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529 :ナイ神父MK-2:2015/09/30(水) 00 11 04 日蘭世界 ペリー提督の江戸レポート ペリー提督は、日本訪問中に見聞きした、内容をレポートとして軍の本部に提出したといわれている。 中には当時日本で見せられた軍備や兵器について記載されており、以下の文はその要約である。 ★ 江戸の都市の構造は、長年国内で行われてきた火力を前面に押し出した戦争の効果で、非常に砲撃と白兵戦に強い構造となっており、 特に砲撃戦に関しては例え本国艦隊全てを動員したとしても機能を完全に喪失させる事は不可能だと思われる。 また、陸上での戦闘に持ち込んだとしても、日本が誇る騎兵隊や剣牙虎兵には苦戦を免れないだろう。 陸戦で注目すべきは剣牙虎兵でこれは日本固有種の肉食獣とそれを飼いならす兵士が一体となって突入し 前線の歩兵隊や騎兵隊に対して襲い掛かると言うものである。大型肉食獣に正面から襲い掛かられる恐怖は 訓練された兵士でさえ拭い去れぬものであり、フルプレートで身を固めても爪の一撃は侮れない※1、 更に歩兵だけに気を取られていると、砲撃音や肉食獣の咆哮にも恐れない騎兵隊※2に前線を破られるだろう。 日本の軍備の特徴で注目すべきは過剰なまでの火力主義もあげられる。領内の至る所に船舶や上陸した兵士に向けるものだと思われる。 固定砲台が設置され、さらに引かれている鉄道は数箇所のターミナルで円状になっており、緊急時には列車砲※3を並べることが出来る様子が見て取れる。 言わばこの江戸という都市そのものが強力な砲撃能力を有した巨大な要塞都市であり、日本の火力主義の集大成といえるだろう。 加えてこの都市の近くには、大型の蒸気式軍艦を整備・運用できる港※4が作られており、此処から出撃する 幕府水軍も侮れるものではない。野戦砲にしても、かのナポレオンの如き砲兵部隊が整備されており、 先進国の陸軍部隊となんら変わりない、むしろ凌駕していると言っても過言ではない火力を備えている。 総括すると、日本に対する武力行使による恫喝や攻撃は無駄といって良く、日本との戦争を行う為には 更なる戦艦の増産と、日本の火力を破れるだけの陸戦力を用意すべきであろう。 ★ ペリー提督の製作した文章は現存※5して居らず、失われた経緯については複数の説が上げられている。 その中でも特に、有力なものが南北戦争における戦火による消失・または当時の政府高官が処分したとする説である。 前者は日本の開国後、アメリカではすぐに南北戦争が始まり国内は大混乱に見舞われその中で失われた とする説で、後者は白人至上主義の当時の政府高官が秘密裏に処理したとするものである。 特に後者は当時の政府関係者の手記の中に、提督のレポートが問題視されていたことを示唆する内容が 見られ、この説を裏付ける有力な証拠となっている。 ※1 日本は自国の兵の精強さを見せる為に、複数のパフォーマンスを行った。 その中で剣牙虎に西洋で使用されていたフルプレートメイルを叩かせる という行為を行っており、そのことだと思われる。 ※2 上記同様、パフォーマンスで行われた模擬戦で、欧州で見慣れた騎兵隊に対しても 熱心に質問してきていたと、当時の幕府側資料には記載されている。 ※3 鉄道網整備後に、夢幻会の列車砲マニアの転生者(幕府重役)が主導で 用意した艦載砲を転用した列車砲である。開発後は延々改良され日露戦争でも その火力を発揮していく。 ※4 夢幻会主導により開発された未来の横須賀鎮守府であり、現在は幕府直轄の 艦隊が停泊している。 ※5 第二次大戦後に全文がホワイトハウスから発見され、場所が場所だけに 秘匿されたのではないかという説が強いが、単に当時の政府が報告を信じなかったの では無いかとも言われている。
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885 :弥次郎:2015/10/25(日) 19 15 41 日蘭世界 第二次世界大戦支援ネタ タスク・セーレーン 作戦概要 潜水母艦『マーフォーク』を旗艦とした20隻(※1)を太平洋に展開し、点在する日本海軍の泊地や航空基地などに対して 艦載機による奇襲を仕掛け、日本海軍の行動に掣肘を加えることで行動を鈍らせることを目的とした計画。 この計画は日本もしくはオランダ本国への攻撃をも視野に入れたことが関係者の証言から判明している。 主なターゲットは停泊中の輸送艦や工作艦、泊地に点在するタンクなどであった。 戦局の悪化、開発の遅れなどが重なったことでペーパープランに終わった。 作戦立案までの経緯 第一次大戦での教訓から、潜水艦に対する評価は通商破壊への高い適性と、無差別的な攻撃を行うことへの忌避感から評価は分かれていた。 とくにアメリカにおいては、第一次大戦への参戦の要因ともなった民間船のUボートによる撃沈の反動として、いたずらな攻撃への忌避感が 潜水艦を保有する海軍の中にもあったことは間違いなく、当時の大艦巨砲主義の台頭により艦隊決戦時の補助戦力として見られていた。 1930年代においてモンタナ級の建造計画がスタートしたこともあり、潜水艦はあまり日の目を浴びることなく、 日米間での開戦間近まで雌伏の時を過ごすこととなった。 開戦が近づくにつれて、日蘭との戦力比が覆しえないと判断した海軍は、開戦直後にハワイ若しくはミッドウェーなどに点在する 日本海軍の拠点を強襲し、これを使えなくすることで一時的に足止めして有利な状況を生みだすことを提案。 当然、潜水艦も通商破壊で参加することが決定した。その中で「艦載機を搭載した潜水艦による奇襲案」が俎上に上がった。 これはそれほど大規模ではない泊地に対する攻撃プランの一つとして、またゲリラ的な攻撃を繰り返すことによる攪乱を行い、 拠点を断続的に使用不可能にして、あわよくば泊地などを占拠するための楔を打ち込む役目を期待された。 しかし、当時はまだ計画段階であり開戦に間に合うかどうかも不明で、一度に投じられる航空戦力を比較した結果、 空母機動部隊によるハワイ奇襲案が採用された。 ただし、太平洋艦隊司令部は隠密裏に少数とは言え航空機を投入できる潜水空母とそのコンセプトを評価し、潜水艦による ゲリラ攻撃という全く新しい概念についての研究と予算が承認された。 こうして、船舶を海中に引きずり込む歌姫から『タスク・セーレーン』と名付けられた計画が開始された。 こうして研究がスタートした『タスク・セーレーン』であったが、その最大の敵は味方にいた。 イギリスおよびフランスとの水上艦艇の共同開発を行う『ビンソン計画』の承認であった。 正面戦力の充実を優先する決定が下されたことで、あくまで補助の役目を出ていなかった潜水母艦の建造は予算と 研究費等の削減によって暗礁に乗り上げた。 開戦までには8隻を揃えるはずだったが、物資の優先度が相対的に低下したことで、起工すら行われることなく開戦を迎えることになった。 精々できたことは、搭載する水上機の研究と潜水母艦そのものの設計であった(※2)。 887 :弥次郎:2015/10/25(日) 19 17 08 開戦後の動き 開戦後にようやくSSC-01『マーフォーク』が起工し、各地の造船所において秘匿されて同時に5隻が建造がスタートした。 候補となる水上機には極めて高い性能が要求されたためにカーチス・ライト社が試作中だった水上機『XSC-1』の設計図をベースとして 開発を行うことで水上戦闘機と水上攻撃機の両方を何とか青写真レベルにまでこぎつけた。 しかし、その開発はハワイをめぐるハワイ沖海戦の戦訓からより高性能なものをという要求が出されることで完全に頓挫した。 潜水艦の限られたスペースに日本の戦闘機を超えるものを積み込むことは、どう考えても現状では不可能であり、最悪の場合攻撃機を 護衛機もなく丸裸で送り出すことすらも危険を承知で行わざるを得ないとも言われた(※3)。 この搭載機の開発の遅れから、やむなく通常の潜水艦としての運用や物資輸送への活用も真剣に検討されていた。 そして漸く要求にたりうる試作水上機『SC アドバンス・シーホーク』が完成し計画が実行に移されようとしたころには、 各地でOCUによる空爆や三式弾道弾による被害が出始め、尚且つ第二次ハワイ沖海戦によってアメリカ太平洋艦隊の主力が ほとんど失われたころであった。 