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859 名前: NPCさん 2006/05/17(水) 01 59 09 ID ??? 855 吟遊が治らない訳か…… なんで吟遊詩人GMって減らないんだろうな? クリエイターの卵崩れのやつが、創作活動の代償としてTRPGでもやってるのか? 「野球は筋書きのないドラマ」等の言葉があるように、ゲームでもドラマになるが、無理にストーリー(九回裏、二死満塁2ストライク3ボールとか)にもって行くのは八百長だと思う。 870 名前: NPCさん 2006/05/17(水) 02 20 36 ID ??? 859 吟遊詩人GMってのは要するに周囲の干渉を嫌うわけよ。 だから、かなりの人は自分のスタンスに対する他人の意見も嫌う。 吟遊詩人シナリオがPLの意見を受け付けないように、 吟遊詩人GMも人生の上で他人の意見を受け付けないわけ。 「確かに間違ってるかもしれないけど、これを変えたら僕が変わってしまうから治せない」 吟遊詩人GMを嗜めたら、こんな台詞を素面で吐かれた事がある俺はそう思ってる。 896 名前: NPCさん 2006/05/17(水) 08 48 41 ID ??? 870 ああ、うちの後輩の吟遊詩人GMもそれだ。 「NPCがどうして事件を起こすことになったか、その経緯を描きたいんです。 あと僕は未熟だから一本道じゃないシナリオは作れません。申し訳ありませ んが」 そいつのPCもショタな恋人にしか心を許さないクールキャラとかそんなのが 多くて、シナリオによる設定への干渉を極端に嫌う。 まあそいつとの事も含め、そろそろサークルへ行くのは控えようと思ってるの でどうでもいいがね。久しぶりにコンベでもいくかな。 スレ98
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カレーなんとか先生 プロフィール 色々描いては投げてますよ ワロスいちの投げ作家です^^ ↓コメントばっちこい^^ イキロ -- ^^ (2006-01-30 03 07 09) 名前 コメント
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ギョルギョプルブルドニ・クウェンティゴレリスのこと。ギョルギョプルブルドニ・クウェンティゴレリスという名前が覚えにくいため、シーラやレカンは「ギョルなんとか」あるいは「ギョル」と呼んでいる。
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万丈目準(R):なんとかとハサミ(パートナーデッキ) 攻略 ※チェック・編集・50音待ち 合計43枚+06枚 上級00枚 下級13枚 おジャマ・イエロー×3 おジャマ・グリーン×3 おジャマ・ブラック×3 沼地の魔神王×3 メタモルポット 魔法19枚 打ち出の小槌 大嵐 おジャマジック×2 おジャマ・デルタハリケーン!!×2 カードトレーダー サイクロン 死者蘇生 地盤沈下×2 戦線復活の代償×2 光の護封剣 オジャマンダラ×2 手札抹殺 融合×2 罠11枚 おジャマトリオ 激流葬 聖なるバリア-ミラーフォース- ディメンション・ウォール×3 プライド・シャウト×2 マジカル・シルクハット×2 エクストラ06枚 おジャマ・キング×3 おジャマ・ナイト×3
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amazonで そこをなんとか を探す! 楽天で そこをなんとか を探す! 日22NHK 2014.08.03~2014.09.21 公式HP wikipedia youtube検索 / Pandora検索 / dailymotion検索 / MIOMIO検索 № サブタイトル 日 視聴率 1 あなたがいないと 2014/08/03 2 これも愛あれも愛 2014/08/10 3 子の心親知らず 2014/08/17 4 負けられない女 2014/08/24 5 恋の大騒ぎ 2014/08/31 6 運命の人!? 2014/09/07 7 愛してはいけない人 2014/09/14 8 光のさす方へ 2014/09/21
