約 1,243 件
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/4.html
From:蔭山 歩 2002/03/12 18 02 今森光彦さんの写真集の中に「里山のはじまり」と題して、仰木にまつわる文章が掲載されています。この文章を書くために仰木の方に聞きとりを繰り返し、かなり苦労があったとお聞きしています。 ---------- 今から千年以上前の話である。天智天皇の付き人だった加太夫仙人(かだゆうせんにん)は、訳あって聖地を離れ新しい安住の地を求めて旅にでた。四〇人の家来を連れてのまったく当てのない旅だった。 そんなある日、湖岸に鬱蒼と茂る葦原に沿って、北へ北へと進路をとっていると、遠くに民家らしきものがみえてきた。そこからは白い煙が立ちのぼっていたので、すでに先住民が生活していることが窺われた。加太夫仙人は、行く手を阻まれたような気持ちになって戸惑った。さて、どうしようかと思い、ふと山並み(比叡山)を眺めると、黒い稜線に、紫色の雲がかかっているのが認められた。加太夫仙人は、あの山の麓こそ、瑞雲(ずいうん)たなびく聖地であり、自分が探していた安住の地であるという確信をもった。加太夫仙人は、家来たちを暫し休ませ、腰につけていた斧(よき)を研がせ、山の麓に向った。藪を切り開き、湿地を越え、川(御呂戸川)を遡っていった。やがて、大きな尾根を越えると水量の豊かな川(天神川)に合流した。さらに、それを上り詰めると、山裾に行き当たり、そこに清流が渦巻く滝壷があった。これこそ、霊気の宿る場所ということで、加太夫仙人は、奈良の丹生川上村のお宮さんに出向き、そこで、霊の分身をいただき、再び滝壷に帰り、それをお祭した。 加太夫仙人は、この聖地に稲作をつくろうとした。朝鮮から遣唐使がもってきたという水稲の種を、浅い窪地に水を張って播いた。 この加太夫仙人の行いを見て、焼き畑で陸稲をつくっていた先住民たちは、「水の中に稲の種を捨てるとは、何という奴だ」と笑っていた。ところが、窪地の水面からは、浅緑色の葉がすくすく伸び、やがて、黄金色の稲穂が実り、人々はたいそう驚いた。(仰木の古文書より) 『里山物語』今森光彦 著(新潮社発行/1995)からの抜粋
https://w.atwiki.jp/miyagimatome/pages/49.html
マックノート彗星 (このページには多数の画像が貼られているため、環境によっては一部の画像が表示されないことがあります。画像が飛んでいると思われるときはページの「再読み込み」を行ってください。) 2007年1月に地球に接近した大彗星・C/2006 P1 マックノート彗星の「宮城氏撮影」とされる画像が書籍や web に多数掲載されているが、現在の検証では12枚中10枚が海外からの盗作である(残り2枚のうち1枚も盗作の可能性が高い)ことが判明している。 以下、区別のために(自称)撮影時刻順に並べます。(カッコ内は識別用に付けたニックネームです) A. 1月11日18時06分@渡嘉敷島(鳥)【盗作】 天文年鑑、天文ガイド、天界 B. 1月11日18時06分@渡嘉敷島(レインボー)【盗作】 星ナビ C. 1月11日18時12分@渡嘉敷島(靴下) 星ナビ D. 1月11日18時18分@渡嘉敷島(1000mm)【盗作】 天界 E. 1月13日13時40分@那覇市(昼間)【盗作】 星ナビ、天文ガイド F. 1月17日20時25分@パース南部(水平線)【たぶん盗作】 星ナビ、天文ガイド G. 1月18日20時25分@パース南部(コンポなし)【盗作】 H. 1月19日20時45分@パース南部(flickr)【盗作】 I. 1月20日20時32分@パース南部(天ガ)【盗作】 天文ガイド J. 1月20日20時38分@パース南部(月と金星)【盗作】 星ナビ K. 1月20日20時45分@パース郊外(天文年鑑)【盗作】 天文年鑑、星ナビ L. 1月20日20時45分@パース(本家)【盗作】 星ナビ A. 1月11日18時06分@渡嘉敷島(鳥) 元画像:吉田誠一のホームページ - Pictures of C/2006 P1 ( McNaught ), ASSOCIAZIONE ASTRONOMICA CORTINA - Comet McNaught (2006P1)(撮影者:Alessandro Dimai 氏、撮影地:Monte Lagazuoi(イタリア・ラガツォーイ山)) 盗用先1:「天文年鑑」2008年版 p.2 盗用先2:「天文ガイド」2007年3月号 p.5 盗用先3:星の広場 盗用先4:「天界」2007年2月号 表紙、カラー1 盗用先3:星の広場 撮影データ お正月もやっと終わり新春の宵のマックノート彗星の撮影に成功しました。透明度が、珍しく良かったので、 コントラストの高い、ポジのイメージに近い芸術性の高い作品に出来たと思います。500mmでも彗星が明るいが、 みかけの大きさ小さ過ぎるので、見栄えする大きさに原版より、トリミング編集しています。 125分の1秒露出の 18コマを、コンポジェットして、トリミングの荒れを、滑らかにしました。 大きい覇画像は高橋製TOAー130F 1000mm 露出30分の1×16コマコンポジェット 【データー】 2007.1.11 18h06m00s~ 高橋製 εー180 D=180mm f=500mm F2.8 高橋製ニ軸改造P2-Z赤道儀 キャノンEOS KISS X ISO 200 露出125分の1 ×18コマ 合成 フォトショップ CS2 沖縄県渡嘉敷島 気温 19度 那覇市 下地隆史 RIUGI SHIMOJI m1 -2.5 盗用先4:「天界」2007年2月号 表紙 盗用先4:「天界」2007年2月号 カラー1 元画像:吉田誠一のホームページ Pictures of C/2006 P1 ( McNaught ) 両者を重ねてみると完全一致する。雲や稜線を加筆・改竄していることが分かる。 B. 1月11日18時06分@渡嘉敷島(レインボー) 元画像:spaceweather(撮影者:Torgeir Sorensen 氏、撮影地:ノルウェー・Sortland) 盗用先:「星ナビ」2007年3月号 p.12 盗用先:「星ナビ」2007年3月号 撮影データ 夕空に輝く金色の彗星(下)/下地隆史 2007年1月11日18時06分 高橋製 TOA130F ペンタックス645NII フジクロームプロビア100F 露出1/15秒 沖縄県渡嘉敷島にて 元画像:spaceweather 両者を重ねてみると、彗星と雲の配置、空のグラデーションが一致する。ただし宮城氏の画像は元画像より大判のため、彗星の尾や雲など足りない部分は描き足したものと思われる。 矛盾点 カーブしているはずの彗星の尾が不自然にまっすぐ。描き足したせいか。 たなびく雲が水平方向を表すとすると、彗星の尾が立ちすぎている。元画像のノルウェー・Sortland(北緯68度)では彗星は没した太陽のほぼ真上にあったため、元画像のようにほぼ垂直の尾になるが、緯度の低い沖縄では彗星は太陽の右斜め上に位置していた。彗星の尾は太陽の反対方向に伸びるので、たなびく雲に対して右斜め45度程度の角度にならなければおかしい。 C. 1月11日18時12分@渡嘉敷島(靴下) この画像は盗作であることが確定していませんが、地平線が不自然にぼやけている、レベル調整を行うと背景の空に靴下型の不自然な跡が見える、画像 A. の元画像と同じ作者によく似た画像が存在する、などの疑問点が挙がっており、検証が進められています。 掲載先:アストロアーツ web - マックノート彗星(C/2006 P1)ギャラリー No. 7 掲載先2:「星ナビ」2007年3月号 p.1 撮影データ タイトル:「21世紀の大彗星 -3.5等級」 撮影者: 下地 隆史 撮影日時: 2007年1月11日 18時12分00秒~、露出 60分の1秒×18枚 撮影地: 沖縄県渡嘉敷島 撮影機材等: タカハシ TOA 130F(D=13cm fl=1000mm)F7.7 f1=600mm相当、 キヤノンEOS Kss Digital X(ISO 200)、タカハシ ニ軸改造P2-Z赤道儀 フォトショップCS2にて、トリミング、コンポジット その他: デジタルカメラ版TPフィルムの様な解像力の高い新発売のキャノン機種で撮影。しかし、水平線が クッキリ見える素晴らしい透明度と、良いシンチレーションに恵まれないと致命的に、明暗を分ける画像になります。 コメント: 良い条件で撮影された18コマものコンポジェットで、NSとコントラストが高くなるのと、トリミングしても 滑らかさをうしなわず、ポジフィルムに近い色調に画像処理しました。この後16日~21 日オーストラリア南部方面に 移動予定。星ナビ、本誌、年鑑などに、載りました、近年の金環・皆既日食、水星・金星日面通過、など過去ログに 投稿しますので、しばらくしたら、そちらの方もご覧下さい。 疑問点1 レベル・コントラストを上げると左上の空に靴下のようなL字型の不自然な跡が出てくる。 疑問点2 画像 A. の元画像の撮影者である Alessandro Dimai 氏の画像に、B.と構図がよく似たものが存在する。画像を回転させることなく自然に重なる。 