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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 八雲紫は夢を見ていた。ほんのちょっと前の出来事で、けれども決して取り戻せないとわかってる昔の思い出。 冬眠の時に見る近くて遠い世界の出来事ではなく、自分が造りあげ、そして残酷で優しい仕組みを持ったこの世界での思い出。 彼女たち妖怪にとって「ほんのちょっと前」と軽く言える月日は人間にとって十数年前と言うそれなりに長い月日の過去。 あの頃の記憶を夢の中で見ていた紫は、幻想郷と外の世界の境目である博麗神社の境内に立っていた。 「………ちょっと暑くなってきたわね」 彼女はこれを夢の中と知っていながらも、身に着けている白い導師服をそろそろ季節外れだという事に気が付く。 あの時と同じだ。夢の中と同じく季節が春から初夏へと移ろいゆく時期、自分は確かにここにいた。 肌を撫でる゙暖かい゙気温が緩やかに、しかし確実に゙暑い゙熱気へと変わっていくそんな時期。 今目の前に見える『数十年前の博麗神社』の中にいる、まだまだ幼く放ってはおけない゙彼女゙の様子を見に来ていたのである。 白色ながらも、頭上の太陽と境内の大理石を反射する熱気という挟み撃ちで流石の八雲紫もその顔に一筋の汗を流してしまう。 「参ったわね、夢の中だというのに…こうも暑いと感じてしまうなんて…――ーそういえば、この時は…」 衣替えはやっていたのかしら?一人呟きながらも、彼女は右手の人差し指で何もない空間にスッと『線を引く』。 瞬間、人差し指で引いた線が縦へ大きく開いだスキマ゙となり、幾つもの目玉が彼女を覗く空間から愛用の日傘が飛び出てくる。 紫は右手でその日傘を掴むと、まるで役目を終えたかのように゙スキマ゙は閉じ、跡形も無く消滅した。 「…確か、この年は外の世界の影響を少し受けてしまっていたのよね?あの時は…色々と大変だったわぁ」 ゙彼女゙の先代―――つまり一つ前の巫女がいた頃の当時を思い出しながら、傘を差した時――― 懐かしくて愛おしくて―――今の゙彼女゙も思い出してほしい、当時の幼ぎ彼女゙が背後から声を掛けてきた。 「あっ、ゆかりー!ゆかりだー!」 今の゙彼女゙に聞かせたら、思わず赤面して耳を塞いでしまうような舌足らずな声。 日傘を差し終えたばかりの紫はその声に後ろを振り向くと、小さな巫女服を着た女の子がこちらへ走ってくるのが見えた。 まだまだ年齢が二桁にも達していない子供特有の無邪気な笑顔を浮かべ、服と別離した白い袖を付けた腕を振り回しながらこちらへと駆けてくる。 やや茶色みがかった黒髪と対照的な赤いリボンもまだまだ小さいが、却ってそれがチャームポイントとなっていた。 笑顔で駆けつけてくれた小さな゙彼女゙に思わずその顔に笑みを浮かべつつ、紫ば彼女゙の体をスッと抱きかかえる。 妖怪としてはあまり体力がある方とは言えないが、それでも゙彼女゙の体重は自分の手には少し軽かったと紫は思い出す。 「久しぶりねぇ…お嬢ちゃん。元気にしていたかしら?」 「うん!」 ゙彼女゙は快活に頷き、ついで小さな両手で自分を抱いている紫の頬を触ってくる。 ようやく柔らかい皮膚の下にある骨の硬い感触が少しだけ伝わってくる゙彼女゙の手。 いずれはこの小さくも大切な世界の一端を担う者の手はほんのりと暖かく、微量ではあるが霊力の感じられる。 まるで素人が見よう見まねで作った枡の、ほんの僅かな隙間から漏れ落ちる酒のように゙彼女゙の力が放出されている。 この夢の中ではまだまだ幼い子供である゙彼女゙が、霊力を制御できるほどの知識や技術を知ってはいなかった事を紫は思い出す。 (そういえば、この頃はまだまだコントロールしようにもできなかったっけ…) 霊力でヒリヒリと痛む頬と、今の自分の状況をを知らずに無邪気に障ってくる゙彼女゙の笑顔を見て紫は苦笑いを浮かべる。 こうして夢の中で思い出してみれば、やはり゙彼女゙には恵まれた素質があったのだとつくづく納得してしまう。 それは後に、この夢の中より少しだけ大きくなった彼女の教師兼教官役となった紫自身の思いでもあった。 (まぁ、後々教師役となる私が言ってしまうと…色眼鏡でも付けてるんじゃないかってあの娘に言われてしまいそうだけど…―――…ん?) 夢の中でそんな事を思いつつ、まだまだ小さい゙彼女゙を抱きかかえていた紫は、ふと背後に何者かの気配を感じ取る。 それは自分を除いて今この場に居る人間の中で最も力強く、下手すれば誰彼かまわず傷つけようとする凶悪な霊力の持ち主。 故に妖怪だけではなく人間からも怖れられ、゙彼女゙と共に暮らしていた三十一代目博麗の巫女の気配であった。 「あら、何やら胡散臭い気配がすると思ったら…アンタだったのね」 まるで刃物の様に研ぎ澄まされ、少しドスを利かせれば泣く子が思わず黙ってしまう様な鋭い声。 その声も今は共に暮らしている小さかっだ彼女゙がいるおかげか、どこかほんのりと落ち着いた雰囲気が漂っている。 ここが夢の中だと自覚してはいるものの、実に十数年ぶりに聞いた三十一代目の声に紫の頬も自然と緩んでしまう。 「あらあら、随分大人しくなったわね?ちょっと前までは、境内に足を踏み入れただけで威嚇してきたというのに…」 「人を獣みたいに言うなっての」 口元を袖で隠しながら呟いた紫に、巫女は苛立ちをほんの少し見せた言い方でそう返した直後、 「あっ、お母さん!」 紫が抱きかかえていだ彼女゙がそう叫んで地面に着地すると、まるで脱兎の如き足の速さで巫女の下へと駆け寄っていく。 そして巫女の近くまで来ると一旦足を止め、自分を見下ろす巫女を中心にグルグルと走り回る。 「こらっチビ!あんたねぇ、朝食が済んで早々神社の外へ出るなってアレほど…ちょ、人の話を聞けっての!」 何やら巫女ば彼女゙に軽いお説教をしてやりたいのだろうが、肝心の゙彼女゙は忙しなく動き回っている。 紫はそんな二人に背中を見せていたが、その時の光景は夢として見る前の現実でしっかりと目にしていた。 両手を広げて笑顔で走り回る幼ぎ彼女゙と、そんな彼女にほとほと呆れながらもほんの少しだけ口元を緩ませていた巫女。 ゙彼女゙がこの幻想郷の住人となったのは、この夢の中では半年も前の事。 寒い寒い冬の山中。外の世界へと通じる針葉樹の森の中で、゙彼女゙は巫女に助けられた。 その時、周囲に転がっていた炎上する鉄塊と身に着けていた服で、外の世界からやってきた者だと一目で分かった。 当然の如く身寄りなどいるはずもなく、右曲折の末に゙彼女゙は巫女の下で育てられことになる。 なし崩し的に゙彼女゙と暮らし始めてからというものの、孤独に暮らしていた巫女は他人というモノを初めて知ることが出来た。 三十一代目には色々と問題があり、人里との付き合いも希薄であった故に゙彼女゙を受け入れてくれた時、紫は安堵のあまり胸をなで下ろしたものである。 (懐かしいわね…何もかも。―――夢とは思えないくらいに…) 背後から聞こえる楽しそうな゙彼女゙の嬌声を耳に入れながら、紫はその場に佇んでいた。 今夢で追体験しているこの日は、自分と巫女…そしで彼女゙にとってとてつもなく大きな転換点とも言える日。 当時の紫は思っていた。やむを得ない事情で三十一代目となった巫女の為に、゙彼女゙の今後を決めておかねばならないと。 制御しきれぬ力を抱え、一度タガが外れれば狂犬となってしまう巫女を助けようとして…幼ぎ彼女゙に次代の巫女になって貰うという事を。 そして、それが原因で巫女との仲違いとなり――――結果として、彼女を幻想郷を消さねばならなくなったという過ち。 いまこうして立って体感している世界は全て自分の過去であり、拭える事のできない過ち。 それを分かっていながらも、紫は心のどこかでこれが現実であれば良いのにと願っていた。 まるで人間が無茶な願いを流れ星に込めるように、最初から叶う筈がないとと知っていながら。 目を開けて最初に見たものは、自分の棲家―――マヨヒガの見慣れた天井であった。 天井からぶら下がる電灯を寝るときに消すのがいつも面倒で、いつの日か改装したいと思っている忌々しい天井。 そして頭を動かして周囲を見回せば案の定、マヨヒガの中にある自分―――八雲紫の部屋である。 夢の過去から戻ってきた紫は早速自分の体を動かそうとした瞬間、胸の中を稲妻が駆け抜けるようにして痛みが走った。 「―――――…ンッ!」 思わず呻き声を上げてしまった彼女は、これが原因で自分は目をさましたのだと理解する。 全く酷い寝起きね…。心の中で愚痴を漏らしつつ、ふと自分はどうして布団で寝ているうえに体がこんなに痛むのか疑問に思った。 自分の記憶が正しいのであれば、トリスタニアで霊夢を探していたルイズと魔理沙に彼女の居場所を教えた後で、幻想郷に戻ってきたのは覚えている。 思いの外苦戦していた霊夢に助太刀しようかとあの時は思っていたが、あの二人ならば大丈夫だろうとその場任せる事にしたのだ。 そしてハルケギニアを後にし、然程時間を掛けずに自分の棲家へ戻ったのは良かったが……そこから先の記憶は曖昧であった。 まるで録画に失敗したテレビ番組の様に、そこから先の記憶がプッツリと途切れているのだ。 「確かあの後は…マヨヒガに戻ってきたのは覚えてるけど……その後は…――」 「本棚の整理をしていた私を無意識にスキマで引っ張ってきて、半ば無理やり看病させてたのよ」 思い出そうとした紫に横槍を入れるかのように鋭く、それでいて冷たい声が右の方から聞こえてきた。 その声に彼女が頭だけを動かすと、丁度襖を開けた声の主が天の川の様に白く綺麗な髪をなびかせて入ってくる。 紺と赤のツートンカラーの服に、頭には赤十字の刺繍が施されたナースキャップ。そして寝込んだ自分へと向ける射抜くような瞳。 かつては月の頭脳と崇められ、今は裏切り者として幻想郷に住まう月人にして…不老不死の蓬莱人―――八意永琳。 幻想郷を支配する八雲紫自身も、油断ならない奴と思っていた彼女が何故ここに…?寝起きだった紫はそんな疑問を浮かべてしまう。 そして寝起きだったせいか、ついつい表情にもその疑問が出てしまったのを永琳に見らてしまった。 「……その顔だと、記憶にございませんって言いたそうじゃないの?」 彼女からの指摘でその事に気が付いた紫はハッとした表情を浮かべ、それを誤魔化すかのようにホホホ…と笑った。 「あらやだ、私とした事がうっかりしていましたわね……ふふ?」 「まぁ私も連れてこられた直後に見た貴女を見て驚いてしまったから、これで御相子という事にしましょう」 そう言って永琳は紫の枕元に腰を下ろすと、彼女に「体を起こせる?」と聞く。 ここは威勢よく頷いてスクッと上半身を起こしていきたいところなのだが、生憎先ほどの痛みではそれも難しいだろう。 ほんの数秒ほど考えた紫が首を横に振ったのを見て、永琳は小さなため息をついてから彼女の肩に手を掛ける。 「とりあえずもう少し寝かせておくのが良いけど、生憎そうも言ってられないから手伝うわ」 「あら?何か物騒な言い方じゃないの―――…ってイテテ…!」 幸い永琳の介助もあってか、紫は何とか上半身を無事起こす事が出来た。 まだ胸はチクチクと痛むものの、気にかかる程度で立ったり歩いたりする程度には何の支障にもならない程である。 「全く…貴女ともあろう妖怪が、こんなみっともない醜態をあのブン屋天狗に見られたら一大事よ?」 「完璧に見える者ほど、その裏では醜態を晒している者ですわ……ふぅ」 ようやく布団から出て来れた紫は、永琳が着せてくれたであろう寝巻をゆっくりと脱ぎ始めた。 汗を吸い、冷たくなった紺色のそれを半分ほど脱いだところで、ジッとこちらを見ている永琳へと視線を向ける。 向けられたその視線から紫の言いたい事を察した永琳は、キッと目を細めて言った。 「着替えなら自分の能力で出せるでしょう。ちょっとは自分で動きなさい」 「……まだ私、何も言ってないんですけど?」 あわよくば着替えを取ってくれるかもと思って向けた視線を一蹴された紫は、愚痴を漏らしながらスキマを開く。 いつも身に着けている白い導師服と下着、それにいつも身に着けている帽子がスキマから零れ落ちてくる。 「それぐらい、視線で分かるわよ。……姫様も似たような視線を向けてくるから」 「あちゃ~…既に予習済みだったというワケねぇ?」 用済みとなったスキマを閉じた紫は既に慣れっこだった永琳にバツの悪そうな笑みを浮かべて、手早く着替えを済ませた。 着替えを済ませた紫はその後、じっと見守っていた永琳と共にマヨヒガの廊下を歩いていた。 彼女曰く「長話になるだろうから居間で話したい」と言っており、まぁ確かに空気が籠っているさっきの部屋で話すよりマシなのだろう。 紫自身は別にあの部屋でも良かったのだが、特に拒否する理由も無かったのでほんの少し痛む胸をそのままに廊下を歩いていた。 廊下に面した窓から見える空は、外の世界で良く見る排ガスのような曇天であり、ふとした拍子で雨が降ってしまいそうである。 「それにしても、話したい事って一体どういうお話なのかしら」 「貴女なら、仮に私が逃げたとしても捕まえられるでしょう?だったら慌てる必要は無いというものよ」 部屋を出て十秒ほどしたところで繰り出した紫の質問にしかし、永琳は答えをはぐらかす。 まぁ確かにその通りなのだが、不思議とマヨヒガの中にいる彼女は威厳があるなぁ…と紫は思った。 ついついそんな事を思ってしまった事が可笑しいのか、クスクスと笑いながら再び永琳に話しかける。 「私の家のはずなのに、何故だか貴女の方がマヨヒガの事を知ってそうね?」 半分冗談で言ったつもりであったが、永琳はやれやれと言いたげな顔で肩を竦めて、 「そりゃあ一月と半分も貴女の看護で監禁されていたのよ、ここの掃除や炊事をしていく内に大体の事は把握できたわ」 あっさりと言い放ってくれた事実に、流石の紫もその場で足を止めてしまう。 「――――…一月と、半分…?」 真剣な様子で言われた言葉に、紫は思わず目を丸くし怪訝な表情で反芻してしまう。 てっきり一日か数日の間気を失っていただけかと思っていたというのに、彼女の口から告げられた事実は予想の範囲をほんの少しだけ超えていた。 「何よ、てっきり数百年か千年ほど眠っていたと思ったのかしら?」 「…奇遇ね。貴女とは真逆の方向で考えていましたわ」 そんな相手の様子を見かねてか、自分なりの冗句を飛ばした永琳に紫は気を取り直しつつも言葉を返した。 一体自分の身に何が起こったのだろうか…?そんな疑問がふと頭の奥底から湧いてくる。 幸いにも心当たりはある。今抱えている異変の初期に゙あの世界゙への侵入を試み、霊夢を召喚したであろう少女の遭遇。 その時に出会い、襲い掛かってきたあの白い光の人型。それを追い払うために一撃お見舞いする時にもらった、あの一太刀…。 (でもまさか…傷自体はすぐに治ったし、あれ以降特に体調には変化は無かったけどねぇ) 心当たりと言えばそれくらいなものだし…もう一つあるとすれば、少し賞味期限が切れた芋羊羹を茶菓子に食べた程度である。 とはいえ妖怪がその程度で倒れて一月過ぎも倒れてしまうと、それはそれで物凄い名折れになってしまうが。 (もしかしてこの前、スキマに隠してて忘れてた最中を食べたのがいけなかったのかしら…?) 思い当たる節がそれくらいしかない紫が、寝起きの頭をウンと捻りながら思い出そうとしており、 永琳はそんな彼女の心の内を読んだかのように呆れた目で見つめつつ、心の中では別の事を考えていた。 (どうやら、本当に憶えてないらしいわね…この様子だと) 暢気な妖怪だと思いつつ、やはりその姿から滲み出る『余裕』とでも言うべき雰囲気に永琳は感心していた。 去年の秋、永夜事変と呼ばれるようになったあの異変で顔を合わせて以降、油断ならない相手だと認識している。 あの巫女とは違いどこか浮ついていて、時折何をやっているのかと思う事はあっても、常にその体から『余裕』が滲み出ていた。 例えるならば剣術に長けたものが相手の目の前でわざとおふざけをし、いざ切りかかってきた瞬間にそのまま一刀の元に切り伏せてしまう『余裕』。 傲慢とも取れる強者だけが持ち得る『余裕』を放つ八雲紫は正に、いかなる戦いでも勝ちを手に取る事の出来る真の強者。 博麗の巫女以上に警戒すべき妖怪であり、この幻想郷で生きていく上では絶対に逆らってはいけない支配者なのである。 (けれど、どうやら゙相手゙の方が一枚上手だったようね…) 無意識のスキマで連れ去られ、半ば強引に彼女の治療をさせられていた永琳は紫の容態を把握していた。 あの日…永遠亭の自室で空いた時間を利用した本棚の整理していた最中に、彼女はスキマによってここへ連れて来られた。 突拍子も無く足元の床を裂くようにして現れたそのスキマには、流石の永琳でも避ける暇は無かったのである。 しかし、結果的にそれがマヨヒガの玄関で倒れていた紫を助けることに繋がり…信じられない様な事実さえ知ることができた。 恐らく彼女はそれを自覚していないかもれしない。もしそうであるならば今の異変に深く関わるもうあの世界への評価を数段階上げなければいけない。 いまその世界にいる博麗霊夢…ひいては幻想郷そのものに、これまでとは次元の違う異変を起こした異世界――ハルケギニアを。 「……あっ、こんな所にいたんですかお二人とも!」 マヨヒガの廊下で立ち止まった二人が各々別の事を考えていた時、二人の耳に聞きなれた少女が呼びかけてきた。 咄嗟に紫が前方へと顔を向けると、そこにいたブレザー姿の妖獣の姿を見て「あら!」と声を上げる。 二人へ声を掛けた少女もとい妖獣は永琳と同じく月に住む兎――玉兎にして、彼女の弟子である鈴仙・優曇華・イナバであった。 足元まで伸ばした薄紫色の髪、頭には変にヨレヨレでいつ千切れても可笑しくなさそうな兎耳が生えている。 この場に居る三人の中では最も名前が長くそして頼りなさそうな雰囲気を放っているが、その能力は三人の中では最も性質が悪い。 とはいえ本人はそれを悪用するほどの大胆さは持たず、それを仕出かす性格ではないので今は永遠亭で大人しく過ごしている。 そんな彼女が何故この永遠亭にいるのだろうか?その疑問を知る前にひとまずは挨拶をしてみることにした。 「誰かと思えば、永遠亭のところの臆病な……え~っと、月兎さん…?じゃあありませんか」 「え?あ、あの…月兎とは言わないんだけど…それはともかくとして、お久しぶりです紫さん」 紫が自分の種族名を呼び間違えたことを指摘をしつつ、鈴仙は目の前にいる大妖怪におずおずと頭を下げる。 無論彼女たち月の兎の正しい呼び方は知っているが、そこを敢えて間違えてみたが彼女は怒らない。 やり過ぎればそれはそれで面白いモノが見れそうなのだが、それは自分の手前いる彼女の師匠が許さないであろう。 「あら、優曇華じゃないの。もしかして、待てない゙お客さま゙に促されたのかしら?」 鈴仙の師匠である永琳が右手を軽く上げつつ、何やら気になる単語を口にしている。 ゙お客様゙…?自分の隙間が無意識に連れ込んだというのは、永琳だけではなかったのか…? 小さく首を傾げつつも、ひとまず紫は次に喋るであろう鈴仙の言葉を聞いてから口を開くことに決めた。 「はい…、この天気だと雨が降りそうなので手早く済ませたいと…後、姫様もまだ起きないの?とかで…」 「あらあら…どうやら私が寝ている間に、御大層な見舞い客達が来てくれたようねぇ」 二人の話を横から聞いていた紫は、頼りない玉兎が口にした言葉で永琳の言ゔお客様゙の姿を何となく想像する事が出来た。 自分が居間へ来るのを首を長くして待っているのだろう、ならばここで時間を潰している場合ではない。 笑顔を浮かべながらそう言った紫にしかし、永琳は苦笑いの表情を浮かべてもう一度肩を竦めて見せる。 「まぁ、そうね。貴女が倒れたと聞いて、何人かが見舞いに来てくれているけど…けど、」 「けど?」 「今日は今まで眠っていた分、たっぷりと話すことになるでしょうから、喉を潤すのを忘れないで頂戴」 案内役が二人となり、やや狭くなった廊下を歩いていると窓越しに何か小さな物が当たったような音がする。 何かと思い目を向けると、丁度曇天から振ってきた幾つもの水滴が窓を叩き始めた所であった。 彼女の後ろにいた鈴仙も聞こえ始めた雨音に思わず兎耳が動き、窓の方へと顔を向ける。 これから梅雨入りの季節である、恐らくこの雨は連日続く事になるだろう。 「雨、降ってきちゃいましたね。…まぁ何となく予想はついてましたけど」 「いけないわねぇ。これれじゃあ雨が降ったら困るお客様が、家に帰れなくなってしまうわね」 他人事のように喋る紫が足を止めたのに気付いてか、一人前を歩いていた永琳が溜め息をついてしまう。 居間まではもう目と鼻の先であり、そんなところで雨なんか眺めている紫に彼女は「早くして頂戴」と急かす。 「きっとその゛雨が降って困るお客様゙は、待ちに待ちすぎて苛ついているわよ?」 永琳が後ろの二人へと顔を向けながら続けて言った直後―――前方から幼くも恐ろしい少女の声が聞こえてきた。 「―――残念だけど、私は怒っていないわよ。何せ、ようやく御寝坊さんのスキマ妖怪に会えたのですから」 「…!――――わっ…と!」 突然聞こえてきたその声に永琳が後ろへ向けていた顔を戻した瞬間、すぐ目の前に小さくて凶悪な口があった。 流石の永琳もこれには驚いたのか、声が裏返ったのも気にせず数歩後ろへと下がってしまう。 永琳に自らの口を見せた少女は彼女の驚きぶりにクスクスと笑いながら、背中に生えている蝙蝠の羽根をパタパタと動かしてみせる。 「ふぅ…全く、驚かせるなら私じゃなくて八雲紫にしてくれないかしら?」 「そのつもりだったけど、アンタのそのクールぶった表情を崩してみたくなってね?」 良い表情(カオ)を見れたわ。――最後にそうつけ加えた少女は背中の羽根を動かすのをやめて、永琳の後ろにいる妖怪へと視線を向ける。 紫は後ろへ下がった永琳の肩越しにその少女の姿を見て、久しぶりに顔を合わせた知り合いに挨拶をするかのように声を掛けた。 「あら!お久しぶりねェ、私が寝ている間に何回お見舞いに来てくれたのかしら?」 「………三回、そして今日を合わせて四回目。奇遇な数字だと思わない?―――――四よ、四」 「とても素敵な数字だと思いますわ。―――貴女が凍土の様に冷たい怒りを溜めこんでいるのが分かるから」 「何なら、今から外で貴女の寝ぼけた頭をハッキリさせるお手伝いでもしてあげようかしら。…この程度の雨なら、蚊に刺されるのと同じだからね」 クールに皮肉をぶつけたつもりが、あっさりと自分の心の内を読まれてしまった少女は犬歯の生えた口を歪ませて言う。 二本の犬歯が目立つその口は、外の世界で未だ尚その名声を保ったまま、幻想の者となった悪魔の証明。 数多の妖怪たちがいる幻想郷の中では新米とも言える種族であり、弱点も多いことながらそれらを自らの力でカバーする程の実力。 霧の湖の中心に立つ巨大な洋館―――紅魔館の主にして、運命を操る程度の能力を持った永遠に幼き紅い月。 それが今、八雲紫と相対している少女―――レミリア・スカーレットである。 「はいはい、そこまでにしておきなさい。これ以上話をややこしくしないでちょうだい」 寝起きの八雲紫と、隠し切れぬ怒りを体から滲み出しているレミリア・スカーレット。 とりあえず両者の行動を見過ごすしていては話がややこしくなると感じてか、すかさず永琳が仲介役となる。 紫はともかくとして、いきなり自分たちの間に立った薬師を、その紅い瞳でキッと睨み付けた。 「何よ、コッチは三回以上も無駄足を運んだのよ?コイツに文句の一つくらい言っても許してはくれないのかしら」 「それだけなら別にいいけど、貴女の場合そこから先の段階まで一っ跳び到達するから止めたのよ…。