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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-09 今日の従軍慰安婦問題はそのときからおこったのか… 1-09 今日の従軍慰安婦問題はそのときからおこったのか…コメント欄 残念ながら違う。それからまもなく戦後二つに分かれた北朝鮮と南朝僻が、それぞれソ連米国両者の支援のもと戦火をまじえる朝鮮戦争(動乱)21)がおこり朝鮮半島全域がめちゃめちゃになった。このなかでそうした離婚騒ぎは消し飛び、離散家族の問題のほうが大問題となった。廃墟のなかでいかに生きのびるかのほうが切実な問題になったこともある。 従軍慰安婦のことが活字になることもなかった。一九六八年(S43)にソウル新聞が従軍慰安婦の特集記事を掲載し、あの日本統治下で日本軍兵士にさせられて南方戦線に送られた経験をもつ作家、ソウル大学教授らの回想談を活字にした。それは敗戦直後シンガポールで>日本軍から棄てられた二百余人の朝鮮人従軍慰安婦の泣きくずれる姿や、これら従軍慰安婦は「たたかう日本軍将兵に天皇陛下が下さったご下賜品22)だった」などの内容を多々綴ったものであった。 しかし、これでこのとき従軍慰安婦問題が韓国内でとりあげられ問題となることはなかった。そこにはまだ朝鮮戦争の後遺症が大きく残っていたこと、経済生活の困難もあったのではないかと思う。朝鮮半島内での慰安婦集めに日本側がみせた非道さ醜さへの記述が足りなかったこともあったと思う。 21)朝鮮戦争(動乱)[一九五〇(昭和25)年~一九五三(昭和28)年] 一九五〇年六月、南北朝鮮を分ける北緯三十八度線で戦闘が開始された。この戦争は宣戦布告がなかったため「朝鮮動乱」と呼ばれたが、後にその実情にあわせ「朝鮮戦争」と呼ばれるようになった。 朝鮮は、一九四八年、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国がそれぞれ成立していたが、双方とも政情不安であった。 戦争が始まると北朝鮮は三十八度線を越え進撃を開始、三日後にソウルを陥落した。これに対し社会主義化を恐れたアメリカが即刻介入し、さらにアメリカ軍が中国国境にせまると中国も参戦した。第二次世界大戦後最も大きな戦争となったが、予想に反して戦争が長期化する中で、アメリカは占領下の日本に、五十年七月、警察予備隊の創設と海上保安庁要員の増員を指令した。 一九五三年朝鮮民主主義人民共和国と国連軍の間で休戦が成立、一応の終結をみた(朝鮮休戦協定)。 22)下賜品(かしひん) 下し賜る物。天皇など、身分の高い人がくださる金品のこと。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-14 日本国内に慰安所はなかったのか 従軍慰安婦はいなかったのか… 1-14 日本国内に慰安所はなかったのか 従軍慰安婦はいなかったのか…コメント欄 かつては売春公認時代だったから連隊単位で部隊の駐屯する所には民間売春業者が経営する遊廓の類があった。一九四四年(S19)秋以降のいよいよ米軍の沖縄来攻が予想される時期、ついで本土決戦を決意するにいたって大量の根こそぎ動員が始まったときから軍管理による慰安所が数は多くないがつくられていったと伝えられている。 沖縄をふくめた南西諸島、とくに沖縄には正確な数は不明だが数百人単位の朝鮮人従軍慰安婦が送られたことは事実だ。奇跡的に沖縄戦で生き残ったそのうちの一人裵奉奇(ペポンギ)さんがその間の事情を伝えていた。 一九四四年秋、二十九歳のとき生まれ故郷の韓国忠清南道から強制連行され、沖縄の日本軍特攻隊基地で将兵の相手をさせられそのまま故国に帰る機会を逸し、那覇(なは)市で生活保護をうけていたが昨年(一九九一)十月二十一日七十七歳でなくなられた方だ。彼女の証言は『赤瓦の家――朝鮮からきた従軍慰安婦』(川田文子・筑摩書房)『沖縄のハルモ ニ』(山中哲夫・晩聲社)や『アリランのうたオキナワからの証言』(朴寿南・青木書店)などに記録されている。 このほか本土決戦になったとき天皇・皇族はじめ軍や政府の中枢機関を長野県松代の巨大トンネルヘ移し、ここを"松代大本営"とする計画が一九四四年から進められ、万をこす朝鮮人男性が労務者として強制連行されてきたが、この松代にも慰安所がつくられていた。警備や監督のため集められた日本軍将兵が出入し慰安婦のすべては朝鮮人だった。その慰安所の建物は一部だけだが今も残っていてその保存運動が婦人団体を中心にすすめられている。 さらに本土決戦の最終段階のとき東京を目指す米軍が大挙上陸してくると、想定された千葉県九十九里浜へ一九四五年から防禦(ぼうぎょ)陣地の構築が始まり数個師団の部隊が集中させられたが、ここにも三ヵ所つくられたとか、奈良県の天理市にあった柳本空軍基地にもあり同じく朝鮮人従軍慰安婦が集められていたなどの証言もある。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(1)巻頭部分目次(第一巻) 資料部分目次(第一巻)一、警察庁関係公表資料 二、外務省関係公表資料 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(1) ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf 巻頭部分目次(第一巻) 発刊の辞 女性のためのアジア平和国民塞金 3 例言 5 政府・基金公表文書 一、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について 平成四年七月六日 内閣官房内閣外政審議室 7 二、いわゆる従軍慰安婦問題について 平成五年八月四日 内閣官房内閣外政審議室 11 三、慰安婦関係調査結果発表に関する内閤官房長官談話 平成五年八月四日 17 四、「従軍慰安婦」にされた人々 女性のためのアジア平和国民基金 19 内閣総理大臣の手紙 23 女性のためのアジア平和国民基金理事長の手紙 25 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』へ戻る 資料部分目次(第一巻) 警察庁関係公表資料 10項目12点 外務省関係公表資料 46項目156点 一、警察庁関係公表資料 一 不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件[外務次官](昭和12・8・31) …3 二 上海派遺軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌帰募集ニ関スル[群馬県知事](昭和13・1・19) …11 三 