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太陽と月と星がある 第十八話 風が涼しくなり、夏の気配も遠のいた今日この頃。 ここは日本と気候が違いますが、秋は空が高いという事と食べ物がおいしいという事は共通しているようです。 「天高く 馬肥ゆる 秋」 この場合は、ヒト肥ゆる秋 でしょうか。 御主人様は私に太れと言うので、それもいいかもしれませんが、そうすると服を丸ごと買い換えなくてはいけなくなるので困ります。 ただでさえ、ぶかぶかだったはずのナース服を少しきつく感じ始めているというのに……。 キケンです。 今のジャックさんからのお給料では、これ以上の出費は賄いきれません。 ……困りました。 「キヨちゃんキヨちゃん」 今日も今日とてジャックさんはエロ雑誌を読んだり、官能小説を音読したりしていたはずなのですが、珍しく耳を半分ほど立てて目を煌かせています。 「オレちょっとバカンスに行こうと思うんだけど!」 「いってらっしゃい」 「ううううううう妹が冷たいよぉぉぉぉおおぉぉぉ」 そう言って床へ押し倒し、太腿にすがりつくジャックさん。 膝裏に頬ずりするのはやめましょう。 というか、私は喉が痛いのです。マスクつけたほうがいいかもしれません。 「ほらさぁ、よーやく涼しくなってきたし?オレとしてもそろそろリフレッシュ!みたいな」 ヒトの足にのの字書くのはやめましょう。甘噛みも禁止です。 「やっぱりね、こう真面目に毎日働いているわけだし?」 どうやらウサギの真面目とは、エロ雑誌の発売日に本屋へ猛ダッシュしたりすることを指すようです。 「まぁ、そんな風に過ごしてると、気持ちがダレるっていうか、NEWナース服探しの旅!ていうか?漲るパッション全力投球☆みたいな」 じょしこーせーみたいな口調が心底キモイです。 「遅れてきた夏休み!ひと夏(期間無期限)の思い出をオレは作る!!」 そっと足を引き抜こうとしましたが、あっさりバランスを崩されうつ伏せになる私。 毎度綺麗に掃除しているからいいものの、何故私はこう床に縁があるのでしょうか。 毎日のように突っ伏す床が冷たいです。 季節の移り変わりを床の温度で感じます。 ジャックさんは抵抗できないのをいい事にガブガプと咬んだりしていて大変キモイです。 「所でキヨちゃん」 ひとしきり足を撫で回した後、満足そうな溜息をついたジャックさんは、真面目な表情を作って私の顔を覗き込みました。 「スッパツは邪道だと思うよ!」 とりあえず、全力で蹴った。 *** 翳り始めた陽に照らされた小さな体に似合わないリュックサックには、ぎっしりと教科書やノートが詰め込まれていて、重そうで危なっかしい。 「今日ねー作文で花丸もらったよ」 学校の帰りと、買い物がたまたま被ったため、手を繋いで帰宅する私たち。 本当に、たまたま。 偶然。 小さな手を握って今日あった事を聞いて、晩御飯の話をして明日の話をする。 ジャックさんが旅行に出たと聞いて、チェルはつまらなそうに鼻を鳴らして、私の手をぎゅっと握った。 「ジャック、おみやげもってかえってくるかな?」 現金な発言に笑ってしまったけど、チェルも楽しそうだから問題はないみたいだ。 「おかし持って早くかえってくるといいねぇ」 頑張れジャックさん。 サンタクロースよろしく大きな袋を背負っている姿を想像したら、なかなか様になっているような……。 ネコの国にクリスマスってないんだろうか。 プレゼントを枕元に置いたら絶対喜ぶ。 御主人様は嫌がるだろうか。 バレンタインと七夕は反応していたから、案外いけるかもしれない。 御主人様はヘビの国だし、私はこっちの事をあまり知らないから、行事とかに疎くなってしまうけど、こういうイベントは色々やってあげたい。 ジャックさんが居れば色々訊けるのに。 今夜出発すると言い出して荷造りを始めてしまったから、何も出来なかった。 こっちの人は気が早いのか、ジャックさんはそんなに旅行に行きたかったんだろうか。 ジャックさんが帰ってきたら、相談してみようか。 色々考えてニヤニヤしていると、チェルが丸い瞳をきょとんとさせてみていた。 「キヨカ、楽しそう」 バレてた。 頭をぐしゃぐしゃさせると、小さな顔が緩む。かわいい。 嬉しくて撫でていると、咳が止まらなくなってきた。 顔をそむけ咳き込む私を心配そうな顔で覗き込むので、笑顔を作って誤魔化す。 「だいじょうぶ?」 「だいじょーぶ」 見上げる顔の柔らかい頬をぐにぐにして笑わせる。 「あ、そうだ。あのねー明日お休みだからって、ふーちゃんがね……」 チェルがお友達の家にお泊りという事になってしまって、結構寂しい。 台所で色々していても、賑やかな声が聞こえないと作り甲斐がないし……。 サフはアルバイトだから、多分帰りは相当遅い。 勤務時間はそろそろ終わりのはずだけど、ニキさんとデートしたりするから結局帰りは遅くなる。 ここら辺は歓楽街から少し外れているので、事件に巻き込まれるっていう心配は少ないけど……。 デート……。 二人が成長するにつれて、どんどんそういう事が増えるんだろうなと思うと、気落ちしてきた。 私、どんどん要らなくなる。 二人が成長するのは、とってもいい事なのに、そういう事を考える自分が嫌だ。 色々考えていたら咳が出てきたので、念の為に診療所から持って帰ってきたマスクをつけた。 ヒトの風邪が人に伝染するかどうかは、ジャックさんも判らないそうだけど、万が一という事もある。 御主人様に伝染したら大変だ。 のろのろと晩御飯の仕度をしていると、少し熱も出てきたらしく頭がぼんやりしてきた。 誰も居ないと緊張感が無くてよくないのかもしれない。 何か、仕事を作ろう。 そうだ、えーと…… *** 時にはイヌよりも厚い毛を持つネコの中には、暑い昼より涼しい夜を選択し夜間業務に励む人々がいる。 需要には、供給を。 お客様なら神様です。 漆黒の夜の帳に覆われる時分、最小限の明かりがついた店内に毛並みのいいイヌの少年が床掃除に励んでいた。 「サフー 暇、なんか芸しろよ。芸」 カウンターに、頬をつけ億劫そうに言う彼女の言葉にモップを動かす手が止まる。 「店長はじめ出勤予定者が風邪で寝込んだから人手が足りなくて、休みなのに出勤になったの誰」 振り返りもせず尋ねると、億劫そうな欠伸の後にのろのろとした返答。 「サフー」 「ニキが事務やる分、宅配をいつもの倍以上やってるの誰」 鼻を鳴らすと、あまりの人員の少なさに常連から哀れみの眼差しと共に差し入れられた見舞いの菓子の匂いがした。 「サフわーん」 カリカリと、お菓子を齧る音。 それ、僕の分なんだけど。 「新月で暗いから、夜番一人じゃヤだって、職権乱用して引き止めたの誰」 カウンター越しに鼻を突き合わせ金色の瞳をじっと見据えると、白い尻尾がパタパタと床を叩いた。 「……にゃー …ん」 甘えた掠れ声に負けて耳の後ろを掻くと、小さなゴロゴロが聴こえる。 掃除を諦めカウンターの後ろに回ると、待ってましたとばかりにしなやかな体がタックルしてきた。 「今日、ちょー寒いじゃん?毛皮毛皮」 喉を鳴らし、顎の下に顔をこすり付けられ押し負けて床に座り込むとそのまま上に乗っかられた。 「一応、まだ仕事中なんだけど」 「こんな晩に来るのは、強盗か恋人いないヤツだけじゃねー」 にゃふっと笑って、シャツをめくりあげ尖った爪を毛皮に突き立てる。 「ちょっと背伸びたな」 軽くキスしてから背中のホックを外し、チャックを下ろす。 あっという間に褐色の肌に下着が眩しい姿になった。 「まだ晩御飯食べてないね」 「後で屋台行こうぜ」 寒くなってきたとはいえ、昼はまだそれなりに暑い。 鎖骨のくぼみを舐めると夏の名残の味がした。 「屋台って?」 下着の隙間に指を入れて柔らかい色合いの部分を丹念に愛撫しながら尋ねる。 向こうもその気になってるのがわかって、早くも下半身に血が溜まりつつあるのが判った。 「ラーメンのっばっ ちょ んっ」 もどかしげに開いた唇は、さっき食べた砂糖菓子の味がした。 小さな舌と絡ませ零れそうな唾液も一緒に嘗める。 こんなときのニキの表情は、凄くえろい。 「ね、いい?」 尻尾の付け根を強く握ると甘い悲鳴が上がったので、フリルのついた下着をずり下げてそっと角度をあわせた。 白くて薄い毛に覆われたそこは薄く濡れ、雌の匂いを立ち上らせている。 同じくらい濡れた金色の瞳がとがめるようにきゅっとすぼまった。 「ナカダシ禁止だかんな」 返事をせずに濡れた部分に中指を慎重に差し込み熱い部分をゆっくりとかき回すと濡れた水音と一緒に締まるのが判った。 指を増やし中をほぐす傍ら、尻尾の付け根を強弱をつけ握ると膝ががくがくと震えだす。 ホックを外して茶褐色の先端を噛むと甲高い悲鳴が上がった。 笑うと悔しそうな表情で睨まれる。 「早漏の癖に」 「その早漏におねだりしてるくせに」 今度こそ怒りの表情になり、肩を押された。素直に床に転がるとそのまま乗られた。 赤黒く起立したものを太腿で挟まれ、指先でゆっくりと擦り上げられると重さとじれったさで荒い息が洩れた。 ネコならではの柔軟な体を駆使され、先のほうだけザラザラとした舌で舐められて思わず目を閉じる。 あえて焦らす仕草が小憎たらしいので、お返しに柔らかな双丘を撫でたり、谷間を指先で弄ると抗議するように尻尾が左右に揺れた。 「ごめん、でそう」 「バカ我慢しー――」 同時に来客を知らせるベル音が店内に響き渡った。 多分、今日も全力で土下座決定。 *** 帰宅するとキヨカがマスクをつけていた。 差し出された白くて細い指に握られたチラシを受け取り、いつものように鞄を差し出す。 いつものように地味な装いにエプロンを着け、編み上げた髪にマスクが不釣合いで思わず凝視していたが、チラシを指差され仕方なく目を落とした。 赤と白の二色刷りのチラシには「大特価 魔洸TV大画面云々」裏には、懸命に書いたらしい文字。 「かぜのため、こえがでません。ごじょうしゃください?」 薄く隈を作った目が点になり、チラシをじっと見つめた。 「……ごようしゃ?」 聞くに堪えない、痛々しく掠れた声に思わず顔を顰める。 「もう喋るな。黙ってろ。あと、チビ共はどうした」 用意周到に複数の紙が取り出され、溜息が洩れた。 こんなものを準備するくらいなら、もっと自分に気を使えと言いたい。 子供ではないので、そこまで口出ししようとは思わないが……心配になる。 本当に風邪だろうか。そういえば、昨日から少し咳き込んでいたか? 『チェルはおとまりです』 「泊り…?どこにだ」 学校における交友関係、泊まりに到る経緯と近所の悪餓鬼の名前が複数書かれた補足チラシが追加された。 しかし、なぜそんなに矢印が入り組んでいるんだ。 みればイヌらしい名前や、ネコではありえないであろう名前もちらほらと出ている。どうやら子供にとって種族の壁は薄いらしい。 泊まり先は知った名前だったので安心した。 いざとなれば、即座に駆けつけられる距離だ。 最後に差し出されたチラシには『はつおとまりなので、ιんぱいです』 「そうだな」 同意するとこっくりと頷かれ、全力で抱き締めたい衝動に駆られたが、堪えた。 代わりに額に掛かる前髪を掻きあげ、温度を計る。 チェルと同じくらいの温度だから、平熱だろう、多分。 ついでに閉じられた目蓋とそれを縁取る睫を軽く撫でてから手をどかすと薄く潤んだ瞳で上目遣いされた。 なんとなく頭をそのまま撫でる。おうとつのない丸い頭はヘビと同じように撫でやすい。 「ジャックのバカはどうした。アイツなら咳止めぐらい持ってるだろう」 頷くと同時に咳き込む細い体を見て、ようやく玄関に居たままでは体を冷やす事に思い当たる。 何でさっさと言わないんだ。 『ジャックさんから』 糊付けされた封筒から出てきた薄紙には見慣れた文字で簡潔にこうあった。 『ちょっと千人斬りの旅にでます』 細切れにしてゴミ箱へ叩き込んでいると、夕食の準備をしていたキヨカが更にチラシに書き記し差し出してくる。 『おぼれてきたなつやすみらしいです』 黒いウサギが海に沈む風景を想像したら、少し気が晴れた。 うるさいのが三人も居ないと、必然的に食事中も静かになる。 普段ならあれこれと料理の説明をしてくれる彼女が口を利けないとなれば、食べる事に専念せざるをえない。 マスクを取った顔は、予想よりも血色が良く、本当に喉が腫れているだけらしい。 そういう訳で、当然食事も早く終わる。 最近はいかに仕事を家に持ち帰らないかに心血を注いでいるので、食事も終わればすることも無く、余裕があるので普段はしないような事にも手が回る。 居間に山積みになっていた乾いた洗濯物をテレビを聞きながら畳んでいると、皿を洗い終わったキヨカが入り口の所で立ち尽くしていた。 呼び寄せると床に座り、近くの洗濯物を畳ながらちらちらとこちらを窺ってくる。 三角の布を手に取った瞬間、えらい勢いで奪い返された。 目を見開き、マスク越しに荒い呼吸音。 しばらく考えて、先ほどのものがなんだったのか、思い当たった。 大学ともなれば年頃の男女が大勢いる。 どいつもこいつも好奇心が強く、享楽的なネコの国。 人気の無い物陰では喘ぎ声が聞こえるし、油断してると避妊具を踏んだり、学生がマタタビを実験室で爆発させて教員含めて乱交状態になり、収拾に終われたこともある。 服装だって、夏場ともなればきわどいを通り越して全裸同然だっている。 つまり何が言いたいかといえば 恥 じ ら い 最 高 ! 一瞬、アイツの気配を感じ、悪寒が走った。 これ以上のことを考えるのはやめにして、賑やかなテレビに目を移す。 やけに暗い画面に派手なネオン、妙な効果音。 『特攻東部警察!きょうはすぺしゃるです』 チラシが切れたのか、字の練習をしているノートをちぎって渡された。 真剣にこちらを見てくる様子から鑑みるに、どうやらこれが見たいらしい。 「好きにしろ」 何が面白いのかテレビを真剣に観る彼女の顔はマスクで覆われ、表情もわからないのでうかがい知る事はできない。 ソファーに寝そべりぼんやりと横顔を眺めていると、不意に顔がこっちを向いた。 しばらく見詰め合ったあと、ギクシャクとした動きで台所から茶菓子と酒を運んでくる。 気が利く。 テレビの騒々しい音だけが部屋を占めている。 僅かばかり開いた窓から流れ込む夜気は、砂漠に比べれば温いのに部屋の中が少し寒い気がする。 床に正座してテレビを凝視している細い姿も両脇を占める毛玉が居ないと違和感がある。 「おい」 振り向いたのでソファーに腰掛けさせると、落ち着かないのか体を動かしていた。 枕は柔らかくて心地いいというのに、動かれると頭が揺れて落ち着かない。 「動くな」 大人しくなったので、足に触ってみる。ちょっと、肉がついたか? いや、まだまだだな。 今日、何か買って来れば良かったか。 女の並ぶ店で買うのは嫌なんだが……でも買うと喜ぶからな。 まだまだ細い体を見ると、この前の映画を思い出して憂鬱になる。 ナニが待遇改善の為、だ。 アレを観た連中の感想はな「同じ事を試してみたい」だぞ。 女優のファンとかいう連中は途中発情して、最後は号泣していたが。 テレビの中では、妙な服を着たネコ女が繁華街を走っている映像が流れていた。 落ち着いた男の声で『御禁制のナインイレブンの闇取引の情報を掴み、夜の街を駆ける継承権第十何位の姫君』なる説明。 王家の暇潰しの一環を取材するとは、つくづくこの国は平和だ。 その背後には洒落た服装のマダラと、スーツのネコ男達、画面が切り替わり、映ったのは不思議な内装のクラブだった。 暗い店内に様々な色の照明が灯され、薄着の女が盆を持って愛想と媚を売っている。 『このクラブは、ヒトの世界のクラブを模したものだけあって、客は富裕層ばかりであり、同時にナインイレブンの顧客でもあるのだ』 偏見だろう、それは。 暗い画面の中、さり気無くネコ女を守る位置に立つ少年は、良く見ればマダラではなかった。 髪があるからヘビではなく、尻尾が無いからそれ以外でもない。 首には細い……首輪ではないものが巻かれている。 キヨカはテレビを食う入るように見つめ、身動きしない。 「あっちのクラブというのは、本当にああいうものなのか?」 本当は、そんな事に興味は無い。 ややあって差し出されたノートの切れ端には、相変わらずの文字が並んでいる。 斜めの角度だと、余計読みにくい。 『みかいねんはにゅうてんきんく。らいかとかどらむはああいうらんじ』 誤字が多い。そんなに気になるのか。 名残惜しいのを我慢して頭を上げ、顔を寄せた。 無粋なものをどうにかしたい。 多少遠慮しつつマスクを引っ張るが、キヨカはテレビから目を離そうとしない。 画面の中で少年とスーツが黒服を追い散らし、ネコ女は犯人らしい男を踏みつけ、朗々たる声で罪状とやらを読み上げている。 下らない道化芝居だ。どこが面白いんだ。 「キヨカ」 こっちを向け。 「あの子供はオマエより年下なのか?」 「中学……年下です。多分」 掠れた声の返事。 字を書くのも惜しいらしく、即座に画面に戻った。 退屈凌ぎに周囲を見ればノートが目に入る。 引き寄せ、中を見ればノートの大半が細かな字で黒く埋まっていた。 見慣れた文字もあれば、見当もつかないような文字もある。 「おい、これはなんと読むんだ?」 「えーっと、かんぴょぉぉおぁあっわわわわわきゃあああ!!!」 取ろうとするので届かない位置で掲げると、必死になって手を伸ばしてきた。 「ななっなんで持ってっ!」 よほど見られたくない事でも書いてあるのか、床を跳ねて取ろうとしてくる。 普段の落ち着いた動作の欠片もなく、バタバタと暴れる姿が新鮮だ。 手で体を押さえ、ギリギリの所でノートを振って見せるとジタバタと悶えていて面白い。 「少しぐらい、構わないだろう」 からかいを込めてそうそう言うと、悲鳴ともうめきとも取れる小さな叫びをもらし、子供のように暴れる姿が珍しく、新鮮で…… 華奢な身体が水から揚げられた魚のように跳ねる。 だがこの暖かくて柔らかいものを離すことなど絶対に無理なので、そのまま。 「だッ…ジャックさんみたいな事しないで下さいッ!」 やはりアイツは一度、キッチリと絞め折る必要がありそうだ。 *** 御主人様がダメっぽい。 多分、みんな留守だから寂しいんだろうなと思うけど、膝枕とか、どうでしょうか。 いいけど。 御主人様に膝枕とか、なんか、アレだ。アレみたいで心臓によくない。 いいけど。 テレビの特番でネコのお巡りさん達が麻薬組織とドンパチしているのを観ていたら、やけに御主人様が絡んできた。 いいけど。 うっかり体を寄せたくなってしまうので、あえて目をテレビにやった。もふもふなお巡りさんは見てて楽しい。 制服じゃなくてスーツだから、刑事さんなのかもしれない。 テレビだから良くみえてるだけかもしれないけど、やっぱりああいうお仕事の人はカッコイイ。 お父さんもああいう風に頑張っていたんだろうかと思うと、自然と姿勢を正しくしてしまう。 そんなワケで、真剣に観ていたら、御主人様が私のノートを手に取っていた。 ノートは基本的には字の練習用だけど、まあちょっとだけ色々書いたりはしてる。 日本語とか、忘れないように、日記というほどまめに書いているわけではないけど、見られてもいいものでもないわけで。 それを御主人様が……普段無表情の癖に、心なしか凄く楽しそうな笑顔だ。 しかもかなり意地悪い。 尻尾でノートを持ってからかってくる。 ありえん。 御主人様の中の人がジャックさんに乗っ取られたのかもしれない。 途中で力尽きて諦めたら、ちょっとつまらなそうな顔になって背中に腕を回してきた。 長くてたくましい腕は、服越しでもひんやりしているので、微熱のある状態だと非常に気持ちいい。 御主人様の背中は、固いけど広くて安心する。ゆっくりと、心臓が脈打つ音が聞こえる。 ばさりと、髪の毛が落ちた。 指が髪と首筋を触っているのが判って、ちょっと背筋がぞくぞく……気のせい、気のせい。 そういえば、背中半分くらいまであったのを、肩の下ぐらいまで切ってもらって一週間ほど経ちますが、御主人様からは何の反応もありません。 ……まぁ、御主人様には関係ない事なんでしょうけど……。 唇噛まれていますが、御主人様はイヌやネコと違い牙らしい凶悪な歯ではないので大変いいと思います。役得ですよね。超役得。 しかも毒とか、ちょっと気を使ってくれてるみたいで。 御主人様超優しい。 あと疑問なんですが、歯って味するんでしょうか。 するはずありませんよねせいぜい歯磨き粉の味ですよね、いやダメですだめです。困ります。 ファーストキスはレモン味とかアレ嘘ですからだから別に何回やったって生臭いだけですよキモイだけですよしかも私なんかだってそのだって。 「……ひゃ ぅ 」 いけません、これ以上はいけません。 頭が何も考えられなくなりそうなのを何とかフル稼働させている間にも、御主人様の手つきが、その。 まずいですやばいですええええっとほらあのそのあの…えー……と…… 「あの、でんき…」 ブラウスの四番目のボタンを外す手が止まった。 視界が開ける。 本来なら膝がある場所には柔らかい色合いの尻尾があって、ざらりとした感触と冷たい温度。 こちらを見る訝しげな表情は人のようで…………人じゃない。 あ、そうか。 こっちは、魔洸なんだ。 電気、ないんだ。 だって、ここは…… 私、人じゃ、なかったんだっけ。 すっと、頭が冷えてきた。 ここは、寒い所だった。 私、人じゃないんだっけ。 「あの、できたら照明消して頂けると光栄なんですが、どうします?しゃぶってから消しますか?消してからしゃぶります?」 「なんだその二択は!」 別に舐めるんでも噛むのでも構いませんけど。縄はヤだな。跡付くし、痛いし。 ん?もしかして縛ったり踏んだりするのは私の方なのかな? 性癖は外見からじゃわからないし……。 そんな事を考えつつ、寒気を感じてゲホゲホしていたら、御主人様はこちらを睨み、目線を下げ低く喉の奥で呻いてからボタンを直し始めました。 「あれ、やめるんですか?」 「ふざけてるのか」 まぁ、うっかり雰囲気に流されてこんなのに欲情しかけて恥ずかしいとかいうのは、判る気がします。 いくら、男性は出せればいい的なアレでも、ねぇ? 中古はやっぱり、キズあるし、気持ち悪いでしょうしね。 「前もいいましたが、病気は持ってないから安心ですよ?後腐れもないからお手軽だし」 幸い今日なら何が起きても情操教育に悪影響を及ぼす恐れがないわけだし。 む、そう考えるとこの機会は貴重かもしれない。 もうちょっとアピールしておきましょうか。 「あとで掃除しますから、噛んでも撲っても切っても絞めても心配無用ですよ」 スリッパで叩かれた。 「お前、実は俺の事が嫌いだろう」 「まさか。滅相もない」 「ならいい」 いいんですか。そうですか。 身を起こそうとした御主人様の服を引っ張ってちょっと待ってもらい、目の前でスパッツを脱いだ時の御主人様の反応は面白かった。 目が真ん丸で、誰かに似てると思ったら驚いた時のチェルに似てる。 その後、昔取ったなんとかで服を着たまま下着を取ると、見るからに挙動不審になった。 日本の学生なら必須技術なわけですが。 中学校に更衣室なかったし。 御主人様はムード重視…というか、普通はこういう事しないのだろうか。 普通って、どういう風にするんだろう。 客にやるみたいに、一枚ずつ脱いだ方が良かったのかな。 ブラウスの下から触れるように指先を握って肌を沿わすと、そのあとは積極的でした。 ……冷たい。 手つきが柔らかいのが、結構意外。 ご満足いただけるほど巨乳じゃないので、かなり不満はあると思ったのに何も言わずにやわやわと触ってくる。 手付きに違和感を感じるのは、御主人様の手がヒトの手に似てるからだろうと、思う。多分。 私、手フェチだし。 毛とか、ホントいらない。 しかし、この御主人様どんだけキス好きなんでしょうか。 二人分の体重でソファーが悲鳴を上げています。 ついでに私の背骨も悲鳴を上げそうです。御主人様重いし。 天井を見ていたら、御主人様も顔を上げ尻尾で照明を消した。 便利だ。 「いいなぁ…しっぽ」 真っ暗な部屋の中で思わず呟くと微かに笑う気配。 軽く腰を浮かすと、尾てい骨を探りそれから更に下へ降りた。 「ここ、どうした」 触って判るグロ部分。 明かり、消してもらえてよかった。 これ見て、急性インポになったら即転売だ。 「昔、ひっかくのが大好きな人が居まして」 普通、商品に傷をつける客は遠慮してもらうはずなんだけど。 ああいう施設の監視する、保健所だか衛生局かなんかのエライ人だったかなんかで、色々目を瞑ってもらう代わりに。 キズモノだけど、希少で高価だったから、ちょうどよかったんだろう。 質感が違うのがわかるのか、執拗に撫でてくる。 いつ爪を立てられるのかわからなくて、緊張しているとかぷりと耳を噛まれた。 喉から小さく声が洩れる。我ながら、今のは悲鳴っぽかった。気をつけよう。 「もう話さなくていい」 言われたとおり、私は黙った。 全体を触って、時々舐められたり、軽く歯を立てられ、尻尾でさわさわされる。 だんだんと場所が限定され、局所のあたりを弄られた。 やけに熱心な動きにヘビの人とやっぱり違うのだろうかという、疑問がよぎる。 ……何か、やっぱり変だとか、思われてるのかな……。 女の人でもなく、毛のない大きな手は凄く違和感があって落ち着かない。 なんとなく意図がわかったので、体を少し押して体勢を変えてもらう。 でないと、動けないし。 踏まないように気をつけながら御主人様の鱗を舐めたり、背中の硬い鱗を丁寧に触る。 あと、たぶん、ここらへん。 臍の下から、真ん中に沿って舌を沿わす。 皮膚から、柔らかい鱗に代わって、少し下。 襞のようになっている所を念入りに舐めると出てきた。 どれくらいの力を込めるべきか。 体内収納型という事は、それなりに繊細なんだろうと思い、丁寧に扱うために姿勢を代えそっと手に……。 なんか、多かった。 うっすらと、背中に汗が伝う。 落ち着いて、冷静に冷静に冷静に冷静に。 暗いので当然触感のみだけど、触った感じは普通。 味…も許容範囲。御主人様、お風呂大好きですもんね。清潔な人は大好きです。 毛とか、ホントいらないし。 オーケー大丈夫。 普通が一番です。 口に含んだものは、それなりに反応がいい。……若いなぁ。 先端を探って、すぐに苦しくなってきたので口から離して横から舐める作業に移る。 頑張っている最中、御主人様が体を撫でてくれた。 御主人様は、淫乱だとかヒトの癖にとかまな板だとか人形女だとかボッタくりとか、言わないのでとてもいい。 なんか言わないと怒るわけでもないし。 それにしても、寒い。 まぁ、どうせ動いているうちに暑くなるだろうけど。 久しぶりなので、上手くできるか不安だったものの、御主人様が協力的だったのでスムーズに入った。 黙れって言われたけど、謝るべき、ですね。 「すみません、緩くて」 片方入れててもう片方は素股状態って、どうなんだろうか。 ムリしてでも入れてみるべきだったかな。 「……小さいといいたいのか」 腰を押す手が止まった。 「ああー、そういう発想もありますね。いえ、とんでもない」 「なら力抜け」 肩を掴まれ、ゆっくり前後しながら更に奥へ。 予想した痛みが来なかったのでちょっと拍子抜けした。 いや、小さいとか細いとかそういうわけじゃないんだけど。 違和感バリバリだし。むきゅむきゅしてるし。 出ている方を何とか手で触りつつ、ゆっくりと動かそうとすると御主人様が体を抱きかかえた。 御主人様、息荒いです。尻尾巻きすぎです。ごそごそしすぎ。毛じゃないからいいけど。 私も御主人様の背中越しに足を絡ませる。相変わらず御主人様の体温は低い。 外に出ている方も腹部の辺りでぬるぬると自己主張してるし。 こっちだけ長いという事もないだろうから……これぐらい入ってるのか……。 これって、かなり痛いはずなんだけど、大丈夫なんだろうか、私の体。 「……でそうだ」 「どうぞ」 もしかしてちゃんとご飯食べてるから何か、変ったのかな。 運動も、大してしてるわけじゃないけど、外に出歩ける分増えてる。 そんな事で、変るもんなんだろうか。 だったら私の今までは、なんだったんだろう。 *** シーツがさらさらしていて気持ちいい。 ひんやりした畳の上にねっころがって、裸足で畳の感触を感じるのが好きだった。 あの頃は父さんも母さんもいて、風邪を引くからやめなさいと叱られて 目を開けば、しらない天井。 胸を突く恐怖に体が竦んだ。 ここ、どこ 額と頬を撫でた手が冷たい。頭がぐらぐらする。 「大丈夫か」 ぶっきらぼうに掛けられた言葉に頷き、周囲を見回す。 掃除以外では、めったに入らない御主人様の寝室だ。 最初の頃、夜伽しにいったら速攻追い出されて……なんであの時はダメで今はいいんだろうか。 御主人様は何も身に着けていない。御主人様裸族ですかそうですか。 私の方はなんか着ている。 アレだ、筒っぽい形の寝巻きでダブダブしてる。砂漠では一般的なものだって聞いて、この前御主人様用に買ってきた。 自分と御主人様を交互に見て、しばらく考えたものの何も思い浮かばない。 着せてくれたという選択肢しかないわけだけど。 そりゃそうか、私、沢山傷があって、気持ち悪いし、そりゃ隠しますよね。 けど、それなら終わった後ほっとけば良かったのに、御主人様の寝室に居るってどういうことだろうか。 こっちで続きしてたのかな、 ていうか、私、最後まで頑張れたんだろうか。 ……覚えてない。不満、残らなかっただろうか。ちゃんと発散してくれてるといいんだけど。 取り合えず起き上がったものの、目のやり場に困って俯くと頭を撫でられる。 「痛いところないか」 感触とかなんか色々のこってますけど、今までのように痛くはないというのが凄い。御主人様、凄い。 手が離されると、どこかがへこんでいるような気分になった。 「熱がまだあるな」 喋ろうとしたけど、うまく声にならなそうなので黙って頷く。 まだ外は暗い夜明け前。 なのに暗い室内でもわかるくらい御主人様が美形過ぎて、目のやり場に困る。 モテるんだろうなぁ……。 もてなきゃいいのに。 フラれちゃえばいいのに。 それで 「具合が悪いなら、ちゃんと言え。熱あるなんて、聞いてないぞ」 口調のワリに怒ってないらしく、再度撫でられた。 冷たい手が気持ちいい。 「朝までには、直しますから」 どうにか絞り出した声は、我ながらひどい。 「黙って寝て、さっさと治せ」 頭から毛布を被せられ、ベットに押し付けられた。 ちゃんと、言わないと。 朝までには直すから、これからもずっとたくさん働くから ――― だ か ら … … 津波のような眠気が襲ってくる寸前、冷たい指に触れたのだけ覚えてる。
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太陽と月と星がある 第五話 目を開いて現状を把握、目の前には長くて黒い爬虫類の尻尾とテーブルの足。床が冷たい。 今日は叫ばなかった。大丈夫。 「オイ、どうしたんだ。冗談のつもりか?」 頭上から降ってきた声に取り合えず、問い返す。 「寝ていたんですか?私?」 上から覗き込んでくる御主人様に訊ねると、一瞬気まずそうな表情になり―――ああ、こんな顔も出来るのかぁ――― 頭を動かすと髪がばっさりきたので、テーブルの下から這い出て髪留めを探すも見つからず… 「ほら」 御主人様が何で髪留め持っているんだろ。拾ってくれたのですか 「お前、顔青いぞ。大丈夫なのか」 「さぁ……」 私が首を傾げると、御主人様が噛み付きそうな表情になってしまった。 「自分の体だろうが!何を寝惚けた事を言ってるんだ!!」 そういえば、そんな事も 立ち上がったら視界が暗くなった。 耳が痛い、 体を揺すぶらないで ごめんなさい ごめんなさい もう しませんから、ごめんなさい だから もう 「キヨカっ」 目の前にターバンを巻いた若い男の人があれどこここは――― あぁ そうだ 夢を見てしまったらしい。 「おはようございます。御主人様」 御主人様顔近いです。 掴まれた所が温かいくて寒気がする。心臓の音がやけに響く。 さっきからどれくらい経った? 私のすることは何だっけ。大丈夫、落ち着いて、ちゃんとしてれば大丈夫だから 掃除洗濯、炊事、望まれれば夜の世話、大丈夫、私は、ヒトだから。 この世界のヒトはみんなしていることだから、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫 自分に言い聞かせて、呼吸を整えて 「御主人様、晩御飯、何を召し上がりますか?」 えらく睨まれた。 *** 「過労」 ジャックさんがガン飛ばしています。 「働き過ぎ、睡眠不足、貧血、その他モロモロでぼろぼろ!ちょっと前に死にかけてたんだよ? 治したって言っても傷埋めただけで生命力はギリギリなのわかってんの?魔法は万能じゃないんだよ? バカなの?死ぬの?しかも子育てってのは血の繋がった親でもしんどいのに世界最弱生物だよ? 体力保つわけ無いじゃん脳味噌洗剤で洗えよバカ野郎」 その上、説教というか、罵倒です。 御主人様に。 「あの、今後気をつけますので出来ればその辺で……」 「そっちは黙って、ベットから出ない!」 凄い迫力です。 ウサギとは思えません。 えー状況を把握します。 1、貧血で伸びてる私を御主人様が発見 2、ジャックさんを呼ぶ 3、ベッドに強制連行される 4、御主人様がジャックさんに説教される←今ここ 現在、自室として使わせて頂いている部屋はあまり広くは無いので男性二人がいると非常に狭く感じます。 特に御主人様の尻尾的な意味で。何メートルあるんですかソレ。 まぁそれはそれとして…… 「あの、よろしいでしょうか」 ジャックさんはウサギですが顔に傷があったり黒毛で割とでかいと言うこともあり、特にこういう状況だと …なんというか…背後に重低音な効果音が聞こえます。 「お手洗いに行きたいのですが」 「戻ってこなかったら、連れてくよ?」 どこへ。 「早急に戻りたいと思います」 怖いもの増えました。ジャックさん怖い。 「はー・・・」 洗面所で思わず溜息、髪の毛どうしよう、下ろしたままでいいのかな。 というか、自分の部屋で気が休まらないと言うのはどうなんでしょうか。 ジャックさんがお医者さんだと言うことを考慮しても、たかが貧血程度で御主人様がジャックさんに説教と言うのは納得いきません。 と言うか、普通は私に言うべきことじゃないんでしょうか。 どうしてだろう、管理不行き届き? だとしたら御主人様がモノをどう扱おうと勝手だし、それをジャックさんがどうこう言う権利は無いはずです。 わからない、もやもやする。 今は前とは違うのに、みんな優しくしてくれる。 大丈夫かと言ってくれた。嬉しかった。褒めてもらえた。嬉しい。 それなのに、どうして――― 「キヨカ~おなかすいた~」 振り返れば子供二人が切ない眼差しでこちらを見つめていました。 確かに考えてみれば、普段の夕食の時刻をとうに過ぎています。 や、しかし、先程のジャックさんの声は本気と書いてマジと読む勢いで…… 「キヨカぁ……」 きゅー ぐるるる 可愛らしい音と悲しげにきゅうぅんと鳴る鼻声。 そ、そんな悲しそうな濡れた瞳で見られたら…… 「おなかすいた……」 ええ、分かります。凄くよく分かります。 痛みは我慢できても空腹には勝てない。 「ちょっと待ってて下さいね」 取り合えず急いでキッチンへ向かいお皿とパンを出し、冷蔵庫から豆の煮込みや買ってきてもらった漬物を出して、ソーセージをフライパンで炒め、その脂で大雑把に切った野菜も炒めて、 和食なら色々できるのになぁ…、みそとか、しょうゆとか、鍋っていうのもいいなぁ…… 二人はテレビを見ながら待ってるから、早くしなきゃ。 「あと、スープとっひッ!?」 背後から掴まれそのまま担ぎ上げられうわ、揺れる揺れるっ!床が近いですよ!?頭に血が! 「じゃ、ジャックさん一体何を」 「連れていくって、言ったでしょ?」 大丈夫、ただの冗談に決まってる。 「だって、ただの貧血ですよ。御主人様はヒトに慣れてないから驚いちゃっただけですよ。 もう大丈夫ですから、ジャックさんのお気遣いは大変ありがたいのですが、私にはやるべき事が」 説得を試みる私にひどくドス声。 「今日は、鍋の火消しに行かせないからね」 *** ネコの国も冬は寒い。 雪は無くても夜になれば相当冷えます。 吐く息は白く、指先と鼻が痛い。 空を見上げれば、二つの月がやけに綺麗に見えます。 ……汚くても、私は黄色い月の方が好きでしたけど。 隣で私の腕を掴んで歩く…というか、引きずっていくジャックさんは耳あてのついたふかふかした帽子にコートを羽織り、非常に暖かそうです。 片や私はこうやって首輪もなしで歩くなんてずいぶん久しぶり…というか、この世界でははじめてだとか…そういう感傷をすっ飛ばして寒ッ そのせいか、人通りはまったくなし。 家を出て一分も経たないのに体が震えてきました。 石畳って、冷えるんだなぁ……。 「ジャックさん」 「うん」 「帰りたいんですが」 寒いし、ご飯準備中だし。 「ダメ。一応がっくんには言ったよ?預かるって。君このままだと死ぬし」 あ、ダメだ。笑っちゃ。 「チェルとサフには……」 「今頃号泣じゃないかな。まあいい薬」 さらりとひどいことを言うジャックさん。 「二人はちょっとキヨちゃんに甘え過ぎだし。がっくんはちゃんと言わなかったからお仕置き」 お仕置きって。なんだそれ、ああ、寒い。 「二人ともまだ子供ですよ?年上に甘えるのは、当たり前じゃないですか。それにあの人は御主人様ですし……」 見下ろされた。 「君、自分の立場わかってる?」 「中古ヒトメスで夜使うには難のあるペットでお情けで置いて貰っているメイド的な何か」 ジャックさんは口を開け閉めして、御主人様のように眉間に皺を寄せました。顔が近い。 「残念、正解率10%。なんで今日倒れたか、理由分かる? 働き過ぎなの君。体力足りてないのに我侭に付き合い過ぎ。君も断らないとダメ それにアイツはそれを考慮すべきだったのにしてなかった。だから全員お仕置き。 キヨカちゃんはオレんちで休養。これは医者命令だし、がっくん了承済み」 やけにきっぱりと言い放たれました。 心の中で、もやもやするものがあるのに言葉にならない。 そんな私の目の高さまでジャックさんは腰をかがめ、私の顎を掴み、 「今、手を放すけど、逃げたら口では言えないような凄い事するから、逃げないでね」 わー凄くいい笑顔で脅されてますよ。私。 そういえば、最初の調教師もどSのウサギだったよなぁ……。 そのうち気持ち良くなるとか言って、縛られたり傷に塩塗ったり…かちかち山じゃないつーの。 ……あ、思い出したら色々痛くなってきた。 取り合えず留まる私の前で、ごそごそとコートを脱ぎだすジャックさん。 「ちょっとデカいけど」 帽子を被せられて、コートを渡されました。 「さぁ、着て」 躊躇しつつ、寒さには勝てないので腕を通す。 ジャックさんだとハーフなのに私が着たらロングです。 「予想より余るね」 これで走るのは、ちょっと無理でしょうね。絶対捕まる。口では言えない凄い事される。 「あの……お気持ちは大変嬉しいのですが、ジャックさんが寒いじゃないですか」 帽子の上からぽんぽんと叩かれた。あんまり深く被ると前が見えないんですが。 「寒いから、早くオレんち行こう」 なんで笑ってるんでしょうか、この人。ワケが分かりません。 御主人様了承済みということは、…ジャックさんに従うしかないようです。 けど…どこまで了承済みなんだろう。 *** 深々冷える夜の街に足音二つ。 「キヨカちゃん、手つないでもいい?」 「どうぞ」 握られた手はずいぶん暖かい。いいなぁ、毛皮。 石畳に足音だけが響く。こういう沈黙苦手……。 「今の気分、凄くドナドナなんですが、このまま市場へ行ったりしませんよね?」 訊かなきゃいい事を、思わず聞いてしまった。 さっき、ジャックさんは自分の家といっていたから、そんな事はしないはずなのに。 「どなどな?」 あ、向こうの歌だから通じないのか。 「すみません、気にしないで下さい」 私がそういうと何故かジャックさんは好奇心に満ちた目でこちらを見た。 「とりえず、歌ってみようか」 まさかの墓穴。 「子牛ッ!」 ハンカチを差し出すとなんか凄い音が聞こえた。 聞こえないことにします。 「・・・洗って返すね」 ポケットティッシュはこの世界ないのかな。 「結局、ドナドナってどう意味なの?」 「私にも分かりません」 鼻声で聞かれ、私は肩を竦めました。 「牛も闘牛士とかあるから子供の頃から訓練とか大変だとは思ってたけど、そんな歌になるほど身売りが盛んなんて…グスっ」 ……誤解がある気がする。 こちらの牛の名誉のために一応解説しておかなくては。 「これ、向こうの歌で、向こうでは牛と呼ばれている家畜がいるんです。だからえー…と、悲しいけどこれが現実なのよね的な」 家畜 という言葉でジャックさんが固まった。 頭をがりがりと掻いて、垂れた耳をぶんぶん振ってから小声でえー、とか、あーと言ってちらりとこちらを見て、何故か項垂れている。 何か悪いこと、言いましたか?私… ……あ、 うわ、凄い嫌味を言ってしまった事に今気がつきました。 どうしよう、何か言わないと。 何を言えばいいのか思いつかないまでも、取り合えず何か言おうとして口を開きかけた所で唐突に呼びかけられた。 「お、ジャックのセンセ、珍しく女連れですか。どうです?おひとつ買っていきませんか」 親しげな声色に驚いてそちらを見ると、物陰にひっそりと小さな屋台が。 タイヤキ屋さんらしく、奥では虎縞のネコが手揉みしていた。 項垂れていたジャックさんが顔を上げ、挨拶代わりに片手を挙げました。 どういやら顔見知りのようで…時々買ってくるタイヤキは、ここで買ってきてくれた物だったのでしょうか。 「そういや、晩御飯もまだだったね…何がいい?オレあんこ三つ」 タイヤキか……部活の帰りに食べたなぁ… 「キヨちゃん、何味食べる?」 「え!?」 驚いて素で聞き返してしまう私を二人が面白そうに見ている。 いえ、だって、買い食いとか、選択肢とか、いいのかな、選んで 「センセ、どこで引っ掛けたんですかこのコ。見慣れない顔だ」 あ、どうしよう。 「引っ掛けたんじゃないですよーこのコは妹、最近引き取ってね。だからリっちゃんにオレはいつでもフリーだって言っといてー」 「まだリーイェ追いかけてんスか、諦めましょうよセンセ」 妹設定なのか。じゃあソレっぽくした方がいいのでしょうか。 確かにヒトメスが手元にいるのは恋路の邪魔な気が、女性からしたら気分良くないですね。 しゃべるオナホなんて、悪趣味極まりないです。 「さて、家庭の事情で遠縁たらい回しで挙句にど田舎育ちの世間知らずでウサギなのにお耳の悪いキヨちゃんよ 優しくて親切で就職先まで面倒を見てあげたお兄様がタイヤキを買ってあげよう。何味がイイ?」 なんという説明口調、設定細かいし、…なんですか。 何の意味があるのか分かりませんが。 「じゃあ、えーとハムマヨありますか?」 メニューが張ってあるようなんですが、こっちの字、読めないし…。 「はむまよ?」 「呼び方違いますか?あの、ハムとマヨネーズの。なければハムチーズ…」 「ハム?」 私とジャックさんを交互に見比べ、店主さんが無言になってしまった。目に不審そうな色が。 ……ああっ!! 「私悪食なんです!イヌの国のスラムだったから、食べられるものが無くって!!何食べてももどしちゃってたのをどうにかですね」 うさぎにくたべない。しかも普通に自分話してどうするの私。馬鹿、私の馬鹿。 焦る私をみる店主さんの目から不審の色が消え、なんだか非常に可哀そうなものを見る目に…。 「苦労…したんスねお嬢さん、そんなに痩せて…今度メニューにその…ハムマヨを加えて置くから…またセンセに買ってもらいな」 うわ、すみませんほんとすみません。 結局カスタードをお願いしたら、今後とも御贔屓にと言ってあんこも数個貰ってしまった…。 いやジャックさん、笑い事じゃありませんよ。 「悪食…っ」 タイヤキを銜えながらぶふっと噴出し、あんこで口元を汚すジャックさん。 カスタード美味しいです。 「い、妹とか言うからじゃないですか!意味不明ですよ!ムチャ振りですよ」 「イヤだって、オレのコート着てるんだから妹でしょ」 理論が不明ですよ。 「ヤバイ、まさかの妹モエー…ぶっ悪食…ッ」 ツボに入ったんですか、そうですか。 私は無言でカスタードを味わう。 出来立ての温もりとこんがりした表面、舌でとろける濃厚な甘さ、身が尻尾まで詰まっていて美味しい。 御主人様はちゃんと晩御飯食べられただろうか。 チェルは夜お話が無くても大丈夫かな、サフはブラッシングしないとあとで抜け毛が大変なんだけど。 「あー…ミルクとシリアルないや、深夜営業の所行くからちょっと遠回りするけどいい?」 「あ、はい」 タイヤキの袋を抱えなおし、暗い角を曲がる。 あ、街灯壊れてる。 「…悪食ッ…」 「笑いすぎですよ!」 二人の声は街角で静かに響いた。 *** ジャックさんのウチはビルの1Fまるごと。 手前が診療室、奥が居住空間になっていました。 一人暮らしのはずですが、意外と豪華です。 医者って儲かるんですね……。 裏口から入り、入ってすぐのキッチンテーブルに購入したものを置いたので、私もそれに習い。 何でこんなに買う必要があるんだろと思うような食料の量です。 ミルクとシリアル、ジャムにパンに瓶詰め、調理済みのお惣菜。 ホットケーキのもと。 