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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 初夏の陽が暮れるまで後もう少しという時間帯のトリスタニア。 その王都にある旧市街地で、霊夢とルイズたちの戦いが始まっていた。 得体の知れぬ怒りだけで自分を殺そうとする薄気味悪い自分の偽者との、通算三回目となる戦いが… 「クッ…!」 振り下ろしたナイフを結界で弾かれたもう一人の゛レイム゛―――偽レイムは、その体を大きく怯ませる。 一度跳び上がってからの攻撃だったおかげか二メイル程吹き飛び、背中から地面に倒れてしまう。 「悪いけどそろそろ夕食時だし疲れてるから、速攻で片付けるわよ」 当然それを見逃す彼女ではなく、右手に持つ二本あるナイフの内一本を、左手で握り締めながら呟く。 錆が目立つソレを持った左手の甲には、ルイズとの契約で刻まれた使い魔のルーンが懸命に光り続けている。 そのルーンは、始祖ブリミルという偉大なるメイジが使役していたガンダールヴという名を持つ使い魔の証。 ありとあらゆる武器と兵器を使いこなして主を守る矛となり、盾となった伝説の存在だ。 (今まで滅多に光った事なんか無かったけど…今ならどうかしら?) 昼頃から光り続けるそれに一途の願いを込め、霊夢はナイフを握る左手に力を入れる。 瞬間、ゆっくりと光り続けていたソレに命が入り込むかのように、一瞬だけ眩く輝いた。 それに気づいた霊夢が目を見開かせると同時に、地面に倒れていた偽レイムがゆっくりと立ち上がる。 右手のナイフを逆手に持ち替え、じっと佇む霊夢へと再度突撃を仕掛けようとする。 結界のせいで距離を取らされたが、本物以上の身体能力を持つ偽レイムにとって大した影響はない。 すぐに腰を低くし、錆びに塗れた刀身を霊夢のわき腹に刺そうと考えた瞬間―――――― 「レビテレーション!!」 突如、右の方から鈴の様な声を持つ少女の叫びが耳に飛び込んできた。 その声に動き出そうとしていた足が止まり、一体何なのかと振り向こうとした直後、足元の地面が爆発する。 あまり大きくも無い爆発音とともに地面の土煙が舞い上がり、偽レイムの視界を一時的に遮断した。 何の前触れもなく起こったアクシデントに何も見えなくなった彼女は突撃も行えず、その体制を大きく崩してしまう。 偽レイムは自分の攻撃を一方的に阻止された事に対し、何の躊躇いも無く舌打すると、煙の向こうから少女の怒鳴り声が聞こえてきた。 「わ、私だって戦えるの!ただ…ぼ、傍観してるだけじゃな…ないわよっ!?」 多少噛みながらも何とか言い切った少女の声は不幸か否か、敵に居場所を教える事となる。 優先的に排除しようと決めたのか、整備されていない道路をブーツで擦りつつも、彼女は右の方へと目を向けた。 ほんの十秒ほどで消え去った土煙の向こうにいたのは、偽レイムへと杖を向けるルイズであった。 細い体を小刻みに震わせながらも、彼女は自分が召喚した巫女と同じ姿をした存在に攻撃を加えたのである。 「ヒッ…」 そして攻撃の際に舞い上がった煙が消えた時、相手の視線が自分の方を向いたのに気付き、その口から小さな悲鳴を上げてしまう。 鳶色の瞳を丸くさせたルイズは端正な顔に恐怖の色を浮かべ、ナイフを手にした偽レイムと対峙する。 彼女の目は今もなお赤く光り続けており、それを見続けているだけで足が震えてくるような錯覚に襲われてしまう。 そんな相手に首を絞められ、死の淵に立たされた彼女であったが、それでも逃げるという選択肢は頭の中に無い。 恐怖のあまり流しかけた涙をと堪えるように目を無理に細め、杖を持つ手には更なる握力と精神力を注ぎ込む。 体中から掻き集めた精神力は右手を通して杖に入り込ませると同時に、口を動かし呪文の詠唱を行う。 ヴァリエールというこの国の名門貴族の末女としての生を授かり杖を持たされてから、何百回と行ってきた事だ。 既にその顔からは恐怖が拭い取られ、目の前の相手に断固負けはしないという気合が籠っている。 その呪文を聞いてまたあの爆発が来ると察したか、偽レイムが攻撃態勢に入る。 獲物に跳びかかる直前の猫の様に腰を低くし、逆手に握るナイフを後ろへと隠す。 そうしていづても動けるようになった直後、短い詠唱を終えたルイズが杖を振り上げた。 オーケストラの指揮者が持つタクトと酷似したソレを振り下ろせば、またあの爆発が来る。 ならば下ろす前にトドメをさす。今が好機と判断してか、身構えていた偽レイムが地面を蹴って接近しようとした。 ――――――しかし。 「アタシって、そんなに人の話を聞かない人間だって思われてるのかしらねぇ?」 そのブーツで地面を蹴り飛ばし、一気にルイズへと近づこうとしたその直前。 気怠さを隠す気配も無い言葉を放った霊夢が、偽レイムの左肩に遠慮も無く一本のナイフを突き刺した。 「ガッ!?」 気づいたときにはもう遅く、熱いとも言える激痛に偽レイムはカッと目を見開き、その場で大きくよろめく。 それでも戦えるのか、接近を許してしまった霊夢にせめてもの一撃をお見舞いしようと左手に持つナイフを大きく横に振った。 しかしそれは読まれていたのだろう。まるでスキップするかように小さく跳躍した霊夢は、その一撃を難なく回避する。 茶色の靴が地面を三回叩いた時には、霊夢は先程まで佇んでいた場所に戻っていた。 「レイム!」 時間にして五秒の間に助けられたルイズは、恩人の名前を呼ぶ。 しかしそれに応える素振りを見せない霊夢は面倒くさそうな表情のまま、空いた左手でポリポリと頭を掻いている。 「流石に二回も刺したら動きが鈍るかと思ったけど…痛みに鈍いんじゃ酷いくらいに面倒だわ」 右手に持つ最後の一本を左手に持ち替つつも、彼女は敵が健在であることに多少の辟易を感じ始めてしまう。 彼女の視線の先にいるのは、自分と同じ姿を持ちながらも、自分以上に凶暴な戦士だ。 肩に刺さったナイフをそのまま放置している偽レイムは、息を荒げつつも既に攻撃体勢を取り直していた。 加勢として失敗魔法を放ったルイズも、この位置にいたらまずいと察したのか、霊夢の方へ近づこうとする。 「ウ…グッ…!」 やや早歩きで移動する間、偽レイムは肩に刺さったナイフをそのままに呻き声を上げていた。 呼吸も乱れているのか、体全体が上下に動くかのように揺れてもいる。 しかしまだまだ戦えると宣言したいのか、その目でもって霊夢をジッと見つめている。 睨まれている彼女は特に身構えてはいないが、体から漂う気配からは緊張感が混じっていた。 何時相手が動き出すのか分からぬ状況の中で慎重に移動したルイズは、ようやく霊夢の傍へとたどり着く。 多少なりとも身構えたままのルイズは、相手を射抜くような視線を逸らさず、そっと口を開いて喋る。 「一体何が起こってるのよ…全然理解できないんだけど」 まるで誰かに質問するかのような喋り方に、隣にいる自分が話しかけられているのだ霊夢は気づく。 いつ攻撃を再開してくるかも知れぬ敵を見据えたままの彼女は、肩を竦めながらもそれに答える。 「それは私の方が聞きたいところよ。もうこっちは疲労困憊まであと一歩っていうのにさぁ」 「本当かどうかは分からないけど今のアンタの顔見ると、はいそうですか…って言いたくなるわね」 連続して降りかかる厄介ごとに辟易してしまった気分を隠さぬ返事に対し、ルイズは肯定的な言葉を送る。 それどころか、気怠そうな彼女に同意するかのごとく小さく頷いてみたりもした。 思えば霊夢と出会ってから今に至るまで、確実に五本指に入るくらいの異常な日であるのは間違いない。 今まで光る所を一回だけしか見なかったルーンの発光や、彼女のそっくりさんに殺されかけたりもした。 自分と魔理沙が見いぬところで同等…もしくはそれ以上の体験をしているであろう霊夢の苦労は、その顔を見ればある程度わかる。 夜遅くまで王宮で働き、朝早くに領地の視察を命じられてしまう哀れな下級貴族。 繊細すぎる彼の心は盛大な音を立てて壊れていくのを感じ取り、叫ぶ。始祖よ!この私に休息をお与えください――――と 疲労の色が濃ゆく滲む彼女の顔を見ながら、ルイズは脳内で小さすぎる寸劇を鑑賞していた。 もはや過労死まで五秒前という寸前の状態に苦笑いを浮かべつつも、思い出すかのようにハッとした表情を浮かべる。 今は妄想を思い浮かべるのではなく、もう一人のレイムをどうにかする時間なのだ。 そうして現実へと戻ってきたルイズは霊夢の横に立ちつつ、杖の先端をゆっくりと偽レイムに向ける (とりあえず目の前の敵…を片付けたらお疲れ様とでも言ってあげようかしら) 自分以上の苦労を背負背負っている同居人へ、ルイズはとりあえず程度の同情心を抱いた。 「まぁまぁこれは、随分とごちゃごちゃとした展開になってきたじゃないの?」 一方そこから少し離れた場所で、イレギュラーのキュルケは能天気そうに二人の霊夢を見つめている。 ルイズよりも前に首を絞められていた魔理沙は彼女の後ろで蹲り、未だに元気を取り戻せない。 最初と比べ多少なりとも回復はしたが、苦しそうに咳き込み続ける姿は何処か痛々しいものがある。 そんな彼女の前で平和そうに佇むキュルケであるのだが、これから先どうしようかと内心悩んでいた。 当初の予定としては、こんな廃墟へと足を踏み入れようとしたルイズを問い詰め、何があったのか聞く筈だった。 しかし今の状況を見れば、すぐに只事ではないと゛何か゛が起こっているのだと察せる。それも現在進行中で。 (どうしようかしらねぇ…飛び入り参加した私はどう動けば良いのか分からないわ) 魔理沙と交代するようにルイズが首を絞められた時に持った自分の杖は、未だ手中にある。 傷一つ無く、かといって新品でもない使い慣れたソレは、まだこの場で一度たりとも魔法を放ってはいない。 メイジにとって己の半身とも言える杖を手に、キュルケは自身の体に力を込めていく。 それと同時に、今の自分がどう行動するべきなのかも決めていた。 とりあえずルイズと左手が光ってる゛レイム゛に味方をし、血だらけの゛レイム゛と戦うか。 逃げる事はしないが、とりあえず手出しするのは危険だという事で様子見と洒落込むか。 二つの内一つしか決められぬ選択だが、キュルケはもう答えを決めていた。 否、彼女の性格を考えればどれが答えなのかはすぐに分かるであろう。 (色々とややこしい事になりそうですけど、知れそうなことを知らないまま過ごすのは不快ですわ) もう後戻りはできない。自分へ向けてそう言い聞かせるような決意をした、後ろから声が聞こえてきた。 声の主が自分の後ろにいる魔理沙だとすぐに気づいたキュルケは、軽い動作で振り返る。 「ゴホッ…よぉ、何だか騒がしいなぁ?…ゲホッ!」 そこにいたのは、地面にうつ伏せた姿勢から右手だけで体を支えつつ、上半身を軽く起こした魔理沙であった。 一、二回ほど小さな咳を混ぜつつも聞こえてくる快活な声は、ほんの少しだけ苦しそうに見える。 「あら、無理しなくても良いですのよ?何か本物かもしれないレイムが来てますし」 「かもれしれないって、曖昧…過ぎるだろ。もうちょっと…見極めてから、言ってくれよな…?」 無理をしているのではないかと思ったキュルケは、今の状況を手短かに伝えつつまだ休んでろと遠まわしに言う。 だが気遣いは無用と返したいのか、彼女の言葉に魔理沙はニっとその顔に笑みを浮かべながらも返事をする。 元気そうな笑顔を浮かべたいのだろうがまだ完全に回復してないのか、何処か苦々しい。 痩せ我慢しているという事が見え見えな彼女の姿を見て、キュルケはヤレヤレと言わんばかりに肩を竦める。 (類は友を呼ぶというモノかしら?あれじゃあ何時死んでもおかしくないわね) 物騒な言葉を心の中で呟いたとき、霊夢達の様子を見つめていた魔理沙がアッと声を上げる。 何かと思い振り返っていた頭を前に戻した直後、二対一の戦いが再び激しくなったのだ。 暫しのにらみ合いは、偽レイムが体を動かした事によって終わりを告げる。 先程の様に地面を蹴飛ばした彼女は、何とか視認出来る速度もって突撃を仕掛けてきたのだ。 右手に握る武器の先端をの真っ直ぐと、目前にいる二人へと向けて。 その内の一人であるルイズがハッとした表情を浮かべて杖を構えるよりも先に、彼女の隣にいた霊夢の動く。 相手が突き出してくる錆が目立つ刃先は、自分の胸を目指してくる。 「よっ…と」 それに気づいた霊夢は結界を張ることはせず、左手に持ったナイフをスッと構えた。 まるで自分の宝物だと言って他人に見せるかのように、錆びついたソレを軽い感じで目の前まで持ち上げる。 ルイズはその事に気づいてか、目を丸くして驚いたが…その口を開いて問いただすことは出来なかった。 「どうし――きゃあ…っ!」 彼女が喋ろうとした瞬間、それなりの速度で突っ込んできた偽レイムの攻撃を、霊夢はナイフ一本で防いだのである。 金属同士が勢いよく衝突することで僅かな火花が散り、ついでノイズ混じりの甲高い音が周囲に響く。 二人の傍にいたルイズはその音に驚き、悲鳴を上げて耳を防ぐ。 それで両者の争いが止む筈が無いことは当然であり、それどころか益々酷くなっていく。 両者共にゼロ距離ともいえるくらいに近づいており、互いに押し合う錆びた刀身が、嫌な音を奏でる。 武器を握る手が小刻みに震えるたびに刀身すら揺れる光景は、正に死霊が踊っているかのようだ。 しかしこの鍔迫り合い、以外にも短い時間で終わりを迎えそうであった。 一見すれば互角に見えるが、受け止めた直後と比べ霊夢の足がゆっくりと後ろへ下がり始めている。 対して偽レイムの方は慎重に前へ前へと進んでおり、どちらが有利なのかは陽を見るより明らかだ。 (やっぱ腕力は向こうが上ってところか、段々キツクなってきたわね) 下手すれば即死していたであろう攻撃を防いだ霊夢であったが、内心では愚痴を漏らしている。 さっきから頭の中に呟いている声に従い武器を拾ったものの、何も変わったような気がしない。 ルーンが伝承通りのモノならばありとあらゆる武器を使いこなせるらしいと聞いたというのにだ。 「無理せず結界でも張った方が良かったかしらね?」 「そんな事を言う暇があったら、相手を押し返しなさいよっ!」 無意識の内に口から出たであろう彼女の言葉に突っ込みを入れたルイズが、杖を振り下ろす。 両者がナイフ越しに睨み合っていた隙をついて詠唱を終えいたようだ。 「レビテレーション!」 先程と同じ呪文を力強くハッキリと叫んだ瞬間、偽レイムの足元に鋭い閃光が走る。 だが相手は本物と同じで、何度も引っ掛かるような人間ではないらしい。 ルイズの魔法が来ると察したか、傷だらけの体の重心を右へと傾け、ついで足もそちらの方へ動かす。 地面に食い込まんばかりに力を入れていた両足はあっさりと動き、流れるような動作で偽レイムは移動した。 結果、足元で発動し彼女を吹き飛ばす筈だった失敗魔法は、ルイズと霊夢に牙を向ける。 「ちょっと、わ…っ!」 「あぁっ…!」 威力こそ小さいが、爆発で舞い上がる土煙のせいで、霊夢は反射的に目を瞑ってしまう。 彼女の隣にいたルイズも同様であり、二人仲良く寂れた道路に蓄積していた煙を浴びる事となった。 両者共に目を瞑って咳き込む姿はマヌケにも見えてしまうが、今の状況では酷いくらいに場違いである。 何故なら、土煙をやり過ごした偽レイムにとって、この煙は予期せぬ好機を運んでくれたのだから。 爆発が来ると読んで先に目を瞑っていた彼女は、閉じていた瞼をサッと開ける。 灰色の絵具を三、白色の絵具を二で割ってできあがったような色の煙幕が、辺りを包んでいる。 爆発自体はさほど大したものではなかったが、爆風だけが強かったせいだろう。 まるで山間部に出る濃霧の如く濃ゆいソレは、彼女の視界をこれでもかと言わんばかりに殺している。 このままじっとしていれば土煙は自然に晴れるだろうが、生憎そんな悠長にしている暇は無い。 煙が消え去る事は即ち自分と同じ姿を持つ相手と、その隣にいた少女の視界も戻る。 そうなってしまう前に、今の状況を利用するのだ。怪我を負ってしまった自分が二人の相手に勝つために。 「この馬鹿っ…ゲホ……ッ何人の…邪魔してんのよ」 全てを一時の間隠す煙の中から、声が聞こえる。 何故か知らないが私と同じ姿を持ち、私自身が倒さなければいけない黒髪の少女、霊夢。 咳き込みながらもハッキリとした声で怒鳴る彼女に、鈴のように繊細でありながらも激しい声の主が反論する。 「コホッ…コホッ…うるさいわね!アンタが変な事して…ケホッ、危機に陥ったから助けただけじゃないの!?」 まだ会ってから数分も経たないであろう桃色のブロンドが眩しい少女。 一目見ただけでも彼女はどこか名家の生まれなのだと思ったが、それが勘違いだと思わせるくらいに性格が激しい。 今みたいに怒鳴る事もあれば、いきなり攻撃してきたうえに武器らしい杖を向けてきたのだ。 挙句の果てに自分を霊夢と勘違いしてか、彼女の名前を連呼してきて一人で泣きそうになっていたのは覚えている。 このままではヤバいと思い最初に近づいてきた魔法使い同様に首を絞めたのだが、流石にアレはやり過ぎた。 軽く投げ飛ばしていれば霊夢にナイフを投げつけられる事も無かったし、文字通り手痛い傷も受け――――――あれ? ――――――霊夢って、誰だっけ? 数分前の事を思い出した私は、霊夢という名前に対しそんな疑問を抱いてしまう。 以前にも、そうずっと前に何処かで聞いたことのあるのだ。変わっていると思ってしまうその名を。 霊夢。神仏との関わりが深い言葉を名前に使うような人間は、おそらく一人しかいないであろう。 その一人しかいないであろう名前を持つ少女が、今自分の目の前にいる。 ―――じゃあ、彼女が霊夢ならば…私は誰なのか? 何故霊夢を倒さなければならず、それどころか自身の体に渦巻く゛怒りの感情゛の原因となっているのか。 それよりも優先的に知りたいのは、記憶喪失と言われても仕方のない事であった。 自分の思いを他人に話して頭を打ったかと心配されても仕方ないし、別に話す必要もない。 他者の力を頼りにしなくとも、私は生きていけるのだから。今も、これられも… それなら、何で霊夢という他人の名前にこうも引っ掛かってしまうのだろうか? 無意識の内に脳裏を過る自身の疑問に自答している最中、私は過ちを犯したことに気が付く。 傾き始めていた頭を急いで上げると、辺りを覆っていた土煙が薄くなっており、すぐ近くにいるであろう敵の影が見える。 くだらない事に貴重な時間を使った。思っている以上にボケている自分に苛立ちつつ、身を構える。 本当なら煙が濃い間に決着を決めたかったが、今ならまだ間に合うかもしれない。 いつ折れても仕方がない程刀身が錆びたナイフを持つ手に力を入れ、腰を低くして突撃の体勢に入る。 攻撃への手順を踏んでいく間にも煙は晴れていくが、向こう側にいる相手は未だ口論を続けている。 そのまま続けていて欲しい。せめて、自分が貴女たちを殺せる距離に接近できるまで。 若干血なまぐさい願いを頭の中でぼやきつつ、いざ参らんと足を動かそうとした瞬間―――風が吹いた。 陽が暮れつつも未だ街中に残る熱気を吹き飛ばすかのような、一陣の突風。 背後から吹いてきた自然の息吹きは彼女の体を怯ませはしなかったものの、土煙には効果があった。 周囲の光景を隠していた煙は、まるでその役目を終えたかのように初夏の空気と共に舞い上がる。 その結果、つい一分ほど前に考え付いた偽レイムの作戦は呆気なく瓦解した。 「ちょ…っ、アイツまた攻撃を…ルイズ!!」 煙の外にいた二人の内一人であるキュルケが、目を丸くして叫ぶ。 ルイズの起こした爆発の生で状況を把握できなかった彼女は、口論を続けるルイズたちへ注意する。 しかし、こんな所で始まった言い合いに夢中になっているのか全く気付いていない。 「はぁ、私の妨害に来るのなら大人しく学院に帰ってくれれば良かったのに」 「うるさい、このお茶巫女!アンタこの私にどれだけ心配させたら気が済むのよ?」 熱を帯びたルイズとは対照的に冷たい霊夢も、今は相手との会話にご執心のようだ。 まだ戦いは終わっていないというのに、もう全てが片付いたと言わんばかりに腕を組んでルイズと向かい合っている。 一応左手にナイフを握っているが、相手はすぐに動けるよう腰を低くしている。 今の二人は、狼の目の前で血の滴る生肉を振り回す愚者そのものだ。 これでどちらかが致命傷を喰らったとしても、油断していたお前が悪いと言えるだろう。 「おいおい…あんなときに口喧嘩とか、ルイズも霊夢も暢気な奴らだなぁ」 地面に座り込み、少し荒い呼吸を繰り返す魔理沙がその顔に苦笑いを浮かべつつ、そう言った。 そして、彼女の言葉にキュルケは多少の同意はしたのか、顔を前に向けたまま「さぁ」と言って肩を竦める。 あぁお前もか。魔理沙はそう言いたげな笑顔を浮かべると、偽レイムの方へ目を向ける。 場違いな争いを行う二人とは反対に、自分の知り合いとよく似た姿をした敵の動きは止まっていた。 腰は低くしたままではあるが、もはや煙とも呼べない土の粒子が舞う空間の中で、ルイズと霊夢を凝視している。 これは流石に不味いなと思った魔理沙であったが、同時に相手の様子に異変が出始めたのに気が付く。 「なぁおい…、あいつ、何かおかしくないか?」 魔理沙の口から出た言葉にキュルケはキョトンとした表情を浮かべ、彼女と同じ方向へ目を向けようとする。 口論を続ける二人へと向けていた瞳がゆっくり左へと動いていく―――その最中であった。 錆びついたナイフの刀身を、砕かんばかりに地面へと叩きつける激しい音。 不気味だと思えるくらい青白く発光する、痛々しい切創が残る左手。 まるで獲物を跳びかかる狼の様に、地面を蹴り飛ばす右足。 キュルケと魔理沙の目では、赤い影だと見えてしまったほどの瞬発力。 「ッ…!?」 そして、自分とルイズに急接近する嫌な気配に、霊夢がハッとした表情を浮かべるよりも早く、 接近を許してしまった偽レイムが、勢いよく殴り掛かってきた。 先程まで無表情だったとは思えない程、憎悪に満ちた表情を浮かべて。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん いつもと変わらぬ魔法学院の日常の中で、平和を謳歌する生徒達は今日も授業へと赴く。 各々が必要な道具を持って指示された教室へ向かい、多くの在校生と卒業生達が腰を下ろした席に着く。 席に座れば連れてきた使い魔を後ろへと下がらせ、教師が来るまでに身なりをしっかりと整える。 そして教師は従業に使う参考書と杖を持ち、堂々と胸を張って教壇へと立つ。 授業は自分の担当する系統魔法がいかに素晴らしいのかを生徒達に教え、模範を示す。 生徒達はそれを習って自らの魔法を磨き、自らの将来に役立たせる。 そしてここを巣立っていくときには立派な魔法至上主義の貴族となり、自分の選んだ道を歩いていく。 ここトリステイン魔法学院で何百何千回も続けられてきた事が、それであった。 しかしここ最近の゛火゛系統の授業だけは、他の従業とは違うことをしていた。 まるで古くから続く魔法至上主義の授業を打ち砕くかのように、それは酷く斬新であり、異質であった。 人は古くから続くモノに安心するが、新しいモノには恐怖を抱く。 そしてそれは人だけではなく、人に近い喜怒哀楽の心を持つ゛人外゛たちも同様である。 ◆ 大勢の生徒と使い魔達が居る教室に、ミスター・コルベールの声が響いた。 「さぁさぁ皆さん、今日はこのミスター・コルベールが一限目の授業を請け負いますぞ!」 朝食を食べ終えて腹を満たし、満足そうな表情を浮かべている生徒達の耳に気合いの入った声にハッとした顔になる。 声の主であるコルベールは教室の隅にあるドアを足で器用に開け、妙なものを両手に抱えて教室に入ってきた。 一体何事かと生徒達はそちらの方へ目をやるものの、一部の生徒達は溜め息をついて視線を逸らす。 このトリステイン魔法学院において随一の変わり者と呼ばれているコルベールは、時折変な物を持ってきては授業でお披露目をしているのだ。 火の力を使ってフワフワと浮く紙袋や火を当てると途端に脆くなる石など、生徒達の将来には何の役に立たないものである。 しかし生徒達の何人かがそれを指摘してもコルベールはすました笑顔でこう言うのだ。 「知っててやっているのさ。一度きりの青春時代に、こういう面白い授業を体験するのも悪くはないだろう?」 魔法学院随一の変人と呼ばれる男は、この学院にとってイレギュラーとも呼べる存在であった。 そして今日、彼は長年研究し続け遂に完成一歩手前にまでこぎ着けたある物をお披露目しようと思っていた。 「先生、それは一体何ですか?」 一人の生徒が、教壇の上に置かれたある物に興味を抱き、質問を述べた。 他の生徒達もそれに目を通し、思った。成る程、あれを見て質問するのは仕方ない、と それは長い、円筒状の金属の筒に、これまた金属のパイプが伸びている。 パイプはふいごのような物に繋がり、円筒の頂上にはクランクがついている。 そしてクランクは円筒の脇にたてられた車輪に繋がっていた。 さらに、車輪は扉のついた箱に、ギアを介してくっついている。 今までミスタ・コルベールの授業でへんちくりんな物を見続けてきた生徒達は、首を傾げた。 先生はこれを使ってどんな授業を始めるなんだ?と、生徒達はその装置に視線を向ける。 コルベールは教え子達の反応を見て笑顔をうかべると、おほん!ともったいぶった咳をして語り始めた。 「さて、これから授業を始めるのだが…その前に誰か、この私に゛火゛系統の特徴を説明してはくれんかね」 十秒以内に収めてね。と最後に付け加えた後、生徒達の視線は謎装置からある女子生徒へと向く。 数十人の男女に視線を向けられても、彼女はそれが何だと言わんばかりに、爪ヤスリで爪の手入れをしていた。 今この教室に集っている生徒達の中で一番゛火゛の系統を知っているのは、自らの二つ名に゛熱゛という言葉を入れている彼女しかいない。 そんな風に見られている話題(?)の女子生徒、キュルケはだるそうな顔で手を挙げることもなく、言った。 「情熱と破壊…それこそが゛火゛系統の成せる技であって美でありますわ」 気怠そうなキュルケとは対照的に嬉しそうな表情を浮かべたコルベールは「その通り!」と言った。 「情熱はともかくとして、ミス・ツェルプストーの言葉通り゛火゛は四属性の中でも破壊の力に特化しているのは皆知っているだろう? 一度戦が起これば゛火゛を得意とするメイジは最前線の突撃隊の隊長として選ばれる程―――…らしい。私はあまり、知らんがな」 そこで一旦言葉を区切り、軽く息を整えるコルベールに一部の生徒は少しだけ反応を示した。 確かに゛火゛に特化した軍属のメイジ等は有事の際に先程言ったように突撃部隊の隊長や攻撃部隊の指揮官となる事が多い。 その次に゛風゛系統の得意なメイジが多く、時折゛水゛系統や゛土゛系統のメイジが指揮を執る事もあるが実例は極めて少ない。 ただ、その一部の生徒達が疑問に思ったことは一つ。『何で一介の教師がそんな事を知っているのか?』ということだ。 通常は軍の養成学院に入り、そこの座学などで初めて知るような事を、何故この平和思想の教師が知っているのだろうか? 彼らは一様にそんな疑問を浮かべては居たのだが、無理矢理にその答えを導き出した。 (まぁ…先生は学者を名乗ってるし…学者だから知ってるのかも) あまりにもいい加減すぎる答えに異論を唱える者はおらず、再びコルベールはしゃべり出す。 「しかし諸君、考えてみたまえ。他の属性…゛風゛゛水゛゛土゛は戦い以外の道に使える手段が多い! 風は動かぬ風車を回し、水は乾いた大地を潤し、土は荒んだ土砂を農業に適した栄養豊富な土に変える! それに引き替え…゛火゛は古来から怖れられてきた存在、戦いにしか使われるのも無理はない。 一部の者達は、゛火゛魔法は戦う為だけにあると豪語するが…私はようやく、それに対し全力で拒否の意を示す事ができる!」 まるで最終決戦へと赴く将兵達に檄を飛ばす王様のようにコルベールは喋っている。 それに対し生徒達はついていけずに固まる者、またある者はコルベールの思わぬ一面に驚いていた。 ただ一人…キュルケだけは大きな欠伸をしながら未だに爪のお手入れをしているが。 一方のコルベールはそんな生徒達に向けて勢いよく右手の人差し指を向けて喋り続けている。 その目には絶対的な自信の色が浮かんでおり、彼の頭よりも鋭い光を放っている。 「ここにいる生徒諸君…特にミス・ツェルプストー!よく見ておきなさい! 今ここに、我々の誇る文明と゛火゛が融合したこの装置が、その本性を見せるのですから!!」 もはや叫び声にも近い声でそう言うと、ヒュッと音が出るくらいに勢いよく左手の人差し指を、背後の教壇に置かれた装置へと向けた。 生徒達はその装置に目を向け、何人かは怪訝な表情を浮かべている。 「これは私が長い構想と研究、そして幾度かの試行錯誤を経て完成させた最高傑作です」 コルベールは先程と打って変わり逸る気持ちを抑え、この装置の説明を丁寧に行う。 「まず最初にすることは、このふいごを何回か踏んで中に入っている油を気化させる」 そう言って彼はしゅこっ、しゅこっ、と何処かこそばゆい感じがする音を立てるふいごを足で何回も踏んだ。 「するとこの円筒の中に、気化した油が放り込まれます」 慎重な顔になったコルベールは杖を取り出し、円筒の横に開いた小さな穴に杖の先端を差し込んだ。 次いで短い詠唱をして間もなく、断続的な発火音が聞こえ発火音は続いて、爆発音に変わる。 先程円筒の中に放り込まれた油が引火し、爆発音を出しているのだ。 爆発音を耳にした生徒達は目を丸くし、使い魔達はそちらの方へと視線を向け、コルベールは歓喜の表情を浮かべた。 「ほら、見なさい!円筒の中では今、気化した油が爆発する力で上下にピストンが動いているんだ!」 すると円筒の上にくっついたクランクが動きだし、車輪を回転させた。 回転した車輪は箱に着いた扉を開く。するとギアを介して、小さな赤色の何かがピョコッ、ピョコッ、と顔を出した。 炎を模した布製の皮膚を持ち、これまた先端が二つに割れた赤い布で出来た舌を開きっぱなしの口から出している。 それは黒いボタンのつぶらな瞳がキュートな蛇の人形であった。 あまりにあまりなソレに、様子を見ていた生徒達はボケーとした表情になってしまう。 そんな彼らを他所にただ一人、コルベールは無邪気にもはしゃいでいた。 「ほら見なさい!可愛い蛇君がコンニチハ、コンニチハ、と挨拶してくれるぞ!」 まるでサーカスを見に来た子供のようになってしまった教師を見て、生徒の何人かは溜め息をついた。 先程の演説に惹かれ、一体どんな物が見れるのかと思いきや、これはとんだ子供だましである。 そんな生徒達が今は目に入っていないのか、コルベールはピョコピョコと蛇が顔を出す装置の前で喋り始める。 「今はこうして、愉快な蛇君が出てくるだけだが、将来必ずこの技術を生かして素晴らしい物が生まれる。 例えば、この装置を更に大きくして荷車に載せ、車輪を回させる。すると馬がいなくても荷車が動く! そして更に、海に浮かんだ船のわきに大きな水車をつけてこの装置を使って回す。 すると風どころか帆がなくとも船が動くようになるんだ!」 そこで説明は終わったのか、コルベールは大きく深呼吸をすると生徒達の方へ目をやった。 コルベールの計算では、この時点で生徒達の大半がこの装置に期待の目を向けている筈であった。 しかし彼らの目には期待の色は浮かんで折らず、ペテン師を見るような目つきである。 そんな目で教師を見ている者達の一人がふと口を開き、言った。 