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青山喜明⇒青木芳之(アオキヨシユキ) 紅羽英助⇒赤羽秀男(アカバヒデオ) 秋川孝和⇒秋山忠一(アキヤマチュウイチ) 秋山真一郎⇒そのまま 明日真信一⇒東信二(アズマシンジ) 粟田真二⇒栗田伸一(クリタシンイチ) 安藤勝己⇒そのまま 安能堅二⇒安藤賢一(アンドウケンイチ) 安能満吉⇒安藤光彰(アンドウミツアキ) 池越亀夫⇒池添兼雄(イケゾエカネオ) 池添謙一⇒そのまま 石橋脩⇒そのまま 石橋守⇒そのまま 石元一見⇒岩元市三(イワモトイチゾウ) 五十畑豪介⇒五十嵐雄祐(イガラシユウスケ) 板井利秋⇒坂井千明(サカイチアキ) 井田昭仁⇒飯田明弘(イイダアキヒロ) 一本松豪⇒二本柳壮(ニホンヤナギソウ) 犬塚英二朗⇒大塚栄三郎(オオツカエイザブロウ) 茨城要次⇒岩崎祐己(イワサキユウキ) 今江頼一⇒今井規和(イマイノリカズ) 井山康規⇒井西泰政(イニシヤスマサ) 岩神信二⇒石神深一(イシガミシンイチ) 岩神冨三男⇒石神富士雄(イシガミフジオ) 岩武準一⇒岩部純二(イワベジュンジ) 岩田康誠⇒そのまま 上村洋行⇒そのまま 鵜飼忠義⇒須貝尚介(スガイナオスケ) 浮多洋吉⇒内田浩一(ウチダコウイチ) 宇治川利丸⇒武士沢友治(ブシザワトモハル) 内出宏徳⇒内田博幸(ウチダヒロユキ) 内谷邦矢⇒内田国夫(ウチダクニオ) 江田照男⇒そのまま 蛯川清志⇒蛯沢誠治(エビサワセイジ) 蛯田宏伸⇒蛯名信広(エビナノブヒロ) 蛯名正義⇒そのまま 大木一葉⇒大野拓弥(オオノタクヤ) 太田静弥⇒大庭和弥(オオバカズヤ) 大西直宏⇒そのまま 岡田順二朗⇒岡潤一郎(オカジュンイチロウ) 岡部幸雄⇒そのまま 岡読駿二⇒岡冨俊一(オカトミシュンイチ) 尾河頼善⇒小原義之(オバラヨシユキ) 小崎省二⇒大崎昭一(オオサキショウイチ) 尾崎唯夫⇒小坂忠士(コサカタダシ) 音橋英武⇒音無秀孝(オトナシヒデタカ) 小野次郎⇒そのまま 小俣正明⇒野元昭嘉(ノモトアキヨシ) 尾村章大⇒野村彰彦(ノムラアキヒコ) 御家敷明⇒小屋敷昭(コヤシキアキラ) 柿武士⇒楠孝志(クスノキタカシ) 鍵谷雅⇒鍜治谷誠(カジタニマコト) 葛西退助⇒太宰啓介(ダザイケイスケ) 笠置利盛⇒金折知則(カナオリトモノリ) 鹿島丈⇒田嶋翔(タジマショウ) 柏原柾継⇒柏崎正次(カシワザキマサツグ) 梶間吉治⇒田島裕和(タジマヒロカズ) 梶原輝雄⇒梶晃啓(カジテルヒロ) 片平流星⇒北村浩平(キタムラコウヘイ) 勝浦正樹⇒そのまま 加納一俊⇒加藤和宏(カトウカズヒロ) 加納市度哉⇒加藤士津八(カトウシヅヤ) 嘉峰幸高⇒嘉藤貴行(カトウタカユキ) 鎌戸三成⇒鎌田光也(カマタミツヤ) 上郷翼⇒郷原洋司(ゴウハラヒロシ) 上郷往広⇒郷原洋行(ゴウハラヒロユキ) 上屋敷彰俊⇒竹之下智昭(タケノシタトモアキ) 川家洋一⇒河内洋(カワチヒロシ) 河木克彦⇒川合達彦(カワイタツヒコ) 川島信二⇒そのまま 川田将雅⇒そのまま 川畑善三⇒川端義雄(カワバタヨシオ) 菊沢隆徳⇒そのまま 木境鉄雄⇒小林徹弥(コバヤシテツヤ) 北浦克二⇒西浦勝一(ニシウラカツイチ) 北村宏司⇒そのまま 衣河辰彦⇒菊沢隆仁(キクザワタカヒト) 清田栄気⇒清水英次(シミズエイジ) 久賀隆美⇒加賀武見(カガタケミ) 国実政幸⇒国兼正浩(クニカネマサヒロ) 久辺繁史⇒久保敏文(クボトシフミ) 窪北壮⇒黒岩悠(クロイワユウ) 窪畑俊之⇒久保田敏彦(クボタトシヒコ) 熊沢重文⇒そのまま 栗山健治⇒田中健(タナカケン) 源雅弘⇒原昌久(ハラマサヒサ) 神戸宗平⇒国分恭介(コクブンキョウスケ) 小柴大地⇒小島太一(コジマタイチ) 小柴禎彦⇒小島貞博(コジマサダヒロ) 小柴大⇒小島太(コジマフトシ) 小林淳一⇒そのまま 小牧太⇒そのまま 小森秀明⇒小林久晃(コバヤシヒサアキ) 小屋外英次⇒小谷内秀夫(コヤウチヒデオ) 木幡初広⇒そのまま 後藤浩輝⇒そのまま 坂木克也⇒坂本勝美(サカモトカツミ) 桜田晴一⇒桜井誠二(サクライセイジ) 笹多修士⇒飯田祐史(イイダユウジ) 佐藤哲三⇒そのまま 佐堂均⇒佐藤等(サトウヒトシ) 鮫島良太⇒そのまま 佐用昌⇒加用正(カヨウタダシ) 猿山茂則⇒猿橋重利(サルハシシゲトシ) 沢下昇⇒河北通(カワキタトオル) 四位洋文⇒そのまま 塩山勝夫⇒塩村克己(シオムラカツミ) 鹿賀祐二⇒鹿戸雄一(シカトユウイチ) 柴沢勲⇒柴崎勇(シバサキイサム) 柴田善臣⇒そのまま 柴野明満⇒柴田光陽(シバタミツハル) 柴野木埼⇒柴田未崎(シバタミサキ) 柴野太一⇒柴田大知(シバタダイチ) 柴野誠⇒柴田政人(シバタマサト) 柴野泰己⇒柴田政見(シバタマサミ) 柴原央明⇒そのまま 柴山雄一⇒そのまま 嶋畑勇⇒嶋田功(シマダイサオ) 嶋畑俊⇒嶋田潤(シマダジュン) 嶋畑貴之⇒嶋田高宏(シマダタカヒロ) 下竹拓哉⇒中竹和也(ナカタケカズヤ) 菅田明二⇒菅野昭夫(カンノアキオ) 菅田清男⇒菅野澄男(カンノスミオ) 菅野雅臣⇒菅谷正巳(スガヤマサミ) 須ヶ原高行⇒菅原隆明(スガハラタカアキ) 須ヶ原靖士⇒菅原泰夫(スガワラヤスオ) 杉村広之⇒杉浦宏昭(スギウラヒロアキ) 鈴未尚仁⇒鈴来直人(スズキナオト) 鈴本秀美⇒鈴木寿(スズキヒトシ) 芹沢純一⇒そのまま 副島春伸⇒福島信春(フクシマノブハル) 外木場繁義⇒外枦保重秋(ソトヘボシゲアキ) 高川広⇒高山裕(タカヤマユタカ) 高川大介⇒高山太郎(タカヤマタロウ) 鷹國弘⇒武邦彦(タケクニヒコ) 鷹田聡⇒武田悟(タケダサトル) 高知桂一⇒高市圭二(タカイチケイジ) 高地孝良⇒安田康彦(ヤスダヤスヒコ) 鷹久敏⇒武英智(タケヒデノリ) 滝橋毅⇒高橋隆(タカハシタカシ) 滝橋靖明⇒高橋康之(タカハシヤスユキ) 田倉舞子⇒田村真来(タムラマキ) 田倉俣満⇒田村正光(タムラマサミツ) 武幸四郎⇒そのまま 竹山栄仁⇒竹原啓二(タケハラケイジ) 武豊⇒そのまま 田崎伸宏⇒田島信行(タジマノブユキ) 田崎吉益⇒田島良保(タジマヨシヤス) 田中勝春⇒そのまま 田辺毅⇒田中剛(タナカツヨシ) 谷浜章⇒高橋亮(タカハシリョウ) 田野鉄夫⇒目野哲也(メノテツヤ) 多辺英伸⇒田辺裕信(タナベヒロノブ) 玉乃屋建士⇒玉ノ井健志(タマノイタケシ) 津川昭弘⇒津村明秀(ツムラアキヒデ) 土田知幸⇒土谷智紀(ツチヤトモノリ) 角田晃一⇒そのまま 手所英忠⇒田所秀孝(タドコロヒデタカ) 出川貴教⇒出口隆義(デグチタカヨシ) 徳下市巳⇒徳吉一己(トクヨシカズミ) 土居倖利⇒土肥幸広(ドヒユキヒロ) 中北孝伸⇒中西武信(ナカニシタケノブ) 中迫継雄⇒小迫次男(コサコツギオ) 中沢佑大⇒中谷雄太(ナカタニユウタ) 中嶋代幸⇒中島啓之(ナカジマヒロユキ) 中嶋良史⇒中島敏文(ナカジマトシフミ) 仲田喜代盛⇒田中清隆(タナカキヨタカ) 中舘英二⇒そのまま 中目通誠二⇒中野渡清一(ナカノワタリセイイチ) 長居譲也⇒高井彰大(タカイショウタ) 長野永吉⇒中野栄治(ナカノエイジ) 長宗行明⇒中村将之(ナカムラマサユキ) 虹平怜那⇒西原玲奈(ニシハラレナ) 仁藤繁⇒伊藤栄(イトウサカエ) 仁藤澄明⇒伊藤清章(イトウキヨアキ) 仁藤尚之⇒伊藤直人(イトウナオト) 仁藤紀昌⇒伊藤正徳(イトウマサノリ) 仁藤呼恭⇒伊藤暢康(イトウノブヤス) 根布恭彦⇒根本康広(ネモトヤスヒロ) 野木君政⇒田面木博公(タモギヒロマサ) 野碕隆人⇒野崎孝仁(ノザキタカヒト) 博多瞬⇒高田潤(タカダジュン) 袴田丈司⇒畑端省吾(ハタバタショウゴ) 橋内宏人⇒橋本広喜(ハシモトヒロキ) 長谷川浩大⇒そのまま 端友寿文⇒橋本美純(ハシモトヨシズミ) 花街通⇒花松進(ハナマツススム) 原多勇一⇒原田雄二(ハラダユウジ) 東出雪央⇒東田幸男(ヒガシダユキオ) 比嘉春広⇒千田輝彦(チダテルヒコ) 樋沢広⇒樋口弘(ヒグチヒロシ) 日原成樹⇒田原成貴(タバラセイキ) 福永祐一⇒そのまま 藤岡佑介⇒そのまま 藤川秀茂⇒藤原英幸(フジワラヒデユキ) 藤木朝照⇒藤井正輝(フジイマサテル) 藤島慎一⇒藤田伸二(フジタシンジ) 船岸達仁⇒常石勝義(ツネイシカツヨシ) 古河城一⇒古川寛和(フルカワヒロカズ) 武闘善成⇒武藤善則(ムトウヨシノリ) 星田順⇒押田純子(オシダジュンコ) 穂積義弘⇒穂苅寿彦(ホカリトシヒコ) 細井潤奈⇒細江純子(ホソエジュンコ) 細山栄一⇒細川英二(ホソカワエイジ) 堀宏真⇒堀井雅広(ホリイマサヒロ) 本田優⇒そのまま 牧畑克也⇒牧田和弥(マキタカズヤ) 牧原由貴子⇒そのまま 2009年スタートの場合⇒増沢由貴子(マスザワユキコ) 増北行雄⇒増沢末夫(マスザワスエオ) 増田勇⇒増井裕(マスイヒロシ) 益名栄達⇒松田大作(マツダダイサク) 増本卓哉⇒松本達也(マツモトタツヤ) 松岡浩二⇒松山弘平(マツヤマコウヘイ) 松中正和⇒松永昌博(マツナガマサヒロ) 松中道生⇒松永幹夫(マツナガミキオ) 松畑雪晴⇒松田幸春(マツダユキハル) 松山征基⇒松岡正海(マツオカマサミ) 的矢武仁⇒的場勇人(マトバハヤト) 的矢博⇒的場均(マトバヒトシ) 丸川克則⇒丸山勝秀(マルヤマカツヒデ) 三河稔夫⇒小池隆生(コイケタカオ) 南勝也⇒南井克巳(ミナイカツミ) 南橋裕次⇒西橋豊治(ニシハシトヨジ) 峯慈義⇒岸滋彦(キシシゲヒコ) 蓑多駿男⇒蓑田早人(ミノダハヤト) 三村天地⇒三浦皇成(ミウラコウセイ) 宮内撤⇒宮徹(ミヤトオル) 宮前登喜男⇒宮崎北斗(ミヤザキホクト) 幸英明⇒そのまま 宗田哲⇒宗像徹(ムナカタトオル) 村上晃夫⇒村山明(ムラヤマアキラ) 村木義明⇒村本善之(ムラモトヨシユキ) 村田一誠⇒そのまま 室木広樹⇒南井大志(ミナイヒロシ) 目白政輝⇒目黒正徳(メグロマサトク) 本藤貴則⇒木藤隆行(キフジタカユキ) 八雲寿季⇒佐久間寛志(サクマヒロシ) 谷坂宏二⇒谷中公一(ヤナカコウイチ) 安谷飛雄⇒安田富男(ヤスダトミオ) 安谷幸孝⇒安田隆行(ヤスダタカユキ) 矢羽羊二⇒矢原洋一(ヤハラヨウイチ) 谷原康一郎⇒藤岡康太(フジオカコウタ) 山中慶治⇒山内研二(ヤマウチケンジ) 山目勝弘⇒山田和広(ヤマダカズヒロ) 山目安平⇒山田泰誠(ヤマダタイセイ) 山木孝治⇒山本康志(ヤマモトコウシ) 横畑政彦⇒横田雅博(ヨコタマサヒロ) 横平冨蔵⇒横山富雄(ヨコヤマトミオ) 横平初⇒横山賀一(ヨコヤマヨシカズ) 横平嘉樹⇒横山義行(ヨコヤマヨシユキ) 横山典弘⇒そのまま 吉田隼人⇒そのまま 吉田豊⇒そのまま 吉森升斗⇒吉永正人(ヨシナガマサト) 吉森守広⇒吉永護(ヨシナガマモル) 吉森頼斗⇒吉永良人(ヨシナガヨシト) 吉山祟二⇒吉沢宗一(ヨシザワソウイチ) 若井晃次⇒赤木高太郎(アカギコウタロウ) 若江守⇒酒井学(サカイマナブ) 渡辺薫彦⇒そのまま 和田竜二⇒そのまま
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 日本の旗中京競馬場 創設 1987年7月5日 距離 芝芝1400m 格付け GIII 賞金 1着賞金3700万円 出走条件 サラブレッド系3歳(国際)(指定) 負担重量 別定 ファルコンステークスは、日本中央競馬会 (JRA) が中京競馬場の芝1400メートルで施行する中央競馬の重賞 (GIII) 競走である。中日スポーツを発行する中日新聞社が優勝杯を提供しており、正式名称は「中日スポーツ賞 ファルコンステークス」と表記している。 概要 1972年に中京競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)の混合の別定のオープン特別競走、4歳ステークスとして施行されたのが始まり。翌1973年には施行距離を芝2000mに変更、1980年からは中京4歳特別に名称変更するとともに施行距離を芝1400mに変更した。 1984年からは施行距離を再び芝1800mに変更、1985年には中日スポーツ杯4歳ステークスとなり、翌1986年には中日スポーツ賞に名称変更された。1987年より混合競走から除外されるが重賞競走に昇格し、GIIIに格付けされ、名称も中日スポーツ賞4歳ステークスとなった。1993年は中京競馬場の改修工事に伴い、京都競馬場の芝外回り1800mで施行、1994年には混合競走に再び指定、外国産馬の出走が可能となり、1996年からはNHKマイルカップの創設を中心とした4歳(現3歳)短距離路線の整備に伴い、施行距離を芝1200mに変更した。 1997年には特別指定交流競走に指定、JRAに認定された地方所属の競走馬が出走可能になり、2001年には競走馬の年齢表示の国際基準に変更に伴う競走名の変更により、現在の名称となった。 2011年は中京競馬場の改修工事に伴い、阪神競馬場の芝内回り1200mで施行された(中京代替の小倉競馬場ではなく阪神競馬場だったのは、関東馬の長距離移動に伴う負担回避のため)。 2012年からは改修工事により新設された芝1400mのコースに施行距離を変更した。 1800mで施行されていた時は福島競馬場で施行するラジオたんぱ賞と日程が重なるため出走馬が分散し、また東京優駿(日本ダービー)に出走できなかった、また敗れた競走馬が多く出走することから「残念ダービー」とも呼ばれていた。1996年からは芝1200mで施行する事になり、3歳及び夏の短距離路線を占う競走として位置付けられ、2006年からは中山競馬場で施行されていたクリスタルカップ(2005年廃止)に代わる形で施行時期が3月に移動する事になり、5月のNHKマイルカップや3歳短距離路線を占う競走として位置付けされる事になった。 