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主催者 日本中央競馬会 競馬場 京都競馬場 創設 1966年10月9日 距離 芝2400m 格付け GII 賞金 1着賞金6200万円 出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定) 負担重量 グレード別定 京都大賞典(きょうとだいしょうてん)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝2400メートルで施行する中央競馬の重賞(GII)競走である。正賞は農林水産大臣賞で農林水産省が賞を提供しており、正式名称は農林水産省賞典京都大賞典と表記される。 概要 1966年に4歳(現3歳)以上の競走馬による重賞競走ハリウッドターフクラブ賞の名称で創設されたのが始まり。第1回は京都競馬場の芝3200mで施行されたが、翌年より現行の芝2400mとなっている。1984年にグレード制施行によりGIIに格付けされた。1995年より中央競馬指定交流競走として地方馬にも門戸が開かれ、2003年より国際競走に指定され、外国調教馬も出走が可能になった。 天皇賞(秋)だけでなくジャパンカップを見据えた前哨戦に位置付けされている重賞(GII)競走である。中央競馬の秋GIシーズンへの重要なステップ競走であることから、春の天皇賞(春)や宝塚記念後に夏シーズンを休養にまわした有力馬陣営が秋の初戦で使うことが多い競走で施行距離が芝2400mであるが故、同週に行われる芝1800mの毎日王冠より長距離向きの有力馬が出走する傾向にある。1999年までは、当競走を菊花賞へのステップレースとして選択した3歳(当時の馬齢表記で4歳)馬の出走も少なくなかった(2000年の番組改編で菊花賞が2週早く開催された以降、3歳馬の出走は激減)。 同じ天皇賞(秋)の前哨戦として位置付けされている毎日王冠は距離が芝1800mであるために天皇賞(秋)からマイルチャンピオンシップへ向かうローテーションを取る中距離以下を得意とする競走馬が多く、一方で距離が芝2400mである京都大賞典は、天皇賞(秋)からジャパンカップ、そして有馬記念のローテーションを取る中長距離を得意とする競走馬が出走することが多い。テイエムオペラオーやゼンノロブロイはこのレースをステップに秋の中距離GIを総なめした。 特徴として当競走からは天皇賞(秋)を回避してジャパンカップに挑むケースがあることが挙げられ、レガシーワールドやマーベラスクラウン・タップダンスシチーなどがこのローテーションでジャパンカップを制覇している。また府中牝馬ステークスが1800mで開催されることから、エリザベス女王杯を目指す牝馬がこのレースをステップとするケースも多くなっている。なお、地方競馬所属馬の天皇賞(秋)およびエリザベス女王杯へのステップ競走に指定されており、地方馬は1着および2着となった場合に当該競走への出走権が与えられる。 現在の優勝レイの配色は、赤紫色の地に銀色文字となっている。 出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬(外国産馬含む、未出走馬及び未勝利馬は除く)、所定の条件を満たした地方競馬所属馬(5頭まで)、及び外国調教馬(9頭まで)。 負担重量は3歳53kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本とし、 施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増 施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 以上の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。 歴史 1966年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬による別定の重賞競走としてハリウッドターフクラブ賞が創設され、京都競馬場・芝3200mで施行された。 1967年 - 施行距離を芝2400mに変更。 1971年 - 混合競走に指定。 1974年 - 名称を京都大賞典に変更。 1976年 - 阪神競馬場・芝2400mで施行。 1979年 - 京都競馬場のスタンド改築工事による振替開催により、中京競馬場・芝2400mで施行。 1980年 - 前年からの京都競馬場のスタンド改築工事による振替開催により、阪神競馬場・芝2400mで施行。 1984年 - 名称を農林水産省賞典 京都大賞典に変更。グレード制施行によりGIIに格付け。 1994年 - 京都競馬場の改修工事による振替開催により、阪神競馬場・芝2500mで施行。マーベラスクラウンが騸馬では初めての優勝馬となる。 1995年 - 指定交流競走に指定され、天皇賞(秋)を目指す地方馬が2頭まで出走が可能になる。 1999年 - 地方馬の出走枠を拡大し、エリザベス女王杯を目指す地方馬も3頭まで出走が可能になる。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2003年 - 国際競走に指定、同時に国際セリ名簿基準委員会により国際GII競走に指定され、外国調教馬は9頭まで出走が可能になる。 2006年 - 牝馬限定競走優勝馬の負担重量を軽減。 2012年 - 3日間開催に伴い、月曜日に施行となる(2013年を除く)。当年のみ、これに伴い、地上波でのテレビ中継は関西地区(『うまDOKI』)のみとなる。基本負担重量を3歳54kg、4歳以上57kg(牝馬は2kg減)から3歳53kg、4歳以上56kg(牝馬は2kg減)に変更。 2014年 - 10月13日施行予定が、台風19号の影響により10月14日(火曜日)に順延[2]。この年から当競走の1着馬に天皇賞(秋)への優先出走権が付与される。 歴代優勝馬 回数施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1966年10月9日キヨウエイヒカリ牡33 21.4清水出美星川泉士松岡正雄 第2回1967年10月22日シバフジ牡32 26.9松本善登浅見国一内芝伝一 第3回1968年10月20日マーチス牡32 27.8久保敏文伊藤修司大久保常吉 第4回1969年10月19日フイニイ牡52 30.4保田隆芳尾形藤吉永田賢介 第5回1970年10月18日ニューキミノナハ牡42 38.7簗田善則庄野穂積岡山信一 第6回1971年10月17日メジロアサマ牡52 28.3池上昌弘保田隆芳北野豊吉 第7回1972年10月15日キームスビィミー牡62 26.6小野幸治小林稔木村昭子 第8回1973年10月14日タニノチカラ牡42 31.8田島日出雄島崎宏谷水雄三 第9回1974年10月13日タニノチカラ牡52 29.6田島日出雄島崎宏谷水雄三 第10回1975年10月12日イシノマサル牡32 32.5加賀武見浅野武志石嶋清仁 第11回1976年10月17日パッシングベンチャ牡32 27.3飯田明弘小林稔山本慎一 第12回1977年10月16日テンポイント牡42 27.9鹿戸明小川佐助高田久成 第13回1978年10月15日リュウキコウ牡42 27.3久保敏文久保道雄三好笑子 第14回1979年10月14日テンメイ牡52 27.3清水英次坂田正行近藤克夫 第15回1980年10月12日シルクスキー牝42 32.5伊藤清章伊藤修司中山信一 第16回1981年10月4日イナドコトブキ牡52 30.4村本善之新川恵芳村壽郎 第17回1982年10月10日メジロカーラ牝32 26.2田原成貴浅見国一(有)メジロ牧場 第18回1983年10月9日ヤマノシラギク牝42 28.9松田幸春大久保正陽奥村啓二 第19回1984年10月7日スズカコバン牡42 25.8村本善之小林稔永井永一 第20回1985年10月6日ヤマノシラギク牝62 28.9清水英次大久保正陽奥村啓二 第21回1986年10月5日スズカコバン牡62 26.9河内洋小林稔永井永一 第22回1987年10月11日トウカイローマン牝62 29.6武豊中村均内村正則 第23回1988年10月9日メイショウエイカン牡52 27.1松永幹夫高橋成忠松本好雄 第24回1989年10月8日スーパークリーク牡42 25.0武豊伊藤修司木倉誠 第25回1990年10月7日スーパークリーク牡52 26.9武豊伊藤修司木倉誠 第26回1991年10月6日メジロマックイーン牡42 26.5武豊池江泰郎メジロ商事(株) 第27回1992年10月11日オースミロッチ牡52 24.6松本達也中尾正山路秀則 第28回1993年10月10日メジロマックイーン牡62 22.7武豊池江泰郎メジロ商事(株) 第29回1994年10月9日マーベラスクラウン騸42 31.0南井克巳大沢真笹原貞生 第30回1995年10月8日ヒシアマゾン牝42 25.3中舘英二中野隆良阿部雅一郎 第31回1996年10月6日マーベラスサンデー牡52 25.1武豊大沢真笹原貞生 第32回1997年10月5日シルクジャスティス牡32 26.2藤田伸二大久保正陽(有)シルク 第33回1998年10月11日セイウンスカイ牡32 25.6横山典弘保田一隆西山正行 第34回1999年10月10日ツルマルツヨシ牡42 24.3藤田伸二二分久男鶴田任男 第35回2000年10月8日テイエムオペラオー牡42 26.0和田竜二岩元市三竹園正繼 第36回2001年10月7日テイエムオペラオー牡52 25.0和田竜二岩元市三竹園正繼 第37回2002年10月6日ナリタトップロード牡62 23.6四位洋文沖芳夫山路秀則 第38回2003年10月12日タップダンスシチー牡62 26.6佐藤哲三佐々木晶三(株)友駿ホースクラブ 第39回2004年10月10日ナリタセンチュリー牡52 25.2田島裕和藤沢則雄山路秀則 第40回2005年10月9日リンカーン牡52 25.4武豊音無秀孝近藤英子 第41回2006年10月8日スイープトウショウ牝52 31.5池添謙一鶴留明雄トウショウ産業(株) 第42回2007年10月7日インティライミ牡52 24.8佐藤哲三佐々木晶三(有)サンデーレーシング 第43回2008年10月12日トーホウアラン牡52 26.9鮫島良太藤原英昭東豊物産(株) 第44回2009年10月11日オウケンブルースリ牡42 24.3内田博幸音無秀孝福井明 第45回2010年10月10日メイショウベルーガ牝52 25.0池添謙一池添兼雄松本好雄 第46回2011年10月9日ローズキングダム牡42 24.1後藤浩輝橋口弘次郎(有)サンデーレーシング 第47回2012年10月8日メイショウカンパク牡52 23.4池添謙一荒川義之松本好雄 第48回2013年10月6日ヒットザターゲット牡52 22.9北村友一加藤敬二前田晋二 第49回2014年10月14日ラストインパクト牡42 24.2川田将雅松田博資(有)シルク
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 中京競馬場 創設 1965年11月7日 距離 芝2000m 格付け GII 賞金 1着賞金6000万円 出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(特指) 負担重量 グレード別定 金鯱賞(きんこしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場の芝2000メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。競走名は名古屋城の天守閣の屋根に載る金鯱から。 歴史 1960年代に創設。1990年代にG2化され、宝塚記念の関西での前哨戦となった。 この時期には、長距離の天皇賞(春)を回避してきた有力中距離馬が出走する傾向があり、天皇賞(春)・安田記念と並び、宝塚記念への主要ステップ競走となっていた。金鯱賞出走馬からは1サイレンススズカ(1998年)、タップダンスシチー(2004年)、エイシンデピュティ(2008年)、アーネストリー(2011年)が宝塚記念で優勝している。 2012年に暮れの開催に時期が変わり、有馬記念の前哨戦としての位置づけになった。 変遷 1965年に4歳(現3歳)以上の別定重量の重賞競走、金鯱賞として創設、第1回は中京競馬場の砂1800m(現在のダートとはやや異なる)で11月に施行された。しかし、翌年からはハンデキャップに変更し、施行時期を7~8月に変更された。 1969年からは施行時期の変更に伴い、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、1971年からは7月に施行時期を移した事により、再び出走資格を4歳(現3歳)以上に変更、また中京競馬場の芝コース設置により芝1800mで施行されるようになった。 1974年からは東海テレビから優勝杯の提供を受けた事に伴い、名称を東海テレビ杯金鯱賞に変更、1984年からはグレード制施行によりGIIIに格付けされた。 