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登録日:2019/09/09 Mon 19 04 41 更新日:2019/09/09 Mon 20 30 38 タグ一覧 まとめ 奈良維新の会 規則 本稿では、地方支部である奈良維新の会の規約を置く。 日本維新の会奈良県総支部 党紀規則第1章 目的 第2章 党員の倫理の確保 第3章 倫理の確保に関する手続 第4章 党紀委員会の運営 附則 <参考資料>一 政治倫理に反する行為 二 党の名誉を傷つける行為 三 本党規約及び党の諸規程に違反する行為 出典 関連項目 日本維新の会奈良県総支部 党紀規則 平成29年8月10日制定 平成30年5月7日改正 第1章 目的 (目的) 第1条 本規則は、日本維新の会党紀規則(以下「党党紀規則」という。)第9条第3項に基づき、党員の党紀の遵守及び権利擁護等並びに本支部規約第19条に規定する党紀委員会の組織及び運営等に関して必要な事項について定める。 第2章 党員の倫理の確保 (倫理規範) 第2条 本党の党員が遵守すべき日本維新の会党規約第25条に規定する倫理規範に反する行為は次のとおりとする。 一 政治倫理に反する行為 次の各号に掲げる行為につき政治不信を招く公私混淆、公益の侵害、品位の毀損等を生じ、政治的道義的責任が生じた場合 イ 政治活動及び選挙運動に係る行為 ロ 刑事事犯に関与する行為 ハ 個別企業・団体の利益の擁護により公共の利益を損なう行為又はこれらのものから不当に便宜供与を受ける行為 ニ 著しく社会的非難を受ける行為 ホ その他役員会が政治倫理に反するものと認めた行為 二 党の名誉を傷つける行為 イ 汚職、選挙違反、政治資金規正法令違反等の刑事事犯等 ロ 暴力行為 ハ その他役員会が党の名誉を傷つけるものと認めた行為 三 本党規約及び党の諸規程に違反する行為 イ 本党の諸規定に違反する行為 ロ 党大会等の決定事項に違背する等、本党の方針に反する行為 ハ その他役員会が本支部の規律を乱すものと認めた行為 (処分) 第3条 役員会は、党員が第2条に規定する倫理規範に反する行為を行ったと判断した場合は、次の各号に掲げる処分を行う。 一 本支部幹事長(以下「幹事長」という。)名による注意 二 役員会名による厳重注意 三 本党の役職の一定期間の停止又は解任 四 公職の辞任勧告 五 選挙における非公認又は非推薦 六 党員資格の停止 七 離党の勧告 八 除名 2 役員会は、前項の処分を重ねて行うことができる。 第3章 倫理の確保に関する手続 (役員会の手続) 第4条 幹事長は、党党紀規則第9条第2項に規定する当支部所管の党員が倫理規範に反する行為を行ったと思われるとき又は第6条に基づく処分の請求があったときは、速やかに調査を行い、必要な処分について役員会に諮るものとする。 2 幹事長は、特に必要と判断する場合、党紀委員会の意見を求めることができるものとし、前項の調査を党紀委員会に委任することもできるものとする。 3 役員会又は党紀委員会は、前2項の規定に基づき事実の確認、調査を行うにあたっては公正な判断を行うとともに、処分の対象となる党員の弁明を聴取する等その権利の擁護に配慮しなければならない。 4 役員会は、党員に対する処分を行った場合には、速やかに当該党員に通知 しなければならない。 (党紀委員会の手続) 第5条 党紀委員会は、幹事長から、倫理規範に反する行為にかかる処分に関して意見を求められたときは、速やかに審議を行い、意見を述べなければなら ない。 2 党紀委員会は、意見を求められた事案に関し、自ら関係者の意見を聴取する等事実の調査を行い、中立かつ公正な判断を行わなければならない。 3 前項の調査にあたっては、必要に応じて本支部の諸機関及び党員に対して、調査への協力及び意見を求めることができる。 (処分の請求) 第6条 党員は、幹事長に対して、倫理規範に反する行為が行われた事実を明示した書面をもって、党員にかかる倫理審査を請求することができる。 2 一の事案に関する倫理審査の請求は、重ねて行うことはできない。 (不服の申立て) 第7条 処分を受けた党員又は党員であった者は、役員会に対して、不服の申立てを行うことができる。 2 前項の不服の申立ては、処分の通知が行われた後1週間以内に、不服の論 拠を記した書面をもって行わなければならない。 3 役員会は、不服の申立てに対して審査を行い、書面で回答しなければならない。 4 前項の審査にあたっては、党紀委員会の意見を聴かなければならない。 5 党紀委員会は、役員会から不服の申立てに関する意見を求められたときは、速やかに審議し、意見を述べなければならない。 6 不服の申立ては、重ねて行うことはできない。 第4章 党紀委員会の運営 (党紀委員会の組織) 第8条 党紀委員会は、5人の委員をもって構成する。 2 党紀委員会の委員は、代表の指名により支部内外より事案毎に選任する。 3 代表は、委員の中から委員長を選任する。 4 委員長は、委員の中から副委員長を選任する。 (党紀委員会の運営) 第9条 党紀委員会は、委員長が招集する。 2 委員長は、幹事長から意見を求められたとき又は過半数の委員から諮問された事案に関する開催の請求があったときは、党紀委員会を招集しなければならない。 3 党紀委員会は、委員の過半数の出席をもって成立し、議案は、委員長を除く出席委員の過半数によって決するものとする。議案に対する賛否が同数の場合は、委員長が決する。 (秘密の保持) 第10条 役員会及び党紀委員会の構成員並びに事務局職員は、倫理審査に伴い知り得た秘密を漏らしてはならない。 附則 本規則は、決定と同時に発効する。 <参考資料> 倫理規範に反する行為の具体事例 一 政治倫理に反する行為 次の各号に掲げる行為につき政治不信を招く公私混淆、公益の侵害、品位の毀損等を生じ、政治的道義的責任が生じた場合 イ 政治活動及び選挙運動に係る行為 → 学校、病院、住宅地等での大音量での街宣活動や公共物への文書の無差別掲示など ロ 刑事事犯に関与する行為 → 全ての刑事事案 ハ 個別企業・団体の利益の擁護により公共の利益を損なう行為又はこれらのものから不当に便宜供与を受ける行為 → あっせん行為による公益の侵害及びそれらの者からの利益供与 ニ 著しく社会的非難を受ける行為 → 社会通念上非難される行為全般、反社会的団体との接触や会食、支部内外における全てのハラスメント行為 ホ その他役員会が政治倫理に反するものと認めた行為 二 党の名誉を傷つける行為 イ 汚職、選挙違反、政治資金規正法令違反等の刑事事犯等 ロ 暴力行為 ハ その他役員会が党の名誉を傷つけるものと認めた行為 三 本党規約及び党の諸規程に違反する行為 イ 本党の諸規定に違反する行為 ロ 党大会等の決定事項に違背する等、本党の方針に反する行為 → 公の場所又は公に配布若しくは発表した文書(SNSを含む)で、公然と党の方針又は政策を非難する行為 ハ その他役員会が本支部の規律を乱すものと認めた行為 → 総支部全体会議、役員会の決定に背く行為、参加要請をされた支部活動に特段の理由なく頻繁に欠席する行為等 特に次の行為も該当するものとする ① 本党と関係のない団体に関する活動で、当該団体が本党に類似する名称、例えば○○維新の会、○○維新、ISHIN○○などを標榜して行う活動に参加または協力すること。 ② 本党が公認、推薦していない候補者に係る選挙等の応援で、党支部に無届出の場合や、上記①の類似名称の団体所属候補者として活動している場合。 ③ 上記①の類似名称を冠する政治団体を設立するなど、党の活動を阻害すると認められる行為。 出典 日本維新の会 奈良県総支部 ニュース(2019年9月9日アクセス) 関連項目 規則集 以上 ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント
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理論上、元女性従業員の過労死事件は業務上過失致死の典型例であるとも指摘されるが、実際に刑事事件として取り扱うことは難しい。 仮に刑事事件でワタミ側の有罪が確定したとしても、20万円から30万円程度の罰金で済んでしまうことが多いため、過労死問題に関する刑事罰は事実上の機能不全に陥っている。 2013年12月9日、遺族は、元女性従業員が自殺したのは会社側の安全配慮義務の懈怠によるものであるとし、ワタミフードサービス、ワタミ、渡邉美樹参議院議員らに対し、1億5千万円の懲罰的な損害賠償を求めて東京地方裁判所に民事提訴した。 遺族は、提訴後に記者会見を開き、元女性従業員がなぜ命を断つに至ったのかを、訴訟を通じて明らかにしてゆきたいと述べた。 第1回口頭弁論 2014年2月17日、東京地裁にて、第1回口頭弁論が開かれた。渡邉参議は2月4日の自民党部会で「悔いている。一生かけて償う」と発言していた一方で、当日の口頭弁論を欠席し、大阪で開催した学生向けの就職説明会に参加していた。 第2回口頭弁論の傍聴席占拠問題 2014年3月27日の東京地裁における第2回口頭弁論の際、大量のワタミ従業員によって法廷の入り口が塞がれている状態となっており、法廷の傍聴席が占拠されていると、NPO法人「POSSE」のスタッフがツイートした。東京東部労働組合および遺族側も、同様の事態が生じたことを報告した。朝日新聞および毎日新聞も、同様の騒動が生じたことを報道した。それに対し、第1回口頭弁論を欠席し、今回の第2回口頭弁論にて初めて出廷した渡邉は、フェイスブックで「事実と反する」と表明。「双方傍聴希望が多数あり、その場で協議した結果、原告側(2):被告側(1)の割合で傍聴席をわけ、受け入れたのが事実だ」と発言した。 ワタミ広報も「関係各部署のスタッフが自主的に傍聴しに時間前に並んだにすぎない」としており、多数の和民の職員が裁判の傍聴を求め、争った事実はあるものの、業務として行った事ではない事を表明している。 第2回口頭弁論 第2回口頭弁論の意見陳述にて、渡邉参議は、原告の申し入れを受諾することはできないと述べ、法廷で争う姿を明確にした。渡邉は、「道義的責任を重く受け止める。心より謝罪を申し上げる」などと述べ、法廷で頭を下げた。この渡邉の陳述に対し、遺族側は、渡邉が「風評被害」という言葉を口に出したことを挙げ、「心からの謝罪であるとは思えない。一日も早く事件を風化させ、事業を通常営業に戻し、利益を回復させたいだけだ」と指弾し、「本来は第1回口頭弁論にて陳述するべき内容。当たり前のことができない会社だ。謝罪は方便にすぎない」と述べた。 渡邉が「争いは早く終えたい」と述べ、陳謝をうそぶく一方で、渡邉および被告側は、遺族である原告側の主張を全面的に否認する意見陳述書および準備書面を提出した。被告側は、残業時間などの労災認定された事実をも否定した。これにより、原告側は基本的な事実の立証からのやり直しを迫られる形となり、裁判は長期化されると予見されている。被告側が提出した準備書面には、慰謝料の算定にかかる差別的表現や、遺族を逆上させるような文言が見られた。
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▼こんにちは。5月25日水曜日、情報ライブミヤネ屋です。速報です。愛媛県松山市のマンションで、刃物を持った男が女性を人質に立てこもっていた事件なんですが、警察が先ほど、男を確保し、現行犯逮捕しました。現場には三浦アナウンサーです。三浦さん。 ▼つい30分ほど前、1時30分に、事態は大きく動きました。私の後ろに見えます、あの白い3階建ての集合住宅、こちらの1階部分に、男が女性を人質に取って立てこもっていたという事案をきのうの夜、発生いたしました。そして16時間と45分にわたって監禁を続け、刃物を持って人質を取っていたんですけれども、先ほど30分ほど前に、みずから投降してきたと、捜査員の説得に応じて、みずから投降してきたという情報が入ってまいりました。われわれ、そのときは、ここから手前のほう、現場から離れるように、80メートルほど離れた所にいたんですけれども、今、警察の方が、ここだったらば大丈夫ということで、近くまで来ました。近くまで来ますとですね、今も大きな車が入ろうとしていますが、非常に狭い道の所に警察の車両が何台もいます。そして奥のほうにも、白いレインコートを着ました、警察官の方がいらっしゃいますけれども、これから現場の実況見分に入るというところです。そして、被害に遭われていた女性は、無事保護されました。そして投降してきた男性もですね、けがをしているとか、そういうことは分かりませんけども、みずから投降しているということは、けがなどはないのではないかということを捜査関係者の方は話していらっしゃいました。そして、私たちがここに駆けつけたときには、あのちょうど1階部分の横に、今はないんですけれども、脚立がいくつも用意されていたんです。ですから、もう時間もかなりたっていましたので、中に入る、突入するという準備をしていたのかもしれません。先ほど女性の捜査員の方が、その部屋から持ち出したものと思われます、瓶ですとか缶ですとか、それからお弁当の食べかすですとか、そういったものを運び出すというようなところも見られましたので、これからどういったことなのかということが分かると思いますけれども、46歳の男が現行犯で逮捕されています。今、現場はちょっと騒然としています。 ▼三浦さん、その男性が、女性を人質に立てこもった部屋ですけれども、部屋って、そこから特定できます? ▼ここからは、101号室ということですので、恐らくこの一番手前か、もしくは一番奥だと思うんですね。01ですので。 ▼配電盤のようなものありますよね? サッシの下に。あそこが部屋ですかね? ▼ええ。あの辺りだとは思うんですけれども。 ▼その脚立が立っていたというのは、その辺りですか? ▼恐らくですね。 ▼三浦さん。 ▼もう一度お願いします。 ▼脚立が立っていたというのは、配電盤がある辺りですか? ▼そうです。あの下辺りにですね。 ▼かなり騒然としてます。 ▼今ちょっと、現場が騒然としておりますので。 ▼ちょっと現場が騒然としておりますが、今、どういう状況なんでしょうか。 ▼ちょっと移動を命令されたということですね。 ▼今、警察関係の方? 警察関係の方が、今から実況見分があるので、ちょっと移動してくれということみたいですけども、また中継がつながりしだい、お伝えしたいと思いますが、46歳の男が逮捕されたということですね。五郎さん、事件発生からおよそ16時間45分での、結果的には投降ということになったんですけれども、これはずいぶん慎重ですよね。 ▼ずいぶん時間をかけたという印象ですね。そうですね。恐らくすぐ危害を加えられるおそれはないということで、じっくりこれは説得して、けがのないような状況で、問題解決しようと、そういう具合に考えたんでしょうね。 ▼それから16時間45分という時間ですから嵩原さん、今、三浦さんのリポートにもありましたけども、お弁当箱だとか、そういうものを片づけている捜査員がいるということは、随時、差し入れなども要求していたということでしょうか。 ▼そうでしょうね。食べ物を与えるというのは、それで本人を落ち着かせるという効果もありますので、それはこちらからも用意したんじゃないでしょうか。 ▼三浦さん。ちょっとあれですか? 場所移動させられちゃったんですか? ▼警察の方がこれから実況見分が始まるということなので、もっと報道陣、下がれということだったんですけど、われわれがずっと居座り続けたので、ちょっと下がりなさいということになりまして、だいぶ離れた所まで戻ってきました。先ほどの場所から、大体50メートルほど戻ってきました。そもそもの規制線があった所までかえってきましたが、これだけの報道関係者が連なっておりますので、警察のほうの方も、逐一、立てこもりの事件ですので、そんなに詳しいことは言えませんけれどもということで、女性はきょうの午前中までは元気な姿を捜査員が確認しているであるとか、それからけがはしていない様子であるとか、それから要求についても、私、聞いたんですけど、その詳しい要求なんかは、人の伝え方によって変わってきちゃうので、ちょっと言えませんということで、私の耳に入ってきてないんですけれども、かなり情報のほうは出していただいたんですけれども、今、実況見分始まって、いろいろなものが運び出されている真っ最中ですので、ちょっと現場、混乱しています。 ▼三浦さんね、16時間45分という、大変長い時間の中で、その逮捕された男と、警察の方々ってのは、話はできてたっていう情報は入ってきているんですけれども、そのあたりは? ▼私がこの映像が、後ほど出てくるとは思うんですけど、カメラを向こうの建物からは、一切見えない場所から、ずっと捉えていたんですが、それを見て、私がリポートをしていたのは、捜査員の方が、やつぎばやに次から次へと1階の部分にしゃがみ込んだり、それから立ち上がって、何やら話をして、それから携帯電話を持ってというようなことがありましたので、もしかするとですね、窓越しに話している、もしくは携帯電話を使って、部屋と直接話しているですとか、そういったことがあったのかもしれませんね。 ▼先ほど、三浦さんのリポートにあった弁当の空き箱とか、そういったものっていうのを持って、捜査員の方が出てらっしゃったことですから、随時、差し入れなどの要求もあったということでしょうね。 ▼そうですね。時間がかなり長かったです。17時間近いわけですから、一睡もしないでということになりますので、かなりの飲み物であったり、食べ物であったりというのは。その中には証拠物というものも含まれていると思いますので、捜査員の方、引き上げていったんじゃないかと思いますけども。 ▼その46歳ですか、の逮捕された男と、人質にされてしまった女性との関係っていうのは、元交際相手という一部情報があるんですが、そのあたりの情報、入ってきてますか? ▼そうですね。一部、情報でそれ、私も耳にしましたけれども、これから本部のほうで、そういったレクチャーを開くというふうに、警察の方、先ほどおっしゃっておりましたので、そこでしっかり分かると思います。 ▼凶器としては刃物を持っていたということなんですが、女性は無事、それから男性もどうやらけがをしていないようだということですね。まだ動機とかは。 ▼みずから投降してきたということです。 ▼取り調べをして、動機などについてはこのあとレクチャーがあって、警察のほうから説明があるということですか。 ▼そうですね。私たちの周りを容疑者はですね、車に乗っていったんですけれども、被害に遭った、人質に取られていた女性は、この辺り、路地がいっぱいありますので、そのどこかの道からわれわれを避けるというよりも、混雑を避けるために、こちらから出しましたというふうに連絡を受けました。 ▼しかし、周りは住宅街で、道もさほど広くない中で、かなり騒然とした雰囲気だったんじゃないですか? ▼そうですね。ここは松山の中心部から大体1.7キロぐらいの所なんですけれども。ちょっとカメラをあちらに振りましょうか。警察の方、向こう、ご覧いただけると思いますが、まずあそこでいったん規制をかけているんですね。あれが松山方面に向かったりする、空港に向かったりする道なんですが、そこから1本路地を入ってきて、100メートル近く行った所にある建物ですので、非常に閑静、大きい住宅も多いですし、静かな所、われわれが来なければ、本当に静かなんだろうなという気はしますね。 ▼それから近くには学校もあって、通学路にも一部なっていたという話もありますよね。 ▼そうですね。もちろんここら辺にお住まいの方いらっしゃるでしょうから、ここを通る方もいらっしゃるでしょうし、ただ、警察の方によって規制されていますので、かなり皆さん、遠回りをして、通学なさったり、通勤なさったりしたようですけどね。 ▼分かりました。また詳しい情報入りましたら、お願いいたします。さて、続いては、法廷闘争にまで発展いたしました日本舞踊の最大流派、花柳流の泥沼お家騒動なんですが、先ほど判決が言い渡されました。勝ったのは宗家家元か、若きプリンスか、ご覧ください。 ▼門弟2万人、江戸の昔から続く日本舞踊界最大の流派、それが花柳流。その頂点、宗家家元の座に就くものは、これ、日本舞踊会の頂に立つことなり。宗家家元の地位を争う泥沼お家騒動がぼっ発している花柳流。激しい火花を散らしているのが。圧倒的な実力とキャリアで、流派の大看板として活躍してきた花柳寛氏。そして。花柳流宗家の血を脈々と受け継ぎ、将来を期待されてきた若きプリンス、花柳貴彦氏。 ▼自分が四代目を継承するというふうに発表されてしまったので。 ▼突如、発表された寛氏の宗家家元就任。さらに。 ▼なぜ除名なのだろうというのは、普通に疑問に抱きました。 ▼突如、寛氏から突きつけられたという除名処分。 ▼ゆっくりと東京地裁に向かって歩いていきます。 ▼流派トップの座を巡る争いは、ついに法廷闘争にまで発展した。 ▼大事な演目は、事務局に許可を取らなければならない。再さん言っても、届け出を出さなかった。 ▼規則にないので、届け出は必要ない。自分を排除しようとした不当な処分である。 ▼互いの主張が真っ向から対立する中、およそ2年にわたって争われてきた裁判。そしてきょう、ついに。 ▼貴彦さんが東京地裁にやってきました。ついにきょう、判決ということになります。 ▼先ほど、午後1時10分から行われた判決公判。果たして裁判所の判断は。 ▼今、判決が出されました。花柳貴彦さんの地位が確認されました。貴彦さん側の勝訴ということになりました。 ▼そして、この判決を受け、勝訴した貴彦氏が会見。そのもようを、このあと速報でお伝えする。 ▼ということで、東京のスタジオには、演劇評論家の喜熨斗勝さんです。よろしくお願いします。ちょっとまずは、もう何回もやってるんですけども、どういうことが起こってるかということを整理しますね。 ▼こちらですね。まず今回の裁判というのはですね、家元の寛さんが、プリンスである貴彦さんを、突如、除名処分としまして、これに対して、貴彦さんが、この処分は無効だとして、裁判を求めていたわけなんですね。 ▼花柳流というのは、全国およそ2万人の門弟を持つ日本舞踊の最大流派ということなんですが、じゃあなんで、貴彦さんは除名処分になったのかということなんですけども。 ▼その理由が2つあるんです。まず1つ目、手続きが必要な演目を、無許可で貴彦さんが上演してしまった。これに対して貴彦さんは、花柳流の規則、お呼び花柳会の会則、いずれにも、この手続きが必要だということは、記載されていないという主張なんですね。そして除名の理由その2ですね。無断で法人を設立したとして除名した人物を、舞踊会に貴彦さんが出席させたということなんですが、これに対して貴彦さんは、そもそも除名処分自体が無効であると反論していました。これまでの裁判で双方の主張ですが、寛さんは伝統の世界において、除名などの判断は、家元に委ねられるもので、裁判で争う問題ではないとして、訴えの却下を求めていました。