元画像(?):ASSOCIAZIONE ASTRONOMICA CORTINA - Comet McNaught (2006P1)(撮影者:Alessandro Dimai 氏、撮影地:Monte Lagazuoi(イタリア・ラガツォーイ山)) D. 1月11日18時18分@渡嘉敷島(1000mm) 元画像:吉田誠一のホームページ - Pictures of C/2006 P1 ( McNaught )(撮影者:Michael Jager 氏、撮影地:?) 盗用先1:星の広場 盗用先2:「天界」2007年2月号 カラー2 盗用先1:星の広場 撮影データ ①下地隆史 (沖縄県那覇市)C/2006 P1 眼視・画像 添付 1/14 21 12 TOA130Fでもう少し薄明が、暗くなったショットの 画像処理です。 透明度が、素晴らしく、シンチレーションも良いので、超低空でも、新春の宵の空に金色に輝く姿を、とらえました。 【データー】 2007.1.11 18h18m00s~ 高橋製 TOA 130 D=130mm f=1000mm F7.7 キャノンEOS kiss X ISO 400 1600mm相当 露出3秒×18コマコンポジェット合成 トリミング フォトショップCS2 高橋製 ニ軸改造P2-Z赤道儀 -3等級 沖縄県渡嘉敷島 下地隆史 RIYUGI SHIMOJI 沖縄県那覇市 盗用先2:「天界」2007年2月号 カラー2 元画像:吉田誠一のホームページ - Pictures of C/2006 P1 ( McNaught ) 両者を重ねてみると彗星の特徴が完全一致する。やはり稜線を加筆・改竄している。 E. 1月13日13時40分@那覇市(昼間) 元画像:吉田誠一のホームページ - Pictures of C/2006 P1 ( McNaught ), flickr(撮影者:Ed Johnson 氏、撮影地:アメリカ・ロサンゼルス) 盗用先1:「天文ガイド」2007年3月号 p.4 盗用先2:「星ナビ」2007年12月号 p.14 盗用先1:「天文ガイド」2007年3月号 p.4 撮影データ 昼間のマックノート彗星 1月13日13時40分00秒 高橋製 TOA 130F (D=130mm f=1000mm F7.7) キヤノン EOS Kiss Degital X 露出1/2000秒を8枚コンポジット 撮影:下地隆史 撮影地:沖縄県那覇市 元画像:吉田誠一のホームページ - Pictures of C/2006 P1 ( McNaught ), flickr 重ねてみると彗星が完全に一致する。右側の雲の一部はそのまま利用し、大半を消去する改竄を行っている。 F. 1月17日20時25分@パース南部(水平線) この画像には明確な特徴が少ないため、これまで 2ch 住人による検証で元画像と思われる画像が見つかっているものの、盗作であると「断定」するには至っていません。しかし数多くの状況証拠から、この元画像からの盗作である可能性が非常に高いと言えます。少なくとも撮影地が宮城氏の主張するオーストラリア・パースではありえないことは立証されています。「星ナビ」編集部の発表でも「盗用が強く疑われる画像」とされています。 元画像候補:spaceweather.com(撮影者:Kevin Crause 氏、撮影地:南アフリカ・Mossel Bay, Western Cape) 掲載先1:「星ナビ」2007年3月号 p.21 掲載先2:「天文ガイド」2007年3月号 掲載先3:星の広場 掲載先1:「星ナビ」2007年3月号 p.21 撮影データ 金色の巨大な火の鳥大彗星(左ページ上)/下地隆史 2007年1月17日20時25分 キヤノン EOS 5D (ISO200) EF85mmF1.2 絞りF2.8 露出1/30秒×18コマコンポジット オーストラリア・パース南部にて ●西オーストラリアのパースから100kmほど南に離れた水平線が見える高台に、カメラレンズと小型赤道儀を据える。 そして、期待に満ちた17日日没後、宵の空に-3等級はある金色の太い彗星が現れた。右側には嫌な薄雲があって、 早く移動してくれないかとヤキモキしたが、よく見るとそれは彗星から遥かに伸びるダストの尾だった。 掲載先3:星の広場 撮影データ ①下地隆史(沖縄県那覇市)南天から火の鳥彗星 状況・画像添付 1/19 20 26 オーストラリアから家のPCに送信、家族が、転送で事務局に、送信します。 余りに我ながら凄い!画像です。薄明のうちからいやな薄雲だと思っていたら、それは私が生まれる前に出現した、 写真でしか見たことありませんが、ウエスト彗星と、ベネット彗星を、ブレンドしさらにドナチ彗星にも似た、 巨大な火の鳥の様な彗星でした。 撮影時2007 .17 頭部の光度は -2等級でしたが、百武、へール・ボップを遥かに超えて、21世紀の大彗星となりました。 薄雲のまったくない画像はこれだけですが、他のサイト見てみると、薄雲などが、かかった画像が多く、大変貴重だと思います。 キャノンEF85mm F1.2 と200mm F1.8 2コマモザイク合成など いろいろ撮影しましたが、あっと言う間に薄雲が、かかり、すぐに核が、沈んでしまいました。 取り急ぎ、転送メールにて、失礼いたします。21日正午に帰宅します。 データー 2007.1.17 オーストラリア パース南部 キャノンEF85mm F1.2→F2.8 キャノンEOS 5D ISO 200 露出30分の1秒×18コマコンポジェット合成 高橋製ニ軸解像P2-Z赤道儀 下地隆史 RIYUGI SHIMOJI 元画像候補:spaceweather.com 両者を重ねてみると、彗星の大部分と背景の恒星(けんびきょう座α星・γ星)の位置が完全に一致する。 盗作の証拠 南アフリカで撮られた元画像と恒星の位置が完全に重なっている。両者の撮影場所と撮影時刻はそれぞれ以下の通り。 (1) 宮城氏 撮影場所 Perth南部 撮影時刻 1/17 12 25(UT) 彗星位置 20h24m04s, -32°41 58" Perth(東経115度50分24秒, 南緯31度57分36秒)における高度 46 (2) K. Crause氏 撮影場所 Mossel Bay (東経22度8分4秒, 南緯34度10分57秒) 撮影時刻 1/17 18 51(UT)とすると彗星の高度は52 となり、ほぼ同じ。 彗星位置 20h25m17s, -33°26 51" 彗星核-けんびきょう座αの離角 約5°09 =309 (けんびきょう座αは尾の中で明るく写っている星) (1)と(2)では撮影時刻が6時間以上異なる為、彗星の位置が角度にして約47 異なる。これは彗星核-けんびきょう座αの離角の15%にも達する(星図参照)。 南アフリカ・Mossel Bay とオーストラリア・パースでのマックノート彗星の位置 以上より、(1)の撮影場所で撮影された写真が、(2)の写真と見事に一致することは有り得ない。したがって、宮城氏の画像はオーストラリアのパースで撮影されたものではありえない。 元画像と宮城氏の画像が回転させることなく重なってしまう。 元画像と宮城氏の画像の最大の違いである「彗星右側の尾の切れ込み」部分の色が暗すぎる。同じ高度にある左側の空の青色と比べても濃すぎる。(コントラストを上げた下の比較画像を参照。)この部分は元画像にはない部分のため、足りない部分を描き足した可能性が高い。 彗星のコマ周辺の空もグラデーションが乱れている。(右の元画像の自然なグラデーションと比較のこと。) コントラストを上げた比較画像 宮城氏の画像で水平線と山の間に、水平線より一段濃い青色の稜線らしきものがある(アニメGIF参照)。このラインは Crause 氏の元画像にある地平線(雲の下にある一段濃いライン)と同じ位置にある。元画像の地平線をそのまま使った可能性が高い。 以上の事実から、Crause 氏の画像を盗用して足りない部分を描き足した盗作である可能性が極めて高い。 G. 1月18日20時25分@パース南部(コンポなし) 元画像:flickr(撮影者:ChiLimey (Stephen Gunther) 氏、撮影地:チリ・Puerto Varas) 盗用先:星の広場 盗用先:星の広場 撮影データ ①下地隆史(沖縄県那覇市)南天彗星観測状況・画像添付 1/21 01 07帰国後 1月18日の夕刻のマックホルツ彗星の画像です。これはコンポなしです。ダストの尾が、まるでオーロラの様です。 肉眼でも薄雲の様に確認できました。ここは、光害の無い場所ですので、光害があると淡い部分はおそらく見えなでしょう。 頭部の光度は-1.5等で17日より少し暗くなっているようです。曲がったダストの尾は、淡い部分まで含めると肉眼で 25度ぐらい見え、デジカメの画像ではもっと長く写っていると思います。 町から車で移動して海辺の高台で観測しました。下に写っているのは水平線です。周辺には100人ぐらいの 一般の見物人が来ていて、携帯や小型のデジカメで彗星を写していました。(写るのかな?)皆既日食の時のような騒ぎは まったくなく、静かに見物して帰っていきました。 データ 2007.1.18 20h25m オーストラリア パース南部にて m1 = -1.5 DC= 9 25°度以上のダストの尾 キャノンEOS kiss DEJITAL X 85mm F1.2→F2.4 露出20秒 ISO 800 下地隆史 沖縄県那覇市 元画像:flickr 両者を重ねると、彗星・背景の恒星・雲が完全一致する。手前の木立を消去する改竄を行っていることがわかる。 