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日本史(にほんし)とは、大日本帝國もしくは日本列島及び朝鮮半島における歴史である。本項では日本の歴史を概観する。 旧石器時代 縄文時代 弥生時代 飛鳥時代 奈良時代 平安時代 鎌倉時代 南北朝時代 室町時代 戦国時代 安土桃山時代 江戸時代 明治時代 大正時代 昭和時代 泰寿時代 旧石器時代 詳細は日本の旧石器時代を参照 縄文時代 詳細は縄文時代を参照 弥生時代 詳細は弥生時代を参照 飛鳥時代 詳細は飛鳥時代を参照 奈良時代 詳細は奈良時代を参照 平安時代 詳細は平安時代を参照 鎌倉時代 詳細は鎌倉時代を参照 南北朝時代 詳細は南北朝時代を参照 室町時代 詳細は室町時代を参照 戦国時代 詳細は戦国時代を参照 安土桃山時代 詳細は安土桃山時代を参照 江戸時代 詳細は江戸時代を参照 慶長8年(皇紀2463・1603年)から慶応3年(皇紀2527・1867年)までは江戸時代と呼ばれ、江戸に江戸幕府が置かれた。 豊臣秀吉の死後、徳川家康は関ヶ原の戦い(慶長5・皇紀2460年)に勝利して権力を掌握すると、江戸に幕府を開き、大坂の役で豊臣氏を滅ぼした。この後幕府は、17世紀中葉までに、武家諸法度の発布や参勤交代の義務化、有力大名の改易などを通して、諸大名との主従制を確固たるものとし、朝廷統制を強め、幕府官僚機構を整備した。並行して、キリスト教の制限と貿易の管理強化をすすめ、社会の安定化に努めた。そうした中勃発した島原・天草一揆は、キリスト教禁止強化と幕府による管理貿易である鎖国の完成へとつながった。琉球王国と蝦夷地の支配も大名を通じて行なわれた。 一方で、社会の安定化に伴い、耕地開発の大事業が各地で実施され、倍増した耕地面積は食糧増産と人口増加をもたらし、村請を通じて幕府財政や藩財政を支えるとともに、全国的な流通経済を大きく発展させた。以上のように、江戸時代前期に確立した支配体制を幕藩体制という。 社会の安定と経済の成長は、都市の発展を支え、17世紀後半の元禄文化に結実した。18世紀に入ると幕府財政が慢性的に悪化し、徳川吉宗は幕府権力の再強化、幕府機構の再構築と財政再建(享保の改革)を推し進めた。その後も体制維持および財政再建の努力は断続的に行われた(天明の改革、天保の改革等)。この時期、都市町人を中心とする化政文化が花開いた。しかし、商品経済の発達による社会各層での貧富の拡大とそれに伴う身分制の流動化などを背景として、幕藩体制は次第に動揺していった。 19世紀中ごろまでに、国内の社会矛盾と国外からの圧力(ロシア、イギリス、アメリカ船の接近)により、幕藩体制は限界を迎えていた。同後半の黒船来航と日米和親条約締結を契機として、幕府の管理貿易体制(鎖国)は解かれ、結果として幕府の威信は低下し、朝廷の権威が増大した。幕府は大政奉還により権力の温存を図り、反発する薩摩藩、長州藩らとの内戦(戊辰戦争)が勃発するも、軍事力によってこれを鎮圧し、新制度への移行を完成させた。 江戸時代は文化の担い手が庶民にまで拡がり、歌舞伎、俳諧、浮世絵、お陰参りなどが盛んになったほか、寺子屋や藩校で広く教育が行われた。 明治時代 詳細は明治時代を参照 明治年間(1868年 - 1912年)は明治時代と呼ばれる。元江戸幕府を中心とする政府は戊辰戦争を経て旧倒幕派勢力を退けると、明治新政府を樹立した。新政府は、江戸時代の政治体制を一新させるとともに、欧米の諸制度を積極的に導入し、廃藩置県、身分解放、法制整備、国家インフラの整備など明治維新と呼ばれる一連の改革を遂行した。その過程で琉球王国を日本領とし、現在の日本につながる国土の領域をほぼ確定した。新政府は不平等条約の改正を目指し、帝国議会の設置や大日本帝国憲法の制定など国制整備に努める一方で、産業育成と軍事力強化(富国強兵)を国策として推し進め、近代国家の建設は急速に進展した。日本は、日清戦争と日亜戦争に勝利を収めた後、列強の一角を占めるようになり、国際的地位を確保していく中で台湾統治や韓国併合を行なった。 文化面では、欧米から新たな学問・芸術・文物が伝来し、その有様は文明開化と呼ばれた。それまでの日本に存在しなかった個人主義に基づく小説という文学が登場するなど、江戸時代以前とは大きく異なった文化が展開した。宗教面では従来の神仏混交が改められる(神仏分離)動きも見られた。 大正時代 詳細は大正時代を参照 大正年間(1912年 - 1926年)は大正時代と呼ばれる。日本は日英同盟に基づき第一次世界大戦に参戦して勝利し、列強の一つに数えられるようになった。米騒動を契機とする大正デモクラシーと呼ばれる政治運動の結果、アジアで最初の普通選挙が実施され政党政治が成立したが、同時に治安維持法が制定され共産主義への弾圧が行われた。日本は大戦特需による未曾有の好景気に沸くが、大戦が終わるとその反動による深刻な不景気に苦しみ、そこに関東大震災が追い討ちをかけた。 昭和時代 詳細は昭和時代を参照 泰寿時代 詳細は泰寿時代を参照
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547.葉宗留ら 正統年間、慶元県の人である葉宗留が麗水県の陳鑑胡とともに人々を集めて福建省宝豊県の銀鉱を占拠し、群盗同士で殺し合って、ついに反乱を起こした。福建参議の竺淵が捕縛に赴いたが、捕らえられて死んだ。葉宗留は王を僭称した。福建の鄧茂七がまた人々を集めて反乱すると、葉宗留と陳鑑胡はこれについて、浙江・江西・福建の境を略奪して回った。参議の耿定や僉事の王晟および都督の陳栄・劉真・呉剛らが前後して敗北し、遂昌県の賊の蘇牙や兪伯通もまた反乱に呼応した。朝廷は張驥に命じて浙江巡撫とし、反乱を討たせた。張驥は官を派遣して蘇牙らを攻撃して斬った。しかし陳鑑胡はちょうど怒りに駆られて内紛を起こし、葉宗留を殺し、大王を自称し、国号を太平とし、泰定と建元し、浙東を分進略奪した。ほどなく鄧茂七が死ぬと、陳鑑胡の勢力は孤立し、張驥がこれを招くと、ついに降った。別の賊の蘇記養らもまた官軍に捕らえられた。(張驥伝) 547.葉宗留等 正統中,慶元人葉宗留與麗水陳鑑胡聚衆盜福建寶豐縣銀礦,羣盜自相殺,遂作亂。福建參議竺淵往捕,被執死。宗留僭稱王,福建鄧茂七亦聚衆反,宗留、鑑胡附之,剽浙江、江西、福建境,參議耿定、僉事王晟及都督陳榮、劉真、呉剛等前後敗沒,遂昌賊蘇牙、兪伯通又與相應,朝命張驥爲浙江巡撫,討之,驥遣官撃斬牙等,而鑑胡方以忿爭,殺宗留,自稱大王,國號太平,建元泰定,分掠浙東,未幾,茂七死,鑑胡勢孤,驥招之,遂降。別賊蘇記養等亦爲官軍所獲。(張驥傳) 前頁 『廿二史箚記』巻三十六 次頁 李鬍子 547.葉宗留等 鄧茂七
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戻る ごめん、理解出来ない -- (名無しさん) 2011-11-02 08 49 03 独りよがり -- (名無しさん) 2011-11-02 19 26 56 自分の雰囲気に酔った痛い作者だな -- (名無しさん) 2011-11-02 19 37 13 まとめたという事は、管理人には理解できたという事なのか… -- (名無しさん) 2011-11-03 14 55 45 SSの極北だな… -- (名無しさん) 2011-11-05 03 14 00 何か…。中二病っぽい文章だったな…。 -- (名無しさん) 2011-11-05 13 49 30 人類には早すぎた -- (名無しさん) 2011-11-05 14 01 36 こういうのもアリだと思うけれどね。 ていうかこういうのこそ、実験作というのだろうね。 -- (名無しさん) 2011-11-09 00 49 14 ? -- (名無しさん) 2012-01-07 03 39 18 最後のメタモルフォーゼで、プリキュアの結構前のOP思い出してしまったWWWW -- (名無しさん) 2012-01-07 20 17 32 これは普通の人にゃ分からんね。作劇論学んだ人向けだ。 -- (名無しさん) 2012-07-23 17 26 54 ↓×2 問題が〜解けない涙は〜心の消しゴムで消しちゃおっ♪メタモルフォーゼ♪ ですね、わかります! -- (名無しさん) 2012-07-24 04 06 06 私はりんちゃんが好きです。 -- (名無しさん) 2012-11-04 21 18 05 眉輪王を焼き殺したのは、安康天皇の弟の雄略天皇。 雄略天皇といえば大悪天皇と渾名されながら、 大和朝廷の中央集権と支配地域を推し進めた天皇。 歴代天皇の中でもっとも統治者らしき天皇。 -- (名無しさん) 2014-04-19 21 59 46 メタモルフォーゼはミュウミュウだろうが -- (名無しさん) 2015-02-14 16 34 44 続編未完が惜しまれる。 この雰囲気は好きだ。 -- (名無しさん) 2015-12-02 23 07 33