コンビニはなくても深夜営業の雑貨屋があれば、ほとんどあっちと変わらないと少し思ったり。 私は、この世界のこと本当に何も知らないようです。 「明日はオレ寝坊するから、非常時以外は絶対に起こさないで。診療は午後からだから。 あと、オレこう見えてもウサギだから、あんまり音立てないようにね。 お腹すいたらここらへんの勝手に食べて~トイレはあっち、風呂はソコ。 着替えとかはそっちの部屋のを適当に使って、寝るのもソコね」 流れるような口調であれこれ説明するジャックさん。 手馴れています……。 「あの、私は明日から何をすれば…」 「寝坊してだらだらして昼ご飯食べてだらだらして、おやつ食べて昼寝して、 オレと晩御飯食べに行って風呂入って歯磨いて寝る」 ジャックさん、真顔みたいなんですけど……。 出来れば早く直してもらいたいのに。 「そうやってりゃバレないし、外に出ても大丈夫~いい店知ってんだ。オレ」 そう言って帽子を被ったままの私を上からぐりぐりされました。 子供のあやし方のようで、複雑な気分です。 「まー色々調べることもあるし、のんびりね。次の休診は三日後だから、最低それまで」 「え」 「え じゃないでしょ。こういうのは、腰据えないと」 それは困ります。 チェルは夜お話をしてあげないとちゃんと眠れないし、サフだってブラッシングの必要があります。 御主人様には私は必要ない、でしょうけど…。 それにお話は誰でも出来るし、ブラッシングだって誰でも出来る事です。 だから、…いくらでも代わりがあるから、早く帰らないと。 他にできることなんて、ないし。 何箇所か店に寄ったしどうもわざと遠回りしたような気がするけど、大まかな通りは覚えながら来たから… 「大事な事を忘れてた。ハイこっち向いてーオレを熱く情熱的に見つめて!」 どうでもいいけど、顔を掴むのはやめて欲しいなぁ、と思う今日この頃です。 キスできそうな距離まで近づかれると、妙に背中に力が入ります。 寒いのは、気のせいです。 あんこくさい…。 天井でも眺めようとしたら無理やり目線を合わせられました。 ジャックさんの眼の色はずっと黒だと思っていたのですが、良く見れば深緑です。 瞳孔が広がると緑色が強く輝くなって… ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「おー珍しく成功だ。秘儀言霊!魔法より低燃費!低刺激!低効果!財布にも優しいお値段で実施中ですっ」 一瞬放心していたのか、気がつけばジャックさんにほっぺたをむにむにされていました。 ちょっと痛い。 今、何があったのか頭が真っ白でよく思い出せません。 「キヨカちゃん、■■■■だよ?わかったかな?」 「はい」 あれ? 「サフわんとかちーちゃんがおねだりしてもだよ」 「はい」 反射的に口が動くものの、 考えようとすればするほど、眠気と倦怠感で頭がくらくらします。 「ヒトって、本当に魔力抵抗ないね。あー原因分かってきたーやべーがっくんに殺されるー」 私の頬を引っ張りながらぼやくジャックさん。 体が、寒い。 あーこの家、意外と汚れてるなぁ…一人暮らしだし、掃除しないと、それと早く… あれ、 私、さっき何を――― ――――――ッ!!!! 「あー お、おっはよー・・・」 私を見下ろす黒ウサギは、両手を宙をニギニギしながらひどく気まずそうな表情を浮かべています。 白衣です。 あれいつの間に 取り合えず、挨拶を返そうとしたのですが、声が上手くでず、咳き込んでしまいました。 胸板が叩かれたように痛い。口の中が乾いて苦くて気持ち悪い。 ところでなんでベッドの足が目の前にあるんでしょうか。 いつ倒れたんだろ。 さっきまでほっぺたいじられてたんじゃなかったっけ? 板張りの床が冷たい…寒い。 「あーえーと、急に寝ちゃったからベッドに運んでおいたんだけど、全然起きないしさ、 どうしたのかと思ってね?オレ紳士だし不可抗力だよね! だって起そうとしただけなのにベッドから落ちるとか、ぼくもうびっくり☆てか、喋れる?頭動いてる?」 ダウトなニオイがするけど、きっと気のせいでしょう。 腕を掴れ、引っ張り上げられると関節が派手に鳴りました。 寒い。 血が落ちる音と、目の前が暗くなって少し頭痛がする。 しばらく瞬きをしてから明かりのある方向を向くと高い位置に小さな窓。 「ねてた?」 なんとか唾を飲み込んで掠れた声で問い返すもジャックさんはうろたえた様子のまま応えず。 格子の入った窓から見える空はオレンジ色。 甲高い子供の声、笑い声。 知っている声がするんじゃないかと期待したけど、聞こえませんでした。 「つ、疲れてたんだねーきっと、うん、いやーびっくりしたよあはは」 なんで棒読みなんだろう。 瞼が重いけど、空腹感の方が強い……。 これは丸一日食べてない感じ。 眼を擦ると何かがポロポロと落ちました。 手を見れば、肌に記号のようなものが書き込みがされています。 「おなかすいたよねー、生きてる証だよね!もう閉めるから、そしたらご飯にするからね」 物凄い挙動不審なんですけど、めっちゃギクシャクしてますけど。 「ジャックさん、コレ、落書きですか?あといくらなんでも夕方はおかしいですよね?」 「治療の一環だよーほらいっつあまじっくさーくるっ!HAHAHA-」 ―――深く追求したい所ですが、機嫌を損ねても困ります……。 ……あれ、なんで困るんだっけ? 寒い。 この人は御主人様じゃないけど命の恩人で医者で……どうして困る? 命の恩人?助けて欲しいって、頼んだっけ? あれ、どうして私ここに御主人様は…… おなかすいた。 ベッドに腰掛け、胸元を直し…あーボタン取れてるし…ここにもなんか書いてあるし…寒いし…おなかすいたし… 「寝ないでーッ!!寝たら死んじゃう!次成功させる自信ないから!もうオレのまじっくぽいんとはゼロよ!」 揺さぶらないで欲しいなぁ…寒い… ああ、私、…どうしてここに居るんだろう… *** 「こんにちはー毎にゃん新聞です」 「ごめんなさい、うちはカツスポ(シュバルツカッツェ・スポーツ)一筋なので」 パタン カリカリカリカリカリ ジャックさんのおうちに来て何日目か、訪問販売や勧誘を全力でお断りする今日この頃です。 だってやる事、ないし。 部屋で寝てていいといわれているのですが、何故か玄関先から離れがたいので、コートと帽子を着用させてもらっています。 防寒対策万全です。 というか、ここの寒さは通りに面しているということもあり半端ではありません。 コートなしでは耐えられず、油断していると鼻水が垂れる勢いです。 先日も、うたた寝してると思ったら凍死しかけてた…とジャックさんが言っていたので主観ではないようです。 なぜ自分がそこまでして玄関に拘るか良く判らないのですが… しかも気がつくと玄関の鍵を開けたり閉めたり、窓の鍵をいじっていたり…重症です。 私は一体何をしたいのでしょう? 大事な事を忘れている気がします。 玄関先に座り考え込んでいると、ジャックさんが覆いかぶさるようにのぞいて来ました。 凄い圧迫感です。 「キヨちゃん、楽しい?」 「楽しそうに見えますか?」 しまった。質問を質問で返してしまった。 私の言葉にジャックさんは怒りもせず髭をそよがせてから、ぽふっと手を打ちました。 「じゃあ、お仕事頼もうかな」 「玄関が私を呼んでいるので余所を当たって下さい」 思わず勧誘と同じノリで断ってしまい慌てて訂正。 「今の、無しでお願いします。します。でも御主人様が許可をくれそうな範囲でお願いします」 ジャックさんの機嫌を損ねるわけにもいかず、かといって御主人様に背く様な事も出来ませんので。 私の内心の躊躇に気がつくはずもなく、ジャックさんは私の返事を聞くとなにやら傍らの紙袋を差し出し 「これ着て手伝って欲しいな♪ほら、付け耳もあるし」 でっかい顔面キズウサギが小首傾げても可愛くありませんよ。ジャックさん。 *** 前のところはそういうお店だったので、なんとなく想像できる範囲はおおむねやりました。 セーラー服もブレザーも学ランも浴衣もメイド服も体操服もやりました。 子供の頃の夢や希望らしきものがイカ臭くされるのって、本当に効きます。 ナース服は、これで何回目だったかなぁ……。 ミニにニーソって色々ギリギリなんですが。 しかもナース服は…私が言うのもなんですが、胸の豊かな人が着るべきですよね。 縦は丁度なのに横とかの布地が余ります。 「ところでセンセー、ナースさん死んだ魚の目をしてますけど」 「照・れ・て・る・か・ら☆はっはっは、よく似合ってるよ」 やや呆れたような眼差しの患者さんを笑い飛ばすと、ジャックさんはミニの裾に手を伸ばしてきました。 これはいけません。 とりあえずジャックさんの頭にカルテを挟んであるボードを振り下ろすと、手が引っ込みました。 良い傾向だと思います。 「先生、次の方がお待ちです」 水虫で来院したクロブチネコの患者さんが震えながら席を立ち、次の人を呼ぶ前に暖房が足りなかったようなので火力を上げると、ジャックさんが汗をかきながら謝って来ました。 そのあとも患者さんの荷物を受け取ったり、手を貸したり。 ジャックさんの魔法を観察したり、魔法陣が書かれた布を取り出して広げたり片したり。 字も読めませんのでその程度の事しか出来ないのですが、診察時間が終わる事にはずっしりとした疲労感を感じました。 おかげで今夜は熟睡できそうです。 何も言われないのをいい事に待合室のソファーに座っていると、手にマグカップを二つ持ったジャックさんが隣に座りひとつを私に差し出してくれました。 ホットココアです。 お礼を言って受け取り、一口。 甘い…というが、激甘。糖尿になりそう。 「おいしい?疲れたときは甘いものだよねー」 やたら嬉しそうに訊ねるジャックさん。 ボードの角を使った報復でしょうか、その方がいっそ助かるのですが。 頷き一気に飲み干すと、喉の中が甘さでヒリヒリしました。 「後で晩御飯に行こうねーあと服も買っちゃう?買っちゃおうか、あとー女の子って何が必要なんだっけ?付け耳サイコーだよね!」 付け耳はウサ耳です。 しかも垂れ耳、非オーソドックスです。 黒毛仕様なのでジャックさんとおそろいです。 わりとレアな気がしますコレ。 飼い主や客でもない人から高い物を買ってもらうのは良くないと思うのですが…。 あ、大事な事を言い忘れてた。 「ジャックさん、他の人がいる所で裾を捲るのは止めて下さい」 真剣な話なのに、なぜ目が丸くなるのでしょうか。 「特にここは、精神的ブラクラになりますから」 上着の裾に手を掛けた時はやたらと煌いていた目が、持ち上げた瞬間固まりました。 横腹の後ろ辺りなので自分では良く見えませんが凄いらしいです。 「あとここも禁止です」 ミニスカートの裾を軽く持ち上げ腿の内側を指すと、ジャックさんはまるで御主人様のように両手で頭を抱え込みました。 「ていうか、見た事あるんじゃないんですか?」 少なくとも一回は見てるはずなんですが、怪我治してもらったときに。 「そういう時は怪我しか見ないもん。速攻忘れるもん」 凄い切り替えっぷりです。 でも医者でウサギのジャックさんがこうですから、御主人様の反応も推して知るべしというか。 私って怪我治っても精神的ブラクラですね。 中古に名に恥じないダメッぷりです。 「でも大丈夫!着たままならアリだよ!見なきゃ全然イける大丈夫だから、心配しないで!」 もふもふと抱きしめられました。 消毒液とオゾンと獣の臭い。 背中に肘当てがぶつかりました。 ソファーだからそんなに痛くないのが救いです。 つーか、本当に切り替え早すぎじゃないでしょうか。重いです。 「ナースプレイナースプレイっ」 物凄く嬉しそうな声色に、あーだから看護師さん居ないんだ、と思わず納得です。 仕事の後に押し倒されのは大変ですよね、体力的に。 そういえば、患者さんも男性とお年寄りで占められていました。 過去に何やったんだろうとか、色々思う節はありますがとりあえずは現状です。 「魔法使うと疲れちゃってさー腹減るしーいいにおいーあまそーうまそーいただきまーす」 もぞもぞと首元に顔を埋められたり服の中に手を突っ込まれたり。 されてる事に関する感情をいつものように頭の中に鉄の箱を作って押し込めます。 どうやら、普段よりも一歩前に出ている感じです。 これは……御主人様的には、どうなんだろう? あれ、ていうか私なんでここに居るんだっけ…… 確か、…貧血で倒れて、ジャックさんに連れられて…その後は? なんで私まだここに居るんだろ。 御主人様は私の事要らなくなったから、ジャックさんが飼う事になったのかな。 それなら高価であろう付け耳も納得です。 そっかーだから…なんだっけ、どうして私、玄関で待ってたんだっけ…… ジャックさんは相変わらず何か口言いつつ、とうとうベルトに手を掛けました。 大変脱ぎ難そうにしています。 手伝うべきか悩んでいると、来患を告げる玄関ベルが軽快な音を立てました。 「誰か来たみたいですしやめに」 「みせつけてやろうぜ」 どこで覚えるんだろう、そういうの。 言っても無駄なようなので目を逸らすと、入り口の所に防寒ばっちりの凶悪そうなヘビ男性が無言で佇んでいました。 仕事帰りなのか手に鞄。 そしてその鞄を投げつけました。 こちらに向かって、つまりは私の上で興奮気味のジャックさんに。 悲鳴を上げてソファーから転げ落ちたジャックさんに更に追い討ちをかけるヘビ男性。 がっつんがっつんいってます。 痛そうです。 つーか強盗ですかね。これ。 私の希望的妄想脳内フィルターを掛ければ、じゃれて遊んでいるようにも見えます。 二人は二人の世界に入り込んでいるようなので、私はボタンを嵌め直し、スカートの裾を整えニーソを穿き直し、髪の毛を整えました。 「一応伺いますが、お知り合いですか?」 頷くヘビ男性。 「そうですか、ではごゆっくり」 お風呂、入ろう。 背後から悲鳴とひとでなし~とかいう声が聞こえたのは、多分、気のせい。 それに私、人じゃありませんから。 *** 「コレ、オティス君。仕事帰りに嫌がらせに来たんだって、野暮だよね!こっち妹のキラちゃんオレ専用妹」 久しぶりにゆっくりお風呂に入り、髪の毛を乾かし付け耳をつけてから、先ほどのヘビ男性を紹介されました。 ヘビ男性、もといオティスさんはひどく不穏な雰囲気を醸していましたが、今は普通に見えます。 ていうか、色々ツッコミポイントがあるのですが、控えます。 ジャックさんの妹設定、まだ生きてたんですね。 ならそれに従ったほうがいいのでしょうか……。 テーブルの上にお茶請けを出し、飲み物を用意しつつ話を合わせます。 「ヘビの知り合い多いんですね」 ネコの国なのに、比率的に偏っていますよね。 何故かジャックさんがニヤニヤと笑いながらオティスさんを見ました。 「うん、知り合い多いね。ね!オティス君!」 無言で頷くオティスさん。 口元から赤い舌と鋭い牙が覗いています。 オティスさんは、普通のヘビ男性です。全身鱗に尻尾のついた二足歩行。 リザードマンというか、恐竜人類というか……。 鱗がごつごつしていて、他のヘビ男性よりも厳つい雰囲気ではあります。 しかもちょっと眼がうつろなのに顔はこちらを向いています。 御主人様もこんな感じな時がありましたから、恐らく種族共通なんでしょうね。 しかしこれが標準だとすれば、そうじゃない時の御主人様が私に向ける目線は警戒心というか、敵意というか、……神経を尖らせているというか……。 あれ、私、そんなに嫌われたのか……。 いまさら気がついた事実にへこみつつジャックさんは紅茶、オティスさんはブラックコーヒー、自分用にブラックコーヒーにミルクを半分入れました。 「それではごゆっくり」 一礼して部屋に戻ろうとしたら襟首掴まれて引き摺られました。苦しい。 「そう言わずに一緒にお話ししようよ」 うん、なんで服の下に手を突っ込む必要があるのか、教えて下さい。 ピシッという音がしたのでそちらを向くとオティスさんさ尻尾を床に打ちつけていました。 確かに、目の前でこういう事されたら気分良くないでしょうね。 「ジャックさん、オティスさんに失礼です」 「ジャックお兄様って呼んでくれたらやめる~」 首元舐めるのやめてほしいです。お風呂入ったばっかりなのに。 「ジャックお兄様、無理強いしていると妹に嫌われるぞ」 ジャックさんの頸動脈あたりを掴みながらねちっこい口調でオティスさんが諭してくれました! 凶悪そうなフェイスとか、ジャックさんと面識があるというだけでもダメな感じなのに予想外です。 感謝の気持ちを込めて見上げると、オティスさんは明らかにたじろうだようでした。 そんなに無愛想に見えたんでしょうか、私……。 「キミちゃん騙されないでッ!こいつは、えー…家政婦を扱き使って過労で倒れさせたりとか、ベビーシッターを心労で使い潰したりとかするヒドイ奴だから!」 私の感謝の眼差しに気がついたジャックさんが、オティスさんの手を解き猛然と捲し立てます。 「それは酷いですね」 「でっしょー?さっきのは不良がノラを拾うが如き稀有な行動だよ。騙されちゃダメだよ」 ああ、雨の日に子犬を拾う的な、それはそれで優しい部分もあるということだと思いますが。 というか、自分の行動に問題があるっていうこと、わかってるんじゃないんですか。もしかして。 「あれは…倒れる前に言わない方が悪い…」 オティスさんは分が悪いと思ってか、気弱な口調です。 ていうか、子持ちなんですね。 家政婦とベビーシッターという事は、共働きかシングルファザーか……。 さっきまで傲慢だとか馬鹿だとか罵っていたジャックさんが急に手を組みうんうんと頷きました。 「まーねーもっと早く家政婦もベビーシッターも文句言うべきだよねーキユちゃん」 名前、違いますけど……。 「でも、抗議をして余計悪くなる場合もありますし、…まぁ、普通は転職を考えると思いますが……」 就職難とか、給与がいいとか、弱みがあるとか、辞められない事情は人それぞれです。 「辞める…?」 「転職!」 何故かジャックさんとオティスさんが顔を見合せ、ジャックさんが片手をあげました。 「タイム!」 「どうぞ」 二人で部屋の隅でこちらをチラ見しながらこそこそ話し合っています。 私はお茶請けのタイヤキをぱくつきつつ、二人の視線に気がつかないフリ。 でっかい顔傷ウサギとでっかい凶悪悪役フェイスなヘビが密談は犯罪の相談に見えます。 しかし辞めるって、こちらではそんなに突飛な事なんでしょうか? そりゃ、日本の終身雇用制なら辞めるのは一代決心でしょうけど、 寿命が何百年とあるなら職業は変える機会は何度もあると思うのですが……。 それとも、ベビーシッターって実は大人気の職業だったりするのだろうか。 でも倒れたりって、相当待遇酷いっていう事だし、それなら給料下がっても楽な所を選びますよね。普通。 遣り甲斐があるとか、使命感があるとかなら健康どころか命を賭けても本人は悔いは無いかも知れませんが…けど残された方は堪ったもんじゃないですよ。 一瞬思い出しかけた苦い思い出をタイヤキと一緒に飲み込み、ちらりと二人を見ればまだ相談中……。 私の意見、そんなに突飛なんでしょうか。 美味しいーもう一個貰おうかな、と悩んでいると、変な雰囲気を漂わせた二人が密談を終えこちらへ向き直りました。 随分長い事掛かっていましたね。 「キオちゃん質問!」 「どうぞ」 なんで毎回名前違うんでしょうね。 「その家政婦さんに転職して欲しい場合はちょっ」 「戻って欲しい時はどうすればいい?」 「労働条件変更するなり、説得するなりかと」 番茶、欲しいなぁ……。熱くて苦いの。 何故か途中で取っ組み合いを演じている二人を見ないようにしながら内心溜息。 ていうかこの一連、私には全然関係のない会話ですよね。 いいなぁ、人権ある人は…今更、どうでもいいけど。 もう一個食べると晩御飯入らないなーと思いながらタイヤキを見つめていると、不意にオティスさんがバタバタし始めました。 「どしたの」 「あいつらの晩飯を忘れてた」 コーヒーはすっかり冷めていましたが、オティスさんは構わず一息で飲み干し、ちらりとこちらに顔を向けました。 あ、コートか。 椅子にかけたままのそれを渡した時、一瞬見た手が… 既視観を感じて内心首を捻り、オティスさんがまだ私を見ていることに気がつきました。 なんだろう? 訝しく思いその視線の先を辿ると… 何やってんだろ。私。 「申し訳ありませんごしゅっ」 うわ、私、何を! 慌てて頭を下げて、コートの裾を握っていた指を外し皺を伸ばす。 もう一度謝ると、何か言われたのですがよく聞こえませんでした。 「じゃあねーオティス君、二度と来るな」 「黙れ腹黒、クソ、細かい話は明日だ。いいかキヨカ、卑猥な事をされそうになったらさっさと逃げるんだぞ」 どこに? 私は黙って頭を下げ、扉を開きました。 外はもう真っ暗で、吐いた息が白くなり、空には欠けた二つの月と星が煌いています。 きっとサフやチェルは今頃晩御飯でしょう。 ちゃんと寝れてるかな。お風呂入ってるかな。 言葉の見つからない気持ちがわいて来ましたが、どうしても後一歩踏みだせません。 私は、何かを忘れている気がする。 呆然と空を見上げる私の頬にざらざらした冷たい手が触れ、寒さで体が震えました。 「また体壊すぞ」 聞き覚えのある、優しい声。 口を開いたのに、言葉が出ませんでした。 今すぐ、いえ、ずっとしたい事があるのに、思い出せない。 それは、もう諦めて… 私は、できない事が悲しいのだろうか、言えない事が悲しいのだろうか。 胸の奥が痛くて仕方ないのに、涙は枯れてしまったから、もう出なくて済んだ。 豆腐屋の窓を曲がって石壁沿いに20M、古びたアパートの奥を進んだところに小さな家がある。 玄関口にはチューリップが植えてある青い植木鉢が置いてあって…… たんぽぽが咲いてる。 目を開くと天井が見えた。 ひんやりした室内に朝の光が差し込んでいる。 石畳を走る車輪の音、ポストに新聞を投函する音、鳥の声、 「…タピオカ、ゼリー こんにゃく、かぼちゃ、のてんぷら、そば、カレーうどんえび天丼、牛丼、釜飯、ラーメンマン…うう、美味しいラーメン…食べたい…とんこつ、みそ、しょうゆ、しお…」 おなかすいた。 考えてみれば、昨日は結局タイヤキだけだし。 名残惜しそうに振り返りつつ去った凶悪犯罪者なご面相の[オティスさん]の事を考えてちょっと溜息が出た。 風邪、ひいてないといいんだけど。 シーツを汚していないか確認し身支度を整えて台所へ向かうと、既にジャックさんが忙しそうに朝食の準備をしている。 急いでいるのか、耳がひっくり返っているのに気がついていな様子。 背後からそっと直すと驚いた顔をされた。 「おはようございます、ジャックさん」 「おはよう」 隣に立って昨日の食器を洗い始めると、ジャックさんは洗った食器をふきんで拭いては片している。 一緒に暮らして気がついたけど、ジャックさんは結構マメ。 お手製のポタージュは絶品だったし。 ジャガイモのポタージュサイコー超サイコー。 昔のアルバイトで覚えたそうだけど…なんでもウサギの国って料理が美味しいそうで。 一度食べに行きたいなぁ……。 ちなみに今日はホットケーキにコンソメスープにヨーグルトにサラダに目玉焼き。 でも他のも普通に美味しいというのが…見習いたい。料理の腕限定で。 特に砂漠系、主にヘビに好まれるヤツ、具体的にいうと御主人様の好きな料理。 ジャックさんが御主人様の好物を熟知してたら、それはそれでちょっと嫌だけど……。 どう切り出すか考えていると、ジャックさんが珍しく目を合わせずに口を開いた。 「嫌われて当然かも、と今頃気がつきました。まじごめんね」 思わず、動きが止まってしまった。 「大丈夫ですか?熱あるんじゃないですか?今日はお仕事休みますか?」 訊ね返すと、勢いよく首を振られた。 耳、当たるんですけど。 「女の子を泣かすのは、最低だと思って、調子に乗って押し倒そうとしてごめんなさい」 む、昨日の件ですか、 今更になって気に病むとは意外です。 つか、泣いてないけど、泣きませんけど、泣く気ゼロですけど。 それに…あれくらい、今更どうでもいい事だし… 第一ヒトに謝るとか、なんかのジョークですか? 後で腹抱えて笑おうという算段ですか? どうせ後で奈落の底へ落とすような事を考えているんじゃないですか? そもそも許すとか許さないとか、私の感情なんて、どうでもいいと思ってるんじゃないですか? そう思いつつ、流れっぱなしになった蛇口を止めて、もう一度顔を見たら… いつもよりぺったりとおみみがたれております。 自分よりもでかい巨大黒ウサギがぷるぷるして涙目で見つめてきても心が揺らぐはずがないじゃないですか! 全然揺らぎませんよ! しかも今まで会う度に押し倒されたり揉まれたり舐められたり吸われたりしてるんですよ!? 好きな相手でもないのにそんな事されたって普通に気持ち悪いだけだし、そもそも不感気味だし、前のこと思い出して鬱になったりとかするだけだし! 御主人様の前ではやめて欲しいなぁとか思って落ち込んでたりしてたけど! 今までのセクハラ行為をこの程度の… この程度の… でっかい顔キズ黒垂耳兎の涙目程度で…ッ 大きな耳までちょっとぷるぷるしてたって…ッ う、内側がッ ちょっとピンク色でふんわりした毛がめちゃくちゃ触り心地良さそうな大きなお耳程度で…ッ そ、それくらいの事で…ッ 「えーと、ご、ごめんね。今オレ何にもしてないけど、元気出して、買い物行こうよ、ね?何でも買うから、あ、なんならもうちょっと耳触る?」 台所の隅で体育座りで落ち込む私に耳の毛が毛羽立ったジャックさんが話し掛けてきましたが、正直答える気力もありません。 どーしょーもない敗北感で打ちのめされています。 ないわ、自分…。ありえん。まじありえん。 耳ごときで、耳ごときの事でさっきまでの緊迫感やら緊張感やらシリアス風味が全部パー…。 うう、凄く触り心地よかった……。 ぺたぺたふわふわ……。 耳かき中とか、機会はあったけど自分から触るのはまずいと思っていたのに、必死で自制してたのに……。 もう我慢するのをやめていっそ…落ち着いて、自分、諦めたら試合終了だよって安西先生も言ってるし。 まぁ…触ってくる以外は基本的に良い人なんですよね。 このジャックさんは。 ウサギの国には強姦という概念がないという話も聞いたことがあるし…だとしたらしょうがないかな、というか… 今までの事に比べれば…痛いわけじゃないし、痕も残ってないし、全然マシな…というか無害に等しいわけで、どうももやもやするのは…多分…今引きずるよりも出来るだけ有利な形で終わらせた方がいいような気がする。 「ジャックさん…全部、水に流しますから、御主人様に言わないで下さい。私が耳触ったって」 ジャックさんはきょとんとした表情を浮かべてからこくこくと頷きました。 ちくしょう・・・等身大ピーターラビットのくせに…。 手塚治虫に謝れ!ビアトリクス・ポターに謝れ! 「絶対ですよ!?それでさっきの全部チャラですからね!」 ジャックさんの目が輝き、そのまま押し倒されたので近くにあった乾いた雑巾で渾身の力で鼻先を叩く。 叩く。 叩く。 蹴る。 手が離れた。 「次やったら耳を雑巾で洗いますから」 厳しく言ってるのに、なんで笑うかなぁ…。 *** ネコの国、背後には山が聳え街を出れば砂漠が広がる運河沿い、規模から比較すると教育施設の多いそんな街。 確か、私はジャックさんに連れられて、久々の外出です。 昼に普通に出歩くとか、マジで今まで考えた事ありませんでした。 しかも首輪ナシですよ? なんか、普通の人みたいで、異常に居心地が悪いというか…すみませんぶっちゃけ浮れてました。 ちょっとハイになって速攻転んだらジャックさんに手をつながれました。 割と、いや、相当恥ずかしいものがあります。 「このコ、キヨちゃん~オレの妹です。ヨーロ-シークーネー」 なんでこの人、いちいち頬ずりしながら紹介するんだろう…。 どさくさに紛れて背後に伸ばされた手を抓みながら私も会釈する。 ちなみに今挨拶しているのは魚屋さん…普通に商店街の魚屋さんです。 これで何軒目だっけ…。 ジャックさん、商店街の人に片っ端から紹介していくつもりですか…? ウサギというのはあまり他国に行かない種族だそうで、この付近に住むウサギはジャックさんただ一人とか、 だから腕は別として、「ウサギの医者」として有名ではあるらしいです。 会釈すれば、ほぼ向こうはこちらの事を知っているという状態のようで、ひっきりなしに声をかけられます。 そしてその隣でウサ耳付けている私は当然、縁者だと思われ好奇の目で見られています。 しかもお店の方に挨拶をすると、ジャックさんがよそ見している間に、非常に痛ましそうにちゃんと食べなさいね、とか、辛い事があったらウチに来なさいね、とか言われます。 そして遠慮しても何かを下さります。 既にネギとパンが紙袋からはみ出しています。 ポケットの中にはリンゴみたいな果物も入っています。 滋養強壮にいいそうです。 正直、全力で謝りたい気持ちで一杯です。 ウサギじゃなくてすみません、私ただのヒトなんです…。 皆さんの善意を利用して、御免なさい。 「あの…ジャックさん…」 「お 兄 ち ゃ ん☆」 スゲー笑顔。 ああ、近くのネコ婦人が見ています。 その向こうでは先ほど挨拶した魚屋のオヤジさんも表情はわかりませんがこちらを見ています。 妹と紹介されたのに、うかつにそれを裏切る発言は出来ません。 「ジャック…お兄ちゃん…」 は、恥ずかしい…。 思わず俯くと近くからヒソヒソと何やら聞こえたりして。 細切れに聞こえる単語は…虐待、DV、エロ兎、とか。 「今、垂れ耳失敗だったかなーって思ってません?気のせいか凄い誤解受けてますけど、大丈夫ですか?」 明日からのジャックさんがちょっと心配になって来ました。 ジャックさんは髭をふさふささせ、耳を掻きながらこっそり言う所に拠れば 天涯孤独の遠縁の女の子を親切と見せかけて私欲の為に引き取った。 もちろん夜はそれなりの事をして逆らうと食事抜き。今日はそういうプレイの一環。 と、言う事になっているとか。 妹です、よろしくね、しか言ってないのに。 痩せてるのは前からです。むしろジャックさんは色々食べさせてくれています。 「お兄ちゃんファイト☆」 「わースゲー棒読み、せめてそこは笑顔で言ってくれれば誤解とけると思うんだけど」 うん、そうしようかな、と思いました。 お尻触られるまでは。 「悪評で病院潰れるんじゃないですか?」 「大丈夫、オレ腕いいから。それにちょっと痩せ過ぎだけどかわ…」 思わず嘆息し、荷物を持ち直す。 「え、何ソレ、ちょ、なんで目を逸らすの?ねぇキヨちゃんっあ、アイス売ってるよ!何味がいい?それともタイヤキ?ほら、雑貨屋で期間限定御菓子だって!食べる?食べようよ、ね、だからその目はヤメテ」 あー雑貨屋…最初に行った所です。 そういえば、これから必要になるものが…。 あの時は言えなくて買えなかったけど…。 「ジャックさん」 「はい!何、何味?アフアとかお勧めだよ!」 「何でも買ってくれるって言ってましたよね、ちょっとお金下さい。一食分くらい。そしてついて来ないで下さい」 当然のようについて来ようとするジャックさんの手に戴いたパンやネギの入った袋を押し付けてお店へダッシュ。 数分後、雑貨屋から出てきておつりを返すと、非常に気まずそうな表情を浮かべるジャックさん。 ま、まさか…。 「キヨカちゃん。あの…ごめんね」 触れないで欲しい……。デリカシーとか、ないのでしょうか。 「聞こえましたか」 「この距離は聞こえるね!」 ジャックさんに恥らわれると、死にたくなるんですけど。 「し、しかたないじゃないですか、生理現象だしっ」 落愕病で高熱出して失明したヒトとか、皮膚病になったとヒトとかいましたけど… 生理止まるのは含まれるんでしょうか。 多分、体重が急に減ったから止まったんだろうな。 で、最近増えたから復活的な…。 ええ、まさかの貧血原因です。 だからただの貧血だって言ったのにー!! 御主人様に言えるわけないじゃないですか! 男二人に幼女ではアレが置いてあるはずも無く……。 言えない、御主人様に買ってきてとか、言えない。 性交渉あるならまだお休み的に言えるかもしれませんけど……。 そりゃ、こんなキズモノ抱きたいなんて思うのは、余程ですよ。 何それ美味しいの?の世界ですよ、背中流そうとしたら追い出される位なのに。 でもこれで来月からは多い日もばっちりです。 店主お勧め、超吸臭素材仕様犬国産です。 うん、死にたい。 「今日はお赤飯だね!」 「そういうの、どこで覚えるんですか…」 がっくりと肩から力が抜け、思わず乾いた笑いが出てジャックさんが驚いたように目を見開いた。 その姿が面白くて、本当に笑えてきた。 笑ったら、言いたい言葉を思い出せた。 今更、こんな簡単な事だったなんて、本当に笑える。 「ジャックさん、私、そろそろ帰ります」 言ってみたら、心のもやもやがやっと晴れた。 本当に帰りたい所は遠すぎて、思い出すたびに苦しくなる。 やりたい事があったし叶えたい夢だってあった。 やれる事がやれるわけじゃないし、叶うとも限らないし、 こちらに落ちるか死ぬかの二択だったとしても、やっぱりあっちに帰りたいという思いは消えない。 落ちてから辛い事ばかりで、こんな世界大嫌いだったけど。 「私が帰らないと誰がチェルにお話するんだろうとか、サフのブラッシングするんだろうとか、気になって、ここら辺がずーっと、もやもやするんです」 もう代わりの人が居たら責任とってジャックさんが飼って下さいねーと付け加えたら、いつもの三割り増しぐらいの勢いで頬擦りされた。 「もうちょっとがっくんの事信じてあげなよ。泣いちゃうよ?あのヘビ」 あーウサギって、本当に口が回るなぁ…。 言いくるめるの、ネコと同レベルじゃないですか? うっかり信じそうになるじゃないですか。 「じゃ、頑張って。ダメだったらお兄様の胸にいつでも飛び込んできてね!」 そう言われてお別れして十数分ぐらい、玄関の前で荷物を抱えたままの私。 しかし、その…どうしよう。 ジャックさんには帰りますとか言ったけど…。 チェルとサフの事は物凄く気になるけど…一番重要なのは御主人様です。 御主人様に何か言われたら、どうすればいいんだろう。 勇気を出して、ドアノブを握ろうと思うけど何度も躊躇う。 そろそろ日も暮れて、風も吹いてきました。 小さく咳き込んで思わず溜息、いつまでもここに居ても仕方ないし、どこか適当な所でもうちょっと一人で考えよう。 そう考えて、方向転換しようとしたら肩に手を置かれ、驚いて逃げようとしたらがっしりとした手でつかまれ、思わず悲鳴を上げそうになった。 体をよじって避けようとしたけど、羽交い締めにされてしまった。 諦めて振り返ると、血が凍るような美青年が不機嫌そうな表情を浮かべている。 足に絡みつく硬い鱗に覆われた長い尻尾。 「どこ行く気だ、このバカ」 耳元で囁かれて、腰が抜けてしまった。 …いつから見てたんだろ、御主人様。 *** 御主人様はただの冷血美少年、下半身はヘビのボス系モンスターと自分に言い聞かせつつ、台所の片付けをする私。 しかし片付けは遅々として進みません。 腐海とまでは言いませんが、色々積まれています。足元には割れたお皿の欠片に鍋も焦げてます。 明日は掃除と鍋磨き決定です。 しかも号泣する幼女抱きかかえたまま皿を洗うのは、無理です。 おまけに背後には野性味の増したわんこがついて回っています。 そろそろ腕が痺れてきました。 しかも御主人様は玄関でへたり込んだ私を一瞥すると付け耳を毟り取り、どこかへ行ってしまいました。 サフとチェルに押し潰された私を鼻で笑った上にです。 笑うのはともかく、後で付け耳返してくれるかなぁ……。 出てけとは言われてはいないから、ここに居ても良いって事…だと前向きに考えておきます。 しかしアレです。 顔面と髪の毛はサフの唾液でベタベタだし、胸元は涙と鼻水でえらい事になっています。 服、換えたい。 顔も洗いたい。 晩御飯の準備も、したい。 「あの…そろそろ放してもらえないかなぁ…と」 「「やだ」」 片方は涙声で、片方はここにもジャックのにおいがする!と怒りながら。 「けど、放してくれないと御飯が作れません」 「どこにも行かない?」 「行かないから、放して」 「ヤダ」 子供って、どうしてこう… さすがに疲れてきたので椅子に腰掛け、チェルの頭を撫でながら考えていると、サフが肩に頭を載せてきました。 髪に頭を突っ込み、まだジャックのにおいがするとか呟いてから、私の前に来て顔を一舐めし、見つめてきて、一言。 「ねぇキヨカ、ぼく今度も家事手伝うよ」 「!?」 私の存在意義がいきなりピンチです。 内心冷や汗を垂らす私。 「その代わり、もう行かないでね」 きゅぅんと鼻が鳴らされました。 薄蒼の眼も心なしか潤んでいるように見えます。 二人してそんな事をいわれても、困ります。 そ、そりゃ中古ですけど…いつだって売られる覚悟はあったけど…。 チェル泣くし、サフも…それに、私だって… こうなったら御主人様に嫌われないようにするしかありません。 具体的にどうすればいいのかさっぱりですが…。 「頑張ります…」 目をキラキラさせ尻尾を振るワンコ。 ピンと立ったお耳にふわふわの尻尾が目の前でぶんぶんと振り回され、ピンクの肉球が…!! 大丈夫、まだ自制は効いてます。 悔しいので胸元のチェルの頭をごしごしして笑わせてみる。 半月型のお耳とふんわりほっそりとした尻尾は直視しない方向で…ッ! 「ねぇ、キヨカ」 顔を上げたチェルの目と鼻は赤くなって、涙と鼻水で凄い事に…。 「なんですか」 指先で涙を拭うとチェルは満面の笑顔を浮かべてくれました。 「だいすきっ」 こういう時、私はどういう顔すればいいんでしょうね…。 「あ、ズルい!!キヨカ、ぼくも好きだよ。大人になったら結婚して」 「ずるい!!ちーとキヨカはケッコンするの!!」 初のプロポーズです。 告白するどころか、された事もないのに、まさかのモテ期到来です。 「あと10年経っても気持ちが変わらなかったら、宜しくお願いします」 頭を下げ、ふと視線を感じ振り返ると、非常にヘビらしい…としかいいようのない眼差しで御主人様がこちらを見ていました。 …すみません、働きます。 なんとか食事をおえ、お風呂を戴き… (サフが入ると毛が凄いし、御主人様は長風呂なのです。いつか煮蛇にならないか心配です) 「御主人様、お風呂お先しました」 ソファーに寝そべる御主人様に声をかけても返事がありません。 顔を覗くと…端正な顔に眉間に皺を寄せたまま寝ています。 躊躇しつつそっと肩を揺すってみましたが、疲れているのか起きる気配がありません。 どうも…台所や各所の惨状をみるに、私が居ない間、代わりが居たわけではないらしく…だとすると、おそらく、多分、御主人様が二人の面倒を見ていたわけで…だとしたらきっと大変だったと思うわけで…。 …御主人様、恋人とか居ないんでしょうか。 居ても家の面倒見てもらうほど親しくないとか…ああ、もしかして、……それって私のせいだったりして……。 ちらりと御主人様を確認すると、相変わらず眉間に皺が寄っています。 まだまだ夜は冷えますので、このままだと風邪を引きます。 「御主人様ー起きてください。ジャックさんみたいな事しますよ」 もちろんしませんけど、御主人様だし。 しかしピクりともしません。 下手するとこのまま冬眠してしまうかもしれません。 だとしたら、防寒対策が必要です。 仕方ないので部屋から毛布を持ってきて上から掛け、尻尾にもかかるようにあれこれ工夫し…。 台所でホットミルクを作り戻るとソファーの住民が増えていました。 御主人様の懐に潜り込み、こちらを見ています。 テーブルにマグカップを置いて、ソファーの前にしゃがむとチェルはなんだか嬉しそうな顔をしました。 かわいい…いやいや流されちゃダメだ。 「チェル、風邪引くから部屋で寝て下さい」 「えーキヨカも一緒に寝ようよ」 えーっと… 「とりあえず、ここは冷えるからお部屋に」 無理に引っ張り出そうとしたら冷たい手でつかまれました。 「こんなに冷えて!風邪引くから、もう一度お風呂入って体をあたた…」 …少し見ない間に随分と手が成長したようで。 指長いー筋肉質ー鱗まで生えてるーわー…。 「うるさい」 「ごしゅッ…ここで寝たら風邪引きますから。チェル、早く出て下さい」 今のは反則じゃないでしょうか、油断してて思いっきり至近距離ですよ。 吐息が掛かる距離で囁かないで下さい。 美形は攻撃力が高すぎて困ります。それに…こうやって顔合わすの久しぶりだし…。 そろそろ手を放してもらわないと動揺が外に出てしまいそうです。 だって、もうちょっと上の方だとまるで手を繋いでるような状態になるんですよ!? 手フェチにそんな事したら大変ですよ。 もぎってパンの袋に入れる趣味はないので、代わりに御飯三杯くらいいける気がします。 うっかり至近距離でガン見している御主人様の美形っぷりにさっきから動機息切れで大変です。救心が必要です。 頑張れ私。御主人様に嫌われない努力するって決めたんだから。 ここでうろたえたら変に思われる…! 深呼吸、深呼吸 「キヨカーいいにおいーっ」 うろたえている所に急に後ろからサフに抱きつかれ、驚きのあまり自制が効かず変な声をあげてしまいました。 「びびびっくりしたあああ!!!!やだもうっ」 驚きのあまり、変な笑いまで出てきて固まったままのサフをベシベシと叩いて、ふと我に返った。 そっと振り返る。 チェルは大きな耳をこちらに向け、まんまるの目を大きく見開いて口を開けていました。 御主人様は、真顔でこちらを見てます。 痛いほどの沈黙の後、御主人様は無言で私とサフに尻尾チョップしチェルを押し出し毛布を頭から被ってしまいました。 はみ出した尻尾がバシバシと床を叩いています。 もしかして、怒ってるんでしょうか。 変な声出して騒いだから? 「早く寝ろ」 くぐもった声を聞いて、ちらりとサフとチェルが視線を交わしました。 私と違って、御主人様との付き合いが長い二人には何かわかるようです。 「じゃ、おやすみなさい…がっくん、もうキヨカ泣かせたらだめだからね」 「がっくん、キヨカいじめたら許さないからね。オヤスミ」 二人に抱きしめられ、顔がうっかりにやけてしまいそうになったものの…。 えーっと… 「御主人様、風邪引かないで下さいね?」 私も、早く出てった方が良さそうです。 明日は大掃除だし。 「…おやすみなさい」 と、言ってるのになぜ手をにぎ…もといつかまれ…いやにぎられているのでしょうか。私。 毛布からなぜ顔を出してるんでしょうか。美形です。 困った事に、さっきの事を思い出して血が上ってきました。 わ、判ってます。 非常に良く判ってますが… ジャックさんも言ってましたが、服脱がないか、灯り消してしまえばいいんですよね。 そうすれば、たぶん、あんまりそんなには気にならなくて済むんじゃないかと…だって、ヒトメスは… 「キヨカ」 「はい」 幸い、お風呂は入りました。 ホットミルクは飲みましたが、歯は磨いてあります。 至近距離の御主人様は何度も言いますが攻撃力が高すぎます。 吐息がかかる距離なんか心臓が瀕死です。 平静を装うのが精一杯です。 今地味に気がつきましたが、御主人様が私の名前を呼びました。 凄いレアです。 ど、どうしよう!まずは落ち着いて、深呼吸を! 「おかえり」 思わず見つめ返していると、御主人様の眉間に皺が寄りました。 「やっぱりジャックの所の方がいいか」 やっぱりって、なんですか。 「御主人様の方が全然いいに決まってるじゃありませんか!みだりに触ったり撫でたり揉んだりして来ないし!押し倒さないし舐めてたりもしないんですから!!サフとチェルだって居ないし!しかもベジタリアンですよ寒いのに!おなか壊しますよ!」 御主人様の虚を突かれた顔というのを、はじめてみた。 「…そうか」 「ハイ」 やば、ジャックさんに対して凄く失礼な発言をしてしまった。 でも御主人様は気がつかなかったのか、気にしていないのか特に何も言ってこない。 「あの、失礼してよろしいでしょうか」 御主人様が頷いたので私は後ずさりして部屋を出ようとして…大事な事に気がついた。 「あの…御主人様」 こちらを向く御主人様は困った事にやっぱり攻撃力が高い。 平静を、装えているだろうか。 「ただいま帰りました」 「うん」 御主人様の笑顔のせいで、今夜は徹夜決定です。 明日から、どうしよう。
