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注意点 エミュ鯖固有仕様 PTで総督府クエストをクリアしても、褒章をもらえるのは一人のみ。 貰ってクリア(モモカ、ノルに話しかける)と二度ともらえないが 貰ってログアウト(外に出るポーターが無いから、FOしかない)すれば何度でも貰える これを利用して、Hit50のダブセやHit30のマフの量産も可能。 難易度 クエスト HU RA FO Normal 1-3 ソード+5 ライフル+5 レスタLv3 Normal 2-4 ブレイド+10 マシンガン+9 シフタLv4orジェルンLv4(選択) Normal 3-3 スライサー+15 ショット+15 デバンドLv5orザルアLv5(選択) Normal 5-5 パラッシュ+10 パラッシュ+10 フォイエLv8 Normal 6-5 レールガン+15 レールガン+15 バータLv10 Normal 7-5 バルディス+20 バルディス+20 ゾンデLv12 Hard 1-3 ブレイカー+5 ブラスター+5 レスタLv8 Hard 2-4 エッジ+10 リピーター+9 シフタLv9orジェルンLv9(選択) Hard 3-3 カッター+15 キャノン+15 デバンドLv10orザルアLv10(選択) Hard 5-5 グラディウス+10 グラディウス+10 ギフォイエLv12 Hard 6-5 レイガン+15 レイガン+15 ギバータLv14 Hard 7-5 グングニル+10 グングニル+10 ギゾンデLv16 VeryHard 1-3 キャリバー+5 レーザー+5 レスタLv13 VeryHard 2-4 リッパー+10 バルカン+9 シフタLv14orジェルンLv14(選択) VeryHard 3-3 ディスカ+10 アームズ+10 デバンドLv15orザルアLv15(選択) VeryHard 5-5 デュランダル+10 デュランダル+10 ラフォイエLv16 VeryHard 6-5 ブレイバス+15 ブレイバス+15 ラバータLv18 VeryHard 7-5 ムサシ+20 フォトンランチャー+9 ラゾンデLv20 Ultimate 1-3 ドラゴンスレイヤー+5/A25,H25 ジャスティ-23ST+5/A25,H25 レスタLv23 Ultimate 2-4 クロススケア+10/M25,H25 L&K14 コンバット+9/M25,H25 シフタLv24orジェルンLv24(選択) Ultimate 3-3 勇者のディスカ+9/D25,H25 ファイナルインパクト+15/D25,H25 デバンドLv25orザルアLv25(選択) Ultimate 5-5 フォトンクロー+10/H50 ウォルス-MK2+9/H50 ダブルセイバー+10/H50 Ultimate 6-5 ヴィジャヤ+15/H40 メテオスマッシュ+15/H40 ブレイブハンマー+15/H40 Ultimate 7-5 ヤマト+20/H30 ギルティライト/H30 マフ+9/H30 コメント どーでもいいけど、下半分はラボクエだよなぁ -- 浩 (2009-08-05 18 08 13) 名前 コメント
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元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。 2 このように戦争によって獲得した植民地は、 3 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、 4 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備 1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。日清戦争の結果、1895年の「下関条約」によって台湾の領有が認められ、日本で最初の植民地となった。つづいて、日露戦争の結果1905年に「ポーツマス条約」が結ばれ、日本はサハリン島南部の割譲と遼東半島の租借権、長春以南の鉄道利権の譲渡を受け、サハリン島に樺太庁をおき、遼東半島にはのちに関東庁、関東軍をおいた。そしてすでに見たように1910年に「韓国併合条約」を大韓帝国に結ばせ、朝鮮総督府を設置した。さらに第一次大戦により日本海軍が占領したドイツ領南洋群島(ミクロネシア)が、1920年日本の委任統治領となり、22年には南洋庁が設置された。1930年代に入り、31年の満州事変を契機として、翌32年に日本が実権を握る傀儡国家「満州国」を建国した。 以上のように、戦争の都度、日本の植民地は拡大し、その面積は日本本国の約4倍、総人口は本国の人口に匹敵するほどの規模になった。 2 このように戦争によって獲得した植民地は、 このように戦争によって獲得した植民地は、日本人が血で購ったものであるという論理で、日本の民衆は、植民地の獲得、膨張を支持した。対華21ヵ条要求に対する日中間の世論の状況について、石橋湛山は次のように記述している。「此間の日支両国の輿論は如何であったかと云うに、支那が国民を挙げて、大反対運動を行ったことは申すまでもない。彼等は実に之を以て支那破滅の大事件として痛憤し、其の愈よ成案となるや、国辱の極として深慨した。之に対して日本の輿論は、殆ど新聞という新聞、論客という論客が、日本の要求を正当とし、之に承諾を与えざる支那政府を誠意なしとして罵った。其実彼等の多くは、我要求の内容性質が如何なるものであったかと、正確に知っていたわけではない。唯だ多大の血と国幣とを費して独逸より奪える膠州湾を、支那は無条件で還付せよと主張する、日清日露戦役を経、非常の苦心を払いて経営し来れる南満地方の我特殊の位地を支那は認めぬ、実に暴慢無礼であると云うような、粗硬な感情論であった。」(石橋湛山「所謂対支二十一個条要求の歴史と 将来」東洋経済新報1923年4月21日付) このような日本の世論はメディアによって煽り立てられていった。 国民の意識・精神を戦争へ向けて統合するために、活字・図像に音声・映像を加えたメディアが、その威力を発揮した。しかしメディアは真実を伝えるのではなく、軍部・政府の意のままに、国民をだます役割を果たし続けた。ラジオは、大本営発表を流し続け、戦意高揚の歌や曲を流し、新聞は日々の報道だけでなく、号外を配って国民を煽り、大活字の見出しや写真、音声を伴った動く映像で国民の意識を操作した。満州事変勃発直後の新聞各紙の見出しは、 「奉軍満鉄線を爆破、日支両軍戦端を開く 我鉄道守備隊応戦す」「両軍衝突の原因? 支那軍満鉄線を爆破 わが守備隊を襲撃す」「燦として輝くわが軍の威容」「正義の前に支那軍殆ど壊滅」「悪鬼の如き支那暴兵!我軍出動遂に掃討」(江口圭一『十五年戦争の開幕』(昭和の歴史4)85頁以下)と、正義は我が軍、悪鬼は支那軍であるとの意識が植え付けられた。満州事変が関東軍の謀略であったことは今日では歴然としているが、当時の国民はこのようなメディアによる煽動によって事実を知らず、正義の戦争として侵略戦争を支持し煽り立てていったのである。 3 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、1932年3月国民党による統一国家建設の途上にある中国から分離して、傀儡国家「満州国」を設立した。 中国における国民革命の進展によって、日露戦争以来の日本の満州における権益が動揺していることに対抗し、革命勢力を満州から排除するためであった。中国は国際連盟に提訴し、連盟が派遣したリットン調査団が、日本の自衛権の主張や満州の「独立」を認めず、満州を中国主権下の自治地域として国際管理下におくことを提唱した報告書を発表するや、軍国主義と排外主義を強めた日本社会では連盟脱退論がわき起こり、1933年3月、日本は国際連盟を脱退した。 4 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、それまでの戦争が限定された戦場での軍隊同士の衝突であったという性格から、交戦国の国民がその総力 (経済力、軍事力)を挙げて戦うものへと性格を変貌させた。日本は、第一次大戦に参戦こそしたものの、総力戦体制をとるほど戦争に巻き込まれなかったが、軍部は第一次世界大戦に学び、きたるべき戦争は国家総力戦になると考えそのための研究と準備に着手していた。1918年には軍需工業動員法が公布され、軍需局が設置され、1927には内閣に資源局が設置され、軍需資源の調査と動員の準備が進められ、総力戦に向けての国民動員、思想統制と軍事教育が試みられた。 indexへ
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ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 4-09 さきに日本政府は「日韓請求権・経済協力協定で補償問題はすべて解決ずみ」と考えているといったが、これにたいし韓国政府はどういっているのか… 4-09 さきに日本政府は「日韓請求権・経済協力協定で補償問題はすべて解決ずみ」と考えているといったが、これにたいし韓国政府はどういっているのか…コメント欄 韓国の李相玉外相は「この問題は当時の請求権交渉では論議されなかった」だから「補償をすべきだ」という姿勢だ。当時とは一九六五年のことで、たしかにそこでこの問題は論議されていない。 いっぽう昨年十二月六日東京地裁へ訴訟をおこした元従軍慰安婦ら原告団は「その協定でも"個人の請求権"は消滅していない。政府間の交渉はできないかもしれないが韓国国民個人は日本政府に補償を要求できる」と主張している。 裁判の結果がどうなるかはわからないが、日本政府は「裁判に訴える権利という意味では"個人の請求権"はある」としつつ「日本政府の補償義務は同協定で消滅している」のだから訴えの棄却を求めていくもののようだ。はたしてそれでいいのか。韓国の市民団体はこの従軍慰安婦問題を国連人権委員会へ報告するところまできている。 韓国離散家族会の李斗勲会長の「日本がすすんで過去の問題を解決しなければ、いくら国際貢献のためといっても自衛隊の海外派遣に対しわれわれの不安は消えない」という言葉を私たちは重く受けとめねばならないだろう。日本政府は逃げてはいけないのだ。われわれも「いまさら過去のことを」とか「戦後生まれの私たちに関係も責任もない」などといってはいけないのだ。日本という国はアジアの国にひどいことをしてきたのだから。 従軍慰安婦問題だけではないが、従軍慰安婦問題はそれをもっとも象徴するものであった。