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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【奥やんばる路線バスの旅】 第3話)漁船に同乗:定置網漁見学ツアー 《沖縄旅行記|やんばる|国頭村|大宜味村|辺土名|安田|名護|》 旅立つ前にネットで情報を調べていたら、やんばるの漁港で定置網漁見学ツアーがあることを見つけた。国頭村(くにがみそん)の東海岸にある安田(あだ)漁港から朝出港する漁船に同乗するツアーで、値段も一人当たり2500円とリーズナブルである。 安田(あだ)漁港 興味深い体験ではあるものの最小敢行人数が2名からとなっており、一人旅のオイラとしてはネックであった。だがめったに体験できないアクティビィティなので「割増料金でも構わないから一人参加できないか」と打診メールを送ってみた。 どうせダメだろうと思っていたら数日後「今回特別にお受けします」との返事が届いた。しかも通常料金でよいというから、まったくありがたい話だ このツアーは漁師の仕事に同乗させてもらうものであり、実施されるのは魚のセリが行われる平日のみ。年末年始やゴールデンウィークなど旅行者が旅しやすい時期はやっていない。今回は飛び石連休をうまく活用して、祝日の間にある平日でブッキングできたのもラッキーであった。 わざわざ安田(あだ)に宿をとったのはこのツアーに参加するためだった。 「明日は予定通り実施されます」 開催日前日、担当者から連絡が入った。自然が相手なので天候次第でキャンセルとなってしまう。予約が入ったからといっても体験できるか確約されないのだ。ちなみに後から聞いた話では先月・10月は天候不順などが続いて実際にツアーが実施されたのは僅か一回だけだったとのこと。実行されること自体非常にラッキーなのだ。 朝7時45分に受付を済ませ、漁船に乗り込む。 ちなみにこのツアーをアレンジしているのは、水族館に魚を卸す仕事を請け負っている会社で、あの美ら海水族館の魚も扱っているとのこと。鑑賞魚を仕入れる関係で各地の漁港とコネがあり、このようなツアーも始めたそうだ。 定置網漁の漁場に向かう漁船 少しうねりがあるが20分ほどで定置網漁の漁場に着く。定置網には目印のブイが付いており、目視でもここに網があるということはわかる。だが、 「漁船用のカーナビみたいなものがあって、どこに定置網が仕掛けてあるかモニターに表示されるんですよ。」 へえ、そんなものがあるとは知らなかった。 定置網は魚を網の奥に誘導する網と、集まった魚をすくいあげる網とに別れている。魚は網に沿って泳いでいく習性があるので、潮の流れなどを漁師の長年の経験と勘で読んで網を張り、魚を誘い込む。 定置網 突然、漁師の一人が海の中に飛び込んだ!! 「海の中に入っちゃうんですね」 「今日は潮の流れが早くて船上から網を引っ掛けられないので、人が潜って網を引っ掛けます」 船の漁でも人が海に入ることがあるなんて全く知らなかったので、驚きだ。 人が潜って網を引っ掛ける 「だんだんを網を絞り込んでいきますよ」 ウィンチを使って網が少しずつ絞り込まれていく。だが絞り込まれても魚影は一向に見えない。果たしてこんなんで魚は取れるのだろうか? 「今日はちょっと魚が少ない感じですね」 少ないと言っても、まだ一匹も見えないじゃないか!! 大丈夫かな? しかし網の絞り込みが進んでいくと、そこには魚影が踊っていた。体長1.5m近いツムブリやシイラ、そして最も多いのがダツである。ダツは鋭いクチバシを持つ細長い魚で、それがもうウジャウジャと超ダツ祭りである。 網が少しずつ絞り込まれていき、やがてそこには魚影が踊りだす それらを船上から巨大なタモ網ですくい上げる。漁師が海に飛び込み、魚を掴んでタモ網に入れサポートする。船上に上がった魚は痛まないうちにすぐその場で活〆にする。巨大なマットレスの上に魚を並べ、金槌で脳天を一撃、そしてすぐに切り込みを入れ流水をかけ血抜きをする。 「さあ、もう港に戻りましょうか」 巻き上げた定置網を海に元に戻し、船は港に引き返す。だが漁師の仕事は終わらない。