1993年は中京競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り1800mで施行した。 1996年の変更 宝塚記念の前哨戦へ[編集] 1996年に、初夏に行われていた高松宮杯(2000m・G2)が春の短距離G1に変更になった。金鯱賞は旧来の高松宮杯が担っていた位置に変更となり、初夏の芝2000m・G2戦となった。外国馬の出走や地方所属騎手の騎乗も解禁され、負担重量も別定戦になった。この結果、あらたな金鯱賞は、中京競馬場の芝の中距離の重賞競走では最高位の競走となり、宝塚記念の前哨戦になった。 1997年からは本競走が東海テレビの生中継を行わない土曜日の施行になった事に伴い、同社が優勝杯の提供から撤退、名称を金鯱賞に戻した。 2000年からは宝塚記念の施行が早まったことで金鯱賞の開催時期も前倒しになった。また、この年から外国調教馬が出走可能になった。 2012年の変更 有馬記念の前哨戦へ[編集] 2012年より阪神競馬と中京競馬の開催日割が変更された(順序入れ替え)のを機に、本競走は初冬に移設されることとなった。さらに特別指定競走に指定され、地方馬にも門戸が開かれる。 ステイヤーズステークスとともに、有馬記念を見据えた競走となる。 競走条件 出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬、地方競馬所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。 負担重量は3歳が55kg(11月に施行される場合は54kg)、4歳以上が56kg、牝馬は2kg減を基本とし、 施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増 施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 以上の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。 沿革 1965年 - 中京競馬場の砂1800mの4歳(現3歳)以上の別定重量の重賞競走、金鯱賞として創設。 1966年 - 負担重量をハンデキャップに変更。 1969年 - 出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。 1970年 - 中京競馬場の芝コース設置工事により小倉競馬場の芝1800mで博多ステークスとして施行。 1971年 - 施行馬場を砂から芝に変更。出走資格を4歳(現3歳)以上に戻す。 1974年 - 東海テレビから優勝杯の提供を受け、名称を東海テレビ杯金鯱賞に変更。 1979年 - 京都競馬場の改修工事による振替開催により阪神競馬場の芝2000mで施行。 1984年 - グレード制導入によりGIIIに格付け。 1993年 - 中京競馬場の馬場改修工事により京都競馬場の芝外回り1800mで施行。 1996年 - 施行距離を現在の芝2000mに変更。負担重量を別定重量に戻す。GIIに格上げ。混合競走に指定。この年から地方所属の騎手が騎乗可能となる。 1997年 - 東海テレビが東海ステークスの優勝杯を提供することになったため、名称を金鯱賞に戻す。 2000年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2004年 - 日本中央競馬会創立50周年記念の副称が当年のみ付く。 2006年 - 牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。 2009年 - 関西主場においての最終レースの発走時刻を16時40分に設定したことに伴い、当競走の競走番号が第11競走から第10競走に変更。 2010年 - 中京競馬場の改修工事により京都競馬場の芝内回り2000mで施行。 2011年 - 中京競馬場の改修工事により京都競馬場の芝内回り2000mで施行。東日本大震災及び東京電力・福島第一原発での事故による番組変更に伴い、当初予定の第10競走から第11競走に変更して施行。 2012年 - 施行時期を12月に移す。特別指定競走に指定され、地方競馬所属馬には2頭まで出走可能となる。基本負担重量を3歳52kg、4歳以上57kg(牝馬は2kg減)から3歳55kg、4歳以上56kg(牝馬は2kg減)に変更。 2013年 - サイレンススズカメモリアルの副称が当年のみ付く[2]。 歴代優勝馬 回数施行日優勝馬性齢斤量タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1965年11月7日アオバ牡3541 54.3沢峰次森末之助清水友太郎 第2回1966年8月28日パシカリーム牝4531 54.7高橋隆大久保亀治山本愼一 第3回1967年7月30日クリバツク牡3541 53.4田島良保谷八郎有馬静雄 第4回1968年8月4日ローエングリン牡3541 53.6栗田勝武田文吾加藤吉朗 第5回1969年3月9日ハクセンショウ牡5621 52.5増沢末夫尾形藤吉柏誠四郎 第6回1970年1月25日アリオーン牡4521 50.7楠孝志橋田俊三加藤雅彦 第7回1971年7月11日スインホウシュウ牡3541 48.3安藤正敏上田三千夫上田清次郎 第8回1972年6月11日シングン牡4501 49.3飯田明弘坂口正二奈村信重 第9回1973年7月8日サカエカホー牡4551 47.9湯浅三郎加藤清一陳葉枝 第10回1974年7月7日ホウシュウミサイル牡3531 52.9武田悟夏村辰男上田清次郎 第11回1975年7月13日スズカハード牡5551 52.6飯田明弘小林稔永井商事(株) 第12回1976年7月11日ヤマブキオー牡660.51 49.9徳吉一己森末之助清水一郎 第13回1977年7月10日マチカネライコー牡4511 49.0柴田光陽清田十一東豊産業(株) 第14回1978年7月9日スリーファイヤー牝4531 48.1岩元市三布施正永井商事(株) 第15回1979年7月8日ニチドウアラシ牡3522 00.8村本善之坂田正行山田敏夫 第16回1980年7月6日マリージョーイ牝4491 48.1岩元市三田中良平小田切有一 第17回1981年7月5日オーバーレインボー牡4571 51.9崎山博樹土門一美鳥居茂三 第18回1982年7月11日テルノホープ牡5541 47.6南井克巳安藤正敏中村照彦 第19回1983年7月10日ラブリースター牝4531 50.0田原成貴領家政蔵山本信行 第20回1984年7月8日トーワカチドキ牡5531 52.8田島信行佐山優斉藤一郎 第21回1985年7月7日キャノンゼット牡5521 50.4内山正博小林稔角田哲男 第22回1986年7月6日イズミスター牡4521 51.8土肥幸広白井寿昭今泉淳 第23回1987年6月28日ノックアウト牡4531 47.7南井克巳田中良平小田切有一 第24回1988年6月26日パッシングパワー牡5551 47.4高橋隆大久保石松山本菊一 第25回1989年6月25日マルブツファースト牡7541 48.0村本善之大久保正陽大沢毅 第26回1990年6月17日マロングラッセ牝6551 47.3角田晃一庄野穂積栗林英雄 第27回1991年6月16日ムービースター牡5541 46.6武豊坪憲章吉田照哉 第28回1992年6月21日イクノディクタス牝5551 47.5村本善之福島信晴勝野憲明 第29回1993年6月20日ウィッシュドリーム牡4541 46.7武豊坪憲章(株)日本ダイナースクラブ 第30回1994年6月19日マーベラスクラウン騸4571 48.1南井克巳大澤眞笹原貞生 第31回1995年6月18日サマニベッピン牝5531 48.3土肥幸広加藤敬二(有)関澤産業 第32回1996年6月9日フジヤマケンザン牡8592 01.4村本善之森秀行藤本龍也 第33回1997年5月24日ゼネラリスト牡4572 02.3松永幹夫山本正司マエコウファーム(有) 第34回1998年5月30日サイレンススズカ牡4581 57.8武豊橋田満永井啓弍 第35回1999年5月29日ミッドナイトベット牡5581 59.7河内洋長浜博之(有)社台レースホース 第36回2000年5月27日メイショウドトウ牡4571 58.5安田康彦安田伊佐夫松本好雄 第37回2001年5月26日ミッキーダンス牡5571 59.9佐藤哲三服部利之三木久史 第38回2002年5月25日ツルマルボーイ牡4571 58.3横山典弘橋口弘次郎鶴田任男 第39回2003年5月31日タップダンスシチー牡6571 58.9佐藤哲三佐々木晶三(株)友駿ホースクラブ 第40回2004年5月29日タップダンスシチー牡7591 57.5佐藤哲三佐々木晶三(株)友駿ホースクラブ 第41回2005年5月28日タップダンスシチー牡8591 58.9佐藤哲三佐々木晶三(株)友駿ホースクラブ 第42回2006年5月27日コンゴウリキシオー牡4571 58.8岩田康誠山内研二金岡久夫 第43回2007年5月26日ローゼンクロイツ牡5571 57.2藤岡佑介橋口弘次郎(有)サンデーレーシング 第44回2008年5月31日エイシンデピュティ牡6571 59.1岩田康誠野元昭平井豊光 第45回2009年5月30日サクラメガワンダー牡6571 58.4福永祐一友道康夫さくらコマース 第46回2010年5月29日アーネストリー牡5571 59.5佐藤哲三佐々木晶三前田幸治 第47回2011年5月28日ルーラーシップ牡4582 02.4福永祐一角居勝彦(有)サンデーレーシング 第48回2012年12月1日オーシャンブルー牡4562 00.4クリストフ・ルメール池江泰寿青芝商事(株) 第49回2013年11月30日カレンミロティック騸5561 59.6池添謙一平田修鈴木隆司 第50回2014年12月6日ラストインパクト牡4571 58.8川田将雅松田博資
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 阪神競馬場 創設 1953年11月8日 距離 芝2400m 格付け GII 賞金 1着賞金5200万円 賞金総 1億836万円 出走条件 サラブレッド系3歳牡馬・牝馬(国際)(指定) 負担重量 馬齢(牡馬56kg、牝馬2kg減) 神戸新聞杯(こうべしんぶんはい)は、日本中央競馬会 (JRA) が阪神競馬場の芝コース2400メートルで施行する重賞競走 (格付けはGII)である。神戸新聞社から寄贈杯が提供されている。 概要 1953年に4歳(現3歳)の競走馬によるハンデキャップの重賞競走神戸盃の名称で創設されたのが始まりで阪神競馬場の芝2000メートルで施行された。その後1957年に負担重量は別定に、1971年には定量に変更された。 1984年にはグレード制導入に伴いGIIIに格付けされ、1987年にはGIIに格上げ。1991年からは本競走の3着までの馬には、菊花賞の優先出走権が与えられるようになり、1995年より菊花賞トライアル競走に指定、さらに指定競走として地方馬にも門戸が開かれた。2000年には番組改編により出走資格がサラブレッド系3歳牡馬・牝馬のみとなり、騸(せん)馬の出走ができなくなった。 2001年には混合競走に指定され外国産馬の出走が可能になった。2003年には負担重量を馬齢重量に、2007年よりトライアルとしての性格を強めるため施行距離を現行の芝2400メートル外回りコースに変更。2010年より国際競走に指定され外国調教馬も出走可能となり、この年より国際格付けとなっている。 菊花賞が11月上旬に施行されていたころは、夏場を休養に充てていた栗東所属の有力馬は菊花賞まで中2週のローテーションとなる京都新聞杯を復帰初戦に選ぶことが多く、9月中旬から下旬に施行される当競走は比較的小粒なメンバー構成で、夏の上がり馬が活躍する年も多かった。 しかし、2000年の番組改編により京都新聞杯が春季に移行し、関西圏唯一の菊花賞トライアル競走となったため、同年以降は、春の有力馬陣営の多くが当競走から始動するようになり、毎年好メンバーが揃っている。それでもシンボリクリスエスやディープスカイのように、2400メートルへの距離延長前・後ともに、菊花賞に向かわず天皇賞(秋)などに向かうケースも少なくない。 現在の優勝レイは紺地に黄文字である。 出走資格はサラブレッド系3歳(旧4歳)のJRA所属馬(外国産馬含む)、地方所属の競走馬(3頭まで)、および外国調教馬(9頭まで)の牡馬・牝馬。 負担重量は馬齢重量で、牡馬は56キログラム、牝馬は54キログラムである。 歴史 1953年 - 4歳(現3歳)の競走馬によるハンデキャップの重賞競走として神戸盃が創設され、阪神競馬場・芝2000mで施行された。 1955年 - 施行距離を芝1600mに変更。 1956年 - 施行距離を芝1800mに変更。 1957年 - 負担重量を別定に変更。施行距離を芝2000mに戻す。 1959年 - 伊藤勝吉が調教師として史上初の連覇。 1966年 - 阪神競馬場のスタンド増設工事に伴う振替開催により、京都競馬場・芝2000mで施行。 1968年 - 施行距離を芝1800mに戻す。 1969年 - 施行距離を芝1900mに変更。 1971年 - 負担重量を定量に変更。 