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どうして戦争は無くならないのか? 1 ~ 日本では「頑張れ!」という意味で「ファイト(戦え)!」という言葉が使われている。 ~ ~ きっと戦うことの全てが悪いという訳ではないのだろう。 ~ 小学生でも感じる素朴な疑問の1つに「どうして戦争は無くならないのか?」というものがある。 学校の授業でも「戦争=悪いこと」と教えられるし、別に教わるまでもなく殺し合いなんて馬鹿げていることは子供でも容易に分かる。しかし、それなら何故戦争は無くならないのか。誰も望んでいないのならば、そもそも戦争が起きること自体おかしな話だろう。あるいは、もし何処の誰だか頭の狂った奴が戦争を企んだとしても、そんな奴は周りの人たちがすぐに取り押さえるはずである。一部に戦争を支持する勢力がいたとしても、周りの反対によって食い止められるはずだ。だから、戦争を支持する勢力が反対する人たちよりもずっと多くいなければ、戦争は起きないはずなのだ。ほんのちょっとしたきっかけで、あるいは何らかの誤解が続いて、などといったそんな些細な原因では戦争は起きるはずがない。 喩えるなら、それは火事と同じだ。小火を見れば誰だって水をかけるだろう。だから、みんなが見ている目の前で小火が火事にまで発展することはない。もちろん、確かに火事の場合なら、最初の人が気付いた時点でもう手遅れだったという事態が多々起きるかもしれない。しかし、戦争は人の手によって起こされるものだ。だから、人がいないところでは起きない。火事のように誰にも気付かれずに勝手に起きることは有り得ない。その上、火事とは反対に、争いの気配に危険を感じてみんなが逃げ出せば、戦争の火は燃え広がるどころか簡単に燃え尽きるはずである。それこそ、江戸時代の破壊消防と同じだ。誰もいない焼け野原で、1人空しく武器を振り回してもそれは争いにならない。みんなが逃げ出せば、戦争の火が燃え広がることはないのだ。 つまり、戦争とは敵や味方など大勢の役者が揃って始めて成立する巨大な惨劇なのだと言える。大勢の人々が自ら武器を手にして積極的に加担しない限り、戦争は広がらないのである。 人がいない所では戦争の火は上がらない。 頭の狂った連中が火をつけても、その時点ではまだ消火は容易。 たとえ消火しなくても、みんなが逃げてしまえば延焼せずに燃え尽きる。 戦争とは参加する人々が大勢いなければ成り立たない。 しかし、こうした点を見直していけば尚更のこと、どうして戦争が起きるのかという疑問はかえって強くなるばかりである。戦争は悪いことであり、この上無い愚行であることは、子供でも簡単に分かる。それにも関わらず、人類は遥か昔から延々と戦争を繰り返してきた。しかも、戦争を起こすには相当な手間や費用が掛かる。それはつまり、戦争は避けられずに「起きてしまった」のではなく、むしろ意図的に積極的に「起こされてきた」という事実を示している。それも、「王や将軍など一部の権力者によって引き起こされ、民衆はただそれに撒き込まれただけ」といった構造では説明がつかない。民衆が逃げ出せば戦争にならないからだ。実際にそういった事例も数多くある。権力者が強く命令しても、民衆が揃って反対すれば戦争は起きない。このことから、戦争には大勢の民衆の積極的な参加が不可欠であることが分かる。 もちろん、「権力者の命令には逆らえない」とか「逃げ出すこともできない」など、理由や形は様々あるだろう。確かに、初めのきっかけは巻き込まれただけのケースが大半かもしれない。しかしそれでも、その後に多くの民衆が反対するでもなく逃げ出すでもなく、自ら進んで火に油を注いでいかなければ戦争は続かないのだ。多くの民衆は単なる被害者ではなく、むしろ戦争に積極的に関与していた当事者であるはずなのだ。そう考えなければ、戦争が繰り返されてきたという事実に説明がつかない。 もし本当に「戦争=悪いこと」なのであれば、それにも関わらず多くの民衆が戦争に積極的に参加したのは何故だろうか。人類が延々と戦争を繰り返してきた理由とは一体何なのだろうか。 