事実上制海権をOCUに握られ、海運の途絶や天然資源の枯渇もあって、作戦行動に出られるかどうかすら危うい状態。 当然のことながら艦隊行動を行うには危険すぎる状況で、運用を行う水兵の不足と質の低下も目に見えて深刻化した。 秘匿された造船所にも攻撃が降り注ぎ、多くが建造途中に破壊されて、その後の破棄が決定された。 既に艦艇の修復能力すら衰えていた米海軍にとっては、もはや金食い虫か資源食い虫と同義に扱われていたとされる。 また、『SC アドバンス・シーホーク』にしても通常の水上機と比較して50倍から60倍近いコストがかかり、 尚且つ資源不足によってカタログ通りのスペックを発揮できるか不安視される始末であった。 こうして、OCUへの降伏まで、僅かな完熟訓練以外は外洋に出ることもなく終戦を迎えた。 889 :弥次郎:2015/10/25(日) 19 20 11 戦後の接収 OCUに降伏後、西海岸と新大陸共和国に残っていた『マーフォーク』ファミリーはOCUへと接収された(※4)。 コンセプトこそ注目を集めたものの、今後の仮想敵国と自国の戦力比を鑑みて、後方攪乱を行う必要性が低いと判断した大日本帝国は、 ドイツとの共同開発を行っていた潜水艦に搭載する3式42型対地噴進弾(※5)のキャリアーとしてこれの活用を決定。 旧合衆国海軍の建造に関わったスタッフを巻き込み、仮称『葉月1号』と命名されたマーフォークは日本側の監修のもとで改造を行った。 こうして完成した『呂600』型対地ミサイル搭載潜水艦は、後に日本海軍が建造した原子力潜水艦の親ともいえる存在として、 また『見えない抑止力』として南北アメリカ大陸における大日本帝国のプレゼンスの維持のために活動することとなった。 退役後はアメリカ海軍の先見性を遺すものとしてハワイ島において記念艦として残されている。 戦後において漸く衆目の下にさらされたタスク・セーレーンの評価は、貴重なリソースを割いて成果を出せなかったとの 批判的な見方と、先進的なコンセプトと着目点を評価する見方に二分された。 しかし、日本でも同様の研究(※6)が同時期に開始されていたことから、コンセプトそのものは評価され、それを生かす 状況に恵まれなかった悲劇の水子として、合衆国海軍を取り上げたメディアで紹介されることとなった。 ※1 当初の計画では潜水空母を合計で40隻ほど建造予定だった。しかし、後述のような要因が重なったことで 起工したのは4分の1ほどの12隻。このうち5隻が建造中に空爆などによる被害を受けて破棄され、1隻が建造途中で終戦を迎えた。 結果、無事に進水・竣工したのはわずか6隻に過ぎず、そのうち1隻は完熟訓練中に行方不明になった。 日本海軍に撃沈されたとする説と、訓練中の事故の発生によってそのまま沈んだとする説がある。 国内の戦略物資の不足や質の低下に伴う不具合の連続があったことから後者が有力視されている。 ※2:カタパルト等の搭載の余裕がないことから必然的に水上機搭載の可能性が高まっており、S-1潜水艦とコックス・クレミンXS-2水上機 の組み合わせを導入していたことでそのノウハウの活用が期待された。しかし、有効な攻撃をするためにはフロートの水上機では ペイロードが足りず、かといって他のものでは実用化が厳しかったというジレンマが存在した。 ※3 攻撃隊が日本の防空隊による盛大な歓迎を受けたことで、『戦闘機を攻撃隊の半分以上にしても危うい』という認識が 俄かに生まれており、少数による隠密行動とは言え貴重な艦載機パイロットを危険にさらすことへ反対意見が続出した。 ※4 割り当てとしては日本に2隻、オランダに2隻、そしてドイツが名乗りを上げて1隻を接収した。 建造が途中で中断され、保存状態が良かった1隻は現地で技術解析が行われたのちに、ロシア帝国へと譲渡された。 ※5:史実のWG42(Wurfgerät 42)などを開発したドイツ側から日本へ対して共同開発の打診が行われていた。 日本側の援助もあり史実以上の性能を持って生まれたこれは、ドイツへの敬意もあり3式42型と番号を与えられた。 またこの見返りに近い形で、ドイツに対してもこのミサイル搭載型潜水艦の建造技術も提供された。 ※6:のちの巡航ミサイル潜水艦である。また、コマンド部隊の投入のための母艦としての活用も期待されており、 その中で水上機の搭載の試験が行われた。 890 :弥次郎:2015/10/25(日) 19 23 17 以上となります。wikiへの転載はご自由に。 例によっていろいろとツッコミどころがあるかもしれませんが、技術漏えいを恐れて史実で沈められて しまった伊400型と異なり、OCU内で分け合うことで延命しました。 ドイツが日本への共同開発云々はぶっちゃけまして個人的な妄想です。ただ、巡航ミサイルの御先祖様 なので、ぜひとも入れておきたかったです。
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712 :ナイ神父MK-2:2016/03/01(火) 23 27 10 日蘭世界 44年ゲート編 その6 満州防衛戦後の連合 ソ連の日本への宣戦布告から始った悪夢と言って良い程の枢軸からの逆襲は、連合側の国に悲鳴を上げさせるには 十分すぎる程の効果を持った物だった。樺太やウラル、ウクライナなど多数の資源や工業拠点そして人員と新型兵器を 失った被害は幾らソ連兵が畑から取れるとは言え無視できない被害である。当然、アメリカに対する約定を果たしたとして 援助を要求するも、当のアメリカはソ連を潜在的な敵として見る様になり援助も最低限のレベルでしか渡さなかったのである。 此処に来てソ連と米国の対立が明確になって来た事に対して、一時的にでも再度協力関係を持つ為、1945年6月アメリカはソ連に対して 再度米英ソでの首脳会談を行うことを提案し、これをソ連が認めた事により第二回ヤルタ会談が行われる事となる。 この会談では当初、物資や兵力を握るアメリカ側が優位に立って交渉を進めていたが、此処で一つアメリカの誤算が起る、それはイギリスが ソ連の肩を持ち、アメリカに対して非難を始めた為である。イギリスやソ連としてはドイツと言う身近な脅威が勢いを取り戻した大きな原因は 上陸戦の最中に自国の都合で一方的に戦力を引き上げさせたアメリカにあると考えての非難であったが、アメリカとしては独ソ戦と日ソ戦で ソ連と日本を疲弊させる狙いがあった。 しかし、日本の陸空戦力が予想以上に精強でありソ連のみが一方的と言って良い程までに戦力を減少させたことは予想外であり、更に 枢軸との単独講和も視野に入れた停戦の準備が英ソ両国で進んでいると言う発言まで成され、米国は渋々ソ連への追加援助とイギリスへの 輸送強化を認めることと成った。 史実日本の現状 満州やレイテ沖にて連勝を続けた日本であったが、その実情は大陸から前線と言う椅子に縛り付けられて支援と言う名の点滴を 受け続けて無理やり延命させている状況に近いものであった、事実として北樺太やマリアナまで布陣した為本土には殆ど戦力が 居らず、大陸日本から沖縄を含めた九州周辺までを防衛してもらっているのが現状であった。 そんな中、ゲートの向こうでは協議によってオランダからの支援も開始され、日本と枢軸同盟を史実側での門番にする為の計画は 着々と進められ、夢幻会でも会合が開かれていた。 「此処までは想定どおりに進んでいますが、現状向こうとの講和の打ち合わせはどうなっています?」 「向こうとの協議中だな、朝鮮の独立に関しては向こうも難色を示したが現状持て余しているのも確かだし、全体ではなく 北の一部を独立させれことになるみたいだな。」 辻の質問に嶋田が答えるとその横で東条が会話に加わってきた 「しかし、下手に朝鮮に独立の自由を与えると国民政府や中国共産党と組んで史実日本周辺が煩くならないか? 万が一にも朝鮮版キューバ危機なんて事になったら厄介だぞ?」 