約 13,536 件
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/93.html
主催者 日本中央競馬会 競馬場 阪神競馬場 創設 1983年10月30日 距離 芝1800m 格付け GII 賞金 1着賞金5000万円、賞金総額1億450万円[2][1] 出走条件 サラブレッド系3歳牝馬(国際)(指定) 負担重量 馬齢重量(54kg) ローズステークスは、日本中央競馬会 (JRA) が阪神競馬場の芝1800メートルで施行する中央競馬の重賞 (GII) 競走である。関西テレビ放送から寄贈賞が提供されているため、正式名称は関西テレビ放送賞ローズステークス(秋華賞トライアル)と表記されている。 概要 1983年にエリザベス女王杯のトライアル競走として4歳(現3歳)牝馬の競走馬による重賞競走ローズステークスが創設されたのが始まり。創設時は京都競馬場・芝2000mの外回りコースで施行され、3着までに入った競走馬には優先出走権が与えられた。翌1984年にグレード制導入によりGIIに格付け。更に混合競走となり外国産馬の出走が可能になった。 1996年に秋華賞が創設され、3歳牝馬重賞路線が整備されたことに伴い、本競走は秋華賞トライアルに変更。また1995年で廃止されたサファイヤステークスが施行された時期に移設され、舞台を阪神競馬場の芝2000mに変更した。2007年からは芝1800mの外回りコースを使用して行われている。 1995年から指定競走に指定され、地方馬に門戸が開かれ、2009年より国際競走に指定され、外国調教馬の出走が可能になり、この年より国際格付けとなっている。 3歳牝馬限定だったクイーンステークスが2000年より古馬混合となり施行場・時期ともに変更となったため、秋華賞の前哨戦としては唯一の3歳牝馬限定の重賞となり、その位置付けは同じくトライアルに指定されている紫苑ステークスよりも大きく、有力馬の多くは本競走を経由して秋華賞に出走している。春の実績馬と夏の上がり馬が一堂に会し、春のクラシック競走を制した競走馬が秋の緒戦に選ぶ競走であるが、「牝馬三冠」を達成したスティルインラブやアパパネも本競走ではそれぞれ5着、4着と敗れており、有力馬が苦戦することがある。 出走資格はサラ系3歳(旧4歳)牝馬のJRA所属馬、地方所属の競走馬(3頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。3着までに入った競走馬には秋華賞への優先出走権が与えられる。 負担重量は馬齢重量で54kgである。 歴史 1983年 - 4歳(現3歳)牝馬の競走馬による定量の重賞競走としてローズステークス(エリザベス女王杯トライアル)が創設され、京都競馬場・芝外回り2000mで施行された。 1984年 - 関西テレビ放送から寄贈賞を受けて関西テレビ放送賞ローズステークスに名称変更。グレード制施行によりGIIに格付け。混合競走に指定。 1994年 - 京都競馬場の改修工事により、阪神競馬場・芝2000mで施行。 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。当年のみ京都競馬場・芝内回り2000mで施行。 1996年 - 秋華賞の新設に伴い、秋華賞トライアルに変更。施行時期を9月中旬に移設。施行場を阪神競馬場・芝2000mに変更。地方所属馬の出走枠が3頭に拡大。 1999年 - 第12回優勝馬ヒシアマゾンの全妹ヒシピナクルが優勝、史上初の姉妹制覇。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牝馬」から「3歳牝馬」に変更。 2003年 - 負担重量が馬齢重量に変更。 2006年 - 阪神競馬場の改修工事により、中京競馬場・芝2000mで施行。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。施行距離を現在の芝外回り1800mに変更。馬インフルエンザの影響により中央競馬所属馬のみで施行。 2008年 - 関西主場においての最終レースの発走時刻を16時40分に設定したことに伴い、当競走の競走番号が第11競走から第10競走に変更。 2009年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIに戻す。ブロードストリートが1 44.7のコースレコードで優勝。 2011年 - 東日本大震災及び東京電力・福島第一原発での事故による薄暮開催の中止に伴い、第11競走として施行。 歴代優勝馬 回数施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主[要出典] 第1回1983年10月30日ロンググレイス牝32 03.5河内洋小林稔中井長一 第2回1984年10月14日ロングレザー牝32 03.4河内洋長浜彦三郎中井長一 第3回1985年10月13日タケノハナミ牝32 02.2岩元市三藤原敏文伊坂重昭 第4回1986年10月12日メジロラモーヌ牝32 01.3河内洋奥平真治(有)メジロ牧場 第5回1987年10月25日マックスビューティ牝32 04.0田原成貴伊藤雄二田所祐 第6回1988年10月23日シヨノロマン牝32 01.6武豊庄野穂積庄野昭彦 第7回1989年10月22日シャダイカグラ牝32 01.5武豊伊藤雄二米田茂 第8回1990年10月21日カツノジョオー牝32 00.6田島良保中村均大高倉治 第9回1991年10月20日リンデンリリー牝32 01.4岡潤一郎野元昭林田秋利 第10回1992年10月25日エルカーサリバー牝32 00.2柴田政人田中良平(株)クレアール 第11回1993年10月24日スターバレリーナ牝32 00.2河内洋長浜博之(有)社台レースホース 第12回1994年10月23日ヒシアマゾン牝32 00.0中舘英二中野隆良阿部雅一郎 第13回1995年10月22日サイレントハピネス牝32 01.2橋本広喜藤沢和雄吉田照哉 第14回1996年9月22日ヒシナタリー牝32 02.6角田晃一佐山優阿部雅一郎 第15回1997年9月21日キョウエイマーチ牝32 01.6松永幹夫野村彰彦松岡正雄 第16回1998年9月27日ファレノプシス牝32 04.4武豊浜田光正(有)ノースヒルズマネジメント 第17回1999年9月26日ヒシピナクル牝32 00.8河内洋佐山優阿部雅一郎 第18回2000年9月17日ニホンピロスワン牝32 00.3福永祐一田中耕太郎小林百太郎 第19回2001年9月16日ダイヤモンドビコー牝32 01.9松永幹夫藤沢和雄大迫忍 第20回2002年9月15日ファインモーション牝32 00.1松永幹夫伊藤雄二伏木田達男 第21回2003年9月21日アドマイヤグルーヴ牝32 01.5武豊橋田満近藤利一 第22回2004年9月19日レクレドール牝31 59.0安藤勝己池江泰郎(有)サンデーレーシング 第23回2005年9月18日エアメサイア牝32 00.1武豊伊藤雄二(株)ラッキーフィールド 第24回2006年9月17日アドマイヤキッス牝31 58.2武豊松田博資近藤利一 第25回2007年9月16日ダイワスカーレット牝31 46.1安藤勝己松田国英大城敬三 第26回2008年9月21日マイネレーツェル牝31 47.3川田将雅五十嵐忠男(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン 第27回2009年9月20日ブロードストリート牝31 44.7藤田伸二藤原英昭下河邉行雄 第28回2010年9月19日アニメイトバイオ牝31 45.8後藤浩輝牧光二バイオ(株) 第29回2011年9月18日ホエールキャプチャ牝31 48.1池添謙一田中清隆嶋田賢 第30回2012年9月16日ジェンティルドンナ牝31 46.8岩田康誠石坂正(有)サンデーレーシング 第31回2013年9月15日デニムアンドルビー牝31 47.7内田博幸角居勝彦金子真人ホールディングス 第32回2014年9月21日ヌーヴォレコルト牝31 46.0岩田康誠斎藤誠原礼子
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/117.html
主催者 日本中央競馬会 競馬場 京都競馬場 距離 芝・内2000m 格付け GIII 出走条件 サラブレッド系2歳(国際)(特指) 負担重量 馬齢重量 京都2歳ステークス(きょうと2さいステークス)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝2000mで施行する競馬の重賞(GIII)競走である。日経ラジオ社より寄贈杯が提供され、正式名称はラジオNIKKEI杯京都2歳ステークスと表記される。 概要 1959年に京都競馬場の芝1400mの3歳(現2歳)の競走馬によるオープン競走・京都3歳ステークス(きょうとさんさいステークス)の名称で施行されたのが始まり。 その後、幾度かの施行距離変更があったものの、1983年から1989年までは芝1600mで施行。1990年に芝1800m、2002年に芝2000mとなり現在に至る。 なお、1956年に阪神3歳ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)が阪神競馬場の改修工事により京都競馬場で行われた際に「京都3歳ステークス」の名称が使われたこともある。 2014年からは日経ラジオ社より寄贈杯が提供され競走名がラジオNIKKEI杯京都2歳ステークスとなり、重賞競走に昇格された。これと引き換えにラジオNIKKEI杯2歳ステークス(現・ホープフルステークス)の寄贈杯提供が終了となった。2013年10月21日のJRAによる発表時点では格付けなしの「新設重賞」となっていたが「日本グレード格付け管理委員会」にGIIIへの格付けを申請し、2014年1月20日に追加承認され格付けがGIIIに変更された。 歴史 オープン特別時代 1959年 - 京都競馬場の芝1400mの3歳(現2歳)の競走馬によるオープン競走「京都3歳ステークス」として施行。 1961年 - 施行距離を芝1500mに変更。 1962年 - 施行距離を芝1600mに変更。 1963年 - 施行距離を芝1400mに変更。 1964年 - 施行距離を芝1500mに変更。 1965年 - 施行距離を芝1400mに変更。 1966年 - 施行せず。 1967年 - 施行距離を芝1600mに変更。 1979年 - 京都競馬場のスタンド改築工事により、阪神競馬場の芝1400mで「仁川3歳ステークス」として施行。 1980年 - 施行せず。 1981年 - 施行距離を芝1400mに変更。 1983年 - 施行距離を芝1600mに変更。 1990年 - 施行距離を芝1800mに変更。 1992年 - マルカツオウジャとエルウェーウィンが同着優勝。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「3歳」から「2歳」に変更し、「京都2歳ステークス」に名称変更。 2002年 - 施行距離を芝2000mに変更。 2008年 - 当時、地方ホッカイドウ所属のイグゼキュティヴが地方所属馬として史上初の優勝。 2009年 - 当競走で史上最少の5頭が出走。 重賞格付け以後 2014年 - 日経ラジオ社より寄贈杯が提供され競走名がラジオNIKKEI杯京都2歳ステークスとなり、重賞競走(GIII)に昇格。 歴代優勝馬 オープン特別時代 施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 1959年11月23日ケンリユウ牡21 26.1大根田裕也松田由太郎伊藤由五郎 1960年11月23日リユウライト牡21 28.1宮本悳橋本正晴三好諦三 1961年11月26日グンシン牝21 34.6高橋成忠柏谷富衛藤原清治 1962年11月25日チトセリバー牡21 39.4清田十一伊藤勝吉野間勘一郎 1963年11月23日ヤマニンルビー牝21 27.5浅見国一橋本正晴川田武 1964年11月29日キーストン牡21 32.0山本正司松田由太郎伊藤由五郎 1965年11月20日ソロモン牡21 27.2簗田善則柏谷富衛藤原義久 1967年11月26日ヤマニシュン牡21 38.2高橋成忠柏谷富衛北沢元男 1968年12月1日タニノシュンライ牡21 38.6武邦彦戸山為夫谷水信夫 1969年11月30日タニノムーティエ牡21 43.2安田伊佐夫島崎宏谷水信夫 1970年11月29日シバクサ牡21 42.2宮本悳橋本正晴内芝伝一 1971年11月23日サカエカホー牡21 37.3湯浅三郎加藤清一シー・ワイ・シー 1972年11月26日アマツカゼ牡21 38.8西谷達男上田武司山田甚吉 1973年11月25日ニホンピロスイセイ牡21 36.8武邦彦服部正利小林保 1974年11月24日タニノサイアス牝21 38.6久保敏文中村好夫谷水雄三 1975年11月23日タニノレオ牡21 40.5小谷内秀夫戸山為夫谷水雄三 1976年11月28日アサヒリマンド牡21 38.3丸山雅夫松元正雄(有)林牧場 1977年11月27日カンパーリ牡21 37.9福永洋一武田文吾加藤吉朗 1978年11月26日タマモアサヒ牡21 35.9田島良保吉永猛三野道夫 1979年11月25日ゲイリーエース牡21 36.8佐藤正雄松田正弘増川進 1981年10月18日サルノキング牡21 22.3田原成貴中村好夫猿丸進晤 1982年10月24日ルーキーオー牡21 24.8田島良保中村好夫望月篤 1983年10月22日マーサレッド牝21 23.7松田幸春中村好夫山田隆一 1984年11月25日ダイゴトツゲキ牡21 37.0稲葉的海吉田三郎竹村正一 1985年11月24日ノトパーソ牝21 39.7加用正瀬戸口勉(有)能登 1986年11月22日ヤマニンアーデン牡21 26.7村本善之池江泰郎土井宏二 1987年11月28日マルシゲアトラス牝21 38.6南井克巳宇田明彦坂東島繁藤 1988年11月26日シャダイカグラ牝21 37.8武豊伊藤雄二米田茂 1989年11月25日ニチドウサンダー牡21 36.5増井裕白井寿昭山田敏夫 1990年11月18日ソーエームテキ牡21 49.1丸山勝秀土門一美池田豊治 1991年11月17日スタントマン牡21 50.2角田晃一渡辺栄池谷誠一 1992年11月22日マルカツオウジャ牡21 49.7武豊田中耕太郎竹内十志夫 エルウェーウィン岸滋彦坪憲章雑古隆夫 1993年11月21日ナリタブライアン牡21 47.8南井克巳大久保正陽山路秀則 1994年11月13日スキーキャプテン牡21 48.2武豊森秀行(有)社台レースホース 1995年11月12日ロングシコウテイ牡21 48.7渡辺薫彦沖芳夫中井長一 1996年11月10日ランニングゲイル牡21 47.2武豊加用正高橋秀昌 1997年11月8日フィガロ牡21 48.6福永祐一西橋豊治伊達秀和 1998年11月14日オースミブライト牡21 48.8武幸四郎中尾正山路秀則 1999年11月13日ヤマニンリスペクト牡21 48.9武豊浅見秀一土井薫 2000年11月12日シャワーパーティー牡21 48.6四位洋文伊藤雄二太田美實 2001年11月10日アドマイヤドン牡21 47.4藤田伸二松田博資近藤利一 2002年11月23日エイシンチャンプ牡22 01.2武幸四郎瀬戸口勉平井豊光 2003年11月29日ミスティックエイジ牡22 06.8池添謙一飯田雄三ジョイ・レースホース(株) 2004年11月27日ローゼンクロイツ牡22 04.7安藤勝己橋口弘次郎(有)サンデーレーシング 2005年11月26日マルカシェンク牡22 01.4福永祐一瀬戸口勉河長産業(株) 2006年11月25日ゴールドキリシマ牡22 03.5石橋守梅田康雄西村新一郎 2007年11月23日アルカザン牡22 02.5池添謙一昆貢(有)エーティー 2008年11月29日イグゼキュティヴ牡22 02.2松岡正海田部和則岡田繁幸 2009年11月28日ヴィクトワールピサ牡22 01.6武豊角居勝彦市川義美 2010年11月27日マーベラスカイザー牡22 01.6和田竜二柴田政見笹原貞生 2011年11月26日トリップ牡22 01.5岩田康誠松田博資近藤利一 2012年11月24日エピファネイア牡22 03.0福永祐一角居勝彦(有)キャロットファーム 2013年11月23日トーセンスターダム牡22 00.8武豊池江泰寿島川隆哉 重賞格付け以後 回数施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回2014年11月29日ベルラップ牡22 04.8W.ビュイック須貝尚介
