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和服の構造 [編集] 和服の各部の名称 掛衿(かけえり),共衿(ともえり) 本衿(ほんえり),地衿(じえり) 右の前身頃(まえみごろ) 左の前身頃 袖(そで) 袂(たもと) 左の衽(おくみ) 右の衽 剣先(けんさき) 身丈(みたけ) 裄丈(ゆきたけ) 肩幅(かたはば) 袖幅(そではば) 袖丈(そでたけ) 袖口(そでぐち) 袖付(そでつけ) 長着を構成する部品(身頃と衽) [編集] 身頃(みごろ) 身頃は、右の前身頃・左の前身頃・後身頃をまとめて呼ぶ言葉。現在の和服の長着の標準的な裁断方法では、右の身頃と左の身頃の2つの布で身頃が構成される。左の前身頃と左の後身頃の肩は縫わなくても繋がっている。右も同様。 前身頃(まえみごろ) 和服の袖を除いた部分の、空間的に前の部分。背中の反対側を覆う部分。和服の前身頃は「右の前身頃」と「左の前身頃」に分かれている。 後身頃(うしろみごろ) 和服の袖を除いた部分の後ろの背中を覆う部分。基本的に背中心で縫い合わせるので右の後身頃と左の後身頃の2つの布で構成されているが、ウールなどの広幅の生地を用いて作る場合、後身頃が一つの布で構成されているものとの2つの形がある。 衽(おくみ) 和服の袖を除いた部分の前の左の端と右の端にあり、上は衿まで、下は服の最下部まで続く、上下に細長い布の部分。前身頃に縫い付けてある。「袵」とも書く。 上前(うわまえ) 和服の袖を除いた部分の前の左(向かって右)。上前は、左の前身頃、左の衽、そして左の襟の一部を指す言葉。和服を着るときに右前、つまり右衽(うじん)に着るので、左の衽の方が右の衽よりも空間的に前に位置することになる。全ての物に仏性があるとする日本の慣習で主体から見た視点で言葉が当てられるため、外気に触れる服の表面に近い方、つまり着物を着た人から見て肌から遠い方を「上」と呼ぶ。そのため、左の衽・左の前身頃などを上前と呼ぶ。 下前(したまえ) 和服の袖を除いた部分の前の右(向かって左)。下前は、右の前身頃、右の衽、そして右の襟の一部を指す言葉。和服を着るときに右前、つまり右衽(うじん)に着るので、右の衽のほうが左の衽よりも空間的に後ろに位置することになる。全ての物に仏性があるとする日本の慣習で主体から見た視点で言葉が当てられるため、肌に近い方、つまり着物を着た人から見て外気に触れる服の表面から遠い方を「下」と呼ぶ。そのため、右の衽・右の前身頃などを下前と呼ぶ。 長着を構成する部品(襟・衿) [編集] 衿(えり) 襟。本衿と掛衿。 掛衿(かけえり) 共衿(ともえり)ともいう。衿の内、首の回りの汚れやすい部分を覆った布の部分。表生地と同じ生地を用いるときは特に共衿と呼ばれ、汚れが目立たないように違う濃い色の生地を用いるときに掛衿、と呼ぶこともある。 地衿(じえり) 本衿(ほんえり)を参照。「地襟」とも書く。 共衿(ともえり) 掛衿(かけえり)を参照。「共襟」とも書く。 本衿(ほんえり) 地衿(じえり)、または単に衿ともいう。和服の縁の内、首の周りと胸部の位置にある部分に縫い付けた、細長い布の部分。衿は襟と同じ意味。本衿は襟の主要な部分である。本衿に掛衿を付加する。 長着を構成する部品(袖) [編集] 袖(そで) 左右の腕を通す部分。 長着の穴の名称 [編集] (1) 身八つ口、(2) 振八つ口 身八つ口 振八つ口 上の図のような和服の長着を帯を締めて着た状態では、首の部分・足の部分・右の袖口・左の袖口・右の振八つ口・左の振八つ口・右の身八つ口・左の身八つ口の8つの穴ができる。日本語で穴のことを口と呼ぶことがあり、特に和服等の衣類用語では一般に口を使う。和服の長着に8つの口があることになり、これが「八つ口」の語源になったといわれる。身八つ口と振八つ口は女性用の着物と子供用の着物にのみあり、由来については諸説あるが、女性用の着物の身八つ口は主におはしょりを整えるために、子供用の着物の身八つ口は主に紐を通すために利用されている。 男性用の和服では、次の図のように身八つ口と振八つ口は閉じられている(江戸初期までは女性も成長すると身八つ口、振八つ口を閉じていた)。振八つ口を閉じた部分を人形と呼ぶ。 男性用の和服には身八つ口も振八つ口もない。 身八つ口がない 振八つ口がない(人形) 袖口(そでぐち) 袖の内、手首を囲む部分となる、袖の端を縫い付けずに開けている部分。 袖刳り(そでぐり) 袖刳(そでぐり)ともいう。腕を通すために、服のうち胸部を包む部分の左右に開けられた穴。和服では、袖をつけるために服のうち胸部を包む部分の左右に開けられた穴。日本語でいう「アームホール」。英語の armhole とは少し意味が違う。 振八つ口(ふりやつくち) 袖の、脇の下に近い部分の、縫い付けずに開いている部分。振り口(ふりくち)といわれることもある。男性用の和服では縫い付けられており、縫い付けた部分を人形と呼ぶ。 身八つ口(みやつくち・みやつぐち) 身頃の、脇の下に近い部分の、縫い付けずに開いている部分。男性用の和服では縫い付けられている。 和服の一部分を指す名称 [編集] 袂(たもと) 和服の袖の下に垂れ下がった袋のようになった部分。 和服の寸法において基準となる位置 [編集] 肩山(かたやま) 和服の長着や羽織を着ないで平面の上に広げて置いたときに、服の肩の、前後に折り返してある折り目の部分。 剣先(けんさき) 衽の一番上の頂点。剣先は、前身頃と襟(本衿または掛衿)と衽が交わる所である。剣先には他の意味もあるが、和服の寸法の基準点としてはここに書いたような意味である。下に述べる衽下がりの寸法、身幅の寸法によってその長さが決まる。 裾(すそ) 衣服の袖以外の部分における裾は、衣服の、地面に最も近い端を指す言葉 背中心(せちゅうしん) 一般的に、身体を右半身と左半身に分ける面を正中面(せいちゅうめん)という。服を着たときに、身体の正中面と服の背中が交わる線を、背中心という。和服の背中の布が右の後身頃(みぎのうしろみごろ)と、左の後身頃(ひだりのうしろみごろ)に分かれている場合は、左右の後身頃を縫った線が背中心になる。このことから、背中心のことを背縫い(せぬい)ともいう。 褄先(つまさき) 和服の長着を着ないで平面の上に広げて置き、その長着の前をいっぱいに広げて、長着の裏ができるだけ見えるようにして眺めると、裾の線が折り畳まれずにほぼ直線になるはずである。そのときの、裾の左右の頂点を褄先という。 和服の寸法における長さの名称 [編集] 和服において、最も重要な寸法は以下の3つである。 身丈(みたけ) 和服の出来上がり寸法で肩山から裾までの上下方向の長さ。男性用の着物では着丈と同寸で、身長から頭部を減じた寸法となる。女性用は一般に、腰の位置で身頃を折り畳んでおはしょりを作って裾を上げるため、その分着丈より長くなり、一般には身長と同寸とする。 着丈(きたけ) 和服における着丈は、服を着たときの上下方向の長さ。 裄丈(ゆきたけ) 裄(ゆき)ともいう。