約 24,300 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1162.html
「長門、湯加減はどうだ?」 「いい」 「そうか」 湯加減といえば風呂である。しかし風呂といえば長門なんてこたない。 別に今俺はやましいつもりで長門を風呂に入れているわけではない。 妹が長門といっしょに風呂に入りたいだなんていきなりわめき散らすのが悪い。 それでは恒例、つまるところの回想シーンへ……… 何者かに閉じ込められて長門が倒れた事件や努力賞が似合う古泉の 推理ゲームやその他の道楽が終わり新年を新たに向かえ、今のところ大きな 懸案事項がひとつだけ残っているという状態で新学期は始まった。 ハルヒはというと、これまた何やら訳の分からん個人活動に専念しているらしい。 そろそろ生徒会のお役所御免になる事態が起きそうだ。起きなければいいのだが… いつもの効果音で今日の活動も終了。至っていつも通りである。大変喜ばしい。 ただひとつ、帰り際の長門のセリフでこの時点から今日いつもと違う日となった。 長門が、本という間接的手段を用いずに 「あなたの家の猫の様子を確認したい。できればこれからあなたの家に行きたい」 なんて言い出すんだからな。まあ夏休み末のイベントのときSOS団のメンツはうちの おふくろの知るところとなったし、妹は元から知っている。問題ないだろうさ。 俺は重大な誤算をしていた。いや元から算段など無しで長門を家に連れてきてしまった。 うちのおふくろが長門の食いっぷりに見惚れていたことをすっかり忘れていた。 とまあつまり、あれだ。三毛猫にだけしか用事はなかった長門だが、結局のところ 俺の家でさんざん妹に遊ばされ夕飯にまで付き合わされ…今に至る。 「キョンく~ん、覗いちゃダメにょろよ?」 お前はいつから鶴屋さん2号になったんだ。人の口調を真似るのはよしなさい。 「てへっ」 反省の色全く無しの返事が返ってくる。長門は終始無言。まさか沈んでるわけないよな。 とりあえず長門は着替えなんてもって着ている筈もなく、まああの身体なら 余計なもので服が汚れるだのなんてのはないだろうけれどもそれだと外見的にまずい。 とにかく昔履いていた半ズボンやTシャツで綺麗なものを探さなければ。 そうこうしている内に妹はタオル1枚でゆでタコになって戻ってきた。風引くからさっさと パジャマを着ろ。長門はまだ湯船のようだ。パンツは無いけど仕方ない我慢してもらおう。 「これを置いておくから着てみてくれ。サイズが合わなかったら取り替える」 「大丈夫」 頼むからTシャツに合わせて体つきを変えるなんて奇妙なことは止めてくれよ。 うちの家族には冗談はあまり通用しないたちなんだ。 長門が風呂から上がってきた。お前妙に顔赤くないか? 「入浴による熱の発散が上手く機能していない。必要時間以上湯に使っていたせいだと 考えられる」 あーそれは、俺のせいか。すまん。 「別に…いい」 かすかに火照った長門の顔を拝見しつつ、このまま変な事態にならないようにするためにも 俺は理性をフル動員で着替えをもった長門を連れて家に帰ろうとする。 「待ってぇー!!!!」 あ、見つかった。 帰ろうとする長門の腰にしがみつき、こら半ズボンが脱げる長門は今ノーパンだぞ馬鹿! 長門も長門で少しは抵抗してくれ。等身大着せ替え人形に変わり果ててもらっちゃ困る。 すったもんだでそのまま妹の部屋に連れられていく長門。こうなったら俺はもう寝るしかない。 さっさと寝ちまって明日主にハルヒ達3人に見つからないように登校するしか俺が 生き延びる選択肢は残っていない。やれやれ、もう神様なんて信じてやらねえ。 「ぬぉわっ!?」 ななにゃにゃがと!? 「私は、長門」 いやもうそんなことは三年前だか一年前くらいにとっくに知っていることで俺が言いたいのは そういうことじゃなくて、なんでTシャツ短パンでついでにノーパンのお前が俺にボディープレスを しつつ頬にキスなんてとんでもなくありがたいと言うかありえないことをしてくれているんだ。 「あなたの妹が私にあなたを起こす様指示した」 妹の指示なんて無視してのんびしてくれていても良かっただろうに。 「嫌?」 耳元でそんなおねだりみたいなセリフを言わないでくれ俺がおかしくなっちまいそうだ。 大体どこでそんな高等技術を習得してきたんだ、長門よ。しかも頬が赤らんで… 「昨日の入浴からの余熱が排熱されない。由々しき事態」 そんなこと言われてもお前の火照った顔のせいで思考回路がフリーズ中だ。 「緊急処置を取る」 どうやってさ。なんでもいいから早くしてくれ…。 「了解した。唾液に異常のある熱のデータを添付。あなたに送る」 なんだか分からんが唾液って言わなかったか? 「言った。すこし我慢して」 目をつぶった長門の顔が鮮明にクローズアップってうわ… 長門の熱された唇が俺の唇に当たり長門の唾液が俺の口に1滴だけ滴り落ちた。 その瞬間、瞬く間に沸騰するような感覚の後俺の体温は急上昇、熱っ…。 暫くのぼせていた俺だったが、気づいた頃にはいつも通りの制服姿で俺の枕元で座っている 長門が俺のおでこに手を当てていた。ひんやりしていてなかなか気持ちがいい。 「あなたの母親と妹にはあなたが突発的な熱を出したと伝える」 そうしてくれ。それにしてもこんな熱を持った状態でお前は一晩も耐えたのか。すごいな。 「原因は不明。なんらかの問題によって私の体温調節機構に不順が生じた」 そうか。しかしこのまま暫くこうしていて欲しいなんて甘えたことを口にするつもりは無い。 「そろそろ学校へ行かないといけないんじゃないのか?このままだとまずいことに成る気がする」 「分かった。私は放課後まで通常通り授業に参加していたことにする」 うんそれじゃぁまた…なぁ?授業に参加していたことにするって長門お前。 「SOS団の活動には確実に出席する。それまでは私に看病させて欲しい」 お前熱じゃあるんじゃないか?なんてボケをかましたら失望されるだろう。俺は、 「分かった。任せる」 それだけ言って目を閉じた。 扉の入り口で黄色い声と白色の声が話し合っている。 俺が熱を出して学校を休みその看病を長門がするということを伝えているのだろう。 暫くしてまた額に冷ややかで柔らかい感触が降り立った。 「熱がいつ下がるかはあなたの体力によって変わる。今日中に治ると断言出来ない」 無言で頷いておく。しばらくして緩やかな眠気に誘われ俺は睡眠をとることにした。 長門が妹となにやら話をしている。訂正、妹が一方的に喋っている。 そういえば長門の顔、特に普段とかわりない気が… 「キョンくんはねー」 「かぜで寝こんだことが無いからかんびょーされたことが無いんだよー」 「分かった」 「それとねー」 「明日は有希ちゃんがキョンくんを起こしてあげてー」 そんなことをいいつつ妹は長門の方にボディプレスの要領で飛び込んだ。 「キョンくんなかなか起きないからこうするといいんだよー」 何勝手なことを抜かしやがる。長門に起こされるなら普通に起きれるさ。 「分かった」 さっきから分かったしか言ってないじゃないか…こんな感じで今朝のことは吹き込まれたのだろうか 「それでねー有希ちゃん」 「何?」 「有希ちゃんは… 起きなさああああああああああぁぁぁぁぁぁっぁぁぁい!!!!!!!!!!! ビクンと身体が反応しそのまま目の前のハルヒ?に頭突きした後ベッドの角に後頭部を打ちつけ 悶える俺。足のほうでうめき声がする。 「やれやれですね」 古泉の声。 「あ、あの、あの…ふ、二人とも大丈夫ですかぁ?」 朝比奈さんの声。 「大ぃっ丈夫じゃないわよバカキョン!!!!」 耳に響く耳に響くこのアホが…。 「全くだらしないわね。熱なんかで学校はおろかSOS団までも休むなんて」 お前の思考回路の学校とSOS団の順位を正せ。 「おやおや、ここまで涼宮さんと張り合えるならすぐに元気になりますね」 解説ならもうちっと医者っぽいセリフを頼みたいところだね 「残念ながら私には医療の知識も経験も無いのでそんな勝手なことは出来ませんね」 夏の合宿での演技はどこへ行った。 「私が出来るのはせいぜい演技までですよ」 うるさい黙れ近づくな耳元で息を吹きかけるな そんなこんなで団員達は帰っていった。ハルヒの奴が 「仕方がないわ。私は団長だから団員の看」 「すまんが今日は一人で養生させてくれ」 古泉が携帯を手に取り頭を掻きお先に失礼しますと言って帰っていった。 すまんが古泉、今回は許してくれ。あとで裏庭のコーヒーでも奢るから。 「もういいわ、そんなに言うなら一人でなんとかしなさいよ!これで明日学校に来ないなんて言うんじゃ 絶対に許さないからね!それと、今週末は喫茶店でキョンの奢りだから。良いわね!さあ帰りましょ! 有希!みくるちゃん!」 長門は無表情で、朝比奈さんは肩を震わせながら 「お大事にしてくださいね」 なんてマザーテレサのような一言を残して去っていった そして夜も更けてきた。そろそろ寝るのに丁度いい頃合だが俺は待たなければいけない。 誰かって?決まってるだろ。 コンコンと俺の部屋のドアをいちいちノックして来るような人さ。 「どうぞ」 ドアが開く 「すべての責任はわたしにある」 それ前にもどっかで聞いたな。古泉よろしくの私立病院だったか。 「私は私の不明な行動パターンの選択に抗えなかった」 正夢ってのはときどきあるらしい。 「私には問題は無かった。あなたを一時的な高熱状態にしたのは私の独断専行」 それくらいなら俺は文句は言わんよ。一度やってみたかったんだろう?看病ってヤツを。 「あなたから高熱の元とされる情報を取り除かないといけない」 分かったが、それは具体的にどういうことをするんだ。 「情報を送ったときと全く逆のことをすればいい」 まさか今度は俺が長門に? 「そう」 その後のことは察して欲しい。とにかく熱は収まった。 そして裏道から二人で登校する俺と長門。別々に登校しようという俺の提案は長門に よって脆くも崩れ去った。だが悪い気はしないね。丁度肩の辺りに頭を添えて俺の 左腕を右手でロックしているこいつとなら。SOS団に通じるメンツに見られてなきゃいいがな。 それでまあ、結局見つかるのがSOS団の方程式らしい。 この後俺はハルヒによって無理難題を押し付けられる羽目と成るのはまた別の話である。 そして最後に、妹を近いうちに賞賛してやらねばならんね。 Fine
https://w.atwiki.jp/kuragemaru/pages/38.html
とある日の朝の事である。 カバンを手に家を出ようとした俺を呼び止める母親の声。正直無視しても良かったのだが、月末も近いここで そんな事をすれば、そろそろ支給される来月の小遣いの額に影響が出かねない。 母親に何かと尋ねてみると、どうも泊りがけで出かけるとの事。親戚関連で何かあったらしい。 その何かが何なのかはどうでもいい話で、俺と妹がそれに関わる事も無く、要は留守番していろという事だ。 母親からは2人分の食事代として3000円が供与された。さてどうするべきかな。 まあ、それから学校で特にこれと言う出来事も無く、平穏無事に放課後となったわけだが。 ハルヒに今日は帰ると伝えようと思ったのだが、あいつはHR終了と同時にダッシュで消えた。 振り向いたらもういないんだぜ、まったくロケットスタートとはあいつの為にある言葉だね、ほんとに。 既にいなくなった奴の事を考えていても仕方がない、俺はとりあえず文芸部室へと向かうことにした。 部室前に辿り着くとそこには天使が居た。いやまあ、朝比奈さんなんだけどな。 「こんにちは、朝比奈さん」 「あ、キョン君。こんにちは」 朝比奈さんはドアを開けて、俺に入室を促してくれる。さりげない心遣いが俺のハートを震わせるぜ。 いやいや、それはこの際どうでもいいんだ。今日は帰ることを伝えねばな。 「朝比奈さん。申し訳ないんですが、今日は家の都合で帰らなければならんのです」 「そうなんですか、残念です。今日は新しい茶葉を持ってきたのに」 ああ、天使の誘惑とはこの事か。……いいかげん第三者視点で見ると痛い奴になってきたな、俺。 「それは後ろ髪引かれるところですが、買い物をして晩飯の支度をしなきゃならんのです」 「え、今日はキョン君がお料理するんですか?」 俺は首をぶんぶんと振り否定する。そんな料理って程のもんじゃないですよ。 「今日は妹と留守番なんです、1人なら外食でもいいんですがね」 「うふふ、じゃあ妹ちゃんと仲良くお食事ですね。お手伝いとかもしてくれるのかなぁ」 「残念ながらそれは無いです。あいつは食う専門ですから」 くすくすと笑いながら俺の話を聞く朝比奈さんは、それはもうなんとも言えない魅力に溢れていて、俺はどうにか なってしまいそうな気持ちを抑えながら会話を切り上げる事にした。 「じゃあ、すみませんがハルヒによろしく言っといてください」 「わかりました。さよならキョン君」 ひらひらと手を振りドアを閉める朝比奈さん。閉まる寸前に長門の姿がいつもの場所にちらりと見えた。 「妹ちゃんとお料理とかできたら楽しいだろうなぁ、長門さんもそう思いませんか?」 朝比奈みくるが窓際に目を向けると、今までそこに居た筈の長門有希は煙の様に消えていた。 「あれぇ? 今そこに長門さんが居た筈なのに……おかしいなぁ」 部室内に答える者は無く、朝比奈みくるは考えるのを諦めて着替えをする事にした。 それからしばらくして、部室に古泉一樹が現れる。 「こんにちは。おや、今日は朝比奈さんだけですか」 「あ、古泉君。こんにちは。今日はキョン君がお休みなんですよ、長門さんは……居た筈なんですけど消えちゃいました」 古泉一樹はそうですかと返答し、自らの定位置に座りボードゲームをカバンから取り出した。 さて、そんなわけで俺は通学路を降っているわけなんだが。俺の数少ないレパートリーから今晩の夕食を何にするか、 チャーハンはこの前食べたしなあ、オムライスも妹のリクエストで先週末に食卓に並んでいる。 後はラーメン……いやいや、これは無いな。とすると残されたメニューは…… 「カレー」 ああ、そうだな。カレーはここしばらく食べてないな、よしカレーにしよう。 俺は天啓を受けたかのようにカレーというメニューを思いつき、いそいそとスーパーへと足を向けた。 そういえば、先日の事件の時に長門にカレーを振舞うって約束してたよなあ。 でも、いきなり俺んちに招待するってのも、なんだしなあ。ハルヒに知れたら俺は殺されるかもしれん。 まあ、長門の家にお邪魔してってのも、知れたら結局殺されかねんという点では同じだがな。 などと、考えながら歩いていると、いつの間にやらスーパーが見えてきた。しかし、制服で買い物ってのもなんか変だよなぁ。 まずは野菜コーナーを見るか。にんじん2本のたまねぎ一袋、じゃがいもはメークインにするか、妹が好きだしな。 ほいほいとカゴに放り込み、とりあえずここにはもう用は無いなと、他のコーナーを目指す俺。 そんな俺の持つカゴに、不意に重量物が入れられた。何かと思えばそれはキャベツであった。 周りには誰もいない、ではこのキャベツは何だ。どこから現れたのだ。 「わあ、身の詰まったいいキャベツだなあ」 心にも無い事を呟いた俺は、空気の揺らぎの様なものを見た気がした。 しばし考えた俺は、記憶の中にあるその高さに手をかざし、ゆっくりと手をそれに置いた。 「長門か」 手をわしわしと動かすと、確かに髪の毛の感触。間違いない、見えないがここに居る。 「なぜ、わかったの」 一瞬、空間にモザイクが掛かったかと思うと、長門がそこに現れた。 「まったく、脅かしっこは無しにしてくれよ。いきなりキャベツが放り込まれれば誰でも気付くぜ」 俺は周りを見回し、長門がいきなり現れたところを見られていないか確認した。 「だいじょうぶ。情報操作は得意」 そうか、と返事をして長門の頭をぐりぐりする。細かい事を気にしたら切りが無いしな。 「長門、いまさらな感じもするんだが、今日は俺が夕食を作るんだ。よかったら食べに来ないか、もちろんカレーだぞ」 「……いく」 「よっし、じゃあ決まりだな。さっさと買い物済ませて行こうぜ」 俺と長門は連れ立ってカレールーのコーナーへと歩き出した。 「遅れてゴメーン。って、みくるちゃんと古泉君だけ?」 涼宮ハルヒが部室のドアを開けると、そこにはボードゲームに興じる2人が居るだけであった。 「あ、こんにちは。涼宮さん」 「どうも」 涼宮ハルヒはツカツカと、団長席に歩み寄りカバンを置く。 「今お茶を淹れますね。そうそうキョン君はおうちの都合で今日はお休みするそうです」 「長門さんは先程まで居たらしいのですが、行方がわかりません。お隣というわけではなさそうです」 朝比奈みくると古泉一樹が状況を説明する。涼宮ハルヒは少しばかり憮然とした態度でそれを聞いていた。 「キョン君は妹ちゃんの為にお料理をするって言ってましたよ。ご両親がお出掛けだそうです」 湯飲みを団長席に置きながら、朝比奈みくるは言う。しかし涼宮ハルヒはそれを聞いた途端立ち上がった。 「こうしちゃいられないわ。あたしも今日は帰るわね」 カバンを掴み嵐のような勢いで部室を出る涼宮ハルヒ。残された二人はあっという間の出来事に顔を見合わせる。 「なにやら僕らの知らないところで話が進んでいる気がしますね」 「みたいですねぇ。あ、お茶のおかわりをどうぞ」 古泉一樹は差し出されたお茶を一口すすり、軽く溜息をついた。 「まあ、事件性はゼロと断言できるでしょう。僕らは静観というスタンスで問題ないかと思います」 「そうですねぇ。わたしもそんな気がします」 2人は談笑しつつ、中断されていたゲームを再開する事にした。 「長門、お前はどのルーがいいんだ。妹は辛口もいけるから何選んでもいいぞ」 カレールーのコーナーにて、長門の好みを聞く。招待するからには好きなのを選んでほしいしな。 「これ」 ふむ。中辛のスタンダードな奴だな。長門の選んだ物をカゴに入れ、隣の缶詰コーナーでマッシュルームスライスを手に取る。 次に行こうとする俺の袖を引っ張る長門。どうした、長門。何か足りないものでもあるのか? 「このカゴの中を見る限り、重要な物が入っていない」 「何だ、何が入っていないんだ」 「肉」 ああ、確かにそうだな。肉無しのカレーはかなり寂しいよな。 しかし、ここで問題がある。俺の手持ちは3000円だ。現在のカゴの中身をざっと計算すると1300円といったところか。 出来うる事ならここで出費を抑えて、供与された予算の内のいくばくかを俺の財布にチャージしたい。 カレー用の肉と言ってもピンキリなわけで、下手な価格の筋だらけの肉はパスしたい。そこ、贅沢だって言うなよ。 しかし、先にも言ったがせっかく長門を招待するんだ、ここは俺の財政事情は後回しにしてしまおう。 「よし、肉を取りに行くぞ。心配するな長門、お客さんに肉無しカレーなんぞ出すわけが無いじゃないか」 ハルヒばりにのしのしと精肉コーナーへ向かった俺は、迷わずある肉のパックを手に取りカゴに放り込んだ。 「そうだ、これも買っていかないとな」 「それは、何?」 俺は長門の目の前に、袋入りの赤いウインナーを掲げて見せた。 「妹が好きなんだ。タコさんにすると喜ぶんでな」 「タコさん」 そっちに興味があるのか。よし、長門の分にも入れてやるからな。 「タコさん」 嬉しいらしい。あくまで多分なんだが俺にはそう見えた。 会計を済ませ、袋詰めをすべく平台にカゴを置く。ん、どうした長門。 「キャベツはわたしが運搬する」 宇宙人的何かがあるのだろうか、長門の要望に従い2枚もらったレジ袋の片方にキャベツを入れて渡す。 「よし、じゃあ俺んちに行こう」 こくりと頷き、長門は俺の後を付いて来る。随分大事そうにキャベツをぶら下げてな。 というわけで家に到着し、まずは米を研ぎ炊飯器にセットする。これを忘れてしまっては元も子もないからな。 次に野菜類の皮むきだな。無論俺は包丁なんてものを器用に操る事は出来ない。 そこで登場するのがピーラーだ。要は皮むき機だな。2枚刃の髭剃りのような形で、刃を当て滑らせればあら不思議、 どんな不器用さんでもするすると皮を剥く事が出来る、魔法のツールだ。ちょっと言いすぎか。 すいすいと皮を剥く俺の手を、長門が興味深そうに見ている。 「お客さんなんだから、座って待っててくれていいんだぞ」 「興味深い」 ふむ、自分では料理はしないみたいだしなあ。少しやらせてみようかな。 なんとなーく、そう思った俺は、にんじんとピーラーを長門に差し出して問いかけてみた。 「興味があるならやってみないか。結構面白いぞ」 こくりと頷き、にんじんとピーラーを手に取る長門。はは、なんか珍しい感じがするな。 ふと笑みを浮かべた俺の顔を見て、少しばかり顔を傾ける長門はゆっくりとにんじんの皮を剥き始めた。 そんな長門を横目に、俺はたまねぎの準備に入る。大きめに切ってザルに置く。 次はじゃがいも。メークインはちょっぴり細長いので、3等分くらいに切る。これで一口くらいかな。 長門は2本目のにんじんを手に持っている。剥いた方を受け取り輪切りにする。 「妹がごろっとしたにんじんは好きじゃなくてな。なんとなーく存在する程度に小さくするんだ」 「これで3回目」 何がと問いかけると、長門は皮むきの手を止め俺の顔を見つめてくる。 「あなたが妹の為にと何かをする事が今日3回目。じゃがいもの品種の選択、タコさんウインナー、そしてにんじんの好み」 「言われてみると確かにそうだなあ。でも、どこの家でも兄ちゃんってこんなもんだと思うぞ」 「あなたは妹好き」 長門、言い方が変だぞ。俺がまるで……その、なんだ、いや、もういい。妹好きで構わんよ。 「そういや、あいつまだ帰ってこないな」 時計を見ると午後4時半を回っている。まったく今日は早く帰って来いって言っといたんだがなあ。 俺は今妹が予測もしていなかった奴と一緒だと知らずに、たまねぎを親の仇の様に徹底的に炒めていた。 つづく コメント 日常シリーズとでも名付けましょうか、何でもない事を書いていくシリーズです。 今までキャラスレで投稿してから、こちらに収納という形を取っていましたが、たまにはここだけの作品というのも有った方が 良いかなと思いまして、こんな話を始めてみました。 『長門有希のカレーなる1日』とタイトルで言ってますが、放課後からのスタートで偽りだらけのタイトルです。 なんとなーく付けただけで意味があるかというと、別にそんな事も無く。しかもほぼキョン視点ですし。 そんなに長くなる予定はありませんが、しばらくお付き合いくださいませ。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/4813.html