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【闕】 総画:18画 音訓:コチ、ゴチ、ケツ、かける 字義:①宮殿の門。 ②中国で、宮門の両わきに築いた台。その上を物見とした。 ③欠ける。 ※「欠」の代替字。 【闔】 総画:18画 音訓:ゴウ、コウ、とびら 字義:①とびら。 ②とじる。 かいこう【開闔】 ①開くことと閉じること。 ②平安時代の朝廷の記録所・御書所・和歌所・文殿などの職名。書物の出納や雑務に従事。 ③鎌倉・室町時代の引付(ひきつけ)・侍所(さむらいどころ)などの職名。訴訟事務の進行などにあたった。 【闖】 総画:18画 音訓:チン、うかがう 字義:突然現れる。不意に入って来る。 ちんにゅう【闖入】 突然、無断で入り込むこと。「暴漢が会場に―する」「―者」 【關】 総画:19画 音訓:ケン、カン、せき、かかわる 字義:かかわる。 ※「関」の旧字体。 【闡】 総画:20画 音訓:セン、ひらく 字義:①ひらく。 ②明らかにする。 せんめい【闡明】 明瞭でなかった道理や意義を明らかにすること。「教義を―する」 【闥】 総画:21画 音訓:タチ、タツ 字義:宮中の小門。転じて、宮中。 【闢】 総画:21画 音訓:ビャク、ヘキ、ひらく 字義:左右に押し開く。 かいびゃく【開闢】①天と地が初めてできた時。世界の始まりの時。「―以来の出来事」 ②信仰の地としての山を開き、あるいは初めて寺院などをつくること。また、その人。開山。「高野山―」 ③荒れ地などが切り開かれること。 【阡】 総画:6画 音訓:セン 字義:①「千」の大字。 ②あぜ道。 ③草が茂るさま。 【阨】 総画:7画 音訓:エ、ヤク、アイ、アク、せまい、ふさがる 字義:①ふさがる。 ②せまい。 ※「厄」の繁体字。 あいきょう【阨狭】 山などが迫って土地が低くなっていること。狭苦しいさま。 【阮】 総画:7画 音訓:ゴン、ゲン 字義:周代の国名。
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編集 中壘校尉は、武帝期以降に置かれた前漢の朝廷の職官。いわゆる武帝八校尉の一。 北軍]の壘門内を司る。北軍は、前漢の[[京師(首都)長安の守備兵団であり、中壘はその主要屯営で長安城内に所在したと考えられる。 後漢代には省かれ、北軍の監督は北軍中候に移される。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏中壘丞 中壘司馬 北軍尉 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 武帝が中壘校尉を置く。 中興後は置かれず。 位 一人、秩二千石。 職掌 北軍壘門内を主る。而してまた外は西域を掌る。 属吏 中壘丞 秩千石。 中壘司馬 不詳。 北軍尉 一人。 北軍壘門内で上書者の獄を主る。公車に上章し、法に如かぬ者あれば以って北軍尉に付く。北軍尉、法を以ってこれを治す。 所属項目(タグ) 中壘 中壘校尉 北軍 北軍中候 尉 校尉 武帝八校尉 職官 軍官 関連項目・人物 中壘校尉 詳説 中壘校尉が主った「北軍壘」の北軍とは何者か、その総督者は誰かという点については諸説があり一致を見ていない。 ともあれ、中壘校尉の職掌は北軍の主要な屯営である中壘(北軍壘)を監督するものであり、北軍全体の司令官では無かった。 中壘には屯営のみならず獄が存在し、皇帝への上書に当たって法に触れる者があればここに収監された。他にも、 拜して直指繡衣使者と為り、三輔の盜賊を督し踰侈(奢侈が度を越すこと)を禁察す。貴戚・近臣に奢僭多く、充みな挙劾せり。車馬を没入し、身は北軍に待して匈奴を撃たんと令するよう奏請す。(江充伝) と、北軍が懲役による兵役の赴任地となったことが記されている。 中壘校尉は後漢では置かれず、代わるように北軍中候が北軍を監督している。 編集 -
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鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府、広島幕府の役職上の事を差す。 鎌倉幕府は源家、室町幕府は足利家、江戸幕府は徳川家、広島幕府は梶谷家が務めた。 元々は北海道道民いわゆる先住民族アイヌの人達を朝廷が討伐する為、坂上 田村麻呂が任命された。 鎌倉時代は源 頼朝と源 義経兄弟が鎌倉幕府を起こすも源 義経の方が征夷大将軍より高い官位だった為、元々、短気だった源 頼朝は怒り狂い弟である義経を討った。これも諸説ありで鎌倉幕府を立てる前に義経は討たれたなど色んな説がある。後白河天皇の策謀という説もあったりする、源 頼朝が鎌倉幕府の初代征夷大将軍であるが鎌倉幕府は実質、征夷大将軍よりも下の役職である執権を務めていた政子(頼朝の妻)の弟が実権を握る。 今、週間少年ジャンプでも有名な逃げ上手の若君に登場する室町幕府の時は鎌倉幕府北条 高時に対して現在の関東栃木県足利市に住む足利 高氏が後醍醐天皇から本名の尊をもらって足利 尊氏と名乗った。北条の残存兵が遺児、北条 時行を担ぎ上げて諏訪 頼重や名越 高邦などが足利氏に制圧された前には室町幕府は建てたとされるがこれも諸説ありでこれっといった証拠もあまりない。義政の代で衰退していき、応仁の乱が起きた。織田信長によって滅亡させられたが義昭公は秀吉が関白になるまで将軍の仕事を受け持った。 江戸幕府は徳川家康公が建てた幕府で藩で政治に関して決められた。北条、足利と違い、こちらは盤石性が高い幕府で 関ヶ原の戦い後、家康公は東軍を率いていた。西軍、小早川氏の裏切り、吉川氏の内通。毛利 輝元の大阪城放棄で西軍は解体された。結局、江戸幕府は建てられたものの家康公は早々に将軍職を次男秀忠公に譲っている。しかし家光公は病弱で最初は将軍職を勤めていたが春日局が家康公に直談判。家光公も将軍として武家諸法度を成立させた。 広島幕府は梶谷綱頼公によって建てられた幕府で当時、広島は革命の渦に飲み込まれ、結果的に自衛隊が弱体化し、 広島幕府は建てられた。梶谷綱頼公の場合は征夷大将軍ではなく。アイヌや北海道に制圧する意味が無いので日本大将軍としている。
