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雛祭り 雛祭り(ひなまつり)は女の子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事。 時期 和暦(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳)である3月3日(現在の4月頃)に行われていたが、明治6年(1873年)1月1日の改暦以後は一般的にグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なう。しかし一部では引き続き旧暦4月3日に祝うか、新暦3月3日に祝う(東北・北陸など積雪・寒冷地に多い)。旧暦では桃の花が咲く季節になるため「桃の節句」となった。 形式 「男雛」と「女雛」を中心とする人形を飾り、桃の花を飾って、白酒などの飲食を楽しむ節句祭り。本来「内裏雛」とは雛人形の「男雛」と「女雛」の一対を指すが、男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは童謡「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化してしまっている。関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆。三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。 歴史 「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然としないが、その起源はいくつか存在する。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。 江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。その為、自然と華美になり、より贅沢なものへ流れた。 江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。この享保年間、人々の消費を当時の幕府によって規制するため一時的に大型の雛人形が禁止された。しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。 雛人形 「雛人形」は、宮中の殿上人の装束(平安装束)を模している。 種類 * 親王(男雛、女雛)はそれぞれ天皇、皇后をあらわす * 官女(三人官女)は宮中に仕える女官をあらわす、内1人のみお歯黒、眉無し (既婚者を意味するが、生涯独身の女官の場合には年長者という意味であろう) * 五人囃子は能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、それぞれ「太鼓」「大鼓」「小鼓」「笛」「謡」である (能囃子の代わりに5人、又は7人の雅楽の楽人の場合もある) * 随身(ずいじん)の人形は随臣右大臣と左大臣と同時に衛士(えじ)でもある * 仕丁は従者をあらわし、通常3人1組である ※メーカーによっては、以下の追加がある * 三歌人(柿本人麻呂、小野小町、菅原道真) * 能の鶴亀 * 稚児2名 配置 内裏雛や人形の配置に決まりごとはない。しかし壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を人形で模すことがある。中国の唐や日本では古来は「左」が上の位であった。人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で天皇から見ての左側(我々の向かって右)にいる。ちなみに飾り物の「左近の桜、右近の橘」での桜は天皇の左側になり、これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った。しかし明治の文明開化で日本も洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋式に倣い右に立った。それが以降から皇室の伝統になり、近代になってからは昭和天皇は何時も右に立ち香淳皇后が左に並んだ。 それを真似て東京では、男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多くなった。永い歴史のある京都を含む畿内や西日本では、旧くからの伝統を重んじ、現代でも男雛を向かって右に置く家庭が多い。社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」とするが、どちらでも構わないとしている。 飾り方 飾り方にも全国各地で色々あるが、多くはこの三種の飾り方である。しかし、特に飾り方に決まりごとはない。 * 御殿を模しての全部の飾り方(段飾りなどを含む) * 御殿の内の一室を拝しての飾り方 * 屏風を用いて御座所の有り様を拝しての飾り方 さらにはお囃子に使う楽器や、家財道具と牛車などの道具を一緒に飾ることもある。上段の写真にあるような五段、七段(七段飾りは高度経済成長期以降、八段飾りはバブル期以降)の檀飾りが多かったが、最近では部屋の大きさに合わせたり雛人形を出し入れしやすいように段数を減らしたものが主流となっている。戦前までの上方・京都や関西の一部では天皇の御所を模した御殿式の屋形の中に男雛・女雛を飾り、その前の階段や庭に三人官女や五人囃子らを並べ、横に鏡台や茶道具、重箱などの精巧なミニチュアなどを飾っていた。 祭りの日が終わった後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという俗説は昭和初期に作られた迷信である。