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4.渡航証明書発給資料の検討 ■をクリック→この稿の該当個所へ 資料名をクリック→資料の概要(予定)へ 4.渡航証明書発給資料の検討■ 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・1・13)~(昭16・9・27)(未作成) ■ 渡支取締ニ関スル件[新竹州知事](昭13・12・14)~(昭15・2・16)(未作成) ■ 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・1・17)~(昭16・8・18)(未作成) ■ 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・2・14)~ (不明)(未作成) ■ 渡支取締ニ関スル件〔台南州知事〕(昭14・1・20)~〕(昭15・2・2(未作成) ■ 幹部ニ対スル衛生教育順序[北支那派遺軍甲集団軍医部】(昭15・11)(未作成) ■ 支那事変ニ於ケル軍紀風紀ノ見地ヨリ観察セル性病ニ就テ[大本営陸軍部研究班](昭15・10)(未作成) ■ 渡支取締方ノ件[台北州知事](昭14・1・13)~(昭16・9・27)(未作成) ■ 渡支取締ニ関スル件[新竹州知事](昭13・12・14)~(昭15・2・16)(未作成) ■ 渡支取締方ノ件[台中州知事](昭14・1・17)~(昭16・8・18)(未作成) ■ 渡支取締ニ関スル件[高雄州知事](昭14・2・14)~ (不明)(未作成) ■ 渡支取締ニ関スル件〔台南州知事〕(昭14・1・20)~〕(昭15・2・2(未作成) 『資料集成』の中には台湾の各州知事が各月の身分証明書並びに外国旅券発給状況を報告したものが相当程度残っている。渡航目的調べの中に「慰安所関係」の項があり、「慰安婦」とされる渡航者の数を知ることが出来る。かつこの資料には民族別の分類がされている。行き先別に北支方面、上海方面、南支方面に分けられているが、概して慰安所関係での北支方面はほぼゼロであり、上海と南支がほとんどすべてであり、一括してみてさしつかえない。 台北州「慰安所関係者」(1巻、171-218頁) 内地人 朝鮮人 本島人 昭和13年11月 144 51 126 12月 126 19 10 14年1月 59 8 8 2月 179 4 45 3月 12 0 1 4月 25 5 3 5月 26 3 12 6月 11 4 12 7月 16 22 3 8月 8 1 0 9月 9 20 1 10月 16 14 0 11月 9 54 8 12月 9 2 0 以上計 649 207 229 15年1月 2 1 0 16年7月 0 9 0 新竹州「軍慰安所ノ酌婦及雇人」「慰安所就業」(同、219-256頁) 内地人 朝鮮人 本島人 昭和13年11月 19 29 1 12月 31 22 0 14年1月 0 0 3 2月 3 0 3 3月 2 1 O 7月 1 4 4 8月 6 5 0 9月 1 1 0 10月 1 4 0 11月 0 20 0 12月 1 0 0 以上計 65 86 11 15年1月 0 2 0 台中州「慰安所従業員」(同、257-300頁) 内地人 朝鮮人 本島人 昭和13年12月 2 57 16 14年1月 0 0 0 2月 0 3 1 3月 0 3 O 4月 0 1 O 5月 0 0 7 6月 0 0 O 7月 0 5 O 9月 O 10 0 11月 1 53 0 12月 0 11 0 以上計 3 143 27 16年7月 0 7 0 高雄州「軍慰安所従業員」「軍慰安所関係」(同、301-354頁) 内地人 朝鮮人 本島人 昭和14年1月 32 3 0 2月 46 4 53 3月 58 0 17 4月 2 12 O 5月 7 1 1 6月 3 0 15 7月 17 0 0 8月 17 0 0 9月 11 1 20 1O月 8 14 1 11月 0 16 7 12月 17 2 3 以上計 218 53 117 15年1月 0 1 15 16年7月 15 0 5 台南州「慰安所経営」「慰安所」「慰安所炊事婦」(同、407-420頁) 内地人 朝鮮人 本島人 昭和13年12月 1 22 0 14年7月 0 11 0 11月 2 39 0 以上計 3 72 0 15年1月 0 2 0 以上5州からの昭和13年11月から14年12月までの14ヶ月の出国者中、慰安所関係は内地人が総数938人、朝鮮人が561人、台湾人が384人である。その合計は1883人である。1ヶ月平均と比率を出せば、内地人が67.0人、49.8%、朝鮮人が40.1人、29.8%、台湾人が27.4人、20.4%である。 b さて同じ資料が朝鮮総督府にもあるはずだが、それがまったく出てこないのは不思議である /b 。この点で吉見氏が総督府の警務局長の作成した昭和16年下半期と昭和17年上半期の渡支身分証明書発給状況調べを発表しているので(*1)、それを見ると、慰安所関係が取り出されていない。昭和16年下半期分では、芸娼妓が内地人21人、朝鮮人が381人である。昭和17年上半期では、それぞれ、32人、286人である。これを総計すると、内地人が53人に対して朝鮮人は667人である。行き先で分ければ、北支方面行きが内地人41人、朝鮮人が489人で圧倒的で、中支と南支方面行きを合わせて、内地人は12人、朝鮮人は178人である。1ヶ月平均と比率を出せば、内地人が4.4人、7.4%、朝鮮人が55.6人、92.6%である。これは時期的にすこし先の数字だが、前の台湾での証明書発給状況と合わせて考えてみると、その時期に朝鮮、台湾から証明書を得て慰安婦として中国へ渡った者の中では朝鮮人がもっとも多かった。特に華北については朝鮮人が圧倒的に多かったと言える。華中華南については、日本人が朝鮮人の倍近くいて、台湾人も朝鮮人についでいるのである。 しかし、この他に日本本土で証明書をとった人々がいるのであり、そこでは当然に内地人の)比重が圧倒的なはずだから、慰安所が中国で大々的につくられはじめたこの時期に中国へ慰安婦としてもっとも多く送り込まれたのは日本人だったと考えられる。 ■ 幹部ニ対スル衛生教育順序[北支那派遺軍甲集団軍医部】(昭15・11)(未作成) 慰安婦の民族別を考えるさいに、これまで吉見氏らが注目してきたのは、性病に感染した兵士が相手にした女性についての民族別データである。『資料集成』には2つのデータがある。第1は、「北支派遺多田部隊冨塚部隊副島隊調査」で、昭和15年1月のものである。「対手女国籍別調査」として、日本人1427人(26.3%)、朝鮮人2455人(45.3%)、「支那人」1535人(28.4%)という数字が出ている。 本事変ニ於テ半鳥婦人ノ進出ハ活発デアル丈ソレ病源ヲ有スルモノガ多イ というコメントがついている i (2巻、343-346頁) /i 。 ■ 支那事変ニ於ケル軍紀風紀ノ見地ヨリ観察セル性病ニ就テ[大本営陸軍部研究班](昭15・10)(未作成) 第2は大本営陸軍部研究班の「支那事変二於ケル軍紀風紀ノ見地ヨリ考察セル性病二就テ」(昭和15年10月)である。ここでは感染地別に、北支8628人、中支5965人という数字があげられ、相手女別という点で、日本女2418人(16.4%)、朝鮮女4403人(29.8%)、「支那女」3050人(20.7%)、不明不祥4884人となっている。ここでも 朝鮮女ノ活躍ハ他ヲ圧倒シアリ将来戦ノ参考タリ得ベシ とのコメントがある i (2巻、77-8頁) /i 。はじめは日本人ばかりであった慰安婦の中に朝鮮人の数が急速に増えてきたということがこの2つの報告の印象を規定しているのだろう。しかし、このデータから、吉見氏らが「慰安婦でもっとも多いのは朝鮮人であり、これに次いで中国人が大きな比重を占めていた」、「中国戦線では、日本人ではなく、最も多いのは朝鮮人と中国人であったことは確実である」との結論を出すことは強引である(*2)。この資料はあくまでも性病に感染した慰安婦が朝鮮人と中国人に多いということを意味しているに過ぎないのである。南方への慰安婦の渡航は警察署の証明書なしにおこなわれたのだから、この種の渡航統計はのこらないようになっている。ここでの比率は別個の資料によって判断しなければならない。 :原注(9)吉見編『従軍慰安婦資料集』154-157頁。 :原注(10)吉見、前掲書、82頁。吉見・林編、前掲書、5頁。吉見氏の論じ方は最近も変わらない。同「『従軍慰安婦』問題一研究の到達点と課題」、『歴史評論』1998年4月号、6頁。 和田論文index
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トップページ>韓国>東方学志 『東方学志』167、2014.9 企画:「近代韓国」構想の思想的/制度的省察 류충희「開化期朝鮮の民会活動と「議会通用規則」:「議会通用規則」の流通と翻訳様相を中心に」 정덕기「為堂鄭寅普の実学認識と学問主体論:「陽明学演論」を中心に」 論文 김진희「時調の定形律」 윤경진「三韓認識の淵源と統一戦争期新羅の天下観」 남윤덕「碩斎尹行恁の陸王学批判に対する認識形成の背景とその目的」 엄태식「韓国古典小説の『剪燈新話』受容研究:伝記小説と夢遊録を中心に」 신규환「帝国の科学と東アジア政治:1910-11年満州ペストの流行と防疫法規の制定」 박소정「現代環境倫理の展開と東アジアの生命思想」 최기숙「新自由主義と心の考古学:郷愁を超えて省察へ、失われた心/行動/態度に対する責任の人文学」 書評 김항「社会人文学と媒介的普遍の模索:「企画書評」백영서『사회인문학의 길』창비, 2014年」 『東方学志』166、2014.6 김항「核の現前と日本の戦後民主主義:「現実的理想主義」の系譜と政治的深淵」 이필렬「韓半島における原子力が持つ解放者:救援者イメージとその結果」 이승률「「亨」の原義」 김선민「西晋杜預の諒闇論研究」 이경록「高麗後期医学知識の系譜:『備預百要方』と『三和子郷薬方』の前後関係再論」 이윤석「坊刻本『趙雄伝』の源泉」 李炫植「「好哭場」、『熱河日記』の隠された序文」 정안기「1930年代電力国策、「朝鮮送電(株)」の研究」 박진영「中国文学翻訳の分岐と二元化:翻訳家梁建植と朴泰遠の遠近法」 이은희「1940年代前半植民地朝鮮の闇市場:生活物資を中心に」 권신영「「愛国班と隣組」:1940年代朝鮮総督府の戦時帝国主義と呼称の政治学」 김소남「1970年代原州地域災害対策事業委員会の農村信協運動研究」 『東方学志』165、2014.3 강진원「高句麗祭天大会の成立時期とその推移」 蘇淳圭「『新増東国輿地勝覧』土産項目の構成と特徴」 김선희「朝鮮の文明意識と西学の変奏」 김병문「近代啓蒙期漢字訓読式表記についての研究」 문백란「セブランス病院建立をめぐる宣教師たちの葛藤と宣教政策修正」 김효진「近代小説の形成過程と言文一致の問題(1):李光洙初期短編小説を中心に」 辛珠柏「観点と態度としての「内在的発展」の分化と民衆的民屋主義歴史学の登場:民衆の再認識と分断の発見を中心に」 강명숙「H.H.アンダーウッドの『Modern Education in Korea』と日帝時期韓国教育史研究」 企画 「『創作と批評』、『文学と知性』を語る:김병익、염무웅、招請対談」 『東方学志』164、2013.12 特集:儒教伝統の中の公共性 나종석「朱熹の公概念と儒教的公共性理論についての研究」 백민정「朝鮮知識人の王政論と政治的公共性:箕子朝鮮及び中華主義問題と関連して」 박영도「儒教的公共性の文法とその民主主義的含意」 論文 이동주「『三国史記』屋舍条に見える唐瓦の実体:文献的接近」 박경안「高麗時代土地所有の欲望と実際:土地論を中心に」 김중섭「「朝鮮時代白丁」の起源についての歴史社会学的考察」 김수연「愛国啓蒙期民族道教と古小説:新資料「夢見帝釈」の紹介をかねて」 金度亨「1920-30年代民俗文化運動と延禧専門学校」 이혜령「植民地セクシュアリティと検閲:「桃色」と「赤色」、ふたつのレッド文化の植民地的アイデンティティ」 박진영「中国文学及び日本文学翻訳の歴史性と想像力の接変」 韓モニカ「1948年大韓民国政府樹立と駐韓米軍の政権移譲過程及び意味」 심보선「芸術同好会の政治:私的でありながら同時に公的な主体化の舞台」 『東方学志』163、2013.9 特集:定住と移住の間の東アジア 오미일「日帝強占期京城の中国人街と「魔窟」イメージの政治性」 金仁徳「日帝強占期大阪朝鮮村の食文化」 한성훈「中国朝鮮族のドイツ移住研究」 論文 이승률「『周易』蹇卦の原義と儒教経典化過程:地下の書籍と紙上の書籍を通じて見た『周易』六十四卦卦爻辞の形成と展開Ⅰ」 김진희「李衡祥の『芝嶺録』第六冊に書かれた「平調・羽調・界面調」の意味」 이형식「『馹迅隨筆』序文、清国中華論のための学問論」 임경석「国民代表会議閉幕以後創造派の動向」 기유정「京城帝大政治学講座と植民地朝鮮における意味:戸澤鉄彦と奥平武彦の思想分析を中心に」 조태린「国外韓国学関連カリキュラム分析:フランス主要大学の韓国学カリキュラムを中心に」 임경화「「民族」から「人民」へ向かう道:고정옥『朝鮮民謡研究』の普遍と特殊」 企画 「社会人文学の対話:「中国」を会議し啓蒙する:中国文学史研究者銭理群」 『東方学志』162、2013.6 김상현「三国遺事古版本とパルン本の位相」 도현철「朝鮮初期檀君認識と『三国遺事』刊行」 남권희「パルン本『三国遺事』の書誌研究」 河日植「『三国遺事』パルン本と壬辛本の比較検討」 윤혜신「韓国古代女神の類型と歴史的先後関係:神格獲得方式を基準に」 김선민「魏晋南北朝喪礼における閏月の問題と法制化過程」 김지수「法と感情:朝鮮初期の特性論争における忠と孝の緊張」(英) 이화자「白頭山定界の標識物:黒石溝の土石堆についての新しい考察」 김종복、박준형「『大東歴史(古代史)』を通じて見た申采浩の初期歴史学」 박진한「植民地時期「仁川大神宮」の空間変容と在仁川日本人:遊楽と紀年の場所から植民支配の動員の場へ」 企画 「社会人文学の対話6:他者に対する応答と人文学の責任:高橋哲哉との対談」 『東方学志』161、2013.3 特集:混成的歴史構成体としての「韓国」:グローバル秩序と韓半島 이나영「グローバル/ローカルのジェンダー秩序と韓半島女性の身体:日本軍「慰安婦」と米軍基地村「洋公主」」 박명규、백지운「21世紀韓半島発平和人文学の模索」 박준형「「雑居」の歴史、韓国華僑と向い合う」 김항「「交易圏」から「主体の革命」へ:近代超克、未完の法企画、そして韓半島」 김대중「鄭道伝の『錦南雑詠』研究」 임채우「『乱中日記』擲字占の易学的意味:版本と典故問題についての文献考証的分析を通じて」 최윤오「磻渓柳馨遠の封建・郡県論と公田制」 高東煥「朝鮮後期沿岸航海と外洋航路の開拓」 차승기「帝国のアッサンブラージュと事件の政治学:村山知義と朝鮮」 Anthony Fung、쵝숙「TVドラマにおける感性:『花より男子(꽃보다 남자)』の韓中比較を中心に」 이윤석「金台俊『朝鮮小説史』の検討」 企画 「社会人文学の対話5:辺境から這い上がった脱中心の人文学:Tessa Morris-Suzukiとの対談」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180