1800m時には、サッカーボーイ・オサイチジョージ・ネーハイシーザーが、1200mに短縮後は、サニングデール・ジョーカプチーノといったGI馬がこのレースを勝利している。 なお地方所属馬のみ上位2着までに限り、NHKマイルカップの出走権(優先出走権ではない)が与えられるトライアル競走である。 なおNHKマイルカップ以外にも、ローテーション的に上位総収得金額枠での場合は、桜花賞(牝馬のみ)と皐月賞(牡馬・牝馬)に出走可能となるが、皐月賞の場合は2014年にタガノグランパが出走するまで、出走した競走馬は1頭もいなかった。 出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)、地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国競走馬(9頭まで)。 負担重量は馬齢重量である56kg、牝馬は54kgを基本とし、更に日本馬については収得賞金が1,800万円以上の競走馬は1kg、外国調教馬については重賞競走優勝馬の競走馬は1kgの負担が課せられる。 歴史 1972年 - 中京競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)の混合の別定のオープン特別競走、4歳ステークスとして施行。 1973年 - 施行距離を芝2000mに変更。 1979年 - 京都競馬場の改修工事による振替開催により阪神競馬場の芝1600mで施行。 1980年 - 名称を中京4歳特別に変更。施行距離を芝1400mに変更。 1984年 - 施行距離を再び芝1800mに変更。 1985年 - 名称を中日スポーツ杯4歳ステークスに変更。 1986年 - 名称を中日スポーツ賞に変更。 1987年 - 中京競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)の別定の重賞(GIII)競走、中日スポーツ賞4歳ステークスとして新設。 1993年 - 中京競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り1800mで施行。 1994年 - 混合競走に指定。 1996年 - 施行距離を芝1200mに変更。 1997年 - 特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。名称を現在のファルコンステークスに変更。 2006年 - 開催時期を3月に変更。 特別指定交流競走から指定交流競走に変更され、JRAに認定されていない地方所属馬にも門戸が開かれる。 3歳クラシック以前の実績馬の選択肢を増やす目的で、負担重量の上限が57kg(牝馬は55kg)になるよう現行の規定に変更。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。 2009年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。外国調教馬の負担重量を現行の規定に設定。 2011年 - 中京競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝内回り1200mで施行。 3月11日に発生した東日本大震災を受け、「東北関東大震災被災地支援競馬」として実施。 2012年 - 施行距離を芝1400mに変更。 歴代優勝馬 4歳ステークス・中京4歳特別・中日スポーツ杯4歳ステークス・中日スポーツ賞 施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師 1972年6月25日アーチデューク牡31 49.3安田伊佐夫武田文吾 1973年7月8日イーストリバー牡32 02.1北橋修二松元正雄 1974年7月7日カワチボーイ牡32 07.7中野勝也吉田三郎 1975年7月13日アヤフブキ牡32 06.4武田悟夏村辰男 1976年7月11日ミヤジマレンゴ牡32 03.6武田悟夏村辰男 1977年7月9日アイノクレスピン牝32 01.5目野哲也土門健司 1978年7月8日ディープリバー牝32 01.7吉田勝也吉田三郎 1979年7月7日ボールドエーカン牡31 35.0河内洋内藤繁春 1980年6月28日タカノカチドキ牡31 23.0武邦彦服部正利 1981年6月21日キタノコマヨシ牡31 22.3武邦彦武田作十郎 1982年6月27日ロングヒエン牡31 21.5河内洋小林稔 1983年6月26日ニホンピロウイナー牡31 22.8武邦彦服部正利 1984年7月1日ホリノエイシュン牡31 50.7武邦彦鹿戸明 1985年6月30日シンワアイセル牡31 55.3岩元市三柴田不二男 1986年6月29日マンノベスト牡31 53.0丸山勝秀松元正雄 重賞格付け以後 回数施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主[要出典] 第1回1987年7月5日ヒデリュウオー牡31 48.8加用正大沢真梅沢光行 第2回1988年7月3日サッカーボーイ牡31 48.9河内洋小野幸治(有)社台レースホース 第3回1989年7月2日オサイチジョージ牡31 47.9丸山勝秀土門一美野出長一 第4回1990年7月1日ロングアーチ牡31 48.5武豊宇田明彦中井商事(株) 第5回1991年6月30日コガネパワー牡31 48.5田原成貴鶴留明雄瀬古孝雄 第6回1992年7月5日キョウエイボーガン牡31 48.2松本達也野村彰彦松岡正雄 第7回1993年7月4日ネーハイシーザー牡31 45.2塩村克己布施正(株)大丸企業 第8回1994年7月2日イナズマタカオー牡31 48.7大崎昭一日迫良一小島隆男 第9回1995年7月1日イブキラジョウモン牡31 49.6武豊領家政蔵(有)伊吹 第10回1996年6月1日スギノハヤカゼ牡31 08.5田島裕和鹿戸幸治杉江義夫 第11回1997年6月7日オープニングテーマ牡31 09.6小池隆生太宰義人前田幸治 第12回1998年6月13日トキオパーフェクト牡31 09.9蛯名正義古賀史生坂田時雄 第13回1999年6月12日サイキョウサンデー牡31 09.8河内洋坂口正大奥本賢一郎 第14回2000年6月11日ユーワファルコン牡31 08.9中舘英二堀井雅広(株)ユーワ 第15回2001年6月10日ルスナイクリスティ牝31 08.9秋山真一郎高木嘉夫(有)髙昭牧場 第16回2002年6月9日サニングデール牡31 08.9福永祐一瀬戸口勉後藤繁樹 第17回2003年6月15日ギャラントアロー牡31 09.7幸英明崎山博樹冨沢敦子 第18回2004年6月13日キョウワハピネス牝31 09.5安田康彦佐山優浅川昌彦 第19回2005年6月12日カズサライン牡31 09.9中舘英二和田正道阿津和昌 第20回2006年3月11日タガノバスティーユ牡31 09.9池添謙一池添兼雄八木良司 第21回2007年3月10日アドマイヤホクト牡31 08.0横山典弘古賀史生近藤利一 第22回2008年3月15日ダノンゴーゴー牡31 09.0武豊橋口弘次郎(株)ダノックス 第23回2009年3月21日日本の旗 ジョーカプチーノ牡31 08.9藤岡康太中竹和也上田けい子 第24回2010年3月20日エーシンホワイティ牡31 08.7北村友一松元茂樹(株)栄進堂 第25回2011年3月19日ヘニーハウンド牡31 08.7岩田康誠矢作芳人林正道 第26回2012年3月17日ブライトライン牡31 24.0安藤勝己鮫島一歩(株)ノースヒルズ 第27回2013年3月16日インパルスヒーロー牡31 22.2田中勝春国枝栄佐々木完二 第28回2014年3月22日タガノグランパ牡31 21.2福永祐一松田博資八木良司
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 阪神競馬場 創設 1953年12月6日 距離 芝3000m 格付け GII 賞金 1着賞金6200万円[1] 出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定) 負担重量 グレード別定 阪神大賞典(はんしんだいしょうてん)とは、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝3000mで施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。 概要 1953年に4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、「阪神大賞典」として創設、第1回は現在とは違い12月に阪神競馬場の芝2000mで施行された。 1955年には負担重量を別定に変更、翌1957年からは11月初頭に施行時期を移し、施行距離を芝2200mに変更した。 1961年からは施行時期を12月下旬に変更、1956年から始まった中山グランプリ(有馬記念)と並ぶ中央競馬の冬の風物詩に定着する事になる。1965年からは施行距離を芝3100mに変更、1974年から現在の芝3000mに変更、1978年から混合競走に指定、外国産馬の出走が可能となり、1980年は京都競馬場の改修工事による振替開催より京都競馬場の芝外回り3000mで施行した。 1984年からはグレード制施行によりGIIに格付けされるとともに開催週が早まり有馬記念の前哨戦と位置付けされたが1987年からは施行時期を現在の3月下旬に、また出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、天皇賞(春)の前哨戦として定着して行く事になる。 1991年は阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝3000mで施行し、1994年は京都競馬場の改修工事による振替開催により再び中京競馬場の芝2800mで施行。1995年は兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)による阪神競馬場の中止により京都競馬場の芝外回り3000mで施行された。この年から指定競走に指定され地方所属の競走馬も出走が可能になり、2002年からは混合競走から国際競走に指定されると同時に国際グレードでGIIに格付け、外国調教馬も出走が可能になった。 天皇賞(春)の前哨戦として施行され、日経賞(芝2500m)、大阪杯(芝2000m)の2重賞(GII)競走と比べ、本競走はより長い芝3000mの長距離で行われている。したがって芝3200mの長距離で施行される天皇賞(春)の距離に一番近く、前哨戦の中でも最も重要視されている。 また第32回東京優駿(日本ダービー)優勝馬キーストンが最後の直線で左前第一指関節完全脱臼を発症し落馬、振り落とされた鞍上の山本正司に3本脚で寄り添ったり、不調だった1994年の年度代表馬ナリタブライアン(当時・牡5)と1995年の年度代表馬マヤノトップガン(当時・牡4)が名勝負を繰り広げたのも本競走である。ちなみに後者は関西テレビの競馬番組『ドリーム競馬』のオープニング映像に一時期用いられるほど、印象深いレースだった(1996年秋開催から使用)。この番組のオープニング映像にGII競走の映像が用いられたのは後にも先にも、これだけである。 馬券的には1番人気馬は2000年から2004年まで5連勝、1994年から2007年まで14年連続1番人気馬が全て連に絡み、さらに1990年から2008年までは19年連続複勝圏を外さなかった。このように本競走は伝統的に非常に堅いレースとして知られている。 3000mの距離、さらにはGIを目指す一線級の馬がステップレースとしてこのレースに出走してくることも多いため、過去の優勝馬は全て牡馬である(セン馬の優勝も無い)。 天皇賞(春)のトライアル競走に位置づけられており、2014年より1着馬ならびに2着以内に入った地方競馬所属馬には、天皇賞(春)への優先出走権が与えられる[2]。(2013年までは地方競馬所属馬のみを対象とした、優先出走権ではない出走権の付与であった。) 現在の優勝レイの配色は、赤色地に黄色文字となっている。 出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(2頭まで)と外国調教馬(8頭まで)。 負担重量は4歳は55kg、5歳以上は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、 施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増 施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 以上の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。 歴史 1953年 - 阪神競馬場の芝2000mの4歳(現3歳)以上の混合のハンデキャップの重賞競走、阪神大賞典として創設。 1956年 - 負担重量が別定に変更。 1957年 - 施行距離を芝2200mに変更。 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。 