H. 1月19日20時45分@パース南部(flickr) 元画像:flickr.com(撮影者:mhines 氏、撮影地:オーストラリア・ニューサウスウェールズ州 Jugiong) 盗用先:星の広場 盗用先:星の広場 撮影データ: ①下地隆史(沖縄県那覇市)南天C/2006 P1 画像添付 1/22 01 10帰国後 オーストラリア パース南部にて 2007.1.19 20h45m キャノンEOS kiss DEGITAL X 50mm F1.2→F2.4 露出40秒 ISO 400 2枚目は キャノンEOS 5D 85mm F1.2→F2.4 露出 40秒 ISO400 下地隆史 沖縄県那覇市 元画像:flickr.com 重ねてみると彗星・背景の星が完全一致する。雲と稜線を加筆・改竄している。 I. 1月20日20時32分@パース南部(天ガ) 元画像:cometography.com - C/2006 P1 (McNaught)(撮影者:Rudi Vavra 氏、撮影地:オーストラリア・ニューサウスウェールズ州 Robertson) 盗用先:「天文ガイド」2007年4月号 p.11 盗用先:「天文ガイド」2007年4月号 撮影データ 2007年1月20日20時32分32秒~(現地時) キヤノンEF85mm F1.2L USM(絞り開放) キヤノン EOS 5D (ISO800) 露出10秒 撮影:下地隆史 撮影地/オーストラリア・パース南部 元画像:cometography.com - C/2006 P1 (McNaught) 両者を重ねてみると、彗星・背景の星が完全に一致する。また稜線を改竄している。 さらに、画面上部の星の一部を鏡像にして複製している。(赤線を挟んで上下の星が鏡像になっている。) J. 1月20日20時38分@パース南部(月と金星) 元画像:flickr(撮影者:the mule in the pool (Grant Johnson) 氏、撮影地:?) 盗用先:「星ナビ」2007年3月号 p.21 盗用先:「星ナビ」2007年3月号 p.21 撮影データ マックノート彗星と月(左ページ下)/下地隆史 2007年1月20日20時38分 露出10秒 キヤノン EOS 5D (ISO 400) EF16mm-35mmF2.8L (20mm 絞りF3.3) 元画像:flickr 両者を重ねると、彗星・月・地平線が完全に一致する。手前の稜線の木立を消去して描き換えていることが分かる。 さらに、両画像のガンマ値を変更して暗い部分の輝度を上げると、元画像の右下(月の真下)に人物が立っていることが分かる。この人物が宮城氏の画像にもはっきり残っている。 さらに矛盾点 月の東(左側)に金星が写っているが、1月20日20時38分にオーストラリアのパースから撮影した場合、金星は月の西(右側)のもっと離れた位置にあるはず。しかもこの日のパースでの月の入りは20時28分頃なので、実際には月は沈んでいなければならない。したがって、少なくとも「パース南部」で撮られた写真ではありえない。 K. 1月20日20時45分@パース郊外(天文年鑑) 元画像:Terry Lovejoy's Photo Galleries at pbase.com(撮影者:Terry Lovejoy 氏、撮影地:オーストラリア・クイーンズランド州 Warwick 近郊の Leslie 湖) 盗用先1:「天文年鑑」2008年版 p.3 盗用先2:「星ナビ」2007年12月号付録「星空カレンダー2008」 盗用先3:天体写真PEOPLE Guest's Photo Gallery ~2008 June~(人物入りバージョン) 盗用先1:「天文年鑑」2008年版 撮影データ 1月20日20時45分00秒(現地時刻) キヤノン EF24mm F1.4(絞りF2.0)タカハシP2-Z赤道儀 キヤノン EOS 5D ISO400 露出1分20秒 西オーストラリア・パース郊外にて 撮影/下地隆史(沖縄県) 盗用先3:天体写真PEOPLE Guest's Photo Gallery ~2008 June~ 撮影データ キャノンEos 5D EF24mm F1.4→F2 ISO 200 P2-Z赤道儀。 撮影者コメント:このマックノート彗星は2007.1.20オーストラリアパース郊外のも ので90秒の露出の合間に 10秒程モデルの同行の方に三脚カメラを移動して黒い厚紙で露出再開したものです。星ナビ2008年星空カレンダーの めくり最初の大彗星画像の人物の居ない方の、居る方の画像です。多くの日本人の方が見そこなって超大化けした彗星です。 この日はマイナス4等級で金星並みに孔雀の尾とオーロラを合体した様な何とも言えない素晴らしい光景でした。 元画像:Terry Lovejoy's Photo Galleries at pbase.com 両者を重ねると、彗星・背景の星、稜線が完全に一致する。また、Lovejoy 氏の元画像に写っている湖面が塗りつぶされている。 盗用先3の画像も同様に完全一致する。 L. 1月20日20時45分@パース(本家) 元画像:Siding Spring Survey - C/2006 P1 (McNaught)(撮影者:Robert H. McNaught 氏(マックノート彗星の発見者)、撮影地:オーストラリア・サイディングスプリング天文台) 盗用先:「星ナビ」2007年12月号 p.14 盗用先:「星ナビ」2007年12月号 p.14 撮影データ 撮影:下地隆史 (右)2007年1月20日20時45分~ 露出60秒 EF85mmF1.2L USM キヤノンEOS 5D 撮影地:パース 元画像:Siding Spring Survey - C/2006 P1 (McNaught) 両者を重ねると彗星・背景の恒星・雲が完全に一致する。 彗星の核の下にある低層の雲も一致している。 このことから、マックノート彗星の発見者である McNaught 氏本人の撮影画像からも盗用を行っていたことがわかる。 その他の疑問 画像の撮影時刻を見ると、宮城氏はオーストラリア・パースで1月20日20時45分(現地時間)頃まで彗星を撮影していたことになっている。しかしながら翌1月21日01時07分 (JST) には「星の広場 HAL-News ML」に写真 G. を添付したメールを「日本から」送信している。 1月18日 オーストラリアでのマックノート彗星-星の広場HAL-News パースの時差は UTC+8 時間なので、パースでの最後の撮影から写真 G. のメールを送信するまで約3時間20分しかない。3時間20分でパースから沖縄まで帰るというのはきわめて無理がある。 このことから、上記の画像のほとんどが盗作であることと合わせて、宮城氏はそもそもパースに行っていないのではないか? という強い疑念が生じる。
https://w.atwiki.jp/810jp/pages/79.html
T20はtier7MTの希望の光 tier7MTは弱いって言った奴窓際行って落ちろ 明るい所 tier7MT=弱いと言うイメージを一切振り払った革新的車両。つかT-34-1もコメットも結構強いんだよなぁ(呆れ) 前身と違い精度、貫通共に大きくアップした為遠距離戦闘もそつなくこなせるようになって居る 視認範囲はtier7MTの中では390mとトップ(2位は英国コメットが380m) さらにtier7MT2位の隠蔽もあるので低隠蔽相手なら一方的にボコる事も可能 俯角も10度取れるので稜線から砲塔だけ出して90mmをお見舞いするのが地味に強力 何故かあまりマークされない。軽装甲、低レート故致し方無し 暗い暗い暗い・・・ドンクライ! 直線は最強!コレ!でももうちょっと旋回は良くならなかったんですかねWarOfficeさん・・・ 装填時間(ラマー無しで)9秒とかぼったくりやろ!装填手仕事してんのか?(半ギレ) 装甲には期待しないと言えどもちょっと脆すぎるんとちゃう?まぁまぁええわ(許容範囲) 前身と打って変わってクッソピーキーな車両に仕上がっております(絶望) いざ鎌倉 課金弾を最低でも10発は持っていく事 これはE25でも書いてたけど相対するtierは重装甲戦車が非常に多く、かと言って裏取りは主砲のレートが低いので積極的には行えない そこで出てくるのが虎の子90mm課金弾。243mmの超絶貫通を生かし格上HTも正面からバスバス抜いていこう 良く見かけるIS3系統は側面ですら安定しない事も多いのでもっと多く持って行ってもOK 拡張パーツはほぼお好みで良いんじゃない?(適当)ラマー付けたりスタビ付けたり皮膜付けたりetc・・・ まぁ付けてて困らないのは皮膜、スタビじゃないですかね・・・ 装填時間気になるって人はラマーで良いと思う(コナミ) コメント エスティマ君迫真の12連装LED -- stugsrt1919 (2015-03-04 22 42 06) ケツだけで車種特定兄貴すき -- 名無しさん (2015-03-05 17 34 19) 初編集ですが宜しくお願いします -- T20 (2015-03-05 19 52 38) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/hana11re/pages/28.html