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/9738.html
登録日:2011/11/24 (木) 07 15 59 更新日:2024/08/25 Sun 20 52 16 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 1995年 G1 ステイヤー ハナ差 プライド ライスシャワー レコードブレイカー レース 京都府 京都競馬場 写真判定 天皇賞 奇跡の復活劇 涙腺崩壊 淀に咲き淀に散ったステイヤー 競馬 逃げ切り さあライスシャワーが先頭だ! いや~やっぱりこの馬は 強いのか~! 1995年4月23日に京都競馬場で行われた第111回天皇賞・春はライスシャワーが勝ったレースである。 【馬柱】 1995年京都5回2日10R 第111回天皇賞(春)京都芝右3200m 五歳以上オープン 牡牝 定量(58kg)枠番 馬番 馬名 騎手 1 1 エアダブリン 岡部幸雄 2 アグネスパレード 河内洋 2 3 ライスシャワー 的場均 4 サンライトウェイ 上村洋行 3 5 ヤマニンドリーマー 松永幹夫 6 ワンダフルタイム 塩村克己 4 7 ヤシマソブリン 坂井千明 8 ゴーゴーゼット 村本善之 5 9 イイデライナー 南井克巳 10 メイショウレグナム 小島太 6 11 キソジゴールド 安田康彦 12 タマモハイウェイ 四位洋文 7 13 インターライナー 横山典弘 14 アルゼンチンタンゴ 田原成貴 15 ステージチャンプ 蛯名正義 8 16 クリスタルケイ 幸英明 17 ハギノリアルキング 武豊 18 ダイイチジョイフル M.ロバーツ 戦前、前走阪神大賞典を圧勝し1番人気が予想された三冠馬ナリタブライアンが故障で欠場。 素質馬と評判の高かったサクラローレルも故障で離脱と、主役不在と称されたこのレース。 1番人気は前年のダービー2着馬で前走ダイヤモンドステークス勝ちのエアダブリン。 2番人気は前走日経賞勝ちのインターライナー。 3番人気は前走目黒記念でサクラローレルを破ったハギノリアルキング。 一昨年の覇者ライスシャワーは4番人気にすぎなかった。 ライスシャワーは前日オッズでは1番人気だったものの、 前日から降る雨の影響で馬場が重くなっていたことや2年間勝ち星がないことなどから当日は人気を落としていた。 前日発売では愛されているという意味で人気が高い馬がよく買われるということもあるのだろう。 昼過ぎまで降っていた雨が止み、どんよりとした曇り空の下でレースが始まった。 全馬揃ったスタートから、まず先頭にたったのはクリスタルケイ。 キソジゴールド、インターライナーがその後に続いた。 1周目ホームストレッチで大歓声に驚いたのか1番人気のエアダブリンが掛かったように番手をあげる。 ライスシャワーは中団に位置していたが、2コーナー付近からまくって番手をあげにきた。 そして向こう正面では人気のエアダブリン、インターライナー、ライスシャワーが先行集団を形成していた。 レースが動いたのは3コーナー手前。 淀の名物である3コーナーの坂の手前でライスシャワーが先頭に躍り出たのだ。 かつて、「淀の坂はゆっくりと登らなければなりません」と実況された淀の坂でだ。 ここからスパートするとゴールまでの距離が遠過ぎてスタミナが保たない、というのが通説であり、有名な話であった。 しかしライスシャワーと的場騎手は無謀にもここからスパートしたのだ。 後に的場騎手は「行くべきか迷った。しかし今のライスシャワーの力では正攻法では勝てない。勝つためにはここで勝負に出るべきだと思った。」と語っている。 それはライスシャワーが決して掛かったわけではなかったのだ。 的場騎手はさらに言った。 「馬にGOサインを出した瞬間にライスシャワーも動き出した。普通はサインのあと馬が反応するまでにタイムラグがあるものだが、この時はそれが一切無かった。」と。 まさに人馬一体、以心伝心である。 ライスシャワーは自らの意志で勝ちにいったのだ。 それは後世まで語り継がれる伝説の第1歩だった。 ライスシャワーが動いたことによりペースが一気に上がった。 まず反応したのはインターライナー騎乗の横山騎手。 エアダブリンもそれに続き、人気馬3頭が動いたことで後続もそれに続いた。 先に動いてリードを得たライスシャワーに対し、4コーナー手前でインターライナーが半馬身まで迫ったが先に手応えが怪しくなりムチが入った。 ほぼ同じタイミングで3番手のエアダブリンにもムチが入った。 対してライスシャワーはもったままで4コーナーを回る。 いや~!やっぱりこの馬は 強いのか~! 実況の杉本アナはこう叫んだ。 まだ長い直線を残したこの場所で、早くも強いと言われるようなレースをする馬はほとんどいない。 しかしライスシャワーはそう言わせるだけのパフォーマンスを見せたのだ。 直線に入り後続をぐんぐん突き放していくライスシャワー。 インターライナーもエアダブリンも、もはや追い付くことは不可能。 もはや勝利は確定的に思われた。 しかし勝利の女神は簡単には微笑まなかった。 早仕掛けの影響か、直線半ばでライスシャワーの自慢のスタミナに翳りが見えてきたのだ。 そこへ飛ぶように襲い掛かってきたのが、同じリアルシャダイを父に持つステージチャンプとハギノリアルキングだった。 外を通って追い上げてくる2頭。 特にステージチャンプの勢いは凄まじく、みるみるうちに差が詰まっていった。 残り100m、50m。内で粘るライスシャワーに外から追い込むステージチャンプ。 2頭の馬体が、内外離れて重なったところがゴールだった。 勢いは完全にステージチャンプだった。 ステージチャンプ騎乗の蛯名騎手が勝利を確信してガッツポーズをするほどだった。 勝負の行方は写真判定に委ねられた。 長い長い審議の末、掲示板の1着のところに灯った数字は3、──ライスシャワーの馬番だった。 その差はわずか16cm。 大きな大きなハナ差だった。 そしてこれがライスシャワーにとって最後のゴールとなった。 結果 1着 ライスシャワー 2着 ステージチャンプ 3着 ハギノリアルキング 4着 インターライナー 5着 エアダブリン 6着 ゴーゴーゼット 7着 アルゼンチンタンゴ 8着 ダイイチジョイフル 9着 サンライトウェイ 10着 ワンダフルタイム 11着 イイデライナー 12着 ヤシマソブリン 13着 タマモハイウェイ 14着 クリスタルケイ 15着 アグネスパレード 16着 キソジゴールド 17着 ヤマニンドリーマー 18着 メイショウレグナム 払い戻し 単勝 3 580円 4番人気 複勝 3 280円 4番人気 15 330円 5番人気 17 190円 2番人気 枠連 2-7 900円 4番人気 馬連 3-15 4,090円 16番人気 結果として出走馬中ただ1頭のGⅠ馬が勝ったのだった。 その他の出走馬でその後にGⅠを勝った馬もいない。 まさに菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻み、一昨年の天皇賞・春でメジロマックイーンの3連覇を阻止したライスシャワーが意地とプライドを見せたレースだった。 それはかつて悪役と呼ばれた馬がヒーローに生まれ変わった瞬間だった。 そして、奇しくも一昨年と同じ2枠3番での勝利だった。 この結果、宝塚記念ではライスシャワーがファン投票で1位に選ばれた。 それは評論家などからの前評判が高く、始めからある程度の人気のあったディープインパクトやサイレンススズカなどとは違い、自身の実力だけで築き上げた立派なものだった。のだが… 阪神大震災の影響で京都競馬場で開催された宝塚記念ではライスシャワーは後方を追走し、 3コーナー付近で故障を発生し他馬を邪魔することなく転倒した。 そして怪我の状態はひどく、動かせないほどだったことからその場で安楽死処分され生涯を終えた。 そう、伝説の第1歩を踏み出したその場所で… ライスシャワーに感動した人は追記・修正して下さい。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 「かつて悪役と呼ばれた馬がヒーローに生まれ変わった瞬間」に発生する、大多数の人間のとても都合がいい手のひら返しってやつを教えてくれた存在 -- 名無しさん (2014-06-07 08 10 22) 蛯名騎手が勘違いガッツポーズをやらかしてしまったレースでもある。 -- 名無しさん (2015-02-26 00 12 54) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/31466.html
登録日:2015/02/25 (水) 00 09 15 更新日:2024/03/20 Wed 11 44 07NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 G1 サクラチトセオー ダンツシアトル ライスシャワー レコード決着 レース 予後不良 京都府 京都競馬場 宝塚記念 忘れられないレース 淀に咲き淀に散ったステイヤー 競馬 阪神・淡路大震災 高速馬場 1995年6月4日に京都競馬場で行なわれた第36回宝塚記念はダンツシアトルが勝ったレースである。 出走馬・鞍上 1995年京都1回8日10R 第36回宝塚記念京都芝右2200m 四歳以上オープン 牡牝 4歳53kg、5歳56kg、6歳57kg、7歳以上56kg(牝馬2kg減)枠番 馬番 馬名 騎手 1 1 ダンツシアトル 村本善之 2 ダンシングサーパス 岸滋彦 2 3 エアダブリン 四位洋文 4 トーヨーリファール 松永昌博 3 5 アイルトンシンボリ 藤田伸二 6 サクラチトセオー 小島太 4 7 ハギノリアルキング 南井克巳 8 ナリタタイシン 山田泰誠 5 9 タイキブリザード 岡部幸雄 10 ネーハイシーザー 塩村克己 6 11 インターマイウェイ 松永幹夫 12 トミシノポルンガ 安藤勝己(※) 7 13 ゴーゴーゼット 石橋守 14 チョウカイキャロル 小島貞博 8 15 フジヤマケンザン 河内洋 16 ライスシャワー 的場均 17 インターライナー 横山典弘 (※)人馬共に笠松競馬場から参戦 前走の天皇賞・春で丸2年ぶりの勝利を手にしたライスシャワーがファン投票1位となった。 しかし、激走の反動は大きくそのまま秋まで休養をとることも考えていた。だが、種牡馬になることを考えると中距離のGⅠタイトルが是が非でも必要となることもあり、陣営は出走を決意した。 この年は阪神・淡路大震災で阪神競馬場が被災してしまい、代替として京都競馬場で、そして震災復興記念競走として行なわれるということもあったのもあっただろう。 しかしナリタブライアンは故障で離脱、ヒシアマゾンも出走回避しておりグランプリとしては面子がイマイチになってしまったところが否めない。 1番人気は後に同年の天皇賞・秋を勝利するサクラチトセオー 2番人気はステップレースの京阪杯(この時は中距離レース)を勝ったダンツシアトル 実績では間違いなく1位と思われたライスシャワーは3番人気になっていた。如何せん2200mでは距離が短いということなのだろうか。 そして運命のゲートが開いた。 17頭出遅れなくスタートを切った。トーヨーリファール、タイキブリザード、ダンツシアトルが先行し、ライスシャワー、サクラチトセオーは後方を追走。明らかに行きっぷりのないライスシャワーの様子を察し的場騎手は「今日は勝つどころじゃない、慎重にまわってこようと」考えたという。 向こう正面で徐々にペースが速くなっていきトーヨーリファール先頭のまま勝負どころの第3コーナーへと向かっていった。後方を追走していたライスシャワーも勝負どころを知り、自ら上がっていこうとしたが…。 大歓声が上がった、おっと一頭落馬!一頭落馬!これは何が落馬したんでしょうか! ライスシャワー落馬!ライスシャワー落馬であります!大波乱!大波乱! 第3コーナーの下りであの、あの天皇賞では先行でわたったライスシャワーが落馬しています! 直線では先行し、内をすくった私の夢のダンツシアトルが抜け出し、タイキブリザードが負けじと食い下がる。道中好位を追走したエアダブリンが追い上げ2頭に差し迫る。 しかし、ダンツシアトルが1位でゴール板を駆け抜けた。タイムは2分10秒2(レコード)。最後まで同馬に食い下がったタイキブリザードは2着、エアダブリンは3着に入線した。単勝1番人気に推されたサクラチトセオーは前が止まらない展開に泣き、7着に敗れた。 また、このレースの実況においてライスシャワーの故障があったにもかかわらず、直線でダンツシアトルが先頭に立った際に【私の夢】という内容の実況を行なったことで競馬ファンから顰蹙を買うことになってしまった。 「…あ~、無残!!16番のライスシャワー骨折!!」 勝者が輝く一方、3コーナーで故障をしてしまい、苦しむが倒れ伏した的場騎手を心配し痛みを堪えて近づこうとしたライスシャワー。故障した左前脚は完全脱臼、脱臼した脚の下は粉砕骨折してしまい予後不良の診断が下った。故障の酷さに馬運車にすら乗せられずにブルーシートをかけられその場で処置をされた。故障の際に同馬は泣いていたという。 そして愛馬を乗せた馬運車が去る際に、意識を取り戻して起き上がった的場騎手は最敬礼で別れを告げた…。 勝ち馬のダンツシアトルの話に戻るが、生まれながら脚部に不安のあった同馬。