北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件[山形県知事](昭和13・1・25) …23 四 支那渡航婦女募集取締ニ関スル件[高知県知事](昭和13・1・25) …25 五 時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件[和歌山県知事](昭和13・2・7) …27 六 上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件[茨城県知事](昭和13・2・14)(未作成) …47 七 上海派遺軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件[宮城県知事](昭和13・2・15)(未作成) …53 八-(1) 支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件[内務省警保局長通牒案](昭和13・2・18)(未作成) …55 八-(2) 支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件〔内務省警保局長](昭和13・2・23)(未作成) …69 九-(1) 支那渡航婦女ニ関スル件伺[内務省瞥保局警務課長・外事課長](昭和13・11・4)(未作成) …77 九-(2) 南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件[内務省警保局長](昭和13・11・8)(未作成) …87 十 醜業帰渡支ニ関スル経緯[内務省](期日不明)(未作成) …105 二、外務省関係公表資料 一 支那渡航者ニ対スル身分証明番発給ニ関スル件[福岡県知事](昭12・12・15)(未作成) …113 二-(1) 済南其他膠済鉄遺沿線渡航者取扱方ニ関スル件[大分県知事〕(昭13・4・25)(未作成) …117 二-(2) 済南莫他膠済鉄道沿線渡航者取扱方二関スル件-回答[外務省亜米利加局長](昭13・5・4)(未作成) …119 三 「漢口攻略後邦人進出ニ対スル応急慮理要綱」送付ノ件[在上海総領事代理] (昭13・9・28)(未作成) …121 四-(1)〔漢ロヘノ渡航者取締ニ関スル件〕[在漢口総領事](昭14・2・3)(未作成) …125 四-(2) 漢口ヘノ渡航者取締ニ関スル件[外務省亜米利加局長](昭14・2・7)(未作成) …127 五-(1) 漢口陸軍天野部隊慰安所婦女渡支ノ件[外務大臣](昭14・12・22)(未作成) …131 五-(2) 漢口陸軍天野部隊慰安所婦女渡支ノ件-回答[漢口総領事](昭14・12・27)(未作成) …133 六-(1) 邦人渡支一時的制限ニ関スル外務省発表[外務省](昭15・5・7)(未作成) …135 六-(2) 渡支邦人暫定処理取扱方針中領事館瞥察署ノ証明書発給範囲ニ関スル件[警務部第三課](昭15)(未作成) …137 六-(2) 「渡支邦人暫定処理ノ件」打合事項[不明](昭15)(未作成) …139 七 〔軍慰安所従事者ニ対スル身分証明書発給ノ件〕[台湾総督府外事部長](昭15・6・1)(未作成) …145 八-(1) 渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルヽ対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件[台湾総督府外事部長](昭15・9.2)(未作成) …147 八-(2) 渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルヽ対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件[高雄州知事](昭15・8・23)(未作成) …149 八-(3) 渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルヽ対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件-回答【台湾総督府外事部長](昭15・9・2)(未作成) …161 九-(1) 南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件[台湾総督麻外事部長](昭17.1.10)(未作成) …163 九-(2) 南洋方面占領地ニ対シ慰安婦渡航方ノ件[外務大臣](昭17.1.14)(未作成) …165 十 仏印ヨリ内地、満州国、支那、「タイ」向旅行許可ニ関スル件[在西貢支部長代理](昭18.2.8)(未作成) …167 十一 軍従属者ニ対スル旅行許可ノ件[事務総長](昭18.3.10)(未作成) …169 十二-(1) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・1・13)(未作成) …171 十二-(2) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・3・2)(未作成) …175 十二-(3) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・3・2)(未作成) …179 十二-(4) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・4・10)(未作成) …181 十二-(5) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・4・24)(未作成) …183 十二-(6) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・5・21)(未作成) …185 十二-(7) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・6・19)(未作成) …187 十二-(8) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・7・15)(未作成) …189 十二-(9) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・8・16)(未作成) …193 十二-(10) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・9・13)(未作成) …195 十二-(11) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・10・13)(未作成) …197 