背中心から袖の手首の端までの長さ。肩幅と袖幅を足した長さが裄丈となる。 その他の部分の寸法としては、以下のようなものがある。 衽下り(おくみさがり) 和服の肩山と襟が接する点から剣先までの長さ。和服の長着の衽下りは、通常19cmから23cmくらいである。 肩幅(かたはば) 和服における肩幅は、背中心から後身頃と袖の境目までの長さ。肩幅と袖幅を足した長さは、裄丈である。洋服における肩幅は、和服における肩幅とは違う。和服の長着の肩幅は、通常30cmから32cmくらいである。和服の肩幅の約2倍は、身体の左の肩から右の肩までの長さよりも長くなる。 繰越(くりこし) 左右の肩山の中心点から襟の後ろまでの長さ。女性用の和服においては、襟の後ろが背中へ向かって少しずらした位置になるように作ることが一般的に行われる。女性用の和服の長着の繰越は、通常2cmから3cmくらいである。男性用や子供用には基本的に存在しない。 袖口(そでぐち) 袖口の長さ。袖口明(そでくちあき)ともいう。袖口の長さは、円周の半分で表現される。袖の平面図の裁断の形状が四角形の場合で、かつ袖の左右の端を全く縫わない場合は、袖丈の長さは袖口の長さと同じになる(お宮参りの「掛け着」などに見られる大名袖がその代表)。小袖の場合は、袖の端の一部を縫って閉じてあるので、袖口の長さは袖丈よりも短い。和服の長着の袖口の長さは通常20cmから23cmくらいである。 袖丈(そでたけ) 和服を着ないで平面の上に広げて置いたときに、袖の上下方向を測った長さ。洋服の袖丈は肩の付け根から手首までの寸法を指すが、和服ではその寸法は下に述べる袖幅になる。野良着などに用いられる筒袖の場合は、袖の円周の長さは袖丈の2倍である。長着の袖丈は、年齢や好みにもよるが大抵通常49cmから51cmくらいである。 袖付(そでつけ) 和服を着ないで平面の上に広げて置いたときに、袖と身頃が繋がっている部分を肩山から下まで測った長さ。肩山から服の前の方向へ向かって測った長さを、前袖付という。肩山から服の後ろの方向へ向かって測った長さを、後袖付という。一般的には前後袖付寸法は同じであるが、好みや体格により「付け違え」と言って前後で寸法を変えることも行われる。女性用の長着の袖付は通常23cmくらいだが、帯を胸の高い位置で締める場合は、もっと短くする。男性用の和服の長着の袖付は、通常40cmくらいで女性物よりも長い。これは女性に比べて帯が細く、また腹の下部で締めるためである。 袖幅(そではば) 和服を着ないで平面の上に広げて置いたときの、袖の左右方向の長さ。肩幅と袖幅を足した長さは、裄丈である。一般的な日本語でいう「洋服の袖の長さ」は、和服では「袖幅」に相当する。通常、和服の長着では、袖幅は33cmから34cmくらいである。 抱幅(だきはば) 和服の右か左の前身頃の胸の辺りの位置の左右方向の長さ。衽の幅や襟の幅は含まない。男性用の和服では、肩山から下へ40cmの位置で前身頃の左右の幅を測った長さ。女性用の和服の長着では、身八つ口の最下部(身八つ口どまり)辺りの位置で前身頃の左右の幅を測った長さ。 和服の部品の模式図 [編集] 和服の構造を理解する助けにするため、反物、裁断の方法、そして部品の組み合わせ方について模式的な概観をここに示す。和服の制作方法について詳しくは、和裁を参照。反物は、和服の材料となる織物の総称である。女性用の和服の長着を作るときは、通常、幅が36cmの反物を使う。 反物の模式図 [編集] 反物 布の表を保護するために、中表(表が内側になっていること)に巻いてある。 裁断の方法(裁ち方) [編集] 一般的な裁断図を示すが、柄合わせを必要とするもの、また傷があった場合などはこの縦で区切られた区画のものの順序が異なる場合がある。 」 裁断の方法(裁ち方) 右の袖(そで) 左の袖 右の身頃(みごろ) 左の身頃 右の衽(おくみ) 左の衽 掛衿(かけえり),共衿(ともえり) 本衿(ほんえり),地衿(じえり) m 身丈(みたけ) s 袖丈(そでたけ) 和服の部品の組み合わせかたの概観 [編集] 和服の部品の組み合わせ方の概観 ※(部品の番号は裁断の方法と同じ) 和服の肩幅と袖幅 [編集] 現在の和服の長着を着たとき、身頃と袖の境界線の最上部は、人体の肩と腕の結合部分よりも手先に近付いた位置になる。身頃と袖の境界線の最上部は、典型的な体型では二の腕の中間辺りに位置する。この原因は、和服の長着の裁断の方法と、部品の組み合わせ方にある。一方の洋服では、ラグラン袖(Raglan sleeves)のような例外を除けば、服の胴体部分と袖の境界線の最上部は、人体の肩と腕の結合部分の辺りに位置する。 身頃と袖の境界線の最上部は、人体の肩と腕の結合部分よりも手先に近い。 人体の肩と腕の結合部分 身頃と袖の境界線の最上部 和服の種類 [編集] 和服を着た祇園の芸者と舞妓 現在の和服には、大人の女性用・大人の男性用・子供用がある。男性用と女性用の和服のそれぞれに、正装・普段着・その間の服がある。基本的に男女両用の和服はない。和服を構成する要素には、肌襦袢(はだじゅばん)、長襦袢(ながじゅばん)、長着(ながぎ)、羽織(はおり)、伊達締め(だてじめ)、腰紐(こしひも)、帯(おび)、帯板(おびいた)、帯締(おびじめ)、袴(はかま)、足袋(たび)、草履(ぞうり)、下駄(げた)などがあるが、省略できるものもある。豪華な模様を持つものが多いのは、長着と帯である。 女性用の和服 [編集] 女性用の正装の和服 [編集] 結婚式で和服を着る日本人女性 (2004年6月) 雅楽の模様の黒留袖 現在の女性用の正装の和服の基本はワンピース型であるが、女性用の袴は女学生の和服の正装の一部とされる。明治・大正時代に、学校で日常的に着る服として多くの女学生が女性用の袴を好んで着用し、女学生の袴姿が流行したことが、日本の文化として定着した。そのため、現在でも入学式・卒業式などの学校の儀式で袴を正装の一部として好んで着用する女学生がいる。現在の女性用の正装の和服には、黒留袖、色留袖、振袖、訪問着、喪服などがある。これらの正装用の着物の特色は絵羽模様(えばもよう)によって柄付けがなされていることである。絵羽模様とは小さなパターンが繰り返し染められている反復された模様ではなく、和服全体をキャンバスに見立てて絵を描いたような模様のことであり、脇や衽と前身頃の縫い目、背縫いなどの縫い目の所で模様が繋がるようにあらかじめ染められている。これら正装用の着物は原則的に結婚式・叙勲などの儀式・茶会など格の高い席やおめでたい儀式で着用される。留袖には、黒留袖と色留袖がある。黒留袖は地色が黒で染められているもので、色留袖は黒以外のものが地色のものを言う。黒・色共に原則として既婚女性用の第一礼装であるが、最近では色留袖が未婚の女性に着用されることも多くなった。 黒留袖 既婚女性の正装。生地は地模様の無い縮緬が黒い地色で染められており、背・後ろ袖・前胸に5つの紋(染め抜き日向紋)がある、柄付けは腰よりも下の位置にのみ置かれている。 