1972年 - 施行距離を芝2000mに戻す。神戸新聞社から寄贈杯を受けて神戸新聞杯に名称変更。 1979年 - 京都競馬場のスタンド改修工事に伴う振替開催により、中京競馬場・芝2000mで施行。 1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。 1987年 - グレードをGIIに格上げ。 1990年 - 阪神競馬場の改修工事により、中京競馬場・芝2000mで施行。 1991年 - 阪神競馬場の改修工事により、中京競馬場・芝2000mで施行。 1994年 - 京都競馬場の改修工事に伴う振替開催により、中京競馬場・芝2000mで施行。 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。菊花賞トライアル競走に指定。 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)による阪神競馬場の中止により京都競馬場・芝2000mで施行。 2000年 - 菊花賞の開催時期が2週間早まり、京都新聞杯が春に移行したことにより、本競走が関西地区唯一の菊花賞トラ地方所属馬の出走枠が3頭に拡大。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。混合競走に指定。 2003年 - 負担重量を馬齢重量に変更。藤沢和雄が調教師として2人目の連覇。 2006年 - 阪神競馬場の改修工事により、中京競馬場・芝2000mで施行。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会 (ICSC) の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。施行距離を現在の芝外回り2400mに変更。 2008年 - 関西主場においての最終レースの発走時刻を16時40分に設定したことに伴い、当競走の競走番号が第11競走から第10競走に変更。 2009年 - イコピコが2 24.2のコースレコードで優勝。四位洋文が騎手として史上初の連覇。 2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。そのため、重賞格付け表記をGIIに戻す。 2011年 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)及び東京電力・福島第一原発での事故による薄暮開催の中止に伴い、第11競走として施行。 2013年 - 陸上自衛隊第3音楽隊によるファンファーレの生演奏を行った。 歴代優勝馬 回数年月日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1953年11月8日ワカクサ牝32 05 0/5佐藤勇石門虎吉宇治田泰次郎 第2回1954年11月7日ダイナナホウシユウ牡32 03 2/5上田三千夫上田武司上田清次郎 第3回1955年10月30日ケンシユン牡31 38 2/5清田十一伊藤勝吉伊藤由五郎 第4回1956年10月7日トサモアー牝31 52 1/5松永高徳清水茂次鮫川由五郎 第5回1957年10月20日ミスオンワード牝32 06 4/5栗田勝武田文吾樫山純三 第6回1958年10月19日タカハル牡32 05 0/5近藤武夫伊藤勝吉コーホー 第7回1959年10月18日ハツライ牡32 06.3清田十一伊藤勝吉大久保常吉 第8回1960年10月16日クインオンワード牝32 05.8栗田勝武田文吾樫山(株) 第9回1961年10月15日スギヒメ牝32 05.1諏訪真諏訪佐市小杉咲枝 第10回1962年10月21日リユウフオーレル牡32 04.2宮本悳橋本正晴三好笑子 第11回1963年10月13日コウライオー牡32 05.2浅見国一吉田三郎高田政治 第12回1964年10月11日オンワードセカンド牡32 04.0松本善登武田文吾樫山(株) 第13回1965年10月3日ダイコーター牡32 04.7栗田勝上田武司上田清次郎 第14回1966年10月2日ハードイツト牝32 08.1簗田善則坪重兵衛吉田久博 第15回1967年9月24日フジエース牡32 04.4高尾武士田中良平伊藤忠雄 第16回1968年9月29日ダイイチオー牡31 50.4武邦彦高橋直三上田正次 第17回1969年9月21日ウチュウオー牡31 56.3大根田裕也梅内慶蔵工藤玄治 第18回1970年9月27日ニューペガサス牡32 00.4領家政蔵田中良平高木茂 第19回1971年10月3日ニホンピロムーテー牡32 00.4福永洋一服部正利小林保 第20回1972年10月1日タイテエム牡32 00.5須貝四郎橋田俊三(有)名鯛興業 第21回1973年9月30日ホウシュウリッチ牡32 06.2松田博資上田武司上田清次郎 第22回1974年9月29日キタノカチドキ牡32 00.8武邦彦服部正利初田豊 第23回1975年9月28日トウフクホープ牡32 03.9稲部和久諏訪真井上芳春 第24回1976年10月3日トウショウボーイ牡31 58.9福永洋一保田隆芳トウショウ産業(株) 第25回1977年10月2日アイノクレスピン牝32 02.3目野哲也土門健司田中幸 第26回1978年10月1日バンブトンコート牡32 02.4河内洋伊藤修司樋口正蔵 第27回1979年9月30日ネーハイジェット牡32 03.1岩元市三布施正内海都一 第28回1980年9月28日ノースガスト牡32 02.8田島良保二分久男鈴木忠男 第29回1981年9月27日アグネステスコ牝32 02.6西浦勝一久保道雄渡辺孝男 第30回1982年10月3日ハギノカムイオー牡31 59.9伊藤清章伊藤修司日隈広吉 中村和夫 第31回1983年10月2日スズカコバン牡32 01.1田島良保小林稔永井永一 第32回1984年9月30日ダイゼンシルバー牡31 59.8猿橋重利中村好夫大塚弘美 第33回1985年9月29日スピードヒーロー牡32 04.2河内洋中尾正市川幸助 第34回1986年9月28日タケノコマヨシ牡32 00.1伊藤清章伊藤修司鮫川三千男 第35回1987年9月27日マックスビューティ牝32 02.4田原成貴伊藤雄二田所祐 第36回1988年9月25日ヤエノダイヤ牡32 05.1田島良保荻野光男(有)富士 第37回1989年9月24日オサイチジョージ牡32 00.3丸山勝秀土門一美野出長一 第38回1990年9月23日センターショウカツ牡32 00.3松永昌博松永善晴中野優 第39回1991年9月22日ロングタイトル牡32 00.1加用正大根田裕也中井長一 第40回1992年9月27日キョウエイボーガン牡32 05.2松永幹夫野村彰彦松岡正雄 第41回1993年9月26日ビワハヤヒデ牡32 02.9岡部幸雄浜田光正(有)ビワ 第42回1994年9月18日スターマン牡32 00.6藤田伸二長浜博之誓山正伸 第43回1995年9月17日タニノクリエイト牡31 59.8村本善之森秀行谷水雄三 第44回1996年9月15日シロキタクロス牡32 01.2角田晃一加藤敬二小西勇 第45回1997年9月14日マチカネフクキタル牡32 00.0南井克巳二分久男細川益男 第46回1998年9月20日カネトシガバナー牡32 01.9秋山真一郎野村彰彦兼松利男 第47回1999年9月19日オースミブライト牡32 01.2武幸四郎中尾正山路秀則 第48回2000年9月24日フサイチソニック牡32 01.6四位洋文松田国英関口房朗 第49回2001年9月23日エアエミネム牡31 59.5松永幹夫伊藤雄二(株)ラッキーフィールド 第50回2002年9月22日シンボリクリスエス牡31 59.1岡部幸雄藤沢和雄シンボリ牧場 第51回2003年9月28日ゼンノロブロイ牡31 59.5K.デザーモ藤沢和雄大迫忍 第52回2004年9月26日キングカメハメハ牡31 59.0安藤勝己松田国英金子真人 第53回2005年9月25日ディープインパクト牡31 58.4武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株) 第54回2006年9月24日ドリームパスポート牡31 58.1高田潤松田博資ジョイ・レースホース(株) 第55回2007年9月23日ドリームジャーニー牡32 24.7武豊池江泰寿(有)サンデーレーシング 第56回2008年9月28日ディープスカイ牡32 25.3四位洋文昆貢深見敏男 第57回2009年9月27日イコピコ牡32 24.2四位洋文西園正都錦岡牧場 第58回2010年9月26日ローズキングダム牡32 25.9武豊橋口弘次郎(有)サンデーレーシング 第59回2011年9月25日オルフェーヴル牡32 28.3池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング 第60回2012年9月23日ゴールドシップ牡32 25.2内田博幸須貝尚介小林英一 第61回2013年9月22日エピファネイア牡32 24.8福永祐一角居勝彦(有)キャロットファーム 第62回2014年9月28日ワンアンドオンリー牡32 24.4横山典弘橋口弘次郎前田幸治
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 阪神競馬場 距離 芝2000m 格付け GIII 賞金 1着賞金4000万円 出走条件 サラ系3歳以上(国際)(特指) 負担重量 グレード別定 鳴尾記念(なるおきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝2000メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。農林水産省が賞を提供しており、正式名称は「農林水産省賞典 鳴尾記念(のうりんすいさんしょうしょうてん なるおきねん)」と表記している。 競走名の「鳴尾」は、1907年に関西競馬倶楽部が兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)に建設した鳴尾競馬場(1937年に「阪神競馬場」と改称、1943年閉鎖)に由来する[3]。現在の阪神競馬場は、1949年に完成した。 概要 1951年にハンデキャップの重賞として阪神競馬場の芝2400mで創設され、春(6月)と秋(12月)に年2回施行されていたが、1954年より年1回の施行となった。グレード制導入後はGII[注 1]に格付けされたが、施行時期・距離・競走条件ともに幾度かの変遷を経ている。1997年には6月に芝2000mで国際競走として施行、宝塚記念の前哨戦とされた[4]。2000年からは12月に移設され、地方所属馬の出走が可能になった一方で国際競走ではなくなり、格付けもGIIIに変更された。2006年からは芝1800mに変更となり、再び国際競走に指定。2012年より施行時期が6月に再度変更、距離も芝2000mとなった。 競走条件 ※2014年現在 出走資格 サラ系3歳以上の競走馬 JRA所属馬(外国産馬含む) 地方競馬所属馬(認定馬のみ、2頭まで) 外国調教馬(9頭まで) 負担重量 3歳52kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減 平成25年6月1日以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増 平成25年6月1日以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 平成25年5月31日以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増(ただし2歳時の成績を除く) 賞金 2014年の1着賞金は4000万円で、以下2着1600万円、3着1000万円、4着600万円、5着400万円。 歴史 1951年 - 5歳(現4歳)以上の馬による重賞競走として、年2回制で創設。春・秋ともにハンデキャップで、阪神競馬場の芝2400mで施行。 1953年 - 負担重量を別定に変更。 1954年 - 年2回制から年1回制に変更。出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。 1955年 - 名称を「農林省賞典 鳴尾記念」に変更(ただし、1957年を除く)。出走条件が5歳(現4歳)以上に変更。負担重量をハンデキャップに変更。 1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。 1979年 - 農林省の名称変更により、「農林水産省賞典 鳴尾記念」に変更。 1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。 1987年 - 開催時期を12月に変更。それに伴い、出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。ワールドスーパージョッキーズシリーズのため、第10競走(準メイン)で施行(1990年まで)。 1997年 - 開催時期を6月に変更。負担重量を別定に変更。