木曾駒ヶ岳~三の沢岳 学童集団遭難のルートを行く 1990年 恵那山、南木曽岳 1988年5月 木曾駒ヶ岳~三の沢岳 学童集団遭難のルートを行く 1990年 12/28(FRI) 曇り、ときどき晴れ 新宿から駒ケ根行き高速バスの朝一番に乗る。伊那市駅からはタクシーで内の萱まで、行ける所まで入ってもらう。桂古場の登山口の手前、キャンプ場でおりた。三千円で釣り銭はおごった。 40センチはある積雪の車道を行く。ガケの補修工事現場の人なつこそうな人夫に声をかけて、まもなく登山道に取り付く。猿のなき声とおぼしきが、けたたましく聞こえて沢の方へ逃げていった様子である。昨日大雪が降って中央高速道は閉鎖されたという。今日運よく山に入ることができたが、その代わり思わぬ雪のラッセルに苦しむことになってしまった。先程の蛮声の主のあわてて通った足跡のみが乱暴につけられている。とにかく先は長い、あせらずゆっくり行くことにする。 一汗かいたところでブドウの泉に着いた。ちょろちょろと冷たい水が流れている。ここで1.2リッターの水筒を満たし小休後出発。ちりめん坂といわれるジグザグの苦しい登りが続く。だんだんと雪の量が増えてくるにつれて、スピードは遅くなる。かなり進んだと思うがなかなか稜線に達しない。当初大樽小屋泊まりを考えていたのが、その手前の馬がえし迄も難しくなってきた。感覚的には高度をかせいだつもりでも、実際には半分も進んでなかったのだ。三時半で遂に行動をうちきった。 登山道の比較的平らなところを選んでテントサイトをつくる。雪を踏み固めて、まずまずの敷地ができるまで三十分もかかってしまった。テントの入り口から前方に伊那市の町の灯がちらつき始める頃、ようやく今日のアルバイトから解放されて、熱い酒をちびりちびり飲ることができた。 12/29(SAT) 晴れ 朝7時の出発。深くなってきた雪のラッセルを一時間も頑張り、ようやく野田場の展望台に着いた。樹林がじゃまでまるっきり展望は得られない。巻き道に出てゆるやかな登りをしばらく行くと、なんと五人組みのパーティがどかどかとおりてくるではないか!! ツイニ ラッセル カラ カイホウ サレル!!! 大雪の前日に入山、この日はトレースをゆうゆうと歩けた。しかし次の日、大雪が降って登山道はたちまち重い雪にうまってしまった。苦しい歩行を続けて、やっと駒ヶ岳を往復してきた。以上が彼等の話しである。そう言いながら彼等の目が笑っている。苦笑いという奴だ。それはとにかく、若い学生パーティのラッセルの跡を、これまでの半分の労力もかけないで先へ進むことができたのである。 学生パーティに会って十分もすると、馬がえしに乗っこした。右に権兵衛峠の標識があった。雪に埋まってルートは判然としない。さて、ここからは山のふところ深く入って行く。明らかに樹相もかわって傾斜もきつくなる。 大樽小屋に十一時ちょっと前に着いた。なかなか立派な小屋で中も清潔である。外で木もれ日にあたると暖かいが、光はそれほど強くない。小屋の中に入って昼の腹ごしらえをすることにした。 小屋からはいよいよ胸突き八丁を行く。六合目の平らな展望の良いところ(やっとこ平?)から、将棊頭山が見えた。今日の宿は西駒山荘あたりかなと思いながら尚も行くと、なんとトレースがなくなっているではないか!!!! さてはあの学生連中め、途中でギブアップしたものと思える。ずいぶん生半可なアルバイトだ。最後までやりとおす一途な気持ちというよりは、ある程度苦しみも味わうが適当なところでやめて、次に目を移す、いわば山行は単なる遊びの一つに過ぎないのだ。こんなに早く下山して、またどこかの山に行くのかと聞いたら、いや、いろいろする事はあると笑っていた。当世学生気質である。 ザックをおろし、空身でラッセルする。50メートル位さきに津島様の祠があった。すると、胸突き八丁の頭までたいしたことはない。しばらくの辛抱である。ザックをとりに戻ると、またまた驚かされた。屈強の青年が一人身ごしらえをしているではないか! 助かった。二人でかわるがわるアルバイトすれば、かなり捗る。しかし、よもやこんな所で追い付かれるとは思いもよらなかった。トレースのある雪道を追ってきたからこそだろう。昨夜は内の萱のタクシーストップまでマイカーで来て、そこにテントを張ったという。 かなりの急登で腰までつかりながらの雪との格闘が続く。先頭に立って雪を崩し踏み固めてのラッセルの交替を何度か重ねて、4時、とうとうピークに達することも出来ずテントを張ることにした。 12/30(SUN) 快晴 素晴らしい天気。今朝はいつになく遅い出発で八時少し過ぎていた。青年は30分前に既に出発した後である。有り難く彼のトレースの跡を追う。昨日テント設営中、私より遅い出発では立場がないと言っていた。私も2日にわたるラッセルで少々疲れた。彼の好意に甘えることにしたのである。 彼のつけたトレースをたどるとはいえ、たった一人の跡だ。容易には進まない。およそ一時間かかって待望の胸突き八丁の頭についた。登ってくる途中、右手に茶臼山が見えがくれしていたが、すぐ上が行者岩で、その先に茶臼山が続く。行ってみたい。けれども、この深い雪を蹴散らして進む時間も体力も余分にはない。残念だが先へ進むことにする。少し下ってまた少し登ると、そこは森林限界を抜け出した展望この上ない稜線上であった。前方に将棊頭山、そして馬の背の先に木曾駒ヶ岳が目にはいった。はるか遠く先に見える。今日中に、あの駒の山頂を踏めるだろうか。まだ疲労が抜けず、むしろ体力的には最低のどん底にあるようだ。けだるい無力感、脱力感に支配されている。それでも美しい白銀の山々を眺めていると、勇気がわいてくる。なによりも彼が待っていてくれたではないか。あれが御嶽山、あれが笠ケ岳、あれが浅間山ですね・・・。いつも一人の山岳展望が、今日はいつになくうれしい、苦しみを分かち合った友との会話のキャッチボール。 アルプス三千メートルの稜線歩きは風こそ強いが、快晴の好日。岩稜歩きも楽しい。しばらくで将棊頭山頂上に到着。直下に西駒山荘が見える。冬季には部屋は一部解放されているのだろうか。新田次郎の「聖職の碑」を最近読んで、この辺は特になつかしい感じを持つエリアである。あの子達はどんな思いで死んでいったのか、そして私の甥っ子の少年時代の友達を含む、高校山岳部の遭難も未だ耳あたらしい。私たちは風を避けて岩の影に腰をおろして、それぞれの思いにふけった。 この山頂からは大きく下降することなく、稜線漫歩がつづく。馬の背の手前で一休みした後、最後の頂上アタックである。後ろから一パーティが追い付いてきた。皆、腰にシットハーネスをつけ、肩にスリングをかけて厳重な装備である。 風いよいよ強く時には吹き飛ばされそうになるが、ちょっとした岩の間を潜り抜けると山頂は目の前にあった。何年か前に千畳敷きから登った時、学生パーティがワカンをザックにくくりつけた物々しい格好で登ってきたのを見て、私もいつかは内の萱から縦走してきたいと思ったものだった。それが今日こうして現実となった。感慨無量である。 千畳敷き方面から人々が次々と登ってくる。風が強く冷たいので、写真を撮ると直ぐに下ることにした。中岳を越えて、今宵の宿は宝剣山荘と決めた。 12/31(MON) 晴れ 山荘の朝食を腹一杯詰めて、七時過ぎに宝剣に向けて出発。彼の青年も後からやってきた。私は暖かい山荘に泊まったが、彼は外にテントを張った。夜中相当、寒かったに違いない。背の重荷が多少心配ではあるが、三十分で難無く山頂に到着した。厳冬期二度目の山頂である。狭い岩の上に立ち上がって四方に万歳。眼下の千畳敷き山荘が、豆つぶのように見える。この宝剣の岩稜縦走はちょっと緊張した。両サイドが切れ落ちた痩せ尾根である。雪はあまり付いておらず、鎖も夏道と同じように露出していた。 三の沢の分岐点に着いてホット一息。ここで桧尾根を下る青年と別れることになった。私の方は、三の沢岳往復は今回の目玉の一つである。十六時までに戻ることを絶対条件として、行ける所まで行ってみようと、敢然と一人向かった。片道三時間の往復六時間を頭に置いていた。今晩から天候が崩れる予報を昨夜から何度も聞いていたので、稜線上に一泊して、明日悪天の中を苦しむよりは、今日のうちに山行を完了させたいと考えていた。 三の沢岳は縦走路からはずれていることもあって、夏でも静かな山だという。しかし、ピラミダルで大きな山体は人の気をそらさない。まして白銀で化粧した美しい山をどうしてほおって置けよう。折しも先日の降雪以来、歩いた人もいないようだ。雪の肌に私だけの足跡を刻みつけるのだ。 痩せ尾根をほぼ忠実にたどって、山頂に到着したのは、やはり三時間後であった。風はそれほど強くなく、まず快適に四方の景観を楽しんだ。雲が少し出てきている。サブザックの用意がなかったので、雨蓋をはずして使った。山の雑誌に書いてあったもので、これはうまい利用法である。ザックは途中にデポして、テルモス、食料、それにカメラを入れて軽い荷で往復することができた。特に緊張するような場所はなかった。 縦走路に戻る少し手前の岩塊の一角に、五~六人用のテントが張られていた。明日やはり三の沢岳をやるものと見える。中から明るい笑い声がもれていた。縦走路では、空木岳の方からきたパーティ二組みとすれちがった。池山尾根を登ってきたのだそうだ。何年か前に死ぬほどの苦しみを味わった尾根である。今回も、苦しいラッセルを味わい、岩稜の通過に神経を使って、こうして無事目的を果たすことができた。この中央アルプスは歩くたびに色々教えられ、新たな自信を与えてくれる。 極楽平から千畳敷きに下り、ロープウェイで山をおりた。