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武将名 たなかよしまさ UC田中吉政 豊臣家臣。豊臣秀次の家老を務めて三河岡崎5万石を拝領した。秀吉の死後は、徳川家康を支持し、関ヶ原の戦いでは東軍に属して、石田三成を捕縛する大功を成し遂げた。その戦功により筑後柳川32万石を領し、国持ち大名として出世した。「この田中、田中吉政! 武将生命をかけ、  この戦に臨む所存であります!!」 出身地 近江国 コスト 1.5 兵種 槍足軽 能力 武力5 統率7 特技 伏兵 軍備 忠誠 計略 忠勇の正兵? 武力と統率力が上がる。その効果は忠誠度が増減するたびに変化し、忠誠度が高いほど大きい。 必要士気4 Illustration チェロキー コストとレアリティは上がったが、キャラ付けは相変わらずの田中吉政。 忠誠持ち武断派にしては数値がいまいち普通だが、伏兵に軍備と特技が充実。 計略は武力、統率力の上昇、効果時間は約18.2c。統率依存は約0.2c。 忠誠 武力上昇 統率力上昇 0 +3(忠誠0ペナルティを含めると実質+1) +3(忠誠0ペナルティを含めると実質+1) 1 +4 +4 2 +5 +5 効果時間は長めだが士気効率を考えると普通の単体強化の域を出ず、基本的にはその特技が売りとなる武将。 忠誠度が切れると3/5と言うとても残念な数値になってしまう事には注意したい。 カード裏にも記された彼の人生最大の見せ場・三成捕縛だが、 これについては信憑性の高い学説からただの言い伝えまで逸話が山ほど残されている。
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【所属】 三征西班牙 【役職】 異端審問官 【名前】 ドン・ロドリゴ 【読み方】 どん・ろどりご 【種族】 不明 【元ネタ】 ロドリゴ・デ・ビベロ 【字名】 不明 【戦種】 不明 【HN】 不明 【登場巻】 ガールズトークⅡ 祭と夢 【人物】 三征西班牙に所属する異端審問官。 世界一周の歴史再現のため航空艦で神州上空を移動していたが、フアナの要請で三河で発生した身元不明の他殺死体に関わる武蔵の調査を封殺する。 日野江教導院の企てた禁教令のやり直しを巡る一連の行動をフアナから聞いて知っており、 それを阻止するため、そして表沙汰になった場合即座に介入するため彼らが狙うであろう本多・正純の武蔵への渡航を凍結し三河に釘付けにしていた。 そして、正純が一連の事件に気づいた際に有馬・晴信らと共に交渉に入り、最終的に九州居留地の扱いをフリー状態にすることで落ち着かせる。 実はガールズトーク01に登場した朝比奈・元智の妹。 そして、第11巻上にて、関ヶ原の戦いを公平に審査する審査員として三征西班牙から派遣され武蔵へと乗船する。 そこで、1巻にてホライゾン・アリアダストが処刑されるまでの身の回りの世話をしていた通称世話子なる人物が、実は彼女であったことが判明した。 つまり外伝が発売される前より、アニメでビジュアルがすでに出ていたことになる。
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概要 ノアルスの戦いとは、アルファ1737年4月に、ラ・ディアス帝国の南方侵攻からはじまった戦いである。 これが、後に続くラ・ディアス帝国の南伐に繋がる。 戦闘に至るまでの背景 物語におけるこの戦いと、史実におけるこの戦いは、開戦のきっかけに若干の差異が生じる。 物語では、ヴァン・フレイ国のルナティスが、世界の裏で蠢く存在がガルゾーマではないかと睨み、フェローラ国進軍の橋頭堡確保としてアリアス国へ攻め込む。これに呼応してガルゾーマは、同胞シャラダンにアディス国進軍を要請、ラ・ディアス帝国南部の魔族系諸国にも同様の要請を送ることで、「人間対魔物」の図式を作りあげ、互いの旗色を明確にしていき、ガルゾーマは彼らを用いた「チェス」を楽しんだ……となっている。 しかし、史実においてガルゾーマの要請は、信頼できる資料が発見できず、あくまでもラ・ディアス帝国の南方侵略によって起きた戦いだと思われる。 ガルゾーマとシャラダンが援軍として到着したのは、南方諸国の魔族系の国から援軍要請があったのは事実だが、そこに何の裏もなく、単に彼ら自身が、時に理由なく戦場を欲する性格だったからかもしれない。 