ところがその従軍慰安婦の発想は、語ってきたように荒れた将兵、とくに略奪から暴行へ走る将兵を鎮静化させるためということだったが、一九四五年八月十五日無条件降伏となり米軍を主力とする占領軍が日本本土へ進駐してくるとなったとき、進駐してくる占領軍が日本軍のかつて中国大陸などでやったのと同じことを日本国内でやることをおそれた日本政府は、そっくりの制度というか施設をあわてて国内でもつくっていった。 それは日本軍が侵略した土地でどんなことをやったかの逆あかしでもあったが、八月十五日午後、当時の大蔵省主計局長だった前尾繁三郎(後、衆院議長)、主税局長だった池田勇人(後、総理大臣)の二人がまず政府資金でもって占領軍相手の慰安所をつくることを話し合っている。 同じことは当時の警察機関の総元締めである内務省でも考えられており両者が話し合ったすえ、内務省が売春業者を集め特殊団体をつくる、そこへ政府保証で日本勧業銀行(第一勧銀の前身)から三千三百万円を無担保で融資し進駐してくる占領軍専用の慰安所をつくり併行してその金で慰安婦を集めるということをしていった。 当時の三千三百万円は今日の数千億円にあたる。その特殊団体の名称は「レクリエーション・アミューズメント・アソシエーション」(略称、RAA)とされ、八月十八日には内務省警保局長名で全国の警察部長から末端の署長までそこで働く慰安婦集めに協力せよとの指示が出された。関特演のとき朝鮮総督府が全朝鮮の警察機関に出した指示と同じだ。 この結果、わずか十日そこそこで二万人の女性が集められたと報告されている。RAAをつくったのは売春業者だが、かつての従軍慰安婦集めのときと同じで商売道具だから彼らは自分たちが抱えている売春婦は出さない。 集められたのは戦火で夫はじめ家族を失った未亡人、家を焼かれ住む所がなくなったうえ家族とも別れ別れになった女性、身よりのない戦争未亡人だったとこれも報告されている。 そして八月二十八日占領軍の第一陣が神奈川県厚木に到着する日に開業とされたが、この日集められた売春婦の代表三百人を天皇陛下のいる宮城(皇居)前へ整列させ 「時あり命(めい)下り予(かね)てのわれらが職域を通じ、戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐慰安の難事業を課せられる。命(めい)重く且(か)つ大なり、同志血盟して信念の命ずる処(ところ)に直従(ちょくじゅう)し"昭和のお吉"38)幾千かの人柱の上に、狂欄(きょうらん)を阻む防波堤を築き、民族の純血を百年の彼方に護持せんとす」 と内務省代表が訓示している。 米軍の進駐が八月三十日にのびたので正式開業もその日までのばされたが、慰安婦のほうはその後の警察やRAAの努力で三万人にまでなっていった。これだけの慰安婦を差し出すから一般婦女子に手を出さないでくれということだった。 38) 昭和のお吉(しょうわのおきち) ここでいう"お吉"とは、江戸後期、幕府の命令でアメりカ領事ハリスの妾にされ、「唐人お吉」として伝説化された人物のことである。占領軍から日本の治安を守ろために、政符公認の慰安婦は、お吉のごとく国の人柱となれ、という意味を、この言葉に込めたのである。しかし、手本とされたお吉自身は、ハリス帰国後、人々の潮笑をうけ、悲惨な晩年を送り、失意のなか自殺したと伝えられている。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
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トップページ>韓国>韓国史研究 『韓国史研究』140、2008.3 企画論文 고경석「在唐新羅人社会の形成と発展」 閔徳基「壬辰倭乱期拉致された朝鮮人の日本残留背景と彼等のアイデンティティ認識」 최영호「在日僑胞社会の形成と民族アイデンティティ変化の歴史」 潘炳律「ロシア韓人(高麗人)社会とアイデンティティの変化:ロシア遠東時期(1863-1937)を中心に」 廉仁鎬「中国延辺朝鮮族の民族アイデンティティについての一考察(1945.8-1950末)」 一般論文 張炳仁「朝鮮前期国王の婚礼形態:「仮館親迎礼」の施行を中心に」 김연희「大韓帝国期新しい技術官員集団の形成と解体:電信技術者を中心に」 玄光浩「大韓帝国期高宗の対英政策」 신용옥「朝鮮臨時約憲の経済体制構想」 『韓国史研究』139、2007.12 研究論文 박성현「4世紀前後新羅の土城築造とその目的:嶺南地域初期土城の性格」 李貞薫「高麗前期内侍と国政運営」 李康漢「征東行省官闊里吉思の高麗制度改編の試み」 이경록「高麗前期の対民医療体制」 南東信「麗末鮮初懶翁顕彰運動」 金澔「正祖の俗学批判と正学論」 書評 金允嬉「韓国社会におけるブルジョアは何なのか?:이승렬, 2007『帝国商人과 商人:서울,開城,仁川地域資本家들과 韓国 부르조아지의 起源、1896-1945』歴史批評社」 許東賢「大韓帝国をどう見るべきか:김동노・던컨(John B. Duncan), 김도형 共編、2006『대한제국의 개혁과 근대화(Reform and Modernity in the Taehan Empire)』 (Jimoondang);韓永愚等著、2006『대한제국은 근대국가인가』푸른역사」 『韓国史研究』138、2007.9 研究論文 鄭東俊「5世紀百済の中国式官制受容とその機能」 김경태「壬辰倭乱直後、対日講和政策の性格研究」 임종태「宇宙的疏通の夢:18世紀初盤湖西老論学者達の六面世界説と人性物性論」 金伯哲「朝鮮後期英祖代百姓観の変化と「民国」」 최병택「1930年代前半日帝の民有林政策「転換」と林野税制導入の背景及び意味」 柳承烈「延辺地域江原道出身者の日帝強占期居住者研究」 争点 최연식「『大乗四論玄義記』百済撰述再論:김성철教授の反論に対する批判」 『韓国史研究』137、2007.6 企画論文:歴史都市平壌 임기환「高句麗平壌都城の政治的性格」 金昌賢「高麗西京の行政体系と都市構造」 呉洙彰「『青丘野談』に表れた朝鮮後期平壌認識とその性格」 呉美一「平壌地域朝鮮人資本家達の組合組織と工業発達」 李信澈「社会主義「朝鮮の心臓」平壌の東アジア都市としての変化の可能性」 研究論文 姜制勲「朝鮮初期朝儀の儀礼構造と象徴」 김연희「領選使行軍械学造団の再評価」 류시현「韓末日帝初韓半島に関する地理的認識:「半島」論理を中心に」 鄭秉峻「太平洋戦争期李承晩-重慶臨時政府の関係と連帯強化」 争点 김성철「『大乗四論玄義記』は百済で撰述されたのか?:최연식教授の「百済撰述説」についての反論」 『韓国史研究』136、2007.3 論文 최연식「百済撰述文献としての『大乗四論玄義記』」 Jörg Plassen「韓国古代仏教史研究に於ける『大乗四論玄義記』の重要性:和諍思想の背景についての基礎的な検討」(英) 朴龍雲「高麗時期の兼職と重複職についての議論と権力構造」 朴元熇「鉄嶺衛設置についての新しい観点」 金暻緑「朝鮮時代対中国外交文書の接収・保存体系」 尹晶「正祖の本宮祭儀整備と「中興主」意識の強化」 김세은「1866年高宗の嘉礼と大院君の位相強化」 서태원「甲午改革以降忠清北道の地方軍:清州地方隊と鎮衛隊を中心に」 김영미「解放以降住民登録制度の変遷とその性格:韓国住民登録証の歴史的淵源」 書評 李賢周「日帝下韓国共産主義運動と非主流の復元:전명혁『1920年代韓国社会主義運動研究』(선인、2006年)」 朴泰均「別方式による修正主義の超克:鄭秉峻『韓国戦争-38線衝突과 戦争의 形成』(돌베개)」 『韓国史研究』135、2006.12 企画論文 신동원「朝鮮時代地方医療の成長:官主導から士族主導へ、士族主導から市場主導へ:江陵約契(1603-1842)の組織と解消を中心に」 裵祐晟「18世紀地方知識人黄胤錫と地方意識」 金洋植「韓末日帝初清州地域開化知識人の外部世界疏通と地域活動」 金泰雄「韓国近現代地方知識人金廷漢の社会運動と地盤意識」 研究論文 権寧国「高麗初徇軍部の設置と機能の変化」 박진훈「高麗人達の死と葬礼:官人家族を中心に」 정호훈「鄭道伝の学問と功業志向の政治論」 韓承勲「朝英条約(1883.11)と不平等条約体制の再成立」 문영주「日帝時期都市金融組合の官治運営体制の形成過程:1929年「金融組合令」改正を中心に」 争点 권내현「朝鮮後期戸籍、戸口の性格と新しい争点」 『韓国史研究』134、2006.9 研究論文 李憲昶「韓国史における首都集中」 金暻緑「朝鮮時代事大文書の生産と伝達体系」 허태용「17世紀中・後盤中華回復意識の展開と歴史認識の変化」 廉定燮「朝鮮後期サツマイモの導入と栽培法の整理過程」 구희진「大韓帝国前半期「国民義気」の鼓吹と国民教育」 전명혁「1920年コミンテルン二次大会時期朴鎮淳の民族・植民地問題認識」 이송순「朝鮮総督府都市計画関連政策審議機構研究:朝鮮総督府土木会議と市街地計画委員会」 鄭然泰「太平洋戦争期アメリカの複眼的視覚と韓国社会認識:植民地近代化論争に対して」 書評 李鍾書「高麗女性の暮らしについての総体的考察と評価:권순형『高麗의 婚姻制와 女性의 삶』혜안、2006年」 정호훈「朝鮮前期性理学の変化と王政論:金泰永『朝鮮性理學의 歷史像』慶煕大学校出版部、2006年」 『韓国史研究』133、2006.6 研究論文 김정권「高麗仁宗代「維新之政」の追求と政局動向」 정병삼「一然禅師碑の復元と高麗僧侶碑文の門徒の構成」 都賢喆「李穡の隠仕観」 윤대원「西間島大韓光復軍司令部と大韓光復軍総営についての再検討」 張圭植「日帝下アメリカ留学生の西欧近代体験とアメリカ文明認識」 許殷「1950年代前半アメリカの「生体政治」と韓国社会ヘゲモニー構築:駐韓米軍民事機構の活動と性格」 書評 임기환「領域支配を通じて見た高句麗史:金賢淑『高句麗의 領域 支配 方式 研究』모시는 사람들、2005年」 全徳在「新羅支配体制展開の新しい理解:河日植『新羅集権官僚制研究』혜안、2006年」 홍영의「麗末鮮初社会変動の理解のための新しい出発:延世大学校国学研究院編『中世社会의 変化와 朝鮮建国』혜안、2005年」 洪錫律「事実と歴史の中の李承晩研究:鄭秉峻『雩南李承晩硏究』歴史批評社、2005年」 『韓国史研究』132、2006.3 研究論文 朴宰佑「高麗前期君臣の位相と役割についての観念」 金盛祐「宣祖代士林派の政局掌握と改革路線の衝突:宣祖8年(1575)東・西分党の社会経済的背景と関連して」 金友哲「17世紀後半済州束伍軍の編成実態:『済州束伍軍籍簿』の文籍」 권내현「朝鮮後期同姓村落構成員の通婚様相」 김건태「戸籍台帳に登載された戸口の性格」 