千畳敷き山荘が生まれ変わって立派になったが、山小屋ではなくなって、高額の宿泊料を取るホテルになってしまったのは残念である。 トップへ 恵那山、南木曽岳 1988年5月 5/20(金)四時二〇分津田沼始発。6時15分高尾発。途中上諏訪駅で時間調整がてら駅の温泉風呂に入る。畳ふたつ程の広さで湯温がちょっとぬるかった。ホームのすぐ脇にあって人が往来するので何となく落ち着かなくなる。 塩尻から特急に乗る。中津川に着いたのは11時半だった。川上行きバスは一時間も待たないと来ない。仕方なくタクシーに乗ることにした。長い林道歩きを割愛出来て内心喜んだのは言うまでもない。黒井沢キャンプ場まで入ってもらった。かなり年配の人が下ってきたが、帰りのこのタクシーをつかまえる事だろう。 歩き出したのが12時20分。かなり暑い。すぐに汗だくになる。沢くずれの工事現場を過ぎて尚行くと登山道入り口にやっと着いた。登山道は沢を渡って続いている。水をどこで補給するか考えながらゆっくりと進んで行く。新緑の中、沢音を聞きながらのゆるい登りである。 一時ちょうどに休憩小屋に着く。中を覗くと立派な避難小屋で十分泊まれる。川上からの長い林道を歩いていたら、ここに泊ることになったことだろう。古い大木がそこかしこに残ってそれぞれに名札が掛かっている。いつしか急登となり更に沢ぞいの道をジグザグにあえいで二時に野熊の池に着いた。池の脇の冷たい湧水で乾きをいやし軽く食事をとる。 これより上はかなり笹が多くなってくる。しかし登山道はまずまず。さすがによく踏まれている。高度を上げてゆくと南アルプス南部の山並みが、依然として雪をかぶったまま浮かんで見えてきた。いったん鞍部に下り最後の登りが始まると原生林の中である。落ち着いた雰囲気でいかにも山奥に入った感じがする。残雪がだんだん多くなってきた。この時期はあまり多くの人が入山しないようで雪は踏み固められていない。ズボリとはまり込むと靴の中に雪が入り込んで不快である。 何と素晴らしい水場があったではないか!! 冷たくて旨いこと!! こうなると野熊の池で補給してきた一リットルの水の何と重かったことよ!! 尚も残雪の中をトラバース気味に登ってゆくと待望の山頂小屋に着いた。真新しい木造の小屋で山の中ではもったいないくらいの御殿のようだ。時刻は四時二〇分、日の暮れるまではまだ余裕がある。山頂を往復することにした。恵那山山頂には一等三角点があった。樹林に囲まれ展望はないが少し先へ笹を別けてゆくとわずかに東側の見晴らしがよい。立派な祠に手を合わせて直ぐ戻ることにした。五時には小屋に上がりこんで、たった一人の満ち足りた宴会が始まる。 夜中に目を覚ますと雨が降っていた。明日の天気は良くないらしい。 5/21(土)出発は6時20分。雨にぬれるというのではなく霧に濡れるといった感じで、それでもレインウェアを着て小屋の裏手から縦走路を進む。すぐに残雪が現れた。ルートが隠れてしまっている。これは困ったと一瞬緊張したが小さなブリキの看板とリボンを頼りに予定通り御坂峠に向かう。500メートルくらい下れば雪もなくなってこよう。もしルートファインドが難しければ往路を戻ればよい。 ルートを探しながらの緊張が続き大判山を通過してホッとする。二つ目の“なぎ”を通り過ぎて今度は背の高い竹藪との闘いが始まる。しかし道ははっきりしており懸念していたルートファインディングに苦しむこともなかった。九時、鳥越峠着。依然として霧に濡れる。ローバーの靴の中は水が入り込んでジュクジュクしている。スパッツを持ってこなかった代償である。少し寒い。やはり冬用のシャツを着てくるべきだった。 10時には御坂峠に着いた。既に車道上の峠である。登山道はこの先、所々車道を横断して続き、およそ一時間で強清水に到着した。きれいな水場でのどを潤す。更に車道を下り霧ケ原バス停を過ぎる頃には青い夏空が顔を出した。中切まで歩いてバスを待つ。 南木曽駅に5時ちょっと前に着いて尾越行きのバスを待つ間、駅前のソバ屋に入る。老夫婦が歓待してくれた。良かったら上がってコタツに入れという。お言葉に甘えるとはこの事、茶の間で相撲を見ながらお茶をいただいた。おばあちゃんの世間ばなしをいつまでも聞いていたかったが、今晩の泊り場所を探さねばならない。名残惜しくもさよならしてバスに乗る。尾越から野宿先を求めての山里歩き。日は既に落ち、ポツリポツリと雨も落ちてきて少々暗くなると、さすがに焦ってきた。30分余り歩いてようやくキャンプ場に到着。テントを張り終わってゆっくりできたのが六時半。シーズン前の静かなキャンプ場に夜のとばりが降り始めていた。 飯田から養子にきて静岡からきた婿の旦那と一緒になり、お爺さんが営々として築いた南木曽の宿屋を受け継いで現在に至ったという。その表情には人生を悔いなく生きて燃焼し得たやすらぎがあった。愛らしい顔だった。旦那は一言もなかったが平和な顔をしていた。小雨が間断なく降り林間の静かなキャンプ場に情緒を添える。次の機会には南木曽駅前のソバ屋の二階に泊ろう。そしてあのソバをもう一度食べよう。 5/22(日) 朝五時起床。雨具を着けて出発は七時。静かな山麓の林道を詰める。「登山道」「下山道」の標識のある分岐点に到着したのが七時四五分。登るにしたがってなかなかの険崖地を行くようになる。「のどの滝」は圧巻だった。頂上近くになると背丈のある竹藪に苦しめられる。九時四〇分、とうとう南木曽岳山頂に到着した。今回も相変わらずの孤独の山頂である。一休みして下る。晴れていればこの先の展望台からの眺めを期待できただろうに残念である。 魔利支天への分岐で雨に打たれながら、きのう南木曽駅で買ったパンを食う。笹藪と樹林に囲まれて熊でも出そうな雰囲気である。かなり急な道を下って谷間の景観が開けて来ると、今回の山行も終わりに近くなる。恵那山、南木曽岳と二つの山を征服して満足感でいっぱいである。 無事下山した後、一段とひどくなった雨の中、車道を延々妻籠まで歩き旧い宿場を訪ねた。さすがに観光客でいっぱいだった。 トップへ 「山一人旅」をすべて、拝見しました。 私は登山は経験ありませんが、中学生の時に毎月愛読していた「アルプ」という創文社の雑誌を思い出しました。 山ですれ違う人も、それぞれの人生を過ごして行くのでしょう。 年取って、若い頃の思い出は、切なくて感傷的になりますね。「稲取便り」のサイトも毎日楽しみにしていますので、体調を整えて出来るだけ更新してください。 -- 岬石 (2017-02-19 18 56 29) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/katemato/pages/45.html
安芸灘急行電鉄 作者:(津田缶) ホームページ(別ウインドウ) Twitter(別ウインドウ) 路線図 ◇ 拡大表示(路線図修正中) 灘急本線[N]、広島港線[P]、西部丘稜線[S]、岩国空港アクセス線[IA]、焼山呉ライン[YK]、津和野街道鉄道線[TR]の6路線を展開。 (広島港線-西部丘稜線、本線-岩国空港アクセス線の一部、本線-津和野街道鉄道線の一部、本線-焼山呉ラインの一部がそれぞれ直通運転) 車両 ◇ 拡大表示 灘急線内で営業運転に就く車両は全て先頭電動車である。整備コストを抑えるため旧世代車両(800系など)を除いて仕様の共通化を図っている。 車両について ◇ 安芸灘急行電鉄資料集-車両データ 駅名標 ◇ 拡大表示 ここで掲載しているのは最新タイプの駅名標である。旧型と比べて背景がシンプルなデザインとなり、車両ドア上で掲示されている停車駅案内図同様、六角形を取り入れた意匠となっている。 紹介 概要 安芸灘急行電鉄(あきなだきゅうこうでんてつ 愛称:灘急)は広島都市圏を中心に6路線を持つ架空の鉄道事業者。 エリアの両端にある2つの空港と広島都市圏を結ぶ空港アクセスを柱に、沿線の通勤・通学の手段として親しまれ、日常の移動だけでなく、観光需要にも対応できる運行に務めている。 現実世界よりも都市の規模を大きくし、人口を少し増やしていること以外はほぼ実世界と同じ設定。 実在地名や架空地名・施設が登場しますが、実在する関係各所とは何の関係もありません。 フリースペース 2021.10.24 一部の図を最新のものに更新 ◆現業機関と回線網 ◆駅構内(N25) ◆駅構内(N24) ◆発車標(N21) ◆ICカード乗車券Naica ◆モバイルNaica ◆サインシステム ◆構内図(N21) ◆駅ナカ(cortile) ◆津和鉄線オリジナル商品「津和鉄線蜂蜜」 ◆使用フォントとシンボルカラー ◆外部リンク ◆RSS(最新情報) ◆ 現業機関と回線網 ◇ 拡大表示 ◆ 駅構内(N25 矢賀新町駅) ◇ 拡大表示 ◆ 駅構内(N24 広島地下駅) ◇ 拡大表示(別ウインドウ) ◇ 広島地下駅-駅ページ ◆ 発車標(N21 灘急本通駅_液晶ディスプレイ式) ◇ 拡大表示 ◆ ICカード乗車券「Naica」 灘急を含む4社局が共同導入したICカード乗車券。灘急線全線、なだきゅうバスの一部路線で利用できるほか、駅ナカ店舗、直営コンビニエンスストアEpitでも使用可能。最近では架空鉄道社局でも利用できるようになった。 ◇ 拡大表示 ◇ 安芸灘急行電鉄-Naica ◆ モバイル乗車券「モバイルNaica」 スマホとNaicaがひとつになりました。Naicaアカウントを登録すると特急券や座席指定券等も購入可能。 ◇ 拡大表示 ◇ 安芸灘急行電鉄-モバイルNaica ◆ サインシステム(一例) 201X年から採用しているサインシステムを検討・策定する際の資料を一部公開。 