両軍の戦力 攻撃側 守備側 ラ・ディアス帝国軍 軍勢 南方諸国連合軍 総兵力71000 兵力 総兵力53000(援軍含む) ロンディーナ 総指揮 スレイナ 軍師 主要参戦者 ou.PNGロンディーナ スレイナ クリスアーノ ボーン ホルス ストライア 援軍 軍勢 フェローラ国軍 総指揮 ガルゾーマ 軍師 主要参戦者 ガルゾーマ ガミラン ヴィル マルン エミリィ 援軍 軍勢 リヴォル帝国軍 総指揮 アスタル 軍師 イズ 主要参戦者 アスタル ボルド イズ ラスコップ 戦闘経緯 南方へ次々と進軍するラ・ディアス帝国軍は、まさに負け知らずであった。 しかし、彼らはフェローラ、リヴォル連合軍が用意した死地へと誘い込まれていた。 勝利に驕り、前線部隊は必要以上に敵地に切り込み、本隊との距離を作ってしまう。 そこに突如として姿をあらわすフェローラ、リヴォル連合軍。 逃亡する敵軍を追いかけている筈が、脱出口のない山地に誘い出されたことに気付くが時既に遅く、そこに命令を受けたラスコップが火攻めを決行。この火攻めによりホルスは全身に火を受け、以後人格まで崩壊するほどの傷を負う。 更にラ・ディアス帝国軍の本陣にフェローラ国軍が奇襲を仕掛ける。 ここまで用意周到な敵軍の動きから、本陣に救援に向かえば更なる罠があると察したスレイナ、ストライア、クリスアーノは、ただちに撤退を決意した。 スレイナは、この時点で後に起こす政変を既に考えいた為、ここで皇帝ロンディーナが戦死しても構わないと考えていた節がある。 兵法を熟知していた筈の彼らが不用意に本隊との距離をあけたのも、意図的だったのでは?という説がある。 戦いの結末 南方侵攻の出鼻をくじかれ、命からがら帰国したロンディーナだが、彼は侵略を諦めるどころか、復讐心を駆り立て、これより先、長き侵略戦争をはじめることとなる。 だが、ロンディーナを守っていた帝国の主だった譜代の将軍は、二人の魔王によって多くが討ち取られほぼ全滅する。 スレイナ達先行部隊は、距離があった為幸運にも損害を軽微なもので済ますことができ、これが以後彼らの発言力を強めることとなり、皮肉にもスレイナの政変への布石となる。
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(1563~1600)細川忠興?の妻で、明智光秀の娘。キリシタン信者。関ヶ原の戦で石田三成?挙兵に際し、人質として大坂城に入るのを拒んで自殺した。 ガラシア祈祷書 美しく聡明な辺境のマリアとして、ローマ法王にも知られた女性。謎の文書・ガラシア祈祷書にその名を残す。実は死んでおらず、天草上島の聖母がその後身ではないかと疑われた。
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【元ネタ】史実 【CLASS】セイバー 【マスター】 【真名】徳川 秀忠 【性別】男性 【身長・体重】159cm・56kg 【属性】秩序・中庸 【ステータス】筋力D 耐久B 敏捷B 魔力E 幸運A 宝具B 【クラス別スキル】 対魔力:C 二工程以下の詠唱による魔術を無効化する。 大魔術、儀礼呪法等、大がかりな魔術は防げない。 彼自身に対魔力が皆無なため、セイバーのクラスにあるまじき低さを誇る。 騎乗:B 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。 【固有スキル】 皇帝特権:B 本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。 該当するスキルは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、等。 ケンペルの日本誌において、徳川幕府の将軍は皇帝(正確には世俗的皇帝)として認識されていた。 西洋諸国の認識も同様であり、ガリバー旅行記に置いても徳川幕府将軍は皇帝と訳されている。 戦下手:A 団体戦闘において判定に不利な補正がかかる。 せっかくのカリスマや軍略も、このスキルがあるためにその効果を生かせない。 守成の君:A 創業者の偉業を頓挫させず、強固な形で次世代に繋げた指導者が得るスキル。 先代の知名度補正を自身の知名度補正に上乗せする。 また、先代が保有するスキルを短期間だけ借り受けることもできる。 【宝具】 『武家諸法度(げんなれい)』 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:- 秀忠が武家を統制するために出した法令が宝具となったもの。 