1965年 - 施行距離を芝3100mに変更。 1967年 - キーストンが故障を発症し騎手が落馬、競走中止。 1974年 - 施行距離を芝3000mに変更。 1977年 - 久保敏文が騎手として史上初の3連覇。久保道雄が調教師として史上初の連覇。 1980年 - 京都競馬場の改修工事による振替開催により京都競馬場の芝外回り3000mで施行。 1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。シンブラウンが史上初の連覇。布施正が調教師として2人目の連覇。 1987年 - 開催時期変更(12月から3月に移動)に伴い、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。 1988年 - タマモクロスとダイナカーペンターが同着優勝。 1989年 - 2位入線のスルーオダイナが進路妨害により失格。 1991年 - 阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝3000mで施行。 1992年 - メジロマックイーンが2頭目の連覇。池江泰郎が調教師として3人目の連覇。 1994年 - 京都競馬場の改修工事による振替開催により中京競馬場の芝2800mで施行。 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。阪神・淡路大震災による阪神競馬場の中止により京都競馬場の芝外回り3000mで施行。 1996年 - この年に限り、土曜日に施行された(以降は現在に至るまで日曜日施行)。ナリタブライアンが3頭目の連覇。大久保正陽が調教師として4人目の連覇。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。ナリタトップロードが芝3000mの世界レコード3 02.5で圧勝。 2002年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。国際セリ名簿基準委員会(ICSC)より国際GIIに指定。ナリタトップロードが4頭目の連覇。沖芳夫が調教師として5人目の連覇。 2003年 - 外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。 2006年 - 牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。 2007年 - 武豊が騎手として3回目の連覇。 2011年 - 3月11日に発生した東日本大震災を受け、「東北関東大震災被災地支援競馬」として実施。 2012年 - 基本負担重量を4歳56kg、5歳以上57kg(牝馬は2kg減)から4歳55kg、5歳以上56kg(牝馬は2kg減)に変更。出走したオルフェーヴルが大きく外ラチへ逸脱し、再調教審査の処分が科せられる。 2014年 - この年から当競走の1着馬に天皇賞(春)への優先出走権が付与される。ゴールドシップが史上5頭目の連覇。須貝尚介が調教師として6人目の連覇。大阪音楽大学管弦楽団によるファンファーレの生演奏を行った。 過去20年歴代優勝馬 回数施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第43回1995年3月12日ナリタブライアン牡43 08.2南井克巳大久保正陽山路秀則 第44回1996年3月9日ナリタブライアン牡53 04.9武豊大久保正陽山路秀則 第45回1997年3月16日マヤノトップガン牡53 07.2田原成貴坂口正大田所祐 第46回1998年3月22日メジロブライト牡43 09.3河内洋浅見秀一(有)メジロ牧場 第47回1999年3月21日スペシャルウィーク牡43 13.4武豊白井寿昭臼田浩義 第48回2000年3月19日テイエムオペラオー牡43 09.4和田竜二岩元市三竹園正繼 第49回2001年3月18日ナリタトップロード牡53 02.5渡辺薫彦沖芳夫山路秀則 第50回2002年3月17日ナリタトップロード牡63 07.9渡辺薫彦沖芳夫山路秀則 第51回2003年3月23日ダイタクバートラム牡53 05.9武豊橋口弘次郎(有)太陽ファーム 第52回2004年3月21日リンカーン牡43 08.4武豊音無秀孝近藤英子 第53回2005年3月20日マイソールサウンド牡63 06.2本田優西浦勝一佐野清 第54回2006年3月19日ディープインパクト牡43 08.8武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株) 第55回2007年3月18日アイポッパー牡73 08.3武豊清水出美(有)サンデーレーシング 第56回2008年3月23日アドマイヤジュピタ牡53 08.7岩田康誠友道康夫近藤利一 第57回2009年3月22日アサクサキングス牡53 13.2四位洋文大久保龍志田原慶子 第58回2010年3月21日トウカイトリック牡83 07.3藤田伸二野中賢二内村正則 第59回2011年3月20日ナムラクレセント牡63 04.4和田竜二福島信晴奈村信重 第60回2012年3月18日ギュスターヴクライ牡43 11.8福永祐一荒川義之(有)社台レースホース 第61回2013年3月17日ゴールドシップ牡43 05.0内田博幸須貝尚介小林英一 第62回2014年3月23日ゴールドシップ牡53 06.6岩田康誠須貝尚介小林英一 ※最多勝利騎手 - 武豊 8回(第39、40、44、47、51、52、54、55回)
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 中京競馬場 創設 1953年8月23日 距離 芝1600m 格付け GIII 賞金 1着賞金3800万円、賞金総額7200万円 出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際) 負担重量 ハンデキャップ 中京記念(ちゅうきょうきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場の芝1600メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。トヨタ自動車が優勝杯を提供しており、正式名称は「トヨタ賞 中京記念」と表記される。 概要 1953年に「中京開設記念(ちゅうきょうかいせつきねん)」の名称で創設された、4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走。第1回は中京競馬場の砂1800m(現在のダートとはやや異なる)で施行された。翌1954年には名称が「中京記念」に変更され、「中京競馬場開設5周年記念」の名称で施行した1958年を除き、「中京記念」の名称が定着している。現在中京競馬場で行われている重賞競走では、最も古い歴史を持つ。 創設当初は夏季開催の8月に施行していたが、1957年以降は春季開催で定着。この間、距離・コースともに幾度かの変遷を経て、2011年までは芝2000mのハンデキャップ競走で概ね定着していた。2012年から施行時期が7月となり、あわせて距離も芝1600mに短縮されたほか、サマーマイルシリーズの第1戦にも指定された。サマーマイルシリーズに指定されてからの優勝馬では、2013年のフラガラッハがシリーズチャンピオンになった。 外国産馬は1994年から2001年まで出走可能だったが、2002年から2004年までは出走できなかった。2005年には国際競走となり、外国調教馬及び外国産馬が出走可能になった[2]。2012年からは特別指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬も出走可能になった。 競走条件 出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)。 負担重量はハンデキャップ。 歴史 1953年 - 4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走「中京開設記念」を創設、中京競馬場の砂1800mで施行[2]。 1954年 - 名称を「中京記念」に変更。トヨタ自動車より優勝杯の提供を受ける(ただし1956年と2011年を除く)。 1955年 - 負担重量をハンデキャップに変更。 1957年 - 出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。 1958年 - この年のみ「中京競馬場開設5周年記念」の名称で施行。 1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。 1994年 - 混合競走に指定。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。 2002年 - 混合競走から除外。 2005年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。また、外国産馬にも4年ぶりに出走可能となる。 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。 2009年 - 外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。 2011年 - 東日本大震災の影響により、3月20日に開催延期。3年ぶりの日曜開催となる。「東北関東大震災被災地支援競馬」として実施。 2012年 - 開催時期を7月下旬に移行。出走資格を「3歳以上」に変更。サマーマイルシリーズの第1戦に組み込まれる。「近代競馬150周年記念」の副称を付けて施行。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師 第1回1953年8月23日中京砂1800mレダ牝41 57.3佐藤勇武田文吾 第2回1954年8月22日中京砂1800mメイヂホマレ牡31 54.1蛯名武五郎藤本冨良 第3回1955年8月14日中京砂1800mライリユウ牡41 52 4/5浅見国一橋本正晴 第4回1956年8月26日中京砂1800mヒヤキオーガン牡51 53 1/5栗田勝武田文吾 第5回1957年2月10日中京砂1800mキヤツスル牝41 55 2/5栗田勝武田文吾 第6回1958年2月9日中京砂1800mブレツシング牝61 53 3/5保田隆芳尾形藤吉 第7回1959年2月8日中京砂2000mカツラシユウホウ牡42 07 0/5蛯名武五郎藤本冨良 第8回1960年2月7日中京砂2000mホマレーヒロ牡42 07.6清田十一武輔彦 第9回1961年2月12日中京砂2000mシーザー牡42 10.0伊藤修司伊藤勝吉 第10回1962年2月11日中京砂2000mクサナギ牡52 07.8伊藤竹男岩佐宗五郎 第11回1963年2月17日中京砂2000mハルヒカリ牡42 06.9武邦彦武平三 第12回1964年2月16日中京砂2000mテツノオー牡42 05.0保田隆芳尾形藤吉 第13回1965年3月7日中京砂2000mパスポート牝52 05.5松永高徳清水茂次 第14回1966年3月6日中京砂2000mアオバ牡42 06.2森安弘明森末之助 第15回1967年2月12日中京砂2000mエプソム牡52 06.5山本正司伊藤修司 第16回1968年2月11日中京砂2000mサトヒカル牡42 04.8武邦彦大久保亀治 第17回1969年2月9日中京砂2000mタニノハローモア牡42 03.9武邦彦戸山為夫 第18回1970年11月8日中京2000mゼットアロー牡32 01.2飯田明弘小林三雄三 第19回1971年3月7日中京砂1700mダイホウゲツ牡41 47.7小林常泰山岡寿恵次 第20回1972年3月12日中京2000mエリモカップ牡42 02.3大久保光康大久保亀治 第21回1973年3月4日中京2000mナオキ牡42 02.1佐々木昭次田中康三 第22回1974年3月3日中京2000mヤマブキオー牡42 01.1蓑田早人森末之助 第23回1975年3月2日中京2000mナオキ牡62 01.0佐々木昭次田中康三 第24回1976年2月29日中京2000mロードカップ牡42 06.2川端義雄高橋直 第25回1977年3月6日中京2000mホースメンホープ牡42 00.7小野幸治小林稔 第26回1978年2月5日中京2000mキングラナーク牡52 01.0岩元市三布施正 第27回1979年2月4日中京2000mメジロホーク牡42 01.8谷原義明大久保末吉 第28回1980年2月3日中京2000mアスコットロイヤル牡42 01.8河内洋渡辺栄 第29回1981年2月1日中京ダート1700mケイキロク牝41 44.6河内洋浅見国一 第30回1982年2月7日中京2000mクニノカチドキ牡42 00.7田原成貴安藤正敏 第31回1983年2月6日中京2000mアローボヘミアン牡42 01.1川端義雄梶与四松 第32回1984年2月5日中京2000mハシローディー牡52 00.6村本善之福永甲 第33回1985年2月3日中京2000mパワーシーダー牝41 59.6柴田政見増本豊 