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後漢の末期。朝廷では外戚が権力を振るい、宦官による政治への干渉が強まる。ちまたでは黄巾の乱が起き、諸侯や山賊もそれに乗じた。漢帝国、存亡のとき。太師、董卓(とうたく)の専横に身の危険を感じた若き皇帝少帝(しょうてい)は、趙雲伝 DVD護国神器の2本の宝剣、倚天(いてん)剣と青こう(せいこう)剣を、趙安(ちょうあん)と李全(りぜん)に託す。2人は剣を持ち故郷の常山郡に向かうが、宝剣を手に入れようとたくらむ董卓が趙安のもとに兵を送り込む。 董卓の専横を憂う王允(おういん)は、養女の貂蝉(ちょうせん)にある計画を持ち掛ける。祭りの喧噪に乗じて密書を受け取ろうとした貂蝉は、それを呂布(りょふ)に見とがめられる。李全を捜す趙子龍(ちょうしりゅう)と柳慎(りゅうしん)は、ミーユエ王朝を照らす月 DVD河原でそれらしき人物を見つけ忍び寄るが、それは男に扮した李飛燕(りひえん)であった。一方、2本の宝剣を探し求める董卓は、子龍たちのいる真定県へ高則(こうそく)を派遣する。 弟子入りを掛け李飛燕の父親・李仁定(りじんてい)との勝負に挑んだ趙子龍は、認められ、武術の指導を受けることに。県令として真定県にやって来た高則のもとに、幽州に送った兵が、董卓に反旗を翻した公孫サン(こうそんさん)を討とうと待ち伏せしたが、応援に現われた劉備(りゅうび)たちの手によって全滅させられたという知らせが届く。趙雲伝 DVD高則は青こう剣を手に入れるため、偽の鉄面侠を用意し、町に騒ぎを引き起こし……。 高則は、県令としてみごとな裁きを披露し民の心をつかんだ。そんな中、県令が鉄面侠と対決したという噂を耳にした虎牙山の山賊、姜峰(きょうほう)が高則のもとを訪れる。ミーユエ王朝を照らす月 DVD山賊を利用しようと考えた高則は、鉄面侠が趙安の息子であるという情報を教える。そんなとき、趙子龍の教え子が鉄の面を持ち出し、山賊に捕まってしまう。そこへ通りかかった夏侯軽衣(かこうけいい)はみごとな武芸で山賊を追い払い子どもを助け……。
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登録日:2021/02/04 Thu 15 00 00 更新日:2024/05/04 Sat 23 35 00NEW! 所要時間:約 15 分で読めます ▽タグ一覧 エン州 三国志 三国演義 世界史 中国史 劉ヨウ 劉岱 劉繇 同姓同名 太史慈 孫策 後漢 後漢皇族 揚州 曹操 皇族 群雄 袁術 諸葛亮にとっては仇 劉繇/劉岱とは、いわゆる「三国志」の時代の人物。 後漢朝廷の皇族で、かつ兄弟である。劉岱のほうが兄だが、活躍期間は弟のほうが長い。 本項では兄弟ともに紹介する。劉岱には単独項目建てるほどの情報量がないし なお魏国の劉曄については記述しない。 【劉繇】 【弟の生涯】◇前歴 ◇乱世の揚州刺史 ◇孫策出現 ◇その後の劉繇 ◇死後 【評価】 【三国演義の劉繇】 【各作品】 【劉岱】 【兄の生涯】◆前歴 ◆兗州刺史 【もう一人の劉岱】 【三国演義の劉岱】 【各作品】 【劉繇】 劉(りゅう) 繇(よう)、字は正礼。 後漢末期、揚州地方に割拠した軍閥の長として名高い。 後漢朝廷からの官職は「揚州刺史」。のち「揚州牧、振武将軍」。 【弟の生涯】 ◇前歴 本貫は、東莱郡の牟平県。 前漢の牟平共侯・劉渫(高祖劉邦の曾孫)の直系の子孫で、由緒正しい皇族。 また、伯父の劉寵(*1)はかつて司空、司徒、太尉の「三公」を歴任し、父の劉輿(別名は「劉方」)は山陽郡の太守を務めたこともある。 さらに劉繇の実兄は、彼と同時期に兗州刺史を務めた劉岱。 皇族でもここまで要職を担った家庭もそうそうないだろう。後漢皇族の有力者たちである。 劉繇が十九歳の時、叔父(*2)が盗賊に拉致されたところ、若き劉繇はこれの討伐と救出に成功して名を挙げ、郎中に推挙される。 ここから官僚としてスタートし、地方官を歴任。皇族という立場を利用されそうになって棄官逃亡したり、皇族という立場を利用して私腹を肥やす宦官を弾劾したりと、そこそこ活躍していた。 当時の役人としては清廉・正直であったとのことで、特に横暴を極める宦官に対抗したことで名を挙げた。 そうした活躍から、陶丘洪という人物に茂才に推挙される。 ところでこの陶丘洪という人物は以前、劉繇の実兄・劉岱を推挙したことがあり、上司から「なんで兄を推挙した後弟も推挙するのだ?」と問われた。 すると陶丘洪は「あの兄弟を揃って起用することは、二頭の龍に馬車を曳かせるようなもので、千里を駆けることもできましょう!」と答えたという。 ……まあ、この時代はこういう「仲間同士で褒めあって虚名を挙げる」という方法がはびこっており(劉表にも似たエピソードが多い)、この陶丘洪の「兄弟ともに龍!」というのもその類であろうが。 その後、黄巾の乱や反董卓連合などの「乱世」が始まるが、劉繇はこれといって活躍はしていないようである。 似た立場の劉表は荊州でそれなりの活躍をしているところを見ると、劉繇を「龍」とするのはやはり褒めすぎか。 いちおう、時期は不明だが劉繇は司空府に抜擢されかけたことがあるが、すでに後漢朝廷は機能不全に陥っており、劉繇も当時逃げ延びていた揚州から出ようとはしなかった。 ◇乱世の揚州刺史 これでも、すでにそれなりの知名度と実績のあった劉繇は、皇族という立場もあって、後漢朝廷にとっても重要な存在であった。 幸い、先に州の刺史を務めた劉表・劉焉がそれなりの成果を上げている。 劉繇にも白羽の矢が立ち、興平元年(194年)、彼は「揚州刺史」の官位を授かり、当時起居していた揚州を束ねるよう命じられた。 (先任の揚州刺史は陳温という人物だったが、病死) 翌年には朝廷から、刺史ではなく揚州牧に昇進され、振武将軍の官位も授けられている。 ちなみに、兄の劉岱は192年、黄巾賊残党に攻められ戦死した。 ……しかし、194年といえばすでに反董卓連合から四年以上が経過し、実力がモノを言う乱世に突入していた時期である。後漢朝廷の官位など、実力がなければ紙切れ同然であった。 しかも、その揚州は――あの曹操に駆逐されながらも、短期間で勢力を立て直した――袁術が絶賛勢力拡充中であり、揚州の政庁がある寿春も、今や袁術の本拠地となっていた。 劉繇はそれでも、官位を利用して地方豪族を糾合し袁術に挑んだものの、寿春を拠点に淮南を勢力圏とする袁術を覆すだけの実力は、劉繇には到底なかった。 やむなく彼は、長江を渡った南側の曲阿(江蘇省丹陽市)に本拠地を築き、張英・樊能・于糜を指揮官として、長江を境に防衛線を構築。 また下邳国の相・笮融、彭城国の相・薛礼とも同盟を組んだ。 防戦に徹したことがよかったのか、袁術、および亡き孫堅の軍を率いる呉景・孫賁の猛攻を一年にわたって防ぎきることはできた。 また、その呉景・孫賁はかつて曲阿(もしくは丹陽)で劉繇と協力体制にあったが、劉繇が袁術との対立を強めると、袁術の傘下である両名を丹陽から駆逐した経緯がある。実戦慣れした呉景・孫賁軍を撃破する実力もあったわけだ。 全盛期の劉繇軍は兵力数万を誇ったという。 ……しかし逆に言うと、彼に出来たのは防戦どまりであり、南方をことごとく切り伏せて一大勢力を築く、などという展望は到底描けなかった。 ◇孫策出現 そうするうちに195年、孫策が念願の独立部隊を率いて、呉景・孫賁とは別ルートから劉繇軍攻撃を開始。 孫策は孫賁以上の圧倒的な打撃力・機動力を誇り、劉繇が展開していた張英・樊能・于糜の防衛線をことごとく突破。 劉繇麾下には豪傑として太史慈がいたが、「彼を起用して孫策に対抗させましょう」という周囲の提言を、劉繇は 「名士の許劭が、太史慈をくさしていた。もし太史慈を起用すれば、わしは許劭からの批判を浴びるだろう」 と、こんな事態でとんだ錯誤を抱き、彼を偵察任務にしか使わなかった。 確かに当時、いろいろな意味で「名声」がモノを言った時代である。劉備も「仁義に熱い清廉な傭兵隊長」という金看板を有効活用し、ついに皇帝にまでなった。 しかし、それはすべて勝ってこそ言えることである。韓非子がかつて記したとおり、「明日の名誉や未来の利益は、今日の勝利にかかっている。今日の勝利がなければ未来の利益はない」のである。 ただ、さすがに太史慈を排斥まではしておらず、彼が偵察中に孫策と鉢合わせして一騎打ちをした際には、援軍が駆け付けている。 