旧暦の場合、梅雨が間近であるため、早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いやカビが生えるから、というのが理由だとされる。 また、地域によっては「おひな様は春の飾りもの。季節の節できちんと片付ける、などのけじめを持たずにだらしなくしていると嫁の貰い手も現れない」という、躾の意味からもいわれている。 この行事に食べられる食品に菱餅、雛あられ、鯛や蛤の料理(吸い物等)、ちらし寿司があり、地方によっては飲み物として白酒、生菓子の引千切がある。 雛人形の生産地・販売地 割と関東地方に集中した感じはあるが、生産地としては埼玉県のさいたま市岩槻区(以前の埼玉県岩槻市)が有名。また栃木県の佐野市や埼玉県鴻巣市も小規模ながら生産店が存在する。販売に関しては全国の商業施設で販売されているが、集中して軒を連ねるのは、東京都台東区の浅草橋が有名で、「人形の久月」「秀月」「吉徳大光(「顔が命の〜」のCMキャッチコピー)」らの専門店がある。これらの店舗は毎年正月から2月ぐらいにかけテレビCMを流す。ちなみに雛人形と共に手掛ける五月人形も3月3日以降にCMが流れる。 雛祭りが祝日でない理由 江戸時代雛祭りは「五節句」のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、明治6年の新暦採用が「五節句(=雛祭り)」の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由のひとつとされる。 特色ある雛祭り 各地で、大量に雛人形飾りを公開したり、特色ある飾りを飾ったり、少年少女、又は成人の男女が雛人形に扮したりする祭り等が、この期間中に開催される。 * 1月末〜4月中旬:三十段飾り 千体の雛祭り- 長野県須坂市 * 3月上旬:くくり雛まつり- 岩手県奥州市水沢区 * 3月上旬:石段ひなまつり - 群馬県渋川市伊香保温泉 * 3月上旬:鴻巣びっくりひな祭り - 埼玉県鴻巣市 * 3月3日:ひなまつり子供大会@妙圓寺 - 東京都渋谷区 * 2月下旬:かつうらビッグひな祭り - 千葉県勝浦市 * 2月から4月にかけて 「吊るしびな」など、さまざまな雛人形が展示される。 - 山梨県甲州市 * 7月下旬:人間ジャンボひな壇@岩槻祭り - さいたま市岩槻区 * 4月3日:生きびな@水無神社 - 岐阜県高山市 * 3月3日:ひいな祭り@市比売神社 - 京都市下京区 * 3月3日:ひな流し@淡嶋神社 - 和歌山市 * 2月上旬〜3月上旬:中馬のおひなさん - 愛知県豊田市 * 2月下旬〜3月中旬:鞆町並ひな祭 - 広島県福山市鞆町 * 3月3日:流しびな - 鳥取市用瀬町 * 3月上旬:ビッグひな祭り - 徳島県勝浦町 * 2月下旬〜3月3日引田ひなまつり - 香川県東かがわ市 * 3月中旬:おひな様水上パレード - 福岡県柳川市 * 2月11日:おひな様始祭 - 福岡県柳川市 * 2月9日〜3月5日:城下町やつしろのお雛祭り - 熊本県八代市 * 2月11日〜3月22日:有田雛のやきものまつり - 佐賀県有田町 * 2月15日〜3月31日:天領日田おひなまつり - 大分県日田市 * 2月中旬〜3月下旬:佐賀城下ひなまつり - 佐賀県佐賀市 * 2月上旬〜3月上旬:真壁のひなまつり - 茨城県桜川市真壁町 雛祭りを歌った楽曲 * うれしいひなまつり(童謡、作詞:山野三郎(サトウハチロー)、作曲:河村直則(河村光陽)、1936年(昭和11年)ポリドール) * ひなまつり(童謡、作詞:海野厚、作曲:三宅延齢) * おひなまつり(童謡、作詞:斎藤信夫、作曲:海沼実) * ひなまつり(童謡、作詞:斉木秀男、作曲:三宅延齢) * ひなまつりの歌(童謡、作詞:与田準一、作曲:河村光陽) * おひなさま(童謡、作者不明) * 雛祭(文部省唱歌、作者不明) * ひなまつり(文部省唱歌、作詞:林柳波、作曲:平井康三郎) * 雛祭り(童謡、作詞:林柳波、作曲:本居長世) * ひなまつり(童謡、作詞:水谷まさる、作曲:小松清) * 雛祭の宵(ひなのよい、童謡、作詞者不詳、作曲:長谷川良夫) * 雛の宵(長唄、作詞:松正子(松本白鸚夫人)、作曲:今藤政太郎) * 雛の宵(清元) * ミニモニ。ひなまつり!(J-POP、作詞:つんく、作曲:つんく) 参照:ウィキペディア「雛祭り」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%9B%E7%A5%AD%E3%82%8A#.E9.9B.9B.E4.BA.BA.E5.BD.A2 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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織物(おりもの)とは、糸を経緯に組み合わせて作った布地である。英語風にテキスタイルまたはテクスタイル(textile)とも呼ばれる(ただしテキスタイルには不織布も含まれる)。専門的には「染織」という用語を用いる。織り方には何種類もあるがほとんどの織物の基礎となる平織り、綾織り、しゅす織りを特に三原組織(さんげんそしき)という。 使う糸によっても性質は違う。 童話『鶴の恩返し』にて鶴が使っている道具が織り機である。 繊維の混用 [編集] 異なる繊維を使い布を作ることを繊維の混用(こんよう)といい、糸の段階で混ぜることを混紡(こんぼう)と呼び、縦糸と横糸を異なる繊維にして織ることを交織(こうしょく)と呼ぶ。 織物の名前 [編集] * 原料による名称 原則使った糸名+織物とあらわされる。 