一方、貴彦さんは、三代目から家元に指名されていた自分の存在に脅威を感じて、排除しようとした不当な処分だとして、処分の無効を訴えていたわけですね。 ▼このあとですね、花柳貴彦さんが会見をされるんですけども、会見はまだ? OK? 会見されてるということで、ちょっとご覧いただきましょうか。 ▼訴訟費用については、あおやま貴彦と花柳寛との間に生じた費用については、これを20分するというんですね。20分の1、これが貴彦さんの負担部分であって、19、20分の19については、これは寛さんが負担しなさいと。こういう判決でございます。この訴訟費用の割合から考えてみると、まあ95%は寛さんが悪いと、5%ぐらいはあんたも持ちなさいという話でございまして、そういう意味でも、私は、完全な勝訴であるというふうに、もう主文を聞いた段階で、よく分かりました。そういう意味で、われわれとしては、ぜひこれから、花柳流、非常に問題があるのかもしれませんけれども、そういう中で、花柳貴彦さんが名取りとして、ちゃんと戻れる、この判決によって花柳会の会員の地位というものも持てるということになりますので、これで一つの問題は解決するのかな。非常に丁寧な判決でございまして、80ページに及ぶいろいろな事実認定から判断から、非常にきっちりとしていただきました。そういう点で、われわれとしては、この判決をベースにして、貴彦さんの本当にこれから花柳に対する熱い思いをですね、実現していっていただける第一歩、これが司法の手によってもたらされたというふうに、私は思っております。そういう意味で非常にすばらしい判決をきょう頂いて、ありがたいと、そしてこれから、ちゃんとした花柳流にしていかなければいけないなというふうに、代理人としても覚悟を決めた次第でございます。そういう意味で、あとはどうぞご本人に、千代先生から、いろいろ思いを述べていただければというふうに思いますので、一応、私のほうからはこの程度といたします。なんなりと、またご質問ありましたら、お受けいたします。どうもありがとうございます。本当にお世話になりまして、心から感謝申し上げます。 ▼続いて花柳貴彦本人より、本日の判決を踏まえて、所感を述べさせていただきます。 ▼きょうはこのように大勢の方にお集まりいただきまして、本当にお忙しい中、誠にありがとうございます。すみません、本日、裁判判決という形で、私の地位と名取であることの確認をさせていただきまして、不当な除名処分に関しまして、法的にきちんと争っていただき、法的にきちんと取り上げていただき、そのことについて法的にきちんと守っていただけたということに関して、本当に感謝しております。私自身の思いとしては、私にとっては一つの大きな結果ですけども、本当に第一歩だと思っておりまして、私のほかにも、不当な理由で除名されている方が何人かいらっしゃいますので、その人の、その方々の、まず地位を、まず名誉を回復することが第一だと思ってます。また私のホームページ上においてでも、アンケートを募っておりまして、また周りの皆さんからも、話を聞くたびに、とにかく今の花柳流っていう組織の中では、なかなか物が言えない、言うと私のように除名をされてしまうかもしれないという形で、実際、私以外にも、何人もの方が除名されてる状況でいるので、とにかく今回のこの裁判の結果を踏まえて、皆様が正しいことは正しい、正しくないことは正しくない。きちんと是正しなくてはいけないことは是正しなくてはいけないということを、声を上げて、今後、さらに流儀がよくなるように、進んでいければと思っておりまして、私自身としては、先方に対して、恨みがあるだとか、憎しみがあるだとか、けんかを吹っかけるとか、そういうものは一切なく、本当に流儀が今後50年、100年続いていけるようにするための第一歩になればいいと思って、今、おります。私は今回、地位を確認していただいたことで、きちんと花柳流の一員として、花柳流のために今後とも尽力していきたいと思いますので、どうぞ皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。またご質問があれば、いつでもお受けしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 ▼続きまして、今回の訴訟の証人尋問として、証人尋問において、証人としても出廷して、ご証言いただいた花柳千代先生より、お考えを述べていただきます。 ▼花柳千代でございます。正しい裁判で、正しい花柳流に、一歩戻れたことを心から喜んでおります。みんなで昔のように家元を頂点に、理事長がいらして、理事がいて、役員がいて、その下にまた花柳の名取たちで、一家族のような、本当に大家族の花柳流でしたが、それに一歩戻れたと思うこと、心から喜んでおります。貴彦さん、これから大変と思いますが、微々たる力ですが、貴彦さんのお力になりながら、また皆さん、2万人といわれている、もう弟子の中の一人でございますが、みんなで力を合わせて、正しい花柳流に戻していきたいと、心から願っております。どうぞ皆様、これからもよろしくご指導くださいますように、お願いいたします。 ▼ありがとうございます。判決の内容を踏まえて、1点、判決の内容に書かれてる点についてご説明いたしますと、除名処分が無効になった理由を、裁判所がいろいろと書いてる中で、寛さんのことを四世家元と書いておりますけれども、みずからの四世家元としての地位、また…、孫の家元への承継につき異議を唱えることが想定される存在であった、原告、青山貴彦を花柳流から排除することが、花柳流の内部秩序を維持するために必要であるという意図が介在したものと推認されるといわざるをえないですとか、三世家元から後継者の候補と目されていた原告、あおやま貴彦を、花柳流及び被告、花柳会から排除する目的がうかがわせるものということができ、うんぬんと、そういうあたりの理由をもって、除名処分は無効であるという判断を、判決では示しておられます。ここのあたりで一度ご質問を受け付けたいと思いますので、ご質問おありの方は挙手していただけますでしょうか。 ▼どうぞ。 ▼フジテレビ情報番組、グッディのひろせと申します。改めまして、判決が下された瞬間、その直後、弁護士の方と握手されていましたけれども、そのときはどのようなお気持ちだったのかというのを、改めてお聞かせください。 ▼僕が手出したからだよね? ▼本当に、皆様のお力添えがあって、今回の結果になったと思っておりますので、本当に感謝の気持ちがたくさんあるのと、これから先、先ほども述べましたけども、きちんとした正しい道に進めるように、流儀の一員として、きちんと進んでいこうという覚悟も、さらに生まれました。 ▼この2年間というのは、どのような思いで過ごされて、この裁判というのに臨んでいたんでしょうか? ▼まず、一番、自分自身で悲しかったことというか、思っていたことは、私自身のことよりも、私と関わったことで、除名をされてしまった方々に対して、本当に申し訳ない気持ちがたくさんあって、またその三代目から言われたことで、とにかく三代目がおっしゃっていたのは、あなたではなくて、流儀の、名取の方たちが安心して舞踊活動ができるようにするのが、あなたの役目だからねと言われてきたので、皆さんがなかなか流儀が今は違うんじゃないかだとか、どうしたらいいんだろう、でも、何かを言ってしまうと、自分たちにも何か危害が加わるんではないかという思いで、ずっといらしてる方がたくさんいらっしゃることが、一番悲しかったですね。 ▼この裁判を終えて、寛さんに今、ひと言、声をかけるとしたら、どのようなことばを今、かけられますでしょうか。 ▼大学の先輩でもいらっしゃいますし、舞踊家としても、私は決して何かマイナスの気持ちを抱いたことは正直なくて、大先輩でいらっしゃるので、きちんと共に、私はまだ若輩者ですけども、花柳流のために手を取り合って、流儀が今後も発展していけるように、お力添えをいただければと、心から思っております。 ▼貴彦さん側からすると、もう一度対等に、対話ができるような立場を望んでいらっしゃるということで、よろしいでしょうか。 ▼対等っていう表現が、ちょっと私には分かりませんけれども、先ほど千代先生もおっしゃっていてくださったように、花柳流というものは、人数は多いですけれども、一つの家族だと、私は思っておりますので、家族どうしでけんかすることもあれば、仲たがいすることも、時にはあると思うんですけども、基本的にその家族を守っていくために、共に同じ舞踊という道を歩んでいくことが大事だと、私は思っております。 ▼家元、寛さんのもとで今、この形になっていますが、そのままという点も含めて、このまま花柳流でよき形を目指すということでよろしいですか? ▼このままというのは、今現状において、私以外にも除名をされてしまっている、不当な理由で除名をされてしまっている方がいらっしゃる状況なので、このままというのは意味がないと思うので、きちんと直すべきことは、直すことを、きちんと流儀の方たち、皆様と一緒に考えて、直すべきところは直して、正しいところは正しいままで、きちんと流儀が進んでいくことが大事だと思います。 ▼ありがとうございます。 ▼どうぞ。 ▼今、おっしゃってた、中にも含まれますが、これからそうすると貴彦さんは、どのようにして、正しい道へやっていこうと、なんか具体的なことを考えていらっしゃるんでしょうか? ▼具体的というと、ちょっとどこまで具体的か分からないですけども、一番大事だと私が思っているのは、とにかく皆様が今、声に出せない状態というのは、流儀、組織というものにとっては、大変よくない状態だと思うので、まずは声を出しても大丈夫だということを、まずは皆さんに知っていただいて、きちんと皆さんと共に、きちんとどうしたらいいかという話し合いの場を作っていければいいと思っております。 ▼それは具体的にできそうなことなんですか? 例えばですね、貴彦さんは今、理事とかいう立場ではないですよね。そうすると、その会にそういったことを挙げていくとか、具体的にそういうテーマで、花柳の中で話すとか、そういう雰囲気は作り上げられるものですか? 今の貴彦さんのお立場で。 ▼作り上げていけるかいけないかよりも、作り上げていかないといけないと思っています。 ▼そのためには、具体的に何かご自分でしなければいけないことというのは? ▼なので、その一つが今回の裁判まで踏み切ったことだと、私は思っておりますので、こうして皆様方に、こういう形で、無事に法的にもきちんと、法的に守っていただけるということを、こうして報道していただけることは、皆様にそういうことを知っていただく機会だと思っていて、大変感謝しております。 ▼お隣にいらっしゃる千代先生も、除名という形に。 ▼役員から下ろされましたけれども、名取りのお立場はずっとお持ちでいらっしゃいます。 ▼ごめんなさい、解任という形になられたということで、そのときには実際、どんなふうにお感じになりましたか? ▼別に感じませんでした。私たち審議員という名前を頂いておりますけど、一度も会議に呼ばれたこともないし、ただ名前を出しているだけでした。それで花柳が、寛先生がお継ぎになって、なんかいろいろなことが矛盾が起きてきたので、その審議員って、何する役なんだろうと思って、辞書を調べたら、やっぱり意見や何かを言わなければならないというので、私が言い始めました。そうすれば、また黙ってる人でも、言いたいことをおっしゃる機会があるんじゃないかなと思ったんです。それから、今、貴彦さんがおっしゃってることに、私、御話ししていいでしょうか。やっぱり貴彦さんが、このままじゃなくて、家元になるべきと思っております。だって、皆さん今、聞かなかった、知らなかったっておっしゃるんですけど、家元直門の方が、知らないはずがないんです。私、外様といって、家元直門ではございません。師匠は花柳おおすけ先生とおっしゃって、偉い方ですが、直門でないので、皆さんよりは三代目のおそばに、二代目のおそばにいたことも、少なかったんですけども、家元が私に、貴彦さん、中国から留学生、文化庁の芸術高官の北京で一番大きい、中国で一番大きい、北京舞踏学院の学生が2人、日本舞踊のお稽古にまいりました。そのときにやっぱり、家本様にご紹介と指導を見ていただくために、家元のお宅に連れていったときに、ふだんは下にいらっしゃるのに、お稽古場へ連れていってくださって、みんなに紹介してくだすったんです。大体、大稽古の方も、お顔は私、古いのでみんな知ってるんですけど、そのころから少しずつ、新しい方が大稽古や内弟子さんになられていたんですけど、本当に一時は、すてきな方が大芸子の中に座っていて、家元にすぐ、あの方は誰ですか? って伺ったらば、四代目花柳家元を次ぐ花柳貴彦っていうの、千代さん、よろしくねって、皆さんの前でもおっしゃったんで、私にまで言ったことを、どうして家元の方が。私、裁判の席に出たことも初めてだし、なんにも知らないで、本当にもう、そんなことをおっしゃらないと思っていたらば、宣誓して、手を挙げて、ちゃんと言うのに、そんな話は聞いたことない。そんなことは見たこともないなんていうお返事を頂いたんで、すごいもうがっかりしちゃったんです。こんなことがあっていいんだろうかと思いました。やっぱり、このままっていうことは、いけないんじゃないかなと思ってます。大半の方が、今、どっちになるのか、きょうの日を待ってたんじゃないかなと思うんですけど、大半の花柳の方が、貴彦ちゃん、貴彦先生が、ごめんなさい。貴彦先生が、やっぱり五代目になることを待っていらっしゃるのが、本当の心だと思っています。そして、やっぱり前のような本当に一家族のような、花柳流。今はもう、本当に寛先生を囲んで、若い理事だけで固まって、いろいろ仕事をしていることが、私はいけないと思うんです。みんな年取った人たちを遠ざけてしまったんです。その理事の今の、若い理事のご両親の方たちと共に私は二代、三代目の家元さんと共に歩いてきたものですから、そしてその理事の若い方たちも、これからの花柳流を盛り上げていく人だから、やっぱり貴彦先生を守って、みんなで助けていかなきゃいけないんじゃないかと思っています。ですから、ご自分たちもよく考えて、花柳のために働く理事になってほしいなっていうことを、心から願っております。 ▼今の千代さんの話を受けて、貴彦さんとしては、家元になるというお気持ちはいかがなんでしょうか。 ▼以前からお答えさせていただいていて、ちょっと中傷的になってしまっていて、いつも申し訳ないんですけども、当然、三代目からあなたが次を頼むわねとお願いされて、それを引き受けた時点で、次の家元になる覚悟というものは、その時点から持って、持って、ずっと今まで生きてきておりますけども、家元という立場は、なってなるものでもないと思っていて、お預かりをして、それを次の代に続けていくことが、家元の立場だと思っていて、そのためには、当然、流儀の方たち皆さんに納得していただいたうえで、その立場をお継ぎすることなので、決して走流するんであれば、自分自身で勝手になればいいことですけど、あくまで跡を継いで、自分の名前を捨てて、花柳壽輔という名前に、もし家元になるのであればなることですので、きちんと、はい、なりました、はい、そうですねということでは決してなくて、きちんと皆様のご理解とご協力と承認を頂かないことには、ならないことですので、きちんと皆さんと、くどいようですけども、きちんと意見が言える場において、話を進めていければいいと思っております。 ▼ただ、6月になると、どうも寿輔という名前の、また五世への襲名披露というものが予定されているようですけれども、そのことについては、じゃあ、どんなふうにお感じですか? ▼まずは今の寛さんが、四代目壽輔を名乗っている方が、じゅおうという名前を名乗るとおっしゃっているんですけれども、そのじゅおうというお名前は、二代目のお名前なので、花柳にとってはとてつもなく大きな名前で、とてもどんな立場の方であろうと、基本的に名乗ることはできないような、大きな名前でして、三代目様からも止め名といって、一代限りのお名前というふうに聞いているものを、家元という立場でありながら、名乗ろうとされることというのは、まずちょっとどうされたんだろう、どうしちゃったんだろうという思いが一つ大きくあるのと、五代目の襲名に関しましては、こういう状況下で、こういうふうにいろんな人の声が上がらなくても、水面下で起こっている状況の中で、本当にそれをしていいのかどうかということを、今回、このきょうを皮切りというか、きょうの日を境に、きちんと流儀の方たちが、それでいいのか悪いのかというのを、きちんと意思表明できると思うので、意思表明をしていただければ幸いですし、そういう形で、本当に流儀にとって何がいいことなのかを話し合っていくことが大事だと思います。 ▼それは貴彦さんご自身がこれから皆さんの意見を聞くというような作業をされるということですか? ▼意見はずっとアンケートを通じてお聞きしておりますし、今回のこの裁判を通じて、またこの報道を通じて、花柳流の方たちから声が上がってくることを、期待しております。 ▼そのアンケートについては。 ▼ということで、今、会見続いてますけど、これからがまたちょっともめそうですね。まずは演劇評論家の喜熨斗さんにお聞きします。まずはこれ、いわゆる除名処分というのは、不当であると。それから花柳貴彦さんの名取というところ、これは守られたということなんですが、今の会見の中での大きなポイントは、これ、花柳千代先生が、これもう家元は、貴彦さんが継ぐべきだって、ずばっと言っちゃった。これは、ここからまたちょっともめそうですね、これ。 ▼おっしゃるとおりですよね。司法の判断というのは、大変重いもんですから、それはもう、そのまま受け取るということになると思いますけれども、それを受けて、どういう発言をなさるか、ここは難しいところですよね。あんまり無責任な発言をぼんぼんするというのも、どうかと思いますけれども。これからどうなっていくかっていうことですよね。 ▼まず、四代目の、このあと相関図、簡単にご紹介しますが、花柳寛さんという方がいらっしゃって、この方が貴彦さんの除名というのを言われたと。それが裁判になって、除名は、これは不当だということになりました。地位は守られた。これ、名取というのは、まず喜熨斗さん、どういう地位だと思ったらいいんですか。花柳流の名取っていうのは。 ▼それはもう師匠から技術を認められて、名を許すという形で、その名を自分の名として継いでいくわけです、名乗っていくわけですから。当然それはもう、客観的にも技術的にも、そのレベルに達している方と。 ▼あなたはもう花柳流の教える先生のお一人でありますよということですね。で、そこの頂点が家元なわけですよね。 ▼そういうことですね。 ▼簡単に説明しますと、三代目の花柳若葉さんが、急死されるわけですね。その後見人でいらっしゃったのが、今、四代目の花柳寛さんで、その若葉さんのご葬儀の場で、自分が四代目を突然襲名されるわけです。で、あれ?と思ったのが、花柳貴彦さんで、花柳貴彦さんは、2002年に三代目の若葉さんから、いや、直接、もう四代目を襲名するように言われてるんだと。ここからが要は、ボタンの掛け違いなのか、意見の相違なのか、もう大もめにもめるわけですね。この貴彦さんってどういう方かというと、人間国宝の花柳壽楽さんのお孫さんで、IT企業を退社して、家元教育を受けて、師範になられたんですが、じゃあ、その三代目の若葉さんとは、どういう関係かと言いますと、若葉さんに叔父さんがいらっしゃって、この方が人間国宝の壽楽さん。そのお孫さんということなんですね。だから、これは喜熨斗さんね、代々実子の方が継いでらっしゃったんですが、若葉さんにお子さんがいらっしゃらなかったことで、こういうことになっちゃったっていうことですね、まず大前提は。 ▼そういうことですね。ただ、貴彦さんはご立派な身内ですよね。ご立派な身内だと思いますので、ご自身が私が適格者だとおっしゃるバックボーンは感じられますね。 ▼で、今、千代先生がおっしゃったんで、ちょっと恐らく会場もざわついたと思うんですが、やっぱり貴彦さんがこれ、家元にならなきゃいけないっておっしゃってるんですが、四代目の花柳寛さんはお孫さんの創右さん、五代目に据えますよということで、来月、五代目これ、家元誕生っていうことになってるんですよね。それを千代さんが、いや、それは違うんじゃないですかと。これは貴彦さんが五代目になるべきじゃないですかと、はっきりおっしゃいました。これ来月、襲名披露でしょう。来月。 ▼そうですね。 ▼これ、時間がない中で、どうするんですか、喜熨斗さん、これ。 ▼やっぱり、既成事実をどんどん作っていこうという、そういうような形で企画されたもんだと思いますね。それはいわば家元の、今の家元の、なんていうか手法というか、やり方ということなんだろうと思います。 ▼だけどこれはもめると思いますけども、 ▼まあ赤星さん、これ、かなりやっぱりもめますね、これね。 ▼もめそうですけど、たぶん、でも僕が思うにですけど、その五代目襲名、来月ですよね? ▼ありますね。 ▼って言ってますけど、たぶんこの裁判の判決が出たことによって、流れ的には、この五代目襲名にいきかけてたところを、たぶん、しかたないなと思ってた方が、この判決が出たことによって、ちょっとこれはやっぱり考え直さなきゃいけないんだなっていう方向に行くと思うので、これからまた、どんどんどんどんこうね、もめそうですよね。 ▼これ、嵩原さんね、判決の中で、貴彦さんは、花柳流の名取の地位にあるんだということですよね。まず名取の地位というのは、まず保全されたわけですよね。それから今、この中にちょっと反映されていないんですけど、寛さんが、やっぱり貴彦さんがこのあと家元になるんじゃないかというところで、そういうところで、排除に動いたんじゃないかみたいなニュアンスもありました。これやっぱり、裁判の判決というのは一つ、大きい影響を及ぼすものですか? ▼ただ結果だけ見ますと、貴彦さん側が全面的に勝訴しているように見えるんですが、実は、大きな争点の一つであった、四代目のこの寛さんですが、推挙された、これは正しいのかっていうことについては、裁判所は否定してないんですよ。 ▼だから、寛さんの四代目家元としての正当性が否定されるものとも言えないということですね? ▼そうですね。要するに、正式な手続きは、こうこうこうであるべきだと決まってなくて、周りが今、事実を認めているでしょうと、誰も反対してないでしょと、だから寛さんが四代目という地位を持っているということは、しかたないんじゃないかというような判決になっているわけです。だから、そこを四代目が、推し進めていけば、私の地位は認められていますねというのは、言いやすい、そうすると、怖いのは、反対意見がなければ、OKって、裁判所を読み替えてしまうと、五代目も決まった瞬間、周りがざわつかなければ、反対意見が出なければ、五代目もOKになっちゃうわけですね。 ▼ただこれ、反対意見出ちゃいますよね。きっと。 ▼ただ、出すのか、皆さんが意見を言うのか、それとも逆に、四代目の地位というのが認められてるわけですから、報復は怖いというふうに引っ込むのか、これをちょっとこう表現するのがいいかどうか分かりませんが、どちらが正しいかどうかは別として、ある団体とか会社を、別の勢力が支配しよう、これ、のっとりって言っていいか分かりませんけども、その場合っていうのは、多少強引なほうが、成功することが多いんですね。だからそれを、みんな反対意見するのが怖いんで、従っていくってことが多いので、声を上げてくれるかどうかっていうことが、最終的に正しいということを決めていくということになりますね。 ▼喜熨斗さんね、今の嵩原さんがおっしゃったことが一つ、大きな真実だと思うんですけれども、貴彦さんも、それから千代先生もおっしゃってたのは、今まで声が上げられなかったんだと、この裁判の判決を機に、声が上げられる組織にしたいんだというふうにおっしゃってた。それからできるかどうかってことですね。 ▼そうですね。まあ、声を上げるって言っても、こうなりましたから、どんどん言いたいこと言いなさいよって言ったって、なかなか言えない。ある意味、逆の言い方をすると、家族ですから、周りの反対意見って、なかなか言えない、あなたがいいって言うならいいわよみたいなところがあったりするんで、ここをやっぱりそうではなくて、ちゃんと正しいものは正しいと、みんなで判断して決めましょうよというような、そのシステム自体を、きっちりと作っていかなきゃいけないわけですよね。 ▼僕は一つ、五郎さんね、貴彦さんが会見の中でおっしゃった中で、こういうことではいけないので、一つにまとまるために、ある機構改革的なもの、何かを作っていかなきゃいけないんだっておっしゃっていますよね。これが一つポイントになってきて、何かなんかもう一つ大きな会則というか、規則みたいなものを作られるのかなという気がしてね。 ▼1つは、これは今度の場合は、ある種の身分保全というか、不当に解雇されたみたいな話だから、それを元に戻したと。そういう判決だったと。しかし何一つ、この組織が一体どうなるのかということについてはないわけですよね。 ▼裁判の中ではね。 ▼そう、そう。そうすると、ここからが大変で、対立しているどうしがね、話し合うって言ったって、なかなか大変ですよ。そうなると、私は誰かが、ここを両方を知っていそうな、かなりの力のある人が、あるいは、社会的な、この、ここがなんかないと、なかなか大変ですよ、これ。 ▼喜熨斗さん、やっぱりあれでしょう、江戸時代から、1849年から脈々とつながるこの花柳流ですから、要は、初代、二代目、三代目と、細かい規則がなくても、暗黙の了解といいますか、一つの伝統という名の下で、明文化されないまま、脈々とつながってきたものですから。 ▼そうですね。 ▼そこで今、こういうトラブルになっているから、ややこしいわけですよね。 ▼うん。だから反対っていうか、なんて言えばいいんでしょうかね、勝訴とか、敗訴とかいう形で言っていますけれども、もう全部一つの問題について、これから全員で取り組んでいかなきゃならないと、そうしなさいという、そういう判決ですからね、読みようによっては。 ▼それは、裁判所が五代目決めるわけではないので。 ▼そのとおりですね。 ▼だから、どっちかっていうと、いたみ分け的な僕は要素が強いと思って。 ▼判決を傍聴しました中山さんです。中山さん。 ▼会見のほう続いています。 ▼私言ったんですけど、全面勝訴というよりもちょっと痛み分けの感が強くないですか? ▼そうですね。判決としては求められてるものを得られているので、原告側の勝訴ということはいうことはできると思うんですが、確かにスタジオで宮根さんおっしゃったとおり、四代目の正当性というのはある程度、担保されてしまったという状況ではありますので、これからじゃあ、どういうふうに流派をまとめていくというような、そういった立場になれるのかどうかも含めて、ここからが相当難しいんだろうなという印象はありますよね。 ▼まだ会見は続いてるんですか? ▼はい。今ちょうどですね、証人としても出廷した千代さんが話をしています。 ▼これ、今、先ほど出ました花柳千代先生ですが、やっぱりこの先生が、やっぱり貴彦さんが、家元にならなきゃいけないんじゃないかって、はっきりおっしゃいましたね、これ。 ▼はい、おっしゃいましたね。 ▼ここがやっぱりポイントですよね? ▼思い入れがかなり強いと思うんです。そうですね。皆さん、状況としては千代先生がおっしゃるとおりですと、相当多くの方が、三代目、三世家元が、貴彦さんに継がせるというふうに言ってたのを聞いていたにもかかわらず、証人として出て来る方、全然いない中で、千代先生は証言台に立って、きっぱりと、確かにそう聞いたんだと証言しているわけですから、相当にやはり、そこの部分の思い入れというのは強いわけですよね。ですから、勝訴という結果も得て、やはりこの場で、それは主張したかったというところなんでしょうね。 ▼あと貴彦さんの発言が非常に慎重だなと思うのは、来月、五代目、つまり花柳寛さん、四代目のお孫さんが、五代目襲名というのが来月に迫っている中で、じゃあこの五代目襲名っていうのを、認めるのか、認めないのか、そこに何か次の手を打ってくるのかどうかですよね。ここは明言はあまりされてないですけどね。 ▼これはしづらいんだろうなと思いますね。まず自分に援護をしてくれた方というのが、やはり非常に、門弟の方の中で必ずしも多くはなかったわけですね。というのも、実質的な力を握っているのが、四世家元ということになりますから、その点、なかなか周りも動きづらいところがある中で、では、その家元を継ぐというのは、血筋なのか、それとも実力ですか?という質問に対して、実力というのも、やはり好みによる芸事だから、どう判断するかというのが非常に難しいというような話もされていました。今後、どう動いていくのかというのは、やはり今まで口を閉ざしていた、言いづらいという空気の中で発言できなかった方たちがどちらに動くのかというところが、大きなポイントになるのかもしれませんね。 ▼分かりました、ありがとうございました。さあ、喜熨斗さん、今後なんですが、四代目の花柳寛さん、この方の実績というのも、十分な方ですよね? ▼そうですね。 ▼一方で貴彦さんも、この方も家元教育を受けてきて、実力はもう存分にある方。一方で、お孫さんを指名されました。創右さん23歳とお若いんですけれども、この方を、創右さんへのバトンタッチは、そのつもりですという発言でとどまるんじゃないかなと思います。もう渡しますっていうんじゃなくて、そういうつもりでこれから修業もさせますというような表現にとどまるんではないかと思います。花柳流全体のことをいえば、言えば、もう二派に分かれてどうのこうのみたいなことには、絶対になってはいけないので、なんとか一つの目的に向かってまとまっていくと舛添東京都知事、きょう、 ▼ここで最新のニュースです。下川さん、お願いします。 ▼お伝えします。タイ北部のチェンマイできょう、複数の少年にわいせつな行為をしていたと見られる49歳の日本人の男が、捜査当局に逮捕されました。逮捕されたのは、松原輝明容疑者49歳です。タイ捜査当局によりますと、松原容疑者は、滞在していた北部チェンマイのゲストハウスに少年を連れ込み、わいせつな行為をした疑いなどが持たれています。 ▼現在、タイの捜査当局が、男の滞在していたゲストハウスの周辺に、男を立ち会わせて、調べを進めています。 ▼けさ、捜査当局がゲストハウスに踏み込んだ際、中には松原容疑者のほかに、少年2人がいたということです。また松原容疑者は過去2年間で、21回、タイを訪れ、たびたび少年と接触していたと見られています。 ▼捜査当局は、松原容疑者が少なくとも7人の少年に対し、わいせつな行為を繰り返していたと見て、調べています。処方箋を偽造して、薬局から睡眠導入剤をだまし取ったとして、京都府亀岡市に住む32歳の看護師の女が逮捕されました。 ▼午前8時53分です。平野容疑者が京都府警の捜査員に連れられ、自宅から出てきました。 ▼詐欺の疑いで逮捕されたのは、京都府亀岡市の看護師、平野久美子容疑者です。平野容疑者は、京都市内の特別養護老人ホームで働いていたことし2月、処方箋を偽造して、薬局から睡眠導入剤30錠をだまし取った疑いが持たれています。この老人ホームでは、週1回、医師が訪れ、入所者の健康管理などに当たっていて、パソコンには処方箋のひな型があり、平野容疑者は、それを悪用していて、ほかにも複数回、別人名義の処方箋を偽造し、薬をだまし取ったと見られています。平野容疑者は容疑を認めているということで、警察は薬が転売されていなかったかなど、調べる方針です。 ▼7月の参議院選挙に合わせた衆参ダブル選挙について政権幹部はきょう、安倍総理大臣が、来週水曜日の国会会期末に行う会見で、最終的な考えを明らかにするとの見通しを示しました。中継です、富田さん。 ▼ダブル選挙について安倍総理は複数の政府・与党関係者に前向きな姿勢をにじませていますが、自民党幹部からはけさ、慎重な意見が示されました。 ▼同日選は、当然、私はもうないと思っておりましたので、全く選挙をする大義がございませんので。 ▼自民党の佐藤国対委員長はこのように、ダブル選挙に否定的な考えを示しました。一方で、政府・自民党内には、ダブル選挙を求める声があり、安倍総理は内閣不信任案を提出する構えを見せている野党の動きも見極めながら判断すると見られます。こうした中、ある政権幹部はきょう、ダブル選挙はやらない方向だとしたうえで、安倍総理が来週水曜日の国会会期末に行う会見で、最終的な方針を明らかにするとの見通しを示しました。また安倍総理は、来年4月の消費税率引き上げについて、見送る方向で検討しており、会期末までに、表明する方向で調整しています。以上、中継でした。 ▼いずれにしても、サミットが終わってからっていうことになりますけれども、きょうの読売新聞なんかはもうダブル選ないし、消費税増税も先送りって、はっきり書いちゃってますけど、大丈夫ですか? ▼いや、私はもうかねてから、そういう考えなんですね。なぜダブル選挙やるかというと、参議院選挙は大変だから。しかし今度、サミット、そして、オバマさんの広島訪問。このことが政権にとっては、わりかしプラスになっていると。そうすると、参議院選は有利に戦えると。そうすると衆議院選やるまでもないと。まだ1年半しかたってませんから、選挙やってからね。もう一つはやっぱり、熊本。熊本の人たちが大変な思いをしてると、そういうときに選挙していいんだろうかと、当然、そういうことがあると。まあ、駆け引きとしてね、そんな不信任案出すんだったらやるぞというようなね、そういうけん制はするかもしれないけれども、大きな目で見ると、これはダブル選挙は、これは私はやらないだろうと。 ▼これはやっぱり安倍さんとしたら将来の憲法改正も含めてね、自公、それからほかの野党も含めて、3分の2は取りたい、できたらというところがあると思うんですけれども、そこまで無理はしないでもいいよっていうこと? ▼それから公明党だって反対ですから、基本的にね、このダブルに。 ▼消費税も上げないんですか? ▼うん、ここは説明はなかなか難しくなりますね。 ▼でも読売新聞は、上げない方向でって書いてましたよ? ▼そうそう、そのときに、上げないという結論は、先送りって結論はあるんですけども、そのときの説明、1つはこれはもうリーマンショックのような、大きな、それから経済的な危機、それからもう1つは、大震災があった場合と言ってるわけですから、それがない状態で、なぜ先送りするのかという説明が今、それにちょっと腐心してるところでしょうね。 ▼これ、だから下川さん、民進党の岡田代表も、消費税は先送りしたほうがいいって言ってるんだけど、じゃあそれは、アベノミクスの失敗じゃないかってところになってくるんですよね。 ▼そうですね、そこを民進党としては攻めようということで、今、一生懸命やっている。安倍さん的には、そこをなかなか認めたくはないというところの駆け引きですよね。 ▼来週水曜日には判断する? ▼そうですね、国会会期末の会見で表明するのではないかと。 ▼でも死んだふり解散とかあるじゃないですか。1回もやらないって言っといて。また臨時国会どんと立てて、もう一回、やります!とか。 ▼これはね、政界は一寸先が闇なんです。 ▼ないって言ったじゃない!五郎さん、ないって言ったじゃん。実質問題。 ▼いろんなこと言っておかないとね。 ▼何が一寸先だ。ないって言った、テレビ局も大変、ねぇ。大変なんだから、もう準備が。 ▼本当ですよ。 ▼ねっ! 衆参ダブルと参議院だけじゃあ、準備が大変なんだからね、これ。早く言ってもらわないと。 ▼早く。準備がありますからね、国民のほうも、テレビ局も。 ▼本当にね。一寸先は闇だって、分かってる。 ▼まさかの発言が出ちゃいましたね。 ▼続いてのニュースお願いします。 ▼ニュースを続けます。東京都の舛添知事の政治資金を巡る問題で、書籍代の支払い先として記載がある古書店の店主が、日本テレビの取材に応じ、購入する本は、ほとんどが美術書だと話しました。舛添知事の政治資金報告書には、書籍代の名目の支出が多く、この書店では、2012年7月に1万3000円の書籍を購入した記載があります。 ▼美術書か、美術書7割、書道3割。2000円か3000円。 ▼その領収書の名前は? 知事の? ▼ほとんど。 ▼知事から?仕事か、プライベートでいうと、ここに来ているのはどういう感じでした? ▼いやぁ、やっぱりプライベートで来てると思うよ。 ▼店主は、舛添知事がこの店で本を購入するのは月に1回程度で、プライベートで来ていると思うと話しました。一方、舛添知事は、みずからの政治資金の使い方などについて調査を依頼する第三者を、きょうまでに選任するとしています。舛添知事の問題に対し、都議会は、きょう開かれた議会運営委員会で、知事の所信表明などを受けて、検討する方針を示しました。都議会は、来月1日に開会します。スターバックスコーヒーが、きょうからスマートフォン一つで注文から支払いまでできる、新たなアプリの配信を始めました。 ▼こちらのアプリでは、アプリ上でドリンクをカスタマイズすることができます。こちらでお願いします。 ▼抹茶クリームふらぺちーのを豆乳に変更、チョコレートソースでよろしいですか? ▼よろしくお願いします。 ▼こちらのアプリを使うと、事前に飲み物の選択ができ、シロップやソースの追加などの細かい注文も、スマホ画面に表示されるバーコードを見せるだけで行うことができます。またアプリにクレジットカード情報を登録すると、注文から支払いまで行うことができるということです。スターバックスコーヒーでは、オンライン上の会員登録やホームページのアクセス数がここ5年間でおよそ6倍に伸びているとしており、インターネットの活用で、利便性の向上を図りたいとしています。以上、最新のニュースをお伝えしました。 ▼もうちょっとしたら、もうスマホからこうやってスターバックスコーヒー出るね。それでもう、飲めるよ。しかし赤星さん、舛添さん、次から次へと出てきて、週刊誌なんかでもありますけど、喫茶店代も、ものすごい金額になっててね。 ▼まあこんなん、僕言っていいのか分かんないですけど、僕ね、ちょっと開き直りも必要じゃないかなと思うんですよ。もうちょっとなんかかっこいい姿を見たいですよね。 ▼喫茶店代も何? コーヒーで言うたら40? ▼5杯。 ▼とかなんとか。 ▼出てましたよね。 ▼いろいろ出てますけど。きょう第三者、決めるんですね、このあとやりますけども。 ▼きょうまでにということですからね。 ▼しかしあと、なんかね、舛添さんは介護だとか、保育所の問題をやるっておっしゃってますけど、全然行かれてないっていってね、視察に。美術館とか。 ▼いろんな女性問題やら、いろんなことがどんどん膨らんできちゃってますね、今ね。 ▼分かりました。ありがとうございました。さあ、ということで、舛添東京都知事なんですけれども、政治資金の使い方、多くの疑問が噴出している中、先週の定例会見の中で、記者の質問に対して、第三者の厳しい目となる弁護士をきょうにも選任するというふうに見られています。そもそも法的、道義的に問題はあるのかないのか、きょうは嵩原さんもいらっしゃいますんで、ミヤネ屋が厳しい目で徹底検証したいと思います。 ▼きのう、渦中の舛添知事。 ▼知事、お疲れさまです。第三者の選定状況について。 ▼あすには選任できると思います。 ▼どういう形で発表されますか? ▼きょう、渦中の第三者がついに決まる。次々と浮上した政治とカネを巡る疑惑。昔の舛添知事は、他人の政治とカネなどの問題に、厳しい発言を繰り返していた。 ▼皆さんと同じ目線で、歩く人が知事をやらなければ、この、税金のむだづかいってのはなくならないんです。泥棒でしょう、これは。盗っ人なわけですよ。国民の税金を盗んでいったやつを公表しないでいいんですかっていう。政治とカネでこれだけ閉塞感がありますから、清潔な政治を目指さないといかんと思ってます。 ▼そして今、自分が追及される立場になった途端。 ▼第三者の目で見ていただく。第三者の。第三者の。第三者、第三者、第三者、第三者、第三者、第三者、第三者、第三者の目で調べて、やっていただきたいと思っております。 ▼クリーンなことを言っておきながら、グレーまみれで居座り続けるということについて、どう考えますか? ▼今、私は都知事の立場でございますので、そのことに対する答えは差し控えたいと思います。 ▼金のかからない政治を目指していた方が、いつから、このようになったんでしょうか? ▼私のほうからは、そういうことはもう、この場では差し控えたいと思います。 ▼第三者と45回も連発したあの会見から5日、舛添知事の政治資金の使い方などを評価するその第三者がきょう、選任されるという。一体どんな人物なのか。そしてその第三者の役割とは一体? このあとスタジオで。 ▼ここからは野村明大さんです。お願いします。 ▼よろしくお願いします。 ▼第三者45回言った? ▼そうなんです、そのうち今、20回ぐらいしか、ミヤネ屋、VTRに使ってないんですけどね。第三者ってことば。 ▼さあ、きょうにも選定するということですが。 ▼きょう、水曜日に、この放送中にもこの第三者が誰か分かるかもしれないので、もし分かればすぐ皆さんにお伝えしたいと思います。 ▼そもそも、その第三者って、なんなの?と。 ▼そうなんですよ。その第三者っていうのは、本当になんなんだっていうことで、ちょっとこないだ会見で言ってたこと、もう一回、まとめてみましたけれども、先週の金曜日には2時間15分で45回ですから、大体3分に1回ぐらい、第三者って言ったと。で、舛添さんが選任するこの第三者、こういうことを言ってますね。政治資金に精通した複数の弁護士なんだと。舛添さんの政治資金について調べるんだけれども、費用は舛添さんが持つんだと。この時点でもうすでに、第三者じゃないんじゃないかという話もありますけれども、こういう内容できょう発表する。発表するかどうか、分からないですね。きょう、選ばれる。 ▼嵩原さんね、政治資金に精通した複数の弁護士を、舛添さんのお金で選任するってことは、顧問弁護士、顧問契約じゃないですか。 ▼まあ、定期的にずっと長くね、顧問契約してるかどうかは別として、実際にいくら中立的にといっても、お金をもうもらってる時点で、結果、仮に中立で正しいものだとしても、誰もそれ、信じてくれませんよね。かといって、ほかの人にお金出させるわけにもいきませんので、このやり方自体が、かなり厳しい、確かに分かるんですけど、第三者がというのはですね。でも、これはちょっと、もう難しいんじゃないかと思いますね。 ▼だから五郎さん、企業なんかでいろいろね、不祥事だとか疑惑が生まれたとしたら外部委員みたいなのが出来ますよね。そこで調査しますけれども、それと似ているようで似てないようなね。 ▼それは企業の場合はね、やはり社風とか、いろんな構造的な問題もあるんではないかと。ただ、お金の問題だけじゃなくて、それを、背後にあるものをちゃんとあぶり出してもらいましょうという、ちょっと大義はあるんですよね。ただ、これは私から言わせれば、明らかにそれは自分がわかるところ、ずいぶんある話だから。それは。あとは会計責任者が、どういう処理のしかたをしたのかと、こう聞けばね、かなりの部分、分かるはずじゃないですか? ▼政治資金に詳しい弁護士の方っていうのは、過去を振り返ってどなたがいらっしゃるのかということですが。 ▼例えばこんな方がいらっしゃるんですね。弘中弁護士、有名な人ですけれども、小沢さんが、小沢一郎さんが、自身の資金管理団体、陸山会の4億円の土地取り引きに絡んで、規制法強制起訴されたときに、主任弁護人になった方ですけれども、結局、これ、2012年の時点で、共謀を認められないということで、小沢さん、無罪確定しました。無罪を勝ち取ったわけですよね。この弘中さんという方も、いらっしゃいますし、有名な人として。それから小渕優子さんの話があったときにね、2014年ですけれども、政治資金規正法違反事件ということで、結局、元秘書2人がうその記載をしてたっていうことで、これ、結局確定しましたけれども、有罪が。小渕さんが第三者委員会を設置したことがありました。このときにその第三者委員会の委員長になったのが、佐々木善三弁護士という方で、この報告書の中では小渕さんについて、結局、こういうことを言っているんですね。小渕さんには道義上の監督責任があるのは当然だが、不正への関与はなくて、法律上の責任はないって言い方をした、この佐々木弁護士という方もいらっしゃいます。今回、ミヤネ屋がね、直接、取材して、この弘中さんや佐々木さんのところに、これ舛添さんからオファーとかそういうのないですかって、直接聞いたんですが、まず弘中さん、事務所のほうはそういったことにはお答えしかねますと。それから佐々木さんのほうも、本人が外に出てるので分かりかねます。まあまあ、答えてくれなかったと。 ▼これは当然、弁護士の方、こういうことは言えないですもんね? ▼それは言えないでしょうね。ないとも言えないし。 ▼ただ、これ、弁護士さんっていうのは、こうやって見ますと、いろんな疑惑とかが生まれたときに、法的に果たして問題があるのかどうかというのを検証する人が、弁護士というふうに思ってもいいんですかね。 ▼うーん、どうでしょう。だって、弁護士っていうのは、公務員である裁判官とか検察官とは違って、まあ、いわばお金で雇われる、私的に雇われるわけですよね。ですから自分としてはこれが正しいと思って、見てるといっても、それはどうしても引っ張られてしまうわけですよ。それを戒めて、反対側にいこうとか考えるんですけどね、実際にこれ、本人が選任するというよりも、例えば弁護士会なりがプールしている第三者委員会の人間をプールしておいて、そこからピックアップするとか、そういうシステムがあって、それを利用するとかでなければですね、どこまでいっても、疑惑は出てしまうという。あと、出てくると思いますけれども、実際に政治資金っていうものがですね、果たして本当に自由に使えるのかどうかと。