「…そんなの、魔法で動かせばいいんじゃないですか?何もそんな装置を使わなくてm…「わかってない!君達は全然 わ か っ て い な い !」 一人の生徒の口から出た言葉は最後に到達する前に、コルベールの怒声によってかき消された。 いきなりの事に生徒達は驚きながらも、コルベールは捲し立てるように喋り始める。 「いいかね君達!?我々が魔法を使えるからと言っても限界がある。 もしも長い船旅の最中、風石が切れたらどうする?船はただの棺桶と化す! しかしこの装置をもっと発展させれば、僅かな魔力でも充分風石の代わりとなる これは単なる学者の発明ではない!後世に残る程の偉業なのだ!」 一部自画自賛が入った演説に、生徒達は何も言えないでいた。 皆が皆、いつもは温厚な彼の希薄迫る様子に怯んでいるのである。 (あのミスタ・コルベールがこんなに捲し立てるなんて…きっと余程完成させたかったのね…) 羽ペンを持ったまま硬直しているルイズもその一人であったが、今のコルベールには尊敬の念を抱いていた。 後世に残る偉業かどうかは別として、あんな面倒くさい物を作った努力は凄まじい物である。 誰にも認めて貰えず、しかし一度決めた信念を決して崩すことなく最後まで成し遂げる。 それはまるで、魔法が使えぬのならせめて座学だけでもと努力した自分と、被っているのだ。 最初は胡散臭い目で見ていたが、あの装置を無下にすることを、自分は出来ないだろうなーとルイズは思った。 (でも実際のところ、どう使ったらいいのかサッパリね…) 尚もピョコピョコと装置から顔を出す蛇の人形を睨みつつ、ルイズは溜め息をついた。 先程コルベールが使い方を説明していたが、ルイズにはあの装置が活躍するシーンが全く思い浮かばなかった。 魔法が使えぬがトリステインの公爵家出身の彼女は、生まれる前から魔法至上主義者として生きる宿命を背負っている。 ルイズだけではない、ここにいる生徒達の多くがそうであった。 物心つく前から親兄弟から魔法の偉大さを見せつけられた彼らは、本能的に「王家と魔法に適う存在無し」という考えを持っている。 王家と魔法さえあれば全てが統治でき、国は永遠に栄える。 そんな思想が、王家を含めた多くのトリステイン貴族達の頭を未だに支配していた。 それがこのトリステイン王国の伝統を守っていると同時に、小国となった原因だとも知らずに。 まぁ知らない事は無理に知らなくても良い、という事である。 ◆ 「ヒマね…」 ヴェストリの広場に、少女の声が響いた。 それは鈴の音のように綺麗であったが――心底暇そうであった。 「ヒマだわ…」 広場の柔らかい芝生にその背中を預けている少女は、スッと華奢な左手を上げた。 閉じている左手から人差し指だけを出し、遥か上空の青空を泳ぐ白い雲を指さして、数えようとする。 「ヒマ過ぎて寝るに寝れないわね…」 小さな溜め息をつくと数えるのをやめ、左手をダランと下げて芝生に寝かせる。 ふと何処からか小鳥の囀りが聞こえ、それに伴って翼が羽ばたく音も耳に入ってくる。 「…これじゃあ暇つぶしどころか…暇作りになってるじゃないの」 少女――霊夢は誰に言うとでも無く呟き、ゆっくりと上半身を起こした。 いつもとひと味どころか五味違った授業をルイズ達が受けているとは露知らず、霊夢は一人くつろいでいた。 以前ギーシュと闘ったヴェストリの広場。既に壊れた壁も修復された其所は、彼女以外誰もいない。 まぁ今日は休日でもなくちゃんとした授業がある日なので当然ではあるが、今の霊夢にとっては丁度良い場所であった。 彼女にとって心休まる場所といえば神社の縁側と鳥居の下、そして人も妖も来ない静かな所。 それならルイズの部屋も当て嵌まるが、三日前に戻ってきたインテリジェンスソードの所為で喧しい場所になってしまった。 「まったく…眠れそうな時に話し掛けてくるからおちおち眠れやしないわね…」 霊夢はウンザリするかのように呟き、ゴロンと寝返りを打った。 今まで空を見ていた彼女の瞳に、この学院の真ん中を陣取っている巨大な塔が写る。 それを見たい気分ではなかったのか霊夢は顔を顰めると再度寝返りを打つ。 背中を向けていた方へと寝返りを打つと、少し離れたところにシエスタがいた。 足首まで届くロングスカートの端が風に煽られ、小さな布の波を作りだしている。 その両手には洗ったばかりの白いシャツがたくさん入った籠を抱えている。恐らく仕事の合間にやってきたのであろう。 自分と同じ黒い髪はやや長めのボブカットにしており、黒い瞳とそれはどうにもうまくマッチしている。 黒と白を基調にしているものの、魔理沙の服とは全く違う雰囲気を醸し出しているメイド服はとても彼女に似合っていた。 彼女は頭全体を白い雲が泳ぐ上空へと向けており、その瞳は空を射抜くようにある一点を見つめている。 そんな彼女をじっと見つめている霊夢の視線には気づいていないのか、両手に持っていた洗濯籠を足下に下ろした。 ゆっくりと、まるで安らかに眠っている赤子を下ろすかのよう動作の後、シエスタは自らの懐を探る。 一体何をするのかと少し興味深そうな霊夢が近くにいることも知らず、彼女は小さくて茶色の包みを取り出した。 何年も使い続けているのかすっかり汚れきってしまったその包みを丁寧に取り、その中に入っていた物を手に取った。 包みとは対照的で、まるで純潔な乙女を思わせる程白いく、正方形の布であった。 それだけなら普通の布きれと呼べるが、その中心部分には大きな赤丸が描かれている。 赤丸は酷く乱雑で、子供の落書きと言える代物であった。 ソレを包みから取り出したシエスタは純朴そうな顔に暖かい笑みを浮かべた。 まるで遠く離れたところに暮らす家族が待っている家へと帰ってきた子供のように。 それを離れたところから見ていた霊夢には、シエスタの行動がイマイチ良くわからなかった。 (何かしらアレ…?布の中にもう一枚布が入ってたって事…?) 何が起こっているのか把握しきれない霊夢を尻目にシエスタは布の両端を掴むと、それを天高く持ち上げた。 まるで赤ん坊をあやすかのような行為をたった一枚の布きれにするというのは、少し奇妙な光景である。 だがシエスタにとってこの奇妙な行為は、とても大切な行為であった。 天高く掲げた薄い布は強く、眩しく、そして優しい陽の光を防ぐことは出来ず、布一枚越しにシエスタの顔を照らす。 布を通した光は布の中央に描かれた乱雑な赤丸のおかげで赤い光となった。 その時のシエスタは、それに負けないくらいとても眩い笑みを浮かべていた。 まるで子供だった頃を懐かしむような、あどけなく無垢な笑顔であった。 ◆ コルベールは困っていた。どうすれば今の事態を切り抜けられるのかを。 今日は長い月日を掛けて没頭していた新しい研究の成果を授業を使って生徒達に発表していた。 それは、このハルケギニアにおいて誰もが見たことのない、未知の可能性を孕んだ存在だと彼は思っている。 油を使い、単純な魔法だけでそれを爆発させてその力でカラクリを動かす。 将来的には魔法の力など介さず、手順が分かれば子供でも大きな船を動かすことの出来る全く新しい力。 学者である彼は、学院の授業ではなく十分な知識を持った学者達に見て貰いたかったがそれは無理な話だと知っていた。 このトリステインにおいて学者というのは神学者に近い存在であり、その学者達が集まる「アカデミー」では魔法の効果を探る場所となっている。 例えば、火の魔法を用いて街を明るくしようとか、風魔法を用いて、大量に貨物を運んだり…といったコルベールの向きの研究は行われていない。 そういったものは評議会や古参の研究員達からは「下賤ではした無いもの」として異端扱いされ、追放されたり研究停止に追いやられる。 代わりに行われている研究といえばどのような火の形がより、始祖ブリミルが用いた火の魔法に近いとか。 降臨祭の際に使われる蝋燭を揺らすための風は、どの程度が良いのか。 聖杯を作るための土の研究とか。コルベールの考える「学問」とは大きくかけ離れた事をしていた。 そんなところへわざわざ赴いてまで自分の研究を見せに行ったとしても、門前払いが良いオチである。 そう考えたコルベールが更に考えてたどり着いた結論が、今に至る。 コルベールの研究を見た生徒達の大半は、ワケが分からないと言いたげな表情を浮かべている。 今まで魔法が自分たちの生活に深く浸透していた彼らは、きっと心の中で呟いているだろう。 「こんな馬鹿げた物が無くとも、魔法があれば誰も不自由しない」と。 ほぼ全員が魔法至上主義者であるメイジとしては、まともな答えである。 平民達には不可能な「始祖の御業」である魔法に不可能など無い。 魔法さえあれば万事解決、もう何も恐くないはないし、他に何もいらない。 学者である前にメイジであるコルベールにとって、それは痛いほど自覚している。 ただ、そうまでして彼はあるモノを欲していた。 出せそうですぐには出せない、あるモノを。 (馬鹿にされたり笑われても良い…誰かひとり…ひとりだけでも好奇心旺盛な表情をうかべてくれれば…) コルベールは期待と不安が浮かんでいる顔で教室を見回すが。彼が望む表情を浮かべている者はいない。 大半が嘲笑の表情を浮かべており、中には見る価値無しと無表情な生徒達もいる。 たった一人、ミス・ヴァリエールだけは困ったような表情を浮かべてはいたが、理由はわからない。 ―――まだだ!まだ諦めるなコルベール。ここで諦めたら今まで頑張ってきた意味がないのだぞ! 自分の心に喝を入れつつ、コルベールは一度深呼吸をするとしゃべり出した。 先程叫びすぎて喉かヒリヒリと痛むのだが、そんな事は言っていられはしない。 「さてと…一通り話し終えたところでひとつ提案がある。…だれかこの装置を動かしてみようとは思わないかね?」 既に停止している装置を指さしながら、コルベールは言った。 まさかこんな言葉が出てくるとは思わなかったのか、生徒達は少しだけ驚いたような表情を浮かべている。 そんな生徒達に休ませる暇を与えず、コルベールはこれみよがしにどんどんと話を進めていく。 「なに、やり方は簡単さ。円筒に開いたこの穴に杖を差し込んで『発火』の呪文、するとほら…このように!」 先程したように装置を起動させると、ふたたび爆発音か教室中に響き渡る。 爆発の力でクランクと歯車が動き出し、蛇の人形がピョコピョコと顔を出す。 「愉快な蛇くんがご挨拶!ほらご挨拶!!――――…なんちゃって」 最後の一言が良くなかったのか、教室にいる生徒達は誰も動こうとしない。 皆コルベールの顔に奇妙な生物を見るかのような目を向けたまま硬直していた。 教室の中に響くのは装置から出る爆発音と、使い魔達の喧しい鳴き声だけ―― 「その装置。私が動かしても良いのかい」 ―――ではなかった。 ふと、使い魔達が待機している教室の後ろから、少女の声が聞こえた。 まるで男の子のようなしゃべり方だが声はとても元気な少女のそれである。 その声を聞いた生徒達は一斉に後ろを振り向き、そこにいた一人の少女を凝視した。 白と黒を基調とした服装は、少女との相性が良くその存在をハッキリとさせている。 頭に被った帽子は大きく、彼女の頭と不釣り合いに見えてそうでもない。 帽子からはみ出たウェーブの掛かった金髪は艶が良く、輝いているようにも見える。 まるでおとぎ話の中から飛び出してきた魔女のような姿をした少女に、生徒達は釘付けとなった。 何より男子生徒達の視線は、その少女の顔に集中していた。 美術館に飾られているような真珠の如き白い肌に均整の取れた顔は、見る者を魅了させる。 事実、恋に夢中であるお年頃の男子達はその顔を見て目を丸くし、ホゥ…と見とれている者までいる始末だ。 多くの視線が自分に集中しているというのに動揺することなく、少女は再度口を開く。 「誰も名乗り上げないのなら、私が動かしてみても良いんだろ?」 少女―――魔理沙はその顔に見合った声で、コルベールに尋ねた。 その言葉と、コルベールの作った装置を見つめている瞳には、探求心と好奇心が混ざり合っていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ドアを開けようとした矢先、霊夢の耳に魔理沙とルイズの声が入ってきた。 「ちょっ…ま…どうやって来たんだよお前!?」 声の感じからして、恐らく考えてもいなかった事態に直面して焦っているようだ。 それに続いてカンカンに怒っているであろうルイズも聞こえてきた。 「やっぱり霊夢を追ったのは正解だったようね!どうせ二人してしばらく雲隠れでもしようかと企んでたんでしょ!?」 「うぇっ…?おいおいちょっと待てよ、霊夢はともかく私は逃げる気なんてないぜ」 「嘘おっしゃい!下手な嘘付いたらその分痛い目を見る事になるわよ!?」 霊夢はドアの前でふと足を止めた。どうやってルイズがここまで来れたのだろうか? ここは学院から結構離れているし、何よりどうやって追いついてきたのか。 色々と疑問が浮かんでくるがそれを解決する前に、ルイズの゛勘違い゛をどうにかする必要がある。 もしも魔理沙の言葉を鵜呑みしてしまったら、全ての怒りが自分に降りかかってくるのだから。 (別にこっちは逃げる気なんてサラサラ無いっていうのに…疲れるわね) 心の中で呟きながらドアノブを握り、力を込めてドアを開けた。 瞬間、ドンッ!となにか柔らかいモノにぶつかったような鈍い音が響き、次いで「キャッ!?」という少女の声が聞こえた。 「あっ!ちょっ霊夢お前…なんてことを…」 霊夢を見て、魔理沙はビックリしたと言いたげ表情を浮かべて目を丸くした。 「何よ魔理沙。そんなに目を丸くして…あら?」 魔理沙に向かって一歩踏み出そうとしたとき、霊夢は自分の足下でルイズが倒れている事に気がついた。 プリッツスカートに包まれた小さくて可愛らしいヒップを、霊夢に向けて突き上げるような形で倒れている。 「声が大きいなぁと思ったらそんなとこにいたのね。アンタ……って、あれ?」 倒れたルイズを見下ろしながら喋っていた霊夢の視界に、ある物が目に入った。 ルイズの手元に転がっていたそれは、鞘から出ないよう縄でキツク縛られたデルフであった。 (デルフ?何でこんなところに…) ここにいない筈のルイズよりも更にいないと思っていたデルフが転がっていた事に、霊夢は目を丸くした。 一体全体、どうしてこんなヤツがルイズと一緒に、どうやって森の中まで私たちを追ってきたのか? 色々と考えたい事が山ほどあるのに、更に疑問の種が一気に二つも増えた事に、霊夢は溜め息をつきたくなった。 そんな時、目の前の厄介事であるルイズの声が足下の方から聞こえてきた。 「…あぁ!」 「ん?」 霊夢がそちらの方へ目をやると、顔だけをこちらに向けたルイズが目を丸くしていた。 まるで何度も捜したが今まで見つからなかった捜し物がカンタンに見つけてしまったときの様な表情を浮かべている。 「レ、レイム!!」 ルイズが大声でそう言うと、霊夢は両手を腰に当てて言った。 「そう、私が博麗霊夢。素敵な巫女さんよ」 「ま、見た目はステキでも賽銭箱の方はいつも空だけどな」 それに続いて魔理沙が余計な事を言ったが、霊夢はあえて無視することにした。 一方のルイズは、急いで立ち上がると腰に差した杖を手に取り、それを霊夢に向ける。 「ようやく見つけたわよレイム。もう逃げられないんだからね!」 ルイズは鬼の首を取ったかのような表情を浮かべ、言い放った。 だが杖を突き付けられても尚霊夢の態度は変わらず、腰に手を当ててルイズをジッと見つめている。 やがてルイズが杖を突き付けてから十秒ほど経ってから、霊夢がルイズの後ろにいる魔理沙に話し掛けた。 「ねぇ、さっき雲隠れがどうとか言ってたけど…なんか色々と勘違いしてるわねコイツ」 霊夢のうんざりとした雰囲気が漂う言葉に答えたのは魔理沙ではなく、ルイズであった。 「か、勘違いですって!?嘘おっしゃい!アンタたち私が詰め寄ったときに部屋から出て行ったじゃないの!?」 「だってあの時どちらかが出て行かなかったら部屋が使い物にならなくなってたでしょうに?」 ルイズの怒りが篭もった言葉に対し、霊夢はやけに冷めた感じの言葉で返す。 霊夢の言葉にルイズの表情がうぐぐ…と言いたげな苦い表情に代わり、杖をギリリと握りしめた。 一方、半ば蚊帳の外にいる魔理沙は霊夢の言葉を聞いてあぁ成る程と心の中で感心した。 確かに、あの時のルイズは今よりも大分怒っていて下手したら部屋の中でドンパチ騒ぎが始まってただろう。 そうなってたらまず部屋が滅茶苦茶になっていたし、何より一緒にいた自分やシエスタまで巻き込まれていたかもしれない。 だとすれば、あの時霊夢が出て行った事にも納得できる。 (割と他人に冷たいところはあるが、少しだけ優しいところがあるじゃないか。…まぁ少しだけな) 一人勝手に納得しつつ、魔理沙はウンウンと頷いていた。 ちなみに、魔理沙はルイズの魔法がどんなものなのか未だに知らない。 授業には出ているものの、ルイズの事を知っている教師達が敢えて指名しないので、魔理沙はまだ一度も目にしていないのだ。 「そう…。なら、ここでアンタに魔法をお見舞いしても大丈夫の筈よね」 ルイズはそう言うと霊夢から少し距離を置き、ルーンの詠唱を始めようとする。 それを見て「お、コレは不味いぜ」と感じた魔理沙が急いでルイズの肩を掴んだ。 「おいおい、同じ部屋の住人同士でやり合う気かよ?」 突如後ろから入ってきた魔理沙に対して、ルイズは鋭い視線を浴びせる。 今のルイズの綺麗な鳶色の瞳には、紛うこと無き憤怒の色が浮かび上がっていた。 止めてなかったら今頃大変な事になっていた。と魔理沙は心の中で震えた。 「離しなさいマリサ」 ルイズの言葉には、いつもの綺麗な声には似合わないドスが混ざっている。 それに対し、魔理沙はいつもの態度と言葉で言い返す。 「離したら大変な事になるだろ」 「大変な事ですって?私はただ、アイツに人の礼儀を教えてあげるだけよ」 ルイズのその言葉に、魔理沙はヤレヤレと首を横に振りながら、こう言った。 「おいおい、クッキーの事はまだ根に持ってるのかよ?まぁほんの数時間前の事だけどな」 魔理沙の口から出た「クッキー」という言葉は、見事なほどの失言である。 黙っていれば良いものの。わざわざ事の発端となった数時間前の記憶を、魔理沙は掘り起こしてしまった。 「…良いわよ。そこまで言うなら、アンタにも今から教えてあげるわ。人としての礼儀ってヤツを」 ルイズは目をキッと鋭くさせてそう言うと自分の肩を掴んでいる魔理沙の手を勢いよく振り解き、ルーンの詠唱をし始めた。 手を振り解かれた魔理沙は後ろに少し下がりつつ、霊夢の方へ視線を向ける。 「どうする霊夢?もう滅茶苦茶やる気のようだが…」 「…う~ん、とりあえずルイズの思い違いをどうにかした方がいいかしらね」 魔理沙の言葉に霊夢は肩をすくめながらそう言うと、ルイズの体がピクリと反応した。 詠唱は既に終わっており、後は杖を振るだけで魔法が発動する状態である。 要は、手榴弾のピンに指をかけた人間を説得するようなものだ。 しかも相手はピンを抜いたら自爆覚悟で爆発させるだろう、何があっても。 霊夢はヤレヤレと言いたげな溜め息をついた後、ルイズに話し掛けた。 「まぁ何処から話せばいいか迷うけど。とりあえずここへきた理由を話しといた方がいいかしら」 「理由ですって?魔理沙と一緒にアタシから逃げるためにここへ来たんじゃないの?」 霊夢の言葉にすかさずルイズが反応し、そう言い返した。 「別に逃げやしないわよ。第一、雲隠れ程度でアンタの怒りが収まるワケがないのは知ってるし」 しかし霊夢はイヤイヤと右手を振りながらルイズの言葉を否定する。 彼女の言葉を聞き、怒りの篭もったルイズの瞳が少しだけ丸くなった。 「じゃあそれだけ私のコトわかっといて、どうしてこんな所にまではるばるやってきたのよ」 「それはこっちも言いたい台詞だけど…まぁ面倒くさいから先に話しとくわ」 霊夢は頭に浮かぶ疑問を抑えつつ、ここまで来た経緯をなるべく簡潔に説明し始めた。 ◆ ――――…イタ イタ イタ ミツケタ ミツケタ ミツケタ モドッテキタ モドッテキタ モドッテキタ ドウスル ドウスル ドウスル サンニン サンニン サンニン ヒトリモクヒョウ ヒトリメイジ ヒトリツヨイニンゲン ミギウデナイ ミギウデナイ ミギウデナイ ツライ ツライ ツライ タイキ タイキ タイキ カンサツ カンサツ カンサツ タイミング タイミング タイミング タイミング ハカッテ コロス コロス ノハ アカイリボン ノ ニンゲン ・ ・ ・ ・ ――…とまぁ、そういうワケよ」 「へぇ~…そうだったのね」 時間にして数分間、自身の誤解を解くための短い説明が終わった。 霊夢が自身の誤解を解くためにルイズにはこう説明した。 ルイズの部屋を出た後、男子寮塔の屋上で昼寝していた。 それからしばらくすると、遠くの方から変な鳴き声が聞こえてきた。 何かと思い目を覚ますと、ふと変な気配(霊夢曰く無機質な殺気)を感じた。 以前にも似たような気配を持つ虫の怪物と戦ったことがあり、ソイツの姿が思い浮かんだ。 とりあえず放っておいても何時人を襲うかわからないので確認or退治しに行くことに。 しかし、目的地についてみると既に魔理沙がいて怪物がいたから退治してやったと言った。 確かに気配も無くなっていたのでとりあえず近くの山小屋に入ったら、外からルイズの声がした。 霊夢の説明を聞き終えたルイズは杖を霊夢に突き付けたまま、視線を少しだけ下の方へ動かす。 (そう言えば…デルフが帰ってきた夜の時に化け物がどうとか言ってたわね…) 足下に転がっているデルフをチラリと見つつ、ルイズはその時の事を思い出した。 ※ あの日… 部屋に帰ってきた霊夢から聞いた話は、まさかと思いあまり信じてはいなかった。 だがその翌日、生徒達の間で女子寮塔の事務室にいた教師達と警備の衛士達が気絶していたという事件を聞いたのである。 聞くところによると事務室に二人いた内の一人は衛士達の宿舎に倒れていて、衛士達は全員が持ち場で気絶していたという。 更に女子寮塔の事務室が大きく荒らされ、その事務室の前でミセス・シュヴルーズが倒れていたのだという話も後になって知った。 その後教師達が何が起こったのか色々調査しており、衛士達や当直の教師たちに事情聴取をしているという事も…。 ルイズは周囲のうわさ話を聞き、霊夢の言っていた事が真実なのだと確信した。 ところどころいい加減な所が垣間見える性格の持ち主であるが、あまり嘘をつくような人間ではないという事はこれまで一緒に過ごしていてわかっていた。 その後霊夢の口から更なる詳細を聞きだしたルイズは以前幻想郷へ連れて行かれた際、紫に言われた言葉を思い出した。 ―えぇそうよ。…キッカケとはいえ、幻想郷とハルケギニアを繋いだ彼女の力は凄まじい。 恐らくは今後、そんな彼女を狙って色んな連中がやって来る そしてその中に、今回の異変を起こした黒幕と深く関わっている連中が混じるのも間違いないわ つまり彼女の傍にいれば、自ずと黒幕の方からにじり寄ってくるって寸法よ もしかすれば…霊夢が倒した怪物をけしかけたという貴族は、その黒幕の仲間かもしれない。 推測の域を出ないが、ルイズはそんな事を思ったのである。 ※ そこまで思い出したルイズの思考は、ある結論へと辿りつこうとしていた。 (もしかしたら今回の怪物というのは…イヤでも、ちょっと待って) だがたどり着く前に目の前にいる霊夢を見て、別の疑問が浮かび上がる。 その疑問を考えていく内に、段々とその表情が訝しいものへと変わっていく。 (でもレイムはここぞという時で嘘をつくような性格じゃないし…イヤ、でも…) 霊夢に突き付けていた杖を下ろし、自らの疑問と格闘し始めたルイズの顔には疑心の色が浮かんでいた。 「…なんかあんまり信じてなさそうね」 「当たり前じゃないの」 ルイズの顔色を見て霊夢がそう言うと、すぐにルイズも言葉を返した。 それは咄嗟の反応であったが言ってしまったが最後、自らの頭の中にある疑問を口にするしかなかった。 「この前倒したはずの怪物の気配をまた感じたなんてこと言われて、「はいそうですか」って言葉はすぐに出ないわよ」 簡潔に言えば「あなたの言っている事はイマイチ信用出来ない」という言葉に、霊夢の表情が少しだけ険しくなる。 「だからその怪物を、魔理沙が退治したって言ってたじゃない」 少し嫌悪感が漂う言葉で霊夢がそう返すと、ルイズは後ろにいる魔理沙の方へ視線を向けた。 「マリサ、アンタが戦った怪物ってどんなヤツだった?」 ルイズがそう質問すると、マリサは得意気な表情を浮かべて質問に答えた。 「あぁ、まぁトカゲというより爬虫類人間って感じのヤツだったぜ。少なくとも霊夢の言ってた虫っぽくはなかったな」 質問の答えを聞いたルイズは一呼吸置いた後、再度質問をする。 「その怪物と出会ったとき。何か変な、というか異質な気配を感じなかった?」 「いや、全然。まぁでも霊夢なら…何かの気配とかそういうの感じられそうだな」 魔理沙がそう言った後、ルイズと魔理沙は霊夢の方へと視線を向けた。 二人分の視線に当てられた霊夢は、ほれ見たことかと言わんばかりに肩を竦めて言った。 「別に気配の持ち主が虫の怪物ってワケじゃないかもしれないわよ」 「はぁ?」 突拍子もなく霊夢の口から出た言葉に、ルイズは首を傾げた。 「それってどういう意味よ」 「別に…ただ、あれはどうも普通の生き物って感じじゃあなかったし」 まるで人間と複数の虫を合成して作ったみたいなヤツだったわ。と霊夢は最後にそんな言葉を付け加えた。 それに続いて魔理沙もハッとした表情を浮かべると、思い出したかのように喋りだす。 「そういや…ワタシが戦ったヤツもなんというか…キメラみたいなヤツだったぜ」 魔理沙の口から出てきた単語に、ルイズの眉がピクンと動いた。 「キメラ…ですって?」 「あぁ、まるで爬虫類と人間を無理なく混ぜ込んだような気味悪いヤツだったよ」 でも退治したから二度と会うこともないな。と魔理沙は得意気にそう言った。 一方のルイズは、魔理沙の口から先程出た「キメラ」という単語が頭の中で引っ掛かっていた。 「その様子だと、何か心当たりでもあるのかしら?」 それに気づいた霊夢は、一見すれば何かを考えている風のルイズに声を掛ける。 霊夢に声を掛けられ、ルイズはほぼ反射的に言葉を返した。 「え…いや、キメラに関係した何かの研究を何処かの国が行ってたって噂話を聞いた事が…」 「へぇ、この世界じゃあキメラとか結構作ってるんだな」 自分もやってみたいと言いたげな感じで、魔理沙が呟く。 それは魔理沙の独り言であったものの、そうだと気づかなかったルイズは話を続けていく。 「作ってるって言ってもそんなの一部の国だけよ…色々危険だって噂もあるし」 「一部の国って何処の国よ?」 言い方が突っ込みに近い霊夢の質問に、ルイズは苦々しく答えた。 「そこまで知らないわ…ただそういう事がされてるって話をずいぶん前に街で…――…って、あぁっ!」 だがそれを言い終える前に、突如ルイズが素っ頓狂な声を上げた。 「どうしたのよ?」 「どうしたのよじゃないわよ!…話が逸れて危うく忘れるところだったじゃない!」 霊夢の言葉にそう返すと、ルイズはキッと霊夢を睨み付けた。 ルイズの言葉を聞き魔理沙はアッと言いたげな顔になり、霊夢は気怠げな表情を浮かべる。 どうやら話が少し逸れてしまった所為で、ルイズはここまで来た目的を忘れかけていたらしい。 そのまま忘れてくれれば良かったのに。霊夢は心の中で呟いた。 ルイズはコホンと小さな咳払いをした後、魔法を放つ気は無くなったのか杖を腰に収めると喋り始めた。 「まぁー…とりあえず、クッキーの件に関しては一つだけ言っておきたいことがあるわ」 ここで何か言ったらまた話が逸れると思い、霊夢と魔理沙は何も言わずに聞くことにした。 「あの後色々と考えて、そこで転がってるデルフにもアドバイスを貰ってね…ある答えに辿り着いたのよ」 ルイズはそこで一旦言葉を止めると、ピッと右手の人差し指を霊夢に向けた。 「…?」 突然指さされた霊夢は怪訝な表情を浮かべたところで、ルイズは後ろを振り返る。 「お、何だよ?」 後ろにいた魔理沙も霊夢と同じく怪訝な表情を浮かべると、ルイズは深呼吸をする。 肺に溜まっていた空気をある程度入れ替えた後彼女は出来るだけ胸を張った後、言った。 「今回の件、もう二度としないって約束してくれるのなら…む、む、無条件で…ゆ、ゆるしてあげるわ!」 その言葉はルイズ本人からしてみれば、かなりの大妥協であった。 本当ならば…、謝罪と軽い処罰でも与えようかと思っていたのだから。 しかしデルフが言ってくれた言葉と自身の考えもあってか、「謝罪と罰を与える」という考えを外す事にした。 (あの時のデルフの言葉…以外と役に立ったじゃない) 言い終えたルイズは胸を張った姿勢のまま、足下に転がっているインテリジェンスソードを一瞥した。 ゛ちっとは大目に見てやろうぜ。そうでなきゃいつまでも溝は埋まらねぇぞ゛ その言葉を聞いてからここへ来る途中、ルイズは以前父親から授かった一つの言葉を思い出したのだ。 「貴族となる子供がまず最初に持つべき心とは。些細な事を自分から許し、共に手を繋いで歩いてゆこうとする寛大な心だ」 ルイズのベッドに腰掛けた父は、その大きな手で彼女の頭を撫でながら言ってくれた。 今思えば、その言葉にはこれから家を離れて暮らすことになる子供を思っての言葉だったのであろう。 例え喧嘩になってもこちらから許し、友と共に三年間の青春を歩んで欲しいという、父の言葉。 ルイズは今になってその言葉を思い出し、初めて許すことにしたのである。 最も、ある程度プライドが出来てしまったので、最後辺りで若干噛んでしまったのだが。 そんな言葉でも、直ぐ傍にいる霊夢と魔理沙に今の自分の意思を伝えることが出来た。 ルイズが言い終えた後、最初に口を開いたのは霊夢であった。 「…意外ね、アンタの口からそんな言葉が出るなんて」 「ふぇ!?…と、当然じゃない!これからし、しばらくの間三人で暮らすんだし!些細なことでけ、け、…喧嘩になってたら駄目じゃないの!」 今まで黙っていた霊夢がそう言うと、ルイズは言葉を噛みながらも言い返す。 一方の霊夢は、噛みながらも自分の意思をハッキリと伝えてくるルイズに対しある程度感心していた。 (プライドが高すぎるヤツだと思ってたけど。…やっぱり人間って変わるモノね) 心の中でそんな事を思いながらその顔に小さな笑みを浮かべると、口を開いた。 「じゃあ今度からは、普通に食べて良い茶菓子ぐらい用意しときなさいよね」 霊夢の口から出た意外な言葉に、ルイズはすぐさま反応した。 「はぁ?それってアンタたちが用意しとくべきじゃないの!」 「部屋の主なら、接客用の菓子くらい用意しとくべきだぜ?」 二人の会話に突然割り込んできた魔理沙の言葉を聞き、ルイズはキッと眼を話染めて彼女の方へ顔を向けた。 だが、ルイズの視界に入ってきた魔理沙はその顔に笑みを浮かべていた。初めて見るような暖かい笑みを。 まるで太陽の様に暖かく、優しい笑みはルイズにとって何処か懐かしさのあるものであった。 その笑顔を見ている内に、ルイズの中にあった怒りの感情は心の奥深くへと隠れてしまった。 ルイズは自分の思考を切り替えるかのようにゴホンと改めて咳払いをした後、自信満々な態度を隠さずに言った。 「そ、そ、そういうことなら任せなさい!あんた達も泣いて喜ぶほどの美味いのを用意しといてあげるわ!」 大見得を切ったルイズの言葉に、魔理沙はさもおかしそうにケラケラと笑った。 「おぉ、そいつは楽しみだな!ま、出来るだけ早く頼むぜ」 まるで少しだけ優しい借金取りが言いそうな言葉に、ルイズがすぐさま反応する。 