「その辺は監視を厳しくするしか無いでしょうね、下手に日本の一部として扱って日本人として面倒ごとを起こされた方が 厄介ですし」 「そうですね、彼らに戦勝国として傲慢な態度に出られて占領地域で暴れられたら迷惑でしかないですから、それに万が一のことを考えて 満州と史実における38度線相当の場所に爆撃機や戦力配置を行えば万が一の際も動けるでしょうし」 「それが一番と言う訳か・・・ところで最近史実日本の兵士達から此方の兵士から理想の女性像や、制服姿に付いての 意見がよく聞かれるらしいが、推進していると思われるMMJの首魁たる辻君からは何か無いかね?」 713 :ナイ神父MK-2:2016/03/01(火) 23 27 41 「・・・サア、ナンノコトデショウ?ワタシニハワカリマセン」 「まあ史実側との友好が進めば合同で動く際も連携の役に立つから問題は無いんだが」 辻と東条の遣り取りを聞いていると自分の胃や脳に非常に宜しくない感じた嶋田は強引に話しを本題へと持っていく 「兎に角、先ずは米国を殴りつけてでも交渉席へ就かせることですね」 「その方が良いだろうその為に現在マリアナに芙蓉が離着陸可能な飛行場を建設しているんだからな」 「しかし最初から芙蓉搭載型は不味いですし先ずは翔鶴と三浦を派遣しましょう。」 「戦術の方を先に使うのか?」 「最初から戦略級を使用すると相手もそれを作ろうと躍起になるでしょうし、無駄に核の威力を挙げさせる事は無いでしょうから」 嶋田の発言の後に会合は終了した、その後史実側での基地改装がマリアナやソ連を睨んで満州そして戦後T-55や大型重戦車を販売することを前提として 本土などで行われていく事となり、その効率の良さや厚遇振りから史実側の工兵や輜重科の人間からうらやましがられることと成る。 米国の窮状と戦力再編 アメリカでは現在日本に対して講和を行うべきだという勢力が日に日に増してきていたが、大統領やキング、ルメイを初めとした面々は核兵器や 新型兵器が完成すれば日本に対してより有利な条件で講和乃至は停戦が出来ると考えており、主戦派の人間も含めて未だに主流派を占めていた。 しかし、戦力については決して余裕のある状態とは言えず、偶々撃墜できた烈風の調査ではこの前まで使用されていたゼロ戦などとは比べ物に 成らない程の性能を持っていることが判明している上、二回目のヤルタ会談では何故かサウスダコタ級の戦艦が3隻も日本軍で運用されている と言う状況で有った為である。 その為アメリカとしても新型兵器の配備を進めたかったのであるが、肝心の兵士が度重なる敗北で育成が追いついて折らずせっかくの新兵器も 中々実戦には出せないという状態が続いていた、これは特に海軍とその航空隊に多く見られ止む得終えず第10艦隊等を初めとした比較的に熟練兵 の多く残る大西洋側の艦隊から引抜が行われていた。しかし、このせいで再び活動が活発に成ったドイツのUボート部隊の発見が遅れるなどの弊害が 出始めてしまい、最終的には寄り多数の兵士を失うと言う自体が発生するようになる。 一方で陸上はと言うと太平洋側の兵士こそマッカーサーと共に多数が捕虜または戦死となっていたが、引き上げさせたパットンなどの欧州に派遣した 部隊にはいまだ熟練の戦車兵が残っており、西海岸やハワイへと割り振られている。しかし、戦車の面ではドイツのティーガーやパンター、日本の T-34やIS-3には現状の戦車では犠牲が大きすぎるとして新型の開発が急がれるが、戦後大陸から日本に対して再び供給されたT-10やT-55の前にして 僅かな期間で再び新型の開発を急ぐことに成るのは又別の話しである。 その後アメリカは日本に対してマリアナ奪還の為の海戦を仕掛けるが、これが海軍に対する更なる悲劇を与える事となる。
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450 :ナイ神父MK-2:2016/02/29(月) 00 00 41 日蘭世界 44年ゲート編 その5 ソ連参戦まで 1945年2月のヤルタ会談にてソ連はアメリカからの援助の継続を条件に日本への宣戦布告を承諾、同年翌月には侵攻の為の準備を 完了し、日本に対して日ソ中立条約を破棄して宣戦布告を行った。そしてそれと同時に満州へ対して国境側に集結させていた 部隊を進め奇襲によって準備が整う前に防衛線を突破して侵攻を成功させようとしたのだが、それが間違いだったと知るのは 戦闘を開始して直ぐのことであった。 満州防衛戦 宣戦布告と同時に国境を越えて進んでいた部隊は比較的旧式の多い部隊であり、そんな旧式兵器部隊の一員となっていたT-26と その乗員たちの前に現れた物は、彼らを驚愕させるには十分すぎる物であった 「前方に居るのは日本の戦車か?」 「気を付けろ、最近日本の連中がアメリカの戦車を奪って部隊を作ってるみたいだからな」 「いやアレは駆逐戦車みた・・・お、おい!あれ!」 「どうし・・・」 その言葉を言い切る前にT-26はその装甲を正面から破られ、操縦士を貫通して燃料タンクに着弾車体を爆発四散させた。 彼らが最後に見た戦車の正体はISU-152本来であれば欧州でドイツ相手にその猛威を振るっている筈の最新式の自走砲である、その他にも周囲を見渡せば ソ連軍の乗ったKV-85を日本兵の乗ったIS-3が攻撃していたり、日本の記章を付けたT-34がソ連のT-34を撃破するなどの光景が其処彼処で見られていた 一見するとソ連の精鋭が離反部隊を粛清しているかの様な有様では有ったが、攻撃されているのは列記としたソ連兵であり防衛しているのは 日本陸軍であった。 大陸日本が元の世界から史実の日本に提供したソ連戦車群はこの世界に置いてソ連兵に対する死神と成って襲い掛かっていた。そして、それでも進軍しようとする ソ連兵の前に現れてのたのは、大陸側から齎されたもう一つの死神であった。 「誰でも良い対空砲でアイツを叩き落せ!」 「無茶だ!下手に撃てばさっきの自走砲の二の舞だぞ!」 「くそ、又一両やられた小口径じゃまともに装甲を通らない!」 「ヤバイこっちにく・・・」 射程内に収めた兵士や戦車を次々にスクラップと挽肉に変えながら大陸日本産の攻撃回転翼機「桜花」は攻撃の手を休めずに次の部隊に機関砲を掃射していく そして、その威力は実際に攻撃を行っている史実日本兵からしても凄まじい物であり、乗員の二人も余裕そうに軽口を叩いていた。 「この機体凄いな・・・」 「ああ、実際に納入されて訓練してる間は使えるか心配だったが面白い様に歩兵が狩れるな」 「これも向こうの日本が来てくれたお陰だな」 「しかし、良い物をくれるのは良いんだが可笑しなものまで持ってくるんだよな・・・」 「ああ、あれか、俺はいいと思ったんだがな絵で書かれている分使いやすいし描いてあるのは女だから 男もついつい目で追っちまうだろ?」 「それはそうなんだがな、なんかこう気恥ずかしいというか軍人としてああいう物に現を抜かすの如何かと思うんだよな」 「まあ、説明書の類までああいう絵なのは少し問題だと思うが、向こうには向こうの考えがあるんだろ それより次はあの戦車だ」 「なんだかなあ・・・」 451 :ナイ神父MK-2:2016/02/29(月) 00 01 14 大陸側から持ち込まれた桜花の説明書が所謂萌え絵で手順の絵が描かれていた事に愚痴りながらも攻撃は止めない二人であったが この後多数のソ連戦車を撃破した事で史実では生まれなかったエースパイッととして名を残していくことになる。 ソ連の焦りとドイツ建て直し ソ連の満州戦線が鉄板に置いたバターの如く溶けている頃、ソ連のシベリア鉄道とウラル工業地帯にはそれぞれ日本の富嶽と芙蓉 が派遣され、それぞれ報復爆撃を開始していた高度12000mを優に超える高さからの攻撃はソ連の航空機では対ソすることが出来ず 仮に届いたとしても速度が追いつかないといった自体が多発し、結果的にシベリア鉄道はモスクワ付近まで終点を物理的に縮められて ソ連の極東方面への援軍や支援を大いに遅れさせ、ウラル工業地帯への気化燃料爆弾と地中貫通弾の投下に寄って工場の土台や地下倉庫 に至るまで破壊されたソ連は生産能力を大きく下げることと成る。 当初は多数の犠牲を出しても最終的に数による圧殺が出来ると考えていたソ連はバターか砂の城の如く崩されていく自国の極東方面軍に危機感 を覚え、急いで援軍を送ろうとしていた、しかし、輸送の為出発した列車は富嶽の爆撃によって欧州側から引き抜いた主力と物資を巻き込んで シベリアの大地の肥やしとなり終点が欧州に近くまで後退したことによって長い距離を陸路による移動で送るしかなくなっていた。 