それに、貴女も貴女よ」 「あら、私は特に喧嘩を売るつもりはありませんでしたのに」 右手でレミリアを制した彼女はそう言ってから、左手で制している紫にも苦言を呈する。 先ほど口にした言葉をもう忘れたのか、という風に肩を竦めて見せる大妖怪に永琳は思わず自分の眉間を抑えたくなってしまう。 そんな紫を見てとうとう呆れてしまったのか、レミリアはため息をつきつつ言った。 「…まぁいいわ。今回はアンタも病み上がりだってソイツから聞いたし、この怒りはひとまず保留にしておいてあげる」 だから、次は無いからね?吐き捨てるように言ってから、レミリアは踵を返して目の前の襖を静かに開けた。 先ほど動かしていた時より縮んでいる羽根は小刻みに動いており、それなりに機嫌が悪いのは明らかであろう。 並大抵の人間や妖怪ならその羽根の動きで彼女の今の状態を読み取り、恐怖で震えてしやまうかもしれない。 しかし、八雲紫や永琳程の実力者の目には…おかしいことにどうにもその羽根が可愛く見えてしまうのであった。 「……ふふ」 パタパタと揺れ動く黒い蝙蝠の羽根に紫が思わず微かな笑い声を口から漏らした直後、レミリアの顔がすっと後ろを振り向く。 気づかれちゃった…?一瞬そう思った紫ではあったが、幸運にも彼女の耳には入らなかったようだ。 「ほら、何やってるのよ。アンタがを覚ますのを首を長くして待ってたのは、私やそこの薬師だけじゃあないのよ?」 「それは大変ね。主役が遅れては、物語の本筋が進まないのと同じ事だわ」 吸血鬼の呼びかけに紫は笑顔を浮かべたままそう答えると、再び居間へと向けて歩き始める。 レミリアが空けた襖の向こう、自分の記憶が正しければその先にはマヨヒガの居間がある。 彼女と永琳に弟子の玉兎…そしてその兎が゙姫様゙と呼んだ未だ見ぬ゙お客様゙を含めた複数人の見舞い客。 きっと彼らは自分の事を待っているのだろう。今現在、あの世界と自由に行き来できる自分から情報を得る為に。 「一月と半分ぶりのお話ですもの、たっぶりと口を動かしたいものだわ」 紫は一人呟きながら、わざわざ出迎えにきてくれたレミリアの後をついていくように足を進めた。 (全く、一時はどうなる事かと思ったわ…) 一触即発の空気を無事に抜き終えた永琳は、内心ホッと一息胸を撫で下ろす。 最初に両者互いに言葉の売買を始めた時はどうしようかと思ったモノの、思いの外上手くこの場を収める事が出来た。 この先にいるのはあの吸血鬼の従者と、この異変に興味を見せ始めた永遠と須臾を操る自分の主。 そして紫とは古い付き合いである華胥の亡霊ともう一人―――彼女と共にやってきた規格外の゙来客゙がいる。 どうして彼女がわざわざ八雲紫の元へ見舞いに来たのか、本来なら目を覚ました紫に自分の許へ呼び出せる立場にあるというのに。 本人は紫に直接話したい事があると言って、今日で三回目の見舞いに来てくれていた。 『さぁ~?私に聞かれても分からないわよぉ。でもまぁ、彼女なりに紫を気遣ってくれてるんじゃない?』 思わずその゛来客゙を最初に連れてきた亡霊に聞いても、そんな返事しかしなかった。 埒があかずその゙来客゙本人に聞いてみるも、彼女も彼女であの八雲紫に話があると言って見舞いに来たの一点張り。 紫とはまた別に厄介な、自分の考えを曲げない断固たる意志と威圧感を体から放ちながら゙来客゙は言った。 『ちゃんと貴女方にも伝えます。けれども、一番話を聞くべき本人が眠っていては意味がありません』 つまりは八雲紫に直接口頭で伝えるべき事があるらしいが、それが何なのかまではイマイチ分からないでいる。 しかし永琳は何か予感めいたものを感じていた。あの゙来客゙が紫の前で口にすることは、決して自分たちには関係ない事ではないと。 そんな風にして永琳が襖の向こうにいるであろゔ来客゙の後姿を思い浮かべていた時、情けない声が背後から聞こえてくる。 「あ、ありがとうございます師匠。全く地上の妖怪同士のイザコザってのは危なっかしいものですね」 「それを言う暇があるなら、せめて私が動くより先に止める事をしてみなさい…」 声の主、弟子の鈴仙が前を進む妖怪と悪魔を見遣りながら言ってきた言葉に、永琳はやれやれと肩をすくめた。 薬学の覚えも良く頭の回転は速いし、自分の能力の使い方や運動神経も良しで、彼女は決して出来の悪い弟子ではない。 ただどうも臆病なのが致命的短所とも言うべきか、ここぞという所で動かないのである。 先ほどの紫とレミリアが相対した時のような場面に出くわすと、何というか空気に徹してしまうのだ。 特に自分がいなくても誰かが代わりに止めてくれると思っていると、尚更に。 無論この前の異変の様に後に引けなくなれば押してくれる。呆気なくやられてしまったが。 「師匠の私としては、貴女のその臆病さを改善しないといけないって常々思います」 「えぇ~…でも、でもだって怖いじゃないですか?あの八雲紫と吸血鬼の間に入るなんてぇ~…!」 鈴仙は元々白みが強い顔を真っ青にし、ワナワナと体を震わせながらついつい弱音を吐いてしまう。 吸血鬼や亡霊の従者たちとは違い、ここぞという時に臆病さが前に出て全く動いてくれない玉兎の若弟子。 いずれ落ち着いた時が来れば、その臆病さを克服できる゙何がをさせなければいけないと、永琳は心の中のメモ帳に記しておくことにした。 トリステイン王国の首都、トリスタニアのチクトンネ街にある一角。 通称゙食堂通り゙と呼ばれるそこは、文字通り幾つもの飲食店が店を構えていた。 ブルドンネ街のリストランテやバーとは違い、主に下級貴族や平民などを対象とした店が多い。 今日も仕事へ行く下級貴族たちが朝食を済ませ、急ぎ足で後にしていった食堂にはそれを埋め合わせるかのように平民の客たちが来る。 その大半が劇場や役所の清掃員や、夜間の仕事を終えて帰宅する前の食事といった感じの者たちが多い。 したがって客の大半は男性であり、この時間帯ば食堂通り゙を財布の紐がキツイ男たちが行き来する事になる。 そんな通りにあるうちの一軒、主にサンドイッチをメインメニューにしている食堂「サンドウィッチ伯爵のバスケット」という店。 朝食セットを選べば無料でスープとサラダが付いてくる事で名の知れたここには、今日もそれなりの客が足を運んでいた。 カウンター席やテーブル席、そしてテラス席にも平民の男たちが占有して大きなサンドイッチを頬張っている。 それはおおよそ女性や婦女子が食べるような小さなものではなく、いかにも男の料理らしいボリューミーなものばかりだ。 程々にぶ厚いパンに挟みこまれているのは、これまた分厚いハムステーキや鶏肉に、目玉焼きのひっついたベーコンなど… 入っている野菜も野菜でトマトやピクルス、レタスなどもいかにも男らしく大きめに切られて肉類と一緒に挟みこまれている。 更に、少し財布の紐を緩めればトリステイン産のパストラミビーフのスライスを二十枚も入れた豪勢なサンドイッチも食べられるのだ。 そんな店の外、テラス席に座った二人の平民の男たちがサンドイッチを片手に何やら話をしていた。 「なぁおい、この前のタルブ村で起こったっていう『奇妙な艦隊全滅』の話しの事なんだが…―――…ムグッ」 「あぁ、知ってるぜ?何でも、大声じゃあ言えないが親善訪問直前で裏切ったアルビオンの艦隊が火の海になったって事件だろ?」 同じ職場の同僚もとい友人にそんな事を言いながら、彼は頼んでいたロブスターサンドを豪勢に頬張る。 ロマリアから直輸入されたレモンの汁とオリーブオイルが利いたドレッシングが、朝一から彼にささやかな幸せを与えてくれる。 ほぼ同年代の友人が食うサンドイッチを見つつ、自分が頼んだ目玉焼きサンドに胡椒を振り掛けながら相槌を打つ。 この平民の男が言う『奇妙な艦隊全滅』の噂は、トリスタニアを中心にトリステインのあちこちへ広がりつつあった。 噂の根源は既に行方知れずであるものの、多くの者たちがトリステイン軍の兵士や騎士達からその話を聞いている。 証言者である彼らは先日親善訪問護衛の為にラ・ロシェールへと出動し、その一部始終を見ていたのだから。 曰く、親善訪問の為にやってきたアルビオンを艦隊が、わざわざ迎えに来たトリステイン艦隊を突如裏切り、攻撃してきたのだという。 しかし、事前に警戒していたトリステイン艦隊司令長官はギリギリでこれを回避、被害を最小限に留めたのた。 不意打ちが失敗したアルビオン艦隊は追撃しようとしたものの、郊外の森で『偶然訓練の最中であった』トリステイン国軍が助太刀の砲撃。 ゲルマニアから貰った対艦砲によってアルビオン艦隊は士気を挫かれたものの、白旗を上げるどころか見たことも無い怪物たちを地上へ放ったのである。 国軍の兵士曰く「あまりにも身軽連中だったと話し、ラ・ロシェールで警護についていた騎士は「亜人でもない、幻獣でもない怪物に我々は浮足立った」と悔しそうに呟いていた。 森から砲撃していた国軍は止むを得ずラ・ロシェールまで後退し、警護の為町へ訪れていた王軍と合流したものの…。 化け物たちの勢いはそれでも止まらず、とうとう王軍も町を放棄してタルブ村まで撤退するが、そこでも抑えきれなかったらしい。 避難し遅れていた村人やラ・ロシェールの人々を連れて王軍、国軍は少し離れたゴンドアまで撤退し、そこに防衛線を築いた。 王軍、国軍の地上戦力二千と、アルビオン艦隊との正面衝突では負けると判断し後退していたトリステイン艦隊を合わせれば三千の勢力。 対する敵は国軍からの砲撃を喰らったものの無傷とも言えるアルビオン艦隊と、トリステイン軍の偵察が確認した地上戦力を合わせて四千。 千という差はこの戦いではあまりにも大きく、更に国軍と王軍を退けた化け物がいる以上トリステイン軍は万全を期して敵を待ち構える事にした。 ところがどうだ、敵は怪物たちを使ってタルブ村を乗っ取った後ピタリと前進をやめたのである。 偵察に出た竜騎士曰く、まるでそこが終着駅であるかのように化け物たちは進むのを止めてタルブ村やラ・ロシェールを徘徊していたのだという。 この時王軍代表の将校として指揮を執っていたド・ポワチエ大佐はその報告に首を傾げたが、なにはともあれ敵は前進を止めた。 彼はそのチャンスを無駄にすまいと王宮へ伝令を飛ばし、町そのものを使った防衛線をより強固にするよう命令した。 その内日が沈み、日付けが変わる頃には即席の要塞と化したゴンドアへ、ようやくアンリエッタ王女率いる増援が到着したのだ。 たちどころに士気が上がり、籠城していた者たちは皆歓声を上げ、アルビオン王家を滅ぼした侵略者たちをここで食い止めて見せると多く者が誓った。 しかし、彼らの予想に反して空と地上で行われる激しい攻防戦が始まることは無かった。 圧倒的に精強な艦隊と無傷の地上戦力に、見たことも無い怪物たちを操っていたアルビオンが勝ったわけではなく、 かといって防衛線を固め、王女率いる増援を迎え入れたトリステインが勝利したと言われれば、本当にそうなのかと首を傾げる者たちがいる。 その多くが実際の光景を目にしたトリステイン軍の兵士や将校達と、彼らよりも間近でソレを目にしたアルビオン軍の捕虜たちであった。 出動した魔法衛士隊の隊員はその時目にした光景を、「一足早い夜明けが来たのかと思った」と証言している。 一方でアルビオン側の捕虜…とくに甲板にいた士官たちはこう証言している。「我々の目の前に小さな太陽が生まれ、船と帆を焼き払った」と――――。 それが『奇妙な艦隊全滅』こと『早すぎた夜明け』―――――アルビオン側の捕虜たちの間で『唐突な太陽』と呼ばれる怪現象だ。 アンリエッタ率いる増援が町へ到着し、息を整えていた時に…突如ラ・ロシェールの方角から眩い光が迸ったのである。 そのあまりに激しい光に繋がれていた馬や幻獣たちは驚き、乗っていた兵士や将校たちを振り落としかねなかったそうな。 この時多くの者たちが何の光だとは叫び戦き、あるモノはアルビオン軍の新兵器かと警戒し、またある者は夜明けの朝陽と勘違いした。 光は時間にして約一分ほどで小さくなっていき、やがて完全に消えた後…代わりと言わんばかりに山を照らす程の火の手が上がり始めたのである。 急いで出動した偵察の竜騎士が見たのは、ついさっきまでその威圧漂う偉容で空を飛んでいたアルビオン艦隊が、一隻残らず火の手を上げて墜落していく姿であった。 艦首を地面へ向けてゆっくりと落ちていくその姿は正に、太陽の熱で翼を焼かれた竜の様に呆気ない艦隊の゙最期゙だったという。 当初トリステイン側は、アルビオン艦隊が火薬の不始末か何かを起こして爆発を起こしてしまったりのかと思っていた。 だがそれにしてはあまりにも火の手が激しく、最新鋭の艦隊がこうも簡単に沈むとは到底考えられない。 更に不思議な事に、墜落現場へと魔法衛士隊や竜騎士隊が一番乗りしてみるとアルビオン側の者たちは殆ど無傷だったのだという。 何人かが墜落する際の騒ぎで怪我した者はいたが、輸送船に乗っていた地上戦力も含めて死者はいなかったのである。 いくら何でもそれはおかしいと多くの者たちが思い、士官や司令長官達に尋問を行った所…奇妙な証言をする将校たちがいた。 彼らは皆あの巨艦『レキシントン』号に乗船していた者達で、先頭にいた彼らはあの光を間近で見ていたのだ。 その内の一人であり、王党派よりであった『レキシントン』号の艦長ヘンリー・ボーウッドが以下の様に証言している。 「あの時。いざゴンドアへ向けて前進しようとタルブ村を超えかけた所で、私は遥か真下から強い光が迸るのを見た。 まるで暗い大海原で見る灯台の灯りの様に眩しく、遥か上空からでもその光を目にする事が出来た。 何だ何だと私を含め多くの士官たちが駆けより、とうとう景気づけに酔っていた司令長官まで来た直後―――あの光が迸った。 小さな太陽とはあれの事を言うのだろうか、最初我々の頭上に現れたソレに目を焼かれたのかと錯覚してしまった程眩しかった。 私自身の口と周りにいた士官仲間や司令長官、そして周りにいた水兵たちの悲鳴が一緒くたになり、耳に不快な雑音となる。 そうして一通り叫んだところでようやく光が消え去り、焼かれる事の無かった目で周囲を見回した時……辺りは火の海になっていた。 そこから先は八方塞がりだったよ。帆は焼け落ち、船内の『風石』も燃え上がって…緩やかに地面へ不時着するほか手段がなかった」 彼を始め、尋問で話してくれた多くの者たちがある程度の差異はあれど同じような証言をしている。 突如自分たちの頭上に太陽と見紛う程の白い球体の光が現れ、船の甲板と帆に船内の『風石』だけを焼き払って消え去った。 艦隊が成す術もなく墜落していった原因はこれであり、調べてみたところ確かに『風石』だったと思われる灰の様なものも確認している。 この不可解な現象に流石のトリステイン王国の政治上層部も素直に喜んでいいのか分からず、更なる調査が必要だと議論の真っ最中であった。 一方で軍上層部―――俗にいう制服組の一部には「奇跡の光」と呼んで、余計な犠牲が出ずに済んだことを喜ぶ者たちがいた。 自軍の艦隊はほぼ無傷であるのに対し、敵側となったアルビオンは『レキシントン』号をはじめとする精鋭艦隊をゴッソリ失ったのである。 地上戦力は国軍、王軍の現役将校たちを含め約五百名以上が亡くなったものの、戦略上ではさしたる被害にはならない。 ―――――…とはいえ、此度の戦には不可解な現象が幾つも起きており。 アルビオン艦隊の全滅と共に姿をくらました怪物たちや、例の光に関しては早急なる調査が必要である。』…とのことです」 「ご苦労でしたマザリーニ枢機卿。…さて、と…ふぅ」 妙に長かった報告書をやっと読み終えたマザリーニ枢機卿が一息つくと、アンリエッタは右手を軽く上げて礼を述べた。 場所は執務室、白をパーソナルカラーとしているトリステイン王宮の中では異彩を放っている渋い造りとなっている一室である。 ゴンドアから戻ってきてから幾何日、ようやく戦闘後の事後処理が済みかけていると実感しつつ、まだまだ気は抜けないと実感してしまう。 報告書にも書かれていたが、今回ラ・ロシェールとタルブで起きた戦闘は一言でいえば゙奇怪゙であった。 トリステインの情報網には全く引っ掛らなかった謎の化け物たちに、艦隊を全滅させた謎の光。 そして艦隊が無力化されたと同時に、まるで霞の様に姿を消してしまった怪物たちの事など…数え上げればキリがない。 形式的には勝利したものの、枢機卿を含めた多くの政治家たちにとって、腑に落ちない勝利とも言えよう。 「とはいえ…我が国を無粋にも侵略しようとした不届き者どもを退けられた事は、素直に喜びたいところですわ」 アンリエッタは枢機卿の読んでいた報告書の内容を頭の中で反芻しながら、ソファの背もたれに自らの背中を沈ませた。 王宮に置かれている物だけあって程々に柔らかく、硬い背もたれは緊張続きだった体を優しく受け止めてくれる。 ついで肺の中に溜まっていた空気を軽く吐き出していると、自分の口ひげを弄るマザリーニが話しかけてきた。 「左様ですな。それに我々の手の内には彼奴らがこの国で内部工作を行っていた証拠もあります」 「そうですね。今私達の両手には杖と短剣が握られており、相手は丸腰の上手負いの状態…しばらく何もないことを祈りましょう」 アンリエッタはマザリーニの言葉にそう返すと姿勢を改め、自分と枢機卿の前にいる゙者達゙へと話しかけた。 「そしてルイズ、レイムさんにマリサさん――そして他の方々も…此度の件は、本当に助かりました」 「えっ…?あのッ…その、姫さま…そんな、貴女の口から賛辞を言われる程の事は…」 暖かな笑みと眼差しと共に口から出た彼女の賛辞は、向かいのソファに座るルイズ、霊夢、魔理沙の三人の耳にしっかりと届いた。 あの戦いから幾何日か経ち、すっかり元気を取り戻したルイズは親友からの礼に思わずたじろいでしまう。 ルイズは先ほどの報告書でも出ていた『艦隊を全滅させた奇妙な光』を放ったのは自分だと確かに憶えている。 しかし…だからといってあの光を―――『エクスプロージョン』を自慢していい類の力だと彼女は思っていなかった。 だから今、こうしてアンリエッタに褒められても素直に喜ぶことができないでいた。 一方でルイズの右に腰を下ろした霊夢はティーカップを持っている左手を止めて、チラリと横目でルイズを見遣る。 (全く、変なところで不器用なのね) 自分の横で若干慌てながらもシラを切ろうとしている彼女の姿に、おもわず肩を竦めたくなってしまう。 唇に紅茶の熱い湯気が当たるのを感じながら、謙虚な態度を見せるルイズに思わず言葉を投げかけた。 「良かったじゃないの、アンリエッタに褒められて?アンタもあんだけ、気合入れてぶっ放した甲斐が……」 「……ッ!ちょ…レイム、その事は喋るなって言ったでしょうに…!」 いきなり真相を喋ろうとしていた巫女を制するかのように、ルイズは咄嗟に大声を上げた。 体は小さくとも、まるで成熟したマンティコアの様な大声で叫ばれた霊夢は、思わず顔を横へ逸らしてしまう。 反射的に怒鳴ってしまった後、それに気づいたルイズがハッとした表情を浮かべた直後、今度は魔理沙が絡んでくる。 「ほうへんふぉんするなひょ?ひゃいひょひゃびびっひゃけど、あへはふぅーふぅんひまん―――――ウグゥ……ッ!?」 「口にお菓子咥えたまま喋るなッ!」 霊夢とは反対方向に座っていた普通の魔法使いは、茶請けのフィナンシェを口に咥えたまま喋っていた。 結果的にそれがルイズの怒りに触れてしまい、張り手の様に突き出された右掌で無理やりフィナンシェを口の中へと突っ込まれてしまう。 幸いにもフィナンシェは半分ほど食べていたおかげで、喉に詰まるという最悪のハプニングに見舞われることは無かった。 自分のペースで食べる筈だった硬めの焼き菓子が、一気に押し込まれるという突然の出来事。 たまらず目を見開いて驚いた魔理沙は辛うじて飲み込み、急いで手元のコップを手に取り中に入っていた水を一気に煽った。 しっかりと冷たいそれが口の中で滅茶苦茶になったフィナンシェを解し、何とか空気が入る余地を作る。 そして水をゆっくりと飲み、柔らかくなったお菓子を口の中で噛み砕いていきゆっくりと嚥下していく。 時間にすればたった三秒ほどであったが、魔理沙にとってこの三秒は人生の中で五本指に入る程の危機であった。 「ウッ―――く、…ゲホッ!お、おまえなぁ…なにもいきなりあんなことをするなんて…!」 「悪いけどさっきのアンタからは、非しか見えなかったからね?」 「そうねぇ。むしろ、トリステイン王家の傍にいるトリステイン貴族を前にして流石にあれは無茶だわ」 何とか飲み込めたものの多少咳き込みながら恨めしい視線を向けてくる魔理沙に、ルイズは冷たくあしらう。 まぁ確かに彼女の言うとおりであろう。その様子をルイズたちの後ろから眺めていたキュルケが、頷きながら続く。 そこへギーシュもウンウンと同じように頷きながら、薔薇の造花が目立つ杖で口元を隠しながら魔理沙をジッと睨み付けた。 「全くだよ。こともあろうに、王女殿下の目の前であのような態度…!場所が場所なら大変な事になっていたよ」 本人としては十分決まったであろうセリフにしかし、魔理沙は怯えるどころか面白そうな表情を浮かべている。 ついさっきまでお菓子で窒息死しそうになった癖に、相も変わらず霧雨魔理沙は元気のようだ。 「お、何だ何だ?決闘騒ぎにでもなってくれるのか?」 「それなら安心しなさい。ギーシュのヤツ、そこの巫女さんに喧嘩吹っかけといて呆気なく負けてるから」 楽しそうな表情を浮かべる黒白に対し、彼氏の隣に立っていたモンモランシーが呆れた表情を浮かべて言った。 「も、モンモランシー…それは言わないでおくれよ…!」 「はは、そう心配するなよ。あの霊夢に喧嘩を売ったっていうなら、それだけでも十分凄いぜ。まぁ痛い目も見ただろがな?」 一方でガールフレンドに梯子を外されたギーシュに、魔理沙は満面の笑みを浮かべながら彼を励ます。 「もぉ~…!何やってるのよアンタ達はぁ…!」 「ま、まぁこれは元気があって大変よろしいというか…心配する必要はないといいますか…あはは…」 四人のやり取りを横目で見やりながらルイズは怒りを露わにし、アンリエッタはそんな彼女に寄り添うかのように苦笑いでフォローを入れる。 一昔前のルイズなら魔理沙たちに激怒していただろうが、今では一応注意こそすれ怒り過ぎると却って逆効果になると知ってからはそれ程怒ることは無くなっていた。 とはいえ、大切な姫様の御前というのに良くも悪くも自分のペースを崩さない魔理沙と、それにつられてしまうキュルケ達に頭を抱えたくなってしまった。 そして霊夢はスッと一口紅茶を飲んでから…自分の後ろにタバサへと話しかけた。 「今ここで騒がしくしてるのが、アンタみたいに静かだったらどれ程良かったかしらね?」 「……そうでもない」 ずれたメガネを指で少し直しながら、青い短髪の少女はボソッとそれだけ呟いた。 ルイズと霊夢達の事が気になり、彼女たちの後を追いその秘密を知ってしまったキュルケ、タバサ、モンモランシーにギーシュ。 この四人もまた先日、あの戦の後にトリステイン軍に保護され、王宮の中で一時的に暮らしている。 『エクスプロージョン』で艦隊を全滅させた後、気絶したルイズや疲労困憊していた霊夢達と共にトリステイン軍に保護されたのだ。 当初は何故魔法学院の生徒がここにいるかと問われたものの、そこは口八丁なキュルケ。 学院の夏季休暇が前倒しになったという事実を利用して、タルブ村への観光くんだりで戦いに巻き込まれたと説明してくれていた。 よもやルイズと共に来ていた霊夢と魔理沙…それに前とは変わってしまったルイズを追いかけて来たとは言わなかった。 その後全員がゴンドアへと連れて行かれ、以降あの戦の事を知る重要参考人として王宮で監禁生活を送っている。 「あ~…―――ゴホンッ!」 魔理沙が端を発し、盛り上げていた会話はしかし、アンリエッタの背後から聞こえてきた咳払いによって中断させられる。 