船上でひたすら取れた魚の処理をする。ダツなどは頭を切り落としその場でハラワタを抜き、流水で洗って何匹もまとめて巨大なビニール袋に詰め、冷凍にする。これらの作業が手際よく一気に行われる。 取れた魚の処理をする漁師たち 港に戻る頃には魚の処理は終わっていた。取れた獲物を製氷車に詰め、セリの行われる漁港に運ぶのだと言う。 出港から港に戻るまで約2時間。短い時間ではあったが、定置網漁見学ツアーはめったに見ることのできないことを体験できる貴重なツアーであった。 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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日本以外で唯一海女さんが存在する韓国・済州島。その豊かな漁場に恵まれた海鮮王国を巡る旅はオイシイことばかり、とは行かなかった!! [韓国旅行記|済州チェジュ|西帰浦ソギッポ|城山ソンサン|始興シフン|城邑ソンウプ|] 韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 韓 国 韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 【海鮮王国・済州を行く】 =目次= |韓国旅行記|済州チェジュ|西帰浦ソギッポ|城山ソンサン|始興シフン|城邑ソンウプ| 日本以外で唯一海女さんが存在する韓国・済州島。その豊かな漁場に恵まれた海鮮王国を巡る旅はオイシイことばかり、とは行かなかった!! 第1話)ウォシュレットの洗礼 に進む(韓国・西帰浦(ソギッポ)) 第2話)世界遺産を食べる!? に進む(韓国・城山(ソンサン)) 第3話)舌は天国、胃は地獄 に進む(韓国・始興(シフン)) 第4話)サンマ1匹巻いたらはみ出ちゃいました寿司!! に進む(韓国・西帰浦(ソギッポ)) 第5話)SAMSUNG帝国の陰謀 に進む(韓国・済州(チェジュ)) 第6話)済州人の密やかな楽しみ に進む(韓国・済州(チェジュ)) 第7話)VIP待遇 に進む(韓国・済州(チェジュ)・釜山(プサン)) ルートマップ 西帰浦 済州 城邑 始興 城山 大きな地図で見る 旅行時期:2012年5月 北 東 ア ジ ア なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 韓 国 韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 【海峡を越えて―韓国短期旅行】 第1話)人は16,000円で韓国旅行に行けるのか? |韓国旅行記|関釜フェリー|釜山プサン|大邱テグ|ソウル| 細かい理由は省くが、何故か手許にN航空「ソウル⇒東京」の片道無料航空券が残っていた。「ソウル⇒東京」の片道なので、もちろん東京からは使えない。このまま使わなくてもいいのだが、なんか勿体ないな~。何とか「東京⇒ソウル」が安く済めば使えるんだけど、、、 7月頃なんとなくそんなことを考えつつ情報を集めていたら、福岡⇒ソウルをフェリーと電車で行けば約9,000円で済むことが分かった。東京⇒福岡なら激安スカイマーク7,000円(2ヶ月前早割)がある! つまり 東京⇒福岡 7,000円(スカイマーク) +福岡⇒ソウル 9,000円(フェリーと電車) +ソウル⇒東京 無料航空券(N航空) ------------------ =合計 16,000円 おお!合計16,000円で海外旅行に行ける! よし激安韓国旅行実行だ。9月の中旬なら休暇も少しとれそうだし。。。 7月、こう決心した僕は東京⇒福岡の激安券を予約(実際はJALバーゲンフェアで8,800円だったが、、)。2ヶ月後の9月を目指して、夏の間、蟻のように働いて出発の日を待った。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ さて、出発まで一週間を切った9月11日、衝撃の米国同時多発テロが発生。米国内の飛行機は全て運行が停止されてしまった。 なんでこんな時にやってくれるのかいな!! にわかに僕の韓国行きが怪しくなった。