東」ではない。) 千葉県東金市 - 鴇嶺(ときがね)から変化。 山口県新南陽市(現周南市) - 中国の古語「南陽の菊水」に由来。 宮崎県西都市 - 斎殿原(さいとのばる)から変化(元来はつきどのと読んだ)。 関連項目 地名 市町村合併 ひらがな・カタカナ地名 合成地名 広域地名 瑞祥地名 Template DEFAULTSORT ほうかくちめい
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北海道 札幌市男女共同参画センター 慰安婦捏造詐欺の元ネタ → 朝鮮南部連続少女誘拐事件 1932年(昭和7年)から1939年(昭和14年)にかけて、日本統治時代の朝鮮の南部地域(慶尚道・全羅道地域)で続発した連続少女誘拐事件である 犯人は京畿道京城府本町(現大韓民国ソウル特別市中区忠武路)在住の朝鮮人夫妻で、 夫は大田刑務所の元看守であった。 1932年(昭和7年)に、夫は大田刑務所を退職したが、転職の当てがなかったため、とたんに生活が苦しくなった。 そして「金儲けは娘誘拐に限る」と称し、妻と共謀して★連続少女誘拐と人身売買★を手がけるようになった。 犯行の手口 慶尚北道大邱府南山町(現大邱広域市中区南山洞)の民家に犯人夫妻が訪れ、「俺は京城でも相当な資産家だ。子守娘を雇うのだが、君の娘はどうだろうか。京城の娘はどうも生意気で・・・」と言葉巧みに親を説得し、前金として10円を支払い、その家の娘(当時18歳)を引き取った。その後、娘を京城ではなく 中華民国の天津に連れて行き、1000円で売り飛ばしたという。 その後の7年間、同様の手口で朝鮮半島南部の少女約150人を拐し、 当時は日本人と朝鮮人などの植民地の人間はパスポートなしで渡航できた満州国や中華民国の人身売買市場に連れて行き、約60000円を荒稼ぎしたという。 加害者及び被害者が全員朝鮮人だったことから、朝鮮語メディアである東亜日報や朝鮮日報が特集を組むなど、大きく取り上げられた。 国会での事実確認追及を強く求めます! 当時の記録はきちんと残っています。 朝鮮半島引き上げ時の日本女性の悲劇 1 「二日市保養所」 二日市保養所は、福岡県筑紫野市にあった厚生省引揚援護庁の医療施設。 ここでは、 レイプ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行いました。 当時堕胎は違法行為(堕胎罪)でしたが、厚生省は超法規的措置として黙認しました。 終戦直後より在満、在朝の日本人は塗炭の苦しみを味わいました。 追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏む事なく無念のうちに斃れた者も少なくなかったのです。 これに加えて女性は、朝鮮韓国人やソ連兵等による度重なる強姦を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいました。 そして強姦により妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出たのです。 日赤看護婦だった村石正子さんは、46年、同保養所で約三カ月勤務。「堕胎は違法と知っていたが、心ならず妊娠した女性は故郷にも帰れなかった。ただ救いたい、という一心だった」 と当時の様子を証言しています。 処置後、「悔しい」という言葉を残して亡くなった17歳の師範学校女生徒の事等を思いだすにつけ、村石さんは自分の過去に苦しめられたが、50年余りがたち「歴史の 一ページとして証言しなければならない」と思ったといいます。 http //sarahctr.iza.ne.jp/blog/entry/2221132/ 厚生省「超法規的措置」で保養所開設 二日市保養所。 入り口脇には「厚生省博多引揚援護局保養所」の看板 がかかっていた(福岡市総合図書館所蔵「博多引揚援護局史」より) 「不幸なるご婦人方へ至急ご注意!」。満州(現中国東北部)や朝鮮半島から博多港に向かう引き揚げ船では、こんな呼びかけで始まるビラが配られた。 「不法な暴力と脅迫により身を傷つけられたり……そのため体に異常を感じつつある方は……」「診療所へ収容し、健全なる体として故郷へご送還するので、船医にお申し出下さい」 全文を読んでも、どのような治療を行うのか明示されていなかったが、ソ連(当時)の兵隊などの暴行で妊娠していた女性には見当が付いた。 中絶手術。優生保護法が1948年に成立するまで、原則、違法とされた手術だった。 ビラを配ったのは、現在の韓国の首都ソウルにあった京城帝大医学部の医師たちのグループ。このグループは終戦後の朝鮮半島で日本人の治療に当たっていたが、ほとんどは45年12月ごろに帰国。引き揚げ者の治療を続けるため、 外務省の外郭団体「在外同胞援護会」に働きかけ、 グループ全体を「在外同胞援護会救療部」に衣替え。 46年2月、博多港に近い日本最古の禅寺「聖福寺」に、診療所「聖福病院」を開設した。 帝大医学部の医師たちが、なぜ、違法な手術を決断したのか――。きっかけは、暴行されて妊娠した1人の教え子の死だったという。このグループの一員で、京城女子師範学校で講師も務めた医師は、引き揚げてきた教え子と久々に再会した。しかし、話しかけても泣くばかり。両親から「ソ連兵に暴行されて妊娠した」と打ち明けられた医師は、グループの他の医師と相談して中絶手術に踏み切ったが、手術は失敗し、女性も胎児も死亡した。 すでに、博多港に着きながら、暴行されて妊娠していることを苦にした別の女性が、海に飛び込んで自殺する事件も起きていた。 外国人との間に生まれたとすぐにわかる子供を連れた母親が1人で故郷に帰り、新しい生活を始めることは極めて難しい時代。医師たちは、目立たない場所に別の診療所を作り、ひそかに中絶手術を行って故郷に帰そうと考えた。 医師らから提案を受けた厚生省(当時)博多引揚援護局は福岡県と交渉し、同県筑紫野市・二日市温泉の一角にあった広さ約420平方メートルの木造2階の建物を借り上げた。 旧愛国婦人会の保養所で、博多港から車で約40分。交通の便は良く、浴室にいつも温泉がわいている建物は医療施設としても好都合で、医師たちは医療器具を持ち込み、46年3月、「二日市保養所」を開設した。 厚生省が違法な手術を行う医療機関開設に踏み切った背景について、当時、聖福病院に勤務していた元職員は 「妊娠は、暴行という国際的に違法な行為が原因。国は目をつぶって超法規的措置を取ったのだろう」 と推測する。 京城日赤病院に勤務していた村石正子さん(80)(筑紫野市)は、45年12月に帰国した後、母親のふるさと・種子島で暮らしていた。「仕事を探しているなら二日市に来るように」。約3か月後、日赤幹部から1枚のはがきが届いた。 二日市保養所を訪ねると、京城日赤病院時代の看護師10人が集まっていた。医師から仕事の内容を聞かされ、風呂場を改造して手術台と戸棚を置いただけの“手術室”に案内された。宿舎としてあてがわれた2階の10畳の和室では、「中絶手術って違法じゃないの?」と話し合った。 だが、悩んでいる余裕はなかった。数日後、トラックが到着した。荷台に乗っていたのは、短い髪に汚れた顔、男性用の服をまとった人たち。「男か」と思ったが、下腹部の膨らみを見れば女性であることはすぐにわかった。 引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐 「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。 みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮_人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」 「博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。 強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。 また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。 「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、「水子の譜」に収録されている。 同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、 強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、 次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。 「正論」 平成17年 11月号 http //megalodon.jp/2013-0424-1402-06/fujisansaikyo.blog70.fc2.com/?mode=m no=273 韓国政府は真実が書かれた都合の悪い本を発売禁止にした 「竹の森遠く」は、1986年にアメリカで出版されました。 2005年に韓国でも「ヨーコ物語」という題名で出版さ れていますが後に発売中止となりました。 韓国にとって都合の悪い本なので、韓国政府は発売を禁止したのでしょう。 この本の内容は、大東亜戦争末期、朝鮮半島からの引き揚げ時、当時11才であったヨーコさんと家族が目撃した史実が書かれています。 韓国人らに追い回されて命からがら日本へ逃げ、韓国を抜けだす過程で日本人が韓国人に強姦され、暴力により日本人の人々が死んで行った目撃談です。 「So Far from the Bamboo Grove」は、1987年からアメリカの学校で社会科の教科書として採用されています。 続編の「My brother my sister and I」も、ニューヨーク・タイムズ最高賞、Publishers Weekly最高賞等多くの賞を受賞しています。 彼女の著書と講演に感動した多くの学生達の推薦により、1999年には、ピース・アビーから平和賞が贈られました。 この賞は、世界的に有名なガンジーやマザーテレサ等、平和に貢献した人達に贈られる賞です。 http //ameblo.jp/sankeiouen/entry-10846078192.html 日本国民を本気で怒らせたので、真実はどんどん暴かれる 慰安婦捏造詐欺の裏 「竹の森遠く」は、敗戦後の朝鮮半島で日本に引き上げようとする日本人達が、現地の朝鮮人によって、殺人・強姦・陵辱の被害を受けるドキュメントタッチの小説(韓国題「ヨーコ物語」)で、 この物語がアメリカの推薦図書になっている ので、在米韓国人社会と韓国本国で(小説も作者も)一大排斥運動が生じているのだ。 作者のヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏は、一連の騒動の後、在米国韓国人団体から助っ人を依頼された731部隊研究の世界的権威(と自称する)ダニエル・バレンブラットなる人物から、執拗な吊るし上げを受けた模様である。 ネイティブアメリカンを絶滅寸前まで追い込み、原爆で広島・長崎の一般市民までジェナサイドし、石油欲しさにイラクで好き放題を演じているアメリカ人が、正義派ヅラしてヨーコ氏に父親と731部隊の関係を迫るとは笑止千万だ。 大体、自分が奉じる正義に酔った人間が繰り広げる行動ほど、始末に終えないものはない。 韓国各紙のプレス発表から伺い知れることは、ダニエル氏ならびに在米韓国人社会が導き出したい結論は、「竹の森深く」を著したヨーコ・カワシマ・ワトキンス氏の父親が、何がなんでも731部隊に関わった人間でないと困るようなのだ。 日本のマスコミでは、こうした一連の動きは一切報じられてはいない。 http //blog.radionikkei.jp/shimizu/140.html なぜ男女共同参画予算で歴史的真実を隠蔽し、事実無根の捏造を広めているのでしょうか? 二鬼子(アーグイズ) ・・・ 在日朝鮮人に占拠された日本メディアのタブーワード www 中国大陸が日本の支配下に置かれていた時期に、満州に住んでいた中国人が、 朝鮮人日本兵もしくは朝鮮人警察官を指して使った中国語の蔑称 転じて、朝鮮人その物に対する蔑称でもある。 当時、日本軍は中国人に日本鬼子や鬼子兵と呼ばれており、朝鮮人はその下で働いていたので二鬼子と呼ばれるようになった。 似た意味の言葉に高麗棒子がある。 「二鬼子(意味は、傀儡(かいらい)軍)」、「高麗棒子」、これらの名称はすべて満州の国民の朝鮮日本兵と警官に対する俗称です。 蔑称の由来 「二鬼子」は傀儡軍: 満州国の領土で生活していた老人いわく、 「二鬼子」は第2次世界大戦時を指し、日本の関東軍を助け満州国を管理する朝鮮警察である。 第二次世界大戦の中国への侵略した日本軍は、中国の庶民に、、日本の畜生、畜生兵と称されていた。 