国際競走に指定され、外国調教馬が4頭まで出走可能となる。 2000年 - GIIIに格下げ。開催時期を12月に変更。負担重量をハンデキャップに変更。国際競走から除外。 特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2006年 - 負担重量を別定に変更。国際競走に再び指定され、外国調教馬が5頭まで出走可能となる。 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。 2012年 - 開催時期を6月に変更。負担重量を別定に変更。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1951年6月10日阪神2400mタカクラヤマ牡42 31 3/5橋田俊三伊藤正四郎平島五郎 第3回1952年6月8日阪神2400mヒロホマレ牡42 33 2/5佐藤勇柏谷富衛関兵五郎 第5回1953年6月7日阪神2200mクインナルビー牝42 21 4/5境勝太郎石門虎吉高橋虎男 第7回1954年6月20日阪神2200mロイヤルウツド牡42 22 2/5近藤武夫伊藤勝吉永田雅一 第8回1955年5月22日阪神2200mロイヤルウツド牡52 18 1/5清田十一伊藤勝吉永田雅一 第9回1956年7月8日阪神2200mセカイオー牡42 15 1/5島崎宏加藤清一吉木三郎 第10回1957年6月9日阪神2400mセカイオー牡52 30 1/5島崎宏加藤清一吉木三郎 第11回1958年6月1日阪神2400mセカイオー牡62 33 1/5島崎宏加藤清一吉木三郎 第12回1959年6月7日中京砂2400mカツラシユウホウ牡52 34 2/5蛯名武五郎藤本冨良牧市太郎 第13回1960年6月5日阪神2400mトキツヒロ牡42 29.0大根田裕也大久保房松伊藤忠雄 第14回1961年6月23日阪神2400mシーザー牡42 30.3伊藤修司伊藤勝吉伊藤由五郎 第15回1962年6月10日阪神2400mグレイトスタン牡52 37.6宇田明彦星川泉士日高角右衛門 第16回1963年6月9日阪神2400mリユウフオーレル牡42 30.0宮本悳橋本正晴三好笑子 第17回1964年6月7日阪神2400mゴウカイ牡52 30.1栗田勝武田文吾伊藤由五郎 第18回1965年6月6日阪神2400mバリモスニセイ牡42 30.6諏訪真諏訪佐市小杉咲枝 第19回1966年6月5日京都2400mエイトクラウン牝42 32.8内藤繁春田中康三山口昇 第20回1967年6月4日阪神2400mアポオンワード牡42 28.5栗田勝武田文吾樫山(株) 第21回1968年6月16日阪神2400mヤマピット牝42 33.0池江泰郎浅見国一小林信夫 第22回1969年6月29日京都2400mファインローズ牝42 39.1高橋成忠坪重兵衛吉田久博 第23回1970年6月21日阪神2400mニューキミノナハ牡42 35.5高橋成忠庄野穂積岡山信一 第24回1971年3月21日阪神2400mタマホープ牡42 29.9清水久雄増本勇増本孝一 第25回1972年4月2日阪神2400mフイドール牡42 31.2武田博武田文吾小原菊枝 第26回1973年4月1日阪神2400mシンザンミサキ牡42 28.1久保敏文久保道雄宮本貞雄 第27回1974年3月31日阪神2400mストロングエイト牡52 30.2中島啓之奥平真治(有)ハイランド牧場 第28回1975年3月30日阪神2400mナオキ牡62 27.1佐々木昭次田中康三桜山ホース(株) 第29回1976年3月28日阪神2400mタイホウヒーロー牡42 30.0高橋成忠曽場広作大岩貴 第30回1977年3月27日阪神2400mテンポイント牡42 32.6鹿戸明小川佐助高田久成 第31回1978年3月26日阪神2400mエリモジョージ牡62 27.5福永洋一大久保正陽山本慎一 第32回1979年3月25日阪神2400mキャプテンナムラ牡42 32.2田島良保坂口正大奈村信重 第33回1980年3月23日阪神2400mリンドプルバン牡42 29.9田原成貴見上恒芳(株)デルマークラブ 第34回1981年3月22日阪神2500mハシクランツ牡52 40.9柴田光陽内藤繁春(株)シンザンクラブ 第35回1982年4月18日阪神2500mマルブツウイナー牡72 34.6加用正瀬戸口勉大沢毅 第36回1983年4月17日阪神2500mキョウエイアセント牡42 38.5田島信行工藤嘉見松岡正雄 第37回1984年3月11日阪神2500mハシローディー牡52 34.9村本善之福永甲(株)シンザンクラブ 第38回1985年3月10日阪神2500mニシノライデン牡42 35.7伊藤清章伊藤修司西山正行 第39回1986年3月9日阪神2500mロンスパーク牡42 36.0的場均大久保洋吉大原詔宏 第40回1987年12月6日阪神2500mタマモクロス牡32 33.0南井克巳小原伊佐美タマモ(株) 第41回1988年12月4日阪神2500mヤエノムテキ牡32 33.1西浦勝一荻野光男(有)富士 第42回1989年12月3日阪神2500mミスターシクレノン牡42 31.5松永幹夫小林稔藤立啓一 第43回1990年12月2日京都2400mカチウマホーク牡42 25.8岡部幸雄柄崎義信島崎龍五郎 第44回1991年12月8日阪神2500mナイスネイチャ牡32 36.3松永昌博松永善晴豊嶌正雄 第45回1992年12月13日阪神2500mタケノベルベット牝32 39.1藤田伸二小林稔武岡大佶 第46回1993年12月11日阪神2500mルーブルアクト牡52 36.3清山宏明小原伊佐美(株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン 第47回1994年12月10日阪神2500mスターマン牡32 33.3藤田伸二長浜博之誓山正伸 第48回1995年12月9日阪神2500mカネツクロス牡42 31.3的場均堀井雅広カネツ競走馬(株) 第49回1996年12月7日阪神2500mマルカダイシス牡32 33.8熊沢重文内藤繁春河長産業(株) 第50回1997年6月15日阪神2000m日本の旗 バブルガムフェロー牡42 01.4岡部幸雄藤沢和雄(有)社台レースホース 第51回1998年6月21日阪神2000m日本の旗 サンライズフラッグ牡42 03.6安田康彦安田伊佐夫(株)松岡 第52回1999年6月20日阪神2000m日本の旗 スエヒロコマンダー牡42 02.5藤田伸二松元茂樹(株)みどり住宅 第53回2000年12月10日阪神2000mダイタクリーヴァ牡31 59.3松永幹夫橋口弘次郎(有)太陽ファーム 第54回2001年12月9日阪神2000mメイショウオウドウ牡61 59.8飯田祐史飯田明弘松本好雄 第55回2002年12月8日阪神2000mイブキガバメント牡61 59.5河内洋橋口弘次郎(有)伊吹 第56回2003年12月14日阪神2000mウインブレイズ牡52 00.0木幡初広宗像義忠(株)ウイン 第57回2004年12月12日阪神2000mサクラセンチュリー牡42 00.7佐藤哲三佐々木晶三(株)さくらコマース 第58回2005年12月11日阪神2000mメジロマントル牡82 01.6吉田豊大久保洋吉メジロ商事(株) 第59回2006年12月9日阪神1800mサクラメガワンダー牡31 46.9O.ペリエ友道康夫(株)さくらコマース 第60回2007年12月8日阪神1800mハイアーゲーム牡61 47.5藤岡佑介大久保洋吉臼田浩義 第61回2008年12月6日阪神1800mサクラメガワンダー牡51 46.0福永祐一友道康夫(株)さくらコマース 第62回2009年12月5日阪神1800mアクシオン牡61 46.5藤田伸二二ノ宮敬宇中田徹 第63回2010年12月4日阪神1800mルーラーシップ牡31 44.9岩田康誠角居勝彦(有)サンデーレーシング 第64回2011年12月3日阪神1800mレッドデイヴィスセン31 45.6M.デムーロ音無秀孝(株)東京ホースレーシング 第65回2012年6月2日阪神2000mトゥザグローリー牡52 00.1福永祐一池江泰寿(有)キャロットファーム 第66回2013年6月1日阪神2000mトウケイヘイロー牡41 58.9武豊清水久詞木村信彦 第67回2014年6月7日阪神2000mエアソミュール牡51 59.1戸崎圭太角居勝彦(株)ラッキーフィールド 鳴尾記念(秋)歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第2回1951年12月16日阪神2400mトラツクオー牡32 33 3/5小林稔久保田金造岩本政一 第4回1952年12月28日阪神1800mクインナルビー牝31 54 0/5境勝太郎石門虎吉高橋虎男 第6回1953年12月27日阪神2200mボストニアン牡32 17 0/5梅内慶蔵増本勇岡本治一
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主催者 日本中央競馬会 競馬場 東京競馬場 創設 1956年3月11日 距離 芝1400m 格付け GII 賞金 1着賞金5700万円、賞金総額1億1856万円 出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定) 負担重量 グレード別定 京王杯スプリングカップ(けいおうはいスプリングカップ)は、日本中央競馬会 (JRA) が東京競馬場の芝1400メートルで施行する中央競馬の重賞(GII)競走である。正賞は京王電鉄株式会社賞。京王杯2歳ステークスと同様、優勝杯を提供する京王電鉄から冠名が取られている。 概要 1956年に5歳(現4歳)以上の混合のハンデキャップの重賞競走、スプリングハンデキャップとして新設、第1回は東京競馬場の芝1600mで施行された。 1960年からは京王帝都電鉄(当時、現京王電鉄)から優勝杯の提供を受けたのを機に、名称を京王杯スプリングハンデキャップに変更、1963年からは施行距離を芝1800mに変更した。 1981年からは施行距離を芝1400mに変更に伴い、安田記念の前哨戦として位置付けされるようになり、1984年からはグレード制施行によりGIIに格付け、混合競走に指定され、外国産馬の出走が可能になり、更に負担重量を別定に変更した事に伴い、名称を現在の京王杯スプリングカップに変更、またスプリンターズステークスと安田記念と共に中央競馬の短距離三冠競走を構成したが、1990年にスプリンターズステークスの施行時期が3月から12月に変更になった事により短距離三冠は廃止となっている。 1994年からは安田記念に出走する外国調教馬の調整レースに位置付けた事により、国際競走に指定、外国調教馬も出走可能になり、更に1995年からは指定競走に指定、地方所属の競走馬も出走可能になった。 2000年からは高松宮記念が5月から3月に変更となり短距離馬の高松宮記念 - 本競走 - 安田記念というステップが確立された。そのためか同年のレースではGI馬が6頭出走、スティンガー以外の5頭は1年以内にGIを勝利していた。ちなみに翌年もGI馬が6頭出走するなどメンバーが豪華になっていた。 2001年からは国際セリ名簿基準作成委員会に国際グレードのGIIに格付けされた。 ダービー卿チャレンジトロフィーやマイラーズカップと並び、安田記念の前哨戦に位置付けされ、安田記念と同じ東京競馬場で施行されている事から安田記念の最も重要な前哨戦として位置付けされている。安田記念の前哨戦に位置付けされる以前にも、第2回競走で5着に敗れたヘキラクや第6回競走で3着に敗れたホマレボシなど6頭が安田記念で優勝、前哨戦に位置付けされた1981年以降第28回競走で3着に敗れたキヨヒダカや第29回優勝馬ハッピープログレスを始め多くの優勝馬を輩出している。しかし、2000年代に入ってからは、香港から遠征した馬の台頭や大阪杯など中距離路線から駒を進めてきた馬などが活躍することが多く、本競走からの安田記念優勝馬は第46回3着のブラックホークと第50回優勝のアサクサデンエン、第57回4着のストロングリターンのみとなっている。また、1999年のグラスワンダー以降、1番人気馬が勝っていないという状況が続いていたが、2013年にダイワマッジョーレが1番人気に応えて勝利し、連敗を13で止めた。 現在の優勝レイの配色は、赤色地に銀色文字となっている。 出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。 負担重量は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、 施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増 施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 以上の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。 歴史 1956年 - 東京競馬場の芝1600mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走、スプリングハンデキャップとして創設。 