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村田春樹_創氏改名は差別ではない! <目次> ■はじめに ■創氏改名のきっかけ ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い ■「創氏」について ■「改名」について ■創氏改名の届出についての告知ビラ ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました ■「改名」は完全な申請制でした ■補足 ■参考文献 ■ブログランキング応援クリック ■はじめに | 前総理大臣である麻生太郎氏は 以前「創氏改名は朝鮮人が望んだものだった」と発言されたことがあります。 もちろん、韓国・左翼など反日勢力に非難されましたが、 真実は麻生氏の言う通りなのです。 ■創氏改名のきっかけ | 日韓併合によって朝鮮人は念願の日本国民になることができましたが、1つ問題がありました。 それは「日本国民だ」と言っても名前を言えば一発で朝鮮人とバレてしまい、 支那人に馬鹿にされてしまうということです。 そこで朝鮮人は日本政府に自分たちが日本風の名前を名乗ることを認めるよう要求しました。 そして日本政府は1940年2月11日にこれを朝鮮・台湾で認めました。 これが「創氏改名」です。 ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い | 私たち日本人の名前は「氏」と「名」から成り立っていますが、 朝鮮人の名前は「族譜(一族の名前)」と「名」から成り立っています。 「族譜」というのは日本でいえば、「源氏」・「平氏」のようなもので、 例えば「源氏の足利尊氏」ならば、 「族譜」が「源」、「氏」が「足利」、「名」が「尊氏」になります。 ■「創氏」について | 創氏改名の「創氏」とは、朝鮮人の名前に新たに「氏」を加えることです。 「創氏」であって「改氏」ではないのはこのためです。 ただ、この「氏」を日本風にするかどうかは任意で、届け出を出さなければなりませんでした。 例えば「李○○」という名前の人が届け出を出さなければ、この人の「氏」は「李」となります。 また朝鮮人の「族譜」は、彼らの伝統を尊重して戸籍に残しました。 ちなみに「創氏」は無料でした。 ■「改名」について | 日本風の「名」に「改名」するかどうかも任意でした。 しかも、「創氏」と違って「改名」をするのは有料でした。 ■創氏改名の届出についての告知ビラ ※クリックすると拡大されます | 強制制ではなく申請制だったことがわかります。ひらがなの横には読めるようにハングルでも書かれています。 期限は刻々に迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時 認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう △好機を逸さぬよう! △即刻届け出しましょう! 1. 創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。名の変更には期限がありません。 2. 八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。 この結果は内地式を設定しなかったことをかえって後悔することになるだろうと思われます。 3. 氏と姓とを混同する向きがあるようですが、氏は家の称号であり、姓は男系の血統を表するもので、両者の性質は全然異なっております。 4. 氏を設定すると従来の姓がなくなるという誤解があるようですが、氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから心配ありません。 5. 門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人もありますが、大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、各家異なる氏を設定するのが当然であります。 6. 氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのがもっとも理想的であります。 7. 期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へお問い合わせください。 大邱地方法院 府面邑--- 市町村 http //ameblo.jp/worldwalker2/entry-10009074492.html ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました 日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。 彼らは絶えず漢人から圧迫され、摂取され、 農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。 朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で、 「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」 と息巻いていたほどである。 この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の争いを助長した。 このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、 当時世界五強のひとつであった大日本帝国の臣民となることだった。 唯一、中国に対抗できる切り札であったため、 朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。 日本こそが朝鮮人にとって合邦国家の民族の誇りであり、 中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。 韓国は日本人がつくった (WAC BUNKO) ■「改名」は完全な申請制でした 「改名」については義務化されず、完全な申請制で、 申請手続きには手数料も取られている。 実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。 朝鮮総督府への申告というのは、つまり、 被治者が治者側と同階層になれるというものであり、 「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、 本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。 当時、半年の届け出期間中、 朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。 創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、 満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。 日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、 日鮮同祖論という親近感があり、 創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。 一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、 むしろ改名は「高嶺の花」であった。 日本の植民地の真実 ■補足 | 今まで書いてきたように、朝鮮人が日本風の名前にするかどうかは任意でした。 朝鮮人の軍人で最も出世した人に洪思翊陸軍中将 がいますが、 彼は日本風の名前に変えてはいません。 つまり、日本風の名前に変えなくても差別されることはなかったのです。 ■参考文献 『日本人として最低限知っておきたい近現代史の必須知識』渡部昇一・水野靖夫、PHP研究所 ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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今日の訪問者 - いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣官房内閣外政審議室)1993.8.41.調査の経緯▽調査対象機関 ▽関係者からの聞き取り ▽参考とした国内外の文書及び出版物 2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について(1)慰安所設置の経緯 (2)慰安所が設置された時期 (3)慰安所が存在していた地域 (4)慰安婦の総数 (5)慰安婦の出身地 (6)慰安所の経営及び管理 (7)慰安婦の募集 (8)慰安婦の輸送等 いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣官房内閣外政審議室)1993.8.4 内閣官房内閣外政審議室 平成5(1993)年8月4日 1.調査の経緯 いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者によるわが国における訴訟の提起、我が国国会における議論等を通じ、内外の注目を集めて来た。また、この問題は、昨年1月の宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。 このような状況の下、政府は、平成3年12月より、関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広く聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の課程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りである。 ▽調査対象機関 警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館 ▽関係者からの聞き取り 元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等 ▽参考とした国内外の文書及び出版物 韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。 本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査もふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下のとおり発表することとした。 2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について 上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。 (1)慰安所設置の経緯 各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領地内において日本軍人が住民に対し強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の病気による兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。 (2)慰安所が設置された時期 昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。 (3)慰安所が存在していた地域 今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。 (4)慰安婦の総数 発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させるに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。 (5)慰安婦の出身地 今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半島出身者が多い。 (6)慰安所の経営及び管理 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。 慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。 (7)慰安婦の募集 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。 (8)慰安婦の輸送等 慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輛によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(1)へ 従軍慰安婦問題政府資料を読むhomeへ
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トップページ>韓国>韓国民族運動史研究 『韓国民族運動史研究』60、2009.9 신운용「安重根の対日認識」 김주용「東天申八均の独立運動研究」 황민호「1920年代初国内言論に現れた臨時政府の抗日独立運動」 성주현「天道教青年会地方組織の設立と運営」 김권정「1920-1930年代劉載奇の農村運動とキリスト教社会思想」 崔鳳春「国立中山大学朝鮮留学生研究:1930年代を中心に」 박강「菊地酉治の阿片麻薬問題に対する認識と救済活動」 윤휘탁「中国の档案資料所蔵現況と収集の問題点:韓国独立運動史資料を中心に」 한규무「『韓国近現代史』教科書の「民族文化守護運動」叙述についての検討」 『韓国民族運動史研究』59、2009.6 조병로「日帝植民地時期の道路交通についての研究(Ⅰ):第1期治道事業(1905-1917)を中心に」 김광식「法井寺抗日運動の仏教史的意義」 강혜경「日帝時期性病の社会問題化と性病管理」 윤은순「1920-30年代キリスト教節制運動の論理と様相:禁酒禁煙運動を中心に」 손경희「日帝時期慶尚北道慶州郡西面水利組合の財政運営」 정혜경「戦時体制期常磐炭田関連名簿資料を通じて見た朝鮮人労務者の死亡実態」 표영수「海軍特別志願兵制度と朝鮮人強制動員」 양동숙「解放後女子警察制形成と活動研究(1945-1950)」 정용욱「北韓統一政策の歴史的変遷」 書評 이현희「김원모『영마루의 그름』檀国大学校出版部、2009年」 『韓国民族運動史研究』58、2009.3 박환「日帝強占期韓国新聞の変貌様相:「親日」と「民族」」 최혜주「1930年代のハングル新聞に現れた総督政治」 洪宗都「1930年代『東亜日報』の国際情勢認識:社会主義及び全体主義関連記事を中心に」 황민호「日帝下ハングル新聞の満州地域抗日武装闘争に関する報道傾向」 성주현「1930年代以後ハングル新聞の構造的変化と記事の動向:『東亜日報』と『朝鮮日報』を中心に」 張暎淑「『内下冊子目録』を通じて見た高宗の開化関連書籍収集実相と影響」 김인식「李昇馥と新幹会創立期の組織化過程」 이순자「日帝強占期地方古蹟保存会の活動についての一考察:開城保勝会を中心に」 김은정「日帝の朝鮮無煙炭株式会社設立と朝鮮石炭資源の統制」 조혜정「親日映画に刻まれた親日談論の様相と「国民統合」イデオロギー研究」 이완범「金性洙の植民地権力に対する抵抗と協力:「協力的抵抗」から「抵抗的協力」へ」 유상수「韓国反共連盟の設立と活動」 『韓国民族運動史研究』57、2008.12 이방원「1900年代初中枢院主要構成員の政治活動:「照会原本」の政治関連建議書を中心に」 辛珠柏「日帝強占期「伊藤博文射撃事件」を巡る安重根に関する国内外朝鮮人社会の記憶」 김권정「1920-30年代李大偉のキリスト教社会運動」 이상의「日帝下戦時体制期の賃金統制と朝鮮人労働者」 김인호「中日戦争期朝鮮における廃品回収政策」 韓相禱「中国管内地域独立運動勢力の東北地域独立運動認識」 임상혁「日帝強占期の司法官僚に対する一研究:検事崔大教を中心に」 