1人につき13回まで令呪と同等の強制力を持つ命令を下すことができるが、 最初の3回までは相手側の同意がなければ不発となり、 一度でも不発となった相手には、この宝具を発動することができなくなってしまう。 3回までは相手側から従うことを誓約させねばならないため、使い方が肝要となる。 【Weapon】 『真恒太刀』 秀忠が久能寺に奉納した大太刀。現代日本では国宝認定。 時代姿を逸脱した健全無比な豪刀とされ、磨上げられてはいるが、なお大ぶりな太刀である。 とはいえセイバーのクラスに選ばれるほどのものではなく、セイバーとして召喚されたのは皇帝特権の賜物。 【解説】 徳川幕府二代目征夷大将軍。 徳川家康の三男として生まれたが、 長兄・信康は切腹、次兄・秀康は養子に出されたことから後継者候補となる。 関白秀吉の死後の天下は紆余曲折の末に家康の下に転がり込んだが、 秀忠は真田昌幸相手の城攻めに大苦戦した挙句、天下分け目の関ヶ原の戦いにも遅参。 家康の叱責を受けた。 (最も真田攻めは当初の家康の命令に従っていただけであり、 関ヶ原の戦いに遅参したのも天候不順のため伝令が遅れ、進発命令を受け取れなかったという点も考慮する必要がある) この失態により後継者の座も危ぶまれたが、家康は秀忠を後継ぎにする考えを変えず、 家康から征夷大将軍の職を引き継いだ。 以後、家康の後見を受けながら政務を大過なく進めていたが、 豊臣家と徳川家の対立が深まり戦端の火蓋が切られる(いわゆる大阪の役)と、 軍を急行させすぎて落伍者続出、大野治房によって本陣を脅かされると、 軍務に関しては失態ばかりが続いた。 それでも戦後は武家統制や海千山千の大名たちの弱体化に着手。 この頃、発布された法令の1つである武家諸法度は 誓紙を取り付けた3ヶ条に、崇伝が起草した10ヶ条を付け加えたもので、 幾度か改定されながらも江戸幕府の武家統制の屋台骨となっている。 家康没後もその政治的手腕を振るい、幕府の基盤を強固なものとした。 250年続く徳川家の天下は創業者の家康だけでなく、秀忠の尽力によるところも大と言えよう。 貞観政要に曰く、守成は創業より難し。その難行を為遂げた秀忠は、紛れも無い名君と言える。 温厚篤実・生真面目な性質、というだけでなく、肝も座っていて肉体も頑健な人物だったらしい。 戦場では銃傷を恐れず前に出る勇敢な人物であり、遺骨からは銃弾の後がいくつも残っているという。
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糸魚川の戦い 糸魚川の戦い(いといがわのたたかい)とは永禄11年から永禄12年の冬にかけて姉小路家と上杉家の間の起きた戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路家 (永禄11年11月10日) 富山城兵 第一弾幕隊:鉄砲隊12500 柴田勝家、小島職鎮、鈴木重兼 第二弾幕隊:鉄砲隊15500 伊吹萃香、黒田孝高、鵜殿長持 先陣本隊:騎馬隊13377 朝倉宗滴、朝倉景紀、朝倉義景 火力本隊:鉄砲隊9500 鈴木重秀、アリス・マーガトロイド、真柄直隆 第三弾幕隊:鉄砲隊9000 磯野員昌、レティ・ホワイトロック、鈴木重泰 第四弾幕隊:鉄砲隊4453 本願寺顕如、鈴木重意、原長頼 (11月15日) 築城隊:6500 海北綱親 (永禄12年1月15日) 援軍弾幕隊:鉄砲隊8500:佐々成政、百々安信、天野景貫 (1月20日) 後詰本隊:騎馬隊6000:浅井長政、八雲藍、紅美鈴 後詰弾幕隊:鉄砲隊9500 十六夜咲夜、レミリア・スカーレット、朝倉景鏡 最終投入兵力88327 上杉家 春日山城兵 留守居厄:最上義光(計略担当) 迎撃隊(12月10日) 上杉景勝、四季映姫・ヤマザナドゥ、富田氏実:騎馬隊14500 柿崎景家、斎藤朝信:騎馬隊9500 村上義清:騎馬隊9500 本庄繁長:騎馬隊8000 水原親憲、中条藤資:騎馬隊8000 (1月20日) 延沢満延:騎馬隊6500 2月10日 上杉景勝:騎馬隊6500 新発田重家、四季映姫・ヤマザナドゥ:騎馬隊6500 最終投入兵力69000 姉小路家として初めての対上杉攻勢作戦である。第三次越中防衛戦の勝利により上杉方の兵力を損耗せしめた姉小路にとって待ちに待った好機の到来と言えよう。北陸の主立った将達が一同に会し、士気旺盛である。 越中富山城・越後春日山城の距離が長いため、野戦となることは必至。上杉の騎馬隊は武田騎馬軍と並び称されるほどの精兵揃いである。 数度に渡る防衛戦はなんなくこなしたものの、攻勢作戦は困難となることが予想される。 