帰国便が気になった僕はN航空に電話する。 僕 :「ソウル東京間は、アメリカじゃないから飛んでますよね。」 N航空:「弊社の便は全世界で運行を停止しております。」 僕 :「はぁ?」 N航空:「再開のメドは立っておりません」 僕 :「・・・・」 こっ、これでは帰国のタダ券が利用ができない! 出発1週間前では他の格安券も手配できないじゃないかぁ~。 こうして泣く泣く約3万円もする高い片道ノーマル航空券を予約することとなってしまった。世の中、思いどおりには行かないものだ。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【陸路で水路でアンコールを目指せ!!】 第1話)国境を越えると、そこは混沌の国であった 《カンボジア旅行記|ポイペト|バッタンバン|シェムリアップ|プレアヴィヒア|》 朝7時、カンボジア国境開門の時刻に合わせ、タイ側の国境の街アランヤプラテートの宿を出る。 今回の旅はタイから陸路でカンボジアに向かい、その変化を楽しむのがテーマだ。既に前日に首都バンコクからの移動を済ませ、ここからカンボジアの旅が始まる。 アランヤプラテートの街から国境まで約6kmの道のりはトゥクトゥクで100バーツ。15分ほどで国境ゲートに到着すると、そこは国境を越えてタイ側に"出勤"してくるカンボジア人たちでごった返していた。荷物を満載したリアカーで渋滞が生じているとはビックリ。 国境を越えてタイ側に"出勤"してくるカンボジア人たち タイ側の出国手続きを済ませ、カンボジアとの緩衝地帯に入る。そこには夥しい数のカジノが立ち並んでいた。タイ人は無類の賭け好きにも係わらず国内で賭博が禁じられている。そこで近隣諸国との国境緩衝地帯にカジノが作られるようになったのだが、えっ、でも、 ここ本当に緩衝地帯なのか!! まだカンボジアの入国事務所を過ぎて無いのに、何で露店が立ち並んでいるんだ!! どうしてトゥクトゥクがブンブン走り回っているんだ!! 緩衝地帯なのに、露店は立ち並ぶわ、トゥクトゥクはブンブン走りまわるわ!! そんな混沌とした中を歩いてカンボジア入国手続きを済ませ、100%ピュアなカンボジア領の街ポイペトに入った。そのとたん、そこで待ち受けていたのはカオスそのものであった。 溢れでるバイクの群れ、「タクシー、タクシー」 と絡みつく夥しい客引きたち、 そうこうするうち小雨が降ってきた。木陰で小降りになるのを待ち、国境から1km程離れたバス会社のオフィスを目指して歩く。 実は国境出口にはポイペトのバスターミナル行き無料シャトルバスの乗場がある。だがそれに乗ってターミナルに行くとボッタクリ価格のチケットを買わされる。そんな罠が仕掛けられていることを事前に掴んでいたので、ターミナルには行かず直接バス会社を目指したのだった。 「8 30出発だよ」 見つけたバス会社の親父は、僕の目指すバッタンバン行きの時刻をそう告げた。時間的にも丁度よいので、出発まで事務所前のベンチに座って待つ。そしてほぼ定刻にバンがやってきた。あれ、カンボジアってこんなにキチンとした国なのかと少し驚いたが、何のことはない。このバン、乗客をピックアップし、長距離バスの運行会社まで運ぶための車だった。結局次のバス乗場で1時間程待たされた後、バッタンバン行きのバスは出発した。 バッタンバン行きのバス 道中バスはBGMに怪しげなカンボジアンポップスを流し続ける。どことなく日本の演歌に近い曲調の歌が何曲か流されていたが、ある歌のメロディにオイラは自分の疑った。聞き覚えのある、このメロディ。 「あ~ 長崎は~、今日も 雨だった~ ♪」 まさか自分達の曲が発売50年後に、カンボジア語でカバーされていたとは、クールファイヴの面々もビックリであろう。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】 第8話)ティー&スパイス 《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》 テッカディは観光拠点の街であると同時に、周辺で収穫される香辛料や茶葉の集積地でもあった。