何かと思いルイズと霊夢、それにアンリエッタも後ろを見遣ると、渋い顔をしたマザリーニ枢機卿が口に当てていた握り拳をそっと下ろした。 「……あー、お話し中のところすみませぬが、そろそろ静かにしてもらえますかな?」 まだ話は続いている途中です故。最後にそう付け加えた後、魔理沙につられていたキュルケ達は思わず背すじをピッと伸ばしてしまう。 流石平民の身にして、伝統あるトリステイン王国の枢機卿にまで登り詰めただけあって、その言葉には不可視の重圧があった。 ルイズとアンリエッタも崩れかけていた姿勢を正し、その一方で魔理沙は咳払いでこの場を黙らせてしまった枢機卿に思わず感心する。 「へぇ~?見た目はヒョロヒョロとしてるけど、中々強かな爺さんじゃあ…――――」 「失礼ですが!私はこう見えても、まだまだ四十代ですのであしからず」 態度を正さぬ魔理沙の口から出だ爺さん゙と言う単語に流石のマザリーニもムッとしてしまったか、 キッと彼女の顔を睨みつけながら、さりげなく自分の年齢をカミングアウトした。 「――――――…あぁ~悪い、次からは誰かを褒める時は年齢を聞いてからにするよ」 流石の黒白の魔法使いもこれはバツが悪いと感じたのか、視線を逸らして申し訳なさそうに謝った。 枢機卿の睨み付ける鋭い目つき、まるで獲物を見つけた猛禽の様な睨みが普通の魔法使いを怯ませたのだろうか。 何はともあれ、アンリエッタの前で好き放題していた魔理沙には彼の目つきは丁度良い薬となったようだ。 (流石ですマザリーニ枢機卿…!) ルイズが内心で彼にエールを送る中で霊夢は茶を飲み、タバサは相変わらずジッと佇んでいた。 ひとまず、自分が入り込んだおかげで部屋が再び静かになったのを確認してから、マザリーニは小脇に抱えていた書類をアンリエッタに手渡す。 「では殿下、この書類の方に件の内容が記しておりますので」 「有難うございます枢機卿。…さて」 何やら気になる事を言った彼から書類を受け取ったアンリエッタは、まず軽く目を通し始めた。 読みやすいよう小さい画板の様な板に留められている書類の内容を目で追いながら、不備が無いかチェックする。 そして書類を受け取って十秒ほど経った頃であろうか、アンリエッタはルイズたちの前でその口を開いた。 「神聖アルビオン共和国艦隊旗艦。『レキシントン』号艦長、ヘンリー・ボーウッド殿からの追加証言……」 タイトルであろう最初の一文に書かれた文字を、アンリエッタはその澄んだ声でスラスラと読み始める。 報告書自体はものの五分程度で読み終える程のものであったが、書かれていた内容はルイズを大いに驚かせた。 以下、要点だけを挙げれば報告書には以下の様な内容が記されていた あの『レキシントン』号の艦長を勤めていたというボーウッドと言う将校の他、何人かの士官が一人の少女を見たのだという。 丁度タルブ村からアストン伯の屋敷へと続く道がある丘の上で、杖を片手に呪文を唱えていたというピンクブロンドの少女を。 更に彼女の周りには幼い風竜が一匹、そして彼女とほぼ同年代と思える五人の少女に一人の少年の事まで書かれている。 何だ何だと船の上から望遠鏡でみていた矢先、呪文を唱えていた少女が杖を振り下ろしたと同時に―――あの『奇妙な光』が発生した。 そして最後に、ボーウッド殿は地上にいた少女達が何者なのか興味を抱いている…という一文で報告書は終わっている。 自ら報告書を読み終えたアンリエッタはまたもやふぅと一息ついて報告書をテーブルに置き、ついで手元のティーカップを持ち上げる。 まだほんのりと湯気が立つそれを慎重に飲む姿を目にしつつ、最後まで聞いていたルイズは目を丸くして口を開く。 「……そ、そこまでお調べになっていたんですか?」 「ゴンドアにいた私達も見ていた程なのよルイズ。隠し通せる思っていたら随分と迂闊だったわね」 ため息をつくよりも驚くしかなかったルイズを尻目に、喉を潤したアンリエッタは微笑む。 モンモランシーとギーシュもルイズと同じ様な反応を見せていたが、キュルケは「まぁそうですよね」と肩を竦めながらそう言った。 何せあの規模の艦隊をたったの一撃で全滅させたのだ。調べられないと思う方が可笑しい話である。 タバサは相も変わらず無表情で突っ立っているだけであったが、その目が微かに呆然としているルイズの背中へと向いていく。 彼女も彼女であの光を発現させた彼女に興味ができたのであろうが、その真意は分からない。 一方で、霊夢と魔理沙の二人も意外とこちらの事情が筒抜けであった事にそれなりに意外だったらしい。 お互いの顔を一瞬だけ見合わせてから、こちらに笑みを向けるアンリエッタにまずは魔理沙が話しかけた。 「こいつは驚いたぜ、まさかあの『エクスプロージョン』の事まで知ってたなんてなぁ」 「『エクスプロージョン』…?爆発?それがあの光の名前なんですの?」 「ちょ、バカ…アンタ!そこまで言う必要はないでしょうに!」 先に口を開いた黒白はさっきまでのシュンとしていた様子は何処へやら、再び快活な表情を浮かべている。 アンリエッタは魔理沙の口から出た単語に首を傾げ、その言葉が出るとは予想していなかったルイズが咄嗟に反応してしまう。 三人の間にほんの少し入りにくい空気ができたのだが、それを無視する形で霊夢が話に割り込んできた。 「それで何?確かにあの光とやらはルイズが唱えたのは確かだけど、だからって何になるのよ」 「いえ…特に。けれども、あの光のおかげで我々は無駄な出血を抑えて勝利する事ができたので、お礼をと思い」 「別にそういうのは良いわよ。私達だって、別にアンタに頼まれて行ったワケじゃないんだから」 「そう言うと思いましたよ。…まぁ確かに、色々な理由があってそれをするのも難しいという事もありますが…」 今まで口元に近づけていたティーカップをソーサーへと置いた彼女は、やる気の無さそうな目でジッとアンリエッタを見つめる。 特に敵意とかそういうものを感じさせない瞳を見返しつつ、微笑みを崩さぬまま彼女は霊夢の質問に答える。 しかしアンリエッタの返事を聞いた彼女は左手をヒラヒラ振りながらそう言うと、ドカッとソファの背もたれにもたれ掛かった。 アンリエッタの方も霊夢にあっさりと拒否された事に気を悪くせず、ほんのすこし苦笑いする程度である。 だが霊夢と魔理沙のアンリエッタに対する態度に納得がいかなかったのか、ギーシュだけはギリギリと奥歯を噛みしめていた。 本来ならば、例え元帥の息子であっても何も無ければ入る事すら許されぬトリステイン王国の王宮。 その中で、事もあろうに先王の忘れ形見であるアンリエッタ王女殿下に対しての口の悪い二人に、彼は静かな怒りを募らせている。 「き、君たちは全く以て…!姫殿下を前にして何たる口の利き方かね…!」 「ギーシュ、あまり気にしたら駄目よ。この二人なら多分ロマリアの教皇聖下の前でも、絶対に態度を崩さないと思うわ」 「きょ…!?い、いやぁルイズ、いくらなんでも……イヤ、この二人がこことは違う世界から来たのなら確かに…そうかもしれない」 そんな彼を宥めるかのようにルイズがとんでもない例えを出してきたところで、多少は納得する事が出来ていた。 最も、そうであったとしても自分が敬愛する姫殿下に対する態度だとは思えぬという認識を変えることは無かったが。 そんな二人をよそに、霊夢はアンリエッタとの話で出てきだ色々な理由゙というものに疑問が湧いた。 「理由ですって?何だか穏やかな感じじゃあなさそうだけど…」 巫女さんからの疑問に、アンリエッタの表情が微笑みから一転渋いものへと変わる。 それに気づいてかギーシュの方へと視線を向けていたルイズも彼女の方へ向き直り、魔理沙も何だ何だと注視した。 キュルケ達も視線をそちらの方へ向けて、あっという間にこの場の主役がアンリエッタの手に移る。 アンリエッタは、ルイズたちが自分の方へと顔を向けてくれたのを確認した後、ゆっくりと喋り始めた。 「ええ…。―――…確かに、アルビオンの艦隊を全滅させた貴女たちの功績は褒め称えるべきものです。 例え私の命令で行かなかったとしても、一国の主たる王族である私は貴女たちに多大な感謝と報酬を授ける義務があります」 まだ話の途中であったが、一息つこうと口を止めたアンリエッタの合間を縫うように魔理沙が「そりゃ嬉しいなぁ」と零した。 「お姫様のご厚意と言うなら、受け取ってあげても良いかな…って思っちゃうぜ」 「アンタの場合そんな事言われなくても、ここの本を手当たり次第に盗んでいきそうじゃないの」 ニヤニヤしてる魔理沙に向けて、ジト目の霊夢が彼女の日頃の行いを思い出して突っ込みを入れた。 「盗んでるんじゃないぜ、借りてるだけだ。だから」 「アンタ達、ちょっとは緊張感ってものを持ちなさいよ」 キリの良い所でたまらずルイズがストップを入れたところで、アンリエッタは再び話を再開する。 「多大な、本当に大きな戦果です。…特に、ルイズ・フランソワーズ。 あなたと、レイムさんたちが成し遂げた戦果は、ハルケギニアの歴史の中で類を見ぬものです。 本来ならルイズ、貴女には領地どころか小国を与え、大公の位を与えてもよいくらい。 そして、レイムさんたちにも…貴女たち二人は貴族ではありませぬが、特例として爵位を授けることぐらいできましょう」 「―――…ッ!?い、いけません姫さま!こんな危険な二人に爵位を授けるなどと…!」 「ちょっ…ひどくないかしら、その言い方!」 「随分ストレートに拒否したなぁおい」 幻想郷の二人に爵位を授ける…。それを聞いたルイズがすかさず拒絶の意を示し、流石の二人も驚いてしまう。 博麗霊夢と霧雨魔理沙の二人と一緒に過ごしてきたルイズだからこそ、ここまで拒絶することができるのだろう。 だからといって、それを駄目だと言うのにあまりにも全力過ぎやしないだろうか? 「アンタねぇ…もうちょっとこう、オブラートに包みつつ必要ないですって言えないの?」 「だってあんた達に爵位何て授けたら、それこそ何に悪用されるか分かったもんじゃないわよ…!特に魔理沙は」 「……あぁ、成程。アンタの考えてる事は大体分かったわ」 「ちょっと待て…!それは流石に聞き捨てならんぞ」 最後に付け加えるようにして魔理沙の名が出た時、霊夢はルイズがあそこまで拒絶した意味を理解した。 魔理沙に貴族の位を与えようものなら、確かに色々とトリスタニアから消えていくに違いない。主に本とマジックアイテムが。 キュルケやギーシュたちも今日にいたる幾日の間に魔理沙の事を霊夢からある程度教えてもらっていた為、何となく理解していた。 「まぁ例えなくても盗みに行きそうだけど…ほら、ちゃっちゃっと話を続けて頂戴」 「え…?あ、はい…すみません」 唯一理解してない本人の怒鳴り声を聞き流す事にした霊夢は、苦笑いを浮かべるアンリエッタに話の続きを促す。 いきなり大声を上げたルイズに驚いていた彼女は気を取り直しつつ、再び話し始めた。 「ルイズ…報告書でも書いていた通り、あの光が出現する直前まで杖を振っていたのは貴女でしょう? ならば教えてくれるかしら?タルブでアルビオン艦隊と対峙した貴女が、あの時何をして、何が起こったのかを」 単刀直入にあの光――『エクスプロージョン』の事を問われ、ルイズはどう答えていいか迷ってしまう。 幾らアンリエッタと言えども、あの事を素直に言っていいのかどうか分からないのである。 「そ、それは……あぅ…」 回答に窮し狼狽える親友を見てその内心を察したのか、アンリエッタはそっと寄り添うように喋りかける。 「安心して頂戴ルイズ。私も枢機卿も、ここで貴女から聞いたことは絶対に口外しないと始祖の名の許に誓うわ」 アンリエッタがそう言うと、マザリーニもそれを肯定するかのようにコクリと頷く。 確かに、この二人なら何があったとしても決して自分の秘密を余所にバラす事は無いだろう。 それでも不安が残るルイズは、後ろにいるキュルケ達の方へと視線を向けると、彼女たちもコクコクと頷いていた。 「まぁ私から乗りかかった船だしね。それに貴女が船頭なら怒りはするけど沈みはしないだろうし、付き合ってあげるわ」 先祖代々の好敵手でもあり、実家も部屋もお隣のキュルケがこれからの事を想像してか自身ありげな笑みを浮かべて言う。 次いでモンモランシーも、戸惑いを隠しきれないのか二度三度と口をパクパクさせた後、勢いよく喋り出す。 「私は何も見てなかったし、聞かなかった!だ、だからアンタのあの事は黙っといてあげるわよ!」 半ば自暴自棄気味な宣言にキュルケがニヤついている中、今度はギーシュが薔薇の造花を胸の前に掲げて、声高らかに宣言した。 「同じく、このギーシュ・ド・グラモンも!彼女ミス・ヴァリエールの秘密については一切口外しない事をここに誓います!」 「…グラモン?グラモンといえば、あのグラモン元帥の御家族なのですか?」 「左様。彼はあのグラミン伯爵家の四男坊であります」 まるで騎士のような堅苦しい姿勢でそう叫んだ彼の名を耳にして、アンリエッタが思い出したようにその名を口にする。 そこへすかさずマザリーニが補足を入れてくれると、ギーシュは自分が褒められた様な気がして更に姿勢を硬くしてしまう。 まるで胡桃割り人形のように固まってしまった彼氏を見かねてか、モンモランシーが声を掛けた。 「ちょっと、アンタ何でそんなに自慢げに気をつけしちゃってるのよ?」 「い、いやーだって、だってあのアンリエッタ王女の前で枢機卿が僕の事を紹介してくれたんだよ?」 「全く、相変わらずの二人ねぇ……ん?」 一人改まっているギーシュにモンモランシーが軽く突っ込みを入れているのを余所に、今度はタバサがルイズの肩を叩いた。 何かと思い後ろへ視線を向けると、先ほど見た時と違わず無表情な彼女がじっと佇んでいる。 「…?……どうしたのよタバサ」 急に自分の肩を叩いてきた彼女にルイズがそう聞いてみると、タバサは右手の人差し指をそっと唇に当てた。 たったそれだけして再び彼女の動きは止まったが、今のルイズにはそれが何を意味するのか大体察する事が出来る。 「もしかして…黙っておいてくれる…ってこと?」 思わずそう聞いてみると彼女はコクリと小さく頷き、そっと人差し指を下ろす。 他の三人と比べてあまりにも小さく、そして目立たないその誓いにルイズはどう反応したらいいか、イマイチ分からなかった。 そんな彼女をフォローするかのように、一連の出来事を隣で見ていたキュルケが嬉しそうに話しかけてくる。 「良かったじゃないのヴァリエール。タバサなら絶対に他言無用の誓いを守ってくれるわよ?」 「というか、私も私だけど…アンタもよくあれだけの小さな動作で把握できたわね…」 「ふふん!こう見えても彼女とは一年生からの付き合いなのよ?もうすっかり慣れちゃったわよ」 思わず嫉妬してしまう程の大きな胸を張りながら、キュルケは自慢気に言った。 互いに入学当初から出会い、今では二人で一緒にいるほど仲が良いと言われているのは伊達ではないらしい。 噂ではタバサの短すぎる一言で何を言いたいのか察する事ができると囁かれているが、あながち間違いではないようだ。 「まぁいいわ…で、後は…」 ひとまずはあの場に居だ元゙部外者達が自分の秘密を守ってくれると確認できたルイズは、ふと自分の左にいる霊夢を見遣る。 カップの中に入っていた紅茶を飲み終えた幻想郷の巫女は、ふと自分の方へ目を向けてきたルイズの視線に気づく。 ―――――――今更どうしようも無いが、まぁひとまずは言っておいた方が良いだろうか? 鳶色の瞳から垣間見える感情でルイズの意図を察した霊夢は、コホン!とワザとらしい咳ばらいをした後、ルイズと目を合わせて言った。 「安心しないさいな。アンタが仕出かしちゃった事は、墓場までは無理だけどなるべく言わないでおいたげるわ」 傍目から見れば、割とクールな感じで秘密にする事を誓った霊夢であったものの、 「…そこは普通「墓場まで持っていくわ」じゃないの?ってか、なるべくってどういう意味よなるべくって…」 「まぁ良いじゃないか。人の口に戸は立てられないモノだし、そっちの方がまぁお前らしくていいと思うぜ」 思ってたのと少し違う言葉に思わずルイズは突っ込みを入れてしまい、魔理沙は嬉しくない賞賛をくれた。 二人の反応を見て「私らしいってどういう事よ…?」と気分を害した霊夢を余所に、ついで魔理沙も親指を立ててルイズの前で誓いを立てる。 「というわけで、私もお前さんの事は喋らないでいるが…まぁ口が滑った時は笑って許してくれよ?」 口の端を吊り上げ、悪戯好きな彼女らしい笑みを浮かべた魔理沙の誓いに、ルイズもまた笑顔で頷いた。 「分かったわ。……とりあえずアンタの口には常時テープを貼るか包帯を巻いておいてあげるから」 「アンタの場合だと、本気でそれを実行しそうね。…まぁ止めはしないけど」 「おぉう、軽い冗談のつもりで言っただけだが…怖い、怖い」 ――――ー口は災いの元っていうが、案外今でも通用する諺だな。 普段からの自分を棚に上げながら、魔理沙は他人事のように笑いながら思った。 その後、ルイズは自分の口からアンリエッタへあの光の源――『虚無』の事について詳しく説明する事となった。 彼女から頂いた『始祖の祈祷書』と『水のルビー』が反応し、自分があの伝説の『虚無』の担い手であったと判明した事。 古代文字が浮かびあがっちた祈祷書に、あの光――『エクスプロージョン』の呪文が記されていた事。 そしてそれを唱え、発動して一瞬のうちにアルビオン艦隊を壊滅させた事までルイズは事細かにアンリエッタに話した。 「『虚無』の系統…か。まさか僕が生きている内に、お目に掛かれたなんてなぁ…」 ルイズの説明をかの聞いていたギーシュは思わず独り言を呟いてしまうが、キュルケ達も同じような感想を抱いている。 六千年続いていると言われるハルケギニアの歴史の中では、『虚無』はかの始祖ブリミルだけが持つと言われている伝説の系統。 歴史書を紐解けば、時折『虚無』と思しき普通の魔法とは思えぬ゙奇跡゙を起こした者たちがいと記録はあれど、それが本当かどうかまでは分からない。 所詮は大昔にあった出来事。その事実がただの文字となってしまえば、その゙奇跡゙が本物かどうかは誰も知ることはできない。 だから貴族たちの中には始祖ブリミルを信仰こそするが、始祖が使いし幻の系統を信じる者たちは少ない。 実際キュルケやモンモランシー達もその信じない方の人間であり、本当に『虚無』があるとは信じていなかった。 しかし、ルイズが唱えたあの『エクスプロージョン』を見てしまった以上、もう信じないなど口が裂けても言う事はできないだろう。 たった一人の人間―――それも今まで『ゼロ』という二つ名で揶揄されていた少女が、艦隊を壊滅させるほどの爆発を起こした。 それこそ正に、歴史書や聖書の中に記されている゙始祖の御業゙という表現が一番似合うに違いない。 ルイズからの話を聞き終えたアンリエッタは、一呼吸おいてからそっとルイズに語りかける。 それは母であるマリアンヌ太后から聞かされた、ずっと昔から語り継がれている始祖と王家に関係する昔話であった。 「知ってる?ルイズ。始祖ブリミルは、自らの血を引く三人の子に王家を作らせ、それぞれに指輪と秘宝を遺したの。 我がトリステインに伝わっているのは、以前貴女に渡した『水』のルビーと…世界中に偽物が存在する始祖の祈祷書よ そしてハルケギニアの各王家には、このような言い伝えがあります。始祖の力を受け継ぐ者は、王家から現れると……」 そこで一旦喋るのを止めたアンリエッタは、マザリーニから水の入ったコップを手に取る。 丁度コップの真ん中くらいにまで注がれたソレをゆっくりと飲み干した後、ルイズは怪訝な表情で口を開く。 「しかし、私は王家の者ではありません。けれど、私は『虚無』の呪文を発動できた…これは一体どういうことなんですか?」 「ルイズ、ヴァリエール公爵家は元を辿れば王家の庶子。なればこそ公爵家なのですよ」 「あっ…」 ルイズが抱いた疑問を、水を飲み終えたアンリエッタが一瞬のうちに解してしまう。 確かにヴァリエール家は古くからトリステイン王家との繋がりは深く、古い歴史の中で個人間の゙繋がり゙もある。 だから、正式には王家の一族とは認められていないが、その血脈は確実にルイズの中に根付いているという事だ。 「ねぇ魔理沙、庶子ってどういう意味よ?」 「要は正式に結婚していない両親から生まれた子供さ。それだけ言えば…、後は分かるだろ?」 「…あぁ、大体分かったわ。ついで、ルイズとアンリエッタが私達を睨んでる理由も」 左右に座っている霊夢と魔理沙の不届きな会話は、王家と公爵家の眼光によって無理やり止められる。 確かに庶子という意味を砕けた言葉で言ってしまうと、王家の立場的には色々とまずいのである。 必要のない事を口に出そうとした魔理沙が黙ったのを確認してから、アンリエッタは軽い咳払いをして再び話し出す。 「あなたも、このトリステイン王家の血を引き継いでいる身。『虚無』の担い手たる資格は十分にあるのです」 そう言ってから、今度は気まずさゆえに視線を逸らしていた霊夢の左手の甲についたルーンを一瞥する。 「レイムさん、貴女の左手の甲に刻まれたルーンは…私の推測が正しければ、かの『ガンダールヴ』のルーンとお見受けしますが…」 「ん…?良く知ってるじゃないの。そうよ、オスマンの学院長が言うには、ありとあらゆる武器兵器を使いこなせる程度の能力とか…」 以外にもガンダールヴの事を知っていたお姫様に、霊夢は彼女の方へとキョトンとした表情を向けて言う。 アンリエッタは霊夢の言葉にコクリと頷くと、そこへ補足するかのように書物で得た知識を言葉として伝えていく。 「王宮の文献によれば、始祖ブリミルが呪文詠唱の時間確保の為だけに、生み出された使い魔とも記されています」 「……なーるほど、確かに『エクスプロージョン』の詠唱は…長かったような気がするわね」 あの時の様子を思い出した霊夢が一人呟くと、そこへすかさずルイズがアンリエッタへと話しかける。 「では、私は間違いなく『虚無』の担い手なのですね…?」 「そう考えるのが、正しいようね」 半ば最終確認のような自分の言葉にアンリエッタが肯定した直後、ルイズは深いため息をついた。 ルイズはこれまで、魔法が使えず多くの者たちから見下されながらも自前の強い性格と努力で、それなりに平凡な人生を歩んできた。 しかし二年生の春、使い魔召喚の儀式で霊夢を召喚してしまった以降、彼女の運命は大きく変わり始めている。 幻想郷という霊夢が住まう異世界の危機に、戦地と化したアルビオンへの潜入、そして許嫁の裏切り。 霧雨魔理沙という黒白に、謎のキメラ軍団とシェフィールドという謎の女…―――『虚無』の復活。 春から夏の今に至るまで、ルイズは自分が歩んできた十六年間の間に積み重ねた人生よりも濃厚な出来事に遭遇している。 平民はおろか、並みの貴族でさえも経験した事の無いようなそれ等は同時に彼女を危険な目に遭わせていた。 そしてそんな彼女を畳み掛ける様にして、今度は自分があの『虚無』の担い手だと発覚したのである。 (まぁ魔法が使えるようになったのは素直に嬉しいけれど、よりにもよって『虚無』の担い手だなんて…一体どうすればいいのかしら) タルブ村での時と比べ、それなりに平常心を保っているルイズは突然手渡された力をどうするか悩み、ため息をついたのだ。 これがまだ四系統のどれか一つならば、家族や他の者たちに充分自慢できたかもしれない。 しかし…六千年も前に失われ、幻と化した『虚無』の担い手になったと言っても、一体何人がそれを信じてくれるか…。 さらに言えば、あの光を自分か作りましたと告白すれば、今に良くない事が起こるかもしれないという予感すらしていた。 ため息をつくルイズの、そんな心境を読み取ったのかアンリエッタは顔を曇らせて彼女と霊夢たちへ話しかける。 