ソ連の主力が盛大に爆発し、更に多数の部隊を欧州から抜かれたことはドイツにとってチャンスとなり廃墟となったポーランドに強固な防衛線を 構築しなおしたドイツ軍は残り少ない戦力を上陸した連合軍へと割り当て連合軍に対抗、この際にアメリカ軍が日本の西進を恐れて本土防衛や ハワイ防衛の為に戦力を戻していたことが災いして敗退を重ね、4月には完全にフランスを奪還されてイタリア半島を除く欧州本土からたたき出されている。 尚、日本の活躍によって齎されたこの勝利はドイツで大きく取り上げられ、ヒトラーも大絶賛して士気が上がったと言う副次効果を出した。 樺太占領とソ連太平洋艦隊の受難 陸での防衛がほぼ完全に防衛に成功したと判断した日本軍は訓練を終了したサウスダコタ級とヨークタウン級をウラジオストク派遣しソ連の太平洋に置ける戦力の撃滅を 目指して進軍を開始した、これをスパイによって把握したソ連軍であったが、現在のソ連の太平洋艦隊に日本に対抗できる戦力は存在せず、止むを得ず大型艦を中心として 脱出作戦を決行するが、周辺に待ち構えていた大陸日本の吾妻型や潜水艦部隊、初春型によって多数が沈められ港湾内で砲撃に遭った戦力も含めて約7割近い艦艇が沈められ 戦艦による砲撃と空爆によってウラジオストクの造船能力と港湾機能に致命的なダメージを受けている。 その後日本軍は本土から陸軍戦力を抽出し、数少ない揚陸艦である神州丸とあきつ丸も動員して樺太占領作戦を実行、艦隊からの砲撃と上陸したきた日本の攻撃により 戦のないソ連軍は完全に士気が崩壊して部隊の政治仕官達が自殺をした後、多数が降伏することとなり比較的軽い被害によって占領することに成功している。 侵攻部隊の全滅と樺太占領、ウラジオストクの壊滅により極東戦線は援軍到着後に完全に膠着するも、今度は主力を多数失った欧州方面で連合を叩きだしたドイツ軍が英米に 宛てていた戦力を東部に回して逆襲を開始、最終的にウクライナまで戦線が後退している。また、この満州攻略の失敗とドイツ逆襲のに対する防衛の失敗ウラジオストクの 被害の責任を追及された多数の人間がスターリンによって粛清され、唯でさえ減っていたソ連の高官が更に減るのはそう時間のかかることではなかった。
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646: モントゴメリー :2021/04/07(水) 23 41 28 HOST 116-64-111-22.rev.home.ne.jp FFR社会の情景、余談 ——リシュリュー刀—— これまでも度々言及してきたが、フランス連邦共和国(以下、FFR)では「艦艇」という存在に神性を見出している。 これ自体は(日蘭)世界では一般的なことではある。しかし、FFRのそれは力の入れ様が違う。 FFRでは、小型ミサイル艇であっても退役する際は必ず「退役式」を催す。 大統領が臨席し、司祭が儀式を執り行い、国民たちの歓声に送られながらトリコロールを仰いだ黒鉄の乙女たちはオセアンの下に移籍するのだ。 さて、彼女たちの躰を構成していた資材はどうなるか? もちろん再利用されるが、そちらに関してもFFRは独創的である。 (一番多い利用先は新しい艦船や民間船舶の原材料であるのは世界共通だからここでは置いておく) 多くは建造物の骨組みなどに活用されるが、その建造物の用途は学校や図書館などの教育関連施設、病院などの公共建築物もしくは政府関連施設に限定される。 これはいわゆる「魔除け」の効果を企図したものであり、特に前者は子供たちの未来を守護することを願うものである。 この「艦艇の構成物=魔除けの聖遺物」という思考はFFR国民普遍のものであり、多くの国民が個人的な「御守り」を所持している。 鋼材を再利用したナイフや包丁を料理人はもちろん、庶民の主婦たちも多くが所持している。 あるいはペンダントなどに加工して常に所持している者もいる。 面白い例として、大統領が信を置くとあるFFR女性将官などはスキットルにして勤務時間中も懐中に忍ばせているという。 そういった再利用品の中で最も神聖とされるのが「リシュリュー刀」である。 名前からも解るように、「美魔女化改装」で解体された旧船体を加工して作られたサーベルである。 これを所持する事はFFR国民にとって最大級の栄誉である。 所持出来る者は士官学校主席卒業者や師団長に親補された者、あるいは戦場で多大なる功績を収めた者たちである。 軍人だけでなく、国家に多大なる貢献を果たした学者や技術者などの民間人でも受領は可能だ。 また、大統領に任命された者にもFFR国軍最高司令官「代行」の権力を示すものとして与えられる。 なお、現大統領はそのリシュリュー刀を最多数所持者としても有名である。 647: モントゴメリー :2021/04/07(水) 23 41 58 HOST 116-64-111-22.rev.home.ne.jp 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 陣龍氏から突然のダイレクトアタックに対して、何らかの報復措置を実施しなければならないと思いました。 しかし、私の執筆スピードでは即時報復は不可能。また、スレ全体の空気が重くなってましたので「何でもいいから作ろう」と思い立ちましたが本作です。 今後、リシュリュー刀を始めとするFFRの「御守り」や「結界」が活躍するのはネタスレの方でしょうね。 (というか、あっちの話組み立てているときに思いついた) ……これらが活躍するシーンが書けるのが、いつになるかわかりませんが。
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238: 名無しさん :2019/05/09(木) 11 54 31 HOST softbank126077075064.bbtec.net 日蘭世界妄想 ジョルジュ=ビドーの憂鬱 3 1979年 テキサス共和国 陸軍兵器開発局 「ほう、これはなかなか…」 「ええ、良いものでしょう?」 ジョルジュ=ビドーは次期主力戦車の試験走行を見ながら、兵器開発局のスタッフと話をしていた。 低姿勢の砲塔、複合装甲という新世代の鎧、そして自動装填装置付き120mm砲、全てが新しいFFRの主力戦車にふさわしい出来だった。 「この戦車はいつから作れる?」 「まずは生産ライン等を整えてからですので…2年程度はかかるでしょうか」 「2年か…ひまな人間にとっては短いが、若者にとっては長いだろうな。特に国境で常に敵と向き合っている彼らにとってはな。」 そういうとビドーは近くにいたテキサス陸軍から案内役として派遣されたアウグストゥス=オータム少佐を見る。 オータムはいきなりFFR大統領に見られて困惑していたが、ビドーは特に気にせず続けた。 「思い返せば、一年や二年というのは本当に短いものだったのだな。…あの時はそんな風には微塵も感じなかったのだが…」 技術者はビドーがどこか遠くをみているような感じがした。はるか彼方の遠い場所を… 1948年2月22日 ビドーはその日も忙しい書類仕事に追われていた。 もう一年もたつと言うのにあれ以来ド=ゴールもパリ伯もそして、英国からのスパイであるというキム=フィルビーという男もまるで尻尾を見せなかった。活動など肇からなかったかのようだ。ムーランからの連絡もない。 フランスの政局はペタン元帥の死後全く安定していない。本来ならば新しい内閣が組織されるであろう所なのだが、こうして自分が仕事をしているのが何よりの証拠だった。 「ルイ=ボナパルトのように政局の安定を図るべくクーデターを起こすならば…いましかないが…一体、何を考えている?ド=ゴール?」 薄暗い部屋の中に三人の男がいた。 「では、機は熟したそう考えて良いのですな、将軍」 「ああ、だが今しばらくは待った方がいい。ここで尻尾を掴まれては今まで待った意味がない。あくまで慎重にだ。北アフリカからの援軍を待たねばな。それともそこに控えている奴だけでなんとかできる、と?」 パリ伯との問答を終えたド=ゴールからやつ呼ばわりされた男、大戦中はミリスの指導者として活躍した男ジョセフ=ダルナンは怒りを滲ませて反論する。 「北アフリカからの援軍だと?