第34回1986年2月2日中京2000mシャイニングルビー牝62 01.8久保敏文諏訪佐市 第35回1987年3月22日中京2000mトウショウレオ牡52 00.8田島良保鶴留明雄 第36回1988年3月20日中京2000mトップコート牝41 59.6田島良保鶴留明雄 第37回1989年3月19日中京2000mインターアニマート牡41 59.2田島良保福島勝 第38回1990年3月18日中京2000mオサイチジョージ牡41 59.8丸山勝秀土門一美 第39回1991年3月17日小倉2000mレッツゴーターキン牡42 01.6小島貞博橋口弘次郎 第40回1992年3月22日中京2000mムービースター牡62 00.6岸滋彦坪憲章 第41回1993年3月21日小倉2000mアラシ騸42 03.3土肥幸広加藤敬二 第42回1994年3月20日小倉2000mシマノヤマヒメ牝52 03.3土肥幸広島崎宏 第43回1995年3月19日中京2000mチョウカイキャロル牝42 01.2小島貞博鶴留明雄 第44回1996年3月17日中京2000mイナズマタカオー牡52 02.2田島信行音無秀孝 第45回1997年3月16日中京2000mアロハドリーム牡42 02.2加藤和宏岩城博俊 第46回1998年3月21日中京2000mトーヨーレインボー牡41 59.5松永昌博松永善晴 第47回1999年2月21日中京2000mエリモエクセル牝42 01.1的場均加藤敬二 第48回2000年3月5日中京2000mメイショウドトウ牡41 59.1安田康彦安田伊佐夫 第49回2001年3月4日中京2000mロードクロノス牡61 59.7岡部幸雄藤沢和雄 第50回2002年3月3日中京2000mツルマルボーイ牡41 59.4河内洋橋口弘次郎 第51回2003年3月9日中京2000mタガノマイバッハ牡42 00.1安藤勝己松田博資 第52回2004年3月7日中京2000mメイショウキオウ牡71 58.6秋山真一郎福島勝 第53回2005年3月6日中京2000mメガスターダム牡61 59.5松永幹夫山本正司 第54回2006年3月5日中京2000mマチカネオーラ牡41 58.2川田将雅伊藤雄二 第55回2007年3月4日中京2000mローゼンクロイツ牡5R1 56.9藤岡佑介橋口弘次郎 第56回2008年3月9日中京2000mタスカータソルテ牡41 58.4中舘英二藤原英昭 第57回2009年3月14日中京2000mサクラオリオン牡72 00.4秋山真一郎池江泰郎 第58回2010年3月13日中京2000mシャドウゲイト牡82 02.0田中勝春加藤征弘 第59回2011年3月20日小倉2000mナリタクリスタル牡52 00.0武豊木原一良 第60回2012年7月22日中京1600mフラガラッハ牡51 35.1高倉稜松永幹夫 第61回2013年7月21日中京1600mフラガラッハ牡61 33.5高倉稜松永幹夫 第62回2014年7月27日中京1600mサダムパテック牡61 37.1田中勝春西園正都
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 函館競馬場 創設 1965年8月29日 距離 芝2000m 格付け GIII 賞金 1着賞金4000万円 出走条件 サラ系3歳以上(国際)(特指) 負担重量 ハンデキャップ 函館記念(はこだてきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が函館競馬場の芝2000メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。農林水産省が賞を提供しており、正式名称は「農林水産省賞典 函館記念」と表記している。 概要 1965年に4歳(現3歳)以上の競走馬によるハンデキャップの重賞競走として創設され、函館競馬場の芝2400mで施行されたのが始まり。第4回からは施行距離が芝2000mに変更され、現在に至っている[2]。函館競馬場で行われる重賞競走では、最も歴史が長い。 1978年より混合競走に指定され、外国産馬の出走が可能になった。1994年には負担重量を別定に変更したが、1997年より再びハンデキャップに戻された[2]。1996年と1998年以降は「特別指定交流競走」として、地方馬の出走も可能となった[2]ほか、2009年からは国際競走となり、外国馬も出走可能になった。 2006年より、夏季競馬を盛り上げるため設けられたサマー2000シリーズの第2戦に指定[2]された。本競走の優勝馬からは、トランスワープ(2012年)とトウケイヘイロー(2013年)がシリーズのチャンピオンとなった。 歴代の優勝馬には皐月賞優勝馬リユウズキ、天皇賞優勝馬メジロアサマ、メジロムサシ、エリモジョージ、最優秀短距離馬に選出されたニッポーテイオー、サッカーボーイなどの名馬が名を連ねている。 競走条件 出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。 負担重量はハンデキャップである。 歴史 1965年 - 4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走「函館記念」を創設。函館競馬場の芝2400mで施行。 1966年 - 名称を農林省賞典 函館記念に変更。 1968年 - 施行距離を現在の芝2000mに変更。 1978年 - 名称を農林水産省賞典 函館記念に変更。混合競走に指定。 1984年 - グレード制施行により、GIIIに格付け。 1994年 - 負担重量を別定に変更。函館競馬場の施設改修工事に伴い、札幌競馬場で施行。 1996年 - 「函館競馬場開設100周年記念」の副称を付けて施行。特別指定交流競走に指定され、地方所属馬が2頭まで出走可能となる。 1997年 - 特別指定交流競走から除外。負担重量をハンデキャップに戻す。 1998年 - 特別指定交流競走に再び指定され、地方所属馬が2頭まで出走可能となる。 2001年 - 馬齢表示を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行。 2006年 - 「サマー2000シリーズ」第2戦に指定。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、格付け表記をJpnIIIに変更。 2009年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。格付け表記をGIIIに戻す。函館競馬場のスタンド改修工事に伴い、札幌競馬場で施行。 2012年 - 「近代競馬150周年記念」の副称を付けて施行。 2014年 - 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1965年8月29日函館2400mクリベイ牡42 31.0保田隆芳尾形藤吉栗林友二 第2回1966年7月10日函館2400mメジロボサツ牝32 32.0矢野一博大久保末吉北野俊雄 第3回1967年8月6日函館2400mリユウズキ牡32 30.4郷原洋行矢倉玉男福井章哉 第4回1968年8月4日函館2000mリユウズキ牡42 01.0加賀武見矢倉玉男福井章哉 第5回1969年7月27日函館2000mクリカシワ牡42 02.8簗田善則柏谷富衛栗林友二 第6回1970年9月13日函館2000mメジロアサマ牡42 03.4池上昌弘保田隆芳北野豊吉 第7回1971年8月1日函館2000mメジロムサシ牡42 02.4横山富雄大久保末吉メジロ商事(株) 第8回1972年6月25日函館2000mオンワードガイ牡42 03.5蓑田早人森末之助(株)オンワード牧場 第9回1973年9月9日函館2000mエリモカップ牡52 16.4松田幸春大久保正陽山本慎一 第10回1974年8月25日函館2000mツキサムホマレ牡52 01.7横山富雄元石正雄末岡弘 第11回1975年8月24日函館2000mツキサムホマレ牡62 05.2横山富雄元石正雄末岡弘 第12回1976年8月29日函館2000mエリモジョージ牡42 00.9福永洋一大久保正陽山本慎一 第13回1977年8月28日函館2000mヤマブキオー牡72 01.1蓑田早人森末之助清水一郎 第14回1978年7月9日函館2000mバンブトンコート牡32 01.0伊藤清章伊藤修司樋口正蔵 第15回1979年8月19日函館2000mエンペラーエース牡41 59.0鹿戸明鹿戸幸治新下帝次郎 第16回1980年8月17日函館2000mサーペンプリンス牡32 04.9谷原義明大久保末吉(有)内藤 第17回1981年8月23日函館2000mホーワセキト牡32 08.4東信二境勝太郎高橋明治 第18回1982年8月29日函館2000mカズシゲ牡52 00.2伊藤稔須貝彦三橋本善吉、佐々洋 第19回1983年8月21日函館2000mドウカンヤシマ牡32 04.5大塚栄三郎田中朋次郎新井興業株式会社 第20回1984年8月19日函館2000mウインザーノット牡41 59.6柴田政人高松邦男ホースマン 第21回1985年8月18日函館2000mウインザーノット牡51 59.2柴田政人高松邦男ホースマン 第22回1986年8月17日函館2000mニッポーテイオー牡31 58.6郷原洋行久保田金造山石祐一 第23回1987年8月23日函館2000mウインドストース牡42 00.2加藤和宏二本柳俊夫福島徳佑 第24回1988年8月21日函館2000mサッカーボーイ牡3R1 57.8河内洋小野幸治(有)社台レースホース 第25回1989年8月20日函館2000mスピークリーズン牡32 00.2安田富男尾形充弘竹﨑満 第26回1990年8月19日函館2000mラッキーゲラン牡41 59.5内田浩一池江泰郎ロイヤルファーム(有) 第27回1991年8月18日函館2000mメジロマーシャス牡61 59.1田原成貴池江泰郎メジロ商事(株) 第28回1992年8月23日函館2000mヒガシマジョルカ牝42 00.6的場均尾形充弘(有)ヤナガワ牧場 第29回1993年8月22日函館2000mゴールデンアイ牡52 04.6藤田伸二柄崎孝高橋賢一 第30回1994年8月21日札幌2000mワコーチカコ牝42 01.6藤田伸二伊藤雄二石田隆夫 第31回1995年8月20日函館2000mインターマイウェイ牡52 02.4藤田伸二中村均松岡留枝 第32回1996年8月18日函館2000mブライトサンディー牝41 59.8横山典弘荻野光男中村和夫 第33回1997年6月29日函館2000mアロハドリーム牡41 59.3加藤和宏岩城博俊喜田啓照 第34回1998年7月5日函館2000mパルブライト牝62 00.4木幡初広杉浦宏昭木浪巖 第35回1999年7月4日函館2000mジョービッグバン牡42 02.0田面木博公坪正直上田けい子 第36回2000年7月23日函館2000mクラフトマンシップ牡52 02.7勝浦正樹後藤由之(有)サンデーレーシング 第37回2001年7月22日函館2000mロードプラチナム牡52 02.4松永幹夫伊藤雄二(株)ロードホースクラブ 第38回2002年7月21日函館2000mヤマニンリスペクト牡52 05.1横山賀一浅見秀一土井薫 第39回2003年7月27日函館2000mエアエミネム牡51 59.9蛯名正義伊藤雄二(株)ラッキーフィールド 第40回2004年7月25日函館2000mクラフトワーク牡52 00.6横山典弘後藤由之(有)サンデーレーシング 第41回2005年7月24日函館2000mエリモハリアー騸52 00.7北村浩平田所秀孝山本敏晴 第42回2006年7月23日函館2000mエリモハリアー騸62 05.1安藤勝己田所秀孝山本敏晴 第43回2007年7月22日函館2000mエリモハリアー騸72 02.8武幸四郎田所秀孝山本敏晴 第44回2008年7月27日函館2000mトーセンキャプテン牡42 00.3藤岡佑介角居勝彦島川隆哉 第45回2009年7月26日札幌2000mサクラオリオン牡72 00.6秋山真一郎池江泰郎(株)さくらコマース 第46回2010年7月25日函館2000mマイネルスターリー牡51 58.5D.ホワイト加用正サラブレッドクラブ・ラフィアン 第47回2011年7月24日函館2000mキングトップガン牡82 00.3横山典弘鮫島一歩池田豊治 第48回2012年7月15日函館2000mトランスワープ騸72 00.4大野拓弥萩原清(有)キャロットファーム 第49回2013年7月14日函館2000mトウケイヘイロー牡41 58.6武豊清水久詞木村信彦 第50回2014年7月20日函館2000mラブイズブーシェ牡52 00.1古川吉洋村山明小林祥晃