十二-(12) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・11・15)(未作成) …201 十二-(13) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・12・11)(未作成) …205 十二-(14) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭15・1・18)(未作成) …209 十二-(15) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭15・2・24)(未作成) …211 十二-(16) 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭16・9・27)(未作成) …215 十三-(1) 渡支取締ニ関スル件[新竹州知事](昭13・12・14)(未作成) …219 十三-(2) 渡支取締ニ関スル件[新竹州知事](昭14・1・11)(未作成) …221 十三-(3) 渡支取締ニ関スル件[新竹州知事](昭14・2・15)(未作成) …223 十三-(4) 渡支取締ニ関スル件[新竹州知事](昭14・3・17)(未作成) …227 十三-(5) 渡支取締ニ関スル件[新竹州知事](昭14・4・19)(未作成) …229 十三-(6) 渡支取締方ニ関スル件[新竹州知事](昭14・8・22)(未作成) …231 十三-(7) 渡支取締方ニ関スル件[新竹州知事](昭14・9・12)(未作成) …233 十三-(8) 渡支取締方ニ関スル件[新竹州知事](昭14・10・12)(未作成) …237 十三-(9) 渡支取締方ニ関スル件[新竹州知事](昭14・11・13)(未作成) …241 十三-(10) 渡支取締方ニ関スル件[新竹州知事](昭14・12・13)(未作成) …245 十三-(11) 渡支取締方ニ関スル件[新竹州知事](昭15・1・15)(未作成) …249 十三-(12) 渡支取締方ニ関スル件[新竹州知事](昭15・2・16)(未作成) …253 十四-(1) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・1・17)(未作成) …257 十四-(2) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・2・13)(未作成) …261 十四-(3) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・3・11)(未作成) …265 十四-(4) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・4・18)(未作成) …269 十四-(5) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・5・22)(未作成) …273 十四-(6) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・6・12)(未作成) …275 十四-(7) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・7・18)(未作成) …279 十四-(8) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・8・11)(未作成) …283 十四-(9) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・10・12)(未作成) …287 十四-(10) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・12・9)(未作成) …291 十四-(11) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭15・1・17)(未作成) …295 十四-(12) 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭16・8・18)(未作成) …299 十五-(1) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・2・14)(未作成) …301 十五-(2) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・3・22)(未作成) …303 十五-(3) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・4・12)(未作成) …305 十五-(4) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・5・12)(未作成) …307 十五-(5) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・6・13)(未作成) …309 十五-(6) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・7・25)(未作成) …313 十五-(7) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・8・22)(未作成) …315 十五-(8) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・9・18)(未作成) …319 十五-(9) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・10・14)(未作成) …323 十五-(10) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・11・16)(未作成) …327 十五-(11) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・12・20)(未作成) …331 十五-(12) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭15・1・15)(未作成) …335 十五-(13) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭15・2・19)(未作成) …339 十五-(14) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭16・8・25)(未作成) …343 