約 1,243 件
https://w.atwiki.jp/chaos_city/pages/38.html
名前 ルカ・ヘイヴィティ 出身 混沌都市 性別 女 種族 人間 外見 ピンクブロンドの柔らかに舞うセミロングヘア、褪せた月にも蒼空にも似るブルーの瞳。 ダークブラウンのキャミトップ、細い胴から豊満な稜線を描く胸元を守るよう、銀色の羽根のようなペンダントトップを輝かせ、 黒いレースアップのデニムミニスカート、すらりと伸びる脚の温度を保つサイハイソックス、コンバットブーツで身を固めた女。 能力 Ūtfararvöndur Hringhorni: 指向性力場生成能力。 靴裏に生成して移動速度・巧緻性を大きく向上させる、装甲や建造物の表面に展開して疑似的な防壁として利用する、 攻防に際して身体操作を補助するなど、直接攻撃にこそ不向きだが、汎用性に優れ、なにかを守る戦いに最大の適性を発揮する。 発動方式は座標指定と対象指定。 後者は認識するだけで発動可能だが抵抗を受ければ発動済みの力場の制御にも支障をきたすため、自分や味方を対象とした支援能力としての使用になる。 装備 WUfS-7 Gráttstál: 射出機構と装甲、特殊金属の打突部をもつ異能式パイルバンカー。 射出後の引き戻しのための鎖、異能による加速の補助のための推進剤、替えの打突部と切り替え機能、 攻防の要として多様な機能を具える。基本的に先述の異能との併用を前提とした専用武装。 攻撃時はシンプルに近接武器として使うことが多いが、これは加速機構を利用すれば、対人用としては明らかに過剰な殺傷力を持ってしまうため。。 他に炸薬入りの打突部等も使用可能だが、さらに過剰な殺傷力とどうしても使い捨てになること、大きな反動等、 取り回しの悪さから普段は0~1発限りの切り札としている。 他に都市管理局の装備等も使用することはあるが、直接攻撃に使用することは少なく、特別な機能を持ったものの利用はさらに稀。 備考 都市管理局機動二課所属、若手ながら現場慣れした所作の戦闘員。 混沌都市に生まれ、身寄りのない孤児であったところを拾われたと語っており、そのためか都市管理局二課への思いは人一倍強い。 「無意味な苦しみがあってほしくないし、あるべきでもない」という信念を拠り所とし、特に民の平穏な日常を守ることを重んじる。 戦う理由ゆえか年少者の心身の保護にも力を注ぎ、余程の状況でない限り、立場を問わずまず向き合おうとすることが多い。 その一方で、有事の戦いぶりは苛烈そのもの。 普段の様子からは想像しがたい体術と一撃特化の武装、補助に優れる異能を駆使し、爆発物等も使いこなす。 その姿は、秘めた過去を思わせるものでもあるのかもしれない。
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/2164.html
北秋田市・上小阿仁村 北秋田市 http //www.city.kitaakita.akita.jp/ 北秋田市観光協会「あきた北ナビ」 http //www.kitaakita-kankou.jp/ 北秋田市商工会 http //shoko.skr-akita.or.jp/kitaakita/ 上小阿仁村 http //www.vill.kamikoani.akita.jp/forms/top/top.aspx 上小阿仁村 観光スポット http //www.vill.kamikoani.akita.jp/forms/menutop/menutop.aspx?menu_id=1013 上小阿仁村商工会 http //shoko.skr-akita.or.jp/town-kamikoani/ 観光コース バス・鉄道えきねっと(JR東日本)…旅の情報、ご予約、ショッピング 日本道路交通情報センター…北海道から沖縄まで ドラぷら…全国の高速道路の便利な情報が満載! タクシー 温泉 日帰りクウィンス森吉…秋田内陸線「阿仁前田駅」が温泉付駅舎として 湯の岱温泉…公営の温泉施設で受付には管理人さんが常駐 宿泊あきた あゆっこ…ブナ林からの冷たい清流で育ったアユは身がし 国民宿舎 森吉山荘…自然に溶け込み、自然と対話のできる場所 打当温泉 マタギの里…山深い打当の四季折々の自然を映す 杣温泉旅館…まさに秘湯の中の秘湯です・・・ 宿泊施設 民宿 旅館 ホテル阿仁の森ぶなホテル…大自然に抱かれてゆったりとした時の流れ ホテルニュー松尾…JR鷹巣駅より8分の市街地に位置し ホテル八木…大館能代空港まで10分、鷹巣駅前のビジネス・観 ペンション・コテージコテージ ラウル…森吉山近郊の宿泊ならペットも泊まれる リゾートホテル フィッシュ…パウダースノーの森吉山の稜線が 観光施設 観光スポット阿仁伝承館・異人館…金山が発見されてから700年・・・ キャンプ場北欧の杜公園…広大な公園は北欧のリゾート地をおもわせる 動物園・牧場熊牧場…ホンモノの熊に会いに行こう!! 植物園 博物館・美術館 道の駅道の駅 あに…近くには、安の滝や熊牧場、マタギ資料館、打当温泉が 道の駅 たかのす…博物館に世界の太鼓が勢ぞろい。 スキー場阿仁スキー場…ゴンドラが結ぶ山頂付近には、美しい樹氷群 特産品 お土産・お菓子お菓子の晩梅…あつあつの出来立てを食べに来てください。 農産物 畜産物 海産物 工芸品 グルメ 和食 洋食 中華 携帯サイト ※携帯電話でQRコードを読み取ってご利用下さい(準備中) 観 光 準備中 準備中 準備中 準備中 〈ブログ:北秋田市〉 #blogsearch 〈ブログ:上小阿仁村〉 #blogsearch /
https://w.atwiki.jp/hana11re/pages/17.html
