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「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味~イ・ナムギョの日本語源流散歩29 日本古代史に最も影響を及ぼしたのは何といっても百済ということができる。日本書紀を見れば「百 済近肖古王405年に王仁博士が千字文と論語を持って日本へ渡り、聖明王552年に怒利斯致契が 仏教を初めて伝播した」となっている。 660年8月、百済泗沘(サビ)城が陥落して、663年6月白馬江(ペンマガン)の最後の決戦の時までの 3年間に数千の百済人が日本に渡ったが、彼らの大部分は知識階層だったという。これによって、新 しい農機具と土木技術、仏事、仏経、新医術である鍼術、古代国家を形成する律令体制など国家の 根幹を形成する大部分の百済文化が流入し、日本は新しい新文明の全盛期を謳歌することになる。 日本に渡った当時の百済人は非常に優遇され、百済の職位をそのまま認められて官僚や将軍など に任命されたが、日本政府はこれらを受け入れるために行政組織を16官位から20官位に拡大改編 までした。当時、日本政府の要職の国防大臣や文部大臣など、すべて到来した百済人を任命したこと で発生した言葉が「アマクダリ」(天下り)だ。これは「空から降りた人」という意味で、現在でも高級官僚 が退職して関連機関の幹部などに降りて行くことを「アマクダリ」という。その当時、日本の首都は滋賀 県近江であり、673年に飛鳥地方へ遷都し、また再び710年に「奈良」に移転する。この時から784年 までを「奈良時代」という。 「ナラ」という言葉は「ウリナラ(我が国)」の略語として、当時日本の首都であった場所を百済遊民らは 「ナラ」と呼び後に漢字をあてて「奈良」になった。百済遊民らは消えた祖国百済を「大きな国(コンナ ラ)」といったが、この言葉が変わって「クンナラ→クダラ(百済)」になった。百済(ペクチェ)を「クダラ」と 呼ぶのはこれに起因する。 日本に渡った百済遊民は新羅(シンラ)を「シラギ」、高句麗(コグリョ)を「コクリ」と呼びながらも、百済 に対してだけは絶対に「ハクサイ」とせずに「大きな国」すなわち「クダラ」と呼んだことを見れば、彼ら の執念がどれほど強かったかを察することができる。このような言葉に対する執着は、私たちの固有 な風習を見れば簡単に理解できる。 多くの兄弟がいる時、本家は先祖に対する祭事や全てのことを主管するから財産を全部譲られ、他 の兄弟より豊かで多くのことを内包する。したがって今、百済遊民らが生きている日本が「ナラ(国)」 ならば、百済は一番上の兄格の「大きな国(コンナラ)」という意味から出た言葉が「クダラ」だ。 「クダラナイ」という言葉は直訳すれば「百済にない」になる。言葉の意味は「つまらない」だ。「良くて立 派なものはみな百済にあるのに、これは百済にない。だから、つまらない」という言葉だ。 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/column/20090721_170342000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩29]くだらない 日本に渡っていった遊 民らが祖国百済を描いて 大きい国 (百済)といったところで由来
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愛人(恋人)~イ・ナムギョの日本語源流散歩13(機械翻訳) 国が違えば同じ漢字語であってもその国の風俗(風速)や習慣にしたがって少しずつ変わるはずだ。 例えば 愛人 (恋人)という話は韓国では 愛する人 という意味であり,中国では 夫人 を意味して,日本では アイジン として 不倫関係にある人 を指し示す。 また私たちは 恋人や恋人 をほとんど同じ意味で使うのに,日本語の 恋人 と 恋人 は全く違う意味となる。 すなわち,恋人は 故イ肥土 といって 心から愛する人 を話して,恋人は アイジン といって 他人に知らされれば困難な関係 の人を意味する。 昔も今も青春男女らが会えば互いに愛の物語をやりとりするのに,このような時の ささやく という日本語になればもう少し甘美になって ササヤク (ささやく)で ひそひそ話す という意になる。 そうするうちに互いに別れることでもすれば胸が崩れ落ちるのに,この 崩れる とは ムナシイ (むなしい)で 虚しい という意味だ。 