1958年 - 保田隆芳が騎手として史上初の連覇。 1959年 - 尾形藤吉が調教師として史上初の連覇。 1960年 - 京王帝都電鉄(当時)から優勝杯を提供された機に京王杯スプリングハンデキャップに変更。 1963年 - 施行距離を芝1800mに変更。 1968年 - 東京競馬場の改修工事及び降雪の影響により中山競馬場のダート1800mで施行。 1971年 - 降雪の影響によりダート1700mで施行。 1972年 - ストライキの影響により5月に順延開催。 1974年 - ストライキの影響により5月に順延開催。 1975年 - 出走馬4頭立てで施行。 1981年 - 施行距離を芝1400mに変更、安田記念の前哨戦としての位置付けとなる。 1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。混合競走に指定。負担重量を別定に変更。名称を京王杯スプリングカップに変更。短距離三冠競走の第2戦に指定。 1990年 - 短距離三冠競走廃止により三冠競走から除外。 1994年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。フランスのスキーパラダイスが外国調教馬として初制覇。 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方馬は3頭まで出走可能となる。 1996年 - 地方馬の出走枠が3頭から2頭に縮小。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。国際セリ名簿基準作成委員会に国際GIIに指定。 2002年 - 外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。 2006年 - 牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。 2012年 - 基本負担重量を57kg(牝馬は2kg減)から56kg(牝馬は2kg減)に変更。 2014年 - この年から当競走の1着馬に安田記念への優先出走権が付与される。 歴代優勝馬 回数施行日調教国・優勝馬性齢斤量タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1956年3月11日クリチカラ牡6581 38 2/5森安弘明尾形藤吉栗林友二 第2回1957年3月10日ヒデホマレ牡5601 39 4/5保田隆芳田中康三小川満枝 第3回1958年3月2日ブレツシング牝6541 37 2/5保田隆芳尾形藤吉小野晃 第4回1959年3月1日クリペロ牡4561 39 2/5森安弘明尾形藤吉栗林友二 第5回1960年2月21日スイートワン牡4541 39.3野平祐二野平省三和田共弘 第6回1961年2月26日シヨウザン牡4561 39.9高橋英夫鈴木清渡部恵子 第7回1962年2月18日トリシン牡4501 36.8丸目敏栄荒木静雄斎藤延次郎 第8回1963年2月24日スズホープ牡4541 49.5野平好男森末之助鈴江チヨ 第9回1964年3月22日クリライト牡454.51 51.9郷原洋行大久保房松栗林友二 第10回1965年2月21日アサホコ牡5591 50.2加賀武見藤本冨良手塚栄一 第11回1966年2月20日グレートヨルカ牡6561 49.1保田隆芳尾形藤吉小野晃 第12回1967年2月26日ヒシマサヒデ牡5621 52.1小野定夫稗田敏男阿部雅信 第13回1968年2月25日メジロシンゲン牡4491 54.0町田精生大久保末吉北野雄二 第14回1969年2月16日モンタサン牡5581 52.4油木宣夫矢野幸夫古知政市 第15回1970年2月22日ミノル牡4561 48.8保田隆芳尾形藤吉永田賢介 第16回1971年2月14日タマミ牝4521 44.4増沢末夫坂本栄三郎影山明 第17回1972年5月3日ダイセンプー牡4491 50.1津田昭野平富久(有)イーデン産業 第18回1973年4月22日インターブレイン牡4541 49.5野平祐二野平省三松岡正雄 第19回1974年5月4日タケクマヒカル牡5541 48.7矢野照正中村広武隈水雄 第20回1975年4月20日キクノオー牡4541 48.6横山富雄山岡寿恵次田中伊三郎 第21回1976年4月25日ヤマブキオー牡6581 48.9徳吉一己森末之助清水一郎 第22回1977年4月24日ニッポーキング牡4581 47.9郷原洋行久保田金造山石祐一 第23回1978年4月23日シービークイン牝5541 47.9吉永正人松山吉三郎千明牧場 第24回1979年4月22日ゴールデンボート牡4531 47.9石神富士雄中村広川俣トシエ 第25回1980年4月27日シーバードパーク牝4531 47.9菅原泰夫本郷重彦ホースマンクラブ 第26回1981年4月26日シンボリフレンド牡4541 23.3柴田政人野平祐二シンボリ牧場 第27回1982年4月29日エビスクラウン牡5551 23.7郷原洋行松山康久内多晃 第28回1983年5月1日イーストボーイ牡5541 22.9根本康広橋本輝雄加藤久枝 第29回1984年4月22日ハッピープログレス牡6571 23.8田原成貴山本正司藤田晋 第30回1985年4月21日ニホンピロウイナー牡5591 23.0河内洋服部正利小林百太郎 第31回1986年4月20日トーアファルコン牡5571 23.7河内洋服部正利伊藤昭二 第32回1987年4月26日ニッポーテイオー牡4571 21.8郷原洋行久保田金造山石祐一 第33回1988年4月24日ダイナアクトレス牝5561 21.4岡部幸雄矢野進(有)社台レースホース 第34回1989年4月23日リンドホシ牡4561 23.1的場均佐藤林次郎(株)デルマークラブ 第35回1990年4月22日シンウインド牝6561 23.3南井克巳二分久男林幸雄 第36回1991年4月21日ダイイチルビー牝4541 21.5河内洋伊藤雄二辻本春雄 第37回1992年4月25日ダイナマイトダディ牡4571 21.6加藤和宏鈴木康弘池谷誠一 第38回1993年4月24日ヤマニンゼファー牡5591 21.0柴田善臣栗田博憲土井宏二 第39回1994年4月23日スキーパラダイス牝4551 21.4武豊A.ファーブル吉田照哉 第40回1995年4月22日ドゥマーニ牡4561 21.3R.ヒルズK.マクローリンハムダン殿下 [注 1] 第41回1996年5月11日ハートレイク牡5591 21.1武豊S.スルールゴドルフィン 第42回1997年5月10日タイキブリザード牡6581 20.5岡部幸雄藤沢和雄(有)大樹ファーム 第43回1998年5月16日タイキシャトル牡4581 20.1岡部幸雄藤沢和雄(有)大樹ファーム 第44回1999年5月15日グラスワンダー牡4581 20.5的場均尾形充弘半沢(有) 第45回2000年5月14日スティンガー牝4551 21.0武豊藤沢和雄吉田照哉 第46回2001年5月13日スティンガー牝5561 20.1岡部幸雄藤沢和雄吉田照哉 第47回2002年5月12日ゴッドオブチャンス牡4571 20.3柴田善臣和田正道(有)ノースヒルズマネジメント 第48回2003年5月18日テレグノシス牡4591 21.0勝浦正樹杉浦宏昭(有)社台レースホース 第49回2004年5月16日ウインラディウス牡6571 20.4田中勝春藤沢和雄(株)ウイン 第50回2005年5月15日アサクサデンエン牡6571 20.3後藤浩輝河野通文田原源一郎 第51回2006年5月13日オレハマッテルゼ牡6591 21.8柴田善臣音無秀孝小田切有一 第52回2007年5月12日エイシンドーバー牡5571 20.0福永祐一小崎憲平井豊光 第53回2008年5月17日スーパーホーネット牡5581 20.8藤岡佑介矢作芳人森本悳男 第54回2009年5月16日スズカコーズウェイ牡5571 20.6後藤浩輝橋田満永井啓弍 第55回2010年5月15日サンクスノート牝5551 19.8蛯名正義二ノ宮敬宇下河邊行雄 第56回2011年5月14日ストロングリターン牡5571 20.2石橋脩堀宣行吉田照哉 第57回2012年5月12日サダムパテック牡4561 20.1C. ウィリアムズ西園正都大西定 第58回2013年5月11日ダイワマッジョーレ牡4561 20.6蛯名正義矢作芳人大城敬三 第59回2014年5月17日レッドスパーダ牡8561 19.7北村宏司藤沢和雄東京ホースレーシング
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小田原城 小田原城(おだわらじょう)は、相模国足柄郡小田原(現在の神奈川県小田原市)にあった、戦国時代から江戸時代の城。国指定史跡。 名称 小田原城(国史跡) 通称 小峯城(小峰城)小早川城(小早川館) 城郭構造 平山城 天守構造 複合式 築城主 北条早雲 築城年 1495年 主な改修者 上杉氏 主な城主 後北条氏、阿部氏、稲葉氏 br 大久保氏 廃城年 1871年 遺構 石垣、土塁、堀、復元天守・門 歴史 元々は、平安時代末期、相模国の豪族土肥氏一族である小早川遠平(小早川氏の祖とされる)の居館で、室町時代応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱で土肥氏が失脚し、大森氏が奪った。 明応4年(1495年)、伊豆国を支配する伊勢平氏流北条早雲が大森氏から奪い、以来北条氏政、北条氏直父子の時代まで戦国大名後北条氏の5代95年にわたる居城として、南関東の政治的中心地となった。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして隠居氏政と当主氏直が指揮する後北条氏と開戦し、当時後北条の台頭に対抗していた関東の大名・宇都宮国綱や佐竹義重らとともに小田原城を総攻撃した。一般的に小田原征伐(最近は「小田原合戦」が主流)と呼ばれるこの戦役において秀吉は圧倒的な物資をもって取り囲むととともに別働隊をもって関東各地の後北条氏の支城を各個撃破し、篭城戦によって敵の兵糧不足を待ち逆襲しようとした後北条氏の意図を挫き、3ヶ月の篭城戦の末ほとんど無血で開城させた。この篭城戦において、北条側が和議と抗戦継続をめぐって議論したが一向に結論が出なかった故事が小田原評定という言葉になっている。その後秀吉は国綱とともに下野国宇都宮に陣を移し、参陣した東北地方の諸大名の処遇を決定、秀吉の国内統一事業はこれを持って完成した(宇都宮仕置)。 戦後、後北条氏の領土は徳川家康に与えられ、江戸城を居城として選んだ家康は腹心大久保忠世を小田原城に置いた。以後、17世紀の中断を除いて明治時代まで藤原北家宇都宮氏流大久保氏の小田原藩が小田原城を居城とした。一方後北条氏は、一族の北条氏盛が河内国狭山(現在の大阪狭山市)にて1万余石の大名となって明治に至っている。 概要 後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山を詰め城としていた。大森氏も、そうであったと推測されている。第3代北条氏康の時代には、上杉謙信、武田信玄の攻撃を退け、戦国時代屈指の堅城ぶりを誇った。後北条氏の時代に、小田原城は、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空堀で取り囲んだ惣構え(これは後の豊臣氏大坂城の惣構えよりも広大である)をもつ、それまで類を見ない大規模な城郭へと拡張された。 現在の小田原城址の主郭部分は、大久保氏時代に造営されたものである。江戸末期には、海岸に3基の砲台が建設されている。関東にしては珍しく、主要部が全て石垣で固められた総石垣造りの城であるが、現在のような総石垣の城になったのは寛永9年(1632年)から始められた大改修の後のことである。2代藩主忠隣の時代、政争に破れ改易の憂き目にあっている。一時は2代将軍秀忠が大御所として隠居する城とする考えもあったといわれるが、実現しなかった。 その後、城代が置かれた時期もあったが、阿部氏、春日の局の血を引く稲葉氏、そして御家再興がなった大久保氏が返り咲いた。小田原藩は入り鉄砲出女といわれた箱根の関所を幕府から預かる立場であった。なお、大名となった支藩(分家)に荻野山中藩・陣屋(現在の神奈川県厚木市)がある。 小田原城址は小田原城址公園として公園化され、復興天守(鉄筋コンクリート製)が昭和35年(1960年)に建築されている。天守の頂上からは太平洋や笠懸山の石垣山一夜城がよく見える。現在では、天守の復興を手始めに常磐木門、銅門、そして現在、馬出門の復元作業をおこなっている。また、小田原城は過去に大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により石垣が崩壊したのをはじめとして、何度も地震に見舞われている。 外部リンク 城址公園施設 http //www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Leisure/Castle/j_kouen.html?
