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政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(5) 第5巻:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf 目次(第五巻) 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(5)資料の概要紹介 米国国立公文書館・国立国会図書館所蔵資料Ⅰ、連合軍翻訳通訳部局(ATIS)関係文書 26項目26点 Ⅱ、連合軍東南アジア翻駅・尋問センター(SEATIC)関係文書 5項目5点 Ⅲ、戦争情報局(United States Office of War Information)関係資料 1項目1点 Ⅳ、写真資料 4点………………………211 資料の概要紹介 第1巻 … 3 第2巻 …49 第3巻 …65 第4巻 …87 第5巻 …99 米国国立公文書館・国立国会図書館所蔵資料 Ⅰ、連合軍翻訳通訳部局(ATIS)関係文書 26項目26点 一 尋問調書(Interrogation Peport) № 24(未作成) …9 ニ 尋問調書(Interrogation Peport) № 25(未作成) …19 三 尋問調書(Interrogation Peport) № 27(未作成) …25 四 尋問調書(Interrogation Peport) № 28(未作成) …29 五 尋問調書(Interrogation Peport) № 30(未作成) …33 六 尋問調書(Interrogation Peport) № 31(未作成) …39 七 尋問調書(Interrogation Peport) № 34(未作成) …43 八 尋問調書(Interrogation Peport) № 37(未作成) …49 九 尋問調書(Interrogation Peport) № 46(未作成) …53 十 尋問調書(Interrogation Peport) № 48(未作成) …59 十一 尋問調書(Interrogation Peport) № 50(未作成) …63 十二 尋問調書(Interrogation Peport) № 52(未作成) …67 十三 尋問調書(Interrogation Peport) № 53(未作成) …71 十四 尋問調書(Interrogation Peport) № 57(未作成) …75 十五 尋問調書(Interrogation Peport) № 60(未作成) …79 十六 尋問調書(Interrogation Peport) № 63(未作成) …83 十七 尋問調書(Interrogation Peport) № 67(未作成) …87 十八 尋問調書(Interrogation Peport) № 78(未作成) …91 十九 尋問調書(Interrogation Peport) № 94(未作成) …97 二○ 尋問調書(Interrogation Peport) № 104(未作成) …101 二一 尋問調書(Interrogation Peport) № 573(未作成) …107 二二 捕虜尋問調書(PriSoner of war Interrogation Report)(未作成) …113 二三 時報 (Bulletin) № 1483(未作成) …115 二四 時事翻訳(Current Translations) № 100(未作成) …121 二五 調査報告書(Research Report) № 120(2)(未作成) …125 二六 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) …137 Ⅱ、連合軍東南アジア翻駅・尋問センター(SEATIC)関係文書 5項目5点 一 SEATIC時報 № 116(未作成) …169 二 SEATIC時報 № 131(未作成) …175 三 SEATIC時報 № 182(未作成) …183 四 SEATIC時報 № 186(未作成) …189 五 SEATIC時報 № 197(未作成) …195 Ⅲ、戦争情報局(United States Office of War Information)関係資料 1項目1点 一 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) …203 Ⅳ、写真資料 4点………………………211 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』へ
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慰安婦問題に関してまとめるページです。 以下は、従軍慰安婦に関する素晴らしい情報を提供している サイト様 を参考に機銃つしております。一度目を通しておくと良いと思います。 証言の信憑性に関して 従軍慰安婦問題で自称従軍慰安婦として証言を行う黄錦周さんと、李容洙さんの証言を検証する。 黄錦周さんの証言 (1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一 「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。 