有色人種の手を借りなければまともな戦争も出来ないのか?敗北者め。」 見え透いた挑発だがド=ゴールには効く、とパリ伯もダルナンも思った。バリ伯は狼狽し、ダルナンは勝ち誇った気分になった。 「念には念をと言うことだよ。ダルナン君。」 たが、ド=ゴールはそれだけ言うと出て行ってしまった。2人は顔を見合わせたが、すぐに2人とも部屋を出る。2人にもやることがあるからだ。『政権内に潜む共産主義者の一掃』という大仕事の下準備が。 ド=ゴールは車の中で一人考えていた。なぜあの場で自分があそこまで冷静だったのかを、結局たどり着いた答えは自分と彼らは違うから、だった。 パリ伯は王位のことしか、ダルナンは反共産主義しか頭にない。だが自分は違う。自分ほどフランスの未来を考えているものはあの場にはいないはずだ。 なぜ、英国が我々に接触してきたのか、それは隣国の社会主義化の防止というだけではない。彼らは英国の言うことを聞く弱いフランスが欲しいのだ。だが、あいにく私のような亡命政府組はフランスでの影響力を日に日に失っている。だからこそ反英を公言していた私のようなものにも近づいてきた。これでも戦前の軍改革案の提唱者ということで少しは名を知られているからだ。 そして、弱いフランスを作った暁には彼らは我々の植民地を市場として扱うだろう。だが英国にとって我がフランスの植民地を彼らの国王陛下のもとで蘭帝型の植民地とするのは骨が折れる。だから傀儡が必要なのだ。 だが、私はそれでも構わないのだと思う。我がフランスの将来は負債たる植民地の放棄にこそある。あんな連中と手を組んだのもクーデターを成功させて『英雄』になる為。なってしまえばどうにでもなる。 「そうだ。私は英雄になるのだ。」 239: 名無しさん :2019/05/09(木) 11 57 44 HOST softbank126077075064.bbtec.net 投下終了です。 英国の植民地収奪については、史実でフランスの降伏後に米英で植民地を分割しようとしたという話をもとにしています。 255: 名無しさん :2019/05/09(木) 22 17 54 HOST softbank126077075064.bbtec.net しかし、見返してみると安定の誤字とミス(汗 オータム大佐、勝手に降格してしまい申し訳ありません。いや、なんとなくテキサス共和国ってエンクレイヴぽいんじゃないかと思っただけです。 なんかもう名無しのテキサス大統領もディック=リチャードソンでいい気がしてきた。 とりあえず、灰とヒッコリーのバットで武装した古のナイトのような首都の国会議員達にぶん殴られてきますw …そういえば、この迷言を残した大統領の名前の元ネタと思われる人は黒人労働者なんですよね。ザ・ストロングことロングさんの後継者にCV秋元洋介の黒人大統領とかどうですかね? そして、パリ伯もバリ伯にしてしまいました。勝手にOCUに島流しにしてごめんなさい。 260: 名無しさん :2019/05/09(木) 22 43 05 HOST softbank126077075064.bbtec.net そしてまた新たな誤字が… 初めから、を肇からと書いていました。 この件について、筆者は担当アイドルの名前に勝手に変換されて入力してしまった、誠に申し訳ないと思うなどと供述しており、再発防止につとめたいと語っています
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10 名前:635[sage] 投稿日:2023/08/14(月) 21 18 35 ID 119-171-217-110.rev.home.ne.jp [3/11] 日蘭支援ネタ テキサス共和国・M36狙撃銃 M36狙撃銃は1980年代後半にテキサス共和国軍により制式採用された狙撃銃である。 M36狙撃銃の原型となったのはFFRサン=テティエンヌ造兵廠にて試作されたブルパップ方式のMAS82小銃である。 ブルパップ方式特有の問題や独自戦術に適合しない故にFFRでは不採用となったが、短小かつ軽量な同小銃はテキサス共和国にとって魅力的だった。 不倶戴天の敵であるアメリカ合衆国と接し広い荒野を戦場とする同国にとって長射程・高威力の小火器…、 すなわち狙撃銃は必要不可欠であったが斯様な火器は基本的に長大かつ重量級であった。 そして長大な国境線の警備を行う兵士にとってその様な火器は大きな負担となる上、 M1小銃改修型の自動小銃では命中精度に限界があった…後兎に角調達すべき陸戦兵器多いしあまりお金をかけられなかった。 そこで同国陸軍が目を付けたのがFFRでは不採用となったMAS82である。 このMAS82の重量は通常の小銃並の重量かつ並の小銃より短く取り回しも良くその機関部を始めとする部品の多くは頑丈さと実績と流通量のあるMAS50のものである。 懐の寒いテキサス共和国にとっては有り難いことであった。 ちなみにFFRで欠点とされた連射のしにくさはテキサス共和国においては狙撃銃、それもボルトアクションにそこまで求めていないので欠点足り得ない。 実際にテキサス共和国に試作後に保管されていたMAS82小銃が持ち込まれFFR陸軍兵による指導の後、同陸軍狙撃手により(実戦含む)テストされた。 そして全ての射撃テストにおい予想を上回る結果を示した上、極東支那の温帯、地中海気候、緑化前の北アフリカ砂漠地帯からアフリカ及び南米熱帯雨林まで、 ありとあらゆる環境で運用され地道な改良が施されたMAS50と同じ機関部は想像以上の堅牢さを示した。 なおFFR陸軍兵はやはり発射速度と速射時の耳元の音がご不満だったそうだが…。 その後、数種の改修を経てテキサス共和国陸軍の選抜射手、全軍の狙撃銃として採用された。 以下バリエーションを示す XM36 テストの為に購入されたMAS82に割り振られた番号 M36 正式採用されたMAS82のテキサス共和国向けモデル。 銃身の肉厚化、折りたたみ二脚の標準化、調整可能な銃床の採用などが行われた。 M36 SRS(Stealth Recon Scout) 偵察、特殊部隊向けモデル。銃身の短小化、二脚の取り外しを可能とした。 M36A1 サン=テティエンヌ造兵廠の協力を得てフルフリーフロート化、ボルトのプルストレート化及びFFR規格のマウントレールを実装したモデル。 射撃、狙撃速度が劇的に向上し…FFR兵が撃つとスゴイことになったが耳もスゴイことになる。 M36A1 HTI(Hard Target Interdiction) 2000年代に入りMAS50 bisと同じの技術を導入、加え新型の油圧式緩衝器を備え新型弾を運用可能にしたモデル。 対戦車火器や大型対物ライフルなどの対物火器と歩兵火器の間を埋める歩いていどの対装甲火力を持つ軽量対物火器としてテキサス陸軍では重宝されている。 輸出も好調で朝鮮王国など中立国において取り回しの良い軽量(対物も出来る)長射程狙撃銃として軍警察、ノルウェー・エチオピアの自然保護官に採用されている。 変わった所では日本でもマタギなどの職種で対大型獣用途に少数であるが個人輸入などがされている。 M36A2 上記HTIの技術をA1に一部導入した改良型。 11 名前:635[sage] 投稿日:2023/08/14(月) 21 28 42 ID 119-171-217-110.rev.home.ne.jp [4/11] 短いですが以上になります。 モントゴメリー氏の投下したブルパップライフルを見てテキサス共和国は合衆国との間に長大な国境線を有し、 その大半が遮蔽物の少ない平野なので巡回する歩兵部隊向けに小銃の射程保管する現実の選抜射手や純粋なスナイパー向けの軽量で扱いやすい狙撃銃の需要あるのでは?と思ったのがそもそものネタの始まり。 加えMASシリーズからの狙撃銃への改修はネタ元がありましてMAS36から狙撃銃へと改修され長らく一線級であったFR-F1狙撃銃が現実にございます。 選抜射手はセミオートじゃね?というご意見もあると思いますがますが現実のイスラエル陸軍において選抜射手はボルトアクション式で選果を上げた例もあります。