八方美人 (八方美人)という話も韓国では 何でもみな上手にするとても有能な人 であるが,中国では 四方八方から来た美人 を示して,日本では 信頼できない人 という(のは)言葉でとても否定的な意味を持っている。 龍 (龍)の絵を見ても中国は足の爪が5個,韓国は4個,日本は3個で, 箸 (箸)の長さも中国が最も長くて,韓国,日本順だ。 ことわざの表現も韓国と日本は各自(それぞれ)他の特徴を持っているのに,韓国語の ひどい目にあう という日本語では ダイゆすいだ私担ぐと弟 で直訳すれば 大きい目と会う であり,悪いことで 手を洗う とは ご存知ですよアラウ (足を洗う)で 足を洗う となる。 また 顔が広い とは 顔が広い で 行って行き来して広井 , 手の平見るように とは 手で捕えられるように で デニートルヨオニ (手に取るように), 血の出る努力 とは 血が染みて出る努力 という意味の ジノニジムトリョク (血のにじむ努力), 倒れれば鼻つくところ とは 目と鼻間 で メト花崎 (目と鼻先に)となる。銀行で お金を取り戻す とは お金をおろす で カネオオロス (金を下ろす)等こういう例は数えきれない程多い。 ところでおもしろいのは私たちは人が死ねば 亡くなる というのに,日本は ナクナル (亡くなる),すなわち なくなる という。 これは私たちの土葬(土蔵(土葬))文化と日本の火葬(化粧)文化が作り出した話で 帰る とは 土(土),すなわち土に行く で 前世に住んだ所に帰る であり, ナクナル とは ジェロなくなる から出た言葉だ。とにかく韓国語と日本語を比較してみれば同じ意の話もその生活様式により表現方式が違うように発展したことが分かる。 [2009/04/01] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-13]愛人(恋人) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=14503 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
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朝日を浴びるって本当に気持ちいいですよね! 私の最近の趣味は散歩です。 今まで朝は寝坊してしまう程、寝るのが大好きでしたが、 健康の為にと始めたのが散歩で今1ヶ月ほど続いています。 朝5:30に起きて、20~30分くらいです。 継続できるように無理は禁物です! これから冬になるので続くか心配ですが頑張ります!!
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正月が変わった言葉オセチ、変化の途中で止まった「化石韓国語」ドロボウ~イ・ナムギョの日本語源流散歩41 韓国もそうだが日本も名節といえば正月と秋夕(チュソク)だ。正月は1月1日で秋夕は8月15日 と同じだが日本は陽暦で韓国は陰暦であるから実際は1ヶ月以上違いが生じる。日本も昔は陰暦 であったが明治維新の時、全てを太陽暦に変えて名節もこれに合わせて変えたという。私たちも 朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が1972年10月維新の時、名節を陽暦に変えたが古代から伝わる 民族の習慣だからなかなか変えられず、1990年にまた元の位置で戻ってしまった。事実、正月や 秋夕の最も重要な目的は先祖を祀って墓まいりすることだから、国家としてもむやみに強制はで きない。 「正月」は遠い古代から続いてきた先祖に対する感謝と新しい一年を祈る法事の日で、日本はこ の日に「オセチ(節)」料理というものを食べる。ところで、日本のオセチは韓国の‘正月’が変わった 言葉で、「オ」は接頭語、「セチ」とは「ソル(正月)」のことだ。 正月には私たちがトックッ(雑煮)を食べるように日本も「オジョニ(お雑煮)」というトックッに類 似したものを食べるが、これを「オセチヨリ」すなわち「ソリョリ」という。ところでお節料理は前日か らあらかじめ準備するからだろうが、全部冷たいものばかりだ。だから正月に日本人の家に招待さ れたらすべての食べ物が冷たくてお腹の中まで震えなければならないから、しっかりした越冬装 備が必要だ。 幼かった頃は正月といえば新しい服、新しい靴、お年玉をもらう楽しみがあり、正月が来るのを 「一日一日(ハルハル)」と指折り数えたが、この「一日一日」が日本に渡って「ハルバル(はるばる)」 となり「とても遠く」という意味になる。 