「ちょ、待ちなさい。何よその言い方は…!」 ルイズは思わず両手を上げて怒鳴ったが、その反応がウケたのか魔理沙はまたもクスクスと笑った。 先程までの殺伐とした雰囲気は既になく、何処か穏やかなものへと変化していた。 ※ 「まさかこうなるなんて、流石の私でも思ってなかったわねぇ」 魔理沙とルイズのやり取りをボーッと見つめながら、霊夢はひとり呟いた。 以前のルイズならば、例え相手が神であろうとも杖を抜いて怒鳴る程の短気であったのに。 あのおしゃべりな剣に何を吹き込まれたのか知らないが、それがこの結果に繋がったのだからナイスであろう。 (剣としては錆びてて使えないけど、割と使えるじゃないの。) ルイズの足下に転がっているインテリジェンスソードに、霊夢はささやかな感謝の念を送った。 それがちゃんと届いたのかどうかは知らないが。 (まぁこの件は一件落着として、ルイズに聞きたいことがあるのよね) 心の中で呟きながら二人のいる方へ近づこうとした時…――――気配を感じた。 それは霊夢にとって覚えのある気配であったが、出来れば再び感じたくない代物であった。 何故ならその気配が、人間の出せるモノではないと知っているからだ。 だが、その気配を感じ取った霊夢の頭に、二つの疑問が浮かび上がった。 なぜ今まで気づかなかったのか?どうして話している最中に襲ってこなかったのか? その疑問解決する暇はなく、霊夢はほぼ反射的に振り向いた。 そして、振り返った霊夢の視界にまず入ってきたのは… 自分の顔目がけて左手に生えた鋭い爪を振り下ろそうとする、怪物の姿であった。 霊夢は襲いかかってくる相手に対し、反撃や防御が間に合わない事を瞬時に悟る。 彼女は自身の運動神経に賭けて後ろへ――ルイズと魔理沙のいる方へと跳んだ。 しかし、それは間に合わなかった。 ※ 「あんたの言い方だとまるで私の家が貧乏貴族みたi「ウアッ…!!」…え?…ッキャア!」 魔理沙と喋っていたルイズの耳に、突如霊夢の叫び声が入ってきた。 思わずそちらの方へ目を向けた時、コチラに背中を向けた霊夢が勢いよくルイズの体にぶつかってきた。 ルイズはこちらへと飛んでくる霊夢に対して為す術もなく、後ろにいた魔理沙をも巻き込んで吹き飛んだ。 「ドワっ!?」 魔理沙もまた突然の事に体が対応できずルイズと同じく吹き飛ばされ、背後にあった斜面を転がり落ちた。 ゴロゴロ…ゴロゴロと丸太のように転がっていき、ルイズと霊夢もそれに続いて斜面を転がっていく。 幸い斜面にはある程度草が生えていたお陰で三人共怪我はしなかった。 「アイデッ!?」 だが、最初に転がった魔理沙は、続いて転がってきたルイズの下敷きとなり。 「アゥッ…!」 ルイズもまた、最後に転がってきた霊夢の下敷きとなった。 少女二人を背中に乗せたまま、魔理沙は苦々しく呟いた。 「クソッ…何だよイキナリ」 その言葉に、霊夢を乗せたルイズが苦しそうに喋る。 「あ、アタシだって知らないわよ、ただレイムが突然…―キャア!」 「おっおいどうし…あっ!」 喋りつつも霊夢の方へ顔を向けた瞬間、ルイズは叫び声を上げた。 その叫び声に驚きつつ魔理沙も霊夢の方へ顔を向け、驚いた表情を浮かべた。 二人の視線の先には、何とも痛々しい光景が広がっていた。 霊夢の左肩。服から露出したその部分には、先程まで無かった切り傷が出来ていた。 傷口自体は浅いのだが、そこを通してゆっくりと血が外に流れ出ている。 叫び声を上げたルイズは思わず目を瞑ってしまい、魔理沙は驚きのあまり目を見開いていた。 一方の霊夢は傷口を手で押さえようともせず、ただただ痛みに堪えている。 「クゥッ…」 「おっおい霊夢!大丈夫か!」 「大丈夫なワケ…ないでしょうが…見て分からないのこのバカ!」 いかにも苦しそうな呻き声をあげた霊夢に、咄嗟に魔理沙が話し掛ける。 魔理沙の言葉に霊夢は右手で傷口を押さえつつ罵声を混ぜて乱暴に答えた。 一体何が起こったのかと魔理沙が霊夢に聞こうとしたとき、二度と聞きたくなかった叫び声を耳にした。 キ ィ イ ィ イ イ イ イ イ ィ ! まるで生きたまま皮を剥かれた猿の様な声が、頭上から聞こえてきた。 魔理沙とルイズそして霊夢がそちらの方へ顔を向けると――――『ヤツ』は斜面の上にいた。 後光に差されたそのフォルムは、一見すれば右腕が無い隻腕の成人男性に見えてしまう。 だが左手から生えている鋭い爪に爛々と光る大きな目玉は、自らが化け物だという事を三人にアピールしていた。 「…っ!あいつは!」 「ば…化け物!?」 その姿を見た魔理沙は、驚愕の余り目を見開いた。 目をそらしていたルイズもそちらの方へ目を動かし、次いで叫び声を上げる。 ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ・ ・ ・ ! 「くっ…」 そして霊夢は、コチラを見下ろす怪物を恨めしそうな目で見つめている。 彼女からしてみればこの状況は酷いくらいに最悪であったが、怪物からしてみれば面白いくらいに最高の状況であった。 何せ、『モクヒョウ』に一撃を喰らわしたのだ。 自らの頭にある『命令』を完遂できる確率は、大いに上昇した。 ◆ 一方、霊夢達がいる場所から大分離れた森の中―― 鬱蒼とした木々が陽の光を遮るその中で、タバサと黒髪の少女が対峙していた。 森の中では割と目立つ赤い大きなリボンを着けた黒髪の少女は、微動だにせずジッと頭上にいるタバサを睨み付けている。 タバサは大樹から生えた太い枝の上に立ち、その右手に大きな杖を持ったまま黒髪の少女を眼鏡越しに見つめている。 そしてその二人に挟まれるようにして、今も尚気を失い地面に倒れている村娘のニナがいた。 二人は何も言うことなく見つめ合っていたが、ふと黒髪の少女が口を開いた。 「何の用かしら?この子の保護者か何か?」 黒髪の少女の言葉にタバサは首を横に振り、黒髪の少女を指さす。 「何?もしかして私に用があるって言うの?」 その言葉に、タバサはコクコクと頷く。 黒髪の少女はそれに対して、右手をヒラヒラと振ってこう答えた。 「悪いけど後にしてくれない?今変な妖怪みたいなヤツに追われてて逃げてる最中なのよ」 「そう。けど、私の用も大事」 少女がそう言うと、今まで首を横に振るか頷くかしていたタバサが、ようやっと口を開いた。 タバサが喋った事に軽く驚いたのか、少女は目を丸くする。 「あんた喋れたんだ」 「最初から喋れる」 「そうなんだ。…まぁ私の知り合いの中に結構なお喋りが多いから、アンタの無口っぷりを習って欲しいわ」 少女は先程タバサに攻撃されたのにも関わらず、余裕満々と言いたいくらいに喋っていた。 そして彼女に攻撃したタバサはというと、少女が言い終えるのを待って、口を開く。 「あなたに聞きたいことがある」 「ん?何よ、アタシを吹き飛ばしてしまったからその謝礼をしたいのかしら」 つい先程の事を思い出したのか、少女は細めた目でタバサを睨んだ。 しかしタバサは首を横に振った後、ゆっくりと呟いた。 「あなたの記憶は、誰のモノ?」 「は?」 タバサの唐突な質問に、少女は目を丸くした。 突然の質問にしばらく硬直してしまったが、少女は話しにならないと言いたげな態度で返事をした。 「何言ってるのよ?この記憶はアタシの…」 「違う」 だが言い終える前に、タバサがその言葉を制した。 「あなたの記憶は、あなたの記憶であってあなたの記憶ではない。ただの模倣品に過ぎない」 タバサがそう言った瞬間、少女は背後からもの凄い殺気を感じ取った。 目を見開いて反射的にジャンプした瞬間、頭上から氷の矢が三本落ちてきた。 三本の氷の矢―『ウィンディ・アイシクル』は先程まで少女がいた地面に刺さり、そして砕けた。 少女は背後に落ちた氷の矢が砕けるのを見た後、ニナの近くに着地する。 そして頭上にいるタバサの方へ顔を向け、キッと睨み付けた。 「もしかして、アンタもあの妖怪の仲間…ってことかしら?」 少女の言葉を無視する形でタバサはただ一言、呟いた。 「あなたの身体と意志を、本来居るべき場所へと返す」 呟いた後にフッ…と杖を振ると、タバサの周囲に新たなウィンディ・アイシクルが五本も形成される。 ウィンディ・アイシクルの鏃は全て上を向いていたが、タバサが杖の先を少女に向けるとそれに習ってウィンディ・アイシクルも向きを変えた。 詠唱者の意志に従う五本の氷の矢は、全て地上にいる少女に向けられた。 「質問の答えになってないわよ。チビ眼鏡」 気を失っているニナが背後にいる少女は、ジッとタバサを睨み付けている。 その瞳には紛れもない怒りの色が入り、赤みがかった黒い瞳と混じってゆく。 「私と母の為に―――死んで」 最後にそう呟き、タバサは手に持った杖を勢いよく横に振った瞬間、 氷の矢は音を立て、少女とニナの方へと飛んでいった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 四方を乳白色の壁に囲まれた広い部屋の中、一人の男が杖を片手に佇んでいた。 顔から判断すれば二十代後半くらいに見えるがそんな風に自分を見せないためか、立派な口髭を生やしている。 手にしている杖は軍の官給品であり、レイピアをモチーフにしたデザインは美しさと実用性の両面を兼ねていた。 平民が着るような薄い胴着を羽織ってはいるが、体から自然と滲み出る雰囲気は彼がただのメイジではないと周りに知らせている。 最も、この場には彼一人だけしかいないので大して意味はないのだが。 天井のフックに引っ掛けられたカンテラは微動だにせず、その真下にいる男を照らす。 頭上から降り注ぐ弱い光を浴びながらも、彼は明りが届かぬ前方の闇を見据えていた。 ――奴を接近戦に持ち込むためには、距離を縮めなければいけない。 心の中でそうつぶやいた時、赤く小さな『光の球』が彼の頭上に三つほど現れた。 男の手のひら程もある長方形の赤い『光の球』は出現して五秒ほど空中で静止した後、『光弾』と化なって男に向けて飛んできた。 何の前触れもなくそれなりの速度で飛んできた『光弾』に対し、男はその場で跳躍する事によって回避する。 普通の人間がバッタのように跳躍する事はできないが、メイジならばレビテレーションやフライ、そして『風』系統の魔法をある程度扱えれば跳ぶことはできる。 男がその場から跳びあがったと同時に、彼の両足がついていた床に『光弾』が突き刺さり、三秒ほどして勢いよく爆ぜた。 床に着地した男の顔に爆発で吹き飛んだ木片が顔に当たるも、彼はそれを気にすることなく周囲の気配を探る。 ―――近づいて一気にトドメとくるか、それともまだ距離をとって慎重に攻めてくるか…答えは? 瞬間、灯りの届かぬ暗闇の中から先程と同じ長方形の『光弾』が五つも飛んでくる。 男は再び跳躍して回避しようと試みるが、今度の『光弾』はどうあっても彼に直撃しなければ気が済まないらしい。 跳躍した男が立っていた場所を通過した『光弾』はそのまま直進することなく、大きなカーブを描いて男の方へと戻ってきたのだ。 『火』系統の魔法で同じような追尾機能を持つ『ファイア・ボール』のそれとは威力も凶悪さも桁が違う赤い゛光弾゛は、空中で無防備状態となった男の背中へと突っ込んでくる。 しかし男は焦ることなく軍に所属していた時に覚えた呪文の速読で『レビテーション』を唱え、自身の体を上昇させた。 今いた場所から更に高いところへと飛び上がった直後、音を立てずに五つの赤い『光弾』がスゴイ速さで通り過ぎていく。 男を二度、仕留め損ねた゛光弾゛は今度こそと言わんばかりに再びカーブを掛けようとしたが、三度目を許すほど彼は寛容ではなかった。 ―――゛ラナ・デル・ウィンデ゛ 男が脳内で呪文を唱えると、こちらに向かってこようとする゛光弾゛へ風で出来た鎚が振り下ろされる。 俗に゛エア・ハンマー゛と呼ばれた呪文はその威力をもって五つの゛光弾゛を纏めて風で押しつぶし、爆発させた。 赤い光をばら撒いて爆散したそれを空中で浮かびながら見ていた時、頭上からかなりの速さで迫ってくる気配を感じた。 忘れもしない。あと一歩というところで邪魔に入り、自分に敗北の味を教えてくれた彼女の気配を―――確かに感じ取ったのである。 ―――なるほど、頭上か! 心の中で叫んだ直後、今度は白く大きな菱形の゛光弾゛が二つ空中にいる彼へ目がけて降ってきた。 速度自体は先程の赤い゛光弾゛ほどではない。その代わりなのか赤い゛光弾゛よりも大きく、中々の迫力があった。 クルクルと風車のように回りながらゆっくりと自分に目がけて落ちてくるその光景は、いいさか不気味である。 しかし男はそれに惑わされず、冷静な判断でもってスッと後ろに下がる。 一メイル程下がったところで菱形の゛光弾゛が男のいたところを通過し、そのまま地面へと落ちて行った。 だがそれを見届けるよりも先に―――――――相手は剣を片手に仕掛けてきた。 ―――――このまま仕掛けるつもりか? すぐさま迎撃態勢を取りつつも、男は向かってくる少女の姿をハッキリと捉えていた。 明りが天井のカンテラただ一つだけという暗い闇の中で艶やかに光る黒のロングヘアーと、頭に付けている白いフリルのついた赤リボン。 リボンと同じ色の服やそれと別途になった白い袖、セミロングの赤いスカートと首に巻いた黄色いスカーフ。 そして左手に納まっている三つの赤い゛光弾゛と右手に握られた剣まで、ハッキリと男の眼は捉えている。 しかし…容姿だけを一目見ればすぐさま異国の者だと想像できる彼女の顔だけは、黒い靄のようなモノが掛かっていて良く見えない。 その理由は良くわからないが、男はそれに興味はなかったし調べる気も無かった。 だがこの時、男は思っていた。「ようやくこちらに近づいてきた」と。 ――面白い…その勝負、受けてやろう! 彼はこちらに向かって急降下してくる紅白の少女に向けてそう叫ぶと、自身が持つレイピア型の杖に『ブレイド』の呪文を掛けた。 騎士が良く使う、杖に魔力を絡ませて刃とする魔法であり、得意な系統ごとにその色と威力が大きく違ってくる。 『風』系統の使い手である彼の『ブレイド』は強く緑色に輝き、彼の上半身と短くも立派な顎髭を照らし出す。 その間にも紅白の少女は、右手に持った剣を大きく振り上げてこちらに突っ込んでくる。 男はそれに対し突撃するようなことはせず、菱形の゛光弾゛を避けた時と同じく横に素早く移動して回避した。 あと一歩というところで回避された少女の斬撃は空気を切り裂き、そのまま地面に向かって直進していく。 ―――良し!もらっ…何? こちらに無防備な背中をさらけ出した相手に笑顔を浮かべた男は、そのまま接近して斬りつけようと思ったが、少女の対応はあまりにも早すぎた。 地面まであと三メイルというところで、少女は赤いリボンとスカートを大きくはためかせて空中で一回転し、頭上にいる男へと体を向けたのである。 時間にして僅か三秒。そうたった三秒で再び攻撃の態勢を整えた少女の身軽さに、男はアルビオンのニューカッスル城で感じた戦慄を思い出す。 あの時もそうだった。全てが順調だったというのにあり得ないところで状況を覆された挙句、反撃できぬまま無様な姿を晒した。 こちらに体を向けて態勢を整えた少女は、男が軽く驚いている間に左手に持った三つの゛光弾゛を勢いよく飛ばしてきた。 先程と同じく中々の速度突っ込んでくるそれに気づいた時、男は回避ではなく゛光弾゛を撃破することを選んだ。 ―――えぇい!始祖の御加護を! 彼は心の中で半ば自暴自棄な気分で始祖ブリミルに祈りながらも、迫りくる゛光弾゛を『ブレイド』の掛かった杖で勢いよく切り払う。 魔法に刃によって緑色に光る杖は音を上げることはなかったが、近づいてきた三つの゛光弾゛を見事に切断することは出来た。 長方形から不格好な四角形になり、数も六つに増えた光弾は斬られた場所でその動きを止め、そのまま赤い霧となって散ってゆく。 だが、直撃しかけた゛光弾゛を切り払った彼にとってそんな事は過ぎた事で、どうでも良い事であった。 何故なら…霧散していく赤い霧の中から、剣を振り上げた紅白服の少女が飛び出してきたのだから。 ――――何…だと…!? 今度は回避も迎撃する暇もなく、男はただただ驚愕するしかなかった。 紅白の服をはためかせ、血を求めて鈍く光る刃先が迫ってくるなか…男は見た。 少女の顔を覆う黒靄の隙間から見える赤い瞳と、青白く発光する左手の甲に刻まれた―――使い魔のルーンを。 「まだだっ!まだ、俺は…」 今まで閉じていた口を開き、心の底から叫んだ瞬間。 少女の放った一振りは強力な一撃となって、男の胴体を易々と両断した。 ◆ 体中にまとわりつく汗による不快感で、ワルドは暗い寝室に置かれたベッドの上で目を覚ました。 だいぶ見慣れてきた新しい天井が目に入るよりも先に、彼は上半身だけを勢いよく起こす。 ただただ不快な汗に濡れた体と、得体の知れない息苦しさに苦しみつつも、ワルドは唯一自由である両目だけを左右上下に動かす。 明りひとつない暗い部屋の中で彼は壁のフックに掛けられた黒いマントを見つけ、ついでテーブルの上に畳まれたトリステイン魔法衛士隊の制服と自分の杖が目に入る。 悪夢から目覚めてから数十秒ほど経ってから、今自分のいる場所がハヴィランド宮殿の中にある一等客室なのだということを再確認した。 あれは夢だったのか。そう呟こうとしたが思うように声が出ない。 恐らくうなされていた時からずっと口を開けていたのか、口の中が異様なほど乾いているのに気が付く。 次いで、喉をジワジワと炙るかのような痛みが襲い、ワルドは堪らずベッドのそばに置かれた水差しへと急いで手を伸ばした。 蓋を兼ねて飲み口の上に被せられていたコップを手に取るとそのままベッドの上に放り投げ、中に入っていた冷水を勢いよく口の中に流し込む。 ゴクッゴクッと勢いのある音と共に冷水は乾ききった彼の喉を通過し、潤いを与えて胃袋へと入っていく。 乾ききっていた喉が元に戻っていくのを感じながら、ワルドはアルビオンの水が与えてくれる祝福を心行くまで堪能した。 中身をすべて飲み干したワルドはホッと一息つき、ふと空になった容器を見つめた。 底にわずかな水が残っている容器は未だ冷気が残り、彼の右手から温度を奪っていく。 「夢…夢の中でも負けてしまうのか…」 手に持った空の水差しを持ちながら、ワルドはポツリと呟いた。 時折、思い出すかのように彼があの夢を見始めたのはそう、゛あの日゛起こった゛ある出来事゛が原因であった。 ※ ゛あの日゛―――それは、彼が今いる国『神聖アルビオン共和国』が旧き王権を打ち滅ぼした日。 全てが順調に進んでいた筈だった。あと一歩で、自分に与えられた任務を完遂できると彼は信じていた。 しかし苦労の末に積み重ねていった涙ぐましい努力という名の塔は、たった一人の少女によって蹴り倒され…呆気なく瓦解した。 『努力を積み重ねる事は至難の業だが、それを崩す時はあまりにも容易い』 かつて何処かで耳にした言葉の通り、勝者になりかけていたワルドは一瞬にして敗者となった。 任務を完遂する為の過程で右胸を刺して排除した少女は剣を片手に不死鳥のごとく蘇り、驚くべき速さで自分の分身ともいえる遍在を裂いていく。 もしもその時の様子を例えるのならば…そう、一本の゛剣゛が人の形を成して襲いかかってきたようだった。 迷いが一切見えない太刀筋と目にもとまらぬ素早さ、そして遍在達をいとも簡単に切り裂くその姿を目にすれば誰もがそう思うだろう。 目の前の光景に驚いている間に遍在は全て倒され、気づかぬうちに形勢は逆転していた。 そして彼は、目の前で起こった事に対して有り得ないと叫んだ。 ―――馬鹿なっ!何故生きてるっ!?何故… 咄嗟に口から出たワルドの言葉に、少女――博麗霊夢は鬱陶しそうな口調でこう答えた。 『うっさいわね。起きたばっかりの私の耳に気に障る声を入れないで欲しいわ』 機嫌の悪さが露骨に見えるそんな言葉と、突然の襲いかかってきた強い衝撃を胸に受けてワルドは敗れた。 こちらの過去や事情など一切知らない、二十年も生きていないような少女の理不尽さをその身に感じながら。 ※ 「クソっ…あいつさえ。あいつさえ蘇らなければ俺は…」 回想の中で霊夢の嫌悪感漂う表情と自身の胸に受けた屈辱、そして仕留め損ねた゛元゛許嫁のルイズを思い出し、ワルドは頭を抱えた。 あの後、ワルドは無事に助けられた。胸に直撃したであろう少女の攻撃は強力であったが、不思議な事に傷跡どころか少し大きめの痣で済んだ。 幸い痣の方もクロムウェルのお墨付きで出してくれた水の秘薬で綺麗に無くなったが、それでも彼の胸には今もなお゛跡゛が残っている。 それは不可視の傷。他人には一切理解できない、心の中に未だ存在する屈辱と後悔、それに怒りが加わって傷の治癒を妨げていた。 何故あの時、もっと速くにルイズを殺さなかった?何故殺した筈の霊夢が蘇った? 彼は自らの傲慢と余裕が生んだ過ちと、自分を敗北に追いやった霊夢への殺意が頭の中をグルグルと流れている。 それは一見緩やかな流れの河に見えるが、一度荒れれば数万のも人々の命を攫っていく死神の河であった。 今の状態の彼を挑発すれば、例え始祖ブリミルであっても彼が放つライトニング・クラウドによって真っ黒焦げの焼死体に変わるだろう。 それ程までに彼は二人の少女に対して異様なまでの殺意を抱くと同時に、そんな自分に苛立っていた。 「クソ…『閃光』のワルドが…あんな子供に殺意を持つなんて…情けないにも程がある!」 そう言って彼は手に持っていた容器を思いっきり放り投げた。 数秒遅れて、一等客室に相応しい造りの壁にぶつかった容器が音を立てて割れ、ガラスの破片が飛び散った。 窓を通して入ってくる双月の光を浴びてキラキラと輝くガラスの破片は、まるで今のワルドの、自分の情けなさに涙する彼の心を表しているかのようであった。 ◆ 今日も今日とて平和な魔法学院の休日。 その日、ギーシュ・ド・グラモンは一人食堂にある休憩場のソファーに腰かけ、ボーっと天井を見つめていた。 遥か頭上にある天井には日の光が届いていない所為か薄暗く、その全貌を彼に見せようとはしない。 まるで雨雲のように暗いそれを見続けていたら、不思議とギーシュは得体の知れない憂鬱を覚えた。 「光の届かぬ暗部の先には幸があるのかな?…それとも、破滅?」 何処か哲学めいていてそうでない彼の独り言は、人気のない食堂の中に広がり消えていった。 今の時間帯、食堂には奥の厨房にいるコック長や調理担当の者たちを残して、他の給士やコックたちは使用人宿舎に戻って休憩をとる。 なので今はギーシュだけがポツンと、人を寄せ付けぬ平原に咲く一輪のバラのように、その存在をアピールしていた。 しかし、なぜ彼が食堂にいるのかというと別にお腹が空いるからというワケではない。大事な人との待ち合わせをしているからだった。 その人は女子生徒で、ギーシュがこれまで口説いてきた女の子たちの中でも一際輝き、彼にとって特別な存在であった。 ギーシュがいつもの悪癖で他の女の子と一緒にいても、怒ったり暴力を振るったりするが別れるようなことはない。 ある時は別れを告げられたこともあるのだが、自然とよりを戻していつもの様にツンと澄ましながらも優しく接してくれた。 それは例えれば゛赤い糸に結ばれたカップル゛ではなく゛磁石の如きカップル゛と誰もが答えるだろう。 例えどんなに離れていても、どんなに嫌だったとしても最終的にはお互いがくっつくしか道は残っていないのだから。 しかしギーシュにそれを問えば必ず「美しき薔薇に囲まれた幸せなカップルさ」という、彼のナルシスト精神がこれでもかと滲み出た答えがでるだろう。 それほどまでにギーシュは彼女を…『香水』の二つ名を持つモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシを愛している。 今日はそんな彼女と一緒に休日のトリスタニアでデートをする予定だったのだが、少しだけ問題が発生していた。 朝食を食べ終え一時間ほど自室で休んでからすぐに馬で学院を出るはずだったのだが、肝心のモンモランシーが部屋で香水を作っていたのだ。 「ごめんギーシュ、一時間もあるから新作の香水を試しに作ってて…ちよっと食堂で待っててくれない?すぐに行くから」 実際にその様子は見ていないものの、ノックしてすぐに帰ってきた返事とドアの向こうから微かに匂って来た花や薬品系の臭いですぐにわかった。 普通の男なら怒るだろうが、彼女の事を一番知っていると自負するギーシュはドア越しに笑顔を浮かべて了承し、その場を後にして今に至る。 二つ名の通り、モンモランシーは香水に関する知識と技術は学院一であり、それはギーシュだけではなくほかの生徒たちも知っている事だろう。 様々な植物や果物の匂いを均等に混ぜて作り上げる彼女の香水は街でも大人気で、時折大量に作った香水を街で売っていることもある。 ギーシュにとってそんな彼女はとても誇らしく、素晴らしい恋人゛たち゛の中でもひときわ輝く存在であった。 そして、そんな彼女と街に出かけられる自分はなんと美しい男か。とひとり自惚れしていると、食堂の外から二つの声が聞こえてきた。 ギーシュが今座っているソファのすぐ後ろにある窓を通して伝わってくるその声は、正に青春真っ只中と言える女の子の声である。 最初は誰の声なのかわからなかったが暇つぶしにと思い後ろを振り返ってみると、そこには見覚えのある少女が二人、ここから少し離れたところで何かを話していた。 同級生で『ゼロ』の二つ名を持つ事で有名なルイズが召喚した博麗霊夢と、彼女と一緒にルイズの部屋へ居候している霧雨魔理沙であった。 「街に行くからついでに誘おうと思ったけど、まさかシエスタも街に出かけたなんて…とんだ無駄足になったわね」 「私はともかく、お前の場合は無駄足というより無駄飛行じゃないか?」 紅白と黒白というハッキリと目に映る二つの少女は話に夢中なのか、窓から覗くギーシュに気づいていない。 シエスタという、何処かで聞いた覚えのあるような無いような名前に首をかしげつつ、興味本位と暇つぶしでギーシュは話を聞いてみることにした。 これは盗み聞きなどという邪な事ではない、偶々耳に入ってきただけだから聞いてみるだけさ。と心の中で思いながら。 「しっかしあれだな。急に暑くなってきたよな…こう、私たちがこの世界へ来るのを見計らったかのように」 魔理沙は遥か上空にある太陽を横目に、右手をうちわのようにして顔を仰ぎながら呟く。 「本当ね。もし幻想郷でもこんなに暑くなったら、境内の掃除をしてる途中に日射病にでもなっちゃうじゃない」 それに対して霊夢は腕を組み、まるで親の仇と言わんばかりに太陽をジッと睨みつけた。 「もしかしたら月が二つあるせいで、意地を張った太陽が無駄に頑張ってるのかもな」 魔理沙の口から出たトンデモ仮説に、霊夢はやれやれと言わんばかりに首を横に振る。 「そうだとしたら、私たち人間がいい迷惑を被ってるってワケね。全くイヤになるわ」 「同感だ。お互い張り合うのなら、私たち人間様が被害の被らないところでやって欲しいものだぜ」 二人は燦々と大地を照らす太陽を睨みながら、そんな事を話し合っている。 無論彼女らの後ろには食堂の窓からのぞくギーシュがおり、太陽と月の話もバッチリ聞いていた。 (何だ、ゲンソーキョーとかケイダイ…聞いたことのない単語だ。それに゛この世界゛って…) そして霊夢たちの口から出た謎の単語を耳に入れ、目を丸くしつつも覗き見を続けることにした。 二人の話をこのまま聞けば、他人が知らない゛何か゛を知れそうな気がしたから。 「それにしても、こんな天気の良くて暑い日に街へ出かけるなんて…曇った日にでも行けばいいのに」 「お前の場合、もしも急須や湯飲みが壊れたりしたら雲の日、雨の日、雷の日、雪の日、吹雪の日、槍の日、弾幕の日でも人里に買いに行くな。これだけは何か賭けてもいいぜ」 自身の満々な魔理沙とは一方的にドライな霊夢は、イヤそんな事は無いと言わんばかりにヒラヒラと手を動かしながらも言葉を返そうとした。 「お生憎さま。私なら急須を捨てざるを得ないようなヘマは――――…したわね」 しかし、言い終える前に先週の出来事を思い出した彼女は最後のところで言葉を変え、恥ずかしそうに右手で自分の後頭部を掻いた。 魔理沙はそんな霊夢を見て軽く笑ったが、その顔には若干の苦味が混じっている。 「まぁ…あの時の事は忘れようぜ?もう一週間も前の事だし」 「その一週間前のヘマで暑い街に繰り出す羽目になったのは…元はといえばアンタの所為じゃないの?」 「?…どういうことだ?」 「だってホラ。アンタとルイズが森でタバサと出会わなかったら、あんなお茶と呼べないような呪物もどきを受け取らずに済んだかもしれないし」 「じゃあ言うが、もしあの時タバサと出会ってなかったらお前の命がどうなってたかわからないぜ?」 別に脅してるワケじゃないぞ。と最後に付け加えながら魔理沙がそう言うと。口を閉じた霊夢は目を瞑り、盛大なため息をついた。 「じゃあ結局は、アレに対する知識が無かった私が悪いワケねよ?」 気怠さと嫌悪感が混じった雰囲気を体から放つ霊夢の肩を、魔理沙が軽くたたいた。 「まぁ、それに関しては私も共犯だぜ?」 だから気にするなって。と最後にそう言って、魔理沙は笑顔を浮かべた。 その笑顔は夏の海のごとく爽快で、とても涼しげな気配を放つものだった。 やけにポジティヴな黒白の魔法使いに対し、紅白の巫女は沼のようなジト目で睨みつけ、文句を言った。 「アンタと共犯ですって…?私はアンタみたいな泥棒はしないわよ」 「何度も言うがあれは一応゛借りてる゛だけだぜ。死ぬまでな?」 最後の言葉を魔理沙が締めくくり、二人はそさくさとその場を後にする。 食堂の窓からジッと二人を眺めていた男子生徒の視線に気が付かぬまま。 離れてはいたが、バッチリと二人の話を聞いていたギーシュは遠ざかっていく霊夢と魔理沙の背中を見つめていた。 話の内容から察するに、おそらく二人は街へ出かけるのだろう。それは違いない。 しかしそれよりも彼が気になっているのは、二人の会話の節々から出た謎の単語と言葉であった。 ゲンソーキョー、ケイダイ。…そして゛この世界へ来る゛という魔理沙の妙な言い方。 謎の単語はともかくとして、魔理沙の言葉に、ギーシュは何か秘密があるのではないかと思った。 もしかすると…キリサメマリサという、この学院では゛以前にルイズを助けた恩人゛という事以外謎が多すぎる少女の真実がわかるかもしれない。 魔理沙はここへ来て以来、多くの生徒たちに色々な事を聞かれたのだが、持ち前の達者な口ぶりで今まではぐらかしてきた。 無論ギーシュもその一人であり、今まで彼女に関しては「どこか男気のある勇敢で活発な美少女」という感じで見ていたが、今になってそれが変わった。 ―――こう、私たちがこの世界へ来るのを見計らったかのように ―――――――私たちがこの世界へ来るのを見計らったかのように 『この世界へ来るのを見計らったかのように』 『 こ の 世 界 』 頭の中で彼女の言葉が反芻し、ギーシュの脳内を満たしていく。 そこから導き出される答えは、決して普遍的な人生を歩んできた人間には理解できない答え。 惜しむべくは彼、ギーシュ・ド・グラモンもその普遍的な人生を歩んできた人間の一人に過ぎないという事だ。 多数である彼らの唱える゛常識的な思考゛が少数に支持される゛非常識な答え゛を否定し、全く見当はずれな回答を探そうとする。 「キリサメ…マリサ、k―――――ッ…イィッ!?」 彼女は、一体…。と言おうとした瞬間―――――何者かが彼の後頭部を掴んできた。 「ォ、オオゥ…!…ウグ!?」 鷲掴み、というものでは比喩できない程の握力で掴まれた彼の頭から、メキメキと縁起でも無さそうな音が聞こえてくる。 