「さて…これで私が、貴女たちの功績を褒め称えるという事ができない理由が分かりましたね? 仮に私が恩賞を与えれば、必然的にルイズの行ったことが白日の下に晒してしまう事となる…。 それは危険な事です。ルイズ、貴女が始祖の祈祷書から手に入れた力は一国ですらもてあますものよ。 ハルケギニア一の精強と謳われたあのアルビオン艦隊でさえ、手も足も出す暇なくたった一発の光で消滅させた…。 それがもし敵にも知れ渡れば、彼らはなんとしてでも貴女達の事を手中に収めようと躍起になるでしょう。敵の的になるのは私だけで十分」 そこまで言ったところで一旦言葉を止めたアンリエッタを、タバサを除くルイズやキュルケ達貴族は強張った顔で見つめていた。 確かに彼女の言うとおりだろう。恩賞や褒美を授ける際には必ずその貴族の功績を報告する絶対義務がある。 過去にはやむを得ぬ事情で真実とは違う偽りの功績を称え、王家の為に暗躍していた貴族たちもいた。 しかしルイズたちの場合は軍人でないうえに、学生である少女達が何故最前線にいて、しかも恩賞まで授かられるのか? それを疑問に思う貴族は絶対に出てくるであろうし、そうなればありとあらゆる手を使って調べる者たちも出てくるだろう。 当然、敵であるアルビオン側もその事を知って八方手を尽くして調べ、必要とあらばルイズを攫うかもしれない。 (ウチの国じゃあ、ちょっと前まで゙御伽噺の中のお姫様゙とか呼ばれてたけど…、なかなかどうして頭が回る器量者じゃないの) キュルケは学院訪問の際に見た時とは印象が変わり始めているアンリエッタに、多少なりとも関心を示していた。 一方で、霊夢と魔理沙の二人もそこまで考えていたアンリエッタになるほど~と納得していた。 最も、魔理沙はともかく霊夢としては所詮は一時滞在でしかないこの世界で爵位をもらっても使い道が無いとは思っていたが。 (まぁそれである程度今より便利になるならそれも良いと思うけどね~) 一瞬だけ手元に出てきて、すぐに手の届かぬ場所へと消えた爵位に中途半端な未練を彼女は抱いてた。 そんな霊夢の心境を知らぬ魔理沙は、ふとアンリエッタの話を聞いて疑問に思った所があるのか「なぁちょっと…」と彼女に話しかけた。 「はい、何でしょうか?」 「さっき敵の的になるのは自分だけで十分…とか言ってたけど、それだと現在進行形で狙われてます…って言い方だなぁーと思ってさ」 魔理沙の口から出たこの言葉で、ある事実に気付いたルイズとギーシュがハッとした表情を浮かべる。 ついで霊夢も緩くなっていた目を鋭く細め、顔を曇らせて黙っているアンリエッタへと向けた。 「姫さま…もしかして…」 「えぇ、残念な事に…敵は王宮の中にもいるのです。―――――獅子身中の虫という、厄介な敵が」 その直後、執務室に置かれていた大きな柱時計の針が十二時を指すと同時に甲高い時鐘の音が鳴の響く。 ゆっくりと、それでいて確実に時が進んでいると教えるかのように…柱時計は執務室にいる者たちすべてに時を告げていた。 「…あら、誰かと思えば御寝坊さんなこの屋敷の主さまじゃないの」 襖を開け、レミリアと並んで居間へと入った紫の目に入ったのは、 まるで我が家の様に寛いだ様子で茶を飲んでいた、腰より長い黒髪を持つ小さなお姫様であった。 左手には茶の入った来客用の湯飲みに、右手にはこれまた戸棚に置いていた塩饅頭を一つ持っている。 お茶はともかくとして、恐らく饅頭の方は無断で持ってきたのだろう。そう判断しつつ紫はそのお姫様に軽く会釈した。 「こんにちは、良い雨ですわね。ところで…そのお饅頭はどこから持ってきたのかしら」 「あぁこれ?永琳に何か無いって言ったら持ってきてくれたのよ。中々良い饅頭じゃない……あ~ん」 そう言った後、お姫様は右手に持っていた白いお菓子を躊躇なく口の中に入れ、そのままむぐむぐと咀嚼していく。 本来ならば、屋敷に置かれていた物を無断かつ目の前で食べる事自体相当失礼な事であろう。 ましてやその主はかの八雲紫。下手すれは死より恐ろしく辛い目に遭ってから追い出されても、文句は言えないだろう。 だが、その饅頭を無断頬張る黒髪のお姫様の顔には嬉しそうに笑みが浮かべている。 まるで自分があの饅頭を食べること自体が悪い事と思っていないかのように、見た目相応の少女の笑み。 彼女にとって自分が欲しい、食べたい、やりたい事はすぐ目の前にあり、誰にもそれを邪魔する資格は無いと信じている。 それは彼女にとって当然のことであるし、常人たちの様にそれを実行する為に越えねばならない壁など存在しないのだ。 黒髪のお姫様こと――――蓬莱山 輝夜は、つまるところ我が侭なのであった。 「ングッ…―ン…―…ふぅ。お茶との相性もピッタシだし、これを買ってきた貴女の式はとても有能ね」 うちのイナバと交換してあげたいくらいだわ。食べた後にお茶を一口飲んでから、輝夜は満面の笑みで紫に言った。 家主である紫の許可なしにお菓子を食べたうえで、罪の意識すら感じさせない言葉に紫は「相変わらずですわね」と言う。 かつては月の姫として、何一つ不自由ない生活の中で暮らしてきたがゆえに培った、自分本位な性格。 それは今や彼女を縛る足枷ではなく、輝夜という月人のアイデンティティとして確立されていた。 だから紫は怒らなかった。仮に゙際限なぐ怒ったところで彼女は反省するどころか、コロコロと笑い転げるだろう。 例え、それで文字通り゙八つ裂ぎにされてしまうおうとも、彼女にとっては単なる゙治る怪我゙で済んでしまうのだから。 「全く、貴女は相変わらずですわね」 「残念だけど、この性格は月の頃からずっと続いてるから変えようと思っても単なる徒労で終わっちゃいそうだわ」 呆れを通り越した苦笑いを浮かべる紫に輝夜はそう言うと、もう一口湯飲みの茶を啜る。 その時、座卓を挟んだ先の縁側からフワフワ~と浮遊しながら紫の古くからの友人が姿を現した。 水色に月柄という少し変わった着物を纏い、頭には死者の頭に着ける三角布とふわっとした丸帽子を被っている。 何やら楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、窓に当たる雨粒が少々喧しい縁側から居間へと入ろうとしたとき、 ふと右へ向けた視線の先に、今日までの間ずっと目を開けなかった親友の姿を見て紫の友人―――西行寺 幽々子は思わず「あら!」と声を上げた。 「紫じゃないの!もしかして、今起きたところなのかしら?」 足を畳から浮かせた状態のまま、ふわふわと自分の傍にまで近づいてきた亡霊の姫君に紫は右手を上げてあいさつする。 「おはよう幽々子。どうやらその様子だと、随分と退屈していたんじゃないかしら?」 「勿論よ。眠り込んでいる間は幽体離脱でもして、私の所に遊びに来てくれると思ってたもの」 「それは出来たとしても、流石に遠慮していたとおもうわよ?」 とんでもない事をサラッと言ってのけた幽々子に、紫の横にいたレミリアがジト目で睨みながらさりげなく突っ込みを入れる。 まぁ彼女の言う事も間違いではない。うっかり魂だけで冥界へ行くという事は、飢えたライオンの檻の中に身を投げるようなものだ。 心の中では同意しつつも、敢えて口には出さなかった紫はとんでもない冗談をかましてくれた幽々子に苦笑いしていた。 幽々子も幽々子で本当に冗談のつもりで言ったのだろう、「それはそうよねぇ」と言ってコロコロと笑う。 「相変わらず楽しそうよねぇ、あの亡霊姫…―――――………お?」 それを座卓の上に肘を付きながら見ていた輝夜が、ふと背後から感じた気配に思わず顔を縁側の方へと向ける。 輝夜の声に紫たち三人と――後から入ってきた永琳と鈴仙の二人も縁側の方へと視線を向ける。 彼女たちの目が見ている先、窓越しに空から落ちてくる梅雨の雨が見える縁側に――――――゙彼女゙はいた。 左右で長さの違う緑色のショートヘアーに、頭にばこの世界゙とは違ゔあの世゙における重要な職務に就く者のみが被れる帽子。 右手には悔悟棒と呼ばれる杓を握っており、それもまだ彼女゙という存在を確立する為に必要な道具の内の一つ。 身長は紫より低いものの、レミリアよりかは大きい。だというのに周囲の空気は彼女から発せられる気配に蝕まれていく。 永琳の後ろにいた鈴仙は思わず口の中に溜まっていた唾をのみ込み、幽々子に突っ込んでいたレミリアは渋い表情を浮かべる。 畳に足が着いていなかった幽々子もいつの間にか浮かぶのを止め、縁側に立づ彼女゙を見つめていた。 そしで彼女゙へ向けて恭しく頭を下げるとスッと横へどき、目覚めたばかりの紫の掌を上に向けた右手で指す。 「御覧の通り、八雲紫はたったいま目覚めてございましてよ」 幽々子の言葉に゙彼女゙もまた頭を下げて一礼すると、ゆっくりと右足から今の中へと入っていく。 永琳は自分と輝夜にとって最も遠い位置にいて、そして最も自分たちを嫌っているであろゔ彼女゙に多少なりとも警戒している。 一方で輝夜は他の皆が立っているにも関わらず一人腰を下ろしたまま、六個目になる塩饅頭をヒョイッと手に取った。 そんな輝夜を無視する形で、居間へと入っだ彼女は座卓を壁にして紫と見つめ合う。 名前と同じ色の瞳を持つ紫と、何もかも見透かしてしまいそうな澄んだ宝石のような緑色の瞳を持づ彼女゙。 互いに視線を逸らさず、静かなにらみ合いを続けたまま。゙彼女゙が先に口を開く。 「お久しぶりですね、八雲紫。何やら、随分と手痛い目に遭ったようですね」 「まぁそれは薬師から耳にしましたけど、わざわざ格下である私の見舞いに来てくれるとは…随分情けを掛けられたものですわね?」 ―――――閻魔様?最後にそう付け加えた後、紫はフッと口元を歪ませ笑う。 対しで彼女゙、大妖怪から閻魔様と呼ばれた少女―――――四季映姫・ヤマザナドゥは笑わない。 ヤマザナドゥ(桃源郷の閻魔)は無表情と言ってもいいくらい感情の欠けた表情で、じっと紫を睨み続けていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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「宇宙の果てのどこかにいる 私の下僕よ 神聖で美しく そして強力な使い魔よ 私は心より訴えるわ! 我が導きに応えなさい!」 ルイズの出鱈目な詠唱が響き渡る。 ゼロのルイズがどんな使い魔を召還するのか、居合わせた一同の注目が集まる。 しばしの沈黙。痺れを切らした学友の一人が、罵声を浴びせようとした…… その時! ちゃんか ちゃんか ちゃんか ちゃんか ちゃん ちゃちゃー ちゃちゃちゃん! という、妙にレトロなBGMが、天空より響いてきた。 「なんだ! この郷愁を誘うメロディは?」 「見ろ! ルイズの前に真っ赤なゲートが!」 鳴り止まないポップなメロディ、未だかつて見た事がない深紅のゲート。 ルイズは一体、何を召還しようとしているのか。 固唾を飲んで、一同がゲートを見守る。 「この色は 何の兆候…… ぐはッ!」 引率役のコルベールが不用意に近づいた瞬間、それは起こった。 突如、ゲートの色が赤から青へと変わり、ヘルメットをかぶったツナギ姿のアゴ男が一名、 コルベールの禿頭を足蹴にしながら登場したのだ。 「へ 平民ですって! ……って ちょっと待ちなさいよッ!?」 男はルイズの言葉も聞きもしない。 まるで、何かに取り憑かれたかのように、ギャラリー目掛けて突進する。 「誰かッ 誰かそいつを止めて!」 ルイズの叫びで我に返った生徒が数名、慌てて杖を構える。 未だ修行中の身とは言え、彼等は皆、有望なメイジの卵である。 走る事しか能の無いアゴ男など、簡単に打倒せる筈だった。 だが、キュルケの放った火の玉は、男の流れるような横移動にあっさりとかわされた。 タバサの横薙ぎのエア・ハンマーも、男の見事なジャンプで飛び越えられる。 そしてギーシュ自慢の七体の戦乙女は、男の爆走の前に、空き缶のように弾き跳ばされた。 「くッ……! アンタ 止まりなさいよ!」 ここで使い魔に逃げられてはたまらない。 あいつを捕まえ、無事に契約を結ばなければ、ルイズは留年なのだ。 馬を取りに行く時間はないが、幸い彼女は徒競争には自信があった。 「待ちなさいってばアァァァー!」 呆然とする一同を置き去りにして、二人は校門の外へと飛び出して行った。 二人が走る。 街道を駆け抜け、草原を乗り越え、道なき道を突き進む。 男の尋常ならざるスタミナにルイズが驚愕する。 既に全身は汗だくで、薄桃色の髪は大きく乱れ、 上等なマントもスカートも、泥まみれで大きく破れているが、そんな事を気に留めている余裕は無い。 「くっ…… 何なのよ アイツ……」 やがてルイズは、奇妙な異変に気付いた。 走りにくい湿地帯に入ったと言うのに、男のスピードがぐんぐん加速しているのだ。 と言うか、遠目には足を動かしていないようにすら見える。 「あっ!?」 ルイズが思わず叫ぶ。 男はいつの間にか、偶然落ちていたスケボーに乗って湿原を疾走していた。 「卑怯よッ!」 怒鳴りつつも、ルイズはやはり、たまたま落ちていたスケボーを目ざとく見つけ、颯爽と飛び乗った。 スケボーに乗るなど初めての体験だったが、なにせ、男を捕まえられねば留年である。 おっかなびっくりの及び腰ながら、物凄いスピードを出して追走する。 荒野を爆走し、狭い森林地帯を突き抜け、巨大なゴーレムの股下を間一髪ですり抜けながら、 やがて、二人は港町ラ・ロシェールへと到達した。 町中に入り、流石にスケボーを乗り捨てこそしたものの 男の腱脚は一向に衰える気配を見せない。 酔っ払った傭兵崩れが乱闘騒ぎを起こす中、飛び交う酒瓶をかわし、椅子を飛び越え港へ進む。 ここで国外に逃亡されては、ルイズは一巻の終わりである。 荒くれどもに揉みくちゃにされ、安ワインを頭からひっかぶりながらも、執拗に男を追いかける。 「なっ!」 港内に突入した途端、ルイズは再び驚愕した。 どれだけ鬱憤が溜まっていたのか、階段の最上部から、飲んだくれどもが大量のドラム缶を投げつけてくるのだ。 流石のアゴ男もこればかりはどうしようもなく、派手にズッこけたりペシャンコにされたりしながら、一歩一歩昇り続けていた。 ルイズも思わず躊躇う。 ルイズはあの男のような頑健な体は持ち合わせていない。 ドラム缶が直撃すれば、生身の肉体ではひとたまりもないだろう。 だが、ここは男に追いつく最大のチャンスでもある。 どうせ男を逃せば、ルイズにはロクな未来が無いのだ。 ルイズは覚悟を決めると、転がってくるドラム缶を気合いで見切りながら、階段をかけ始めた。 運命の女神は、ルイズに味方したかに思われた。 港では、船が既に出港した直後だったのだ。 これで男に逃げ場は無い、ルイズは胸を撫で下ろしたが、そこに大きな落とし穴があった。 あろうことか、先の船のクルーが、積み荷であるジャンプ台を置き忘れていたのだ! 男のサングラスがキラリと光る。 迷いの無い動きでジャンプ台を踏みしめると、勢いよく30メイルほど前方に跳びはね、 クルクルと回転した後、見事、甲板の上へと着地した。 「なッ! アイツ…… 人間なの……?」 だが、ルイズも躊躇ってはいられない。 くどいようだが、男を取り逃せばルイズは留年なのだ。 ヴァリエールの家名に泥を塗るくらいなら、この場で墜死した方がマシであった。 「どりゃあああああああああああああああ!!」 凄まじい絶叫を上げながら、ルイズが飛ぶ。 フォームもへったくれもない勢いだけのジャンプであったが、十年に一度の上昇風にも助けられ、 かろうじて、船の欄干へとしがみついた。 「やっ やったわ…… お母様 ちい姉さま……」 喜びの声を洩らしながら船内に転がり込んだルイズに、船員たちの歓声が浴びせられる。 言い知れぬ達成感がルイズの全身を駆け巡る。 気が付いた時、彼女は周りの祝福に、全身を使ったガッツポーズで応えていた。 見れば件のアゴ男も、前宙したりマッスルポーズを披露したりして周囲にアピ-ルしている。 溢れんばかりの感動に、船上に居合わせた人々がひとつになっていた。 「――じゃないわよッ! アンタ 一体何者な……」 ちゃんか ちゃんか ちゃんか ちゃんか ちゃん ちゃちゃー ちゃちゃちゃん! ようやく我に返ったルイズのツッコミを遮り、悪夢のようなメロディが再び響き渡る。 第二ラウンドの始まりだ! 突如現れた空賊の戦艦が、船上に容赦ない砲撃を浴びせてくる。 船内がパニックに陥る中、男が再び甲板を駆ける。 華麗なステップで飛び交う砲弾を交わし、例によってたまたま落ちていたジャンプ台に飛び乗ると その素晴らしい跳躍で、見事、敵船へと乗り移った。 「クソッ やって…… やってやろうじゃないのッ!」 もはやルイズもヤケクソである。 逃げ惑う人々を蹴散らしながら、ジャンプ台を踏みしめ風となる。 たちまち展開される空中での激しいチェイス。 迫りくるレコン・キスタの大艦隊を次から次へと乗り換えながら、 やがて二人は、アルビオンの地へと到達していた。 一体、何が男を駆り立てるのか? 白き国へと到達しても、男の逃走心は一向に冷める気配を見せない。 ニューカッスルで失敬した怪しいドリンクを一息で飲み干すと、 立ち塞がる謎の遍在軍団を蹴散らし、韋駄天の如き速さで荒野へと消えた。 もっとも、ルイズも既に、単なる貴族の令嬢ではない。 男同様、ニューカッスルで拝借した胡散臭いドリンクを一気に呷ると、 ようやく立ち上がろうとしていた遍在軍団を再び踏みつけ、虚無魔法の如き加速で荒野へ消えた。 「誰か…… 誰かッ! そいつを止めてェ!」 ルイズの悲痛な叫びは、遂に天に通じた。 たまたまアルビオンを旅行中だった学院長の使い魔、モートソグニルが、ルイズの声を耳にしたのだ。 主人の教え子を救うため、勇敢な鼠が大地を駆ける。 無人の野を行く男の胸元目掛けて飛び込むと、その全身を、ちゅうちゅうと駆け回り始めたのだ。 さしもの傷だらけのランナーも、鼠だけは苦手だったか、 その動きが、傍目にも分るほど緩慢なものへと変わっていった。 「もらったあアァァァァッ!」 千載一遇の隙を付き、ルイズが裂帛の気合いを込めたタックルを浴びせる。 これには男もひとたまりもない。 二人はもんどりうって倒れこみ、そのままゴロゴロと揉み合いながら、 やがて、たまたまジャイアントモールがねぐらにしていた大穴へと落下した。 「くっ もうこれ以上 足掻くんじゃないわよォ!」 尚も走り出そうと必死で暴れる男の、その特徴ある大顎をがっしりと掴むと ルイズは口早に詠唱を唱え、ズキュウゥゥンとばかりに唇を奪った。 直後、稲妻のようなファースト・キスの衝撃が二人を襲う! これは比喩ではない。 キスと同時に発生した謎エネルギーが、二人の体を貫いたのだ。 たちまち全身黒コゲとなり、黒煙を吐きながら呆然とする二人と一匹。 「…………」 「…………」 ちゃっ ちゃー ちゃー ちゃー 「なんでよ!」 悲しげなメロディが響く中、ルイズのツッコミがアルビオンの空へと消えた。 ちゃんか ちゃんか ちゃんか ちゃんか ちゃん ちゃ ちゃちゃん! ちゃー…… 【 GAME OVER 】
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前ページ次ページデモゼロ 再び怪我を負ったゼロのルイズ 先生を護って怪我したゼロのルイズ 自分の身に起こった変化の全てに、まだ彼女は気づいていない 医務室で、水メイジの治療を受けることになったルイズ 血を流しながら医務室に入ってきたルイズの姿に、慌てて水の秘薬を持ち出すメイジ 治療を受けようとした、まさに、その瞬間 ぐ~~~~ぅううう 「………」 「…ミス?」 あぅあぅあぅ こ、こんな状況でおなかが鳴る事ないでしょぉおおおおお!!! 自分自身のおなかに、心の中で突っ込みをいれるルイズ しかし、おなかはぐうぐうぐきゅるるん、遠慮なく悲鳴をあげる 恥ずかしさで真っ赤になりながら、ルイズは食事の用意をお願いした 医務室勤務のメイジは、たまたま医務室の傍を通りがかったメイドを捕まえ、食事をここに持ってくるよう言っている ドアの隙間から見えた姿は、ルイズが意識不明の状態から目を覚ました時、どんどん食事を運んで来てくれた、あのメイドだった 珍しい黒い髪をしたメイドだから、よく覚えている ……あの時と同じメイドで良かった、とこっそり思うルイズ ほ、他のメイドにまで、自分の大食いっぷりが知られてしまうだなんて、耐えられな… …あ、待てよ? 運んできてくれたのはあのメイドだけど、食事を作ったのは、別にあのメイドではなくて 当然、料理を作ったコックはわかっているだろうし、当然その周りにいる使用人たちも… ………… 考えているうちに羞恥で死にそうになったため、ルイズは考えるのをやめた ぐううう、おなかは悲鳴をあげ続けているし …空腹の感覚で、痛みの感覚が忘れられる、と言うのは、果たして幸福か否か とりあえず、水のメイジは改めて、傷の治療をはじめてくれた どうやら、ルイズには通常の人間以上の自然治癒力が身についているらしいという事が既に伝えられているせいだろうか、治療は簡単なものだ ルイズ自身も、その程度の治療で問題ない、と自然と自覚できた 人間の体って、こんなにも丈夫になるものだっけ? ちょっぴり、疑問にも思ってみるが (…これが、私の使い魔の力、なのかしらね?) 自分の体の中にいる使い魔が、自分を護ってくれようとしているのだろうか? まぁ、それは愛情とか忠誠心によるものじゃなくて、ルイズが死んだら自分も死ぬから、と言う意識からなのだろうが それでも、使い魔の能力を実感できると言うのは、メイジとして嬉しい事である 傷の治療が大体終わったところで、メイドがぱたぱた、料理を運んできてくれた ふわり、食欲を誘ういい香り ぎゅぐるるるるるるるるる ……えぇい、おなかの音よ、静まれ!! メ、メイドが必死に笑いを堪えているではないか ま、まぁ、笑わないで頑張ってくれているのだから、良しとしてあげるけどねっ!! 早速、始祖への祈りを捧げてから、食事を開始するルイズ …そう言えば、意識不明から起き上がった直後の食事の時は、始祖への祈りを忘れてしまっていた 貴族としてあるまじき事だ 以降は、絶対にそんな事がないよう、気をつけないと もぐもぐもぐもぐもぐ ぱくぱくもぐもぐむしゃむしゃごっくん 朝食を、しっかりと(いつもより多めに)食べたはずなのに まだ、昼食の時間には、少し早いはずなのに ルイズの食欲は止まらない もぐもぐもぐ、何だか、朝よりも食欲が増しているような気がしないでもない …まさか、時間が経つごとにどんどん、食べる量が増えていく、なんて事はないわよね?ないわよね!!?? 自分の中にいるらしい使い魔にそう心の中で問い掛けつつも、食べる食べる それでも、がっついて食べるのではなく、きちんと食事マナーを護っている辺りは流石、とでも言うべきなのだろうか もぐもぐ、まるで前日の様子を繰り返すように、ベッドの傍には空の食器が、どんどん詰まれていっている …御免なさい、医務室勤務の水メイジ お願いだから、唖然とした表情で見つめないで、恥ずかしいから! ぱくぱくぱくぱく、食べ進めていっていて…その内、ルイズはおや?と思い始める 簡単な治療で済ませたために、背中がずきずき、痛いままだったのだが…その痛みが、消えてきている 体中の痛みが、嘘みたいになくなっていっているのだ まるで、初めから怪我などしていなかったかのように、体中の痛みが全て、消えうせた その事実に驚きながらも…食事をする手は、止まらなかった けふっ 満足したところで、ルイズはようやく食事を止めた …満足、したんだけど でも、デザートも食べたい できれば、美味しい美味しいクックベリーパイ辺りを 「デザートも、お願いしていいかしら?」 「あ、は、はい。