早い段階から素質を見せていたものの3歳の時点で骨折による長期離脱、何とか復帰できたもののオープン入りまで行った所で屈腱炎を発症しまたも離脱。 6歳になりようやく軌道に乗り中距離で安定した成績を挙げるようになった。前走の京阪杯で前年のオークス馬のキョウカイキャロルに勝利し、中距離の新星として春のグランプリに臨んだのであった。 しかしレコードでの激走の反動は大きく、このレースが結果的にラストランかつGⅠに臨んだ最初で最後のレースになってしまった。 ちなみに騎乗した村本騎手は、本レースから8年前の1987年有馬記念にてメジロデュレンで勝利した際も、その傍らでダービー馬メリーナイスがカラ馬となり失格し、2冠馬サクラスターオーが予後不良級の重傷を負う(その後治療も空しく他界)悲劇を目撃してしまっている。 また、ハイペースでの接戦が祟ったかダンツシアトルの他最下位ナリタタイシンもこの後屈腱炎により引退(ちなみに2頭ともに2020年他界と結構な大往生だった)。 引退まではいかずとも屈腱炎でエアダブリンは2年・14着ネーハイシーザーは1年近い長期休養を強いられ、12着のチョウカイキャロルも真菌性喉のう炎発症により繁殖入りになり今回がラストランになってしまった。 一方7着のサクラチトセオーはこの後天皇賞(秋)を制し有馬記念3着で引退。11着のフジヤマケンザンは同年七夕賞・海外遠征での香港国際カップ勝利と実績をあげている。 そしてライスシャワーの死から1年後の1996年9月、京都競馬場に新たなスポットが誕生した。 「疾走の馬 青嶺の魂となり」 と刻まれたライスシャワー碑が建立された。また、ここにライスシャワーの遺髪が納められている。 あの悲劇から四半世紀以上が経った今でも献花や供え物は絶えないという。特に菊花賞や天皇賞(春)のときにはなおさらだという。 今でもあの宝塚記念を忘れない人は追記・修正してください。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] このレースは事故でその場で安楽死処分になったライスシャワー以外にも勝ち馬ダンツシアトルやエアダブリン等が高速馬場の影響で故障を発生する等散々だったからなあ。7着だったサクラチトセオーがこの年の天皇賞秋で怒涛の追い込みを炸裂させたけど。 -- 名無しさん (2015-02-25 00 15 17) ライスシャワーに釣られて映像見たけどめちゃくちゃ名勝負で笑えた。後のGⅠ馬やGⅠ2着馬も多いし、豪華とは言わずとも骨太のメンツが揃った良いレースだったんじゃかろうか -- 名無しさん (2021-05-29 03 17 38) 的場均さんとライスシャワーが転倒した時、杉本清は双眼鏡で確認すると田原成貴さんが「ライスシャワー、ライスシャワー!!」と叫んでいます。 この後の「私の夢ダンツシアトル!」はマジで不謹慎です。 -- とある競馬ファン (2021-09-18 21 53 56) オフサイドトラップといいダンツシアトルといいそりゃ有力馬の故障も勝利に少なからず影響したのはあったとしても、怪我を乗り越えてのG1制覇は祝福されるべきなんだけどな -- 名無しさん (2022-01-20 01 13 43) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/49666.html
登録日:2021/10/31 Fri 21 00 30 更新日:2024/09/27 Fri 20 54 35NEW! 所要時間:約 20 分でテイクオーフ! ▽タグ一覧 I copy! Mayano Top Gun You copy? こんにちマヤヤ~ すくらんぶる☆ゾーン ときめきスクランブル ひらめき☆ランディング へそ へそ出し ウマ娘 ウマ娘 プリティーダービー ゴルシ「マヤノぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!??」 サンライト・ブーケ スターブロッサム ステイヤー チャリで来た チョロかわ チームB ツーサイドアップ テイオー「ヨクモマヤノヲ!」 トップガン マーヴェリック トム・クルーズ トレセン学園中等部 バレルロール フラワリー☆マニューバ プリムラ ヘソ出し マッハの衝撃波。 マヤノトップガン マヤ先に行ってるね… 今村彩夏 先行バ 初期実装組 勝利のキッス☆ 変幻自在 天才肌 寝坊 憧れにテイクオフ(物理) 撃墜王 星谷美緒 栗東寮 無頼暗 田原成貴 純白のささやき 落下芸 逃げウマ 重砲 長期ファン稼ぎ勢 騙され上手 驚きの脚質適性の広さ 画像出典:ウマ娘 プリティーダービー メインストーリー第4章「滾り、渇望す」 © Cygames・JRA ひらめきのまんまにマヤ飛んじゃうよー! アイ・コピー☆ マヤノトップガン(Mayano Top Gun)とは『ウマ娘 プリティーダービー』の登場人物である。 CV 今村彩夏(初代)→星谷美緒(2代目)(*1) モチーフ元である競走馬『マヤノトップガン』は当該項目を参照。 + 目次 ◆プロフィール ◆概要 ◆アニメでの活躍Season1 Season2 うまゆる ◆アプリでの活躍性能[すくらんぶる☆ゾーン] [サンライト・ブーケ] サポートカードSR【カワイイ+カワイイは~?】 SSR【フォーメーション:PARTY】 SSR【Chill chill night*】 個別ストーリー 育成シナリオ ◆関連キャラクター ◆余談 ◆プロフィール キャッチコピー:甘々な末っ子ガール。早く大人になりたい! 誕生日:3月24日 身長:143cm 体重:増減なし スリーサイズ:B76・W51・H73 靴のサイズ:左右ともに20.5cm 学年:中等部 所属寮:栗東寮 得意なこと:大抵のことはなんでも 苦手なこと:隠しごと 耳のこと:耳抜きがとても上手 尻尾のこと:嘘をついていると激しく揺れる 家族のこと:空港は、パイロットの父との遊び場だった マイルール:トレーナー室入室前にポッケのグロスを塗る スマホ壁紙:トレーナーちゃんとのツーショット♪ 出走前は…:トレーナーちゃんの観戦席をロックオン☆ ヒミツ:①どんな紙を渡されてもよく飛ぶ飛行機が折れる / ②アクション映画にはうるさい 自己紹介:えへへ、マヤちんだよーっ☆ ワクワクすることとか~、シゲキのあることが大好きなんだっ♪よろしくー! キャラクターソング:ときめきスクランブル 担当トレーナーの呼び方:トレーナーちゃん 逃げた差したG14勝 変幻自在の撃墜王 週刊100名バ No.64 マヤノトップガンより ◆概要 画像出典:ウマ娘 プリティーダービー「GENERATIONS」第2弾「最強を競った時代」篇 © Cygames・JRA 変幻自在 レースの魔術師 【ウマ娘 プリティーダービー】CM 「GENERATIONS」第2弾「最強を競った時代」篇より 逃げ、先行、追込なんでもござれの変幻自在の作戦で菊花賞、有馬記念、宝塚記念、天皇賞(春)を制した“撃墜王”マヤノトップガンがモチーフのウマ娘。 オレンジ色の髪を腰まで伸ばした小柄な美少女。一人称は「マヤ」。周囲には主に「マヤノ」と呼ばれている。 明るい性格で表情がくるくる変わる、小柄な体格も合わさって子供っぽく見える子であるが、 その実、少し見ただけで即座に物事の本質を掴める、驚異的な洞察力と理解力を持った天才肌気質。 これは現実の事柄のみならず映画やドラマなどのフィクションでも同様で、一コマ漫画では見ている作品の先の展開予想を言い合うウオッカとダイワスカーレットに、 一緒に見ていたマヤノが口を挟もうとすると、彼女らに口を揃えて「マヤノは黙って、当てちゃうから」と制止されている。 一方、彼女視点ではほとんどの事柄がすぐに「わかって」しまうことが、飽きっぽいという欠点に繋がっている。 「オトナのオンナ」に憧れており、アプリのストーリーではトレーナーを恋人に見立てて接してきたりもするが、 如何せん当人の見た目と言動が幼く、加えて目の前の「ワクワクするもの」に夢中になる気質などから子ども扱いされることが多く、 うまよんやホーム画面の会話ではナイスネイチャにウソの「オトナのオンナ」の情報を吹き込まれてからかわれ、それに気付いて憤慨するも、 ネイチャに「怒る様子もカワイイ」とおだてられただけでコロッと上機嫌になるなど、ネイチャ曰く「チョロかわ」な一面がある。 また、うまよんではシンコウウインディのトイレのドアに男子用や工事中と書かれた張り紙を貼るイタズラに2回騙されていることが、ビコーペガサスのセリフで示唆されている。 オトナのオンナに憧れてはいるが、マルゼンスキーまで行くと「なんか違う?」となるらしい。 トレーナーを恋人に見立てるのも、傍から見ていると小さい子の「恋人ごっこ」程度の微笑ましいものに見える。そんなマヤの恋バナに鼻血出しちゃうウオッカって… ◆アニメでの活躍 Season1 OVA「BNWの誓い」で登場。 春のファン感謝祭でビワハヤヒデ率いる「チームB」の一員としてBNW駅伝に参加。 3区を担当し、チームN代表のアグネスタキオンとチームW代表のウオッカと死闘を演じた。 また、回想シーンでは阪神大賞典のナリタブライアンとのマッチレースが描かれている。 Season2 主人公の一人であるトウカイテイオーのルームメイト。 ……なのだが、基本的に映るシーンは寝ているばっかりでセリフはほとんどない。 うまゆる 第12話「鎖威拒宇血夷武(さいきょうちーむ)!波羅離螺(ぱらりら)!」 史実のブライアンズタイム産駒で結成された不良チーム「無頼暗(ブライアン)」のメンバーの一人として登場。 仲間のウオッカからは「変幻自在のカスタムバイク」なる異名で呼ばれていた。 「自転車(チャリ)で来たよ‼」 ◆アプリでの活躍 性能 バ場 芝:A ダート:E 距離 短距離:D マイル:D 中距離:A 長距離:A 脚質 逃げ:A 先行:A 差し:B 追込:B 初期から☆2『すくらんぶる☆ゾーン』として実装され、また2021年5月28日には新衣装の☆3『サンライト・ブーケ(*2)』が追加。 中長距離の逃げ・先行を得意とするが、差しと追込もそれぞれB。脚質の幅は脚質が明らかになっているウマ娘中でトップ。 しかし幅広い脚質を兼ね備えているが故に、アオハル杯シナリオでは脚質や距離適性に依存して入手できるスキルヒントが散らばってしまうという弱点もある。 脚質の幅に目が行きがちだが、短距離やマイル適性もD、ダート適性もEと距離因子やバ場因子での補強も現実的な範囲であり、まさに万能と言うほかないだろう。 [すくらんぶる☆ゾーン] ふふーん! エースパイロットって感じでしょ♪ 画像出典:ウマ娘 プリティーダービー「[すくらんぶる☆ゾーン]マヤノトップガン」勝負服 © Cygames・JRA 「マヤノ」冠名で知られる(*3)田所祐氏の勝負服「黄、緑縦縞、袖緑二本輪」をベースに名前の由来通り、映画『トップガン』の要素をふんだんに取り入れている。 黄色のチューブトップにモスグリーンのマーヴェリック風フライトジャケットを羽織り、白の極短ショートパンツを着用。 腹部あたりの露出が多めであり、おへそフェチのトレーナーには実に刺さるデザインとなっている。また気づきにくいが、ステイヤーということもあってか低い身長の割には結構脚が長い。 パラシュート用のハーネスやドッグタグも付属している他、マーヴェリックがジャケットにこれでもかと付いていたワッペンの再現度も高かったのだが、7月下旬の更新でジャケット周りのデザインが大幅に修正されることになった。 この辺りは『トップガン』との版権問題や繁体字版配信決定に伴う政治的配慮など色々推測は飛んだものの、 修正後の2021年8月28日のイベントで「『トップガン マーヴェリック』の公式宣伝パイロットにマヤノトップガンが就任し、宣伝活動を行っていく」ことが告知された。 そして、この『トップガン マーヴェリック』劇中でG-1フライトジャケットのワッペンが変更されているが(*4)、 修正後のマヤノのジャケットはこちらに近いものであったため、「元ネタがデザイン変更したので追随した」というのが概ね正しいものとみられている。 なお、この半年前の3月24日、つまり、ウマ娘のマヤノトップガンとそのモチーフとなったマヤノトップガン号の誕生日に、 日本語版『トップガン』の公式Twitterが唐突に彼女たちの誕生日を祝福するツイートを出していたことから、これがコラボの伏線だったという声もあるとか。 また4thイベントの横浜公演では、映画公開に合わせトム・クルーズが来日することが発表。なんでウマ娘のイベントでトムの来日が発表されるんだよ。 5月13日には『トップガン』とのコラボイラストが『ウマ娘』及び『トップガン』の公式Twitterアカウントに投稿されている。 成長率はスタミナ+20%、根性+10%。 覚醒スキルで「好転一息(「直線回復」上位スキル)」と「ノンストップガール(「垂れウマ回避」上位スキル)」を習得可能。 進化スキルは好転一息の回復効果がすごくに強化された「You copy?」に、ノンストップガールの効果に持久力がわずかに回復する効果の追加された「I copy!」に進化する。 この「You copy?」への進化条件は「〈中距離〉のスキルを4つ取得」か「〈長距離〉のスキルを4つ取得」と妙に厳しく、距離限定スキルを取れる編成を意識しておく必要がある。 成長率・固有スキルの条件・覚醒スキルの進化条件・初期スキルに「深呼吸(長距離専用の直線回復)」がある事から、長距離・逃げ/先行での育成がオススメ。 むむむ~…わかっちゃった☆ 画像出典:ウマ娘 プリティーダービー「[すくらんぶる☆ゾーン]マヤノトップガン 固有スキル発動」 © Cygames・JRA 固有スキルは『勝利のキッス☆(☆2)→ひらめき☆ランディング(☆3以上)』。 効果は「最終コーナー以降に前の方で競り合うと、直線で(わずかに)抜け出しやすくなる」というもの。 2022年2月24日の大規模バランス調整で発動条件が「最終コーナーで」→「最終コーナー以降に」に緩和された。 最終コーナーで前の方という条件通り、逃げや先行での起用を想定したものとなっている。 速度・加速の両面効果なので、全体的なデザインとは裏腹に最終コーナー付近で終盤になる&競り合いになりやすい短い距離帯で使った方が有用だったりする。 ランディーング…キーッス♪マヤちん大勝利☆ 『すくらんぶる☆ゾーン』のG1勝利演出では投げキッスをしてくれる。 これは史実での主戦騎手を務めた田原成貴騎手のパフォーマンスが元ネタか。 [サンライト・ブーケ] お色直し、完了~♪ 画像出典:ウマ娘 プリティーダービー「[サンライト・ブーケ]マヤノトップガン」勝負服 © Cygames・JRA ストーリーイベント「花咲く乙女のJunePride」に合わせて新規実装された新衣装。 白色と薄オレンジをベースにしたキュートなウェディングドレスとなっている。 こちらの成長補正はスピードとスタミナ、賢さにそれぞれ+10%。 こちらの覚醒スキルはデバフスキル「魅惑のささやき(「ささやき」上位スキル)」に加え、レベル5では「円弧のマエストロ(「コーナー回復〇」上位スキル)」を習得可能。 「魅惑のささやき」が中距離のスキルであることを考慮すると、スキルを最大限活かせる中距離がベストか。 