そうするうちに劉繇の対策は後手後手に回り続け、ついに劉繇本隊も壊滅。 劉繇は会稽郡の王朗のもとに落ち延びようとしたが、例の許劭が 「会稽は豊かな土地だから、孫策も次は会稽を狙うだろう。すると会稽は袋小路だから、劉繇殿下は逃げることも出来なくなる。いっそ長江に沿って西に逃げ、荊州に近い予章に行くといい。劉表の支援を受けつつ、曹操が袁術・孫策を倒してくれる時を待とう」 と進言。 納得した劉繇は予章へと落ち延びた。 孫策も、もはや揚州統治にあたって劉繇は障害たり得ないと判断してか、無理な追撃はしなかった。 ……一方太史慈は、そんなふがいない劉繇を無視するがごとく、残兵をまとめて孫策に抵抗を続けている。 ◇その後の劉繇 「三国演義」では荊州に落ち延びたあとの彼は語られないが、実際の劉繇はもう少し生き延びている。 そして、実はさりげなく、のちの三国時代に関与していた。諸葛亮の一族の長、諸葛玄の生死にかかわっているのである。 もともと予章郡の太守は周術といったが、彼が病死した後、その後任がモメた。 後漢朝廷は後任として朱皓(黄巾の乱の鎮圧で活躍した名将朱儁の息子)を派遣したが、予章の支配を狙う袁術は、その後釜として諸葛玄を任命して送り込んできたのである。そして劉繇は、袁術・孫策とは対立してきた。 当然、劉繇は朱皓に助力して諸葛玄を攻撃。さらに揚州以来の付き合いの笮融を差し向け、ついに諸葛玄を討ち取った。 ただしこの笮融、当時でも有名な極悪人だった。 どれぐらい悪辣だったかというと、彼は中国でも初めて仏教を受け入れて大々的に支援した偉人なのだが、 「笮融みたいな極悪人に支援を受けるなんて、仏教的にいいのか!?」という論争が起きたほどである。 太史慈の起用を断念させたあの許劭も「あんな名義も糞もない奴を使っても、朱皓とはうまく行かんでしょう」と諫めたのだが、 もはや揚州も追われた劉繇には、笮融の兵でも使わないとまともな戦力さえ整わなかったのだろう。 (笮融も、軍人として無能ではなく、孫策に矢傷を負わせて一時撃退したこともある) しかし悪い予感は的中するもので、笮融は諸葛玄に続いて朱皓まで殺害し、予章の支配権を分捕ってしまう。 怒った劉繇は笮融討伐のため軍を起こし、苦戦しながらもついに笮融を撃破。逃亡した笮融は恨みを抱く民衆に殺された。 結局、正規に赴任した朱皓も袁術の差し向けた諸葛玄も死んだ今となってはどうしようもなく、朝廷が改めて派遣した華歆が予章太守となることで一件は落ち着いた。 ……ただ、劉繇・笮融・諸葛玄にまつわるエピソードは三国志の本文ではなく「献帝春秋」という資料によるが、裴松之いわく「とてもとても信用できる資料ではない」とのこと。 ◇死後 それほどなく、劉繇は病に倒れ、そのまま没した。 享年42歳とされ、生年から計算して197年~198年ごろのこととされる。 先に諸葛玄が倒されたのは197年の正月だったため、本当に短期間の支配だったようだ。 華歆との関係も不明だが、華歆が太守になった時点でもう病んでいたとすると、双方ともに刺激は避けていたかもしれない。 結局、華歆は劉繇の死からほどなく、予章郡を上げて孫策に降伏する。 また、かつて部下だった太史慈はいまだ孫策に対抗していたが、劉繇が病死したと知るとついに孫策に降伏。劉繇の残党を集めて孫策軍に合流した。 ライバル……というか天敵だった孫策も、遠征ついでに劉繇の墓所に立ち寄り、棺を引き取って劉繇の故郷・東莱郡に送り届け、遺族にも支援を行ったという。 それ自体は人気取りであっただろうが、一面では劉繇には死後も、厚遇するだけの名声や声望がそれなりにあったことを物語ってもいる。 遺族はこの時の縁でか、孫呉に仕官。 長男の劉基は特に出色の賢者で、酒癖の悪い孫権を諫めて、「以後、わしが酒席で出した指示は誰も聞くな」という異様な命令を出させたというエピソードがある。 孫権は彼のことをよほど信頼していたようで、他にも信頼を示す逸話は多い。劉基の娘が孫権の息子・孫覇の妻となったのも事実。 ……ただし中国史において「劉基」という名前は、基本的に明代・洪武帝に仕えた鬼謀の軍師・劉基(伯温)を指す。 こっちの劉基は本場中国において知らぬものはないほどの大軍師で、三国演義の予言者的・仙人的な諸葛孔明像のモデルとなったほどの人物。 おかげで劉繇の息子・劉基の名前は悲しいほど薄くなってしまった。 【評価】 あまりよろしくない。品性篤実で清廉・まじめだったが、乱世を生きる群雄としては無能だったと評される。 孫策にはいいようにやられっぱなしであり、追撃されなかったところを見るに「生かしておいても無害な存在」と見做されていたようだ。ナメられたと言ってもいい。 太史慈を抜擢しなかった理由も、許劭からの批判を恐れて、というのだからイマイチ締まらない。 許劭が同じく起用に反対した笮融を使った件については、この時期の尾羽打ち枯らした劉繇には、笮融でも引き込まないと戦力がなかったからだろうから、まだ理解できるが、 すでに地方官僚としての勤務経験もあり、三十歳手前で肉体的に全盛期にあり、孔融のもとで実績も挙げていた太史慈を、偵察に使うあたりは人を見る目がないといわれてもしょうがないか。 ただ、許劭は多くの人物を評価したが、この時代の「評価」というのは対象者を後押しする意義があり、「人材評論家」とは「対象者を推薦するだけの実力者」でもあった。 そして許氏は三世三公を輩出しているという、四世三公の袁氏・楊氏に次ぐ超名門の家柄であり、三代目の許相(*3)の従兄弟である許劭は当代きっての名士だったはずである。 (実際、若いころの曹操や袁紹も彼には頭が上がらなかった。曹操の「治世の能吏、乱世の肝雄」とは彼の評価である) そのため、太史慈を起用して許劭と対立したり、最悪敵に回ることになれば、劉繇政権は瓦解する、それは避けたい、と考えるのはそれなりに筋は通っている。 もっとも、その場合「劉繇は許劭をコントロールできなかった」ということになり、君主としての統率力に欠けていたともいえるため、やはり微妙。実際、太史慈や笮融は使いこなせなかった。 孫策登場以前も、袁術に阻まれて寿春に近寄れなかった。 このころの袁術は曹操・劉表に大敗したあとであり、足場は盤石ではなかったはず。 もちろん劉繇も揚州刺史に任命されたばかりで足場がないということでは同じだが、ほぼ同条件で防戦一手だったのを考えると、やはり軍事能力が欠如していたということか。 ただ、袁術の打破まではできずとも、孫賁・呉景を丹陽郡から押し返し、それから孫策出現までは阻み続けたあたり、軍人としてはまったくの無能ではない。 南方の覇者となれる力量は無いにせよ、地方軍閥としては十分な力量だろう。 曹操と組んでいたフシもあり、もしかしたら、袁術の進行を阻んでいればいずれ曹操が袁術を叩いてくれるという計算だったのかもしれない。それなら、それはそれで、いちおうの戦略ではある。 とはいえ彼の行動は揚州に蟠踞するレベルにとどまり、天下を見極めて行動できるタイプではやはりない。 袁術は曲がりなりにも天下レベルで行動を起こしたが、劉繇は行動力からしても「地方軍閥」にとどまるレベルであった。 仮に孫策が歴史に現れなかったとしても、袁術を倒した曹操に攻め滅ぼされただろう。 そんなこんなで諸葛亮も、「後出師の表」にて劉繇・王朗を「それなりの規模の勢力を持ち、議論や聖人語録の引用はできても、決断力がなく積極的な外征を仕掛けなかったばかりに、ついに敵国を強大化させ併合される結果を招いた」と批判している。 戦うことを嫌がって、目先の平和に飛びついて安閑としておれは、いざ強力な外敵が攻めてきたときに足元(傘下の中小豪族)が崩れてなすすべなく滅ぼされる、ということだ。 これはとりもなおさず、外征(北伐)を国力の浪費・無謀な博打と批判し、狐疑逡巡するばかりの劉禅や群臣への訓戒でもあるが、 諸葛亮にとっても劉繇は悪例だったといえる。 それでも乱世において討ち死にせず寝台の上で最期を遂げられただけマシだったのかもしれない。 