1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」 (2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日 「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」 (3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題) 「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」 (4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期 「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」 (5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日 『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』 (6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて 「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」 このように証言な発言から一貫性がない発言を行っていることは明らか。 李容珠の証言 さいたま浦和で行った公演の次の資料を見ていただきたい。 これらの誤り(?)だけで、証言の信ぴょう性を完全に否定するわけではないが、少なくとも当時の記憶に関して曖昧さが起こっていることは確かであろう。
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ところが、ここに来て、安倍首相や彼の取り巻きをあっと驚かせる新事実が飛び出した。林博史・関東学院大教授が米国の新聞で発表した論文である。 それによると、第二次世界大戦直後の東京裁判において、オランダ、フランス、中国などが提出した資料に、日本軍に強制的に連行され、従軍慰安婦として働かされたことを示す資料がたくさんあるということだ。それによると、地元警察に捕まってそのまま日本の収容所に連れて行かれて慰安婦にされた話や、現地の女性を拘留した理由として、売春宿に入れるための口実だったと日本軍が答えた調書などが数多く残されているとのことだ。 ここでのポイントは二つある。まず、東京裁判での資料なのだから、これは公文書だということ。そしてもう一つは、日本はサンフランシスコ講和条約によって東京裁判を受け入れたということだ。つまり日本は、従軍慰安婦の強制連行を公式に認めていたわけだ。 わたし自身は東京裁判の資料を直接読んだわけではない。しかし、この論文に書かれたことが事実であるならば、事は重大だ。安倍首相や下村官房副長官の罷免にもつながるだろう。 もはやこれだけはっきりとした歴史的資料を提示されてしまったのだ。日本が強制的に従軍慰安婦を連行したことを示す証拠はなかった、などということはできない。これまでの安倍首相や下村官房副長官の発言は、日本の信頼を失墜させ、国際的な物義をかもしたことになるのだ。少なくとも野党はこの資料を元に、下村官房副長官の罷免要求をするべきだ。なにしろ日本はこの問題のためにアジアの友邦国から見ても大きく後退した、と思われているのだから。 安倍首相は4月下旬に訪米する際に、同国のマスコミ取材に対して「慰安婦問題については日本に責任がある」「わたしはかねてより河野談話を支持していた」と、従来の主張とは180度異なる発言をした。節操のない話ではあるが、そう言わざるを得なかった事情もあろう。彼の本心はどうあれ、言葉の上だけでも責任を明確にしたことは一応の評価はできる。 ところがこのように明確な資料が出てきても、首領たる安倍首相が責任を認めてもなお、意見を変えない人たちもいる。自民党の中山成彬元文科相だ。彼は安倍首相の渡米と同時期に「日本軍の強制連行による従軍慰安婦はいない」と明言している。 訪米を前に安倍首相は夫人を伴ってCNNテレビのインタビューを受けた。夫婦でインタビューというのも、この問題に関して夫人の力を借りて事態の沈静化を図ろうという意図が見え見えなのだ。しかし、その中でこの問題に関して「あなたのご主人は強制連行は無かったと言っている」とキャスターに突っ込まれると「あなた、そんなこと言っているの?」と夫人は首相に聞いて見せているのである。この白々しいやり取りは聞く人すべての心証を著しく悪くした。これだけ世界的に騒がれている事に対し、自分があたかも初めて聞いたという感じで問いただせば人間的信頼はゼロになる。 「世間ではそう言ったとわたしも聞いていますが、彼の真意ではないと思います。現にわたしには昔からこの問題では心を痛めている、と常々言っておりますから」くらいのことを言うのならまだしもだが。要は苦し紛れに夫人を担ぎ出し、日本人のわたしが聞いても「やめてくれー!」と叫びたくなるような下手な演技を展開したのだ。そして、この十字架を背負って首相夫妻は訪米したのである。