デザートも、こちらに運べばよろしいでしょうか?」 尋ねられて、ルイズは少し、考える もう、体の痛みは消えてしまっているのだ 自分の目では確認できない箇所ばかりだからわからないけれど、多分、怪我はもう全部治りきってしまっているのではないか? そう考えると…ベッドの上で食べ続ける、と言うのも、行儀が悪い 「いえ、食堂で食べるわ。着替えたらすぐ食堂に向かうから、準備をしていてくれる?」 「は、はい、わかりました」 頷いて、医務室を後にしようとするメイド 「あ、ちょっと、待って」 そのメイドを、ルイズは少し、引きとめた びくーーん!と体を震わせ、ちょっぴり怯えた表情でメイドは振り返る な、何よ、別に、とって食おうって訳じゃないのに 「あなた、名前は?」 「あ、その……シ、シエスタ、です」 「そう。悪いけれど、私がこれだけ大量に食事をする、って言う事…言いふらさないでね?」 ぷしゅう 少々頬を赤くさせながら、そう命令…と言うより、お願いしたルイズ だって、恥ずかしいから!! 「ゼロのルイズが大食いのルイズになった」 とかなんて、絶対、絶対言われたくないから! もしかしたら、もう手遅れかもしれないけれど!! ルイズのそんなお願いに、シエスタは一瞬、きょとんとして 「はい、わかりました。秘密にしておきます」 と、とても優しい笑顔を浮かべて、了承してきた どうやら、ルイズの乙女心が伝わってくれたらしい ぱたぱた、シエスタが医務室を出て行くのを見送って、ルイズは立ち上がる 「ミス・ヴァリエール。本当に大丈夫なのですか?」 「はい。問題ありません」 立ち上がっても、どこにも痛みは感じない 本当に…完全に、傷は完治していた と、なると、今考えるべき事は、制服を着替える事だ 爆発の衝撃で汚れてしまったし、破けたりしてしまっている制服を着たまま食堂に行くのは問題だろう 医務室の水メイジに礼を述べ、ルイズは急いで寮の自室へと向かった ぴしり、予備の制服に着替え、食堂に現れたルイズ ちょうど、他の生徒たちも昼食を終えて、デザートの時間になっていたようだ …うん、結構ナイスタイミング? 空いている席につくと、シエスタがすぐに、デザートのクックベリーパイを運んできてくれた それは、周りの生徒が食べているものよりも、少し大きめの物だ ありがとう、と礼を言って、ルイズは早速クックベリーパイを食べ始める あぁ…やっぱり、クックベリーパイは素晴らしい この美味しさに、ルイズはメロメロだ 「あら、ヴァリエール。もう大丈夫なの?」 美味しい物を食べていると、気持ちが穏やかになって余裕ができる だから、突然キュルケに声をかけられても、ルイズは調子を崩さず、返事を返す 「えぇ。問題ないわ」 「そう?なら、いいのだけど…」 結構酷い怪我だったのに、と言ってくるキュルケ 心配してくれていた? いや、まさか、そんな事はあるまい 何でも、自分に都合よく考えてはいけない 「そう言えば…その、教室、メチャクチャになっちゃったけど…」 「あぁ、あれなら、ミセス・シュヴルーズがゴーレムを作って、それで片付けてたわよ」 そう、と少し表情を暗くするルイズ …自分がメチャクチャにしてしまったのに、ミセス・シュヴルーズに片付けさせてしまっていただなんて 後で、謝らなければ もぐもぐ、クックベリーパイを食べながら、思考の海へと沈むルイズ …その、ルイズの思考は、食堂の片隅で発生した言い争いで、引き戻された 何事だ人が美味しく食べている時に、煩いじゃないか ちょっぴり不機嫌になりつつ、そちらに視線をやると… おや、あれは、確かギーシュとか言う生徒だったか そのギーシュが見覚えのない、恐らく下級生であろう少女に平手打ちを食らっており さらに、え~と…香水だっけ洪水だっけ、どっちだっけ…とりあえず、モンランシーにワイン瓶を脳天に叩きつけられている 今の自分だったら耐えられそうな一撃だけど、あれ、結構痛いんじゃないだろうか 当たり所が悪かったら、相当な大怪我になるような 耳へと入り込んでくる声などを聞いていたところ、どうやら、ギーシュが二股したのがバレたらしかった まさしく、自業自得である 興味を失い、意識をクックベリーパイへと戻そうとしたルイズだったのだが そうも、行かなくなった 「………!!」 ギーシュが、二股がバレる原因となったらしいメイドに、因縁をつけているのが見えた そのメイドは……シエスタ! シエスタは、泣き出しそうな表情で、ぷるぷる震えていて そのシエスタの姿に…ルイズはむか、と苛立ちを覚えた こうなったのは、そもそも、ギーシュが二股をかけたのが原因ではないか 経緯はよくわからないが、シエスタは悪くないのではないか すくり、立ち上がるルイズ 医務室にいる時、料理を運んできてくれたシエスタ 自分の大食いを、秘密にしてくれる、と言ってくれたシエスタ 彼女は今、貴族に因縁をつけられると言う、平民として最大といっていい恐怖に襲われている …助けなければ!! どうしたの?と声をかけてきたキュルケに返事をする余裕もなく、ルイズはずんずん、ギーシュとシエスタに近づいてく 「ちょっと、ギーシュ!聞いていれば、そもそも、あんたが二股をかけたのが悪いんでしょう!シエスタは関係ないわ!!」 ずずい!! 小さな、ないに等しい胸を張って、ルイズはシエスタを庇うように仁王立ちした それに驚いたのは、もちろんシエスタも驚いたが、それよりもギーシュだ …何故、ルイズが間に割り込んでくるのだ? 何故、彼女が、平民のメイドごときを庇うのか? 理解できなかったが、それよりも、自分が悪いと断言されたのが気に食わないギーシュ いや、気に食わないというよりも、認めたくないと言う方が真実か 「何だい?急に割り込んできて」 「平民に因縁をつけて虐めるなんて、貴族として恥ずかしくないの!?」 そうだ、これは、貴族として恥ずかしい行為だ 常に、貴族である事を意識し、相応しく振舞う事を良しとするルイズ ますます、ギーシュが許せない そう言われると、う、と言葉に詰まってしまうギーシュだったが 「そうだ、お前が悪いぞギーシュ!」 「サイテーだな、ギーシュ」 「ってか、おにゃのこ二人と付き合っていたなんて羨ましいぞゴルァ、片方ヨコセ!」 などと、周囲から言われなどしたら、引き下がれる訳がない …とりあえず、最後のお前、後で顔を貸せ モンランシーもケティもお前なんかに譲るものか 「ふん、ゼロのルイズは魔法を使えないから、平民に対して親近感でも持っているのかな?」 「……っなんですって!!」 ぷっつーん! 元々、怒りの沸点が低いルイズ 第三者から見れば面白いほどに、あっさりと切れた どん!と、怒りに任せて思いっきりギーシュを突き飛ばす …そう 思いっきり、だ ルイズは花の乙女、しかも、体格は小柄な方で、当然、腕力などほとんどない そんなルイズに突き飛ばされても、少しよろけるだけですむ ………はずだった、の、だが ギーシュを突き飛ばした、その瞬間 ルイズは、全身に突然、猛烈な力が駆け抜けたのを、確かに感じた 「ぎゃああああ!?」 どんがらがっしゃん!! 「……え?」 きょとん、とするルイズ あれ? 目の前にいたはずのギーシュはどこに? しぃん、と静まり返る食堂内 皆が、消えてしまったギーシュの姿を探す 「…ギ、ギーシュ!?」 「い、いたぞ!!」 ギーシュがいたのは、食堂の端の壁際 そこに、ちょっぴりめり込んで…ぴくぴく、痙攣していた 頭を打ったのか、だくだく血が流れている 「お、おい、しっかりしろ!何があったんだ!!」 「ギーシュ、寝るな、意識を失うな!!寝たら死ぬぞ!!」 「きゃああああああああ!!??ギ、ギーシュ、しっかりしてぇ!!!」 え? え?え??え??? 混乱するルイズ 何故か、ギーシュをぶん殴った後食堂から出て行っていたはずのモンランシーまで駆けつけ、皆がギーシュの救助に当たっている 誰かが、フライの魔法をかけて、ギーシュを運び出していった 多分、医務室にでも運んで行くのだろう 「ヴァ、ヴァリエール様?」 「え……え~っと……」 呆然とした声でシエスタに名前を呼ばれ、ちょっぴり気まずい表情で振り返る ギーシュに因縁つけられていた恐怖は、どうやら、吹き飛んでしまったらしく シエスタはきょとん、とルイズを見つめてきていた 「え、えっと…も、もう大丈夫よ!安心しなさい、シエスタ」 「………っ!!」 ぶわ、と シエスタの両目から、涙が溢れ出す 吹き飛んだはずの恐怖を、改めて思い出したのだろう わっ、と泣き出してしまった 「シ、シエスタ」 「あ、ありが、とう……ありがとう、ございます……」 ぽろぽろ、ぽろぽろ 涙を流しながら、ルイズにお礼を言ってくるシエスタ 大丈夫だから、とルイズはそっと、シエスタの体を抱き締め、落ち着かせるように背中を撫でてやる 「………」 そして、ふと じっと、おのれの右手を見詰めた ギーシュを突き飛ばした、自分の右手 (わた……し?) ギーシュを突き飛ばしたのは、自分 けれど、あそこまでするつもりなんてなかった と、言うか、結構離れた距離にあった壁までギーシュを突き飛ばせるなんて思ってもみなかった それも、めり込ませるくらいに、強い衝撃を与えてしまうだなんて 自分に…何故、そんな力が? (これも…使い魔の力なの?) シエスタの背中を撫でてやる手を、左手から右手にチェンジ 今度は、布で覆われた左手の甲をじっと見つめる そこに刻まれている使い魔のルーンは、今は特に異常もなく、静かである …ルイズがギーシュを突き飛ばした、その瞬間 左手のルーンが、一瞬強く輝いた事に 気づいたのは、キュルケと、そのキュルケの傍でハシバミ草のサラダに舌鼓を打っていたタバサと そして、その様子をこっそりと見ていた、誰かだけだった 前ページ次ページデモゼロ
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前ページ次ページゼロの軌跡 第十二話 貴族と平民 「なんですって!?レコン・キスタが?」 「なんでも、和平条約の締結のために派遣された軍使節が攻撃を仕掛けてきたらしくて、そのままこっちに向かってるそうです」 ルイズとレンもレコン・キスタの話は各地で耳にしていた。 聖地回復を目指すという、なんとも胡散臭い連中だと思ったがまさかトリステインにまで攻めて来るとは思わなかった。アルビオン王家が滅んだと聞いたときはただの内乱のようだったのだが。 「軍の到着は何時ぐらいになるの?レコン・キスタの勢力はどれくらい?攻めてくるまでの時間の余裕は?」 「え、えっと、軍は早くてもあとは半日はかかるそうです。敵の兵力は大体五千とか。もう数時間ほどでレコン・キスタはこのタルブ村までやってくるって」 どうしましょう、と震えるシエスタをなだめ、ルイズは急いで村の人間を集めるように指示する。 それを受けてシエスタが出て行ったのを確かめるとレンはルイズに問いかけた。 「どうするつもり?」 「戦えない女性と子供はすぐに村から脱出させるわ。レンと<パテル=マテル>はその人達を守るためについていって欲しいの」 「ルイズはどうするのかって聞いてるのよ!」 苛立ちを隠そうともせずに、レンは声を荒げた。彼女がここまで怒りを見せるのはサモンサーヴァント以来の事だった。 「タルブを抜かれたら王都までレコン・キスタを防ぐことは出来ないのよ。ここで少しでも時間を稼ぐわ」 「正気!?防ぐ為の兵力は?体制を整える時間は?篭って戦えるような要害は? この状況でルイズ一人で何が出来るっていうのよ」 「一人じゃないわ。タルブと近くの村から義勇兵を募る。二百くらいは集まるでしょう」 「空からの精鋭五千と地上の民兵数百。勝負になるはずがないじゃない」 レンは近くにあった机を力任せに殴りつけた。木で簡易に組まれただけのそれは容易にひしゃげて床に転がった。折れて跳ねた二本の足がルイズとレンの足にぶつかって止まる。 レンには始めから分かっていたのだ。ルイズがここに踏みとどまるであろう事が。そして、ルイズが決して意志を曲げようとしない事も。 それでも、無駄と知りながらレンは説得を放棄することが出来なかったのだ。 「少し時間を稼げばアンリエッタ様が軍を派遣してくださるわ。それまで持ちこたえればいいの」 「最低でも半日かかるのに、このままじゃ一時間耐え切れればいい方よ。それに王国軍が来たところで勝てる保証は何もないわ」 「レコン・キスタの進軍が少し遅れるかもしれないし、増援が早く来るかもしれない。その増援は空軍に対抗できるような戦力を保持しているのかも。 そうやって要素が積み重なれば、まだ賽の目はどちらに転ぶか分からない。でも私がここで退けば万に一つの勝ち目も失う。 私はトリステインの貴族なの。民と国を見捨てるような真似は絶対に出来ない。命を天秤に掛けるようなら、私は貴族としての道を永遠に失ってしまう。それは死ぬことより辛いことだわ。 私を怒ってくれてとても嬉しかった。でも…ごめんなさい。レン」 レンはそれ以上反駁できなかった。ルイズもレンもお互いにどうしようもなく正しかったからだ。 ルイズは自国とその民を守らんとした貴族であろうとしたのだし、レンもまたそれを是としていた。 自己の保身でなく、国と民の為に己を捧げる。それが真に正しい貴族の道だとルイズは信じて行動しているし、その信念を認めたからこそレンも今までルイズと行動を共にしてきた。 だがその決意は今ルイズの、文字通り必死の反抗作戦という形で顕れて、レンにはそれを認めることが出来なかった。それしか方法がないことを理解しながら、感情はそれを頑なに拒んだ。 きっとそれはレンにとってルイズの存在が欠けてはならないものになったからで、だからルイズはレンに感謝したのだ。 本来レンにとってルイズは憎んで然るべき存在のはずだった。レンを元の世界から引き剥がすように召喚し、親のように慕っている<パテル=マテル>と契約した。 ルイズが衣食住を提供しているといっても、レンほどの異能があればこの世界で不自由することはあるはずもない。ルイズが成し得て、レンに成し得ない事は何一つない。 畢竟、互いの存在を必要としていたのはルイズであって、レンではないはずだった。 それでも今こうしてレンはルイズを求めてくれている。死地に向かうルイズを引き止め、翻意させようとしてくれている。日頃は決して見せない激情を露にして。 それがルイズには堪らなく嬉しくて、そしてもうレンに応える事が出来ないのが悲しくも申し訳なかった。 ルイズが窓に視線をやると、心配そうに顔を覗かせる<パテル=マテル>がそこにいた。 私が死ねば、本当に<パテル=マテル>をレンに返すことが出来る。きっと胸のルーンも消えるだろう。 そう思うと沈みがちな気分も少しだけ楽になったように、ルイズには感じられた。 「ルイズの大馬鹿…」 長い沈黙の後、硬く握った拳を力なく下ろして、レンはただそれだけをつぶやく。 それすらも親愛の情であるようにルイズには思えた。 レンはそのまま走って部屋を出て行く。その後姿を追いかけて抱きとめたい衝動に駆られたが、それは許されることではなかった。 顔に疑問符を貼り付けたシエスタが呼びに来るまで、ルイズは杖を握り締めて立ち尽くしていた。 「本当にここに残るんですか?」 「そうよ、危ないからシエスタも早く避難しなさい」 「駄目です!敵いっこありません!」 持てるだけの金品と多少の食料を積み、ありったけの台車を数珠に繋いで<パテル=マテル>に括り付ければ女子供の避難はすぐにも始まるはずだった。 が、ルイズが残ることを聞いたシエスタが、ルイズも連れて行こうと必死にわめき散らした。 説得しても埒が開かない、今は一秒でも時間が惜しいと説得を諦めてルイズは男達に声をかける。 「ルイズ様を置いて行けな、ちょっとどこ触ってるんですか!離して、はーなーしーてー!」 「ミス・レン、おまたせしやした。出発してください。こいつらをよろしく頼んます」 シエスタを出来るだけ優しく荷台に投げ込む。なおも這い出ようとするシエスタの頭を押さえつけて、男達は発進許可を出した。 レンは一つ首肯し、<パテル=マテル>は轟音を上げて動き出した。 猛スピードで引き摺られ激しく揺れる台車。乗り心地は最悪だろうが、しばらくは我慢してもらう他ない。 多少の吐き気で命が買えるなら安いもの。あの様子なら戦闘が始まる前に十分安全な場所まで逃げることだろう。 「本当によかったんですかい?ヴァリエールさま。今ならまだ間に合いますぜ」 「…いいのよ。私が選んだ道だもの。今更違えることなんて出来ない。 さあ、忙しくなるわよ。隣の村から人が来たら、村の入り口と広場にバリを組んで。ありったけの武器と弾薬をかき集めるのも忘れないように」 最後まで、ルイズとレンは言葉を交わさなかった。 「いてて…あの親父、乙女の柔肌に傷が残ったらどうするつもりよ。次会ったらハシバミ草のサラダ山盛りにして出してやるんだから」 痛むお尻をさすってシエスタがやっと起き上がる。しかし、疾走する台車の上でバランスを失って彼女は再び倒れこんだ。心配する声が周りから上がったが、今はそんなことを気にしてはいられない。 台車から台車へ、危なっかしい足取りながらも跳んで渡り、<パテル=マテル>のすぐ後ろ、先頭の車のそのへりに片足を掛けて立ち上がった。 「ちょっと、シエスタ、何をやってるの。危ないから座ってなさい!」 「座りません!ここで私を下ろしてください!」 慌てたレンから叱責が飛ぶが、シエスタは怖じずに叫び返した。 その様子に少しだけ速度が落ちる。 「車から落ちたらどうするのよ。そのまま挽き肉になりたいの!?」 「だったら止めてください。私は戻ります。ルイズ様を残したまま逃げるなんて私には出来ません!」 「意地を張らないで、シエスタ。あなたを帰すわけにはいかないの。わかるでしょう」 「わかりません!わかりたくもありません!レンちゃん。 いえ、レン!」 出会ってから初めて、シエスタが敬語を崩した。怒りに震えて、彼女は叫ぶ。 「ルイズ様は貴族として、命を懸けて守ろうとして下さっています。タルブ村を。あの人には縁もゆかりもない、私達の故郷を。 あの状況下ではたとえ逃げ出したところで、それは罪にもならなければ恥に値することでもないはずです。なのに、国と民を守る貴族であるという、ただその一つの理由で、ルイズ様は残ったんです。 おそらく戦闘と呼べるようなものにさえならないでしょう。それでも、ルイズ様は己の使命から目をそらすようなことはしませんでした」 慟哭にも似たその言葉。いや、確かにシエスタは涙を流していた。 レンは指一本動かそうとしない。動かせないのかもしれなかった。 まばたきもせずにいるレンを睨みつけてシエスタは続けた。 「平民とは何ですか?ただ貴族に管理されるだけの存在ですか? 常日頃は貴族にその実りを貢ぎ、危機が迫れば目を閉じて耳を塞いで貴族の保護を待つ、飼い犬のようにあればいいのですか? そうやって思考を放棄して、精神を依存し、肉体だけをいうままに行使していれば、平民は幸せになれるのですか? 違います!それは絶対に違います! この国にあって貴族と平民は不可分の存在のはずです。平民は大地を閨としてその恵みを国中に分け与え、貴族は法と権を持って内憂と外患から国と民を守る。それがあるべき姿なのではないですか? 私達がタルブ村とルイズ様を見捨てて逃げ出すということがどういうことか。 このまま逃げ出せば、私達は一生、国にも、貴族にも、他の民にも顔向けが出来ません。 二度とこのトリステインを母国と呼ぶことは出来ません。タルブ村を故郷だと想うことも出来ず、私達の心は彷徨うだけです。 罪を犯しても真に私たちが罰されることはなく、災厄にあって手を差し出されても決して救われることはありません。 私達はトリステインの民です。それは誰にも捻じ曲げることの出来ない絶対の条理です。たとえ、女王であっても、始祖ブリミルであっても。 だから、私を下ろしなさい。レン」 その言葉に、座って聞いていた他の女性達も一斉に立ち上がった。 目にシエスタと同じ決意をたたえていない者は一人としていなかった。 「…どうしてシエスタもルイズと同じ事を言うのよ」 「そんなの決まってます。ルイズ様はトリステインの貴族で、私はトリステインの民だからです。 それ以外に一体どんな理由がありますか」 泣きはらした、それでも満面の笑みでシエスタは言った。 しばしの沈黙。たっぷり三百メイルは走った後にレンはようやく口を開いた。 「ここで止めることはできないわ。速度を上げるわよ」 「レン!」 「そうでもしないと、この後村に戻れないでしょう」 前を向き、表情を隠してレンは言った。 「台車一台に乗る人数だけよ。それ以上はなんと言われてもお断りだから」 その頃トリステイン魔法学院では、コルベールが雑談を交えてオスマンに研究の報告を終え、部屋に戻ろうとしていた。 研究費の増額がうやむやにされ、生活費を切り詰める算段をしながらも、先ほどのオスマンとの会話を反芻していた。 「…らしく、ミス・ヴァリエールとミス・レンは上手くやっているようです」 「ふむ、とりあえずは一安心といったところじゃな。あれがガリアなんぞの手に渡ったらどうなることかと肝を冷やしておったが」 「ミス・レンは正義の徒ではありませんが、醜い振る舞いを、特に貴族のそれを嫌っているようです。ミス・ヴァリエールの人となりであれば問題はないかと」 「ミス・ヴァリエールか…。魔法など、貴族として生きるには必要がないということかの」 ついたため息は安堵かそれとも別の何かか、オスマンは話を変える。 「ところでコルベール君、これは座興なのじゃが、もし彼女らと敵対したら、君ならどうやってあの<パテル=マテル>を打倒するかね?」 「いきなり何をおっしゃるのですか、オールド・オスマン」 そう笑おうとしたコルベールだったが、口調とは正反対にオスマンの目は笑ってはいなかった。 それを受けてコルベールは差し込む光にその頭を輝かせて考え込む。 「…これは非常に不愉快な答えではありますが。ミス・レンを人質にとるというのは」 「大鎌を自在に操り、見知らぬ魔法を行使する彼女をかね?ほんの少しでも手間取れば<パテル=マテル>が文字通り飛んでくるのじゃぞ。 しかも、もしミス・レンが死んだとしてもあれが行動不能になる保証はどこにもない」 「では手詰まりです。正直に言って、あれに対抗できるような手段が思いつきません」 「わしも同感じゃ。それはつまり裏を返せば」 オスマンは手元の砂時計をひっくり返す。砂代わりの秘薬がさらさらと下に零れていく。 時計の中には大粒のガラス球が上下に一つずつ入っている。やがて数分が経ち、ガラス球は完全に白い顆粒に覆われて見えなくなった。 「ミス・レンと<パテル=マテル>を打倒するものがあるとするならば、それはただ一つ。圧倒的な物量しかあるまい」 気分を変えようと、コルベールは部屋に戻る前にヴェストリの広場へと足を向けた。 ここで決闘があったのも随分と前のことであったから、広場は既に美しい景観を取り戻していた。和みながらも一抹の寂しさを覚える彼の視界に、ロングビルと三人の生徒が話しているのが見える。 そのうちにコルベールの姿を認めたのか、彼らはコルベールの元に駆け寄ってきた。 あの夜、ルイズとレンを見送ったキュルケ、タバサ、ギーシュの三人だった。 前ページ次ページゼロの軌跡