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110 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 08 30 ※日蘭蜜月世界支援ネタSS ・ ハワイ事変 布哇事変(ハワイじへん、英:Hawaii Incident)とは、 1903年6月から7月に掛け、相次いで発生した大日本帝国宮城県布哇諸島支倉市における クーデター未遂事件と、その後に発生した布哇諸島沖での日米艦隊による軍事衝突の総称。 双方共に明確な戦線布告は無かったものの、新興の立憲君主制国家である大日本帝国と 同じく新興の共和制国家であるアメリカ合衆国の艦隊が戦闘を行い、 日本側の勝利を以って同国が改めて北太平洋における覇権を確立したとされる。 ただし、この事件が後々まで続く日米対立の要因とする見方も大きい。 布哇諸島への日本人到達 布哇諸島に日本人が到達したのは、1613年にまで遡る。 当時、幕府の認可を得て、欧州渡航を計画していた伊達政宗率いる仙台藩は 藩内に逗留していたスペイン人らの協力の下、 日本初となる西洋式帆船、サン=ファン=バウティスタ号を建造。 外交使節として同藩藩士の支倉常長を任命し、 使節団やスペイン人協力者などを含む乗員180名と共に 1613年10月に陸奥国牡鹿郡月浦を出航。一路、欧州を目指した。 しかし航海の途上、日本人船員の未熟な航海術が祟り、 予定航路を逸れてしまった彼らは怪我の功名とも言うべき形で布哇諸島を発見することになる。 当初、支倉を含む大半の日本人達は布哇諸島の発見にはそこまで大きな興味を示さず、 一週間程度の投錨を行って船の補修を行うと、足早に現地を去った。 しかし随伴していたスペイン人らは例外であり、表面上は日本人達と共に淡白を装っていたが、 内心は如何に日本人達を騙し抜き、新諸島発見の功を得て、その領有を行うかを計画していたとされる。 だが日本人達の中にも布哇諸島発見を重要な事実だと認識する一団が存在しており、 スペイン人らが彼らとは別に日本人達が独自に綴っていた航海情報などを得ようとした際、 虚偽の情報を伝えた旨を記す日誌が、乗り合わせていた仙台藩航海士の子孫らによって蔵より発見されている。 領有に向けた動き 仙台藩が行った欧州渡航は一定の成功を収め、 支倉常長以下、使節団は目的であったスペイン帝国に到着した。 しかし時の徳川幕府が発布した禁教令の情報は既にスペインにも伝わっており、 伊達政宗が目的としていたスペインとの貿易協定や各種外交関係の樹立は失敗に終わる。 そのため1620年、使節団は失意のうちに帰国。支倉常長も帰国の2年後に逝去することとなった。 だが、彼らの試み全てが無駄に終わった訳では無かった。 それは布哇諸島の存在である。 帰国した使節団から布哇諸島の情報を入手した仙台藩、特に伊達政宗は狂喜したとされ、 その領有に向けた動きを開始した。 当時の幕府は徐々に鎖国、所謂海禁への動きが進んでおり、 仙台藩の行動は半ば滑り込みを狙う形で進められた。 仙台藩は使節団が帰国の途上、当時スペイン領であったフィリピンで同国に売却を余儀なくされた サン=ファン=バウティスタ号を模範とした新たな西洋式帆船の建造を開始。 同船を逝去した支倉常長の功績を称えるために支倉丸と名付け、 1625年には布哇諸島再発見に向けて出航を行った。 この航海は、完全に日本人だけによるものであり、大きな困難が伴うものであったが、 支倉使節団の航海に関わっていた船員達とその航海で綴られた情報を基に 1626年に目的であった布哇諸島の再発見を成し遂げた。 またその途中、彼らは中道諸島(ミッドウェー諸島)という新たな島々の発見も成し遂げている。 そして使節団に同行していたスペイン人らの発言を根拠に 布哇諸島が諸外国のものではなく、仙台藩が領有する新領土であり、 つまりは内地であるという仙台藩の主張を幕府が渋々受け入れる形で布哇諸島と中道諸島は日本へ編入。 ここの至り、仙台藩領布哇諸島及び中道諸島が誕生することとなった。 111 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 09 51 日本領布哇 しかし、仙台藩が得たこの新領土の安定には大きな困難が伴った。 確かに布哇諸島は諸外国の領土では無かったが、原住民は存在しており、 彼らによる首長国とも言うべきものが島ごとに存在していたからだ。 これに対し、仙台藩は地道な交流を足掛かりとした領土化を実行。 また同時に布哇諸島で不足していた教育を日本のそれに準えた形で行う傍ら、 交易によって利を得るために目新しい布哇諸島独自文化の保全という相反した課題をこなしていった。 これらは成功と失敗の繰り返しであったが、半世紀が経過する1680年代には成果を見せ、 布哇諸島の安定化と仙台藩領としての確立に成功することとなる。 なおこの際、海禁令下でも交流が持たれていた ネーデルラント連邦共和国(後のネーデルラント連合帝国、以下オランダと呼称)の アウストラリスなどにおけるオランダ式統治方法が大いに参考になったとされ、 当初取り入れられる予定であったスペイン式のそれを取り止めた仙台藩の判断は英断だったとされている。 こうして完全な仙台藩領となった布哇諸島は1800年代に入り、 フランス革命戦争におけるオランダへの援軍派兵とその対価という形で締結された 日本としては初めてとなる平等条約の日蘭修好通商条約によって 大幅な方針転換を行わざるを得なかった幕府の思惑も相成り、 それまでの仙台藩単独によるものではなく、日本という国家全体で開発が行われていった。 これはフランス革命戦争への参戦という形で欧州の空気に触れた人間が増え、 そして人種差別という大きな壁に直面した彼らが友好関係にあるオランダ以外の 西欧諸国の太平洋への進出を警戒していたためであった。 言わば、布哇諸島は西太平洋における西欧諸国警戒のための砦と位置付けられたのだ。 オランダとの交渉の結果、南洋諸島なども新たに領有した日本は、 オランダとの交流、そして明治維新や産業革命などを経て、急速に近代国家への道を突き進み、 それに合わせて布哇諸島も大きく発展していくこととなる。 クーデター未遂事件 1903年6月、一つの転機が布哇諸島に訪れる。 当時、既に開国を行い、大日本帝国へと国号を改めていた日本の領土である布哇諸島は、 仙台藩の流れを汲む宮城県の施政下にあった。 そしてこの頃、布哇諸島には日本や帝政オランダの船舶の他、 大日本帝国と太平洋を挟んで興隆しつつあったアメリカ合衆国や南米諸国の船舶が寄港するようになっていた。 太平洋に拠点を持たないアメリカ合衆国は太平洋の横断に際しては、 大日本帝国か帝政オランダの港を利用せざるを得ず、布哇諸島はそうした港の一つであった。 特に布哇諸島行政の中心地である央府(オアフ)島支倉市には、 日本人の他に寄港するアメリカ船関係の仕事に携わる合衆国や南米諸国の船員や労働者が多数存在しており、 彼らが外国人労働者に対する待遇の改善を訴えたのが全ての始まりであった。 初めはありがちな待遇改善の主張であったその動きは、 いつしか立憲君主制の否定、布哇の共和独立へ向けた動きに変質。過激化していくことになる。 ただし、この動きに迎合したのはほとんど彼らのような外国人労働者であり、 大半の日本人達は声を荒げる彼らを抑止しようとしたが、それを排斥と受け取った共和独立派が爆発。 共和独立派を称する外国人労働者による支倉市庁舎の占拠未遂事件が起こり、 多くの外国人労働者が警察や憲兵によって捕縛される事態に発展する。 これは当時、機運が高まっていた日露開戦に備えて大日本帝国海軍布哇警備府から 主力艦の本土回航が進められ、一時的に布哇諸島全体の防備が手薄となっていたことに 目を付けたアメリカが布哇諸島を太平洋進出の足掛かりとすべく、 秘密裏に自国の労働者を煽り、その保護を名目に布哇諸島への出兵と併合を目論んでいたことが関係していた。 112 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 10 33 共和義勇艦隊 しかし本来、この陰謀は確実視されていた日露開戦を待って行われるはずであった。 だが想定より早い外国人労働者らの爆発により、大きく歯車が狂ってしまう。 