これ、実はまだ見解が確定してないと思ってるんですけど、その中で、果たしてどこまで正しい判断ができるのか、頼まれた弁護士も、非常に難しい立場になると思いますよ。 ▼弁護士の方は、じゃあ法的に責任があるのか、ないのか、会計責任者の方に責任があるのかどうなのかってことなんですけれども、もう一つ、やっぱり五郎さん言われているのは、道義的ってことばがあって。これ、道義的にっていうことばって、非常に難しいんですけど、かっこいいかかっこ悪いかってことでしょ、要はね? ▼かっこいいかじゃなくて、私はそうではなくて、公私混同してるかどうかですよ。さっきね、赤星さん、いいこと言った。というのはね、開き直りゃいいと、開き直りゃいいんですよ。私は、これは公的な仕事のためにこの金使ってると。それが多いとか、少ないとかってね、何言ってんですかと、私、それだけのことをやってますよと。堂々と言えばいいんですよ。 ▼全部、全部公的なお金なんだと? ▼そうそう。ところが今回、それを全く言えないというところに問題があるんですよ。 ▼じゃあ、開き直ったらまた大変なことになっちゃう。 ▼開き直れない状況だっていうことですよ、問題は。 ▼だからそのあたりで、なんか、ねっ、その政治家として、東京という日本の首都のトップとして、どうなんだろう? っていうところですよね。 ▼そうですよね。だから否定されなかったんだったら、じゃあ、もう疑惑、肯定されてるんですか?って、みんな思っちゃったというところがあると思うんですね、今回の舛添さんはね。 ▼で、第三者の厳しい目とされる弁護士は、何をチェックするのか。 ▼まさにね。宮根さんがさっきおっしゃった、法的にいいのかどうかと、あと道義的にというその両方あって、実は橋下さんも同じことをつぶやいてましたね。今月21日のツイッターなんですけれども、この第三者に、法的検証を頼むのか、法的検証を頼めば、問題なし、違法性なしとなるだろうと。ただ、政治倫理の検証、つまりこれ、道義的責任ということですけど、ここまで頼みますよと委ねれば、辞職勧告というふうになるんじゃないかっていうようなつぶやきをしていますね。 ▼だから、いわゆる法的な部分と、道義的な部分で、道義的な部分まで突っ込んでいくと、これ、辞めなきゃいけないんじゃないかと。 ▼そう、だから舛添さんが、その弁護士、第三者に本当に道義的な部分も検証してくださいって頼んだら、辞職勧告っていうのが、来るんじゃないの? って橋下さんは言ってるわけですよね。 ▼さあ、ということで、道義的な部分と法的な部分ということで、いろいろまあ、出ておりますが。 ▼ミヤネ屋の第四の目と銘打ちましたけれども、じゃあ、ミヤネ屋の目で、法的、道義的にはこれ、×なのか○なのか、△なのかというのをちょっと見てみようということで。 ▼うちが第四の目、名乗って大丈夫? ▼われわれが勝手に名乗りました、ここは。嵩原さんに法的な部分で○、×、△をつけてもらいました、いろんな疑惑について。それから神戸学院大学の上脇さん、この方も非常に政治資金に詳しい専門家ですけれども、道義的な部分で○、×、△、どうなのかと聞きましたけれども、この6つの疑惑に関して、道義的にはまず全部×だと、上脇さんはおっしゃってますね。 ▼嵩原さん、これ意外だなぁ。 ▼そうなんですよ、法律的なセーフなんじゃないかと結構、世の中でいう方いらっしゃるんですが、嵩原さんに聞くと、これ6つのうち、△が3つぐらいで跡は法律的に見ても、×じゃないのと。 ▼スパホテル、家族で宿泊、これを会議費として記載。ここでいろんなね、新党改革がなぜ選挙に敗れたのか、東京都知事選に出るか出ないかというような重大な会議を部屋でやりましたと。これ、法的には×? ▼本来×ですよ。これ、もともと、僕、政治の世界でね、全く間違ってるのは、形式さえ満たせば、あとは内容はどうでもいいっていうようなね、議論がずっとされてるんですよ。これ、もし会社で、あるいは個人でもいいです。預かったお金ね、会社のお金をこういうふうに使ってたらアウトだって言います。これはみんな、常識的にアウトだと思います。 ▼それはアウトです。 ▼アウトでしょ?なぜ政治のお金だったらセーフなのか。もともとお金っていうのは、預けられた目的があって、それに従って使うかぎりは、オーケーです。その裁量が大きいかちっちゃいかというのはあっても、全く違うものに使ったら、だめというのがあって、全く違うものに使うと刑法に横領罪っていうのがあるわけですよ。政治資金規正法だとか、政党助成金の法律であるとかっていうと、関係なく、まず、それがあるわけです。ですから、これが全く違う方向に使われてる、政治資金が使われているということになればですよ、それは本来アウトなんです。 ▼それは、政治資金規正法というのは、ざる法といわれてても、横領に近いんじゃないかと。 ▼政治資金規制法というのはもともと、入りと、使い方を明らかにしなさいっていうだけですから、使い方、自由ですよってまで読み込むのは、本来、間違ってるんです。 ▼これ、普通の民間企業でね、例えばですよ、野村さんがね、なんか家族で旅行行ってました。そのときに、ミヤネ屋のプロデューサーが来て、ごめん、何月何日の仕事やけどやってくれる?って言うて、やりましょうって言うて、あっ、はい、これ、出張って、ならへんもんね? ▼まあ、そんなもの計上したら、あしたから私、ミヤネ屋にいませんよね。 ▼そう、普通ならへんもん。プロデューサーがわざわざ旅館に来て、言うて、じゃあ、これ、出張ですねってならへんもんね? ▼ならないですね。 ▼中古車2台購入。 ▼これも中古車2台買って、1台、神奈川の湯河原の別荘近くで私的に使ってたんじゃないかという疑惑があって、これ、道義的には、上脇さんは、スタッフが使用してたんなら、人数と活動内容をちゃんと明らかにしなきゃいけないと言っていて、法的にも嵩原さんは×だと。 ▼これ×?例えば湯河原で東京のグラウンドデザインを考えるんだと。そういうときに車も要ると、それからさまざまななんですか、下着を買っていって、この下着が国民のために、いい下着なのかどうなのかっていう政治活動。それも×? ▼もうね、そこまでいったらむちゃくちゃでね、そしたら僕もぱっとお風呂入りながら、きょうの事件、あれ、どうしようかって考えたら、そこの例えばお風呂がね、使用料は、じゃあ、事務所費になるのかとかね、それなら家で絶対仕事、残ってるのやりますから、もう事務所費で計上していいのかとか、考えたところで、タクシー乗ったときに、考えたら、全部そうなっちゃうんです。だからそれを使ってるかどうか、主に事務所として使ってるかどうかであって、ちょっとでも使えばセーフっていうことを言ってること自体が間違ってるんですよ。 ▼だから一般的な感覚で言うと、完全におかしいですよね。 ▼政治家だから、許されるってことがおかしいんです。 ▼それからファミリー企業に家賃支払い。 ▼いわゆる政治資金、税金で家賃ビジネスやってたんじゃないかという、44万円が月々、奥さんと舛添さんの個人事務所にちゃりんちゃりんと、お金が入っていたんじゃないかと。これに関しては上脇さんは、奥さんの会社に税金が還流してるといって、ただ、嵩原先生は、ここに関しては法的には△と。 ▼これ、自宅の中に2つの事務所があって、1つは解散したんだけど、1つは残っているという中で、それを一部政治活動に使っているということですね。 ▼まあ、これは悩ましくて、△にしたんだけど、これはそういう事務所の形式を整えて、実際に定期的に使っているっていうことであれば、高いのは気になるんですけれども、その場合は、一応セーフになるだろうと思って、ただ、本当に使ってるのかな、形だけ、机置いてて、使ってますよっていう、これはごまかしですから、その場合は×になるなということで、内容が分からないので、一応△にしてます。 ▼分からないけど、赤星さんがシーズン中に、テレビ見てる部屋で、時々、バット振ってる。経費?それ、経費で落ちる? ▼落ちないでしょう、どう考えても。それ勉強して、例えばほかのチームのね、試合を見てて、それ、練習の一環として、このテレビのお金とかね、電気代とか、無理でしょう、そんなの。 ▼いやいや、なんかそれやったら、なんか舛添さん理論で言うと、落ちそうな気ぃするよね。あっ、なんや、ジャイアンツ戦やってるなって、あっ、…出てるわ。よし、バット構えて、よっしゃ! よっしゃ!この部屋経費って。そういうことですよね。 ▼クレヨンしんちゃんなんかは完全にその理論ですもんね。 ▼東京都民の方からお母様から来て、子どものことば遣いが悪いと。ほんで、クレヨンしんちゃんの影響を受けてると。クレヨンしんちゃんの本を読んでみて、ああ、こういうことば使いかいうの。いや、こうたらええやん、それ、自分の金でっていう。それぐらいはと思うやんね。ヤフオクを使い、資料などの名目で。 ▼美術品をたくさん買ってたという話ですね。これも上脇さんに聞くと、自分が買いたいものを政治資金で買ったんじゃないの?と。きょうのニュースでもありましたけど、本屋でたくさん美術品の本を買ってたなんて。ただこれも嵩原さんは、一応△ということになってます。 ▼これ一部、プレゼントだったりとか、自分がそういうの、書を書いてプレゼントをすると、一つ喜ばれるというね。 ▼そうなんですよね。これ、悩ましくってね、全く美術が、趣味がない僕が例えば、これ、買ってるとなると、自分の趣味じゃないですから、仕事使うんだろうなって思ったかもしれないけど、たまたま美術品が大好きな人がそこに偏ったということをまだ考えられるので。△かなと思ってます。 ▼新党改革の政党交付金429万円を、離党の月に自身の資金管理団体に寄付した。 ▼これはもう完全に上脇さんは、完全に党のお金を私物化してるんで道義的に×だと言っていて、嵩原さんも、これは×だと言っています。 ▼でもこれあれですよね、解散して残ったお金は国庫に返すんですよね。 ▼本来はそうしなきゃいけないのに、解散する前に駆け込みで、自分の政治団体に移しちゃってると。 ▼これはまあ、道義的にどうなんだって言われるけど、一般的にいうと、セーフじゃないかっていう話もありますけど、どうなんですか? ▼これもどうです?会社辞める前に、預かり金、出張費をね、10万、いつも預かってましたと、辞める前の日に、それを自分のポッケ入れて、で、逃げてしまった。絶対つかまるでしょう。つまり政党交付金というのは、確かに条件を付けて交付してはならないとありますけども、実際に政治資金に使うということは大前提なんですよね。それを政党の、それを自分のところに入れてしまったってなると、絶対使ってない前提ですけどね、…で改革のために使ってない前提だけど、そうであれば、もともと改革という政党のために使えと渡されたお金をですね、自分のために使ってることになるわけですから。それはもう、これは普通に考えれば、アウトです。 ▼これは五郎さんね、今の党がなくなるときに、政党交付金というのは普通、残ったお金は国庫に返せっていわれているんだけど、それを舛添さんは、新党改革のために使ったかどうかっていうのは別にして、自分のところの団体に流しているわけですよね。こういうことっていうのは、離合集散を繰り返す政党がたくさんある中で、なかったことじゃないと思うんです、僕、過去にも。 ▼基本的にね、この法律を作る場合に、ある種の性善説、国民に選ばれた代表を、あんまり細かく規制したりするっていうのはね、これはある種の性悪説みたいになっちゃうというのは一つ、あります。 ▼クリーンな政治活動をしてほしいというのがあります。 ▼それからもう一つやはり、公的なものと私的なもの。だって日曜日だって、別に、はっきり日曜日休むっていう話もありませんからね、政治家は。そのへんはもう、日曜日であろうがなんであろうが、政治活動はしなければいけない。そうするとその境目が分からなくなってきちゃうという話ですよ。そうやって考えると、みんな、限りなく公的なものを、私的なものが浸食しているっていうかね、そういう現象、今見てるとそういうの。 ▼東京都知事とか国会議員の方はいろいろありますけど、東京都知事だったら、まあ、何回、週に何回都庁に行かなきゃいけないなんて、ないわけですよね。勤務時間もないわけで、それは24時間、仕事してるっていえば、仕事してて、それだけの重大な責務を背負っていらっしゃるわけですから、その分に関しては、国民は絶大なるというか、東京都民の方は、絶大なる信頼をしてるわけですね。そこでやっぱり税金払ってらっしゃるわけだから。本当は24時間働かなきゃいけないところで、そこは性善説としてあるわけですよね。一方、いわゆる国会議員だとか、県会議員だとかいろいろありますけども、その人たちにお金を渡すっていうのは、あっ、お金がなかったら緊急のときに、政治活動できないでしょうっていうから、前渡ししてるわけですよね。それは性善説ですよね。そこの部分で、われわれは、われわれのお金ですけれども、じゃあ、いざというときに使ってくださいって、先渡ししてるっていう、性善説に立ってるわけです。だから疑わしいことはあんまりしちゃいけないということですね、結局。 ▼そういうことですよ。それからね、私、非常におかしいと思うのは、道義的責任をね、人に判断してもらうってのはね、変でしょう。それは。それ、道義的責任を感じてるかどうかは、自分が判断する話じゃないですか。なんか変だなと思って。 ▼恐らくね、さっき、嵩原さんとしゃべってたんですけど、全部領収書取ってはったんでしょ。それで2つの箱って言うてはったけど、もうぐっちゃぐちゃになって、もうふしょーっとやりはったんでしょうね。 ▼そのときに、分類を間違えたと言うのか、まあ、これは無理やわというのだけのけて、いけるのを全部入れてしまったのか。 ▼これ、無理やわっていうの、のけ方の線も、おかしいでしょう。 ▼だんだんだんだん甘くなってくるんですよ。これよく会社でも見られるんですけど。そこはある意味、逆に人間的だなと思うんです。だから、政治家の裁量ってもっとあってもいいと思うから、確かにあんまり細かいことは言わなくてもいいと思うんだけど、やり過ぎなんですよ。だから、細かいことを言われてるんです。 ▼だって湯河原行くのもまあ、お1人で行ってらっしゃったと。治療でね、湯治で行っていらっしゃったというけど、ご家族で行かれてたって話もあるし、それから政党交付金でね、なんか食料品だとか、トイレットペーパーだとか、買ってらっしゃったっていう話もあるし、でも、それは、湯河原は少なくとも団体のあれですよね? ▼舛添さんの個人の事務所の持ち物っていうことになっているので。 ▼だからそれは別にいいんですか? お金は。公的なお金で、政治資金でいいの? そこの建物がグローバルなんとか研究会の。 ▼グローバルだったら政治活動ですけど、舛添さんの個人事務所ですから、舛添政治経済研究所っていう。 ▼そうか。個人事務所か。 ▼ファミリーの、奥さんと舛添さんの個人の事務所ですからね。 ▼形式的に誰が持ってるってことよりも、実質的に、主として政治活動に使ってますよだったら、僕はもう全然、大手振って言ったらいいんです。たまにお風呂入っても。 ▼政治的活動なんてなんとでも言えますやん。トイレットペーパーの研究してるとか。 ▼それも限界あるっしょ。100本買って、研究したってしょうがない。 ▼最も根本的な問題は何かというと、それは公的な仕事に携わってる人は、一点でも疑いを持たれてはいけないっていう意識を常に持たなければいけないってことですよ。 ▼それから五郎さんもおっしゃってたみたいに、第三者の方の目っていうのは必要だと思いますけど、全部が分からないってことないと思う。舛添さん、分かってらっしゃることもあると思うんで、ご自分の口でね、説明していただきたいなと思いますね。明大さん、ありがとうございました。さあ、続いてはなんと、大変な方がミヤネ屋に、きょうはお越しくださいました。 ▼そうなんです。 ▼本日のゲストは松山千春さんでーす! ▼よろしくお願いいたします。 ▼どうも、ご無沙汰しております。松山さんがなんとこういう番組にいらっしゃるというのがね。 ▼びっくりだろ? ▼びっくりしましたよ! ▼お前がさ、毎日毎日ね、一生懸命ね、このこの緊張感のないスタジオ? なっ? それを俺も体感してみたくて。 ▼そうなんですか? どうですか?舛添さん。 ▼×だろうな。いや、それはもう、先生方もおっしゃるとおりで、やっぱりわれわれ国民は、やっぱり政治活動、資金ですよ。やっぱり公私混同は、ちょっと困りますよね。それを自分でちゃんと説明できないわけだから。 ▼まあでも、この話を振ると、だんだん過激な話になってくるんで。 ▼確かにな。 ▼松山さんのですね、ちょっとプロフィール、皆さんご存じだと思いますけれども。僕、旅立ちでデビューされたじゃないですか。松山さんって下積みないっていうことですか? ほぼほぼ? ▼ない。 ▼さすが、やっぱり天才ですね? ▼いやいや、天才なんだけど。 ▼天才だわ! 下積みないの? ▼赤星さん、絶対俺のほうが天才。 ▼ほんで季節の中ででどーんと出て。このころはやっぱり、ザ・ベストテンとか、ああいうの出ないっていう風潮、ありましたよね? ▼俺たち、テレビ嫌いだからな。 ▼いわゆるニューミュージック系の方々はですか? ▼そうだな。 ▼でも、そういう方々と千春さんは、やっぱりレベルが違うわけでしょう? ▼基本的にな。 ▼ただスタッフの説得により、ベストテンに出ました、まさかの事件がありまして、これが、トークが押して、山口百恵さんの歌唱時間がなくなる。しゃべり過ぎて、百恵さんが歌えなかったってこと? ▼お前、しゃべり過ぎてってな、出てくれって言うんだから、だから出たんだから。それで、百恵が遅れてきたんだよ。生番組に。それで俺が1位で、最後に歌うわけだよな。それで百恵が2位か3位だった。 ▼遅れてきちゃった? ▼そうそう、遅れてきたの。だから、俺にそれを、状況を言ってくれれば、俺だって、そんなしゃべらなかったけど、そんなおしゃべりな男じゃないんだから。 ▼うん。 ▼だけど、それが伝わらなかったから、ずっとやってていいんだなと思って。 ▼ほんで、しゃべったら、百恵さんが。 ▼百恵が。 ▼じゃあスタッフの不手際? ▼不手際だな。 ▼公私混同じゃないですね? ▼公私混同じゃない。道義的には。 ▼道義的には大丈夫? で、ということで、ことし、なんとデビュー40周年。 ▼そうなんですよ。 ▼すごいですねー。私もアルバム、ベストアルバム、ヒット曲、めちゃくちゃありますね、アルバム。 ▼うそつけっていうの。 ▼本当に。 ▼お前、俺、ほとんどヒット曲ないよ。 ▼よう言いますわ。ようそんな…、なんで、そこ謙遜するとこなんですか? ▼謙遜もなんもしないけど。40年間、ずっと、旅しながら、コンサートやってるわけじゃん。だから自分の曲が、はやってた、はやらないよりも、全部自分が作った曲だから、自分にとっては全部、いとしい曲なの。だから全然売れてない曲であろうが、ああ、いとおしいなぁと思いながら。歌ってるわけ。 ▼でもなんでね、こんなこわもてなのに、あんな優しい女の詞が書けるんですか? ▼それ、亡くなったたかじんさんにもね、よく言われたんだけど。 ▼そうですか。 ▼俺って、こわもてかな? ▼こわもてですよ、やっぱり。迫力がある。 ▼本当に? ▼迫力があるって、オーラがあるっていう意味ですよ。 ▼そういう意味ね。 ▼なんであんな繊細な歌が書けるのかな?と思って。 ▼確かにな。俺の生活態度と、曲とのギャップだな? ▼だって、たかじんさんが、全国、いろんなクラブ行くけど、全部、松山さんが先に行ってるっていう。 ▼確かにな。 ▼たかじんさんがびっくりしてたもん。で、いよいよ8月8日、武道館で40周年記念コンサート。これはどんなコンサートになるんですか? 弾き語りで、しかも? ▼弾き語り、ギター1本。 ▼おそらくあれですか、曲、2、3曲しか歌わないんじゃないですか。 ▼ばか!何を言ってるんですか。真面目にちゃんと歌いますよ。 ▼そうなんですか? ▼はい。 ▼言ったはいいけど、トークばっかりじゃないですよね? ▼そんなことない。やっぱりフォークシンガーとして、われわれはもう、家元制度じゃないから。 ▼そうですね。 ▼松山流とかないから。 ▼もうギター1本で、こういうふうに自分は、こういう曲を作ってきました。そういうところをぜひとも、8月8日っていうのは、俺が初めて札幌でコンサートをやったときの記念日なの。 ▼記念の日なんですか? ▼うん。 ▼じゃあ、初心に戻って、いっぱい聴かせてもらえるんですね? ▼だな。 ▼おっ。きょうせっかく松山千春さんにきていただいたので、ちょっと何曲か、ここで軽くこういう所で歌っていただくの、どうですか? せっかく。 ▼いや、それはいいんだけど。 ▼恋とか、恋とかもう、鉄板ですやん。 ▼歌える? ▼僕なんかカラオケ行ったら恋、どれだけ歌うか。 ▼おー、お前、 ▼なんと、こんな所で歌っていただけると。 ▼そうですね。 ▼それでは松山千春さんで、恋です。 ▼おー! ▼ちょっと、鳥肌が立った。 ▼感動。 ▼いや、千春さんね、汚いわ。 ▼何が? ▼このギャップ。きたねぇーなー。そりゃ、もてるよね。 ▼いやいや、そんなことはないけど、女に嫌われたことはない。 ▼そうなんだ。 ▼もう向こうに、恋に縁のない女たちがみんな涙ぐんでるというね。でも、千春さんがこういう詩を。 せっかくなら千春さん、僕、一番、大好きな歌が恋とともに、もう1個あるんですよ、これ。大空と大地の中で。これ。これはやっぱりね、励まされるじゃないですか。 ▼なぁ。 ▼ねっ? ▼熊本の方にもな、頑張ってもらいたいしな。 ▼ぜひそれ、千春さん、贈っていただいていいですか? ▼うん、いいよいいよ。 ▼よろしくお願いします。 ▼宮根がいけって言うんなら、いくよ。 ▼そんなことないですよ、また。また奥行って、説教せんといてくださいよ。 ▼ない、ない。 ▼頼みますよ。 ▼きょうはミーティングなし。 ▼ありがとうございます。 ▼ありがとうございました。 ▼ありがとうございました。ということで、千春さんのベストアルバム、40周年記念のベストアルバム。こちらも千春さんの名曲が全部入っておりますし、8月8日の武道館のコンサートは、恐らく千春さんの曲と共に、青春時代を過ごした方々もいらっしゃると思いますし、いろんな曲に、いろんな思い出、皆さんおありだと思いますが。 ▼本当に真面目に真剣に、ギター弾いて、ギター1本だけで ずっとやりますから。 ▼すごいな。五郎さん、やっぱり自分がこんなときに、この曲聴いたとか、あるじゃないですか。 ▼そうですよ。自分の青春そのものね。いや、でも、私、松山千春さん、間近に見てね、かわいいですね。いやいや。 ▼私、そっちの趣味はないんですよ。 ▼いやいやいや。 ▼あとね、僕なんか銀の雨なんかも好きなんですけど、ぜひ若い方もね、もう一回、千春さんの歌を聴いていただきたいと思います。もうチケット、 ▼千春さんのあと、つらいなぁ。なあ、昔ミュージシャン目指しとったのにな。 ▼いやいや、空気が変わりますね。 ▼空気変わりました。雲の様子、お願いします。 ▼爽やかな空気、スタジオなってますけども。天気図を、天気図じゃない、衛星画像見ますと。 ▼ちょっと下り坂ですよ、天気もう雨降って。雲かかってますね。雨が降ってます、こちら、レーダー見てみますと、九州や、あと四国で100ミリを超えてる所もありますね。 今夜にかけて雨が続きそうですね。では続いてあすのお天気、マークで見てみると、この雨雲が広がっていくんですね。太平洋側を中心にあしたは近畿や東海でも、雨量の多くなる所、出てきそうです。 ▼ちょっとまとまった雨になりますね、これね。 ▼可能性ありますね、山沿いを中心に。東京は傘マークついていませんが、夕方から雨の可能性はあります。雲が分厚くなりやすいです。気温を見てみますと。 ▼1週間のお天気です。サミットはなんか、雨のサミットみたいな感じですね。 ▼東海地方を見ると、木、金ですよね、サミットは。曇りや雨となりそうですね。土曜日と日曜日、晴れる所が多くなりますが、週明け、また曇りや雨の所が多くなりますね。 ▼いよいよあしたからサミットですけどね。雨振って地固まるになればいいよね、あの雨マークでね。 ▼うまいこと言いますね。 ▼うまいことって、それくらい言うよ、別に。果てしないって歌うか?また。