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前ページ次ページゼロウォーズ 夢を見たんだ… 敵に囲まれている夢を…… 俺は今、ルイズの服を洗濯している。 ここに辿り着くのに、様々な事があった。 迷子になったり、道を尋ねようと適当な奴に話し掛ければ 「平民の分際で、その態度は何だ!」とか言われたり、(なんだよ、こいつ等?) 挙句の果てには、「噂のミス・ヴァリエールの使い魔さんですか?」 とメイドさんに聞かれる始末。 (メイドさんに聞かれる事は、問題じゃない……だが、『噂の』って何?) もう疲れた。(さっき寝たばっかなのに……) 第3話 来訪者と貴族とメイド 俺は洗濯を適当に切り上げ、ルイズを起こしに向かった。 このルイズという少女、寝ているときだけはとても静かだ。(騒ぐ奴なんて居ないよな……) 「おい!ルイズ起きろ」 「………………」 ルイズは起きない。俺は色々考えたが、結論 ほっとく事にした。 そして、二度寝をする為に床に寝転んだ。 30分後 突然、ルイズ部屋の扉が開き、赤い髪の女性と赤い生物が侵入してきた。 「ルイズ、いつまで寝てるのよ!」 「うーん……キ…キュルケ?な……何で部屋に入ってきてるのよ!」 「登校時間とっくに過ぎてるから、先生から呼んで来いって言われたのよ」 この時、ルイズの思考回路がようやく作動し始めた。 「私の使い魔は?」 「アレのことかしら」 キュルケは、床で寝ている兵真の事を指差した。 ルイズはベットから跳ね起き、兵真を踏みつけた。 「ねえ……なんで起こさなかったの?」 「うぅっっ…ね…寝てたから…」 「そう…それで起こさなかったの……明日からちゃんと起こしなさいよ!!」 ルイズは、とどめとばかりに兵真の横腹を蹴った。 「ご…ごめん……ん?おい、赤毛の人。隣の奴何?」 兵真は、流れを変えるために赤い髪の女性(キュルケ)に話し掛けた。 「私『キュルケ』って名前があるのよ。そう呼んで、使い魔クン。私の隣に居るのは、私の使い魔サラマンダーよ。 じゃ、私達は行くけど、早く支度してきなさいよ」 そう言って、キュルケは扉を閉めた。 ルイズは手早く支度した。(本当なら「服とって」とかやりたかったのに……) ルイズは、どうやらクラスの人気者のようだ(違う意味で)。教室に入ると、色んな声がルイズに向けられる。 「ゼロのルイズが来たぜ!」 「使い魔召喚できなかったからって、そこら辺歩いてた平民連れてくるなよ!」 等々……聞いていて、他の奴等もバカだと証明してくれる実に良いセリフだ。 こんな安っぽい挑発に乗っているルイズ、教室に偉そうな奴も来た……そろそろ止めるか…… と、思った時『偉そうな奴』が止めた。 「そこ、うるさいですよ」 皆、各々の席に座った。俺はとりあえず、ルイズの隣で立っていた。 自慢じゃないが俺は、飽きっぽい。したがって、『授業』というものが嫌いだ。 今日は、{錬金}と言う物をがテーマらしい。だが…俺は違う事を考えていた。 (サモン・サーヴァント=ゲート開放・そしてコントラクトサーヴァント=ナイツ だから、俺を呼び出したルイズ=ゲートマスターっと思っていたが何か違う…… じゃあ、誰がゲートマスターだ?) 俺はルイズに話し掛けた。 「なぁ、ルイズ。使い魔って、お前みたいな奴は全員持っているのか?」 「ちょっ、今授業中よ。後にして」 「頼む。答えてくれ」 「もー!多分」 適当に答えるルイズ。が、そんなやり取りを教師は見逃さなかった。 「ミス・ヴァリエール、何を話しているんですか?貴方には{錬金}をやってもらいます」 キュルケが即座に反応した。 「止めといた方がいいと思いますけど……」 兵真が反応した。 「良いじゃないか、誰がやってもさ。結果なんてどうせ同じだろ?」 「違うわよ!あの子は特別なの!!」 「???意味がわかんねぇ」 キュルケと兵真がそんなことを横で話していると、ルイズは教壇に向かっていった。 「やります!」 兵真以外の生徒は、机の下に身を隠しながらルイズ説得しようとしている。 兵真がドラマで見た《銀行強盗を説得する光景》を思い浮かべていると、キュルケが話し掛けてきた。 「使い魔クン、怪我したくなかったら隠れなさい!」 (何なんだよ?それに、『使い魔クン』なんて名前じゃねえよ) 「早くしなさい!」 俺は忠告どうり身を隠した。わずか数秒後……何かが爆発した。 キュルケを始めとするその他の連中曰く、 魔法の成功率ほとんどゼロ。そこからルイズの二つ名は“ゼロ”となったらしい。 その後、授業は中止となった。教師は気絶し、俺とルイズは掃除をさせられた。 (ルイズが散らかしたのに、何で俺まで?) そして、昼食。色んな事があり、俺のストレスは限界ギリギリだ。 食堂に入ると、ルイズは俺に「あんたのはそれだから」とか言ってきた。 ポツンと皿の上にパンが有るだけだった。(マジ?マジなの?) 俺は、ルイズから色んな話を聞いた。 例えば…ルイズ達の事、メイジと呼んでいる事や、魔法の事などだ。 そんな中、事件が起きた。喧嘩だ。 喧嘩の内容はだいたいこんな感じ。 金髪少年(ギーシュと言う名前らしい)の二股が メイドさん(『噂の』とか言ってくれた奴。名前はたしかシエスタ) によってバレ、逆ギレと言う内容だ。 朝、シエスタは俺を助けてくれたので、俺はシエスタの味方についた。 「金髪、お前が悪い」 ギーシュは俺に気付き、薔薇を向ける。 「ルイズの使い魔か…まさかそのメイドを庇うつもりかい?」 「だから何?だいたい、二股なんてバカがやる事だ。バカはバカらしく過ごしてろよ!」 こんな挑発に乗ってくるとは、やはりバカだ。 「このギーシュ・ド・グラモン! 君に決闘を申し込む!ヴェストリの広場で待っている!」 と言い残し立ち去った。 「だめ…殺される……」 シエスタが怯えきった表情で言う。 「シエスタ安心しな。俺は、【ナイツ】だ…」 そして俺は、ヴェストリの広場に案内してもらった。 前ページ次ページゼロウォーズ
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前ページ次ページゼロのルイズと魔物の勇者 タイジュの国―― 青々と茂る巨木の枝の先に一匹のスライムがいた。 彼の名前はスラお。 かつて最強のモンスターマスター、テリーと共に星降りの大会を制し、クリオと共に様々な冒険を繰り広げてきた魔物である。 「暇だ・・・」 スラおはゆっくりと空を流れる雲を見上げながらそう嘆いた。 自分のマスターであるクリオが先日、自分の世界へと帰って行ってしまったからだ。 いつタイジュの国に戻ってくるかも分からないクリオが居なければ、冒険に出ることは出来ない。 生殺し状態である。 「クリオなんて置いてオイラ達だけで冒険に行っちまおうかな」 スラおには二匹の仲間がいる。 ゴールデンスライムのゴレムとエンゼルスライムのエルゼだ。 もちろん、この二匹の魔物の心境はスラおと同じで、今か今かとクリオの帰りを待ち望んでいる。 そんなことを考えながらスラおは牧場に戻ろうとした。 「何だこれ?旅の扉か?」 突如としてスラおの前に現れたのは、光る鏡のような物体。 この世界には旅の扉という、別の世界へ繋がる扉が存在する。 スラおは真っ先にその旅の扉を連想した。 しかし、スラおの知っている形とは違う。 「こいつもちゃんと別の世界に繋がってんのか?」 ほんの僅かな好奇心だった。 その不可思議な旅の扉に入るつもりはなく、ただそっと覗いてみただけ・・・ 「うぉぉ!?す、吸い込まれる!」 その瞬間、スラおは光る鏡の中へと姿を消した。 ―――――――――――――――――――――――――― 目を開けるとそこにはタイジュの国と変わらない青空が広がっていた。 今日は絶好の冒険日和だ、などとのんきに考えていたがどうも様子がおかしい。 「何・・・これ?気持ち悪い・・・・」 自分を覗きこんでいる桃色の髪の少女は毒を吐いた。 「なッ・・・そいつはもしかしてオイラのことを言ってんのか?」 突然喋り出した青いゲル状の物体に少女を含め周りの人間たちは驚く。 「しゃ、喋れるの!?」 「あたりめぇだろ!」 無駄に声を張り上げる少女に対して、スラおも負けじと声を張り上げ言い返した。 「あなた・・・一体何者?」 少女は見たこともない喋るゲルに聞いた。 自分で呼び出しておいてあんまりである。 「オイラはスラお。純正のスライムだ。お前こそ誰なんだよ!」 スラおの問いかけに少女は軽く息を吸い込んで答える。 「私の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。貴族よ」 相手が気持ちの悪いゲル状の生き物であっても、何度も失敗したサモン・サーヴァントが成功したことに浮かれ、ついフルネームを答えてしまう。 儀式を完了させるのに、またフルネームを言わなければならないのに。全くの二度手間である。 「なげぇ名前だな。ルイズでいいな」 「な、あんた貴族に対する礼儀がなってないわね!」 スラおのフランクな態度にルイズは怒る。 「そ、そんなもんどうだって良いじゃねぇかよ・・・・」 そんなルイズの態度に対して、今まで敬意という敬意をはらったことのないスラおは素直に戸惑う。 「流石ゼロのルイズだぜ!とても強い使い魔には見えないな!」 「俺、前に錬金失敗してあんなの作っちゃったことあるぜ」 ルイズとスラおがグダグダしていると周りを取り囲む人間からルイズを蔑む声があがる。 それを聞いてルイズは唇をかみしめる。 おそらくここで使い魔召喚の担当であるミスタ・コルベールに召喚のやり直しを頼み込んでも無駄だろう。 断られるだけの理由はそろっている。 それをルイズは悟った。だからこそ何も言えない。 しかし、野次馬の声に黙ってはいられないスライムが一匹。 「おい、お前ら・・・そいつはオイラを馬鹿にしてるってことか?」 スラおは凄む。しかしそれでも生徒たちの馬鹿にした笑いは収まらない。 「オイラはマスターなしでこの世界に来たんだ。それはもう野生のモンスターみてぇなもんだ」 スラおは戦闘態勢に入る。 体から湧き出る魔力。その小さくシンプルな姿からは想像もできないほどの力。 「だったら人間に気を使う必要もねぇよなぁ?」 流石の生徒達もその魔力に気付く。 その力を真っ先に察知したのはタバサであった。次にキュルケ。 「ベギラマァ!!」 スラおが呪文を唱え、それと同時に閃光が走る。 生徒達はその熱に悶え苦しむ・・・はずだった。 ベギラマはコルベールの火の魔法により相殺された。 「ミス・ヴァリエール!契約を早く!」 コントラクト・サーヴァントさえ終えてしまえば正式にルイズの使い魔となり大人しくなると考えたのか、コルベールは叫ぶ。 ルイズは一瞬躊躇したものの、このスラおとかいう魔物が魔法を使えることを知り、その自信は少し回復しつつあった。 それ故にルイズのとる行動は一つ。 「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」 そしてルイズはキスをする。 青色の塊には幸い顔が付いている。口の場所もすぐに分かった。 突然顔の位置まで持ち上げられ、キスをされたスラおは目を丸くした。 たいあたりでぶっ飛ばそうとしたが、体中が痛みそれができない。 スラおの背中には見たこともない文字が浮かぶ。 しかし、文字はまるで水で溶けたインクのように滲み、消えていった。 「いててててて!!!」 強い痛みのせいか、スラおは気絶した。 「今のルーンは・・・」 コルベールは一瞬だけ浮かび上がったルーンに対して過剰な反応を見せる。 「全く、ルイズったらおかしな使い魔を召喚して・・・でも、なんだか面白くなりそうね」 キュルケが親友であるタバサにそう言うと、タバサは何も言わずにうなずいた。 前ページ次ページゼロのルイズと魔物の勇者
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トリステインのラ・ヴァリエール、ゲルマニアのツェルプストーの両家は、自他共にそう認める仇敵同士である。 国境を挟んで領土が隣り合い、家格も近い大貴族。 しかも、共に軍務に携わる事が多い家系であり、殺し殺されるのは日常茶飯事、更には私事でも三角関係を繰り返し……もうこの両家は、絵に描いた様なを通り越し『The Rivai』とか表題をつけて、額に入れて飾っておきたい位の仇敵同士であった。 そんなわけで、当然互いを強く意識しあっている両家だが、互いの持つ認識には、多少の温度差がある。 互いの実力を認め合い、意識しあっていると言う面では変わらないのだが、ラ・ヴァリエールから見たツェルプストーは、仇敵と書いてライバルと読むのに対し、ツェルプストーから見たラ・ヴァリエールは、仇敵と書いておもちゃと読むのだ。 誇り高く、優れた能力を持つが、怒りっぽくて融通が聞かないラ・ヴァリエール。 代々、色々と余裕がありすぎるツェルプストーにとって、平時のラ・ヴァリエールはからかい甲斐のある良い玩具なのである。 まあ、それが兎も角、互いの認識に若干の違いはあれど両家の関係は今も継続しており、 それはトリステイン魔法学院に所属するラヴァリエールのルイズと、その関係のもう一方の主役たるツェルプストーの娘、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーにも当然引き継がれている――いや、その筈だった。 魔法が使えない貴族であるルイズは、優秀なメイジであるキュルケを必要以上に意識し、特権意識が薄いゲルマニア貴族の少女は、そんな彼女を軽侮も憐憫もせずただからかう。 キュルケの友人であるタバサであれば仇敵と書いて友達と読むような、そんな両者にとって幸せな関係が崩れたのは、ルイズが使い魔召喚時の事故で、遠い異国の魔法使い、アネメア・グレンデルを呼び出してしまった時のことであった。 ぶっちゃけた話、アネメアが現れた結果、ルイズが幸せになってしまったのである。 この召喚時の事故によって、ルイズは全てを手に入れたといって良い。 周囲に一目置かれる様な、気高く神聖で美しく高貴で強力――と言ってしまうには幼すぎるが、アネメアのそれを見る限り将来性はばっちり――で、しかも希少な使い魔。 自分を蔑む全てに対し、虚勢を張って対抗する日々に疲れ果てたルイズを、優しく癒してくれる『お姉さま』。 そして、何よりも、魔法の力。 そう、魔法の力だ。 ルイズはアネメアとの出会いから、彼女がなにより渇望してやまなかった魔法の力を手に入れたのである。 アネメアが伝えた、異国の魔法――それを、エルフ達の使う先住魔法と、属性魔法との、中間的な性質を持つものだと、学院長、偉大なるオールドオスマンは判断した。 普通人間は扱う事が出来ない先住魔法の力だが、それが自然に凝って生まれる風石や先住系マジックアイテムといった物を介せば、人間にもその行使自体は可能である。 アネメアの持つ異国の魔法は、先住魔法の力を人間でも扱える形に精錬した魔力結晶――メア――を介して行使する技術であり、人間の精神力で直接魔法を行使する属性魔法等より、遥に強い効力を発揮する事が出来た。 その力で平民達を圧倒するハルケギニアのメイジだが、例えば、それが最も攻撃と破壊に向いた火の属性であったとしても、ドットクラスでは人間を即死させるのはほぼ不可能、しかも、その程度の攻撃術でも、連続で数発放てば精神力が尽き、動けなくなるだろう。 だが、彼女の故郷に存在する魔術は、どんな初心者が使った最低レベルの攻撃魔法と言えども、人間を即死させる事が可能であった。 しかも、エネルギーの元が物質化した大気中の魔力なので、事前の準備さえ充分であれば――使い手の体力や集中力の限界はあるが――その魔力量は無尽蔵と言って良い。 無論アネメアの伝えた魔術もいいことばかりではなかった。 そもそも威力が大きすぎて扱い辛い上に、比較的詠唱時間が長く、細やかな操作に欠け、また、その発展の過程から攻撃係にばかり偏っていて、日常的、産業的な術は存在しない。 その為、属性魔法の中でも応用性の高い土系、水系の術や、便利なコモンマジックの数々は、それを知ったアネメアを酷く感嘆させ、魅了したものだが――まぁそれは余談だ。 強い力は常に、若者を魅了する。 今まで挫折を味わい続けたルイズだけに、その傾向は人一倍強く……それを熱心に学び始めた少女は二つの事実を知った。 一つ目は、自分が『フェイヤンの魔法』なら問題なく扱える事。 二つ目は、いつの間にか自分が、コモンマジックを扱えるようになっていた事。 こうして、その二つを知ったルイズは幸せになり、そして、そんな彼女のささやかな幸福はラヴァリエールとツェルプストーとの関係を崩した。 なんと言うか、幸せ者は強い。 召喚儀式の事故を知ってからかいに――他人から見ると励ましに、だが――行ったキュルケに勝ち誇る事すらせず、ただぎゅーと抱っこした使い魔に頬擦りして惚気まくった一件を皮切りに、 やれお姉様はこう言っただの、こんな魔法を覚えただの、ルイズはキュルケの言葉など意にも返さず、一声かければ十の惚気を帰すようになったのだ。 『私が男だったら良かったんだけど……』 これは、あまりにお姉さまお姉さまと五月蝿いルイズに耐えかね、『アンタ、なんか変な趣味でも持ってたの?』と尋ねかけたキュルケへの、彼女の返答である。 相手ではなく、自分が男だったらと言い出す辺りがもう末期的なルイズに、その時キュルケは諦めに似た感情を抱いた。 ルイズの相手が男であれば、まだ『相手の男がどの程度か見極める(そして、ツェルプストーの性で、大抵本気になる)』と言った楽しみもあったのだろうが、彼女にとって不幸な事に、アネメア・グレンデルは同性である。 そんなこんなで調子を乱され、恋の導火線すら湿りがち――ここ数日、どこか味気ない日を送っていたキュルケが、沈み込んだ様子でウロウロとしているルイズを見つけたのは、その日の夕方の事であった。 「……ん? どうしたのよルイズ、こんなところで辛気臭い顔をして……」 何しろ、長らく向こう側に行ってしまっていた喧嘩友達が、漸くご帰還遊ばしたようなのだ。 そう尋ねるキュルケの口調が、少しばかり弾んでしまったのは……まあ、あまり誉められた事ではないにせよ、責められる程でもあるまい。 その内容とは裏腹に、親しみが篭もった言葉を口にするキュルケに、ルイズは足を止めギギッと錆付いた歯車でも廻したかのように首を動かすと、溜息と共にこう言葉を吐いた。 「……なんだ、キュルケか。 ここはあたしの部屋なんだから、放っておいてよ」 ルイズが主張する通り、彼女が立つ場所は、確かに『ルイズの部屋』のカテゴリに入る。 「ご挨拶ね、ルイズ。 確かにそこはあなたの部屋かもしれないけど、その隣はあたしの部屋だし……それに、幾ら部屋の中だと言っても、扉を開けたまま戸口をウロウロされたら、隣近所に迷惑よ」 だが、対するキュルケの主張もまた、その通りであった。 キュルケは久しぶりの充実感を味わいながら、ルイズは久しぶりの腹立たしさにどこか心が奮い立つのを感じながら、二人は互いに睨みあう。 しかし、キュルケとルイズがそんな時間を共有できたのは、ほんの僅かな間でしかなかった。 「……ふふ、どうしたの、ルイズ。 大事なアネメアお姉さまと喧嘩でもしたのかしら? あなた、ただでさえ貧相な体してるんだから、せめて笑ってでもいないと、誰も近寄ってこないわよ?」 先の遣り取りで得た僅かなリードを拡げんと、キュルケ放った牽制の一言。 「…………」 今まで幾多の中傷を受けて尚、不屈であったルイズが、その一刺しで脆くも頽れたのだ。 幸せは人を、強くもすれば弱くもする。 少女の酷く脆い姿に、キュルケはその目を丸くした。 「ちょ、ちょっと、もしかして図星?」 今のルイズがこれほど凹むとあれば、その理由はアネメア関連に違いない。 そう感じながらも、まあこれはないだろーなと牽制に放った問いが、まさか図星を突いていようとは――ルイズの予想外の脆さも意外ではあったが、キュルケをそれ以上に驚かせたのは、ルイズがアネメアと喧嘩をしたと言う事実であった。 帰れる保証も無い遠い異国に事故で引き寄せられたにもかかわらず、その元凶にあれ程親身に接していたアネメアが喧嘩をするなど、一体誰に予想できよう。 しかも、その相手は事の元凶とは言え、あれ程アネメアに懐いていたルイズである。 「あのアネメアを怒らせるなんて、あなたは一体、何をしたのよ?」 驚き、思わずそう問いかけたキュルケに、ルイズはぽつぽつと事情を説明し始めた。 「……お姉さまが、使い魔召喚の儀式で平民を召喚したのよ」 誰にでもいいから吐き出してしまいたかったのか……或いは、口ではなんだかんだと言いつつ、キュルケにはそれなりに気は許していたと言う事か? ルイズは、召喚されてからこっちのサイトの悪行を沈痛な面持ちで語り、その内容を聞いたキュルケの顔には、徐々に呆れたような色が浮かんで来る。 「……つまり、そのヒラガサイトだっけ? アネメアの召喚した使い魔が、平民……しかもどうしようもない助平男で、その振る舞いに我慢できなくなって、思いっきり蹴り飛ばしたら、アネメアに怒られたって事?」 そして、話しているうちに腹が立ってきたのか、仕舞いにはあのエロイヌだの、お姉さまの唇がだのと喚き始めたルイズの姿に、キュルケは強い頭痛を感じて頭を押さえた。 キュルケが見た所、アネメアは悪意には鈍感で愚かに見えるほど懐が広いが、その本質は愚鈍とは程遠い。 そのサイトとやらが、自らの欲望を満たす為に状況を利用しようとしているのなら、アネメアは当然それに気付くだろうし、また、そう言った計算高く欲深な人間が、召喚されてからの短時間で、それだけのセクハラ行為を働くとはとても考え難かった。 それにそもそも、ルイズが最も憤っているアネメアとサイトのキスは、明かに使い魔契約の儀式である。 サイトとやらが具体的にどんなセクハラ行為を行ったのかをキュルケは知らないが、契約の儀式を行った直後、その内容に憤った見学者が自分の使い魔を気絶するほど強く蹴ったりしたら、幾らアネメアだってそれは怒るだろう。 彼女の場合、特にその立場と性格からヒラガサイトに同情と責任とを感じているだろうから、それは尚更だ。 『まあ、可愛い嫉妬、と言うところかしらね』 話している内にテンションが天辺入ったのか、『あのエロイヌを調教』だの、『姉さまが汚される前に』だの、ヤバイ単語を叫びいきり立つルイズに、キュルケは苦笑を浮かべる。 とにかく、この件では一度、アネメアと話をする必要があるだろう。 黙って傍観しているのも面白そうでは合ったが、何か事故でも起きてしまったら、寝覚めが悪い。 「こうなったら背に腹は代えられないわ! ツェルプストーの手を借りるなんて、ご先祖様へ顔向けが出来ない事だけど……。 ねぇキュルケ! あんた、あのエロイヌを誘惑してよ。 そう言うのって、ツェルプストーの得意技でしょう?」 ルイズがそんなキュルケに言ってはいけない言葉を放ったのは、そんな時の事だった。 「……え? ルイズ、今なんていったのかしら?」 聞き違いだろうか? 「ちょっとキュルケ、もしかして聞いてなかったの? あのエロイヌを誘惑してくれないか……って言ったのよ」 そんな期待を込めて放たれたキュルケの問いかけに、しかし、ルイズは、あっさりとそう答える。 「………」 ヴァリエールとツェルプストーは、長く続く仇敵同士だ。 それを引き継ぐキュルケとルイズは、決して仲の良い間柄とはいえない。 だがそれでも通じ合うものもある――キュルケは心の何処かにそんな思いを抱いていた。 否、抱いていたのだと今気付いた。 失望。 今キュルケが抱いている喪失感は例えるならそれに近かろう。 一瞬、酷く冷たい表情をしたキュルケの浅黒い顔が、今度は決して同姓には見せない表情を形作る。 キュルケは最初、ルイズを罵倒してそのまま歩き去ろうかとも思ったが、なんとなく、そうしてしまうのは気が引けたのだ。 そして、そんなキュルケの内面には気付かなくとも、その雰囲気が変化は感じ取れたのだろう。 「どうしたのよ、キュルケ?」 戸惑ったように尋ねかけるルイズに、キュルケはどこか媚びる様な表情のまま、無言で歩み寄る。 そのまま、男が女の肩を抱くようにして少女の体に腕を廻すと、キュルケはその顔をルイズのそれへと近付けた。 驚きに体を硬直させるルイズの目の前には、嫣然と微笑む、キュルケ。 「……ねぇ、ルイズ」 言葉を喋れば、息が吹きかかるような距離……そう声をかけるキュルケの吐息は、匂い袋でも含んでいたのか僅かに柑橘系の香りがした。 「ちょっ、なに?」 少女は驚きに目を見開きその体を捩るが、同年代の中でも特に小柄で痩せたルイズと、二歳も年嵩で背丈の高いキュルケとでは、体重も力もまるで違う。 「一度だけ、教えてあげる。 このキュルケの微熱はね、常に情熱に身を焦がしている事から付けられた二つ名よ。 私は、いえ、ツェルプストーの家の者は皆、誰よりも胸の奥の炎に忠実なの……」 結果その腕の中を抜け出せず、ルイズは耳元に囁かれるキュルケの言葉を、ただ身を強張らせて聴くしかなかった。 子供に噛んで含める様な口調、しかし、甘く、蕩けるような声。 耳朶を擽るその振動に、そっちの気を持たない筈のルイズの背筋が、ぶるり震える。 「いい、ルイズ。 ツェルプストーが誘惑するのは、愛しい御方と敵だけよ。 ねぇ、ルイズ、貴方はどちらなのかしらね?」 そしてキュルケはそう言うと、ルイズの小さな耳に唇を寄せその耳穴をぺろりと舐めた。 止めとばかりに耳穴に息を吹き込むと、ルイズはキュルケの足元にヘナヘナと座り込む。 「わ、判ったわ、キュルケ、謝罪する。 貴方の誇りを傷付けるような事を言って、本当に悪かったわ」 ルイズは、半分腰が抜けてしまったような姿勢のまま、体を引き摺るようにキュルケから離れた。 酷く慌てた様子で謝罪を告げると、微笑を浮かべたままのツェルプストーを見上げる。 キュルケは、蕩けるような笑みを浮かべたままでそんなルイズに歩み寄ると、その小柄な体に手を伸ばした。 「ほらルイズ、誇り高きラ・ヴァリエールの娘ともあろう者が、はしたないわよ」 キュルケはそう言って、半ば無理やりルイズを立たせると、そのスカートの埃を払う。 触れるか触れないか……軽やかにルイズの尻を撫でるキュルケのタッチに、少女の痩せぎすの体が棒切れのように固まった。 「ねぇ、ルイズ、二度は無いからね?」 腕の中のルイズにそう告げて、キュルケは少女から身を離す。 ルイズは、自分の体を抱きしめるようにしながら、慌ててキュルケから遠ざかり、怯えたような顔でコクコクと頷いて見せた。 少しばかりやりすぎたかしらね――キュルケは、そんなルイズの様子に苦笑を浮かべると、その表情を隠すように背を向ける。 「じゃ、いくわよ、ルイズ」 「行く……って、わたしとあんたが一緒に何処へよ?」 そして、告げるキュルケに、ルイズは少しばかり警戒しているような声で答えた。 「アネメアと、そのサイトとか言う男の所へ、よ。 ルイズも行くんでしょう? あたしもちょっとだけ興味があるから、特別に付いて行って上げるわ」