許東賢「6・3学生運動の歴史的背景に関する研究」 朴賛勝「6・3学生運動の理念」 박환「新しいテーマを夢見て:満州への回帰と地域史、留学史」 『韓国民族運動史研究』56、2008.9 韓哲昊「甲午改革・露館播遷期(1894-1897)日本の治外法権行使と朝鮮の対応」 박노자「快男児、天才、英雄の育て方:1910-30年代朝鮮における児童・青少年訓育談論の展開」 조성운「1910年代植民地朝鮮の近代観光の誕生」 성주현「日帝強占期民族宗教の秘密結社と独立運動資源の募金運動」 정혜정「国民徴用令と朝鮮人人力動員の性格:労務者と軍属の枠組みを超えて」 황병주「1960年代朴正煕体制の「脱後進近代化」談論」 권인숙「1950-70年代青少年の男性性形成と国民創造の性別化過程:青少年雑誌分析を中心に」 나윤경「1960-70年代開発国家時代の学生雑誌を通じて見た10代女学生の主体形成と関連する談論分析」 『韓国民族運動史研究』55、2008.6 이철「改新教宣教初期平壌地域民の宣教師認識研究:1894年平壌キリスト教迫害事件と清日戦争を中心に」 白東賢「大韓帝国期韓国民族主義の形成とその特性:知識人層の民族談論分析を中心に」 오영섭「安重根の獄中文筆活動」 박환「姜宇奎の義烈闘争と独立思想」 조규태「1920年代沿海州地域天道教人の民族運動」 한규무「1920年代中盤朝鮮飢饉救済会の組織と活動」 최덕규「ロシアの東アジア政策と移住韓人政策(1891-1910):アジア連帯論とヨーロッパ連帯論を中心に」 박강「華北移住韓人と阿片麻薬の密売」 김주용「満州地域間島協助会の組織と活動」 김인식「「八月テーゼ」の「進歩的民主主義」国家建設論」 『韓国民族運動史研究』54、2008.3 신운용「安重根の義兵闘争と活動」 권대웅「清道郡の3・1運動」 김광식「韓龍雲の大衆仏教・生活禅と教世主義・八泥八水」 이기훈「1920-30年代普通学校と地域社会」 하지연「日帝強占期日本人会社地主の小作制経営実態:朝鮮興業株式会社(1904-1945)の事例」 정혜경「朝鮮総督府の労務動員関連行政組織及び機能分析」 황민호「日帝下国内言論のソ連に対する認識と在露韓人問題」 신용옥「米軍政・李承晩政権期国家資本としての帰属財産の役割」 박정신「民族運動史の視角から見た1907年代復興運動のテクストとコンテクスト」 書評 趙恒来「이현희『愛国志士趙東祜評伝』솔과학、2007年」 『韓国民族運動史研究』53、2007.12 김형목「韓末水原地域啓蒙運動と運営主体」 안종철「3・1運動、宣教師そして米日間の交渉と妥結」 이정은「最初の近代開業医安商浩の生涯と活動」 박강「ロシア移住韓人と阿片問題:ウスリースク市付近地域を中心に」 조규태「1920年代慶北清道人の民族運動」 김인호「海外親日朝鮮人の反西欧・反帝国主義談論と侵略便乗の類型」 塚崎昌之「解放直後の済州道の政治情勢:日本軍電報文を通じて」 塚崎昌之「解放直後の済州道の政治情勢:日本軍電報文を通じて」(日) 김무용「韓国過去清算の制度化と国民統合路線の展望:韓国戦争前後民間人集団虐殺問題を中心に」 박영석「私の人生に深い因縁と影響をくれた師匠:蘭史鄭在覚」 『韓国民族運動史研究』52、2007.9 강효숙「第二次東学農民戦争時期日本軍の農民軍鎮圧:ソウル以南地域を中心に」 최재성「日帝強占直後韓国皇室親姻戚の行跡と日帝の優待」 박종연「春郊柳東説の独立運動と軍事活動」 오영섭「上海臨時政府内李承晩通信員の活動」 전성현「1920年代朝鮮商業会議所連合会の産業開発「四大要項」と政治活動」 조세현「1920年代在中臺湾人のアナーキズム運動:韓人アナーキストとの交流に注目して」 尹海東「親日・協力者調査の倫理学」 성주현「党員成績一覧:天道教青年党」 박환「中国大連学術会議の成果と課題(2007年7月18日~22日)」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100
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村田春樹_創氏改名は差別ではない! <目次> ■はじめに ■創氏改名のきっかけ ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い ■「創氏」について ■「改名」について ■創氏改名の届出についての告知ビラ ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました ■「改名」は完全な申請制でした ■補足 ■参考文献 ■ブログランキング応援クリック ■はじめに | 前総理大臣である麻生太郎氏は 以前「創氏改名は朝鮮人が望んだものだった」と発言されたことがあります。 もちろん、韓国・左翼など反日勢力に非難されましたが、 真実は麻生氏の言う通りなのです。 ■創氏改名のきっかけ | 日韓併合によって朝鮮人は念願の日本国民になることができましたが、1つ問題がありました。 それは「日本国民だ」と言っても名前を言えば一発で朝鮮人とバレてしまい、 支那人に馬鹿にされてしまうということです。 そこで朝鮮人は日本政府に自分たちが日本風の名前を名乗ることを認めるよう要求しました。 そして日本政府は1940年2月11日にこれを朝鮮・台湾で認めました。 これが「創氏改名」です。 ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い | 私たち日本人の名前は「氏」と「名」から成り立っていますが、 朝鮮人の名前は「族譜(一族の名前)」と「名」から成り立っています。 「族譜」というのは日本でいえば、「源氏」・「平氏」のようなもので、 例えば「源氏の足利尊氏」ならば、 「族譜」が「源」、「氏」が「足利」、「名」が「尊氏」になります。 ■「創氏」について | 創氏改名の「創氏」とは、朝鮮人の名前に新たに「氏」を加えることです。 「創氏」であって「改氏」ではないのはこのためです。 ただ、この「氏」を日本風にするかどうかは任意で、届け出を出さなければなりませんでした。 例えば「李○○」という名前の人が届け出を出さなければ、この人の「氏」は「李」となります。 また朝鮮人の「族譜」は、彼らの伝統を尊重して戸籍に残しました。 ちなみに「創氏」は無料でした。 ■「改名」について | 日本風の「名」に「改名」するかどうかも任意でした。 しかも、「創氏」と違って「改名」をするのは有料でした。 ■創氏改名の届出についての告知ビラ ※クリックすると拡大されます | 強制制ではなく申請制だったことがわかります。ひらがなの横には読めるようにハングルでも書かれています。 期限は刻々に迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時 認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう △好機を逸さぬよう! △即刻届け出しましょう! 1. 創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。名の変更には期限がありません。 2. 八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。 この結果は内地式を設定しなかったことをかえって後悔することになるだろうと思われます。 3. 氏と姓とを混同する向きがあるようですが、氏は家の称号であり、姓は男系の血統を表するもので、両者の性質は全然異なっております。 4. 氏を設定すると従来の姓がなくなるという誤解があるようですが、氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから心配ありません。 5. 門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人もありますが、大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、各家異なる氏を設定するのが当然であります。 6. 氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのがもっとも理想的であります。 7. 期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へお問い合わせください。 大邱地方法院 府面邑--- 市町村 http //ameblo.jp/worldwalker2/entry-10009074492.html ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました 日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。 彼らは絶えず漢人から圧迫され、摂取され、 農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。 朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で、 「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」 と息巻いていたほどである。 この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の争いを助長した。 このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、 当時世界五強のひとつであった大日本帝国の臣民となることだった。 唯一、中国に対抗できる切り札であったため、 朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。 日本こそが朝鮮人にとって合邦国家の民族の誇りであり、 中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。 韓国は日本人がつくった (WAC BUNKO) ■「改名」は完全な申請制でした 「改名」については義務化されず、完全な申請制で、 申請手続きには手数料も取られている。 実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。 朝鮮総督府への申告というのは、つまり、 被治者が治者側と同階層になれるというものであり、 「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、 本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。 当時、半年の届け出期間中、 朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。 創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、 満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。 日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、 日鮮同祖論という親近感があり、 創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。 一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、 むしろ改名は「高嶺の花」であった。 日本の植民地の真実 ■補足 | 今まで書いてきたように、朝鮮人が日本風の名前にするかどうかは任意でした。 朝鮮人の軍人で最も出世した人に洪思翊陸軍中将がいますが、 彼は日本風の名前に変えてはいません。 つまり、日本風の名前に変えなくても差別されることはなかったのです。 ■参考文献 『日本人として最低限知っておきたい近現代史の必須知識』渡部昇一・水野靖夫、PHP研究所 ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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私が選ぶ国書刊行会の3冊 国書刊行会40周年記念小冊子 2012/8/15 1 朝吹真理子(小説家) 吉田健一 饗宴 日本幻想文学集成16 県立 市立 稲生物怪録絵巻集成 一切の嘘がないから、恐怖の根が深い。 県立 『塩の像』 バベルの図書館18 ルゴーネスの「火の雨」や「イス-ル」は嫌な気持ちになるのにやめることができない。 県立 市立 2 安藤礼二(評論家) 書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録 県立 松山俊太郎「綺想礼賛」 澁澤の盟友にしてインド哲学者 大学910.26.Ma91 ディレイニー「ダールグレン」 科学小説にして思弁小説 県立 市民7F外国文学933テ 市立 3 池内紀(ドイツ文学者) 日本敵討ち異相 長谷川伸傑作選:敵討ちは討つ者は善人。 県立 9F一般 市立 幸田露伴 ウッチャリ拾ひ 日本幻想文学集成8:百年前のリサイクル業者 県立 M9専門 動物園の麒麟 クラテール叢書9 県立 4 いしいしんじ(小説家) バベルの図書館 全30巻 ボルヘスが司書をつとめる図書館 県立 7階壁書架 セリーヌの作品 全15巻 県立 市立 大学 夜明け前のセレスティーノ 県立 7F外国文学963ア 市立 5 石堂蘭(幻想文学研究家) 世界幻想作家事典 荒俣宏 私にとって超えるべき1冊 県立 大学903A64 放浪者メルモス 世界幻想文学大系5 英国文学の厚みが生んだ究極のラヴロマンス 大学旧書庫 悪の誘惑 ゴシック叢書 メタフィクション 県立 大学旧書庫 6 稲生平太郎(小説家) 悪の誘惑 ゴシック叢書 「分身」テーマの傑作。 県立 大学旧書庫 モスマンの黙示 超科学シリーズ2 超常現象やUFO体験のノンフィクション。映画、文庫本では、「プロフェシー」 『うしのよだれ』 坪井正五郎 知の自由人叢書 真摯にしてノンシャランな姿勢 県立 7 宇月原晴明(小説家) バルトルシャイティス著作集 全4巻 「アナモルフォーズ」1冊でも、ただならぬものを発している。 県立 大学新書庫708B16 日本古典文学幻想コレクション 全3巻 8階壁書架918ニ。 書物の王国 全20巻 県立 市立 8 円城塔(小説家) 普遍の鍵 ロッシ 世界幻想文学大系45 大学908SE22.45 虚数 レム 文学の冒険 7階壁書架983レ 市立 ウッドハウス・コレクション 全14冊 県立 7F外国文学933ウ (なしではやりきれないし、もどれない) 9 大森望(書評家・評論家) 『山尾悠子作品集成』 県立 9F一般 高い城・文学エッセイ レム (レム・コレクション) レム・コレクション中での1冊 県立 市立 『ケルベロス第五の首』 ウルフ 未来の文学 史上最高難度SFミステリ 県立 7F外国文学933ウ 市立 10 恩田陸(小説家) リタ・ヘイワースの背信 ラテンアメリカ文学叢書15 県立 カチアートを追跡して オブライエン 文学の冒険 県立 9F一般 市立 ラトクリフ街道の殺人 ジェイムズほか クライム・ブックス 市立 大学933J18 古都 朱天心 共感する 11 風間賢二(翻訳家) 世界幻想文学大系 全45巻 まずは、これ。 市立 大学908SE22 探偵クラブ 日本幻想文学集成を選ぶか迷うが、これ。 県立 9F一般 異貌の19世紀 全6巻 クラテール叢書かバルトルシャイティス著作集を選ぶか悩ましいが、これ。 