名節はある人にとっては楽しい日だが、ない人には反対に心配事で特に年末に泥棒が多くなるの もこのためだ。ところで、私たちは 「泥棒」を他人の家を荒らす(トンダ)といって古代には「トルダ ボ」や「トルボ」であったが、日本に渡って連音化し、「トロボ(どろぼう)」になったのだ。韓国語で睡 眠が多い人は‘チャムボ’、かしこい人は‘クェボ’、よく泣く人は‘ウルボ’というように、「~ボ」とい う言葉は若干の愛称が込められた言葉だから、韓国語ではトルボが消えて盗むという泥棒(トドゥ ク)に変わった。 とにかく「トロボ」は古代韓国語が変化の途中に停止したまま残っている「化石韓国語」だと言える。 かなり以前にあるテレビドラマで使われた日本語が流行して韓国で広がったことがあるが、その言 葉は「ミンナ ドロボデス(みんなどろぼうです)」という言葉だった。古代に渡っていった韓国語「トル ダボ」が海に出て成長したサケのように故国に戻ってきたことになるが、多くの言葉の中でよりに よってなぜ「トロボ」が帰ってきたのだろうか? 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/column/20091014_104405000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-41]正月が変わった言葉、オセチ http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=44865 yy=2009
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日本人が気分の良いとき発する「コリャコリャ、チョイナチョイナ」は古代韓国語~イ・ナムギョの日本語源流散歩40 韓国の人々、中でも特に慶尚道(キョンサンド)の人々は話の途中で二の句が告げなかったり、考 えがうまく出せない時、間をつなぐ言葉として「マ-」や「ネー」をよく使うが、演説する際に言葉を 間違う人々の特徴の一つがこの「マ-」や「ネー」が好きだということだ。例をあげれば「ところで、 マー」、「それで、ネー」等で古代にも渡来人が栽培法を熱心に教える途中、通じない時にこの「マ ー、ネー」を連発したはずで、この時よく真似れば「そうだ、あってるよ(マンネ)」といいながら称賛 兼激励もしただろう。この時の「マンネ」が日本語の「マネ(まね)」という意味に変わったが、栽培を まねるのは単なる真似ではなく、人生の貴重な知識を習う勉強だから、この「マネ」から派生した 言葉が「マナブ(学ぶ)」という言葉になったのは前に紹介した。 狩猟生活をしていた彼らが農作業を習って豊作になり、米がいっぱいなら食べ物の心配をせずに 冬には幸せな季節がくる。それで冬はゆっくり休んで遊ぼうの「ゆっくり(プク)」が「フユ(冬)」になっ た。そしてこのような豊かさに感謝するため、村の人々が一緒に集まって氏神に祭事を行い、酒と モチを作って一杯飲んで楽しむとき、昔も今も歌の調べがひとりでに出てきて興を加える。古代渡 来人もこのように気分が良ければ「チョクナ・チョクナ(良いな・良いな)」と大声を出した。 そばで聞いていた原住民は、気持ち良かったら「チョイナ・チョイナ」と言い、この時、誰かがそばで 何か話して「クリャ・クリャ」(訳注:「そうそう」「そうだそうだ」を表すクレクレの方言表現か?)といっ たのを、この言葉もそのまま「コリャ・コリャ」と聞いた。それで今でも日本人たちは興がわいて気分 が良いときは「コリャコリャ、チョイナチョイナ」と調子を合わせて楽しむ。こうした言葉は彼らの気持 ちが最高潮に達したことを表す。ところで現代日本人にその言葉がどういう意味かとたずねれば 「分からないです」という答えが帰ってくる。それもそのはず…とても古い「古代韓国語」だから。 レストランで日本人が食事するのを見れば出てくるおかずを一つずつみな食べた次に、最後にご 飯は水をかけてタクアン二切れで片づける。私たちのように食卓にキムチ、カクテキ、コチュジャン、 汁物などをいっぱいならべてあれこれ混ぜて食べる方法をよく知らない。私たちはキムチがあれ ば誰でもご飯と一緒に食べると考えるのが基本常識だが、日本人たちは「キムチ、オイシイ」とキ ムチだけ先に食べてご飯は後ほど水をかけてずるずると飲み干してしまう。私たちは「ご飯だけ食 べたらまずい」と思い、味もそっけもない人を「ご飯の味」というが、こういう日本人たちを見て日本 人たちはご飯をどういう味で食べているのかが分からない。 