今部室にいるのは俺と長門だけである。 ハルヒは機嫌が悪く、無言で俺を睨んでから先ほど帰宅、 朝比奈さんは課外授業、古泉はバイトだ。 ハルヒの不機嫌オーラで息が詰まりそうだった部室は束の間の平和を取り戻した。 ハルヒが不機嫌なのは俺が諸事情から二人きりの不思議探索をすっぽかしたせいだ。 俺はその言い訳をするために部室にやってきたものの取りつく島はなし、 教室では言わずもがなだ。昨日の晩、電話口でさんざん怒鳴ったうえに、 妹を使っていやと言うほど嫌がらせをしてもまだ不満らしい。 素直に悪いとは思うが、せめて話くらい聞いてくれ。 俺は意味もなく大きなため息をついた。 「今回の件はあなたが悪い」 突然、長門が口を開いた。 「涼宮ハルヒがわたしとあなたとの関係を疑っていることは理解していたはず」 ハルヒは、とある出来事から俺と長門の関係を疑っている。 俺も長門もそんな事実はないと否定したのだが、未だに疑っているようだ。 まぁ、俺が冗談で 『本当に長門と付き合ってるとしたらどうするんだ』 なんて言ったのが原因なんだろうけどな。 「にも関わらず、あなたは涼宮ハルヒとの約束を守らなかった」 それには理由があるんだ長門よ。 ハルヒとの約束と言うのは先ほど出てきた二人きりの不思議探索のことだ。 ハルヒは遠出できるのがよほど嬉しかったのか、いつも以上に期待していたらしいし、 俺もなんだかんだで楽しみにしていた。 ハルヒは『デートじゃない』と主張していたが、はたから見れば完全にソレだろう。 思春期真っ只中の俺は少しばかりそれに惹かれていた。 それを何故すっぽかしたかと言えば突然朝比奈さん(大)から意味深な警告があったからだ。 何でもハルヒとの不思議探索の中に世界の運命を変えてしまう程の出来事があるとかないとか。 しかもそれが俺にかかっているらしい。 詳しい内容は禁則事項らしく聞くことはできなかったが、俺は早速、あることを決断をした。 何かが起きるのだったらその出来事そのものをなくしちまえばいい そう考えてハルヒとのデート・・・もとい不思議探索をドタキャンしたのだ。 一応ハルヒには連絡したが、その晩ハルヒから怒りの電話をうけることになる。 事情を知った妹の俺を見る目は今でも忘れられんな。 「理由は知っている。しかし、あのまま出かけていても、その後の選択で回避は可能だった」 それはそうだろうが、あんな話を聞かされたあとじゃ身が持たないだろ? 「なら、あなたは彼女にきちんと謝るべき」 やっぱりそれしかないか 俺はもう一度大きくため息をついた。やれやれ、今度は俺から誘ってみるかな。 おそらく、おごりにおごらされていつも以上に振り回された挙げ句に、体力も貯金も使い果たしそうだ。 「もう一つ、聞きたいことがある」 何だ? 「あなたが私のことを、どう思っているのか」 長門はハルヒに誤解されてすぐに聞いてきたことと同じことを聞いた。 途中で微妙な間があいたのは同じ質問をしたことを思い出したからか? 「前にも言ったが、お前と同じだ」 「もっと具体的に」 「あぁ、だからな、お前は俺にとって普通の友達だと思ってる。 ・・・まぁ、命を助けられたり、いろんな場面で世話にはなってるから ”普通の”とは言えんのかもしれんがな」 「・・・そう」 長門は短くそう言って、再びハードカバーに集中した。 俺に質問する間も本から目を離すことはなかったが、 それを読んでいないのは、ページがめくられていないのを見て分かった。 それからしばらくは、しばらく静かな時間が続いた。 聞こえるのは、ページをめくるかすかな音と、不規則に響くキーボードを叩く音だけだ。 俺がお気に入りのサイトの掲示板を開くのとほぼ同時に、再び長門が声を出した。 「涼宮ハルヒのことは?」 聞いてすぐには長門の言いたいことが理解できず、ようやく分かったところで 「あなたが涼宮ハルヒのことをどう思っているのか知りたい」 と、具体的な説明があった。 「ハルヒは・・・」 普通の、とは言えず、その上ハルヒのことを形容する言葉が見つからない。 迷惑で、自分勝手ではあるが不思議とそれが許せてしまう。 理不尽だ、わがままだ、と思うこともあるが、 それに振り回されているのが楽しい時もある。 まぁ、命を狙われたり、死にかけたりなんてこともあったが。 とにかく、ハルヒに関しては何とも言えなかった。 代わりに朝比奈さんについてならすらすら言えるぞ、 このSOS団唯一の癒しだよ。朝比奈さんの入れるお茶でご飯三杯は食えるな。 古泉?あぁ、あいつはどうでもいいだろ 「・・・つまり、涼宮ハルヒはあなたにとって特別な存在」 いや、それは大げさすぎる。もっと単純なもんだと思うがね 「そう」 結局、長門が何が聞きたかったのか分からないまま、再び沈黙が訪れた。 やがてとっぷりと日が暮れると長門が本を閉じた。帰宅の合図だ。 結局、朝比奈さんは来なかったな。 そんなことを思いながら立ち上がる。 「あなたに言いたいことがある」 長門が俺の方をじっと見ている。 その顔は無表情なのに、何かを決心した思いつめたものが見え隠れしていた。 「何だ?」 俺はわざといつも通り、気楽に構えているようにふるまった。 「わたしは・・・わたしと今度また図書館に」 何か他に言いたいことがあるのは、一度言葉に詰まったことからも明らかだった。 「あぁ、いつでも連れてってやるよ」 それでも俺はそれに気づかない振りをしてそう返事をした。 長門が言い淀むほど大切な事なんだろう。きっとそれは今聞くべきことではない。 「それじゃ、また明日な」 俺は長門にそう告げて、部室を後にした。 彼が部室を出たあと、私は再び椅子に座って窓の外を見た。 夕日はすでに見えなくなっていたけれど、代わりに小さな星と月が小さく光っている。 「私が言いたかったこと」 私は誰にも聞こえないようにつぶやいた。 「私はあなたと同じようにあなたのことを考えていない」 私はしばらく秋の風を見つめて、 いつか失くした眼鏡を再びかけるようになるのかな。 と、自分らしくないことを想った。 想い編 end まぁ、その翌々日の放課後。俺は全面的に悪かったと思ったことを後悔した。 未だに怒りの収まらないハルヒは、三日ぶりに部室に現れたかと思うと、 突然俺の胸倉を掴んで移動を始め、少し離れた別の部屋へと移動した。 待て、ハルヒ。息ができん。お前の文句を聞く前にしんじまう。 「そのまま死になさい!」 ハルヒはそう叫んで俺を放り投げる。何つーバカ力だ。 「言いたいことは、わかるわね」 あぁ、分かりすぎるくらいにな。古泉あたりにおすそわけしてやりたいよ もっとも、今あいつはハルヒの不機嫌パワーと命がけで戦ってるところだろうけどな。 「まずは、理由を聞いておこうかしら」 ハルヒ、まずは理由を聞くという常識的なことができるようになったんだな。 「話を逸らさない!あたしとのデー・・・不思議探索をすっぽかした理由は何?!」 ハルヒ、今とんでもないことを言おうとしてなかったか? 「うるさいっ!さっさと答えないと本当に殺すわよ」 ハルヒはさらに怒りを増幅させた目つきで俺を睨みつける。 ここで俺は後悔をする。いい訳なんぞ全く考えていなかったからだ。 いや、サボった理由に関しては古泉がサポートしてくれていた。 「実はな、古泉から突然電話がかかってきて、バイトを手伝ってくれと」 「古泉君が?」 そうだ、間違いなく古泉だ。 俺はハルヒとのデートをドタキャンした時に、とりあえず断る理由を作らなくては、と考えた。 始めに思い当たったのが長門だったのだが、 いかんせん俺と長門の関係が疑われているまっ最中に頼るわけにもいくまい、自殺行為だ。 ならば朝比奈さんに、と思ったが、疑惑の対象が長門から朝比奈さんに変わるだけのような気がし、 不本意ながら古泉に助けを求めた。 朝比奈さんの警告も含めて事情を説明すると 『分かりました。少々お待ちください』 と言う返事があり、いつかの黒塗りタクシーが現れた。中に古泉を乗せてな。 車内で古泉に礼を言い、 「多少忙しくはなるでしょうが、世界が崩壊するよりはマシです」 と、笑顔で言われた。古泉の笑顔に腹が立たなかった上にありがたく思えたのは今回が初めてだな。 その後、俺は古泉の提案通りに、助っ人アルバイターとして、たこ焼きの屋台で雑用をこなした。 バイト代も出たし、得した気分だな、などと考えていたが、今回の件でチャラだ。 ここまで命の危機を感じたのは朝倉に襲われて以来だな。 その後、ハルヒにバイトの時間、内容、出来事などをかなり詳しく追及され、 「・・・どうやら古泉君のバイトを手伝ってたってのは本当みたいね」 と、疑いを持った目で俺を睨んだままそう言った。 「今回は古泉君もかなり困ってたみたいだし、許してあげるわ」 ハルヒの『許す』という発言に俺は少し安堵した。 「ただし」 が、当然ただでは済まなかった。 「次回の不思議探索で、あんたはあたしの・・・いえ、団員全員の命令に何があっても従うこと。 それから、一ヶ月間部員全員に喫茶店代を奢ること」 ハルヒは俺の胸倉を再び掴むと 「いいわね」 と、鬼も裸足で逃げ出すほどの形相で念を押してきた。 俺は何も答えられず、冷や汗を流していると、ハルヒは「ふんっ」と、鼻を鳴らして部屋を出た。 とりあえず、ため息をついてから、ハルヒの怒りがこれで収まることを願いつつ立ち上がり、 今日は帰った方がいいかもしれないなと思いつつ、部室入口の札を見た。 『天文部』 今日偶然誰もいなかったのか、ハルヒに厄介払いされたのかは知らんが、気にせずに星でも眺めてくれ。 ついでに俺の今後の無事を祈ってもらえると非常に助かる。 俺の戦略的撤退は見事に失敗し、結局一日中ハルヒにこき使われる羽目になった。 俺は何の文句も言えず、ただただ従順にそれに従うのみだった。 朝比奈さんが俺を気遣い、手伝ってくれようとしたこともあったが 「みくるちゃんは余計なことしなくていいの」 と、ハルヒからの威嚇を受け、心配そうに俺のことを見ながらおどおどしていた。 いいんです朝比奈さん。あなたが気遣ってくれるというだけで、俺は何だってできます。 そんなことが一週間も続くと、ようやくハルヒの機嫌も直ったようで、 今週日曜日に不思議探索を行う旨を、久々に顔をそろえたSOS 団一同に、笑顔で伝えていた。 「遅刻したら罰金よ!罰金!」 と、口うるさく言われたが、遅刻しようがしまいがどうせ喫茶店の会計を済ませるのは俺なのだから 集合時間ギリギリにのんびり集合してやるよ。まぁ、本当にそんなたいそれたことが出来たらな。 俺は今、絶対に涼宮ハルヒ恐怖症にかかっているね。 パソコンのハードディスクで息をひそめているMIKURUフォルダをかけたっていい。 不思議探索当日、俺は普段の生活では絶対に目を覚まさない時間に起床した。 こんな時間に起きようなんて考えたのは中学の時の集合時間以来だな。 今回の不思議探索は学校生活一番の醍醐味とほぼ同等の扱いだ。これで文句はあるまい。 俺はそんなことを頭の中で今は自宅で夢の中であろうハルヒに言った。 直接言え?そんな事が出来たらこんな時間に起きちゃいないさ。 支度を終えた俺は集合時間よりもはるかに早く到着するであろう時間に家を出た。 この時間なら最初の一人が来るまでかなり待たなけりゃならんだろうが、まぁ、ハルヒを怒らせるよりはマシだな。 誰もいないはずの集合場所でやれやれ、とため息をつく予定だったのだが、そこには先客がいた。 長門だ。 「ずいぶんと早いな、まさか昨日からいたのか?」 あいさつ代わりに長門に言った。長門は黒曜石の瞳を俺の方に向け、 「あなたも同じ。今来たところ」 と、無表情な返答を返した。 「そうか」 俺はそれだけを長門に言って他のメンバーを待つことにした。 暇になれば長門に話しかけるなりなんなりすればいい。反応はあってないようなもんだろうが、一人でいるよりはいいだろう。 かくして、無口な宇宙人と共におっちょこちょいな美少女未来人、訳知り顔の苦労人超能力者の到着を待つ。 正直ハルヒは来ない方が嬉しいが、あいつが来ないとなればそもそも今回の集まりそのものが無意味になるな。 ハルヒの登場を期待するような、期待しないような微妙な心境で寒空の下待っていると、 思いのほか早く問題の人物が登場した。何故かポニーテイルで。 ハルヒは何かを企むかのような邪悪の笑みを浮かべこちらに向かってくる。 俺をどういじめるか考えてるのか。俺はそれを甘んじて受け入れるほどのマゾっ気はないぞ。 ハルヒは俺のいる場所から大体三十メートルほどの場所でようやく俺がいることに気づいたようで、 驚きを顔いっぱいに表現し、慌てて髪をまとめていたゴムを外した。 ハルヒがたなびくと同時に俺は思う。勿体ないなと。 そんな俺の心境を知ってか知らずか 「た、ただ走ってたら途中で髪がうっとおしくなったから結んでただけなんだから」 と、聞いてもいない言い訳を始めた。 「それにしても、キョンがこんなに早くに来ているなんて・・・計算外だわ」 それはお前の恐ろしい表情から良く分かったよ。本当に早起きしてよかった。 俺はハルヒのよく意味の分からない説教を聞きながら、他のメンバーの到着を待つ。 長門は隣の喧騒などお構いなしにどこから取り出したのか、少し分厚い文庫本を読んでいた。 ハードカバー以外の本を読んでいるのは珍しいなと思ったが、 あんな大きくて重たそうなものを持ったまま移動するのは不便だからだろうと、勝手に解釈した。 古泉、朝比奈さんの順に集合場所に到着し、ハルヒの 「ようやく全員そろったわね」 の一言が発せられたのは集合時間30分前だった。 俺が五分前行動を心がけても「遅い」と言われるのはこれが原因か。 ハルヒに限らずみんな寝坊なりなんなりして遅刻してくればいいのにな。 その時は「遅い」なんて言わずに「気にするな」と、慰めてやるさ。 いつもの喫茶店で作戦会議を練る。もちろん、俺のおごりだ。 ハルヒはいつも以上に高価なメニューを嫌がらせのように注文していた。 あぁ、間違いなく嫌がらせだな。頼んだメニューの半分を残していたからな。 しかも、今回はいつものような探索のメンバー分けはなく、五人一組で行動することが決定し、 最後にハルヒが 「今日一日キョンはみんなの奴隷だから。好きに扱いなさい。 これはキョンが自分の罪を償いたいと自分から言い出した事なんだから遠慮しなくていいわ」 と、死刑宣告のように宣言した。朝比奈さん、そんな目で俺の方を見ないでください。俺はそんなことを言った覚えはありません。 このとき俺は、長門がかすかに表情を変化させたことに全く気付かなかった。 いや、長門の表情の変化はないはずなのだが、とにかくそういう雰囲気だ。 喫茶店を出てからしばらくの間の愉快な集団の足取りはすべてハルヒが決定していた。 突然立ち止まったり、走りだしたりと、動きやルートを頻繁に変化させるハルヒについて行くのにかなり体力を使い、 朝比奈さんと俺は息を切らしていた。長門はともかく古泉が疲れを見せないのは癪だな。 へとへとになりながら一体どんなルートを辿ったのか疑問に思いつつ喫茶店へと戻ってきた。 ハルヒが移動する間に町の構造が変わったんじゃないか? 「大丈夫です、そのような現象はまだ起こっていません」 ・・・まだ、か。相変わらず恐ろしいな。 喫茶店で飯を食いつつ、午後からの作戦を、相談するというか押し付けるように話すハルヒは、 午前中よりは節度ある量の注文をしていた。それでも普段の倍か。このままじゃ破産するな。 古泉をちらりと見ると、苦笑をしながら肩をすくめた。とばっちりを受けた直後で悪いがもう一度助けてくれ。 「ちょっと聞いてるの!キョン」 あぁ、聞いてるよ。だからそんなに大声で怒鳴るな。しかも口にものを入れたまま。 「午前中はみんな遠慮してたみたいだけど、キョンはSOS団の奴隷なんだから何でも命令していいのよ。 とりあえず、今ここで一人一つずつ何か命令しなさい。まずあたしからね。キョン、これとこれ追加」 そう言ってハルヒはメニューを指差す。メニュー追加だけで喜ぶべきか、悲しむべきか。 先ほど考えた破産の二文字が静かに忍び寄ってきた。さらば俺の貯金よ。 それを加速させるかのように、朝比奈さん、古泉もメニューを追加。古泉の分だけは後で機関の経費から出させよう。 しかし、長門だけが全く異なる命令を出した。 「食べさせて」 長門はそう言って食べかけのカレー皿とスプーンを俺の方へ近づけた。長門?今なんて言った? 「私にカレーを食べさせて」 長門はいつもの無表情ボイスで俺にそう命じると口を大きく開けた。無表情で。 「あーん」 俺は、いや、朝比奈さんもハルヒも、さらには古泉までもが笑顔を忘れて驚きの表情を見せた。 古泉のこんな表情初めて見たぞ。貴重な体験だ。うん 「あーーん」 無表情で、抑揚なく発せられるその言葉は滑稽に思えたが、長門自身がかなりマジのような気がして、笑えなかった。 あの、長門さん?一体それはどういうことで? 「命令、私にカレーを食べさせて」 相変わらずの口調で長門がそう言う。その眼もいつも通り何も語らない。長門よ、お前は何がしたいんだ。 俺は混乱する頭を必死に回転させ、とりあえず、長門の口にカレーを運ぶべくスプーンを手に取った。 「だ、だめよ!」 ハルヒは立ち上がってそれを大声で制止する。 「何故?これは彼に対する罰ゲーム。彼はこれを拒否できない」 「だ、だからって有希、そんなこと」 ハルヒは明らかに動揺している。朝比奈さんは未だに何が起こっているのか分からないといった様子であたふたし、 古泉に至っては普段なら絶対に見ることができない顔パート2で何かを必死に考えていた。 「と・に・か・く、それは駄目!キョン!さっさとカレーを有希に返して出ていきなさい!これは団長命令よ!」 喚き散らすハルヒの剣幕に押され、逃げるように喫茶店を飛び出した俺は、はたしてどのタイミングで喫茶店に戻ったものかと考え、 とりあえず、近くにあったコンビニで雑誌の立ち読みをして時間をつぶすことを決めた。 少年誌のマンガを半分ほど読んだところで古泉から呼び出しの電話があった。 ハルヒからではなかったことが自体が収まっていないことを示していたが、 ここで逃げ帰ってしまえば、前回の二の舞なのは明白だった。古泉、お前の力をもってしても無理だったか。 長門の突然のおかしな行動の原因をいろいろと考えてはみたものの、答えの出ないまま喫茶店前に戻ってしまった。 もともと近くにあるからあのコンビニを選んだんだ。もっと離れた場所に行けばよかったな。 不機嫌そうに俺を睨むハルヒの横で何を考えているのかさっぱりの長門が俺を待ち、その隣で怯える朝比奈さんが俺に助けを求めていた。 まずは、憤るハルヒを先頭に朝比奈さん・長門ペア、俺・古泉ペアが街を歩く。 はたから見ればいつも以上におかしな団体だろう。美少女三人の後ろで野郎二人が深刻に議論してるんだからな。 「涼宮さんが掴みかかったときはどうなるかと思いましたよ」 古泉が俺が去った後の状況を簡単に説明してくれた。 あの後ハルヒは長門と大声で、長門はいつも通りの大きさ、で喧嘩し、ハルヒが 「あんた達、本当は付き合ってるんでしょ!隠れてこそこそと」 と、大声で怒鳴れば 「そのような事実はない。あれは罰ゲーム」 と、冷静に長門が返答し、 「だったら何であんな命令なのよ!あんなの罰ゲームでも何でもないわ!」 と、ハルヒが怒りをぶつければ 「彼は戸惑っていた。十分に罰ゲーム」 と、何の感情もなく返答。 「あーもう!この際はっきりさせなさい!あんたとキョンの関係は何なの?!」 と、ハルヒが問い詰めれば 「・・・」 おい、何で無言なんだ長門。 とまぁ、こんな感じだったわけらしい。 一通り説明を終えると、何故か古泉が俺から離れて行った。いや、正確には話されていった。 先ほどまで古泉がいた場所に長門が現れたのだ。 「命令。手をつないでほしい」 この言葉が聞こえたのか、ハルヒの方がぴくりと動く。それを見た朝比奈さんは小さな悲鳴を上げた。 おい、長門。今は頼むから勘弁してくれ。 そんな俺の願いを無視して長門は俺の手を握った。 あぁ、神様、この際情報統合思念体だろうが、古泉の機関だろうが何でもいい。長門を止めてくれ。 「命令。よりかからせて」 そう言って長門は俺に体を預けてきた。これがこんな状況でなければ俺は大喜びするだろう。 代わってやるからとっとと出て来い、別の状況の俺。未来からでも過去からでもいい。 ことごとくハルヒを刺激するように長門は俺にさも恋人同士のような振る舞いを要求した。 それにハルヒが反応するたびに目の前を歩く小さな天使が悲鳴を上げる。 あぁ、今彼女の無垢な胃には大きな穴があいていることだろう。 後ろを振り返れば古泉が何やら深刻そうに電話で会話をしていた。そうか、とうとう閉鎖空間まで現れたか。 「命令。次は」 「いーかげんにしなさい!」 命令を下そうとした長門にとうとう、痺れを切らしたハルヒが叫んだ。 ハルヒは長門の目の前に立ち、その隣の俺を思いっきり睨むと、再び長門へと顔を向けた。 「さっき喫茶店で聞いたわよね!あんた達付き合ってるのって?」 ハルヒの怒り方は、先週の比ではない。その倍か、もしくは10倍だろう。長門は表情を変えない。 「どうなの?ここまでしておいてまだそんな関係じゃないなんて言うつもりじゃないでしょうね?」 これはマズイ。誰が見たってわかる。 「ハルヒ、落ち着け」 俺はハルヒを制止すべく二人の間に割って入ろうとした。 「あんたは黙ってなさい!」 ハルヒは見たこともないほど恐ろしい形相で俺を睨んだ。先週殺されそうなほど怒られた俺が見たこともないというんだ。本当に恐ろしいぞ。 「どうなの?!」 ハルヒはこれ以上ないほど長門を揺さぶる。朝比奈さんはすでに泣き出し、周囲の通行人も何事かと目を見開いている。 遠くの方で微笑ましい痴話げんかだと思っていたらしいおばさんも事態の異常さに気づいたのか、どうしたものかとおたおたしていた。 「私たちは・・・」 長門が静かに口を開いた。 「私たちは、今、交際関係にある」 長門?今なんて言った? 「だからあなたには関係のないこと。邪魔しないでほしい」 長門から衝撃的な発言が発せられた。ハルヒはさらに怒りを爆発させるかと思いきや、顔を真っ青にし、ありったけ力を込めていた手を離した。 「おい、長門、ふざけるのもいい加減に・・・」 「ふざけているのは、あなた」 俺は長門の大嘘を撤回させようとしたものの、長門にそう言われ言葉を失う。どういう意味だ、そりゃ 「そのままの意味」 長門はそう言うと俯いてしまった。 「また、図書館に」 その一言を、俺だけがかろうじで聞き取れるほど小さな声で残し、どこかへと走り去ってしまった。 残されたのはしゃくりあげる朝比奈さんと、呆然自失のハルヒ、そして俺だけだった。 古泉は、おそらく閉鎖空間の処理だろう。 俺はまず朝比奈さんをなだめ、ハルヒに適当な飲み物を買って渡した。 あれだけ顔を真っ赤に怒っていたやつが、突然顔を真っ青にすれば誰だって驚く。 それがハルヒならなおさらだ。 「ハルヒ、だいじょう・・・」 ハルヒを気遣うセリフが最後まで続くことはなかった。俺は顔面を思い切りひっぱたかれる。もちろんハルヒにだ。 「何なのよ・・・そんなにあたしのことからかって面白い?」 言葉には怒りがあふれていたが、声が震えている。水滴が、一粒、二粒とハルヒの顔から落ちる。俯いているので表情は見えなかった。 「悪い、ハルヒ。俺にも何がなんだかさっぱりなんだ」 古泉のように気の利いた言葉がポンポン浮かんで来ればと考えたが、それはそれでもう二、三発殴られそうだ。 「何よそれ・・・」 コン、と、力なく殴られた。ハルヒは俺の胸元にしがみつき、声を殺して泣き始めた。 「何にもない、何にもないって言いながら、あるじゃない。有希が言ったじゃない、あんた達、付き合ってるって」 それは最大の謎だった。嘘八百もいいところで、そんな嘘には何の意味もない。 その上あの長門が一体何を思ってそんなことを言ったのか見当もつかないのだ。 「俺と長門は本当に付き合って無いし、長門が何であんなことを言ったのかが分からないんだ」 紛れもない真実ではある。が、問題はハルヒがそれを信じるかどうかだ。 「だったら、あんたはどうなのよ」 ハルヒの返答は信じるでも信じないでもない質問だった。 「あんたは、有希のこと、どう思ってるの」 涙を眼に浮かべたまま、今にも崩れそうな表情にしっかりとした意思のある目で俺を見据える。 「俺は、長門はいい奴だと思うし、今回どうしてこんなことをしたかがさっぱりわからん」 「そうじゃない。そうじゃなくて・・・有希のことが好きか嫌いか」 ハルヒは俺から離れ、涙を拭った。 「長門のことは、好きだ」 あぁ、好きだとも 「でもそれは、恋愛感情とかじゃなく、友達として・・・いや、SOS団の仲間としてだ。 それは朝比奈さんも古泉も、そしてお前も同じ。友達としての好きだ」 何も知らんやつがこの場面だけを見て今のセリフを聞けば、ただの逃げ口上だろうが、これが俺の本心だ。 谷口や国木田や、鶴屋さんとの友情より一つ上の『好き』だ。 「だったら」 もう一度ハルヒは涙をぬぐい俺に人差し指を向けて命令する。 「その気持ちをそのままそっくり有希に伝えてきなさい!」 目は腫れているが、いつもの団長様の表情だ。 「意味はわかるわね!これで分からないなんて言ったら許さないわよ!わかったらさっさと行きなさい!」 俺は、ハルヒからの喝を受け取ると、おそらく長門が待つであろう図書館へと向かった。 いなけりゃマンションに直接行ってもいい。俺は全力で走った。 「あたしね、振られちゃった」 キョンが立ち去るのを見届けてあたしはみくるちゃんに抱きつく。 「涼宮さん・・・」 みくるちゃんはそんなあたしをやさしく抱きしめてくれた。 「キョンは、あたしのこと好きなんだって。みくるちゃん達と同じように。仲間として」 小さいけどあたしより年上のお姉さんなんだな。 「団員としては、合格ね」 「涼宮さん」 みくるちゃんはさっきよりも強くあたしのことを抱いてくれた。 「まだ、チャンスはありますよ」 あたしは、優しくそう言ってくれたみくるちゃんの胸の中で大声で泣いた。 長門が立ち去ってからすでにかなり時間が経っていた。冬の寒空は容赦なくあたりを暗くしている。 夏の糞暑い中必死に頑張らず、こう言うときにこそしっかり仕事をして欲しいもんだ、とお天道様に悪態をついた。 その代りに、太陽の温かさを失った夜の空気が俺の頭を冷やし、あぁ、ああいうのを修羅場と言うんだろうな、 と言うのんきな考え方をさせるほどまでに冷静になっていた。 それでも、顔はシリアスなまま、考えることもさっきの修羅場の事をのぞけばいたって大真面目だ。 この時間ならば確実に図書館は閉まっているだろうが、長門のことだから律儀に待っているはずだ。 前にもこんなことがあった。前回はしおりの伝言、今回は小さいながらも口頭だ。意味は大きく違う。 案の定、固く閉ざされた図書館の入口の街頭にうっすらと照らされている長門の姿があった。 「おい、長門」 俺は長門に呼びかけた。 「いくらなんでもやりすぎだ。朝比奈さんどころかあのハルヒが泣いちまったぞ」 「・・・そう」 いつもの単調な返事だったが、どこか寂しそうだった。 「長門、こんなこと自分で言うのも恥ずかしいんだがな」 俺は少し顔を赤く染めて、頭をかきながら次の言葉を探した。 「わたしは、あなたが好き。愛しているという意味で。交際を申し込みたい」 俺が言うまでもなく、長門の気持ちを長門自身から聞くことができた。 「スマンが、それは無理だ」 俺は、あらかじめ用意していた言葉を長門に告げた。 「俺も、お前のことが好きだ。でもそれは仲間としてだ。恋愛感情じゃない」 「・・・そう」 長門は小さく、そう返事をした。おそらく予想していたのだろう。 「悪い」 俺は最後にそう付け加えた。 「いい。わたしが悪かった」 もし、長門が普通の少女だったとしたら、それも、長門が望んだ改変後の長門であれば、今頃泣き出しているに違いない。 俺は今日一日で三人も女の子を泣かせたんだなと思うと、かなり恥ずかしかった。 「ただ、一つだけお願いがある」 長門の今回のわがままの最後の一つだろう。 「来週の日曜日。わたしと二人だけで図書館に」 「あぁ、分かった」 実質デートのお誘いなんだろうが、長門の気持ちを考えればそれくらいは聞いてやってもいいだろう。 ハルヒとの約束をすっぽかした手前、長門とだけとは言えまい。その次の週はハルヒとのデートだな。 俺は長門の頭にそっと手を乗せて頭を撫でてやった。 ~エピローグ~ さて、長門とのデートのことをハルヒに話すと案の定 「だったら次はあたしの番よ!」 と、改めて前回叶わなかった二人だけの不思議探索をすることとなった。 ハルヒのことだからてっきり長門より先にあたしと、なんてことを言うかと思ったが、 以外にもあっさりと先を長門に譲り、その挙げ句、部室でハードカバーを読む長門に 「正真正銘、あんたとあたしはライバルよ!分かったわね、有希」 と、啖呵を切って見せた。俺の目の前でそんなことを言った以上、デートを不思議探索の名のもとに行うのは無意味じゃないかね。 俺はやれやれ、と顔とポーズで表現して見せた。 「とりあえずは、一件落着ですね」 と、今回の縁の下の力持ちが締めくくった。 いつも通りの、とは少し違う部室から今日もハルヒの大号令が発せられるのだった。 fin
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2608.html