こちらの進化スキルは魅惑のささやきが速度がわずかに上がる効果の追加された「純白のささやき」に、円弧のマエストロの回復効果がすごくに強化された「バレルロール」に進化する。 おっ待たせ~っ! マヤのハートをブーケに込めてぇ~… ん~~~、ぎゅっ♪ 幸せ、みんなに届けー☆ 画像出典:ウマ娘 プリティーダービー「[サンライト・ブーケ]マヤノトップガン 固有スキル発動」 © Cygames・JRA 固有スキルは「フラワリー☆マニューバ」。 「最終コーナーで前の方で抜くと速度が、後ろの方で抜くと加速力が上がる」というトリッキーな効果。 通常衣装との差別化やレース終盤での加速力アップが評価される傾向もあり、こちらは差しや追込での運用が多い。 演出はスカイダイビングあるいはパラシュート降下と思われ、その後ろを飛ぶ飛行機がハート型の飛行機雲を残すという演出になっている。 余談だが、同時期に実装されたエアグルーヴと比べると、あちらは正統に花嫁っぽい印象なのに対して、 見た目が幼いマヤだとどうも娘が嫁として嫁いでいくようなイメージを抱くトレーナーが結構いたそうな。 パパノトップガン大量発生 ドキドキ…♪ハートのベル、鳴りやまないね☆ 固有二つ名は共通して「変幻自在」。 取得条件は「作戦「逃げ」「先行」「差し」「追込」それぞれでG1を勝利する」というもの。 特定レースでの勝利や着差を求められない珍しい二つ名。 脚質適性が影響を及ぼすのは賢さと言われており、しかもデフォルトでは差しや追込も適性Bと高く、補正によるステータス変化はあってないようなものなので、ステータスが揃っていれば十分狙うことができる。 問題があるとすればNPCやモブウマ娘のステータスが全体的に高いG1を最低4勝(目標6戦のうち、一着目標は2戦)というところか。 2.5周年で実装されたプロジェクトL Arcは目標レースとなるG1がちょうど4戦であり、固有二つ名の獲得と強キャラ育成の両立が全ウマ娘の中で最も簡単。(*5) サポートカード 汎用RのほかSR【カワイイ+カワイイは~?】が実装されているほか、2021年11月29日にはSSR【フォーメーション:PARTY】が追加。そして2023年6月19日にSSR【Chill chill night*】が追加された。 デフォルトのスキル編成は「非根幹距離〇」や「臨機応変」「垂れウマ回避」など汎用スキルが揃っている。 SR【カワイイ+カワイイは~?】 得意トレーニングはスタミナ。 完凸すればトレーニング効果が10%、ファン数ボーナスが15%も得られ、イベントを進めると「集中力」のヒントを入手できるのだが、初期絆ゲージが0というのが弱点か。 SSR【フォーメーション:PARTY】 得意トレーニングはスピード。 完凸すれば最強サポートカードと名高いSSRキタサンブラックに比肩する得意率80を所持し、 またスピードとパワーのボーナスを所持しているなど、練習性能も申し分なし。 連続イベントでは念願の先行加速スキル「真っ向勝負」を確率で入手でき、イベントを進めると確定で「じゃじゃウマ娘(「勢い任せ」上位スキル)」のスキルヒントを入手できる。 「じゃじゃウマ娘」が不要な場合は1回目で連続イベントを打ち切り可能なため、他のサポカが完走しやすくなるのも地味に嬉しい。 また最大+3のヒントレベルアップも備えているなど隙のない1枚だが、武器である得意率アップが3凸からと無・微課金トレーナーにはハードルが高いのが難点。 SSR【Chill chill night*】 得意トレーニングはパワー。 所持スキルは中距離先行主体に刷新されている。 固有ボーナスは「絆ゲージが80以上のとき、トレーニング効果アップ」。さらに初期絆ゲージ35、友情ボーナス35%、得意率65、パワーボーナスにより、総合的なトレ性能はかなり高め。おまけにヒント性能も高め。 連続イベントを進めると「ノンストップガール」のヒントを確定で入手可能。 しかし、登場当時のシナリオではパワータイプの価値が著しく低く、使う意義が乏しかったため、いくら性能が良好でも論外という状況であった。 3周年のU.A.Fシナリオでは久々にパワータイプを採用しやすい環境(*6)になったため、逃げ以外の育成でパワーの枠に迷ったらとりあえずコレを入れとけと言われるようになった。 個別ストーリー 選抜レース会場で、係員の制止も聞かずレースに出ようとするマヤノとぶつかったことで係員から見張るよう指示され、 不満ぶーぶーのマヤノと共にレースを観戦することになったトレーナー。 トレーナーの隣で観戦するマヤノは、レースの仕掛けどころを完璧に見切ったりコース取りの指摘も的確であったことからトレーナーは興味を持つ。 別の日。マヤノを探しに行くべくして会ったまではいいものの、その場にいたユキノビジンと共に訳も分からずマヤノに連れて行かれたのはレース場。 ちょうどタマモクロスとゴールドシチーのレースが行われており(*7)、「大人のウマ娘」のレースや、マヤノも分からない「ワクワク」だらけのレースに目を輝かせていた。 しかしここで問題が発覚する。 最初の1回以来トレーニングに参加していないせいで、模擬レースも含めた全てのレースで出走禁止の処分を受けていたのである。 ユキノの弁によれば、「マヤノには苦手なことがほぼないらしく、ダートの走り方もすぐにコツを掴み、ダンスレッスンでも苦労しているところは見たことがない」という。 なぜトレーニングを嫌がるのか? 気になったトレーナーは直接聞いてみることに。 トレーニングするのはどうしてもイヤか? ……イヤ。 やらなきゃダメって言うから、ちゃんと最初の1回は出たよ? でも、1回でぜーんぶわかることしかやらないんだもん。 わかっちゃったら、つまんないよ。 つまんないことをずーっとやる意味って、なに? なんでもすぐに「正解」が分かってしまうマヤノ。 しかし、それは努力を重ねて何かを成し遂げたことがないのでは、と予想するトレーナー。 努力をする意味が理解できないから、トレーニングがつまらない、苦しいものになっているのではないだろうか。 さらにマヤノは、ユキノやシチー、タマモも毎日トレーニングしていることは知っており、みんなみたいにしなきゃという意識はあるのだが、 それでもやっぱり意味がない、つまんないものにしか思えないのだという。 ……ねえねえ。 キミも、マヤにトレーニングしてほしいって思ってるの? 思ってるよ ふーん……そっか。 ……いいよ? キミがマヤの言うこと聞いてくれたら、トレーニングしてあげる! それを承諾するトレーナー。 うんっ♪ あのね~…… マヤと、デートしてっ!! 翌日。「デート」に行くことになったマヤノに街中を連れ回され、何度か倒れかけたがトレーナーは最後までついていった。 そんなトレーナーにマヤノは疑問を持った。 なんでマヤとデートしてくれたの? それってやっぱり、言うこと聞いたらマヤがトレーニングするーって約束だから? ちょっと違うかな トレーナーは続ける。 君に夢を諦めないでほしいから マヤノはしばらく考え込むように静かになった。そして。 ……そっかぁ。 うん……今日は、ほんとにありがとー! 明日は、一緒にトレーニングしようねっ! 翌日からトレーニングをつけることなり、地味なトレーニングにも辛抱強く真面目に取り組んでいることが認められ、ついに模擬レースの参加許可が下りたのだった。 最初のレース相手はナリタブライアン。 終始レースを支配し、マヤノも食らいつくが追いつくことはできなかった。 レースにこそ負けたものの、終盤の追い込みは目を見張るものがあった。 レースを終え、満足気なマヤノ。 さっきの、ほんとにほんとに楽しかった……! だって、初めてだったんだよ! レース中に新しいことがわかっちゃったの! なのにブライアンさんには届かなくて、わかんないことがもっと増えて……。 そのぶん、もっともっとワクワクした! ……ね。あのね。 もしかしてだけど、これって……トレーニングのおかげ? 新しいことをわかるようにする……。 それが、トレーニングをやる意味なの? マヤノはトレーニングの意義に自分で気付いてくれたようだった。 つまんないことは嫌い。でも、やる意味はちゃんとあったのだ。 ならマヤ、キミとだったらがんばれる! つまんなくても、ガマンできるよ。 だからね、あのね……これからも、マヤと一緒にいてくれない? マヤ、絶対キラキラな大人のウマ娘になるから……1番近くで、マヤのこと見ててください! 言い方がもはや愛の告白に近いものだが断る理由などどこにもない。 もちろんだ! ぜひスカウトさせてくれ! やっ……たあああああー!! よろしくねっ、トレーナーちゃん!! かくして専属トレーナー契約が結ばれ、トゥインクル・シリーズの舞台へとテイクオフすることになるのだった。 育成シナリオ 育成目標ではメイクデビューの次、ファン数10000人を集めるイベントがあるが、クラシック級7月前半までと非常に期間が長い。 この間にあるG1レースではホープフルSや皐月賞、日本ダービーにオークスなど、ステータスに合わせて幅広いレース計画を練ることができる。 しかし、当然ながらそれらのレースは目標レース扱いではないため、コンテニューをする事が一切できない。 ファン集めを終えた後も菊花賞や有馬記念、天皇賞(春)といった難関の長距離レースが控えていることもあり、育成はやや難しい部類。 またクラシック級6月まで未勝利のまま育成を進めると(*8)、たづなさんから強制ゲームオーバーを示唆するイベントが発生する仕様がある。 ちなみに、現実においても夏の地方開催終了を以って3歳、つまりクラシック級の未勝利戦は打ち切りとなり、その場合未勝利の馬は各地方競馬場へ移籍、 もしくは中央競馬には籍を置けるが、東京・中山・阪神・京都以外の競馬場開催での一勝クラスを勝利できないと前述の4場の出走は不可能ということになり、そのまま登録抹消となってしまうケースも。 イベント詳細 トレーナーさん、大変です! もう時間がありません……! どういうことですか!? 実は、トレーナーさんの担当ウマ娘がここまで1勝もできていないことに関し、 問題視する動きがございまして……! 9月までに担当ウマ娘が初勝利をあげないと担当契約が解除される可能性があります! 9月まであと少し……! どうか、彼女に勝利を掴ませてあげてください! メイクデビューと未勝利以外のレースは1度でも勝利しないと出走出来ないので、このイベントはマヤやハルウララのような「メイクデビューの後の育成目標がファン集めで、次の目標レースまでの期間がやたら長い」ウマ娘でしか起きない。その為に初期はマヤとウララ以外では発生しないイベントとなっていた。 現在ではメイショウドトウやマーベラスサンデーなど、発生可能なウマ娘がわずかだが増えてしまっている。(*9) 特殊実況は菊花賞に設定されているが、史実から見るとかなり条件が緩和されている(*10)。 + 特殊実況 ※ネタバレ注意 勝ったのはマヤノトップガンだー! ついにこの菊の舞台で大輪を制しました! (元ネタ:1995年菊花賞 関西テレビ 杉本清アナ) また育成イベントでは全員に複数個用意されているやる気が下がるイベントのほか、それとは別にやる気が下がるorやる気が上がるイベントがあり、 非常に気分屋なマヤノトップガンらしい仕様ではあるが、それだけに他のウマ娘よりもやる気管理が難しいという特徴がある。 とはいえ、やる気管理自体はプレイヤースキルで補える範疇なので、慣れてくればあまり気にならないかもしれない。 というかそれ以外の方法はランダム性が強過ぎてほぼあてにならない。 育成の自由度の高さもあり、まさにトレーナーの腕が問われるウマ娘と言えるだろう。 また、切れ者イベントも別に用意されており、そのイベントが発生した際に賢さが500を超えていれば何と確定で切れ者を獲得する。イベントが来るのが早すぎて切れ者獲得に失敗したり、賢さが500を超えたのになかなかイベントが来ないのはよくある話。 2022年2月24日のアップデートでは上述したスキルの大規模バランス調整のほか、一部のウマ娘の育成イベントに新しい分岐が追加。 マヤノもその一人で、「G1を4つ全ての脚質で勝利する」、すなわち固有二つ名「変幻自在」取得の条件を満たすと、 シニア級12月後半に全ステータス上昇に加えて「押し切り準備〈逃げ〉」「真っ向勝負〈先行〉」「差し切り体勢〈差し〉」「直線一気〈追込〉」と各脚質に対応した加速スキルのヒントレベル+1を入手可能。 ◆関連キャラクター トウカイテイオー 寮のルームメイトで友人。 同じく天真爛漫な天才肌気質だが、テイオーがマヤノの抑え役になる。 史実では鞍上を田原成貴騎手に据え、有馬記念を制した騎手繋がりか。 ナリタブライアン ライバルの先輩。 「日常に物足りなさを感じている」という共通点があり、ブライアンの走りにワクワクを感じたことがマヤノにとってレースへの大きなモチベーションとなっている。 好意を隠さずなついて距離をぐいぐい詰めてくるマヤノに対して、ブライアンは塩対応で突き放したり、突拍子の無さに困惑させられがちだが、 自分をまっすぐライバルとして見据え、挑んでくるマヤノの姿勢などには好感を持っており、ブライアンの方も彼女をライバルの一人と認めている。 育成シナリオでは、途中からブライアンを目標に、そして(史実通り)怪我による不調のため引退を決意したブライアンのためにも走るレースを決めたりと、中心人物として描かれ、 レースではクラシック級有馬記念以降度々対決することになり、グッドエンドではマヤノとの並走が順番待ちなのを不満そうにしている姿も見れる。 ブライアンが主人公であるブライアン側の育成シナリオでは、ハードモードでハヤヒデと共に実質のラスボスとして立ちはだかり、 またメインストーリー第4章では再起を図るべく阪神大賞典で対決することになる。 史実では父が同じブライアンズタイムで1つ上の先輩。3歳の時に年度代表馬となったという点も共通している。 フジキセキ 栗東寮の寮長を務める先輩。 マヤノの育成シナリオには登場しないが、後に実装されたフジキセキの育成シナリオに登場。 クラシック三冠路線を選択したトレーナーとフジの前に菊花賞で立ちはだかることになるほか、育成最終目標であるシニア級有馬記念でも対決することになる。 史実では同期なのだが、フジキセキはクラシック戦線前に屈腱炎で引退しており、マヤノの方も別の路線を進んでいたため対戦経験はない。 マーベラスサンデー 同期の親友。 オフの日にはよく遊びに行っているのだが、マヤノとマーベラスのハイテンションに周りがついていくことが出来ておらず、 キャラクターシナリオでも「マヤについてこれるのはマベちんくらい」と言っている。 それについていけたトレーナーの体力とは一体…… また、「こんにちマヤヤ~」の挨拶を考えた張本人。 またアニバーサリーに合わせて新しく追加された1コマ「マヤノトップガン2:ふたりの世界」では、 マーベラスサンデーに加え、この直前に発表された新ウマ娘・サクラローレルが登場している。 マヤノとマーベラスが謎の会話を繰り広げており、案の定と言うべきかローレルの理解は及ばなかったようだ。 史実でも同期であり、マヤノトップガンやサクラローレルと共に97年古馬三強の時代を形成している。 