合戦までの経緯 富山城を巡る合戦は、上杉家の一方的な敗北に終わった。 しかし、大被害ではあったものの素早い撤退により致命的打撃を免れ、春日山城にはそれなり以上の兵力を備えていた。 これまで越中の姉小路は越後の地に侵入してくることなかった為、上杉は東北を制圧した後に、完全編成で再び越中を狙えばいいと考えており、受けた傷を癒す時間は十分にあると考えていた。 一方の姉小路は中国地方の制定をほぼ終え、その戦略的指針を東方へと向ける余裕が出来た。 上杉が未だ東北を制圧していない状況、春日山城の戦力低下と合わせて、攻勢に出る機と判断し、出撃を決定した。 概要 春日山城は上杉にとって本拠であると同時に、何よりも重要な経済拠点であった。 頸城平野に広がる春日山の城下町は、元関東管領、上杉憲政が暮らす府中の町と合わせ戸数一万軒、人口七万を有しており、日本海側屈指の大都市であり、 隣接する直江津湊からは京へ名産の麻を送るなどし、貿易の拠点でもあり、佐渡島で産出される金の集積地点でもあった。 最も経済的に豊かであったのは春日山の東方、魚沼郡あたりであったが、西方からの侵略者に対して、春日山の重要性に変わりはなかった。 度重なる越中への進撃で、上杉軍はその戦力を大きくそぎ取られていたが、一連の越中戦に比べて、優位な点が数多く存在していた。 まず、春日山の地が上杉にとって本拠であったということ。そして多くの将が春日山の重要点を何よりも理解していたということだ。 その結果、上杉景勝という上杉家次代跡継ぎを中心とした、固い結束が生まれた。 揚北衆、本庄繁長も、春日山を失えば、自らの本拠である阿賀野川周辺の本拠が危機に陥ることを何よりも理解しており、反旗を翻すそぶりすらみせなかった。 特筆すべきは村上義清だろう。 経緯は省略するが、信玄によって奪われた国土の奪還を彼は何よりも重視していた。元本拠、北信濃の葛尾城への道は春日山と直結しており、春日山を失うことは彼にとって何よりも避けたいことであった。このことから村上の今回の戦にかける意気込みは凄まじいものであったという。 姉小路軍にも不利な材料はあった。豪雪の中を急行軍で進撃しており、寒波による総合的な戦闘力の低下が考えられた。 豪雪と悪路の影響は、補給部隊にも多大な影響をもたらした。山口館の戦いで得た教訓も、わずか半年の準備期間では解決は不可能であった。 このように、姉小路側も大きな不安要素を抱えての戦であった。 姉小路軍は不足が懸念される糧食に関して、越後国境に新規の城を築く一方、上杉家の砦や城塞の食料の回収に努めた。 越中攻防戦の際、上杉家は春日山西方の城、砦に食料をかなり備蓄しており、それらは残されたままであった。 この事実は上杉が、戦力の回復後、再び越中を狙っていたことを如実に物語っている。 これを油断と言ってしまえばその通りではあるが、裏を返せばそれだけ越後の冬が厳しく、その時期の侵略は常軌を逸しているのだといえるだろう。(皮肉にも謙信の父、長尾為信は1521年の12月に越中侵略を行っているが…)。 回収された物資は姉小路側の兵站事情を大いに助けることとなった。 しかし冬そのものの脅威が去ったわけではなく、多くの者は寒さに震える中での行軍となった。 上杉景勝以下の強力な騎馬部隊が出撃したのは12月10日。この時期には珍しい晴れの日の出撃となった。 姉小路軍はそれを確認すると、かねてからの作戦通り、引きつけて撃滅する為、一時西への撤退を開始。上杉もこれを追撃する様子を見せた。 しかし積雪の為か、朝倉宗滴隊への敵発見の報告が大きく遅れ、取り残される形になってしまった。 報告が遅れただけでなく、鉄砲隊の指揮官が撤退時の手間をなくそうと総大将宗滴に(撤退するという)伝令を送ると同時に後退を始めたことも原因の1つである。部隊を預かる将が優秀だったという証明だが、今回はそれが裏目に出てしまった。 結果、宗滴隊は孤立、上杉軍主力の矛は当然ながらこの隊に向いた。 宗滴は後退は困難、後続部隊の救援を頼りに耐え忍ぶよりほかないと判断し、防御戦を開始した。 一方、後退していた弾幕隊は宗滴隊が後退した様子がないことをここにきて認識し、救援の為、各部隊長の判断ごとに動き出した。 柴田勝家や鈴木重秀、黒田孝高、本願寺顕如といった将達の判断力が優れていたことをここでも証明した。 しかし、姉小路鉄砲隊の中核をなしていた鈴木重秀隊は突如反転し、魚津へと向かった。後続部隊との合流を図った説。最上義光など上杉方の謀略説など様々な説があるが、いずれも現実的にありえないとされ未だ明らかにはなっていない。 