大学新書庫368.6A41 12 金原瑞人(翻訳家) マンク ルイス 世界幻想文学大系2 7F外国文学933ル 市立 大学908SE22.2-A 放浪者メルモス マチューリン 世界幻想文学大系5 大学旧書庫 『山尾悠子作品集成』 県立 9F一般 13 亀山郁夫(ロシア文学者) ロシア・アヴァンギャルド 全8巻 奇跡のような全集 県立 ソラリス レム・コレクション レム・コレクションの中での1冊 県立 7階壁書架983レ ロマン ソローキン 文学の冒険 ポストモダン 県立 7階壁書架983ソ 市立 14 川端賢子(文芸・演劇評論家) 世界幻想文学大系 全45巻 市立 大学908SE22 復刻版(月刊)ひまわり 全67冊 市立 定本 久生十蘭全集 県立 市民は三一書房版 15 菊池秀行(小説家) ドラキュラ叢書 全10巻 市立 モンスター・ショー 怪奇映画の文学史 M9専門 市立 ウィアード・テールズ 別巻 小説よりも数段楽しい。 大学旧書庫 16 岸本佐知子(翻訳家) 愛 ソローキン 文学の冒険 県立 7階壁書架983ソ 市立 輝く金字塔 マッケン バベルの図書館21 県立 7F外国文学933マ 市立 お日さま お月さま お星さま ヴォネガットほか 県立 8Fアート726.6チ 市立 17 紀田順一郎(小説家/翻訳家/評論家) 月下の幻視者 ドイツ・ロマン派短編集 ドイツ・ロマン派全集8 「オルラッハの娘」は異様な迫力。 県立 大学旧書庫 責苦の庭 ミルボー フランス世紀末文学叢書5 人間性の完全否定 大学旧書庫 ジル(上・下) ロシェル 1945:もうひとつのフランス1 熱い文学 18 北村薫(小説家) アルゼンチン短篇集 バベルの図書館20 県立 市立 世界ミステリ作家事典 本格派篇 & ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇 県立 7階壁書架903.3モ 8F一般調査 市立 チャールズ・アダムスのマザー・グース 県立 7階児童ライブラリー、詩短歌俳句コーナーJ93ア 市立 19 木村榮一(ラテンアメリカ文学者) 定本 久生十蘭全集 県立 市民は三一書房版 放浪者メルモス 世界幻想文学大系5 大学旧書庫 奇跡なす者たち ヴァンス 未来の文学 県立 7F外国文学933ハ 市立 20 倉阪鬼一郎(小説家) トンネル サバト ラテンアメリカン文学叢書6 県立 生埋め ある狂人の手記より ヘダーヤト 文学の冒険 7F外国文学929ヘ 悪の誘惑 ホッグ ゴシック叢書 県立 大学旧書庫 (翻訳したもの) 魔法の本棚 エイクマンとミドルトンが感涙もの 県立 市民 世界探偵小説全集 赤い右手と編集室の床に落ちた顔が怪作の双璧 県立 7F閉架書庫 市立 定本ラヴクラフト全集 21 COCO(漫画家) 新篇 真ク・リトル・リトル神話大系 全7巻 県立 大学(新篇はない) 『山尾悠子作品集成』 県立 9F一般 リトル、ビッグ(Ⅰ・Ⅱ) クロウリー 文学の冒険 県立 7F外国文学933ク 市立 22 佐野史郎(俳優) 法の書 クロウリー 県立 定本 ラヴクラフト全集 全10巻 市民(東京創元社) 芳年妖怪百景 県立 8Fアート721.8ツ 23 柴田元幸(英米文学者) 放浪者メルモス 大学旧書庫 創造者 ボルヘス 世界幻想文学大系15 市立 大学908SE22.15 ミステリウム マコーマック 県立 市立 24 須永朝彦(歌人/作家) 譚海 津村○庵 江戸時代の随筆の中で抜群に面白い。 県立 1900年のプリンス 伯爵ロベール・ド・モンテスキュー伝 ジュリアン 県立 7F外国文学951モ 大学旧書庫 日影丈吉全集 全8巻別巻1 県立 25 諏訪哲史(小説家) 巨人 パウル 県立 7F外国文学943ハ 大学948P28 淋しい場所 ダーレス アーカムハウス叢書 県立 7F外国文学933タ 幽霊の書 レイ 県立 26 千街晶之(ミステリ評論家) 肉体と死と悪魔 プラ-ツ クラテール叢書 県立 大学旧書庫 幻想文学大事典 赤い右手 ロジャーズ 27 高田衛(国文学者) 鳥山石燕 画図百鬼夜行 歌麿の師による妖怪図 叢書江戸文庫 全50巻 挿絵とともに和本を紹介 白縫譚 全3巻 妖術伝記物語 28 高原英理(小説家) マンク ルイス 世界幻想文学大系2 大学の授業のテキストだった。 近世民間異聞怪談集成 江戸怪綺想文芸体系5 日本幻想作家事典 29 高山宏(英文学者) 普遍の鍵 ロッシ 世界幻想文学大系45 アベラシオン バルトルシャイティス 幻想文学大事典 県立 8F一般調査 市立 大学参考図書 30 滝本誠(評論家) 仮面物語集 ロラン フランス世紀末文学叢書7 特に「ジャニーヌ」がすばらしい。 大学旧書庫 ブラック・マスクの英雄たち 挿絵がすばらしい アベラシオン バルトルシャイティス 県立 大学新書庫708B16 31 巧舟(ゲームクリエイター) 第二の銃声 バークリー 世界探偵小説全集2 クイーンと同時代 県立 7F外国文学933セ2 四人の申し分なき重罪人 チェスタトン ミステリーの本棚 ブラウン神父の作者 県立 7F外国文学933チ 市立 怪盗ゴダールの冒険 アンダースン ミステリーの本棚 6FYA読む91アン 市立 32 嶽本野ばら(小説家) アレイスター・クロウリー著作集 県立 花物語 吉屋信子 県立 7F日本文学ヨシ 市立 大学(ほるぷ) それいぬ 正しい乙女になるために 嶽本野ばら 最初の著作 7F日本文学タケ 33 巽孝之(アメリカ文学者) 鯨とテキスト メルヴィル全集別巻 県立 ソラリス レム 県立 7階壁書架983レ ダールグレン ディレイニー 県立 市民7F外国文学933テ 市立 34 谷川渥(美学者) バルトルシャイティス著作集 最終巻「鏡」を担当 県立 大学新書庫708B16 美術史 フォール 第4巻「近代美術」を担当 県立 肉体と死と悪魔 プラーツ クラテール叢書 県立 大学旧書庫 35 千野帽子(文筆家) 巨人 パウル 県立 7F外国文学943ハ 大学948P28 松永延造全集1 小説1 未読の人は「ジーベンケース」を先に読んどくと吉。 フォルマリズム 詩的言語論 ロシア・アヴァンギャルド6 今の私を支える1冊 県立 36 津原泰水(小説家) カシオペアのプサイ 世界幻想文学大系20 市立 大学908SE22.20 詩人と狂人達 チェスタトン 世界幻想文学体系12 市立 大学908SE22.12 完全な真空 レム 文学の冒険 県立 市立 37 坪内祐三(評論家) 綺想礼賛 松山俊太郎 大学910.26Ma91 僕の読書感想文 近田春夫 県立 8F一般調査019.9チ 市立 『トラック野郎風雲録』 鈴木則文 県立 38 豊崎由美(書評家) 遊戯の終り コルタサル ラテンアメリカン文学叢書5 文学の冒険 全60巻 県立 7F外国文学933 バベルの図書館 全30巻 県立 7F外国文学933 39 長野まゆみ(小説家) セラフィタ バルザック 世界幻想幻想体系6 県立 7F外国文学953ハ ラピスラズリ 山尾悠子 県立 7F日本文学ヤマ 復讐奇談安積沼/桜姫全伝曙草紙 現代語訳 江戸の伝奇小説1 県立 7階壁書架913.5ケ1 市立 40 中野美代子(中国文学者) 『朝鮮の風水』 松山智順 朝鮮総督府編 朝鮮総督府の庁舎は龍脈を断つかたちでたてられたため、1995年に韓国政府により解体撤去された。 県立 バルトルシャイティス著作集 県立 大学新書庫708B16 二つの死闘 オールティック 異貌の19世紀 ヴィクトリア朝では「大衆化された殺人」が流行。 大学新書庫368.6A41 41 南條竹則(小説家) 黒魔団 ホイートリ ドラキュラ叢書1 市立 日本怪談大全 全5巻 市立 日影丈吉全集 県立 42 西崎憲(小説家) 『夢の本』 ボルヘス 世界幻想文学大系43 世界は夢によって動かされてきたのではないだろうか。 県立 大学908SE22.43 黄金仮面の王 シュオブ フランス世紀末文学叢書2 シュオブの後には何もない。 大学旧書庫 愉しいビーダーマイヤー 19世紀ドイツ文学史研究 クラテール叢書15 名著中の名著 県立 大学新書庫234.06.MA27 43 沼野充義(ロシア・ポーランド文学者) サラゴサ手稿 ポトツキ 世界幻想文学大系19 伝説的1冊 大学908SE22.19 チェゲムのサンドロおじさん イスカンデル 文学の冒険 ロシア東欧の現代文学 7階壁書架983イ アベラシオン バルトルシャイティス著作集1 リトアニア出身の異端の美術史家による著作 県立 大学新書庫708B16 44 野崎歓(フランス文学者) 東方の旅 ネルヴァル 世界幻想文学大系31 大学908SE22.31-A セリーヌの作品 県立 市立 大学新書庫958C29 選ばれた女 コーエン 県立 7F外国文学953コ 45 野谷文昭(ラテンアメリカ文学者) ラテンアメリカ文学叢書 全15巻 県立 ボルヘス・コレクション 全7冊 県立 バベルの図書館 全30巻 ボルヘス個人の編まれた叢書 県立 7F外国文学933 46 法月倫太郎(小説家) 世界ミステリ作家事典 本格派篇 県立 7階壁書架903.3モ 8F一般調査 市立 カチアートを追跡して オブライエン 文学の冒険 県立 9F一般 市立 完全な真空 レム ハイライトは巻末の「新しい宇宙創造説」 県立 市立 47 蜂飼耳(詩人) 僕の陽気な朝 クリーマ 文学の冒険 チェコの作家。 県立 7階壁書架983ク 市立 古都 新しい台湾の文学 アイルランド・ストーリーズ トレヴァー 県立 7F外国文学933ト 市立 48 東雅夫(アンソロジスト) 世界幻想作家事典 県立 大学903A64 『山尾悠子作品集成』 県立 9F一般 近世民間異聞怪談集成 49 富士川義之(英文学者) 『ルバイヤート集成』 カイヤーム ペルシャの詩人 県立 トマス・ド・クインシー著作集 「イギリスの郵便馬車」と「イマーヌエル・カントの最期の日々」が印象深い。 県立 市立 密林の獣/荒涼のベンチ ジェイムズ 「友だちの友だち」と「私的生活」が手に取りやすい。 県立 50 古川日出男(小説家) 行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙 ピーク 絵本のようなもの 遠い女 ラテンアメリカ短篇集 県立 7F外国文学963ト 市立 カチアートを追跡して オブライエン 県立 9F一般 市立 51 保坂和志(小説家) V. ピンチョン ゴシック叢書 県立(新潮社) 7F外国文学933ヒ 大学933P99 セリーヌの作品 県立 市立 大学新書庫958C29 『塩の像』 ルゴーネス 県立 市立 52 堀切直人(文芸評論家) 日影丈吉全集 県立 定本 久生十蘭全集 日本幻想文学集成 県立 市立 53 松岡正剛(編集工学研究所所長) イシス探求 バルトルシャイティス著作集3 県立 大学新書庫708B16.3 山東京伝集 叢書江戸文庫18 県立 市立 大学旧書庫 死都ブリュージュ/霧の紡車 ロデンバック フランス世紀末文学叢書8 大学旧書庫 54 皆川博子(小説家) 『山尾悠子作品集成』 県立 9F一般 巴里幻想訳詩集 県立 市立 独逸怪奇小説集成 7F外国文学943ト 55 森英俊(翻訳家) 第二の銃声 バークリー 県立 7F外国文学933セ2 世界ミステリ作家事典 県立 7階壁書架903.3モ 8F一般調査 市立 ウッドハウス・コレクション 全14冊 県立 7F外国文学933ウ 56 柳下毅一郎(英米文学翻訳家) V. ピンチョン 県立(新潮社) 7F外国文学933ヒ 大学933P99 時との戦い カルペンティエール ラテンアメリカン文学叢書2 県立 帰れ、カリガリ博士 ゴシック叢書 57 山尾悠子(小説家) セラフィタ バルザック 世界幻想文学大系6 県立 7F外国文学953ハ 黄金仮面の王 シュオブ短篇選集 フランス世紀末文学叢書2 大学旧書庫 架空の町 書物の王国1 県立 58 山口雅也(小説家) 世界ミステリ作家事典 本格派篇 県立 7階壁書架903.3モ 8F一般調査 市立 赤い右手 ロジャーズ 世界探偵小説全集24 賛否両論の怪作。 県立 7F外国文学933セ24 ジョン・ディクスン・カー<奇蹟を解く男> グリーン 県立 7F外国文学930カ 59 横尾忠則(美術家) ロマンとの遭遇 小松崎茂の世界 県立 妖艶粋美 甦る天才絵師・○崎英朋の世界 県立 市立 怪談 ハーン(シュヴァンクマイエル画) 県立 市立 60 吉野朔実(漫画家) 国芳妖怪百景 県立 8Fアート721.8ウ 市立 不在の騎士 カルヴィーノ 文学の冒険 県立 市立 シュヴァンクマイエルの博物館 触覚芸術・オブジェ・コラージュ集 旧チェコ・スロバキアの映像作家 県立 61 若島正(英米文学者) 世界幻想作家事典 幻想文学大事典 世界ミステリ作家事典 本格派篇
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トップページ>韓国>韓国近現代史研究 『韓国近現代史研究』40、2007.3 研究論文 呉瑛燮「開化期安泰勲(1862-1905)の生涯と活動」 朴鍾隣「1920年代社会主義思想の受容と一月会」 魏志江「中山大学と韓国独立運動の関係」 이상의「1930年代朝鮮総督府殖産局の構成と工業化政策:商工課を中心に」 朴潤栽「1930-1940年代趙憲泳の漢医学認識と東西折衷的医学論」 姜英心「終戦後中国地域「日本軍慰安婦」の行跡と未帰還」 朴二俊「玄俊鎬の資本形成過程と親日行為」 批評論文 韓哲昊「独島に関する歴史学界の時期別研究動向」 李信澈「日本の右傾化路線強化と韓・日歴史論争:安倍政権を中心に」 『韓国近現代史研究』39、2006.12 研究論文 李憲柱「1880年代初盤姜瑋の連米自強論」 鄭求先「開港後(1876-1894)日本の治外法権行使と韓国の対応」 梁弘錫「開港期(1876-1910)アメリカの治外法権適用論理と韓国の対応」 成淑璟「甲午改革以降(1894-1899)成均館の近代的再編」 河智姸「渋澤栄一資本の朝鮮工業株式会社設立と経営実態」 崔丙桃「満州同胞問題協議会の結成と解体に関する研究:1930年代初国内民族運動陣営の動向と関連して」 『韓国近現代史研究』38、2006.9 研究論文 韓哲昊「ジョージ・L.