街にはスパイスショップが立ち並び、街中一体にカルダモンの芳しい香りが漂っている。 スパイスショップが立ち並ぶテッカディの街 周辺の茶畑やスバイス農家では、観光客向けに農場見学のツアーを行っていると聞いたので、観光案内所で詳細を尋ねてみた。 「4km先にアブラハム・スパイスガーデン、12km先にコネマラ紅茶工場があります。どちらもバスで行けます。先に紅茶工場に行ってから、次にスパイスガーデンに戻ってくるようにすると良いでしょう。」 と的確なアドバイスが帰ってきた。 公営バスで曲がりくねった山道を暫く行くとコネマラ紅茶工場が見えてきた。ここでは1時間ごとに見学ツアーが実施されている。 コネマラ紅茶工場の農園 係員のガイドで、まずは茶畑の中に案内される。 「ご覧ください、これがお茶の木です。そして所々にある背の高い木が何かおわかりになりますか?」 畑の茶の木は日本の茶畑の木と同じように見えるが、点在する背の高いものはいったい何だ? 「あれは胡椒です」 なんと、インドでは茶畑で胡椒も採れてしまうのか、一石二鳥ではないか。 広大な茶畑で収穫された茶葉は、敷地内にある植民地時代から使われている年代ものの工場に運ばれる。工場周辺には茶葉を焙煎する芳ばしい薫りに包まれていた。 「すいません、工場内部は撮影禁止です。」 何、撮影禁止だと!見かけはクラシックだが、実は最新テクノロジーの企業秘密とやらとでもが詰まっているのだろうか。 年代ものの紅茶工場、内部は撮影禁止 しかし、工場内は博物館なみの古い設備がせっせせっせと茶葉を乾燥させ、細かく砕いて、懸命に粉へと仕上げているだけで、企業秘密のカケラも見えない。そもそもこの工場の燃料はローテクな薪だぞ。最新テクノロジーなどあるわけない、何が撮影禁止だ、と思ったら 「皆さん、見学ツアーおつかれ様でした。工場内の様子はこのDVDで見れます。一枚225ルピーです。いかがですか?」 撮影禁止の心はそういうことだったのか。さすがインド人、 商売が上手いね。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 紅茶工場を見学した後、今度はアブラハム・スパイスガーデンに向かった。路線バスの車窓からは、整備された茶畑の連なりが続き、所々にある小さな教会をかすめていく。この辺りはキリスト教徒が多いようだ。 スパイスガーデンのゲートをくぐると小さな民家があった。 「見学したいのですが」 と、民家のおばさんに申し出ると、目の前の細い獣道を登って行けとワイルドなことを言う。 5分程険しい細道を登っていくと、農園主と思われる親父の説明に耳を傾ける観光客の一団に追いついた。農園見学ツアーは既に始まっおり、僕もその一行に加わわらせてもらった。先に訪れたの紅茶工場は企業の経営で、見学ツアーも組織立っていたが、ここのスパイスガーデンは個人農家の運営で、見学もユルい感じだ。 「ほら、これが胡椒の実じゃ。」 「あそこにはカカオがなっとる。」 「足下にあるのはカルダモンじゃ、わかるか。」 アブラハム・スパイスガーデン 素人目には、一見ただの雑草しか生えていない山のように見えたのだが、中に入ってみると、ここは多種多様なスパイスの宝庫であった。この辺りはお金のなる木がウジャウジャだ。 と、ここで今更ながらの歴史的事実を再認識した。ケララの山岳地帯がインド有数の、すなわち世界トップクラスのスパイスの宝庫だったからこそ、大航海時代にヨーロッパ各国はインドを目指したのだったという事実を。 もしケララにスパイスがなかったなら、バスコダガマはインド航路を探索することもなく、コロンブスもアメリカを発見せずに人生を終えていたであろう。ある意味、今日の世界を形作ったのは、ここケララのスパイスだったのだ。 その影響力の大きさを振り返ると、インド山奥の自然の恵みの豊穣さに、改めて驚きを覚えるのであった。 (続く) もどる < 8 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【陸路で水路でアンコールを目指せ!!】 