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 3-06 なぜ従軍慰安婦について本を書こうとしたのか… 3-06 なぜ従軍慰安婦について本を書こうとしたのか…コメント欄 私はあの戦争末期近くに学徒出陣で兵隊へとられた組だ。家族は"満州"におり敗戦後に侵攻してきたソ連兵などから口にいえないようなめにあい裸一つで日本へたどりっいた引き揚げ者だ。 そんなことで自分は戦争被害者の最底辺にいる存在だと思っていた。そこで一九五六年(S31)勤めていた毎日新聞を去り、物書きになろうとしたとき生涯のテーマをこんな人間を生んだ戦争ときめた。明治以来の日本の軍事史、戦争史をそこから調べはじめた。 その途中で突然毎日新聞出版局長から呼び出しがかかり「大変なものが出てきたからこれを整理分類し一冊の写真集にしてくれ」といわれた。大変なものというのは、あの十五年戦争36)中戦場へ派遣された毎日新聞の特派員が本社に送ってきた写真ネガと紙焼きの山で、総数二万四千余枚あるものだった。 36) 十五年戦争(じゅうごねんせんそう) 満州事変開始の一九三一年より、日中戦争、太平洋戦争を包括して一九四五年までの十五年間にわたる対外戦争の総称。これは日本帝国主義のアジア侵略の特に中国侵略が、こ一の過程を決定的に規定している点を重視する考え方による。 各新聞ともほぼ同数のネガと紙焼きの山をもっていたが、敗戦後米軍がその全ての提出をもとめてきた、それを毎日新聞大阪本社写真部長が「新聞記者の血と涙の結晶をそうそう提出できるか」と生駒山の農家にかくしたものの十年十五年たつうち所在不明になっていたが、これがたまたま発見された、というのだった。 以来一年そのネガと紙焼きの山と格闘し『毎日グラフ別冊・日本の戦歴』(前後篇)にまとめ、これが爆発的に売れたのだが、整理分類しているうち下半身は揮(ふんどし)一つで川を渡る兵隊の横を腰までスカートをたくしあげ頭へ荷物をのせた女性二人が同じように川を渡る写真をみっけた。さっそくその写真を撮った元従軍記者だった方をさがし話を聞くと「これが朝鮮ピーだ」と教えてくれた。 朝鮮ピーという言葉を知らなかったのでさらに質問すると「朝鮮人従軍慰安婦のことだ」といい、慰安所のこと、兵隊がその前で列をつくっていたことなどを話してくれた。「共同便所みたいなものだった」という話から「とにかく圧倒的に朝鮮人が多かった」ことまで話してくれた。 さらに聞くと"共同便所"とさげすまれた悲惨さは兵隊以下のものだった。これまで自分こそ戦争被害者の最底辺としていた思いをみごとにぶち壊された。そこから、従軍慰安婦のことを調べ活字にすることから始めようと思ったのだ。 その元従軍記者は朝鮮人従軍慰安婦がどこからどのようにして連行されてきたかは知らなかったから、調べはそこから始まった。足かけ八年かかった。朝鮮には七度取材に行ったし、東南アジアヘも足をのばさざるを得なくなった。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか… 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…コメント欄 ナポレオンが帝政時代のロシアヘ侵攻したときに、従軍慰安婦を連れていったという話はあるが、近現代となってからどこの国の軍隊にもこうした制度の存在はない。さらにいうと、ナポレオン軍の場合は常習的売春婦を集め連れていったので騙しや強制連行、まして徴用令などによるものではなかった。 同じ日本軍でも日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、山東出兵27)から満州事変までなかった。さきに語ったように一九三七年(S12)に始まった"支那事変"開始以降に生まれたものだった。 あの戦争のときの米軍をみていくと、これも前に話したが戦場における兵隊は動くのをみたら先に殺す、死にたくなかったら相手を先に殺せという状況のなか誰しも一過性精神異常者となる。理性もどこかへ吹き飛んでしまう。そこで一会戦が終るとギリギリまできた将兵を太平洋戦争の場合はオーストラリアのシドニーとかハワイのホノルルヘ送りかえし新手の部隊を戦場へ投入していた。 それはそれだけ輸送力があり兵員にもゆとりをもって戦争へのぞんでいたということだが、日本軍にそんなゆとりはなかった。そこで一過性精神異常者対策は女をあてがうことだという当時の軍幹部の発想から戦場へ女を連れてこようとしたが、尋常の手段でそんな大量のしかも売春のみを目的とする女が集まるはずがない、かくて生まれた制度と存在だった。 27)山東出兵(さんとうしゅっぺい)[第一次 一九二七(昭和2)年、第二次、第三次 一九二八(昭和3)年] 中国国民政府は、一九二六年蒋介石率いる国民革命軍の北伐を開始し、北京を目指した。中国民衆はこれを支持し、反帝国主義運動が盛んになっていった。 これを阻止しようとした日本政府は、山東省の在留邦人の生命財産保護を理由に約二千名を青島(チンタオ)に派遣し、さらに済南に進出した(=第一次山東出兵)。山東省に接近していた国民革命軍はこの日本の出兵に北上を妨げられ、ついに中止を余儀なくされた。 しかし、一九二八年、蒋は北伐を再開し、山東省に進出した。日本政府は再び約五千の兵を送り込み市街戦となった。激戦の末、日本軍は済南城を攻略したがこの戦いで国民軍は四千人以上が死傷した。 さらに翌日約一万五千の兵を送り込んだ日本政府は山東を占領した(第三次山東出兵)。