これは、学校で「戦争=悪いこと」だと教われば教わるほど余計に疑問が強くなる、そんな子供の定番の疑問だろう。 では、そんな子供の疑問にどう答えるべきだろうか。こうして問い直してみると、実は現代社会でも未だにあまりきちんとした説明がなされていないことに気が付く。 本能:狩猟本能の名残のようなものだから仕方無い。 経済:戦争で利益を得る人がいる。全部そいつらのせい。 思想:正義や宗教、イデオロギーの対立が原因。 バカ:何故戦争が悪いのかも分からないバカが多いから。 探せば幾らでも出てくるのだが、一般的によく耳にするものをまとめると大体はこの4種に分類できる。だが、これらは1つ1つを改めて検証するまでもなく、どれも「どうして戦争は無くならないのか?」という疑問への回答としては役に立っていない。何故なら、これらの説明は共通して「自分は戦争に反対している。だから責任は無い。悪いのは全部戦争をしている奴らだ」という考え方に基づいているからだ。表面的な言い方は様々でも、その裏に潜む本音は「戦争する奴らが何を考えているのかなんて、自分には分からない」とうことであり、まるっきり他人事扱いなのである。 もちろん、この主張にも一定の説得力はある。戦争に反対する者同士では戦争は起きない。そのため、「戦争が起きる理由が分からない」という人しかいない状況は、それだけで充分に高い抑止効果を発揮する。既に戦争とは無縁の平和な世界が実現したその内部でならば、誰もが「戦争なんて考えたこともない」と述べるような状況ほど尊いものはない。そう考えることも可能だろう。 しかし、こういった考え方はあくまで戦争をしない理由でしかない。「こんな理由があれば戦争が起きてしまう」という説明にはなっていない。平和な地域でならば戦争をしない理由でその平和を維持することができるかもしれないが、実際に数え切れないほどの戦争が繰り返されてきというその事実については何も説明していないのだ。 また、戦争が起きてしまう理由が分からないということは「一体何が戦争の火種になり得るのか」という想定が出来ていないことを意味する。それでは戦争が起きないように何に注意・警戒しておくべきなのか、その対象もやはり分からない。その為、すぐ目の前にある火種でさえ、それが危険な火種だと分からずに見過ごしてしまいやすい欠点がある。それでは平和を維持するにしても、そのための監視体制が脆弱だと言わざるを得ないだろう。 そして、今は平和だとしても、もし一度でも戦渦に巻き込まれてしまうと、そこから抜け出せなくなる可能性が非常に高い。「どうして昔のように平和に暮らせないのか」と、ただ嘆くことしかできないだろう。戦争が続いてしまう理由が分からないということは、当然ながら解決すべきポイントも分からないということだからだ。煙で視界を奪われしまい火元を見つけられなければ、せっかく手元に水があっても消化できないのと同様だ。努力のしようがないのである。 さらに厄介なことに、このような「どうすればいいのか分からない」という混乱した状況は戦渦を拡大させやすい。何故なら「自分は戦争なんて望んでない」という強い確信があればこそ、そこから導かれるのは「自分たちは悪くない。全ての責任は敵側にある」という結論だからだ。これでは辛い想いをすればするほど、その分だけ敵に対してより残酷になれてしまう。「敵を皆殺しにすることが、平和への唯一の道である」という考え方に陥ってしまう。こうして戦場は速やかに地獄と化していくのだ。 しかし、ここで冷静になって考えてみれば誰もがすぐに気が付くように、大抵のことは敵側も同じように考えているものである。幾ら戦争という異常事態とは言え、それでも「私こそが諸悪の根源である」なんて考えているような魔王は存在しない。絶対的な悪なんて存在しない。戦争とは正義と悪の対決ではなく人間同士の戦いなのだから、自分たちが抱えている想いは当然の如く敵側だって同じように抱えている。もし自分が「全ての責任は敵側にある」と考えていれば、敵側だってやはり同じように考えているのだ。「敵を皆殺しにすべき」と考えるなら、やはり同じように考えているだろう。自分たちが敵を深く恨んで残酷になればなるほど、敵も同じように残酷になっていく。