o 絹・・・絹織物 o ウール・・・毛織物 o 綿・・・綿織物 o 麻・・・麻織物 * 染色法による名称 o 先染め織物 o 後染め織物 * 色や柄による名称 o 白地織物 o 無地織物 o 霜降り織物 o 縞織物 o 絣織物 o 染め模様織物 織物の産地 [編集] * 米沢(山形県米沢市) * 会津木綿(福島県会津若松市) * 本場結城紬(茨城県結城市) * 足利紬(栃木県足利市) * 秩父銘仙(埼玉県秩父市) * 多摩結城(東京都八王子市) * 遠州木綿(静岡県浜松市) * 小千谷縮(新潟県小千谷市) * 越後上布 (新潟県南魚沼市) * 上田紬(長野県上田市) * 桐生織(群馬県桐生市) * 伊勢崎銘仙(群馬県伊勢崎市) * 富士吉田(山梨県富士吉田市) * 北陸(福井県福井市、坂井市、石川県小松市) * 西陣織(京都府京都市) * 丹後産地(京都府京丹後市) * 織絨毯(大阪府堺市、和泉市) * 泉州タオル(大阪府泉佐野市) * 綿スフ織物(大阪府泉州地域) * 播州織(兵庫県西脇市) * 今治タオル(愛媛県今治市、西条市) * 柳井縞(山口県柳井市) * 博多織(福岡県福岡市) * 小倉織(福岡県北九州市) * 佐賀錦(佐賀県佐賀市) * 大島紬(鹿児島県奄美大島) 関連項目 [編集] * 糸 * 繊維 * 織り、織機 * 七夕 * CGS * 織組織 参照:ウィキペディア「織物」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%89%A9 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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「ザ・古布」とでも言うべき布の歴史としたたかにたくましく貧しさの中生きていた庶民の布の歴史。 襤褸の定義としては、明治から昭和初期布類は高価で貴重品だったので、 破れたら当て布をしてまた使い、何枚も重なる布と縫い目と継ぎはぎだらけの布の事を言います。 布が貴重品だった頃、家族への衣服のあてがいは主婦の重要な役目だったそうです。 いつもいつも新しい布が利用できるほど豊かではなく、身近にあるものをいかに工夫し利用するか。 長い間の使用に耐えかねて、生地の薄くなった着物には小さい当て布を何枚もあてがって 補強するのは日常的なことでした。 そのために、どんな端布でも粗末にすることは決してなく、また、 古くなった衣類は細裂きにして撚り、 横糸代わりに織り込むことで丈夫で暖かい裂織着にしたりしました。 参照:「古布@『襤褸(ボロ/らんる/BORO) | 着物リメイク達人への道 byカナタツ商店 【公式ブログ】」より http //ct6.biz/?eid=80 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)とは、日本において、同国の文化財保護法に基づいて、同国の文部科学大臣によって指定された、無形文化財のこと。 目次 [非表示] * 1 概要 * 2 歴史 * 3 文化財の指定、保持者・保持団体の認定 * 4 選択無形文化財 * 5 関連項目 * 6 外部リンク 概要 [編集] 文化財保護法は、無形文化財を「演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの」としている。そのうち重要なものを重要無形文化財として指定することができると規定しており、この指定により文化財の保存、記録の作成、伝承者の育成に対して、公費でその経費の一部を負担することができるとしている。 歴史 [編集] 第二次世界大戦以前の日本には1890年制定の帝室技芸員制度はあったものの、近代的な無形文化財の保護・指定制度は存在しなかった。1950年制定の文化財保護法によって初めて無形文化財が法的に位置づけられたものの、同法制定当時の制度では「現状のまま放置し、国が保護しなければ衰亡のおそれのあるもの」を選定無形文化財として選定するという、消極的保護施策であった。1954年の文化財保護法改正により、選定無形文化財の制度は廃止され、「衰亡のおそれ」あるか否かではなく、あくまでも無形文化財としての価値に基づき、重要なものを「重要無形文化財」に指定するという制度に変わった。 文化財の指定、保持者・保持団体の認定 [編集] 重要無形文化財の指定の対象は無形の「わざ」そのものである。指定にあたっては、たとえば「人形浄瑠璃・文楽」「能楽」のような芸能、「備前焼」「彫金」のような工芸技術といった無形の「わざ」を重要無形文化財に指定するとともに、その「わざ」を高度に体得している個人または団体を保持者・保持団体として認定する(「指定」と「認定」の差異に注意)。 認定に際しては、「わざ」を高度に体得し体現している個人を個別に認定する「各個認定」、2人以上の者が一体となって「わざ」を体現している場合に、保持者の団体の構成員を総合的に認定する「総合認定」、「わざ」の性格上個人的特色が薄く、かつ、多数の者が体得している「わざ」が全体として1つの無形文化財を構成している場合に、その人々が構成員となっている団体を認定する「保持団体認定」の3種がある。 重要無形文化財保持者として各個認定された者を一般に人間国宝という。「総合認定」の例としては、「雅楽」における宮内庁式部職楽部部員、「能楽」における社団法人日本能楽会会員などがある。「保持団体認定」の例としては、輪島塗技術保存会、本場結城紬保存会、本美濃紙保存会などがある。 選択無形文化財 [編集] このほか、重要無形文化財には指定されていないが、国が記録保存等の措置をとるべき無形文化財については、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択(「指定」ではない)することができることになっている。 