俺はいつものように朝比奈さんに淹れてもらったお茶を飲みながら窓辺で本に目を落としている長門を眺めているとふと気になってしまった。長門、こっち向いてくれないか? 長門は俺の思考を読み込んだようにこちらを向いた。 「…なに?」 「長門、ふと気になったんだがな。お前は普段料理とかするのか?」 「カレーなら…温めるだけ」 それなら俺も食べた事あるな。朝比奈さんと長門と一緒に食べたカレーはいろんな意味で美味しかった。是非また食べたい。しかしそれは料理とは言えないんじゃないか?長門。次は手作りで頼むぞ。 「作り方を知らない」 「そうなのか?是非俺が教えてやろう!と言いたいのだがな。料理は得意じゃないんだ」 長門は少し残念そうに本に目を戻した。その時ハルヒが名乗りをあげた。 「有希、料理出来ないの?器用そうだからなんでも出来ると思ってたけど意外ね!あたしが教えてあげるわ!任せなさい!」 「みんな!今から有希の家に行くわよ!」 「なぁハルヒ、長門の手料理は俺も食べてみたいが、今日はもう遅いぞ。幸い明日は土曜日だ。明日にしないか?」 「…それもそうね!明日、9時に駅前集合!いいわね?遅刻したら有希の手料理食べさせてあげないからね!」 俺がそう言うと少し考えた後そう言い放った。何故長門の手料理を食べさせてもらえなくなるのかは知らないが、ハルヒが言うんだからそうなのだろう。 絶対に遅刻するわけにはいかない。今日は寝ないで駅前に行ってやる。 「古泉くん!みくるちゃん!いいわよね!?」 「僕は賛成です。長門さんが料理を学ぶというのは彼女にとって大きな事の気がします」 「はぁい。あの、役にたつかどうかはわからないですけど…」 古泉がハルヒの意見に反対しないのはいつもの事だ。気に入らん。 朝比奈さんの作った料理なら例え納豆カレーだったとしても美味しくなりますよ。残すヤツがいたら言って下さい。殴り倒してやる。 「ハルヒ、長門には聞かなくて良いのか?主役は長門だろう」 「有希!良いわよね!私が手取り足取り教えてあげるわ!」 「私も料理を学びたい。是非お願いする」 「じゃ、決定!遅れないでよね!」 と言った所で長門が本を閉じた。いつも長門が本閉じるのを部活終了の合図にしている俺達は帰り支度をして、着替えるという朝比奈さんを待った後帰る事にした。 足早に帰宅して俺は早めに床についた。長門の手料理が待ち遠しかったからな。 翌日、俺は8時に目覚めた。十分に間に合う時間だ。抜かりはござらん。 俺が駅前に到着したのは8時50分。 俺が最後なのはいつもの事だ。ハルヒは腕を組んで仁王立ちで待っていた。 とにかく俺は長門の手料理にありつける。いやー楽しみだなぁ。 「遅いわよ!キョン」 「遅刻はしてないぞ」 「キョン君おはようございます」 「おはようございます。朝比奈さん」 俺が長門を見ると長門は俺に軽く会釈した。いつもの制服姿だな。 「みなさん揃いましたね。さて、どうしましょう」 いつもながら爽やかな笑顔だな、古泉。 「そうね。まずは買い物よ!有希の家に行っても材料が無かったら意味がないわ!」 もっともな意見だ。 俺達はスーパーに向かい買い物をした。ハルヒはカレーを作るのに必要な材料をカゴに入れ、料理のレシピなどが書いてある本を買いあさっていた。その金を払うのは誰なんだ?ハルヒ。お前か? 俺達は会計を済ませ、長門の部屋へ向かった。荷物持ちは俺だ。古泉、お前も一つ持て。 「もちろんですよ。では、お一つお持ちいたしましょう」 「長門さんが料理が出来ないとは、僕も驚きました」 「そうだな。しかし前にコンビニ弁当を持って歩いているのを見たことがあるぞ」 「そうなんですか。これからは長門さんも自分で料理をするようになると良いですね。コンビニ弁当では体に良くありませんから」 「そうだな。しかしそれは長門に関係あるのか?」 「わかりませんね。長門さんに訊いてみてはいかがでしょう」 確かにそれは気になったが、訊くのはやめておこう。そこらへんの構造はきっと俺達とは変わらないんじゃないかとと思うからな。いや、はっきりとはわからんが… しばらくして長門の住むマンションに到着した。 長門が無言でロックを解除して、俺達は無言で招き入れられた。 何か一言聞かせてくれないか?お前に喋らせるとなんか勝った気になる。というのはどこかで聞いたフレーズである。 もちろんはちみつくまさん、ぽんぽこたぬきさんなどと言わせる気はない。 ハルヒは既に長門の部屋に上がり込んでいる。一方朝比奈さんはいつものように落ち着かないようでオロオロしていた。無理して来なくてもよかったんですよ? 古泉はと言うと…まぁこいつはいいか。 長門、お邪魔させてもらうぞ。 「入って」 俺と古泉はテーブルに座るよう言われた。男である俺達は何も出来ないからな。 テーブルの前に座った俺達に長門がお茶を淹れてくれた。長門の淹れたお茶は久しぶりだな。新鮮な感じがする。いや、けっして朝比奈さんのお茶が飽きたという意味ではないぞ。誤解するな。 「…飲んで」 「ありがとう」 「ありがとうございます。長門さん」 「いい」 ハルヒは朝比奈さんと長門を連れてキッチンへと向かった。 キッチンはここから見えるようになっていたので、俺達はハルヒ達の姿を眺めるとしよう。 三人はエプロンを着用し始めた。エプロン姿の朝比奈さんはとても良かった。このまま俺のお嫁さんになってください! 一方長門のエプロン姿はなかなか似合っていた。結婚してくれ!長門! 「さっそくはじめるわよ!有希!とりあえず包丁とまな板を用意して!」 長門は頷いてどこからかまな板と包丁を用意した。一応持っていたんだな。 「エプロン姿のみなさんも新鮮ですね。いい眺めです」 「そうだな」 「みなさんとても似合っていますね。あなたはどなたが好みですか?」 うるさい。バカ。黙れ。どうだっていいでしょ!んな事!と答えたかったがここは黙っておくとしよう。 俺が黙っていると古泉は肩をすくめた。またか古泉、その動作は見飽きたぞ。別にやめろとは言わないがな。 再びキッチンに目を戻すと長門が包丁を手にしていた。どうやら材料を切っているようだ。 「有希!そんな手つきじゃ手を切るわよ!左手は猫の手よ猫の手!」 「…猫?」 長門は助けを求めるように俺に視線を向けた。いや、俺を見られても困るんだが。 とりあえず俺は空中に猫の手を作って見せてやった。すると長門は理解したようで、材料に目を戻した。 ハルヒは何か声をあげて長門に指示をしている。 朝比奈さんはというと、する事がなかったのか俺達にお茶を持ってきてくれた。いつもはメイドさんの姿でお茶を淹れてくれているので、エプロン姿で淹れてくれたお茶はとても美味しかった。 ありがとうございます。少しお話がしたいですね。 「朝比奈さんは普段料理するんですか?」 「あ、お弁当とかは作りますよ。でも時々失敗しちゃうんです」 朝比奈さんがおかずをお弁当箱に詰めている姿は容易に想像できた。朝比奈さんがどう盛り付けるかに悩んでる姿は実に似つかわしいじゃないか。 朝比奈さんについて妄想の海へ船を漕ぎだそうとしているとキッチンから大声が聞こえてきた。 「ちょっとみくるちゃん!サボってるんじゃないわよ!さっさとこっちに来なさい!」 「あ、すみませぇん!今行きまぁす」 朝比奈さんが悪の大魔王に連れ去らてしまった。助けに行くことは出来ないでしょう。すみません!許してください! 俺が冒険の途中で力尽きてしまった勇者の気持ちになり、大きく溜め息をついた。 再び朝比奈さんを見ると、長門が切った野菜の切り屑や皮などを片付けて、包丁とまな板を洗っていた。 どうやらもう野菜は切り終えたようで、長門が鍋を用意していた。 先に言っておくが、作者の料理に対する知識は皆無である。多少違っていても軽く流してもらいたい。 長門はハルヒに言われた通りの順番で野菜を炒めている。古泉、カメラ持ってないか?この姿を是非写真に残したい! 「残念ながら持っていませんね。」 「これからは持ってくるんだぞ」 「はい、そうしましょう。そういえば長門さんは好き嫌いとかあるのでしょうか?」 「そうだな…気になる。肉はあまり好きそうじゃないな」 「それはなんの先入観ですか?直接訊いてみてはどうです?」 そうだな。今度訊いて見るとしよう しばらく古泉と会話をしていると、キッチンの方から良い香りが漂ってきた。その匂いを嗅ぐと途端に腹が減った。 長門の手料理だ、どんな味がするんだろうな。とてつもなく甘いのだろうか?それともとてつもなく辛いのだろうか? ルーは長門が選んだようだったので、食べてみるまでそれはわからない。極端なのはやめてくれよな、長門。 「完成ね!有希!」 長門はハルヒを見て頷いた。 「お腹へりましたぁ。」 「できあがりましたか。どんな味がするのかとても興味がありますね。早く食べたいです。」 「腹も減ったし食べようぜ」 「そうね!みくるちゃん、食器を用意しなさい」 「はい」 朝比奈さんが人数分の食器を持ってくると長門がよそってくれた。 ハルヒは全員にカレーが行き渡ったのを確認して口を開いた。 「有希の手料理なんだからね!クラスの男子が泣いて羨むわよ!謹んで味わいなさい!」 「長門さん、いただきますねぇ」 と朝比奈さん。 朝比奈さんはカレーを口に運んだ。…朝比奈さんの動きが止まった。みるみるうちに朝比奈さんの顔は真っ赤になり、汗が吹き出していた。 「お…美味しいですぅ…感動しましたぁ!」 朝比奈さんはお茶口に含んで涙目になりながら答えた。 覚悟しよう。 「長門、いただくぞ」 そう言ってカレーを口に運ぶ。しかし、思っていたよりは辛くなく、俺としてはちょうど良かった。 長門は感想を求めるように俺を見つめている。 「とっても美味しいぞ。今までで食べたカレーの中で一番美味い!」 その言葉を聞くと、長門は一瞬微笑んだように見えたのは気のせいではないだろう。 ハルヒは既に半分以上たいらげている。もっと味わったらどうだ? 「だって美味しいんだもの」 とハルヒ。 「とても美味しいですよ。はじめて作ったとは思えませんね。将来カレー屋を開いてはどうでしょうか?」 古泉は少し過大評価している気がするが、長門がカレー屋を開いたら是非俺も行きたい。市販のルーでどうやったらここまでの味が出せるのか教えてほしいね。 「それは、禁則事項」 長門は教えてくれなかった。まぁ、聞いたところで俺にこの味が出せるとは思ってないが 「ご馳走様。美味しかったよ。ありがとうな」 みんなが食べ終えた頃に朝比奈さんを見てみると、朝比奈さんは涙目になりながらまだ食べていた。その姿はとてもけなげで可愛く思えた。古泉、今すぐカメラを! 「ご馳走様でしたぁ。美味しかったです」 朝比奈さんが食べ終えたようだ。どうやら辛いものは苦手らしい。しかし残すのは悪いと思ったのかきちんと完食していた。 カレーを食べ終えた俺達は長門の淹れてくれたお茶をのみながらくつろいでいると、ハルヒは買ってきた料理本を長門に見せていろいろ教えこんでいるようだ。 長門も興味深そうにハルヒの話を聞いている。 そんなこんなでこの日は解散となった。 長門、今度またなんか作ってくれないか? 「…わかった」 「きっとだぞ」 そう言い残し、俺達は長門の部屋を後にした。長門がわかったと言った時、心なしか嬉しそうだった。 それからしばらくたった日の事だ。 朝の人が少ないうちに長門が俺を訪ねてきた。 「今日の昼休み、すぐに文芸部にきてほしい」 「見せたい物がある。授業が終わったらすぐに来てほしい」 「わかった。お前の頼みとあっちゃあ断るわけにはいかないな」 そう告げると長門は背を向けて歩いて行った。その足取りは軽いようだった。 俺は昼休みになるのを待って、チャイムが鳴るのと同時に文芸部室へ急いだ。 扉を開けると既に長門が待っていた。四角い包みを2つ抱えて。 「お弁当…あなたに食べてほしい」 「俺にか?」 「…そう。あなたに、食べてほしい」 長門は少し照れるように言った。その顔は少し不安げで、抱き締めたら壊れてしまうのではないかと思う表情をしていた。 「ああ。ありがとう。嬉しいよ」 そう答えると、長門は微笑みながら俺にお弁当を手渡した。俺はとても嬉しい気持ちになった長門の弁当食べれるというのもあるが、それだけではない。長門に人間らしい一面ができた事が何より嬉しかった。 いつか。長門が俺達と同じ普通の人間として生活できる日が来ることを願いながら、長門と一緒に弁当を食べ始めた。あれからいろいろ練習したのか、それはとても美味しかった。 その一時が幸せだった。きっと長門も同じ事を思っているに違いない。 終わり
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5309.html
何も無い晴れた土曜とはなんと清々しいものだろう。 暇を持て余している一般ピープルどもには土曜日に予定が入っていないなどつまらないと思うかもしれないが、俺にとっちゃこの平穏な一日がパラダイスなのさ。 いつもパトロールと称して俺や長門、朝比奈さんに古泉、そして我が団長様の涼宮ハルヒが揃ってぞろぞろとUMA探しをしていることに比べたら、この何も無い土曜日をパラダイスと呼んでも大袈裟ではないだろ。 ここ暫らくはハルヒも落ち着いていて古泉曰く神人狩りの召集もないらしく、まったく何よりだ。 何も無い日がパラダイスとはいえ、家にじっとしていても我が妹に古くなったビニールテープを剥いだ後のようにベタベタとされるだけなので、俺はブラリと散歩ついでにコンビニに非難しに来たというわけさ。 別に買いたい物や読みたい本が有る訳では無いのだが、金を使わずに暇をつぶすにはもってこいな場所だ。 しかしながら、たまに週刊誌なんぞに目を通すと結構面白いもので、俺が熱心に週間誌に目を走らせていると、後ろから視線をジッと送られている事に気付いた。 振り返ると、そこには学校がとうの昔に終わったというのに我が北高の制服に身を包んだ154センチの小柄な体格にシュートヘアーをさらに短くした髪、淡雪のように白い肌、意外と整った顔立ちをし黒曜石のような目を持つ少女が微動だにせず立っていた。 「長門、お前か…こんな所で何やってんだ」 「買い物」と、凝固した表情で口だけが動く。 そりゃそうだろ、一応コンビニってもんは買い物目的で来る客が大半だろうからな。 「そうか、じゃぁ何を買いに来たんだ」 「…夕食」 「まさか、夕食はいつもコンビニ弁当なのか?」 十四秒の沈黙ののち、一言「…そう。」と言った。 長門よ放送事故ギリギリのタイムだぞ。 「それじゃ体に悪いだろ。自分で作ったりしないのか?」 「一人分を作ると、不経済。お弁当の方が経済的」 そう言って何か言いたげに俺をじっと見つめる長門。 そうだよな、一人の部屋で一人分を作り自分で食べる。どんなに美味しく作っても一緒に食べる相手が居ないんじゃ味気ないか。 「長門、暇なら俺と飯でも食いに行かないか。まだ、弁当買ってないんだろ。たまには外で晩飯ってのもいいもんだぞ。」 そういう俺を更に見つめコクンと顔を前に三ミリ倒した。 「でも、まだ晩飯まではちょっと時間があるな。その辺ぶらついてから食いに行こうぜ」 そう言って俺は週刊誌を棚に戻し雑誌コーナーを後にした。 それにしても、見てたのが隣の大人の魅惑コーナーじゃなくて助かったね。別に長門なら何も言わないだろうが、俺の心は純真無垢…かは分からないが、イチ高校生なのだ。 見ている現場を誰かに見られたら恥ずかしいという気持ちくらい持ち合わせている。その反面興味も勿論ある。 などと思ってたら、長門の目が俺や雑誌コーナーではなく、隣の魅惑コーナーに向けられていた。 「こういうの好き?」 何てこった、このトンデモ娘はいきなり答え辛い事をサラっと聞いてきやがった! しかも周りには他の立読み客も居てチラチラとこっちを見てやがる。 長門よ勘弁してくれ。それに情報統合思念体はエロ本なんて物に興味は無いと思うぞ。 それとも何か?お前個人として興味があるのか?それはそれで結構だが、その本は長門にはまだ早いと思うぞ…。って、手に取ってるし! 「これ、購入。」と言ってレジに向かおうとする長門の制服の後ろを捕また。 「な、長門それはな、十八歳未満は買えないんだ。」 「なぜ?」といって不思議そうな目をして首を横に傾ける。 「説明は後でしてやる、だから今はそれを置いて移動しよう。」 「わかった」 俺は長門の手を掴むと、立読み客の意味あり気な視線を一身に浴びながら、そそくさとコンビニを後にした。 長門は手を引っ張られ、いつもより少し早足で後ろをついて来る。 SOS団のたまり場の喫茶店から少し離れた喫茶店でやっと一息ついた。 何故いつもの喫茶店じゃないかって、そりゃ朝比奈さんや古泉に会う可能性だってあることだし、あのハルヒに会う可能性だって大いにあるわけだ。 いや、こういう状況下なら、何故か会ってしまう事の方が可能性大であろう。 そりゃやましい事など何も無いのだから、ハルヒに会ってもかまわんのだが、いちいち説明をせにゃならんのが面倒だし、ハルヒが俺の説明を素直に聞くとも思えん。 なにせあの団長様の頭の中には俺の意見は自動的に却下されるようプログラムされているらしいからな。忌々しい! 兎にも角にもだ、喫茶店の奥の席に座り俺はコーヒー、長門はハーブティーを飲みながら、さっきの大人の魅惑本について当らず触らずの説明を長門にしてやった。 本当なら「アレがどんな本か知っているのか?」や「興味があるのか?」「見たことがあるのか?」など色々と聞いてみたかったが、ただのセクハラ親父になりそうだったので、これらの質問をするのはパスした。 長門は時折、首を数ミリ横に傾けていたが最終的には納得してくれたようだ。 黄昏色に染められた喫茶店の横をいそいそと帰路へつくサラリーマンが増える中、俺と長門は図書館に向かった。 やっぱり長門を安全に時間つぶしさせるなら図書館が一番だろうと考えたのだが、それが甘かった。俺の学習能力の欠如だ。 時間をつぶすどころか、ハルヒ達と初めて駅前パトロールをした時のように、床に根をはやした長門はその場から動きゃしねー。 そろそろ、飯にも良い頃合だと思い長門に声をかけても、無言…。いつものように分厚いハードカバーの文字に目を走らせ時折ページをめくる為に手を動かす。 こいつは分厚いハードカバーしか読まんのか。と思っちまうぜ。たまには漫画や絵本なんかを読んでみてはどうだと薦めたくもなるね。 そんな事を考えているとフッと頭に浮かんだのが、長門に官能小説を薦めたらどうなるだろうか?と興味が湧いた。もちろん市民図書館にそんなものは置いてあろうはずもなかったが、珍しく文字本ではなく写真本と言っていいのだろうか?とにかくエロ本には興味を示したのだ。官能小説にだって興味をもっても可笑しくは無い。というより、こっそり読んでたりしてな。 長門よ、宇宙人製有機アンドロイドも一人身体をもてあます事もあるのか?あのハルヒでさえたまに身体をもてあます事もあると言っていたように…。 長門の自慰行為…だめだ、想像できねー。 “ハッ!”長門のブラックホールのような目がいつの間にか本から俺へと突き刺すように向けられていた。 「自慰行為?」 しまった、いつの間にか声に出しちまったか! 「いや、なんでも無いんだ。気にするな。独り言だ、妄言だ。」 長門の眼が俺の瞳孔の奥のさらに奥を捉えて放さない。 俺が取り繕っていると蛍の光が俺を救うかのように広々とした図書館に流れ始めた。助かった… 長門は読みかけのハードカバーを両手で抱えている。「それ借りるのか?」と聞くとコクンと頷いた。 閉館間際の人のまばらになった図書館内をテトテトとした足取りで貸し出しカウンターへ向かう。 カウンターに向かう途中で、長門が一言「たまに…」と言った。 気のせいか色白の長門の耳がほんのり色付いている様に見える。 それにしても何が『たまに…』なんだ、長門よ。 図書館を出ればもう、夜の九時を回ろうとしていた。俺はまず自宅へ電話をし、帰りが遅くなる事を伝えた。 「長門、そろそろ腹も減っただろ?俺はもう腹と背中がくっ付いちまいそうだ。飯食いに行こうぜ」 そう言って歩き出す俺に長門もハードカバーの入った貸し出し袋を片手に持ち俺の横を歩き出す。 少し歩いたところで、俺の手にちょんちょんと軟らかいものが当る気がしてスッと目をやると長門の手が不自然に宙を漂いながら俺の手に触れていた。 俺が気付いた事に長門が気が付くとサッと手を引っ込め両手で貸し出し袋を抱えた。表情はやや俯き加減でよく見えない。 「なんだ長門、俺と手を繋ぎたいのか?」 横をひょこひょこ歩いている長門は肩をピクンとさせ、貸し出し袋を持つ手にやや力がはいった。 ただし、俺にしか分からないナノ単位の動作だったが。そして俯き加減の長門は顔を左右に振った。 滅多に見れない無感情長門の感情。しかも女の子としての反応である。こんな長門を見るのはあの世界改変後の長門有希以来か? ハルヒや古泉の前では見せない反応。俺だけに見せてくれる反応。それはそれで得した気分だが、普段でも見せてもらえれば俺も部室に行く楽しみが増えるってもんなのだが… そんな事を考えつつ、俺は貸し出し袋を抱える長門の手をギュっと掴んだ。長門は微かに本当に微かに「あっ」と声を漏らした。 夜の街を照らす外灯下を手を繋ぎゆっくりと歩く二人。長門も繋いだ手を少し握り返していた。 それなりにムードがあったとしてもそこはそれ、二人とも金銭乏しい高校生であることに変わりは無く、しかも長門は制服姿である。 入れる所といえば必然的にファミレスとなるのを誰が咎められよう。 ファミレスに入った俺と長門は店員に中央の席に案内された。 「店中央の席かぁ、なんだか目立っちまうな」 「見られるの嫌?」と、少し寂しげに長門が言う。 「長門が気にしなければ、俺はかまわないさ」と言ったものの、本当は団員や顔見知りに見つかるんじゃないかと内心ヒヤヒヤものだった。 「大丈夫、私は気にしない」と言って長門は案内された席にちょこんと腰を下ろした。 メニューをじっと見つめる長門… 「今日は俺のおごりだから好きなもの頼めよ」 というより、いつもハルヒに何だかんだと言われSOS団全員の食事代を肩代わりしているようにも思えるが、今日は遠慮ってものを知らないハルヒやあのニヤケ野郎の古泉が居るわけではないので心の苦痛ってものは無い。ただし朝比奈さんなら、いつでも、おごりオッケー! 今日は長門一人だから出費もたいしたこと無いな。 この時、俺は予想外出費になることなど露ほどにも思っていなかった。 五分ほどメニューと格闘し、俺は店員をベルならぬプッシュボタンで呼んだ。 「お待たせしました。ご注文をどうぞ。」と言う店員に俺は、ハッシュドビーフハンバーグのAセットを頼み、長門はミックスグリルCセットとミックスピザと季節野菜のサラダと鶏の唐揚げを指差す。 「おいおい、長門そんなに頼んで大丈夫か?食えるのかよ。」 「育ち盛り」 今のは、長門なりのジョークなんだろうか?それにしても見誤ってたな、長門をただの小柄な女子高生だと勘違いしていた。 そういえば孤島でも結構食ってたな。宇宙人製有機ブラックホール恐るべし!! 注文した食事を待っている間、長門はゴソゴソとさっき図書館から借りてきた分厚い本を取り出した。 「長門よぉ、飯食いに来た時くらい読書は止めたらどうだ。何か話そうぜ。」俺はやれやれといった表情で長門を見つめる。 取り出した本をまた元に戻し、長門もブラックホールのような吸い込む眼差しで俺を見つめる。 「・・・・・」 「・・・・・」 緊迫した状態でも無いのに凍りついた時間が二人の間に流れる。 正直、たまらない…。 俺は凍りついた海を進む砕氷船の船長の如く、この状況を打破すべく話しをきりだした。 「長門はテレビとかは見ないのか」 「あまり」 「クラスで仲の良い友達とか居るのか」 「とくに」 「あー…、最近体調は~」 「悪くない」 「・・・・・」 「・・・・・」 「悪かった、本を読んでて良いぞ」 「そう。」 我が砕氷船はタイタニック号の如く氷山に沈没させられてしまった。 だめだ、会話が続かん。さすがは文芸部付属の置物的存在だ。 どうやったら会話が続くのか…というより、どうやったら一行以上喋らせる事ができるのか誰かご教授願いたい。 長門は借りてきたハードカバーの文字を部室と変わらず目で追う。俺はそんな長門をぼーっと見ていた。 暫らくすると、次々と料理が運ばれテーブルを埋めるように並べられていく。ほとんどが長門の食い物だがな。 「腹減っただろ。食おうぜ。」 長門は頷くと小さな声で「いただきます。」といって、食事を始めた。 淡々と一定のリズムで食材を口に運ぶ長門。みるみるうちに料理の下から白い皿が姿を現す。もちろん会話は無い。 無表情娘も会話をしながらゆっくり食べれば、それはそれは可愛い娘なのだが。 しかし、周りから見ると俺達二人はどう映っているのだろうか? 無言に食事をする姿は、やっぱり別れ間際のカップルに見えてもおかしくは無いだろう。何か残念に思えるのは何故だ。 俺が完食するちょっと前には、長門は既に皿を綺麗に空けていた。そして俺の皿を見つめている。その瞳は、まだ何か食べたそうな目である。 「長門、もういいのか?食べたい物があれば頼んでいいぞ。」という俺に、長門は少し躊躇しメニューの後ろの方に書かれていたチョコレートパフェを指差し「これ良い?」と聞いてきた。 食後にチョコパフェ。なんとも女の子らしいデザートじゃないか。 長門のチョコパフェを食べる姿なんて、そうそう見れるものじゃないからな。 おそらくSOS団メンバーの前では絶対に食わんだろ。俺だけの役得ってやつだ。 これだけでも今日おごったかいがあったってもんだぜ。 長門はチョコパフェを食べ、俺はコーヒーをまったりとして喉に流し込む。驚いた事にチョコパフェを食べる長門は先程の淡々とした食べっぷりとは一転して会話は無いもののゆっくりと細いスプーンで小さな口に運んでいる。 「パフェ美味いか?」 「とても」 俺は長門を見ながら、こいつもこうしてれば普通の女子高生と変わらないな。などと思いチョコパフェを食べる姿をじっと見つめていた。 長門は見つめる俺に気付き「なに?」と顔を上げた。 クスっと笑い「長門、口の周りにクリーム付いてるぞ」とハンカチで拭いてやる。すると長門は一般人が見逃すくらいの照れた表情で、下を向き「ありがとう」と言うと残りのパフェをゆっくり口に運んだ。 食事も終わり長門と何かを話すわけでもなく、ただ時間だけが流れて行く。 水の減っていないグラスに店員が水を汲みに来る、つまり“帰れ”という意思表示だ。 「長門、そろそろ帰るか。」と言って俺はレジへと向かい、長門は本を貸出し袋に入れて俺の直ぐ後ろを付いてきた。 食事代は嵩んだが、長門のパフェを食べる姿は食事代以上の価値があるように思うね。 ファミレスと出ると、もう行きかう人々はまばらとなっていた。 「早えーな、もう十一時過ぎてんのかよ。悪かったな長門、遅くなっちまって」 長門はいつものように無言で顔を左右に振る。 電車に乗り、ちょっと遠回りになるが長門を家まで送った。 長門を一人で帰しても襲われる心配はないだろうが、というより襲ったヤツの命の方が危険なのだが… 兎に角、見た目はか弱そうな女子高生なのだ、何も知らない男が欲望に任せて自分の命を危険に晒さない様に俺が送り届けると言う事がマナー(人命救助)ってもんだろ。 幾度も足を運んでいる高級分譲マンションの前まで送り届けると長門は「今日はありがとう。