色留袖 既婚女性の正装。上にも述べたが黒以外の地色で染められたものを指す。生地も縮緬だけではなく、同じ縮緬でも地模様を織り出したものや綸子を用いることもある。黒留袖は五つ紋であるが、色留袖の場合五つ紋だけではなく三つ紋や一つ紋の場合もある。宮中行事では黒が「喪の色」とされており黒留袖は着用しない慣例になっているため、叙勲その他の行事で宮中に参内する場合、色留袖が正式とされている。黒留袖は民間の正装とされている。 振袖 主に未婚女性用の絵羽模様がある正装である。正式には五つ紋をつけるが、現在ではほとんど紋を入れることはない。袖の長さにより、大振袖、中振袖、小振袖があり、花嫁の衣装などに見られる袖丈の長いものは大振袖である。近年の成人式などで着用される振袖は中振袖となっている場合が多い。絵羽模様に限らず小紋や無地で表された振袖も多い。 訪問着 女性用(未婚、既婚の区別なし)の絵羽模様がある礼装である。紋を入れる場合もある。生地は縮緬や綸子・朱子地などが用いられることが多いが、紬地で作られたもののある。その場合紬はあくまでも普段着であるため、訪問着であっても正式な席には着用できない。 喪服 五つ紋付き黒無地。関東では羽二重、関西では一越縮緬を使用することが多い。略喪服と言って、鼠や茶・紺などの地味な地色に黒帯を合わせる喪服もある。略喪服(色喪服)は参列者及び遠縁者など血縁の近さ遠さによって黒喪服を着るのが重い場合や、年回忌の折に着用する(通常は三回忌以降は略喪服を着ることが多い)。 古来は喪の礼装であるため、長着の下に留袖と同じく白い下着(重ね)を着ていたが、現在では礼装の軽装化と「喪が重なる」と忌むことなどもあり下着は用いられないのが一般的である。未婚、既婚、共に着用するものである。本来は白いものであった(現在でも白い喪服を用いる地方もある)が、明治以降黒=礼装の色と定められたことと、洋装の黒=喪という感覚の影響で現代では黒が一般的である。 付け下げ 訪問着を簡略化したものであらかじめ切って裁断された上に柄を置く絵羽模様ではなく、予定の場所に前もって想定し柄が置かれた反物の状態で売られているもので、縫うと訪問着のような位置に柄が置かれるものである。一見訪問着と見まがうものもあるが、訪問着との大きな違いは柄の大きさや縫い目での繋がりの他、八掛(裾回し)が表地と同じもの(共裾)ではなく、表との配色が良い別生地を用いている点である。略式礼装に当たるため儀式などの重い席には着用されることが少ないが、趣味性の強い柄付けや軽い柄付けの訪問着より古典柄の付け下げの方が格が上とされる。一般的な付け下げは儀式ではないパーティーなどで着用されることが多い。 女性用の正装の和服を選ぶ基準 [編集] 和服を着ることが既に非日常と化している現在では、着る場面によって女性用の正装の和服を選ぶマナーとしての基準は、古来よりあった「着物の挌」に基づいた規則のこだわらず今後変わる可能性がある。結婚式の披露宴で新婦が和服を着る場合は、大抵振袖を着る。しかし、50歳代以上の新婦でも結婚式の披露宴で振袖を着ていいのかどうかは、意見が分かれる。振袖が適しているのは、未婚の若い女性に限られるという意見があるが、年齢は関係ないという反対意見もある。結婚式で新婦以外の女性が和服を着用する場合においては、新郎・新婦の母親は紋付の黒留袖を着ることが望ましいとされる。新婦以外の女性の既婚者の参加者が新婦と友人であった場合、着物で出席するとき常識的には色留袖か訪問着が望ましいとされることが多い。しかし、場面によってどんな和服が適しているかの判断は現在では一般の人には解りづらくなっているのが実情である。新郎・新婦の既婚の姉妹は色留袖・黒留袖のどちらが望ましいのかという点は、意見が分かれるようである。また結婚式自体を豪華にする傾向が薄れてきたため、親族であっても訪問着などで出席する場合もあり一概には言えない時代になってきている。 着物の柄についてであるが、おめでたい場所に着るという意味で礼装用の着物には縁起の良いもの、七宝・橘・鳳凰・鶴・亀などの「吉祥模様」や、昔の貴族のような豪華で華やかな模様、檜扇・宝舟・貝桶・御殿・薬玉などを表した「古典模様」のものが主に使われていることが多い。あまり趣味性の強い柄は改まった席には向かないとされるので、選ぶ際には留意することが必要である。 着物と帯や小物などの組み合わせも厳密に着物の挌によって基本的には決められている。例えば留袖や訪問着などの格の高い礼装は本来は「丸帯」であったが、現在丸帯は花嫁衣裳と芸者の着物に残るくらいで一般にはあまり用いられなくなり、戦後は主に「袋帯」が用いられている。この場合の袋帯は基本的に緞子や金襴・綴れ織などの織物によって柄を織り出してある豪華なものが用いられ、帯全体に柄が織り出されている「全通」もしくは帯を締めたときに中に入って見えなくなってしまう所以外に柄があり、全体の六割程度に柄が織られている「六通」が主に用いられる。 女性用の普段着の和服 [編集] 女性用の普段着には小紋・紬・浴衣などがある。 参照:ウィキペディア「和服」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%9C%8D 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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布ナプキンの洗い方 使用した布ナプキンは、ざっと水洗いして汚れを簡単に落とした後、セスキ炭酸ソーダを溶かした液につけておきます。バケツ1杯に小さじ1杯程度を溶かして使います。液に手を入れたとき、ぬるっとした感触があれば十分な濃さになっています。一日分の布ナプキンをセスキ液につけてためておき、翌朝など都合の良い時間に、まとめて洗うと良いでしょう。軽くもみ洗いをしてすすぎます。これだけで十分に汚れが落ちていれば、そのまま干しても良いです、汚れ落ちが不十分なら、その後石けんで洗います。 はじめにざっと水洗いをするのは、つけおき液の汚れ方を少なくするためです。水洗いをせずにいきなりセスキ液につけてもかまいませんが、つけおき中に液がひどく汚れてきたときは、新しい液に取り換えると良いでしょう。一日以上洗濯することができない場合など、つけおき時間が長くなるときも、途中で新しい液に取り換えましょう。 石けん洗いは、手洗いでも洗濯機でもかまいません。洗濯機で洗う場合は、下着など、他の洗濯物と一緒に洗ってもかまいません。ネットに入れて洗うほうが、傷みが少ないようです。手洗いの場合は、あまりゴシゴシこすると、布地が毛羽だって傷むので、あまり強くこすらないほうが良いでしょう。 参照:布ナプキンの洗い方 石鹸百科 より 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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Q 日本の古布 江戸から明治の絵絣、藍型染め、縞、和更紗などの古布が大量にあり売りたいと考えています。 