第3話)バッタンバンからの船旅はジャングルクルーズ 《カンボジア旅行記|ポイペト|バッタンバン|シェムリアップ|プレアヴィヒア|》 バッタンバンで一泊した後シェムリアップに向けボートで移動する。この区間はバスなら5ドルで行けるが、ボートだと20ドルもする。しかし川沿い住民の生活が見れてなかなか興味深いという話を聞いたので、奮発して船旅を選択してみた。 ボートの出発は朝の7 00。前日に切符を購入した旅行会社のスタッフからは30分前に船着き場に着くようにと言われていたので、早起きをして6 30にボート乗り場に来てみるのだが、おかしい!! 他の乗客が誰もいない。チケット売り場のブースまで閉まっているし、そもそも船着き場にはボートがない。 ボート乗り場はチケット売り場のブースまで閉まっている しばし不安にかられていたが、三々五々旅行者たちが集まってきた。そして、そこに一台のトラックが止まった。 「シェムリアップ、ボート。カムオン!」 と、荷台に乗るよう促された。要するに今いる所はただの集合地点で、本物のボート乗場は車で10分程川を下った所にあった。 そこに停泊していたそのボートはかなりの年代物だった。果たしてこんな船で大丈夫なのか? ともかく席に付きイザ出発!! 軽やかなエンジン音と共にボートは岸を離れた、んん、否、離れない。船着き場付近は水深が浅すぎていわば座礁している状態だった。そのため船長を始めスタッフが川底に降りて、十分な水深のある位置までボートを押し出すのであった。 ボートはかなりの年代物。スタッフが川底に降りて十分な深さのある位置までボートを押し出す 一旦進みだすとボートは快調に川を下っていった。コーヒー色に濁った水の細かい飛沫を浴びるのが難点ではあるが、川辺の民の生活が垣間見えるのは楽しい。高床式の住居、水上に浮かぶ小学校、漁民が仕掛けた漁の罠。そして時折水牛の群れが僕らを歓迎してくれる。 川辺の民の生活が垣間見えるのは楽しい 途中、右に左に激しく蛇行する区間を通過する。スピードを落としたボートは岸辺の草木をかすめ、時にはぶつかりながら、ゆっくりゆっくりと難所を通過していった。 川の流れはやがて広大なトンレサップ湖に吸い込まれる。僕らの船もこの東南アジア最大の湖の中を進んでいった。 そのうち後方のエンジンが爆音をあげているのに、ちっとも船が進まなくなってしまった。嫌だ!! こんな湖の真ん中で遭難なんてしたくない!! そう悲観していると、船長は船を停め竹竿を持って湖に飛び降りた。何をするんだ、船長!! 気でも狂ったか? そうではなかった。トンレサップ湖は雨季には乾季の何倍も大きくなるという。今は雨季の始まり、つまり最近まで陸だったところも多く水深は浅い。実際のところこの辺りは船長の膝上程度の浅さしかなかった。こんな状態では遭難することはないが、すぐに座礁してしまうのは仕方がない。 湖の深みを探りながらボートの進路を探る乗組員 乗組員たちは竹竿で湖の深みを探りながらボートを押す。そしてエンジンをかける。が、スクリューからは水しぶきでなく、泥の飛沫が撒き散らされるばかり。 やっとのことで浅瀬を脱出し、シェムリアップ側の船着き場に着いたのは午後3時過ぎだった。行ったり止まったりで時間はかかったが、本物のアドベンチャークルーズがたった20ドルで8時間も楽しめたのだと考えればお買い得だったと言えよう。 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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メ キ シ コ に つ い て 調 べ て み る。 メ キ シ コ メ キ シ コ に つ い て 調 べ て み る。 【アミーゴの国を行く・メヒコ旅行記】 第6話)伝統漁法の獲物 《メキシコ旅行記|グアナファト・ケレタロ・モレーリア》 ケレタロを後にして、今度はこれまた世界遺産の街モレーリアにバスで移動する。この街を拠点にして近郊のパツクアロ湖に浮かぶ不思議なハニッツィオ島を訪れてみる。 モレーリアからパツクアロ村まで、ローカルバスに揺られて1時間。さらに村からボート乗場まではミニバンを改造したタクシーバスで約15分。ここからエンジン付きボートで島へ渡る。 