北穂高岳東稜から穂高岳縦走 コジラの背の通過は牛若丸の如く 1991年9月 ほぼ諦めていた山行だった。大雨や洪水による被害、強風による被害などで”やま“どころではなかったからだ。会社から帰ってきてニュースを聞くと台風は既に通り過ぎたという。すぐに電話に飛びつき中央線と松本電鉄の新島々線が動いていることを確認するや、大急ぎでザックに荷物を詰め家を飛び出した。 11時50分発の急行南小谷行きは思いもかけず、特急“あずさ”の車両と同じで大満足。その上、台風の影響で客は少なく悠々と座席を独り占め。松本に着くと新島々行きがうまく接続してノンストップで終点まで。更にバスも勿論、すぐに出発して上高地には六時前に着いた。さすがに北アルプスの玄関口、バスターミナルには大勢のハイカーが出発の準備をしていた。売店が開いたのでパンとジュースを買い朝飯しにする。 今日の行程はムリなく涸沢までとし、一時間ほど歩いた明神館でカレーライスを食う。缶ビールで御機嫌。霧雨がふってきたが台風を考えれば上等のお天気といわねばならない。新村橋を渡ると急に静かになった。涸沢へのパノラマコースで最近人気がでてきたコースである。今回はこのコースを登ることと、北穂から西穂への縦走が目的の一つにもなっている。しかし何と言ってもメインは北穂の東稜を征することにある。ザイルも持ってきた。場合によっては使うことになるかもしれない。 奥又白沢の広い河原で休んでいると、一旦抜いた二人連れが追い付いてきた。互いにカメラのシャッターを押し合っているうちに福岡から来た青年と分かった。涸沢までの今日の行程をずっと一緒に過ごす事になる。 屏風のコルまでずいぶんシゴかれた。夜行の疲れもあり、しかも時々日が照りだして気温が上がってきた。一息入れて軽く食事を済ませると屏風の頭めざして登り始める。去年涸沢からの帰りに登り残してしまい今回は是非にと思っていた山である。二人連れもかなりバテたようだがあとから付いてきた。すこし上がると槍が見えてきた。上部にはコブが三つあってそれぞれがなかなかの景観である。天気はすっかりよくなり涸沢や槍のカールが大きく印象的である。 そのあと涸沢までは一時間もかからなかった。暗くなるまで余裕があったのでヒュッテ手前の大岩でザイル操作の練習をしてみた。明日悪場に出会って必要な時はザイルを使おうと思っているので、練習ぐらいはしておきたいと考えたからだ。簡単な懸垂下降を繰り返して感じをつかむとザイルをまるめて引き上げることにした。今宵の宿は北穂側の涸沢山荘に決めた。二人連れも一緒になり隣り合わせの部屋を与えられ、まずは缶ビールで乾杯。連休なのに個室に入れたのは幸運だった。 翌朝青年たちは山荘の食事を待たず五時前に出ていったようだ。北穂から大キレットを越えて槍の肩まで行く予定になっていた。私の方は出発は六時。一人ゆっくりと北穂沢をジグザグに詰めて行く。このコースは五月の雪壁は登ったが夏道の南稜はまだ歩いたことはない。ガイドブックに書いてあった通り、大きく左にそれて南稜に向かう地点から反対に右へ北穂沢のガラ場をトラバースする。東稜の全体を眺めて、どこから取り付いたら良いかなかなか決めかねたが、登り安そうな地点を追っていったらわずかな踏み跡が現れ、これを慎重に拾っていくとようやく稜線に続くルートが読めるようになった。まずは一安心。南稜の一般ルートにも人影が見えてきた。 ガレた急な斜面をうまく登り、ついに稜線にたどりついた。いよいよ東稜の本番である。スロー・アンド・シュアを何度も口に出し、気を引き締めてスタートだ。やせた岩稜の上を一歩一歩よじたりして進んで行くが身のすくむ程の高度感はない。東側の一般ルートはどれかと目で探してみるが、はっきりした踏跡は発見できなかった。また北穂池も見つからなかった。上部に行くにつれてガスが少しずつ晴れて、南稜の方はスカイラインを描き出した。しかし、大キレットから槍への稜線はまだはっきりしない。 いよいよ核心部が近付いたのを感じながら狭い岩稜をバランスをとって進んで行く。通称ゴジラの背と言われている所だ。岩稜上から西側に回り込んで大きな岩を登る箇所がきわどくて、ちょっと緊張した。そしてその先から一番の難所クライムダウンが始まる。ルートを目で追うと東側は高度感はなく、ハーケンが一本打ってありザイルで懸垂下降できるようになっている。垂直な岩はホールドがまるっこくなってつかみずらい。ただし、途中わずかなテラスで息をつけそうだ。思い切って靴のフリクションをきかせて降りてみた。慎重にテラスで息を整えてクラックに右足を預けると一気に下まで降りた。東稜はかくして走破された。 ところが、東稜のコルに立って本来のクライムダウンのルートが別にあることが分かり登り返そうかとも考えたが、東稜を征したことに変わりはないだろうと残念だが先へ進むことにした。本来のルートは一〇メートル程のほぼ垂壁で、最初の部分が西側の谷底に身を浮かす格好になりスリルがある。ただ、ホールドは十分あるので落ち着いて下りれば何のことはないと思われた。 前穂北尾根と涸沢カール 東稜のコルからは小屋めがけて直線的に登って行き、途中から右にトラバースして大キレットの一般縦走路に合流、ついに北穂高岳山荘に到着した。時刻は九時半だった。小屋で買った缶ビールをあけ、来しかたを感慨ぶかく眺めて良くやったなと我ながら感心すると同時にホッとしたものだ。しかし北鎌尾根と比べると尾根の規模が違うだけに、そして今それほどの疲労を感じてないだけに充実感がいまひとつというところか。それはとにかく槍、穂高のバリエーション・ルートの入門コースを二つクリアした。あと残るは前穂北尾根ひとつ。これはちょっと手強い。来年のシーズンまでには十分準備しておく必要がある。やはりクライミングの初歩的な講習は受けておくべきだろう。 穂高岳山荘 北穂の山頂に上がり、ぐるりを見渡してから穂高岳山荘に向けて出発。このルートは距離はないのに岩場の上下があるので時間が結構かかる。西穂から槍に縦走した経験はあるが逆縦走は初めてなので慎重に進んで行く。いつのまにか涸沢槍を通り過ぎ最後の難所をよじ登ると涸沢岳山頂は目の前にあった。山頂着十一時半。ここは相変わらず風が強く冷たい。すぐに眼下の山荘へ下りていった。山荘でラーメンを注文した。さてこれからどうしよう。明日から天気は崩れそうな気がする。人に聞いてみると明日も今日とほぼ同じような天気だという。今から西穂まで陽のあるうちに行けないことはないが、かなりの強行軍で相当疲労する。一般縦走路とはいえ、悪場は延々と続く。疲労からバランスを崩すことも考えねばならない。今日このまま下山するにしても四、五時間はかかる。疲れ切って家に帰るのも味気無い。結局この山荘に泊まることにした。明日天気が余程悪くなければ縦走を続けるつもりである。 宿泊の手続きをして二階の部屋にはいるが、時間のつぶしようがなく階下におりてストーブにあたることにした。常連顔した小母さんたちが声高に話しに夢中である。文庫から新田次郎の本を取り出して読む。山荘でこんなにゆったりとした時を過ごすなんてめったに無いことだ。 夕方になるとだんだん人が増えてきた。部屋に戻ってはなしを聞くと、この分ではフトン一枚に三人寝かされる、仰向けにはなれず横向きで寝るしかない、今夜は眠れそうも無いだろうと言う。