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◇1.目次 序言 第一章 世界新秩序の建設 一、世界史の轉換 二、新秩序の建設 三、國防國家體制の確立 第二章 國體と臣民の道 一、國體 二、臣民の道 三、祖先の遺風 第三章 臣民の道の實踐 一、皇國臣民としての修練 二、國民生活 結語 ◇2.序言 ↓本文はここをクリックして表示 +... 皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。 顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつた。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民精神は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生活の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。 ◇3.第一章 世界新秩序の建設 ▲1.世界史の転換 ↓本文はここをクリックして表示 +... 近世初期以來數百年に亙つて、世界人類を個人主義・自由主義・唯物主義等の支配下に置いた舊秩序は、いまや崩壞の一途を辿り、未曾有の世界的變動の中に、新秩序の建設は刻々に進行してゐる。この世界新秩序の意義を明確にするためには、先ず世界近世史に就いてその大要を瞥見しなければならぬ。 近世史は一言にしていへば、歐洲に於ける統一國家の形成と、これらの間に於ける植民地獲得のための爭覇戰との展開である。即ち近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。 この侵略を歐洲以外の諸國はただ深い眠りの中に迎へた。南北アメリカもアフリカも、オーストラリヤも印度も、武力を背景とする強壓と、宗敎を手段とする巧妙なる政策とによつて、瞬く間に彼らの手中に歸した。阿片戰爭によつてその弱體を暴露した支那もまた、忽ちにして彼らの蠶食の地と化するに及んだ。我が國は、室町時代末より安土桃山時代にかけて、先ずポルトガル・イスパニア等の來航に接し、後に鎖國政策によつて一時の静安を得たけれども、幕末に至りイギリス・フランス・アメリカ・ロシヤ等の來航漸く繁きに會し、神洲の地もまた安からざるものがあつた。 元來歐洲諸國民の世界進出は冒險的興味の伴つたものであつたとはいへ、主として飽くなき物質的欲望に導かれたものである。彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役に從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。而して西暦十八世紀末より十九世紀にかけての歐洲に於ける産業革命は、彼等の世界支配の勢いを劃期的に飛躍せしめたことはいふまでもない。機械の發明による工業の發達は、夥しい原料を要求すると共に、その莫大な製品を売り捌く海外市場を必要とした。彼らは愈々盛んに原料の獲得と製品のはけ口とを植民地に求めた。やがて勢いの趨くところ、彼ら同志の間に熾烈なる植民地爭奪や貿易競爭が起こり、かくして弱肉強食の戰いを繰り返したのである。近世に於けるイスパニヤ・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランス等の間の戰爭や勢力消長史は、海外侵略と密接な關係のないものはない。かかる弱肉強食的世界情勢の形成は、やがてその矛盾を擴大し、ついに西暦1914年の世界大戰の勃興を見ることとなつた。 世界大戰は、獨佛間の歴史的仇敵關係も與つてはいるが、主として英獨の制海權の爭奪、經濟制覇の鬪爭がその原因となつてゐる。而して戰爭の結果戰敗國ドイツは徹底的重壓を加へられて滅亡の淵に逐はれ、英佛米の獨占的世界支配が愈々強化せられた。民族自決の美名の下に弱小國家が戰後の歐洲地圖を彩つたけれども、それ等は要するに英佛米の世界制覇の堡壘たる役割りを擔ふものであつた。所謂正義人道はただ彼等の利己的立場を正當化する手段に過ぎなかつたのである。 近世初期以來西洋文明の基調をなした思想は、個人主義・自由主義・唯物主義等である。この思想は弱肉強食の正當視、享樂的欲望の際限なき助長、高度物質生活の追及となり、植民地獲得及び貿易競爭を愈々刺戟し、これが因となり果となつて世界を修羅道に陥れ、世界大戰といふ自壞作用となつて現れたのである。されば大戰後彼等の間からも西洋文明沒落の叫びが起こつたのは、當然のことといはねばならぬ。英佛米等があらゆる手段方法を講じて現状維持に狂奔し、また共産主義の如き徹底的なる唯物主義に立脚して階級鬪爭による社會革命を企圖する運動が熾烈となつた一方では、ナチス主義・ファッショ主義の勃興を見るに至つた。この獨伊に於ける新しい民族主義・全體主義の原理は、個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋精神に對して多大の關心を示してゐることは、西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。 かくて世界史の轉換は舊秩序世界の崩壞を必然の歸趨たらしむるに至つた。ここに我が國は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである。 ▲2.新秩序の建設 ↓本文はここをクリックして表示 +... 滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の精神の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已むに已まれぬ發動であつた。 我が國の地位は明治三十七八年戰役によつて一躍世界的となつた。この戰役は、ロシヤの東亞進攻態勢によつて獨立を脅威せられた我が國が、擧國一致、眞に國運を賭して立つた自衛のための戰いであつたが、その世界史的意義は極めて重大であつた。即ち歐洲の大強國帝政ロシヤが東洋支配の最後の一線に於いて、渺たる東海の一島國とのみ見られていた日本のために、圖らずも手強い反撃に遭い、歐米勢力の世界支配の體制はここに一轉するの兆しを示すに至つた。而して我が國の勝利は、全世界の耳目を慫動し、ひいては歐米の勢力下に慴伏を餘儀なくせられていた亞細亞諸國の覺醒を促し、獨立運動の氣運を喚起することとなつた。かくて印度をはじめ、トルコ・アラビヤ・泰・安南その他の諸國は歐米の羈絆を脱せんとの希望に燃え、支那の新しい民族運動にも強い刺戟となつた。かかる澎湃たる亞細亞の覺醒の氣運の中に我が國民は東亞の安定を確保することが日本の使命であり、東亞諸地方を解放することは、懸かつて日本の努力にあることを痛切に自覺したのである。 我が國は明治維新以來、開國進取の國是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて國運進展の根基に培い、營々として國力充實に邁進して來たのである。殊に明治二十七八年竝びに三十七八年戰役に於いて國威を海外に宣揚し、更に世界大戰を經て世界の強大國に躍進した。諸般の文物制度は顯著なる發達を遂げ、敎育の普及、學術の進歩、産業の發達、國防の充實等、あらゆる方面に於いてその面目を一新し、ここに我が國は名實共に東亞の安定勢力たるの地位を確立するに至つた。 かかる我が國運の隆々たる發展伸張は、東亞の天地を併呑せんとする歐米諸國をして深く嫉視せしめ、その對策として彼等は、我が國に對して或ひは經濟的壓迫を加へ、或ひは思想的攪亂を企て、或ひは外交的孤立を策し、以つて我が國力の伸張を挫かんとした。このことは同時に東亞をしてその自主性を喪失せしめ、永遠に彼等の傀儡たらしめんとするものに外ならない。 世界大戰の歸結たる所謂ベルサイユ體制は、戰敗國ドイツに徹底的重壓を加へると共に、英佛米による世界支配を強化せんとするものであつたといふことが出來る。而してベルサイユ條約成立後、國際聯盟を中心とする彼等の對日攻勢は愈々執拗となり、大正十年より翌十一年に亙るワシントン會議に於いては、國運の進展に必須の推進力たる軍備の削減を意圖して、主力艦の噸數に於ける比率を定めることによつて、我が海軍力に對する彼等の優位を確保せんとした。それのみならず、四國條約によつて太平洋上の島嶼の安全保障に名を藉りて我が國防を脅かし、また九國條約によつて支那に對する彼等の權益を擁護し、かつ我が大陸への發展を妨げんと企てた。彼らはこれに飽くことなく、更に昭和五年のロンドン會議に於いては補助艦艇の比率をも制限し、我が海軍力を英米に對して絶對的劣位に釘付けせんとした。これ我が國が東亞勃興の推進力としての地位に躍進するを阻まんとせるものに外ならない。またこれに前後してアメリカは、我が海外移民の入國を制限または禁止する等の處置に出でた。かく諸方面に於いて、我が國の發展を阻止せんとする策謀が續けられたのである。 かかる太平洋を周る諸情勢の逼迫につれて、東亞に於ける我が國の立場も急迫せる事態に直面することとなつた。即ち支那は歐米諸國の對日壓迫の勢いを利用してその經濟的支援を得、またソ聯との接近を圖り、かつ我が國力を過小に評価して日本與し易しとなし、同胞の血と肉とによつて確立せられた滿洲に於ける地位を蹂躙して、我が生命線を脅かすに至つた。かくて昭和六年九月、滿洲事變の勃發をみたのである。 世界史は滿洲事變を以つて新しき頁を書き始められた。世界の視聴は東洋の一角に集まり、英米勢力を中心とする國際聯盟はあらゆる手段を弄して妨害に乘り出した。併しながら我が國の堅き決意は、滿蒙三千萬民衆の運命を擔つて事變の完遂に邁進し、昭和七年には滿洲國の輝かしい誕生となつたのである。而して滿洲國は王道樂土・民族協和を理想として逐年迅速かつ健全に生長を續け、日滿一體の實愈々鞏固なるものがある。 多民族の搾取と犧牲とによつてその繁榮を續けんとする歐米諸國は、滿洲建國によつて大な脅威を感じ、國際聯盟を利用して飽くまで我が國に不當の制裁を加へんと狂奔した。所謂リットン報告書は専らそのための準備であり、聯盟は道義的世界を顯現せんとする我が意圖を蹂躙せんとした。ここに於いて我が國は遂に意を決し、昭和八年三月、國際聯盟を脱退するに至つたのである。國際聯盟脱退に關する詔書には、 今次滿洲國ノ新興ニ當リ帝國ハ其ノ獨立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ト背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ と仰せられてある。國際聯盟は畢竟名を世界の公論に藉りて、英佛等の世界大戰によつて獲得せる利權を護り、その現状を維持せんとする機關に堕し了はつたのである。我が國はかかる桎梏を敢然として摧破した。而も我が國の決意と武威とは、彼等をして何らの制裁にも出づること能はざらしめた。我が國が脱退するや、聯盟の正體は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追うて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピヤ問題に機を捉らへて脱退の通告を發し、國際聯盟は全く虚名のものとなつた。かくして我が國は昭和六年の秋以來、世界維新の陣頭に巨歩を進め來つてゐる。 我が國は滿洲國と協力して日滿一體の實を擧げてゐるが、東亞全般の新秩序を建設するには、支那との心からなる提携協力を必要とする。蓋し日滿支が一體となつてこの理想の實現に邁往してこそ、東洋の平和は確立せられ、ひいては世界の平和にも寄與し得るのである。北清事變以來擡頭し來つた支那の民族運動は、明治三十七八年戰役以來の我が國の目覺しき躍進に刺戟せられて急激に高まつたが、それは歐米の搾取と暴壓との桎梏を打破し、半植民地的地位を脱出して、大東亞共榮圏の一翼としての新しき支那の建設に向かふべきであつた。然るにその運動は、日支提携による東亞の自主的確立を欲せざる歐米諸國竝びにコミンテルンの畫策に乘ぜられ、却つてこれ等勢力に依存することとなり了はつた。かくして不幸にも根本方針を誤つた一部指導者は、抗日救國の名の下に一般民衆に對して多年に亙り執拗に抗日敎育を施し、ここに排日侮日の風潮は全支に瀰漫し、滿洲事變を經て日支の國交は愈々危機に瀕するに至つた。 昭和十二年七月、蘆溝橋に發した日支衝突事件に際しては、我が國は東亞の安寧のため、現地解決、不擴大方針を以つて臨み、隠忍自重して彼の反省を待つたのである。然るに支那は飽くまで我が實力を過小に評価し、背後の勢力を恃みとして、遂に全面的衝突にまで導いた。かくて硝煙は大陸の野を蔽い、亞細亞にとつて悲しむべき事態が展開せられるに至つたのであるが、事ここに及んでは我が國は事變の徹底的解決を期し、新東亞建設の上に課せられた嚴肅なる皇國の使命の達成に一路邁進しなければならぬ。天皇陛下には、ここに深く御軫念あらせられ、支那事變一周年に當たり下賜せられたる勅語に、 惟フニ今ニシテ積年ノ禍根ヲ斷ツニ非ズムバ東亞ノ安定永久ニ得テ望ムベカラザル日支ノ提攜ヲ堅クシ以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ と昭示し給ひ、國民の向かふべきところを諭し給ふた。まことに支那事變の目的は支那の蒙を啓き、日支の提携を堅くし、共存共榮の實を擧げ、以つて東亞の新秩序を建設し、世界平和の確立に寄與せんとするにある。 事變始まつて既に五星霜、御稜威の下この大なる使命を負うて、忠勇なる皇軍將兵は、嚴寒を冒し、酷熱を凌ぎ、陸に海に空に奮戰力鬪して赫々たる武勲を輝かし、また銃後の國民は擧國一體よく奉公のまことを致してゐるのである。而して支那には既に新政權確立し、新しき支那の建設は漸くその緒に就いた。即ち昭和十五年十一月、南京の國民政府との間に日華基本條約竝びに附屬議定書の正式調印を見た。これによれば兩國政府は、「兩國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテ緊密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル恆久的平和ヲ確立シ之ヲ核心トシテ世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望」するものであり、これがために兩國は政治・外交・敎育・宣傳・交易等諸般に亙り相互に兩國間の好誼を破壞するが如き措置及び原因を撤廢し、かつ將來もこれを禁絶すると共に、政治・經濟・文化等各般於いて互助敦睦の手段を講ずべき旨を協定したのである。同時にまた日滿華三國共同宣言が發表せられ、相互の主權及び領土の尊重、互惠を基調とする三國間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・經濟提携の實を擧げること、及びそのために必要なる一切の手段を講ずること等が宣言せられた。 これより前、昭和十五年九月、日獨伊三國の間に條約が締結せられるに當り、天皇陛下には詔書を渙發あらせられ、 大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザルモノアラントス朕ハ禍亂の戡定平和ノ克復ノ一日モ速カナランコトニ軫念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ朕ノ深く懌ブ所ナリ惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ爾臣民益々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ と宣はせられた。日本の世界史的使命は實にこの聖旨に拜して昭らかである。而してこの條約の根本精神は、その前文の冒頭に見る如く、萬邦をして各々その所を得しむるを以つて恆久平和の先決條件とするところにある。ここに我が國の東亞に於ける指導的地位は愈々不拔のものとなり、八紘を掩いて宇となす我が肇國の精神こそ、世界新秩序建設の基本理念たるべきことが愈々明確になつたのである。 支那事變は、これを世界史的に見れば、我が國による道義的世界建設の途上に於ける一段階である。世界永遠の平和を確保すべき新秩序の建設は、支那事變の處理を一階梯として達成せられる。從つて、支那事變は、蒋介石政權の打倒を以つて終はるべきものではない。我が國としては、支那を誤らしめた東亞に於ける歐米勢力の禍根を芟除し、大東亞共榮圏の一環としての新しき支那の建設に協力し、東亞竝びに世界が道義的に一つに結ばれるまでは、堅忍不拔の努力を必要とする。日獨伊三國條約の締結も、世界平和の克服を目的とするものに外ならない。この意味に於いて、我が國は二重三重の責務を世界に對して負うてゐるのである。即ち政治的には歐米の東洋侵略によつて植民地化せられた大東亞共榮圏内の諸地方を助けて、彼等の支配より脱却せしめ、經濟的には歐米の搾取を根絶して、共存共榮の圓滑なる自給自足經濟體制を確立し、文化的には歐米文化への追隨を改めて東洋文化を興隆し、正しき世界文化の創造に貢獻しなければならぬ。東洋は既に數百年に亙つて破壞せられて來た。その復興が既に容易の業ではない。更に新秩序を確立し新文化を創造するには、非常の困難が伴ふことは必然である。この困難を克服してこそ、眞に萬邦協和し、萬民各々その所を得るに至るべき道義的世界の確立に寄與し得る。まことに國史を一貫して具現せられ來つた肇國の精神は、さきに滿洲事變、更にまた支那事變を契機として世界史轉換の上に大なる展開を示すに至つたのである。 ▲3.国防国家体制の確立 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界新秩序の建設は、漸くその第一歩を踏み出したのみである。現状維持の自由主義的民主主義國家の一群は、これに對して相結んで必死の妨害を試みてをり、またその諸植民地は、彼等の術策により未だ歐米依存の迷夢から醒めきれぬ。まことに大業の前途はなお遼遠であつて、その行路は決して坦々たるものではない。あまねく世界人類をその堵に安んぜしめんとする我が國の責務は、尋常一様の覺悟を以つてしては到底果たすことが出來ぬ。この難局を突破するためには、國内の諸組織や機構も速やかに更新強化せられねばならない。これ國内新體制の確立が要望せられる所以である。 我が國は、近くは明治維新に際し擧國一致の體制を整へて外敵の侵攻を斥け、爾來國力を充實して富國強兵の實を擧げ、明治二十七八年竝びに三十七八年戰役の國難をも克服することが出來た。併しながら明治以來歐米文物の輸入に急なる餘り、ややもすれば本を忘れて末に趨り、我が古來の國風に悖るが如き餘弊を胎すに至つた。かくて明治三十七八年戰役は一般民心の弛緩を來たし、殊に世界大戰は未曾有の好景氣を齎して軽佻奢侈の風が瀰漫し、個人主義・自由主義・功利主義等の病弊が顯著となり、この間隙に乘じて赤化思想の流入もあり、時に我が國體の本義、肇國の精神を没却するものも出づるに至つた。綱紀の弛緩、思想の動搖、國防の輕視等、各方面に憂ふべき状態を呈したのである。偶々大正十二年九月、關東大地震が起こつたが、この災害も國民の反省と戒愼とを促すには足らなかつた。この時、國民精神作興に關する勅語を下賜あらせられた聖慮の程、ただただ恐懼に堪へぬ次第である。日本精神に還れとの痛烈なる叫びが國民の間から起こり來つたのは恰もこの頃からである。 やがて滿洲事變が勃發し、一般國民も緊迫せる四圍の情勢に目覺めて來た。更に支那事變の發生を見るに及び、國内體制も時局の推移に伴つて漸次革新せられ來つたのである。併しながら國民各層に深く浸潤せる弊習は俄かに拂拭すべからざるものがあり、事變初期に於いては國民の多くはかくまで大規模の戰ひなるとは考へず、まして世界史的意義に就いては認識を欠くものが少なくなかつた。然れども時局の進展は、我が國の使命の重大なるを明瞭ならしむると共に、國民を擧げて一國の偸安をも許さざる未曾有の難局に直面せるを覺らしむるに至つたのである。今後如何なる事態が發生するにしても、これに對し擧國一體となつて敢然その難に當るべき十分の覺悟と萬全の準備とを整へ、いかなる試煉にも堪へて飽くまで不動の國是の貫徹に邁進しなければならぬ。即ち政治・經濟・分化・敎育等國民生活のあらゆる領域に亙り、眞に擧國一致の體制を確立するすることこそ國家の焦眉の急務である。 凡そ國防は國家の存立上必須の要件である。國防なき國家の如きは空想の世界のことに屬する。國防の完全なると否とは實に國家存亡の岐かれるところであり、これを忘れて國家の生成發展は到底望むべくもない。されば新體制確立の具體的目標は、高度國防國家體制の整備にあり、國家總力戰體制の強化にある。 もと國防は武力戰に對する軍備を意味してゐた。少なくとも世界大戰に至るまでは、各國共にこの古い國防觀念に立脚して、軍備の充實を以つて直ちに國防の強化と考へ、戰爭は武力戰に終始したのである。然るに世界大戰が進行するに從つて兵器・弾藥・軍需資材等の甚だしき消耗は國内生産力の擴充を促して、戰線と銃後とが緊密に結合すると共に、外交戰・經濟戰・思想戰・科學戰等が武力戰と一體となり、あらゆる國家活動が直接戰爭に參加することとなつた。かくて戰爭は國家總力戰であり、戰線と銃後との別なく、國民全部が戰爭に從事してゐることを如實に感ぜしめたのである。總力戰體制に立脚するにあらざれば眞の勝利を獲ることは出來ない。たとひ武力戰に勝を制するとも經濟戰・思想戰等に敗北するならば、結局戰敗の苦汁を嘗めなければならぬ。その好例はこれを世界大戰に於けるドイツに見るのである。 戰爭の本質が武力戰から總力戰へと變化し來たるに伴ない、戰時と平時との境も明らかでなくなつた。