カレンチャン・ヒシアケボノ サポートカードのイベントで登場。 オフの日にオシャレになるための流行を追うために缶バッジを買いに来ていたと思いきや、 また別の日にはヘアゴムを買いに来ており(*11)、常にオシャレの最先端を行こうとしている。 ユキノビジン 「オトナのオンナに憧れる」マヤノのように「シチーガールに憧れる」ということで、 ファッション雑誌を一緒に見たりと親交があり、1コマ漫画でもマフラーづくりを手伝っている。 ただ、なんでもわかっちゃうマヤノでも南部弁はわからないものもあるようだ。 だすけよ~(*12) だす…? 父親 通称「パパノトップガン」。仕事は航空機のパイロット。 名前のイメージから軍人で戦闘機乗りと思われがちだが、マヤノにとって飛行場は父親との遊び場でもあったことから民間機のパイロットらしい。(*13) それに影響されたのか、マヤノは会話でも「ユーコピー?」(訳:理解したか?)や「アイ・コピー!」(訳:了解!)などの航空機用語をよく使っている。 なお、二次創作では大体トム・クルーズに似た姿で描かれる。 ◆余談 リアルの交流が広すぎる娘 前述の通り『トップガン マーヴェリック』の宣伝パイロットに就任した結果の副産物としてトム・クルーズと並ぶことになったが、事態はそれだけでは済まなかった。 宣伝の一環としてゴルシのぱかチューブにて『トップガン』の主題歌「Danger Zone」を披露した結果、その返礼に洋楽のレジェンドでありグラミー賞歌手のケニー・ロギンスから応援メッセージが届いた。 トップガンコラボの結果とんでもない所に認知されたものである。そして中の人は超大物相手に固まっていた。 また、マヤを育てた有名人プレイヤーの中に「オレ流」で知られる福嗣の親父こと元・中日ドラゴンズ監督の落合博満氏がいる。プレイを始めた経緯は「孫の勧め」で、実際にプレイする様子が氏の公式YouTubeにて公開されている。 手厳しい「オレ流」のトレーニング方針は「練習あるのみ」。体力が減ってきても休憩させずに練習させることらしく、視聴者からは「落合の練習に耐えたのは井端(*14)、荒木(*15)、森野(*16)、マヤノトップガンくらい」というコメントを引き出させ、回り回って落合本人の所まで届いてスポーツ新聞の記事になった。 なお氏の推しはマルゼンスキーとのこと。 配信者 作中では「マヤのワクワク☆配信!」「マヤのルンルン☆配信!」のイベントがあるように動画配信者というキャラ付けがされている。 これはモデル馬・マヤノトップガン号の主戦騎手を務めていた田原成貴氏の動画配信が元ネタ…ではなく、イマドキの女子であることが反映されているのだろう。 田原氏は、ウマ娘プロジェクトがスタートした時期は過去の数々の不祥事が原因で競馬界から事実上追放され、「名前を言ってはいけない人」扱いであった(*17)。 その後も公の場に出てこない時期が続いたが(*18)、2020年12月に東京スポーツの独占インタビューに応じるという形で久々にメディア上に姿を現した。 その後はインタビューで語りつくせなかったことを動画で語る東スポの企画に出たり、解説者としてG1や重賞レースの前日予想を行うという形で徐々に活躍の場を広げ、遂には2022年には出所後勤めていた企業を円満退職し東京スポーツに入社、同社の専属解説者という形で再び競馬の世界に携わるようになった。 そして、その流れでレース後に反省会の動画配信も開始するようになったのだが、それを見て劇中のマヤノの配信エピソードを思い出すプレーヤーが続出したのだ。 だが、田原氏は記事においては「真っ白なソダシが俺の黒い人生を救ってくれる」「ガッキーごめんよ(グランアレグリア)」など妙に癖のある怪文章を連発。 動画配信では特定の馬を自身に降ろしてイタコ芸を披露するなど、中々のやりたい放題っぷりを見せている。 マヤノにとっては全くの貰い事故である 一方でかつて「天才」と呼ばれた騎手だけあり、予想やレース後における騎手目線での解説・感想は「参考になる」と称賛されることも多い。 更に「心の本命」(*19)という馬券師の心に刺さるワードを生み出すなど、決して怪文書を連発しているだけの存在ではない。なおこのワードの初出は上記「ガッキー怪文章」である 元々田原氏は原作を手掛けた漫画がベストセラーになったりドラマになったりするなど著述家としても優れた人物であり、その文才は予想を寄稿するようになった現在でも遺憾なく発揮されている。怪文書といってもスルスル読めるしね そんな田原氏であるが、かつてはマヤノトップガン号について「もう二度と会いたくない」とコメントしていたが、その死後は「もう一度会っておけばよかった」と後悔を口にしている。 ソロ曲「ときめきスクランブル」 マヤノのキャラソンは当初『STARTING GATE』シリーズの第12弾にて収録される予定だったが、 当時の声優の活動引退により見送られ、アプリリリース後の2022年発売『WINNING LIVE』第7弾にようやく入ったという経緯がある。 そして2023年末期に『ぱかチューブっ!』にて乱闘ゲーム『Gang Beasts』をプレイする企画が行われそこにマヤノも参加していた(*20)のだが、 マヤノの操作するキャラがゲーム開始から間もなくして妨害されていないにもかかわらず自ら場外へ落下して脱落という事態が発生し、 加えてその直後に「ときめきスクランブル」をBGMに落ちる瞬間がスロー再生された。テイクオフってそういう… この文字通りの出オチ展開及びこの後の「マヤ先に行ってるね…」の台詞もあいまって視聴者間の笑いを誘う結果となり、 「この曲聴くたび思い出し笑いしそうになる」という声も挙がっているとか…。 なおこの企画では他にも「サメさんどうぞ」「すり身にしちゃう?」「一流のパンチ」などなど、主にキングヘイローが原因の迷台詞迷場面が目白押しなので、興味がある方は一度ご覧になっていただきたい マヤの記事をいっぱいキラキラにしてね! ユーコピー? △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\アイ・コピー!/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] キングが距離適正の鬼なら、マヤは脚質適正のお化け。花嫁だとさらに磨きがかかる(賢さ補正もあいまって)。 -- 名無しさん (2021-10-31 21 30 43) フクキタルと色が被っちゃうから服の色に使ってるモスグリーンを文字の背景色として使わせてもらったよ。嫌だったらすまない -- 名無しさん (2021-10-31 21 51 25) これで初期実装組は全員記事できたかな -- 名無しさん (2021-10-31 21 52 41) ↑まだライアンが残ってる -- 名無しさん (2021-10-31 21 57 42) ↑りゃいあんがいたか… -- 名無しさん (2021-10-31 22 14 12) デカい子との絡みが多い印象にある子。 -- 名無しさん (2021-10-31 22 16 51) トミノブッピガン(唐突) -- 名無しさん (2021-11-01 04 47 43) アニメ2期だと寝ているシーンばかりでまともな出番なかったんだよね。3期があるならマヤノが喋るシーン見たいな -- 名無しさん (2021-11-01 05 53 26) ↑2 ヒートショーテル持たせなきゃ(使命感 -- 名無しさん (2021-11-01 11 58 13) 何故坂口厩舎のウマ娘実装組はこんなにも癖が強いのか -- 名無しさん (2021-11-02 19 09 06) 育成シナリオの飛行機に例えられたサブタイトルが好き -- 名無しさん (2021-11-03 13 33 55) 一着のポーズがすしざんまい -- 名無しさん (2021-11-21 16 55 29) 文字数千文字超えてるし異論がなければ余談の内容を個別項目化したいのだが反対の人いる? -- 名無しさん (2021-12-05 04 48 07) 大人の女に憧れているけどマルゼンスキーまで行くとダメらしい -- 名無しさん (2021-12-05 05 59 07) ↑2実馬項目分け賛成 -- 名無しさん (2021-12-05 10 40 53) 反対意見もなかったのでこの項目からマヤノトップガン(競走馬)の項目を分離しました -- 名無しさん (2021-12-07 10 09 56) 二次絵でよく見かけたりキャラ人気はありそうなのに最近の商品展開だと不遇気味な印象あるキャラ、ロリ系のウマ娘で枠争いが激しいからか? -- 名無しさん (2022-05-04 12 21 14) ↑アニメであんまり活躍してないからなー。でも4thでピックアップされてるし、ローレルの漫画やトップガンの宣伝とかもあるからこれから優遇されてくる可能性は十分にある。 -- 名無しさん (2022-05-07 18 52 53) ↑これから伸びる芽があるのはファンとして安心できるとこですわね、それはそれとしてマヤの魅力を我々も広めていかねば…… -- 名無しさん (2022-05-08 12 28 31) マヤがらみでまさかのトム・クルーズ来日発表一番乗りという。……いやほんとまさかまさかだよ!? -- 名無しさん (2022-05-08 13 46 48) 誕生までの前日譚を想像すると面白い子なんだよな。パパがイーグルドライバー辞めた時期とか、ママが何してたかとか -- 名無しさん (2022-05-09 16 16 19) マヤはかわいい。異論は認めない -- 名無しさん (2022-05-11 16 39 28) しょうがないんだが育成上でライバル枠に本来いるべきマベちゃんと殆どからまずサクラローレルは後発実装と言う事もありどうにもこうにもテイオーの友人Aもしくはナリブの噛ませ犬の様な役回りばかりする羽目に -- 名無しさん (2022-05-16 03 16 09) ナリブが故障しないとどうにも影が薄くなりがちなのよね... -- 名無しさん (2022-05-16 07 02 06) いろんな意味でローレル参戦まで割り食ってた感じが気の毒な子である、ローレル参戦前後からやっとコラボなどで前に出てきてるからこれからが伸び時と前向きに応援したい -- 名無しさん (2022-05-16 10 59 33) まさかのトップガン:マーヴェリックの宣伝パイロット就任 -- 名無しさん (2022-05-19 00 18 42) ケニー・ロギンス氏から激励を貰ったウマ娘 -- 名無しさん (2022-05-30 20 27 22) ↑中の人の星谷ちゃんは凍りついた! -- 名無しさん (2022-06-01 22 43 39) メガハウスからもフィギュア出るそうですって、やっとマヤノのターンが来たんだなって…… -- 名無しさん (2022-06-01 22 46 12) マベちんとは(他の三強の関わりを考えると)本来相方ポジションになるはずなのにあんまり関わる描写がないせいで、テイオーやブライアンとかと絡んでる印象が強いなー。これもローレル実装によって解消して欲しい所。 -- 名無しさん (2022-06-20 22 12 52) ↑4ケニー・ロギンス氏は大のマスコミ嫌いで有名だったので、めざましテレビ他ビデオレターをメディア宛に出す事自体がレア。個人宛は更にレアで衝撃が走ったという -- 名無しさん (2022-06-29 09 34 51) 今でこそメディア展開でスポットあてられて来て報われつつあるがゲームリリースから一年くらいロリキャラとしてもテイオーやライスに隠れ気味だったのが勿体ないなーと思った -- 名無しさん (2022-07-26 09 23 51) そろそろ別衣装2着目か新サポカが欲しい所。結構ピックアップされるようになったし。 -- 名無しさん (2022-11-28 20 52 26) コラボ先がコラボ先がだから目立ちはしてるんだけど、肝心のウマ娘コンテンツだとアニメで寝こけてほぼ終わったり、ナリタブライアンの復活劇の負け役として擦られたり何かと不遇さが目立つ印象。 古馬三強のうち二人が長らく未実装なのが大きかったけど、今は違うしそろそろ巻き返しが欲しい所……。 -- 名無しさん (2023-10-17 11 27 29) そもそも育成シナリオが実質ブライアンシナリオの裏話でマヤノ自身の話かと言われると微妙なのもなんだか歯がゆい…… -- 名無しさん (2023-10-17 11 31 19) 文字通りの出落ちソングとなってしまったときめきスクランブル。 -- 名無しさん (2023-12-23 20 20 35) 落合氏はやっぱり未だにマヤノ好きみたいね -- 名無しさん (2024-09-15 15 40 24) 9分割でときめきスクランブル -- 名無しさん (2024-09-16 22 12 40) 遂に単独出演を果たしたときめきスクランブル -- 名無しさん (2024-09-21 20 19 28) 来たぞ3着目!ときめきスクランブルはこいつの前振りだったのか -- 名無しさん (2024-09-27 20 54 35) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/54633.html