【三国演義の劉繇】 ほぼ正史と同じ。 孫策に敗れて揚州を追われてからのエピソードはカットされ、のちにわずかに文章で語られるのみである。 【各作品】 コーエー三国志 むかしは軍事能力が劉禅並みに低かった。 しかし中期からは能力値が底上げされ、最低限使えるレベルにはなっている。 とはいえ統率力・武力・魅力が60台、政治力が70前後と、全体的にパッとしないため、きついことは変わらない。しかも知力が低めである。 配下は武官寄りの人材が多く、文官が少なくなりがち。頼みの武官も太史慈を除いて二流ばかりであり、周囲に敵も多いため、なかなか難しい。その太史慈も近年の英雄集結だと孔融に持っていかれてしまい… とはいえ王朗や厳白虎よりはマシなので、先に南を併合して背後を安定させ、孫策に対抗するというのがベターか。 蒼天航路 ひたすら情けなくみっともない太平楽の愚君とされている。 孫策の猛攻に恐れをなして逃亡し、見咎めた太史慈に捨て台詞を叩きつけ、殺そうとした部下を諫める太史慈に「こんな人間に刀を穢すな」といわれ、そこまでして逃げだしたところを孫権の虎に追い回されてアホ面を晒しまくる……という、どこまでもヒドい扱いになっていた。 三国志大戦 旧作では何と孫策のかませトリオの中では唯一の不参戦。まあ厳白虎や王朗も「3」まで出てこなかったが…。 その反動なのかは不明だが、新作では逆に最初期からの参戦。 何故か攻城兵で1.5コスト5/5と地味だが、防柵を持っている。攻城兵なので征圧力は0。 計略「防護戦法」は端的に言えば物凄く硬くなる。天下無双すら耐えきれるが本当に硬くなるだけなので何とも地味。 【劉岱】 劉岱、字は公山。上述した、揚州に割拠していた劉繇の実兄。 後漢末期の兗州刺史を務めた。 【兄の生涯】 ◆前歴 劉繇と同じく、後漢の東萊郡・牟平県の出身。 繰り返しになるが、先祖は前漢の牟平共侯・劉渫、父は山陽太守を務めた劉輿、伯父は三公まで昇った劉寵、という後漢皇族の有力一族の出身。 劉岱本人も侍中、侍御史といった重職を歴任している。 中平二年というと西暦185年、権勢をふるった宦官「十常侍」の筆頭・張譲と趙忠が霊帝を唆し、天下から大規模な臨時徴税を行い、宮殿修復や銅像鋳造などを行おうとした。 この動きを、楽安太守の陸康(陸遜の族長)が上奏文で諌止したのだが、これに霊帝が激怒、陸康を「不敬罪」で捕縛して殺そうとした。 この時、劉岱は侍御史の役にあったが、陸康を弁護して霊帝の暴走を収め、陸康を救ったという逸話がある。さすがに実力ある皇族というだけあって、霊帝も無視できない声望があったようだ。 ◆兗州刺史 やがて董卓が権力を握ると、伍瓊・周毖の推薦により兗州(えんしゅう)刺史を拝命、現地に赴任する。 しかし初平元年(190年)には劉岱はさっさと袁紹・曹操らと結託し、反董卓連合に合流、董卓戦に挑む。 ……が、実際にはロクに戦おうとせず、酒盛りと威張り散らすばかりでひたすら時間と食料を浪費するだけだった。 それどころか東郡太守の橋瑁と対立したあげく、ついには劉岱が橋瑁を暗殺して、配下の王肱を代わりの東郡太守に収め、実質的に乗っ取る始末。 この様には曹操もあきれ果てている(ちなみにその曹操も、同じように河内郡の太守・王匡を暗殺して乗っ取っている)。 一方で劉岱は、袁紹とも公孫瓚とも仲が良かった。袁紹は自分の家族を劉岱の領域に預け、また公孫瓚は配下の范方に軍を預けて劉岱軍と協力させていた。 ところが、やがてその袁紹と公孫瓚が対立し始めたため、劉岱は板挟みにあってしまう。 特に公孫瓚は強く圧力を掛けており、范方を通じて 「袁紹と手を切り、あいつの家族をこっちに差し出せ。さもなくば劉岱軍を支える范方隊を引き上げさせるばかりか、袁紹を滅ぼした後は劉岱を攻め滅ぼしてやる」 と露骨な脅しを突き付けた。 劉岱は数日にわたってさんざん悩んだあげくに決しかね、別駕の王彧を通じて、程昱に相談した。 すると程昱は、最後は袁紹が勝つだろうと予測して公孫瓚の恐喝を拒むよう進言。 劉岱は彼の意見に従い、袁紹の家族を保護して公孫瓚と決裂。范方は怒って撤収したが、やはり范方が合流する前に公孫瓚は袁紹に敗れた。 ただ、劉岱は改めて程昱を配下に収めようとしたが、「病気」を口実に逃げられている。 そして初平三年(192年)、青州にて「百万」と称する黄巾残党が大決起し、兗州の東平県にまで侵入して大暴れした。 劉岱はこれに対して軍を率いての討伐を決意。 配下で済北の相・鮑信は防戦に努めるべきだと説いたが、劉岱はその意見を却下して敢然と攻め込んだものの、相手の勢いと数を侮りすぎたか、軍を打ち破られた挙句、司令官である劉岱も戦死する結果となった。 彼の死後、代わって曹操が黄巾残党討伐に出陣。 見事に打ち負かした上に彼らを自らの支配下に組み込み、兗州の支配権も握って、一躍中原の雄に躍り出る。 【もう一人の劉岱】 実はこの時代、劉岱という名前の人物が、もう一人いた。 それが曹操配下の劉岱である。 沛国の出身で、曹操の武将としてそれなりの戦功も挙げており、司空長史に任じられ、列侯にもなっていた。 曹操も沛国の出身なので、同郷の誼ということで取り立てられたのかもしれない(沛国といっても広いし、それでも重鎮でないことは確かだが)。 曹操と袁紹の決戦も迫った建安四年(199年)、董承らの謀反に与したが敗れて逃げた劉備が、徐州刺史・車冑を殺して徐州を奪い、曹操に対して反旗を翻した際、 曹操は劉岱と王忠の両名に軍を預け、劉備討伐に差し向けたが、撃退されてしまった。 この劉岱も字を「公山」といい、兗州刺史の劉岱とは姓名のみならず字まで一緒。 【三国演義の劉岱】 反董卓連合からの登場。しかし正史が正史なので、まともな活躍は無い。 ……しかし演義の劉岱は、途中から曹操配下となり、袁紹戦が迫る時期に徐州を奪った劉備への討伐隊の指揮官となって再登場する。 そして王忠とともに五万の兵を率いるが、二人して関羽・張飛と遣り合いたくなかったためにくじ引きで先鋒を押し付け合うというコミカルな一幕を見せる。 「先」を引いたのは王忠で、案の定あっけなく関羽に捕縛された。 次は順番で張飛が出陣するが、劉岱は要塞に立てこもって戦おうとしない。 攻めあぐねた張飛は一計を案じる。 わざと泥酔した振りをして兵士を暴行し、今夜の夜襲前に生贄にする、と公言したうえで寝入ってみせる。 そしてその兵士をわざと脱走させて劉岱隊に投降させ「夜襲」を密告させた。 劉岱は兵士の傷を見て密告を信じ、夜襲部隊を包囲殲滅しようと要塞から兵を出した。 しかし張飛の夜襲は罠であり、包囲しようとした劉岱軍を逆に包囲。劉岱は逃げようとしたが張飛のどんぐり眼に見つかり、あっさり捕まってしまった。 劉備はまだ曹操と正面から決戦する気はなかったため、捕虜にした劉岱・王忠を精いっぱい歓待し、曹操への弁護を依頼する。 二人はすぐに開放されて曹操のもとに帰投し、劉備の弁明を一応伝えるが、曹操には全く相手にされず八つ当たりで殺されかける。 しかし幸いにも孔融が弁護したため、何とか無事ですんだ。 まあその弁護も「最初から勝てないと分かって送ったでしょうに、今さら咎めることがありますか」という理屈だったが。 そもそもはと言えば劉備を開放した曹操の付けを押し付けられたようなものである。 さて以上の顛末は、後漢皇族で兗州刺史になった劉岱と、曹操配下で劉備らと戦った劉岱が、混同されて同一人物になった結果のものである。 もちろん、兗州刺史の劉岱は官渡の八年も前に戦死している。 しかし、テキスト編集の過程でいつの間にか混ざったもののようで、テキストによっては「復活」している場合もある。 つまり、曹操が青州黄巾賊討伐に乗り出す際に「兗州刺史の劉岱も戦死した」という一文が入りながら、劉備討伐隊に劉岱が任命される場面で「もと兗州刺史の劉岱」という矛盾した一文も挿入されるのだ。 しかし、こういう矛盾がまた「三国演義の複雑な成立過程」を連想させて、面白いのである。 