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登録日:2023/07/23 Sun 03 09 44 更新日:2024/05/19 Sun 01 29 08NEW! 所要時間:約 29 分で読めます ▽タグ一覧 U1 ULTIMATE ONE いっくん アルティメットワン エイシンプレストン キングヘイロー ゲーマー コントレイル シーザリオ ジャスタウェイ ユーイチ ラインクラフト ワグネリアン 三冠ジョッキー 前が壁 北橋修二 既婚者 栗東市 歴史マニア 滋賀県 福永洋一 福永祐一 競馬学校花の12期生 調教師 騎手 福永(ふくなが)祐一(ゆういち)は日本中央競馬会(JRA)・栗東所属の元騎手・現調教師。 天才騎手の子として競馬界に飛び込み、数々の苦難・挫折を経験。 それでも努力を重ねてトップジョッキーにまで上り詰めた、平成から令和時代の中央競馬を代表する名手の一人。 妻は元フジテレビ所属のフリーアナウンサー・松尾翠。 【来歴】 【騎乗スタイル】 【-天才騎手の子に生まれて- 福永祐一の物語】 【-たとえ天才ではなくとも- 福永祐一の今】 【福永祐一の相棒】 【余談】 【来歴】 1976年12月9日生まれ、滋賀県栗太郡栗東町(現:栗東市)出身。父はかつて「天才」と呼ばれ一世を風靡した元騎手の福永洋一。 以下、区別のため父の方を「洋一」、本人の方を「祐一」と表記する。 故郷は茨城県美浦村と同じJRAのトレーニングセンター所在地。 実家の向かいには洋一と鎬を削ったライバルにして親友の「ターフの魔術師」武邦彦(*1)(*2)の家もあり、多数のホースマンに囲まれた環境で育った。 もっとも、祐一本人は当初騎手になるつもりはなく、中学校時代はサッカーをやっていた(*3)という。 しかし2年生時に様々なきっかけ(*4)を得て騎手になることを決意。後述の事情で母には猛反対されるもこれを説得し、JRA競馬学校騎手課程に第12期生として入学した。 実は第11期も受験していたのだが、実技テスト前に骨折して辞退する羽目になってしまい、高校進学後に改めて受験している。 この競馬学校騎手課程第12期は祐一以外にも注目株が多く、洋一が多くの名手(*5)を輩出した馬事公苑第15期長期騎手講習(通称「馬事公苑花の15期生」)の出身者だったことに準え、 「競馬学校花の12期生」と呼ばれるようになる。 具体的なメンバーとしては、 「世紀末覇王」テイエムオペラオーの唯一無二のパートナーにして競馬界屈指のお笑い芸人タフガイ・和田竜二 JRA初の双子騎手として話題となった柴田大知・柴田末崎(現:調教助手)兄弟 JRA初の女性騎手の一人で、引退後は競馬評論家・競馬解説者として下ネタを連発するけど活躍中のトリガミ子細江純子 落馬事故によって引退を余儀なくされるも、引退後は文筆業の傍ら障碍者馬術選手として活動している常石勝義 などがいる。閑話休題。 騎手課程を卒業後、1996年に栗東・北橋修二厩舎所属の新人騎手としてデビュー。様々な苦難を乗り越えながら成長し、日本競馬を代表するトップジョッキーにまで上り詰めた。 2022年12月に調教師試験に合格。2023年2月末を以って騎手を引退し、調教師へと転身した。 1年間技術調教師として勉強したのち、2024年3月より厩舎を開業。同年4月に厩舎初勝利を挙げた。 【騎乗スタイル】 最大の魅力は抜群の安定感。 スタートに関しては「1から10まで理論的に説明できる」というほどに自信を持っており、好発から無理なくレースを進めて馬の力を引き出す技術は天下一品。 こうした手腕は特に平場のレースで活かされ、13年連続の年間100勝は他の追随を許さないJRA記録。 若駒に競馬を仕込む「教育騎乗」の技術も確かなものを持っており、2歳G1通算7勝は歴代トップの好成績。 また、頭の良さや競馬に対する姿勢も高く評価されている。 抜きんでた才能を持っていたわけではないが、たゆまぬ努力と研究によってトップジョッキーの地位に上ったというのは各所で言及されるところである。 競馬番組等でレースの展開を予想し、見事に的中させることも多い。 他方、デビュー以来ずっと指摘されているのがここ一番での勝負弱さであり、「重賞の予想はまず祐一の乗る馬を外すところから」という時期もそれなりに長かった。 重賞では皆が思い切った騎乗をしてくるので、「無理をせず無難に乗る」スタイルでは不覚をとることも多いのである。 それでも現役後半は大レースでの好騎乗が目に見えて増え、一流騎手としての評価を完全に確立するに至った。 総じて池添の裏返しと思えばだいたいあってる 【-天才騎手の子に生まれて- 福永祐一の物語】 競馬騎手・福永祐一を語るうえで、絶対に切り離すことのできない存在。 それが彼の実父、福永洋一である。 関西の名門、武田文吾厩舎からデビューし、僅か3年でリーディングを獲得。 時に追い込み馬を華麗に逃げ切らせ、時に逃げ馬で鮮烈な追い込みを決めてみせる。 数々の関係者をして「言葉や理屈で説明できるものではない」と言わしめた騎乗センスは、「天才」の称号を冠するにふさわしいものであった。 ……だが、そんな洋一を悲劇が襲う。 他馬の落馬事故に巻き込まれ、騎乗馬が前のめりに転倒。 地面に頭を強打し、意識不明の危篤状態に追い込まれてしまう。(*6) 幸いにして意識は戻ったものの……彼の身体はもはや元のようには動かなかった。 年単位のリハビリも実らず、騎手としてレースに復帰することはついに叶わなかったのである。 言うまでもないことだが、騎手という仕事は常に命の危険が付き纏う。 JRA主催のものに限っても、レース中の事故による「殉職者」は実に20人。地方競馬や調教中の事故も含めれば、犠牲となった者の数はさらに膨れ上がる。 ゆえに、祐一が競馬学校への入学を希望した時―――彼の母親は猛烈に反対した。 死と隣り合わせの世界に我が子を送り込みたくはない、夫のような目に遭わせたくはないという親心を考えれば、無理からぬところではあるだろう。 実際、1998年には母親の実弟(祐一視点では叔父にあたる)である北村卓士騎手が落馬事故に見舞われ、後遺症を克服できずに引退している。 祐一本人も引退式において「母親に対しては(中略)本当にずっと辛い思いをさせ続けてきた」「27年、こんな親不孝はないなと思いながら続けてきました」と語ったほどで、 尋常ならざる苦悩があったことは想像に難くない。 しかし、そんな母親の反対を押し切る形で祐一は競馬界へと飛び込む。 「天才」として名を馳せた父親(*7)の威光は競馬界の隅々にまで行き届いており、多数の関係者が「天才の子」の未来に期待を馳せた。 当時の状況が窺い知れるエピソードとしては、「競馬学校の合格発表日に栗東トレセン事務所で記者会見がセッティングされ、金屏風を背景に合格を報告した」というものがある。 入学試験の時点でこのお祭り騒ぎなのだから、もはや異様の一言である。 無事にデビューを果たした祐一はデビュー戦から2連勝という鮮烈な活躍を見せ、父の才能を継ぐ次世代のスターとして華々しく報道される。 祐一自身もこうした周囲の期待によく応え、多数の関係者によるバックアップのもとで順調に勝ち星を積み上げていった。 そして2年目の秋、祐一のもとにキングヘイローの手綱が回ってくる。 「天才騎手の息子が超のつく良血馬(*8)に乗ってクラシックに挑む」というストーリーは注目を集め、メディアにも大きく取り上げられた。 ダービー前にはなんと密着取材(*9)までついていたそうで、祐一に対する期待のほどがうかがえる。 こうして周囲の今思い返せば過剰なきらいがあったが多大な期待を背負ったコンビは、デビュー4戦で3勝(うちGⅢ1勝、2着1回)という優秀な成績を残し、意気揚々とクラシック戦線に駒を進めた。 ……しかし、祐一は父親のような天才ではなかった。 皐月賞では横山典弘騎手の手綱の下で軽快に逃げたセイウンスカイを捉えられず2着。 引退したての元騎手・田原成貴調教師(*10)(*11)から「今のレースは勝ててたぞ(=お前の騎乗で負けた)」と酷評される(*12)。 ダービーでは坂口正大調教師が「パドックで顔が真っ白だった」と回想するほどの極度の緊張状態に陥り、馬を抑えきれずオーバーペースで暴走。 武豊がスペシャルウィークで悲願のダービー制覇を成し遂げた裏で、直線沈没の14着という大敗を喫する。 今でこそ半分笑い話になっているが、レース当時は本人も「頭が真っ白になった」と漏らした失敗騎乗は散々に批判され、騎手としての評価を大きく下げてしまった。 最終的にキングヘイローはベテランの柴田善臣騎手に乗り替わり(*13)となり、苦難の末にG1高松宮記念を制覇。 このレースで2着に敗退したディヴァインライトには他ならぬ祐一が騎乗していたという嬉しくないおまけつきであった。ここから祐一による脳破壊が始まった この時祐一は「一番いて欲しくない馬が前にいた」、後年には「なんで自分は勝たせてやれなかったという思いとやっとタイトル取れてよかったなという気持ちで複雑だった」と語っている。 もっとも、キングヘイローと祐一の相性自体は良かったらしく、古馬になってからも三度騎乗して2着1回3着2回とそれなりの結果は残していた。 中でもマイルCSはレコードタイという激走だったのだが……それをさらに上回るレコードを叩き出したエアジハードに敗北するという不運であった。 1999年にはプリモディーネで桜花賞を制覇しG1ジョッキーとなるも、翌週行われた小倉大賞典の返し馬で落馬。 馬に踏まれて左腎臓摘出の重傷を負ってしまう。まさに天国から地獄への急転直下であった。 母親からはたいそう心配されたものの、入院中は「久しぶりに親子で過ごせる」と安堵の顔も見せていたそうな。 親心というのは複雑である。 ……そして、この頃にはもう「父親ほどの才能はない」との評価が大勢を占めており、有力馬を多数任されながらも結果がついてこないと見られる時期(*14)が長らく続いた。 2010年以降牡馬での活躍が増えてはきたものの、日本ダービーは18回騎乗してなお未勝利。 その間武豊には5回もの勝利を許し、池添謙一(2011年オルフェーヴル)や川田将雅(2016年マカヒキ)といった後輩だけでなく、 内田博幸(2010年エイシンフラッシュ)や岩田康誠(2012年ディープブリランテ)といった地方競馬出身の騎手にも先を越される。 さらに海外から度々短期免許で遠征していたミルコ・デムーロとクリストフ・ルメールがJRA通年免許を取得したことで馬質自体も落ちてしまい、「福永にダービーを勝つのは無理」と断じる競馬ファンも少なくなかった。 しかし2018年。 福永祐一ついにやった!悲願のダービー制覇! 祐一の駆るワグネリアンが日本ダービーに出走し、栄光のゴール板を先頭で駆け抜けた。 自ら「福永家の悲願」と語ったダービー制覇は多くのファンの涙を誘い、SNSのトレンドにはかつての愛馬、キングヘイローの名前が躍った。 その翌年、祐一の成長を見届けるかのようにキングヘイローは他界。 5日後に開催された第49回高松宮記念では、ミスターメロディを駆った祐一が見事な好騎乗を決め、キングヘイローへのはなむけとなる勝利を飾った。 本人も心に期するものがあったようで、レース後のインタビューでは「キングヘイローが背中を押してくれた」と語った。 