寝返りも打てないなんて私としては初めての経験で恐ろしくなってきた。こんなことなら下りてしまうんだったと今更後悔しても始まらない。シュラーフを持ってきているのが唯一の救いだった。 同室の一番乗り氏は大柄で立派な体格をしており自分から船員だといった。槍沢から槍、穂を縦走してきて、明日は横尾から蝶ケ岳に登り燕岳から中房温泉に下山すると言う。一回の山行でずいぶん欲張った計画を立てたものだ。船に乗って海ばかり見ていると無性に山を歩きたくなる、という彼の言葉には実感があった。お昼に山荘に着いて宿泊の手続きをしてから奥穂をゆっくり往復してきたので遅くなったそうだ。この人も福岡の人だ。 二番乗り氏は膝を痛めてやっとのことで山荘にたどりついたと、話しとは反対に平然とした顔で言った。岐阜県在住の保険屋さんである。昨夜車で来て二時間仮眠をとっただけで登ってきたというからずいぶんな強行軍だ。睡眠を十分にとってないと無理が生じ体をこわす事になる。車は新穂高温泉に置いて白出沢から直接この山荘に登ってきたのだそうだ。ガラ場の歩行はどうしても足に負担がかかる。それも長時間の登行だけに遂に膝を痛めることになったのだろう。この人の話しの中で参考になる点があった。歩き始めて一〇分たったら必ず靴の紐を結び直すという。そして三〇分ごとに休憩しその都度結び直すのだそうだ。お陰で靴擦れやマメなどのトラブルで苦しんだことは無いとのこと。 そして私が三番乗りで、八畳のこの部屋には二四名が押し込まれることになっている。名古屋の近く稲沢市の市役所に勤める青年は元気がよく、自転車で北海道を周遊した実績がある。今はそれがオートバイに変わり、あるいは軽四輪キャブバンに生活道具を乗せてあちこち見聞するのが楽しみになっている由。友達は皆立派な乗用車を持っているが貯金もしなければならないのでそんな余裕は無いと笑っていた。上高地に車を置いてあり、明日西穂まで縦走する予定は私と同じだ。 食事の用意ができたアナウンスで皆食堂へ行く。内容はまずまずだった。部屋に戻って寝る支度をしていたら保険屋さんがフロントで聞いてきたらしく、この部屋には一六名がはいるのでタタミ一畳に二名ですんだと話してくれた。かくして寝返りも打てない恐怖の夜は避けられた。 次の日は朝のうちこそ霧がかかってどうかなと思われたが、奥穂の山頂に立った頃青空が見え出した。槍も姿を見せはじめた。六時に山荘を出たばかりである。朝の冷気が取り分け気持ちよい。名古屋の青年と福岡の住宅公団の係長氏が同行することになった。馬の背を慎重に越えてジャンダルムの基部から私の誘導で直登し、その山頂に立った。既に素晴らしい景観が展開していた。青年はとりわけ大喜びである。私は三度目の山頂だった。 コブの耳の岩畳にはテントが一張り。ロバの耳直下ですれちがった四人のクライマーの根城だろう。ジャンの東壁をやるといっていた。天狗のコルに降りていく途中、プロのガイドに率いられた五、六人のパーティに追い付いた。全員ロープでつながれている。去年の二月の八ヶ岳阿弥陀南稜を思い出した。あの時は全員足がそろっていたので、すべてコンティニュアスで通り抜けた。今までの山行で女房殿と一緒だった以外、唯一のパーティ参加であった。その時に物足りなく感じたことは今でも覚えている。山登りは自分で計画して自分の目でルートを確かめながら自分の足で登り、様々な危険に対処しながら無事下山することである。山登りには各人各様の楽しみ方がもちろんあってしかるべきで、それをとやかく言うつもりは無いが、私の山登りの目的がそこにあるとすると、どうもパーティに加わってバリエションルートを登ったところで、それは単に引っ張り上げてもらっただけのことで自分の意志と力の結果ではないと思えて仕方無い。体力がなくなって難しい岩場などを歩く自信がなくなってきたら、その時は花や野鳥を愛でる山行をすればよいと私自身考えている。 天狗岳山頂にて それはともかく、国内でどうしても登っておきたいルートがある。北鎌尾根をもう一度、前穂北尾根、それに鋸岳縦走の以上三つである。いずれもバリエーションルートの入門コースで来年ぜひとも踏破したいと思っている。今回の山行で念願の一つだった北穂高岳東稜を完登できたことはこの上なく嬉しいことだった。 さて、天狗の登りは垂直の一〇メートル位の登りから始まる。クサリがついているがこれに頼るようでは岩登りなどやめた方がよい。ガイド一行の苦闘した後から軽く天狗岳山頂に立った。ここで小休して写真を取り合う。そしてガラ場を下って登り返すといつのまにか間の岳山頂に立つ。狭く細長いこの山頂での憩いは楽しいものだった。北に笠ケ岳の勇姿を見ることは出来なかったが、この稜線上の景観は見事であった。 西穂高には西穂山荘からの往復ぐみを含めて数人が眺望を楽しんでいた。更に独標まで来ると、もう下界に降りたようなもの。大勢のハイカーで足の踏み場もないほど。十二時には西穂山荘に着いた。去年火事で焼けたあとに立派な山荘が建っていた。まだほんの一部の営業ということで、それでも一階が食堂で二階には五〇名が宿泊できると言う事だった。とにかく食堂で缶ビールを買って三人で乾杯した。 西穂山荘 上高地バスターミナルはやはり混雑していたが、名古屋のお兄さんの車で楽が出来た。坂巻温泉で一浴し塩尻駅まで送ってもらう。感謝。 私は、山は未経験ですが、山の魅力は充分自己投影して感じます。 -- 岬石 (2017-02-10 18 59 57) 山に触れれば創作意欲も湧くのでは? -- inada (2022-04-14 14 17 58) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/livetubetenhou/pages/67.html