朝鮮の警察は、日本人のサービスに替わったもので、地位は日本人より高くない。だから“かいらい軍”といわれる。 「高麗棒子」 日本人は、朝鮮半島人に対して信用しない。 だから、朝鮮の警官には、手に武器がありません。 朝鮮警察は、朝鮮婦女服の洗濯の棒を、人を打つ武器にするしかしようがなかった。 満州の国民が、彼らをあざ笑うのためにいったのが、「高麗の棒」です。 http //xianxian8181.blog73.fc2.com/category36-1.html 「私は日本人を非常に尊重する。日本人は絶対、後から刃物でささない。だが、高麗棒子(中国人 が韓国人を侮って呼ぶ卑語)は違う。」 台湾のテリー・ゴー(郭台銘)鴻海(ホンハイ)精密工業会長 インドネシアで現地人を虐待していた朝鮮人憲兵 (二鬼子 www) ■ 「ニッポンは誤解されている」 日本教文社 1988 年 アルフレッド・スムラー著 (フランスの雑誌リマッチ特派員) 別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりは毛頭ないが、 占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。 その多くは憲兵隊に属し、のち戦犯に指定された。 たとえば戦後十年たってインドネシアで現地民の証人たちが私に話してくれたところによると、彼らは当時これらの警察官から自分たちを保護してくれた点では日本の陸、海軍に感謝しているそうだ。 月刊誌「DATUMS」1995 年10 号 キヤンガン、山下将軍降伏の地―フィリピンの心象風景 色平 哲郎 内科医 http //www.net-ric.com/advocacy/datums/95_10irohira.html インドネシアで現地人を虐待していた朝鮮人憲兵 (二鬼子 www) その2 山では仲間どうしの信頼関係が全てだ。 韓比日の3人で風雨の中、ピークを踏む寸前のこと、小休止のときアンがコリアンと知らないフィリピン人の彼が言った 日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。 赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。 皆がそう信じている。 一気に遭難しそうになったパーティを何とか支えつつ、私はキアンガンの将軍の亡霊を見たような心持だった。その日も各地でこの噂のような言説をきくたびに、愛国者たるアンの胸中が想われてならない http //megalodon.jp/2013-0320-0808-04/resistance333.web.fc2.com/html/japanese_army_and_misunderstanding.htm 中国人による二鬼子についての証言 中国人は真実を知っている 「日本軍は香港で何をしたか」 著者 謝永光 翻訳 森幹夫 社会評論社 1993 年 36~37頁 九龍が占領された翌朝、農夫の姿に変装した二人の女性が、有名な作家侶倫(原名李林風)の家の門を叩いた。 頭巾をとると、鑽石山(ダイヤモンド・ヒル)の某映画製作所に避難していた女優であることが分かった。 彼女たちは恐怖に引きつった表情で、日本軍の馬丁に暴行された昨夜の出来事を打明けた。 当時の鑽石山はまだ一面の荒れ山で、未完成の映画制作所があるだけだった。 製作所の経営者は避難してきた彼の会社の管轄下の職員や俳優をかくまっていた。 最初の数日間は平穏無事で、「皇軍」の姿は全くみられなかった。 ところがある日、突然五、六人の‘獣兵‘が現れ、麻雀をしていた四人の女優を輪姦したという。 前述の女優は日本軍の馬丁に暴行されたが、この馬丁とは恐らく朝鮮人に違いなかった。 当時朝鮮は亡国の運命を辿り、台湾も日本の植民地であった。 日本は兵力不足のため、大量の朝鮮人や台湾人が戦場に駆り出されていた。 香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、 日本の正規軍よりももっと凶暴だった。 このとき民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、 ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。 当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。 http //megalodon.jp/2013-0320-0808-04/resistance333.web.fc2.com/html/japanese_army_and_misunderstanding.htm 中国人による二鬼子についての証言 中国人は真実を知っている その2 「日本軍は香港で何をしたか」 著者 謝永光 翻訳 森幹夫 社会評論社 1993 年 142頁 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (日本軍占領下の香港では) アヘン販売や売春市場は、朝鮮人が中心となって取り仕切っていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『古野直也著 朝鮮軍司令部 1904/1945 国書刊行会』p.132-133 昔から日本人は語学が拙ない。 地理・世情に不案内で朝鮮語がわからないから、どうしても朝鮮人の警官や憲兵補助員に頼ることになる。 ところがこれらの連中に不良が多く、住民を脅して私腹を肥すやら、女に手を出すやらの悪徳ぶりで、日本側はその取締りに忙しかったという。(略) 日中戦争中でも中国語が堪能な日本軍人はいないから、中隊単位で朝鮮人の通訳を雇う事になるのだが、この通訳は中国人を生かすも殺すも自由自在に裁量できるから蓄財に励む悪者が多く、日本軍が中国民衆に怨まれる大きな原因となった。 通訳の中には、日本人の名前の標札を持ち歩いて中国人の門に打ち付けて豪邸を占拠する者がいたし、スパイだといって逮捕し、釈放するといって身代金を取ったりして連隊の中の高額所得者は朝鮮人通訳だった例が多い。 中には雇いもしないのに軍隊の後方をのこのことついて歩く偽通訳もいた。 便利だからと使用してみると、いつの間にか日本軍の制服を貰って住み着いてしまうのだった。 http //megalodon.jp/2013-0320-0808-04/resistance333.web.fc2.com/html/japanese_army_and_misunderstanding.htm 強制連行は徴用の歪曲 日本にいる朝鮮人は100%本人の意思で来日 1938年 国家総動員法 (国民徴用令は1939年)が成立 → 日本、台湾 15~45歳までの男子、16~25歳までの女子が徴用 → 朝鮮 徴用の代わりに、内地の企業による求人活動が許可される 1942年 人手不足により、「官斡旋」による募集が始まる → 日本、台湾 既に徴用済み → 朝鮮 日本企業への就職が斡旋される。しかし、雇用先を辞めても罰則なし。 1944年 朝鮮に初めて徴用令発布 (実質、六ヶ月間で終了) → 日本、台湾 既に徴用済み → 朝鮮 ★本人の意志を優先した★為、達成率は79%に留まる。 → 徴用で来日し、戦後残留した朝鮮人はわずか245 人 (外務省公式発表、朝日新聞報道済) 参考)「教科書が教えない歴史 (4)」 藤岡信勝 平成9年 扶桑社 http //resistance333.web.fc2.com/html/corea_living_in_japan.htm 在日の正体 米国公文書の秘密文書を調査したブルース・カミングス・シカゴ大学教授 戦前は、一大畜産地・済州島で牛の疫病が発生して生活難に陥った島民が、当時 存在した済阪航路に乗って大阪に大量流入し、その後全国に広がった。 大阪や東京では7割ぐらいを同島出身者が占めていた。 戦後も在日ネットワークを頼って1970年頃まで韓国人の日本への密入国が続いた。 在日における済州島出身者の比率の異常な大きさと、朝鮮半島の総人口に占める同島民の比率の小ささを考えると、朝鮮総督府の土地調査事業で土地を奪われた農民が、仕事を求めてやむなく来日したというのも嘘だとわかる。 今日の在日韓国・朝鮮人には、戦後の密入国者とその子孫がかなりの比率を占めている。 日本政府は、在日の永住権を巡る韓国政府との外交交渉で、密入国者に関しても寛大に扱った。 http //resistance333.web.fc2.com/html/corea_living_in_japan.htm
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ウィキペ参照事件とは、2011年9月9日~2012年1年30日にかけ、 【一領具足】戦国時代の兵農分離【郷士】 スレッドで 起きた事件。 だがが史料をウィキペディアから引用している事が露見した。 スレが立った側から、信長アンチがコピペを貼った。 4 :人間七七四年:2010/02/28(日) 17 36 54 ID PKi4YTnt 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは 各自に任されていた。 これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。 従って武篇道と戦果が問題となる。 (中略) 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。 それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を 戦っていかなければならない。 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が なされていないからこそ生じた問題であろう。 それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。 それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。 この問題の解決は秀吉の課題となる。」 9 :人間七七四年:2010/02/28(日) 21 20 29 ID T3EeA+Ty 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは 各自に任されていた。 これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。 従って武篇道と戦果が問題となる。 (中略) 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。 それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を 戦っていかなければならない。 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が なされていないからこそ生じた問題であろう。 それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。 それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。 この問題の解決は秀吉の課題となる。」 10 :人間七七四年:2010/02/28(日) 22 17 18 ID dvtTqF9i 9 それで北条・武田の動員兵力は単独で織田以上出すことが出来るのかw そんなきちきちに決めなければならないほど織田家は兵に困っていたわけではないw 11 :人間七七四年:2010/02/28(日) 22 33 10 ID g1lD5vug 武田、北条が細かい兵役を定めたのは貧しい地域で少しでも多くの兵士を集めるための苦肉の策だったのかな 12 :人間七七四年:2010/03/01(月) 02 44 44 ID CygL7hyG 努力して兵を集めても織田には及ばないということか? 16 :人間七七四年:2010/03/01(月) 12 16 53 ID 9mkGAgai 最近 9のような北条・武田は石高に応じて兵役を決めたから革新的 織田はむしろ遅れていたと主張するのが流行ってるらしいね 実際は後進地域が少しでも周りの勢力に対抗するための必要に迫られた 制度だったんだろう 戦国時代の話題としてはポピュラーな兵農分離。 いまだに分からない事も多いようだが、それは本題ではないので置いておこう。 問題は 4 9のコピペ元である「織豊政権と江戸幕府(著・池上裕子)」。 読んでみればすぐ分かるが、この本は不当に信長を低く評価しており、信長アンチのバイブルとも言える本である。 