関連項目 [編集] * 人間国宝 * 国宝 * 文化財 * 世界無形遺産 - 世界遺産では、無形文化 (Intangible culture)、無形文化遺産 (Intangible Cultural Heritage)と称されている。 * 選択無形文化財(正式には「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」) 参照:ウィキペディア「重要無形文化財」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A6%81%E7%84%A1%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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伝統工芸品(でんとうこうげいひん)は、一般的には日常生活の用に供され、手工業により製造される織物、染色品、陶磁器、漆器、木工品、竹工品、金工品、仏壇、仏具、和紙、文具(筆、墨、硯、そろばん)、石工品、人形、郷土玩具、扇子、団扇、和傘、提灯、和楽器、神祇調度、慶弔用品、工芸用具、工芸材料などを指す。しかし、明治時代以降、工業的な大量生産を取り入れたものもあり、用具や材料は日常において用いられないものもあることから、厳密に定義することは難しい。 以下、日本の伝統工芸品を中心に解説する。 目次 [非表示] * 1 概要 o 1.1 品目数 o 1.2 企業数 o 1.3 従事者数 * 2 種類 * 3 伝統工芸品の一覧 * 4 経済産業大臣指定伝統的工芸品 * 5 関連項目 * 6 外部リンク 概要 [編集] 日本には現在約1200の伝統工芸品があるといわれ、企業数は約25,000社、従事者数は約140,000人、生産額は約8,000億円である。 品目数 [編集] 京都府が最も多く、栃木県、福島県、島根県、茨城県、滋賀県、東京都、山形県、香川県、三重県と続く。 企業数 [編集] 京都府が約3,600社と最も多く、石川県の約2,300社、東京都の約1,800社、愛知県の約1,000社、岐阜県の約800社と続く(企業数が判明した主要700品目における統計)。 従事者数 [編集] 京都府が約26,000人と最も多く、石川県の約9,000人、岐阜県の約8,300人、東京都及び三重県の約5,700人と続く(従事者数が判明した主要700品目における統計)。 種類 [編集] * 陶磁器…「九谷焼」「備前焼」など * 織物…「西陣織」「久留米がすり」など * 漆器…「会津塗」「輪島塗」など * 和紙…「土佐和紙」など * 金工品…「高岡銅器」「南部鉄器」など * 木工品…「大館曲げわっぱ」など * 人形…「博多人形」など * こけし…「宮城伝統こけし」など * その他…「江戸切子」など 国の伝統的工芸品指定は、染織品、陶磁器、漆器、木工・竹工品、金工品、文具・和紙、その他に区分され、日本工芸会は、陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸という区分を行っている。 伝統工芸品の一覧 [編集] 「日本の伝統工芸品の一覧」を参照 経済産業大臣指定伝統的工芸品 [編集] 「経済産業大臣指定伝統的工芸品」を参照 伝統的工芸品産業の振興に関する法律に基づき、経済産業大臣が指定する伝統的工芸品がある。 また、各地方自治体が認定する伝統工芸品もある。 関連項目 [編集] * 伝統工芸 * 人間国宝(重要無形文化財保持者) * 有形文化財 参照:ウィキペディア「伝統工芸品」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E5%B7%A5%E8%8A%B8%E5%93%81 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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平織り(ひらおり)とは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に浮き沈みさせて織る、最も単純な織物組織である。 中でもタテ糸とヨコ糸を2本ずつ引き揃えで織ったものを斜子織り(ななこおり)と言う。代表的な織物にオックスフォード(オックス)がある。 丈夫で摩擦に強く、織り方も簡単なため、広く応用されている。三原組織の一つ。 平織りの織物 [編集] * 綿 o エンドオンエンド o オーガンジー o かなきん o キャラコ o ギンガム 先染めの綿織物。格子柄、縦縞柄。ギンガム・チェック。 o クレープ(綿ちぢみ) o ダンガリー o ドビー - 光沢のある小型の幾何模様が特徴。 o ブロード(ポプリン) o ローン - 薄手の粗く織った平織の織物。 o ボイル o 浴衣地 o シャンブレー 名前の由来は、フランスのカンブレ(Cambrai)という所で初めて織られたことから。 o 帆布 o オックスフォード(オックス) * 麻 o 生平 o 上布 o ズック o ちぢみ o 麻帆布 * ウール o サキソニー(サクソニー) o モスリン o トロピカル o ブロード(ポプリン) o フレスコ - 夏用の織物。 o ポーラ - 夏用の織物。 o マットウース - 英語で梳毛糸の事。 