金容欽「19世紀前半勢道政治の形勢と政治運営」 崔潤晤「大韓帝国期鎮川郡量案の自作農と経営地主」 박찬식「1947年済州3・1事件研究:集会と総ストライキ主導勢力を中心に」 書評 이윤갑「民衆の生活相を通じて見た植民地近代化の実状:延世大学校国学研究院編『日帝의 植民地 支配와 日常生活』혜안、2004年;方基中 編『日帝 파시즘 支配政策과 民衆生活』혜안、2004年」 『韓国史研究』131、2005.12 박진희「戦後韓日関係とサンフランシスコ平和条約」 朴泰均「韓日会談時期請求権問題の起源とアメリカの役割」 鄭一畯「韓国知識人の対日認識と韓日会談」 李元徳「韓日会談で表れた日本の植民地支配認識」 진희관「在日同胞社会の問題と北日関係:1960年代韓日修交時期を中心に」 李仁在「禅師兢讓(878-956)の生涯と大蔵経」 정요근「7-11世紀京畿道北部地域における幹線交通路の変遷と「長湍渡路」」 蔡雄錫「高麗中・後期の充軍刑と定役刑」 金仁昊「鄭道伝の歴史認識と君主論の基盤:『経済文鑑』の分析を中心に」 권기중「18世紀丹城県官奴婢の存在様態」 書評 裵城浚「허수열『개발 없는 개발』은행나무、2005年」 『韓国史研究』130、2005.9 特集:韓国社会の不正腐敗と清算の歴史:朝鮮時期の事例を中心に 오종록「朝鮮時期の官僚制度及びその運営の特性:不正腐敗の構造的原因と関連して」 장동표「朝鮮後期郡県単位の不正腐敗と吏胥層中心の逋欠」 李成妊「16世紀両班社会の「膳物経済」」 禹仁秀「朝鮮粛宗朝科挙不正の実状とその対応策」 趙誠乙「朝鮮後期実学の腐敗防止策:『牧民心書』を中心に」 その他 이규리「『邑誌』から見た朝鮮時代官妓運用の実状」 나선하「19世紀初羅州郷吏層の契組織と邑権の動向」 조형열「薛泰煕の協同組合主義と「文化運動論」」 金聖甫「1900-1950代鎮川郡梨月面の土地所有と社会変化」 林鍾明「第1共和国初期大韓民国の家族国家化と内破」 書評 姜世求「원재린『조선후기 星湖學派의 학풍 연구』혜안。2003年」 『韓国史研究』129、2005.6 特集Ⅰ:韓国の領土と領土意識 金昌錫「古代領域観念の形成と王土意識」 秋明燁「高麗時期「海東」認識と海東天下」 尹薫杓「朝鮮前期北方開拓と領土意識」 강석화「朝鮮後期の北方領土意識」 白東鉉「韓末民族意識と領土観:『皇城新聞』と『大韓毎日申報』の論説に表れた領土観を中心に」 特集Ⅱ:日本中学校教科書の歴史叙述と歴史認識 許東賢「日本中学校歴史教科書(扶桑社版)問題の背景と特徴:歴史記憶の歪曲と省察」 延敏洙「日本中学校歴史教科書の古代史叙述と歴史認識」 박수철「日本中学校歴史教科書の中・近世史叙述と歴史認識:扶桑社教科書を中心に」 韓哲昊「日本中学校歴史教科書の韓国近代史叙述と歴史認識」 朴賛勝「日本中学校歴史教科書近現代史(1910年以後)叙述と歴史観分析:扶桑社版教科書の「戦争」「植民地」関連叙述を中心に」 『韓国史研究』128、2005.3 論文 김종복「渤海国号の成立背景と意味」 李貞薫「高麗前期各司の設置と運営方式の変化」 李相国「高麗時代両班田分給の一様相」 姜制勲「朝鮮世宗朝の朝会」 진상원「朝鮮中期道学の正統系譜成立と文廟従祀」 車美姫「17・18世紀朝鮮士大夫の読書様相と西洋教育理解」 朴性俊「1894-1910年海税制度の変化と税制整備の方向」 鄭秉峻「白凡金九暗殺背景と白衣社」 書評 강선「琴京淑『高句麗前期政治史研究』高麗大民族文化研究院、2004年」 박한남「李貞信『고려시대 정치변동과 대외정책』景仁文化社、2004年」 『韓国史研究』127、2004.12 論文 姜在光「崔氏家家奴出身政治人の役割と戊午政変の性格」 金燉「中宗代法制度の再整備と『大典後続録』の編纂」 정호훈「18世紀前半蕩平政治の推進と『続大典』の編纂」 曺銘根「1937-45年、日帝の戦費調達と朝鮮銀行券発行制度の転換」 金昌賢「高麗開京と江都の都城比較考察」 金基徳「高麗時代開京と西京の風水地理と違都論」 오종록「朝鮮初葉漢陽定都過程と首都方位」 裵祐晟「正祖の留守府経営と華城認識」 趙誠乙「実学者の歴代首都・遷都論:畿湖南人系を中心に」 『韓国史研究』126、2004.9 金鍾洙「新羅中代軍制の構造」 최연식「『健拏標訶一乗修行者秘密義記』と羅末麗初華厳学の一動向」 변동명「申崇謙の谷城城隍神推仰と徳陽祠配享」 강은경「高麗時代祠典の制定と運用」 김경란「『丹城県戸籍大帳』の「女戸」編制方式と意味」 임경석「雑誌『コミュニスト(콤무니스트)』と国際線共産主義グループ」 이애숙「日帝末期反ファシズム人民戦線論:京城コミュグループを中心に」 高珽休「A.J.Grajdanzevと『現代韓国(Modern Korea)』」 説林 余昊奎「中国の東北工程と高句麗史認識体系の変化」 書評 許興植「石に刻まれた社会史:金龍善『高麗金石文研究』一潮閣、2004年」 朴宗基「統一国家の確立と独立王国の試練:閔賢九『高麗政治史論』高麗大学校出版部、2004年」 趙成山「정호훈『朝鮮後期政治思想研究:17세기 北人系 南人을 중심으로』혜안、2004年」 『韓国史研究』125、2004.6 論文 篠原啓方「高句麗の太王号と太王家認識の確立」 朴宰佑「高麗前期宰枢の任用方式と性格」 朴平植「朝鮮初期の対外貿易政策」 김양수、金洋植「朝鮮後期忠清監司と清州守令の出身成分と在任実態」 김선경「柳馨遠の理想国家企画論:財政部門を中心に」 정용서「北朝鮮天道教青友党の政治路線と活動(1945-1948)」 都珍淳「韓国戦争の基本概念としての制限戦(Limited war)の成立と分化:韓半島に対する戦略的価値評価と関連して」 書評 金賢淑「임기환『高句麗政治史研究』한나래、2004年」 김점숙「鄭容郁『해방 전후 미국의 대한정책』ソウル大学校出版部、2003年」 『韓国史研究』124、2004.3 朴大在「百済初期の会議体と南堂」 李仁哲「韓国古・中世農業における土地生産性と労働生産性」 魏恩淑「高麗時代土地概念についての再検討」 李憲柱「丙寅洋擾直前姜瑋の禦洋策」 朴銀淑「甲申政変政令に表れた政治体制と権力運動構想」 鄭然泰「朝鮮総督寺内正毅の韓国観と植民統治:漸進的民族同化論と民族差別暴圧政策の二重性」 権泰檍「1910年代日帝植民統治の特徴」 김인식「1947年安在鴻の「純正右翼集結」運動」 『韓国史研究』123、2003.12 論文 金鉉球「『日本書紀』継体23年条の検討:高霊加耶と伴跛問題を中心に」 김정숙「新羅社会における馬の飼育と象徴に関する研究」 呉恒寧「『宣祖実録』修正攷」 이승렬「光武政権の貨幣・金融政策と大韓天一銀行の営業」 鄭泰憲「日帝末期道歳入の構成変化と植民地性(1936-1945年)」 特集:海から見た韓国史 尹明喆「海洋史観から見た韓国古代史の発展と終焉」 이영「転換期の東アジア社会と倭寇:「庚寅年以降の倭寇」を中心に」 河宇鳳「朝鮮前期対外関係に表れた自我認識と他者認識」 李薫「「漂流「を通じて見た近代韓日関係:送還手続きを中心に」 高東煥「朝鮮後期商船の航行条件:霊・湖南海岸を中心に」 盧大煥「朝鮮後期西洋勢力の接近と海洋観の変化」 書評 全徳在「金昌謙『新羅下代王位継承研究』景仁文化社、2003年」 趙誠乙「金駿錫『朝鮮後期政治思想史研究』知識産業社、2003年」 『韓国史研究』122、2003.9 論文 신현웅「三韓起源と「三韓」の成立」 강은경「高麗時代公文書の伝達体系と地方行政運営」 이정란「高麗時代の小君と国庶」 韓春順「朝鮮成宗の六曹直啓制運用と承政院:親政期を中心に」 趙誠乙「朱熹と李瀷の歴史理論比較:時勢・是非・実践・王朝評価・華夷観を中心に」 裵亢燮「現行高等学校近現代史教科書叙述から見える民衆像」 特集:渤海史の研究現況と課題 임상선「渤海政治史の研究現況と課題」 윤재운「渤海社会・経済史研究の現況と課題」 宋基豪「渤海文化史研究の現況と課題」 김은국「渤海の対外関係史研究の現況と課題」 盧泰敦「渤海国の住民構成についての研究現況と課題:「高麗別種」と「渤海族」をめぐる議論を中心に」 書評 이용현「주보돈『금석문과 신라사』知識産業社、2002年」 盧明鎬「朴龍雲『高麗社會와 門閥貴族家門』景仁文化社、2003年」 『韓国史研究』121、2003.6 論文 金周成「普徳伝の検討と普徳の高達山移住」 朴宰佑「高麗前期国政の決定と施行」 金蘭玉「高麗前期の流配刑」 張炳仁「朝鮮中・後期姦通に対する規制の強化」 이정철「仁祖初三道大同法論議と経過」 박소은「17・18世紀戸曹の銀収税政策」 金度亨「大韓帝国初期文明開化論の発展」 書評 남지대「崔承煕『朝鮮初期政治史研究』知識産業社、2002年」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180
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桂田智司ほか・朝鮮総連本部発砲事件 当Wiki内の関連項目:桂田智司・神戸市立博物館脅迫容疑事件 2018年2月23日:在特会等とも関係の深かった桂田智司、朝鮮総連本部への発砲事件で、共犯容疑の川村能教とともに逮捕される。桂田容疑者の背景BUZZAP!〈朝鮮総連銃撃テロの実行犯、在特会関連のヘイトデモ常習者でした〉 リテラ〈朝鮮総連銃撃事件とヘイトデモ、在特会の関係! 止まらない在日朝鮮人攻撃、NHKもテロより総連を批判〉 IWJ〈野放しにされていた路上のヘイトスピーチが、ついに一線を超え、朝鮮総連本部への銃撃にまでエスカレート!容疑者は「鶴橋大虐殺」を叫んだ少女の父親と安田浩一氏が証言!「ヘイトスピーチとヘイトクライムは地続きである」!〉 