一体誰なのかと問いただそうとしても、あまりにも頭が痛すぎて声を出す暇もない。 まだ両足が地面についている分マシだが、このままでは宙吊りにされる可能性も考慮しなければならないだろう。 最も、今の彼にそこまで考えることができるのかどうかは定かではないが。 そうこうしている内に掴まれてから三十秒ほどたった時、後ろから声が聞こえてきた。 「へぇ~、やっぱり学院中の女の子に声かけてる男は違うわねぇ」 その声は、痛みに苦しむギーシュに――否、ギーシュだからこそ鮮明に聞こえたのである。 いつも何があっても傍にいてくれて、離れていても気づいたら戻ってきてくれる…金髪ロールの素敵な子。 「学院の子や゛私゛には飽きたから。次は『ゼロ』の使い魔と得体の知れない居候を試し食いしようってワケね」 プライドは高いがそこが素敵で笑顔も気品があり、貴族の女の子として非常に理想的な彼女。 キュルケのように大き過ぎず、かといってルイズやタバサのように小さ過ぎもしない、安定した体のバランス。 趣味で作る香水やポーションは、彼女が得意とする『水』系統の魔法と彼女自身の知識と才能によって生まれた一種の芸術。 これだけだと非の打ちどころのない素敵貴族子女なのだが、彼女には一つだけ欠点があった。 それは恋する女の子なら誰もが持っているであろう、『嫉妬』の感情。 気になる相手が他の女の子へと目が向いた時、それが爆発して小さな暴力を引き起こすことがある。 問題はたったの一つ。今ギーシュの頭を掴む彼女の暴力が手でも足でもなく―――文字通りの「水責め」だということだ。 「うん…うん決めたわ!今日は街で貴方とお買い物する筈だったけど。予定を変える事にするわ♪」 最後にそう言って、満面の笑みを浮かべた少女――モンモランシーは杖を取り出した。 まるで盛りの付いた野良犬の如く、色んな子に色目を使うダメな彼氏もどきを…これから作る水の柱へと埋め込むために。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 血生臭い匂いと肉片、そしてコボルドの死体が散乱する深夜の川辺に幾つもの小さな影―――生きているコボルド達がうろついていた。 先程まで地上を照らしていた双月が黒雲に覆われた今は、人に原初の恐怖をもたらす闇が支川辺を支配している。 その中で蠢く彼らは焦げたバターの様な色の目玉を光らせ、ギョロリと動かしながら゛何か゛を捜していた。 地面に横たわる同族の死体を避けて動く足には配慮というものがあり、死者に対する敬意があるようにも見える。 もっとも彼らにそれを理解できる程賢く無いかもしれないが、自分たちの仲間゛だった゛モノを踏んではいけないという事は理解しているらしい。 水が流れる清らかな音風で揺れる木々の騒音が合わさり、自然が奏でる音楽にはあまりにも不釣り合いな血祭りが行われた川辺。 その周辺をうろつき回るコボルド達の中でたった一゛匹゛だけ、幾つもある内の一つである゛仲間゛の死体を見つめ続けている者がいた。 死体の損壊は周囲のと比べればかなり酷く、右の手足がないうえに過剰としか言いようがない程に頭まで潰されている。 あまりの惨たらしさに普通なら目を背けるようなものだが、そのコボルドだけはじっと見据え続けていた。 まるでこの死体の無残さを記憶に残そうとしているかのように凝視するその姿から、明確な知性を感じ取れる。 右手には彼らコボルドだけではなく、人間と敵対する亜人たちにとって天敵である人間たちが持つ棒状の゛武器゛と酷似した長い棍棒を握りしめてる。 だが何よりも怖ろしいのは、この場にいる生きているモノ達の中で最も怒っているのが彼だという事だ。 武器を持つ手の力を一切緩める事無く死体を見つめる彼の瞳には、静かな怒りが蓄積されている。 彼の事をよく知る仲間たちは知っていた。怒り狂う彼を怒らせれば、文字通り八つ裂きにされることを。 だからこそ他のコボルド達は声を掛けようともせず、彼の好きなようにさせていた。 何よりもその仲間の死体は彼自身にとって、゛仲間゛という関係では済まない間柄なのだから。 彼が死体を凝視し始めてから何分か経った時、その手に槍を持ったコボルドが二匹ほど森から飛び出してきた。 既に匂いで察知していた川辺のコボルド達は驚くことなく、やってきた二匹に落ち着いて目を向ける。 そんな時であった、今まで死体を見続けていたあのコボルドが顔を上げたのは。 「……斥候たちよ、私がいま欲しい情報を見つけてきたのだろうか?」 親切な喋り方とは裏腹な殺意を含ませた彼の口から出てきた言葉は、驚くことに人間たちの言葉であった。 ややトリステイン訛りの強いガリアの公用語を喋っており、失聴していなければすぐに分かるだろう。 発音もハッキリとしておりうまく姿を隠して喋れば、天敵の人間すら騙すこともできる程だ。 他のコボルドたちは彼の事を知ってか人間の言葉を聞いても驚かず、ジッと彼の姿を凝視している。 斥候である二匹の内一匹がその言葉に応えてか、犬と似たような構造を持つ口に相応しい声を上げた。 ガフガフと肉に食らいつく野犬の様な節操というものが見えぬコボルドの声が、辺りに響き渡る。 彼は彼で仲間の声に耳を傾けていて、時折頷く動作などを見せている。 やがて報告し終えたのか、喋っていたコボルドは口を閉じて一歩前へと下がっる。 彼と一緒に聞いていた他のコボルドたちが、やや騒がしいと思えるくらいにざわつき始めた。 それは決して狼狽えたり動揺しているというポーズではない。むしろその雰囲気から喜ばしい何かさえ感じられる。 まるでこれから食べ放題飲み放題のパーティーへ行けるかのような嬉しさを、コボルドたちは感じていたのだ。 何匹化が嬉しそうに鼻を鳴らし、喜びに打ち震えて犬の鳴き声を口から出す者もいた。 斥候たちも同様で、自分たちの行いが皆の役に立ったと確信して互いに顔を見合わせている。 その中でただ一匹だけ、喜びの感情を見せることなく口を閉ざしている者がいた。 それは斥候が来るまで、見るも無残な死体と化したあの一匹見つめ続けていた人の言葉を喋る彼であった。 仲間たちに知られず棒を持つ右手に更なる力を入れていく彼は、もう一度足元の死体を見やる。 物言わぬ骸と化し、地面に散らばる肉片の一つなった仲間の死体から得られる情報は少ない。 ここで起こったであろう事を知らなければ、ただここで『ひどい虐殺があった』としかわからないのだ。 他の死体も同様に惨く、同族のコボルドでなくとも他の亜人や普通の人間でも絶対に見たくないとその目を硬く閉じてしまうだろう。 そしてこんな危険な場所に長居はできないと、すぐにでもここを離れる準備に取り掛かるに違いない。 自分たちの命を一方的に脅かす道の天敵から、姿をくらますために。 だが、ここにいるコボルド達は違う。 否、正確にいえば彼らを率いるリーダー格には勇気があった。 無法者たちの群れを率いる身として体力と知性を備えており、仲間たちを惹き入れる一種の゛才能゛も持っている。 彼はその゛才能゛を用いて幾つもの戦いを勝利してきた、時に敗北したことはあったがそれは戦い方を学ぶ機会にもなった。 森での暮らしに適し、メイジで無い人間を圧倒する亜人としての凶暴性、そして人並みの知性と人間には真似できない゛才能゛という名の力。 それを駆使して多くの仲間たちと生きてきた彼にとって、今回の惨劇は到底許せるものではなかった。 例えれば必死に考えて練り上げ、長い試行錯誤と挫折を経験した末に描きあげた絵画を遠慮なく切り刻まれた事と同じだ。 だからこそ彼は決意していた。今回の屈辱は、決して安い代償で済ませるつもりはないと。 取り返しのつかない事を起こし、無念を晴らそうと考えている。あの世へと旅立った仲間と――――唯一無二の『家族』の為に。 「明日の昼にその村へ奇襲を掛ける。メイジといえども人間共はそんな時間に来ると警戒していない筈だ」 それまで全員休め、明日はお楽しみだぞ。パーティーの招待状にも近い言葉を人の言葉で呟き、彼は踵を返した。 彼の言葉を聞いたコボルド達は更に喜ぶ様子とは裏腹に、森は静かである。 まるで明日の事を知っ動物たち逃げ出したかのように、息苦しい静寂が周囲一帯を包み込んでいた。 ――――人間共め。弟と仲間の仇として全員血祭りに上げてくれるわ 背後から感じられる楽しげな気配をその身に受けて彼は…、 この群れのリーダーである゛コボルド・シャーマン゛は心の中でそう呟き、二度目の決意を誓った。 赤い服越しに触れる雑草の鬱陶しさと、斬り落とされた左手首から伝わる猛烈な激痛。 痛い、痛いと心の中で叫びながらも必死になって足を動かし、猪の様に森を掻き分けて疾走する。 何処とも知れぬ暗い森の中を走る彼女が感じているのはただそれだけ。 それ故に他の事が一切理解できず、今自分がどこにいるのかさえ知ら ない有様である。 月明かりの届かぬ暗い場所を駆けずり回るが、彼女自身どこへ行こうか、何をしようかという事まで考えていなかった。 ただただ走っているだけで一向にゴールが見えぬランニングを、黒髪の彼女はたった一人で行っていたのだ。 そんな彼女であったが、たった一つだけ頭の片隅に浮かび上がる゛自分の後ろ姿゛だけは、忘れていなかった。 黒い髪に紅白の服。それと別離している白い袖と、生暖かい風に揺れる真っ赤なリボン。 これまで幾度となく鏡の前で見てきた姿が、こんな状況とは関係ないのにも変わらず頭から離れようとしない。 何故?どうして?と考える余裕なと無論無く、彼女は左手から伝わる激痛にただただ泣いていた。 赤みがかった黒目から涙が流れ、こぼれ落ちる無数の滴は彼女が踏みしめ土や掻き分けた雑草に飛び散り誰にも見られぬ染みとなる。 しかし、彼女のランニングは思わぬ形で―――否、いずれはそうなっていたかもしれない終わりを迎える事となった。 一歩前へと踏み出した右足に感じたのは草と土を踏みしめる感触ではなく、不安を募らせる虚ろさ。 まるで足場だと思っていたモノが単なる幻であったかのように、右足だけがその虚ろな何かを踏みつけて沈んでいく。 痛い痛いと心の中で叫んでいた彼女だが、この時だけはあっ…という驚いた様な声が口から出てしまう。 涙を流す両目がカッと見開き、自分が゛足を踏み外した゛という事に気づいた時には、全てが手遅れであった。 暗い森の中を彷徨う左手の無い少女が、崖の下へと落ちていく。 まるでその辺の石ころを拾って投げるように、結構な速度で下にある川の中へと、グルグル回って落ちている。 視界に映る景色が目まぐるしく変わる中…その身が激流の中へと入る直前、彼女はある言葉を叫ぶ。 何も考えられなかった頭の中に浮かんできたその一言を、彼女は思い出したかのように、彼女は叫んだのである。 ただ一言――――――「レイム」と。 その瞬間であった、今まで頭から離れなかった゛自分の後ろ姿゛が、スッと消え去ったのは。 トリステイン、特にラ・ロシェール近辺の気温は朝限定だと言えば、初夏にも関わらず比較的涼しい地域だ。 森林地帯は木々が木陰をうまく遮って涼風を運んでくるために、暑い地域から来る者はその快適さに驚くことは珍しくも無い。 その為か避暑を目当てにここで休息を取る野生動物や野鳥は後を絶たず、周辺の村に住む人たちの糧となっている。 時折熊や狼と言った猛獣や、オーク鬼にコボルド等の亜人たちも足を運ぶために、決して安全な場所とも言い切れない。 人々が開拓する前から続いてきた食物連鎖の輪は、今もなお安定した形を保ち続けていた。 そんな森の中にある一本の川。その近くに生えている大木の根元に腰を下ろす、一風変わった姿をした女性がいた。 異国情緒漂う紅白の衣装に別離した白い袖、そしてその下には水着にも似た黒のアンダーウェアと白いサラシを巻いている。 髪の色はハルケギニアでは珍しい艶のある黒で、腰まで届く長いソレを抱え込むようにして左腕に乗せている。 顔はといえば明らかに美人と言われる形をしているが、この大陸ではお目にかからぬ顔立ちをしている。 極少数だか知っている人間が近くにいたなら、間違いなく「東方の者」と言われていたに違いない。 こんな西の国の端っこにいる謎の美女は、木陰にその身を休ませて一人静かに悩んでいた。 おかしい。何度見たって…どう考えても、色々とおかしい。 朝靄ただよう森の中で一人呟く彼女は改まった様子で、気難しそうに首を傾げる。 もうすぐ昼食を食べたくなるような時間ではあるが、考えすぎでお腹が空いた事すら忘れてしまっている。 一体そこまでして何を悩んでいるのか。それは他人から見れば極々単純であり、本人からしたら非常に重大な事であった。 首をかしげていた女性が仕方ないと言いたげに「ふぅ…」という気の抜けるようなため息を突いた後、下ろしていた腰をゆっくりと上げる。 シャランと揺れる黒髪が木漏れ日に照らされ、周囲で息をひそめる小動物たちにアピールしている。 その髪を持つ本人はそんな事露知らず、近くにある川へ近づくと自分の姿を水面に映す。 緩やかに流れる川が自分の姿を寸分違わずにはっきりと映したところで、彼女は改まったかのように呟いた。 「やっぱり…どう見てもあんなに幼くは無いわよね」 水面に映る彼女の姿は前述した通り、腰まで伸びた黒髪に、紅白の衣装を身に纏う二十代後半の女性だ。 男性を惑わす異性特有の魅力を十分に持ちながらも、狩人の様な相手を射殺してしまうかのような鋭い眼差しを持っている。 スラリと伸びた体は素人目から見てもある程度鍛えられていると分かるが、それにも関わらず女性らしいスリムさも忘れてはいない。 二十代後半は、結婚する時期が早いハルケギニアでは既に「行き遅れ」と判断される年齢だが、 それでも彼女の姿を一目見れば、並大抵の男ならばせめて一声かけようと思ってしまうに違いない。 それ程までに良い容姿を持つ彼女であったが、その顔には苦悩の色が滲み出ている。 このままでいいのか、何か違わないか?そう言いたげな様子は自分の姿を見た時から浮かべていた。 別に自分が美しい事に罪を抱くナルシストでもなく、ましてやもっともっと綺麗に…というような強欲者じゃあない。 では何に悩んでいるのか?それは他の人間には決して理解できず、彼女だけにしか分からぬ゛違和感゛が原因であった。 「でも…そう言っても…私ってこんなに大人っぽかったかしら?」 先程呟いていた「あんなに幼くは無い…」という言葉に、その゛違和感゛を感じている。 確かにこの姿は自分自身だ。しかしそれが本当かどうかと言われれば―――今なら迷ってしまう。 並みの人生を生きる常人ならばまず思わない事だろうが、彼女の場合は違った。 それは、彼女が目を覚ます前にほんの少しだけ見ていた夢の中に原因がある。 その内容はというと、自分が暗い森の中を闇雲に走り回る姿を見ているというモノ。 体中傷だらけで左手は手首から下が無いという、凄惨な姿をしたもう一人の゛自分゛。 そんな゛自分゛と背後から追いかけるようにしてそれを見つめていた彼女の姿は、あまりにも似ていなかった。 体は一回りか二回りも少し小さく、着ている服は違うし履いているのはブーツではなくかなり高めのローファー。 唯一服と別離した白い袖だけが共通部分であったが、それ以外――少なくとも背中から見れば―全く別人だと思ってしまう。 それでも彼女は瞬時に理解したのだ。あぁ、この少女は自分なのだ…と。 しかし目が覚めて一番に目の前の川で自分の姿を見てみれば、いい年をした女の姿が映っていた。 どう見直しても、あんな大きめのリボンが似合う少女ではなかったのである。 「結局…あれは夢だったのかしら?」 川辺から離れた彼女はそう言いつつも、昨日がアレだったからね…と一人呟く。 それはこことは別の川辺。少し時間をかけて歩いた先にある場所での事だ。 記憶を忘れた彼女がそこで目を覚ました時、予期せぬ襲撃者たちが襲い掛かり、見事返り討ちにしたのである。 自分が人間だからという理由で襲い掛かってきた犬頭の妖怪を退治したのは良いものの、その後が大変だった。 何せ自分よりも倍くらいの身長を持つ大女が突如現れたのだから。 しかも情けない事に『あっという間』 に『気を失ってしまった』のか、気づいたら朝になっていて大女の姿は消えていた。 せめて近くにいるならばと思い捜してみようとある気はしたが何処にもおらず、泣き寝入りするしかないという困った状況。 そんな時にふとここで足を休める事にして、今に至っていた。 「あんなおっかないモノ見て気絶したせいで、そんな夢を見ちゃったのかしら?」 「そんな夢って…どんな夢かしら?」 彼女がまたも呟いた瞬間、背後から柔らかい女性の声が聞こえてきた。 まるで綿菓子の様に優しい甘さと、儚さと脆い弱さに包まれた声を聞いたことなどこれまでの彼女には無かった。 一瞬何なのか分からず目を見開いた彼女であったが、ついで背後から土をしっかりと踏みしめる足音が耳に入ってくる。 誰かは知らないが、とりあえずこちらへ近づいてくる。理解したと同時に彼女は立ち上がり、勢いよく振り返った。 まず目に入ってきたのは、自然の要素が密集した土地に不相応過ぎる゛桃色の長髪゛であった。 熟れた桃の様に綺麗で甘い匂いすら漂ってくるようなウェーブのピンクブロンドが、彼女の気を逸らさせようとする。 それには負けず、次に体全体を見回してみると相手が自分と同じ女性なのだと知った。 個人的な水準よりもやや上だと即時に判断できる大きさの胸と、髪以上に不相応で綺麗な…俗に言う貴族らしい身なり。 身体的特徴は置いておくとして、服装からしてこの近辺に住み土地を把握している人間でないのは一目瞭然だ。 あるいはこの近くに別荘を持っている大金持ちなのか?考えようとした彼女はすぐさま首を横に振って目の前の相手に集中しなおす。 だが、貴族らしき女性はその行動に疑問を感じたのか首を傾げてこんな事を言ってきた。 「あら?何か気に障るような事でもしてまったのかしら?」 そうならば謝りますけど…目の前の女性はそう言って、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。 まるで絵本の中のお姫様が浮かべている純粋な表情には、悪意や゛裏゛といった要素が何一つ入っていない。 どうやら心の底からそう思っているらしい。そう思った直後に、自然と身構えていた彼女の体から力が抜けてしまう。 無意識に上がっていた肩が下がり、その顔が自然と苦笑いになっていくのを自覚しながら、彼女は言った。 「いや…何かもう、別に良いわよ」 疑ってた私が馬鹿だったわ。心の中でひとり呟きながら、彼女はため息をついた。 変になってた自分に呆れるかのようなため息を聞きながらも、ピンクブロンドの女性が唐突に名乗る。 「私、カトレアっていうの。本名はあるけど、長いから教えてあげない」 「あぁ、そうなの…よろしくね。私は、わたしは…私―――アレ?」 茶目っ気のある微笑を浮かべるカトレアの自己紹介を聞いた彼女は、とりあえず返事をする。 しかし最後の一言に、自分の名を名乗ろうとしたところで今になって思い出した事があった。 それは一番最初に気にするべきだったことかもしれないが、何故か今の今まで忘れていた事に、遅くも気づいたのである。 「私の名前…何て言うんだっけ?」 怪訝な表情を浮かべる彼女の呟きに、カトレアは言葉を返さない。 しかしその顔に微笑を浮かべつつも首を傾げているので、気にはなっているようだ。 ◆ 今カトレアたちがいる場所から三十分ほど歩いた先に、それなりの村があった。 山間部の集落とは違いしっかりと整備された道と家を見れば、旅人たちはここを町だと思い込むだろう。 しかし規模の大きさから言えばそこは村であり、ここで目立つ建物と言えば教会に村長の家、そして旅人を泊める大きな宿屋だ。 元はここら一帯の土地を収める領主様の別荘だったのだが、近隣にあるタルブ村に新しいのを建てたのである。 結果この館に足を運ばなくなったが、村人たちの相談を受けて宿泊用の施設として再利用する事となった。 二階建ての部屋は客室合わせて二十程度、平民や行商人に旅の貴族までと客層もかなり幅広い。 そんな建物の入り口で、それなりに逞しい体を持つ老人が一人の侍女たちと話をしていた。 「そうかぁ。つまり、貴族様は朝早くに散歩へ行かれたのかぁ」 「申し訳ありません。私たちがもっと一生懸命に止めていれば…」 少し残念そうな口調の老人に、ややふくよかな侍女が頭を下げて謝っている。 彼女の部下であろう後ろの侍女たちも皆不安そうな表情を浮かべてつつも、何故か周囲を忙しなく見回している。 まるでしきりに動く゛何か゛を目だけではなく頭全体を動かしているの様は、何処か挙動不審とも言えた。 彼女たちだけではない。周囲を見渡せば、今日は村全体が何処か落ち着かない雰囲気を醸し出している。 いつもならゆったりとした一日を過ごす村の人々は忙しなく動き回り、侍女たちの様に゛何かを捜して゛いた。 そんな人々をよそに、一人落ち着いている老人は頭を下げる侍女に対し申し訳ないなと思ってしまう。 「いやいや、別に今日中に出るわけじゃあ無いんだろう?それならまた後でもええよ」 だから頭を上げなさい。慰めるような彼の言葉に、先頭の侍女は申し訳なさそうに従う。 「今は村の人たちだけではなく護衛の方々が捜しに行ってますので、もう少しすれば何か報せが入るかと」 「まぁワシもこれから捜しに出かける。何、体の悪い御方だと聞いているからそう遠くには…」 そんな時であった、教会のある方からおじちゃん!と元気そうな女の子の声が二人の耳に入ってきたのは。 侍女たちが何事かと思いそちらへ顔を向けると、声の主である女の子が老人目がけて走ってくるのが見えた。 突然走ってきた女の子に老人は不快とも思わず、その顔に微笑さえ浮かべて少女の頭突きを快く受け入れる。 その顔に満面の笑みを浮かべた女の子は、クッションを殴ったような音とともに老人の体に勢いよく抱き着く。 「おーニナか、もうお医者さんと神父様のお話は済んだかぁ?」 「うん!まだ何にも思い出せないけど、今日は優しい貴族様にニナの事゛こうほー゛してくれるんだよね?」 ニナと呼ばれた少女の言葉に先頭の侍女が首を傾げる。思い出せない?どういうこと? 少女の口から出た言葉に疑問に覚えた直後、ニナが走ってきた方角から初老の男と若い神父が歩いてきた。 「おはようございます。どうやら、朝からかなり大変な事になってるいようですね」 まだここへ派遣されてから間もない新参者という雰囲気を纏わせている神父が、暢気そうに言った。 その一方で何処か無愛想な気配を体から発している初老の男が、肩を竦めながら口を開く。 「持病をお持ちと連れの者から聞いてはいたが、それにしては随分とお騒がしい方だ」 「申し訳ありません。まさかこのような事になってしまうとは…本当に面目ないです!」 「ん?あぁイヤ、別にアンタらの事を馬鹿にしてるワケじゃあないんだよ」 またもや頭を下げた侍女に、初老の男は少し慌てた様子で言葉をつづける。 「最近ここら辺は物騒だと、旅人たちから聞くようになったからなぁ。もし怪我でもして動けないのなら…事は一大事だ」 「あぁ、あの繊細な身体にお怪我など!あの御方にとっては猛毒の花を直接食べるようなものだわ!」 どうしましょうどうしましょう!他の侍女達も慌てふためくのを見て、初老の男は不味い事を行ってしまったと自覚する。 医者としてここへ来てくれた貴族様への心配を兼ねて言ったが、どうやら火に油を注いだようだ…。 この村で唯一の医者である男はやってしまったと思いつつ、バツの悪そうな表情を浮かべた。 「全く、お前さんは若いころから余計な一言が多いんだと何回言えばわかるんだい」 神父やニナと共に男のやり取りを見ていた老人は一人呟き、傍らのニナを連れて何処かへ行こうとする。 ほれ、行くぞニナ。少女を呼ぶ声に神父が気づくと、首を傾げつつ歩き去ろうとする老人に声を掛けた。 「おや、もう家に帰るんですか?これから捜索なされるのならニナちゃんは教会の方に預けたら…」 「気遣いすまんな若い神父さん。ただ、俺としてはこういう場所に慣れてないんだよ。 それに、家に帰る道中で道に迷った貴族様を見つけられるかも知れねぇしな?それなら一石二鳥ってもんだよ」 老人はその言葉と共に再び歩き出し、その後を追うようにしてニナも足を動かして村の外へ向かっていく。 自分たちの方へ快活な笑顔を浮かべ、手を振って去っていくニナの姿を見つめながら神父に、一人の侍女が質問してきた。 「あのぉ、聞きたいことがあるのですが…あの女の子はあのご老人のお孫さんか何かで…?」 唐突な質問に、少し慌てた様子の神父に代わって医者である初老の男が答えた。 「いんや。…あの娘はちょいと特殊な病気に掛かっててな、今はアイツの家で暮らさせてるんだよ。 なぜかは知らんがあの娘あの偏屈者の事を気に入っとるらしくてな。傍から見りゃあ、本当に親子みたいだろ?」 お前さん達が勘違いするのも無理もない。最後に一言述べて、初老の医者は口を閉じた。 最後まで聞いていた侍女たちの内右端にいた地味な印象の子が、恐る恐る次の質問を言う。 「あのぉ~、さっき特殊な病気がどうとか言っていましたが、それは一体…」 「記憶喪失――――心に強いショックを受けて、覚えていた事を忘れてしまう大変な病気」 質問に答えたのは医者ではなく、医学との距離が近いようで遠い若い神父であった。 顔に暗い影を落とし、何とも言えぬ表情を浮かべた彼は、質問をした侍女が唖然とする間にも喋り続ける。 「大分前に…あの老人が森の中で一人倒れている彼女を見つけた時、あの子は名前以外を忘れていました。 自分が何処で生まれ、両親が誰なのか、何故人気のない森で倒れていたのか…それを全く知らぬまま、今も生きています。 それでもあの子は笑顔を浮かべ続けているのです。まるで人に微笑む事が仕事であるかのように…」 そこまで喋って口を閉じた神父は、始祖に祈りを捧げるかのように目を閉じる。 身体から重たい雰囲気を放つその姿に、侍女たちは何も言う事が出来なかった。 ただただため息が口から漏れ出し、周囲の雰囲気に重く冷たい空気を作り出していた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 夜の帳に包まれた魔法学院の中庭を飛び始めてから丁度二分ぐらい経つだろうか。 今夜の闇に目が慣れた霊夢は、目指していた建物の近くへとたどり着くことが出来た。 その建物には灯りがついていなかった為、常人ならばある程度近づかなければその建物に気づかなかったであろう。 二分ぶりに緑の芝生へと足をつけた霊夢は、手に持っていた御幣を使ってトントンと右肩を軽く叩き始めた。 今彼女の目の前にある建物は学院の警備をする衛士達の宿舎であり、ここでは宝物庫に次いでかなり厳重な所である。 最も、その゛厳重゛という意味は『警備が厳重な場所』というのではなく『衛士達が密集する厳重な場所』と言った方が正しいであろう。 朝、昼、夜、どの時間帯にも必ず何人かの衛士達がいるため、学院へ盗みにはいるような連中はならばまず避けるべき所である。 霊夢はその建物の中から、嫌な気配を感じていた。 (この無機質的な殺意…間違いないわね) そう呟いた後、霊夢は今朝の庭園で戦ったクワガタの化けものを思い出した。 人を殺すことに対して歓喜や怒り、憎しみ、悲しみ。 つまりは殺意と付加する喜怒哀楽の感情。 それ等の全てが欠落してしまったかのような、何も生み出さない殺意。 理性が無さそうな虫の化けものという事を抜きにして、その殺意はあまりにも生物らしくない。 一体どんな事をある程度すれば、こんな殺意を芽生えさせる事が出来るのであろうか? 学者やある知識豊富な魔法使いならば調べたくなるような事であったが、生憎霊夢はそういう事に関して一切興味はなかった。 むしろ今彼女の頭の中にあるのは―『その殺意が目の前にある宿舎から漂ってくる』という事だけだ。 「元がクワガタムシだから夜行性なのか…それとも誘っているのか」 前者ならばまだ虫頭の化けものという事で済むが、後者ならば恐らく一筋縄ではいかないであろう。 もしも誘っている存在が今朝戦った化けものと同じならば、このような頭の良いことは出来ないはずである。 そこまで考えて、ふと頭の中で胡散臭いスキマ妖怪の言葉を思い出してしまった、 ――――そうよ。…キッカケとはいえ、幻想郷とハルケギニアを繋いだ彼女の力は凄まじい 「…恐らくは今後、そんな彼女を狙って色んな連中がやって来る――」 ポツリ、と霊夢はスキマ妖怪の言っていた言葉をひとり復唱する。 ――そしてその中に、今回の異変を起こした黒幕と深く関わっている連中が混じるのも間違いないわ 「つまり彼女の傍にいれば、自ずと黒幕の方からにじり寄ってくるって寸法よ……か」 再び呟いた後、霊夢は本日何度目になるかわからない溜め息をついた。 一方その頃…ルイズの部屋――――― 「――さぁ、話を始めましょうか」 「……」 胡散臭いスキマ妖怪こと八雲紫の言葉とは対照的に、今のルイズは僅かに動揺していた。 二人を離す壁と呼べる存在はテーブルのみで、いわゆる゛テーブルを挟んでの話゛というものである。 つい先程までベッドの上にいたルイズは驚きつつも、ついで自分たちを囲う周りの空間が闇に包まれているのに気が付く。 部屋の暗さとは明らかに違う、光すら通さない完璧な闇というのは正にこれであろうとルイズは思った。 次にルイズは自分と紫、テーブルと座っている椅子、そしてその回りを囲うように天井から光に当てられている事に気が付いた。 部屋に備え付けているシャンデリアとは違う、まるで劇場で使うサーチライトのような光にルイズは目を細めながら天井へと視線を向けるがそれらしいものは何処にもない。 (というか、ここって私の部屋よね…一体どうなってるのよ) 今使っているテーブルと椅子は間違いなく自分の部屋の物だと知っているルイズは、薄ら寒さを感じた。 そんなルイズを見てか、紫はその緊張をほぐすかのようにこう言った。 「ご心配なく。ちょっと明暗の境界を弄くって話しやすい環境を整えただけよ」 紫はそう言うと人差し指をルイズの背後へと向けると、円を描くようにグルグルと回し始めた。 するとどうだろうか、ルイズの背後にあった闇はまるでストローでかき混ぜるかのように回転しながら消えていくではないか。 そして闇が消えた先には、こちらに背を向けてベッドで熟眠している魔理沙がいた。 ルイズは背後の方へと視線を向け、ここは自分の部屋なのだと改めて確認することが出来た。 「ホイ!」 とりあえずこれで良いだろうと思ったのか、紫は回し続けていた人差し指をピン!と勢いよく止める。 それを合図に消えていた闇が再び元に戻り、魔理沙の姿は見えなくなってしまった。 ルイズは自分の部屋だとわかって安堵したのか、最初の時より大分表情が緩くなっている。 「さて、あなたも安心したことだし。話したいことをちゃっちゃと話すわね」 紫の言葉にルイズはゆっくりと頷き、真夜中の話が始まった。 ☆ 首都トリスタニアの地下はその構造上、かなり複雑な造りとなっている。 下水道をはじめとして有事の際の避難通路として幾つもの場所へと繋がる地下道やシェルターがあるのだ。 今でもその工事は昔ほどではないが細々と進められており、時が進むと共にどんどんと拡大していく。 ここ二十年ほど前に作られたものなどはまだ王宮の監視下にあるが、更に昔のものとなると全くその目が行き届いていない。 王宮にある資料の通りならば作られてから数百年が経つものも存在し、その数は実に百もある。 しかもその当時はハルケギニア大陸が戦争のまっただ中ということもあってか、資料には載っていない秘密の場所も幾つか存在している。 