このことから、双方が「自分は悪くない」と考えている時にこそ、戦場は最も簡単に悪化すると考えられる。 もちろん、このように「自分は悪くない」と考える場合、その責任を転嫁する対象は敵だけに限らない。むしろ何でもいい。例えば、戦争の原因に宗教的対立や戦争経済など挙げている場合でも、同じ問題が頻繁に発生している。これらの論を唱える人も、当然ながら「異教徒は殺すべきだ」とか「不景気から脱するためには戦争すべきだ」などとは述べていない。その中身は「異教徒は殺して当然と考えるような人がいるから戦争が起きるのだ。どうして互いの文化を尊重し合うことができないのか」とか「経済発展という理由のために戦争する人がいる。どうして命と金を天秤にかけるのか」といった問い掛けなのだ。つまり、どちらも「戦争を指示する権力者や政治家が悪い」「戦争で儲けている奴らが悪い」といった悪党を探す論理であり、その本質はやはり「自分たち民衆は、ただ巻き込まれただけの被害者なのだ。自分は戦争になど加担していないし、何も悪くない」という内容なのである。これでは「こんな理由があれば戦争が起きてしまうのも当然だ」という説明にはならず、「この程度の理由で戦争が起きていたのだ。実にバカバカしい」という憤りを露にしているに過ぎない。つまり、王や将軍、教会や商館など、自分の味方や身内の有力者をスケープゴートにすることでも、敵を非難している時と同じように「自分は悪くない」という結論を導き出すことが簡単にできてしまうのだ。 確かに、宗教的対立や戦争経済が戦争の火種になった例は数多いかもしれない。その点においては、確かに責任を取るべき存在がいるかもしれない。しかし、それはあくまで最初の火種にすぎない。間違いなくそれが始まりのきっかけではあったとしても、それ自体は戦争という業火の本体ではない。業火の本体は、その後に起きてしまった民衆による殺し合いという行動である。「全て戦争が悪いのだ。だから、何人殺そうが私は悪くない。悪いのは戦争を始めた政治家たちだ。恨むなら政治家を恨め」なんて主張したって通るはずがないだろう。原因は原因として責められるべきだが、だからと言って自分の殺人行為が正当化される訳ではない。どんな原因があったにせよ、その後にそれぞれがとった行動は行動として充分に問題であり、各自にも少なからず責任がある。それが戦争の本体なのだ。火事の原因が火の不始末でも放火でも落雷でも、起きてしまえば火事は火事だろう。その危険性は変わらない。火種はあくまで原因であり、そこから成長した火事が本体だ。火事が起きてからでは火種を消しても火事は消えない。今後の予防のためにも原因の究明は確かに重要になるが、単に原因ばかりを責めて自分の行動を省みないならば、それは「落雷が原因なら誰の責任でもないので消化する義務は無い」といった主張をするようなものだ。それでは火は消えないどころか、ますます燃え広がっていくだろう。それと同じように、戦争について考える際に「何が原因なのか」ばかりを追究し、それに隠れて「自分は悪くない」と主張するならば、戦争は無くならないどころか、むしろ悪化を招く危険性の方が遥かに高い。民衆にも責任はある。巻き込まれただけであっても、その後に武器を持ったのであれば、それを否定してはならない。その為「どうして民衆はその戦争に参加していったのか」という観点から考えることがとても重要になるのである。 以上のことから、「どうして戦争はなくならないのか?」という疑問について考える際、すぐに「誰が悪いのか」と犯人探しのような姿勢で考えてしまうことは、最もありがちで初歩的なミスだと言えるだろう。 人類は今まで数え切れないほどたくさんの戦争を繰り返してきたが、どの戦争においても「これは全て自分の責任だ」なんて考えている者などいない。民衆の手によって処刑されるような独裁者でさえ「私は悪くない」と最後まで訴え続けている。皆が皆「自分は悪くない。悪い奴を探し出して殺せ」と考えている。そんな中で「誰が悪いのか」と追求しても、自分にとっては敵が悪者で、敵にとっては自分が悪者なのだ。もし自分の悪意に気付いていても、自分よりももっと悪い人がいれば責める側に付きたくなるだろう。それでは責任の擦り付け合いにしかならない。 