Togetter〈朝鮮総連テロ「自作自演」「普通の日本人は拳銃を手に入れるのは不可能、あとはわかるな」〉 〈【2018/2/23】 桂田智司による朝鮮総連本部発砲を支持するアカウント (閲覧注意)〉 報道(事件について)NHK〈朝鮮総連中央本部に発砲 男2人逮捕〉〈朝鮮総連中央本部に発砲 元右翼団体で活動の容疑者ら2人逮捕〉 朝日新聞〈朝鮮総連本部に発砲、男2人を逮捕 右翼団体関係者か〉 テレビ朝日〈朝鮮総連中央本部に銃弾 右翼団体の男2人逮捕〉〈車で乗り付け車内から数発 逃走せずその場で逮捕〉 共同通信〈朝鮮総連本部発砲、逮捕の1人は右翼活動家〉 毎日新聞〈警視庁 朝鮮総連本部に発砲 右翼活動家ら2人を逮捕〉〈朝鮮総連発砲 逮捕の活動家 過去に北朝鮮への抗議活動歴〉 産経新聞〈朝鮮総連本部に発砲、容疑で右翼活動家ら2人逮捕 警視庁〉 時事通信〈朝鮮総連本部に発砲=右翼活動家ら2人逮捕-警視庁〉 読売新聞〈朝鮮総連中央本部に発砲、右翼活動家ら逮捕〉 日経新聞〈朝鮮総連本部に発砲 右翼活動家ら2人逮捕〉 日本テレビ〈朝鮮総連に銃弾撃ち込む 右翼団体関係者か〉〈朝鮮総連に銃弾、門壊す 右翼活動家ら逮捕〉 TBS〈朝鮮総連中央本部に銃弾撃ち込まれる、男2人を現行犯逮捕〉 読売テレビ〈朝鮮総連に銃弾、門壊す 右翼活動家ら逮捕〉 テレビ東京〈朝鮮総連に発砲〉 ホウドウキョク〈朝鮮総連本部に発砲 右翼ら逮捕〉 Japan Times〈Two men detained after firing shots at pro-North Korea group's Tokyo headquarters〉 Kyodo News〈2 held after firing shots at pro-N. Korea group's Tokyo headquarters〉 Japan Today〈2 men arrested for shooting at de facto N Korean embassy in Tokyo〉 Tokyo Reporter〈Tokyo Members of right-wing group apprehended after shots fired at Chongryon HQ〉 Reuters〈Shots fired at North Korea-linked group HQ in Japan〉 Washington Post〈Japanese men nabbed in shooting at de facto N. Korea embassy〉 NHK World〈Shooting at building of pro-N.Korea group〉 Channel NewsAsia〈Japan arrests men who fired on North Korean 'embassy'〉 中央日報〈日 우익 남성 2명, 도쿄 조총련 건물에 총격〉〈조총련,, 日정부에 "총격사건 책임지라" 강력 항의〉 Korea Times〈日도쿄 조총련 건물에 오늘 새벽 총격… 우익활동가 남성 2명 체포〉 VoA Korea〈일본 조총련 건물 총격...용의자 체포, 우익단체 인물 추정〉 KBS〈도쿄 조총련 건물에 총격…“우익활동 남성 2명 체포”〉〈日 우익에 총격 피해 조선총련 “기존과는 차원 다른 테러”〉 RFA〈일 우익활동가, 도쿄 조총련 본부에 총격〉 聨合ニュース〈도쿄 조선총련 건물에 새벽 총격…"우익활동 남성 2명 체포"(종합2보)〉〈일본 조선총련 건물에 새벽 총격…"차원이 다른 테러"〉 OhmyNews〈일본 조총련 건물에 총격... 우익단체 추정 용의자 체포〉 韓国経済新聞〈日 도쿄 조선총련 건물에 오늘 새벽 총격… 현장서 남성 2명 체포〉 東亜日報〈日 조총련 건물서 총격 사건…극우단체 테러 추정〉 朝鮮日報〈日 조총련 건물서 총격…우익단체 테러 추정〉 国民日報〈일본 극우단체 회원 도쿄 조총련 건물 총격, "인명 피해는 없어"〉 京郷新聞〈일본 우익 남성 2명, 도쿄 조총련 건물에 총격〉 アジア経済〈日 조선총련 본부 앞 총격사건…우익관계자로 추정〉 NEWSIS〈조총련, 日정부에 "총격사건 책임지라" 강력 항의〉 ノーカットニュース〈日도쿄 조총련 건물에 총격 남성 2명 체포…우익단체 회원〉 ニュース1〈日 조총련 본부에 총격…우익단체 남성 2명 체포〉 Le Parisien〈Japon deux hommes arrêtés après des tirs sur l'ambassade de Corée du Nord〉 Libération〈Deux Japonais connus pour leurs sympathies envers l’extrême droite ont été arrêtés vendredi〉 Agenzia Nova〈Giappone colpi di arma da fuoco contro sede di organizzazione pro-Corea del Nord, due arresti〉 Detik News〈Markas Organisasi Terkait Korut di Tokyo Ditembaki, 2 Pria Ditangkap〉 Kricom〈Anggota Grup Sayap Kanan Jepang Tembaki Perumahan Warga Korut〉 Kompas〈Gedung Asosiasi Warga Korea Utara di Jepang Ditembaki〉 Dnevni Avaz〈Dvojica Japanaca pucala na Ambasadu Sjeverne Koreje〉 Index〈Dva Japanca uhićena nakon što su pucali na veleposlanstvo Sjeverne Koreje〉 evz.ro〈ATENTAT la ambasada Coreei de Nord de la Tokyo. Situația VICTIMELOR〉 Portal Mie〈Prisão de 2 que dispararam tiros em Tóquio〉 ipc.digital〈Dois homens são presos após atirar contra associação norte-coreana em Tóquio〉 報道(朝鮮総連側の抗議等)時事通信〈「許し難い暴挙」=発砲事件受け朝鮮総連会見〉 TBS〈中央本部に銃弾、朝鮮総連「強い怒りをもって断罪」〉 日刊イオ〈銃を向けられた在日朝鮮人〉 ハンギョレ新聞〈「総連なら銃で攻撃しても許されるのか」 東京朝鮮総連中央本部に23日未明男性2人が拳銃発砲〉〈"총련이라면 총으로 공격해도 용서가 되는가"〉 聨合ニュース〈日우익에 총격 피해 조선총련 "기존 혐한과는 차원 다른 테러"〉 TBS〈北朝鮮、総連本部銃撃事件を非難〉 コリアNGOセンター〈朝鮮総聯中央本部への銃撃事件に対し、日本政府に厳正な対応を求める声明〉 移住連・外国人人権法連絡会ほか〈【声明】朝鮮総聯中央本部への銃撃事件に対する抗議と日本政府への要求(2/28)〉毎日新聞〈朝鮮総連発砲 NGO「ヘイトクライム、政府が非難を」〉 共感新聞〈도쿄 조선총련 총격한 日 우익들 "북 용서 못해 범행"〉 日刊イオ〈朝鮮総聯襲撃事件で、外国人人権法連絡会などが声明発表〉 朝鮮新報〈政府、報道機関はテロを許すな/総聯中央会館銃撃事件に対する声明 341人、41団体が賛同〉 2月24~25日:桂田容疑者と関係のある団体等の関係者(在特会・日本第一党など)が朝鮮総連本部前で発砲を「義挙」などと正当化する街宣を実施。Togetter〈【2018/2/24】 無告知ヘイト街宣2題 新妻舞美ら@東京朝鮮総連前+日本第一党静岡県本部@浜松駅前〉 〈【2018/2/25】 関西の極悪レイシストたちによる無告知ピンポンダッシュ街宣〉 〈【2018/2/25】 ヘイト街宣2題 国連脱退・ユニセフ脱退をダシにした新志会のヘイト街宣@国連大学前+東京朝鮮総連前街宣〉〈#ミサイル便乗ヘイトはやめろ #0225国連大学前ヘイト街宣を許すな #ネトウヨはテロリスト 2018(平成30)年2月25日実施 排外主義団体による集会に関して〉 2月27日:各メディア、桂田容疑者らの計画や動機などを追加報道。報道時事通信〈総連本部に車突入計画=発砲で逮捕の右翼活動家-警視庁〉 NHK〈「ミサイル発射許せなかった」朝鮮総連発砲事件の容疑者〉 毎日新聞〈朝鮮総連発砲 「ミサイル発射許せない」容疑者供述〉〈朝鮮総連本部の発砲 「ミサイル発射許せずに」〉〈2 men claim missile launches behind firing of shots at pro-N.Korea group's Tokyo HQ〉 産経新聞〈容疑者「北朝鮮のミサイル挑発に怒り」 朝鮮総連への発砲〉 FNN〈発砲男「ミサイル発射が許せなかった」〉 TBS〈総連本部に発砲で家宅捜索、右翼活動家「ミサイル発射に堪忍袋の緒切れた」〉 日テレニュース〈発砲「北ミサイル発射に堪忍袋の緒切れた」(東京都)〉 ハンギョレ新聞〈〔特派員コラム〕本当に北朝鮮のミサイル発射のためだったか〉〈〔Correspondent’s Column〕The concerning response of the Japanese public to Chongryon shooting〉 聨合ニュース〈도쿄 조선총련에 새벽 총격 日야쿠자출신 범인 "北을 용서못해"(종합)〉 京郷新聞〈조총련 총격 일본 우익, "북 미사일에 참을 수 없었다"〉 KBS News〈도쿄 조총련에 총격 가한 일본인 "北을 용서못해"〉 JTBC〈도쿄 조선총련에 새벽 총격 일본 야쿠자출신 범인 "북한 용서못해"〉 ブリッジ経済〈'도쿄 조선총련' 총격 가한 日범인 "北 미사일 참을 수 없어서"〉 ニュース1〈日 '조총련 건물 총격' 용의자 "北미사일에 분노"〉 2月28日:朝鮮総連、都内で緊急集会を開催。報道共同通信〈朝鮮総連、本部銃撃で緊急集会 日本政府に再発防止求める〉 朝日新聞〈「差別と人権蹂躙反対」 銃撃事件、朝鮮総連が抗議集会〉〈Chongryon calls shooting an act of 'inhumane terrorism'〉 神奈川新聞〈〈時代の正体〉銃撃事件「テロ」と抗議 総連が集会、NGOも声明〉 中央日報〈조총련, 오늘 日우익 총격사건 규탄 집회 개최〉 聨合ニュース〈조선총련 "총격테러 규탄…日당국, 대책 취해야"〉 3月12日:朝鮮総連、事件の真相解明や再発防止を求める安倍首相宛ての要請書を内閣府に提出。テレ朝ニュース〈朝鮮総連が政府に要請 右翼活動家の発砲事件受け〉 日テレニュース〈朝鮮総連 “銃撃”の事実関係究明など要請〉 中央日報〈조총련, 우익 총격사건 대응 촉구하러 日정부 방문〉 3月15日:警視庁公安部、銃刀法違反(加重所持)容疑で桂田・川村両容疑者を再逮捕。