いいものなので町の古着物屋などに安く買い取られるよりもいい方法が無いかと考えています。 海外のオークションなど、どんな方法がよいかご存知の方がみえましたらどうぞ知恵を貸してください。 A こんばんは。 母は、古い着物地などを利用してパッチワークなどの作品を作っています。 そういう人の需要があると思います。 母は、古い着物などは大体古道具市のようなところで買ってきます。 業者さんに渡したくないということであれば、フリーマーケットのようなところがいいのかもしれません。 売っているものの様子ですが、着物のままだとそのまま着る人はあまりないので、買ってから洗ったりほどいたりして使うことになります。なので、値段も安めで、そうでないと売れません。 洗ってほどいてすぐに使えるように切って何種類かセットにしたものが少々高くても買いやすいです(私がおみやげなどに買うときは、自信がないのでこのタイプ)。 ネットオークションをのぞいてみましたが、加工してセットになったものがよく売れているように思いました。 そういうところに少し出してみて、手ごたえを見るのもいいと思います。 写真でなく、現物を見て買いたいという人が多い商品のようにも思いますが、ほしい人のところに行きやすい場であると思います。 京都に「ちんぎれや」というお店がありますが、そこは時代物のきれを扱っていて、きれいな柄のものや貴重なものは、小さいものが1枚いくらの高値です。ここが買取をしているかわからないのですが、こういうお店に問い合わせてみる方法もあると思います。(参考URL) ほしい人は必ずいると思うので、ぜひ、どこかの流通に乗せてくださいね。 お礼 どうもありがとう! やっぱり古いものはだいたい京都にある場合が多いですね。流通量は圧倒的に東京のはずなのにってところが面白いですね。 ちんぎれや、いつか覗いて見たいです。 参照:OKWAVE「日本の古布」より http //okwave.jp/qa/q431864.html 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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時を重ねるほどに優しく愛おしい、古布のぬくもり。 あざやかな染めに息をのみ、大胆な柄にハッとする。人々にいつくしまれてきた古布には、時代を越えた美しさがあり、現代では表現できないような織り・染め・刺繍など貴重なものもたくさんあります。縮緬などのやさしい風合いや、生活の中の強い美しさがある藍染めや絣の独特のコシ。ていねいに使い続けられてきた絹や綿・麻といった天然素材の手触りはどこか懐かしい気分にさせてくれます。その多くは祖母から母へそして娘へと代々大切に伝えられてきた着物たち。 雛常では雛人形の伝統を大切に守っていくのと同じ気持ちで、古布の魅力も伝えていけたらとの思いから、古布細工の手作り教室の開催や、古布・古布作品の販売も行っています。四季のうつろいを写した日本独特の色や柄、江戸や明治の人々の洗練された美意識に出会うのも楽しみのひとつです。 古布の選び方 古布に魅せられて 古布を知る。 江戸時代から昭和初期にかけて、着物や寝具などに使われていた天然素材の布を「古布」といいます。古布には現代の布では出せない素敵な色や風合いがあり、洋服や小物、インテリアの素材として人気を集めています。 古布を選ぶ。 古布は絹素材と綿素材に大別されます。絹の縮緬、錦紗、綸子は華やかな色柄や光沢、滑らかな手ざわりで、人形や装飾的な小物づくりに重宝されています。綿の絣や更紗は、丈夫で使いやすいため、日常的な小物づくりに活躍しています。 古布で遊ぶ。 古布の魅力は、時をかけて醸し出された深い色合いや風合いです。あでやかな色やモダンなデザインは今見ても新鮮で、当時の織物、染物の素晴らしさが伺えます。好きな色柄の古布を組み合わせる楽しさ。古布に針や糸を通して新しいものを生み出す楽しさ。古布の魅力は尽きることがありません。 古布の選び方 古布に魅せられて 江戸縮緬<えどちりめん> 江戸縮緬<えどちりめん> 緯糸によりをかけて平織りにした絹織物。一面の細かなしぼが光をやわらかく反射し、しっとりとした質感が上品。晴れ着にふさわしい織物です。 錦紗縮緬<きんしゃちりめん> 錦紗縮緬<きんしゃちりめん> 緯糸が密に織られていて、しぼが細く、滑らかでしなやかな質感。大正から昭和初期に好まれた薄手の絹織物です。こちらも晴れ着の代表格です。 更紗<さらさ> 更紗<さらさ> 室町時代末期に、南蛮貿易によってインド方面から伝わった木綿の織物。人や動物、草花などが鮮やかな色で染められておりエスニックな雰囲気。 藍型染<あいかたぞめ> 藍型染<あいかたぞめ> 緯糸が密に織られていて、しぼが細く、滑らかでしなやかな質感。大正から昭和初期に好まれた薄手の絹織物です。こちらも晴れ着の代表格です。 参照:「古布~豆知識 人形の雛常|雛人形|五月人形|鯉のぼり」より http //www.hinatsune.jp/kofu/ 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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紬(つむぎ)とは、紬糸を機織りの緯線・経線の片方若しくは両方に用いて織った布、若しくは縫製した和服。 [編集] 概要 紬は綿を解いて紡いだいわゆる木綿糸、または絹糸のうち本繭と呼ばれる楕円形の繭とは異なり、本繭よりも劣るとされる太くて節の多い玉繭から紡いだ手撚りの玉糸(節糸とも言う)やくず繭と呼ばれる変型した繭から紡いだ紬糸を機織りの緯線・経線の片方若しくは両方に用いて織った布をいい、手撚りした糸(紬糸)の太さに均一を求めない。このため本繭から作る絹糸を用いた布の表面が絹独特の光沢を帯びるのに対し、紬は鈍い光沢を放ち表面に小さなこぶが生じ、独特の風合いをだす。耐久性に非常に優れ、数代にわたって着繋がれることから、相応の価格で取り引きされる。 紬は丈夫なことから古くから日常の衣料や野良着として用いられた。このことから材質が絹であっても正装に用いてはならないとされ、外出着若しくはお洒落着として用いられることが多いが、近年では略正装程度であれば用いる場合がある。 [編集] 主な紬 * 米沢紬 * 仁田山紬 * 結城紬 * 牛首紬 * 信濃紬 * 飯田紬 * 郡上紬 * 椎名紬 * 久米島紬 * 大島紬(奄美大島) * 交織紬 * 琉球紬 * 弁柄紬 * 塩沢紬 * 遠州木綿(遠州綿紬) [編集] 紬いろいろ * 紬はもともと野良着であったのを江戸時代の通人が見出し、色合いが渋い上に絹なのに絹らしい光沢を持たない、さりげなく趣味の良さを主張できる粋な反物として人気を博した。そのため農村の若い女性にとっては大切な収入源となったが、紬の名産地米沢の女性たちは丹念に織り上げた布を出荷する夜には別れを惜しみ「米沢の女は紬を抱いて寝る」とも言われた。