当時は分不相応とも言われたコンビであったが、今となってみればやはりキングヘイローは運命の相手だったということなのだろう。 【-たとえ天才ではなくとも- 福永祐一の今】 前述のように、祐一は父親ほどの天才ではなかった。 だが、父親の威光に縋るだけの凡夫でもなかった。 若き日の祐一の騎乗スタイルは、良くも悪くも「堅実」「無難」といった言葉がぴったりくるものであった。 馬質の良さもあって平場(*15)での成績は上々だったのだが、重賞戦線では他の騎手の策略に屈するシーンがしばしば見られ、 結果的に「勝負弱い」「平場でしか買えない」というイメージが定着。 落馬事故の影響もあって、2000年代は馬質に見合った結果を残せないと見られる(*16)日々が続いた。 2006年には所属先の北橋厩舎、続く2007年には第二の所属先とも言われた瀬戸口厩舎が解散となり、有力な後ろ盾を一気に失ってしまう。 勝ち数自体はそこまで落とさなかったものの、1999年以来続いていたG1の連続勝利記録は7年で途絶えることとなった。 しかし2010年、祐一は騎手としての転機を迎える。 きっかけは憧れでもあった武豊の故障離脱で、かねてより交友のあった工藤公康(*17)から「かわいがってもらっているうちは超えられない」「ここで自分が一番になるくらいの気概がなくてどうする」と 叱咤を受けたことで意識が変わったとインタビューで語っている。 障害馬術日本代表アドバイザーの小野雄次氏を専属コーチとし、三十台半ばにしてフォームの改造を行うなど、自己研鑽にも意欲的に取り組んだ。 そうした地道な努力が実を結んだか、2010年には二度目の年間100勝を達成。徐々に大舞台で活躍するシーンが増え始める。 2011年にはJRA史上初となる親子でのリーディング獲得を成し遂げ、以降は毎年のように大レースを制覇。 2000勝達成までのスピードはあの武豊に次ぐ2番手であり、史上11人目のクラシック競走完全制覇、史上5人目のJRA通算2400勝を成し遂げる等、一流と呼ぶに相応しい実績を残した。 そして、ここから祐一はさらなる飛躍を遂げる。 2020年にはコントレイルを無敗のクラシック三冠に導き、年間でもキャリアハイとなる134勝を挙げた。 そして2021年の日本ダービーではシャフリヤールに騎乗。 戦後最年少でのダービー制覇が懸かった気鋭の若手・横山武史(*18)が騎乗する大本命の皐月賞馬エフフォーリアをハナ差で差し切り、武豊・四位洋文に次ぐ史上3人目のダービー連覇を達成。 武豊以来のダービー3勝ジョッキーとなった。 なお武史騎手はこれが相当なトラウマになった模様。(*19)そして2年後に武史騎手は当のシャフリヤールに騎乗する羽目になる事に そして同年のスプリンターズステークスではあのキングヘイローの孫にあたる期待馬、ピクシーナイト(*20)に騎乗。 先行策から直線力強く抜け出し、キングヘイローで果たせなかったスプリントG1勝利を見事成し遂げた。 この勝利は2007年のアストンマーチャン以来14年ぶりとなる3歳馬のスプリンターズS制覇であり、 更には日本調教馬として史上初となる父子直系4代(*21)によるG1勝利という歴史的快挙であった。 かつては祐一に厳しい評価を下していた田原成貴氏も、「馬の重心と支点を瞬時に合わせることができ、そこからほとんど動かない」「もともと頭がいいところに、一番大事な馬乗りが追いついた」 「自分の理想とする騎手像(=福永洋一)に最も近い」と評するまでに至っている。 そして2022年12月8日、祐一が調教師試験に合格したことがJRAより発表された。 騎手と調教師の兼務は規則によって禁じられている(*22)ため、騎手免許が失効する2023年2月末をもって騎手・福永祐一は現役を退くこととなった。 ラストランとなったのは遠く中東・サウジアラビアで行われたリヤドダートスプリント。リメイクに騎乗して3着となり、足掛け28年の騎手生活にピリオドを打った。 騎手から調教師への転向自体は珍しくないが、大概のケースでは体力的な限界、あるいは乗鞍の減少といった騎手としての衰えが要因となっている。 しかし祐一の場合は2010年~2022年まで年間100勝を続けており、2022年もG1を2勝しているなど(*23)、衰えるどころか今がピークではないかというほどだった。 そもそも調教師試験は合格率5%~10%程度という超難関(*24)であるため、何の前触れもなく試験合格が判明した……すなわち一線級の騎乗数を保ったまま一発合格したこと自体も相当の快挙だったりする。 前々から「調教師・福永祐一を見たい」との主張は少なくなかったものの、ファンサイドからは祝福とともに嘆きの声が木霊することとなった。 また、この時点で史上4人目(*25)の「八大競走完全制覇」にリーチをかけており、最後の1つとなる有馬記念についても 2022年に惜しくも2着というところまできていたので、そうした視点からも惜しむ声が挙がった(*26)。 余談ながら、後輩で公私ともに仲の良かった(*27)この世全てに不満のあるような顔つきと言われた(*28)川田将雅騎手だけは、祐一本人から調教師試験の受験を打ち明けられていたのだという。 川田騎手は競馬に対して非常にストイックな姿勢で臨むことで知られる人物で(*29)、感情をあまり出さず(*30)冷静沈着に振る舞うシーンが多いのだが、 そんな彼も祐一の引退式では終始涙を浮かべていた。 厩舎開業は2024年3月(*31)。 そして開業前から掛かった馬主たちによるご祝儀代わりの高額良血馬入厩宣言(*32)が発生しており、早速とんでもないプレッシャーが襲い掛かっている。25年前にも見たねこれ 2024年3月9日に武豊騎乗のレオノーレで初戦を迎えるも2着、そこから3戦目まで2着を3回連続という珍記録を達成する。3戦目に騎乗した川田騎手は初勝利のために必死に追っていた そこから馬券内を繰り返すなどなかなか勝利できなかったが4月7日についに阪神で川田騎手で初勝利…する1時間半に福島で小沢大仁騎手騎乗のマルカブリッツが厩舎初勝利。 川田騎手騎乗のエーデルブレーメの勝利は2勝目となったが福永自身は阪神にいたことから初お立ち台は阪神となった。 なお今までの癖がまだ抜けていないのか、騎手の台に立とうとして川田騎手に怒られていた。なお表彰式は割と笑顔多めだった 「騎手・福永祐一」から「調教師・福永祐一」へ。彼の第二の人生に期待したい。 【福永祐一の相棒】 キングヘイローと祐一の縁については上で語ったが、それはそれとして長らく議論されている話題がある。 福永祐一の相棒と呼べる馬は誰か、というものである。 たとえば和田竜二はテイエムオペラオー、武豊はスーパークリーク(*33)、岡部幸雄はシンボリルドルフ、的場均はグラスワンダー(orライスシャワー)、横山典弘はメジロライアン(*34)…… といった具合に、一流の騎手には相棒と呼べる代表的お手馬がいる。 祐一と組んで実績を残した、あるいは彼から高評価だった競走馬としては、 1戦を除き主戦騎手を務め、共に日米オークスを制し、後年には「僕が乗った中でも群を抜く最強牝馬」と称したシーザリオ 所属していた北橋厩舎の管理馬であり、若き福永が32戦全戦に騎乗、GIを4勝したシャティン大好き「香港魔王」エイシンプレストン 素質を非常に高く評価され(コントレイルが無敗の三冠取った後でもなお「エンジンは別格だった」と述べている)るも、故障で無念の引退となったシルバーステート 共にクラシック三冠を獲得してその後の苦楽も共にし、「僕にとってはスーパーヒーロー」「(騎手として)日本競馬でやれることはやった」と調教師転身を決意させたコントレイル あたりがまず挙がるが、他にも キングヘイローの孫で、若き日の無念を見事に晴らしたピクシーナイト ドバイデューティーフリーをレコードタイムで制覇し、レーティング世界1位となったジャスタウェイ シーザリオの息子で、祐一に初めての牡馬クラシックタイトルとなる菊花賞の勝利を授けたエピファネイア シーザリオと同期の牝馬で桜花賞・NHKマイルカップを制するも病気で急死したラインクラフト 主戦騎手を務め福永家悲願の日本ダービー勝利を手にするも、以後喉鳴りに苦しんで連敗を重ね、最後は奇病(*35)で現役のまま夭逝したワグネリアン などがおり、まさに群雄割拠状態である。 しかし、当の祐一はこうした質問に即キングヘイローの名前を出してしまう程度には今でもご執心である。 他の騎手たちが乗ってみたい競走馬として軒並みテイエムオペラオーを挙げる中、ただ1人キングヘイローの名を出したこともあるほど。 そのためファンからは「キングは初恋の相手」などと言われることがある。 このあたりは競馬ファン的にも外せない話題のようで、週刊Gallop(2022年9月16日発売号)による「相性バッチリな福永騎手のお手馬と言えばベスト10」という趣旨の企画に対し、 「企画趣旨とちょっと外れるけど福永と言えばキングヘイロー」という投書が送られて採用された結果、ランキング3位にキングヘイローが食い込んだ。 結局相棒は誰かは決められないままである 【余談】 歴史が好きで騎手を志す前は歴史の教師になりたかったという。騎手時代にもレースの合間に『信長の野望』をプレイしていたり、競馬芸人のミサイルマン岩部(*36)を歴史好きと思い込んでいたりと歴史絡みのエピソードがいくつか知られている。 ゲーマーであり、幼少期から前述の『信長の野望』や同社の『三国志』にハマっていた。イメージトレーニングとして『ジーワンジョッキー』もプレイし、アドバイザーとして開発に関わったこともある。『ウマ娘』についても「競馬好きの人が作ったゲームでよくできている」と評している。 師匠の北橋修二(元騎手・元調教師)は幼少期から懇意にしていたホースマンのひとりで、幼い頃は「修ちゃん」と呼んでいたり動物園に連れていって貰ったりと、家族同然の付き合いをしていた。 重賞初勝利がエンプレス杯のシルクフェニックス、小倉オープン特別のフェニックス賞を通算7勝、マルカフェニックスで重賞2勝など、やたらとフェニックスに縁があるため、『Mr.フェニックス』の異名を持つ。 かつては『祇園のプリンス』と呼ばれるほど遊び歩いていた独身貴族であり、「猛烈に誰かに会いたいと思ったこともない」「家に帰ったら他人がいるというのが気持ち悪い」とキレッキレの発言を残していた。同期の和田竜二騎手夫妻(*37)に向かって「結婚は人生の墓場」とうっかり口走ってしまい、結果和田家を出禁にされたという逸話もある。しかし妻の松尾翠と出会ってからは「一緒にいて飽きない。こんな楽しいと感じた人はいない」と愛妻家に激変し、周囲を驚かせた(*38)。 トップジョッキーになってからの結婚であったため披露宴は盛大に行われ、京都のホテルに騎手、厩舎関係者、馬主関係者など300人以上が集う大パーティーとなった。関東の所属で出席できない関係者も多かったため、次週には関東でのパーティーも開催されたという。なお、そちらに出席した柴田善臣は祐一そっちのけで洋一と握手していたとか。 