鈴木重家隊が後退した結果、宗滴の救援に駆けつけられるのは柴田、黒田、そして顕如隊の三隊となった。しかしこれらはいずれも鉄砲を主体とした部隊であり、騎馬隊相手に正面から殴り合うには策が必要であった。 特に気候が氷点下に至る極寒状況では流石の明智筒も安定性が低下し、騎馬隊への打撃力が低下していた。 まず、本願寺隊が上杉の暴風のような攻撃によって崩壊。顕如が捕らえられるほどの大敗北を喫した。 救援を急ぐあまり、乱戦に向かない銃兵で騎兵中心の編成に立ち向かったのがその敗因であった。 同様の攻撃に曝された柴田隊も瞬く間にその戦力をすり減らし、壊滅の危機に瀕したが、この部隊は奇跡的に後退に成功する。 機動力に劣る鉄砲隊、それも多数の負傷者を抱えた状況にも関わらず撤退が成功したのには、柴田勝家と参謀、小島職鎮の巧みな戦術判断によるところが大きかった。 しかし、その代償は大きかった。左翼を占めていた柴田隊の後退は隣で陣を敷いていた黒田隊が丸々孤立することを意味するからだ。 もちろん撤退することを柴田は黒田に連絡したが、乱戦の最中、伝令が届くことはなかった。 左翼の空白に突撃したのは柿崎景家であった。間髪入れず姉小路の前線部隊と後方支援部隊の狭間に滑り込み、前線部隊を背後から襲撃した。 黒田隊にとり、これは非常に驚異となった。ただでさえ柴田隊が後退したことによって前面の担当すべき防御範囲が広がっており、火力の集中が不可能になっていたのに加え、本来安全なはずの背後からも攻撃を受けることになったのだ。 黒田も独自に柴田隊の後退を察知していたが、対策を打つには時間と兵があまりに不足していた。 これを機と見計らったのか、斉藤隊、村上隊などの上杉の将が一気に黒田隊を押しつぶそうと果敢に攻め寄せた。 黒田はこれを雪壕による仮設陣と限定的な火力集中、そして伊吹萃香を中心とした一部の精鋭隊によって逆襲を駆使、退路が確保されるまでの時間稼ぎを図った。 しかし、上杉方がその時間稼ぎに感づき、損害を顧みず黒田隊への攻撃の手を緩めなかったのが災いした。 後方の磯野隊、そして再配置をすませた柴田隊は懸命に柿崎隊の排除を試みたが、その排除を待たずして、黒田隊は崩壊。 黒田は負傷した伊吹萃香と共にわずかな護衛を引き連れ富山へと退いた。 「もし和泉守(柿崎景家)に分別さえあれば、越後七郡に敵無し」と謙信にいわれた柿崎であったが、今回はその分別のなさが黒田隊を壊滅させたのだから、皮肉としかいいようがないだろう。 それとほぼ同時に柿崎隊も壊滅。これによって柿崎隊がそのまま朝倉隊の背面を襲撃し、前線が完全崩壊することだけは免れた。 これは黒田と伊吹と鵜殿の戦線離脱を大いに助けた。何よりも黒田隊を崩壊させた斉藤、柿崎、村上隊が宗滴隊に殺到したのが3人の命を救った。 姉小路の後詰め部隊は既に戦場に加入したのはこの前後になる。上杉景勝も一時城へ退き戦力を立て直した後再度出撃。負傷しながらも四季映姫も新発田隊の与力として戦場へと舞い戻った。 宗滴隊はこのとき、上杉景勝隊、中条藤資隊と連戦し、さらに側面から水原隊からの攻撃を受けつつも粘り強く抗戦を続けており、上杉方に損害を与え続けていた。 それどころか逆に宗滴は策を弄し、上杉部隊を攪乱し水原隊を崩壊させるほどの打撃を与えた。 村上、本庄もまた黒田隊を壊滅させる際に受けた損害が大きく、撤退。 再度出撃した新発田、景勝隊も疲弊しきった馬では状況を打破することができず、撤退した。 戦闘は姉小路の勝利だったが、受けた損害はあまりに大きく、春日山城の制圧は困難と判断し、新規に築かれた魚津へと撤退した。 多数の負傷兵を抱えた状況下の撤退は困難を極めたが、勝ち戦と各将の鼓舞も手伝い、最小限の被害での撤退に成功した。 部隊が帰還したとき、魚津城では海北綱親の指揮のもとに作られた、温かい味噌汁と白米が待っていたという。 この戦いの影響 姉小路の目的が春日山城の制圧であったのならば、戦術的辛勝、戦略的敗北といえる戦であったといえる。 しかし、春日山城の戦力をすり減らすという目的ならば姉小路側の勝利といえるだろう。 上杉家は越中再侵攻はおろか、春日山の防御にも不安が残る程の損害を被った。再度姉小路が越後に侵入した際は城を盾に戦う策をとるしかなく、作戦の自由度を大きく失うことになった。 逸話 この合戦は姉小路良頼にすら事後報告しか行われていない。現場の判断で行われた合戦である。 北方軍の軍団長にはそれだけ大きな権限が与えられていた。 これは、姉小路家の領地が広大であることもさることながら、 冬季の越中の交通の便が悪いことからの配慮である。 