女性たちが丹精込めて織り上げた布は数代にわたって使えるほどである。織るのに手間がかかることもあって現代では着物好きの人が趣味的に着用する衣装として高額で取引されている。 * 野良着として使われたということもあり紬は非常に丈夫で、父から子へと数代に渡っての遺産ともなった。しかし裏を返せば、織りたてでは生地が硬く着心地がよくないため、裕福な商人は番頭などに自分の紬を着せて柔らかくなった所で自分で着用したという話もある。嘘のような話ではあるが、現代でも著名な落語家が弟子に自分の紬を着せて着易くなってから取り上げたという逸話がある。 * 江戸期に贅沢禁止令が出された折に高価な絹物を着ることが禁止された。しかし富裕な町人たちは絹を着ることを諦めずに「遠目からは木綿に見える」ということで工夫され、絹であるのに木綿と言い張って着ることができるようになるようにと好んで着るようになったという説もある。 参照:ウィキペディア「紬」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AC 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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チュール布 チュール布(チュールぬの、Tulle)とは、六角形の網地を織り出す織物の一種。名前の由来はフランスのチュールで生産されていたことから。日本語では、網地の形から亀甲紗(きっこうしゃ)とも呼ばれる。元々は、絹織物であったが、後に他の素材でも作られるようになり、綿製の綿チュール、ナイロン製のナイロンチュールなどもある。 概要 [編集] チュールには製法の違いから、ラッシェルチュールとボビンネットの二種類がある。 ラッシェルチュールは、ラッシェル編機で製作されたチュールで、経糸を絡ませて網地を編みあげるもの。ほぼ全世界で大量生産されており、一般に女性服やカーテン地に使われるのはこちらのラッシェルチュールである。編み物であるため、柔らかく柔軟性があるが型崩れしやすい。 ボビンネットはボビンネット織機で制作されたチュールで、レース糸を組んで織りあげるもの。19世紀に発明された手法だが、手間がかかることから現在はボビンネット織機自体が希少であり、フランスのカレー地方やイギリスのノッティンガム地方などで少量生産されている。織物であるため、生地に張りがあり格調高い印象で型崩れしにくい。 チュールに水玉模様を編みだしたポワン・ドゥ・エスプリや、刺繍で模様を施したチュールレースなどもチュール布の一種である。 参考文献 [編集] 野木和志『服地がわかる辞典』日本実業出版社 参照:wikipedia「チュール布」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B8%83 花のヴィンテージ 最寄駅:常磐線三河島駅、京成本線新三河島駅、都電荒川線荒川区役所前駅 東京都荒川区荒川3-69-2 03-3805-0187 営業時間外やお急ぎのお問い合わせはこちら 080-5180-8711 東京都荒川区荒川より、日本全国に送料無料でお花をお届けいたします。 東京23区は、スタンド花も配達料無料でございます。 お好きなお色、雰囲気、ボリュームなどのイメージを形に致します。 是非一度ご来店ください。 溢れんばかりのお花たちがお出迎え致します。 [http //www.vintage1187.jp/ title=花屋 東京] | [http //www.vintage1187.jp/iwai.shtml title=還暦祝い 花] | [http //www.vintage1187.jp/ran.shtml title=胡蝶蘭 販売] | [http //www.vintage1187.jp/stand.shtml title=開店祝い 花] | [http //www.vintage1187.jp/memori.shtml title=仏花] | [http //www.vintage1187.jp/mothersday.shtml title=母の日 花] 港区麻布十番の花屋M.Musee(エム・ミュゼ) 〒106-0045 東京都港区麻布十番1-10-3 モンテプラザ2F 03-3582-1239 港区麻布十番の花屋。生花やプリザーブドフラワーギフト。港区・渋谷・新宿・品川・中央区・千代田区・目黒区は無料配達も [http //www.mmusee.com/open.html title=開店祝い 花] | [http //www.mmusee.com/birthday.html title=誕生日プレゼント 花] | [http //www.mmusee.com/bridalgift.html title=結婚祝い 花] | [http //www.mmusee.com/weddinganniversary.html title=結婚記念日 花] | [http //www.vintage1187.jp/memori.shtml title=仏花] 花恭 最寄駅:常磐線・山手線上野駅、東京メトロ銀座線駅稲荷町駅、つくばエクスプレス浅草駅、東京メトロ銀座線田原町駅 東京都台東区松が谷2-31-11 03-3841-3583 東京都台東区松が谷より、生花やプリザーブドフラワー、胡蝶蘭、アイスフラワーなどのお花を日本全国にお届けいたします。 また、最近テレビで話題のジェルボックスもご好評いただいております。 お祝いごとへの心よりの贈り物、お手伝いいたします。 ご不安な点などございましたら、ぜひ一度ご連絡くださいませ。 [http //www.hanakyou.info/ title=フラワーギフト] | [http //www.hanakyou.info/shop/products/list.php?category_id=5 title=誕生日プレゼント 花] | [http //www.hanakyou.info/shop/products/list.php?category_id=6 title=結婚祝い 花] 都生花 東京都豊島区駒込6-26-13 [http //www.miyako-seika.com/birthday_60th.html title=還暦 ギフト] / [http //www.miyako-seika.com/birthday.html title=誕生日プレゼント 花] / [http //www.miyako-seika.com/new_open.html title=開店祝い 花] / [http //www.miyako-seika.com/orchid.html title=胡蝶蘭 ギフト] / [http //www.miyako-seika.com/ title=豊島区 花屋] ホヌビジョン 神奈川県 