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太陽と月と星がある 第五話 目を開いて現状を把握、目の前には長くて黒い爬虫類の尻尾とテーブルの足。床が冷たい。 今日は叫ばなかった。大丈夫。 「オイ、どうしたんだ。冗談のつもりか?」 頭上から降ってきた声に取り合えず、問い返す。 「寝ていたんですか?私?」 上から覗き込んでくる御主人様に訊ねると、一瞬気まずそうな表情になり―――ああ、こんな顔も出来るのかぁ――― 頭を動かすと髪がばっさりきたので、テーブルの下から這い出て髪留めを探すも見つからず… 「ほら」 御主人様が何で髪留め持っているんだろ。拾ってくれたのですか 「お前、顔青いぞ。大丈夫なのか」 「さぁ…」 私が首を傾げると、御主人様が噛み付きそうな表情になってしまった。 「自分の体だろうが!何を寝惚けた事を言ってるんだ!!」 そういえば、そんな事も 立ち上がったら視界が暗くなった。 耳が痛い、 体を揺すぶらないで ごめんなさい ごめんなさい もう しませんから、ごめんなさい だから もう 「キヨカっ」 目の前にターバンを巻いた若い男の人があれどこここは――― あぁ そうだ 夢を見てしまったらしい。 「おはようございます。御主人様」 御主人様顔近いです。 掴まれた所が温かいくて寒気がする。心臓の音がやけに響く。 さっきからどれくらい経った? 私のすることは何だっけ。大丈夫、落ち着いて、ちゃんとしてれば大丈夫だから 掃除洗濯、炊事、望まれれば夜の世話、大丈夫、私は、ヒトだから。 この世界のヒトはみんなしていることだから、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫 自分に言い聞かせて、呼吸を整えて 「御主人様、晩御飯、何を召し上がりますか?」 えらく睨まれた。 「過労」 ジャックさんがガン飛ばしています。 「働き過ぎ、睡眠不足、貧血、その他モロモロでぼろぼろ!ちょっと前に死にかけてたんだよ? 治したって言っても傷埋めただけで生命力はギリギリなのわかってんの?魔法は万能じゃないんだよ? バカなの?死ぬの?しかも子育てってのは血の繋がった親でもしんどいのに世界最弱生物だよ? 体力保つわけ無いじゃん脳味噌洗剤で洗えよバカ野郎」 その上、説教というか、罵倒です。 御主人様に。 「あの、今後気をつけますので出来ればその辺で…」 「そっちは黙って、ベットから出ない!」 凄い迫力です。 ウサギとは思えません。 えー状況を把握します。 1、貧血で伸びてる私を御主人様が発見 2、ジャックさんを呼ぶ 3、ベッドに強制連行される 4、御主人様がジャックさんに説教される←今ここ 現在、自室として使わせて頂いている部屋はあまり広くは無いので男性二人がいると非常に狭く感じます。 特に御主人様の尻尾的な意味で。何メートルあるんですかソレ。 まぁそれはそれとして… 「あの、よろしいでしょうか」 ジャックさんはウサギですが顔に傷があったり黒毛で割とでかいと言うこともあり、特にこういう状況だと …なんというか…背後に重低音な効果音が聞こえます。 「お手洗いに行きたいのですが」 「戻ってこなかったら、連れてくよ?」 どこへ。 「早急に戻りたいと思います」 怖いもの増えました。ジャックさん怖い。 「はー・・・」 洗面所で思わず溜息、髪の毛どうしよう、下ろしたままでいいのかな。 というか、自分の部屋で気が休まらないと言うのはどうなんでしょうか。 ジャックさんがお医者さんだと言うことを考慮しても、たかが貧血程度で御主人様がジャックさんに説教と言うのは納得いきません。 と言うか、普通は私に言うべきことじゃないんでしょうか。 どうしてだろう、管理不行き届き? だとしたら御主人様がモノをどう扱おうと勝手だし、それをジャックさんがどうこう言う権利は無いはずです。 わからない、もやもやする。 今は前とは違うのに、みんな優しくしてくれる。 大丈夫かと言ってくれた。嬉しかった。褒めてもらえた。嬉しい。 それなのに、どうして――― 「キヨカ~おなかすいた~」 振り返れば子供二人が切ない眼差しでこちらを見つめていました。 確かに考えてみれば、普段の夕食の時刻をとうに過ぎています。 や、しかし、先程のジャックさんの声は本気と書いてマジと読む勢いで… 「キヨカぁ…」 きゅー ぐるるる 可愛らしい音と悲しげにきゅうぅんと鳴る鼻声。 そ、そんな悲しそうな濡れた瞳で見られたら… 「おなかすいた…」 ええ、分かります。凄くよく分かります。 痛みは我慢できても空腹には勝てない。 「ちょっと待ってて下さいね」 取り合えず急いでキッチンへ向かいお皿とパンを出し、冷蔵庫から豆の煮込みや買ってきてもらった漬物を出して、 ソーセージをフライパンで炒め、その脂で大雑把に切った野菜も炒めて、 和食なら色々できるのになぁ…、みそとか、しょうゆとか、鍋っていうのもいいなぁ… 二人はテレビを見ながら待ってるから、早くしなきゃ。 「あと、スープとっひッ!?」 背後から掴まれそのまま担ぎ上げられうわ、揺れる揺れるっ!床が近いですよ!?頭に血が!! 「じゃ、ジャックさん一体何を」 「連れていくって、言ったでしょ?」 大丈夫、ただの冗談に決まってる。 「だって、ただの貧血ですよ。御主人様はヒトに慣れてないから驚いちゃっただけですよ。 もう大丈夫ですから、ジャックさんのお気遣いは大変ありがたいのですが、私にはやるべき事が」 説得を試みる私にひどくドス声。 「今日は、鍋の火消しに行かせないからね」 ネコの国も冬は寒い。 雪は無くても夜になれば相当冷えます。 吐く息は白く、指先と鼻が痛い。 空を見上げれば、二つの月がやけに綺麗に見えます。 …汚くても、私は黄色い月の方が好きでしたけど。 隣で私の腕を掴んで歩く…というか、引きずっていくジャックさんは耳あてのついたふかふかした帽子にコートを羽織り、非常に暖かそうです。 片や私はこうやって首輪もなしで歩くなんてずいぶん久しぶり…というか、この世界でははじめてだとか…そういう感傷をすっ飛ばして寒ッ そのせいか、人通りはまったくなし。 家を出て一分も経たないのに体が震えてきました。 石畳って、冷えるんだなぁ…。 「ジャックさん」 「うん」 「帰りたいんですが」 寒いし、ご飯準備中だし。 「ダメ。一応がっくんには言ったよ?預かるって。君このままだと死ぬし」 あ、ダメだ。笑っちゃ。 「チェルとサフには…」 「今頃号泣じゃないかな。まあいい薬」 さらりとひどいことを言うジャックさん。 「二人はちょっとキヨちゃんに甘え過ぎだし。がっくんはちゃんと言わなかったからお仕置き」 お仕置きって。なんだそれ、ああ、寒い。 「二人ともまだ子供ですよ?年上に甘えるのは、当たり前じゃないですか。それに御主人様は御主人様ですし…」 見下ろされた。 「君、自分の立場わかってる?」 「中古ヒトメスで夜使うには難のあるペットでお情けで置いて貰っているメイド的な何か」 ジャックさんは口を開け閉めして、御主人様のように眉間に皺を寄せました。顔が近い。 「残念、正解率10%。なんで今日倒れたか、理由分かる? 働き過ぎなの君。体力足りてないのに我侭に付き合い過ぎ。君も断らないとダメ それにアイツはそれを考慮すべきだったのにしてなかった。だから全員お仕置き。 キヨカちゃんはオレんちで休養。これは医者命令だし、がっくん了承済み」 やけにきっぱりと言い放たれました。 心の中で、もやもやするものがあるのに言葉にならない。 そんな私の目の高さまでジャックさんは腰をかがめ、私の顎を掴み、 「今、手を放すけど、逃げたら口では言えないような凄い事するから、逃げないでね」 わー凄くいい笑顔で脅されてますよ。私。 そういえば、最初の調教師もどSのウサギだったよなぁ…。 そのうち気持ち良くなるとか言って、縛られたり傷に塩塗ったり…かちかち山じゃないつーの。 …あ、思い出したら色々痛くなってきた。 取り合えず留まる私の前でごそごそとコートを脱ぎだすジャックさん。 「ちょっとデカいけど」 帽子を被せられて、コートを渡されました。 「さぁ、着て」 躊躇しつつ、寒さには勝てないので腕を通す。 ジャックさんだとハーフなのに私が着たらロングです。 「予想より余るね」 これで走るのは、ちょっと無理でしょうね。絶対捕まる。口では言えない凄い事される。 「あの…お気持ちは大変嬉しいのですが、ジャックさんが寒いじゃないですか」 帽子の上からぽんぽんと叩かれた。あんまり深く被ると前が見えないんですが。 「寒いから、早くオレんち行こう」 なんで笑ってるんでしょうか、この人。ワケが分かりません。 御主人様了承済みということは、…ジャックさんに従うしかないようです。 けど…どこまで了承済みなんだろう。 深々冷える夜の街に足音二つ。 「キヨカちゃん、手つないでもいい?」 「どうぞ」 握られた手はずいぶん暖かい。いいなぁ、毛皮。 石畳に足音だけが響く。こういう沈黙苦手…。 「今の気分、凄くドナドナなんですが、このまま市場へ行ったりしませんよね?」 訊かなきゃいい事を、思わず聞いてしまった。 さっき、ジャックさんは自分の家といっていたから、そんな事はしないはずなのに。 「どなどな?」 あ、向こうの歌だから通じないのか。 「すみません、気にしないで下さい」 私がそういうと何故かジャックさんは好奇心に満ちた目でこちらを見た。 「とりえず、歌ってみようか」 まさかの墓穴。 「子牛…ッ!」 ハンカチを差し出すとなんか凄い音が聞こえた。 聞こえないことにします。 「・・・洗って返すね」 ポケットティッシュはこの世界ないのかな。 「結局、ドナドナってどう意味なの?」 「私にも分かりません」 鼻声で聞かれ、私は肩を竦めました。 「牛も闘牛士とかあるから子供の頃から訓練とか大変だとは思ってたけど、そんな歌になるほど身売りが盛んなんて…グスっ」 …誤解がある気がする。 こちらの牛の名誉のために一応解説しておかなくては。 「これ、向こうの歌で、向こうでは牛と呼ばれている家畜がいるんです。だからえー…と、悲しいけどこれが現実なのよね的な」 家畜 という言葉でジャックさんが固まった。 頭をがりがりと掻いて、垂れた耳をぶんぶん振ってから小声でえー、とか、あーと言ってちらりとこちらを見て、何故か項垂れている。 何か悪いこと、言いましたか?私… ……あ、 うわ、凄い嫌味を言ってしまった事に今気がつきました。 どうしよう、何か言わないと。 何を言えばいいのか思いつかないまでも、取り合えず何か言おうとして口を開きかけた所で唐突に呼びかけられた。 「お、ジャックのセンセ、珍しく女連れですか。どうです?おひとつ買っていきませんか」 親しげな声色に驚いてそちらを見ると、物陰にひっそりと小さな屋台が。 タイヤキ屋さんらしく、奥では虎縞のネコが手揉みしていた。 項垂れていたジャックさんが顔を上げ、挨拶代わりに片手を挙げました。 どういやら顔見知りのようで…時々買ってくるタイヤキは、ここで買ってきてくれた物だったのでしょうか。 「そういや、晩御飯もまだだったよね…何がいい?オレあんこ三つ」 タイヤキか…部活の帰りに食べたなぁ… 「キヨちゃん、何味食べる?」 「え!?」 驚いて素で聞き返してしまう私を二人が面白そうに見ている。 いえ、だって、買い食いとか、選択肢とか、いいのかな、選んで 「センセ、どこで引っ掛けたんですかこのコ。見慣れない顔だ」 あ、どうしよう。 「引っ掛けたんじゃないですよーこのコは妹、最近引き取ってね。だからリっちゃんにオレはいつでもフリーだって言っといてー」 「まだリーイェ追いかけてんスか、諦めましょうよセンセ」 妹設定なのか。じゃあソレっぽくした方がいいのでしょうか。 確かにヒトメスが手元にいるのは恋路の邪魔な気が、女性からしたら気分良くないですね。 しゃべるオナホなんて、悪趣味極まりないです。 「さて、家庭の事情で遠縁たらい回しで挙句にど田舎育ちの世間知らずでウサギなのにお耳の悪いキヨちゃんよ 優しくて親切で就職先まで面倒を見てあげたお兄様がタイヤキを買ってあげよう。何味がイイ?」 なんという説明口調、設定細かいし、…なんですか。 何の意味があるのか分かりませんが。 「じゃあ、えーとハムマヨありますか?」 メニューが張ってあるようなんですが、こっちの字、読めないし…。 「はむまよ?」 「呼び方違いますか?あの、ハムとマヨネーズの。なければハムチーズ…」 「ハム?」 私とジャックさんを交互に見比べ、店主さんが無言になってしまった。目に不審そうな色が。 ……ああっ!! 「私悪食なんです!イヌの国のスラムだったから、食べられるものが無くって!!何食べてももどしちゃってたのをどうにかですね」 うさぎにくたべない。しかも普通に自分話してどうするの私。馬鹿、私の馬鹿。 焦る私をみる店主さんの目から不審の色が消え、なんだか非常に可哀そうなものを見る目に…。 「苦労…したんスねお嬢さん、そんなに痩せて…今度メニューにその…ハムマヨを加えて置くから…またセンセに買ってもらいな」 うわ、すみませんほんとすみません。 結局カスタードをお願いしたら、今後とも御贔屓にと言ってあんこも数個貰ってしまった…。 いやジャックさん、笑い事じゃありませんよ。 「悪食…っ」 タイヤキを銜えながらぶふっと噴出し、あんこで口元を汚すジャックさん。 カスタード美味しいです。 「い、妹とか言うからじゃないですか!意味不明ですよ!ムチャ振りですよ」 「イヤだって、オレのコート着てるんだから妹でしょ」 理論が不明ですよ。 「ヤバイ、まさかの妹モエー…ぶっ悪食…ッ」 ツボに入ったんですか、そうですか。 私は無言でカスタードを味わう。 出来立ての温もりとこんがりした表面、舌でとろける濃厚な甘さ、身が尻尾まで詰まっていて美味しい。 御主人様はちゃんと晩御飯食べられただろうか。 チェルは夜お話が無くても大丈夫かな、サフはブラッシングしないとあとで抜け毛が大変なんだけど。 「あー…ミルクとシリアルないや、深夜営業の所行くからちょっと遠回りするけどいい?」 「あ、はい」 タイヤキの袋を抱えなおし、暗い角を曲がる。 あ、街灯壊れてる。 「…悪食ッ…」 「笑いすぎですよ!」 二人の声が街角で響いた。 ジャックさんのウチはビルの1Fまるごと。 手前が診療室、奥が居住空間になっていました。 一人暮らしのはずですが、意外と豪華です。 医者って儲かるんですね…。 裏口から入り、入ってすぐのキッチンテーブルに購入したものを置いたので、私もそれに習い…。 何でこんなに買う必要があるんだろと思うような食料の量です。 ミルクとシリアル、ジャムにパンに瓶詰め、調理済みのお惣菜。 ホットケーキのもと。 コンビニはなくても深夜営業の雑貨屋があれば、ほとんどあっちと変わらないと少し思ったり。 私は、この世界のこと本当に何も知らないようです。 「明日はオレ寝坊するから、非常時以外は絶対に起こさないで。診療は午後からだから。 あと、オレこう見えてもウサギだから、あんまり音立てないようにね。 お腹すいたらここらへんの勝手に食べて~トイレはあっち、風呂はソコ。 着替えとかはそっちの部屋のを適当に使って、寝るのもソコね」 流れるような口調であれこれ説明するジャックさん。 手馴れています…。 「あの、私は明日から何をすれば…」 「寝坊してだらだらして昼ご飯食べてだらだらして、おやつ食べて昼寝して、 オレと晩御飯食べに行って風呂入って歯磨いて寝る」 ジャックさん、真顔みたいなんですけど…。 出来れば早く直してもらいたいのに。 「そうやってりゃバレないし、外に出ても大丈夫~いい店知ってんだ。オレ」 そう言って帽子を被ったままの私を上からぐりぐりされました。 子供のあやし方のようで、複雑な気分です。 「まー色々調べることもあるし、のんびりね。次の休診は三日後だから、最低それまで」 「え」 「え じゃないでしょ。こういうのは、腰据えないと」 それは困ります。 チェルは夜お話をしてあげないとちゃんと眠れないし、サフだってブラッシングの必要があります。 御主人様には私は必要ない、でしょうけど…。 それにお話は誰でも出来るし、ブラッシングだって誰でも出来る事です。 だから、…いくらでも代わりがあるから、早く帰らないと。 他にできることなんて、ないし。 何箇所か店に寄ったしどうもわざと遠回りしたような気がするけど、大まかな通りは覚えながら来たから… 「大事な事を忘れてた。ハイこっち向いてーオレを熱く情熱的に見つめて!」 どうでもいいけど、顔を掴むのはやめて欲しいなぁ、と思う今日この頃です。 キスできそうな距離まで近づかれると、妙に背中に力が入ります。 寒いのは、気のせいです。 あんこくさい…。 天井でも眺めようとしたら無理やり目線を合わせられました。 ジャックさんの眼の色はずっと黒だと思っていたのですが、良く見れば深緑です。 瞳孔が広がると緑色が強く輝くなって… 「おー珍しく成功だ。秘儀言霊!魔法より低燃費!低刺激!低効果!財布にも優しいお値段で実施中ですっ」 一瞬放心していたのか、気がつけばジャックさんにほっぺたをむにむにされていました。 ちょっと痛い。 今、何があったのか頭が真っ白でよく思い出せません。 「キヨカちゃん、■■■■だよ?わかったかな?」 「はい」 あれ? 「サフわんとかちーちゃんがおねだりしてもだよ」 「はい」 反射的に口が動くものの、 考えようとすればするほど、眠気と倦怠感で頭がくらくらします。 「ヒトって、本当に魔力抵抗ないね。あー原因分かってきたーやべーがっくんに殺されるー」 私の頬を引っ張りながらぼやくジャックさん。 体が、寒い。 あーこの家、意外と汚れてるなぁ…一人暮らしだし、掃除しないと、それと… あれ、 私、さっき何を――― ――――――ッ!!!! 「あー お、おっはよー・・・」 私を見下ろす黒ウサギは、両手を宙をニギニギしながらひどく気まずそうな表情を浮かべています。 白衣です。 あれいつの間に 取り合えず、挨拶を返そうとしたのですが、声が上手くでず、咳き込んでしまいました。 胸板が叩かれたように痛い。口の中が乾いて苦くて気持ち悪い。 ところでなんでベッドの足が目の前にあるんでしょうか。 いつ倒れたんだろ。 さっきまでほっぺたいじられてたんじゃなかったっけ? 板張りの床が冷たい…寒い。 「あーえーと、急に寝ちゃったからベッドに運んでおいたんだけど、全然起きないしさ、 どうしたのかと思ってね?オレ紳士だし不可抗力だよね! だって起そうとしただけなのにベッドから落ちるとか、ぼくもうびっくり☆てか、喋れる?頭動いてる?」 ダウトなニオイがするけど、きっと気のせいでしょう。 腕を掴れ、引っ張り上げられると関節が派手に鳴りました。 寒い。 血が落ちる音と、目の前が暗くなって少し頭痛がする。 しばらく瞬きをしてから明かりのある方向を向くと高い位置に小さな窓。 「ねてた?」 なんとか唾を飲み込んで掠れた声で問い返すもジャックさんはうろたえた様子のまま応えず。 格子の入った窓から見える空はオレンジ色。 甲高い子供の声、笑い声。 知っている声がするんじゃないかと期待したけど、聞こえませんでした。 「つ、疲れてたんだねーきっと、うん、いやーびっくりしたよあはは」 なんで棒読みなんだろう。 瞼が重いけど、空腹感の方が強い…。 眼を擦ると何かがポロポロと落ちました。 手を見れば、肌に記号のようなものが書き込みがされています。 「おなかすいたよねー、生きてる証だよね!もう閉めるから、そしたらご飯にするからね」 物凄い挙動不審なんですけど、めっちゃギクシャクしてますけど。 「ジャックさん、コレ、落書きですか?御主人様の許可とってます?あといくらなんでも夕方はおかしいですよね?」 「治療の一環だよーほらいっつあまじっくさーくるっ!HAHAHA-」 ―――深く追求したい所ですが、機嫌を損ねても困ります…。 …あれ、なんで困るんだっけ? 寒い。 この人は御主人様じゃないけど命の恩人で医者で…どうして困る? 命の恩人?助けて欲しいって、頼んだっけ? あれ、どうして私ここに御主人様は… おなかすいた。 ベッドに腰掛け、胸元を直し…あーボタン取れてるし…ここにもなんか書いてあるし…寒いし…おなかすいたし… 「寝ないでーッ!!寝たら死んじゃう!次成功させる自信ないから!もうオレのまじっくぽいんとはゼロよ!」 揺さぶらないで欲しいなぁ…寒い… ああ、私、…どうしてここに居るんだろう… 「こんにちはー毎にゃん新聞です」 「ごめんなさい、うちはカツスポ(シュバルツカッツェ・スポーツ)一筋なので」 パタン カリカリカリカリカリ ジャックさんのおうちに来て何日目か、訪問販売や勧誘を全力でお断りする今日この頃です。 だってやる事、ないし。 部屋で寝てていいといわれているのですが、何故か玄関先から離れがたいので、コートと帽子を着用させてもらっています。 防寒対策万全です。 というか、ここの寒さは通りに面しているということもあり半端ではありません。 コートなしでは耐えられず、油断していると鼻水が垂れる勢いです。 先日も、うたた寝してると思ったら凍死しかけてた…とジャックさんが言っていたので主観ではないようです。 なぜ自分がそこまでして玄関に拘るか良く判らないのですが… しかも気がつくと玄関の鍵を開けたり閉めたり、窓の鍵をいじっていたり…重症です。 私は一体何をしたいのでしょう? 大事な事を忘れている気がします。 玄関先に座り考え込んでいると、ジャックさんが覆いかぶさるようにのぞいて来ました。 凄い圧迫感です。 「キヨちゃん、楽しい?」 「楽しそうに見えますか?」 しまった。質問を質問で返してしまった。 私の言葉にジャックさんは怒りもせず髭をそよがせてから、ぽふっと手を打ちました。 「じゃあ、お仕事頼もうかな」 「玄関が私を呼んでいるので余所を当たって下さい」 思わず勧誘と同じノリで断ってしまい慌てて訂正。 「今の、無しでお願いします。します。でも御主人様が許可をくれそうな範囲でお願いします」 ジャックさんの機嫌を損ねるわけにもいかず、かといって御主人様に背く様な事も出来ませんので。 私の内心の躊躇に気がつくはずもなく、ジャックさんは私の返事を聞くとなにやら傍らの紙袋を差し出し 「これ着て手伝って欲しいな♪ほら、付け耳もあるし」 でっかい顔面キズウサギが小首傾げても可愛くありませんよ。ジャックさん。 前のところはそういうお店だったので、なんとなく想像できる範囲はおおむねやりました。 セーラー服もブレザーも学ランも浴衣もメイド服も体操服もやりました。 子供の頃の夢や希望らしきものがイカ臭くされるのって、本当に効きます。 ナース服は、これで何回目だったかなぁ…。 ミニにニーソって色々ギリギリなんですが。 しかもナース服は…私が言うのもなんですが、胸の豊かな人が着るべきですよね。 縦は丁度なのに横とかの布地が余ります。 「ところでセンセー、ナースさん死んだ魚の目をしてますけど」 「照・れ・て・る・か・ら☆はっはっは、よく似合ってるよ」 やや呆れたような眼差しの患者さんを笑い飛ばすと、ジャックさんはミニの裾に手を伸ばしてきました。 これはいけません。 とりあえずジャックさんの頭にカルテを挟んであるボードを振り下ろすと、手が引っ込みました。 良い傾向だと思います。 「先生、次の方がお待ちです」 水虫で来院したクロブチネコの患者さんが震えながら席を立ち、次の人を呼ぶ前に暖房が足りなかったようなので火力を上げると、ジャックさんが汗をかきながら謝って来ました。 そのあとも患者さんの荷物を受け取ったり、手を貸したり。 ジャックさんの魔法を観察したり、魔法陣が書かれた布を取り出して広げたり片したり。 字も読めませんのでその程度の事しか出来ないのですが、診察時間が終わる事にはずっしりとした疲労感を感じました。 おかげで今夜は熟睡できそうです。 何も言われないのをいい事に待合室のソファーに座っていると、手にマグカップを二つ持ったジャックさんが隣に座りひとつを私に差し出してくれました。 ホットココアです。 お礼を言って受け取り、一口。 甘い…というが、激甘。糖尿になりそう。 「おいしい?疲れたときは甘いものだよねー」 やたら嬉しそうに訊ねるジャックさん。 ボードの角を使った報復でしょうか、その方がいっそ助かるのですが。 頷き一気に飲み干すと、喉の中が甘さでヒリヒリしました。 「後で晩御飯に行こうねーあと服も買っちゃう?買っちゃおうか、あとー女の子って何が必要なんだっけ?付け耳サイコーだよね!」 付け耳はウサ耳です。 しかも垂れ耳、非オーソドックスです。 黒毛仕様なのでジャックさんとおそろいです。 わりとレアな気がしますコレ。 飼い主や客でもない人から高い物を買ってもらうのは良くないと思うのですが…。 あ、大事な事を言い忘れてた。 「ジャックさん、他の人がいる所で裾を捲るのは止めて下さい」 真剣な話なのに、なぜ目が丸くなるのでしょうか。 「特にここは、精神的ブラクラになりますから」 上着の裾に手を掛けた時はやたらと煌いていた目が、持ち上げた瞬間固まりました。 横腹の後ろ辺りなので自分では良く見えませんが凄いらしいです。 「あとここも禁止です」 ミニスカートの裾を軽く持ち上げ腿の内側を指すと、ジャックさんはまるで御主人様のように両手で頭を抱え込みました。 「ていうか、見た事あるんじゃないんですか?」 少なくとも一回は見てるはずなんですが、怪我治してもらったときに。 「そういう時は怪我しか見ないもん。速攻忘れるもん」 凄い切り替えっぷりです。 でも医者でウサギのジャックさんがこうですから、御主人様の反応も推して知るべしというか。 私って怪我治っても精神的ブラクラですね。 中古に名に恥じないダメッぷりです。 「でも大丈夫!着たままならアリだよ!見なきゃ全然イける大丈夫だから、心配しないで!」 もふもふと抱きしめられました。 消毒液とオゾンと獣の臭い。 背中に肘当てがぶつかりました。 ソファーだからそんなに痛くないのが救いです。 つーか、本当に切り替え早すぎじゃないでしょうか。重いです。 「ナースプレイナースプレイっ」 物凄く嬉しそうな声色に、あーだから看護師さん居ないんだ、と思わず納得です。 仕事の後に押し倒されのは大変ですよね、体力的に。 そういえば、患者さんも男性とお年寄りで占められていました。 過去に何やったんだろうとか、色々思う節はありますがとりあえずは現状です。 「魔法使うと疲れちゃってさー腹減るしーいいにおいーあまそーうまそーいただきまーす」 もぞもぞと首元に顔を埋められたり服の中に手を突っ込まれたり。 されてる事に関する感情をいつものように頭の中に鉄の箱を作って押し込め、天体望遠鏡で星を観察している気持ちに切り替えます。 どうやら、普段よりも一歩前に出ている感じです。 これは…御主人様的には、どうなんだろう? あれ、ていうか私なんでここに居るんだっけ… 確か、…貧血で倒れて、ジャックさんに連れられて…その後は? なんで私ここに居るんだろ。 御主人様は私の事要らなくなったから、ジャックさんが飼う事になったのかな。 それなら高価であろう付け耳も納得です。 そっかーだから…なんだっけ、どうして私、玄関で待ってたんだっけ… ジャックさんは相変わらず何か口言いつつ、とうとうベルトに手を掛けました。 大変脱ぎ難そうにしています。 手伝うべきか悩んでいると、来患を告げる玄関ベルが軽快な音を立てました。 「誰か来たみたいですしやめに」 「みせつけてやろうぜ」 どこで覚えるんだろう、そういうの。 言っても無駄なようなので目を逸らすと、入り口の所に防寒ばっちりの凶悪そうなヘビ男性が無言で佇んでいました。 仕事帰りなのか手に鞄。 そしてその鞄を投げつけました。 こちらに向かって、つまりは私の上で興奮気味のジャックさんに。 悲鳴を上げてソファーから転げ落ちたジャックさんに更に追い討ちをかけるヘビ男性。 がっつんがっつんいってます。 痛そうです。 つーか強盗ですかね。これ。 私の希望的妄想脳内フィルターを掛ければ、じゃれて遊んでいるようにも見えます。 二人は二人の世界に入り込んでいるようなので、私はボタンを嵌め直し、スカートの裾を整えニーソを穿き直し、髪の毛を整えました。 「一応伺いますが、お知り合いですか?」 頷くヘビ男性。 「そうですか、ではごゆっくり」 お風呂、入ろう。 背後から悲鳴とひとでなし~とかいう声が聞こえたのは、多分、気のせい。 それに私、人じゃありませんから。 「コレ、オティス君。仕事帰りに嫌がらせに来たんだって、野暮だよね!こっち妹のキラちゃんオレ専用妹」 久しぶりにゆっくりお風呂に入り、髪の毛を乾かし付け耳をつけてから、先ほどのヘビ男性を紹介されました。 ヘビ男性、もといオティスさんはひどく不穏な雰囲気を醸していましたが、今は普通に見えます。 ていうか、色々ツッコミポイントがあるのですが、控えます。 ジャックさんの妹設定、まだ生きてたんですね。 ならそれに従ったほうがいいのでしょうか…。 テーブルの上にお茶請けを出し、飲み物を用意しつつ話を合わせます。 「ヘビの知り合い多いんですね」 ネコの国なのに、比率的に偏っていますよね。 何故かジャックさんがニヤニヤと笑いながらオティスさんを見ました。 「うん、知り合い多いね。ね!オティス君!」 無言で頷くオティスさん。 口元から赤い舌と鋭い牙が覗いています。 オティスさんは、普通のヘビ男性です。全身鱗に尻尾のついた二足歩行。 リザードマンというか、恐竜人類というか…。 しかもちょっと眼がうつろなのに顔はこちらを向いています。 御主人様もこんな感じな時がありましたから、恐らく種族共通なんでしょうね。 しかしこれが標準だとすれば、そうじゃない時の御主人様が私に向ける目線は警戒心というか、敵意というか、妙に神経を尖らせているというか…。 あれ、私、そんなに嫌われたのか…。 いまさら気がついた事実にへこみつつジャックさんは紅茶、オティスさんはブラックコーヒー、自分用にブラックコーヒーにミルクを半分入れました。 「それではごゆっくり」 一礼して部屋に戻ろうとしたら襟首掴まれて引き摺られました。苦しい。 「そう言わずに一緒にお話ししようよ」 うん、なんで服の下に手を突っ込む必要があるのか、教えて下さい。 ピシッという音がしたのでそちらを向くとオティスさんさ尻尾を床に打ちつけていました。 確かに、目の前でこういう事されたら気分良くないでしょうね。 「ジャックさん、オティスさんに失礼です」 「ジャックお兄様って呼んでくれたらやめる~」 首元舐めるのやめてほしいです。お風呂入ったばっかりなのに。 「ジャックお兄様、無理強いしていると妹に嫌われるぞ」 ジャックさんの頸動脈あたりを掴みながらねちっこい口調でオティスさんが諭してくれました! 凶悪そうなフェイスとか、ジャックさんと面識があるというだけでもダメな感じなのに予想外です。 感謝の気持ちを込めて見上げると、オティスさんは明らかにたじろうだようでした。 そんなに無愛想に見えたんでしょうか、私…。 「キミちゃん騙されないでッ!こいつは、えー…家政婦を扱き使って過労で倒れさせたりとか、ベビーシッターを心労で使い潰したりとかするヒドイ奴だから!」 私の感謝の眼差しに気がついたジャックさんがオティスさんの手を解き猛然と捲し立てます。 「それは酷いですね」 「でっしょー?さっきのは不良がノラを拾うが如き稀有な行動だよ。騙されちゃダメだよ」 ああ、雨の日に子犬を拾う的な、それはそれで優しい部分もあるということだと思いますが。 というか、自分の行動に問題があるっていうこと、わかってるんじゃないんですか。もしかして。 「あれは…倒れる前に言わない方が悪い…」 オティスさんは分が悪いと思ってか、気弱な口調です。 ていうか、子持ちなんですね。 家政婦とベビーシッターという事は、共働きかシングルファザーか…。 さっきまで傲慢だとか馬鹿だとか罵っていたジャックさんが急に手を組みうんうんと頷きました。 「まーねーもっと早く家政婦もベビーシッターも文句言うべきだよねーキユちゃん」 名前、違いますけど…。 「でも、抗議をして余計悪くなる場合もありますし、…まぁ、普通ならその前に辞めて転職を考えると思いますが…」 就職難とか、給与がいいとか、弱みがあるとか、辞められない事情は人それぞれです。 「辞める…?」 「転職!」 何故かジャックさんとオティスさんが顔を見合せ、ジャックさんが片手をあげました。 「タイム!」 「どうぞ」 二人で部屋の隅でこちらをチラ見しながらこそこそ話し合っています。 私はお茶請けのタイヤキをぱくつきつつ、二人の視線に気がつかないフリ。 でっかい顔傷ウサギとでっかい凶悪悪役フェイスなヘビが密談は犯罪の相談に見えます。 しかし辞めるって、こちらではそんなに突飛な事なんでしょうか? そりゃ、日本の終身雇用制なら辞めるのは一代決心でしょうけど、 寿命が何百年とあるなら職業は変える機会は何度もあると思うのですが…。 それとも、ベビーシッターって実は大人気の職業だったりするのだろうか。 でも倒れたりって、相当待遇酷いっていう事だし、それなら給料下がっても楽な所を選びますよね。普通。 遣り甲斐があるとか、使命感があるとかなら健康どころか命を賭けても本人は悔いは無いかも知れませんが…けど残された方は堪ったもんじゃないですよ。 一瞬思い出しかけた苦い思い出をタイヤキと一緒に飲み込み、ちらりと二人を見ればまだ相談中…。 私の意見、そんなに突飛なんでしょうか。 美味しいーもう一個貰おうかな、と悩んでいると、変な雰囲気を漂わせた二人が密談を終えこちらへ向き直りました。 随分長い事掛かっていましたね。 「キオちゃん質問!」 「どうぞ」 なんで毎回名前違うんでしょうね。 「その家政婦さんに転職して欲しい場合はちょっ」 「戻って欲しい時はどうすればいい?」 「労働条件変更するなり説得するなりかと」 番茶、欲しいなぁ…。熱くて苦いの。 何故か途中で取っ組み合いを演じている二人を見ないようにしながら内心溜息。 ていうかこの一連、私には全然関係のない会話ですよね。 いいなぁ、人権ある人は…今更、どうでもいいけど。 もう一個食べると晩御飯入らないなーと思いながらタイヤキを見つめていると、不意にオティスさんがバタバタし始めました。 「どしたの」 「あいつらの晩飯を忘れてた」 コーヒーはすっかり冷めていましたが、オティスさんは構わず一息で飲み干し、ちらりとこちらに顔を向けました。 あ、コートか。 椅子にかけたままのそれを渡した時、一瞬見た手が… 既視観を感じて内心首を捻り、オティスさんがまだ私を見ていることに気がつきました。 なんだろう? 訝しく思いその視線の先を辿ると… 何やってんだろ。私。 「申し訳ありませんごしゅっ」 うわ、私、何を! 慌てて頭を下げて、コートの裾を握っていた指を外し皺を伸ばす。 もう一度謝ると、何か言われたのですがよく聞こえませんでした。 「じゃあねーオティス君、二度と来るな」 「黙れ腹黒、クソ、細かい話は明日だ。いいか?卑猥な事をされそうになったらさっさと逃げるんだぞ」 どこに? 私は黙って頭を下げ、扉を開きました。 外はもう真っ暗で、吐いた息が白くなり、空には欠けた二つの月と星が煌いています。 きっとサフやチェルは今頃晩御飯でしょう。 ちゃんと寝れてるかな。お風呂入ってるかな。 言葉の見つからない気持ちがわいて来ましたが、どうしても後一歩踏みだせません。 私は、何かを忘れている気がする。 呆然と空を見上げる私の頬にざらざらした冷たい手が触れ、寒さで体が震えました。 「また体壊すぞ」 聞き覚えのある、優しい声。 口を開いたのに、言葉が出ませんでした。 今すぐ、いえ、ずっとしたい事があるのに、思い出せない。 それは、もう諦めて… 私は、できない事が悲しいのだろうか、言えない事が悲しいのだろうか。 胸の奥が痛くて仕方ないのに、涙は枯れてしまったから、もう出なくて済んだ。 豆腐屋の窓を曲がって石壁沿いに20M、古びたアパートの奥を進んだところに小さな家がある。 玄関口にはチューリップが植えてある青い植木鉢が置いてあって… 目を開くと天井が見えた。 ひんやりした室内に朝の光が差し込んでいる。 石畳を走る車輪の音、ポストに新聞を投函する音、鳥の声、 「…タピオカ、ゼリー こんにゃく、かぼちゃ、のてんぷら、そば、カレーうどんえび天丼、牛丼、釜飯、ラーメンマン…うう、美味しいラーメン…食べたい…とんこつ、みそ、しょうゆ、しお…」 おなかすいた。 考えてみれば、昨日は結局タイヤキだけだし。 名残惜しそうに振り返りつつ去った凶悪犯罪者なご面相の[オティスさん]の事を考えてちょっと溜息が出た。 風邪、ひいてないといいんだけど。 シーツを汚していないか確認し身支度を整えて台所へ向かうと、既にジャックさんが忙しそうに朝食の準備をしている。 急いでいるのか、耳がひっくり返っているのに気がついていな様子。 背後からそっと直すと驚いた顔をされた。 「おはようございます、ジャックさん」 「おはよう」 隣に立って昨日の食器を洗い始めると、ジャックさんは洗った食器をふきんで拭いては片している。 一緒に暮らして気がついたけど、ジャックさんは結構マメ。 お手製のポタージュは絶品だったし。 ジャガイモのポタージュサイコー超サイコー。 昔のアルバイトで覚えたそうだけど…なんでもウサギの国って料理が美味しいそうで。 一度食べに行きたいなぁ…。 ちなみに今日はホットケーキにコンソメスープにヨーグルトにサラダに目玉焼き。 でも他のも普通に美味しいというのが…見習いたい。料理の腕限定で。 特に砂漠系、主にヘビに好まれるヤツ、具体的にいうと御主人様の好きな料理。 ジャックさんが御主人様の好物を熟知してたら、それはそれでちょっと嫌だけど…。 どう切り出すか考えていると、ジャックさんが珍しく目を合わせずに口を開いた。 「嫌われて当然かも、と今頃気がつきました。まじごめんね」 思わず、動きが止まってしまった。 「大丈夫ですか?熱あるんじゃないですか?今日はお仕事休みますか?」 訊ね返すと、勢いよく首を振られた。 耳、当たるんですけど。 「女の子を泣かすのは、最低だと思って、調子に乗って押し倒そうとしてごめんなさい」 む、昨日の件ですか、 今更になって気に病むとは意外です。 つか、泣いてないけど、泣きませんけど、泣く気ゼロですけど。 それに…あれくらい、今更どうでもいい事だし… 第一ヒトに謝るとか、なんかのジョークですか? 後で腹抱えて笑おうという算段ですか? どうせ後で奈落の底へ落とすような事を考えているんじゃないですか? そもそも許すとか許さないとか、私の感情なんて、どうでもいいと思ってるんじゃないですか? そう思いつつ、流れっぱなしになった蛇口を止めて、もう一度顔を見たら… いつもよりぺったりとおみみがたれております。 自分よりもでかい巨大黒ウサギがぷるぷるして涙目で見つめてきても心が揺らぐはずがないじゃないですか! 全然揺らぎませんよ! しかも今まで会う度に押し倒されたり揉まれたり舐められたり吸われたりしてるんですよ!? 好きな相手でもないのにそんな事されたって普通に気持ち悪いだけだし、そもそも不感気味だし、前のこと思い出して鬱になったりとかするだけだし! 御主人様の前ではやめて欲しいなぁとか思って落ち込んでたりしてたけど! 今までのセクハラ行為をこの程度の… この程度の… でっかい顔キズ黒垂耳兎の涙目程度で…ッ 大きな耳までちょっとぷるぷるしてたって…ッ う、内側がッ ちょっとピンク色でふんわりした毛がめちゃくちゃ触り心地良さそうな大きなお耳程度で…ッ そ、それくらいの事で…ッ 「えーと、ご、ごめんね。今オレ何にもしてないけど、元気出して、買い物行こうよ、ね?何でも買うから あ、なんならもうちょっと耳触る?」 台所の隅で体育座りで落ち込む私に耳の毛が毛羽立ったジャックさんが話し掛けてきましたが、正直答える気力もありません。 どーしょーもない敗北感で打ちのめされています。 ないわ、自分…。ありえん。まじありえん。 耳ごときで、耳ごときの事でさっきまでの緊迫感やら緊張感やらシリアス風味が全部パー…。 うう、凄く触り心地よかった…。 ぺたぺたふわふわ…。 耳かき中とか、機会はあったけど自分から触るのはまずいと思っていたのに、必死で自制してたのに…。 もう我慢するのをやめていっそ…落ち着いて、自分、諦めたら試合終了だよって安西先生も言ってるし。 まぁ…触ってくる以外は基本的に良い人なんですよね。 このジャックさんは。 ウサギの国には強姦という概念がないという話も聞いたことがあるし…だとしたらしょうがないかな、というか… 今までの事に比べれば…痛いわけじゃないし、痕も残ってないし、全然マシな…というか無害に等しいわけで、どうももやもやするのは…多分…今引きずるよりも出来るだけ有利な形で終わらせた方がいいような気がする。 「ジャックさん…全部、水に流しますから、御主人様に言わないで下さい。私が耳触ったって」 ジャックさんはきょとんとした表情を浮かべてからこくこくと頷きました。 ちくしょう・・・等身大ピーターラビットのくせに…。 手塚治虫に謝れ!ビアトリクス・ポターに謝れ! 「絶対ですよ!?それでさっきの全部チャラですからね!」 ジャックさんの目が輝き、そのまま押し倒されたので近くにあった乾いた雑巾で渾身の力で鼻先を叩く。 叩く。 叩く。 蹴る。 手が離れた。 「次やったら耳を雑巾で洗いますから」 厳しく言ってるのに、なんで笑うかなぁ…。 ネコの国、背後には山が聳え街を出れば砂漠が広がる運河沿い、規模から比較すると教育施設の多いそんな街。 確か、私はジャックさんに連れられて、久々の外出です。 昼に普通に出歩くとか、マジで今まで考えた事ありませんでした。 しかも首輪ナシですよ? なんか、普通の人みたいで、異常に居心地が悪いというか…すみませんぶっちゃけ浮れてました。 ちょっとハイになって速攻転んだらジャックさんに手をつながれました。 割と、いや、相当恥ずかしいものがあります。 「このコ、キヨちゃん~オレの妹です。ヨーロ-シークーネー」 なんでこの人、いちいち頬ずりしながら紹介するんだろう…。 どさくさに紛れて背後に伸ばされた手を抓みながら私も会釈する。 ちなみに今挨拶しているのは魚屋さん…普通に商店街の魚屋さんです。 これで何軒目だっけ…。 ジャックさん、商店街の人に片っ端から紹介していくつもりですか…? ウサギというのはあまり他国に行かない種族だそうで、この付近に住むウサギはジャックさんただ一人とか、 だから腕は別として、「ウサギの医者」として有名ではあるらしいです。 会釈すれば、ほぼ向こうはこちらの事を知っているという状態のようで、ひっきりなしに声をかけられます。 そしてその隣でウサ耳付けている私は当然、縁者だと思われ好奇の目で見られています。 しかもお店の方に挨拶をすると、ジャックさんがよそ見している間に、非常に痛ましそうにちゃんと食べなさいね、とか、辛い事があったらウチに来なさいね、とか言われます。 そして遠慮しても何かを下さります。 既にネギとパンが紙袋からはみ出しています。 ポケットの中にはリンゴみたいな果物も入っています。 滋養強壮にいいそうです。 正直、全力で謝りたい気持ちで一杯です。 ウサギじゃなくてすみません、私ただのヒトなんです…。 皆さんの善意を利用して、御免なさい。 「あの…ジャックさん…」 「お 兄 ち ゃ ん☆」 スゲー笑顔。 ああ、近くのネコ婦人が見ています。 その向こうでは先ほど挨拶した魚屋のオヤジさんも表情はわかりませんがこちらを見ています。 妹と紹介されたのに、うかつにそれを裏切る発言は出来ません。 「ジャック…お兄ちゃん…」 は、恥ずかしい…。 思わず俯くと近くからヒソヒソと何やら聞こえたりして。 細切れに聞こえる単語は…虐待、DV、エロ兎、とか。 「今、垂れ耳失敗だったかなーって思ってません?気のせいか凄い誤解受けてますけど、大丈夫ですか?」 明日からのジャックさんがちょっと心配になって来ました。 ジャックさんは髭をふさふささせ、耳を掻きながらこっそり言う所に拠れば 天涯孤独の遠縁の女の子を親切と見せかけて私欲の為に引き取った。 もちろん夜はそれなりの事をして逆らうと食事抜き。今日はそういうプレイの一環。 と、言う事になっているとか。 妹です、よろしくね、しか言ってないのに。 痩せてるのは前からです。むしろジャックさんは色々食べさせてくれています。 「お兄ちゃんファイト☆」 「わースゲー棒読み、せめてそこは笑顔で言ってくれれば誤解とけると思うんだけど」 うん、そうしようかな、と思いました。 お尻触られるまでは。 「悪評で病院潰れるんじゃないですか?」 「大丈夫、オレ腕いいから。それにちょっと痩せ過ぎだけどかわ…」 思わず嘆息し、荷物を持ち直す。 「え、何ソレ、ちょ、なんで目を逸らすの?ねぇキヨちゃんっあ、アイス売ってるよ!何味がいい?それともタイヤキ?ほら、雑貨屋で期間限定御菓子だって!食べる?食べようよ、ね、だからその目はヤメテ」 あー雑貨屋…最初に行った所です。 そういえば、これから必要になるものが…。 あの時は言えなくて買えなかったけど…。 「ジャックさん」 「はい!何、何味?アフアとかお勧めだよ!」 「何でも買ってくれるって言ってましたよね、ちょっとお金下さい。一食分くらい。そしてついて来ないで下さい」 当然のようについて来ようとするジャックさんの手に戴いたパンやネギの入った袋を押し付けてお店へダッシュ。 数分後、雑貨屋から出てきておつりを返すと、非常に気まずそうな表情を浮かべるジャックさん。 ま、まさか…。 「キヨカちゃん。あの…ごめんね」 触れないで欲しい…。 「聞こえましたか」 「この距離は聞こえるねぇ」 ジャックさんに恥らわれると、死にたくなるんですけど。 「し、しかたないじゃないですか、生理現象だしっ」 落愕病で高熱出して失明したヒトとか、皮膚病になったとヒトとかいましたけど… 生理止まるのは含まれるんでしょうか。 多分、体重が急に減ったから止まったんだろうな。 で、最近増えたから復活的な…。 ええ、まさかの貧血原因です。 だからただの貧血だって言ったのにー!! 御主人様に言えるわけないじゃないですか! 男二人に幼女ではアレが置いてあるはずも無く…。 言えない、御主人様に買ってきてとか、言えない。 性交渉あるならまだお休み的に言えるかもしれませんけど…。 