ただ、その殆どが現在に至るまで残っているとは限らず、最近の調査で約六割の地下通路が塞がっていたという事実が判明した。 そして残りの四割の内1割には、表に出れぬ者達の住処として機能している。 所謂―――「地下生活」をせざるを得ない人々の家として… その扉は、トリスタニアの郊外の更に外れにある。 度重なる開発によりゴーストタウンと化したそこは、かつて教会や町人達の集会場所だった所だ。 当時の人々はそこで談笑したり、今日も良い一日を過ごせるようにと始祖に手を合わせていた。 しかし、その場所もやがてトリスタニアの中央に寄せられてしまい、今ではすっかり過去の物となってしまっている。 そんな場所のとある一角に、まるで人目を避けるかのように分厚い鉄扉がある。 狭く入り組んだ路地の奥にあるそれは、地上からでも上空からでも見つけることは困難を極める。 更にその扉が設置されてから大分年月が経っている所為か、素手で触れるのを躊躇わせるほどに錆びていた。 まるで皮膚病患者の肌みたいにボロボロな扉の傍には、同じくらいに錆びてしまっている壊れた錠前とドアノブが放置されている。 そしてかすれてはいるものの、錆び付いた扉の表面には白いペンキでこんな文字が刻まれていた。 『我々の望む世界は、どんな事があろうと何時の日か必ず訪れる』―――と。 ※ 双月が姿を隠し闇が支配する今宵、そのドアへと近づく四つの人影があった。 一目で最下層の者だとわかるみすぼらしい身なりの老人と、その後ろには頭からフードを被った一人の男と二人の女性だ。 老人は別として、三人の男女が体から発している雰囲気は明らかに一般市民が出せないような刺々しいものである。 そんな三人を後ろに引き連れているおかげか、老人の歩みからは辺りを支配する闇に恐怖している感じはない。 やがて老人はドアの前にまで来ると足を止めると同時に、後ろにいた一人の女性が小さな声で傍にいる男へ話し掛けた。 「ここが隊長の言うある場所へと続く道…ですか?」 男に話し掛けた女性―――ミシェルは、前方にあるドアと老人を交互に見比べつつ怪訝な表情を浮かべている。 ミシェルの言葉にもう一人の女性――アニエスも少しだけ頷いてから言った。 「確かにこういう人気のない場所だとわからないが…それにしてはありきたりな…」 二人の言葉を聞きながらこの場所を知っていた隊長も否定する気にはなれなかった。 何故なら彼自身も来るのは初めてで、尚かつここの情報自体も風の噂程度でしかなかったのだから。 ◆ 時を少し遡り、時間が夜の九時丁度になろうとしている時―――― 隊長の残したメモを頼りに、ミシェルと共に人気のない郊外へと訪れていた。 役人の手が届かぬ所為ですっかり寂れてしまい、灯り一つ無い闇の中に二人は佇んでいる。 その眼光は鋭く、いつでも抜刀できるよう自然と身構えていた。 「もうそろそろ、九時丁度だな…」 暗闇越しに辺りの気配を探っていたミシェルが誰に言うとでもなくひとり呟き、アニエスは無意識的に頷く。 先程時刻を確認してみたら後五分といったところだったので、もうそろそろ九時になるだろう。 せっかくなのでもう一度確認しようかと懐に手を伸ばした時、ふと背後から男性が声を掛けてきた。 「やぁ、どうやら約束通り二人だけで来てくれたようだな」 少なくとも一日一回以上は聞いているその声に、アニエスとミシェルの二人は同時に後ろを振り向く。 そこにいたのは、自分たちと同じフードを頭からすっぽり被ったガタイの良い男であった。 男は二人が振り返ったのを見ると懐からアニエスが持っているのと同じデザインの懐中時計を取り出す。 そして先程の彼女と同じく時計を軽く叩き、ボゥッ…と光る時計の針を灯りにして自分の顔を照した。 光に照らされたその顔が、いつも自分たちが見ている上司の顔だと知り、ミシェルは若干安堵したかのような表情を浮かべた 一方のアニエスはミシェルとは対照的に訝しむような表情で目の前にいる隊長に話し掛けた。 「一体どうしたというのです?わざわざ手紙にしてまであんな回りくどい事をさせるなんて…」 「あぁアレか…まぁ一応の警戒だ。これから会える゛かもしれない゛人物を探してる輩が出るかどうかな」 自分の机に置いていた手紙の事を指摘された隊長は、さも簡単そうに言った。 それを聞いたアニエスは、彼の言った「会える゛かもしれない゛人物」という言葉に疑問を抱く。 「会えるかもしれない人物…?それに話からして何やらワケありの人間と思えますが…」 「まぁ大体そんなところだが、実を言うと俺もその人物の事については風の噂程度にしか知らないからな」 でも本当にいるのならばコレを見て貰いたいんだよ。と隊長はそう言って懐から小さな袋を取り出した。 手のひらに収まるサイズのその革袋には、あるモノが入っていた。 ◆ ドアの前にいる老人は懐を探り、一見すればタダの棒きれにも見える杖を取り出した。 そして他人には空耳とも思える程のかぼそい声で呪文を詠唱すると、それをドアに向けて振り下ろす。 ギ、ギィ…――― すっかり錆び付いてしまったドアを無理矢理開けるかのような嫌な音が辺り一帯に響き渡った。 ドアノブが壊れているドアがひとりでに開き、四人の前に今居る場所よりも更に濃い闇を見せている。 「ここから先の通路は…このトリステインが建国された時に作られたと言われております…」 開け放たれたドアの前にいる老人は三人に聞かせるかのように喋りつつ、再度杖を振る。 すると目の前にある闇の中でポッ…と温かそうなひとつの灯りが生まれた。 まるで生まれたての赤ん坊のように小さい灯りは二つ三つと増えていき、目の前の闇を喰らってゆく。 「当時は王族同士の小さな身内争いがあり、その際に何者かが有事の時に使う避難通路として作らせたのでしょう」 どんどんと数を増やしていく小さな灯りに顔を照らされつつ、老人は杖を振りながら喋り続ける。 そしてドアを開けてから丁度一分が経った後――左右の壁から幾つもの小さな灯りに照らされた階段がそこにあった。 地面の下へと続く階段の奥は灯りが届かず、その長さを知らしめている。 隊長、アニエス、ミシェルの三人はこんなところに地下へと続く階段があることを知り、目を丸くしていた。 トリスタニアの地理を完璧に把握していると豪語する衛士隊の者達ですら、このような場所は全く知らなかったのである。 「しかし結局は使用されず、十年前から我が主の住まいとして機能しております…」 老人はそこまで言うと口を閉じて三人の方へと向き直ると、ゆっくり頭を下げてこう言った。 「今宵は、我が主の経営する鑑定屋へと足を運んで頂きまことに有り難うございます」 一方、その頃―――― 魔法学院でも一人の少女がある建物へと足を運ぼうとしていた。 ★ 「お邪魔するわよ~っ…と」 暢気そうな感じでそう言いつつ、霊夢は灯り一つ無い宿舎の入り口を通った。 いつもなら常時灯りが付いているというのに、不思議と今日に限って灯りは付いていない。 今日は偶々そういう日だったのか、それとも゛誰かが゛意図して灯りを消したのか… どっちにしても、霊夢にとってはどうでも良いことであるのだが。 ただ外と比べれば屋内は暗く、目が慣れるまで霊夢は直ぐ横にあるレンガ造りの壁を手でさわりながら歩き始めた。 もうすぐ夏が訪れるらしいのだが夜中の気温は冷たく、霊夢の肌をピリピリと刺激する。 壁伝いで入り口から歩いてきた霊夢は、そのまま食堂の方へと入った。 宿舎の食堂は割と大きく、衛士達の部屋がある二階へと続く階段と裏口へと続く入り口はこの部屋にある。 食事などは給士達が作った物を運んでくるため、厨房といったものはない。 一応ワインや水などの飲料を保管するための倉庫などがあり、チーズや干し肉と言った酒の肴は衛士達が自前で買っている物である。 ここもまた暗かったが、屋内の暗さに目が慣れてきた霊夢はふと食堂の出入り口付近である物を見つけた。 それは大きな蝋燭が設置された燭台であった。 蝋燭には火がついており、小さいながらも頼りになる綺麗な明かりで霊夢の顔を照らしている。 (まぁ…暗闇の中で変な物を踏んだりするのもあれだしね) 霊夢は心の中でそう呟くと右手に持っていたお札をしまう代わりに燭台の下に付いている持ち手を握り、ヒョイッと燭台を持ち上げた。 手に持ったところで食堂の中へと入り、とりあえずは傍にあるテーブルの上を蝋燭の明かりで照らしてみた。 見たところ変わったところはなく、幾つもあるテーブルの上には皿や空のワイン瓶が大量に放置されている。 もっとも、霊夢や他の女性からしてみれば「散らかりすぎている」という言葉がピッタリなほど酷い状況であるが。 毎日朝と昼に担当の給士達が掃除しに来るのだが、勿論霊夢はそんなことは知りもしない。 「床だけ綺麗なのは、ある種の救いなのかしらね…」 足下を照らしながら歩きつつも、霊夢は嫌悪感たっぷりの表情で呟いた。 早足で歩いた所為かわずか十秒くらいで食堂を通り抜けた霊夢はそのまま裏口へと続く入り口へと入った。 裏口のドアは開きっぱなしなのか、冷たい夜風が容赦なく霊夢の顔を撫でていく。 「もうすぐ夏の筈なのに、どうしてこう寒いのかしらねぇ…」 幻想郷とは違うトリステイン気候を相手に、霊夢はひとり愚痴を漏らす。 本当なら今すぐにでもルイズの部屋に帰って寝たいのだがそんなことをするワケにもいかない。 何故なら、こんな場所へと来ることになった最大の゛理由゛が、ここにいるからである。 (気配が段々と強くなってるし動く気配もない…、やっぱり私が来るのを待ってたわね) 今日感じた気配の中で一番嫌な気配を察している相手がこの先にいることを知り、ふと足を止めた。 彼女が今いる位置から約一メイル先には、半開きのドアが風に揺られてキィキィと音を立てて動いている。 ドアの向こうは裏口となっており、文字通りのこの宿舎の裏側で出られようになっている。 霊夢はその場に燭台をそっと置くと、懐にしまっていたお札を取り出した。 最後に大きく深呼吸した後、勢いよく足を一歩前に出そうとした直後―――― バンッ! 先程まで風に揺られていたドアが、もの凄い音を立てて開いた。 まるで霊夢が動くのを見計らってたかのように開いた先から、何者かが飛び出してきた。 ソイツは疾風の如き素早さをもって霊夢の傍へと駆け寄り、手に持っていたナイフで斬りかかってきた。 しかし霊夢はその鈍い銀色の刃を持った武器に怯えることなく、ナイフの軌道から外れる下をかいくぐって避けた。 斬り刻む相手がいなくなったナイフは風を切るだけに留まり、それを持っている相手は霊夢に対して大きな隙を与えてしまうこととなった。 当然それを見逃す筈が無く、霊夢は相手の足下でしゃがみこんだ姿勢のまま、左手で持っていった御幣を勢いよく突き上げる。 素早い動作で繰り出された御幣の突きは見事相手のアゴに当たり、そのショックで相手の顔に貼り付いていた小さな物体が音もなく剥がれた。 物体はベチャリと不愉快な音を立てて地面に置いた燭台の傍に落ち、それと同時に襲いかかった来た相手は糸の切れた人形のように地面に倒れ込んだ。 持ち主の手から離れたナイフを勢いよく蹴り飛ばした後、霊夢は燭台の傍に落ちた物体へと顔を向ける。 案の定そこにいたのは、先程ミセス・シュヴルーズの目に貼り付いていたナメクジもどきであった。 霊夢は今日何度目になるかもわからない溜め息をつくと、右手に持っていたお札を一枚そのナメクジもどきに投げつけた。 お札は一寸の狂いもなくナメクジもどきに貼り付くと、すぐに燃え始めた。 先程焼いたナメクジもどきと同じようにソイツもまたそのを無茶苦茶に振り回しつつ、あの世に送り飛ばされた。 とりあえず目に良くないサイケデリックな虫けらを消した霊夢は、後ろで気絶している相手の方へと顔を向ける。 霊夢を襲ってきた相手の正体は、なんとシュヴルーズと一緒の部屋にいた女性教師であった。 (あの時の悲鳴は、もしかしてコイツの悲鳴だったのかしら?) 先程ルイズの部屋で聞いた悲鳴の事を思い出そうとしたとき… フ…フフフフフ…―――― 外から流れ込んでくる風に紛れて、笑い声が聞こえてきた。 まるで籠の中にいる鳥の動きを見て、喜んでいるかのような笑い声。 しかしその声はまるでガラスを引っ掻くかのようにように甲高く、あまりにも人外地味たものであった。 その笑い声に何かを感じた霊夢は、キッと目を鋭く光らせると勢いよく外へと飛び出した。 扉の向こうは丁度宿舎の裏側であり、衛士達の訓練場も兼ねているのか小さな庭がある。 防犯上のためかその庭を囲うかのように立てられた立派な鉄柵が、物々しい雰囲気を放っている。 入り口の傍には【タルブで作られた最高の赤ワイン】というラベルが貼られた大きな樽が数個ほど放置されている。 その他には花壇も噴水も何もなく、とても殺風景で寂しい雰囲気を纏った庭であった。 魔法学院の広場や庭は基本華やかではあるが、ここはそんな場所とは一切無縁の場所だ。 屋内とは違って容赦なく冷たい夜風が霊夢の肌を撫で、自然と身を強ばらせる。 フフフ…フフフフフフ…―――― その風に混じって、何処からともなく甲高い笑い声が霊夢の耳に入ってくる。 霊夢は耳を澄ませて声の出所を探ろうとするが、なかなか場所を掴ませてはくれない。 後ろから聞こえてくると思えば次の瞬間には右から聞こえ、すぐに同じ笑い声が頭上から聞こえてくる。 まるで鍾乳洞の中にいるかのように笑い声は辺りに木霊して霊夢の聴覚を鈍らせようとする。 「そんな小細工が通じると思ったら…大間違いよ」 霊夢は面倒くさそうに呟くと右手に持っているお札を一枚、ある方向に投げつけた。 勢いよく放たれたお札は… 一直線にその先にある゛樽の山゛へと突っ込み、 ――――ボグンッ! 小さな音を立てて爆ぜた。 爆発自体は小さいものの、それより大きな樽を壊すのには十分であった。 木っ端微塵に弾けた樽は木片を辺りに撒き散らすが、その中にワインは入っていなかった。 ―――ホゥ…まさかこうも簡単に見つけるとは、予想以上じゃな。 まぁアイツ等をいとも簡単に屠れる時点で大体の検討はついておったが… 先程まで樽が置かれていた場所には、仮面をつけた一人の貴族が佇んでいたのだ。 闇に溶け込むかのようなマントを付けており、その上から覆い被さるかのようにマントと同じ色のフードを羽織っている。 来ている服やズボンは全体的に地味な色合いであり、記憶に残りそうにないものであった。 そしてその貴族の声はかなりしわがれていることから、恐らくかなりの老齢であるに違いない。 しかし今の霊夢には、それらの事よりも今最も気になっている事があった。 それは今目の前にいる貴族の姿が゛やけに朧気゛であるということだ。 まるで空気中に漂う霧のように、その存在はあまりにも希薄過ぎる。 「こんな夜中に呼びだしたうえに直接顔を合わせないなんて…いったいどういうつもりかしら?」 霊夢は目の前にいる゛幻影゛に向かってとりあえず御幣を突きつけながら言った。 そう言われた瞬間、貴族は両手をあげると慌ててこう言った。 ―――ま、待ちたまえ!私は非暴力主義なんじゃよ!? そんな私に、君はそんな危なっかしいモノを突きつけるのかね!? 「別に良いじゃないの?武器を突きつけるのは私の勝手よ。というかその場にいない癖して何言ってるのよ」 先程の雰囲気とは全くかけ離れた弱気な対応に対して、霊夢はばっさりと言い放つ。 その言葉に貴族はハッとしたかのような動作をした後、あっさりと両手を下げた。 ――あぁ、そうじゃったな…いかんいかん、まだ作ったばかりじゃから慣れていないのぉ… 全く威厳を感じさせない貴族に舌打ちしつつ霊夢は目の前にいる゛幻影゛が先程呟いを頭の中で。 《―まぁアイツ等をいとも簡単に屠れる時点で大体の検討はついておったが…》 既に霊夢の中では゛アイツ等゛=クワガタやナメクジの化けものという考えに至っていた。 (まさかコイツがあの化けものを…だとしたら相当ヤバそうなヤツね) 霊夢はそんな事を思いつつもとりあえず質問してみようと言う結論に至り、話し掛ける。 「それはそうとして、まさか今朝と今夜の化けものはアンタの…―― ――…ッ!?」 言い終える前に、突如自分の背後から大きくて歪んだ殺意が漂ってきた事に霊夢はすぐに気が付いた。 まるで人を殺すためだけに作られた人形がいま無抵抗の子供向かってナイフを振り下ろす直前のような無機質な殺意。 瞬間、霊夢はあのクワガタムシの形をした化けものの姿を思い浮かべた。 「ギ ィ ッ ギ ィ ィ ィ ィ ッ ! !」 霊夢反射的にその場で伏せた瞬間、。背後にいた゛何かが゛金切り声と共に黒い鎌状の爪で霊夢の頭上を切り裂いたのである。 その威力は空気を切る音がハッキリと霊夢の耳に聞こえるほど凄まじく、そのまま立っていたら背中を切り裂かれていたに違いない。 伏せた状態の霊夢は僅かに体を浮かせるとホバーリングと同じ要領で移動して急いで距離を取ろうとする。 しかしかぎ爪の持ち主は何が何でも接近戦に持ち込ませたいのか、霊夢目がけてダッシュしてきた。 人のそれと酷似している足から出るとは思えないその速さに、霊夢は舌打ちしつつ右手に持っていたお札を相手に投げつける。 しかし相手も一筋縄ではいかず、片足だけで地面を蹴って跳躍し、お札のみで構成された弾幕を避けたのだ。 「…ちっ!」 まさか避けられると思っていなかった霊夢は再び舌打ちしつつも、呪文とも思える言葉を急いで唱えた。 するとお札はその先にある宿舎の壁に貼り付きはしたが、爆発まではしなかった。 そのまま爆発させても良かったが、今霊夢の懐に入っているお札は残り数枚ほどである。 いつもなら大量に携帯しているのだが、これまで行ってきた数々の戦闘で使い果たしていたのだ。 (まぁ回収する分も含めば何とかなるわね…) そんな事を考えながらも霊夢はホバリング移動のまま壁に貼り付いたお札を素早く回収すると奇襲を仕掛けてきた敵が何処にいるのか周囲を探った。 先程霊夢の攻撃を跳躍して避けたキメラはかなり跳んでしまったらしく、ゆっくりと地面に向かって落ちてくる。 襲ってきた相手と十分な距離をとっているのを確認すると、その場に着地した。 ―――うぅむ予想通り奇襲は通用せんかったか…。まぁここで倒れても面白くは無い ふと自分の背後から聞こえてきた貴族の声に霊夢は苛立ちを覚えつつも、前方にいる゛敵゛に警戒していた。 霊夢が着地してからすぐにソイツも地面に降り立ち、左手の甲から生えた爪をガチャガチャとやかましく鳴らし始めた。 鎌の形をしているその爪は艶めかしい黒色をしており、クワガタムシのアゴと非常に似ている。 そしてその全体は、今朝戦ったクワガタムシのキメラよりも更に不快感を煽る姿をしていた。 左手は人間のそれと似ているが、それとは対照的に右手のほうはサソリの尻尾となっている。 それは余りにも長い所為かとぐろを巻いて地面に垂れており、時折思い出したかのような尻尾の先端がピクリと動く。 体の模様は黒を下地に、ハチ彷彿させる黄色の縞模様が走っている。 そして頭部はイナゴそのものであり、しきり動く口から黄色とも緑色とも言える気味の悪い液体を出している。 ――さぁ…行きなさい 「ゲ ッ ! ゲ ゲ ゲ ゲ ゲ ッ ゲ ッ ゲ ッ ! !」 ボシュウゥウゥウゥ…! バッとマントをはためかして叫んだ貴族に反応して、そのキメラもまた甲高い声で叫んだ。 間接の隙間から、黒い霧を放出させながら… 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ――トリスタニア一の規模と伝統を誇る劇場、タニアリージュ・ロワイヤル座。 神殿を思わせるような豪華な石造りの立派な劇場に、今日も貴族平民問わず大勢の客が足を運んでいた。 劇場内にあるリストランテでは、フレンチトーストとホットミルクの匂いが漂い、 劇場のエントランスにある大きな売店ではポスターやアクセサリーといった、今月公演される劇のグッズが店頭で売り出されている。 更に劇のお供としてポップコーンやジュース、クッキーと言った軽い食べ物を出す準備も同時に始めていた。 チケット売り場の方ではどの劇を見ようかと、多くの客達が今日公演される劇の一覧表と睨めっこしている。 観賞一回分の料金は並の貴族達にとっては安い物だが、下級貴族や平民達にとっては月一の楽しみを提供してくれる魔法の紙である。 それに、今日最初の劇が始まるまで後数時間あるため、十分に選ぶ時間があった。 そんな客達の中でも、一際目立つ年老いた貴族がお供の騎士を連れてある場所を目指して歩いていた。 老貴族は立派な服にいくつもの勲章を着けており、一目見ただけでそれなりの地位を持つ者だと教えてくれる。 お供の騎士達もまたお揃いの黒いマントに黒い帽子、そして体から漂わせる雰囲気は見る者を圧倒させる。 そんな騎士達とは正反対に人の良さそうな顔つきの老貴族はすれ違い様に頭を下げてくる他の貴族達に対して丁寧に礼を返していく。 やがて老貴族とお供の騎士達は、人気の少ない、劇場の二階へときたところで足を止めた。 彼らの目の前には、国内でも有数の大貴族達しか利用できない鑑賞席へと続く大きな扉がある。 通称゛ボワット゛と呼ばれるその席の所為で、防犯上二階のスペースは狭く、リストランテや休憩場所といったエリアは全て一階に集中している。 老貴族は改まって自分の身なりを正すと、騎士達の方へ顔を向けて喋った。 「君たち、仮面はちゃんと持ってきているだろうね」 優しそうな雰囲気が漂ってくるその声に騎士達は全員頷くと、マントの中に隠していた仮面を取り出し、被った。 それを見て老貴族は満足そうに頷くと懐を探り騎士達と同じ仮面を取り出し、被る。 「いいかね?ここから先は失礼のないように頼むよ」 仮面を被った老貴族の声は、先程の優しそうな声は、まるでヘリウムガスを吸ったかのようなダミ声へと変化していた。 騎士達は老貴族の言葉に頷くと、彼の前にいた一人の騎士が゛ボワット゛へと続くドアを開け、中へと入っていった。 既に゛ボワット゛には幾人かの先客達と彼らのお供らしき騎士達がいたが、全員が全員同じデザインの仮面を被っていた。 そして彼らもまた、老貴族と同じように古くからこの国を支えてきた者達である。 老貴族は辺りを見回して自分のすぐ目の前に空いている席があるのに気づくと、そこへ腰を下ろした。 「なにをしていたのだ、あと一分遅ければ遅刻だったぞ?」 席に着いた瞬間、右の席に座っていた細身の貴族が怒ったようなダミ声で老貴族に言った。 「いやぁ~すまない。何分馬車がトラブルを起こしてしまい…」 一方の老貴族はすまなさそうに頭を掻きながらも今日最も不幸だと思う出来事を口にする。 そんな老貴族に細身の貴族はやれやれと首を横に振った瞬間、ふと彼らの後ろに設置された大型のカンテラに火が灯った。 普通のカンテラとは桁が違うサイズのカンテラが灯す火は大きく、今まで暗かった゛ボワット゛をあっという間に明るくした。 突然の事に仮面の貴族達は一瞬驚いたものの、今度は頭上から声が聞こえてきた。 ―――やぁ皆様、お忙しいところを、このような会合に付き合わせる事を深くお詫び致します 頭上からの声に貴族達は席を立ち、頭上へと視線を向ける。 ―――…さて、実は昨日…この国を捨てようとした無礼な内通者が一人、亡くなったそうです 声は悲しそうに、だけど嘲笑うかのような感じで喋り始めた。 ―――彼は、天誅を受けたのです。天誅を。 王族を侮辱し、あまつさえ欲に走ったのだから当然とも言いましょうか? きっとこれから先しばらく、レコン・キスタという王族に杖を向ける愚か者共の刺客がやってくるでしょう。 そして、その刺客共をこの国に入れる鼠もまた増えるに違いありません そこまで言ったとき、ふと先程の細身の貴族が声を荒げて言った。 「ならば我々がする事は……レコン・キスタの刺客共と内通者の鼠たちを駆除するのみ!」 勇気溢れるその言葉に、周りの貴族達は頷き「そうだ、駆除しなければいけない」と呟く。 そして、頭上からの聞こえてくる声の主もそんな彼らに同調するかのような言葉を口にする。 ――そうです、国を売る内通者とレコン・キスタの輩どもは駆除しなければなりません。 その汚れ仕事は王族ではなく、現役を退こうとしている我々が請け負うべきものです! ▼ 何ヶ月か前に始まったこの会合に集う貴族達は皆、この声の主と同じ考えを持っていた。 ゛王家の目に入らぬ場所で平然と悪行を繰り返す他の貴族達を何とかしたい゛ そんな願望を持つ者達だけが集まれば、次第と結束力は高まっていく。 最初は若い貴族はどうだのアイツは横領しただので、単なる愚痴のこぼしあいであった。 しかし、いつの頃からか次第に愚痴の内容が過激なものになっていった。 そしていつしか、彼らは自らの権力を使ってこの国を綺麗にしようと決意したのだ。 ゛この国を食い物にする不届き者たちを、我らの手で裁いて行こう゛ 単なる愚痴のこぼしあいが、裏社会で暗躍する小規模な組織へと変貌するのにはそれほど時間は掛からなかった。 ▲ ―――敵は多い。されど私たちの結束力は幾億万の軍勢にも匹敵する。 さぁ行きましょう皆さん。この私…゛灰色卿゛と共に栄えあるトリステイン王国を綺麗にする為の闇の戦いへ! 掃除するのです!この国、そのものを! 声の主がそう言った瞬間、貴族達がワッと声を上げた。 「「「「「「「「灰色卿!灰色卿!灰色卿!灰色卿!」」」」」」」」 彼ら以外にまだ人がいない劇場を、熱狂した貴族達の声が響く。 まるでアンコールをする劇の観客達のように、右手を振り上げて叫ぶ。 自分たちの手で始まろうとしている劇の開幕を喜ぶ観客達の如く。 王族は勿論、枢機卿達ですら詳しく知らない、愛国心溢れる古参貴族達の集まり… それは、今まさに活躍の時と言わんばかりに動き出そうとしていた。 ◆ ―――る始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を与えたもうことを感謝致します」 トリステイン魔法学院の大食堂では、朝食を摂る前の祈りが行われている。 それを耳に入れつつ、霊夢と魔理沙の二人は一足先に食堂入り口の右端に設けられている休憩場で朝食を食べていた。 本来ならそこで食事を摂ることは禁止されている。 しかし朝食へ行く前にルイズの部屋を訪ねてきたシエスタがニコニコと笑いながら、 「あの、床に座って食べるのなら是非とも食堂の休憩場を使ってくれって…料理長が言っていまして」と言ってきたのだ。 ルイズはそれに一時反対したものの、昨日の事もあってかすぐに了承した。 「まぁ二人も足下にいると鬱陶しいことこのうえないからね」 そっぽを向きながら言ったルイズに、シエスタは満面の笑みを顔に浮かべて頭を下げた。 その時、ルイズの言葉を聞いて今まで霊夢が何処で食事を取っていたのかを察した魔理沙は驚いていた。 「普通、大理石の床に座って食べるか?」 「立ったまま食べるのってなんか疲れるのよねぇ。それに座っても損することはないし」 こうして二人は床に座ることなく、朝食を食べる事が出来ていた。 メニュー自体は霊夢が食べていた物とほぼ同じボリュームの食事である。 キャベツや細切りのニンジン、薄切りベーコンが入ったコンソメスープに小さめのボールに入ったサラダ。 小皿の上には雑穀パンが二つと空のティーカップ。コップにはレモンの果汁が入った炭酸水。 シエスタ曰く「私たちが朝早くに食べる朝食と同じもの」らしい。 それと比べれば、生徒達が食べているメニューとでは雲泥の差があった。 「ささやか…ねぇ。じゃあ素晴らしい糧だとあれの倍くらい出るのか」 魔理沙はサッパリとしたドレッシングが掛かったサラダを食べながら、ようやく食べ始めた生徒や教師達の食卓を見つめていた。 仔牛のステーキに、鱒の形をした大きめのフィッシュパイや色とりどりの果物。 バスケットに溢れんばかりの白パン、そして極めつけは朝からボトル一本丸まるのワインである。 これは朝食ではなくディナーと言われたら、魔理沙は疑う事はしなかったであろう。 最も、魔理沙にとっては食事のことはどうでもよく、ワインボトルの方に目がいっていた。 「やれやれ…朝から酒とは、よっぽど飲兵衛が多いんだなこの世界って…――……――う…?」 一人呟きながらも魔理沙は出されていた水を一口飲み、顔を顰めた。 口の中に入れた瞬間、シュワシュワと音を立てて弾けていく感覚で口の中に入れたのが何なのか、すぐにわかった。 (この感じはラムネだ…でも、甘くない。しかも酸っぱい) 無糖の炭酸水を飲んだことが無い魔理沙にとって、それは甘くないラムネであった。 更にレモン果汁が入っているという事も気づかないでいた。 「どうしたのよ。腹でも壊した?」 雑穀パンに齧り付いていた霊夢が黙り込んでしまった魔理沙に気づき、声を掛けた。 魔理沙は霊夢の言葉に首を横に振りつつ、口の中に入れた炭酸水の感想を述べた。 「いや…てっきり普通の真水かと思ってたんだが…ラムネだったとは…しかも甘くないぜ…」 「え?ラムネェ…?」 数年前から幻想郷の人里で流行始めた変な甘い飲み物の名前が出た事に、霊夢は首を傾げた。 子供達の間で人気らしいが以前霊夢はチョビっとだけ飲んで、あの口の中で弾ける感触を味わって以来嫌になってしまった。 あの変な飲み物がこの世界にもあるのねぇ。と呟きつつ霊夢はコップに入った炭酸水を一瞥した。 やがて朝食の時間が終わり、腹を満たした生徒や教師達が食堂からぞろぞろと出てきた。 これから授業の準備をしなくてはいけない為、自室へと戻る最中なのである。 その光景は、正に蟻の行列と言っても差し支えはないであろう。 一足先に食べ終えて外に出ていた霊夢と魔理沙は食堂から少し離れた所でそれを眺めていた。 「いやはや、こんなに多いとある意味蟻の行列みたいだよな」 「あんだけ多いと食事を作る方も随分と大変ね」 大きなトンガリ帽子を人差し指で器用にクルクルと回している魔理沙の言葉に、霊夢も頷く。 今視界に映っている程の大行列は、幻想郷で暮らしていた魔理沙にとっては今まで見たことが無かったのである。 一方の霊夢は、人数分の料理を賄い含めて作れるマルトーやシエスタ達に改めて感心していた。 「―――…んなところにいたのね!二人とも!」 その時、ふと行列の中から聞き慣れた声と共に、生徒達の行列から一人の少女が出てきた。 行列を見つめていた二人はすぐさま、列から出てきて少女がこちらへ走ってくるのに気が付いた。 「…ん?あれって、ルイズの奴じゃないか。…おーい!」 速くもなく、また遅くもないスピードで走ってくる少女に魔理沙は手を振る。 魔理沙の言うとおり、その少女はピンクのブロンドが目立つルイズであった。 「確かに。あの髪の色は間違いなくルイズね」 霊夢もすぐさまルイズだとわかり、挨拶程度に手を軽く振った。 二年生の証である黒いマントをはためかせて走ってきたルイズは、すぐさま二人のもとへとたどり着いた。 走ってきたルイズは肩で息をしながら、霊夢と魔理沙に声を掛けた。 「…全く、いつの間にかいなくなったと思ったら…ハァ…こんなところで何してるのよ」 「蟻の行列を見てたぜ。でっかい蟻のな」 魔理沙の口から出たその言葉の意味を理解できず、ルイズは首を傾げた。 「…アリ?…そんなの見ていて楽しいの…?まぁそんな事より、ちょっとついてきて欲しいんだけど」 ついてきて欲しいという言葉に、霊夢はすぐさま次に「授業についてきて」という言葉を連想した。 以前この世界に来て最初の頃に断ったのにもう忘れたのかしらと思った霊夢は、溜め息をついた。 「授業なら私は行かないわよ。魔理沙でも連れて行けばいいんじゃない?」 「おぉ、魔法を学ぶ学校の授業か。