ボートには観光客が多く乗船していた。島に住む少数民族の女性も乗り込んで伝統工芸の刺繍に余念がない。程なくボートが動き出すと居合わせたギター楽団4人衆が生演奏を始めた。メヒコはいたるところで音楽にあふれている。それも全て生演奏だ。 渡し舟で営業中の楽団 5分もすると島の全容が見えてきた。島には山頂まで家々がびっしりと張り付いている。島の中で暮らす少数民族の家だ。それにしても、なんだこの島の格好は!山頂には巨大な独立運動の英雄像が建っていて、右手を高々と上げているのだが、その手の上げ方が妙に直線的でウソ臭い。 不思議なハニッツィオ島 島の船着場付近はカフェやらレストランで賑わっていた。ここから山頂の銅像まではちょっとした坂道を登ることになる。さあ気合を入れて登ろう! ハニッツィオ島の食堂にて 狭い坂道の両脇は土産物屋でびっしり。これはどこかで見た風景だな。そうだ、湘南の江ノ島と一緒ではないか、などと思っているうちにちょっと意識が朦朧としてきた。そうそう、この辺は実は標高2000メートル以上ある高地なのだ。酸素が薄いのである。坂道にちょっと息が切れてきたのとあいまって、なんだかボーとしてきた。おや、この土産物屋の人形は妙に大きくてリアルだなと感心したら、それは土産を売ってる民族衣装のおばちゃんだった。なんだか人形と人間の見分けが付かなくなってきた。大丈夫か、僕。 ともかく20分ほどで山頂にたどり着くと意識もクリアになってきた。山頂は公園になっていて、しっかり入場料をとられた。だがそこから一望できる湖の風景はなかなかのものである。まったりとした一時をそこで過ごして、再び坂道を降り、帰りのボートに乗る。 ボートは島をゆっくり離れる。島の周りには地元漁師が伝統漁法の仕掛け網で魚を獲っていた。我々のボートは漁師たちの近くを超スロー運転で近づき観光客にシャッターチャンスを提供すると、もの珍しさも手伝って、シャッターがあちこちで切られ、しばしのフォトセッションが続いた。 パツクアロ湖の漁民 それが一段落すると、今度は漁民たちの手漕ぎ舟がこちらに向けて一斉に近寄って来た。そして手漕ぎ船を我々のボートに接岸し、ついにはこちらのボートに乗り込んで来て、観光客からモデル料を徴収し始めた。そうか!伝統漁法の獲物は魚ではなかったのだ。我々人間こそが獲物だったのだ。もちろんおいらも餌食になったのは言うまでもない。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - モレーリアの街に戻るともう陽は暮れていた。パツクアロ村やハニッツィオ島に比べたらモレーリアは巨大な都市に見える。荘厳なカテドラル前の中央広場は、巨大な屋外ダンス会場となっていた。生バンドの演奏に会わせて、老いも若きもラテンのリズムに合わせて、くるくる回って踊っている。なんかとても平和だ。 夜のモレーリアのカテドラル あ、ちょっとお金が足りなくなってきた。ちょっくらATMでお金を引き出すか。 オープンテラスのレストランが立ち並ぶ目抜き通りにキャッシュディスペンサーのサインが見えた。テラスでは大勢の人々が優雅に食事を楽しんでいた。そのテラスの奥にあるATMのガラス戸を開けようとして、僕はギョッと足が立ちすくんでしまった。 ホームレスが、そのATMブースを住処にして寝ていたのだ。。。 そんなところを寝床にされてはたまったものではないが、わずか5m離れたテラス席にある優雅な時間と、このブースを住処としなければならない人生とを隔てているものとは一体何なのだろうか、、、、 (続く) もどる < 6 > つぎへ .