ショー(George Lewis Shaw)の韓国独立運動支援活動とその意義:逮捕・釈放過程を中心に」 金春善「朝鮮共産主義者達の中共加入と「二重使命」研究」 禹大亨「日帝下朝鮮におけるアメリカ技術政策の展開:移植から育種へ」 金周溶「満州地域韓人「安全農村」研究:営口、三源浦地域を中心に」 黃善翌「解放後台湾韓僑協会設立と韓人の未帰還」 呂聖九「解放後在日韓人の未帰還事例と性格」 批評論文 金勝一「サハリン韓人未帰還問題の歴史的接近と提言」 書評 蔡永国「中国東北地域の中の韓国近現代史を自信をもって暴いた力作:장세윤『중국동북지역 민족운동과 한국근현대사』명지사、2005年」 『韓国近現代史研究』37、2006.6 特集論文:解放直後海外韓人の未帰還 蔡永国「解放直後未帰還在日韓人の民族教育運動」 崔季洙「サハリン抑留韓人の国籍帰属と法的諸問題」 孫艶紅「中国北京地域韓人「犯罪者」処理と未帰還」 研究論文 具仙姫「清日戦争の意味:朝・清「属邦」関係を中心に」 金祥起「1906年洪州義兵の洪州城戦闘」 朴敏泳「韓末義兵の対馬島被囚経緯についての研究」 金性玟「1920年代後半光州地域学生運動組織の発達」 金英喜「国民総力朝鮮連盟の事務局再編と官辺団体に対する統制(1940.10-1945.8)」 梁正心「米軍政・李承晩政権の済州4・3抗争についての認識」 『韓国近現代史研究』36、2006.3 特集:解放直後国内民族運動勢力の活動と路線 李圭泰「解放直後建国準備委員会の活動と統一国家の模索」 高珽烋「解放直後大韓民国臨時政府の路線と統一運動」 李賢周「朝鮮共産党の権力構想と「朝鮮人民共和国」」 研究論文 李承烈「韓末日帝下京城の銀行家趙鎮泰・白完爀研究:伝統的商人のブルジョアジーへの転換に関する考察」 韓詩俊「李奉昌義挙についての中国新聞の報道」 韓相禱「中国管内地域独立運動勢力の韓国近代詩理解一端」 金志勲「中国の歴史課程標準高等学校実験歴史教科書の韓国関連叙述」 『韓国近現代史研究』35、2005.12 研究論文 張暎淑「西洋人の見聞記を通じて見た明成皇后の政治的位相と役割」 呉瑛燮「高宗側近沈相薫と堤川地域義兵運動との関係」 金淳碩「韓龍雲と白龍城の近代仏教改革論比較研究」 尹善子「日帝の経済収奪と開城の蔘業」 金泰国「「満州国」における日帝の植民支配論理」 金光載「「上海居留朝鮮人会(1933-1944)研究」 李完範「朝鮮共産党の信託統治路線変化過程(1945-1946)」 任松子「1950年代中・後半大韓労総中央組織の派閥対立様相とその性格」 書評 韓相禱「大韓民国臨時政府の学術の砦:金喜坤『大韓民国臨時政府研究』知識産業社、2004年」 『韓国近現代史研究』34、2005.9 研究論文 金賢淑「開化期政府雇用西洋人達の雇用実態と日常生活」 崔起栄「韓末崔光玉の教育活動と国権回復運動」 朴杰淳「扶餘長亭晋州姜氏門中の大倧教信仰と民族運動」 禹英蘭「1920年代後半日帝の経済侵略と間島地域農業の産業化」 張圭植「日帝下アメリカ留学生の近代知識受容と国民国家構想」 高珽烋「ハワイ中韓民衆同盟団(1938-1945)研究」 黃善翌「解放後大韓地域韓人社会と帰還」 書評 朴敏泳「韓末湖南義兵研究の新起源:홍영기『大韓帝国期湖南義兵研究』一潮閣、2005年」 『韓国近現代史研究』33、2005.6 特集:安重根義挙に対する認識 申雲龍「安重根義挙に対する国内の認識と反応」 尹善子「安重根義挙に対する天主教の認識」 韓相權「安重根義挙に対する在米韓人の認識:『新韓民報』を中心に」 金春善「安重根義挙に対する中国人の認識」 研究論文 金洋植「忠北線敷設の地域史的性格」 梁寧祚「6・25戦争時中国軍の持久戦戦略と軍事改革:朝中連合軍司令員彭徳懷の戦略を中心に」 辛珠栢「日本中学校歴史教科書2005年度検定本分析:日帝強占期と現代韓国関係を中心に」 書評 許東賢「崔起栄『韓国近代啓蒙思想研究』一潮閣、2003年; 崔起栄『식민지시기 민족지성과 문화운동』한울 아카데미、2003年」 資料紹介 柳子明「日本軍国主義復活を戯言と思ってはいけない」 趙庸旭「日本内韓人の「帰還」と韓国内日本人の「送還」に関する解放直前米国側資料」 『韓国近現代史研究』32、2005.3 研究論文 金喜坤「崔松雪堂(1855-1939)研究」 金容達「京畿道抱川地域3・1運動の展開と性格」 潘炳律「金立と抗日民族運動」 林鍾明「麗水・順天事件の再現と暴力」 研究動向 金ゲルマン「ロシア学界の「近代韓人の海外移住」に関する研究動向」 資料紹介 金炯睦「鄭在洪の活動と関連資料」 趙庸旭「中国内韓人に関する解放直前米国務部資料」 『韓国近現代史研究』31、2004.12 研究論文 孫湞淑「中韓米国臨時代理公使フーク(George C. Foulk)研究(1884-1887)」 呉瑛燮「驪江閔氏戚族と韓末義兵」 金祥起「韓末日帝下洪城地域儒林の形成と抗日民族運動」 金寿泰「韓末日帝強占期内浦地域の天主教」 金素伶「龍岩浦事件に対する大韓帝国の危機意識と対応」 金性玟「1920年代後半ソウル地域学生運動の組織と性格」 金寿子「李承晩の与党結成と活用」 趙成勲「6・25戦争以前韓国指導者の中国情勢変化認識と対応」 張泳敏「政府樹立以後(1948-1950)アメリカの宣伝製作」 資料改題 金賢淑「大韓帝国期米国顧問官文書解題」 『韓国近現代史研究』30、2004.9 研究論文 尹善子「李灌鎔の生涯と民族運動」 孫艶紅「1910-1920年代中盤北京韓人社会と民族運動の特徴」 韓知憲「1920年代初盤朝鮮総督府の大韓民国臨時政府に対する認識と政策」 朴賛勝「1920年代渡日留学生とその思想的動向」 金基承「裵成龍と安光泉の国家建設思想」 朴賛殖「北韓の「済州4・3事件」認識」 資料 韓圭茂「極東人民代表会議に参加した「朝鮮イエス教代表会」玄楯の「委任状」と彼が作成した「調査表」」 潘炳律「第2次世界大戦当時死の鉄道韓人捕虜監視員の運命」 Worawut Suwannarit「第2次世界大戦当時死の鉄道韓人捕虜監視員の運命」 『韓国近現代史研究』29、2004.6 特集 蔡永国「解放後BC級戦犯となった韓国人捕虜監視員」 李賢周「解放直後仁川の帰還戦災同胞救護活動:『大衆日報』記事を中心に」 鄭恵瓊「解放以後強制連行生存者の社会適応過程」 崔季洙「在外同胞法と在中韓人の法的地位」 研究論文 金淇周「開港期朝鮮政府の対日留学政策」 尹素英「韓末期朝鮮の日本近代化論理の受容:「和魂」論と「国魂」論の比較を通じて」 申奎燮「1920年代後半日帝の在満朝鮮人政策:「鮮満一体化」の挫折と「三矢協定」」 李鍾範「「5・18抗争」証言に表れた「基層民衆」の経験と生活」 『韓国近現代史研究』28、2004.3 研究論文 張圭植「開港期開化知識人の西欧体験と近代認識:アメリカ留学生を中心に」 金祥起「1908年唐津小蘭芝島義兵の抗日戦」 潘炳律「海外における大同団の組織と活動」 張世胤「満州地域韓人抗日武装闘争勢力の食生活と保険衛生」 任松子「1946-1952年大韓労総の内部葛藤とその性格」 辛珠柏「地方史研究方法、実際、歴史教育:光州・全南地方の民族運動史を中心に」 特集 金春善「光復後中国東北地域韓人の定着と国内帰還」 徐行「戦後華北地区韓僑の安置と送還:天津韓僑の管理と送還を中心に」 徐行「戦後華北地区韓僑の安置と送還:天津韓僑の管理と送還を中心に」(中) 張錫興「解放直後上海地域の韓人社会と帰還」 金勝一「台湾韓僑の歴史的遷移状況と帰還問題」 廉仁鎬「6・25戦争と延辺朝鮮人社会の関連性に関する一考察」 『韓国近現代史研究』27、2003.12 研究論文 朴銀淑「甲申政変主導勢力の参与層捕捉と武力動員」 申昌均「民族運動による伝統名家の社会経済的変化:安東義城金氏川前門中の場合」 韓詩俊「漢城政府の樹立と洪震」 盧鏞弼「1930年代「韓国社会に及ぼした天主教の影響」議論:主要日刊紙の報道内容を中心に」 金泳燡「韓国戦争期南韓内敵色パルチザンの再建と消滅(1950.10.5-1954.4.5)」 韓哲昊「北韓の歴史教育と近代史認識:「門戸開放」を中心に」 説林 趙東杰「国号・国旗・国家・国花はいつ、どのように作られたのか」 金正仁「日帝強占期思想史研究の現在と未来:張圭植『日帝下韓国キリスト教民族主義研究』혜안、2001年」 解題 金度勲「日帝の臨時政府動静報告資料」 『韓国近現代史研究』26、2003.9 研究論文 金允嬉「三国共栄論の経済発展方案と京仁地域大資本家の経済的志向(1894-1905)」 徐珍教「大韓帝国期政治支配勢力と政局運営:軍備強化策の推進と権力構造の変化を中心に」 張圭植「日帝下鍾路の民族運動空間:侵略と抵抗の対峙線」 朴杰淳「李源台の生涯と歴史認識」 鄭昞旭「日帝下個人貸金業と戦時経済:『不動産抵当個人間貸借金利調』(1929-1943)を中心に」 特集論文 廉仁鎬「解放後中国延辺朝鮮人社会の変動と学校教育」 研究論文 梁寧祚「韓国戦争期海外軍事経歴者の再編過程と政治化」 潘炳律「ロシア最初の韓人村地新墟」 『韓国近現代史研究』25、2003.6 特集論文 張錫興「解放後帰還問題研究の成果と課題」 呂聖九「全南咸平・長城郡帰還生存者の口述事例研究」 韓詩俊「大韓民国臨時政府の還国」 蔡永国「解放後在日韓人の地位と帰還」 金勝一「中国海南島に強制連行された韓国人帰還問題:朝鮮報国隊を中心に」 李平来「第2次世界大戦後モンゴルに連行された日本捕虜研究:韓人身元確認のための試論」 崔季洙「日帝強占期人的収奪に対する被害保障訴訟とその法的検討:民事法を中心に」 南潤三「ドイツ・ナチ政権下強制労働者の賃金請求に関する法的考察」 尹素英「1870年前後朝鮮の対日認識と政策」 申世羅「鄭淳萬の生涯と民族運動」 崔元奎「日帝土地調査事業における所有権査定過程と裁決」 李成雨「籌備団の組織と活動」 曺世鉉「1920年代前半期在中国韓人アナーキズム運動:韓・中アナーキストの交流を中心に」 金喜坤「安東出身社会主義運動家李準泰研究:1920年代労農運動を中心に」 李圭洙「布施辰治の韓国認識」 李英華「崔南善の文化史観と歴史研究方法論」 崔起栄「白水鄭烈模の生涯と語文民族主義」 高珽烋「太平洋戦争期アメリカの大韓民国臨時政府についての認識と不承認政策」 李剛秀「反民特委特別裁判部の組織と活動」 許宗「反民特委慶尚南道調査部の組織と活動」 李培鎔「韓国女性生活と意識変化についての現代史的考察:1948-1970年代を中心に」 書評 韓圭茂「天主教会史と民族運動史、そして共通分母探し:尹善子『일제의 종교정책과 천주교회』景仁文化社、2001年;尹善子『한국근대사와 종교』国学資料院、2002年」 鄭杜煕「口述史を通じた多様な暮らしの復元:Hildi Kang, Under the Black Umbrella Voices from Colonial Korea, 1910-1945(Ithaca London Cornell University Press, 2001」 資料 金容達「不ニ西鮮農場小作相議調査報告」 『韓国近現代史研究』24、2003.3 研究論文 金賢錫「甲午改革期日本の朝鮮保護国化政策と日本人顧問官の活動」 尹慶老「西欧の「停滞論的」韓国像:オリエンタリスト的な認識を中心に」 尹善子「日帝下宗教団体の経済的基盤確保過程」 金寿泰「安在鴻の新民族主義と社会史研究」 金仁植「宋鎮禹・韓国民主党の「重慶臨時政府絶対支持論」」 金度亨「解放前後ジャワ地域韓国人の動向と帰還活動」 李浩龍「解放以後アナーキストの組織と活動」 金興洙「世界教会協議会(WCC)の韓国戦争声明と共産圏教会」 書評 朴潤栽「韓国近代史の地平拡大のための遅くなった、しかし豊富な回答:李萬烈『韓国キリスト教医療史』아카넷、2003年」 『韓国近現代史研究』23、2002.12 研究論文 趙宰坤「褓負商文書の運営体系と活用方案」 韓詩俊「内蒙古地域の韓国独立運動」 張錫興「1910-20年代モンゴル地域において展開された韓国独立運動」 辛珠柏「1920、30年代北京における韓人民族運動」 金明赫「解光金思国の生涯と民族解放運動」 説林 朴孟洙「東学農民革命軍名誉回復をどうするべきか:東学農民革命軍遺族関連問題を中心に」 金炯睦「韓末忠北地方の私立学校設立運動」 『韓国近現代史研究』22、2002.9 研究論文 金性玟「江華地域3・1運動の展開と性格」 李萬烈「島山安昌浩とキリスト教信仰」 李明花「興士団遠東臨時委員部の人的構成とその性格」 韓哲昊「1930年代前半期韓中連帯と抗日運動」 金容達「海公申翼煕の家学と民族教育運動」 金英喜「国民精神総動員運動の展開形態とその浸透」 尹喜子「維新体制下汎国民民主化運動宣言文」 『韓国近現代史研究』21、2002.6 研究論文 裵亢燮「第1次農民戦争時期農民軍の行動様態と志向」 洪英基「韓末湖南倡義会盟所についての一考察」 呉星「韓末-日帝時期開城の時辺制」 金度亨「3・1運動とハワイ韓人社会の動向」 金日洙「1920年代大邱地域学生運動の展開と性格:大邱高等普通学校を中心に」 金喜坤「金南洙(1899-1945)と安東地域社会主義運動」 韓詩俊「大韓民国臨時政府の国内進入構想:解放直前海外武装勢力との連係を中心に」 辛珠柏「北韓の近現代研究における反侵略闘争史」 資料 金炯睦「夜学校舎賃貸に関する文書」 1-20 21-40 41-60 61-80
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朝鮮総連本部落札にソフトバンクが絡んでいた事が発覚! 坊主の秘書の正体を特定! http //ameblo.jp/marbulusagi/entry-11548963454.html 池口恵観氏の朝鮮総聯落札問題――断念の“裏側”を秘書が初告白 http //megalodon.jp/2013-0630-2015-53/www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=3341 池口恵観氏(鹿児島市内の宗教法人「最福寺」法主)は、なぜ朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)本部購入を断念したのか。四五億一九〇〇万円という巨額で落札した池口氏。約四〇億円の納付期限となった五月一〇日、池口氏は「正式断念」を表明した。三月九日に落札した池口氏は全額納付に自信さえ見せていたが、実際は資金調達はことごとく頓挫していた。 その全容を池口氏の秘書で資金調達の中心人物とみられていた東勝也氏が重い口を開いた。東氏が語った四五億一九〇〇万円の資金調達の全容はおよそ次のようになる。 そもそも池口氏には資金があったのか、あるいは資金調達のメドがあったのかという筆者の問いに東氏は「池口さんにはまったく資金はなかった」と明言。では、約四〇億円の納付資金調達はできていなかったのかという問いには「資金は調達できていた。ただ邪魔が入った」のだという。 東氏の資金調達は三月から始まった。落札時に納付した五億三〇〇〇万円は池口氏の信者などから集めている。残る約四〇億円は、最初にメガバンクA銀行との間で池口氏所有の最福寺別院の江の島大師で二万体の永代供養霊廟を一基一〇〇万円で販売、二〇〇億円で販売する事業計画を合意したという。A銀行はこれをファンド証券として担保化し融資を決定。二〇〇億円を一時的に保管しておく別段預金に入れた、という。もしそうならば資金調達問題など起きないはずだが、東氏によると「A銀行の行為に金融庁が介入してきた」結果、四月一六日頃には融資が不可能になったという。この頓挫を受けてA銀行がB銀行を紹介したがこれも進まず、さらにA銀行はC商社を紹介した。 C商社は北朝鮮のレアメタル資源開発権の取得を前提に全額融資を決定したが融資金利と一〇年間返済という条件が折り合わず、これも頓挫。さらにA銀行は別のファンド会社を紹介するが、これも合意に至らなかったという。最後はA銀行がDゼネコンを紹介した。 筆者も五月八日の時点でこのゼネコン融資情報を警視庁から入手していた。そのゼネコンとはT建設だったが、東氏はこれを否定。東氏は知り合いのゼネコンだと説明したが企業名は明かさなかった。 しかし東氏の説明は実にリアル。このゼネコンは八日夜に臨時取締役会を開いて三分の二以上で四八億円の融資を決定したのだという。そして九日、東氏はこの資金振り込みを確信してA銀行の役員と昼食をとっていた。そこにA銀行の関係者から「大変な事が起きている」と連絡が入った。 大変な事とは、A銀行に金融庁から三人の人間が来て大もめになっている、という内容。東氏がA銀行に行くと、怒声のような話が聞こえたという。 筆者は東氏に「金融庁の誰が来ていたのか」と詰問したが、東氏は「金融庁の人間らしい人物がいた……」としか説明しない。筆者は、安倍晋三総理が今回の融資に関与している可能性があるのかとも聞いてみた。東氏は「池口氏は安倍総理に訪米の三日前に『四五億円で売ってくれないか……』というメールを打っている。返事はなかったが……」と説明した。 さらに「今回の融資を妨害したのは間違いなく内閣官房の情報官あたりだった。金融庁も内閣官房の意思、結局、安倍総理の意思で全ては頓挫したことは間違いない……信じないかもしれませんが」と言うのだ。 インタビューの最後に、筆者は資金調達に奔走したという東氏が、前述のA、B、C、Dの間で交わしたと主張した金銭消費貸借契約書(借用書)の現物を見せるよう繰り返し要求した。その数カ所と交わした契約書こそが資金調達の事実を示せるというのに、なぜか「コピーしかないが、迷惑がかかる人がいるから死んでも話さないし、見せないし、明日にでも破り捨てる……」と言う東氏。 朝鮮総聯中央本部をめぐっては六年前の元公安調査庁長官の緒方重威氏逮捕事件もあった。