世界が平和を謳歌してゐる時にも、その背後には各國の間に經濟戰・思想戰等熾烈なる鬪爭が續けられてゐる。平常より國家國民の總力が國家目的に集結統合せられ、最高度の機能を發揮し得るが如くに組織運營せられてゐるのでなければ、弋を執らずして既に敗退してゐるのである。若し國家の諸機構が支離滅裂となり、政治的には黨派が互ひに相剋對立し、經濟的にはその運營が個人の恣意と自由競爭とに放任せられて國家目的から遠ざかり、文化的にも學術・芸能・諸施設等がほとんど國家に貢獻するところなく更に國體に背き國民の志氣を頽廢せしめるが如き思想の横行するままに委ねられてゐるならば、國家とは名のみである。今次のドイツの目覺しき活躍は、決して高度性能の機械化軍備の威力のみよるものではない。平時にあつてそれを支へ、それを動かしてゐる旺盛なる國民精神と國民の熱烈なる國防への協力との賜なのである。換言すれば、よく擧國一致して國内諸般の體制を統一的に組織運營し、平時戰時を一貫して總力戰體制を充實し來つたによるものである。 今次歐洲大戰以來列強は競つて總力戰體制を採り、その強化に努めてゐる。英米等の民主主義國家も高度國防國家體制の整備を急いでいる。我が國は大東亞共榮圏の指導者として、また根本的には世界を道義的に再建すべき使命に鑑み、速やかに總力戰體制を完備し、以つて我が國是の遂行に邁進しなければならぬ。紀元二千六百年の紀元の佳節に當たり發せられた詔書には、 爾臣民宜シク思ヲ神武天皇ノ創業ニ聘セ皇國の宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力益々國體ノ精華ヲ發揮シ以テ時難ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ神靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ と諭し給ふてゐる。而して我が國の總力戰體制強化の目的は、偏に皇運を扶翼し奉るところにあり、それは全國民がその分に応じ各々臣民の道を實踐することによつて達せられる。ソ聯は共産主義による世界制覇を目的とし、階級的獨裁による強權の行使を手段としてゐる。ドイツは血と土との民族主義原理に立つて、アングロ-サクソンの世界支配、ドイツ壓迫の現状を打破し、民族生存權の主張に重點をおき、そのためにナチス黨の獨裁に對する國民の信頼と服從とを徹底せしめ、全體主義を採用してゐるのである。イタリヤは大ローマ帝國の再現を理想とし、方法に於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ黨の獨裁的全體主義に立脚してゐる。これ等に對し我が國は肇國以來、萬世一系の天皇の御統治の下に、皇恩は萬民に洽く、眞に一國一家の大和の中に生成發展を遂げて來たのであり、政治・經濟・文化・軍事その他百般の機構は如何に分化しても、すべては天皇に歸一し、御稜威によつて生かされ來つたのである。我が國家の理想は八紘を掩いて宇となす肇國の精神の世界的顯現にある。我が國の如く崇高なる世界史的使命を擔つてゐる國はない。されば新體制を樹立し國防國家體制を確立するといふも、一に我が國體の本義に基づき、固有の國家體制を生かして萬民輔翼の我が國本然の姿に還り、以つて我が國力の運用を萬全ならしめ、その總力の發揮に遺憾なきを期することに外ならぬ。もとより制度や組織・方法・技術等は虚心坦懷に他の長を採るとしても、核心は飽くまで本來の面目に反省し、その發揚に努るにある。 ◇4.第二章 国体と臣民の道 ▲1.国体 ※省略 ▲2.臣民の道 ※省略 ▲3.祖先の遺風 ※省略 ◇5.第三章 臣民の道の実践 ▲1.皇国臣民としての修練 ※省略 ▲2.国民生活 ※省略 ◇6.結語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界の歴史は變轉して止むことなく、諸國家の隆替興亡は常なき有様である。ひとり我が國のみ、肇國以來萬世一系の天皇の御稜威の下、臣民はよく忠によく孝に奉公のまことを致し、ひたすら發展を續け隆昌を重ねて今日に及んだ。而して今や我が國は、世界史上空前の深刻激烈なる動亂の間に處して未曾有の大業を完遂すべき秋に際會してゐる。まこと支那事變こそは、我が肇國の理想を東亞に布き、進んでこれを四海に普くせんとする聖業であり、一億國民の責務は實に尋常一様のものではない。即ちよく皇國の使命を達成し、新秩序を確立するは前途なほ遼遠といふべく、今後更に幾多の障碍に遭遇することあるべきは、もとより覺悟せねばならぬ。 今こそ我等皇國臣民は、よろしく國體の本義に徹し、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする國民道德を振起し、よく世界の情勢を洞察し、不撓不屈、堅忍持久の確固たる決意を持して臣民の道を實踐し、以つて光輝ある皇國日本の赫奕たる大義を世界に光被せしめなければならぬ。
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◇1.目次 序言 第一章 世界新秩序の建設 一、世界史の轉換 二、新秩序の建設 三、國防國家體制の確立 第二章 國體と臣民の道 一、國體 二、臣民の道 三、祖先の遺風 第三章 臣民の道の實踐 一、皇國臣民としての修練 二、國民生活 結語 ◇2.序言 ↓本文はここをクリックして表示 +... 皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。 顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつた。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民精神は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生活の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。 ◇3.第一章 世界新秩序の建設 ▲1.世界史の転換 ↓本文はここをクリックして表示 +... 近世初期以來數百年に亙つて、世界人類を個人主義・自由主義・唯物主義等の支配下に置いた舊秩序は、いまや崩壞の一途を辿り、未曾有の世界的變動の中に、新秩序の建設は刻々に進行してゐる。この世界新秩序の意義を明確にするためには、先ず世界近世史に就いてその大要を瞥見しなければならぬ。 近世史は一言にしていへば、歐洲に於ける統一國家の形成と、これらの間に於ける植民地獲得のための爭覇戰との展開である。即ち近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。 この侵略を歐洲以外の諸國はただ深い眠りの中に迎へた。南北アメリカもアフリカも、オーストラリヤも印度も、武力を背景とする強壓と、宗敎を手段とする巧妙なる政策とによつて、瞬く間に彼らの手中に歸した。阿片戰爭によつてその弱體を暴露した支那もまた、忽ちにして彼らの蠶食の地と化するに及んだ。我が國は、室町時代末より安土桃山時代にかけて、先ずポルトガル・イスパニア等の來航に接し、後に鎖國政策によつて一時の静安を得たけれども、幕末に至りイギリス・フランス・アメリカ・ロシヤ等の來航漸く繁きに會し、神洲の地もまた安からざるものがあつた。 元來歐洲諸國民の世界進出は冒險的興味の伴つたものであつたとはいへ、主として飽くなき物質的欲望に導かれたものである。彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役に從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。而して西暦十八世紀末より十九世紀にかけての歐洲に於ける産業革命は、彼等の世界支配の勢いを劃期的に飛躍せしめたことはいふまでもない。機械の發明による工業の發達は、夥しい原料を要求すると共に、その莫大な製品を売り捌く海外市場を必要とした。彼らは愈々盛んに原料の獲得と製品のはけ口とを植民地に求めた。やがて勢いの趨くところ、彼ら同志の間に熾烈なる植民地爭奪や貿易競爭が起こり、かくして弱肉強食の戰いを繰り返したのである。近世に於けるイスパニヤ・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランス等の間の戰爭や勢力消長史は、海外侵略と密接な關係のないものはない。かかる弱肉強食的世界情勢の形成は、やがてその矛盾を擴大し、ついに西暦1914年の世界大戰の勃興を見ることとなつた。 世界大戰は、獨佛間の歴史的仇敵關係も與つてはいるが、主として英獨の制海權の爭奪、經濟制覇の鬪爭がその原因となつてゐる。而して戰爭の結果戰敗國ドイツは徹底的重壓を加へられて滅亡の淵に逐はれ、英佛米の獨占的世界支配が愈々強化せられた。民族自決の美名の下に弱小國家が戰後の歐洲地圖を彩つたけれども、それ等は要するに英佛米の世界制覇の堡壘たる役割りを擔ふものであつた。所謂正義人道はただ彼等の利己的立場を正當化する手段に過ぎなかつたのである。 近世初期以來西洋文明の基調をなした思想は、個人主義・自由主義・唯物主義等である。この思想は弱肉強食の正當視、享樂的欲望の際限なき助長、高度物質生活の追及となり、植民地獲得及び貿易競爭を愈々刺戟し、これが因となり果となつて世界を修羅道に陥れ、世界大戰といふ自壞作用となつて現れたのである。されば大戰後彼等の間からも西洋文明沒落の叫びが起こつたのは、當然のことといはねばならぬ。英佛米等があらゆる手段方法を講じて現状維持に狂奔し、また共産主義の如き徹底的なる唯物主義に立脚して階級鬪爭による社會革命を企圖する運動が熾烈となつた一方では、ナチス主義・ファッショ主義の勃興を見るに至つた。この獨伊に於ける新しい民族主義・全體主義の原理は、個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋精神に對して多大の關心を示してゐることは、西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。 かくて世界史の轉換は舊秩序世界の崩壞を必然の歸趨たらしむるに至つた。ここに我が國は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである。 ▲2.新秩序の建設 ↓本文はここをクリックして表示 +... 滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の精神の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已むに已まれぬ發動であつた。 我が國の地位は明治三十七八年戰役によつて一躍世界的となつた。この戰役は、ロシヤの東亞進攻態勢によつて獨立を脅威せられた我が國が、擧國一致、眞に國運を賭して立つた自衛のための戰いであつたが、その世界史的意義は極めて重大であつた。即ち歐洲の大強國帝政ロシヤが東洋支配の最後の一線に於いて、渺たる東海の一島國とのみ見られていた日本のために、圖らずも手強い反撃に遭い、歐米勢力の世界支配の體制はここに一轉するの兆しを示すに至つた。而して我が國の勝利は、全世界の耳目を慫動し、ひいては歐米の勢力下に慴伏を餘儀なくせられていた亞細亞諸國の覺醒を促し、獨立運動の氣運を喚起することとなつた。かくて印度をはじめ、トルコ・アラビヤ・泰・安南その他の諸國は歐米の羈絆を脱せんとの希望に燃え、支那の新しい民族運動にも強い刺戟となつた。かかる澎湃たる亞細亞の覺醒の氣運の中に我が國民は東亞の安定を確保することが日本の使命であり、東亞諸地方を解放することは、懸かつて日本の努力にあることを痛切に自覺したのである。 我が國は明治維新以來、開國進取の國是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて國運進展の根基に培い、營々として國力充實に邁進して來たのである。殊に明治二十七八年竝びに三十七八年戰役に於いて國威を海外に宣揚し、更に世界大戰を經て世界の強大國に躍進した。諸般の文物制度は顯著なる發達を遂げ、敎育の普及、學術の進歩、産業の發達、國防の充實等、あらゆる方面に於いてその面目を一新し、ここに我が國は名實共に東亞の安定勢力たるの地位を確立するに至つた。 かかる我が國運の隆々たる發展伸張は、東亞の天地を併呑せんとする歐米諸國をして深く嫉視せしめ、その對策として彼等は、我が國に對して或ひは經濟的壓迫を加へ、或ひは思想的攪亂を企て、或ひは外交的孤立を策し、以つて我が國力の伸張を挫かんとした。このことは同時に東亞をしてその自主性を喪失せしめ、永遠に彼等の傀儡たらしめんとするものに外ならない。 世界大戰の歸結たる所謂ベルサイユ體制は、戰敗國ドイツに徹底的重壓を加へると共に、英佛米による世界支配を強化せんとするものであつたといふことが出來る。而してベルサイユ條約成立後、國際聯盟を中心とする彼等の對日攻勢は愈々執拗となり、大正十年より翌十一年に亙るワシントン會議に於いては、國運の進展に必須の推進力たる軍備の削減を意圖して、主力艦の噸數に於ける比率を定めることによつて、我が海軍力に對する彼等の優位を確保せんとした。それのみならず、四國條約によつて太平洋上の島嶼の安全保障に名を藉りて我が國防を脅かし、また九國條約によつて支那に對する彼等の權益を擁護し、かつ我が大陸への發展を妨げんと企てた。彼らはこれに飽くことなく、更に昭和五年のロンドン會議に於いては補助艦艇の比率をも制限し、我が海軍力を英米に對して絶對的劣位に釘付けせんとした。これ我が國が東亞勃興の推進力としての地位に躍進するを阻まんとせるものに外ならない。またこれに前後してアメリカは、我が海外移民の入國を制限または禁止する等の處置に出でた。かく諸方面に於いて、我が國の發展を阻止せんとする策謀が續けられたのである。 かかる太平洋を周る諸情勢の逼迫につれて、東亞に於ける我が國の立場も急迫せる事態に直面することとなつた。即ち支那は歐米諸國の對日壓迫の勢いを利用してその經濟的支援を得、またソ聯との接近を圖り、かつ我が國力を過小に評価して日本與し易しとなし、同胞の血と肉とによつて確立せられた滿洲に於ける地位を蹂躙して、我が生命線を脅かすに至つた。かくて昭和六年九月、滿洲事變の勃發をみたのである。 世界史は滿洲事變を以つて新しき頁を書き始められた。世界の視聴は東洋の一角に集まり、英米勢力を中心とする國際聯盟はあらゆる手段を弄して妨害に乘り出した。併しながら我が國の堅き決意は、滿蒙三千萬民衆の運命を擔つて事變の完遂に邁進し、昭和七年には滿洲國の輝かしい誕生となつたのである。而して滿洲國は王道樂土・民族協和を理想として逐年迅速かつ健全に生長を續け、日滿一體の實愈々鞏固なるものがある。 多民族の搾取と犧牲とによつてその繁榮を續けんとする歐米諸國は、滿洲建國によつて大な脅威を感じ、國際聯盟を利用して飽くまで我が國に不當の制裁を加へんと狂奔した。所謂リットン報告書は専らそのための準備であり、聯盟は道義的世界を顯現せんとする我が意圖を蹂躙せんとした。ここに於いて我が國は遂に意を決し、昭和八年三月、國際聯盟を脱退するに至つたのである。國際聯盟脱退に關する詔書には、 今次滿洲國ノ新興ニ當リ帝國ハ其ノ獨立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ト背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ と仰せられてある。國際聯盟は畢竟名を世界の公論に藉りて、英佛等の世界大戰によつて獲得せる利權を護り、その現状を維持せんとする機關に堕し了はつたのである。我が國はかかる桎梏を敢然として摧破した。而も我が國の決意と武威とは、彼等をして何らの制裁にも出づること能はざらしめた。我が國が脱退するや、聯盟の正體は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追うて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピヤ問題に機を捉らへて脱退の通告を發し、國際聯盟は全く虚名のものとなつた。かくして我が國は昭和六年の秋以來、世界維新の陣頭に巨歩を進め來つてゐる。 我が國は滿洲國と協力して日滿一體の實を擧げてゐるが、東亞全般の新秩序を建設するには、支那との心からなる提携協力を必要とする。蓋し日滿支が一體となつてこの理想の實現に邁往してこそ、東洋の平和は確立せられ、ひいては世界の平和にも寄與し得るのである。北清事變以來擡頭し來つた支那の民族運動は、明治三十七八年戰役以來の我が國の目覺しき躍進に刺戟せられて急激に高まつたが、それは歐米の搾取と暴壓との桎梏を打破し、半植民地的地位を脱出して、大東亞共榮圏の一翼としての新しき支那の建設に向かふべきであつた。然るにその運動は、日支提携による東亞の自主的確立を欲せざる歐米諸國竝びにコミンテルンの畫策に乘ぜられ、却つてこれ等勢力に依存することとなり了はつた。かくして不幸にも根本方針を誤つた一部指導者は、抗日救國の名の下に一般民衆に對して多年に亙り執拗に抗日敎育を施し、ここに排日侮日の風潮は全支に瀰漫し、滿洲事變を經て日支の國交は愈々危機に瀕するに至つた。 昭和十二年七月、蘆溝橋に發した日支衝突事件に際しては、我が國は東亞の安寧のため、現地解決、不擴大方針を以つて臨み、隠忍自重して彼の反省を待つたのである。然るに支那は飽くまで我が實力を過小に評価し、背後の勢力を恃みとして、遂に全面的衝突にまで導いた。かくて硝煙は大陸の野を蔽い、亞細亞にとつて悲しむべき事態が展開せられるに至つたのであるが、事ここに及んでは我が國は事變の徹底的解決を期し、新東亞建設の上に課せられた嚴肅なる皇國の使命の達成に一路邁進しなければならぬ。天皇陛下には、ここに深く御軫念あらせられ、支那事變一周年に當たり下賜せられたる勅語に、 惟フニ今ニシテ積年ノ禍根ヲ斷ツニ非ズムバ東亞ノ安定永久ニ得テ望ムベカラザル日支ノ提攜ヲ堅クシ以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ と昭示し給ひ、國民の向かふべきところを諭し給ふた。まことに支那事變の目的は支那の蒙を啓き、日支の提携を堅くし、共存共榮の實を擧げ、以つて東亞の新秩序を建設し、世界平和の確立に寄與せんとするにある。 事變始まつて既に五星霜、御稜威の下この大なる使命を負うて、忠勇なる皇軍將兵は、嚴寒を冒し、酷熱を凌ぎ、陸に海に空に奮戰力鬪して赫々たる武勲を輝かし、また銃後の國民は擧國一體よく奉公のまことを致してゐるのである。而して支那には既に新政權確立し、新しき支那の建設は漸くその緒に就いた。即ち昭和十五年十一月、南京の國民政府との間に日華基本條約竝びに附屬議定書の正式調印を見た。これによれば兩國政府は、「兩國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテ緊密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル恆久的平和ヲ確立シ之ヲ核心トシテ世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望」するものであり、これがために兩國は政治・外交・敎育・宣傳・交易等諸般に亙り相互に兩國間の好誼を破壞するが如き措置及び原因を撤廢し、かつ將來もこれを禁絶すると共に、政治・經濟・文化等各般於いて互助敦睦の手段を講ずべき旨を協定したのである。同時にまた日滿華三國共同宣言が發表せられ、相互の主權及び領土の尊重、互惠を基調とする三國間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・經濟提携の實を擧げること、及びそのために必要なる一切の手段を講ずること等が宣言せられた。 これより前、昭和十五年九月、日獨伊三國の間に條約が締結せられるに當り、天皇陛下には詔書を渙發あらせられ、 大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザルモノアラントス朕ハ禍亂の戡定平和ノ克復ノ一日モ速カナランコトニ軫念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ朕ノ深く懌ブ所ナリ惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ爾臣民益々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ と宣はせられた。日本の世界史的使命は實にこの聖旨に拜して昭らかである。而してこの條約の根本精神は、その前文の冒頭に見る如く、萬邦をして各々その所を得しむるを以つて恆久平和の先決條件とするところにある。ここに我が國の東亞に於ける指導的地位は愈々不拔のものとなり、八紘を掩いて宇となす我が肇國の精神こそ、世界新秩序建設の基本理念たるべきことが愈々明確になつたのである。 支那事變は、これを世界史的に見れば、我が國による道義的世界建設の途上に於ける一段階である。世界永遠の平和を確保すべき新秩序の建設は、支那事變の處理を一階梯として達成せられる。從つて、支那事變は、蒋介石政權の打倒を以つて終はるべきものではない。我が國としては、支那を誤らしめた東亞に於ける歐米勢力の禍根を芟除し、大東亞共榮圏の一環としての新しき支那の建設に協力し、東亞竝びに世界が道義的に一つに結ばれるまでは、堅忍不拔の努力を必要とする。日獨伊三國條約の締結も、世界平和の克服を目的とするものに外ならない。この意味に於いて、我が國は二重三重の責務を世界に對して負うてゐるのである。即ち政治的には歐米の東洋侵略によつて植民地化せられた大東亞共榮圏内の諸地方を助けて、彼等の支配より脱却せしめ、經濟的には歐米の搾取を根絶して、共存共榮の圓滑なる自給自足經濟體制を確立し、文化的には歐米文化への追隨を改めて東洋文化を興隆し、正しき世界文化の創造に貢獻しなければならぬ。東洋は既に數百年に亙つて破壞せられて來た。その復興が既に容易の業ではない。更に新秩序を確立し新文化を創造するには、非常の困難が伴ふことは必然である。この困難を克服してこそ、眞に萬邦協和し、萬民各々その所を得るに至るべき道義的世界の確立に寄與し得る。まことに國史を一貫して具現せられ來つた肇國の精神は、さきに滿洲事變、更にまた支那事變を契機として世界史轉換の上に大なる展開を示すに至つたのである。 ▲3.国防国家体制の確立 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界新秩序の建設は、漸くその第一歩を踏み出したのみである。現状維持の自由主義的民主主義國家の一群は、これに對して相結んで必死の妨害を試みてをり、またその諸植民地は、彼等の術策により未だ歐米依存の迷夢から醒めきれぬ。