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開催国 日本 主催者 日本中央競馬会 競馬場 京都競馬場 創設 1938年5月15日 距離 芝3200m 格付け GI 賞金 1着賞金1億3200万円 賞金総額2億7496万円 出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定) 負担重量 定量(58kg、牝馬2kg減) 概要 4歳以上の馬(外国産馬・外国馬を含む)による重賞競走(GI)。施行距離は1939年(昭和14年)以来3200メートルで変わっておらず、現存する中央競馬の平地GI競走では最長距離。 2008年(平成20年)よりメルボルンカップ(オーストラリアの旗 オーストラリア、GI)の前年度優勝馬を招待するようになり、本競走の優勝馬にも同年のメルボルンカップへの優先出走権が与えられる。 正式名称は「天皇賞」であるが、JRAでは天皇賞(秋)の距離が短縮された1984年(昭和59年)から「天皇賞(春)」と表記している。 世界の中の天皇賞(春) 世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準委員会によってパート1からパート4までランク分けされており、主要な競走は国際的な統一判断基準で評価が行われている。 2014年(平成26年)現在、日本を含め最高のパート1に分類されている国・地域のうち、3000メートル級のG1競走を行っているのは、 日本 - 天皇賞(春):3200メートル、菊花賞:3000メートル イギリス - ゴールドカップ:約4000メートル、セントレジャー:約2920メートル フランス - ロワイヤルオーク賞:3100メートル、カドラン賞:4000メートル オーストラリア - メルボルンカップ・シドニーカップ:3200メートル ニュージーランド - オークランドカップ:3200メートル 以上の5カ国だけである。天皇賞(春)はこの分類で、ゴールドカップ・カドラン賞に続く世界で3番目の長距離戦に該当し、優勝馬を招待しているメルボルンカップとは同じ距離である。 競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、天皇賞(春)は2701メートル以上の「Extended(超長距離)」部門に分類される。国際競馬統括機関連盟(IFHA)による、2011年(平成23年)から2013年(平成25年)の結果を基準にした2014年(平成26年)現在の世界の主要競走ランキングによると、Extended(超長距離)部門から上位50競走にランキングされている競走はメルボルンカップ(43位、118.08点)とセントレジャー(48位、117.83点)の2つだけで、天皇賞(春)(115点)は上位50位以内にランキングされていない。 単年度の競走馬ランキングでは、2013年(平成25年)の天皇賞(春)1 - 3着馬が世界の競走馬ランキング(超長距離部門・2013年)で上位3頭を占めた。ただし、Extended部門で首位の馬は、全体の38位にとどまっている。 競走条件 以下の内容は、2014年(平成26年、第149回)終了時現在のもの。 出走資格 4歳以上のサラ系競走馬(出走可能頭数:最大18頭) JRA所属馬 地方所属馬(優先出走権を得た馬のみ) 外国調教馬(JRA所属の外国産馬とあわせて最大9頭まで) 出馬投票を行った馬のうち、以下の優先出走権を得ている馬から優先して割り当て、その他の馬は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI・JpnI競走における収得賞金」の総計が多い順に割り当てる。出馬投票締切の結果、出走申込頭数が出走可能頭数を超えた場合は、別に定めた方法または抽選で出走馬を決定する。 優先出走権を得られる条件 出馬投票を行っている外国調教馬 レーティング順位の上位5頭 当該年に行われる以下の競走のいずれかで1着となった馬(中央・地方の所属は問わない) 当該年に行われる以下の競走のいずれかで2着以内に入着した地方競馬所属馬 競走名格付施行競馬場施行距離 阪神大賞典GII日本の旗阪神競馬場芝3000m 日経賞GII日本の旗中山競馬場芝2500m 大阪杯GII日本の旗阪神競馬場芝2000m 負担重量[編集] 定量(58kg、牝馬2kg減) コース 京都競馬場の芝コース、外回り3200メートルを使用。 スタート地点は観客席からみて向正面で、約1周半する。途中、第3コーナーから第4コーナーにかけて“淀の坂”と称される坂の上り下りがあり、天皇賞(春)ではこの坂を2度通過するため、「京都競馬場の難所」とされる。 1周目はスタート直後から100メートル進む間に約2.1メートル上る急坂となる。その後も緩やかに280メートルかけて約1.8メートルを上る。第3コーナーが坂の頂上にあたり、第4コーナーまで3.5メートルを下る。第4コーナーを回って直線に入るまで0.8メートルほどの下り勾配がある。 2周目の第4コーナーを回り終えると最後の直線で、ゴールまでは残り約400メートルとなる。 年表 1938年(昭和13年) - 「帝室御賞典」を再編し年2回の施行に改め、春の競走を阪神競馬場(旧鳴尾競馬場)で施行。 1939年(昭和14年) 施行距離を3200メートルに、出走資格を5歳(現4歳)以上牡馬・牝馬に変更。 負担重量を「馬齢重量」から「定量」に変更(負担重量は5歳(現4歳)は58キロ、6歳(現5歳)以上は60キロ、牝馬1.5キロ減に設定)。 1944年(昭和19年) - 「能力検定競走」として、京都競馬場の芝3200メートルで施行。以後、京都競馬場での施行が定着。 1945年(昭和20年) - 太平洋戦争の影響で中止。 1947年(昭和22年) この年のみ「平和賞」の名称で施行。 負担重量を5歳(現4歳)、6歳(現5歳)以上とも牡馬60キロ、牝馬2キロ減に変更[1]。 1948年(昭和23年) 名称を「天皇賞」に変更。 5歳(4歳)の負担重量を牡馬58キロ、牝馬2キロ減に変更。 1953年(昭和28年) - 6歳(現5歳)以上の負担重量を5歳(現4歳)と同じく、牡馬58キロ、牝馬2キロ減に変更。 1972年(昭和47年) - 外国産馬が出走できなくなる。 1981年(昭和56年) - 勝ち抜き制を廃止。 1984年(昭和59年) - グレード制導入、GIに格付け。 1995年(平成7年) - 指定交流競走となり、地方所属馬も出走が可能に。 2000年(平成12年) - 外国産馬が2頭まで出走可能に。 2001年(平成13年) - 馬齢表記を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「5歳以上牡馬・牝馬」から「4歳以上牡馬・牝馬」に変更。 2005年(平成17年) 国際競走となり、外国調教馬が5頭まで出走可能に。 2007年(平成19年) - 外国調教馬の出走枠を9頭に拡大。 2008年(平成20年) 出走条件を「4歳以上牡馬・牝馬」から「4歳以上」に変更。 前年度メルボルンカップ優勝馬の招待を制度化。 2012年(平成24年) 「近代競馬150周年記念」の副称を付けて施行。 レーティング上位5頭に優先出走を認める。 2014年(平成26年) - トライアル制を確立し、指定した競走の1着馬に優先出走権を付与。 過去20年歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離調教国・優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第111回1995年4月23日京都芝3200mライスシャワー牡63 19.9的場均飯塚好次栗林英雄 第113回1996年4月21日京都芝3200mサクラローレル牡53 17.8横山典弘境勝太郎(株)さくらコマース 第115回1997年4月27日京都芝3200mマヤノトップガン牡53 14.4田原成貴坂口正大田所祐 第117回1998年5月3日京都芝3200mメジロブライト牡43 23.6河内洋浅見秀一(有)メジロ牧場 第119回1999年5月2日京都芝3200mスペシャルウィーク牡43 15.3武豊白井寿昭臼田浩義 第121回2000年4月30日京都芝3200mテイエムオペラオー牡43 17.6和田竜二岩元市三竹園正繼 第123回2001年4月29日京都芝3200mテイエムオペラオー牡53 16.2和田竜二岩元市三竹園正繼 第125回2002年4月28日京都芝3200mマンハッタンカフェ牡43 19.5蛯名正義小島太西川清 第127回2003年5月4日京都芝3200mヒシミラクル牡43 17.0角田晃一佐山優阿部雅一郎 第129回2004年5月2日京都芝3200mイングランディーレ牡53 18.4横山典弘清水美波吉田千津 第131回2005年5月1日京都芝3200mスズカマンボ牡43 16.5安藤勝己橋田満永井啓弐 第133回2006年4月30日京都芝3200mディープインパクト牡43 13.4武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株) 第135回2007年4月29日京都芝3200mメイショウサムソン牡43 14.1石橋守高橋成忠松本好雄 第137回2008年5月4日京都芝3200mアドマイヤジュピタ牡53 15.1岩田康誠友道康夫近藤利一 第139回2009年5月3日京都芝3200mマイネルキッツ牡63 14.4松岡正海国枝栄(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン 第141回2010年5月2日京都芝3200mジャガーメイル牡63 15.7C.ウィリアムズ堀宣行吉田和美 第143回2011年5月1日京都芝3200mヒルノダムール牡43 20.6藤田伸二昆貢蛭川正文 第145回2012年4月29日京都芝3200mビートブラック牡53 13.8石橋脩中村均前田幸治 第147回2013年4月28日京都芝3200mフェノーメノ牡43 14.2蛯名正義戸田博文(有)サンデーレーシング 第149回2014年5月4日京都芝3200mフェノーメノ牡53 15.1蛯名正義戸田博文(有)サンデーレーシング
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 札幌競馬場 創設 1965年8月1日 距離 芝2000m 格付け GII 賞金 1着賞金6500万円 出走条件 サラ系3歳以上(国際)(特指) 負担重量 定量(3歳54kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減) 札幌記念(さっぽろきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が札幌競馬場の芝2000メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。 概要 1965年に4歳(現・3歳)以上の馬による重賞競走として創設され、札幌競馬場で施行する重賞競走としては、最も歴史が古い。札幌競馬場は寒冷地のため当時は芝コースが設置されておらず、砂2000m(左回り)で施行された。その後1969年から1974年までは左回りダート、1975年から1989年までは右回りダートコースで施行していたが、1990年から右回り芝コースでの施行に変更され現在に至っている。負担重量は創設から長らくハンデキャップだったが、1997年から別定に変更したのち、2006年以降は実力馬の参戦を促す観点から定量に変更された。 1984年のグレード制施行によりGIIIに格付けされたが、1997年から夏季競馬開催では唯一となるGIIに格上げされた。GIIに格上げ後は、過去にGIを優勝している馬や後にGIを勝利する馬が本競走に出走するなど、過去や未来の大レースと密接な繋がりを持つ競走となっている。2006年からはサマー2000シリーズの第4戦にも指定された。2009年からは国際競走となり、外国馬も出走可能になった。 競走条件・賞金 出走資格 サラ系3歳(旧4歳)以上の競走馬 JRA所属馬 地方競馬所属馬(認定馬のみ、2頭まで) 外国馬(8頭まで) 負担重量 定量(3歳54kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)。 JRAが施行する古馬混合のGII競走において、負担重量を定量としているのは本競走と阪神カップのみ(2014年現在)。 賞金 2014年の1着賞金は6500万円で、以下2着2600万円、3着1600万円、4着980万円、5着650万円。 1着賞金の6500万円は、中央競馬で施行するGII競走では阪神カップ、ホープフルステークスと並び最高額となっている。 歴史 1965年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬によるとして創設。札幌競馬場の左回り砂2000mで施行。 1968年 - 施行コースを左回りダートに変更。「札幌創建100年」の副称を付けて施行。 1975年 - 混合競走に指定、外国産馬が出走可能になる。施行コースを右回りダートに変更。 1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。 1990年 - 施行コースを右回り芝に変更。 1997年 - GIIに格上げ。特別指定交流競走となり、地方所属馬が2頭まで出走可能となる。施行時期を7月上旬から8月中旬に変更。負担重量を別定に変更。 2001年 - 馬齢表示を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行。 2006年 - 負担重量を定量に変更。2000シリーズの第4戦になる。