o メルトン * 絹 o 羽二重 o めいせん o 富士織 o ちりめん o シフォン o ジョーゼット o 塩瀬 o お召 o タフタ o 紬 o 黄八丈 o ブロード(ポプリン) 関連項目 [編集] * 服飾 * 織物 * 綾織り * 斜文織 * しゅす織り 参照:ウィキペディア「平織り」 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%B9%94%E3%82%8A 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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男性用の和服 [編集] 男性用の正装の和服 [編集] 神道形式の結婚式における新郎と新婦。花婿が紋付・袴を、花嫁が振袖を着用している。結婚式の和装としてのこの組み合わせは明治以後に一般的となった[2]。 なお、江戸初期まで武家の男性は婚礼において直垂または大紋、素襖を着用し、くだけた場でも裃を着ていた。 また商家の女性であれば本来は懐剣や角飾りは不要である。 男性用の正装の和服には、五つ紋付、黒の羽二重地、アンサンブル、縦縞の仙台平などがある。紋が付いた服(紋付)を着用する場合、足袋の色は白にする。草履を履くときは畳表のものを履く。履物の鼻緒の色は、慶事のときは白、弔事のときは黒にする。小物の色も同様に、慶事のときは白、弔事のときは黒にする。正装の度合いについては羽二重、お召、無地紬の順で格が下がる。羽織を着るべき場面か、着なくてもいい場面かの判断は、洋服の背広やジャケットの場合に類似する。なお、茶会では羽織は着用しない。 また、紋の数や種類によっても挌が決まるので正式な黒紋付として黒羽二重に紋を付けるときは、日向紋を5つ付ける。無地お召や紬などにも紋を付けるが、この地で五つ紋をつけて正装として着ることはしないので、現在ではこの地の場合は染め抜きではなく陰紋として刺繍などで付けることが多く、その数も三つ紋か一つ紋になることが多い。 現在の男性用の正装の和服を特徴づけるのは、長着、羽織、および袴である。アンサンブルは、和服の正式な用語としては「お対(おつい)」と言い、同じ布地で縫製した長着と羽織のセットを指す言葉である。しかし、長着と羽織に違う布地を使って、男性用の正装の和服として長着と羽織をコーディネイトした服をセットで「アンサンブル」と称して販売されていることは多い。 正式な場所での男性の正装の着用には必ず袴を着用する。男性の袴は「馬乗り袴」と言って洋服のズボンのように左右に脚が分かれているものが正式であるが、女性の袴と同じように分かれていないスカート状の「行燈袴」もある。厳密には袴にも夏用と冬用の区別はあるが、着物の袷のように裏を全体に付けることはないので地の薄さと密度によって区別されている。現在ではあまりこの別を意識することはなくなっている。 正装として黒羽二重五つ紋付を着る場合、本来であれば長着の下に女性の留袖と同じく「白の重ね」を着るのであるが、現在ではこの風習はあまり見られず花婿の衣装に「伊達衿」として白の衿をつけることに残っているのみである。 男性用の普段着の和服 [編集] 男性用の普段着の和服には色無地・浴衣・作務衣・甚平・丹前・法被(はっぴ)などが含まれる。男性用の普段着の和服では、羽織は着なくてもよい。戦後ウールの着物の流行により、くだけた普段のくつろぎ着としてウールのアンサンブルが用いられるようになり、気軽な訪問には用いられるが本来であれば自宅用として着用するのが望ましいものである。 参照:ウィキペディア「和服」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%9C%8D 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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和服の構造 [編集] 和服の各部の名称 掛衿(かけえり),共衿(ともえり) 本衿(ほんえり),地衿(じえり) 右の前身頃(まえみごろ) 左の前身頃 袖(そで) 袂(たもと) 左の衽(おくみ) 右の衽 剣先(けんさき) 身丈(みたけ) 裄丈(ゆきたけ) 肩幅(かたはば) 袖幅(そではば) 袖丈(そでたけ) 袖口(そでぐち) 袖付(そでつけ) 長着を構成する部品(身頃と衽) [編集] 身頃(みごろ) 身頃は、右の前身頃・左の前身頃・後身頃をまとめて呼ぶ言葉。現在の和服の長着の標準的な裁断方法では、右の身頃と左の身頃の2つの布で身頃が構成される。左の前身頃と左の後身頃の肩は縫わなくても繋がっている。右も同様。 前身頃(まえみごろ) 和服の袖を除いた部分の、空間的に前の部分。背中の反対側を覆う部分。和服の前身頃は「右の前身頃」と「左の前身頃」に分かれている。 後身頃(うしろみごろ) 和服の袖を除いた部分の後ろの背中を覆う部分。基本的に背中心で縫い合わせるので右の後身頃と左の後身頃の2つの布で構成されているが、ウールなどの広幅の生地を用いて作る場合、後身頃が一つの布で構成されているものとの2つの形がある。 衽(おくみ) 和服の袖を除いた部分の前の左の端と右の端にあり、上は衿まで、下は服の最下部まで続く、上下に細長い布の部分。前身頃に縫い付けてある。「袵」とも書く。 上前(うわまえ) 和服の袖を除いた部分の前の左(向かって右)。上前は、左の前身頃、左の衽、そして左の襟の一部を指す言葉。和服を着るときに右前、つまり右衽(うじん)に着るので、左の衽の方が右の衽よりも空間的に前に位置することになる。全ての物に仏性があるとする日本の慣習で主体から見た視点で言葉が当てられるため、外気に触れる服の表面に近い方、つまり着物を着た人から見て肌から遠い方を「上」と呼ぶ。そのため、左の衽・左の前身頃などを上前と呼ぶ。 