十五-(15) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](不明)(未作成) …347 十五-(16) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](不明)(未作成) …351 十五-(17) 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](不明)(未作成) …353 十六-(1) 渡支取締ニ関スル月報(一月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …355 十六-(2) 渡支取締月報(二月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …359 十六-(3) 渡支取締ニ関スル月報(三月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …363 十六-(4) 渡支取締ニ関スル月報(四月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …367 十六-(5) 渡支取締ニ関スル月報(五月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …371 十六-(6) 渡支取締ニ関スル月報(六月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …375 十六-(7) 渡支取締ニ関スル月報(七月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …379 十六-(8) 渡支取締月報(八月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …383 十六-(9) 渡支取締月報(九月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …387 十六-(10) 渡支取締月報(十月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …391 十六-(11) 渡支取締月報(十一月分〉[台東庁〕(昭14 ?)(未作成) …395 十六-(12) 渡支取締方ノ件[台東庁長〕(昭15・1・17)(未作成) …399 十六-(13) 渡支取締月報[台東庁長〕(昭15・2・14)(未作成) …403 十七-(1) 渡支取締ニ関スル件〔台南州知事〕(昭14・1・20)(未作成) …407 十七-(2) 渡支取締ニ関スル件〔台南州知事〕(昭14・9・6)(未作成) …409 十七-(3) 渡支取締ニ関スル件〔台南州知事〕(昭14・12・12)(未作成) …413 十七-(4) 渡支取締ニ関スル件〔台南州知事〕(昭15・2・26)(未作成) …417 十八 渡支取締方ノ件[花蓮港庁長】(昭14・10・14)(未作成) …421 十九-(1) 渡支取締ニ関スル件[澎湖庁長】(昭14・2・7)(未作成) …425 十九-(2) 渡支取締ニ関スル件[澎湖庁長】(昭14・5・9)(未作成) …427 十九-(1) 渡支取締ニ関スル件[澎湖庁長】(不明)(未作成) …429 二十 昭和十年在上海総領事館警察事務状況[同警察署長報告摘録】(昭10)(未作成) …431 二十一 昭和十一年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締[在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭10)(未作成) …435 二十二 昭和十一年在上海総領事館警察事務状況[同警祭署長報告摘録](昭11)(未作成) …439 二十三 昭和十二年在上海総領事館警察事務状況[同警祭署長報告摘録](昭12)(未作成) …443 二十四 昭和十三年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締並ニ租界当局ノ私娼取締状況[在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭13)(未作成) …447 二十五 昭和十三年在上海総領事館警察事務状況[同警祭署長報告摘録](昭13)(未作成) …453 二十六 在上海総領事館二於ケル特高警察事務状況(昭12・12)(未作成) …459 二十七 「在天津総領事館塘沽出張所警察署警察史」抜粋(昭12・1・12)(未作成) …463 二十八 昭和十三年在漢口総領事館警察事務状況[同讐察署長報告摘録](昭13)(未作成) …467 二十九 昭和十三年在南京総領事館蕪湖分館警察事務状況[同讐察署長報告摘録](昭13)(未作成) …469 三十 昭和十三年在杭州領事館警察事務状況[同讐察署長報告摘録](昭13)(未作成) …473 三十一 「外務省警察史 在九江領事館」抜粋(昭13)(未作成) …477 三十二 「外務省警察史 在南京総領事館」抜粋(昭13)(未作成) …479 三十三 「海口総領事館警察暑瓊山派遺所警察史」抜粋(昭15)(未作成) …483 三十四-(1) 邦人出国者統計表進達ノ件[在山海関副領事](昭15.6.15)(未作成) …487 三十四-(2) 邦人渡支状況ニ関スル件[在山海関副領事](昭15.7.19)(未作成) …491 三十四-(3) 邦人出国者統計報告ノ件[在山海関副領事](昭15.8.14)(未作成) …495 三十五 渡支邦人暫定処理ニ関スル統計報告方ノ件[在漢口総領事](昭.10.3)(未作成) …501 三十六-(1) 渡支邦人暫定処理ニ関スル各種統計表(四月)送付ノ件[在広東総領事](昭16.5.10)(未作成) …505 三十六-(2) 渡支邦人暫定処理ニ関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭16.6.11)(未作成) …509 三十六-(3) 渡支邦人暫定処理ニ関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事代理](昭16.7.21)(未作成) …511 三十六-(4) 渡支邦人暫定処理ニ関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭16.8.12)(未作成) …513 三十六-(5) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭16.9.8)(未作成) …515 三十六-(6) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭16.10.9)(未作成) …517 