話は 51がこの本の感想を述べたところから始まる。 51 :人間七七四年:2011/09/09(金) 00 31 40.75 ID Q4gMti3q 9 この本読んだけど、全然ダメだった。 52 :人間七七四年:2011/09/09(金) 03 43 47.50 ID /yAKlicF 51 どうダメだった? 53 :人間七七四年:2011/09/11(日) 23 04 11.32 ID cNLoH+v9 52 ・もし信長が生きててもあれ以上の事はやらなかっただろうと勝手に断定し、「信長の限界( 9)」などと言う ・理由も語らず安土宗論をインチキ呼ばわり ・相変わらず残酷で厳しい信長、優しい秀吉というイメージで物事を語る ・それでいて朝鮮出兵では「朝鮮侵略での秀吉の残虐行為」という項を設ける ・朝鮮の地名のルビが朝鮮語。慶尚道は「けいしょうどう」ではなく「キョンサンド」。どうでもいいが ・家康が各大名を弾圧しまくった件についてはほぼスルー 至極まっとうなレスを返す 51= 53。 だがこれに噛みつく奴がいた。 御存じ、アスペルガーだがである。 54 :人間七七四年:2011/09/13(火) 01 32 57.39 ID fJ4YLXZt 53 そりゃお前の読み方が全然ダメだわwお前が予断で読み過ぎてるだけの話 冷静に返される。 55 :人間七七四年:2011/09/15(木) 18 48 08.88 ID CIBVxVbA 書いてあった事しか書いてないのに予断もなにも 56 :人間七七四年:2011/09/16(金) 08 34 02.69 ID atFUnX96 55 スクリプトだからほっとけ。 煽られて反論できなくなった → ○○ 必 死 だ な (w 予期せぬ自分の無知で煽られた → 釣れた → わーマジレス返ってきたよ 言い返せないけど 負けは認めたくない → ( ´,_ゝ`)プッ → 無知白痴は黙ってろ → 知能障害をおこす → 放置出来ないお前も厨なんだよ(w 相手の精神的に追い詰めてやる → ブラクラ、グロ画像のURL貼り → テンプレ(○○の特徴)、オタ系のAAで煽る → ○○Uzeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee 最後の悪あがき → IP抜くぞゴルァ! → 知り合いのハッカーが(ry → スクリプトによる連カキ ←今ここ → 他のスレで相手のレスを貼って皮肉を吐く 完全敗北 → F5連打 → 田代砲 いつも通り、見苦しい自己弁護をするだが。 58 :人間七七四年:2011/11/27(日) 19 45 00.78 ID AXEQWciE 55 実際に信長は生きててもあれ以上はできないとおもうし その内部制度が粗雑で欠陥だらけだったのも事実 単なる事実述べられてるだけじゃね 56 そんな迷惑なことやるのは必死でニートな織田厨くらいだろ ちなみに、信長が石高に基いて軍役を課そうとしていたことは、次の史料によって証明されている。 昨日廿五為御上使到南都着候、仍当国知行方糺明之儀被付従其軍役等之事可申付之旨上意候、 此折紙参着次第早々可有参上候、知行方之様子存知之輩可被下□□□□可申渡候、恐惶謹言、 惟任日向守 九月廿六日 光秀(花押) 滝川左近 一益(花押) 白土殿 (「郡山町史」所収、仲覚三氏所蔵文書) ●前半の現代語訳 昨日25日に(信長の)上使として南都(大和国)に到着した。 当国の知行関係を明らかにし、それによって軍役を課したいとの上意である。 そのまんまの意味である。 多聞院日記などとの内容の一致から、この文書は天正8年の大和検地の時に出されたものと比定されている。 このあと軍役がどうなったのかは不明だが、少なくとも信長には軍役を課すという意志があったことは確認できる。 上記の「織豊政権と江戸幕府」は、『最新の研究を反映している』と謳っているらしいのだが、この史料のことは知らなかったらしい。 この史料ががいつ発見されたのかは分からないが、筆者の知る限り、1985年に出版された「織田政権の研究(1985年)」でも引用されている。 それはともかく、速攻で正体がバレるだが。 59 :人間七七四年:2011/12/17(土) 02 22 03.36 ID fVeDDd9R 58 だがさんちーっすw だがさんの上洛スレ64事件 http //www26.atwiki.jp/dagamatome/pages/20.html >実際に信長は生きててもあれ以上はできないとおもうし 何の根拠もなくお前が思ってるだけじゃあな。 >その内部制度が粗雑で欠陥だらけだった お前の妄想。 60 :人間七七四年:2012/01/27(金) 22 04 59.44 ID NZrL5Wd9 59 廃人ニート織田厨君ちーッスww 相変わらず廃人ニートで妄想しかかけない馬鹿丸出しでワロスww 結局自演かどうかの証拠だせなかった事例を大威張りでまとめられてもな 結局証拠みつけられなかったわけだw 根拠あるぞ 信長の生涯はそれこそ離反・虐殺・粛清のオンパレードだった 本能寺の後でそれこそ反乱おきまくりで 家臣も誰も織田家を守ろうとしなかったくらいに結束力ももろいもの さらには統治体制も適当で 武田攻め程度の距離で兵糧におっかなびっくりになるくらいの適当体制 こんな体制で信長みたいな人間性じゃそれこそ拡大すればするほど崩壊する危険性は高まるだけ ま、信長のやり方じゃ日本統一する前に寿命尽きて死亡するか、 もしくは本能寺に類する謀反おきて死亡して崩壊するか、 領国離反が相次いで収拾つかなくなって崩壊するか、 いずれかの道しか残されてないような感じだな よくて一代限りの政権だよ 残念だったな、廃人ニート織田厨www お前の馬鹿げた妄想と違って現実はこんなもんww 余裕の態度で対応されてしまう。 61 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 06 15.53 ID xJWJMxCI 60 9を百ぺん読んで出直してきな。だがさん だがが真っ赤になって反論。 62 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 11 36.72 ID KgfZ+JpP 61 9を100回読んでも 信長政権とやらがろくに兵力指示すら出来ず、領内整備もろくにしてない適当体制だった事が 明白にわかるだろ お前こそ 9に書かれてる文章の中身本当に理解できてるのか? ひょっとしてコピペ長文が読めずに無条件で信長礼賛だと思い込める幸せ回路全開の馬鹿ですかww あ、廃人ゴミニート織田厨だったねwwごめんごめんww 当然の反論をされる。 63 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 24 18.92 ID xJWJMxCI 62 折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは 各自に任されていた。 とあるが、その折檻状で信盛を「俸禄に応じて家臣をちゃんと召抱えていない」と書かれている。 よって君の言う「ろくに兵力指示すら出来ず」は間違い。 また信長は領内全てで道路工事をしている。 よって「領内整備もろくにしてない適当体制」というのも間違い。 「俸禄に応じて家臣をちゃんと召抱えていない」とは、折檻状の次の項を言っているのだろう。 一、先々より自分に拘へ置き候者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新季に侍をも拘ふるにおいては、是れ程越度はあるまじく候に、しはきたくはへばかりを本とするによつて、今度、一天下の面目失い候儀、唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事。 だがが史料をねじ曲げ、無理やりな反論をする。 64 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 45 06.62 ID n82zEiCO 63 そっちのほうこそ間違いw 折檻状においては「せっかく俸禄与えても譜代家臣の俸禄揚げたり、人を養わないで、自分の蓄財増やすだけ。 それで結局面目を失うような事態になった」とけなしてる。 つまり、ここで問題になってるのは「手柄を上げられず面目を失った事」であって 「人を雇わなかったことじゃない」のねwww 文章みればわかるはずなのにワロスww それから「領内すべてで道路工事」てどこの世界の話ですかww むしろ領内全域から見ればやったところのほうが少ないわww ためしにやったというところあげてみなww てかろくに裁判も出来ずに、「俺の指示受けろ」といいつつ指示出さなくて 困った挙句代官が現地に丸投げしてる適当体制がなんだっていうんだかww 65 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 59 42.93 ID xJWJMxCI 64 信長政権とやらがろくに兵力指示すら出来ず 62 ↓ してる 63 ↓ 折檻状で問題にしてるのはそこじゃない 64 以上、話の論点ずらし乙。 >むしろ領内全域から見ればやったところのほうが少ないわww >ためしにやったというところあげてみなww 1575年の時点で尾張・美濃・近江・山城・摂津・河内・三河・遠江。 その後も領国全部で拡張されている。 66 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 05 57.57 ID n82zEiCO 65 論点ずらししてんのはお前だっつのww 信長政権が兵力指示ろくに出来ず 62 ↓ してる(と妄想) 63 ↓ 佐久間折檻状では別に兵力指示を示してない。 64 信長が言ってるのは「手柄上げられないのに譜代家臣の俸禄あげたり、人を雇おうともしないってどういう事?」 という事であって、信長が兵力指示してるわけではない事がこれでわかる はっきりいえば信長の下では手柄さえ上げられるなら兵力に関しては特にお咎め無しだった事がわかる 以上、 65の阿呆が盛大に自爆したことをさらしてあげました ていうか、廃人ニート織田厨って本当に文章よめないのな だから、どこでそれが示されてるんだよ お前がいってるだけじゃん 資料だせ、資料 67 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 19 10.52 ID n82zEiCO つーか 65であげられてる三河とか遠江ってそもそも織田領土じゃねえしww ニート織田厨厚顔無恥すぎてワロスww だがが相手でも、きちんと折檻状の原文を提示してみせる 68氏。 68 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 23 31.76 ID xJWJMxCI 66 「先々より自分に抱へ置き侯者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付げ、新季に侍をも抱へるにおいては、是れ程越度はあるまじく侯に~」 以前から召抱えていた者に加増し、同じように与力をつけ、新しく侍を召抱えておけば、これほど不覚を取ることはなかったのに~ よって 64の、信長が問題にしてるのは人を雇わなかったことじゃない、というのは間違い。 つまり信長は「もっと人を雇っておけ」と言ってるわけ。 道路については信長公記8巻、1575年7月5日のフロイスの書状、およびフロイス日本史第2部40章を読みなさい。 だががまたも無理に反論しようとする。 69 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 28 43.12 ID n82zEiCO 68 だからいってるだろ 「人を雇っておけば不覚とらなかったのに。」 つまり不覚とらなければ別に口出ししなかったし、関知もしなかったわけだ。 記述出してみ。 つか、織田領でもない三河遠江が入ってる時点で眉唾すぎだろww さすがに不審に思ったのだろう、本当に折檻状を読んだのか尋ねる 70氏。 それだけでなく、丁寧に解説までしてくれた。 70 :人間七七四年:2012/01/28(土) 12 09 26.92 ID xJWJMxCI 69 その不覚をとらないために家臣を雇えって言ってるのに、無理矢理すぎる解釈だな。 本当に折檻状を読んでるのか? 小河かり屋跡職申し付け侯ところ、先々より人数これあるべしと、思ひ侯ところ、其の廉もなく、剰へ、先方の者どもをぼ、多分に追ひ出だし、 然りといへども、其の跡目を求め置き候へぱ、各同前の事侯に、一人も抱へず侯時は、蔵納とりこみ、金銀になし侯事、言語道断の題目の事、 →最低でも各同前(=以前と同じくらい)は雇え、ということ。 