とても嬉しかった。私はあなたにとても感謝している。あなたに何かお礼がしたい。」 単語を並べたような言葉。しかし今回の言葉は長門にしては珍しく長文の部類に入るものだった。 「お茶…飲んでいって…約束だから」 「でも今日はもう遅いからな。」…約束してたっけ? 「だめ?」 俺の二十センチ側で見上げる長門。その見つめる瞳は全てを取り込んでしまいそうで、それでいて儚い眼差し…長門、その技はあまりに反則だぞ! もちろん、こんな魅惑的技をかけられた俺が招待を断る術も理由も持ち合わせてなどいるわけもなく、お茶だけならと招かれる事にした。これまでも長門の部屋には何度も押しかけているしな。 708号室の扉を開け「上がって」と長門が俺を招き入れる。 長門のほうから家に招かれたのは、出会って間もない頃に栞で公園に呼び出されたのちにココに連れて来られて、情報なんちゃら体だの対有機なんちゃらヒューマノイド・インターフェースだの永遠とデンパ話しをされて以来だな。 今では平然と宇宙人・未来人・超能力者と付き合っているが、あの頃の俺は無垢な一般ピープルな高校生だったのさ。 何度来てもあいかわらず殺風景な部屋だな。リビングルームに冬にはコタツとなるテーブルが一つポツンと置いてあり、隣には俺と朝比奈さんが三年間眠り続けた客間。大きなガラス戸にはカーテンも無く無用心この上ない。 「長門…、カーテン付けないのか?」 ガラス戸をじっと見つめ「この方が良い」と一言言うだけだった。 カーテンを付けない事には何か理由があるのだろうか? 「なぁ長門、夜景でも眺めているのか?」窓辺に立ち俺が質問すると、一言「ユキ…」と言った。 「ユキ?」 「そう雪。冬には雪が降ってくる」そう言うと長門は俺の横に立ち今から暑くなっていく空を見つめた。 俺は「そうか…」としかあいづちを打ってやれなかった。 長門は俺の方に向き直すと「お茶入れるから、座ってて」と言い台所へと向かった。 テーブルに座る俺にほうじ茶を入れる用意をしてくれる無駄な動作の無い小さな後姿。見れば見るほど、人形のように思えてくる。 コンロにケトルをかけ、一旦テーブルに戻ってきた長門は俺の目の前に座った。 音の無い時間が一秒一秒過ぎていく。 俺を見つめる長門は何か言いたげだった。こういう場合俺の方から何か話しかけた方がよかったのだろうが、話題がまったく浮かんでこない自分が嘆かわしい。 止まっていた時間を再始動させるが如く“ピ―――”っとケトルが沸騰の合図を送り、蒸気を三次元空間へと放出する。 それを合図に長門はスッと立ち上がり音も無く台所へ足を滑らせ、ケトルからポットへお湯を移しテーブルへと戻ってくる。その動きには、やはり無駄というものが無く、端麗ささえ漂っている。 お茶の葉を急須に移し、お盆の上に乗った口の広い御客様用湯飲みに熱々のお茶が注がれた。 初めて来た時は駆けつけ三杯、俺の向かいに座った状態からお茶を勧められたが、今日はお茶を入れた後一旦立って俺の横まで来て「はい、飲んで」と勧められた。 SOS団の麗しのエンジェル朝比奈さんが入れてくれるお茶は当然の如く格別なものだが、SOS団…いや文芸部のアンティークドールたる長門有希が俺のために入れてくれるほうじ茶も香ばしくかなり美味だと思うね。谷口に話したら卒倒してしまうほど悔しがるだろうな。 俺は、差し出された熱々のお茶をズズッと少しづつ口の中へと流し込む。 「おいしい?」 以前にも同じセリフを聞いた様な気がするが… 「ああ……」 そして、その時もこう答えた気がする… 「部室で飲むお茶より、おいしい?」 “ぶっ!” 「うわっ、熱ち熱ちち!」長門の思いもよらない言葉に俺はお茶を溢してしまった。上半身も、ズボンも共にビチョビチョだ!しかも今し方湧いたばかりの熱湯でたまったもんじゃない。 「うお~!熱つ、熱つ!長門、何か拭く物貸してくれ。」 長門は慌てて別室へ行き、タオルを持って小走りに帰ってきた。 「大丈夫?」そう言って濡れた服とズボンをタオルでパタパタと拭いてくれた。 パタパタ… パタパタ… パタパタパタパタパタパタパタパタパタ… あぁ長門、そんなにパタパタと刺激されたら俺の元気印が… て、やべっ!本当に勃ってきた。 そう思った次の瞬間には俺の股間に突貫工事でエッフェル塔が建築されていた。 パタ…長門の拭く手がエッフェル塔を押さえつけるように止まった。その部分をじっと見つめると、ゆっくり無機質な瞳が俺を覗き込んできた。俺はとっさに顔を背ける。 また、時間が止まり静寂という時が流れる。 長門の手が俺自身に触れているという思考(おもい)と伝わって来る感触が陶器の硬度からダイアモンドの硬度へと一気に変えていく。 俺は顔に大量の血液が激流のごとく巡って行くのがよくわかった。 「す、すまん長門。手をどけてもらってもいいかな?」 「陰茎海綿体内への大量の血液流入による膨大硬化状態。一般的用語で言うところの“勃起”を確認。あなたは今、性的興奮状態にあると考察する…違った?」そう言いながら長門は手を退けた。 俺は長門の言葉に無言のまま、情けない体勢を元に戻せず顔を背けたままのどうする事も出来ずにいた。 静寂な時間は、気まずい時間へとかわり二人をべっとりと包んでいく。 ゆっくりと体勢を元に戻し「俺、そろそろ帰るわ。お茶溢して、すまなかった…」 そういうと、まともに長門の顔を見れないまま逃げるように俺はビチョビチョのまま玄関へ向かった。長門も俺のすぐ後ろをついて来る。 玄関まで来て、靴を履こうとすると、長門がズボンの後ろを引っ張った。 “びちゃ”…つめてぇ~「何すんだ長門」 「待って、あなたの服はびしょ濡れ。原因は私にある。お風呂すぐ沸くから入っていって。明日になれば服も乾く。」 「それって、泊まっていけって事か?いくらなんでも、それはマズイだろ。」 「マズイ?」 「ほら俺達まだ高校生だし、誰もいない部屋に男女二人っきりってのはやっぱり…」俺は、なんだか初々しいカップルの様な答えをしてしまった。 「私はかまわない。ダメ?」 …いや、長門よ、お前がかまわなくても俺がかまうんだ。わかるだろ。 「スマン。やっぱ、帰るわ」 長門はこの答えに無言だった。ズボンの後ろを掴んでいた手が力無しげに外される。背中から伝わってくる寂しい雰囲気は長門の顔を見なくても、痛いほど伝わってくる。 俺は男として、このまま帰ってもいいものだろうか?何も無いにしろ(いやある筈も無いのだが)誰かに知られては、ただでは済みそうに無い。 学校に知られれば停学くらいはくらうかもしれん、ハルヒになんぞ知られた日にゃどんな事になるか想像もつかん。 俺もこんな時間に女の子一人の家に上がってしまった時点で何かある事も予測すべきだったのかもしれん。でも、せっかくのチャンス…いや好意を無下にする必要もないのでは?ばれなきゃいい事だし、長門なら情報操作だのなんだので上手くやってくれるかもしれん。 俺は泊まるべきか、帰るべきか脳内では一進一退の攻防が行われていた。 そして振り向きながら俺の口から出た言葉は。 「やっぱり。泊まっていってもいいか?」きっとその時の俺は何かを期待していたに違いない。 長門は消えてしまいそうなトーンで「いい。」と一言発した。しかし、その顔からは寂しいという雰囲気は消え恥じらいの表情さえ伺えて見えたような気がした。 いくらなんでも無断外泊というのは後々面倒になりそうだったので、家に連絡を入れ国木田の家に泊まるような嘘を言った。幸いな事に妹は既に夢の中だったらしく、あれこれ詮索されずにすんだ。 嘘をつく事に後ろめたい気持ちが無いわけでは無いが、面倒を背負い込むよりはマシだろう。 「今、お風呂を入れてるから、少し待って」 そう言った長門を見ていると、部屋を右から左へ、左から右へさっきまでの長門とは別人のように無駄な動作をしている。 いったい何をあたふたやってるんだろうね、この娘は… 「おい、いつものお前らしくないぞ。座って本でも読んで落ち着いたらどうだ?」 ゼンマイが切れたロボットのように、はたっと動きを止めたかと思うと、スムーズかつ静かに首から上を俺に向けた。俺を見つめる液体ヘリウムのような目をした長門を見て安心した。いつもの長門に戻ったようだ。 実はこの時の“元に戻った”という俺の考えはハズレていたのだが… 俺の意見に同調したのか、ひょこひょことテーブルの前まで来るとちょこんと正座をしてテーブルの上に置いてあった本の栞を挟んだページを開いた。 長門が本を読み出すと、必然的に俺は一人放置プレイとなるわけで、風呂にお湯が溜まるまでのこの無音な空間は俺には絶えがたい。 「長門、何か雑誌とかあると助かるんだが…」 長門は本から目を放さず、ただいつものように指を指すだけだった。指した先には長門の勉強机がありその上にいくつかの雑誌が積み重ねてあった。雑誌は女性ファッション誌であり見ても俺には面白そうにも無い。 驚きなのはいつも制服姿の長門もファッション雑誌に興味があるということだ。 長門の私服姿を見れるのは休日にSOS団のイベント事で呼び出された時位だけみたいだからな。普通の休みの日でも、もっとオシャレする事でも勧めてみるか。 ふっと前を見ると整理整頓され、きっちりと並べた辞書や参考書の中に赤い背表紙のアルバムらしき物を見つけた。長門のアルバム?4年余の人生…いや入学するまでは待機モードで一人この部屋に閉じこもっていたはずだ。 いや正確に言うと隣の客室には俺と朝日奈さんが寝てたわけだが…それは、どうでもいいか。 すると、入学してからの写真なのか?それともSOS団の写真か? そう考えていると中の写真が気になって仕方がなくなってしまった。 「よう、長門。このアルバム見せてもらっていいか。」 アルバムを手にとって言う俺に、長門は“ハッ”とした表情で俺を見ると、読んでいた本を床に放り出しパタパタと駆け寄ってきた。 「だめ。それ、見ちゃだめ。」 突然の長門の振る舞いに、俺はアルバムを待った手を上に上げてしまい、身長154センチしかない長門はぴょんぴょんと飛び跳ねてアルバムを取ろうとする。 焦りと恥かしさと切なさが入り混じったような複雑な表情がまた可愛らしい。 「わかった!わかったから、長門飛びつくな。おわっ!」 “ズダーーーン” 俺と長門は大きな音を立てて倒れこんでしまった。 「痛てててて…、長門怪我は無いか?」 「大丈夫。あなたが咄嗟にかばってくれたから、怪我は無い。」 身を起こした俺の顔の真下に整った長門の顔があった。それは互いの息が感じられるくらいの短い距離。長門の薄い唇が軽く開き息がもれ、俺の鼓動は一気に加速していく。こうなってしまえばブレーキを踏んでも、そうやすやすとは止まれそうにもない。 しかし、なんの偶然かそれとも神様の悪戯なのか、床に落ちページを開いたアルバムがチラリと目に入ってしまった。その事に長門も気付いたのか、次の瞬間俺は何故か天井を見ていた。 ・・・長門は何処だ???どうやら俺は急ブレーキではなく、事故停車したらしい。 首を上げるとそこには床にぺたんと座りアルバムを抱えている上下さかさまの長門の後姿があった。 よいしょと身を起こし長門の側へ行く。 「すまなかったな長門…」そう言う俺に、長門は顔を振り向かせ「これはダメ。秘密。」とちょっと怒った感じに言う。…でもスマン長門。アルバム見ちまった。 アルバムにはハルヒの命令で写真係りとなった朝比奈さんの撮ったSOS団の活動記録なるものと、それとは別にいつの間に撮ったのか俺の写真のページがあった。 あれは、ハルヒや朝比奈さんが撮ったものとは違ったように思えたが、やはり長門… お前が撮った写真なのか。でも、いつの間に…。 それにしても何故俺なんだ?他のページにはハルヒコーナーや朝比奈コーナー、古泉コーナーなんかもあるのだろうか? 長門はアルバムを胸に抱き、机の引き出しに大事にしまい込む。と、同時に『オフロガ ハイリマシタ』と電子音声がリビングに流れた。俺は追い立てられるように風呂場へと向かわされる。 脱衣所には洗面台と洗濯機に乾燥機、二段式脱衣籠などが置いてある、何の変哲も無い脱衣所だ。 俺を追い立てて後ろからやってきた長門は脱衣籠の上の段を指した。 「男性用下着は家には無い。これで我慢して。それと歯ブラシも置いておく」 指を指した先にはバスタオルと見覚えのある北高マーク入りの紺のジャージのみが綺麗に畳んで置いてあった。 つまり俺はノーパンでジャージを着て一夜を過ごす事が決定された。 「わるいな長門。シャージ有り難く使わせてもらうよ。」 「かまわない」 「・・・・・」 「・・・・・」 二人の間に沈黙が流れる… 「あのー長門さん、俺今から風呂に入るんですけど…」 「どうぞ」 そう言って、直立不動に立っている長門を俺は肩を落とし困り果てた顔で見た。 「どうぞって…服を脱ぐから出て行ってもらっていいか…」 長門は俺を数秒凝視してツーっと脱衣所を後にしてくれた。 体温を奪っていく濡れた服を脱ぎ捨て、風呂場に入ると入口正面には水垢のついていない大きな鏡があり俺の身体を映している、浴槽はこれまた普段使ってるのか?と思うくらいピカピカだし、シャンプーやコンディショナー、ボディソープのラベルが全てこちらを向き整然と並べられていた。 それにしても風呂の自動の湯張り機能ってのはいいもんだな。湯沸しタイプの風呂なんか、ちょうどいい温度と思って入れば下は真水だったりするからな。湯張り機能とまではいかなくとも温度管理くらいはどうにかならないものかね。そうすれば俺は生温い風呂で体を丸めてお湯が沸くまで耐えしのぐ事もなくなるんだがな。 体が温まったところで浴槽を出てボディソープをスポンジに取り、泡立ててから体を擦る。 “ゴシゴシゴシゴシ…” 家ではナイロンタオル型のヤツだから、スポンジってのはイマイチ洗った気がしない。しかも背中が届かない。 洋画なんかでは柄のついたブラシで背中を洗っているシーンがあるが、ここにはそんなものは見当たらなかった。 背中はあきらめて、体からそのまま顔を洗っていると、突然後ろのドアがガチャと音を立てて開いた。 誰だ!!。って、この家には俺と長門しかいないじゃないか。長門以外に誰が来る。 朝比奈さんなら絶対入ってこないな。ハルヒなら蹴り入れられそうだし、朝倉涼子なら何の躊躇も無く背中にナイフを振り下ろすだろう…考えただけでも恐ろしい。古泉だったら…それは別の意味で身の危険を感じる。などと現実逃避してる場合か俺! 待て待て、なぜ長門が入ってくる必要がある。そこまでこの風呂はデカくないぜ。それともお前も朝倉のように俺を殺りに来たのか?ってこれも現実逃避だ。 風呂場に入ってくるって事は、やっぱり俺同様一糸纏わぬ姿だよな。その気があるのか長門よ。理性が飛んじまったら俺は止まる自信がないぜ。 顔を洗っていた事を後悔するね。これじゃ長門の姿を確認できん。 とにかく男である象徴を隠さなければならず、タオルなどは無いので両手で隠すしか方法が無かった。しかも両手を使った事で俺は完全に自由を封じられてしまう形になった。 本来なら叱咤するところなんだろうが、俺は動転しまくったあげく「な、長門か、どうした?何の用だ?」と素っ頓狂な事を平然を装いながら言っていた。 きっと声は裏返り相当マヌケ野郎だったに違いない。 長門は俺の後ろまで来ると「背中流してあげる、あと頭も」と言いスポンジを手に取り、ボディソープを垂らして背中を擦り始めた。 上下する長門の手がいい感じの力加減で、やたらと気持ちいい。 「背中を洗ってくれるのは、ひじょーに有り難い事なんだが…」 「なに」 「いや、その…俺だって健全な男なんだぜ、その風呂場に裸で入ってくるって事がどういう事か分かってるのか?長門、お前だからと言って手を出さないとは限らんぜ」 「大丈夫、私は衣服を着用している。あなたが考えているような姿ではない。あなたは、そのままにしていればいい。」 「ああ、そうかい…」ちょっと期待していた分、安心40%、残念60%だぜ。 そのうちに洗っている場所が背中から頭に移っていた。 うっすらと目を開けて湯気で曇った鏡を見てみると、北高制服の色は確認されなかったように思えた。 痛たたたた。目に石鹸が入っちまった! 俺の頭を丁寧に洗い上げると、「後は、あなたが自分でやって」長門は、そう告げ風呂場から立ち去っていった。 俺は視界を邪魔していた忌々しい石鹸をシャワーで洗い流し、コンディショナーで短い髪をツヤツヤにして風呂に肩まで浸かった。 今日の長門の行動は何なんだ。またエラーの蓄積か?それとも、また世界を改変したのか?しかし俺の周りの奴らに変わったところはなかったぞ。長門は自分だけを改変した?それもノーだ。行動さえ大胆極まりないものだが基本的には無表情・無感動・無口の三拍子揃った長門有希だ。 考えを色々と巡らせ落ち着く事の出来ない風呂を堪能しすぎてしまい、ちょっと逆上せた。うっぷ…。 ふらつく頭で風呂を上がり、脱衣所でしゃがみ込んだ。あー、目眩がする。脱衣籠に目をやると下の段に一枚の白いバスタオルが軽く畳んであり触るとしっとりと濡れていた。 俺はその濡れたバスタオルを使ってもよかったが、せっかく長門が用意してくれた洗立ての香りのいいバスタオルを使用し頭のてっぺんから爪先まで気持ちよく拭きあげると、悪いと思いつつも下着もつけずにジャージを拝借する事にした。 が、途中まで着ようとして、ある事を再確認させられた。長門と俺の体格差がありすぎてジャージが入らない… 無理やり着たとしても、血流を止めて手足を真紫にして壊死させてしまうか、8歳児の洋服を着るビックリ人間さながらにテレビ出演するかのどちらかだ。 どちらも御免被りたいので、結局は濡れた自分の服を着る羽目になるようだ。 せっかく風呂に入ったっていうのに… その内乾きもするだろうと、あきらめて自分の服を着ようと思うと、Why?脱いだはずの服がどこにも無い! そして、目に入ってきたのは洗濯機。 まさかと思いつつも恐る恐る開けてみると、俺の服がポカプカと洗濯機の中で水泳の授業中だった。あまりにもベタだが、泊まらせる為の効果的な手段だ。 しかも俺の服と共に、明らかに男には必要の無い興味をそそられるもの達も一緒に水泳の授業を受けていた。今日の水泳の授業はは男女混合らしい。 良くも悪くも、これでSOS団全ての女性陣の下着を拝んだ事になるわけだ。…やっぱり良いのだろうな。 洗濯機からそれらを引き上げて拝ましてもらいたいという衝動にも駆られたが、そこまで愚行を行ってしまうと、ただの変質者であり、谷口と同レベルに落ちてしまうのでそれだけは避けた。 兎にも角にも現状況を打破するには長門に頼る他はないであろう。元を正せば長門が原因なんだし。 俺は脱衣場から顔だけを出して長門を呼び、長門は返事も無くいつもより歩幅狭くテチテチと歩いてきた長門をドア直前で静止させた。そうしないと脱衣所まで入って来ないともかぎらないからな。 「すまんがジャージが小さくて入らないんだ、他に何か無いか?」そういってジャージを差し出すと、長門はジャージを手に取り久々に聞く超高速早口呪文を唱えた。 「これで大丈夫」そういってジャージを戻された。 「着衣の繊維収縮情報を変更した。オールサイズモード。」 「分かりやすい説明ありがとう。助かる。」 「どういたしまして。」そういい残してまたテチテチとリビングへと長門は戻っていった。 俺は長門の歩き方の不自然さになど、その時は一切気にならなかった。なんせ着る服を調達するのと長門の大胆行動を防ぐのに頭がいっぱいだったからな。 さすがは長門マジックの賜物と言うべきか。今し方までまったく入らなかったジャージが俺の体型に合わせるように伸び、伸びたからといってビロンビロンになったり生地が透けたりはしなかった。 脱衣場を後にしリビングルームに戻ると、小さな背中を向けてページをめくる時にしか動かない凝固体がちょこんと座っていた。 「先に入らせてもらって悪かったな。それと背中サンキュー」と、照れながら言うと。 長門は本からは目を離さずに「かまわない。次は私がお風呂に入る番」そう言って本に栞を挟み制服のスカートを押さえながらぎこちなく垂直に立つ。 俺はここにきて、やっと長門の不自然な動きに気が付いた。 さっきから、やたらとスカートを押さえたりソワソワしているような動きが目立つ。 それに俺の背中や髪を洗ってくれたはずなのに制服に濡れた後や石鹸が付いた後が全く無いのである。 左手に着替えを持ち右手を腰に当て長門が風呂へと向かう。そして足取りはやはり歩幅小さくテチテチと歩いていく。 不自然な長門の動きに俺は「腰でも痛めたのか?」と訊いてみると、「なんでもない。ここから先は進入禁止」と言って風呂へと通じる廊下の曇りガラス戸をパタンと閉めた。 “進入禁止”って自分は堂々と俺の入浴現場に無断進入してきたくせに… 俺は名探偵の如く不自然な動きをする長門の現段階の情報をまとめてみた。 ①俺が風呂に入るまでは通常の長門だった。 ②洗顔中に長門の襲来。その時長門は衣服着用と言ったが俺は確認していない。 ③薄目を開けて曇った鏡を着た限りでは制服らしきものは映っていなかった。 ④脱衣籠にあった湿ったバスタオル。(あれって俺が風呂に入る時から置いてあったか?) ⑤洗濯機に浮んだ俺の服と長門の・・・ ⑥濡れていない長門の制服 ⑦長門のスカートを押さえる仕草とソワソワした感じ これらの事から導き出される答えは… 「うおぉぉぉ、俺はなんて勿体無い事をしちまったんだ!」俺なりに導き出された答えに俺はすぐさま頭を抱え悶絶してしまった。 長門はあの時“衣服着用”とは言ったが制服なんて一言も言ってなかったじゃないか。つまりあの時の長門は白いバスタオル一枚…これなら鏡に制服が映らなくてあたり前だし湿ったタオルの説明もつく。 そうなると洗濯機に入っていた下着はそれまで長門が着用していたものに間違いないだろう。って事は、今までここにいた長門の制服の下は… だめだ想像しただけで、鼻血が出ちまいそうだ! 焦るな焦るな俺!本当にそんな事が起こり得るだろうか? しかし乏しい俺の脳味噌が導き出した答えだとはいえ、確率的には高いんじゃないか!? “ここから先は進入禁止”と言っていたが、本当に進入禁止なのだろうか。実は密かに俺が来るのを待っているんじゃないか?そもそも先に入ってきたのは長門の方なんだし。 いやいや、待て待て。俺の推理が間違っていたらとんでもない事だぞ。 停学どころか退学か?下手をしたら犯罪者Aって事もありえるな。 ハルヒに嫌われるより、長門に嫌われる方がショックもでかいし、また何かあった時に今度は助けてくれないかもしれん。 それどころか朝倉涼子にやったように情報連結の解除とか言ってこの世から消されでもしたらたまったもんじゃない。 俺は悶々とした気分の中、頭の中では肯定派と否定派の鬩ぎ合いバトルが行われていた。廊下に通じる曇りガラス戸の前で俺は顎に手をあて檻のなかの熊のようにグルグル回っていた。 “!!!” 気が付くと、長門がガラス戸の前に立っておりグルグル回る俺をジッと見ていた。 「長門さん、いつからそこに…」 「三分四二秒前から」 「ずっと見ていたのか?」 長門は乾ききっていない前髪が少し動くくらいの頷きをした。 「そ、そうか…声をかけてくれればよかったのに…」 口元が引き攣りぎみに言う俺に、長門は無言無動のままアメジストのような瞳で俺を見つめ続けた。 長門の全身を見るとグリーンのチェックの前止めシャツに、同じ柄のズボンでシンプルだが可愛らしいパジャマ姿だった。 いや~透けてはいないものの腕や胸元近くまで開き長さは膝丈、首周りやスカート部の裾にピンクの縁取りとリボンがついた薄ピンクのネグリジェじゃなくてよかった。 もし、そんな妖艶な姿だったら間違いなく俺の理性は海王星くらいまで吹っ飛んでいただろうからな。 バツが悪くテーブルに戻り座りなおす。長門も定位置に座ると新しくほうじ茶を入れてくれた。 「あなたは、まだお茶を飲んでいない。飲んで。」 何が何でもお茶を飲ませたいのか?律儀なやつだ。 今度は噴出すことも溢すことも無く、二人向かい合いお茶をすすった。無論、会話は無い… ただ、長門のうつむきお茶を飲む顔が湯上りのせいだろうか、ほんのり色付いていたのが印象的だった。 夜も更け、お茶で気分も落ち着いたせいもあってか俺はうつらうつらとし始めていた。 長門が俺の肩を揺らして「起きて」と現実へと引き戻す。 「あぁ、すまん。寝ちまってたのか。」 「寝具を用意した。そっちで寝た方がいい。」 そう言い客間の方を指差した。 俺は眠い目を擦りながらうな垂れて客間へと案内される。 客間の引き戸を開けると、見覚えのある和室に見覚えのある布団が見覚えのある形で二組並べてあった。 懐かしい光景だ、朝比奈さんと三年間時間を止められた時もちょうどこんな風に二人して寝かされたんだったな・・・・・ って、「ちょっと待て長門!なんで布団が二組並べてあるんだ!」俺の思考能力が夢遊域から一気に覚醒域へと瞬間移動し、そのままパニック域まで猛ダッシュした。 「あなたの分と私の分」 宇宙人製有機アンドロイドは無機質な声質で平然と言ってのけた。 「そうじゃなくて、なんで俺とお前が同じ部屋で布団並べて寝なきゃならんのだ。」 「あなたは以前、朝比奈みくるとこの部屋で共に寝ている。今日は朝比奈みくると私の違いだけ。問題ない」 「問題ある。あの時は寝ていたんじゃなく、お前が時間を止めていたんだろ。それに一緒に寝てお前に手を出さないという自信が俺には無い。兎に角、俺はリビングにでも寝させてもらうよ。」 そう言った俺の腕に長門はしがみ付き、顔を左右に大きく振った。 「大丈夫。あなたはそんな事しない。私には分かる。だからお願い…」 “だからお願い…”って懇願されちゃったよ。どうするよ俺! 「よし、なら布団をもっと離して敷こう。それなら俺もOKだ。」 「了解した」そう言って長門は布団をズズズ…と動かした。 「朝比奈みくるの時より1メートル離した。まだだめ?」と更に懇願する眼差しで俺の事を見てきやがる。 なんでそんな目で俺を見るんだ。いつもの液体ヘリウムの眼差しはどうした!? 「わかった、わかった。それだけでも十分だ。」 やれやれとばかりに頭を掻きながら、どうなっても知らんぞと考えながら長門を見ていた。 今夜は俺の理性に全てがかかっているのである。いったいこんな我慢大会に俺を推薦しやがったのは何処のどいつだ!見つけたらタコ殴りにしてやる。 「長門、悪いが早々に寝させてもらうぞ」 兎に角、早く夢の住人へとなってしまうことが最善の策だと考え、布団を頭から被った。 