やむなくアメリカ合衆国は演習名目で進出させていた アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊を急遽、共和義勇艦隊として布哇諸島へと向かわせる。 名目は共和主義者への不当な弾圧に対し、艦隊全体が義勇軍として馳せ参じたことにされていた。 この時、平時よりも大幅に増強されていたアメリカ合衆国太平洋艦隊は、 キアサージ級戦艦の《キアサージ》及び《ケンタッキー》、イリノイ級戦艦の《イリノイ》及び《ウィスコンシン》。 そして、当時最新鋭であったメイン級戦艦の一番艦である《メイン》を中心に構成されていた。 戦艦隻数、実に5隻。当時、アメリカ合衆国が保有していた戦艦のおよそ半分に匹敵していた。 これだけで、どれほどアメリカ合衆国が布哇諸島の奪取に心を傾けていたかが解るだろう。 対し、当時大日本帝国海軍が布哇諸島に展開させていた戦艦は、旧式である富士型戦艦の《芙蓉》と《瑞穂》。 そして本土回航第二陣として準備が進められていた敷島型戦艦の《三笠》であった。 海上を警戒中の哨戒飛行船より、共和義勇艦隊の来襲を察知した日本側は、 布哇警備府隷下の第七艦隊に属する全艦に全力出撃を命じた。 折り悪く、本来の第七艦隊司令官は主力艦の本土回航第一陣の指揮を取るために布哇を離れており、 急遽警備府長官であった東郷平八郎海軍少将自らが《三笠》に乗艦することとなった。 布哇沖海戦 戦艦隻数は3隻であり、5隻を擁する共和義勇艦隊に対して劣勢であった日本側だったが 本土回航第二陣として留め置かれていた装甲巡洋艦が複数存在しており、 これらを含めれば艦隊の隻数は来襲した共和義勇艦隊と互角であった。 しかし火力面で劣ることは否めず、場合によっては一方的に撃滅される可能性もあった。 そこで東郷は火力の劣勢を艦隊運動によって覆そうと試みる。 第七艦隊は迫る共和義勇艦隊に対し、反航戦を行うと見せ掛けて鮮やかに一斉回頭。 共和義勇艦隊の頭を抑える丁字戦へと移行し、火力を集中させての撃滅を目指したのだ。 後に伝説となる敵前一斉回頭、トーゴーターンである。 この予期せぬ動きに共和義勇艦隊は混乱。 艦隊先頭の《イリノイ》が集中砲火によって一瞬のうちに炎上し行き足が止まると、 なんと後続の《ウィスコンシン》と《キサアージ》が《イリノイ》を避けるために左右異なる方向に回頭。 その後続艦もどちらに続いて良いか判らず、これまた左右に別れた結果、 艦隊を二つに割る失態を演じてしまう。 これは練度に勝る大西洋艦隊から編入されたばかりの《ウィスコンシン》が同航戦に持ち込もうとした一方、 錬度に劣る太平洋艦隊所属だった《キサアージ》が一度距離を取っての仕切り直しを企図したためという 見方が現在では最も有力とされている。 急遽、増強された艦隊が故に統制された動きができなかった弊害であった。 これに対し、第七艦隊は《ウィスコンシン》を次なる獲物として集中砲火。これを撃沈。 《ウィスコンシン》に続いた装甲巡洋艦をも順次撃破すると、 返す刀で狼狽する《キサアージ》と《ケンタッキー》を相次いで撃沈破する。 ここに至り、戦力が逆転してしまった共和義勇艦隊最後の戦艦、《メイン》が撃沈を恐れて白旗を掲げて停船、降伏。 残っていた艦も一部の快速艦艇を除き、第七艦隊から逃れきれず、降伏するか撃滅されるかの道を辿った。 対し、第七艦隊の被害は《瑞穂》の中破のみ。 布哇沖海戦は近代海戦史上、稀に見る快勝となった。 114 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 11 23 その後 共和義勇艦隊の壊滅による太平洋艦隊の消滅は、アメリカ合衆国に大きな衝撃を齎した。 これにより、アメリカ合衆国は太平洋に艦隊が存在しなくなり、西海岸が柔らかな横腹を晒す形となったからだ。 もしも大日本帝国が報復に西海岸への砲撃を行っていたら、西海岸諸都市は蹂躙されていたであろう。 されど、日露戦争が間近に迫っていた日本にその意図は無かった。 帝政オランダの仲介によって行われた大日本帝国とアメリカ合衆国の交渉は、 アメリカによる日本への謝罪と降伏によって鹵獲された艦の日本への譲渡、 そして問題となったアメリカ籍労働者の布哇諸島からの退去という形で手打ちとなる。 アメリカ合衆国にとっては屈辱的な内容であったが、太平洋の海軍備消滅の手前、これを飲まざるを得なかった。 かくして布哇事変は終結を迎え、立役者となった東郷平八郎海軍少将は 急遽本土へと召還され、中将へ昇格の上、日露戦争では連合艦隊司令長官として戦うことになる。 そして、この戦争においても東郷はロシア帝国海軍太平洋艦隊の戦艦を多数撃沈し、 数年の間に10隻以上の戦艦を沈めた提督として世界海軍史にその名を刻んだのだった。 なお余談であるが、鹵獲された共和義勇艦隊残存艦のうち、戦艦《メイン》は《三笠》と共に本土へ回航された。 そしてロシアが保有する戦艦《レトヴィザン》の研究のために解析された後、 突貫工事で日本形式の兵装へと換装されると、戦艦《肥前》として大日本海軍に編入。 海防艦や特務艦、特設工作艦への艦種変更を経て、1940年代に廃艦となるまで籍を置いていた。 アメリカ合衆国海軍に在籍していた期間よりも 仇敵たる大日本帝国海軍へ在籍していた期間の方がはるかに長かったのは、ある意味皮肉と言える。 (終) 116 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 12 28 以上です 日本領布哇の説明、東郷平八郎の伝説化、全て達成できたと思いたい ハワイが宮城県なのは突っ込み入るかもしれませんが、字面のインパクトで選びました(などと供述) 120 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 20 46 》116 大陸世界の日本は確か総監府⇒道⇒州⇒県じゃないかっていう話もあったからより広義だと例えば陸前州とかやなあ。 121 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 22 16 ついでに、一番纏めておられるのがひゅうが氏の三帝同盟のは無しの中で投稿した物で。 これttp //www18.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2762.html 122 :名無しさん:2015/08/26(水) 19 26 06 》120-121 なるほど、見逃しておりました では陸前州仙台県布哇諸島という方向で脳内変換をお願いします
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85 :ナイ神父MK-2:2016/02/25(木) 23 42 23 日蘭世界 44年ゲート編 その3 レイテ海戦まで 1944年8月よりアメリカ軍は放棄された中国やマリアナ諸島の戦線部分こそ占領することは出来ていたが、本来行われる筈であった 空襲作戦や上陸作戦に支障をきたすようになってきていた。その理由の一つが日本の潜水艦狩りである、キングの命令で 日本周辺や南洋諸島に展開していた潜水艦群は大陸日本の出した朝霧型及び初春型の対潜攻撃に遭遇して大多数が離脱も侭成らない内に撃沈更に その後に勢力圏を塗り替えるように日本側の潜水艦隊が展開し、更にはマリアナ沖で自国のボルチモア級に匹敵する大型 重巡洋艦を旗艦とする部隊が展開して通所破壊や同じ任務に就いているアメリカ側の部隊い積極的な攻勢をかけ始めた 為であった。この為、計画されていた第三艦隊による空爆作戦が中止され、何とか上陸したぺリリュー島やアンガウル島では マリアナから早期に引き上げた後に再配置された部隊により厳しい戦いを強いられることとなる。 こうした状況中でアメリカ軍は日本の防衛線後退を狙いレイテ島への上陸作戦を計画、後にレイテ沖海戦と呼称される日米の大規模海戦の 幕はこうして開くことと成る。アメリカ軍は日本の激しい抵抗を予想して陸海共に多数の兵力を用意し、戦艦12隻、正規空母17隻、護衛空母18隻に登ると 言われている。一方の日本海軍であるが、大陸日本より大規模な支援があったとは言え戦艦や空母に関する訓練が未だ終了せず黒部型や松型が漸く対地攻撃に 使えるか問う言う状態であり現状は元々の戦力以外は未だ信用できない状態であった。