「落ち着いていけよ」 「人気でも気負うなよ」 「仕掛けは早まるなよ」 「距離不安でも前につけろよ」 「自信を持て」 「きみは三冠ジョッキーなんだ」 「焦ることなく一歩ずつ、だよ」 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] キングヘイロー(ウマ娘 プリティーダービー)の項目から分離しました。 -- 名無しさん (2023-07-23 03 14 22) 性格プロフィールとか主な活躍とか飛ばして初っ端から「彼は母親に競馬学校への入学を反対されていた」とか余談みたいな話から始まるの一人物の個別項目としてちょっと不自然じゃない? -- 名無しさん (2023-07-23 04 34 00) まだ分離しただけだから大規模な調整が必要ね -- 名無しさん (2023-07-23 06 53 34) アマゾンズの福さんかと思ってしまった… -- 名無しさん (2023-07-23 08 25 26) 盾乙。相棒議論とかあるのかこの方 -- 名無しさん (2023-07-24 00 21 53) タグは英単語が前に来る関係でクソダサジャージの単語が一番前に来てて草生える -- 名無しさん (2023-07-24 01 12 57) 騎手記事も増えてきたけど、武豊の記事ってまだ無いんだなそういや -- 名無しさん (2023-07-25 11 38 28) ↑↑↑ まずベテランで相棒が満場一致なのって和田オペくらいじゃねぇかな… -- (2023-07-25 15 09 06) 引退式で渡された花束は騎乗した馬の勝負服がデザインされてたみたいだね。川田→エピファネイア(キャロット)、和田→キングヘイロー(浅川オーナー)、武豊→ワグネリアン(金子HD)、前田オーナー→コントレイル -- 名無しさん (2023-07-25 17 17 02) 意外にもグランプリ未勝利なのよねユーイチ。調教師として勝てればいいわね -- 名無しさん (2023-07-25 18 39 36) 早速母父キングのコントレイル産駒が入厩内定した模様。縁はどこまでも続いていく・・・ -- 名無しさん (2023-07-26 16 04 49) 親父さんは「理屈で説明できない」ということをどうしても強調されるんだけど、本質的には息子と同じで理論派なんだよね。それが余りに飛び抜けていて本人にしか分からない&できないから魔法に見えるだけで、理屈が通ってなければ安定して勝つはずがないんだよ。祐一はそれに時間をかけて近づいたってことなんだと思う。 -- 名無しさん (2023-09-20 13 16 51) タヴァラさんからは「(騎手としての)天性の才能は無い」と言われた騎手が努力続けられる才能というか根気強さを持ち続けてもう勝てないから調教師で勝とうと思っていたダービー3回勝てて通算白星も2600越えとかこれで才能無いとか言うほうがおかしいという結果を出した「努力を継続出来る天才」ということでも異論はなし? -- 名無しさん (2024-04-25 10 43 03) 名前 コメント
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小田原の歴史 小田原の歴史概要 地理 歴史古代 鎌倉時代から天正まで 江戸時代 明治以後 概要 戦国時代には後北条氏の城下町、江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿の宿場町として盛えた。 廃藩置県の時期には、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島をエリアとする足柄県の県庁所在地でもあった。この位置関係もあって、箱根越えの三島を初めとして、伊豆地方の市町村との交流関係も深い。神奈川県内では、西湘エリアの中心的な都市である。 特産品としては、小田原ちょうちんやかまぼこが有名である。 一時期は東京のベッドタウン化したとも言われたが、長期不況であえなく人口動態が社会減に転じた。一時は20万人を超えた人口も20万を割り込み、新幹線通勤定期代に対する補助制度を設けるなど人口確保に忙しい。 地理 神奈川県のほぼ南西端に位置し、酒匂川の流れる足柄平野を中心に、東は大磯丘陵の南西端である曽我丘陵と呼ばれる丘陵に、西は箱根に連なる火山の外輪山の跡である山地となっている。南は相模湾に面し、遠浅の海に小漁港が点在している。 沖合いには、関東大震災の震源地となった相模トラフが伸びている為、地震対策に力が入れられている。 気候は太平洋側気候の地域で、四季を通じて温暖である。 歴史 古代 古代の相模国足下郡(あしがらのしものこおり)の地である。古名を「こゆるぎ」といい、「小由留木」「淘陵」などの字が宛てられた。「小田原」という地名は、「小由留木」の草書体を読み間違えたものという説がある。 鎌倉時代から天正まで 1180年に、蛭ヶ小島(伊豆国)で挙兵した源頼朝と平家方の大庭景親らとの、石橋山の戦いが行われた。 戦国時代には伊勢平氏流を称する北条早雲が小田原城を築き、その子孫である後北条氏は関東一円に台頭し、鎌倉府足利氏、関東管領上杉氏、常陸国守護佐竹氏、下野国国司宇都宮氏、その他関東八屋形に列せられた諸氏による当時の関東の統治体制を転覆した。なお、下野国守護小山氏は後北条氏により滅亡に追い込まれた。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めによる後北条氏の滅亡と徳川家康の江戸入府によって、小田原は歴史の表舞台から姿を消す。家康が関東を治めるようになった後は、藤原北家宇都宮氏流・大久保氏が小田原に入った。 江戸時代 江戸時代には東国の要衝として、譜代大名を領主とする小田原藩が成立し、1686年以降は代々大久保氏の城下町となった。城下町・小田原は東海道の沿線であり、小田原宿は箱根の山越えを控えた宿場としても栄えた。又、小田原郊外の栢山(かやま)は、農政家・二宮金次郎の生地として有名である。 明治以後 1871年の廃藩置県によって、小田原藩は小田原県となった。同年11月の府県再編で、相模国西半分と伊豆国全域を管轄区域とする足柄県が設置され、県庁が小田原に置かれた。しかし1876年に足柄県は分割され、小田原を含む相模国部分は神奈川県と合併し、伊豆国部分は静岡県と合併して、小田原は県庁所在地の地位を失った。神奈川県と合併した後に設置された支庁も、間もなく廃止されたが、1878年の郡区町村編制法によって足柄下郡が編制されると、足柄下郡の郡役所が小田原に置かれ、神奈川県西部の中心都市としての地位を保った。 東海道本線は当初、小田原~熱海~沼津間の急鋭地帯を避けるために現在の御殿場線経路で敷設された。これにより小田原は人及び物の流れるルートから外れてしまい、一時急速に衰退した事があった。それを挽回しようと、小田原馬車鉄道という馬車鉄道が1888年に開通したのを皮切りに、熱海線(現在の東海道本線)・小田原急行電鉄(現在の小田急電鉄)なども開通して、次第に地位を回復させた。 1923年9月1日の関東大震災では、震源地に近かった為に烈しい被害を受けた。1934年の丹那トンネル開通で、東海道本線はやっと小田原市街地を通るようになった。1964年には東海道新幹線も開通し、東京・横浜への所要時間も大きく縮んだ
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上原成商事 本店:京都市中京区御池通烏丸東入仲保利町191番地 【商号履歴】 上原成商事株式会社(1962年4月~) 株式会社上原成介商店(1948年10月25日~1962年4月) 【株式上場履歴】 <東証2部>2013年7月16日~ <大証2部>1985年5月23日~2013年7月15日(東証に統合) <京証>1985年5月23日~2001年3月 日(取引所閉鎖) 【合併履歴】 1981年7月 日 舞鶴ツバメガス株式会社 【沿革】 昭和18年2月 京都市左京区にて故上原實(通称上原成介)が、個人経営で建築材料卸売業を開始。 昭和23年10月 株式会社上原成介商店を設立。京都市左京区に本店を置く。豊国セメント株式会社の特約店として、セメント卸売業を開始。 昭和24年7月 大阪市西区に本店移転。本店移転により、旧本店を京都営業所(昭和37年4月廃止)と改称。 昭和24年9月 丸善石油株式会社(現、コスモ石油株式会社)の特約店として、石油製品の販売開始。 昭和25年1月 大津市に大津営業所(昭和57年7月滋賀支店に昇格)開設。 昭和27年9月 京都市中京区に京都油槽所設置。(平成5年7月京都市下京区に新設・移転) 昭和30年4月 松山市に松山出張所(昭和48年1月松山支店に昇格)開設。 昭和33年11月 三菱セメント株式会社(現、宇部三菱セメント株式会社)の特約店として、同社のセメントの販売に着手。 昭和35年1月 生コンクリートの販売開始。 昭和35年9月 上成商事株式会社を設立。 昭和36年4月 名古屋市千種区に名古屋営業所(昭和48年1月名古屋支店に昇格、名古屋市中区)開設。 昭和36年5月 東京都千代田区に東京営業所(昭和61年7月東京支店に昇格、東京都北区)開設。 昭和37年4月 商号を上原成商事株式会社に変更。京都市中京区に本社社屋完成。同地に本店移転。 昭和37年4月 本店移転により、大阪営業所(昭和45年1月大阪支店に昇格、大阪市淀川区)開設。 昭和39年4月 建材商品(コンクリートパイル、アルミサッシ等)の販売開始。 昭和39年12月 滋賀県守山市に守山油槽所設置。 昭和41年12月 綾部市に綾部営業所(昭和55年7月綾部支店に昇格)開設。 昭和43年7月 湖北ガス株式会社を設立。 昭和45年3月 宅地建物取引業免許を取得し、不動産の売買、交換、賃貸及びこれらの代理もしくは仲介業を開始。 昭和45年3月 建設業の許可を取得し、建設業開始。 昭和48年8月 京都三協サッシセンター株式会社(現、京都三協サッシ株式会社)を設立。 昭和48年12月 京滋ツバメプロパン瓦斯株式会社を吸収合併し、丸善石油株式会社(現、コスモ石油ガス株式会社)の特約店として、液化石油ガスの販売開始。 昭和48年12月 松下電器産業株式会社の販売代理店として、設備機器の販売開始。 昭和51年7月 上原硝子株式会社を設立。 昭和56年5月 上原産業株式会社(現、上原産業有限会社)を設立。 昭和56年7月 舞鶴ツバメガス株式会社を吸収合併。舞鶴市に舞鶴ガス営業所を開設し、京都北部・舞鶴地区において、液化石油ガスの販売開始。 昭和57年7月 本店内に京都支店開設。 昭和57年11月 京セラ株式会社の販売代理店として、同社の再結晶宝石の販売開始。 昭和60年5月 大阪証券取引所(現、株式会社大阪証券取引所)市場第二部、京都証券取引所(平成13年2月大阪証券取引所と合併)に上場。 平成2年12月 京都市中京区に宝飾品店舗「キャサジーゼ」開設。 平成9年6月 昭和ガステック有限会社を設立。 平成12年11月 新ダイヤ産業株式会社の株式取得。 平成14年8月 山科三協ビルサッシ株式会社の株式を追加取得し、子会社化。 平成18年10月 山田ガステック株式会社を設立。
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