時事通信〈銃刀法違反容疑で再逮捕=右翼活動家ら、朝鮮総連発砲-警視庁〉 産経新聞〈朝鮮総連本部銃撃で右翼活動家ら再逮捕 調べに「黙して語らず」 警視庁〉 毎日新聞〈朝鮮総連本部銃撃 2容疑者を再逮捕〉 NHK〈朝鮮総連銃撃事件 元暴力団員ら2人を再逮捕〉 テレビ朝日〈右翼活動家の男ら再逮捕 朝鮮総連本部に銃弾〉 TBS〈朝鮮総連銃撃で右翼活動家ら2人を再逮捕、銃刀法違反の疑い〉 読売テレビ〈朝鮮総連へ発砲 拳銃所持で男2人を再逮捕〉 FNN〈朝鮮総連本部 発砲事件直後の写真入手〉 Tokyo Reporter〈Tokyo 2 right-wing members re-arrested over shooting at Chongryon HQ〉 4月4日:東京地検、桂田智司・川村能教両容疑者を銃刀法違反と器物損壊の罪で起訴。産経新聞〈朝鮮総連銃撃で男2人起訴 右翼関係者、東京地検〉 10月9日~12日:公判→判決(平成30年合(わ)第79号)東京地裁〈傍聴券交付情報〉 報道朝日新聞〈「テロ」決行した右翼活動家、逮捕後に知った「裏切り」〉 毎日新聞〈東京地裁 元組員、朝鮮総連銃撃認める〉 桂田被告が法廷で読み上げた謝罪文(抜粋) (前略) ……此度の行動は、姦夫姦婦による痴情搦みの動機に発する愛国義挙と擬装した奸計であった事が、決行後起訴されて後にいみじくも発覚致しました。 吾人としてもまさに青天の霹靂、痛恨の極み、之に過ぐるものはありません。 然りと雖も神聖にして伝統光輝ある右翼事件史の一ページに消えざる汚点を残したことの責任は決して免れ得ぬものと痛感致しております。 (中略) 更に騙されたとは言いながら、右翼活動歴三十八年に及ぶベテランの吾人が、事もあろうにヤクザ崩れの間男らの奸謀にテンとして気付かず、まんまと乗せられ組しましたことは、汗顔の至りにして、右翼 桂田智司 一生一代の不覚不徳の致す処、一片だに弁明の余地とてありません。 拠って茲に全国の愛国者並びに右翼同志の諸兄に対し、深甚なるお詫びを申し上げますと共に、周辺住民の日本国民の皆さんにあらぬ恐怖を与え、世間に対しましても無用な騒ぎを起こしました事を、心より謝罪申し上げる次第であります。 齢五十七、慢心遂にど素人の奸計を見破る事もままならず、嬉々として間男の片棒を担がされました吾人の不始末は恥じても余りあるものであり、これ以上運動を続ける事は恥の上塗りでしかありません。 まさに晩節を汚すとはこの事にして、これ以上の老醜を晒すことなく、茲に潔ぎよく三十八年に亘る我が右翼運動に終止符を打ち、引退を宣言して以って道義的責任の一端をも果たさんと思慮するものであります。 以上 皇紀二六七八年 十月九日 桂田智司 拝 10月12日:判決 → 有罪・実刑(川村能教被告・懲役8年/桂田智司被告・懲役7年)報道共同通信〈朝鮮総連銃撃事件で実刑判決 元暴力団員ら、東京地裁〉 朝日新聞〈総連中央本部に発砲、元組員らに懲役8年などの判決〉 読売新聞〈厳重警備かいくぐり、総連ビルに発砲…実刑判決〉 FNN〈【独自入手】朝鮮総連銃撃事件 ノーカット“2分12秒”の映像が語る発砲の瞬間〉 毎日新聞〈朝鮮総連本部銃撃 2被告に実刑判決〉 中央日報〈東京地裁、朝鮮総連建物銃撃犯2人に懲役8年など実刑判決〉 MK News〈日법원, 조선총련 건물 총격범 2명에 징역 7~8년 선고〉 11月15日:桂田智司受刑者、前年12月のデモの際の傷害容疑で逮捕されたことが判明。 → 起訴共同通信〈デモ抗議の男性殴った疑いで逮捕 右翼活動家の57歳男〉 TBS〈デモに抗議の男性殴ったか、傷害容疑で右翼活動家 逮捕〉 当該デモTogetter〈【閲覧注意】東京ヘイトデモ四大聖地・新宿での、2017年聖夜荒らし・ヘイトスピーチ全開デモ〉 2019年2月4日:カウンターへの傷害容疑事件公判(東京地裁)(ソース) 2018年2月23日:ページ作成。 (略) 2018年10月13日:第1審判決の項(10月12日)を新設。桂田容疑者らの公判・判決の項(10月9日~12日)に桂田被告の謝罪文抜粋を追加。 2018年10月17日:第1審判決の項(10月12日)にFNNの記事を追加。 2018年11月2日:桂田容疑者らの公判・判決の項(10月9日~12日)に朝日新聞の記事を追加。 2018年11月16日:桂田智司受刑者の逮捕の項(11月15日)を新設。
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村田春樹_創氏改名は差別ではない! <目次> ■はじめに ■創氏改名のきっかけ ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い ■「創氏」について ■「改名」について ■創氏改名の届出についての告知ビラ ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました ■「改名」は完全な申請制でした ■補足 ■参考文献 ■ブログランキング応援クリック ■はじめに | 前総理大臣である麻生太郎氏は 以前「創氏改名は朝鮮人が望んだものだった」と発言されたことがあります。 もちろん、韓国・左翼など反日勢力に非難されましたが、 真実は麻生氏の言う通りなのです。 ■創氏改名のきっかけ | 日韓併合によって朝鮮人は念願の日本国民になることができましたが、1つ問題がありました。 それは「日本国民だ」と言っても名前を言えば一発で朝鮮人とバレてしまい、 支那人に馬鹿にされてしまうということです。 そこで朝鮮人は日本政府に自分たちが日本風の名前を名乗ることを認めるよう要求しました。 そして日本政府は1940年2月11日にこれを朝鮮・台湾で認めました。 これが「創氏改名」です。 ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い | 私たち日本人の名前は「氏」と「名」から成り立っていますが、 朝鮮人の名前は「族譜(一族の名前)」と「名」から成り立っています。 「族譜」というのは日本でいえば、「源氏」・「平氏」のようなもので、 例えば「源氏の足利尊氏」ならば、 「族譜」が「源」、「氏」が「足利」、「名」が「尊氏」になります。 ■「創氏」について | 創氏改名の「創氏」とは、朝鮮人の名前に新たに「氏」を加えることです。 「創氏」であって「改氏」ではないのはこのためです。 ただ、この「氏」を日本風にするかどうかは任意で、届け出を出さなければなりませんでした。 例えば「李○○」という名前の人が届け出を出さなければ、この人の「氏」は「李」となります。 また朝鮮人の「族譜」は、彼らの伝統を尊重して戸籍に残しました。 ちなみに「創氏」は無料でした。 ■「改名」について | 日本風の「名」に「改名」するかどうかも任意でした。 しかも、「創氏」と違って「改名」をするのは有料でした。 ■創氏改名の届出についての告知ビラ ※クリックすると拡大されます | 強制制ではなく申請制だったことがわかります。ひらがなの横には読めるようにハングルでも書かれています。 期限は刻々に迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時 認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう △好機を逸さぬよう! △即刻届け出しましょう! 1. 創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。名の変更には期限がありません。 2. 八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。 この結果は内地式を設定しなかったことをかえって後悔することになるだろうと思われます。 3. 氏と姓とを混同する向きがあるようですが、氏は家の称号であり、姓は男系の血統を表するもので、両者の性質は全然異なっております。 4. 氏を設定すると従来の姓がなくなるという誤解があるようですが、氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから心配ありません。 5. 門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人もありますが、大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、各家異なる氏を設定するのが当然であります。 6. 氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのがもっとも理想的であります。 7. 期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へお問い合わせください。 大邱地方法院 府面邑--- 市町村 http //ameblo.jp/worldwalker2/entry-10009074492.html ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました 日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。 彼らは絶えず漢人から圧迫され、摂取され、 農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。 朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で、 「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」 と息巻いていたほどである。 この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の争いを助長した。 このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、 当時世界五強のひとつであった大日本帝国の臣民となることだった。 唯一、中国に対抗できる切り札であったため、 朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。 日本こそが朝鮮人にとって合邦国家の民族の誇りであり、 中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。 韓国は日本人がつくった (WAC BUNKO) ■「改名」は完全な申請制でした 「改名」については義務化されず、完全な申請制で、 申請手続きには手数料も取られている。 実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。 朝鮮総督府への申告というのは、つまり、 被治者が治者側と同階層になれるというものであり、 「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、 本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。 