寝ようとするが、何故か長門に抱かれているような感覚に陥る。 「あの…それ、私が寝ている布団…」 俺は跳ね起き、隣の布団へと飛び移る。 「それを早く言え。」 長門は手を前で組みもじもじしながら、顔を赤らめていた。 ちくしょう、なんでこんな時にそんな可愛い仕草をしやがる。何処で覚えてきた! 宇宙人製アンドロイドというより普通の女の子じゃねーか。 長門に背を向け目をつぶり火の輪くぐりをする羊でも数えるしか俺には自分を抑える手段が残されていなかった。 ドアや窓の施錠が確認され、リビングの電気が消され、客間の扉が閉められ、最後に客間の電気が消された。 長門が背を向けた俺の横にちょこんと座り「寝た?…おやすみ」という。 それに対して俺は起きてはいたが無言でいた。今言葉をかけてしまえば、その場の雰囲気に流されてしまいそうに思えたからだ。 施錠によって外界と隔離された家に無音と闇が支配する静寂な時が流れ、二人を包み込む。どれだけの時間が過ぎたのだろうか、俺は天井を見つめていた。 俺は横に寝ている長門に声をかけてみた。 「長門…起きてるか?」 「・・・・・」 長門は動く気配が無かった。寝ちまったか… 「…起きてる」 「今日のお前は、いつものお前らしくなかったぞ。何かあったんじゃないのか?俺でよければ遠慮なんかせずに言ってくれよ。」 -沈黙- 「…上手く言語化できない。」 「そうか。」 「そう。」 「いつでも話は聞くからな。それと早く寝たほうがいいぞ。」 「了解した。」 その言葉を最後に俺の意識は闇の中えと落ちていった。 * * * * * 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 優しい顔… 私は『彼』の事を固有名詞で呼ぶ事が出来ない。何故? 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の事をニックネームで呼んでいる。 私もあなたの事をあの名前で呼んでみたい。 「キョ…」 やっぱり何かが言葉を詰まらせる。この言葉は私の心拍数を急激に上昇させる。 何故? 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 私に表情は無い… そういうふうに作られたから。私は目立ってはいけない存在。 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の前で笑っていた。 私だって『彼』の前で笑ってみたい。怒ってみたい。泣いてみたい。 でも、それは観察者にとって邪魔なもの?目立つもの? そんな私の乏しい表情を気持ちを『彼』は読み取ってくれる。分かってくれる。 大事な存在。 彼女は『彼』の側に座って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 部屋の闇の中に、彼女の小柄ながらも整えられたスタイル、透明な肌が浮かび上がる。 寝る前まで来ていた着衣は彼女が寝ていた布団の上に脱ぎ捨てられている。 「一体私は何をやっているの」 error_ 「情報の修正が必要」 error_ 「こんな事をしてはいけない」 error_ 「だめ、『彼』に嫌われてしまう」 error_ 「また処分を検討されてしまう」 error_ 「その時は、またあなたが守ってくれる?」 [yes/no]?_ 「私という存在は、あなたの事がダイス…」 長門の薄い唇が眠っているキョンのザラついた唇に触れた… 刹那にして永遠とも思える時間が長門の中に流れていく。 そして長門の右目からユキ解けの水が一筋頬を伝っていった。 止まっていた時間は動き出す。 少しだけ、少しの間だけ『彼』を感じたい。その衝動が長門有希を突き動かす。 彼女は『彼』の布団に潜り込んみ、そっと腕の中に抱きつく。今まで感じたことの無いやすらぎが彼女の中に広がっていく。 * * * * * “うんん…”俺は息苦しさというか、胸部圧迫感とでも言うべきだろうか。兎に角、寝苦しさに目が覚めた。 天井を見つめ、今 自分が長門の家で寝ていることを思い出させる。 俺の身体に何かがまとわりついていた。ショートヘアをさらに短くした見慣れたパープルグレイの髪の毛でスースーと寝息を立てている少女。 って、長門、何やってるんだ!暗い部屋でも長門の白い肌が艶かしく背中まで見えている。 「長門!おいっ長門!」ダメだ起きやしねぇ 密着した身体に感じられるこの柔らく気持ちいい感触はなんだ。 長門に寝ていた布団の上にはグリーンのパジャマと白い下着が散乱している。 今度は間違いなく裸だ。見えているのは背中までで、その下や抱きついている身体前面は見えないものの100%誰がなんと言おうと天地がひっくり返らない限り、今の長門有希は一糸纏わぬあられもない姿だ。 俺は一気に汗が噴出す感じがした。それが緊張なのか焦りなのか期待なのかはまったく分からん。 体と手に触れる長門の素肌の感触。稚拙な頭で妄想する長門の全裸姿…俺の理性という鎖はまるでゴムで出来ていたように呆気なく弾け飛んだ。 「長門ー!!!!!・・・・・へっ!?」 体がまったく動かない。首から上は動くものの首から下は指先一本動きゃしねー。 そういえば以前も似たような事があった。忘れもしない、いや忘れられる訳がない。 あの朝倉涼子に殺されかけた時だ。あの時は首すらも動かなかったが…。 つまりこんな事ができるのは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースたる長門、お前の仕業か! これはセキュリティーモードとかボディーガードモードとでも言うのか? 俺はただただ、長門の香りと寝息、そして首をもたげて確認できる範囲の長門の白い肌。そして体に伝わってくる長門の素肌の感触だけで我慢するしかなかった。 これじゃヘビの生殺しじゃないか! まさか寝る前の我慢大会が予選で、ここに来て我慢大会決勝になるとは思いもよらなかったぜ。 長門に借りたこのジャージを汚してしまわないか、それが心配だ… こんな悶々ギンギンとした状況下でも、俺はいつしか眠りについていた。俺ってスゲー 朝起きると、隣に長門の姿は既に無く、長門の寝具とパジャマが綺麗に畳まれていた。 あれは夢だったのか?にしては、あまりにリアルすぎる。いまだに長門の感触がこう… 俺は“ハッ”として布団を捲り我が親友を確認した。助かった…ジャージは汚さずにすんだ。 ただ、まだ背伸びをしている親友が元に戻るまでは布団から出れそうにない。 突然客間の扉が開き長門が入ってきた。 「起きた?」 俺はとっさに布団を引き寄せた。 「ああ、おはよう」 なんと今日は制服ではなく、白と青のボーダー柄のVネックTシャツに、カーキ色のハーフパンツ姿というラフな格好だった。 長門が俺を見下ろす。俺は長門を見上げる。いつもと逆のパターンだ。 「長門、お前昨日の夜…その…覚えてるか?」 長門は三秒沈黙した後五ミリ首を横に傾けた。 「いや、何でもないんだ。忘れてくれ。」 「そう……。これ、昨日汚れた服。洗って乾かしておいた。」 長門はそういうと手に持っていた服を俺の枕元に置き、その瞬間俺は長門の手を掴み引き寄せる。 体重を感じさせない長門の体は事も無げに俺の胸元に倒れこんできて、俺はそのまま長門を抱きしめた。 昨夜の出来事がどうしても夢とは思えず確認したかった。 この香り、服の上からだがこの感触、疑惑は確信へと変わった。 「長門…、お前やっぱり…」 長門は最初目を丸くしてパニクッていたようだが、すぐに顔を埋め俺の背中に手を回した。 長門の小さな体が小刻みに震えていた。 「泣いてるのか?」 「泣いて…ない。」 「そうか…」 「そう…」 長門の小さな嘘。俺は長門の震えを止めるように抱きしめた腕に力を込めた。 長門を幾時間か抱き締め、俺は長門の洗ってくれた服に着替えた。 リビングに行くとキッチンから長門がテーブルに朝食を出してくれる。 ハルヒについでなんでもこなすスーパーユーティリティプレイヤー長門有希。 その長門が作る飯が不味いわけがない。 昨夜と同じく二人で食べる食事なのに、今日の朝食は昨日の夕食より美味く感じられた。 ちなみに会話はやっぱり無い… 時計を見ると午前十一時過ぎを差していて思った以上に寝ていた事に気付かされた。 「それじゃそろそろ帰るよ」 長門は今回は首を縦に振って後ろを付いて来た。 「安心して、あなたが泊まった事は秘密にしておく。今はそれがベスト。特に涼宮ハルヒに知られれば世界改変の引金にならないとも限らない。」 「そうか。恋愛禁止なんて事もほざいていたしな。黙っていた方がいいか。」 長門を見ると、みるみる耳が赤く染まっていった。 「どうした長門、耳が赤いぞ???」 「なんでもない。あなたが気にする事ではない。」 「もし情報統合思念体が何か言ってきたら俺に言って来い!俺がまた守ってやる。」 「大丈夫。情報統合思念体は何も言って来ていない。」 「そうか。」 長門はコクリと頷く。 俺は靴を履き、長門の頭をクシャクシャと撫でて「それじゃまた明日。部室でな」そう言って、長門の家を後にしようとした。 すると長門は俺の袖口を引っ張って「よければ、また来て」と目を合わせずに言った。 「おう、今度はお前の手料理でも食わせてくれ。それと、休日くらい今日のように私服でいたらどうだ。その方が似合うと思うぞ」 「わかった、そうする。」 そう答えた長門は、微かに笑ったように見えた。 長門のマンションを後にし、雲のまばら青空を見上げた。何故だろうな、こんなにも清々しく感じるのは? 以前、鶴屋さんに“未来人か宇宙人だったら、どっちがいい? ”と聞かれたが、今日俺は“宇宙人を選んだ”という事になるんだろうな。 玄関のドアが閉じた後、長門は暫らくその場に立っていた。 「恋愛…」 自分でつぶやく言葉で、長門はまた耳が真っ赤になっていた… * * * * * 『観察対象を追加。パーソナルネーム・長門有希。彼女を観察者から観察対象者に変更。 ただし当該対象者には極秘。長門有希には引き続き涼宮ハルヒの観察を行ってもらう。』 「あらあら、長門さん大変な事になっちゃたわね。これから私があなたを監視する役目になっちゃうみたいね。」そこには長門の家を見つめる喜緑江美里のクスリと笑う姿があった。 ~ fin ~ ↑『ユキ道1.長門有希の慟哭』へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1291.html
みんなが羨ましい。 一人一人違った個性を持っている。 わたしには何もない。本当は……個性が欲しかった。 朝倉涼子みたいになりたかった。喜緑江美里みたいになりたかった。 どうしてわたしだけ、人間的じゃないの? だから彼の心を惹きつけられない。 どうしてわたしは……。 わたしが部室に入る。いつもの通り一番……だと思ったが違った。 机に伏せて寝息を立てている涼宮ハルヒがいた。 彼女は進化の可能性であり、わたしの居場所《SOS団》の団長であり、……憧れでもある。 彼女の行動力はすごい。わたしには出来ないこともすぐに決断する。羨ましい。 そして……。 一歩、二歩と近付いて、涼宮ハルヒの髪を撫でた。 わたしの髪と違う、サラサラの髪。羨ましい。 二度、三度と彼女の綺麗で滑らかな髪を撫でているとゆっくりと体を起こした。 しまった、眠りから醒めたようだ。 「ん……有希、おはよう。……頭撫でてたのって有希なの?」 静かに頷く。それしか出来ないから。 「ふふん、あたしの髪が羨ましい? 長さかしら、それとも髪質?」 わたしは考えた。羨ましがるだけじゃダメ。 自分を変える努力をしなくちゃ。 ……あなたの綺麗な髪が羨ましい。わたしもそんな髪になりたい。 「有希……。いいわ、今日はあたしの家に泊まりなさい! 髪をサラサラにしたげる!」 一応、普段通りの部活を終え、涼宮ハルヒと共に準備もせずに彼女の家に向かった。 彼女の家で一緒にお風呂に入り、髪を洗ってもらっている。 「有希の髪も充分綺麗だと思うけどね」 そんなことはない。現にあなたは時間をかけて洗ってくれている。 「それは有希がさらにかわいくなるようによ。もっと自信持ちなさい」 髪を洗い終え、わたしは彼女から髪の手入れの知識を学んでから眠りについた。 次の日、また部室に来たのは二番目だった。 「長門さん、こんにちは」 朝比奈みくるが先に来ていた。 彼女も羨ましい。スタイルも顔も抜群で、それに雰囲気が柔らかい。 「あ、長門さん。髪が綺麗になりましたねぇ」 彼女の雰囲気の柔らかさは喋り方にあるのだろうか? 最低限の言葉しか発さないから、わたしは堅く、暗いイメージしか無いのだろうか? 返事に意識して言葉を付け加えてみるように実践した。 そう。……かな? 「え……? ぜ、全然そうですよ! とっても綺麗です、それに話し方も……こう……と、取り付きやすくなってますよ!」 ……ありがとう。 「そ、そうだ! お茶淹れますね」 この喋り方は少しでも人間味を帯びて聞こえるらしい。少しだけ意識して使ってみよう。 ……彼によく想われるように。 その時、ノックの音が聞こえてきた。彼だろうか、古泉一樹だろうか。 「は~い、どうぞ」 朝比奈みくるの返事と共に入って来たのは古泉一樹だった。 彼にもまた、わたしが羨ましがる部分がある。 それは……笑顔。 「あの二人は何かを買い出しに行くそうで、今日はお休みらしいですよ」 そう言ってわたしと朝比奈みくるに交互に向ける笑顔。こんな笑顔を作ることが出来れば、彼も喜んでくれるだろうか? 本をいつもより高く上げて、その陰で笑顔を作ってみる。 こうだろうか? それともこう? しかし、確認出来ない所でいくらやっても仕方がないので、帰ってから練習することに決めた。 本を閉じて、荷物を持って歩き出す。……あ、ちゃんと取り付きやすくなるように意識しないと。 朝比奈みくる、古泉一樹……また明日。 返事を待たずに外へ出た。これで少しでも雰囲気が柔らかくなるだろうか? とりあえず、家で笑顔を練習して、明日彼と話をしよう。 少しでも変わった自分を見てもらうために。……喜んでもらうために。 次の日の昼休み、部室に来てもらうように頼んだ。 最低限の食事を取り、本を読みながら彼を待つ。 少しだけソワソワして、髪を触ってしまう。これも人間が抱く感情だろうか? 「長門、待たせたな」 彼がドアを開けて入ってきた。首を横に振ってわたしは答える。 大丈夫。全然待ってない。……から。 様々な本や、朝比奈みくるから話し方を真似た。 「長門……雰囲気変わったか? なんか……あれ?」 どうやら変えようとしたことは成功したらしい。彼は少しだけ喜んでいる……と思う。 少し、イメージを変えてみた。……どう? 数秒の間、彼は黙っていたが、すぐに返事がきた。 「あぁ、いいと思うぞ。……髪も綺麗になったな。ハルヒにしてもらったんだって?」 彼は頭を撫でてくれた。わたしが望んでいた願いが一つ叶った。 気持ちよさについつい目を瞑ってしまうと、撫でていた手が離れたのがわかった。 やめないで。……お願い。 わたしの言葉に驚いていたが、すぐに再開してくれた。 ……とてもうれしい。 ここで、わたしはお礼と共に昨日練習した笑顔を見せることに決めた。 古泉一樹の笑顔の作り方を思いだしつつ、彼を見上げた。 ……ありがとう。 今作った笑顔を見せると、彼は一つ溜息をついて、わたしの顔を両手で挟んだ。 「長門。俺の前で無理して演じなくていいんだ」 何故? こっちの方があなたは喜んでくれる。 「なんて言うかだな……お前はお前だからな。というか……」 彼は気持ちを上手く言語化出来ていなかったが、しばらくすると思い出したように喋りだした。 「外見を気にして、少しおしゃれをするのはいいんだ。ただな、中身や話し方は変わらない方がいい」 どうして? 「お前がお前でいるのは、いつもの喋り方や態度があるからだ。取繕った言葉や、作り笑顔なんか見ても俺はうれしくない」 彼はわたしの頬を挟んだまま、真面目な表情で目を見て伝えてきた。 ……わたしは間違っていた? 「違う。お前が努力するのはうれしいんだ。だけどな、俺が見たいのは心から笑うお前の顔だ」 ……そう。 わたしは柔らかい表情を作るのをやめて、気を抜いた。こんなことをしても彼は喜んでくれないから。 努力した後が残ったのは、前より少しだけ綺麗になった髪だけだ。 「ありがとな、長門」 彼はまたわたしの髪を撫でていた。何が『ありがとう』なのかはわからない。 それでも、彼がそう言うのならそれでいい。 わたしは彼の胸に頭を預けて、そのまま撫でてもらっていた。 彼と別れ、午後の授業を受けて放課後。 今日は一番最初に入った部室でみんなを待った。 ノックの音、遅れて彼が入ってきた。 笑顔で迎えようと思ったが、心から笑えそうにないからいつものように視線を合わせない。 「まだ長門だけか?」 縦に首を振って肯定の動作。 彼は『そうか』と言って自分の席についた。 次いで朝比奈みくる、古泉一樹と入ってきた。 あと一人で全員が揃う。みんながそれぞれ好きなことをして最後を一人を待ついつもの日常。 わたしはやっぱり本を読むのが落ち着く。 「みんな! 朗報よっ!」 涼宮ハルヒが満面の笑みで入って来た。それと同時に彼の表情も緩んだ。 ……理解した。今の涼宮ハルヒの表情が、彼の求める心からの笑顔なのだ。 あの笑顔をいつも保っている彼女が羨ましい。 ……だけど今は何もしない。ゆっくり、彼と、みんなと心から笑えるようにする。 そう思いながらも、彼を惹きつける涼宮ハルヒの表情をわたしは羨望のまなざしで見つめた。 ……負けない。 おわり
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1255.html
それはなんでもないいつもの会話から始まった。ここはSOS団の部室で、谷口も国木田も休んだ俺は1人で教室で弁当を食べることが恥ずかしくて逃げてきたんだ。 そしたら長門が本を読んでいて、弁当を食べ終わった俺は無意識に話しかけていた。 「長門、その本は面白いのか?」 「ユニーク。」 まさにいつもの会話だと思う。ここまでは。 なにせ前にも同じような会話をした記憶があるしな。しかし何も考えていない今日の俺は一味違う。 「たまには違ったジャンルの本でも読んでみたらどうだ?」 「……?」 長門は数ミリ首を傾げて、何を言ってるのか分からない、というような表情を俺に仕向けてきた。 俺は少し考えて言った。 「恋愛物の小説でも読んでみたらどうだ? 人間の『恋愛をする』って感情がわかるかもしれないぞ?」 「そう。」 「それに恋愛小説ってのは曖昧な感情を意外と的確な表現で表してくるからな。情報の伝達に齟齬が発生しにくくなるぞ。」 「そう。」 言葉だけだと流されているように感じるが、長門は俺から目を離さない。意外と興味があるようだ。 さて、俺の手元には昨日買ったばかりの新刊の恋愛小説がある。今話題の小説で、なかなかのヒット作だ。少し読んだが、なかなかの面白さだった。今日明日中には読み終わるだろう。 もちろん、昨日恋愛小説を読んだから、長門にも恋愛小説というものを進めたのである。 ならば俺は読みかけのこの本を貸すべきなのか。読み終わってから貸せば良いのか。いっそのことあげて、新しいのをもう一度買おうか。 「長門は今読み終わってない本をどのくらい持ってるんだ?」 今長門が読んでいる分厚い本を軽く持ち上げた。 「それだけか?」 「そう。」 そうか。見ると、いつのまにか閉じられた分厚い本の終盤にしおりがあった。もう読み終わりそうなのか。 「じゃあ、それ終わったらこの本を読んでみてくれ。長門に合うかはわからないが、中々の面白さだったぞ?」 「そう。」 長門は俺にしか分からない程度に嬉しそうな表情をした。長門の嬉しそうな顔を久しぶりに見た俺も少し嬉しくなって、 「じゃあその本はやるから。俺はもう行くぞ。じゃあまたな。」 と言って退室しようとした。 「ありがとう。」 そう長門が言ったのを俺は聞き逃さなかった。俺は長門が感情を表現する方法を身に付けてくれればいいな、なんて思っていた。 教室に戻った俺は谷口と国木田がいないとハルヒしか話す相手がいないことに友達の少なさを実感してふて寝した。 起きるといつも通り放課後。部室に向かい、長門が薄い文庫本を読んでる以外には何ら変わりのない活動をし、帰宅した。 そして学校の帰りに俺は本屋で同じのをもう一冊買って、家に帰って読んだ。 その恋愛小説の内容はこんな感じだった。 中学生の男女の恋の話。ある女が仲の良い男と良く一緒にいるので、クラスで「付き合ってるんだろ」とか「お前ら夫婦なんだろ」とかよくバカにされていた。 実際当事者は男女とも恋愛感情はなかった。子供の頃から一緒に遊んできただけにお互いを異性として見たことがなかったからだ。 クラスのみんながバカにしなくなったころ、女と男はやや会話が減ってお互いに違う異性と話すようになってきた。 そしてお互いに、いつも一緒にいる人がいない違和感に悩まされるようになっていく。 そして、女が、男が異性と話しているのを見て、何でそこで話しているのが自分じゃないのだろうと嫉妬し、いつにも増して男と一緒にいるようになる。 その頃には女はその嫉妬が恋であることを自覚している。しかし純情な感情がそれを表にだせない。 人に相談できない女は1人で考え、押したり引いたり色々な手段を使う。 鈍感な男を振り向かせるためにずっと一緒にいる女の不器用なアプローチで男を振り向かせるまでの物語である。 最後に男が、『そんな不器用なお前の事を好きになったんだ』と言って終わるハッピーエンドのラブストーリーだ。 物語自体は普遍的なのだが、この作品は状況や感情の描写が非常におもしろい。ユニークかつ的確な表現をしている。 そういった作品の雰囲気がヒットしている理由だろう。 読み終わって満足した俺はすぐに寝てしまった。 翌日学校へ行くと、谷口と国木田がいた。 「なんだ? キョンは俺たちがいなくて寂しかったのか?そうか、お前も可愛いところあるじゃねーか。」 「何を言っての谷口。キョンには涼宮さんがいるから寂しくなんてないはずだよ。」 こいつら……。無視して席に着こう。 「よう、ハルヒ。」 「ふん!」 何を不機嫌なんだコイツは。 「聞いたわよ! あんた有希にプレゼントあげたそうじゃない。」 プレゼント? そんなのあげたか? それに何故、お前が不機嫌になるんだ? 「有希、昨日嬉しそうに本を読んでたじゃない。帰りに聞いてみたらあんたにもらったって言ってたわよ。」 「ああ、小説な。あいつにはもう少し感情豊かな人間になってほしかったんだ。お前にもやるよ。」 そういって俺は昨日読み終わったばかりの小説をハルヒにあげた。 「なんであんた同じの持ってるの?」 「いや、その場のノリであげちまったから後で読みたくなってな。帰りに同じの買って帰ったんだ。」 「バッカじゃないの?」 「いいから読んでみろって。 ハルヒもそんな恋愛してみたらどうなんだ?」 「うっさい! バカ!」 そういって俺から本をひったくる姿には不機嫌さは幾分か減少していた。 どうやらハルヒは授業中にずっと本を読んでいたらしく、珍しく平穏な一日だったと思う。 授業が全て終わり、さて部室に行くか、を鞄を持ったらハルヒはまだ本を読んでいた。 「ハルヒ、行かないのか?」 「もう少しで終わるから先行ってて!」 なるほど確かにあと少しだ。それに、なんだかんだでハルヒも気に入ってくれたみたいだ。長門はどうなんだろう。あいつの事だから読み終わってないことはないだろうが、気に入ってくれたかは微妙だと我ながら思う。 考えながら歩くといつもより早く部室に着いた気がした。ノックをして、エンジェルボイスを聞いて中に入り、お茶をもらう。 いつも通りな気もするが、何か違う。 朝比奈さんが、長門の席で小説を読んでいて、長門が俺の隣に座っている。古泉はいない。 「キョンくん、この小説わたしも借りていいですか?」 朝比奈さんがメイド服のまま違和感なく小説を読んでいて、ふとこちらを見上げて言った。 「それは長門にあげたんで、長門に聞いてください。」 「じゃあ長門さんはかしてくれるって言ってたので借りますね~」 朝比奈さんは本を呼んでいても似合うんだななんて考えていると珍しく古泉とハルヒが一緒に来た。 「ではこの本はお借りいたします。ありがとうございます、涼宮さん」 なぜ古泉までその本を! まあハルヒであることはわかっていたのだが。こんなにも凄まじい勢いでSOS団に小説が浸透していくとは、さすが文芸部室を根城にするだけはある。もちろん関係はないが。 古泉は朝比奈さんが同じ本を読んでいる事に気付き、談笑している。 ハルヒは俺と、俺の隣に座っている長門を見て不機嫌そうな表情を見せ、 「ああ、有希も読んだのよね」 なんて言って俺を長門で挟むように反対側に座ってきた。 申し合わせたように長門も軽く不機嫌そうな表情をみせる。 「おやおや、では僕と朝比奈さんは家に帰って団長オススメの本を読むのでこれで失礼します。」 「じゃあキョンくん、がんばってください」 古泉と朝比奈さんは笑顔で逃げるように去っていった。 「じゃあ3人じゃあ何もできないから解散するか。」 俺の発言に対して長門がすぐさま 「帰るのは私1人。あなたがたはまだいるといい。」 と言い放った。ハルヒが一瞬うれしそうにしたあと、 「いいえ、あたしが帰るわ! ゆっくりしてってちょうだい」 なんて言うもんで、俺はそんなに嫌われてるのか、とショックを受けつつ3人で帰る事を提案した。 そうして三人は無言の気まずい雰囲気のまま帰路に着いた。あんなに俺といることを拒絶してた2人は何故か俺に近かった。距離が。 夜になり、寝ようと思った頃に古泉から電話がきた。 「もしもし」 「何の用だ?」 「いえ、お伺いしたいことがございまして。」 「俺は眠いんだ、急ぎじゃなければ明日にしろ。」 「おや、そうですか。今日の涼宮さんと長門さんの様子についてですが、たいして急ぐわけではないので…」 「説明しろ。今すぐだ。」 俺は起き上がり、真面目に聞く体勢を整えた。今日のハルヒと長門がいつもと違って見えたのは俺だけじゃなかったのか。 「率直に聞きます。今日はお二方ともあなたに対しての態度が変動的じゃあありませんでしたか?」 「そうだ。俺を拒絶したかと思えば帰りによりそってきたり、よくわからん。」 「なるほど。僕が思うに彼女たちは小説の女性のようにあなたにアプローチをしかけてきているのですよ。」 