その為日本は大陸側の日本に対して援軍を要請、大陸日本も 史実を知る夢幻会が此処で敗北すれば日本近海に再び連合側の潜水艦などが出現すると考えた為にこれを了承して伊吹型と調査を終えた相模型を 含む艦隊を編成して史実の日本へと派遣した。 エンガノ沖海戦 大陸日本の艦隊は沖縄を出発後史実における小沢艦隊のルートを選択して航行を開始した、一方で出撃の兆候を掴めなかったアメリカ軍であったが その数日後の暗号傍受にて日本が給油艦を動かしていることを確認、数日遅れで第3艦隊及び第7艦隊が動き出すこととなる。航行していた両艦隊はエンガノ岬沖にて 日本側が発見する形で接触し、交戦を開始した。 「なんだ、あの艦隊は?ジャップの奴ら何時の間にあんな大艦隊を用意してたんだ?」 「敵艦隊より航空機部隊出撃を確認!我が軍の航空隊を交戦を開始しました。」 「よし、艦載機部隊は制空権確保を・・・」 ハルゼーが支持を出そうとした瞬間、ニュージャージーを激しい揺れが襲いハルゼーは指揮を中断して 状況の確認を行った 「まだ、砲の射程圏外だ何があった!」 「艦の左舷に敵の攻撃が命中!敵からのロケット弾のようです!」 「馬鹿なこの距離で此処まで正確に当ててくるだと・・・」 「ホーネットに敵ロケット弾命中!また、航空機との通信が途絶しました無線妨害だと思われます!」 連山改の電子戦仕様から行われた無線妨害により連合側は無線による連携を崩され、更に敵の航空機に 苦戦していた。 「クソ!、連中かなり早いぞ」 「今まで何処にジェット機なんて隠してやがった!」 「な、後ろを取られ・・・」 「甲板に穴が開いて着陸ができな・・・」 86 :ナイ神父MK-2:2016/02/25(木) 23 42 53 アメリカ航空隊の不幸は空の上での振りだけだ無く、空母の甲板に穴が開いた事もそれを助長していた。ホーネットやワプスを 初めとした正規空母は甲板に複数の穴が開き航空機の離着艦が出来なくなり。護衛空母にいたっては薄い甲板を抜いて内部で爆発が起き 弾薬や燃料に引火して連鎖的に爆発、最上型や白露型から放たれた対艦ミサイルにより多数の護衛空母が沈んでいる。 そして第二陣として相模型率いる水上打撃部隊が水雷戦隊を率いて敵戦艦撃滅の為に動き出すこととなる。46cm砲艦6隻による砲撃と 水雷戦隊による雷撃が止めとなり、戦艦及び正規空母の多数が撃沈ハルゼー以下第3艦隊の指揮官も多数が艦と運命を共にすることと成る。 第三艦隊の敵艦隊発見報を受け別方面に網を張っていた第7艦隊も敵艦隊の迎撃為に北上を開始するも、第7艦隊が到着した頃には既に多数の 艦艇が海に沈み始めた頃であった。 「第三艦隊は?」 「撤退を開始し、此方に向かっているそうです」 「まさか此処まで一方的とは・・・」 「臨時旗艦のホーネットからの通信では此の侭後退してウルシーにて補給を受けた後、後方まで下がるそうです。」 「解かった、第七艦隊は此の侭北上して・・・」 「偵察機からの通信です!前方に敵主力と思われる艦隊を確認したとの事です。」 「艦載機には何時でも出ることが出来るよう待機させて置くよう各艦に通達を」 「艦隊後方より敵艦多数挟まれます!」 「なんだと!支援の小艦隊か?」 「い、いえ此方にも主力艦が多数、日本の主力艦隊だと思われます・・・」 「そんな馬鹿なことがあるか!、では前方に居る艦隊はなんだと言うのだ!?まさか幽霊船だとでも?」 仕官の一人がそう叫ぶもどちらかの艦隊が消えるはずも無く第7艦隊は大陸と史実の両主力艦隊に挟撃を受けて壊滅状態に陥り、ハルゼー達にの後を追うことになる。 この戦いでアメリカは太平洋方面の戦艦全隻損失、正規空母3隻を除いて壊滅更に離陸後甲板が破損して着艦不可能となり多数の航空隊が壊滅している。 フィリピン周辺においての主要な艦隊は撃破したと考えた日本軍海軍は第二、第三艦隊共同でレイテ島を初めとした米軍の上陸した島への砲撃を 開始結果的に補給や上陸、援軍に用いられていた揚陸艦を初めとした補助艦艇を多数撃沈更に沿岸部に存在した物資や兵士にも重大な損害を 与え、レイテやぺリリュー、アンガウルに上陸したアメリカ陸軍の6万~7万が飢餓や物資不足に陥り苦しむことと成る。 その後アメリカ軍では孤立した多数の陸軍部隊救援の為様々な補給作戦や脱出作戦が企画されるも、敵の通商破壊や潜水艦による雷撃により 多数の補助艦艇が消える事となり、中でもレイテ島に対して行われた大規模作戦では脱出した兵士を乗せた艦が多数沈められて事からアメリカ軍内では 悲劇として扱われている。
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347: 635 :2022/03/20(日) 15 36 43 HOST 119-171-250-56.rev.home.ne.jp 日蘭世界 FFR支援ネタ ソミュアCP.1バリエーション ソミュアCP.1、色々と条約なんやら輸送上の理由やらで生まれたこのTankette(豆戦車)である。 使って見れば旨い(使い勝手)、安い(製造、運用コスト)、速い(戦略、戦術機動性)という三拍子揃った名豆戦車であった。 その侮れない火力は対ドラム缶に留まらず歩兵支援から対軽装甲車両、開けた土地での戦闘は苦手ながらその小ささと軽量さで市街戦から山岳戦までこなし、 戦略機動性はFFR標準の中型輸送ヘリならば一機吊り下げて、ティルトローター機ならば中に二両搭載し空輸可能という破格のものであった。 故に同サイズで様々な車両が求められるのも世の常というもの。 FFRは世界各地に領土を持ち戦略機動性の持つ車両が求められ、 小型軽量で使い勝手の良い車両を求める声は大きく生産元のソミュア社でも多数のバリエーションが生まれることとなる。 正しくFFRの軍馬である。 以下バリエーションを示す 対空機関砲型 従来搭載されているガンモーターに代わりFFR標準の2cm機関砲弾を使う単装対空機関砲をRWS形式で搭載したタイプ。 2cm機関砲の砲薬搭載量を増加させる為に後部多銃身機銃は撤去、機関砲の砲身長を稼ぐために後部多銃身機銃跡に機関砲は搭載されている。 弾幕を貼れ、2cm砲徹甲弾はドラム缶の正面装甲を突破可能なことから火力支援車両としも運用されている。 対空ミサイル型、対空レーダー型 対空機関砲や多銃身機銃では届かない高度の航空機に対応し多層防空網を形成する為に対空ミサイル及び対空レーダーをそれぞれ搭載した車両。 必ず二台一組で運用され、対空機関砲車両とも連接することで多層防空網を形成可能。 レーダー車両はデータリンクにより各種地対空ミサイルを誘導する部隊の空の目ともなる。 ガンモーターは撤去されている。 対戦車駆逐型 歩兵では携行不可能な大型対戦車ミサイルを搭載したタイプ。 緊急展開部隊では貴重な対機甲戦力。 これもガンモーターは(ry 偵察型 ガンモーター部を光学電子等偵察機材に交換したタイプ。 他にNBCセンサーを搭載したNBC偵察車仕様も存在する。 輸送・トラクター型 多銃身機銃を前方へ移動、後方を荷台や荷室にしたタイプ。 流石にこのサイズで装甲兵員輸送車は無理だったので兵士の輸送にはこのタイプの荷台型が使われる他、重迫や軽榴弾砲の牽引にも使われる輸送特化仕様。 緊急展開部隊では貴重な支援火力運用車両であり、その輸送力から緊急展開部隊以外にも民間仕様が存在。 消防車やら局地探査車両やらと色んな所で良く見られ災害派遣などにも数多く参加している。 戦場救急車型 戦時国際法に基づき武装は撤去され赤十字章が側面に施され、後方荷室は担架と怪我人を収容する為に他の仕様よりも拡大されている。 軍用車両として与圧され対NBC防御もあることから上記輸送・トラクター型の武装撤去したものと共にFFR災害救助組織でも運用されている他、 1960年代に多発した大災害を機に成立した多国籍国際救助組織においてもFFRが提供した軍事機密等引っこ抜いた仕様が運用されている。 大災害があれば世界どこでも真っ先に駆けつけるFFRが誇る守護天使である。 349: 635 :2022/03/20(日) 15 40 53 HOST 119-171-250-56.rev.home.ne.jp 以上になります。転載はご自由にどうぞ。