まことに大業の前途はなお遼遠であつて、その行路は決して坦々たるものではない。あまねく世界人類をその堵に安んぜしめんとする我が國の責務は、尋常一様の覺悟を以つてしては到底果たすことが出來ぬ。この難局を突破するためには、國内の諸組織や機構も速やかに更新強化せられねばならない。これ國内新體制の確立が要望せられる所以である。 我が國は、近くは明治維新に際し擧國一致の體制を整へて外敵の侵攻を斥け、爾來國力を充實して富國強兵の實を擧げ、明治二十七八年竝びに三十七八年戰役の國難をも克服することが出來た。併しながら明治以來歐米文物の輸入に急なる餘り、ややもすれば本を忘れて末に趨り、我が古來の國風に悖るが如き餘弊を胎すに至つた。かくて明治三十七八年戰役は一般民心の弛緩を來たし、殊に世界大戰は未曾有の好景氣を齎して軽佻奢侈の風が瀰漫し、個人主義・自由主義・功利主義等の病弊が顯著となり、この間隙に乘じて赤化思想の流入もあり、時に我が國體の本義、肇國の精神を没却するものも出づるに至つた。綱紀の弛緩、思想の動搖、國防の輕視等、各方面に憂ふべき状態を呈したのである。偶々大正十二年九月、關東大地震が起こつたが、この災害も國民の反省と戒愼とを促すには足らなかつた。この時、國民精神作興に關する勅語を下賜あらせられた聖慮の程、ただただ恐懼に堪へぬ次第である。日本精神に還れとの痛烈なる叫びが國民の間から起こり來つたのは恰もこの頃からである。 やがて滿洲事變が勃發し、一般國民も緊迫せる四圍の情勢に目覺めて來た。更に支那事變の發生を見るに及び、國内體制も時局の推移に伴つて漸次革新せられ來つたのである。併しながら國民各層に深く浸潤せる弊習は俄かに拂拭すべからざるものがあり、事變初期に於いては國民の多くはかくまで大規模の戰ひなるとは考へず、まして世界史的意義に就いては認識を欠くものが少なくなかつた。然れども時局の進展は、我が國の使命の重大なるを明瞭ならしむると共に、國民を擧げて一國の偸安をも許さざる未曾有の難局に直面せるを覺らしむるに至つたのである。今後如何なる事態が發生するにしても、これに對し擧國一體となつて敢然その難に當るべき十分の覺悟と萬全の準備とを整へ、いかなる試煉にも堪へて飽くまで不動の國是の貫徹に邁進しなければならぬ。即ち政治・經濟・分化・敎育等國民生活のあらゆる領域に亙り、眞に擧國一致の體制を確立するすることこそ國家の焦眉の急務である。 凡そ國防は國家の存立上必須の要件である。國防なき國家の如きは空想の世界のことに屬する。國防の完全なると否とは實に國家存亡の岐かれるところであり、これを忘れて國家の生成發展は到底望むべくもない。されば新體制確立の具體的目標は、高度國防國家體制の整備にあり、國家總力戰體制の強化にある。 もと國防は武力戰に對する軍備を意味してゐた。少なくとも世界大戰に至るまでは、各國共にこの古い國防觀念に立脚して、軍備の充實を以つて直ちに國防の強化と考へ、戰爭は武力戰に終始したのである。然るに世界大戰が進行するに從つて兵器・弾藥・軍需資材等の甚だしき消耗は國内生産力の擴充を促して、戰線と銃後とが緊密に結合すると共に、外交戰・經濟戰・思想戰・科學戰等が武力戰と一體となり、あらゆる國家活動が直接戰爭に參加することとなつた。かくて戰爭は國家總力戰であり、戰線と銃後との別なく、國民全部が戰爭に從事してゐることを如實に感ぜしめたのである。總力戰體制に立脚するにあらざれば眞の勝利を獲ることは出來ない。たとひ武力戰に勝を制するとも經濟戰・思想戰等に敗北するならば、結局戰敗の苦汁を嘗めなければならぬ。その好例はこれを世界大戰に於けるドイツに見るのである。 戰爭の本質が武力戰から總力戰へと變化し來たるに伴ない、戰時と平時との境も明らかでなくなつた。世界が平和を謳歌してゐる時にも、その背後には各國の間に經濟戰・思想戰等熾烈なる鬪爭が續けられてゐる。平常より國家國民の總力が國家目的に集結統合せられ、最高度の機能を發揮し得るが如くに組織運營せられてゐるのでなければ、弋を執らずして既に敗退してゐるのである。若し國家の諸機構が支離滅裂となり、政治的には黨派が互ひに相剋對立し、經濟的にはその運營が個人の恣意と自由競爭とに放任せられて國家目的から遠ざかり、文化的にも學術・芸能・諸施設等がほとんど國家に貢獻するところなく更に國體に背き國民の志氣を頽廢せしめるが如き思想の横行するままに委ねられてゐるならば、國家とは名のみである。今次のドイツの目覺しき活躍は、決して高度性能の機械化軍備の威力のみよるものではない。平時にあつてそれを支へ、それを動かしてゐる旺盛なる國民精神と國民の熱烈なる國防への協力との賜なのである。換言すれば、よく擧國一致して國内諸般の體制を統一的に組織運營し、平時戰時を一貫して總力戰體制を充實し來つたによるものである。 今次歐洲大戰以來列強は競つて總力戰體制を採り、その強化に努めてゐる。英米等の民主主義國家も高度國防國家體制の整備を急いでいる。我が國は大東亞共榮圏の指導者として、また根本的には世界を道義的に再建すべき使命に鑑み、速やかに總力戰體制を完備し、以つて我が國是の遂行に邁進しなければならぬ。紀元二千六百年の紀元の佳節に當たり發せられた詔書には、 爾臣民宜シク思ヲ神武天皇ノ創業ニ聘セ皇國の宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力益々國體ノ精華ヲ發揮シ以テ時難ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ神靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ と諭し給ふてゐる。而して我が國の總力戰體制強化の目的は、偏に皇運を扶翼し奉るところにあり、それは全國民がその分に応じ各々臣民の道を實踐することによつて達せられる。ソ聯は共産主義による世界制覇を目的とし、階級的獨裁による強權の行使を手段としてゐる。ドイツは血と土との民族主義原理に立つて、アングロ-サクソンの世界支配、ドイツ壓迫の現状を打破し、民族生存權の主張に重點をおき、そのためにナチス黨の獨裁に對する國民の信頼と服從とを徹底せしめ、全體主義を採用してゐるのである。イタリヤは大ローマ帝國の再現を理想とし、方法に於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ黨の獨裁的全體主義に立脚してゐる。これ等に對し我が國は肇國以來、萬世一系の天皇の御統治の下に、皇恩は萬民に洽く、眞に一國一家の大和の中に生成發展を遂げて來たのであり、政治・經濟・文化・軍事その他百般の機構は如何に分化しても、すべては天皇に歸一し、御稜威によつて生かされ來つたのである。我が國家の理想は八紘を掩いて宇となす肇國の精神の世界的顯現にある。我が國の如く崇高なる世界史的使命を擔つてゐる國はない。されば新體制を樹立し國防國家體制を確立するといふも、一に我が國體の本義に基づき、固有の國家體制を生かして萬民輔翼の我が國本然の姿に還り、以つて我が國力の運用を萬全ならしめ、その總力の發揮に遺憾なきを期することに外ならぬ。もとより制度や組織・方法・技術等は虚心坦懷に他の長を採るとしても、核心は飽くまで本來の面目に反省し、その發揚に努るにある。 ◇4.第二章 国体と臣民の道 ▲1.国体 ※省略 ▲2.臣民の道 ※省略 ▲3.祖先の遺風 ※省略 ◇5.第三章 臣民の道の実践 ▲1.皇国臣民としての修練 ※省略 ▲2.国民生活 ※省略 ◇6.結語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界の歴史は變轉して止むことなく、諸國家の隆替興亡は常なき有様である。ひとり我が國のみ、肇國以來萬世一系の天皇の御稜威の下、臣民はよく忠によく孝に奉公のまことを致し、ひたすら發展を續け隆昌を重ねて今日に及んだ。而して今や我が國は、世界史上空前の深刻激烈なる動亂の間に處して未曾有の大業を完遂すべき秋に際會してゐる。まこと支那事變こそは、我が肇國の理想を東亞に布き、進んでこれを四海に普くせんとする聖業であり、一億國民の責務は實に尋常一様のものではない。即ちよく皇國の使命を達成し、新秩序を確立するは前途なほ遼遠といふべく、今後更に幾多の障碍に遭遇することあるべきは、もとより覺悟せねばならぬ。 今こそ我等皇國臣民は、よろしく國體の本義に徹し、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする國民道德を振起し、よく世界の情勢を洞察し、不撓不屈、堅忍持久の確固たる決意を持して臣民の道を實踐し、以つて光輝ある皇國日本の赫奕たる大義を世界に光被せしめなければならぬ。
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◇1.目次 序言 第一章 世界新秩序の建設 一、世界史の轉換 二、新秩序の建設 三、國防國家體制の確立 第二章 國體と臣民の道 一、國體 二、臣民の道 三、祖先の遺風 第三章 臣民の道の實踐 一、皇國臣民としての修練 二、國民生活 結語 ◇2.序言 ↓本文はここをクリックして表示 +... 皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。 顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつた。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民??は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生活の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。 ◇3.第一章 世界新秩序の建設 ▲1.世界史の転換 ↓本文はここをクリックして表示 +... 近世初期以來數百年に亙つて、世界人類を個人主義・自由主義・唯物主義等の支配下に置いた舊秩序は、いまや崩壞の一途を辿り、未曾有の世界的變動の中に、新秩序の建設は刻々に進行してゐる。この世界新秩序の意義を明確にするためには、先ず世界近世史に就いてその大要を瞥見しなければならぬ。 近世史は一言にしていへば、歐洲に於ける統一國家の形成と、これらの間に於ける植民地獲得のための爭覇戰との展開である。即ち近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。 この侵略を歐洲以外の諸國はただ深い眠りの中に迎へた。南北アメリカもアフリカも、オーストラリヤも印度も、武力を背景とする強壓と、宗?を手段とする巧妙なる政策とによつて、瞬く間に彼らの手中に歸した。阿片戰爭によつてその弱體を暴露した支那もまた、忽ちにして彼らの蠶食の地と化するに及んだ。我が國は、室町時代末より安土桃山時代にかけて、先ずポルトガル・イスパニア等の來航に接し、後に鎖國政策によつて一時の静安を得たけれども、幕末に至りイギリス・フランス・アメリカ・ロシヤ等の來航漸く繁きに會し、?洲の地もまた安からざるものがあつた。 元來歐洲諸國民の世界進出は冒險的興味の伴つたものであつたとはいへ、主として飽くなき物質的欲望に導かれたものである。彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役に從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。而して西暦十八世紀末より十九世紀にかけての歐洲に於ける産業革命は、彼等の世界支配の勢いを劃期的に飛躍せしめたことはいふまでもない。機械の發明による工業の發達は、夥しい原料を要求すると共に、その莫大な製品を売り捌く海外市場を必要とした。彼らは愈々盛んに原料の獲得と製品のはけ口とを植民地に求めた。やがて勢いの趨くところ、彼ら同志の間に熾烈なる植民地爭奪や貿易競爭が起こり、かくして弱肉強食の戰いを繰り返したのである。近世に於けるイスパニヤ・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランス等の間の戰爭や勢力消長史は、海外侵略と密接な關係のないものはない。かかる弱肉強食的世界情勢の形成は、やがてその矛盾を擴大し、ついに西暦1914年の世界大戰の勃興を見ることとなつた。 世界大戰は、獨佛間の歴史的仇敵關係も與つてはいるが、主として英獨の制海權の爭奪、經濟制覇の鬪爭がその原因となつてゐる。而して戰爭の結果戰敗國ドイツは徹底的重壓を加へられて滅亡の淵に逐はれ、英佛米の獨占的世界支配が愈々強化せられた。民族自決の美名の下に弱小國家が戰後の歐洲地圖を彩つたけれども、それ等は要するに英佛米の世界制覇の堡壘たる役割りを擔ふものであつた。所謂正義人道はただ彼等の利己的立場を正當化する手段に過ぎなかつたのである。 近世初期以來西洋文明の基調をなした思想は、個人主義・自由主義・唯物主義等である。この思想は弱肉強食の正當視、享樂的欲望の際限なき助長、高度物質生活の追及となり、植民地獲得及び貿易競爭を愈々刺戟し、これが因となり果となつて世界を修羅道に陥れ、世界大戰といふ自壞作用となつて現れたのである。されば大戰後彼等の間からも西洋文明沒落の叫びが起こつたのは、當然のことといはねばならぬ。英佛米等があらゆる手段方法を講じて現状維持に狂奔し、また共産主義の如き徹底的なる唯物主義に立脚して階級鬪爭による社會革命を企圖する運動が熾烈となつた一方では、ナチス主義・ファッショ主義の勃興を見るに至つた。この獨伊に於ける新しい民族主義・全體主義の原理は、個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋??に對して多大の關心を示してゐることは、西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。 かくて世界史の轉換は舊秩序世界の崩壞を必然の歸趨たらしむるに至つた。ここに我が國は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである。 ▲2.新秩序の建設 ↓本文はここをクリックして表示 +... 滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の??の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已むに已まれぬ發動であつた。 我が國の地位は明治三十七八年戰役によつて一躍世界的となつた。この戰役は、ロシヤの東亞進攻態勢によつて獨立を脅威せられた我が國が、擧國一致、眞に國運を賭して立つた自衛のための戰いであつたが、その世界史的意義は極めて重大であつた。即ち歐洲の大強國帝政ロシヤが東洋支配の最後の一線に於いて、渺たる東海の一島國とのみ見られていた日本のために、圖らずも手強い反撃に遭い、歐米勢力の世界支配の體制はここに一轉するの兆しを示すに至つた。而して我が國の勝利は、全世界の耳目を慫動し、ひいては歐米の勢力下に慴伏を餘儀なくせられていた亞細亞諸國の覺醒を促し、獨立運動の氣運を喚起することとなつた。かくて印度をはじめ、トルコ・アラビヤ・泰・安南その他の諸國は歐米の羈絆を脱せんとの希望に燃え、支那の新しい民族運動にも強い刺戟となつた。かかる澎湃たる亞細亞の覺醒の氣運の中に我が國民は東亞の安定を確保することが日本の使命であり、東亞諸地方を解放することは、懸かつて日本の努力にあることを痛切に自覺したのである。 我が國は明治維新以來、開國進取の國是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて國運進展の根基に培い、營々として國力充實に邁進して來たのである。殊に明治二十七八年竝びに三十七八年戰役に於いて國威を海外に宣揚し、更に世界大戰を經て世界の強大國に躍進した。諸般の文物制度は顯著なる發達を遂げ、?育の普及、學術の進歩、産業の發達、國防の充實等、あらゆる方面に於いてその面目を一新し、ここに我が國は名實共に東亞の安定勢力たるの地位を確立するに至つた。 かかる我が國運の隆々たる發展伸張は、東亞の天地を併呑せんとする歐米諸國をして深く嫉視せしめ、その對策として彼等は、我が國に對して或ひは經濟的壓迫を加へ、或ひは思想的攪亂を企て、或ひは外交的孤立を策し、以つて我が國力の伸張を挫かんとした。このことは同時に東亞をしてその自主性を喪失せしめ、永遠に彼等の傀儡たらしめんとするものに外ならない。 世界大戰の歸結たる所謂ベルサイユ體制は、戰敗國ドイツに徹底的重壓を加へると共に、英佛米による世界支配を強化せんとするものであつたといふことが出來る。而してベルサイユ條約成立後、國際聯盟を中心とする彼等の對日攻勢は愈々執拗となり、大正十年より翌十一年に亙るワシントン會議に於いては、國運の進展に必須の推進力たる軍備の削減を意圖して、主力艦の噸數に於ける比率を定めることによつて、我が海軍力に對する彼等の優位を確保せんとした。それのみならず、四國條約によつて太平洋上の島嶼の安全保障に名を藉りて我が國防を脅かし、また九國條約によつて支那に對する彼等の權?を擁護し、かつ我が大陸への發展を妨げんと企てた。彼らはこれに飽くことなく、更に昭和五年のロンドン會議に於いては補助艦艇の比率をも制限し、我が海軍力を英米に對して絶對的劣位に釘付けせんとした。これ我が國が東亞勃興の推進力としての地位に躍進するを阻まんとせるものに外ならない。またこれに前後してアメリカは、我が海外移民の入國を制限または禁止する等の處置に出でた。かく諸方面に於いて、我が國の發展を阻止せんとする策謀が續けられたのである。 かかる太平洋を周る諸情勢の逼迫につれて、東亞に於ける我が國の立場も急迫せる事態に直面することとなつた。即ち支那は歐米諸國の對日壓迫の勢いを利用してその經濟的支援を得、またソ聯との接近を圖り、かつ我が國力を過小に評価して日本與し易しとなし、同胞の血と肉とによつて確立せられた滿洲に於ける地位を蹂躙して、我が生命線を脅かすに至つた。かくて昭和六年九月、滿洲事變の勃發をみたのである。 世界史は滿洲事變を以つて新しき頁を書き始められた。世界の視聴は東洋の一角に集まり、英米勢力を中心とする國際聯盟はあらゆる手段を弄して妨害に乘り出した。併しながら我が國の堅き決意は、滿蒙三千萬民衆の運命を擔つて事變の完遂に邁進し、昭和七年には滿洲國の輝かしい誕生となつたのである。而して滿洲國は王道樂土・民族協和を理想として逐年迅速かつ健全に生長を續け、日滿一體の實愈々鞏固なるものがある。 多民族の搾取と犧牲とによつてその繁榮を續けんとする歐米諸國は、滿洲建國によつて大な脅威を感じ、國際聯盟を利用して飽くまで我が國に不當の制裁を加へんと狂奔した。所謂リットン報告書は専らそのための準備であり、聯盟は道義的世界を顯現せんとする我が意圖を蹂躙せんとした。ここに於いて我が國は遂に意を決し、昭和八年三月、國際聯盟を脱退するに至つたのである。國際聯盟脱退に關する詔書には、 今次滿洲國ノ新興ニ當リ帝國ハ其ノ獨立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ト背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ と仰せられてある。國際聯盟は畢竟名を世界の公論に藉りて、英佛等の世界大戰によつて獲得せる利權を護り、その現状を維持せんとする機關に堕し了はつたのである。我が國はかかる桎梏を敢然として摧破した。而も我が國の決意と武威とは、彼等をして何らの制裁にも出づること能はざらしめた。我が國が脱退するや、聯盟の正體は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追うて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピヤ問題に機を捉らへて脱退の通告を發し、國際聯盟は全く虚名のものとなつた。かくして我が國は昭和六年の秋以來、世界維新の陣頭に巨歩を進め來つてゐる。 我が國は滿洲國と協力して日滿一體の實を擧げてゐるが、東亞全般の新秩序を建設するには、支那との心からなる提携協力を必要とする。蓋し日滿支が一體となつてこの理想の實現に邁往してこそ、東洋の平和は確立せられ、ひいては世界の平和にも寄與し得るのである。北清事變以來擡頭し來つた支那の民族運動は、明治三十七八年戰役以來の我が國の目覺しき躍進に刺戟せられて急激に高まつたが、それは歐米の搾取と暴壓との桎梏を打破し、半植民地的地位を脱出して、大東亞共榮圏の一翼としての新しき支那の建設に向かふべきであつた。然るにその運動は、日支提携による東亞の自主的確立を欲せざる歐米諸國竝びにコミンテルンの畫策に乘ぜられ、却つてこれ等勢力に依存することとなり了はつた。かくして不幸にも根本方針を誤つた一部指導者は、抗日救國の名の下に一般民衆に對して多年に亙り執拗に抗日?育を施し、ここに排日侮日の風潮は全支に瀰漫し、滿洲事變を經て日支の國交は愈々危機に瀕するに至つた。 昭和十二年七月、蘆溝橋に發した日支衝突事件に際しては、我が國は東亞の安寧のため、現地解決、不擴大方針を以つて臨み、隠忍自重して彼の反省を待つたのである。然るに支那は飽くまで我が實力を過小に評価し、背後の勢力を恃みとして、遂に全面的衝突にまで導いた。かくて硝煙は大陸の野を蔽い、亞細亞にとつて悲しむべき事態が展開せられるに至つたのであるが、事ここに及んでは我が國は事變の徹底的解決を期し、新東亞建設の上に課せられた嚴肅なる皇國の使命の達成に一路邁進しなければならぬ。天皇陛下には、ここに深く御軫念あらせられ、支那事變一周年に當たり下賜せられたる勅語に、 惟フニ今ニシテ積年ノ禍根ヲ斷ツニ非ズムバ東亞ノ安定永久ニ得テ望ムベカラザル日支ノ提攜ヲ堅クシ以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ と昭示し給ひ、國民の向かふべきところを諭し給ふた。まことに支那事變の目的は支那の蒙を啓き、日支の提携を堅くし、共存共榮の實を擧げ、以つて東亞の新秩序を建設し、世界平和の確立に寄與せんとするにある。 事變始まつて既に五星霜、御稜威の下この大なる使命を負うて、忠勇なる皇軍將兵は、嚴寒を冒し、酷熱を凌ぎ、陸に海に空に奮戰力鬪して赫々たる武勲を輝かし、また銃後の國民は擧國一體よく奉公のまことを致してゐるのである。而して支那には既に新政權確立し、新しき支那の建設は漸くその緒に就いた。即ち昭和十五年十一月、南京の國民政府との間に日華基本條約竝びに附屬議定書の正式調印を見た。これによれば兩國政府は、「兩國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテ緊密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル恆久的平和ヲ確立シ之ヲ核心トシテ世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望」するものであり、これがために兩國は政治・外交・?