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(3) 防衛庁関係公表資料(下) 54項目100点 第三巻ソース: http //www.awf.or.jp/pdf/0051_3.pdf 目次(第三巻) 防衛庁関係公表資料(下) 四八 大東亜戦争関係将兵ノ性病処置ニ関スル件[陸軍省副官](昭17・6)(未作成)---- 3 四九-(1) 昭和一七年九月副官会同席上意見、質疑及回答[支那派遣軍総司令部](昭17・10・3)(未作成)---- 7 四九-(2) 昭和一七年九月副官会同席上意見、質疑及回答(追加)[支那派遺軍総司令部](昭17・9)(未作成)---- 17 五〇 軍政規定集第三号[馬来軍政監部](昭18・11・11)(未作成)---- 21 五一 検微成績ノ件通報[イロイロ患者診療所](昭17・5・12~12・27)(未作成) ---- 45 五二 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・5・13、16)(未作成)----105 五三 独立自動車第四二大隊第一中隊陣中日誌(昭17・5・14)(未作成)----113 五四 独立自動車第三九大隊第四中隊陣中日誌(昭17・5・29、30)(未作成)----117 五五 慰安所ニ関スル規定[独立守備歩兵第35大隊](昭17・6・6、11)(未作成)----123 五六 状況報告[プツアン警備隊長〕(昭17・6・16)(未作成) ----129 五七 部隊軍紀風紀粛正ニ対スル服務計圃提出ノ件報告[イロイロ派遣憲兵隊長](昭17.6.25)(未作成)----133 五八 独立自動車第四二大隊第一中隊陣中日誌(昭17・7・16)(未作成)----139 五九 戦時月報[独立守備歩兵第35大隊](昭17・7・31)(未作成)----145 六〇 軍人倶樂部規定[マスバテ島守備隊長](昭17・8・16)(未作成)----149 六一 独立自動車第三九大隊第四中隊陣中日誌(昭17・8・18、24)(未作成)----153 六二 独立自動車第四二大隊第一中隊行動詳報(昭17・8・24)(未作成)----159 六三 第二五軍情報記録[富集団司令部〕(昭17・8・25)(未作成)----165 六四 独立自動車第三九大隊第四中隊陣中日誌(昭17・9・8)(未作成)----171 六五 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭17・9・8)(未作成)----175 六六 独立守備歩兵第三五大隊陣中日誌(昭17・10・5)(未作成)----179 六七 慰安所規定送付ノ件[軍政監部ビサヤ支都イロイロ出張所](昭17.11.22)(未作成)----187 六八 兵站勤務ニ関スル規定ノ件達[第14軍司令官](昭17.11.17)(未作成)----195 六九 サック支給ノ連絡〔カトバロガン分隊あて〕(昭17・11・21、12・12)(未作成)----199 七〇 バナイ島接客業組合骨子[バナイ島接客業組合](昭17.12)(未作成)----201 七一 情報旬報[独立守備歩兵第35大隊](昭17・12)(未作成)----205 七二 在淮陰芸娼妓検梅成績表[歩兵第54連隊](昭18・1・29、18・4)(未作成)----209 七三 衛生業務要報[第15師団軍医部](昭18・1、18・2)(未作成)----213 七四 独立自動車第四二大隊第一中隊行動詳報(昭18・1・13)(未作成)----227 七五 独立守備歩兵第三五大隊陣中日誌(昭18・2・14)(未作成)----231 七六 防犯資料[第36師団司令部](昭18・3・4)(未作成)----237 七七-(1) 軍慰安並娯楽設備状況ニ関スル件照会[パギオ憲兵分隊長](昭18・8・2)(未作成)----243 七七-(2) 軍慰安並娯楽設備状況調査ノ件「通牒」[セブ憲兵分隊長](昭18・8・10)(未作成)----245 七七-(3) 軍慰安所並娯楽状況調査ノ件(回答)[タクロバン憲兵分隊長](昭18・8・14)(未作成)----247 七八 慰安婦一ノ金銭紛失ニ関スル件報告〔タクロバン憲兵分隊長あて〕(昭18・8・3)(未作成)----251 七九 巡察計画表[タクロバン憲兵分隊](昭18・10・14)(未作成)----257 八○ 雪第三五二五部隊日日命令(昭18・11・7)(未作成)----261 八一-(1) 林第三六二九部隊日日命令(昭18・12・11、21,25)(未作成)----263 八一-(2) 林第三六二九部隊日日命令(昭19・1・1、3,6)(未作成)----271 八二 外出及軍人倶楽部ニ関スル規定〔直兵団遠山隊](昭19)(未作成)----277 八三 陸軍軍人軍属非行表(一〇月、一一月)[パヨンボン憲兵分隊](昭19・10・11)(未作成)----285 八四 タクロパン憲兵分隊作命綴〔垣第六五五〇都隊参謀長・独立混成第33旅団長](昭19・1・10、3・17)(未作成) ----287 八五 軍政月報[馬来軍政監部](昭19・2・29)(未作成)----295 八六 サンタクルース患者療養所[第16師団第2野戦病院陸軍軍医中尉](昭19・5・14)(未作成)---299 八七-(1) 要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭19・5・24、26、27。31)(未作成)----306 八七-(2) 要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭19・6・4、5、9)(未作成)----319 八八 オルモック派遣隊現状報告[オルモック派遣隊長](昭19・5・27)(未作成)----327 八九 軍人倶楽部利用規定[中山警備隊(在広東)](昭19・5)(未作成)----331 九〇 第三魚雷艇隊戦時日誌(昭19・7・20)(未作成)----341 九一-(1) 石兵団会報第五四号(昭19・9・14)(未作成)----347 九一-(2) 石兵団会報第五六号(昭19・9・17)(未作成)----351 九一-(3) 石兵団会報第五七号(昭19・9・19)(未作成)----355 九一-(4) 石兵団会報第五八号(昭19・9・21)(未作成)----357 九一-(5) 