広島を訪れる外国人観光客の内訳を見ると、比較的英語を公用語とする国が多い事から日本語と英語の併用に留め、その分文字を大きくかつシンプルにしようという方針が採られている。 ◇ pdfファイルで閲覧 ◆ 駅構内図「N21 灘急本通駅」 ◇ 拡大表示 ◆ 駅ナカ施設「cortile大手町」 ◇ 拡大表示 ◇ 大手町駅-駅ページ ◆ 津和鉄線オリジナル商品 「津和鉄線蜂蜜」 ◇ 拡大表示 路線のPRと収入確保を目指して津和鉄線の某駅構内の一角で飼育する蜜蜂たちによって作られたハチミツ。左からクローバー、レンゲ、栗(のはず)。津和鉄線の一部駅または灘急線駅ナカ施設cortileで購入可能。 ◆ 使用フォントとシンボルカラー 和文フォント りょうゴシック plusN など 英文フォント DIN Alternate Bold など シンボルカラー クラシックブルー HEX:#014c86 RGB:1,76,134 CMYK:99%, 43%, 0%, 47% ◆ 外部リンク ◇ 安芸灘急行電鉄-資料集 このページに掲載していない資料・図がご覧になれます ◇Nadakyu_ch(Youtube内) 灘急の音にまつわる動画をyoutube内で公開 ◇ 軽量重工業 灘急をはじめ架空他社の車両の製造を行なっている。 ◆ 最新情報(RSS) 架空鉄道 安芸灘急行電鉄 HUB 広島地下バスターミナル開業 ※現実世界に存在しないバスターミナルです 安芸灘急行電鉄は、2022年10月1日(土)に広島駅新幹線口交通広場直下の地下階に整備される「広島地下バスターミナル(愛称:HUB)」を開業します。 本バスターミナルは、乗降用 [ #8230;] 1970/01/01 (木) 09 00 00 公式アプリ風webページを公開します 灘急線がより快適にご利用いただけるよう、公式アプリ「灘急線アプリ」のリリースを前提にwebアプリ版「灘急線アプリ」を公開します。 webアプリ版では、灘急ホームページを表示させることで、駅時刻表・運賃検索・各駅の情報な [ #8230;] 1970/01/01 (木) 09 00 00 雑誌に掲載されました! 架空鉄道紹介集に灘急の世界が掲載されました! 架空鉄道・妄想鉄道が楽しめる「架空鉄道の窓辺から」「架空鉄道名鑑」が本日公開されました。7つの社局が参加されています。ぜひご覧ください。 「#架空鉄道を紹介しよう」企画(編集 [ #8230;] 1970/01/01 (木) 09 00 00 引用元 : https //subway-sub.com/nadakyu/feed ◆ 最後にー 「架空なだけに、見える部分を増やしていきたい」という想いを持って、ゆっくりゆったり創作をしております。 この場ではあえて詳細な解説は載せておりません。図やイラスト等を見ながら灘急を感じていただければ幸いです。 このページは 瑞霞電気鉄道、奥武鉄道、京名電鉄の各架空鉄道・各ページを参考にして作成しています。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1879.html
昨日 - 今日 - 赤松隊「陣中日誌」改竄の一端 全体の比較資料はこちら→赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 赤松隊「陣中日誌」改竄の一端より詳細な検証が必要だが 辻政弘中尉「本部陣中日誌」1945(防衛研究所資料・沖台沖縄209) 谷本小次郎編「陣中日誌」1970(防衛研究所資料・沖台沖縄405) 《違い》 中西記者の引用 大阪地裁判決での評価 大阪高裁判決での評価 陣中日誌改竄に基づく赤松手記 より詳細な検証が必要だが 文献取り扱い専門家である歴史研究者によるより詳細な検証が必要ですが、海上挺進第三戦隊の「陣中日誌」(赤松隊陣中日誌)改竄の一端が明らかになりました。赤松隊陣中日誌とは、1970年に編纂されたものです。編者である元戦隊本部付特別幹部候補生、谷本小次郎氏は次のように記しています。 …… 私、本部付として戦闘詳報、命令会報を記録し甚だ以て僅かの戦闘のみしか参加せず誠に汗顔の至りでは御座居ますが、幸いに基地勤務隊辻政弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四日迄の記録、第三中隊長所有)を資に取り纏め聊の追記誇張・削除をも行わず、正確な史実を世代に残し歴史は再び巡りて精強第三戦隊たりと誇れる事を念願します。 …… (編集のことば 谷本小次郎 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1429.html) (引用者注)戦闘詳報、命令会報は一体どこに? (引用者注)「聊の=いささかの」 しかし、辻政弘中尉が克明に書き綴った本部陣中日誌と、谷本氏が編集したものとは全く違ったものです。追記誇張・削除が随所に見られます。一例として、昭和20年3月28日、集団自決の日の記述を比べてみます。 辻政弘中尉「本部陣中日誌」1945(防衛研究所資料・沖台沖縄209) クリック拡大 三月二十八日 一、陣地構築ヲ終日実施ス 二、第三中隊主力廓陣地ニ到着 三、渡嘉敷、渡嘉志久、留利加波各地ニ上陸セル約一ケ大隊ノ敵ハ廓陣地ニ侵入二三六高地附近に迫撃陣地ヲ構築シ同砲撃ニ艦砲射撃を以テ我ガ陣地ニ攻撃ヲ加フ 四、損害 戦死 勤務隊 二中隊 多田一ト兵 水勤隊 阿部軍曹 軍夫五名 防招 小峯上ト兵以下八名 村民 若干 負傷 辻中尉 山田上ト兵 水勤隊 若干 防招 若干 村民 若干 五、辻中尉負傷ノ為田所中尉副官業務ヲ代行ス 六、独立第三大隊付新海中尉高塚少尉戦死ノ為第三勤務小隊長ニ命ス 七、通信機の状況 破壊三号甲無線機一、五号無線機ニ 谷本小次郎編「陣中日誌」1970(防衛研究所資料・沖台沖縄405) http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1427.html 三月二十八日小雨 晴 夜小雨 昨二十七日留利加波方面に上陸したる敵は一部海岸稜線上を渡嘉志久へ、一部は我陣地北側の高地に布陣せるものの如し、各隊陣地の構築を行う。第三中隊の主力到着。 昨夜出発したる各部隊夜明けと共に帰隊道案内の現地防衛招集の一部支給しありたる手榴弾を以て家族と共に自決す。本朝二、三件の模様なり。 1、各隊全員陣地稜線上にタコ壷を掘る。 2、一四〇〇陣地の北の谷に避難していた住民陣地内に崩れ込む、住民の異様なる叫び声阿鼻叫喚の中へ。北方の敵陣地より迫撃砲攻撃を受く、戦隊長防召兵を以て之を鎮めしむ。 二十七日未明「通信隊は軍司令部に対し戦隊長敵情報報告、電報を打ち五号無線一を残して破壌、本隊に合流 三号無線機一 五号無線機二 破壊 3、勤務隊辻中尉防衛招集兵の手榴弾暴発のため負傷田所中尉副官業務を行う。 第三中隊高塚少尉戦死のため独立第三大隊付新海中尉第三勤務小隊長に命ず。 本日の損害 通信隊 里見芳郎上等兵 戦死 勤務隊 多田健一上等兵 林時三一等兵 戦死 水上勤務隊 阿部盛雄軍曹 軍夫五名 戦死 防衛招集兵 小峯上等兵以下八名戦死(自決者含む) 勤務隊 辻政弘中尉 山田上等兵負傷 4、二○○○頃二中隊正面軽機関銃座に敵襲を受く。 5、小雨の中敵弾激しく住民の叫び阿修羅の如く陣地後方に於いて自決し始めたる模様 注 自決し翌日判明したるものである。 《違い》 原本には天気は無い 文章の構成がガラリと変わっている 原本には米軍上陸日時は無く上陸後の行動も違う記述。後に判明した米軍記録に合わせた後付けだろう 原本には「自決」に関する記載は一切無い 原本には一四〇〇の記述は一切無い 原本には軍司令部への敵情報告もない 原本にはニ○〇〇の記述も一切無い 原本にあった損害・戦死「村民 若干」が抹消されていながら、「注 自決し翌日判明したるものである。」の加筆 中西記者の引用 中西記者が週刊朝日1970年8月21日号で引用した文章は、辻中尉が書いたオリジナルの「陣中日誌」ではなくて、谷本氏が1970年に編んだものでした。 大阪地裁判決での評価 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1203.html#id_b10b3500 大阪高裁判決での評価 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1748.html#id_b10b3500 陣中日誌改竄に基づく赤松手記 《私記》私は自決を命令していない 沖縄戦資料index
https://w.atwiki.jp/wotrainee/pages/37.html