山崎に申し付け候に、信長詞をもかけ侯者ども、程なく追失せ侯儀、是れも最前の如く、小河かりやの取り扱ひ紛れたき事、 →信長が声をかけておいた者を召抱えずに追放してしまったことを非難。 大まはしに、つもり侯へぽ、第一、欲ふかく、気むさく、よき人をも抱へず、其の上、油断の様に取沙汰侯へば、畢竟する所は、父子とも武篇道たらはず候によつて、かくの如きの事、 →またも人を召抱えない事を非難。 与力を専とし、余人の取次にも構へ侯時は、是れを以て、軍役を勤め、自分の侍相抱へず、領中を徒になし、比興を構へ侯事、 →与力ばかり使っていること、および自分で家臣を召抱えない事をまたまた非難している。 これだけ繰り返し言われてるのに。 「信長の政治体制が適当だ」と言うくらい詳しいんなら、信長公記とフロイス日本史くらい持ってるだろ。 たった数ページの話だ、自分で読みな。 完全に論破されてしまっただが。 議論についてはこれで終わりなのだが、ちょっと待ってほしい。 64はいつもの捏造だったのか? 筆者は調査の結果、興味深い事実をつきとめた。 それは、 64のだがの現代語訳は、ウィキペディアがソースだという事である。 現在のウィキペディアの佐久間信盛のページでは、先ほどの原文はこう訳されている。 (原文) 先々より自分に拘へ置き候者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新季に侍をも拘ふるにおいては、是れ程越度はあるまじく候に、しはきたくはへばかりを本とするによつて、今度、一天下の面目失い候儀、唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事 ↓ (現ウィキペディア) 一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗・南蛮の国でも有名なことだ。 しかしウィキペディアのバックアップデータを見てみると、こうなったのは2012年1月27日からである。 それ以前は次のように書かれていたのだ。 一、譜代の家臣に知行を加増してやったり与力を与えたり、新規に召し抱えたりしているなら未だいいがそれも無い。ただ自身の蓄えを肥やすのみであり、天下の面目を失ってしまった。これは唐・高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。 これはだがのレスと見事に符号する。 64 折檻状においては「せっかく俸禄与えても譜代家臣の俸禄揚げたり、人を養わないで、自分の蓄財増やすだけ。 それで結局面目を失うような事態になった」とけなしてる。 つまり、ここで問題になってるのは「手柄を上げられず面目を失った事」であって 「人を雇わなかったことじゃない」 66 信長が言ってるのは「手柄上げられないのに譜代家臣の俸禄あげたり、人を雇おうともしないってどういう事?」 という事であって これらの事から、だがはウィキペディアを参照にして議論をしていた、ということが分かるのである。 さすが、武田信玄を崇拝しているのに、甲陽軍鑑の内容さえ把握していなかっただけのことはある。(上洛スレ60事件) そして結局、だがは捨てゼリフを言って敗走。 71 :人間七七四年:2012/01/28(土) 19 44 19.94 ID 4Q6YuI00 70 読んでるからいってんだろ もはや最後の追放にいたる折檻状で何いってんだって話だな てか、折檻状見ればわかるが、10年前20年前の事柄だって ゴロゴロ書いてあるのに、それをどんだけ放置していたんだって話になる 結局信長には家臣の兵数を自分で定める制度も権限も無かったんだよ 結局お前が揚げている文章で言われてるのは、「武辺道たらはず」といわれてるように 「お前の態度や仕事のやり方ってどうなのよ?」的な武辺道という道徳的観念からの追求に過ぎない 武田や北条が部下に書状を発給してその兵力や装備にまで口出しして軍隊編成を行っていたのとはまるで別物 結局のところ、信長は長い間その佐久間の所業を気に入らないとおもっていたにせよ放置せざるを得ず、 しかも、人を雇う・雇わないの選択及びその編成や構成は佐久間本人によらざるを得ないことが 折檻状からの内容からして明白 結局信長は後に武田攻めの時にも「兵糧心配なので兵力調整してきてくだちゃい」といってることや 軍役に関する書状が「なるべくたくさんつれてきてね」的なニュアンスでしかない事からも 家臣に対する軍役を定める制度も権限ももっちゃいなかったんだよ 寝言ほざいてんじゃねーぞ 自分で言い出したんだからさっさと出せよ またいつもの書名だけ出してのあるある詐欺か? ま、いつもの低脳織田厨ニートらしい馬鹿っぷりだな もはや誰にも相手にされませんでしたとさ。 72 :人間七七四年:2012/01/30(月) 00 26 34.17 ID WHu97vLW だがさん最近元気だね 上洛スレ60事件→「アスペルガー」姓の下賜→だねえ事件→上洛スレ64事件 →ウィキペ参照事件→美濃御料所崩れ→投票否定事件→だがアホ事件→教科書改変事件 →創造・天道の屈辱→対立煽り失敗事件検証→したらば落ち→10.1事件10.1事件考察 →筆頭家老・佐久間信盛の変→菅沼遼太発禁事件→だが2世事件だが2世事件・後編 →
https://w.atwiki.jp/dagamatome2/pages/34.html
本家ページ http //www26.atwiki.jp/dagamatome/pages/38.html ウィキペ参照事件とは、2011年9月9日~2012年1年30日にかけ、 【一領具足】戦国時代の兵農分離【郷士】 スレッドで 起きた事件。 だがが史料をウィキペディアから引用している事が露見した。 スレが立った側から、信長アンチがコピペを貼った。 4 :人間七七四年:2010/02/28(日) 17 36 54 ID PKi4YTnt 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは 各自に任されていた。 これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。 従って武篇道と戦果が問題となる。 (中略) 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。 それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を 戦っていかなければならない。 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が なされていないからこそ生じた問題であろう。 それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。 それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。 この問題の解決は秀吉の課題となる。」 9 :人間七七四年:2010/02/28(日) 21 20 29 ID T3EeA+Ty 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは 各自に任されていた。 これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。 従って武篇道と戦果が問題となる。 (中略) 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。 それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を 戦っていかなければならない。 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が なされていないからこそ生じた問題であろう。 それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。 それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。 この問題の解決は秀吉の課題となる。」 10 :人間七七四年:2010/02/28(日) 22 17 18 ID dvtTqF9i 9 それで北条・武田の動員兵力は単独で織田以上出すことが出来るのかw そんなきちきちに決めなければならないほど織田家は兵に困っていたわけではないw 11 :人間七七四年:2010/02/28(日) 22 33 10 ID g1lD5vug 武田、北条が細かい兵役を定めたのは貧しい地域で少しでも多くの兵士を集めるための苦肉の策だったのかな 12 :人間七七四年:2010/03/01(月) 02 44 44 ID CygL7hyG 努力して兵を集めても織田には及ばないということか? 16 :人間七七四年:2010/03/01(月) 12 16 53 ID 9mkGAgai 最近 9のような北条・武田は石高に応じて兵役を決めたから革新的 織田はむしろ遅れていたと主張するのが流行ってるらしいね 実際は後進地域が少しでも周りの勢力に対抗するための必要に迫られた 制度だったんだろう 戦国時代の話題としてはポピュラーな兵農分離。 いまだに分からない事も多いようだが、それは本題ではないので置いておこう。 問題は 4 9のコピペ元である「織豊政権と江戸幕府(著・池上裕子)」。 読んでみればすぐ分かるが、この本は不当に信長を低く評価しており、信長アンチのバイブルとも言える本である。 話は 51がこの本の感想を述べたところから始まる。 51 :人間七七四年:2011/09/09(金) 00 31 40.75 ID Q4gMti3q 9 この本読んだけど、全然ダメだった。 52 :人間七七四年:2011/09/09(金) 03 43 47.50 ID /yAKlicF 51 どうダメだった? 53 :人間七七四年:2011/09/11(日) 23 04 11.32 ID cNLoH+v9 52 ・もし信長が生きててもあれ以上の事はやらなかっただろうと勝手に断定し、「信長の限界( 9)」などと言う ・理由も語らず安土宗論をインチキ呼ばわり ・相変わらず残酷で厳しい信長、優しい秀吉というイメージで物事を語る ・それでいて朝鮮出兵では「朝鮮侵略での秀吉の残虐行為」という項を設ける ・朝鮮の地名のルビが朝鮮語。慶尚道は「けいしょうどう」ではなく「キョンサンド」。どうでもいいが ・家康が各大名を弾圧しまくった件についてはほぼスルー 至極まっとうなレスを返す 51= 53。 だがこれに噛みつく奴がいた。 御存じ、アスペルガーだがである。 54 :人間七七四年:2011/09/13(火) 01 32 57.39 ID fJ4YLXZt 53 そりゃお前の読み方が全然ダメだわwお前が予断で読み過ぎてるだけの話 冷静に返される。 55 :人間七七四年:2011/09/15(木) 18 48 08.88 ID CIBVxVbA 書いてあった事しか書いてないのに予断もなにも 56 :人間七七四年:2011/09/16(金) 08 34 02.69 ID atFUnX96 55 スクリプトだからほっとけ。 煽られて反論できなくなった → ○○ 必 死 だ な (w 予期せぬ自分の無知で煽られた → 釣れた → わーマジレス返ってきたよ 言い返せないけど 負けは認めたくない → ( ´,_ゝ`)プッ → 無知白痴は黙ってろ → 知能障害をおこす → 放置出来ないお前も厨なんだよ(w 相手の精神的に追い詰めてやる → ブラクラ、グロ画像のURL貼り → テンプレ(○○の特徴)、オタ系のAAで煽る → ○○Uzeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee 最後の悪あがき → IP抜くぞゴルァ! → 知り合いのハッカーが(ry → スクリプトによる連カキ ←今ここ → 他のスレで相手のレスを貼って皮肉を吐く 完全敗北 → F5連打 → 田代砲 いつも通り、見苦しい自己弁護をするだが。 58 :人間七七四年:2011/11/27(日) 19 45 00.78 ID AXEQWciE 55 実際に信長は生きててもあれ以上はできないとおもうし その内部制度が粗雑で欠陥だらけだったのも事実 単なる事実述べられてるだけじゃね 56 そんな迷惑なことやるのは必死でニートな織田厨くらいだろ ちなみに、信長が石高に基いて軍役を課そうとしていたことは、次の史料によって証明されている。 昨日廿五為御上使到南都着候、仍当国知行方糺明之儀被付従其軍役等之事可申付之旨上意候、 此折紙参着次第早々可有参上候、知行方之様子存知之輩可被下□□□□可申渡候、恐惶謹言、 惟任日向守 九月廿六日 光秀(花押) 滝川左近 一益(花押) 白土殿 (「郡山町史」所収、仲覚三氏所蔵文書) ●前半の現代語訳 昨日25日に(信長の)上使として南都(大和国)に到着した。 