「意味を理解しかねる。」 「僕と朝比奈さんが帰る直前にあなたと長門さんと涼宮さんがならんで座ったときに、お二方が不機嫌になったのはご存知で?」 「確証はないがそう感じはした。」 「そこで、あの小説の女性のように嫉妬による恋をお二方は確信したのですよ。それで小説の女性のようなアプローチをしかけたと。」 「なるほど、経緯はわかったが、理解しがたい話だな。」 「信じる信じないはあなたの自由です。」 古泉によると、本を読んですぐピンときたらしい。そして朝比奈さんに連絡を取ったところ、同じような感想をもらったと。 朝比奈さんに夜中に電話をかけるなんて、あの可愛らしいエンジェルフェイスに肌荒れができてたら古泉のせいだ。夜更かしは美容によくないからな。 翌日のハルヒは学校に着いてからSOS団のアジトへ行くまで俺から離れようとしなかった。不機嫌でも上機嫌でもなく、ただたんたんと俺の近くに。 昼も今日に限って弁当だったハルヒは俺を連れてここ、文芸部室で一緒に食べた。もちろんデフォルトで文芸部室にいる長門もいて、一緒に。 放課後である今までずっと俺にくっついているハルヒはなるほど、確かにあの小説の女性のようであった。性格は違うがアプローチの仕方がにていたのだ。 長門に至っては放課後になってからというもの殆ど会話のないまま俺から離れようとしない。 朝比奈さんと古泉が笑っている。なんだろう美女2人に囲まれているのにこの敗北感は。 「美女が2人もあなたに小説のように恋をするなんて、あなたが羨ましいですよ。」 俺は朝比奈さんと2人で話しているお前のほうが羨ましい。というかそんな事この場で言うな! ハルヒと長門にも聞こえてるぞ! 「SOS団で小説のような恋と昼ドラのような修羅場が見れる予感がするわ!」 ハルヒは物騒なことを言うな! 「そう。」 肯定するな! 「ほえぇ~」 朝比奈さん、それはどんな感情なんでしょう? 「ところで、あなたに恋心を気付いてもらうために小説の女性のような振る舞いを見せているお二方ですが、もう本人も気付いていると思いますのでどっちをとるか選ばせてみてはどうでしょう?」 古泉は俺を殺す気だ。ならばやられる前に殺してしまおう。 「ほえぇ~」 このままじゃあ危険な流れだ。 「俺は良く恋愛感情なんてものは理解できないから選べと言われても選べないぞ。それでも選べなんて横暴なことをいうやつは俺は好きにはなれないだろうな。」 「……。」 「うぐっ」 長門とハルヒが言いあぐんだ。これで俺にうかつに手を出せまい。実際俺に選ぶことなんてできない。恋愛感情ってものがよくわかってないからな。 「有希、ちょっといい?」 「いい。」 長門を連れてハルヒは部室から出てった。俺はチャンスとばかりに古泉に文句言ってやった。 「それは申し訳ありませんでした。それでもいずれあなたは選ばなければならないのですよ?」 「うるさい。そのときになったら選ぶ。」 「ですからそのときを作ってあげたじゃないですか。このままではあなたは近い将来に選ばなければならないときに同じ事をしてしまいますよ?」 「今の俺には恋愛感情なんてもんはよくわかってないんだ。恋愛なんて俺の好きにさせてくれ!」 「そうですか、ではそうしましょう。」 帰りはハルヒが古泉を誘って二人で帰った。捨てゼリフの様に明日の探索は中止、と言ってきた。 俺は長門に誘われて長門と二人で帰った。俺は明日が土曜日なのを今知った。それほどてんぱっていたのだろう。 朝比奈さんは少し寂しそうに1人で帰った。後姿はさらに寂しそうだった。 そして夜に携帯がなる。 「待ってたぞ、古泉。」 「おや、待っていてくれるとは光栄です。」 「今日の帰りの現象はなんだ?」 「おそらく、ですが僕の予想では涼宮さんと長門さんは『押し』と『引き』を決めているようです。」 「よくわからん。俺にわかるように話せ。」 「涼宮さんは、僕といることによってあなたに寂しさを覚えさせようと考えた。これは涼宮さんらしい、あなたが涼宮さんの事が好きという自信がないとできない行動ですね。」 「多少は理解した。長門は?」 「ですから『押す』という言葉の通りにあなたと出来る限り近くに居て…、いえ、というよりは長門さんは涼宮さんに『押し』と『引き』を提案されたときにあなたと一緒に居たかったから『押し』を選んだのでしょう。」 「よくわからんがわかったことにしておく。ところで俺は明日長門に誘われたんだがお前はハルヒといるってことか?」 「ご名答です。涼宮さんには『嫉妬させるようにうれしそうに伝えといて』と言われたのですが、その通りにするとあなたは暴走するか、嫉妬しないで僕たちを祝福してしますと考えたのでこのような伝え方をしました。」 「わかったよ。そういえばお前は俺とハルヒをくっつけたいんだったな。」 「その通りです。ですから暴走も祝福もしないでほしかったので説明したまでです。」 「まあムダに俺のためとか言われるよりもよっぽど信用はできるがな。」 「ありがとうございます。」 そうして夜は更けていく。 昨日早く寝たせいか、長門と約束した時間が早かったのか今日は早く目が覚めた。妹が起こしに来たときにはすでに外出できる準備が整っていた。 「キョンくんでかけるの? 連れてって~!」 そうだな、俺はお出かけだ。ふと妹も連れて行ったら長門も無茶しないんじゃないかとも考えた。が、長門だ。何をするかはわからん。 俺は妹が可愛いから心を鬼にして置いていくんだ、と心の中で言い、妹を無視して長門の家に向かった。 昨日長門に言われた通りに何も持たず自転車で向かう。見慣れた景色がやけに色あせて見える。 ハルヒと長門が全面戦争したらこのあたりは焼け野原になるんだろうな、何て妄想しながら周囲の景色を脳裏に焼き付ける。 あの2人の兵器が争わないためにはどうしたらいいんだろう。俺はどうしたいんだろう。俺はきっと現状維持したいんだな。 俺が望む現状維持に持っていくためにはどうしたらいいのか考えながら自転車をこぐとすぐに長門のマンションに着いた。 考えてる時間というのは、楽しい時間と同じくらいの速さで過ぎていく。 脳内会議での結論がでないまま長門の部屋にたどり着いてしまった。 「俺だ。」 「…。」 ガチャ。 「よう、待ったか?」 「いい。」 その後無言で通された俺はリビングのコタツに入った。 「あなたは早起きしたから今日は睡眠不足のはず。私の膝の上で寝るといい。」 長門よ、もしかしてそのために今日早い時間に指定したのか? 「俺は昨日早く寝たからそんなに眠くないんだ、すまんな。」 ふう、長門は頭がいいからどんなトラップをかけてくるかわからない。 ただ、俺がトラップにかかりハルヒに知られると修羅場になることは間違いなさそうだ。 「なら私が寝る。膝を貸して。」 ちょっと待て! と言いたいが、それくらいならイイだろうと思って貸してやる事にする。 「わかった。ゆっくり休んでくれ。」 長門が寝ている間にいろいろとゆっくり考えよう。 これからどうしようか。長門が起きたら図書館に連れて行くか。とりあえずそれで今日は何とかなるはずだ。 明日以降ハルヒにはどう接しよう。ハルヒにはいつも通りでいいか。何も気にしないでハルヒが小説の事を忘れるまで待とう。 ハルヒと長門がぶつからないために朝比奈さんを選んだらどうなるだろう。いや、共同戦線を張られたら人類が滅亡する恐れもある。 長門はもしかしたらこの状況を楽しんでるだけじゃあないのか? そんな事を考えていると長門にしては珍しく寝息を立て始めた。長門が寝ている所を見るのは初めてかもしれない。 考え事をしている時間は恐ろしいほど早くながれ、時間に余裕がある今は楽観的な事しか考え付かないものだ。 俺が考えていた今後の事はきっと実際は役には立たないだろう。 それにしても、寝ている長門も可愛いな。頭を撫でてやろう。起こさないようにな。 俺は長門を起こさないように最新の注意を払いながら頭を撫でた。 どれくらいの時間がたったのだろう。俺の脚は感覚が無くなるくらい限界を迎えていた。 長門を起こすのは忍びないので、俺は起こさないように慎重に近くの座布団の上に長門の頭を乗せた。 「ふぅ。」 ため息をついてから足を伸ばし、横になった。長門はスヤスヤ寝てるんだろうな、と思っていると俺も眠くなってきた。あれだけ寝たのにな。 寝ても長門の家だし、長門にはあまり迷惑をかけないだろう。それに長門自身寝てたし、俺ももう寝よう。おやすみ… 「おきなさい!!!」 誰だよ、眠いな。もう少し寝かせてくれ。 「起 き ろ !! バ カ キ ョ ン !!!」 え!?? ハルヒ?? また夢か? あれ、起き上がれない。仕方ないので目だけ開けて様子を伺う事にする。 そこには何故か俺に添い寝した長門、その上には怒り心頭に顔が真っ赤の鬼、ハルヒ。そういや奥の方で困った顔でにやけてる古泉がいたな。 「長門、起きろ。朝だぞ。」 「朝じゃないわよ! 夕方よ!!あんたたち昼間から何してたのよ!」 「もう夕方か。何してたんだっけな。長門、夕方だ。起きろ。」 長門はコタツの中でモゾモゾ動き、眠そうに言った。 「朝してたように、頭を撫でてくれたら起きる。」 しょうがないな。少しずつ頭が覚醒してきたのを感じ、長門の頭を撫でてやる。 「あんた達朝から何やってたのよ!」 「ちょっと待ってくれハルヒ。今起きたばかりなんだ。少し落ち着く時間をくれ。頭が覚醒してない。」 長門の頭を撫でながら古泉にお茶をいれてくれ、と頼んでお茶の到着を待った。 「ところでハルヒ、何でここにいるんだ?」 「有希と昨日、この時間に報告会をする約束したのよ!」 じゃあ何で古泉がいるんだ?とは聞かないし聞けない。 「そう。」 長門よ、起きたなら起き上がってくれ。もう手がしびれた。 「そう。」 お茶を入れた古泉がテーブルに並べると、ハルヒはコタツを挟んで俺の正面に座り、俺の右に古泉が着席した。 長門は今度は再び俺の膝の上に頭を乗せている。俺は無意識に頭を撫でている。 「朝比奈さんはどうしたんだ?」 古泉によると、声をかけてすらいないらしい。1人寂しくお留守番か。最近の朝比奈さんは影が薄いな。 「で、俺は何に答えればいいんだ?」 「だから、朝から、何していたのか、よ!」 そんなにどなんないでくれ、と言った後俺は今日の出来事を事細かに説明した。 長門は相変わらず膝の上に居て、しかも一言も発していない。 「あっそう。有希と2人でイチャイチャくっついてたんだ。」 「じゃあ一応聞いておくが、お前は古泉と2人で何をしてたんだ?」 古泉はそんな俺の言葉に満足したのか、安堵したようなニヤケ面をし始めた。 ハルヒは待ってましたとばかりに『フンっ』と鼻を鳴らし、 「あんたには関係ないでしょ? 気になるなら教えてあげてもいいけど?」 と言った。正直想定の範囲内なのであまり気にならなかったが古泉の嘆願するような顔に負けた。 「じゃあ気になるから言ってくれ」 そういうとハルヒは今日の出来事と思われる事を1人でずっと説明してた。古泉は苦笑い。 俺は長門の頭を撫でてハルヒの発言を右から左に流してた。頭を撫でるたびに見せる長門の表情が可愛い。 ハルヒの話が終わる頃には俺は長門の頬を軽く引っ張ったり撫でて遊んでいた。長門は嫌そうな顔をせず、というかほぼ無表情なのにどこと無く嬉しそうな顔でいた。 そして完全にハルヒが話を終えたときにようやく俺は口を開いた。 「そうか、そんな事があったのか。」 正直、まったく聞いてなかった。長門が可愛くて見とれていた。 「ちょっとキョン! 何で嫉妬とかしないの?」 「俺は普段どおりのSOS団が好きなんだ。みんながバカやって、仲良くやって、楽しくやっていきたいんだ。ハルヒと古泉が仲良くなってなんで嫉妬するんだ?」 ハルヒの怒りのボルテージが上がるのがわかる。 「ついでに言えば、俺は今は恋人を作る気はまったくない。恋人を作ってSOS団の楽しいひと時を壊したくないからな。 今回の騒動で朝比奈さんは今日は一人ぼっちで寂しい思いをしてるかも知れない。俺はSOS団のみんなで仲良く遊びたいんだ。」 「あなたの口からそんな言葉が出てくるとは思いませんでしたよ。前に涼宮さんに、SOS団なんか辞めて普通に恋人作れと言った人の発言とは思えません。」 古泉よ、お前はあくまでハルヒの味方なのか。 「ハルヒだって恋愛は一種の精神病と言ってたしな。人の考えは変わるのもだ。変な言い方かも知れないが、俺の恋人はSOS団だ。そして団員全員だ。」 そういって長門に起きるように促し、俺がいかにSOS団にいることが楽しく思っているかを熱弁した。 ハルヒは納得したようなさせられたような表情をして、古泉はニヤケたまま、長門は俺によりかかって幸せそうにしていた。 「わかったわ! 今回はおとなしく引き下がるわ! 明日からはたっぷりこき使ってあげるから覚悟しなさい!!」 ハルヒは笑顔でそういい、その代わりにSOS団に飽きたら付き合いなさいと言って来た。そこを俺は無視して 「じゃあ明日からは今まで通りに戻ってくれよ」と。 でも長門はハルヒの言葉に反応してとんでもないことを言った。 「あなたが彼と付き合うことを確約するのなら私は今夜彼を帰さない。」 やめてくれ、争いは。俺は確約はしない旨を必死で長門に説得し、また不機嫌に戻っているハルヒにSOS団将来的にはお前が恋人かもな、とごまかすとすぐに笑顔になってくれた。 ハルヒは結局満足して古泉を連れて帰っていった。 俺は長門の家に一泊した。長門は寝るまで膝に頭を乗せて本を読んでいた。起きたらまた抱きついていた。変なことは決してしていない。 ハルヒにはあんなことを言ったけど、膝枕してるときの長門の表情見たら長門以外考えられないんだろうな、なんて考えてた。 そうして考える時間に余裕ができた俺はハルヒが小説の事を忘れていることを祈り、俺に対して恋愛感情以外のものを抱いて欲しいと思いながらとりあえず長門といる今を満喫している。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2971.html
困った。 わたしにしては珍しく、そう思う。 時刻は午後五時、場所はわたしの部屋。 ここにいるのはわたしと古泉一樹。 稀な組み合わせ。 しかし彼は、 「うわー、広いー」 ――七歳児。 「何もなくて、寂しくないですか?」 彼は子供の様に無邪気に――実際にオツムも体も七歳児だけれど――言う。 「カチンと来て」思わず呟く。 「……余計なお世話」 困った。 もう一度思って、溜め息をもらす。 この状況下に置かれてから加速度的にエラーが増加している。 このままではいつ暴走するか分からない。 そうなる前に解決策を探さないといけない。けれど、 「ここ開けてもいい?」 和室の扉を指差して首を傾けて、尋ねる。 その「愛くるしい」様子に何とも言えないもの(これもエラー)を覚えた。 認めざるをえない。わたしはこの状況を『楽しんで』いる。 「有希ねえ」 と、何かに突き動かされるように言った。 「?」 古泉一樹(七歳児)が不思議そうにわたしの目を見つめる。 「『有希ねえ』と、そう呼んで」 作り物の体の奥からわき起こる『激情』に身を委ね言い切る。 「貴方はわたしより年下」 古泉一樹はやはり幼少時代から理知的だったのだろうか、 高校時代の雰囲気を見い出せる顔に理解の笑みを浮かべ、 「有希ねえ、ここ開けていい?」 ……もしかしたらわたしにはこういう属性があるのかもしれない、心拍数が増加する。 種類を問わずに本をあさって生まれた性癖だろうか。それとも思念体の趣味だろうか。 自分が変態か、親が変態か、ある意味において究極の二択。 しかし、出来れば後者であって欲しい。……「人」として。 そんな苦悩の海を泳ぐわたしに彼は、 「大丈夫? 顔が赤いよ」 顔と顔の距離、わずか十センチ。吐息のかかる距離。 「のーぷりょぶれむ」 噛んだ。盛大に噛んだ。慣れない事はするものではない。 格好つけて滑る事程格好がつかない物はない。 「大丈夫」 仕方なく言い直した。「恥ずかしさ」で体温が上昇する。 いけない。ビー・クール。ビー・クール、ユッキー。 うん。何かの制汗剤のようなフレーズ。 クールユッキー新発売。 ……落ち着こう。 その為にこの状況の原因を振り返るのは悪くないとわたしは信じる。 それは遡ること一時間五十分前。 ……… …… … わたしが本を読んでいると、機関の森を名乗る女性から電話がかかって来た。 けれど、適当に相槌と沈黙を挟んでやりすごす事にした。 普段からそんな感じ、慣れている 『突然のお電話すいません』 「……いい」 ハラリとページを捲る。 『実は古泉が行方不明なのですが』 ……なんだ、そんな事か。 古泉一樹が何時、何処で、誰に、『ナニ』をして、捕まろうがわたしには関係ない。 それより今は良いとこ。邪魔しないで。 なんと、主人公が意を決してポニテ萌えをヒロインに伝達しているクライマックスのシーン。 『知りませんか』と彼女は尋ねる。 「知らない」と答えつつページをめくる。 「……」 しかし、直後の挿絵のキスシーンにエラーを検出する。きっと何処かの二人に似ているからだろう。 わたしは思わず本を壁に投げた。 すると、本は壁を貫通し、穴を穿つ。いけない、慌てて壁を再構成する。 ……ついでに自白すれば、この本はいつもこのシーンで諦めてしまう。 きっと最後は無口な文芸部員の宇宙人と主人公が結ばれるはずだが、 この心掻き乱す挿絵のせいで確認がとれていない。損をした心持だ。 毎回毎回、壁に投げては穴を開けている。 今月はもう十回目だ。ちなみに最高記録は一日に五回。 あの「暴走」した冬の日だ。あの日はどうにも収まらなくて、結局世界を改変してしまった。 どうすれば良いのか。無口読書キャラとして読めない本があっては女が廃る。 わりと深刻に悩んでいたわたしは、森園生の抑えた「聞いてないですね」との問いに、 「そう」と条件反射的に答えてしまい、下唇を噛んだ。 この森園生、中々の策士である。喜緑江美里には劣るが。 『……』 「……」 ああ、宅配便でも来ないだろうか。この沈黙はわたしには重い。……普段は何ともないけど。 と、図ったようにインターフォンがなる。誰だか分からないけど、ぐっじょぶ。 「お客さん」 『はい?』 「しばらく待ってて」 『あ、ちょ――』 わたしはゆっくりゆっくり歩を進める。そして、 「……」 『長門、俺だ』 「はいって」 彼だった。声が裏返ってないといいけど。 心情的にはエクスクラメーション・マークを六個程付けたかったが、キャラ的に慎んだ。 「お客さんが来た。切る」 『……そうですか』 声に「もう頼んねーよ」な雰囲気が漂っていたので、遠慮なく切った。 バイバイ。森っち。 「お邪魔します」 「……?」 子供の声だ。不審に思いつつ玄関に向かった。そこでは彼が困ったように笑っていた。 「よう、長門」 その横に小学校一年生くらいの見覚えのある男の子がいる。 「実はこいつ、古泉だ」 全世界が停止したかに思われた。 少なくともわたしはコンマ一秒の間それに反応が出来なかった。 「いや、それ普通やーん」 「何か言ったか」 彼の問いに緩慢に首を横に振った。 ……まさか口に出ているとは。セルフ・ノリ・ツッコミは危険だ。 「……」 とりあえず誤魔化す為に彼の目をじっと覗いた。 それから古泉一樹らしい少年を見た。 「ああ、そうだったな……つまり」 それだけで通じるんだから素晴らしい。 でも出来れば最初に込めた「だいすき」な視線にも気付いて欲しかった。 「今日、話があるってんで古泉に呼び出されたんだが――」 本当は会話を省略するべきではないと思うけど、彼の言葉はわたしだけの物。 「――ってな訳だ」 それに話の要旨は「突然古泉一樹が縮んだ、どうしよう」だけ。 「そう」と、とりあえず言った。 言いつつ、頭の中ではこうなった原因を熟慮している。いや、考えるまでもない。 原因はアポトキ――げふんげふん。涼宮ハルヒに違いない。 「だよな……」 彼は物憂げに息を吐く。 「おそらく」 「何が不満なんだ、あいつは」 分からない。 ……どうせなら彼を小さくすれば良かったのに。 きっと一目見ただけで失神できるほどに可愛いだろう。 わたしなら即お持ち帰りする。 そして抱き枕の様に腕の中に収めて一晩を明かしたい。 「……おい、長門大丈夫か? 顔が赤いぞ」 「だいじょうぶ」 グイっと親指を立てて健康体アピール。でも、思うに……これは逆効果。 「ちょっとすまん」 案の定、戸惑った彼の手が額に触れる。あったかい。 「熱はないみたいだが……」 彼は顎に手を当て考え込む。 「今日はいったん古泉を連れて帰るよ。 機関の関係者に連絡がつけばそれが一番なんだがな」 そう言って立ち去ろうとする彼。対して古泉一樹(七歳児)はわたしの袖を掴み、 「僕かえりたくない」 ワガママを言わないで。 本当はわたしだって彼の袖を掴んで「今夜は……かえさない」としたい所を、ぐっと堪えているのに。 これだから子どもは……。 「おい、ワガママ言うんじゃない」と諭されると、 「僕、ださいからお兄ちゃん嫌い」 ……うわ。 「は、ははは……長門、すまん、帰るわ」 余程衝撃だったのか、わたしの返事も聞かず、古泉一樹を残し、出て行く彼。 玄関の戸が寂しい音をたててしまる。 取り合えず隣の残酷なまでに無邪気な少年に言っておいた。 「その生意気な口聞けなくすんぞ」と。 当然、今のはスペースジョーク。ほんとは…… 「古泉一樹」 「何?」 「その小生意気な口を聞けなくする」 「え、怖……あ、ちょ――」 … …… ……… そんな訳である。 大人に対する口のきき方を教えてからは、 わたしの知っている古泉一樹の口調に微量近付いたようだ。 「有希ねえ」 でも、破壊力抜群……。鼻血が。 「お腹が空いた」 その主張に、 「……カレーは好き?」 この少年、ほんの数瞬考えてから、「好きです」と答えた。 ふふん。まだ、甘いな。 真のカレー好きは訊かれるより先にカレー好きをアピールしなければいけない。 早弁はカレーパン。 弁当は当然カレー。 香水の替わりにカレー粉を体に吹き付け、 髪をカレー色に染め、 懐にガラムマサラを常備っ。 これぞ真のカレーラー……語呂が悪い。 では、カレラー? 外人みたいだ。でもカラーだと意味が違う。 よし、カレーフリーク略してカレフリ。……捕まりそう。取りあえず、 「夕飯はカレーにする」 「えー、でも今日は暑いで――」 わたしは彼の頭を撫でつつ目を覗き込んで言った。 「カレーは好き?」 「はい」 「夕飯はカレー、文句は」 「ないです」 よし、平和的に解決した。 これは喜緑江美里に教わったやり方。 しかし、彼女は笑んでるだけで話が進む。 残念ながらわたしはまだその域に達していない。 あ、でも、部費の調整会議の時は上手くいった。 「笑い」ながらじっと目を見る。それだけがポイント。 話が逸れた。 夕飯の準備をしよう。わたしは冷蔵庫からキャベツを一つ取り出した。 「僕キャベ――」 わたしは古泉一樹の頭を撫でつつ以下略。 キャベツを刻み終えると、今度はレトルトパックを取り出した。 「それ手ぬ――」 わたし以下略。 「出来上がり」 いつかの食卓がそこにはあった。 ふと考えればこの手料理(わたしは断固そう主張する)をもう三人に振る舞った事になる。 となると残った一人――涼宮ハルヒもこれを食べる日が来るのだろうか? ……。 ハバネロを買っておこう。 『いただきます』 わたしたちは手を合わせ同時に言った。 古泉一樹(七歳児)はそこら中に撒き散らかしながらカレーを頬張っている。 後で掃除をするよう「交渉」しよう。 「自主的」に古泉一樹が皿洗いをしてくれるので大助かりだ。 将来はきっと良い旦那さんになるだろう。 「疲れた」 乱暴に座布団に座る古泉一樹。 「有希ねえ人使い荒すぎます」 そんな事はない。わたしの知り合いにもっとすごい人がいる。 ところで、疲れた? 古泉一樹は首を深く前後させる。しょうがない、労ってあげよう。 「来て。……違う、そう」 身振り手振りでようやく意図した体制になる。いわゆる膝枕。 耳が赤くなってる彼の頭を撫でながら、いつかどこかで聞いた「子守唄」をくちずさむ。 すぐに小さな寝息をたて始めた。 その幸福の音につられるように、いつしかわたしも夢の世界へ誘われ……。 … …… ……… 「あの、長門さん」 ふと、腹部の辺りから聞き知った声がする。 「戻った」 「ええ、戻りました。それで……」 困ったような声が要求することをわたしは即座に実行した。 「どうも」 「いい」 体を起こした古泉一樹と向き合う。 ……さっきまでの自然な笑い顔の方が良いと思う。 「まあ、色々無理してますから」 「そう」 「それにしても幼児退向とは、涼宮さんも中々凄いことを考えましたね」 「原因は不明」 わたしが言うと、更に不自然な笑みを浮かべた。 「心当たりはありますよ」 ちょっと迷ってから、言う。 「聞かせて」 「実は先日涼宮さんから愚痴を聞かされたんです『彼』がノラリクラリとしてるのは、 僕みたいな『頼りになる』人が身近にいるからじゃないかとね」 なるほど。原因は理解した、でも。 「なぜ戻った」 「さあ、こればかりは神のみぞ知る、ですね。あるいは彼が男を見せたのかもしれませんが」 「そう」 それにしても残念だ。さっきまでの古泉一樹はだいぶ可愛げがあったのに。 「それで有希ね――」 言い間違えて彼は赤面した。わたしは手元にあった文庫本で口を覆った。 きっと今は口元が「にやりと」している。 「それで構わない」 くぐもった声が言う。 「いや、長門さんがそうでも僕のほうに問題が……」 「なら返事しない」 わたしはきっぱりと言った。 「へ? ……いや、あの長門さん」 無視。 「長門さーん、長門有希さん、長門ちゃん、長門っち、戦艦、ゆきっこ、ちょうもん、ゆきりん、ゆきゆき……」 余計な語句が混じっているから、わたしは彼を二、三発文庫ではたいた。 ……ともかく、わたしは気付いたのだ。 どうやらわたしは「そういう」趣味なのではなく、単に年上扱いされたかっただけなのだと。 朝倉涼子然り、喜緑江美里然り、涼宮ハルヒ然り……。 わたしの周りにはわたしより年上の様な人物ばかりいる。だから、少しは姉貴風を吹かしてみたい。 結局、古泉一樹が折れるまでにもう三十分要した。 「有希ねえ、……これでいいんですよね?」 「そう」 わたしは満足げにうなずいた。 終わってくれ。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5237.html