エンスク LT重要度 :★☆☆☆☆ TD脅威度 :★★☆☆☆ SPG重要度:★★☆☆☆ ver8.7 マップ概要 西側の入り組んだ市街地戦闘、東側はなだらかな稜線と点在する茂みを挟んだ野戦、そしてそれらを分かつ中央の線路が特徴。 性質上、とにかく敵を殴り倒すことが目的になるので、軽戦車は活躍しにくいマップと言えます。 地形が入り組んでいるので自走砲も通りにくく、正面戦闘とそれに対する側面攻撃が勝敗を決する要素となります! 大まかな試合展開として重戦車や重駆逐、腕っこきの中戦車が西側の市街地を制圧するか、中戦車やその他快速車両中心の編成で東側の野戦で工場地帯と外周を制圧した後、ベースに向かうことが多くなります。 逆に、重戦車を東側に割いてそちらを早めに押し上げるという択もありますが、事が終わった後の進軍撤退が遅くなりがち。 とにかく敵が占拠している道路を予測し、キルゾーンに誘い込まれないことが重要です! 西側の市街地から見ていきましょう。 このエリアは主にF1-F3の道路を挟んでの睨み合いになります。 最前線の地形はとてもシンプルで、昼飯や豚飯の応酬になりますが、ハルダウンだけはできません。 敵側の建物にくっつくことで、敵を発見しやすくなりますが、1・4ラインのイニチアシブを取られた時に側面攻撃を受けやすくなります。 1ラインはそれぞれG1・E1から敵チームの建物地帯に入り込むことができ、Fラインの側面攻撃も可能です。 リターンはとにかく高いですが、B1・D1・J1に注意しましょう! 身を隠すものがなにもないロングストレートなので、駆逐戦車や重戦車が待ち伏せている可能性が高いです。 快速高隠蔽車両でもここを通るのは難しいでしょう…… お互いの駆逐戦車の数やスポット状況から予測し、リスクが最も少ない時に試してみる……程度の意識でいましょう。 余談ですが、ここの奥に自走砲が潜んでいることもあります。 4ラインは公園のような広場になっています。 中央に噴水(?)がある以外は弾を止める障害物はなにもありません…… このエリアには茂みや樹木が大量にあり、静止していればFラインやD2・D3から見つかることは少ないです。 しかし、北側チームはD4の窓枠を使い、ハルダウンしつつこの4ラインを見張ることができます。 ここからでは流石に距離が近いので、このエリアに置き偵察をするのは止めましょう! このエリアは北側チームが若干有利なので、南側チームはF5の浅いところの茂みから視界を取って牽制しましょう。 相手がD4に入っていない場合は慎重に探りつつ、ここを側面攻撃の起点にします。 後述の中央の線路、特に6ライン西側からの奇襲には要注意! 東側は7・8ラインの工場地帯と外周の稜線と茂みを上手く使って進行します。 ここが戦いのメインになることは少ないですが、このエリアを突破するorされると、ベースまで侵攻され、市街地も包囲されます。 外周からの攻撃や自走砲を警戒し、早めに工場地帯に入るといいでしょう。 主にF8南西のやや大きめの横向き倉庫を盾に睨み合うことになります。その為、北側チームは工場地帯を広めに使いやすいですが、迂闊にE8・F8でまごついていると外周のE0・F0の南側チームから側面攻撃を受けることもあります。 さて、F8に両者ベタ付きで睨みあうことになりますが、ここで重要なのが7ラインです! 長い建物で仕切られている為、正面以外から干渉されることが少なく、ここから相手の側面・背面を突かれることもあります。 一台はここを見ておくべきですが、あまりに戦力にならない車両だとそのまま押し切られてしまいます…… 少し意外ですが、9ラインからの強襲浸透も中々に有効です。 当然、多少は撃たれるのでHPや装甲が重要になりますが、高低差の都合で思ったより外周0ラインからは干渉されません。 とはいえ、危険なことに変わりはないので、リスクをよく考えた上でここを狙いましょう! このエリアは軽・中の快速編成でくることが多い為、車両数の差がこういった奇襲経路に大幅に影響します。 あまりにも車両数が少ない場合は無理に工場地帯に入らず、C7・C8やJ7・J8まで引き込んで味方の援護を待つべきです。 中央の線路地帯は奇策になりがち。 貨物列車に仕切られてはいますが、攻撃されれば穴も空きますし、視界も通ってしまいます…… ですが6ライン西側の白い舗装路には注意しましょう! 布陣の都合で視界の穴になりやすく、ここを取られることで西側市街地への干渉や中央突破の足がかりにされてしまいます。 特にFラインや4ラインのエリア制圧に大きく影響し、西側を一気に押し上げられかねません。 意外ですが、ここに主力の中戦車を一両は送り込むべきです。 攻撃性能のあるTier7軽戦車等もいいでしょう! まとめると、このマップは 重車両で西の市街地、快速車両で東の工場を抑えるマップ。 正面戦闘になりがちなので、下手に付き合わずに味方の側面攻撃を意識しましょう。 東側地帯は車両数が絶対なので、お互いの車両数を予測しながらプッシュ、引き込み。 中央の線路地帯は奇策ではありますが、奇襲には常に注意すべきです。 というマップです。 以上を踏まえてマップ画像 赤丸は勝敗を決する主戦場とそのアクセスです。 青丸は視界取りに入られやすいポジション、エンスクはガチ戦闘マップなので視界取りの重要性は薄いです。 紫丸は主に駆逐戦車が潜んでいるポジション。1ラインと5ラインのロングは非常に危険です。 緑丸はいつも通りのArtyポジション。基本的にAラインとKラインに潜んでいます。南側は少し前のJ5・J6付近の可能性も。
https://w.atwiki.jp/wotrainee/pages/31.html
{崖 LT重要度 :★★★☆☆ TD脅威度 :★★★☆☆ SPG重要度:★★★☆☆ ver8.7 マップ概要 このマップは西の開けた直線、なだらかな傾斜と茂みに守られた中央、大きく迂回しながら中央に回りこむ東の三つのレーンから成ります。 マップの中央には高い山と灯台があり、ここを抑えることで視界や側面攻撃がやりやすくなります。 F4とF7-F8の大山に多少遮られるものの、自走砲の通りは非常に良いので、斜面や岩場に密着して回避しましょう。 西のレーンから説明していきます。 道中にいくらか岩場と茂みはあるものの(H2・D2等)お互いの進行は容易にスポットされます。 このレーンの奥のA1-A2・K1-K2には自走砲が構えている事が多く、激しい砲撃戦になります。 突破を試みるならば当然主力の重戦車や重駆逐戦車を使うべきですが、自走砲のリスクが高まるのでなるべく引き込んで戦いましょう。 ここを制圧した場合のメリットとして、E3-F3から崖の上に登り、3ラインを活用することができます。 そのまま進軍し自走砲を排除した後は敵軍ベースを占拠したいところですが、敵の中央組がD4・D5から妨害してくるので注意! 味方が中央を取れていない場合や、負けている場合は反転しベースを守ったり前述の崖登りコースから援護しに行きましょう。 このレーンは重要視されがちですが、最も重要なのはここではなく、西を撃ち下ろしつつベースの監視と援護がしやすい3ラインです。 3ラインとそれに至る経路を安定させる為に、中央に車両を割きましょう。 ここはあくまでも「抑え」のレーンです。 また、{奇策ではありますが快速中戦車で開幕からE2-F2の窪地に入ることで、敵の後発を牽制しつつ崖登りができます。} (開幕の配置と構成で前後しますが、南側のが若干入りやすいです) 3ラインを奇襲しましょう! マップ中央には様々な要素が絡んできます。 基本的にはE5-E6間の稜線と茂みを挟んでの睨み合いになります。 ここを優位に進めることで、E7-E8の灯台を占拠したり、3ラインに向かう味方を守ることができます。 甘めではあるものの、ハルダウンが成立しやすいので頭が硬く、躍進射に優れた戦車が活躍できるでしょう! ここを制圧する為に、開幕から一刻も早くポジションに付きましょう! 初動をもたついていると、敵の軽戦車に灯台を登られてしまい、東の迂回路や中央が不利になります。 とはいえ、灯台に至る山岳路は険しく、初動で素早く動いていれば登り切る前に迎撃可能です。 南よりも北側チームのほうに若干車体を晒し気味に登ることになるので、そちら側のほうが灯台の取り合いはやや有利。 中央が優勢になった後、あるいは開幕で3ライン方面に向かうのも重要です。 なるべく早い内に3ラインを制圧することで西側が若干有利になります。 加えて、F3・E4から顔を出すことでE5-E6間の稜線の向こう側の敵を撃つことも可能です。 3ライン自体には岩がひとつあるものの防御力自体は低く、残りHPが重要になってきます。 ここに入る際に中央組から撃たれることを加味した上で、体力を大事にしましょう。 足が早く、ある程度防御に長けた中戦車が向かうと上手に事を運べるでしょう。(Type-59 T-54等) マップ東側の迂回路は性質上自走砲も届きにくく、独立したレーンになります。 ここを押し切ることで中央組の側面付くことも可能ですが、とにかく地力が必要になります。 制圧を目指すのであれば、主力中・重戦車の三分の一程度を送るべき。 もしも開幕で敵チームに灯台を占拠された場合、このレーンに主力を割くべきではありません。 1395やT71のような攻撃性能に優れた軽戦車の場合、それ一台で前線をボロボロにされてしまいます…… このレーンは尾根に沿って進むことになりますが、俯角と砲塔装甲に優れた戦車の場合はあえて外周から進むのもアリ! 海側に対しえぐれた地形が多く、尾根沿いで睨み合っている敵車の側面を(やや角度はあるものの)ハルダウンで撃ち込みやすいです。 とはいえ危険なことに変わりはなく、外周に膨れることで自走砲の射程圏内に入ってしまうこともあります。 またこのレーンを押し切った場合は中央組の側面をつくことになりますが、{遠めのC7やJ7の岩場に隠れている敵に注意しましょう。} 特にC7は車両次第では綺麗に防盾だけを出した状態で攻撃してきます。 南側は加えてG7・H6の村を盾にして待ち伏せることも可能です。 この村はないよりはマシの遅滞戦術用といった防御力なので、東レーンで大敗した場合はあまりここに残るのは得策ではありません。 味方の中央組に援護を要請しましょう。 まとめると、このマップは 東西はリターン以上にリスクが高く、中央で優位に立ったほうが安定するマップ。 西側には抑えきる分の重戦車や重駆逐だけを残し、自走砲の援護をもらいながら敵を牽制しましょう。 中央を制圧することで、3ラインや灯台のアクセスがよくなり、ダメ押しに繋がります。 とにかく中央の睨み合いと、早期の3ライン攻撃を意識しましょう。 というマップです。 以上を踏まえてマップ画像 赤丸は主戦場とその経路です。最も重要なのは3ラインのそれです。 青丸は軽戦車等が視界を取ったり色々する場所です。 紫丸は両軍の駆逐や重戦車が待ち伏せるポイントです。 緑丸はいつものArtyポジションです。このマップでは西と中央に良く自走砲が通ります。 白い太矢印はその前線を制圧することで可能になる経路です。3ラインが圧倒的に重要であることがわかります。