登録日:2023/07/27 Thu 02 23 43 更新日:2024/06/17 Mon 11 38 10 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 1988年クラシック世代 88年クラシック世代 G1馬 Super Creek ウマ娘ネタ元項目 サラブレッド スーパークリーク 天才を天才にした馬 天皇賞馬 平成三強 武豊 牡馬 競走馬 第二次競馬ブーム 菊花賞馬 逆指名 顔がデカい 馬 鹿毛 ユタカに贈った初G1 「平成3強」の盾役者 週刊100名馬No.5 スーパークリーク 表紙より スーパークリーク(Super Creek)とは日本の元競走馬。 デビューから四半世紀が経ち、50代に入った現在もなお第一線で活躍する日本競馬史のレジェンドジョッキー・武豊に初めてのGI勝利を齎した馬。 メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。 →スーパークリーク(ウマ娘 プリティーダービー) 目次 【データ】 【誕生】 【戦歴】 【引退後】 【創作作品での登場】 【余談】 【データ】 誕生:1985年5月27日 死亡:2010年8月29日 享年:25歳 父:ノーアテンション 母:ナイスデイ 母父:インターメゾ 調教師:伊藤修司 (栗東) 主戦騎手:ウマ娘のおじさん武豊 馬主:木倉誠 生産者:柏台牧場 産地:門別町 セリ取引価格:- 獲得賞金:5億5,610万円 (中央) 通算成績:16戦8勝 [8-2-2-4] 主な勝鞍:88'菊花賞、89'天皇賞(秋)、90'天皇賞(春) 【誕生】 1985年5月27日生まれの鹿毛の牡馬。 父はノーザンダンサー系で後に重賞馬テンジンショウグン等も輩出したノーアテンション(*1)、母は菊花賞・有馬記念馬グリーングラスらを輩出したインターメゾの産駒ナイスデイ。生まれた柏台牧場は相馬野馬追で知られる大名家相馬氏の当主相馬和胤氏(*2)が経営していた。 当時としてはかなり珍しい徹底したステイヤーの血統で、その配合は牧場長と縁があった「マイネル軍団の総帥」こと故・岡田繁幸氏(*3)の主導によるものであったとされる。 生まれつき左前脚が外向きであったが、後にスーパークリークの調教師となる伊藤修司師は歩いた時の様子からその才能を感じていたという。 当歳馬のセリで買い手がつかず、翌年のセリでも買い手がつかなかったことから、馬主の木倉誠氏に交渉をもちかけ、810万円と安価で購入。 「今は小川 (Creek) でも、いつか大河になって欲しい」という願いから「スーパークリーク」と命名された。 某少佐の演説でお馴染みのフレーズはドイツ語の「Krieg」(戦争)なので特に関係ない。ただ一部では「ゴルフクラブのクリーク(5番ウッド)」由来説もあるとか噂され、ウマ娘でもヒミツに反映されている。 【戦歴】 1987年夏のデビューを目指して函館競馬場入りするも、重度の下痢に悩まされデビューは12月の阪神競馬場までずれ込み、新馬戦では直線を内側に斜行しながらも2着。 この時の鞍上、田原成貴は「この馬はひょっとすると大変な大物かも知れない」と述べていた。 年内の「2回目」の新馬戦で勝利し、2戦1勝でシーズンを終える。 1988年は条件戦4着、初重賞となるきさらぎ賞では3着と好走。 続くすみれ賞ではデビュー2年目の武豊を鞍上に2勝目を挙げ、日本ダービーを視野に青葉賞への出走を目標にしていたが、調教中に左前脚を骨折。ダービーを断念し、秋まで休養に充てることになった。 休養明けの秋初戦、神戸新聞杯は3着。そのままトライアルとなる京都新聞杯に出走したが、「スーパークリーク、前が壁!」となっただけでなく、前を行く騎手の左ステッキが何発もクリークの顔にぶつかるなどのアクシデントもあり6着、菊花賞優先出走権を逃してしまう。 菊花賞では出走登録馬36頭のうち、スーパークリークは19番目。出走回避待ちの状態だったところを、岡田氏のラフィアン所有馬であるマイネルフリッセとセンシュオーカンの2頭が出走を辞退したため、抽選なしで出走が叶うことになった(*4)。 この菊花賞だが、武豊にとっては他に3頭騎乗できる馬がいたにもかかわらずスーパークリークに拘ったことや、立ち去ろうとした彼の袖を咥えた「逆指名」など、エピソードに事欠かないレースとなった。 菊花賞本番。1番人気は皐月賞馬ヤエノムテキ、2番人気ディクターランドに次ぐ3番人気。 第2コーナーでヤエノムテキを射程圏に捉え、第4コーナーからインを突いて後続を突き放し、5馬身差をつけての圧勝。 スーパークリーク、および鞍上の武豊にとっても初のG1勝利となり、また史上最年少19歳8ヶ月でのクラシック勝利、父・武邦彦との父子二代菊花賞制覇などの記録が伴う勝利となった。ちなみに2着は共に回避待ちをしていたガクエンツービートと言うところも何ともドラマを感じさせる。 年末には有馬記念にも出走。 オグリキャップ・タマモクロスの「葦毛対決」の構図に単勝4番人気で出走し、オグリキャップ・タマモクロスに次ぐ3着入線と好走したが、メジロデュレン(*5)の進路を妨害したとして失格。武豊は3度目の騎乗停止処分を受けてしまった。 翌1989年は昨年末からの後脚の筋肉痛が抜けず、春を全て休養に充てることに。 秋の始動戦の京都大賞典ではレコード勝ちを収め、天皇賞(秋)へ出走。1番人気オグリキャップに次ぐ2番人気に支持され、オグリキャップとの死闘をクビ差制してG1競走2勝目を挙げる。 その後ジャパンカップに参戦するも、世界レコード2分22秒2を叩き出したニュージーランド生まれの牝馬・ホーリックスの4着。 有馬記念は最終直線で先頭に立つもゴール寸前でイナリワンにハナ差交わされての2着と惜敗。 翌1990年はG2・産経大阪杯(*6)を勝利し、続く天皇賞(春)は前年の覇者イナリワンを半馬身差抑えて勝利、史上初の天皇賞秋春連覇を達成。 次走を宝塚記念に見据えるも、筋肉痛を発症し回避。凱旋門賞への参戦計画もあったがこれも白紙となり、秋に備えて休養に入る。 秋の初戦も前年と同じく京都大賞典を選択。グレード制になってから初となる連覇を達成するも、直後に左前脚に繋靱帯炎を発症。復帰もかなわず、年末に引退を発表した。 【引退後】 引退後はオグリキャップやイナリワンなどと同年度に種牡馬入りしたものの活躍馬は出ず。一応母父で中央重賞馬は輩出した。 2010年6月頃から加齢による食欲不振や下痢が続いていたが、8月29日に容体が急変、25歳で死去した。 【創作作品での登場】 『優駿たちの蹄跡』 第108戦「なんのために走るのか」に登場。 受胎中に骨折して死にかけていた娘・ヤマトクリークと対面、彼女の生きる意志を呼び覚ました。 『ウマ娘 プリティーダービー』 のんびり屋で包容力のあるお姉さんなウマ娘。 人に頼られたり甘えられたりするのが大好き。何なら定期的に誰か甘やかさないと調子を崩してしまうほど。 【余談】 主戦騎手を務めた武豊もスーパークリークには非常に強い思い入れがある事を度々公言している。 「一緒に凱旋門賞に挑戦したかった馬」としてメジロマックイーンやキタサンブラックに並んでスーパークリークを挙げており、「ある意味で僕の原点、この馬と一緒に全国区になった」と語っている。 なお顔がデカいことでも有名だったが、武はこの話をされるのを嫌がるとか。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 斤量少ない頃の武豊がこいつに乗ってたの、今考えてもヤバかったろうな… -- 名無しさん (2023-07-29 04 57 30) マックイーンを褒めるときに「強い馬は顔がシュッとしている」と言ってしまったため、クリークの顔がでかいネタを認める(=クリークが弱いと認める)訳にはいかなくなったからだと言われる 豊がクリークの顔がでかいネタを嫌がる -- 名無しさん (2023-12-18 21 36 27) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/9739.html
登録日:2012/07/02 Mon 06 37 53 更新日:2024/03/31 Sun 14 38 38 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 1992年 G1 メジロパーマー レース 万馬券 中山競馬場 千葉県 有馬記念 爆逃げコンビ 競馬 逃げ切り 馬鹿コンビ さあ、16頭が固まりつつあります!16頭の固まりだ!前二頭が、依然として逃げている! 大逃げであります!二頭!メジロパーマー!メジロパーマーとダイタク! さあ、3番手とはまだ15、6馬身ある!さあ、早く追いかけなければいけない! ここは3、4コーナー!後続馬14頭が一気に差を詰めないと、とても前の二頭は捕まりそうもない! メジロパーマー大逃げ!宝塚の再現なるか!? 1992年12月27日に中山競馬場で行われた第37回有馬記念はメジロパーマーの勝ったレースである。 【馬柱】 1992年中山5回8日9R 第37回有馬記念 中山芝右2500m 四歳以上オープン 4歳55kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)枠番 馬番 馬名 騎手 1 1 ナイスネイチャ 松永昌博 2 ホワイトストーン 柴田政人 2 3 メジロパーマー 山田泰誠 4 レオダーバン 横山典弘 3 5 トウカイテイオー 田原成貴 6 レガシーワールド 小谷内秀夫 4 7 レッツゴーターキン 大崎昭一 8 ダイタクヘリオス 岸滋彦 5 9 オースミロッチ 松本達也 10 フジヤマケンザン 小島貞博 6 11 イクノディクタス 村本善之 12 ムービースター 南井克巳 7 13 サンエイサンキュー 加藤和宏 14 ヒシマサル 武豊 8 15 ヤマニングローバル 河内洋 16 ライスシャワー 的場均 人気の中心、1番人気はなんと言っても前走ジャパンカップを制したトウカイテイオーだった。 2番人気は前走菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワー。 3番人気は前走ジャパンカップ5着で武豊鞍上の素質馬ヒシマサル。 4番人気は前走マイルチャンピオンシップ3着のナイスネイチャだった。 この他にも春夏連戦を重ねた上秋に3年前のオグリキャップと同じ重賞6連戦ローテを経験したこの年16戦目の「鉄の女」イクノディクタス、 マイルチャンピオンシップ連覇馬にして1週前のスプリンターズステークスからの連闘となったダイタクヘリオス、天皇賞(秋)馬レッツゴーターキン等が参戦していた。 好天に恵まれた暮れの中山競馬場に夕闇が迫ってきた頃、ゲートは開いた。 8枠2頭が好スタートを切る中、まずは15番人気のメジロパーマーが先頭に飛び出した。そしてレガシーワールド、ダイタクヘリオスと続く。 人気のトウカイテイオーは後方に待機した。 2番手以降に差をつけようとしたメジロパーマーに対し1周目ホームストレッチでダイタクヘリオスが追いかけていく。 トウカイテイオーが後方にいることで、それをマークするように人気のライスシャワーやヒシマサルも後方に待機していた。 向こう正面に行くと、メジロパーマーとダイタクヘリオスの2頭による競い合いが本格化。 先頭を行くメジロパーマーに競りかけるダイタクヘリオス。譲らないパーマー、食い下がるヘリオス。 どんどんハイペースになり後続を引き離していった。 そしてこのときは誰もが両馬とも逃げ潰れるだろうと思っていた。 実際、先の天皇賞・秋ではこの2頭が序盤からハイペースで逃げ、競り合いをした末に共倒れ。 さらには大逃げをつついてしまったトウカイテイオーも最終直線でスタミナ切れし、7着に終わる辛酸を舐めていた。 その当事者のトウカイテイオー、いつもなら良スタートを切って先行するはずが今回は後方待機しているのである。 周りからは秋天の二の舞を避けようとしているように見えたことは想像に難くない。 後続馬の騎手たちもこれに倣ったか、先頭2頭の逃げには付き合わずスローペースを維持。 特にライスシャワーの的場騎手はトウカイテイオーを徹底マークしていた。 しかし3コーナーを回る頃になると雲行きは怪しくなった。 1200mの看板以降、1ハロン11秒台のタイムを出しながら15馬身以上引き離して逃げるメジロパーマーとダイタクヘリオス。 それに対してトウカイテイオーの手応えは怪しく、ライスシャワーもまだいつになく後方にいたからだ。 中山の短い直線を前にメジロパーマーがダイタクヘリオスを振り切って完全に先頭に立った。 後続の先行集団にいたレガシーワールドがいち早く内をついて懸命に追い上げ、ナイスネイチャとレッツゴーターキンが外から襲いかかる。 ダイタクヘリオスが馬群に沈む中、トウカイテイオーもライスシャワーもヒシマサルも圏外でもがいていた。 そして道中に作った貯金をメジロパーマーが使い切って、レガシーワールドをハナ差凌ぎ切った所がゴールだった。 一方その後方では、過密スケジュールで出走していたサンエイサンキューがゴールすることなく直線半ばでレースを終えたのだった。 1着 メジロパーマー 2着 レガシーワールド 3着 ナイスネイチャ 4着 レッツゴーターキン 5着 オースミロッチ 6着 ムービースター 7着 イクノディクタス 8着 ライスシャワー 9着 ヒシマサル 10着 ホワイトストーン 11着 トウカイテイオー 12着 ダイタクヘリオス 13着 レオダーバン 14着 フジヤマケンザン 15着 ヤマニングローバル 競争中止 サンエイサンキュー 払い戻し 単勝:3番 4940円(15番人気) 複勝:3番 1590円(15番人気) 6番 350円(5番人気) 1番 310円(4番人気) 枠連:2-3 3300円(12番人気) 馬連:3-6 31550円(66番人気) レースは完全に前残りだった。 そしてメジロパーマーは史上5頭目(グレード制導入後に限ればイナリワンに次ぐ2頭目)となる同一年度の宝塚・有馬の両グランプリ制覇を成し遂げたのであった。 前2走が不甲斐なかったためにメジロパーマーは人気がなかった。とくに前走の天皇賞・秋ではブービーの17着に負けていた。 しかし怪我で戦列を離れていた主戦騎手の山田騎手に戻ったことが功を奏したのか、有馬記念での激走になった。 宝塚記念を制した時も人気薄だったため、史上ただ一頭、G1レースで単勝配当2000円以上の番狂わせ勝ち2回という記録保持者となった。 これはいまだに追い付く馬はいない。 なお、宝塚では馬主も応援に来ていなかったほどであったが、今回はちゃんとメジロ牧場の皆さんに祝ってもらえた。 本当は早く帰るつもりだったのか待たせておいた[[タクシー]]を返して表彰式に向かったという。 トウカイテイオーは前走ジャパンカップを激走した反動か不甲斐なく、生涯最低の11着に終わった。 父シンボリルドルフはJC・有馬制覇を成し遂げており、トウカイテイオーに寄せられていた期待は大きかった。 だが、馬券師の間で「JCを好走した馬は有馬で勝てない」と語られているジンクスは破れなかった。 実は虫下しのための下剤でかなり馬体重を落としており、やつれた状態であったという。 そして体調は戻ることなく休養に入り、さらに休養中に骨折を起こすなどして復帰には丸一年を要するに至った。 しかし、それはやがて翌年の感動に繋がっていくことになる。 そのトウカイテイオーをマークしていたライスシャワーやヒシマサルも見せ場はなかった。 特に的場騎手は「ライスシャワーに失礼なレースをしてしまった」と後に述懐している。 ナイスネイチャは有馬記念には相性がよく、前年の有馬記念に続き3着だった。さらに翌年の有馬記念でも3着に入る。 年内いっぱいをもっての引退を発表してたダイタクヘリオスは、予定通りにこの有馬を最後にターフを去った。 宝塚・秋天・有馬と3回、メジロパーマーと共に大逃げで波乱を巻き起こしたことから、競馬ファンからは2頭揃って「バカコンビ」の愛称で呼ばれるようになった。 競馬史上、ライバルとして語られる馬たちは数多くあれど、コンビとして語られる馬は稀である。 なお秋天と有馬の間にはマイルCSを連覇しており、適正距離のマイル戦線では確かな実力を持った馬であったことは付け加えておく。 途中で競走中止したサンエイサンキューはその後予後不良級の骨折と判明したが、繁殖牝馬として生かしたかった馬主の意向で延命治療を施され6度の手術の末2年間生き延びるも、完治する事はなく、馬体重300kg程度に落ちるほどに痩せ衰え合併症も患い、1994年に心臓麻痺でこの世を去った。 このレースを当てた方、追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 午年だ! -- 名無しさん (2014-01-01 00 53 36) 宝塚勝った馬が有馬でブービー人気は二度とないだろうな… -- 名無しさん (2021-05-22 07 43 27) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/72.html