そのような電撃戦であるにも関わらず、各地から越中への物資の補給は円滑であった。 これは姉小路家の奉行衆が量的質的共に優秀である事の証左であろう。 姉小路家が各地で電撃作戦を行う事ができたのは、 前線基地への円滑な物資の補給があってこそである。 この合戦は現場の独断ではあるが、一部の将には予想の範囲内であったようだ。 第三次越中防衛戦が終了した折、姉小路領内の御用商人や諸将から越中に戦勝祝いの品が届けられた。 多くは宗滴が文化人であることから、茶器などの美術品や名刀古刀であった。 姉小路良頼からは褒賞の石見銀や生野銀、飛騨金などが送られたようである。 そんな中、竹中重治は2000着もの木綿の陣羽織を送った。これは越後侵攻が近いことを察した 竹中重治が寒さの厳しい遠征になることを予想して防寒具を送ったのだと言われている。 明智家からは500帖もの油紙が贈られている。これは、河川や海の付近を移動する際、 水に弱い鉄砲弾薬を保護するための必需品である。この合戦の行われた糸魚川では雪が多く、 移動の際も海や川が多かったので重宝したといわれている。 その他、羽柴秀吉の提案で材美濃の諸将からは寒冷地で暖をとるための良質の飛騨木炭、 それとは別に美濃衆を代表して斉藤義龍から防寒対策の美濃和紙が贈られた。 魚津城築城は後世の魚津の発展の要因の一つである。 この戦いまでは魚津城周辺は名目上姉小路領であったといえ、 実質は上杉氏と姉小路氏の両方に属していた。 魚津は上杉家の侵攻に度々晒されていたが姉小路氏はこの地域の防衛をするのが困難と判断。 また、上杉氏も魚津が陸の孤島であり、富山城を落とさない限り維持が困難であると判断していた。 このために両家領の緩衝地帯となっていたのである。 しかし、今回の合戦に勝利して魚津城が築城されたため、名実ともに完全な姉小路領となった。 これまで姉小路家にとって危険な土地であったため、姉小路領の松倉金山から産出される金は、 魚津港を避けて移送されるなど、長年交通の要所で恵まれた地形のわりに不遇であった魚津も、 城下町としていよいよ発展していくこととなる。 この合戦では携行食糧についてさまざまな試みがなされた。 中でも、たったの四粒で一日に必要な栄養をほぼ摂取できる兵糧丸は既存の糒(ほしいい)などと比べて 携行性や栄養価が上回っていたために、兵糧事情改善に大いに期待されていた。 実際にも大きな効果があったのだが、蜂蜜や鰹節など一部材料が高価であること、満腹感に欠けること、 味が良くないことなど将兵の不満が高まり、その後は既存の兵糧との併用という形で収まった。 この後の合戦では、間食、非常時の栄養補給用として利用されていたようである。 兵糧丸はその後も改良を加えられた。生産初期に比べて安価になり、 特に味については飛躍的な進歩がみられた。 なぜ味の改善が重点的に行われたかと言うと、 姉小路の兵糧丸がまずいことで有名になってしまったからである。 よほど印象深かったのであろうか、この合戦の参加者の苦労話には強敵上杉、越後の冬の寒さに続いて 大抵この兵糧丸が登場していた。この話が各地に伝播したようである。 兵糧がまずいというのは不名誉であることのみならず、募兵や士気にも差し障る恐れがあった。 そこですぐに味の改善が図られたという次第である。 幸いなことに募兵や士気には影響は見られなかった。 ただし、その努力に関わらず、この後も兵糧についての冗談話のオチとして扱われる事となったのである。 他には味付き糒といって糒自体に味噌を染み込ませて味噌を携帯する手間を省く物があったが、 この合戦の後の採用は見送られた。表向きは保存性にやや問題があるという理由であった。 しかし本当のところは、当時の兵士は配給された糒の一部を酒に加工するということをしていたのだが、 味付きだと酒にも味がついてしまって不味くなるからであったという。 なお、戦後にこの味付きの糒は味噌味や甘みをつけて御菓子として売られるようになった。 後の雷おこしの原型である。