何それ美味しいの?の世界ですよ、背中流そうとしたら追い出される位なのに。 でもこれで来月からは多い日もばっちりです。 店主お勧め、超吸臭素材仕様犬国産です。 うん、死にたい。 「今日はお赤飯だね!」 「そういうの、どこで覚えるんですか…」 がっくりと肩から力が抜け、思わず乾いた笑いが出てジャックさんが驚いたように目を見開いた。 その姿が面白くて、本当に笑えてきた。 笑ったら、言いたい言葉を思い出せた。 今更、こんな簡単な事だったなんて、本当に笑える。 「ジャックさん、私、そろそろ帰ります」 言ってみたら、心のもやもやがやっと晴れた。 本当に帰りたい所は遠すぎて、思い出すたびに苦しくなる。 やりたい事があったし叶えたい夢だってあった。 やれる事がやれるわけじゃないし、叶うとも限らないし、 こちらに落ちるか死ぬかの二択だったとしても、やっぱりあっちに帰りたいという思いは消えない。 落ちてから辛い事ばかりで、こんな世界大嫌いだったけど。 「私が帰らないと誰がチェルにお話するんだろうとか、サフのブラッシングするんだろうとか、気になって、ここら辺がずーっと、もやもやするんです」 もう代わりの人が居たら責任とってジャックさんが飼って下さいねーと付け加えたら、いつもの三割り増しぐらいの勢いで頬擦りされた。 「もうちょっとがっくんの事信じてあげなよ。泣いちゃうよ?あのヘビ」 あーウサギって、本当に口が回るなぁ…。 言いくるめるの、ネコと同レベルじゃないですか? うっかり信じそうになるじゃないですか。 「じゃ、頑張って。ダメだったらお兄様の胸にいつでも飛び込んできてね!」 そう言われてお別れして十数分ぐらい、玄関の前で荷物を抱えたままの私。 しかし、その…どうしよう。 ジャックさんには帰りますとか言ったけど…。 チェルとサフの事は物凄く気になるけど…一番重要なのは御主人様です。 御主人様に何か言われたら、どうすればいいんだろう。 勇気を出して、ドアノブを握ろうと思うけど何度も躊躇う。 そろそろ日も暮れて、風も吹いてきました。 小さく咳き込んで思わず溜息、いつまでもここに居ても仕方ないし、どこか適当な所でもうちょっと一人で考えよう。 そう考えて、方向転換しようとしたら肩に手を置かれ、驚いて逃げようとしたらがっしりとした手でつかまれ、思わず悲鳴を上げそうになった。 体をよじって避けようとしたけど、羽交い締めにされてしまった。 諦めて振り返ると、血が凍るような美青年が不機嫌そうな表情を浮かべている。 足に絡みつく硬い鱗に覆われた長い尻尾。 「どこ行く気だ、このバカ」 耳元で囁かれて、腰が抜けてしまった。 …いつから見てたんだろ、御主人様。 御主人様はただの冷血美少年、下半身はヘビのボス系モンスターと自分に言い聞かせつつ、台所の片付けをする私。 しかし片付けは遅々として進みません。 腐海とまでは言いませんが、色々積まれています。足元には割れたお皿の欠片に鍋も焦げてます。 明日は掃除と鍋磨き決定です。 しかも号泣する幼女抱きかかえたまま皿を洗うのは、無理です。 おまけに背後には野性味の増したわんこがついて回っています。 そろそろ腕が痺れてきました。 しかも御主人様は玄関でへたり込んだ私を一瞥すると付け耳を毟り取り、どこかへ行ってしまいました。 サフとチェルに押し潰された私を鼻で笑った上にです。 笑うのはともかく、後で付け耳返してくれるかなぁ…。 出てけとは言われてはいないから、ここに居ても良いって事…だと前向きに考えておきます。 しかしアレです。 顔面と髪の毛はサフの唾液でベタベタだし、胸元は涙と鼻水でえらい事になっています。 服、換えたい。 顔も洗いたい。 晩御飯の準備も、したい。 「あの…そろそろ放してもらえないかなぁ…と」 「「やだ」」 片方は涙声で、片方はここにもジャックのにおいがする!と怒りながら。 「けど、放してくれないと御飯が作れません」 「どこにも行かない?」 「行かないから、放して」 「ヤダ」 子供って、どうしてこう… さすがに疲れてきたので椅子に腰掛け、チェルの頭を撫でながら考えていると、サフが肩に頭を載せてきました。 髪に頭を突っ込み、まだジャックのにおいがするとか呟いてから、私の前に来て顔を一舐めし、見つめてきて、一言。 「ねぇキヨカ、ぼく今度も家事手伝うよ」 「!?」 私の存在意義がいきなりピンチです。 内心冷や汗を垂らす私。 「その代わり、もう行かないでね」 きゅぅんと鼻が鳴らされました。 薄蒼の眼も心なしか潤んでいるように見えます。 二人してそんな事をいわれても、困ります。 そ、そりゃ中古ですけど…いつだって売られる覚悟はあったけど…。 チェル泣くし、サフも…それに、私だって… こうなったら御主人様に嫌われないようにするしかありません。 具体的にどうすればいいのかさっぱりですが…。 「頑張ります…」 目をキラキラさせ尻尾を振るワンコ。 ピンとたったお耳にふわふわの尻尾が目の前でぶんぶんと振り回され、ピンクの肉球が…!!!! 大丈夫、まだ自制は効いてます。 悔しいので胸元のチェルの頭をごしごしして笑わせてみる。 半月型のお耳とふんわりほっそりとした尻尾は直視しない方向で…ッ! 「ねぇ、キヨカ」 顔を上げたチェルの目と鼻は赤くなって、涙と鼻水で凄い事に…。 「なんですか」 指先で涙を拭うとチェルは満面の笑顔を浮かべてくれました。 「だいすきっ」 こういう時、私はどういう顔すればいいんでしょうね…。 「あ、ズルい!!キヨカ、ぼくも好きだよ。大人になったら結婚して」 「ずるい!!ちーとキヨカはケッコンするの!!」 初のプロポーズです。 告白するどころか、された事もないのに、まさかのモテ期到来です。 「あと10年経っても気持ちが変わらなかったら、宜しくお願いします」 頭を下げ、ふと視線を感じ振り返ると、非常にヘビらしい…としかいいようのない眼差しで御主人様がこちらを見ていました。 …すみません、働きます。 なんとか食事をおえ、お風呂を戴き… (サフが入ると毛が凄いし、御主人様は長風呂なのです。いつか煮蛇にならないか心配です) 「御主人様、お風呂お先しました」 ソファーに寝そべる御主人様に声をかけても返事がありません。 顔を覗くと…端正な顔に眉間に皺を寄せたまま寝ています。 躊躇しつつそっと肩を揺すってみましたが、疲れているのか起きる気配がありません。 どうも…台所や各所の惨状をみるに、私が居ない間、代わりが居たわけではないらしく…だとすると、おそらく、多分、御主人様が二人の面倒を見ていたわけで…だとしたらきっと大変だったと思うわけで…。 …御主人様、恋人とか居ないんでしょうか。 居ても家の面倒見てもらうほど親しくないとか…ああ、もしかして、それって私のせいだったりして…。 ちらりと御主人様を確認すると、相変わらず眉間に皺が寄っています。 まだまだ夜は冷えますので、このままだと風邪を引きます。 「御主人様ー起きてください。ジャックさんみたいな事しますよ」 もちろんしませんけど、御主人様だし。 しかしピクりともしません。 下手するとこのまま冬眠してしまうかもしれません。 だとしたら、防寒対策が必要です。 仕方ないので部屋から毛布を持ってきて上から掛け、尻尾にもかかるようにあれこれ工夫し…。 台所でホットミルクを作り戻るとソファーの住民が増えていました。 御主人様の懐に潜り込み、こちらを見ています。 テーブルにマグカップを置いて、ソファーの前にしゃがむとチェルはなんだか嬉しそうな顔をしました。 かわいい…いやいや流されちゃダメだ。 「チェル、風邪引くから部屋で寝て下さい」 「えーキヨカも一緒に寝ようよ」 えーっと… 「とりあえず、ここは冷えるからお部屋に」 無理に引っ張り出そうとしたら冷たい手でつかまれました。 「こんなに冷えて!風邪引くから、もう一度お風呂入って体をあたた…」 …少し見ない間に随分と手が成長したようで。 指長いー筋肉質ー鱗まで生えてるーわー…。 「うるさい」 「ごしゅッ…ガエスタル様、ここで寝たら風邪引きますよ。チェル、早く出て下さい」 今のは反則じゃないでしょうか、油断してて思いっきり至近距離ですよ。 吐息が掛かる距離で囁かないで下さい。 美形は攻撃力が高すぎて困ります。それに…こうやって顔合わすの久しぶりだし…。 そろそろ手を放してもらわないと動揺が外に出てしまいそうです。 だって、もうちょっと上の方だとまるで手を繋いでるような状態になるんですよ!? 手フェチにそんな事したら大変ですよ。 もぎってパンの袋に入れる趣味はないので、代わりに御飯三杯くらいいける気がします。 うっかり至近距離でガン見している御主人様の美形っぷりにさっきから動機息切れで大変です。救心が必要です。 頑張れ私。御主人様に嫌われない努力するって決めたんだから。 ここでうろたえたら変に思われる…! 深呼吸、深呼吸 「キヨカーいいにおいーっ」 うろたえている所に急に後ろからサフに抱きつかれ、驚きのあまり自制が効かず変な声をあげてしまいました。 「びびびっくりしたあああ!!!!やだもうっ」 驚きのあまり、変な笑いまで出てきて固まったままのサフをベシベシと叩いて、ふと我に返った。 そっと振り返る。 チェルは大きな耳をこちらに向け、まんまるの目を大きく見開いて口を開けていました。 御主人様は、真顔でこちらを見てます。 痛いほどの沈黙の後、御主人様は無言で私とサフに尻尾チョップしチェルを押し出し毛布を頭から被ってしまいました。 はみ出した尻尾がバシバシと床を叩いています。 もしかして、怒ってるんでしょうか。 変な声出して騒いだから? 「早く寝ろ」 くぐもった声を聞いて、ちらりとサフとチェルが視線を交わしました。 私と違って、御主人様との付き合いが長い二人には何かわかるようです。 「じゃ、おやすみなさい…がっくん、もうキヨカ泣かせたらだめだからね」 「がっくん、キヨカいじめたら許さないからね。オヤスミ」 二人に抱きしめられ、顔がうっかりにやけてしまいそうになったものの…。 えーっと… 「御主人様、風邪引かないで下さいね?」 私も、早く出てった方が良さそうです。 明日は大掃除だし。 「…おやすみなさい」 と、言ってるのになぜ手をにぎ…もといつかまれ…いやにぎられているのでしょうか。私。 毛布からなぜ顔を出してるんでしょうか。 困った事に、さっきの事を思い出して血が上ってきました。 わ、判ってます。 非常に良く判ってますが… ジャックさんも言ってましたが、服脱がないか、灯り消してしまえばいいんですよね。 そうすれば、たぶん、あんまりそんなには気にならなくて済むんじゃないかと…だって、ヒトメスは… 「キヨカ」 「はい」 幸い、お風呂は入りました。 ホットミルクは飲みましたが、歯は磨いてあります。 至近距離の御主人様は何度も言いますが攻撃力が高すぎます。 吐息がかかる距離なんか心臓が瀕死です。 平静を装うのが精一杯です。 今地味に気がつきましたが、御主人様が私の名前を呼びました。 凄いレアです。 ど、どうしよう!まずは落ち着いて、深呼吸を! 「おかえり」 思わず見つめ返していると、御主人様の眉間に皺が寄りました。 「やっぱりジャックの所の方がいいか」 やっぱりって、なんですか。 「御主人様の方が全然いいに決まってるじゃありませんか!みだりに触ったり撫でたり揉んだりして来ないし!押し倒さないし舐めてたりもしないんですから!!サフとチェルだって居ないし!しかもベジタリアンですよ寒いのに!おなか壊しますよ!」 御主人様の虚を突かれた顔というのを、はじめてみた。 「…そうか」 「ハイ」 やば、ジャックさんに対して凄く失礼な発言をしてしまった。 でも御主人様は気がつかなかったのか、気にしていないのか特に何も言ってこない。 「あの、失礼してよろしいでしょうか」 御主人様が頷いたので私は後ずさりして部屋を出ようとして…大事な事に気がついた。 「あの…御主人様」 こちらを向く御主人様は困った事にやっぱり攻撃力が高い。 平静を、装えているだろうか。 「ただいま帰りました」 「うん」 御主人様の笑顔のせいで、今夜は徹夜決定です。 明日から、どうしよう。
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太陽と月と星がある 第十二話 滑らかな肌を蹂躙する黒い指。 鮮やかな紫痣を撫上げると、それだけで掠れた吐息が漏れました。 鼻にかかった鳴声、伏せた睫の下から覗く潤んだ瞳。 何かいいたげに開かれた濡れた唇に指を這わせ 「そおい」 なかなかいい音を立ててジャックさんの頭に衝突するファイルボード。 以前使っていたのが破損してしまったので必要経費として勝手に購入した金属製のコレ、なかなか役に立っています。 「オレ、そのうちハゲるんじゃないかな…」 「自重すればまだ間に合うと思いますよ。おにいさま。真面目に診察してください」 グリグリとの角を捻り込むとようやくジャックさんが患者さんへのセクハラな手つきを止めました。 最近女性の患者さんが訪れるのです。驚いたことに。 腕を期待されるのは大変喜ばしい事ですが、訴訟を起こされないために今日も私は頑張らねばならないのです。 大変です。 「ちゃんとした診療だよ!ね、リっちゃん!!」 「初耳」 堅い口調のハスキーボイス。 リっちゃんと呼ばれた患者さんは診察台から身を起こすと、私の方へ顔を寄せました。 ツナギをはだけたタンクトップ姿の二十代前半くらいにみえる長身のネコ美女です。 琥珀色の瞳に明るい茶髪に所々焦げ茶と白斑点のメッシュ、妙に尖った耳、耳の先端の黒くて長い毛がお洒落。 ズボンから覗く短めの尻尾が可愛らしいです。 「ナースがいなきゃ来なかった」 首を傾げる私。 一瞬ジャックさんが笑い、患者さんの手を取り軽く口付けをしました。 「リっちゃん拳闘やってるからメンテ大事なのに、なかなか来てくれなくてさ~☆」 「お前がそうやって余計な事をするから」 舞踊のような上品な動きのまま、白衣に重い一撃。 面白い動きをしながらジャックさんが床に転がりました。 芋虫が悶えていますね。 「こうすると後で困るから来なかった」 困惑した表情を浮かべていますが、ほっそりとした体型に似合わないがっちりとした握られた拳にはごっつい指輪が輝いています。 見返すと微かに唇を笑みの形に歪め、切れ長の瞳は狡猾な肉食獣そのもの。 ここら辺の出身ではないのか、僅かに口調に訛りがあります。 「今度はもっと早くコイツを止めて」 床で転げるジャックさんを軽く示し、腕の大きな痣を撫でる患者さん。 「判りました。次からはもっとキツめにします。えーと…」 「リーィエ、正確に言うとリーィアェパパロトル 夜飛ぶ蝶の名を貰った」 夜飛ぶ……蛾? いや、きっといるに違いありません。夜行性の蝶が……。 「キヨカです。頑張ります」 リーィエさんは抜群のバランスでもって診察台から降りると、ジャックさんの背中に金属音のするブーツの踵をぐりぐりと捻り込みました。 「コイツにはしょっちゅうヒドイ目に合わされているから、あまり来たくなかったんだけど。君が見張ってくれるならまた来る」 激しく頷く私。 出来ればまた来て欲しい患者さんです。 なにしろ美人だし、声も素敵です。 それに、なんかちょっと先輩に似てる…オトコマエな感じとか。 「いつでもお待ちしています!ほら、早く寝てないで起きて!さっさと診療してください!」 白衣を叩くとひどく恨めしそうな眼で見られました。 「ジャック・キサラギです!キヨちゃんの兄です!実家は帽子屋を営んでいます!アトシャーマ出身の28歳です!好みのタイプはりっちゃん!」 今更自己紹介しなくても…帽子屋なんだ…。 「キヨカはコレと違っていい匂いがするね」 必死で自己主張するジャックさんをガン無視するリーィエさん。 ジャックさん俯いて床にのの字書き始めました。 「そんな事ありません。リーィエさんだって、凄い綺麗だし格好いいし」 美人に顔を近づけられると照れます。 頭撫でられました。 なんだか顔が熱いです。 「今度、試合観に来て。勝つから」 柔らかそうな口元から覗く白い八重歯がきらりと光ります。 「頑張ってくださいね!」 「来たら勝つ。来なくても勝つ。約束」 堅い指輪に守られたしなやかな指と指きりをして顔を合わすと自然に笑みがこぼれました。 「約束」 軽くハグされたのでお返するとリーィエさんが短い尻尾をパタパタと振りました。 「え、ごめん、なんでそこでそうなるの?百合なの?この前はりっちゃんあんなによろげっ」 長い足から炸裂する一撃。 長い耳が宙を舞って床へ激突しました。 キックもいけるんですね。 かっこいい……。 もうオレのらいふぽいんとはゼロよ!とジャックさんが打ち止め宣言をしたので、今日は早めの帰宅です。 医者としてそれでいいのでしょうか……。 この街には御主人様が勤めている学校をはじめ、複数の教育施設があるとかで若い人の姿が目立ちます。 普段はまったりしている商店街も、この時間は若い人で溢れとても賑やかです。 ネコの国ですから、イヌやそれ以外の種族の姿も有りますがやっぱりネコが大半を占めています。 ウサ耳をつけている私はなんとなく目立たないように隅の方へ。 私の背が低いわけではないのですが、こちらの男性は体格が良すぎて相対的に小さく見えるという…… 平均だもん、こっちの平均値がおかしいだけだもん…。 「あのーすみません、そこのウサギさん、ちょっと道教えて欲しいんスけど~」 振り返るとネコ男性…服装と声から察するに青年ぐらいでしょうか、黒、赤、黄色の短毛三人組です。 耳に飾りを付けたり引っ掛けると痛そうな装飾品をつけていたり、多分流行なんだろうなぁ…。 リーィエさんも指輪いっぱいつけてたし。 彼等が挙げたのは、裏道にある宿泊施設の名前でした。 通り過ぎたことならあります。観光客なのでしょうか。 「それなら―――」 通行の邪魔にならないように道の端に寄って道順を説明したものの、三人ともあまり真面目に聞いていません。 三人で顔を見合わせてから、黒猫が頬を掻き、顔を寄せてきました。 「ちょっと良くわかんないんでー一緒に行ってもらえないッスか?」 顔が、近くないでしょうか。 「えーっとここの路地を真っ直ぐですから、そしたら看板が……」 「いや、そうじゃなくってさー」 「ウサギって凄いんでしょ?楽しもうよ」 「オレーウサギ初めてなんだよね。優しくしてね~ハハッ」 意味がわかりません。 何故肩を掴みますか。 「ね、頑張るからさ、いいじゃん」 口調は穏やかですが言っていることが意味不明です。理解できません。 三人で囲まれると、視界が遮られ他の人の姿が見えません。 「ごめんなさい、今急いでますから」 隙間をすり抜けようとしたら肘をつかまれました。 「そんなつれない事いうなよ。本当は好きくせにさ、メスウサギちゃん」 種族の違いはあれど、見覚えのある下卑た表情。 野卑な笑い。 「もーそういう事なら、もっとちゃんと言ってもらわないと判りません」 私は笑顔を作り、肩に回された手をそっと外し、肘と掴む手を軽くつついて笑みを作りました。 汗ばんで獣臭い毛深い指を軽く握ると、三匹は顔を見合わせ相好を崩しました。 「そっかーオレ達アタマワルイからさー」 「でも四人でなら楽しめると思うぜ」 口が生臭いです。毛が臭いです。 もっと毛深いサフですら十億倍清潔なニオイだというのに。 「そうですね、三人ともとっても晴天とは正反対の天気のときに置いたままの布を再利用して作った清掃用具の香りがするので遠慮します」 何を言われたのか脳味噌に染み込むまで間のあるらしい三匹の間を擦り抜け、人込みに紛れ別の通りへ出てから猛ダッシュ。 念の為にいつもとは違う道順を使い、脇腹が痛くなったので速度を落として。 ショウウィンドーに映った自分はなかなかダメな顔でした。 初ナンパがアレって、ひどいと思うんですけど。 ……ウサギって、実は大変なんですね。 * * * * * * * * * 窓の無い部屋。 仄かに漂うアルコールと官能を引き立てる媚薬と精液と血のニオイ。 荒い息と肉を叩く音に混じって僅かに漏れる掠れた啼き声。 ル・ガルが誇るエリート階級、一滴の混ざりもない由緒正しき軍犬血統。 血族は軍や官僚を占め、一般では手の出ないような高級品を当然のように召し上がる。 今夜は落ちたばかりの十代前半という事が売りのメスヒト。 近隣にもメスヒトを所有する館は数点あるが、最近のお気に入りはコレ。 残念ながらオスヒトは個人所有が主体のため未経験。 きちんとした教育を受け、容姿の整った従順な「養殖」ではなく、反抗を叩き折り、力づくで調教した「オチモノ」であるという事が重要視される希少品。 日焼けしていない青白い肌に「せーらー服」「るーずそっくす」と、理想の姿に欲求を抑えきれずに扉を閉める手も慌しくなった。 細い首に不釣合いな太い首輪についた鎖を引くと、一瞬抗う仕草を見せたもののすぐに目を伏せる。 手始めに紅の無い薄い色の唇をねぶり、口を開かせてからおもむろに味わうと、ぎこちない舌使いでこちらに合わせてきた。 離してやると半開きの口からたらたらと涎を垂らし、潤んだ瞳で哀願するように見つめてくる。 弱いモノはひたすら媚びるしかない、ヒトの存在がそれを体現している。 弱いオスヒトよりも更に弱いメスヒト。 この格子で覆われた部屋の絶対強者はこの自分。 セミロングの黒髪を掻き揚げると現れる異様な丸耳を舐めうなじに移り、 肉の薄い肩甲骨を舐めるには服が邪魔だと気がついたのでしぶしぶながら服に手を掛けると メスがそれを制して、すぐさま身に着けていた衣服を脱ぎ去り部屋の隅へ後ろ手で放り投げる。 前回は待ち切れずに破り捨てた事を覚えていたらしい。 日焼けしていない白い肌に前付けた痕がまだ生々しく残っている。 嬉しくなって同じ所を噛んでやると小さく声を上げた。 成長途中である事を主張する薄い胸の先端を自慢の舌で舐め上げると下の獲物が体を震わせる。 執拗に腰を使い胎内を抉り奥の方で何度目かの射精を行うと、結合部から僅かに赤と白の混合物が溢れた。 「ああっ御主人様ッキモチいい! だめぇっ もっとっ」 最初の抵抗が一変して快楽に流される弱いヒト。 「こんなによがって、ヒトには羞恥心てものがないんだな」 ずぶずぶぐちゅぐちゅという水音に鎖の音が混ざる。 耳障りなので首輪ごと押さえつけると締りが更に良くなった。 もっと反応が欲しくて薄皮の張りかけた脇腹に爪を立てると体をバタバタと暴れさせる。 うるさいので首輪から手を離して、口を押さえると更に締りが良くなる。 嬉しくなって届く範囲をひたすら噛むと、一層甘い血の香りが部屋に立ち込めた。 快感を堪えながら今度は接合部に程近い柔らかな内股を掻く。 白いシーツに赤い染みが良く映える。 まるで処女のように。 「ああ、残念だな、ウチで飼えたら毎晩こうやって可愛がってやるのに」 目を開くと褐色肌の異国風激烈イケメン。 「っつっつ!!」 思わず逃げて部屋の隅から確認すると御主人様でした。 「お、おかえりなさい」 そうでした。洗濯物畳ながらうっかり寝てしまったのです。不覚。 御主人様はぐちゃぐちゃになった洗濯物と私を交互に見比べて溜息。 「すみません、まだ(美形に)慣れなくて」 急に立ち上がったせいでクラクラする頭を押さえながら謝ると何故か更に重い息をつく御主人様。 失礼な事を言ってしまったんでしょうか。 「服、めくれてるぞ」 確かに、白いシャツがめくれてへそが出ていました。 ついでにグロ指定な傷跡も見えそうな感じです。公害です。 服装を整え、ついでに髪も直してから洗濯物をたたみに戻ると、 帰宅して一息入れようとしています、といった風情の御主人様が上から下までじっくりと私を眺めてから何故か手招き。 恐る恐る近づくと尻尾でもって巻きつかれました。顔が近いです。 「うなされてたな」 「実は今日、ジャックさんの所にリーィエさんという美人さんがいらっしゃいまして。今度試合に来て欲しいといわれました。いつか行ってもみても宜しいでしょうか」 「汗かいてるぞ」 無視です。 襟元に顔を押し付けるのはどうかと思います。顔近いです。 イヌじゃないんですから、におい嗅がないで下さい。舐めないで下さい。 呆れてみていると御主人様が不意に顔を上げ口を開きました。 「忘れてた。ただいま」 「おかえりなさい」 そのまま妙な沈黙。 何故か睨まれています。何故か悔しそうです。 至近距離です。顔近すぎです。 「今日の晩御飯は串焼きです。カエルとトリでチャレンジしてみましたのでお楽しぐっ!」 薄い唇に細い舌。 イヌと違うとわかっていても、いまだに違和感を感じます。 てゆーか、……下手。 しかもなんか今回長いし…… いつまでするんだろうとか、そろそろ二人が帰ってくるんじゃないでしょうかとか、 もしやこのままするんですか、こちら的に性教育ってどんなもんなんだろう、まさかコウノトリはないですよね?キャベツ畑とかありますか? 等と思いながら明日の献立を考えているとやっと御主人様が体を離しました。最長記録です。 ぬるつく唇を半開きにし、酸欠で喘いで俯く私とは逆に無言の御主人様。 なんですか、その握り拳。 殴られるのかな、私。 見える所だと、聞かれたときに困るなぁ……。 * * * * * * * * * * * 「あーあ、空からヒト降ってこないかなぁーそしたら大金持ちなのに」 げふっ 狼じみた容貌の小柄な少年が口に含んでいた水が気管に入って噎せた。 それを通りすがりの老婆に微笑ましそうに笑われ、羞恥を感じる。 「なーサフ、やっぱウサギって凄い?頼んだらやらせてくれる?」 じりじと照りつけつける太陽の下、大きな鞄を斜めにかけた少年の周りを、それより幾分か小さめの鞄をかけたネコがふらふらと飛び回っている。 ビルの谷間を通り抜けた風に艶のある毛がそよぎ、熱気に喘いでいた顔が一瞬安堵する。 トラネコ宅急便と書かれた鞄を背負い直し、水筒を逆さにして最後の一滴を舐め取った。 「まだ次があるんで」 無視して走り出そうとしたのに前方に立ち塞がれた。 「ねぇねぇウサギ凄いの?童貞捧げちゃったの?処女奪われたの?ねぇねぇ」 コイツしねばいいのに。 表情に出さないように苦労しながら、少年は真っ白毛並みのネコを睨んで心の中で舌打つ。 鋭い視線を向けられたネコは細身の体に白い毛を靡かせ、金色の瞳を輝かせる。 立場上、向こうの方が年上で先輩なので歯向かい難い。 「先行きますから」 「いいじゃん、隠すなよ オレとオマエの仲だろ?」 うぜぇ。しね、心の中で罵倒し横を通り過ぎるも、ネコはついて来る。 「なんだっけ黒ウサギのー」 「ジャックですか?アイツならいつでもOKですよ」 言い捨てて薄暗いビルの中に入っても話しかけてくる。 「アレじゃなくてさー、悪趣味な妹の方」 階段を二段抜かしで駆け上がり、事務所の扉を叩いて書類を渡し、サインを貰って戻る。 階段の下で待つネコに心の中で舌打ち。 「センパイ、配達は?」 「もう終わってるにゃぁん」 ムカツク。 笑いながら鞄を逆さにして目の前で振られ、苛立ちで肩を震わせる。 「ワンワンは?」 「あと二通」 「ふーん、でさーやったの?ウサギ女とどうなの?スゴイの?」 しね。 心の中で絶叫。 「キヨカはただの同居人ていうか、家族なんで」 家族にも色々種類はあるけど。 「えーでもさーあのぶっさいくなヘビといちゃついてんじゃん。夜も凄いんでしょ?三人でするの? ナニ、オマエはさせてもらえないの?おチビだから相手にされないワケ?にゃぁーサフくんカワイソー」 こけそうになったから、靴紐を直してもう一度住所を確認して方角を確認する少年の横をなおもしつこく纏わりつくネコ。 「えー?ねぇねぇ怒った?怒ったの?機嫌なおしなよー」 不真面目な態度で仕事を邪魔されている様に感じて、更に苛立ちが募る。 コイツはアルバイト先で最初に顔を合わせたときから、何かというと突っかかってくる。 親代わりのヘビにネコは遊び好きだから気をつけろって言われたって、気をつけてもどうなるもんじゃない。 バイト先の先輩じゃ逆らうわけにも行かないし、さっさとやめたいけど業務は嫌いじゃないし、応援してくれた人にも申し訳が立たない。 金が貯まって、体を動かして、頭が要らなくて、健全な仕事。 配達はこの街を支える重要な仕事だ。 自分はこの仕事が好きだと思う。 「ねぇねぇ、こっち向きなよー」 コイツさえいなければ。 心の中で呪文のように唱え、給料日を目算し、配達範囲を変更して貰えないか考えてみる。 無理だ。この狭い路地裏に大柄なイヌや、トリは向かない。 一番小柄だから路地に向いているという不名誉な理由はさておき、持久力があって正確性が必要だから君向きだと言われたときの誇らしさが胸をつく。 勉強は得意じゃない。魔法は向いてない。体格は良くない。 同じ年頃のイヌが近くにいないから、自分はどの程度なのかわからずに時々不安になる。 ネコの国に住むイヌの弊害、家族が異種族であるという弊害。 きっとあのままスラムでゴミを漁ってても行く先なんか見えてたけど。 老人の鞄をひったくろうとしたら通りすがりの醜悪なヘビにど突き倒され、やっぱり凶悪そうなウサギに首を掴れた時は正直ちょっとちびった。 そのままお決まりである筈の所ではなく、大柄な二人に挟まれ、明日ゴミ捨て場に自分が転がっているのを想像して震え上がり、 親はどうしたのか尋ねられ、母親はエライ人の娘だったけど盗賊に攫われ捨てられて、膨らんだ腹では高貴な家にも帰れず、 アンタさえ生まれなければといわれ続け、気がついたら居なくなったと拙い説明をしたら風呂に投げ込まれ、生まれて初めてたらふく食べさせてもらった。 あの日見た夜明けの太陽を今でも覚えてる。 昔を思い出して感傷にふけり、にゃあにゃあとうるさいのを無視し続けるのも問題なので顔を向けたら頭殴られた。 「ってーなこの石頭ッ!」 自業自得だろ、と心の中で絶叫。 ほんの少しばかり骨に当たったぐらいで大袈裟なんだよ! 手を押さえてしゃがむのを無視して次の配達先へ急ぐ。 「バカ毛皮イヌ覚えてろ!」 言葉とは裏腹の悄然とした姿に彼は気が付かない。 「フッサフサーサッフくーんコレにゃーんだ。いいだろーアイス食べたい?食べたい?三回まわってワンて言ったら一口やるよ」 うぜぇ。 空調の効いた待機室でアイスクリームを見せびらかされ、余計に苛立つ。 口の中の氷をバリバリと噛み砕き、テーブルに突っ伏す。 仕事再開まで後五分。 「ニキって、本当にサフの事好きだにゃ。オジさん妬けちゃうニャー」 店長、と書かれたエプロンを身に着けた中年トトロなトラネコに指摘され、ネコが尻尾を膨らませる。 白い耳の内側が少し赤い。 「ん、にゃわけーねーじゃん!こんなチビ!クソチビ!」 八つ当たりで背中を叩かれ、募る苛立ちを堪えるサフ。 郵便よりも割高で代わりに短時間での配達をするメール、小包。 従業員は自分のようなアルバイトや、短距離飛行が得意なトリが主体。 教育施設の充実したこの都市では切っても切り離せない、出版社、印刷会社、流通卸etcetc… 丁寧迅速24時間いつでも対応を売りにしたトラネコ宅急便。 自分で見つけたバイト先。 簡単にやめるもんかと、苛立ちを氷と一緒に飲み下す。 その表情を家族が見たら、辛抱強くなったときっと褒めていただろう。 「サフ君は、今日直帰でいいにゃ、お疲れ様」 笑顔でトトロからずっしりと重い配達鞄を渡され、一瞬顔が引き攣る。 どう考えてもサビ残です。本当にありがとうございます。 入れ替えに戻ってきた先輩格の黒いトリに挨拶して、荷物の受付に来た客に頭を下げ店を出た。 無視されたネコが寂しそうな顔でアイスを舐めているのに、彼は気がついていない。 小雨のぱらつきだした夕暮れ時、商店街の裏手、家の前で一呼吸。 香辛料と…蛙のニオイ…キヨカの努力に期待。蛙ダメ、生理的に無理、死ぬ。 玄関に手をかけようとして、家の中から聞こえるどことなく楽しげな会話。但し一方通行。 妹分の声はしないから、ここで入ると恨まれそうな気がする。特にヘビに。 ――結構、気を使ってんだよね、僕だって。 ていうか、大人なんだからもうちょっとこう…年頃に対して気遣いとかあってもいいと思うんですけど。 深夜に漏れ聞こえる背中が痒くなるような会話とか、自重すべき。 もしかして、聞こえてないと思ってるのか…イヌ舐めんな。 仕方なく踵を返し、雨の中、どこで時間を潰そうかと考えを巡らせながらうろついているとさっき散々邪魔してきた相手が再び参上。 「あーちょーラッキー!ねぇねぇサフわんどっかいくのー?」 「別に」 厄介な相手と会ったと心の中で溜息。 これならジャックのところへ嫌がらせに行くか、私塾に顔を出すかすればよかった。 「…なら、オレんち来ない?オレも暇だし…この近所だし…」 断るつもりで口を開き、相手の姿を見て思わず絶句。 ブーツにタンクトップにカーゴパンツという作業服ルックから、アクセサリーのついたサンダルに雨の中では寒そうなキャミソールにホットパンツ姿が褐色の肌によく映える。 非常に健康的かつ爽やかな服装。好感度高い。 「お茶くらい、出すから…だめ?」 ヒトでいうなら14,5歳くらいのネコ少女は、白い尻尾を褐色の太腿に這わせ、年下で自分より小柄なイヌに羞恥で頬を染め、そう言った。 アレ、何で僕ここにいるんだろう。 外とは打って変わってやけに内気な態度のネコに動揺を隠しきれないイヌ一匹。 なんとなく断るずに強引に腕を引かれ、気が付いたら女の子の部屋にはじめて入ることに気が付いた。 一応年頃の異性のはずが絶望的に殺風景な同居人の部屋と違い、やけに華やかな女の子の部屋。 姉と共有だという部屋は、大小さまざまなぬいぐるみや落ちモノの類似品などが溢れ、壁と天井にはTVでよく見るマダラのアイドルのポスターが笑顔を向けてくる。 ――なんか、色々ニオイするし。 不快になるほど甘ったるいのやわずかにマタタビ、お菓子と花のにおい、それに――――おんなのこのにおい。 なんだか恥ずかしくなって俯き、尻尾を握り締めた。 「こ、紅茶でいいかな」 「あ、はい、お構いなく」 そわそわと落ち着かない仕草のネコと同じように落ち着きのないイヌ。 「あの…先輩」 「ニキって呼んで」 差し出されたティーカップを手に取ろうとして重なった指を慌てて引っ込め俯く。 結構、細い…思ったより柔らかいし…キヨカより爪尖って綺麗だし…。 僕、何やってんだろ。 「あ、あのさ、サフの家のウサギの人…どういう関係?本当にただの同居人?」 まだ引きずってたらしい。 「キヨカは――ジャックの妹で、ウチで家事してくれてる人だから、僕的には…しいていえば…身内みたいな」 ヒトだと言うことを他人には絶対言ってはいけないといい含められている。 妹分にもそれはしっかりと教えてあるから、近所で知っている人はいないはず。 「ジャックって、あの変態医者だろ?その妹って事は…」 「キヨカはまともだから!全然違うから!天然だけど!」 思わず力説していたことに気が付き、恥ずかしくなる。 「キヨカはなんていうか…ちょっと事情があって苦労してたから、ほっとけないっていうか、僕が守らないとっていうか…優しくすると嬉しそうにしてくれるし…」 ずいぶん良くなったものの、相変わらず全体的に細いというか痩せてるし、時々蒼白だったりするし。 前に比べて笑顔の回数が増えたけど、その顔を見るたびに胸が痛くなって仕方なくて…… まぁちょっとこの前見ちゃって正直僕失恋状態なんで、家に帰りにくくてアルバイトに精を出してるわけですけど。 不穏な気配を感じて顔を上げると少女が思い詰めた眼をしていた。 「ウサギに奪われるくらいならいっそここで!!」 「ちょ!まってな!」 押し倒され唇を奪われ絶句する。 ちょっと前に真剣に捧げたつもりのファーストキスはあっさりスルーされたわけだけどこれはなんというか 自分より身長はあるけど細身の身体に年頃らしい膨らみを感じて思わず興奮する。 ぎこちなく伸ばされた舌を舐め上げ、逆にひっくり返し夢中になって口内を蹂躙し、やっと口を離すころには金色の瞳は潤み、はぁはぁと荒い息をつくメスネコが一人…。 「先輩、人の事童貞って馬鹿にしてたけど、もしかして処女なの?」 「んんんんわけにゃいだろ!オレは!オトコをちぎっては投げちぎっては投げ、お、お前なんか年上の魅力とテクでヒィヒィ言わせてやるんだからな!!」 細い手足をバタつかせ、顔を真っ赤にして反論するもあまり説得力が無い。 自分よりも小柄なイヌに馬乗りにされ、跳ね落とそうとするもあっさりと腕をつかまれ再び口内を蹂躙され、小さく喘ぎを漏らした。 「ちょ、ナニなめてっにゃっ!ひゃっあっあんっ」 首筋から鎖骨に掛けて、わずかに塩と石鹸のにおいのする褐色の肌を舐め上げ片手でキャミソールを引き上げ片腕ずつ脱がし、迷彩柄なブラジャーに手を掛けようか、悩む。 当然舌は休まない。 「ねぇ、いい?」 全力でかぶりつきたいのを堪え、一応お伺いを立てる。 反面教師曰く、「時代は強姦を超えて和姦」らしいので。 一応下手に出ているも絶対的優位を確信した強い自信。 ナリは小さくとも、肉食獣の本能に突き動かされ、嗜虐的な興奮が野性味あふれる容姿を一層引き立てる。 少女は薄青の瞳を見つめ、一瞬瞳を蕩かせ、 「す、すきありいいいいい!!!」 「わっわわわんっ!!」 また上下が逆転し、今度は完全にズボンに手を掛けられ、一気に剥かれた。 一気に立場を奪われ、動揺するショタわんこ。 一気に畳み掛け、今度こそ主権を握るために少女は目をギラつかせ宣言する。 「動いたら噛み千切るからな!!」 牙剥きだしで威嚇され、思わず尻尾の毛が逆立った瞬間、勢いよく咥えられ不器用に舐め上げられる。 生暖かいざらりとした舌の感触に総毛が逆立つ。 「あああっちょちょだめ、そこはっ あっ せ、せんぱいっだ、だめっ」 「ど、どうひゃっ」 もごもごと口を動かされ、堪えるのが精一杯。 真下の白いショートカットをぐしゃぐしゃと乱し―――――― 「不味い苦い生臭い」 「すみません」 すっかり冷め切った紅茶を飲み干し、それでも残る後味の悪さに顔をゆがめるネコに土下座するイヌ。 「気持ちよくて、つい」 「…ふぅーん…気持ちよかったんだ。オレに舐められて」 心底自分がマダラではなかったことを感謝する。 絶対顔が赤くなっていたはずだ。彼女と同じくらい。 汚してしまった顔を綺麗に舐めとり、脱がせた服を手渡す頃には熱狂が去り冷静さが戻ってきた。 「もうすぐ親帰ってくるし、姉ちゃん達にバレないようにここ掃除するから」 「うん」 少女は俯きもぞもぞと尻尾を揺らす。 「続きは今度な」 「あるんだ。続き」 「あ、あああたりまえだろ!!いきなり出しやがって!この童貞!!バカ覚えてろよ!!」 頬を赤くしてうろたえきった声を出す少女を見て、なんだか胸がきゅんとした。 細くて華奢で守ってあげたい系とは違うなんか、これは……。 「ニキって、実はかわいいんだね」 「ばかしねしねしね!!!」 殴りかかられたのを甘んじて受ける。 毛皮のおかげで爪は刺さらない。 「早くオレより身長伸ばせバカ!!一緒に外出るとき恥ずかしいじゃないか!」 思春期な悩みである。 「一杯食べて運動してよく寝れば伸びるってジャックが言ってた」 爪が刺さらなくとも、たたかれればそれなりに痛い。でもほっぺたが真っ赤で眼を潤ませて…かわいい。 腕をそっとつかんで止めさせる。 「特に女の子とする運動が一番だってジャックが言ってた!」 「ウサギの言うことなんか真に受けるなアホ―――!!!」 再び自分よりも小さなイヌに押し倒されるネコの悲鳴が土砂降りの雨の中に小さく響いた。 * * * * * * * * 「サフが帰ってきません」 串焼きの準備は万端なのに。アレ以外。 チェルもずぶ濡れドロドロで帰ってきたのでお風呂に入れて着替え中。 ジャックさんも途中で降られたとかで濡れていますが…あ、魔方陣だしてる。 「大丈夫でしょうか…ご………ジャックさんどう思いますか?」 御主人様がエプロンをつんつんと引っ張り、怖い視線を向けてきます。 気が付いていないフリをする私。だって、名前とか呼びにくいし…。 ジャックさんは濡れた毛を魔法で乾かし、準備の出来ているテーブルにつくとキラキラした瞳を向けてきました。 「キヨちゃん、アザどうしたの?」 「え?」 思わず手先を確認するも特に何も無く。 ちょっと爪が伸びてるから、あとで切らないと。 指先荒れてるなぁ…ガサガサだと痛いらしいから前は気をつけてたけど、今はそれで文句言う人いないし…。 こっちの洗剤や消毒薬って、結構荒れるし…チャーミーグリーンとか欲しいような…私には必要ないから、いいか。 複雑な感情を隅の方に押しやって、顔をあげ首を傾げてました。 「どこですか?」 長袖だから、あとは……足?でもロングだから見えるはずないし…。 ニヤニヤと笑うジャックさんに首を傾げ、相変わらず隣でアレの仕込みに余念のない御主人様をチラ見すると非常に険悪な表情です。 目が合うとぐっと睨まれました。 「首のボタンしめろ」 ぼそりと告げられ、言われたとおりボタンを普段より更にひとつ。 息苦しい…。 「まぁサフわんも男の子だからねぇ、いろいろ有るよ」 ポリポリとにんじんを齧りつつ、ビールのプルトップに手をかけるジャックさん。 「男の子でも、まだ全然子供ですよ?大体…23じゃ、イヌは三倍だから…チェルより少し大きいぐらいですよね?可愛いんですから、誘拐の危険だってありますよ!」 8歳にしてはちょっと大きいと思うけど。 そして何故吹くんですかジャックさん。 御主人様も包丁を滑らして、丁寧に骨抜きしていたのを真っ二つにしています。 何か違ったようです。 「まぁオレは見た目どおり28だからいいけどね」 ごしごしとヒゲについた泡を布巾で拭うジャックさん。 毛に覆われているので年齢とかよくわかりませんけど……間違いなく嘘ですね。 「お前、まだそんなこと言ってるのか」 片手にアレ、片手に包丁を握りあきれた風な御主人様。 ちなみに今御主人様は軽快に動くためにわざわざトカゲ男に変身中です。 そこまでして食べたいのか、アレ料理……。 今回は、私の為に香辛料控えめなのも作ってくださるそうです。 なんか涙が出そうです。いろいろな意味で。 せっかく串焼きで個人別にして回避しようと思ったのに……。 「一応いうと、別に寿命が長いからって、そのまま成長も同じくらいかかるってわけでもないよー ほら、ネコの赤ちゃんが六年ハイハイ歩きだったら大変でしょ?そりゃ個人差はあるけどね、ロリ百歳とか某ショタ犯罪者とか」 にんじんを食べ終え、きゅうりに取り掛かるジャックさん。 味噌付けたら美味しいのにそのまま食べてるし……。 着替えて戻ってきたチェルが期待に満ちた眼差しを向けてきたので、仕方なく串焼きに火を通し始めます。 そうか…じゃあ御主人様は…いくつなんだろう。 訊きたいような訊きたくないような……。 もしかしたらそろそろ結婚を考える歳だったり……出会いとか、協力するべきだろうなー…。 サフ、どうしちゃったんでしょうか…遊びに行くときはいつも一言言ってくれるのに…。 「オマエ、意外とモノを知らんな」 洗ったとはいえ、アレをいじった手で頭を撫でないでいただきたいわけですが。 …教えてくれる人なんか居なかったんだから、仕方ないじゃないですか。 「あーそうそうキヨちゃん新しい本買ったから後で読んで置いてね、コレ『マイマイでもわかる外科手術~日常編~』」 …綺麗なヒトの男の子と女の子がきわどい格好で絡んでいる表紙の雑誌を差し出されました。ピンクです。 思わず凝視すると半笑いで引っ込められ、改めて差し出された専門書を受け取り、中身を一応確認…まともっぽいです。 でもマイマイってなんだろ…カタツムリ? 「ジャックさん…さっきの雑誌ですが、チェルやサフの前で読んだら、私、工具を修理や組み立て以外の目的で使用しますから、よろしくお願いしますね?」 「ほかの使いかたって?」 お酒のつまみに出した茸の漬物を横から手を出しつつ訊ねてくるチェルに私は微笑みながら口を開き 「まずニッパーでヒゲを…」 「わあぁあぁあああああああー!しません!ていううか、いちおうこれ健全だよ!ちょっと誤解を招く表現がしてあるけど!!!」 雑誌を取り出し押し付けられ、読みにくい書体の目次を指されました。 「ヒトノキモチ創刊号!~ヒトと人の生活総合誌~ほらっ健全!健全!記念日一覧とかあるし!父の日とかさ!」 体位一覧とか、ケンドル(?)チラリシーンとか、ヒトが居る風俗店とかも掲載されるみたいですけど。 「ほら、オレのコメント!ヒトも診れるお医者さん一覧で載ってるでしょ?褒めて!ミケっちの隣だよホラ!ミケっちは凄いんだよ?りたーなんとかかんとかって」 とっても必死なジャックさんに軽く頷く私。 ヒゲ切りはリーィエさんのアドバイスでしたが、予想以上の効果です。 リーィエさん凄い、かっこいい。 串焼きはだんだんと香ばしいいい匂いをさせてきました。 御主人様の方もほぼ出来上がってきたみたいだし……。 あーあ、サフ遅いなぁ…ご飯、冷めちゃうのに。