【各作品】 コーエー三国志 武力だけがちょっとだけ高く、統率・政治・魅力が平凡、知力は一頭低い、という中途半端で、まったく特徴のない武将。 まあ部下として使うなら数合わせとして悪くない……が、問題は君主シナリオ。 部下がほとんどいないうえに、周囲には曹操や劉備をはじめ強豪が多く、そして劉岱本人の能力は低い、と勢力拡張は絶望的。 自分と同姓同名の人物に出会ったことのある方、追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 劉岱!お前は死んだはずじゃ… -- 名無しさん (2021-02-04 17 39 25) 劉繇は無双とかだと王朗、厳白虎とひとまとめのステージに配置されることが多い人 -- 名無しさん (2021-02-04 18 02 26) 許劭を恐れたというよりは、自前の勢力を持ってるが許劭に酷評されてるサク融がアレなのだから太史慈を抜擢したらそのまま寝返ってしまうかもと恐れたのではなかろうか -- 名無しさん (2021-02-04 18 04 13) 何言ってんのかと思ったら同姓同名同字とは。 -- 名無しさん (2021-02-04 21 46 46) 弟の方はネームバリューを上手く活かして南で勢力を築き上げたり、のちに呉の皇族に登り詰める息子を育てたりと評価できる点はあるね。 -- 名無しさん (2022-02-19 20 01 35) 魏国の方の劉曄さんは蒼天でも魏国版CIAの長官とも言えるポジションになって魏諷の乱を食い止めたりと活躍したのに... -- 名無しさん (2023-06-07 16 45 41) 名前 コメント
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辞書 品詞 解説 例文 漢字 日本国語大辞典 名詞 ① 天。空。あま。⇔地(つち)。 ※古事記(712)下・歌謡「雲雀は 阿米(アメ)にかける」※万葉(8C後)一七・三九〇六「御園生の百木(ももき)の梅の散る花の安米(アメ)に飛び上り雪と降りけむ」 天 ② 天つ神のいる処。高天原。また、神のいると信じられた天上界。 ※古事記(712)上・歌謡「阿米(アメ)なるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる」※源氏(1001‐14頃)乙女「あめにますとよをかびめの宮人も我が志すしめを忘るな」 ③ 日本神話に登場する、高天原に属する神やものの美称をつくる。「あめ…」「あめの…」の形で用いる。「あめ金機(かなばた)」「あめの香具山(かぐやま)」など。 ④ 宮殿の屋根のあたり。 ※万葉(8C後)一九・四二七四「天(あめ)にはも五百(いほ)つ綱延(は)ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ」 [補注]複合語をつくる場合「あま」の形となることが多い。 広辞苑 名詞 ①てん。大空。天空。 古事記下「雲雀は―に 翔 (かけ)る」 天 ②天つ神、造物主のすむ所。 高天原 (たかまのはら)。 大言海 名詞 〔橘守部ノ說ニ、あめハ、 上 (ウハ) 邊 (ベ)ノ約、 底國 (ソコニクニ)ヲ 下 (シタ) 邊 (ベ)ト云フニ對スト云フ、イカガアルベキ、凡ソ、此ノ如キ原始語ノ語原ヲ說カムハ、不可能ノ事ナリ、外ニ語原說、尙、種種アレド、皆、附會ナリ、此語ヲ、あまトモ云フハ、熟語ニ冠シタル時ノ音轉ナリ、 爪 (ツメ)、つま 先 (サキ)。 目 (メ)、ま 蓋 (ブタ)ナドノ例ナリ、 雨 (アメ)ヲ、あま雲、あま水、あま夜ナド云フモ同ジ、天津ト云フ、つハ、(津ハ借字)古キ 辭 (テニハ)ニテ、 之 (ノ)ノ義ナリ、倭訓栞「天ノ字ハ、多クあまト 訓 (ヨ)メリ、古事記ニ、あめト云フニハ註セズ、あまト唱フベキハ註アリ、サレバ、あめハ本語、あまハ轉語ナルベシ」あめの、あまのハ、萬葉假名ニテ書キタルアルハ、區別ニ論ナケレド、漢字ニテ、 天 (テン)トノミ書キテアリテ、何レトモ知ラレヌハ、各書ノ舊旁訓ニ從ヘルモアリ、各條ヲ見ヨ、あまのトアルニ、一切、あめのト改訓スルハ、妄ナリト思フ、好古叢誌ノ卷二ニ、飯田武鄕ノ、あまの、あめのノ區別說アリ。 天 (アメ)、 天 (アマ)、又ハ、連體詞トナリテ、 天 (アメ)の、 天 (アマ)の、天津、ト云フニ、種種ノ意義アリ〕(一) 頭上 (ヅジヤウ)ヲ仰ゲバ、 蒼蒼 (アヲアヲ)トシテ、極メテ高ク、廣大、無邊ニ見エ、日月、星辰ノカカルトコロ。アマ。オホゾラ。ソラ。 天 (テン)。 虛 (コ) 空 (クウ)。 空 (クウ)。 古事記、下(仁德) 十 「 雲雀 (ヒバリ)ハ、 阿米 (アメ)ニ 翔 (カケ)ル」同卷(允恭) 廿二 「 阿麻 (アマ)飛ブ、鳥モ 使 (ツカヒ)ゾ」「 天 (アメ)ノ火」 天 (二)天ノ神ノマシマストコロ。高天原。天原 (アマノハラ)。 古事記、上 廿四 「八百 萬神 (ノ)、於 二 天安 (アメノヤスノ)河原 一 、 神集 (カンツドヒニ)集 而 (ヒテ)」「天津國」天津神」倭訓栞、あめ「隋書ニ、日本國王、姓、阿每、ト云ヘルハ、天ノ義ナリ」合類節用、二、乾坤門「阿每國、唐書、日本者、 直 (アタリ) 二 新羅東南 一 、在 二 海中島 一 、其王、姓、阿每氏、又見 二 隋書 一 」誤傳ナルコト、勿論ナレドモ、皇祖、皇宗ノ御名稱ニ、多ク天ノ字ヲ冠スレバ、斯ク見タルナルベシ、我ガ皇家ニ、姓ハオマシマサズ、開闢ヨリ皇統一系ナレバ、姓ヲ設ケテ、他ト識別セシメラルベキ要ナケレバナリ、崇敬セザルベケムヤ。 (三)高天原ニ關スル事物ニ云フ語。 「 天 (アマ)ノ岩屋」 天 (アマノ) 磐船 (イハフネ)」 天之 (アマノ) 瓊矛 (ヌボコ)」天津磐境」天津罪」 (四)天津神ニ關スル事物ニ云フ語。 「天津位」天津 御祖 (ミオヤ)」天津御子」天津日嗣」天津 璽 (シルシ)」 (五)高天原ヨリ、國土ニ傳ヘタル事物、又、ソレニ傚ヒテ作レル事物ニ云フ語。 「 天 (アマ)之眞鹿兒弓」 天詔 (アメノノリ) 琴 (ゴト)」 天 (アメノ)逆桙」 天 (アメノ)逆手」 (六)神事ニ關スル事物ニ云フ語。 「天津 祝詞 (ノリト)」天津 菅麻 (スガソ)」天津 金木 (カナギ)」 (七) 朝廷 (ミカド)、又ハ、 御殿 (ミアラカ)ヲ 崇 (アガ)メテ云フ語。 神神 (カウガウ)シク仰ギ奉ルナリ。 萬葉集、十九 四十四 新嘗祭、肆宴「 天 (アメ)ニハモ、 五百津 (イホツ) 綱延 (ツハナ)フ、萬世ニ、國知ラサムト、五百津綱延フ」(此ノ天ハ、大嘗宮ヲ云フナリ、尙、あまのはらノ條ノ(三)ヲ見ヨ)同、二 三十三 長歌「久堅ノ、天津御門ヲ、 恐 (カシコ)クモ、定メタマヒテ」(同、十三 廿七 長歌「仕ヘ 來 (コ)シ、君ノ御門ヲ、天ノ 如 (ゴト)、仰ギテ見ツツ」)同、二十 五十四 「安米ノ 朝廷 (ミカド)」「阿摩ノ 八十 (ヤソ) 蔭 (カゲ)」 (八)尊ビ 稱 (タタ)ヘテ云フ語。 「 天 (アメ)ノ 益人 (マスビト)」 天羽車 (アメノハグルマ)」 検索用附箋:名詞天文 附箋:名詞 天文