一 章 Illustration どこここ 我が社の社員旅行、じゃなくてSOS団夏の強化合宿から帰ってきてからやっと仕事のペースが戻った八月。ゲームと業務支援ソフトの開発とメンテで寝る間もない開発部の連中に気を使ってのことか、俺たち取締役も夏休み返上で出社していた。お盆はどこも営業してないんだからせめて三日くらいは休みをくれと上訴してみたのだが、「社員旅行楽しかったわよねぇ」ニヤリ笑いをしながらのたまう社長にむなしく却下された。俺は合宿でCEOの権利を得たはずなのだが、ハルヒの言う次期ってのが四半期のことを言っているのか営業年度を言っているのか分からず、結局はまだまだ先の話だ。 そういやこの会社に入ってまともな休みはなかった気がするが、それはハルヒが土日にやる突発的イベントのためで、そのほとんどは市内不思議探索パトロールなのだが、疲れ果てた体に鞭打ってまで駅前広場に集合させられるのは確実に俺の寿命を縮めてる気がする。なんでそんなに必死になって不思議を探しているのか、俺たちもう若くはないんだしスタッフの福祉も考えてくれよ。いや、まだ二十四歳の盛りだが。 俺は定時になると長門と退社し、途中でスーパーに寄って買い物などをしつつ長門の部屋でメシを食って帰るという習慣めいたものが定着していた。長門のレパートリーはかなり増えたが、たまに俺の手料理もお粗末ながら披露したりもしている。 食器を片付けて長門は本を開き、俺は静かにお茶をすすっているともう十一時を過ぎていて、いつものように時計を見ながら腰を上げた。 「そろそろ帰るわ。ごちそうさん、うまかった」 「……そう」 暖かく電球が灯る玄関で靴を履いていると長門が俺の携帯を持ってきてくれていた。分かってはいても、いつも忘れる。 俺は少しだけ長門の肩を抱いて髪の匂いをかいだ。サラサラした感触が鼻の先をかすめた。 「……泊まって。……」 長門がぼそりと言った。もっとなにか言いたげな、でも躊躇しているような、そんな表情だった。今日は泊まってと言った。いつもは泊まる?とか、ここで休む?なのだが、今日だけはなぜか違う。今日はなにか特別なことがあったろうか。 「いや、今日は帰るよ。また今度な」 「……」 そのときの長門の表情は、はるか昔のなにかを思い出させた。朝比奈さんと七夕の日にここへ押しかけてきたその帰り、高校一年の五月にここへ呼ばれてハルヒと情報統合思念体のことを教えられたその帰り、それから文芸部の入部届を白紙で突き返したとき。 実に、寂しそうだった。 「な、なあ。よかったらそこまで送ってくれないか」 「……分かった」 俺は確かに長門の部屋に泊まったことがない。夜中の十二時をまわっても、長門の部屋で二人きりで一夜を明かしたことはない。付き合ってそろそろ六年になるが、それくらい共有した時間のあるカップルなら互いの家に泊まったりはふつうよくあることだろう。エレベータの中でそれがなぜか考えたのだが言葉にならない。前にも似たようなシチュエーションはあった気がするのだが、いつだったか思い出せないでいる。 公園が見えてきたので俺は街灯の下の、いつものベンチに向かった。 「ちょっと、座らないか」 「……」 「あのさ長門。泊まりたいのはやまやまなんだが、」 本当は泊まりたいと言いたいのではなく泊まれない言い訳をしようとしていたのだが、長門はそれを遮った。 「……あなたがわたしの部屋に泊まらない理由は、知っている」 「そうなのか。そういう話をしたことあったかな」 「……あなたは覚えていない」 ああ、俺の記憶にはない俺たちの歴史があるんだな。 「そのとき俺はなんて言ってたんだ?」 「……母親にもらった装飾品の話をしていた」 「装飾品?ネックレスとか?」 「……例え話」 よく分からんが、以前にも同じ話題があったらしい。 「なあ、最近エラーはよくあるのか」 「……ここ数年安定している。でも許容範囲を超えてピークに達することもある」 「ピークってどんなときにだ?」 「……あなたの背中を見ているとき」 帰ろうとする俺を玄関で見送るとき、光陽園駅で別れるときのことだ。俺が帰った後の長門はどんなことを考えてなにをしているんだろう。独りぽつねんと食器を洗い、部屋をかたづけているのだろうか。青白い蛍光灯の下で茶をすすり、ごそごそと冷たい寝室に入る。眠るときはいつも猫を呼んで抱いて寝ているのを俺は知っている。 こいつは寂しいという言葉を使ったことがない。そのエラーはたぶん、そういう感情から生まれているんだと思う。俺は長門の肩を抱き寄せて手を握った。 「なあ、せっかく携帯があるんだからもっと会話に使おうぜ。同じ電話会社だからタダなんだし」 「……」 「別に用事がなくてもいい、声を聞きたいだけでもいいんだ」 「……分かった」 長門はポケットから携帯を取り出した。こいつとのメールのやりとりも待ち合わせやら仕事上の連絡事項がほとんどだ。もっとバカ話をしてもいいし、意味不明な宇宙論を話してくれてもいい。喧嘩はしたくないが、そういうのもあって悪いもんじゃない。離れていても会話を重ねていけば近くにいるような気になれるというか、物理的な距離をそうやって精神的な距離で縮めていく、というか。 「……もしもし、長門有希」 「もしもし。俺だ」 「……」 目の前にいる相手になにを話せばいいの、と、首をかしげて俺を見ている。 「じゃあ、俺そろそろ行くわ。また明日お前の顔を見たい」 「……分かった。おやすみ」 「待て待て、まだ切るな。こうやって話しながら少しずつ離れていけば、」 俺は街灯の光で柔らかく影を作っている長門の顔を見ながらあとずさった。 「まだそこにいるような気分になるだろ」 「……」 長門には分からないか、この名残という感覚。 『……体温が残っているのは分かる』 「ま、まあそれに近いもんだ」 俺は夜道を歩きながら、どうでもいいような話を続けた。バカップルがよく「今コンビニの前歩いてる~」とか「階段あがる~」などとやっているのを見かけるが、まさか自分が同じまねをするとは思いもしなかった。 「俺が帰った後はなにしてんだ?」 『……食器を片付けている』 「ほかには?」 『……ミミのエサを補充』 「それから?」 『……布団を敷いて寝る』 やっぱりそれだけか。 「じゃあ寝る前に電話をくれ。少し話をしてから二人で眠ろう」 『……分かった』 俺が飽きたり忘れたりしなければ続けられるはず。 『……着信が入った』 「電話か、じゃあ終わったらかけなおしてくれるか」 こんな夜中に電話なんて誰だろう。大学院の知り合いか、いやいやハルヒ以外には考えられない。 五分くらいして長門からかかってきた。 「おう、済んだか」 『……終わった』 「当ててやろうか、今のハルヒだろ」 『……そう』 「こんな夜中に何だって?」 『……とりとめもない、女同士の与太話』 長門が女同士の与太話って言ったか今。 「それ、ハルヒにそう言えって言われたのか」 『……そう』 「で、なんの話だったんだ?」 『……それは、内緒』 なんだか陰謀くさいものを感じるのは気のせいか。 「じゃあ、ハルヒには内緒でその内緒話を教えてくれ」 『……それは、契約に違反する』 哀しいことに最近の長門は簡単には騙されてくれない。 「すごく気になるんだよなあ。眠れなくなる」 『……あなたのこと』 「俺の噂してたのか」まあ女同士ってのはそういうもんだろう。 『……あなたをわたしの部屋に引き止められたかどうか』 な、なに。今日のあのなんともいえない寂しそうな表情はもしかしてハルヒの仕込みだったのか。 『……涼宮ハルヒとはたまにそういう話をする。あなたには言えないような、話』 「で、なんて答えたんだ」 『……玉砕した、と』 こりゃハルヒに一度、俺と長門の恋愛について釘をさしておく必要があるな。俺たちはふつうの男と女がやるような付き合い方はしないんだと言って聞かせないといかん。また長門にヘンなことを吹き込まれてはかなわんからな。 しかし俺のことがハルヒに筒抜けだったとは、弱みを握られてるも同然じゃないか。まあ長門もほかに相談する相手もいないだろうし、しょうがないといえばしょうがないことなんだが。 「いいか、あんまりハルヒの言うことを真に受けるなよ。あいつは俺たちをラブロマンス映画のキャストかなんかだと思ってんだからな」 『……それはそれで、楽しい』 いかん、完全に毒されてるな。 「それで、ほかにはなんて?」 『……涼宮ハルヒと古泉一樹の状況について』 キター!!ハルヒと古泉の生々しいスキャンダル。あいつらあれからどうなってるのか俺も知りたかったのだが、古泉が貝のように口を閉ざしてひと言も言わないんで気になっていたところだ。 「それは面白そうだ。俺にもぜひ聞かせてくれ」 『……だめ』 「教えてくれよ。きっと赤裸々な話が展開されているに違いない。あいつらいきなりやっ、ゲフンゲブンしちまうくらいだからな」 『……泊まったら、話す』 むぅ、巧妙な根回しに出やがったな。俺がうーむと唸っていると、 『……今のは、冗談』 長門、お前の冗談はいつもきわどいんだから、せめて予告くらいしてくれよ。 それからなんとかハルヒと古泉の私生活を聞き出そうとしたのだが、頑として教えてくれなかった。ということは俺たちのこともそれなりに秘密は守られているってことだよな。秘密ってのがあるのかどうか分からんが。 「家に着いた」 『……おつかれ』 「シャミが足にまとわりついてる。運動不足で丸々太った」 『……そう。耳の後ろをなでて』 俺は歳をとってそろそろ毛並みのツヤがなくなってきたシャミセンの、耳の後ろをかいてやった。 「おいシャミ、この電話の向こうにいるのは長門だ、分かるか」 猫相手になにやってんだろうね俺、と恥じ入っているとスピーカーから猫の鳴き声がしてきた。それって江戸屋猫八バリの声帯模写ですか。しかもサカってる猫の声だし。 「風呂に入るから、一旦切るわ」 『……分かった』 にしてもハルヒのやつ、味なまねをする。俺がこういう恋愛に慣れていなくて、たぶん長門も戸惑うことが多くて、誰に相談するともいかないようなボタンの掛け違いを、見かねたハルヒが間に入って俺たちを和ませているのだ。 俺と長門の付き合い方についてあいつが正面から意見することはない。俺が反発するのが分かっているからな。長門を焚きつけて妙な行動をとらせることはたまにあるが、あれがハルヒ流の恋愛なのだ。ジョンスミスをみすみす逃してしまい(シャレじゃないぞ)、十年も探した挙句がすぐそばにいたという灯台下暗し的運命の出会いが、ハルヒをそうさせているのかもしれない。あいつの奇矯ぶりは恋愛観にまで達してしまっている。中学生の頃は男をとっかえひっかえだったらしいしな。まあその要因を作ったのは俺なのだが。 俺が中学生のハルヒの恋愛観を作り、ひたすらジョンスミスだけを待ちつづける人生を過ごさせてしまったのだが、当の本人である俺が長門と付き合うきっかけを作ったのは、何の因果であろうハルヒ自身なのだ。 ぬるい湯船に浸かってまったりとそんなことを考えていると深夜零時を過ぎていた。俺は慌てて長門に電話をかけた。 『……ジュル。もしもし、こちら情報統合思念体主流派』 長門、寝ぼけてるんだよな。 みんなが寝静まった頃、足音を忍ばせてキッチンに入ると冷蔵庫に俺宛の手紙が貼り付けてあった。往復ハガキだった。高校のときのクラス会をやるので出席と欠席のどっちかに丸をつけて返信を出せということだった。 「同窓会って、今頃やんのか?」 まあ世間的には夏休みで、みんな働いていて忙しい身の上なら時間を作って会うには今時分が適当か。中央やらよその地方やらに出ていったやつも帰ってくることだし。 差出人を見ると阪中になっていた。あいつももういい歳だよなあ。って俺もだろ、などと独り突っ込み的感慨にふけっているとおかしなことに気がついた。阪中が俺にハガキをよこすはずがない。俺が改変した歴史だと五組にいたのは古泉で、俺は隣の六組にいたはずなのだ。もしかして学年合同でやるのかと裏書を読み返してみたが、ちゃんとクラス会と書いてあり頭の周りでクエスチョンマークが渦巻いた。 不思議に思って古泉の携帯にかけた。 「古泉、遅くにスマン。今いいか」 『少々お待ちを』 数秒して『どうぞ』と返ってきたのだが、後ろでハルヒの甘えた声らしきものが聞こえていたのは気のせいってことにしとこう。 「阪中から俺宛に同窓会の案内状が来てたんだが、」 『ええ、高校のときのクラス会ですね。僕のところにも来てますよ』 「改変した歴史の俺って一年六組の生徒だったよな。なんで俺に来てるんだろう」 『はて、なぜでしょう。あの後、朝比奈さんの組織がフォローにまわったと言ってましたよね』 ちょっと困ったことになった。つまり俺の改変した歴史と、改変前の俺自身の記憶と、それから朝比奈さん達がフォローした歴史が存在することになる。いったいどれが正しい歴史なのか、ちょっとどころか俺とクラスメイトの記憶が一致しなくて会話が成立しない事態になりかねん。 『僕も自分の歴史がどうなっているか気になるので、機関のデータベースを調べてから折り返しお電話します』 「すまんが頼む」 つまり当事者の俺も三パターンの歴史を覚えてないといけないってことだな。ややこしくて頭痛に襲われそうだ。あのとき朝比奈さんが怒髪天を突く勢いで怒った理由が今さらながらに身に染みて分かった。 五分後、携帯が鳴った。 『どうも古泉です。お待たせしました』 「どうだった」 『あなたの周辺はかなりカオスな状態になっていますね』 「カオスって具体的にどうなってるんだ」 『改変前は涼宮さんの周辺で起こった出来事のうち、大部分はあなた自身がトリガになっていまして、それを修復するために朝比奈さんたちが無理やりあなたを動かしているようです』 「お前が肩代わりできなかったのか」 『もちろん僕自身も駆り出されているようです。ですが、フォローするにもやはり限界があったのでしょう。たとえば涼宮さんと口論するイベントなどは、僕というキャラクタには無理ですからね』 ハルヒを怒らせる役回りは俺にしかできないってことか、なんだかこの問題はこの先もずっとついてまわりそうな悪い予感がするぞ。 『日誌には修復の痕跡が見え隠れしていまして、かなり苦労したようです。ある部分はどうしようもなくてツギハギ状態のようなありさまで』 「つまり俺の周りだけ歴史が茹ですぎたスパゲティ状態なのか」 『簡単に言えばそういうことです』 電話の向こうで古泉のニヤニヤが見えるようだ。 「それは今後朝比奈さんと相談しつつなんとかしよう。話は戻るが、俺は長門と同じ六組のはずだよな」 『記録によると、四人とも二年になってから五組になっていますね。涼宮さんとあなたが別のクラスだと発生しないイベントがあったのでしょうか』 イベントイベントってギャルゲのフラグっぽいんだが、全員が同じ部屋に押し込められたのか。なんだかもう、未来人もデタラメだなあ。 「俺に関する当時の資料をもらえないか。自分の記憶と一致させねばならん」 『あいにくとすべて機密扱いなので簡単には持ち出せないのですが』 「お前の力でなんとかならないか。歴史改変の事情は幹部も知ってるだろう」 『なんとか取り計らってみましょう。改変のおかげで機関内での僕の地位も上がってますし』 「昇進したのか」 『戻ってきたらシニアチーフになっていました』 チーフにシニアがついたのがどれくらいの待遇向上なのかは分からんが、きっとボーナスがいいんだろうね。 『それはいいとして、あの頃に収集された情報は相当な量になりますが』 「できれば概要だけ頼みたいんだが」 つまり俺が改変した歴史がどうなったかかいつまんで教えろ、と俺は言っているのだ。自分で言っててなんて勝手なやつだとは思うのだが。 『かしこまりました。明日の朝一までにそろえておきます』 いつもながら、古泉のこういう手配力には頭が下がる。また借りができたな。 「すまんな」 『いえいえ、これくらいお安い御用です』 次の日、職場で受け取った書類の量はまじにハンパではなかった。古泉は三百ページはありそうなA4用紙の束をドンと机の上に置いた。 「十一年前の七月七日から、あなたに関する情報を抜粋したものです。これでも全体の十パーセント程度に減らしてあります」 古泉はこれ見よがしに前髪をさらりと跳ね上げ、オレっちはこれが仕事じゃけんのうと鼻を鳴らしそうな勢いだった。まあ俺が頼んだことなんで、突っ込むわけにもいかん。腹立たしいことだ。 全ページにCONFIDENCIALと赤くスタンプが押してある。ページをめくると、まずこの資料をまとめた人間の俺に対する所感が書かれていた。モラトリアム、自主性に欠ける、行き当たりばったりで人生の目的が不明瞭などとかなり辛口だったが、俺が古泉に電話したのが昨日の零時くらいだから、きっと徹夜仕事でイライラだったんだろうなあと同情しそうなくらいに気持ちが文面に漏れていた。それから目次、続いて十一年前からの月次レポートと年次レポートで俺の行動が事細かに書かれていた。といっても概要だけらしいのだが、自叙伝でもここまで詳しくは書けないぞ。 「いかがですか、自分の観察記録を読んだご感想は」 「まだ読んでる途中だ。なんというか、俺が一冊の本になってるな」 機関の設立はあの七夕の日から数週間後らしい。まあハルヒに超能力を与えられて即日組織化されるってのも急すぎて人間技じゃないからな。七夕事件のことは機関の運営が軌道に乗ってから遡って調査したことらしい。つまり人づてに聞いたことをまとめたのか。 あんなこともあったこんなこともあったと、第三者視点の我が人生の記録をしみじみと読んでいる俺だった。他人の目にはこんなふうに映ってたんだななどと相槌を打ったり、かたや、あのときは違うんだよ俺のせいじゃないんだってばというようないい訳じみた独り言をブツブツと吐いていた。 俺の記憶とは部分的に違う二年五組の様子を読んでいるところで携帯がブルブルと震えた。知らない番号からだった。 「はい、もしもし」 『阪中だけど、キョンくん?』 かなりドキリとした。同級生に会うのにこれから丁寧にアリバイを用意しようと考えていた矢先に突然電話がかかってきちまったんだもんな。 「お、おう。阪中か。久しぶりだな」 『ほんとにお久しぶりなのね。ハガキ届いたかしら?』 「来た来た。たぶん出席できそうだ」 『そう、よかった。折り入ってお願いがあるのね』 「いいけど、なんだ?」まさか俺に司会をやれとか言うんじゃあるまいな。 『涼宮さんと同じ職場にいるって聞いたんだけど』 「そうだが。同じというかあいつが社長でな」 『そうそう、聞いてるわ。涼宮さんを同窓会に連れてきて欲しいのね』 「自分で頼めばいいだろう」 『それがね、毎年誘ってるんだけどいつも断られるのよ。同窓会が嫌いみたいなのね』 まあ、前進あるのみで過去にはこだわりたくないっていうハルヒの考え方は分からんでもないが。 「阪中が頼んでだめなら、俺が頼んでも無理だと思うが」 『そこをなんとかお願い。あなたなら涼宮さんを動かせるんじゃないかって』 またそれか。ハルヒのお守り役は古泉に譲ったはずなんだが、そのへんは修復で元に戻っちまったんだろうか。 「そういう話は古泉のほうがいいと思うぞ。なんせカレシだしな」 『頼んではみたんだけど、自分じゃ無理みたいだからキョンくんに頼んでくれって』 なんだあいつ、自分が説得できないからって俺に鉢をよこしたのかよ。 「しかしなあ、ハルヒが嫌がってるんだったらテコでもクレーンでも動かんと思うが」 『みんな涼宮さんの話を聞きたいのよ。あたし達の間で社長にまでなったのは涼宮さんだけなのね。出世頭っていうのかしら』 出世頭か、その言葉は俺にもグッと来た。高校大学と奇矯なまねばかりしていたハルヒだが、見るやつが見ればなにかでかいことをやるやつだという予感めいたものがあったに違いない。そこで二十四歳にしてこの社長椅子に座ってるとなりゃ、堅物の岡部でさえグッジョブを出すに決まってるさ。 「分かった。俺がなんとかする」 『ほんとう?ありがとう。じゃあ四人とも参加にしとくわね』 四人って?と問い返そうとしたのだが、じゃあよろしくね!と勢いよく切られてしまった。俺達全員が同じクラスってことは古泉と長門のことも頼んだってことなのか。やれやれ。 「なんであたしが高校のクラス会なんかに出なくちゃいけないのよ」 「無理に行けとは言わんが、お前の代わりに出席の返事をしちまったからなあ。お前が行かないと古泉も行かないだろうから、俺が会費を払わされることになる」 「あんたが勝手に返事をするのが悪いんでしょ。あたしの知ったこっちゃないわよ」 「毎年やってんだからたまには顔を出せよ。お前がいないとメンツが締まらない」 「あたしは同窓会と名のつく集まりは嫌いなの」 「なんでだ?昔遊んだよしみじゃないか」 「イヤよ。年取って小じわが現れたのをお互いに数えあうなんて。昔の顔と比べて使用前使用後みたいな集まりは」 同窓会は別に化粧品の実演販売じゃないんだが、うまいこと言うな。 「メンツの中で社長やってるのはお前だけなんだよな。なんつーか、みんな聞きたいわけだよ。お前のサクセスストーリーを」 「社長なんてその気になりゃ誰でもなれるわよ。とにかくあたしをネタにして酒を飲もうなんてお断りよ」 やっぱりというか思ったとおりの反応というか、幹事をやっている阪中に拝み倒されて事後承諾みたいにしてOKを出した俺がバカだった。今は反省している。 「まあそこまでイヤだっていうんならしょうがない。俺が自腹でお前達二人分の会費を払うしかないな。せっかく古泉をお披露目できるチャンスだったんだが……」 最後のはボソボソともったいつけて言った。 「お披露目ってなによ」 「知らないのか、八年も付き合いのある同級生を彼氏に持ってるってのは希少なんだよ。あいつらはそういう話をうらやましがるのさ。幼馴染みの彼氏に近いかもな」 「そ、そうかしら」 ハルヒがポッと顔を染めた。ふっ、釣れたな。だがまだ引き上げないぞ。 「いやいいんだ、気にするな。俺もあんまり同窓会って集まりは行きたくないしな。気持ちは分かる」 「あんたが払えないんだったら行ってあげてもいいわ」 「忙しいんだろ、無理すんな。会費くらいなんとか払える」 「いいの、あんたの寒い懐具合を凍らせたら有希がかわいそうだから」 「今月は余裕あるから大丈夫だ」 「あたしも行くつってんでしょうが!」 くっくっく。とうとう切れやがった。 とは言うものの、古泉はあまり乗り気ではないようで、仕事にかこつけて後から顔を出しますとごまかしていた。この古泉の記憶にはないクラスメイトの、しかも彼氏を見せびらかすだけの同窓会になんて喜んでついていくわけがない。 飽きもせず毎年やっているだけあって集まるメンバーにそんなに違いはないんだが、来るやつは毎年来るし来ないやつは招待のはがきを出そうが電話をかけようが絶対に来ない。よっぽど学生時代にいやな思い出でもあったんだろうか。かつての担任岡部は呼ばれればまめに顔を出しているようだが、今年は来ていないようだった。 「やあキョン、来てたんだね」 「キョンよお、お前あいかわらず涼宮とつるんでるんだって?」 国木田と谷口がコップを握ってにじり寄ってきた。なんで知ってるんだこいつ。こいつらの記憶と俺の記憶がどこまで一致しているか果たして疑問だが、適当に話を合わせておこう。 「あの頃のクラスメイトが集まって昔話に花が咲くといや、必ず一度は涼宮の話になるもんさ」 「あいつとは腐れ縁だしな。俺もそういう星の下に生まれたんだとそろそろ諦めの境地だ。俺だけじゃない、四人ともだ」 「キョン、涼宮さんと会社作ったんだって?」 「ああ。なにがしたいのかよく分からん会社だがな」 「いいよなあお前ら。俺も雇ってくんねえかな」 お前が宇宙人未来人超能力者のどれかに属するなら考えてやらんこともないが、それよりお前にハルヒのお守りが勤まるとは思えんので却下だ。 「長門有希とはまだ付き合ってるのか?」 谷口は、別れたならぜひ自分がカレシ候補にとでもいいたげな目をして、ヒシと俺に問いかける。 「ああ。ハルヒと一緒にいるはずだが」 俺は遠目に、いい歳になった女どもに囲まれているハルヒのほうを指差した。歳をとってハルヒも多少なり角が取れ、あの頃話もしなかったクラスメイトともちゃんと会話しているようだ。 谷口は目を細めて長門を探していた。 「おーおー、長門だ。ほかの女どもがすでに下り坂ってえのに、あいつはぜんぜん変わらんな」 なんだその黄色い道路標識みたいな下り坂ってのは。女子連に聞かれたら締め上げられるぞ。 「長門さん、きれいになったねえ」 「ほう、国木田には分かるのか」 「そりゃ分かるよ。女の人は恋をするときれいになるんだ」 意外に見る目あるんだなこいつは。国木田の左手薬指にはもう指輪がはまっていた。こいつは結婚が早かったと聞く。 「お前らあんまりジロジロ見るな。女は長門だけじゃないだろ」 「見たって減るもんじゃねえだろ。男なら誰だって六年経ったアレがどんな姿になってるか、気になるだろうがよ」 気持ちは分からんでもないがアレ呼ばわりはないだろ。 「にしても、まさかお前がトリプルAの長門有希と」 「Aマイナーじゃなかったのかよ」 「俺のランキングは市場連動型なんだよ」 「なんだそりゃ」 「朝倉みたいな清純派はあの時代にはハイクラスだったが、今は萌えだ、萌えの時代なんだ」 こいつもまたハルヒみたいなことを言い始めたぞ。 「なるほどな。お前あの頃は朝倉が好きだったもんな」 谷口がポッと顔を赤らめた。 ── 俺の記憶によればだが、高校三年のとき俺と長門が付き合いはじめたことが谷口の耳に入るのは朝のラッシュアワーをすっ飛ばして行く原付よりも早かった。こいつには一度長門と抱き合っているところを見られた経緯もあって、二人の仲はずっと疑われていたらしい。あのとき谷口は俺のネクタイをハルヒ張りにひっつかんで締め上げた。 「キョン、お前長門と付き合い始めたってほんとか!」 「く、苦しい離せ。ハルヒに告げ口したのはお前だろ。おかげでとんでもない目にあったぞ」 「キョンが人気のない教室で抱き合ったりするから噂が立つんじゃねえか」 「いやあれは抱き合ってたんじゃなくて長門が具合悪そうだったから支えてやってたわけでだな」 「この期に及んでそんな言い訳が通用するか、よっ」 ふざけているのかまじめなのか分からん谷口に腕卍固めを決められてマイッタを何度も叩いている俺だった。 「で、長門有希のどこに惚れたんだ?」 どこと申されましても、俺と長門の関係が曖昧すぎてハルヒが付き合うのか付き合わないのかはっきりしろと怒ってそれで強制的に団公認みたいな流れになっちまったんだが、なんてことを言ったら谷口は切れるだろうな。