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太陽と月と星がある 第十五話 どこまでも広がる砂漠の海原、太陽に焼かれ、月に追われ、砂から生まれ、砂に戻る。 照りつける太陽の下、砂塵色のネズミ達。 サバクブッフーに荷物を載せ、先頭を行くのは壮年の男達、次に荷台に乗った体の弱い者と幼い家畜、最後尾に若者が警戒しながら道を進む。 子供は周囲で遊びながら燃料や今夜の食事となる小動物を捕らえ、荷台に載せる。 時々、声に自信のある者が伝統的な歌や、山羊の旅団の歌を口ずさみはじめると、皆は黙ってそれに耳を傾ける。 敵に見つかると困るから、合唱にはならない。 先頭で前を見つめる父さんの尻尾が無いのは町で暇を持て余したネコの魔法で焼かれたから。 荷台で大きなおなかを擦る叔母さんの頬傷は、ヘビの脱走兵に斬られたから。 いつも隣に居た姉さんが居ないのは―――。 欠けた家族同士が寄り集まって、砂漠の隅でひっそりと暮らす。 それがスナネズミ。 二つの月に照らされた砂漠はいつまでも明るいから、みんなで夜通し穴を掘る。 それから天幕を張ると砂色の大きな家ができる。 夜が明ける前に家畜に食事をさせ、周囲を警戒しながら交代でみんなそこで休む。 今回は運がいい。 昔ヘビの村があった所だから地盤が固くて、建物もいくつか残っていた。 恐ろしいものが居ないかどうか、みんなで探検。 大きなケモノいると、祖霊が知らせてくれたから兄さんが弓で追い、伯父さんが短槍でとどめを刺した。 みんなで伯母さんに大急ぎで渡しに行き、神様と祖霊達、最後にケモノにお礼を言ってから捌きはじめる。 今夜はご馳走だ。 一番滋養のある所を怪我人に。 二番目にいい所は戦う人と妊婦に。 肉はそのまま炙り、骨は砕いて香草や穀物と一緒に煮込み、スープになった。 残りは毒消しと合わせて保存食にする。 毛皮はなめして次の行商役が市場へ売りに行けば、代わりに薬やお祝いのお酒が買える。 近くの岩場へ穴蔵作りに行った父さん達も帰ってきた。 今回は運がいい。 岩場の近くでとても高く売れる花が咲いていたから、みんなが覚えるように少し採ってきたと、お爺ちゃんが嬉しそうだ。 ネコの国でも使う、痛み止めやお祭りのときに使う香料になるらしい。 小さな花びらの紫色の鮮やかな花。 いいにおいがする。 夜、お祖母ちゃんの一人から神様の話を聞いた。 あの星神様は、太陽の神様や月の神様よりも弱くて小さいからすぐに姿が見えなくなってしまうけど、一番頑固だからいつも同じ所にいる。 だから迷子になったらそのお星様を探す事。 死んだ良いネズミや、昨日死んだ妹や半月前に死んだ曾爺も従弟一家もみんなそのお星様の所へ行ってるから、心配しなくていい事。 悪い事をすると、星を見つけられずに迷子になって血塗れの美女の姿をしたお化けや、大きな角のオニに食べられるてしまうから気をつけること。 真剣に怯える姿に従姉妹が噴出して、はとこに小突かれる。 誰かが笑い出して、つられてみんな笑った。 * * * * * * * いつもの夕食。 ただ普段と違うのは、チェルがパジャマ姿で、私の方はまだ御飯に手をつけていないって事ぐらいでしょうか。 「はい、あーん」 さじで掬って口元へ運ぶも、上手く食べられず口元を汚してしまいました。 難しい……。 「チェル、もう少しお塩入れる?」 「だいじょうぶ」 熱で潤んだ瞳に頬を上気させ、いつものふわふわの髪の毛は寝癖がついたまま。 関節にも熱があるのか匙を握るのも辛そう。 いつもは常にピコピコしている尻尾や耳も力がなく、心が痛みます。 川遊びから帰ったのが昨日。 今朝になって熱があるのに気がつき、思いつく限りの事はしているのですが……。 なんでもっと早く気がつかなかったんだろう。 帰り道もやけにむずがってたのに。 「無理しないでね」 こっくりと頷く彼女の頭を撫でて、おかゆを口に運びます。 お粥はジャックさんのアドバイスに従って、ニラの親戚みたいな野菜と雑穀、卵が入っています。 ベジタリアンな中華風と言えばいいんでしょうか。 「じゃ、つぎいきますよーあー……」 ……チェル以外の人は、一緒に口開かなくていいです。 ネズミの成長は、ヒトよりほんの少し、早い。 「ネズミって魔力抵抗低いから、あんまり薬使うのも考えモノなんだよねぇーこういう生薬系ならいいんだけど」 そういってジャックさんが懐から取り出したのは、小さな壜に入った緑の粉。 「これは干して潰しただけだから不純物とか多くてさー、効果も緩いからネズミとかキヨちゃんみたいな抵抗低いコにいいわけ」 横のポケットから更に緑色に輝く結晶の入った壜。 「これを精製するとこうなるんだけど、ここまですると手間掛かるから高いし効果覿面過ぎてねぇ~ワリにあわない訳よ。ハイ、もし凄く熱が上がったら飲ませてね」 私は頷いて、緑の粉を受け取り机の上に置くと、代わりに濡らした手拭を手に取りました。 汗ばんだチェルの体をざっと拭き新しい寝巻きに着替えさせ、新しい氷枕を首の下に潜り込ませます。 脱がせた服の後始末をしていると、戸が開かれひょっこりと顔を覗かしたのはふわふわワンコのサフ。 「アフア買って来てくれましたか?」 私の大嫌いなアフアですが、子供には人気のジュースです。 これにレモンと砕いた氷を入れるとかなり飲みやすくなる…とのジャックさん談。 たしかにビタミンたっぷりという感じです。 私は飲まないので味がわかりませんが……。 「あっち置いてきたけどさー、キヨカ甘やかしすぎじゃん?」 なんか、不満そうです。 「病気なんだから、仕方ないでしょう?」 「サフのケモジャバカー」 「チェルは、寝なきゃ駄目」 起き上がろうとしたのを押しとどめ、改めて布団を掛けなおします。 不満そうな表情を浮かべた熱い頬を撫で、汗ばみ始めたおでこにお絞りをのせて……あと、何すればいいんだろう。 「キヨちゃん、オレもなんかちょっと熱っぽいみたい」 全力で倒れこんでくるジャックさんをそのまま床に放置。 私の部屋に毛を散らさないで欲しいものです。 「そうですか、お気をつけてお帰り下さいね」 ああ、そうだ。 お皿洗わないと。 「フサわあぁぁぁぁぁあんっ!!キヨちゃんがいじめるぅーっ」 「キモイ」 全力ですがり付こうとしたジャックさんを一言で切り捨てたサフが私の方を見ました。 「なに?」 「キヨカも無理したら駄目だよ。僕もがっくんもいるんだからね」 そう言って、ぽふぽふな手で私の頬の湿布を軽く撫でるサフ。 ……ちょっと寂しい…いえ、 「ありがと」 サフの眼が丸くなって表情がそのまま固まりました。 ……どこかで見たような表情です。 記憶の中を検索していると、いきなり押し倒されました。 ジャックさんに。 ……重い。 「もうそんな笑顔されたらモッフモフにすぎゃっ」 ジャックさんのうわ言は、そのあとの肉を叩く音で中断されました。 …サフの眼が怖いです。 床の上で蠢きながら私の足にかじりつこうとする手を、抜群のタイミングで踏みつけています。もぐらたたきのようです。 あ、逆に足を引っ張られてサフが転びました。 ジャックさんが馬乗りになってサフの首や脇の下を全力でくすぐりサフが笑い転げています。 バフバフと舞い飛ぶ毛。 二人のはしゃぎっぷりにチェルが参加したそうに、体をもぞもぞさせ始めます。 私が目で制するとチェルはしぶしぶ布団に戻りました。 所でここは私の部屋です。 普段はサフと同じ部屋のチェルですが、今回は私の部屋で寝る事になります。 でないとサフが夜寝れませんからね。 まぁ…それはそれとして……。 「二人とも、今の状況わかってますか?」 ハァハァと舌を口からはみださせたサフの薄青の瞳と、なんとも楽しそうなジャックさんの深緑の瞳がこちらを向き、引き攣りました。 「チェルの具合が悪いって判っています?こんな小さい子が寝込んでいるっていうのに、何考えているんですか?病人の近くでは騒がないって常識ですよね?」 「ハイすみませんすぐ帰ります!!」 「ごめんなさいもうしませんっ!!」 「わかって貰えたなら、結構です」 ……なんで、二人で抱き合って震えているのでしょうか。 * * * * * * * ―― ネズミ ―― 平均寿命80代 矮躯 体力魔力、共に微弱 世界各地で群生 雑食 ……こんだけかい。 私は無言で本をぶん投げました。 使えないにも程があります。 私はヒトですから、ネズミの事を何も知りません。 サフだって、一緒に暮らしているチェルの食べ物の好みや好きな遊びは知っていても、ネズミの事は知りません。 意外と博識なジャックさんだって、一般的な知識以上のことは知りませんし、残念ながら医院にもネズミの患者さんはいません。 残る希望の星は同じ砂漠出身である御主人様だけですが、御主人様はお風呂に入ると一時間以上出てきません。 時折チェルの様子を伺いつつ食器を片付け、明日の朝食の準備を済ませてから、そわそわしながら御主人様を待ちます。 お風呂から出た御主人様は、いつものようにソファーに腰を下ろし尻尾を床に伸ばしました。 すかさず近寄る私に一瞬戸惑ったような表情を浮かべる御主人様。 「珍しい」 ぽつりと洩れた言葉に内心首を捻りつつ尻尾の近くに座ると眉間に皺を寄せて一言。 「どうせなら、こっちに座れ」 ……私はネズミの事を聞きたいだけなんですが。 しぶしぶ隣に座ろうとすると腰に手を回され尻尾の上に乗せられました。 重くないんでしょうか。 いや、そうじゃなくて。 風呂上りの御主人様の鱗は普段より少し柔らかめです。 いやそうじゃなくて。 「ちょっと伺いたい事が」 昨日捻った足首に尻尾が触れて、一瞬体が引き攣った。 「あの、ネズミの知り合いの方、いらっしゃいませんか?」 指でなぞられる背中の擦り傷と、日焼けした肌が少し痛い。 「こっちはもういいか?」 頬の湿布を剥がそうとする指先を押し止めると、不満そうな表情をされました。 「もう治っただろう」 口の中だって切れててまだ痛いのに、ってそうじゃない。 「ネズミの人かネズミに詳しい方、いないんですか?」 「いない」 顔が近過ぎるので咄嗟に口を手で覆うと、眉間に皺が寄りました。 「チェルの身内の方は?」 手を掴まないで下さい。爪が刺さります。 「おい」 尻尾巻きつき過ぎです。服の中にもぐりこんでますよ。判ってますか? 結構、そこ痛いんですけど。 「どかせ」 命令なのでしぶしぶ手を下ろすとかぷりと下唇を噛まれた。 ちらちらと細い舌が這うので、顔を反らす。 汚いから、やめて欲しい。 「知らないなら、結構です」 どうにか尻尾の上から降りて、絡まった指を外した。 御主人様の爪が当たった所が赤く痕がついている。 「失礼します」 エプロンを引っ張られ、バランスを崩してこけた。 ……足痛い。 御主人様が何か声を掛けてきたけど、聞こえないフリをして部屋に戻る事にする。 うろ覚えの知識だけど、昔は子供の死亡率はとても高かった、らしい。 この世界では「風邪で子供が死ぬ」というのは「普通に暮らしていればまず無い」そうですが、 魔法はあるし、魔洸という技術があって、なまじ寿命が長くて体が丈夫なだけに衛生観念には欠ける事の多いこの世界で 「普通」の範疇にネズミが含まれているのか。という疑問があります。 予防注射とか…。 しかもよりにもよって小さな女の子では、病気に対する抵抗力が低いんじゃないかと、思う。 望みの綱だった御主人様は全然頼りにならないし……。 熱いのか、羽散らかされた毛布を拾い上げて畳む。 氷枕はまだ大丈夫、すっかり体温と同じくらいになったお絞りを洗面器に戻して漱いで顔を拭いた。 「おかあさん」 熱で潤んだ眼が苦しい。 「おかあさん、どこ?」 返事が出来なくて、汗ばんだ小さな手をそっと握る。 胸が、詰まる。 「おとうさん」 「二人とも、すぐ帰ってくるから」 私は何でチェルがここに居るのか知らない。 「おかあさん、いなきゃやだ」 チェルは夜中、時々泣いている。 部屋の外に出るのが怖くて蹲っていた私に、不思議そうな顔で話しかけてくれたのはチェルだった。 外に出られないような大雪が続いた日に、彼女は絵本を持って部屋にやって来た。 字が読めずに途方に暮れた私は、うろおぼえのヘンゼルとグレーテルの話しをした。 お菓子の家と、うちに帰れた兄妹の幸せきいて、チェルはとても嬉しそうな顔をした。 私も、それまでとは違う使われ方をされた事が嬉しかった。 無邪気な声で話しかけられるのが楽しくなって、色々な話をした。 それなのに、私は何も知らない。 ネズミの事も、チェルの家族の事も、もっとちゃんと訊けばよかった。 苦しげな息遣いが悲しくて、自分の愚かさが悔しくて私は唇を噛む。 * * * * * * * 太陽も月も居ない薄闇の時間 ネズミ達は祈りを捧げる。 腹でこなれていくケモノの魂が再び地に戻るように 星に昇る前の魂が迷わぬように ――― の光を見失わないように ――― 朝御飯にパンとサラダと目玉焼き、ついでに人参を炒めて添えた。 御主人様好みの苦くて濃いコーヒー、サフにはグラスにミルク。 リンゴより大きくて青い色をしたスモモをナイフを添えてテーブルにセットしてから次は洗濯物。 「キヨカ御飯は?」 「先どうぞ。私、今日お休みだから」 チェルが寝てる間に終わらせておきたい。 洗濯籠に濡れた衣類を詰め込んでいると背後からやってきたサフはまだ何か言いたげな表情です。 「チェルまだ寝てるし、あとであの子と食べるから大丈夫」 どうせ食欲ないし。 そういうと、更に複雑そうな表情になるサフ。 もしかしたら、ちょっと言い方が素っ気無かったかもしれない。今度は気をつけよう。 今日も夏らしく晴れているから、洗濯物がすぐ乾きそうだと思いながらベランダに干していると腰を撫でられ、驚いて振り返ると出勤準備を整えた御主人様(トカゲ男)。 「行ってくる」 「お気をつけて」 そう返して再び洗濯物を干す作業へ。 なにせ昨日サボった分、大量にありますから一回では終わりません。 チェルもお粥ばかりじゃ飽きるだろうから、何か考えないと。 籠の分が終わったので戻ろうとしたらまだ御主人様が立っていました。 「遅刻しますよ」 放置しそのまま作業を続けていると、何故かついてくる御主人様。 「何か」 「行ってくる」 「いってらっしゃい」 リンゴは今の時期季節じゃないから…スイカ…はおなか冷やしそうだから駄目かなー…買い物ついでにジャックさんに聞いてみようかな。 顔を上げると御主人様の顔がなんだか物凄く近かったので手でそっと逸らし、私はその横をすり抜けました。 遅刻するって言ってるのに、何考えているのでしょうか。 「キヨカー」 「はい、あーん」 「あーんっ」 私の隣に座り、ぺったりと体を寄り添わすパジャマ姿のチェル。 少し良くなったのか、昨日ほど辛くはなさそうですが油断禁物です。 一口サイズの卵焼きを口に運ぶとチェルがびっくりした顔になりました。 「たまご甘いよ?」 「嫌い?」 「すきー!」 そういえば、初めてお汁粉作った時もこんな感じでした。 こちらでは豆とか卵は塩で味付けるのが基本みたいなので、意表をついたようです。 それにしても、チェルは何でも食べてくれるのでこちらとしても作り甲斐があります。 猫舌だからあまり食べてくれない御主人様や好き嫌いの多いサフやベジタリアンなジャックさんとは雲泥の差です。 みんな見習うべき。 「おはしって、使いにくいよね」 「練習すれば、出来るようになるから」 私の箸をじっと見つめてるチェルに行儀悪いのですが、ハムをつまんだまま目の前でくるくると回して見せてから口元へ運びます。 「あーん」 頬を膨らませ、毛の生えた細い尻尾を震わせて食べている姿を見るとこちらまで嬉しくなります。 「美味しい?」 「おいしい」 「もうちょっと、食べる?」 「食べるー!」 食欲も出てきたようで何よりです。 「あとで買い物行ってくるけど、一人で留守番できる?」 「ちーね、プリン食べたいな」 耳をパタパタさせておねだりしてくる姿があまりに微笑ましくて思わず笑みが零れます。 良くなって、よかった。 「ちゃんと寝ててね」 「はーいっ」 ……右手を上げて元気な返事です。 でも昨日あんなに熱出していたんですから油断は禁物……。 「キヨカ、これおかわりー!」 お粥の入ったどんぶりが気がつけば空っぽ……。 え、えっと…… 「あらチェルちゃん熱下がったの、良かったわね」 ほよよんとした雰囲気で優しい言葉を掛けてくれたのは、八百屋の奥さんである茶トラのフューリーさんです。 「ウチの子、ちーちゃんと遊べなくて昨日ふて腐れてたのよ」 フューリーさんの所にはチェルより少し年嵩に見える息子さんがいます。 チェルの遊び友達の一人です。 「私、小さい子の事よく判らなくて……ありがとうございます」 「困ったらいつでもいらっしゃい」 そういってフューリーさんはニコニコと笑いました。 貫禄あるお母さんという感じです。お母さん、生きてたらこんな感じで相談に乗ったりしてくれたんでしょうか…。 「あ」 不意に変な声を上げるフューリーさんに緊張する私。垂耳、ずれたりしてないよね…? 咄嗟に耳を押さえる私の顔をぐっと曲げ、フューリーさんは空の一点を指差しました。 「落ちモノ」 「え?どこですか?え」 「ほら、あっちあっち」 懸命に指された方に目を凝らしても何も見えず、なんだかちょっとがっかり。 フューリーさんは暑いのか僅かに顔に汗をかいています。 「気のせいだったみたいね、ごめんなさいうふふ」 「あー、そうですか」 ……なんなんだろ。 フューリーさんの奇妙な態度に困惑しつつ私は八百屋さんを後にしました。 「今日のお勧めはこの乾麺よ」 作務衣のキツネさんが背後から取り出したのは見紛う事なきうどんです。 「おまけにこの乾し椎茸をつけてくれるなら二つ買います」 「五つならこっちの乾し海老もつけるよ」 「三つ買いますから、こっちの緑豆を一升付けて下さい」 「それじゃこっちが赤字よ」 大袈裟に肩を竦めるキツネさんに背後から現れた丸い耳にふわふわ尻尾が可愛らしい浴衣姿のタヌキの女性が失笑を浮かべています。 この雑貨屋さんは狐国からの輸入品を取り扱う、和食大好きの私としては命綱とも言える大切なお店です。 「そういえば、この前お願いしたおぼろ昆布はどうなりましたか?」 「アレは今、品薄で生産待ちよ。季節モノだから仕方ないよ」 残念。 「キヨカさんは、ウサギなのに好みが変わってるね」 そういいながら豆を枡で量ると布袋に流し入れ、うどん四つと乾し椎茸を差し出すタヌキさん。 「うどん四つにおまけ、毎度ありー」 「わ、ありがとうございますー!」 「ちょ!お前何やってるよ!」 慌てて食って掛かるキツネさんにタヌキさんはどこ吹く風と取り合う様子もありません。 うどん四個分の代金をカウンターに並べ、私が店を出ると背後から響く炸裂音。 ……この国では珍しいものを扱ってるのにお客さんが来ないのは、あの壮絶な夫婦喧嘩のせいなんだろうな……。 さてと、今日はビールを買って帰らないと。 「最近、タイヤキの売れ行きが良くないんスよ」 しみじみと言うのは、ねじり鉢巻の虎縞さん、タイヤキ屋台の店主さんです。 「暑いですからね」 私はそういって、ハンカチで額の汗を拭いました。 鉄板の上ではタイヤキがじゅうじゅうといい音を立てています。 「やっぱり冷たいものがって、みんな思うんじゃないですか」 このタイヤキ屋さんはリクエストに答えてハムマヨやチョコもメニューに加えてくれたいい人です。 ジャックさんによると、メニュー増加に伴って売れ行きが三割増加したとか。 そのせいかわかりませんが、ちょっと焦げてしまったものや、欠けてしまった分をよくおまけでくれたりします。 「ウチはそういうわけにはいかねぇからなァ」 手際よくタイヤキをひっくり返す動作はさすがです。 「餡子の代わりにアイス入れてみたらどうです?タイヤキアイスってありましたけど…」 「皮の熱で溶けちまうでしょ」 カリカリと型をつつくといい色に焼き上がったタイヤキが姿を表わしました。 「大体、アイス屋みたいに冷蔵庫かかえるのもナンですぜ」 確かに、タイヤキ屋さんの1メニューにそんな手間をかけるもの大変です。 「最初に作り貯めしてえーっと…氷晶石と一緒に箱に入れて皮も冷やしておくとか」 氷晶石とは…ドライアイスみたいなものです。ただ、大きさと価格がちょっと使いにくいのが……。 アイスボックスのような軽くて密封できる箱がなく、ビニールで防水出来るわけでもありませんから、これぐらいが限界なんですが…。 「それはアトシャーマでやってんスか?」 私は一瞬息を飲み、必死で頭を回転させました。 アトシャーマは極寒の地らしいです。 そんな所でアイス製品が人気なのかと問われると凄く謎です。食べるのかな、アイス。 コタツでアイスなら判りますけど、どうだろ…でもお風呂上りにアイスとか知らなかったら不幸ですよね、人生損してます。 しかしもしも無かったらジャックさんが口裏を合わす必要があります。 ジャックさんのことです。どこでぼろが出るとも限りません。 「落ちモノの雑誌に載ってたんですよー」 「ほー」 嘘ですが、厳密には嘘ではありません。 私はこっそりと滴る汗を拭いました。 「キヨちゃんは、落ちモノに詳しいスねー」 「ええまあ、以前勉強していましたから……」 まぁ中卒ですけど、ね…。 カキ氷はじめました というのぼりがちらつく喫茶店を横目で眺めつつ、大通りを進む私。 今度、リーィエさん誘ってお茶とかしたいなぁ…試合、まだ行ってないし。御主人様に許可貰ってないけど……。 テラスでは、パラソルの下色鮮やかで涼しげな服装の女性が楽しそうにお茶を楽しんでいる姿が目につきます。 ……いいなぁ。 ちょっと汗で塩っぽい気がする垂耳を撫でようとした瞬間、前方に見えたものに驚愕し、わき道に飛び込む私。 御主人様(トカゲ男)が、背が高くて二等辺三角形な耳にブルネットの髪をした巨乳でデキるオンナって感じの眼鏡スーツ女性となにやら熱心に話しながら歩いています。 尻尾から察するに恐らくイヌ科。 そして反対側には、私よりも小柄で全体的にぷにっとしていそうな体型で、所々はね気味の赤毛ショートの童顔ネコ美人(巨乳)がいます。 思わず身を隠しつつガン見です。 御主人様の背後には三人に隠れてしまい判りませんでしたが、ほっそりとしつつ出る所が出ている黒ネコ女性と、中東っぽいベール姿の女性が……! ベールの人以外、夏らしい涼しそうだったり流行っぽい可愛い服装です。 ていうか、みんな可愛らしいですよね。ベールの人も僅かに見えた目元が涼しげでした。 多分、時間的に同僚の方とか、生徒さんだと思いますけど。 ……思いたいですけど。 …ああっ赤毛の人が御主人様に背後から抱きついてなにやら話しています。ちょっと接近しすぎではありませんか? イヌ科な女性も笑いながら顔を寄せて何か話してます。とても親密な気がします。 ベールの人と黒ネコの人も御主人様の服の裾を両方から引っ張り笑ってます。物凄く楽しそうですね。 ……仲、いいんですね。 五人はそのまま角を曲がり、姿を消しました。 そっちの方は確か、古本屋やよく判らない物をぶら下げた謎のお店がたくさんある、私には縁の無さそうな通りです。 縁がないので私はジャックさんに連れられて一回しか行った事がない通りです。 ……別に、羨ましいわけじゃありませんけど。 何故かさっきよりも重い気がする荷物を持ち直し、私は通りを後にしました。 「ただいまー」 しんと静まり返った家の中。 チェルは寝ているのか、何の物音もしません。 なんだか不安になって荷物もそこそこに寝室に急ぐと、予想通り……。 自分で着替えたのか、出る前とは違う寝巻きになっているものの、それもびっしょりになっています。 思ったより顔色は悪くありませんが、この汗は異様です。 悪いと思いつつそっと体にさわると、ぱちりと目を開くチェル。 「プリンは?」 ……食欲があって何よりです。 今日の晩御飯は冷やしうどん。 たっぷりの薬味に錦糸卵、焼き豚煮、山菜のあえもの、漬物各種と非常に夏らしいチョイスです。 チェルはもうおなかが大丈夫みたいなのでこれにしたのですが、どうやら評判は最悪のようで…… 「フォーク使かって構わないんですが」 必死な男性三人とは対照的に小さなお箸で容赦なくうどんを奪い去るチェル。 「チェル、この漬物も食べてみて。はいあーん」 「あーんっ」 かわいい。 「オレにもーあー」 「お箸使わないと巧くなりませんよ。はいチェルあーん」 「あーんっ」 口一杯に頬張る姿にキュンキュンします。 「キヨちゃん、なんか怒ってる?」 「え?」 ジャックさんの言葉に首を傾げる私。 「なんかタレ黒いよ…体に悪いよコレ」 一本掴んでは逃げられるサフがぐったりした口調で呟きました。 しょうゆと鰹節に昆布で作ったダシですから、結構いい味だと思うんですけど。 「なんかさ…めんしゆ…だっけ?一回食べたアレはもうちょっと透明っぽかったんだけどなぁ…生臭かったけど」 「関西風ですかね?」 諦めたのか、パスタの要領でうどんをフォークに絡め始めるジャックさん。 麺が太いのでやりにくそうです。 きしめんとかの方が、いっそ取りやすいかもしれません。 「でも夏だし、冷たいから食べやすいですよね?」 フォークで麺を突き刺し親の敵のように頬張る御主人様を見ないようにしながら、つつがなく食事は進みました。 砂に混ざる魔素のニオイ 静寂が掻き乱され、誰の声も聴こえない 紫煙に悶える姿に恍惚とした表情を浮かべた―――が――― 具合の良くなったチェルは、寝相が悪いです。 どれ位悪いかというと、寝惚けて蹴りを入れて私をベットから落とすぐらい悪いです。 そして自分も落ちて転がって私の隣に収まるぐらい悪いです。 思わずお餅の様な頬をちょっと引っ張りたくなっても仕方ありません。 ――― 超、プニプニッ!!! ……まぁ、床で寝ればこれ以上落ちる心配はないわけだし。 ベットに置き去りにされた毛布を引っ張り落として掛けると、うにゃうにゃ言いながらチェルがしがみ付いてきました。 爪が腕に刺さります。……痛い。 あくびをしようとしたら御主人様(トカゲ男)に見られ、慌ててかみ殺しました。 ……眠い。 眼を瞬かせ、眠気を振り払おうとしてもそう簡単にはいきません。頭、重い。 「看病は結構だが、二の舞はやめろよ」 「体調管理は、バッチリです」 体壊したら、今度こそ捨てられるかもしれないし。 チェルとサフがもうちょっと大きくなるまでは、傍にいてあげたい。 玄関の前で服装を正す御主人様の前に回り、襟を直す。 「行ってくる」 「お気をつけて」 不意に頬を撫でられて、昨日の光景を思い出した。 「そういえば、赤毛のネコさんとスーツのイヌさん、どちらが好みなんですか?どちらも仲良さそうですよね。でも二股は良くないと思いますよ?」 ぴたりと御主人様の動きが固まる。 なんか、腕が変な位置にありますね。 眼が鬱金色になってます。図星ですか、そうですか…ふぅーん…。 「じゃあ、頑張って下さい。早く行かないと、遅刻してしまいますよ」 動かない御主人様をどうにか押し出して、私は玄関の鍵を閉めた。 「キヨカ、今日はお買い物行かないの?」 掃除する私についてまわるチェル。 本当は、もう外に出ても大丈夫なんだろうけど、昨日の事を考えると不安で仕方ありません。 撫でるとチェルは嬉しそうな顔をします。 多分、……寂しいんだと思う。 この位の歳の子には煩がられるくらい構わなきゃ、だめだ。 その点、御主人様はちょっとダメかも知れません。なんというか、気配りが足らないというか……。 自分で育ててる子なんだから、ちゃんとお父さんらしくしないと。 ヒゲ生やせとは言わないけど、具合悪い時にはお菓子とか、果物とか好きなもの買って来て欲しいものです。 ましてや女の人と……、まあそれは関係ないけど……無いけど……。 昼御飯を済ませると後は特にやる事もなく。 居間でチェルがメロドラマを見ていたので隣に座ってぼんやりとしていると瞼が重くなってきました。 ……まぁ、ちょっとだけ。 TVではドラマのエンドロールが流れていた。 あまり時間が経ったわけではないらしいのですが、隣にいた筈のチェルの姿が見えなくて不安になります。 探しても姿が見つからず、ふと思いついてベットの下を覗き込んでみる。 あの子、こういう所好きだから…と思ったものの、見つかったのは昨日着ていたはずの寝巻き。 ……なんで一日中ウチの中にいたはずなのに、泥だらけなんでしょうか。 よく見れば、ベランダの隅に泥が付いています。 なんだか、物凄い倦怠感が体を占めてきました。 どうやら戸締りの意味を考え直す必要がありそうです。 涼しくなってきた頃、サフが不安そうな眼をして帰宅しました。 「キヨカ…ただいま」 「おかえりなさい。お風呂沸いてるから、入ってね」 最近、サフがどんどん大きくなってきた気がします。大きな手足が体に似合ってきたというべきか。 毛も黒い部分が減り、灰色と白が目立ちます。 「今日、晩御飯なに?」 何故かちょっと怯えた風なので、作り途中の分を見せると凄く安堵した表情になりました、 「じゃあ、もう怒ってないんだ。よかったー」 どういう意味だろうかと首を捻りつつ、出来たばかりのコロッケ(砂漠風)をあげるとサフは足取りも軽く去っていきました。 ……なんなんだろう。 次に帰ってきたのはジャックさんでした。 ジャックさんは私がいないので雑用が増えて大変なのか、ちょっと疲れたような表情です。 背後でごそごそしている小さな影には気がつかないフリをしておきます。 「お口に合うか判りませんけど、この豆、枝豆そっくりの味なんで良かったら試してみて下さい」 冷えたビールに昨日買った緑豆を茹でたものをお皿に盛って差し出すと、何故かサフのように怯えた表情になりました。 僅かに震えた黒くて大きな手が豆を一粒口に運びます。 「あ、意外と美味しい」 意外は余計ですけど。 美味しいという言葉に反応したのか、毛に覆われたほっそりした泥だらけの尻尾がジャックさんの背後からはみ出てふるふると揺れています。 「チェルに食べさせてあげたいですよね」 「そーだねーちーちゃん豆結構好きだしね」 ジャックさんの横からつぶらな瞳がこちらを見ているのは、気がつかないふりをします。 「キヨちゃん、今怒ってない系?」 「怒っていませんよ。自分で汚した所掃除してくれるなら」 「だそうだけど、ちーちゃん」 口の端っこが笑いそうになるのを必死で堪えます。 ジャックさんは爆笑寸前です。 凄い事になっています。 どこでどうやったのか、頭から尻尾の先まで泥だらけ。 床にも点々と泥がついています。 スナネズミじゃなくて、ドロネズミに改名した方がいいんじゃないでしょうか。 「もしかして、昨日は泥落として水拭かないでパジャマ着たの?」 「……うん」 耐え切れずにジャックさんが噴きだし、こちらにまで豆の破片が飛んできました。 絶えるのが辛いくらい、頬が痛いです。 「取り合えず、 サフ お風 呂だから、一緒に 入 って き て」 顔を見たら負けだと思いつつ眼が離せません。 まるでウルトラクイズです。 「次、こういうことしたら、一週間ピーマンサラダだから」 「ごめんなさい」 道化な姿とは正反対の殊勝な返事に耐え切れず、噴きだしてしまいました。 御主人様は普段よりやや遅くなって帰宅しました。 こちらとしても、初めて作る「タブル」(クスクスという小さなパスタを使った料理)や「ナスとトマトと肉の煮込み(砂漠風)」に苦戦していたので丁度良かったわけですが。 「おかえりなさい」 御主人様は玄関を背にしたまま挙動不審な動きです。 「どうかしましたか」 背後から現れたのは、白い箱。お菓子のようです。 「あ、わざわざ買ってきたんですか?!」 驚いて語尾が上ずってしまった。早速受け取ります。これ、ちょっと高いやつです。 なんだ、ちゃんと心配してたんじゃないですか。 「でも、あの子もう全快しちゃって、勝手に遊びに行ってたんですよ。でも喜びますよ。ありがとうございます。また病気になったら今度はもっと早く買ってきてあげて下さいね?」 御主人様口が半開きですよ。…何か言いたい事でもあったんだろうか。 「何か?」 ああとかうんとか言いながら、落ち着かない御主人様。 「ここの所落ち着かなかったのは…心配だったからか?」 「当たり前じゃありませんか」 何を言ってるんだろうか。みんなして奇妙な事を言っています 御主人様は忙しなく細い舌を出し入れし、爬虫類な眼を宙に彷徨わせた。 「やる」 鞄を受け取るために差し出した手に花束を載せられました。 思わず交互に見つめ、相変わらず空ろさを宿した眼を見つめてしまいます。 「誰かに渡そうとしたら、断られたんですか?」 「最初からオマエ用だ」 え、えっと……。 「餞別用?」 背中を寒気が走り、指先が震えるので、握り締めて誤魔化します。 イヌの人かネコの人と上手く行ったから、私はこの家に要らなくなる…のかな。 「何の話だ」 溜息交じりの言葉に安心する。 どうやらイヌの人ともネコの人とも順調というわけではないらしいです。 「御主人様からお花を戴くのは二回目ですね」 理由はわからないけど、ありがたく戴く。 薔薇とカスミソウと知らない花。 顔がにやけて仕方ないので花束に顔を埋める。 御主人様が、私に花だって。 もうちょっと浸ってもいいかな、二度とないだろうし。 ……花だって、私なんかに。 「ねぇーごはんまだー?」 サフの声にはっとして頭を上げると、でこがご主人様のあごに激突して物凄く痛くて涙がでた。 何でそんなに近くにいるんですか、御主人様。
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太陽と月と星がある 第十五話 どこまでも広がる砂漠の海原、太陽に焼かれ、月に追われ、砂から生まれ、砂に戻る。 照りつける太陽の下、砂塵色のネズミ達。 サバクブッフーに荷物を載せ、先頭を行くのは壮年の男達、次に荷台に乗った体の弱い者と幼い家畜、最後尾に若者が警戒しながら道を進む。 子供は周囲で遊びながら燃料や今夜の食事となる小動物を捕らえ、荷台に載せる。 時々、声に自信のある者が伝統的な歌や、山羊の旅団の歌を口ずさみはじめると、皆は黙ってそれに耳を傾ける。 敵に見つかると困るから、合唱にはならない。 先頭で前を見つめる父さんの尻尾が無いのは町で暇を持て余したネコの魔法で焼かれたから。 荷台で大きなおなかを擦る叔母さんの頬傷は、ヘビの脱走兵に斬られたから。 いつも隣に居た姉さんが居ないのは―――。 欠けた家族同士が寄り集まって、砂漠の隅でひっそりと暮らす。 それがスナネズミ。 二つの月に照らされた砂漠はいつまでも明るいから、みんなで夜通し穴を掘る。 それから天幕を張ると砂色の大きな家ができる。 夜が明ける前に家畜に食事をさせ、周囲を警戒しながら交代でみんなそこで休む。 今回は運がいい。 昔ヘビの村があった所だから地盤が固くて、建物もいくつか残っていた。 恐ろしいものが居ないかどうか、みんなで探検。 大きなケモノいると、祖霊が知らせてくれたから兄さんが弓で追い、伯父さんが短槍でとどめを刺した。 みんなで伯母さんに大急ぎで渡しに行き、神様と祖霊達、最後にケモノにお礼を言ってから捌きはじめる。 今夜はご馳走だ。 一番滋養のある所を怪我人に。 二番目にいい所は戦う人と妊婦に。 肉はそのまま炙り、骨は砕いて香草や穀物と一緒に煮込み、スープになった。 残りは毒消しと合わせて保存食にする。 毛皮はなめして次の行商役が市場へ売りに行けば、代わりに薬やお祝いのお酒が買える。 近くの岩場へ穴蔵作りに行った父さん達も帰ってきた。 今回は運がいい。 岩場の近くでとても高く売れる花が咲いていたから、みんなが覚えるように少し採ってきたと、お爺ちゃんが嬉しそうだ。 ネコの国でも使う、痛み止めやお祭りのときに使う香料になるらしい。 小さな花びらの紫色の鮮やかな花。 いいにおいがする。 夜、お祖母ちゃんの一人から神様の話を聞いた。 あの星神様は、太陽の神様や月の神様よりも弱くて小さいからすぐに姿が見えなくなってしまうけど、一番頑固だからいつも同じ所にいる。 だから迷子になったらそのお星様を探す事。 死んだ良いネズミや、昨日死んだ妹や半月前に死んだ曾爺も従弟一家もみんなそのお星様の所へ行ってるから、心配しなくていい事。 悪い事をすると、星を見つけられずに迷子になって血塗れの美女の姿をしたお化けや、大きな角のオニに食べられるてしまうから気をつけること。 真剣に怯える姿に従姉妹が噴出して、はとこに小突かれる。 誰かが笑い出して、つられてみんな笑った。 *** いつもの夕食。 ただ普段と違うのは、チェルがパジャマ姿で、私の方はまだ御飯に手をつけていないって事ぐらいでしょうか。 「はい、あーん」 さじで掬って口元へ運ぶも、上手く食べられず口元を汚してしまいました。 難しい……。 「チェル、もう少しお塩入れる?」 「だいじょうぶ」 熱で潤んだ瞳に頬を上気させ、いつものふわふわの髪の毛は寝癖がついたまま。 関節にも熱があるのか匙を握るのも辛そう。 いつもは常にピコピコしている尻尾や耳も力がなく、心が痛みます。 川遊びから帰ったのが昨日。 今朝になって熱があるのに気がつき、思いつく限りの事はしているのですが……。 なんでもっと早く気がつかなかったんだろう。 帰り道もやけにむずがってたのに。 「無理しないでね」 こっくりと頷く彼女の頭を撫でて、おかゆを口に運びます。 お粥はジャックさんのアドバイスに従って、ニラの親戚みたいな野菜と雑穀、卵が入っています。 ベジタリアンな中華風と言えばいいんでしょうか。 「じゃ、つぎいきますよーあー……」 ……チェル以外の人は、一緒に口開かなくていいです。 ネズミの成長は、ヒトよりほんの少し、早い。 「ネズミって魔力抵抗低いから、あんまり薬使うのも考えモノなんだよねぇーこういう生薬系ならいいんだけど」 そういってジャックさんが懐から取り出したのは、小さな壜に入った緑の粉。 「これは干して潰しただけだから不純物とか多くてさー、効果も緩いからネズミとかキヨちゃんみたいな抵抗低いコにいいわけ。もっとも、ネズミの方が丈夫だけどね」 横のポケットから更に緑色に輝く結晶の入った壜。 「これを精製するとこうなるんだけど、ここまですると手間掛かるから高いし効果覿面過ぎてねぇ~ワリにあわない訳よ。ハイ、もし凄く熱が上がったら飲ませてね」 私は頷いて、緑の粉を受け取り机の上に置くと、代わりに濡らした手拭を手に取りました。 汗ばんだチェルの体をざっと拭き新しい寝巻きに着替えさせ、新しい氷枕を首の下に潜り込ませます。 脱がせた服の後始末をしていると、戸が開かれひょっこりと顔を覗かしたのはふわふわワンコのサフ。 「アフア買って来てくれましたか?」 私の大嫌いなアフアですが、子供には人気のジュースです。 これにレモンと砕いた氷を入れるとかなり飲みやすくなる…とのジャックさん談。 たしかにビタミンたっぷりという感じです。 私は飲まないので味がわかりませんが……。 「あっち置いてきたけどさー、キヨカ甘やかしすぎじゃん?」 なんか、不満そうです。 「病気なんだから、仕方ないでしょう?」 「サフのケモジャバカー」 「チェルは、寝なきゃ駄目」 起き上がろうとしたのを押しとどめ、改めて布団を掛けなおします。 不満そうな表情を浮かべた熱い頬を撫で、汗ばみ始めたおでこにお絞りをのせて……あと、何すればいいんだろう。 「キヨちゃん、オレもなんかちょっと熱っぽいみたい」 全力で倒れこんでくるジャックさんをそのまま床に放置。 私の部屋に毛を散らさないで欲しいものです。 「そうですか、お気をつけてお帰り下さいね」 ああ、そうだ。 お皿洗わないと。 「フサわあぁぁぁぁぁあんっ!!キヨちゃんがいじめるぅーっ」 「キモイ」 全力ですがり付こうとしたジャックさんを一言で切り捨てたサフが私の方を見ました。 「なに?」 「キヨカも無理したら駄目だよ。僕もがっくんもいるんだからね」 そう言って、ぽふぽふな手で私の頬の湿布を軽く撫でるサフ。 ……ちょっと寂しい…いえ、 「ありがと」 サフの眼が丸くなって表情がそのまま固まりました。 ……どこかで見たような表情です。 記憶の中を検索していると、いきなり押し倒されました。 ジャックさんに。 ……重い。 「もうそんな笑顔されたらモッフモフにすぎゃっ」 ジャックさんのうわ言は、そのあとの肉を叩く音で中断されました。 …サフの眼が怖いです。 床の上で蠢きながら私の足にかじりつこうとする手を、抜群のタイミングで踏みつけています。もぐらたたきのようです。 あ、逆に足を引っ張られてサフが転びました。 ジャックさんが馬乗りになってサフの首や脇の下を全力でくすぐりサフが笑い転げています。 バフバフと舞い飛ぶ毛。 二人のはしゃぎっぷりにチェルが参加したそうに、体をもぞもぞさせ始めます。 私が目で制するとチェルはしぶしぶ布団に戻りました。 所でここは私の部屋です。 普段はサフと同じ部屋のチェルですが、今回は私の部屋で寝る事になります。 でないとサフが夜寝れませんからね。 まぁ…それはそれとして……。 「二人とも、今の状況わかってますか?」 ハァハァと舌を口からはみださせたサフの薄青の瞳と、なんとも楽しそうなジャックさんの深緑の瞳がこちらを向き、引き攣りました。 「チェルの具合が悪いって判っています?こんな小さい子が寝込んでいるっていうのに、何考えているんですか?病人の近くでは騒がないって常識ですよね?」 「ハイすみませんすぐ帰ります!!」 「ごめんなさいもうしませんっ!!」 「わかって貰えたなら、結構です」 ……なんで、二人で抱き合って震えているのでしょうか。 *** ―― ネズミ ―― 平均寿命80代 矮躯 体力魔力、共に微弱 世界各地で群生 雑食 ……こんだけかい。 私は無言で本をぶん投げました。 使えないにも程があります。 私はヒトですから、ネズミの事を何も知りません。 サフだって、一緒に暮らしているチェルの食べ物の好みや好きな遊びは知っていても、ネズミの事は知りません。 意外と博識なジャックさんだって、一般的な知識以上のことは知りませんし、残念ながら医院にもネズミの患者さんはいません。 残る希望の星は同じ砂漠出身である御主人様だけですが、御主人様はお風呂に入ると一時間以上出てきません。 時折チェルの様子を伺いつつ食器を片付け、明日の朝食の準備を済ませてから、そわそわしながら御主人様を待ちます。 お風呂から出た御主人様は、いつものようにソファーに腰を下ろし尻尾を床に伸ばしました。 すかさず近寄る私に一瞬戸惑ったような表情を浮かべる御主人様。 「珍しい」 ぽつりと洩れた言葉に内心首を捻りつつ尻尾の近くに座ると眉間に皺を寄せて一言。 「どうせなら、こっちに座れ」 ……私はネズミの事を聞きたいだけなんですが。 しぶしぶ隣に座ろうとすると腰に手を回され尻尾の上に乗せられました。 重くないんでしょうか。 いや、そうじゃなくて。 風呂上りの御主人様の鱗は普段より少し柔らかめです。 いやそうじゃなくて。 「ちょっと伺いたい事が」 昨日捻った足首に尻尾が触れて、一瞬体が引き攣った。 「あの、ネズミの知り合いの方、いらっしゃいませんか?」 指でなぞられる背中の擦り傷と、日焼けした肌が少し痛い。 「こっちはもういいか?」 頬の湿布を剥がそうとする指先を押し止めると、不満そうな表情をされました。 「もう治っただろう」 口の中だって切れててまだ痛いのに、ってそうじゃない。 「ネズミの人かネズミに詳しい方、いないんですか?」 「いない」 顔が近過ぎるので咄嗟に口を手で覆うと、眉間に皺が寄りました。 「チェルの身内の方は?」 手を掴まないで下さい。爪が刺さります。 「おい」 尻尾巻きつき過ぎです。服の中にもぐりこんでますよ。判ってますか? 結構、そこ痛いんですけど。 「どかせ」 命令なのでしぶしぶ手を下ろすとかぷりと下唇を噛まれた。 ちらちらと細い舌が這うので、顔を反らす。 汚いから、やめて欲しい。 「知らないなら、結構です」 どうにか尻尾の上から降りて、絡まった指を外した。 御主人様の爪が当たった所が赤く痕がついている。 「失礼します」 エプロンを引っ張られ、バランスを崩してこけた。 ……足痛い。 御主人様が何か声を掛けてきたけど、聞こえないフリをして部屋に戻る事にする。 うろ覚えの知識だけど、昔は子供の死亡率はとても高かった、らしい。 この世界では「風邪で子供が死ぬ」というのは「普通に暮らしていればまず無い」そうですが、 魔法はあるし、魔洸という技術があって、なまじ寿命が長くて体が丈夫なだけに衛生観念には欠ける事の多いこの世界で「普通」の範疇にネズミが含まれているのか。という疑問があります。 予防注射とか……。 しかもよりにもよって小さな女の子では、病気に対する抵抗力が低いんじゃないかと、思う。 望みの綱だった御主人様は全然頼りにならないし……。 熱いのか、羽散らかされた毛布を拾い上げて畳む。 氷枕はまだ大丈夫、すっかり体温と同じくらいになったお絞りを洗面器に戻して漱いで顔を拭いた。 「おかあさん」 熱で潤んだ眼が苦しい。 「おかあさん、どこ?」 返事が出来なくて、汗ばんだ小さな手をそっと握る。 胸が、詰まる。 「おとうさん」 「二人とも、すぐ帰ってくるから」 私は何でチェルがここに居るのか知らない。 「おかあさん、いなきゃやだ」 チェルは夜中、時々泣いている。 部屋の外に出るのが怖くて蹲っていた私に、不思議そうな顔で話しかけてくれたのはチェルだった。 外に出られないような大雪が続いた日に、彼女は絵本を持って部屋にやって来た。 字が読めずに途方に暮れた私は、うろおぼえのヘンゼルとグレーテルの話しをした。 お菓子の家と、うちに帰れた兄妹の幸せきいて、チェルはとても嬉しそうな顔をした。 私も、それまでとは違う使われ方をされた事が嬉しかった。 無邪気な声で話しかけられるのが楽しくなって、色々な話をした。 それなのに、私は何も知らない。 ネズミの事も、チェルの家族の事も、もっとちゃんと訊けばよかった。 苦しげな息遣いが悲しくて、自分の愚かさが悔しくて私は唇を噛む。 *** 太陽も月も居ない薄闇の時間 ネズミ達は祈りを捧げる。 