それは興味あるな」 「授業」という単語に魔理沙はすぐに目を輝かせた。 しかし、霊夢の予想は珍しくも外れたようでルイズは首を横に振った。 「違うわよ。今から学院長室に行くのよ」 「学院長室?あぁ、魔理沙の事ね」 思い出したかのような霊夢の言葉に、「それもあるけど」と言いながらルイズは言葉を続ける。 「アンタのルーンの事で話したい事があるそうよ」 ルイズは霊夢の左手の甲に刻まれているガンダールヴのルーンを指さしながらそう言った。 ◆ ブルドンネ街の一角にある高級ホテルの付近には、朝から多くの野次馬達が見物しに来ていた。 最初の方こそ数人程度であったが、時間が経つごとに人が増えていき今ではその数は三十人ほど増えている。 そんなとき、ホテルの方で何やら人だかりができているという話を聞いた一人の男が興味本位でやってきた。 話どおりホテルの前には大勢の人達がたむろしていて、何やらボソボソと話し合っているようだ。 来たばかりの男はとりあえずどうしようかと悩み、近くにいた別の男性に詳しい話を聞いてみることにした。 「なぁ…こんなに人が集まってるが…何かあったのか?」 彼の横にいた大柄な男性は突如そんなことを聞かれて目を丸くしたが、すぐに返事をした。 「何だよ、知らねぇのか?あのホテルでな、貴族が一人殺されたんだよ」 「えぇ…ま、まさか殺人事件…!それは本当かい…?」 男の口から出た゛殺された゛という言葉に彼は目を見開いて驚愕した。 治安がある程度にまで整っているブルドンネ街ではスリや詐欺はともかくとして、強盗や殺人といった類の事件は滅多に起こらないのだ。 「嘘なもんかい。俺がいつも使ってる道には検問が張られてるし、出入り口で待機してる衛士隊の連中が何よりの証拠だろう」 半信半疑な彼に呆れるかのように男は肩をすくめて言うと、ホテルの入り口を指さした。 ホテルの出入り口では、平民のみで構成された市中警邏の衛士隊数人が武器を持って佇んでいた。 立派な造りの槍とその体から出る緊張した雰囲気は周りにいる市民者達を威圧し、ホテル付近で釘付けにしている。 数人一組で街をパトロールし、犯罪者を見つければ訓練された動きで即時逮捕する彼らは、犯罪者達にとっては身近に潜む危険そのものであった。 ただメイジの犯罪者ともなれば殆ど魔法衛士隊の出番となるが、それでも彼らは犯罪者と日夜戦っている。 ある意味畏怖される存在でもあるがそれと同時に、頼れる存在でもあるのだ。 衛士が出入り口にいるのを確認した彼の顔は、みるみる真っ青になっていく。 「ホントだ…世の中って、おっかねーのな」 一方ホテルの中では、多数の衛士隊の隊員達がホテル内をくまなく捜査していた。 その範囲は広く、客室や従業員の寝泊まりする仮眠室、厨房や浴場等ほぼ草の根を掻き分けるような状況であった。 殺されたのが王宮勤務の貴族だったからという理由もあるが、本当の理由は全く別のものであった。 ◆ そんなホテル内の一室、今回の事件の被害者である貴族が宿泊していた客室。 部屋の真ん中に放置された貴族の死体を一人の隊員がスケッチをしている。 スケッチは身体全体から両手両足、そして苦痛に歪ませた顔など、細部にまで至った。 一方、その部屋の片隅では二人の女性隊員と衛士隊の隊長と思わしき男が鞄の中に入っていた書類を調べていた。 二人ともかなりの美人ではあるが、体から発せられる無骨な剣のような重苦しい雰囲気がそれを台無しにしている。 「…隊長、やはり被害者はレコン・キスタの内通者と見て間違いは無いでしょう」 書類の内容を流し読みしていた金髪の女性隊員が、傍にいる隊長にそう言った。 彼女の名はアニエス。衛士隊に入ってから既に一年と五ヶ月程度の月日が経っている。 この職に就く前は街の一角にある粉ひき屋で働いていたという。 武器の扱いには長けており。敵対する者に対して容赦のない性格はこの仕事にうってつけであった。 結果、女性隊員だというのにもかかわらず僅か一年で市中警邏のリーダーとなったのである。 隊長は彼女の言葉に頷くと、鞄の中に入っていた一枚の書類を手に取り、流し読みをする。 「…レコン・キスタめ、これをもとに一揆の煽動でもするつもりだったのか?」 その書類に書かれていたのは、首都から離れた地域の納税率をまとめたものであった。 納税率の小さい地域に住む者達はとても貧しく、税を減らしてくれと頼みに土地を収める領主ではなくわざわざ王宮にまで来るのだ。 当然その村に住む者達は王宮に対しての反逆心を抱いており、隙あらば小規模な運動を起こすのである。 歴代の王もそのような者達の活動に頭を悩ましていたのだ。 書類を手に取った隊長についで、青髪の女性隊員も鞄から書類を一枚手に取り、目を通し始めた。 彼女の名はミシェル。アニエスとほぼ同時期に入隊した女性隊員だ。 彼女に負けず劣らずの堅苦しい性格の持ち主で、右腕的存在でもある。 生真面目で勇敢な性格のおかげで周囲の者達からも信頼され、今ではアニエスの補佐として働いている。 ただ唯一不思議なことは、衛士隊に入るまで彼女が何処で何をしていたのか――それを誰も知らないという事だ。 「この書類の数々…写し取りではありますが、とてもじゃないが被害者の権限では扱えぬ代物です」 ミシェルは手に取った書類を流し読んだ後に振り返り、背後で奇妙な死に方をしている被害者の姿をもう一度見た。 ◆ 事の始まりは昨日の深夜にまで遡る… 衛士隊の詰め所に、ホテルの従業員と思われる青年が殺人事件だ!と叫びながら駆け込んできたのである。 突然の事にポーカーをしていた二人の隊員は驚きつつも、青年に連れられてとあるホテルの客室へと入った。 かなりの金持ちにしか入れないその部屋の真ん中に転がっていたのは、案の定貴族の死体であった。 とりあえずは未だに寝ているホテルのオーナーを起こしすよう青年に言った後、二人の内一人が王宮と市内に点在している詰め所に伝令を飛ばした。 伝書鳩の形をしたガリア製のガーゴイルを用いたお陰ですぐに伝令が伝わり、すぐさま市内中の詰め所から多数の隊員達が集まってきた。 集まってきた隊員達は宿泊していた他の客達を起こして理由を軽く説明して避難させた後、現場の判断ですぐさま緊急の検問が張られることになった。 思ったより貴族達の避難が遅く、検問を張り終えた頃には既に朝の八時頃になっていた。 本来なら殺人事件でここまでの事はしないのだが、これには理由がふたつほどある。 ひとつ、王宮で重要なポストにいる者達が何人かこの宿に泊まっているということ。 ふたつめ。これが今回の事件をかなり大きくさせる要因となっていた。 ―――『殺された貴族が、機密性の高い書類を持っていた』ということ。 最初に現場へと来た隊員が偶然にも、機密性の高い書類の写し取りを見つけた事から被害者が内通者だとすぐに判明したのだ。 本来ならこの様な書類は写し取りはもちろん、持ち出す事すら禁止されているのである。 何時レコン・キスタとの戦争が始まってもおかしくない時期にそのような事をするなど、内通者でなければ命を捨てるという事と同義なのだ。 王宮では既に内通者が出ると前から予想していたのだが、最初に確認できた内通者は既に死んでしまっていたとは誰が予想できようか。 それが余計に緊急会議を長引かせ、朝になっても未だ王宮から魔法衛士隊が派遣されていないのだ。 「しかし隊長…今回の事件は、少し奇妙なところがありますね」 唐突なアニエスの言葉に隊長は頷き、振り返って床に転がっている死体の゛首筋゛の方へ視線を移す。 平均的な男性より少し細い首筋には…「虫に刺されたかのような人差し指程の大きさがある赤い斑点」がひとつあった。 ◆ これを見つけた当初は、寝ている最中かまたは殺された後に蚊にでもさされたのだと推測していた。 夏の訪れを感じるこの季節ならば、蚊にさされてもおかしくはないからである。 だが、スケッチ担当の隊員がこれを見た時、彼は驚いた表情を浮かべてこう言った。 「これが虫のさし傷だとすると…虫の形をした殺人鬼ですねぇ…」 苦笑交じりの言葉に、その場に居合わせた隊員達はまさかと思った。 だが驚くべき事に死体を調べてみると、首筋にある虫のさし傷しか目立った外傷が無かったのである。 そうなると、途端にスケッチ担当が言ったあの言葉に現実味が出てきた。 ◆ 「虫の形をした…殺人鬼ねぇ…」 衛士隊随一の物知りであるスケッチ担当の言った言葉を呟き、隊長は手に持っていた書類を鞄の中にもどした。 それを見てアニエスとミシェルも持っていた書類をもどし、最後にミシェルが鞄の蓋を閉じた。 「ミシェル。とりあえずコレはロビーの方に持っていってくれ」 「了解しました」 隊長の命令にミシェルは敬礼をし、左手で鞄の取っ手を掴むと軽く腕に力を入れて持ち上げた。 この鞄、何も入っていなくとも相当重量のあるタイプではあるが、彼女は何とも思わず軽々と片手で持っている。 普通の男性隊員達と同じ訓練をしている所為か、その小さな体には今や素晴らしいほどの力が宿っていたのだ。 「――ふぁ…」 ミシェルが鞄を持って部屋を出た後、ふとアニエスの口から小さな欠伸が出た。 堅苦しい彼女には似合わない可愛らしいそれに、隊長は思わず微笑む。 「おいおい、そんなに寝たいのならロビーのソファで休んでもいいんだぞ?」 隊長の口から思わず労りの言葉が出たが無理もない。 実はアニエスの睡眠時間は、ほんの一時間程度程度だけであった。 夜中まで窃盗犯を追いかけて捕まえた挙げ句、取り調べと調書で大分時間が掛かってしまい、 ようやく一通りの作業を終えてベッドに潜り込んで一時間後に招集を掛けられたのだ。 隊長の言葉に、アニエスは一瞬だけ顔を赤くした後口を開いた。 「あ…い、いえ!お気遣い感謝致しますが、自分は平気です」 「だけどなぁアニエス、お前に倒れられちゃあコッチも困るしなぁ…」 強気のアニエスに隊長は苦笑しつつもなんとか彼女をすぐにでも休ませようと思っていた。 ◆ 衛士隊に入隊してからの彼女は女性には少々辛い激務も幾度かこなしており、その身体には疲労が溜まっていた。 ミシェルは仕事がない合間にはいつも休んでいるのだが、それとは反対にアニエスは何かしらの仕事にいつも取り組んでいるのだ。 そんな彼女に隊長自身が一度長期休暇を取ってみたらどうだと言ったところ… 「私がしている数々の仕事は、自身を強くする為にしているのです」 彼女は強い信念の篭もった目でそう言った。 こういう目をした者には何を言っても聞かないというのは衛士隊の誰もが知っていた。 それに、彼女は非番の日にはちゃんと休んでいるのでそれ以上強く言うことも出来ないでいた。 ◆ 「自分は大丈夫です。それよりも隊長の方こそ昨日はあんまり寝てないはz――「 う わ っ … ! ? 」 隊長の言葉にアニエスは首を振って立ち上がろうとしたその時、すぐ後ろから驚きに満ちた声が聞こえてきた。 声の主は被害者のスケッチをしていた隊員で、いつの間にかすぐ傍にまで寄ってきていた。 一体何なのかとアニエスが思ってふと被害者の方に視線を移した時、すぐにある事に気が付く。 (被害者の肌が…白くなっている) そう、先程まで肌色だった被害者の肌がペンキで塗ったかのような白色に変わっていた。 死体は時間が経つことによって肌の色が変わるが、こんなに早く変色はしない。 では一体どうして、とアニエスが疑問に思った瞬間―――― …ュウ…シュゥ…シュウ…シュウ…シュウ… ふと被害者の身体の真下から、耳に障る嫌な音が聞こえてきた。 「この音は…一体何だ?…何かが溶ける音にも聞こえるが」 その音にすぐさま気が付いた隊長は怪訝に表情を浮かべながら、被害者の傍へと近寄った。 「よ…こらっ…しょっとぉ!!」 隊長は耳を音のする方向へ傾けた後、被害者の身体に手を掛けると、勢いよく前へと転がした。 突然の行動に二人は目を丸くし、スケッチをしていた隊員は思わず声を上げた。 「なっ…!た、隊長…いったい何を…!?」 しかし、その声を無視して隊長はひとり呟くと、死体の真下に転がっていたある物体を手に掴んだ。 「成る程…。音の正体はこれだったってワケか」 何かを手に持った事に気が付いたアニエスはすぐさま隊長の傍に駆け寄った。 隊長が手に持っていたそれは、白煙を上げて溶けている青いガラス片のようなものであった それは音をたてて゛内部から゛溶けていて、あと数十秒のすれば溶けて無くなってしまうであろう。 突如変色した内通者の死体…そしてこの溶けていく青いガラス片の物体。 今まで出会ってきた事件の中でも奇怪な事件だと、隊長は実感した。 「もしかするとこの事件…単なる殺人事件じゃあ無さそうだ」 ひとり呟く隊長の指先で、青いガラス片の物体は溶け続けていった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 「……良いですかな皆さん?この様に炎は色が薄くなればなるほど高温になっていくのです。」 ミスタ・コルベールは手にした炎で鉄の棒をあぶりながらそう言った。 そして十秒くらいあぶると鉄の棒から炎を離し、棒の両端を手で掴むと一気にそれを折り曲げた。 あぶられていた鉄の棒は抵抗することなくあっさりとくの字形になってしまった。 「と、この様に火の魔法は魔力の調節によって温度が変わります。その温度をうまく操ることが出来れば様々な金属を加工するときに役立ちます。」 生徒達は彼の言葉を聞きながらも机に置いているノートにメモしていく。 今日の二限目は「火」の魔法の授業である。担当教師はコルベールだ。 火属性の便利さや加工技術などを学ぶ。 しかし本来この属性は攻撃などが主体であり普通ならそれを学ぶための授業だ。 でもコルベールが担任をしているときはいつも加工といったものになってしまう。何故なのかは誰も知らない。 まぁだが他の教師の時は攻撃魔法を学ぶためバランス的に考えれば丁度良いのである。 それ故「火」属性の魔法が得意な生徒達からは時折不満が出ることもある。 「では…もうしている生徒達もいるが黒板に書かれている事をノートにまとめてください。」 コルベールが黒板を杖で指しながら言うと、メモをしていない生徒達もノートに書き始めた。 そんなのんびりとした授業の最中、教室のドアからノックの音が聞こえた。 「はいはい、どなたですか?」とコルベールが言いながらドアの方に近寄り、音を立てて開けるとそこにいたのはミセス・シュヴルーズであった。 それからすぐにシュヴルーズがコルベールの耳元で何か言うと彼の顔色がサッと青くなっていくのが遠くに座っている生徒達からも一目瞭然であった。 話を聞いたコルベールはシュヴルーズに軽く頷くと急いで教壇の方に戻った。 「えーすまない諸君、今日予定されていた授業は全て中止。指示があるまで自室か同級生の部屋で待機しておくように!」 そう言うとコルベールはササッ!と教室から出て行った。 いきなりの事にポカーンと口を開けていた生徒達だが段々と理解し始める者達が現れる。 「つまり…一日自由って事かな?」 ギーシュは不安げにそう言うとノートを閉じて席を立った。 それに続き何人かの生徒達もメモをし終えると席を立ち教室を出て行く。 普通こういう事があれば誰もが喜ぶことだが先ほどのコルベールの様子を見ていると何かあったのだろう。よくは知らないが。 「一体何が起こったのかしら?」 ルイズが席に座ったまま不安そうに呟いた。 まぁいつまでも教室にいたって授業が再開するはずもないのだから彼女も席を立ち他の生徒達と一緒に教室を出た。 教室の出入り口に来たとき、突然誰かに肩を掴まれた。 驚いて後ろを振り返ってみるとそこにいたのは学院でも実家でもお隣同士のキュルケがルイズの肩を掴んでいた。それもやけにうれしそうな顔つきで。 「なによツェルプストー、何か私に用があるの?」 「あるわよ、今大いにね。」 キュルケはそう言うと肩を掴んだままグイグイとルイズを近くにいるタバサの方にまで連れて行った。 詳しいことを聞いていないルイズは嫌そうなめ目でキュルケに質問した。 「キュルケ、私まだ何も聞いてないのよ。説明くらいしなさいよ。」 「まぁまぁ、これからお茶会をするんだしそんなにツンツンしない。」 キュルケの言葉にルイズはポカーンとした。 「なに阿呆みたいな顔してるのよ?」 それからキュルケは話し始めた。 どうせ今日の授業は全て中止になったのだから何かしようとキュルケは考えていたらしい。 それでお茶会をしようと思いつき、隣にいたタバサをまず最初に誘った。 「…で、2番目に私を見かけて誘った、ねぇ…。」 「そうよ。何か文句あるわけ?」 「いや、別に文句ないわよ。丁度何をしようかと悩んでいたところだし。」 「なら問題ないわね。」 そう言ってキュルケは次のことを話し始めた。 お茶会は部屋でしたいとの事。そのためにジャンケンで決めるとの事であった。 負けた者後の二人を部屋に招待するのである。 ルイズは最初それにとまどったが… 「もしかして…私に負けるのが怖いのかしら?」 と、キュルケの安い挑発で絶対勝ってアンタの部屋でお茶を飲むわよ!と豪語したルイズはジャンケンすることにした。 その時に限って、どうやら始祖は何処かの誰かを相手にチェスに興じていたのだろう。 ルイズの部屋。 「ふぅっ…これくらいで充分ね。」 部屋の掃除をしていた霊夢はバケツと箒を部屋の隅に置くと満足げに言った。 掃除というのはやっぱりきつい物だが追わせると確かな満足感を得られる物である。 それに本音を言えばルイズの部屋は小さい分神社の境内の掃除よりかは楽である。 さて掃除も終わり次は何をしようかと考えている時、突然ドアが大きな音を立てて開いた。 「だからなんであたしの所に来るのよ!!タバサの部屋もあるでしょうに!」 もの凄い剣幕でルイズが部屋に入ってきた。その次にキュルケが入ってくる。 「あら?ジャンケンで負けた奴の部屋に行くって最初に言ったじゃないの。」 キュルケはそう言って入り口で立ち止まり本を読んでいたタバサを部屋に入れる。 あっという間に物静かだった部屋は喧噪に包まれてしまった。 「ちょっとルイズ、なんなのよこの二人は。」 いきなりの客に少し目を丸くさせ、霊夢はルイズに話しかけた。 どうやら授業中、何かトラブルでも起こったのか全生徒が自室での待機になったらしい。 当然授業は中止となり、今日予定されていたものも全て取り消し。 そのため暇をもてあますこととなったキュルケはタバサとルイズを誘いこんな事を言った。 「…ジャンケンして負けた奴が他の二人を部屋に招待してお茶会をする。ねぇ…」 霊夢はそこまで聞くと手に持っているカップに入った緑茶を口に運んだ。 一回目はタバサがチョキで勝ち、後の二人は同じパーだったらしい。 その後も何回かおあいこ合戦が続いたのだが、遂にキュルケの方に軍配が上がったという。 ルイズは負けたことを悔しがり色々と言ったそうだがキュルケは気にしなかったらしい。 「まぁ私も別にこういうのは嫌いじゃないし、丁度暇をもてあましていた所よ。」 「話がわかるじゃない。やっぱりお茶会をするときは皆こんな気分じゃないとね~。」 霊夢の言葉を聞きうれしそうにキュルケがそう言うと皿に盛られたクッキーを一個つまみ口の中に放り込んだ。 それを見ていたルイズが嫌そうな目でキュルケを一瞥して紅茶を啜る。 多分この場にいる三人の中では最年少のタバサは一人静かに霊夢と同じ緑茶を飲んでいる。 飲み終えたタバサはカップを口から離してテーブルに置くと霊夢の肩を チョンチョン と叩いた。 「ねぇ。」 「ん?何かしら。」 「これ、何処で売ってたの?」 「あんた、もしかして気に入った?」 タバサはそれに対しただコクリ、と頷いただけであった。 一方場所は変わって学院長の部屋。 そこでは会議用の大きなソファが二つ向かい合うように置かれ、教師達が何人か座り口論となっていた。 今回の問題は今年の給料だとか授業料の滞納だとか…そういうものではない。 『泥棒』が忍び入り、宝物庫の財宝を盗んだのである。それも平民出や元貴族で構成されている組織の仕業ではない。 最近トリステイン中の貴族達が夜、枕を高くして眠れる事が出来ないほどの腕を持つ泥棒の仕業である。 その名も『土くれのフーケ』である。 二つなの通り土属性を得意とする元貴族と思われる泥棒。 時に大胆、時に静かに獲物を掠め取り、気づいたときには無くなっている。 トリステインで名高い王宮の貴族達でさえ欺く業は正にプロである。 そして今回この魔法学院が不幸にもフーケの毒牙に刺さってしまったのだ。 最初の報告は朝一の巡回をしていた教師であった。 ふと本塔の方を見てみると宝物庫がある階層の外壁に丁度大人一人分の穴が空いているのを発見した。 急いで学院長にこの事を報告し、オスマンや数人の教師達は慌てて宝物庫の中へと入った。 しかし時既に遅く、恐らく夜中に実行したのであろう…そこにはフーケからのメッセージもとい、領収書が書かれていた。 『破壊の杖、確かに領収いたしました。 土くれのフーケより。』 学院側にしてみれば正に巫山戯ているの一言に尽きる。 その場でにいた者達だけで一度話し合ったが全員の意見が無いとどうすればいいかわからなくなり。やむを得ず授業を中止して緊急会議となった。 急いできてくれたコルベールもコレには顔を真っ青にし会議に参加している。 いつもは冷静を装っているミスター・ギトーも顔を真っ赤にして叫んでいる。 今このことを王宮に報告するか否かで論議していた。 王宮に報告をすれば魔法衛士隊から選抜された捜索隊をよこしてくれるだろうがそうすると別の問題が出てくる。 要はここ魔法学院の名折れになるということ。つまりはトリステインで随一のセキュリティを誇るここをあっさりと忍び入られたと言うことになる。 そうすれば警備の怠慢や教師達の注意不足が指摘され、最悪人事異動というものが待ちかまえている。 だから一部の教師達はそれを怖れ自分たちでなんとかしようと言っている。 そんな泥沼会議にオスマンはただ一人自分の椅子にもたれ掛かりため息を吐く。 (やれやれ…今日は本当についていないのぅ。) いつも朝一に行うミス・ロングビルの下着確認を自分の使い魔に探らせたものの彼女は外出していた。 挙げ句の果てに泥棒騒ぎで生徒達の学びの時間を一日分つぶしてしまったのだ。 全く、人生何が起こるかわからないものである。特に長生きしてると本当に。 (現に盗まれたあの破壊の杖も思い出深い品じゃったが…。) このままだと自分が生きている内にはもう拝めないかも知れないと。心の中で呟いた。 そうこう議論している内にドアからノックの音が聞こえ、ミス・ロングビルがドアを開けて入室した。 会議に没頭していた教師達も一斉に彼女に視線を注いだせいかロングビルの顔が少し引きつる。 「おお!ミス・ロングビル。今まで何処におったのじゃ?」 そんな中オスマンは椅子から立ち上がり老人とは思えぬしっかりとして歩みでロングビルの傍に寄った。 「すいません、オールド・オスマン。少し調べ物をしていました。」 オスマンの言葉にハッとなりまたいつものエリートの顔つきに戻った。 「調べ物とは?」 その言葉に殆どの者達が首を傾げた。 「はい、あの土くれのフーケについてです。」 この場にいた教師達が予想もしていなかった言葉に驚愕した。 ロングビルは懐から一枚のメモ用紙を取り出し説明し始めた。 「今日の未明、散歩をしていたときに大きな箱を抱えたフードを被った不審者をヴェストリの広場で見かけました。 怪しいと感じた私はそれを追跡、不審者は数日前の決闘騒ぎから放置されたままの壁の穴から森の中に入りました。 ますます怪しいと感じた私は悟られないように尾行しました。犯人はここから三時間ほどの所にある廃屋にその箱を置いて姿をくらましました。」 その報告を聞き終えたオスマンはあることを思いつく。 恐らくその廃屋というのもフーケの隠れ家であろう。そして一時的に姿をくらまし時が経てばまた戻ってくる。 それよりも先に教師達を何人か送り込み破壊の杖を取り戻し、フーケが戻ってきたところを一斉に攻撃する。 捕まえるか、あるいは仕留めるか…答えは二つあるのだ。 多少引っかかるところもあるが今の雰囲気でそれを言うと無駄に時間を喰ってしまう恐れがある。 オスマンは改めて表情をきつくすると教師達の方に向き直った。 「さて、奴の居所がミス・ロングビルのお陰でわかった。」 そう言うとオスマンは再び自分の机の方に戻り椅子に座った。 「それじゃあ、次は誰が代表としてミス・ロングビルの案内の元フーケの隠れ家へ行くという事じゃ。 我こそは…と思う者は杖を掲げその決意を示してくれい。」 オスマンがそう言ったものの……誰も杖を上げようとはしなかった。 いかに強い教師達でさえも王宮の貴族を退かせる程の実力を持つフーケとは闘いを交えたくないのだろう。 オスマンもその事がわかっているためかそれを見て神妙な面持ちで頭をポリポリと掻いた。 「まぁそりゃぁ…怖いのはわかる。誰でも命は惜しいもの、けど0人ってのはないじゃろうが…。」 「ならオールド・オスマン。なんであなたが先に杖を掲げないのですか?」 思わず言ってしまった事をロングビルに突っ込まれオスマンはハッとした顔になり慌てて言い訳をした。 「え?いやぁだってワシは学院長。この学院を守る立場なのじゃ。」 「それはこの場にいる全ての教師達にも言えることなのですが。」 たかが秘書に更に痛いところを突かれ、追いつめられたオスマンは両手で机を思いっきり叩いてこう叫んだ。 「いいじゃん、いいじゃん!だって学院長なんだもん!!」 ――――――――本当この人、偶に考えてることがわからなくなるなぁ…。 この日から大半の教師達がオスマンにカリスマ性を疑うこととなった。 さて場所は戻り女子寮塔ルイズの部屋。 キュルケが紅茶を飲み干し一息つくとカップをテーブルに置き口を開いた。 「ねぇねぇ。少し聞いて良いかしら?」 「何?」 その言葉にルイズが顔を向ける。 「今更だけど、なんで急に部屋に待機って事になったのかしらね?」 キュルケは不思議そうに言いながら皿に盛られたクッキーを手に取る。 ルイズはしばらく唸った後口を開いた。 「う~ん…何かしら?」 「わからなければいいわよ。どうせ私もあまり考えてないから。」 「なら最初からそんなこと言わないでよ。」 キュルケはあっけらかんにそう言うとクッキーをヒョイッと口の中に入れた。 そんな二人のやり取りをよそに霊夢は視線だけを二人に向けながら静かに茶を飲んでいて、タバサは持ってきた本を読んでいる。 「……ねぇ。」 ふと霊夢がルイズに声を掛ける。 「ん、何よ?」 「アンタ等って仲が良いの?それとも悪いの?」 その質問にキュルケとルイズが二人同時に人差し指をお互いの顔に向けた。 「失礼ね、ヴァリエールとは代々敵同士なの。」 「ツェルプストーと一緒にしないでよ!」 言い終えてから二人とも指の動きがほぼ同時だったことに気づき顔を見合わせる。 その様子を見て霊夢は思わず苦笑する。 「言ってることは違うけどそれだけ動きが同じだとどうなのかしらねぇ。」 霊夢の言葉を聞いてルイズが少しだけ顔を赤くし立ち上がる。 「偶々よ!偶々!」 必死に反論するルイズではあるが隣に座っているキュルケは怪しい笑みを顔に浮かべている。 「そういえば…喧嘩する程仲が良いって言うじゃないの?」 彼女の言葉にルイズは多少動揺しながらもキュルケに返事をする。 「だ、だれがアンタみたいな…!」 沸々と込み上がる小さな怒りのせいで勢い余って机を叩いてしまう。 それを察知したのか素早い反射神経でキュルケがティーポットを二つ、霊夢がタバサの持ってきていた本2冊を手に取った。 木を叩く音と共にカップとクッキーが皿と一緒に空中に乱舞し、天井あたりまで来ると一気に床めがけて落ちていく。 天井から降ってくる菓子と皿にあたふたするルイズだが皿が顔に当たる直前で霊夢が皿をキャッチした。 地面やタバサの頭に落ちたクッキーは空しい音を立て、内何個かが破片をまき散らして粉砕した。 カップの方も鋭い音を立てて砕けてしまった。カップ1個につきエキュー金貨で3、新金貨で5のお値段である。 キュルケは何もなくなったテーブルの上に持っていたティーポットをテーブルに置いた。 「全く、癇癪起こすなら余所でしなさいよ。」 霊夢がため息交じりにそう言った後キュルケがよけいなことを言った。 「まったくだわ…。あなた、それのせいで男にもてないのよ。」 「っ…!?あ、アンタたちねぇ…!!」 そこでルイズの脳内の何かが切れてしまい、近くにあった本棚から2冊の分厚い辞典を取り出すと勢いよくそれを二人に投げつけた。 「おっと。」 「よっと!」 霊夢は迫ってきた本に対し顔を横にそらしてかわし、本はそのままベッドに着地した。 キュルケの方はというと上手いこと白刃取りのように受け止めた。 それを見たルイズが悔しそうな顔をしながらもう2冊取り出そうとしたがキュルケがタバサに目配せをすると杖をルイズの方に向け呪文を唱えた。 すると風の力でルイズの体に空気が絡み付くと、まるで操るかのようにタバサが杖をヒョイッと動かすとルイズは椅子にピョコンと座った。 怒り心頭のルイズは何とか立ち上がろうとするが人が自然の力に勝てるはずが無くただ風の中で藻掻くだけであった。 椅子に座るのを見届けたキュルケはフッと小さなため息を漏らすとタバサの方に向き直りお礼を言った。 「ありがとねタバサ。」 「ここは室内。」 そう言って丁度読み終えた本をパタンと閉じ、頭の上に乗ったクッキーを1個手に取って口の中に入れた。 霊夢はようやく抵抗するのをやめ、ゼェゼェと肩で呼吸しているルイズを少々呆れた目で見る。 「…アンタが暴れたせいでお茶会が台無しね。全く…。」 ルイズはハッとした顔になり自分の部屋を見回した。 床にはバラバラに散らばったクッキーやカップの破片がある。 爆発したときよりかはひどくはないがこれはこれで十分な有様である。 ルイズは冷や汗を浮かべながらも霊夢の方に顔向くと顔を少しゆがませ怒鳴った。 「う…うっさいわね!大体レイム、アンタが余計なこと言うからよ!?仲が良いとか悪いとか…。」 霊夢はというとそんなルイズに呆れながらも返事をした。 「…それって責任転嫁なんじゃないの?」 「あなたも悪いと思う。」 霊夢とルイズのやり取りにタバサが静かに呟いた。 二人は同時にタバサの顔を見、何事もなくクッキーをほおばるタバサを見て霊夢とルイズは苦笑した。 そんな中、キュルケが二人の間に割って入ってきた。 「でもどうする?クッキーは駄目になっちゃったしポットの中身もホラ、スッカラカンよ。」 そう言ってテーブルの上にあったポットを手に取り軽く振った。中からは何の音も聞こえない。 「丁度良いじゃない、これでお開きにしたら。」 すかさず霊夢がキュルケにそう言ったが彼女は納得していない様子である。 「う~ん、まだ昼食の時間じゃないから暇なのよね。」 「そもそも先生が自室で待機って言ってるのにお茶会を企画したアンタってどうなのよ。」 何を今更、ルイズがそんな事を言った。 一方のキュルケはウンウン唸りながら何かを考えている。 「キュルケ…?」 タバサが席を立ち上がり心配そうに声を掛けると… 「そうだ、外に行きましょう!!」 突然キュルケが大声でそう言い、ルイスが目を白黒させた。 「外よ外!部屋でのんびりするより遙かに有意義じゃない!」 「う~ん…とりあえず落ち着きなさい。」 捲し立てるキュルケにルイズは冷静に彼女の額を杖でペチッと叩いた。 まともに喰らったキュルケはそのままベッドへと倒れたが何事もなかったかのように起きあがった。 「…とりあえず一度聞くわツェルプストー。外へ行くってどういう意味?」 ルイズはキュルケの顔を指さしたながらそう言った。 