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沖縄本島より台湾の方が近い与那国島。かつては密貿易で栄え今はカジキ漁の盛んなこの孤島で、旅の最後に神のお告げ?を聞くことになるとは…||与那国島旅行記|久部良|祖納|比川|那覇|| 与 那 国 島 に つ い て 調 べ て み る。 与 那 国 島 与 那 国 島 に つ い て 調 べ て み る。 【神のお告げを聞け-与那国島旅行記】 第7話)与那国島の神の声 ||与那国島旅行記|久部良|祖納|比川|那覇|| 祖納(そない)の民宿の食事は評判通り美味かった。ダイバー・釣り人・自転車で沖縄を回っている人など、目的の違う様々な旅人が一堂に会し、賑やかな夕食であった。 美味しい民宿の食事 さて、与那国滞在も明日の昼まで。午後には那覇にもどらねばならない。せめて最終日くらいは晴天になってくれ。小雨だった今日は、見晴らしのよいティンダハナタの崖の展望台には敢えて登らず、翌日朝の天気に賭けてみた。さぁ明日の快晴を祈って床に就こう。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 果たして翌朝、やったー快晴だ。今日は百円ポンチョ要らないぞ!! と喜んだのもつかの間、予期せぬ不幸が僕を襲った。 グキッー 「痛い!!」 急に足首から痛みが走りだした。いや急ではない。実は昨日、ちょっと足首をひねっていた。どうせ軽い捻挫だろうとそのまま歩き回っていたのがまずかった。 一晩たって、少し急な動きをするだけで激痛が足首からズキッと全身に疾走する。 とてもじゃないが観光なんてしてる余裕はない。せっかくの晴天だがティンダハナタの崖からの見晴らしは断念。それよりも旅程の変更だ。本来なら今日このあと那覇で一泊し明日帰る予定であったが、この状態で荷物を持ち歩いて観光など到底考えられない。 まずは空港に行き、乗継の那覇=東京便を明日から今日に変えてもらい、さっさと帰宅し治療に専念せねば。 しかし、ここで大きな問題が。僕のチケットは原則4日前までしか予定変更ができないものだった。もし当日変更が認められなければ、正規料金を払わねばならない。那覇=東京のノーマル運賃は片道43,000円!!。払えるか! そんな金。 いや待てよ、旅先のケガにかかる費用なら海外旅行傷害保険で請求できるじゃないか? いや待て、海外みたいだが与那国は国内だろ<こら。それにそもそも、そんな保険に加入してないだろ、俺。 などと空港に送ってもらう道すがら、あれこれアホなことを考えるうち与那国空港に到着。 「なんなら車椅子を頼みなさいね」 と民宿のオバちゃんも心配げに見送ってくれた。 不安と共に与那国空港に到着 ここは一つ空港職員さんの心情にいかに訴えるかにかかってくる。杓子定規に「規約」を持ち出されたら勝ち目はない。 僕は痛々しげに、いや演技をしなくても十分痛いのだが、カウンターに向かった。そして、話の分かってくれそうなベテラン職員を探した。すると、いたいた、おそらく地上職員としては日本で最年長ではないかと思える頼もしいオバちゃん職員サマを発見。 その恰幅のよいお姿はいかにも島の人という雰囲気だが、そこにはある種の神々しさまで放っているかのように、そのときの僕には見えた。 「まあ、そういう事情なら特別です。乗継便を変更しましょう」 あ、ありがたや!! もうこのときばかりは制服のボタンがはちきれんばかりに貫禄のあるこのオバちゃん職員サマが、神秘の島・与那国に舞い降りた女神さまに思えた。 これで片道43,000円だの、傷害保険の補償だの、とアホな心配から開放される。よかった~。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 「皆様、当機はただ今、八重山諸島上空を通過しております。」 那覇に向かう機内にパイロットからのアナウンスが流れる。 八重山諸島上空 帰るときになって、南の島は快晴に… 窓の下には珊瑚礁に浮かび上がる島々が見える。素晴らしい快晴だ。しかし、 なんで帰るときになって晴れるのだ。 なんで帰るときになって、ケガぶっこいてるのだ。 「日頃の行いを悔い改めよ」- 与那国の神は僕にそう告げていた。 (FIN) もどる < 7 > 目次へ .