腹でこなれていくケモノの魂が再び地に戻るように 星に昇る前の魂が迷わぬように ――― の光を見失わないように ――― 朝御飯にパンとサラダと目玉焼き、ついでに人参を炒めて添えた。 御主人様好みの苦くて濃いコーヒー、サフにはグラスにミルク。 リンゴより大きくて青い色をしたスモモをナイフを添えてテーブルにセットしてから次は洗濯物。 「キヨカ御飯は?」 「先どうぞ。私、今日お休みだから」 チェルが寝てる間に終わらせておきたい。 洗濯籠に濡れた衣類を詰め込んでいると背後からやってきたサフはまだ何か言いたげな表情です。 「チェルまだ寝てるし、あとであの子と食べるから大丈夫」 どうせ食欲ないし。 そういうと、更に複雑そうな表情になるサフ。 もしかしたら、ちょっと言い方が素っ気無かったかもしれない。今度は気をつけよう。 今日も夏らしく晴れているから、洗濯物がすぐ乾きそうだと思いながらベランダに干していると腰を撫でられ、驚いて振り返ると出勤準備を整えた御主人様(トカゲ男)。 「行ってくる」 「お気をつけて」 そう返して再び洗濯物を干す作業へ。 なにせ昨日サボった分、大量にありますから一回では終わりません。 チェルもお粥ばかりじゃ飽きるだろうから、何か考えないと。 籠の分が終わったので戻ろうとしたらまだ御主人様が立っていました。 「遅刻しますよ」 放置しそのまま作業を続けていると、何故かついてくる御主人様。 「何か」 「行ってくる」 「いってらっしゃい」 リンゴは今の時期季節じゃないから…スイカ…はおなか冷やしそうだから駄目かなー…買い物ついでにジャックさんに聞いてみようかな。 顔を上げると御主人様の顔がなんだか物凄く近かったので手でそっと逸らし、私はその横をすり抜けました。 遅刻するって言ってるのに、何考えているのでしょうか。 「キヨカー」 「はい、あーん」 「あーんっ」 私の隣に座り、ぺったりと体を寄り添わすパジャマ姿のチェル。 少し良くなったのか、昨日ほど辛くはなさそうですが油断禁物です。 一口サイズの卵焼きを口に運ぶとチェルがびっくりした顔になりました。 「たまご甘いよ?」 「嫌い?」 「すきー!」 そういえば、初めてお汁粉作った時もこんな感じでした。 こちらでは豆とか卵は塩で味付けるのが基本みたいなので、意表をついたようです。 それにしても、チェルは何でも食べてくれるのでこちらとしても作り甲斐があります。 猫舌だからあまり食べてくれない御主人様や好き嫌いの多いサフやベジタリアンなジャックさんとは雲泥の差です。 みんな見習うべき。 「おはしって、使いにくいよね」 「練習すれば、出来るようになるから」 私の箸をじっと見つめてるチェルに行儀悪いのですが、ハムをつまんだまま目の前でくるくると回して見せてから口元へ運びます。 「あーん」 頬を膨らませ、毛の生えた細い尻尾を震わせて食べている姿を見るとこちらまで嬉しくなります。 「美味しい?」 「おいしい」 「もうちょっと、食べる?」 「食べるー!」 食欲も出てきたようで何よりです。 「あとで買い物行ってくるけど、一人で留守番できる?」 「ちーね、プリン食べたいな」 耳をパタパタさせておねだりしてくる姿があまりに微笑ましくて思わず笑みが零れます。 良くなって、よかった。 「ちゃんと寝ててね」 「はーいっ」 ……右手を上げて元気な返事です。 でも昨日あんなに熱出していたんですから油断は禁物……。 「キヨカ、これおかわりー!」 お粥の入ったどんぶりが気がつけば空っぽ……。 え、えっと…… 「あらチェルちゃん熱下がったの、良かったわね」 ほよよんとした雰囲気で優しい言葉を掛けてくれたのは、八百屋の奥さんである茶トラのフューリーさんです。 「ウチの子、ちーちゃんと遊べなくて昨日ふて腐れてたのよ」 フューリーさんの所にはチェルより少し年嵩に見える息子さんがいます。 チェルの遊び友達の一人です。 「私、小さい子の事よく判らなくて……ありがとうございます」 「困ったらいつでもいらっしゃい」 そういってフューリーさんはニコニコと笑いました。 貫禄あるお母さんという感じです。お母さん、生きてたらこんな感じで相談に乗ったりしてくれたんでしょうか……。 「あ」 不意に変な声を上げるフューリーさんに緊張する私。垂耳、ずれたりしてないよね…? 咄嗟に耳を押さえる私の顔をぐっと曲げ、フューリーさんは空の一点を指差しました。 「落ちモノ」 「え?どこですか?え」 「ほら、あっちあっち」 懸命に指された方に目を凝らしても何も見えず、なんだかちょっとがっかり。 フューリーさんは暑いのか僅かに顔に汗をかいています。 「気のせいだったみたいね、ごめんなさいうふふ」 「あー、そうですか」 ……なんなんだろ。 フューリーさんの奇妙な態度に困惑しつつ私は八百屋さんを後にしました。 「今日のお勧めはこの乾麺よ」 作務衣のキツネさんが背後から取り出したのは見紛う事なきうどんです。 「おまけにこの乾し椎茸をつけてくれるなら二つ買います」 「五つならこっちの乾し海老もつけるよ」 「三つ買いますから、こっちの緑豆を一升付けて下さい」 「それじゃこっちが赤字よ」 大袈裟に肩を竦めるキツネさんに背後から現れた丸い耳にふわふわ尻尾が可愛らしい浴衣姿のタヌキの女性が失笑を浮かべています。 この雑貨屋さんは狐国からの輸入品を取り扱う、和食大好きの私としては命綱とも言える大切なお店です。 「そういえば、この前お願いしたおぼろ昆布はどうなりましたか?」 「アレは今、品薄で生産待ちよ。季節モノだから仕方ないよ」 残念。 「キヨカさんは、ウサギなのに好みが変わってるね」 そういいながら豆を枡で量ると布袋に流し入れ、うどん四つと乾し椎茸を差し出すタヌキさん。 「うどん四つにおまけ、毎度ありー」 「わ、ありがとうございますー!」 「ちょ!お前何やってるよ!」 慌てて食って掛かるキツネさんにタヌキさんはどこ吹く風と取り合う様子もありません。 うどん四個分の代金をカウンターに並べ、私が店を出ると背後から響く炸裂音。 ……この国では珍しいものを扱ってるのにお客さんが来ないのは、あの壮絶な夫婦喧嘩のせいなんだろうな……。 さてと、今日はビールを買って帰らないと。 「最近、タイヤキの売れ行きが良くないんスよ」 しみじみと言うのは、ねじり鉢巻の虎縞さん、タイヤキ屋台の店主さんです。 「暑いですからね」 私はそういって、ハンカチで額の汗を拭いました。 鉄板の上ではタイヤキがじゅうじゅうといい音を立てています。 「やっぱり冷たいものがって、みんな思うんじゃないですか」 このタイヤキ屋さんはリクエストに答えてハムマヨやチョコもメニューに加えてくれたいい人です。 ジャックさんによると、メニュー増加に伴って売れ行きが三割増加したとか。 そのせいかわかりませんが、ちょっと焦げてしまったものや、欠けてしまった分をよくおまけでくれたりします。 「ウチはそういうわけにはいかねぇからなァ」 手際よくタイヤキをひっくり返す動作はさすがです。 「餡子の代わりにアイス入れてみたらどうです?タイヤキアイスってありましたけど…」 「皮の熱で溶けちまうでしょ」 カリカリと型をつつくといい色に焼き上がったタイヤキが姿を表わしました。 「大体、アイス屋みたいに冷蔵庫かかえるのもナンですぜ」 確かに、タイヤキ屋さんの1メニューにそんな手間をかけるもの大変です。 「最初に作り貯めしてえーっと…氷晶石と一緒に箱に入れておくとか」 氷晶石とは…ドライアイスみたいなものです。ただ、大きさと価格がちょっと使いにくいのが……。 アイスボックスのような軽くて密封できる箱がなく、ビニールで防水出来るわけでもありませんから、これぐらいが限界なんですが…。 「それはアトシャーマでやってんスか?」 私は一瞬息を飲み、必死で頭を回転させました。 アトシャーマは極寒の地らしいです。 そんな所でアイス製品が人気なのかと問われると凄く謎です。食べるのかな、アイス。 コタツでアイスなら判りますけど、どうだろ…でもお風呂上りにアイスとか知らなかったら不幸ですよね、人生損してます。 しかしもしも無かったらジャックさんが口裏を合わす必要があります。 ジャックさんのことです。どこでぼろが出るとも限りません。 「落ちモノの雑誌に載ってたんですよー」 「ほー」 嘘ですが、厳密には嘘ではありません。 私はこっそりと滴る汗を拭いました。 「キヨちゃんは、落ちモノに詳しいスねー」 「ええまあ、以前勉強していましたから……」 まぁ中卒ですけど、ね…。 カキ氷はじめました というのぼりがちらつく喫茶店を横目で眺めつつ、大通りを進む私。 今度、リーィエさん誘ってお茶とかしたいなぁ…試合、まだ行ってないし。 御主人様に許可貰ってないけど……。 テラスでは、パラソルの下色鮮やかで涼しげな服装の女性が楽しそうにお茶を楽しんでいる姿が目につきます。 ……いいなぁ。 ちょっと汗で塩っぽい気がする垂耳を撫でようとした瞬間、前方に見えたものに驚愕し、わき道に飛び込む私。 御主人様(トカゲ男)が、背が高くて二等辺三角形な耳にブルネットの髪をした巨乳でデキるオンナって感じの眼鏡スーツ女性となにやら熱心に話しながら歩いています。 尻尾から察するに恐らくイヌ科。 そして反対側には、私よりも小柄で全体的にぷにっとしていそうな体型で、所々はね気味の赤毛ショートの童顔ネコ美人(巨乳)がいます。 思わず身を隠しつつガン見です。 御主人様の背後には三人に隠れてしまい判りませんでしたが、ほっそりとしつつ出る所が出ている黒ネコ女性と、中東っぽいベール姿の女性が……! ベールの人以外、夏らしい涼しそうだったり流行っぽい可愛い服装です。 ていうか、みんな可愛らしいですよね。ベールの人も僅かに見えた目元が涼しげでした。 多分、時間的に同僚の方とか、生徒さんだと思いますけど。 ……思いたいですけど。 …ああっ赤毛の人が御主人様に背後から抱きついてなにやら話しています。 ちょっと接近しすぎではありませんか? イヌ科な女性も笑いながら顔を寄せて何か話してます。とても親密な気がします。 ベールの人と黒ネコの人も御主人様の服の裾を両方から引っ張り笑ってます。物凄く楽しそうですね。 ……仲、いいんですね。 五人はそのまま角を曲がり、姿を消しました。 そっちの方は確か、古本屋やよく判らない物をぶら下げた謎のお店がたくさんある、私には縁の無さそうな通りです。 縁がないので私はジャックさんに連れられて一回しか行った事がない通りです。 ……別に、羨ましいわけじゃありませんけど。 何故かさっきよりも重い気がする荷物を持ち直し、私は通りを後にしました。 「ただいまー」 しんと静まり返った家の中。 チェルは寝ているのか、何の物音もしません。 なんだか不安になって荷物もそこそこに寝室に急ぐと、予想通り……。 自分で着替えたのか、出る前とは違う寝巻きになっているものの、それもびっしょりになっています。 思ったより顔色は悪くありませんが、この汗は異様です。 悪いと思いつつそっと体にさわると、ぱちりと目を開くチェル。 「プリンは?」 ……食欲があって何よりです。 今日の晩御飯は冷やしうどん。 たっぷりの薬味に錦糸卵、焼き豚煮、山菜のあえもの、漬物各種と非常に夏らしいチョイスです。 チェルはもうおなかが大丈夫みたいなのでこれにしたのですが、どうやら評判は最悪のようで…… 「フォーク使かって構わないんですが」 必死な男性三人とは対照的に小さなお箸で容赦なくうどんを奪い去るチェル。 「チェル、この漬物も食べてみて。はいあーん」 「あーんっ」 かわいい。 「オレにもーあー」 「お箸使わないと巧くなりませんよ。はいチェルあーん」 「あーんっ」 口一杯に頬張る姿にキュンキュンします。 「キヨちゃん、なんか怒ってる?」 「え?」 ジャックさんの言葉に首を傾げる私。 「なんかタレ黒いよ…体に悪いよコレ」 一本掴んでは逃げられるサフがぐったりした口調で呟きました。 しょうゆと鰹節に昆布で作ったダシですから、結構いい味だと思うんですけど。 「なんかさ…めんしゆ…だっけ?一回食べたアレはもうちょっと透明っぽかったんだけどなぁ…生臭かったけど」 「関西風ですかね?」 諦めたのか、パスタの要領でうどんをフォークに絡め始めるジャックさん。 麺が太いのでやりにくそうです。 きしめんとかの方が、いっそ取りやすいかもしれません。 「でも夏だし、冷たいから食べやすいですよね?」 フォークで麺を突き刺し親の敵のように頬張る御主人様を見ないようにしながら、つつがなく食事は進みました。 砂に混ざる魔素のニオイ 静寂が掻き乱され、誰の声も聴こえない 紫煙に悶える姿に恍惚とした表情を浮かべた―――が――― 具合の良くなったチェルは、寝相が悪いです。 どれ位悪いかというと、寝惚けて蹴りを入れて私をベットから落とすぐらい悪いです。 そして自分も落ちて転がって私の隣に収まるぐらい悪いです。 思わずお餅の様な頬をちょっと引っ張りたくなっても仕方ありません。 ――― 超、プニプニッ!!! ……まぁ、床で寝ればこれ以上落ちる心配はないわけだし。 ベットに置き去りにされた毛布を引っ張り落として掛けると、うにゃうにゃ言いながらチェルがしがみ付いてきました。 爪が腕に刺さります。……痛い。 あくびをしようとしたら御主人様(トカゲ男)に見られ、慌ててかみ殺しました。 ……眠い。 眼を瞬かせ、眠気を振り払おうとしてもそう簡単にはいきません。頭、重い。 「看病は結構だが、二の舞はやめろよ」 「体調管理は、バッチリです」 体壊したら、今度こそ捨てられるかもしれないし。 チェルとサフがもうちょっと大きくなるまでは、傍にいてあげたい。 玄関の前で服装を正す御主人様の前に回り、襟を直す。 「行ってくる」 「お気をつけて」 不意に頬を撫でられて、昨日の光景を思い出した。 「そういえば、赤毛のネコさんとスーツのイヌさん、どちらが好みなんですか?どちらも仲良さそうですよね。でも二股は良くないと思いますよ?」 ぴたりと御主人様の動きが固まる。 なんか、腕が変な位置にありますね。 眼が鬱金色になってます。図星ですか、そうですか…ふぅーん…。 「じゃあ、頑張って下さい。早く行かないと、遅刻してしまいますよ」 動かない御主人様をどうにか押し出して、私は玄関の鍵を閉めた。 *** 「キヨカ、今日はお買い物行かないの?」 掃除する私についてまわるチェル。 本当は、もう外に出ても大丈夫なんだろうけど、昨日の事を考えると不安で仕方ありません。 撫でるとチェルは嬉しそうな顔をします。 多分、……寂しいんだと思う。 この位の歳の子には煩がられるくらい構わなきゃ、だめだ。 その点、御主人様はちょっとダメかも知れません。 なんというか、気配りが足らないというか……。 自分で育ててる子なんだから、ちゃんとお父さんらしくしないと。 ヒゲ生やせとは言わないけど、具合悪い時にはお菓子とか、果物とか好きなもの買って来て欲しいものです。 ましてや女の人と……、まあそれは関係ないけど……無いけど……。 昼御飯を済ませると後は特にやる事もなく。 居間でチェルがメロドラマを見ていたので隣に座ってぼんやりとしていると瞼が重くなってきました。 ……まぁ、ちょっとだけ。 TVではドラマのエンドロールが流れていた。 あまり時間が経ったわけではないらしいのですが、隣にいた筈のチェルの姿が見えなくて不安になります。 探しても姿が見つからず、ふと思いついてベットの下を覗き込んでみる。 あの子、こういう所好きだから…と思ったものの、見つかったのは昨日着ていたはずの寝巻き。 ……なんで一日中ウチの中にいたはずなのに、泥だらけなんでしょうか。 よく見れば、ベランダの隅に泥が付いています。 なんだか、物凄い倦怠感が体を占めてきました。 どうやら戸締りの意味を考え直す必要がありそうです。 涼しくなってきた頃、サフが不安そうな眼をして帰宅しました。 「キヨカ…ただいま」 「おかえりなさい。お風呂沸いてるから、入ってね」 最近、サフがどんどん大きくなってきた気がします。 大きな手足が体に似合ってきたというべきか。 毛も黒い部分が減り、灰色と白が目立ちます。 「今日、晩御飯なに?」 何故かちょっと怯えた風なので、作り途中の分を見せると凄く安堵した表情になりました、 「じゃあ、もう怒ってないんだ。よかったー」 どういう意味だろうかと首を捻りつつ、出来たばかりのコロッケ(砂漠風)をあげるとサフは足取りも軽く去っていきました。 ……なんなんだろう。 次に帰ってきたのはジャックさんでした。 ジャックさんは私がいないので雑用が増えて大変なのか、ちょっと疲れたような表情です。 背後でごそごそしている小さな影には気がつかないフリをしておきます。 「お口に合うか判りませんけど、この豆、枝豆そっくりの味なんで良かったら試してみて下さい」 冷えたビールに昨日買った緑豆を茹でたものをお皿に盛って差し出すと、何故かサフのように怯えた表情になりました。 僅かに震えた黒くて大きな手が豆を一粒口に運びます。 「あ、意外と美味しい」 意外は余計ですけど。 美味しいという言葉に反応したのか、毛に覆われたほっそりした泥だらけの尻尾がジャックさんの背後からはみ出てふるふると揺れています。 「チェルに食べさせてあげたいですよね」 「そーだねーちーちゃん豆結構好きだしね」 ジャックさんの横からつぶらな瞳がこちらを見ているのは、気がつかないふりをします。 「キヨちゃん、今怒ってない系?」 「怒っていませんよ。自分で汚した所掃除してくれるなら」 「だそうだけど、ちーちゃん」 口の端っこが笑いそうになるのを必死で堪えます。 ジャックさんは爆笑寸前です。 凄い事になっています。 どこでどうやったのか、頭から尻尾の先まで泥だらけ。 床にも点々と泥がついています。 スナネズミじゃなくて、ドロネズミに改名した方がいいんじゃないでしょうか。 「もしかして、昨日は泥落として水拭かないでパジャマ着たの?」 「……うん」 「昨日もベランダから外でて遊んだの?」 「……うん」 耐え切れずにジャックさんが噴きだし、こちらにまで豆の破片が飛んできました。 絶えるのが辛いくらい、頬が痛いです。 「取り合えず、 サフ お風 呂だから、一緒に 入 って き て」 顔を見たら負けだと思いつつ眼が離せません。 まるでウルトラクイズです。 「次、こういうことしたら、一週間ピーマンサラダだから」 「ごめんなさい」 道化な姿とは正反対の殊勝な返事に耐え切れず、噴きだしてしまいました。 *** 御主人様は普段よりやや遅くなって帰宅しました。 こちらとしても、初めて作る「タブル」(クスクスという小さなパスタを使った料理)や「ナスとトマトと肉の煮込み(砂漠風)」に苦戦していたので丁度良かったわけですが。 「おかえりなさい」 御主人様は玄関を背にしたまま挙動不審な動きです。 「どうかしましたか」 背後から現れたのは、白い箱。お菓子のようです。 「あ、わざわざ買ってきたんですか?!」 驚いて語尾が上ずってしまった。早速受け取ります。これ、ちょっと高いやつです。 なんだ、ちゃんと心配してたんじゃないですか。 「でも、あの子もう全快しちゃって、勝手に遊びに行ってたんですよ。でも喜びますよ。ありがとうございます。また病気になったら今度はもっと早く買ってきてあげて下さいね?」 御主人様口が半開きですよ。…何か言いたい事でもあったんだろうか。 「何か?」 ああとかうんとか言いながら、落ち着かない御主人様。 「ここの所落ち着かなかったのは…心配だったからか?」 「当たり前じゃありませんか」 何を言ってるんだろうか。みんなして奇妙な事を言っています 御主人様は忙しなく細い舌を出し入れし、爬虫類な眼を宙に彷徨わせた。 「やる」 鞄を受け取るために差し出した手に花束を載せられました。 思わず交互に見つめ、空ろさな眼を見つめてしまいます。 「誰かに渡そうとしたら、断られたんですか?」 「最初からオマエ用だ」 え、えっと……。 「餞別用?」 背中を寒気が走り、指先が震えるので、握り締めて誤魔化します。 イヌの人かネコの人と上手く行ったから、私はこの家に要らなくなる…のかな。 「何の話だ」 溜息交じりの言葉に安心する。 どうやらイヌの人ともネコの人とも、順調というわけではないらしいです。 「御主人様からお花を戴くのは二回目ですね」 理由はわからないけど、ありがたく戴く。 薔薇とカスミソウと知らない花。 顔がにやけて仕方ないので花束に顔を埋める。 御主人様が、私に花だって。 もうちょっと浸ってもいいかな、二度とないだろうし。 ……花だって、私なんかに。 なんか、まるでちゃんとした女の子みたいだ。 「ねぇーごはんまだー?」 サフの声にはっとして頭を上げると、でこがご主人様のあごに激突して物凄く痛くて涙がでた。 何でそんなに近くにいるんですか、御主人様。
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太陽と月と星がある 第十二話 滑らかな肌を蹂躙する黒い指。 鮮やかな紫痣を撫上げると、それだけで掠れた吐息が漏れました。 鼻にかかった鳴声、伏せた睫の下から覗く潤んだ瞳。 何かいいたげに開かれた濡れた唇に指を這わせ 「そおい」 なかなかいい音を立ててジャックさんの頭に衝突するファイルボード。 以前使っていたのが破損してしまったので必要経費として勝手に購入した金属製のコレ、なかなか役に立っています。 「オレ、そのうちハゲるんじゃないかな…」 「自重すればまだ間に合うと思いますよ。おにいさま。真面目に診察してください」 グリグリとの角を捻り込むとようやくジャックさんが患者さんへのセクハラな手つきを止めました。 最近女性の患者さんが訪れるのです。驚いたことに。 腕を期待されるのは大変喜ばしい事ですが、訴訟を起こされないために今日も私は頑張らねばならないのです。 大変です。 「ちゃんとした診療だよ!ね、リっちゃん!!」 「初耳」 堅い口調のハスキーボイス。 リっちゃんと呼ばれた患者さんは診察台から身を起こすと、私の方へ顔を寄せました。 ツナギをはだけたタンクトップ姿の二十代前半くらいにみえる長身のネコ美女です。 琥珀色の瞳に明るい茶髪に所々焦げ茶と白斑点のメッシュ、妙に尖った耳、耳の先端の黒くて長い毛がお洒落。 ズボンから覗く短めの尻尾が可愛らしいです。 「ナースがいなきゃ来なかった」 首を傾げる私。 一瞬ジャックさんが笑い、患者さんの手を取り軽く口付けをしました。 「リっちゃん拳闘やってるからメンテ大事なのに、なかなか来てくれなくてさ~☆」 「お前がそうやって余計な事をするから」 舞踊のような上品な動きのまま、白衣に重い一撃。 面白い動きをしながらジャックさんが床に転がりました。 芋虫が悶えていますね。 「こうすると後で困るから来なかった」 困惑した表情を浮かべていますが、ほっそりとした体型に似合わないがっちりとした握られた拳にはごっつい指輪が輝いています。 見返すと微かに唇を笑みの形に歪め、切れ長の瞳は狡猾な肉食獣そのもの。 ここら辺の出身ではないのか、僅かに口調に訛りがあります。 「今度はもっと早くコイツを止めて」 床で転げるジャックさんを軽く示し、腕の大きな痣を撫でる患者さん。 「判りました。次からはもっとキツめにします。えーと…」 「リーィエ、正確に言うとリーィアェパパロトル 夜飛ぶ蝶の名を貰った」 夜飛ぶ……蛾? いや、きっといるに違いありません。夜行性の蝶が……。 「キヨカです。頑張ります」 リーィエさんは抜群のバランスでもって診察台から降りると、ジャックさんの背中に金属音のするブーツの踵をぐりぐりと捻り込みました。 「コイツにはしょっちゅうヒドイ目に合わされているから、あまり来たくなかったんだけど。君が見張ってくれるならまた来る」 激しく頷く私。 出来ればまた来て欲しい患者さんです。 なにしろ美人だし、声も素敵です。 それに、なんかちょっと先輩に似てる…オトコマエな感じとか。 「いつでもお待ちしています!ほら、早く寝てないで起きて!さっさと診療してください!」 白衣を叩くとひどく恨めしそうな眼で見られました。 「ジャック・キサラギです!キヨちゃんの兄です!実家は帽子屋を営んでいます!アトシャーマ出身の28歳です!好みのタイプはりっちゃん!」 今更自己紹介しなくても…帽子屋なんだ…。 「キヨカはコレと違っていい匂いがするね」 必死で自己主張するジャックさんをガン無視するリーィエさん。 ジャックさん俯いて床にのの字書き始めました。 「そんな事ありません。リーィエさんだって、凄い綺麗だし格好いいし」 美人に顔を近づけられると照れます。 頭撫でられました。 なんだか顔が熱いです。 「今度、試合観に来て。勝つから」 柔らかそうな口元から覗く白い八重歯がきらりと光ります。 「頑張ってくださいね!」 「来たら勝つ。来なくても勝つ。約束」 堅い指輪に守られたしなやかな指と指きりをして顔を合わすと自然に笑みがこぼれました。 「約束」 軽くハグされたのでお返するとリーィエさんが短い尻尾をパタパタと振りました。 「え、ごめん、なんでそこでそうなるの?百合なの?この前はりっちゃんあんなによろげっ」 長い足から炸裂する一撃。 長い耳が宙を舞って床へ激突しました。 キックもいけるんですね。 かっこいい……。 *** もうオレのらいふぽいんとはゼロよ!とジャックさんが打ち止め宣言をしたので、今日は早めの帰宅です。 医者としてそれでいいのでしょうか……。 この街には御主人様が勤めている学校をはじめ、複数の教育施設があるとかで若い人の姿が目立ちます。 普段はまったりしている商店街も、この時間は若い人で溢れとても賑やかです。 ネコの国ですから、イヌやそれ以外の種族の姿も有りますがやっぱりネコが大半を占めています。 ウサ耳をつけている私はなんとなく目立たないように隅の方へ。 私の背が低いわけではないのですが、こちらの男性は体格が良すぎて相対的に小さく見えるという…… 平均だもん、こっちの平均値がおかしいだけだもん…。 「あのーすみません、そこのウサギさん、ちょっと道教えて欲しいんスけど~」 振り返るとネコ男性…服装と声から察するに青年ぐらいでしょうか、黒、赤、黄色の短毛三人組です。 耳に飾りを付けたり引っ掛けると痛そうな装飾品をつけていたり、多分流行なんだろうなぁ…。 リーィエさんも指輪いっぱいつけてたし。 彼等が挙げたのは、裏道にある宿泊施設の名前でした。 通り過ぎたことならあります。観光客なのでしょうか。 「それなら―――」 通行の邪魔にならないように道の端に寄って道順を説明したものの、三人ともあまり真面目に聞いていません。 三人で顔を見合わせてから、黒猫が頬を掻き、顔を寄せてきました。 「ちょっと良くわかんないんでー一緒に行ってもらえないッスか?」 顔が、近くないでしょうか。 「えーっとここの路地を真っ直ぐですから、そしたら看板が……」 「いや、そうじゃなくってさー」 「ウサギって凄いんでしょ?楽しもうよ」 「オレーウサギ初めてなんだよね。優しくしてね~ハハッ」 意味がわかりません。 何故肩を掴みますか。 「ね、頑張るからさ、いいじゃん」 口調は穏やかですが言っていることが意味不明です。理解できません。 三人で囲まれると、視界が遮られ他の人の姿が見えません。 「ごめんなさい、今急いでますから」 隙間をすり抜けようとしたら肘をつかまれました。 「そんなつれない事いうなよ。本当は好きくせにさ、メスウサギちゃん」 種族の違いはあれど、見覚えのある下卑た表情。 野卑な笑い。 「もーそういう事なら、もっとちゃんと言ってもらわないと判りません」 私は笑顔を作り、肩に回された手をそっと外し、肘と掴む手を軽くつついて笑みを作りました。 汗ばんで獣臭い毛深い指を軽く握ると、三匹は顔を見合わせ相好を崩しました。 「そっかーオレ達アタマワルイからさー」 「でも四人でなら楽しめると思うぜ」 口が生臭いです。毛が臭いです。 もっと毛深いサフですら十億倍清潔なニオイだというのに。 「そうですね、三人ともとっても晴天とは正反対の天気のときに置いたままの布を再利用して作った清掃用具の香りがするので遠慮します」 何を言われたのか脳味噌に染み込むまで間のあるらしい三匹の間を擦り抜け、人込みに紛れ別の通りへ出てから猛ダッシュ。 念の為にいつもとは違う道順を使い、脇腹が痛くなったので速度を落として。 ショウウィンドーに映った自分はなかなかダメな顔でした。 初ナンパがアレって、ひどいと思うんですけど。 ……ウサギって、実は大変なんですね。 *** 窓の無い部屋。 仄かに漂うアルコールと官能を引き立てる媚薬と精液と血のニオイ。 荒い息と肉を叩く音に混じって僅かに漏れる掠れた啼き声。 ル・ガルが誇るエリート階級、一滴の混ざりもない由緒正しき軍犬血統。 血族は軍や官僚を占め、一般では手の出ないような高級品を当然のように召し上がる。 今夜は落ちたばかりの十代前半という事が売りのメスヒト。 近隣にもメスヒトを所有する館は数点あるが、最近のお気に入りはコレ。 残念ながらオスヒトは個人所有が主体のため未経験。 きちんとした教育を受け、容姿の整った従順な「養殖」ではなく、反抗を叩き折り、力づくで調教した「オチモノ」であるという事が重要視される希少品。 日焼けしていない青白い肌に「せーらー服」「るーずそっくす」と、理想の姿に欲求を抑えきれずに扉を閉める手も慌しくなった。 細い首に不釣合いな太い首輪についた鎖を引くと、一瞬抗う仕草を見せたもののすぐに目を伏せる。 手始めに紅の無い薄い色の唇をねぶり、口を開かせてからおもむろに味わうと、ぎこちない舌使いでこちらに合わせてきた。 離してやると半開きの口からたらたらと涎を垂らし、潤んだ瞳で哀願するように見つめてくる。 弱いモノはひたすら媚びるしかない、ヒトの存在がそれを体現している。 弱いオスヒトよりも更に弱いメスヒト。 この格子で覆われた部屋の絶対強者はこの自分。 セミロングの黒髪を掻き揚げると現れる異様な丸耳を舐めうなじに移り、 肉の薄い肩甲骨を舐めるには服が邪魔だと気がついたのでしぶしぶながら服に手を掛けると メスがそれを制して、すぐさま身に着けていた衣服を脱ぎ去り部屋の隅へ後ろ手で放り投げる。 前回は待ち切れずに破り捨てた事を覚えていたらしい。 日焼けしていない白い肌に前付けた痕がまだ生々しく残っている。 嬉しくなって同じ所を噛んでやると小さく声を上げた。 成長途中である事を主張する薄い胸の先端を自慢の舌で舐め上げると下の獲物が体を震わせる。 執拗に腰を使い胎内を抉り奥の方で何度目かの射精を行うと、結合部から僅かに赤と白の混合物が溢れた。 「ああっ御主人様ッキモチいい! だめぇっ もっとっ」 最初の抵抗が一変して快楽に流される弱いヒト。 「こんなによがって、ヒトには羞恥心てものがないんだな」 ずぶずぶぐちゅぐちゅという水音に鎖の音が混ざる。 耳障りなので首輪ごと押さえつけると締りが更に良くなった。 もっと反応が欲しくて薄皮の張りかけた脇腹に爪を立てると体をバタバタと暴れさせる。 うるさいので首輪から手を離して、口を押さえると更に締りが良くなる。 嬉しくなって届く範囲をひたすら噛むと、一層甘い血の香りが部屋に立ち込めた。 快感を堪えながら今度は接合部に程近い柔らかな内股を掻く。 白いシーツに赤い染みが良く映える。 まるで処女のように。 「ああ、残念だな、ウチで飼えたら毎晩こうやって可愛がってやるのに」 目を開くと褐色肌の異国風激烈イケメン。 「っつっつ!!」 思わず逃げて部屋の隅から確認すると御主人様でした。 「お、おかえりなさい」 そうでした。洗濯物畳ながらうっかり寝てしまったのです。不覚。 御主人様はぐちゃぐちゃになった洗濯物と私を交互に見比べて溜息。 「すみません、まだ(美形に)慣れなくて」 急に立ち上がったせいでクラクラする頭を押さえながら謝ると何故か更に重い息をつく御主人様。 失礼な事を言ってしまったんでしょうか。 「服、めくれてるぞ」 確かに、白いシャツがめくれてへそが出ていました。 ついでにグロ指定な傷跡も見えそうな感じです。公害です。 服装を整え、ついでに髪も直してから洗濯物をたたみに戻ると、帰宅して一息入れようとしています、といった風情の御主人様が上から下までじっくりと私を眺めてから何故か手招き。 恐る恐る近づくと尻尾でもって巻きつかれました。顔が近いです。 「うなされてたな」 「実は今日、ジャックさんの所にリーィエさんという美人さんがいらっしゃいまして。今度試合に来て欲しいといわれました。いつか行ってもみても宜しいでしょうか」 「汗かいてるぞ」 無視です。 襟元に顔を押し付けるのはどうかと思います。顔近いです。 イヌじゃないんですから、におい嗅がないで下さい。舐めないで下さい。 呆れてみていると御主人様が不意に顔を上げ口を開きました。 「忘れてた。ただいま」 「おかえりなさい」 そのまま妙な沈黙。 何故か睨まれています。何故か悔しそうです。 至近距離です。顔近すぎです。 「今日の晩御飯は串焼きです。カエルとトリでチャレンジしてみましたのでお楽しぐっ!」 薄い唇に細い舌。 イヌと違うとわかっていても、いまだに違和感を感じます。 てゆーか、……下手。 しかもなんか今回長いし…… いつまでするんだろうとか、そろそろ二人が帰ってくるんじゃないでしょうかとか、 もしやこのままするんですか、こちら的に性教育ってどんなもんなんだろう、まさかコウノトリはないですよね?キャベツ畑とかありますか? 等と思いながら明日の献立を考えているとやっと御主人様が体を離しました。最長記録です。 ぬるつく唇を半開きにし、酸欠で喘いで俯く私とは逆に無言の御主人様。 なんですか、その握り拳。 殴られるのかな、私。 見える所だと、聞かれたときに困るなぁ……。 *** 「あーあ、空からヒト降ってこないかなぁーそしたら大金持ちなのに」 げふっ 狼じみた容貌の小柄な少年が口に含んでいた水が気管に入って噎せた。 それを通りすがりの老婆に微笑ましそうに笑われ、羞恥を感じる。 「なーサフ、やっぱウサギって凄い?頼んだらやらせてくれる?」 じりじと照りつけつける太陽の下、大きな鞄を斜めにかけた少年の周りを、それより幾分か小さめの鞄をかけたネコがふらふらと飛び回っている。 ビルの谷間を通り抜けた風に艶のある毛がそよぎ、熱気に喘いでいた顔が一瞬安堵する。 トラネコ宅急便と書かれた鞄を背負い直し、水筒を逆さにして最後の一滴を舐め取った。 「まだ次があるんで」 無視して走り出そうとしたのに前方に立ち塞がれた。 「ねぇねぇウサギ凄いの?童貞捧げちゃったの?処女奪われたの?ねぇねぇ」 コイツしねばいいのに。 表情に出さないように苦労しながら、少年は真っ白毛並みのネコを睨んで心の中で舌打つ。 鋭い視線を向けられたネコは細身の体に白い毛を靡かせ、金色の瞳を輝かせる。 立場上、向こうの方が年上で先輩なので歯向かい難い。 「先行きますから」 「いいじゃん、隠すなよ オレとオマエの仲だろ?」 うぜぇ。しね、心の中で罵倒し横を通り過ぎるも、ネコはついて来る。 「なんだっけ黒ウサギのー」 「ジャックですか?アイツならいつでもOKですよ」 言い捨てて薄暗いビルの中に入っても話しかけてくる。 「アレじゃなくてさー、悪趣味な妹の方」 階段を二段抜かしで駆け上がり、事務所の扉を叩いて書類を渡し、サインを貰って戻る。 階段の下で待つネコに心の中で舌打ち。 「センパイ、配達は?」 「もう終わってるにゃぁん」 ムカツク。 笑いながら鞄を逆さにして目の前で振られ、苛立ちで肩を震わせる。 「ワンワンは?」 「あと二通」 「ふーん、でさーやったの?ウサギ女とどうなの?スゴイの?」 しね。 心の中で絶叫。 「キヨカはただの同居人ていうか、家族なんで」 家族にも色々種類はあるけど。 「えーでもさーあのぶっさいくなヘビといちゃついてんじゃん。夜も凄いんでしょ?三人でするの? ナニ、オマエはさせてもらえないの?おチビだから相手にされないワケ?にゃぁーサフくんカワイソー」 こけそうになったから、靴紐を直してもう一度住所を確認して方角を確認する少年の横をなおもしつこく纏わりつくネコ。 「えー?ねぇねぇ怒った?怒ったの?機嫌なおしなよー」 不真面目な態度で仕事を邪魔されている様に感じて、更に苛立ちが募る。 コイツはアルバイト先で最初に顔を合わせたときから、何かというと突っかかってくる。 親代わりのヘビにネコは遊び好きだから気をつけろって言われたって、気をつけてもどうなるもんじゃない。 バイト先の先輩じゃ逆らうわけにも行かないし、さっさとやめたいけど業務は嫌いじゃないし、応援してくれた人にも申し訳が立たない。 金が貯まって、体を動かして、頭が要らなくて、健全な仕事。 配達はこの街を支える重要な仕事だ。 自分はこの仕事が好きだと思う。 「ねぇねぇ、こっち向きなよー」 コイツさえいなければ。 心の中で呪文のように唱え、給料日を目算し、配達範囲を変更して貰えないか考えてみる。 無理だ。この狭い路地裏に大柄なイヌや、トリは向かない。 一番小柄だから路地に向いているという不名誉な理由はさておき、持久力があって正確性が必要だから君向きだと言われたときの誇らしさが胸をつく。 勉強は得意じゃない。魔法は向いてない。体格は良くない。 同じ年頃のイヌが近くにいないから、自分はどの程度なのかわからずに時々不安になる。 ネコの国に住むイヌの弊害、家族が異種族であるという弊害。 きっとあのままスラムでゴミを漁ってても行く先なんか見えてたけど。 老人の鞄をひったくろうとしたら通りすがりの醜悪なヘビにど突き倒され、やっぱり凶悪そうなウサギに首を掴れた時は正直ちょっとちびった。 そのままお決まりである筈の所ではなく、大柄な二人に挟まれ、明日ゴミ捨て場に自分が転がっているのを想像して震え上がり、 親はどうしたのか尋ねられ、母親はエライ人の娘だったけど盗賊に攫われ捨てられて、膨らんだ腹では高貴な家にも帰れず、 アンタさえ生まれなければといわれ続け、気がついたら居なくなったと拙い説明をしたら風呂に投げ込まれ、生まれて初めてたらふく食べさせてもらった。 あの日見た夜明けの太陽を今でも覚えてる。 昔を思い出して感傷にふけり、にゃあにゃあとうるさいのを無視し続けるのも問題なので顔を向けたら頭殴られた。 「ってーなこの石頭ッ!」 自業自得だろ、と心の中で絶叫。 ほんの少しばかり骨に当たったぐらいで大袈裟なんだよ! 手を押さえてしゃがむのを無視して次の配達先へ急ぐ。 「バカ毛皮イヌ覚えてろ!」 言葉とは裏腹の悄然とした姿に彼は気が付かない。 「フッサフサーサッフくーんコレにゃーんだ。いいだろーアイス食べたい?食べたい?三回まわってワンて言ったら一口やるよ」 うぜぇ。 空調の効いた待機室でアイスクリームを見せびらかされ、余計に苛立つ。 口の中の氷をバリバリと噛み砕き、テーブルに突っ伏す。 仕事再開まで後五分。 「ニキって、本当にサフの事好きだにゃ。オジさん妬けちゃうニャー」 店長、と書かれたエプロンを身に着けた中年トトロなトラネコに指摘され、ネコが尻尾を膨らませる。 白い耳の内側が少し赤い。 「ん、にゃわけーねーじゃん!こんなチビ!クソチビ!」 八つ当たりで背中を叩かれ、募る苛立ちを堪えるサフ。 郵便よりも割高で代わりに短時間での配達をするメール、小包。 従業員は自分のようなアルバイトや、短距離飛行が得意なトリが主体。 教育施設の充実したこの都市では切っても切り離せない、出版社、印刷会社、流通卸etcetc… 丁寧迅速24時間いつでも対応を売りにしたトラネコ宅急便。 自分で見つけたバイト先。 簡単にやめるもんかと、苛立ちを氷と一緒に飲み下す。 その表情を家族が見たら、辛抱強くなったときっと褒めていただろう。 「サフ君は、今日直帰でいいにゃ、お疲れ様」 笑顔でトトロからずっしりと重い配達鞄を渡され、一瞬顔が引き攣る。 どう考えてもサビ残です。本当にありがとうございます。 入れ替えに戻ってきた先輩格の黒いトリに挨拶して、荷物の受付に来た客に頭を下げ店を出た。 無視されたネコが寂しそうな顔でアイスを舐めているのに、彼は気がついていない。 小雨のぱらつきだした夕暮れ時、商店街の裏手、家の前で一呼吸。 香辛料と…蛙のニオイ…キヨカの努力に期待。蛙ダメ、生理的に無理、死ぬ。 玄関に手をかけようとして、家の中から聞こえるどことなく楽しげな会話。但し一方通行。 妹分の声はしないから、ここで入ると恨まれそうな気がする。特にヘビに。 ――結構、気を使ってんだよね、僕だって。 ていうか、大人なんだからもうちょっとこう…年頃に対して気遣いとかあってもいいと思うんですけど。 深夜に漏れ聞こえる背中が痒くなるような会話とか、自重すべき。 もしかして、聞こえてないと思ってるのか…イヌ舐めんな。 仕方なく踵を返し、雨の中、どこで時間を潰そうかと考えを巡らせながらうろついているとさっき散々邪魔してきた相手が再び参上。 「あーちょーラッキー!ねぇねぇサフわんどっかいくのー?」 「別に」 厄介な相手と会ったと心の中で溜息。 これならジャックのところへ嫌がらせに行くか、私塾に顔を出すかすればよかった。 「…なら、オレんち来ない?オレも暇だし…この近所だし…」 断るつもりで口を開き、相手の姿を見て思わず絶句。 ブーツにタンクトップにカーゴパンツという作業服ルックから、アクセサリーのついたサンダルに雨の中では寒そうなキャミソールにホットパンツ姿が褐色の肌によく映える。 非常に健康的かつ爽やかな服装。好感度高い。 「お茶くらい、出すから…だめ?」 ヒトでいうなら14,5歳くらいのネコ少女は、白い尻尾を褐色の太腿に這わせ、年下で自分より小柄なイヌに羞恥で頬を染め、そう言った。 アレ、何で僕ここにいるんだろう。 外とは打って変わってやけに内気な態度のネコに動揺を隠しきれないイヌ一匹。 なんとなく断るずに強引に腕を引かれ、気が付いたら女の子の部屋にはじめて入ることに気が付いた。 一応年頃の異性のはずが絶望的に殺風景な同居人の部屋と違い、やけに華やかな女の子の部屋。 姉と共有だという部屋は、大小さまざまなぬいぐるみや落ちモノの類似品などが溢れ、壁と天井にはTVでよく見るマダラのアイドルのポスターが笑顔を向けてくる。 ――なんか、色々ニオイするし。 不快になるほど甘ったるいのやわずかにマタタビ、お菓子と花のにおい、それに――――おんなのこのにおい。 なんだか恥ずかしくなって俯き、尻尾を握り締めた。 「こ、紅茶でいいかな」 「あ、はい、お構いなく」 そわそわと落ち着かない仕草のネコと同じように落ち着きのないイヌ。 「あの…先輩」 「ニキって呼んで」 差し出されたティーカップを手に取ろうとして重なった指を慌てて引っ込め俯く。 結構、細い…思ったより柔らかいし…キヨカより爪尖って綺麗だし…。 僕、何やってんだろ。 「あ、あのさ、サフの家のウサギの人…どういう関係?本当にただの同居人?」 まだ引きずってたらしい。 「キヨカは――ジャックの妹で、ウチで家事してくれてる人だから、僕的には…しいていえば…身内みたいな」 ヒトだと言うことを他人には絶対言ってはいけないといい含められている。 妹分にもそれはしっかりと教えてあるから、近所で知っている人はいないはず。 「ジャックって、あの変態医者だろ?その妹って事は…」 「キヨカはまともだから!全然違うから!天然だけど!」 思わず力説していたことに気が付き、恥ずかしくなる。 「キヨカはなんていうか…ちょっと事情があって苦労してたから、ほっとけないっていうか、僕が守らないとっていうか…優しくすると嬉しそうにしてくれるし…」 ずいぶん良くなったものの、相変わらず全体的に細いというか痩せてるし、時々蒼白だったりするし。 前に比べて笑顔の回数が増えたけど、その顔を見るたびに胸が痛くなって仕方なくて…… まぁちょっとこの前見ちゃって正直僕失恋状態なんで、家に帰りにくくてアルバイトに精を出してるわけですけど。 不穏な気配を感じて顔を上げると少女が思い詰めた眼をしていた。 「ウサギに奪われるくらいならいっそここで!!」 「ちょ!まってな!」 押し倒され唇を奪われ絶句する。 ちょっと前に真剣に捧げたつもりのファーストキスはあっさりスルーされたわけだけどこれはなんというか自分より身長はあるけど細身の身体に年頃らしい膨らみを感じて思わず興奮する。 ぎこちなく伸ばされた舌を舐め上げ、逆にひっくり返し夢中になって口内を蹂躙し、やっと口を離すころには金色の瞳は潤み、はぁはぁと荒い息をつくメスネコが一人…。 「先輩、人の事童貞って馬鹿にしてたけど、もしかして処女なの?」 「んんんんわけにゃいだろ!オレは!オトコをちぎっては投げちぎっては投げ、お、お前なんか年上の魅力とテクでヒィヒィ言わせてやるんだからな!!」 細い手足をバタつかせ、顔を真っ赤にして反論するもあまり説得力が無い。 自分よりも小柄なイヌに馬乗りにされ、跳ね落とそうとするもあっさりと腕をつかまれ再び口内を蹂躙され、小さく喘ぎを漏らした。 「ちょ、ナニなめてっにゃっ!ひゃっあっあんっ」 首筋から鎖骨に掛けて、わずかに塩と石鹸のにおいのする褐色の肌を舐め上げ片手でキャミソールを引き上げ片腕ずつ脱がし、迷彩柄なブラジャーに手を掛けようか、悩む。 当然舌は休まない。 「ねぇ、いい?」 全力でかぶりつきたいのを堪え、一応お伺いを立てる。 反面教師曰く、「時代は強姦を超えて和姦」らしいので。 