あるいは、戦争を引き起こした張本人を見つけ出して殺せば、責任者を殺せば、それで戦争は終わるだろうか。それで戦争中で亡くなった双方の大勢の犠牲者は浮かばれるのだろうか。そんなことはないだろう。発端の原因を作った者と実際に戦場で戦った敵は別にいる。 目の前にいる敵だって憎い。 友を殺した実行犯だって憎い。 姿を見たことも無いオペレーターだって憎い。 いるかどうかも分からないスパイだって憎い。 憎い相手は戦争を引き起こした張本人だけではない。 このように、憎むべき敵は戦争が続いている間にどんどん増えていくのだ。 また、憎しみの外側でも戦わなければならない敵は増えていく。 敵の指揮官を殺しても、副官が指揮を引き継ぐ。 ターゲットを殺しても、すぐに代役が立つ。 誰かを殺しても、他の誰かが敵討ちに来る。 これが続くと、始めは憎むべき特定の敵だけを憎めば良かったはずが、敵の仲間や知り合いまでも全て敵と見なさなければならなくなるだろう。まだ幼い敵の子供を見かけた時でさえ、将来の敵だと想定しなければならなくなる。見逃すことができなくなる。こうして、本来なら戦う必要の無いはずの人とも戦わなければならなくなる。すぐに「敵」は無関係な人まで巻き込んで際限無く拡大してしまうのだ。戦争で犯人探しをすると、自ら敵を捏造してしまうのである。これが戦争において「敵は皆殺しにすべき」という極端な発想が生まれやすい要因になっている。敵側にだって戦争反対派はいるはずなのに、それでも敵側の関係者である以上は全て「敵」なのだと勝手にまとめてしまうのである。 こうして周りが敵だらけに見えるようになると、戦渦は一気に拡大していく。 自分は無関係なのに戦争に巻き込まれた。その状況では、自分に非が無いのは明らかだ。それにも関わらず、「自分は関係無い」と言っても誰も聞いてはくれないし、必死に逃げても敵はどこまでも執拗に追ってくる。目的もよく分からず、会話も通じず、ただ明確な殺意を持って襲いかかって来る。そんな状況では、敵とは人の皮を被ったモンスターのようにしか感じられないだろう。そのモンスターに追われる恐怖の中では「どうすれば戦争を終わらせることができるのか」なんて悠長なことを考える余裕などあるはずもなく、「とにかく今は目の前の敵を殺すしかない」という思いに囚われてしまうのはむしろ当然だ。 では、そんな状況下で、もし油断している敵を見つけたらどうするだろうか。わざわざ名乗り出てしっかりと正面から向き合い、敵に本当に戦意があるかどうかを確かめてみるだろうか。当然ながら、戦場でそんな余裕は無い。せっかく油断しているのだから、そのまま隠れて近づき背後から仕留めるのが安全策だ。敵はもともと会話の通じないモンスターなのだから話しかけても無駄だろう。危険が増すだけだ。敵に見つかることにメリットは無い。自分はただ生き延びたいだけであり敵を殺す目的は無いが、それでも生きることを考えれば、油断している敵がいればそこで確実に殺してしまうことが「安全策」なのである。それは当然だろう。そして、このような考えに到達すれば、いつの間にか自分もモンスターの仲間入りである。自分は関係無いのだから、戦う意思は無い。敵を殺す目的も無い。しかし、それでも敵に話しかける余裕も無い。ただ生きる為には敵は殺さなくてはならない。こうして、目的が無いのに殺意だけは強固になっていく。果たして、自分は敵から追われていたのか。それとも、自分が敵を追いかけているのか。それすらもよく分からなくなるだろう。このようにして作り出される「目的の無い殺人の連鎖」こそ、戦争の姿だ。 これを踏まえて、改めて「どうして戦争はなくならないのか?」と問うならば、考えるべきは「どんな理由があれば自分は人を殺すか」であることが分かる。「今の自分には全く何の非も無い」というその事実よりも、「状況次第では自分だって人を殺してしまうかもしれない」という危険性について考えを巡らせなければならない。戦争とは無縁の平和な生活を送っている人に、いきなり「あなたはどんな理由があれば人を殺しますか?」なんて質問しても不愉快な冗談にしか思われないだろう。しかし、平和である時にこそ問わなければならない。何も考えていない状態で戦争に巻き込まれたら、「自分は悪くない」としか考えられないからだ。