どうしてあんなに考え込んでたあげくその結論に至ったのだろうか。 「そのままの意味よルイズ、散歩に行きましょ?」 その言葉を聞きルイズはため息を吐くと、口を開いた。 「あのねキュルケ?今は休み時間じゃないのよ。自室か同級生の部屋で待機する時間なの。」 「それはわかってるわよ、けど私としてはこのままお開きにして部屋で篭もるのは嫌なの。3人ともわかる?」 キュルケがそういったものの帰ってくる返事は案外冷たいのであった。 「残念だけど私は部屋でゆっくりくつろぐ方が好きなの。」 ルイズがそう言うとタバサも続いていった 「私も同じ。」 「まぁ私は…どっちでもいいわね。」 続いて霊夢が曖昧な返事をした。 どうやらトリステイン人とガリア人、そして日本人にはゲルマニア人の気持ちは理解されないようである 「意外と冷たいのねあなた達。…でもあれを見たらきっと考えも変わるわね。」 そう言うとキュルケはマントを翻し部屋を出て行った。 彼女の突然の行動にルイズはただただ頭を捻るが、隣りにあるキュルケの自室から物音が聞こえてきた。 しばらく戸棚を開ける音と、物をひっ掴んでは投げるような音が聞こえ、それが止むと右手に紙を握りしめたキュルケが部屋に戻ってきた。 キュルケは自信たっぷりの笑みで紙を広げ、そこに描かれている地図を3人に見せた。 それを見てルイズが胡散臭そうな目でその地図を見ながらそれを持ってきたキュルケに質問する。 「何よそれ。」 「うふふふ…これは宝の地図よ。宝の地図。」 それを聞いてルイズが呆れたような顔をする。 「キュルケ…あなたまさかこんな趣味があったなんて…!」 この様な宝の地図は街に行けばいくらでも売っているが大抵はまがい物で構成されている。 手を出したら十人の内九人が破産したり死んだりとロクな目にあわないのだ。 ルイズはキュルケを嫌な奴だと心から思っているが同時に実家のこともあってかライバルでもあるのだ。 しかし自分の好敵手がこんな物が趣味だったのは少しショックであった。 「へぇ~?宝の地図ねぇ…。」 そんなルイズとは反面に霊夢はキュルケが持っている地図に目をやる。 隅っこなどに書かれている文字はあまりわからないが多分宝のことについて書いているのだろう。 「うふふふふふ…興味あるの?場所はこの学院から馬で三時間くらい離れた所よ。」 そんな二人を見て不安になってきたルイズが霊夢の服を掴んだ。 「ちょ…ちょっとレイム!あんたまさか着いていく気じゃないでしょうね!?」 「まだ行くって決まったわけじゃないわよ。後服がのびるから掴むのやめてよね。」 そう言いながらルイズの手を掴んで離すとキュルケの方に顔を向ける。 ルイズはそんな霊夢の態度に少々頬を膨らましてう~、う~唸るが今になって始まったことではないため怒鳴るようなことはしなかった。 しかしそんなルイズにお構いなく微笑みキュルケが口を開く。 「まぁまぁ落ち着きなさいよ。そこに眠っている宝の名前は…名前は…っと。」 地図をひとさし指で辿りながら宝の名を探す。 そして見つけたのか、指でスッと文字を撫でながらその名前を口にする。 「『境界繋ぎの縄』。」 そう言った後、ルイズの方に顔を向けていた霊夢が驚いた表情でキュルケの方を向く。 「境界?」 「そうよ、なんでもこれを決まった方法で使うと自分が願う場所へ行けるらしいわ。」 ま、本当かどうか判らないけど。 とキュルケが言うと霊夢は彼女が手に持っていた地図をもの凄い勢いでひったくった。 「ちょっと!貸して欲しいならちゃんと言ってからにしてよ。」 そんなキュルケの言葉が耳に入っていないのか霊夢は目をあちこちに走らせ地図の内容を把握していく。 しばらくすると霊夢は地図をテーブルに置き、笑みを浮かべた顔をキュルケに向けた。 「いいわ、行きましょう。」 その思わぬ言葉にキュルケは少し驚いたがすぐに笑顔になり、ポンと両手を叩いた。 「やっと乗り気になってくれたのね、嬉しいわ。」 一方霊夢がこの話に乗るとは思わなかったルイズは慌てた様子で霊夢に話しかけた。 「ちょっと!いきなりどうしたのよ!?」 「帰れる方法が見つかるかも知れないから探しに行くだけよ。」 「は?…………えぇ!?」 随分とあっさり言ったため一瞬何のことだかわからず反応するのに遅れたルイズであった。 まさかこんなに早く帰る方法が見つかるとは彼女は夢にも思わなかったのである。 「え?なんなのルイズ、一体どういう事?」 「う~ん、とりあえず行きながら話すからとりあえず早く行きましょう。」 霊夢の事をあまり知らないキュルケはルイズの驚きようにキョトンとする。 状況を理解していないキュルケを促している霊夢を尻目にルイズは混乱しつつも再度話しかけた。 「つ、つまり何…もう帰るって事?」 霊夢はその言葉にええ、と頷く。 「まさかアンタ…今更になって私に帰るな。とか言う気?」 それに対し、ルイズはムッとしながらも答える。 「別にそんなんじゃないわよ!帰るならさっさと帰りなさいよ。」 ルイズの態度に霊夢は肩をすくめた。 ルイズは霊夢と出会った最初の日にした、約束事を思い出していた。 一緒に元の世界に帰る方法を探すこと ちゃんとお茶と食事は摂らせて欲しいこと、後ちゃんとした寝床 いや、二つめまでは今はどうでもいいとして今直面している事は三つ目だ。 ―――――――私の迎えが来るか元の世界に帰る方法を見つけたらすぐに帰らせて欲しいこと 霊夢がここから元の世界に帰れば自分は最召喚が可能となる。 そのときに使い魔は何処に行った聞かれるはずだが……まぁそのときはその時だ。 もしキュルケが持ってる鷹の地図が本当ならば霊夢はその宝を使って無事ゲンソウキョーに帰る 自分は問題を色々処理してから最召喚して、このまま大円団。 …ならば自分がすべき事はなんだろうか、とルイズは考えた。 このまま部屋で待っているだけなのか、それとも…。 『貴族という者はどんな者であれ、助けて貰ったら礼をしろ。』 ふと、頭の中で父がかつて小さい頃の自分に言っていた言葉を思い出した。 助けて貰った…とは言わないがちゃんと部屋の掃除や洗濯もしてくれたレイムには礼をするべきだ。 このまえ買ったお茶はまぁ…レイムの事だと持って帰りそうな…。 後はまぁ…何もない。 一応宝石という手もあるが残念ながら今は手元にない。 さて、どうしようか…とルイズは一人心の中で考え込み、決めた。 「…でもアンタには色々助けて貰ったこともあるし、別れの挨拶くらいには付き合ってあげる。」 そうポツリと、霊夢に向かって彼女は呟いた。 今のルイズにはこれぐらいしか思い浮かばなかったのだ。 このとき、宝の地図は「十人中九人がハズレ」だという事を霊夢は知らなかった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 太陽が沈み、代わりに赤と青の双月がゆっくりと顔を出した。 しかし今日の双月は重なってしまっているため、大地に住む者達から見れば一つの月に見えてしまう。 今夜は二つの月が重なる晩。とても神秘的で、遙か空の上にある天の河の不思議の一つに触れることが出来る日。 そんな夜を迎えたウエストウッドの村は、昼にやってきた怪物の所為で滅茶苦茶になっていた。 柵はなぎ倒されていたり藁葺きの家が何軒か叩き壊されていたり、なかには吹き飛んでしまっているものもある。 そんな村の中でも一番無傷であった家の中で、霊夢が自身の左手の甲に浮かんでいた『文字のようなモノ』を見つめていた。 「これって、なんなのかしら…?」 霊夢はなかなか高そうなテーブルに肘を突き、左手の甲をマジマジと見つめながらぼそりと呟く。 左手の甲には文字だか紋章だかよくわからない記号がボンヤリと、幽霊のように浮かんでいる。 本当にボンヤリと浮かんでいるため、何が書いてあるのかいまいちハッキリしない。 だがしっかりと浮かんでいても霊夢はハルケギニアの文字は読めないため、関係ないのだが。 霊夢は一度手の甲から目を離すとテーブルの中央に置かれていたランタンへと目を移す。 新品同様のランタンの中では赤色が少しかかったオレンジ色の炎が小さく、それでも爛々と輝いている。 その日を見つめていると、今日の昼頃に起こったことを思い出した。 ◆ 森の中で知り合ったティファニアという少女の家で昼食を食べた後、牛頭の化け物がやってきたのだ。 とりあえず人を襲うような素振りを見せたので退治しようと戦ったのだが、如何せんソイツは思ったよりも随分と硬かった。 なら一気に片を付けるかと思い、スペルカードを取り出そうとしたとき―――こちらに戻ってきたティファニアが『詠唱』を始めたのだ。 このハルケギニアという世界に来てからだが、色々な魔法の詠唱を聴いてきたがあんなのは初めて聞いた。 しかし――何故か心の奥底ではその詠唱に何処か『懐かしさ』を感じていて、自然と気持ちが良くなっていく気がした。 まるで、母親の子守歌を聴いて安らかに眠る赤ん坊のような。そんな例えが丁度合うような感じだった。 その後のことは、正に奇妙であった。 詠唱を終えたティファニアがあの牛頭に向けて杖を振り下ろすと、牛頭の周りの空気が直視できるくらいに歪んだ。 すぐに空気のゆがみが戻ったとき、牛頭の妖怪はまるで呆けたように立ちつくしていた。 目に浮かんでいた妖しげな水色の光も消え失せていて、太陽のように赤い瞳が見えていた。 牛頭の化け物がジーッと立ちつくしているのを見たティファニアは大声で牛頭に言った。 「貴方は人のいる所へ来ちゃ駄目なの、だから何処か人が全く来ないところへ行きなさい。」 ティファニアの言葉に、牛頭は「わかった。」とでも言うようにうめき声を上げ、踵を返して森の方へと戻っていった。 牛頭の姿が木に隠れて見えなくなった頃になった時、ティファニアは安心したかのようにため息をつくと、その場にぺたんと座り込んでしまった。 しばらくして、ティファニアの家に隠れていた子供達が外へ出て泣きじゃくりながらティファニアの所へやってきた。 私は何が何だかわからなかったが、まぁあの牛頭が自分で去ってくれたから結果オーライと考えてたとき、ふた左手の甲の異変に気が付いた。 そこへ目を向けると、ボンヤリとだが光り輝いている記号があったがすぐに光は消え――代わりにこの文字のようなモノが浮かんできた。 「一体全体、良くわからないわねぇ~。」 霊夢はそう言うとぐて~っと腕を伸ばしてテーブルに突っ伏した。 ふとそんな時、ある言葉が彼女の頭の中を縦横無尽に駆け回った。 ―――――――――アンタの左手にルーンが刻まれてるでしょ?それが使い魔の証拠… 「確かアイツ、使い魔のなんとかかんとかって…言ってたような。」 そこまで考えたとき、後ろから男の子の声が掛かった。 「?…ツカイマがなんとかかんとかって、何言ってんの?」 振り向いてみると、そこには寝巻きに着替えたジムが怪訝な表情で佇んでいた。 「なんだアンタか…で?どうしたの。」 霊夢の素っ気ない言葉にジムはムッとしながらも、ティファニアからの伝言を霊夢に言った。 「テファおねえちゃんが、お風呂に入っても良いってよ。あと寝巻きも後でテーブルに置いておくって…。」 あの後、ティファニアは流石に子供達だけで一夜を過ごさせるのは危険と判断し、今夜だけは子供達全員がティファニアと一緒に寝ることになった。 一方の霊夢はというと、ここで一晩明かす気はなかったのだが何故だか疲労が無駄に溜まっていたのだ。 きっと四時間くらい飛び続けたうえに戦闘までこなした反動でも来てしまったのだろう。 事実、ティファニアの誘いを二つ返事で断りそのまま飛び上がろうとして、クルリと一回転して地面に寝転がってしまった。 後ティファニアの家のお風呂についてだが、実はティファニアの言っていた『知り合い』が作ってくれたお風呂らしい。 なんでもその『知り合い』は「土」系統の魔法が得意らしくて、お湯をひいたり土台を作ってくれたという。 「…あぁ、ありがとう。」 霊夢はジムにお礼の一言を言う席を立とうとした時、モジモジしつつもジムは口を開いた。 「テファおねえちゃんと俺たちをあの時化け物から助けてくれて、その…アリガトウ。」 本心かどうかわからないそのお礼の言葉に霊夢はふと足を止め、ジムの方へと顔を向けた。 霊夢と目があったジムは、彼女の赤みがかかった黒い瞳をモジモジと見つめつつ、更にお礼の言葉を言う。 「なんというかな…その、最初はただの腋さらけ出してるアレが弱いオカシイ女かと思ってたけど…結構良い奴――――イタッ!?」 しかし、ジムのお礼の言葉は、霊夢の唐突なデコピンによって中断されてしまった。 「アンタ、私を馬鹿にしたいのか礼を言いたいのかどっちかにしなさいよ。」 霊夢は額を抑えているジムにそう言い捨てるとさっさと風呂場の方へと行ってしまった。 ◆ そんな会話が行われているウエストウッド村の外の森。 今夜は月が出ているのだが、枝や葉が月光を遮っている所為で森の中はとても暗い。 普通ならこんな時間帯にくる人間は居ないのだが、今夜に限って例外が一人だけいた。 その人物は自分の体のラインがくっきり見える黒色のローブを纏っており、それで女性だと一目で分かる。 女性は地上より上にある木の枝に腰掛け、ジーッと何もない空間を見つめていた。 ふと女性は地面へ顔を向けると、それが合図かのように小さな人形がヒョコヒョコと木を登ってやってくる。 人形は女性の足下まで来るとピタリと動きを止め、女性はその人形を掴んで懐に入れた。 「全く、『ハクレイ』の【ガンダールヴ】を探したと思ったら、新たな『担い手』も見つけてしまうとはねぇ…。」 開口一番、女性はまるで予想もしていなかったという風に呟いた。 (この森に放ったミノタウロスはいつの間にか指輪の洗脳から解除されていた。 先住の力がこめられているあの指輪の力を解除するには『解除』の呪文か…もしくは『忘却』の呪文。 ミノタウロスの様子を見たところ、後者だと思うけど断定は出来ないわね。少なくともジョゼフ様の意見を聞かなくては――――) ――――――ミューズよ、聞こえるか。余の女神よ。 そこまで考えていたとき、ふと誰かが自分の頭の中に直接語りかけてきた。 女性はハッとした顔になると、急いで懐を漁って少し大きめの人形を取り出した。 そして人形の顔部分を自分の耳元にあてて、二、三回頷くと申し訳なさそうな顔になり、こう言った。 「ジョゼフ様!、なにもわざわざそちらから連絡してこなくても、私から……」 女性の言葉を遮るか様に、手に持っている人形が頭の中に語りかけてきた。 ―――――なぁに、余は君が疲れていると思ってね。余の方から連絡をしたのさ。 その言葉を聞いた女性は、パァッと表情が嬉しそうなモノに変化した。 「い…その労り感謝します!あ…ジョゼフ様、頼まれていたガンダールヴの調査ですが…。」 女性は人形を通して話してくる誰かに、今まで調べていた事を一気に報告していた。 その報告の言葉の中には『虚無の系統』や【ガンダールヴ】、といったもはやハルケギニアの伝説に関連する言葉が幾つも出てきていた。 なかには『ハクレイ』といった、何を意味するのかわからない言葉も出てきた。 更に報告する相手が一見何の変哲もない人形だという事もあり、まるで人形に話しかける幼い子供そのものである。 ―――――……流石だ余のミューズ!!まさか期待以上の成果を持ってくるとはな! 「あなたに喜ばれることをする私にとって、その言葉は有り難き幸せでございます。して、二人とも捕まえますか?」 ――――――う~む、今すぐ手札に加えたいところだが…すぐにその事が坊主共の耳に入るだろう。 「ならしばらくは放置、ということですね?」 ―――そうだ余のミューズ。『宗教庁』すら知らない二枚のカードは、最後まで残しておく必要がある。 「わかりました。それでは筋書き通りの事を続けます。」 ―――――では、引き続き頼んだぞ。余のミューズ、【ミョズニトニルン】のシェフィールドよ。 その言葉を聞き終えた女性――シェフィールドは人形を懐にしまうと木の枝から飛び降り、あっという間に闇夜の中に紛れてしまった。 ◆ ―――やがて夜が明けて朝になり、一番最初に起きたのは霊夢であった。 「うぅん…、ふあぁ…。」 目を開けて天井を見た時、自分のいる場所が博麗神社ではないと思い出す。 「ふぅ、やっぱり現実と夢は違うわね。」 もう霊夢がハルケギニアに来てから大分経つが、それでも時折これが夢なのではないかと思ってしまう時がある。 望郷というものだろうか、時々幻想郷に帰る夢を見てしまう事があるのだ。 ベッド代わりに使っていたソファから出てティファニアが貸してくれた寝巻きを脱ぐと、自分の服に着替えて外の空気を吸いに外へ出た。 ドアを開けた先にあった外の風景は、最初に見たのどかな雰囲気な村とは無縁の場所がそこにあった。 昨日、いきなり襲撃してきた牛頭の妖怪に壊された家や柵が何処か廃墟的な雰囲気を醸し出している。 そんな光景を見た霊夢は朝っぱらから憂鬱な気分になってしまい、もう一度家の中へと戻った。 居間へ行くとイスに腰掛け、テーブルに肘を突いて窓から外を眺めているとふと誰かが居間へ入ってきた。 「おはよう…もう起きてたんだぁ。随分と早起きなのねぇ…。」 そこにいたのは、この家の主人であるティファニアであった。 目の下には隈が出来ており、眠たそうに目を擦っている。 「おはよう。随分とお疲れのようね、どうしたの?」 「あぁ、子供達が昨日何かお話ししてーってせがんでそのまま流れに乗って色々話してたら…」 最後に言おうとした言葉を、霊夢が引き継いでこう言った。 「寝不足になったってワケね?」 「うん、そういう事。…ふぁぁぁぁああぁぁ…そろそろ朝ご飯作らないと…。」 ティファニアは大きな欠伸をするとテクテクとキッチンの方へ歩いていった。 ――――やがて子供達を全員起こしてみんなで朝食を食べた後、霊夢はティファニア達と一緒に村の出入り口にいた。 朝食を食べた後、霊夢はもうそろそろ村を出ると言ったところ、こうして村の住人達が見送りしてくれると言ったのだ。 霊夢はそんな気遣いは別に良いと言ったが、それでもティファニアは昨日ジム達を助けてくれた事への感謝もついでにしたいらしい。 結局ティファニアと子供達は村の出入り口まで付いていくことになり――――今に至る。 一通りお礼の言葉を子供達に言われた霊夢はティファニアの方へ顔を向け、口を開く。 「それにしても…見送りだけじゃなくてこんなものまでくれるなんてね。」 霊夢はそう言って先程ティファニアに渡された小包を見つめる。 先程ティファニアがくれたこの小包の中にはサンドイッチが入っており、ティファニアが「お昼ご飯にでも」と渡してくれたのだ。 「いいっていいって、どうせ今日のお昼ご飯もそれだしね。」 ティファニアはそう軽く言うと後ろの方へと顔を向け、自分たちが住む村の光景を見た。 昨日の騒動であちこち滅茶苦茶になっており、元に戻していくにもそれなりに時間は掛かるはずだろう。 それも女子供達の小さな手だけで、きっと数ヶ月…へたすれば半年の時間を費すに違いない。 「本当、凄惨たる光景っていうのはああいうものね。」 霊夢がポツリ、とそう呟くとティファニアが再び霊夢の方へと顔を向け、こう言った。 「今はもういない母さんが事ある度にいつも言っていたわ。 豊かな感情を持つ者全ては凄惨たる現実の光景を見てしまえば心が折れてしまい、次第に理想の光景へ走ってしまう。 …だけど、心が折れると同時に理想へ走らず現実を受け入れ、その現実の光景をより良い物に直していこうという意思さえあれば…直していけるって。 その意思を持たず、理想へ走る者はいずれ現実と理想に殺される―――って。」 ★ 「また来て赤い服のおねえちゃーん!」 「助けてくれてありがとー!」 「ミノタウロスとの戦いはとてもかっこよかったよー!」 子供達の声援を背中に浴びつつ、霊夢はウエストウッド村を飛び去っていった。 ティファニアとジムは霊夢に手を振りつつ見送ると後ろを振り向き、ジムが口を開く。 「さて、これからみんなで村を修復するぞ!なーに、俺たちがちゃんとやればすぐに元通りになるって。」 他の子供達は、彼の言葉にウンウンと頷くとみんな村の方へと戻っていくが、ティファニアだけがずっと入り口に佇んでいた その瞳は、既に遠くへ行ってしまった霊夢を映していた。村の皆を助けてくれたあの巫女を――― 「ハクレイ…レイムかぁ。」 ポツリと、ティファニアは霊夢の名前を呟くとジム達の後ろを付いていくように村の方へと戻っていった。 ◆ ――――何処までも続いている白い雲が漂う空中を、一隻の船が飛んでいた。 側面に付いた大きな二枚の翼と巨大な帆で風を切り、安定したバランスを保っている。 外装も内装も立派な装飾を施されているこの船の名前は「マリー・ガラント号」。トリステインではかなり大きさ部類に入る輸送船である。 そのマリー・ガラント号の甲板に置かれている木箱の上に、一人の少女が座っていた。 黒色のマント、グレーのプリーツスカートに白いブラウスといった学生の標準的な服装。 マントを見ればその少女がそれ相応の名家の娘であることは一目瞭然である。 そして、何より一番特徴的なのは彼女の髪の色が明るいピンクのブロンドであるということだ。 そのブロンドヘアーの持ち主、ルイズは木箱に腰掛け段々と近づきつつあるアルビオン大陸を見つめていた。 この船に乗る前に護衛であるワルド子爵と共にレコン・キスタの刺客から逃げ切り、なんとかアルビオン行きの船に乗る事が出来た。 ワルド子爵はというとこの船の動力源である「風石」を風の魔法で補助している最中であった。 船長から貸し与えられた船室にいたルイズはとりあえず暇つぶしにと甲板に出て外の空気を吸っている最中であった。 「んぅー…輸送船にしては大分いい船室だったわ。」 ルイズはそう呟くと大きく体を伸ばすと、昨晩の襲撃の事を思い出していた。 あの時、ラ・ロシェールの桟橋に入った後突然やってきた謎の刺客に攫われそうになった時のことを―― 瞬時に状況判断をしたワルド子爵はとても格好良く、正におとぎ話に出てくる騎士そのものであった。 助けられた後に、お姫様だっこされている事に気づいた時は流石に恥ずかしかったが同時にとても嬉しかった。 「やぁルイズ、そんな所にいたのかい。」 「え…?うひゃあ!」 頬を紅く染めていたルイズの耳にふとワルドの声が飛び込んできた。 驚いた彼女は飛び上がってしまい、その拍子に腰掛けていた木箱から落ちてしまった。 だが、床とキスするまであと1サントという所でワルドが出した風でフワッとルイズの体が浮かび上がる。 ワルドはそのまま器用に風を使ってルイズの体を操り、自分と向かい合うようにして彼女を立たせた。 床とキスすることを免れたルイズはもう一度頬を赤く染めるとモジモジしながらもワルドに話しかけた。 「し、子爵様…突然声を掛けないでください。」 その言葉を聞いたワルドは軽く笑いながらも口を開いた。 「すまない、何やら夢中で何かを考えている君が可愛かったからついつい悪戯でもしようかと…。」 ワルドの言葉を聞いたルイズは頬を膨らませるとそっぽを向いた。 その顔を見たワルドは途端に苦虫を踏んでしまったような顔になってしまい、途端に言い訳を始めた。 「いや、あの、その、ほら?人間というのは時に誰かを相手に悪戯をしたくなる生物なんだ。 それは貴族も平民も関係なく平等に持つ生物的本能で、だからこそ道化師という職業があるもので…」 必死にそんな事を言ってくる自分より年上の男を見て、ルイズは内心クスクスと笑っていた。 そんな暖かいラブストーリーが輸送船の甲板で行われていたそんな時、鐘楼に上った船員が大声をあげた。 「右舷方向の雲中より、船が接近してきます!」 突然の声に二人は右舷の方へ顔を向けると、雲の中から一隻の巨大な船が現れた。 黒塗りの船体はまさに戦艦を思わせる雰囲気を持っており、舷側に開いた穴からは大砲が出ている。 「まさかレコン・キスタの戦艦なんじゃ…。」 その船を見たルイズは眉をひそめ、ポツリと呟いた。 「レコン・キスタの戦艦か?お前さん達のためにわざわざ荷物を運んできたと伝えろ。」 後甲板で副長と一緒に操船の指揮をしていた船長は船員にそう言った。 船員はすぐさま指示通りに手旗を振り回すが、黒い船からは何の返信もない。 その事に船員と船長は怪訝な顔をすると、青ざめた顔の副長が船長に告げた。 「船長、あの船…よく見れば旗を掲げておりません!」 「な、何!?」 副長の言葉に、船長は目を見開くとこう言った。 「す、するとあれは…空賊か!」 突如現れた黒塗りの船が空賊船だと判明した船長は即座に逃げるよう指示をした。 しかしそれよりも早く空賊の船が脅しと言わんばかりに舷側の穴から顔を出していた大砲を撃った。 空気を切り裂かんばかりのもの凄い音が辺りに響き、マリー・ガラント号に乗っていた者達はたちまち腰を抜かしてしまった。 その後、空賊船のマストに四色の旗流信号がするすると登ったのを船長は見逃さなかった。 四色の旗流信号―――つまりは停戦命令である。その旗を見て船長は苦渋の決断を強いられた。 ふと頭の中にトリステインの使いだからと今すぐこの船を動かせと命令した貴族の顔を浮かべた。 あの男ならきっと何とかしてくれると思ったが、正直言って船長はあまり乗り気ではなかった。 無理矢理起こされたとき、夢の中でイオニア会の神官並のブルジョワ生活をしていたというのに…あの男の所為で現実に引き戻されてしまった。 今更その事を思い出してもこの男は今は傍におらず、愛玩動物のような愛くるしい瞳をしても助けてはくれないだろう。 それに、相手が短気だとしたら貴族を呼び出す時間より、あの空賊達とうまく交渉する時間の方が大切である。 「…裏帆を打て。停船だ。」 そう判断した船長は副長に即座にそう伝えると「これで破産だ。」と小さな声で呟いた。 ◆ 「それにしても、この穴の上は何処に繋がっているのかしら。」 少し大きめの穴の入り口に転がっている岩に腰掛けている霊夢はそんな事を呟いた。 発光性の苔のお陰で穴の中は結構明るいが、ジメジメとしており長居はしたくはない場所である。 上は闇で下も闇。今霊夢がいる場所は、彼女がアルビオンに来て最初に入ったあの大穴であった。 ―――事はティファニア達に見送られて村を去ったところまで戻る。 ウエストウッド村を飛び立った霊夢はしばらく森林地帯の上を飛んでいた。 生い茂っている木はどれも大きく、下手すれば樹齢が数千年のものもあるかも知れない そんな事を考えている時、ふと辺りの視界がどんどん曇ってきた。 どうやら霧のようだ。突如出てきた霧はあっという間に濃くなっていき数分経ったときには既に1メートル先の光景すら見えなかった。 更に衣服が霧の中にくまれている水分を吸ってしまうせいか、妙にジメジメとしてくる。 流石の霊夢も飛ぶのを止め、浮遊状態になると辺りを見回した。 ふと下を見てみるとボゥッとした明かりが見えるのに気が付き、そちらの方へ近づいてみることにした。 何があるかわからないが明かりがあるという事は何かの目印か…それとも得体の知れない『何か』が自分を誘っているのか。 結局、明かりの正体は一本の太い棒にくくりつけられたカンテラに灯っていたものであった。 それよりも霊夢の気を引いたのはカンテラの近くにあった大きな古井戸だった。 井戸の近くには人工的に造られた道があるところ、どうやらこの何処かに住んでいた人々の井戸だったのだろう。 霊夢は地面に降り立つとその井戸を覗き、水が枯れている事に気が付いた。 「ここの井戸…水が枯れてるわね。」 しかし、よく見てみると井戸の底には怪しげな横穴があった。 井戸は比較的に深くないためすぐに底へ降りることも出来る。その時、ふと霊夢は昨日のことを思い出していた。 (そういえば、あの森へ来たときも大陸の下に出来た大穴から井戸を通じて出てきたんだっけ。 と、いうことはもしかしたらこの井戸もあの大穴の中へ繋がってるかもね。) そう思った霊夢の行動は早く、と彼女は井戸の中へ飛び降りた。 別にそこを通らなくても良かったのだが、外は濃霧の所為で何も見えないし、それに服も湿ってしまう。 穴の方もジメジメとしているが濃霧と比べればまだ耐えられるレベルで、何より少しひんやりとしている。 体を瞬間的に浮かせて難なく着地した霊夢はすぐに何処かへと繋がっている穴を潜った。 歩いたり飛んだりと穴の中を移動しつつ、道なりに進んで数十分後には最初にやってきたあの大穴の所へ戻ってきていた。 ようやくたどり着いた霊夢は穴の入り口に転がっていた岩に腰掛け――今に至る。 ★ 一方、ルイズ達が乗っている「マリー・ガラント号」はというと―― アルビオンへ向かって飛んでいるこの船の右舷には空賊達の船が見張るようにして隣を飛んでいる。 甲板には空賊達が剣やマスケット銃を手にうろついており、中には杖を持っている空賊も居た。 船員達は一部抵抗の意を示した者達だけを船倉に押し込め、それ以外の者達には操船を任していた。 そして、この船に乗り込んでいたルイズとワルドはというと、船長室へと続いている廊下を歩かされていた。 後ろにはマスケット銃を構えた空賊が数人ついてきておりもし抵抗をすれば即射殺されるだろう。 最も、この二人は杖を没収されてしまっているため抵抗する気はない。 ワルドは落ち着いた表情で黙々と船長室を目指して歩いていたが、ルイズはというとその顔から空賊達への嫌悪感が出ていた。 本当なら二人は船倉に閉じこめられる筈なのだが、どうしたことか急遽船長室に行くことになったのだ。 やがて船長室へと通じるドアの前まで来ると、後ろにいた空賊の一人がドアを軽くノックした。 ノックしてからすぐに船長と思われる音の声がドア越しに聞こえてきた。 「誰だ?」 「ウェズパーです、甲板でトリステインからの使者だと喚いていた貴族の小娘とその護衛を連れてきました。」 「よし、入れ。」 船長の了承を得たウェズパーと呼ばれた空賊はドアを開けると、ルイズ達を部屋に入れた。 豪華なディナーテーブルがあり、その上座には空賊達の頭と思われる男がイスに腰掛けていた。 汗とグリース油で汚れたシャツを着ており、そこから逞しい胸を見せている。 大きな水晶のついた杖をいじっている。どうやら空賊の頭もメイジのようだ。 頭は杖を手元に置くとドアの前に突っ立っているルイズ達を睨み付けた。 その瞳を見たルイズは思わず身震いをしてしまった。まるでドラゴンに睨み付けられたようであった。 「さてと、アンタたちをここに呼んだのはそこのおチビさんが言ってた事についてだ。」 頭はそう言って席を立つとルイズ達の傍へ寄り、ルイズの顔を見つめこう言った。。 「仲間から聞いたよ。そこのおチビちゃん――いや、あんたらがトリステインから来た王族派への使者だってな。」 その言葉を聞き、ワルドとルイズは顔を真っ青にした。火車がその顔を見たら死体と見間違えるほどに。 数十分前―――― マリー・ガラント号が停船した後、それを待っていたかのように空賊の船からかぎ爪のついたロープが放たれた。 それらを全てルイズ達が待っている船の舷縁に引っかかり、斧や剣を持った屈強な男達が器用にロープを伝ってやってくる。 やがて数分もしないうちに何十人もの空賊達がマリー・ガラント号に乗り込み船員達を甲板の真ん中に集め始めた。 当然その中には船長や副長もおり、ルイズやワルドも例に漏れない。 最も、ルイズだけは始終空賊達に文句を言っていた。それこそその文句を記録しただけで五ページくらいの冊子が出来るだろう。 それを読むのはきっと罵られたい何処かのマゾヒストか、もっと色んな罵り言葉を知りたいサディスティックぐらいに違いない。 まぁとりあえず彼女は貴族相手に無礼を働く空賊達を罵っていたのだが、その時に言った言葉は隣にいたワルドの顔を青くさせた。 