一応下手に出ているも絶対的優位を確信した強い自信。 ナリは小さくとも、肉食獣の本能に突き動かされ、嗜虐的な興奮が野性味あふれる容姿を一層引き立てる。 少女は薄青の瞳を見つめ、一瞬瞳を蕩かせ、 「す、すきありいいいいい!!!」 「わっわわわんっ!!」 また上下が逆転し、今度は完全にズボンに手を掛けられ、一気に剥かれた。 一気に立場を奪われ、動揺するショタわんこ。 一気に畳み掛け、今度こそ主権を握るために少女は目をギラつかせ宣言する。 「動いたら噛み千切るからな!!」 牙剥きだしで威嚇され、思わず尻尾の毛が逆立った瞬間、勢いよく咥えられ不器用に舐め上げられる。 生暖かいざらりとした舌の感触に総毛が逆立つ。 「あああっちょちょだめ、そこはっ あっ せ、せんぱいっだ、だめっ」 「ど、どうひゃっ」 もごもごと口を動かされ、堪えるのが精一杯。 真下の白いショートカットをぐしゃぐしゃと乱し―――――― 「不味い苦い生臭い」 「すみません」 すっかり冷め切った紅茶を飲み干し、それでも残る後味の悪さに顔をゆがめるネコに土下座するイヌ。 「気持ちよくて、つい」 「…ふぅーん…気持ちよかったんだ。オレに舐められて」 心底自分がマダラではなかったことを感謝する。 絶対顔が赤くなっていたはずだ。彼女と同じくらい。 汚してしまった顔を綺麗に舐めとり、脱がせた服を手渡す頃には熱狂が去り冷静さが戻ってきた。 「もうすぐ親帰ってくるし、姉ちゃん達にバレないようにここ掃除するから」 「うん」 少女は俯きもぞもぞと尻尾を揺らす。 「続きは今度な」 「あるんだ。続き」 「あ、あああたりまえだろ!!いきなり出しやがって!この童貞!!バカ覚えてろよ!!」 頬を赤くしてうろたえきった声を出す少女を見て、なんだか胸がきゅんとした。 細くて華奢で守ってあげたい系とは違うなんか、これは……。 「ニキって、実はかわいいんだね」 「ばかしねしねしね!!!」 殴りかかられたのを甘んじて受ける。 毛皮のおかげで爪は刺さらない。 「早くオレより身長伸ばせバカ!!一緒に外出るとき恥ずかしいじゃないか!」 思春期な悩みである。 「一杯食べて運動してよく寝れば伸びるってジャックが言ってた」 爪が刺さらなくとも、たたかれればそれなりに痛い。でもほっぺたが真っ赤で眼を潤ませて…かわいい。 腕をそっとつかんで止めさせる。 「特に女の子とする運動が一番だってジャックが言ってた!」 「ウサギの言うことなんか真に受けるなアホ―――!!!」 再び自分よりも小さなイヌに押し倒されるネコの悲鳴が土砂降りの雨の中に小さく響いた。 *** 「サフが帰ってきません」 串焼きの準備は万端なのに。アレ以外。 チェルもずぶ濡れドロドロで帰ってきたのでお風呂に入れて着替え中。 ジャックさんも途中で降られたとかで濡れていますが…あ、魔方陣だしてる。 「大丈夫でしょうか…ご………ジャックさんどう思いますか?」 御主人様がエプロンをつんつんと引っ張り、怖い視線を向けてきます。 気が付いていないフリをする私。だって、名前とか呼びにくいし…。 ジャックさんは濡れた毛を魔法で乾かし、準備の出来ているテーブルにつくとキラキラした瞳を向けてきました。 「キヨちゃん、アザどうしたの?」 「え?」 思わず手先を確認するも特に何も無く。 ちょっと爪が伸びてるから、あとで切らないと。 指先荒れてるなぁ…ガサガサだと痛いらしいから前は気をつけてたけど、今はそれで文句言う人いないし…。 こっちの洗剤や消毒薬って、結構荒れるし…チャーミーグリーンとか欲しいような……。 複雑な感情を隅の方に押しやって、顔をあげ首を傾げてました。 「どこですか?」 長袖だから、あとは……足?でもロングだから見えるはずないし…。 ニヤニヤと笑うジャックさんに首を傾げ、相変わらず隣でアレの仕込みに余念のない御主人様をチラ見すると非常に険悪な表情です。 目が合うとぐっと睨まれました。 「首のボタンしめろ」 ぼそりと告げられ、言われたとおりボタンを普段より更にひとつ。 息苦しい……。 「まぁサフわんも男の子だからねぇ、いろいろ有るよ」 ポリポリとにんじんを齧りつつ、ビールのプルトップに手をかけるジャックさん。 「男の子でも、まだ全然子供ですよ?大体…23じゃ、イヌは三倍だから…チェルより少し大きいぐらいですよね?可愛いんですから、誘拐の危険だってありますよ!」 8歳にしてはちょっと大きいと思うけど。 そして何故吹くんですかジャックさん。 御主人様も包丁を滑らして、丁寧に骨抜きしていたのを真っ二つにしています。 何か違ったようです。 「まぁオレは見た目どおり28だからいいけどね」 ごしごしとヒゲについた泡を布巾で拭うジャックさん。 毛に覆われているので年齢とかよくわかりませんけど……間違いなく嘘ですね。 「お前、まだそんなこと言ってるのか」 片手にアレ、片手に包丁を握りあきれた風な御主人様。 ちなみに今御主人様は軽快に動くためにわざわざトカゲ男に変身中です。 そこまでして食べたいのか、アレ料理……。 今回は、私の為に香辛料控えめなのも作ってくださるそうです。 なんか涙が出そうです。いろいろな意味で。 せっかく串焼きで個人別にして回避しようと思ったのに……。 「一応いうと、別に寿命が長いからって、そのまま成長も同じくらいかかるってわけでもないよー ほら、ネコの赤ちゃんが六年ハイハイ歩きだったら大変でしょ?そりゃ個人差はあるけどね、ロリ百歳とか某ショタ犯罪者とか」 にんじんを食べ終え、きゅうりに取り掛かるジャックさん。 味噌付けたら美味しいのに、そのまま食べてるし……。 着替えて戻ってきたチェルが期待に満ちた眼差しを向けてきたので、仕方なく串焼きに火を通し始めます。 そうか…じゃあ御主人様は…いくつなんだろう。 訊きたいような訊きたくないような……。 もしかしたらそろそろ結婚を考える歳だったり……出会いとか、協力するべきだろうなー…。 サフ、どうしちゃったんでしょうか…遊びに行くときはいつも一言言ってくれるのに…。 「オマエ、意外とモノを知らんな」 洗ったとはいえ、アレをいじった手で頭を撫でないでいただきたいわけですが。 …教えてくれる人なんか居なかったんだから、仕方ないじゃないですか。 「あーそうそうキヨちゃん新しい本買ったから後で読んで置いてね、コレ『マイマイでもわかる外科手術~日常編~』」 …綺麗なヒトの男の子と女の子がきわどい格好で絡んでいる表紙の雑誌を差し出されました。 ピンクです。 思わず凝視すると半笑いで引っ込められ、改めて差し出された専門書を受け取り、中身を一応確認…まともっぽいです。 でもマイマイってなんだろ…カタツムリ? 「ジャックさん…さっきの雑誌ですが、チェルやサフの前で読んだら、私、工具を修理や組み立て以外の目的で使用しますから、よろしくお願いしますね?」 「ほかの使いかたって?」 お酒のつまみに出した茸の漬物を横から手を出しつつ訊ねてくるチェルに私は微笑みながら口を開き 「まずニッパーでヒゲを…」 「わあぁあぁあああああああー!しません!というか、いちおうこれ健全だよ!ちょっと誤解を招く表現がしてあるけど!!!」 雑誌を取り出し押し付けられ、読みにくい書体の目次を指されました。 「ヒトノキモチ創刊号!~ヒトと人の生活総合誌~ほらっ健全!健全!記念日一覧とかあるし!父の日とかさ!」 体位一覧とか、ケンドル(?)チラリシーンとか、ヒトが居る風俗店とかも掲載されるみたいですけど。 「ほら、オレのコメント!ヒトも診れるお医者さん一覧で載ってるでしょ?褒めて!ミケっちの隣だよホラ!ミケっちは凄いんだよ?りたーなんとかかんとかって」 とっても必死なジャックさんに軽く頷く私。 ヒゲ切りはリーィエさんのアドバイスでしたが、予想以上の効果です。 リーィエさん凄い、かっこいい。 串焼きはだんだんと香ばしいいい匂いをさせてきました。 御主人様の方もほぼ出来上がってきたみたいだし……。 あーあ、サフ遅いなぁ…ご飯、冷めちゃうのに。
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作品情報 クロス元 超女王様伝説エンシェント★クイーンセブン=フォートレス メビウス 作者 13-279◆rWdFzabV1A → ◆6H85fs.r4o エピソード一覧 /第01話? /第02話? /第03話? /第04話? /第05話? /第06話? /第07話? /第08話? /第09話? /第10話? /第11話01? /第11話02? /第12話? /第13話? /第14話01? /第14話02? /第15話01? /第15話02? /第15話03? 解説
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太陽と月と星がある 第十四話 ひんやりと涼しい診療室の中、私は変な写真付き三面記事が面白いカツスポを眺め、時折顔の横に垂れている付け耳を撫でて気持ちを落ち着けます。 さらさらふわふわで触り心地のいい垂耳…頑張れ、私。時給20%アップだ。 スカートの裾に手が掛かりそうになったので軽く払います。 「そこから先は別料金になります」 「えー?ひっどーいキョウダイなのにー」 「普通、膝に乗せるために時給を上げる兄なんて居ません」 現在、私が座っているのは椅子ではなく膝の上です。 何故かといえば、膝に座るだけで時給が上がるからです。 座らなくても触られるなら座ってお金が貰える方がいいに決まっています。 …つか、ジャックさん、鼻息荒い…。 「キヨちゃんキヨちゃん、リボンとかつけようよー赤いのとピンクどっちがいい?」 …ピノコかよ。 「ホラ見て下さい、砂漠で謎の巨大甲殻生物を見た!ですって。でも砂漠にカニって居るんでしょうかね?」 先日、とうとう付け耳の支払いが終わりました。 というか、このエセナースが代金だと思っていたのは私だけだったらしく、この件について切り出したところ非常に驚愕され、 足にしがみつけられ頬擦りされながらオスカーを取れる勢いで泣き真似されました。 そして気がつくと時給300センタでエセナース続行が決定されていました。 なんだかんだありますが…自分で食費を稼げるって、素敵です。 「キヨちゃーん、ちょっと愛を込めてお兄様ダイスキ☆って言ってみて」 「お断りします」 ぽふぽふと足を触ってくる手を無視して今日の連載小説を。 このタブロイド紙に連載されているハッサク・ユメーノさんの他の著作も面白いのですが、ジャックさんの好みではないので感想を語れないのが残念です。 エロ描写が皆無だからでしょうか…。 髪に鼻面を突っ込まれ匂いを嗅がれていますが、無視します。 外は快晴、歩いている人達も暑そうです。 患者さん、来ないなぁ…。 対照的にひんやりと涼しい診療所。 閑古鳥が鳴いています。 いえ、暇でもお給料は貰えるみたいだから全然構いませんが。 ノルマないって、素敵…。 心の中で感嘆していると静寂を破るベルの音。 私は、手に持っていたタブロイドを畳んで仕舞うと、ジャックさんの足を踏みつつ膝から降りて、待合室に急ぎました。 「ルフイアさん、お久しぶりです。今日はどうなさいましたか?」 患者さんは以前神経性の脱毛症で来た方でした。 パピヨンぽいスーツ姿も愛らしいイヌ男性です。 ルフイアさんは私の姿を認めると、手入れの良さそうな尻尾をパタパタさせました。 「あ、お、お久しぶりです!実はたまたまこちらを通ったので、経過のご報告ついでにちょっと御挨拶に!!」 「わざわざありがとうございます」 笑顔で示された箇所には、確かにハンパな長さの柔らかそうな短い毛が生えていました。 どうやら脱毛症はちゃんと治っていたようです。 「あのあと、仕事の方も無事企画が通って、何とか職場にも慣れて」 「良かったですね」 やった事がちゃんと評価されるのは良い事です。 ルフイアさんは、うんうんとうなずくと笑顔で袋を差し出してきました。 つい受け取り見てみれば…プリンです。 「差し入れです。お口に合うといいんですが」 思わずプリンとピンクの舌がはみ出した顔を交互に見比べ、背後に音もなく忍び寄っていたジャックさんへ振り返ります。 「患者さんから戴いていいのでしょうか?」 ジャックさんの目が丸くなりました。 「なんで駄目なの?」 えーっと…父さんが入院したときにお祖母ちゃんがナースさんになんか渡そうとしたら断られて…えーっとでもそれは向こうの話だけど、えーっと… ……。 「ルフイアさん、ありがとうございます」 郷に入っては郷に従えといいますし、なによりプリンは好きです。美味しいそうなのでなおさらです。 ルフイアさんはイヌだけどかなり良い人、と心の中でメモ。 「お礼に気持ちを込めてるーくんダイスキって言って」 「るーくんダイスキ……ハッすみませんすみませんつられてついちょ!大丈夫ですかどうしましたか貧血ですか」 ルフイアさんが急に俯きしゃがみこんでしまいました。 熱射病でしょうか。 「ジャック先生どうしましょう、取り合えず椅子でいいですか?」 慌てて長椅子を引いてそちらへ誘導して、と必死になってやっているというのにジャックさんは無言で立ち尽くしたままです。 医者として失格です。役立たずです。 仕方なく無視して、されるがままのルフイアさんを長椅子に寝かせ、勝手に上着の前を開きネクタイを緩め、 こんな事もあろうかと冷やしておいたお絞りを額に載せ失礼ながら手首で脈を測ってみました。 ……脈が速いです。 なおも立ち尽くすジャックさんをファイルボードで突いて体温計を取り出し、もう一度ファイルボードで背中を叩くとやっとジャックさんが反応しました。 「キヨちゃん…ひどい…オレにはそんな風に言ってくれた事ないのに…っしかも笑顔?あんまりだー」 何故かしゃがみこんでいじけています。 …うぜぇ。 「仕事して下さい」 頭にボードを落とすと、随分と良い音がしました。 「――と、いう事がありまして、ジャックさんの仕事にかける情熱の無さは問題だと思いませんか?」 エプロンを着け、晩御飯の準備をしながら今日あった出来事をかいつまんで御主人様に報告する私。 御主人様は私の背後で椅子に腰掛け、テーブル越しにぼんやりとしたまま動きません。 眼を開けたまま寝ているんじゃないかと思い、目の前で手をひらひらさせると睨まれました。 「そういえば、まだだ」 「何がですか?」 口を開いたと思えばコレです。 意味不明過ぎます。 「ただいま」 「おかえりなさい」 何故睨みますか。 「いい加減覚えろ」 喉元を掴まれました。顔が近いです。近過ぎます。ちかッ 「鍋が焦げますので、ご注意下さい」 「他にいう事ないのか」 「無いです」 …なんか、まだ感触残っている感じがして落ち着きません。 御主人様に背を向け、指先で唇を触りつつ焦げ付きそうな鍋を引っ掻き回す私。 セーフです。たぶん。食べれる、いけるいける。 キッチンに私が鍋を掻き回す音だけが響きます。 「今度の休み、出かけるからな」 あ、人参焦げてる…まぁいいか。 「どちらまで?」 「川」 …釣針垂らしている御主人様を想像し、あまりの似合わなさに吹きそうになりましたが、なんとか耐えます。 多分、御主人様の事だから… 「…カエル採りですか?」 「あそこにはいない」 良かった。晩御飯にナマを持ってくる事はなさそうです。 「最近、サボっていたからな、いい加減練習しないと腕が鈍る」 練習…川…。 「泳ぐんですか?」 思わず振り返り尋ねると、御主人様はやや驚いたような表情を浮かべていました。 「あの、えーっと…人目とかあるじゃないですか、大丈夫なんですか?」 トカゲ男な時ならともかく、今の姿で外をうろついていたら大変です。 思わずガン見してしまいます。 目の保養的な意味で。 「問題ない。人家も無いしな」 ……へぇ。 「じゃあ、水着…とか買っても宜しいでしょうか」 「水着?」 目を張り、鸚鵡返しの御主人様。 私は頷いて手に持った菜箸を意味もなく宙でワキワキ。 泳ぐのなんか、久しぶり。 なんだか、わくわくする。 水着はやっぱり尻尾穴ついてるのも多そうだから、形に注意しなきゃ駄目だろうな、あとチェルの分も買わないと。どんなのが似合うかな。 あと、サンダルとか、帽子もあった方がいいかな。どんなのにしよう。 「だって、泳ぐんですよね?私は水着持って……」 無表情の御主人様を見て、自分の勘違いに気がつきました。 「すみません、なんでもありません」 180度回転し、菜箸を鍋の中に戻します。 当たり前だ。私は、ヒトなんだってば、なに期待してるんだろう……。 それよりこれ、何とかしなくちゃ。 「その日は――晩御飯、必要ですか?」 ……一人とは、限らないわけだし。 しまった、混ぜすぎて具が潰れています。 …いっそ全部潰して誤魔化そうか……。 考えつつ菜箸をぐるぐる……しまった。もはやどう誤魔化せばいいのかわからない状態です。 ふと気がつくと御主人様が無言で隣に立ち、無表情で鍋を覗き込んでいました。 「魔女の鍋かこれは」 「肉ジャガのはずだったんですが……」 こんにゃく抜きの。 いまや肉とイモ類の潰れた何かのどろどろの何かです。茶色です。 今から、作り直して…いや、他のもの作ったほうがいいかな。 途方に暮れる私の背中をバシバシと叩き、御主人様が口元を吊り上げました。 「オマエは本当に面倒だな」 「申し訳ありません」 何故笑いますか。 「もっと甘えていいぞ」 ……耳の病気を疑うべきか、御主人様の頭を心配するべきか。 考えすぎてか、心臓の動悸が激しいです。 「着いてから水着忘れました。はナシだからな」 どうやら、上機嫌で私の頭を撫でる御主人様。 「行っていいんですか?」 返事の代わりに更に頭を撫でられました。 なんか、そんな風に優しくされると、なんか……。 ……うわ。 *** 天気は快晴。平均気温32度。 絶好の行楽日和です。 ……馬車にさえ乗らなければ。 街から国境近くの村までの定期便の乗合馬車というのを現在体感しているのですが…日本のアスファルトで綺麗に舗装された道路と違いほぼ……土。 雨が降れば水溜りで道は陥没。 風が吹けば辛うじて残っていた舗装部分が崩壊。 つまり、道はでこぼこ。 揺れます。 ムチウチになりそうです。 プチジェットコースターです。 そしてこの世界の住民の半数近くがモッサリフッサリ。 お風呂、嫌いな人も多いです。 香水とか、発達しています。 …で、当然雨露を凌げる程度に密室な馬車内はその残り香が…。 荷馬車とどっちがマシかといわれたら微妙な所です。 あ、でも鎖無しだから、こっちの方がいいですね。…悲鳴も聞こえないし。 「キヨカ大丈夫?」 チェルの声に軽く頷き窓枠に凭れ、瞼を開くとスナネズミな女の子が心配そうな顔で覗き込んでいました。 揺れる馬車の中、危なげもなく自分の席とジャックさんの膝の上を行ったり来たりしています。 一方、私は揺れた拍子に窓に頭ぶつけました。 …痛い。 サフはバイト先の先輩の女の子と楽しそうです。 保護者同伴デートってどうなんだろうと思うのですが。 …どこか行きたいと言われたので誘ったのは私ですけど。 ……御主人様に誘った事を報告したら何故かほっぺた引っ張られましたが、もしやコレを予期していたんでしょうか。 だとしたら慧眼です。 私はサフに彼女が出来たなんて、まったく気がついていませんでした。 目の前でラブラブされるのは心にダメージです。 正直、年齢=居ない暦としては全力で羨ましいというか…。 あとジャックさんも一応誘った事を伝えたら御主人様は一日口を利いてくれなくなりましたが、今のジャックさんの姿を見れば一目瞭然です。 落ち着きありません。そわそわしっぱなしです。 …うっとうしい…。 「木陰とか草むらって、サイッコーだよね!震える彼女を焚き火の横で押し倒しちゃったりと か !雪山の山小屋で裸で抱き合ったりとか☆」 きゃーとかいいながら顔を手で隠されても、なんだかなぁ、という気分です。 教育に悪いので、そろそろ口止めの必要があるかもしれません。 御主人様は無言で本を読んでいます。 酔わないのでしょうか…。あ、文面に目をやっただけで吐き気がしてきました。 激しい手振りで座っているのを邪魔され不満そうなチェルにガムを渡し、再び窓枠に凭れていると、無言で座っていた御主人様が首に手を回して自分の方に寄りかからせてくれました。 御主人様は鱗で堅いのですが、窓枠よりは安定感があります。 普段はこういう甘えた行為は全力で遠慮すべきなのですが…服越しだけどひんやりしてるし…。 御主人様は毎日お風呂入るし体毛ないから体臭も薄いし…。 御主人様サイコー。 気温もぐんぐん上がり始めた時間帯、茂った木々からマイナスイオンがだだ洩れしていそうな絶好のキャンプ地点…みたいな河原。。 穏やかな川は斜面に接している方が深いのか、青々とした木々を反射し水の色が深い翡翠色。 浅瀬のこちら側では、メダカくらいの大きさの銀色の魚が石の間を泳いでいるのが見えます。 私がおろしたてのミュールで足元の小石をつつき川へ落とすと、小魚はあっという間に見えなくなりました。 そんな遊びに絶好の場所にも拘らず、人の気配はまったくありません。 一応、運河の支流らしいのですが、近くの村まで徒歩で二時間かかるそうなので。 しかもネコの国では水で遊ぶという習慣が基本的にはないそうで…最近は、他国の影響もあって変化しつつあるけど、とのジャックさん談。 早起きしてお弁当を作って、馬車酔いに耐えてた甲斐がありました。 楽しいです。 …帰りにまた馬車の中継地点まで一時間ぐらい歩いて、更に馬車に耐えるという事さえ考えなければ…。 河原では、サフと彼女さんが荷物を広げてあれこれおしゃべり。 ……羨ましくなんかないもん。 二人はちょっとはなれたところで泳ぐんですか、…へぇ。 「まだ着替えないの?」 「着ていますよ」 スイカを深さ流れともに丁度良さそうな所にセッティングし、水を跳ねかせながら石の上を何とか進み、岸までたどり着いてから水着のスカートを示すと、ジャックさんが石になりました。 眠そうなチェルを片手で抱いた御主人様は、無言でバックを開けタオルやら水筒やらを取り出しています。 非常にお父さんぽいです。 本人には絶対いえませんが。 「日焼けしたら痛いんですよ」 全身毛だから日焼けとか、縁なさそうですよね。 元々肌荒れしやすいからこちらの日焼け止めを塗るのもちょっと怖いし、別に学校の授業でもプールでも無いわけだから、上から服を着ていてもまったく問題は無いわけで。 ですので私は水着の上からTシャツ派です。 まぁ、パっと見で判断できなくても仕方ありません。 「チェルと色違いのお揃いなんですよ」 チェルは白とピンク。私は黒です。 赤だと金魚っぽくて非常にかわいいのですが、さすがに似合わないので諦めました。 彼女さんは明るい黄色のワンピース。 かわいい。 褐色の肌と白い髪の毛に良く映えます。尻尾も長くてかわいい。触りたい…。 仲良くなりたいけど、何故か異様に警戒されています。 フーッって言われました。 人見知りなんでしょうか。 「…水着って、…むちむちぷるーんで…ポロリは?ツルペタは嫌いじゃないけど間違ってるよ?」 ジャックさんが死にそうな声を出しながら、御主人様の腕の中でうにゃうにゃしているチェルの方を指しました。 馬車と、これまでの道のりで体力使い切っちゃったのか、とろけそうな目つきです。尻尾もてれんとしています。 幼児体型に合うのって、着替えさせる手間も含めて考えるとビキニが一番楽なんですよね。 「これもそうですよ。チェルのも本当はスカート付です」 フリルにレースが付いているので非鋭角的です。 そして私は付属のレース仕様の腿半くらいまでのスカート付き三点セットですので、わりと無難です。 スカートが落ちたら困るので裾をキッチリ縛り、ピンで留めたので完璧です。付け尻尾いらずです。一応つけていますけど。 「キヨちゃん…ちょっとお兄さんの話、聞いてくれるかな」 ジャックさんが珍しく、真面目な声です。 どうしたんだろう。 *** ――水着―― 水泳競技やフィットネスに用いられる水着。 体を動かす支障にならないこと、脱げにくいこと、水の抵抗を減らすことが求められる。 木陰の下、巨大黒ウサギがTシャツにスカート姿で正座する彼女に向かって真剣に説教していた。 が、当の相手は説教を半分以上聞き流し、他の事に気を取られている事が丸分かりである。 いつもの憂いげな表情とは違い、明るい楽しげな雰囲気が傍から見ていても伝わってくる。 なんだか、とてつもなく悔しくなった。 「――というわけで、ソレは邪道!さっさとそのシャツを脱ぐべきだとお兄ちゃん思うな!」 ビシリと指を指され僅かに動揺を面に表わす彼女。 「だって、日焼けするじゃないですか」 正座を解き、黒ウサギに詰め寄る。 「なんなら体感しますか?剃りますか?じかにナマ肌に直射日光浴びますか?日焼け止め無しの日焼けの痛みを思い知りますか?」 どこからともなく剃刀を取り出して詰め寄るキヨカ。 「ウサギねーちゃんコエーんだけど。なにあの迫力。怖いよウサギ怖いよ。なんでオマエの周り怖い人ばっかりなの?」 「怖くないよ。キヨカだってば」 気の強そうな瞳に怯えを宿したネコが自分より小柄なイヌにしがみ付き小さく震える。 「だって、ねーちゃんがいってたし!ウサギに背中を見せたらオワルって!ダテにされるって!」 「ハイハイ。がっくんー僕らあっちらへんで泳いでるからねー」 なおもにゃぁにゃぁと訴えるネコを引っ張り去っていくイヌを見送りヘビは小さく溜息を吐いた。 腕の中で涎を垂らしているのを揺すぶり起こし、地面に降ろされ胡乱な目で見つめるネズミ。 「がっくん、おやつたべていい?」 「それよりキヨカと遊んで来い」 ヘビが頭を撫でるとネズミは目を細めた。 「がっくんは?」 「オレはちょっと離れた所にいるから、何かあったらジャックに頼んでおけ」 物分りよく頷かれ、ヘビは少し複雑な気分になる。 そのまま見守っていると、両手に抱え上げられた二人が川の中に放り込まれ、嬌声を上げていた。 仕返しに水を滴らした二人から耳を集中的に狙われ、川の中を右往左往するジャック。 「がっくんタスケテー!」 無視して荷物を片すヘビ。 足を滑らせ頭を川底にぶつけ、どんぶらこと川を流れていくウサギを尻目にずぶ濡れになったニセウサギとネズミが手を繋いで岸に上がり彼に微笑みかけた。 「…一緒に遊びませんか?」 「二人で遊んでろ」 そっけなく返され、不満げな表情の二人に思わず瞠目する。 「がっくんのけち!いじわる」 「最初から、練習だといっただろう」 ヘビの言葉に頷き、彼女はぐずるネズミを抱き上げ重さに息を吐く。 「お昼には一旦帰ってきてくださいね。ジャックさんああだし、サフも彼女さんもどうするか判りませんから」 濡れた服が張り付き、体の輪郭が露わになり柔肌が透けて見える。 白い肌に頬だけが紅潮し、水を滴らせた黒髪は一層艶やかだ。 「…わかった」 確かに彼女も水着を着ているという事実を心に刻み、彼は目を背けた。 *** 川のせせらぎと小鳥の鳴き声、木々がざわめく音。 不機嫌そうに小石を蹴り上げる軽い足音。 二人っきりになりたいから、わざわざ下流に歩いてきたのに、凄く不機嫌そうだ。 「オマエ、ガン見し過ぎ」 そういって小石を投げつけられた。 顔の横を放物線を描いてとぶそれを見送り、耳の後ろをカリカリと引っかく。 「何で怒ってるの?」 「怒ってねぇよ」 ふわふわした尻尾を膨らませ、語気荒く吐き捨てる彼女。 「泳いでもいいって言ったの、そっちじゃん」 「ウッセーバカ、毛皮バカ」 無尽蔵にある小石を蹴り上げられ、とっさに跳び後ずさる。 「遊びに行きたいって言ったの、そっちだろ?」 「誰がウサギと行きたいなんて言ったよ!」 「別になんかされたわけじゃないのに、何だよその言い方!」 思わず牙をむき出すと、彼女も負けずに怒りの形相になった。 「へらへらしやがって!バカじゃねーの!」 「してない!」 怒声に彼女の耳と尻尾がピンと空を向き、悔しげに唇を噛み、八つ当たりに石を川へ投げつけ始める。 手当たりしだいに投げつけ、手ごろなのがなくなったので頭よりも大きな石を持ち上げ、投げつけられた。 「あっぶな!」 足元で砕けた石をみて睨みつけると、意外にも彼女は金色の瞳を見開き、うっすらと涙を浮かべていた。 「やっぱりウサギの方がいいんじゃねぇか!あっちばっかり褒めやがって!」 思わず言葉を失い、口を上下させる。 褒める? 首を傾げ、今日の言動を振り返る。 朝、挨拶して、引き合わせてあとはずっと2人で話してた。 ああ、キヨカとちびがおそろいだとかいう水着を…。 「ニキの方がかわいいよ?ごめん、当たり前だから言うの忘れてた」 褐色の肌が更に濃くなり、大きく開いた瞳と口が盛んに上下し、ごくりとつばを飲み込み何とか言葉を搾り出す。 「べ、べつにオマエの為に水着買ったわけじゃないけどな!!」 予想外の大声にちょっと耳が痛くなったもの、何事も無かったように首を傾げてみる。 「じゃあ、脱ぐ?」 「だめ 、そんなにずんずんしたら っ あたまおかしくっ ひゃぁっ 」 目の前の小ぶりな乳房を舐めあげ、うなじを噛むと甘い悲鳴。 引き伸ばされた水着の隙間からはとめどなく蜜が滴り地面を濡らす。 押しつけられた木の幹からは緑の濃いニオイ 背中を掻く痛みすら快感に変わる 腰を押さえた手で尻尾の根元を締め付けるといっそう甘い悲鳴 「んww だめっ そこだめっ あっあっあつっ」 荒い息を吐き、身体を揺すると彼女はいっそう爪に力を込めてきた 「出すよ」 込み上げる快感の波を堪えて囁くとうっすらと瞳が開く 「だめっそんなことしたらっ あっ」 「なら足」 細い足はしっかりと腰に巻きつき離れようとするどころか、いっそう押し付けられた 無意識に震える腰が快感を求めて更に奥へ導こうとする きゅうきゅうとナカと外から締め上げられ、喘ぎながら必死で負けん気を振り絞る が 「ばかっぁ! なかに出したらだめぇっ」 「抜けよ」 「ムリ」 身体を揺さぶられきゅっと顔を歪める。 肩紐だけはどうにか戻したものの、無理やり引き伸ばした箇所は相変わらず肌に食い込む。 突き出された鼻面を指で弾くと痛そうな顔をされた。 「オレの方がデカイんだから、ムリするなよ」 固めの毛皮が汗ばんだ素足を擦り、むずがゆい。 向かい合わせに抱っこされ、しかもそれが自分よりも年下で、小柄で、異種族で、なんだか恥ずかしい。 背中を撫でられるたびにどきどきする。 本当はもっと撫でて欲しい。 「抜けなくなるのわかってて出すなんて、バカだろバカ」 「抜かせなかったの、そっちじゃん」 「ンなわけないだろ!お前の方が早すぎたせいだよ!」 無防備な頭をぽかぽかと殴るも、たいした効果は無いらしい。 「オマエなんかがオレをイかせられる訳無いだろ!演技演技!」 顔を見られないように頭を抱きかかえると、無防備なところを舐められ、また腰を振りたくなる。 グネグネする尻尾を堪えようと頑張るが、あまり効果がない。 「またエッチな気分になってるでしょ」 言い当てられ言葉につまり、思わず頭を殴るものの尻尾を握られて情けない声を上げてしまった。 胸元から見上げてくる仔イヌの顔がむかつく。 殴ろうとした拍子にまた キモチイイトコロ に太くて固いモノが当たり動けなくなる。 「ここ、キモチイイ?」 思わず頷きかけ、慌てて首を横に振るが、輝く眼に見つめ返され背筋がそそり立った。 「なら、いっぱいしても平気だよね」 そんな事言われたら、逆らえないのに、ズルイ。 *** 精密に 緻密に それだけを命じる 煮え滾る水面 岩に無数の穴を開ける 周囲を濃霧が包み込む 川面を凍結 砕く 渦巻く水に何もかもを沈め 水音が喚起させる過去 砂漠に追放されしモノ 呪われた盲目のヘビ 暗闇に蠢くおぞましい――― 「お昼もって来ました」 黒髪の娘が照り返す日差しに眩しそうな表情を浮かべている。 「オニギリとサンドイッチどっちか迷いましたが、ご飯の方がおなかに溜まるので」 適当な場所に木陰を見つけ、腰掛ける二人。 笑顔で差し出された何かの葉で包まれた「オニギリ」を受け取り、ニオイを嗅ぐがよくわからず不安を殺して見つめる。 黒い。 「オニギリ初めてでしたっけ?ご飯を塩とおかずで握ったものです。それの中身は塩焼の魚です。黒いのはノリです。えーと…海で採れます」 不安と期待の入り混じった瞳に耐え切れず、口に運ぶ。 呑み込む。 塩と米とノリが口内に張り付く感触を堪える。 手渡された茶で流し込み、息を吐く。 「玉子焼きとウインナーと、ちゃんとウインナーはスパイシーなのにしましたから!」 卵というものは塩で味付けがされているという先入観に負ける。 何故、ウィンナーが半分花びら状になっているのか。判らず無言のまま噛み砕く。 次に渡された オニギリ は ノリ が付いていなかったので安心して食べると酸味に噎せそうになる。 呑み込む。 「ウメ大丈夫なんですね!よかったーみんな苦手みたいでして」 正直、味覚に合わないとはっきり言っても構わなかった。 今後もこれを食べるかと思うと、気が滅入ってくる。 様子を見つつ時折出してくる茶色で複雑な味は、今まで食べた事のない種類で苦手だとしかいいようがない。 ただ―― 彼女が、キツネの雑貨屋とやらにたどり着いたと報告してきた日の、零れんばかりの笑顔は昨日の事のように鮮やかだ。 「えーっと…これお勧めです美味しいですよ。甘辛くて」 噛まずに呑み込んだ。 「お口に合いますか?」 黙って頷くと輝く笑顔。 ――― 一生、勝てる気がしない。 眼が明るい。 心が波立つ弾む声、もっと傍で聞いていたい。 「今日、楽しいか?」 「はい ありがとうございます」 湿った髪を撫でるとくすぐったそうな表情を浮かべた。 不意に手を伸ばされる。 「ごはんつぶ、ついてます」 人差し指の火傷は、魔洸調理具に慣れなかった頃の名残。 あの頃は、目を合わせることも出来なかった。 「こういうの、おべんとうついてる って言うんですよ」 指先についた米粒がそのまま口に運ばれた。 意図がわからず見返すと、首を傾げてから自分で舐め取っている。 なんだかわからんが、今度はそうしよう、彼は思った。 「キヨカ」 瞬きして首を傾げた拍子に、濡れて重くなった付け耳がとれそうになったので慌てて抑えてやる。 焦った様子で直そうとするのを手伝うと困惑した表情を浮かべ、何か言いたげな風。 薄く開かれた唇が甘い。 脆い皮膚を裂かないようにそっと指を握り、細い腰を引き寄せる。 濡れた服と水着がいかにも邪魔そうなので脱がそうとしたら、裾をつかまれ抵抗され、一瞬驚く。 「俺は、浮気しないから、安心しろ」 「衛生的な意味でも大変素晴らしいと思います」 一瞬眉を顰められ、言葉を失うが咄嗟にうろ覚えの知識を掻きだす。 「最近は、他種族なら妊娠の危険がないとかって気楽にするせいで性感染症が増加傾向にありますので、お気をつけて。やっぱりゴムは必要らしいです」 眉間の皺が一層深くなり、背筋に冷たいものが垂れるが、確りと服の裾を押さえる。 「信用してないのか。俺を」 首を横に振る。 頷き、華奢な体を腹の上を跨がせ尻尾を巻きつけると形容しがたい表情になった。 柔らかい素肌を締め上げないように注意する。 出来るだけ、緩く巻く。 「鱗、嫌か?」 長い睫に縁取られた眼が戸惑ったように瞬きした。 細い首筋に舌を這わせ、このままか、押し倒すか検討していると、唇が開かれる。 「スイカひやしたままです。二人から、早く戻るように言われてますし」 真顔と氷のような表情とが向き合う。 「残念ながら今日は、団体行動ですから、迷惑をかけるわけにはいきません」 彼女は周囲に置いたままの弁当箱を手早くまとめはじめた。 状況を掴めず呆然と見上げるが、まったく伝わらず生真面目に頭を下げられる。 「サフが彼女を連れてきて対応に困るのはわかりますが、大人なんですからよろしくお願いしますね」 脱ぎかけのミュールの紐を直し、皺の寄った服の裾を少し伸ばす。 「スイカ、早く来ないとなくなりますから。今日は育ち盛り三人ですよ」 つかもうとした手が空しく宙を掻く。 形のいい脚、白い肌が遠ざかる。 しばし呆然としたあと、日差しに熱せられた砂利に爪を立て、心に誓う。 今度は、もっと強めに締めておこう。 *** 木陰の下、気持ち良さそうに眠るふわふわした毛並みの黒ウサギとそれを枕に眠るネズミの女の子。 …いいなぁ…。 せっかくみんなで来たというのにバラバラで少し寂しい気がしますが、そこまで贅沢は言えない訳で…。 スイカ、いつ食べればいいんだろ。 御主人様とサフ達が帰ってきたら…かな。 ていうか、御主人様ナニやってるんだろう。 もう一度眠る二人を見て、しばらく考える私。 人が来る様子はありません。 2人とも、よく寝ているし、御主人様も居ないし、サフ達はお昼をもって更に上流の方へ行ったままです。 私は荷物の中からタオルを取り出し、こそこそと下流の方へ向かいました。 湿った付け耳を外し、肌に張り付くシャツをどうにか脱ぎ捨て、髪の毛を纏めて、申し訳程度に準備体操。 変なのが居たらイヤなので足は脱がない。 川の水は、やっぱり冷たい。 ずっと昔、連れてきてもらった時も、こんな感じだったような気がする。 また三人で行こうって言ったのに、結局二人とも居なくなってしまった。 ……うそつき。 底が見えるくらい透明度の高い水に躊躇したものの、二度とないかもしれないチャンスなので思い切って泳いでみる。 ドキュメントで見たような深みをクロールで進む。 すぐに息が切れて脇が痛くなった。 ……前は、もっと泳げたのに。 ジャマなスカートと付け尻尾を取ってもう一度潜る。 思うように身体を捻れない。 昔みたいに水を掻けない。 前みたいに息が続かない。 浅瀬に這い上がって、深呼吸。 深く息を吸うたびに浮いた肋骨が軋む。 鼻の奥が少し、痛い。 ――― もう少し、やってみよう。 唇を噛んで顔を拭って、髪を直してもう一度。 手足を伸ばして、無駄な力みを抜いて。 思い出すのはあの夏のプール。 友達の歓声、先生の笛。 蝉の鳴き声、チャイムの音、へたな合唱、音車の排気音、子供の笑い声、暑い陽射し。 あの頃はもっと髪の毛が短かった。 あの頃はもっと背が低くて、日焼けしていて、体重とニキビに悩んでた。 先輩に憧れて、分厚い本を読んで途中で挫折した。 父さんが死んでしまって、時々布団の中で泣いた。 伯母さんと受験に合格したら、あの人のコンサートに行かせて貰う約束をした。 将来は、写真の中の母さんみたいにカッコよくなると決めてた。 ずっと狭い部屋の中にいたから、泳ぎ方が思い出せない。 息継ぎのタイミングを間違えて水を飲み込み噎せた。 呼吸を整えて、もう一度。 重い体を引きずるようにして、岸辺に戻る。 解け掛かった髪をおろして手で絞ると、ビックリするほど水が滴った。 髪の毛、切りたい。 御主人様に、切ってもいいか訊いてみよう。 他の人にヒトだとばれたら困るから、美容院にはいけないけど。 髪の毛を纏めなおして左右を見渡す。 …違和感。 顔をもう一度拭って、付け耳やシャツを探す。 あった。 風に、飛ばされたのか、予想よりだいぶ遠くにシャツを発見。 軽く叩いて、濡れたままのそれに腕を通したけど、冷えて、濡れた服は寒い。 けど……半分見えなくなって、少し安心する。 下を向いて、丹念に探す。 スカートを発見。 飛びすぎじゃないかと思いつつ、張り付いた落ち葉を取って、腰に回す。 足の傷も見えなくなって、安心する。 けど、付け耳が尻尾も見当たらない。 無いと困る。 「探し物は、これ?」 顔をあげると、釣りの衣装を着た茶色のネコが私の付け耳を持っていた。 息を呑む。 「返して、欲しいかい」 声の感じからすると多分成人はしてる。 凄く楽しそうな雰囲気。 私が頷くと、一層眼が煌いた。 「首輪は?」 御主人様は、私に首輪をつけようと、しない。 ヒトは、首輪が無ければ所有権を主張できないのに。 「濡れると締まるので、今だけ外していただいています」 今だけ、の所に力を込めた。 風が吹いて、身体が寒い。 人は、ヒトより力が強い。 人は、ヒトより足が速い。 ヒトは、モノだから好きなように扱って、構わない。 殺しても連れて帰っても、首輪無しなら犯罪にすらならない。 「拾っていただきまして、ありがとうございます。どうか、それを返していただけませんでしょうか」 木の葉の擦れる音と、川の音と、心臓の音。 「どうしようかにゃーただっていうのも…にゃ?」 嫌な色をした眼が身体を這い回るのがわかる。 この眼をよく、知ってる。 あの頃は、何かしてもらうために客以外にも、しなきゃいけない時があった。 それ以外、私には何も無かったから。 …ひどく、寒い。 大丈夫、前みたいにすればいいだけだから。 大丈夫、慣れてる。 だから、大丈夫。 四つんばいになって頭を下げ、どうやら病気持ちではなさそうなモノの先の方を咥える。 下腹の毛が鼻に当たるので、呼吸がしにくい。 耳を触られるのが不快。 手が離れ、背中やシャツ越しに胸を触ってくる。 痛い。 右手で睾丸を緩く撫でる。 左手で竿に髪を巻きつけて扱く。 口の中で膨らんでいくのをじっくりと舐める。時々吸う。吐きそうになる。 不意に後頭部を押されて喉の奥に押し込まれ、えづきそうになる。 何事も無いように裏筋に沿って舌を這わす。手は休めない。 左腕と背中に食い込む、ネコの爪が痛い。 そろそろ呼吸困難になりそう。 …どうか、遅漏じゃありませんように。 緩く噛んだりきつめに吸い上げると、腰が浮いて、一層奥へ押し込まれる。 嘔吐感を堪えて吸い上げて飲み込んだ。 熱の篭った眼でまじまじと見られ、背中に氷を押し込まれたような気分になる。 「耳、返していただけませんか」 口を拭って出た声は、ずいぶん掠れて自分でも聞き取れないくらいだった。 ……寒い。 道具が無いから、これ以上の事をするとたぶん凄く痛い。 だから出来ればここで終わりにして欲しいのに、案の定、圧し掛かられた。 動こうとして身体を捩ったところだったから、足を捻った。痛い。 爪を立てられた背中が砂利の上で擦られて、痛い。 爪が立てられた手首から細く血が垂れる。 ネコの舌はイヌと違ってザラついて痛い。 さっき出したばかりだっていうのに、もう反り返っている赤黒いのを顔に押し付けられる。 気持ち悪い。 足をバタつかせてどうにか、ふり落とそうとするも、バランス感覚に優れているネコには無駄な行為らしい。 荒い息遣いが気持ち悪い。 頬を打たれて、口の中が切れた。 何か言っているみたいだけど、何も聞きたくない。 どうせ、言う事は、みんな同じ。 逆らう気か、奴隷の分際で 中古のクセに 飼ってやるから、ありがたく思え 不意に視界が歪む。眼を閉じる。 ……そういえば、御主人様はそういう事を一回も言わなかった。 なんだか胸の奥が痛い。 唇を噛みすぎて、血が出てる感じがする。 ――― 大丈夫、慣れてる。 寒くて、仕方ないけど、大丈夫。我慢すればすぐ終わる。 そしたら、そしたら――― 身体を弄る感触が、不意に止まった。 痙攣する瞼を開いたけど、何も見えないのでどういうわけか自由になった右手でどうにか拭う。 見えた風景をしばらく凝視して首を傾げる。 「幻覚?」 声が変な声。 先程と同じ、腰巻オンリーの御主人様(ただしトカゲ男)が目の前で仁王立ちしてます。何故かずぶ濡れで湯気が立っています 同じくずぶ濡れで湯気を立てているネコは下半身丸出しで座り込み、口あけたまま、尻尾をピンと逆立ててる……驚いているらしい。 しかし、なんというか…御主人様がヘビのはずなのにどんどん怪獣映画のアレに似てる気がしてきました。 トゲが生えてて、口からアレ吐く、アレ。 中身と声と手は美形なのに……。 「このまま貴様の血を沸騰させてやろうか?」 声は美形なのにドスが効いています。地を這うような声です。子供が聞いたら泣きます。ガン泣きです。 視界が歪んできたので、目元をごしごしと擦っていると、砂利を蹴り上げる気配。 物を落とす音。 ウロコがどうとか、中古がなんとかという捨て台詞と、熱い鉄板の上に水を垂らした様な音と悲鳴。 必死でズボンを上げながら逃げるネコの後姿。 慎重に立ち上がり、自分の状態を見てみる。 シャツはボロボロで所々血が付いてる。 水着は方紐が解けているので、慌てて御主人様に背を向けて直します。 スカートの角度もなんか、ひどい。 全身がずきずきする。 鼻の奥が痛い。 視界がまた悪くなってきたので目を擦る。 「ウサギみたいなツラになってるな」 冷たいものを手のひらに落とされて、驚いて見るとなんと板状の氷。 お礼を言ってそっと当てると、ずきずきする頬がひんやりしてきもちいい。 眼から熱いものが垂れて止まらない。 困ったなと思いながら、しゃがみこむ。 誰かの、泣き声がする。 *** 草むらを大股で進む御主人様。 どういうわけか、少し開けている木の間ではなく鬱蒼と茂って足元に石や木の根っこがごろごろしている所を選んで歩くせいで、障害物を踏むたびに御主人様の身体は上下します。 落ちそうになって思わず私は躊躇しつつ腕に力を込め、いっそう首にしがみつきます。 御主人様の鱗は固い。 ナニゆえ私は姫抱っこされているのかといえば、足を捻っているため歩行が亀を這うようなスピードになり、御主人様が焦れたからです。 スイカを食べるためにみんな待っているそうなので早く行かなくてはいけないのですが……。 …後から行くと言ったらバカかと吐き捨てられました。 おまけにデコピン喰らって気が付いたらこの状態です。 しかし、それならおんぶの方がバランス的にも御主人様の視界の良さ的にも私の腕力の限界的にも良心的です。 ……右腕がプルプルしてきました。 「あの……」 目だけギョロリと動きます。ちらちらと宙を舞う赤い舌。 「…重くてすみません」 荷物のある場所まで、目前です。 御主人様もそれに気が付いたのか口が開閉され、…どうやら少し考えた後、そっと降ろされました。 「服持ってくるから、ここで待ってろ」 今の私はボロボロのシャツと水着。洗っても滲んでくる血の所為でちょっと凄惨です。 少なくとも、子供に見せられるもんじゃありません。 「申しわけありませんが、よろしくお願いします」 頭、撫でられました。 憔悴した風の御主人様が私の服を持ってくるのに十分ほどかかりました。 礼儀正しく背を向ける御主人様。 紳士です。 「チェルに泣かれたぞ。お前がいないから」 「…すみません」 私は水着を脱ぎ、持ってきてもらった服に腕を通します。 ……下着ありません…。 御主人様にそこまで求めるのはムリですね。 …湿気るけど…。 ボタンを最後まではめ、思わず安堵の息。裾の長い服を着ると、安心します。 傷に服が擦って少し痛いけど。 「今日は、ありがとうございました」 嫌な事もあったけど…御主人様が助けてくれるなんて、思ってもいなかった。 「よろしければお礼に何か……」 つい言ってしまった言葉に、真面目に考え込む御主人様。 私は自分の言葉に冷や汗が垂れてきました。 お礼って…私何も持ってないのに、何ができるの。 ご飯作るくらい?でもそれなら…… 「足の裏でも舐めますか?」 私の提案は氷のような眼差しで一瞥されて終わりました。 他、何かあるかな。 中古でも高く買ってくれるところを探す……とか。 「昔、落ちモノ映画で見たんだが」 予想外の言葉に虚を突かれ、黙って耳を傾ける私。 「茶や金髪の男女が出るヤツだ。わかるか。眼も緑とか青い連中だ」 邦画ではないだろなということしか、わかりませんが。 「馬車が賊に襲われた所を、馬に乗った男に救われるんだ」 西部劇とか中世モノによくあるパターンですね。 大抵、貴婦人が出てきてお礼を言ったり、お礼に…お礼……? 「だだだ大丈夫ですかアタマ生水にあたりましたか寄生虫ですか正露丸のみますか」 急にひざまずき手をとられた事に驚いて仰け反り後ずさり、木にぶつかって止まります。 御主人様は、大股でこちらに近寄り、木の幹に掌をつけ、私を見下ろしました。鱗顔なのにわかる不思議そうな表情です。 近いです近過ぎです!! 「見たこと無いのか、映画」 「いいえ、なんとなく想像は付きますけども!日本人的にありえませんから!!」 欧米かってヤツです。 「国が違うのか」 「違います全然違うし、舞台の時代も違いますよ!」 焦り過ぎて声が裏返りました。 「だが、内容は理解できるわけだな」 顔が近すぎます!普段と違うヘビ顔なのに心臓がバクバクいってます。御主人様には違いないから?困ります困ります。 「できるよな」 「ナニをでしょうか」 平静を装いつつ後ずさり…できません。 「映画の真似だ」 御主人様ナイトですか、配役考えると御主人様はとにかく、私が相手だと白馬の騎士じゃなくて、ドンキホーテになりませんか。 それは困ります、だって、最後に死ぬじゃありませんか。 だとすると…つまり…その……。 「むむむりですむり!別にしましょう!ぜぜんりつせんまっさーじとか、いがいとわたしうまいですよ!しますか五分切れますよ!」 べちんと、素突っ込み入りました。 デコ痛いです。 「日本人に何求めてるんですか!御礼は菓子折りに決まってるじゃありませんか!!」 御主人様、顔近い。 「お礼」 御主人様的にはアレですか、アタマ大丈夫ですか。ジャックさんが伝染りましたか。 しかし御主人様のご要望です。でも、するの?まじで? 私奴隷なのに? 奴隷なんだから、もっと色々させて構わないのに? 「わわかりました」 「わかればいいんだ」 どことなく満足そうな御主人様。 「そこじゃ届かないです」 御主人様が顔を寄せた。 「眼も閉じてください」 「面倒だな、本当に オマエは」 ぶつぶつ言いながら眼を閉じる御主人様。 素直です。 ……顔の鱗まで硬いって、生活上、支障ないんでしょうか。 虫に刺される心配だけはなさそうでいいわけですが。 頬から顔を離した途端、くわっと眼を見開かれ、ちょっとびびる私。 御主人様眼が金色ですけど、怒ってますか。大激怒ですか。 ……締められた。