「自分は悪くない」と考えること自体は決して間違いではないが、「自分は悪くない」のだから「敵が悪い」と考えるのは大きな間違いだ。その混乱こそ、戦火に注ぐ油になる。それを防ぐには事前の準備が必要である。災害を例に考えると、防災設備の整備や避難訓練を災害が訪れてから行っても意味が無いだろう。被害を抑える為には平時から備えておくことが重要になる。それと同じように、戦争になってから戦争について考えても手遅れなのだ。平和な内から事前に「どんな理由があれば自分は人を殺すか」と自問してみなければならない。 この問いを提示すると、すぐに「私は何があっても絶対に人殺しなんてしない」と拒絶反応を見せる人が数多くいる。しかし、戦争とは「殺すか殺されるか」という2択を日常的に迫られる状況である。今まで何度も繰り返される戦争の中で、数え切れないほど「殺すか殺されるか」の2択が繰り返されてきた。そこで生き残るのは「殺す」という選択をした方だ。それはつまり、現代に生きる私たちは皆「殺す」という選択をした者の末裔であることを意味している。そこに疑いの余地は無い。それを踏まえても、変わらずに「私は何があっても絶対に人殺しなんてしない」と言えるだろうか。もし言えるのなら、それはそれで格好良いが、その人は戦時に「殺される」という選択肢を受け入れるしかないだろう。 こう述べると、今度は「戦争ならば仕方無い。殺されないためには殺すしかないなら、他にどうしようも無いではないか。それを責めるのは卑怯だ」と怒りを露にする人が数多くいる。もちろん、その気持ちはよく分かる。しかし、幾ら怒りで誤摩化しても、それで言っている内容が正当化される訳ではない。感情を抑えて、この言葉をシンプルに要約すれば、それは「生きる為にどうしても必要ならば、人殺しも仕方無い」という意味なのである。誰だって、たとえ「卑怯者」と罵られようとも生きたいと願うのは当然だろう。その通り、確かに仕方無いことなのだ。それを否定することなどできない。しかし、この「仕方無い」という思いこそ戦争の本質を表している。生きる為には戦うしかない。それが戦争なのである。別に人類は好き好んで戦争を繰り返してきた訳ではない。他に方法が見つからなかっただけなのだ。 何があっても絶対に人殺しなんてしない 生きる為にどうしても必要ならば、人殺しも仕方無い こうして冷静に見比べてみると、この両者の言っている内容は明らかに正反対であることが分かるだろう。しかし、この両者をセットで述べる人は非常に多い。そうすることで、どうにか誤摩化そうとされがちなのだ。だが、セットにして述べることこそ極めて愚かな行為である。これもまた火事に喩えるとよく分かる。 火事は恐ろしい。起きて欲しくない。 それでも火事が起きてしまったら仕方無いので、覚悟を決めて油をかける。 分かりやすく極端な言い方をすると、このような意味になる。実はこの両者は「白か黒か」という両極端の考え方なのである。それぞれを単独に見れば決して突飛な考え方ではない。しかし、その両者をセットで述べることとは「戦争は起きて欲しくないが、起きてしまったら仕方無いので戦う」という意味であり、実は中間に位置すべき様々な予防法や妥協案などが丸ごと素っ飛ばされているのだ。平和な内に戦争を避ける努力もせず、戦争の火種を前にして消化する努力もせず、戦争が起きてしまっても尚解決する努力もせずに「仕方無いから戦う」と言っているにすぎない。これほど愚かなことは無いだろう。 事前の準備が足りないとはそういうことなのだ。平和と戦争の間にどれだけの選択肢があるのか。どれだけのグレイゾーンがあるのか。それを知らないから「白か黒か」という両極端の2択になってしまうのである。 だから、まずは「生きる為には戦うしかない」という状況を卑怯だと罵って終わらせずに、理解して受け入れなければならない。その前提に立ち、その上でそこから「生きる為には、本当に戦うしか無いのか」「戦わないで済む方法は本当に無いのか」と問い始めなければならない。そうやって少しずつグレイゾーンを広げていくしかないのだ。みんなが「仕方無い」という言葉を受け入れて、そこで思考停止してしまったら、そこから戦争はスタートする。「仕方無い」という結論で終わらせてはいけない。「仕方無いけど、それでも本当に他の方法は何も無いのか」と問うことこそ、「どうして戦争は無くならないのか」という疑問について考えるスタートラインなのだ。戦争について考えることとは、戦争について何も考えないことではない。何も考えずに「私は絶対に誰も殺さない」と宣言することでも無ければ、「戦争なのだから仕方無い」と諦めてしまうことでもない。自分の手で人を殺してしまうような状況や危険性について考え、その状況を打破する方法は無いのか、それを戦争とは無縁の平和な社会である内から事前に探ることなのである。