相模原市 津久井町三井 390-1 [http //www.honuvision.com/ title=水中ハウジング] エリ花工房 〒165-0032 東京都中野区鷺ノ宮3-33-6 [http //www.erikakobo.com/products/list.php?category_id=45 title=開店祝い スタンド花] [http //www.erikakobo.com/products/list.php?category_id=7 title=開店祝い 花] [http //www.erikakobo.com/ title=お祝い 花] [http //www.erikakobo.com/user_data/stand.php title=スタンド花 贈り方] [http //www.erikakobo.com/open.html title=開店祝い 花] ワゴンワールド 埼玉県 さいたま市西区 三橋6 106-10 [http //www.storage-diner.com/ title=ラジオフライヤー 通販]
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Q. 古布と古裂の違いは何ですか?? 古布は昭和10年以前のものとインターネットで調べました。しかし、古裂について調べると・・・ここでは戦前以前が古裂、以降を古布にしています。とかいてあり、わからなくなりました。布の自体の事を古布?作品を古裂??どなたかお分かりになる方がいらっしゃればお教えいただけると幸いです。よろしくお願い致します。 ちなみに、古布の読みはなんでしょうか・・。 A. たとえば今日使っていた茶碗が嫌いになって捨てるとするとそれはゴミです。 その茶碗が市場に出回れば中古品です。 30年後にその茶碗は古道具屋に並んでいるかもしれません。 100年後に出回るときは骨董とかアンティークとして珍重されます。 ただの布が最初の役割を負えればボロ 次の役割を期待されれば古布 尊ばれれば古裂。 廃品回収にでているのがボロ リサイクルショップやイベントの骨董市で売られる古布 骨董屋、お茶道具屋にならぶのが古裂。 同じような例に、紙くず-古本-古書、というのもあります。 A. 伝統工芸繊維製造従事者です。 「布」と「裂」の違いなんですが、 「布」より「裂」の方が値打ちがあると業界の先輩から聞いた事があります。 ですから、「裂」は織物が多いです。 「布」の方はどちらかというと生活に密着した物で、 「常使い」の物という感じです。 そう考えると、 古布=日常着や生活用品等の布製品の古い物(年代は問わず) 古裂=衣裳、儀式用品等の布製品(絹素材が圧倒的に多い)の古い物(年代は問わず) 「古い物」という曖昧な言い方をしましたが、 だいたい太平洋戦争以前の物が値打ちがありますね。 特に絹製品は絹統制令以前の物がいいです。 戦後の物は大量生産化していて、丁寧に作った物が少ないです。 (戦後の物が単純に悪いとは言いませんが・・・) A. アンティークなものを「古布」=「こふ」と呼ぶという説もあるようで… ふるぬのとは呼ばない様です。訂正します。 A. 何度もすいません。 no2の方が、ふるぬのだと 書いていましたので 私のは間違いかと思います(笑) しかし、その私を笑った知人が 「古布家」(こふや)という 古布専門店のオーナーなもので てっきり、こふ と読むものとばかり、、、 すいませんでした^^; A. 由来する着物によって区別した布自体の種類の区別です。古裂とは新しくても戦前までのもので、時代を経た布のことで古い着物や風呂敷やのれんをばらしたものであったようです。戦後から現在のものを古布というようです。 A. 古布はこふと読むはずです。 私は「ふるぬの」と呼んで 知人に爆笑されました。 私の今、住んでいる町には 裂織(さきおり)という民芸が盛んです。 その説明を読むと 「古布・古裂を裂いて、機織りしたものが裂織」 と書かれています。 ちなみに、発祥は江戸の前期だそうです。 という事は、ほぼ同じものを指し 時代の流れで、呼び方が変わっていた。 という事でしょうか? 自信はないのですが、、、、 参照:OKWAVE 古布と古裂って?? より http //okwave.jp/qa/q562535.html 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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伊豆稲取地区のみに伝承された伝統工芸の品。通称つるし雛 【稲取地区での公式名称は、雛のつるし飾り】 稲取が本家本元の雛のつるし飾りについての様々な疑問や販売店の詳細などについて、 はまべ荘へ多数のお客様にお問い合わせを頂きますので、つるし雛の由来やなれそめ等 を簡素にまとめて見ました。吊るし雛、雛のつるし飾りについて詳しくお知りになりたい方は、 是非ともこのページをご参考にして頂ければ幸いでございます。 つるし雛 吊るし雛飾り 異なる由来を掲載しているWebやこの町が発祥の雛のつるし飾り『吊るし雛』には存在するはずの無い製品等が多数作られて市場販売されている現状を踏まえ、この説明のページを立ち上げました。雛のつるし飾り(通称名。つるし雛、吊るしは)江戸時代後期~明治初頭に稲取村より江戸に行儀見習を習得にいった娘さんが稲取に伝えたという説があり最近の文献や当時の様子を記した書物などを考慮すると、どうやら江戸時代後期に江戸での線が濃厚なのかも知れません。当館に期間中に飾ってある物の中には個人的には稲取の素朴な吊るし飾りの原型ではないのだろうかという物が飾ってございます。 稲取地区の伝統工芸品 【雛のつるし飾り】 また最近手芸店やインターネットで紹介されている吊るし雛の中にはまったく由来や根拠の無い物までつるし雛の中に吊るして展示、販売をしている所もございますが【個人が各自で作る物では個々の創作として大変に好ましいと思います。】それが雛のつるし飾り、吊るし雛に飾られている物として多くの方に認知されてしまうのはいかがなものかと思います。具体的な物はあえてここにはかきませんが、えっ。こんなのつるし雛にはなかったよねぇ。とか一体どういう桃の節句にちなんだものなんだろうねとかこんなこじつけの由来は、家のおばあちゃんも聞いた事がないよねぇとか稲取の街の中のおばあさんやお母さん達も首をかしげている様です。実は吊るし雛の中には40種類の他にも、10種類ほどございます。本家本元の稲取地区に飾られている物から当地にお越しの際に捜して見てくださいね。ちなみにインターネット上でつるし雛と言われている手芸店販売の物や、写真の中ではまだおめにかかった事はありません。稲取地区が本家の吊るし雛ですのでこれらの10種類はなかなか市場ではみつかりませんし。今時点では型紙もありません。その他、竹ひごの飾り方や材料にも時代によって変わっているのです。