とにかく韓国語が日本に渡っていきさえすれば品格が高く深くなるのに、この「味(マッ)」という言 葉だけは「マズイ(不味い)」という意味になった理由が分かるようだ。 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20091006_151413000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-40]チョイナ・チョイナ(良いな・良いな) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=43629 yy=2009
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ハハハ ホホホ~イ・ナムギョの日本語源流散歩8(機械翻訳) 韓国語には感情を表現する擬態語や感歎詞があふれるほど多いが,こういう言葉も日本で伝来して似ていた話で残っている。 例をあげれば,においをかぐ クンクン とは どんどん (くんくん),ヌルチョンゴリは 市部適時お守り とは シブシ部 (しぶしぶ),話が さらさら とは スラスラ (すらすら),静かにしろとの シッ とは シッ (し-っ),風が そよとそよと とは 沙羅寺(サラサ)と (さらさら),鈴が ちゃらんちゃらんとちゃらんちゃらんと とは ちりんちりんと (ちゃらんちゃらん),力なく とぼとぼ とは トボトボ (とぼとぼ),太鼓の音の ふわふわ とは ドンドン (どんどん),鳥が ぱたっとぱたっと とは 売って売る (ぱたぱた)等だ。 そして笑う姿は日本語では母音が5個しかなくて ハハハ(ははは),へへへ(ひひひ),フフフ(ふふふ),へへへ (へへへ),ホホホ(ほほほ) の5種類しかない。 私たちのように フフフ , キルクキルク , ふふふ というクェサンマンチカン笑いはとうてい表現する方法がない。 ハングルは世宗大王(セジョンデワン)が1443年に作った字で に充ちた民が自分話すところを表現したくてもその意を表現する方法がなくてこの文を作りました でした。 しかしそれだけでなくて,その裏面の目標は儒教の基本精神の 忠孝思想 の深化普及(補給)にあったともすることができる。 ハングルを習えば自ずから上下着概念ができることになっている。 韓国語を知っている人ならば誰も皆知っていることだが,韓国語は英語のアルファベットのようにそのまま単純な配列ではなくて子音と母音が合わされてこそ一つの文字となる。 男女が合わせて一つの家庭を作るように,森羅万象が陰陽が合わせて良いことに,字にもそのような概念を導入したのだ。 そしてハングルの母音配置図 ,オイ,オ,女… を見れば即座に知ることが出来るが,ここには話の重要度と高低が絶妙に配置されている。 例をあげれば,お父さんの ア が一番上席にあってその下にお母さんの オ ,その下に兄,さらに下に姉,こういう配置はただなったのではなく意図的に作った儒教精神の序列を加味したのだ。 笑い声も上から数え上げれば ハハ,はっはと,ホホウ,ふふ,フフ,へへ になるのに,ここで ハハ という男の笑い声, はっはと というそれより低い男の笑い声で, ホホウ は女の笑い声なのに,それより低いのが ふふ だ。 そしてさらに降りて行けば フフ になるのにこれは何か凶計を整える悪い奸臣を連想させて, へへ になればおばけがシンナラク忘れる笑い声になってしまう。 それで韓国人らはそのまま笑い声だけ聞いてもその主人公の人物性格を大体察することだ。 このように澄んで美しい話は上席に,暗くて陰気な話は下隈に追い詰めたハングルこそ開けてみれば開けてみるほど天下の名品で言語学大会があれば一度送りだしたいほどだ。 [2009/02/25] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-8]ハハハ ホホホ http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=8718 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
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※注意 この記事は、時系列的に26番目の記事ですが、元サイトで25と記載されています。 「万の神」のヨロズもカミも、カムナビも韓国語由来~李南教の日本語源流散歩25 神といえば韓国の人々は全知全能な唯一神を考える。 しかし日本の神はそうではない。全国に数十万もある神社に祭られる 神々はその領域により各々違う役割を果たしている。勉強ができるように する学問の神、配偶者を求める縁結びの神、お金が儲かるようにする七福神、 火災予防の神、航路の守護神、豊作にする神、等とても多いが、このため、 日本人らはこれを「ヨロズノカミ」すなわち「多くの神々(マヌン シンドル)」という。 「ヨロズ(万)」という言葉を辞書でひいてみれば、「マン(万)の子供式表現」と なっており、「ヨロズヤ(万屋)」といえば、「よろず屋(マンムルサン)」という意味だ。 「ヨロズ」という言葉は韓国語の「ヨロッ(多数)」という言葉に由来したもので、 「多数(ヨロッ)」すなわち「多い(マンダ)」という意味だ。 とにかく日本の神々は人間世界の職業ほど細分化されていて、その役割もまた 多様だ。ところで、この神々の中にも大王神がいる。その神を「スサノオノミコト」 (素盞鳴尊)といって、新羅からきたとされるため「シンラシン(新羅神)」とも言う。 島根県の出雲大社がその神を祭ったところで、陰暦10月には日本全国の神々が ここに集まって会議をするという。そのため、日本は陰暦10月を「カンナズキ」 (無神月)すなわち、「神のいない月」という。したがって陰暦10月に神社に行って 祈る人は何も分からない馬鹿(村八部)として扱われる 史書を見れば「毎年陰暦10月には日本の神々が新羅神らを招へいして、 会議や歌舞を楽しんだ」とあり、毎年陰暦10月になれば偏西風が吹き、 新羅から船を出して1週間ほどでこちらの島根県近海に到着したという。 それで日本の神々は刈りいれが終わったこの時期に韓国の神々を招請して、 共に楽しんで交流したのではないかと言える。そして「神(シン)」を「カミ」と いうのは、これは私たちの神話の「熊(コム)」に由来したもので 「コム⇒カム⇒カミ」に変化したのだ。 韓国では古代から神木を「カムナム」といって、昔は田舎に行けばカムナムに 縄を縛り付けて蒸し餅を入れて祈る風景がしばしば見られたが、このカムナムが 移転したのが日本の「カムナビ」(神奈備)で、これは「神霊が宿った山や森」を 示す言葉だ。 私は日本の神社の神々を調査してみてびっくりしたことは、これらはすべて 家系図を持っていて、彼らの故郷が伽揶、新羅、百済、高句麗と全部古代韓国 だという。どうして日本人たちは私たちの先祖を自分たちの神として祭っておいて、 祭祀を行って担ぐのだろうか?この点は次の機会に詳しく説明したい。 写真:慶一大総長・李南教(イ・ナムギョ) ソース:(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩25]カミサマ(神様) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=29420 yy=2009 http //takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1246538386/
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イラッシャイ(いらっしゃい)~イ・ナムギョの日本語源流散歩6(機械翻訳) 日本を初めて訪問する韓国人らが最も新鮮に感じる2種類挨拶の言葉があるのに,その一つは イラッシャイ (いらっしゃい)であり,また一つは アリガト (ありがとう)だ。韓国語で翻訳すれば いらっしゃいませ と ありがとうございます であるが,食堂に街道デパートに街道どこにガーデン聞く人要人のおかげで,日本を嫌った韓国人らも賞賛を惜しまない。 そして何日間旅行をしていればいつの間にかこの言葉に中毒して人々に会う時にこの話しかけなければ何か不足して何となく寂しい感じすらするのは,親切な要人礼法の新筒の魅力のためであろう。 故に日本人たちが韓国にきて商店に入った時,どの言葉も渡さなければどれくらい不安に思うかを私たちは分かって推し量らなくてはいけない。 ところでこの イラッシャイ (いらっしゃい)はどうして聞けば イリオ小異 と聞こえないか? そのように考えて聞けば ,そうだな と帰宅ひらくだろう。実に,この話(言葉)は慶尚道(キョンサンド)のアクセントがいっぱいのせるだろうは このようにオ牛例 が変わって良い言葉だ。 1970年代までしても慶尚道(キョンサンド)や地方(脂肪)を旅行すれば こっちにきて,裡里(イリ)キュウリ所,このようにオ牛例,このようにオ・ソイ のような特有の放言がたくさんあったが,今日はメスコムの発達で全国がソウルの方言で統一されていきつつあって地方(脂肪)ごとの放言は順次消えている。 それで アリガト という(のは)どこから出てきた話であろうか? 古代韓国語でとは'お父さん'ので, 高貴な という意味で, リ とは 私たちの の リ で 人 を示す言葉だ。 伽陀 とは 同じだ という話だ。 したがって アリ伽陀 とは 高貴な人のようだ という言葉で,この言葉が変わって ありがとう という意の アリガト (ありがとう)になったのだ。 私は日本に嫁にきた韓国人らから"それでも韓国が良いです"という話をしばしば聞いた。彼らは一様に韓国に行けば基本礼儀を守らないことが多くて機嫌を損ねる時も多いが,あった通り胸取り除いて率直に生きるから人生きるようだが,日本は秩序を守って自分がすべきことだけすれば気を遣うことがないから気楽だけれど,互いに弱点を見えないと努力して,表面にだけつきあうからまったく征夷入らないということだ。 それでこれを畑に比喩すれば,韓国は 砂利混ざった斜面畑 同じで,日本は 沃土で覆われた岩盤 同じだという。 しかしとにかく人を配慮して自身を自制することができるのは現代を生きる私たちにあって,特に韓国人にいて最も重要な徳性にならなければならないようだ。 私は イラッシャイ , アリガト′ガ日本社会を生きる喜びを感じるようにする言葉の真の塩だと考える。私たちもこういう塩をもう少し多く使って それでも を抜いた 韓国が良いです を作り出せば良い。慶日対総長 [2009/02/11] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-6]イラッシャイ(いらっしゃい) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=6401 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
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火葬した灰をばらまく日本と土葬の韓国、韓日葬儀文化の違い~イ・ナムギョの日本語源流散歩42 韓国の葬儀文化はまだ古代から伝わる土葬の慣習のため、社会的にも国家的にも大きな悩みの 種だ。国土は限定されているので山ごとに墓地を作るから林野管理はもちろん、このままいけば 100年も経たないうちに使えそうな山は丸ごと墓地が占め、生きた人間が使う土地より死んだ人が 占める土地がさらに多くなるだろうと嘆く人々が多い。最近は少しずつ火葬が増えているが、国家 的にも格別な対策が必要だ。マスメディアや政府もこれに対する問題を切実に感じているけれど、 誰もこれの改善のために強力な主張や対策をたてる人がない。なぜなら、そのような話をすれば 「それではあなたはそうするのか?」と聞かれることが恐ろしいからだ。実際に偉い人から自分の 今日の成功は「ご先祖様のおかげ」と信じて、出世すればするほどより一層、墓地をさらによく面 倒をみて世話をするのが「子としてのつとめ」と考えるためだ。 ところで日本の場合、天皇家以外は土葬がなくて丸ごと火葬にする。これも明治維新の時に変え た習慣で今は日本の高官といっても例外なく全部火葬にする。桜の花が散るようなさわやかな葬 儀文化だ。 葬儀文化もよく見れば韓国と日本ではっきりと違う。日本の葬式はたいてい仏教式で、式典には 必ず黒い礼服を着るべきで、香典は過度でなく古いお札で準備しなければならない。万一新しい お札で出したり多額を出せば、「よく死んだ」というお祝いの意志表示になるが、私は韓国ではこう した話を一度も聞いたことがない。そのように見れば日本人たちは生まれる時は神社に行って一 生の幸福を神に祈り、結婚する時はホテルの中にある教会に行って神父様に誓約し、死ねば僧 侶を呼んで極楽浄土に行くように念仏する、こういう分離した信仰は本当に「日本人らしい合理的 な(?)考え方」に違いない。 ところで本当に申し訳ない話だが、私は今でも私たちの先祖に対する祭祀(チェサ)を何台まで行 い、またいつまで行わなければならないかよく知らない。私が3男であるためもあるだろうが、家ご とに風俗が違って祭祀法が違うからどれが正式なのか全く理解できない。ところで日本は死んだ 初年度は49日、100逸材を過ごして、1周忌、2周忌、3周忌をつとめた後は7年、13年、17年、 23年、25年、27年、33年の命日に祭祀を行い、50年を最後に成仏したといって納骨堂の中の灰 まで丸ごと取り出して周辺にばら撒いて完全になくす。 そのようにして次の人が入る席を作るのだ。だから家族の納骨堂一つだけあれば家族が代々引 き続き使うことができる。こういう葬儀文化は国土の効率性のためにも私たちも一度、汎国民的に やってみてはどうだろうか? 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20091020_151741000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-42]韓日の葬儀文化 http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=45708 yy=2009 (編集者注) 「納骨堂の中の灰まで丸ごと取り出して周辺にばら撒いて完全になくす。」とは「散骨」のことだと思われます。 参考・・・散骨 - Wikipedia
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「アワッテ」が「アワテル」に、日本の方言は古代韓国語の「言葉の化石」~イ・ナムギョの日本語源流散歩44 渡来人らの言葉が土着化した例をさらにいくつか見てみよう。長い間待ち望んでいた誰かが、突 然船に乗って現れた時、この消息を聞いた人はあまりにもうれしく、慌ててどうすればよいか分か らないだろう。 「アワッテ」という言葉は上のような状況の中から出た言葉で、そこから生まれた言葉が「あわてる、 慌てる」という意の「アワテル(慌てる)」だ。物を保管するという「カッタドゥダ」は似た形で残って、 「カタスケル (片付ける)」であるが、その意味は机を「カタスケル」といえば「整理する」、問題を「カ タスケル」といえば「解決する」、娘を「カタスケル」といえば「嫁がせる」、邪魔者を「カタスケル」と いえば「殺す」で、その時その時の状況によって整理する方法を別にしている。 「マチァムヘ」といえばこの頃の若者たちは首をかしげるかも知れないが「とても清楚だ」という韓 国語で「真実で誠実な」ことをいう。このような「マチァムヘな花嫁」は70年代までなら、最も良い良 妻の代名詞であった。この言葉は日本語では「マジメ(真面目)」であるが、漢字表現そのままその 人の真の姿が分かる「真心、真に、誠実、着実さ」という意味を内包している。そして「モヨラ(集ま れ)」という「アツマレ(集まれ)」、「コマン」は日本語で「コバム(こばむ)」で「拒否する」という意味。 手を「展開する」という日本語で「ヒラク(開く)」、「重なる」という「カサネル(かさねる)」、「ソックチダ (ほとばしる)」という「ソビエル(そびえる)」、「ムルダ(熟して柔らかい)」という「モロイ(もろい)」で、 こういう発音を聞くと一瞬、韓国語と勘違いするほどだ。特に古代韓国語は日本の地方の方言の 中にたくさん残っている。 福岡には「ブルティ カテ(火の粉のようだ)」という言葉が変わった「フテガッテ(ふてがってぇ)」があ り、これは「びっくりすること」を現わす言葉だ。嫌いだという意味の‘嫌いだろう’という「シロシ(しろ し)」であり、言葉の後ろに「~ダイ、~マイ(~だい、~まい)」を付ける習慣は慶尚道(キョンサンド) 放言の「カンデイ, カンダイ, カンマイ」という表現と同じだ。 熊本では「ムチォク(非常に)」を「ムシャ(むしゃ)」、「カブル(ふざける)」は「カブル(かぶる)」といい、 長崎では「マルスム(お言葉)」を「マッセ(まっせ)」、「カンドガチ(強盗のように)」を「カンドグチ(が んどくち)」というが、これは「思い出した通りぷつんと吐きだして憎しみを受ける口」を示す言葉だ。 鹿児島では臭いの「ネ」が「ニエ(にえ)」、答える時の「イェ(はい)」が「イイエ(いいえ)」、「カチ(一緒 に)」が「カッスイ(がっつい)」、「ピョンジ(手紙)」は「ヘンジ(へんじ)」となった。 このような方言は日本全国に無数に多い。そしてその語源を確かめてみれば全部古代韓国語に ルーツを求めることができ、このような方言こそ古代韓国語の「言葉の化石」ということができる。 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20091103_152002000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-44]‘アきたって’が アワテル http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=47713 yy=2009