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autolink イカなんとかさんとは、漫画・アニメ『侵略!イカ娘』の主人公イカ娘とライトノベル・アニメ『とある魔術の禁書目録』の登場人物インデックスの外見が似ていることと、インデックスがそのキャラ性などからインなんとかさんと呼ばれることに掛けた言葉だと思われる。 同様の言葉としてイカ娘とインデックスを掛けたイカデックスという言葉も用いられる。 関連項目 侵略!イカ娘 とある魔術の禁書目録 げそぶ シーサイド 歩く魚介
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『みんな大好き(既定事項)声劇とかなんとか』 A:子どもが想像する大人的な何か。 B:大人が期待する子ども的な何か。 A01「趣味を持つことは良いことだ」 B01「本当に?」 A02「もちろん。僕がこの身で確かめた」 B02「……大人ってずるい。長生きするだけでいろんなところで先回りできちゃう」 A03「というわけで、声劇つくっちゃおうぜ!」 B03「何故に?」 A04「だって、お前こういうの好きだろう?」 B04「……大人ってずるい。目玉が高い位置にあるといろんなものが見えちゃうんだろうか」 B05「自分がやりたいだけのくせに。自分の趣味の仲間を増やしたいだけのくせに」 A05「バレたか」
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昨日、ギコっぽい演奏コンテスト企画会議(スカイプ)が開かれ、 演奏コンテストの日時が12月26日の20時から開かれることが発表された。 今回で第二回となる演奏コンテストは、第一回が春だったかそれとも夏だったかに開催された。 主催者の毛糸氏は「ギコっぽいの過疎化を止める最後の手段。最大70人を目指したい」と話っている。 すでに3~4人が出場予定で、現在も参加者は募集中。 (11月4日 帯広スポーツ) こんばんわ煉瓦です 演奏コンテストの企画が本格化してきましたね 言っとくけど↑は帯スポの記事だからな!決して俺が作ったんじゃないぜ! 今日は体育でソフトボールをしました 野球系スポーツは好きですからね、良かったと思います え?結果? 二ゴロ 投ゴロ 遊ゴロですね 本当に俺はノーパワーだね(ニッコリ あと国語で要約の学習をしました 要約って大学入試でかなり重要らしいですからね やり方をしっかり覚えとかないといけませんね ついでに大学入試に関する話を1つ 理科や社会とかで大問1って基礎問題が出ますよね それで1問目正解、2問目不正解、残りが正解だったとしましょう それだと1問目の点数しか入りません こういう問題は簡単なものから順番に出していくらしいので 不正解より後の問題は採点してもらえないようです さて明日は体育大会です はたして我がクラスは1種目でも予選突破することができるのだろうか・・・ コメント返信の時間ですが今日もコメントが・・・あ、あったわ 毛糸さん とりあえず第一号おめでとうございます 花瓶置いたことあるのか・・・ まあ過去の失敗はスパイスかもしれませんね ちなみに失敗かどうか見極めるのは自分次第です(キリッ 何か最初だから変な文章になってしまったかもしれんな それでは(´・ω・`)
https://w.atwiki.jp/souhatsu-aa/pages/40.html
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