最終結果 代表戦 東軍 くろてむ。 南軍 ケツ山すたぁω 西軍 サリエル 北軍 くろーばーはー♪ 代表戦結果 くろーばーはー♪(+53) ケツ山すたぁω(+16) くろてむ。(-16) サリエル(-53) 最終結果 東軍 -53 南軍 -22 西軍 -172 北軍 247 北軍の優勝です! ■東軍ランキング 順位 通算得点 平均得点 対戦 1位-2位-3位-4位 平均順位 プレーヤ名 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1 83 11.86 7 3- 2- 1- 1 2.00 kono 2 76 15.20 5 2- 2- 1- 0 1.80 光ったら押す 3 59 4.92 12 4- 2- 3- 3 2.42 シューアイス 4 20 1.82 11 3- 3- 3- 2 2.36 ローリングオナニ 5 7 0.70 10 3- 0- 3- 4 2.80 くろてむ。 6 -82 -6.83 12 2- 4- 1- 5 2.75 ドリィの飯 7 -136 -15.11 9 0- 2- 3- 4 3.22 マグ ■南軍ランキング 順位 通算得点 平均得点 対戦 1位-2位-3位-4位 平均順位 プレーヤ名 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1 100 10.00 10 4- 4- 0- 2 2.00 ケツ山すたぁω 2 67 8.38 8 3- 1- 4- 0 2.13 じゃりっぱげ 3 -31 -2.07 15 4- 3- 4- 4 2.53 ぱるぅぷんて☆ 4 -49 -4.45 11 2- 3- 4- 2 2.55 稜線行 5 -56 -9.33 6 2- 0- 0- 4 3.00 洵@ 6 -133 -26.60 5 0- 0- 1- 4 3.80 風のクロノア ■西軍ランキング 順位 通算得点 平均得点 対戦 1位-2位-3位-4位 平均順位 プレーヤ名 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1 30 2.50 12 2- 6- 2- 2 2.33 すないぱあ 2 24 8.00 3 1- 0- 1- 1 2.67 ウィザードリィ 3 17 5.67 3 1- 0- 2- 0 2.33 サリエル 4 -13 -3.25 4 0- 3- 0- 1 2.50 華天月地 5 -31 -2.82 11 2- 4- 1- 4 2.64 みさおは俺の嫁 6 -93 -7.75 12 1- 3- 6- 2 2.75 舞い降りた轟 ■北軍ランキング 順位 通算得点 平均得点 対戦 1位-2位-3位-4位 平均順位 プレーヤ名 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1 82 6.83 12 4- 4- 2- 2 2.17 くろーばーはー♪ 2 49 4.90 10 4- 2- 2- 2 2.20 そうるー 3 20 1.43 14 3- 3- 7- 1 2.43 ドリィの弟子3 4 4 0.67 6 2- 1- 1- 2 2.50 えあういんぐ 5 -5 -1.67 3 0- 2- 1- 0 2.33 美角 6 -9 -0.69 13 4- 2- 3- 4 2.54 ドリィのでし6 ■C1764通算得点ランキング(1戦以上) 順位 通算得点 平均得点 対戦 1位-2位-3位-4位 平均順位 プレーヤ名 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1 100 10.00 10 4- 4- 0- 2 2.00 南軍 ケツ山すたぁω 2 83 11.86 7 3- 2- 1- 1 2.00 東軍 kono 3 82 6.83 12 4- 4- 2- 2 2.17 北軍 くろーばーはー♪ 4 76 15.20 5 2- 2- 1- 0 1.80 東軍 光ったら押す 5 67 8.38 8 3- 1- 4- 0 2.13 南軍 じゃりっぱげ 6 59 4.92 12 4- 2- 3- 3 2.42 東軍 シューアイス 7 49 4.90 10 4- 2- 2- 2 2.20 北軍 そうるー 8 30 2.50 12 2- 6- 2- 2 2.33 西軍 すないぱあ 9 24 8.00 3 1- 0- 1- 1 2.67 西軍 ウィザードリィ 10 20 1.82 11 3- 3- 3- 2 2.36 東軍 ローリングオナニ 11 20 1.43 14 3- 3- 7- 1 2.43 北軍 ドリィの弟子3 12 17 5.67 3 1- 0- 2- 0 2.33 西軍 サリエル 13 7 0.70 10 3- 0- 3- 4 2.80 東軍 くろてむ。 14 4 0.67 6 2- 1- 1- 2 2.50 北軍 えあういんぐ 15 -5 -1.67 3 0- 2- 1- 0 2.33 北軍 美角 16 -9 -0.69 13 4- 2- 3- 4 2.54 北軍 ドリィのでし6 17 -13 -3.25 4 0- 3- 0- 1 2.50 西軍 華天月地 18 -31 -2.07 15 4- 3- 4- 4 2.53 南軍 ぱるぅぷんて☆ 19 -31 -2.82 11 2- 4- 1- 4 2.64 西軍 みさおは俺の嫁 20 -49 -4.45 11 2- 3- 4- 2 2.55 南軍 稜線行 21 -56 -9.33 6 2- 0- 0- 4 3.00 南軍 洵@ 22 -82 -6.83 12 2- 4- 1- 5 2.75 東軍 ドリィの飯 23 -93 -7.75 12 1- 3- 6- 2 2.75 西軍 舞い降りた轟 24 -133 -26.60 5 0- 0- 1- 4 3.80 南軍 風のクロノア 25 -136 -15.11 9 0- 2- 3- 4 3.22 東軍 マグ
https://w.atwiki.jp/hana11re/pages/23.html
山頂は死の世界だった 1988年3月 3/8(火)新宿7:00あずさ。しゃれたデザインの木曽福島駅からバスに乗る。深い木曾谷を木曾川、王滝川と遡って王滝村から御嶽の山麓を走り、神社の雰囲気色濃くなる中、八海山荘バス終点に着いた。登山口でカレーライスを食べる。 出発は13時。スキー場は若い人達でおお賑わい。リフト券八〇〇円支払ってスキーヤーの後に並ぶ。二つ三つとリフトを乗り継いで三笠山頂上直下まで。リフトの番人に雪の状況を聞き、なかば脅かされて、それでも赤いリボンを追って登り始める。確かに凄い雪で、いきなり腰までもぐって急な坂がなかなか登れない。幸い昨日登ったらしい、わずかのトレースをなぞって少しずつ前進することができた。 やっとのことで田の原に着き、雪原に下り立つと風が非常に強い。その厳しさにあらためて大変な所にきたという緊張感で体が震える思い。山荘や便所はかなり雪に埋まっており、幕営場所を探してウロウロしてしまった。