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。「札幌競馬場開設100周年記念」の副称を付けて施行。 2009年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬が7頭まで出走可能となる。重賞格付け表記をGIIに戻す。 2012年 -「近代競馬150周年記念」の副称を付けて施行。 2013年 - 札幌競馬場のスタンド改築工事により、函館競馬場で施行。 2014年 -「日本中央競馬会創立60周年記念」の副称を付けて施行。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1965年8月1日札幌砂2000mハツライオー牡32 04.2森安重勝伊藤修司大久保常吉 第2回1966年8月21日札幌砂2000mタマシユウホウ牡32 02.4丸目敏栄稗田敏男小川太助 第3回1967年8月27日札幌砂2000mアポオンワード牡42 04.2栗田勝武田文吾樫山(株) 第4回1968年8月25日札幌砂2000mマーチス牡32 02.5古賀敏文伊藤修司大久保常吉 第5回1969年9月7日札幌ダート2000mマーチス牡42 02.8久保敏文伊藤修司大久保常吉 第6回1970年7月19日札幌ダート2000mヒデカブト牡32 02.4武邦彦伊藤修司伊藤英夫 第7回1971年9月19日札幌ダート2000mアポスピード牡52 04.7郷原洋行大久保房松佐藤清之助 第8回1972年7月30日札幌ダート2000mシネマゴースト牡42 04.1福永洋一柴田欣也山口吉久 第9回1973年7月22日札幌ダート2000mハクホオショウ牡42 03.9池上昌弘尾形藤吉西博 第10回1974年7月14日札幌ダート2000mエリモマーチス牡32 05.1松田幸春大久保正陽山本慎一 第11回1975年7月13日札幌ダート2000mツキサムホマレ牡62 01.6福永洋一元石正雄末岡弘 第12回1976年7月11日札幌ダート2000mグレートセイカン牡42 03.4郷原洋行大久保房松鈴木一朗 第13回1977年7月10日札幌ダート2000mランスロット牡42 02.5柴田政人高松三太伊達秀和 第14回1978年8月27日札幌ダート2000mタイホウヒーロー牡62 05.3蛯名信広久保田金造大岩貴 第15回1979年7月1日札幌ダート2000mテルノエイト牡32 07.9飯田明弘清水久雄中村照彦 第16回1980年6月29日札幌ダート2000mマークリシルバー牝52 06.0柴田政人矢野幸夫松下治夫 第17回1981年6月28日札幌ダート2000mキタノリキオー牡42 01.6的場均伊藤竹男高山幸雄 第18回1982年7月4日札幌ダート2000mオーバーレインボー牡52 05.8田島良保土門一美鳥居茂三 第19回1983年7月3日札幌ダート2000mオーバーレインボー牡62 05.0田島良保土門一美鳥居茂三 第20回1984年7月1日札幌ダート2000mローラーキング牡62 04.5松田幸春中村好夫嶋田孝一 第21回1985年6月30日札幌ダート2000mリキサンパワー牡42 02.9田面木博公高松邦男岩井三郎 第22回1986年6月29日札幌ダート2000mライフタテヤマ牡42 02.3猿橋重利安田伊佐夫辻幸雄 第23回1987年7月5日札幌ダート2000mフォスタームサシ牡52 02.3関口睦介佐藤勝美細田憲一 第24回1988年7月3日札幌ダート2000mコバノリッチ牡52 03.5柴田政人阿部新生小林昌雄 第25回1989年7月2日札幌ダート1700mダイナレター牡51 42.8杉浦宏昭二本柳俊夫(有)社台レースホース 第26回1990年7月1日札幌2000mグレートモンテ牡51 58.9猿橋重利高橋成忠野﨑とし子 第27回1991年6月30日札幌2000mメジロパーマー牡42 00.9松永幹夫大久保正陽(有)メジロ牧場 第28回1992年7月5日札幌2000mサンエイサンキュー牝32 00.2田原成貴佐藤勝美岩崎喜好 第29回1993年7月4日札幌2000mナリタチカラ牡52 00.2武豊大久保正陽山路秀則 第30回1994年7月3日札幌2000mホクトベガ牝42 00.9加藤和宏中野隆良金森森商事(株)[注 5] 第31回1995年7月2日札幌2000mスーパープレイ牡52 01.4藤田伸二橋本寿正内田滋三 第32回1996年6月30日札幌2000mマーベラスサンデー牡42 01.6武豊大沢真笹原貞生 第33回1997年8月17日札幌2000mエアグルーヴ牝42 00.2武豊伊藤雄二(株)ラッキーフィールド 第34回1998年8月23日札幌2000mエアグルーヴ牝51 59.5武豊伊藤雄二(株)ラッキーフィールド 第35回1999年8月22日札幌2000mセイウンスカイ牡42 00.1横山典弘保田一隆(有)西山牧場 第36回2000年8月20日札幌2000mダイワカーリアン牡71 59.9田面木博公二ノ宮敬宇大和商事(株) 第37回2001年8月19日札幌2000mエアエミネム牡32 00.1蛯名正義伊藤雄二(株)ラッキーフィールド 第38回2002年8月18日札幌2000mテイエムオーシャン牝41 59.5本田優西浦勝一竹園正繼 第39回2003年8月24日札幌2000mサクラプレジデント牡32 00.3武豊小島太(株)さくらコマース 第40回2004年8月22日札幌2000mファインモーション牝52 00.4武豊伊藤雄二伏木田達男 第41回2005年8月21日札幌2000mヘヴンリーロマンス牝52 01.1松永幹夫山本正司(有)ノースヒルズマネジメント 第42回2006年8月20日札幌2000mアドマイヤムーン牡32 00.3武豊松田博資近藤利一 第43回2007年9月2日札幌2000mフサイチパンドラ牝42 00.1藤田伸二白井寿昭関口房朗 第44回2008年8月24日札幌2000mタスカータソルテ牡4R 1 58.6横山典弘藤原英昭(有)社台レースホース 第45回2009年8月23日札幌2000mヤマニンキングリー牡42 00.7柴山雄一河内洋土井肇 第46回2010年8月22日札幌2000mアーネストリー牡51 59.4佐藤哲三佐々木晶三前田幸治 第47回2011年8月21日札幌2000mトーセンジョーダン牡52 00.4福永祐一池江泰寿島川隆哉 第48回2012年8月19日札幌2000mフミノイマージン牝61 58.7太宰啓介本田優谷二 第49回2013年8月18日函館2000mトウケイヘイロー牡42 06.5武豊清水久詞木村信彦 第50回2014年8月24日札幌2000mハープスター牝31 59.1川田将雅松田博資(有)キャロットファーム
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1.井戸陽一郎 2.柿澤未途 3.若井豊 4.樫浦穣 5.浅田拓也 前口上 (競馬が熱く燃えている。去年より1週間以上も早く3兆円を超えた売上げ。武豊、横山典弘、田中勝春ら若手ジョッキーにはアイドル並みの黄色い声援が飛ぶ。走るために生まれてきたサラブレッドたち。人々はそんな彼らの走りに感動を、喜びを、そして人生すらも教えられることがある。それは単なるスポーツというよりも、血統という歴史に彩られた、熱い大河ドラマ。そんな馬たちのドラマが今、佳境に入っているのである。日曜夜のブレインパーティー、カルトQ。今夜は秋のGIウィークに沸く競馬。) 予選 ※平均点41点 第?問:茨城産の馬として初のダービー馬となった馬の名前は何? 答え:ウィナーズ・サークル (正解率95%) 第?問:競馬エイト連載中の「木梨ノリゾーの私だけのヨソウですので」木梨ノリゾーの肩書きは何? 答え:おとなの動物園副理事 (正解率76%) 本戦 第1問:第1回、日本ダービーの優勝馬の名前は何? 答え:ワカタカ 解答者:浅田さん 結果:正解 第2問:中央競馬の競馬場の中で、唯一スタンドから海が見えるのはどこ? 答え:函館競馬場 解答者:若井さん 結果:正解 第3問:中央競馬で、馬名を記念して付けられた現在の6つの重賞レースをすべて挙げなさい。 答え:ジンザン記念、カブトヤマ記念、トキノミノル記念、セイユウ記念、タマツバキ記念、セントライト記念 解答者:柿澤さん 結果:正解 第4問:オグリ2世、リンドエビス’92が競り市で落札された値段はいくら? 答え:4120万円 解答者:柿澤さん 結果:正解 20ポイント 第5問:テンポイントのお墓がある牧場はどこ? 答え:吉田牧場 解答者:柿澤さん 結果:正解 30ポイント お馬さんカルトクイズ 第1問:只今から皆さんに、サラブレッドの一部分を映像でお見せいたします。その映像が一体何という馬か、その馬の名前をお答えください。(耳の部分) 答え:イナリワン 解答者:柿澤さん 結果:正解 40ポイント 第2問:(背中の部分)(競馬・最強の法則 写真:藤岡祥弘) 答え:トウショウファルコ 解答者:浅田さん 結果:正解 20ポイント (平成4年 AJC杯など) 第3問:(脚→胴(背中は隠れている)→顔) 答え:アイネスフウジン 解答者:浅田さん 結果:正解 30ポイント (平成2年 日本ダービーなど) 第4問:(顔の上半分→顔の下半分+首) 答え:メジロマックイーン 解答者:浅田さん 結果:正解 40ポイント (平成3年 天皇賞(春)など) 第5問:(脚→耳+騎手の頭) 答え:イブキマイカグラ 解答者:若井さん 結果:正解 20ポイント (平成3年 NHK杯など) 中級カルトクイズ 第1問:長距離馬を出すことで有名な、メジロ牧場の牧場長は誰? 答え:武田茂男 解答者:柿澤さん 結果:正解 50ポイント 第2問:栗東トレーニングセンターの坂路コース。現在の高低差は何メートル? 答え:26m 解答者:樫浦さん 結果:正解 第3問:田中勝春騎手がゴール前でガッツポーズを取ったために裁決室に呼ばれたレース名は何? 答え:安田記念 解答者:樫浦さん 結果:不正解(怒られた)→解答者:浅田さん 結果:正解 50ポイント 第4問:今年7月11日福島競馬場第5レース。馬連の配当は何倍? 答え:2403.3倍 解答者:浅田さん 結果:正解 60ポイント (枠連6-7 9020 馬連8-10 240330) 第5問:昭和60年シンボリルドルフが有馬記念2連覇を達成した時、実況の盛山毅アナウンサーがゴールの瞬間にいった名文句は何? 答え:世界のルドルフ、やはり強い3馬身、4馬身、日本のミホシンザンを離す 解答者:樫浦さん 結果:正解 20ポイント (シンボリルドルフ ポニーキャニオン) 血統カルトクイズ 第1問:只今から皆さんに、馬の名前を読み上げます。その馬の父、母、そして母の父の名前をお答えください。 スーパートドロキ 答え:父:トドロキエイカン、母:スイートパーソロン、母の父:フィデオン 解答者:井戸さん 結果:正解 第2問:リンドホシ 答え:父:サンディクリーク、母:ハセカツマ、母の父:ミステリー 解答者:柿澤さん 結果:正解 60ポイント 第3問:イクノディクタス 答え:父:ディクタス、母:ダイナランディング、母の父:ノーザンテイスト 解答者:柿澤さん 結果:正解 70ポイント レースカルトクイズ 第1問:只今から皆さんに、この1年間に行われたレースの映像を見ていただきます。そのレースが行われたレース名、優勝馬をお答えください。 答え:サンスポ抄4歳牝馬特別(オークストライアル) キョウワホウセキ 解答者:浅田さん 結果:正解 70ポイント 第2問:同上 答え:読売賞マイラーズカップ ダイタクヘリオス 解答者:柿澤さん 結果:正解 80ポイント 第3問:同上 答え:新潟大賞典 メジロパーマー 解答者:若井さん 結果:正解 30ポイント 第4問:ここからの問題は、レースの実況放送をお聞かせいたします。そのレース名と優勝馬をお答えください。 スタートしました。揃ったきれいなスタートを切っています。真ん中から5番のサンエイサンキュー。その裾から6番セイジョウマインド。 答え:報知弥生賞 アサカリジェント 解答者:井戸さん 結果:正解 20ポイント (実況:ラジオ日本) 第2問:スタートしました。揃ったスタートを切っています。なおここに控える形で12番のイナズマクロス。そして真ん中からは荒尾のはせ… 答え:産経賞オールカマー イクノディクタス 解答者:井戸さん 結果:正解 30ポイント (実況:ラジオ日本) 第3問:スタートしました。きれいなスタートを切りました。さあこれから、展開は縁から2番のキングオブトラック。それを3番ハギノスイセイ… 答え:京王杯オータムハンデ トシグリーン 解答者:柿澤さん 結果;正解 90ポイント (実況:ラジオ日本) 東京競馬場グルメカルトクイズ 第1問:只今から皆さんに、東京競馬場の飲食店の一部をお見せいたします。そのお店の名前をお答えください。(机の上の醤油、調味料やお椀が載っているお盆→肉の乗った丼→瓶ビールが机に置かれ食事をしている様子→正面) 答え:神田川 解答者:なし スルー 第2問:(チャーシューの乗った麺+中身で半分隠れた容器の模様→焼き鳥を焼く機械→ラーメン五五〇と書かれた札と味自慢ラーメンと書かれたのれん→正面) 答え:ハロンボウ 解答者:樫浦さん 結果:正解 30ポイント 追い切りカルトクイズ 第1問:只今から皆さんに今年行なわれた追い切りの映像をお見せいたします。