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マシーナクロニクル 公式ページ 関連作品未定(仮) 年表 各空欄の中身 地名エミリア共和国 フェルシス 龍国(りゅうこく) 天風 人名天帝 別名 風愛(フィーア) 天風 相城延往(あいじょう のぶゆき) 天風 組織SHE(しー) EVE ワールド用語造神(ぞうしん) EVE オーバーロード EVE 関連作品 出展記号 作品名 発売日 備考 OG1 オゲレツ大百科 2002.11.22 DL販売(\2520) OGG オゲレツ大百科外伝 ~マシーナの輝石~ 2003.12.19 DL販売(\2520) EVE 機械仕掛けのイヴ ~Dea Ex Machina~ 2006.09.22 天風 天ツ風 ~傀儡陣風帖~ 2008.08.29 DF 遠望のフェルシス 2010.07.30 MC マシーナ・クロニクル全般 ETC その他 未定(仮) 出展記号 作品名 発売日 備考 EVE.Fes 機械仕掛けのイヴ ~Far East Sacred StarS~(F.e.§) EVE2 機械仕掛けのイヴⅡ ~[R⇔L]ast Memory~ マシーナ・サーガの続編 AW 天使戦線 マシーナ・サーガの続編 MA マシーナの輝石 MA2 マシーナの輝石2 MA.ex マシーナの輝石外伝 SBP SOI SOI.ex 年表 AD1700年頃 ??? 本間半蔵衛門(通称・御下劣斎)が、『本間機巧図彙』を上梓。これに前後して、彼の元に異国の客人が出入りしていたという噂がある。 AD2000年頃 後のアーティファクト・イデア(マシン・アーキタイプ 機神原型)、愛依の誕生。舜と樹里誕生。 オゲレツ大百科 AD2010年頃 始原AI三種の一、九音誕生。本間宗一郎との賭けに乗り、眠りにつく。AIの芽が九音と宗一郎の手により、中学生だった雅也のプログラム、『Tierra』へと仕込まれる。 AD2020年頃 始原AIの二種、ティエラと九音が出逢う。また、始原三種、ファムが誕生。情報生命体の萌芽。イリアは情報生命体としての一切は残さず、人間として生きることに。 機械仕掛けのイヴ AD2025年頃 最初のILが誕生。ネットワーク上に拡散。 AD2030年頃 2つの秘石、ティエラの手に渡る。 AD2050年頃 この時、ネットワーク上でILの活動が散見されるようになる。F支族、T支族、K支族が確認。始祖三支族。なお、K支族は厳密には族ではなく、個体一つを差す。最多数はF支族。 AD2100年頃 ILの存在が公に。彼らの力を借りて、人類の躍進が始まる。ここから■□■□までの時代を、『最後の黄金時代』とする者もいる。 AD2800年代初頭?? ■□■□前期人口増加により、木星圏まで移民が開始されて数百年。人類の人口は200億人ほど(推定)になっていた。超早期警戒網、■■■の接近を確認。観測隊編成されるも、沈黙。■■■を敵性生命体として断定、月とイオの要塞化開始。 AD2820? ■□■□勃発。コズエ、■■■■■を持って地球圏へ亡命。ベナレス事変起こる。□□□育成計画の開始。 AD2825? ■□■□後期 ■MC-XX AW 軍備増強及び□□□の運用開始。□□□□□□ロールアウト。 AD2826? ■□■□終結□□□□□□、戦闘終了。 AD2850頃?? 『■□■□』から20年後。生き残った人類 ●●●●たちは総力を結集して外宇宙への移民船団を完成させた。一部の有機物生成 船団防衛のために、生き残りの□□□ ■■■もほとんど随行する。(□□□□□□も含める)なお、■□■□が終了した時の人口は50億ほど。◆に残ったのは5億程度。中世の頃と同等。以降、AD世紀は終結し、HC(Human Century)となる。 HC100くらいまで 安定期・大休眠前期◆では移民が一応平和な暮らしを続けていた。ただし、噴出はしていないが紛争の種が生まれ始める。これは、◆が徹底的な統制社会となっていたため。人口を増やす余裕がなかった?▽▽では大規模な地殻再生と大気再生が行われており、生命体は微生物以外は暮らせない状態。 HC150頃 大破壊の時代・大休眠後期◆移民から150年、◆で大破壊発生。人間生活を支えていた無人機械が、テロリストが仕掛けた自己進化型ウィルスの劇症化により暴走。これは事故であり、仕掛けた側も例外なく死亡した。社会基盤は徹底的なダメージを受け、全人口の90%以上が死亡した。第一次暴走での機械によって殺傷されたものが30%、残りの30%は暴徒と化した同朋により、残りの30%がその後3ヶ月以内に死亡した。生き残った10%のうち3%ほどが▽▽へ脱出。7%が限定再起動した▽▽▽▽の手により隔離保護。地殻を切り取り、防衛システムに保護された大陸内に移住させる。生き残りは3000万人程度。これは紀元前2000年水準の人口。以後、限定的に再起動した▽▽▽▽は機械との戦争を開始。数十年をかけて終結させ、再び休眠する。この間、▽▽環境擬似生成システムに穴が生じたため、様々な問題が起こって更に人口が減少、文明も徹底的に破壊された。 HC150頃 帰還の時代◆の内ゲバから逃れてきた一部の民が▽▽へ。更に、◎◆式から進化した元AIの血筋の者が、極小◎◆の影響で形質変化を起こす。亜人類の誕生。 ~HC300くらいまで 空中大陸の時代宙に浮かぶ○○に漂着して、持ってきたものを使って住み始める。休眠状態の○○から分離した対人インターフェイスの一部が、人間と交流。人と共存する◎が発生。これは、後の■■■■まで受け継がれ、ごく一部の◎が形質変換によって自分の複製体を形成、人類との混血も成された。 ◎◎■■勃発、終息。 紺碧のレジェンディア HC300以降 墜落の時代 ○○の落下開始。 崩天のリーンライラ HC500年代 再生の時代人々を乗せたままの○○、ゆっくりと落着。新たな生活を営むが、地上は危険が多く、細々と暮らす。文明は破壊され、中世初期の生活に落ち込む。◎◆を取り込んだことによる『◆◆』の発現。なお、まだ浮遊能力を維持した『■■■■』は、人類が唯一生存可能な都市だった。 ○○技術の確立。 竜殻のヴァナリス HC550 封絶の時代 ■■■■を襲う謎の軍団。彼らの目的とは。■■■■のコアを用いた封滅武具、■□■作成。八基が完成し、それぞれの勇者の手に渡る。各地にて封絶の勇者による■□封印決行。○○の力を失った■■■■は少しずつ崩壊。多少安定を見せ始めた環境の元、人類は外で暮らし始める。○○技術喪失。人類は再び有史以前の生活へ逆戻りする。 封絶のヴァンガナック HC600~ ◆◆の時代◆◆世界完成。ゆっくりと文明が発達する。▽▽に暮らすうちに、対抗手段として◆◆が発現し始める。(この世界に住むあらゆるものは、汚染に対抗するために◎◆を体内に取り込み、生命維持に使っている。その力の一部が別のものとして発現しているのが◆◆らしい)この後、各■■■■から人々が拡散、世界に広がっていく。ゆっくりと文明回復。 HC1000頃 イシュタリア大陸を始め、各所で歴史の編纂始まる。後世、歴史書や伝承でさかのぼれるのはここら辺まで。 HC1400頃 第四■□封印決壊。 ■□、初の討滅。(これは武国だから可能だった) 央華絶神 HC1990頃 第弐▲▲▲降誕。主と出会う。 HC2010頃 第壱■□封印決壊。イシュタリア隔離。イシュタリア大陸、地獄に陥る。◎●◎の再起動。■□再封印。第弐▲▲▲死亡。イシュタル教成立。 HC2015頃 風愛が朝廷設立。龍国の隔離開始。 虹壁のイシュタリア HC2500頃 ■蒼空のノスタルジア第六■□封印を開封しようとした▲◆、討伐される。 HC2950頃 第参▲▲▲誕生。主を見つけられず流浪する。 HC3037 第参■□封印決壊。シェフィールド皇国滅亡。同年、第参■□討滅。 亡国のシェフィールド HC3050頃 天ツ風 HC3070頃 第八■□封印決壊。▼▲の消失。 天ツ風弐 ~天成る鍵、地鳴る門~ HC3092 深翠のエルファリア HC3099 第弐■□封印決壊。(エルファリア地方)同年討滅?? HC3150頃 第参▲▲▲、主に出逢う。 ■イシュタリア戦記開始 蒼空のノスタルジアⅡ HC3160頃 ■イシュタリア戦記終結第壱■□の怨念封滅。イシュタリア大陸封印解除。 年代未定 第五■□封印決壊。 悠久のレインティア 年代未定 第六■□封印決壊。 天球のオフェーリア HC3200頃 大海壁の時代◆世界、3000年以上をかけて、産業革命の手前辺りまで文明を復帰させている。 マシーナの輝石 HC3205頃 冒険の時代◆■■◆の覚醒。 マシーナの輝石外伝 ~ウロボロスの虚(ユメ)~ HC3225頃 △▲△、フィルの息子の捜索開始。