建物に身を寄せても風は四方から吹きつけてくる。この分では明日の頂上アタックは無理かも知れないと漠然と思う。リフトの管理人の話しだと、きのう新たに三〇センチの雪が積もったそうだ。アイスバーン状態の雪の上に降って、そのぶん滑りやすくなっているはずだから気をつけるように注意してくれた。今日は午前中は晴れていたが午後になって悪くなったという。この正月の伊吹山のように入山日悪天、翌日好天といきたいものだ。 田の原山荘の西側の軒先にまあまあの場所を見つけた。目の前は吹き溜まりの雪が三メートル位の高さになっていて防風の役目をしてくれる。一六時半にはテントの中に入ってチビチビやり始める。きょうはスモークドビーフやサラミのスティックがある。日本酒、梅酒、ワイン。 3/9(水) 夜中は満天の星空で晴れていたのに、朝になって青空はあるが雲も多い。雲行きは早く風もある。ただきのう程ではない。出発できたのが七時半。ちょっと遅い。頂上を往復するには六時に出なければいけない。さて雪は覚悟していた通りかなり深く、スタートから苦しいラッセルを強いられた。暫くは頑張ってもみたが、すぐに嫌気がさして、こういう豪雪では一人ではもともと無理で頂上まではとても行けそうもないというわけで、どうも気力がわいてこない。それでも腰までもぐるラッセルに耐えながら、とにかく一歩一歩前に進んだ。行けるところまでいって引き返そうと考えていた。 小雪が舞う中、一時間もそうしている内にどうやら調子が出てきた。高度がだんだん上がり、頂上が近づいてきたこともあって王滝頂上までなら何とかなりそうな気になる。はい松の広大な高原を抜けて森林限界に達したのが九時半。ここで中食にする。ガスもようやく晴れ始め、田の原が眼下に見渡せるようになった。形良い三笠山に衛られた格好の、広い田の原高原は街からもスキー場からも遮断されて寂寥たるものである。ワカンをアイゼンに履き替え稜線を行く。まもなく八合目到着。しかし、ここからがなかなか進まない。樹林帯の深い雪を脱してかなりスピーディに足を運んでいるのだが、目の前に今やはっきり現れた王滝頂上が一向に近づいてこないのだ。いつかは着くだろうと気を取り直して踏ん張り、ようやく十一時二〇分、待望の王滝頂上に到着した。 神社に参拝したあと剣ケ峰を仰ぎ見る。手前の崩壊した窪地からはゴーッというもの凄い音を立ててガスが噴出していた。生物が生存できない灰色の世界の中で恐ろしいものを見たようで、茫然と立ちすくむだけだった。この場所から剣ケ峰の足許まで木道が延びていて、ちょうどその上をもの凄い勢いで噴出したガスが風で飛ばされ、あるいは吹きちぎられて横切って行く。風が強いせいか雪はあまり付いていない。剣ケ峰まで往復するのは造作ないことのようだが、仏像の立つ鞍部がちょうどガスの通り道になっている。激しい硫黄の臭気に苦しめられるに相違ない。ここまで来て剣ケ峰に登れないのは残念だが今回はこれまでにしようと、それでも何気なくそのルートに下り立って歩いてみると、どうしたものか足が止まらない。どんどん先へ進んでいってしまうではないか! 果たして剣ケ峰に向かって歩き始めてしまったのだ。問題の仏像の下辺りでは煙りをかいくぐって通り抜けた。確かに臭気は鼻をついたが危険といえるほどではなかった。大気の流れの方が強いように思われた。田の原への帰りの時間を考えると剣ケ峰往復は無理ではないかというのも先程躊躇した理由の一つであった。ただ、昨夜の天気予報では今日は天気は回復基調にあり、明日更に良い天気になりそうということだった。今現在西の方は青空で急激に崩れる心配はなさそう。少なくともあと二時間はもってくれるだろうという計算が頭の中でできていた。こうなったらゴー・ゴーだ!! 岩稜の登りは思いの外はかどって十一時五八分、ついに山頂に到着した。大きな感動の波が打ち寄せる。みんなありがとう・・・。山頂の神社の前で頭を垂れて家族一同の平安を祈る。この正月伊吹山から、そして二月に中央アルプスの稜線からこの山の裏表を遠望して、何時の日にかと思っていたのが以外と早く実現した。頭上を去来した暗雲は今や過ぎ去って景観は三百六十度。中央アルプス、北アルプスは霞んで見えないのは残念だが、この山を取り巻く麓の景観は見事に眼下にある。素晴らしいチャンスを与えてくれた神に感謝せねばならない。 山頂には十二分間とどまって直ぐに下山を始めた。念には念を入れて天気の良いうちに、気持に余裕をもった上で下山しようと言う事だ。優れた眺望を楽しみながら、どんどん高度を下げて行く。苦しかった登りがウソのようで、簡単に降りてしまうのが勿体ないくらい。八合目下まで来てアイゼンを脱ぎ、ワカンに再び履き替えると今回の山行が安全に完了しつつあることを知る。五五番目の百名山の完登である。 3/10(木)下山の日、やはり今日が一番良いお天気だった。きのうは下山中、八合目を過ぎてから空模様がおかしくなり、早めに下山したのが正解であった。今朝はテントを撤収して田の原を後にする頃には青空が広がり、スキー場の整備されたゲレンデを鼻歌まじりに下って行くときには日焼けを心配するほどよい天気となった。 トップへ
https://w.atwiki.jp/bsr_e/pages/2649.html
今年は気候が良かった。 程良い雨、程良い日差し。 たわわに実のった稲が少しずつ頭を垂れ始めていた。 「あと少しか…。」 小十郎は収穫の近い畑を見渡して、満足げに呟いた。 伊達は天下を取れなかった。 天下を治めたのは徳川で今の所悪くない政治をしている。 小十郎の主はと言えば、まだ天下への夢を諦めてはいないようではあるが、今この落ち着いた状況ではそれも難しいように思われた。 「さて…と。」 そろそろ時季も終りの野菜をいくつか収穫する。 味は落ちてきたが、やはり自分の畑で作った野菜は美味いものだ。 小十郎が晩飯の品書きを考えながら城へ向かうと、一頭の見慣れた馬がつけてあった。 「政宗様。」 そう言って自室に入ると部屋の主のような顔で政宗は横になっていた。 「Hey!元気にしてたか小十郎。」 「何かあったのですか?」 「いや?何もねえな。つまんねーくらいにな。ま、強いてゆえば野次馬ってやつだ。」 「は?」 「おめえにbeautifulなお客さんだ。」 そう言って政宗はにやにやと何か企むような笑みを浮かべた。 「おい!来たぜ。Come On!」 政宗が外に呼び掛ける。 小十郎が試しに新しい野菜を育てている菜園の方から何時か聞いたことのある声がした。 