下前(したまえ) 和服の袖を除いた部分の前の右(向かって左)。下前は、右の前身頃、右の衽、そして右の襟の一部を指す言葉。和服を着るときに右前、つまり右衽(うじん)に着るので、右の衽のほうが左の衽よりも空間的に後ろに位置することになる。全ての物に仏性があるとする日本の慣習で主体から見た視点で言葉が当てられるため、肌に近い方、つまり着物を着た人から見て外気に触れる服の表面から遠い方を「下」と呼ぶ。そのため、右の衽・右の前身頃などを下前と呼ぶ。 長着を構成する部品(襟・衿) [編集] 衿(えり) 襟。本衿と掛衿。 掛衿(かけえり) 共衿(ともえり)ともいう。衿の内、首の回りの汚れやすい部分を覆った布の部分。表生地と同じ生地を用いるときは特に共衿と呼ばれ、汚れが目立たないように違う濃い色の生地を用いるときに掛衿、と呼ぶこともある。 地衿(じえり) 本衿(ほんえり)を参照。「地襟」とも書く。 共衿(ともえり) 掛衿(かけえり)を参照。「共襟」とも書く。 本衿(ほんえり) 地衿(じえり)、または単に衿ともいう。和服の縁の内、首の周りと胸部の位置にある部分に縫い付けた、細長い布の部分。衿は襟と同じ意味。本衿は襟の主要な部分である。本衿に掛衿を付加する。 長着を構成する部品(袖) [編集] 袖(そで) 左右の腕を通す部分。 長着の穴の名称 [編集] (1) 身八つ口、(2) 振八つ口 身八つ口 振八つ口 上の図のような和服の長着を帯を締めて着た状態では、首の部分・足の部分・右の袖口・左の袖口・右の振八つ口・左の振八つ口・右の身八つ口・左の身八つ口の8つの穴ができる。日本語で穴のことを口と呼ぶことがあり、特に和服等の衣類用語では一般に口を使う。和服の長着に8つの口があることになり、これが「八つ口」の語源になったといわれる。身八つ口と振八つ口は女性用の着物と子供用の着物にのみあり、由来については諸説あるが、女性用の着物の身八つ口は主におはしょりを整えるために、子供用の着物の身八つ口は主に紐を通すために利用されている。 男性用の和服では、次の図のように身八つ口と振八つ口は閉じられている(江戸初期までは女性も成長すると身八つ口、振八つ口を閉じていた)。振八つ口を閉じた部分を人形と呼ぶ。 男性用の和服には身八つ口も振八つ口もない。 身八つ口がない 振八つ口がない(人形) 袖口(そでぐち) 袖の内、手首を囲む部分となる、袖の端を縫い付けずに開けている部分。 袖刳り(そでぐり) 袖刳(そでぐり)ともいう。腕を通すために、服のうち胸部を包む部分の左右に開けられた穴。和服では、袖をつけるために服のうち胸部を包む部分の左右に開けられた穴。日本語でいう「アームホール」。英語の armhole とは少し意味が違う。 振八つ口(ふりやつくち) 袖の、脇の下に近い部分の、縫い付けずに開いている部分。振り口(ふりくち)といわれることもある。男性用の和服では縫い付けられており、縫い付けた部分を人形と呼ぶ。 身八つ口(みやつくち・みやつぐち) 身頃の、脇の下に近い部分の、縫い付けずに開いている部分。男性用の和服では縫い付けられている。 和服の一部分を指す名称 [編集] 袂(たもと) 和服の袖の下に垂れ下がった袋のようになった部分。 和服の寸法において基準となる位置 [編集] 肩山(かたやま) 和服の長着や羽織を着ないで平面の上に広げて置いたときに、服の肩の、前後に折り返してある折り目の部分。 剣先(けんさき) 衽の一番上の頂点。剣先は、前身頃と襟(本衿または掛衿)と衽が交わる所である。剣先には他の意味もあるが、和服の寸法の基準点としてはここに書いたような意味である。下に述べる衽下がりの寸法、身幅の寸法によってその長さが決まる。 裾(すそ) 衣服の袖以外の部分における裾は、衣服の、地面に最も近い端を指す言葉 背中心(せちゅうしん) 一般的に、身体を右半身と左半身に分ける面を正中面(せいちゅうめん)という。服を着たときに、身体の正中面と服の背中が交わる線を、背中心という。和服の背中の布が右の後身頃(みぎのうしろみごろ)と、左の後身頃(ひだりのうしろみごろ)に分かれている場合は、左右の後身頃を縫った線が背中心になる。このことから、背中心のことを背縫い(せぬい)ともいう。 褄先(つまさき) 和服の長着を着ないで平面の上に広げて置き、その長着の前をいっぱいに広げて、長着の裏ができるだけ見えるようにして眺めると、裾の線が折り畳まれずにほぼ直線になるはずである。そのときの、裾の左右の頂点を褄先という。 和服の寸法における長さの名称 [編集] 和服において、最も重要な寸法は以下の3つである。 身丈(みたけ) 和服の出来上がり寸法で肩山から裾までの上下方向の長さ。男性用の着物では着丈と同寸で、身長から頭部を減じた寸法となる。女性用は一般に、腰の位置で身頃を折り畳んでおはしょりを作って裾を上げるため、その分着丈より長くなり、一般には身長と同寸とする。 着丈(きたけ) 和服における着丈は、服を着たときの上下方向の長さ。 裄丈(ゆきたけ) 裄(ゆき)ともいう。背中心から袖の手首の端までの長さ。肩幅と袖幅を足した長さが裄丈となる。 その他の部分の寸法としては、以下のようなものがある。 衽下り(おくみさがり) 和服の肩山と襟が接する点から剣先までの長さ。和服の長着の衽下りは、通常19cmから23cmくらいである。 肩幅(かたはば) 和服における肩幅は、背中心から後身頃と袖の境目までの長さ。肩幅と袖幅を足した長さは、裄丈である。洋服における肩幅は、和服における肩幅とは違う。和服の長着の肩幅は、通常30cmから32cmくらいである。和服の肩幅の約2倍は、身体の左の肩から右の肩までの長さよりも長くなる。 繰越(くりこし) 左右の肩山の中心点から襟の後ろまでの長さ。女性用の和服においては、襟の後ろが背中へ向かって少しずらした位置になるように作ることが一般的に行われる。