育・宣傳・交易等諸般に亙り相互に兩國間の好誼を破壞するが如き措置及び原因を撤廢し、かつ將來もこれを禁絶すると共に、政治・經濟・文化等各般於いて互助敦睦の手段を講ずべき旨を協定したのである。同時にまた日滿華三國共同宣言が發表せられ、相互の主權及び領土の尊重、互惠を基調とする三國間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・經濟提携の實を擧げること、及びそのために必要なる一切の手段を講ずること等が宣言せられた。 これより前、昭和十五年九月、日獨伊三國の間に條約が締結せられるに當り、天皇陛下には詔書を渙發あらせられ、 大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザルモノアラントス朕ハ禍亂の戡定平和ノ克復ノ一日モ速カナランコトニ軫念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ朕ノ深く懌ブ所ナリ惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ爾臣民?々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ と宣はせられた。日本の世界史的使命は實にこの聖旨に拜して昭らかである。而してこの條約の根本??は、その前文の冒頭に見る如く、萬邦をして各々その所を得しむるを以つて恆久平和の先決條件とするところにある。ここに我が國の東亞に於ける指導的地位は愈々不拔のものとなり、八紘を掩いて宇となす我が肇國の??こそ、世界新秩序建設の基本理念たるべきことが愈々明確になつたのである。 支那事變は、これを世界史的に見れば、我が國による道義的世界建設の途上に於ける一段階である。世界永遠の平和を確保すべき新秩序の建設は、支那事變の處理を一階梯として達成せられる。從つて、支那事變は、蒋介石政權の打倒を以つて終はるべきものではない。我が國としては、支那を誤らしめた東亞に於ける歐米勢力の禍根を芟除し、大東亞共榮圏の一環としての新しき支那の建設に協力し、東亞竝びに世界が道義的に一つに結ばれるまでは、堅忍不拔の努力を必要とする。日獨伊三國條約の締結も、世界平和の克服を目的とするものに外ならない。この意味に於いて、我が國は二重三重の責務を世界に對して負うてゐるのである。即ち政治的には歐米の東洋侵略によつて植民地化せられた大東亞共榮圏内の諸地方を助けて、彼等の支配より脱却せしめ、經濟的には歐米の搾取を根絶して、共存共榮の圓滑なる自給自足經濟體制を確立し、文化的には歐米文化への追隨を改めて東洋文化を興隆し、正しき世界文化の創造に貢獻しなければならぬ。東洋は既に數百年に亙つて破壞せられて來た。その復興が既に容易の業ではない。更に新秩序を確立し新文化を創造するには、非常の困難が伴ふことは必然である。この困難を克服してこそ、眞に萬邦協和し、萬民各々その所を得るに至るべき道義的世界の確立に寄與し得る。まことに國史を一貫して具現せられ來つた肇國の??は、さきに滿洲事變、更にまた支那事變を契機として世界史轉換の上に大なる展開を示すに至つたのである。 ▲3.国防国家体制の確立 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界新秩序の建設は、漸くその第一歩を踏み出したのみである。現状維持の自由主義的民主主義國家の一群は、これに對して相結んで必死の妨害を試みてをり、またその諸植民地は、彼等の術策により未だ歐米依存の迷夢から醒めきれぬ。まことに大業の前途はなお遼遠であつて、その行路は決して坦々たるものではない。あまねく世界人類をその堵に安んぜしめんとする我が國の責務は、尋常一様の覺悟を以つてしては到底果たすことが出來ぬ。この難局を突破するためには、國内の諸組織や機構も速やかに更新強化せられねばならない。これ國内新體制の確立が要望せられる所以である。 我が國は、近くは明治維新に際し擧國一致の體制を整へて外敵の侵攻を斥け、爾來國力を充實して富國強兵の實を擧げ、明治二十七八年竝びに三十七八年戰役の國難をも克服することが出來た。併しながら明治以來歐米文物の輸入に急なる餘り、ややもすれば本を忘れて末に趨り、我が古來の國風に悖るが如き餘弊を胎すに至つた。かくて明治三十七八年戰役は一般民心の弛緩を來たし、殊に世界大戰は未曾有の好景氣を齎して軽佻奢侈の風が瀰漫し、個人主義・自由主義・功利主義等の病弊が顯著となり、この間隙に乘じて赤化思想の流入もあり、時に我が國體の本義、肇國の??を没却するものも出づるに至つた。綱紀の弛緩、思想の動搖、國防の輕視等、各方面に憂ふべき状態を呈したのである。偶々大正十二年九月、關東大地震が起こつたが、この災害も國民の反省と戒愼とを促すには足らなかつた。この時、國民??作興に關する勅語を下賜あらせられた聖慮の程、ただただ恐懼に堪へぬ次第である。日本??に還れとの痛烈なる叫びが國民の間から起こり來つたのは恰もこの頃からである。 やがて滿洲事變が勃發し、一般國民も緊迫せる四圍の情勢に目覺めて來た。更に支那事變の發生を見るに及び、國内體制も時局の推移に伴つて漸次革新せられ來つたのである。併しながら國民各層に深く浸潤せる弊習は俄かに拂拭すべからざるものがあり、事變初期に於いては國民の多くはかくまで大規模の戰ひなるとは考へず、まして世界史的意義に就いては認識を欠くものが少なくなかつた。然れども時局の進展は、我が國の使命の重大なるを明瞭ならしむると共に、國民を擧げて一國の偸安をも許さざる未曾有の難局に直面せるを覺らしむるに至つたのである。今後如何なる事態が發生するにしても、これに對し擧國一體となつて敢然その難に當るべき十分の覺悟と萬全の準備とを整へ、いかなる試煉にも堪へて飽くまで不動の國是の貫徹に邁進しなければならぬ。即ち政治・經濟・分化・?育等國民生活のあらゆる領域に亙り、眞に擧國一致の體制を確立するすることこそ國家の焦眉の急務である。 凡そ國防は國家の存立上必須の要件である。國防なき國家の如きは空想の世界のことに屬する。國防の完全なると否とは實に國家存亡の岐かれるところであり、これを忘れて國家の生成發展は到底望むべくもない。されば新體制確立の具體的目標は、高度國防國家體制の整備にあり、國家總力戰體制の強化にある。 もと國防は武力戰に對する軍備を意味してゐた。少なくとも世界大戰に至るまでは、各國共にこの古い國防觀念に立脚して、軍備の充實を以つて直ちに國防の強化と考へ、戰爭は武力戰に終始したのである。然るに世界大戰が進行するに從つて兵器・弾藥・軍需資材等の甚だしき消耗は國内生産力の擴充を促して、戰線と銃後とが緊密に結合すると共に、外交戰・經濟戰・思想戰・科學戰等が武力戰と一體となり、あらゆる國家活動が直接戰爭に參加することとなつた。かくて戰爭は國家總力戰であり、戰線と銃後との別なく、國民全部が戰爭に從事してゐることを如實に感ぜしめたのである。總力戰體制に立脚するにあらざれば眞の勝利を獲ることは出來ない。たとひ武力戰に勝を制するとも經濟戰・思想戰等に敗北するならば、結局戰敗の苦汁を嘗めなければならぬ。その好例はこれを世界大戰に於けるドイツに見るのである。 戰爭の本質が武力戰から總力戰へと變化し來たるに伴ない、戰時と平時との境も明らかでなくなつた。世界が平和を謳歌してゐる時にも、その背後には各國の間に經濟戰・思想戰等熾烈なる鬪爭が續けられてゐる。平常より國家國民の總力が國家目的に集結統合せられ、最高度の機能を發揮し得るが如くに組織運營せられてゐるのでなければ、弋を執らずして既に敗退してゐるのである。若し國家の諸機構が支離滅裂となり、政治的には黨派が互ひに相剋對立し、經濟的にはその運營が個人の恣意と自由競爭とに放任せられて國家目的から遠ざかり、文化的にも學術・芸能・諸施設等がほとんど國家に貢獻するところなく更に國體に背き國民の志氣を頽廢せしめるが如き思想の横行するままに委ねられてゐるならば、國家とは名のみである。今次のドイツの目覺しき活躍は、決して高度性能の機械化軍備の威力のみよるものではない。平時にあつてそれを支へ、それを動かしてゐる旺盛なる國民??と國民の熱烈なる國防への協力との賜なのである。換言すれば、よく擧國一致して國内諸般の體制を統一的に組織運營し、平時戰時を一貫して總力戰體制を充實し來つたによるものである。 今次歐洲大戰以來列強は競つて總力戰體制を採り、その強化に努めてゐる。英米等の民主主義國家も高度國防國家體制の整備を急いでいる。我が國は大東亞共榮圏の指導者として、また根本的には世界を道義的に再建すべき使命に鑑み、速やかに總力戰體制を完備し、以つて我が國是の遂行に邁進しなければならぬ。紀元二千六百年の紀元の佳節に當たり發せられた詔書には、 爾臣民宜シク思ヲ?武天皇ノ創業ニ聘セ皇國の宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力?々國體ノ?華ヲ發揮シ以テ時難ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ?靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ と諭し給ふてゐる。而して我が國の總力戰體制強化の目的は、偏に皇運を扶翼し奉るところにあり、それは全國民がその分に応じ各々臣民の道を實踐することによつて達せられる。ソ聯は共産主義による世界制覇を目的とし、階級的獨裁による強權の行使を手段としてゐる。ドイツは血と土との民族主義原理に立つて、アングロ-サクソンの世界支配、ドイツ壓迫の現状を打破し、民族生存權の主張に重點をおき、そのためにナチス黨の獨裁に對する國民の信頼と服從とを徹底せしめ、全體主義を採用してゐるのである。イタリヤは大ローマ帝國の再現を理想とし、方法に於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ黨の獨裁的全體主義に立脚してゐる。これ等に對し我が國は肇國以來、萬世一系の天皇の御統治の下に、皇恩は萬民に洽く、眞に一國一家の大和の中に生成發展を遂げて來たのであり、政治・經濟・文化・軍事その他百般の機構は如何に分化しても、すべては天皇に歸一し、御稜威によつて生かされ來つたのである。我が國家の理想は八紘を掩いて宇となす肇國の??の世界的顯現にある。我が國の如く崇高なる世界史的使命を擔つてゐる國はない。されば新體制を樹立し國防國家體制を確立するといふも、一に我が國體の本義に基づき、固有の國家體制を生かして萬民輔翼の我が國本然の姿に還り、以つて我が國力の運用を萬全ならしめ、その總力の發揮に遺憾なきを期することに外ならぬ。もとより制度や組織・方法・技術等は虚心坦懷に他の長を採るとしても、核心は飽くまで本來の面目に反省し、その發揚に努るにある。 ◇4.第二章 国体と臣民の道 ▲1.国体 ※省略 ▲2.臣民の道 ※省略 ▲3.祖先の遺風 ※省略 ◇5.第三章 臣民の道の実践 ▲1.皇国臣民としての修練 ※省略 ▲2.国民生活 ※省略 ◇6.結語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界の歴史は變轉して止むことなく、諸國家の隆替興亡は常なき有様である。ひとり我が國のみ、肇國以來萬世一系の天皇の御稜威の下、臣民はよく忠によく孝に奉公のまことを致し、ひたすら發展を續け隆昌を重ねて今日に及んだ。而して今や我が國は、世界史上空前の深刻激烈なる動亂の間に處して未曾有の大業を完遂すべき秋に際會してゐる。まこと支那事變こそは、我が肇國の理想を東亞に布き、進んでこれを四海に普くせんとする聖業であり、一億國民の責務は實に尋常一様のものではない。即ちよく皇國の使命を達成し、新秩序を確立するは前途なほ遼遠といふべく、今後更に幾多の障碍に遭遇することあるべきは、もとより覺悟せねばならぬ。 今こそ我等皇國臣民は、よろしく國體の本義に徹し、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする國民道?を振起し、よく世界の情勢を洞察し、不撓不屈、堅忍持久の確固たる決意を持して臣民の道を實踐し、以つて光輝ある皇國日本の赫奕たる大義を世界に光被せしめなければならぬ。
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水俣からの緊急要請 【以下転送歓迎】 突然水俣からお願いを申し上げます。ご賛同くださるかたは、以下にご署名いただ き、FAXまたはE-Mailにて、送りかえしていただけると大変うれしく存じます。状況は大変厳しく、一刻の猶予もありません。不躾なお願いではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。 FAX 0966-63-2980 E-mail amazon21@galaxy.ocn.ne.jp お問い合わせ 0966-63-4140 本願の会事務局 金刺潤平? 私は、趣旨に賛同しここに署名いたします。 ご署名( ) ご住所 お電話番号 何かメッセージがございましたら、一言、お願いします。 IWD東亜による 水俣産業廃棄物最終処分場建設計画を 撤回させるためにお力をお貸し下さい。 皆々様へ 水俣市民がIWD東亜による一般廃棄物をも含む産業廃棄物最終処分場建設計画を 知ったのは、2004年3月に方法書の縦覧が始まってからでした。環境アセスメントに入る前の事前協議などはまったく無い、突然のことでした。 公害の原点と言われる水俣には、いまだに多くの被害者が苦しみ続けています。そして、潜在化している被害は何処まで及ぶか見当も付きません。 水俣の犠牲は何のために払われてきたのか、皆様に良く考えていただきたいので す。単に地方都市で起きた環境破壊問題ではないのです。加害責任を負った企業チッソは、戦後の日本の食糧難を救い、日本の大きな工業技術、経済発展のために働いた会社です。そして、日本は高度な経済成長を遂げました。まさに水俣の犠牲は日本のためにあったのではないでしょうか。水俣病は、それまで環境に対して無知であった日本に環境庁(現環境省)を作らせました。そして、世界から人類共通の教訓として見つめられ続けています。 水俣市民は、トラウマというべき水俣病を乗り越えようと、徹底した分別ゴミ収集によるリサイクルそして減量化、断絶した地域の絆を取り戻そうとする「もやい直 し」等に取り組み、大きな実績を作ってまいりました。自分たちの町を再生させ、誇りを取り戻したい一身からの努力です。 その水俣に、環境インフラの整備という大義をかざして、民間の内陸型としては、最大規模の廃棄物最終処分場の建設が計画されているのです。事前協議も無く、環境アセスメントの手続きが合法的だという理由だけで、このような計画が人道的に、道義的に許されていいものでしょうか。 皆様に心から訴えます。どうか、水俣のIWD東亜産業廃棄物最終処分場建設計画撤回のために、御力を水俣にお貸し下さい。 水俣の命と水を守る市民の会 代表 坂本ミサ子 水俣を憂うる会 代表 坂本龍虹 本願の会 代表 浜元 二徳? (賛同人)石牟礼道子(作家)、伊藤比呂美?(詩人)、宇井純?(沖縄大学名誉教授)、上田麻里(編集者)、永六輔?(ラジオタレント)、岡本厚(編集者)、嘉田由紀子?(社会学者)、上条恒彦(歌手)、鎌田慧(ルポライター)、栗原彬?(明治大学教授)、桑原史成?(写真家)、桜井国俊(沖縄大学学長)、志村ふくみ(染織家)、白川静(立命館大学名誉教授)、土本典昭?(記録映画監督)、土屋恵一郎?(明治大学教授)、筑紫哲也?(ジャーナリスト)、富樫貞夫?(熊本学園大学教授)、中谷健太郎(湯布院亀の井別荘社主)、原田正純?(熊本学園大学教授)、平野美和子(ゆふいん文化・記録映像映画祭事務局)、町田康(作家、パンクロック歌手)、丸山照雄(僧侶、宗教評論家)
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百姓は国の宝である──これはその一般的の意味に於いてはあらゆる時代に通じる真理である。併しこの言葉は、徳川時代に於いては、ある特別の意味を持ってゐた。百姓は国の宝である、故に百姓は人格として尊重せねばならぬ──徳川時代の重農主義はかういふやうな論理の発展に向ふ思想ではなかった。又それは百姓は国の宝である、故に凡ての人は百姓を模範として生活せねばならぬ──かういふやうなトルストイじみた帰結を伴ふ思想でもなかった。百姓が国の宝たる所以は、支配階級の経済的勢力が彼等の納める年貢の基礎の上に築かれてゐるからである。町人から一定の租税を取立てることを思ひつかなかったほど、若くは思ひついてもそんなことをすることを恥辱とするほど、商を軽んじた此等の武家は、特に「年の物成」を非常に重大視すべき理由を持ってゐた。この目的のためには、百姓は勤勉でなければならなかった、さうして極めて質素従順でなければならなかった。百姓を此の如き状態に繋いで置くこと、これが徳川幕府の絡始一貫した方針と云っていいであらう。さうして百姓の無智がこの政策の遂行にとって甚だ有利であった。固より時勢の転変につれて彼等の間にも贅沢の習慣が徐々として浸潤して来たとは云へ、それはそれぞれの時代の町人及び武家のそれに較べれば、まるで問題にもならぬ程度のものであった。又町人の贅沢が武家に感染して、武家の財政の窮乏が次第に甚しくなるにつれて、百姓に対する苛斂誅求が彼等の負担力をあまりに超過するとき、百姓は結束して竹槍と鎌と蓆旗とを持出さざるを得なかった。かくて木内宗吾等を先輩とする「義民」の幾群が徳川時代社会史に多少の波瀾を揚げてゐるとはいへ、それも亦地方的部分的現象たるに止って、特殊の苛政がやめば特殊の暴動も亦終息した。それは階級的対抗の形勢を馴致するほどの情熱を持つには至らなかった。徳川幕府の対農政策が日本の経済文化の発展にとって有利であったかなかったか、それはおのづから別問題であるが、兎に角「御治世安泰」のために農民を支配する政策として、それが成功に近いものであったことは疑ひ得ないであらう。 尤もかういふのは武家が百姓を搾取の対象としてのみ見てゐたといふ意味ではない。この点に於ては、封建制度の哲学的倫理的基礎とも名くべき観念が事態を和げる。各人には生れながらにして具れるそれぞれの分がある。この身分に応じて生活すること、万民その分に甘んじて仮にも下剋上の振舞なきこと──これが士農工商の四民に通ずる道徳である。このやうな社会に於いては、広い意味に於ける「商売冥利」の思想が社会的秩序を保つの楔として作用する。商人が金錢を重ずるは商売冥利である、縦令それが愛児の一生の幸福に関することであっても、そのために大金を抛つのは商売冥利に尽きることである(例へば近松作『寿門松』の浄閑の如きは此の如き思想の一代表者である)。これと同様に、勤勉に質素に、出来るだけ「水を呑んで」生活して、滞りなく年貢を納め国恩に報いるのが即ち「百姓冥利」である。武家の搾取は此の如き道義的観念の上に立つが故に、それは良心の多くの不安なしに、百姓に対する温情や慈悲と両立し得るものとして行はれた。 立命館大学 文 昭和49年
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次回予告 やっほー、みんなのバーチャルアイドル五十村あやめちゃんだよ! 紆余曲折あって私の研究のせいでいろいろ大変なことになっちゃってるみたい。 や、でもでも私も被害者の一人なんだよ!? そうは言っても、道義的な責任的なやつ?を感じざるを得ないし せめてもの償いの代わりに素敵な提案をしてみるんだけど…? メタリックガーディアンRPG 『ハロー、プラネット。』 第2話 『The Man-Machine』 あれ、悪いのは本体だし、今の私って完全無罪じゃない? ハンドアウト PC1 コネクション 五十村あやめ 関係 任意 いっときはテンションで持ち直していたものの、時間が経つにつれ九重ここな(死霊号)は相当滅入っていた。 生身のときの感覚をふと忘れ、この体の自分に慣れつつあることに強い恐怖を感じるようになっていたのだ。 放課後に君に愚痴を垂れ流すことでなんとか精神の安定を保っているものの、それもいつまで続くかわからない。 そんな君たちを見ていた五十村あやめは良心の呵責に耐えかね、ある提案をしてくる。 それはここなのためになるのは間違いないが、女子高生が実行に移すにはとてつもなくハードルが高いアイディアだった。 君たちは究極の決断を迫られることだろう。 PC2 コネクション 六義園大悟 関係 任意 あの事件以降六義園と仲良くなり、ともにゲーセン(ジャスコ内)で遊ぶようになった君たち。 両足を失い義足となった六義園の操作精度は以前とは比べ物にならないほど落ちていたが、それでもなお君に食らいつこうとする姿勢だけは失われていなかった。 そんなある日、君は同学年の女子から理不尽な言いがかりをつけられる。 曰く、お前が修学旅行に来てしまったからあんなテロが起こったのだ、と。 PC3 コネクション 狩野十三 関係 任意 先の戦闘によりアルハズラッドの拠点のひとつを叩き潰した椿木隊。 宿敵が活発に動き出したのだから、これからはアルハズラッドを追い東奔西走だ! …などと思いきや、そんなことにはならなかった。 というのも、スカイツリー爆破テロを未然に防げなかったことに批判が集まり、警視総監はもとよりその地区を担当していたフォーチュンの司令官まで辞任に追い込まれる事態になっていたのだ。 結果、二の轍を踏むまいと各地の警備が強化され、アルハズラッドの小部隊の活動は君が現場に辿り着く前に鎮圧されるようになってしまっていた。 そんなこんなで戦力の足りない木菟市にしばらく腰を落ち着けることになった君だったが、木菟市のフォーチュン支部長である狩野からとある書類の作成を頼まれた。 このフォーチュン支部の管轄外で行動する場合、他の支部と補給などの連携を取るため、椿木隊に新しく加入したガーディアンの情報を記入してくれというのだ。 さて、あの頭を抱えるほどいわくつきの機体を正直に詳細に報告するべきかどうか… PC4 コネクション 九重ここな(死霊号)or 五十村あやめ 関係 任意 椿木隊に所属することになった君はせっかくなのでフォーチュン負担で健康診断を受けたり、きちんとした健康保険に入ったりと、以前より健康で文化的な生活を送るようになっていた。 ある日、君は狩野支部長から近場の博物館で開催される『人型ロボットとオタク展』の招待券を押し付けられる。 フォーチュンの後援団体の一つであるミーレスの製造会社が協賛しているようで、無駄に招待券が余っているというのだ。 狩野支部長曰く、ガーディアンの歴史やフォーチュンの沿革も学べるし、何より旧暦の技術についても説明してるから普通に面白いとのこと。 せっかくなので博物館に赴くことにした君だったが…。