三十六-(7) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭16.11.11)(未作成) …519 三十六-(8) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭16.12.16)(未作成) …521 三十六-(9) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭17.4.20)(未作成) …523 三十六-(10) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件(月報)[在広東総領事](昭17.5.19)(未作成) …525 三十六-(11) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭17.6.26)(未作成) …527 三十六-(12) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭17.7.16)(未作成) …529 三十六-(13) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在広東総領事](昭17.10.27)(未作成) …531 三十七-(1) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在廈門総領事](昭16.8.9)(未作成) …533 三十七-(2) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在廈門総領事](昭16.9.5)(未作成) …537 三十七-(3) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在廈門総領事](昭16.11.7)(未作成) …539 三十七-(4) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在廈門総領事](昭17.1.17)(未作成) …541 三十七-(5) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在廈門総領事代理](昭17.4.11)(未作成) …543 三十七-(6) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在廈門総領事](昭17.5.12)(未作成) …545 三十七-(7) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在廈門総領事](昭17.10.13)(未作成) …547 三十八-(1) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在汕頭領事](昭16.12.11)(未作成) …549 三十八-(2) 渡支邦人暫定処理二関スル各種統計報告ノ件[在汕頭領事](昭17.4.6)(未作成) …551 三十九-(1) 渡支暫定処理ニ関スル各種統計表送付ノ件【在海口総領事代理](昭16.11.7)(未作成) …553 三十九-(2) 渡支暫定処理ニ関スル各種統計表送付ノ件【在海口総領事代理](昭16.12.10)(未作成) …557 四十 本邦人職業別表送付ノ件〔在漢口総領事](昭13・12・3)(未作成) …561 四十一 在支邦人職業別人口統計表提出ノ件[在廈門総領事](昭14.9.27)(未作成) …565 四十二 九江在留邦人職業別人口統計表提出ノ件[在南京総領事](昭13.11.8)(未作成) …569 四十三-(1) 在留民職業別人口統計表進達ノ件【在九江領事代理](昭14.2.20)(未作成) …573 四十三-(2) 九江在留民職業別人口報告ノ件【在九江領事代理](昭14.3.6)(未作成) …577 四十三-(3) 九江在留民職業別人口統計表進達ノ件【在九江領事代理](昭14.4.15)(未作成) …581 四十三-(4) 九江在留民職業別人口統計表進達ノ件【在九江領事代理](昭14.5.4)(未作成) …585 四十三-(5) 在留民職業別人口統計表進達ノ件【在九江領事代理](昭14.6.1)(未作成) …589 四十三-(6) 在留民職業別人口統計表進達ノ件【在九江領事代理](昭14.8.7)(未作成) …593 四十三-(7) 在留邦人職業別人口統計表進達ノ件【在九江領事代理](昭14.9.9)(未作成) …597 四十四-(1) 南昌在留邦人職業別人口統計報告ノ件【在九江領事代理](昭14.8.9)(未作成) …601 四十四-(2) 南昌居留民職業別人口統計表【在九江日本領事館警察署南昌分署](昭14.9.1)(未作成) …605 四十五-(1) 在留邦人人口統許職業別報告ノ件【在蕪湖副領事](昭14.4.4)(未作成) …607 四十五-(2) 在留邦人人口統許職業別報告ノ件【在蕪湖副領事](昭14.6.2)(未作成) …611 四十五-(3) 在留邦人人口統許職業別報告ノ件【在蕪湖副領事](昭14.7.4)(未作成) …613 四十五-(4) 在留邦人人口統許職業別報告ノ件【在蕪湖副領事](昭14.8.2)(未作成) …617 四十五-(5) 在留邦人人口統許職業別報告ノ件【在蕪湖副領事](昭14.9.3)(未作成) …621 四十六 杭州在留邦人営業種別並二投資額一覧表送付ノ件[在杭州領事代理](昭14.2.24)(未作成) …625 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』へ
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2007年5月 ビルマ・ミッチナの従軍慰安婦の尋問調書(その1-1) この間問題になっていた、ビルマ・ミッチナの従軍慰安婦の尋問調書について整理したいと思います。 ビルマ・ミッチナの従軍慰安婦の尋問調書にはいくつかのバージョンがあるようです。『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』政府調査文書(アジア女性基金1997年刊)には2つの調書が収録されています。 1つは、 文書A. ATIS Research Reports No. 120 Amenities in the Japanese Armed Force, Nov. 15, 1945, 連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 1945年11月15日 の b. BURMA の項 もう1つは 文書B. UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION Psychological Warfare Team Report No. 49 Japanese POW Interrogation on Prostitution. 