https://w.atwiki.jp/wangel/pages/360.html
お待たせ致しました! こちらGW山行、鳳凰隊の報告になります。 今回私たちのパーティはL小林純平の下で、現役部員のみで残雪期の南アルプス縦走に挑戦しました。 その名も「健児五人(こんでいごじん)夜叉神縦走物語feating.MGWV~男の中の漢、出てこいや!2012年男祭~」 山行名からして並々ならぬ気配が漂っておりました。 日程は5月3日朝~5月6日昼までの山中3日(3泊4日)です 初日に大雨の影響で夜叉神峠登山口までの道路が通行止めになり、タクシーでは途中の山の神(場所名)までしか行くことができませんでした。 そのため予定していたテン場である夜叉神峠小屋に日の入りまでに辿り着くことが難しくなり、安全性を優先して急遽夜叉神峠登山口にてビバークすることになりました。 それでも立川駅での集合時(午前8時の段階)では、登山口に辿り着くことすら危うい状況であったので、次の日からの行動を考えると登山口まで到達できたのは縦走でのピーク到達への可能性を残せたといえました。 夕飯に食ったカレーが超美味しくて、体力と気力、そして天気も回復してくれました。 食事など、個人山行のメリットをフルに活用するのも今回の山行の目的でした。 2日目、メインピークに全て到達するためにはこの日になんとしても南御室小屋まで辿り着かなくてはならず、起床時間を30分早めて5:00にテン場を出発しました。 幸いにも天候は回復していてメンバーが登りに強い健児五人だったこともあり、約1時間で本来のテン場である夜叉神峠小屋まで到着し、コースタイムを撒き続けたまま登りを駆け上がって無事に南御室小屋まで到着しました。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0563.jpg) ↑夜叉神峠小屋付近(AM:06:00) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0570.jpg) ↑南御室小屋(PM:13:00) 途中の杖立峠を越えたところあたりからアイスバーンが増えアイゼンワークとなりましたが、雪上技術訓練合宿と残雪八ヶ岳山行経験もあってそこまでコースタイムに支障が出なかったのがよかったです。ステップを踏むことで、確実に行動範囲が広がってきているのだと感じました。 3日目、ここまで我慢の山行でしたが、ついに解放されるピーク到達予定日です。 南御室から森林限界を超え、稜線に出たころには青空が広がっていてメンバーのテンションも最高潮に達していました。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0576.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0585.jpg) 稜線上を歩くーワンダーフォーゲルを謳歌して、薬師岳、観音岳のピークで写真を撮りつつ休憩し(AM 07:00-AM 08:30)↓薬師岳ピークにて #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0579.jpg) 深い残雪がある鳳凰小屋までの下り道を、アイゼン・ピッケルを駆使して歩きました。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0598.jpg) アイゼンピッケルワークでコースタイムよりも時間がかかったものの、なんとか予定通り設定制限時間内に鳳凰小屋に到着して、そこから地蔵岳ピストン準備を完了しました。(この時点でAM:10:00) 出発してまもなく、樹林帯を超えてから山頂のオベリスクが見えたのですが、それからがまた遠い…。 残雪時の凄まじい急坂(1時間半で約400Mアップ)を耐え抜き、 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0604.jpg) やっと着いた時にはあたり一面青空が広がっていました。(AM 11 30) 周りに広がる南アルプス、北アルプス、富士山がとても壮大で、優雅な景色として表れ、達成感がハンパなものではなかったです #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0611.jpg) せっかくの個人山行なので、嗜好品を作ったり写真を撮ったりオベリスクに登ってみたりしながら1時間半ほどピークに滞在して、13時過ぎに出発しました。 ↓ピークでの幸せなひと時です #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0621.jpg) 帰りは滑落停止の練習もできるくらいの雪道の坂を、滑り台のごとく滑って下山しました。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0629.jpg) 45分かけて登った道を、僅か10分ちょっとで下れたのは奇跡的なスピードです。 この日鳳凰小屋に戻って1日休んだ後、空模様が怪しい中で最終日、ゴール地点である御座石温泉目指して出発しました。 案の定天気が崩れ、途中で落雷の被害に遭ったり、メンバーが足を怪我したりと危険な道のりでした。 それでもみんなで力を合わせて、コースタイムの1.5倍以上の時間をかけて御座石温泉に下山することができました。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (SANY0639.jpg) ↑アクシデントに見舞われながらも予定通り行程をこなし下山した健児五人(AM:11:45) SLをやっていた自分は、この瞬間が、一番達成感を感じました。 おそらくLの主将も同じだったと思います。 帰りの打ち上げも最高でした。 本当に濃い、4日間を経験することができたGW山行でした。 ここまで支えてくれたみんなに「ありがとう」と言いたいです 仲間たちと感じたこの時空間を、これから先ずっと忘れることはありません お疲れ様でした。
https://w.atwiki.jp/harufaru/pages/13.html
+◆初めての方はこちらを一読ください このコンテンツについて ・このコンテンツはアラドの世界観を元に管理人が好き勝手に書いた創作小説です ・ゲーム内のネタばれを多々含む場合がありますので、アラド戦記を未プレイでかつやる可能性がある方は閲覧を控えてください ・続き物のシリアル本編、読み切り型のギャグストーリー番外編の2種類用意致しました。 ・サイドストーリーは本編の補填形式からなるショートストーリーです。読まなくても本編内容に支障はありません。 ・この小説がゲーム内のストーリーに沿っているわけではありません、むしろ全く別物と思ってください。 ・一つの記事に対して文字制限があるため、複数ページに分けている場合があります 以上の内容を踏まえた上でご覧いただきますよう、どうぞお願い致します。 本編 ~第一部~ 登場キャラ紹介 プロローグ 第1話「鬼剣士アルドの章 ~燃え盛るグラックカラック~」 第2話「格闘家レシエの章 ~フロストマークウッド~」 第3話「ガンナーダインの章 ~竜人の塔~」 第4話「アルド&レシエの章 ~浮遊城~」 第5話「アルド&レシエの章 ~城主の宮~」 第6話「アルド&レシエ&ダインの章 ~神殿外郭&稜線~」 第7話「アルド&レシエ&ダインの章 ~『鬼手の呪い』~」 第8話「アルド&レシエ&ダインの章 ~『第八使途ロータス』~」 第9話「アルド&レシエの章 ~『記憶の中で』~」 第10話「アルド&レシエ&ダインの章 ~『衝撃の事実』~」 サイドストーリー アルド:『灰色の剣士』 シス :『下水道の女王』 本編 ~第二部~ 第11話「格闘家レシエの章 ~シャローキープ~」 第12話「アルド&ダインの章 ~ブワンガの修練場~」 第13話「格闘家レシエの章 ~黒妖精の墓地~」 第14話「アルド&ダインの章~スカサの巣~」 第15話「始まりの章 ~『暴龍王バカル』~」 本編 ~最終部~ 第16話「最終章その1.~カルテル追撃戦~」 第17話「最終章その2.~『意思の力』~」 第18話「最終章その3.~『夢の中の少女』~」 第19話「最終章その4.~『天界の春』~」 第20話「最終章その5.~『バカルの城』~」 最終話 「それぞれの想いの果てに」 エピローグ 番外編 その1.とあるメカ子の災難 その2.ヘルPTあらわる!!