『50年程前の物は銅線を竹ひごの替わりにし紅白のリボンを巻いた物』 Q,※吊るし雛、雛のつるし飾りっていったい何。 A 伊豆稲取地区独自風習でひな祭り(桃の節句)に雛壇の両脇に対に飾ります。現存しているつるし飾りは約80年前の物。写真等は、昭和二年の物で、つるし飾りが雛壇の両脇に飾られています。真ん中にある人形は、青い目のアメリカ製の人形で昭和2年当時。アメリカの小学校より日本各地の小学校に文化交流の為、贈られた物でその返礼にこの写真と日本人形をアメリカの小学校にこの地より贈り届けた様です。(これ以前の物は、稲取地区のどんど焼き【1月14日】の際に燃やしたり神社等に奉納された為明治以前の物は、なかなか当地でも見つかりません。) Q,,※由来と言い伝え A 公式パンフレット等では伊豆稲取に江戸時代に、九州の柳川地区から伝わったとされていますが、過去の文献等ではのつるしの飾り方等の相違多々あり、雛のつるし飾りの風習は、この稲取地区独特の雛飾りの様です。 過去の文献では山形の酒田地区の物は当時稲取が海上輸送の中継地になっていた為、柳川地区→稲取地区→酒田地区と伝わっていったと考えられていました。 また江戸時代後期~明治初頭に稲取村より江戸に行儀見習を習得にいった娘さんが稲取に伝えたという説もあり最近の文献や当時の様子を記した書物などを考慮すると、どうやら江戸時代後期に江戸での線が濃厚なのかも知れません。 上記の様に様々な言い伝えありますが、この地区の古老のお話によると、江戸時代においては雛飾りを購入できるような裕福な家庭はまれで、せめて雛飾りの代わりに、愛する子供や孫の為に手作りの雛飾りで初節句を祝おうという、切ない親心から生まれたのが稲取の雛のつるし飾りまつりの発祥の由来と伝えられています。 Q,※他の地区でも飾ってある地域がありますが一体どこの地区が本物なのですか、、 A 伊豆稲取地区の伝統工芸品。『雛のつるし飾り』 稲取での通称は、つるし雛又は吊し雛。 雛のつるし飾りの風習は、江戸時代後期の頃を発端に稲取に住む先人達により、この町独自の和裁細工として現在まで受け継がれて来ました。戦後の混乱期のさなかには一時この伝統ある風習も廃れかけておりましたが詳細はこちらに詳しく説明があります。雛のつるし飾りまつりとして開催に至る経緯や独自の風習を裏付ける資料の抜粋があります。』地元の有志の方々により現存している昭和初期のつるし飾り、地域の古老の皆様に古来のつるし雛の提供や型紙の提供を受け現在に至っております。雛のつるし飾りは、稲取にのみ昔より風習の残る珍しい和裁工芸細工です。この全国的にも珍しいつるし飾りの風習は、九州柳川地区、山形酒田地区、伊豆稲取地区の3個所のみが歴史的な伝承の由来や雛細工の文献等、つるし飾りの資料が現存してございます。他の伊豆地区及び東北地区の寺院、静岡県東部の物『大仁町、河津町、清水市、富士市』は稲取地区の物をコピーし展示した物ですので歴史的言い伝えや今日までの伝承の由来はございませんので、お間違えのない様、お願い致します。つるし飾り(稲取地区の昔からの通称名は、吊るしつるし雛)の風習があった地域は、伊豆稲取地区、九州柳川地区、山形坂田地区でございます。ご旅行の際は是非この3つの地区を訪れて見て下さい。 Q,※飾り方の詳細は、 A 稲取では独自の55個飾り×2対で110個を雛壇の両脇に桃の節句(3月3日)につるし飾りを雛壇と一緒に飾る習慣が稲取地区には江戸時代からありました。雛のつるし飾りは竹の輪・・直径25cmの物に紅白のリボンを巻き竹ひごを竹の輪にクロスさせ(同じく紅白のリボンを巻く)その細工した紅白の竹の輪に5本の赤い釣り糸をつけ一索事に11個。合計で55個の吊るしを2対造り雛壇の両脇に飾ります。(さげもんは竹の輪周りに下がっているまりや縫いぐるみが7×7=49個で一対で雛壇の両脇に飾る決め事はなかった様です。) Q,※どのような物を吊り下げているのですか。 金目鯛 羽子板。 這い子人形。 A 『三番奏』稲取地区では江戸時代より伝わる稲取の夏祭りに現在も披露している子供三番奏の舞の装束です。 『亀』長寿の象徴ですね。可愛い子がどうか長生きをする様にと願いを込めて 『扇子』小正月の縁起物のひとつです。 『雀、すずめ』五穀豊穣をあらわして、食に恵まれて丈夫になれます様にとの意味が込められています 大根』古来より毒消しの意味があります。 『人参』滋養があり、我が子が健康育ちます様に。 『花』花の様に娘や孫が可愛くなりますように、心をこめて 『太鼓、つづみ』おめでたいものなので、幸多き事が増えます様にとの願いが込められています。 『枕』寝る子は育つの言い伝え、すこやかに育ての祈りをこめて 『うさぎ』赤い目のうさぎは、病気を退治する力があったと信じられていました。そのことわざのとおり、病気にかかってもすぐ直る様にとの願いがこめられています。『昔は乳幼児の死亡率が高かった為』 『手毬』幼子の遊び道具です。 『蛤、はまぐり』二枚貝は貞操の象徴ですので、娘の幸せを祈って 『おかたごろ』稲取地区の女の子のお人形遊び。おかた様といえば、美しい姫君、奥方さまのことです。将来はその様な由緒ある家柄のところへ嫁いでくれればいいという、娘の幸せを願う切ない親心の表れですね。 『金目鯛』稲取名産の縁起物、おめでたには欠かせません。赤い色は魔よけの色の意味もあります。 『唐辛子』昔防虫効果に、雛人形の衣装等が蒸しに食われない様に唐辛子を入れて収納していました。この事をも じって可愛い娘に悪い虫『男関係』が付かないように、悪い虫を避ける様にとの願いがこめられています。 『羽子板』厄を飛ばすとの言い伝えがあり、厄を跳ねとばしてしまう様にとの願いを込めて 『這い子人形』ハイハイを沢山する子は丈夫とのたとえがある。愛らしい我が子にたとえて這い子人形なんですね 『だるまさん』七転び八起きで福を招く縁起物。赤が疱瘡の魔よけとされていました。 『三角』香り袋、屠蘇袋、薬袋と、昔は、みなが三角の袋でした。病気になったらやはり薬の世話にならなくてはいけません。そういう病気に無縁な様にとの願いもこめられているのですね。 『巾着』総てのお金が我が娘のもとに集まって幸せが舞い込む様にとの親心のたとえですね。 『座布団』赤ちゃんといえば、座布団の周りでハイハイ。『這えば立て、たてば歩めの親心のたとえですね。』 『鳩』神の仕えともいわれ、鳩は咽ないとも言われ、お乳を飲む赤ちゃんにあわせた由来があります。 『草履』早く歩けます様に、足が丈夫になります様にの意味がこめられています。 『猿っ子』さる(去る)にかけて厄い、災いが去るという意味がこめられています。 『柿』柿には滋養がある。栄養もある。『柿赤くなれば医者青くなる』のことわざによりこの意味が図られています 『猿っ子』さる(去る)にかけて厄い、災いが去るという意味がこめられています。 『桃』桃には邪気を除くということわざがあります。『我が子が幸せになります様に』との切ない親心をこめて 『鶴』長寿の象徴として、よく知られています。子を思う親心を込めて吊るし飾りに縫い付けます。 