その馬の名前、乗っている騎手の名前をお答えください。(2頭いるうちの後ろから来た方) 答え:トウカイテイオー 岡部幸雄 解答者:若井さん 結果:正解 40ポイント (4/22(水)栗東坂路コース 57 トウカイテイオー) 第2問: 答え:ヒシマサル 武豊 解答者:柿澤さん 結果:不正解(ヒシマサル 田島信行)→解答者:若井さん 結果:正解 50ポイント (10/8(木)栗東ウッドチップコース 1352 ヒシマサル) 第3問:(2頭いるうちの外側) 答え:エアジョーダン 柴田政人 解答者:柿澤さん 結果:正解 100ポイント (2/12(水)美浦・北Cコース (外)94・エアジョーダン) 第4問:同上 答え:サンエーサンキュー 田原成貴 解答者:樫浦さん 結果:正解 40ポイント (9/30(水)栗東Bコース 601サンエイサンキュー) 超カルトクイズ ※20点 第1問:3才から8才まで連続して6年間重賞で勝った馬の名前は? 答え:ドウカンヤシマ 解答者:柿澤さん 結果:正解 120ポイント (第11回ジャパンカップ) 第2問:史上初めて3歳馬でGIII、GII、GIと3連勝した馬の名前は何? 答え:ニシノフラワー 解答者:樫浦さん 結果:正解 60ポイント (第43回「阪神3歳牝馬ステークス」) 第3問:ジャパンカップ第1回から11回目までの優勝馬をすべて順に挙げなさい。 答え:メアジードーツ、ハーフ・アイスト、スタネーラ、カツラギエース、シンボリルドルフ、ジュピターアイランド、ルグロリュー、ペイザバトラー、ホーリックス、ベタールースンアップ、ゴールデンフェザント 解答者:浅田さん 結果:正解 90ポイント (平成3年 第11回ジャパンカップ) 第4問:ダービー、オークス、菊花賞を制覇した唯一の牝馬の名前は何? 答え:クリフジ 解答者:若井さん 結果:正解 70ポイント (日本ダービー ポニーキャニオン) 第5問:第58回日本ダービーに出走したRSAカントリー所属の3頭の馬を着順に全て挙げなさい。 答え:イイデセゾン、イイデシビア、イイデサターン 解答者:柿澤さん 結果:不正解(イイデセゾン、イイデサターン、イイデシビア)→解答者:井戸さん 結果:正解 50ポイント (第58回 日本ダービー) 第6問:8月18日に死んだトウジョウボーイ。トウジョウボーイを父に持つGI馬を全て挙げなさい。 答え:ダイイチルビー、シスタートウショウ、ミスターシービー、アラホウトク、ダイゼンキング、サクラホクトオー、パッシングショット 解答者:柿澤さん 結果:不正解(ダイイチルビー、シスタートウショウ、ミスターシービー)→解答者:井戸さん 結果:正解 70ポイント 第7問:ライスシャワーに破られるまで、菊花賞のレコードを持っていたホリスキーの生まれた牧場の名前は何? 答え:なべかけ牧場 解答者:井戸さん 結果:正解 90ポイント 第8問:4歳最強馬、ミホノブルボン。デビュー戦から7連勝をしている間、2着馬につけた着差の合計は何馬身と何? 答え:22馬身4分の1ハナ 解答者:浅田さん(22馬身とハナ差)→解答者:若井さん 結果:正解 90ポイント (新馬1と6分の1、500万下6、朝日杯3歳S牡GI鼻、スプリングSGII7、皐月賞GI2と2分の1、ダービーGI4、京都新聞杯GII1と2分の1) 第9問:平成3年、有馬記念でダイユウサクが記録した2500mのレコードタイムは? 答え:2分30秒6 解答者:若井さん 結果:正解 110ポイント (平成3年 有馬記念) 第10問:フランスで行われた騎手招待交流レース、ドーヴィル・ジャパン・ディ。招待された日本人ジョッキーの6人を全て挙げなさい。 答え:岡部幸雄、柴田政人、小島太、武豊、角田晃一、河内洋 解答者:柿澤さん 結果:不正解(武騎手、小島太騎手、角田騎手、岡部騎手、…)→解答者:浅田さん 結果:正解 110ポイント (第11回JRA賞(ドゥービル競馬場)) 第11問:ハイセイコーの生まれた牧場と生年月日は? 答え:武田牧場 昭和45年3月6日 解答者:柿澤さん 結果:不正解(峰雄牧場)→解答者:井戸さん 結果:正解 110ポイント 結果 1.110ポイント 2.120ポイント→優勝 3.110ポイント 4.60ポイント 5.110ポイント
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 阪神競馬場 創設 1960年6月26日 距離 芝2200m 格付け GI 賞金 1着賞金1億3200万円 出走条件 サラ系3歳以上(国際)(指定) 負担重量 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減) 宝塚記念(たからづかきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GI)である。 概要 ファン投票で出走馬を決め、一年の締めくくりを飾る競走として中山競馬場に創設された有馬記念と同様に、ファン投票で出走馬を決め、上半期の締めくくりを飾る競走として関西地区の競馬を華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され、1960年に創設された。「上半期の実力ナンバー1決定戦」として位置づけられている。 2011年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与される。 以前のファンファーレは他のGI競走(関西地区)と同様のものだったが、1999年より一般公募で選ばれた専用の曲に変更された。 出走資格 サラ系3歳(旧4歳)以上の競走馬(出走可能頭数:18頭) JRA所属馬(ファン投票選出馬・JRA選出馬) 地方所属馬 外国調教馬(最大8頭まで) 出走馬の選定方法は以下のとおり。 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[註 2]。 上記以外の馬(外国所属競走馬を除く)は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方所属馬も同様)。 負担重量 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減) 負担重量の変遷 第1回 - 第3回、第9回 - 第12回、第27回:馬齢重量 第4回 - 第8回:別定重量 第13回 - 第22回:4歳55kg、5歳56kg、6歳以上55kg(牝馬2kg減) 第23回 - 第26回:4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減) 第28回 - 第36回:3歳53kg、4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減) 第37回:3歳54kg、4歳以上58kg(牝馬2kg減) 賞金 2014年の1着賞金は1億3200万円で、以下2着5300万円、3着3300万円、4着2000万円、5着1320万円。 歴史 1960年 - 4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走「宝塚記念」を創設。阪神競馬場・芝1800mで施行。 1961年 - 施行距離を芝2000mに変更。 1966年 - 阪神競馬場のスタンド増設工事により、京都競馬場の芝外回り2200mで施行。これ以降、施行距離が芝2200mで定着。 1968年 - 出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。 1984年 - グレード制導入、GIに格付け。 1987年 - 出走資格を4歳(現3歳)以上に戻す。 1993年 - 「皇太子殿下御成婚奉祝」の副称を付けて施行。 1995年 - 「震災復興支援競走」の副称を付けて施行(1996年まで)。指定交流競走となり、地方所属馬も出走可能になる。 1997年 - 国際競走に指定、外国調教馬が5頭まで出走可能になる。 1999年 - この年から専用ファンファーレに変更。 2001年 - 馬齢表記を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「4歳以上」から「3歳以上」に変更。国際GIに指定。 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行。 2011年 - 「ブリーダーズカップ・チャレンジ」指定競走となる。 2014年 - 「日本中央競馬会創立60周年記念」の副称をつけて施行。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離調教国・優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1960年6月26日阪神1800mホマレーヒロ牡41 49.6近藤武夫武輔彦仁木清七 第2回1961年7月2日阪神2000mシーザー牡42 04.6伊藤修司伊藤勝吉伊藤由五郎 第3回1962年7月1日阪神2000mコダマ牡52 03.4栗田勝武田文吾伊藤由五郎 第4回1963年6月30日阪神2000mリユウフオーレル牡42 02.1宮本悳橋本正晴三好笑子 第5回1964年7月5日阪神2000mヒカルポーラ牡52 03.3高橋成忠佐藤勇坪田喜之助 第6回1965年6月27日阪神2000mシンザン牡42 06.3栗田勝武田文吾橋元幸吉 第7回1966年6月26日京都2200mエイトクラウン牝42 15.0内藤繁春田中康三山口昇 第8回1967年7月2日阪神2200mタイヨウ牡42 19.4内藤繁春武田文吾内藤博司 第9回1968年5月26日阪神2200mヒカルタカイ牡42 14.7野平祐二藤本冨良長山善健 第10回1969年6月1日京都2200mダテホーライ牡42 16.1宇田明彦星川泉士伊達牧場 第11回1970年5月31日阪神2200mスピードシンボリ牡72 13.3野平祐二野平省三和田共弘 第12回1971年5月30日阪神2200mメジロムサシ牡42 17.3横山富雄大久保末吉メジロ商事(株) 第13回1972年6月4日阪神2200mショウフウミドリ牡62 19.9松本善登武田文吾松本市三郎 第14回1973年6月3日阪神2200mハマノパレード牡42 12.7田島良保坂口正二(株)ホースタジマ 第15回1974年6月2日京都2200mハイセイコー牡42 12.9増沢末夫鈴木勝太郎ホースマンクラブ 第16回1975年6月1日阪神2200mナオキ牡62 16.7佐々木昭次田中康三桜山ホース(株) 第17回1976年6月6日京都2200mフジノパーシア牡52 17.5大崎昭一柴田寛真田繁次 第18回1977年6月5日阪神2200mトウショウボーイ牡42 13.0武邦彦保田隆芳トウショウ産業(株) 第19回1978年6月4日阪神2200mエリモジョージ牡62 14.2福永洋一大久保正陽山本慎一 第20回1979年6月3日阪神2200mサクラショウリ牡42 12.4小島太久保田彦之(株)さくらコマース 第21回1980年6月1日中京2400mテルテンリュウ牡42 31.9西浦勝一土門健司伊藤繁子 第22回1981年6月7日阪神2200mカツアール牡52 14.1樋口弘柳田次男栗林英雄 第23回1982年6月6日阪神2200mモンテプリンス牡52 12.6吉永正人松山吉三郎毛利喜八 第24回1983年6月5日阪神2200mハギノカムイオー牡42 12.1伊藤清章伊藤修司日隈広吉 第25回1984年6月3日阪神2200mカツラギエース牡42 12.4西浦勝一土門一美野出一三 第26回1985年6月2日阪神2200mスズカコバン牡52 15.9村本善之小林稔永井永一 第27回1986年6月1日阪神2200mパーシャンボーイ牡42 14.4柴田政人高松邦男伊達秀和 第28回1987年6月14日阪神2200mスズパレード牡62 12.3蛯沢誠治富田六郎小紫芳夫 第29回1988年6月12日阪神2200mタマモクロス牡42 13.2南井克巳小原伊佐美タマモ(株) 第30回1989年6月11日阪神2200mイナリワン牡52 14.0武豊鈴木清保手浜弘規 第31回1990年6月10日阪神2200mオサイチジョージ牡42 14.0丸山勝秀土門一美野出長一 第32回1991年6月9日京都2200mメジロライアン牡42 13.6横山典弘奥平真治(有)メジロ牧場 第33回1992年6月14日阪神2200mメジロパーマー牡52 18.6山田泰誠大久保正陽(有)メジロ牧場 第34回1993年6月13日阪神2200mメジロマックイーン牡62 17.7武豊池江泰郎メジロ商事(株) 第35回1994年6月12日阪神2200mビワハヤヒデ牡42 11.2岡部幸雄浜田光正(有)ビワ 第36回1995年6月4日京都2200mダンツシアトル牡52 10.2村本善之山内研二山元哲二 第37回1996年7月7日阪神2200mマヤノトップガン牡42 12.0田原成貴坂口正大田所祐 第38回1997年7月6日阪神2200mマーベラスサンデー牡52 11.9武豊大沢真笹原貞生 第39回1998年7月12日阪神2200mサイレンススズカ牡42 11.9南井克巳橋田満永井啓弐 第40回1999年7月11日阪神2200mグラスワンダー牡42 12.1的場均尾形充弘半沢(有) 