石兵団会報第六二号(昭19・9・28)(未作成)----361 九一-(6) 石兵団会報第六四号(昭19・10・2)(未作成)----363 九一-(7) 石兵団会報第七四号(昭19・10・19)(未作成)----365 九一-(8) 石兵団会報第七九号(昭19・10・26)(未作成)----369 九一-(9) 石兵団会報第八四号(昭19・11・12)(未作成)----371 九一-(10) 石兵団会報第九○号(昭19・12・4)(未作成)----373 九一-(11) 石兵団会報第一○一号(昭19・12・28)(未作成)----375 九二 沖縄真志喜警備中隊陣中日誌(昭19・11・7~12・16)(未作成)----379 九三 独立混成第一五連隊連隊砲中隊陣中日誌(昭19・10・4)(未作成)----393 九四 独立混成第一五連隊第二機関銃中隊陣中日誌(昭19・11・4)(未作成)----397 九五-(1) 独五混成第一五連隊第一大隊本部陣中日誌(昭19・11・7、15、17、26)(未作成)----401 九五-(2) 独立混成第一五連隊本部隊陣中日誌(昭19・12・28、31)(未作成)----407 九五-(3) 独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成)----415 九六 独立混成第一五連隊第八中隊陣中日誌(昭19・11・9)(未作成)----425 九七 独立混成第一五連隊第三中隊陣中日誌(昭19・11・24)(未作成)----429 九八 要塞建築勤務第六中隊北飛行場五六飛大派遺、重信班陣中日誌(昭19・12・24~31)(未作成)----433 九九 駐屯地会報ニ於ケル示達事項[南地区駐屯地司令官](昭20・1・13)(未作成)----445 百 第二大隊命令[国頭支隊第2歩兵隊第2大隊本部](昭20・1・14)(未作成)----451 百一 独立重砲兵第一〇〇大隊平山隊作命綴[中隊長](昭20・2・10)(未作成)----455 百二 第六二師団副官部陣中日誌(昭20・1・15)(未作成)----459 百三 独立混成第四四旅団第二歩兵隊第二大隊機関銃中隊日命会報録(昭20・1・15)(未作成)----463 百四 輜重兵第四九連隊第一中隊陣中日誌(昭20・2・1)(未作成)----467 百五 独立第二九大隊本部陣中日誌(昭20・2・24)(未作成)----473 百六 海軍慰安所利用内規〔第12特別根拠地隊司令部](昭20・3・18)(未作成)----477 百七 性病予防ニ関スル件通知[第12特別恨拠地隊軍医長](昭20・3・29)(未作成)----481 百八 歩兵第一〇六連隊連隊砲中隊陣中日誌(昭20・2・23)(未作成)----487 百九 金辺憲兵隊日誌(昭20・9・7)(未作成)----491 百十 復員並居留民船舶輸送情報第七号[陸軍省交通部](昭20・9・29)(未作成)----495 百十一 第四八師団戦史資料並終戦状況[師団長](昭21・7・5)(未作成)----499 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』へ
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政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(2) 防衛庁関係公表資料(上) 47項目67点 第2巻ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf 目次(第二巻) 防衛庁関係公表資料(上) 一 軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件[陸軍省副官](昭13・3・4)(未作成) …3 二 戦時服務提要〔教育総監部本部長](昭13・5・25)(未作成) …9 三-(1) 軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注意ノ件[北支那方面軍参謀長](昭13.6.27)((歩兵第9旅団陣中日誌に転記されたもの))(未作成) …21 三-(2) 軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注意ノ件[北支那方面軍参謀長](昭13.6.27)((歩兵第41連隊陣中日誌に転記されたもの))(未作成) …27 四 慰安所ノ状況【波集団司令部](昭14.4)(未作成) …37 五 支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策[陸軍省副官](昭15・9・19)(未作成) …43 六 戦場生活ニ於ケル特異現象ト其対策[早尾乕雄](昭14・6)(未作成) …55 七 支那事変ニ於ケル軍紀風紀ノ見地ヨリ観察セル性病ニ就テ[大本営陸軍部研究班](昭15・10)(未作成) …75 八 昭和一四年八月第二旬衛生旬報[南支派遣軍軍医部](昭14・8)(未作成) …79 九 呂集団特務部月報(昭15・4)(未作成) …93 一〇 政務月報[遠藤兵団政務都](昭16・2)(未作成) …109 一一-(1) 昭和十六年一一月陸軍々人軍属非行表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭16)(未作成) …119 一一-(2) 昭和一六年一一月憲兵干与邦人(合、台鮮人)犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部】(昭16)(未作成) …127 