米軍情報部心理作戦班 売春についての捕虜尋問報告No.49 です。 古森義久氏が一部引用した、 文書C. A JAPANESE ARMY BROTHEL IN THE FORWARD AREA. は、文書Bと同じO.W.I米軍情報部の文書だが、文書Bを最終報告とすれば、その中間報告のようなものとおもわれます。 そして、文書Cと文書Aのの記述内容については、古森氏が引用した部分しか重ね合わせることができませんが、今のところ全く同じものといえます。 つまり、ひとつの推測として、米軍情報部心理作戦班の文書を、連合軍通訳翻訳部(ATIS)がタイプしなおしてファイリングしたことなどが考えられます。 以上のことは、専門研究者の考証の結果を待ちたいと思います。文書Aをアップしたいと思っています。 「美しい壺日本」 http //dj19.blog86.fc2.com/blog-date-20070521.html が紹介した、 Stiffmuscleさんの翻訳を土台にして、私の勝手な意訳を加えてみました。文責は私にあります。(漸次修正を施しますので、おかしな点はご指摘願います) (以下 引用) ~~~~~~~~~~~~~~ アジア女性基金-歴史の教訓とする事業 http //www.awf.or.jp/program/index.html 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第5巻p.177-179。 *日本語簡訳はp.113-115(いずれもAcrobat Readerのページ表示) 【文書Aの表題】 ATIS Research Reports No. 120 Amenities in the Japanese Armed Force, Nov. 15, 1945, 連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 1945年11月15日 b. BURMA b. ビルマ (1) A prisoner of war, a civilian brothel owner captured with his wife and twenty army prostitutes near WAINGMAW on 10 August, 1944 stated (1) 捕虜、1944年8月10日ワイモウ付近で、その妻および従軍売春婦20名とともに捕獲された売春宿経営(民間人)の供述: ※)米軍が撮影した写真中の年配の日本人女性は、楼主の妻だと思われます。雲南・ビルマ最前線における慰安婦達―死者は語る www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf より 【応募した業者】 “Prisoner of war, his wife and sister-in-law had made some money as restaurant keepers in KEIJO, KOREA, but their trade declining. They looked for an opportunity to make more money and applied to Army Headquarters in KEIJO for permission to take “comfort girls” from KOREA to BURMA. According to prisoner of war, the suggestion originated from Army Headquarters and was passed to a number of similar Japanese ‘business men’ in KOREA. 捕虜、その妻、および義理の姉妹は、朝鮮の京城にて食堂経営者としてそれなりに稼いでいたが、客足は減ってきていた。彼らはより多く稼ぐ機会を得ようと、京城の陸軍司令部に応募して、「慰安婦」を京城からビルマへ連れて行く許可を求めた。捕虜によると(応募して許可を求めるようにという)示唆は、もともと陸軍司令部から出たもので、同じような多数の日本人「業者」にもそれは伝えられていた。 【慰安婦の徴募と軍の支援】 “Prisoner of war purchased 22 Korean girls, paying their families from 300 to 1000 yen according to the personality, looks, and age of the girl. These 22 girls were of ages from 19 to 31. They became the sole property of prisoner of war and the Army made no profit from them. Headquarters, Korean Army gave him a letter addressed to all military headquarters of the Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, ransport, rations, medical attention, etc. 捕虜は朝鮮人女性22名を買った、女性の性格、容姿、年齢に応じて300~1000円を彼女の家族に支払った。これら22名の女性の年齢は19~31歳であった。女性たちはこの捕虜の占有財産となり、陸軍は彼女たちから儲けを得なかった。朝鮮の日本軍司令部は、(経由地)全ての陸軍司令部宛てた書簡を捕虜に与え、移送、食糧、医療など、捕虜が必要とした場合の援助は全て提供するよう要請した。 (※)慰安婦の徴募が虚偽の説明によって行われたことは、文書Bに詳しい 【釜山からラングーンへ】 “Leaving his sister-in-law to carry on the restaurant, prisoners of war and his wife, with their 22 girls, embarked at FUSAN on 10 July 1942 in a group of 703 girls, all Korean, and some 90 Japanese men and women, all of them of the same base sort as himself. They sailed on a 4000 ton passenger ship in a convoy of seven ships. Free passage tickets were provided by Army headquarters, but prisoner of war paid for all meals during the voyage. They called at FORMOSA, where 22 other girls bound for SINGAPORE were taken on board, and at SINGAPORE they transferred to another ship, arriving at RANGOON on 20 August 1942. 食堂を続けるために義理の姉妹を残して、捕虜とその妻は22名の女性を連れ、全員が朝鮮人からなる女性703名、および全員が捕虜と同じ類の者たちからなる日本人男女およそ90名の団体の一員として、1942年7月11日に釜山を出航した。7隻からなる船団の中で、一行は4000トンの旅客船に乗って航行した。陸軍司令部からは無料乗船券が提供されたが、航海中の食事は捕虜が全額支払った。台湾に寄港した際、シンガポールへ向かう女性22名が新たに乗船した。その後シンガポールに寄港した際に、一行は別の船に乗り換え、1942年8月20日にラングーンに到着した。 【ラングーンから任地配属】 “At RANGOON they were divided into groups of 20 to 30 girls in each and dispersed to various parts of BURMA, each group being attached to various regiments, units of formation, so that each had its own brothel (s). ラングーンで、一行は20~30名ずつのグループに分けられ、ビルマ各地へ分散配置された。各グループがさまざまな連隊、部隊、もしくは中隊に配属された結果、各グループがそれぞれの売春宿を持つこととなった。 ※) 部隊側側から見れば、駐屯地ごとにそれぞれ慰安所を持つことになった。 占領国ビルマに設置された軍慰安所 【ミッチナの慰安所】 “Prisoner of war’s group was attached to 114 Infantry Regiment. They spent some months at GOUNGOO, MEIKTILA, and at MAYMYO, following their trade, and then arrived at MYITKYINA (about January 1943). There were already two brothels established in MYITKYINA, so altogether there were three brothels with 63 girls in all prisoner of war’s house, known as KYOEI, with 22 Korean girls; the KINSUI house with 20 Korean girls; and the MOMOYA house with 21 Chinese girls, who had been purchased from CANTON on the same conditions as the Koreans. There were Japanese girls in houses in the rear areas, as for example at MAYMYO where they formed two of the eight houses there, but none in the forward areas. 捕虜のグループは歩兵第114連隊に配属された。タウングー、メイクテーラ、およびメイミョーで数ヶ月を過ごした後、同業者のあとを追って(1943年1月ごろ)ミッチナに到着した。すでにミッチナには売春宿2軒が設置されていたので、売春宿は3軒、女性は総計63名ということになった。内訳は、捕虜の売春宿であったキョウエイが朝鮮人女性22名、キンスイが朝鮮人女性20名、そしてモモヤが中国人女性21名であった。この中国人女性たちは、韓国人女性たちと同じようなやり方で広東で購入された。また、たとえばメイミョーでは8軒の慰安所のうち2軒が日本人慰安婦で成り立っていたように、後方地域の慰安所には日本人女性がいたが、(ミッチナのような)前線地域には日本人慰安婦はいなかった。 (つづく) 2007年5月 .
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 2-08 従軍慰安婦にたいし仕打ちや暴力があったのかどうか… 2-08 従軍慰安婦にたいし仕打ちや暴力があったのかどうか…コメント欄 慰安所のなかで何があったかなかったかということより従軍慰安婦にしたこと自体が暴行暴力だろう。さらに敗走となり敗戦となった段階で現地に棄ててくるにいたっては非人間的な行為のきわみだろう。兵隊のいたずらか彼女らの性にたいする無知から妊娠した従軍慰安婦の放置も同じだろう。敗戦後の原野を赤ン坊を背に逃げ回った従軍慰安婦の話はたとえ少数だったとしても胸が痛むだろう。 FAQ目次 コメント欄 ようこんな嘘書けますね ドイツだって慰安婦はいた! 韓国軍はベトナム戦争で強姦しまくり多数の私生児生まれてるよ 日本の慰安婦で私生児の問題あるか? ないだろう あんた 工作員か -- (たか) 2009-08-13 19 10 51 喪前がいう「あんた」って誰よ? 答えてみー -- (さぶちゃん) 2009-08-14 04 06 50 名前 コメント すべてのコメントを見る