結局は今回も利権騒動という側面は否定できない。 東氏は近く、池口氏の秘書という立場から離れる模様だ。 (成田俊一・ジャーナリスト、5月17日号) 9:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 05 39.69 ID iUSEgwNq0 http //www.mc-medio.com/company/index.html 社名 : エムシー・メディオ株式会社 代表取締役 東 勝也 所在地 : 京都市南区西九条寺の前町 2-4 Tel. 075-672-5980 Fax. 075-692-3291 営業拠点 : SoftBank八条西口 京都市南区西九条寺の前町 2-4 Tel. 075-672-5990 Fax. 075-692-3291 ソフトバンク系列の朝鮮企業です。 195:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 11 01 26.78 ID p6KZE0eq0 9 やっぱ売国ハゲ絡んでるんだなw 226:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 11 16 16.32 ID Cc6SareOP 9 ソフトバンクて冗談抜きに反日企業だよな 251:くろもん ◆IrmWJHGPjM :2013/06/09(日) 11 25 25.27 ID 400rZz9j0 226 ソフトバンクが反日なのはCMで明らかだね・・ 水間政憲さんによる解説 488:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 18 04 52.63 ID LLR+pD9d0 9 あらあ…ソフバンが裏で動いてたの…w 544:名無しさん@13周年:2013/06/10(月) 02 58 59.19 ID 9Gk7zNkgO 9 ソフトバンクwww ズッブズブじゃないですかヤダーwww 140:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 38 08.15 ID JUloSXmh0 安倍とズブズブとかいってたブサチョン憤死wwwwwwwwwwwww 167:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 48 23.42 ID 1XCD5Kp0 本当だとしたら安倍サイドはいい仕事してる。 185:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 56 32.01 ID p6KZE0eq0 朝鮮人アホスw そもそも圧力があろうと無かろうと北に関わりがあると思われる糞坊主の思惑は頓挫した訳だ。 本当なら安倍Gjだし。 間違ってても胡散臭い奴に総連ビルが買われなくてよかったとなるだけ。 よろず相談21世紀法人像研究会 (NPO)よろず相談21世紀法人像研究会 東京都港区新橋5-12-1 越田ビル 2F http //megalodon.jp/2013-0805-1611-54/www.peeep.us/3f0aef6e 理事長 飛谷安宣 元 富士ソフト(株)監査役 関連項目: 芋づる式か? 元 大蔵省課長 副理事長 滝本豊水 関連項目: 保険法改正接待疑惑 弁護士(西村あさひ法律事務所) 元 大蔵省審議官 (株)西京銀行 取締役 元(株)イズミ 監査役 (株)フューチャーフィナンシャルコンサルタンツ 顧問弁護士 専務理事 東垣外洋三 元 北海道開発局官房長 (一財)法人支援機構おおくら 理事 常務理事 村山眞人 (株)文教ニュース社 取締役企画部長 理事 東勝也 (有)ケープランニング 専務取締役 日本予防医学会 専務理事 関連項目: 怪しい日本予防医学会 エムシー・メディオ(株)代表取締役 (NPO)日本パラリンピック支援機構 常任理事 関連項目: 不透明な募金活動で厚生労働省により行政処分 池口恵観 秘書 理事 荒畑実 富士ソフトサービスビューロ(株)監査役 理事 縄田 允 元大蔵省主計局 ダイエープロビス(株)顧問 理事 兵藤廣治 税理士 (一財)法人支援機構おおくら 理事 元 放送大学理事 元 四国財務局長 理事 中田唯之 元 防衛施設庁監査官名古屋局長 元防衛施設庁施設部施設取得第一課長 理事 大久保 信亞 元防衛庁航空自衛隊1等空佐 理事 藤原正龍 (株)佐藤工業 相談役 理事 中原徹 (株)フューチャーフィナンシャルコンサルタンツ 代表取締役社長 (一財)法人支援機構おおくら 評議員 元 長期信用銀行部長 理事 柏木 修次 ミャンマー交流援護会副理事長 元献血供給事業団部長 関連項目: 献血供給事業団 理事 浅野 修一 元日本長期信用銀行部長 監事 山内 勲 元財務相 監事 米村 達明 元(株)佐藤総合計画取締役 監事 對馬和也 公認会計士 元 あずさ監査法人 監事 米村達明 元(株)佐藤総合計画 取締役 顧問 田中 浩治 木村看板(株)顧問 元大蔵省官房会計課 http //megalodon.jp/2013-0630-2050-12/timetide.way-nifty.com/jprofile/2013/06/index.html (一財)法人支援機構おおくら 評議員:杉井孝:弁護士 関連項目: 接待王 元大蔵省主計局次長 http //megalodon.jp/2013-0805-1606-47/www.ookura.or.jp/index.files/directors.htm 日本予防医学会 関連項目: 怪しい日本予防医学会 理事長:池口恵観 内閣府認証 NPO法人公共政策支援団 理事長 一色 浩三 元 ㈱日本政策投資銀行理事 いすゞ自 動車㈱常勤監査役 副理事長 和田 勝 福祉社会総合研究所所長 国際医療福祉大学教授 元厚生省審議官 理事(支援団団長) 杉井 孝 杉井法律事務所・弁護士 一般財団法人財政金融企画事務所理事長 元大蔵省主計局次長 理事(支援団副団長) 岩下 正 ㈱ローン・スター・ジャパン・アクイジッションズ会長 関連項目: ローンスター 元 大蔵省国際金融局長 http //megalodon.jp/2013-0806-1717-23/www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/477.html 理事(事務局長) 金田 敬次 元 財務省審議官 東北財務局長 理事(事務局次長) 大越 信行 財団法人厚生年金事業振興団事務局長 元 社会保険庁課長 監事 藤井 清彦 税理士 元 東京国税局調査第三部長 監事 丸山 正司 税理士 元 東京国税局課長 http //megalodon.jp/2013-0806-1708-31/ppsa.or.jp/organization-information.html 大蔵省(財務省)腐敗の記録簿 (1998年3月6日以降分) http //members.tripod.com/atsushi_hisano/oukura2.htm 1998年3月6日 東京地検は、収賄容疑で次の大蔵官僚等を逮捕した。 (1)榊原隆(38歳) 大蔵省証券局総務課課長補佐(キャリア組) (2)宮野敏男(51歳) 証券取引等監視委員会上席証券取引検査官(ノンキャリア組) 1998年3月7日 大蔵省は金融検査汚職事件で、2人の官僚が逮捕・起訴されたことを受けて、2被告の上司であった者の処分を行なった。 (1)武藤敏郎官房長: 戒告 (2)涌井洋治主計局長(前官房長):減給20%3ヶ月 (3)原口恒和金融検査部長:戒告 関連項目: イオン 大物官僚OB受け入れ (4)中川隆進日銀政策委員(前金融検査部長):減給20%2ヶ月 (5)岡田康彦環境庁企画調整局長(元金融検査部長):減給20%1ヶ月 (6)東正和金融検査部管理課長(前金融検査部審査課長):減給10%1ヶ月 (7)村木利雄札幌国税局長(前金融検査部管理課長):減給20%3ヶ月 (8)森田好則名古屋国税局長(元金融検査部審査課長、元同部管理課長):減給20%4ヶ月 (9)日下部元雄国際復興開発銀行顧問(元金融検査部管理課長):減給20%1ヶ月 関連項目: 世銀とIMF 1998年4月28日 大蔵省接待汚職で112人を処分した。主な処分者は、次のとおり。 【停職】4ヶ月 (1)杉井孝 (銀行局担当審議官) 辞表を提出し、受理された。 関連項目: 接待王 【減給】20%・6ヶ月 (2)長野あつし (証券局長) 辞表を提出し、受理された。 関連項目: 接待追及 (3)墳崎敏之 (近畿財務局長) 関連項目: 【遂に】在日韓国人系信用組合「関西興銀」【破綻】 【減給】20%・4ヶ月 (4)滝本豊水 (証券取引等監視委員会事務局総務検査課長) 関連項目: 保険法改正接待疑惑 【減給】20%・2ヶ月 (5)窪野鎮治 (銀行局担当参事官) (6)中井省 (銀行局担当審議官)1968年東大法学部卒 (7)中村明雄 (主計局主計官) 1978年東大法学部卒、証券局当時JT株割り当てに関して職務権限を持っていた。(別冊 宝島「大蔵官僚の暴落」118ページより) (8)福田誠 (銀行局保険部長) (9)道盛大志郎 (金融監督庁設立準備室主任室員) 【減給】20%・1ヶ月 (10)崎山正夫 (金融監督庁設立準備室上席室員) (11)花岡裕之 (中国財務局理財部管理審査課長) (12)幅崎秀一 (北海道財務局理財部金融第二課調査官) (13)村木利雄 (札幌国税局長) (14)吉村幸雄 (国際通貨基金理事) 関連項目: 外資日本進出 世銀とIMF 【減給10%・1ヶ月】 (15)石井学 (金融検査部金融証券局長) (16)河村健三 (金融検査部上席金融証券検査官) (17)田上律児 (金融検査部金融証券検査官) (18)山口公生 (銀行局長) 1967年東大法学部卒 【戒告】 (19)勝栄二郎 (主計局主計官) 1975年東大法学部卒、主計局主計官 建設、公共事業担当 (20)河上信彦 (関東財務局東京証券取引所監理官) (21)楠寿晴 (近畿財務局金融安定監理官) (22)榊原英資 (財務官) (23)竹田正樹 (大阪国税局総務部長) (24)椿原伸生 (金融検査部審査課課長補佐) (25)西川聡 (国税庁国税審議官) (26)西村善嗣 (証券局証券業務課投資管理室長) (27)藤田利彦 (理財局総務課調査室長) (28)松尾良彦 (大阪税関長) (29)森信親 (米州開発銀行財務局次長) 関連項目: 日本政府という会社があるらしい (30)山本晃 (証券局担当審議官) 1969年東大法学部卒、 証券局業務課長、東北財務局長、東京証券取引所監理官を経て、現職。 (31)岩下正 (在アメリカ合衆国日本国大使館公使) 関連項目: ローンスター (32)神崎康史 (OECD日本政府代表部一等書記官) 【官房付きなどに更迭】 (1)墳崎敏之 (近畿財務局長) (2)滝本豊水 (証券取引等監視委員会事務局総務検査課長) (3)道盛大志郎 (金融監督庁設立準備室主任室員) (4)村木利雄 (札幌国税局長) (5)森博彰 (福岡財務支局理財部長) http //megalodon.jp/2013-0630-2104-08/members.tripod.com/atsushi_hisano/oukura2.htm http //www.rondan.co.jp/html/news/roran/ http //megalodon.jp/2013-0630-2118-33/www.rondan.co.jp/html/news/roran/ http //megalodon.jp/2013-0803-1651-43/www.rondan.co.jp/html/news/roran/ 金沢市のパチンコ景品交換業者の課税処分を巡り、国税当局への対応を依頼された業者から巨額の報酬を受け取りながら、一部しか申告しなかったとして、 東京国税局OBの村山文彦(69)、市岡冨士雄(68)両税理士が同国税局から計約8500万円の申告漏れを指摘されたことがわかった。 両税理士は当初、「報酬ではなく、預かり金だ」と主張する一方で、業者側の返還要求には応じておらず、税理士倫理の面でも問題になりそうだ。所得税は業者が源泉徴収して納めなければならないため、両税理士の追徴税額は過少申告加算税を含めて数百万円になる見通しだ。両税理士は修正申告に応じたという。 複数の関係者によると、村山、市岡両税理士は2005~06年、 元大蔵省銀行局審議官の杉井孝弁護士(61)や他の税理士ら計6人と 「杉井プロジェクト」と名付けたグループを結成。 金沢国税局から巨額の所得隠しを指摘され、重加算税を含めて約38億円を追徴課税されたパチンコ景品交換業者(死去)の異議申し立て手続きにあたった。 業者からグループには、06年3月に着手金5000万円、10月に報酬の中間金として2億5000万円が支払われた。いずれも両税理士が窓口となって受け取り、杉井弁護士らに分配。うち両税理士はそれぞれ7000万円強、杉井弁護士は約6500万円を受け取った。しかし、異議申し立てでは、グループに支払ったのとほぼ同額の3億円しか減額されず、「不当に高い報酬を支払わされた」とする業者側と対立していた。 読売新聞が今年1月、異例の高額報酬を報じたことを受け、東京国税局は税務調査を開始。杉井弁護士と他の税理士らは受け取った報酬を06年分の収入として申告していたが、村山、市岡両税理士は約3000万円ずつしか申告していなかったことが判明した。 両税理士は、調査に「残りは業者との間で精算が済んでいない預かり金で、収入ではない」と主張したが、同国税局では、異議申し立て手続きの業務が07年には終了し、業者側にも報酬として支払った意図があったと判断。それぞれが受け取った金額から申告分を差し引いた計8500万円を06、07両年分の収入として申告すべきと指摘したという http //blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/26270018.html 第一勧業銀行利益供与事件における大蔵省の検査の甘さが総会屋への焦げ付き融資拡大になった問題が浮上したことがきっかけで、東京地検特捜部は捜査を開始(総会屋利益供与事件)。特捜部は過去の強制捜査や任意提出で都市銀行、長期信用銀行、大手証券会社などから業務日誌や接待伝票を把握した。 1998年1月18日、東京地検は日本道路公団の外債発行幹事証券会社の選定に際し野村證券から贈賄があったとして、公団経理担当理事(大蔵省OB)と、野村証券の元副社長らを贈収賄容疑で逮捕。 1月26日、東京地検はあさひ銀行・第一勧業銀行・三和銀行・北海道拓殖銀行から収賄を受け検査日程を漏らしていたとして、大蔵省検査官を2名を逮捕。 3月5日、東京地検は大蔵官僚2名を野村証券への便宜供与と収賄にて逮捕。 3月11日、東京地検は日本興業銀行・三和銀行から収賄を受け機密情報を流出させたとして、日銀証券課長を逮捕。 4月27日、大蔵省は民間金融機関に関する内部調査の結果を公表し、銀行局審議官の杉井孝を停職、証券局長の長野庬士らを減給とする等、計112人(停職1人・減給17人・戒告14人、訓告22人、文書厳重注意33人、口頭厳重注意25人)に対する処分を行った。