「来ただか?」 ひょこ、と顔を出した少女は小柄だったが、女性と呼んでも申し分無い豊かな稜線を湛えていた。 さらりと青みがかった銀色の髪が揺れる。 「誰だか分かるか?」 恐る恐る自分を見上げるその瞳。 いつか自分だけに不安な心を見せた少女を忘れる訳が無かった。 「まさか、いつき…でございますか?」 「Yes!大当たりだ。見違えただろ?」 目の前の少女は名前を直ぐに当てられたのが嬉しかったのだろう。 小十郎さん、と呼んで満面の笑みを浮かべた。 「……はい。」 引き寄せられるように庭に降り、いつきの前に立つ。 「元気にしてたか?」 「ああ、小十郎さんも相変わらず怖い顔だべ。」 いつきは全然怖くなさそうにそう言った。 それを聞いた政宗が背後で笑っている。 小十郎は心の中で舌打ちをした。 「小十郎さん、見てけろ。おら、おっきくなっただよ。」 笑顔をつくり両手を広げたいつきの声は何処か震えていた。 「ああ。」 以前と同じ色の髪を撫でてやる。 さらりとしていて相変わらず触り心地が良かった。 小十郎×いつき 2
https://w.atwiki.jp/okayamasiro/pages/344.html
城主 別名 遺構 歴史 概要 縄張り図 所在地 交通自家用車 公共交通機関 登城口 注意 写真遠景写真 城内写真 登城記録・感想等ぴっちゃん 10/08/14(霧) こた 10/08/14(霧) 居館推定地 近くの観光名所 参考文献 更新日 城主 別名 佐良山城 遺構 曲輪・土塁・竪堀・枡形虎口 歴史 概要 院庄館の詰城として築かれたため、北に院庄館がある。さらに、この城の東には皿山城・荒神山城・神楽尾城など主要な城跡が存在する。 遺構は、不規則な五角形の主郭を帯郭が囲い、南と東に曲輪群が展開する。帯曲輪は土塁が南西にあり、帯曲輪南には枡形虎口を伴い帯曲輪の南の曲輪と連結する。南の曲輪南はなだらかな尾根があるがそれを切るように横堀が二条存在する。その東には連続竪堀が存在する。この竪堀群の南は嵯峨山山頂であるが、山頂部にも人工的な削平地が存在する。また。主郭を取り囲む帯曲輪東にも小さな曲輪が存在する。 縄張り図 所在地 津山市中島 交通 自家用車 軽トラなら城跡直下までいけるが、道が狭いので麓に停めて登るのがよい。 公共交通機関 JR津山線佐良山駅 徒歩40分 登城口 注意 未整備の部分があるので藪こぎ覚悟で行かなければいけない。 写真 遠景写真 東から(霧で見えない) 院庄構から 城内写真 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (.jpg) 山頂碑 登城記録・感想等 ぴっちゃん 10/08/14(霧) この城は、北に院庄館があり東には篠山城があります。 城跡は山頂部にはなく山頂から北に延びた稜線上にあります(山頂部も遺構として何かあるようです。) 遺構は、不規則な五角形の主郭を帯郭が囲い、南と東に曲輪群が展開し南にはやせ尾根を切るように横堀がありその東には畝状連続竪堀群が存在します。見所としては、(草刈りをされてたので夏でも遺構がはっきりと見えるので)この竪堀群とその上にある曲輪から見える帯曲輪の切岸。 なお、道はいくつか道があるそうですが、東の登り口が道がしっかりしているので登りやすいと思います。 ある程度は整備されていますが、肝心な枡形は草がかなり生えており藪こぎしないとたどり着けない状態でしたので、あきらめました。行くなら草が枯れる冬がいいかもしれません。 こた 10/08/14(霧) 居館推定地 山麓? 近くの観光名所 参考文献 「日本城郭大系 13」 更新日 2010年11月06日
https://w.atwiki.jp/kuac/pages/12.html
17日 アルバイトを終えて部室に集合、荷物を整えて富士見研修所に出発。夜遅くに到着して田中さんとも合流する。翌日からの合宿に備えて早々に眠る。 18日 研修所で朝食を取り、斉藤さんとも合流して装備を整える。阿弥陀南稜登攀隊の登攀スピードを上げるため、テント等のいくつかの装備を省く。これでフォストビバークを行う場合、ツェルトでのビバークとなる。出来ればベースの行者小屋まで一気に行きたいものだと思う。装備を車に積み込み出発。立場川林道のゲートで降り、そこから出発。もう後戻りは難しい。当初予定していたよりだいぶ長いアプローチを行く事になる。うっすらと雪の残る林道を歩き、やがて川原沿いの山道へ。先行パーティーのトレースがある。そのトレースから先行パーティーの構成を予測する。いずれにしろ入山している人数は極めて少ないようだ。行動しているとけっこう暑い。旭小屋でウェアを調節し、その少し先で男女一人づつのパーティーを抜かす。トレースは狭くなったが、まだはっきりと残っている。無名峰まで到達、やはり男女一人づつのパーティーがここにテントを張っている。当初はこのあたりで野営の予定であったが、登攀ルートを突破するのに充分な時間はあると判断、続行する。この先にはもうトレースはない。交代でラッセルをしつつ進む。P1が望める稜線上でアイゼンを装着、ストックをピッケルに持ち替える。久しぶりの凍り付いた岩場の登攀に萎縮してしまい、遅々として進まない。特にP3のルンゼ登攀には時間がかかった。アイゼンの前爪を一発で蹴り込んでキメる事が出来ない。爪がしっかり利いてさえいれば滑ることは無いと理屈では分かっていても心が萎縮して体が言うことを聞いてくれない。何しろ一回足を踏み外せば奈落の底まで真っ逆さまなのだ。とはいえこれくらいのことは今まで何度もやってきたはずなのだが…その経験の蓄積が無ければ本当に危なかった。P4で初めてザイルを出して登る。出だしのトラバースが危なっかしい。ザイルがあるから安心感は格段にあるが、今度は天候と時間の心配をしなければならない。曽根さんのアイゼンにトラブルが発生。1ピッチを登り終えた後、最後の雪壁をノーザイルのトップで登る。岩場から雪渓に出る最初のポイントでほんの少し足を滑らせまたビビる。ほんの15mかそこらの雪壁が異常に長く感じる。何とか阿弥陀岳頂上に到達。日が暮れる前に降り口を捜し、日没に備えヘッドランプを装備して下る。相変わらず雪の斜面の下りは苦手だ。徐々に辺りが暗くなってくる。ヘッドランプの明かりを付ける。しかしLEDからミニチュア球に回路を切り替えた瞬間明かりが消え、戻らなくなってしまった。電池がかなり消耗していたらしい。