当時、半年の届け出期間中、 朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。 創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、 満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。 日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、 日鮮同祖論という親近感があり、 創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。 一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、 むしろ改名は「高嶺の花」であった。 日本の植民地の真実 ■補足 | 今まで書いてきたように、朝鮮人が日本風の名前にするかどうかは任意でした。 朝鮮人の軍人で最も出世した人に洪思翊陸軍中将 がいますが、 彼は日本風の名前に変えてはいません。 つまり、日本風の名前に変えなくても差別されることはなかったのです。 ■参考文献 『日本人として最低限知っておきたい近現代史の必須知識』渡部昇一・水野靖夫、PHP研究所 ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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宮中顧問官(きゅうちゅうこもんかん)は、皇室または王室制度が存在する国の官職。多くの場合名誉職的な意味合いが強い。 日本の宮中顧問官 日本では、大日本帝国憲法下で宮内大臣の諮問に応じる職であった。 内閣制度創設の際に、明治18年太政官達第68号により内閣とは別に宮内大臣・内大臣と並んで設置された。名称中に「宮中」とあるように、戦前の日本では皇室・皇族関連を宮中、内閣以下政府を府中とし、宮中の制度に政府は関与できなかった。勅任官で、国家に勲功のあった者の中から選ばれた。1945年11月24日に廃止された。 主な任官者 池田謙斎(陸軍一等軍医正男爵医学博士、侍医局長) 伊地知正治(伯爵、修史館総裁、一等侍講、宮内省御用掛) 伊藤博文(内閣総理大臣、枢密院議長:1889年10月30日~1891年6月30日?) 井上馨(侯爵、大蔵大臣、明治20年9月-明治21年7月) 井上通泰(貴族院議員、芸術院会員、御歌所寄人) 岩倉具綱(従一位参与、宮内省掌典長、岩倉具視の養子) 岩倉具経(男爵、岩倉具視の子) 岩佐純(男爵、宮中侍医) 岩村通俊(男爵、会計検査院長、北海道庁長官、農商務大臣) 大木喬任(伯爵、枢密院議長、文部大臣) 岡玄卿(男爵医学博士、侍医頭) 小笠原長生(海軍中将功四級子爵、宮内省御用掛、学習院御用掛、香取艦長、東宮御学問所幹事:1921年4月21日~1945年11月24日) 尾崎三良(男爵、法制局長官、元老院議官) 桂潜太郎(従三位勲二等、東宮主事、東伏見宮別当、富美宮御養育掛長、泰宮御養育掛長、爵位局主事、宮内書記官) 加藤弘之(男爵、東京帝国大学総理、元老院議官、貴族員議員、帝国学士院院長、枢密顧問官) 楫取素彦(正二位勲一等男爵、元老院議官、群馬県令、貴族院議員) 川田甕江(漢学者、東宮侍講、東京帝国大学教授、華族女学院校長、帝室博物館理事、貴族院議員) 川村純義(海軍大将、枢密顧問官) 木戸孝正(侯爵、東宮侍従長) 清岡公張(子爵、元老院議官、図書頭、枢密顧問官) 清棲家教(伯爵、山梨県知事、茨城県知事、新潟県知事、伏見宮邦家親王第一五王子) 国分三亥(朝鮮総督府高等法院検事長、久邇宮家宮務監督) 小牧昌業(文学博士、内閣書記官長、奈良県知事、帝室博物館長、貴族院議員) 佐佐木高行(参議兼工部卿、枢密顧問官、皇典講究所所長、國學院大學学長) 佐藤正(陸軍少将従二位、広島市長) 佐野常民(伯爵、農商務大臣、大蔵卿、枢密顧問官、元老院議長、内国勧業博覧会副総裁:1885年12月~1888年) 税所篤(子爵、元老院議官、奈良県知事、枢密顧問官) 品川弥二郎(子爵、農商務大輔、御料局長、枢密顧問官、内務大臣:1876年6月~?) 白根専一(男爵、愛媛県知事、愛知各県知事、内務次官、逓信大臣) 副島種臣(伯爵、参議、外務卿、内務大臣、枢密院副議長、枢密顧問官:1886年~1888年) 園田安賢(男爵、警視総監、北海道庁長官) 高崎正風(男爵、御歌所長、枢密顧問官:1889年~1895年、國學院大學学長) 伊達宗陳(侯爵、宇和島伊達家第10代当主) 田中光顕(陸軍少将男爵、宮内大臣、内閣書記官長、陸軍省会計局長、警視総監、元老院議官) 堤正誼(男爵、宮内次官) 寺島宗則(伯爵、参議、外務卿、元老院議官、駐アメリカ公使、枢密院副議長、枢密顧問官:1885年~1888年) 長崎省吾(日本赤十字社理事、式部官、宮内書記官、宮内大臣秘書官、調度頭、閑院宮附別当) 鍋島直大(麝香間祗候、元老院議官兼式部頭、式部長官、貴族院議員、イタリア公使、佐賀藩第11代藩主、國學院大學学長) 奈良原繁(男爵、日本鉄道会社社長、元老院議官、沖縄県知事、錦鶏間祗候) 西村茂樹(従三位、華族女学校兼任) 二条基弘(公爵、摂家) 橋本綱常(陸軍軍医総監従四位勲三等子爵医学博士、東京帝国大学医学部教授) 花房義質(子爵、ロシア公使、伏見宮別当、宮内次官、帝室会計検査局長、日本赤十字社社長) 原恒太郎(従三位勲二等) 土方久元(伯爵、内閣書記官長、元老院議官、農商務大臣、宮内大臣、帝室制度調査局副総裁、臨時帝室編修局総裁、皇典講究所所長、國學院大學学長) 船越衛(男爵、千葉県知事、宮城県知事、貴族院議員) 北条時敬(貴族院議員) 穂積八束(東京帝国大学教授、貴族院議員、枢密院書記官、法典調査会査定委員) 三島毅(東京帝国大学教授、東宮侍講、大審院判事、新治裁判所長、二松学舎創設者:1830年~1919年) 三室戸敬光(子爵) 平山成信(男爵、内閣書記官長、枢密顧問官、日本赤十字社社長、行政裁判所評定官) 福岡孝弟(子爵、司法大輔、元老院議官、文部卿、参議、参事院議長、枢密顧問官) 福羽逸人(正三位勲一等子爵農学博士) 藤波茂時(子爵) 真木長義(海軍中将男爵、海軍裁判所長、海軍機関学校長) 松浦寅三郎(女子学習院長:1932年8月~1945年11月) 三浦梧楼(陸軍中将子爵、西部監軍部長 陸軍士官学校長、学習院長、朝鮮公使、枢密顧問官) 元田永孚(男爵、枢密顧問官、侍講、皇后宮御用掛) 柳原前光(伯爵、枢密顧問官、元老院議長) 山尾庸三(子爵、工部卿、参事院副議長、有栖川宮別当、北白川宮別当:1885年12月23日~1888年2月7日(法制局長官を兼任)) 芳川顕正(東京府知事、文部大臣、司法大臣、内務大臣、逓信大臣、枢密顧問官、紙幣頭、皇典講究所所長、國學院大學学長) その他の宮中顧問官 諸外国にも、宮中顧問官制度が存在した。 オーストリアでは、王室制度の無くなった現在でも敬称として使用されている。 哲学者・科学者として有名なG.W.ライプニッツは、プロイセン王国の宮中顧問官に就任していたことがある。 関連項目 宮内省 - 宮内庁 内大臣 - 内大臣府 枢密院 - 枢密顧問官 栄典 - 位階 - 勲章 - 爵位 麝香間祗候 - 錦鶏間祗候 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月6日 (木) 08 21。
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今日の訪問者 - いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣官房内閣外政審議室)1993.8.41.調査の経緯▽調査対象機関 ▽関係者からの聞き取り ▽参考とした国内外の文書及び出版物 2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について(1)慰安所設置の経緯 (2)慰安所が設置された時期 (3)慰安所が存在していた地域 (4)慰安婦の総数 (5)慰安婦の出身地 (6)慰安所の経営及び管理 (7)慰安婦の募集 (8)慰安婦の輸送等 いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣官房内閣外政審議室)1993.8.4 内閣官房内閣外政審議室 平成5(1993)年8月4日 1.調査の経緯 いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者によるわが国における訴訟の提起、我が国国会における議論等を通じ、内外の注目を集めて来た。また、この問題は、昨年1月の宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。 このような状況の下、政府は、平成3年12月より、関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広く聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の課程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りである。 ▽調査対象機関 警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館 ▽関係者からの聞き取り 元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等 ▽参考とした国内外の文書及び出版物 韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。 本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査もふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下のとおり発表することとした。 2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について 上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。 (1)慰安所設置の経緯 各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領地内において日本軍人が住民に対し強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の病気による兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。 (2)慰安所が設置された時期 昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。 (3)慰安所が存在していた地域 今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。 (4)慰安婦の総数 発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させるに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。 (5)慰安婦の出身地 今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半島出身者が多い。 (6)慰安所の経営及び管理 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。 慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。 (7)慰安婦の募集 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。 (8)慰安婦の輸送等 慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輛によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(1)へ 従軍慰安婦問題政府資料を読むhomeへ
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トップページ>韓国>韓国独立運動史研究 『韓国独立運動史研究』48、2014.8 研究論文 김주용「李章寧の生涯と独立運動」 김명섭「朴烈の日王爆殺計画推進と獄中闘争」 이재호「大韓民国臨時政府の国際共同管理案反対運動(1942-1943)」 김시덕「北間島明東学校瓦当の花紋様に現れた民族意識」 양지선「中国天津地域韓人の移住と定着」 유필규「1940年代朝鮮総督府満州開拓支援者訓練所の設置と性格」 김희곤「安東川前邑出身独立運動家たちの生家跡調査研究」 韓国独立運動史研究所月例研究発表会300回記念 조성진「月例研究発表会の昨日と今日」 유필규「月例研究発表会の課題と展望」 資料紹介 김형목「国債報償運動と投書事件」 『韓国独立運動史研究』47、2014.4 研究論文 김상기「林翰周の思想と独立運動」 윤상원「1920年代前半期金弘壹の抗日武装闘争」 田中正敬「関東大地震と千葉における朝鮮人虐殺の推移」 장성욱「日帝末期慶山「決心隊」の強制動員拒否闘争」 金度亨「日帝末期フィリピン・ビルマ地域韓人兵士の強制動員と帰還」 조은경「韓中抗日記念館展示ナレーティブと東アジア歴史認識:独立記念館・中国人民抗日戦争記念館を中心に」 資料紹介 박경목「[改題]独立運動家の回顧記録『李圭彩年譜』」 編集部「『李圭彩年譜』原文」 編集部「『李圭彩年譜』脱草本」 編集部「『李圭彩年譜』翻訳文」 『韓国独立運動史研究』46、2013.12 研究論文 박걸순「1910年代秘密結社の闘争方略と意義」 김주용「1910年代北間島地域秘密結社の組織と活動」 김영장「梁起鐸の西間島地域における独立運動」 장승순「黒旗連盟(1925)の組織過程と構成員の性格」 李明花「島山安昌浩の西大門刑務所投獄と収監生活」 김희곤「星州地域の独立運動と性格」 김용달「光復前後左右派独立運動勢力の国家建設論」 황선익「東北アジア情勢と中国地域韓人の帰還(1944-1946):中米交渉を中心に」 심옥주「日帝強占期済州独立運動の地境と独立有功者現況分析」 윤소영「近代日本官纂地誌と地理教科書に現れた独島認識」 정병준「アメリカ情報機関の独島関連資料と独島問題認識:中央情報局(CIA)CREST秘密解題資料を中心に」 『韓国独立運動史研究』45、2013.8 研究論文 홍순권「韓末日本軍の義兵鎮圧と義兵戦術の変化過程」 韓圭茂「1900年代金九の黄海道長連・文化・安岳移住と啓蒙運動」 김승태「3・1独立運動と宣教師達の対応に関する研究」 韓詩俊「大韓民国臨時政府と中国広州との関係」 潘炳律「呂運亨の活動を通じて見た上海地域初期韓人共産主義組織の形成と変遷についての再解釈、1919-1921」 張錫興「近代少年運動の独立運動史的位相」 권대웅「慶州の富豪崔浚の生涯と独立運動」 윤종문「米軍政期「英語学校」の設立と運営」 資料紹介 박민영「沿海州義兵名簿『義員案』解題」 『韓国独立運動史研究』44、2013.4 研究論文 金祥起「「第14連隊陣中日誌」を通じて見た日本軍の義兵弾圧」 이성우「在満大韓光復団の組織と活動」 김은지「大韓民国臨時政府の第二次独立デモ運動」 윤대원「参議府の「法名」改定と上海臨時政府」 한상도「第二次世界大戦期金元鳳の臨時政府参加と統合臨政体制内の動向」 유병선「日帝末期インドネシア韓人軍属の抗日闘争」 김민호「李範奭の生涯と独立運動」 金度亨「旅行券(執照)を通じて見た初期ハワイ移民の再検討」 資料紹介 박민영「『勉菴先生事実紀』解題」 『韓国独立運動史研究』43、2012.12 研究論文 韓圭茂「1905年「尚洞会議」と乙巳条約反対闘争」 서일수「1919-1923年申采浩の反臨時政府路線と民族自決主義認識」 韓哲昊「1920年代前半ジョージ・ショウ(George L. Shaw)の韓国独立運動支援活動とその意義:1920年11月釈放以降を中心に」 李明花「在米実業家金宗林の生涯と独立運動」 洪善杓「韓国独立運動を助けたアメリカ人」 金喜坤「尹奉吉顕揚資料を通じて見た上海義挙の歴史的意味:光復以前資料を中心に」 崔惠珠「日本東邦協会の朝鮮事情調査活動と朝鮮認識」 이용창「日帝強占期「朝鮮貴族」授爵経緯と授爵者行態:対韓政策の順応の代価」 朴賛勝「大韓民国憲法の臨時政府継承性」 황선익「サハリン地域韓人帰還交渉と抑留」 허수열「1945年解放と大韓民国の経済発展」 김주용「重慶韓国光復軍総司令部建物所在地に関する考察」 『韓国独立運動史研究』42、2012.8 尹慶老「「105人事件」被疑者の事件以後の行跡と活動:国外から独立運動に参加した19人を中心に」 김보희「1917年ドイツ捕虜高麗人が歌った独立運動歌謡」 김기승「心山金昌淑の思想的変化と民族運動」 李東彦「李鍾巌の生涯と義烈闘争」 崔起栄「李復源の留学と在中独立運動」 高珽休「大韓民国臨時政府に対するアメリカ・マスコミの報道記事分析:『ニューヨーク・タイムズ』を中心に」 김주관「空間構造の比較を通じて見た韓国開港都市の植民地的性格:韓国と中国の開港都市比較を中心に」 최보영「育英公院の設立と運営実態再考察」 이현일「日帝下公立医学専門学校の設立と運営」 趙成雲「1920年代修学旅行の実態と社会的認識」 이재호「壬辰倭乱についての初等教科用図書分析及び歴史授業の方向についての小考」 朴杰淳「独立記念館展示の交替・補完推移と今後の課題」 資料紹介 배연형「独立記念館所蔵有声機音盤の内容と史料的価値」 『韓国独立運動史研究』41、2012.4 研究論文 윤소영「1900年代初日本側朝鮮漁業調査資料に見える独島」 金喜坤「安東夫浦邑の人々の抗日闘争」 呉瑛燮「大韓民国臨時政府初期委任統治請願論争」 전갑생「1920年代巨済地域青年運動研究」 조원기「日帝の満州侵略と間島惨変」 김정아「日帝強占期独立運動家「仮出獄関係書類」についての検討」 강정숙「第2次世界大戦期インドネシア・パレンバンに動員された朝鮮人の帰還過程に関する研究」 韓相禱「第2次世界大戦期朴健雄の臨時政府活動と世代認識」 金祥起「尹奉吉の金沢での殉国と殉国地」 鄭秉峻「1953-1954年独島における韓日衝突と韓国の独島修好政策」 特別寄稿 矯桂瑾「矯漢治と朝鮮義勇隊」 1-20 21-40 41-60
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トップページ>東アジア・東洋>東洋史学研究 『東洋史学研究』120、2012.9 論文 金正烈「横北村と大河口:最近調査された遺跡を通じて見た西周時代地域性自体の様相」 李基天「7世紀唐の諸衛将軍号授与と蕃将の対応」 金成奎「宋の国信使が契丹の皇帝・皇太后に謁見する儀礼」 姜吉仲「李覯の現実認識と理致法改革論」 呂治昊「元代アス人(Asud)の台頭と政治的役割」 権容徹「大元帝国末期権臣バヤン(Bayan)の政治的行跡」 姜抮亜「満州事変前後在韓架橋問題の様相:朝鮮総督府外事課と在韓中国領事館間往復分書を中心に」 李世淵「高麗陣供養碑の流転:「「被我戦死者供養」=怨親平等」説に対する批判的検討」 崔京洵「1920年代全国水平社と日本キリスト教界の相互認識:「解放の福音」と「憎悪の福音」を中心に」 書評 朱秀浣「고혜련『미륵과 도솔천의 도상학:『불설관미륵보살상생도솔천경』을 중심으로』一潮閣、2011年」 『東洋史学研究』119、2012.6 特集:東アジアにおける聖所と巡礼 李成九「中国の聖所と女性原理」 金相範「唐代五台山文殊聖地と国家権力」 金成修「「山羊の地(ra sa)から「聖地(lha sa)」へ:内陸アジア仏教世界とラサ(lha sa)」 李允碩「中国近世の祠廟と地方統治:全国通祀と神像存廃を中心に」 朴晋熯「近世日本の聖所巡礼と伊勢参宮」 論文 裵淑姫「元来・明初の雲南と故元後裔の済州移住」 尹輝鐸「「民族共和」の虚像:満州国警察の満州構成と民族矛盾」 『東洋史学研究』118、2012.3 論文 朴健柱「漢代の地方常備軍と部曲の推移」 洪廷妸「東晋南朝時代荊楚地域文化と「荊楚人」意識」 沈昊成「モンゴル帝国期東部中央アジア駅站交通路の変遷」 李銀子「仁川三里寨中国租界韓民家屋撤去案件研究」 尹煜「若い満州親貴集団の政治的志向と挫折、1900-1911」 呉炳守「冷戦時代胡適の反共自由主義路線の形成:中国自由主義の理念化過程(1941-1953)試論」 尹裕淑「18-19世紀前半朝日両国の鬱陵島渡航様相」 『東洋史学研究』117、2011.12 論文 金垌吾「古代中国の工匠と技術統制:分業生産と工官組織分析を中心に」 趙晟佑「後漢魏晋鎮墓文の宗教的特徴と道教:五石を中心に」 徐銀美「南宋代茶の生産と東南地域の茶法」 朴敏洙「清代江南市鎮の牙行と会館・公所の建立:碑刻資料の分析を中心に」 