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太陽と月と星がある 第十四話 ひんやりと涼しい診療室の中、私は変な写真付き三面記事が面白いカツスポを眺め、時折顔の横に垂れている付け耳を撫でて気持ちを落ち着けます。 さらさらふわふわで触り心地のいい垂耳…頑張れ、私。時給20%アップだ。 スカートの裾に手が掛かりそうになったので軽く払います。 「そこから先は別料金になります」 「えー?ひっどーいキョウダイなのにー」 「普通、膝に乗せるために時給を上げる兄なんて居ません」 現在、私が座っているのは椅子ではなく膝の上です。 何故かといえば、膝に座るだけで時給が上がるからです。 座らなくても触られるなら座ってお金が貰える方がいいに決まっています。 …つか、ジャックさん、鼻息荒い…。 「キヨちゃんキヨちゃん、リボンとかつけようよー赤いのとピンクどっちがいい?」 …ピノコかよ。 「ホラ見て下さい、砂漠で謎の巨大甲殻生物を見た!ですって。でも砂漠にカニって居るんでしょうかね?」 先日、とうとう付け耳の支払いが終わりました。 というか、このエセナースが代金だと思っていたのは私だけだったらしく、この件について切り出したところ非常に驚愕され、 足にしがみつけられ頬擦りされながらオスカーを取れる勢いで泣き真似されました。 そして気がつくと時給300センタでエセナース続行が決定されていました。 なんだかんだありますが…自分で食費を稼げるって、素敵です。 「キヨちゃーん、ちょっと愛を込めてお兄様ダイスキ☆って言ってみて」 「お断りします」 ぽふぽふと足を触ってくる手を無視して今日の連載小説を。 このタブロイド紙に連載されているハッサク・ユメーノさんの他の著作も面白いのですが、ジャックさんの好みではないので感想を語れないのが残念です。 エロ描写が皆無だからでしょうか…。 髪に鼻面を突っ込まれ匂いを嗅がれていますが、無視します。 外は快晴、歩いている人達も暑そうです。 患者さん、来ないなぁ…。 対照的にひんやりと涼しい診療所。 閑古鳥が鳴いています。 いえ、暇でもお給料は貰えるみたいだから全然構いませんが。 ノルマないって、素敵…。 心の中で感嘆していると静寂を破るベルの音。 私は、手に持っていたタブロイドを畳んで仕舞うと、ジャックさんの足を踏みつつ膝から降りて、待合室に急ぎました。 「ルフイアさん、お久しぶりです。今日はどうなさいましたか?」 患者さんは以前神経性の脱毛症で来た方でした。 パピヨンぽいスーツ姿も愛らしいイヌ男性です。 ルフイアさんは私の姿を認めると、手入れの良さそうな尻尾をパタパタさせました。 「あ、お、お久しぶりです!実はたまたまこちらを通ったので、経過のご報告ついでにちょっと御挨拶に!!」 「わざわざありがとうございます」 笑顔で示された箇所には、確かにハンパな長さの柔らかそうな短い毛が生えていました。 どうやら脱毛症はちゃんと治っていたようです。 「あのあと、仕事の方も無事企画が通って、何とか職場にも慣れて」 「良かったですね」 やった事がちゃんと評価されるのは良い事です。 ルフイアさんは、うんうんとうなずくと笑顔で袋を差し出してきました。 つい受け取り見てみれば…プリンです。 「差し入れです。お口に合うといいんですが」 思わずプリンとピンクの舌がはみ出した顔を交互に見比べ、背後に音もなく忍び寄っていたジャックさんへ振り返ります。 「患者さんから戴いていいのでしょうか?」 ジャックさんの目が丸くなりました。 「なんで駄目なの?」 えーっと…父さんが入院したときにお祖母ちゃんがナースさんになんか渡そうとしたら断られて…えーっとでもそれは向こうの話だけど、えーっと… ……。 「ルフイアさん、ありがとうございます」 郷に入っては郷に従えといいますし、なによりプリンは好きです。美味しいそうなのでなおさらです。 ルフイアさんはイヌ男性だけどかなり良い人、と心の中でメモ。 「お礼に気持ちを込めてるーくんダイスキって言って」 「るーくんダイスキ……ハッすみませんすみませんつられてついちょ!大丈夫ですかどうしましたか貧血ですか」 ルフイアさんが急に俯きしゃがみこんでしまいました。 熱射病でしょうか。 「ジャック先生どうしましょう、取り合えず椅子でいいですか?」 慌てて長椅子を引いてそちらへ誘導して、と必死になってやっているというのにジャックさんは無言で立ち尽くしたままです。 医者として失格です。役立たずです。 仕方なく無視して、されるがままのルフイアさんを長椅子に寝かせ、勝手に上着の前を開きネクタイを緩め、 こんな事もあろうかと冷やしておいたお絞りを額に載せ失礼ながら手首で脈を測ってみました。 ……脈が速いです。 なおも立ち尽くすジャックさんをファイルボードで突いて体温計を取り出し、もう一度ファイルボードで背中を叩くとやっとジャックさんが反応しました。 「キヨちゃん…ひどい…オレにはそんな風に言ってくれた事ないのに…っしかも笑顔?あんまりだー」 何故かしゃがみこんでいじけています。 …うぜぇ。 「仕事して下さい」 頭にボードを落とすと、随分と良い音がしました。 「――と、いう事がありまして、ジャックさんの仕事にかける情熱の無さは問題だと思いませんか?」 エプロンを着け、晩御飯の準備をしながら今日あった出来事をかいつまんで御主人様に報告する私。 御主人様は私の背後で椅子に腰掛け、テーブル越しにぼんやりとしたまま動きません。 眼を開けたまま寝ているんじゃないかと思い、目の前で手をひらひらさせると睨まれました。 「そういえば、まだだ」 「何がですか?」 口を開いたと思えばコレです。 意味不明過ぎます。 「ただいま」 「おかえりなさい」 何故睨みますか。 「いい加減覚えろ」 喉元を掴まれました。顔が近いです。近過ぎます。ちかッ 「鍋が焦げますので、ご注意下さい」 「他にいう事ないのか」 「無いです」 …なんか、まだ感触残っている感じがして落ち着きません。 御主人様に背を向け、指先で唇を触りつつ焦げ付きそうな鍋を引っ掻き回す私。 セーフです。たぶん。食べれる、いけるいける。 キッチンに私が鍋を掻き回す音だけが響きます。 「今度の休み、出かけるからな」 あ、人参焦げてる…まぁいいか。 「どちらまで?」 「川」 …釣針垂らしている御主人様を想像し、あまりの似合わなさに吹きそうになりましたが、なんとか耐えます。 多分、御主人様の事だから… 「…カエル採りですか?」 「あそこにはいない」 良かった。晩御飯にナマを持ってくる事はなさそうです。 「最近、サボっていたからな、いい加減練習しないと腕が鈍る」 練習…川…。 「泳ぐんですか?」 思わず振り返り尋ねると、御主人様はやや驚いたような表情を浮かべていました。 「あの、えーっと…人目とかあるじゃないですか、大丈夫なんですか?」 トカゲ男な時ならともかく、今の姿で外をうろついていたら大変です。 思わずガン見してしまいます。 目の保養的な意味で。 「問題ない。人家も無いしな」 …へぇ。 「じゃあ、水着…とか買っても宜しいでしょうか」 「水着?」 目を張り、鸚鵡返しの御主人様。 私は頷いて手に持った菜箸を意味もなく宙でワキワキ。 泳ぐのなんか、久しぶり。 なんだか、わくわくする。 水着はやっぱり尻尾穴ついてるのも多そうだから、形に注意しなきゃ駄目だろうな、あとチェルの分も買わないと。どんなのが似合うかな。 あと、サンダルとか、帽子もあった方がいいかな。どんなのにしよう。 「だって、泳ぐんですよね?私は持って……」 無表情の御主人様を見て、自分の勘違いに気がつきました。 「すみません、なんでもありません」 180度回転し、菜箸を鍋の中に戻します。 当たり前だ。私は、ヒトなんだってば、なに期待してるんだろう……。 それよりこれ、何とかしなくちゃ。 「その日は――晩御飯、必要ですか?」 ……一人とは、限らないわけだし。 しまった、混ぜすぎて具が潰れています。 …いっそ全部潰して誤魔化そうか……。 考えつつ菜箸をぐるぐる……しまった。もはやどう誤魔化せばいいのかわからない状態です。 ふと気がつくと御主人様が無言で隣に立ち、無表情で鍋を覗き込んでいました。 「魔女の鍋かこれは」 「肉ジャガのはずだったんですが……」 こんにゃく抜きの。 いまや肉とイモ類の潰れた何かのどろどろの何かです。茶色です。 今から、作り直して…いや、他のもの作ったほうがいいかな。 途方に暮れる私の背中をバシバシと叩き、御主人様が口元を吊り上げました。 「オマエは本当に面倒だな」 「申し訳ありません」 何故笑いますか。 「もっと甘えていいぞ」 ……耳の病気を疑うべきか、御主人様の頭を心配するべきか。 考えすぎてか、心臓の動悸が激しいです。 「着いてから水着忘れました。はナシだからな」 どうやら、上機嫌で私の頭を撫でる御主人様。 「行っていいんですか?」 返事の代わりに更に頭を撫でられました。 なんか、そんな風に優しくされると、なんか……困る。 ……うわ。 * * * * * * * * 天気は快晴。平均気温32度。 絶好の行楽日和です。 ……馬車にさえ乗らなければ。 街から国境近くの村までの定期便の乗合馬車というのを現在体感しているのですが…日本のアスファルトで綺麗に舗装された道路と違いほぼ……土。 雨が降れば水溜りで道は陥没。 風が吹けば辛うじて残っていた舗装部分が崩壊。 つまり、道はでこぼこ。 揺れます。 ムチウチになりそうです。 プチジェットコースターです。 そしてこの世界の住民の半数近くがモッサリフッサリ。 お風呂、嫌いな人も多いです。 香水とか、発達しています。 …で、当然雨露を凌げる程度に密室な馬車内はその残り香が…。 荷馬車とどっちがマシかといわれたら微妙な所です。 あ、でも鎖無しだから、こっちの方がいいですね。…悲鳴も聞こえないし。 「キヨカ大丈夫?」 チェルの声に軽く頷き窓枠に凭れ、瞼を開くとスナネズミな女の子が心配そうな顔で覗き込んでいました。 揺れる馬車の中、危なげもなく自分の席とジャックさんの膝の上を行ったり来たりしています。 一方、私は揺れた拍子に窓に頭ぶつけました。 …痛い。 サフはバイト先の先輩の女の子と楽しそうです。 保護者同伴デートってどうなんだろうと思うのですが。 …どこか行きたいと言われたので誘ったのは私ですけど。 ……御主人様に誘った事を報告したら何故かほっぺた引っ張られましたが、もしやコレを予期していたんでしょうか。 だとしたら慧眼です。 私はサフに彼女が出来たなんて、まったく気がついていませんでした。 目の前でラブラブされるのは心にダメージです。 正直、年齢=居ない暦としては全力で羨ましいというか…。 あとジャックさんも一応誘った事を伝えたら御主人様は一日口を利いてくれなくなりましたが、今のジャックさんの姿を見れば一目瞭然です。 落ち着きありません。そわそわしっぱなしです。 …うっとうしい…。 「木陰とか草むらって、サイッコーだよね!震える彼女を焚き火の横で押し倒しちゃったりと か !雪山の山小屋で裸で抱き合ったりとか☆」 きゃーとかいいながら顔を手で隠されても、なんだかなぁ、という気分です。 教育に悪いので、そろそろ口止めの必要があるかもしれません。 御主人様は無言で本を読んでいます。 酔わないのでしょうか…。あ、文面に目をやっただけで吐き気がしてきました。 激しい手振りで座っているのを邪魔され不満そうなチェルにガムを渡し、再び窓枠に凭れていると、無言で座っていた御主人様が首に手を回して自分の方に寄りかからせてくれました。 御主人様は鱗で堅いのですが、窓枠よりは安定感があります。 普段はこういう甘えた行為は全力で遠慮すべきなのですが…服越しだけどひんやりしてるし…。 御主人様は毎日お風呂入るし体毛ないから体臭も薄いし…。 御主人様サイコー。 気温もぐんぐん上がり始めた時間帯、茂った木々からマイナスイオンがだだ洩れしていそうな絶好のキャンプ地点…みたいな河原。。 穏やかな川は斜面に接している方が深いのか、青々とした木々を反射し水の色が深い翡翠色。 浅瀬のこちら側では、メダカくらいの大きさの銀色の魚が石の間を泳いでいるのが見えます。 私がおろしたてのミュールで足元の小石をつつき川へ落とすと、小魚はあっという間に見えなくなりました。 そんな遊びに絶好の場所にも拘らず、人の気配はまったくありません。 一応、運河の支流らしいのですが、近くの村まで徒歩で二時間かかるそうなので。 しかもネコの国では水で遊ぶという習慣が基本的にはないそうで…最近は、他国の影響もあって変化しつつあるけど、とのジャックさん談。 早起きしてお弁当を作って、馬車酔いに耐えてた甲斐がありました。 楽しいです。 …帰りにまた馬車の中継地点まで一時間ぐらい歩いて、更に馬車に耐えるという事さえ考えなければ…。 河原では、サフと彼女さんが荷物を広げてあれこれおしゃべり。 ……羨ましくなんかないもん。 二人はちょっとはなれたところで泳ぐんですか、…へぇ。 「まだ着替えないの?」 「着ていますよ」 スイカを深さ流れともに丁度良さそうな所にセッティングし、水を跳ねかせながら石の上を何とか進み、岸までたどり着いてから水着のスカートを示すと、ジャックさんが石になりました。 眠そうなチェルを片手で抱いた御主人様は、無言でバックを開けタオルやら水筒やらを取り出しています。 非常にお父さんぽいです。 本人には絶対いえませんが。 「日焼けしたら痛いんですよ」 全身毛だから日焼けとか、縁なさそうですよね。 元々肌荒れしやすいからこちらの日焼け止めを塗るのもちょっと怖いし、別に学校の授業でもプールでも無いわけだから、上から服を着ていてもまったく問題は無いわけで。 ですので私は水着の上からTシャツ派です。 まぁ、パっと見で判断できなくても仕方ありません。 「チェルと色違いのお揃いなんですよ」 チェルは白とピンク。私は黒です。 赤だと金魚っぽくて非常にかわいいのですが、さすがに似合わないので諦めました。 彼女さんは明るい黄色のワンピース。 かわいい。 褐色の肌と白い髪の毛に良く映えます。尻尾も長くてかわいい。触りたい…。 仲良くなりたいけど、何故か異様に警戒されています。 フーッって言われました。 人見知りなんでしょうか。 「…水着って、…むちむちぷるーんで…ポロリは?ツルペタは嫌いじゃないけど間違ってるよ?」 ジャックさんが死にそうな声を出しながら、御主人様の腕の中でうにゃうにゃしているチェルの方を指しました。 馬車と、これまでの道のりで体力使い切っちゃったのか、とろけそうな目つきです。尻尾もてれんとしています。 幼児体型に合うのって、着替えさせる手間も含めて考えるとビキニが一番楽なんですよね。 「これもそうですよ。チェルのも本当はスカート付です」 フリルにレースが付いているので非鋭角的です。 そして私は付属のレース仕様の腿半くらいまでのスカート付き三点セットですので、わりと無難です。 スカートが落ちたら困るので裾をキッチリ縛り、ピンで留めたので完璧です。付け尻尾いらずです。一応つけていますけど。 「キヨちゃん…ちょっとお兄さんの話、聞いてくれるかな」 ジャックさんが珍しく、真面目な声です。 どうしたんだろう。 ――水着―― 水泳競技やフィットネスに用いられる水着。 体を動かす支障にならないこと、脱げにくいこと、水の抵抗を減らすことが求められる。 木陰の下、巨大黒ウサギがTシャツにスカート姿で正座する彼女に向かって真剣に説教していた。 が、当の相手は説教を半分以上聞き流し、他の事に気を取られている事が丸分かりである。 いつもの憂いげな表情とは違い、明るい楽しげな雰囲気が傍から見ていても伝わってくる。 なんだか悔しくなった。 「――というわけで、ソレは邪道!さっさとそのシャツを脱ぐべきだとお兄ちゃん思うな!」 ビシリと指を指され僅かに動揺を面に表わす彼女。 「だって、日焼けするじゃないですか」 正座を解き、黒ウサギに詰め寄る。 「なんなら体感しますか?剃りますか?じかにナマ肌に直射日光浴びますか?日焼け止め無しの日焼けの痛みを思い知りますか?」 どこからともなく剃刀を取り出して詰め寄るキヨカ。 「ウサギねーちゃんコエーんだけど。なにあの迫力。怖いよウサギ怖いよ。なんでオマエの周り怖い人ばっかりなの?」 「怖くないよ。キヨカだってば」 気の強そうな瞳に怯えを宿したネコが自分より小柄なイヌにしがみ付き小さく震える。 「だって、ねーちゃんがいってたし!ウサギに背中を見せたらオワルって!ダテにされるって!」 「ハイハイ。がっくんー僕らあっちらへんで泳いでるからねー」 なおもにゃぁにゃぁと訴えるネコを引っ張り去っていくイヌを見送りヘビは小さく溜息を吐いた。 腕の中で涎を垂らしているのを揺すぶり起こし、地面に降ろされ胡乱な目で見つめるネズミ。 「がっくん、おやつたべていい?」 「それよりキヨカと遊んで来い」 ヘビが頭を撫でるとネズミは目を細めた。 「がっくんは?」 「オレはちょっと離れた所にいるから、何かあったらジャックに頼んでおけ」 物分りよく頷かれ、ヘビは少し複雑な気分になる。 そのまま見守っていると、両手に抱え上げられた二人が川の中に放り込まれ、嬌声を上げていた。 仕返しに水を滴らした二人から耳を集中的に狙われ、川の中を右往左往するジャック。 「がっくんタスケテー!」 無視して荷物を片すヘビ。 足を滑らせ頭を川底にぶつけ、どんぶらこと川を流れていくウサギを尻目にずぶ濡れになったニセウサギとネズミが手を繋いで岸に上がり彼に微笑みかけた。 「…一緒に遊びませんか?」 「二人で遊んでろ」 そっけなく返され、不満げな表情の二人に思わず瞠目する。 「がっくんのけち!いじわる」 「最初から、練習だといっただろう」 ヘビの言葉に頷き、彼女はぐずるネズミを抱き上げ重さに息を吐く。 「お昼には一旦帰ってきてくださいね。ジャックさんああだし、サフも彼女さんもどうするか判りませんから」 濡れた服が張り付き、体の輪郭が露わになり柔肌が透けて見える。 白い肌に頬だけが紅潮し、水を滴らせた黒髪は一層艶やかだ。 「…わかった」 確かに彼女も水着を着ているという事実を心に刻み、ヘビは目を背けた。 川のせせらぎと小鳥の鳴き声、木々がざわめく音。 不機嫌そうに小石を蹴り上げる軽い足音。 二人っきりになりたいから、わざわざ下流に歩いてきたのに、凄く不機嫌そうだ。 「オマエ、ガン見し過ぎ」 そういって小石を投げつけられた。 顔の横を放物線を描いてとぶそれを見送り、耳の後ろをカリカリと引っかく。 「何で怒ってるの?」 「怒ってねぇよ」 ふわふわした尻尾を膨らませ、語気荒く吐き捨てる彼女。 「泳いでもいいって言ったの、そっちじゃん」 「ウッセーバカ、毛皮バカ」 無尽蔵にある小石を蹴り上げられ、とっさに跳び後ずさる。 「遊びに行きたいって言ったの、そっちだろ?」 「誰がウサギと行きたいなんて言ったよ!」 「別になんかされたわけじゃないのに、何だよその言い方!」 思わず牙をむき出すと、彼女も負けずに怒りの形相になった。 「へらへらしやがって!バカじゃねーの!」 「してない!」 怒声に彼女の耳と尻尾がピンと空を向き、悔しげに唇を噛み、八つ当たりに石を川へ投げつけ始める。 手当たりしだいに投げつけ、手ごろなのがなくなったので頭よりも大きな石を持ち上げ、投げつけられた。 「あっぶな!」 足元で砕けた石をみて睨みつけると、意外にも彼女は金色の瞳を見開き、うっすらと涙を浮かべていた。 「やっぱりウサギの方がいいんじゃねぇか!あっちばっかり褒めやがって!」 思わず言葉を失い、口を上下させる。 褒める? 首を傾げ、今日の言動を振り返る。 朝、挨拶して、引き合わせてあとはずっと2人で話してた。 ああ、キヨカとちびがおそろいだとかいう水着を…。 「ニキの方がかわいいよ?ごめん、当たり前だから言うの忘れてた」 褐色の肌が更に濃くなり、大きく開いた瞳と口が盛んに上下し、ごくりとつばを飲み込み何とか言葉を搾り出す。 「べ、べつにオマエの為に水着買ったわけじゃないけどな!!」 予想外の大声にちょっと耳が痛くなったもの、何事も無かったように首を傾げてみる。 「じゃあ、脱ぐ?」 「だめ 、そんなにずんずんしたら っ あたまおかしくっ ひゃぁっ 」 目の前の小ぶりな乳房を舐めあげ、うなじを噛むと甘い悲鳴。 引き伸ばされた水着の隙間からはとめどなく蜜が滴り地面を濡らす。 押しつけられた木の幹からは緑の濃いニオイ 背中を掻く痛みすら快感に変わる 腰を押さえた手で尻尾の根元を締め付けるといっそう甘い悲鳴 「んww だめっ そこだめっ あっあっあつっ」 荒い息を吐き、身体を揺すると彼女はいっそう爪に力を込めてきた 「出すよ」 込み上げる快感の波を堪えて囁くとうっすらと瞳が開く 「だめっそんなことしたらっ あっ」 「なら足」 細い足はしっかりと腰に巻きつき離れようとするどころか、いっそう押し付けられた 無意識に震える腰が快感を求めて更に奥へ導こうとする きゅうきゅうとナカと外から締め上げられ、喘ぎながら必死で負けん気を振り絞る が 「ばかっぁ! なかに出したらだめぇっ」 「抜けよ」 「ムリ」 身体を揺さぶられきゅっと顔を歪める。 肩紐だけはどうにか戻したものの、無理やり引き伸ばした箇所は相変わらず肌に食い込む。 突き出された鼻面を指で弾くと痛そうな顔をされた。 「オレの方がデカイんだから、ムリするなよ」 固めの毛皮が汗ばんだ素足を擦り、むずがゆい。 向かい合わせに抱っこされ、しかもそれが自分よりも年下で、小柄で、異種族で、なんだか恥ずかしい。 背中を撫でられるたびにどきどきする。 本当はもっと撫でて欲しい。 「抜けなくなるのわかってて出すなんて、バカだろバカ」 「抜かせなかったの、そっちじゃん」 「ンなわけないだろ!お前の方が早すぎたせいだよ!」 無防備な頭をぽかぽかと殴るも、たいした効果は無いらしい。 「オマエなんかがオレをイかせられる訳無いだろ!演技演技!」 顔を見られないように頭を抱きかかえると、無防備なところを舐められ、また腰を振りたくなる。 グネグネする尻尾を堪えようと頑張るが、あまり効果がない。 「またエッチな気分になってるでしょ」 言い当てられ言葉につまり、思わず頭を殴るものの尻尾を握られて情けない声を上げてしまった。 胸元から見上げてくる仔イヌの顔がむかつく。 殴ろうとした拍子にまた キモチイイトコロ に太くて固いモノが当たり動けなくなる。 「ここ、キモチイイ?」 思わず頷きかけ、慌てて首を横に振るが、輝く眼に見つめ返され背筋がそそり立った。 「なら、いっぱいしても平気だよね」 そんな事言われたら、逆らえないのに、ズルイ。 * * * * * * * 精密に 緻密に それだけを命じる 煮え滾る水面 岩に無数の穴を開ける 周囲を濃霧が包み込む 川面を凍結 砕く 渦巻く水に何もかもを沈め 水音が喚起させる過去 砂漠にのたくる邪竜 呪われた盲目のヘビ 暗闇に蠢くおぞましい――― 「お昼もって来ました」 黒髪の娘が照り返す日差しに眩しそうな表情を浮かべている。 「オニギリとサンドイッチどっちか迷いましたが、ご飯の方がおなかに溜まるので」 適当な場所に木陰を見つけ、腰掛ける二人。 笑顔で差し出された何かの葉で包まれた「オニギリ」を受け取り、ニオイを嗅ぐがよくわからず不安を殺して見つめる。 黒い。 「オニギリ初めてでしたっけ?ご飯を塩とおかずで握ったものです。それの中身は塩焼の魚です。黒いのはノリです。えーと…海で採れます」 不安と期待の入り混じった瞳に耐え切れず、口に運ぶ。 呑み込む。 塩と米とノリが口内に張り付く感触を堪える。 手渡された茶で流し込み、息を吐く。 「玉子焼きとウインナーと、ちゃんとウインナーはスパイシーなのにしましたから!」 卵というものは塩で味付けがされているという先入観に負ける。 何故、ウィンナーが半分花びら状になっているのか。判らず無言のまま噛み砕く。 次に渡された オニギリ は ノリ が付いていなかったので安心して食べると酸味に噎せそうになる。 呑み込む。 「ウメ大丈夫なんですね!よかったーみんな苦手みたいでして」 正直、味覚に合わないとはっきり言っても構わなかった。 今後もこれを食べるかと思うと、気が滅入ってくる。 様子を見つつ時折出してくる茶色で複雑な味は、今まで食べた事のない種類で苦手だとしかいいようがない。 ただ―― 彼女が、キツネの雑貨屋とやらにたどり着いたと報告してきた日の、零れんばかりの笑顔は昨日の事のように鮮やかだ。 「えーっと…これお勧めです美味しいですよ。甘辛くて」 噛まずに呑み込んだ。 「お口に合いますか?」 黙って頷くと輝く笑顔。 ――― 一生、勝てる気がしない。 眼が明るい。 心が波立つ弾む声、もっと傍で聞いていたい。 「今日、楽しいか?」 「はい ありがとうございます」 湿った髪を撫でるとくすぐったそうな表情を浮かべた。 不意に手を伸ばされる。 「ごはんつぶ、ついてます」 人差し指の火傷は、魔洸調理具に慣れなかった頃の名残。 あの頃は、目を合わせることも出来なかった。 「こういうの、おべんとうついてる って言うんですよ」 指先についた米粒がそのまま口に運ばれた。 意図がわからず見返すと、首を傾げてから自分で舐め取っている。 なんだかわからんが、今度はそうしよう、彼は思った。 「キヨカ」 瞬きして首を傾げた拍子に、濡れて重くなった付け耳がとれそうになったので慌てて抑えてやる。 焦った様子で直そうとするのを手伝うと困惑した表情を浮かべ、何か言いたげな風。 薄く開かれた唇が甘い。 脆い皮膚を裂かないようにそっと指を握り細い腰を引き寄せる。 濡れた服と水着がいかにも邪魔そうなので脱がそうとしたら、裾をつかまれ抵抗され、一瞬驚く。 「俺は、浮気しないから、安心しろ」 「衛生的な意味でも大変素晴らしいと思います」 一瞬眉を顰められ、言葉を失うが咄嗟にうろ覚えの知識を掻きだす。 「最近は、他種族なら妊娠の危険がないとかって気楽にするせいで性感染症が増加傾向にありますので、お気をつけて。やっぱりゴムは必要らしいです」 眉間の皺が一層深くなり、背筋に冷たいものが垂れるが、確りと服の裾を押さえる。 「信用してないのか。俺を」 首を横に振る。 頷き、華奢な体を腹の上を跨がせ尻尾を巻きつけると形容しがたい表情になった。 柔らかい素肌を締め上げないように注意する。 出来るだけ、緩く巻く。 「鱗、嫌か?」 長い睫に縁取られた眼が戸惑ったように瞬きした。 細い首筋に舌を這わせ、このままか、押し倒すか検討していると、唇が開かれる。 「スイカひやしたままです。二人から、早く戻るように言われてますし」 真顔と氷のような表情とが向き合う。 「残念ながら今日は、団体行動ですから、迷惑をかけるわけにはいきません」 彼女は周囲に置いたままの弁当箱を手早くまとめはじめた。 状況を掴めず呆然と見上げるが、まったく伝わらず生真面目に頭を下げられる。 「サフが彼女を連れてきて対応に困るのはわかりますが、大人なんですからよろしくお願いしますね」 脱ぎかけのミュールの紐を直し、皺の寄った服の裾を少し伸ばす。 「スイカ、早く来ないとなくなりますから。今日は育ち盛り三人ですよ」 つかもうとした手が空しく宙を掻く。 形のいい脚、白い肌が遠ざかる。 しばし呆然としたあと、日差しに熱せられた砂利に爪を立て、心に誓う。 今度は、もっと強めに締めておこう。 * * * * * * 木陰の下、気持ち良さそうに眠るふわふわした毛並みの黒ウサギとそれを枕に眠るネズミの女の子。 …いいなぁ…。 せっかくみんなで来たというのにバラバラで少し寂しい気がしますが、そこまで贅沢は言えない訳で…。 スイカ、いつ食べればいいんだろ。 御主人様とサフ達が帰ってきたら…かな。 もう一度眠る二人を見て、しばらく考える私。 人が来る様子はありません。 2人とも、よく寝ているし、御主人様も居ないし、サフ達はお昼をもって更に上流の方へ行ったままです。 私は荷物の中からタオルを取り出し、こそこそと下流の方へ向かいました。 湿った付け耳を外し、肌に張り付くシャツをどうにか脱ぎ捨て、髪の毛を纏めて、申し訳程度に準備体操。 変なのが居たらイヤなので足は脱がない。 川の水は、やっぱり冷たい。 ずっと昔、連れてきてもらった時も、こんな感じだったような気がする。 また三人で行こうって言ったのに、結局二人とも居なくなってしまった。 ……うそつき。 底が見えるくらい透明度の高い水に躊躇したものの、二度とないかもしれないチャンスなので思い切って泳いでみる。 ドキュメントで見たような深みをクロールで進む。 すぐに息が切れて脇が痛くなった。 ……前は、もっと泳げたのに。 ジャマなスカートと付け尻尾を取ってもう一度潜る。 思うように身体を捻れない。 昔みたいに水を掻けない。 前みたいに息が続かない。 浅瀬に這い上がって、深呼吸。 深く息を吸うたびに浮いた肋骨が軋む。 鼻の奥が少し、痛い。 ――― もう少し、やってみよう。 唇を噛んで顔を拭って、髪を直してもう一度。 手足を伸ばして、無駄な力みを抜いて。 思い出すのはあの夏のプール。 友達の歓声、先生の笛。 蝉の鳴き声、チャイムの音、へたな合唱、音車の排気音、子供の笑い声、暑い陽射し。 あの頃はもっと髪の毛が短かった。 あの頃はもっと背が低くて、日焼けしていて、体重とニキビに悩んでた。 先輩に憧れて、分厚い本を読んで途中で挫折した。 父さんが死んでしまって、時々布団の中で泣いた。 伯母さんと受験に合格したら、あの人のコンサートに行かせて貰う約束をした。 将来は、写真の中の母さんみたいにカッコよくなると決めてた。 ずっと狭い部屋の中にいたから、泳ぎ方が思い出せない。 息継ぎのタイミングを間違えて水を飲み込み噎せた。 呼吸を整えて、もう一度。 重い体を引きずるようにして、岸辺に戻る。 解け掛かった髪をおろして手で絞ると、ビックリするほど水が滴った。 髪の毛、切りたい。 御主人様に、切ってもいいか訊いてみよう。 他の人にヒトだとばれたら困るから、美容院にはいけないけど。 髪の毛を纏めなおして左右を見渡す。 …違和感。 顔をもう一度拭って、付け耳やシャツを探す。 あった。 風に、飛ばされたのか、予想よりだいぶ遠くにシャツを発見。 軽く叩いて、濡れたままのそれに腕を通したけど、冷えて、濡れた服は寒い。 けど……半分見えなくなって、少し安心する。 下を向いて、丹念に探す。 スカートを発見。 飛びすぎじゃないかと思いつつ、張り付いた落ち葉を取って、腰に回す。 足の傷も見えなくなって、安心する。 けど、付け耳が尻尾も見当たらない。 無いと困る。 「探し物は、これ?」 顔をあげると、釣りの衣装を着た茶色のネコが私の付け耳を持っていた。 息を呑む。 「返して、欲しいかい」 声の感じからすると多分成人はしてる。 凄く楽しそうな雰囲気。 私が頷くと、一層眼が煌いた。 「首輪は?」 御主人様は、私に首輪をつけようと、しない。 ヒトは、首輪が無ければ所有権を主張できないのに。 「濡れると締まるので、今だけ外していただいています」 今だけ、の所に力を込めた。 風が吹いて、身体が寒い。 人は、ヒトより力が強い。 人は、ヒトより足が速い。 ヒトは、モノだから好きなように扱って、構わない。 殺しても連れて帰っても、首輪無しなら犯罪にすらならない。 「拾っていただきまして、ありがとうございます。どうか、それを返していただけませんでしょうか」 木の葉の擦れる音と、川の音と、心臓の音。 「どうしようかにゃーただっていうのも…にゃ?」 嫌な色をした眼が身体を這い回るのがわかる。 この眼をよく、知ってる。 あの頃は、何かしてもらうために客以外にも、しなきゃいけない時があった。 それ以外、私には何も無かったから。 …ひどく、寒い。 大丈夫、前みたいにすればいいだけだから。 大丈夫、慣れてる。 だから、大丈夫。 四つんばいになって頭を下げ、どうやら病気持ちではなさそうなモノの先の方を咥える。 下腹の毛が鼻に当たるので、呼吸がしにくい。 耳を触られるのが不快。 手が離れ、背中やシャツ越しに胸を触ってくる。 痛い。 右手で睾丸を緩く撫でる。 左手で竿に髪を巻きつけて扱く。 口の中で膨らんでいくのをじっくりと舐める。時々吸う。吐きそうになる。 不意に後頭部を押されて喉の奥に押し込まれ、えづきそうになる。 何事も無いように裏筋に沿って舌を這わす。手は休めない。 左腕と背中に食い込む、ネコの爪が痛い。 そろそろ呼吸困難になりそう。 …どうか、遅漏じゃありませんように。 緩く噛んだりきつめに吸い上げると、腰が浮いて、一層奥へ押し込まれる。 嘔吐感を堪えて吸い上げて飲み込んだ。 熱の篭った眼でまじまじと見られ、背中に氷を押し込まれたような気分になる。 「耳、返していただけませんか」 口を拭って出た声は、ずいぶん掠れて自分でも聞き取れないくらいだった。 ……寒い。 道具が無いから、これ以上の事をするとたぶん凄く痛い。 だから出来ればここで終わりにして欲しいのに、案の定、圧し掛かられた。 動こうとして身体を捩ったところだったから、足を捻った。痛い。 爪を立てられた背中が砂利の上で擦られて、痛い。 爪が立てられた手首から細く血が垂れる。 ネコの舌はイヌと違ってザラついて痛い。 さっき出したばかりだっていうのに、もう反り返っている赤黒いのを顔に押し付けられる。 気持ち悪い。 足をバタつかせてどうにか、ふり落とそうとするも、バランス感覚に優れているネコには無駄な行為らしい。 荒い息遣いが気持ち悪い。 頬を打たれて、口の中が切れた。 何か言っているみたいだけど、何も聞きたくない。 どうせ、言う事は、みんな同じ。 逆らう気か、奴隷の分際で 中古のクセに 飼ってやるから、ありがたく思え 不意に視界が歪む。眼を閉じる。 ……そういえば、御主人様はそういう事を一回も言わなかった。 なんだか胸の奥が痛い。 唇を噛みすぎて、血が出てる感じがする。 ――― 大丈夫、慣れてる。 寒くて、仕方ないけど、大丈夫。我慢すればすぐ終わる。 そしたら、そしたら――― 身体を弄る感触が、不意に止まった。 痙攣する瞼を開いたけど、何も見えないのでどういうわけか自由になった右手でどうにか拭う。 見えた風景をしばらく凝視して首を傾げる。 「幻覚?」 声が変な声。 先程と同じ、腰巻オンリーの御主人様(ただしトカゲ男)が目の前で仁王立ちしてます。何故かずぶ濡れで湯気が立っています 同じくずぶ濡れで湯気を立てているネコは下半身丸出しで座り込み、口あけたまま、尻尾をピンと逆立ててる……驚いているらしい。 しかし、なんというか…御主人様がヘビのはずなのにどんどん怪獣映画のアレに似てる気がしてきました。 トゲが生えてて、口から吐く、アレ。 中身と声と手は美形なのに……。 「このまま貴様の血を沸騰させてやろうか?」 声は美形なのにドスが効いています。地を這うような声です。子供が聞いたら泣きます。ガン泣きです。 視界が歪んできたので、目元をごしごしと擦っていると、砂利を蹴り上げる気配。 物を落とす音。 ウロコがどうとか、中古がなんとかという捨て台詞と、熱い鉄板の上に水を垂らした様な音と悲鳴。 慎重に立ち上がり、自分の状態を見てみる。 シャツはボロボロで所々血が付いてる。 水着は方紐が解けているので、慌てて御主人様に背を向けて直します。 スカートの角度もなんか、ひどい。 全身がずきずきする。 鼻の奥が痛い。 視界がまた悪くなってきたので目を擦る。 「ウサギみたいなツラになってるな」 冷たいものを手のひらに落とされて、驚いて見るとなんと板状の氷。 お礼を言ってそっと当てると、ずきずきする頬がひんやりしてきもちいい。 眼から熱いものが垂れて止まらない。 困ったなと思いながら、しゃがみこむ。 誰かの、泣き声がする。 * * * * * * * 草むらを大股で進む御主人様。 どういうわけか、少し開けている木の間ではなく鬱蒼と茂って足元に石や木の根っこがごろごろしている所を選んで歩くせいで、障害物を踏むたびに御主人様の身体は上下します。 落ちそうになって思わず私は躊躇しつつ腕に力を込め、いっそう首にしがみつきます。 御主人様の鱗は固い。 ナニゆえ私は姫抱っこされているのかといえば、足を捻っているため歩行が亀を這うようなスピードになり、御主人様が焦れたからです。 スイカを食べるためにみんな待っているそうなので早く行かなくてはいけないのですが……。 …後から行くと言ったらバカかと吐き捨てられました。 おまけにデコピン喰らって気が付いたらこの状態です。 しかし、それならおんぶの方がバランス的にも御主人様の視界の良さ的にも私の腕力の限界的にも良心的です。 ……右腕がプルプルしてきました。 「あの……」 目だけギョロリと動きます。ちらちらと宙を舞う赤い舌。 「…重くてすみません」 荷物のある場所まで、目前です。 御主人様もそれに気が付いたのか口が開閉され、…どうやら少し考えた後、そっと降ろされました。 「服持ってくるから、ここで待ってろ」 今の私はボロボロのシャツと水着。洗っても滲んでくる血の所為でちょっと凄惨です。 少なくとも、子供に見せられるもんじゃありません。 「申しわけありませんが、よろしくお願いします」 頭、撫でられました。 憔悴した風の御主人様が私の服を持ってくるのに十分ほどかかりました。 礼儀正しく背を向ける御主人様。 紳士です。 「チェルに泣かれたぞ。お前がいないから」 「…すみません」 私は水着を脱ぎ、持ってきてもらった服に腕を通します。 ……下着ありません…。 御主人様にそこまで求めるのはムリですね。 …湿気るけど…。 ボタンを最後まではめ、思わず安堵の息。裾の長い服を着ると、安心します。 傷に服が擦って少し痛いけど。 「今日は、ありがとうございました」 嫌な事もあったけど…御主人様が助けてくれるなんて、思ってもいなかった。 「よろしければお礼に何か……」 つい言ってしまった言葉に、真面目に考え込む御主人様。 私は自分の言葉に冷や汗が垂れてきました。 お礼って…私何も持ってないのに、何ができるの。 ご飯作るくらい?でもそれなら…… 「足の裏でも舐めますか?」 私の提案は氷のような眼差しで一瞥されて終わりました。 他、何かあるかな。 中古でも高く買ってくれるところを探す……とか。 「昔、落ちモノ映画で見たんだが」 予想外の言葉に虚を突かれ、黙って耳を傾ける私。 「茶や金髪の男女が出るヤツだ。わかるか。眼も緑とか青い連中だ」 邦画ではないだろなということしか、わかりませんが。 「馬車が賊に襲われた所を、馬に乗った男に救われるんだ」 西部劇とか中世モノによくあるパターンですね。 大抵、貴婦人が出てきてお礼を言ったり、場合によってはお礼に…お礼……? 「だだだ大丈夫ですかアタマ生水にあたりましたか寄生虫ですか正露丸のみますか」 急にひざまずき手をとられた事に驚いて仰け反り後ずさり、木にぶつかって止まります。 御主人様は、大股でこちらに近寄り、木の幹に掌をつけ、私を見下ろしました。鱗顔なのにわかる不思議そうな表情です。 近いです近過ぎです!! 「見たこと無いのか、映画」 「いいえ、なんとなく想像は付きますけども!日本人的にありえませんから!!」 欧米かってヤツです。 「国が違うのか」 「違います全然違うし、舞台の時代も違いますよ!」 焦り過ぎて声が裏返りました。 「だが、内容は理解できるわけだな」 顔が近すぎます!普段と違うヘビ顔なのに心臓がバクバクいってます。御主人様には違いないから?困ります困ります。 「できるよな」 「ナニをでしょうか」 平静を装いつつ後ずさり…できません。 「映画の真似だ」 御主人様ナイトですか、配役考えると御主人様はとにかく、私が相手だと白馬の騎士じゃなくて、ドンキホーテになりませんか。 それは困ります、だって、最後に死ぬじゃありませんか。 だとすると…つまり…その……。 「むむむりですむり!別にしましょう!ぜぜんりつせんまっさーじとか、いがいとわたしうまいですよ!しますか五分切れますよ!」 べちんと、素突っ込み入りました。 デコ痛いです。 「日本人に何求めてるんですか!御礼は菓子折りに決まってるじゃありませんか!!」 御主人様、顔近い。 「お礼」 御主人様的にはアレですか、アタマ大丈夫ですか。ジャックさんが伝染りましたか。 しかし御主人様のご要望です。でも、するの?まじで? 私奴隷なのに? 奴隷なんだから、もっと色々させて構わないのに? 「わわかりました」 「わかればいいんだ」 どことなく満足そうな御主人様。 「そこじゃ届かないです」 御主人様が顔を寄せた。 「眼も閉じてください」 「面倒だな、本当に オマエは」 ぶつぶつ言いながら眼を閉じる御主人様。 素直です。 ……顔の鱗まで硬いって、生活上、支障ないんでしょうか。 虫に刺される心配だけはなさそうでいいわけですが。 頬から顔を離した途端、くわっと眼を見開かれ、ちょっとびびる私。 御主人様眼が金色ですけど、怒ってますか。大激怒ですか。 ……締められた。