俺はただひと言、 「萌えた」 このセリフが予想以上に谷口にショックを与えたようで、やおら涙目になって、 「末永くお幸せにっ」 ごゆっくり、のときと同じシチュエーションでダダダッと駆け出して教室のドアをガラガラピシャっと閉めて出て行った。いったい何があったんだとシーンと静まり返った教室内に谷口の賭けていく足音だけが遠く遠く国境を越えてカナダにまで行ってしまいそうな勢いで聞こえていた。 今じゃなつかしい、恥ずかしい話だ。こいつの歴史と一致するのかどうかは知らんが。 「谷口は長門にも惚れてたのか」 「おうよ、キョンが長門と付き合いだしたって聞いてそりゃもう逆上もんだったしな」 どうやら一致してるらしい。 「お前らは知らないだろうけどな、俺あのときマジ泣きしたんだぜ」 いや、知ってたから。みんなの前で十分涙流してたから。ついでに言うと翌日から下級生を手当たり次第ナンパしてたのも知ってる。欲をかいて新卒の研修生にまで声をかけてひっぱたかれたのも知ってる。さらに近所の中学生に、 「分かった、分かったからもういいって」 「あははは、あのとき谷口が生徒指導室に呼ばれたのはそれでだったんだね」 「頼むから思い出させないでくれ。酔いが覚めちまう」 「お前は女のことになると見境がないからな」 「あれは俺なりの治療薬なんだよ。女で受けた傷は女で癒せ、って昔からいうだろ」 それは寝取られたときとかに使うセリフだ。お前が勝手に空回りして傷ついてるだけじゃないのか。 谷口がぼそりと言った。 「あーあ、朝倉に会いてえぜ。今ごろどうしてんだろな」 今からでもカナダに行っちまえよ、などというと本当に行ってしまいかねんやつなので言わなかったが。 二次会が終って三次会のカラオケに付き合い、ほろ酔いの頭でそろそろハルヒと長門を連れて帰らなきゃなと見回してみたがすでに姿はなかった。そういえば一次会の終わりごろ古泉がちょこっとだけ顔を出して一緒に帰っちまったな。やっぱりあの三人がクラスにふつうに溶け込むにはキャラが立ちすぎてたか。 その後の記憶は曖昧なのだが、ただ谷口が俺に向かって言ったことだけはかすかに覚えていた。 「キョン、ちゃんと呼べよ?」 谷口がなんのことを言っているのか、酔った頭で数秒考え、 「おい、何のことだ?」 もう一度谷口を見たがタクシーはすでに走り去っていた。 それからどうやって家に帰ったのか、一切記憶がない。 目が覚めたのはたぶん夜中だったと思う。俺のベットで隣に誰かが寝ていた。部屋は暗く、物音はなく静かだ。顔を横に向けてみると、見慣れた顔がそこにあった。長門がうつ伏せで眠っていた。肘を曲げ、口元に軽く握った手を置いていた。耳を澄ますとスゥスゥという寝息が小さく聞こえる。 ああ、俺は夢を見ているんだなと思った。昨日は飲みすぎたからな。こういう夢なら大歓迎だ。ハルヒと夜の校庭を走り回ったりするんでなければな。 俺は長門の顔をじっと見ていた。すやすやと、吐息に合わせて髪が揺れる。いい夢だ。 …………。おかしい。この夢、いっこうに覚める気配がない。不思議に思って右のほっぺたをつねってみたが現実に近い痛さだ。左のほっぺたをつねってやっと理解した。ベットだと思っていたのは実は敷き布団で、自分の部屋にしちゃ三十センチくらい天井が高いなと感じていたのは、実は長門の部屋の天井だったのだ。俺はガバと飛び起きた。 「な、なんで俺がここにいるんだ!?」 声は出さなかったが、心の中で叫んだ。 ええっと、昨日なにがあったんだっけ。確か同窓会でだいぶ飲みすぎて、あ、誰かに抱えられて歩いたな。記憶の中で、ふらふらと歩いている自分の映像のあちこちに長門の顔があった。自宅に戻るつもりがここに押しかけちまったのか。しかも酔っ払ったまま。しまった、長門に嫌なところを見せちまったな。まさか長門を襲ったりしてないだろうな俺。……記憶がぜんぜんない、冷や汗もんだ。 俺は布団から抜け出た。そこは和室だった。朝になって長門になんて説明しよう。音を立てないようにそっとトイレに行ってシンクで顔を洗った。顔がやたらベタついていた。ザブザブと洗ってふと顔を上げると、鏡の中の俺はひどい顔をしていた。髪はぼさぼさ、顔色は悪く目の下にクマができていた。 あれ、俺、長門のパジャマを着てる。と思ったがボタン穴が左で男用だった。そういや長門は同じのを着てたな、ということはおそろいのパジャマか。俺は想像した。酔ってヘロヘロになった俺が長門の部屋のドアをガンガンと叩いて起こす。長門はしょうがなく俺を中に引き入れて水を飲ませる。俺はそのまま倒れこんで眠ってしまい、長門がパジャマに着替えさせる。頭を抱えたくなるようなシーンだった。 それにしても……前にも見た気がするがいつ買ったんだこのパジャマ。俺はハッとした。長門がこれと同じ緑色のパジャマを着ているのを最初に見たのはいつだっただろうか。昔、あいつが熱かなんかで寝込んだときだったような気がする。ありゃまだ俺たちが高校二年くらいのときだ。あのときすでにこのパジャマがここにあったんだとすれば、長門は俺が泊まることを予測していたわけだ。 俺は鏡の前に立ててあった新品の歯ブラシを取った。硬めのブラシしか使わない俺用だった。コップとその横に二日酔いの薬が置いてある。 「長門……」 はみがき粉も俺が自宅で使っているのと同じやつだった。 歯ブラシをくわえ、口を泡だらけにしてこっちを見ている男が鏡に映っていた。そいつが言った。 ── ここが、お前の帰る場所なんだよ。 その意味はなんだ?俺はがしがしと歯を磨きながら複雑な表情をした。男がまた言った。 ── もう、自分の居場所を決めてもいい頃だろ? 「黙ってろ」俺はタオルで鏡をはたいた。電気を消すと鏡の中の男がニヤリと笑った、ような気がした。 暗いリビングに戻ると、俺のスーツとシャツがきちんとハンガーにかけてあった。テーブルの上に乗っていた携帯を開くと午前二時半だった。メールも着信もない。ふと、発信履歴を見てみると夜中の一時ごろに長門にかけている。うわ、まったく覚えてないぞ。なに話したんだ俺。長門を怒らせるようなことを言ったんじゃあるまいな。情報連結解除されたらどうしよう、このまま逃げ出して自宅に帰ろうかなどと古泉と同じ穴の二の舞をやっているような気分になった。 和室をのぞくと俺が抜け出したままの布団に長門が眠っていた。俺は足音を立てないようにそろそろと布団に近づいた。 カーテンのない窓から、月の光が差し込んで長門の顔を柔らかく照らしていた。シンと静まり返った部屋の中で、長門の吐息だけが小さく波を打っていた。 俺は長門の隣で横になってその寝顔を見ていた。布団の上に青白く冷たい光が長門の顔の形に影を作っている。寝顔を間近で見るのはあまりなかったと思うが、覚えている限りではたぶん二度目くらいだろう。じっと見つめていると、スヤスヤと寝息を立てる長門の半開きになった柔らかそうな唇に引き寄せられそうになったが、起こしてはまずいと思い自分を抑えた。 こいつに会ってそろそろ八年だな。もっとも、長門からすると十一年くらいか。いや、終わらない夏休みとかタイムトラベルとか歴史のループを合わせるといったいどれくらいになるのか見当もつかん。なんて感慨にふけっている俺だが、この数年間は実にあっという間だった気がする。会ってからずっと、俺も長門もハルヒという台風の目に振り回されっぱなしだった。困ったときはいつでもこいつを頼った俺だった。こいつのために俺がなにかしてやったことがあったっけ。思い出せない。せめてそばにいてやることくらいはしてやりたい。そう、ここ、長門の隣。ここがたぶん俺の……。鏡のあいつ、なんて言ったっけ。 そんなことを考えているうちにまた眠りに落ちた。長門のかわいい寝顔がいつまでも目蓋の裏に焼きついていた。今度はいい夢を見れそうだった。 二章へ
https://w.atwiki.jp/hiroki2008/pages/66.html
同窓会の部分の元テキスト 誤算の歴史改変の詳細が決まる前に書かれた部分 歴史が一致しないので要修正となった 「なんであたしが高校のクラス会なんかに出なくちゃいけないのよ」 「いや別に行かなくてもいいんだが、お前の代わりに出席の返事をしちまったからなあ。お前が行かないと俺が二人分の会費を払わされる」 「あんたが勝手に返事をするのが悪いんでしょ。あたしの知ったこっちゃないわよ」 「毎年やってんだからたまには顔を出せよ。お前がいないとメンツが締まらない」 「あたしは同窓会と名のつく集まりは嫌いなの」 「なんでだ?昔遊んだよしみじゃないか」 「イヤよ。年取って小じわが現れたのをお互いに数えあうなんて。昔の顔と比べて使用前使用後みたいな集まりは」 同窓会は別に化粧品の広告じゃないんだが、うまいこと言うな。 「メンツの中で社長やってるのはお前だけなんだよな。なんつーか、みんな聞きたいわけだよ。お前のサクセスストーリーを」 「社長なんてその気になりゃ誰でもなれるわよ」 というかこれは幹事をやっている阪中の折り入っての頼みだったわけだが。拝み倒されて事後承諾みたいにして出席に丸を入れた俺がバカだった。今は反省している。 「まあそこまでイヤだっていうんならしょうがない。俺が自腹で二人分の会費を払うしかないな。せっかく古泉をお披露目できるチャンスだったんだが……」 最後のはボソボソともったいつけて言った。 「お披露目ってなによ」 「知らないのか、八年も付き合いのある同級生を彼氏に持ってるってのは希少なんだよ。あいつらはそういう話をうらやましがるのさ。幼馴染みの彼氏に近いかもな」 「そ、そうかしら」 ハルヒがポッと顔を染めた。ふっ、釣れたな。だがまだ引き上げないぞ。 「いやいいんだ、気にするな。俺もあんまり同窓会って集まりは行きたくないしな。気持ちは分かる」 「あんたが払えないんだったら行ってもいいわ」 「忙しいんだろ、無理すんな。会費くらいなんとか払える」 「いいの、あんたの寒い懐具合を凍らせたら有希がかわいそうだから」 「今月は余裕あるから大丈夫だ」 「あたしも行くつってんでしょうが!」 くっくっく。とうとう切れやがった。 とは言うものの、古泉はあまり乗り気ではないようで、仕事にかこつけて後から顔を出しますとごまかしていた。同じクラスならまだしも、彼氏を見せびらかすだけの集会なんてふつうの男なら喜んでついていくわけがない。 飽きもせず毎年やっているだけあって集まるメンバーにそんなに違いはないんだが、来るやつは毎年来るし来ないやつはハルヒみたいに招待のはがきを出そうが電話をかけようが絶対に来ない。よっぽど学生時代にいやな思い出があったんだろうか。かつての担任岡部はオリンピックじゃあるまいに四年に一度顔を出しているようだが、今年は来ていないようだ。 「やあキョン、来てたんだね」 「キョンよお、お前相変わらず涼宮とつるんでるんだって?」 国木田と谷口がコップを握ってにじり寄ってきた。なんで知ってるんだこいつ。 「あんときのクラスメイトが集まって昔話に花が咲くといや、必ず一度は涼宮の話になるもんさ」 「あいつとは腐れ縁だしな。俺もそういう星の下に生まれたんだとそろそろ諦めの境地だ。俺だけじゃない、四人ともだ」 「涼宮さんと会社作ったんだって?」 「ああ。なにがしたいのかよく分からん会社だがな」 「いいよなあお前ら。俺も雇ってくんねえかな」 お前が宇宙人未来人超能力者のどれかに属するなら考えてやらんこともないが。それよりお前にハルヒのお守りが勤まるとは思えん。 「長門有希とはまだ付き合ってるのか?」 谷口は、別れたならぜひ自分がとでもいいたげな目をして、ヒシと俺に問い掛ける。 「ああ。来るとき途中までいっしょだった」 「な、なんで連れてこなかったんだバカ」 「あ、僕も会いたかったなあ長門さん」 「あいつは隣のクラスだったし、長門も俺のおまけみたいにして着いてくるのは居心地が悪いだろうと思ってな」 「男なら誰だって七年経ったアレがどうなってるか興味あるだろうがよ」 気持ちは分からんでもないがアレ呼ばわりはねえだろ。 「にしても、まさかお前がトリプルAの長門有希となぁ」 「Aマイナーじゃなかったのかよ」 「俺のランキングは市場連動型なんだよ」 「なんだそりゃ」 「朝倉みたいな清純派はあの時代にはハイクラスだったが、今は萌えの時代なんだよ」 こいつもまたハルヒみたいなことを言い始めたぞ。 「なるほどな。お前朝倉が好きだったもんな」 谷口がポッと顔を赤らめた。 ── 高校三年のとき、俺と長門が付き合いはじめたことが谷口の耳に入るのは朝のラッシュアワーをすっ飛ばして行く原付よりも早かった。こいつには一度長門と抱き合っているところを見られた経緯もあって、二人の仲はずっと疑われていたらしい。 あのとき谷口は俺のネクタイをハルヒ張りにひっつかんで締め上げた。 「キョン、お前長門と付き合い始めたってほんとか」 「ハ、ハルヒに告げ口したのはお前だろ。おかげでとんでもない目にあったぞ」 「キョンが人気のない教室で抱き合ったりするから噂が立つんじゃねえか」 「いやあれは抱き合ってたんじゃなくて長門が具合悪そうだったから支えてやってたわけでだな」 「この期に及んでそんな言い訳が通用するか、よっ」 ふざけているのかまじめなのか分からん谷口に腕卍固めを決められてマイッタを何度も叩いている俺だった。 「で、長門有希のどこに惚れたんだ?」 どこと申されましても。俺と長門の関係が曖昧すぎてハルヒが付き合うのか付き合わないのかはっきりしろと怒ってそれで強制的に団公認みたいな流れになっちまったんだが、なんてことを言ったら谷口は切れるだろうな。俺はただひと言、 「萌えた」 このセリフが予想以上に谷口にショックを与えたようで、やおら涙目になって、 「末永くお幸せにっ」 ごゆっくり、のときと同じシチュエーションでダダダッと駆け出して教室のドアをガラガラピシャっと閉めて出て行った。いったい何があったんだとシーンと静まり返った教室内に谷口の賭けていく足音だけが遠く聞こえていた。 今じゃなつかしい、恥ずかしい話だ。 「お前らは知らないだろうけどな、俺あのときマジ泣きしたんだぜ」 いや、知ってたから。みんなの前で十分涙流してたから。ついでに言うと翌日から下級生に手当たり次第ナンパしてたのも知ってる。欲をかいて新卒の研修生にまで声をかけてひっぱたかれたのも知ってる。さらに近所の中学生に、 「分かった、分かったからもういいって」 「あははは、あのとき谷口が生徒指導室に呼ばれたのはそれでなんだ?」 「頼むから思い出させないでくれ。酔いが覚めちまう」 「谷口は見境がないからな」 「あれは俺なりの治療薬なんだよ。女で受けた傷は女で癒せ、って昔からいうだろ」 「それは寝取られたときとかに使うセリフだ。お前が勝手に傷ついてるだけじゃないのか」 谷口がぼそりと言った。 「あーあ、朝倉に会いてえぜ。今ごろどうしてんだろな」 今からでもカナダに行っちまえよ、などというと本当に行ってしまいかねんやつなので言わなかったが。 二次会が終って三次会のカラオケに付き合い、そろそろハルヒを連れて帰らなきゃなと見回してみたがすでに姿はなかった。そういえば一次会の終わりごろ古泉がちょこっとだけ顔を出して一緒に帰っちまったな。その後の記憶は曖昧なのだが、ただ谷口が俺に向かって言ったことだけはかすかに覚えていた。 「キョン、ちゃんと呼べよ?」 谷口がなんのことを言っているのか、酔った頭で数秒考え、 「おい、何のことだ?」 もう一度谷口を見たがタクシーはすでに走り去っていた。 同窓会の部分の修正版 ハルヒと古泉だけが出て長門は出席しなかったパターン どちらでも繋がるように書いてあるが谷口のセリフが変わる 「なんであたしが高校のクラス会なんかに出なくちゃいけないのよ」 「いや別に行かなくてもいいんだが、お前の代わりに出席の返事をしちまったからなあ。お前が行かないと古泉も行かないだろうから、俺が会費を払わされることになる」 「あんたが勝手に返事をするのが悪いんでしょ。あたしの知ったこっちゃないわよ」 「毎年やってんだからたまには顔を出せよ。お前がいないとメンツが締まらない」 「あたしは同窓会と名のつく集まりは嫌いなの」 「なんでだ?昔遊んだよしみじゃないか」 「イヤよ。年取って小じわが現れたのをお互いに数えあうなんて。昔の顔と比べて使用前使用後みたいな集まりは」 同窓会は別に化粧品の広告じゃないんだが、うまいこと言うな。 「メンツの中で社長やってるのはお前だけなんだよな。なんつーか、みんな聞きたいわけだよ。お前のサクセスストーリーを」 「社長なんてその気になりゃ誰でもなれるわよ」 というかこれは幹事をやっている阪中の折り入っての頼みだったわけだが。拝み倒されて事後承諾みたいにして出席に丸を入れた俺がバカだった。今は反省している。 「まあそこまでイヤだっていうんならしょうがない。俺が自腹で会費を払うしかないな。せっかく古泉をお披露目できるチャンスだったんだが……」 最後のはボソボソともったいつけて言った。 「お披露目ってなによ」 「知らないのか、八年も付き合いのある同級生を彼氏に持ってるってのは希少なんだよ。あいつらはそういう話をうらやましがるのさ。幼馴染みの彼氏に近いかもな」 「そ、そうなの?」 「そうさ。あいつらの話題はだな、お前がいかにして王子様のハートを射止めたか。それが最重要テーマだ」 「知らなかったわ」 ハルヒが頬に手を当ててポッと顔を染めた。ふっ、釣れたな。だがまだ引き上げないぞ。 「いやいいんだ、気にするな。俺もあんまり同窓会って雰囲気は好きじゃないしな。気持ちは分かる」 「あんたが払えないんだったら行ってあげてもいいわ」 「忙しいんだろ、無理すんな。会費くらいなんとか払える」 「いいの、あんたの寒い懐具合を凍らせたら有希がかわいそうだから」 「今月は余裕あるから大丈夫だ」 「あたしも行くつってんでしょうが!」 くっくっく。とうとう切れやがった。 「古泉、お前も行くよな」 「えっ、困りましたね。僕はそのような過去を継続するような付き合いは苦手でして」 お前が阪中をたらい回しにして俺に頼めとよこしたんだからな、お守り役のお前も来るのが筋ってもんだろ。 「年に一度だろう、たまには顔を出せよ。どうせ休みで暇だろ」 「その日は別件でミーティングがあるんですが、それが終わったら顔を出しますよ」 機関の仕事にかこつけてごまかしているようだが、この古泉の記憶にはないクラスメイトの、しかも彼氏を見せびらかすだけの同窓会になんて喜んで行くわけがないよな。 あとは長門だが、確か出張とか言ってた気がするな。 「長門は物理学会だっけ?」 「……ちょうどその日に帰ってくる」 「そうか。帰ってきて当日は疲れてるだろうから休んでいいぞ。俺から欠席を伝えておくよ」 「……分かった」 まあみんなの変わりようは写真でも見れば分かるだろう。長門はクラスメイトとはあまり付き合いもなかったようだし、それよりなにより、男どもに長門を品定めされるのは気に入らん。 それから長門を空港まで送り、一週間が経った。長門のいない職場はそれほど珍しいってわけでもなく、大学院のほうが忙しくなると休むこともたまにはある。それでもなにごとかあると長門の机のほうを振り向いて呼びかけようとして、ああ今日はいなかったんだと思い出して少し寂しい気持ちになる俺だった。黙っていても存在感が強いから、そこにいないことになかなか慣れない。それが長門だった。そんな俺をハルヒがニヤニヤしながら見て、古泉も「長門さんがいなくて寂しいですね」とニコっと笑うのだが実に癪に障る。 俺とハルヒは電車に乗って上りの始発駅まで行った。帰りはどうせタクシーだろうから車では行かなかった。古泉がいっしょに来ないのでハルヒは機嫌が悪い。こんな日曜に無言のハルヒを連れて電車に乗るのは息が詰まりそうだ。 「たしかこの辺なんだが」 「まさか迷子になったんじゃないでしょうねキョン」 久しぶりに中央の駅前をうろうろして会場を見つけ出すのに苦労した。会場はホテルのミニ会議室のようだった。フロントに県立北高三年五組クラス会ご一行様と札が立ててある。俺は二人の名前を言って部屋の場所を教えてもらった。ドアを開けると壁に仰々しい横断幕が飾ってあり、披露宴とクリスマスが同時に来ても勝てそうな雰囲気だった。会場の手配は阪中がやったんだろうな。まあ欲を言えば地味に割烹とか料亭のお座敷のほうがよかったが。 俺が出席するのは確か三年ぶりだ。卒業して何度かは出たもののだんだんと飽きてきて返事のハガキすら出さなくなってしまった。阪中をはじめとするクラスの女子グループが飽きもせず毎年やっているだけで、集まるメンバーにそんなに違いはないんだが、来るやつは毎年来るし来ないやつは招待のはがきを出そうが電話をかけようが絶対に来ない。よっぽど学生時代にいやな思い出があったんだろうか。かつての担任岡部は律儀にも毎回顔を出しているようだが、今年は忙しいとあって来ていないようだ。 幹事の挨拶で乾杯をし、ビールを飲みながらたまに思い出したように近況報告のマイクが回ってくる。ビデオカメラを持ったやつがマイクを追いかけて撮ってまわってるんだが、これもなんだかマンネリ化だな。 「やあキョン、来てたんだね」 「キョンよお、お前相変わらず涼宮とつるんでるんだって?」 国木田と谷口がコップを握ってにじり寄ってきた。こいつらの記憶と俺の記憶がどこまで一致しているか果たして疑問だが、適当に話を合わせておこう。 「なんで知ってんだ」 「あんときのクラスメイトが集まって昔話に花が咲くといや、必ず一度は涼宮の話になるもんさ」 「あいつとは腐れ縁だしな。俺もそういう星の下に生まれたんだとそろそろ諦めの境地だ。俺だけじゃない、四人ともだ」 「キョン、涼宮さんと会社作ったんだって?」 「ああ。なにがしたいのかよく分からん会社だがな」 「いいよなあお前ら。俺も雇ってくんねえかな」 お前が宇宙人未来人超能力者のどれかに属するなら考えてやらんこともないが。それよりお前にハルヒのお守りが勤まるとは思えん。 「長門有希とはまだ付き合ってるのか?」 谷口は、別れたならぜひ自分がとでもいいたげな目をしてヒシと俺に問い掛ける。 「ああ。今日は家にいるはずだ」 「な、なんで連れてこなかったんだバカ」 「あいつは会社と大学院をかけもちでやってんだよ。今日まで物理学会とやらがあってな、疲れてるだろうから連れてこなかったんだ」 「僕も会いたかったなあ長門さん」 「お前らが長門に会いたがるとは意外だな。クラスにはほかにも女はいるだろうに」 「男なら誰だって七年経ったアレがどんな姿になってるか興味あるだろうがよ」 気持ちは分からんでもないがアレ呼ばわりはねえだろ。 「にしても、まさかお前がトリプルAの長門有希となぁ」 「Aマイナーじゃなかったのかよ」 「俺のランキングは市場連動型なんだよ」 「なんだそりゃ」 「朝倉みたいな清純派はあの時代にはハイクラスだったが、今は萌えの時代なんだよ」 こいつもまたハルヒみたいなことを言い始めたぞ。 「お前朝倉が好きだったもんなあ」 谷口がポッと顔を赤らめた。 ── 俺の記憶によればだが、高校三年のとき俺と長門が付き合いはじめたことが谷口の耳に入るのは朝のラッシュアワーをすっ飛ばして行く原付よりも早かった。こいつには一度長門と抱き合っているところを見られた経緯もあって、二人の仲はずっと疑われていたらしい。あのとき谷口は俺のネクタイをハルヒ張りにひっつかんで締め上げた。 「キョン、お前長門と付き合い始めたってほんとか」 「は、離せ谷口。ハルヒに告げ口したのはお前だろ。おかげでとんでもない目にあったぞ」 「お前が人気のない教室で抱き合ったりするから噂が立つんじゃねえか」 「いやあれは抱き合ってたんじゃなくて長門が具合悪そうだったから支えてやってたわけでだな」 「この期に及んでそんな言い訳が通用するか、よっ」 ふざけているのかまじめなのか分からん谷口に腕卍固めを決められてマイッタマイッタと何度も叩いている俺だった。 「で、長門有希のどこに惚れたんだ?」 どこと申されましても。俺と長門の関係が曖昧すぎてハルヒが付き合うのか付き合わないのかはっきりしろと怒ってそれで強制的に団公認みたいな流れになっちまったんだが、なんてことを言ったら谷口は切れるだろうな。俺はただひと言、 「萌えた」 このセリフが予想以上に谷口にショックを与えたようで、やおら涙目になって、 「末永くお幸せにっ」 ごゆっくり、のときと同じシチュエーションでダダダッと駆け出して教室のドアをガラガラピシャっと閉めて出て行った。いったい何があったんだとシーンと静まり返った教室内に谷口の賭けていく足音だけが遠く遠くカナダにまで行ってしまいそうな勢いで聞こえていた。 今じゃなつかしい、恥ずかしい話だ。こいつの歴史と一致するのかどうかは知らんが。 「谷口は長門にも惚れてたのか」 「おうよ、キョンが長門と付き合いだしたって聞いてそりゃもう逆上もんだったしな」 どうやら一致してるらしい。 「お前らは知らないだろうけどな、俺あのときマジ泣きしたんだぜ」 いや、知ってたから。みんなの前で十分涙流してたから。ついでに言うと翌日から下級生に手当たり次第ナンパしてたのも知ってる。欲をかいて新卒の研修生にまで声をかけてひっぱたかれたのも知ってる。さらに向かいの中学校の生徒に、 「分かった、分かったからもういいって」 「あははは、あのとき谷口が生徒指導室に呼ばれたのはそれでなんだ?」 「頼むから思い出させないでくれ。酔いが覚めちまう」 「谷口は女のことになると見境がないからな」 「あれは俺なりの治療薬なんだよ。女で受けた傷は女で癒せ、って昔からいうだろ」 「それは寝取られたときとかに使うセリフだ。お前が勝手に傷ついてるだけじゃないのか」 谷口が遠目をしながらぼそりと言った。 「あーあ、朝倉に会いてえぜ。今ごろどうしてんだろな」 今からでもカナダに行っちまえよ、などというと本当に行ってしまいかねんやつなので言わなかったが。 近くの酒場での二次会が終って三次会のカラオケに付き合い、そろそろハルヒを連れて帰らなきゃなと見回してみたがすでに姿はなかった。そういえば一次会の終わりごろ古泉がちょこっとだけ顔を出して一緒に帰っちまったな。車で来てたんで俺も一緒に帰ればよかった。 その後の記憶は曖昧なのだが、ただ谷口が俺に向かって言ったことだけはかすかに覚えていた。 「キョン、ちゃんと呼べよ?」 谷口がなんのことを言っているのか、酔った頭で数秒考え、 「おい、何のことだ?」 もう一度谷口を見たがタクシーはすでに走り去っていた。