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前ページ次ページルイズとヤンの人情紙吹雪 「ヒューーーッ なんだここ? スゲー広(ひれ)ーー 宮殿かよ? バカみてーだな まさにブルジョワジィってか?」 ヤンはルイズに連れられて女子寮に来ていた。 ヤンは感心を通り越して呆れていた。 「バカってどういゆことよ! あんたの方がよっぽどバカっぽいわよ! さっきからちょっとは静かにできないの!? 恥ずかしいじゃない田舎モン!」 ヤンは先程からこの調子で、ちんたら歩きながら感嘆の声をあげていた。 しかもその声がやたらデカくてオーバーリアクションなのだ。 ヤンの服装も手伝って、悪い意味で目立ちまくっていた。 すれ違う生徒達がくすくす笑っている様な気がした。 「もーっ なんなのよ、さっきから! 全然人の言うこと聞かないし! 私まで恥かくのにぃーーッ! ほら、はやくきなさいよ 馬鹿犬!」 ルイズはヤンの左手を掴むと、顔を赤くしながら引っ張った。 ヤンは「へいへい」と呟きながらルイズに引っ張られるままになっていた。 「ここがオマエの部屋ァッ!? オメェ一人でこの部屋!? マージーでッ!? 許しがてぇぇぇ!」 こんなガキのうちから贅沢したらろくな人間にならネェ! ヤンは憤慨した。 人が空を飛ぶほうがまだ許せる気がした。 もっとも、ヤンみたいな人間(吸血鬼だが)もいるので贅沢は関係無いかもしれない。 「ふふん そうよ。 驚いた? 私がどれだけ高貴な人間か理解できたみたいね?」 ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりーーー。ヤンの歯軋りが聞こえる。理不尽だー理不尽だーと小声で呪詛の言葉を吐いている。 「ちょっと落ち着きなさいよ あんた私の使い魔なんだからね! さっきみたいなのもヤメテ! 使い魔の恥は私の恥なのよ!!」 その言葉にヤンは、あーそーだったと冷静になる。 「………その『使い魔』ってのは何なんだ? さっきも契約とか儀式とか言ってたよなー?」 ルイズはまるでカワイそうなモノを見るような目をしてヤンを見やった。 「あんたそんなことも知らないの? ……うぅ~~~~まさかこんなド田舎の平民を呼んじゃうなんて……はぁ。 まぁいいわ! 説明してあげるから、キタナイ耳の穴キレイにしてよーく聞きなさい!!」 サラっとさっき言われたことを言い返してやった。ふんッ。 「あんたは私に召喚されて契約したの。 晴れて使い魔になれたのよ。 ヴァリエール公爵家三女たるこの私の使い魔になれるなんてとっっっっっても名誉なことなのよ!」 ありがたく思いなさい!というのが言外にありありだった。 「契約ってのはイツしたんだよ。 俺した覚えねーぞーーー?」 そう言われてルイズは廊下の時よりも顔を赤くしてしどろもどろになった。 「そ、それは…………その…えと…………………キ、キスよ……。」 ルイズは小声で(特にキスの部分)答える。 「エッ? なになに? よく聞こえねーーーもー1回言って。」 「…ッ! だ、だから………うぅ~……………キ、キキキキキキキキキスしたでしょって言ってるのよ!!」 『キス』というと、召喚した時のことが思い出される。脳ミソが沸騰しそうだった。 「へぇーー キスで契約ゥーーーー? メルヘンだなァー まぁそんなことでゴダゴダ言わねーよ俺ァ別に。 次行こう、次! ココはどこだァ? 召喚ってどーゆーこった?」 ルイズはキスなんてありました?って顔をしているヤンに無性に腹が立った。 「う~~~~~~ッなによ! ちょっとはアンタも恥ずかしがったりしなさいよ! 悪いとは思わないの!? あ、ああああんなししししし舌まで入れておいてナンでそんな冷静なのよッ!!」 「あーーにぎやかな女だなー んなことよりサッサと説明しろって。 ほれ次次次 話進めろ。」 ヤンは既に完全にその話題への興味を失っているようだ。 「く~~~~~~~~~~ッ ぬ、ぬ、ぬ、ぬぅ~~! ………ま、まぁいいわ! アンタなんて所詮使い魔だし、犬に噛まれたのと同じなんだからッ!」 捨て台詞じみた言葉しかルイズからは出てこなかった。 ルイズの説明を一通り聞いたヤンだったが、天を見上げて嘆息した。 「マジかよ… まじでファンタジーなのかよ… 信じられねェーー三文小説みてーな話だな 笑えるぜェ~~~ヒャハハハハハッ」 ヤンの笑いを見てルイズはムッとする。 「人が丁寧に説明してやったのに何よ! ちっとも笑える話じゃないでしょ!?」 「いやいや笑えるぜ? コレはよォーー だってココ俺の世界と違うもン。」 「へ?」 ルイズはヤンの突然の発言に目を丸くする。 「僕様チャンの世界には魔法なんてありはしまチェェェン。 まぁ似たようなモンを使えるヤツは少しいるみてぇだが、一般的じゃねーから。 ……しかも『あれ』だ。」 ヤンはそういって窓の向こう、薄暗くなった空を指す。 指が示した先には『月』が『二つ』浮かんでいた。 「月がどーしたのよ?」 双月。ルイズにとっては当たり前の風景だった。 「僕チンのワールドではお月様は一つなのですよ これマジホント。 つまりここは異世界ってわけだ オーマイガッ。 じゃなきゃよっぽどラッピーなドラッグキメてタリラリホーってとこだな。」 ヤンの発言にルイズはポカーンとしている。 冗談にしても質が悪い。全然おもしろくもない。 「……あんたねぇ もうちょっとマシな嘘言いなさいよ。 田舎者って思われるのがそんなに嫌なの? 本当にそう思ってるなら最初から言いなさい 二度と言わないわ。」 誰だって言われたくないコトはある。ルイズはそれを誰よりも知っているからヤンに対しても少しは気を使ってやろうか、という気持ちになる。 「チゲーよ マジだ、マジ。 ハルケギニアもトリステインも聞ーたことねーよ。 まぁ俺にとっちゃぁ異世界だろーがナンだろーがどうでもいいことでよォ。 どうやらオメェのおかげで生き返ったみたいだからさァ 使い魔ってヤツ? ヤってやってもいいぜ なにすりゃいいんだ?」 ヤンは深く考えない性格。そして今、ヤンは気分が良かった。 死んだと思ったが召喚とやらのお陰で自分は間違いなく生きている。 異世界にいるという衝撃など二の次だった。 学校などというヌルま湯に浸かった世界は、ヤンにとっては刺激が足りないように見える。 しかしこの学院の女共は大分レベルが高い(召喚時と廊下で騒いだ時、チェック済み)。ルイズも胸と性格以外はかなりイケてる。 行く当ても無いしここで女をクッて過ごすのも悪くは無い。 その為にも『ルイズの使い魔』というポジションは有効だ。そのついでにチョットだけ借りを返してやるか。 ヤンはそう考えていた。 「や、やってやってもいいって違うでしょ!? やらないといけないの! 義務なのよ、ギ・ム!」 やっぱりこの男に気を使う必要は無い! 「はーいはいはいはい……わかったわかった… ヤラセていただきます、ヤラセていただきますヨ『ル・イ・ズ・さ・ま』。 コレでよーございマスかァ?」 絶対バカにしている。ルイズは思ったがグッとこらえた。 いちいちヤンにつっかかったら話がまったく進まぬうちに一日が終わってしまう。ルイズは少し大人になった。 「……使い魔の仕事は主に3つよ。 1つ目は主と感覚を共有しその手足となること。」 「感覚のキョウユウぅ? なんだそりゃ つまり俺がナニすりゃオメェも感じチャうノぉ~んってこと? ヒャハハハハハ!」 よくは分からないが、ヨロシクないことを言っているのであろうことはルイズにも想像できた。華麗にスルー。 「……アンタが見たものや聞こえたものが私にも見えたりするってことよ。 でも何も見えないし聞こえない……。」 「まぁ俺みたいのって初なんダロ? だからかは知んねーけどさー デキねェもんはしょーがねーなー アキらめろ。」 そう、そうだ。コイツだから駄目なんだ。メイジを見るには使い魔から、とか言うけど忘れることにした。全部ヤンのせい。うん、私ダメじゃない。 「2つ目は秘薬とか鉱石とか…主人が望むものを探すことよ。」 「無理 パス。」 ソッコーで断られた。 「はやッ! な、なんでよ!?」 「できるわけねぇだろー 召喚されたてだぜ俺 ここの知識ゼロkgだかンな。」 ルイズは『ゼロ』のところで一瞬ピクッとなり不満そうな顔をする。 「………3つ目…これが一番重要なんだけど…主の身を一生守り続けること。 ……まさかコレも無理なんて言わないわよね?」 なかなか鋭い目でヤンを睨みつけている。 「オーイエーー! それそれ そーゆーの待ってたんすよォ ようは敵を全員ぶっ殺してやりャあイイわけだ 楽勝楽勝♪ んで敵はどこにいんだぁ? 数は?」 ヤンはオモチャを見つけた子どものように目を輝かす。 すぐに部屋を飛び出したい、そう思っているんだなと一目でわかるぐらいソワソワし始める。 「ちょ、ちょっと物騒なこと言わないでよ! 敵なんていないわよ!! もしも敵とか危険なことがあったら、その時私を守ればいいの!」 「えーーーーーーーなんだそりゃーーつまんねーーー やっぱバトルは攻めだぜ? わかってねーーなーーー。」 肩をガックシ落としてあからさまに悲しむ。 「……とにかく、それだけ戦いたがるってことはヤンは強いってことでいいのよね?」 「まーかせとけって そこらの雑魚には負けねーよ? 俺様無敵だからネ。」 訝しげな目をヤンに向ける。……うそ臭い……と、ルイズは思った。 「はぁ…もういい… 今日は疲れたから寝る…」 本当に疲れた顔をしながら深いため息をつく。 「そーか じゃあ俺はちょっとぶらついて来るからよ じゃーーーな。」 ヤンはそう言いながら扉に向かって行く。 それを見たルイズは慌てて止める。 「だ、だめよ! アンタも今日は寝なさい! もう外も暗いんだし夜出歩くとアンタなんて完全に不審者なんだから! ここは貴族の子弟の学校だから警備も厳しいのよ!!」 出会ったばかりだがヤンの言動を見ていると、目を離すとトンデモナイことになりそうな気がした。 「オメェーの使い魔だから平気だろ? 俺は。」 「ダメッたらダメ! アンタが問題起こしたら私の恥になるって言ってるでしょ!」 またソレか。ため息をついて呆れるヤン。 「チッ わーったよ 寝ますよ寝ますー。 で? 俺はどこに寝んだ? ベッドは一つみてーだけどソコで寝ていいわけ?」 「ここは私のベッドなの! アンタが寝ていいわけないでしょ! アンタはそこ!!」 ズビシッ!と指をさす。 「? どーみても床だぜ?」 「藁もあるじゃない。」 「………」 やった!動揺してるわ!今こそ使い魔の立場を理解させるチャンスよ! 「そうね…それだけじゃかわいそうだからコレ、使ってもいいわよ。」 勝ち誇った顔をしながらルイズは薄っぺらい毛布を差し出す。 藁も毛布も、人間ではない普通の使い魔のために用意しておいたものだ。 人間に対してはちょっと気の毒かもしれないが、コイツにはこれでお灸を据えることができるかもしれない。 「あ あと明日から洗濯とか水汲みとか、私の身の回りのこと全部やらすから。 それじゃオヤスミ。」 言うやいなや暖かそうな毛布に顔をうずめる。 「………」 ヤンは黙っている。 「……マジかよ……兄ちゃ~ん、どうにかしてくれよ……」 ヤンはボソリと、今は亡き兄に助けを求めた。 ワンちゃん……。 犬を抱きしめ呟く兄が見えた気がしたが、気のせいだと思うことにした。 しばらくは大人しくしてやる。 そう思っていたヤンであったが、早くも挫けそうだった。 つづく…と、思う 前ページ次ページルイズとヤンの人情紙吹雪
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夜があけるまであと2時間ぐらいという時間に 突然、女性の声が響き渡った。 「みなさん。聞いてください。 今すぐ戦いをやめてください。 こんなの、間違っています。 みんなで協力すれば、きっとうまくいく 方法があるはずです。 みなさん。塔に来てください。 ここに皆で集まってこれからのことを 一緒に考えましょう。 お願い。ここまで来て。」 ネネの呼びかけは暗闇の中、 アリアハン中に響き渡っていく。 ネネ!! ちょうどナジミの塔に向かっていたトルネコの顔が蒼ざめた。 こんな状況で人を信じる妻の純粋な心に感動し、トルネコは涙ぐんだが、あることに 気づいた。 (たった一日で人があんなに殺されたんだ・・・・・) 気づいた時にはトルネコはナジミの塔へ腹の肉を揺らしながら全速力で走っていった。 【ネネ 所持品:拡声器 第一行動方針:演説】 【現在位置:ナジミの塔最上階】 【ヤンの奥さん 所持品:フライパン 第一行動方針:警戒中】 【現在位置:ナジミの塔最上階の階段の脇】 【トルネコ 所持品:魔晄銃 行動方針:ネネを助ける】 【現在位置:ナジミの塔付近】 ←PREV INDEX NEXT→ ←PREV ヤンの奥さん NEXT→ ←PREV トルネコ NEXT→ ←PREV ネネ NEXT→
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前ページ次ページゼロの魔王伝 ゼロの魔王伝――8 夢の世界に沈んだルイズは、これが夢の中だと分かる不思議を感じながら、懐かしくさえ思える夢を見ていた。それは春の使い魔召喚の折の事。唱えても唱えても爆発ばかりが起き、一向に使い魔を召喚できずにいたルイズに周囲の生徒から罵倒が飛ぶ。 “ああ、これは、Dを召喚した日の事ね” この日の事は今も鮮明に思い出せる。その時の情景も、周囲から向けられる感情の種類も、虚しく空を切る杖の感触も、なにも呼ぶ事無く虚ろに響く呪文も……もっとも、Dの美貌ばかりは夢の中でも思い出せないけれど。 魔法学院の外に広がる薄緑が連なる草原の真ん中で、同級生達に軽蔑の視線でもって見守られながら、ルイズは何度も杖を振り、呪文を唱え続ける。だがそれは実を結ぶ事無く草原に土煙を幾筋もたなびかせていた。 引率として同伴していた頭頂の毛が薄い、温和そうな中年男性のミスタ・コルベールが、最後の機会と夢の中のルイズに告げる。ルイズは上空からその様子を俯瞰する高さで見つめていた。これが最後と覚悟を決め、詠唱を始める夢の中のルイズ。 それまでと変わらぬ爆発が起きた時、夢の中のルイズは目の前が真っ暗になったようだった。いや、実際そうだった。必死に歯を食い縛って流すまいと堪えていた涙の粒が眼尻に大きく盛り上がり、ついには理性の堤防を破って滴り落ちそうになる。 その涙を許さない貴族としての矜持、もうどうでもいいと投げやりになる素の感情。せめぎ合うそれらがルイズの心を掻き乱していた。 周囲の生徒達の野次が一層ひどく、そしてコルベールの姿にも傍から見てもあからさまに失望の色が伺えた。無理もない、また自分は落ちこぼれのルイズである事を証明したのだから。 一人進級する事も出来ず、また同じ一年を過ごし、周囲からの嘲りと憐れみとを満身に浴びて、いずれは耐えきれずに屈辱に胸を掻き毟り自ら命を断つか、あるいは心に癒えぬ傷を抱えたままラ・ヴァリエールの領地に戻っていただろう。 “でも、違った” 慈悲深き始祖ブリミルはルイズを見放しはしなかった。やがて土煙に薄く人影が映し出された時、すべての音は絶え、唯一その場に居た人間のみならず使い魔たちの息を呑む音だけが響いた。 そう、風さえも音を絶やしていた。風は怯え、土は慄き、火は熱を失い、水は流れる事を止めた。 ルイズが召んだ者――いやモノとはそれほどまでに美しく、それほどまでに恐ろしいものだと、人間よりも世界が悟ったのだ。 見よ、立ち込める土煙は決して触れてはならぬ者の出現を悟り自ら左右に分かれ、踏みしめられる大地は喜びと共に甘受し、頬に触れた風は恍惚と蕩け、泥の如く蟠って大地に堕ちた。 ルイズの瞳にそれが映し出された。コルベールの脳がそれを認めた。周囲の生徒達が考える事を止めた。使い魔達は来てはならぬ者が来た事を悟った。 かつて、森の彼方の国から、一人の美女を追って全てを白く染めるほどに濃い霧と共に、死者のみを乗せた船の主となって倫敦を訪れたバンパイアの様に、ソレは姿を見せた。 太陽の光がそのまま闇の暗黒に変じてしまうかの如き黒の服装。胸元で時折揺れる深海の青を凝縮したようなペンダント。それらが彩る、広く伸びた鍔の旅人帽の下にある美貌よ。美しさとは、これほどまでに極まるものなのか。 それは、美しいという事さえ認識できぬ美しさであった。目の前のそれを表す言葉を探り、しかし美しいと言う他ないと認め、それよりも相応しい言葉を見つけられないと絶望するのに刹那の時を必要とした。 若い、まだ二十歳になる前の青年であった。銀の滑車がついたブーツは音一つ立てずに歩み、かろうじて息を吹き返した風の妖精たちによって靡く波打った黒髪も、漆黒のコートもその全てに美しいという形容の言葉を幾度も着けねばならぬ。 右肩に柄尻を向けて斜めに背負った一振りの長剣は180サントを悠々と越える青年の身の丈にも届くほどに長く、尋常な腕では満足に鞘から抜き放つ事も出来ないだろう。 一歩、二歩と歩む青年の姿はルイズの魂を根幹から揺さぶるほどに美しく、この瞬間、ルイズはこれまで影のように傍らに在り続けた“ゼロ”というコンプレックスを忘れた。 一人の少女の輝かしい生涯を、その終りまで暗黒に変えるだろう劣等心を忘却させた青年は、しかし、三歩目を刻む事はなかった。土煙とは異なる白煙を全身から立ち上らせた青年は、ゆっくりと、その様さえも美しくうつ伏せに倒れたのだ。 ど、と重い音が響く。ルイズが目の前の光景を理解するのに数秒を要した。 『目の前に倒れているのは、誰? 私が召喚した、使い魔? いや、こんな美しい御方が? いえ、それよりも、倒れている? どうして? 違う、そんな事よりも!!』 意味のある言葉にならぬルイズの思考を突き動かしたのは、自分が呼び出したかもしれない使い魔を保護しようという意識ではなかった。 それは奉仕の心であった。この方の為に何かしなければならない。何か自分に出来る事があるのなら、それに全力を尽くさねばならない。期待の結婚詐欺師にかどわかされ、夫を殺した婦人方の万倍も強く、ルイズは眼前の青年の奉仕者となっていた。 トリステイン王国でも五指に数えられる名家中の名家ラ・ヴァリエール家の令嬢として、多くの召使たちに傅かれ日常の雑事の全てを他者に委ね、頭を下げられる事を当たり前の事として育った少女が、この時世界の誰よりも強い奉仕の心を持っていた。 誰よりも早く倒れ伏した青年――Dに駆け寄り、膝をついて白煙をたなびかせる剣士へと手を伸ばして声をかけた。 「大丈夫ですか、ミスタ! どこかにお怪我でも? 熱っ!?」 その背に恐る恐る伸ばした右手が、途方もない熱を感じ、思わずルイズは手をひっこめた。この場に居る誰もが知り得る筈もないが、Dはほんの数秒前まで燃えたぎるマグマに飲み込まれんとしていたのだ。 その余熱がこの青年の体を焼き、今も体内に残留していたのである。Dの意識が絶えている事を、自分の呼び掛けに無反応である事から確認し、ルイズは大きく声を張り上げた。これほど乱暴に声を荒げたのは初めての事だったろう。 「誰か、水魔法使える子は早く来て! 治癒をかけるのよ、怪我をされているわ! のろくさとしないで、さっさとしなさい!!」 雷に打たれたように、ルイズの怒声を耳にした生徒達の中の、全水系統の者達が全力疾走でDの元へと駆け寄った。彼らもまた美の奉仕者へと変わったのだ。 押しあいへしあい、我先にこの美しい方の傷を癒さんと杖を伸ばす生徒達のど真ん中で、ルイズは憎悪の視線さえ向けられながらぐいぐいと遠慮なく体を押されていたが、それに負ける事無く、ひたむきな視線を倒れ伏したDへと向けていた。 敬虔な信徒、忠義に熱い騎士、一途な恋に身を焦がす少女、その全てに似て非なる視線であった。だが、Dの身を案ずるという一点においてその全てと共通していた。 ルイズにとって二番目の姉の体を案ずるのと同じくらいに、今、Dの怪我の治癒に対して心を砕いていたのだ。 流石に教師としての面目を思い出したのか、コルベールが最も早く正気に戻り、Dの傷が癒えた頃を見計らって、生徒達に戻るよう声をかける。途端にこれまでの人生で浴びせられた事の無い程の、怒涛の殺気がコルベールの全身を呑みこんだ。 途方もなく巨大な蛇に飲み込まれてしまったように、コルベールは恐怖に身を竦ませた。美への奉仕を邪魔する者に制裁を、この一念で水系統の魔法学院生徒達はコルベールを睨みつけたのだ。 とても実戦経験の無い生徒達が放つとは思えぬ殺気を浴びてコルベールの毛根は死んでゆく。はらはらと抜け落ちる自身の毛髪には気付かず、なんとか心胆に力を込めて生徒達に声をかけ直す。 「こ、これで使い魔召喚の儀は終わりですぞ! 急いで学院に戻りなさい!」 ゆらゆらと立ち上がる生徒達は、まるで冥界から生ある者を恨みながら黄泉返った死者の様に恐ろしくコルベールの眼に映る。