「この空賊め!私たちはトリステイン王国から王族派への使いよ!それを何だと思ってるの!?」 流石にこの時ばかりはルイズも相手を罵るのに夢中になりすぎていた。だからこその失態である。 隣で大人しくしていたワルドは咄嗟にルイズの小さな口を大きな手で塞いだ。 ルイズに罵られていた空賊は怪訝な顔をしたが、それ以上追求する気はなくただ肩をすくめただけだった。 まぁその空賊はちゃんとその事を頭に報告したわけで、ルイズ達はその頭に尋問されているのだ。 ◆ 「アンタらトリステインの貴族が何の目的でわざわざ王族派の所へ行くかわからん。」 頭はそう言いつつ室内を歩き回るとテーブルに置いてあったクッキーを1個手に取って口に入れた。 何回か咀嚼した後、ゴクリと飲み込むとイスに腰掛け口を開いた。 「そんな仕事なんかやめて、どうせならレコン・キスタの一員になって聖地奪還を目指してみないか?」 その言葉を聞いてこの部屋に入ってきたときから不快感を露わにしていたルイズは憤慨した。 「良い?私たちトリステインの貴族は、アンタのような金と娼婦の尻を追っかけてるような奴の言葉には絶対従わないのよ!!」 彼女の横にいたワルドはその様子を心配そうに見ていたが、空族に向かって怒鳴ってたルイズの瞳には絶対的な『何か』が宿っていた。 由緒正しき血統と親や年上の者達から大事な事を教えられてきた者が持つ光を彼女の鳶色の瞳は持っていた。 頭はルイズの言葉に一瞬だけ口をポカンと開けていたが、またすぐに口を開く。 最初のようにルイズを睨み掛けたが、今度は逆に年下の少女ににらみ返されている。 「いいか、次で最後の質問だ。これだけは素直に答えてくれないか?…お前達はどうして王族派の所へ行く?」 ルイズはその質問にハッとした顔になると、すぐにその質問に答えた。 「…私とワルド子爵は王族派のウェールズ皇太子に用があるの…これで充分?」 少し挑発するような感じでルイズがそう言った後、頭は目を丸くした。 「…………………フフフ、アッハハハハハハハハハハ!」 一体どうしたのかと怪訝な顔をした直後、頭が突然笑い始めた。 「アハハハハハ!あーおかしい…。――――――――そんな事なら素直にそう言ってくれよな。」 頭は笑いながらも突然意味不明な事を言うと縮れている黒髪を掴み、思いっきりそれを引っ張った。 さしものワルドとルイズも突然の事に驚いてしまったが、頭が引きちぎった黒髪の下にあったのが金髪であったことに更に驚いた。 ついで眼帯と髭も素早くもぎ取ると先程むしり取った黒髪の『カツラ』ごと床に投げ捨てた。 今まで付けていた小道具を取った頭の顔を見て……ルイズは驚きの余り口から心臓どころか内蔵の出そうになった。 凛々しい顔立ちに輝かんばかりの金髪、それはまさしくアルビオン王国の皇太子――――ウェールズ・テューダーであった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん トリステイン魔法学院―――――――― 太陽が沈み始め、ようやく赤と青の双月が空へ上ろうとしている時間帯。 もうすぐ夜になろとうしているが、夕食までまだ大分時間がある。 その間まで生徒達は各々の自室で授業で出された課題をしたりするのだが、そんな生徒は殆どいない。 例えば…キュルケは授業で出された課題を自分に惚れている男子生徒達に全て押しつけて化粧をしていたり、 モンモランシーはテーブルに課題ではなく香水などを作る道具を広げて新しい調合を試していて、 ギーシュは薔薇の造花を手で弄くり回しつつ彼女に送る詩を考え、 タバサに至っては使い魔である風竜のシルフィードに乗って何処かへ出かけていた。 このように、トリステイン魔法学院の生徒達は各々の時間を趣味に費やしているのだ。 最も、光あれば必ず影が存在するように、ちゃんと課題に取り組む生徒もいる。 将来この国を支える者になりたいと思う者達はどんどんと知識を取り込み賢くなって行く。 そして今、女子寮にある自室でルイズもまた課題と格闘していた。 他の生徒達と比べてみればその量は明らかに多かったが無理もないであろう。何故なら―― 「す、数日分のツケがこんなにしんどいものだなんて…!」 ―――――――学院にいなかった分、堪りに堪っていたのだから。 ルイズは苦しそうな独り言を言いつつ「クラスごとに違う、水系統の威力の違いについて」の課題に取り組んでいる。 これの他に暖炉の上には学院にいなかった間の課題がまだまだ残っている。 恐らく持ってきたのはキュルケ、又はあまり仲の良くない女子生徒達辺りであろう。 全く嫌みな事してくれるわね。と思いつつも基本真面目であるルイズには「課題を片づける」という選択しかない。 座学に関しては学年トップの座をタバサと共に独占している彼女にとって出されている課題のレベルならば大した驚異にはならない。 ただ問題は一つ、それは「出された課題が難しい」のではなく、「出された課題の量が多すぎる」という事であった。 今まで出されていた課題はほんの少しであったし、夕食前か就寝前に片づけていた彼女にとっては余りにも過酷すぎるものである。 誰かを頼ろうにも頼る人がおらず、居候することになった霊夢と魔理沙の二人も今はいない。 ※ 霊夢はともかくとして、魔理沙が学院の中をうろつくというのはあまり良くない事であった。 学院長が急用で不在となっている今は大人しくしていてとあれだけ言ったのに、いつの間にかその姿を消していた。 ルイズがトイレに、霊夢は以前ギーシュと決闘したヴェストリの広場で外の空気を吸っている合間であった。 黒白の魔法使いがいなくなった事に慌てたルイズとは対照的に、霊夢の方は「まぁアイツが大人しくしてるワケないわよね」と呟いていた。 その後魔理沙を探してくると言って霊夢も部屋を出て三十分経ったのだが―――魔理沙はおろか霊夢すら帰ってこないでいた。 ※ 正に孤軍奮闘状態のルイズは、ふと鏡台の上に置かれたボロボロの本を一瞥した。 「もう…、姫様から゛始祖の祈祷書゛を貰ったのに…これじゃあ詩を考える暇もないわね…」 ルイズは溜め息交じりにそう呟いた後、課題のことは一時忘れて今日の出来事を思い返すことにした。 そうする事で自分が今どれ程「責任重大な役目」を請け負っているのか改めて自覚するためである。 ならそれをするより課題を片づけた方が良いのでは?と思うが生憎今のルイズにはそれが考えられなかった。 ここ最近連続して身に起こる衝撃的な出来事の所為で頭がうまく回っていないのだ。 ルイズは手に持っていた羽ペンをひとまずは机の上に置き、目を瞑って頭の中に蓄積された記憶を映し始める。 最初の方こそは何も映らないが、数秒後には瞼の裏でボンヤリとイメージが浮かんできた。 ★ … 事はお昼を過ぎた頃の時間帯にまで遡る。 妖精亭で軽食を貰ったルイズ達はそのまま真っ直ぐに王宮へと向かう事にした。 ただチクトンネ街から直接行くので、結構な時間が掛かってしまう。 更には、人混みの多い大通りで三人がバラバラになってしまったり。 魔理沙が通りに出された屋台や商店などに興味を示していたため更に時間が掛かってしまったのだ。 ようやく王宮への入り口にたどり着いたときには、既に午後二時を回っていた。 「…ようやくついたわ。ここが王宮への入り口よ」 ルイズは疲れた顔で王宮の衛士が数人ほどいる詰め所と目の前にそびえ立つ大きな門を指さした。 「…飛んできた方が早かったんじゃないの」 霊夢の口から出た賞賛とは程遠いその言葉には、僅かばかりの疲れが滲み出ていた。 そんな彼女とは対照的に、ルイズの指さしたそれらを見て喜んだのは魔理沙であった。 「おぉ、意外とでかいんだな!紅魔館よりデッカイ建物なんて初めて見たぜ!」 一方の魔理沙は紅魔館等とはレベルが違うサイズの建築物を見て、目を輝かせて喜んでいた。 幻想郷で生まれ、育ってきた魔理沙にはハルケギニアで見る物全てが珍しいのである。 それこそ正に、子供の頃に読んだ絵本に出てくる御伽の国そのものなのだ。 「「…………はぁ~」」 はしゃいでる魔理沙を見て、霊夢とルイズは二人同時に溜め息をついた。 詰め所の衛士にアンリエッタとの面会がある事を伝えた後、魔理沙の箒は詰め所で預けられる事となった。 魔理沙本人は「この世界じゃあ箒は危険な道具に入るのか?」と首を傾げていたが。 その後、3人はすぐに許可を貰い宮殿の中へと入った。 ルイズは霊夢と魔理沙を連れ、ただひたすらアンリエッタのいる寝室へと向かう。 その途中、魔理沙が辺りを見回して「意外と広いんだなぁ…」と呟いたのを見逃さなかったルイズはフフン♪、と自信満々に微笑んだ。 「凄いでしょ?ハルケギニア大陸においてもこれ程広くて素晴らしい宮殿は指を数えるくらいしかないのよ」 「へぇ~…そんなに広いのか」 頼んでもいないルイズの自慢が耳に入ってきた魔理沙は突然喋り始めたルイズにキョトンとしつつも、そう言った。 そんな魔理沙の様子を見てルイズの自信がドンドン急上昇していく。 ルイズは霊夢達に背を向け、まるで自分の家を紹介するかのように喋り始める。 「そうよ。…もしかしてアンタ、こんなに大きい廊下を渡るのとか初めてじゃ―――…ってアレ?」 この宮殿がどれ程素晴らしい者かを説明しつつルイズが再び振り返ったとき、魔理沙と霊夢が既に話を聞いていない事に気が付いた。 「外見は結構大きいが、廊下の大きさじゃあ紅魔館に負けてるよな」 魔理沙の言葉に霊夢は頷きつつ、口を開く。 「あっちはあっちで色々と危ないけどね」 「あぁ、確かに私も一度図書館で騒いでたら危うく猫にされかけたぜ」 「それって単なる自業自得なんじゃないの?」 そんな会話を少し離れた位置から見ていたルイズは、ムッとした表情をその顔に浮かべる。 自分の話を聞いていない事は勿論、最初から無視するのは流石に許したくは無かった。 ルイズの表情は段々と険しくなっていく、それに伴い怒りのボルテージも上がっていく。 その事に気が付いたのは魔理沙であった。なんでルイズが険しい表情をしているのかは知らないが。 魔理沙は霊夢との会話を中断し、ルイズもとへ近づき声を掛けた。 「おいおいどうしたんだよルイズ、そんなに怖い顔するなって」 「…別に、なんでもないわよ」 今更声を掛けてももう遅いと言わんばかりにルイズは呟いた。 そんなこんなで宮殿の廊下歩き続けて数分が経った頃だろうか… ようやく三人はアンリエッタの居室のすぐ近くにまでたどり着いた。 綺麗な装飾が施された白い扉の側には華やかな装備の魔法衛士隊の隊員が立っていた。 恐らくここの警護を担当している者だろう、エメラルド色の目からは常に緊張感が漂っている。 隊員は此方に近づいてきたルイズや霊夢達を見ても、「学生が何用だ」とか、「貴族でない者達が何しに来た」という風な声を掛けようとはしなかった。 今日は魔法学院からのお客が一、二人来ると王女直々に伝えられていた彼は彼女たちの姿を見ても訝しむ事は無い。 (しかし一、二人はともかくとして、三人も来るとは) 隊員の視線は、一瞬だけ肌の露出が多い霊夢を一瞥した後魔理沙の方へと移った。 一見すれば貴族のような出で立ちをしているが、マントをしていないところを見ると没落貴族の子供か何かであろうと彼は思った。 事実隊員の目から見れば、物珍しそうに辺りを見回している魔理沙は正に「今まで田舎で暮らしていて初めて王宮に来たメイジ」という表現がピッタリと当てはまっている。 「おぉ~!いかにも御伽の国の御姫さまのお部屋に続くドアって感じだな!」 アンリエッタの部屋へと繋がるドアを見て、魔理沙が物珍しそうに言った。 宮殿内にも拘わらず大声で喋る魔理沙に、しかし隊員はどなる事無くすぐにその目を逸らした。 魔法衛士隊であるからして貴族ではあるが、どうやら彼には平民や没落貴族の子供を見下す趣味はないらしい。 ルイズはアンリエッタに用事があると隊員に言う前に、後ろにいる二人の方へ向き直った。 いきなり自分達の方へ向き直ったルイズを見て、霊夢は怪訝な表情を浮かべつつ声を掛ける。 「…どうしたのいきなり?」 「イヤ、部屋に入る前に一応約束だけは守って頂戴」 「おいおいどうしたんだよいきなり?…まぁ守れる約束なら最低限守るぜ」 魔理沙もまた騒ぐのをやめて、ルイズの口から出るであろう約束とやらに耳を傾けることにした。 ルイズは軽く咳払いをし、改まった感じで喋り始めた。 「良い?これからこの国の姫殿下に会うのだから出来るだけ優しく接してあげてちょうだい 霊夢とは一度会ってるらしいからまぁ良しとして、一番の問題は――――」 ルイズは一旦言葉を句切り、魔理沙の方へと人差し指を向けて言った。 「―――――特にマリサ、アンタよ」 思いっきり御指名された魔理沙は少しだけムッとした表情を浮かべた。 「ちょ…、何で私に言うんだよ?」 「そりゃアンタの今日の街中での行動を見てたら。ルイズだって釘も刺したくなるわよ」 そんな魔理沙に、霊夢はここの来るまでの間にあった事を思い出しつつ言った。 霊夢の言葉にルイズはウンウンと頷きつつも、再び喋り始める。 「まぁそういう事よ。…まぁ姫殿下は優しいからちょっとやそっとの事じゃ怒らないけど… もしもからかったり泣かせる様な事をしたら、この私がタダで済まさないから」 まるで自分をいじめっ子として見ているかのようなルイズの言葉に、 流石の魔理沙も何か言ってやろうかと思ったが、彼女の表情を見てその気が失せた。 今のルイズの表情は、自分の中で一番大切な存在を守ろうとしている時の顔だ。 そんな表情を真剣に出す今のルイズに抗議する性格を、魔理沙は持ち合わせてはいない。 「わぁーった、わぁーったって……要はおとなしくしてればいいんだろ?」 参った、と言わんばかりに両手を軽く上げて言う魔理沙に、ルイズは何故か拍子抜けしてしまった。 てっきり霊夢のように辛辣に言葉を一言二言投げかけてくるのかと思っていたのである。 「案外レイムより素直に聞けるのね…アンタ」 「……アンタ、もしかして私の事をちょっと冷たい人間としか見てないでしょう?」 そんな事を呟くルイズに霊夢が素早く突っ込んだが、一方の魔理沙はルイズの言葉に肯定するかのように言った。 「ハハッ、…でもそうだろ?お前さんは誰にもかかわらず同じような態度で接してるからな」 笑いの混じった魔理沙の言葉に、「余計なお世話よ」と霊夢は不機嫌そうな表情を浮かべて顔を横に逸らした。 … …… ……… ☆ ……………… ………………… ――つまで寝て――のよア――タは?さっ――と――起きなさい」 「ふぇっ…?」 目を瞑って記憶を掘り返していつの間にか眠っていたルイズは、間抜けそうな声と共に目を覚ました。 ほんの少しだけ思い瞼をゴシゴシとこすり、すぐさま自分の側に霊夢がいる事に気が付いた。 どうやら起こしてくれたのは霊夢らしく、両手を腰に当てて呆れたと言いたげな目でこちらを見ている。 「……あぁレイムぅ…起こしてくれたのねぇ…」 瞼をゴシゴシこすりながら眠たそうな声で喋るルイズに、霊夢はやれやれと言いたげに首を横に振った。 「全く、私としちゃあアンタの健康なんか気にもしないけど。いくらなんでも寝過ぎじゃないかしら?」 霊夢の言葉にルイズは「どういう意味よ?」と首を傾げつつも、立派な壁掛け式の振り子時計へと視線を向けた。 今二本あるなかで短い方の時計の針はちょうど「10」の所を指しており、長い方の針は丁度「0」の真下側にある「6」を指していた。 「あぁもうこんな時間なのね…本当に寝過ぎちゃったわね―――― ルイズは自分が寝過ぎたことを後悔しつつ、ブツブツと呟きながら席を立った瞬間――― ――――って、ウソォッ!?夕食の時間とっくに過ぎてるじゃない!」 ―――とっくに夕食の時間を過ぎている事にすぐ気が付き、驚愕した。 「なんでぇ…!なんでこんな事に!…夕食時に寝過ごすなんてぇ!」 もうこの時間帯に行っても食堂には誰もいないし、料理も出してはくれないだろう。 一応夜食があるのだが、それでも夕食程腹は膨れない。 それに、今日の夕食には大好物のクックベリーパイが出るとも聞いていた。 ルイズは自分の大好物を味わえなかったことに後悔しながらも、今更起こしてくれた霊夢を恨めしげに睨んだ。 「言っておくけど、私はちゃんと起こしたわよ。アンタはそれで起きなかったけど」 今にも蛙を襲わんとする蛇のような視線で睨まれても霊夢は全く動じず、ただ両肩を竦めて言った。 罪悪感を全く感じさせない紅白巫女の態度に、ルイズは悲しそうな顔で盛大な溜め息をつく。 霊夢の話から察すれば、要は夕食時に起きなかった自分が悪いのだ。 それでも、やはり夕食抜きとなると、ぐっすりと眠れないのは間違い無しである。 項垂れているルイズを霊夢は冷たい目で見つめていると、ふと誰かがドアを開けて部屋に入ってきた。 「よぉルイズ。今頃になって起きたのか」 「…あ、マリサ」 頭の中を空っぽにしたような脳天気そうな声で部屋に入ってきたのは魔理沙であった。 「一体どこほっつき歩いてきたのよ!」と怒鳴る前に、彼女の体が部屋にいた時と違うのに気が付く。 体からはうっすらと湯気が出ており、三つ編みを解いている金髪のロングヘアーは少し水気を帯びている。 まるで…というよりもその姿は正に「風呂上り」の姿であった。 ルイズに続いて風呂上り姿の魔理沙に気が付いた霊夢は、呆れた顔で睨みつつ軽い溜め息をついた。 「結局入ってきたのね…拷問道具だ何だ言ってた癖に」 少々の嫌悪が混じる霊夢の言葉に、魔理沙は悪気の無い笑顔でこう言った。 「試しに火をつけたらすぐに沸いたし星空がキレイだったからな。…五右衛門風呂は思ったより最高だったぜ」 二人の会話から察するに、どうやら魔理沙はお風呂に入ってきたらしい。 ただその話の中に出てきた「拷問道具」や「星空がキレイ」という言葉に、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。 (拷問道具って…っていうかウチの学院には星空が見える風呂なんて無いはずだけど?) どういうことなのよ…とルイズが訝しんだ時、今度は誰かがドアをノックする音が耳に入ってきた。 「あ、もう来てくれたのか。意外と早かったわね」 何かを知っている風に霊夢がそう言うと、魔理沙がドアを開け、廊下にいた人物を部屋の中に招き入れた。 部屋に入ってきたのはメイド服を着た学院の給士らしく、その手には料理が載ったお盆を持っている。 「…?あれって…」 ルイズは、自分の鼻腔をくすぐる料理の匂いにおもわず目を丸くする。 丁度夕食を食べ損なっていたルイズにとっては、この上ない匂いであった 次いで、メイドの髪の色が黒だと気づいたルイズはすぐにメイドの名前を思い出す。 「あっ…シエスタ」 「夜分遅くに失礼しますミス・ヴァリエール。ただいま夕食をお持ちしました」 ルイズに名前を呼ばれた彼女は軽く頭を下げて恭しく言うと、お盆に載った料理をテーブルの上に置き始めた。 湯気が立つクリームシチューに焼きたての白パン、それに小さな器に入ったサラダ。 貴族達からしてみればそれ等の数々は「賄い」であった。 一日三食と夜食を作ったコックやメイド達が寝る前に食べる、それ程豪華ではない食事。 しかし、今のルイズからしてみれば賄いであろうとも「腹がちゃんと膨れる夕食」であった。 シエスタが料理をテーブルの上に置いていく様子を見つめながらも、ルイズの横にいた霊夢が事の詳細をシエスタに聞こえぬよう説明した。 ▼ 時間をさかのぼる事、今から数時間ほど前――― 部屋からいなくなった魔理沙を探していた霊夢は、ふと夕食の時間がやってきた事に気が付いた。 とりあえず魔理沙を探すのは一時中断して部屋に戻り、ルイズを起こそうとしたの寝つきが良くて起きなかった。 五分ほど粘っても起きる気配が無いので仕方なく食堂へ行くと、その裏手でシエスタと話していた魔理沙を見つけたのだという。 「ちょっと探したわよ魔理沙。あんた今まで何処に行ってたのよ?」 それに割り込むかのように二人の間に入ると、シエスタが突如こんな事を言ってきた。 「あ、レイムさん!私聞きましたよ、マリサさん今日から暫くの間レイムさんと一緒にミス・ヴァリエールの部屋で暮らすんですよね?」 満面の笑みを浮かべてそう聞いてきたシエスタから、霊夢は一体どういう事なのかと魔理沙に聞いた。 「いやなに、まさかシエスタがここで働いてるなんて聞いてなかったからな、思わず口が滑って…」 後頭部を掻きながら喋る魔理沙にこのバカと思った一方で、まぁ仕方ないかとも思った。 どうせ明日になればあの学院長に会わせるんだし、今教えたって大丈夫よねぇ。と。 「まぁそいつの言う通りよ。まだここの学院長に紹介してないけど…」 その後、魔理沙がここで厄介になる事を話したついでに彼女の夕食をどうにかできないかとシエスタに尋ねてみた。 霊夢の言う通り、今日厄介になるばかりでまだ学院長に紹介していない彼女が食堂に入るのはまずい事だ。 「じゃあ何か?今日は夕食抜きって事なのか」 魔理沙が残念そうな感じでそう言うと、何か閃いたのか両手をパンと叩いたシエスタがこんな提案を出した。 「あの、賄い程度ですが厨房でなら…食事は出せると思いますよ」 ▼ ―――それでまあ、アタシと魔理沙に食事を出してくれたんだけど…その時にシエスタが今日私たちに助けられた事をマルトーに話したのよね」 今にも口の端からよだれが出そうなルイズはハッとした顔になると霊夢の方へと視線を向けた。 マルトーという人物が学院で料理長として働いている事を知っているルイズは目を丸くする。 あの料理長は大の貴族嫌いだと聞いていた事もあって、内心はかなり驚愕していた。 そんなルイズには気づかず、尚も霊夢は喋り続ける。 「そんでもって。マルトーが今日のお礼にとアンタが食べ忘れた夕食と、後ほんのちょっとしたお礼を私たちに出してくれたらしいのよ」 霊夢がそこまで話した時、料理を並べ終えたシエスタが部屋の入り口に置いていた大きめバスケットを手に持ってやってきた。 バスケットの中に何かが入っていることだけ確認できるが、上から被せられたナプキンの所為で良くわからない。 だがしかし、霊夢の話を聞いていたルイズには、例え見えなくともバスケットの中に何が入っているのかある程度わかっていた。 「そのバスケットの中身って…もしかすると」 「はい、夕食を食べ終えた後に皆で仲良く食べてくれってマルトーさんが言ってました!」 シエスタは明るい笑顔で言うと、バスケットを手に取って勢いよくナプキンを取った。 同時にナプキンの下で溜まっていた甘く、高貴な香りを放つお菓子がその姿を現す。 「……うわぁ…」 それを見たルイズの表情は驚愕に満ちていたが、それは段々と喜びのものへと変貌していく。 ナプキンの下にあった食べ物はテーブルに置かれた夕食を含め、今のルイズを喜ばせるのに充分すぎた。 それは彼女が幼年の頃から気に入り、今に至るまで好物として週に最低五切れは食べているもの。 決して自分から切り離していけない存在。ルイズはそう思っている。 例えればそれは霊夢にとっての緑茶、魔理沙にとっては蒐集、それと同等の価値をルイズはその食べ物に与えていた。 段々と表情を嬉しそうなものへと変えていくルイズを見て、シエスタは元気な声で言った。 「マルトー料理長特製のクックベリーパイが、私を助けてくれた皆さんへのお礼だそうです!」 ◆ 深夜――― ブルドンネ街の一角に、上流階級の貴族達が寝泊まりしているホテルがある。 比較的王宮から近いそこは、激務のあまり宮殿からなるべく離れられない者達が利用している。 彼らは皆それなりに名高い家の生まれで、金も自分の生活に困らない程持っていた。 その一室で、四十代後半の貴族の男が鞄の中から取りだした書類を流し読みしていた。 慣れた手つきで読んでいるそれは、トリステイン王国現在の財政や各地域で異なる税の額を事細かく記したものであった。 写し取りではあるものの、無論それは彼が扱える代物ではない。そしてそれと同じレベルの機密書類が大量にその鞄の中に入っている。 「フン…あの狸め、まさかこんな大事な書類をレコン・キスタに横流すってことか…」 彼は怪しい笑みを浮かべつつ「狂ってるな…」と呟き、自分に書類を渡した男の下卑た笑顔を思い出した。 同時に、明日にはこの書類の山をレコン・キスタからの使者に渡すのだという事も思い出す。 「そういえば明日だったな。…ようやく、俺もそれなりの地位と金が貰えるのか…!」 書類を渡してくれた男は言っていた「この書類をレコン・キスタの奴等に渡せば、いずれお前はそれ相応の褒美を貰える」と。 彼はこの高級ホテルに泊まっている土地持ちの貴族であるが、実を言うと土地から取れる収入に満足いかなくなってきたのだ。 初めて土地を貰った時は喜んだものの、一生遊んで暮らせる程の税をとる事ができなかった。 手に入れれば贅沢三昧が出来ると思っていた彼にとって、逆にその土地が足かせとなってしまったのである。 土地の経営や王宮での勤務が辛くなってきたそんな時、 自分と比べれば月とスッポン程の権力と金を持つ男が大量の機密書類の写し取りを持ってきたのだ。 「どうじゃ、この書類をワシの代わりとしてレコン・キスタからの使者に売ってはくれんかのう?」 男の言葉に、最初は「国を売るとは何事か!?」と激昂した彼であったが、結局は男の出した前払い金で屈した。 前払いだけでも平民の家族が丸々一年遊んで暮らせるその額を貰えれば無理もないだろう。 それに、今のトリステイン王国は事実上本当に危ない状況なのだ。 王になることを放棄してだんまりを決め込んでいる后と夢見気分の王女様は今のところ政務から目を背けている。 そんな彼女らの代わりに融通のきかない古参貴族達やお人好しの財務卿、…そしてあのマザリーニ枢機卿が身を粉にして働いていた。 王族が自ら動かず家臣達だけが空しく頑張っている、そんな国大陸の何処を捜したって見つかりはしないだろう。 「この書類がアルビオンに流れたら…トリステインはお終いだな…」 彼は書類を読みながら悲しそうに呟いた後、「ま、俺はそのおかげで幸せになれるがな」と嬉しそうに言った。 金と権力にしか目が眩まなくなった彼の心は、まだ見ぬ褒美を用意してくれているレコン・キスタの方へと惹かれていた。 …~♪~♪…♪ その時、ふと彼の後ろから音楽が聞こえてきた。 ギスギスした心をしずませ、冷やしてくれるかのようなそのメロディーに彼はハッとして顔になり、振り向いた。 そして、音の出所がすぐにわかったのか、彼の表情が安堵したものへと変わって行く。 「…なんだ、アレだったか」 彼の視線の先にあったモノ、それは天蓋つきの大きなベッドの真ん中に置かれた水晶玉であった。 マジックアイテムだがどういうギミックなのか、ふとこうして水晶玉の中から音楽が突然聞こえてくるのだ。 まぁ心地よいメロディーの曲だからとして彼も気に入っているだが、ふと気になっている事が一つだけあった。 実はこの水晶玉、つい最近になって貴族達の間で出回りはじめたのである。 一体何時、何処で、誰が流行らせたのかはわからない。だがそれは彼にとってはどうでも良い事であった。 「さてと…寝るまえにちょっと暇潰しに読んでおくか」 彼は背後の水晶玉から聞こえてくる音楽をBGMに、機密書類の写し取りを読むことにした。 ◆ 彼の泊まっているホテルの廊下を、一人の青年給士が黙々とモップで清掃をしていた。 既に時間は丑三つ時を過ぎた辺りで、見開いている瞼もいよいよ重くなって来ている。 給料が良いという事で深夜の仕事を担当したものの、初日から後悔する羽目になっていた。 「やっぱり、夜中に仕事なんかするもんじゃねーよ、俺。……ふぁぁ~」 彼は夜勤を請け負った自分自身に愚痴りつつも、おおきな欠伸をひとつかました。 そして欠伸した後、ハッとした顔になり辺りを見回す。 周りに上司や宿泊客である貴族達がいない事を確認し、安堵の溜め息をつく。 もしも仕事中に欠伸したところを見られたら、大目玉を喰らっていたところだろう。 「ま、良く考えりゃあ夜中まで起きてる奴なんていないよな…?」 彼はひとり呟き、さっさとこんな仕事終わらせて仮眠室で眠ってやろう決意した瞬間―――― ドン…!ドスッ…! 「ギャッ…!」 突如、背後のドアを通じて激しい物音と誰かの悲鳴が彼の耳に入ってきた。 このホテルは客のプライベートを優先している為か、ドアや壁は全て防音仕様である。 しかし、耳の良さが自慢である青年は壁よりも若干防音効果が薄いドアを通じて悲鳴に気づき、驚いた。 「!?……。な、なんだ!」 まるで心臓をえぐり取られたかのような悲鳴を聞いた彼は、今すぐにもその場から逃げ出したかった。 しかし、悲鳴を聞いたまま何もせずに逃げるという事も、青年には出来なかった。 (もしも何かあったとしたら。このまま逃げることは出来ないし…) 何より、こういうのはスリルがあって最高さ。とぼやきつつも体中を震わせながら青年は、背後のドアへと近づく。 先程の悲鳴と物音が聞こえて以降、ドアを通じて何も聞こえてこない。 もしもの時を考え、青年は右手で持っているモップを手放さず、左手でドアを軽くノックした。 普通なら三回ノックした後に客からの返事がくるものだが、案の定返事は返ってこない。 返事が無いという事は熟睡しているのか、それとも何かあったに違いないと青年は確認し、今度はドア越しに声を掛けてみた。 「すいません、お客さま。…どうかなさいましたか?」 しかし声を掛けようとも、この部屋に泊まっている客からの返事は一切無い。 このドアは魔法の仕掛けが施された特殊なドアであり、ノックやドア越しからの声が良く聞こえるようになっている。 いよいよもっとコリャ何かあるなと思った青年は目を細めながら、ドアノブを掴む。 「お客さま。誠に失礼ですがドアを開けさせてもらいますよ…」 とりあえず何かあったのかと思って…と言い訳を考えつつ、青年はドアを開けて部屋の中に入った。 やはりというかなんというか、部屋の中には灯りひとつ無かった。 ベッドの側に置かれたカンテラも、天井に備え付けられたシャンデリアも、光を灯してはいない。 「うわぁ…今更ながら怖くなってきたよ」 小さな声でブツブツ言いつつ、部屋の中に一歩踏み出すと、まずは辺りを見回した。 この部屋は他と比べれば大分大きい方で、ワインや酒のつまみもクーラーボックスに常備されている。 いわゆるVIPルームと呼ばれるその部屋の空気は、窓から入ってくる風のせいでひんやりとしていた。 夏が近づいて来るというのに未だ肌を刺す程の冷たい空気は、青年の身を無意識的に震わせる。 「あのぉ~…お客さまぁ…?」 青年は震えた声で客をよびつつ、一歩一歩確実に部屋の中へと入っていく。 窓から入ってくる風がレースのカーテンを揺らし、青年の心の不安を刻ませていく。 やがて部屋の真ん中まで来たとき、ふと何か柔らかいモノが足先に触れた。 「なんだ…コレ?」 靴を通して足先に伝わってきた感触に、青年は怪訝な顔つきになった。 まるで中途半端に固くなった肉に触れるかのような柔らかそうで意外と固い微妙な感触。 何だと思いふと足下を見てみると、何か黒くて大きな物体が足下に転がっていた。 青年の体よりも大きい黒い物体が、地面に横たわっているのだ。 彼が目を見開き後退った瞬間、待っていたと言わんばかりにシャンデリアに光が灯った。 突然ついた天井からの明かりに一瞬だけ青年の視界を遮った後、足下にあった物体の正体を彼は目にした。 人気が無い深夜のブルドンネ街の一角で、青年の絶叫が響き渡った。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん