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939 :ナイ神父MK-2:2016/01/09(土) 00 01 10 日蘭世界 入れ替わりネタ 開戦の夏 1940年 7月アメリカ合衆国はハワイ奪還に向けてキンメル少将を司令官としたアジア・太平洋合同艦隊を ハワイ諸島へと向けて派遣、同時にアラスカへの支援の為にヨークタウンを含む小規模な艦隊を出国させている。 当初こそ奇襲を行うべきでは?と言う意見も有ったが、現状は此方の戦力が圧倒しており奇策に頼らなくても十分に 勝利は確定しているというのが国内の主流で有った。 しかし、その余裕も戦闘までであった目標距離まで到達した空母は一斉に航空機を発進させ迎撃に出てきた日本の航空隊と 戦闘へと入ったしかし、其れと同時に齎されたのは悲鳴に近い増援を求めるパイロット達の声と見間違いかと疑うほどの 敵航空機の反応だった 『敵機は一体何機いるんだ!』 『畜生、周りは敵で空が見えねえ!』 『増援を!このままではぜんめ・・・』 『助け・・・』 艦載機側からの悲鳴とは別にレーダーの観測員達からもとんでもない報告が舞い込んでいた。 「て、敵航空機1000機を越えています!」 「馬鹿な、チャフによる妨害ではないのか!」 「航空隊通信途絶!増援に出した部隊からも応答がありません!」 「もし、この数が本物なら先行している戦艦が不味い!直ちに連絡をしろ!」 艦内が騒然とする中、エンタープライズ艦長は動揺を抑えながらも味方の戦艦へ危険を伝えるべく指示を出していた、しかし それは既に時遅く、無数の航空隊たちは運んできた荷物を戦艦に投下している最中であった。 「ああ、オクラホマが・・・」 「味方の航空機はどうした!なぜ、支援がこない!」 「対空砲の弾幕を厚くしろ!このままではいい的だ!」 「アリゾナに敵の雷撃が直撃!転覆します!」 「馬鹿な・・・まだ艦隊を確認すらしていないのだぞ・・・」 そう洩らすノースカロライナ艦長を尻目にキンメルはて攻撃は不可能と判断して撤退を決める。 「全艦に撤退命令を、此の侭では傘の無い空母は即座に沈められるぞ」 「敵戦艦を確認!」 「艦種は?全長は、早く報告を!」 「艦種は戦艦特徴から後方に長門型とその類似艦が4隻!前方4隻は不明、長門より遥かに巨大な戦艦と思われます!」 「長門型が4隻だと?見張りは寝ぼけているのか!あの艦が4隻もあるはずが無い、しかも長門以上の大型艦が4隻もだと?ふざけるのも大概にしろ!」 そう怒鳴り返す艦長で有ったが次第に距離を縮まり戦艦が目視で確認できるようになると艦内の誰もが唖然となった 「ジャップがあれ程の戦艦を建造したというのか・・・」 「クソ、どうせ鈍足だ距離がある内に逃げるぞ!」 940 :ナイ神父MK-2:2016/01/09(土) 00 01 42 敵艦の砲撃来ます」 「41cm砲ならまだ射程外だ当るわけが・・・」 「敵の砲撃ニューオリンズに直撃!沈みます」 余りにも早い有効打に誰もが言葉を失う中、一人冷静さを保っていたキンメルは次の策に移る。 「敵の戦力は想像以上だ、この手負いの船で逃げ切れるか解からん。それならせめて一矢報いよう、わが艦と残存した重巡以上の艦は敵戦艦部隊への殿を開始する。 無事な重巡以下の艦はすぐにでも離脱しろ!この戦いの事実を本国に伝えるんだ!」 この命令を最後に一部残存艦艇が大和を初めとする艦隊に対して攻撃を開始するも有効打を与える事無く全滅する。 その様子を確認して小沢提督も一息ついた 「敵艦隊は全滅か・・・一先ずは安心だな」 「はい、しかし油断はなりませんね恐らく連中は小手調べもいいところでしょう。本命は恐らく・・・」 「向こうで建造が進んでいたと言う、伊吹クラスの戦艦か?」 「そう思われますこの戦いでは噂に聞いたビンソン計画の戦艦がまるで見当たりませんでしたし、攻撃してきた航空隊も 数が少なすぎます。当初の予測では少なくても1000機以上、多ければ2000を越えるというのが多くの者の意見でしたし・・・」 「少なくとも次はこれ以上が出てくるか・・・、鎮守府に戻り次第補給と修復に移るぞ次はアラスカへ向かった第4艦隊を援護する!」 この戦闘でアメリカ海軍の太平洋・アジア艦隊の主力を全て喪失、別働隊で動いていたヨークタウンも第四艦隊に見つかり海の藻屑となった そして同時期に起こった蘭航空隊によるパナマ運河破壊と三式弾頭弾による爆撃はアメリカの回復能力を大きく減退させ、今後の戦況に大きな影響を与えていく事ととなる。 一方、英国のインド艦隊を撃滅したオランダ艦隊でも困惑が大きかった。 「本命の英国艦隊は何処だ?囮艦隊は撃破できたが肝心の連中が見つからないでは話にならんぞ」 「現在、航空機を使って探索していますが中々・・・」 「あの艦隊が本命だったということは無いでしょうか?救出した船員もイギリス人が中心でしたし」 「しかし、英国軍ならもっと喰らい付いてくるはずだ、たとえ船体が半分になっても砲を失ったとしても奴らは最後の一瞬まで諦めないだろう」 「この世界がの英国軍がそうでなかった可能性は・・・」 「この世界の我が国はとても小さかったと聞く、そしてその分大英帝国が巨大だったこともな、其れならば尚更英国兵も精強なはずだ」 「解かりましたもう少し調べるよう航空隊にも通達いたします。」 「そうしてくれ、それと本土に陸軍が強化されている可能性も伝えてくれ」 「陸軍がですか?どうしてまた」 「もし、あの艦隊が本物だったなら旧式艦だけの分は陸に流れている可能性もある、其れを伝える為だ」 「その可能性もありそうですね。」 この後も数時間オランダ艦隊は幻の艦隊を探し続けた、当の昔にインドの主力を葬ったことを自覚しないまま そして本国には陸軍が強化されている可能性があるとの趣旨の報告がセイロンより齎されることと成る。
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登録日:2009/05/27 Wed 00 24 16 更新日:2024/06/12 Wed 01 01 22NEW! 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 18禁アダルトゲーム 2009年 Flyable_Heart SF あごバリア いとうのいぢ ぺろ エロゲー オズの魔法使い ゲーム フライアブルハート フラグミサイラー ユニゾンシフト 市川環 生徒会 笹倉綾人 良作 風間ぼなんざ ユニゾンシフトより2009年3月19日に発売された18禁恋愛アドベンチャーゲーム。 ジャンルは「ダブル生徒会にまきこまれちゃう! 学園ラブコメADV」 他のユニゾンシフト作と世界観が繋がっており、その登場人物や親類が登場する。 スタッフ シナリオ:市川環、風間ぼなんざ、あごバリア 原画:いとうのいぢ、ぺろ、笹倉綾人 物語 主人公・葛木晶のもとに突如送られてきた、名門「私立鳳繚蘭学園」への入学許可証。 晶は不審に思いながらも、書類に書いてあった「学食タダ食べ放題」の文面につられ、転校を決断する。 途中トラブルに遭いながらもようやく学園に辿り着いた彼を待っていたのは、 自治組織である繚蘭会や生徒会、果ては学園長すら彼の転入を認知していないという驚愕の事実だった。 送られていた学生証が偽造不可能の本物だったため何とか転入は認められたものの、男子寮が満室のため女子寮での生活を余儀なくされる。 同じ転校生でクラスメイトの稲羽結衣はじめ、繚蘭会や生徒会の面々の協力で次第に学園の生活に順応していく晶。 果たして晶を学園に呼んだ人物とその目的は、そして少女達との恋の行方は−−。 ■登場人物 ▲メインキャラクター 葛木晶 主人公。女の子<<<食べ物となるくらい食いしん坊。転校理由もそれだし。 料理はできるが、見た目はやばい。(味は美味しい) 一緒に暮らしていた父とは言い合いもするがとても仲が良く、父の人柄を引き継いだかのような人の良さで周囲の人を惹きつけていく。 稲羽結衣 CV:小倉結衣 最近来た転校生。 晶と同じ食いしん坊で、他にも晶と共通点が多い。 それもあって晶とは気が合っており、『腹ぺこブラザーズ』認定された。 ちなみに好物はドーナツ。 皇天音 CV:宮沢ゆあな 繚蘭会会長で今作一の常識人かつ苦労人。 晶にとっては転校先で初めてできた友人の一人(もう一人は結衣)。 優しい性格だがお兄ちゃんに対してはキレやすく、踵落としなどをかます。 水無瀬桜子 CV:遠野そよぎ 繚蘭会の一員。学園のアイドル的存在。 かなりおっとりしている感じがする。 巨乳で美乳 ↑ここ重要 雪代すずの CV:藤森ゆき奈 自称幽霊。晶・結衣・マックスしか視る事が出来ない。 幽霊らしくない幽霊。そして記憶喪失。 今作の真ヒロインで最後に攻略できる。 白鷺茉百合 CV:涼森ちさと 生徒会副会長で才色兼備な完璧超人な上に気さくで温和。 実はいたずら好きというか面白いことが大好きなので、奏龍の提案をほぼ無条件に賛同していたりする。 でもエプロン腹黒でドS。 しかしそれも仮面に過ぎない。 人気投票では一位を獲得し、彼女メインのスピンオフ作品までもが作られた。 桜子と仲が良いが百合ではない。 ファンから茉百合様と呼ばれている。 公式のTwitterBOT[http //unisonshift.amuse-c.jp/products/project21/bot.htm](説明ページ)も存在する。 九条くるり CV:茶谷やすら 繚蘭会の一員で、繚蘭会寮寮長。 髪飾りはファンネルで、威力は人が殺せるレベル(推測)。 クーデレで、デレる前は男嫌いもあって晶に冷たいが、 デレた後は晶を『しょー』と呼び、べったりと甘えてくるようになる。 今作のキーパーソン。 ▲サブキャラクター 早河恵 CV:青葉りんご 生徒会書記。通称ぐみちゃん。 ちびっこ天才。奏龍の事を崇拝しているが恋愛感情は無い、 というか男性を恋愛対象として見たことがない。 攻略不可。 スタッフ曰く、もし彼女のルートがあるなら、難易度は最高レベルだとか。 皇奏龍 CV:木島宇太 生徒会長で、天音の兄。シスコンで変態の愛すべきバカ。 妹の友人が恋人を作ったと聞いてゴムを用意したり、あの日にお赤飯を炊く素晴らしいお兄ちゃん。 生徒会ではいつもDSをやっている、というか仕事をしないように厳命されている。 「俺のDSは108個あるぞ!」 八重野蛍 CV:桃山悟亮 生徒会副会長。常に冷静沈着で奏龍のブレーキ役。 しかし奏龍の提案が納得出来るものならば、無茶なことでもそれを全力で遂行したりする。 身体能力はズバ抜けており、チートレベル。 『ななついろ★ドロップス』のヒロイン、八重野撫子の兄で壮絶シスコン。 マックス(MAXX) CV:御木もも 主人公のルームメイトにして親友のロボット。開発者はくるりで、彼女を「マミィ」と呼ぶ。 ロボットではあるが友情に篤く非常に人間臭い言動を取るのが特徴で、心は男。 人間の女性型のスペアボディ「電堂あきら」の可愛さは異常。でも心は男。 そして攻略不可。 そして攻略不可。 ↑大事な事なので二回言いました。 ただ、ノベルでのくるりの台詞によれば『マックスが色々情報を得た結果勝手に自分が男だと結論付けただけで、本来性別はない』とのことで、 そのまま自分が男性だと思い込んだままになる可能性もあれば、男性に恋をするなどのきっかけで女性だと思い込むようになる可能性もあるらしい。 ……FDでルート追加フラグ? とか思ってたら本当にルートが追加された。 皇千羽耶 CV:宗川梗 学園理事長で、天音と奏龍の母親。 孤児だったくるりを引き取った人でもあり、彼女から母親のように慕われている。 物腰柔らかで優しい女性なのだが、何故か奏龍は苦手としている。 ストーリーは前半はギャグだが、 後半(各ヒロインのルートに分岐後)からはシリアスな展開になるのが基本。 ストーリー構成としては、それぞれのルートで伏線を回収しては謎を残す作りになっており、 主人公の晶に関しても転校が許可された理由を始めとして謎が多く、各ルートクリア後に情報が集まってくるようになっている。 そして、最後に解禁されるすずのルートで全ての伏線がしっかりと回収され、晶の謎も明かされる……。 という構成で、完成度が高いためにかなりの好評価を得ている。 実は、意外とSF色の強い作品だったりする。 ゲーム発売後、人気投票一位の白鷺茉百合をメインヒロインに据えたスピンオフ『君の名残は静かに揺れて』が発売された。 そして更なるスピンオフ作品、Flyable CandyHeartが発売。 FDなので、『ご都合主義的な全キャラが存在する世界』が舞台だが、一応ちゃんとした理由付けがなされている。 結衣たち本編のヒロインたちに加え、サブキャラだった電堂あきら(マックス)と早河恵が攻略対象として追加された。 時間軸としては、天音、くるり、桜子は本編後、 茉百合は『君の名残は静かに揺れて』後、 結衣、すずのはFDの世界での話になっている(本編の後日談ではない)。 なお、追加ヒロインのあきらと恵は(当然というべきか)本編と同じ時間軸である。 また、これまでのユニゾンシフト作品のキャラが出演するドタバタモノのストーリーが収録されている。 もちろんキャストは本編のままで、しかもアレなシーンもある(発情兎の妄想だが)。 初回特典で全キャラの立ち絵にネコミミが追加されるパッチが配布された。 なんでやねん。 とまあおふざけ全開だが、一部ルートは本編同様にSF色が強く、ホロリとくるモノになっている。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] みためのほのぼの感から想像もつかない程の後半怒涛のシリアス展開&トラウマ必死のストーリーは必見。ヒロインのある一人がとある装置で○になった時なんかもう絶叫もんだったよ(白目 -- 名無しさん (2018-01-23 10 47 28) なんでコンシューマ化やアニメ化とかメディアミックスしなかったの、とよく引き合いに出される作品。もしかしたら、ななついろドロップスを超える評価をされていたかもしれないのに。勿体ない…… -- 名無しさん (2022-06-22 18 36 57) 名前 コメント
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964 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/06/07(水) 21 21 15 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [115/123] スターライト樹脂 スターライト(Starlite)樹脂は、1970年代に英連邦条約機構(以降BC)において開発された新素材である。 その真価は耐熱性であり、熱に弱いという合成樹脂の常識を覆し数秒間であれば摂氏1万℃に及ぶレーザー光線の直撃にも抗堪し得るほどである。 スターライト樹脂の発明したのは英国人のモーリス・ワード氏である。 実はこの人物、大手企業や国営研究所の職員などではないアマチュア研究家である。 (本職は美容師) そんな彼がこの樹脂を発明しようとしたきっかけは、ある悲劇であった。 1972年6月18日、「英国欧州航空548便墜落事故」が発生した。 生存者ゼロという痛ましい事故のニュースを聞いたワード氏は 『絶対に燃えない、そして墜落しても乗客の命を救える頑丈な素材を開発しよう』 と決意したのである。 それより数年の試行錯誤を経て産み出されたのがスターライト樹脂である。 その耐熱性は圧巻の一言であり、デモンストレーションでは本樹脂でコーティングされた生卵は溶接用トーチで5分間炙られた後でも素手で触れるほどにしか加熱されず、中身もほぼ生のままであった。 その後ヴィッカース社で行われたテストでは、摂氏1万℃に及ぶレーザー光線に数秒間耐久したのである。 これは合成樹脂(プラスチック)の常識を覆すものであり、チタンやグラファイトを越える水準である。 それでいながら原材料はありふれた安価のものであり、“馬に食べさせても問題ない”とワード氏は豪語した。 (正確な原材料と配分は決して話さなかったが) 965 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/06/07(水) 21 21 46 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [116/123] これほどまでに革新的な素材であったが、製品化への道は難航した。 当然様々な企業や団体が製品化しようとワード氏へ交渉を持ちかけたのであるが、その中に技術を独占し、権利すらワード氏から取り上げようとするものがいたのである。 特定の団体が技術を独占し秘匿するという国益に反する所業など、21世紀現在の世界では考えられない悪行である。 しかしながら、当時はBCのみならず旧4か国同盟陣営では戦前の悪しき思考が生き残っていた。 このような守銭奴たちからの脅迫まがいの交渉を受けたワード氏は態度を硬化。一時はスターライト樹脂の製法を封印してしまうことすら考えた。 しかし、家族の説得と急変する国際情勢により思いとどまる。 (当時は北米動乱やFFRの復興など、BCを取り巻く情勢は緊張を高めていた) そこで彼は宣言したのである。 ——スターライト樹脂の権利と製法を、女王陛下に献上する 戦後期から高まり続けていたBC国民の王室(より正確に言えば女王)への敬慕の念を象徴する一件であるが、確かにこれならばBC全体に知識は浸透する。 女王(と政府)はこの提案を受け入れ、スターライト樹脂は国家により保護されることとなった。 こうして実用化されたスターライト樹脂は最優先で軍事部門に採用され、BC製各装備の耐熱性を飛躍的に向上させた。 特に歩兵用機動装甲服が受けた恩恵は著しく、火炎放射器やナパーム弾による攻撃はほぼ無効化された。 その後順次民生分野にも適応されBC国民の生活を大いに発展させることになる。 なお後日談として、ワード氏スターライト樹脂を発明した功績により騎士に叙任された。 その際、スターライト樹脂に関する特許料の権利などが下賜されたという。 966 名前:モントゴメリー[sage] 投稿日:2023/06/07(水) 21 22 57 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [117/123] 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 モーリス・ワード氏「God Save The Queen! God Save The Queen!!」 BC国民「「「God Save The Queen !!God Save The Queen!!」」」 たまには「忌々しくも偉大なる怨敵」の話題をね。 このスターライト樹脂、我々の世界ではワード氏があの世まで持って行ってしまいましたが、日蘭世界では日の目を見たようですね。 「英国欧州航空548便墜落事故」はメーデー!民なら必修科目ですよね。
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歴程:喧嘩している夫妻 410-240にいる剛か、429-261にいるメメに話しかける。 どちらから話しかけても、結局どっちの話も聞くことになるので、どっちでもいい。 剛→人形(取引所>商会商店>冒険)9個 メメ→蟹まん(取引所>商会商店>冒険)9個 2人の要求を満たし…足りないようだ。 もう一度話を聞いてみる。 剛→人形99個 メメ→蟹まん99個 いい加減要求を満たしたかと思えば足りないようなので、もう一度話を聞く。 剛→人形999個 メメ→蟹まん999個 それぞれからバラを1個貰って、歴程完結。
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399 :ナイ神父MK-2:2016/01/13(水) 22 41 45 日蘭世界 入れ替わりネタ 孤軍のアメリカ OCUは英国、ソ連の敗戦後に欧州の駐留戦力の再編成とアメリカ本土攻撃用の航空隊を編成、 南米に加え英国からバミューダ諸島を接収して大量のヴィクター持ち込んでいた。 一方の日本はと言うと、一向に来ない米国本隊を疑問視する声も出ていたが、下手に攻撃を行い艦艇を失うわけにはいかず 暫くは富嶽による攻撃でアメリカ本土の生産能力の低下を狙っていた。対するアメリカは地域によって徐々に意識の乖離が 起り、東部や中部は戦争継続の声が大きく実際に被害は海軍艦隊が日本艦隊への痛打(後に国民を奮起させる為の欺瞞だと発覚) と引き換えに大打撃を受けたことであったが、新造艦の建造も順当であり完成すれば小さな島国一つ簡単に潰せるだろうと考えていた。 しかし、西海岸では継続する爆撃や何時来るとも知れない日本の艦隊に怯える日々を過ごし、西海岸守備隊も陸戦力は十分敵の 上陸に際して対抗できるだけを擁していたが、事航空戦力に関しては悲惨そのものだった。連日飛来する富嶽に対して同じ高度に上がる 所か速度すら追いつけず、護衛として付いてきた疾風などの機体に一方的に落とされ良い様に追い回されていたのである。 そして、新型機の更新もかなり遅れているというのが現状がこの状態に更なる拍車をかけた、ボーイングを初めとした航空機メーカー は執拗な爆撃に合い試験飛行場や試作の航空機が施設ごと念入りに吹き飛ばされ、瓦礫を引っ繰り返して無事な機体を探すほどであり 出せる物は試作機から第一次大戦の遺物まで中部や東海岸から集めているのが現状であった。止めに想定以上の消耗にボーキサイトやゴムが枯渇を始め、アメリカ国内では資源回収部隊が組織されて各地から資源が集められていく。 各国が対アメリカの準備を行う中、中華では一応中国共産党と中華民国を降伏に追い込むことに成功していたが、指導部降伏後も情報の伝わらない便衣兵の類のが散発的に攻撃を行う自体が見られている。中華の一応の降伏を持って完全に対抗国がアメリカのみとなった日本は、更なる富嶽をハワイへと送り込み、新型爆撃機芙蓉(B-52相当)が先行量産分配備された。 1942年4月 海軍はアメリカが本土決戦を行う為に西海岸に戦力を集中させていると判断、ロシア帝国海軍とオランダ東洋第2艦隊に援軍を要請して合同艦隊を結成しアメリカ海軍の完全な撃滅と西海岸への艦砲射撃を加えるべく、翌5月に艦隊をハワイより出航させる。しかし、西海岸が砲撃圏内に入っても米艦隊が姿を見せる様子は見られず、散発的な航空攻撃に留まっていた。 「なんだこれは、戦艦所か重巡の一隻も見えんではないか」 「提督、やはり戦争始めに送り込まれた艦隊あれが米海軍の全軍だったのではないでしょうか?」 「馬鹿な、アメリカの建造の能力なら我が国に匹敵するだけの艦隊を有しているはずだ・・・ だが、こうまで砲撃されて対抗する艦隊が出てこないも事を見るとな」 400 :ナイ神父MK-2:2016/01/13(水) 22 42 18 この攻撃の際、アメリカ海軍は動いていなかった正確に言えば動けなかったのである、政府の見解から空爆に専念している以上日本の 艦隊も動けないはずである為、貴重となった燃料は航空隊や輸送路維持の為の車両に回されており、海軍でも軽巡以上には燃料を殆ど 回していなかったのである。そんな中起きた今回の艦砲射撃でアメリカの予想は大きく覆され、長期戦を行っても日本が先に燃料切れに なることがないと判明してしまったのである。 政府は慌てて造船所を突っついて進水したばかりのサウスダコタ級や配備やアイオワ級の完成を目指したが、事はそう旨くいくはずも無く 遂に東海岸側でもオランダによる爆撃が開始されたのである。英国本土を爆撃したヴィクターの能力はアメリカでも遺憾なく発揮され、 攻撃が今まで来なかった中部も爆撃の対象となった。そして、1942年6月 日本の諜報部はこの世界のニューヨークでも細菌兵器が 開発されている事を確認し、星一号作戦を開始大西洋に派遣されていた第9艦隊の空母に加え西海岸での反抗作戦の可能性が低いことから 太平洋側からも空母が大西洋へ向けて移動を開始する。 1942年 11月星一号作戦の為バミューダ諸島周辺には正規空母38隻が集結し、中には日本最大の空母である大鳳型やグットホープ級の姿も 見られ、比喩抜きに港が空母で埋まっていた。こうして空前絶後の数の空母が集められ、陸海共同で行われた星一号作戦投入された爆撃機は ニューヨークへ殺到上空ではそれを阻止しようとするアメリカ航空隊との激しい戦闘が繰り広げられていた。 『奴らニューヨークを消滅させる気か!』 『何処からこんなに沸いていきやがった!』 『畜生、下には民間人も居るんだぞ!』 『奴らにゃ、血も涙もないのか!』 アメリカ兵のパイロットたちが呪詛を呟く中、当のOCU側のパイロット達の気合の入れ様も凄まじかった。 『いいか、マンハッタン島周辺は地下まで確実に耕せ』 『兵器転用されたペストなんぞ絶対に消し去れ!』 『ニューヨークを消滅させる気でやるんだ!』 『あの悪魔どもを此処で根絶やしにしろ!』 『欧州に黒死病を入れて成る物か!』 ニューヨークへの爆撃は凄惨を極めマンハッタン島を初めとした海岸部や島は完全に原型をとどめて居らず また、大量の地下攻撃用のバンカーバスターやナパームが投下されかなりの範囲で地下鉄を初めとした 鉄道網が破壊され、更に火災が発生していた。一説にはこの爆撃によりニューヨーク全体の三分の一が全焼 下といわれている。 そして、1942年11月ロスアラモスへ水爆が投下、更に翌12月に東海岸沖にて大型水爆(後に暗号文の公開では禍津日型と呼ばれていたこ とが判明尚命名は富永)が投下される。 この大型水爆のデモンストレーション後アメリカ政府はOCUに対して降伏、転移から始った一連の世界大戦はこうして幕を閉じる。
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【案内-#吾妻国の説明-第1巻-#地方自治】 [資料集 #地方自治に関する資料] 《unit1 地方自治》 ⑴地方自治の意義 地方自治は「民主主義の学校」として存在し、自 由に対し小学校が学問に持つ関係と同じでなけ ればならず、地方自治は独裁的特徴を可能な限 り排除しなければならない ⑵地方自治の本旨 本邦における地方自治の本旨は特別自治法で具 体化している。我が国では一般に地方議会議員 の選挙を行わず、住民の任意の参加により府県 会を構成している。 《unit2 地方公共団体の組織と権限》 ⑴府県会 ⑵府県会の権限 ⑶執行機関 ⑷知事の権限 ⑸特別な地方公共団体 《unit3 住民自治と住民の権利》 江戸幕府から政権を奪取した明治政府が直面した貿易面の課題は、外貨獲得と条約改正であった。明治政府は公称800万石の幕府の財政を引き継いだが、公称で合計3200万石を持つ約300の諸藩は財政や軍事が独立していたため、分割されていた経済力を廃藩置県によって中央集権化した。明治政府は富国強兵を目標としたが、富国と強兵のどちらを優先するかをめぐって対立が起きる。富国を優先する側は殖産興業を目標とした[208]。 輸出入統計と殖産興業 産業革命以後の世界は工業製品の貿易が急増しており、欧米の事情を調査するための岩倉使節団に参加した大久保利通は、日本の工業化のためにイギリスの工場や機械を視察する。大久保は国力の基準として輸出入統計を重視し、政府による殖産興業の必要性を主張した。政府は工部省を設置して、技術導入のためにお雇い外国人の多数採用、官営工場の建設など産業振興と産業インフラ整備の事業を推進した。しかし、台湾出兵における占領や、内戦である西南戦争の戦費、そして松方財政のもたらした緊縮財政とデフレによって積極財政は中止される。殖産興業政策は1876年(明治9年)から1880年(明治13年)までで終了した[208]。 条約改正[編集] 外商の取扱の比率は1880年に輸出80%、輸入93%であり、1890年に輸出89%、輸入75%となり日本側の取扱比率は上昇した。しかし依然として外商が主導しており、日本側としては輸出増加が目標だった。横浜の外商は生糸売込商への代金支払いの遅延や契約の破棄が重なり、売込商が連合生糸荷預所を設立して外商と対立する連合生糸荷預所事件が起きた。不平等条約の改正は、イギリスとの日英通商航海条約によって関税自主権の一部回復や最恵国待遇の相互化が実現し、これをきっかけに他の14カ国とも改正が進んだ。関税自主権の完全回復は、日米通商航海条約の改正で達成された[209]。 また、幕末の日蘭通商条約などで設けられていた輸出関税は、これら新条約が成立したあとの1899年(明治32年)の新関税定率法により撤廃された[210]。 輸出産業と交通・通信の発展[編集] 殖産興業政策は短期間で終了したが、1880年代以降の産業発展の下地を作った。1882年(明治15年)から1891年(明治24年)を100とした場合、1902年(明治35年)から1911年(明治44年)には日本の輸出は418で輸入は488まで拡大をした[211]。 繊維 日清戦争までの工業化の中心は軽工業であり、中で製糸業や紡績業などの繊維工業だった。生糸は明治初年から生産量の60%から70%を輸出し、フランスから技術を導入して官営の富岡製糸場を建設する。こうして生糸は1870年から1880年(明治13年)の輸出総額の約30%となり、1886年(明治19年)から日清戦争が起きるまでは繊維工業が年15.4%の急成長をした。綿紡績業は開国後に輸入品が増えて伝統的な綿糸生産は衰退したが、大阪紡績の成功によって紡績会社が増え、1897年(明治30年)には輸出量が輸入量を上回った[注釈 66][212]。 運送・通信 交通面では、鉄道は官営によって進められ、海運は政府の保護を受けつつ民間資本によって成長した。開国から明治初年までは貿易や沿岸の流通を外国船が行なっており、政府は台湾出兵の軍事輸送のため三菱会社を支援した。日清戦争後に海運業は急成長して汽船トン数が増加し、三菱と共同運輸会社の合併で設立された日本郵船はアジア、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリアへの遠洋航路を開拓し、大阪商船や東洋汽船も続いた。日露戦争後にさらに大規模な拡大が繰り返された[213]。通信面では、デンマークの大北電信会社が電信の海底ケーブルを上海・長崎・ウラジオストクに敷設して、長崎から東京にも敷設が進んで世界の通信網と結びついた。これによって海外取引も迅速となった[214]。 造船 明治政府は幕営や藩営の工場を接収して軍工場と民間工場に分けた[注釈 67]。石川島造船所、三菱長崎造船所、川崎造船所などが官営工場の払い下げを受けた。日清戦争時に造船能力の低さが問題視され、政府は造船奨励法と航海奨励法を制定して造船業の育成政策をとる。日露戦争後には国内建造が輸入を上回った[216]。 製鉄 官営から払い下げられた釜石製鉄所が日清戦争前から製鉄を行なっていたが小規模であり、官営八幡製鉄所によって生産量が増えた。しかし補助金等による政府の育成政策にもかかわらず、第一次世界大戦までは国際競争力がなかった[217]。 総合商社 明治時代の後期から、多様な商品を取り扱う総合商社が出現する[注釈 68][218]。それぞれの商社は、幕末の動乱、廃藩置県、内戦、国際緊張などを機会として成長した。江戸時代から続いていた豪商の三井家は明治政府を支持して小野家、島田家とともに明治政府の会計事務局為替方となり、倒産の危機に見舞われつつ三井越後屋呉服店の他に三井物産、三井銀行など多角化を進めた。三井物産は当初は政府の御用商品を扱い、のちに石炭、繊維、生糸を輸出して各国に支店を設置して三角貿易も行った。岩崎弥太郎は土佐藩の経営から分離された九十九商会から三菱商会を創業し、海運業で政府の助成を受けて江華島事件や西南戦争によって利益を得た[219]。 日清戦争・日露戦争と貿易の影響[編集] 日清戦争と朝鮮の植民地化 李氏朝鮮の貿易をめぐって、日本と清が対立した[注釈 69]。日本は江華島事件をきっかけとして日朝修好条規を結び、倭館の敷地を引き継いで日本人居留地を建設し、朝鮮は釜山港、元山港、仁川港を開港した。日朝修好条規は日本側に有利な不平等条約の面を持っており、日本の対朝鮮貿易は拡大する[221]。さらに日朝通商章程を結び、甲申事変の後は政治的進出が後退する一方で、経済的進出を活発にした[注釈 70]。日本の業者は朝鮮商人の客商に資金を提供して穀物を買い集め、朝鮮では米不足と米価高騰が起きて生活を圧迫した。朝鮮の地方政府は食糧問題を解決するために日朝通商章程で承認されていた防穀令を発令して穀物の域外搬出を禁じる。しかし前貸で穀物を買い付けていた日本の業者は、域外搬出禁止に対する損害賠償を求めて紛争となった[222]。日清戦争で清が敗北すると、朝鮮は清への朝貢を終え、日本は朝鮮の植民地化を進める。朝鮮の輸出の80%から90%、輸入の60%から70%が日本向けとなった[223]。 日露戦争と満州への進出 日本は朝鮮の次に満州へと進出する。日本は清との間に不平等条約である日清追加通商航海条約などを結ぶが、義和団の乱をきっかけに満州を占領していたロシア帝国と対立し、日露戦争が起きた[223]。日露戦争の勝利で日本の国際的な信用が高まり、外債の発行が容易になる。日本政府は重工業化を進めており、外資はこれに有利に働いた[224]。 金本位制への移行[編集] 日清戦争で日本が得た賠償金は3億6千万円にのぼり、1895年(明治28年)の日本のGNPの20%以上に相当する。日本はこの賠償金をもとに金本位制に移行した[注釈 71]。各国の為替レートは金を通じて安定するため、外貨の調達が容易となり、日本の金本位制は第一次世界大戦まで続いた[224]。金本位制によって不利となったのは、輸出産業だった。日本は松方財政の時代から銀本位制をとっており、金銀比価の下落によって金本位制国への輸出が伸びていたが、金本位制移行で不況を迎える[225]。 大戦景気と国際競争の激化[編集] 第一次世界大戦が起きると、各国とともに日本も金本位制から離脱した。金本位制離脱の原因は、通貨供給量が各国の金保有に制約されるので多額の戦費を調達できなかったためである。ヨーロッパは軍需生産を優先してアジア市場が供給不足となり、日本は繊維製品や雑貨の輸出の増加によって経済成長をした[注釈 72][226]。輸出増によって対外債務が減少し、船成金と呼ばれる資産家が多数出現した[注釈 73][227]。経常収支黒字により日本は累積債務を解消して債権国となり、大戦景気と呼ばれた[226]。 大戦景気によって日本は農業国から工業国へと移行した。輸出面では、輸出と海運業の好況が造船業や鉄鋼業をはじめとする関連産業にも影響した。輸入面では、外国からの輸入減少による内需拡大が、国内の重化学工業にとって成長の機会となった[228]。海外事業では商社の設立が急増して外商のシェアは低下し、商品の多様化と取引地域の拡大が進む。三井物産は1914年の輸入取引の27.3%、輸出取引の23.9%を占めており、総合商社のモデルとなった。日本の有力な商社はニューヨーク、ロンドン、ボンベイ、上海などに進出し、1929年の世界恐慌まで事業を展開した[229]。1920年代には、三井物産の他に鈴木商店、三菱商事が総合商社として確立し、岩井商店、大倉商事などがこれに続いた[230]。 大戦後にはバブル景気によって輸入超過となり、やがてバブルの崩壊で戦後恐慌が起きて株価は42%、物価は21%、地価は16%低下した。ヨーロッパのアジア市場への復帰に加えて、中国をはじめとして他のアジア諸国でも生産が向上して国際競争が激しくなった[注釈 74][226]。企業倒産と企業合併が急増したため、大企業によるカルテルが形成され、特に三井、三菱、住友、安田の財閥による支配が強化された[231]。 東南アジア貿易[編集] 岩倉使節団よりも数年早い時期に、からゆきさんと呼ばれた日本女性が東南アジアへ渡っている。からゆきさんの出身地は九州の海岸沿いが多く、中でも貿易港がある長崎近隣の天草や島原などの地域が多かった[注釈 75]。近代初期の東南アジア貿易では、神戸の南京町の華商が中心となった。神戸には最大の在日華僑の商人グループがあり、福建出身の華商はフィリピンの福建商人と取り引きをして、広東出身の華商はオランダ領東インドやシンガポールの広東商人と取り引きをした。日本からはスルメ、イリコ、アワビなどの海産物や繊維製品が輸出された[232]。 第一次大戦時の輸出増加と、旧ドイツ領だった南洋諸島の委任統治が、東南アジアや南洋諸島への進出のきっかけとなった。第一次大戦前までの東南アジアの在留日本人は女性人口が多かったが、貿易の増加によって逆転する。東南アジアへの輸出は大戦勃発の1914年(大正3年)から大戦後の1925年(大正14年)までに8倍となり、幕末から論じられていた南進論を後押しした。[注釈 76][233][234]。 フィリピンには1904年頃から日本人の移住が始まり、ダバオのプランテーションでアバカ麻を栽培した。麻は船舶用ロープや和紙、和服になり、第一次大戦で需要が急増して高騰した。フィリピン群島政府(英語版)は公有地法の改正で日本人の土地取得を制限したが、日本側はパキアオという伝統的な土地経営を用いて農園を拡大した[注釈 77]。ダバオにはバゴボ族(英語版)をはじめとする先住民がいたため、対立によって日本人の殺害も相次いだ[236]。 欧米からの直接投資の増加[編集] 日本の製造業の成長にともなって外国からの直接投資や技術提携が増加した。戦間期の技術提携にはウェスチングハウスと三菱電機、ゼネラルエレクトリックと東芝、シーメンスと富士電機、デッカーと東洋電機などがある[237]。 アメリカの製造業の大企業化は、大量生産の規格化や、中間生産物や最終消費財など分業の利益を世界規模で広めた。1920年代にアメリカのフォードやゼネラル・モーターズは日本にアセンブリー工場を創業し、日本の製造業にも影響を与える。豊田自動織機のチャールズ・フランシス、日産自動車のウィリアム・ゴーラム、芝浦製作所のアルフレッド・ワーレンなどは生産技術の向上や工場建設などで貢献した。次第に機械工業の発展が進み、軍需品のためのメーカーは増えたが、アメリカ式の大量生産方式が全国的に普及するのは第二次世界大戦後までかかることになった[238]。 満蒙と在華紡[編集] 満蒙 満州国の鉄道路線図(赤-社線、緑-北鮮線、青-国線) 日本は天然資源を確保するために、朝鮮に続いて満蒙と呼ばれた満州と内蒙古への進出をはかり、日露戦争後のポーツマス条約で旅順や大連の租借権と東清鉄道の南満州支線を引き継いだ。国策会社として半官半民の南満州鉄道会社(満鉄)が設立され、ロシアとの日露協約によって満州の鉄道と電信の敷設権を分け合う。満鉄は昭和製鋼所などの製鉄、鉄鉱や炭鉱、ヤマトホテルなどの宿泊施設、さらにインフラストラクチャーも建設した。満州への投資は1920年代までは鉱業と運輸が中心であり、やがて石炭や大豆の生産が増えて満州への移民や交易が増加した[239]。 在華紡 第一次大戦後の国際競争の変化によって、中国の民族紡績業が発展して、日本は輸出用綿糸の主な市場だった中国を失う。代わりとして、第一次大戦中に資本を蓄積した日本の紡績会社は中国へ直接投資を始めて、紡績工場を経営する在華紡が増える。日本国内の賃金上昇と、女子と児童労働の深夜勤務禁止という労働環境の変化も直接投資を後押しした。1920年代に鐘淵紡績、東洋紡績、大日本紡績が上海と青島を中心に在華紡として進出をして、1925年(大正14年)には中国資本の50%以上に達した。しかし労働条件をめぐって労働争議が起き、在華紡の工員によるストライキが発端となって上海で五・三〇事件が起きた[240]。 アヘン貿易 日本は植民地や占領地でのアヘン中毒患者の救療と漸減のために、断禁主義に基くアヘン中毒患者漸減(アヘン漸禁)方策とアヘン貿易を行った。きっかけは日清戦争後の台湾の領有である。台湾統治においてアヘン漸禁方策を担うアヘン専売制を提案した後藤新平は台湾の民政長官となった。明治29年度の台湾総督府の歳入668万円のうちアヘン専売制の副産物であるアヘン収入は355万円であり、初期の台湾総督府の財政を支えた。台湾におけるアヘン漸禁方策の成功[241]は国際連盟によって1924年11月に開催された第一国際阿片会議の参加国代表一般の傾聴と賞讃を得て、我が国の主張の多くがアヘン専売の問題に関する同会議のプロトコール(議定書)に採択された[242]。 日露戦争後には、満州をはじめ多数のアヘン中毒患者を抱え込んだ地域でアヘン専売制が拡大した。イギリスがアヘン貿易を減らす一方で日本が市場に参入して、ペルシアやトルコ産のアヘンを台湾に輸入して上海に輸出したり、モルヒネを世界各地から輸入して自由港の大連から関東州へ販売した。アヘンの輸入には鈴木商店や三井物産、高田商会など日本の商社も関わった[243]。やがてモルヒネ製造の国産が開始されて、日本政府や朝鮮総督府が原料のアヘンを払い下げて、日本の製薬会社がモルヒネを製造した[244]。満州国は1932年10月に阿片法を制定、アヘン漸禁方策を導入しアヘン専売を実施した[245]。満州国の一般会計の10%以上はアヘンからの税収となる。通貨価値が下落した占領地では、アヘンが通貨の代わりとなった[27]。 世界恐慌[編集] 南京国民政府は中国の全国統一を果たすと不平等条約の改訂を宣言して、日清通商航海条約を廃棄し、日本の満蒙進出と対立する。当時の日本の政策としては、(1)植民地の放棄と貿易の振興、(2)金本位制への早期復帰と国際協調主義、(3)対外膨張と自立的な経済圏の構築などの選択肢があり、論争も行われた。中国との対立が深まるなかで世界恐慌が起き、日本は金輸出解禁を行なって金本位制に復帰するが、前年から続いていた世界恐慌の影響で昭和恐慌を招いてしまう[246][注釈 78]。恐慌対策として、犬養毅内閣のもとで高橋是清蔵相が金本位制離脱と財政政策をとる。金本位制の離脱によって為替レートが低下して輸出が拡大し、財政支出の拡大により有効需要を追加して景気回復をとげた[注釈 79][248]。上海事変の影響もあって、日系資本の労使対立は日中の国策とも結びついて激化する。自由貿易を支持する在華紡系の軽工業の資本家は、軍事進出を支持する満鉄系の重化学工業の資本家よりも劣位となった[249]。 満州国 満蒙では、満州事変に続いて、傀儡政権である満州国が建国された[注釈 80]。世界恐慌後に経済が停滞をしていた日本では満州への期待が高まる一方、満州では現地の中国人からの強制買収で農地を確保しており、日系官僚が計画経済を進めて日本への従属が進んだ。石油の生産や重化学工業化も進められ、満州の鉱工業をまとめるために満州重工業開発も設立されたが、満州国と中国の貿易は減少して、アメリカやイギリスの対日政策にも影響した。日本人以外による強制労働が1938年(昭和13年)以降には毎年250万人にのぼり、日本への穀物輸出は1936年(昭和11年)以降の合計で3662万トンに達したが、厳しい統制によって現地の農村では飢餓と物不足が深刻となった[250]。 東南アジアの貿易摩擦 世界恐慌が起きると、東南アジア貿易ではイギリス、オランダ、アメリカ、日本のシェア争いが激しくなった。金輸出の再禁止によって日本が繊維製品のシェアを伸ばすが、貿易摩擦の原因にもなった。日本とイギリスは日英会商を開くが、イギリスは輸入割当を開始した。日本とオランダの日蘭会商では、日本代表団の声明が反感を呼んで頓挫する。フィリピンでは日本とアメリカの貿易摩擦となり、日米紳士協定によって対策が取られた。こうした経済摩擦は日本に対する悪感情を招き、満州事変も印象悪化に影響した[251]。ダバオには東南アジア最大の日本人社会が形成され、フィリピン・コモンウェルスやアメリカは、日本の進出が満州に似ているとして警戒した[236]。 統制経済と第二次世界大戦[編集] 石油貿易と経済ブロック 軍事用途や海運にあてられる重要な資源として、石油があった。石油輸入の60%はライジングサン石油株式會社とスタンダード・バキューム・オイル(英語版)の2社だったが、満州事変後の日本は外国企業への依存を減らすために石油業法を制定する[注釈 81]。満州では石油会社が設立されて欧米企業の排除が進み、イギリスとアメリカでは対日禁輸が提案されるようになる。盧溝橋事件後に日中戦争となり、日本は日満支経済ブロックを形成する。日本は天然資源を確保するために満州へ進出したが、資源不足は解消されず、軍需品のための外資も不足する。そのため、さらに石油やゴムなどの資源を産出する地域を求めるという悪循環に陥った。1930年代後半の日本の石油生産は国内消費の7%であり、90%以上をアメリカとオランダ領東インドから輸入していた。アメリカの門戸開放政策は当時の日本の政策と相入れないために、日米は対立する[25]。 第二次世界大戦 ドイツがベルギー、オランダ、フランスに進軍すると、日本はイギリスに亡命したオランダ政府に対して石油輸出の増加を要請する。さらに、日本は以前から国内で主張されていた南進論を政策として実施して、仏領インドシナを仏印進駐によって占領する。欧米の植民地への武力進出によってイギリスやアメリカとの対立が深まり、フランクリン・ルーズベルト政権は日本が製鉄原料として約50%をアメリカから輸入していた屑鉄の禁輸を行なった。続けてアメリカは日本の在米資産を凍結し、事実上の石油の禁輸となった[252]。独ソ開戦とアメリカやイギリスの経済制裁によって貿易で資源を獲得する道が閉ざされて日本は計画経済を強め、太平洋戦争となった。1937年(昭和12年)から1944年(昭和19年)まで実質GNPはほぼ一定で経済成長が停止した。日本は19世紀末から1930年代まで貿易依存度は高水準にあったが、輸入に依存しない経済政策のために戦争末期には2%から3%まで低下した[253]。 現代[編集] 戦後復興と貿易再開[編集] 1945年(昭和20年)8月の終戦時は、原材料の不足によって生産が低下しており、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が貿易を管理して日本は戦時下以上の自給自足体制におかれた。貿易は日本の貿易庁とGHQの仲介で行われた。輸出では貿易庁が日本の公定価格で買い上げた品をGHQに渡し、GHQが国際価格で海外にドルで売った。輸入ではGHQが国際価格のドルで購入した品を貿易庁に渡し、貿易庁が日本の業者に公定価格で売った。この方法では為替レートがなく、個々の取引ごとに円とドルの換算比率が決まっていた。そのため輸出と輸入の為替レートが異なり、事実上の輸入補助と輸出補助に相当する効果を国内業者に与え、国内価格を国際価格から分離していた[254]。 対外取引を占領軍から日本政府へ移譲するために、外国為替及び外国貿易管理法(外為法)が公布された。外為法の作成は、GHQとIMFの関係者および日本政府委員の共同作業で行われ、主な目的は外国為替と外国貿易の管理だった。アメリカは外為法によって国際収支の均衡化を日本に求めたが、日本政府は輸入制限や外国技術の導入による国内産業の育成に活用した[255]。外資については、日米合同審議会によって外資に関する法律(外資法)が作成された。目的は外資の導入促進であり、当時の先進国としては異例な外資の優遇措置を行った。これにより電力・鉄鋼業の外資借款や外国技術の導入が始まった[256]。 アメリカの対日政策 アメリカとソビエト連邦の対立によって、世界は東西陣営に分かれて冷戦となり、アメリカ国務省極東局は日本・アメリカ・東南アジアの三角貿易による日本の復興を提案した。この提案は、東南アジアが原料供給地となり、日本が製造した製品をアメリカ市場に輸出するというものであり、共産党が統一した中国に依存せずに日本が復興する方法として考えられた[257]。ウィリアム・ヘンリー・ドレイパー・ジュニア陸軍次官の調査団が公表したジョンストン報告書では、日本の貿易拡大の必要、為替レートの正常化、民間への貿易の移行が提言された[258]。 日本経済の安定のために、アメリカ政府は公使としてジョゼフ・ドッジを派遣する。ドッジは1949年度予算を黒字化し、4月に単一為替レートを設定した。このドッジラインによって輸出と輸入の為替レートは一致して財政収支が均衡したほか、問題になっていたヤミ価格と公定価格の差もなくなった[259]。民間の輸出は再開されていたが、外為法では国外での経済取引は原則禁止で、許認可を受けた例外のみ認められた[260]。1946年(昭和21年)の実質GNPは1944年の56%まで低下していたが、1950年(昭和25年)には実質GNPが戦前の水準まで回復し、朝鮮戦争にともなう朝鮮特需をへて1955年(昭和30年)には戦前の1.5倍となった[258]。 朝鮮特需[編集] 朝鮮戦争によって、日本経済は1000億円から1500億円といわれる影響を受けた。輸出は戦争の2-3ヶ月前から増加して、繊維品、鉄鋼、機械製品が中心となった。生産拡大は原料不足、輸入増、資金不足や価格上昇を起こしたものの、特需によって貿易は持続した[注釈 82]。特需は1953年に8億320万ドル、1954年も6億ドルという大規模なもので、外貨収入のうち特需の割合は1951年に26.4%、1952年は36.8%、1953年は38.2%にのぼり、日本の外貨不足を補った。休戦後も朝鮮半島の対立によって特需が継続し、輸出や特需の関連産業では利潤率も上がった。利益を得た反面、特需に依存する日本の経済力の脆弱さも明らかとなり、日本政府と財界は重化学工業を貿易の中心とするための合理化投資を進める[261]。1955年以降に活発となる外国技術の導入において、朝鮮戦争下で蓄積された外貨が用いられた[262]。 国際機関への加盟と自由貿易[編集] 国際通貨基金 第二次世界大戦の原因となった保護貿易に対する反省から、自由貿易を推進するための国際組織が求められるようになる。連合国通貨金融会議のブレトン・ウッズ協定によって国際通貨基金(IMF)が創設され、加盟国は自国の通貨をドルに対して平価を設定することになった。日本がIMFに加盟した際には、1ドル=360円のIMF平価が設定されて、上下1%の枠内で安定化させる義務を負った。この平価は、リチャード・ニクソン政権によるドルの金兌換停止(ニクソン・ショック)まで続く[263]。 関税及び貿易に関する一般協定 公正な貿易のための国際貿易機構(ITO)も提案されたが断念され、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)が発足して、日本も加盟する。当時の日本の主な輸出品は繊維品、主な輸入品は食料と繊維品の原料だった。日本の加盟にはアメリカの支援が影響していたが、日本の輸出の影響を懸念した国々はGATT35条によって最恵国待遇の義務を免除された。対日の35条の適用国が0になるのは、1992年(平成4年)までかかった[260]。 GATTの多角的貿易交渉では、輸入自由化と関税率の引き下げが進んだ。東京ラウンドでは、工業製品の関税率が引き下げられたほか、非関税障壁についての交渉も含まれた。ウルグアイ・ラウンドでは農業問題や知的所有権について対立があり、日本はそれまで民間の輸入を事実上禁止していた米の輸入が自由化された。日本が輸入する農産物には高い関税率や関税割当制が適用された[264]。 民間交流と貿易[編集] 戦後に国交が再開していない国家との間では、民間貿易が先行する場合があった。吉田茂内閣はサンフランシスコ講和条約を結び、ハリー・トルーマン政権は日本に対して中華人民共和国との国交を結ばないように求める。また、アメリカが主導する対共産圏輸出統制委員会(COCOM)や対中国輸出統制委員会(CHINCOM)によって共産圏との貿易が制限された。正常な国交がない日中間では、中国側は政府と人民を区別する「以民促官」の方針をとり、民間貿易による交流が再開された。第一次日中民間貿易協定が結ばれ、日中貿易の促進団体も設立された。第三次日中民間貿易協定の時代に交流は活発になり、中華人民共和国初の中国商品の見本市が東京と大阪で開催され、北京と上海で日本商品の見本市が開催された[265]。 長崎国旗事件で日中は断交して貿易が減少するが、天津甘栗、生漆、漢方薬など代替の商品を求めることができない物は、配慮物資という扱いで日本へ運ばれた[266]。中国は大躍進政策の失敗とソ連との関係悪化の影響もあり、貿易の方針を変更する。こうして周恩来首相の周四原則に基づいて日中の貿易も再開された。これは友好貿易と呼ばれ、中国政府の方針を受け入れた日本の商社が広州市で取り引きをした。さらに半官半民の貿易としてLT貿易も行われた。LTとは、中国共産党の知日派である廖承志と、周恩来との信頼関係にあった高碕達之助の頭文字に由来する。中国は石炭や鉄鉱石を輸出し、日本は鉄鋼、化学品、プラントなどの機械を輸出した[267]。 技術導入と技術貿易[編集] 1950年代から外国からの技術導入が進み、特に1957年から1972年まで機械工業や化学工業を中心に急増した。技術導入は政府の産業育成策として進められ、外為法による外貨集中と外貨予算・外貨割当制が活用された[注釈 83]。外為法による競合製品の輸入制限は、保護関税よりも有効であり、国産化を短期間で確立する役割を果たした。この外貨予算制度は日本がIMFの8条国に移行する1964年まで続いた[注釈 84][268]。技術貿易における輸出額と輸入額の収支比率は、1970年度は0.14であり、1975年度には0.23、1985年度は0.30、1995年度は0.65と増加して2002年度には1.01で技術輸出額が上回った[269]。 物流においては、海上コンテナの導入が大きな影響を与えた。1961年(昭和36年)に国際標準化機構(ISO)によってコンテナの国際規格が決定し、日本でもコンテナの利用によるインターモーダル輸送が普及する。日本とアメリカ西海岸の間のコンテナ船は積載率が高く、ベトナム戦争によって後押しされた。シーランド社のコンテナ船はベトナム戦争の物資を輸送してから日本に寄港し、日本からの輸出製品をアメリカへと運んだ[270]。 高度成長期と貿易[編集] ベトナム戦争 アメリカのベトナム共和国(南ベトナム)への介入によって勃発したベトナム戦争は、結果的に日本の経済成長と関連した。1964年頃からの輸出拡大はベトナムの周辺地域とアメリカに向けてのものであり、1966年には輸出増加額のうち80%近くはベトナム周辺とアメリカ向けとなった[注釈 85]。日本はベトナム周辺地域に機械機器と鉄鋼を中心に輸出し、ベトナム周辺地域では1960年代後半に対日貿易収支で大幅赤字があったが、日本からの輸入を継続できたのはアメリカの対外軍事支出による。加えてベトナム周辺地域は日本から輸入した工業製品や金属製品によって工業化を進めて、のちの新興工業経済地域の発展の一因にもなった[271]。日本の重化学工業企業は、ベトナム戦争拡大の見通しによって大型化の設備投資を行った。鉄鋼業における高炉の大型化、電力業における火力発電設備の大型化、造船業における大型ドック、石油精製業における巨大プラント、自動車産業における大衆車の量産などがこの時期に進められた[272]。 大量生産の確立と輸出産業 鉄鋼業においては、日本はそれまでの平炉からヨーロッパで開発された転炉へと転換して生産を伸ばした。これによって平炉を続けるアメリカの30%ほどのコスト安を達成して、低価格で良質の鉄鋼を輸出しつつ、鉱物資源では鉄鉱石、石炭、コークスを輸出した[273]。カメラやTV、オーディオなどの家電製品は1960年代から高く評価された。自動車産業においては、1970年代に排出ガスや騒音の最も厳しい規制基準を満たすようになり、ロボットの導入を進めて品質を安定させた。第一次オイルショックによる原油価格の上昇も、日本製の小型車の輸出を後押しして、1980年には年間1000万台を生産して自動車製造国で世界第1位となった[274]。 黒字基調と輸出入 日本の通貨である円は、戦後復興期の貿易の決済では輸出入ともに1%以下のみ使われていた。そのため好景気により輸入が増えると、輸入に必要な外貨が不足するので経常収支の赤字を続けることができない。政府は経常収支の均衡の維持を目的に、経常収支が赤字になると金利を引き上げて輸入を抑制する金融政策をとった。そのため、神武景気や岩戸景気でも金利を引き上げて好景気は終息した。1960年代の後半からは貿易収支が黒字基調になり、戦後最長の景気拡大期間であるいざなぎ景気をへて、貿易収支のための金利の引き上げは終了した[275]。黒字基調になった原因としては、世界的な貿易自由化や関税率の引き下げと、金属製品や機械に対する輸入需要の高まり、日本の輸出品の国際競争力の向上がある。日本は需要に対応した輸出を行っており、所得水準が上昇しても輸入依存度は停滞していた点も影響した[276][277]。 貿易摩擦[編集] ブレトン・ウッズ体制のもとで、アメリカを中心とする西側諸国の貿易は1960年代まで安定して発展した。しかし、国際競争が激しくなるにつれてアメリカの主要産業はシェアが低下して外交問題になった。 アメリカとの貿易摩擦 日本の輸出額が大きい国との間で貿易摩擦が起き、特にアメリカとの日米貿易摩擦が増加した。1950年代には繊維、1960年代には鉄鋼や家電、1970年代には工作機械、1980年代には自動車や半導体が問題となった。日本は輸出自主規制、アメリカは輸入割当で対応して、繊維や鉄鋼の対米輸出自主規制、最低価格輸入制度、自動車の輸出自主規制、工作機械の輸出自主規制、アメリカの国別輸入割当が実施された。日本の輸入に関しては、1970年代の牛肉やオレンジ、1980年代の半導体、米、スーパーコンピュータ、1990年代のフィルム・印画紙などが問題とされた[278]。 中国との貿易摩擦 中国では鄧小平の改革開放政策により、それまで国営企業に独占されていた貿易に新規参入が可能となり、輸出入割当や許可制度による貿易の管理が始まった。日中長期貿易が取り決められ、中国は一次産品を輸出し、日本は工業製品を輸出した。深圳、珠海、汕頭、厦門には経済特区が設置されて、加工貿易や海外直接投資が解禁される。1980年代半ばに日本の貿易黒字が拡大して、中国は自動車や家電製品の輸入抑制とともに貿易不均衡の是正を求める。日本は中国からの輸入拡大によって対応し、1986年(昭和61年)から大手商社は輸入拡大と中国の工業製品の品質や開発をサポートした。日中間の主力産業が競合していなかったため、1990年代に中国の工業製品を日本が輸入するまで深刻な対立は起きなかった[279]。 円高と長期停滞[編集] プラザ合意と円高 アメリカの貿易赤字が拡大する一方で日本は貿易黒字が拡大しており、日米の貿易不均衡が問題と見なされた[注釈 86][278]。貿易不均衡の解決のためにニューヨークのプラザホテルで開催された先進5カ国(G5)の蔵相・中央銀行総裁会議では、円高・ドル安を誘導するプラザ合意がなされた[注釈 87]。この合意によってアメリカは輸入の抑制と輸出の促進が進むと考えられたが、アメリカの対日赤字は続き、日米構造協議も行われた。日本は輸出の自主規制も行っていたが、GATTを継承して発足した世界貿易機関(WTO)では輸出の自主規制が禁止された[278]。 長期停滞と輸出入 プラザ合意以降も円高は続いたが、同時期に原油価格が低下して交易条件が改善されたため、輸出産業の収益悪化にはつながらなかった[注釈 88]。しかし、円高不況を避けるための財政・金融政策によって土地や株式の資産価格が高騰して、バブル景気に入る。好況は1986年(昭和61年)11月から1991年(平成3年)2月まで続いたのちに、バブル崩壊となった。1992年(平成4年)から1995年にかけては輸出産業の採算は悪化して外国への直接投資が増加して、輸入財を扱う輸入競合産業も悪化した。2002年(平成14年)から2008年(平成20年)にかけて原油価格の上昇が進んで交易条件が悪化し、為替レートは下落し、輸出産業の収益は改善する。2008年にリーマン・ショックが起きると為替レートの上昇と交易条件の悪化が並行して、輸出産業の収益性は悪化した。長期的には国際競争力の悪化につながり、長期停滞は失われた20年とも呼ばれる[280]。 直接投資と産業内貿易[編集] 東アジアにおいては、直接投資の受入先が新興工業経済地域(NIEs)へと移行していった[注釈 89]。1980年代前半はアジア四小龍とも呼ばれた韓国、香港、台湾、シンガポールが主な受入先となった。プラザ合意以降、日本やNIEsでは自国通貨の切り上げが問題になり、1980年代後半は東南アジア諸国連合(ASEAN)の国々が受入先となり、1990年代になると中国が注目され、続いてベトナム、ミャンマーへと関心が移った[282]。 こうして水平貿易とも呼ばれる構造が東アジア内で進んだ。水平貿易のパターンとしては、(1)異業種間の工業製品の相互貿易、(2)同一業種内の製品分業、(3)同一製品の生産プロセスにおける工程間分業がある[283]。工程間分業によって生産工程や品質の分業が可能となり、国外の現地企業や日系企業から部品などの中間財を輸入して、国内で製品を完成して最終製品を輸出する産業内貿易が進んだ[284][注釈 90]。 中国が2001年(平成13年)にWTOに加盟すると、日本から中間財を輸入して最終製品をアメリカやEUへ輸出することが増えた。一方日本では欧米への最終財の輸出が減り、中国への中間財の輸出が増えた[286]。「世界の工場」とも呼ばれる中国の工業化と国際分業の進展によって、産業の空洞化が問題とされた[285]。 上記のような経営や現象はオフショアリングやフラグメンテーションとも呼ばれる。分業が緊密になる中で、2011年の東日本大震災の被害は国外にも及んだ。日本の被災によって外国の最終製品の生産も滞るため、特に電子機器や自動車産業において操業停止や輸出減少が発生した。代わりに素材産業を中心として海外での調達が盛んになり、アジア地域からの調達が特に増加した[287]。 貿易と自然環境[編集] 再生産コストを度外視する形での資源輸出は、環境破壊に結びつく場合がある。フィリピンは、1950年代には国土の75%が森林だった。しかし日本向け木材の輸出が60年代から毎年1000万立方メートル以上行われて、1980年代末には25%に低下している。マレーシアも有数の日本向け木材輸出国で、ボルネオ島を中心に伐採が行われている。環境保護運動が起きる一方で、アメリカ、EU、オーストラリアではマレーシア産木材の不買運動も起きた。マングローブがある台湾、インドネシア、タイ、ベトナムなどでは輸出用のエビを養殖するために伐採が進み、飼料や肥料によって養殖池の周辺環境が汚染される問題も起きた[29]。 環境破壊に関連して、有害な廃棄物や稀少な動植物の取引に対する貿易協定がある。バーゼル条約やワシントン条約はこうした貿易取引を規制しており、日本では1980年にワシントン条約を締約し、1992年にバーゼル法を施行した[288]。 貿易構造の変化[編集] 日本の貿易の地域別構成はアジアの比重が高まった。アジア全体のシェアは1990年の輸出30.9%、輸入29.1%から、2009年には輸出54.2%、輸入44.6%となった。中でも中国のシェアの増加がもっとも多く、1990年の輸出2.2%、輸入5.3%から2009年には輸出18.9%、輸入22.2%となっている[31]。 繊維 第二次大戦前の日本における最大の輸出産業だった繊維産業は戦後も活発で、1950年代までは輸出総額の30%が繊維品だった。やがて輸出品は東南アジアやNIEsの綿製品との競合を避けて1970年代から合成繊維へと移り、アパレル産業が成長する。しかし、インフレや石油ショックによって輸出が減少し、プラザ合意以降はNIEs産の衣料品の輸入が急増して、日本の繊維産業は輸入産業化が進んだ[289]。 敗戦直後の食糧危機に対して、アメリカからの過剰農産物を中心とする対日援助が輸入された。1950年代の日本では米の輸入が大量に行われていたが、農地改革で農業生産が増加して米の自給が可能となる。これによって貿易収支の赤字が減少し、技術や機械の導入に使える外貨が増加して、1955年以降の重化学工業の発展につながった[290]。一方で同時期には小麦がアメリカからの輸入に依存する体制となり、パン食が普及した[291]。 日本政府は重化学工業の輸出競争力を強化する反面、農産物の輸入を進めた。小麦、トウモロコシ、大豆などの食料品の輸入が急増し、米や果実の一部を除いて食料自給率は低下した[292]。1980年から2005年までにかけて、食料の輸入金額は3,44倍となった。輸入品目は1980年の1位トウモロコシ、2位小麦など穀類が上位20位のうち4品目あった。それ以降は穀類が減って動物性蛋白質食品が増加する、エビ、マグロ、タラ、サケなどの魚介類や牛肉や豚肉など肉類が増えた他に、犬・猫用の飼料も急増して2000年以降は20位内に入っている[293]。 地域経済協力と貿易協定[編集] アジア太平洋経済協力 1960年代にヨーロッパでは欧州経済共同体(EEC)が設立され、日本では小島清が太平洋自由貿易地域構想を提唱した。1980年代にNIEsやASEANが成長をして東アジアの相互依存が高まると、地域経済協力を進めるために1989年にはアジア太平洋経済協力(APEC)が設立され、閣僚会議がキャンベラで開催された。設立時の参加国はASEANに加えて日本、韓国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの計12カ国となり、のちの1991年に中国、台湾、香港が加わり、現在では21カ国・地域となっている。1994年のボゴールでの首脳会議では、APECの目的を(1)貿易と投資の自由化、(2)製品基準や通関の円滑化、(3)経済協力と決定して、ボゴール目標が掲げられた。ヨーロッパのEUや北米のNAFTAと比較すると、APECはオープンな協議体であり、依拠する条約や協定がなく、共通目標の数値化や強制が存在しない[294]。 自由貿易協定 WTOが発足した一方、世界各地で自由貿易協定(FTA)や地域貿易協定(RTA)が締結されるようになる。地域貿易協定はWTOの最恵国待遇の原則に反しているが、日本もWTO重視から地域貿易協定の締結へと貿易政策を転換する。日本政府は自由貿易協定を経済連携協定(EPA)と呼んでいるが、WTOの分類においてはFTAに含まれる[295]。日本は2002年(平成14年)にシンガポールと最初に自由貿易協定を結び、2005年(平成17年)にメキシコ、2006年(平成18年)にマレーシアと増えてゆき、2012年(平成24年)までに13の国や地域との自由貿易協定が発効した[296]。 2006年(平成18年)には、シンガポール・ブルネイ・チリ・ニュージーランドの4か国によって環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の原協定が発効した。日本はアメリカの参加表明を契機として2011年(平成22年)に関係国との協議開始を表明した[295]。日本がTPPに参加した場合の経済効果については、2010年に内閣府、経済産業省、農林水産省が試算を行い、それぞれ異なる結果を出した。内閣府はGTAPモデルにもとづいて試算し、実質GDPの伸び率を0.48%から0.65%とした。経済産業省は基幹産業についての損失を試算し、TPP不参加の場合にはGDPが1.53%減少し、雇用が81.2万人減少するとした。農林水産省は主要な農作物19品目の関税を撤廃した影響を試算し、農産物の生産が4兆1000億円減少し、実質GDPが1.6%減少するとしている 告文 我ら誇りある吾妻国の国民は、今や世界を動かしつつある崇高な理想と使命のもとに、世界恒久平和を切実に祈念し、国民の厳粛な信託による議会制民主主義を保持し、人類の幸福と友好および人権とを追求し、我らと我らの子孫とに自由と民主主義の恵沢をもたらし保つことを目的にこの憲法を制定する。我らは民主主義の原則、平和及び自由を保障する憲法と国家を擁護し、これに反する一切の法令その他の事象を排除する。 第1章 管理者 第1条 管理者は吾妻国建国の象徴であり、運営機関を総括する管理責任者であって、この地位は主権の属する国民の総意により保証される。 第2条 管理者の地位(管位)は、管理者の発議により、内閣の厳正な立ち会いのもと、管理者典範の定めるところにより、これを継承する。 第3条 管理者の運営権の行使は、顧問会、合議会、内閣からの助言と承認を必要とし、上記3組織が、その責任を負う。 第4条 管理者は、公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ、その状態に対する環境が整っていない場合に限り、特別措置令を発する。 2 特別措置の発令により、法律を改編することはできない。 3 特別措置は、発令から10日以内に国会にその承認を得なければならない。そうでない場合は、発令から10日後にその効力を失う。 第5条 管理者は、その立場上、憲法の定める国事と、助言と承認に基づく運営権の行使のみを行い、国政に関する権能を有しない。 2 管理者は、その国事に関する行為を委任することができる。 第6条 管理者典範と憲法の定めるところにより副官を置くときは、副官は、管理者の名で運営と、その国事に関する行為を行う。この場合は、前条第1項の規定を準用する。 2 副官の権限は憲法と副官権限法で定める。 第7条 管理者は、第3条の組織の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。 1 憲法改正、法律、政令及び条約を内閣との連名で公布すること。 2 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。 3 栄典を授与すること。 4 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。 5 儀式を行うこと。 第2章 治安の維持 第8条 公共の安全を守るため、副官に治安総務を設置する。総務の職務、権限については第○条と同様の法律を準用する。 第9条 治安維持の執行は強制退会法による。 第10条 本権限を活用し、私意により強制退会を行った場合、治安総務の地位は剥奪される。 第3章 国民 第11条 国民であるための用件は法律の定めるところによる。 第12条 国民は、すべて基本的な人権を有する。この人権は法律、特別措置令による拘束を受けてはならないものであり、個人がこの人権を改変し、悪用してはならない。 第13条 国民に対し保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。 2 国民は、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。 第14条 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由、プライバシー及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉及び他の国民の権利に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 第15条 すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 第16条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。また、すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。なお、公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。そして、すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない。 第17条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。 第18条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。 第19条 何人も、犯罪に因る処罰と義務の行使の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 第20条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 第21条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。また、何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。なお、国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 第22条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。なお、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 第14条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。また、何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。 第15条 学問の自由は保証されなければならないものであって、国がこの自由を侵し、規制することは知る権利の侵害にあたる。 第16条 婚姻は、両者の合意のみに基いて成立し、両者が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。なお、配偶者の選択、重婚の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 第17条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。なお、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 第18条 すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。また、すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。また、それに係る義務教育は、これを無償とする。 第19条 すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。なお、賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。また、児童は、これを酷使してはならない。 第20条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。 第21条 財産権は、これを侵してはならない。なお、財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。また、私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。 第22条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。 2 納税に関する規定は、政令による。 第23条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。 第24条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。 第25条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。 第26条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。 第27条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第25条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。なお、捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行う。 第28条 公務員による言葉による精神的拷問、強要による恥辱 第29条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。なお、刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられる。また、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。そして、刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを行う。 第30条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。なお、強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。 第31条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。 ー 第三章 国務院 ー 第32条 国務院は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。 第33条 立法は、国務院の一院でこれを構成する。 第34条 国務院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。 第35条 議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。 第36条 国務院議員の任期は、3ヶ月とする。但し、国務院解散の場合には、その期間満了前に終了する。 第37条 選挙区、投票の方法、その他国務院議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。 第38条 国務院議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。 第39条 国務院議員は、法律の定める場合を除いては、国務院の会期中には逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。 第40条 国務院議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない。 第41条 国務院常会は、毎年一回これを召集する。 第42条 内閣は、国務院の臨時会の召集を決定することができる。国務院の総議員のうち4人以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。 第43条 国務院が解散されたときは、解散の日から5日以内に、国務院議員の総選挙を行い、その選挙の日から7日以内に、国務院を召集しなければならない。 第44条 国務院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失わせるには、総議員の過半数以上の多数による議決を必要とする。 第45条 国務院は、各々その総議員の5人以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。なお、国務院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。 第46条 国務院は、議長、副議長を選任する。 第47条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、国務院で可決したとき法律となる。 第48条 予算案は、国務院の専権事項である。 第49条 国務院は、国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。 第50条 内閣総理大臣、その他の国務大臣は、国務院に議席を有すると有しないとにかかわらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。また、答弁もしくは説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。 2項 大統領および副大統領は議会において、議案について発言するため議院に出席することができる。また、内閣から議案説明について要請があった場合は、その説明のために出席することができる。 第51条 国務院は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、国務院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。なお、弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。 合議会の職務は法律で定めるところによる。 64条 行政権は、内閣に属する。 第65条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。 2 内閣総理大臣以外のその他の国務大臣の内、その半数は、国務院議員でなければならない。 第66条 国家防衛を所管する大臣以外の内閣総理大臣を含めたその他の国務大臣は、全員文民でなければならない。 2項 国家防衛を所管する大臣は文民、軍人を問わない。しかし、現役軍人の場合は、内閣総理大臣の臨時代理に就任することを禁ずる。 第67条 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。 第68条 内閣総理大臣は、国務院議員の中から、内閣総理大臣指名選挙によってこれを指名する。そして、この指名は、他のすべての案件に優先して、これを行う。 第69条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。また、内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。 第70条 内閣総理大臣は、いつでも議会を解散することができる。 2 前項に関わらず、大統領が国務院を可決した法案を承認せずに否決した場合、内閣総理大臣は国務院を解散しなければならない。 第71条 内閣は、国務院で不信任の決議案を可決し、または信任の決議案を否決したとき、3日以内に国務院を解散しない限り、総辞職をしなければならない。 第72条 内閣総理大臣が欠けたとき、または国務院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない。 第73条 前三条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで、前の総理大臣が引き続きその職務を行う。 第74条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。 第75条 成立した法律及び閣議決定した政令には、大統領の署名を必要とする。 第76条 大統領が有事と宣言してから10日以降、内閣の判断で有事の状態を解除することができる。 2項 77条の場合は、内閣が有事と宣言してから即時、大統領の判断で有事の状態を解除することが出来る。 第77条 国務院にて予算案が可決しない場合、及び 有事と判断した場合は、法的拘束力を持つ 緊急政令 を出すことができる。 2 有事であると宣言された際に出される 緊急政令 は、有効期間は1ヶ月とする。 3 1ヶ月以内に大統領が有事の宣言を解除すると宣言した場合、その時点で緊急政令は無効となる。 4 緊急政令は、国家の防衛を担う組織と国内の治安維持を行う組織を直接指示する。この場合、第1条第4項の規定は適応されない。 5 有事宣言下において、内閣は国民の生活、生命及び財産、国家の領土を守るための最大限の努力をすることを義務とする。 第78条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、この理由のため、訴追の権利は、害されない。 ー 第六章 司法 ー 第79条 すべての司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。 第80条 すべての裁判官は、その良心に従い、独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。 2 最高裁判所および下級裁判所のすべての裁判官は他の公職と兼ねることは、これを認めない。 第81条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。なお、検察官は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない。また、最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。 第82条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行うことはできない。 第83条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。 第84条 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。なお、最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。 第85条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を10年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。また、下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。 第86条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。 ー 第七章 財政 ー 第87条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。 第88条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。 第89条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。 第90条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。 第91条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。また、すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。 第92条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 ー 第八章 地方自治 ー 第93条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。 第94条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。なお、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。 第95条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。 第96条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。 ー 第九章 OC ー 第97条 京和国は本OCを本部とする。 第98条 京和国本OCの管理人は大統領とする。また、副官に関しては内閣総理大臣と、副大統領、総理後継順位指定大臣(第1位)、国務院議長、最高裁判所長官の最大6名をもって充てることとする。 ー 第十章 改正 ー 第99条 この憲法の改正は、国務院議員3分の2以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、投票した国民の過半数以上の賛成を必要とする。また、憲法改正について国民の承認を経たときは、大統領は、直ちにこれを公布する。 ー 第十一章 最高法規 ー 第100条 この憲法が京和国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 第101条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 ー 第十二章 補則 ー 第102条 この憲法施行の際に、現に在職する国務大臣、国務院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められている者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失うことはない。但し、この憲法によって、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位 国会を召集すること。 外国の大使及び公使を接受すること。 3 国会を解散すること。 4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。 5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。 6条 外国の特使を接待すること
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559 名前:霧の咆哮[sage] 投稿日:2024/01/01(月) 23 41 05 ID KD111239163113.au-net.ne.jp [2/11] 〇提督たちの憂鬱系統知らない方が、日蘭世界に転生したらこんな感じになるのかなって反応集その1 「まじか……これが夢、じゃないなら流行りの転生ネタって奴か。まさか実体験することになるとわ」 ー洗面所の鏡に映る自分を見て、アラサーのおっさんだった彼が、明らかにショタらしいボディになった今世を自覚してしまう。 頬を抓っても痛いし夢じゃない。 学校が夏休み中な彼は惰眠を貪って昼前に起きたばかりであり、両親は共働きで既に出勤済みだった。 お疲れ様です。 「スマホが小学生位の自分でも当たり前のように持てるってことは、技術レベルもちゃんと21C以降の現代相当」 「日本、大、陸……? てっきり二次のテンプレみたいな、デレマスやガルパン、最近の流行りなら推しの子やダンジョン出現配信世界とかそっち系ではないのか。 ある意味では仮想戦記で日本が天下の米帝に勝ちました、みたいな世界線よりトンチキ来たな」 ー自分の中の記憶や知識のすり合わせと、現状認識の為に手元に合ったスマホで色々検索している彼。 家に他に誰もいないからって、混乱もあるのかつい独り言が止まらない。 「野生の狼や鰐や馬がいるのは、アメリカとかの例からしてわかるけど、象や自分の知るゾウガメよりでかい陸大亀にその上位種の陸皇亀。 何より、剣牙虎なんてどう見てもサーベルタイガーまで存在ってどんな生態系してるんだ大陸日本」 「日本狼は史実と違って絶滅してないんだな、鰐は狼や熊以上になんか危険視されて絶滅寸前なほど個体数減らされてるけど。 しかも今上げた動物で剣牙虎が軍事用の高等教育や選別をせず、飼育スペースや費用とかさえ何とかなれば一番飼育し易い扱いって……」 ー蝦夷象他、前世日本では現住していない、してたまるかな大陸日本の大自然を形成する大型種に宇宙猫になる彼。 なお、剣牙虎のキーワードで刺激された記憶で、自分の祖父母の家でも剣牙虎飼われてるし、お隣さん家には陸大亀もいる事実を思い出してしまう。 大型犬複数と、剣牙虎1頭とではどっちの方がコスト安いのやら。 特に剣牙虎は体格に見合わないほど少食なのにあの戦闘力や体格も維持できている、3割位ファンタジー系生物に足突っ込んでる生物だし仕方ないね。 あれで魔法でも使えてたら完全に魔獣や聖獣の類になっていた。 というか、大陸世界でダンジョン出現みたいな作品作られてると、そっちでは大陸日本の既存生物も聖獣化とかパワーアップする奴出ていそう。 「剣牙虎の人気も知名度もあの日本ユニーク生物の中で圧倒的だな。中国のパンダ外交ならぬ剣牙虎外交がこの世界じゃ成り立ってるし いや、モフモフでかっこよくて強くて人に懐いて穏やかで戦争でも活躍した生物が人気出ないわけがないんだが」 「銃の台頭以降でもそれまで軍で運用されてた象や亀が輸送用に、それすらも機械化でお役御免になる中で後のゲリラ戦や偵察部隊とかで暫く現役続けられたの凄いな。 今も軍では儀仗隊みたいな儀礼的な部隊どころか、山岳部隊とかの一部に少数でも現役なんだ。メインで一番多いのは皇宮他の警察・警備隊のようだけど。 親日国の警察隊や王室親衛隊だかにもいるようだし」 ー剣牙虎達の情報の掘り下げを行う彼。 剣牙虎はなろう系とかでフェンリルみたいなモフモフ巨大生物が何で人気か、の特徴を満たす生物だし人気出るのも当然であった。 「獣用パワードスーツ? え、人用のPSがとうの昔に軍民問わず大々的に実用化されてるのも驚きだけど、獣用まであるのか それで本来なら予後不良になっていた競走馬も医療用PSというかサポーターで支えられることで、死ぬ件数減ってるのは良いことだな。 ライス……スズカ……う、頭が」 「この世界では介護系も3K扱いじゃないのは良いなぁ」 ーちょっとトラウマを刺激された彼。 日蘭世界は人の強さを色んな意味で重要視する世界であり、一例では日米世界より自動人形とかそっちよりPSみたいな人体強化技術を優先してるイメージが作者にもあった。 その延長線で長らく人と共にある動物達を助ける為にPS技術を応用するってのも納得できる面はある。 そりゃ愛馬や愛虎達が老いたり病気になってもPSで身体助かるなら、助けたいよね。 「ポーランドの軍用PS馬部隊かっけぇww関係者に半ば趣味みたいな部隊扱いされてるけど、ちゃんと実戦で成果もあげてるの凄い。実にロマンある」 「剣牙虎がまだ実戦部隊で行けるのもPSの恩恵からか。そうでないとやはり一度戦場から姿消してたのか」 ーポーランドの軍用PS馬部隊の、馬の重PS装備にウケる彼。 以上です。 wiki転載は例の如くご自由に。 当初はタイトルにその1付かない予定でしたが、アイディア候補が沸いてきたので、こちらの続きも多分いけそうです。
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467: 名無しさん :2019/05/20(月) 10 05 13 HOST softbank126077075064.bbtec.net 日蘭世界妄想 ジョルジュ=ビドーの憂鬱 6 改訂版 1979年 FFRエストシナ植民地 境界地帯 そこは単に境界地帯と呼ばれていた。その向こうは国ですらないセクトの巣窟だからだ。 「すごい眺めだ。」ビドーは言った。彼の視線の向こうには侵入防止の地雷原があった。上空には監視のための飛行船か常時待機している。そして…更にその向こうには、中世さながらの家々が見えた。 だが、ビドーは凄い眺めだとは思っても中世さながらの暮らしを送っている現地人に同情することはない。罪はその身をもって償われなければならないからだ。彼等の祖先の犯した罪は余りに重いのだから。 その後ビドーは境界地帯の警備部隊を激励した。ビドーはその中にアラブ系らしき兵士を見つけた。 「君は出身はどこかね?」何気ない質問のはずだった。 「…アルジェであります。」その兵士が重く口を開くまでは、 アルジェリア出身者に対しては「あの事件」以来あまり高い信頼を出来ない事情があった。祖先の犯した罪で苦しんでいるのは、境界の向こう側だけではない。こちら側にも存在していたのだ。 「…そうか、頑張ってくれたまえ」 軍務に励めという意味で言ったのか、『罪の清算』を頑張れと言う意味で言ったのか、それはビドー自身にもわからなかった。 1948年5月25日15時33分 パリ東駅 「いやあ、こいつも意外と役に立ちますね。軍曹。」 政府軍の兵士の1人が破壊したシャールDを見ながら言った。 「…ああ、そうだな」聞かれた軍曹は力なく答えた。 違う、そうではないんだ。撃破できたのはたまたまそいつの装甲が最大35mmしかなかったからに他ならない。 他の国の戦車相手ならそんなものは通じなかった筈だ。その「投げ槍」など。 軍曹が投げ槍と呼んだ兵器には正式名称などなかった。何故ならそれは大戦中、自由フランス軍に押し付けられたホームガードパイクに即製の成形炸薬弾頭を付けただけのものだったからだ。(非公式な愛称としてはチャーチルの逸物などと呼ばれていたが、軍曹はその呼び名が嫌いだった。) 当然、即製なので貫通力は低かったが、それにさえ自国戦車が撃破された事実に軍曹は自らが助かった安堵とは別に悲しみを感じていた。 468: 名無しさん :2019/05/20(月) 11 05 04 HOST softbank126077075064.bbtec.net 1948年5月25日17時 ブルタイユ通り 「急げ、政府軍の連中が来る前に守備を固めるんだ。」 民兵団の男が土嚢を積みながらそう言った。進捗は芳しくなかった。当然だ。フランスの為に決起したはずなのに反乱軍として鎮圧される羽目になったのだ。その状況で士気など上がりようがなかった。 「おい、どうだ?進み具合は?」唯一まともな砲を装備した部隊である対戦車部隊の指揮官だった。といっても、オチキス25mm対戦車砲2門と例によって自由フランス時代に英国から貰ったゲテモノ兵器であるスミスガンが1門あるだけだったが、それでも男は彼の事を信頼していた。何しろ彼はあのオランダ侵攻作戦の生き残りなのだから。理由はそれだけで十分だった。 「あまり良くないな。」と言ってから男の顔が真っ青になる。彼らの目の前に4両の戦車が迫っていた。 「なんだアレは見たことない形だ。だが、こっちにはコイツがある。戦闘…」 開始、と指揮官が言い終わるまえに敵戦車が発砲し、周りの民兵共々、75mm榴弾で吹き飛ばされた。 「砲手、よくやったぞ。…全く相手がフランス人でなければもっと良かったのに…」 民兵たちを吹き飛ばした戦車の車長であり、指揮車両でもあるルノーG1、1号車で指揮をとるピエール=アルマンド=ガストン=ビヨットは若干の不満を漏らしながらも上機嫌で言った。オランダ侵攻とそれに続く対ドイツ戦を貧弱な戦車で戦わざるを得なかった彼にとって、この戦車の存在は喜びだった。 フランス陸軍は1930年代に入り流石に旧式化したルノーFTに変わる新戦車を作り始めた。ルノーシャールDと名付けられた戦車はそこそこの出来だったが、問題はその後だった。悪名高いビンソン計画の影響下で後継戦車に開発ができなくなったためである。 新型戦車開発のみならず、ルノーシャールDの改良型の生産すら出来ず(仮に改良型が生産されていたらルノーシャールDはD1と改称していただろう)、辛うじて戦前に出来たのはルノーシャールDの無線機を自国製より性能の良いアメリカ製に換装するだけだった。 これに困っていたのが軍需企業群であり、従来より圧倒的に高性能戦車を作り上げることで意地でも採用を勝ち取ろうとしたのである。 特に戦車の開発をルノーに事実上独占されていたため、ルノー以外のメーカーはその独占を崩そうと、一層新型戦車開発に力を入れた。一方のルノーもそれに対抗するように研究を進め、フランス軍内部でも後継車両に対する不安があった為、シャールG1と呼ばれる新型戦車開発計画がスタートした。 しかし、結局は余力のあったルノーしか試作車両を完成させる事が出来ず、その試作車両もフランス陥落の際に田舎の納屋に隠匿されていたのだった。 昨年その車両が発見されたのでパリ祭のパレードで部品から組み立てた残り3両とともに走る予定だったのだが、今回の鎮圧に駆り出される事になったのだ。 「このままいくぞ、全車進め。」 ビヨットはさらなる進撃を命じた。 1948年5月25日 17時 アンヴァリット ビヨットが民兵団の部隊を撃破したのと同時刻、アンヴァリット前にはフランス救国委員会に反対する群衆が政府軍の鎮圧開始の知らせを聞いて詰め掛けていた。 彼らはアンヴァリットを警備する兵士がアルジェリア出身だとわかると差別的な誹謗中傷も交えて救国委員会を批判する様になった。 「ここはフランスだ。アフリカに帰れ」、「文明人に歯向かう蛮人めが」、「俺たちが中国兵に襲われた時は何してたんだ?役立たず共」 彼らがヒートアップしつつあったその時、兵士の一人が発砲した、群衆の中から反撃するものもいてアンヴァリット前は血の海となった。 最初に発砲した兵士ムハンマド=アフマド=ベン=ベラにとって祖国とは生まれ故郷のアルジェリアではなくフランスという国家そのものだった。 だからこそ、ベラはフランス軍に入隊し、地獄の様なオランダ侵攻作戦から帰ってきたのちも北アフリカに渡って戦い続けていたのだ。 それなのに…目の前の連中は、自分達がフランス本土に生まれたと言うだけで、俺達のことを蔑んでいる、そして終いには役立たずと言った。俺たちの戦友を殺した奴らに、フランスの敵に尻尾を振ったくせに、俺たちを侮辱するなど…許せない。 ベラは引き金引いた、周りの兵士が取り抑えようとするが、彼等の一人が群衆の反撃による流れ弾で死ぬと彼等も発砲を開始した。 後にアンヴァリットの虐殺と呼ばれる事になる惨劇は民兵団の部隊を撃破したビヨット達の到着によって形勢が逆転するまで続いた。 アルジェリア兵達は少数を除きシャールG1の砲撃で死ぬか、怒れる群衆によって殺された。 名目上は内地であり、最も同化が進んでいたはずでもあるアルジェリア出身兵士によるこの事件はアルジェリア人の信用度に疑問を抱かせることになり、 更にはのちのフランスの人種差別的な政策やひいてはFFRの成立に大きな影響及ぼすことになる。 469: 名無しさん :2019/05/20(月) 11 06 16 HOST softbank126077075064.bbtec.net 投下終了です。 加筆修正するだけなのに1時間もかかってしまった、
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グレード制大会商品パーツ G4入賞頭 顔 体 アクセサリ 準優勝頭 顔 体 アクセサリ 優勝頭 顔 体 アクセサリ G3入賞頭 顔 体 アクセサリ 準優勝頭 顔 体 アクセサリ 優勝頭 顔 体 アクセサリ G2入賞頭 顔 体 アクセサリ 準優勝頭 顔 体 アクセサリ 優勝頭 顔 体 アクセサリ G1入賞頭 顔 体 アクセサリ 準優勝頭 顔 体 アクセサリ 優勝頭 顔 体 アクセサリ G0入賞頭 顔 体 アクセサリ 準優勝頭 顔 体 アクセサリ 優勝頭 顔 体 アクセサリ コメント グレード制大会商品パーツ 以下は「5」の場合での取得条件で「6」もほぼ同じようです。グレード別で取得できるパーツが決まっている。グレード大会で獲得できるパーツは獲得していない下位グレードのもの~入賞したグレードまでのものからランダムで選ばれる。G2等にグレードアップしても、下位グレードで獲得していなかったパーツも手に入る。 G1優勝でもG3の商品を引いた例もあり、パーツ獲得に関しては完全ランダム。 以下の情報は、手に入った最低成績を基準に一覧しています。 G4 入賞 頭 顔 体 アクセサリ 準優勝 頭 顔 体 アクセサリ 優勝 頭 顔 体 アクセサリ G3 入賞 頭 ピエロの帽子:レッド ピエロの帽子:白黒 ソンブレロ:ホワイト ソンブレロ:ブルー 顔 体 ピエロの服:ブルー ピエロの服:イエロー アクセサリ チャンのメガネ:ブラウン チャンのメガネ:ホワイト テニスラケット:ブルー テニスラケット:イエロー 準優勝 頭 顔 体 アクセサリ 優勝 頭 ユウナの頭:レッド ヤマトの頭:レッド 顔 体 アクセサリ G2 入賞 頭 顔 体 アクセサリ 準優勝 頭 顔 体 アクセサリ 優勝 頭 顔 体 アクセサリ G1 入賞 頭 顔 体 アクセサリ 準優勝 頭 顔 体 アクセサリ 優勝 頭 顔 体 アクセサリ G0 入賞 頭 顔 体 アクセサリ 準優勝 頭 顔 体 アクセサリ 優勝 頭 顔 体 アクセサリ コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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542 :ナイ神父Mk-2:2015/12/24(木) 21 23 22 大陸化世界 2chネタ 掲示板では4 大陸日本総合スレ6666 1名前:名無しさん[sage] 大陸化した日本について話し合うスレです。変化したもの変わらない物他世界の記憶、何でもOKどんどん話し合いましょう。 追記 アラシが出た為明言しておきますが、当スレは大陸化にまつわるネタも募集している為同時期に10倍化した台湾と樺太の話題もOK 268名前:名無しさん[sage] 【速報】英蘭巨大化【日蘭、日英民大歓喜】 269名前:名無しさん[sage] マジか・・・ 270名前:名無しさん[sage] 昨日世界各国で謎の濃霧が発生したんだっけ? 271名前:名無しさん[sage] 270 そうそう世界全体の上衛星からも観測できない程のなソレで連絡の取れた 地域に霧に包まれなかったアメリカやロシアが調査を開始したらハワイに近くで オランダ連合帝国を名乗る巨大戦艦が現れたり英国に行き成り原子力空母が現れたりしたんだよ 272名前:名無しさん[sage] 日本は何か起こったのか? 273名前:名無しさん[sage] 今速報でやってるけど今度は土地は大きくならなかったけど空母が原子力空母に変貌してた上 更に4隻生えてきて序に戦艦と装甲巡洋艦、各種支援・護衛艦艇が現れて一夜にしてアメリカ並みの 大艦隊と言うか日蘭艦隊に変貌した、おまけに艦載機の日蘭の主力が生えてきているから艦載機は 殆どステルス化した烈風Ⅱに変わって更に元々烈風を配備していた部隊は烈風Ⅱ改のステルス型が 生えていたとさ。 274名前:名無しさん[sage] アメリカはラッキーだったなハワイを失わなくて・・・ 275名前:名無しさん[sage] その代わり自国と同等かそれ以上の国力の大国が二つ生えたこと恐れると思うんだ・・・ 276名前:名無しさん[sage] また速報やってるなどうやら生えてきた英蘭はそれぞれ日蘭、日英のそれで間違いないらしい ただし、イギリスはどうやら傘下に一部日蘭のBCの国家を取り込んでいるらしい。 277名前:名無しさん[sage] つまり? 278名前:名無しさん[sage] 277 アジアの権益の殆どを失った変わりにサウジアラビアとアルゼンチン、BC中華植民地が手に入ってる 279名前:名無しさん[sage] 此処にきて中華ハードが加速するのか・・・ 280名前:名無しさん[sage] 【悲、報?】ドイツの地に鍵十字と皇帝復活 281名前:名無しさん[sage] えっ、伍長生き返ったの 543 :ナイ神父Mk-2:2015/12/24(木) 21 23 55 282名前:名無しさん[sage] 281 アーサー王とかウォルトディズニーが生きてるとかよりありそうだから止めろwww 283名前:名無しさん[sage] 281 他だと疑うのにドイツだと信じちゃう不思議www 284名前:名無しさん[sage] 284 リアルチートがいて獣殿や少佐殿がいてショッカーの母体になった国だぞ いても可笑しくないな 285名前:名無しさん[sage] お前らはドイツを何だと思ってるんだよ・・・ 286名前:名無しさん[sage] 話し戻すぞー どうやらドイツは日本と同じで複数の記憶もちらしいだから ナチスは日蘭世界から、皇帝の一族は日英独の世界から来たらしい で、現状の国の状態は日本と同じ立憲君主制だな。国会だとナチスが 第一党現在日英蘭と共に今後の動きを協議中らしい。 287名前:名無しさん[sage] 米は未だに大混乱だないろいろ変わりすぎて付いていけないらしい 288名前:名無しさん[sage] そりゃ天下の米帝様もこの突拍子もない現実には呆気に取られるよ。 289名前:名無しさん[sage] そう言えば中東は?あそこはどうなってるの? 290名前:名無しさん[sage] ペルシャとトルコが日蘭世界の国として復活してる。 だから紛争や武装組織も其処に居た連中は見当たらないらしい。 291名前:名無しさん[sage] 紛争は一応安定か・・・ 292名前:名無しさん[sage] それだけじゃなくて蘭独英の旧植民地もそれぞれの世界の物に改変されて安定しているな。 293名前:名無しさん[sage] じゃあ結構な所が安定しているんだな 294名前:名無しさん[sage] その代わり中韓憤死一歩手前だけどな。 295名前:名無しさん[sage] 日本が有利になって発狂するのはそいつらのお家芸ですし 296名前:名無しさん[sage] どうせなら朝鮮も朝鮮王国と変わってくれればな・・・ 297名前:名無しさん[sage] 同意 298名前:名無しさん[sage] 禿同 299名前:名無しさん[sage] その通り過ぎて困る・・・ 300名前:名無しさん[sage] ワロタwwwワロタ・・・ 301名前:名無しさん[sage] 【速報】英独蘭AIIB離脱、更に新たに日英独蘭台を含む新OCU結成を宣言【朗報】 302名前:名無しさん[sage] おお!! 303名前:名無しさん[sage] ktkr 304名前:名無しさん[sage] これでかつる(何処にとは言わないが) 305名前:名無しさん[sage] おい、更に情報が来たぞなんか来年夏にOCU全国合同観艦式を執り行うらしい 306名前:名無しさん[sage] お、今度は英国からの表明で日蘭に引き続いて英国にも戦艦と装甲巡洋艦が存在していることを確認したらしい 艦名はWW2時に最も奮戦した艦から名前を取ってライオン級とするらしい。 307名前:名無しさん[sage] この21cの世に6隻もの戦艦が存在しているのか・・・ 308名前:名無しさん[sage] あのライオン級か、それなら納得だな。 309名前:名無しさん[sage] ああ、ライ/オンした船だな 310名前:名無しさん[sage] 他のサウスダコタがぱっとしない中英国のだけ史実の日本でも乗り移ったかのごとき 奇跡を発揮してたもんな。 新着スレを表示する