当国の知行関係を明らかにし、それによって軍役を課したいとの上意である。 そのまんまの意味である。 多聞院日記などとの内容の一致から、この文書は天正8年の大和検地の時に出されたものと比定されている。 このあと軍役がどうなったのかは不明だが、少なくとも信長には軍役を課すという意志があったことは確認できる。 上記の「織豊政権と江戸幕府」は、『最新の研究を反映している』と謳っているらしいのだが、この史料のことは知らなかったらしい。 この史料ががいつ発見されたのかは分からないが、筆者の知る限り、1985年に出版された「織田政権の研究(1985年)」でも引用されている。 それはともかく、速攻で正体がバレるだが。 59 :人間七七四年:2011/12/17(土) 02 22 03.36 ID fVeDDd9R 58 だがさんちーっすw だがさんの上洛スレ64事件 http //www26.atwiki.jp/dagamatome/pages/20.html >実際に信長は生きててもあれ以上はできないとおもうし 何の根拠もなくお前が思ってるだけじゃあな。 >その内部制度が粗雑で欠陥だらけだった お前の妄想。 60 :人間七七四年:2012/01/27(金) 22 04 59.44 ID NZrL5Wd9 59 廃人ニート織田厨君ちーッスww 相変わらず廃人ニートで妄想しかかけない馬鹿丸出しでワロスww 結局自演かどうかの証拠だせなかった事例を大威張りでまとめられてもな 結局証拠みつけられなかったわけだw 根拠あるぞ 信長の生涯はそれこそ離反・虐殺・粛清のオンパレードだった 本能寺の後でそれこそ反乱おきまくりで 家臣も誰も織田家を守ろうとしなかったくらいに結束力ももろいもの さらには統治体制も適当で 武田攻め程度の距離で兵糧におっかなびっくりになるくらいの適当体制 こんな体制で信長みたいな人間性じゃそれこそ拡大すればするほど崩壊する危険性は高まるだけ ま、信長のやり方じゃ日本統一する前に寿命尽きて死亡するか、 もしくは本能寺に類する謀反おきて死亡して崩壊するか、 領国離反が相次いで収拾つかなくなって崩壊するか、 いずれかの道しか残されてないような感じだな よくて一代限りの政権だよ 残念だったな、廃人ニート織田厨www お前の馬鹿げた妄想と違って現実はこんなもんww 余裕の態度で対応されてしまう。 61 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 06 15.53 ID xJWJMxCI 60 9を百ぺん読んで出直してきな。だがさん だがが真っ赤になって反論。 62 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 11 36.72 ID KgfZ+JpP 61 9を100回読んでも 信長政権とやらがろくに兵力指示すら出来ず、領内整備もろくにしてない適当体制だった事が 明白にわかるだろ お前こそ 9に書かれてる文章の中身本当に理解できてるのか? ひょっとしてコピペ長文が読めずに無条件で信長礼賛だと思い込める幸せ回路全開の馬鹿ですかww あ、廃人ゴミニート織田厨だったねwwごめんごめんww 当然の反論をされる。 63 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 24 18.92 ID xJWJMxCI 62 折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは 各自に任されていた。 とあるが、その折檻状で信盛を「俸禄に応じて家臣をちゃんと召抱えていない」と書かれている。 よって君の言う「ろくに兵力指示すら出来ず」は間違い。 また信長は領内全てで道路工事をしている。 よって「領内整備もろくにしてない適当体制」というのも間違い。 「俸禄に応じて家臣をちゃんと召抱えていない」とは、折檻状の次の項を言っているのだろう。 一、先々より自分に拘へ置き候者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新季に侍をも拘ふるにおいては、是れ程越度はあるまじく候に、しはきたくはへばかりを本とするによつて、今度、一天下の面目失い候儀、唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事。 だがが史料をねじ曲げ、無理やりな反論をする。 64 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 45 06.62 ID n82zEiCO 63 そっちのほうこそ間違いw 折檻状においては「せっかく俸禄与えても譜代家臣の俸禄揚げたり、人を養わないで、自分の蓄財増やすだけ。 それで結局面目を失うような事態になった」とけなしてる。 つまり、ここで問題になってるのは「手柄を上げられず面目を失った事」であって 「人を雇わなかったことじゃない」のねwww 文章みればわかるはずなのにワロスww それから「領内すべてで道路工事」てどこの世界の話ですかww むしろ領内全域から見ればやったところのほうが少ないわww ためしにやったというところあげてみなww てかろくに裁判も出来ずに、「俺の指示受けろ」といいつつ指示出さなくて 困った挙句代官が現地に丸投げしてる適当体制がなんだっていうんだかww 65 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00 59 42.93 ID xJWJMxCI 64 信長政権とやらがろくに兵力指示すら出来ず 62 ↓ してる 63 ↓ 折檻状で問題にしてるのはそこじゃない 64 以上、話の論点ずらし乙。 >むしろ領内全域から見ればやったところのほうが少ないわww >ためしにやったというところあげてみなww 1575年の時点で尾張・美濃・近江・山城・摂津・河内・三河・遠江。 その後も領国全部で拡張されている。 66 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 05 57.57 ID n82zEiCO 65 論点ずらししてんのはお前だっつのww 信長政権が兵力指示ろくに出来ず 62 ↓ してる(と妄想) 63 ↓ 佐久間折檻状では別に兵力指示を示してない。 64 信長が言ってるのは「手柄上げられないのに譜代家臣の俸禄あげたり、人を雇おうともしないってどういう事?」 という事であって、信長が兵力指示してるわけではない事がこれでわかる はっきりいえば信長の下では手柄さえ上げられるなら兵力に関しては特にお咎め無しだった事がわかる 以上、 65の阿呆が盛大に自爆したことをさらしてあげました ていうか、廃人ニート織田厨って本当に文章よめないのな だから、どこでそれが示されてるんだよ お前がいってるだけじゃん 資料だせ、資料 67 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 19 10.52 ID n82zEiCO つーか 65であげられてる三河とか遠江ってそもそも織田領土じゃねえしww ニート織田厨厚顔無恥すぎてワロスww だがが相手でも、きちんと折檻状の原文を提示してみせる 68氏。 68 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 23 31.76 ID xJWJMxCI 66 「先々より自分に抱へ置き侯者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付げ、新季に侍をも抱へるにおいては、是れ程越度はあるまじく侯に~」 以前から召抱えていた者に加増し、同じように与力をつけ、新しく侍を召抱えておけば、これほど不覚を取ることはなかったのに~ よって 64の、信長が問題にしてるのは人を雇わなかったことじゃない、というのは間違い。 つまり信長は「もっと人を雇っておけ」と言ってるわけ。 道路については信長公記8巻、1575年7月5日のフロイスの書状、およびフロイス日本史第2部40章を読みなさい。 だががまたも無理に反論しようとする。 69 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01 28 43.12 ID n82zEiCO 68 だからいってるだろ 「人を雇っておけば不覚とらなかったのに。」 つまり不覚とらなければ別に口出ししなかったし、関知もしなかったわけだ。 記述出してみ。 つか、織田領でもない三河遠江が入ってる時点で眉唾すぎだろww さすがに不審に思ったのだろう、本当に折檻状を読んだのか尋ねる 70氏。 それだけでなく、丁寧に解説までしてくれた。 70 :人間七七四年:2012/01/28(土) 12 09 26.92 ID xJWJMxCI 69 その不覚をとらないために家臣を雇えって言ってるのに、無理矢理すぎる解釈だな。 本当に折檻状を読んでるのか? 小河かり屋跡職申し付け侯ところ、先々より人数これあるべしと、思ひ侯ところ、其の廉もなく、剰へ、先方の者どもをぼ、多分に追ひ出だし、 然りといへども、其の跡目を求め置き候へぱ、各同前の事侯に、一人も抱へず侯時は、蔵納とりこみ、金銀になし侯事、言語道断の題目の事、 →最低でも各同前(=以前と同じくらい)は雇え、ということ。 山崎に申し付け候に、信長詞をもかけ侯者ども、程なく追失せ侯儀、是れも最前の如く、小河かりやの取り扱ひ紛れたき事、 →信長が声をかけておいた者を召抱えずに追放してしまったことを非難。 大まはしに、つもり侯へぽ、第一、欲ふかく、気むさく、よき人をも抱へず、其の上、油断の様に取沙汰侯へば、畢竟する所は、父子とも武篇道たらはず候によつて、かくの如きの事、 →またも人を召抱えない事を非難。 与力を専とし、余人の取次にも構へ侯時は、是れを以て、軍役を勤め、自分の侍相抱へず、領中を徒になし、比興を構へ侯事、 →与力ばかり使っていること、および自分で家臣を召抱えない事をまたまた非難している。 これだけ繰り返し言われてるのに。 「信長の政治体制が適当だ」と言うくらい詳しいんなら、信長公記とフロイス日本史くらい持ってるだろ。 たった数ページの話だ、自分で読みな。 完全に論破されてしまっただが。 議論についてはこれで終わりなのだが、ちょっと待ってほしい。 64はいつもの捏造だったのか? 筆者は調査の結果、興味深い事実をつきとめた。 それは、 64のだがの現代語訳は、ウィキペディアがソースだという事である。 現在のウィキペディアの佐久間信盛のページでは、先ほどの原文はこう訳されている。 (原文) 先々より自分に拘へ置き候者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新季に侍をも拘ふるにおいては、是れ程越度はあるまじく候に、しはきたくはへばかりを本とするによつて、今度、一天下の面目失い候儀、唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事 ↓ (現ウィキペディア) 一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗・南蛮の国でも有名なことだ。 しかしウィキペディアのバックアップデータを見てみると、こうなったのは2012年1月27日からである。 それ以前は次のように書かれていたのだ。 一、譜代の家臣に知行を加増してやったり与力を与えたり、新規に召し抱えたりしているなら未だいいがそれも無い。ただ自身の蓄えを肥やすのみであり、天下の面目を失ってしまった。これは唐・高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。 これはだがのレスと見事に符号する。 64 折檻状においては「せっかく俸禄与えても譜代家臣の俸禄揚げたり、人を養わないで、自分の蓄財増やすだけ。 それで結局面目を失うような事態になった」とけなしてる。 つまり、ここで問題になってるのは「手柄を上げられず面目を失った事」であって 「人を雇わなかったことじゃない」 66 信長が言ってるのは「手柄上げられないのに譜代家臣の俸禄あげたり、人を雇おうともしないってどういう事?」 という事であって これらの事から、だがはウィキペディアを参照にして議論をしていた、ということが分かるのである。 さすが、武田信玄を崇拝しているのに、甲陽軍鑑の内容さえ把握していなかっただけのことはある。(上洛スレ60事件) そして結局、だがは捨てゼリフを言って敗走。 71 :人間七七四年:2012/01/28(土) 19 44 19.94 ID 4Q6YuI00 70 読んでるからいってんだろ もはや最後の追放にいたる折檻状で何いってんだって話だな てか、折檻状見ればわかるが、10年前20年前の事柄だって ゴロゴロ書いてあるのに、それをどんだけ放置していたんだって話になる 結局信長には家臣の兵数を自分で定める制度も権限も無かったんだよ 結局お前が揚げている文章で言われてるのは、「武辺道たらはず」といわれてるように 「お前の態度や仕事のやり方ってどうなのよ?」的な武辺道という道徳的観念からの追求に過ぎない 武田や北条が部下に書状を発給してその兵力や装備にまで口出しして軍隊編成を行っていたのとはまるで別物 結局のところ、信長は長い間その佐久間の所業を気に入らないとおもっていたにせよ放置せざるを得ず、 しかも、人を雇う・雇わないの選択及びその編成や構成は佐久間本人によらざるを得ないことが 折檻状からの内容からして明白 結局信長は後に武田攻めの時にも「兵糧心配なので兵力調整してきてくだちゃい」といってることや 軍役に関する書状が「なるべくたくさんつれてきてね」的なニュアンスでしかない事からも 家臣に対する軍役を定める制度も権限ももっちゃいなかったんだよ 寝言ほざいてんじゃねーぞ 自分で言い出したんだからさっさと出せよ またいつもの書名だけ出してのあるある詐欺か? ま、いつもの低脳織田厨ニートらしい馬鹿っぷりだな もはや誰にも相手にされませんでしたとさ。 72 :人間七七四年:2012/01/30(月) 00 26 34.17 ID WHu97vLW だがさん最近元気だね