一一-(3) 昭和一六年一二月陸軍々人軍属犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭16)(未作成) …131 一一-(4) 昭和一六年一二月中陸軍々人軍属非行表〔中支那派遣憲兵隊司令部](昭16)(未作成) …135 一一-(5) 昭和一六年一二月憲兵関与邦人(含、台鮮人)犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭16)(未作成) …139 一二 軍紀違犯者ノ件特別報告[第13師団長〕(昭17・1)(未作成) …143 一三 特別報告中軍人変死ノ件報告[第13師団長〕(昭17・3)(未作成) …147 一四 軍紀違犯事件詳報[第11軍司令官](昭17・3・20)(未作成) …151 一五 軍紀違犯事項ニ関スル件報告[支那派遣軍総司令部](昭17・3・30)(未作成) …157 一六-(1) 昭和一七年一月陸軍々人軍属犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) …161 一六-(2) 昭和一七年ニ月陸軍々人軍属犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) …165 一六-(3) 昭和一七年ニ月軍人軍属非行表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) …169 一七 逃亡ニ関スル報告[第22師団長](昭17・3・30)(未作成) …175 一八 軍紀違犯事項報告[第58師団長](昭17・4・8)(未作成) …181 一九 陸軍軍事警察年報(昭和一六年)【中支那派遣憲兵隊司令部](昭17・5・3)(未作成) …183 二〇-(1) 昭和一七年四月陸軍々人軍属犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) …187 二〇-(2) 昭和一七年四月陸軍々人軍属非行表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) …191 二一 軍法会譲判決[北支派遣軍](昭17・5・5)(未作成) …195 二二 軍人ノ変死ニ関スル件報告[第3飛行師団司令部](昭和17)(未作成) …199 二三-(1) 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍司令官〕(昭17・3・12)(未作成) …203 二三-(2) 南方派遺渡航者ニ関スル件【陸軍省副官〕(昭17・3・16)(未作成) …205 二三-(3) 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍参謀長〕(昭17・3・16)(未作成) …207 二四-(1) 渡航手続ニ関スル件【波集団参諜長〕(昭17・11・12)(未作成) …209 二四-(2) 渡航手続ニ関スル件【陸軍次官〕(昭17・11・18)(未作成) …213 二五 戦時月報[香港占領地総督部〕(昭17・4)(未作成) …217 ニ六 香港ノ警備並ニ軍政実施ニ関スル香港占領地総督第二遣支艦隊司令長官間協定覚書(昭17・5・4)(未作成) … 221 二七 状況報告[独立攻城重砲兵第2大隊長](昭13・1・20)(未作成) …225 二八 独立攻城重砲兵第二大隊第二中隊陣中日誌(昭13・1・26)(未作成) …229 二九 独立攻城重砲兵第二大隊第二中隊陣中日誌(昭13・2・1、24、27)(未作成) …233 三〇 独立攻城重砲兵第二大隊第二中隊陣中日誌(昭13・3・3、11、14,16)(未作成) …241 三一 常州駐屯間内務規定[独立攻城重砲兵第2大隊](昭13・3・16)(未作成) …251 三二-(1) 第一四師団衛生隊第三中隊陣中日誌四号(昭13・4・10)(未作成) …259 三二-(2) 第一四師団衛生隊第三中隊陣中日誌八号(昭13・11)(未作成) …263 三二-(3) 第一四師団衛生隊第三中隊陣中日誌一〇号(昭14・1)(未作成) …271 三二-(4) 第一四師団衛生隊第三中隊陣中日誌一四号(昭14・5)(未作成) …275 三二-(5) 第一四師団衛生隊担架第三中隊陣中日誌一六号(昭14・7)(未作成) …281 三二-(6) 第一四師団衛生隊担架第三中隊陣中日誌一七号(昭14・8)(未作成) …287 三三 第三兵站部向井支部陣中日誌(昭13・7・1)(未作成) …293 三四 第二軍状況概要[第2軍司令部(中支武漢地区)](昭13・12・10)(未作成) …297 三五-(1) 独立山砲兵第三連隊陣中日誌(昭14・1・7、4・23)(未作成) …305 三五-(2) 独立山砲兵第三連隊陣中日誌(昭14・6・7、30)(未作成) …311 三六 第一〇八師団第四野戦病院業務詳報【北警備隊](昭14・6・12)(未作成) …321 三七 森川部隊特種慰安業務ニ関スル規定[森川部隊長](昭14・11・14)(未作成) …327 三八 幹部ニ対スル衛生教育順序[北支那派遺軍甲集団軍医部】(昭15・2)(未作成) …337 三九 第一病院支那事変第八回功績概見表[第一病院長](昭15・12・10)(未作成) …347 四〇-(1) 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭16・1・16、5・3、6・20)(未作成) …357 四〇-(2) 