主催者 日本中央競馬会 競馬場 中京競馬場 創設 1965年12月5日 距離 芝1200m 格付け GIII 賞金 1着賞金3800万円 出走条件 サラ系3歳以上(国際) 負担重量 ハンデキャップ CBC賞(シービーシーしょう)とは、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場の芝1200メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。競走名は寄贈賞を提供するCBCテレビに由来している。 概要 本競走は1965年、4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走として中京競馬場に創設[2]。当初の施行距離は砂1800mであったが、1970年は中京競馬場に芝コースが新設されたことにより芝1800mに変更。その後距離は短縮され、翌1971年からは芝1400mに変更された後、1981年から芝1200mに変更され、現在に至っている。 1984年からグレード制施行に伴いGIIIに格付け。1990年からGIIに格上げされたが、2006年からGIIIに格下げとなった。施行時期も当初は12月だったが、1990年に6月開催へ変更。その後1996年に11月開催へ変更された後、2000年から再び12月開催へ変更されたが、2006年から再び6月開催へ変更された。また2012年からは7月開催へ変更された。 創設時の負担重量はハンデキャップだったが、翌1966年から別定に変更。2006年から再びハンデキャップとなった。 1996年から1999年までは中央競馬指定交流競走とされ、地方所属馬が3頭まで出走可能になった。その後2000年から2005年まで、および2012年以降は特別指定交流競走とされ、地方所属馬の出走は2頭までとされた。また、外国産馬は混合競走となった1990年より出走可能になったほか、2004年から国際競走となって外国馬も出走可能になった。 競走条件 2014年現在の出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)。 負担重量は、ハンデキャップである。 歴史 1965年 - 4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走として創設、中京競馬場の砂1800mで施行。 1966年 - 負担重量を別定に変更。 1970年 - 施行コースを芝に変更。 1971年 - 施行距離を芝1400mに変更。 1981年 - 施行距離を芝1200mに変更。 1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。 1990年 - 施行時期を6月に変更。GIIに格上げ。混合競走に指定。 1996年 - 施行時期を11月に変更。指定交流競走に指定され、地方所属馬は3頭まで出走可能となる。 2000年 - 施行時期を12月に変更。指定交流競走から特別指定交流競走に変更され、JRAに認定されていない地方所属馬は出走不可となる。地方所属馬の出走枠が3頭から2頭に縮小。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2004年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。 2006年 - 施行時期を6月に変更。負担重量をハンデキャップに戻す。GIIIに格下げ。特別指定交流競走から除外。 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。 2012年 - 施行時期を7月に変更。サマースプリントシリーズの第2戦に組み込まれる。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1965年12月5日中京砂1800mシヨウゲツ牝51 54.5稲部和久田中朋次郎村松健一 第2回1966年12月4日中京砂1800mミスニホンピロー牝41 55.3鹿戸幸治小川佐助小林百太郎 第3回1967年12月3日中京砂1800mミドリオー牡51 53.2内藤繁春武田文吾鈴木理恵 第4回1968年12月1日中京砂1800mミドリエース牝41 52.7野村彰彦長浜彦三郎福島広吉 第5回1969年7月20日中京砂1800mアトラス牡51 52.5武邦彦小野留嘉松岡重雄 第6回1970年12月6日中京1800mオウジャ牡31 50.2古賀正俊古賀嘉蔵千代田 第7回1971年12月5日中京1400mエリモシルバー牡41 22.6新田幸春大久保亀治山本慎一 第8回1972年12月17日中京1400mスガノホマレ牡31 22.5佐々木昭次秋山史郎菅原光太郎 第9回1973年12月16日中京1400mレイクファイア牡31 22.3押田年郎坂口正二奈村信重 第10回1974年12月8日中京1400mケイスパーコ牝41 23.1池江泰郎浅見国一内田恵司 第11回1975年12月7日中京1400mオーラミハル牡31 24.7柴田政見山本正司奥村悠貢 第12回1976年12月12日中京1400mシルバーランド牡61 21.8高橋成忠佐藤勇冨士田竹三 第13回1977年12月11日中京1400mリキタイコー牡31 21.8飯田明弘服部正利水上力夫 第14回1978年12月10日中京1400mリキタイコー牡41 22.9武邦彦服部正利水上力 第15回1979年12月9日中京1400mヤマニンダンディー牡31 23.6田原成貴浅見国一土井宏二 第16回1980年12月14日中京1400mマリージョーイ牝41 22.3村本善之田中良平小田切有一 第17回1981年12月13日中京1200mアグネスベンチャー牡41 08.6久保敏文久保道雄渡辺孝男 第18回1982年12月19日中京1200mハッピープログレス牡41 09.8武邦彦山本正司藤田晋 第19回1983年12月18日中京1200mニホンピロウイナー牡31 09.8丸山勝秀服部正利小林百太郎 第20回1984年12月16日中京1200mハッピープログレス牡61 09.1武邦彦山本正司藤田晋 第21回1985年12月15日中京1200mニシノイブ牝51 10.4今井規和田所秀雄西山正行 第22回1986年12月14日中京1200mリードトリプル牡31 09.5田島信行服部正利熊本芳雄 第23回1987年12月20日中京1200mセントシーザー牡51 09.3田島良保橋口弘次郎杉谷枡夫 第24回1988年12月18日中京1200mトーアファルコン牡71 09.0原田聖二小原伊佐美伊藤昭二 第25回1989年12月17日中京1200mミスティックスター牡61 09.1山田和広坪正直山本衛 第26回1990年6月24日中京1200mパッシングショット牝51 08.3楠孝志橋田満森本忠治 第27回1991年6月23日中京1200mフェイムオブラス牝41 10.8安田隆行田中良平小田切有一 第28回1992年6月28日中京1200mユウキトップラン牡41 08.6小島貞博佐山優雪本秀樹 第29回1993年6月27日京都1200mトシグリーン牡61 07.9西浦勝一柳田次男上村孝輝 第30回1994年6月26日中京1200mニホンピロプリンス牡51 07.9武豊目野哲也小林百太郎 第31回1995年6月25日中京1200mトーワウィナー牡51 08.6河内洋佐山優斉藤一郎 第32回1996年11月23日中京1200mエイシンワシントン牡51 07.3熊沢重文内藤繁春平井豊光 第33回1997年11月22日中京1200mスギノハヤカゼ牡41 07.9田島裕和鹿戸幸治杉江義夫 第34回1998年11月28日中京1200mマサラッキ牡51 09.6藤田伸二増本豊丸井正貴 第35回1999年11月27日小倉1200mアグネスワールド牡41 07.5武豊森秀行渡辺孝男 第36回2000年12月16日中京1200mトロットスター牡41 07.9蛯名正義中野栄治高野稔 第37回2001年12月15日中京1200mリキアイタイカン牡31 09.1山田泰誠松田正弘高山幸雄 第38回2002年12月15日中京1200mサニングデール牡31 08.4池添謙一瀬戸口勉後藤繁樹 第39回2003年12月21日中京1200mシーイズトウショウ牝31 08.5安藤光彰鶴留明雄トウショウ産業(株) 第40回2004年12月19日中京1200mプレシャスカフェ牡51 08.2蛯名正義小島太西川清 第41回2005年12月24日中京1200mシンボリグラン牡31 08.7D.ボニヤ畠山吉宏シンボリ牧場 第42回2006年6月11日中京1200mシーイズトウショウ牝61 09.0池添謙一鶴留明雄トウショウ産業(株) 第43回2007年6月10日中京1200mブラックバースピン牡41 09.1四位洋文手塚貴久藤田与志男 第44回2008年6月15日中京1200mスリープレスナイト牝41 08.0上村洋行橋口弘次郎(有)サンデーレーシング 第45回2009年6月14日中京1200mプレミアムボックス牡61 08.0鮫島良太上原博之(有)社台レースホース 第46回2010年6月13日京都1200mヘッドライナー騸61 08.9幸英明西園正都(有)社台レースホース 第47回2011年6月12日阪神1200mダッシャーゴーゴー牡41 08.1川田将雅安田隆行芦田信 第48回2012年7月1日中京1200mマジンプロスパー牡51 08.7浜中俊中尾秀正佐々木主浩 第49回2013年6月30日中京1200mマジンプロスパー牡61 08.0福永祐一中尾秀正佐々木主浩 第50回2014年7月6日中京1200mトーホウアマポーラ牝51 08.6福永祐一高橋亮東豊物産
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/89.html
主催者 日本中央競馬会 競馬場 新潟競馬場 創設 1965年8月1日 距離 芝・外2000m 格付け GIII 賞金 1着賞金4000万円 出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(特指) 負担重量 ハンデキャップ 新潟記念(にいがたきねん)は、日本中央競馬会(JRA) が新潟競馬場の芝外回り2000メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。農林水産省が賞を提供しており、正式名称は「農林水産省賞典 新潟記念」と表記している。 概要 新潟競馬場が現在地に移転し、日本中央競馬会主催の新潟競馬が再開された1965年に4歳(現3歳)以上の競走馬によるハンデキャップの重賞として創設された。新潟競馬場で行われる重賞競走では最も歴史が古く、秋の中長距離戦線へ向けた前哨戦にも位置付けられている。 1984年のグレード制導入に伴いGIIIに格付け。1995年より外国産馬が、1998年からは地方競馬所属馬がそれぞれ出走可能になった[2]。さらに2006年からは外国馬も出走が可能になった[2]ほか、翌2007年より国際格付けを取得している。 施行距離は当初右回り芝2000m(内回り)だったが、1974年から1999年までは右回り芝2000m(外回り)で施行。その後コースが全面改修され、2001年より左回り芝2000m(外回り)となっている。 2006年より、夏季競馬を盛り上げるために設けられたサマー2000シリーズに組み込まれた。本競走の優勝馬からは、ユメノシルシ(2007年)・ホッコーパドゥシャ(2009年)・ナリタクリスタル(2010年)・トランスワープ(2012年)・マーティンボロ(2014年[3])がシリーズチャンピオンに輝いている。 競走条件・賞金 出走資格 サラ系3歳以上の競走馬 JRA所属馬 地方競馬所属馬(2頭まで) 外国馬(9頭まで) 負担重量:ハンデキャップ 賞金 2014年の1着賞金は4000万円で、以下2着1600万円、3着1000万円、4着600万円、5着400万円。 歴史 1965年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬によるハンデキャップの重賞競走として創設、新潟競馬場・芝2000mで施行。 1966年 - 名称を農林省賞典 新潟記念に変更。 1978年 - 名称を農林水産省賞典 新潟記念に変更。 1984年 - グレード制導入によりGIIIに格付け。 1995年 - 混合競走に指定。 1998年 - 特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「4歳以上」から「3歳以上」に変更。新コース完成に伴い、左・外回りコースに変更される。 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行。 2006年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。サマー2000シリーズの最終戦に組み込まれる。 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。馬インフルエンザの影響により、中央競馬所属馬のみで施行。また札幌記念が延期されたため、サマー2000シリーズ第4戦として施行。 2012年 - JRA2連福対象競走に指定。 「近代競馬150周年記念」の副称を付けて施行。 