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/170.html
トップページ>韓国>民族文化研究 『民族文化研究』60、2013.8 特集:朝鮮時代知識・知識人清算体系:17-18世紀驪州李氏を中心に 김형찬「驪州李氏・星湖学派の知識論争と知識権力の形成」 조성산「朝鮮後期星湖学の「地域性」談論」 尹載煥「驪州李氏星湖家系知識伝承の一様相:玉洞李漵を中心に」 송혁기「剡渓李潜の丙戌年上疏研究」 부유섭「星湖李瀷の補録類図書の知識源泉と性格」 전성건「先祖の善徳と後孫の記憶:驪州李氏の家史継承を中心に」 論文 원혜영「敦煌寺本『金光明最勝王経』に関する書誌的考察:現代出版物における誤謬と再編を中心に」 林亨洙「高麗怯薛の機能と改革方向」 田耕旭「高麗俗謡の旧音と「囉哩嗹」「羅犁羅」の関連様相」 허태용「『景宗実録』を通じて見た少論の政治義理の検討」 백진우「鄭覚先の筆記雑録『杜陵漫筆』研究」 이재정「洛東契字を通じて見た朝鮮時代文人の知的交流」 선승혜「『箋註靖節先生集』に掲載された金禔(1524~1593)の陶淵明の肖像画と帰去来図」 최기숙「諺文小説の文化的位置と文字的近代の逆説:近代初期「春香伝」の媒体変移と表記文字、読者層の相互関連性」 이상혁「近代啓蒙期「国語教科読本類」の文体研究:学習者との相関関係を中心に」 이형대「分断体制成立期南北漢文学士の近世詩歌認識と正典化様相:『韓国文学史』と『朝鮮文学通史』の詩調・私説詩調・歌詞を中心に」 『民族文化研究』59、2013.5 特集平和と統一の事件史 김진환「変動の追憶:金日成死亡と弔問政局」 양무진「北核問題と南北関係、葛藤と協力の二重奏:アンサンブルのために」 鄭昞旭「北韓大飢饉の歴史的起源:日帝時期咸鏡道地域を中心に」 이수정「「脱冷戦民族スペクタクル」:2000年夏、南北離散家族相逢」 鄭泰憲「1980年代鄭周永の脱理念的南北経協と北方経済圏構想」 芮大烈「牛歩千里の第一歩が南北を変化させる:鄭周永の牛群訪北と南北社会の変化」 조대엽、홍성태「対北支援の政治経済と引導主義のジレンマ」 김근식「南北正常会談と南北関係:貴重な「追憶」と忘れた「記憶」」 홍종선「民族語の統合統一と「民族語大辞典(겨레말큰사전)」南北共同編纂」 特集:東アジア伝統文化のなかの死と死後観 조현설「骸骨、死と生の媒介者」 김정숙「韓中あの世の体験談のなかのあの世の描写と思想的傾向の比較」 고영란「前近代韓日女性怪談のなかの女性の死と復讐:17-19世紀有名女性怪談を中心に」 論文 박종우、이창희「白湖林悌詩の美的特質:主に詩的話者の累計と関連して」 윤상수「黄宗羲の古文論:至情と窮経を中心に」 정종현「京都の朝鮮留学生雑誌研究:『学友』『学潮』『京都帝国大学朝鮮人留学生同窓会報』を中心に」 임성수「『度支田賦考』を通じて見た戸曹の財源把握方式と財政構造の変化」 許殷「アメリカの文化冷戦と「自由東アジア」の構築、連鎖、そして亀裂:アメリカ政府の図書計画と韓国社会知識人の認識」 이도길「共起語(co-occurrence word)で見た新聞別類似度比較研究:朝鮮日報、東亜日報、中央日報、ハンギョレ新聞を中心に」 김문용「崔漢綺自然学の性格と志向」 『民族文化研究』58、2013.2 特集:韓国文学のなかの民主主義、民主主義の目でみた韓国文学 이선미「「政治嫌悪」の文化的起源と新聞小説の世論民主主義:1950年代鄭飛石の新聞小説を中心に」 최현식「大衆的平等の自由あるいは個性的差異の自由:維新期詩批評のふたつの傾向」 함돈균「人民の恨みと政治的なもの、そして民主主義:植民地政治小説との連帯意識下から見た維新期のふたつの小説」 김수이「「民主化」の逆説と労働詩の新しい様相:民主化以後の時代の労働詩と韓国民主主義」 特集:センチメンタル・イデオロギー:「李光洙」という課題 이만영「近代的読書慣習の創出と系図的美学の道:李光洙の文学論と『無情』との関連性を中心に」 김항「個人・国民・難民の間の「民族」:李光洙「民族改造論」再読」 서영채「自己犠牲の構造:李光洙の『再生』と尾崎紅葉の『金色夜叉』」 서은주「解放後李光洙の「自己叙述」と告白の倫理」 論文 李鎮漢「高麗前期致仕制の運営と官人の引年致仕」 김경「朝鮮後期散文における奇:李用休散文を中心に」 김대중「魏禧と朝鮮後期漢文学:徐有榘の事例を中心に」 김환희「韓国「パンチョギ(반쪽이)」説話の世界的な普遍性と韓国的な特殊性に関する比較研究」 박영민「申芙蓉堂の生涯と文学研究」 송양섭「磻渓柳馨遠の公田制論とその理念的志向」 연규동「「大清全書」ロンドン大SOAS図書館所蔵本に見える赤色加筆の価値」 김유범、김미미「『同文類解』の満州語ハングル表記体系について」 문현수「韓国語否定詞「못」に対応する満州語否定表現について」 최동권「満州語接続文研究」 김찬기「近代初期国語教科書と啓蒙の言語」 김기형「孫晋泰説話研究の特徴と意義」 이승희「東アジア近代劇場の植民性と政治性」 鄭昞旭「植民地の農村青年と在日朝鮮人社会:慶南咸安郡周氏の日記(1933年)の検討」 박유희「孤立した戦士、境界の他者:脱冷戦時代韓国戦争映画に表れた「北」の表象」 김일환、정유진「「大選」関連語の推移分析と展望:16代~18代大選を対象に」 『民族文化研究』57、2012.12 特集:脱近代、脱植民、脱民族:ポスト談論20年の省察 진태원「「ポスト」談論の幽霊たち:哀悼を哀悼するために」 김정한「ポスト社会科学:社会的なものの科学、その後?」 이명원「文学の脱政治化とポスト談論の破錠」 特集:日記を通じて見た伝統と近代、植民地と解放 Isabel Richter「自己を書く:18世紀と19世紀ドイツ語圏日記に現れた経験、主体性、そして個人性について」 金何羅「『欽英』、分裂した自我の記録」 山本浄邦「大韓帝国期光州における奥村兄妹の真宗布教・実業学校設立をめぐって:新史料『明治三十一年 韓国布教日記』による通説の再検討」 李炯植「朝鮮憲兵司令官立花小一郎と「武断統治」:『立花小一郎日記』を中心に」 太田修「解放直後ある動労者の日常生活:仁川の電気工I氏の日記から」 一般論文 김승우「金泰俊の詩歌史認識と高麗歌詞」 강혜정「姜鏞訖の英訳時調の特性:最初の詩調選集『Translations of Oriental Poetry』を中心に」 権純会「『古時調大全』の編纂過程と主要特性外観」 신경숙「時調文献編纂の歴史:『青丘永言』から『古時調大全』まで」 조재룡「鄭寅燮と翻訳の活動性:翻訳、世界文学の唯一の道」 임준철「朴趾源『幻戯記』の幻術考証と分析」 이동석「全州歴史博物館所蔵「ハングル飲食訪問」について」 김양진、이효윤「訳学書に現れた色彩語系列「馬」名称研究:『御製增訂清文鑑』の満州語の解釈を中心に」 『民族文化研究』56、2012.6 特集:東アジアの鬼神・妖怪・異物の比較文化論 김정숙「17・18世紀韓中鬼神・妖怪談の逸脱と欲望」 고영란「近世期韓日女性怪談比較研究:『薔花紅蓮伝』と累(かさね)怪談を中心に」 정진선「古代中国器物精怪物語の発生とその意味:『太平広記』精怪部を中心に」 강상순「朝鮮前期鬼神物語に秘められた社会的敵対」 特集:崔章集の韓国民主主義論 김용복「韓国民主主義の発展と政党政治:崔章集教授の政党民主主義論に対する批判的考察」 박영균「「民主主義以後の民主化論」に対するマルクス主義的批判」 진태원「崔章集とエティエンヌ・バリバール:民主主義の民主化のふたつの方向」 一般論文 권태효「井戸の空間的性格と象徴性研究」 김일환、정유진、이도길「歴代総選別「選挙」関連語の変化様相:東亜日報を対象に」 김형찬「安東金門の知識論争と知識権力の形成:農巌金昌協の学問的立場を中心に」 백지은「「情義文学論」と近代文学概念の未分化様相の考察」 전성건「先徳と祖訓の記憶:安東金門の家史継承を中心に」 이혜령「人格とスキャンダル:林鍾国の歴史叙述と民族主義」 『民族文化研究』55、2011.12 特集:非西欧文化の正典性と他者性 박상진「正典研究の新しい指標:正典性の政治学」 강상순「古典小説の近代的再認識と正典化過程:1920-1930年代を中心に」 백승욱「ラテンアメリカ文学正典の形成と新しい可能性:疎外された文学ジャンルの正典化に対する小考」 一般論文 이상호「丁若鏞の改革思想と井田制:近代志向的解釈に対する批判を中心に」 석진주「『海東楽府』を通じて見た李福休の現実認識」 오양진「金東里小説に現れた自然のクロノトプ(Chronotope)研究:「カチの声」を中心に」 『民族文化研究』54、2011.6 一般論文 이혜령「親日派という者の名:脱植民化と固有名の政治」 이선미「アメリカ的価値の大衆的受容と統制のメカニズム:1950年代大衆物語の夫婦・家族の表象を中心に」 류시현「解放後安在鴻の日帝強占期に関する記憶と感性」 백진우「歴史の余白と文学的想像力:史論・散文の史実解釈方式について」 鄭雨峰「バークレー大所蔵詩文選集の資料的価値と意義」 이동석「現行「接続ㅅ(사이시웃)」規定と関連する諸問題」 도원영、범기혜「「中韓辞典」の用例についての辞典学的検討」 김만태「民族信仰を読む符号、十干・十二支についての根源的考察」 장숙필「盤谷成以心の「人易擬議圖説」とその思想的特徴」 朴鶴来「鳳棲兪莘煥の哲学思想研究」 『民族文化研究』53、2010.12 特集:文化研究の批判的省察 이상길「文化研究の研究文化:言論学界における制度化効果に関する省察」 허영란「韓国近代史研究の「文化史的転換」:歴史大衆化、植民地近代性、経験世界の歴史化」 강상순「韓国古典文学研究に受容された脱近代・脱民族談論に対する批判的考察:고미숙と姜明官の議論を中心に」 박헌호「「文化研究」の政治性と歴史性:近代文学研究の現況と反省」 김현경「「文化」概念と「性差」関連概念に関する諸考察:1990年代以後韓国社会「フェミニズム文化研究」を中心に」 一般論文 임준철「燕行録に現れた幻術認識の変化と朴趾源の「幻戯記」」 金光年「敬山宋伯玉の生涯と著述について」 강영미「植民地時代新聞連作時調研究」 윤영실「『少年』の「英雄」物語と東アジア的な脈絡」 이경수「白石白夔行の紀行詩編に現れた場の心相地理」 임수영「時代的反省と捜索方法の模索:1940年代中・後半の詩文学を中心に」 이창민「徐廷柱郷歌取才詩編の動機と作方」 이은하「李奎報題画詩を通じて見た高麗花鳥画の一考察」 김광섭「李晩秀の『投壺集図』を通じて見た朝鮮後期投壺遊戯様相」 김양진「満文史料『琿春副都統衙門档』について:朝鮮関連資料を中心に」 조성택「近代韓国仏教史記述の問題:民族主義的歴史記述に関する批判」 『民族文化研究』52、2010.6 一般論文 권내현「朝鮮後期平民同姓村落の成長」 류시현「1920-1930年代文一平の民族史と文化史叙述」 이상호「白南雲の普遍史観と朝鮮学:文化史的脈絡の逆説を中心に」 김항「脱近代の哲学、反近代の政治」 임종명「脱植民初期(1945.8-1950.5)南韓国家エリートのアジア紀行記とアジア表象」 김종수「解放期出版市場における李光洙の位相」 조윤정「植民地朝鮮の教育的実践、小説のなかの夜学の意味」 김남석「1930-1940年代大衆劇団金姫座の公演史研究」 한흥섭「朱熹の「淫奔詩」考察」 김일환、이도길、강범모「世宗形態意味分析コーパスを越えて:SJ-RIKS Corpus」 도원영、왕보하「「中韓慣用語辞典」編纂のための研究:マクロ構造構成とミクロ綱目の記述を中心に」 『民族文化研究』51、2009.12 特集 도원영、차준경「『高麗大韓国語大辞典』の総合的考察」 김양진、이현희「『高麗大韓国語大辞典』の形態分析情報」 서태길、김혜령「『高麗大韓国語大辞典』の文法及び語義の情報」 박미영、정경재「『高麗大韓国語大辞典』の関連語情報」 一般論文 안세현「15世紀後半~17世紀前半性理学的事由の寓言的表現様相とその意味」 김승우「『龍飛御天歌』の制作基盤研究:先行楽章に対する評価と活用様相」 최난경「「水田歌(논매는 소리)」の分布:慶尚道水田歌と全羅道水田歌を中心に」 김지영「文学概念体系の系譜学:新聞分類法の変化過程を中心に」 신지연「民族語と国際共通語の間:金億を眺める一観点」 이상우「植民地劇場に展示された満州の表象:1940年代初の満州活劇とアイデンティティのパフォーマンス」 남경완「周時経文法「드」構成成分の体系と機能」 한학성「我が国外国語教育の伝統と19世紀末ヨーロッパの改革教授法」 金子祐樹「行実図系教科書の展開と忠行為の推移:17世紀初期の官撰教科書『東国新続三綱行実図』の分析を通じて」 장숙필「明代気論的傾向との比較を通じて見る朝鮮時代理気二元論の特徴」 안영상「明代中和寂感論との比較を通じて見た朝鮮時代四端七情論の特徴」 진태원「国民という奴隷?