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概要 モルコアの戦いとは、ザールック3325年3月、アーズ国と、モルコア国を支配していたアトレティア国ゲルジュ部隊との間で起きた戦いである。 戦闘に至るまでの背景 アトレティア国は、ダルスバード艦隊の圧倒的戦力を背景に、世界の各地に自国の部隊を駐屯させていた。部隊が駐屯されていた各国は、一応独立した国ではあったが、実際はアトレティア国の属国に近い存在となっていた。 アーズ国は、アトレティア色に染められていた勢力図を、自国の色に塗り替えるべく、これらの駐屯部隊と幾度となく戦っていた。 モルコアの戦いは、その中でも特に大規模で、後に六界戦争に繋がる基点となった戦いである。 両軍の戦力 攻撃側 守備側 アーズ国軍 軍勢 アトレティア国軍 ゲルジュ艦隊 総兵力84000 兵力 総兵力75000 サウラ 総指揮 ゲルジュ サルファー 軍師 主要参戦者 サウラ サルファー アリン トウリョ ゴルドバ ゲルジュ ベルマ ムガ ガバゼ ラシャ ファルケ 戦闘経緯 サウラとゲルジュは、互いにまだ若かった頃、一人の戦士として戦場で何度も衝突している。やがて時は流れ、互いの立場は「指揮官」にまで上り詰め、ここに数年ぶりの再戦を行うこととなった。 両軍の艦隊の一斉射と同時に幕を開けた決戦は、同時に地上戦の開始の合図ともなる。 艦隊戦で勝利すれば、地上部隊支援に専念できるため、艦隊はなるべく早急かつ軽微な損害で勝利することを目指さなければならないが、それは両軍共通のことであり、必ずしも理想が現実のものになるわけではなかった。 地上ではガバゼの猛突撃をかろうじてファルケが受け止めていたが、その猛攻は続き、ラシャが救援に駆けつける。 その一方でサウラ、トウリョとムガ、ベルマの激戦はこの戦い最大の混戦となり、これを支援する部隊をゴルドバ部隊が遮断するべく出陣し、混戦に拍車をかけていた。 艦隊決戦は、アーズ国第1艦隊がゲルジュ艦隊に突撃、これをゲルジュ艦隊が半月の陣形で半包囲しようとするが、それこそが第1艦隊軍師サルファーの策であり、第2艦隊を密かに移動させてゲルジュ艦隊の背後を取るべく動かしていた。 夕方になると、サウラがベルマを討ち取り、ムガ部隊も背走、そのまま一気に全軍を押し上げようとするが、アーズ国軍もファルケ部隊が半壊し、戦線を維持できなくなり、側面からの攻撃により、サウラ、トウリョは敵陣に踏み込めず、迎撃に回る。 アーズ国第1艦隊はゲルジュ艦隊と接近、白兵戦要員を出陣させるが、第1艦隊は最初から防御に徹していた為、半包囲された状態にしては軽微であったものの、それでも損害を蓄積させていた。 しかし、夕刻になると、第2艦隊の隠密行動による移動が形となって現れ、ゲルジュ艦隊の背後に出現。一斉射を開始する。完全に挟撃されたゲルジュ艦隊は混乱状態となり、それまで第1艦隊にあたえた損害を倍返しされる形となる。 ゲルジュは全軍の撤退を命じ、これに呼応して地上部隊も下がっていく。 戦いの結末 ゲルジュにとってこの場合の撤退とは、アトレティア国までの大きな後退を意味し、その為にはセロナバルス国を突破しなければならなかった。 この突破戦で、殿軍を勤めたガバゼが戦死、多大な損害を出しながらかろうじて脱出に成功したゲルジュであったが、ガザデルーに招集され、艦隊を没収、一兵卒への降格が命じられる。しかも、兵卒としての配属先は、手柄を争っていたジェルダー部隊という屈辱的な結末を迎える事となる。 また、半壊した彼の艦隊は、ガザデルー直属の部下であるガジャが引き継ぐ形となった。 アーズ国は、この勝利によってモルコア国の完全なる独立を支援するが、それは同時にモルコア国の新たな「主人」がアーズ国に変わるだけということも意味していた。 ただし、アーズ国はアトレティア国と異なり、部隊の駐屯はしなかった為、モルコア国の反発は「この時点では」なかった。
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各地形での戦い方の一例です
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概要 チャリオスの戦いとは、ザールック3328年2月、アーズ国、ビーストバリア国と、フレイミスト国の三国連合と、アトレティア国軍鬼龍軍の間で起きた戦いである。 戦闘に至るまでの背景 3328-0.JPG ラッツヘルトの戦いに代表されるセルカティーナの速攻に、ビーストバリア国は危機感を感じていた。 このままセルカティーナがアヤクリス国を支配すると、宿敵である鬼龍軍は、後方に安全地帯を築く事となり、ビーストバリア攻略にのみ全力を尽くすことができることとなる。 ビーストバリアの滅亡はアーズ国にとっても防波堤を失うこととなる為他人事ではなく、両国は共同して鬼龍軍と戦い、この戦力を削ぎ取る必要があった。 鬼龍部隊とセルカティーナ部隊がまだ完全な連携をとっていないうちにこの作戦は実行しなければならなかったが、更に万全を期すため、アーズ国はフレイミスト国にも共同戦線を申し出た。 