李俊甲「乾隆49年(1784)~50年(1785)の教案と天主教共同体」 裵京漢「東アジア歴史の中の辛亥革命:共和革命の拡散と東アジア国際秩序の再編」 姜明喜「民国時代中国科学社の科学運動の性格:『科学』雑誌を中心に」 孫承希「相続慣行についての国家権力の妥協と貫徹:南京国民政府の相続法制定を中心に」 尹大栄「19世紀後半~20世紀初ベトナムの「新書」受容:初期改革運動の起源と関連して」 『東洋史学研究』116、2011.9 論文 金錫珍「清華戦国簡『保訓』編の年代と性格」 朴漢済「東晋‐南朝建康城の都城構造:五胡十六国‐北朝‐隋唐系列王朝の都城と比較して」 金炳辰「南宋時期建康府明道書院の研究」 金大起「南宋代郷村救済機構と救済活動の性格」 고명수「フビライ時期モンゴルの南宋征服と江南支配:保全、開発、発展の観点から」 李宣坭「近代中国と日本の言論媒体に見る朝鮮女性表象に関する一考察:『婦女新聞』と『婦女雑誌』を中心に」 이은경「大正期日本女性運動の組織化と路線の葛藤:『女性同盟』を通して見る「新婦人協会」(1919~1922)の歴史と意義」 書評 洪成和「上田裕之『清朝支配と貨幣政策:清代前期における制銭供給政策の展開』汲古書院、2009」 『東洋史学研究』115、2011.6 特集:東アジアの構造的理解 金浩東「ラシードゥッディーン(Rashid al-din)の『中国史』の中に表れた「中国」認識」 姜鳳龍「モンゴルの侵略と高麗武人政権及び三別抄の「島嶼海洋戦略」:その東アジア的意義」 조병한「中国近代の形成と文化:世界化時代の東アジア談論」 河世鳳「近代東アジアの再構成のための空間の視点」 論文 曺永禄「香山妙善公主と登州善妙娘子:観音・龍神説話と韓中海洋仏教交流」 金栄済「北宋神宗朝の対外貿易政策と高麗」 金成奎「宋王朝対安南国王冊封の形式と論理」 洪成和「官箴書を通して見た清代幕友と法律運用:汪輝祖の事例を中心に」 金志煥「南京国民政府の公債政策と統一公債の性格再論」 朴秀哲「織田政権の公家政策と「王権」:1581年馬揃を中心に」 特別寄稿 曺秉漢「金鍾圓(1934-2009)先生の生涯と学問」 『東洋史学研究』114、2011.3 論文 尹在碩「韓国・中国・日本出土論語木簡の比較研究」 李錫炫「北宋代使行旅程行路考:宋入境以後を中心に」 배숙희「蒙元帝国の雲南統治と諸宗族間の疏通」 辛圭煥「民国時期医師免許制度の成立過程と医師の社会的地位」 孫承希「中国民主同盟の挫折と選択:国共内戦期を中心に」 金宗植「公民教育を通じた近代日本の国民上の模索:1924年実業補習学校の「公民科」成立を中心に」 『東洋史学研究』113、2010.12 論文 任仲爀「中国古代庶人概念の変化:賜民爵と関連して」 李椿浩「五胡時期慕容前燕の建国とその性格:「勤王」の出現及びその運用を中心に」 崔碧茹「唐・宋時期家庭内妾の位相変化:夫妾関係の契約的特性を中心に」 李玠奭「元宮廷の高麗出身宦官と麗元関係」 朴正鉉「19世紀末仁川と漢城の中国人居留地運営体制」 金希信「「漢城開設行桟条項改定」交渉と中国の対応」 함동주「日本帝国の成立と博文館の出版活動:清日戦争期を中心に」 李炯植「中間内閣時代(1922.-1924.7)の朝鮮総督府」 『東洋史学研究』112、2010.9 論文 尹在碩「秦漢代住宅の構造と家族生活」 金宗燮「唐代長安文化の一形態:曲江文化を中心に」 李和承「関公信仰と山陝商人の発展」 尹煜「清末官用電報の問題点」 裵京漢「国民革命時期の蒋介石と汪精衛:迎汪運動と蒋汪上海談判(1927年四月)を中心に」 尹大栄「19世紀後半~20世紀初韓国のベトナム再認識過程とその性格」 書評 朴永哲「Timothty Brook 他・박소현訳『凌遅処斬:中国の残虐性과 西欧의 視線』너머북스、2010」 『東洋史学研究』111、2010.6 特集:東アジア歴史上の知的交流 南東信「慧超『往五天竺国伝』の発見と8大塔」 鄭惠仲「明清中国と朝鮮使行の知的交流」 李春馥「清末政治思想の中西融合と儒家政治思想の近代化」 李在碩「日本古代国家形成期の知の流通と独占:4~7世紀を中心に」 柳美那「19C末~20C初日本帝国主義の儒教利用と朝鮮支配」 論文 申採湜「宋代「君主独裁体制説」に対する異論」 姜元黙「乾隆時期江南乞丐問題と「盛世」の虚像」 李銀子「19世紀末在朝鮮未開口岸の清商密貿易関連領事裁判案件研究」 김동길「1945年‐1950年中・米関係と「中国喪失論」批判」 『東洋史学研究』110、2010.3 論文 林炳徳「里那秦簡を通じて見た秦の戸籍制度:商鞅変法・同居・室・戸についての再論」 金羨珉「後漢大喪儀礼での死者の儀服と「游官衣」意識」 鄭勉「唐代「南中」地域と「西爨」:「爨守忠墓誌」の解析を中心に」 閔丙禧「王安石における道と字」 崔允精「元代東北支配と遼陽行省:行省建置過程と治所問題を中心に」 李平秀「「陳松の天地会集団」と咸豊4年の叛乱」 朴晋熯「明治前期倹約規約の制定と内容の変化に関する考察」 李垠庚「近代日本キリスト者の戦争協力:羽仁もと子(1873-1957)の言説を中心として」 研究動向 유인선「日本における東南アジア史研究動向、1990-2007」 書評 金慶浩「최덕경『中国古代山林保護와 環境生態史研究』신서원、2009」 『東洋史学研究』109、2009.12 論文 李成珪「前漢更卒の徴集と服役方式:松柏木牘47号の分析を中心に」 吳峻錫「秦漢代の郵伝機構と文書伝達体系」 金浩東「元代の漢文実録と蒙文実録:『元史』「本紀」の中国中心的一面性の解明のために」 朴正鉉「第1次世界大戦以降中国対外貿易と中国経済の変化」 金希信「1926-1935年重慶の「内的」・「人的」要素と都市近代化」 金志煥「商業統制総会の綿紗布収買政策再論」 許芝銀「近世長州・薩摩の朝鮮語通詞と朝鮮情報収集」 『東洋史学研究』108、2009.9 論文 洪承賢「前漢初国家儀礼の制定と性格:封禅・明堂・郡国廟についての検討を中心に」 徐银美「『禅苑清規』を通じて見た宋代禅宗寺院の運営と茶礼」 李永玉「乾隆帝の「燦爛な」盛世と孟子解読」 宋正洙「清中期以降「反清復明」意識の伝承と屈折」 진세정「1930年代上海メディアと公論形成の慣行」 함동주「明治初期西洋史受容とフランス革命館の社会文化史」 書評 徐民教「方光錫『近代日本の国家体制確立過程:伊藤博文と「帝国憲法体制」』혜안、2008年」 『東洋史学研究』107、2009.6 特集:東アジア歴史における旅行と他者認識 李侑珍「圓仁の入唐求法と東アジア認識」 배영신「徐霞客の旅行記を通じて見た明・清交替期漢族知識人の西南辺境意識」 김성수「清代仏教世界の旅行」 朴敬石「近代中国人の海外旅行とナショナリズム、そして他者認識」 박용희「19世紀ヨーロッパ人の東アジア認識:いつつの旅行記分析を中心に」 李玉順「インド人が見た近代の東洋世界」 論文 朴永哲「宋代の法と訟師の向方」 丘凡真「清嘉慶~道光初兩淮塩商没落の原因」 朴基水「清末広州港における生糸・絹輸出貿易の位相と特徴」 임상범「閔斗基史学の一面:ある中国史学者の「中国史談論」」 『東洋史学研究』106、2009.3 論文 金正烈「邦君と諸侯:金文資料を通じて見た西周国家の支配体制」 金相範「唐代自然災害と民間信仰」 朴志焄「北宋代王安石の対外観と華夷論」 安大玉「マテオ・リッチ(利瑪竇)と補儒論」 元廷植「前近代中国経済の成長動力と新しい作物:明清時代復権の煙草産業を中心に」 柳鏞泰「中国政治協商会議と建国民意の向方、1944-1949」 田寅甲「『学衡』の文化保守主義と「啓蒙」批判」 尹輝鐸「「満洲国」商業社会の内的構造と民族的特徴」 『東洋史学研究』105、2008.12 論文 朴健柱「中国古代文武史序説」 兪垣濬「宋金同盟と馬擴の役割」 尹銀淑「北元と明の対立:遼東問題を中心に」 柳智元「「辺城」から「都城」へ」 鄭惠仲「明清時期移住と漢族の拡散」 金東吉「ソ連と第2次抗日国共合作」 姜抮亜「近代転換期韓国華商の対中国貿易の運営方式」 申東珪「近世日本の「島原・天草の乱」からみた江戸幕府とオランダの共助関係」 史料紹介 朴宣泠「中華民国内政府地図から見た白頭山定界碑:中華民国中央研究院で新たに発掘した間島資料」 『東洋史学研究』104、2008.9 論文 朴俸住「古代滇文化についての一考察」 朴漢済「魏晋南北朝時代墓葬習俗の変化と墓誌銘の流行」 閔丙禧「朱熹の社会・政治的構想としての「学」:「功利之学」「空虚之学」との対照を中心に」 裵淑姬「元代科挙制と高麗進士の応挙及び授官」 이평래「1991年モンゴル独立と民族統合運動の初期過程」 鄭文祥「南京国民政府の高等教育政策と大学社会:上海大夏大学事例分析」 朴羊信「近代日本における「国民」「民族」概念の形成とその展開:ネーション概念の受容史」 朴薫「18世紀末-19世紀初日本における「戦国」的世界観と海外膨脹論」 『東洋史学研究』103、2008.6 論文 심재훈「西周時代移民と国家:東西融合を通じた半分の中国形成」 辛聖坤「魏晋南北朝時代の人口移動と地域的分布」 鄭財勲「北アジア遊牧民族の移動と定着」 李錫炫「江南への人口移動:唐宋時期の戦争と避難史」 李丙仁「近代中国の海外移民と「故国」」 任城模「近代日本における国内植民と海外移民」 崔秉旭「東南アジア国家形成と移住」 『東洋史学研究』102、2008.3 論文 洪承賢「晋代喪服書の編纂と性格:喪服礼の確定過程を中心に」 田炯権「清後期~民国期湖南の水利開発と農業生産」 孫承希「民国時期国家主義派の国家と文化:民族性改造及び社会統合談論を中心に」 李在鈴「南京国民政府時期(1927-1937)国民教育政策の地方履行:江蘇省の小学教育活動を中心に」 朴晋熯「日本近世の都市社会と都市支配」 『東洋史学研究』101、2007.12 論文 崔珍烈「両漢魏晋時代本籍地封爵とその意味:本籍地回避慣行の変化様相を中心に」 金相範「唐末・五代浙西地域の祠廟信仰と地域社会」 金栄済「宋代両税の運送:東南上供米の運送と運送費を中心に」 윤영인「10-13世紀東北アジア多元的国際秩序における冊封と盟約」 李俊甲「移住、定着、同化:17C~20C四川客家の軌跡」 李和承「清末経元善を通じて見た商人の社会参与」 都重萬「学戦・翻訳と啓蒙:清末の馬君武と訳された『自由原理』を中心に」 柳鏞泰「近代中国の職業団体と民意形成、1901-1919」 史料紹介 朴宣泠「西間島、東間島が明記された参謀本部地図について:中華民国中央研究院近代史研究所で新しく発見した間島の資料」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140