『俵ねずみ』大黒様の御遣えでもあるねずみは金運もあり霊力があるといわれています。神の使いとの諺もあります 『おかめ(お多福)』我が子に多くの幸福がおとずれます様にとの願いが込められています。 『ほおづき』女性の守り神とされており、婦人病の薬効〔安産、月経不順、母乳不足〕の願をかけて 『犬』この地方の言い伝えでは、安産の象徴として縁起物とされている経緯があります。 『隠れ蓑』七宝の一つで縁起物です。子供の晴れ着等によく描かれています。 『糸巻き』お裁縫が上手になってくれる様にとの願いが込められています。 『蝶』三々九度の男蝶、女蝶の縁起物です。蝶の様に可憐に可愛らしく娘がなります様にとの願いが込められて、 『よだれかけ』疱瘡避けとしての由来があります。 Q,※どこで展示してある物を観覧できますか。 A つるし飾りの会場は5ヶ所ございまして、むかい庵、文化公園の2ヶ所は旅館組合の 公式会場でございます。残りの3ヶ所は、個人の設営にて開催されてございます。 むかい庵、文化公園の公式会場は各施設でそれぞれに入館料金200円を頂いてございます。 『むかい庵、文化公園雛の館の入館料金は各施設200円がかかります。『公式2会場』』 残りの3ヶ所、当館の並びにある。あらしく通り雛の館及び二つ掘りみかん園の 雛の館並びに岬の館に関しましては、個人運営ですので各施設により入館料金が異なります。 稲取駅より第一会場のむかい庵までは徒歩12分~15分位でございます。 あらしく通り雛の館までは第一会場より徒歩10分弱にて到着致します。 あらしく通り雛の館より文化公園雛の館までは徒歩12分位でございます。 二つ掘り雛の館までは文化公園から徒歩20分弱ほどかかります。 二つ掘りまでの順路は登り坂が多いので、出来れば町内を回遊してございます シャトルバスをご利用されてはいかがでございますか。発着時間等に限りが ございますので、会場にてご確認下さいませ。 各会場の飾り付けでございますがむかい庵は、由緒ある古代雛、並びに 古い由緒あるつるし飾り等が展示してございます。ぶと納屋は、 地場産品の販売をおこなっております。文化公園の雛の館はもっとも充実した 展示等を執り行っている最中でございます。ご期待下さい。 Q,※実際に雛のさげ物を製作してみたいのですが、 A つるし飾り製作体験教室 稲取の伝統の吊るし飾りの妙技を手軽に味わっていただく為に吊るし飾りの 製作キット『正絹布地、綿、型紙』をご購入いただきまして雛の講師の方が 懇切丁寧に稲取の吊るし飾りの技をお客様に伝授いたします。 『受講料、500円程度キット代は別途』事前予約が必要でございます。 講座開設時間は、午前10時~12時までの2時間の部と午後一時~4時までの 3時間の部に分かれています。午前の部製作は、猿っ子、巾着等の初心者向け、 午後の部は、中級者~上級者向けにうさぎ、這い子人形の製作が体験できます。 Q,※購入してみたいのですが、 A 40数種類のうち代表的な10種類位の物は単品にて雛の館、街中の商店でも販売しています。正規の物は55個×2の110個の吊るし飾りでお値段の方も結構いたします。正絹のいい生地を使って丁寧に作成した最高級のつるし飾りは15万~20万位のお値段にて売買されております。なお雛のつるし飾りはご自身の目で確かめて納得のいく物だけお買い求め下さい。なにせ手作りですので出来の良し悪しがございますのでくれぐれもご注意して適正な価格・出来の良い品物だけをお選び下さい。 参照:「雛のつるし飾りのあれこれ。当地区の通称は、つるし雛またはつるしと云います。」 http //www.izu.co.jp/~hamabe/new.inatori.hina.page.htm 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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備後絣(びんごかすり)は、広島県福山市新市~福山市芦田町で製造されている絣。伊予絣、久留米絣とともに日本三大絣の一つともされる。綿が主で、絹、ウールも生産されている。 備後絣の生地を利用した座布団 目次 [非表示] * 1 発祥 * 2 全国への出荷 * 3 衰退 * 4 新たな試み * 5 脚注 * 6 参考サイト・外部リンク 発祥 [編集] 元々、福山城主水野勝成によって、福山沿岸部一帯は棉花の栽培が奨励されていた。江戸時代後期の文久年間に広島県福山市芦田町下有地谷迫在住の富田久三郎が中田屋万兵衛から「キシ縞(じま)」という浅黄(あさぎ)絣の絹織物を見せられ、これにヒントを得、手引糸を使って縦糸の一部を竹の皮でくくり、それを染めて井桁(いげた)絣を考え出したのが、備後絣の初めである。久留米絣の技術を応用したという文献もある。当初は文久絣とも呼ばれ、女性用の耕作作業着として用いられた。 全国への出荷 [編集] 明治以降全国に進出し、太平洋戦争中の中断をはさんで昭和35年(1960年)には年間三百三十万反を生産、国内の絣生産の7割を占めた。当初は綿が主体であったが、次第にウール絣も生産されるようになった。生産工程の大半は家内工業で実施され、各家内工場を馬やトラックなどで製品を運搬するという非効率的な生産方法であったが、昭和50年代中頃までは、福山市芦田町では備後絣を生産する織機の音が聞える家庭が少なくなかった。[1]藍染めなので虫や蛇を寄せ付けない効果があり、手紡ぎ糸の厚みのある綿生地なので、丈夫で保温性にも優れていた。 衰退 [編集] しかし、その後は急速な洋装化によって絣の需要が激減した。浴衣などの多様化も試みられたが、元々作業着用の生地であり西陣織のような高級化による差別化は困難であった。最盛期には200社あまりで年約300万反製造(一反は十一m余)が行なわれたが、現在では2社での少量の生産(平成22年現在;年間3000反)にとどまっている。 新たな試み [編集] 後継者不足の為、備後絣協同組合(福山市新市町)は福山市の「伝統的工芸品伝承事業」の委託団体に登録、「国のふるさと雇用再生事業」を活用して2010年5月より2名を新規雇用して研修させるなど、事業の存続への試みが行なわれている。[2][3] 脚注 [編集] [ヘルプ] 1. ^ 産地復興目指す協同組合 ニュー備後絣開発 読売オンライン 2. ^ 「備後絣」後継者育てよう 福山の協同組合 5月から2人雇用 『山陽新聞』2010年4月28日掲載 3. ^ 「備後絣」継承へ後継者育成 『中国新聞』地域ニュース 2010年4月28日掲載 参考サイト・外部リンク [編集] * 備後絣協同組合 * 広島県指定伝統的工芸品 備後絣(ひろしま まなびネット) 参照:ウィキペディア「備後絣」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99%E5%BE%8C%E7%B5%A3 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