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【壱岐→対馬→釜山=島伝い国境越えの旅】 第4話)ノーナッツ、ノーリターン 《壱岐・対馬・釜山 旅行記|郷ノ浦|勝本|厳原|日田勝|影島・ヨンド》 対馬南部に位置する厳原(イヅハラ)で一泊したのち、いよいよ船で釜山に渡る。と言っても釜山行きの高速ジェット船は厳原からは出航しない。ここから80km程北にある日田勝港から出港する。 その厳原から日田勝までは路線バスが1日4本だけ通っているが、このバスが結構スゴイ。所要時間2時間半、料金が片道3350円もするのだ。路線バスとしてあり得ない距離と時間と値段だ。もっとも、まともに3350円を払う乗客は一人もいない。1日乗り放題券が1000円で売られているで、皆それを使っている。 路線バスとして日本一? 対馬のバス 生憎天気は小雨、バスは山がちな島の縦断道を北上していく。意外にもこのバス、結構多くの乗客が乗り込んでいた。小一時間程走ると、 「まもなく営業所です。ここでトイレ休憩をいたします。」 とバスのアナウンス。途中でトイレ休憩のある路線バスなんて、日本広しと言えどここぐらいであろう。 そこから更にまた小一時間、バスは終点・日田勝に到着。しかし、港というかターミナルというか、船に乗る施設の気配が感じられない。どうしたものかと思っていると、 「港はここから歩いて10分位だよ」 とバス会社の職員が教えてくれた。 10分位位だよと言われた道を10分歩いても港は遥か先だった。少なくとも15分は歩いて、ようやく国際航路のターミナルにたどり着いた。待合室には想像以上に多くの韓国人が帰国の船を待っていた。出国する日本人は僕を含めほんの数名だ。 日田勝港・国際ターミナル 乗船前に用をたし、プレハブ小屋のような出国ゲートを通って、釜山行きの高速船に乗り込んだ。 この高速船には客室乗務員が乗り込んでいた。なかなかの美人乗務員だ。さすが船とはいえ国際線、壱岐や対馬に向かう船とは違うね。 ギュイーン 鋭い回転音を轟かせ、ジェット船は鄙びた日田勝の港を抜け出した。とそのとき、僕は妙な違和感を感じた。いや正確には違和感というよりも、ある種の存在感の欠如を感じたのである。そう、いつも腰のあたりにあるはずの、携帯電話の存在感。 あっ!! しまった、日田勝港のトイレに置き忘れてきた。 しかし気づいた時はもう遅し。船はとっくに港を出てしまった。 この船がサービスで顧客にピーナッツでも配っていれば、韓国人の客室乗務員に「ナッツの配り方がなっとらん!」とリターンを命ずることもできたかも知れない。が、そもそもナッツのサービスなどこの船にはない。ノーナッツ、ノーリターンだ。 釜山行き高速船の船内 どうしたものかと思案にくれていると、例の美人乗務員が近づいてきた。そして自分の携帯を差し出し「話せ」と言っているようだ。 「もしもし」 僕は差し出された電話に問いかける。何か相手も反応しているようだが、声が遠く聞こえない。そうこうするうち高速船は圏外に到達してしまった。 すると美人乗務員さんは「釜山についたらここに電話しろ」と日田勝港の事務所らしき番号のメモをくれた。 どうやら忘れ物を見つけた港の職員が船に連絡をくれたようだが真相はまだ分からない。 釜山港国際ターミナルに到着 釜山港に着くと日田勝の港にすぐさま電話を入れた。有難いことに職員が僕の落とし物を見つけておいてくれていた。着払いで自宅に郵送してもらうよう依頼し、事なきをえる。 いや~、置き忘れたのが日本国内でホントに良かった。海外で紛失したらこうはいかない。 なんとも肝を冷やした日本出国であった。 (続く) もどる < 4 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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【用語名】 ジャン・グルニエ事件 【読み方】 じゃん・ぐるにえじけん 【登場巻】 2巻下 【詳細】 六護式仏蘭西のボルドーで発生した事件。 この事件が起きた結果、歴史再現通り半獣系で食人習性をもつものを"狼藉者(ライカンスロープ)"と呼ぶことが決まった。 フランシス・ドレイクが言及したのみで具体的にどういった事件かは不明。 由来はおそらく毛皮をかぶって子供などを襲ったジャン・グルニエが起こした事件。 人狼伝説の一つとも言われ、それを重ねたものと思われる。 由来と狼藉者に分類される理由を考えると、食人衝動に耐えられず人間を獣人系種族が襲ってしまった事件だろうか。