第41回2000年6月25日阪神2200mテイエムオペラオー牡42 13.8和田竜二岩元市三竹園正繼 第42回2001年6月24日阪神2200mメイショウドトウ牡52 11.7安田康彦安田伊佐夫松本好雄 第43回2002年6月23日阪神2200mダンツフレーム牡42 12.9藤田伸二山内研二山元哲二 第44回2003年6月29日阪神2200mヒシミラクル牡42 12.0角田晃一佐山優阿部雅一郎 第45回2004年6月27日阪神2200mタップダンスシチー牡72 11.1佐藤哲三佐々木晶三(株)友駿ホースクラブ 第46回2005年6月26日阪神2200mスイープトウショウ牝42 11.5池添謙一鶴留明雄トウショウ産業(株) 第47回2006年6月25日京都2200mディープインパクト牡42 13.0武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株) 第48回2007年6月24日阪神2200mアドマイヤムーン牡42 12.4岩田康誠松田博資近藤利一 第49回2008年6月29日阪神2200mエイシンデピュティ牡62 15.3内田博幸野元昭平井豊光 第50回2009年6月28日阪神2200mドリームジャーニー牡52 11.3池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング 第51回2010年6月27日阪神2200mナカヤマフェスタ牡42 13.0柴田善臣二ノ宮敬宇和泉信一 第52回2011年6月26日阪神2200mアーネストリー牡62 10.1佐藤哲三佐々木晶三前田幸治 第53回2012年6月24日阪神2200mオルフェーヴル牡42 10.9池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング 第54回2013年6月23日阪神2200mゴールドシップ牡42 13.2内田博幸須貝尚介小林英一 第55回2014年6月29日阪神2200mゴールドシップ牡52 13.9横山典弘須貝尚介小林英一 宝塚記念の記録 レースレコード - 2 10.1(第52回) 最多勝騎手 - 武豊(4勝) 最多勝調教師 - 武田文吾(4勝)
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登録日:2024/03/04 Mon 15 19 01 更新日:2024/03/08 Fri 20 52 59NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 93年クラシック世代 BNW My Shinzan サラブレッド シンザン マイシンザン ミホシンザン ワイルドブラスター 山本正司 故馬 日本が誇る「ナタ」の系譜 松永幹夫 祖父に続け!父に続け! 種牡馬 競走馬 重賞勝ち馬 日本が誇る「ナタ」の系譜 「切れ」受け継いだ3代目 週刊100名馬 vol.52 マイシンザン マイシンザン(My shinzan)とは、日本の元競走馬、種牡馬。日本最強の血統から生まれ、鉈の切れ味・溢れ出る闘争心を武器に三強に待ったをかけた戦士の末裔である。 【データ】 性別:牡 毛色:鹿毛 誕生:1990年3月7日 死没:2013年3月19日 享年:23歳 父:ミホシンザン 母:ファイブソロン 母父:パーソロン 調教師:山本正司 (栗東) 主戦騎手:松永幹夫 馬主:菅原吾一 生産者:武田牧場 産地:北海道新冠町 獲得賞金:1億3889万7000円 通算成績:12戦4勝 [4-1-0-9] 主な勝鞍:1993年 NHK杯(GⅡ)、1995年 朝日チャレンジC(GⅢ) 【血統】 父ミホシンザンは1985年に皐月賞・菊花賞を優勝しクラシック二冠を達成、1987年の天皇賞(春)も優勝し、3年連続で最優秀父内国産馬を受賞した。 その父シンザンは戦後初のクラシック三冠馬。「神馬」「シンザンを超えろ」のフレーズで知られ、19連続連対の最高記録を誇る21世紀現在においても日本競馬の至上命題として語り継がれている。ミホシンザンはシンザン産駒の「最高傑作」と称されている。 母ファイブソロンは35戦2勝。3歳牝馬Sにおいて後のエリザベス女王杯勝ち馬ビクトリアクラウンと壮絶な叩き合いを見せ、活躍を期待されたが、クラシック登録漏れという不運にあい、その後気性難から大成しなかった。 母の父パーソロンは日本で大成功を収めたアイルランド出身の種牡馬。親子3代天皇賞(春)連覇を成し遂げたメジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーン、史上初の無敗三冠・七冠馬シンボリルドルフなど数多くの活躍馬を輩出した。 産駒およびBMSとして気性難の傾向が強く、母ファイブソロン・本馬ともその色が濃く出た。 【競走馬時代】 誕生 1990年3月7日に北海道新冠町の武田牧場で誕生した。当地からは第1回スーパーダートダービー(交流GⅠ)勝ち馬サンライフテイオーが輩出されている。 ファイブソロンの5番仔であるが特に活躍したきょうだいはいない。リアルシャダイを始めとした輸入種牡馬の活躍が目立つ中、内国産種牡馬ミホシンザンの2世代目としてその潜在能力は評価されていた。 デビュー~2歳シーズン 母ファイブソロンや重賞2勝マイスーパーマンを所有した菅原吾一の所有馬となった。 栗東の山本正司厩舎に入った。騎手時代に1965年日本ダービーをキーストンで制し、調教師として重賞32勝・うちGⅠ級8勝を記録した名門である。 山本の愛弟子・松永幹夫を主戦にデビューする。1992年12月5日の阪神新馬戦に出走、1番人気に応えるかのような上り最速の豪脚を披露するもアタマ差2着だった。 続く12月19日折り返しの新馬戦でその名を馳せることになる。ここでも1番人気になると、伊藤修司厩舎期待のニッポーグランプリ(*1)を突き放すとその差はどんどん広がり、圧倒的上り最速で1.4秒差・9馬身差付ける圧勝劇を収めたのであった。 3歳シーズン 圧倒的な走りでファンの注目をつかむと、1月17日初重賞チャレンジに挑む。祖父の名を冠するGⅢシンザン記念である。西のクラシック候補・OP勝ち馬マルカツオウジャ(*2)に次ぐ2番人気だった。 最悪なことに、末脚ではなく母方譲りの気性難が爆発してしまった。暴走の末ズルズル失速し勝ち馬アンバーライオンから2.8秒差殿負けという、シンザンの孫としてあってはならない惨敗となってしまった。 2月のダート1800m戦・飛梅賞で巻き返しを狙うも、1番人気6着と残念な結果に終わった。これには陣営もマズいと思ったのだろうか、連闘で芝1600mこぶし賞に出走させた。 これが凄かった。新馬戦で2着に9馬身差付け、後にOP洛陽S2勝を挙げるフジワンマンクロス、豪華メンバーで知られる第44回安田記念にてノースフライトの2着に入るトーワダーリンが出走し中々のレースだった。そんな中マイシンザンは桁違いの末脚を発揮し、後の重賞ウィナー・ケイウーマンに2馬身差つける快勝を収めた。勝ち時計1 34.9は当時の京都芝内回り1600mのレコードタイムという3歳馬として破格のものだった。 その代償に腰部を痛め約2ヶ月の休養に入った。そしてぶっつけ本番で祖父・父が優勝した皐月賞に挑むこととなる。休養明け・鞍上が今となってはスクリーンヒーロー・エフフォーリアの調教師である鹿戸雄一だが中堅クラスの騎手だったため13番人気の低評価だった。松永幹夫はGⅢ毎日杯勝ちの無敗馬シクレノンシェリフを選択している。 上り2位で追い込むもナリタタイシンの鬼脚から0.7秒差9着といまいちな結果で終わった。松永のシクレノンシェリフは4位入線(繰り上げ3着)だった。 マイシンザンは松永幹夫に戻り当時芝2000mのダービートライアル・GⅡNHK杯に出走した。皐月賞3着も斜行により8着降着となったガレオンが1番人気、タマモクロス初年度産駒として期待されたグロリークロス、流行のトニービン産駒にして無敗のサクラチトセオーに続く4番人気だった。 レースは最後の直線を前にグロリークロスが競走中止・予後不良となり悲鳴が上がる中、マイシンザンは前走の鬱憤を晴らすかのように上り35.0の鬼脚を披露、ガレオンに3・半馬身差つける圧勝を収めたのだった。 先頭はマイシンザンだ!祖父に続け!父に続け!マイシンザン、松永幹夫!! フジテレビ入社5年目青嶋達也アナウンサー 3着サクラチトセオーは後に天皇賞(秋)で三冠馬ナリタブライアンを撃破、4着トーヨーリファールは重賞3勝することとなり、マイシンザンの圧勝劇は評価されることとなる。父ミホシンザンにとっても産駒重賞初制覇だった。 祖父が二冠を達成し、父が舞台に立つことができなかった東京優駿・日本ダービーにBNW三強に続く4番人気で出走した。鞍上はGⅠ級7勝を挙げている田原成貴だった。 レースはマルチマックスが南井騎手を落馬させ波乱のスタートを切った。シンザン記念勝ち馬アンバーライオンが逃げる。最後の直線でマイシンザンは大外からの末脚勝負に賭けるがBNWには届かない。ウイニングチケット柴田政人の執念が先頭で駆け抜ける中、マイシンザンはガレオンとの叩き合いに敗れ5着、生涯最初で最後の夢はまたもいまいちのまま終わったのであった。 秋の京都新聞杯、菊花賞に備える中、激走が祟り屈腱炎を発症してしまう。松永のシクレノンシェリフは14着に敗れこちらも屈腱炎を発症、元の実力戻らぬままひっそりとターフを去った。 4歳シーズン 復帰は予想以上にかかってしまった。4歳10月の毎日王冠に出走も7着と振るわず。祖父と父に続くべく秋の天皇賞にも出走したが同期のネーハイシーザーの13頭立11着と惨敗。同期のスター・ビワハヤヒデ、ウイニングチケットはレース中に屈腱炎を発症、そのまま引退となった。 気性の悪さが目立ち、入れ込んで無理に走ったため2度目の屈腱炎を発症してしまった。そしてまたも長期休養に入るのだった。 5歳シーズン 5歳9月の朝日チャレンジカップで復帰、主役不在の中、熊沢重文騎手を迎え4番人気で出走した。やや末脚に復調の兆しが見え、同期の重賞勝ち牝馬スプリングバンブーをクビ差で競り勝ち、2年4か月ぶりの勝利を挙げたのだった。 その後毎日王冠で皐月賞馬ジェニュインに先着する5着になる。回避馬の出現によりなんとか本番の天皇賞(秋)に出走…できなかった。一時はナリタブライアンを抑えて1番人気に支持されていたが、前日に3度目の屈腱炎を発症して出走取り消しとなった。結果は同期のサクラチトセオー優勝であった。 追い切り後の翌日にもう一回追い切ったことが屈腱炎の原因だと山本師がマスコミからバッシングを受ける中、マイシンザンにはある決断が下された。「現役続行を断念」、12戦4勝でターフを去った。 名馬というには重賞2勝ではビワハヤヒデらBNWには敵わないが、日本が誇る最強の血統を背景に鋭い末脚を誇ったマイシンザンの競走成績を惜しむファンは少なくない。 引退後 CBスタッドにて種牡馬として供用されたが、父ミホシンザン同様にサンデーサイレンス・トニービン・ブライアンズタイム・リアルシャダイ・ダンシングブレーヴら輸入種牡馬の活躍には太刀打ちできず失敗に終わる。 父ミホシンザンは2001年愛知杯を制したグランドシンザンが最後の産駒重賞勝ちとなった。 マイシンザンは20頭の産駒だけを残し、2003年12月1日付で用途変更されてしまった。2008年に岩手で活躍した産駒シルクセレクションの引退を以てシンザン系はこの世から姿を消したのである。牝系やばんえい競馬、乗馬で細々と血が続いているかどうかという状況といわれている。 マイシンザンは引退後名馬のふるさとステーションに繋養されていたが、突然の北海道ホースマンアカデミーの全生徒65人による休学届提出(集団ボイコット)が発生、マスコミの渦中から逃れるため従業員も移動となった。繋養馬の健康状態を不安視した道議会議員・藤沢澄雄らの行政指導要請・責任者解任によってふるさとステーションは閉鎖された。 その後繋養馬の移動が執り行われる。安田記念勝ち馬フレッシュボイスをはじめ19頭が其々穏やかな生活が送れる先へと移った。 マイシンザンは重賞2勝で大親友のワイルドブラスターと共に浦河乗馬公苑へと移っていった。 北海道ホースマンアカデミーで教官として勤務していた本多列央・敏江夫妻によって引き取られたのだ。毎月計13~14万円が夫婦にのしかかり、不十分な環境にいたマイシンザンらもやせ細っていたが、夫婦の努力により回復、静岡県の乗馬クラブEQUINE-HOLICで馬生を送り始めた。2011年12月には山梨県のウインズ石和での撮影会に赴いている。 夫婦いわく、2頭とも未だ去勢していないが「去勢の必要はない」「あまり心配していない」と現役時代とは違いマイシンザンは大人しかったという。 一方で、普段の性格は大人しいが、プライドが高く時々テンションが上がる時があった。頭が良いため馬栓棒を外して馬房から逃亡することもあったらしい。静岡では富士山をずっと眺めながら悠々自適の生活を送り大親友のワイルドブラスターと大好物のバナナに囲まれ、2013年3月16日に腸捻転により23歳でこの世を去った。ワイルドブラスターも2017年6月13日に25歳でこの世を去った。 シンザン系が途絶えたのは残念だが、マイシンザンを始めとした引退馬が幸せな余生を過ごせたのは大変いいことであろう。 追記・修正は最強の末裔にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集]