何とか小屋まで頑張ろうとする他のメンバーについて行くため、とりあえずその場は放って置く事にする。辺りはもうすっかり暗い。ヘッドランプも付けずに行動するのはかなり不安だ。それでも何とか中岳を越え、稜線を下る。しかし何かがおかしい。何とかそこまでは辿り着きたいと思っていた文三郎道へのコルに辿り着けない。どうやらルートを見失い別な稜線へ入ってしまったようだ。中岳まで戻ろう、という事になったが自分はもう限界だった。これ以上不安を抱えて闇を手探りで進むのは御免だ。防水袋に入れておいたはずの電池だって見つからないし、疲れたし腹も減っている。ここはもうビバークにしましょうよと半分泣きながら懇願する。みっともないしカッコ悪いが自分はもうそうするしかなかった。懇願は受け入れられ、斜面に半雪洞を掘ってツェルトを張り、ビバーク体勢に入る。もう何もする気力もない。体を温めるためにスープを一杯入れる。本当は腹が減っているからもっとまともな食事をしたいのだが作る気力がない。ポケットの中も空、乱雑な雪洞の中でレーションを探す気にもならない。ツェルトの隙間から雪が吹き込むが塞ごうとしてもままならない。もういい、面倒臭い。ザックとマットの上でうずくまってシュラフカバーを被る。寒い。震えが止まらない。何でもいいから熱源が欲しい。でもロウソクはもうどこに行っちゃったのか分からない。ヤッケのポケットに前回の合宿で結局使わなかった使い捨てカイロでも入っていないかと探ってみたが空しかった。時々時間の報告がある。そのたびまだそんな時間なのかとうんざりする。ここから無事帰れるんなら、俺はもう煙草やめたっていい。そう思った。 19日 陰惨な一夜を乗り切り、辺りが明るくなってきた。用意しておいたα米の雑炊を炊き、ガスが晴れるのを待って装備を整え出発。中岳頂上まで戻りルートを探すが辺りはまたガスに包まれている。それでも田中さんが鎖場のワイヤーを見つけてくれたので、ルートのおおまかな予想は立った。再びツェルトを被ってガスが晴れるのを待つ。1パーティー上がってきたので、そのトレースを頼りに出発、無事文三郎道に辿り着き、そこで斉藤さん、菊池さん、渡辺君らに遭遇する。頑張れよと声をかける。無事にテントに辿り着く。中で立川さんがテントキーパーをしていた。参加は難しいと言っていた落合さんと米内山君も上がってきたことを知る。これでわが山岳部のパーティーは9人になった。しかしテントを一つ省いてしまったからテントは6人用一つしかないのだ。当初から誰かがツェルトで寝る事になるのは分かっていたが、どうやら本格的に大きな雪洞を掘らなければならないらしい。とにかく今は疲れていたので体を休め、渡辺君らが戻ってきてから雪洞掘りにとりかかる。安定した天候の中余裕を持って行う雪洞掘りは楽しい。自分の寝床を一から作るというのは面白いものだ。四人が余裕を持って横になれる、天井も高い雪洞が完成した。食事作りは先輩達に任せ、雪洞の中で火をたいて凍ったシュラフを溶かす。我々らしい豪華な夕食を摂って雪洞に戻り濡れたシュラフに身を包む。化繊のシュラフだから濡れていてもいくらか暖かいが、凍ったザックに突っ込んだ足元は冷たいし下着までびっしょり濡れていて気持ちが悪い。うとうととはしても深い眠りが得られず困った。そういえば今回は一度もテントで寝ないんだなということに気付き、闇の中で一人小さく声を立てて笑った。 20日 朝食時本日の行動予定発表。自分と田中さん、曽根さん、米内山君は赤岳主稜登攀に決定。阿弥陀南稜と赤岳主稜の八ヶ岳を代表する二大ロングバリエーションルートを一度に行うなんて、今回はなんて充実した合宿なんだろう、とこの時は思った。体のほうはまだだいぶ疲れを残しており、食事もあまり食べられなかった。それでも装備を整え、雪洞を片付けて出発。よく晴れたいい日だが、やたらとヘリが飛び回っていてうるさい。しかしその意味を知るのはもっと後になってからの事である。おっかなびっくり雪渓をトラバースしてルートに取り付く。米内山君が登って行った後で、まずは自分がトップで登る。待っている間寒かったが、動いても体があまり暖まらない。食事をあまり摂らなかったせいかなと反省する。二本目のランニングを取る所で米内山君が苦戦していたのでムーブの指示を出す。自分もランニングを取り、岩稜に抜けた。異変はその直後に起こった。ザイルが異常に重い。人間を一人引きずっているような気分だ。いくらいつもより長い60mザイルを使っているからといってここまで重くはないだろう。ランニングの取り方をしくじったか。このまま登るのはヤバイ。しかしそこまでクライムダウンで戻るのも危険だ。この失敗は致命的だ。とにかくビレイポイントまでたどりつかねば。このままじっとしているのはまずい。そう思って3,4歩思い切って斜面を駆け登ったが、逆にザイルに引き倒され転倒してしまった。右手の崖に転落する前に反射的にピッケルストップを行い滑落を止める。ザイルはピンと張っていて今にも切れそうだ。この異変にビレイしている曽根さんは気付いているのだろうか。それを考えるとなぜか不安になる。下に向かってザイルを出してくれと何度か叫ぶが反応が無い。四つん這いになって匍匐前進をするようにザイルの張力に抗しながら登る。もしかしてもうザイルが一杯なのか。ヘリの音のせいでコールが通らないのではないか。様々な不安が頭をよぎる。何とかビレイポイントに辿り着いた時にはすっかり消耗していた。ずっと踏ん張っていたせいか指先と爪先が冷たい。アンカーを作りコールを送るが聞こえているのかいないのか。しかししばらくするとザイルから登って来る手ごたえが感じられた。重いが、ザイルを引き上げることもできる。とりあえずは大丈夫だが、疲労感が強く、不安を感じる。まだまだ先は長い。少し休みたい。そうは思うがなかなか言い出せず、結局なし崩し的に曽根さんにトップを代わってもらう。今思えばこの時点で、既に心は折れていたように思う。結局、ザイルが重かった原因も分からないままだ。とにかく2ピッチ目の雪稜を抜け、再び岩稜。一度登っているルートなのに、ここでルートが分からなくなってしまった。田中さんがこっちはあんまりしょっぱいから来ない方が良いとこちらに伝えてきた。すると正規のルートはこっち側か。しかし田仲さん達の登っているジェードルは確かに見覚えがある。あそこまで行けばいいのだが、この時自分のいる地点からそこまでのトラバースは危険を極める。何度か試登してみたものの、ランニングのピトンはおろかスタンスさえ見つけられない。