2014年 - 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1965年8月1日新潟2000mウメノチカラ牡42 05.7津田昭古賀嘉蔵梅野昇 第2回1966年10月23日新潟2000mシユツロスベルガー牡42 04.0嶋田功見上恒芳樋口一成 第3回1967年7月2日新潟2000mマルフブキ牡42 03.3吉永正人二本柳俊夫西内由夫 第4回1968年11月10日新潟2000mハクセンショウ牡42 02.8増沢末夫尾形藤吉柏誠四郎 第5回1969年8月17日新潟2000mアマノガワ牡42 03.2嶋田功稲葉幸夫那須野牧場 第6回1970年11月1日新潟2000mスイジン牡52 02.1町田精生田中和夫渡辺君江 第7回1971年8月15日新潟2000mトキノシンオー牡42 02.3小島太高木良三小松金太郎 第8回1972年9月17日新潟2000mパッシングゴール牡62 02.6新田幸春大久保石松山本慎一 第9回1973年11月18日新潟2000mヤマテスコ牝32 06.5蛯沢誠治成宮明光山本亮一 第10回1974年8月25日新潟2000mナスノチグサ牝42 01.7嶋田功稲葉幸夫那須野牧場 第11回1975年8月24日新潟2000mハセマサル牝42 02.0安田富男佐藤勝美長南鶴雄 第12回1976年8月29日新潟2000mタケデンジャガー牡42 03.0嶋田潤稲葉秀男武市伝一 第13回1977年8月28日新潟2000mミトモオー牝62 02.7安田富男鴨田次男福永真 第14回1978年8月27日新潟2000mラッキーウエスト牡42 02.0森安重勝尾形藤吉西美(株) 第15回1979年8月26日新潟2000mホオカノ牡42 03.6嶋田潤藤本冨良滝谷守 第16回1980年8月24日新潟2000mナカミサファイヤ牝42 02.0小林常泰八木沢勝美中村美俊 第17回1981年8月23日新潟2000mハセシノブ牝42 01.9岡部幸雄畠山重則長南鶴雄 第18回1982年8月29日新潟2000mメイジタイガー牡52 02.3菅原泰夫本郷一彦(資)明治牧場 第19回1983年8月28日新潟2000mアップセッター牡32 01.1岡部幸雄田中和夫ホースマン 第20回1984年8月26日新潟2000mダイナマイン牝42 01.7柴崎勇矢野進(有)社台レースホース 第21回1985年8月25日新潟2000mロシアンブルー牡62 01.1蛯沢誠治畠山重則栗林英雄 第22回1986年8月24日新潟2000mブラックスキー牡42 01.3嶋田功矢野照正笹原貞生 第23回1987年8月30日新潟2000mダイナフェアリー牝42 01.9増沢末夫鈴木康弘(有)社台レースホース 第24回1988年8月28日新潟2000mダイナオレンジ牝51 59.7増沢末夫鈴木康弘(有)社台レースホース 第25回1989年8月27日新潟2000mハーディゴッド牡62 01.6大崎昭一佐藤林次郎河内石太郎 第26回1990年8月26日新潟2000mサファリオリーブ牝62 00.9江田照男田子冬樹熊久保勅夫 第27回1991年8月25日新潟2000mセンゴクヒスイ牝52 00.2田中勝春久保田敏夫入倉章 第28回1992年8月30日新潟2000mタニノボレロ牡42 01.0小島貞博戸山為夫谷水雄三 第29回1993年8月29日新潟2000mブラウンビートル牡62 02.3柴田善臣野平好男(有)社台レースホース 第30回1994年8月28日新潟2000mインターシュプール騸51 59.3蛯名正義森秀行松岡正雄 第31回1995年8月27日新潟2000mアイリッシュダンス牝52 00.7柴田善臣栗田博憲吉田照哉 第32回1996年8月25日中山2000mトウカイタロー牡62 02.1田原成貴松元省一内村正則 第33回1997年8月24日新潟2000mパルブライト牝51 59.7木幡初広杉浦宏昭木浪巖 第34回1998年8月30日新潟2000mオフサイドトラップ牡72 00.6蛯名正義加藤修甫渡邊隆 第35回1999年8月29日新潟2000mブリリアントロード牡41 59.8山田和広坪正直大澤毅 第36回2000年8月27日中山2000mダイワテキサス牡72 00.2北村宏司増沢末夫大和商事(株) 第37回2001年8月26日新潟2000mサンプレイス牡61 57.0熊沢重文池江泰郎(有)社台レースホース 第38回2002年8月25日新潟2000mトーワトレジャー牝51 58.0田中勝春橋田満齋藤すゞ 第39回2003年8月31日新潟2000mダービーレグノ牡51 58.7幸英明高橋成忠(株)ダービー社 第40回2004年8月29日新潟2000mスーパージーン牡61 57.7中舘英二坂口正則架谷重子 第41回2005年8月28日新潟2000mヤマニンアラバスタ牝42 00.1江田照男星野忍土井肇 第42回2006年8月27日新潟2000mトップガンジョー牡41 57.2後藤浩輝和田正道河内孝夫 第43回2007年8月26日新潟2000mユメノシルシ牡51 57.8吉田豊大久保洋吉吉田照哉 第44回2008年8月31日新潟2000mアルコセニョーラ牝41 57.5武士沢友治畠山重則中村政勝 第45回2009年8月30日新潟2000mホッコーパドゥシャ牡71 59.6江田照男村山明矢部幸一 第46回2010年8月29日新潟2000mナリタクリスタル牡41 58.4幸英明木原一良(株)オースミ 第47回2011年8月28日新潟2000mナリタクリスタル牡51 59.1武豊木原一良(株)オースミ 第48回2012年9月2日新潟2000mトランスワープせん71 57.6大野拓弥萩原清(有)キャロットファーム 第49回2013年9月1日新潟2000mコスモネモシン牝61 58.9松岡正海清水英克(有)ビッグレッドファーム 第50回2014年9月7日新潟2000mマーティンボロ牡51 58.3N.ローウィラー友道康夫吉田和美
https://w.atwiki.jp/jitsumeika/pages/20.html
青山喜明⇒青木芳之(アオキヨシユキ) 紅羽英助⇒赤羽秀男(アカバヒデオ) 秋川孝和⇒秋山忠一(アキヤマチュウイチ) 秋山真一郎⇒そのまま 明日真信一⇒東信二(アズマシンジ) 粟田真二⇒栗田伸一(クリタシンイチ) 安藤勝己⇒そのまま 安能堅二⇒安藤賢一(アンドウケンイチ) 安能満吉⇒安藤光彰(アンドウミツアキ) 池越亀夫⇒池添兼雄(イケゾエカネオ) 池添謙一⇒そのまま 石橋脩⇒そのまま 石橋守⇒そのまま 石元一見⇒岩元市三(イワモトイチゾウ) 五十畑豪介⇒五十嵐雄祐(イガラシユウスケ) 板井利秋⇒坂井千明(サカイチアキ) 井田昭仁⇒飯田明弘(イイダアキヒロ) 一本松豪⇒二本柳壮(ニホンヤナギソウ) 犬塚英二朗⇒大塚栄三郎(オオツカエイザブロウ) 茨城要次⇒岩崎祐己(イワサキユウキ) 今江頼一⇒今井規和(イマイノリカズ) 井山康規⇒井西泰政(イニシヤスマサ) 岩神信二⇒石神深一(イシガミシンイチ) 岩神冨三男⇒石神富士雄(イシガミフジオ) 岩武準一⇒岩部純二(イワベジュンジ) 岩田康誠⇒そのまま 上村洋行⇒そのまま 鵜飼忠義⇒須貝尚介(スガイナオスケ) 浮多洋吉⇒内田浩一(ウチダコウイチ) 宇治川利丸⇒武士沢友治(ブシザワトモハル) 内出宏徳⇒内田博幸(ウチダヒロユキ) 内谷邦矢⇒内田国夫(ウチダクニオ) 江田照男⇒そのまま 蛯川清志⇒蛯沢誠治(エビサワセイジ) 蛯田宏伸⇒蛯名信広(エビナノブヒロ) 蛯名正義⇒そのまま 大木一葉⇒大野拓弥(オオノタクヤ) 太田静弥⇒大庭和弥(オオバカズヤ) 大西直宏⇒そのまま 岡田順二朗⇒岡潤一郎(オカジュンイチロウ) 岡部幸雄⇒そのまま 岡読駿二⇒岡冨俊一(オカトミシュンイチ) 尾河頼善⇒小原義之(オバラヨシユキ) 小崎省二⇒大崎昭一(オオサキショウイチ) 尾崎唯夫⇒小坂忠士(コサカタダシ) 音橋英武⇒音無秀孝(オトナシヒデタカ) 小野次郎⇒そのまま 小俣正明⇒野元昭嘉(ノモトアキヨシ) 尾村章大⇒野村彰彦(ノムラアキヒコ) 御家敷明⇒小屋敷昭(コヤシキアキラ) 柿武士⇒楠孝志(クスノキタカシ) 鍵谷雅⇒鍜治谷誠(カジタニマコト) 葛西退助⇒太宰啓介(ダザイケイスケ) 笠置利盛⇒金折知則(カナオリトモノリ) 鹿島丈⇒田嶋翔(タジマショウ) 柏原柾継⇒柏崎正次(カシワザキマサツグ) 梶間吉治⇒田島裕和(タジマヒロカズ) 梶原輝雄⇒梶晃啓(カジテルヒロ) 片平流星⇒北村浩平(キタムラコウヘイ) 勝浦正樹⇒そのまま 加納一俊⇒加藤和宏(カトウカズヒロ) 加納市度哉⇒加藤士津八(カトウシヅヤ) 嘉峰幸高⇒嘉藤貴行(カトウタカユキ) 鎌戸三成⇒鎌田光也(カマタミツヤ) 上郷翼⇒郷原洋司(ゴウハラヒロシ) 上郷往広⇒郷原洋行(ゴウハラヒロユキ) 上屋敷彰俊⇒竹之下智昭(タケノシタトモアキ) 川家洋一⇒河内洋(カワチヒロシ) 河木克彦⇒川合達彦(カワイタツヒコ) 川島信二⇒そのまま 川田将雅⇒そのまま 川畑善三⇒川端義雄(カワバタヨシオ) 菊沢隆徳⇒そのまま 木境鉄雄⇒小林徹弥(コバヤシテツヤ) 北浦克二⇒西浦勝一(ニシウラカツイチ) 北村宏司⇒そのまま 衣河辰彦⇒菊沢隆仁(キクザワタカヒト) 清田栄気⇒清水英次(シミズエイジ) 久賀隆美⇒加賀武見(カガタケミ) 国実政幸⇒国兼正浩(クニカネマサヒロ) 久辺繁史⇒久保敏文(クボトシフミ) 窪北壮⇒黒岩悠(クロイワユウ) 窪畑俊之⇒久保田敏彦(クボタトシヒコ) 熊沢重文⇒そのまま 栗山健治⇒田中健(タナカケン) 源雅弘⇒原昌久(ハラマサヒサ) 神戸宗平⇒国分恭介(コクブンキョウスケ) 小柴大地⇒小島太一(コジマタイチ) 小柴禎彦⇒小島貞博(コジマサダヒロ) 小柴大⇒小島太(コジマフトシ) 小林淳一⇒そのまま 小牧太⇒そのまま 小森秀明⇒小林久晃(コバヤシヒサアキ) 小屋外英次⇒小谷内秀夫(コヤウチヒデオ) 木幡初広⇒そのまま 後藤浩輝⇒そのまま 坂木克也⇒坂本勝美(サカモトカツミ) 桜田晴一⇒桜井誠二(サクライセイジ) 笹多修士⇒飯田祐史(イイダユウジ) 佐藤哲三⇒そのまま 佐堂均⇒佐藤等(サトウヒトシ) 鮫島良太⇒そのまま 佐用昌⇒加用正(カヨウタダシ) 猿山茂則⇒猿橋重利(サルハシシゲトシ) 沢下昇⇒河北通(カワキタトオル) 四位洋文⇒そのまま 塩山勝夫⇒塩村克己(シオムラカツミ) 鹿賀祐二⇒鹿戸雄一(シカトユウイチ) 柴沢勲⇒柴崎勇(シバサキイサム) 柴田善臣⇒そのまま 柴野明満⇒柴田光陽(シバタミツハル) 柴野木埼⇒柴田未崎(シバタミサキ) 柴野太一⇒柴田大知(シバタダイチ) 柴野誠⇒柴田政人(シバタマサト) 柴野泰己⇒柴田政見(シバタマサミ) 柴原央明⇒そのまま 柴山雄一⇒そのまま 嶋畑勇⇒嶋田功(シマダイサオ) 嶋畑俊⇒嶋田潤(シマダジュン) 嶋畑貴之⇒嶋田高宏(シマダタカヒロ) 下竹拓哉⇒中竹和也(ナカタケカズヤ) 菅田明二⇒菅野昭夫(カンノアキオ) 菅田清男⇒菅野澄男(カンノスミオ) 菅野雅臣⇒菅谷正巳(スガヤマサミ) 須ヶ原高行⇒菅原隆明(スガハラタカアキ) 須ヶ原靖士⇒菅原泰夫(スガワラヤスオ) 杉村広之⇒杉浦宏昭(スギウラヒロアキ) 鈴未尚仁⇒鈴来直人(スズキナオト) 鈴本秀美⇒鈴木寿(スズキヒトシ) 芹沢純一⇒そのまま 副島春伸⇒福島信春(フクシマノブハル) 外木場繁義⇒外枦保重秋(ソトヘボシゲアキ) 高川広⇒高山裕(タカヤマユタカ) 高川大介⇒高山太郎(タカヤマタロウ) 鷹國弘⇒武邦彦(タケクニヒコ) 鷹田聡⇒武田悟(タケダサトル) 高知桂一⇒高市圭二(タカイチケイジ) 高地孝良⇒安田康彦(ヤスダヤスヒコ) 鷹久敏⇒武英智(タケヒデノリ) 滝橋毅⇒高橋隆(タカハシタカシ) 滝橋靖明⇒高橋康之(タカハシヤスユキ) 田倉舞子⇒田村真来(タムラマキ) 田倉俣満⇒田村正光(タムラマサミツ) 武幸四郎⇒そのまま 竹山栄仁⇒竹原啓二(タケハラケイジ) 武豊⇒そのまま 田崎伸宏⇒田島信行(タジマノブユキ) 田崎吉益⇒田島良保(タジマヨシヤス) 田中勝春⇒そのまま 田辺毅⇒田中剛(タナカツヨシ) 谷浜章⇒高橋亮(タカハシリョウ) 田野鉄夫⇒目野哲也(メノテツヤ) 多辺英伸⇒田辺裕信(タナベヒロノブ) 玉乃屋建士⇒玉ノ井健志(タマノイタケシ) 津川昭弘⇒津村明秀(ツムラアキヒデ) 土田知幸⇒土谷智紀(ツチヤトモノリ) 角田晃一⇒そのまま 手所英忠⇒田所秀孝(タドコロヒデタカ) 出川貴教⇒出口隆義(デグチタカヨシ) 徳下市巳⇒徳吉一己(トクヨシカズミ) 土居倖利⇒土肥幸広(ドヒユキヒロ) 中北孝伸⇒中西武信(ナカニシタケノブ) 中迫継雄⇒小迫次男(コサコツギオ) 中沢佑大⇒中谷雄太(ナカタニユウタ) 中嶋代幸⇒中島啓之(ナカジマヒロユキ) 中嶋良史⇒中島敏文(ナカジマトシフミ) 仲田喜代盛⇒田中清隆(タナカキヨタカ) 中舘英二⇒そのまま 中目通誠二⇒中野渡清一(ナカノワタリセイイチ) 長居譲也⇒高井彰大(タカイショウタ) 長野永吉⇒中野栄治(ナカノエイジ) 長宗行明⇒中村将之(ナカムラマサユキ) 虹平怜那⇒西原玲奈(ニシハラレナ) 仁藤繁⇒伊藤栄(イトウサカエ) 仁藤澄明⇒伊藤清章(イトウキヨアキ) 仁藤尚之⇒伊藤直人(イトウナオト) 仁藤紀昌⇒伊藤正徳(イトウマサノリ) 仁藤呼恭⇒伊藤暢康(イトウノブヤス) 根布恭彦⇒根本康広(ネモトヤスヒロ) 野木君政⇒田面木博公(タモギヒロマサ) 野碕隆人⇒野崎孝仁(ノザキタカヒト) 博多瞬⇒高田潤(タカダジュン) 袴田丈司⇒畑端省吾(ハタバタショウゴ) 橋内宏人⇒橋本広喜(ハシモトヒロキ) 長谷川浩大⇒そのまま 端友寿文⇒橋本美純(ハシモトヨシズミ) 花街通⇒花松進(ハナマツススム) 原多勇一⇒原田雄二(ハラダユウジ) 東出雪央⇒東田幸男(ヒガシダユキオ) 比嘉春広⇒千田輝彦(チダテルヒコ) 樋沢広⇒樋口弘(ヒグチヒロシ) 日原成樹⇒田原成貴(タバラセイキ) 福永祐一⇒そのまま 藤岡佑介⇒そのまま 藤川秀茂⇒藤原英幸(フジワラヒデユキ) 藤木朝照⇒藤井正輝(フジイマサテル) 藤島慎一⇒藤田伸二(フジタシンジ) 船岸達仁⇒常石勝義(ツネイシカツヨシ) 古河城一⇒古川寛和(フルカワヒロカズ) 武闘善成⇒武藤善則(ムトウヨシノリ) 星田順⇒押田純子(オシダジュンコ) 穂積義弘⇒穂苅寿彦(ホカリトシヒコ) 細井潤奈⇒細江純子(ホソエジュンコ) 細山栄一⇒細川英二(ホソカワエイジ) 堀宏真⇒堀井雅広(ホリイマサヒロ) 本田優⇒そのまま 牧畑克也⇒牧田和弥(マキタカズヤ) 牧原由貴子⇒そのまま 2009年スタートの場合⇒増沢由貴子(マスザワユキコ) 増北行雄⇒増沢末夫(マスザワスエオ) 増田勇⇒増井裕(マスイヒロシ) 益名栄達⇒松田大作(マツダダイサク) 増本卓哉⇒松本達也(マツモトタツヤ) 松岡浩二⇒松山弘平(マツヤマコウヘイ) 松中正和⇒松永昌博(マツナガマサヒロ) 松中道生⇒松永幹夫(マツナガミキオ) 松畑雪晴⇒松田幸春(マツダユキハル) 松山征基⇒松岡正海(マツオカマサミ) 的矢武仁⇒的場勇人(マトバハヤト) 的矢博⇒的場均(マトバヒトシ) 丸川克則⇒丸山勝秀(マルヤマカツヒデ) 三河稔夫⇒小池隆生(コイケタカオ) 南勝也⇒南井克巳(ミナイカツミ) 南橋裕次⇒西橋豊治(ニシハシトヨジ) 峯慈義⇒岸滋彦(キシシゲヒコ) 蓑多駿男⇒蓑田早人(ミノダハヤト) 三村天地⇒三浦皇成(ミウラコウセイ) 宮内撤⇒宮徹(ミヤトオル) 宮前登喜男⇒宮崎北斗(ミヤザキホクト) 幸英明⇒そのまま 宗田哲⇒宗像徹(ムナカタトオル) 村上晃夫⇒村山明(ムラヤマアキラ) 村木義明⇒村本善之(ムラモトヨシユキ) 村田一誠⇒そのまま 室木広樹⇒南井大志(ミナイヒロシ) 目白政輝⇒目黒正徳(メグロマサトク) 本藤貴則⇒木藤隆行(キフジタカユキ) 八雲寿季⇒佐久間寛志(サクマヒロシ) 谷坂宏二⇒谷中公一(ヤナカコウイチ) 安谷飛雄⇒安田富男(ヤスダトミオ) 安谷幸孝⇒安田隆行(ヤスダタカユキ) 矢羽羊二⇒矢原洋一(ヤハラヨウイチ) 谷原康一郎⇒藤岡康太(フジオカコウタ) 山中慶治⇒山内研二(ヤマウチケンジ) 山目勝弘⇒山田和広(ヤマダカズヒロ) 山目安平⇒山田泰誠(ヤマダタイセイ) 山木孝治⇒山本康志(ヤマモトコウシ) 横畑政彦⇒横田雅博(ヨコタマサヒロ) 横平冨蔵⇒横山富雄(ヨコヤマトミオ) 横平初⇒横山賀一(ヨコヤマヨシカズ) 横平嘉樹⇒横山義行(ヨコヤマヨシユキ) 横山典弘⇒そのまま 吉田隼人⇒そのまま 吉田豊⇒そのまま 吉森升斗⇒吉永正人(ヨシナガマサト) 吉森守広⇒吉永護(ヨシナガマモル) 吉森頼斗⇒吉永良人(ヨシナガヨシト) 吉山祟二⇒吉沢宗一(ヨシザワソウイチ) 若井晃次⇒赤木高太郎(アカギコウタロウ) 若江守⇒酒井学(サカイマナブ) 渡辺薫彦⇒そのまま 和田竜二⇒そのまま