こうして、本来ならビーストバリア軍と援軍対鬼龍軍となるべき戦いは、アーズ国と援軍対鬼龍軍という戦いになり、ビーストバリア国は、主役の座をアーズ国のアルスレーナに奪われることとなる。(ただし、アルスレーナ自身は神器衆の説得もあり、今回の戦いに出陣していない) 両軍の戦力 攻撃側 守備側 アーズ国軍 軍勢 アトレティア国軍 鬼龍軍 総兵力77000 兵力 総兵力62000 サルファー 総指揮 鬼龍 軍師 主要参戦者 サルファー サウラ ゴルドバ ラシャ ゲルジュ 鬼龍 飛翔 ウェンディ ガイラ アリン トウリョ トミラス ビーストバリア国軍 軍勢 主要参戦者 黒狼 火龍 霊虎 青龍 援軍 フレイミスト国軍 軍勢 主要参戦者 ガリュウ ロディ 戦闘経緯 三国連合軍の真の狙いはチャリオス岬の奪取であった。ここを抑えることで鬼龍軍の領土を分断することができる。 これまでの情勢では、この岬を占領したとしても、ビーストバリア国とフレイミスト国は互いに無関心であった為、それほど重要視されることはなかった。しかし、状況は変わり、モルコア、リゼルバがアーズ国の手に落ち、アーズ国が西に兵力を裂ける状態となり、また、昔は連携が希薄であったフレイミスト国とビーストバリア国も、五カ国連合会談、そしてディジィの戦い以後は、共同戦線が行われるまでになっていた。 そして、セルカティーナによる領土拡大が、それまで見逃されていたチャリオス岬を、三国に本気で攻略させる気にさせていた。 この戦いは長距離の移動を必要としたため、艦隊は戦力としてより地上部隊の輸送に徹した。 鬼龍軍は南方から迫るアーズ国、ビーストバリア国軍に対処するべく迎撃部隊を派遣したが、その隙に本命であるフレイミスト国軍がチャリオス岬に進軍、これを陥落させる。 更に、アーズ国軍は矛先をモルト国に向けると、南部の地域を次々と陥落させ、領土拡大に成功する。 ビーストバリア国軍はこの戦いの本来の主役であるはずにも関わらず、鬼龍主力軍と激戦を繰り広げたのみで、得るものは何もなかった。 戦いの結末 ビーストバリア国と鬼龍軍は元々同族の者であった。国主後継を争って内乱が生じてた時に、国外へ逃亡したのが鬼龍や飛翔の父親達であった。 この戦いで捕虜の身となった飛翔は、ベルーマの説得に当初頑なに拒絶していたが、ベルーマは元々同じ民族であった彼らが二つに分かれたいきさつとなる一族の跡目争いの愚かしさと、本来するべきことの道理を説き彼を味方とすることに成功する。
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【手取川の戦い】 ※慶次と島津がプレイヤーの場合は謙信は撤退扱いになり、撃破後の台詞は わたくしも まだまだですね になる 慶次 行きはよいよい帰りは怖い…ってね 幸村 見ていてくだされ、お館様! 信長 軍神ごときが…何様のつもりよ かすが (無し) 謙信 さあ、ひらさかまでおおくりいたしましょう 信玄 行くぞ、謙信! こい、しんげん!!(2の宿命!川中島の合戦と対になっている) 佐助 やーれやれ、軍神のお出ましだよ 光秀 貴方の墓穴を用意しておきましたよ…ククク 濃姫 父上…帰蝶に軍神を倒す力を…どうか…! 蘭丸 蘭丸、ぐんしんに勝つよ! 忠勝 さあ、ひらさかまでおおくりいたしましょう(敵謙信) 島津 さあ軍神どん、ひとつ手合わせ願おう じつによきこと 武蔵 ここはおれさまのにしとくぞ いつき よし!おらたちの村の旗を立ててやるだ! ザビー 何度でもアタックしまス、前進あるノミ ラーブ・アーンド・ピィーッス!(ザビー教信者) まつ みなさま、ご存分に 利家 降参するなら今だぞぉ! 毛利 行け、見事敵の攻撃を防いでみせよ 半兵衛 半兵衛、任せてもよいか? 大丈夫…君の名は汚さないよ 長曾我部 軍神?んなもんいるわけねえだろ 秀吉 孔子の倒れとも言うからね、気をつけて うむ! 我を信じよ! 伊達 さあ、やろうぜ軍神… アンタの実力をこの目で見たい! 小十郎 一度、ゆっくり話をしてみたかったが…(通常の謙信との遭遇セリフと同じ) お市 もういいの…市はあきらめてるから… 長政 この静けさ…私を恐れ、逃げたようだな 顕如 ゆくぞ!鉄人競技、開始ィ! 氏政 関東一円を治めるに、おぬしは妨げぢゃ 小太郎 ええ景色ぢゃ…心休まるのう(氏政) ………………(小太郎) 家康 神がかりの戦…見せてもらうぞ、軍神よ 義元 さて、毘沙門像でも見に行くかの