多次元存在として、あらゆる時間軸・場所に偏在するきっかけを生む。同年末、 △▲△人間化。 HC3221頃 救世主の誕生フィルの息子と△▲△の第一子(娘)誕生。同時期、▽▽▽▽目覚め、大破壊の跡から一人の赤子を救出し、育て始める。 HC3240頃 揺り篭からの脱却△▲△の娘、大海壁の外へと秘石を求めて旅立つ。 ■MC-XX EVEⅡ アダムとイヴの邂逅。▽▽▽▽、役目を終え※※の元へ。 HC3245頃 天望の時代◎◎●○○建造開始。 HC3250頃 復古の時代『◎◎●○○』に搭乗して、◆からの帰還民到着。◆の文化を用いて、文明が急速復古。 MC-XX MW 第七(八?九?)■□封印決壊、混乱に拍車をかける。◎◎●○○は機能停止。◆■■◆が消失したため。(恐らく□■□■□■□■□に統合された) MC0000 機神大戦終結。新暦制定。討滅した威竜レヴィアタンの死骸から新大陸エリュシオンが形成される。 Machina Chronicle MC0014 『ヴァリアント事件』発生。フォルミカの街に存在していた巣から謎の巨大蟻が出現。街に滞在していた冒険者達に退けられ、「ヴァリアント」と名付けられる。その後、巣の奥地で竜骸が発掘されることを確認、街が潤う。 MC0015 『大災厄(スタンピード』発生。新大陸において大量の魔物が発生、入植していた国の軍を壊滅に追い込む。各国は連携を取りこれに対処、2年の月日の果てに事態を収集させる。その後、新大陸相互開発条約が締結された。 MC0018 フォルミカの街、再びヴァリアントに襲撃される。4年前と同じ冒険者達が再び立ち上がり、リーダーの犠牲により事件を終結に導く。以後、フォルミカの街は英雄たちを讃えフェルシスの街と改名 MC0023 『アストランの悲劇』発生。ミシュテア王国の首都アストランで行われた、アベスターグとハーミットの技術交流会がベスティアに襲撃される。ベスティアの改造人間『ルドラ』、その存在が初めて確認される。同年ファリドゥーンは機神大戦末期に一度白紙になった「デュナミス・システム」の再開発を決定 MC0026 デュナミス・システム搭載型マシーナ「フィリア・エルピス」完成。 MC0030 『フェルシス事変』発生。ヴァリアント、人々の前に三度姿を現す。フェルシスの街に建設された冒険者養成学校、「ヴォロミア学園」の生徒と教師達がこれの鎮圧にあたり、翌年群れの壊滅に成功。同時期、第8型環境調整用自立思考体「エア」が再起動。かつての世界を取り戻すため今の世界を破壊しようとするが、同生徒達により防がれる。 遠望のフェルシス MC0031 『リンドブルーム大虐殺』発生魔導皇国の大都市「リンドブルーム」がベスティアによって襲撃される。大量のヴァナラと少数のルドラが投入され、甚大な被害を出す。 MC0038 マリーシアに新たなる大竜ウロボロス出現。同都市にいた冒険者達によって討伐される。 GEARS of DRAGOON 各空欄の中身 今までの話等からある程度予想は可能。 ただしあくまでも予想であり、これが正解とは限らないので注意。 空欄名 入ると予想される単語 理由 ▽▽▽▽ ティエラ 機械仕掛けのイヴというタイトルと、アダムとイヴの邂逅という説明から。 ※※ 雅也 ティエラがイヴならば、アダムに相当する人物は彼しかいないと思われる △▲△ サリィ 「多次元存在として、あらゆる時間軸・場所に偏在するきっかけを生む」という説明から。現に彼女はフェルシスのラストで登場しており、またVBシリーズなどにも背景モブとしてこっそり登場していたりする ◎◎●○○ ビヴロスト フェルシスの説明より、ほぼ間違いないと思われる ◆ 月 上に同じ ■□ 大竜 上に同じ ◎◆ 秘石 上に同じ ◆◆ 想力 上に同じ 地名 エミリア共和国 フェルシス レインディル大陸北部の国、立憲君主制の国家形態を取る。 エミリア共和国の北海岸にフェルシスという中規模の街があり 『遠望のフェルシス』の舞台となっている。 物語はフェルシスが誇る施設『国立ヴォロミア特殊技能訓練学園』から始まる。 龍国(りゅうこく) 天風 北西に『武国』、西南西に『魔導皇国』、北東に帝国の属国である『オフェーリア』と、海を隔てた三方を外国に囲まれた島国。 基本的には鎖国政策を取っているが、武国や魔導皇国との貿易は行っている。朝廷の長である天帝を国主とするが、実際の政治を取り仕切っているのは朝廷に任じられた幕府であり、権力のほとんどは幕府が握っている。最近まで龍国全土が戦国時代の様相を呈していたため、地方によっては国土が荒廃しているが、徐々に復興しつつある状況。戦乱は終わって復興中、と考えておけばおおむねOK。 他国との最大の違いは 天帝の『妖物を完全隔離する』『異能の力を表に出さない』という方針により、色々と……。何で彼女がそんな風にしてるのか……については、いずれ語られるかもしれません。語られないかもしれません。 人名 天帝 別名 風愛(フィーア) 天風 龍国で一番偉い人。基本的に政治には不干渉の立場を取る。将軍の任命権などは天帝が保持するため、権威付けのための装置として働く。 朝廷の真の目的は龍国内の異能絡みの諸々を隠匿すること。諱(いみな)は天津凪皇女(あまつなぎのひめみこ)。本人はやや人格分裂気味で、ノホホン気質の少女の側面と、冷徹な政治家としての側面を持つ。基本的には朝廷内から出られないため、無垢な少女としての人格をかぶせて精神の磨耗を防いでいる模様。 戦闘能力に関しては強力なものを持ってますが、大雑把な能力のため、本気を出すと殲滅戦しか出来ません。彼女が余り積極的に物事に関わり合いにならないのは、そんな理由もあるのです。能力を絞り込み、制御するための道具も存在するが、ある理由によって使用不可能。 SHE日本本部のマッドサイエンティストが(対抗心で)イチから作り上げた4番目の造神。他の造神とはアーキテクチャの段階から異なるアプローチで製造されているため、SHEの造神に加えられないとする研究者の意見もある。 相城延往(あいじょう のぶゆき) 天風 追加シナリオ『悲恋の記憶』参照 龍角によって歴史の闇へと消された焔王鬼の本名 組織 SHE(しー) EVE 正式名称は『Soichiro Honma Electronics』である。本間 宗一郎がオゲシリーズ第一作のエンディング後、生まれた子供のために一丁稼ぐか、ということで作った会社。あれよあれよという間に成長し、世界屈指の企業となった。性格が微妙に破綻している宗一郎であったが、技術者にとっては刺激的な人物だったようで、技術者もたちまち集まって色々エライことに。 ワールド用語 造神(ぞうしん) EVE 『機械仕掛けのイヴ』において、SHEで造られた人型機械を、畏敬を込めて呼ぶ時の名前。『オーバーロード』に等しい。 (表立っては)オーバーロードは九体製作されており、これを総称して『九造神』(「ナインゴッデス」とも)と呼ばれ、九体目のイリア以外は全て本間宗一郎の手が加わっている。また、公に発表前であったファムはこれに数えられない。 オーバーロード EVE 『機械仕掛けのイヴ』において、SHEが造り上げた人間型機械の総称。 作品世界において、人間生活を無理なくエミュレートできるロボットは、SHE以外の何処も作り出せていない。そのため、他との差異を畏怖してこう称されたのが定着した。 番数 名前 簡易紹介 備考 零號造神 愛依(あい) 『オゲレツ大百科』のヒロイン 表向きは壱號扱い 壱號造神 ナイン→九音 表の歴史からは抹消 弐號造神 双葉(ふたば) 参號造神 サーティ 四號造神 フィーア 別名は風愛 伍號造神 サンク 陸號造神 リューリィ(六麗) 質號造神 七海(ななみ) 捌號造神 八叉(やまた) SHE松中派の最終兵器 後のイシュタル 玖號造神 ノイン 初の秘石搭載型のロボット 後のイリア 絶 神 アマテラス 人類防衛システムの中枢 表の歴史からは抹消、廃棄処