チビりかけるが、かろうじてこらえる。教師としての威厳や年長者としての自尊心を動員し、なんとか成功した。 傍らを過ぎる度に水系統生徒達に血走った眼を向けられて、コルベールは保健室で胃薬を貰おうと決心した。その他の系統の生徒達も、頬を薔薇色に染めながら、失神したクラスメート達を抱えて、学院へと戻り始めた。 美の衝撃は抜けず、人間に空を飛ぶ事を約束するフライの魔法を唱える事の出来た者は一人もおらず、全員が自分の足で使い魔を連れて戻っていった。他の生徒達がいなくなった草原に、倒れたままのDと共に残っていたルイズに、コルベールが声をかけた。 「さ、ミス・ヴァリエール、保健室にその方を運びますぞ。契約はそちらが目を覚まされてから事情を説明した上で、でよろしいですかな? 古今人間を使い魔にした例はありませんが、神聖な使い魔召喚の儀式においてやり直しは認められませんからな」 「あの、でも、ミスタ・コルベール」 雨に打たれる子犬の様に弱々しく、ルイズはそのまま泣き出しそうな顔で、上目使いにコルベールを見た。赤く染まった頬に潤んだ瞳は、誰もがこの小さな少女を守ってあげなければならないと思わせるほど儚く、可憐だった。 「なんですかな?」 「わたしなんかが、この人を使い魔にするなんて事があって良いのでしょうか?」 「うむ、それは、まあその青年が目を覚まされてからの話と言う事で」 と、コルベールは逃げた。彼自身、このような使い魔が召喚されるなど想像だにしていなかったのだ。メイジに相応しいと思える使い魔が召喚される場面は何度も見てきたが、使い魔に相応しいかどうかと、メイジの方を疑ったのは初めての経験だった。 その後、コルベールが対象物を浮かび上がらせるレビテーションの魔法を掛けてDを保健室まで運んだ。 旅人帽と長剣、ロングコートを脱がし、腰に巻かれた戦闘用ベルトを括りつけられたパウチごと外して清潔なベッドに寝かせたDを、傍らでぽけっとルイズは見つめていた。完全無欠に心ここに在らずである。 気を絶やして眠りの世界に陥った青年の横顔を、宝物を眺めて一日を過ごす子供の様にして見ているのだ。 この時、ルイズは生涯でもっとも幸福であった。この時を一分一秒でも長く過ごす為にか、ルイズの体は身体機能を調節する術を覚え、保健室に運びこんでからの数時間、手洗いに一度とて行く事もなく、また睡魔に襲われる事もなかった。 自分の膝に肘を着けて、細い顎にほっそりとした指を添えて、うっとりと、うっとりと見つめていた。このまま食を断ち、眠りを忘れて命を失い、骸骨に変わろうとも何の後悔もなくルイズは見続けるだろう。 ルイズとD。ただ二人だけの世界は、この上なく美しく輝いていた。ちなみに保険医の水メイジの先生は、Dの美貌を目の当たりにして瞬時に気を失い、Dの隣のベッドで笑みを浮かべながら眠っている。 固く瞼を閉ざし、浅い呼吸は時に目の前の青年が既に息をしていないのではないかとルイズの胸に不安の種を植え付け、それが芽吹くたびにルイズは、震える指を青年の花の前にかざし、本当にかすかな吐息を確認する。 Dの吐息を浴びた指が、そのまま宝石に変わってしまいそうでルイズは頬をだらしなく緩めた。 一見すれば気が触れたとしか思えないうっとり具合であったが、その原因が桁はずれの説得力を有する外見の為、今のルイズをからかう資格のある者はこのトリステイン魔法学院には誰一人としていなかった。 はあ、とルイズは切ない溜息をついた。もう切なすぎてそのまま死んでしまうんじゃないかしら、私? と本人が思うほど切ないのである。憂いも愁い患いもルイズの心の杯をいっぱいに満たし、溢れんとしている。 それは、ルイズがこれから行うかもしれない使い魔との契約の儀が理由だった。召喚した使い魔との契約――それは粘膜の接触、すなわち口と口での接吻であった。 通常動物や幻獣の類が召喚される為、この接吻は誰とてキスの一つには数えぬものだが、ルイズの場合は相手が相手であった。 『ここここここの、くく、唇に、キキキキキィイイイイイッススススススゥをしなけれなならないのかしら? わわわわたしししし!? ふぁ、ファーストキッスにかかか、カウントすべきよね! ね!!』 とまあ、こんな具合に愁いを帯びた深窓の令嬢の雰囲気とは裏腹に、ルイズの内心はいい感じに茹だっていた。タコを放り込めばコンマ一秒で真っ赤っかになるだろう。実にホット。地獄で罪人を煮込む釜並みにぼこぼこと沸騰しているに違いない。 はあ、とそのまま雪の結晶になって落ちて砕けてしまいそうな溜息が、ルイズの唇から零れる。これまでルイズに目向きもしなかった同級生達も、はっと息を飲みそうなほどに麗しい。 可憐、と言う言葉を物質にできたならまさに今のルイズほど似合う少女は居なかったろう。 つい見惚れて、ふらふら~っと誘蛾灯に誘われる蛾よろしく――蛾、というのはいささかルイズに失礼かもしれないが――、ルイズは思わず目を細めて唇を突き出し、Dの唇へと引き寄せられる。 二人の唇の間に引力が存在するかのように、夢見る顔でルイズの頭が眠りの世界の魔王子となっているDの頭に重なる。 『横にズレなし、後は縦に落ちるだけよ、ルイズ!』 さあ、さあ、ぶちゅっと一発! とルイズは平民の様な伝法な声で自分を励ます自分の声を聞いていた。心の中の鼓膜が盛大に揺れる。それを、絞り粕の様に残っていたルイズの理性が留めた。 いくらなんでも眠っている殿方の唇を奪うなど、婦人に夜這いを掛ける殿方よりも、よほど卑しくはしたないではないか、と誇り高いトリステイン貴族でもとりわけ格式も誇りも高いヴァリエール家に生まれたルイズの気高さが、反攻の狼煙を上げたのだ。 『でもこの唇に、キ、キスできるのよ?』 はう、と声を上げてルイズは自分の小ぶりな胸を押さえて背を逸らした。残り数センチで重なった唇は、遠く離れる。反攻の狼煙は一瞬で踏み潰された。 重なる唇。触れ合う唇。融け合う唇。 私と、この青年の、唇が、こう、ちゅう、とくくく、くっつく!? かは、と息を吐いてルイズは自分の体を抱きしめた。やばい、非常にやばい。このまま心臓の鼓動が激しくなりすぎて破裂しそうだ。 ルイズはそのまま燃え上がりそうなほど過熱してゆく体温を感じていた。年相応に豊かなルイズの想像力が、重なり合う二つの唇を思い描いて脳の許容量を突破し、ルイズの理性を粉微塵にした。 『もう、悩んでないでぶちゅっといっちゃえば? べ、別に私だって好きでこんなはしたない真似するんじゃないわ。だ、だって使い魔を呼び出せなきゃ進級できないし、そしたらお父様やお母さまに恥をかかせることにもなるし。 ……ね、だからキスするのは仕方のないことなのよ。し、し、仕方なくああ、貴方とキスするんだから、そこの所を誤解しないでよね! 仕方なくよ、仕方なく何だから!』 と、この上ない至福の笑みを浮かべて契約の呪文を唱える。一秒が数十年にも感じられる中、呪文を唱え終えたルイズはすう、と息を吸った。なだらかな丘のラインを描く胸がかすかに膨らむ。 お父様、お母様、ルイズは女になります―― 「いざあああああああああ!!!!!!」 と、豪胆な戦国武将さながらに反らしていた背を勢いよく振りかぶった。割とアレな子らしい。アレとはなんぞや? と言われた、まあ、頭のネジの締め方が緩いとか、数本外れているとか、そーいう意味でだ。 そんな時、気迫が何らかの獣の形を取って咆哮を挙げている姿を幻視するほどのルイズが、どん、と背中を押された。 へ? とルイズがぽかん、とする間もなかった。コルベールに頼まれてDの世話をしにきたメイドがルイズの背を押した張本人だった。 怪我人でも摂れるようにと軽めの食事を乗せた銀盆を手にやって来たのだが、ベッドの中の眠り姫ならぬ眠り吸血鬼ハンターに心奪われ、夢遊病者の様に歩み、ルイズと激突したらしかった。 そして自分のタイミングを逸したルイズは、え、まだ心の準備が、と今さらな事を呟きながらD目掛けて落下し、やがて ぶちゅうううう という音がした。 Dが目を覚ましたのは、そのぶちゅう、という乙女のロマンもへったくれもないキスをルイズがかました直後である。 左手に刻まれる使い魔のルーンの熱と、痛みが、暗黒の淵に落ちていたDの意識を浮上させたのだ。 とうのルイズはもっと、もっとこうロマンと言うかムードのあるキスがああああああ、となまじキスが成功した所為で、現実のキスとの落差にショックを隠しきれず頭を抱えていた。 一方で、ルイズに望まぬ形でのキスを行わせた張本人たるメイドは、目の前で行われた美青年とルイズのキスの光景に、気を失って保健室の床に伸びていた。 ま、無理もない。この世ならぬ美とこの世の範疇に収まる美の接触を目の当たりにした事は、メイドの少女にとって直視に耐えうるレベルを超えた現象だったのである。 もはや兵器と呼んでも差し支えないのではないかと言う、冗談じみたDの美貌であった。頭を抱えてうんうん唸るルイズは、やがてDの視線に気づきはっと顔をあげ、Dの視線とルイズの瞳が交差した。 ひゃん、とルイズの喉の奥から仔猫の様な泣き声が一つ漏れて、腰砕けになる。かろうじて椅子から落ちなかったのは幸運といえただろう。 開かれたDの瞳に宿る感情を読み取る事は、どれだけ人生経験の豊かなものでも不可能だろう。およそ人間とは様々な意味で縁の遠い青年なのだ。その時の流れを忘れた堅牢な肉体も、その氷と鋼鉄でできた精神も。 Dはルイズの様子に注意を払うでもなく無造作に上半身を起こし、枕元に置かれていた旅人帽とロングコート、長剣を身につける。それから、至福の笑みを浮かべたまま器用に気絶しているルイズを見た。 床で伸びている黒髪のメイドにはそれこそ一瞥をくれる事もなく、ルイズの額へとDは左手を伸ばした。その左掌の表面がもごもごと波打つや、小さな老人の顔が浮かび上がったではないか。 皺と見間違えてしまうような、糸のように細い眼。米粒を植えた様に小さな歯。こんもりと盛り上がった鉤鼻。驚くほど年を取った老人の人面疽であった。この青年は自らの左手に独立した意思を持った老人を宿しているのだ。 表に出た老人の顔が口を開いた。 「やれやれ、九死に一生かと思えばとんでもない所に来てしまったのう。お前も気付いとるだろうが、ここは“辺境”区ではないかもしれんぞ」 答える声はなく、Dの左手はルイズの額に触れて、老人の唇から目に見えぬ何かがルイズの体内へと流れ込んだ。まるで氷水を直接頭蓋骨に流し込まれたような冷たい感触に、ルイズの意識が急速に覚醒した。 はっと眼を開き、自分の額から離れて行くDの左手に、皺の集合体の様な老人の顔が浮かんでいるように見え、驚きに目を見張った。老人の顔は、ひどく意地悪げに笑っていたのだ。 「あ、あの」 「ここはどこだ?」 こちらの問いの答えしか聞かぬと冷たく告げるDの声に、ルイズの蕩けていた心が強張った。目の前の青年が、美しいだけの人間ではないと悟ったからだ。不用意な言葉の一つが、自分の首を刎ねる理由になる。 それほどの、抜き身の刃と例えるも生温い心根の主なのだと悟った。美貌に囚われた心は、今や眼前の青年が死の塊なのだと知り恐怖に怯えた。 「ここは、トリステイン魔法学院よ」 これほど落ち着いた声を出せた事が、ルイズには不思議だった。心当たりがなかったのか、二秒ほど間をおいてDが質問を重ねた。 「ほかの地名は?」 「……ハルケギニア大陸、トリステイン、ゲルマニア、ガリア、アルビオン、ロマリア。主だった国や地方の名前だけど……」 「おれがここにいる理由は?」 来た、とルイズは思った。自分が目の前の青年に殺されるとしたら、コレだろうと覚悟していた。 ルイズは何が嬉しくて使い魔の契約で命の覚悟をしなければならないのかと、自らの不運を呪ったが、うまく行けばこの超絶美青年が使い魔である。 着替えさせて、と命じるルイズ。返事はないがもくもくとルイズの服を脱がして新しい服を身につけさせるD。 食事よ、と食堂に来たルイズの為に椅子を引き、腰かけたルイズにうやうやしく給仕をするD。 寝るわ、とととと、特別に私のベッドで寝てもいいわ。勘違いしないでね、藁を敷いた床で眠らせるのがちょっと可哀想だから、特別なんだからね! 普通の貴族だったら、こ、こんなこと許してくれないのよ。 私の優しさに感謝してよね、だだ、だから、ほら、早く入んなさいってば! いいこと、同じベッドで寝てもいいけど、指一本でも、私に触ったらダメなんだから! そういうのは結婚してから、結婚しても、三ヶ月はダメなんだから! ……で、でもどうしてもって言うんなら、ちょっとだけ許してあげない事もない事もないのよ? ど、どうしてもって言うならよ! ちょ、さ触ったらダメって、始祖ブリミルも、お父様もお母様もお許しに、や、ご、強引なんだから……あ、あぁ…………。 でへへ、とルイズはにやけた唇の端から涎を垂らしていた。何が引き金になって首をはねられるか分からないこの状況で、かような妄想に浸れる辺り、やはりルイズはかなりアレな子であった。可哀想な意味で。 そのルイズの様子を九割呆れ、一割感心した様子で眺めていた左手が感想を零した。 「お前を前にして、なんというか、度胸のあるガキじゃな」 「…………」 ルイズのようなタイプは珍しいのか、Dは沈黙していた。毒気を抜かれたか、肌の内側に滞留していた鬼気を小さなものに変えていた。それでもルイズか周囲に敵意を感じ取れば、レーザーよりも早いと謳われた抜き打ちが放たれるのは間違いない。 二人(?)の痛いモノを見る視線に気づいたのか、ルイズは頬を恥ずかしさで赤く染めて、もじもじと床の一点を見つめた。そうしているだけなら神がかった可愛らしさなのだが、常軌を逸した妄想に浸った直後の姿なので魅力も万分の一であった。 それから、流石に下手をしたら自分が殺されかねない状況を思い出したのか、若干手遅れな気もするシリアスな顔をした。 「少し長い話になるけど、いいかしら?」 Dは黙って頷き、先を促した。意を決したルイズの唇が開く。淡い桜色に染めた珊瑚細工の様な唇は、死を覚悟する事で一層美しさを増していた。 「私、貴方使イ魔呼ンダ。私、貴方ノ主人」 びびって片言だった。しかも省きも省いたりな内容だ。ルイズ、ここ一番で空気の読めない子であった。 だってホントの事言ったらどうなるか分からないんだもん、怖いんだもん、女の子だもん、とルイズは心の中でマジ泣きしていた。 「短いわい」 「なに、その声?」 自分の口調は棚に上げて、ルイズは聞こえてきた老人の声に眉を寄せる。若者の張りの中に鋼の響きと錆を孕んでいたDの声とは、聞き間違えようの無い声である。これは無論Dの左手に宿る老人だ。 ルイズの疑惑に答えはせず、今度は影を帯びた青年の風貌に相応しい声がルイズの心臓を射抜いた。 「きちんと答えろ」 「ひう、は、はい。実は……」 ルイズは一言ごとに自分が死刑台への階段を踏んでいるようで、まるで生きた心地がしなかった。かといって下手に誤魔化しを口にしようものなら、その場で体を真っ二つにされかねないのだから、選択肢など元からない。 ルイズは、はやくもこの使い魔を召喚した事を後悔しつつあった。 ――あ、なんか胃に穴が開きそう。 なんとか、ルイズがDを召喚した事実を伝え終えたとき、 ルイズは自分の髪が全部白髪になっているではないかと疑ったほどだ。 Dは開口一番、 「戻る方法は?」 「わ、わからないわ。普通、人間が呼び出されることなんてないから、そのまま使い魔として扱うし、使い魔の契約は使い魔が死なない限りは解除されないのよ」 「では、契約者が死んだ時は?」 「そ、それは」 見る見るうちにルイズの血色のよい顔から抜けて行く血の気。瞬く間に顔色を死人の色へと変えたルイズは、目の前の青年が必要とあれば殺す事も厭わないのだと、悟った。 ――あ、私死んだ。これは殺されるわ。 死への恐怖に涙をぽろぽろ流し始めてしゃくりあげるルイズを見てから、Dは無言で立ち上がった。びくり、とルイズの小柄な体が跳ねた。えう、と嗚咽を漏らし、せめて痛くないと良いな、優しくしてくれるかしら? と思いながら眼を閉じた。 何にも出来ずに終わる。ずっと馬鹿にされて、ずっと憐れまれて、ずっと悲しませて、ずっと失望させ続けてきた人生が、今、自分が呼び出した使い魔によって幕を引く。それはそれで、ゼロの自分には相応しいと思えた。 ぎゅ~と眉を寄せて瞼を閉じていたルイズに、Dの声が届く。 「この学院の責任者の所へ案内してもらおう」 「……え? あ、あの私を殺……」 「早くしろ」 「はは、はい!」 背に鉄筋でも通したみたいにあわあわと立ち上がり、ルイズはDを魔法学院の最高責任者オールド・オスマンの所へ案内すべく動き始めた。生命が助かった安堵も、新たな緊張に即刻引き締められ、ちっとも気が楽にならない。 ルイズがきびきびとドアを開けて歩きはじめてからその後を追うDに、左手からこんな声が聞こえてきた。 「お前にしてはずいぶん優しい反応じゃな。左手の甲に浮かんでいるルーンから精神干渉がさっきから来とるが、この程度で靡くようなやわな心でもあるまいに」 寝ている間にルイズによって交わされた契約によって刻まれた左手のルーン。一般に人間との意思疎通が難しい幻獣や動物の類を、主人に従順に従う存在に変える為に、使い魔のルーンには使い魔の知能向上のほかに親しみや忠誠心を抱かせる効能もある。 最終的には思考が主人と同一化するという、ある種と残酷極まりない洗脳効果もあるのだが、Dも過去に都市の住人全員を千分の一秒で発狂死させる精神攻撃を破った男、そう簡単に心は操れぬようだ。 「ずいぶん遠くに招かれたようなのでな」 「衣食住と情報源の確保か。しかし、青色と紅色の親子月か。貴族の手が伸びた外宇宙にもこんな衛星の記録はなかったわい。となるとさらに外側の宇宙か、別次元か。やれやれ、厄介なのは毎度の事じゃが、今回はいつにもまして面倒じゃわい」 Dの視線は、廊下の窓から覗く蒼と紅の二つの月を見つめていた。 そして学院長室にルイズとDは到着し、まだ執務中だったオールド・オスマンに会う事が出来た。 オールド・オスマンは齢三百歳を超えるトリステイン最強のメイジ、と謳われる事もある大御所なのだが、入学式の時にフライを唱え損ねて死に掛けたのを目の当たりにした事があるから、ルイズはさほど尊敬できずにいる。 ノックの音から間もなくオスマンから入室の許可がお降りた。夜中にアポイントを取らずの急な訪問であったが、オスマンの返答は穏やかな声だったので、ルイズは少し安堵した。 扉を開いた向こうには、白く変わった髪とひげを長く伸ばし、ゆったりとしたローブに身を包んだオールド・オスマンが椅子に腰かけて待っていた。動かしていた羽根ペンを止めて、入室者を見つめる。 「このような時間になんの様じゃね? ミス・ヴァリエールと…………」 ルイズの傍らに立つDを見て、机の上でクッキーをかじっていたネズミの使い魔ソートモグニル共々ぽかん、と口を開けて固まる。 自分の使い魔に対する反応に、ルイズは奇妙な優越感を感じてかすかに口元を緩めた。自分も同じ目に遭っていたのだが、それが他人も同様と知って嬉しいらしい。 たっぷりと一分かけてオスマンが現実世界に復帰してから、Dが一歩前に出て口を開いた。オスマンも、Dの体からかすかに立ち上る尋常ならざる気配を前に、二度と我を失う様子はなく、生ける伝説に相応しい威厳でDと対峙した。 そうそうに用件を口にし、使い魔の契約の解除とも元いた場所への返還手段を訪ねた。オスマンは長いひげをしごきながら黙ってDの話を聞いていた。使い魔の契約を解除してくれ、などと使い魔の側から言われたのは初めての事だろう。 「おれはある男を捜さねばならん」 「ふう、む。しかし君には悪いが使い魔を帰す魔法はわしの知る限り存在せんのじゃよ。君の事情とやらもなにかただ事ではないと分かるが、帰してやろうにも帰し方が分からぬのじゃ。 どうじゃね? ミス・ヴァリエールの使い魔が不満と言うなら、護衛の傭兵と言う触れ込みでしばらく暮らしてみては? 住めば都と言うてなあ、君ほど美しければ嫁さんもいくらでも……」 と、そこまで諭すように口を開いていたオスマンの口を止めたのは、Dの気配に死神の携える鎌を思わせる冷酷なモノが混じっていたからだ。これまでの人生で多くの大剣をしてきたオスマンからしても、一瞬死を覚悟せざるをえぬ鬼気。 それを止めたのは二人のやり取りを見守っていたルイズだった。 「やめて! 貴方を呼んだのは私よ。私が召喚した所為で貴方に迷惑をかけたというのなら、私が償うわ。ここには大陸中の魔法関係の書物を集めた図書室もあるから、情報もたくさんあるわ。 貴方の食事とかの世話も私の責任で見ます。貴方を元の場所に帰す方法も探します。怒りが収まらないというのなら私を斬っても構わない。だから!」 一人の少女の懇願をどう受け取ったか、Dはしばし自分をまっすぐ見つめるルイズを見返していた。左手のルーンがかすかに輝いていたが、それはDの心に影響を及ぼす事がないのは、すでに明かされている。 「口にしたからには守ってもらうぞ」 「はい。貴族の誇りに掛けて」 ルイズの口にした貴族と言う言葉に、Dはかすかに苦笑めいた影を這わせたが、それをルイズやオスマンに悟らせる間もなく消し去り、踵を返した。 どうやら矛を収めてくれたらしい、とルイズとオスマンが気づいたのは、Dが院長室の扉に手を駆けた時だった。 「ま、待って。ええっと……」 「Dだ」 「あ、ディ、D? Dが貴方の名前なの?」 「そうなるな」 ようやく使い魔都の名前を知る事が出来た事の喜びに弾むルイズの声が、二人の主従共々消えてから、オスマンは深く長い溜息をそろそろと吐き出した。一気に何十歳分も年を取ったような気分であった。 「なんとまあ、ミス・ヴァリエールはとんでもないものを召喚したものじゃ。まだこちらの言い分を聞いてくれるから救いが無いわけではないが。こりゃ『転校生』を呼ぶ事も視野に入れた方がいいかの?」 オールド・オスマンの呟きは知らず、Dとルイズは再びルイズの部屋に戻り、緊張に満たされた世界で対峙していた。 ルイズはベッドの上に、Dは窓際に背を預けて腕を組み、黙って目を閉ざしている。部屋に戻って以来言葉の一つもない。シーツをぎゅっと握り締めてもじもじしていたルイズが、何度目になるか分からない覚悟を決めて口を開いた。 「あ、あの」 「……」 「えっと、D? あのね、一応使い魔の役割を説明しようとおもんだけど」 「……」 「い、いい? まず主人の目となり耳となって、視覚や聴覚を共有するのだけど」 Dの首がほんとうにかすかに横に振られた。まあ、確かに同じものは見えていないので、ルイズも同意する。今の所Dの導火線に着火するような真似はしないで済んでいるようだ。早く終わらせないと私の神経が持たない、と判断したルイズは一気にまくし立てた。 「あとは秘薬なんかを探してきたりするの。ポーションやマジックアイテムの作成の時に必要だから。それと特にこれが重要なんだけど主人の身を守る事、これ、これ大切よ」 「世話になる間は君の身は守ろう」 「ほ、ほんと?」 「嘘を言っても仕方あるまい。だが、おれを帰す魔法の調査は約束通り行ってもらおう」 「は、はい!」 「もう眠れ。明日は授業なのだろう?」 「そう、だけど」 「なんだ?」 そんなまともな事を言われるとは思わなかった、と口にする勇気はルイズにはなかった。ぶんぶんと壊れた人形みたいに何度も首を縦に振る。 雰囲気はやたらと怖いけど、わりとまとも? とルイズは一縷の希望に縋る様な感想を抱いた。そうだったらいいなーというかそうであって欲しいなー、と痛切に願う。 ルイズはもう色々と疲れすぎて着替えるのが面倒になってしまい、そのままベッドに倒れて眠ってしまった。 Dは、その様子を黙って見守っていた。 前ページ次ページゼロの魔王伝