全体主義的国民国家論に対する批判的考察」 『民族文化研究』50、2009.6 一般論文 박영민「19世紀地方官衙の教坊政策と官妓の経済現実:江界府の「教坊節目」を中心に」 정길수「「九雲夢」原典再論」 강정구「申庚林の叙述詩と話法」 이승연「朝鮮末漢学書「華音啓蒙」と場面・対話分析研究」 유혜원「韓国語構文分析方法論研究:複文構造分析を中心に」 김항「「我々-内-存在(In-dem-Uri-sein)」という哲学的転回:朴鍾鴻とハイデッカー」 朴鶴来「解題:『海東文献総録』と敬窩金烋」 『民族文化研究』49、2008.12 신경숙「歌曲演唱方式における「中大葉・慢大葉と台歌」」 鄭雨峰「序跋類を通じて見た朝鮮時代逸失本文章選集の編纂現況とその意味」 심경호「漢学基礎学史叙述と序跋文資料の活用」 임준철「対清使行の終結と最後の燕行録」 김인환「自作開設の限界:「巫女図」の場合」 조은숙「有声機音盤に込められた昔話:1930年代金福鎮の口演童話音盤を中心に」 최승연「女性国劇の混種的特徴についての研究」 홍정하、김주영、강범모「世宗構文分析コーパスの構築と通辞範疇及び機能の統計的分布」 한흥섭「世宗の「新楽」は韓国の雅楽か?」 정호섭「高句麗壁画古墳の現況と被葬者についての再検討」 『民族文化研究』48、2008.6 一般論文 김승우「宗廟祭礼楽章「保太平」、定大業の特性と変貌様相」 박종우「16世紀湖南漢詩の風流論的考察」 염인수「『血の涙(혈의누)』と「地球性味来夢」の作品主体研究」 윤영실「国民国家の主導力、「青年」と「少年」の間:崔南善の『少年』誌を中心に」 문혜윤「「随筆」ジャンルの名称と形式の樹立過程」 장석원「韓龍雲詩のリズム」 강헌국「反再現論の方向:金東仁の小説論」 이찬「金東里小説「率居」連作研究」 김한식「解放後純粋文壇と世界文学の概念:金東里と趙演鉉を中心に」 이승준「壬辰倭乱の文学的形象化:洪盛原の『月と刀(달과 칼)』研究」 심지연「開化期フランス人の韓国語研究について」 최민우、강범모「世宗形態(意味)分析コーパス構築の実際」 계승범「恭嬪追崇過程と光海君の母后問題」 朴鶴来「蘆沙の奇正鎮の性理説をめぐる畿湖学系の論争:「猥筆」を中心に」 特別寄稿 정규복「鄭吉洙教授の「九雲夢元典の探索」を読んで」 『民族文化研究』47、2007.12 一般論文 鄭雨峰「李奎報の美学思想」 엄기영「志鬼説話の形成背景と歴史的意味」 서정화「李奎報碑誌類散文の一考察」 심경호「韓国類書の種類と発達」 이승수「葯窓朴燁論:歴史的評価を中心に」 임준철「意象批評の伝統と17世紀朝鮮の意象批評」 신경숙「近代初期歌曲教習:初期朝鮮正楽伝習所を中心に」 유지현「個人のアイデンティティと家の空間分化:『金薬局の娘たち(김약국의 딸들)』を中心に」 崔徳寿「第1次ハーグ国際平和会議(1899年)と『独立新聞』」 장숙필「河東学派と崇仁学派の思想的特徴と朝鮮性理学者たちの反応」 한흥섭「百戯歌舞を通じて見た高麗時代八関会の実相:八関会は仏教儀礼か?」 関根英行「韓国人と日本人の系統研究とパラダイム」 『民族文化研究』46、2007.6 一般論文 김동준「翻訳学の観点における韓国学問文学作品翻訳再論:漢詩の翻訳を中心に」 박영민「19世紀女性詩会と文学空間:雲楚グループを中心に」 김남석「劇団アランの運営方式研究:1939年9月から1941年9月まで」 김종훈「韓国「近代長詩」の特徴と形成」 엄성원「1930年代印象主義批評研究:金煥泰批評論の定立過程と実際の詩批評を中心に」 박진영「『ちびが見上げた小さな空(난장이가 쏘아올린 작은 공)』の悲劇性と恐怖の修辞学」 송홍규「国語結果構文の構成について」 김의수「「대개」の修飾とその機能負担量:「대략, 대강, 대체로, 거의, 대부분」との比較から」 裵亢燮「最近の北韓学界における東学農民戦争研究動向と特徴」 한흥섭「雅楽考」 資料批評 崔在錫「1880年の日本参謀本部の『[皇朝兵史]』批判:古代韓日関係を中心に」 『民族文化研究』45、2006.12 特集論文:韓国近代仏教の人文学的再照明 고재석「韓国近代仏教と文学の相関性」 김광식「近代仏教史研究の省察:回顧と展望」 조성택「近代仏教学と韓国近代仏教」 一般論文 鄭雨峰「韓国修辞学における「修辞」談論とその脈絡」 심경호「韓国・中国の漢詩と自然」 양원석「世祖「文字策問」における文字学諸説についての議論(1)」 조은숙「植民地時期「童話会」研究:共同体的読書から読書の共同体へ」 신지연「1920-1930年代「同姓(恋)愛」関連記事の修辞的脈絡」 우미영「新女性崔英淑論:女性の暮らしと再現の距離」 남경완、최정혜「両義性語節の文法範疇別累計研究」 서형국「国語連結語尾の統合関係」 박현숙「6世紀百済と日本の文物交流とその背景」 이규수「日本の国粋主義者、志賀重昂の韓国認識」 『民族文化研究』44、2006.6 尹在敏「「洞仙記」のジャンル的性格」 権純会「歌曲演唱方式における中大葉の一場の可能性」 최승연「ミュージカル「火の剣(불의 검)」の公演方式とその意義」 김남석「朝鮮演劇舍の公演史研究」 이동석「『東亜日報スタイルブック』についての国語学的研究」 趙珖「朝鮮後期西学書の受容と普及」 이정주「世祖代後半期の仏教的祥瑞と恩典」 한형주「許稠と太宗~世宗代国家儀礼の整備」 林学成「戸籍関連古文書を通じて見た朝鮮後期の家族構成様相:韓国家族史の実態を究明するためのひとつの試み」 손장권、안호용「修辞学と弁証法の位相変化に関する研究」 이나미「日帝時期朝鮮自治運動の論理:独立運動論、参政権論との関係を中心に」 『民族文化研究』43、2005.12 一般論文 金興圭「江湖詩歌と西欧牧歌詩の類型論的比較:漁夫-江湖モチーフと牧童-アカディアモチーフの考察」 강영미「李漢稷論:現実認識の変化過程を中心に」 임현순「「つぶる目(감는 눈)」の視線と暴力への抵抗:尹東柱の詩を読む新しい方法」 차재은「1930年代の韓国語音長についての研究:「普通学校朝鮮語読本」の音声資料を中心に」 남경완「状態性と動作性についての考察」 신상현「韓国固有漢字調査研究:人名用固有漢字を中心に」 宋圭振「中日戦争時期朝鮮の対三国貿易政策と貿易実相」 金炫「韓国学と情報技術の学際的教育プログラム開発に関する研究」 朴鶴来「大谷金錫亀の性理説研究」 韓国学資料 이군선「薫谷洪羲俊の『華東音源』解題」 『民族文化研究』42、2005.6 一般論文 이동석「中世国語用言「계오다/계우다」の通時的変化」 유호진「曹偉詩の天機描出様相とその意味:精神的自由への志向を中心に」 이형대「金剛山紀行歌詞の視線と風景」 権純会「蔑み形態の遊びとしての閨房歌詞」 강헌국「想像の物語化:『無情』論」 신지연「『少年』の文体研究」 이경수「1990年代以後在日同胞の韓国語詩文学の変貌」 최호석、강신애「朝鮮時代雪景山水画の時空間的分布とその意味」 차미희「朝鮮後期粛宗代の壬辰科獄研究」 이상식「朝鮮粛宗代備辺司の政治的機能と王権強化」 『民族文化研究』41、2004.12 特集:朝鮮時代電子文化地図開発と文化研究(2) 한형주「朝鮮時代国家祭祀の時代的特性」 허용호「民俗遊びの全国的分布と農業的基盤:綱渡り(ジュルダリギ)と相撲(シルム)を中心に」 이민주「17・18世紀朝鮮時代の社会現象と服飾変化」 최난경「民謡の種類と音楽的特性の分布研究(1):作付け歌、舟漕ぎ歌、満船農楽曲歌を中心に」 一般論文 황국정「中世国語の格助詞省略についての考察:釈譜詳節と釈読口訣資料を中心に」 윤경희「金昌翕の丹丘日記研究」 이기대「資料発見を通じてみた南啓宇の芸術世界」 김정녀「『金華寺夢遊録』の異本系列と善本」 김응교「青葉薫と李燦の戯曲「歳月」と親日文学:李燦文学研究(5)」 전용호「白鉄文学史の版本研究」 김동석「蔡萬植小説の内的原理研究:解放期を中心に」 여태천「金洙暎詩の場所的特性研究:「房」と「家」を中心に」 李喜中「李聖善詩における蝶の意味研究:『荘子』を参照に」 강유정「金承鈺小説のナルシズム研究」 金炫「性理学的価値観の拡散と女性」 안영상「東西文化の融合・衝突過程に現れた星湖学派の哲学的特徴の一断面:人体観に現れたpneumaと心気論を中心に」 1-20 21-40 41-60 61-80
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■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 みなさまこんばんわんわんお~w 今回も駄菓子氏多忙のため、ボクチンが今日の講義を担当する事となりますおw 皆様よろしくw では、予定通り講義しますおw 今回もテロ対策についてやりますおw んでは、例題を出す前に、テロ発生時の情報混乱について講義いたしますおw まず、テロや災害等が発生した場合、様々な憶測や情報混乱が発生すると思いますおw 例えば、関東大震災の時や、阪神大震災の時もそうですたおw その対策としては、あれですおw 皆様が日ごろ培った、ソースは?だとか、それはどこの情報?等が役に立ちますおw 例えば、誰だれがまたテロが起きるかもしれないからあそこに逃げるんだとか、誰だれがテロリストだとレッテル張りする可能性がありますおw そういった場合、それはどこから聞いた情報?と返してやればいいおw ■メンバA 大隊長:わんわんおさん<テレビ、ラジオはとりあえずは信じていいニカ? 警察自衛隊役所は信じるけど ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 テレビ、ラジオは、情報を得るには役に立ちますおw ただ、それでも疑いの念が貼れない場合があるかと思いますおw そういった場合、実際に避難誘導している消防、警察、役所、自衛隊員の指示である事を明確にすればいいですおw 例えば、警察官の場合、私服であろうと緊急用に警察手帳を携帯してるので、その方の名前と所属を聞いて、こういった方からの指示が出たと言えば、 情報の信ぴょう性が増しますおw で、例えば新聞やテレビの報道機関を信じ切ってる人間にも、テレビやラジオを聞いたら、こんな事を言っていたので指定された避難場所に行くようにと 超え(声?)かけにも使えると言うわけですおw ■メンバB 大隊長:わんわんおさん<公的機関からの情報発信かどうかの確認が必須ということですかー ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 そうですおw そういった事態の場合、信頼できる情報源と言うのは限られてくるというわけですおw なので、情報を得たり、人を動かすには「信頼に足りうる情報」というのが不可欠であるというわけですおw この場合、信頼に足りうる最も確かな情報元は、 公共機関と言う事となりますおw>メンバB氏 ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 で、避難の際や避難所においても単独行動は絶対にしないように心掛けてほしいおw 特に女性や、子供、年寄りは危険ですおw で、当然大規模テロや災害時は、それに乗じて犯罪者がヒャッハーする可能性があるので、単独行動は絶対厳禁で願いますおw 避難誘導の警察、消防といっしょに避難すれば安全性が増しますおw ここまでで、質問がある方はいらっしゃいますかお? ■メンバB 化学兵器のテロで 屋内への避難が優先で 家が一番って なった時は 単独になっちまうんですけど 気にしなくてよかですか? ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 そういった場合は、いたしかたないかとw>メンバB氏 ■メンバC テロの時は、ナイフとか持ってても法律的には問題ないですか?ていうか、先っぽを尖らせたスコップを持ち歩いていても 問題ないのでしょうか? ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 だめですおw 6センチ以上の刃物は、基本的に銃刀法違反であり、 それ以外の武器と思える物(木刀、銃刀法違反に満たない刃物)も、軽犯罪法違反となりますおw ただ、バット、スコップは手荷物に入れておけばぎりおkかなw (そのかわり、おまわりさん等に聞かれたら、筋が通った言い訳を考えておく必要あり)>メンバC氏 ■メンバA 大隊長:わんわんおさん<非常時は警察が機能しないので、自警団作ったほうがいいニダね ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 一応、民間や自治体の青年消防団なるものがありますが・・・ど~でしょうね~>ヒャッハー氏 あと、役に立つ物は痴漢撃退用のスプレーだとか、防犯ブザー、ホイッスル等も役に立ちますおw ■メンバD あれ?折りたたみの果物ナイフも、もしかしてヤバイ? 父がリンゴ剥いたりするので車内に置いてた気が‥ ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 おまわりさんに見つかった場合、刃の長さが6センチ以上であれば銃刀法違反に、6センチ以下であれば 軽犯罪法違反に接触する可能性がありますおw ただし、すぐには取り出せないよう何らかの処置をしておけばおK(鍵がかかった箱の中に入れておくとかw)>メンバD氏 ■メンバE 大隊長:わんわんおさん<アーチェリーやボウガンおよびスリングショットと言った類の物はどうなりますですか? ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 基本、武器となりうるものを携帯(室内に保管しておく場合はおk)して、 屋外で持ち歩いた時点で軽犯罪法違反となりますおw >メンバE氏 それと、皆様に考えていただきたいのは、そういった武器を素人が携帯した場合、それを犯罪者に奪われたらどうなるか?というのも併せて考えていただきたいですおw ■メンバF 調理師免許を取れば、包丁ケースに入れて、刃物持ち運び放題できるよ(たぶんw) ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 そwそういう場合は携帯してもおkですおw>メンバF氏 ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 緊急性のある、身を守るための正当防衛の範囲なら問題はないが、基本そういう危険な輩と対峙した場合、いかに危険を避けるか? というのも考えなきゃだめですおw で、そういう輩は餅は餅屋(警察、自衛隊)に任せると言う事が基本ですおw ■メンバB 大勢いる場合襲ってこない気がしますー 怪しんでないふりをするのが一番のような? >大隊長:わんわんおさん ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 大勢で武器を持って出歩くと、凶器準備集合罪となるので、武器を持たないでまとまって避難する分にはおkですおw まとまって、単独行動は危険だと、先ほども言いますたおw>メンバB氏 ■メンバE 大隊長:わんわんおさん<テロで臨時法が出る事はあるんですか?夜間外出禁止令とか戒厳令とか。 ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 法律はそんな急に変更はできないおw 臨時法と言うより、そういう場合、公共機関からの通達として指示が出るはずですおw>メンバE氏 ■メンバG しかし、何故か暴走族は捕まえてくれないというオカルトww ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 いやw 証拠集めて解散させてるおw>メンバG氏 ■メンバG あいあい。警察の本気に期待島マース!w>大隊長:わんわんおさん ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 ヘタに走行中の道交法違反で検挙をやると、長い期間ぶちこめないので、グループのリーダー格達の犯罪の証拠をじっくり集めて、 塀の外にしばらく出れないようにして解散させるのが現在の手法ですおw>メンバG氏 ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 というわけで、時間が来てしまったおw まとめると、テロや災害時の情報については、信頼に足りうる情報源(公共機関や、公共機関からの通達としてラジオやテレビを介してもよい)を有効活用する事と、 緊急時、避難時の単独行動は絶対に避ける事、あとは公共機関の指示には絶対に従う事と、リスクを減らすためにも余計な凶器は携帯しないw 以上でありますたおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 次回は、テロや災害時の心理状態に与える傾向と、時間があったら例題に関してもやりますおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 情報講座にもあったように、まずは疑問に思う事ですおw で、分析解析をするのが基本ですおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 しかし、先入観は危険であるが、基本原則として、特亜系外国人は日本人とは違い、信用に足りうるものは無いということも 頭に入れておかなきゃだめだおw ■メンバH 大隊長の私見としてでいいけど南米人ってどうですかね? ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 主に、窃盗犯が多いでつなwで、日本にいる南米人の犯罪率の傾向は日本人よりも高いですおw >メンバH氏 ■メンバG 外国人排斥と敵国人排斥は微妙に違うw ■メンバB そうですが、一般人には 外国人排斥にしか見えないんです >メンバGさん ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 そそw一般人としての見方というのは重要な事ですおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 そのうえで、自分が何をできるのか? 緊急時の場合、自分はどう対応しどう判断を下せるのかが重要な事ですおw で、さきほどの講義の補足をしますおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 そういった、緊急時に特亜人に関して予備知識を得たとしますおw で、緊急時にもしも自分が特亜のテロだと言ってしまった場合、それが確証を得られてようが得られてないかに関わらず、 憶測が憶測を呼び巨大なデマとなってしまいますおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 いい例が、関東大震災の時ですおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 で、こうした場合自分がデマの発信源となってしまい、関係機関や見ず知らずの人間に多大な迷惑をかけてしまう事となり、 ふそくの事態が生じる可能性がありますおw ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 なので状況を判断して、余計な事を言って情報攪乱させないという対応が必要となってきますおw ■メンバB そういうのもあるんですが、団塊含め高齢者は、繰り返し言うことはすごく学習するんです。感情に伴う長期記憶だけが発達してることを マスコミが熟知している。 これは人間の加齢と機能上大変難しいようです。 大多数が高齢者と言う社会なのでそれを認識して欲しいのですが難しいでしょうか・・・) ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 そういう方には、緊急時にテレビで警報が出てるので、落ち着いて避難して下さいと、 逆にマスゴミを利用してやればいいんですおw>メンバB氏 ■メンバG 難しいな~ 自分で自分の責任を取れても他人様の責任まではとれないっすよ。 正直、現時点で大規模テロが起こったら遠からず(特亜テロという)デマは飛ぶと思う。 『日頃の行い』って奴は大切ですがな。ま、だからといって集団で報復ってのもないでしょう。 それだけの主体性・行動力は今の日本人には無い。よほど追い詰められない限りは。 ■メンバB いえ、その自分の責任の部分でもし、特亜排除を自分が叫んでしまった場合、「敵」か「先導者」になってしまうんですよ。 ここで情報を人より知りすぎていることによって。それを 危惧しているだけなんですよ。 そんなのないよーってなら別に問題なんですが なんせ緊急事態だとどうなるのか各人の反応が想像つかなかったものですから >メンバGさん ■大隊長:わんわんお◆Te.ejHAOi6 こういう緊急事態となったら、まずはどうやって自分が生き延びれるかというのを、冷静になって考える事ですおw 自分が無事で、冷静に判断できないと救える筈の自分の愛する人も救えないのでw なので、正しい知識を得て自分がどう対応するのか?といった事を、シュミレーションするというのは重要な事ですおw で、そういう緊急時に人間の心理状態はどういう事となるのかを、次回の講義でサラッと説明しますおw まずは、そういう事態にならないためにも、予備知識は重要になってきますおw>メンバB氏 ★NPO法人コリアンネットあいち ★劇団May ★劇団「タルオルム」 ★朝鮮学校を支援する新潟県民の会 ★日朝ネット ★にっこり楽団 ★八尾柏原コリアントンポネット(KT-Net) ★東大阪コリアサポートセンターアイ ★大阪コリア法律相談センター ★八尾柏原同胞会館 ★福井ハナの会 ★在日外国人『障害者』の年金訴訟を支える会 ★在日韓国・朝鮮人高齢者の年金訴訟を支える会 ★日本・コリア市民交流ネットワーク福岡 ★福岡ちんぐの会 ★北東アジアの平和を考える会 ★日朝友好京都ネット ★同志社大学KOREA文化研究会 ★神奈川・朝鮮学園を支援する会 ★強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム ★神奈川中高オモニ会 ★朝鮮奨学会 ★茨城朝鮮初中高級学校オモニ会 ★東京朝鮮人強制連行真相調査団 ★山口県立大学サムルノリサークル ★日朝友好促進伊丹市議会議員連盟 ★日朝国交正常化の早期実現を求める市民連帯・大阪 ★日朝国交正常化を求める連絡会 ★立命館大学コリア研究センター ★福岡市教職員組合 ★福岡県母と女性教職員の会 ★東大阪朝・日友好親善協議会 ★東大阪日朝友好の会 ★日朝友好長野県民会議 ★長野県平和人権環境労働組合 ★青森県朝鮮女性と連帯する会 ★社民党青森県連合 ★日朝教育・文化交流を進める愛知の会 ★全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部 ★大四城鶴会 ★城東区ボランティアビューロ(城東区社会福祉協議会) ★群馬県朝鮮女性と連帯する会 ★日朝友好九州学生の会 ★日朝友好広島県民の会 ★千葉県市川朝鮮問題研究会 ★金剛山歌劇団 ★アリランの家 ★埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団 ★女性同盟 ★在朝被爆者を支援する会 ★日本の過去を清算する国際連帯協議会 ★高麗書芸研究会 ★留学同Korean Student医療・福祉ネット関東 ★高麗SC50 ★FCコリア ★在日本朝鮮人登山協会 ★朝・日友好親善高麗野遊会 ★群馬同胞登山協会 ★西東京同胞登山会 ★在日本朝鮮人西東京体育協会 ★西東京同胞登山協会 ★九州同胞登山協会 ★兵庫同胞登山協会 ★在日本朝鮮人囲碁協会 ★東北地方同胞登山協会 ★福島同胞登山協会 ★在日本朝鮮人埼玉県卓球協会 ★在日本朝鮮人体育連合会 ★在日本朝鮮人卓球協会 ★在日本朝鮮人東京都卓球協会 ★在日朝鮮学生初級部籠球連盟 ★在日本朝鮮人排球協会 ★関東オモニバレーボール連盟 ★在日本朝鮮人空手道協会 ★NPO法人「ウリハッキョ」 ★朝鮮半島出身者遺骨調査会 ★チュチェ思想研究会全国連絡協議会 ★在日コリアン高齢者生活支援ネットワーク・ハナ 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