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%9C%81%E6%8E%A5%E5%BE%85%E6%B1%9A%E8%81%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6 逮捕 日本道路公団 経理担当理事(大蔵省OB) 関連項目: 井坂研究 大蔵省 証券局総務課 課長補佐 榊原隆 大蔵省 証券取引等監視委員会 上席証券取引検査官 宮野敏男 大蔵省 金融検査部金融証券検査官 室長 大蔵省 金融検査部管理課 課長補佐 日本銀行 営業局証券課長 自殺 大蔵省 銀行局 金融取引管理官 日本銀行理事 鴨志田孝之 (1998年5月2日) 第一勧業銀行元頭取(元会長) 宮崎邦次 関連項目: 総会屋利益供与事件 野村証券利益供与事件 辞任 大蔵大臣 三塚博 日銀総裁 松下康雄 大蔵省 事務次官 小村武 大蔵省 銀行局局長 大蔵省 銀行局担当審議官 杉井孝 大蔵省 銀行局保険第一課 課長補佐 大蔵省 証券局長 長野庬士 大蔵省 財政金融研究所 所長 中島義雄 他多数 関連項目: 大蔵同友会 霞桜会 利益供与事件での自殺者 宮崎 邦次 元第一勧業銀行 会長 1997年6月29日 東京の自宅 首吊り自殺 大月 洋一 大蔵省銀行局 金融取引管理官 1998年1月28日 東京の官舎 首吊り自殺 吉田 一雄 道路施設サービス 社長 1998年1月30日 首吊り自殺 新井 将敬 衆議院議員 1998年2月19日 東京・品川のホテル 首吊り自殺 杉山 吉男 大蔵省銀行局中小金融課 課長補佐 1998年3月12~14日 自宅 首吊り自殺 鴨志田 孝之 日本銀行 理事 1998年5月1日 東京・板橋の分譲団地(実家) 首吊り自殺 前略 今をときめく大蔵省高級官僚の接待行政に関して情報を提供いたします。 近畿財務局長・墳崎敏之と信用組合 関西興銀 理事長・李 勝載との関係です。 関西興銀といえば、1993年、神戸、滋賀、奈良、和歌山の 4商銀を合併して普通銀行への転換を図ったことはご記憶にあろうかと思います。 その時の近畿財務局長が 長野 厖士 でした。長野 厖士 に対する接待攻勢も凄いものがありました。 今、西日本の韓国系信用組合の統合を図って生き延びようとする在日僑胞の敵、李一族の墳崎に対する接待も、目を見張るものがありました。 接待の場所は、大阪・ミナミの「大和屋」、北新地のクラブ「有馬」、祇園の「富美代」、先斗町の「初の家」、それと一族が経営するゴルフ場「コマ・カントリー」です。 週に一、二回は必ずと言っていいほどの頻度だったようです。お調べ下さい。十万円単位の「お車代」や「お土産」は当たり前。なんと墳崎の方から要求していたとのことです。 ものはついで。「李 勝載 の独白」と題した文章があります。ご一読下さい。 李 勝載は昨年末に 韓信協副会長を解任されたといってますが、先月(1月)19日、韓信協総会で表面化しました。関西興銀理事長の肩書も「休職」となったようです。これらも、簡単に確認できるのではありませんか。 「有志」の名前で一文を差し上げましたが、意のあるところを汲んでいただき、単なる怪文書として御見捨てなさらぬようお願いします。 1998年 2月 有志より http //www.rondan.co.jp/html/news/kanryo/kogin.html 李 勝載 独白 ~~関西興銀 理事長が語る 関西興銀は 1997年 11月末に死にかけました。11月26日 午前9時、全店長を集め、「28日はやっていけない。韓国系信組から 80億円が流出してしまう。もうダメだ。」と告げました。だが、今はラクになってます。次の危機は5月。それまでの資金手当は、読めてます。 12月2日、近畿財務局長に呼び出されました。 これで関西興銀もおわりやなと思いました。正午の呼び出しでしたが、午後1時に変更してもらい、思いっきり寿司を食べてから行きました。 「親父(李 煕健)も早よ死んでたら、ええ葬式できたのに。 なまじ長生きして、老害を振りまいて、関西興銀が倒れてしもて、81歳の男が(特別背任などの罪で)逮捕される。 なんで1年前に死なへんなんだんや」とつくづく思いました。 近畿財務局長の 墳崎 敏之 は、私、李 勝載 とは駿河台高等予備校の同級生。大学も東京大学で一緒でした。いわば、親友の関係です。 その墳崎が 「11月28日、金曜日、この月末をもって、大阪商銀、京都商銀がデフォルトに入った。 追加資金は無条件で、大蔵の要請を受け、日銀特融を付ける。ついてはこの2つを引き受けてはくれないか」 と切り出しました。 僕は、すかさず「ノー」と答えました。何故だと食い下がる墳崎に対して 「大阪商銀で 1,400億円、京都商銀で 300億~500億円とした回収不能額の計算は甘い。大阪商銀は貸出額 2,300億円のうち 2,000億円、京都は 1,200億円のうち 990億円。これが真相でっしゃろ。 京都商銀については、5年前からの預金流出状況を知ってる」 と言うたりました。 翌週、また墳崎に呼び出されました。2度目ですわ。 墳崎は 「2つの信組の不良債権額は、お前のいうとうりやろ。 だが、大蔵発表の検査結果を信用してくれ。 俺とお前は親友同士。 お前とこ、関西興銀は潰さない。 で、合併の発表から実際に合併するまでは 全信組連からの融資を付ける。合併後は日銀融資に変えてやる。これでどうだ」といいよりました。 僕は、 「融資なら要らない。預金にしてくれるなら OK だ。考えてもみてくれ、預貸率逆転しとって、2,000億円も借り入れしている銀行を誰が信用しまっか。発表した翌日、関西興銀は倒れてしまいまんがな」 と言うてやった。 それでまた、物別れになりました。 3度目に会うたんは、その3日後でしたか。 墳崎は「預金にしてやる」と言いました。 ここまでの交渉については、親父も「ようやった」と褒めてくれよりました。「何があいつら東大出や。お前かて東大出やないか」 と喜んどりました。ところが、ここで、僕が欲を出したんですわ。 大阪商銀の 1,400百億円、京都商銀の 500億円、これを検査し直したら、少なく見積もっても 2,500億円になる。そこに、10年間面倒みてやるという 2,000億円。併せて 4,000億円もあったら、という計算で、「福岡商銀、山口商銀も面倒見ます」と言いました。 墳崎は「お前、いつから気狂うて欲張りになったんや。大蔵の足元見るんか」と言い出した。 怒って親父に電話して「お前とこの息子、エエ加減にさせい。友情を逆手にとって、欲張りやがって」と告げ口しよったんですわ。 それで親父が、僕を気違い扱いしだした。 親父は 「12月20日の土曜日の深夜、大蔵省が記者会見して、京都、大阪、福岡、山口、埼玉、北海、静岡、三重、島根、佐賀商銀の破綻処理について同時発表するやろう。大阪、京都商銀の内容を発表されたら、関西興銀も潰れてしまう」と怒りました。 僕は、 「分かってまんがな。そやけど、ここが頑張りどころと違いまっか。近畿だけ救うて、福岡や山口を潰させていいんですか。全部を掏いとるか取りこぼすか、勝負所でっしゃろ」 と言いました。 親父は「お前気違いや」というばかりですわ。 そこで、僕はキンスマン副会長に「僕が動く」と言うて、病気の振りをして西に行ったんです。12月12日、賢島CC でやった(関西興銀の)部店長コンペの会場から、鈍行で福岡に行った。 福岡、佐賀、三重、長崎、大分、熊本、山口商銀の理事長に、1時間ずつ間をあけて会いました。 その場で、「自主再建を断念します。関西興銀に事業譲渡されることを切望します」とあらかじめ用意した文書を示し、各県の知事と西日本安定管理官宛に出せるよう判子を押させたんです。皆が同意してくれたのに、福岡のオジンがゴネて、8人で7時間半かけて説得しました。その福岡にも最終的に判子を押させ、そこで初めて、「対等合併、出資金安全」の条件を示したんです。 しかし、対等合併でやれるはずがない福岡商銀については「事業譲渡」と書いておいたんです。それを見た福岡が、「これでは判子押せん」と言い出し、結局流れてしまいました。 やってみる価値、言うてみる価値のあることをやろと思いましてん。大蔵省に対して「西日本は全部出来てます。まとまってます」ということを示して、流れを変えることできんか、と思たんですわ。親父は「出すぎたことを。追放や」と、またまた怒りよりました。 福岡から帰った 12月15日、大阪商銀理事長の大林さんに会うため、新幹線の京都駅にいたら、松田(関西興銀副理事長、李 正林)と 吉本(同専務理事、朴 忠弘)と山村に捕まりました。吉本は「お前、会長の息子や思うから遠慮してたが、もう許さん」と、駅の喫茶店で、午後2時から6時まで 4時間にわたってボコボコにどつかれたんです。僕についていた秘書室長の木山が3人をどつき倒し、店の人が 110番しました。ピコピコとサイレンが鳴りだしたとき、僕は悔しさで心臓発作を起こしてしまいました。病院に運び込まれて、一時停止していた心臓が動き出して助かったけど、そこから4日間、注射をうたれて、寝かされてしもたんですわ。 12月20日は、本当にXデーやったんです。 大蔵省は日本国中の信組、韓国系だけやなく、全部の信用組合を一斉に業務停止にしようと図ってたんです。 ところが、現実にはそうならなかった。自民党が「潰す方が生かすより十倍の費用がかかる。大蔵案は机上の空論」と反対したからです。 どうやら、橋本首相は三塚の力で、金融機関を潰さない方向に変わりよったんです。 その直前、元大蔵次官を2年やった大物政治家と話したんです。彼は、 「流れが変わったんだ。本当は、大蔵は、不良金融機関を潰して、いい所にぶっつけて、公的資金をつぎ込む積もりだった。ところが、大阪府が『そんなに倒されたら、やっていけない』と泣きついた。国が出す金の半分か 3分の1は府県負担。大阪には潰れる信組が6つもある。どこよりも多い。全部潰されたら、ノックは府議会を乗り切れない、ということですよ」 と話した。 その人は、個人的に私を指導してくれる方だが、「いい流れではない」と苦慮しておられた。 そんなことがあって、僕は 12月25日、韓信協の副会長を解任されました。仕方がないから、僕自身が、自分で解任願を書いたんです。 僕は今、さすらいの身です。女房と2人で、伊勢や白浜や山中温泉やとか、関西興銀の保養所を5日間ずつ、転々としてます。 それでもね、僕は親父とは通じているつもりです。いまでも親父は、5日ごとに 50万円とか、送ってきてくれます。逃避先から僕が送った不老長寿の水を「おいしい」というて飲んでくれてるそうです。僕が親父に対して頭に来たんは、山口商銀の保証のことだけなんやから。それが、親子というもんやと思てます。 山口商銀への保証とは、「山口商銀が全信組連から借り入れた分と、山口商銀の経営問題の、あらゆる損害を一切保証致します」という内容です。 そこに、「韓信協(在日韓国人信用組合協会)会長 李 煕健」の印鑑をついているんです。 ウチの息子3人は「韓信協に法人格はないで。金もないで。李 煕健、個人の責任やとなれば、ウチの家がやられてしまうで」と心配していたんですわ。 幸い、パチンコ、ボーリングは兄弟3人名義。韓国の新韓銀行の株も僕の名義になってるから大丈夫やとしても、大和、新韓、興銀に併せて 40数億円の預金がありますねん。これをやられてしもたら、どもなりません。 山口商銀は毎日 何億円単位で預金がジャジャ漏れですがな。不良債権がボコボコになってしもてる。僕ら兄弟は、個人の 李 煕健 ではなく、韓信協の会長の責任や、と逃げまっせ。関西興銀が逃げ切ったところで、大蔵省や全信組連が「そしたら、やはり韓信協さんの責任じゃあーりませんか」と言い出したら、東京商銀と大阪商銀が受けるしかないでしょう。 こんなばかげたことを、僕が解任した次の日にやってしまいよったんです。さらには「息子は追放した。理事長がおらんようになったからには、松田、吉本、お前ら頑張ってくれ」と言うたようです。こいつらも、親父が保証するのん、横で見とったんですよ。こいつら、親父の金玉を掴んどるんですわ。人に見せられない融資、ヤクザ関係の 何々組や 元何々組に 6億円とか 5億円とかちゅう融資をね。僕の仕返しが怖いから、親父にすがりついとるんですけど。 その松田が僕のおらん間に、本部担当の山村や木山ら 20人ほどに、1ヶ月の自宅謹慎を命じよったんです。山村らは、僕の命令やと思いこんでいたようです。 1月4日に初めて気付いて、そこから反撃開始です。9日迄に全部の事情が分かりました。1月13日、「松田、吉本をやっつける会」やということで、会長以外の全役員に召集かけました。僕が 5階、松田らは 6階に籠もりよった。最終的には 10対2。10人がウチに来ました。2人を除いての全員会議を持ちました。 「クーデターを図った松田、吉本の粛清をやってしまわないかん」と。 そこで考えたのが次の案です。1回では実らんかもしれません。僕の方が負けてしまうかも分かりません。そやけど、1ヶ月後、3ヶ月後と何遍でも挑んでみます。僕ら、あのクリントンと同い年でっせ。80歳も越えたような人は、棚の上にあがって貰わなあかんのです。 http //megalodon.jp/2013-0630-2259-51/www.rondan.co.jp/html/news/kanryo/kogin.html 関連項目 新韓銀行借名口座問題 【遂に】在日韓国人系信用組合「関西興銀」【破綻】 第120回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号 ○竹村泰子君 次に、那覇軍港の返還問題 についてでありますけれども、この施設は一九七四年の安保協で移設を条件として全面返還が合意されておりますが、いまだに返還されておりません。那覇軍港は都市開発上非常に重要な場所にあり、沖縄の産業振興を図る上からも大きな障害となっております。しかしながら、安保協での合意から既に十七年を経過した現在において、沖縄の土地利用状況にかんがみれば、ほかの地域にこれだけ広大な港の適地を求めるのは不可能ではないか、私はそう思います。したがって、移設を条件とすることはほとんど返還はあり得ないに等しいのではないかと思うのです。十七年前の合意を見直して、移設条件なしの全面返還に向けて外務省と防衛施設庁は米側と協議にとりかかるべきだと思いますが、いかがでしょうか。 ○政府委員(川島裕君) お答え申し上げます。 日米安保条約に基づきます米軍の駐留は、我が国の安全とそれから極東における国際の平和と安全の維持に寄与しておりまして、沖縄における米軍施設、区域の円滑な使用を確保することは、こうした安保条約の目的達成のために非常に重要だと考えておるわけでございます。ただ他方、沖縄におきまして米軍施設、区域の密度が高く、その整理統合について強い要望があることも十分承知しております。したがいまして、施設、区域の整理統合につきましては、従来同様引き続き米側と粘り強く調整していく所存でございます。 そこでお尋ねの那覇港湾施設でございますけれども、昭和四十九年一月の安全保障協議委員会で全部移設条件つきということで返還が了承されたわけでございます。そこで以来日米間で検討を進めておりましたけれども、なかなか移設先の見込みが立たないということが御指摘のとおり問題でございます。 ただ、移設先がないまま撤去できるのかということになりますと、これは何と申しましても、那覇港湾施設は沖縄に駐留しております米軍の補給物資の積みおろし等、補給のために不可欠な港湾施設となっておりますので、それにかわるものがないままこれを撤去ということで進めるということはちょっと難しいというふうに考えております。 ○竹村泰子君 今のお答えでは全然満足できませんけれども、今すぐずばりと答えを出せといってもこれは無理でしょうから、また引き続き追及していこうと思います。 米軍用地の強制使用代行問題なんですけれども、来年五月に期限切れとなります米軍用地使用契約の未契約地主に対して、国による強制使用の手続が進められております。現在、使用裁決申請書の公告、縦覧を知事が代行するか否かが焦点となっているわけですね。これは基本的には知事がお決めになることでありますけれども、仮に知事が代行拒否という判断を下された場合に、国としては今後どのような対応をおとりになるのでしょうか。特に、代執行手続を簡略化する地方自治法の改正がつい先日成立いたしました現在の段階におきまして、この地方自治法に基づく手続をおとりになるのかどうかお答え願います。 説明員(中田唯之君) 御説明いたします。 