一番登り易いのはこのまま真上に抜けることだが、もしルートを外れ戻れなくなったら…そうこうしているうちに体力もどんどん消耗する。もう上まで抜ける自信が無くなった。誰が何と言おうと、俺はもう降りる。そう決めてしまった。一度リードで登っているルートで敗退するなど情けないことこの上ないが、もし死んでしまったら後悔もできない。何でもいいから無事に山を降りてうまいもの食って熱い風呂に入っていい女に会いたい。そう思った。最早ヒステリーを起こしている自分を見て曽根さんももうこいつは駄目だと思ったのだろう。降りることに同意してくれた。しかしそこからの脱出も困難だった。60mザイル一本では一度に30mしか下れない。何度も何度も懸垂を繰り返し、無事に縦走路に辿り着いたときにはすっかり足が萎えていた。テント場では田中さんと米内山君が待っており、他の皆はもう山を降りていた。安堵の気持ちと情けない気持ちとで頭が一杯だった。しばらく何も考えたくないような気分だったが、とにかく降りなければならない。米内山君がカロリーメイトを投げ渡してくれた。あれのおかげでどれだけ助かったことか。ザックに適当に荷物を投げ込み出発。途中何度か転ぶ。それでも何とか下山する。ピックアップしてもらった落合さんの車の中で阿弥陀での遭難事故、三人が死亡した事を知る。あのうるさいヘリはそのために飛んでいたのだ。暖房で暖められた爪先が融けてゆくような感じがする。じんじんと痛む。やはり凍傷になっていたらしい。とにかく、自分は無事で良かったが、何とも後味が悪かった。研修所で荷物をまとめ、望みどおりうまい飯を食い熱い風呂に入って泥の様に眠った。
https://w.atwiki.jp/junretsuwago/pages/1753.html
辞書 品詞 解説 例文 漢字 日本国語大辞典 名詞 (「かど(廉)」「かど(才)」とも同系か)① 物のとがって突き出た部分。二次元の図形や稜線にもいう。 ※宇津保(970‐999頃)祭の使「なだらかなる石、かどある岩など、拾ひたてたる中より、かはのわきたる、滝おちたる」 角・稜 ② 物のすみ。隅。 ※多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉後「火鉢の一角(カド)を見ると、黄金の線巻(すぢまき)の指環が脱いて遺いてある」 ③ 刀剣の鎬(しのぎ)、または切先(きっさき)をいう。 ※万葉(8C後)六・九八九「焼太刀の加度(カド)打ち放ち大夫(ますらを)の祷(ほ)く豊御酒(とよみき)にわれ酔(ゑ)ひにけり」 ④ 道や廊下などの曲がり目の所。曲がり角。 ※虎明本狂言・二九十八(室町末‐近世初)「此町はむろ町なり。かどから十八間目、是であらふ」 ⑤ 人の性格や言動が円滑でないこと。鋭敏できつい性格。圭角(けいかく)。 ※枕(10C終)二六九「おほかた心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり」 ⑥ 事態を荒だてるような点。→かどが立つ・かどを立てる。 ※浄瑠璃・信田森女占(1713)一「善悪きらりと見へた事しらぬふりするお手前は、心ていふとどき千万と詞に角をあらすれば」 ⑦ きちんとしたけじめや格式。→かどを倒さぬ 広辞苑 名詞 ①物のとがって突出した部分。 「机の―」 角 ②物の隅。 「部屋の―」 ③道路のまがり目の所。 「―の煙草屋」 ④人の性格・言動が円滑でないこと。 圭角 (けいかく)。 「―のある言い方」 大言海 名詞 〔かハ、 交 (カヒ)ノ語根カ、とハ、處ナリ、二面行キ 交 (カ)フトコロ〕(一){物ノ體、又、形ノ、尖リテ、差出デタル、外ノ部。稜(內ノ隅 (スミ)ニ對ス) 名義抄「稜、カド」宇津保物語、祭使 廿二 「ナダラカナル石、かどアル岩」 角 (二)誤リテ、 隅 (スミ)。 狂言記、宗論「アソコノ隅ヘイデハ、クドクド、ココノ角ヘ行テハ、クドクド」 (三){意思ニ、角立ツコト。心ニ一癖アルコト。圭角 枕草子、十、百三十二段「大カタ心ヨキ人ノ、マコトニかどナカラヌハ、男モ女モ、アリガタキコトナメリ」 検索用附箋:名詞名称 附箋:名称 名詞
https://w.atwiki.jp/jackygun/pages/33.html
作者様に感謝。第零部のサブタイトルリストはこちら 序章『跳躍世界の繋紡者達』(アバン) 第一章『畜生ヶ道に響くは凱歌』 第二章『錯綜線上の相対』 第三章『正義とセイギに垣間見えしモノ』 第四章『鋼堕つる落日の縛鎖』 第五章『殲滅戦線――剣戟――』 第六章『廻転する刹那の裂破』 第七章『殲滅穿線――咆哮――』 第八章『世界とセカイに対峙するモノ』 第九章『殲滅閃線――邂逅――』 第十章『こんな畏れはもう要らない』 第十一章『踊る免罪の邁進者』 第十二章『黒白の両天秤』 第十三章『絶対物質』 第十四章『怨嗟と赫怒の介入者』 第十五章『昏く死せる者を喚びし霊珠』 第十六章『とある聖銀の絶摩擦砲』 第十七章『白衣と繰師の共同戦線』 第十八章『大罪と原罪』 第十九章『降墜する白亜の穿刃』(緋月登場) 第二〇章『導きの魔剣』 第二一章『付和雷同の蟹と人』 第二二章『擁風の摩天楼』(レイ登場) 第二三章『俯瞰睥睨のお嬢様』 第二四章『聖樹贄せし霊焔』 第二五章『撃滅前戦――追憶――』 第二六章『絶閃夜影の黒き爪』 第二七章『撃滅善戦――黄昏――』 第二八章『地を這う太陽』 第二九章『撃滅全戦――終世――』 第三〇章『導く軌跡は死白の稜線』 第三一章『末世の瀑布に抗うは白熱』 第三二章『正義の味方の味方になろう』 第三三章『影刃覇滴止めるは吊糸』 第三四章『鋼棘突破の断罪刃』 第三五章『放蕩行脚の焔炎王』(『審判』登場) 第三六章『不縛行脚の自由騎士』(自由騎士登場) 第三七章『討滅尖旋――解放――』 第三八章『鏃と刃、糸と鞘』 第三七章『討滅穿閃――暁光――』 第三八章『跳躍転移の残留者達』 第三九章『討滅戦線――滅導――』 第四〇章『始まりのハジマリ』 第四一章『冬の化身と自由の権化』(冬将軍登場) 第四二章『天真爛漫天衣無縫絶賛発情百合幼女』(ピアノ登場) 第四三章『この身は全て世界の為に、我は最後まで【世界】であれ』 第四四章『指針なき航海』 第四五章『分裂意識の操縦席』 第四六章『執事と修道女』 第四七章『英雄の凱旋』 第四八章『老獪なる邂逅者』 第四九章『望まぬ未来と望める未来』 第五〇章『白熱の意志』 第五一章『【世界】の"選択"』 最終章『この美麗にして芳醇な世界を』