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 4-06 今も韓国内にどれくらい元従軍慰安婦がいるのか… 4-06 今も韓国内にどれくらい元従軍慰安婦がいるのか…コメント欄 これも正確な数はわからない。東南アジア地域に連行されていった従軍慰安婦のほとんどは語ってきたように現地へ置き去りにされたからまず祖国には帰れなかった。ビルマに放置された朝鮮人従軍慰安婦のうち奇跡的に連合国軍へ保護された数十人は中国雲南省昆明市にあった俘虜収容所へ収容されたことは触れたがこの彼女らは日本の敗戦後、重慶にいた光復軍という抗日朝鮮人義勇軍の手で祖国へもどされたという。この他中国戦線や"満州"に送られた人たちも祖国へもどりえたと思われるが、連行された人数もわからないから数は不明だ。 それに今回名乗り出た金学順さんのように生存されていたとしても六十歳後半から七十歳のはずだ。加えて先にこれも触れたように一九八七年の民主化抗争のなかを女性運動が活発化してもなお韓国は男性中心の社会だった。このなかで、「汚れた体」になった、いや本当はされたのだが、それを恥とし名乗ることもできずになくなられた人もいるだろう。九死に一生を得て祖国にもどりながらだ。 さらに多くは「こんな体で」と家族や肉親のもとにも帰らず社会の片隅にひっそり身を隠している人もいるとも聞いている。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-02 従軍看護婦というのがあったと聞いたが それと従軍慰安婦はどう違うのか… 1-02 従軍看護婦というのがあったと聞いたが それと従軍慰安婦はどう違うのか… 従軍看護婦とは戦地の陸海軍病院、陸軍の兵站(へいたん)2)病院に送られ戦傷病兵の看護をした看護婦さんのことだ。戦地から日本内地へ戦傷病兵を後送する病院船にも配属されていた。彼女らは戦地で兵隊と親しく口をきくことも兵隊に白い歯をみせることも禁じられていた。従軍慰安婦とは根本的に違う。 この従軍看護婦には日本赤十字社が平和時から養成していた日赤救護看護婦と、陸海軍がそれとは別に養成していた陸軍看護婦、海軍看護婦とがあった。陸海軍看護婦はすべて正規の軍属3)とされていた。 いっぽう日本赤十字社は今と違って明治末から日本の敗戦まで陸海軍大臣の指揮監督をうけ、戦争や戦争に準ずる事変のときに、戦地で看護活動に従事する救護看護婦の養成機関とされた。戦争や事変となったら、陸海軍大臣からの命令で指示された数の看護婦を送り出すことになっていたが、日本内地を離れるとき全員が宣誓し、陸海軍看護婦と同じ軍属とされた。婦長クラスは同じ軍属でも下士官格にあつかわれていた。 戦地へ送られた三万一千四百五十人(婦長も含む)の従軍看護婦のうち殉職六百十九人そして一千八十五人がその配属地で戦死した。いずれも軍属として当時天皇陛下のため戦って戦死した者だけを祀るとされる靖国神社へ合祀4)されている。軍属どころか軍馬・軍犬・軍鳩以下のあつかいの軍需物資として戦地へ送られ、その数も死者数も名前もわからない従軍慰安婦と違い、動員された者の姓名・出身地・年齢まですべてが今も記録されている。なにより戦地で将兵の慰安をすることなど絶対になかった。全員が日本の女性で女学校の卒業者だった。年齢は若くて十九歳で三十歳代以上までいた。休日には外出も自由だった。それと比べると日本の植民地にされた朝鮮半島に生まれただけで従軍慰安婦にされた同じ年頃の朝鮮人女性とのあまりにも大きい落差を感じる。 2)兵站(へいたん) 作戦軍のために後方にあって車両、軍需品の前送、補給、修理、後方連絡線の確保に任ずる機関のこと。 3)軍属(ぐんぞく) 軍人の身分ではなく、軍隊に所属する人。文官(軍事以外の任務に携わる役人)、技師、嘱託(正式の職員でなくある仕事を頼まれた人)などを指す。 4)合祀(ごうし) 二柱以上の神を一社に含わせまつること。 FAQ目次
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか… 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか…コメント欄 当時の日本人というのが兵隊にとられ戦場へもっていかれた者以外の日本内地にいた人たち、つまり一般国民のことだとすれば知らなかったといっていい。召集され戦地にいき従軍慰安婦を買った男たち、いいかえれば兵隊たちがそのことを口にしなかったからでもあったが、それよりなにより当時の日本軍は自らを皇軍と自称していた。皇軍とは天皇陛下を最高統率者とあおぐ天皇の軍隊ということだ。 また、"満州事変"につづく"支那事変""大東亜戦争"を聖戦(せいせん)、天皇陛下の御稜威(みいつ)24)を広げるための戦争と教えこまれていたから、その聖戦に出陣する皇軍がそんな「戦場売春婦」をともなって戦場へおもむいていたなど考えもしなかった。まして軍が自ら管理する売春屋である慰安所なるものまでともなっていたなど思いもしなかった。 知らないといえば一九三七年(S12)十二月十三日から始まった南京大虐殺のことも知らなかった。軍が絶対の軍事機密にし報道を禁止していたからだ。一部の外国通信社の特派員がそのことを記事にし本国へ送っていたが、検閲がきびしいなかそれを転載する日本の新聞もなかった。 さらに日本軍とともに戦場におもむいた日本の新聞記者たちのなかにそれを目撃した者もいたがそのことを記事にしなかった。報道されたのは南京攻略を喜ぶ天皇の牟言葉25)と、それをうけ東京では宮城(きゆうじよう=今の皇居)前広場に市民が集まり「万歳万歳」を叫びまくったが、それを写真付きで大報道するものだけだった。 南京大虐殺事件につづき華北地域で「焼きつくす殺しつくす奪いつくす」いわゆる「三光(さんこう)作戦26)」を日本軍は展開していたが、そのことも一行とて記事になったことはなかった。記事にされるのは皇軍がいかに勇猛果敢(ゆうもうかかん)に戦っているかのものだけだった。そんなことで皇軍の恥部である慰安所の「慰」の字も「従軍慰安婦」の「従」の字も従軍慰安婦の大半以上が朝鮮人女性でどのようにして彼女らが戦地へ連行されたかも報じられるということはなかった。 もっというと戦後も長く従軍慰安婦のことが文字に書かれたこともなかった。 24) 御稜威(みいつ) 神、天皇などの尊厳な威光を指す"稜威(いつ)"の尊敬語。 25)中支那方面の陸軍部隊に賜わりたる御言葉 (一九三七年十二月十四日) 中支那方面ノ陸海軍諸部隊カ上海附近ノ作戦ニ引続キ勇猛果敢ナル追撃ヲ行ヒ速(スミヤカ)ニ首都南京ヲ陥(オトシイ)レタルコトハ深ク満足ニ思フ此旨(コノムネ)將兵二申伝ヘヨ 26) 三光作戦(さんこうさくせん) 中国人民等の強い抵抗にあい戦局が思うようにはかどらなかった日本軍が行なった破壊、殺戮作戦。 三光とは焼きつくす(焼光)、殺しつくす(殺光)、奪いつくす(槍光)こと。 このような残忍な行為を可能にしたのは、戦局の停滞という理由の他、明治以来の日本政府による中国、朝鮮人蔑視政策も影響している。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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河野談話の欺瞞性さらに 寝た子を起こしたのは誰 秦郁彦氏 私が見た従軍慰安婦の正体 小野田寛郎 「従軍慰安婦」問題(上)~日韓友好に打ち込まれた楔 「従軍慰安婦」問題(下) ~ 仕掛けられた情報戦争 捏造か真実か 奪われし者たち 消された勇者たち 差別に必要なもの、それは区別 失うものといえば命ぐらいしかない