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭17・3・20、27)(未作成) …365 四〇-(3) 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭17・4・3、5)(未作成) …373 四一 独立山砲兵第三連隊陣中日誌(昭16・4・9)(未作成) …377 四二 歩兵第一一連隊第七中隊陣中日誌(昭17・3・23、4・3)(未作成) …381 四三 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・4・3、5・14)(未作成) …385 四四-(1) 父島要塞司令部参謀部陣申日誌(昭17・4・11、14、16)(未作成) …391 四四-(2) 父島要塞司令部参謀部陣申日誌(昭17・5・9、12)(未作成) …399 四五 歩兵第一一連隊第三中隊陣中日誌(昭17・4・24)(未作成) …403 四六 独立自動章第四二大隊第一中隊陣中日誌(昭17・4・30)(未作成) …409 四七 クワラビラ・バハウ駐留規定〔クワラピラ警備隊長](昭17・4・25)(未作成) …415 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』へ
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なぜ従軍慰安婦についての話が韓日でかみ合わないのか。 | 伝統 No.1594294 投稿者 cuore 作成日 2007-11-01 16 55 08 閲覧数 1650 推薦ポイント 14 / 0 主として軍人相手の売春行為をしていた所謂従軍慰安婦(区別のために赤字で表記)の存在を否定する日本人はおそらくいないだろう。しかし、韓国内においては「日本人は従軍慰安婦を否定する」と言うのがどうやらスタンダードらしい。 日本軍や警察によって、強制的に連行された。 挺身隊の名の下で集められた。 別の職業だと騙された。 その他何らかの形で本人の意思にそぐわない形で就業した。 とにかく日本政府が関わっていた。 性奴隷として扱われた。 抵抗したり、脱走して捕まると、拷問を受けたり殺されたりした。 慰安婦だったおばあさんたちが何人も証言している。 河野談話によって日本政府も強制を認めた。 日本は謝罪したかもしれない気がするが、絶対に真正なお詫びではないし心から反省していない。 何がどう転んでも日本が悪いことには変わりない。 このようなものを全て含むものを韓国側では従軍慰安婦(区別するために青字で表記)と呼んでいる。「軍が強制した証拠がない」「奴隷ではない」「日本政府は悪くない」など、上記の何かしら一つでも反論をしたり、疑義を質そうとすると、それがどんなレベルの発言であれすぐさま「妄言」と称され、「お前は従軍慰安婦を否定した」となる。決して従軍慰安婦の存在そのものを否定しているわけではなくても、韓国側はこのような脳内処理をするのである。 そしてその「妄言」に対して従軍慰安婦の存在を肯定する個別の事例や言説や証拠を提示することによって反駁がおこなわれ得ると考えている。全く以って的外れなコピペ投稿で返答まがいの行為をしている例を見かけるが、日本側からの反論はどんな場合においても「従軍慰安婦は存在しない」であるから、従軍慰安婦が存在した証拠を何らかの形で提示すればいいだけである。 たとえば、「従軍慰安婦はいたが軍による強制の証拠はない」と言う指摘に対して、本来なら「この書類が女性を強制連行しろと言う内容が書かれた軍の命令書であり、軍による強制の証拠は無いという主張は崩された」と言うような形で、軍が強制した証拠を提示することでしか反駁は可能ではないのだが、韓国式の反駁方法はこれとは異なるようだ。 「軍による強制の証拠はない」→URINARA変換→「従軍慰安婦は無かったと言う妄言」となり、それに対して本来なら関係のない「騙されて連れて行かれた女性がいたという証拠」や「日本政府が従軍慰安婦の存在を知っていた証拠」を提示しその結果「従軍慰安婦がいた証拠を提示したことで妄言は粉砕。論破完了、ウェーッハハハ・・・ 以上のようになっているのだと推測する。だから、従軍慰安婦の話をしているのか、従軍慰安婦の話をしているのか、この区別が曖昧なままだと議論がかみ合わない。なまじ共通ゾーンがあるだけに、議論がかみ合っていないにもかかわらず話が通じてしまうことが多々ある。YOKO話についての雑感 でも述べたことだが、従軍慰安婦というのは韓国人の反日事例の中でも聖域に属する部分だと思う。NAVER韓国人レベルならいざ知らず、国の首脳がそろいもそろって馬鹿に見える発言をしているのは、曖昧なままにする事で聖域に対する議論がこれ以上進まないようにする、と言う一種の防衛本能なのかもしれない。 わかりやすいように図を作ってみました。無駄にわかりにくくなったかも・・・。 ↓Aの状態:「日本人は従軍慰安婦を否定する」とURINARA変換しているスレ 韓 http //enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory nid=1827278 日 http //bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory nid=1827278 ↓Bの状態:従軍慰安婦の証拠を出すことで反駁できたつもりのスレ 韓 http //enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory nid=1832786 日 http //bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory nid=1832786