女性用の和服の長着の繰越は、通常2cmから3cmくらいである。男性用や子供用には基本的に存在しない。 袖口(そでぐち) 袖口の長さ。袖口明(そでくちあき)ともいう。袖口の長さは、円周の半分で表現される。袖の平面図の裁断の形状が四角形の場合で、かつ袖の左右の端を全く縫わない場合は、袖丈の長さは袖口の長さと同じになる(お宮参りの「掛け着」などに見られる大名袖がその代表)。小袖の場合は、袖の端の一部を縫って閉じてあるので、袖口の長さは袖丈よりも短い。和服の長着の袖口の長さは通常20cmから23cmくらいである。 袖丈(そでたけ) 和服を着ないで平面の上に広げて置いたときに、袖の上下方向を測った長さ。洋服の袖丈は肩の付け根から手首までの寸法を指すが、和服ではその寸法は下に述べる袖幅になる。野良着などに用いられる筒袖の場合は、袖の円周の長さは袖丈の2倍である。長着の袖丈は、年齢や好みにもよるが大抵通常49cmから51cmくらいである。 袖付(そでつけ) 和服を着ないで平面の上に広げて置いたときに、袖と身頃が繋がっている部分を肩山から下まで測った長さ。肩山から服の前の方向へ向かって測った長さを、前袖付という。肩山から服の後ろの方向へ向かって測った長さを、後袖付という。一般的には前後袖付寸法は同じであるが、好みや体格により「付け違え」と言って前後で寸法を変えることも行われる。女性用の長着の袖付は通常23cmくらいだが、帯を胸の高い位置で締める場合は、もっと短くする。男性用の和服の長着の袖付は、通常40cmくらいで女性物よりも長い。これは女性に比べて帯が細く、また腹の下部で締めるためである。 袖幅(そではば) 和服を着ないで平面の上に広げて置いたときの、袖の左右方向の長さ。肩幅と袖幅を足した長さは、裄丈である。一般的な日本語でいう「洋服の袖の長さ」は、和服では「袖幅」に相当する。通常、和服の長着では、袖幅は33cmから34cmくらいである。 抱幅(だきはば) 和服の右か左の前身頃の胸の辺りの位置の左右方向の長さ。衽の幅や襟の幅は含まない。男性用の和服では、肩山から下へ40cmの位置で前身頃の左右の幅を測った長さ。女性用の和服の長着では、身八つ口の最下部(身八つ口どまり)辺りの位置で前身頃の左右の幅を測った長さ。 和服の部品の模式図 [編集] 和服の構造を理解する助けにするため、反物、裁断の方法、そして部品の組み合わせ方について模式的な概観をここに示す。和服の制作方法について詳しくは、和裁を参照。反物は、和服の材料となる織物の総称である。女性用の和服の長着を作るときは、通常、幅が36cmの反物を使う。 反物の模式図 [編集] 反物 布の表を保護するために、中表(表が内側になっていること)に巻いてある。 裁断の方法(裁ち方) [編集] 一般的な裁断図を示すが、柄合わせを必要とするもの、また傷があった場合などはこの縦で区切られた区画のものの順序が異なる場合がある。 」 裁断の方法(裁ち方) 右の袖(そで) 左の袖 右の身頃(みごろ) 左の身頃 右の衽(おくみ) 左の衽 掛衿(かけえり),共衿(ともえり) 本衿(ほんえり),地衿(じえり) m 身丈(みたけ) s 袖丈(そでたけ) 和服の部品の組み合わせかたの概観 [編集] 和服の部品の組み合わせ方の概観 ※(部品の番号は裁断の方法と同じ) 和服の肩幅と袖幅 [編集] 現在の和服の長着を着たとき、身頃と袖の境界線の最上部は、人体の肩と腕の結合部分よりも手先に近付いた位置になる。身頃と袖の境界線の最上部は、典型的な体型では二の腕の中間辺りに位置する。この原因は、和服の長着の裁断の方法と、部品の組み合わせ方にある。一方の洋服では、ラグラン袖(Raglan sleeves)のような例外を除けば、服の胴体部分と袖の境界線の最上部は、人体の肩と腕の結合部分の辺りに位置する。 身頃と袖の境界線の最上部は、人体の肩と腕の結合部分よりも手先に近い。 人体の肩と腕の結合部分 身頃と袖の境界線の最上部 和服の種類 [編集] 和服を着た祇園の芸者と舞妓 現在の和服には、大人の女性用・大人の男性用・子供用がある。男性用と女性用の和服のそれぞれに、正装・普段着・その間の服がある。基本的に男女両用の和服はない。和服を構成する要素には、肌襦袢(はだじゅばん)、長襦袢(ながじゅばん)、長着(ながぎ)、羽織(はおり)、伊達締め(だてじめ)、腰紐(こしひも)、帯(おび)、帯板(おびいた)、帯締(おびじめ)、袴(はかま)、足袋(たび)、草履(ぞうり)、下駄(げた)などがあるが、省略できるものもある。豪華な模様を持つものが多いのは、長着と帯である。 女性用の和服 [編集] 女性用の正装の和服 [編集] 結婚式で和服を着る日本人女性 (2004年6月) 雅楽の模様の黒留袖 現在の女性用の正装の和服の基本はワンピース型であるが、女性用の袴は女学生の和服の正装の一部とされる。明治・大正時代に、学校で日常的に着る服として多くの女学生が女性用の袴を好んで着用し、女学生の袴姿が流行したことが、日本の文化として定着した。そのため、現在でも入学式・卒業式などの学校の儀式で袴を正装の一部として好んで着用する女学生がいる。現在の女性用の正装の和服には、黒留袖、色留袖、振袖、訪問着、喪服などがある。これらの正装用の着物の特色は絵羽模様(えばもよう)によって柄付けがなされていることである。絵羽模様とは小さなパターンが繰り返し染められている反復された模様ではなく、和服全体をキャンバスに見立てて絵を描いたような模様のことであり、脇や衽と前身頃の縫い目、背縫いなどの縫い目の所で模様が繋がるようにあらかじめ染められている。これら正装用の着物は原則的に結婚式・叙勲などの儀式・茶会など格の高い席やおめでたい儀式で着用される。