防衛施設庁といたしましては、県知事による裁決申請書の縦覧等の代行は法律に定められました手続でありまして、速やかにこれを実施していただくよう沖縄県知事の御理解をお願いしているところでございまして、知事がこれを拒否された場合のことについては考えておりません。 まとめ(オリンパスショック) オリンパス 売上-連結9,808億 従業員数-連結36,503人 2007年 ジャイラス(英医療機器メーカー)売上500億円 ↑2,000億円で買収 その際「AXES」と「AXAM」という英ケイマン諸島の2社にアドバイザリー報酬として700億円支払う 「AXAM」は3ヶ月後に消滅(登記抹消) 2008年 アルティス(資源リサイクル)売上2億 ヒューマラボ(化粧品・健康食品販売)売上9億円 ニューズシェフ(電子レンジ調理容器製造)売上6億円 (3社とも同一住所) ↑計734億円で買収 井坂公認会計事務所(井坂公認会計士)が第三者機関として買収額を公正と判断 2011年 4月 マイケル・ウッドフォード、グループ会社社長がオリンパス社長に就任 7月 社長、雑誌月刊FACTAの告発記事を見て初めて上記2つの事実を知り、不振に思い独自にPwC(4大監査)に調査を依頼する 10月 多くの問題点が報告されたため社長は菊川会長及び副社長に書簡で引責辞任を促すもその三日後解任される 10月14日の社長解任で数々の問題が明るみになり14日→21日で株価は2482円→1200円台に マイケル・ウッドフォード元社長「身の安全に不安を感じる、警察に保護を求める」 ブルームバーク「エンロンとワールドコム超えた」 匿名 さんのコメント http //tokumei10.blogspot.jp/2011/10/blog-post_7791.html ICF (Orben) ? 2001年12月 翼システム、オーベン(旧:アイ・シー・エフ)の筆頭株主となる 2002年04月 小野高志氏がオーベン社長に就任 2003年10月 佐藤克氏がオーベン社長に就任 2004年01月 翼システム、梁山泊グループのビタミン愛に保有株の大半を売却 2005年06月 元公安調査庁長官の緒方重威氏がオーベン監査役に就任 2006年01月 オリンパス傘下のITXが翼システムのパッケージソフトウェア事業を買収 2006年08月 大蔵省(現:金融庁)証券取引等監視委員会総括調整官、ソフトバンク常務を歴任した江口隆氏がオーベン社長に就任 2007年06月 緒方重威氏、朝鮮総連ビル詐欺事件で逮捕される 2008年02月 梁山泊グループによる株価操縦事件で佐藤克オーベン元社長、梁山泊グループの豊臣春国代表、 小野高志オーベン元社長、元港陽監査法人所属の田中慎一逮捕 佐川肇と濱田雅行が繋がったら後は崇仁協議会やオウム真理教や後藤組や朝鮮総連や北朝鮮関係の闇へまっしぐらw 2011年10月25日 1 34 http //megalodon.jp/2013-0804-0022-07/tokumei10.blogspot.jp/2011/10/blog-post_7791.html 朝鮮総連と結託している売国奴達 http //tokumei10.blogspot.jp/2011/08/blog-post_25.html http //megalodon.jp/2013-0805-1551-50/tokumei10.blogspot.jp/2011/08/blog-post_25.html http //tokumei10.blogspot.jp/2012/01/blog-post_06.html http //megalodon.jp/2013-0805-1554-41/tokumei10.blogspot.jp/2012/01/blog-post_06.html http //tokumei10.blogspot.jp/2009/08/blog-post_12.html http //megalodon.jp/2013-0805-1555-38/tokumei10.blogspot.jp/2009/08/blog-post_12.html 損失穴埋め目的で買収した情報通信事業会社ITX 破滅は自明の理だった!? オリンパスが“負の遺産”を売却 オリンパスは、携帯電話販売など情報通信事業の子会社、ITX(東京・港)を530億円で投資ファンドの日本産業パートナーズ(東京・千代田)に、9月28日付で売却する。 ITXは、携帯電話の販売代理店を全国に500店運営し、業界では第3位。スマートフォン(高機能携帯電話)の販売が好調で、12年3月期の売上高は2294億円、最終損益は33億円の黒字だった。売上高はオリンパスグループの4分の1を占めるが、旧経営陣が巨額の損失隠しの発覚を防ぐためにITXを利用していたこともあって、売却することでけじめをつける。 ITXは日商岩井(現双日)の情報通信部門が前身で、オリンパス光学(現オリンパス)が2000年3月、50億円を出資した。名目は新規事業の開拓。旧経営陣の菊川剛・元社長、山田秀雄・元監査役、森久志・元副社長(いずれも金融商品取引法違反で起訴)らは、 98年当時、財テク失敗による損失が1000億円弱に上ったため、海外ファンドなどへ損失の飛ばしを開始していた。 そこで、ITXの上場によるキャピタルゲインを損失の穴埋めに使うことを計画。250億円を投じて連結子会社にした。 巨額損失の穴埋め策を指南したのは、野村證券の事業法人部門でM Aを手掛け、新宿支店長をやった経営コンサルタント会社・グローバル・カンパニー(GC)の横尾宣政代表(詐欺罪で起訴)。 オリンパスがITXへの出資を本格化させた頃のITXの社長は横尾昭信氏。GCの横尾氏と兄弟だった。 01年6月には、菊川剛氏がオリンパスの社長に就任。一方ITXは、同年12月にナスダック・ジャパン(現ジャスダック)に上場した。だが、ITバブルはすでに崩壊し、株価は低迷。評価損が発生し損失の穴埋めどころか、損失はむしろ拡大した。このためオリンパスはITXの上場によって得られるつもりでいた利益を損失穴埋めに充てることを断念した。 オリンパスがファンドに飛ばした損失は03年時点で最大1177億円に拡大していた。 06~08年にかけて国内外合計4社の買収や買収に伴う成功報酬の名目で1348億円を捻出し、これを損失の穴埋め資金とした。 ITXは当初、ベンチャーキャピタルのような投資事業で収益をあげることを計画した。この間、「不可解な買収」といわれ株式市場を賑わしたことがある。06年1月のことだ。翼システムのパッケージソフト事業を172億5000万円で買収した件である。同事業の受け皿としてITX翼ネットを設立。早期に株式上場を目指して、買収後、商号をブロード・リーフに変更した。 翼システムは自動車の整備・板金・塗装業者向けのパッケージソフトを開発していた。そのノウハウを生かした「カーコンビニ倶楽部」を立ち上げ、全国展開に乗り出した。歌手・美川憲一の「突っつくわよ」のテレビコマーシャルで話題となった自動車板金補修の全国チェーンである。 ベンチャーがらみの事件が起こる度に、翼システムの名前が取り沙汰されるようになった。 http //megalodon.jp/2013-0805-1538-25/biz-journal.jp/2012/08/post_611.html 翼システムは01年、裏口上場の狙いで東証マザーズ上場(上場したのは00年10月)のネット関連会社、アイ・シー・エフ(ICF)を買収した。 ICFには重田康光社長の光通信、藤田晋社長のサイバーエージェントなどが出資していた。 仲介したのは、あの村上ファンドの村上世彰氏である。 翼システムは上場会社を子会社に組み入れて経営権を握ったが、翼システム自身が資金繰りに窮したため、ICFを売却しなければならなくなった。 翼システムが04年、ICFを売却した先が、パチンコ、パチスロの攻略法の情報提供サービスを行っていた梁山泊グループ。 同グループの実質的な経営者は、指定暴力団山口組の幹部だったといわれる人物だ。株価操作でICF株を高騰させ、高値で売り抜け、多額の利益を得たとされる。この人物は別の株価操縦事件で逮捕されている。 ITXが、このようないわくつきの会社の翼システムの一部門を買収したことに関して、さまざまな見方がされた。翼システムから買収したブロード・リーフは09年10月、米投資会社カーライル・グループに譲渡され、ITXから完全に切り離された。 ITXは11年3月、オリンパスの完全子会社になったことに伴い上場廃止になった。オリンパスは一連の事件を受け、内視鏡など医療事業、デジカメなど映像事業、顕微鏡などライフ・産業事業の3つに経営資源を集中する方針を打ち出した。だから、携帯電話販売など非中核事業を担うITXの売却先を探していた。 もともと損失穴埋めのためのハコとして買収したITX。今回の譲渡で旧経営陣の負の遺産の処理に、ようやくケリをつけたことになる。 http //biz-journal.jp/2012/08/post_611_2.html http //megalodon.jp/2013-0805-1540-10/biz-journal.jp/2012/08/post_611_2.html 関連項目: 芋づる式か?
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韓国のハルモニや人々の心に届けたい 12月14日、ソウル日本大使館前での1000回目の集会デモに合わせ、日本各地と世界各地で連帯行動が行われた。北九州でも小倉駅南口であり、初めて参加した。(写真) 行動を終えて・小倉駅南出口 音楽が流れ、訴えが拡がる この行動には全国の様々な人権団体が賛同していることが分かる。http //restoringhonor1000.info/contents02.html 北九州では行動する会の代表の挨拶に続き、被害を受け犠牲となった韓国のハルモニたちを思い笛が演奏され、そしてフォークソングが流れ、フリーの意見発表等が行われる一方、ハルモニの写真、絵等が通行する人々の耳目を引いた。チラシ配布も行ったが、まあまあの手ごたえだった。天気は青空で行動参加者たちはこの問題の解決を求める行動の意義を実感した。 この問題についてはよく言われるのは「日韓条約で解決済み」というものだ。しかしその条約、「日韓請求権並びに経済協力協定」http //www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR には条約の解釈及び実施に関する両締約国の紛争が起きれば外交の経路でそれで解決をみなければ仲裁によって解決する、という規定があることはほとんど知らされていない。これはネットのウィキペディアにも全く書かれていない。あるのは「完全かつ最終的に解決済みである」だけだ。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84 だから日本国民の多くは「すでに解決済」であると考える。 これはある意味で国民に真実を隠蔽していることになる。 あたかも原発の安全神話と同じだ。真実を伝えない。 日本がかつて朝鮮を侵略して植民地にしてどのようなことをして来たのかもまとも歴史教育では教えて来なかった。 むしろ遅れた朝鮮を近代化してやったとでもいうような歴史教育を国民に押し付けてきた。だからこの国のほとんどの国民は東学農民革命(1894年)が日清戦争のきっかけとなったことを知らない。http //homepage2.nifty.com/osakaaala/sab6worldby4asia3kankokokutabi.htm 日本軍が東学農民軍をどれだけ殺戮したのか。そして明成皇后暗殺事件(1895年)を引き起こし、大韓帝国の大臣を脅迫していわゆる“保護条約(1905年)”を締結し、統監府を置き外交権を奪い内政までも干渉し、初代統監に伊藤博文が就任し、日本人を大韓帝国の要職につけて実権を握った。この結果大韓帝国が推進していた改革政策は水泡に帰し、国の主権を傷つけた。 その後1907年以後、大韓帝国の軍隊を解散させ、警察権、司法権を奪った。 このような状況で国権回復のための抗日闘争が火のように燃え上がった。 日本は、このような抗日闘争を武力で弾圧し、大韓帝国の大臣を懐柔、脅迫して1910年に“併合条約”を締結。日本は大韓帝国を占領後、その領域を朝鮮と呼び、漢陽を京城に改称した。また朝鮮総督府を設置して本格的な植民地支配に乗り出した。 (以上『若者に伝えたい韓国の歴史』明石書店p80~92抜粋〜この本は日韓のカトリック司教が共同して制作した本)http //www.akashi.co.jp/book/b64997.html そのようにして侵略された朝鮮の人々は大日本帝国のためにどれほど苦しめられたのか、カイロ宣言にあるとおりである。http //www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/002_46/002_46tx.html そのような侵略、支配を強いてきた韓国・朝鮮に対して戦後、日本はどれほどの反省があったろうか。今もまた日本軍「慰安婦」問題に対して、日本政府は韓国側にその問題は「日韓条約で完全かつ最終的に解決済み」と言うのだろうか。 しかし、国連の人権機関による日本への勧告はじめ、韓国、台湾、フィリピン、米国、EU、カナダ、オランダ等々の議会が日本政府に公式謝罪と賠償を求める議決を出している。 「慰安婦」にされたのは韓国・朝鮮人だけではない。中国人、フィリピン人、オランダ人等々、日本が戦闘を行った場所の女性たちが性奴隷とされたことが明らかにされている。 再び戦争があってはならない。戦争があれば、男たちは殺し合いの戦場へ引き立てられ、女たちは「慰安婦」という地獄の運命を強いられる。拒否すればおぞましい暴力が待っている。 そのような日本軍の戦争の犠牲とされた「慰安婦」の人々を、売春婦だといって、謝る必要などないという心ない人々がいる。 15歳位の少女がお金のために軍人に身を売る、というよりも1日に数十人を相手にしてレイプされる、そんな仕事に誰が就くというのか。 ほとんどの人々が良い仕事があると騙され、監禁、暴行されて行ったのだ。 逃げ出すことはリンチ、あるいは死を意味していたろう。 この問題は今、韓国の知識人はもとより広く韓国の人々の中で共有され、日本国と日本人に問いかけられている。また世界中が注目している。 日本国と日本人が真に韓国・朝鮮、アジア太平洋の国々の人々と信頼関係を結ぶためには、このような非人道的な問題を、「日韓条約で完全、かつ最終的に解決済み」として良いのだろうか。 日韓条約とはいったいいかなる会談の状況であったのか、慰安婦問題は論議されていたのか。その情報公開を巡っては韓国政府は全面公開したが、日本政府は文書非公開の姿勢である。http //www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/ このような日本軍の性奴隷制は当時のILO条約にも違反しているといわれている。 またドイツは戦争犯罪には時効を設けていない。そのようにしてドイツは自らの侵略戦争への反省を実行している。 「日韓条約ですべて完全かつ最終的に解決ずみ」なのか。 「日韓請求権並びに経済協力協定」第3条はどうなるのか。 明日、李明博大統領が来日するが、この問題が提起されるだろう。何しろ韓国憲法裁判所は韓国政府にこの問題の解決を迫っているのだ。 日本大使館前に「平和像」http //www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20111214-876557.html なお日本軍「慰安婦」問題についてはここに詳しくまとめられている。http //www.geocities.jp/ianfu99/index.html 2011.12.15 NO.61 鍬野保雄