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-04 その従軍慰安婦はどこからどのようにして集められたのか… 1-04 その従軍慰安婦はどこからどのようにして集められたのか…コメント欄 現地の中国人女性を集めたら治安上さらなる問題がおこるから日本内地で集めようということになり、軍所属の御用商人に金をもたせ急ぎ北九州へむかわせた。そこが上海地区に一番近いからだ。当時の日本は売春公認で、各地に売春業者が貧しい農村から前借という名で娘を買ってきて遊郭(ゆうかく)地区をつくっていたが、その業者は自分らのかかえている女性は出さない。そこで目をつけたのが、祖国で土地をとりあげられ北九州の炭鉱地帯へ流れてきた朝鮮人の娘たちだった。そこに民族差別をみたりするが、彼女たちは日本人坑夫の何分の一かの低賃金で働かされているその父親の下にいる娘たちだ。「戦場で兵隊さんの炊事や洗濯の世話をするだけで日銭が入る仕事がある。応募してくれたら千円をやる」といって彼女らを集めたのだ。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第7 挺身隊という用語の頻出と軍慰安婦動員1 1930年代以降、日本は戦争を遂行するために 2 様々な方法による民衆支配にもかかわらず、 3 勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとなし、 第7 挺身隊という用語の頻出と軍慰安婦動員 1 1930年代以降、日本は戦争を遂行するために 1930年代以降、日本は戦争を遂行するために韓国から「報国隊」や「学徒動員」「徴用」などの形で労働力を動員した。短期間の労働力奉仕は「報国隊」という名前で、長期間の動員は「挺身隊」という名前で動員され、1941年から1945年までの間に、様々な「挺身隊」が組織され、労働力動員がなされた。 「挺身隊」と名付けられたものには、「内鮮一体挺身隊」「国語(日本語)普及挺身隊」「報道挺身隊」などがあった。「挺身隊」は男性又は混性で構成されていたが、女性のみで構成された場合に、「婦人農業挺身隊」「特別女子青年挺身隊」「女子救護挺身隊」のように「婦人」または「女子」がつけられていた。このように様々な「挺身隊」が組織され、頻繁に使用されていた。 2 様々な方法による民衆支配にもかかわらず、 以上のように、日本政府や朝鮮総督府による様々な方法による民衆支配にもかかわらず、朝鮮民衆の間には、日本の行為に対する疑いや抵抗が幅広く存在した。 そして、それは、人道に対する罪であることの明らかな軍慰安婦を広範囲にわたって連行するに及んで「処女供出」として当時の朝鮮民衆に根深い恐怖を引き起こしたのである。慰安婦の総数については、8万とも、朝鮮人だけで「推定17万~20万」とも書われているが、実数は明らかではない。日本軍は戦争犯罪の追及をおそれ、敗戦直後に重要な資料を焼却しており、現在残っているものも政府が資料を公開しないため実数を確定することは困難である。学者による推計によれば、慰安婦総数として8万~20万人というのは、「そ う多くない数」と評価されている(吉見義明『従軍慰安婦をめぐる60のウソと真実』30頁)。そして本件の動員が行われた戦争末期の朝鮮では、「処女 供出」という言葉が広く流布していた。1944年、総督府は一層ひどくなった労働者不足に対応するため、「女子遊休労働力の積極的活用」という名目で女性の動員を行うこととし、新規学卒者と満14歳以上の未婚者の全員動員体制を確立しようとした。このなかで、次のような事態も発生していた。 3 勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとなし、 「勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとなし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、或いは不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相侯って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる」(吉見『従軍慰安婦』101頁、引用の内務大臣講義『朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件』)」 14歳以上の未婚の女性はすべて動員されるだけでなく、慰安婦にされるという噂が相当に広がっていたことがわかる。4月から8月にかけて、朝鮮人男性に対する第一回の徴兵検査が行われ、8月には未婚の女性(満12歳以上40歳未満)を軍需工場で働かせるための女子挺身勤労令が出されたので、未婚の女性はすべて慰安婦にされるという噂がひろがる条件が十分にあった。この噂は、若い女性をパニックに陥れ、経済的に余裕のある家庭では、娘を女学校から退学させて田舎に隠したり、いそいで結婚させたりしていた。 しかも実際に官と結託した軍が慰安婦を動員する際、他の労働力動員と同様に、「挺身隊」や「奉仕隊」という名前を付けた場合や「挺身隊」として労働力動員を名目にして騙して軍慰安婦にされた場合なども存在した。そのため、本件の朝鮮女子勤労挺身隊動員が行われた時には、すでに朝鮮国内においてこれらの噂が広範囲に広がっていたのである。 indexへ