留袖には、黒留袖と色留袖がある。黒留袖は地色が黒で染められているもので、色留袖は黒以外のものが地色のものを言う。黒・色共に原則として既婚女性用の第一礼装であるが、最近では色留袖が未婚の女性に着用されることも多くなった。 黒留袖 既婚女性の正装。生地は地模様の無い縮緬が黒い地色で染められており、背・後ろ袖・前胸に5つの紋(染め抜き日向紋)がある、柄付けは腰よりも下の位置にのみ置かれている。 色留袖 既婚女性の正装。上にも述べたが黒以外の地色で染められたものを指す。生地も縮緬だけではなく、同じ縮緬でも地模様を織り出したものや綸子を用いることもある。黒留袖は五つ紋であるが、色留袖の場合五つ紋だけではなく三つ紋や一つ紋の場合もある。宮中行事では黒が「喪の色」とされており黒留袖は着用しない慣例になっているため、叙勲その他の行事で宮中に参内する場合、色留袖が正式とされている。黒留袖は民間の正装とされている。 振袖 主に未婚女性用の絵羽模様がある正装である。正式には五つ紋をつけるが、現在ではほとんど紋を入れることはない。袖の長さにより、大振袖、中振袖、小振袖があり、花嫁の衣装などに見られる袖丈の長いものは大振袖である。近年の成人式などで着用される振袖は中振袖となっている場合が多い。絵羽模様に限らず小紋や無地で表された振袖も多い。 訪問着 女性用(未婚、既婚の区別なし)の絵羽模様がある礼装である。紋を入れる場合もある。生地は縮緬や綸子・朱子地などが用いられることが多いが、紬地で作られたもののある。その場合紬はあくまでも普段着であるため、訪問着であっても正式な席には着用できない。 喪服 五つ紋付き黒無地。関東では羽二重、関西では一越縮緬を使用することが多い。略喪服と言って、鼠や茶・紺などの地味な地色に黒帯を合わせる喪服もある。略喪服(色喪服)は参列者及び遠縁者など血縁の近さ遠さによって黒喪服を着るのが重い場合や、年回忌の折に着用する(通常は三回忌以降は略喪服を着ることが多い)。 古来は喪の礼装であるため、長着の下に留袖と同じく白い下着(重ね)を着ていたが、現在では礼装の軽装化と「喪が重なる」と忌むことなどもあり下着は用いられないのが一般的である。未婚、既婚、共に着用するものである。本来は白いものであった(現在でも白い喪服を用いる地方もある)が、明治以降黒=礼装の色と定められたことと、洋装の黒=喪という感覚の影響で現代では黒が一般的である。 付け下げ 訪問着を簡略化したものであらかじめ切って裁断された上に柄を置く絵羽模様ではなく、予定の場所に前もって想定し柄が置かれた反物の状態で売られているもので、縫うと訪問着のような位置に柄が置かれるものである。一見訪問着と見まがうものもあるが、訪問着との大きな違いは柄の大きさや縫い目での繋がりの他、八掛(裾回し)が表地と同じもの(共裾)ではなく、表との配色が良い別生地を用いている点である。略式礼装に当たるため儀式などの重い席には着用されることが少ないが、趣味性の強い柄付けや軽い柄付けの訪問着より古典柄の付け下げの方が格が上とされる。一般的な付け下げは儀式ではないパーティーなどで着用されることが多い。 女性用の正装の和服を選ぶ基準 [編集] 和服を着ることが既に非日常と化している現在では、着る場面によって女性用の正装の和服を選ぶマナーとしての基準は、古来よりあった「着物の挌」に基づいた規則のこだわらず今後変わる可能性がある。結婚式の披露宴で新婦が和服を着る場合は、大抵振袖を着る。しかし、50歳代以上の新婦でも結婚式の披露宴で振袖を着ていいのかどうかは、意見が分かれる。振袖が適しているのは、未婚の若い女性に限られるという意見があるが、年齢は関係ないという反対意見もある。結婚式で新婦以外の女性が和服を着用する場合においては、新郎・新婦の母親は紋付の黒留袖を着ることが望ましいとされる。新婦以外の女性の既婚者の参加者が新婦と友人であった場合、着物で出席するとき常識的には色留袖か訪問着が望ましいとされることが多い。しかし、場面によってどんな和服が適しているかの判断は現在では一般の人には解りづらくなっているのが実情である。新郎・新婦の既婚の姉妹は色留袖・黒留袖のどちらが望ましいのかという点は、意見が分かれるようである。また結婚式自体を豪華にする傾向が薄れてきたため、親族であっても訪問着などで出席する場合もあり一概には言えない時代になってきている。 着物の柄についてであるが、おめでたい場所に着るという意味で礼装用の着物には縁起の良いもの、七宝・橘・鳳凰・鶴・亀などの「吉祥模様」や、昔の貴族のような豪華で華やかな模様、檜扇・宝舟・貝桶・御殿・薬玉などを表した「古典模様」のものが主に使われていることが多い。あまり趣味性の強い柄は改まった席には向かないとされるので、選ぶ際には留意することが必要である。 着物と帯や小物などの組み合わせも厳密に着物の挌によって基本的には決められている。例えば留袖や訪問着などの格の高い礼装は本来は「丸帯」であったが、現在丸帯は花嫁衣裳と芸者の着物に残るくらいで一般にはあまり用いられなくなり、戦後は主に「袋帯」が用いられている。この場合の袋帯は基本的に緞子や金襴・綴れ織などの織物によって柄を織り出してある豪華なものが用いられ、帯全体に柄が織り出されている「全通」もしくは帯を締めたときに中に入って見えなくなってしまう所以外に柄があり、全体の六割程度に柄が織られている「六通」が主に用いられる。 女性用の普段着の和服 [編集] 女性用の普段着には小紋・紬・浴衣などがある。 参照:ウィキペディア「和服」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%9C%8D 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